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2010年5月頃 ~ 2024年3月
映画題名リスト

『マーベラス』(The Protege)

2021年・アメリカ 監督/マーティン・キャンベル

出演/マイケル・キートン/マギー・Q/サミュエル・L・ジャクソン

よくわからないストーリーだった。発端はベトナムという珍しい設定。唯一戦争でアメリカに勝利したとされるベトナム、南北に分かれていたものが今は合体して共産国になっているらしい。よく理解していないここらへんの歴史、国民が幸せなら民主主義だろうと共産主義だろうと関係ない。中国のちょっかいにいちゃもんをつけているベトナムなので、共産国家になっていたとは思わなかった。

『アウトロー・ジョニー』(Johnny 100 Pesos: Capitulo Dos)

2017年・チリ 監督/グスタヴォ・グラフ・マリーノ

出演/アルマンド・アライザ/ルシアナ・エチェベリア/ルーカス・ボルバラン/イグナシア・ゴンサレス

珍しいチリ産の映画だった。結構残酷なシーンを堂々とスクリーンに見せるのは国民性としか思えない。正義のために他人を殺して20年の懲役を終えた後の主人公、いさぎよい生き方には感嘆する。このあたりをこういう風に描くことが許される国民性だと感じるのだ。チリ産の食べ物もそれなり以上に輸入されている。こういう潔癖性を持つ国の製品なら中国産よりはるかに信頼が出来るような気がする。

『トップガン マーヴェリック』(Top Gun: Maverick)

2022年・アメリカ 監督/ジョセフ・コシンスキー

出演/トム・クルーズ/マイルズ・テラー/ジェニファー・コネリー/ジョン・ハム/グレン・パウエル

ようやく AmazonPrime で無料鑑賞できるようになった。ちょうど現役だった頃、2年前に現場をやったことがないのに宣伝部長をやれと言われてようやく仕事に慣れた時期だった。1986年「トップガン」がCIC配給で大ヒットした。どんなに映画が面白くても、この題名はないよね、と業界で話題になった。それでも大ヒットしたのはひとえに観客が圧倒的に支持したことが最大。38年前の次回作を今観ようとは想像だにしなかった。そういえばテレビドラマで話題の「不適切にもほどがある」もまさしく1986年時代と今とのタイムスリップ物語だ。考えてみるとなんとのどかな時代だったのだろうか。

『SISU/シス 不死身の男』(Sisu)

2022年・フィンランド 監督/ヤルマリ・ヘランダー

出演/ヨルマ・トンミラ/アクセル・へニー/ジャック・ドーラン/ミモサ・ヴィッラモ

俺に死んでる暇はない! と、解説の冒頭に記載があった。まさしくその通りのスーパー年配者戦士が第二次世界大戦の末期、ナチス相手にまさしく不死身の活躍をする。スーパーマンのようにただ強いのではなく、スパイダーマンのように普通の人間ポイ年寄りが、何故か死なない。死なないのではなく、死にかけている身を不死身の精神力で切り抜けていく。翻訳不能な「シス」というフィンランド語が「折れない心」に代表される意味合いが肝のようだ。

『パラレル 多次元世界』(Parallel)

2018年・カナダ 監督/アイザック・エスバン

出演/アムル・アミーン/マッティン・ヴァルストレム/ジョージア・キング/マーク・オブライエン

鏡の向こうは未来の別世界。入るのも簡単だし戻ってくるのも簡単だ。それ故にやってしまう人間の悪知恵、誰にでも当てはまりそうなSFシーンが。そんなことはあり得ないと思いながら、そんなことがあったらいいなと思う子供心。100年後をこの目で見てみたいと誰にでも言って憚らないこの幼稚な神経がこのままでいて欲しい。

『ひまわりのラブ・ストーリー』(Love Stories in Sunflower Valley)

2021年・カナダ 監督/ロバート・リーバーマン

出演/エリン・ケイヒル/マーカス・ロズナー/コリーン・ウィーラー/ブレント・ステイト

陳腐な邦題を眺めると観る気がおきない。観てみれば、さすがにアメリカ映画とは一味違うカナダ風恋愛ものといえようか。「ひまわり」ソフィア・ローレンを想い出すのはこの年齢の人たちだろう。一面に広がったひまわり、ウクライナで撮影されたというそのシーンは何十年たっても脳裏に残っている。時々見るひまわりの咲き誇る写真に一種の不満足感を呈するのは贅沢なのだろうか。

『輝ける人生』(Finding Your Feet)

2017年・イギリス/オーストラリア/アメリカ/カナダ 監督/リチャード・ロンクレイン

出演/イメルダ・スタウントン/ティモシー・スポール/セリア・イムリー/ジョアンナ・ラムレイ

サンドラ・アボットは35年連れ添った夫マイクが親友のパメラと不倫していたことを知る。荷物をまとめて自宅を飛び出したサンドラは、ロンドンに暮らす姉ビフの家に転がり込んだ。サンドラは自由奔放なビフとそりが合わなかったが、ほかに行く当てもなかったのである。しかし、この決断がサンドラの人生に潤いをもたらすことになった。サンドラはビフの勧めでダンスレッスンに参加することになったのだが、その参加者たちは皆魅力的な人物であった。彼/彼女らとの交流を通して、サンドラは離婚が人生の破滅を意味しないこと、恋愛は全ての世代に開かれたものであることを学ぶのだった。(Wikipediaより)

『トップ・ランナー』(THE FLYING SCOTSMAN)

2006年・ドイツ/イギリス 監督/ダグラス・マッキノン

出演/ジョニー・リー・ミラー/ビリー・ボイド/ショーン・ブラウン/ローラ・フレイザー

実話の物語。主人公のあだ名となった「フライングスコッツマン(空飛ぶスコットランド人)」の由来になったらしい、スーパーマンスタイル。自転車競技の中で「アワーレコード」というトラックを1時間で何キロ走れるかという競技の世界記録保持者、世界大会優勝者のひたむきな自転車への向き合いを映像化している。ヨーロッパではなじみ深い自転車競技。日本には中野浩一という類稀なる自転車アスリートがいる。世界選手権個人スプリントで1977年に開催されたベネズエラ大会から、1986年のアメリカ大会までのすべてを制覇。世界大会10連覇達成という偉業を達成し、中野浩一さんは世界的に認知されるようになる。長年競輪の時代を支配していた中野浩一選手の大記録は未だに破られておらず、現在はギネス世界記録として認定されている。

『ドント・サレンダー 進撃の要塞』(Fortress)

2021年・アメリカ 監督/ジェームズ・カレン・ブレザック

出演/ジェシー・メトカーフ/ブルース・ウィリス/チャド・マイケル・マーレイ/シャナン・ドハティ

ブルース・ウィリス作品は結構おもしろいものが多い。しかし彼は、引退から約1年後の2023年2月中旬に、「失語症診断を発表してからも病状は進行しており、前頭側頭型の認知症と診断された」と家族より発表された。なんか戦争のような邦題だが、現代の金融戦争からとった題名なのかもしれない。

『ジェイコブ 危険な息子』(MOTHER'S DEADLY SON)

2022年・アメリカ 監督/クリス・ランシー

出演/ルネ・アシュトン/ブリタニー・アンダーウッド/ノア・ファーンリー/クリス・クリーヴランド

ある日、日頃から何かと競い合っては反発していた2人を心配する母親の嫌な予感は、最悪の形で的中。兄弟で岩登り競争を始めた結果、エイデンが崖から落下し死んでしまったのだ。三流映画。

『イコライザー THE FINAL』(The Equalizer 3)

2023年・アメリカ 監督/アントワーン・フークア

出演/デンゼル・ワシントン/ダコタ・ファニング/エウジェニオ・マストランドレア/デヴィッド・デンマン

今日は、2024年2月24日(土)。スーパーマンが大好きなことが確信できた。今回の舞台はイタリア、シチリア、マフィアの本部でしか発揮できないスーパー・アクションを見る事が出来る。平気で悪党どもを瞬殺するくせに、悪党の子供といえども、少年には手を出さずに逆に瀕死の重傷を追ってしまうあたりが人間の性を表現することに長けているアメリカ映画ならではのことなのだろう。Amazon PrimeVideo で有料だったが\100で観る価値は大いにあった。

『ブラックライダー』(Black Moon Rising)

1986年・アメリカ 監督/ハーレー・コクリス

出演/トミー・リー・ジョーンズ/リンダ・ハミルトン/ロバート・ヴォーン

 製作年も知らずに観始まったらいきなりトミー・リー・ジョーンズの顔がアップで出てきて、わかいなぁ~! 30年前の映画だろうと思いながら最後まで観切ったが、何と38年前の映画だった。しかも配給はヘラルドだったので二度の驚き。ヘラルド現役時代の時期だったが、知らねぇなぁ~! アナログ・アクションが妙に生々しくて好感が持てるといった印象か。

『ワン・モア・ライフ!』(Momenti di trascurabile felicita)

2019年・イタリア 監督/ダニエーレ・ルケッティ

出演/ピエルフランチェスコ・ディリベルト/トニー・エドゥアルト/レナート・カルペンティエリ

イタリア映画のお得意な「人生賛歌」映画だ。起伏の無いストーリーは観客を飽きさせるが、ときどき珠玉なセリフが飛び出して、なんとも言い難い「良さ」が身に染みる。それでも、途中で寝てしまうのは困ったものだ。何とか耐えられれば、人生賛歌の福音を享受することができるかな。

『ヴィーガンズ・ハム』(原題:Barbaque)

2021年・フランス 監督/ファブリス・エブエ

出演/マリナ・フォイス/ファブリス・エブエ/ジャン=フランソワ・キ エレイ/リサ・ド・クート・テイシェイラ

フランスのブラック・コメディ映画カニバリズムを題材とした映画作品という解説があったが、なんともはや、おぞましい映画だった。映画とはいえこんな題材を永遠と見せつけるのは愚かなことだろう。映画としての評価が悪くない?? それこそ不思議な現象だ。日本人なら頭から毛嫌いするであろうと思っていたが、日本の小さな映画祭でも上映されているというから驚き、ましてや批評集積サイトRotten Tomatoesでは、17件の批評家レビューがあり、支持率100%で平均点は7.0/10となっている、という数字に仰天するほかない。

『孤児院』(La revolte des innocents)

2018年・フランス 監督/フィリップ・ニアン

出演/ジュリー・フェリエ/ブルーノ・デブラント/テオ・フリレ

1911年、フランス。まだ100年ちょっとしか経っていないという事実が頭を混乱させる。光景が悲惨ばかりではなく、フランスでの孤児院がこの体たらくだったとは。言葉が出ない。

『ペトルーニャに祝福を』(Gospod postoi, imeto i' e Petrunija/God Exists, Her Name Is Petrunya)

2019年・北マケドニア/フランス/ベルギー/クロアチア/スロベニア 監督/テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ

出演/ゾリツァ・ヌシェバ/ラビナ・ミテフスカ/ステファン・ブイシッチ

北マケドニアの小さな町での出来事。司祭が川に投げた十字架を裸の男たちが奪い合う儀式があった。伝統的に男しか参加できないのだが、偶然職探し中の主人公の女性が川に飛び込んで十字架を掴んでしまった。大騒ぎの町に訳アリの女性テレビリポーターが登場する。警察署に連れていかれた主人公、司祭も無理に十字架を取り返すつもりはないが、問題が大きくなっていく。といった他愛もないストーリー。日本の裸祭りでも女性の参加がどうのこうのと話題になっている。世の中は確実に変化していくんだということを肝に銘じなければならない。

『スクール・デイズ』(That's What I Am)

2011年・アメリカ 監督/マイケル・パヴォーネ

出演/エド・ハリス/チェイス・エリソン/モリー・パーカー/ダニエル・ローバック/ランディ・オートン

久しぶりに好きな映画に出逢えた。8年生というから日本なら中学2年生というところか。いじめあり、恋愛ありと日本よりはだいぶ進んだ学校生活、スクリーンがまぶしい。先生がいい。まだホモ・セクシャルという表現で社会が拒絶している時代、疑いをかけられたこの先生の言葉がいい。事実に基づいて出来た映画らしいが、子供のころに悪だった輩は大人になっても道を誤っているという記述が最後にあった。確率として、ダメな奴はいつになってもダメなのかもしれない。

『リゲイン 奪還』(Blood, Sand and Gold)

2017年・アメリカ 監督/ガエラン・コネル

出演/アーロン・コスタ・ギャニス/モニカ・ウェスト/クリストファー・レッドマン/ジェニー・スターリン

三流映画の典型。漫画を観るように。宝探しのストーリーに兄妹の宝探し会社の覇権争い、探し出したインカ帝国の財宝を隠し通せるのか、といった子供騙しの話のオンパレード。こんな映画を間違って買ってきてしまったら、宣伝部はどんな風に扱うのだろうか、などと心配したりする。もっとも、こんな映画を掛けてくれる劇場網がないことも確かだが。

『セラヴィ!』(Le Sens de la fete)

2017年・フランス 監督/エリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュ

出演/ジャン=ピエール・バクリ/ジャン=ポール・ルーヴ/ジル・ルルーシュ/ヴァンサン・マケーニュ

Wikipediaには、「ベテランのウェディングプランナーと個性的なスタッフたちが様々なトラブルに見舞われる姿をユーモアとペーソスを交えて描いている。」とあるが、自分が生まれたのが日本人としての日本であることを心から神に感謝することとなった。とてもじゃないけどフランス流エスプリの世界では生きていけないと悟らされてしまう。観たばかりの『英雄の証明』をイランのせいだとばかりと思っていたが、どうもフランスもその一端に加担していること間違いない。邦題のセラヴィ(C'est la vie.)とはフランス語で「それが人生!」という意味。原題は「パーティーの意味」ということらしい。

『英雄の証明』(A Hero/Ghahreman)

2021年・イラン/フランス 監督/アスガル・ファルハーディー

出演/アミール・ジャディディ/サハル・ゴルデュースト/モーセン・タナバンデ

2021年7月に第74回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映され、グランプリを獲得した。第94回アカデミー賞国際長編映画賞にイラン代表作として出品された。戦争時の題名のようだが、戦争がテーマではない。もっと庶民が被りそうなどうしようもない不条理の世界が。こんな国民性に「平和」を叫べる筋合いはまったくないと感じる。

『アンブレイカブル』(Unbreakable)

2000年・アメリカ 監督/M・ナイト・シャマラン

出演/ブルース・ウィリス/サミュエル・L・ジャクソン/ロビン・ライト・ペン/スペンサー・トリート・クラーク

オカルト的SFチックな映画だったが、意外としゃべりが少なく飽きが来たりした。特殊な能力を持つ人間が世の中には存在するようだが、目の前でその特殊能力を見せつかられなければ信用には値しない。時々というよりしょっちゅう、念力をかけたり送ったりしているが、これが結構嵌まっているのがおかしい。

『キングスマン:ゴールデン・サークル』(Kingsman: The Golden Circle)

2017年・イギリス/アメリカ 監督/マシュー・ヴォーン

出演/タロン・エガートン/コリン・ファース/ジュリアン・ムーア/マーク・ストロング/ハル・ベリー

エルトン・ジョンもお笑いのひとりとして出演しているコメディ・アクション映画とでも言えばいいだろう。Wikipediaにはアクションスパイ映画と記されていたが、そんな真面目な映画ではないことは確かだった。映画としてのシリーズ2作目になるらしいが、この後もこの程度のお笑いでシリーズを続けていけるのだろうか。日本のお笑いと大差なくなってしまった欧米のコメディに「残念」という言葉を投げつけるしかない。

『トゥモロー・ワールド』(Children of Men)

2006年・イギリス/アメリカ 監督/アルフォンソ・キュアロン

出演/クライヴ・オーウェン/ジュリアン・ムーア/マイケル・ケイン

西暦2027年11月。人類はなぜか出産の能力が失われ、18年間にわたって全く子供が生まれない世界となっていた。そんな中、奇跡的に妊娠を果たした若い女性を守ることになった主人公を描いている。結構近い未来を描いている。手を変え品を変え、近未来が映画に登場するが、それこそ夢も希望もない地球、世界になっていくことは必至。これからの人生の方が長い人たちにはお気の毒としか言いようがない。

『ウルブズ・オブ・ウォー』(Wolves of War)

2022年・イギリス 監督/ジャイルズ・アルダーソン

出演/エド・ウェストウィック/ルパート・グレイヴス/マット・ウィリス/サム・ギッティンズ

第二次世界大戦の末期、天才科学者の身を奪還するという秘密指令をイギリス政府から受けた主人公他の全6名。状況設定の甘さが映画を台無しにしてしまう。多くを語りたくない三流映画になってしまっている。

『魅せられて』(Stealing Beauty)

1996年・イギリス/イタリア/フランス 監督/ベルナルド・ベルトルッチ

出演/リヴ・タイラー/シニード・キューザック/ジェレミー・アイアンズ/ジャン・マレー

1996年という製作年は微妙な遠さだ。そんなに昔ではないなと感じているが、もう30年近く昔のことだと改めて思う。映画のテーマのひとつに主人公の19歳の処女といったセリフが入っている。今時ならそんなことを話題にすることすらハラスメントでつまはじきにされそうだが、ほのかな匂いのする映画のようで、なんとなく微笑ましい。それにしても、時代は間違いなく超スピードで動いている。

『アリータ: バトル・エンジェル』(Alita: Battle Angel)

2019年・アメリカ 監督/ロバート・ロドリゲス

出演/ローサ・サラザール/クリストフ・ヴァルツ/ジェニファー・コネリー/マハーシャラ・アリ

日本の漫画が原作らしい。地球と火星連邦共和国の間で繰り広げられた没落戦争から300年というのが設定だが、SF大好きの自分にとってはちょっと荷の思い時代設定だった。主人公の女の娘のキャラクターとしての顔、特に目の大きさに見惚れてしまった。人間への特殊メイクでもないし、アニメと実物顔との合成でもなさそうだし、不思議な魅力のあるキャラクターに仕上がっている。驚いた。

『スパイ』(MARIE-OCTOBRE)

2008年・フランス 監督/ジョゼ・ダヤン

出演/ナタリー・ベイ/グザヴィエ・ボーヴォワ/サミュエル・ラバルト

13年前に殺されたのは、レジスタンスのリーダーだったカスティアだった。マリー・オクトーブルは大戦中にレジスタンスとして活動していた。彼女らは勝利を収め、フランスは解放されたが、10人の仲間の中に裏切り者がいることが彼女の脳裏から離れなかった。大戦終結から10年後、彼女はかつての仲間たちに招待状を送り、パーティーを開催する。おそろしく情報の無い映画だった。フランス特有の会話が全編を覆っていた。ちょっと飽きる。犯人は誰だという最大の問題を解かなくても眠りに付けてしまうのが難点。

『ナイトメア・アリー』(Nightmare Alley)

2021年・アメリカ 監督/ギレルモ・デル・トロ

出演/ブラッドリー・クーパー/ケイト・ブランシェット/トニ・コレット/ウィレム・デフォー

なかなか面白い映画だった。ただ、最後の30分くらいのストーリーが、あまりにも予想通りになっていくので、ちょっと・・・・。他人の心を読むのは簡単なようだ。よく言う「あなたのお父さんは・・死んで・・」「・・いませんね」と相手に問いかけたときに何を言わなくても二通りの受け取り方が出来ることなんかは典型的なマジック的読心術だろう。因果応報、自分の企みを辿る自分の人生とでも言うのだろうか。

『REDリターンズ』(RED 2)

2013年・アメリカ 監督/ディーン・パリソット

出演/ブルース・ウィリス/ジョン・マルコヴィッチ/メアリー=ルイーズ・パーカー/キャサリン・ゼタ=ジョーンズ

ノン・ストップ・アクションは飽きさせないが、それなりに一貫したストーリーを辿っているようで好感が持てる。1作目を観たような気がするが、もちろんよく覚えていない。ただ、登場人物に個性が際立つので、同じ映画を観ていたのかなぁという気持ちになったりした。お金がかかっている映画なのはよく分かる。この手の映画に日本人俳優が出る時代は来ていない。

『サイキッカー 超人大戦』(Enhanced)

2019年・カナダ 監督/ジェームズ・マーク

出演/ジョージ・チョートフ/アラナ・ベイル/エイドリアン・ホームズ/クリス・マーク

どうみたって面白くなさそうだったが、観始まったら超人人間が出現して一種のSFっぽい雰囲気に観続けることになった。が、だんだんと本領を発揮してきて、面白くなさが顕著となった。所詮はこんな邦題を付ける段階から分かっていたことだろう。訳の分からない内容となっていった結末を覚えていない。ただ、予想した通り死んだと思われた不死身の超人が再び顔を出すところで「The End」となっていた。へ、へ~ん!!

『65/シックスティ・ファイブ』(65)

2023年・アメリカ 監督/スコット・ベック/ブライアン・ウッズ

出演/アダム・ドライバー/アリアナ・グリーンブラッド/クロエ・コールマン

6500万年前の惑星ソマリスから不時着したのが地球だったなんていう物語がすんなりと心に入って来ない。恐竜期だったらしい地球ではソマリス人が生き残ったもう一人のソマリス人の娘と奮闘するのだった。あれっ!最後はどうなったんだっけ、と思い出せもしない映画鑑賞記となってしまった。

『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い』(The League of Extraordinary Gentlemen)

2003年・アメリ/ドイツ/チェコカ/イギリス 監督/スティーヴン・ノリントン

出演/ショーン・コネリー/スチュアート・タウンゼント/ペータ・ウィルソン/シェーン・ウェスト

何ともはや、大作感だけが先行してガチャガチャと訳のわからない戦いやアクションがまかり通っているだけの愚作だろう。案の定深く眠ってしまって頭の中もすっきりした。アメコミ作品『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』を原作とした映画だが、原作とはほぼ別物になっている、という説明に大いに納得するのであった。

『ターミネーター: ニュー・フェイト』(Terminator: Dark Fate)

2019年・アメリカ 監督/ティム・ミラー

出演/リンダ・ハミルトン/アーノルド・シュワルツェネッガー/マッケンジー・デイヴィス/ナタリア・レジェス

拳銃を命中させてもライフルをぶち込んでも例えバラバラにしたとしても、ひたすら復活する機械人間のシーンはやっぱり飽きが来る。最後の40分くらいは見事に眠ってしまったようで、もう一度そのあたりから見直してようやく死んでくれた機械人間。ストーリーというよりはアクションシーンを見せようとする映画は、残念ながら共感できるものがなかった。

『終身犯』(BIRDMAN OF ALCATRAZ)

1961年・アメリカ 監督/ジョン・フランケンハイマー

出演/バート・ランカスター/カール・マルデン/セルマ・リッター/ベティ・フィールド

観始まってすぐに、このまま最後まで観続けることになるんだろうなぁという予感通りだった。2時間28分の長尺だったが、もう少し物語が続いてくれれば、と思ったほどだ。もっとも、この映画は事実に基づいているから1890年から1963年までの彼の生涯を傍観するしかない。こういう映画を観ると、特に何に感動するというわけではないが、「人生」を思わざるを得ない。こうやって生きているのが不思議で仕方がないのは自分だけではないのだろう。

『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』(Armageddon Time)

2022年・ブラジル/アメリカ 監督/ジェームズ・グレイ

出演/アン・ハサウェイ/ジェレミー・ストロング/バンクス・レペタ/ジェイリン・ウェッブ

1980 年代、ユダヤ系アメリカ人で中流家庭の様子が描かれる。日常的な問題がこの映画のテーマなのだろう。中学生になっやばかりの主人公の男の子、ただの反抗期と捉えてしまえばそのあたりの人間社会の単なるひとつの事実に過ぎない。社会は多くの人々が関与する人間模様、それを司るのはひとりの人間たちの集まりだ。どうにもならない社会の構造、秩序とやらが、ひとりの人間の人生を圧し潰してしまうのが常なる現実。

『カンダハル 突破せよ』(Kandahar)

2023年・アメリカ 監督/リック・ローマン・ウォー

出演/ジェラルド・バトラー/ナヴィド・ネガーバン/アリ・ファザル/バハドール・フォラディ

歴史に埋もれる壮絶な事実をなんと見る。今だってイスラエル、ウクライナと大きな戦いが厳然と行われている。人間の摩訶不思議さが歴史という時間軸でしか語れないのは悲しい。イラン、アフガニスタン、日本人のほとんど知らない世界で淡々と歴史が刻まれていく。やるのは人間、犠牲になるのも人間、一人の特殊工作員が誰も知らない世界を動かしていく。痕跡を辿れば、多くの人間が一つの歴史を形作っている。庶民には分からない世界が繰り広げる歴史が暗闇の中にほんのりと映っているようだ。

『映画 イチケイのカラス』

2023年(令和5年)・日本 監督/田中亮

出演/竹野内豊/黒木華/斎藤工/山崎育三郎/柄本時生/西野七瀬/尾上菊之助/吉田羊/向井理/小日向文世

岡山県秋名市に異動したみちおは、とある傷害事件を担当することとなった。事件は主婦の島谷加奈子が史上最年少で防衛大臣に就任した若きエリート政治家・鵜城英二に包丁を突き付けたというもの。事件の背後には島谷の夫が犠牲となった貨物船と海上自衛隊イージス艦の衝突事故があり、その事故も不審点だらけのものだったが、イージス艦の航海記録は全て国家機密に該当するため、みちおの伝家の宝刀たる職権発動も通用しない・・・(Wikipediaより)

『ビヨンド・ザ・ロウ』(Tueurs)

2017年・フランス/ベルギー 監督/ジャン=フランソワ・アンジャン/フランソワ・トロウケンス

出演/オリヴィエ・グルメ/ルブナ・アザバル/ケヴィン・ヤンセンス/ブーリ・ランネール

家族と静かな暮らしを送るために、最後の仕事に挑んだプロの強盗フランク。だが現金輸送車強盗計画の裏には、謎の犯罪組織の罠が潜んでいた。事件の関係者たちは次々と殺害され、その中には、ヴェロニクという検事もいた。検事殺しの濡れ衣を着せられフランクは逮捕されるが、真犯人を見つけるため脱獄を決行・・・・(Filmarksより)

『ストーリー・オブ・マイ・ワイフ』(A felesegem tortenete/The Story of My Wife)

2021年・ハンガリー/ドイツ/フランス/イタリア 監督/イルディコー・エニェディ

出演/レア・セドゥ/ハイス・ナバー/ルイ・ガレル/セルジオ・ルビーニ

1920年のマルタ共和国。船長の主人公は、カフェに最初に入ってきた女性と結婚するという賭けを友人とし、そこに現れた美しい女性と結婚する、というところから映画は始まる。延々と2時間49分、だらだらと海の男が陸に上がってダメになって行く姿を映していく。奔放に見える妻に翻弄されるように一人の男が骨を抜かれて行く。哀しいなぁ~、という印象が強い。

『暗殺者たちの流儀』(Anatomia zla)

2015年・ポーランド 監督/ヤツェク・ブロムスキ

出演/クシシュトフ・ストロインスキ/マルチン・コヴァルチック/ミハリナ・オルシャンスカ

暗殺を生業とする男・ルレクは刑務所から解放されるが、彼を解放した検事は彼に拒否できない仕事を依頼する。それは警察庁長官の暗殺だった。初老を迎え、暗殺者としての能力が衰え始めているルレクは、若きスナイパー・ワスコを雇うことにする。(Filmarksより) というポーランド映画としては珍しいテーマ。アメリカ映画といわれても分からないほどのテンポがあった。自分で出来ないことを他人を使って実行するのは頭のいい人の所業。それが出来なくて、何でも自分が自分がという人間がダメな仕事師と言える。

『アビリティ 特殊能力を得た男』(Doe)

2018年・アメリカ 監督/ジャスティン・フォイア

出演/ティモシー・デイビス/タチアナ・アリ/マシュー・セント・パトリック/アーロン・ファーブ

8年前、とある公園のベンチで、ジョンという名の男が発見された。過去の記憶が全くない状態だったが、37ヵ国語を流暢に話せる才能を持っていたことから、言語学の教師となった。彼を発見した探偵カールとは親友になり、彼の妹レイチェルと結婚したジョンは娘にも恵まれ、幸せな暮らしを送っていた。(Filmarksより) もっと面白くなるはずだったが、堂々巡りのだらだら映画となってしまって最後のシーンでようやく目を覚ました体たらくさ。

『ウェイ・ダウン』(Way Down/The Vault)

2021年・スペイン 監督/ジャウマ・バラゲロ

出演/フレディ・ハイモア/リーアム・カニンガム/サム・ライリー/ファムケ・ヤンセン

大学生が頭脳で参加するのは窃盗団、というよりは一獲千金を目論む特殊集団と言ったらいいのだろうか。アクション映画でありながら知恵を絞っての危機からの回復策を見せてくれる。アメリカ映画だったらもう少しアクション映画っぽくなるのだろうが、ちょっと理屈に負けてしまったきらいがある。サッカー・ワールドカップ2010年の映像をも入れ込んで、いかにスペイン人がサッカーに熱狂しているかも知らせてくれる。

『デリシュ!』(Delicieux/Delicious)

2021年・フランス/ベルギー 監督/エリック・ベナール

出演/グレゴリー・ガドゥボワ/イザベル・カレ/バンジャマン・ラヴェルネ/ギヨーム・ドゥ・トンケデック

1789年、革命直前のフランス。誇り高い宮廷料理人のマンスロンは、自慢の創作料理「デリシュ」にジャガイモを使ったことが貴族たちの反感を買い、主人である傲慢な公爵に解任され、息子と共に実家に戻ることに。民衆の力で王政を崩壊させたフランスには誇りの歴史がある。現在の日本を見てみれば、傲慢と無秩序だけが横行する時の政権なんて、とっさに民衆に押し倒されても歴史のほんの一掴みにしか残らないだろうと思えてくる。

『アンテベラム』(Antebellum)

2020年・アメリカ 監督/ ジェラルド・ブッシュ/クリストファー・レンツ

出演/ジャネール・モネイ/エリック・ラング/ジェナ・マローン/ジャック・ヒューストン

「過去は死なない、過ぎ去りさえしない」という言葉が何度か出てくる。「戦前」という原題の意味らしい、今回の場合は「南北戦争前」のことを言っているという。南北戦争時代の奴隷たちの虐げられた生活が生々しい。アメリカ人は平気で過去を葬る。原子爆弾を落としておいて、あれは正当だったと未だ持って過半数が思っていると聞くと、教育がいかに重要かを教えられる。アメリカがアメリカ人が悪いわけではない、すべては教育のなせる業だ。やっぱりそういう教育をする国も人も悪いのかもしれない。

『隣の影』(Undir trenu/Under the Tree)

2017年・ドイツ/アイスランド/デンマーク/ポーランド 監督/ハーフシュテイン・グンナル・シーグルズソン

出演/ステインソウル・フロアル・ステインソウルソン/エッダ・ビヨルグヴィンズドッテル/シグルヅル・シグルヨンソン/ソウルステイン・バックマン

性根の悪い国民だなぁ、と思いながらどこの国での話だろうと考えていた。製作国に予想していたデンマークとポーランドが出て来たので、ちょっと合点がいった。国民を一緒くたにして国を語るのは適切ではないとは思うが、概してDNAらしき人間性が同じものたちが集まるのが国民だから仕方がないのかもしれない。ポーランドではないだろうと思う。隣の芝生は青いのではなく、隣の芝生は腐敗臭を放っていると考える隣同士の醜い争いに気持ちが悪くなってくる。こういう映画を最後まで観られるのは、余程の鈍感者か忍耐強い人なのだろう。

『ノッティングヒルの洋菓子店』(Love Sarah)

2020年・イギリス 監督/エリザ・シュローダー

出演/セリア・イムリー/シャノン・ターベット/シェリー・コン/ルパート・ペンリー=ジョーンズ

なんていうことない、ありきたりのストーリー。

『カム・バック 検事の女』(Corrupt)

2016年・カナダ 監督/カーティス・クロフォード

出演/ニコール・デ・ボア/スコット・ギブソン/ピーター・マイケル・ディロン/スティーブ・バラン

出来の悪い検事もの。

『Mr.ブルックス 完璧なる殺人鬼』(Mr. Brooks)

2007年・アメリカ 監督/ブルース・A・エバンス

出演/ケビン・コスナー/デミ・ムーア/デイン・クック/ウィリアム・ハート

邦題のサブタイトルが酷い。ネタ晴らしもいいところで、映画が始まってすぐにそれだと分かったとしても、観る前からばらしていたんじゃ話にならない。話は思いがけない方向に進んで気分の悪さを紛らわせてくれるが、この歳になってみると正義の味方だと人生の先がないことをいいことに殺人鬼になってもいいなぁ、なんて思えて思わずぞっとした。

『すばらしき世界』

2021年(令和3年)・日本 監督/西川美和

出演/役所広司/仲野太賀/六角精児/北村有起哉/白竜/キムラ緑子/長澤まさみ/安田成美/梶芽衣子/橋爪功

主人公が13年の殺人罪での刑期を終えて出所するところから物語は始まった。世間の目は冷たい、どころかどうやって生きていくのかさえ皆目見当がつかない。身近に同じような人物に会ったことがないので分からないが、結構神経を使う日常になってしまうことは想像できる。それでも、ひとり、ふたりと、心から援助する人たちが周りに集まってくる風景は人間の美徳かもしれない。

『ファイヤー・ウィズ・ファイヤー 炎の誓い』(Fire with Fire)

2012年・アメリカ 監督/デヴィッド・バレット

出演/ジョシュ・デュアメル/ブルース・ウィリス/ロザリオ・ドーソン/ヴィンセント・ドノフリオ

アメリカでも劇場未公開だっという。ちょっとばかり設定が甘くてサスペンス・アクションというジャンル分けも泣こうというもの。ただ、アメリカの証人保護プログラムというのはさすがだと感嘆させられる。証人のデータを国家として抹消してしまうなんて、日本では到底考えられない。それでも居場所が分かってしまうのはただ設定が甘いというのではなく、現実社会だって人間のやることの限界を露呈しているような気がする。

『オペレーション・ミンスミート』(Operation Mincemeat)

2021年・イギリス 監督/ジョン・マッデン

出演/コリン・ファース/ケリー・マクドナルド/マシュー・マクファディン/ペネロープ・ウィルトン

1943年、第二次世界大戦の終わりまでにはまだ2年ある。ナチス・ドイツは攻勢を極め連合軍各国は苦戦を強いられていた。実話に基づくストーリー、戦争映画の実話は重い。ヒットラーをだます作戦を敢行したのはイギリス軍、その諜報員やMI6。誰が味方で誰が敵なのかも定かではない。二重スパイ、三重スパイだって当たり前。作戦の最終決断は時の首相ウィンストン・チャーチル、決断をする人の責任と見識は歴史を変えていく。

『アインシュタイン~天才科学者の殺人捜査~』(Einstein)

2017年・ドイツ 監督/トーマス・ヤーン

出演/トム・ベック/アニカ ・エルンスト/ロルフ・カニース/ヘイリー・ルイーズ・ジョーンズ

主人公はアインシュタインの玄孫で、天才物理学者、大学教授だが大の女好きで、女子学生や犯罪の参考人まで手当たり次第、玄人刑事を超える推察力で事件を解決して小気味よいが、いかんせんドイツ・コメディを実践してしまう。評判がよくシリーズになっているらしい。納得は出来る。アメリカでリメイクされるだろう作品が観てみたい。

『バーバラと心の巨人』(I Kill Giants)

2018年・アメリカ/イギリス/中国/ベルギー 監督/ アンダース・ウォルター

出演/マディソン・ウルフ/イモージェン・プーツ/シドニー・ウェイド/ロリー・ジャクソン

ウサミミと眼鏡がトレードマークのティーンエイジャーのバーバラの心の闇(空想)を映像化して、摩訶不思議な世界へと誘ってくれる。母親の重病を直視できないことが闇の正体なのだが、実生活・学校生活までもその世界は支配してしまうのだった。最後の最後になって眠ってしまったが、巻き戻して観ようという気になったのが幸いだ。

『カムバック・トゥ・ハリウッド!!』(The Comeback Trail)

2020年・アメリカ 監督/ジョージ・ギャロ

出演/ロバート・デ・ニーロ/トミー・リー・ジョーンズ/モーガン・フリーマン/ザック・ブラフ

1982年の映画『The Comeback Trail』のリメイク作品で、借金苦にあるB級映画のプロデューサーが主演俳優を事故死させて保険金を得ようと画策する姿を描いている。業界人が業界を描いた映画は概しておもしろくないが、この映画は業界の中身というよりはこんなこともあるよという示唆に富んだことを取り上げているだけなので、何とかおもしろさが辛うじてとどまっている。でも、途中に居眠りが発生した。

『眠りの地』(The Burial)

2023年・アメリカ 監督/マギー・ベッツ

出演/トミー・リー・ジョーンズ/ジェイミー・フォックス/ジャーニー・スモレット=ベル/ママドゥ・アティエ

Amazon Prime Videoで2023年10月13日から配信。いきなりアマゾン・プライムかぁ~! アメリカの裁判劇は迫力がある。日本のテレビドラマでも弁護士や裁判に関するテーマは数多く企画・放映されているがいろいろと曖昧にするところがあり、ここにも忖度があるのかとうんざりすることがある。だいたい訴訟額が違い過ぎる。この映画だって1億ドル(150億円)という金額にさすがアメリカと拍手せざるを得ない。黒人・白人・男・女、というサブのテーマも骨格をなすほどの扱いが素敵だ。

『オットーという男』(A Man Called Otto)

2023年・アメリカ 監督/マーク・フォースター

出演/トム・ハンクス/マリアナ・トレビノ/マヌエル・ガルシア=ルルフォ/レイチェル・ケラー

これってトムハンクスだよなぁ、というのが最初の印象。歳を喰っているし、顔が長く見えたのは生え際がさらに切れ上がったせいなのかもしれない。妻に先立たれた超堅気なきちんとし過ぎている老人がいる。何かと役に立つ存在なのだが、本人は妻のもとへ早く旅立ちたいと何度もトライするが「生きて」いるのが運命のように・・・・。コメディで片付けなくてはそれこそ暗い映画になってしまう。陽気なメキシカン家族が隣に引っ越してきたことが終活の潤いになっている。最後には思わず涙がこぼれて来た。自分もこんな風に旅立ちたいと思ったのかもしれない。

『フェイブルマンズ』(The Fabelmans)

2022年・アメリカ 監督/スティーヴン・スピルバーグ

出演/ミシェル・ウィリアムズ/ポール・ダノ/セス・ローゲン/ガブリエル・ラベル/ジャド・ハーシュ

スピルバーグ監督の映画だった。何も知らないで観始まるのはやっぱりいいことだと確信できた。最初のうちはおもしろくなくて、少し寝てしまったが、急に面白くなりだしたのには驚いた。その後はおもしろさが継続して、終わってしまうのが惜しく感じたほどだった。スピルバーグ監督が自身の子ども時代にインスパイアを受けて制作した作品で、スピルバーグの母リアと父アーノルドに捧げられている。2時間31分と長尺である。

『余命10年』(The last 10 years)

2022年(令和4年)・アメリカ 監督/藤井道人

出演/小松菜奈/坂口健太郎/山田裕貴/奈緒/黒木華/リリー・フランキー/原日出子/松重豊

久しぶりのテレビ放映映画を観た。監督の藤井の「四季を通して茉莉の10年を追いかけ、その時彼女が感じた気持ちを映像で表現したい」という強い希望があり、1年を通しての撮影が行われ、桜や雪や夏の海はVFXではなく実際の撮影となっている。映画としてのインパクトは事実を超えられない。まったく自分の身体としての自覚と感覚のない病院ベッドでの生活を経験した者にとって、「死」とは遠いものではなく、自分の手で手繰り寄せようとするものでもない。

『ルーム・フォー・レント』(Room for Rent)

2019年・アメリカ 監督/トミー・ストーバル

出演/リン・シェイ/オリバー・レーヨン/ヴァレスカ・ミラー/ライアン・オチョア

観ていて気持ち悪い老婆の殺人狂人が映画の質までも落としてしまっているのは皮肉だ。こんな人が近所に住んでいたら、とてもじゃないけど周りの人たちは居心地が悪過ぎるだろう。それでも、その意地悪さにさえも気づくまでに時間がかかるだろうから、人生の大半を不愉快に過ごすことになってしまう。たまには戦う日常も必要なのかもしれない。

『マトリックス レザレクションズ』(The Matrix Resurrections)

2021年・アメリカ 監督/ラナ・ウォシャウスキー

出演/キアヌ・リーブス/キャリー=アン・モス/ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世/ジェシカ・ヘンウィック

たぶんまだ観ていないだろうと観始まった。最初の3作ともなんとか観ているが、実は何が何だか内容が分からない。「マトリックス」という世界と自分の空想力が合致しない。この映画も、何度も停止して観終わるまでに何日もかかってしまった。よくよく考えたら、子供騙しのようなストーリーを映像化して、関係者だけが喜んでいるのではなかろうか。それでも、世間的にはヒットした映画のジャンルに入るのだろうから、要は自分の頭の中身が映画に追いついていないということに違いない。

『THE ICEMAN 氷の処刑人』(The Iceman)

2012年・アメリカ 監督/アリエル・ヴロメン

出演/マイケル・シャノン/ウィノナ・ライダー/ジェームズ・フランコ/レイ・リオッタ

実在の殺し屋リチャード・ククリンスキー、家族の前では良き夫、良き父親である一方で、逮捕されるまでに100人以上を手にかけた冷酷な殺し屋としての顔を持つ。三流映画のような雰囲気だが、ストーリーがよく理解できない。簡単に依頼された殺人をするようになった心のうちはまったく描かれていない。そういえば、映画に出てくる悪人どもは自分の家族を溺愛しているが、殺してしまった相手にも家族がいたりすることを理解できていないのだろう。

『RENDEL レンデル』(Rendel)

2017年・フィンランド 監督/ジェッセ・ハーヤ

出演/クリストフェル・グンメルス/ラミ・ルシネン/レンネ・コルピラ/マッティ・オンニスマ

バットマンの出来損ないのような格好とスーパーマンやスパイダーマンを連想させるスーパーヒーロー?らしき主人公が痛々しい。強いのか弱いのか分からない格闘シーンに思わず苦笑いしてしまう。本物のスーパーマンは期待できなくても、思いっきり期待できるスーパー・ヒーローが日本の政治社会に現れることはないのであろうか。

『事故物件2013号室』(The Landlord)

2017年・アメリカ 監督/ダニエル・リンゲイ

出演/モリー・マクック/ジャック・ターナー/テッド・マッギンレー/アン・スウォード

スリラーものは映画の出来が恐怖の深さを現す。よほどではない限りスリラーものを名乗ることすら憚れる。それにしても、どんな高級だろうと賃貸アパートメントには想像以上の危険な仕掛けがしてあってもおかしくない現代社会だ。

『355』(The 355)

2022年・イギリス/アメリカ 監督/サイモン・キンバーグ

出演/ジェシカ・チャステイン/ルピタ・ニョンゴ/ペネロペ・クルス/ダイアン・クルーガー/ファン・ビンビン

タイトル及び作中のスパイチーム名の「355」とは18世紀のアメリカ独立戦争時代に実在したパトリオット側の女性スパイエージェント355にちなむという。5人の女性アクションが見世物だが、チャーリーズ・エンジェルのように最初から出来上がっているチームではないところが売りか? 麻薬の大量売買ではなく超最新デバイスによるテロ行為可能なシステムを売買しようとする今風題材に時代を感じる。

『街のあかり』(LAITAKAUPUNGIN VALOT)

2007年・フィンランド/ドイツ/フランス 監督/アキ・カウリスマキ

出演/ヤンネ・フーティアイネン/マリア・ヤンヴェンヘルミ/マリア・ヘイスカネン/イルッカ・コイヴラ

先日観た「過去のない男」を含めて敗者3部作というらしいが、何ともはや暗くてどうしようない。気分が良い時なら、この手の映画も人生の教訓として眺めることもできるのだろうが。「まだ死なない」という主人公の言葉が重々しく感じる。鋭い「鈍感力」を駆使しながら、短い人生を謳歌することが人生の使命なのだろうか。

『ストレンジ・アフェア』(Strange But True)

2019年・カナダ 監督/ローワン・アターレ

出演/ニック・ロビンソン/マーガレット・クアリー/エイミー・ライアン/グレッグ・キニア

なんか幻想的なほんわかしたストーリーかと思っていたら、実はおぞましい話だった。アメリカ映画に見慣れていると、ちょっと雰囲気の違う映画がすぐに分かるのがおもしろい。なにしろ、所かまわずいろいろな映画を観続けているので、めったにいい映画に出逢えないのが残念なり。

『過去のない男』(Mies vailla menneisyytta)

2002年・フィンランド/フランス/ドイツ 監督/アキ・カウリスマキ

出演/カティ・オウティネン/マルック・ペルトラ

暴力によって記憶を失くしてしまった主人公、自分の名前さえわからくなってしまった街で一体何が出来るというのだろうか。認知症になったとしたら同じことなのだろう。幸せなのは本人だけで、周りの人は堪ったものじゃない。でもそんな家族が世の中にはどんどん増えているのだろう。せめて、死ぬ時ぐらいみんなに迷惑を掛けることなく息を引き取りたい。さんざん迷惑を掛け通しの人生だったから。

『レミニセンス』(Reminiscence)

2021年・アメリカ 監督/リサ・ジョイ

出演/ヒュー・ジャックマン/レベッカ・ファーガソン/タンディ・ニュートン/クリフ・カーティス

人間の記憶を呼び起こして記録するという技術が開発された。SFである。事件の解決に使われることがある。この時世界は都市の半分が水に沈んでしまっているという状況だった。マイアミのビル群がだいぶ水に浸かって世の中も荒んでいる。記憶潜入エージェントの主人公は偶然に出逢ったと思われた女性に興味が惹かれ過ぎて、ある事件へと引きずり込まれていった。ちょっと独りよがりのストーリー展開がうざったい。

『ハーバーマン 誇り高き男』(Habermann)

2010年・ドイツ/チェコ/オーストリア 監督/ユライ・ヘルツ

出演/マルク・ヴァシュケ/カレル・ローデン/ベン・ベッカー/ハンナー・ヘルツシュプルング

悲しい思いがこみ上げてくる映画だった。実話に基づく物語と思わせるような雰囲気が、息を詰まらせる。350万人ものドイツ系民族が住むチェコスロバキア・ズデーテン地方が舞台。ナチス・ドイツの所業を日本の韓国統治と同じだと嘯く韓国人は、自分が教育された嘘の歴史をもう何度でも勉強し直す必要がある。それにしても酷いヒットラーの悪事は、末端まで行き届いている。少しはヒットラーのいいところを描いた歴史はないものなのだろうかと考えるのは無駄なことなのだろう。

『アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド』(Ich bin dein Mensch/I'm Your Man)

2021年・ドイツ 監督/マリア・シュラーダー

出演/ダン・スティーヴンス/マレン・エッゲルト/サンドラ・フラー

ベルリンのペルガモン博物館で、楔形文字の研究に没頭する学者アルマは研究資金を稼ぐため、とある企業が極秘で行う特別な実験に参加することに。そこに現れたのは紺碧の瞳でアルマを熱く見つめるハンサムなトム。初対面にもかかわらず、積極的に口説いてくる彼は、実は、全ドイツ人女性の恋愛データ及び、アルマの性格とニーズに完璧に応えられるようプログラムされた高性能AIアンドロイドだったー!(Filmarksより)

『ラストオーダー 最後の注文』(Last Orders)

2001年・イギリス/ドイツ 監督/フレッド・スケピシ

出演/マイケル・ケイン/トム・コートネイ/デビッド・ヘミングス/ボブ・ホスキンス/ヘレン・ミレン

ロンドンの下町にあるパブに、うだつのあがらない3人の老人たち。カウンターに置かれたグラスの横には、1つの骨壺が置いてある。つい先日まで、若かれりし頃からこの場で酒を酌み交わしていた友が亡くなり、“遺灰は海にまいてほしい”という彼の要望を叶えるため、海辺の町マーゲイドを目指す弔いのドライブが始まる。おもしろいはずなのに何てことなかった思い出話が恨めしいが、友に遺灰を撒かれた主人公は幸せだったろうな。

『アリバイ 高額報酬の代償』(Fatal Performance)

2011年・カナダ 監督/ジョージ・アーシュベイマー

出演/ニコール・トム/デヴィッド・パルフィー/スティーヴ・ベーシック/エミリー・ウラアップ

出来の悪いサスペンス映画。五流映画。最後まで寝らなかったのが救いだった。

『クリード 過去の逆襲』(Creed III)

2023年・アメリカ 監督/マイケル・B・ジョーダン

出演/マイケル・B・ジョーダン/ジョナサン・メジャース/テッサ・トンプソン/ウッド・ハリス

出来の悪いボクシング映画。五流映画。それなりに楽しめるギリギリのところ。

『郵便探偵ロストレターズ 手紙がもたらす小さな奇跡』(Signed, Sealed, Delivered: The Vows We Have Made)

2021年・アメリカ 監督/リンダ・リサ・ヘイター

出演/エリック・メビウス/クリスティン・ブース/クリスタル・ロウ/ジェフ・グスタフソン

配達不能の郵便物を届けるため、その謎に迫り、差出人や受取人を導き出す異色ミステリー! お涙頂戴で終わるのはなかなかいい。ちょっと変わった映画だが、配給会社の立場になって観る癖が抜けきらないので、どこの映画館で掛けたらいいのだろうかと、頭を縦に傾げてしまう。

『シー・セッド その名を暴け』(She Said)

2022年・アメリカ 監督/マリア・シュラーダー

出演/キャリー・マリガン/ゾーイ・カザン/パトリシア・クラークソン/アンドレ・ブラウアー

#MeToo運動が世界へ広がる大きなきっかけのひとつとなった、ニューヨーク・タイムズ紙による2017年の性暴力報道を描く。ハリウッドで大きな影響力を持っていた映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの何十年にもわたる性暴力事件を2人の女性記者が追いかけ、ワインスタイン側からの激しい攻撃をはねのけて記事の公開へ至る姿が描かれる。(Wikipediaより)
 映画界での話だ。MIRAMAXといえばだれでも知っている映画会社。その創始者の恐ろしい所業が公になるのには幾多の困難があった。おぞましい。映画は金を生むから、こういう輩も生み出すことになったのだろう。声を上げられないように周到な防御をして悪事を働く人間の行く末を見てみたい。もちろん、映画界だけではなく同じような悪行をしでかしていながら平然と生きている人間がたくさんいるに違いない。嫌だね人間社会。楽しいはずなのに。

『チケット・トゥ・パラダイス』(Ticket to Paradise)

2022年・アメリカ 監督/オル・パーカー

出演/ジュリア・ロバーツ/ジョージ・クルーニー/ケイトリン・デヴァー/マキシム・ブティエ

夫婦生活をたった5年で終え、ひとり娘リリーのためだけに20年間「家族」という関係をつづけてきたジョージア(ジュリア・ロバーツ)とデヴィッド(ジョージ・クルーニー)。 険悪なムードが漂うふたりの旅の目的は、卒業旅行先のバリ島で出会ったばかりの青年と恋に落ちた娘のスピード婚目前の娘を止めること。「恋」という一時の「気の迷い」で人生をフイにして欲しくない、自分たちと同じ過ちを犯して欲しくないとふたりは…という軽いコメディ。

『月面着陸』(Il grande passo)

2019年・イタリア 監督/アントニオ・パドバン

出演/ジュゼッペ・バッティストン/ステファノ・フレージ/ロベルト・シトラン/カミッラ・フィリッピ

原題を翻訳機にかけると「大きな一歩」だった。イタリア独特のユーモアなんだろう。子供の頃から夢見てきた決断を35年経った今、実行しようとしている兄と疎遠になっている弟のやり取りがイタリア映画。ペーソスのあるストーリーや結末を望んでいたが、さすがに個人がロケットを作って発射までしてしまうのでは、それ以上の映像は期待できない。町のみんなの心配をよそに、ロケットが月に向かって発射されたところで、映画は THE END 。

『忘れられない年、春』(Um Ano Inesquecivel 4 - Primavera)

2023年・ブラジル 監督/ブルーノ・ギャロッティ

出演/リビア・シウバ/ホナウド・ソット/ビア・ジョルドン

世界中の親子関係のように、親は子供には学校で満遍なくいい成績をとって欲しいと願っている。子供には特に好きなことがあって、その方向に人生の道を進みたいと願っている。ブラジルの青春映画のようだ。春、夏、秋、冬、と四部作になっているらしい。気楽に観られる映画というよりは映像の雰囲気。たまには異国の映画も観ておいた方がいい。

『ミセス・ハリス、パリへ行く』(Mrs. Harris Goes to Paris)

2022年・ハンガリー/イギリス/カナダ/フランス/アメリカ/ベルギー 監督/アンソニー・ファビアン

出演/レスリー・マンヴィル/イザベル・ユペール/ランベール・ウィルソン/アルバ・バチスタ

1957年、戦争で夫をなくした未亡人で家政婦で掃除婦の主人公が、偶然に出会ったクリスチャン・ディオールの服に恋をしてしまった。憧れのパリと日本人は全員がパリに恋い焦がれていた時代があった気がする。ロンドンに住む主人公も同じようにパリに恋しているようだった。お金もないのに陽気な主人公がまき起こす事件は、周りの人たちを幸せにしていく。こういう人がいるのが嬉しい。自分もそういう人になりたいと思うけれど、すぐに挫折感を味わうことばかりで、終始一貫しない人生が恨めしい。

『バッジ・オブ・ビトレイヤル』(Badge of Betrayal/Sole Custody/Arson Mom/ The Arsonist)

2014年・アメリカ 監督/ブレントン・スペンサー

出演/ジュリー・ベンツ/リック・ラヴァネロ/マックスウェル・コヴァチ/マシュー・ケビン・アンダーソン

サスペンスフルな展開の果て、思いも寄らぬ結末が訪れる衝撃のラストに震えが止まらない! この程度の映画でそんな大袈裟なことを言うなんて、と思うのが昔からの映画関係者だと嘯く。結婚生活と子供のことを描くアメリカ映画には共通の価値観があるようだ。それにしても溺愛する母親も父親も、好きで結婚した相手に対してはあっさりと関係を断ってしまう神経がイマイチよく理解できない。

『REVENNGE リベンジ 鮮血の処刑人』(Army of One)

2020年・アメリカ 監督/スティーヴン・ダラム

出演/エレン・ホルマン/マット・パスモア/ジェラルディン・シンガー/ステファン・ダンレヴィ

セクシーに、容赦なく、ぶっ殺す悪党どもに、夫を殺され、銃で撃たれ、森に捨てられた女彼女が無敵の女兵士であることは、誰も知らない復讐の名のもとに、地獄の底から蘇れ。(Filmarksより) アメリカの特殊部隊兵隊さんは女といえど、極めて怖い存在みたいだ。体力もさることながら、その精神力に驚かされる。日本の女性はしとやかだ。

『サイレント・トーキョー』

2020年(令和2年)・日本 監督/波多野貴文

出演/佐藤浩市/石田ゆり子/西島秀俊/中村倫也/広瀬アリス/井之脇/海勝地涼

最初から最後までサスペンス映画として悪くはない。東京を舞台にした爆破テロ犯人は誰なのか? 最後には犯人と思われる人物が現れるが、人間関係性がイマイチ表現しきれていないストーリー展開にちょっと苛立ちを感じる。後出しじゃんけんのようなサスペンスは、観客を馬鹿にしているとしか思えない。解決できない頭の中をそのままにして映画は終わってしまう。ちょっと編集のし過ぎなのかもしれない。さすがにテレビの2時間ドラマに比べれば、迫力のある映画として賛辞を得られるかもしれない。

『ブラック・イースター』(Black Easter)

2021年・アメリカ 監督/Jim Carroll

出演/ジェイソン・カストロ/ハイディ・モンタグ/ドニー・ボアズ/Christina Birdsong

ナザレのイエスの十字架貼り付け直前にまでタイムリープしてしまうストーリーは、あまりにも独りよがりのSF過ぎて、とてもじゃないけど理解不能に陥った。この頃は、この映画に限らず考えても分からないストーリーや事象に出くわす映画が多くて往生している。老いたんだろうねぇ~!! 決して若い映画製作者の思考を責めているわけではない。

『エグゼキューター 暗殺者』(Executor)

2017年・アメリカ 監督/モジコ・ウィンド

出演/ポール・ソルヴィノ/マーキス・マクファデン/アイデン・ウィンド/ミーシャ・バートン

5流映画の真髄を観るような映画だった。神という名のもとにかなりの不条理が横行しているような気がする。神という言葉を使えば、他人を殺しても神の思し召しだと平気でのたまう。千年前の掟を今の時代に適用させること自体が不条理なのに、そんなことすら理解できない頭の悪い人々で満ち溢れている地球になってしまったようだ。

『レオニー』(Leonie )

2010年・日本/アメリカ 監督/松井久子

出演/エミリー・モーティマー/中村獅童/原田美枝子/竹下景子/吉行和子/中村雅俊

もう少し早く観ておきたかった映画だった。世界的な彫刻家イサム・ノグチを育てた母レオニー・ギルモアの物語。このイサム・ノグチという名前を何度か見たり、聞いたりするたびにもっとよく知りたいと思っていた。何でも知っているようなふりをする私のような似非知識人にとっては、心の底から実践できていない芸術の世界。それにしても凄い。この母親の精神構造から生き方まで、スーパーな女性の典型のようだった。羨ましいその人間力という才能。

『アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌』(I Can Only Imagine)

2018年・アメリカ 監督/アンドリュー・アーウィン/ジョン・アーウィン

出演/J・マイケル・フィンリー/デニス・クエイド/ブロディ・ローズ/マデリン・キャロル

クリスチャンソングというジャンルがあるというのを知った。歌手としての成功物語だが、それぞれの人生にはそれぞれの道があろうというもの。ほんの一握りの成功者の陰には、その何十倍の夢かなわぬ人たちの人生もあることをしっかりと覚えていなくてはならない。

『タイムトラベラーの系譜 サファイア・ブルー』(Saphirblau)

2014年・ドイツ 監督/フェリックス・フックシュタイナー/カタリーナ・シェード

出演/ヤニス・ニーヴナー/マリア・エーリック/ローラ・ベルリン/ヴェロニカ・フェレ

タイムトラベラー一族のはなし。おもしろいはずなのだが、分かり難くて腹が立つ。現役高校生の主人公女性が苛立つ。馴染めない生活感が疎ましい。人生だって難しいんだ、タイムトラベラーなんて夢にもなりやしない。

『新聞記者アレックス 殺人の手助け』(CHRONICLE MYSTERIES: HELPED TO DEATH)

2021年・カナダ 監督/ジェイソン・ボルク

出演/アリソン・スウィーニー/ベンジャミン・エアーズ/クリスチャン・アルフォンソ/レベッカ・スターブ

この頃の社会には詐欺まがいのお誘いがうようよしている。本当になってしまえば文句も言えない。全員が騙されて、初めて詐欺だったと知った時にはもう遅い。違法すれすれの事象を判断するのは難し過ぎる。君子危うきに近寄らずという例えがあるように、決して触らず遠くから見守っていた方が賢明な事柄が多くて困っているのが多数派なのだろう。

『チューリップ・フィーバー 肖像画に秘めた愛』(Tulip Fever)

2017年・アメリカ/イギリス 監督/ジャスティン・チャドウィック

出演/アリシア・ヴィキャンデル/デイン・デハーン/ザック・ガリフィアナキス/ジュディ・デンチ

チューリップ・バブルと呼ばれる時代があったらしい。オランダ黄金時代のネーデルラント連邦共和国において、当時オスマン帝国からもたらされたばかりであったチューリップ球根の価格が異常に高騰し、突然に下降した期間。チューリップ・バブルのピーク時であった1637年3月には、1個当たり、熟練した職人の年収の10倍以上の価格で販売されるチューリップ球根も複数存在した、というから凄い。いつの時代にも金の魔力に負けた社会環境が発生するらしい。それが人間の本能だと言ってしまえば元も子もない。そんな時代に弄ばれた男と女の世界、愛欲の世界が繰り広げられる。世の中は変わっても、人間の心は進歩しようがないようだ。

『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』(My Salinger Year)

2020年・アイルランド/カナダ 監督/フィリップ・ファラルドー

出演/マーガレット・クアリー/シガニー・ウィーヴァー/ダグラス・ブース/コルム・フィオール

1990年代のニューヨークで老舗の出版エージェンシーに就職し、伝説的隠遁作家J・D・サリンジャーと彼のファンを結ぶ窓口係となった作家志望の女性を描いた青春奮闘記で、ジョアンナ・ラコフが2014年に上梓した自叙伝『サリンジャーと過ごした日々』を原作としている。『ライ麦畑でつかまえて』という本をまだ読んでいない。1本だけこの作家にまつわる映画を観た時に、強烈にこの題名が頭に焼き付いて離れない。どうしても死ぬまでに読んでおかなければいけない本だ。

『シャドウ・イン・クラウド』(Shadow in the Cloud)

2020年・ニュージーランド 監督/ロザンヌ・リァン

出演/クロエ・グレース・モレッツ/ニック・ロビンソン/ビューラ・コアレ/テイラー・ジョン・スミス

クロエ・グレース・モレッツがだいぶ大人になって嬉しい。子供を産んだ時間経過もありかな。映画はあまりにも荒唐無稽で画面は暗くて飛行機の中なのにやっていることが明確に見えずに辟易する。だけども、こんなストーリーを展開できるのも映画だからこそのことだろう。グレムリン?と戦う母親のシーンがやけに格好良かった。

『大脱走2』(The Great Escape II: The Untold Story)

1988年・アメリカ 監督/ポール・ウェンドコス/ジャド・テイラー

出演/クリストファー・リーヴ/ジャド・ハーシュ/チャールズ・ヘイド/マイケル・ネイダー

1963年に公開された映画『大脱走』(真の続編ではないが、1963年版で描かれていなかった他の脱走者など)にスポットを当てた1963年版の後日談的なストーリーとなっているらしい。1988年にアメリカで製作されたテレビ映画で「脱出編」と「復讐編」の二部構成で放送された。途中にあった黒味はそういう意味だったのか!? それなりに面白いが3時間は長い。テレビで観る映画ならではの環境だ。

『ライダーズ・オブ・ジャスティス』(Retfardighedens Ryttere;Riders of Justice)

2020年・デンマーク 監督/アナス・トマス・イェンセン

出演/マッツ・ミケルセン/ニコライ・リー・カース/アンドレア・ヘイク・ゲーゼベウ/ラーシュ・ブリグマン

デンマーク映画といえば「暗い」のが相場だが、この映画はさらに奇妙な価値観に戸惑う。それでも、今まで観たデンマーク映画の中では一番かもしれない。人間社会の出来事は、偶然と必然とのせめぎあい。何が当然で何が異常なのかは誰にも分からない。生まれてきたこと自体が奇跡と言えるのなら、毎日の出来事も同じように奇跡の重なり合いかもしれない。

『遙かなる帰郷』(La tregua)

1997年・イタリア/フランス/ドイツ/スイス 監督/フランチェスコ・ロージ

出演/ジョン・タトゥーロ/マッシモ・ギーニ/ラデ・シェルベッジア/ステファノ・ディオニジ

なんと日本ヘラルド映画配給だった。私が知らないのは当然で、ヘラルドを辞めた8年後の作品だった。ヘラルドらしい配給作品である。アウシュヴィッツ強制収容所から奇跡的に解放されたイタリアのユダヤ人作家プリーモ・レーヴィが、故郷イタリアへ戻るまでの8か月の旅を書き記した記録文学のベストセラー『休戦』(La tregua)の映画化。原作者のプリーモ・レーヴィは映画化の企画を喜んだが、その1週間後に事故死した(自殺とする説もあるが、遺書などの確たる証拠はない)。

『ダウントン・アビー/新たなる時代へ』(Downton Abbey: A New Era)

2022年・イギリス/アメリカ 監督/サイモン・カーティス

出演/ヒュー・ボネヴィル/ジム・カーター/ミシェル・ドッカリー/エリザベス・マクガヴァン

2010年から2015年まで放映されたテレビシリーズ『ダウントン・アビー』の2019年の映画版の続編だ。たぶん一作目を観ていると感じた。久しぶりに映画らしい映画で嬉しかった。人間関係がイマイチ良く分かっていないのが残念だが、機会があればもう一度見直してその関係性をはっきりさせて頭の中をすっきりしたい。伯爵、男爵、資産家という人間模様に憧れる。大変だろうな、でも、あの社会の中に生きるのは。

『オリーブの樹は呼んでいる』(El olivo)

2016年・スペイン 監督/イシアル・ボジャイン

出演/アンナ・カスティーリョ/ハビエル・グティエレス/ペップ・アンブロス

脚本は『麦の穂をゆらす風』や『わたしは、ダニエル・ブレイク』などのポール・ラヴァーティという解説があった。『麦の穂をゆらす風』はいい映画だったような記憶がある。このオリーブ・・は題名負けしている。原題のように単にオリーブの樹で充分なのだろうと思う。進展しないストーリーに付き合っていくのは大変だ。単純におもしろくないと評価されてしまう映画。

『ザ・ガーディアン』(The Gardener)

2021年・イギリス 監督/スコット・ジェフリー

出演/ロバート・ブロンジー/ゲイリー・ダニエルズ/サラ・T・コーエン/ベッキー・フレッチャー

チャールス・ブロンソンにそっくりな主人公が出てきて、ずーっと彼が歳をとった演技だと思いながら観ていた。調べたら、チャールス・ブロンソンはもう20年前に81歳で亡くなっていた。歳をとった彼だと思っても仕方のないようなアクション・サスペンス映画が陳腐だった。辻褄がうまく合わないシーンが多いと、映画は興味を抱かせずに堕ちていく。

『ビッグ・フィックス』(The Big Fix/Contractors/Safe House)

2021年・カナダ 監督/ジェフ・グリックマン

出演/アンドリュー・チャップマン/ディアナ・リトル/ダニー・コーデュナー/ジョン・ターナー

FBIの特殊任務チームだとかいうあたりの軽い冗談劇には反吐が出そうだった。最近の外国映画は相当質が悪くなっている。困ったものだ。

『わたしの叔父さん』(Onkel/Uncle)

2019年・デンマーク 監督/フラレ・ピーダセン

出演/イェデ・スナゴー/ペーダ・ハンセン・テューセン/オーレ・キャスパセン

27歳の女性と身体の不自由な叔父さんの穏やかな酪農の日々。小津作品を観ているような気がしてきた。何も起こらない日常を淡々と描いてくれる。結末のなさそうな映画は未来を予告することなく終わっていく。それでいいのだ、人生は。

『キリング・ブラッドリー』(Killing Your Daughter)

2019年・アメリカ 監督/クレイグ・ゴールドスタイン

出演/サラ・アルドリッチ/ジェイソン・ブルックス/クリスティ・バーソン/ステファニー・チャールズ

映画の中身に関しては、日本のテレビ連続ドラマよりもはるかに出来の悪い作りで呆れるばかりだ。スリラーやサスペンスに細かい配慮がないのはアメリカ人のせいだろう。いずれにしろ、男(夫)の命運を決めるのも妻の有り様だというのは紛れもない事実だろう。

『アバウト・レイ 16歳の決断』(3 Generations)

2015年・アメリカ 監督/ゲイビー・デラル

出演/エル・ファニング/スーザン・サランドン/ナオミ・ワッツ/テイト・ドノヴァン

娘が3人いるが、そのうちの一人が男になりたいと言い出したら、私は正しく対応できていたであろうか。原題にある3世代が同居している。16歳の主人公が男になるためには育ててくれている母親だけでなく、10年も会ったことのない父親のサインが必要だった。イワクつきの3世代の素性が明らかになって行き、話はとんでもない方に走り出した。理解は出来ないけど、時代の趨勢としてLGBTQ事象はまだまだ世の中を騒がしてくれそうだ。

『AIR エア』(AIR a story of greatness)

2023年・アメリカ 監督/ベン・アフレック

出演/マット・デイモン/ベン・アフレック/ジェイソン・ベイトマン/マーロン・ウェイアンズ

Amazon Prime Videoは、今もなお愛される伝説のシューズ「エア ジョーダン」誕生を描いた映画「AIR/エア」を、2023年5月12日から240を超える国と地域で独占配信している。親友でもあるマット・デイモンとベン・アフレックのふたりが立ち上げた製作会社「Artists Equity」の第1弾作品で、アメリカ国内では4月7日から劇場公開されている。adidas、コンバースに差を付けられていたバスケ・シューズ部門のナイキが、一発逆転NBAに全体3位指名されたマイケル・ジョーダンと契約し現在も進行形の伝説的ブランド『エアー・ジョーダン』を作り出すまでの経過が描かれている。おもしろい。

『スイッチ・トリック 双子の罠』(Twin Betrayal)

2018年・アメリカ 監督/ナディーム・スマー

出演/ジェン・リリー/ピーター・ダグラス/ジェイソン・オリーブ/ニック・バラード

どういうテーマかは分からなかったが邦題で興味の半分はなくなってしまう。さすがに二転三転のストーリーにちょっとは間が持つといった按配だった。小学生の頃に出逢った双子以外に自分の身の回りに双子は存在しなかった。

『少女バーディ ~大人への階段~』(Catherine Called Birdy)

2022年・イギリス/アメリカ 監督/レナ・ダナム

出演/ベラ・ラムジー/アンドリュー・スコット/ジョー・アルウィン/ソフィー・オコネドー

13世紀イギリスのとある村に住む14歳の少女のはなし。月経も妊娠も知らない少女がそのまま大人になって行くようなストーリー。不思議な空気が漂う空間は、夢見る少女たちの世界なのかもしれない。富と金が支配するのはいつの世も世界のどこの土地でも見ることが出来る。それでいて、同じことを平気で繰り返すことしかできない人間生活は、いったい宇宙の塵以上になれているのだろうか。

『イントゥ・ザ・トラップ』(IMPROPRIETY DEADLY MISCONDUCT)

2021年・アメリカ 監督/ナディーム・スマー

出演/アナ・マリー・ドビンズ/コルト・プラッツ/ルイス・マンディロア/アーリカ・トラボナ

検事の仕事と愛娘の育児で多忙を極めるシングルマザーのアニーは、現在担当する裁判で悪評高い弁護士ラーソンに苦戦中。そんなある夜、ラーソンから取引を求められたアニーは酒に薬物を盛られ、彼の家で意識を失ってしまう。深夜、ベッドで目を覚ました彼女は、その横でラーソンが殺されていることに気づく。その際、現場に戻ってきた犯人の手を、とっさに隠れたベッドの下で目撃。まもなくしてある男が犯人として逮捕されたが、アニーは彼の手を見て別人と確信する。一方、何者かが犯行の夜の盗撮写真を用いて、アニーへの脅迫を開始。さらには元彼で捜査官マークは、ラーソンと金髪女がベッドを共にしていた事実を突き止め、その正体を探ろうとしていた。(ビデックス より)

日本の2時間ものテレビドラマよりはちょっとましかなぁと思えるくらい。主人公は新人女性検事とは言いながら、設定が甘過ぎて興醒めからドラマは始まってしまう。設定が甘いと言っても、それは映画の中だけの話ではなく、人生のきびに通じるものがある。ダメなことはダメ、許せないことは許せない、超えてはいけない一線は絶対守るというような生き方をしていかなければ、自分が奈落の底に落ちてしまうか落とされるのを指をくわえて見ているのがオチになってしまう。自分で蒔いた種は自分で刈り取らなければならない。

『情熱の航路』(Now, Voyager)

1942年・アメリカ 監督/アーヴィング・ラパー

出演/ベティ・デイヴィス/ポール・ヘンリード/クロード・レインズ/グラディス・クーパー

メリハリがあって観ていて気持ちいい。ボストンのお金持ちの家に生まれたが、年をとってからの子供だからと母親にいじめられて醜いと思わされながら育てられた子供が、みるみる綺麗になっていく。それでもあくまでも自分の命令下に従わせようとする母親からの自立がテーマになっている。この時代の映画は分かりやすくていい。妙に複雑なストーリー展開に持って行かないのがいい。自信をもって生きれば人間なんて同じもの、ただお金持ちなのか貧乏なのかの違いくらいだ。お金持ちに越したことはないが、それがなんだ。どうせ生まれて来た時と同じように、死ぬ時だって知らないうちに息を引き取っているのだから。

『レジェンド&バタフライ』

2023年(令和5年)・日本 監督/大友啓史

出演/木村拓哉綾/瀬はるか/宮沢氷魚/市川染五郎/和田正人/高橋努/斎藤工/北大路欣也/本田博太郎/音尾琢真

2023年1月27日に公開されたばかりの映画が5月12日からアマゾン・プライムで観ることが出来るなんて。当たらなかったからなのか、予定通りの行動なのか。おもしろくない。2時間48分もだらだらと詰まらないシーンばかりで反吐もでない。木村拓哉の演技たるや評価に値しない。イベントでのナマ木村拓哉の登場では大騒ぎになるほどの人気だったようだが、役者は映像の中で評判を呼ばなければ何の意味もない。東映創立70周年記念作品ということらしいが、東映の記念映画はいつも大作感優先で内容が伴わない。くそみそだが、せっかくのいい機会にアニメ何か目じゃないところを見せて欲しかった。

『かくも長き不在』(Une aussi longue absence)

1961年・フランス/イタリア 監督/アンリ・コルピ

出演/アリダ・ヴァリ/ジョルジュ・ウィルソン/シャルル・ブラヴェット/ジャック・アルダン

パリ郊外でカフェを営むテレーズはある日、店の前を通る浮浪者に目を止める。その男は16年前にゲシュタポに強制連行され、行方不明になった彼女の夫アルベールにそっくりであった。テレーズはその男とコンタクトをとるが、その男は記憶喪失だった。第14回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞。(Wikipediaより) 去る者は日日に疎しと云われるように、目の前にいる人間交友が最大優先。理由が戦争のためでもいなくなってしまえば同じこと、人間とは儚いものである。

『ジャック・リーチャー ~正義のアウトロー~』(Reacher)1話~8話

2022年・アメリカ 製作総指揮/リー・チャイルド

出演/アラン・リッチソン/マルコルム・グッドウィン/ウィラ・フィッツジェラルド/ブルース・マッギル

一気に8話まで観てしまった。単発映画と違って1話1時間くらいがほとんどなので、観易いことは間違いない。だから、一気に観ることもないのであろうが、話が重なるほどにおもしろくなっていった。ひとつの事件が最後までいくなんて思わなかったが、あとからあとから手を変え品を変え観客の盲点を突いてくる。男は強くあらねばならない、なんていう思いはこういう映画で培われるのだろう。そういう意味では罪作りな映画の1本だ。世界を背負わなくていいのだよと、親に言われて育った主人公たちだったが、その体力を精一杯使ってみろとは言われていた。そう思いながらこの歳まで来てしまったが、今や歩くのさえままならない状態を露呈して、生きている意味さえも分からなくなっている。

『エンドレス・ラブ』(Endless Love)

2014年・アメリカ 監督/シャナ・フェステ

出演/アレックス・ペティファー/ガブリエラ・ワイルド/ブルース・グリーンウッド/ジョエリー・リチャードソン

1981年撮影当時15歳だったブルック・シールズが主演した映画のリメイクで間違いなかった。その当時の監督はフランコ・ゼフィレッリ、1968年オリビア・ハッセー、レナード・ホワイティングでの『ロミオとジュリエット』を撮っていた監督だ。リアルタイムでブルック・シールズの映画を観てはいないが、心の片隅に残っていた。今となって観る機会が訪れた。所詮はだらだらとした恋愛映画ではあるが、エピソードが気が利いている。アメリカに生まれてアメリカ人として青春を送る自信がない。それは、自分が日本に生まれた人間だからこその想いなのだろう。

『デッド・シティ2055』(Vice)

2015年・アメリカ 監督/ブライアン・A・ミラー

出演/トーマス・ジェーン/ブルース・ウィリス/アンビル・チルダーズ/ジョナサン・シェック

近未来の悪徳リゾート都市を舞台に、自我に目覚めたレプリカントたちの反乱、ということらしいが、うまくストーリーに乗れないでまた寝てしまった。後で考えればこうやってすぐに寝てしまう体調は、あの世への入り口を彷徨っている時期なのかもしれない。もっともあの世に行ってしまえばこの世のことなんか知覚出来ないのだろうから、単なる笑い話にも匹敵しない。

『パーフェクト・ソウルメイト』(The Perfect Soulmate)

2017年・カナダ 監督/カーティス・クロフォード/アンソニー・ルフレズニ

出演/キャシー・スケルボ/アレックス・パクストン=ビーズリー/スコット・ギブソン/Jeff Teravainen

ひどく偏執的な性格を持つ人間に付きまとわれたら、自分の生活、人生までもくるってしまう。自分を好いてくれることは嬉しいことだが、度が過ぎた行動を平気でされると迷惑極まりない。人間というものは不思議なもので、好きな人には嫌われて、嫌いな人に好かれるケースが多かったりする。それでも、感情が動くということは悪くはない。無味乾燥な人生を送っている人から見れば、感情が高揚することはこの上ない仕合わせだと思えるから。

『アザーズ』(The Others、Los Otros)

2001年・スペイン/フランス/アメリカ 監督/アレハンドロ・アメナーバル

出演/ニコール・キッドマン/フィオヌラ・フラナガン/クリストファー・エクルストン

第二次世界大戦の終結直後のチャネル諸島ジャージー島が舞台。グレースは色素性乾皮症を患う娘アンと息子ニコラスの3人きりで、広大な屋敷で暮らしていた。夫は出征したまま帰ってこず、使用人もおらず、不安な日々を送る家族の元に、新しい3人の使用人が現れる。それを境に、屋敷で不可解な現象が次々と起き始めた。何が何だか分からないままに眠っていた。急に起きだした時から場面が展開して観続けたようだ。映画の内容と同じように、生きているのか死んでいるのか定かではない日々が続いている。

『キラー・ジーンズ』(Slaxx)

2020年・カナダ 監督/エルザ・ケプハート

出演/ロマーヌ・ドゥニ/ブレット・ドナヒュー/セハール・ボジャニ/ステファン・ボガアート

中国・新疆ウイグル自治区での人権問題をめぐり、ユニクロのフランス法人などフランスで衣料品や靴を販売する4社に対して、人道に対する罪に加担した疑いで仏検察が捜査を始めたことがわかった。というニュースが世界を駆け巡った。この映画はそういう比喩をジーンズの原料である「綿」を産出するインドでの怨念をジーンズに込めたスリラー仕立て。幼稚でどうしようもないシーンの連続にほとんどの人が飽き飽きするだろう。カナダ映画というのは珍しいが、この程度のスリラーものでは!? それでも、日本のお茶らけスリラー、ビデオから人が飛び出るようなシーンに驚くようでは、何にも変わらない幼稚な恐怖映画としか言いようがない。

『ウイング・アンド・プレイヤー』(On a Wing and a Prayer)

2023年・アメリカ 監督/ショーン・マクナマラ

出演/ヘザー・グラハム/デニス・クエイド/アンナ・エンガー・リッチ/ジェシー・メトカーフ

実話に基づいているらしい。チャーター・ジェット小型機のパイロットが操縦中に急に意識を失って亡くなってしまった。さ~て大変、何とか妻を副操縦席に座らせて子供二人共々無事着陸できるのか。手に汗握るシーンの連続という場面だが、さほどの緊張感は伝わってこない。こういう話があった、というだけで満足していいような映画だった。庶民には主人公になって心底心配する境遇が想定できない。

『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』(Jurassic World: Dominion)

2022年・アメリカ 監督/コリン・トレヴォロウ

出演/クリス・プラット/ブライス・ダラス・ハワード/イザベラ・サーモン/ローラ・ダーン

飛び飛びに観ていると話が繋がらなくて往生する。スターウォーズとインディジョーンズのアイディアやアクションが恐竜世界にもあふれていた。遺伝子操作の進歩はこれから先、人間社会をどんな風に変化させていくのだろうか。やっぱり突然氷河期説を推す私の推論は正しいのかもしれない。そうしてまた、ゼロから新しい人間社会が始まると考えた方が理にかなっている。

『ナニー・マクフィーの魔法のステッキ』(Nanny McPhee)

2005年・イギリス/アメリカ/フランス 監督/カーク・ジョーンズ

出演/エマ・トンプソン/コリン・ファース/ケリー・マクドナルド/アンジェラ・ランズベリー

ドタバタの童話のような映画だった。気楽に観られるのは最高だが、どれでも寝てしまうのはどういう訳だろう。悪ガキの躾には魔法使いが一番と思わせる。普通の人間が普通のことをやっていたのでは傍若無人のガキどもを抑えることは出来ない。何か信じられないような能力を見せつけられれば黙ってしまうのがおちである。

『デス・コード 遺書に記された暗号』(Your Family or Your Life/April's Flowers)

2019年・アメリカ 監督/トム・シェル

出演/ジェニー・ガース/アンジェリカ・ブリッジス/ジョシュ・サーバー/エリック・マイケル・コール

何本か見捨てた映画の後ではこの程度の陳腐なスリラーものでもいいかな、と思える。アメリカの若者男女は簡単にくっついて簡単に相手を信じてしまう。そこが悲劇の源になるケースが映画には多い。翻って日本ではなかなか相手を心底信用しない。きっとそれが社会の秩序を守ってきたのかもしれない。今どきは訳の判らない老人が老害と思えるような規則や団体の中で、社会の発展を遠慮なく阻害している。高野連なんかはその典型だろう。教育的だと嘯きながら自分たちはちっとも教育的ではないことを推進している。信じられないような江戸時代の耄碌頭脳はいつになったら朽ち果てるのだろうか。

『ザ・ディテクティブ 殺人レクイエム』(2:13)

2009年・アメリカ 監督/チャールズ・エーデルマン

出演/マーク・トムソン/マーク・ペルグリノ/テリー・ポロ/ケヴィン・ポラック/ドワイト・ヨーカム

プロファイラーとは警察関係なら容疑者性格分析官という人らしい。よくwebで自分の身上を記載する場所をプロフィールという。はなしをわざわざ複雑にして映画を面白そうに見せているやり方が気に食わない。時間時空と人間関係がまったくかみ合わない。こういう映画を観ていると自分の精神世界も崩れてしまいそうだ。他人には絶対分からない他人の心の中。人間という動物は不思議な精神構造をしている。

『東京リベンジャーズ』(TOKYO REVENGERS)

2021年(令和3年)・日本 監督/英勉

出演/北村匠海/山田裕貴/杉野遥亮/今田美桜/鈴木伸之/眞栄田郷敦/清水尋也/磯村勇斗/間宮祥太朗/吉沢亮

今風若者が見る映画を観てみた。意外以上におもしろく、下手な大人映画なんて目じゃないという感じさえした。2023年GWに『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編 -運命-』、同年夏に『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編 -決戦-』の前後編2部作での公開となる事が発表されているという。タイムスリップ的要素も大きいのが観る足しになっている。これくらいの質があれば、日本映画を観る気にさせてくれる。やさぐれ軍団の人間だって実は立派な心根をもった人間だと強調しているが、現実のやさぐれ軍団にはそんな理想は微塵もないように見える。神のみぞ知るという言葉を味わって生きて欲しい人種であることは間違いない。

『TOVE/トーベ』(TOVE)

2020年・フィンランド/スウェーデン 監督/ザイダ・バリルート

出演/アルマ・ポウスティ/クリスタ・コソネン/シャンティ・ロニー/ヨアンナ・ハールッティ

あの『ムーミン』の作者のはなしだった。トーベ・マリカ・ヤンソン(1914年8月9日 - 2001年6月27日)。フィンランドでは画家としての評価も高く、水彩画や油彩画、雑誌の風刺画や公共建築の壁画など多くの作品を残しているらしい。創作領域は絵画、小説、コミックス、脚本、詩、作詞、広告など多岐にわたる。そんな主人公をどちらかというと性の倒錯者のように女性との愛や不倫の愛をメインで描いている感じの映画だった。意外だったが、単にムーミンの誕生秘話を子供っぽく描こうなんて気は全くなかったのだろう。どこまで本当か分からないが、ちょっと悪くはない映画的なアプローチに見えた。

『8月9日午後5時の議員暗殺計画』(Hacker)

2017年・アメリカ 監督/ナディーム・スマー

出演/ヘイリー・ダフ/クレイグ・スターク/ダン・スペクター/トリップ・ラングレー

原題を見れば「ハッカー」わかる通り、インターネット世界から派生した事件のはなしだ。邦題は面白おかしく付けたのだろう。政府機関に侵入して情報を守る役目だった主人公たちが、触れてはいけない国家機密を知ってしまったための事件だった。設定の悪さが映画をつまらなくしている。この手の映画は緻密な舞台がなければ興味が失せてくる。てなわけで、これからの世界、いずれにしたってIT技術のさらなる進歩が世の中に大きな影響と影を落とすことが必至である。

『ブレット・トレイン』(Bullet Train)

2022年・アメリカ 監督/デヴィッド・リーチ

出演/ブラッド・ピット/ジョーイ・キング/アーロン・テイラー=ジョンソン/真田広之

昨年(2021年)9月1日ロードショーの映画がもうAmazonPrimeに登場した。その時期、映画館まで足を延ばそうと考えていたが、テレビでの宣伝キャンペーンを見ていたら急に行く気が失せてしまったのだった。それ故今回は楽しみに観始まったが、最初からどうにも詰まらない。それでもしばらく我慢して観ていたが、なんと20分が経たないうちについに諦めて観るのを止めてしまった。期待していた作品をここまで早く終わってしまうことはまずない。何の情報もない映画の場合は、5分もしないで終わってしまうことは多々あり過ぎて言い訳のしようがない。結局観ていないのと一緒なのでこの映画リストには相応しくないのがホントのところ。

『キネマの神様』(The God of Cinema)

2021年(令和3年)・日本 監督/山田洋次

出演/沢田研二/菅田将暉/永野芽郁/野田洋次郎/リリー・フランキー/前田旺志郎/北川景子/寺島しのぶ/小林稔侍/宮本信子

2020年1月25日「シネマトゥデイ」の記事には「志村けんと菅田将暉が、原田マハの同名小説を映画化する山田洋次監督の最新作『キネマの神様』でダブル主演を務めることが明らかになった。」と記載されていた。志村けんは2020年3月29日あっという間に新型コロナウイルスのため死去してしまった。志村けんの代役は親交のあった沢田研二が務めた。映画の最後のクレジットには志村けんに対する記載があった。映画人の端くれとして期待していた映画だったが、残念ながら面白くなかった。細かい監督の指示が見え隠れしていい感じはしなかった。セリフもストーリーもカビが生えていた。

『モーリタニアン 黒塗りの記録』(The Mauritanian)

2021年・イギリス/アメリカ 監督/ケヴィン・マクドナルド

出演/ジョディ・フォスター/ベネディクト・カンバーバッチ/タハール・ラヒム/シャイリーン・ウッドリー

グアンタナモ収容所のことは気になっていた。なるほどこういうことだったのかと納得すると同時に怒りがこみあげて来た。「これは真実の物語である」というクレジットから映画が始まる。木下グループは相変わらずいい映画を配給する。日本ヘラルド映画のいいところだけを受けついてくれたような気がする。国家権力の横暴と力のない庶民が対照的だ。日本にだって同じようなことは起こっているのだろう。黒塗りの記録を平気で公開するのはいくらなんでも横暴過ぎる。残された個人の抵抗は自らの命を絶つことしかないだろう。

『ヴァンキッシュ』(Vanquish)

2021年・アメリカ 監督/ジョージ・ギャロ

出演/ルビー・ローズ/モーガン・フリーマン/パトリック・マルドゥーン/ジュリー・ロット

「Vanquish」1.〔戦闘で敵を〕征服する 2.〔競争などで相手を〕打ち負かす、優位に立つ 3. 〔感情などを〕抑える、克服する ということらしいが、ひたすらアクションを見せようとする映画だった。戦うのは若い女性、アクションにも辻褄が合わないと興醒めするところがあり、乗り切れないうちに映画は終わってしまった。為にするアクションではファッション映画と同じになってしまう。

『ドアマン』(The Doorman)

2020年・アメリカ 監督/北村龍平

出演/ルビー・ローズ/ジャン・レノ/アクセル・へニー/伊藤英明/ルパート・エヴァンス

出来の悪いアクション映画だった。監督が日本人だったとは。伊藤英明も判明できなかった。ジャン・レノが突然出て来たが彼が出てくると途端に映画はおもしろくなくなってくる。演技は上手いのだろうがどうにも第三者的な喋りと振る舞いが鼻につく。北川景子の登場にも似た雰囲気がある。決して悪くはないのだが、人間味のない立て板に水のような喋り口が気になる。アクションの一貫性がなさ過ぎて主人公が強いのか弱いのかと観客を戸惑わせる。漫画チックにまでも行っていない。残念。

『ガーディアン24』(Walter)

2019年・フランス/ベルギー 監督/ヴァランテ・スージャン

出演/アメッド・シラ/イサカ・サワドゴ/アルバン・イヴァノフ/Julien Duverger

なんというお茶らけたコメディ! コメディにも匹敵しないかもしれない。まだ日本のお笑いの方がいいかもしれないと思わせるような幼稚な映画だった。あの気高い、気位の高いフランス人がフランスのエスプリを表現しているとはとても思えない。信じられないような世界がどんどん襲ってくる。

『エージェント・ゲーム』(Agent Game)

2022年・アメリカ 監督/グラント・S・ジョンソン

出演/ダーモット・マローニー/エイダン・カント/ケイティ・キャシディ/メル・ギブソン

終始暗い画面と同じような顔つきの登場人物でおもしろさが半減する。最初の画面と終わりの画面が同じだった。『問題が発生した』。第2作目がなければおもしろさがもっと減っていくだろう。誰も信じられない秘密作戦は、誰も知らないトップが机上でやる作戦と実行部隊だ。所詮、コマのようにしか振舞えないのが普通の諜報員。それでいいのだ、そうやって世の中は安泰を保っている。

『ファーストレディ ホワイトハウスの品格』(First Lady)

2020年・アメリカ 監督/ニナ・メイ

出演/ナンシー・スタフォード/コービン・バーンセン/ステイシー・ダッシュ/ジェン・ゴズゾン

軽いお笑いものだが舞台がホワイトハウスというだけで興味が湧く。この程度の軽さの映画なら何本観ても記憶に残る作品はないだろう。それでいいのだ、もう長くない時間を楽しく過ごすためにはこの程度の毎日が一番いいに決まっている。

『THE INFORMER/三秒間の死角』(The Informer)

2019年・イギリス/アメリカ/カナダ 監督/アンドレア・ディ・ステファノ

出演/ジョエル・キナマン/ロザムンド・パイク/コモン/アナ・デ・アルマス

NYPDとFBIが覇権を争う様はおもしろい。毎度のことだが、FBIが登場するとニューヨーク市警はすごすごと逃げ出すのがおちだが、今回は一人の刑事が頑張っている。『情報提供者』の主人公は、FBIからひどい仕打ちを受けながらも家族のために必死に仕事を全うしている。裏切られたって子供のことを思うと自由にならない。アメリカ人の家族愛は離婚率と比例しているのかもしれない。

『ノイズ』(The Astronaut's Wife)

1999年・アメリカ 監督/ランド・ラヴィッチ

出演/ジョニー・デップ/シャーリーズ・セロン/ジョー・モートン/クレア・デュヴァル

ジョニー・デップがデビューから15年後の作品だった。彼らしいという顔立ちだったが確信が持てなかった。ノイズは宇宙からの音だった。宇宙飛行士が何らかの事故により急遽帰還したが、帰ってきてからの夫の様子がどうもおかしい。もう一人の宇宙飛行士夫婦は謎の死を遂げていた。間違いなく地球人ではない宇宙人がいるが、どこにどうやっているのかは永遠に謎かもしれない。不思議でしかない。地球があるなら同じような地球がもう1個、2個あったってなにも不思議ではないのに。

『プロジェクト:ユリシーズ』(Tides/The Colony)

2021年・ドイツ/スイス 監督/ティム・フェールバウム

出演/ノラ・アルネゼデール/サラ・ソフィー・ボウスニーナ/イアン・グレン/ソープ・ディリス

近未来、気候変動や伝染病、戦争による汚染のせいで人類は地球に住めなくなり、ケプラー209惑星へ逃げ延びた。いずれにしろ、地球の未来を描く物語は悲惨だ。画面が暗くて何が何だか判別がつかない。どうにも中途半端だなぁと思いながら観ていたが、アメリカ映画ではなかった。やっぱりこの手のものはアメリカ映画に限る。

『光の旅人 K-PAX』(K-PAX)

2001年・アメリカ 監督/イアン・ソフトリー

出演/ケヴィン・スペイシー/ジェフ・ブリッジス/メアリー・マコーマック/アルフレ・ウッダード

精神病棟の患者がK-PAXという星から来たのだという。とても信じられない話に担当の精神医は真相を究明したようなのだが、それが本当なのかどうかは分からない。信じるに足るものがなくとも、異星人が存在するだろうことは大いにありうる。精神病棟の住人だからといって、言っていることがすべて嘘だと決めつけるには根拠が何もない。それでも・・・・・。

『死刑執行人もまた死す』(HANGMEN ALSO DIE)

1943年・アメリカ 監督/フリッツ・ラング

出演/ブライアン・ドンレヴィ/ウォルター・ブレナン/アンナ・リー/デニス・オキーフ/ジーン・ロックハート

ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒはナチス・ドイツのベーメン・メーレン保護領(チェコ)副総督。チェコ人により暗殺された、その後のチェコ人の振る舞いが描かれている。『決して降伏はしない』と国民が口々に叫ぶ団結力が素晴らしい。現在のウクライナに通じるものがある。1年前にロシアの侵略が始まった時に、さっさと降伏した方が国民の命を守ることになる、などと知ったかぶりをする日本の著名人に是非見せたい映画だ。2023年3月WBC本戦に初めて出て来たチェコ・チームはその清々しさで日本人に深い印象を植え付けて行った。監督はオーストリア出身でフランスに亡命しその後アメリカに渡ったユダヤ人のフリッツ・ラング。

『ミラクル コークビルの奇跡』(The Cokeville Miracle)

2015年・アメリカ 監督/T・C・クリステンセン

出演/ジェイソン・ウェイド/サラ・ケント/キンボール・スティンガー/ネイサン・スティーヴンス

1986年アメリカ ワイオミング州の田舎町の小学校で起きた人質爆弾事件を巡る奇跡の話を映画化している。キリスト教とは言わないまでも、神の存在を信じて祈りましょうと、布教活動の一環のように描かれるストーリーを見たのは最近2本目だ。アメリカ合衆国の信心への誘いなのだろうか。

『きっと、またあえる』(Chhichhore)

2019年・インド 監督/ニテッシュ・ティワリ

出演/スシャント・シン・ラージプート/シュラッダー・カプール/バルン・シャルマ/プラティーク・バッバル

久々のインド映画だった。ポスターのコピーは『最強の友と最高の人生、世界が笑いと涙につつまれる-』、これじゃ映画のおもしろさが伝わらない。せっかくの人生、思いっきり食べて飲んで楽しめ! と映画は語っている。2時間13分の上映時間。インド映画は何度か褒めちぎっている。国民性、DNAがいいのかもしれない、確実に大国になる。中国の大国?への道とは全然違う。断言できる。私がこの世から居なくなってしばらくしたら、世界の地図は大きく変わるだろう。かつての大国は滅亡の道を歩むしかない。それが地球の定めだと言い切れる。

『過去の罪』(Endabrechnung)

2016年・オーストリア 監督/ウムト・ダー

出演/ロバート・パルフラーダー/トビアス・モレッティ/トーマス・リッツォーリ/ハラルド・ウィンディッシュ

国籍不明で観ていたら、なんとオーストリア産だった。ちょっとばかりかったるい刑事もの。わざわざ神父を名指して殺人犯という汚名を着せ、神父の自殺がストーリーに含まれる背景が知りたい。親友が犯人だったなんて・・・。世の悪に立ち向かうひとりの敗北者の物語が哀しい。人間の世の中は成功者と失敗者、そして大多数の庶民が存在している。

『ダークサイド・セオリー』(Respite)

2020年・アメリカ 監督/サロ・ヴァルジャベディアン

出演/モンテ・ベゼル/ジュリアン・ジュアキン/アフメット・デヴラン・ダヤンク/ヘイセム・ヌール

アフガニスタン人がアメリカに移住している。アメリカ軍の協力をすればパスポートをもらえるらしい。ただ、そのアフガニスタン人のアフガニスタンでの行いがアメリカにまで持ち込まれ、事件を起こしている。おぞましい事件だが、これは映画だけのことであってほしい。刑事もの・探偵ものとしてはなかなか異色のストーリーだった。

『ラブ、ケネディ 神に遣わされた少女』(Love, Kennedy)

2017年・アメリカ 監督/T・C・クリステンセン

出演/ジェイソン・ウェイド/ヘザー・ビアーズ/テイタム・チャイニークイー/スカーレット・ヘイズン

バッテン病、欧米の罹患率は1万人に1人と比較的多いが、日本では2001年の調査では27人と極めて稀な病気。この病気に侵された主人公の少女は短い16年間の人生を終える。キリスト教の布教活動のような映画だったが、悪い気はしない。

『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』(A Quiet Place: Part II)

2020年・アメリカ 監督/ジョン・クラシンスキー

出演/ミリセント・シモンズ/ノア・ジュープ/エミリー・ブラント/キリアン・マーフィー

映画は様々なエイリアンを出現させる。今度は音に反応する怪物だった。音さえ立てなければ悟られることはないが・・・。音が聞こえない兄弟が主人公となっていた。サブタイトルのない1作目があったようで、経緯が分からないなりに最後まで観ることが出来たのは、所詮その程度の映画だと理解すればいいだろう。

『テーラー 人生の仕立て屋』(Raftis/Tailor)

2020年・ギリシャ/ドイツ/ベルギー 監督/ソニア・リザ・ケンターマン

出演/ディミトリ・イメロス/タミラ・クリエバ/Thanasis Papageorgiou/Stathis Stamoulakatos

アテネの高級仕立て屋の主人公は36年も仕事を続けてきたが銀行の差し押さえを受ける羽目に陥った。父親も入院をし明日の希望は何も見えてこない。イタリア映画のような人間の愛を感じて嬉しい。そんなものは何とかなるさ、と今の瞬間を楽しむ人生があったら、毎日の悩みは一体何なのだろうと思えてくる。どうせ、たかが100年もない個人の人生なんて宇宙のごみにも成れない、と常々言っているが、詰まらない小さな目の前のことをぐじぐじと考えたって仕方のないことさ。

『特捜部Q 知りすぎたマルコ』(Marco effekten/The Marco Effect)

2021年・デンマーク/ドイツ/チェコ 監督/マーチン・サントフリート

出演/ウルリク・トムセン/ザキ・ユーセフ/ソフィー・トルプ/アナス・マテセン/Lobus Olah

特捜部Qシリーズだ。デンマークの映画はとにかく暗い。ストーリー展開もそうだが、シーンシーンのやり取りにしても、また映像そのものも暗い。なかなか内容はおもしろいが、寝てしまうほどのストーリー展開の遅さがある。融通の利かない上司は何処にでもいるものだ。それが警察だと市民の権利やそれ以上のケアが出来なくなる。身内には甘い警察署がよく映し出されるが、この映画はいつも身内に厳しい。こういうところから国民性の一端を見ることが出来るのかもしれない。

『恋するモテない小説家』(We Love You, Sally Carmichael!)

2017年・アメリカ 監督/クリストファー・ゴーラム

出演/クリストファー・ゴーラム/ポーラ・マーシャル/エリザベス・トゥロック/フェリシア・デイ

邦題ほどお茶らけていない。基本はコメディだが日本のお笑いのようにお笑いを押し付けて来ないのが欧米流。小説を書きたくても才能がないと出来ない。才能は何処からやってくるのだろうか。努力で補えるのなら小説家なんて星の数ほど生まれるに違いない。ピアノや楽器の才能もそうだ。ただ只管に練習をすれば得られる技でもない。プロ・スポーツ選手も然り、努力が続けられる人しかスターになる要素はないけれど、努力をしたって誰もが成れるプロ・スポーツ競技なんてない。それでは、大半の庶民のように何の才能もない人間が生きている意味は何処にあるのだろうか。

『ロマンス・オン・メニュー 約束のミートパイ』(Romance on the Menu)

2020年・オーストラリア/アメリカ 監督/ロージー・ルーデ

出演/シンディ・バズビー/ティム・ロス/ナオミ・セケイラ/ジョーイ・ヴィエイラ/バーバラ・ビンガム

料理とアメリカとオーストラリア、叔母さん、こういうキーワードだろう。爽やかで嫌みのないストーリーに好感が持てる。AmazonPrimeVideoのどの映画を観てよいのかの情報がゼロなので、毎回選択に苦労している。単純に視聴者ランキングを知りたいわけではなく、どの映画祭で受賞したかのリストが見られれば選択基準は容易になってくる。あるいは日本の劇場のどの劇場でロードショーしたかを知れば、もっと選択肢が狭められる。劇場公開しなかったという情報も重要だ。映画評論家10人の星取表を掲載してくれていてもいい。サービスとは本来そう云うものを指すのだ。ありきたりの現在地点をのうのうと述べたり、褒め殺しのような文言を並べたって何の意味もない。最近の若者志向のシステム作りに一言も、二言も申し述べたい。

『PLAN 75』

2022年(令和4年)・日本 監督/早川千絵

出演/倍賞千恵子/磯村勇斗/たかお鷹/河合優実/ステファニー・アリアン/大方斐紗子/串田和美

倍賞千恵子主演のそんな映画があるという話を聞いていた。「少子高齢化が一層進んだ近い将来の日本。満75歳から生死の選択権を与える制度<プラン 75>が国会で可決・施行された。」 50年前ならまったく現実感がなく、単なる映画の戯言として歯牙にもかけなかったろう。ところがどうだ、今となっては絵空事に思えない、もしかすると現実感あふれた物語として多くの人にとらえられる題材となった。成田悠輔氏の「集団自決論」が炎上している昨今、私は彼の提案に全面的に賛成するが、同じような視点での問題提起は、今だからこその話題なのだろう。自分の死を自分で選べたら、こんな満足のいく方法はない。日本人的にはとてもそんな議論もあり得ないだろうけれど、そんな世の中になってくれればもっと住み易い世の中になるだろうに。

『すれ違い』(La bella gente)

2009年・イタリア 監督/イヴァン・デ・マッテオ

出演/アントニオ・カターニア/モニカ・ゲリトーレ/イアイア・フォルテ/ヴィクトリア・ラルチェンコ

「すれ違い 映画 イタリア」このキーワードでヒットしたのは結局観たばかりのアマゾンプライムビデオの映画紹介ページだけだった。イタリア映画のペーソスは、日本映画の昭和中期の頃と空気が似ている。余計なことを言わずに淡々と日常、出来事を語っていく。考えるのは観客だ。 すれ違いは人生の本筋のような気がする。どんなに正直に相手に本心を語ったとしても、ほんの一瞬のすれ違いが大きな亀裂の入り口となる。敏感過ぎるのだろう、人間の心たちは。サッカーのフェイントに動じない鈍感力と同じように、細かいことを気にならない精神力が求められる。特に現代のようにちまちました心根が刺激される時代には。

『博士と狂人』(The Professor and the Madman)

2019年・アメリカ/メキシコ/イギリス/フランス/ベルギー/アイスランド/アイルランド/香港 監督/P・B・シェムラン

出演/メル・ギブソン/ショーン・ペン/ナタリー・ドーマー/エディ・マーサン

原作はサイモン・ウィンチェスターによるノンフィクション『博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話』。主演の博士の顔がメイクで分からない。声は確かに聞き覚えがあるが思い出せない。メル・ギブソンだったとは。二つのはなしが同時進行している序盤は何が何だか分からない。ようやく二つのはなしが合流して映画的におもしろさが広がって行った。天才と狂気は紙一重とは昔からよく言われる。確かにそうなのだろう。ただ、そんな天才もあんな狂人も身近に居たことがないので、観念としてしか理解できない。自分も一種の天才・狂人なのだろうなんてこれっぽっちも根拠のない思いを抱いたことはない。

『クーリエ:最高機密の運び屋』(The Courier)

2020年・イギリス/アメリカ 監督/ドミニク・クック

出演/ベネディクト・カンバーバッチ/メラーブ・ニニッゼ/レイチェル・ブロズナハン/ジェシー・バックリー

これぞ事実に基づく物語と納得できる内容だった。時は1960年アメリカとソ連は冷戦の真っただ中。かのキューバ危機につながる情報戦の中、英国人の一介のセールスマンがモスクワにいるスパイの情報を持ち帰ってキューバ危機を回避したという。そこに芽生えた友情は、まさしく世界平和の象徴になるような話だったが、こんな事実に基づくストーリーは事実に沿わない映画的なストーリーに比べれば地味で残酷な。だからこそ、事実に基づいているのだろうと思わせてくれる。

『TENET テネット』(Tenet)

2020年・アメリカ 監督/クリストファー・ノーラン

出演/ジョン・デヴィッド・ワシントン/ロバート・パティンソン/エリザベス・デビッキ/ディンプル・カパディア

「その言葉の使い方次第で、未来が決まる」――主人公に課せられたミッションは、人類がずっと信じ続けてきた現在から未来に進む〈時間のルール〉から脱出すること。時間に隠された衝撃の秘密を解き明かし、第三次世界大戦を止めるのだ。ミッションのキーワードは〈TENET(テネット)〉。突然、国家を揺るがす巨大な任務に巻き込まれた名もなき男とその相棒は、任務を遂行する事が出来るのか? と解説、あらすじのページがあったけれど、開始10分も経たないうちに何!この映画は!という状態になってしまい、何が何だか理解できずに何とか最後まで行き着いた。観客である自分の頭の悪さが露呈されてしまったのかなぁと心配する状態だった。う~ん!

『オペレーション・ローグ』(Roger Corman's Operation Rogue)

2014年・アメリカ 監督/ブライアン・クライド

出演/マーク・ダカスコス/トリート・ウィリアムズ/ソフィア・パーナス

『オペレーション・ローグ2 ザ・ハント』(Rogue Warfare: The Hunt)

2019年・アメリカ 監督/マイク・ガンサー

出演/スティーヴン・ラング/ウィル・ユン・リー/ジャーメイン・ラブ/ロリー・マーカム/ケイティ・キーン

『オペレーション・ローグ3 デス・オブ・ア・ネーション』(Rogue Warfare 3: Death of a Nation)

2020年・アメリカ 監督/マイク・ガンサー

アメリカ 監督/ブライアン・クライド

出演/スティーヴン・ラング/ウィル・ユン・リー/ジャーメイン・ラブ/ロリー・マーカム/ケイティ・キーン

1作目だけ監督・キャストが違っているが情報がよく理解できない。3作を一気に観たけれど、銃撃シーンばかりでお勧めするようなしろものではない。この頃は特に当たり作品を引くことが少なくなって困っている。個人志向の塊のような映画の好き嫌いだから、高望みするのは間違い。でも、ほかに趣味がないから仕方がない。

『ロンドン・バーニング』(The Corrupted)

2019年・イギリス 監督/ロン・スカルペロ

出演/サム・クラフリン/ティモシー・スポール/ノエル・クラーク/デヴィッド・ヘイマン

何処までが「事実に基づく」話だったのかが分からない。舞台はロンドン・オリンピックをひかえた土地買収にまつわる暗黒街と警察の癒着のストーリー。どいつもこいつも汚職警官ばかりで、正義警官は一人しか出て来ない。まさか、こんなところが事実だったんではなかろうが。信用のおける警察官は日本にもたくさんいるのだろうけれど、こういう映画を観てしまうと疑いの目が出てくるのは困る。白バイ警官を守るためにバスの運転手を罪人にしてしまった事件があったけれど、身内のためなら他人をも犠牲にするのは警察官僚の絆が一番強いのかもしれない。あぁ!いやだ!

『ダイブ』(La caida/Dive)

2022年・アルゼンチン/メキシコ/アメリカ 監督/ルシア・プエンソ

出演/カーラ・ソウザ

事実に着想を得て作った作品だとクレジットがあった。2004年アテネ・オリンピックに向けてのメキシコ・飛び込みチームでの出来事・物語・今や稀ではなくなったコーチの選手に対するセクハラが徐々に真実味を帯びてくる。選手も大変だろう。オリンピックに出るためにはコーチの言うとおりにならなければ夢もかなわない。ましてやコーチが男で選手が女では何かと難しい面があるのは分かっている、誰にでも。ようやく選手自身が言い始めたセクハラ・モラハラ・パワハラ、どうしても人間の所業には神に誓えない部分が出来てしまうようだ。当然と言ってしまえば必然、そんなことはあり得ないと言ってしまえば・・・・。

『パリの調香師 しあわせの香りを探して』(LES PARFUMS)

2019年・フランス 監督/グレゴリー・マーニュ

出演/エマニュエル・ドゥヴォス/グレゴリー・モンテル/セルジ・ロペス/ギュスタヴ・ケルヴェン

なかなか洒落た映画だった。華やかな香水の世界を語るのではなく、裏方の香水師という職業を通して、そのプロたる所以が語られる。匂いを感じなくなってしまった香水師の行く先は何処なのだろうか。お抱え運転手の生活と共にパリ・フランスでの離婚・その後の子育ての一端を垣間見る。悪くはない。東京・文化村での上映だった。いい映画をやるなぁ~!

『実在した犯罪小説』(Die Muse des Morders)

2018年・オーストリア/ドイツ 監督/サシャ・ビッグラー

出演/クリスチアンネ・ヘルビガー=ヴェッセリ/フロリアン・タイヒトマイスター/フリッツ・カール

出来の悪い小説のように眠気を誘う展開に飽きが来る。犯罪は確かに起こって、それをどう解決するかが面白味というところだろうが、何故か乗れない。こんな面白くない犯罪映画も珍しい。

『Marley & Me』(Marley & Me)

2008年・アメリカ 監督/デヴィッド・フランケル

出演/オーウェン・ウィルソン/ジェニファー・アニストン/エリック・デイン/アラン・アーキン

再び観た映画。Amazon Prime では英語だけのタイトルだったが、どこで使われているのか分からない「マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと」という邦題があることが分かった。この邦題の通り、馬鹿な犬に翻弄されながらも仲良く家族を築いてきたカップルとその後の家庭の物語。犬を飼ったことのない自分には羨ましい話。犬が嫌いなわけではない。犬を飼うという行為がそもそも人間の驕りのような感じがして仕方がない。そんなに厳しく見なくてもいいんじゃないの、と言われればその通りと答えるしかない。昔のテレビ映画の中に、人間が檻の中で動物園のように宇宙人に眺められていた。トラウマになっているのかもしれない。

『ラスト・コマンドー』(Qu'un sang impur.../The Breitner Commando)

2019年・フランス 監督/アブデル・ラウフ・ダブリ

出演/ヨハン・ヘルデンベルグ/リン・ダン・ファン/リナ・クードリ/ピエール・ロタン

1954年から1962年にかけて起こったアルジェリア独立戦争時の1960年の出来事。『アルジェの戦い』(La battaglia di Algeri・1966年・イタリア/アルジェリア)はこの独立戦争を描いたものだけれど、この映画はその戦争の中での小さなひとつの出来事を描いている。独立前のアルジェリアは名目上、植民地ではなくフランス本国の一部とされていた。このため、アルジェリア地域内で完全なフランス市民権を付与されていた「コロン」(ピエ・ノワール)と呼ばれるヨーロッパ系入植者と、対照的に抑圧されていたベルベル人やアラブ系住民などの先住民(indigene,アンディジェーヌ)との民族紛争、親仏派と反仏派の先住民同士の、かつフランス軍部とパリ中央政府との内戦でもある。(Wikipediaより)

『ビキニの裸女』(MANINA LA FILLE SANS VOILE)

1952年・フランス 監督/ウィリー・ロジェ

出演/ブリジット・バルドー/ジャン=フランソワ・カルヴェ/ハワード・ヴァーノン/エスパスタ・コルテス

ブリジット・バルドーの顔もよく分からければ、作品も観たことがない気がする。この作品は彼女の映画出演2作目になるようだ。まだ原石といった雰囲気で初々しい。BB(ベベ)と称されていたことは当時の人なら誰でも知っている。どうしてこういう邦題になったのか全く想像がつかない。映画の内容がお粗末すぎるので、邦題では何かありそうだと色気を出して付けたのではなかろうか。あの頃に今をも凌ぐようなビキニを着ていれば、人気が出て当然と思えてくる。童顔の彼女だったんだ。動物保護活動家である。まだ生きている。88歳らしい。

『タイムトラベル家族 1991年から愛を込めて』(Manana es hoy)

2022年・スペイン 監督/ナチョ・G・ベリーリャ

出演/ハビエル・グティエレス/カルメン・マチ/シルヴィア・アブリル/ペポン・ニエート

ハチャメチャなタイムトラベルものだけれど、摩訶不思議ないい加減さが心地よい。イタリア映画みたいにどこかペーソスのある結末になろうかと思っていたが、まぁそれなりに終わった。いつも思う30年後の世界が見たい。いや、思っているのは100年後の世界だ。5年や10年の未来を見たっておもしろくない。100年後、200年後、はたまた千年後の地球を見られたら死んでもいい、なんてね。

『ベル&セバスチャン』(Belle et Sebastien/Belle and Sebastian)

2013年・フランス 監督/ニコラ・ヴァニエ

出演/フェリックス・ボシュエ/チェッキー・カリョ/マルゴ・シャトリエ

フランスで国民的に愛されている「少年セバスチャンとグレート・ピレニーズ・ベル」の物語だという。いきなり「アルプスの少女ハイジ」のような景色が出て来た。アルプス・・・と書いても一度もきちんと観たことがないので恥ずかしい。極めて素直なストーリーで分かりやすい。ということは物足らないということだが、この手の映画は物足らなくて充分。切った張ったの世界でなければ、みな平穏無事がいい。

『リチャード・ジュエル』(Richard Jewell)

2019年・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/サム・ロックウェル/キャシー・ベイツ/ジョン・ハム/オリヴィア・ワイルド

この題名と絵柄から観たいとは思えなかったので、結構な期間スキップしていた。観始まってすぐにクリント・イーストウッドの名前を見つけて、これはおもしろい映画だったんだ、と今までのスキップを後悔した。1996年のアメリカ・アトランタオリンピックの最中、アトランタの公園で催されたコンサート会場で爆発があり、爆発物の第一発見者である警備員のリチャード・ジュエルが人命を救った英雄と讃えられた直後にFBIにより重要参考人として強い疑いを掛けられたという事実に基づいている。恐ろしきは警察権力。冤罪どころではない。ないものをあるように持って行かれたら、庶民に戦う術はない。クリント・イーストウッドはやっぱり面白かったが、この映画に関してはちょっと後半が息切れしてしまった。この時彼はもう90歳、ちょっと息切れしても仕方がない。

『ザ・グレイテスト・キング』(Il primo re)

2019年・イタリア/ベルギー 監督/マッテオ・ロヴェーレ

出演/アレッサンドロ・ボルギ/アレッシオ・ラピーチェ/タニア・ガリッバ/ファブリツィオ・ロンジョーネ

超歴史もの。 ローマの建国神話に登場する双子の兄弟ロムルスとレムスの伝承神話をもとにしているという。この二人の名前は学生時代からの記憶に残っていて、それがこうやって映像になって観られるというのは感慨深い。ローマを作ったといったって一体どんな風に作ったんだろうと、想像も出来なかった。紀元前750年という時代背景は想像もつかない。神が持つとされる火の存在はあったようだが、獣、鹿などを血の滴ったまま食らう姿は想像だにしなかった。「神」という存在がひといちばい強烈な時代の人間の精神状態は、如何なものだったのだろう。単に洗脳されたというだけでは済まされない、ひどく大きな力が世の中を支配していたに違いない。

『リトル・シングス』(The Little Things)

2021年・アメリカ 監督/ジョン・リー・ハンコック

出演/デンゼル・ワシントン/ラミ・マレック/ジャレッド・レト/クリス・バウアー

警察ものでおもしろかったが、日本での劇場公開はなかったらしい。ワーナー・ブラザース・ピクチャーズの映画なので、普通に行けば日本での劇場公開は当たり前なのだが、宣伝費をかけてまでロードショーする意味がないと踏んだのだろう、ワーナーの日本支社は。そこんところがむずい。この映画が出来上がったのがちょうどちょうどコロナ禍の真っただ中では、この程度の映画では劇場に足を運んでくれる人は極めて少ないと思ったのだろう。警察ものの王道ではないけれど、なんともコメントに困るような内容だったことも公開に踏み切れない一因だったのかもしれない。そんなところが分かると、映画の内容とは別にまたおもしろい話が・・・・。

『海の淵』(Landkrimi Tirol: Das Madchen aus dem Bergsee)

2020年・オーストリア 監督/ミリアム・ウンガー

出演/パトリシア・アウリツキー/Dominik Raneburger/マレシ・リーグナー/Fritz Egger

大変珍しいオーストリア映画。デンマーク映画のようにひたすら暗いわけではないが、どことなく似た暗さを感じる。売春婦の死体が湖で発見され、担当していた主人公の女刑事が捜査をするが事態は思わぬ方向にどころかどんどん広がっていくストーリーに追いつけない。名前どころか顔も区別できず、このあたりが日本映画でないところの泣き所。もう少しどの国の人間にも分かるように製作者が細心の注意を払っていれば、インターナショナル的にも商売になる映画になるだろうに。

『イチケイのカラス スペシャル』

2023年(令和5年)・日本 監督/森脇智延

出演/竹野内/黒木華/小日向文世/北村一輝/中村アン/堀田真由/吉沢悠/高橋優斗/宮世琉弥/渡邉美穂/戸塚純貴

2021年に放送された「イチケイのカラス」は、東京地方裁判所第3支部第1刑事部(イチケイ)を舞台に、職権発動を駆使して事件に粘り強く向き合うクセモノ裁判官と、対照的なエリート裁判官らイチケイメンバーの活躍を描いた連続ドラマだったという。この1月13日より劇場版となる『映画 イチケイのカラス』が公開に因んで特別版が放送された。このテレビでの連続ドラマを全く知らなかった。ネットニュースでもテレビドラマの評判を知ることが出来るけれど、このドラマの放送時には私の網には引っかからなかった。おもしろいので驚いている。法律用語にも少しは馴染みがあるので、興味が湧いたのかもしれない。ここのところテレビドラマにもそっぽを向かなくなっているので、結構面白く時間が過ぎていった。

『クレイジー・リッチ!』(Crazy Rich Asians)

2018年・アメリカ 監督/ジョン・M・チュウ

出演/コンスタンス・ウー/ヘンリー・ゴールディング/ジェンマ・チャン/リサ・ルー/オークワフィナ

途中でちょっと止めたら(よくあることだが)この映画の上映時間がなんと2時間だったことが分かり、なんでこの程度の映画が2時間?と首を傾げてしまった。中国人礼賛映画かと思わせるような内容にちょっと観るのを後悔した。アジア系の役者ばかりのアメリカ映画は極めて珍しいらしい。舞台はニューヨークからシンガポールへ。最後のシーンだけは賛同する。 なぜこれほど中国、中国人が嫌いなのか分からないけれど、理由は何だっていい、嫌いなものは嫌いだと言い切ってしまう。

『AK-47 最強の銃 誕生の秘密』(Kalashnikov/AK-47)

2020年・ロシア 監督/コンスタンチン・バスロフ

出演/ユーリー・ボリソフ/オルガ・ラーマン/アルター・スモリアニノフ

「トカレフ」という銃はよく映画の中でその名前を聞くことがある。カラシニコフという名前も聞いたことがあると思っていたが、自動小銃の開発者だと初めて知った。ロシアでの銃器が多いのには何か理由があるはずだが、その多くがこの映画の中で語られている気がする。銃の開発で競技会がありその中の最優秀作が戦争の武器としてロシア軍に使われていたというのだ。第二次世界大戦が終わってからも銃の開発がまだまだ行われていた。人を殺すのが好きな国民なのだろう。

『Life or Something Like It』

2002年・アメリカ 監督/スティーヴン・ヘレク

出演/アンジェリーナ・ジョリー/エドワード・バーンズ/トニー・シャルーブ/クリスチャン・ケイン

Amazon Primeでは邦題がなく原題のままでリストアップされていた。第23回ゴールデンラズベリー賞 最低主演女優賞にノミネートされた。という記載を見つけたが、私はこの映画が好きだ。玄人筋に評価が低いということは、私の映画感覚も評価が低いのだろう。

この原題に邦題を付けるとしたらと考え始まった。『人生!クソッタレ!』『完璧?な人生!』『人生の意味は?』『本当の人生って』『人生も積もれば海となる』『人生の定義』、決して『人生の予言』なんていう題名は提案しないだろうなんて。『死霊のはらわた』を名付けたのは私だとヘラルド宣伝部では認識されているが、この程度の題名の付け方ではどれも採用されないだろう。どうしても「人生」から頭が離れないところがだめなんだろう。

てなことを考えていたらあれっこの映画見たかもしれないと思い始まった。Wikipediaには『ブロンド・ライフ』という邦題が記されていて調べ直したら自分の記録でもこの題名で登録されていたのには驚いた。この題名はDVD発売用に付けられたのかもしれない。言い訳をすれば、映画の公開には小さな劇場1館でやるか全国一斉にたくさんの映画館で公開するかによって、その扱いは全然違ってくるという現実があった。簡単に言うと宣伝費予算が1500万円か1億円かの違いがあり、それによってどの題名を採用するかの決断も変わってくるのだ。

『ジョン・ウィック』(John Wick)

2014年・アメリカ 監督/チャド・スタエルスキ/デヴィッド・リーチ

出演/キアヌ・リーブス/ミカエル・ニクヴィスト/アルフィー・アレン/エイドリアンヌ・パリッキ

1作目を後から観るとヒットした理由が分かろうと云うものだ。それでもまだまだ続編が作られているというのは大したものだ。どんどん激しさを増していくアクションを考える方も演技する方もかなり苦労しているに違いない。でも、映画はおもしろくなくちゃという王道を行くような作品があるのは嬉しい限りだ。

『科学捜査官の女』(Evidence of Truth)

2016年・カナダ 監督/ジェシー・ジェームズ・ミラー

出演/アンドレア・ロス/ウディ・ジェフリーズ/セバスチャン・スペンス/メレディス・マクゲアチー

日本のテレビの2時間ドラマのようなタイトルだ。もっとも、そのテレビドラマを一度もきちんと観たことがない。というか、観る気が起こらないので比較のしようがないが、この映画はそれなりにきちんと作られていて違和感はなかった。日本のテレビでは、どう考えたって雰囲気の合わない主人公が長年主演しているのが不思議で堪らない。きっといいところがたくさんあるのだろうが、チラ見するシーンでさえ違和感いっぱいで不思議の念が膨らんでくる。

『マシンガン・ファーザー 悪党に裁きの銃弾を』(The Mercenary)

2019年・アメリカ 監督/ジェシー・V・ジョンソン

出演/ドミニク・ヴァンデンバーグ/ルイス・マンディロア/カーメン・アルジェンツィアノ/マニー・アルバ

なんという題名!と思っていたら、内容も然りだった。ひたすらに悪に立ち向かうひとりの元悪党。以前は見境もなく命令されるままに手当たり次第に人殺しをしてきた人間でも、心根を入れ替えて今や悪人どもを一人残らず殺していくのは善と言えるのだろう・・・か。まぁ~、悪を懲らしめられれば、前世での悪事は問われないかもしれない。

『キング・アーサー』(King Arthur: Legend of the Sword)

2017年・アメリカ/イギリス/オーストラリア 監督/ガイ・リッチー

出演/チャーリー・ハナム/アストリッド・ベルジュ=フリスベ/ジャイモン・フンスー/エイダン・ギレン/ジュード・ロウ

イギリスのアーサー王伝説を題材とした映画で全6部作となるシリーズの第1作目として製作されたが、製作会社のワーナー・ブラザースは1億5000万ドルの赤字を計上したため、計画されていた続編は制作中止となったという。壮大な雰囲気に映像も大作感いっぱいだったが、所詮この手の映画は内容が薄く、それでもそんなことはどの大作にも共通するのでストーリーだけが当たらなかった原因ではないのだろう。私には指輪物語もこの映画も同じように仰々しいストーリーだと思える類似性があるように。役者には責任がないのに、運が悪いとしか言いようがない。

『LAMB/ラム』(Lamb)

2021年・アイスランド/スウェーデン/ポーランド 監督/ヴァルディミール・ヨハンソン

出演/ノオミ・ラパス/ヒナミル・スナイル・グヴズナソン/ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン

ジャンルがホラー・ミステリーになっている。アイスランドの山間に住む羊飼いの夫婦イングヴァルとマリア。ある日、二人が羊の出産に立ち会うと、羊ではない何かが産まれてくる。子供を亡くしていた二人は、"アダ"と名付けその存在を育てることにする。奇跡がもたらした"アダ"との家族生活は大きな幸せをもたらすのだが・・・。(Filmarksより) 首から上は羊で体は人間、ちらりとしか見せないその姿を想像しながら映画ストーリーを追っていく。夢に出そうな・・・・。ちょっとばかり発想が気味悪く、結末も後味悪し。

『ミュージック・イン・ミー!』(The Music in Me)

2015年・カナダ 監督/ジョン・ブラッドショウ

出演/デビー・ギブソン/アントニオ・クーボ/グロリア・ルーベン/エイミー・フォーサイス

歌は絶対必要なものに違いない。よく言う、たかが・・・、されど・・・。私のホームグラウンド「映画」はよく例えられる。たかが映画、されど映画、と。音楽は人間社会に必然的に現れて来たものなのだろうけれど、人間の知恵はその音楽を芸術として高めていくことに成功した。音楽か~???!!!

『マリー・ミー』(Marry Me)

2022年・アメリカ 監督/カット・コイロ

出演/ジェニファー・ロペス/オーウェン・ウィルソン/マル―マ/ジョン・ブラッドリー

世界的歌姫のカット・ヴァルデス(ジェニファー・ロペス)は、新曲「マリー・ミー」を携え、大観衆の前で音楽界の超新星バスティアン(マルーマ)と華々しく結婚式を挙げる予定だった。しかしショーの直前、婚約者バスティアンの浮気がスクープされる。失意のままステージに登壇した彼女は、観客の中から一人の男を指名、突然プロポーズするという驚きの行動に出る。新たなお相手は、平凡な数学教師とあって・・・・(Filmarksより) 奇抜なアイディアものだがアメリカ映画は何処までも真面目、日本人のメンタリティーも少しは進化しなくては。

『タイムネット』(Time Loop)

2020年・イタリア 監督/シロ・ソレンティーノ

出演/サム・ギッティンズ/Mino Sferra/エリー・プソ/Eliana Manvati

原題通りタイム・ループばかりでよく分からない。おもしろいはずなのに乗れない。デジャブを繰り返す映画の如く、映画的にはイマイチ。SF、タイムマシーンと好きな分野の映画ながら、アイディア不足が否めない。65分だけ過去に戻ってそこからの未来が分かってロトにも当選しちゃうなんて、イマイチ、イマニ、イマサン。残念ながら過去にも未来にもタイムマシンに乗って行き来出来ない。インチキな占い師と同じようなもの。よくもまぁ~見て来たような嘘を他人に言えるものだね占い師とやらは。

『ハウスワイフの禁断の秘密』(Secret Lives of Housewives)

2022年・アメリカ 監督/デイヴ・トーマス

出演/ジェシカ・モリス/ジャスティン・ベルティ/チャーリー・ヒット/クリスタル・デイ

主婦たちの不倫がきっかけで主婦たちの禁断の秘密が明らかになっていくというテレビの2時間ドラマのような内容。不倫相手だった一人の男が殺される。犯人捜しの結末は意外な方向へと進んで行ったが、最後のシーンが思いがけず・・・。いつも言う、一つの嘘が次々と嘘の塊となって身に降りかかってくる。嘘も方便という言い方もあるが、嘘を言って迄自分を守らなければいけないほどの大した自分なんてそうはいない。

『スクール・アローン』(Christmas Break-In)

2018年・アメリカ 監督/マイケル・カンパ

出演/ダニー・グローヴァー/デニース・リチャーズ/キャメロン・シーリー/ショーン・オブライアン

クリスマスの日の小さな出来事を高校生が作った映画のよう。しかもその対象者は幼稚園児や小学校低学年向け。よくもまぁ~こんな映画に製作費を出す人がいるんだと、驚きしかない。ゆる過ぎて。日本人が作った題名は英語になっていなくて、やっぱりおかしい。配給会社のセンスを疑う。

『ホリデイ』(The Holiday)

2006年・アメリカ 監督/ナンシー・マイヤーズ

出演/キャメロン・ディアス/ケイト・ウィンスレット/ジュード・ロウ/ジャック・ブラック

この映画は好きだねぇ~! もう16年前の映画だということに驚いている。なるべく新しい映画を見逃さないようにしているつもりだが、映画情報に耳を傾けることなくただ只管にAmazon Primeから提供された情報と映画だけに注目していると、かなりの映画をスキップしているような気がする。これだけの一流どころの俳優が出演すると、ギャラも大変だろうと気になる。映画業界の題材も扱ったりしてちょっと興味深い。女性監督のせいだろうか「セックスを1回して、2回一緒に眠った」というセリフがやたらと出てきて。おもしろかった。

『格差恋愛 シークレット・ミリオネア』(Secret Millionaire)

2018年・カナダ 監督/マイケル・スコット

出演/スティーブ・ランド/シオバーン・ウィリアムズ/マイケル・コプサ/アリー・バートラム

金持ちの跡取り息子とそうではない普通の女の娘の恋愛はいかに。というありきたりのストーリーだが、それなり以上の爽やかさに溢れた映画だった。同じような題材で同じような映画はたくさん作られているだろうに、どこに違いが生じるのかが不思議に感じる。もっとも、同じ人間だって、同じような境遇に育った人たちが間違っても同じような心を持ちながら大人になって行くことはないだろう。それが人間社会のいいところなのだから、ひたすら楽しまなければバチが当たるというものだ。せめて正月くらいは。

2023年1月1日

 もう12年と半年が過ぎた。塵も積もれば山となるごとく屁でもない感想を書き連ねて来たお陰で、すでに3,110本以上の映画を観たことになる。映画業界に在籍していたころには宣伝部長という役割を担っていながら実際観た映画は10本代だったんではなかろうかという不始末を吐き払うように、60歳を過ぎてからの鑑賞本数はプチ映画評論家に近くなった。

 映画はおもしろくなくちゃ、という信念がある。おもしろいというのはもの凄く主観的なことなので、他人が何と言おうと自分が面白いと思わなければおもしろくない映画になることは間違いない。

 レンタルDVDやテレビ放映の録画からアマゾン・プライムへと映画を観る環境も変化して行き、テレビ画面だって29インチから34インチ、そして50インチへと大きくなっていった。もう我慢できないように65インチのテレビを手に入れようと気持ちが高ぶって仕方のない現在、限りない欲望の自分なりのプチ実現を楽しんでいる。

『ラスト・ボーイスカウト』(The Last Boy Scout)

1991年・アメリカ 監督/トニー・スコット

出演/ブルース・ウィリス/デイモン・ウェイアンズ/チェルシー・フィールド/ダニエル・ハリス

コメディ・アクション部門はアメリカに勝てるわけがない。一流俳優がおかしなことを言ったり、おかしな行動をして他人を笑わせるわけではない。このあたりが日本のお笑い映画との決定的な違いだろう。年末に何も考えずに観られる映画としては最適だった。ただ30年も前の映画だとは観ているときは全く気付かず、私の頭の中もほとんど動いていないということの証明になったようだ。

『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK』(The Beatles: Eight Days a Week - The Touring Years)

2016年・アメリカ 監督/ロン・ハワード

出演/ポール・マッカートニー/リンゴ・スター/ジョン・レノン/ジョージ・ハリソン/ザ・ビートルズ

1963年~66年のツアー時期をベースとし、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターがどのように集まり“ザ・ビートルズ”になっていったかを探る。たまたま電気屋の一角にレコード販売を始めていた実家。高校生の自分にとって夢中になって聞いたLPレコードを懐かしむ。毎日のように擦り切れるほど聞いていたことは確かだった。「世界」という言葉をその時はじめて意識したのかもしれない。それでも今の今まで「世界」という光景を見たことはなかった。なるほど、世界中でビートルズが熱狂的に迎えられたのはこういうことだったのかと。死ぬ前のいい思い出になった。偉大なグループだったことがあらためて。

『インヘリタンス』(Inheritance)

2020年・アメリカ 監督/ヴォーン・ステイン

出演/リリー・コリンズ/サイモン・ペッグ/コニー・ニールセン/チェイス・クロフォード

机の上にあるメモにこの映画の題名が書いてあった。う~ん?! 調べてみたらストーリーは確かに観た気がした。最後まで観たと思うが定かではない。これは酷い!! 忘れるのは仕方がないが、思い出せないのは困る。30年も地下室に閉じ込めていたなんていう物語に反吐が出たのかもしれない。それにしてもひどい。

『ロング・トレイル!』(A Walk in the Woods)

2015年・アメリカ 監督/ケン・クワピス

出演/ロバート・レッドフォード/ニック・ノルティ/エマ・トンプソン/メアリー・スティーンバージェン

紀行作家ビルは、長年暮らした英国から故郷の米国へ戻り、セミリタイアに近い生活を送っている。平穏な日常に物足りなさを感じていた彼はふと、家の近くを通る北米有数の自然歩道"アパランチアン・トレイル" 3,500kmの踏破を思いつく。妻を安心させるため旅の相棒を募るなか、唯一現れたのは破天荒な旧友カッツだった。期待と不安を胸に出発した二人の前に、大自然の驚異と体力の衰えという現実が立ちはだかる。(Filmarksより) ストーリーが詰まらない。ロバート・レッドフォードのしわしわの顔を見ていると歴史を感じる。エマ・トンプソンの妻ぶりが素敵だった。

『ミステリーロード/欲望の街』(Mystery Road)

2013年・オーストラリア 監督/アイヴァン・セン

出演/アーロン・ペダーセン/ヒューゴ・ウィーヴィング/ライアン・クワンテン/ジャック・トンプソン

『全世界絶賛』と大きく書かれたポスターの絵柄が載っていた。ちょっと長い(2時間1分)。都会での任務を終えてクイーンズランドの荒れた奥地にある故郷へと戻って来たアボリジニ先住民の刑事が主人公。帰ってきたそうそう少女の殺人事件を追いかけるストーリー。同じようなシーンが繰り返されて、ついつい眠ってしまった。この頃はよく眠る。事件の捜査にあたる主人公だが、凶暴な事件とジェイが戻って来たことによって町の中に長年くすぶり続けていたテンションが明るみになる。白人対アボリジニ、過去対現在、都会対田舎、貧困対チャンス、といった確執が現れるという解説はなるほどと理解する。悪くはないが絶賛するほどでもない。人間関係が相変わらず分からず、映画の面白さを半減させている。もしかすると、私が悪いのか。

『東京2020オリンピック SIDE:A バリアフリー字幕版』

2022年(令和4年)・日本 監督/河瀨直美

出演/

ものの見方は数々あるという大原則を、こういう大多数の観客に向けての映画という手段に当てはめること自体が間違いだろう。この監督の起用にすら賛否が渦巻いている。わざわざ一般的ではない手法を持ちる芸術家を起用することを誰が決めたのだろうか。どこかでひとつの作品を観たことがあるようなないような。ちょっとばかり違うんじゃないの、という印象があった。海外で評価されるも日本国内の評価には疑問符が多い。そん風に決めつけることはいけないことだと思うが、でもそんなもんだよね。事実は小説より奇なり、この映画を観てみれば一発で分かる。ながら族宜しく、垂れ流し的に観ていてさえ、あっこれは、と見直したいというシーンなど皆無。むしろ眠気を通り越して眠ってしまった。

『タルサ 俺の天使』(Tulsa)

2020年・アメリカ 監督/スコット・プライアー/グローリア・ステラ

出演/スコット・プライアー/リヴィ・バーチ/ジョン・シュナイダー/ニコール・マリエ・ジョンソン

実話の映画化は忠実であればあるほどおもしろくない。ただ、主人公が死んでしまう映画は哀しい。

『ワンダーウーマン 1984』(Wonder Woman 1984)

2020年・アメリカ 監督/パティ・ジェンキンス

出演/ガル・ガドット/クリス・パイン/クリステン・ウィグ/ペドロ・パスカル

なんと2時間31分の映画だった。スーパーマン大好き人間としてはこの手の映画は大歓迎なのだが、さすがに眠気を誘うほどの出来の悪さと長編には反吐が出る前に眠ってしまった。アメリカン・コミックの特徴なのだろうか、どうしても正義と悪魔の対決構図を戦わせなければ気が済まないらしい。もうちょっとスーパー・ヒロインの魅力を出して欲しかった。特撮の戦うシーンを延々と見せられる方はたまったものではない。

『A-X-L/アクセル』(A.X.L.)

2018年・アメリカ 監督/オリヴァー・デイリー

出演/アレックス・ニューステッター/ベッキー・G/アレックス・マクニコル/ドミニク・レインズ

開発途上のA-X-Lが研究所から逃げた。このA-X-Lは軍が極秘に開発している軍用ロボット犬である。現在進行形でロボットの開発が進んでいる。当然AIを搭載した自分で考えるロボットである。その形が犬になっただけで、軍用ロボット犬は成立する。そういう世界がもうすぐやって来るのだろう。想像以上に近い将来かもしれない。

『コンプライアンス 服従の心理』(COMPLIANCE)

2012年・アメリカ 監督/クレイグ・ゾベル

出演/アン・ダウド/ドリーマ・ウォーカー/パット・ヒーリー/ビル・キャンプ

何度観るのを止めようかと思ったか。不愉快なシーンの連続だったが、すごく勉強になった。警官を名乗る電話を受けたハンバーガーの中年女性店長の頭の悪さが、この事件の発端だった。警官を名乗っているが何の確証もないのに店員の一人が客のお金を盗んだようだと誘導尋問を繰り返す。あげくの果てにその若い女性店員の服を脱がせて全裸にして屈ませるという性犯罪を勃発させる。アメリカでの実話に基づいた話らしい。事件内容が邦題に表現されている。いとも簡単に信じてしまうのは日本人の得意とするところ。よくよく注意しよう。相手を常に疑うということではなく、信じるに値することから外れたことに遭遇したらきっちりと疑いなさいよ、ということに違いない。

『誰かの幸せ』(Le Bonheur des uns...、A Friendly Tale)

2020年・フランス 監督/ダニエル・コーエン

出演/ベレニス・ベジョ/ヴァンサン・カッセル/フロランス・フォレスチ/フランソワ・ダミアン/ダニエル・コーエン

ずーっと昔からフランス人は知っていたんだ、自分たちが自己中で地球はいつも自分を中心に動いていると思い込んでいることを。会話を聞いているだけで苛ついてくる。さすが映画は凄い。そういう風に観客の心を揺さぶることを平気でする。原題を翻訳機にかけたら「1人の幸せ」と出て来た。だいぶ意味が違ってくるけれど、ここらあたりもフランス風エスプリとか言う奴で決めたのだろうか、配給会社は?

『ハーフ・ア・チャンス』(Une chance sur deux)

1998年・フランス 監督/パトリス・ルコント

出演/アラン・ドロン/ジャン=ポール・ベルモンド/ヴァネッサ・パラディ/エリック・デフォス

この二人が共演したのか、と思ったら、なんと1998年作品だった。しかもジャン=ポール・ベルモンドは2021年9月に88歳で亡くなっていた。アラン・ドロンは今87歳、遠い昔の話のような伝説の二人だ。この映画製作当時の年齢は60代半ば、まだまだ若い雰囲気を醸し出しながらストーリーが展開している。

『ティファニーの贈り物』(Something from Tiffany's)

2022年・アメリカ 監督/ダリル・ウェイン

出演/ゾーイ・ドゥイッチ/ケンドリック・サンプソン/レイ・ニコルソン/シェイ・ミッチェル

同じようなクリスマスものが2本続いた。こちらの方はわざとらしさが排除され、素直に見やすい映画だった。いつも思うことは、何か不都合なことがあったときに正直に相手にその事実を伝えないから物事が複雑になるということ。これは映画だから、不都合なことが起こらなければ映画にならないので、ストーリーとしては当たり前のことなのだが。それにしてもアメリカ人の男と女のくっつき方、別れ方が激しい。さっさと見切りをつけて人生を楽しむのは最高なのかもしれない。ぐじぐじといつまでも仮面夫婦を続けている日本の環境は、社会構造として幼稚園のようなものに見えて仕方がない。

『あなたの、私のクリスマス?』(Your Christmas or Mine?)

2022年・イギリス 監督/ジム・オハンロン

出演/エイサ・バターフィールド/コーラ・カーク/アレックス・ジェニングス/デヴィッド・ブラッドリー

クリスマス・シーズンになると心温まるストーリーが展開されて嬉しい。コメディーだが、日本のお笑いのようなドタバタ、奇声を発する、訳の分からない動作をする、といったジャリのようなことがないところがいい。ただ、この映画はちょっと出来過ぎていて、わざとらしさが随所に現れるのがなんとも。さりげない心からの行動だったはずが、思いがけない結果を招いてしまった時の対処の仕方が、日本とはひと味違って微笑ましい。

『ベルファスト』(Belfast)

2021年・アイルランド/イギリス 監督/ケネス・ブラナー

出演/ジュード・ヒル/カトリーナ・バルフ/ジェイミー・ドーナン/ジュディ・デンチ

1969年(昭和41年)、北アイルランドのベルファスト。早稲田の入試会場、機動隊の列に守られた道を進んで試験会場に入って行った。世界中が荒れていたが、ここベルファストではプロテスタントとカトリック教徒間の争いだったようだ。懐かしいにおいが漂ってきた。決して裕福ではない家族には、はっきりとした絆と温かさがあった。愛想を尽かせて街を出ていく家族の姿がやけに哀しい。

『モービウス』(Morbius)

2022年・アメリカ 監督/ダニエル・エスピノーサ

出演/ジャレッド・レト/マット・スミス/アドリア・アルホナ/ジャレッド・ハリス

映画批評家によるレビュー
Rotten Tomatoesによれば、273件の評論のうち高評価は15%にあたる42件で、平均点は10点満点中3.8点、批評家の一致した見解は「独創性のないエフェクト、決まりきったやり方の演技、そしてほとんど無意味な馬鹿げたストーリーに呪われた、この退屈な汚物は『モービウス』を実現するための無駄な試みである。」となっている。 Metacriticによれば、55件の評論のうち、高評価は7件、賛否混在は25件、低評価は23件で、平均点は100点満点中35点となっている。マーベル・コミックの同名のキャラクターをベースにしたスーパーヒーロー映画。(Wikipediaより) 必ずと言っていいほど対決する二人の構図を作らないと気が済まないのがアメリカ人らしい。

『あなたの名前を呼べたなら』(Sir)

2018年・フランス/インド 監督/ロヘナ・ゲラ

出演/ティロタマ・ショーム/ヴィヴェーク・ゴーンバル/ギータンジャリ・クルカルニー/Ahmareen Anjum

インド映画はおもしろいという先入観を裏切られることはなかった。波長が合うというのはこういうことを言うのだろう。インド第2の大都市であるムンバイに住むインド人の一端を見ることが出来た。「Sir」字幕では「旦那様」と呼ぶ雇い主とメイドの恋に似たものが・・・。終わり方も昔のアメリカ映画のように、余韻を残してストーリーが・・・。階級制度が歴然とあるインドに生まれると、社会制度がどうのこうのと言えない実生活が目の前にある。もうすぐ世界一の人口となるインドは、中国を追い越していくのだろう、どこかで。

『ビューティフル・レターズ 綴られた言葉』(The Letter Writer)

2011年・アメリカ 監督/クリスチャン・ヴィッサ

出演/アリー・アンダーウッド/バーニー・ダイアモンド/パム・アイヒナー/カイリー・サーマン

『人は言葉によって幸せにもなれるし、傷つきもする。』 分かり切ったようなことだが、こういうネタを題材にして真正面から映画を作るのは難しかったろう。登場人物の性根が皆んないい人なのが救いだ。世の中にはどうしようない人間性を平然とひけらかして生きている人種がいる。多様性だからと全部を受け入れるわけにはいかない。ダメな奴を出来るだけ排除しなければ、いい環境は保てない。ダメな奴を特定するのは難しいなどと、詰まらない議論を持ち出す輩本人がダメな奴なんだよ!

『LUCY ルーシー』(Lucy)

2014年・フランス 監督/リュック・ベッソン

出演/スカーレット・ヨハンソン/アナリー・ティプトン/モーガン・フリーマン/アムール・ワケド

観終わってこのコメントを書いた後、「最近見た映画」倉庫に入れようとしたときに既に観ていた映画だと分かった。自分の記憶力のなさに辟易する。サイキックアクションというジャンルらしい。スカーレット・ヨハンソンがどんどん訳の判らない役者になって行く姿が哀しい。この監督の作品も、何故か相容れない。フランス人のDNAが私に合わないのかもしれない。混乱の極みのようなストーリーと映像にちょっと。好きな女優が出ているのに寝てしまった。

『ザッハトルテ』(Sachertorte)

2022年・ドイツ 監督/ティン・ロゴル

出演/マックス・フーバッヒャー/ミーヴ・メテルカ/クリスタ・シュタートラー/カール・フィッシャー

ウィーンには行きそびれてしまった。もう行けないだろうが、結構悔やんでいる。ザッハトルテは、オーストリアのホテル・ザッハーおよび洋菓子店・デメルで提供されている菓子(トルテ)である。古典的なチョコレートケーキの一種。ザッハートルテとも呼ばれる。こってりとした濃厚な味わいを特徴とする、ウィーンのホテル・ザッハーの名物菓子であり、チョコレートケーキの王様と称される。近年は多数のカフェや洋菓子店により、ザッハートルテと称したチョコレートケーキが提供されているが、それらは単にチョコレートのトルテの一種とするのが正しい。(Wikipediaより) せめて、名古屋で有名なザッハトルテを出す店を探そう。

『スパイ・バウンド』(AGENTS SECRETS)

2004年・フランス/イタリア/スペイン 監督/フレデリック・シェンデルフェール

出演/モニカ・ベルッチ/ヴァンサン・カッセル/アンドレ・デュソリエ/シャルル・ベルリング

組織からの命令で世界中を動き回るスパイたちの行き着く先は・・・。非情な決断力で力を発揮するスパイたちだが、無情な組織の力には屈せざるを得ない。サラリーマンだって構図は同じようなもの。力を持てば持つほど、疎まれて切られる運命にあるのは人間社会の見えない掟なのだろう。

『アウト・オブ・デス』(Out of Death)

2021年・アメリカ 監督/マイク・バーンズ

出演/ジェイミー・キング/ブルース・ウィリス/ララ・ケント/ケリー・グレイソン

いやぁー!五流映画にブルース・ウィリが出ている。よほどおかねに困ったのかなぁー!署長以下全員ぐるみで悪事を働く地方の小さな警察署、その近くにある静かなだけが取り柄の保養地まがいの場所を訪れた主人公も現職警察官だった。ストーリーもアクションも酷いスリラー映画だった。

『グッドライアー 偽りのゲーム』(The Good Liar)

2019年・アメリカ 監督/ビル・コンドン

出演/ヘレン・ミレン/イアン・マッケラン/ラッセル・トーヴィー/ジム・カーター

騙し騙され生き続ける人たちがいる。お金持ちが騙されて大金をせしめられたとしても、庶民には痛くも痒くもない感覚がある。お金を持っていないから騙されたってとられる財産もない。たぶん、それが仕合わせの極致なんだろうと思う。もちろん、負け惜しみの気持ちが満タンではあるが。

『コンティニュー』(Boss Level)

2020年・アメリカ 監督/ジョー・カーナハン

出演/フランク・グリロ/メル・ギブソン/ナオミ・ワッツ/アナベル・ウォーリス

必ず死んでしまう終わりのないタイム・ループから脱出しようとする元特殊部隊の男が主人公。それにしても、デジャブの繰り返し映像が苛つかせる。井上尚弥のタイトルマッチが観たくて「dtv」に臨時加入した。AmazonPrimeとは毛色の違ったタイトルが並んでいて、臨時入会の意味がありそうだ。せっかくだから、ボクシングが観終わってもちょっとだけここの映画も観てみよう。

『ローズメイカー 奇跡のバラ』(La Fine fleur/The Rose Maker)

2020年・フランス 監督/ピエール・ピノー

出演/カトリーヌ・フロ/メラン・オメルタ/マリー・プショー/オリヴィア・コート/ファッシャ・ブヤメッド

フランス・パリ郊外、父の遺産のように引き継いだバラ園を経営する肝っ玉フランス女性が主人公。花は絵や映像で見てもその綺麗さは分かっても、心から湧き上がるような感動を覚えるものではない。が、実物を目にすると、しかも花束として受け取る花には神々しい尊厳が宿っている。ましてやそれが薔薇だったら、どれほど心を揺さぶるだろうか。経験したことのない人には感じえない感情のひとつ。是非ともそんな毎日に囲まれることを願うが、そんなことは奇跡のようなものだろう。

『ミッション:30ミニッツ』(Semper Fi)

2019年・イギリス 監督/ヘンリー=アレックス・ルビン

出演/レイトン・ミースター/ジェイ・コートニー/フィン・ウィットロック/ナット・ウルフ

出来のいい兄貴が出来の悪い弟の脱獄を計画実行してしまうなんて。いまよん納得できないストーリーはちょっと。

『エージェント・トリガー』(ブラッド・ターナー)

2021年・カナダ 監督/ブラッド・ターナー

出演/バリー・ペッパー/コルム・フィオール/イヴ・ハーロウ/カルロ・ロタ/ジェイン・イーストウッド

スパイものの究極のようなシーンの連続だが、人間関係性がいまさん分からない。日本の昔のチャンバラ映画のように、主人公はあくまでも強く不死身で、なかなか死にそうもない。瞬間瞬間はおもしろいが、トータルでみるとイマイチなんだろう、こういう映画は。人間力はやっぱり総合力、何か一つに特殊な才能があるに越したことはないが、そんな簡単に才能なんて身に付くものではない。とりあえず、総合力を磨くことがせっかく生まれて来た証かと。

『スペル』(Spell)

2020年・アメリカ 監督/マーク・トンデライ

出演/オマリ・ハードウィック/ロレッタ・デヴァイン/ロレイン・バローズ/ハナー・ゴネラ

事故にあったが目覚めると見知らぬ家のベッドの上、左足裏には長い釘が撃ち込まれている。夢の中の話だったとストーリーが終わるだろうと思っていたら、ずーっとそのまま夢のような悪夢のような光景が延々と続くのには呆れてしまうしかなかった。

『ブラックシープ』(Blacksheep)

2006年・ニュージーランド 監督/ジョナサン・キング

出演/ネイサン・マイスター/ダニエル・メイソン/ピーター・フィーニー/タミー・デイヴィス

なるほど、製作国がニュージーランドだったんだ。羊のゾンビ合戦みたいなストーリーと映像に一瞬引く、ずーっと引きっぱなしだった。

『ミス・フランスになりたい!』(Miss)

2020年・フランス 監督/ルーベン・アウヴェス

出演/アレクサンドル・ヴェテール/イザベル・ナンティ/パスカル・アルビロ/ステフィ・セルマ

この題名から触手は動かなかったが、たまたま観る気になった。9才の子供たちが学校で将来の夢を発表していた。一人の男の子が「ミス・フランスになりたい」と言い出して冒頭の笑いを誘うことになる。基本、コメディだがフランスの笑いはエスプリ、しつこく同じことを言ったり意味のない動作をして観客を笑わせようなんていう軽薄な映像ではないことが救いだ。美男子のミス・フランスへの挑戦は続く。

『ザ・ウェイバック』(The Way Back)

2020年・アメリカ 監督/ギャヴィン・オコナー

出演/ベン・アフレック/アル・マドリガル/ミカエラ・ワトキンス/ジャニナ・ガヴァンカー

高校生の頃の主人公は花形選手だったが、父親との確執からプロの世界どころかバスケットボールすら辞めてしまった。高校時代までは優秀だったけどその後の人生は語るほどではないという人も多いだろう。子どもを亡くしてからの主人公はアルコール依存症になった。卒業して20年経って母校のコーチをしてくれという依頼があった。そのあとはスポ根物語になるが、それなりに見せるストーリーになっていたような気がする。涙にもろくなった。

『ナンシー・ドリューと秘密の階段』(Nancy Drew and the Hidden Staircase)

2019年・アメリカ 監督/カット・シア

出演/ソフィア・リリス/Zoe Renee/マッケンジー・グラハム/アンドレア・アンダース/ローラ・ウィッジンズ

原作はシリーズ小説のようだ。少女探偵団が活躍する軽い映画。事件が起こって普通の高校生が警察官とやりあってまで活躍する姿は、映画といえど日本では到底考えられない内容。どこまでも遅れている日本の社会環境が、欧米並みになることはあるのだろうか。ここまで生きてきて昔のことが今よりも進んで見えたり、こちらが追い付かないような倫理観が発生しないことが凄く問題だと思う。情けない日本がどんどん本格化している。

『ラストナイト・イン・ソーホー』(Last Night In Soho)

2021年・イギリス 監督/エドガー・ライト

出演/トーマシン・マッケンジー/アニャ・テイラー=ジョイ/マット・スミス/ダイアナ・リグ

訳の判らない映画だった。分かったのは60年代の音楽がたくさん流れていたことだけ。主人公の女の子が可愛かったから最後まで観ることが出来ただけだろう。随所にロンドンの匂いは感じた。懐かしい。もう一度行くことは叶わないのだろう。

『黒い司法 0%からの奇跡』(Just Mercy)

2019年・アメリカ 監督/デスティン・ダニエル・クレットン

出演/マイケル・B・ジョーダン/ジェイミー・フォックス/ロブ・モーガン/ティム・ブレイク・ネルソン/レイフ・スポール

ブライアン・スティーヴンソンが2014年に発表したノンフィクション『黒い司法 死刑大国アメリカの冤罪』を原作としている。弁護士ものは実話に基づいたものが多い。アメリカの闇、黒人差別問題が一番顕著に社会に現れているのが警察、司法。白人の若い女性が殺された。その辺にいる黒人を犯人にして死刑囚にしてしまう。冤罪ではなくこれは明らかに他人に罪をなすりつけた犯罪である。しかもそれが、警察、検察、一般警官、白人市民を巻き込んだ人種差別のなれの果てだという真実が。分かっていても涙にくれる自分の姿に老を強く感じるとともに、さらに素直になって行く自分が嬉しくなってくる。

『マザーレス・ブルックリン』(Motherless Brooklyn)

2019年・アメリカ 監督/エドワード・ノートン

出演/エドワード・ノートン/ブルース・ウィリス/ググ・バサ=ロー/ボビー・カナヴェイル/チェリー・ジョーンズ

1958年、ドジャーズが現在のロサンゼルスへ本拠地を移転しようかという話題があがっていた頃が舞台だった。探偵事務所の親分は、孤児院から4人を引き取って部下にしていた。主人公の孤児は、突然思ったことを声に出してしまう病気を持っていた。「イフ・・」と口癖のように頻発してしまう。大きなおっぱいの女性にむかい合うと面と向かって「大きなおっぱい、触りたい」とか言ってしまうのだ。本人は自分の病気をよく理解していて、口に出すときは一応横を向いたりする。てなことで、この探偵会社のボスが何かの事件を追っていて殺されてしまうところから話が面白くなる。久しぶりに映画らしい映画を観た。なかなか最後までおもしろかった。満足、満足。

『ファーザー』(The Father)

2021年・イギリス/フランス/アメリカ 監督/フローリアン・ゼレール

出演/アンソニー・ホプキンス/オリヴィア・コールマン/マーク・ゲイティス/イモージェン・プーツ

80歳になった主人公は日々ボケの一途をたどることとなる。あくまでもボケ老人主人公の目線で物語が進行する。面倒をみてくれる娘は離婚したはずだ、パリに引っ越すと言っている、世話をしてくれる人の名前は、夫はいないはずだ、毎日起きるごとに自分の認識とは違う現実がある。

批評家から絶賛され、特にホプキンスの演技に対して惜しみない賞賛が送られている。 また、第93回アカデミー賞では作品賞を含む6部門にノミネートされ、このうち主演男優賞(アンソニー・ホプキンス)と脚色賞を受賞した。アンソニー・ホプキンスの独り舞台である。

『天気の子』(Weathering With You)

2019年(令和元年)・日本 監督/新海誠

出演/(声)醍醐虎汰朗/森七菜/小栗旬/本田翼/倍賞千恵子/吉柳咲良/平泉成/梶裕貴

新海誠監督の新作『すずめの戸締まり』が今週末に公開されるということで恒例の前作放映を観た。要所要所では毛嫌いせずにアニメ映画を観るようにしている。久しぶりに観るアニメは、やっぱり背景が動かない表情のない光景、人物にへとへとになるが、時間が経つにつれて慣れてくるのもおもしろい。114分ともうちょっと長過ぎる。前回でも書いたような気がするが、アニメでしか表現できないような物語ではないので、是非実写版で映画を撮ってもらいたい。話はちょっとSFっぽかったり、社会に反抗する若者の心だったり、尾崎豊の詩を想い出させるような気がした。何処がそんなにいいのか分からないが、140億円の興行収入を叩き出す力は若者のエネルギーなのかもしれない。せめて選挙やプチ政治力にもその力がそそがれれば、もう少しは社会が良くなるだろうに、と・・・・。

『トランスポーター』(Le Transporteur/The Transporter)

2002年・フランス/アメリカ 監督/ルイ・レテリエ/コリー・ユン

出演/ジェイソン・ステイサム/スー・チー/フランソワ・ベルレアン/マット・シュルツ

トランスポーター3を観ているが肝心の1本目も2本目も観ていなかった。そんなに面白いという印象はなかったが、この1作目を観たらめちゃめちゃおもしろくて驚いた。マンガよりも漫画っぽい映画は凄い。アクションにつじつまの合わないところは多数あったが、それ以上に活気あるアクション映画だった、満足。

『ブレイム・ゲーム』(Das Ende der Wahrheit/Blame Game)

2019年・ドイツ 監督/フィリップ・ライネマン

出演/アリレザ・バイラム/Mohammad-Ali Behboudi/Timo Fakhravar/アレクサンダー・フェーリング

ドイツ連邦情報局のテロ対策班の奮闘を描く。テロ対策というよりむしろ、情報局内の権力闘争がテロ対策をより一層複雑にしている。仕事は、真面目に対象事に向かっているだけではダメなのだ。より政治的でより世渡り上手な奴でなければ、生き馬の目を抜く世間に君臨することは出来ない。その野望のある者に限ってだが。

『ジェントルメン』(The Gentlemen)

2020年・アメリカ/イギリス 監督/ガイ・リッチー

出演/マシュー・マコノヒー/チャーリー・ハナム/ヘンリー・ゴールディング/ミシェル・ドッカリー

ロンドンの暗黒街を舞台に麻薬ビジネスがさまざまな事件を引き起こす。キノ・フィルム配給の映画としては、ちょっと面白みのない映画だった。

『21ブリッジ』(21 Bridges)

2019年・アメリカ 監督/ブライアン・カーク

出演/チャドウィック・ボーズマン/シエナ・ミラー/ステファン・ジェームス/キース・デイヴィッド

久々の骨太でまさしく骨のある警察ものだった。逃走中の強盗殺人犯を捕まえるためにニューヨーク・マンハッタン島にかかる21の橋を全て封鎖する作戦が原題の由来だ。13歳の時親が殉職をして、その遺志を継いで警察官になった根っからの正義警官が主人公で気持ちいい。ニューヨーク市警85分署署長以下の汚職警察官が相手では、正義漢も翻弄されるしかない。味方と思っていた複数の人間が実は敵だったなんて言うことがあったら、人生は滅茶苦茶になってしまう。

『アンホーリー 忌まわしき聖地』(Shrine/The Unholy)

2021年・アメリカ 監督/エヴァン・スピリオトポウロス

出演/ジェフリー・ディーン・モーガン/ケイリー・エルウィズ/ケイティ・アセルトン/ウィリアム・サドラー

マリア様が出現して奇跡を起こす。エクソシストに似た恐怖が襲ってきた。神の存在は凄い。凄いとしか言いようのない精神世界と現実社会のはざまに生きているのが人間なのだろう。

『ビューティフル・グレイス』(Finding Grace)

2019年・アメリカ 監督/ワーレン・ファスト

出演/エリン・グレイ/デヴィッド・キース/ボー・スヴェンソン/パリ・ワーナー/ジェイソン・ウェイド

陳腐なはなしだけれど、すべては神のみ心のままに、という文言だけが心に残った。

『アンダー・ウォー~地下道爆破計画~/アンダー・ウォー 史上最大の地下爆破作戦』(The War Below)

2021年・イギリス 監督/J・P・ワッツ

出演/サム・ヘイゼルディン/トム・グッドマン=ヒル/クリス・ヒッチェンズ/サム・クレメット

第一次世界大戦でのストーリー。ベルギー・メシヌでの大爆発は、核兵器を除いた歴史上で最も大きな大爆発として歴史に刻まれているらしい。地下壕を掘って相手の陣地に行って爆破するしか局面を打開する方法は見つからなかった。兵士ではない民間の企業から5人のトンネル掘削作業員を選抜し戦線へ送り込んだ奇襲作戦と言っていいだろう。イギリス軍とドイツ軍の戦いだった。イギリス軍人の気骨を知った気がする。また、涙が流れた。

『フラッシュバック』(Wake Up)

2019年・アメリカ 監督/アレクサンダー・チェリニアエフ

出演/フランチェスカ・イーストウッド/ジョナサン・リース=マイヤーズ/ウィリアム・フォーサイス/マリク・ヨバ

目が覚めたら病院のベッドであった。自分はいったい誰なのだろうか。そんなことより自分が連続殺人犯人だと疑われている。何もかも分からないでストーリーは進行していく。観客もちょっとした苛立ちを覚える。どういう結末になるにせよ、早めに肝心なポイントを知らせないと観客は納得する前に映画を観るのをやめてしまうかもしれない。人生にも似たようなシチュエーションがたくさんあるような気がする。

『ラスト・フル・メジャー 知られざる英雄の真実』(The Last Full Measure)

2019年・アメリカ 監督/トッド・ロビンソン

出演/セバスチャン・スタン/サミュエル・L・ジャクソン/ライナス・ローチ/アリソン・スドル/エド・ハリス

1966年4月、ベトナム戦争で多くの兵士たちの命を救うために命を捧げた空軍兵がいた。彼の名は、ウィリアム・H・ピッツェンバーガー。英雄として讃えられるはずの彼の名誉勲章授与は30年以上も却下され続けた。なぜ、名誉勲章は30年も却下され続けたのか。今、一人の青年が衝撃の真実を暴く。(Filmarksより)

途中少しばかり寝てしまったのに、最後のシーンでは大粒の涙を流していた。ベトナム戦争はまだ終わっていない。体験者が生きている限り。悲しみの涙はもともと無縁だったが、この頃は歳のせいで涙が流れる。絶対的な涙の出方は、人が人として多くの人から尊敬を受けるシーンに他ならない。若いころから変わらず涙が流れるシーンを心が記憶している。

『コズミック・シン』(Cosmic Sin)

2021年・アメリカ 監督/エドワード・ドレイク

出演/フランク・グリロ/ブルース・ウィリス/ブランドン・トーマス・リー/C・J・ペリー

2031年から宇宙開発は勢いを増していくらしい。人類が宇宙に進出してから400年後にあたる2524年を舞台に、というストーリーになるが、確かに地球はそう簡単に無くならないのだろうから、2500年という西暦を人間が迎えることもごくごく普通なのかもしれない。10年後を見たいとは思わないが、いつも100年後、その100年後と人間の歴史をこの目で見てみたい。あり得ない夢を見ていてばかり、幸せだなぁ~。

『パーフェクトマン 完全犯罪』(Un homme ideal)

2015年・フランス 監督/ヤン・ゴズラン

出演/ピエール・ニネ/アナ・ジラルド/アンドレ・マルコン

最初から完全犯罪を企んで作られたものではないところがいつものこの手の映画とは違う。途中はなかなか不愉快なシーンの連続で観たくない気持ちにさせられたが、ラスト・シーンだけは納得のいく終わり方で後味だけが良かった。

『ヘルムート・ニュートンと12人の女たち』(Helmut Newton: The Bad and the Beautiful)

2020年・ドイツ 監督/ゲロ・フォン・べーム

出演/シャーロット・ランプリング/イザベラ・ロッセリーニ/グレイス・ジョーンズ/アナ・ウィンター

ヘルムート・ニュートンって?誰だっけと首を傾げながら観始まった。名前を聞いたことは確かにあるが、写真家だと分かってもその有名な1枚なるものが蘇ってこない。人間プロフィールのドキュメンタリー映画はあまり好きではなく、今回も本人の最初の言葉を聞くことがなかったら、さっそくやめていたことだろう。原題と邦題との乖離がはなはだしい。配給会社の良心を疑う。

『運命のボタン』(The Box)

2009年・アメリカ 監督/リチャード・ケリー

出演/キャメロン・ディアス/ジェームズ・マースデン/フランク・ランジェラ/ジェームズ・レブホーン

昔大好きだったテレビの毎週もの『世にも不思議な物語』のような雰囲気の映画だった。三つ目人間が登場した時の驚きは今でも鮮明に覚えているし、自分の人生の基準をしっかりと決めてくれたものだと感謝している。運命とは自分で切り開くものなのだろうが、この大宇宙には人間の力の及ばない偉大な力が存在しているようだ。

『さよなら、僕のマンハッタン』(The Only Living Boy in New York)

2017年・アメリカ 監督/マーク・ウェブ

出演/カラム・ターナー/ケイト・ベッキンセイル/ピアース・ブロスナン/シンシア・ニクソン/ジェフ・ブリッジス

一流の役者が出演しているのに、かったるくて眠ってしまった。「人生は期待と失望の絶え間ない繰り返し。」というセリフだけが頭に残った。

『ウォーキング・ウィズ・エネミー / ナチスになりすました男』(Walking With The Enemy)

2013年・アメリカ/カナダ/ルーマニア/ハンガリー 監督/マーク・シュミット

出演/ジョナス・アームストロング/デヴィット・レオン/ハナー・トイントン/フローラ・スペンサー・ロングハースト

実在をモデルに映画化された、ナチス兵に成りすました青年が、ユダヤ人救出のために奔走する戦争サスペンス。

第二次世界大戦において、ナチス・ドイツ同盟国のハンガリーは当初、戦火を免れていました。しかし、戦況が連合国側に傾いたことで、ハンガリー政府は連合国との講和を模索。ドイツがその思惑に気づいたことで、両国間に緊張感が漂います。1944年冬、 ナチス軍はハンガリーに侵攻し、連合国のソ連軍と激しい銃撃戦を繰り広げています。ナチス軍に侵攻される9カ月前の1944年の春。ハンガリーのブタペストでは、一部のハンガリー人によるユダヤ人差別はあったけれど、人々は戦争のことなど気にもかけず、ダンスや他のことに現を抜かしていました。レコード店に勤めるユダヤ人大学生のエレク・コーエンは、友人のフレンツとライラシュと共にクラブへ赴き、そこで出会ったハンナやレイチェルら3人の女性とそれぞれ恋に落ちました。しかし、エレクたちが幸せな夜を過ごした翌日。ナチスの親衛隊は国境を越え、ブタペストへ侵攻してきたのです。たった一晩で戦争の矢面に立たされてしまったブタペスト。エレクとフレンツが働くレコード店のユダヤ人店主ヨージェフは、2人に少ない売上金を渡し、「戦争で街が完全に封鎖される前に、これを使って故郷の村に帰った方が良い」と言います。(Cinemarcheより)

『ドライブ・マイ・カー インターナショナル版』(Drive My Car)

2021年(令和3年)・日本 監督/濱口竜介

出演/西島秀俊/三浦透子/霧島れいか/パク・ユリム/ジン・デヨン/ソニア・ユアン/安部聡子/松田弘子/猪股俊明/山村崇子

今日は2022年(令和4年)10月16日(日)。たくさんの賞を獲っているようだが、どうも。Amazon Prime にもう登場して嬉しいことは嬉しかった。なんと3時間の長編。全体が舞台劇のような雰囲気、その舞台劇の中にまた舞台劇がある。喋りが舞台で、あまりにも嫌いな分野なので、そういうことも気に食わないことのひとつだったのだろう。舞台劇でのあの喋り、考えただけでも反吐が出そうだ。日本語吹き替え版の喋りも独特過ぎる、同じようなものだ。プロ好みの映画だからこその賞獲り作品だという気がする。素人や庶民には、この映画の面白さが分からない。映画・演劇業界人や演劇大好きな人種にはとてつもなくいいのかもしれない。原作が村上春樹だというのもおもしろくない要素のひとつだろう。私の尊敬する本好きな友人たちが、誰一人として彼の作品をいいとは言わないことも不思議だと思っているが。

『エリザベス:ゴールデン・エイジ』(Elizabeth: The Golden Age)

2007年・イギリス/フランス/ドイツ/アメリカ 監督/シェカール・カプール

出演/ケイト・ブランシェット/ジェフリー・ラッシュ/クライヴ・オーウェン/アビー・コーニッシュ

ヘンリー8世は6度の結婚に加えて、カトリック教会からのイングランド国教会を分離した。自分の離婚のためにイギリス独自の教会を作ってしまうという離れ業が今に続いている。そのヘンリー8世の2番目の王妃アン・ブーリンとの間に生まれた子供がエリザベス1世である。このあたりのことは、映画『ブーリン家の姉妹』(The Other Boleyn Girl・2008年)におもしろおかしく描かれている。この時代、ヨーロッパ諸国の王族は政治の首領でもあり、血で血を洗う国盗り合戦、政略結婚が入り乱れていた。ヨーロッパを一つの国に見立てれば、日本の戦国から江戸へとつながる歴史に似ていなくもない。

『マキシマム・コマンドー S.W.A.T vs デルタフォース』(ECHO EFFECT/CHAIN OF COMMAND)

2015年・アメリカ 監督/ケビン・キャラウェイ

出演/スティーヴ・オースティン/マイケル・ジェイ・ホワイト/マックス・ライアン

アクション映画なのに半分くらい眠ってしまった。

『オンリー・ザ・ブレイブ』(Only the Brave)

2017年・アメリカ 監督/ジョセフ・コシンスキー

出演/ジョシュ・ブローリン/マイルズ・テラー/ジェフ・ブリッジス/ジェームズ・バッジ・デール/ジェニファー・コネリー

2013年にアメリカのアリゾナ州で発生した巨大山火事「ヤーネルヒル火災」に立ち向かった精鋭消防部隊、グラナイト・マウンテン・ホットショッツの実話を基に描かれている。久しぶりに観たまともな映画に涙してしまった。まさか19人もの消防隊員が死んでしまうなんて。一人だけ生き残った隊員の気持ちがひしひしと伝わってくる。それにしても凄い。アメリカの山火事は想像に絶する。

『ネバー・ダイ 決意の弾丸』(We Die Young)

2019年・ブルガリア/アメリカ 監督/リオール・ゲラー

出演/ジャン=クロード・ヴァン・ダム/デイビット・カスタニーダ/イライジャ・ロドリゲス/ニコラス・シーン・ジョニー

出来の悪い街のギャング物語。いつおもしろくなるのだろうと観ていたが、一向に期待に応えてくれなかった。自分はギャングの手下となって働き始めたのに、弟は絶対まっとうな道を歩いて欲しいと思っている。そんな虫のいい話は実現しない。そういうものだ。原題のように結局は若くして死んでいく道を選んだに過ぎないのかもしれない。

『スティルウォーター』(Stillwater)

2021年・アメリカ 監督/トム・マッカーシー

出演/マット・デイモン/カミーユ・コッタン/アビゲイル・ブレスリン/リロウ・シアウヴァウド

アメリカ・オクラホマのスティルウォーターという町からフランス・マルセイユの大学に留学した娘が、同室だった同性愛相手の殺人容疑で逮捕されてしまった。しがない労働者の父親はマルセイユに赴き、無罪だと信じる娘を証明しようと奔走する。フランス語もろくすっぽ分からない中年オヤジの奮闘が。実話から着想を得て製作された映画だというクレジットがあった。

『七人の秘書スペシャル』

2022年(令和4年)・日本 監督/田村直己

出演/木村文乃/広瀬アリス/菜々緒/シム・ウンギョン/大島優子/室井滋/江口洋介

2020年10月から12月にかけて全8話がテレビ放送されたらしい。基本的にテレビの日本ドラマを観ていなかったので、このタイトルが全くかすりもしなかった。この頃、Amazon Prime の映画が外ればっかりで、前クールのテレビドラマを何話か観ていたので、このスペシャル・ドラマを観る気になったわけだ。この10月7日(金)から『七人の秘書 THE MOVIE』が公開される前宣伝番組のようだった。なかなかコンテンツは素晴らしい。難点があるとすれば、残念ながらそん所そこいらのタレント役者では荷が重い感が強い。おもしろさを表現するためには、さりげない才能がきっちりと集まらなければ、なんか薄ぺらなスタジオドラマになってしまう。

『ラブ・アット・ファーストサイト 運命の出会い』(Emerson Heights)

2020年・アメリカ 監督/ジェニファー・フック

出演/オースティン・ジェームズ/ガトリン・グリーン/マット・シングルタリー/アマンダ・グレイス・ベニテス

ありきたりでベタなはなしだが、進行役がなかなか興味深い。ただそれだけの映画だが、行き違いがありがちな恋の発展には、きっと優しい神の祝福が必要なのだろう。もう一度人間をやったとしても、同じような恋の繰り返しになるだろうと予想がつく。それくらい平凡で生きていても意味のない人生だったような気がしてならない。

『フェイシズ』(Faces in the Crowd)

2012年・アメリカ/フランス/カナダ 監督/ジュリアン・マニャ

出演/ミラ・ジョヴォヴィッチ/ジュリアン・マクマホン/サラ・ウェイン・キャリーズ/マイケル・シャンクス

連続殺人鬼『涙のジャック』の殺害現場を目撃してしまったが、犯人と争って橋から転落したことで「相貌失念」という相手の顔が認識できない病気に陥ってしまった。最初の掴みはいいが、この主人公は相貌失念を医者に宣告されたにも関わらず退院した翌日にはもう前の職場の幼稚園に勤務している。てなことをはじめ、そんな日常生活はないだろうと突っ込みを入れたくなるほどのいい加減な生活態度で、結果的に犯人が目の前に現れてもまったく認識できない現実があった。3流なのか5流なのか分からないサスペンス。つくずくアメリカに住んで面白くないディスコ生活なんて出来無かったろうなぁ、と若いころの生活に思いを馳せる。

『ザ・バウンサー』(Lukas)

2018年・フランスベルギーイギリス領ヴァージン諸島 監督/ジュリアン・ルクレルク

出演/ジャン=クロード・ヴァン・ダム/サミ・ブアジラ/スベバ・アルビティ/サム・ラウウィック

ジャン=クロード・ヴァン・ダムの名前は勿論よく知っているけれど、顔と名前が一致しなかった。アメリカ映画ではないアクションは、どこか違う。何かが違うということを観ながら感じるのが通常だ。人を殺すにもその流儀なるものや、湧き上がる感情などが間違いなく違って伝わってくる。無国籍なサスペンス・スリラー・アクションになればなおさら。

『タイムリーパー 未来の記憶』(Volition)

2019年・カナダ 監督/トニー・ディーン・スミス

出演/エイドリアン・グリン・マクモラン/マグダ・アパノヴィッチ/ジョン・カッシーニ/フランク・カッシーニ

出来の悪いSFスリラーだった。ちょっと先のことが断片的に見えるという主人公だが、その見えた結果をどうしても変えることが出来なかったというお粗末なはなし。他人の命も自分の母親の命も助けられなくては、先が見えたって何の意味もない。ましてやまったく先の見えない人間の生きている価値のなさといったら、言葉にできないほどの悲惨さだ。

『シークレット・チルドレン 禁じられた力』(One & Two)

2015年・アメリカ 監督/アンドリュー・ドロス・パレルモ

出演/キーナン・シプカ/ティモシー・シャラメ/エリザベス・リーサー/グラント・バウラー

なんだか訳の判らない映画だった。子供二人に超能力があるようなのだが、瞬間移動しかその能力はなさそう。その力が何の役にも立たないうちに映画は終わってしまう。いったいこの映画は何だったのだろうか、と訝るしかない。そんな人間も多い。自分の能力のどこに才能が見出せるのか分からない人間なのに、さも才能ありそうにふるまう姿は滑稽としか言いようがない。本当の才能ある人間に生まれ変わりたい。

『桜の樹の下で』

1989年(平成元年)・日本 監督/鷹森立一

出演/岩下志麻/津川雅彦/七瀬なつみ/十朱幸代/久保菜穂子/寺田農/志喜屋文/山本緑/二谷英明/野坂昭如

渡辺淳一が1987年に発表した小説。週刊朝日の5月8日号から1988年4月22日号に連載された原作。渡辺淳一とプライベートな付き合いのある岡田茂東映社長が「東映で映画化した彼の作品、『ひとひらの雪』や『化身』『桜の樹の下で』『別れぬ理由』は、僕が作品に惚れたから映画化した」と話している。映像もストーリーもなんとなく懐かしいにおいが漂っていた。渡辺淳一節とでも言いたげな。

『バトル・オブ・ワルシャワ 名もなき英雄』(Kurier/The Messenger)

2019年・ポーランド 監督/ヴワディスワフ・パシコフスキ

出演/フィリップ・トロキンスキー/ジュリー・エンゲルブレヒト/ブラッドリー・ジェームズ/Martin Butzke

1944年、ロンドン。ポーランド亡命政府のミコワイチク首相はナチスドイツの占領下にある祖国ポーランドにやがてソ連軍が侵攻してくると知り、英国のチャーチル首相にソ連軍と戦うよう協力を求めるが、ソ連と微妙な関係が続く連合国はそれを拒む。そこでミコワイチクは部下ヤン・ノヴァクに、ナチスドイツ相手に武装蜂起するよう、ポーランド国内軍に指示を送るための密使になるよう依頼。ヤン・ノヴァクは祖国に向かうが……。(Filmarksより)

『正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官』(Crossing Over)

2009年・アメリカ 監督/ウェイン・クラマー

出演/ハリソン・フォード/レイ・リオッタ/アシュレイ・ジャッド/ジム・スタージェス

不法入国、不法滞在、不法就労、グリーンカードとアメリカ合衆国をとりまく移民問題に敢然と立ち向かうひとりの捜査官、移民税関捜査局「I.C.E.」の捜査官。正義感が強く良心的。様々な問題を抱えている。自由の国は誰しもが幸せになれる権利を有することが第一なのだろう。でも、誰しもが幸せになれるわけではない。それは当たり前のこと。

『アーチャー 地獄のデス・ロード』(The Archer)

2017年・アメリカ 監督/バレリー・ウェイス

出演/ベイリー・ノーブル/ジャニーン・メイソン/ビル・セイジ/マイケル・グラント・テリー

出来の悪いアメリカ映画だなぁ~。true events に inspired されたと最初にクレジットがあったが、民間の施設と結託して懐を肥やしていた判事がいるなんて、さすがのアメリカでも珍しい事件だったろう。女子供といえど、逞しくなければ生きていけないアメリカ人は大変だ。自分で投票する権利もないくせに、誰がMVPだと言い争っているアメリカ人を見ていると、日本人の方が基礎的に優秀な人類だと思えてくる。

『ガリレオ 禁断の魔術』

2022年(令和4年)・日本 演出/三橋利行

出演/福山雅治/新木優子/澤部佑/村上虹郎/森七菜/朝倉あき/平原テツ/中村雅俊/鈴木浩介/渡辺いっけい/北村一輝

2022年9月16日(金)に映画第3弾となる『沈黙のパレード』の公開された。翌日、福山雅治主演の『ガリレオ』シリーズ、完全新作SPドラマとなる『ガリレオ 禁断の魔術』が放送された。東野圭吾という作家は大したものだ。放送枠は約2時間だが、中身は結構薄い。アメリカ映画の出来のいい作品に比較して満足感が乏しい。話はおもしろいが、表現力に難点がある。所詮はテレビドラマの延長だからだろう。

『燃ゆる女の肖像』(Portrait de la jeune fille en feu)

2019年・フランス 監督/セリーヌ・シアマ

出演/ノエミ・メルラン/アデル・エネル/ルアナ・バイラミ/ヴァレリア・ゴリノ

18世紀のフランスの孤島を舞台に、自らの望まない結婚を目前に控えた貴族の娘と、彼女の肖像画を描くことになった女性画家、2人の女性が宿命の恋に落ちるさまを描き、第72回カンヌ国際映画祭で脚本賞とクィア・パルムの2冠に輝いたほか、世界中の数多くの映画賞を受賞し、LGBT映画の新たな聖典として高い評価を得ている。(Wikipediaより)

いかにも玄人映画評論家受けする映画のにおいがプンプンする。この程度のことでLGBT映画の新しい聖典としているようじゃ、世の中は全く変わらない。最近の若者志向は保守本道を往くようで見ていられない。新しい人生を切り拓かなければ、せっかくの生がもったいない。過激なのは表面だけで実は極めて臆病な老人ももうすぐこの世から消えていく。

『エマ デッド・オア・キル』(Jagveld)

2017年・南アフリカ 監督/バイロン・デイビス

出演/Bouwer Bosch/Leandie du Rand/tLuan Jacobs

何処の映画かといぶかりながら観ていた。言語も時々英語になったりと摩訶不思議だった。六流映画というところだろうか。最後はマカロニ・ウェスタン調の音楽が流れ思わず笑ってしまった。アメリカ映画の素晴らしさが、こんなところからも分かる。

『ナイト・サバイバー』(Survive the Night)

2020年・アメリカ 監督/マット・エスカンダリ

出演/ブルース・ウィリス/チャド・マイケル・マーレイ/リディア・ハル/タイラー・J・オルソン

どんどんと七流映画に成り下がって行く様を見つめていた。アクション・スリラーというジャンル分けがあったが、よくもまぁ~ブルース・ウィリスがこんな映画に出演したなぁという別の驚き方をした。本人は脚本を読んでいないに違いない。後半になればなるほどやるきのない「演技」が際立っていた。

『この世界に残されて』(Akik maradtak/Those Who Remained)

2019年・ハンガリー 監督/Barnabas Toth

出演/カーロイ・ハイデュク/アビゲール・セーケ/マリ・ナギー/ヴェロニカ・ヴァルガ

ナチス・ドイツによって約56万人ものユダヤ人が殺害されたと言われるハンガリー。終戦後の1948年、ホロコーストを生き延びたものの、家族を喪い孤独の身となった16歳の少女クララは、ある日寡黙な医師アルドと出会う。言葉をかわすうちに、彼の心に自分と同じ欠落を感じ取ったクララは父を慕うようにアルドになつき、アルドはクララを保護することで人生を再び取り戻そうとする。彼もまた、ホロコーストの犠牲者だったの…(Filmarksより)

何処の国でのどんな背景の下で起こった話なのかが分からずイライラした。ちょっと不思議な映画。玄人映画評論家が喜びそうな映画であることには違いない。

『キリング・マシーン』(Seized)

2020年・アメリカ 監督/アイザック・フロレンティーン

出演/スコット・アドキンス/マリオ・ヴァン・ピーブルズ/キャーリー・ペレスス/ティーヴン・エルダー

現役時代“殺人兵器:ネロ”と呼ばれていた元特殊部隊の凄腕エージェントの主人公が、人質にとられた息子のために悪党ギャングに言われるがままに敵対するギャング集団を一人で皆殺しにしていく。すごい漫画チックなヒーロだがアメリカ的に家族に対する異常な愛を体現する。ここに出てくる悪党も約束だけは確実に守るという不思議な行動をとる、しかも人質にとった子供を殺さない。痛快なアクション映画だと簡単に受け入れてしまう。

『クリーンスキン 許されざる敵』(CLEANSKIN)

2012年・イギリス 監督/ハディ・ハジェイグ

出演/ショーン・ビーン/シャーロット・ランプリング

イギリスでのテロとの戦いをする秘密諜報部員の物語。敵側からすれば反対勢力の作った映画なら、それだけで十分内容にも疑う余地があることになってしまう。「神」と「天国」を錦の御旗にして人心を操る機関が一番問題なのだろうが、狭義で言えば教育のなれの果てがテロに結びついている。神も天国も残念ながら1個人のことなんかを見守ってくれていないということを教えなければならないのに。

『プロヴァンスの休日』(Avis de mistral)

2014年・フランス 監督/ローズ・ボッシュ

出演/ジャン・レノ/アンナ・ガリエナ/オーレ・アッティカ/ジャン=ミシェル・ノワリー

凡庸な映画だった。雰囲気はいいが、終始同じタッチで飽きが来る。パリからプロヴァンスに2か月の夏休みを過ごす3兄弟。日頃疎遠だった祖父母の元での生活は・・・・。ありきたりで・・・・。平凡なことが一番だが、それは実生活での話。映画の中ではいろいろな事件が起こってくれないと意味がない。

『ポイズンローズ』(The Poison Rose)

2019年・アメリカ 監督/ジョージ・ギャロ/フランチェスコ・チンクェマーニ

出演/ジョン・トラボルタ/モーガン・フリーマン/ブレンダン・フレイザー/ファムケ・ヤンセン

元アメリカン・フットボールのスターだった主人公は、今や私立探偵となって地元で依頼された案件を探索していた。ちょっと中途半端なストーリーと軽い流れに首を傾げながら観ていた。昔の栄光は昔のこと、映画の主人公も分かっていた。いつ迄たっても青春時代の思惑が人生を支えまた悩ましている。生きているのはホントに大変だなぁ~。世の中の悪事を一手に引き受けていい思いをして過ごすのもわるくないなぁ、と思える。

『レディ・ガイ』(The Assignment)

2016年・アメリカ/イギリス/カナダ 監督/ウォルター・ヒル

出演/ミシェル・ロドリゲス/トニー・シャルーブ/アンソニー・ラパーリア/シガニー・ウィーバー

性別適合手術で強制的に男から女にさせられた殺し屋の戦いを描いた異色のアクション映画。途中からこの映画を観たとしたら、何が何だかちっとも分からないだろう。貧乏人の性転換希望者に違法に施術していた執刀医が登場したりして、半分コメディタッチであるが殺し屋は平気で人を殺していく。女の容姿になってしまった殺し屋の男なんて言うのも文字だけ見ればコメディだが、実際の映画はもう少し迫力がある。名匠ウォルター・ヒルもこんな映画を撮るのかという驚き、脚本・原案も彼自身が担当しているらしく、さらに驚く。

『キッズ・オールライト』(The Kids Are All Right)

2010年・アメリカ 監督/リサ・チョロデンコ

出演/アネット・ベニング/ジュリアン・ムーア/マーク・ラファロ/ミア・ワシコウスカ

5人が夜の食卓を囲んでいる。二人の女性はゲイ(レズビアン)で結婚している。もうすぐ大学に進学予定の一人の女性は片方の女性の子供。その弟はもう一人の女性の子供。最後はこの二人のカップルに精子を提供した男性。という奇妙なファミリーは顔を合わせている。顔を合わせるまでにもひと悶着あった。顔を合わせてからもふた悶着問題が発生している。なかなか興味深い題材を映画化している。さすがにアメリカは進んでいるなぁ~。しかもこの映画が作られたのはもう12年前のこと。日本ではタブーな事柄も、アメリカは平気で先に進んでしまう。戦争に勝てるわけがない。

『ジェクシー! スマホを変えただけなのに』(Jexi)

2019年・アメリカ 監督/ジョン・ルーカス/スコット・ムーア

出演/アダム・ディヴァイン/アレクサンドラ・シップ/マイケル・ペーニャ/ローズ・バーン

スマホのAIが人格を持ったようにしつこく主人公にまとわりついて人生の方向さえ邪魔し始めた。スマホ依存症の若者たちが陥るような現象を映像で眺めることが出来る。今後スマホはどういう形で発展を続けて行くのだろうか?見ものだ!

『ドラグネット 正義一直線』(Dragnet)

1987年・アメリカ 監督/トム・マンキーウィッツ

出演/ダン・エイクロイド/トム・ハンクス/クリストファー・プラマー/ハリー・モーガン

1993年にエイズを取り扱ったシリアスなドラマ『フィラデルフィア』、そして1994年に『フォレスト・ガンプ/一期一会』で2年連続、アカデミー主演男優賞を受賞したトム・ハンクスだが、そのだいぶ前の出演作でまだまだひよっこという印象がある。日本とアメリカのコメディの違い、笑いの違いということを昔はよく考えさせられたが、現在地の日本のお笑いとアメリカのコメディとでは大きな差がついてしまったという気がする。

『ベイウォッチ - エクステンデッド・エディション』(Baywatch)

2017年・アメリカ 監督/セス ゴーラン

出演/ドウェイン ジョンソン/ザック エフロン/アレクサンドラ ダダリオ

フロリダのビーチで人々を守るため日々奮闘する水難監視救助隊「ベイウォッチ」、やっていることは真剣でも映画はコメディ。お茶らけないのがアメリカのコメディ、どう考えてもお笑いなのにストーリーは深刻な事件が間違いなく起こる。すべては人生さ、という感じか。

『ある過去の行方』(Le passe、The Past)

2013年・フランス/イタリア/イラン 監督/アスガー・ファルハディ

出演/ベレニス・ベジョ/タハール・ラヒム/アリ・モサファ

映画評論をプロとしている人たちが好みそうな映画。フランス人の女とは関わりたくないなぁ、と思わせる映画。男だって同じようなものだが、嘘を平気で付くのをはじめ所作が乱暴で自分勝手、独りよがりの考えを平気で他人に押し付けてくる。それでいて・・・・。

『サマリタン』(Samaritan)

2022年・アメリカ 監督/ジュリアス・エイヴァリー

出演/シルヴェスター・スタローン/ジャヴォン・“ワナ”・ウォルトン/マーティン・スター/ピルウ・アスベック

なんと2022年8月26日より、アメリカ・日本はじめ240を超える国と地域におけるAmazon Prime Videoで独占配信公開されたという。久しぶりのスーパーヒーロー映画ものだったが、話が古臭くてまさかこの夏に初公開とは思えなかった。スーパーヒーローはいつだって憧れの存在だが、今までのヒーロー像を踏襲していては受けないと思ったのかスーパーヒーローのダーク映画として評価されているという訳の分からない解説があった。あまり気持ちのいいスーパーヒーローではなかったことは確かだ。

『インディ・ジョーンズ レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(Raiders of the Lost Ark)

1981年・アメリカ 監督/スティーヴン・スピルバーグ

出演/ハリソン・フォード/カレン・アレン/ポール・フリーマン/ロナルド・レイシー

今日は2022年(令和4年)9月1日。リアルタイムで劇場に足を運んだ作品を見直してみようという気になった。キャパ1200や800なんていう映画館があったことが不思議な時代となってしまった。テアトル東京の一番前の席から見上げるようにスターウォーズのタイトルバックを観るのが良しとされていた時代が懐かしい。かなり新しさを感じた映画だという記憶が残っていたが、今の時代の映像を見慣れてしまうと、いろいろなところで技術の進歩があったんだという感じがする。時代というのはおもしろいし恐ろしい。何もしなくても、一所懸命に生きてきても、大きな世の中は何も変わらない。だったら何もしなければいいじゃん、と考える若者が多くなれば世の中が詰まってしまう。そんな感じの現代だろうか。

『プラスティック』(Plastic)

2014年・イギリス 監督/ジュリアン・ギルビー

出演/エド・スペリーアス/アルフィー・アレン/ウィル・ポールター/エマ・リグビー

実話に基づいた映画にしては4流過ぎる。カード詐欺のカードがプラスティックで出来ていることが原題の由来か?

『ハイジャック エピソード2: ファイナル・アプローチ』(FINAL APPROACH)

2022年・アメリカ 監督/アーマンド・マストロヤンニ

出演/アンソニー・マイケル・ホーン/ディーン・ケイン/リー・トンプソン

4流映画のハイジャンクものではよそ見しながら観るのが相応しい。

『デンジャラス・チェイス』(Abduction)

2019年・中国 監督/アーニー・バーバラッシュ

出演/スコット・アドキンス/アンディ・オン/リリー・ジー/トロン・グォク・アン

舞台はベトナムだが主人公は欧米人、映画製作資本は中国。三流映画と割り切ればそれなりに楽しめる。それ以上でもそれ以下でもない。

『ザ・スイッチ』(Freaky)

2020年・アメリカ 監督/クリストファー・B・ランドン

出演/ヴィンス・ヴォーン/キャスリン・ニュートン/ケイティ・フィナーラン/セレステ・オコナー

殺人鬼と女子高校生の心が入れ替わってしまった。日本なら「時をかける少女」とか言って綺麗な話に仕上げるような内容が、さすがアメリカ、むつけき中年男殺人鬼とかわいい女子高校生では三流映画の誹りを免れない。スリラーコメディというジャンルに分けられるようなストーリと映像を楽しませてもらった。

『7リミット・キルズ』(Psy 3: W imie zasad)

2020年・ポーランド 監督/ヴワディスワフ・パシコフスキ

出演/ボグスワフ・リンダ/マーチン・ドロチンスキー/ツェザーリ・パズーラ/ヤン・フリッシュ

何処の国のマフィアの話なのかなぁ、と不審に思いながら観続けていた。汚職警察官、警察全体が腐敗していては、正義感を発揮すればするほど自分の身に危険が迫ってくる。人間社会というのは、結局こういうものなんだろうという諦めが蠢いてくる。せめて自分の生きているうち、自分の身の回りに起こって欲しくない事実に心が痛む。

『エンド・オブ・ステイツ』(Angel Has Fallen)

2019年・アメリカ 監督/リック・ローマン・ウォー

出演/ジェラルド・バトラー/モーガン・フリーマン/ジェイダ・ピンケット=スミス/ランス・レディック

アメリカ大統領を護衛することを仕事としている主人公、副大統領の陰謀により大統領暗殺の濡れ衣を着せられるなんて、アメリカならではの映画だ。常に銃を敵に向けることを訓練されているアメリカ人は、怖い。「フリーズ!」と警察官が叫べば誰でも撃ち殺される可能性がある。価値観だけでは生きていけない人間社会の一端を観るようだ。

『キング・オブ・シーヴズ』(King of Thieves)

2018年・イギリス 監督/ジェームズ・マーシュ

出演/マイケル・ケイン/ジム・ブロードベント/トム・コートネイ/チャーリー・コックス

元々の盗っ人稼業の年寄りたちが、大金を狙って銀行強盗する話。お互いに信頼感のない仲間の寄せ集めは最初から最後まで罵り合いの連続で、どう考えても仕事が上手く行く訳がない。観客にも不信感が募るストーリーでは、おもしろいというより年寄りの醜さを見せつけられているような変な気分になってしまう。

『非情なつばさ』(BALADA O PILOTOVI)

2018年・チェコ 監督/ヤン・セベシュレブスキー

出演/ダヴィット・シュヴェフリーク/ルツィエ・ザツコヴァー/アントニエ・フォルマノヴァー

チェコのTV向け映画らしい。背景はドイツが降伏しヨーロッパにおける大戦は終結した後のチェコスロバキアということをようやく映画を観終わってから分かった。1945年は分かったが、一体どこで何が起こっているのかがイマイチどころかイマサンも理解できずに往生していた。自国民がDNAに従って理解できることでも外国人には理解できないことが多い。映画が国際的になれるはずなのに、そんなつもりが毛頭もなければガラパゴス映画になってしまうのだろう。日本映画のほとんどがそういう類、映像だけ観て楽しめる映画は優れた映画と言えるのだろう。

『警視ヴィスコンティ 黒の失踪』(Fleuve noir/Black Tide)

2018年・フランス/ベルギー 監督/エリック・ゾンカ

出演/ヴァンサン・カッセル/ロマン・デュリス/サンドリーヌ・キベルラン/エロディ・ブシェーズ

フランス・ベルギー風の刑事コロンボのお手並み拝見といった感じ。それにしてもちょっと酷いのは、アル中のような刑事コロンボでは興醒めする。失踪した息子の真相は永久に闇の中かと思えたが、勇気を出して語られる母親からの真相がショッキングだった。死んでも喋らない事柄に観客も心の整理がつかない。どう表現したらいいのだろうか、他人に説明すら出来そうもない事柄は、う~ん・・・・・。

『ステージ・マザー』(Stage Mother)

2020年・カナダ 監督/トム・フィッツジェラルド

出演/ジャッキー・ウィーヴァー/ルーシー・リュー/エイドリアン・グレニアー/マイア・テイラー

疎遠になっていた息子が亡くなった。息子は女となってゲイバーを経営していたが、母親はその経営権を何とかしてみようと息子の仲間たちに・・・・。今風の人間関係が痛い。理解しようと思っても、そう簡単にはいかない。親になれば分かること、世の中の価値観が大きく変わってしまった世界、これから生きていく人たちには苦難の連続が待っているようだ。

『フラッド』(Hard Rain)

1998年・アメリカ 監督/ミカエル・サロモン

出演/モーガン・フリーマン/クリスチャン・スレーター/ランディ・クエイド/ミニー・ドライヴァー

原題のような邦題は東宝東和のお得意とするところ。この時代まで同じような手法を使っていることが懐かしかった。[flood] ・ 1(川が氾濫して)(土地など)を水浸しにする;(川など)を氾濫させる ・ 2(人・物が)(場所)に殺到する,(光・音などが)(場所)にあふれる;。町が洪水に襲われるパニック・アクション。現金輸送車とそれを狙う泥棒たちが絡んで、まぁ飽きもせず頑張っているね。

『スパイ・ハンター』(Legacy)

2020年・アメリカ 監督/R・エリス・フレイザー

出演/ルーク・ゴス/ルイス・マンディロア/エリヤ・バスキン/ロベルト・"サンズ"・サッチェズ

自分が極悪非道人に強姦されて生まれて来たのだと知ったら・・・・。極悪非道人から遣わされたプロの殺し屋から逃れるアクションは、五流映画のつじつまの合わないストーリーを形成して楽しくしている。ちょっと救われる人間的な光景を作っているのは、製作者の良心かもしれない。

2022年8月14日の記録

2010年の5月頃に書き始まったこの記録が、12年と2か月経ってようやく鑑賞映画本数3,000本に達した。正確な数字ではないがだいたいこんなものだろう。一度観た映画を二度目観てもカウントはしていない。二度観たことを記録することもあれば、この頃のようにまったく無視してしまうこともある。3,000本というのは感慨深い数字である。

以前にも書いたが、映画を観る手段も一変した。レンタルDVDやテレビ放映録画が主だったものが、この頃ではほとんどが「アマゾン・プライム」の無料映画になっている。有料のアマゾン・プライムはせいぜい年に1回か2回だ。劇場映画が少ないのが欠点だが、映画だけではなくボクシングの世界タイトル戦の独占放送をやったりして、アマゾン・プライムもだいぶ頑張っているのが嬉しい。

名古屋市の名鉄本線高架事業にひっかかり引っ越ししなければいけないが、2024年になるかもしれない状況だ。その時には立ち退き費用を元に65インチの有機ELテレビを買って優雅に映画を観ようと算段しているが、それまで生きているのかどうかが問題だろう。う~ん!!!???

『ベスト・オブ・メン~人間の最高~』(The Best of Men)

2012年・イギリス 監督/ティム・ウィットビー

出演/ジョージ・マッケイ/ベベ・サンダース/リー・クイン/エディ・マーサン/ベン・オーウェン・ジョーンズ

ちらりと「パラリンピックの父」とかいう解説文が目に入って、観るのを躊躇ってしまった。性来の捻くれ根性がそうさせている。観てみると実に素直に一人の医者を描いていた。時は1944年、まだ戦争が終結していない、場所はイギリス、主人公はドイツ人の医者だった。患者を治療と称してベッドに縛り付けるだけの旧態依然としたイギリス人の権威ある医者との対比がおもしろい。合理性に富んだ柔らか頭のドイツ人医師が、車いすに乗った患者たちの全国大会を開催するに至る経緯が示唆に富んでいる。最高の人間ではなく、人間の最高という表現も・・・・。

『ウルフズ・コール』(Le chant du loup)

2019年・フランス 監督/アントナン・ボードリー

出演/フランソワ・シビル/オマール・シー/マチュー・カソヴィッツ/レダ・カテブ

1982年日本ヘラルド映画が配給した『U・ボート』(Das Boot)を彷彿とさせるような潜水艦アクションだった。経験をしたことのない潜水艦の中は、いつだって映像でしか想像できないが、それを実感できるほどの感性を備えていない者にとってはあくまでも想像の域に留まってしまうのが惜しい。天才的な耳を持つ乗組員をフィーチャーして船長や副船長、さらには核を発射したと思わせる疑似挑発、そして一度下された核発射の大統領令が取り消すことのできない状況を緊迫感をもって描いている。人間ぽい一面と非情な一面をフランス・エスプリを超越して訴えてくる。秀作かもしれない。

『激動の昭和史 軍閥』

1970年(昭和45年)・日本 監督/堀川弘通

出演/中村又五郎/小林桂樹/中谷一郎/垂水悟郎/睦五郎/藤岡重慶/三船敏郎/細川俊夫/三橋達也

戦争のことを親父から聞いてはいたが、もっと耳を傾ければよかったと。志願兵として高校を卒業してすぐに軍人になった親父、時代が個人も国もコントロールしていたのだろう。終戦ギリギリに中国から帰ってこられただけでもラッキーと言わざるを得ない。ラッキーではなかった数多くの日本人がいたことを忘れてはいけない。人間の命は不思議だ。今どきは親ガチャとか言って、自分の存在さえも茶化してしまう風潮が嘆かわしい。不思議な人間、地球、宇宙。

『ウォーク・トゥ・リメンバー』(A Walk To Remember)

2002年・アメリカ 監督/アダム・シャンクマン

出演/マンディ・ムーア/シェーン・ウェスト/ダリル・ハンナ/ピーター・コヨーテ

何も起こらない青春バカ映画かと思っていたら、後半になって突然核心を突く事実が判明した。この事実の現れ方がなかなかいい。不良仲間から抜け出してまっとうな大人になって行くのを手助けしたのは彼女の存在だった。男だって女だって相手に影響されて人生がいい方向に向けば、それこそ神のなせる業かもしれない。う~ん、自分の青春時代は?

『ラストレター』(Last Letter)

2020年(令和2年)・日本 監督/岩井俊二

出演/松たか子/広瀬すず/庵野秀明/森七菜/小室等/水越けいこ/木内みどり/鈴木慶一/豊川悦司/中山美穂/神木隆之介/福山雅治

ちょうど2時間の映画は長過ぎる。あと20分つまめれば、もっとしゃきっとした映画になるだろう。なんて評論家のような言い方になってしまう。内容は悪くなかったので、そういう印象が強い。甘酸っぱい青春時代、高校生時代の思い出を人生に引きずって生きている日本人が結構いるんだろう、なんてことを想像させるストーリーだった。甘酸っぱい!!

『ムーンフォール』(Moonfall)

2022年・アメリカ 監督/ローランド・エメリッヒ

出演/ハル・ベリー/パトリック・ウィルソン/ジョン・ブラッドリー/マイケル・ペーニャ

壮大なSFアドヴェンチャーだった。今年の映画だと知って驚いた。最近の映画公開からテレビ放映、DVD・Blu-ray発売、そしてamazonなどへの配信のプロテクト期間の規則はどうなっているのだろうか。映画館で観たら途中であくびが出そうな進行だが、辻褄の合わないシーンの連続もご愛嬌と思えるほどの発想豊かな映像には恐れ入る。月と地球がどういう成り立ちなのかを劇中で教えてくれる。奇想天外な話も、ただおもしろいだけではなく。

『ダブルブッキング 奇跡の出会い』(The Christmas Chalet)

2019年・カナダ 監督/ジェニファー・ギブソン

出演/エリカ・デュランス/ロビン・ダン/エルバ・マイ・フーバー/マイカ・カリッシュ

絵にかいたような恋愛映画のひとつ。時・場所・タイミングはちょっとなかったものかもしれない。クリスマスシーズンがテーマなので、真夏に観るのは。他人を好きになることはよく理解できる。すぐに飽きてしまうこともよく理解できる。それでも、飽きずに他人を好きになることを繰り返すのは人間の性だと理由づけているわけではないが。

『エメラルド・グリーン タイムトラベラーの系譜』(Smaragdgrun)

2016年・ドイツ 監督/フェリックス・フックシュタイナー/カタリーナ・シェード

出演/マリア・エーリック/ヴェロニカ・フェレ/ヤニス・ニーヴナー/カタリナ・タルバッハ

イギリスが得意な分野をドイツが製作している。イマイチ乗り切れないのには、どこか理由があるのだろうが。時空を超えてタイムスリップする話は大好きだと何度も言っている。心がウキウキするはずなのに、そこまで高揚させてくれないのは困る。絶対そんなことは出来るはずがないのだが、過去や未来に夢をはせるのは単なる夢想家だと決めつけられてしまうのだろうか。

『イントゥ・ザ・スカイ~気球で未来を変えたふたり~』(The Aeronauts)

2019年・イギリス/アメリカ 監督/トム・ハーパー

出演/フェリシティ・ジョーンズ/エディ・レッドメイン/フィービー・フォックス/ヒメーシュ・パテル

1903年12月17日米国でライト兄弟がライトフライヤー号による有人飛行に遡る、1862年9月5日にガス気球で高度1万1887mに達し、当時の最高高度到達記録を更新した事実に基づいて製作された作品。まだまだ科学が気象学の世界に入り込まない時代の先駆者となったようだ。日本では明治維新まであと5年という時代でもある。今のように情報が瞬時に世界を駆け巡る時ではないのに、地球上のあっちこっちで人間社会の革命的変化が巻き起こっている。おもしろいものだ。

『ラスト・バレット』(Cold Blood Legacy: La memoire du sang)

2019年・フランス/ウクライナ/ベルギー 監督/フレデリック・プティジャン

出演/ジャン・レノ/サラ・リンド/ジョー・アンダーソン/サマンサ・ボンド

アクション映画に分類されていたけれど、かなりおとなしめのアクション映画だった。完璧な殺し屋と自他ともに認める主人公が最後に自ら殺されるように仕向けたシーンがわざとらしいが、それ以上の描き方はなかったであろう。自分の最後を演出できる人間は凄い。凡人たちはすべて死ぬことすらコントロールできずに死んでいくのが常だから。

『オールド』(Old)

2021年・アメリカ 監督/M・ナイト・シャマラン

出演/ガエル・ガルシア・ベルナル/ヴィッキー・クリープス/ルーファス・シーウェル/アレックス・ウルフ

製薬会社が内緒に治験のために既往症のある人たちを平気で結果的に殺してしまうという恐ろしい話。何が何だか分からない展開、最後まで腑に落ちないストーリーは一流ではない映画の証のようだ。こんな映画を映画館にかけることが出来ても、間違っても当たるとは思えない。それにしても、製薬会社の横暴は今でもどこでも行われているのだろう。

『ミッドナイト・ガイズ』(Stand Up Guys)

2012年・アメリカ 監督/フィッシャー・スティーヴンス

出演/アル・パチーノ/クリストファー・ウォーケン/アラン・アーキン/ジュリアナ・マルグリーズ

28年の刑務所生活から帰還した元仲間たちとの他愛もない話。面白おかしく人生は過ぎていくらしい。こんな生活が出来れば人生は万々歳。そんな簡単に毎日が送れるとは思えないが。

『コーダ あいのうた』(CODA)

2021年・アメリカ/フランス/カナダ 監督/シアン・ヘダー

出演/エミリア・ジョーンズ/エウヘニオ・デルベス/トロイ・コッツァー/フェルディア・ウォルシュ=ピーロ

(バリアフリー日本語字幕版)という表示があった。[スマホを操作する音]とか[ドアを閉める音]とか、字幕に注釈が付いて聞こえない人にも理解できるようになっているのがバリアフリー字幕というらしい。家族の中で両親と兄は聾唖者で自分だけが聞こえる喋ることが出来る女子高校生。家族そのものはものすごく暖かくて熱いが、世間の目は不都合な真実だと目を背けられているのが痛ましい。

この話をどこかで観たことがあるなぁ~、とずーっと気になっていたが、2014年のフランス映画『エール!(LA FAMILLE BELIER/THE BELIER FAMILY)』のリメイクだということが分かった。このエール!を記憶に残る範囲で観ていたので、そう思えたのだろう。第94回(2022年)アカデミー賞では作品賞、脚色賞、助演男優賞の3部門でノミネートされ、すべてで受賞を果たした。こんなに近い期間でリメイクされた作品がアカデミー賞の対象になることに驚いたが、きっと作品が良ければそんな条件なんて何の意味もないということなのだろう。

原題のコーダ(CODA, Children of Deaf Adult/s)とは、きこえない・きこえにくい親をもつきこえる子どものことを指す。知らなかった。

『ブロンクス物語 愛につつまれた街』(A Bronx Tale)

1993年・アメリカ 監督/ロバート・デ・ニーロ

出演/ロバート・デ・ニーロ/リロ・ブランカート・ジュニア/チャズ・パルミンテリ/フランシス・キャプラ

1960年と1968年のアメリカ・ニューヨーク・ブロンクス地区での物語。バスの運転手の親父と地元のマフィアのボスの2人に育てられたようなものだった主人公の少年が大人になって行く様が。その少年の映画の最後の言葉がこれだ。二人に教えられたことがある。「愛は無条件であること」「人を受け入れること」「才能の無駄遣いほど悲しいことはない」 人生の様々な人間模様を生き生きと映し出して余りある。ロバート・デ・ニーロ監督&主演の素敵な映画だった。

『ゴッドファーザー(最終章):マイケル・コルレオーネの最期』(The Godfather: Part III)

2020年(1990年)・アメリカ 監督/フランシス フォード コッポラ

出演/アル パチーノ/ダイアン・キートン/アンディ・ガルシア/タリア・シャイア/ソフィア・コッポラ

コッポラ監督自身がオープニングシーンとラストシーンに手を加え、363箇所のシーンの配置変更をした再編集版。パチーノ、コッポラ監督による再編集版は娘ソフィアの名誉挽回のためなのではと明かす!『ゴッドファーザー Part III』には、マイケルの長女メアリーとして、コッポラ監督の娘ソフィア・コッポラが出演している。現在は映画監督として活躍している彼女は、女優としてのキャリアがないまま同作に助演女優として出演したことで、辛辣な批判にあってしまう。最終的に、ゴールデンラズベリー最低助演女優賞、最低新人賞をダブル受賞してしまう結果となった。

パチーノ、新しいオープニングシーンのおかげで“ピントが合った”と語る!「フランシスはオープニングシーンを変更し、マイケルがバチカンの大司教とビジネスを始める場面になった。そのシーンは35分から40分くらいで、以前のままでは、観賞する人々が、ごちゃごちゃとした中で迷子になっていたと思う。新しいバージョンでは、なぜかピントが合うように感じたよ。映画は魔法のようなもので、理解している人たちがクローズアップをカットしたり、シーンをトリミングしたりすることで、大きな違いを生み出すことができる。いつも驚かされるよ。」と語った。

「フランシスに再製作するチャンスがあってよかったし、ソフィアのパートをよりよくしてくれることを願っていた。私はあの子が大好きだし、当時は大したものだった。考えてもみてほしい。10代の子が自分の父親の映画に出演して酷評されたんだ。当時はインターネットがなかったけれど。本作で人々が彼女にまともに接して、もっと理解してくれることを願うよ。娘が傷ついてしまったことが、この度の再編集の、フランシスの本当の動機だったと思うよ。ずっとどうにかしたいと考えていて、やっと方法が見つかったんだ。」とパチーノは語った。
(BANGER!!! 映画評論・情報サイト より)

『靴ひも』(Laces)

2018年・イスラエル 監督/ヤコブ・ゴールドワッサー

出演/ネボ・キムヒ/ドヴ・グリックマン/エベリン・ハゴエル

後見人が必要かどうかを靴ひもを自分で結べるかどうかで判断される。発達障害という呼び方をして平気なくせに、「びっこ」や「つんぼ」そして「めくら」などを差別用語だと罵る社会構造は一体どうなっているのだろうか。ダメなものはダメとはっきり言ってあげないと、何でも許されるんだと勘違いする輩がうようよしてしまう今日この頃の日本である。

『ディナーラッシュ デジタルリマスター版』(Dinner Rush)

2000年・アメリカ 監督/ボブ・ジラルディ

出演/ダニー・アイエロ/エドアルド・バレリーニ/カーク・アセヴェド/ヴィヴィアン・ウー

ニューヨーク・トラベッカの実在する人気イタリアンレストラン“ジジーノ”が舞台。 様々な人間模様がうごめく街の、活気溢れる厨房と美味しい料理を楽しむ常連客や料理評論家も気づかぬ“ディナーラッシュ”の時間に、スリリングで痛快なサスペンスが幕を開けていた。(webより) 料理は美味そうだった。が、厨房で煙草を吸う料理人がいたり、その他もろもろ綺麗な環境ではないところで作られる料理に興味はない。一流の料理人ほど自分の厨房を完璧に綺麗に保つ。身近なデイサービスの料理人もそうだ。映画としてはかなりおもしろい。映画らしい映画とも言える。

『一分間タイムマシン』(One-Minute Time Machine)

2014年・アメリカ/イギリス 監督/Devon Avery

出演/ブライアン・ディーツェン/エリン・ヘイズ

なんと6分間の映画だった。奇を衒っているわけではない。タイムマシン機器のボタンを押すと、一分間だけ元に戻れる。何度も繰り返すことが出来る。人間は間違いを起こすのが当たり前。いつも戻れることが出来ても、何もいいことはないのかもしれない。「待った!」と将棋や碁の一手を待ってもらうのは素人芸。人間という人間のプロをやっている人たちには、待ったやタイムマシンはいらない。失敗は失敗でいい。それを乗り越えたり、失敗を許してくれる人と一緒に生きていけばいいのだ。でも、失敗はせいぜい3度まで。同じ失敗を繰り返しながら隣人に大迷惑をかけていれば、生きている資格さえ失っても当然。

『スパイ・ファミリー』(Scarlett)

2020年・アメリカ 監督/ジョン・ライド

出演/メラニー・ストーン/ブライアン・クラウス/ムサ・アデン/アイザック・エイカーズ

主人公の女性の名前が原題のスカーレット。秘密諜報員のようなオヤジに小さいころから仕込まれた武術や銃刀を使って活躍するのは娘。三流アクションかなと思って観ていたら、いつの間にか五流アクションへと移っていた。それなりに楽しいが、主役2人が著名な役者だったら、それだけで面白さが違ってくるような気がする。

『フロンティア』(Rubezh/FRONTIER)

2018年・ロシア 監督/ドミトリー・トリノ

出演/Kristina Brodskaya/Alexander Korshunov/エレナ・リャドワ/パヴェル・プリルチニー

レニングラード包囲戦にタイムスリップするたびに成長していく主人公がいた。ロシアの価値観が映画の中に投影されているような。戦うことと命と名誉に関して、ロシアが酷くかけ離れているわけではない。なのに、どうしようもない嘘つき癖は永遠に直りそうもない。

『偽りの関係』()

2015年・ドイツ 監督/Reinhold Bilgeri

出演/ヴォルフガング・ベック/トビアス・モレッティ/ペトラ・モルゼ

情報が極めて少ないのに驚く。原題すら分からなかった。Amazonの映画説明にはこんな記載があって映画を観ても終始訳が分からなかったことを象徴している。「裏の顔を警察は、恐ろしい計画を実行する犯罪の主犯格別実を隠しました。」(原文のまま)

『ザ・フィクサー(後編)』(The Fixer)

2015年・アメリカ 監督/ピーター・ハウイット

出演/エリック・デイン/キャスリーン・ロバートソン/アンドリュー・エアリー/カイル・スイッツァー

何故か「後編」だけがすぐ観られるようになっていたので、いつもの如くまぁいいかっ!と観始まった。辻褄の悪いことがたくさんあって、屁でもない映画だった。観終わった後調べていたら、「第一声は、長い!!ダラダラ続くのが、辛かった。」というコメントが見つかって、後編だけ観たのは正解だったんだ、とほくそ笑んだ。

『コリーニ事件』(Der Fall Collini)

2019年・ドイツ 監督/マルコ・クロイツパイントナー

出演/エリアス・ムバレク/フランコ・ネロ/アレクサンドラ・マリア・ララ/ハイナー・ラウターバッハ

観たことあるはずなのに記録がなかったので観始まった。時々、シーンを想い出すのは、やっぱり観た証拠だろう。ドイツの「ナチ」の爪痕は数多く映画になっている。100年経てば生き証人はようやくいなくなるが、何をどう裁こうが傷跡が癒えることもない。背負わされた十字架をどうい生かすのかが問題なのだろうが、アメリカと戦争をしたことすら知らない日本人よりはましにしても、同じような若い世代が教訓をしっかりと見つめ直せるとは到底思えない。人間の歴史は複雑すぎて。

『ブレイン・ゲーム』(Solace)

2016年・アメリカ 監督/アフォンソ・ポヤルト

出演/アンソニー・ホプキンス/ジェフリー・ディーン・モーガン/アビー・コーニッシュ/コリン・ファレル

先が読めるというか先が見えてしまう超能力者でFBIの協力者でもあった主人公。連続殺人の解明に立ち向かう先には同じような、彼以上の能力を持つ人間がいた。原題には慰めという意味があるらしい。主人公も娘を白血病で失っている過去があり、その時の思いが題名となっている。映画の中のキーワードでもある。

『復讐者』(RECOIL)

2011年・カナダ 監督/テリー・マイルズ

出演/スティーヴ・オースティン/ダニー・トレホ/セリンダ・スワン/キース・ジャーディン

復讐に燃える元警察官と悪玉軍団との戦いが強烈。男は強くなければ、と強く考えさせられる。映画の中の世界だけれど、やっぱり強く逞しい誰にも負けない肉体を持てたら、こんな素晴らしいことはない、と大半の男は思うことだろう。

『リーサル・コネクション』(The Mongolian Connection)

2019年・モンゴル 監督/ドリュー・トーマス

出演/カイウィ・ライマン/アマルサイハン・バルジニャム/サンザール・マディエフ/ザンドス・アイバソフ

アメリカはうだつの上がらないFBI、モンゴルは腐敗警察署、映画は5流アクションをふんだんに入れて詰まらないストーリーを展開していく。最後の何分間かは眠りに落ちたけれど、結末を見直そうという気にさせてくれなかった映画に万歳!

『グランド・ジャーニー』(Donne moi des ailes/Spread Your Wings)

2019年・フランス/ノルウェ- 監督/ニコラ・ヴァニエ

出演/ジャン=ポール・ルーヴ/メラニー・ドゥーテ/ルイ・バスケス/リル・フォッリ/ドミニク・ピノン

クリスチャンは風変わりな気象学者で、フランス・カマルグで雁の研究をしている。超軽量飛行機を使い、渡り鳥に安全なルートを教えるという、誰もが無茶だと呆れるプロジェクトに夢中だ。そんな変わり者の父親と大自然の中で過ごすバカンスなど、オンラインゲームに夢中な息子トマにとっては悪夢でしかない。Wi‐Fiも繋がらない田舎で暇を持て余したトマは、ある出来事をきっかけにその無謀なプロジェクトに協力することに…。(Filmarksより)
このストーリーが実話に基づいているというところがすごい。エンジンの付いたハングライダーの後をついて飛んでくる雁たちの姿が微笑ましい。

『幸せは、ここにある』(Here Today)

2021年・アメリカ 監督/ビリー・クリスタル

出演/ビリー・クリスタル/ティファニー・ハディッシュ/ペン・バッジリー/ローラ・ベナンティ

映画評論家たちの玄人享けする映画ではないようだが、私はこういう映画が大好きだ。ひとりでに出てくる涙を、敢えて拭おうともせずに観られる映画は最高だ。自分以外に一人でも家族と呼べる存在がある人なら、死ぬ前にこういう映画を観ておくべきだろう。『恋人たちの予感』(When Harry Met Sally.../1989年・日本ヘラルド映画)の時に覚えたビリー・クリスタルの顔と名前が、久しぶりに会ったスクリーンでも一目で分かったのには自分でも驚いた。監督をはじめ役者の顔と名前も一致しないことを自慢にしている自分にとっては極めて例外的なことだ。

『燃えよ剣』

2021年(令和3年)・日本 監督/原田眞人

出演/岡田准一/柴咲コウ/鈴木亮平/山田涼介/伊藤英明/尾上右近/山田裕貴/髙嶋政宏/柄本明/市村正親

言わずと知れた司馬遼太郎原作。先日観た「峠」に引き続き明治維新へと進む日本の夜明けを描いているが、こちらは「新選組」にスポットライトをあてたもの。映画としてはこちらの方がメリハリが効いていた。ただ、セリフの日本語が聞き取れない場合が多く、もともとの録音の問題なのか、テレビの音声の問題なのか、自分の耳の衰えの問題なのかと考え込んでしまったのが悔しい。

『Miss.エージェント』(The Serpent)

2021年・アメリカ 監督/ジア・スコバ

出演/トラヴィス・アーロン・ウェイド/マギー・ブジナ/クレイグ・コンウェイ/ジア・スコバ

まぁ、最初から最後まで4流映画を貫き通してごりっぱ!! たいして美しくもない主人公のアクションを観ていても、暑さ解消にはならないけれど、それなりにストーリーのある流れが邪魔になるわけでもない。う~ん、こういう映画を堂々と作れる環境を眺めてみたい。

『山猫は眠らない4 復活の銃弾』(Sniper: Reloaded)

2011年・アメリカ 監督/クラウディオ・ファエ

出演/チャド・マイケル・コリンズ/ビリー・ゼイン/リヒャルト・サメル/パトリック・リスター

1993年の1作目以来8作品まで行っているようだ。なかなか見応えがある。ここ12年間の私の視聴記録に跡は1作品もなかったが、最低でも1作品は観ているだろうと確信している。それでも、まったくその内容に覚えがないのが自分のいいところなので、まぁ仕方がないかとこうやって記録するだけ。

『Swallow/スワロウ』(Swallow)

2020年・アメリカ/フランス 監督/カーロ・ミラベラ=デイヴィス

出演/ヘイリー・ベネット/オースティン・ストウェル/エリザベス・マーヴェル/デヴィッド・ラッシュ

怖いですね~、こわいですねぇ~、Wikipediaにはスリラー映画と表記されていた。クリップ、石、砂、ボールペン、紙、小さなドライバー、なんてものまで飲んでしまう「異食症」という主人公の女性が怖いのだ。遠目に見れば何不自由ない仕合わせの極致にいるような新婚夫婦には、妻である主人公の誰にも言えない病が根付いていた。こわいですねぇ~!!

『人生、ここにあり!』(Si puo fare)

2008年・イタリア 監督/ジュリオ・マンフレドニア

出演/クラウディオ・ビシオ/アニタ・カプリオーリ/ジュゼッペ・バッティストン/ジョルジョ・コランジェリ

イタリア人のノー天気な楽天主義ではない、ある意味日本人よりも繊細な神経を久しぶりに味わいました。『人生は、奇跡の詩』(2005年・La tigre e la neve)というイタリア映画がその映画ですが、何とも表現しにくい人生の機微を感じられる映画です。
映画のセリフの中に「精神病患者な医者が創り出したものだ・・・」のような言いぐさがありました。心にグサッとくる言葉です。学問的または世の中の決まり事は、それを学べば一応は頭の中で理解することが出来る。ただ、地球上で生きている人たちひとりひとりにそのことを当てはめることが最も危険なことだということも理解できる。
この手の映画を観ている途中で思い出す夢の中のシーンがある。『ある病室で目の手術をした少女がベッドに座っている。看護師がいよいよ両目を覆っていた包帯を外す時が来た。あっと驚き観客が声を上げるのも無理はない。包帯を取られた少女の顔にはなんと目が3つ付いていたのだった。カメラがパーンするとそのベッドを囲む医者や看護師の目も3つであった。』 何が普通で何が普通でないかというテーマは人間社会に課せられた大きなテーマであろう。大原則としてさっきのシーンがいつも頭の片隅にひっついていて、もう何十年も経とうとしている。
【人生、ここにあり!】は40年前を描いた映画で、イタリアでの実話を基にして作られているが、今の日本には全くこの現実にさえ追いつけない環境しかないように思える。イタリア語の原題(Si Puo Fare)を翻訳機にかけると「それができる」と訳が出てくる。題名の付け方ひとつにも、前を向いて人生を歩む国民性が現れていると思わざるを得ない。「3つ目」という大きな価値観と、誰とも同じではないはずの個人という人間の人生を、自然体で受け入れられる大きな社会環境が求められるこれからの地球価値観だろう。

『こんにちは、私のお母さん』(Hi, MOM)

2021年・中国 監督/ジア・リン

出演/ジア・リン/チャン・シャオフェイ/シャエン・トン/チェン・フー

ヘラルド出身で今も小さな配給会社を営んでいる知人から「サンプル版DVD」を貰ったので観た。普段は意図的に中国映画・韓国映画を観ないことを是としているが、自分にとっては意識して許可をするしかない。おもしろいことは確かだったが、受け取るときにコメディだが最後は号泣するよと言われたことが気になっていた。しかも号泣すると言われてもそれを上回ること必至だと聞かされて、元来のへそ曲がり体質がそうさせなかったのかもしれない。映画は自分の心がその映画に没入しなければ、琴線を動かすことは出来ない。おそらくかの知人は、本人と母親との間に誰も干渉出来ない何事かがあったからこその言葉ではなかったろうかと推察した。

『峠 最後のサムライ』

2022年(令和4年)・日本 監督/小泉堯史

出演/役所広司/松たか子/香川京子/田中泯/東出昌大/芳根京子/榎木孝明/佐々木蔵之介/井川比佐志/山本學/吉岡秀隆/仲代達矢

今日は2022年(令和4年)6月17日(金)。なにしろ本を読まない自分が唯一嵌ったのが司馬遼太郎だった。最初の本は「竜馬が行く」、単行本を毎日買ってきて1冊読み終わるまで毎日のように読み耽った。それ以来司馬遼太郎の本だけは何冊も読むことになった。不思議な感覚だったが、人生にはそんな時期もあるのだろうと、深く考えずに今に至っている。本を好きになったということではなかったらしいことは、彼の本以外をこの歳になるまで、ほとんどといっていいくらい読んでいないことからも分かる。司馬遼太郎の中でもこの「峠」に出てくる河合継之助にいたく傾倒した。その生きざまが目の前で人生の手本のように生き生きしていた。  だから今回のロードショーを知ったときに一目散に映画館に足を運んだのだった。7、8年ぶりだろうか? 映画館で映画を観るのは! 毎日のように Amazon Prime で映画を人一倍観ているが、ほとんどが洋画ばっかりだ。時々観る日本映画は、相変わらずちんたらとしている。製作本数が増えたって、みんなコメディーの出来損ないのような内容で反吐が出てしまう。さてさて、封切り日の朝一番で観た映画はどうだったのだろうか。「物足んねぇな!」という言葉を吐きながら映画館を出て行った一人の老人がいた。その通りだ。

『トゥモロー・ウォー』(The Tomorrow War)

2021年・アメリカ 監督/クリス・マッケイ

出演/クリス・プラット/イヴォンヌ・ストラホフスキー/ベティ・ギルピン/J・K・シモンズ

舞台は2022年、30年後から来た人間が今の地球人に助けを求める。ちょっと無理のあるSFに飽きが来て眠ってしまった。それ以上でも、それ以下でもない。

『キーパー ある兵士の奇跡』(The Keeper)

2019年・イギリス/ドイツ 監督/マルクス・H・ローゼンミュラー

出演/ダフィット・クロス/フレイア・メイヴァー/ジョン・ヘンショウ/ハリー・メリング

元ドイツ兵の身分からマンチェスター・シティFCのサッカー選手に転身し、その後イギリスの国民的英雄となったバート・トラウトマンの実話を基にしている。一兵卒なら誰でも加害者になってしまう運命は悲劇としか言いようがない。意図的に加害者の、しかもトップにあたる人物は歴史をも書き換えてしまう悪魔のような存在だろう。げに憎っくきはプーチン。

『ニューヨーク 親切なロシア料理店』(The Kindness of Strangers)

2019年・カナダ/スウェーデン/デンマーク/ドイツ/フランス 監督/ロネ・シェルフィグ

出演/ゾーイ・カザン/アンドレア・ライズボロー/タハール・ラヒム/ビル・ナイ

ニューヨークでの話なのに、何故かアメリカ以外の5か国が製作国となっている。ニューヨーク・マンハッタンの老舗ロシア料理店を舞台に、そこに集まった訳ありの男女が互いに助け合って支え合うさまが羨ましい。いつも思うことだが、アメリカ人たちは子供の頃から教えられたDNAが他人を支える人生を送っている。キリスト教の教えなのだろうか。はっきりとは分からないが、きっとそうなのだろうと想像している。仏教だって教えに変わりはないだろうが、理屈をこねて他人に親切にしている風な日本的美徳は、どうにもやりきれない。アメリカ人になりたいわけではない。他人が同じドアを入ろうとしていたら、まったく自然にドアを開けて待っている欧米人の姿に、それまで感じたことのない劣等感を抱いた若いころを時々思い出すのだ。

『ヒトラーに盗られたうさぎ』(When Hitler Stole Pink Rabbit)

2019年・ドイツ 監督/カロリーヌ・リンク

出演/リーヴァ・クリマロフスキ/オリヴァー・マスッチ/カーラ・ジュリ

1933年2月、新聞やラジオでヒトラーへの痛烈な批判を展開していた辛口演劇批評家だった父はユダヤ人であったため、“次の選挙でヒトラーが勝ったらヒトラー反対者への粛清が始まる”という忠告を受けていた。スイスからフランス・パリへ、そしてイギリス・ロンドンへの逃避行は子供たちの生活に大きな影響を・・・。生きているだけでも儲けものというその後の世界を考えれば、何ともかける言葉もない。言葉も分からない新しい生活を繰り返す二人の子供たち。ウクライナの避難民たちも同じように苦労しているのだろうな~。親切な周りの人たちが見守ってくれるだろう今の日本なら、心配しないで成長して欲しい、と。

『顔のないヒトラーたち』(Im Labyrinth des Schweigens)

2014年・ドイツ 監督/ジュリオ・リッチャレッリ

出演/アレクサンダー・フェーリング/フリーデリーケ・ベヒト/アンドレ・シマンスキ

フランクフルトを舞台に、ナチスドイツによるホロコーストに関わった収容所の幹部を戦後ドイツ人自身によって裁いた1963年のフランクフルト・アウシュビッツ裁判開廷までの道のりを、フィクションを交えつつ事実に基づいて描いた人間ドラマである。(Wikipediaより) 原題を翻訳機にかけたら「沈黙の迷路の中で」と出て来た。う~ん!考えさせられる。

『罪と女王』(Dronningen)

2019年・デンマーク/スウェーデン 監督/マイ・エル=トーキー

出演/トリーヌ・ディルホム/グスタフ・リンド/マグヌス・クレッペル/スティーヌ・ギルデンケアネ

デンマークのアカデミー賞に当たるロバート賞で、作品賞、監督賞、主演女優賞など主要計9部門を受賞している他、数々の映画賞を受賞していると言うが、かなりエロチックで問題作のような様相を呈しているだけの作品に見えた。ちょっと難しそうなテーマや解釈を提供すると映画通はいい映画だと断言する悪い癖がある。残念ながら面白くない暗い映画だと私は断言する。

『メン・イン・ブラック:インターナショナル』(Men in Black: International)

2019年・アメリカ 監督/F・ゲイリー・グレイ

出演/クリス・ヘムズワース/テッサ・トンプソン/リーアム・ニーソン/エマ・トンプソン

1作目から22年が経過し、前作とは監督や主人公が入れ替わったシリーズ4作目となるという。おちゃらけた作品は健在で、こういうのを面白がる人種はきっと新人類なのだろう。おふざけもいい加減にしないと、映画としての「品格」が失せてしまう。そんなものはいらないとばかりに、無茶苦茶な発想がちょっと。

『女王トミュリス 史上最強の戦士』(Tomiris)

2019年・カザフスタン 監督/アカン・サタイェフ

出演/アルミラ・ターシン/アディル・アフメトフ/エルケブラン・ダイロフ/ハッサン・マスード

紀元前550年頃の中央アジアの草原、壮大な戦の物語を史家の語りと共に映像化されている。柴咲コウに似た主人公の女王が逞しい。それにしても敵か味方か分からない戦には問題がある。黒澤明監督の「乱」などに見られるはっきりとした敵味方の色分けは、こういう映画の見本になったはずだが、しっかりと学ばれていないのが残念だ。なかなか見応えのある戦乱の時代映画だった。

『ターミネーター:新起動/ジェニシス』(Terminator Genisys)

2015年・アメリカ 監督/アラン・テイラー

出演/アーノルド・シュワルツェネッガー/ジェイソン・クラーク/エミリア・クラーク/ジェイ・コートニー/J・K・シモンズ

タイムスリップが複雑過ぎて私には理解できないうちに物語が進行していく。頭のいい人は時間軸だの空間軸だのと難しい概念で人生を送っているのだろうか。殺しても殺しても死なない相手では、興味が薄れてきてしまう。ターミネーター・シリーズはこれ1本で十分かもしれない。少なくとも私と同じような種族にとっては。

『ロボコップ』(RoboCop)

1987年・アメリカ 監督/ポール・バーホーベン

出演/ピーター・ウェラー/ナンシー・アレン/ロニー・コックス/カートウッド・スミス

我が映画界人生で最高の時期だったが、この映画を観ていなかった。もっとも、いつも言っているように現役時代にはほとんど映画なるものを観ていなかったので、そのうちの1本だとしてもこの手の映画には興味を示さなかったことが、後々にもすぐにこの映画を観なかったという現実となった。それでもこの10年間でもうすぐ3,000本の映画鑑賞となることに安堵に浸れるのには複雑な心境がある。

『あなたを見送る7日間』(This Is Where I Leave You)

2014年・アメリカ 監督/ショーン・レヴィ

出演/ジェイソン・ベイトマン/ティナ・フェイ/ジェーン・フォンダ/アダム・ドライバー

亡くなった父の遺言ということで、ユダヤ教の「シヴァ」という7日間を母と子供たち4人が過ごす。弔問客がひっきりなしにこの7日間訪れる。人間にはそれぞれ予測のつかない不合理で複雑な事情がある。「恋人たちの予感」のような洒落たセリフの応酬にちょっと気持ちが弾んでしまった。でもこの映画は日本での劇場未公開だった。淡い洒落た映画はまだまだ日本では一般受けしないようだ。「シバの女王」今やスタンダード楽曲のようなこの曲名を想い出した。

『さがす』

2022年(令和4年)・日本 監督/片山慎三

出演/佐藤二朗/伊東蒼/清水尋也/森田望智/石井正太朗/松岡依都美/成嶋瞳子/品川徹

極めてつまらない映画だった。おぞましいシーンも結構あり、なんでこんな映画をわざわざ作るんだろうと、人生のはかなさを強く感じた。つまらない。

『天外者』

2020年(令和2年)・日本 監督/田中光敏

出演/三浦春馬/三浦翔平/西川貴教/森永悠希/森川葵/迫田孝也/榎木孝明/筒井真理子/かたせ梨乃/蓮佛美沙子/生瀬勝久

天外者(てんがらもん)とは、鹿児島の方言で「すごい才能の持ち主」を意味するという。三浦春馬最後の作品になってしまった。五代友厚という人物像を語ることは難しそうだ。日本を大きく変えたそして日本の礎を創った人物であったことは間違いない。

『テイクバック』(Daughter of the Wolf)

2019年・カナダ 監督/デヴィッド・ハックル

出演/ジーナ・カラーノ/ブレンダン・フェア/アントン・ギリス=アデルマン/サイデル・ノエル

おぞましい映画だった。元軍人の母親のタフネスぶりが光っている。子供のためなら何でもする・・・・、親の心子知らずという構図は世界共通。

『ビルとテッドの時空旅行 音楽で世界を救え!』(Bill & Ted Face the Music)

2020年・アメリカ 監督/ディーン・パリソット

出演/キアヌ・リーブス/アレックス・ウィンター/サマラ・ウィーヴィング/ブリジット・ランディ=ペイン

ここまでぶっ飛んでると何も文句が言えない。キアヌ・リーブスがこういうコメディに出るとは驚き。音楽で世界を一つにとは、今風な物語にも見える。ロックスターにあこがれる高校生のビルとテッドが時空を超えた冒険を繰り広げる姿を描いたSFコメディ映画のシリーズの第3作で、前作『ビルとテッドの地獄旅行』から29年ぶりの新作、という説明があった。

『星から来たあなた』 シーズン1・エピソード1~10

2022年(令和4年)・日本 監督/松木創

出演/福士蒼汰/山本美月/出口夏希/工藤阿須加/福原遥/木南晴夏/今井/光石研/板尾創路/大友花恋/水沢林太郎/出口夏希

もともとの原作、作品も韓国発らしい。エピソード1話が45分程度で10話あるから7時間半くらいを一気に観てしまった。そこまでおもしろいからと言う訳ではないが、観始まると止めるのが難しい。SFものだから観られたのかもしれない。全体で半分くらいの長さで充分だろうと感じた。長い物語をただぶつぶつと切って見せるのは不本意。1話1話に強弱をつけたエピソードが隠されていなければ、おもしろいという評価には値しない。アメリカのテレビシリーズの充実度には遠く及ばない。残念。

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』(No Time to Die)

2021年・アメリカ 監督/キャリー・ジョージ・フクナガ

出演/ダニエル・クレイグ/ラミ・マレック/レア・セドゥ/ラシャーナ・リンチ/ベン・ウィショー

007シリーズのファンではないが、観ておくべき映画として全作品を観ていると思う。Amazonで宣伝をしていたが最新作が無料で観られるとは知らなかった。他人に言われてそれじゃ、とさっそく観たわけだが、こんなに子供騙しで荒唐無稽な映画だとは思わなかった。ボンド・ガールも今回は美人じゃないし、なんか飽き飽きしながら2時間40分を観終わった。

『グッバイ、リチャード!』(The Professor、別題:Richard Says Goodbye)

2019年・アメリカ 監督/ウェイン・ロバーツ

出演/ジョニー・デップ/ローズマリー・デウィット/オデッサ・ヤング/ダニー・ヒューストン

末期の肺がんと余命宣告6か月を受けた主人公の大学教授の姿。自暴自棄のように見える最後の教壇生活が、すーっとこちらには届いてこない。よく見えない映画だった。

『パスワード:家』(H0us3)

2018年・スペイン 監督/マノロ・ムンギア

出演/ミリアム・トルトーサ/Mariona Tena/ベルナト・メストレ/アンナ・バートラン/ビクトル・ゴメス

コンピューター用語の会話が羅列されて、私程度の者にはギリギリの内容だった。コンピューター世界の未来の一端を見せられたような気分にもなった。

『G.I.ジョー バック2リベンジ』(G.I. Joe: Retaliation)

2013年・アメリカ 監督/ジョン・M・チュウ

出演/ドウェイン・ジョンソン/ブルース・ウィリス/チャニング・テイタム/イ・ビョンホン

アクションの連続で反吐が出るほどだが、まずまずおもしろい。核を使って世界を自分のものにしようなんて、プーチンはこの映画に感化されたのじゃないかと思えてくる。

『カリフォルニア・ダウン』(San Andreas)

2015年・アメリカ 監督/ブラッド・ペイトン

出演/ドウェイン・ジョンソン/カーラ・グギノ/アレクサンドラ・ダダリオ/ヨアン・グリフィズ

原題の“San Andreas”はカリフォルニア州ほぼ全域を南北に縦走するサンアンドレアス断層。地震パニック物語だった。経験者には直視出来ないだろう映像が続く。未経験者にもショックな映像だった。

『ファーザー・フィギュア』(Father Figures)

2017年・アメリカ 監督/ローレンス・シャー

出演/オーウェン・ウィルソン/エド・ヘルムズ/グレン・クローズ/J・K・シモンズ

おちゃらけた映画なのに役者がちゃんとしている。双子の兄弟が自分の父親を探す旅に出た。実は母親も違っていたという結末までの心温まる映画と言いたいのだが・・・。

『真珠の耳飾りの少女』(Girl with a Pearl Earring)

2003年・イギリス/ルクセンブルク 監督/ピーター・ウェーバー

出演/コリン・ファース/スカーレット・ヨハンソン/トム・ウィルキンソン/キリアン・マーフィー

オランダの画家ヨハネス・フェルメールが描いた1枚の絵画の成り立ちが楽しい。1665年頃の社会にはパワハラ、セクハラ、モラハラとあらゆるハラスメントが。そんな被害者である主人公の下働き女性がモデルとして描かれていく。絵画のような映像がユニーク、スカーレット・ヨハンソンが絵画の一部に見えてくる。

『カジノ・ハウス』(The House)

2017年・アメリカ 監督/アンドリュー・ジェイ・コーエン

出演/ウィル・フェレル/エイミー・ポーラー/ジェイソン・マンツォーカス/ライアン・シンプキンス

ヒット作を出し続けているコーエン兄弟とは関係がないようだ。お茶らけ映画の典型、アメリカ映画は懐が深い。さすがに日本での劇場公開は出来なかったようだ。

『下町任侠伝 鷹』

2020年(令和2年)・日本 監督/浅生マサヒロ

出演/原田龍二/野村祐人/階戸瑠李/山本竜二/小柳心/水元秀次郎/上西雄大/中山こころ/関根大学/成瀬正孝/ガッツ石松/菅田俊/中野英雄

東映Vシネマのようなものだった。V・パラダイスと称しているらしい。1時間ちょっとで気楽に観られるシリーズなのだろう。もう「4」まで行っているらしい。

『ヒトラーを殺し、その後ビッグフットを殺した男』(The Man Who Killed Hitler and Then The Bigfoot)

2018年・アメリカ 監督/Robert D. Krzykowski

出演/サム・エリオット/エイダン・ターナー/ロン・リヴィングストン/ショーン・ブリジャース

B級、C級映画と平気で罵っている観客がたくさんいそうだ。それでもいい、映画はおもしろいことが肝心で、ひたすらバカみたいな動作やギャグでお笑いをとろうとする日本的お笑いなんかお笑い草だ。

『ゴーストシップ』(Ghost Ship)

2002年・アメリカ 監督/スティーヴ・ベック

出演/ジュリアナ・マルグリーズ/ガブリエル・バーン/ロン・エルダード/デズモンド・ハリントン

こわいですね~!怖いですね~!!幽霊なんて本当はいないんだと思っている人も怖い夢を見そうな・・・・。

『激流』(THE RIVER WILD)

1995年・アメリカ 監督/カーティス・ハンソン

出演/メリル・ストリープ/ケヴィン・ベーコン/デヴィッド・ストラザーン/ジョセフ・マッゼロ

話の進まないスリラーは、現実にもある事象と同じで待つだけで疲れがたまる。

『スリー・ジャスティス 孤高のアウトロー』(The Kid)

2019年・アメリカ 監督/ヴィンセント・ドノフリオ

出演/イーサン・ホーク/デイン・デハーン/ジェイク・シュア/レイラ・ジョージ

『ビリー・ザ・キッド 孤高のアウトロー』というタイトルでwowow放送されたらしい。もう一組の姉弟の物語かな、と思わせておいて実は違っていたのか。

『20センチュリー・ウーマン』(20th Century Women)

2016年・アメリカ 監督/マイク・ミルズ

出演/アネット・ベニング/グレタ・ガーウィグ/エル・ファニング/ルーカス・ジェイド・ズマン

1900年代を生きた女性の物語。母親となり難しい年ごろの息子とのやり取りがおもしろい。おもしろいだけでは生きてはいけないのが人生だし、楽しまなければ何の意味もない人生ともいえる。

『エマージェンシー 見知らぬ2人』(The Surface)

2014年・アメリカ 監督/ギル・ケイツ・ジュニア

出演/ショーン・アスティン/ミミ・ロジャース/クリス・マルケイ/ジョン・エミット・トレーシー

希望を失くした青年が偶然に出会った人との会話劇。舞台は故障したボートの上。おもいあたるような、あたらないような。

『劇場版シグナル 長期未解決事件捜査班』

2021年(令和3年)・日本 監督/内片輝/鈴木浩介

出演/坂口健太郎/北村一輝/吉瀬美智子/木村祐一/池田鉄洋/青野楓/神尾楓珠/甲本雅裕/渡部篤郎

テレビ放映作品の録画を観るのは極く偶に。ストーリーはおもしろい。日本の警察ものは、拳銃の使用が適切だった、とか警察からのメッセージが出る現実に比べてドンパチが非現実的で興醒めの見本。

『ブラインド 朗読する女』(Blind)

2017年・アメリカ 監督/マイケル・メイラー

出演/アレック・ボールドウィン/デミ・ムーア/ディラン・マクダーモット/ヴィヴァ・ビアンカ

久しぶりに素敵な映画に出逢った。素敵な映画というよりは、素敵な二人に出逢ったと言った方が正しいだろう。生きていたって何も生かせない残りの人生を悔やむだけか。

『オールド・ナイブス』(All the Old Knives)

2022年・アメリカ 監督/ヤヌス・メッツ

出演/クリス・パイン/タンディ・ニュートン/ローレンス・フィッシュバーン/ジョナサン・プライス

CIAの恋人同士の邂逅録とでも言えるような会話劇。相変わらず理解がなかなか出来ない人間関係と事件関係、おもしろいのだろうけれどその面白さを理解できない凡人には退屈な映画に映った。

『ナイト・ウォッチャー』(The Night Clerk)

2020年・アメリカ 監督/マイケル・クリストファー

出演/タイ・シェリダン/アナ・デ・アルマス/ジョン・レグイザモ/ヘレン・ハント

字幕に「コミュ障」という言葉が出て来た。現実社会に生きていないうちに、数々の新しい言葉が氾濫してきてとてもじゃないけれど追いつけない。自閉症スペクトラムなんて何のことだかわからない、とすぐに諦めてしまう。

『Mr.ノーバディ』(Nobody)

2021年・アメリカ 監督/イリヤ・ナイシュラー

出演/ボブ・オデンカーク/コニー・ニールセン/RZA/クリストファー・ロイド/アレクセイ・セレブリャコフ

平凡で何者でもない存在(ノーバディ)として妻子と暮らしていた中年男の正義感が凄い。生身で戦う男の中の男のように見える。憧れる。

『ライリー・ノース -復讐の女神-』(Peppermint)

2018年・アメリカ 監督/ピエール・モレル

出演/ジェニファー・ガーナー/ジョン・オーティス/ジョン・ギャラガー・Jr/フアン・パブロ・ラバ

この手の復讐物は大好きだ。何があっても暴力はいけないとかいう正義漢には分からない人生だろう。一人を殺したら殺人だが、戦場で大勢を殺せば勲章ものと同じことがこの復讐劇の本質だ。

『総理の夫』

2021年(令和3年)・日本 監督/河合勇人

出演/田中圭/中谷美紀/貫地谷しほり/工藤阿須加/松井愛莉/木下ほうか/長田成哉/関口まなと/米本学仁/国広富之

セクハラ発覚で俳優を辞めるまでになっている役者が出ていた。中谷美紀はちょっと歳をとったかな。かなり甘めの設定がコメディ映画にもならない雰囲気を。

『見えない目撃者』

2019年(令和元年)・日本 監督/森淳一

出演/吉岡里帆/高杉真宙/大倉孝二/浅香航大/酒向芳/松大航也/國村隼/渡辺大知/栁俊太郎/松田美由紀

陳腐な設定がストーリーを台無しにしている。せっかく面白い話が展開しているのに、随所随所にあり得ないセリフや声出しがあり、興味が薄れていくミステリー。

『底知れぬ愛の闇』(Deep Water)

2022年・アメリカ/オーストラリア 監督/エイドリアン・ライン

出演/ベン・アフレック/アナ・デ・アルマス/レイチェル・ブランチャード/トレイシー・レッツ

ヘラルド配給「ナインハーフ」の監督。まだ活躍しているんだ。邦題がね~!!?? 色情狂のような若く美しい妻を持っては、他人に危害を与える行動も止む無しか。

『ライブリポート』(Line of Duty)

2019年・イギリス/アメリカ 監督/スティーヴン・C・ミラー

出演/ディナ・メイヤー/アーロン・エッカート/ジャンカルロ・エスポジート/コートニー・イートン

SNSでライブ中継をしながら若い女性が一人の警官の捜査を追っかけている。その行動力は日本人には無理だろう。ストーリーはなかなかだが、あり得ないアクションにおもわず笑い・・・

『ダブル 別人の夫』(The Wrong Husband)

2019年・アメリカ 監督/ベン・メイヤーソン

出演/シャーロット・グラハム/リック・コスネット/ソフィア・マットソン/ケイルブ・ロング

双子の人生は双子でない人には推し量れない奇妙な人生がたくさん詰まっているのだろうと想像する。ましてや貧困家庭に育ち、一人は裕福な家にもらわれて、一人は犯罪社会へと没落していくなんて。

『葡萄畑に帰ろう』(The Chair)

2017年・ジョージア 監督/エルダル・シェンゲラヤ

出演/ニカ・タバゼ/ニネリ・チャンクベタゼ/ケティ・アサティアニ/ナタリア・ジュゲリ

ジョージア発の映画は初めてかもしれない。残念ながら中途半端な政治風刺とコメディがよく伝わってこない。最後まで何とか観ることが出来ただけでもよしとしよう。

『あしたのパスタはアルデンテ』(Mine vaganti、Loose Cannons)

2010年・イタリア 監督/フェルザン・オズペテク

出演/リッカルド・スカマルチョ/ニコール・グリマウド/アレッサンドロ・プレツィオージ/エンニオ・ファンタスティキーニ

イタリア映画は時々人生の佳きことを教えてくれる。パスタ製造会社を経営している家族、跡継ぎの男二人がゲイだと告白した。祖母の結婚式での出来事から映画は始まる。「人生の舞台は無限なの」「すべてがまた巡る」という祖母の遺言に心が揺れる。イタリア語の原題を翻訳したら「ゆるい大砲」と表示された。

『修道士は沈黙する』(Le confessioni)

2016年・フランス/イタリア 監督/ロベルト・アンド

出演/トニ・セルヴィッロ/ダニエル・オートゥイユ/コニー・ニールセン/マリ=ジョゼ・クローズ

観終わっていない。いつもの如く細切れに観ていて、最後の20分を観ようとしたら、昨日まで無料だったのに急に有料に変わっていた。Amazonプライム恐るべし。せっかくのミステリーは解決しないうちに露と消えた。

『ローマに消えた男』(Viva la liberta)

2015年・イタリア 監督/ロベルト・アンド

出演/トニ・セルヴィッロ/ヴァレリオ・マスタンドレア/ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ/ミケーラ・チェスコン

双子がやむにやまれず別人格を演じたらおもしろいことになる。双子でなくとも、まったく違う人生が送れたらこんな楽しいことはないだろう。

『エール!』(La famille Belier)

2014年・フランス 監督/エリック・ラルティゴ

出演/カリン・ヴィアール/ルアンヌ・エメラ/フランソワ・ダミアン/エリック・エルモスニーノ

フランスの田舎町、農家を営む家庭、中学生の主人公以外は母も父も弟も話せないし聞こえない。フランス風エスプリで話が展開していく。パリの音楽学校のオーディションを受けることになった主人公だが・・・。

『再会の夏』(Le Collier Rouge/The Red Collar)

2018年・フランス/ベルギー 監督/ジャン・ベッケル

出演/フランソワ・クリュゼ/ニコラ・デュヴォシェル/ソフィー・ベルベーク

1919年、第一次世界大戦終戦後の平和が訪れたばかりのフランスの片田舎。戦争の英雄であるはずの主人公が、人気のない留置所で頑なに黙秘を続けている。対峙して語り合うことの大切さが身に染みる。

『君の名前で僕を呼んで』(Call Me By Your Name)

2017年・アメリカ/ブラジル/イタリア/フランス 監督/ルカ・グァダニーノ

出演/アーミー・ハマー/ティモシー・シャラメ/マイケル・スタールバーグ/アミラ・カサール

1983年夏、北イタリアのとある避暑地。17歳のイタリア人と考古学教授の父の助手として来た24歳のアメリカの大学院生とのひと夏の「ゲイ」の話だった。素敵な関係ですねと言えるほど寛大な心にはなっていないけれど、とんでもないと言えるほどの若き未熟な思いを今もまとっているわけでもない。

『ノーザン・ソウル』(Northern Soul)

2014年・イギリス 監督/エレイン・コンスタンチン

出演/アントニア・トーマス/スティーヴ・クーガン/ジャック・ゴードン/クリスチャン・マッケイ

1974年イギルス北部の町バーンズワース、高校生にとっては糞みたいな田舎町での生活に我慢ならなくなった。ソウル・ミュージックと「クスリ」は今でもセットである種の人生を破壊している。EP盤と単純なステップがダンスホールに踊る。懐かしい時代だと言ってしまえれば、それ以上のなにものでもない。

『シルヴィ ~恋のメロディ~』(Sylvie's Love)

2020年・アメリカ 監督/ユージン・アッシュ

出演/テッサ・トンプソン/ンナムディ・アサマア/アヤ・ナオミ・キング/ライアン・ミシェル・ベイズ

黒人のミュージシャンの地味な恋愛映画だった。地味なというのは、真面目なという言葉に置き換えてもいい。ささやかながら他人を思い図って生きていくことが大切だと、何度も教えられる。

『わが名はキケロ ナチス最悪のスパイ』(Cicero)

2019年・トルコ 監督/セルダル・アカル

出演/エルダル・ベシクチオール/ブルジュ・ビリジック/エルタン・サバン/ムラート・ガリバガオグル

第二次世界大戦中の最も有名なスパイの1人だという。通称キケロ、実話を基にドイツ、英国、トルコの三つ巴の中を生き抜いた物語。ノルマンディ上陸作戦の偽情報をドイツに渡したという。どこまで本当かは分からない。

『しあわせのカップケーキ』(AN HOUR BEHIND)

2017年・アメリカ 監督/ブライアン・ブラフ

出演/エミリー・ローズ/バリー・ワトソン/アレサンドラ・ダラム/ケイシー・エリオット

軽い恋愛ものは気楽だ。気持ちが若くても、実際の年齢を考えると哀しくなる。まだまだ気持ちだけは若いが、やっぱり気持ちだけでは・・・・。

『闇の処刑人 ザ・ショットガン』(Hollow Point)

2019年・アメリカ 監督/ダニエル・ジリーリ

出演/ルーク・ゴス/デュラン・ジェイ/ジュジュ・チャン/ジェイ・モーア

自警団なんてもんじゃない良質人間グループが悪を成敗する。やり過ぎたってその方がいい。生きている必要のない人間どもを成敗するのは気持ちいいい。

『ジェーン・ドウの解剖』(The Autopsy of Jane Doe)

2016年・アメリカ 監督/アンドレ・ウーヴレダル

出演/エミール・ハーシュ/ブライアン・コックス/オフィリア・ラヴィボンド

怖いですね~、怖いですね-、アメリカのバージニア州の田舎町で息子のオースティンと共に遺体安置所と火葬場を経営し、検死官もつとめる主人公、遺体解剖が結構リアルで作りものと分かっていても気持ち悪い。こういうのには極めて弱い。

『ANON アノン』(Anon)

2018年・ドイツ/イギリス/アメリカ 監督/アンドリュー・ニコル

出演/クライヴ・オーウェン/アマンダ・サイフリッド/コルム・フィオール/デビット・ストーチ

アノニマス(Anonymous)が原題の由来。超近未来の人間プロファイリング、匿名プロキシーなどとIT用語満載で何が何だか意味不明。面白いようなおもしろくないような。

『チア・アップ!』(Poms)

2019年・アメリカ 監督/ザラ・ヘイズ

出演/ダイアン・キートン/ジャッキー・ウィーヴァー/リー・パールマン/パム・グリア

ゴルフ場が3つ、ボウリング場が2つ、室内プール、屋外プールを有する高齢者向けのコミュニティに引っ越してきた主人公。平均年齢70歳以上のチアリーディングチームを組んで面白おかしく毎日が始まる。アメリカのリタイア施設はケタが違う。

『JOLT/ジョルト』(Jolt)

2021年・アメリカ 監督/Tanya Wexler

出演/ケイト・ベッキンセイル/ボビー・カナヴェイル/ラバーン・コックス/スタンリー・トゥッチ

キレると制御不可能になる女性、しかも腕力も男勝りではどうしようもない。シリーズになるような終わり方も、また。

『ティント・ブラス 背徳小説』(L'Uomo che Guarda The Voyeur/Le Voyeur)

1994年・イタリア 監督/ティント・ブラス

出演/フランチェスコ・カセール/カタリナ・ヴァシリッサ/フランコ・ブランチャローリ

聞いたことのあるような監督の名前。日本ヘラルド映画配給「カリギュラ」(Caligula・1980年)を監督したのも彼だった。懐かしさ溢れるが、この映画はほとんどポルノ映画。

『バスルーム 裸の2日間』(MADRID, 1987)

2011年・スペイン 監督/デヴィッド・トルエバ

出演/マリア・バルベルデ/ホセ・サクリスタン

ポルノ映画のような邦題だが、もちろん残念ながらポルノ映画ではなかった。確かに初老の男とまだ大学生の若い女性が裸でバスルームで対峙している。小さな事件だが・・・・。

『ターゲット・イン・NY』(FIVE MINARETS IN NEW YORK)

2010年・アメリカ/トルコ 監督/マフスン・クルムズギュル

出演/ハルク・ビルギナー/マフスン・クルムズギュル/ムスタファ・サンダル/ジーナ・ガーション

イスラム教徒はいい人なんだという喧伝映画か? 宗教がらみと因果関係と分からないことばかりの映画で困った。宗教アクション映画だろうか?

『ダブル-完全犯罪-』(Deception)

2012年・アメリカ 監督/ブライアン・トレンチャード=スミス

出演/キューバ・グッディング・Jr/エマニュエル・ヴォージエ/エヴァート・マックィーン

アメリカのFBI捜査官とアメリカの雑誌記者がオーストラリアで事件を解決する。軽くて余計な埋め込みもないすっきりした映画だった。

『盗まれたカラヴァッジョ』(Una storia senza nome/The Stolen Caravaggio)

2018年・イタリア/フランス 監督/ロベルト・アンド

出演/ミカエラ・ラマツォッティ/アレッサンドロ・ガスマン/イエジー・スコリモフスキ/ラウラ・モランテ

イタリアの種馬根性とフランスのエスプリが合体したミステリー。面白いっちゃ面白いが・・・・。

『心と体と』(Testrol es lelekrol/On Body and Soul)

2018年・ハンガリー 監督/イルディコー・エニェディ

出演/アレクサンドラ・ボルベーイ/ゲーザ・モルチャーニ/レーカ・テンキ/エルヴィン・ナジ

お国が変われば表現方法も違ってくる。摩訶不思議な感覚で映画を見つめていた。

『ポルトの恋人たち 時の記憶』(Lovers on Borders)

年・日本/ポルトガル/アメリカ 監督/舩橋淳

出演/柄本佑/アナ・モレイラ/アントニオ・ドゥランエス/中野裕太/ミゲル・モンテイロ

18世紀のポルトガルと21世紀の日本で起こった事象を時の記憶というカテゴリーで描くのには無理がある。駄作。もったい付けてはいるが、所詮は力のない脚本と監督、そして役者。

『ジョナサン -ふたつの顔の男-』(Jonathan)

2018年・アメリカ 監督/ビル・オリヴァー

出演/アンセル・エルゴート/パトリシア・クラークソン/スキ・ウォーターハウス/マット・ボマー

昼と夜で12時間ずつ人格が切り替わるように設定された二重人格の青年が主人公。一人が二人の人生を歩んでいる。そんな馬鹿なことはないだろうと一般的には思えるが・・・。

『ホテル・ムンバイ』(Hotel Mumbai)

2018年・オーストラリア/インド/アメリカ 監督/アンソニー・マラス

出演/デーヴ・パテール/アーミー・ハマー/ナザニン・ボニアディ/ティルダ・コブハム=ハーヴェイ

2008年に起きたムンバイ同時多発テロ、タージマハル・ホテルに閉じ込められ人質となった500人以上の宿泊客と、プロとしての誇りをかけて彼らを救おうとしたホテルマンたちの姿。事実は小説より奇なりだが、映画としてはイマイチ。

『ハクソー・リッジ』(Hacksaw Ridge)

2016年・アメリカ 監督/メル・ギブソン

出演/アンドリュー・ガーフィールド/サム・ワーシントン/ルーク・ブレイシー/テリーサ・パーマー

沖縄戦の実話だった。銃を持たない衛生兵になる前半がひとつの山場で涙する。弱虫と思われていた主人公がひとりで75人もの負傷兵を助けるくだりがまた泣ける。日本兵が殺されるシーンを観たくないというよりは、このアメリカ衛生兵の命を助けたいという衝動にかられる。

『僕を育ててくれたテンダー・バー』(The Tender Bar)

2021年・アメリカ 監督/ジョージ・クルーニー

出演/ベン・アフレック/タイ・シェリダン/Daniel Ranieri/リリー・レイブ/クリストファー・ロイド

自分の生まれ育ったルーツのようなものを自覚している人は人生の愉しさが増すだろうな~、と強く思う。

2022年1月10日の記録

おはなの流派は3,000以上あるといわれている。どんな分野でもこの3,000という数字はひとつの指針になるような気がしていた。映画を観た記録を始めてこの4月には満12年が過ぎるようだ。今年中にこの作品数が3,000になるかもしれない、という事実に我ながら感動している。学生時代から映画の本数を観ていない。現役の映画マンになったときにもほとんど本数を稼げなかったというのは、どういう理由によるものなのだろうか? 語るときがあれば、誰かに話しておきたいような話題でもある。

現役を卒業してからの映画の楽しみ方には何の制約もない嬉しい環境ばかりだ。レンタルDVDから録画機によるテレビ放映作品、そして今ではアマゾン・プライムの無料映画鑑賞がほとんどというように変化してきた。映画を観る機器だって32インチから40インチへ、そして今や50インチの液晶テレビへと世の中の機械類の進歩を追いかけるような軌跡を辿っている。DVD録画機は使わなくなってから、先日試したら映像が出てこなくなっていた。せっかく初めて買った「ベビメタ」のロンドン公演レーザーディスクも見られなかった。機械が故障したのかはたまたほかの原因なのかは分かっていない。

今住んでいる名古屋市南区呼続1-1-19は名鉄本線「呼続駅」の隣にある。数年前からこの本線の高架事業が知らされていたが、ようやく土地買収が本格化し先日は名古屋市の調査員が部屋に上がり込んで寸法を測ったり写真を撮ったりしていった。実際の立ち退き、引っ越しは2023年になるということだが、その時には65インチの有機ELテレビにしようかと思惑が膨らんできた。何がしかの立ち退き料を頂けるということなので、そんなことを考え始まったわけだが、取らぬ狸の何とかになるような気がするのも、いつものことなのだろう。この頃思うことは、あと何年生きるのだろうかということ。せっかく映画人を経験した身としては、より大きなスクリーンで映画を観ていたいという希望が膨らんできたのだ。今頃になって、と知っている人たちからは責められそうだが、実現するのかその前にこの世におさらばするのかは実際微妙なところだろうと。

『マスター・プラン』(THE MASTER PLAN)

2014年・スウェーデン 監督/アラン・ダルボルグ

出演/シーモン・J・ベリエル/アレクサンダー・カリム/トーケル・ペターソン/スザンヌ・トーソン

スウェーデンの映画製作力は力がある。お金もかけている。多少の辻褄なんて合わせなくても良い、と、どんどんとストーリーを進行させて行く。

『特捜部Q Pからのメッセージ』(Flaskepost fra P)

2016年・スウェーデン/デンマーク/ドイツ/ノルウェー 監督/ハンス・ペテル・モランド

出演/ニコライ・リー・コス/ファレス・ファレス/ポール・スヴェーレ・ハーゲン/ソーレン・ピルマーク

このシリーズはおもしろい。アメリカ映画には結構きついセンサーがあって、残虐シーンはそれなりに映し出されないが、このヨーロッパ連合製作映画には平気で血なまぐさいシーンが登場して驚いてしまう。

『蜘蛛の巣を払う女』(The Girl in the Spider's Web)

2018年・アメリカ/スウェーデン/カナダ/ドイツ/イギルス 監督/フェデ・アルバレス

出演/クレア・フォイ/スヴェリル・グドナソン/ラキース・スタンフィールド/シルヴィア・フークス

主人公は、背中にドラゴンのタトゥーを背負う天才的なコンピューター・ハッカー女性。スパイやサイバー犯罪者、腐敗した政府などの蜘蛛の巣のように絡み合う事件に立ち向かうアクション・ミステリーがおもしろい。

『ロスト・シティZ 失われた黄金都市』(The Lost City of Z)

2016年・アメリカ 監督/ジェームズ・グレイ

出演/チャーリー・ハナム/ロバート・パティンソンシ/エナ・ミラー/トム・ホランド/エドワード・アシュレイ

第一次世界大戦頃のイギリスの軍人で冒険家のはなし。未開の土地に赴いて新しい発見をするのがこんなに持て囃されたとは! 夢のある未来がいつもあれば、人間の精神は成長し続けるのだろう。

『ファイナル・プラン』(Honest Thief)

2020年・アメリカ 監督/マーク・ウィリアムズ

出演/リーアム・ニーソン/ケイト・ウォルシュ/ジェイ・コートニー/ジェフリー・ドノヴァン

警察&警察官にぐるになられたら、どんな人間だって罪を着せられる。身内にやさしい(甘い)警察の体質は、日本だって例外ではない。飛び込んできた白バイにぶつかられてしまった路線バスの運転手が、あの手この手の捏造証拠で有罪になった話は有名だ。

『ブレスレット 鏡の中の私』(La fille au bracelet/The Girl with a Bracelet)

2019年・フランス/ベルギー 監督/ステファン・ドゥムースティエ

出演/ロシュディ・ゼム/メリッサ・ゲール/アナイス・ドゥムースティエ/キアラ・マストロヤンニ

親友を殺した疑いで裁判にかけられる少女、裁判所の中でのシーンがほとんど。有罪なのか無罪なのかを問われてはいない観客。自分の娘ながら、その生活を初めて聞く事実が・・・・。

『アイ・アム・ニューマン 新しい人生の見つけ方』(Arthur Newman)

2012年・アメリカ 監督/ダンテ・アリオラ

出演/コリン・ファース/エミリー・ブラント/クリスティン・レーマン/アン・ヘッシュ

人生のしがらみはそう簡単に切れるものではない。自殺を装って新しい人生を始めようとしたって、なかなか望む境地に行くことは出来ないのかもしれない。

『レッド・ドラゴン』(Red Dragon)

2002年・アメリカ/ドイツ 監督/ブレット・ラトナー

出演/アンソニー・ホプキンス/エドワード・ノートン/レイフ・ファインズ/ハーヴェイ・カイテル/エミリー・ワトソン

あの『羊たちの沈黙』の前哨戦。怖い。

『ロビンソン漂流記』(THE ADVENTURES OF ROBINSON CRUSOE)

1954年・メキシコ 監督/ルイス・ブニュエル

出演/ダン・オハーリヒー/ジェイミー・フェルナンデス

今日は、令和四年(2022年)元旦。あのロビンソン・クルーソーのお話。今どきは彼の名前を聴くこともなくなった。流れ着いた島で28年も生活していたなんて、今の人間では到底出来ないだろう。

『否定と肯定』(Denial)

2016年・イギリス/アメリカ 監督/ミック・ジャクソン

出演/レイチェル・ワイズ/トム・ウィルキンソン/ティモシー・スポール/アンドリュー・スコット

これもアウシュビッツもの。アウシュビッツなんてなかったと主張する「歴史家」が自分を非難する歴史家に裁判を起こした。コロナの件も然り、頭の悪い輩が自分の言っていることがいかに愚かなことかさえわからず世界に生きている。

『エスケープ・フロム・アウシュヴィッツ 命がけの脱走』(The Escape from Auschwitz)

2020年・イギリス 監督/テリー・リー・コッカー

出演/エリオット・ケーブル/Paul Joseph Bonnici/アレックス・リース/David Winfield/Joe Stock

時々はこういう深刻な内容の映画を観る必要がある。このアウシュビッツものは画面も内容もひたすら暗くて、観ることそのものが試練のように思えた。

『おとなの恋の測り方』(Un homme a la hauteur/Up for Love)

2016年・フランス 監督/ローラン・ティラール

出演/ジャン・デュジャルダン/ヴィルジニー・エフィラ/セドリック・カーン/ステファニー・パパニアン

フランス女性として普通に背の高い弁護士と136cmと40cm背が低いだけのフランス人のりっぱな男性との恋物語。他人の見る目がいかに差別的なのかを目の当たりにして、ちょっとばかり考えさせられる。それにしても、自分のことを差しおいて他人に対する心の闇は酷いもんだと嘆くことが出来るようになってきた。

『世界にひとつのロマンティック』(Accidental Love)

2015年・アメリカ 監督/デヴィッド・O・ラッセル

出演/ジェイク・ギレンホール/ジェシカ・ビール/ジェームズ・マースデン/キャサリン・キーナー

こんな陳腐な邦題を付ける配給会社はどこなのだろうか。欧米のコメディは楽しい。意味のないことを叫んで笑わそうとするだけの日本のお笑いは、ホントにお笑い草だ。

『ガラスの城の約束』(The Glass Castle)

2017年・アメリカ 監督/デスティン・ダニエル・クレットン

出演/ブリー・ラーソン/ウディ・ハレルソン/ナオミ・ワッツ/マックス・グリーンフィールド

子供の成長は心も身体も親や環境によって大きく左右されるはずだが、どんなにひどい環境でも逞しくまた優しく大人になっていく人たちもたくさんいるらしい。

『キャッシュトラック』(Wrath of Man)

2021年・アメリカ/イギリス 監督/ガイ・リッチー

出演/ジェイソン・ステイサム/ホルト・マッキャラニー/ジェフリー・ドノヴァン/ジョシュ・ハートネット

めちゃめちゃ強い奴が目の前で子供を殺されてしまったら、もう復讐の鬼と化するしか生きる理由はない。

『ジュディ 虹の彼方に』(Judy)

2019年・イギリス/アメリカ 監督/ルパート・グールド

出演/レネー・ゼルウィガー/ルーファス・シーウェル/マイケル・ガンボン/フィン・ウィットロック

最晩年のジュディ・ガーランド、彼女の知られざる苦悩、子供たちへの深い愛情、1968年ジュディはロンドンで5週間にも及ぶ連続ライブを敢行した。半年後47歳の若さで死んでしまった歌姫だった。ちょうど昨夜神田沙也加が急逝したという報が駆け巡った。有名人の2世ながら期待に応える活躍をしていたと思われるが、人知れず深い苦悩があったのだろうか。

『マイル22』(Mile 22)

2018年・アメリカ 監督/ピーター・バーグ

出演/マーク・ウォールバーグ/イコ・ウワイス/ジョン・マルコヴィッチ/ローレン・コーハン

展開が激し過ぎてついていけない。ひとつの筋書きに余計な紆余曲線を追加して観客をわざと理解不能にしているように見える。邪道な描き方だ。

『レッド・ドーン』(RED DAWN)

2012年・アメリカ 監督/ダン・ブラッドリー

出演/クリス・ヘムズワース/ジョシュ・ペック/ジョシュ・ハッチャーソン/エイドリアンヌ・パリッキ

空一面に戦闘機とパラシュートが襲来した。北朝鮮がアメリカを攻撃してきたらしい。四流映画はそこそこに行かない。いっそ五流映画に成り下がってしまえば、そこそこ面白いのに。

『正しい距離』(La giusta distanza/The Right Distance)

2007年・イタリア 監督/カルロ・マッツァクラティ

出演/ドリアーナ・レオンデフ/クラウディオ・ピエルサンティ/カルロ・マッツァクラティ/マルコ・パテネッロ

イタリアの小さな村、事件が起こるまでが長過ぎて、それまでの話が本筋だったのか、事件が本筋だったのかが分からない。イタリアのペーソスが残ってはいるが、アフリカ、アラブからの移民が多くなった昨今、文化も風習も世界規模で変革を遂げつつある。

『アンディ・ガルシア 沈黙の行方』(THE UNSAID)

2001年・アメリカ 監督/トム・マクローリン

出演/アンディ・ガルシア/ヴィンセント・カーシーザー/リンダ・カーデリーニ/オーガスト・シェレンバーグ

心理学では救えない人間の心のはずなのに、幻想に紛れて助かる人も少しはいるのかもしれない。

『モデル・シチズン 忍び寄る魔の手』(Model Citizen)

2019年・アメリカ 監督/マーク・ギャント

出演/キャシー・ハワース/ショーン・パイフロム/ケビン・フォンテイン/マリー・ワゲンマン

今日は、2021年12月13日(月曜日)。誘拐事件の三流映画の典型。三流映画には三流映画の原因があるんだよと言われてもねぇ~。

『パパが遺した物語』(Fathers and Daughters)

2015年・アメリカ/イタリア 監督/ガブリエレ・ムッチーノ

出演/ラッセル・クロウ/アマンダ・セイフライド/アーロン・ポール/ダイアン・クルーガー

交通事故で母を亡くし、それ以来著名な作家の父と過ごした幼少期のトラウマが厳しい。同乗者だった妻を失った作家の父の苦悩が幼い少女の心の中に棲みついてしまったのだろうか。この映画を観た人同士なら、人生を語り合うことが出来るかもしれない。

『アメイジング・ジャーニー 神の小屋より』(The Shack)

2017年・アメリカ 監督/スチュアート・ヘイゼルダイン

出演/サム・ワーシントン/オクタヴィア・スペンサー/グラハム・グリーン/ラダ・ミッチェル/すみれ

少女誘拐事件かと思いきや「神との対話」「禅問答」といった内容だった。結構重いがなかなか。キリスト教の布教映画と見る人もいるかもしれない。

『フランス外人部隊 アルジェリアの戦狼たち』(Simon: An English Legionnaire)

2002年・イギリス 脚本/ウィリアム・M・エイカーズ

出演/ポール・フォックス/トム・ハーディ/ケイト・メイバリー/アイトール・メリノ

フランス外人部隊に入ったイギリス人が主人公。日本の二等兵物語のような教官や先輩のいじめが不思議に映った。軍隊生活なんて、とてもじゃないけど耐えられないだろうな~。

『スクランブル』(Overdrive)

2017年・フランス 監督/アントニオ・ネグレ

出演/アナ・デ・アルマス/スコット・イーストウッド/ゲイア・ウェイス/フレディー・ソープ

「アル・カポネが銃撃用に改造した車」などの高級クラシックカー専門の窃盗団アクション映画。今どきは車になんかちっとも興味のない若者ばかりでは、こんな映画も流行らないだろう。それにしても酷い邦題にあきれ返る。

『パーフェクト・センス』(Perfect Sense)

2011年・イギリス 監督/デヴィッド・マッケンジー

出演/ユアン・マクレガー/エヴァ・グリーン/ユエン・ブレムナー/スティーヴン・ディレイン

観始まって半分くらいになってからやめてしまうのは極偶にしかない。5分もしないで観終わってしまうのは年がら年中。情報がない分、確率が悪い。今の時代を醸し出すような感染病の話だった。臭覚から味覚もなくなって世界は荒れていった。気持ち悪くなるような映像にちょっと。

『ヴェノム』(Venom)

2018年・アメリカ 監督/ルーベン・フライシャー

出演/トム・ハーディ/ミシェル・ウィリアムズ/リズ・アーメッド/スコット・ヘイズ

世界的な流行病は歴史の繰り返しなのか、未来への序章なのか? 映画で繰り返される異星人の来襲は、予告編なのかもう現実の一端なのか? アメリカの漫画とは馬鹿に出来ない末恐ろしさがある。

『アメリカン・バーニング』(American Pastoral)

2016年・アメリカ/香港 監督/ユアン・マクレガー

出演/ユアン・マクレガー/ジェニファー・コネリー/ダコタ・ファニング/ピーター・リーガート

「反戦」「革命」とかいう文字がはびこっていた時代、そんな活動に傾倒していった若者の両親は、本人以上の苦悩ある人生と向き合わなければなかった。ひとつの人生と言ってしまえない、人間の本質を問われる状態に誰が耐えられるだろうか。

『デンジャー・クロース 極限着弾』(Danger Close: The Battle of Long Tan)

2019年・オーストラリア 監督/クリフ・ステンダーズ

出演/トラヴィス・フィメル/リチャード・ロクスバーグ/ルーク・ブレイシー/ダニエル・ウェバー

ベトナム戦争時の1966年8月、南ベトナムの農園地帯・ロングタンでオーストラリア軍108人が南ベトナム解放民族戦線の2000人と対峙した「ロングタンの戦い」を描いた作品。

『ザ・クーリエ』(The Courier)

2020年・イギリス/アメリカ 監督/ザカリー・アドラー

出演/オルガ・キュリレンコ/ゲイリー・オールドマン/アミット・シャー/ウィリアム・モーズリー

配達人は元女兵士。それにしても強過ぎる主人公にはもう笑うしかない。ちょっと乱暴なアクション映画。

『戦う翼』(The War Lover)

1962年・イギリス/アメリカ 監督/フィリップ・リーコック

出演/スティーヴ・マックィーン/ロバート・ワグナー/シャーリー・アン・フィールド/マイケル・クロフォード

1943年イギリス、アメリカの戦闘機乗りたちのものがたり。戦争ものは、もうコメントを書く気力がわいてこなくなった。恋物語があることが救われる。

『クリスマス・カンパニー』(Santa & Cie/Christmas & Co.)

2017年・フランス/ベルギー 監督/アラン・シャバ

出演/アラン・シャバ/ゴルシフテ・ファラハニ/ピオ・マルマイ/オドレイ・トトゥ

引き続き早目のクリスマス気分。フランス風の独特なエスプリ溢れるサンタクロース物語に苦笑しながら。外国人は素直にクリスマス・ストーリーを描くことが本質なんだ、と。

『サンタクロースになった少年』(Christmas Story)

2007年・フィンランド 監督/ヨハ・ウリオキ

出演/ハヌ・ペッカ・ビョルクマン/カリ・ヴァーナネン/ミナ・ハップキラ/ミッコ・レッピランピ

1985年スーパーマン・チームが作った『サンタクロース』をヘラルドが配給した。ようやく出来上がった作品を誰かがいち早く観なければならないと、ロンドンに一人旅した記憶が蘇る。内容的には今回の映画の方がはるかに素敵だ。絵本を観ているような気にさせられる。日本語版にして大きなスクリーンで親子に観てもらいたい映画だ。

『アンハサウェイ 裸の天使』(HAVOC)

2005年・アメリカ 監督/バーバラ・コップル

出演/アン・ハサウェイ/ビジュー・フィリップス/フレディ・ロドリゲス/シリ・アップルビー

「HAVOC」とは、(自然力・暴動などの)(めちゃめちゃな)破壊、大荒れ、大混乱 という意味らしい。アン・ハサウェイがプリンセスのイメージが定着し、理想の役が得られずに低迷していた時代の大失敗作だろう。

『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』(Les traducteurs/The Translators)

2019年・フランス 監督/レジス・ロワンサル

出演/ランベール・ウィルソン/オルガ・キュリレンコ/アレックス・ロウザー/シセ・バベット・クヌッセン

映画らしくて映画らしい映画を観た。『9人の翻訳家』だけで充分な邦題。こんなつまらない副題を付ける配給会社はくそくらえだ。

『バイス』(Vice)

2018年・アメリカ 監督/アダム・マッケイ

出演/クリスチャン・ベール/エイミー・アダムス/スティーヴ・カレル/サム・ロックウェル

第43代アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュの下で副大統領を務め、「史上最強の副大統領」「影の大統領」と評され、「史上最悪の副大統領」とも呼ばれたディック・チェイニーを描いている。ダイナミックなアメリカ合衆国の政治舞台は日本なんか足下にも及ばない。

『プライベート・ウォー』(A Private War)

2018年・アメリカ 監督/マシュー・ハイネマン

出演/マリー・ブレナー/リー・ブロダ/ベス・コノ/ジェイソン・レズニック

2012年にシリアで取材中に死亡した戦場記者メリー・コルヴィンを描いている。ヘラヘラとテレビに出ている軟弱従軍記者もどきとは雲泥の差がある。久しぶりにハードな内容に圧倒された。

『ナイト・ガーディアンズ』(Nochnye strazhi/Guardians of the Night/Night Guards)

2016年・ロシア 監督/エミリス・ベリビス

出演/イワン・ヤンコフスキー/レオニド・ヤルモルニク/ルボフ・アクショノーヴァ

ロシア製偽物アクション・魔王伝説的ストーリー。こういう映画を観終わるには時間がかかるけれど、満足感は一切なく疲労だけが蓄積される。

『ルビイ』(キング・ヴィダー)

1952年・アメリカ 監督/キング・ヴィダー

出演/ジェニファー・ジョーンズ/チャールトン・ヘストン/カール・マルデン/ジョセフィン・ハッチンソン

恋多きジャジャウマ娘が周りの人の誤解を受けながらも健気に生きていく姿が哀しい。

『Mr.&Ms.スティーラー』(Lying and Stealing)

2019年・アメリカ 監督/マット・アセルトン

出演/テオ・ジェームズ/エミリー・ラタコウスキー/フレッド・メラメッド/エボン・モス=バクラック

途中でかなりの時間を眠ってしまった。泥棒成金の超出来損ないのような映画みたいな気がした。ほとんど観ていないけど。

『リズム・セクション』(The Rhythm Section)

22019年・イギリス/アメリカ/スペイン 監督/リード・モラノ

出演/ブレイク・ライヴリー/ジュード・ロウ/スターリング・K・ブラウン/リチャード・ブレイク

ど素人が殺し屋になっても面白くない。ちょっと無理があると、映画に惹かれなくなってくる。

『メリッサ・マッカーシーinザ・ボス 世界で一番お金が好き!』(The Boss)

2016年・アメリカ 監督/ベン・ファルコーン

出演/メリッサ・マッカーシー/クリステン・ベル/ピーター・ディンクレイジ/エラ・アンダーソン

こんなハチャメチャな映画を観ていると、自分の小ささが馬鹿らしくて仕方がなくなる。

『5パーセントの奇跡 嘘から始まる素敵な人生』(My Blind Date with Life)

2017年・ドイツ 監督/マルク・ローテムント

出演/コスティア・ウルマン/ヤコブ・マッチェンツ/アンナ・マリア・ミューエ/ニラム・ファルーク

嘘から始まっても、最後には嘘を明らかにしなければ人生は始まらない。

『ジョン・ウィック:チャプター2』(John Wick: Chapter 2)

2017年・アメリカ 監督/チャド・スタエルスキ

出演/キアヌ・リーブス/コモン/ローレンス・フィッシュバーン/リッカルド・スカマルチョ

ジョン・ウィックはすご~くつよ~い。

『エントラップメント』(Entrapment)

1999年・アメリカ/イギリス/ドイツ 監督/ジョン・アミエル

出演/ショーン・コネリー/キャサリン・ゼタ=ジョーンズ/ウィル・パットン/モーリー・チェイキン

ショーン・コネリーは昨年(2020年)10月に90歳で亡くなった。ある日、ヘラルドの社長と副社長が、彼が日本を離れる日に成田空港に近いゴルフ場で一緒にゴルフをするということを聞いたことがあった。懐かしい現役時代。

『パリの家族たち』(La fete des meres)

2018年・フランス 監督/マリー=カスティーユ・マンシオン=シャール

出演/オドレイ・フルーロ/クロチルド・クロ/オリヴィア・コート/パスカル・アルビロ/ジャンヌ・ローザ

フランスの女性大統領からパリの立ちんぼまで、パリに暮らす数組の女性たちの今の姿が映し出される。女性同士の喧嘩言葉を聞いて戦慄におののく日本人男性老人。

『奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ』(Les Heritiers)

2014年・フランス 監督/マリー=カスティーユ・マンシオン=シャール

出演/アリアンヌ・アスカリッド/アハメッド・ドゥラメ/ノエミ・メルラン/ジュヌヴィエーヴ・ムニシュ

屁でもない高校生たちが、「アウシュヴィッツ」という難しいテーマを突きつけられて、収容所から生き残った老人の生の話を聞いた時から人生が変わったように目の前が開けていった。

『フランシスコの2人の息子』(O'RIA DE ZEZE' DI CAMARGO & LUCIANO)

2005年・ブラジル 監督/ブレノ・シルべイラ

出演/アンジェロ・アントニオ/ジラ・パエス/ダブリオ・モレイラ/マルコス・エンヒケ

実話に基づく音楽成功物語。ちょっとかったるいけれど、成功物語は観ていて嬉しい。音楽がブラジルのカントリーなのが新鮮。

『パリに見出されたピアニスト』(Au bout des doigts)

2018年・フランス/ベルギー 監督/ルドヴィク・バーナード

出演/ジュール・ベンシェトリ/ランベール・ウィルソン/クリスティン・スコット・トーマス

実話に基づく。原題は「指先で(未来をつかむ)」。せめて「パリが見つけたピアニスト」としゃれてみないか宣伝部さんよ。

『ローマの教室で 我らの佳き日々』(IL ROSSO E IL BLU)

2012年・イタリア 監督/ジュゼッペ・ピッチョーニ

出演/マルゲリータ・ブイ/リッカルド・スカマルチョ/ロベルト・ヘルリッカ

イタリアの高校・学園もの。変わった先生が3人、一向に話の進まないストーリー。人生のある時期はこんなものだという示唆に富んだ話なのかもしれない。

『未来よ こんにちは』(L'avenir/Things to Come)

2016年・ドイツ/フランス 監督/ミア・ハンセン=ラヴ

出演/イザベル・ユペール/アンドレ・マルコン/ローマン・コリンカ/エディット・スコブ

字幕に寺尾次郎というヘラルドの後輩の名前が出ていた。才能のあった奴だったがもう亡くなってしまった。こうやって私のように世の中に必要ない人間は生き残り、必要な輩は早々と世をあとにしている。

『ジゴロ・イン・ニューヨーク』(Fading Gigolo)

2013年・アメリカ 監督/ジョン・タトゥーロ

出演/ジョン・タトゥーロ/ウディ・アレン/ヴァネッサ・パラディ/リーヴ・シュレイバー

ウディ・アレンの映画はイマイチ笑いがわいてこない。不思議な感覚は続く。

『X-ミッション』(Point Break)

2015年・アメリカ/ 監督/エリクソン・コア

出演/エドガー・ラミレス/ルーク・ブレイシー/テリーサ・パーマー/デルロイ・リンドー

1991年公開の『ハートブルー』のリメイク/リ・イマジネーション作品である、という。その作品はヘラルドの配給だった。

『永遠の門 ゴッホの見た未来』(At Eternity's Gate)

2018年・アメリカ/フランス 監督/ジュリアン・シュナーベル

出演/ウィレム・デフォー/オスカー・アイザック/マッツ・ミケルセン/マチュー・アマルリック

狂気は最高の藝術だ、とフィンセント・ファン・ゴッホは言った。

『偽りの忠誠 ナチスが愛した女』(The Exception)

2016年・イギリス/アメリカ 監督/デヴィッド・ルボー

出演/リリー・ジェームズ/ジェイ・コートニー/クリストファー・プラマー/エディ・マーサン

ナチスの軍人にもいい奴がいたんだと。

『レッド・エージェント 愛の亡命』(Despite the Falling Snow)

2016年・イギリス/カナダ 監督/シャミン・サリフ

出演/レベッカ・ファーガソン/チャールズ・ダンス/サム・リー/ドアンチュ・トラウェ/ベン・バット

冷戦時代のアメリカとソ連のスパイ活動がイマイチ。そう少し何とかなったろうと思わざるを得ない。

『キル・ウィットネス』(The Pineville Heist)

2016年・カナダ/オーストラリア 監督/Lee Chambers

出演/ベイジル・ホフマン/ジェイコブ・ブラウン/プレスリー・マッサーラCarl Bailey

ちょっと乱暴なストーリーと映像。

『伝説の白い馬』(The Silver Brumby)

1993年・オーストラリア 監督/ジョン・タトゥリス

出演/キャロライン・グッドオール/ラッセル・クロウ/アミ・デイミオン/ジョニー・ラーエン

ちょっとかったるいつくり話の映像化。

『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』(Knives Out)

2019年・アメリカ 監督/ライアン・ジョンソン

出演/ダニエル・クレイグ/クリス・エヴァンス/アナ・デ・アルマス/ジェイミー・リー・カーティス

『ラブ・アット・サンセットテラス』(Love at Sunset Terrace)

2020年・カナダ 監督/ヘザー・ホウソーン・ドイル

出演/エレン・ウォグロム/カーロ・マークス/エリカ・トレンブレイ/メイガン・ヘファーン

『ジャスト・フォー・ザ・サマー』に似た雰囲気の映画だった。同じような景色と同じような環境がカナダへの憧れの一因になっているのだろう。

『ジャスト・フォー・ザ・サマー 夏の間だけ』(Just for the Summer)

2020年・カナダ 監督/デイビット・I・シュトラッサー

出演/ブラント・ドーハティ/ヘイレイ・セールス/リンダ・ダーロウ/ターシャ・シムズ/エマ・ジョンソン

ほのぼのとした周りの人たちに助けられて、人生はすこしばかり潤った空気を吸えるのかもしれない。

『オール・マイ・ライフ』(All My Life)

2020年・アメリカ 監督/マーク・メイヤーズ

出演/ジェシカ・ローテ/ハリー・シャム・Jr/エヴァー・キャラダイン/キアラ・セトル

結婚をすることを決断した二人だったが、彼氏に不治の病が見つかり、結婚式後になくなってしまう。何かが起こるのが映画だが、何も起こらない素直なストーリー、実話に基づくとはいえ今どきこの程度が映画化されるのが不思議だ。

『楽園』

2019年(令和3年)・日本 監督/瀬々敬久(鈴木俊久)

出演/綾野剛/杉咲花/佐藤浩市/柄本明/村上虹郎/片岡礼子/黒沢あすか/根岸季衣/石橋静河

重い、暗い映画。日本映画の伝統を受け継ぐようなちんたらした進行に辟易する。こういう映画を好きな人はいるのだろう。それとは真反対の域に生きている自分の人生を感じる。

『ファイナル・スコア』(Final Score)

2018年・イギリス/アメリカ 監督/スコット・マン

出演/デイヴ・バウティスタ/ピアース・ブロスナン/レイ・スティーヴンソン/ラルフ・ブラウン

サッカー場と大観衆を使ったアクション映画。相変わらず悪者の親玉はなかなか死なない。現実味からどんどん離れていくシーンに飽きが来る。ハラハラ、ドキドキの要素が遠のいていくのが最大の欠点。

『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』(Long Shot)

2019年・アメリカ 監督/ジョナサン・レヴィン

出演/シャーリーズ・セロン/セス・ローゲン/オシェア・ジャクソン・Jr/アンディ・サーキス

現役の米国務長官とベビーシッターされていた男の偶然の出逢いは、ありえないシチュエーションを作り出した。軽いコメディでありながら、言っていることはいちいちごもっとも。このあたりが、おちゃらけしか表現できない日本映画のコメディと徹底的に違うところ。

『デイライト』(Daylight)

1996年・アメリカ 監督/ロブ・コーエン

出演/シルヴェスター・スタローン/エイミー・ブレネマン/スタン・ショウ/ヴィゴ・モーテンセン

大パニック、大アクション映画。ニューヨークとニュージャージー州を結ぶホランドトンネルでの大事故。パニック映画はさほど好きではないが、観始まっていしまえば。スタローン50歳の時の映画、まだ若い。

『ネクスト・ドリーム/ふたりで叶える夢』(The High Note)

2020年・アメリカ 監督/ニーシャ・ガナトラ

出演/ダコタ・ジョンソン/トレイシー・エリス・ロス/ケルビン・ハリソン・ジュニア/アイス・キューブ

歌手の成功物語はいつも観ていて楽しい。今回は、歌手をプロデュースする若い女性の物語。ほんの小さな穴からしか入れない世界に入るには、どうしたらよいかを教えてくれるようなストーリー。涙が出るほど嬉しい。

『ベン・イズ・バック』(Ben is Back)

2018年・アメリカ 監督/ピーター・ヘッジズ

出演/ジュリア・ロバーツ/ルーカス・ヘッジズ/キャスリン・ニュートン/コートニー・B・ヴァンス

19歳のベンが薬物依存症の治療施設を抜け出し帰ってきた。若くして施設に入らなければならないほどに病的になってしまった者は、本人の意志とは関わりなく世間から矯正の姿が見えなくなっている。悲劇だが本当だろう。

『ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像』(Tuntematon mestari/ONE LAST DEAL)

2018年・フィンランド 監督/クラウス・ハロ

出演/ヘイッキ・ノウシアイネン/ピルヨ・ロンカ/アモス・ブロテルス/ステファン・サウク

しがない美術商のおじいちゃんが死ぬ前に大ごとを成し遂げようと奮闘する。高値で取引される名画と称される絵画も、買い手が付かなければ一銭の価値もない。

『恐竜が教えてくれたこと』(My Extraordinary Summer with Tess)

2019年・オランダ/ドイツ 監督/ステフェン・ワウテルロウト

出演/Sonny Coops Van Utteren/ジョゼフィーン・アレンドセン/Tjebbo Gerritsma

一週間のサマーバカンスを楽しむため、家族とともにオランダ北部の島にやってきたサムは11歳の男の子。恐竜は何も教えてくれないけど、なんか変な映画のたぐい。

『ロード・ジム』(LORD JIM)

1965年・イギリス 監督/リチャード・ブルックス

出演/ピーター・オトゥール/ジェームズ・メイソン/クルト・ユルゲンス/ジャック・ホーキンス/伊丹十三

原作者が「地獄の黙示録」と同じ人(ジョセフ・コンラッド)だという。船乗りの下士官になりたての時に犯してしまった罪を、一生の傷として潔く生きてゆく男らしさに惚れる。

『ストリート ファイターを継ぐ男』(Street)

2015年・アメリカ 監督/ブラッドフォード・メイ

出演/クインシー・ブラウン/ミンディ・ロビンソン/マーク・ライアン/ケイト・マイナー

ロシア系マフィアのやり口が酷い。勝手にいちゃもんを付けておいて、落とし前を付けると言い出すあたりは、日本の敗戦に便乗してやりたい放題の国のあり方によく似ている。

『クライムダウン』(A LONELY PLACE TO DIE)

2011年・イギリス 監督/ジュリアン・ギルビー

出演/メリッサ・ジョージ/エド・スペリーアス/イーモン・ウォーカー/ショーン・ハリス

ミステリーに登山の要素が加わっている。ネタ晴らしになってしまうが、主人公たち5人のうち4人は死んでしまう。恐ろしい誘拐事件、罪が重いのが分かる。

『インターセクション』(INTERSECTIONS)

2013年・フランス 監督/デヴィッド・マルコーニ

出演/ジェイミー・アレクサンダー/フランク・グリロ/ロシュディ・ゼム/マリ=ジョゼ・クローズ

リュックベッソン製作、乾いたアクション映画。モロッコの砂漠で車が事故る。3組の登場人物が複雑に絡み合って、映画をわざわざ混乱させている。モロッコか~!、一度訪れておきたかった場所だ。

『コルト45 孤高の天才スナイパー』(Colt 45)

2015年・フランス 監督/ファブリス・ドゥ・ヴェルツ

出演/ジェラール・ランヴァン/アリス・タグリオーニ/ジョーイ・スタール/イマノル・ペルセ

孤高の天才スナイパーとは酷い邦題だ。銃オタクの警察官の物語。国家機密以上の国家機密があるようだが、ここはフランス。警察権が信用できないのは日本も同じ。ワクチンの嘘が蔓延るのも、こういう風潮が蔓延しているからだろう。

『メカニック・ラブ』(The Mechanics of Love)

2017年・アメリカ 監督/デヴィッド・ウィーヴァー

出演/シェネイ・グライムス/タイラー・ハインズ/ロックリン・マンロー/エミリー・テナント/ブレア・ペナー

いい加減な邦題を付けて気取っているのはどこの配給会社だろうか。英語が良く分からない自分にも違和感のある日本語題名。恋は機械的に操作できるものではない。

『米軍極秘部隊ウォー・ピッグス』(War Pigs)

2015年・アメリカ 監督/ライアン・リトル

出演/ルーク・ゴス/ドルフ・ラングレン/ミッキー・ローク/チャック・リデル/スティーヴン・ルーク

大掛かりな戦争映画ではなくテレビ映画の戦闘は、ちょっとおとなしくて観易い。兵隊さんの基本姿勢を表現しているようなストーリーとシーン。

『タイムリミット 見知らぬ影』(Steig. Nicht. Aus!)

2018年・ドイツ 監督/クリスティアン・アルヴァルト

出演/ヴォータン・ヴィルケ・メーリング/ハンナー・ヘルツシュプルンク/クリスティアーネ・パウル

ドイツ映画を観ることはなかなかない。偏見を承知で云うなら、ドイツ映画らしく濃くて、しつこくて、休まる暇がない。緻密な割には辻褄の合わないシーンも。

『アナザー・タイム』(Another Time)

2018年・アメリカ 監督/トーマス・ヘネシー

出演/ジャスティン・ハートリー/アリエル・ケベル/ジェームズ・カイソン・リー/クリシェル・スタウス

ちょっと変わったタイムスリップもの。好きな分野だけに興味がわく。巡り合った女性に会うために5年前にタイムスリップしたけれど・・・。なんとも微笑ましい。

『ロマンス・リトリート 恋のスクープ』(Romance Retreat)

2019年・カナダ 監督/スティーヴ・ディマルコ

出演/アマンダ・シュル/モーガン・デイビット・ジョーンズ/エリック・ヒックス/パトリス・グッドマン

アメリカの若いジャーナリストが正義に燃えて記事を書いても、編集長に購読者うけする内容に変えられてしまうなんて。ワクチンにまつわる嘘の噂をいとも簡単に信じてしまう輩が結構いることには驚きしかない。

『Something Borrowed/幸せのジンクス』(SOMETHING BORROWED)

2011年・アメリカ 監督/ルーク・グリーンフィールド

出演/ジニファー・グッドウィン/ケイト・ハドソン/コリン・エッグレスフィールド/ジョン・クラシンスキー

同性の親友は子供の頃からいつまで続くのだろうか。しかもその親友に結婚の相手まで紹介するかたちになってしまった。でも本当に好きだったのは・・・・。そんな恋が多いのかも。

『ピース・オブ・ケイク グランマのレシピ』(Love is a Piece of Cake)

2020年・アメリカ 監督/デイビット・I・シュトラッサー

出演/リンジー・ゴート/グレイストン・ホルト/ジュリア・ベンソン/リンゼイ・ウィンチ

主人公は女性、祖母のレシピとケーキ作りの思いをケーキ店に注いでいる。恋の相手はシングルファーザー、いつもの設定とは男と女が逆転している。シングルファーザーが5歳くらいの女の子を育てられる社会環境がアメリカにはあるのだ、きっと。

『セカンド・チャンス 甘くほろ苦い初恋』(Advance & Retreat)

2016年・アメリカ 監督/スティーヴン・R・モンロー

出演/ライリー・フォルケル/ケイシー・デドリック/ブランドン・ジョーンズ/ダーク・ブロッカー

軽いTV映画でテーマも軽い。初恋とキャリアを天秤にかけて、引き戻る勇気が彼女にはあった。甘酸っぱい恋の記憶は一体どれだけあるだろうか。

『午後3時の女たち』(Afternoon Delight)

2013年・アメリカ 監督/ジル・ソロウェイ

出演/キャスリン・ハーン/ジュノー・テンプル/ジョシュ・ラドナー/ジェーン・リンチ

とてもじゃないけどアメリカ社会の一員として定住するのはまず無理だな、という印象が襲ってきた。だから、日本村やチャイナタウンとして群れるのが普通になっているのだろう。

『美しすぎる裸婦』(Strangers of Patience)

2018年・ロシア 監督/ブラディミール・アレニコフ

出演/コンスタンチン・ラヴロネンコ/マジャ・ゾパ

絵画のタイトルに使われる「裸婦」。少々エクセントリックな写真家が一目惚れして撮り始まった。可愛いロシア女性と狂気の写真家、終わり方がよく分からない。

『ライフ』(Life)

2017年・アメリカ 監督/ダニエル・エスピノーサ

出演/ジェイク・ジレンホール/レベッカ・ファーガソン/ライアン・レイノルズ/真田広之

近未来宇宙船ストーリー。真田広之は日本人の乗組員。問題ない英語を喋っていたような気がするが、緊急事態に冷静な態度を見せているのは彼だけ。本当に冷静なのか演技が追いつかないのか分からなかった。

『フェイク・クライム』(Henry's Crime)

2011年・アメリカ 監督/マルコム・ヴェンヴィル

出演/キアヌ・リーブス/ヴェラ・ファーミガ/ジェームズ・カーン/ピーター・ストーメア

キアヌ・リーブスは一風変わった映画に出演する傾向にあるような気がしてならない。一貫性のない不思議な映画。ジャンル分けが出来ない。

『ホステージ』(Hostage)

2005年・アメリカ 監督/フローラン・シリ

出演/ブルース・ウィリス/ケヴィン・ポラック/ベン・フォスター/ジョナサン・タッカー

日本にはいない交渉人、ロサンゼルス市警の敏腕交渉人がこの映画の主人公。故あって小さな町の警察署長に転身したが、また大きな事件を担当する羽目に。警察ものというよりはブルース・ウィリスのアクション映画という感じ。

『デス・ウィッシュ』(Death Wish)

2018年・アメリカ 監督/イーライ・ロス

出演/ブルース・ウィリス/ヴィンセント・ドノフリオ/エリザベス・シュー/ディーン・ノリス

妻と娘を守れなかった主人公は、アメリカ人らしく銃の力を借りて復讐と犯人探しに奔走する。世直し奉行のような存在は悪くない。

『ウォールフラワー』(The Perks of Being a Wallflower)

2012年・アメリカ 監督/スティーブン・チョボスキー

出演/ローガン・ラーマン/エマ・ワトソン/エズラ・ミラー/メイ・ホイットマン

青春っていいなぁ~。73歳になったって、少年のような心が生き生きしていたい。

『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(Little Women)

2019年・アメリカ 監督/グレタ・ガーウィグ

出演/シアーシャ・ローナン/エマ・ワトソン/フローレンス・ピュー/エリザ・スカンレン/ローラ・ダーン/ティモシー・シャラメ/メリル・ストリープ

この物語の4姉妹のように、わが3姉妹には、心豊かに、波乱に富んだ人生を送ってほしい。

『THE GUILTY/ギルティ』(Den skyldige)

2018年・デンマーク 監督/グスタフ・モーラー

出演/ヤコブ・セーダーグレン/イェシカ・ディナウエ/ヨハン・オルセン/オマール・シャガウィー

緊急通報指令室という日本の110番の究極形は、見えない人と、事件を解決するために奮闘する警察官のはなしだった。暗くて嫌な映画に見えたけれど・・・・。

『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』(A Most Violent Year)

2014年・アメリカ 監督/J・C・チャンダー

出演/オスカー・アイザック/ジェシカ・チャステイン/アレッサンドロ・ニヴォラ/デヴィッド・オイェロウォ

清く正しく商売を全うしようとする人間が、清く正しくない業界、社会に立ち向かうには、並大抵のことではないことがよく分かった。

『パリ、憎しみという名の罠』(Carbone)

2017年・フランス/ベルギー 監督/オリヴィエ・マルシャル

出演/ブノワ・マジメル/ジェラール・ドパルデュー/ローラ・スメット/グリンジェ

権力、金、逆境を跳ね返す力、この3つが人間には必要らしい。昔の映画みたいに煙草をいつも吸っている主人公が煙たい。

『狼たちの報酬』(The Air I Breathe)

2007年・メキシコ/アメリカ 監督/ジェホ・リー

出演/フォレスト・ウィテカー/ブレンダン・フレイザー/サラ・ミシェル・ゲラー/ケヴィン・ベーコン/アンディ・ガルシア

少し先が見えてしまう特殊能力も、その過程に絡むことが出来なければ、見えていた結果だけが自分の身の回りに起こってしまう。

『夜に生きる』(Live by Night)

2016年・アメリカ 監督/ベン・アフレック

出演/ベン・アフレック/エル・ファニング/ブレンダン・グリーソン/クリス・メッシーナ

初めて恰好良いギャングの生き方を見た。

『ハングオーバー!!! 最後の反省会』(The Hangover Part III)

2013年・アメリカ 監督/トッド・フィリップス

出演/ブラッドリー・クーパー/エド・ヘルムズ/ザック・ガリフィアナキス/ケン・チョン/ヘザー・グラハム

ハチャメチャな物語もこの篇では少しまともに見えたからおもしろい。

『42 ~世界を変えた男~』(42)

2013年・アメリカ 監督/ブライアン・ヘルゲランド

出演/チャドウィック・ボーズマン/ハリソン・フォード/ニコール・ベハーリー/クリストファー・メローニ

二刀流の大谷を皆が見つめる光景は、白人の中に初めて入った一人だけの黒人選手と似通っているような気がした。

『カフカ「変身」』(Metamorphosis)

2019年・イギリス 監督/クリス・スワントン

出演/エイリーク・バー/ロバート・パフ/モーリン・リップマン/ローラ・リース

カミュの「ペスト」は不条理が集団を襲ったことを描いたが、カフカの「変身」は不条理が個人を襲ったことを描いた。ということらしいが、凡人には入り込めない領域に感じる。

『赤ずきん』(Red Riding Hood)

2011年・アメリカ/カナダ 監督/キャサリン・ハードウィック

出演/アマンダ・セイフライド/ゲイリー・オールドマン/ビリー・バーク/シャイロー・フェルナンデス

童話ではないミステリーなサスペンス、ファンタジー。

『ブラッドショット』(Bloodshot)

2020年・アメリカ 監督/デヴィッド・S・F・ウィルソン

出演/ヴィン・ディーゼル/エイザ・ゴンザレス/サム・ヒューアン/トビー・ケベル

久々のアクション映画は近未来的。なかなかおもしろかったが、いつの間にか眠りについていた。

『インクハート/魔法の声』(Inkheart)

2008年・アメリカ/イギリス/ドイツ 監督/イアン・ソフトリー

出演/ブレンダン・フレイザー/ヘレン・ミレン/ポール・ベタニー/イライザ・ベネット

活字のファンタジー世界を映像化するのは夢がある。おとぎの国のはなしが目の前に現れたら云うことない。

『ブラック・スマイル』(A Stranger with My Kids)

2017年・カナダ 監督/チャド・クロウチャク

出演/アシュレイ・スコット/ミッチ・ライアン/ウディ・ジェフリーズ/ディラン・キングウェル

前味も、中味も、後味も悪い映画だった。

『パーフェクト・リベンジ』(Matar el tiempo)

2015年・スペイン/アメリカ 監督/アントニオ・エルナンデス

出演/ベン・テンプル/ヨン・ゴンサレス/アイトール・ルナ/フランク・フェイス

やらせ、美人局かなと思っていたら、機転の利く優秀なサラリーマンの勇気ある行動だった。途中で止めないで良かった、とまで言えるかなぁ。

『アンドレア・ボチェッリ 奇跡のテノール』(La musica del silenzio/The Music of Silence)

2018年・イタリア 監督/マイケル・ラドフォード

出演/トビー・セバスチャン/ルイーザ・ラニエリ/ジョルディ・モリャ/アントニオ・バンデラス

イタリア語版ではなかったことが残念。英語版が吹き替えに感じてしまった。遅咲きのオペラ歌手の実話が気持ちいいい。成功物語に涙する自分がいる。ようやく自分が毎回涙を流す映画が分かってきた。

『ガレージセール・ミステリー2 友人の転落死』(Garage Sale Mysteries)

2013年・アメリカ 監督/

出演/ロリ・ロックリン/リック・ラヴァネロ/サラ・カニング/アンドリュー・ダンバー

引き続き2作目も観てしまった。もともとはテレビ映画シリーズなのはよく分かる。

『ガレージセール・ミステリー 探偵ジェニファー』(Garage Sale Mysteries)

2016年・アメリカ 監督/ニール・ファーンリー

出演/ロリ・ロックリン/サラ・ストレンジ/スティーヴ・ベーシック/ケビン・オグラディ

気楽な推理ものは観ていて疲れない。

『遥かなる大地へ』(Far and Away)

1992年・アメリカ 監督/ロン・ハワード

出演/トム・クルーズ/ニコール・キッドマン/トーマス・ギブソン/ロバート・プロスキー

アイルランドからアメリカに移民した青年とアイルランドではお嬢様として階級社会の頂点にいた女性との物語。一度観ていた気がしたが、最後半の早い者勝ち土地獲得レースのところばかり記憶に残っていたようだ。日本なら明治20年頃の話。まだまだ地球上の文明は開花していなかった。

『グランド・プロミス 23年後の再会』(La Gran Promesa)

2017年・メキシコ 監督/ホルヘ・ラミレス・スアレス

出演/フアン・マヌエル・ベルナル/イリティア・マンサニージャ/サム・トラメル/ソフィア・エスピノーサ

同じストーリでもアメリカ映画とどことなく違う匂いがして嬉しい。ひとつひとつの挙動に国民性みたいなものを感じるのは偏見かもしれない。DNAとやらは千年にもわたる人間性の証なのだから、違って当たり前のことなのだろう。

『エスケープ ナチスからの逃亡』(The Birdcatcher)

2019年・イギリス 監督/ロス・クラーク

出演/アウグスト・ディール/サラ・ソフィー・ボウスニーナ/アルトゥル・ハカラフティ/ヤコブ・セーダーグレン

ナチス・ドイツ占領下のノルウェーが舞台。オーストリアやフランスだけではなく北欧にまでナチスの愚行が及んでいたことは、驚きをもって私の生きているうちの記憶となっていくだろう。映画でしか知ろうとしないナチス、それ以上の事実を知ることの方がショックであろう。

『エジソンズ・ゲーム』(The Current War)

2017年・アメリカ 監督/アルフォンソ・ゴメス=レホン

出演/ベネディクト・カンバーバッチ/マイケル・シャノン/キャサリン・ウォーターストン/トム・ホランド

傑出した発明家として知られ、生涯におよそ1,300もの発明と技術革新を行ったエジソン、蓄音器、白熱電球、活動写真などが有名なところだろうか。電流戦争では直流にこだわり過ぎて交流を採用したニコラ・テスラおよびウェスティングハウスに敗れているという。様々な汚い行為もあったらしく、人格的には問題だったようだ。才能あり過ぎる人間の陥りやすい欠陥だろうか。

『男はつらいよ お帰り 寅さん』

2019年(令和元年)・日本 監督/山田洋次

出演/渥美清/倍賞千恵子/吉岡秀隆/後藤久美子/前田吟/池脇千鶴/夏木マリ/浅丘ルリ子

まったく寅さんに反応を示さなかった若い頃が懐かしい。その間に歴史的なシリーズとなっていったこの映画。ホッとする時間が堪らなくなっている。歳をとったのだろう。フラッシュバック的に映し出されるマドンナたちの姿に、自分の生きて来た時代を重ねていた。

『バッド・ダディ 史上最悪のツアーガイド』(THE CHAPERONE)

2011年・アメリカ 監督/スティーヴン・ヘレク

出演/トリプルH/ケヴィン・コリガン/アリエル・ウィンター/ホセ・ズニーガ

なんてことはない。

『ボーダー 二つの世界』(Grans)

2018年・スウェーデン/デンマーク 監督/アリ・アッバシ

出演/エヴァ・メランデル/エーロ・ミロノフ/ヨルゲン・トーソン/アン・ペトレン

不気味な映画に見えた。トロル信仰というものを知っていれば、もっと深く映画に関われたのかもしれない。肝心な要素である肉体的な特徴を、日本の無粋な検閲はぼかしという手法で映画の真髄を台無しにしている。映画世界に限ったことではないけれど、日本の未熟性はまだまだ続きそうだ。

『ファイナル・デスティネーション』(Final Destination)

2000年・アメリカ 監督/ジェームズ・ウォン

出演/デヴォン・サワ/アリ・ラーター/ショーン・ウィリアム・スコット/カー・スミス

人間の死の筋書きは決まっているらしい。

『ピエロがお前を嘲笑う』(Who Am I - Kein System ist sicher)

2014年・ドイツ 監督/バラン・ボー・オダー

出演/トム・シリング/エリアス・ムバレク/ヴォータン・ヴィルケ・メーリング/アントニオ・モノー・ジュニア

「アノニマス」という言葉が蔓延るようになってからサイバー世界は危険地帯になってきた。どこまでIT化されていくのだろうと不安な将来が見えないけれど、結局は人間がコントロールしなければ、何事も始まらないし何事も終わらない。

『ブラッド&トレジャー』(Blood & Treasure Season1)

2019年・アメリカ 監督/マシュー・フェダーマン

出演/マット・バー/ソフィア・パーナス/ジェームズ・キャリス/カティア・ウィンター/オデッド・フェール

テレビ映画。1話40分ちょい、一気に観なければ最後まで行き着けない最近のテレビ映画シリーズ。シーズン1・エピソード1からエピソード13まで一気に観てしまった。満足感は感じるけれど、壮大な劇場映画を観た時のような気持ちにはなれない。

『ファーストラヴ』

2021年(令和3年)・日本 監督/堤幸彦

出演/北川景子/中村倫也/芳根京子/板尾創路/石田法嗣/清原翔/高岡早紀/木村佳乃/窪塚洋介

『MEG ザ・モンスター』(The Meg)

2018年・アメリカ/中国 監督/ジョン・タートルトーブ

出演/ジェイソン・ステイサム/リー・ビンビン/レイン・ウィルソン/ルビー・ローズ/ウィンストン・チャオ

『素晴らしきかな、人生』(Collateral Beauty)

2016年・アメリカ 監督/デヴィッド・フランケル

出演/ウィル・スミス/エドワード・ノートン/キーラ・ナイトレイ/マイケル・ペーニャ/ナオミ・ハリス

『スカイスクレイパー』(Skyscraper)

2018年・アメリカ/中国 監督/ローソン・マーシャル・サーバー

出演/ドウェイン・ジョンソン/ネーヴ・キャンベル/チン・ハン/ローランド・ムーラー/ノア・テイラー

『ジーサンズ はじめての強盗』(Going in Style)

2017年・アメリカ 監督/ザック・ブラフ

出演/モーガン・フリーマン/マイケル・ケイン/アラン・アーキン/アン=マーグレット

『ラブ・レターズ 綴られた想い』(Sincerely, Yours, Truly)

2020年・カナダ 監督/アニー・ブラッドリー

出演/ナタリー・ホール/マーシャル・ウィリアムズ/ニッキー・ホワイトリー/シェリー・ミラー

『ブリミング・ウィズ・ラブ 幸せを呼ぶカフェ』(Brimming with Love)

2018年・アメリカ 監督/W・D・ホーガン

出演/ケルシー・チャウ/ジョナサン・ケルツ/ジョージ・ニューバーン/バリー・コービン

『NICE 2 MEET U ナイス・トゥ・ミート・ユー』(Nice 2 Meet U)

2013年・イギリス 監督/ナウ゛ィーン・メタ゛ラム

出演/アヒ゛シ゛ート・ フ゜ント゛ラ/レイチェル・ロホラン/ニティン・ハ゜ラシャル/シャム・ハ゛ット

『セクシャリティ』(Lime Salted Love)

2006年・アメリカ 監督/ダニエル・アグネロ/ジョー・ホール

出演/クリスタナ・ローケン/ダニエル・アグネロ/ジョー・ホール/デヴィッド・J・オドネル

『めぐり逢わせのお弁当』(Dabba、The Lunchbox)

2013年・インド/アメリカ/ドイツ 監督/リテーシュ・バトラ

出演/イルファーン・カーン/ニムラト・カウル/ナワーズッディーン・シッディーキー

『コッホ先生と僕らの革命』(Der ganz grose Traum)

2011年・ドイツ 監督/セバスチャン・グロブラー

出演/ダニエル・ブリュール/ブルクハルト・クラウスナー/ユストゥス・フォン・ドホナーニ/テオ・トレブス

『ビリーブ 未来への大逆転』(On the Basis of Sex)

2018年・アメリカ 監督/ミミ・レダー

出演/フェリシティ・ジョーンズ/アーミー・ハマー/ジャスティン・セロー/キャシー・ベイツ

『マイ・プレシャス・リスト』(Carrie Pilby)

2016年・アメリカ 監督/スーザン・ジョンソン

出演/ベル・パウリー/ネイサン・レイン/ガブリエル・バーン/ヴァネッサ・ベイヤー

『ベスト・バディ』(Just Getting Started)

2017年・アメリカ 監督/ロン・シェルトン

出演/モーガン・フリーマン/トミー・リー・ジョーンズ/クインズ - レネ・ルッソ/ジョー・パントリアーノ

『欲望のバージニア』(Lawless)

2012年・アメリカ 監督/ジョン・ヒルコート

出演/シャイア・ラブーフ/トム・ハーディ/ゲイリー・オールドマン/ミア・ワシコウスカ

『つぐない』(Atonement)

2007年・イギリス/フランス/アメリカ 監督/ジョー・ライト

出演/ジェームズ・マカヴォイ/キーラ・ナイトレイ/シアーシャ・ローナン/ヴァネッサ・レッドグレイヴ

『ノクターナル・アニマルズ』(Nocturnal Animals)

2016年・アメリカ 監督/トム・フォード

出演/エイミー・アダムス/ジェイク・ジレンホール/マイケル・シャノン/アーロン・テイラー=ジョンソン

『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』(Demolition)

2016年・アメリカ 監督/ ジャン=マルク・ヴァレ

出演/ジェイク・ジレンホール/ナオミ・ワッツ/クリス・クーパー/ジュダ・ルイス

『奇跡が降る街』(29TH STREET)

1991年・アメリカ 監督/ジョージ・ギャロ

出演/ダニー・アイエロ/アンソニー・ラパリア/レイニー・カザン/フランク・ペシ

『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』(Rebel in the Rye)

2017年・アメリカ 監督/ダニー・ストロング

出演/ニコラス・ホルト/ゾーイ・ドゥイッチ/ケヴィン・スペイシー/サラ・ポールソン

『植物図鑑 運命の恋、ひろいました』

2016年(平成28年)・日本 監督/三木康一郎

出演/岩田剛典/高畑充希/今井華/谷澤恵里香/相島一之/酒井敏也/木下隆行/ダンカン/大和田伸也/宮崎美子

『空に住む』

2020年(令和3年)・日本カ 監督/青山真治

出演/多部未華子/岸井ゆきの/美村里江(ミムラ)/岩田剛典/鶴見辰吾/岩下尚史/髙橋洋/大森南朋/永瀬正敏/柄本明

『クリード チャンプを継ぐ男』(Creed)

2015年・アメリカ 監督/ライアン・クーグラー

出演/マイケル・B・ジョーダン/シルヴェスター・スタローン/テッサ・トンプソン/フィリシア・ラシャド

『リリーのすべて』(The Danish Girl)

2015年・イギリス/アメリカ/ドイツ 監督/トム・フーパー

出演/エディ・レッドメイン/アリシア・ヴィキャンデル/マティアス・スーナールツ/ベン・ウィショー

『ディーン、君がいた瞬間』(Life)

2015年・アメリカ 監督/アントン・コービン

出演/ロバート・パティンソン/デイン・デハーン/ジョエル・エドガートン/ベン・キングズレー

『ダークサイド』(Looking Glass)

2018年・アメリカ 監督/ティム・ハンター

出演/レイ - ニコラス・ケイジ/マギー - ロビン・タニー/ハワード - マーク・ブルカス/トミー - アーニー・ライヴリー

『エリカ&パトリック事件簿 踊る骸』(Tyskungen/The Hidden Child)

2013年・ドイツ/スウェーデン 監督/ペール・ハネフョード

出演/クラウディア・ガリ/リチャード・ウルフセーテル/イーヴァ・フリショフソン/エドヴィン・エンドル

『運び屋』(The Mule)

2018年・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/クリント・イーストウッド/ブラッドリー・クーパー/ローレンス・フィッシュバーン/マイケル・ペーニャ

『イフ・アイ・ステイ』(If I Stay)

2014年・アメリカ 監督/ R・J・カトラー

出演/クロエ・グレース・モレッツ/ミレイユ・イーノス/ジェイミー・ブラックリー/ジョシュア・レナード

2023年11月再び観たので記す

『イフ・アイ・ステイ 愛が還る場所』(If I Stay)

2014年・アメリカ 監督/R・J・カトラー

出演/クロエ・グレース・モレッツ/ミレイユ・イーノス/ジェイミー・ブラックリー/ジョシュア・レナード

好きな女優クロエ・グレース・モレッツが主演だった。最近はあの独特だった顔の雰囲気が、少し丸くなって普通になってきたようだ。単なる恋愛ものではないところがいい。チェロに魅せられた少女がジュリアード音楽院に合格する直前に家族全員が車の事故で・・・。本人は自分の臨終の姿を見ている。そんなこともありそうだと、4年前の心臓手術の時のことをかすかに想い出した。

『トゥームレイダー ファースト・ミッション』(Tomb Raider)

2018年・アメリカ 監督/ローアル・ユートハウグ

出演/アリシア・ヴィキャンデル/ドミニク・ウェスト/ウォルトン・ゴギンズ/ダニエル・ウー

 今日は、2021年5月5日(祝・水)。

『シャザム! 』(Shazam!)

2019年・アメリカ 監督/デヴィッド・F・サンドバーグ

出演/ザッカリー・リーヴァイ/マーク・ストロング/アッシャー・エンジェル/ジャック・ディラン・グレイザー

『アリー/ スター誕生』(A Star Is Born)

2018年・アメリカ 監督/ブラッドリー・クーパー

出演/ブラッドリー・クーパー/レディー・ガガ/アンドリュー・ダイス・クレイ/デイヴ・シャペル

『ドライブ・ハード』(Drive Hard)

2014年・アメリカ/オーストラリア 監督/ブライアン・トレンチャード=スミス

出演/ジョン・キューザック/トーマス・ジェーン/ゾーイ・ヴェントゥーラ/クリストファー・モリス

『ロックアウト 20年目の真実』(Kill for Me/Lockout/No Beast So Fierce)

2016年・アメリカ 監督/ティム・マッキャン

出演/ベイリー・チェイス/キャスリン・アーブ/ディラン・ベイカー/エイミー・スパンガー

『Man on Fire』(Man on Fire)

1987年・フランス/イタリア 監督/エリ・シュラキ

出演/スコット・グレン/ジェイド・マル/ジョー・ペシ/ブルック・アダムス

『マックス2: ホワイトハウス・ヒーロー』(Max 2: White House Hero)

2018年・アメリカ 監督/ブライアン・レヴァント

出演/ゼイン・オースティン/フランチェスカ・カパルディ/ロックリン・マンロー/アンドリュー・カヴァダス

『ブルー・ダイヤモンド』(Siberia)

2018年・アメリ/カナダ 監督/マシュー・ロス

出演/キアヌ・リーヴス/アナ・ウラル/パシャ・D・リチニコフ/ユージン・リピンスキ

『ガーンジー島の読書会の秘密』(The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society)

2018年・イギリス/フランス 監督/マイク・ニューウェル

出演/リリー・ジェームズ/ミキール・ハースマン/グレン・パウエル/ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ

『ビューティフル・ボーイ』(Beautiful Boy)

2018年・アメリカ 監督/フェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲン

出演/スティーヴ・カレル/ティモシー・シャラメ/モーラ・ティアニー/エイミー・ライアン

『スパイの妻』

2020年(令和2年)・日本 監督/黒沢清

出演/蒼井優/高橋一生/東出昌大/坂東龍汰/恒松祐里/みのすけ/笹野高史/玄理(玄里)

『透明人間』(The Invisible Man)

2020年・アメリカ/オーストラリア 監督/リー・ワネル

出演/エリザベス・モス/オルディス・ホッジ/ストーム・リード/ハリエット・ダイアー

『ダイアナ』(Diana)

2013年・イギリアスカ 監督/オリヴァー・ヒルシュビーゲル

出演/ナオミ・ワッツ/ナヴィーン・アンドリュース/ダグラス・ホッジ/ジェラルディン・ジェームズ

『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』(Grace of Monaco)

2014年・フランス/アメリカ/ベルギー/イタリア 監督/オリヴィエ・ダアン

出演/ニコール・キッドマン/ティム・ロス/フランク・ランジェラ/パス・ベガ

『大統領の料理人』(Les Saveurs du palais)

2012年・フランス 監督/クリスチャン・ヴァンサン

出演/カトリーヌ・フロ/ジャン・ドルメッソン/イポリット・ジラルド/アルチュール・デュポン

『最高の人生のつくり方』(And So It Goes)

2014年・アメリカ 監督/ロブ・ライナー

出演/マイケル・ダグラス/ダイアン・キートン/スターリング・ジェリンズ/ロブ・ライナー

『ハリエット』(Harriet)

2019年・アメリカ 監督/ケイシー・レモンズ

出演/シンシア・エリボ/ジャネール・モネイ/ジョー・アルウィン/クラーク・ピータース

『明日への地図を探して』(The Map of Tiny Perfect Things)

2020年・アメリカ 監督/イアン・サミュエルズ

出演/キャスリン・ニュートン/ジョシュ・ハミルトン/カイル・アレン/アル・マドリガル

『ジョン・ウィック:パラベラム』(John Wick: Chapter 3 - Parabellum )

2019年・アメリカ 監督/チャド・スタエルスキ

出演/キアヌ・リーヴス/ハル・ベリー/ローレンス・フィッシュバーン/マーク・ダカスコス

『ミス・マープル パディントン発4時50分』(4: 50 FROM PADDINGTON)

1986年・アメリカ 監督/マーティン・フレンド

出演/ジョアン・ヒクソン/ デヴィッド・ホロヴィッチ/ジル・ミーガー/イアン・ブリンブル

『パリ、嘘つきな恋』(Tout le monde debout/Rolling to you)

2018年・フランス 監督/フランク・デュボスク

出演/フランク・デュボスク/アレクサンドラ・ラミー/エルザ・ジルベルスタイン/ジェラール・ダルモン

小さな嘘を平気でつきまくる欧米人というイメージは、映画の中で教えられてしまった勘違いかもしれない。ちょっとしたことでどうしてあーも簡単にバレル嘘をつくのだろうと、映画を観ながらいつも憂いていた。もしかするとそんなことはないのだろうと思ってみたところで、それ以上に小さな嘘でまみれた友達関係、恋人関係などを何度も観る羽目に陥っていた。

この映画はその小さな嘘を平気でつきまくっていた男の顛末を揶揄するようなストーリーで、ちょっと溜飲がさがった。もっとも相手の車椅子に乗った女性は、最初に会った時から彼が歩けない人だとは思わなかったと知っていたらしい。健常者でない人は、健常者ではない人の振りをする人のことをすぐに気づけるらしい。

最後にはハッピーエンドで終わることになるけれど、こんな嘘つきな男は幸せを得る資格がないと断言してしまう。それにしても小さな嘘をつく人がなんと多いことか。大きな嘘なら詐欺の類になってしまうから、小さな嘘をそんなに責めるものではないよ、とお叱りを受けそうだが。保身なのだろうか、真実を知られるのが怖いのだろうか、両方とも持ち合わせていない者にとっては、小さな嘘は身を亡ぼす入口だと大袈裟に思い込んでいる自分が異常なのか。

『オンネリとアンネリのおうち』(Onneli ja Anneli/Jill and Joy)

2014年・フィンランド 監督/サーラ・カンテル

出演/アーウ゛ァ・メリカント/リリャ・レフト/エイヤ・アフウ゛ォ/ヤッコ・サアリルアマ

1960年代に発表され、フィンランドで長く愛され続けるマリヤッタ・クレンニエミの児童文学「オンネリとアンネリ」シリーズを実写映画化。ある日、バラ通りで封筒を拾った仲良しのオンネリとアンネリ。封筒にはお金と「正直者にあげます」と書かれた手紙が入っていた。2人はそのお金でバラの木夫人というおばあさんから水色のおうちを買い、気難しそうなお隣さん、魔法が使える陽気なおばさん姉妹などご近所さんたちと交流しながら楽しいふたり暮らしをスタートさせる。(映画.comより)

夢のようなおはなし、世界が汚れた精神を洗ってくれる。みんないい人ばかりでコソ泥をやってしまった青年にも暖かい言葉が掛けられる。こんな風に地球上の国々も優しくなれたらなぁ~、などと夢想するのはいくら何でもいい歳をした老人の志向ではない、と厳しく自分を叱るしかない。

class="in1e"こういう童話がそんなに昔話的でなく生まれる時代性と社会性はどこから生まれてくるのだろうか。日本ではとうていあり得ない。いい人がいるのだったら必ず悪い人もいる、と教えるのが日本の社会だ。どうして悪い奴がいるのかは、その社会が持っている邪悪性によるところが多い。そういう意味ではフィンランドには無駄な邪悪はないのだろうと、憧れを持つ。ちなみにフィンランド語でタクシーは「Taksi」だった。

『500ページの夢の束』(Please Stand By)

2017年・アメリカ 監督/ベン・リューイン

出演/ダコタ・ファニング/トニ・コレット/アリス・イヴ/リヴァー・アレクサンダー

『スター・トレック』が大好きで、その知識では誰にも負けないウェンディの趣味は、自分なりの『スター・トレック』の脚本を書くこと。自閉症を抱える彼女は、ワケあって唯一の肉親である姉と離れて暮らしている。ある日、『スター・トレック』脚本コンテストが開催されることを知った彼女は、渾身の作を書き上げるが、もう郵送では締切に間に合わないと気付き、愛犬ピートと一緒にハリウッドまで数百キロの旅に出ることを決意する。(Filmarksより)

ただ単に自閉症の、と書いたところでその現実を体現する術がない。それを支援する個人、組織は到底アメリカの足下にも及ばない。姿を見るだけで涙が流れてくる。それは、自閉症の人たちを悲しむものではない。のほほんと何もしない、何も出来ない自分の不甲斐なさが悲しいのだ。せめて五体満足で生まれてきた自分が、ほんのちょっとでも何かが出来れば、少しは世の中が変わるのではないかと、本気に思っている。

脚本のコンクールに優勝したというハッピーエンドに終わらないこの映画、素敵なシーンが随所にあって、いつもながら心を洗われる。それにしても、それにしても、と自分を無理に責めてみたところでどうしようもない。せめてもし天国にいけるようなことがあったら、そこでは思いっきり社会貢献をしようと思う。そうなることを願いたい。キノフィルムズ/木下グループはいつもいい映画を配給している。

『アマンダと僕』(Amanda)

2018年・フランス 監督/ミカエル・アース

出演/ヴァンサン・ラコスト/イゾール・ミュルトゥリエ/ステイシー・マーティン/オフェリア・コルブ

全編フランス語だった。淡々とした物語に、肝心な事件が突如勃発する。その事件のあらましを映画は詳しく語らないが、一人のシングルマザーが突然亡くなってしまったという事実だけを伝えるのだった。残されたのは7歳の娘と近くに住んで交流の深い母親の弟だった。誰が親権を持つかというこの映画にとって些細なこともさらりとすり抜けていく。

7歳のアマンダと一緒に遊ぶ叔父さんは定職があるようなないような、アパートの管理人をしながら街灯の木を伐採して生計を立てている。そんなことはどうでもいい。誰がこの7歳の子供と一緒に暮らすのかだけが最大の関心ごとだった。叔父さん姉弟にはけ結構とんでいる母親が現在ロンドンに住んでいる。簡単にこういうシチュエーションを作れるヨーロッパ事情がうらやましい。

あまりにも淡々と進んでいく映画ストーリーと映像に飽きが来るのはいつもの如く。ちょっと苦手なんだよね~。アクション映画のドンパチには別の意味で飽きが来るけれど、話が進まない物語にはもっと飽きが激しくなる。悪い映画ではないし、どちらかというといい映画の部類に入るんだろうけれど、フランスのエスプリを充分に感じられるほどこちらの感覚が繊細ではなかった。

『アクシデント すべてを失った女』(Secrets at the Lake)

2019年・アメリカ 監督/ティム・クルーズ

出演/ニッキー・ウェラン/アンナ・ハッチソン/アリー・デベリ/ーカラ・ロイスター

メーガンは子供を乗せて運転していたところ、酔っ払い運転車とニアミスして事故を起こしてしまう。酔っ払い運転車が救助してくれれば助かったのにそのまま逃走され、子供たちは亡くなってしまう。その後空いた家で民泊サービスを始めたメーガンだったが、ある日見覚えのある車に乗った家族が泊まりにやって来て…(Webより)

すべてを失った女とは誰のことなのだろうか?観終わってから考えたけれど分からない。該当する女性は3人か4人、でもこういうタイトルが付けられるに相応しい女性は見つからなかった。欧米の信仰に深い人たちは、自分が起こした事故やたまたま見つけた事故に対する態度が極めて人間的だ。日本人はといえば、見て見ぬふりをする例えのごとく、なるべく事件にはかかわりあいたくないと思っている節がある。だからからではないだろうが、国会で何かを責められても知らぬ存ぜぬで押し通してしまう。万が一に音声や映像の証拠を突きつけられて、初めてその非を認めるといったあんばいだ。

いくらしらを切ったとしても、神様に嘘はつけないのだろう。いい意味で宗教心のある国民とそうでない国民との差が浮き彫りになる。いさぎよく罪を認めるなんて言うことは、日本人には無縁に見えてきた昨今の事件の顛末。上級国民と揶揄されながらも裁判で車の故障を主張しまくっている人間を観ていると、その人間よりもそういう証言を平然とさせてしまう弁護士先生の非人間さを憂うるしかない。

『ロスト・フロア』(Septimo)

2013年・スペイン/アルゼンチン 監督/パトクシ・アメズカ

出演/リカルド・ダリン/ベレン・ルエダ/オズヴァルド・サントロ/ホルヘ・デリア

いかにも日本人スタッフが考えた陳腐な邦題。精一杯不慣れな英語にも意味を持たせようとしている姿がしのばれる。原題は「7階」という意味で付けてあるようだ。行方不明になったまだ小学生の子供たちの住んでいるところがマンションの7階だったことから来ている。舞台はアルゼンチンのブエノスアイレス、いつものように別居中の夫婦がいた。

妻はスペインの実家に帰りたいと、出来るだけ早く夫に離婚の書類にサインをさせようとしている。そんななか、ある日の朝学校に行くために7階のマンションから下に降りるとき、下で待つ夫のもとに子供たちの姿は現れなかった。さて誘拐か、と子供たち探しが始まる。マンションの住人を巻き込んで、映画の誘拐事件のような様相を呈してくる。

どことなくローカル色豊かな映像となっているのに気づく。アメリカ映画ならこんな風には展開しないし、もっとスピーディーに物事が進行し、観客を飽きさせない。じーっと観ているしかない観客には、結末の楽しみしか残っていない。なるほど、と思わせる事件の顛末だが、なんかすっきりしない気分だけが遺ったようだ。

『タイム・チェイサー』(I'll Follow You Down)

2015年・カナダ 監督/リッチー・メタ

出演/ハーレイ・ジョエル・オスメント/ジリアン・アンダーソン/ルーファス・シーウェル/ヴィクター・ガーバー

行方不明になった父と再会するべくタイムトラベルに挑む科学者役を演じたSFサスペンス。幼い息子エロルや愛する妻と暮らす物理学者ゲイブが、突如として謎の失踪を遂げた。数年後、成長して科学者となった息子エロルは、父にまつわる衝撃的な事実を発見し、家族の絆を取り戻すべく奔走する。(映画.comより)

SF好きの私には堪らない映画のはずだったが。タイムトラベルして父親と再開するシーンに至るまでの時間が長過ぎて飽きてしまった。何度も何度もこういうタイムトラベルシーンを観ていると、最初からずーっと思い込んでいた現実感が薄れていく。やっぱりそんなことは無理なのかもしれない、という方向に自分の志向が傾きかけていくのがさみしい。

夢はあくまでも夢。夢が現実になってしまったら夢がなくなってしまう。手の届かない夢に向かって精進努力する姿が美しいのであって、名を成し功を遂げてしまった愚鈍な人間が権力の座にいることのほうがはるかに不幸だ。小さな目標が目の前にあるからこそ、人間は精を使い果たすのであって、満足した食欲を・・・・。

『サン・オブ・ゴッド』(Son of God)

2014年・アメリカ 監督/クリストファー・スペンサー

出演/ディオゴ・モルガド/アンバー・ローズ・レヴァ/セバスチャン・ナップ/デヴィッド・リントール

イエス・キリストの誕生から復活までを聖書に忠実に描き、話題を呼んだテレビシリーズ「ザ・バイブル」を基にしたドラマ。イエスの十二使徒のひとり、ヨハネを語り手に、イエスがたどる波乱の生涯を歴史と政治の側面から解明し、その知られざる一面にも迫る。イエスを演じるのは、ポルトガル出身の新鋭ディオゴ・モルガド。聖母マリアから生まれ、東方の三賢者から将来、王になると予言されたイエス。数々の苦難を乗り越えて育った彼はやがて、ガリラヤで宣教活動を始める。そして、12人の弟子とエルサレムへ向かったイエスは、人々に数々の奇跡的な行いをするが、時の権力者であるローマ政府から危険人物とみなされ、十字架にはりつけにされてしまう。(MOVIE WALKER より)

よくもこの映画を制作する気になれたなぁ~、というのが正直な気持ち。相手が大き過ぎて、とてもじゃないけど太刀打ちできないと思われる。数多くの新興宗教はあるけれど、それが2千年も続いて、しかも蔓延り続けている現実を鑑みれば、その祖となる物語をどう語っても説明しようのない焦燥感にとらわれるに違いない。

誰が何を信じようが自由であることだけは確かだ。人間は間違いなく死んでいく存在だからこそ、その死後や生きているうちの信仰の的を探しているに違いない。死んでしまえばせいぜい1か月くらいがせいのやまで忘れられてしまう。それで十分だし、それでいいのだが、なんとはかない人間の一生なのだろうと思わざるを得ない。時々思い出したって、出てくるものは涙だけで、その魂や身体に触れることさえ許されないのが人生なのだ。

『イップ・マン 葉問』(葉問2:Ip Man 2 )

2010年・アメリカ 監督/ウィルソン・イップ

出演/ドニー・イェン/サモ・ハン・キンポー/ホァン・シャオミン/リン・ホン

前作『イップ・マン 序章』のヒットを受けて制作された、実在の武術家、葉問(イップ・マン)を主人公とするカンフー映画。1作目を観ないでいきなり2作目に行くのはダメだ。それでも、大した違和感もなく観る事が出来るというのは、アクション映画に属する映画のいいところかもしれない。

1作目は1935年、この2作目は1949年の香港が舞台。武術家のイップ・マンが主人公だ。ブルース・リーの師として紹介されているこの主人公の中国拳と当時イギリス領であった香港でイギリス人ボクサーとの死闘がアクションの内容。最初は面白味を感じるが、そうそう最後まで飽きずに観ていられるほどこちらの心は揺さぶられない、残念ながら。

東洋の神秘とか言って持て囃されるアジアの武術だが、異種格闘技戦で日本の武術が優位に立つことはまずない。それは技術や心を超えた体力の差が如何ともしがたい事実を物語っている。欧米人の食べる質と量を見れば、戦争に勝てるわけがないと納得するのは必定だ。さぁ、今日もお茶づけサラサラで夕飯を済ませよう。

『小説の神様 君としか描けない物語』

2020年(平成2年)・日本 監督/久保茂昭

出演/佐藤大樹/橋本環奈/佐藤流司/杏花(柴田杏花)/莉子/坂口涼太郎/山本未來/片岡愛之助/和久井映見

2016年6月21日に、講談社の講談社タイガより、書き下ろし作品として刊行された。2018年、シリーズ続刊として上下二分冊で『小説の神様 あなたを読む物語』が講談社(講談社タイガ)より刊行された。2019年から2020年にかけて手名町紗帆の作画で漫画化。2020年4月22日に『小説の神様 わたしたちの物語 小説の神様アンソロジー』が講談社(講談社タイガ)より刊行、同年10月2日に実写映画が公開された。(Wikipediaより)

高校生にしてプロの作家男女の二人が同じ教室にいるという設定が漫画的。これだけ数多くのプロ作家が登場してくる世の中、たまに本屋の棚を眺めてみても、読みたいと思える本が心に入ってこないのは、もともと活字に疎い、弱い自分のせいなのだと理解はしている。中古の本を売っているお店を歩いていても、なぜこんなに本が棚に並んでいるのだろうと、不思議な思いで見ているだけだ。

年に2回も「芥川賞」「直木賞」と世間をあおっている。最近では「本屋大賞」と銘打った新しい図書販売方法まで生み出している。それでも、何の興味も示さない自分の意識はどうなっているのだろう。一度、会社の旅行でオーストラリアに行ったときに、どうせ暇だろうからとその年のどちらかの賞をとった本を持って行って読んだことがあった。その本の詰まらなさにあきれ返った記憶がある。それも一種のトラウマとして、今に至っているのだろうか。

『ラブ & ドラッグ』(Love and Other Drugs)

2010年・アメリカ 監督/エドワード・ズウィック

出演/ジェイク・ジレンホール/アン・ハサウェイ/オリヴァー・プラット/ハンク・アザリア

火遊びが過ぎて仕事をクビになったジェイミーは、医薬品大手のファイザー製薬(Pfizer)で営業マンの職を得た。得意の話術で大病院に攻勢をかける彼だったが、強力なライバルのせいでなかなか結果を出せない。そんなとき、彼は若年性パーキンソン病を患う女性マギーと知り合う。持病のため恋愛関係を避ける彼女と、体だけという約束で交際を始めるジェイミー。やがて新薬バイアグラを扱い始めた彼はトップセールスマンとなっていくが・・・。(Wikipediaより)

トップ女優のアン・ハサウェイが惜しみなく女優としての肉体を誇示している。一度ならずも何度もそういうシーンが現れて、さすがアメリカと感心することしきり。医者の前でさりげなく乳房の下にあざがあるという仕草をするのも、う~んとうなってしまうようなシーンだった。日本の大女優ではとても考えられない。

今を時めくファイザー製薬が舞台になっているところもすごい。ここまで実名で映画に出てくるとは。世界2位の会社だからこそ出来る堂々とした立ち回りなのだろう。映画は最初からお茶らけて見えたが、いつものアメリカ映画らしく深刻な男と女の話になる時の真面目さとのギャップについていけないくらいだった。さばさばとした欧米の男女関係に憧れたりするのは当たり前だが、熱意と持続性がなければ、そんな社会には生きていけないだろうと懸念するしかない。

『マチルダ 禁断の恋』(Матильда/Mathilde)

2017年・ロシア 監督/アレクセイ・ウチーチェリ

出演/ラース・アイディンガー/ミハリーナ・オルシャンスカ/ダニーラ・コズロフスキー/ルイーゼ・ヴォルフラム

ロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世と伝説のバレリーナとの許されぬ恋を描いた恋愛ドラマ。1800年代後半のロシア・サンクトペテルブルク。ロマノフ朝ロシア皇帝アレクサンドル3世の息子で、ロシア王位継承者であるニコライ2世は、マリインスキー・バレエ団の世界的なプリマ、マチルダ・クシェシンスカヤに一目ぼれし、恋に落ちる。しかし、賛否両論を巻き起こしたこの一大ロマンスは、父の崩御のよるニコライの王位継承、ニコライとアレクサンドラの政略結婚によって引き裂かれてしまう。そしてロシア帝国もまた、外国勢力の隆盛によって終焉を迎えようとしていた。(映画.comより)

ロマノフ家の処刑とは、ロシア帝国のロマノフ家(皇帝ニコライ2世や妻のアレクサンドラ・フョードロヴナ、二人の5人の子供オリガ、タチアナ、マリヤ、アナスタシア、アレクセイ)と幽閉先に同行することを選んだ人すべて(有名なところではエフゲニー・ボトキンやアンナ・デミドヴァ、アレクセイ・トルップ、イヴァン・ハリトーノフ)が、1918年7月17日にエカテリンブルクのイパチェフ館で射殺・銃剣突き・銃床で殴るなどによって殺害された事件である。

ニコライ2世とその家族は、ウラル地区ソビエトの命令により、ヤコフ・ユロフスキーが指揮するボリシェビキ軍により殺された。その際遺体は切り裂かれ、焼かれ、コプチャキ街道沿いの森の中にあるガニナ・ヤマと呼ばれる野原に埋められた。埋葬地はアマチュア探偵のアレクサンドル・アヴドーニンとボリシェヴィキ出身の両親を持つ映画監督のゲリー・リャボフによって1979年に明らかにされたが、一家の遺体はグラスノスチ時代の1989年まで公開されることはなかった。遺体がニコライ2世らのものであることは、法医学的調査やDNA調査により確認された。殺害から80年後の1998年、遺体はサンクトペテルブルクの首座使徒ペトル・パウェル大聖堂に再埋葬されたが、その際に行われた葬儀には遺体が本物であることを疑問視するロシア正教会の幹部は出席しなかった。2007年、アマチュア考古学者により第二の埋葬地が発見され、一家の埋葬地から発見されていなかったロマノフ家の二人の子供の遺体がそこから見つかった。しかし、二人の遺体は更なるDNA検査の間、国営納骨堂に保管されている。2008年、長期にわたる膨大な法的論争の後で、ロシア連邦検事総長局は、「政治的抑圧の犠牲者」としてロマノフ家の名誉を回復した。(Wikipediaより)

『With Baby ウィズ・ベイビー 赤ちゃんとともに』(WITH CHILD)

2014年・アメリカ 監督/タイタス・ヘッケル

出演/ケリー・ファン・デル・グレンド/ レスリー・ルイス/ ロリ・ココ

またまた日本の劇場未公開映画だった。映画人だってそんなに馬鹿ではないから、劇場未公開にはそれなり以上の理由がある。一体誰が観るんだ、誰が喜ぶんだ、誰がこの映画を観て泣くんだろうかという設問に答えられない映画は、劇場未公開となる運命にある。

with baby という言葉があるらしい。そんなことをこの映画を観終わった後に調べていて聞くことになったが、今はちょうどというか with コロナ というこれからの社会生活の言葉が大きくクローズアップされている。3か月の子供を抱いて、持ち歩いて、大工の仕事を続けるんだという主人公の涙ぐましさが、画面から響いてこない。難病に侵された妻を助けるために子供を作ったというこの映画の主人公夫婦だったという。その甲斐もなく妻は子供を産んで死んでしまったという悲劇の主人公なのだ。

話が進まない。堂々巡りの典型映画。同情も愛情も感じないと映画が詰まらない。妹の子供を引き取ろうと執拗に助けを申し出る義理姉の言葉を無視し続ける主人公が理解できない。素直になれば、もっと素直な人生が待っているのだろうに。そうなったら、こんな映画も出来ないか! その程度の詰まらない映画だった。子供が可哀そうだと。

『盗聴者』(La mecanique de l'ombre)

2016年・フランス/ベルギー 監督/トマス・クライトフ

出演/フランソワ・クリュゼ/ドゥニ・ポダリデス/シモン・アブカリアン/アルバ・ロルヴァケル

冴えない失業したおっさんが秘密めいた仕事を紹介されて始まったことは、どこかのアパートの一室に毎日通って、1室で一人だけでタイプを打つ仕事だった。渡されたカセットテープをイヤホンで聞きながら、その内容を文字に起こすのだ。その内容を聞いて、最初は驚きの表情をする主人公だった。

誰がいつ、何処で採取した会話なのかは分からないが、だんだんと国家的な規模にもなってくるこの仕事に危険が襲ってくるというあらすじ。日本の劇場未公開だけあって、低予算をアイディアだけで補おうとする映画作りの苦労がしのばれる。

アメリカ映画ではないところがいいような悪いような。面白くないわけではないが、徐々に飽き飽き感が。映画作りは難しい。万人に受ける映画を作りたいと思う反面、一人でもいいから絶対的に支持を受ける映画を作りたいというのが本音だろう。今時の日本の映画作りのように漫画が大いに売れて、それを映画化、しかもアニメ化するという王道だけが当たる道だなんて、不健全な映画の末路が見えるようで堪らない。

『スパイ・アプリケーション』(PRIVACY)

2012年・アメリカ 監督/ヨルグ・イーレ

出演/ジョン・シェパード/ジーナ・ブッシュ/ブレントン・デュープレッシー/クレイトン・マイヤーズ

ニューヨークの大学生・マーク(ジョン・シェパード)は、一攫千金を狙う親友のトビー(クレイトン・マイヤーズ)と共に、世界に衝撃を与えるようなアプリを作るべく日々開発に取り組んでいた。あるとき、トビーの何気ない一言からヒントを得たマークは、『プライバシーアプリ』を開発する。それは、遠隔操作でニューヨーク市民の携帯電話をハッキングして、それぞれの会話を盗聴し、カメラ機能を通してニューヨーク市内中を覗く…(Filmarksより)

映画で想像された未来はほとんどが具現化している。遅かれ早かれといった按配で実現する社会を観てくると、さすが映画と思えるものだ。その頂点にあるのが「2001年宇宙の旅」(2001: A Space Odyssey・1968年)だと思う。今や民間個人が宇宙旅行に行ける時代になって、50年前以上にあの映像を創り出した人たちに畏敬の念を覚える。

今ですら若者たちの間では、恋人のスマホにGPSを入れて楽しんでいるようだが、それが見も知らぬ誰かが国民を監視するために実行しているとしたら。独裁国家なら当たり前の話なのかもしれない。スマホだけならまだしも、身体に埋め込まれた発信機が個人をコントロールする時代が来るかもしれない。そう簡単には来ないだろうと思いたいが、意外と簡単にそんな時代がやってくるかも。もっとも、そこまで生きているとは思えないから考えるだけ無駄な気がするが。

『タクシードライバー 奔放な女』(Taxi)

2015年・ドイツ 監督/ケルスティン・アールリヒス

出演/ピーター・ディンクレイジ/アントニオ・モノー・ジュニア/スタイプ・エルツェッグ/ロザリー・トマス

なんとなく題名から来る面白さが期待を持たせるが、いつまで経っても同じような毎日の繰り返しで、一向にタクシードライバーの奔放な出来事は起こらない。奔放なのは主人公の女性タクシードライバーの精神構造で、誰とでも簡単に寝てしまうドイツ女性が映し出されているだけだ。もっとも、ドイツ女性ばかりではなく、日本に比べたらはるかに奔放な男女のあられもない姿は、数多くの映画で見ることになる。

それにしてもドイツのタクシードライバーの生態は悲惨に見える。お客を乗せるのは普通だが、非番や客待ち時の生活態度は、日本では考えられないいい加減さに見える。日本人が几帳面だからだろうか。運転手が制服を着用していることが、見た目にもきちんとしているように見えるメリットは大であろう。

現役時代のほとんど毎日でタクシーを利用していた時期がある。月曜日から金曜日まで6時になると雀荘に駆け込んでいた。社内では毎日1卓、多い時では3卓くらいの麻雀組が出来ていた。お酒を毎日飲んでいる輩と何も違うところはない。酒か麻雀かというのがヘラルドだった。その帰りはほとんどがタクシーと相成って、あ~ぁ無駄遣いをしたなぁ~と今更悔やんでも遅過ぎるというもんだ。

『カットバンク』(Cut Bank)

2015年・アメリカ 監督/マット・シャックマン

出演/リアム・ヘムズワース/テリーサ・パーマー/ビリー・ボブ・ソーントン/ブルース・ダーン

モンタナ州カットバンク。ドウェイン・マクラレンは恋人のカサンドラと一緒に都会に打って出ることを夢見ていたが、病気の父親を介護する必要があったため、計画を実行に移せずにいた。そんなある日、ドウェインは郵便配達人のジョージーが射殺される現場に出くわした。そのとき、ドウェインは恋人をビデオカメラで撮影しており、偶然にも犯行の瞬間が映り込んだ。ドウェインはすぐさま警察に証拠となる動画を持ち込んだ。ところが、警察が捜査に乗り出した頃には、ジョージーの死体が現場から消え失せていた。実は、ジョージーの射殺事件はドウェインが仕掛けたものだった。ドウェインは「証拠動画」を警察に提出し、その報奨金で都会に出ようと企んだのである。ドウェインの計画は上手く行くかに見えたが、予期せぬ人物が介入したばかりに、事態は想定外の方向へ転がっていった。(Wikipediaより)

カットバンクという題名が地名だとは思わなかった。なにか英語の意味があるのだろうと思わせるところが・・・。日本では劇場未公開、ミニ・シアターでやる問題作でもないし、かといって一般ピープルが好んで劇場に行こうという映画ではないことは確実なので、やっぱり日本の映画館で興行するのは全く難しいなぁ~。

嘘を嘘で固めていく人生の行く末を描いているようにも見える。嘘が好きな人も結構存在するけれど、どうして小さな嘘を並べるのだろうと、不思議に思うことが時々ある。そんなに他人から自分が見られる姿を偽装したいのだろうか。本人が一番知らない自分の姿、誰から見たって同じように見えているのに、本人だけがそう思いたくないのに違いない。人間の性とか言うけれど、もう死んでしまったような思考と思想で生きてきた人間には、なにも怖いことはない。

『ブロークンシティ』(Broken City)

2012年・アメリカ 監督/アレン・ヒューズ

出演/マーク・ウォールバーグ/ラッセル・クロウ/キャサリン・ゼタ=ジョーンズ/ジェフリー・ライト

クライム・サスペンス映画。市長選挙を目前に控えたニューヨーク。元ニューヨーク市警察刑事の探偵ビリー・タガートは、現職市長のホステラーに呼び出され、妻キャサリンの浮気調査を依頼される。実はビリーは、7年前に刑事を辞める原因となったある事件についてホステラーに秘密を握られており、ビリーもまた、それに関するホステラーの秘密を握っていた。調査の結果、キャサリンの浮気相手は、ホステラーの対立候補ヴァリアントの選挙参謀を務めるアンドリュースである事が判明する。キャサリンはビリーに単なる浮気調査依頼のはずがないと忠告するが、ビリーはホステラーに結果を報告して調査を終える。ところが数日後、そのアンドリュースが何者かに殺され、ビリーは窮地に立たされてしまう。すべてはホステラーの仕組んだ陰謀である事を知ったビリーは、反撃に立ち上がる。(Wikipediaより)

ラッセル・クロウのニューヨーク市長が似合わない。雰囲気はぴったんこのように見えるのだが、声の質と喋り方がどうも。グラディエーター(Gladiator・2000年)のイメージが強烈過ぎて、その後の映画で彼を見るたびにその映画に入り込めないでいる自分を見つけることになる。それって私だけなのだろうか。

致命的な弱みを握られてしまっては、人は生きていくことに齷齪しなければならない。この映画の主人公のようにその弱みが社会に曝されれば、じぶんの罪が罰に変わることが明確な場合は、どうやって生きて行けというのか。大概の場合は、そんなに致命的な弱みがあるはずもなく、勘違いして弱みと思ってしまっていることがあったとしても、一瞬の不利益を覚悟すれば御破算に出来る事柄ばかりだと思えばいいのだが。

『インターンシップ』(The Internship)

2013年・アメリカ 監督/ショーン・レヴィ

出演/ヴィンス・ヴォーン/オーウェン・ウィルソン/ローズ・バーン/アーシフ・マンドヴィ

ビリーとニックは、時計販売会社のやり手中年セールスマンコンビ。だが、ある日突然、二人は上司から会社が倒産したことを告げられる。その原因はスマートフォンが普及したことで、わざわざ時計を買う人が少なくなったためだった。デジタル時代に取り残され、突然職を失った二人は途方に暮れるが、ある日ビリーが驚くべき提案をニックに持ちかけてくる。それは、デジタル時代の代名詞である巨大企業「Google」が募集しているインターンシップに自分たちも参加しようというものだった。専門的な知識がない自分たちでは、まず無理だと反対するニックだったが、ビリーの熱い説得に渋々了承し、二人はインターンシップへの参加を決意する。しかし、一流企業「Google」のインターンシップに参加する学生たちは、ほとんどが天才や秀才ばかりで、時代遅れの中年コンビじゃ到底敵うわけがなかった。だが、ビリーとニックは同じ落ちこぼれのインターンたちと協力し合い、独自のアイデアを用いて勝負をかけるのだった。(Wikipediaより)

この映画は、日本では劇場公開されず、ビデオスルーとなった。こういう言い方は今風でいい。これからはこの表現を遣おう。2013年の「Google」という会社の雰囲気を伝えているのだろうか。それにしても8年前の会社にしても凄すぎる。2人の主人公が初めてGoogle社に入ったときに、目の前にある食べ物や飲み物が全部タダとは、観ている方もニュースでは聞いていたが映像になると真実度が違う。

Googleの宣伝のような映画だったが、今や日本のテレビ番組なんて、やらせのオンパレードで反吐が出るくらいだ。どれだけ宣伝費を払っているのか定かではないが、自社の製品のランキングをテレビ番組で流せるほどテレビ局は番組作りに苦労するし、スポンサー会社は金で番組を買ってしまう時代になった。何も知らない視聴者だけが本気になってその会社の製品を眺めている。価値観を押し付けられているとは気が付いていない。最近の若者は、妙に頭がよくて物分かりがいいが、ものを斜めから見たり批判的な見方をすることさえ出来ないでいる。ノー天気な社会が生まれ始まっている。(今日は2021年2月3日、節分は1日前)

『サイド・エフェクト』(Side Effects )

2013年・アメリカ 監督/スティーブン・ソダーバーグ

出演/ジュード・ロウ/ルーニー・マーラ/キャサリン・ゼタ=ジョーンズ/チャニング・テイタム

この監督名を聞くと「セックスと嘘とビデオテープ」( Sex, Lies, and Videotape・1989)という作品を想い出す。ヘラルドが配給した映画。いわくについてはどこかで書いているので探して欲しい。私はこの作品は観たような観ないような、自信がない。そもそもの映画好きでないことを証明するような自分の歴史だ。

抗うつ薬を処方された若い女性に襲いかかる副作用(サイド・エフェクト)がテーマだ。「鬱は未来を築く力の欠如」とか「刑事曰く、彼女は殺人犯か薬の被害者」や「私は状況と薬の被害者」といった難しい展開が頭を悩ませたが、映画らしい映画の展開に久しぶりに喜んだ。精神科医と患者の話で、鬱病のための新薬を処方されて、夢遊病者の状態で夫を刺し殺してしまった、というのが事件。という話に気を取られていたら、実はそこには新薬をめぐる既成担当医、新薬の評判を落とすことによるライバル製薬会社の株の急騰など、想像しなかった複雑な展開を見せ始めるのだった。

患者の主人公は、嘘をつき通して薬による副作用を装っていた。そんなことはつゆも感じられない映画ストーリーにはちょっとズルが感じられるが、映画のおもしろさのひとつだろう。元担当女医と患者とのレズビアン状態なども飛び出してきて、この映画の焦点は一体何処なのだろうと戸惑ってしまう。それにしても薬の副作用は怖い。毎日体験している薬のことをあれこれと考えても仕方がない。生きているだけでもラッキーと想えば、薬の副作用なんて大したことではない、と思うことが重要なのだろう。

『ヒットマン:ラスト・ミッション』(Absolution)

2015年・イギリス 監督/ヴェルナー・シューマン

出演/トーマス・スペンサー/デニス・ライオンズ/ノラ・ヒューツ/ヤーサー・セティン

同じような映画が3本も続くと、頭の中で混乱が始まる。殺人を平気で出来る人は、罪と罰に値する人なんだろうけれど、尊敬にも値するなんて言うと、webなら炎上必至。でも人を殺すなんて気持ちいいだろうね、なんていうことは禁句中の禁句。

殺し屋を主人公にしたクライムサスペンスということらしい。この3本の中では、これが一番面白かった。と言っても、ながら観に適当な映画だった。もっと静かでジーンとくる映画に巡り会いたいのだが、なかなか涙を誘う映画に出会うことは出来ないでいる。

主人公のように非情に徹することは絶対必要な人間の要素だ。ふと、お金の問題ではなく、社会に不必要な人間を殺せるとしたら、それを実行するだろうかなどという馬鹿げたことを考えてしまった。ふ~む、殺人を断るほど確かな精神力を持っていないことだけは間違いなさそうだ。

『バッド・トラップ』(Abstraction)

2013年・アメリカ 監督/プリンス・バグダサリアン

出演/ハンター・アイヴス/エリック・ロバーツ/コリーナ・リコ/リチャード・マンリケス

観終わったばかりの映画に引き続き、裏切りと忠誠のような映画だった。こちらの方が迫力があった分だけおもしろく観られたけれど、ちょっと訳の分からないストーリー展開に嫌気がさしてきたことも確か。こういう殺人を平気でするする映画に、余計な屁理屈は要らない。

それにしてもアメリカの拳銃というのは、もう罪でしかない、という思い。日本のように簡単には拳銃が手に入らない国でさえも、ヤクザの抗争には拳銃が登場するのは必至。誰でもが簡単に拳銃が手に入る国には、秩序という最も崇高な尊厳が存在しなくなるのかもしれない。国会議事堂の中で警察官に銃で撃たれて死亡するという結果事故が発生するのも、自己主張の強すぎる顛末に他ならない。

邦題のような詰まらないストーリーだが、いとも簡単に女に騙されて犯罪を犯してしまうなんて、映画にもなりやしない、と思わせる。よく分からない結末をぐちゃぐちゃと文句しても始まらない。少しでも楽しめればいいとしよう、と思いたいとこだが、おもしろくないことには文句しか浮かんで来ない。

『ヒロシマへの誓い』(the VOW from HIROSHIMA)

2020年・アメリカ 監督/スーザン・ストリクラー

出演/サーロー節子

ヘラルドOBのメンバーにこの映画の配給の話を引き受けた人がいて、そこからホームページを作ってくれませんか、という依頼が来た。この頃は率直に言って頭がすっからかんで、どうしたものかと心の中ではかなり躊躇した。頭が回らない苦しみは本人にしか分からない。それでも、安価でスピーディーにこの仕事を引き受けてくれる人はいないだろうから、まぁやってみるかと思って作り始まった。本編は関係者の特権としてネットで観ることが出来た。想像以上に美しい映像だったことが印象的だ。

速いことしか能がない、と宣言している言葉に嘘はなかった。自分でも驚くくらいの速さでホームページは出来上がっていった。簡易的に画像を多く使って、対応できないでいるタブレットやスマホへのことをなんとか胡麻化しながらクリアした。1週間も経たないでとりあえず完成したのは偉い、と自分だけは褒めてあげよう。https://hiroshimaenochikai.com/

この手の内容でドキュメンタリーというジャンルの映画には弱い。観る前から心が折れているようになってしまう。ただ、この映画はなかなか観易かった。良いことを言っている、なんて上から目線の発言は決して出来ない。誰でも分かる原爆なんてなくなればいいんだ、という素直な心を素直に表現するサーロー節子さんの行動が素晴らしい。胡散臭い左翼運動のように見えてしまうこの手の主張が、もっと素直に受け入れられる国、時代が恨めしい。

『ブラッド・イン・ザ・ウォーター』(Pacific Standard Time)

2016年・アメリカ 監督/ベンジャミン・カミングス/オーソン・カミングス

出演/ウィラ・ホランド/アレックス・ラッセル/チャールビ・ディーン・クリーク/ミゲル・ゴメス

つまらない映画だった。何度も「休止」を繰り返してようやく観終わったという感じ。そんなことまでして観続けることはないだろうに、と思うかもしれないが、そうしなければ途中でやめてしまう映画が多くなりすぎてしまって、この欄が成り立たなくなってしまう。

つまらない映画はつまらない邦題からも窺える。陳腐なストーリーと、貧弱な映画進行に苛立ってばかりでは生きていけない。自分の言い分や行動が正しいと信じている人々は、自分の思い通りの社会でない事柄をもって苛立つ傾向にある。そういう人間が大半かもしれない。

人間が他人を裏切ってまで守ろうとすることは一体何なのだろう。たかが100年も生きることのない個人が何をもって人間であることを死守しようとするのだろうか。こんなつまらない映画を観ながら、全く別のことを考えてしまう特典があるのかもしれない。

『イーストサイド・寿司』(East Side Sushi)

2014年・アメリカ 監督/アンソニー・ルセロ

出演/ダイアナ・エリザベス・トレス/竹内豊/ロドリコ・デュエート・クラーク

日本食レストランで働き始め、最初はキッチンで皿洗いや下ごしらえを担当していたが、料理人としての腕を見込まれ、和食の調理や、最終的にはすし作りまで任せられるようになる。次第にすし職人になるという夢を膨らませる主人公でしたが、アジア系でなくメキシコ系、男性でなく女性であるという人種とジェンダーの2つの壁が立ちはだかる。そんなストーリーだが、物語も映像も甘い。

学生の卒業制作8m/mフィルムのような全体にちょっと。途中でやめてしまおうと何度も思ったのだが、何故か最後まで観ることになった。こういっちゃなんだが、最初の5分で観終わってしまう映画も数多くある。はたまた、せっかく30分以上観ているのに、やっぱりやめようと観るのを終わってしまう映画も結構ある。そんな中で、最初からちょっとと思える映画を観続けた意味が分からない。

出来が悪いからこその理由があったのかもしれない。日本の文化がアメリカ、欧米でどのように扱われているのかに興味があったのかもしれない。他人の目なんてどうでもいいのに、他人の目を気にする自分の不甲斐なさに辟易する。そうやって人生を生きてきた自分が情けない。情けない以上の誉め言葉は見つからない。

『夜の来訪者』(An Inspector Calls)

2015年・イギリス 監督/アシュリング・ウォルシュ

出演/ソフィー・ランドル/ルーシー・チャペル/ミランダ・リチャードソン/ケン・ストット

イギリスの劇作家プリーストリーの代表作でもあり、何度も映画やドラマ化されているという。そんな基本的な知識もなく観る映画は新鮮だ。1912年のある夜、バーリング家では長女シーラと、バーリング家とライバル関係にあるクロフト家の息子ジェラルドの婚約を祝う食事会が行われていた。地方出身だが事業で成功した父アーサー、上流階級出身で特権意識の強い母シビル、そして酒飲みで頼りない弟エリックも、2人の婚約を心から祝福していた。

祝宴中、グールという警部が屋敷に現れ、ある1人の女性の自殺を告げる。女性の自殺には、バーリング家の全員が関わっていた。それぞれの人物が何らかの形で自殺した女性と関係していた。というあたりがこの物語のキモ。警部はそれぞれの人物に自殺した女性の写真を見せるが、一緒に見せるのではなく、それぞれの人物に一人ずつ見せていく。説明しても分かり難い。

思い当たる節があるそれぞれの人物の狼狽ぶりがこの映画のキモ。脛に瑕を持つという表現が全員に当てはまるような。もしかすると誰もが抱く傷のようにも見える。探偵ものでは群を抜くイギリスのストーリーは、こういう映画にも発揮されている。なかなかとおもしろい映画を観て満足に眠りに付けそうだ。

『目撃者 彼女が見たもの』(Eyewitness)

2017年・カナダ 監督/アンドリュー・C・エリン

出演/リンディ・ブース/クレイグ・オレジニク/ジョン・マクラーレン/アレクシス・メイトランド

5年前、自宅豪邸のガレージで起きた殺人事件。ダイアナは、実業家の父親と婚約者ブライアンを失う。殺人犯で服役中だった庭師のルイスが脱獄。警察はルイスがダイアナを狙ってこの豪邸に来るのではないかと心配する。というのも、無実を主張するルイスの有罪判決を決定づけたのはダイアナの目撃証言だったからで・・・。

冤罪という奴で殺人犯に仕立て上げられてしまっては、人生が台無しどころかマイナス要素しかない。そんな人生なら、神も存在しない。神のみぞ知るという台詞は、誰にも侵すことの出来ない普遍的な事実があればこそ。殺人じゃなくても、誰も知らない事実をどう主張したらいいのか、人生とはそんなにもはかないものなのだろう。

人間とは間違いを侵す動物なれど、何かをすれば何かを破ることになる人間社会、その破られたものが誰をも傷つけなければ何も起こらず、何もなかったように地球は回って行くのだが。物理的にも肉体的にも何もないくせに、心理的なものだけで他の誰かを傷つけてしまっていることに、何も気づかず一生を終える人のなんと多いことか。神は知らずともいい。確かな真実だけが独りで歩いている。

『パークランド ケネディ暗殺、真実の4日間』(Parkland)

2013年・アメリカ 監督/ピーター・ランデズマン

出演/ジェームズ・バッジ・デール/ザック・エフロン/ジャッキー・アール・ヘイリー/コリン・ハンクス

キャッチコピーは「あの事件に関わる、4人の証言者。歴史が変わる瞬間を、目撃せよ。」ケネディ暗殺に纏わる映画はそれなりに観ている。パークランド記念病院の医師と看護師たちは大統領を懸命に手当の処置を行い、ダラスのシークレット・サービスの支局長であるフォレスト・ソレルズはたまたまパレード中に8mmフィルムで撮影していたアマチュア・カメラマンのエイブラハム・ザプルーダーへ映像の受け渡しを掛け合っていた。というあたりがこの映画のメイン。

トランプ大統領2019年10月、多くの文書公開を許可した一方、情報源や外国政府に関する機密が含まれているとして一部文書の機密を維持。1963年のジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関する機密文書の全面公開を先送りし、2021年10月までに改めて公開の是非を検討するよう関係省庁に指示した。

どの程度の新しい情報が公開されるのかは分からない。リー・ハーヴェイ・オズワルド容疑者による単独犯行と結論。でも同容疑者の動機や背後関係が明らかになっていないことや逮捕2日後に暗殺されたこともあり、今もなお陰謀説が根強く残ってい、ことは周知の事実。証拠物件の公開が政府によって、2029年(下院暗殺調査委員会)もしくは2039年まで不自然にも制限されている。資料はアメリカ公文書図書館に保管されているが公開されるのは2039年とされている。しかし、現在でも資料の多くが紛失しているため、2039年に公開されても完全に真実が明らかになるかどうかは未知数である、とされている。ここまで生きていたいという目標にはなる。絶対無理だが。

『ダブル・フェイス』(Shelter)

2017年・フランス/ドイツ/イスラエル 監督/エラン・リクリス

出演/ネタ・リスキン/ゴルシフテ・ファラハニ/ハルク・ビルギナー/リオル・ルイ・アシュケナージ

イスラエル諜報特務庁=モサドの工作員ナオミは、ある人物を保護する任務を命じられる。その人物とは武装集団ヒズボラ幹部の元愛人モナ。彼女は秘密を知りすぎたとして組織に命を狙われていた。助けを求められたモサドは、貴重な情報提供者でもあるモナを匿うと、整形で顔を変えさせ、傷が癒えるまでの二週間、ナオミに保護を命じたのだ。モサドが用意した隠れ家で始まった共同生活。しかし、誰も知らないはずの隠れ家には、不審な電話や謎の来客が押し寄せ、次々と奇妙な出来事がナオミの任務を脅かし始める。そして、彼女は次第にモナがヒズボラの二重スパイなのではないかと疑心暗鬼に陥っていく…。誰が敵で、誰が味方なのか――。命を賭けた極秘ミッションの行方に待つ、衝撃の結末とは! ?(Amazonより)

ストーリーを活字で見た方がおもしろく感じる映画。実際の映画はちょっと飽きが来る。匿っているアパートの一室で、女二人の会話と制限された行動が映画向きではない。監督の力があれば、もう少し見せる映画になっていたかもしれない。一度諦めたけれど、もう一度見直して最後に辿り着いた経緯がある。

中東の紛争にかかわる話はイマイチよく理解できないのが困る。単なる映画だけの話なら別だが、現実社会を映し出すこういう映画には、歴史的な背景を平然と知っている常識が求められる。そうでなければ、話がおもしろく伝わってこない。何事にも先達はあらまほしけれ、とはちょっと違うが似たような意味合いがあるような。

『持たざるものが全てを奪う HACKER』(Hacker)

2016年・アメリカ/香港/カナダ/タイ/カザフスタン 監督/アカン・サタイェフ

出演/カラン・マッコーリフ/ロレイン・ニコルソン/ダニエル・エリック・ゴールド/クリフトン・コリンズ・Jr

何という邦題なんだろう。日本語の意味が分からない。この頃はwebで説明を読んでも理解できないことが多く、歳、ボケのせいかなぁと悩んでいるのだが、昔から日本人の書いた日本人のための取扱説明書は分かり難いと結構有名だったことを記憶している。単なるハッカーではいけないのだろうか、と思う。まぁ、映画館で公開するにはギリギリのところの映画なので、ビデオやパソコン用にだけ題名を考える悪い癖が付いているのかもしれない。

配給会社の作った映画のコピーは、「若き天才詐欺集団と黒きカリスマが腐った社会に復讐する・・・」と大見えを切っているのが滑稽だが。この程度のことを大声で言わなければ、誰も見向いてくれない映画かもしれない。これは実話から生まれた物語。幼いアレックスを連れたダニリュク夫妻は、東欧からカナダのロンドンへ移住して来た。ロンドン訛りという言い方があるが、カナダのロンドンという場所の出身だと言って、ロンドン訛りがないじゃないかという言葉を受けるあたりにしかユーモアは感じられない。

Windows95時代からパソコンに馴染んできた主人公は、結構才能があったのだろう。親の貧乏を見かねて、子供のうちからパソコンを通してお金を稼ぐことが出来たようだ。今から考えると可愛いものだった。知り合いにパソコンを作って分けてあげたら、小河さんのお陰でビールだったりいろいろなものを貰っているよ、とその夫婦が喜んで報告してくれたのは、もう何年前のことだろうか。

『蛇のひと』

2010年(平成22年)・日本 監督/森淳一

出演/永作博美/西島秀俊/板尾創路/劇団ひとり/田中圭/勝村政信/國村隼/石野真子

2009年3月に受賞した『第2回WOWOWシナリオ大賞』受賞作品を映像化。ある日、ベテランの独身OLの三辺陽子が会社に行くと、会社では伊東部長が自殺をし、また今西課長が失踪していた。今西には1億円横領の疑いがかかっており部下であった陽子に彼の行方を捜すよう会社に命令されたが、彼の過去を追い彼に人生を狂わせられた人たちの話を聞くうちに、「いい人」と思われていた今西がいったいどんな人物であったのか判らなくなっていく。(Wikipediaより)

10本か20本に1本日本映画を観ている。意図的ではないが、どの映画を観ようかとアマゾン・プライムの見出しを眺めているうちに、偶には日本映画にしようと思える時だけに、選択する。観始まるといかに日本語の方が楽かということが実感されるこの頃であることは、悔しいけど認めなくてはならない。映画のセリフを聞きながら、ほんの時々、こういう英語の表現をするんだ、と妙に納得することはあっても、すぐにその英語を忘れてしまうのは、ご愛敬では済まされない現実をみる。

ストーリーは事件を追っかけているが、中身は、実は人間模様を描きたかったようだ。少なくとも映画に登場する何人かの人生を辿って行くだけで、さまざまな人間模様が映し出されて、あぁ!なんて人間は悩み多き動物なのだろう、とあらためて感心したりする。百人いれば百人の違った人生が営まれていることは、うすうす知ってはいるが、あくまでも他人にはなれない心のうちがもどかしい。

『ロッテルダム・ブリッツ ナチス電撃空爆作戦』(THE BLITZ)

2012年・オランダ 監督/エイト・デ・ジョン

出演/ジャン・スミット/ルース・ヴァン・エルケル/モニク・ヘンドリクス/マイク・ウェルツ

1940年5月、オランダのロッテルダムをドイツが空爆した。たった15分間の爆撃で800人も亡くなったという。中立だからドイツが攻めて来る訳はない、というセリフがあった。そんな中、ドイツ人の女性とオランダ人男性とのラブストーリーが。映画はどんな状況でも男と女の心のうちを描くのが好きらしい。

映画が映し出す現在のロッテルダムは高層ビルが立ち並ぶ近代都市に見える。そしてドイツ軍が空爆した後の焼野原は、まさしく東京はじめ日本の各地で見られたガレキの都市という感じだった。どこまであの当時のヒトラー・ドイツが異常な国だったのかを後世までとどめている。戦争を知らない人間しか生きていなくなっても、その事実は永遠に語り継がれることだろう。

人種偏見というのはいつの時代にもある。この映画の主人公のひとりである女性はオランダに住むドイツ人、それだけでオランダ人から白い目で見られる存在だった。それが当たり前のようにまかり通る社会は普通だったのだろうが、普通のはずの現代でもただ肌の色が違うからと毛嫌いする人々が多いことに唖然とする。

『バッド・ディシジョン 終わりなき悪夢のはじまり』(Bad Samaritan)

2018年・アメリカ 監督/ディーン・デヴリン

出演/デヴィッド・テナント/ロバート・シーハン/カーリト・オリヴェロ/ケリー・コンドン

レストランで働くショーン・ファルコは職務上知り得た情報を利用して、顧客の家に窃盗に入っていた。ある夜、いつものように盗みに入ったファルコは思わぬものを目撃することになった。そこには、ケイティと名乗る女性がおり、「頭のおかしい家主に監禁されているから助けてくれ」と言ってきた。自らの犯行を目撃されてしまった焦りから、ファルコは直ちにその家から逃走したが、家主のケイルはその一部始終をじっと見ていた。その結果、ファルコはケイルに命を狙われることになってしまった。(Wikipediaより)

あるレストランのバレーパーキングで働いている主人公は同じ仕事をしている友だちと、お客さんが食事をしている間にその車に乗って、その車の持ち主の家に入り込んで窃盗を繰り返していた。そんな悪さも出来るよなぁ、と日本には滅多にない駐車方法を疎ましく見つめるしかなかった。その挙句に極めて危険な目にあうことになるのがこの映画、怖い!、怖い!。

善きサマリア人の法(Good Samaritan laws、良きサマリア人法、よきサマリア人法とも)は、「災難に遭ったり急病になったりした人など(窮地の人)を救うために無償で善意の行動をとった場合、良識的かつ誠実にその人ができることをしたのなら、たとえ失敗してもその結果につき責任を問われない」という趣旨の法である。アメリカやカナダ、オーストラリアなどで施行されていおり、近年、日本でも立法化すべきか否かという議論がなされているという。原題にはこんな背景があったとは知らなかった。

『トンビルオ! 密林覇王伝説』(Tombiruo)

2019年・マレーシア 監督/セス・ラー二―

出演/ゾル・アリフィン/ファリッド・カミ/ナビラ・フダ/ファイザル・フセイン

極めて珍しいマレーシア映画。マレーシアの山奥で素顔と超能力を隠し密かに暮らしていた青年。愛する 者を奪われ、彼は密林の守護者・トンビルオとして覚醒、環境保護のため 壮絶な戦いを始めるのだった! 弱き者や自然を守る超肉体派の熱いヒーロー・トンビルオだった。

人間同士の戦いがカンフーなのには、ちょっと。別に悪くはないが、殴っても、殴っても、どちらも平気の平左で戦い続ける姿がリアルからかけ離れ過ぎている。醜い顔で生まれたヒーロー、大人になっても仮面をつけている。このあたりがこの映画のキモなのだろうか。シリーズものにでもしようとする意図が感じられるが。

スーパーマンというヒーローに憧れていた子供の頃。そんな人間は絶対いないよ、と言われなくても分かっていたのか、もしかするとこんなスーパーヒーローが実現するんじゃないかと、本気で思っていた田舎者だったかもしれない。「世直し」という言葉に敏感に反応する性格は、子供の頃に形作られたのかもしれない。翻って、世の中を悪くする者たちに対する憎悪は並大抵ではない。嘘をつく政治屋や無知な金持ちなんかを見ると腹の底から反吐が出るような。

『わたしは、ダニエル・ブレイク』(I, Daniel Blake)

2016年・イギリス/フランス/ベルギー 監督/ケン・ローチ

出演/デイヴ・ジョーンズ/ヘイリー・スクワイアーズ/ディラン・マキアナン/ブリアナ・シャン

第69回カンヌ国際映画祭でパルム・ドール、第69回ロカルノ国際映画祭で観客賞を獲得している。老齢を迎えたベテラン大工であったダニエルは、あるとき心臓発作が原因で倒れてしまう。職を失い、医師からは休職を命じられたため、役所に行き、失業給付金申請の為カウンセラーと面談をするものの、職務可能と判断されてしまい、給付金は下りずにいた。

舞台はニューカッスル、北アイルランドのニューカッスルだろうと想定する。お役所仕事はどこの国でも変わらないらしい。こういう非人間的な行動を平気でするイギリス人を見ていると、日本人の役人なんてまだ可愛いものだよと叫びたくなる。私と同じような年頃の主人公は、私と同じように心臓病を患っている。審査官の質問に正直に答えていくと、あなたは働けますと言われてしまう。医者には働くのは無理だと言われているのに。

訳の分からない年寄り集団は同じような考えと行動をするようだ。審査官や警備員に毒づいてみたところで、一向に生活の先は見えてこない。それでも、隣に引っ越してきたシングルマザーを見ると、手助けしないではいられない。自分の生活が立ち行かなくなり、家財道具を一切売り払わなければならない状況になっても隣人を助けようと奮闘している。哀しいかな老人。同じような光景が世界のあっちこっちで見られるのかもしれない。

『長いお別れ』(A Long Goodbye)

2019年(令和元年)・日本 監督/中野量太

出演/蒼井優/竹内結子/松原智恵子/山﨑努/北村有起哉/中村倫也/杉田雷麟/蒲田優惟人

今日は、2020年(令和2年)12月31日。アルツハイマー型認知症を患った父が徐々に父でも夫でもなくなっていく家族の10年を追った連作短編集。フィクションではあるが、著者の中島京子自身が、2004年にアルツハイマー型の認知症と診断され2013年に亡くなった父、中島昭和を見送った経験がもとになっている。テレビ東京開局55周年記念作品として製作された。

主人公が70歳の時から映画は始まる。主人公は中学校の国語教師(のちに校長先生となる)であったことから、漢字は得意で、デイサービスに通うようになった時には、難しい漢字をただ一人満点で読むことが出来た。このあたりまではボケもかわいいものだったが、2年ごとに変わる映像と共に、主人公のアルツハイマーは容赦なく進行して行くのだった。

妻は健在で終始主人公の父を援護している。二人の娘のうちの長女は夫のアメリカ勤務に伴ってアメリカ生活、その長男は不登校という問題を抱えていた。次女は喫茶店でアルバイトしながら自分で食堂を経営したいという夢を持ち乍ら、結婚にも踏み切れず母とも父ともの微妙な距離の中に葛藤している。こんな複雑な心理状況は、人間生活ではある意味普通だ。父親は予定通り亡くなってしまうが、特に激しい嗚咽が聞こえる訳ではない。むしろ、長女が竹内結子だったことの方が、無性に寂しい映画となってしまっていた。

『ヒプノティスト-催眠-』(Hypnotisoren)

2012年・スウェーデン 監督/ラッセ・ハルストレム

出演/トビアス・ジリアクス/ミカエル・パーシュブラント/レナ・オリン

ラーシュ・ケプレルの小説『催眠』を原作としている。催眠を使って殺人事件の犯人を探し出す糸口を掴みだすとするのが元々の題名の発端。ただ、この医師が経歴上でスキャンダラス的な犯人特定をしてマスコミに叩かれて、医師として催眠を使うことを禁止されている人物だった。わざわざ複雑な環境を作って、事件を複雑にしようとしている。

犯人を洗い出す手法の中には想像も出来ないほどの苦労があるが、映画的には、突然現れて来た犯人像をクローズアップする、という狡い方法がある。今迄なんの影響もなかったはずの人が急に犯人の線上に躍り出て来たって、観客はとてもついていけるものではない。暗くて、長い、お奨めできない映画。警察ものではアメリカ映画に圧倒的なおもしろさがある。

催眠術をかけて欲しい。自分が催眠術にかかる姿を想像、想定できない。どうしたらそんなことができるのだろうか、と疑いの心しか持っていない。「今日の運勢は」なんていう子供騙しが、テレビだろうが新聞だろうが、はたまた週刊誌にまで載っている日本のマスゴミ(塵)環境。こんなところにも日本の未成熟な社会構造と成熟しようもない教育構造の一端が見られる。

『ラスト・クライム 華麗なる復讐』(FAMILY HEIST)

2017年・フランス 監督/パスカル・ブルデュー

出演/ジャン・レノ/リーム・ケリシ/カミーユ・シャムー/パスカル・ドゥモロン

根っからの詐欺、窃盗、大泥棒を稼業としてきた主人公が、ストラディヴァリウスを盗むところから映画は始まる。昔は1億円、2億円という値段が付いていたバイオリンが今や15億円だとは驚きを通り越している。やすいものはどんどんやすくなっていき、高いものはうなぎ上りに高価になって行く。人間社会のいびつな構造がいたるところに。

コメディだが笑えない。ジャン・レノは嫌いな俳優のうちのひとり。演技がわざとらしいのと、濃い顔が馴染まない。美しくない腹違いの二人の娘を使って最後の大博打を打というのがストーリーだが、飽き飽きするような映像の繰り返しに、無駄遣いの典型を観るようだ。

最後は我慢できずに寝てしまった。この頃は、寝る機会が少なくなったと喜んでいたのもつかの間、映画を観ながら知らず知らずのうちに眠ってしまうのは、至極の時間だ。外に出ることが極端に少なくなって、映画を観られるのは楽しい。自分でおもしろそうな映画を探す苦労は、結構面倒くさいが、そんな贅沢なことを考えるのも罰が当たる。

『プレッピー・コネクション』(The Preppie Connection)

2016年・アメリカ 監督/ジョセフ・カステロ

出演/トーマス・マン/ルーシー・フライ/サラ・ペイジ/ジェシカ・ローテ

1980年代初頭。労働者階級の家庭で育ったトビアス・ハメルは奨学金を得て名門私立学校に入学した。ほどなくして、トビアスは友人の依頼で校内にコカインを持ち込む役割を引き受けるようになった。トビアスはかつての友人たちのコネを駆使してコカインを調達していたが、ついにはコロンビアの麻薬カルテルと直接取引するようになり、学校を中心としたコカインの売買網を構築するに至った。有頂天になるトビアスだったが、彼が歩んだ道は破滅に通じる道でしかなかった。1984年に大学進学予備校の学生、デレク・オーティスが30万ドル相当のコカインを密輸した容疑で逮捕された事件を題材としている。(Wikipediaより)

金持ちの高校生が通う学校が舞台。アメリカの高校生の実生活を知る由もないが、どの映画の高校生を見たって日本の高校生では100年経っても追いつかないだろう考え、行動をしている。勿論、アメリカの制度そのものが日本なんか目じゃない先に行っていると思わざるを得ない。車で高校まで通学するなんて、日本じゃ永久にあり得ないだろう。

マリファナだって常識と思われるアメリカの高校生、ようやく18歳の選挙権が与えられた日本なんかじゃ、とてもじゃないけど比較にならない。悪の道に行くのは簡単だけれど、引き返すのは大変だ。それは世界中のどこの国でも変わらないことだろう。神に導かれて、まっとうな人生を歩めることは仕合わせの第一歩であり、最終点でもあるかもしれない。

『特捜部Q キジ殺し』(Fasandraeberne/The Absent One)

2014年・デンマーク/スイス/スウェーデン 監督/ミケル・ノガール

出演/ニコライ・リー・コス/ファレス・ファレス/ピルー・アスベック/デヴィッド・デンシック

なんか観たことがあるなぁという刑事ものだった。英語ではないし、英語だってまったく分からないけれど、慣れない言語を2時間も聞くというのは結構疲れる。1作目は割合最近観た「特捜部Q カルテ番号64」事件簿のように映画シリーズを展開して行くのだろう。2作目の方がさらに暗く、迫力もあった。仕事一筋の主人公刑事の職業意識が凄い。恐れ入る。

キジ殺しというのは、キジ狩りのように意味なく残虐な行いという意味があるということを初めて知った。悪役主人公たちがグループとなって狩猟に精出す様が副題になっているようだ。主人公刑事がボロボロになりながらも容疑者であり被害者の女性を守ろうとする姿は学ばなければいけない。たいした自分でもないのに、自分一番と思っている現代人ばかりになってしまった社会には、こういう人間が必ず必要だ。

それにしても、映画は小さなことを大きくクローズアップしてはしまうけれど、陰で悪いことをしながら金儲けをして一見優雅な生活をする人種がなんと多いことか。せっかく生まれてきたのだから一所懸命金をためて贅沢に暮らすんだという考えが如何に愚かかということを分かっていない。あなたの周りの人間や累々およぶ子孫に無言の神の鉄槌が降りることを知らないだろう。

『ハンターキラー 潜航せよ』(Hunter Killer)

2018年・アメリカ 監督/ドノヴァン・マーシュ

出演/ジェラルド・バトラー/ゲイリー・オールドマン/コモン/ゼイン・ホルツ

潜水艦ものはおもしろい。閉ざされた空間でのバトルが繰り広げられる状況は、広々とした荒野の決闘よりは迫力が増す。『U・ボート』(Das Boot、The Boat・1981年・日本ヘラルド映画)は潜水艦映画の中でも映画ファンなら題名くらい覚えてくれているだろう映画としてちょっと有名。

映画が完成するまでにはそれなり以上の労力と年月がかかる。2015年11月12日、オリジナル・フィルムが新作映画の製作に着手したと報じられた。2016年3月3日、ドノヴァン・マーシュが監督に起用され、ジェラルド・バトラーとゲイリー・オールドマンの出演が決まったとの報道があった。6月23日、テイラー・ジョン・スミスの出演が決定した。7月6日、ガブリエル・チャバリアがキャスト入りした。7日、ゼイン・ホルツが本作に出演すると報じられた。13日、マイケル・トルッコとライアン・マクパートリンの出演が決まった。19日、ミカエル・ニクヴィストの起用が発表された。21日、デヴィッド・ギャーシーがキャスト入りしたとの報道があった。8月4日、リンダ・カーデリーニが本作に出演すると報じられた。(Wikipediaより)

一触即発の危険性は今でも続いているのだろうか。そう簡単にドンパチとやり合う戦いが、すぐに起こるとは考えられないが、どんどん独裁政権のような国が勃発している現状を鑑みれば、人間は自分たちの手で地球を終わらそうとする運命にあるのかもしれない。地球が自然に無くなる前に、人間が自ら地球を破壊することになる、という多くの映画の予言は正しいのかも。

『ロスト・イン・マンハッタン 人生をもう一度』(Time Out of Mind)

2015年・アメリカ 監督/オーレン・ムーヴァーマン

出演/リチャード・ギア/ベン・ヴェリーン/ジェナ・マローン/キーラ・セジウィック

大都会ニューヨーク。ジョージはアパートを追い出される羽目になった。その事実を認めたくないジョージは「財布を盗まれたせいでこうなった」などと強がってみたものの、結局はホームレス状態に陥ってしまった。ジョージは思いつく限りの手段を駆使して金を集めたが、日々の生活費・酒代以上を稼ぐことはできなかった。やがて、冬の寒さが厳しくなってきたため、ジョージは市が運営するホームレス用のシェルターに向かった。そこで、彼はディクソンに出会った。ディクソンは精神的に不安定な状態にあったが、ジョージには親身になって接してくれた。福祉課の職員と面談した後、ジョージは長らく疎遠だった娘のマギーに助けを求めることにした。しかし、マギーは父親に対する遺恨をすんなりと捨てることができなかった。(Wikipediaより)

日本の劇場では未公開だっというのは観てみれば至極納得できる事実。リチャード・ギアが2時間、ひたすらニューヨークでのホームレス生活を実践して見せてくれるだけの、飽き飽きするストーリー展開。もういいよ、と声を掛けたくなる。

日本よりは、はるかに社会がホームレスに対して優しい。宗教から来る心の在り方が原因だろうと、いつも自分勝手に理解しているが、それにしてもなんとも優しくない日本社会制度は永久に変わることはないのであろうか。お金を無心するホームレスとそれに対応する普通の人々が、日本とアメリカでは違い過ぎる。あんたの努力が足りないから、そんな生活しか出来ないんだよと、心のうちで罵る日本人、神の恵みでたまたま利のある私たちの力を使ってくださいと奉仕する心の豊かなアメリカ人、この分野においては明らかにアメリカ人、アメリカ社会の方が一歩も二歩も神に近づいている。

『ドント・ハングアップ』(Don’t Hang Up)

2016年・イギリス 監督/ダミアン・マセ

出演/グレッグ・サルキン/ジャック・ブレット・アンダーソン/ギャレット・クレイトン/ベラ・デイン

悪質なイタズラ電話を繰り返すブレイディやサムたちの元に、ある日、イタズラ電話を掛けた相手から折返しの電話が掛かってくる。その相手の男は、何故か2人の住所を知っており、ブレイディの両親を監禁していることを告げる..、というホラー映画。

他人を陥れるようないたずら電話をする馬鹿者(ワカモノ)を見ているだけでも気持ちが悪くなる。たかが映画と思っていても許せないのは、私の何がそうさせているのだろうか。そこまで清廉潔白で美しい心をいつも持っている訳ではない。それなのに他人を馬鹿にするような行動を平気でする人たちを激しく罵る。

そんな奴らがどんな報復を受けようがいい気味だと思えて仕方がない。なんと心の狭い自分なのだろうと、嘆いてみたって仕方がない。それが自分なのだし、それ以上のものではない。せめてそういう狭い心は封印して決して他人には見せないように慎ましやかに生きることだけが、私の生きる道かもしれないと。

『インビジブル・スクワッド 悪の部隊と光の戦士』(Il ragazzo invisibile)

2014年・イタリア/フランス 監督/ガブリエレ・サルバトレス

出演/ルドヴィコ・ジラルデッロ/ヴァレリア・ゴリノ/ファブリッツィオ・ベンティヴォリオ

イタリアもののヒーロー映画。発端は、好きな子に近付く勇気もないいじめられっ子の少年が、ある日突然透明になる力を手に入れて、町で起きている誘拐事件を解決していく。子供たちの間で起こる出来事を解決していく冒険アクションのようなもの。

観たばっかりの「ミラクル・ニール!」や「アレックス・ライダー」に通じる全体の流れ。比べてしまえばお茶らけている分だけ、この映画の屁たれ感が半端ないが、気楽に観られる映画という点ではさすがイタリア映画と称賛しなければならない。

シリーズものになりそうな雰囲気はあるものの、スパーマンのようにスーツを来て透明人間になって人助けをするというストーリーには限界があるような。遠山の金さん好きの日本人には向いているシリーズになるだろうが、大した力もない”スーパー・ヒーロー”では選挙に出ても勝てそうもない。

『レプリカズ』(Replicas)

2018年・アメリカ 監督/ジェフリー・ナックマノフ

出演/キアヌ・リーブス/アリス・イヴ/トーマス・ミドルディッチ/ジョン・オーティス

医療系のバイオ企業で働く神経科学者のウィリアム・フォスターは上司からせかされたり失敗を繰り返したりしつつ、亡くなった人間の意識を人工脳に移す研究に没頭していた。家族との生活は幸福なものであったが、家族と一緒の休暇初日に起きてしまった自動車事故で妻子を失ってしまう。あまりの悲しみから、ウィリアムは妻や子どもたちの意識や記憶を保存するという自らの研究を利用することを思いつき、すぐさま同僚のエドに機材を運んでもらう。また、同時に、ウィリアムはクローン技術を使って妻子を蘇らせるというアイデアを考え、実行に移す。クローン人間の作成は法律で禁止されていたが、暴走するウィリアムは研究所から機材を盗んでまでクローン人間の作製を行った。(Wikipediaより)

神の領域に行ってしまう生命に関する研究は、それでも留まることなく進歩、進化していくのだろう。それを恐ろしいと思うのか、素晴らしいと思うのかは人それぞれなのだと思う。どうやって地球が出来て、人間はどこから生まれて来たのかの根本的なことを解明できていないのが人間社会。そこはそのままにして、違うことだけで先に進むということにはならないのが人間の知力なのだろうか。

地球がどんな風に出来たかを見事に解明したところで、一体人間は何が変われるのだろうか。人間がどんな風に進化したかを正確に知ったとして、一体人間はどう変われるのだろうか。情報ばかりが蔓延る社会では、情報に振り回されて、何が嘘で何が真実かさえ不確かになっている。天才的な人間集団がかなりの複数で世界をリードして行かなければ、烏合の衆の人間地球が出来上がってしまうだろう。宇宙戦争がおきたら、真っ先に潰れるのが地球でなければいいのだが。

『ブラック・スキャンダル』(Black Mass)

2015年・アメリカ 監督/スコット・クーパー

出演/ジョニー・デップ/ジョエル・エドガートン/ベネディクト・カンバーバッチ/ロリー・コクレーン

原作はディック・レイアとジェラード・オニールのノンフィクション『Black Mass: The True Story of an Unholy Alliance Between the FBI and the Irish Mob』(2001年出版)。マサチューセッツ州ボストン南部で活動していた犯罪組織のリーダー、ジェームズ・ジョセフ・バルジャー(ホワイティ・バルジャー)を主人公としている。

最初のうちはジョニー・デップが分からなかった。どこかで聞いた声と、どこかで見たことのあるような顔だとだけ思っていた。アメリカの役者は相変わらず凄い。実話に基づく映画ならではのメイクが生々しい。額が禿げ上がった顔を平気で演じられるのは特技だろう。この映画は、1970年代後半から1980年代のジェームズに焦点を当て、彼がアイルランド系アメリカ人によって構成される「ウィンター・ヒル・ギャング」のリーダーの座に上り詰める様子をいている。

この時代のボストンの北部はイタリア系、南部はアイルランド系のマフィア・ギャングが牛耳っていたという。日本でも新宿歌舞伎町に中国系ヤクザが殴りこんできたとだいぶ前に聞いたことがあるが、今やその勢力図はどうなっているのだろうか。日本人同士だって、同じ組が3つに別れて血の抗争をおっぱじめている現状をみると、人間の権力欲は永久に無くなるものではないと思い知らされる。

『アレックス・ライダー』(Stormbreaker:Alex Rider: Operation Stormbreaker)

2006年・イギリアウ/アメリカ/ドイツ 監督/ジェフリー・サックス

出演/アレックス・ペティファー/アリシア・シルヴァーストーン/ミッキー・ローク/ソフィー・オコネドー

幼い頃両親を亡くした主人公アレックス・ライダーは銀行員の叔父と、家政婦)とともに暮らす14歳の少年。ある日、叔父が不慮の事故死を遂げ、その死に疑問を抱いたアレックスは彼の周辺を探り自分を育ててくれた叔父が実は英国諜報部員であったことを知ることになる。秘密情報部に乗りこんだ彼に、上司だった人物は叔父が過去アレックスに教えてきた数カ国の語学や射撃、武道、スカイ・ダイビングやスキューバ・ダイビングなどすべて実はスパイに必要なレッスンだったのだと告げ、彼をMI6にスカウトする。(Wikipediaより)

ショーン・コネリーの後継者を育てようとしているのか、とさえ思えるようなイギリスお得意の諜報ものの誕生だ。主人公はまだ14歳と若い、この若さにする必然性がどこにあったのかと、ちょっとばかりいらぬ想像を巡らしたが、何も分からなかった。若いからいいのだろうか。それなら、キックアス(Kick-Ass・2010年)の少女ヒット・ガールのような世直しスーパー・ヒーローで充分なのではなかろうかと。

ストーリやアクションはかなり今風で、007が出来たころの秘密兵器に比べれば雲泥の差はあるものの、その当時の雰囲気を踏襲する映像は懐かしさを覚える。もしかするとシリーズものになって、これからのスパイ映画を牽引して行くようになるのかなぁ。主人公役も実年齢は16歳らしいから、かなり主人公役をやり続けることになったりして。

『ミラクル・ニール!』(Absolutely Anything)

2015年・アメリカ 監督/テリー・ジョーンズ

出演/サイモン・ペグ/ケイト・ベッキンセイル/サンジーヴ・バスカー/ロブ・リグル

サイモン・ペグ主演のSF・コメディ映画。モンティ・パイソンのテリー・ジョーンズが監督を務め、他のメンバーも声優として出演している。パイソンズが揃って映画に出演するのは、1983年に公開された『人生狂騒曲』以来のことであった。またこの作品は、ロビン・ウィリアムズの最後の出演作品となった。(Wikipediaより)

ロビン・ウィリアムズの出演シーンが分からなかった。地球外生命体を求めて打ち上げられた探査船が、遠い宇宙の果てにいるエイリアンたちの「評議会」)へ届く。彼らは地球人の無能さに呆れ、これまでの星と同じように地球を消滅させることにするが、1度は機会を与えるべきだとする銀河法の規定により、適当に1人の地球人を選んで「ほとんど何でも」("Absolutely Anything") 叶えることのできる力を授けると決める。その力を与えられたのが冴えない中学校教師であるこの映画の主人公。

軽く観られるだけがいいい映画だろう。なんでも叶えられる力を持つと人間が何をするのかという命題は、多くの映画で描かれ、語られてきた。かわいい望みを実現するくらいならいいが、大きな野望を叶えてしまうと人間はどうしようもない価値観に苛まれるのがオチのようだ。これを書いていて最後になって、ロビン・ウィリアムズは、主人公の愛犬デニスの声役だったということが分かった。

『1917 命をかけた伝令』(1917)

2019年・イギリス/アメリカ 監督/サム・メンデス

出演/ジョージ・マッケイ/ディーン=チャールズ・チャップマン/マーク・ストロング/アンドリュー・スコット

第一次世界大戦( World War I、略称:WWI)は、1914年7月28日から1918年11月11日にかけて、連合国対中央同盟国の戦闘により繰り広げられた世界大戦である。この映画の舞台は1917年4月、ヨーロッパは第一次世界大戦の真っ只中にあった頃の物語。

その頃、西部戦線にいたドイツ軍は後退していた。しかし、その後退はアルベリッヒ作戦に基づく戦略的なものであり、連合国軍をヒンデンブルク線(英語版)にまで誘引しようとしたのであった。イギリス陸軍はその事実を航空偵察によって把握した。エリンモア将軍は2人の兵士、トムとウィルを呼び出し、このままでは明朝に突撃する予定のデヴォンシャー連隊、第2大隊が壊滅的な被害を受けてしまうが、彼らに情報を伝えるための電話線は切れてしまったため、現地へ行って連隊に作戦中止の情報を伝えることを命じられた。第2大隊には1,600名もの将兵が所属しており、その中にはトムの兄・ジョセフもいた。(Wikipediaより)

舞台劇にでもなりそうな光景、風景の戦争映画。時々はドカ~ン、バチ~ンと戦争の火花が現実味を帯びるけれど、どちらかというと伝令を届けるために奮闘する2人の兵士が大主人公になっている。途中からはそれが1人になってしまったから、余計静かな戦争映画となっている。悪くはない。が、何かが足りない。実際にあった悲惨な戦争の焼け跡が伝わってこないからかもしれない。それにしてもこの時代の戦争はかわいい、などと言っていると誰かに舌の根を抜かれてしまいそうだ。

『キャッツ』(Cats)

2019年・アメリカ 監督/トム・フーパー

出演/ジェームズ・コーデ/ンジュディ・デンチ/ジェイソン・デルーロ/イドリス・エルバ

T・S・エリオットによる詩集『キャッツ - ポッサムおじさんの猫とつき合う法』(The Old Possum's Book of Practical Cats)を元にした、アンドルー・ロイド・ウェバーが作曲を手掛けたミュージカル作品である。マンカストラップ、ラム・タム・タガーといった個性的な猫たちが都会のごみ捨て場を舞台に、踊りと歌を繰り広げる。人間が一切出てこない演出と振付が特徴となっている。ニューヨークでの連続上演回数は、2006年1月9日に『オペラ座の怪人』に抜かれるまでブロードウェイでのロングラン公演記録であった。世界で興行が最も成功したミュージカル作品のひとつである。2019年時点で、全世界での観客動員数は7300万人を上回るという。

この映画は、公開直後から酷評レビューの嵐が吹きまわっているらしく、第40回ゴールデンラズベリー賞では、最低作品賞をはじめ、最低監督賞、最低助演男優賞(ジェームズ・コーデン)、最低助演女優賞(レベル・ウィルソン)、最低スクリーンコンボ賞(半人半猫の毛玉たちのコンビ全て)、最低脚本賞の最多6部門で受賞を果たしている、

私が昔偶然手に入れたイギリスの舞台をDVD化した映像は素晴らしい。イギリスのミュージカル歌手エレイン・ペイジ(Elaine Paige,1948年3月5日-)版であったことも幸いしている。そのオリジナルはどこかへ行ってしまったが、歴代のパソコンのハードディスクに保存されていることがラッキーだ。時々、他人のハードディスクにも勝手にコピーして楽しんでもらっている。その映像を何度も眺めているので、この酷評の映画の意味がよく分かる。出来過ぎた猫の化粧が、何故か気持ち悪くなってきてしまう。もっとも感動的な「メモリー」の歌のシーンでは、え!ちょっと待ってよ!違い過ぎるよ印象が、と言葉にならない嘆き節を。

『ラッキー』(Lucky)

2017年・アメリカ 監督/ジョン・キャロル・リンチ

出演/ハリー・ディーン・スタントン/デヴィッド・リンチ/ロン・リビングストン/エド・ベグリー・ジュニア

一匹狼の偏屈老人ラッキーが、風変わりな町の人々ととりとめのない日々を過ごしながら、静かに死と向き合っていく姿をユーモアを織り交ぜて描く。主演のハリー・ディーン・スタントンの遺作(1926年7月14日 - 2017年9月15)。アメリカでの公開が2017年9月29日だったので、その直前に亡くなっている。

神など信じずに生きてきた一匹狼の偏屈老人ラッキーは今年で90歳。目を覚ますとコーヒーを飲んでタバコを吸い、なじみのバーに出かけて常連客たちと無駄話をしながら酒を飲むという毎日を過ごしていた。そんなある日、ラッキーは突然倒れたことをきっかけに、自らの人生の終わりを意識し始める。彼は自身がこれまでに体験してきたことに思いを巡らせながら、「死」を悟っていく。迫真の演技というより、まさしく人生の最後の姿を馴染んだスクリーンに晒したという感じだろうか。

『イレイザーヘッド』(Eraserhead・1977年)、『エレファント・マン』(The Elephant Man・1980年)の監督で有名なデヴィッド・リンチが結構頻度の高い出演者としてこの映画に出ている。取り留めない毎日の生活が人生。嫌味を言ったり、嫌われることも平気で喋れる。いつ死ぬか分からないことは想像できても、健康体で毎日の煙草を医者から止められることもないあたりがユーモア。考えられないほど肺にも異常が見られないんだから、生活のリズムを殺してまで煙草を止める必要はないよ、と医者が言うんだ。

『パリよ、永遠に』(Diplomatie)

2014年・フランス/ドイツ 監督/フォルカー・シュレンドルフ

出演/アンドレ・デュソリエ/ニエル・アレストリュプ

1944年8月25日未明。パリの中心部に位置するホテル ル・ムーリスにコルティッツ将軍率いるドイツ軍が駐留していた。ヒトラーからの命を受け、コルティッツはパリ壊滅作戦を進めている。それは、セーヌ川に架かる橋の数々、ノートルダム大聖堂、ルーヴル美術館、オペラ座、エッフェル塔…パリの象徴でもあり、世界に誇る美しき建造物すべてを爆破するというものだった。(Filmarksより)

ヨーロッパ戦線ではドイツの敗色が濃厚となっていた。8月7日にディートリヒ・フォン・コルティッツ歩兵大将をパリ防衛司令官に任命したヒトラーは、パリに架かる橋をすべて爆破した上で、最後の一兵まで戦うよう命令を出した。パリ生まれパリ育ちのスウェーデン総領事ノルドリンクが、パリの破壊を食い止めようと説得にやってくる。将軍の考えを変え、何としてでもパリの街を守りたい総領事。一方、妻子を人質に取られ作戦を実行せざるを得ない将軍。長い一夜の駆け引きが始まった。

二人の会話がほとんどの物語なので、出演者もこの二名しか記されていない。実際にこの二人がどういう会話をしたのかの問題ではなく、歴史の流れの中でこういうことであろうとするストーリー展開は、きっと映画でも描き切れないものがあったに違いない。終わってしまえば何とでも言える、が、戦争の最中しかも終結まじか戦局の中での激論は想像に絶するものだったろう。戦争でなければあり得ない究極の選択を課せられた軍人たちも最大の被害者と呼べるだろう。

『ザ・アウトロー』(Den of Thieves)

2018年・アメリカ 監督/クリスチャン・グーデカスト

出演/ジェラルド・バトラー/オシェア・ジャクソン・Jr/50セント/パブロ・シュレイバー

2作続いた警察もの、しかもこの映画はなんと2時間20分もあった。大作は長くなる傾向にあるが、この程度のアクション映画でこの長さは珍しい。何分に1回、1か月に何回、1年にこれだけの銀行強盗事件が発生するのがアメリカ、ロサンゼルスだと冒頭にテロップが流れる。

この映画の見せ所は、カーアクションではなく銃撃戦。高速道路の出口で渋滞にはまった犯人グループとそれを追う警察官のあたりかまわずの銃撃戦は、さすがアメリカと思わざるを得ない。銀行強盗が頻繁に起こるのも銃という武器が巷に溢れているからに他ならない。単発銃ではなく機関銃が主な武器となって銃撃戦が挙行されるに至っては、コメントのしようがない。自分の身を守るためには「銃」は絶対必要なものだと主張するアメリカ人に賛同することは出来ない。

圧倒的に警備が厳しい連邦準備銀行を襲うシーンを観ていると、世の中に絶対はあり得ないんだということが。どんなにセキュリティーを強化したって、穴のないセキュリティーも考えられない。人間がシステムを運用し、人間がシステムの中で動いている限りは、絶対に守れるものはない。しかも、ハンバーグのデリバリーを建物の中まで入れてしまうというちょっと考えられないようなセキュリティーの甘さが、映画のほころびに通じているような気もする。

『ザ・スクワッド』(ANTIGANG/THE SQUAD)

2015年・フランス/イギリス 監督/バンジャマン・ロシェ

出演/ジャン・レノ/アルバン・ルノワール/カテリーナ・ムリーノ/ティエリー・ヌーヴィック

ジャン・レノが犯罪者からも恐れられる伝説の刑事を演じたアクション映画。パリ警視庁の特殊捜査チーム率いる伝説の刑事セルジュは、その過激で暴力的な捜査で犯罪者からも恐れられていた。宝石店で発生した強盗殺人事件の主犯を、かつて自ら逮捕したことのある因縁の男アルミン・カスペールであるとにらんだセルジュは、カスペールとその仲間たちを強引なやり方で連行したが、決定的な証拠が出ずにカスペールは釈放された。

日頃から上層部に目をつけられ、誤認逮捕の責任を問われたセルジュは、チームとともに強盗事件の捜査を外されてしまう。そんな中、同一犯とみられる強盗事件が発生。命令を無視し、事件現場へと向かったセルジュたちに、犯人たちは銃を乱射。パリ市街で市民を巻き込んだ銃撃戦へと発展してしまう。往年の人気ドラマを映画化したイギリス映画「ロンドン・ヒート」のリメイク。(映画.comより)

フランスの警察もの。警察ものといえばアメリカと決まっているが、なかなか悪くはない。と、思っていたが、次作で観ることになる「ザ・アウトロー」がアメリカ・ロサンゼルスの警察もので比べてしまったら、圧倒的にアメリカに軍配があがった。やさグレ刑事の度合いも半端ないアメリカの警察官、いくら頑張ってみたところで、勝てないものは勝てないと悟るしかない。

『サイバー・リベンジャー』(I.T.)

2016年・アメリカ 監督/ジョン・ムーア

出演/ピアース・ブロスナン/ジェームズ・フレッシュヴィル/アンナ・フリエル/ステファニー・スコット

ピアース・ブロスナン演じるビジネスジェット機専門の航空会社を経営する社長マイク・リーガンが、高校生の娘に近づいたことを理由に解雇した部下のITエンジニアから逆恨みされ、会社や関連機関へのハッキングで破滅させられる恐怖を描く。(Wikipediaより)

I.Tを「イット」と読んだ日本の森首相の話は有名だが、巷に氾濫する和製英語や本物の英語の短縮形が甚だ過ぎて、日本人の賢明さが顕著。カタカナ、ひらがな、漢字、アルファベットを駆使して生きている日本人てホントに凄いと思う。一方では元々の日本語が乱れてしまって、敬語や尊敬語が極めて不適切に遣われている現代社会は、おそらく日本語の運命を決める岐路に立っているんではなかろうか。

ネットワークの難しさはオタク族と呼ばれる人種の助けを借りなければにっちもさっちも行かないのも現実。全ての通信が無線に向かっている。便利ではあるが、有線ではないもどかしさがある。それを嫌って有線でなければ嫌だという年寄りもたくさんいるが、無線の便利さを享受した方がなにかと都合の良い世の中になって来た。そういう世界でも100年後が見てみたいと、また同じことを言う。

『女と男の観覧車』(Wonder Wheel)

2017年・アメリカ 監督/ウディ・アレン

出演/ケイト・ウィンスレット/ジャスティン・ティンバーレイク/ジュノー・テンプル/ジム・ベルーシ

冒頭、監督がウディ・アレンだと知って、ちょっと観る気が削がれた。彼の作品というより、彼の作った映画との相性が悪いと思い込んでいる節がある。そんな風に思ってしまったら、もう仕方がない。何度も書いていることだが、どこでこのボタンの掛け違いみたいな雰囲気になってしまったのかは分からない。

1950年代のコニー・アイランド(Coney Island・アメリカ合衆国ニューヨーク市ブルックリン区の南端にある半島および地区である。ニューヨークの近郊型リゾート地、観光地として知られる。)が舞台。子連れで再婚した元女優の遊園地のウェイトレスとメリー・ゴーランドの管理人である夫、そこに疎遠になっていた夫の娘が転がり込んできた。しかもその娘は現役のマフィアの夫から命からがら逃れて来た、というストーリー。

「女と男のいる舗道」(Vivre sa vie: Film en douze tableaux・1962年)は、ヘラルド配給。その題名を頂いて付けた題名『女と男の名誉』(Prizzi's Honor・1985年)は私が日本ヘラルド映画の宣伝部にいた時に付けた題名。そんなことを想い出したこの映画の邦題。そんなことを知らなければ知らないでなんていうことはないのだが、映画というのは監督も役者も、はたまた原作にも曰く因縁みたいなものが結構あって、そこんところを知ると映画がもっとおもしろくなるという側面を持っている。

『コンプリート・アンノウン ~私の知らない彼女~』(Complete Unknown)

2016年・アメリカ/イギリス 監督/ジョシュア・マーストン

出演/レイチェル・ワイズ/マイケル・シャノン/キャシー・ベイツ/ダニー・グローヴァー

ニューヨーク。クライドはアリス・マニングと名乗る女性とカフェで歓談していた。アリスはカエルの研究をしており、タスマニア島の調査を終えて帰ってきたのだという。アリスが「新しい友達が欲しい」と言ったので、クライドは彼女を同僚のトムが主催するパーティーに連れて行くことにした。アリスの姿を見たトムは仰天した。アリスの風貌が大学生時代の彼女、ジェニーに瓜二つだったからである。しかも、ジェニーは失踪していたのである。パーティーの後、トムがアリスを問いただすと、アリスは自分がジェニーであったことをあっさり白状した。アリスはかつての自分を知る唯一の人間であるトムに会いに来たのだという。予期せぬ事態に困惑するトムに対し、アリスは自分のように生きることの素晴らしさを説くのだった。そして、場の勢いに流されるまま、トムも別人として振る舞うことの快感を味わってしまった。その結果、トムは「今まで通り家族に縛られた生き方をするべきなのか、それともアリスのように自由な生き方をするべきなのか」という問題に直面し、頭を抱えることになった。(Wikipediaより)

アマゾン・スタジオが製作した映画。日本の劇場未公開も頷けるかったるさは久しぶり。暗いし、テンポは遅いし、アメリカ映画とは言えない雰囲気。たぶん、イギリスでの製作ということなのだろう。一人の女性の、人間の生き方を切り取って見せてくれてはいるが、何処にも共感できない。何を知って欲しいのかが分からない。

誰にも邪魔されずに独りで生きていけるのなら、誰しもそういうことを望むかもしれない。いや、独りで生きていくなんてとても出来る事じゃないと、最初からそんなことは頭にない人の方が多いかもしれない。いずれにしたって、人間100年、どんな風に好き勝手に生きようが残る人生の短さを考えれば、余計な心配など無用という人生。

『ザ・サークル』(The Circle)

2017年・アメリカ 監督/ジェームズ・ポンソルト

出演/エマ・ワトソン/トム・ハンクス/ジョン・ボイエガ/カレン・ギラン

SNSの会社になんとか就職できた主人公だったが、この会社はSNSの最先端を行く会社で、その神髄に触れていくたびに人間の恐ろしさを知ることになる。自分の生活を全てオープンにし、身の回りには無数の小型カメラが張り付いている。トイレや暗くなった寝室以外では、世界中の眼が自分の一挙手一投足を見ることが出来、多言語でコメントが寄せられる。

そんな生活が来るのだろうかと、疑問に持つことになるが、意外と映画の未来図は現実にやってくることが多いのが普通だ。こういう映画を見るたびに、3年や5年後ではなく、100年後の世界が見てみたいという欲求がさらに強くなる。そんなことは不可能なのだけれど、どうしても100年後のこの場所に居たい。

そんな夢にも出来ないことが私の夢なのだ。こんなことを考えるのは普通ではないのだろうか。目の前の出来そうなことを「夢」として語った方が、世間的には可愛く映るのかもしれない。そんな夢なんて、自分の小さな満足を満たすだけでしかない。自分なんていう存在は宇宙の塵にも成れはしないと常々思っている自分にとっては、夢は壮大でなければ意味がない。壮大であればあるほど、気が狂っているとしか見られないのが普通の世界。それでいいのだ。

『アウトランダー』(Outlander)

2008年・アメリカ 監督/ハワード・マケイン

出演/ジム・カビーゼル/ソフィア・マイルズ/ジョン・ハート/ロン・パールマン

『アウトランダー』(Outlander)は、アメリカ人作家ダイアナ・ガバルドンによる歴史ロマンSF小説シリーズである。 1980年代後半にシリーズ第1巻『時の旅人クレア』を描き始め、1991年に出版された。 計画された10巻のうち8巻を出版しているということらしい。

テレビ・シリーズが放映されたのが2014年、原作は世界中で3000万部になるほど読まれているという。一種のタイムスリップものなのに、主人公が落下した時代が8世紀で場所が北欧、バイキングたちが闊歩する風景と相まって独特なストーリー展開が興味を湧かせる。

「ホビット」「ロード・オブ・ザ・リング」のようなファンタジー、冒険ものを久しぶりに楽しんだ。細かいところでは、よそ者と土着の王位継承予定者との二人の争いになって、「王」はどっちだという争いになるだろうと思わせられたのは昔のことで、今やもっとすんなりと王女の愛を受けながらも、正当路線の若者が結構いい奴だったというオチがついていた。エイリアンのお化けのような怪獣が出てくるのはいただけなかったが、普通の人間の形をした悪魔が出てきても冒険ものにははまらないから、仕方のない怪物の登場だと納得するしかなかった。

『特捜部Q カルテ番号64』(Journal 64)

2018年・デンマーク/ドイツ 監督/クリストファー・ボー

出演/ニコライ・リー・カース/ファレス・ファレス/ヨハン・ルイズ・シュミット/ソーレン・ピルマーク

デンマークの人気ミステリー作家、ユッシ・エーズラ・オールスンの大ヒットミステリー小説で、累計1600万部の売上を突破した人気シリーズの「特捜部Q」で、その映画化第4弾が『特捜部Q カルテ番号64』。本国デンマークでは、国内映画で歴代No.1の興行成績を記録したという。

警察ものでは一日の長があるアメリカ映画と比べてはいけないかもしれない。結構面白い物語になっているが、監督の力が弱いためにその肝心のおもしろさが直球で伝わってこない。妊娠中絶が普通に行われていない国の悲惨さが見えてくる。また、優生保護法のような間違った価値観のもとに不妊手術を行ってしまう社会の異常さがあぶり出されている。

それにしても神は種の保存という大テーマのために、なんていうことを生きとし生きる者に課しているのだろうか。セックスの快楽に溺れて望まない子供を虐待し、死にまでも陥れる親、人間の存在がただ社会の一環だと見ることは出来ない。もっと、規律ある人間性の教育がきちんと為されなければ、共同体として社会を担っている一人一人の人間の生き様を・・・・・。

『しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス』(Maudie)

2016年・カナダ・アイルランド 監督/アシュリング・ウォルシュ

出演/サリー・ホーキンス/イーサン・ホーク/ガブリエル・ローズ/ザカリー・ベネット

モード・ルイス(Maud Lewis、1903年3月7日-1970年7月30日)はカナダのフォークアートの画家である。田舎の風景、動物、草花をモチーフに、明るい色彩とシンプルなタッチで温かみと幸福感のある絵を描いた。カナダで愛された画家の一人である。と、紹介されている実話に基づいた映画。

若年性関節リウマチを患い、生涯に亘って手足が不自由で体も小さかった。身体障害者に対する差別もあり、途中で学校教育を中退してホームスクールに切り換えたほか、同世代の子供と遊ぶよりも一人で過ごす時間が多かった。1935年には父ジョンが、1937年には母アグネスが亡くなる。当時の慣習により住居は兄が継ぐが、兄夫婦は離婚し兄が家を出る。モードは叔母と暮らすこととなった。が、その叔母からも見放され、独り暮らしのために魚の小売業を営むエヴェレット・ルイスと出会い、1938年に結婚した。このあたりの生活はかなり貧祖過ぎて涙が出る。男の慰み者になっていると小さな村では噂になっていた。綺麗な海とおもちゃ箱のような小さな村の家並みが印象的。

その後、彼女の書いた絵が認められて大成功した、という物語になるわけではなかった。でも、彼女を見捨てた叔母の言葉によれば、一族で一番幸せになったのはあなただけよ!、と。

『記者たち 衝撃と畏怖の真実』(Shock and Awe)

2018年・アメリカ 監督/ロブ・ライナー

出演/ウディ・ハレルソン/ジェームズ・マースデン/ロブ・ライナー/ジェシカ・ビール

イラク開戦をめぐる「大量破壊兵器」捏造問題を実話を元に描く。字幕監修は池上彰が担当したらしい。ブッシュ元大統領を始め、多くの政治家たちのテレビでの発言が引用され、その背後で新聞記者たちがどのように考え行動していたのかを描き出している。さすがアメリカ、アメリカ映画という感が強い。日本のマスゴミ(塵)や映画界がこれほどの硬派な切り口を映画化するなんていうことは、あと何十年経っても実現することはないであろう。

実話、2002年1月29日、ジョージ・W・ブッシュ米大統領は一般教書演説で、北朝鮮、イラン、イラクを悪の枢軸であると糾弾し、イラクが大量破壊兵器を保有しテロを支援していると非難した。マスメディアもイラクへの軍事介入を肯定する論調が支配的となり、ナイト・リッダ―(今回の新聞社)の記者たちによる懐疑的な記事は紙面に載らなくようになる。事実がどうであれ、120%の確信があったとしても、政府発表を忖度して記事が構成されるのは、この時代のアメリカにとっても不思議なことではなかった。今でさえ、トランプに忖度した記事が大手を振ってまかり通る現実を見れば、何の違和感もないことだろう。

それでも、ひとつの真実を求めて行動する「記者たち」の姿は神々しい。数年後に政府発表をそのまま記事にしたことを謝罪した新聞社があったとしても、今生きる現実には何の慰みにもならない。そういう時の流れを利用した政府権力の濫用は、世界中のどの国でも行われているようだ。

『天才作家の妻 40年目の真実』(The Wife)

2018年・スウェーデン/イギリス/アメリカ 監督/ビョルン・ルンゲ

出演/グレン・クローズ/ジョナサン・プライス/クリスチャン・スレーター/マックス・アイアンズ

著名な作家、ジョゼフ・キャッスルマン宅に、「あなたが今回のノーベル文学賞に選ばれました」という国際電話がかかってくる。嬉しい報せに、電話を終えると思わず妻ジョーンと手を取り合って、家の中でダンスしてしまうほど有頂天になるジョゼフ。だが、この夫婦にはシリアスな問題があった。

オリジナルタイトル「Wife」をもう少し尊重して欲しい。せめて原題通り「妻」でもいいし、さもなければ「ノーベル賞作家の妻」または「小説家の妻」くらいに留めて欲しかった。肝心の真実があることを匂わせてしまっては、観る人の興味を半分削いでしまうことが分からないのだろうか。ノーベル賞作家の妻を演じるのは、グレン・クローズ。彼女がスウェーデン出身の監督、ビョルン・ルンゲを指名したことが伝えられているように、本作はクローズが主導する、彼女のための作品である。そして若い頃の自分を、実の娘のアニー・スタークが演じている。

実話に基づく映画ストーリーではないとの事だが、もしかすると同じような話は存在するのかもしれない。才能のない夫の陰になって本当の天才だった妻の存在は、一種の皮肉にも見える。話がそうなるだろうという通りになることはおもしろい映画の条件なれど、あまりにもその切り口や振る舞いが平坦過ぎるきらいがある。もっとおもしろくなるような気がする。監督の力なのかもしれない。

『ウイスキーと2人の花嫁』(Whisky Galore!)

2016年・イギリス 監督/ギリーズ・マッキノン

出演/グレゴール・フィッシャー/エディ・イザード/ショーン・ビガースタッフ/ナオミ・バトリック

第二次世界大戦中にスコットランドのエリスケイ島沖で大量のウイスキーを積んだ貨物船SSポリティシャン号が座礁した事件をもとにしたコンプトン・マッケンジーの1947年の小説『Whisky Galore』をマッケンジー自らが脚本、アレクサンダー・マッケンドリックが監督を務めて映像化した1949年の映画『Whisky Galore!』のリメイク作品。少年時代からオリジナル版のリメイクを夢見てきた1人の映画プロデューサーの熱意により、当時貨物船に乗船していた士官候補生や座礁した船をいち早く発見した人物など、事件を直接知る人々への入念な取材を繰り返し、10年の歳月をかけて製作されたという。

戦況悪化のあおりを受けてウイスキーの配給が止められたトディー島の住民たちは、すっかり無気力に陥っていた。島の郵便局長ジョセフの長女ペギーと次女カトリーナはそれぞれ恋人との結婚を望んでいたが、周囲からウイスキーなしの結婚式はあり得ないと反対されてしまう。そんな中、輸出用に5万ケースものウイスキーを積んだニューヨーク行きの貨物船が島の近くで座礁する事件が発生。これを神様からの贈り物だと捉えた島民たちは、禁制品のウイスキーを「救出」するべく立ち上がるというコメディ。

スコットランドのバグパイプが雰囲気を醸し出す。この島の西側にはもう陸地はなく大西洋のさらに西にはアメリカ大陸があるだけだった。ウイスキーを島民全員が楽しそうに飲んでいる。ロンドンでは空爆があるけれど、この島には空爆よりもウイスキーの方が大切なようだ。思い出すのはスコットランドが発祥のゴルフ、その聖地と言えるセントアンドリュース、行っておいて本当に良かった。あの時、ヘラルドの副社長だったサム・難波さんが「小河君、今度は何処へ行きたいかね?」と聞いてくれなかったら、カンヌ映画祭の帰りにスコットランド出張は実現していなかった。合掌、難波さん。

『ケルベロス 紅の狼』(O Doutrinador/The Awakener)

2018年・ブラジル 監督/グスタヴォ・ボナフェ

出演/キコ・ピソラート/タイナ・メディナ/サミュエル・デ・アシス/マリリア・ガブリエラ

漫画原作。ケルベロスは"地獄の番犬" 。"紅の狼" とは違うでしょう。映画の内容ともズレてる。まさか 押井守版と差別化するための日本独自のサブタイトル? という書き込みがあった。ブラジル映画は珍しいが、アクション映画を作るとなると最先端を行くアメリカ映画を気にしなければ、視聴者を満足させることはなかなか難しいだろう。

世直し奉行みたいなものだけれど、正義という大上段に振りかざした錦の御旗のもとに行動することは、結局一人の人間のエゴでしかない、てなことを言われそうだ。それでも、正義を振りかざさないで見て見ぬふりをする現代人の大多数をいくら責めたって世の中は良くならない。犠牲的精神と肉体で世の中に向かっていく人が現れないと、世の中は急速に改善することはないであろう。

正しいことが正しいと認められる世の中なんて、そんなに簡単に存在すらする訳もない。「フェイク・ニュース」と自らのフェイク主張を平然と主張しまくる大統領が、身分を保証されているうちは国民の上に君臨できるんだから、いくら人間が作った規律とは言いながらも、納得できない現実が目の前にある。

『プロジェクト・ブルーブック』(Project Blue Book)

2019年・アメリカ 監督/ロバート・ストロンバーグ

出演/エイダン・ギレン/マイケル・マラーキー/ローラ・メネル/クセニア・ソロ

1952年から1969年まて゛、アメリカで謎の飛行物体や光が次々と目撃される。空軍と政府は、12,000以上の情報を極秘裏に捜査することにする。その調査のコードネームこそが「プロジェクト・ブルーブック(Project Blue Book)」である。調査資料は、2015年に開示され、政府だけが知っていた驚くべき事実が明らかにされる。そこには、歴史を揺るがす謎と陰謀が隠されていた。ドラマ「プロジェクト・ブルーブック」は、極秘調査に基づき、巨匠ロバート・ゼメキスの総指揮のもと制作された壮大なミステリーである。

ロバート・ゼメキ(『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)、トム・ハンクス主演の『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994年)などを監督)。実は、上記2作品を既に観終わっているのだが、この欄を書く前にこの映画を観始まってしまった。この映画は、最近では主流のテレビ映画シリーズで、とりあえずシーズン1のエピソード1からエピソード10までが次から次へと閲覧しなさい状態になって、1話43分程度がこれだけ続くともう頭の中はこの映画一色になってしまった。

実話に基づくから怖い話に見えてくる。UFOらしきものを見たと証言する庶民の声は政府や軍の意向で勝手に目くらましにされ人心が乱れないようにとこれまた勝手な思惑で事実が曲げられて報道される。もしかすると、日本にだって同じようなことが頻繁に起こっているのではなかろうか、とさえ思えてくる。トランプ大統領の「フェイク・ニュース」発言はまさしくそういう流れの延長にあるに違いない。「GO to ・・・」やらで明らかに感染者が増えているのにもかかわらず、このキャンペーンで増えた人数は微々たるものだという発表なんか、この映画の政府発表となんら変わるものがない。知らず知らずのうちに何か大きな力で押し込まれてしまっている現実に居ると、はやくあの世とやらに行った方がお利口さんだと思わざるを得ない。シーズン2ももうアップされているようなので、続きを観なければならない。

『スーパーノヴァ 孤独な少女』(MORE THAN ENOUGH)

2017年・アメリカ 監督/アン・マリー・ヘス

出演/マディー・ハッソン/ダビア/メローラ・ウォルターズ/リス・ウォード

同級生からのいじめを受け孤立している女子高生シェリー。そんな彼女に優しく声をかけてくれたのは、黒人でゲイのグレッグだった。嫌なヤツと無理して友達になるよりも、自分の趣味で人生を豊かにしたいという彼に共感したシェリーはすぐさま意気投合。だが一方で、シェリーに対するいじめは加速していった。その原因は、薬物中毒のシェリーの母にもあった。母に手を焼くシェリーを心配した学生たちの後見人で富豪のウェスは、何かあったら相談するようにと声をかける。そんな折、母が家に入り浸っていた恋人と婚約し、仕事を辞めて引っ越すと一方的に言い出したことで、たまらず家を飛び出したシェリー。彼女は一時的にウェスと同居することになるのだが…。(楽天TVより)

ちょっと風変わりな映画だった。アメリカの女子高校生のほんの一端だけでも観ることが出来たかなぁ、という感想。この映画の主人公は周りの同級生とは交じり合わない孤独な学生生活をしているから、一端にも程遠い光景なのかもしれない。高校生の間にだって「クスリ」は蔓延していて、これこそアメリカの一端を垣間見る思い。

ちょうど、往生際の悪いトランプ大統領の悪あがきをテレビで見る羽目に陥っている時期だったが、かつての憧れのアメリカが地に堕ちて行く様を見ているような気がする。日本の政治は幼稚園のもののようだったが、これでは日本よりも遥かに劣る幼児性なアメリカになってしまう。もっとしっかりしてくれ、と声を掛けたくなる。どこからこういうアメリカになって行ってしまったのだろうか。

『アフターマス』(Aftermath)

2017年・アメリカ 監督/エリオット・レスター

出演/アーノルド・シュワルツェネッガー/スクート・マクネイリー/マギー・グレイス

2002年7月に起きたユーバーリンゲン空中衝突事故(2002年7月1日の21時35分バシキール航空2937便とDHL611便が、ドイツ南部の都市ユーバーリンゲンの上空で衝突した事故。両機に搭乗していた71人全員が死亡した。)後に発生した殺人事件を題材にした作品。

シュワルツェネッガーが武器も持たず筋肉を誇張することもない映画だった。妻と娘を飛行機事故で失ったその辺にいる一介の労働者を演じている。事実であることが痛ましい。映画は真実を映すことは出来ないけれど、この事故の原因が管制官にあるとの映像は、一種の潜入感を植え付ける要素になり、その後の物語の進行の妨げになっている。

日本も航空機事故では大きな傷を抱えている。毎年8月になるとそのニュースはテレビで流されるのが常だが、もうあれから何年と時の経つ速さが人間生活の儚さを助長する。生きていてなんぼ、という言い方があるが、生きているからこそ喜びも苦しみも感じられるのが現実。惜しい人を失くした、と懐かしがられることしか空の上からは眺められない。

『エルヴィスとニクソン ~写真に隠された真実~』

2016年・アメリカ 監督/リザ・ジョンソン

出演/マイケル・シャノン/ケヴィン・スペイシー/アレックス・ペティファー/ジョニー・ノックスビル

1970年12月21日に行われたホワイトハウスでの二人の会合を描いているが、コメディドラマ映画。この二人が映った写真は有名らしい。映画の中で語られていることの何パーセントくらいが本当のことなのだろうか。プレスリーが本人に似ていないのがずーっと気になって仕方がなかった。アメリカ映画のいいところは、実話を描く時にはその本人に極めて似ている役者を配していることだと理解していたから。

もっともニクソンだって微妙な容姿で、違和感ありの二人の登場はそれだけでコメディなのだろう。日本の芸能人なんかは簡単に時の総理大臣に逢うことは出来そうな気がする。アメリカの大統領がホワイトハウスで芸能人に会うことは困難なような感じで映画はストーリー化されている。片や大統領でも、片やそれこそ老若男女のアメリカ人が知っている「王様」とまで言われた歌手であり映画スターが、大統領に会う前に緊張している姿は意外だった。

プレスリーは自分の音楽史上ではほんのちょっと前の人だった。そういうこともあり自分では熱狂的になれる要素はなかった。それ以上にあの派手やかな衣装と歌い方は自分の趣味には合わないと思っていた。その直後に出て来たビートルズには夢中になったのに、個人の趣味というのは千差万別だと。

『人間失格 太宰治と3人の女たち』

2019年(令和元年)・日本 監督/蜷川実花

出演/小栗旬/宮沢りえ/沢尻エリカ/二階堂ふみ/成田凌/千葉雄大/瀬戸康史/高良健吾/藤原竜也

太宰治の小説『人間失格』を原作としたものではなく、太宰治と3人の女性との関係を基に描いたフィクション作品となっている。太宰治が死の直前に発表し遺作となった「人間失格」の誕生秘話を、太宰自身と彼を愛した3人の女たちの目線から、事実を基にしたフィクションとして初めて映画化した作品。

配給は松竹とアスミック・エース。このアスミック・エースはもともとヘラルドの子会社だったヘラルド・エースが母体になっている。日本映画製作の窓口になったり、日本ヘラルド映画ではなくヘラルド・エースの名前で良質な単館系の映画を安く買おうという魂胆から出来た会社だった。かなり評判の高い映画を配給しているし、「戦場のメリークリスマス」の制作宣伝をやったりと数え上げればキリのないくらいの作品に関与していた。

才能は有っても、我儘で横柄で女にだらしなく生活にも締まりのないのが芸術家だと相場は決まっている。そんな人生を描いた映画はたくさんあるので、どこをどうやっておもしろくしてくれるのかと興味はあった。この監督のこだわりはいろいろな情報で知ってはいたが、ここまで色に拘る監督も珍しい。お金がかかるよね~、と制作会社に同情してしまう。所詮映画はストーリーが最も大切な要素で、いくら映像が美しくてもそれはそれだけのことでしかない。ストーリーの面白さとセリフの良さがなければ単なる凡々とした映画として評価される道しかない。そんな気がする。

『マスカレード・ホテル』

2019年(平成31年)・日本 監督/鈴木雅之

出演/木村拓哉/長澤まさみ/小日向文世/前田敦子/笹野高史/松たか子/石橋凌/渡部篤郎

原作は、東野圭吾の長編ミステリ小説で「マスカレード」シリーズの第1作目だという。2008年12月から2010年9月まで集英社の月刊誌『小説すばる』に掲載されのち、2011年9月10日に集英社より単行本が発刊された。舞台となった架空のホテルは、巻末に取材協力団体として紹介されている日本橋の「ロイヤルパークホテル」がモデルになったと推察されるらしい。2020年1月に、宝塚歌劇団花組により梅田芸術劇場シアタードラマシティと日本青年館ホールで舞台化された。

ホテルでは巷の縮図のように種々雑多な出来事が起こる。もともとは警察もので、連続殺人犯を捕獲しようとする内容なのだが、ホテルで起こる様々な出来事がおもしろ過ぎて事件の顛末が矮小化されてしまっているのが残念。それゆえ、肝心の犯人逮捕劇がちょっとお粗末に見えてしまった。

たくさんとまでは行かないが、それなりにいろいろなホテルに宿泊した経験があるが、酒が飲めないホテルでの夜の生活は味気ないものだった。どこの地に行っても毎回、酒が飲めたらもっとその土地の夜の散策を楽しめただろうな、と後悔の念が。酒が飲めなくたって夜の一人歩きぐらい出来るはずなのだが、元来のビビリーの性格が部屋に籠って満足している自分を創り出してしまっていた。

『シャンハイ』(Shanghai)

2010年・アメリカ/中国 監督/ミカエル・ハフストローム

出演/ジョン・キューザック/コン・リー/チョウ・ユンファ/菊地凛子/渡辺謙

1941年、上海。その街は、誰のものでもなかった。日本、ドイツ、アメリカ、中国がお互いの腹を探り合いながら、睨み合っていたのだ。米国諜報員のポールは、同僚で親友だったコナーの死の真相を突き止めるために、この街に降り立つ。捜査線上に浮かび上がったのは、いずれも謎に包まれた者たちばかりだ。執拗にポールをつけ狙う日本軍の大佐タナカ、忽然と姿を消したコナーの恋人・純子、中国裏社会のドン・アンソニーと、彼の美しき妻アンナ。やがてポールは革命家というアンナの裏の顔を知り、理想に活きる彼女に強く惹かれ始める。ついにポールは殺人事件の真相に迫るが、そこに暴き出されたのは、全世界をも揺るがす恐るべき陰謀だった。もはや誰も止められない歴史の波は彼らに、守るべきものは何かという、究極の問いを突き付ける。国家への忠誠か、己の命か、それとも生涯の愛か・・・。果たして最後に、彼らが貫いたものとは?(Wikipediaより)

上海には行き損ねてしまった。上海といえば「ジャズ」というイメージがあったが、ニューヨークのように人種のルツボのような街だったらしい。それこそ世界中の国からシャンハイに集まって来た人たちは、1941年12月8日の真珠湾攻撃まで間もないこの時期に濃密な時を過ごしていたに違いない。

おもしろいはずの映画なのに、何故か肩透かしを食ったように味気ない映画だった。監督の力なのか、脚本が詰まらなさ過ぎたのか、散漫な映像がやけにひっかかって気になった。渡辺謙の英語はかなり上手くなったが、どんな映画でも同じようなセリフ回しには、ちょっと。何かが足りないこの映画、味の素のような調味料が必要なのかもしれない。

『ニュースの真相』(Truth)

2015年・アメリカ/オーストラリア 監督/ジェームズ・ヴァンダービルト

出演/ケイト・ブランシェット/ロバート・レッドフォード/トファー・グレイス/エリザベス・モス

2004年アメリカ大統領選の数ヶ月前、CBSの人気番組『60 Minutes II』のプロデューサを務めるメアリー・メイプス(英語版)は部下たちと共に、ジョージ・W・ブッシュ大統領が従軍中に有利な扱いを受けていたという疑惑を追っていた。ブッシュに関する記録が処分されたり書き換えられたに違いないという声が多数上がっていたが、チャールズ中佐は軍がそのような不始末をするわけがないと確信していた。ブッシュが空軍入隊時に受けた試験の成績が思わしくなかったことも、彼の軍歴にまつわる疑惑を強めることとなった。そんなある日、メイプスたちは疑惑に関する証拠を持っていると主張する男(バーケット)に辿り着くことができた。バーケットが持っているメモ書きにはブッシュが軍で優遇されていた事実が記述されているのだという。メイプスは疑惑を報道に踏み切る決断を下し、ダン・ラザーらと共に検証チームを発足させた。(Wikipediaより)

ちょうど今トランプとバイデンとの一騎打ちが火花を散らせている。あと一週間もすれば新しいアメリカ大統領が決まり、また新しい世界情勢が始まるのかもしれない。この映画に描かれている「60ミニッツ」は、アメリカ・CBSのニュース番組として今も健在らしい。トランプがつい最近この番組からインタビューを受けたが、何か気にくわないことがあって録画の途中で帰ってしまった、との報道があった。

アメリカの政治はダイナミックだ。日本の陰湿なジメジメした裏工作の世界とは一線を画しているように見える。それでも、大きな波に逆らうことが出来ず、その波に飲まれてしまう姿は、アメリカといえども抗しがたい大きな力が働いているようにも見える。所詮は人間のやること、権力闘争の構図は人間が存在し始まった時から、何にも変わらず延々と続いていることなのだろう。

『LBJ ケネディの意志を継いだ男』(LBJ)

2017年・アメリカ 監督/ロブ・ライナー

出演/ウディ・ハレルソン/マイケル・スタール=デヴィッド/リチャード・ジェンキンス/ビル・プルマン

リンドン・B・ジョンソンはケネディ政権下で副大統領の座についていたが、その存在感の希薄さ故に政界では軽んじられる始末であった。不遇を託つ日々を送るジョンソンだったが、転機は突然訪れた。1963年11月22日、ケネディが演説中のダラスで凶弾に倒れたのである。ジョンソンは副大統領から大統領に昇格することとなった。大統領の暗殺という事態に国内は混乱したが、ジョンソンは巧みな手腕で事態を収束させていった。しかし、ジョンソンにはケネディ以来の懸案が残っていた。それは公民権法の制定であった。人種差別の解消を願っていたジョンソンは公民権法の早期制定を目指していたが、議会では南部選出の議員を中心に壮絶な反対運動が繰り広げられていた。本作は公民権法の制定に尽力したジョンソンの姿を描き出していく。(Wikipediaより)

リンドン・ベインズ・ジョンソンというフルネームはこれまで知らなかった。ジョン・フィッチジェラルド・ケネディというフルネームは50年前から知っていたが。アメリカからの初中継で飛び込んできたのはケネディ暗殺の事件だった。第二次大戦後の世界情勢を揺るがすキーマンだったケネディ家の悲劇はここに始まった。ジョンソン副大統領が大統領になっても、日本人にはさほど興味がないことだった。少なくとも高校生の世代にとっては。

ほとんどの日本人が知らないだろうケネディ大統領の就任演説を歌にした当時のレコードを、たまたまレコード屋も始めていた実家のお陰で知ることが出来た。リズミカルな彼の演説が楽曲になるとは大したものだ。就任演説を英語で言えるようになっていたが、それ以上の英語会話の進歩もせずに今に至ったことは痛恨の極みだ。

『女神の見えざる手』(Miss Sloane)

2016年・アメリカ/フランス 監督/ジョン・マッデン

出演/ジェシカ・チャステイン/マーク・ストロング/ググ・バサ=ロー/アリソン・ピル

天才的な戦略を駆使して政治を影で動かすロビイストの知られざる実態に迫った社会派サスペンス。原題のスローンは主人公の女性の名前。恐ろしいほどの謀略と策略が横行する。横行するのは政治世界の日常だが、そこに仕事として潮流を起こすロビイストと言われる軍団の行動は、政治家の行動に輪をかけた想像を超えた存在だ。

あまりにもセリフが多くて速いのでついていくのが精一杯。超がいくつも付くような主人公の女性は自分を晒しものにしてまでも、目的を達成しようと暗躍するのだ。最後にはスカッとするような結末が待っているが、それまではハラハラドキドキ、女神の見えざる手とはちと言い過ぎだと思うが、映画を宣伝する立場からすればせめてここまで言いたいというのは分かる。

この映画の配給もキノフィルムズだった。現役時代の日本ヘラルド映画のように良質な映画をうまく買い付けているようだ。どういう宣伝をしたのかに凄く興味があるが、この映画を日本でヒットさせるのは至難の業だろう。ここまでの人間性を追求しないのが日本人、「この映画の良さが分からない人は馬鹿だ」とか言って煽らない限り、日本人の心が動くとは思えない。ただ、こんなことを言ったらすぐに大炎上してしまうのが現実社会。住み難い社会になってしまった。

『英国総督 最後の家』(Viceroy's House)

2017年・イギリス/インド 監督/グリンダ・チャーダ

出演/ヒュー・ボネヴィル/ジリアン・アンダーソン/マニシュ・ダヤル/フマー・クレイシー

1947年、第二次世界大戦で疲弊したイギリスは300年間支配してきたインドの主権移譲を決定し、独立を円滑に行う使命を帯びたルイス・マウントバッテンが最後のインド総督として着任する。彼が居住する総督官邸では500人の使用人が総督一家の世話を行っていた。最後の総督とインド独立、パキスタン分離独立をテーマにした歴史上の物語が緊張感をもって描かれる。

パキスタンは、19世紀には英領インドとしてインドと同一の政府の下に置かれており、独立運動も本来は同一のものであった。しかし、独立運動の中でイスラム教徒とヒンドゥー教徒との対立が深まり、イスラム教徒地域を「パキスタン」として独立させる構想が浮上した。これを避けるための努力は独立寸前までなされたものの、最終的にはヒンドゥー教徒地域がインド、イスラム教徒地域がパキスタンとして分離独立をすることとなった。しかしこのとき、インド東部がイスラム多数派地域の東ベンガル州としてパキスタンに組み込まれ、1955年に東パキスタンとなったものの、遠く離れた両地域を宗教のみで統一しておくことは困難であり、やがて東パキスタンはバングラデシュとして分離独立の道を歩むこととなった。

歴史は冷徹だ。この時人口3億人(ヒンドゥー教徒)だったインドは今や14億人に膨れ上がっている。独立劇の一端を映画で見ることになるが、インドとパキスタンの国境を新たに線引きすることの不合理さがそこに暮らす人間の生活そのものを左右する。江戸時代から明治時代に移行するプロセスは、他の世界の国々に勃発した独立、革命から比べれば極めて穏やかだったのだと思う。人類という大きな枠でとらえれば、小さな争いから大きな革命までを含めて、人民の戦いが今の世界を形成した源になっていることに間違いはない。

『ダウントン・アビー』(Downton Abbey)

2019年・イギリス/アメリカ 監督/マイケル・エングラー

出演/ヒュー・ボネビル/ジム・カーター/ミシェル・ドッカリー/エリザベス・マクガバン

元々はテレビドラマ、それが映画版となったのがこれらしい。テレビ映画時代の邦題は、『ダウントン・アビー ~貴族とメイドと相続人~』だったり、『ダウントン・アビー 華麗なる英国貴族の館』だったりしている。このふたつの邦題でも雰囲気は伝わってくる。

イギリスでは2010年9月26日からシーズン1の放送が開始され、2015年12月25日にシーズン6をもって終了した。通常回の他、シーズンごとの最終回となるクリスマススペシャルを含め、全部で52エピソードが放送された。ドラマの舞台は1912年から1925年のイギリス、ヨークシャーの架空のカントリー・ハウスである「ダウントン・アビー(Downton Abbey)」で、当時の史実や社会情勢を背景に物語は進む。エドワード朝時代以降の貴族、グランサム伯爵クローリー家とそこで働く使用人たちの生活を描いており、歴史上の出来事が彼らの生活やイギリス社会階層に影響を与えるとある。

この映画は、1927年、イギリス国王ジョージ5世とメアリー王妃夫妻のダウントン・アビー訪問を描いた内容。国王(女王ではない)が来るというので大騒ぎになるさまをコミカルに描いている。が、国王、上級貴族の世界ゆえ、ずっこけるほどのドタバタ騒ぎにはならない。偶然に国王、王女、貴族として生まれて来た人間と、発展途上国の食糧難の地域に生まれてきてしまった人間との間にはどこに違いがあるのだろうか。同じ人間ながらその生涯は天と地と程の差が生じる。神はどういうつもりでこういう差別を地球上に・・・・。

『タイムシャッフル』(Time Lapse)

2014年・アメリカ 監督/ブラッドリー・キング

出演/ダニエル・パナベイカー/マット・オリアリー/ジョージ・フィン

2作続けて「タイム」という邦題が付いている。この映画は原題にもtimeが付いていて、タイム・トラベル的な内容だと題名が知らせてくれる。主人公はしがない3人の若者、ルームシェアをしながら住宅の管理人をして暮らしている。善良そうな3人だが映画の終わりには一人の女だけが生き残り、やっぱり女は強いなという現実を見せつけられる。

今回のタイムトラベルは、住宅に住んでいた科学者?らしき人が発明したらしい明日の風景を映すカメラだった。このカメラの毎日映し出す写真に翻弄されて3人の若者たちは人生を右往左往している。話がなかなか進まなくてイライラするのは3流作品の特徴かもしれない。

明日のことが分かったら、こんな楽しいことはないだろう。と思えるのだが、実際にそうなったらそこまで冷静にいられる自信はない。映画の中でも一人の若者が明日のドッグレースの賭け事にこの写真を応用していたが、まずは目の前の金に圧し潰されてしまうことになるだろう。それでなくとも、人間をダメにする最大の原因が金に纏わる話、ユメユメそんなことに陥ることがない人生であることを願うばかりだ。

『タイム・ハンターズ 19世紀の海賊と謎の古文書』(Fort Ross)

2014年・ロシア 監督/ユーリー・モロズ

出演/マクシム・マトヴェーエフ/ミハイル・ゴアヴォイ/ラモン・ランガ/アンナ・スタシェンバウム

19世紀アメリカに実在したロシア領ロス砦を舞台に、現代からタイムスリップしたジャーナリストが繰り広げる冒険を描いたロシア製SFアドベンチャー。モスクワで暮らすジャーナリストのディミトリは、ロス砦にまつわる機密文書の中から、自分に酷似した似顔絵を発見する。真相を求めてアメリカへ渡った彼は、現地スタッフのマルゴらとロス砦の跡地を訪れる。自分の携帯電話に見覚えのないアプリがインストールされていることに気づいたディミトリが起動してみると、次の瞬間、19世紀にタイムスリップしていた。(映画.COMより)

携帯電話のアプリからタイムスリップが出来てしまうなんていう他愛ないストーリーが笑わせる。全編ロシア語にかなりの違和感を感じるのはアメリカ映画にかなり毒されてしまっているのかも。ロシア領アメリカは、ロシア帝国が1733年から1867年まで北米地域に領有していた領土を指し、首府はノヴォ・アルハンゲリスク(現在のアメリカ合衆国アラスカ州シトカ)に置かれていたという。現在は主にアメリカ合衆国アラスカ州となっている地域とハワイ州となる地区の3つの砦に及んでいる。

歴史は実におもしろい。ロシア帝国が公式に植民地として成立させたのは、独占権を持つ露米会社の設立を宣言するとともにロシア正教会に一部土地の所有権を認めた1799年勅令だった。19世紀にはそれらの所有権の多くは放棄されたが、1867年にロシア帝国は残りの所有権をアメリカ合衆国に720万USドル(現在の価値で1億3,200万USドル)にて売却(アラスカ購入)した。そんな話は初めて知った。

『フラワーショー』(Dare to Be Wild)

2015年・アメリカ 監督/ヴィヴィアン・デ・コルシィ

出演/エマ・グリーンウェル/トム・ヒューズ/クリスティン・マルツァーノ

チェルシー・フラワー・ショー(RHS Chelsea Flower Show): 最初のグレート・スプリング・ショーは1862年、ケンジントンのRHSガーデンで開催された。1913年からチェルシーのチェルシー王立病院に会場が移された。1937年、ジョージ6世と王妃エリザベスの戴冠年を記念し、すばらしい帝国展が開催された。オーストラリアからアカシアが、カナダからマツが、東アフリカから色鮮やかなグラジオラスが、パレスチナからも大きなウチワサボテンが持ち込まれた。第二次世界大戦中には、チェルシー王立病院の土地が対空対策のため戦時局に必要とされたため、ショーは行われなかった。1947年より再開された。現エリザベス2世が即位した1953年は国のお祝いムードを反映したショーとなった。イギリス王室のほとんどのメンバーがこの年のショーに出席したが、他に公務があったため、唯一出席できなかった王族は女王自身だった。ショーは20世紀後半を通じてその人気を増加させることとなった。現在は毎年157,000人が観覧に訪れる(11エーカーの敷地面積に入れる制限された人数)。そして入場用のチケットは全て事前に購入する必要がある。2005年からショーの開催期間を4日から5日に延長し、最初の2日間はRHSの会員のみが入場できる。ショーは広範囲においてBBCが放映する。RHSへの王室による後援の一環として、イギリス王室のメンバー数人がショーの下見に訪れる。ショーは各部門ごとにゴールド、シルバー・ギルト、シルバー、ブロンズの各賞が設けられている。

日本人の石原和幸氏が3年連続で「ゴールド」を受賞(2006年 - 2008年)したというニュースをテレビで見たことがある。初挑戦の2004年には「シルバー・ギルト」も受賞しているというから大したものだ。イングリッシュ・ガーデンと呼ばれる庭園が日本にはあっちこっちにある。日本人から見ればあまりにもなんていうことはないのだけれど、イギリス人にとっては自尊心を満足させる誉れ高い趣向が埋まっている環境なのかもしれない。

盆栽に代表されるように日本の芸術は、結構人工的に人間の手を加えたものが多い。花は野にあるようにと言いながら、技術を凝らして小さな器に花を盛り込む。意図的に枝を枯らせて、針金を巻いて枝をこれでもかと曲げて形を作ってしまう。そんな「芸術」が世界的に人気があることが不思議だが、精巧な形づくりに対する緻密さは、日本人の得意とするところなのだろう。

『ロンドン、人生はじめます』(Hampstead)

2017年・イギリス 監督/ジョエル・ホプキンス

出演/ダイアン・キートン/ブレンダン・グリーソン/レスリー・マンヴィル/ジェイソン・ワトキンス

原題は「Hampstead」。ハムステッドは、学者、アーティスト、メディア関係者から長年にわたり愛されてきた高級住宅街。ハムステッド ヒースには、草地、森林、水泳用の池のほか、街並みを一望できるパーラメント ヒル展望台も。一般に公開されているケンウッド ハウスは、古典派の巨匠の名高い作品の数々を収蔵する新古典主義建築の邸宅です。古風な趣のあるハムステッド ヴィレッジの通りには、ジョージア王朝様式の建物を利用したブティックや高級レストランが並んでいます。(Wikipediaより)

夫亡きあとに発覚した浮気や借金、徐々に減っていく貯蓄、うわべばかりの近所付き合い・・・様々な問題から現実逃避している未亡人エミリー(ダイアン・キートン)。ある日、自宅の屋根裏部屋から双眼鏡で外を眺めていると自然に囲まれてはいるが小さな家で暮らすドナルド(ブレンダン・グリーソン)を見つける。庭でのディナー、気ままな読書、森のピクニック・・・余計なものを持たずDIY暮らしで幸福なドナルドと知り合い、エミリーは頑固だけど温かい人柄に惹かれていく。そんな中、世間を巻き込む事件がドナルドに降りかかり、二人の恋の行方は予測不可能な展開に―。(Amazon Prime video より)

もともとイタリア駐在だったヘラルドの海外担当がイタリア映画の衰退後ロンドンに移り住んだ。ハムステッドに家を買ったということを聞いたのは、そのだいぶ後のことだった。何度かロンドンに行ったが彼女の家に行く機会に恵まれず、どういうところに住んでいるかを想像すらしないでいたが、あれから何十年後にこうやって、なるほどそういう場所だったのかと感慨深げに土地柄を映画で見る事になった。あの頃まだ小学校にも行っていなかった彼女のひとり息子は、今頃はいっぱしの青年実業家にでもなっているかしら。

『偉大なるマルグリット』(Marguerite)

2016年・フランス 監督/グザヴィエ・ジャノリ

出演/カトリーヌ・フロ/アンドレ・マルコン/クリスタ・テレ/

1920年、パリからそう遠くない貴族の邸宅ではサロン音楽会が開かれていた。参加した新聞記者のボーモンは主役のマルグリット夫人の歌声に唖然とする。彼女は絶望的なほど音痴だったのだ!しかし、儀礼的な貴族たちの拍手喝采を受け、本人だけが気付いていなかった―。(Filmarksより)

あなたは音痴ですね、聞くに堪えられません、などと本人の目の前で大声で喋れるほど社会は寛容ではない。いつの時代もほとんどの人は音痴に「目」をつむり、さもうまい歌を聞いているが如く振る舞う。それが大人社会のマナーであると全員が思っている節がある。誰もそのことに関して確かめようとしない事柄であることは確かで、まちがいなくそう思っていることも確率が高い。

何度か音痴についてはこの欄に書いたことがある。ヘラルドの先輩で見事な音痴な人がいて、宴会の席ではその人の歌を聞くことが楽しみだった。おおらかなヘラルド社会では、笑いを堪えることなく、大声で笑いながらその人の歌を聞くのが習わしだった。歌っている本人はと言えば、音痴であることを見事に自覚しているからさらにおもしろかったのだ。まぁ、実に摩訶不思議な人だったけれど、その人が集める映画館の招待券が、いつの間にか飛行機の搭乗券に変わっていたことなど枚挙にいとまない。その人の実兄がプロの声楽家で、大学で教えていたなんていう尾鰭も付いて、人生の楽しさを味わった時代だったのです。

『鑑定士と顔のない依頼人』(The Best Offer、La migliore offerta)

2013年・イタリア 監督/ジュゼッペ・トルナトーレ

出演/ジェフリー・ラッシュ/ジム・スタージェス/シルヴィア・フークス/ドナルド・サザーランド

ヴァージルは美術鑑定士として成功を収めていた。だが、女性と接するのが非常に苦手で、女性を目の前にすると気分が悪くなる為隠し部屋に大量の女性の肖像画を飾り鑑賞するという奇妙な性癖を持っていた。ヴァージルは女性の肖像画は自身が開催するオークションでビリーと共謀し、格安で落札していたのだった。ビリーはかつては画家を目指していたのだが、ヴァージルに才能がないと一蹴され、諦めていた。ある日ヴァージルのもとに、電話を通じて依頼が入る。依頼内容は両親が死去したので、両親が収集していた美術品を競売にかけて欲しいというものだった。依頼人の邸宅には確かに様々な美術品が置いてあったが、当の依頼人であるクレア自身は姿を表さなかった。何度か足を運ぶと依頼人のクレアは隠し部屋に引きこもっていることが分かった。(Wikipediaより)

邦題がまさしく内容を現わしていて、何という題名を付けるのかと元映画会社宣伝部長は憤る。ちょっとそそる題名には聞こえるが、やっぱり味わいのないゲスな題名だと。主人公は女にもほとんど縁もなく過ごしてきたらしく、美人局のような依頼人の振る舞いにさえも心を奪われてしまう。男は情けないものなのだと、改めて恐れ入る。

日本の古い役者たちは芸の肥やしだと毎日のように夜遊びをする話が芸能ニュースになっていた。今や、文春砲とか新潮砲のせいで、巷の芸人たちでさえも大手を振って銀座に繰り出すことも少なくなったに違いない。まったく違う世界に生きている芸人でさえもそうなのだから、一般人でも気を確かに持って毎日を確実に生きて欲しいと、おじいさんは心から願う。(今日は令和2年<2020>10月1日)

『7 WISH/セブン・ウィッシュ』(Wish Upon)

2017年・アメリカ 監督/ジョン・R・レオネッティ

出演/ジョーイ・キング/キー・ホン・リー/ジョセフィン・ラングフォード/シドニー・パーク

他愛もない話過ぎちゃって物語を引用する気にもなれない。アラジンの魔法のランプのように願い事が叶う壺みたいなものにめぐり合って、主人公の女子高校生が人生の機微を味わうことになる。7つの願い事が叶ってしまったら、地球規模で欲しいものがなんでも手に入ってしまい、こんな嬉しいことはないだろう。

ところがどっこい、こんなつまらない話の中でも、願いが叶ってしまうことの悲劇が多く語られる。それどころか、この映画の願いは叶う毎に悲劇が必ず付いてくるというおまけつきだったから始末に負えない。自分の欲しいもの、願い事のせいで、身近な他人に大きな迷惑又は死さえも降り掛かってきては、さすがの主人公もこのツボを手放したくなってしまうのだ。

よく宝くじで大金を手にした人の不幸の物語が語られるけれど、不幸が来たっていいから宝くじに当たった方がいいと考える人は多いに違いない。そうやって、あれも欲しい、これも欲しいと欲望をむき出しにして人生を生きたって、結局は100年も生きられずに宇宙の塵にもならない存在になってしまうのが普通の人々の人生なのだから、はかないものだ。

『依頼人』(The Client)

1994年・アメリカ 監督/ジョエル・シュマッカー

出演/スーザン・サランドン/トミー・リー・ジョーンズ/ブラッド・レンフロ/メアリー=ルイーズ・パーカー

2作続けて少年が主人公のような映画だった。ジョン・グリシャムの小説『依頼人』を映画化したもので、原作者のグリシャムはこの映画の出来に大変満足し、『評決のとき』(A Time to Kill・1996年)の映画化に当たっては同じワーナー・ブラザース製作でジョエル・シュマッカー監督、スタッフもほぼ同じ面々を希望したという。アマゾン・プライムでの現在の邦題は特になく、「The Client」というタイトルだけで勝負している。

アメリカ独特の法規範が随所に現れて、日本の法律すらよく知らない観客を惑わせる。地方検事が手柄を立てて州知事に立候補するという構図は何度も目にする。証人保護システムという極く当たり前のようなことですら、日本ではきいたことがないなぁ、といつも感心させられる。建前と本音を使い分ける日本の社会構造は、当たり前に良いと思われることですら何十年もしないとシステムとして実現しない。

訴訟大国と言われるアメリカでは、正義についての解釈もだいぶ違うようだ。とりあえず訴えを起こしてから物事を解決しようとするアメリカ型、話し合いをして解決しようとするも上手く行かないと分かったら訴えを起こす日本型。当然、日本型は示談が成立し難い。アメリカ型は示談の確率が圧倒的に多くなる。勝訴の場合の金額の多寡もまったく違い過ぎる。弁護士費用すら出せないような判決金では裁判を起こす人も圧倒的に少なくなるのが日本型である。



2023年12月再び観たので記す

『依頼人』(The Client)

1994年・アメリカ 監督/ジョエル・シュマッカー

出演/スーザン・サランドン/トミー・リー・ジョーンズ/ブラッド・レンフロ/メアリー=ルイーズ・パーカー

アマゾン・ビデオの映画紹介題名は「Client」だけだった。観始まってすぐに1度観たことがあると気が付いたけれど、おもしろい展開に最後まで一気に観てしまった。ここでも証人保護制度が出て来た。権利を激しく主張するけれど、建前上は法律を遵守し決して逸脱しないように努力する姿はアメリカらしい。往生際の悪い日本の政治屋集団の言動には辟易するしかない。どうしてここまでも腐ってしまうことになるのだろうか、日本の人間社会のシステム。

『マーキュリー・ライジング』 (Mercury Rising)

1998年・アメリカ 監督/ハロルド・ベッカー

出演/ブルース・ウィリス/アレック・ボールドウィン/ミコ・ヒューズ/シャイ・マクブライド

FBIシカゴ支局のアート・ジェフリーズ特別捜査官は潜入捜査のベテランである。自ら潜入していた過激な民兵の一味が銀行にて人質立てこもり事件を起こした際、アートの警告を無視してFBIが強行突入をした結果、銃撃戦が起こったためメンバーの一員だった少年が射殺される。アートは怒りから強行突入を命令した上司を殴ってしまい、罰としてポジションを外され、一般事件の捜査に配置換えされる。

所轄警察署の要請で、アートは無理心中事件に臨場する。だが、アートは無理心中ではなく何者かによる殺人事件と断定。殺された夫婦の息子で、押入れから発見された自閉症児のサイモンを入院させ、所轄署に保護を命じた。しかし、アートが病院を訪れると、所轄署は引き上げていた。異変を察知したアートはサイモンを連れて病院を出ようとするが、医師に扮した暗殺要員ピーターが二人を追いかけてくる。銃撃戦の末に病院から脱出したアートとサイモンは、パズルの本を開く。そのパズルは、「マーキュリー」というNSAのニコラス・クドロー率いる開発チームが作り出した暗号システムで、本来なら誰も解くことのできないものだった。それを最終チェックとして、クドローの部下レオとディーンが無断で一般雑誌に掲載したところ、サイモンが解読してしまっていた。解読されたということは暗号システム開発プロジェクトの失敗を意味するため、出世を目指すクドローはそれを隠蔽しようとし、サイモンはクドロー配下の暗殺要員から命を狙われていたのだった。

アートは同僚のトミーに協力を依頼して、サイモンを連れて彼の自宅に戻る。サイモンは自宅の電話からレオとディーンの元に電話をかけ、二人はアートにマーキュリーを用いた伝言を残す。アートはサイモンが解読したマーキュリーからディーンとの接触場所に向かい、彼からクドローの策謀を伝えられる。しかし、そこにピーターが現れディーンを射殺する。アートは街で出会ったステイシーにサイモンの保護を頼み、トミーに証人保護プログラムをサイモンに適用して安全を確保するように依頼する。一方、レオは恋人のエミリーの協力を得てクドローを上院監視委員会に告発しようとするが、告発文を作成した直後にピーターに射殺される。(全て Wikipedia より引用)

『日々と雲行き』(Giorni e nuvole)

2007年・イタリア/スイス/フランス 監督/シルビオ・ソルディーニ

出演/マルゲリータ・ブイ/アントニオ・アルバネーゼ/ジュゼッペ・バッティストン/アルバ・ロルバケル

夫の突然の失業によって危機に陥った中年夫婦を描いたストーリー。製作国は3か国になっているけれど、舞台はイタリアだからノー天気な人生物語かなと思っていたら、結構深刻な内容だった。どうにかなるさ、というイタリア人気質はとくひつされるものだけれど、いい歳になって経営していた会社を追われた身の主人公にとっては、そんな悠長なことを言っていられないようだった。

42歳で後先を考えずにヘラルドを辞めた自分の過去に照らし合わせると、主人公や家族の状況が手に取るように理解できて複雑な気持ちになった。今まで送って来た生活のレベルを落とすのはそれなり以上の苦労がある。慣れてしまえば年収が半分になったとしても、なんとかやっていけるものだが、最初の半年をどう乗り切れるかが問題だ。

働かなくても食っていけるならこんな幸せなことはないだろうと思うが、やらなければいけないことがないというのはそれなり以上に辛いことだ。ただ時間をつぶして人生を生きているのなら、そんな人間は死んでしまった方が世の中にとっても。他人や世間のためになることが出来なくなった時を考えるとお先真っ暗・・・・・。

『恋の法律』(LAWS OF ATTRACTION)

2004年・アイルランド/イギリス/ドイツ 監督/ピーター・ハウイット

出演/ピアース・ブロスナン/ジュリアン・ムーア/マイケル・シーン/フランシス・フィッシャー

離婚訴訟弁護士の二人、一度も敗れたことのない弁護士と勝ち続けている弁護士が法廷で争ったらどうなるのだろう。一見面白そうな話だが、掘り下げが浅く、二人の言っていることも頭の中に入ってこない。字幕スーパーの露出時間が短く、最後まで読めないのに次のセリフが現れてくるので往生した。

いい男といい女がおもしろい話を演じているのに、何故か映画はおもしろくない。日本での劇場未公開らしいが、映画関係者は見る目があるのだろう。みすみす公開して損を抱えることもない。それにしても弁護士とは不思議な職業だ。手練手管を繰り出して、無いことを平然とのたまう。口の達者な人が言うことが正義なのだから始末に負えない。

神は真実を見ているのに、どうして平気で嘘を認めてしまうのだろうか。法と証拠に基づいて人間が人間を裁くのが裁判だが、これに神の眼が加わることが出来たら、どれだけ人間生活は安寧になるだろうか。そうでもしなければ、冤罪と言われる事柄もなくならないだろうだろうに。

『ムービング・ロマンス』(A Moving Romance)

2017年・アメリカ 監督/W・D・ホーガン

出演/アンビル・チルダーズ/キーガン・アレン/ジム・オヘア/ロミー・ローズモント

テレビドラマで充分な軽い映画。こう書くとテレビドラマを下に見ているようだがその通り。予算や、準備規模、どれをとったって映画製作に勝てるわけがない。おもしろければ、ちゃっちさは気にならないが、残念ながらテレビ映画のちゃっちさは、出来の悪さ以上に気になる。お茶らけたバラエティー番組で馬鹿なことをやっている直後にシリアスな内容を凝視できない。テレビドラマの途中で入るCMに主人公と同じ人物が同じ顔をして同じ声でコマーシャルをしていることが赦せない。

デザイナーとして華々しく活躍していたはずが突如解雇されてしまった女性。故郷に帰った彼女を待っていたのは、父が経営する会社の買収話だった。次々とライバル会社に顧客が奪われていく中、果たして起死回生できるのか?挫折しながらも前に進む姿を描く感動のサクセス・ストーリー!(Filmarks 映画より)

娘が働いていたのはニューヨーク、帰って来た実家はロサンゼルス、このあたりにもアメリカでの二つの都市の立ち位置が微妙に脳裏の笑いを誘っているに違いない。感動のと書くほどの映画ではない。軽い軽いストーリーで、3時のおやつを食べているような軽さが、逆に売りだと思えるのは映画人の眼だからかもしれない。

『アンダーカバー・エンジェル 守護天使』(Undercover Angel)

2017年・アメリカ 監督/スティーヴン・モンロー

出演/ジュリアン・クリストファー/マット・エリス/ライラ・フィッツジェラルド/ブリトニー・アーヴィン

天使物語だった。さすがにキリスト教国アメリカ、天使にまつわる映画は結構つくられている。天使は生きている人間に優しい。それが相場となっている。時には意地悪をすることがあるが、総じて一人一人の人間を見守っているというのが天使の役割のようだ。

この映画の天使はちょっとどじな男。彼に指令を伝える天使の部長みたいな天使も、髭の生えたむつけき男なのがおかしい。ストーリーは超三流、どんなに頑張ったってお涙頂戴のいい話になるわけがない。ご愛敬に天使が望んでいた人間に成ることが赦されて、めでたしめでたし。

死後の世界もそうだが、天使がいるかどうかは分からない。おそらく何かしらの女神はきっといるに違いないが、人間の眼には見えないだろう。そんな影が目の前にたくさん現れてしまったら、交通事故が多発してしまう。望みは美しい心にもたらされ、願いは清らかな思いにやってくると言っておこう。

『マイ・ブラザー 哀しみの銃弾』(Blood Ties)

2013年・フランス/アメリカ 監督/ギヨーム・カネ

出演/クライヴ・オーウェン/ビリー・クラダップ/マリオン・コティヤール/ミラ・クニス

最初のうちは邦題のサブタイトル「哀しみの銃弾」という文言が安っぽくて、どうにもやりきれない映画鑑賞だなぁという雰囲気が嫌だった。単なるギャング映画のように見えたのには参った。このサブタイトルがなければ、この映画のいいところが最初から見えたに違いない。なかなかいい映画だった。

犯罪を繰り返しながら大人になって今も服役中の兄貴と、品行優秀で今や刑事として警察署で評判の高い弟の物語だった。原題の「Blood Ties」は血のつながっている兄弟のどうしようもない絆を現わしている。そう思うと、この映画の見所が増えてくる。自分も男兄弟3人で育っているので、なんとも言い難い兄弟の思いがよく伝わって来た。

不思議だよね。血が繋がっているというだけで、十分な関係が構築される。血が繋がっていない人が多い社会では、生きていく中でそんなことがこれほど重要な要素になるとは、頭の中だけでは理解できない事柄だ。アメリカのように養子縁組が多い社会では、子供のころから一緒に育てられれば、それはファミリーという絆で結び付いているのだろう。そういう理屈が理解できていれば、もっと血のつながっていない他人にも優しく、寛容になれるはずなのだが、人間の心の在り方はそれ以上に複雑なものなのかもしれない。

『ミッション・ワイルド』(The Homesman)

2014年・アメリカ/フランス 監督/トミー・リー・ジョーンズ

出演/トミー・リー・ジョーンズ/ヒラリー・スワンク/ジェームズ・スペイダー/メリル・ストリープ

日本では劇場未公開。19世紀のアメリカ中西部の開拓地ネブラスカ。小さな集落で暮らす独身女性メアリーは、精神を病んだ3人の女性をアイオワの教会まで連れて行く役目「ホームズマン」に志願、約400マイル(650km)の長い旅に出発する。その途中、メアリーは1人の男が木に吊るされているのを見つける。その男はブリッグスという悪党で、まもなく処刑されることになっていた。メアリーは旅に同行することを条件に彼を助ける。こうして孤独な女と大悪党の長い旅が始まるが、その行く手には、地獄と例えられ生きて帰ることもままならない危険な荒野に、過酷な気候や凶暴な先住民、盗賊などの様々な試練が待ち受けていた。(Wikipediaより)

トミー・リー・ジョーンズは、2012年8月からは「BOSSコーヒー20周年」とソフトバンクモバイルの「プラチナバンド開始」の共同キャンペーンの一環として、「宇宙人ジョーンズ」と「白戸家」両シリーズのコラボレーションCMにも出演している。大した俳優だなんて日本の若い人は知らないだろう。アメリカの俳優は自国のコマーシャルに出ないと言われている。外国のCMならそんな顔をさらけ出さなくて済むから、せっかくの映画出演の時のために顔を温存できると知っている。そこらあたりが、プロの役者であるアメリカ人の考え方が凄い。もっとも、CMに出なくても映画ギャラだけで充分過ぎる金額を稼げていることが最大の理由かもしれない。

西部劇時代のストーリーではまず観たことのない物語。話はおもしろいけれど、所詮はそれ以上にはならない辛さがある。時々おもしろくなるけれど。メリル・ストリープが最後のシーンにちょい出している。友情出演だろうか。妙に肉の付いた顔立ちに時代性にはない違和感だけが残った。

『嘘を愛する女』

2018年(平成30年)・日本 監督/中江和仁

出演/長澤まさみ/高橋一生/吉田鋼太郎/DAIGO/川栄李奈/黒木瞳

TSUTAYA CREATERS'PROGRAM FILM 2015のグランプリ作品。監督は多くのCMを手掛けるCMディレクターの中江和仁。「夫は だれだった」という朝日新聞の記事から着想を得、実話を元にした物語。キャリアウーマンの主人公は、恋人と同棲して5年。そんなある日、恋人が倒れたと警察が知らせに来た。病院へ向かうとくも膜下出血で昏睡状態になった恋人がいた。すると警察は彼の免許証が偽造されたものだと言い出す。主人公は私立探偵を雇い、恋人の真実を探ろうとするが…。(Wikipediaより)

かったるい日本映画を久しぶりに観たという感じ。CMディレクターの作る映画映像は、妙に景色や構図が目障りなものだが、この作品はそこまで酷くない。それでも、アメリカ映画に比較してしまえば、ストーリーのテンポがあまりにも気怠い。テンポよく軽快にしてしまうと、今度はテレビドラマのような薄っぺらさが表に出てきてしまう。所詮、玄人一歩手前の製作物なのかもしれない。

テレビで見るお茶らけた役者が堂々と映画に出ている。興醒めの第一歩を自ら作っているのが赦せない。長澤まさみの顔立ちは好きだったのに、この頃顔立ちが違って見える。よくよく見るとおばさん顔だけれど、若いうちはこれでいいよね、年取ったらこのおばさん顔が顕著になって行くのだろうな。と思っていたのに、いつのまにかただ美しさを醸し出している顔立ちになってしまった。味が無くなっていて詰まらない。

『Viva!公務員』(Quo vado?)

2015年・イタリア 監督/ジェンナーロ・ヌンツィアンテ

出演/ケッコ・ザローネ/エレオノーラ・ジョバナルディ/ソニア・ベルガマスコ/マウリツィオ・ミケリ

昔のイタリア共和国を- 僕らは決して忘れない 昔のイタリア共和国を- 君は知ってるかい? 芝生で踊りまくる40歳の年金生活者 たったの10年空軍で働いただけ 足が悪いはずの守衛は跳びまわり 口が利けない用務員は歌い出す 職員が風をひけば アバノ温泉で4か月湯治休暇 爪が食い込んだ程度で 生涯貰える障害年金

主人公は映画の後半でこうやって歌を歌いイタリアの人生生活を大いに揶揄する。「俺はどこへ行く?」という原題は、公務員である主人公がリストラにあい、それでも退職することを拒否して転々と生活し難い場所に配置転換されていく様を言っている。公務員天国はラテン国の最大特徴かもしれない。お隣のギリシャの騒動はいつも世界のニュースを賑わしている。

それでも思う。一度っきりの人生を苦しみながら生きたって何の意味もない。ノー天気に人生を謳歌しているイタリア人が羨ましい。独特の笑いがあるイタリア・コメディの真骨頂。隣人がイタリア人だったら迷惑で滅茶苦茶になりそうだが、第三者的に眺めれれば天使のようにも見える。滑稽な人間の人生を苦虫を噛んでいきていきますか?と問いかけれれているのかもしれない。

『ラスト・クリスマス』(Last Christmas)

2019年・アメリカ 監督/ポール・フェイグ

出演/エミリア・クラーク/ヘンリー・ゴールディング/ミシェル・ヨー/エマ・トンプソン

ワム!が1984年に発表した同名の楽曲に触発された作品である、という。80年代の洋楽なら私でも聞いたことがある。心地良い音楽だ。ちょっと季節外れの映画みたいになってしまうが、この映画の中に出てくる店も一年中クリスマス商品を扱う店なので、敢えて季節をどうのこうのと言わなくてもいい時代なのかもしれない。

アメリカ映画であるが、舞台はロンドン、クリスマス・ショップの店主は中国人、主人公の前に現れる青年はマレーシア人とちょっと毛色の違う映画になっている。そうそう、主人公と妹、両親とも旧ユーゴスラビアから逃れて来たということになっていた。なんと国際色豊かに鏤めた人物たちだろうか。

最後の方まで主人公が心臓移植を受けていたという事実は明かされていない。それゆえ、ストーリー展開に読めない不可解な部分が多すぎて、この映画はいったい何?!と、突っ込みを入れてしまった。話の長い人の典型のようにも見える。肝心なことを一番最初に言ってしまえば、あとの物語をゆっくり聞こうという気になれるのに、だらだらと最初から物事を説明して行く人には自分の頭を整理してから喋り始めなさい、と忠告をしたくなる。

『イエスタデイ』(Yesterday)

2019年・イギリス 監督/ダニー・ボイル

出演/ヒメーシュ・パテル/リリー・ジェームズ/ケイト・マッキノン/エド・シーラン

ファンタジー・コメディ映画。ビートルズのあの「イエスタデイ」が題名だ。そればかりかビートルズの楽曲が次から次へと歌われる。世界規模で12秒間の停電が発生後、世界は史上最も有名なはずのバンド「ビートルズ」が存在しないことになってしまっていた。彼らの名曲を覚えているのは、世界で主人公唯一人だけであることに気づく。主人公はこれを利用して、ビートルズの曲を歌って成り上がろうとする、という他愛ない話。

高校1年生の頃だったろうか、ちょうど実家の電気屋さんにレコード・コーナーが出来ていた。ベンチャーズのレコードも全盛だった。それこそ擦り切れるほど聞きまくったビートルズのLP、電気屋さんでなかったとしてもあれほど熱中できるものに出逢っていただろうか。ジャズも少し聞くようになっていたが、ビートルズほど自分の音楽人生を豊かにしてくれたものはなかった。

ちょっときわどいビートルズの扱い方だが、なかなか軽いタッチでストーリーが展開してくれた。ほとんどの曲を知っているというのも嬉しい。今の若い人たちがどれほどビートルズに傾倒しているのかは分からない。10人のグループだってハモることもなく単一のメロディーを歌うことが一つの価値観になっている時代の人たちに、音楽の奥の深さの一端も理解できないだろうと馬鹿にしてしまう。軽くてちょうどいい、このクソ暑い毎日には。

『ドローン・オブ・ウォー』(Good Kill)

2014年・アメリカ 監督/アンドリュー・ニコル

出演/イーサン・ホーク/ジャニュアリー・ジョーンズ/ゾーイ・クラヴィッツ/ジェイク・アベル

2001年9.11以降 米軍は対テロ戦争に攻撃型無人機を使用 これは「標的殺人」が最も激化した2010年の物語である 事実に基づいている(BASED ON ACTUAL EVENTS.)アメリカから12,000キロ離れたアフガニスタンの上空3,000キロに無人攻撃機が。

ラスベガス近郊のアメリカ空軍基地に置かれた空調の効いたコンテナの中では、主人公が遥か一万キロ彼方のアフガニスタン上空を飛ぶMQ-9 リーパー無人攻撃機を操縦し、モニターに映るタリバン兵をヘルファイアミサイルで音も無く吹き飛ばしていた。戦闘機パイロットだった主人公は命の危険は無いが戦っている実感が伴わない任務や基地と自宅を日帰りで往復する日常に拭い切れない違和感を抱いていたが、彼の操縦の腕を買っている上司の意向もあって異動願いはなかなか受理されず、新たに配属された女性操縦士のCIAが主導する対アルカイダ極秘作戦への異議の言葉も加わって、次第に彼は精神的に追い詰められていくようになる... (Wikipediaより)

アメリカだって一枚岩ではないことは分かっているが、非戦闘員と認識しながらも上官の命令の名のもとに、一般人も含めた現地人が無残にも爆破されてしまう映像は、本当なのかと自分の眼を疑うようなシーンの連続だ。おそらくこれは真実なのだろう。主人公のやりきれない気持ちがこちらにも伝わってくる。今日は2020年9月1日。

『ナチス第三の男』(HHhH、The Man with the Iron Heart)

2017年・フランス/イギリス/ベルギー 監督/セドリック・ヒメネス

出演/ジェイソン・クラーク/ロザムンド・パイク/ジャック・オコンネル/ジャック・レイナー/ミア・ワシコウスカ

第二次世界大戦中、その冷徹極まりない手腕から「金髪の野獣」と呼ばれナチス親衛隊No.2となったラインハルト・ハイドリヒを描いた映画。国家保安本部(RSHA)の事実上の初代長官。ドイツの政治警察権力を一手に掌握し、ハインリヒ・ヒムラーに次ぐ親衛隊の実力者となった。ユダヤ人問題の最終的解決計画の実質的な推進者であった。

ホロコーストのことは何度聞いても調べても、おぞましさだけがおそってくる。平然とそれをやってのけたその時のドイツの政権は、やっぱり相当異常だったのだろう。それでも、国民は反対していたのかと言えば、ヒットラーの演説や姿に狂喜乱舞している映像が残っている。独裁者だと責任を押し付けられるほどの単純な社会的、歴史的背景でもなかった。

この映画はハイドリヒというドイツ人に照明が当てられているはずだが、それ以上に反対勢力であるレジスタンス活動に脚光が浴びせられている。どんなに極悪非道のことをしようとも、妻も子供もこの時代に優雅に過ごしている光景は、人間社会の光と影を目の当たりにするようだ。長いものには巻かれなければいけないのだろう、人間生活。

『名もなき塀の中の王』(Starred Up)

2013年・イギリス 監督/デヴィッド・マッケンジー

出演/ジャック・オコンネル/ベン・メンデルソーン/ルパート・フレンド/サム・スプルエル

19歳の少年がその暴力性を問題視されて、少年院から成人刑務所へと移送されてくる。そこで彼は、幼い頃に生き別れた父親と再会する。終身刑で収監されている父親は「ここで生き残りたければ目立つな」とエリックに助言するが、エリックは耳を貸そうとしない。ロンドンの刑務所で実際に囚人相手の心理療法士として働いた経験を持つジョナサン・アッセルの脚本をもとに、少年院から成人刑務所に移送された19歳の不良少年が刑務所内で再会した父親や心理療法士との対話を通じて成長していく姿を描いている。

結構衝撃的な内容だった。反抗期がどうのこうのと甘っちょろい論議をしている日本的な環境と、成熟しているがゆえに後から後から湧きおこるイギリスの犯罪社会や刑務所生活が、ちょっと馴染めないというか、観ていてあまりいい感じはしない。他人ごとなのだから、もっと単なる映画だと割り切れればいいのだろうが、そこはそれ、親子の情だったりが刑務所の中で発揮される異常さに驚きを隠せない。

親子って何なのだろうと改めて思う。子供が物心のつかない頃から一緒に暮らしていれば、敢えて告白しない限りたとえ親子でなくても家族としての意識をもって人生を全うすることさえ可能だろう。ホントの親子なのに、いがみあって嫌い合って、何の楽しみも見出せないで毎日を生活している人もいるだろう。だからこそ、それを司る人間社会の規範や個人主義の拠り所などを明確に確固たる自分自身に植え付けなければ、何のために神に遣わされた人間なのかを見失ってしまうに違いない。

『アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち』(Stonehearst Asylum)

2014年・アメリカ 監督/ブラッド・アンダーソン

出演/ケイト・ベッキンセイル/ジム・スタージェス/マイケル・ケイン/ベン・キングスレー

エドガー・アラン・ポーが1845年に発表した短編小説「タール博士とフェザー教授の療法」を原作としている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには52件のレビューがあり、批評家支持率は54%、平均点は10点満点で5.5点となっている。サイト側による批評家の見解の要約は「熱烈なホラー映画ファンにとって、『アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち』は十二分以上に面白い作品である。しかし、そうではない人たちにとっては実につまらない作品であろう。」となっている。

確かにおもしろい題材だけれど、映画そのものの進行は詰まらない。ちょっと飽きがくる。精神病院を昔は気狂い病院と言った。少なくとも私が暮らしていた小さな田舎町ではそうだった。今や、放送禁止用語のように漢字変換すらされない気狂いという言葉、腫れ物に触らずといった風潮が日増しに大きくなっている。

もっとも、この精神病院のように患者が病院を乗っ取ってしまい、医師や看護師は地下室に幽閉されてしまっている状況では、新任医師がどちらが正常で誰が患者なのかさえ見分けが付かなくなってしまう。現実社会だってそうだ、いっぱしの紳士然ぶった輩が、実は社会不適合者で突然気が狂ったように世の中に迷惑をかけるなんていうことは日常茶飯事になっている。「あの人がとても・・・」なんていう褒め方は、いかに自分が他人を評価できていないかにしか他ならない。価値観の多様化ばかりではなく、社会そのものの大きな変化と共に、人間一人一人も大きく変わって行かなければ、社会から取り残された輩の集団になってしまいそうな日本である。

『ノア 約束の舟』(Noah)

2014年・アメリカ 監督/ダーレン・アロノフスキー

出演/ラッセル・クロウ/ジェニファー・コネリー/レイ・ウィンストン/ダグラス・ブース/エマ・ワトソン

ノアの方舟(ノアのはこぶね、英語: Noah's Ark)は、旧約聖書の『創世記』(6章-9章)に登場する、大洪水にまつわる、ノアの方舟物語の事。または、その物語中の主人公ノアとその家族、多種の動物を乗せた方舟自体を指す。「はこぶね」は「方舟」のほか、「箱舟」「箱船」などとも記される。北アメリカでは2014年3月28日に2D及びIMAXで封切られた。また一部の国々では変換(英語版)した3D及びIMAX 3Dでも上映された。2014年度(第35回)ラジー賞においては最低監督賞、最低スクリーンコンボ賞、最低脚本賞、最低リメイク・盗作・続編賞の4部門でノミネート候補リストに入った。(Wikipediaより)

この手の話は苦手だ。ノアの箱舟と聞いても、あくまでもイメージだけで、それを説明しなさいと試験に出ても一言も答案紙に書けない。どこかで映像らしきものを観たことがあるが、あれは映画の映像だったのか、それともいつか見た夢の話だったのか。

神の存在が際立っている話。宗教心のない自分にとっては、自分のための神は存在するが、人類のための神は何処にもいない。映画の主人公は神に選ばれし者、神に言われたことを頑なに実行しようと、人間であることを捨ててしまうところが凄い。どこまでも非情になれるその精神力は、ある意味現代に生きる人間に一番求められる要素の一つかもしれない。

『サムライせんせい』

2018年(平成30年)・日本 監督/渡辺一志

出演/市原隼人/忍成修吾/押田岳/武イリヤ/西村雄正/松川尚瑠輝/螢雪次朗/永澤俊矢/奥菜恵/橋爪功

原作は漫画作品。幕末から現代にタイムスリップした侍・武市半平太が、現代文明に困惑しながら、学習塾の先生として慕われるストーリー。なんか観たことがあるなぁ、と思いながら観ていた。どうも、2015年10月23日から12月12日までテレビ朝日系の金曜ナイトドラマ枠で放送されたテレビ・ドラマをちょっと見たのかもしれない。

タイム・スリップものは現代から過去や未来に跳ぶケースが多いが、この物語は江戸時代から現代にやってくるはなし。明治維新から150周年経ったことを記念して製作された作品だという。そう、まだ150年しか経っていないのだ。その前はちょんまげと刀の時代だったなんて、これから150年後の世界が見てみたいと。

坂本龍馬もタイム・スリップしていて彼は6年前に現代に現れて東京に住んでいるという。漫画らしい発想で、このあたりはおもしろい。6年も現代に住んでいると、もうスマホを使いこなし車さえ運転できる。こちらに来たばっかりの武市半平太は着物を着てまだちょんまげを結っている。タイム・スリップには夢がある。もしかすると、自分も何処からかのタイム・スリッパーかもしれないなどと考えたことはなかったが。

『トゥ・ヘル』(Between Worlds)

2018年・アメリカ 監督/マリア・プレラ

出演/ニコラス・ケイジ/フランカ・ポテンテ/ペネロープ・ミッチェル/リディア・ハースト

五流映画だった。今までもこの手の映画に出逢うと、五流映画は意外とおもしろいよということを書いてきたような気がする。ニコラス・ケイジはどこにでも顔を出すアメリカを代表する役者になったようだ。この邦題はどう考えても原題からとったものではなかろうと想定していた。なんといってもこんな言い方を題名とする英語圏の人はいないだろう。

一種のサイコ映画のようなものだった。他人に乗り移ってしまうやり方はずるい。気分のいい映画ではなかったので、五流映画のおもしろさを感じられなかったのが残念。最後まで観続けるのは苦しかったが。なんとか最後まで辿り着いたというのが正直なところ。

自分だけならまだしも、好きでもない他人の機嫌を考えながら生きていくなんて、とてもじゃないけど自分には出来るはずもない。生きているのがそんなにつらかったのかなぁ、三浦春馬、そんなことを急に考えてしまった。

『コード211』(211)

2018年・アメリカ 監督/ヨーク・アレック・シャクルトン

出演/ニコラス・ケイジ/コリー・ハードリクト/マイケル・レイニー・Jr./オリ・フェッファー

数多くの映画に出演しているニコラス・ケイジの映画は、なんていうことのない映画内容も多い。とってつけたような銀行強盗とそこに出くわしたパトロール・カーに乗る警察官二人、学校での暴力沙汰から謹慎処分として1日パトカー同乗という初めて聞いたアメリカのシステムが興味あった。

アメリカの大統領やその周りの取り巻きは全員黒いマスクを着けている。普段は悪者や強盗のイメージが強いから決して着用しないマスクを、いざしなければならなくなった時に、わざわざ強盗が使うような色のマスクを使用する背景にはアメリカ人の頑固さが見えてくる。

白いアジア人のしているようなマスクは嫌だと思っているのだろう。スカーフを首から口・鼻まで覆う強盗スタイルをMLBの全員が採用している。このあたりは教育ばかりではなく、昔から続いて引き継がれているDNAの為せる技かもしれない。世界の警察だと豪語していたアメリカ合衆国、今や新コロナウイルスのるつぼになってしまいそうな勢いが止まらない。

『メッセージマン』(Message Man)

2018年・インドネシア/オーストラリア 監督/コーリー・パーゾン

出演/ポール・オブライエン/ベルディ・ソライマン

三流作品。独りよがりで何が何だか分からずに進行する。平気で人を殺すし。舞台はインドネシア・ジャカルタ。東南アジアの匂いが漂ってくる映像が、なんとなく東洋人の脳を刺激する。もう少しアジアの国々を回っておけばよかったな、と思うけれど、優先度とすればヨーロッパ・アメリカとなり、せいぜい何度も行った香港での美味しいご飯だけが心の奥底に漂っている。

アクションもので一番気になるのは、あまりにも出来過ぎた設定の連続だということ。ザコは簡単に死んでいくけれど、主人公クラスは拳銃の弾が当たらないし、なかなか死ぬこともない。カンフーのような格闘技でさえ、殴られても殴られても倒されることはない。漫画の焼き直しのような映像が気になる。

テーマは悪を滅ぼすための無情な殺戮とでも言っていいだろう。世界共通の女・子供に対する愛情の深さが映像でも表現されている。他人に対する慈悲深い心根は、小さい頃からの教育の賜物かもしれない。薄っぺらな宗教心もない日本人の心の闇は、こういう世の中の非常事態のシーンで馬脚を露している。

『バックトレース』(Backtrace)

2018年・アメリカ 監督/ブライアン・A・ミラー

出演/ライアン・グスマン/シルヴェスター・スタローン/メドウ・ウィリアムズ/クリストファー・マクドナルド

シルヴェスター・スタローンの映画をきちんと見たのは1本か2本くらいだろうか。この映画の時はもう72歳、それでなくても聞きにくい彼のセリフ回し、たとえ英語がちゃんと喋れていたとしても、この活舌の悪さはどうしようもない。それこそ英語の字幕スーパーを欲する人が多いに違いない。

彼は地方の警察の警部、見た目にはどう見たってその反対側、極悪非道の悪人にしか見えないのは御愛嬌と言えるのだろうか。この頃の映画製作は、フィルムなんていうアナログは一切なく、いきなりハードディスクに撮ってそれを編集し、劇場でもそのデジタル映像を使って映写する方式が全てになってしまったようだ。現役時代のように映写室に入ってフィルムが映写される場面を見る事が無くなった今、どんな風に映画が映写されているのか観てみたい欲求にかられる。

銀行強盗のひとりだけが生き残って、その犯人も記憶喪失になってしまったというあたりがキモ。映像とセリフが陳腐でなかなか乗れない。最後まで観ていくと、ようやくほっとするシーンに出会うことが出来て、ようやく我慢をして観ていた甲斐があったと安堵する。それにしてもスタローンに昔の華やかなスターのイメージはない、と断言しておこう。

『逃走車』(Vehicle 19)

2013年・アメリカ/南アフリカ 監督/ムクンダ・マイケル・デュウィル

出演/ポール・ウォーカー/ナイマ・マクリーン/ジス・ドゥ・ヴィリエ/レイラ・エイドリアン

仮釈放中のアメリカ人のマイケルは、別れた妻アンジーとよりを戻したいため、南アフリカ共和国のヨハネスブルグまで逢いに来る。空港で予約と違う車が手配されていたが、取り替えに時間がかかると思い先を急ぐ事にした。途中マイケルは、車内で携帯電話と拳銃を発見する。その携帯に、とつぜん刑事を名乗る男から電話があり、手違いで車が入れ替わったので、すぐに交換してほしいと言う。マイケルは、指定された場所に向かう途中、後部座席の奥に縛られ気を失っている女を発見する。彼女はレイチェル検事と言い、組織的な人身売買の犯罪を警察所長のベンローズがやっている証拠をつかんだと言う・・・・・(Wikipediaより)

アクション映画というか、カーチェイス映画だろうか。Wikipediaに引き続きおもしろい情報が載っていた。---撮影は、全編がポール・ウォーカーが乗り込む車内搭載カメラで撮影されている。したがって車の中から見たアングルでストーリーが続き、場面もほとんどは車の中である。なを、この映画で初めてプロデューサーを務めた主演のポール・ウォーカーは、作品が公開された2013年に交通事故で死亡している。公式に制作に関わった映画はこの作品だけとなる。

途中寝てしまったがいつもの如く観直す気はなく、これでいいのだ、と楽しかった後半を味わった。最初のクレジットにアラビア語のような文字が見えたのでアメリカ映画だとは思わなかった。でも結局はアメリカ映画だよね、と感じていたらやっぱりアメリカ映画だったので、ちょっと妙な気持ち。

『シンクロニシティ』(Synchronicity)

2015年・アメリカ 監督/ジェイコブ・ジェントリー

出演/チャド・マックナイト/マイケル・アイアンサイド/ブリアンヌ・デイビス/AJ・ボーウェン

シンクロニシティ(synchronicity)とは、ユング(カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年7月26日 - 1961年6月6日)は、スイスの精神科医・心理学者。ブロイラーに師事し深層心理について研究、分析心理学(ユング心理学)を創始した。)が提唱した概念で「意味のある偶然の一致」を指し、日本語では「共時性」「同時性」「同時発生」と訳される。例えば、虫の知らせのようなもので因果関係がない2つの事象が、類似性と近接性を持つこと。ユングはこれを「非因果的連関の原理」と呼んだ。(Wikipediaより)

SF、近未来、タイム・マシーンを核に持つストーリー。題材は極めて興味があるしおもしろいものだが、現実の映像表現では、どうにも難し過ぎて理解するのが困難と思われる。この頃の映画映像は暗さが目立っており、風景や光景人物さえも明確に把握できない。製作費が抑えられるからと暗い画面ばかりでは反吐が出る。

デジャブのような映像の繰り返しは好ましくない。結局同じことの繰り返しにしか見えなくて、映画のおもしろさを削減している。シンクロニシティを調べていたら、乃木坂46のアルバムに「シンクロニシティ(2018年・J-POP)」があることが分かってちょっと複雑な心境。グループ自体の問題ではなく、芸能活動を作り上げていくスタッフたちの意識が高いのかもしれない。こんな難しい単語をよく使おうとした。アイドルに興味があれば、今回の映画鑑賞前に同題名だと気づくはずだ。

『ピクセル』(Pixels)

2015年・アメリカ 監督/クリス・コロンバス

出演/アダム・サンドラー/ケヴィン・ジェームズ/ミシェル・モナハン/ピーター・ディンクレイジ

久しぶりのアマゾン・プライムでの鑑賞だった。NASAは地球外生命体に向けて、1982年当時流行していたゲームの映像などを収録したメッセージを友好目的として宇宙へ打ち上げた。そして2015年。グアムのアンダーセン空軍基地が突如謎の攻撃を受け、あらゆる物質が立方体状のブロック(ピクセル)に変わりバラバラに分解、壊滅した。今回の攻撃は昔NASAが打ち上げたメッセージを見て“宣戦布告”と誤解した「ヴォルーラ星人」と名乗る異星人の仕業だということになるのだが、ちょっとオタク的な奇想天外な映画ストーリーだった。

テレビ・ゲームをこよなく愛している訳ではない私にとって、せいぜい「パックマン」というゲームくらいしか分からなかった。それでも一時代を築いたゲーム業界の産物は、想像以上に自分の頭の片隅に残っていることも感じられて、一人微笑んでいた。

アメリカ映画はどんなおちゃらけた物語でも一所懸命製作する。そこがいいところだろう。日本人は一定の割合で、ものごとを馬鹿にする傾向があったり、ある種の題材には蔑視しかしないことが珍しくない。ポルノ映画でさえアメリカ製作映画はすさまじい労力を感じ取ることが出来る。日本では全日本PTA連絡協議会のような圧力団体が大手を振って、この忌まわしい世界を無きものにしようと今だに齷齪しているのが現状なのだ。

『リスボン特急』(Un flic)

1972年・フランス 監督/ジャン=ピエール・メルヴィル

出演/アラン・ドロン/カトリーヌ・ドヌーヴ/リチャード・クレンナ/マイケル・コンラッド

シモンは表向きはパリのナイトクラブの経営者だが、実はギャングという裏の顔を持っている。ある時、シモンは仲間のルイ、マルク、ポールと大西洋に臨むある小さな町の銀行を襲撃、大金を強奪する。しかし、隙をつかれてマルクが撃たれ、負傷してしまう。一方、パリ警視庁のエドゥアール・コールマン刑事は、ある組織が税関とグルになって麻薬をリスボン行きの特急で運び出すという情報をキャッチする。そして午後7時59分、特急は運び屋を乗せてパリを出発した。シモンら3人はヘリコプターを使った作戦でその麻薬を横取りした。数日後、マルクの死体が発見される。シモンらに口封じされたのだ。コールマンはマルクの身元から犯人を割り出し、主犯がシモンであるとにらむ。仲間を次々と検挙したコールマンは、ついにシモンと対峙する。だが2人はかつて、堅い友情で結ばれた戦友同士だった…。(Wikipediaより)

映画の中で主人公の刑事が「警察署長」と呼ばれていた。ホントに署長なのだと思って観ていたがどうも違う。解説を読んで初めて確信が持てたが、署長というのは一種の綽名のようなものだったのだろう。さすがにアラン・ドロンと言えどもあの若さで署長はないだろうと。日本の上級国家公務員試験合格者は若くして税務署長や警察署長に就任して、ずーっと昔から続く悪しき風習を顔を顰めて国民がその報に接する。本人たちだって勘違いの人生をスタートさせているに違いない。

人間は、と大袈裟な表現をしてしまうが、所詮勘違いが得意な動物だ。それ以上に勘違いしなければ生きていけないような輩が結構存在することも事実だ。それで世の中がうまく収まるなら、勘違いなるものは大歓迎、ただその周りに暮らしている人たちの迷惑は夥しい。それもまた社会だとおおらかになれる人はいいが、普通の人々には容易ならぬ事態となってしまうのが辛いところだ。

『サムライマラソン』

2019年(平成31年)・日本 監督/バーナード・ローズ

出演/佐藤健/小松菜奈/森山未來/染谷将太/青木崇高/竹中直人/豊川悦司/長谷川博己

原作は土橋章宏による長編時代小説『幕末まらそん侍』、「日本のマラソンの発祥」とも称される史実「安政遠足」を舞台に、さまざまな事情を抱えて走る侍たちの悲喜こもごもが描かれている。話にちょっとだけ興味は惹かれるが、映画を観る限りはたいしておもしろい話ではない。映画もつまらない。

企画・プロデュースは、戦場のメリークリスマス Merry Christmas, Mr. Lawrence (1983年)、ラストエンペラー The Last Emperor (1987年)、を手掛けたジェレミー・トーマス、監督・脚本はバーナード・ローズ、音楽のフィリップ・グラス、衣装デザインのワダエミなど、アカデミー賞受賞歴を持つスタッフが名を連ねている。映画はおもしろくない。

登場人物も舞台も日本なのに外国人スタッフが主要人物というところが、おもしろくない原因の一番かもしれない。観ていて、監督が相当下手な奴だという印象が強くあった。日本人の心のうちを描かなければ、日本人の話にはならない。妙に淡々として、散漫な印象を受けてしまった。もともと話がおもしろくない物語をどうあがいたって面白く出来る訳はないか。

『影の軍隊』(L' ARMEE DES OMBRES)

1969年・フランス/イタリア 監督/ジャン=ピエール・メルヴィル

出演/リノ・ヴァンチュラ/ジャン=ピエール・カッセル/シモーヌ・シニョレ/ポール・ムーリス

時は1942年、第二次世界大戦が始まって3年あまり、この時誰もこの戦争が3年後の1945年に終結を迎えることを知る由もない。この映画はフランスのレジスタンスを描いたものだ。フランスのレジスタンスに関しては、多くの戦争映画で目にしてきたが、ここまで細かく描かれているものはないだろう。

邦題は原題のままの日本語訳になっているようだったが、どういう意味で影の軍隊という表現をしたのかが分からなかった。やっていることは敵であるドイツ軍と同じように、拉致、殺害、拷問、などなど、それこそ軍服を着ていないだけで闇にまぎれた行動は軍隊と全く何一つ変わらない、とでも言いたいのだろうか。

戦争映画を観ていつも思い出すのは、「夜と霧」という本である。滅多に本を読むことのない自分にとって、この本は人生を左右させるものだった。その時の筆者の心情を慮れば、胸が締め付けられる。ナチが何故あそこまでユダヤ人を排除したのか、何度調べても、聞いても理解できるものではなかった。そもそも戦争が悪いのだ、などと神のような言い草をする人がいたら殺してやりたい。戦争が悪いのではなく、それを行った人間が責められるべき事柄であることは明白である。

『まぼろしの市街戦』(Le Roi de Coeur)

1966年・フランセウ/イタリア 監督/フィリップ・ド・ブロカ

出演/アラン・ベイツ/ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド/ピエール・ブラッスール/フランソワーズ・クリストフ

第一次世界大戦末期、1918年10月、ドイツ軍は敗走していたとき、解放を待つ北フランスの小さな町での出来事。おもしろくなかった。また眠ってしまった。フランスのエスプリとやらがいつも通じない。イタリアのいい加減さはもっと理解できない。

精神病院の患者たちが主人公になってタイトルのまぼろしの市街戦となる。「きちがい」とタイプしても、気狂いと変換されることが無くなった。言葉そのものを悪者にして差別しているこの世の中がおかしい。もっとも、嘘を訂正せず、謝りもしない日本の総理大臣の有様を見ていると、なにが狂っていて何が正常なのかの判断さえ危うくしている。

人間一人一人は、自分がまさか他の人と異常に違っているなんて思っている人はいない。どちらかというと自分は普通の人で、他の人の方がちょっと考えも行動も違うのではないかとうすうす考えている。実は、そう考えている人がほとんどの実社会では、誰もが少しずつおかしいに違いない。だからこそ、他人の声に耳を傾け、他人の言うことに尊敬の念を抱きながら生活しなければいけないのだと思う。

『いのちの紐』(The Slender Thread)

1965年・アメリカ 監督/シドニー・ポラック

出演/シドニー・ポワチエ/アン・バンクロフト/テリー・サバラス/スティーヴン・ヒル

映画を観終わってこの項目を書くために題名を読んでみたら、なんと「いのちのきずな」だと思っていたのが大間違いで、「いのちのひも」だったなんて。先入観というものではなく、単に先走り読みとでも言うんだろうか、いのちのの後にくる言葉は「きずな」だと思い込んでいた節がある。漢字をきちんと見ていない。手書きのDVD袋だったことも遠因だったような。

私でも知っている監督シドニー・ポラックの第一回監督映画。それまでは、テレビシリーズを手掛けていたらしい。シドニー・ポワチエは1927年生まれで現在93歳、黒人俳優としての先駆者的存在のひとりで、男優としては初めてアカデミー主演男優賞を受賞した。知らない人はいないだろう、知らなければもぐりだ。アン・バンクロフトは、1962年の『奇跡の人』でアカデミー主演女優賞を受賞、印象深い映画だった。

この映画は、ちょっと回りくどい場面ばかりで飽きが来た。シアトルの自殺防止協会で働くアルバイト学生と大量の睡眠薬を服用し朦朧とした状態の自殺願望者との電話会話シーンがほとんど。短い上映時間の割にはかなり長く感じたのは何故だろう。おもしろくないわけではないが、やはり同じことの繰り返しに見えてしまったのだろうと。

『おかしなおかしな大追跡』(What's Up,Doc?)

1972年・アメリカ 監督/ピーター・ボグダノヴィッチ

出演/バーブラ・ストライサンド/ライアン・オニール/マデリーン・カーン/ケネス・マース

ここまでドタバタどたばた映画も珍しい。どうしてこんな風にドタバタになってしまうんだろうと考える暇もなく、次から次へと話が展開して行く。日本のドタバタ喜劇と比べようもないほど気持ちのいい進行であることは間違いない。喋り言葉の英語と書き言葉の日本語の特徴の違いがそう感じさせているのだろうと思う。

バーブラ・ストライサンドはもう何をやらせても充分過ぎる才能を発揮する。せめて喜劇になんかでなくてもいいよ、とチャチを入れたくなってくる。歌手としても女優としても誉れが高い。1962年に歌手としてデビュー。代表曲は「ピープル」、「追憶」等。女優としても活躍し、自身の映画出演作の主題歌を歌ったり、楽曲の提供などもしている。アカデミー賞は、『ファニー・ガール』で主演女優賞を、『スター誕生』で作曲家としてアカデミー歌曲賞と2度受賞している。また、複数のエミー賞、グラミー賞、ゴールデングローブ賞、およびトニー賞を受賞している。

それにしてもおちゃらけた内容だった。このところ順調に映画鑑賞を出来ていたのに、この映画はなかなか見る事が進まず、ようやく観終わったという感じ。1時間30分くらいの短い映画なのに長く感じるのは、映画そのものに問題があるはずだ。アメリカ映画らしくハッピー・エンドでめでたし、めでたし。

『現金に体を張れ』(The Killing)

1956年・アメリカ 監督/スタンリー・キューブリック

出演/スターリング・ヘイドン/コリーン・グレイ/ヴィンス・エドワーズ/ジェイ・C・フリッペン

現金を「げんなま」と読むことは、昔から日本映画の題名に馴染のある人でなければ分からにだろう。今の若者にこの題名を読ませたら100%「げんきん」と言うに違いない。間違ったからと言って責められるものでもないが、慣用句とかいう奴は、小さい頃から馴染んでなければ分からない事。アメリカ映画を日本語字幕なしで理解できる人だって、最新のスラングには泣かされるらしい。

スタンリー・キューブリック、この映画の監督はちょっと変わった人。商業性が重視されるハリウッドの映画監督でありながら、多様なジャンルで芸術性の高い革新的な映画を作っている。『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』『シャイニング』など。映画史における最も偉大で影響力のある映画製作者の一人として度々言及されている。

私は、若い時に偶然観た『時計じかけのオレンジ』に不思議と惹かれた。何故かはわからない。『2001年宇宙の旅』は今でも語り継がれるほどの代表作で評価も最高に近いが、私には高尚過ぎて理解できない部分が多かった。この映画は、彼のハリウッド映画第1作だというが、まだ理屈っぽい映画製作にはなっておらず、えらく分かり易い映画だった。久しぶりの古い映画、白黒画面。

『アラジン』(Aladdin)

2019年・アメリカ 監督/ガイ・リッチー

出演/メナ・マスード/ナオミ・スコット/ウィル・スミス/マーワン・ケンザリ

実写版のアラジンだったが、つまらなかった。また寝てしまった。起きてからも、どこがおもしろい話なのだろうかと頭を傾げるばかりで、全然乗れない自分がいた。映画としては、『千夜一夜物語』の『アラジンと魔法のランプ』に基づき1992年に制作されたディズニーの長編アニメーション映画作品『アラジン』の実写リメイク作品である、という。

子供騙しにもなれないようなストーリー展開は、育った環境で感じ方が大いに違うのかもしれない。日本の昔話だって、何かしら人間の基本的な倫理観やモラル的なことを教えようとしていると感じるが、この話にはそんなところが微塵も感じられない。

あるとすれば、魔法で国王にすら成れるということ。法律だって魔法で全くないものに出来るということ。それは、実は人間社会における真実なのだが、時の権力者がさらに権力を増大させて世の中を牛耳っている。それでも、時間や時代が解決する人間社会が現にあることが。なにしろ、どんなに望んだところで、一人の人間が人間であることをコントロールできないのがこの世の中だから。

『今日も嫌がらせ弁当』

2019年(平成元年)・日本 監督/塚本連平

出演/篠原涼子/芳根京子/松井玲奈/佐藤寛太/佐藤隆太

今回送られてきたDVDの中で日本映画の最後の作品だった。さすがにだんだん質が低下してきてはいたが、意外と最後までおもしろく観ることが出来たことに我ながら驚いてしまった。篠原涼子も昔からどちらかというと好きではなく嫌いなタイプなのに、もう母親役ではかなりキャピキャピ感が薄れて、もうどうでもいいやという気にならない存在になってきたようである。

2015年に出版されたKaori(ttkk)著のエッセイを原作としているという。月間約350万アクセスを記録するブログ『ttkkの嫌がらせのためだけのお弁当ブログ』から、特に反響の大きかった弁当と日記を抜粋して本にまとめたもの。著者の娘が高校入学と同時に反抗期となり、生意気な態度や無視を繰り返す。著者はそんな娘に対して卒業までの3年間にわたり、「嫌がらせ弁当」で反撃する。続編に『今日は"よろこばせ"弁当』 がある。そんな映画だった。

舞台は八丈島。遠い遠い昔、新婚旅行で行ったのが八丈島。もう46年前のはなし。新婚旅行のことなど考えずに結婚式が近づいていた。行ったことのない場所でちょっと変わったところということで八丈島にした。もっと違った動機があったかもしれないが覚えていない。ただ、帰りの飛行機は確保できたけれど行きは船旅だったことを鮮明に覚えている。何の情報もなく訪れた八丈島は、結局何処へ行くこともなく過ごしたような気がする。今ほど観光が人を呼ぶなんていう政策が流行っていなかった時代だからこその旅だったような気がする。もう遠い昔だなぁ~!?#$%&

『七つの会議』

2019年(平成31年)・日本 監督/福澤克雄

出演/野村萬斎/香川照之/及川光博/片岡愛之助/土屋太鳳/小泉孝太郎/溝端淳平/春風亭昇太/世良公則/鹿賀丈史/橋爪功/北大路欣也

池井戸潤原作の中堅電機メーカーで起こった不祥事に巻き込まれていく社員たちを描く群像劇。2011年5月から2012年5月まで『日本経済新聞電子版』に連載され、単行本化の際に1話を加筆し、8話構成の連作短編集として、2012年11月5日に刊行された。テレビドラマとして、NHK総合の「土曜ドラマ」枠で2013年7月13日から8月3日まで放送された。全4回。主演は東山紀之。こういう事実を全く知らない。その分、おもしろく観ることが出来たということになる。

香川照之の登場姿を見るたびに、あんた!!ちゃんと歌舞伎の鍛錬をしているかね、と声を掛けている。あの下手くそなセリフ回しがどの程度改善されているだろうか。テレビ界ではもう既にベテランの域と実力のある役者と喧伝される身となったが、肝心の歌舞伎役者としてはまだまだ未熟なんだろうな。

サラリーマンの世界は不条理にあふれた社会だとは、事実を含めて誰もが否定しない事柄だ。あっちこっちにそのネタの根源は蔓延っている。おそらく世界中のサラリーマンが経験しているどうにも解せない日常は、それ自体が物語のネタになるだろう。下手くそな役者でも話がおもしろければ、何とか最後まで飽きずに観ることが出来る。お茶らけテレビ・バラエティーのタレントを多く起用しなければならない現状の映画界が窺い知れる。

『アルキメデスの大戦』(The Great War of Archimedes)

2019年(平成元年)・日本 監督/山崎貴

出演/菅田将暉/柄本佑/浜辺美波/笑福亭鶴瓶/小林克也/小日向文世/國村隼/橋爪功/田中泯/舘ひろし

三田紀房による日本の漫画、およびそれを原作とした実写版映画。軍艦、戦闘機など旧日本海軍の兵器開発・製造について、当時の技術戦略と人間模様をテーマにしたフィクション作品となっている。ということらしいが、映画のエンド・クレジットの最終行には「これは、・・・・・インスパイアをうけたフィクションです。」と明記されていた。当時の日本軍の幹部が実名で出ていて、戦争も本当だったのにフィクション内容とは解せない。

眠ってしまった。その後の展開が結構面白かったので、小満足というところだが、見返す気にはなれない。箸もきちんと持てない落語家が出演していて興醒め。世間では結構評判のいい人物だが、いい歳になって箸を持てない落語家が存在していることが赦せない。何故かって? だって、直そうと思えば今までに間違いなく直せるはずの癖なのに、それをやらないというのは尊敬の念には値しない。

その他の役者もふ~ん!?$#% テレビドラマの焼き直ししのような顔ぶれで、しかもド素人のような演技では残念ながらおもしろいストーリーが色あせてしまう。山本五十六は貫禄なかったな~。若き天才将校も天才数学者には見えなかったな~。この頃の若い者は、とか、この頃の社会は、とかばかり言っている老人が多かった昔の人みたいに自分が思えてくる。題名は、アルキメデスの原理:アルキメデスが発見した物理学の法則で「流体(液体や気体)中の物体は、その物体が押しのけている流体の重さ(重量)と同じ大きさで上向きの浮力を受ける」というものと関係がありそうな。寝ていいる間にそんなことが解説されていたのかもしれない。

『半世界』(Another World)

2019年(平成31年)・日本 監督/阪本順治

出演/稲垣吾郎/長谷川博己/池脇千鶴/渋川清彦/竹内都子/杉田雷麟/牧口元美/信太昌之/堀部圭亮/小野武彦/石橋蓮司

題名の『半世界』は、写真家の小石清の写真展の題名からつけられているという。製作と配給をしているのが「キノフィルムズ」という会社で、もともと木下工務店が映画製作にお金を出し始めて発展してきた企業だ。この会社の絡んだ映画はいつも質が高くて感心させられる。映画人のひとりとしては、こういう会社で自分の役をおわりたかったかなあ~、と。

久しぶりの日本映画がこの作品で良かった。どうにも我慢のならない日本映画の稚拙性、幼児性を観たくないのが本音なのだ。この作品のほかにも何枚かの日本映画DVDを貰っているので、この後の鑑賞意欲が削がれることはなさそうだ。稲垣吾郎の名前を事前に見ているはずなのに、映画を観ている間に彼の名前が頭に浮かんでこなかった。そういう意味ではいい役者なのかもしれない。エンド・タイトルに彼の名前が真っ先に出てきて、あぁ!そうだったんだ、とちょっと驚きを隠せなかった。

なかなかといい映画だった。舞台は備長炭を焼く主人公とあと2人の幼馴染からの友人、妻、そして反抗期まっただ中の中学生の息子が織りなしている。ついつい涙が流れてしまうシーンがあって、ずーっと疲れ切っている自分の眼の栄養には打って付けの薬となってくれた。哀しい時に涙を流すことは珍しく、どちらかというと感動の極致で涙に溢れてしまうのが自分だと認識しているはずなのだが、寄る年波には勝てなくなったということなのだろう。

『ラン・オールナイト』(Run All Night)

2015年・アメリカ 監督/ジャウム・コレット=セラ

出演/リーアム・ニーソン/ジョエル・キナマン/ビンセント・ドノフリオ

ニューヨークのブルックリン。そこで長年マフィアのボスであり親友のショーンに仕えてきた殺し屋のジミーは、過去に犯した数々の行いに対する罪悪感からアルコールに溺れる毎日を送っていた。そんなジミーの息子であるマイクは、父親を嫌悪してリムジンの運転手をしながら妻子と共に慎ましく生きていた。ある夜、マイクがリムジン内で客の帰りを持っていると、その客が殺害される現場を目撃してしまう。客を殺害したのは、ショーンの息子ダニーだった。目撃されたことを知ったダニーからなんとか逃げ切り帰宅したマイクのもとにジミーが現れ、「今夜見たことは誰にも話すな」と忠告を受ける。だがしばらくすると、目撃者を始末するために銃を持ったダニーがマイクのもとに現れる。ダニーがマイクに向けて引き金を引こうとしたその時、ジミーの放った弾丸がダニーの命を奪った。ダニーがジミーによって殺害されたことを知ったショーンは、ジミーとマイクへの報復を決意する。こうしてショーンの部下や警察、そして殺し屋からも追われることになったジミーとマイクは、命がけの逃亡劇を開始する。()Wikipediaより

アクション映画のストーリーを陳列することを由としないが、こうやってどこかからか引用するのには抵抗はない。自分で映画の物語を解説したり説明するのは得意としていないので、偶にはこうやって引用を多用することに罪の意識は希薄である。

映画のいいところは、登場人物に自分を投影して映画の中で何かの役を演じられることかもしれない。結末がどんでん返しは観客にはショックでも、映画会社には常套手段。ハッピー・エンドならば映画館を出てくる観客の顔が全員微笑んでいることでその仕合わせ度が分かろうというもの。人間の人生だってある意味映画と同じようなものなのかもしれない。演じて・演じて、最後には寿命を全うするしかないのが人間の性、どうあがいたって舞台の上で死んでいくしかないのだ。

『マレフィセント2』(Maleficent: Mistress of Evil)

2019年・アメリカ 監督/ヨアヒム・ローニング

出演/アンジェリーナ・ジョリー/エル・ファニング/キウェテル・イジョフォー/サム・ライリー

「眠れる森の美女」の悪役マレフィセントを主人公にしたファンタジー映画『マレフィセント』の続編。へえ~!そうなんだー。そういう文化的な原作は題名だけ知っているだけで、どんな内容なのかをまったく知らない凡人の本性が見えてしまいそうで怖い、恐ろしい。もちろん、1作目を観ていない。

アンジェリーナ・ジョリーが出てくると、どうしても父親のジョン・ボイト(Jon Voight)を語らない訳にはいかない。彼は、1978年の『帰郷』でアカデミー主演男優賞を受賞しているが、ヘラルドが1983年に配給した5人のテーブル(Table for Five)は大ずっこけして社員をどん底に突き落としたのだった。当時の取締役営業部長がたまたま行った海外出張でえらく惚れてしまって購入した作品だった。そういえば、あの営業部長は英語なんて全然喋れなかったはずだ、ということを今思い出して笑っている。

アンジェリーナ・ジョリーの魔女は素晴らしかった。ここまではまる役者もなかなかいないだろう。エル・ファニング(Elle Fanning)の女王様も可愛くて観ていて楽しくなってきた。彼女は1998年4月生まれだというからこの映画を撮影していた頃は若干二十歳だったようだ。若いということは財産である。それは自分が若くなくなって初めて知る真理なのだから困ったものだ。もっと早くにそういう事実を知っていれば、誰しも後悔の念が少なくなる人生が送れるのだろうに。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(Once Upon a Time in Hollywood)

2019年・アメリカ/イギリス 監督/クエンティン・タランティーノ

出演/レオナルド・ディカプリオ/ブラッド・ピット/マーゴット・ロビー/エミール・ハーシュ

昨年末の入院以来コンタクトレンズを外して、盲人と同じような境遇にあった。もう50年もコンタクトレンズ、しかもハードコンタクトレンズをしていたことが恐ろしいと思える期間だ。たぶん、自分の目にはこのハードコンタクトレンズが合うんだよ、と神様が決めていてくれたのかもしれない。ただ、27インチのデスクトップ・モニターさえはっきりと認識できないでいる現状にはどうにも腹立たしさだけしかなかった。思い立って本日眼鏡を作って来た。眼鏡を作る過程ではトラウマ的嫌な経験があって、そいつが頭から離れない。結果だけ言えば、さすがにメガネの効用は有り、と断言はできるが、残念ながらやっぱりコンタクトレンズの明瞭さには遠く及ばない無用の長物にならないことを願うばかり。眼鏡をしてもきちんと見えない道具は無しだ。ただ、これでテレビで観る映画が復活すればいいのだが。観始まったばかりのこの映画が2週間くらい停滞しているのは目のせい。なんとか、観ようとする意欲だけでも湧き出させてれると嬉しいのだが。

タランティーノの最新作はこれだったのか。レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットが同じ映画に出ているのも珍しい。どっちが主演なんだろうというより、どっちの方がこの映画で多くのギャラを取っているのかに興味がある。アル・パチーノも時々顔を出して考えられないようなキャスティングになっている。時は1969年の頃、映画監督ロマン・ポランスキーと売り出し中の若手女優シャロン・テートの夫妻が隣に引っ越してきたりと、映画業界内の話が肝になっている。業界内を取り上げた映画はイマイチ詰まらないケースが多い。業界内なら知っている話題をさりげなく挿入して製作者だけが楽しんでいるようにみえて仕方がない。

2.5メートルの椅子に腰かけて50インチのテレビ画面で映画を観たかったけれど、いきなりの「見える」眼鏡は100%お勧めしないとその道のプロの人に諭されて、妙に納得してかなり見えない眼鏡で我慢することになった。椅子を一個分前に出して、約1.7メートルの距離から映画スクリーンを観た。今までよりは遥かにいいが、見え難いことは変わりなく、しばらくは慣れるまでの試練として受け止められれば。(2020年7月8日)

『スリー・ビルボード』(Three Billboards Outside Ebbing, Missouri)

2017年・アメリカ/イギリス 監督/マーティン・マクドナー

出演/フランシス・マクドーマンド/ウディ・ハレルソン/サム・ロックウェル/アビー・コーニッシュ

めずらしく、Wikipediaの原題の横に「ミズーリ州エビング郊外の三枚の広告看板」の意ということが書いてあった。おもしろい映画だと想像させるに十分な題名に見えたが、その通りなかなかおもしろい映画だった。2本続けておもしろいのは嬉しい。

アメリカ人の家族愛をまた見せつけられた。離婚も家族崩壊も多いのに、一人一人の家族に対する愛情は異常なほどだ。だからこそ、ギャップが生じるのかもしれない。レイプされ殺されてしまった娘の母親が取った行動は、いかにも映画的で面白いが、日本では到底考えられない展開。屋外看板がその大きな役割を果たすところが、いかにもアメリカ的だと知りもしないアメリカ事情を考察する。

右へ行くのか左へ行くのか、どっちに行くかは自分で考えてください、という結末を久しぶりに観た。日本映画の手を取り足を取りという幼稚なエンディングを馬鹿にしている。一度や二度映画に出演したからって、女優だの映画俳優だのともてはやされる日本での環境は苦々しく思える。つい最近だって、不倫をした男の相手方を大女優と紹介していた。何が大女優だよ、デクノボーの単なるいち出演者なのに。

『ラスト・ムービースター』(The Last Movie Star)

2017年・アメリカ 監督/アダム・リフキン

出演/バート・レイノルズ/アリエル・ウィンター/クラーク・デューク/エラー・コルトレーン

現役時代から助平ったらしいバート・レイノルズの顔が好きになれなかった。この映画が始まって、いきなり彼がどんと椅子に座って出てきたときから、もう気分が悪くなりはじまった。さてさて、最後まで平穏に観続けることが出来るのだろうか。予定通り、一歩も観進まなかった。

いやー!おもしろかった。言っていることが違うじゃないかとののしろられそうだが、ののしろられたっていい。彼の最後の作品だということも分かった。2018年に82歳でなくなっている。その最後の頃の姿は、若い頃とは全く違うおだやかな表情になっていた。自叙伝のようなストーリーが結構泣かせる。久しぶりに映画らしくて映画っぽい映画を観た満足感に浸れた。

この映画の中で彼は5回結婚したというが、実生活でもそうだったのだろう。娘を自殺で失ったことも、本当なのかもしれない。細かいことをweb検索では知りえなかった。一体自分の人生は何だったのだろうか、というようなことを思い浮かべる彼の姿は、大スターや絢爛たる世界の人間ではなく、普通のそのあたりにいる人間のひとりなのだと語っているような。

『さらば愛しきアウトロー』(The Old Man & the Gun)

2018年・アメリカ 監督/デヴィッド・ロウリー

出演/ロバート・レッドフォード/ケイシー・アフレック/ダニー・グローヴァー/チカ・サンプター/トム・ウェイツ

ロバート・レッドフォードの名前が一番最初に出ていて、えっ!いくつになったんだよ、と思いながら観始まった。前の作品を観終わるのに1か月もかかってしまったことを書いたのもだいぶ前のこと。実はこの映画は2日間で観終わっていたのだが、どうも昔ながらの書くことへの苦手感がこうやって活字の世界を遠ざけている。

この映画の主人公は子供のころから根っからの泥棒。万引きから始まった犯罪人生は、70歳になっても衰えることはなく銀行強盗を趣味のように楽しんでいる。拳銃を上着の裏側に忍ばせて脅しには使うが、他人を傷つけることはしない。毎回つかまっては脱走を繰り返している人生だったらしい。まったくの事実に基づいた映画だというから楽しい。

三つ子の魂百までもとは良く行ったものだ。なくて七癖と同じように、本人には自覚のないDNAとやらが頭の中から足の指先まで詰まっている。嘘を平気でつく奴が急に直るわっけがない。時間にルーズな奴が急に時間通りに現れることもない。悪いことばかりではない。几帳面な輩は歳をとってもその几帳面さに縛られて毎日を生きている。なんとか脱却して新しい人生を始めるには手遅れだ。もうだれも助けてはくれない。自分のことは自分でバンバンしなければ明日はやってこない。それが人生というものなのだろう。それでいいのだ。

『レディ・プレイヤー1』(Ready Player One)

2018年・アメリカ 監督/スティーヴン・スピルバーグ

出演/タイ・シェリダン/オリヴィア・クック/ベン・メンデルソーン/T・J・ミラー/サイモン・ペグ

スピルバーグが監督だなんて、こんな映画もつくるんだと素直に驚く。またゲーム!?、と観始まったときに嫌な顔をしたものだが、まさか巨匠がこういう題材を選ぶなんて、もうすでに自分は時代に遅れてしまったと痛感せざるを得ない。時は2045年という近未来の物語。誰もがバーチャル世界で人生を楽しむ時代となっていた。

邦題のレディが Lady ではなく、Ready だったことが続いて驚いたことだった。もう2週間になるのではなかろうか。一向に鑑賞意欲がわかないこの映画、スピルバーグと言えどゲーム性の映画には興味がないことが一番の原因。毎日1本以上観ていた時があったことが懐かしい。

3週間ぶりくらいに観始まったが、まだ半分にも到達していない。愕然とする。少しおもしろくなってきた。たぶん約1か月かけてようやく観終わった。手術の時からコンタクトレンズを外してしまって、そのままのド近眼状態で毎日を過ごしている。字幕版で大きな画面で映画を堪能するという贅沢から転落して、パソコンの27インチ画面で吹き替え版に日本語字幕を出して観ている。久しぶりに50インチテレビ画面に映して、吹き替え版で最後を観た。スピルバーグの天才ぶりが分かる映画で、内容は理解できなかった。たぶんもう1回観ても完璧な理解は出来ないだろう。それでいいのだ、庶民には庶民の生き方がある。

『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』(Fast & Furious Presents: Hobbs & Shaw)

2019年・アメリカ 監督/デヴィッド・リーチ

出演/ドウェイン・ジョンソン/ジェイソン・ステイサム/イドリス・エルバ/ヴァネッサ・カービー

いやぁ~、凄いですね~! この邦題は、どういうこと? 原題の最後にある Hobbs & Shaw はこの映画の中に登場する二人の主人公の名前だった。それにしても凄い。ノンストップ・アクションとか昔は粋がっていたけれど、この映画はそれどころではない。ついていくのが精一杯で、最初から最後までアクションばっかり。

こういう映画を映画館の大画面で見ていたら、おそらく最後まで行き着けないだろう。たぶん、途中で気持ち悪くなって席を離れてしまうに違いない。スクリーンにもまして音だってかなりのものだろうから、途中休憩してトイレにでも行って、それでもまた観直すだろうね、きっと。

去年1年間で映画館を訪れたことはない、たぶん。最近ではイオンのシネマ・コンプレックスなんて便利な場所があるけれど、ここから一番近いイオンへは歩いて10分もかからないけれど、残念ながら映画館は併設されていない。映画館があれば、おそらく足を運ぶことが多くなるに違いないが、そう考えると、便利なところに映画館があるというのはやっぱり必須なんだなぁ~。

『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』(Jumanji: Welcome to the Jungle)

2017年・アメリカ 監督/ジェイク・カスダン

出演/ドウェイン・ジョンソン/ジャック・ブラック/ケヴィン・ハート/カレン・ギラン/ニック・ジョナス

おちゃらけた笑いがまったく合わなかった1作目を観ているが、懲りずに2作目を観ることになった。アメリカン・ジョークは合わないと何処がおもしろいのか全然理解できず、身体が反応しなくなって、脳も停止してしまうが、さてさてこの映画はどうなのだろう。

途中経過でいえば、やっぱり響かない。ゲーム嫌いな自分にとっては、この映画そのものがゲームの中でプレイする人間を模造していること自体が理解しにくい。でも、とりあえず観ている。

内容がねぇ~。人間がゲームの中に入ってしまって、見知らぬジャングルで見知らぬキャラクターに変身して進行する映画なんて。目が見えないので「吹き替え版」に変更して垂れ流し的に観た。こういう状況を観たと表現するのはちょっとばかり抵抗があるが、とりあえず観たというには変わりないだろう。

『プーと大人になった僕』(Christopher Robin)

2018年・アメリカ 監督/マーク・フォースター

出演/ユアン・マクレガー/ヘイリー・アトウェル/ジム・カミングス/ブラッド・ギャレット

ディズニーの実写映画だ。もちろん、プーさんはお人形さんだがその違和感が嫌ではなくなるところが素晴らしい。こういうストーリーは大好きだし、不思議と吹き替え版を選択してもおかしくはなかった。日本語字幕も表示して、喋りと字幕の違いを見比べながらの鑑賞となった。

もらったDVDが1時間8分くらいからブロックノイズが出始まり、そのあとを観続けられていないのが残念だ。アマゾンプライムで調べたら、まだ299円という有料金額なので躊躇っている。もしもこの週末に100円セールがあるようなら続きを観ようと考えている。

あっ!週末だと気が付いたのが土曜日の夜、調べてみたら終末料金199円になっていた。微妙だなとおもいながら、すぐに見る訳ではないのが小河流。100円を惜しむ気持ちが自分でも説明がつかない。結局観ないで今日を過ごそうという気にはなれず、残り30分を堪能した。他愛もない話だけど、今の私にはちょうどいい。ストレスのないストーリーとキャラクターは、観ていて安心しかない。もともとこういう話は大好きだ。

『ジョーカー』(Joker)

2019年・アメリカ 監督/トッド・フィリップス

出演/ホアキン・フェニックス/ロバート・デ・ニーロ/ザジー・ビーツ/フランセス・コンロイ

DCコミックス「バットマン」に登場するスーパーヴィランであるジョーカーことアーサー・フレックが悪へ堕ちる経緯が描かれる。「グラディエーター」「ザ・マスター」などで個性派俳優として知られるホアキン・フェニックスがアーサーを演じ、「ハングオーバー!シリーズ」を成功させたトッド・フィリップスが監督を務める。映画は2019年10月4日より日米同日で劇場公開された。R15+指定。 ロケ地となったニューヨーク・ブロンクス地区にある階段が観光名所になった。劇場公開当時のキャッチコピーは「本当の悪は笑顔の中にある」。(Wikipediaより)

 割合新し目の映画を観たくて仕方がなかった。アマゾン・プライムでは有料だったので二の足を踏んだが、こうやって奇特な人からDVDを入手できると凄く嬉しい。大きなスクリーンどころか、タブレットやパソコンで観るようになってしまった映画。不謹慎な観方だなぁと我ながら嫌になってくるが、字幕が上手く読めないから仕方がない。ここ頃の映画は全体的に暗い場面が多く、特にこの映画はバットマンの時もそうだったようにかなりダークな雰囲気が漂う。

「バットマン」におけるジョーカーの存在感を実感していない自分にとっては、奇妙な物語に思えて仕方がなかった。狂気となんとかが共存するなんたらかんたら、とか専門家は解説しそうだが、暗くて嫌な映画ストーリー及び映像とだけ記憶に残るだろう。あまり気持ちの良い映画ではない。ようやく観終わったという安堵感の方が遥かに気持ちを占めていた。

『ブラック・クランズマン』(BlacKkKlansman)

2018年・アメリカ 監督/スパイク・リー

出演/ジョン・デヴィッド・ワシントン/アダム・ドライバー/ローラ・ハリアー/トファー・グレイス

3作品連続の黒人クローズアップだった。今回の映画には具体的にKKKが登場して白人と黒人の対立構図を顕著にしている。アメリカ合衆国の潮流の中にあらたに大きな黒人問題が流れ始まったのだろうか。アメリカに住んでいなければ絶対見えてこない『何か』を教えてくれる人はいないだろうか。

なかなか進まない。何度も書いてきたことではあるが、映画を観るのにも体力がいる。健康な時にはそんなことを露とも知らずに過ごしてきていたが、いざこうやって手術2か月後のまだまだ不自由な身体には、体力だけではなく集中力という精神的な力も必要だということをつくずくと感じる。

1970年代のアメリカ・コロラド州コロラド・スプリングズで、アフリカ系アメリカ人(黒人)初の市警察巡査となったロンが、白人至上主義団体クー・クラックス・クランの地方支部への潜入捜査に着手し、活動内容や極秘計画を暴くまでを描く伝記犯罪映画。監督自身がアフリカ系アメリカ人で、発表する作品ごとに社会的・政治的な問題を扱い、論争を巻き起こす事でも有名である。映画の最後を見ると、当時の白人たちの酷い所業が白黒フィルムとして結構な時間流される。トランプの登場により、アメリカにおける人種差別は、一段も二段階も上のステージへと上がってしまったのかもしれない。

『グリーンブック』(Green Book)

2018年・アメリカ 監督/ピーター・ファレリー

出演/ヴィゴ・モーテンセン/マハーシャラ・アリ/リンダ・カーデリーニ

最初からおもしろい匂いはしていたけれど、かなり好きな映画だった。いつも通り何の情報もないところから観始まって、あれ!これはマフィア映画なのかなと思っていたら全くそんなものではなかった。1962年あたりのアメリカでの黒人差別問題は、現在からは想像も出来ないものだった。ケネディ大統領が黒人問題がどうのこうのということは知っていたが、これほどの現実があったとは。

終始おもしろかった。実在の人物を描いた映画は、ともすれば、その実在に左右されて、意外と映画としておもしろくないケースが多い。この映画の主人公はニューヨークに住む陽気なイタリア人だが、そのニューヨークに住む天才ドン"ドクター"シャーリーは黒人であるという対照的な人種環境に興味が惹かれる。

シャーリーの運転手兼ボディガードを務めたイタリア人は家族や仲間との交流が、日本人の私にも伝わるいかにもという雰囲気がおもしろい。ニューヨークで活動していれば3倍ものギャラを得ることが出来るのに、しかもわざわざ差別の激しいアメリカ深南部ツアーを敢行する心意気が、常人では理解できない域にある。徐々に良貨に駆逐されていくイタリア人の様子がとてもおかしくて。映画の最後はこの天才ピアニストと初めて会った主人公の若い美しい妻の一言が粋だった。

『アド・アストラ』(Ad Astra)

2019年・アメリカ 監督/ジェームズ・グレイ

出演/ブラッド・ピット/トミー・リー・ジョーンズ/ルース・ネッガ/リヴ・タイラー/ドナルド・サザーランド

人類は火星に宇宙基地を建造し、地球外生命体の探査に乗り出している。著名な宇宙飛行士クリフォード・マクブライドの息子であるロイ・マクブライド少佐は、優秀な宇宙飛行士となっていたが、16年前の父の事故死が切っ掛けとなり、他者と適切な関係を築くことができず、妻のイヴとも離婚していた。ある日、地球は大規模なサージ電流に覆われ、全世界で4万人超の犠牲者が発生する。サージによる軌道施設の爆発事故を生き延びたロイは、アメリカ宇宙軍上層部に極秘に招集される。宇宙軍は、16年前に連絡を絶ち、現在は海王星付近に留まっているらしい地球外生命体探査計画「リマ」で用いられていた反物質装置がサージを引き起こしたものと推定する。リマ計画のリーダーであったクリフォードも生存している可能性が強まり、息子であるロイをクリフォードへのメッセンジャーとする。ロイは監視役であるプルーイット大佐と共に、サージの影響を免れた宇宙軍火星地下基地で、海王星へのレーザー通信を試みることになる。(Wikipediaより)

ブラッド・ピットの容姿は実に俳優らしいが、残念ながら彼の作品でヒット作品を観たことがない。と言ってしまっては失礼だが、それなりにヒットしている映画はあるものの、これぞという彼でなければ演じられないような俳優魂を見つけられていないのだ。この映画だってまったく無名の俳優で充分なんじゃなかろうかと感じる。

月や火星に簡単に行ける時がやってくるのだろうけれど、そこまで生き延びている訳もなく、あくまでも夢物語の映像にしか見えないところが辛い。「地獄の黙示録」を観ているような錯覚に襲われたのは私だけだろうか。宇宙空間では動作が緩慢になる、そのために上映時間が長くなってしまったのではなかろうか。イマイチ。面白そうに始まるが、観ているうちに飽きが来るストーリーと映像だ。

『ブルックリン』(Brooklyn)

2015年・カナダ/アイルランド/イギリス 監督/ジョン・クローリー

出演/シアーシャ・ローナン/エモリー・コーエン/ドーナル・グリーソン/ジム・ブロードベント

アマゾン・プライムの見放題作品は便利だけれど、なかなか観たい作品に巡り合えない。5分や10分で見るのをやめてしまう映画が数多い。たまたま週末限定100円と表示された作品の中からこの映画を探し出した。もう5年前の映画だけれど、その存在も知らなかったが、ポスター表示と題名でいい映画だろうと匂いを感じた。

監督や俳優のことを論じるのは得意ではないが、この監督は観客を仕合わせにしてくれる。映画は軽快に進行してくれる。ちょっと涙が頬を伝わっても、これでもかこれでもかと追い打ちをかけることもない。心のうちをセリフで語らせることを由としない製作姿勢を強く感じた。なかなか珍しい部類の映画である。

アメリカが人種のるつぼだと言われるゆえんを見るような気がした。主人公はアイルランドからニューヨーク・ブルックリンに移り住んできた。一人のイタリア人の青年と恋に落ちる。言葉の訛りや国民性についてもっと知識があれば、この映画の細かいところがもう少し分かって、もっと面白く感じたことだろう。何事にも基礎的な知識と賢知をもっていなければならない。

『セブン・シスターズ』(What Happened to Mondays)

2017年・イギリス/アメリカ/フランス/ベルギー 監督/トミー・ウィルコラ

出演/ノオミ・ラパス/グレン・クローズ/ウィレム・デフォー/マーワン・ケンザリ

21世紀半ば。地球は異常気象と人口過剰によって資源が減少し、戦争や難民問題が繰り返されたことによって主要国はみな滅び去り、ヨーロッパ連邦が新たな超大国として君臨していた。さらに遺伝子組み換え作物の影響による多生児の増加により、保全生物学者のニコレット・ケイマンが提唱する理論に基づいた強制的な人口抑制が行われるようになっていた。それは2人目以降の子供が生まれた場合、児童分配局によって親から引き離され、枯渇した地球の資源が回復する日まで冷凍保存されるという一人っ子政策だった。そんな中、セットマン家で七つ子の姉妹が誕生した。月曜日から日曜日まで各曜日の名前を付けられた彼女たちは、それぞれが週1日だけ外出し、7人で1人の人格カレン・セットマンを演じることでケイマン率いる児童分配局を欺いてきた。しかし、2073年のある日、30歳になっていた彼女たち7姉妹の長女マンデーが外出したまま、夜になっても帰宅しないという事態が発生、これにより、7姉妹の日常が狂い始めていく。 (Wikipediaより)

近未来映画というジャンルがあるが、起こりそうもない近未来映画だろう。アイディアがおもしろい。破綻するきっかけは、男と女の愛だったなんて、ちょっとお笑い種だが、アクション映画のようなシーンがたくさんあり、ストーリー展開はなかなか読めない。

こういう話は活字向きだろう。入院中に本を2冊だけ読んだが、思いのほか期待外れだった。読んだ本の作者に依存するところがほとんどのはずだが、2冊とも同じことの繰り返しをくどくどと書いていて、こんな映画の場合堂々巡りで飽き飽きするとよく表現している類のものだ。映画は先へ先へと進んで行かないとおもしろいという訳にはいかない。今日は2020年2月7日。

『完全なるチェックメイト』(Pawn Sacrifice)

2014年・アメリカ 監督/エドワード・ズウィック

出演/トビー・マグワイア/ピーター・サースガード/リーヴ・シュレイバー/マイケル・スタールバーグ

500年に一人(映画中のセリフ)という天才少年がチェスの世界で奇想天外な行動と戦いをする映画だった。この話はどこかで聞いたか観たような気がする。もしかすると、同じ題材で別の映画があったのか、はたまたこの映画を既に観ていたのかは定かでない。情けないが。もう少し残りがある。

もう少し残っていると思って続きを観始まったら、まだ半分くらいしか進んでいなかった。狂気とも思える天才のやることを繰り返し繰り返し見せられても、事実ではあっても映画的にはイマイチに思えてきてかなり飽きが来ていた。ようやく本題のロシア人対アメリカ人の冷戦を彷彿とさせる戦いが始まって、観る気が戻って来た。

結局は主人公のアメリカ人が勝つことになるのだが、事実に基づく物語の欠点である大胆な切り口がなかなかできないという製作姿勢はそのままだった。映画は映画である。多少の嘘が際立ったとしても、それがおもしろければ許されるのではなかろうか。事実に基づく映画ではないのに「地獄の黙示録」はベトナムの真実を描いていないなどという身に覚えのない中傷をされたことを苦々しく思い出す。

『セルフレス/覚醒した記憶』(Self/less)

2015年・アメリカ 監督/ターセム・シン

出演/ライアン・レイノルズ/ナタリー・マルティネス/マシュー・グード/ヴィクター・ガーバー

これも入院前に観た映画。YAHOO!JAPAN映画より全文を引用する。

『デッドプール』などのライアン・レイノルズが主演を務め、『白雪姫と鏡の女王』などのターセム・シン監督がメガホンを取って放つSFアクション。余命半年と宣告された資産家が新たな肉体を得て復活したものの、思いがけないトラブルに巻き込まれる姿を活写する。復活前の主人公を、『ガンジー』などの名優ベン・キングズレーが好演。明晰な頭脳と高度な戦闘能力を持つハイブリッドの男が繰り広げる孤独な戦いに興奮。

ニューヨークの超セレブの建築家ダミアン(ベン・キングズレー)は、ある日余命半年を言い渡される。一人娘との関係もぎくしゃくしたままの彼は自らの運命を呪うが、天才科学者オルブライト(マシュー・グード)がダミアンにある提案をする。それは遺伝子操作で新たに創造した肉体に、68歳のダミアンの頭脳を転送するというものだったが……。

『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』(The Founder)

2017年・アメリカ 監督/ジョン・リー・ハンコック

出演/マイケル・キートン/ニック・オファーマン/ジョン・キャロル・リンチ/リンダ・カーデリーニ

この映画も入院前に観たが、あのマクドナルドの創業秘話で、なかなか興味深い内容だった。以下全文をWikipediaより抜粋引用した。

1954年、レイ・クロックは自分で開発したミルクシェイク用ミキサーを販売していたが、売り上げは今ひとつだった。そんな夫を献身的に支える妻エセルは、質素な生活に満足していたが、レイは現状に満足していなかった。そんな彼の元に、サンバーナーディーノのドライブインから、ミキサーの大量注文が来た。発注元がどんな店なのか気になったレイは、現地へと向かった。そこで彼が見たのは、食品と接客の質が極めて高く、それでいて家族層の懐にも優しいレストランであった。そこに商機を見出したレイは、経営者のマクドナルド兄弟(ディックとマック)に接近していった。

兄弟の案内で改めて店を視察したレイは、調理の効率の良さや従業員のモラルの高さに大いに感動した。兄弟が飲食店の経営に並々ならぬ情熱を注いでいることも知った。翌日、レイは兄弟に「レストランをフランチャイズ化してみないか」と提案した。以前、兄弟は独力でフランチャイズ化を試みたものの、サービスの質にムラが出たため、それを断念せざるを得なかった。そんな経験があったため、当初、兄弟はレイの提案に難色を示したが、レイの熱意に根負けして、もう一度フランチャイズ化に挑戦してみようという気になった。兄弟は「経営内容を変更する際には、必ず自分たちの許可を取ること」を条件に、レイにフランチャイズ展開を任せた。

『SPOOKS スプークス MI-5』(Spooks: The Greater Good)

2015年・イギリス 監督/バハラット・ナルルーリ

出演/キット・ハリントン/ピーター・ファース/タペンス・ミドルトン

 入院前に観ているが、映画.comより下記を引用した。(2020年1月27日に記す)

 英国諜報部MI-5の活躍を描いたBBC製テレビシリーズ「MI-5 英国機密諜報部」を原案に、キャスト&スタッフを一新して完全オリジナル作品として映画化。CIAが国際指名手配したテロリスト、カシムを護送中のMI-5テロ対策部門の諜報員たちが、武装グループに襲撃された。市民の巻き添えを懸念した責任者ハリーは容疑者を釈放するが、これが原因で解任されてしまう。MI-5からカシムの追跡を依頼された元諜報員ウィルは、局上層部に裏切り者がいると考えるハリーと合流し、カシム逃走にMI-5が関わっていることを突き止める。

 やがて、ロンドン市内で爆破テロを企てるカシムがMI-5に奇襲を仕掛けてきて……。主人公ウィル役に、テレビシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」のキット・ハリントン。共演にテレビ版オリジナルキャストのピーター・ファース、「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」のジェニファー・イーリー。ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル梅田で開催の「未体験ゾーンの映画たち 2016」上映作品。

『アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング』(I Feel Pretty)

2018年・アメリカ 監督/アビー・コーン/マーク・シルヴァースタイン

出演/エイミー・シューマー/ミシェル・ウィリアムズ/ローリー・スコーヴェル/エミリー・ラタコウスキー

『ブリジット・ジョーンズの日記』(Bridget Jones's Diary・2001年)の登場人物と主役レネー・ゼルウィガーに似た役者が出てきた。ほんの一瞬見直してみたが、まだレネー・ゼルウィガーの方が痩せていたことが分かった。可愛さも彼女の方が上かな。

ちょっとした出来事の後で、自分の容姿や体形がまったく見えなくなり、鏡に映った自分の姿を見て美しい女性だと勘違いし始まった主人公、他の人から見れば何にも変わっていないのに不思議な彼女の行動だった。その勘違いが功を奏して、人生がいい方向に回転し始まった。不思議なものだ、分かっていないのはその本人だけのはずなのだが、妙に自信に満ちた人生を送っている人がいる。

その方が仕合わせに決まっている。死ぬまで勘違いし続ける人も多いに違いない。だからこそ人生、社会は平穏なのだろう。もしかして、自分が勘違いしていることを本気に悟ってしまった人は不幸にならざるを得ない。時々、東大卒の浮浪者などという稀なニュースを耳にするのも、そんなことが理由なのかもしれない。

『プリズナーズ』(Prisoners)

2013年・アメリカ 監督/ドゥニ・ヴィルヌーヴ

出演/ヒュー・ジャックマン/ジェイク・ギレンホール/ヴィオラ・デイヴィス/マリア・ベロ

プリズナーズ=囚人、かと思ってみていたらどうにも様子が違う。終わって調べてみれば、プリズナーズとは(囚われた者たち)という意味だそうな。それなら映画のストーリーが理解できる。かの如く、この映画にはもっとキリスト教的な暗喩に満ちた映画だという解説ページを見つけて、いろいろなことを教えてもらった。

神を信じる者、神を信じない者、異教徒の者、という人間構図が映画の背景にあるなんていうことを聞いて、映画の奥深さにあらためて感心する。なにしろ、何の情報もなく映画を観始めるのが絶対いいという派に属する私としては、あとからもっともらしい情報を得ることを由としていないのが本音なのだ。それでも、映画の持つメッセージ性を否定するわけではない。何かを学びたければ、そういう風に映画を観る人がいたって、それこそ映画の存在感が。

アメリカ人の異常なまでの家族愛が・・・・。この映画でも誘拐された?子供を探す父親の常軌を逸した行動がひとつのテーマであり、解説ページの曰くキリスト教的暗喩のひとつであった。それにしても謎解きが長過ぎる。結末がちょっと。「迷路」がひとつのキーワードにもなっている。なるほど、キリスト教的背景を知れば、この映画は飽きずに観られるのかもしれない。

『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』(Mary Queen of Scots)

2018年・アメリカ 監督/ジョージー・ルーク

出演/シアーシャ・ローナン/マーゴット・ロビー/ジャック・ロウデン/ジョー・アルウィン

全てはヘンリー8世(1491年6月28日 - 1547年1月28日)が発端。このイングランド王は、6度の結婚をしている。自分の離婚を正当化するためにローマ法王に逆らって離婚の認められないカトリック教を脱退し、イギリス国教会を創ってしまったというどうにもならない国王なのだ。映画「ブーリン家の姉妹」は、そんなことをもろに描いた映画として凄くおもしろかった。

アン・ブーリンはヘンリーと結婚し、その年にエリザベス王女をもうけた。この映画の片方の主人公である。最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンは、以前にヘンリーの兄アーサーと結婚していたため、ヘンリーの意を受けたカンタベリー大司教トマス・クランマーによってヘンリーとの結婚は無効であるとされた。キャサリンは故王太子の未亡人の地位に落とされ、宮廷から追放された。エリザベス王女がヘンリーの世継ぎとされ、キャサリンの娘であるメアリー王女(この映画の主人公)は庶子の身分となり、王位継承順でエリザベスの次位に下げられ、エリザベスの侍女とされた。

映画としてはおもしろくない。同じ内容を描いた映画を観たことがある気がする。題名は分からない。有名人が配役されて、なかなか華々しい戦いが興味深かったような記憶が残っている。

『マックス・スティール』(Max Steel)

2016年・アメリカ 監督/スチュワート・ヘンドラー

出演/ベン・ウィンチェル/アンディ・ガルシア/マリア・ベロ/アナ・ビジャファーニェ

SFアクション映画と言うけれど、どうも幼稚な子供騙しの映画だった。1週間も観終わるのに時間が掛かったのは、そんな理由からだろうと他人事のように言ってしまう。アメリカの世界的玩具メーカーマテルが1997年に発売したアクション・フィギュアシリーズマックス・スティールの実写映画化だと聞いて納得。

父親が実はエイリアンだったなんて、ネタバレしたって何の影響もないような内容。よく分からないどころか、何が何だか分からないと言った方が正しいストーリーには頭が痛くなってくる。よく言う製作者のマスターベーションに終始する映画だと断言しよう。まぁ、そんなに目くじら立てて言い張るほどの映画でもないことは確か。

人間の将来を描いた映画は多いが、ほとんどが悲観的なストーリが多い。地球の未来も悲惨な状況しか描かれない。夢のような世界が見える時は、それは地球ではなく別の星だったりする。そこまで地球、人間の未来には夢がないのだろうか。自分の目で見えることはないけれど、心の目が継続的に観続けることが出来るような・・・。

『セットアップ』(Setup)

2012年・アメリカ 監督/マイク・ガンサー

出演/カーティス“50Cent”ジャクソン/ブルース・ウィリス/ライアン・フィリップ

本国アメリカでは劇場公開されずDVDスルーされたという。確かに三流映画だ。ブルース・ウィリスがこういう映画に出演するんだ、と驚く。ギャラが折り合えば、どんな映画に出演するわけでもないだろうが。彼の出演作品を見ていると、中身を吟味しないで手当たり次第という感が否めない。

三流映画には三流映画の良さがある。小さな辻褄の合わなさが気にならない。どんなアクションだろうとお金がかかっていない分、アナログ的でおもわず身を屈めてしまうほどだ。人間が人間を追いかけるシーンが最大のアクションシーンだとは驚くばかりだった。

ギャングやマフィアには掟がある。その様は普通の人々よりも情に溢れている。身内のことになると生半可ではない。それほどまでの情を他人にも施せば、マフィアたる所以がなくなる。逆に普通の人々の情の無さが気にかかる。一度でも知り合った人に対する敬愛の念の薄さが気になる。一生でそんなに会える人がいないということを分かっていないのだろう。

『ファースト・マン』(First Man)

2018年・アメリカ 監督/デイミアン・チャゼル

出演/ライアン・ゴズリング/クレア・フォイ/ジェイソン・クラーク/カイル・チャンドラー

1969年7月21日02:56(UTC)、アームストロングは次のように言った。これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。(That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.) アポロ11号が人類史上初めて月面に着陸した。ニール・アームストロングの伝記『ファーストマン: ニール・アームストロングの人生』を原作としている。

丁度、今日、大相撲九州場所で第52代横綱北の富士が解説していた。50年前の北の富士(当時・大関)の話題を肴にアナウンサーと相撲談義をしている中で、名古屋場所の時にこのアポロ11号のことを覚えていると話していた。自分にとっては、大学4年の時のこの出来事をちーっとも覚えていない。もしかすると最後の長期旅行に行っていたのかもしれない。でも、記憶にないというのも不思議な話だ。

今から考えれば歴史のひとつの足跡にしか見えないが、当時の宇宙飛行士にとってはまさに命を懸けた冒険だったことが細やかに描かれていた。宇宙と言われても、自分とは遥かに遠いことだと体感していることが、自分の関心の薄さに繋がっているのだろう。身近に宇宙飛行士を実感できないし、とてもじゃないけど宇宙に行くことなんか、夢にすら見たことがない。それがどうだ、今や金さえあれば宇宙旅行が誰にでも可能な時代になって来た。金さえあれば・・・・か。

『レッドブル』((Red Heat))

1988年・アメリカ 監督/ウォルター・ヒル

出演/アーノルド・シュワルツェネッガー/ジェームズ・ベルーシ/ピーター・ボイル/エド・オロス

アメリカ映画として初めて、モスクワ市内および赤の広場でのロケを許可された作品である(ただし、アクション・シーンはブダペストやオーストリアで撮影されている)。(Wikipediaより)

シュワルツェネッガーはロシア市警、麻薬地元ギャング団を追ってアメリカ・シカゴへと乗り込む。たわいのないアクション警察ものだが、時代の背景を映すアメリカとロシアの様相は、歴史を生きてきた現代人にのみ認識されておもしろい。

時代がどんどん変わって行くのを感じる。一体世界はどっちの方向に向かっているのだろうか。アメリカばかりではない、南米の独裁国家にさえ影が差している。優等生のはずだったヨーロッパ各国にも右派の台頭が甚だしい。映画が描く近未来のように結局は人間同士の馬鹿な争いが地球を破滅に導くのかもしれない。

『ザ・シークレット・サービス』(In the Line of Fire)

1993年・アメリカ 監督/ウォルフガング・ペーターゼン

出演/クリント・イーストウッド/ジョン・マルコヴィッチ/レネ・ルッソ/ディラン・マクダーモット

かつてアメリカ合衆国大統領を守ることができなかった老練なシークレットサービス・エージェントと、大統領暗殺を目論む殺し屋との対決を描くサスペンス・アクション・スリラー。主人公は長年シークレットサービスを務めるベテラン警護官であり、ダラスでのケネディ大統領暗殺事件の際にも現場に配属されていたが、大統領を守ることが出来ず後悔に苛まれ酒に溺れるようになり、妻子も彼の元を去ってしまう。

クリント・イーストウッドはこの時63歳、年老いたシークレット・サービスとはという疑問を実践していて、笑える。大器晩成のようにずーっと活躍しているクリント・イーストウッドには頭が下がる。彼が亡くなった時にはハリウッドばかりではなくアメリカ国中から哀悼の意が表されるだろう。まだ、そんな兆候がある訳ではないが。

ジョン・F・ケネディーの暗殺の何が隠されていて何が公になるというのだろうか。そこまで生きていられないのは残念でたまらないが、人間社会は秘密を後生大事に守っている。秘密なんてその人本人にしか重要ではないはずだが、他人に知られることを異常に拒んでいるのが滑稽だ。俺は実は天才なんだよ、なんていう秘密を誰も信じないのと同じこと。その程度のことが秘密なんだよ、きっと。

『仮面の男』(The Man in the Iron Mask)

1998年・アメリカ 監督/ランダル・ウォレス

出演/レオナルド・ディカプリオ/ジョン・マルコヴィッチ/ジェレミー・アイアンズ/ジェラール・ドパルデュー

アレクサンドル・デュマの『ダルタニャン物語』をベースに、ルイ14世と鉄仮面伝説、老いた三銃士の復活と活躍、王妃とダルタニアンの秘めた恋を描いた歴史娯楽活劇。暴君ルイ14世には双子の弟がいた、というのが物語のキモ。その弟に鉄仮面を被せて地下牢に幽閉しているというのが物語の展開。そこに三銃士が絡むというストーリー。

将棋の駒のような角ばった顔していてちっともイケメンではないと規定している私の物差しも、このころの若いディカプリオを見ると、もしかするとイケメンと呼ばれても間違いではないかもしれないと思えてくる。ルイ14世とその双子の父親にはあっと驚く秘密があった。そんなところがおもしろさを。

それにしても栄華を極めたフランス王朝も、民衆の手で終焉を迎えることになろうとはその当時の人でさえ想像に絶したに違いない。民衆の力がそれだけ強いということをDNAのように受け継ぐフランス人には、一方では個人主義の最たるものとして鬱陶しがられている。もっとも、ことスポーツのフランス代表は既に黒人主流になっており、100年後にはフランス人の大半が黒人になっているのではないかと訝る。

『ジャッジ・ドレッド』(Dredd)

2012年・イギリス/南アフリカ共和国/アメリカ/インド 監督/ピート・トラヴィス

出演/カール・アーバン/オリヴィア・サールビー/レナ・ヘディ/ウッド・ハリス

西暦2139年。核戦争後の人類に残された「メガシティ・ワン」は、秩序が乱れた犯罪都市と化していた。そこで政府は街の秩序を立て直すために究極の法システムを導入する。それは「ジャッジ」といわれるエリート集団である。彼らは逮捕した犯罪者をその場で裁判、判決、刑執行を行える権限を持っていた。その集団の頂点に立つ男が、人々から恐れられている「ジャッジ・ドレッド」であった。ある日、ドレッドは身に覚えのない殺人罪で逮捕されるが、それはその後に明かされる陰謀の序章に過ぎなかった。イギリスの同名コミックの映画化作品。(Wikipediaより)

これから100年後の世界の風景はどうなっているのだろうか。長生きなんてまったく望まないけれど、この目で100年後を見てみたいという欲求は日に日に高まるばかりだ。それがとてつもない妄想だということは理解できても、もしかするとこの脳裏が映像を映し出すことがあるのではなかろうかと。

どう考えたって、悲惨な地球の未来があるようだ。現実的に起こる不定期的な世界各地での暴動が、100年後の毎日の暮らしになるのだろうか。いやそんなことはない、このまま健全に地球が発展していくだろうという楽観論者はもう何所にもいないだろうことを思い知らされるだけだ。

『ミルカ』(Bhaag Milkha Bhaag)

2013年・インド 監督/ラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ

出演/ファルハーン・アクタル/ソーナム・カプール/ディヴィヤ・ダッタ/メーシャ・シャフィ

久しぶりのインド映画。インド映画は概して面白いはずだが。1960年ローマオリンピックの陸上インド代表選手ミルカ・シンの半生を描いており、インド国内では「スーパーヒット」と判定されるなど興行的な成功を収め、海外でも高い興行収入を記録したという。映画はミルカ・シンと彼の娘ソニア・サンワルカの自伝『The Race of My Life』を原作としている。

インド映画はかなりおもしろいはずだったが、最後までおもしろさは感じなかった。ドキュメンタリーという分野での限界かもしれない。映画製作はドキュメンタリーを越えなければ、おもしろくなるはずがない。そんな事実はなかったよとクレームが出るくらいがちょうどよいのだろうと思う。インドとパキスタンの政争が、一人の世界的なランナーに大きな影を落としている。

事実は小説より奇なりと昔から言われるのも同じようなこと。世の中には奇特な人が結構いる。そこが人生のおもしろいところで、平々凡々と人生を終わってしまう自分の人生を振り返ったって誰にもその面白かった人生を伝えることもない。ただ生まれて、ただ死んでいく多くの人生の中に埋没している。それでいいのだ。

『アンキャニー 不気味の谷』(Uncanny Valley)

2019年・アメリカ 監督/マシュー・ルートワイラー

出演/マーク・ウェバー/ルーシー・グリフィス/デヴィッド・クレイトン・ロジャーズ

不気味の谷現象(ぶきみのたにげんしょう)とは、美学・芸術・心理学・生態学・ロボット工学その他多くの分野で主張される、美と心と創作に関わる心理現象である。外見的写実に主眼を置いて描写された人間の像(立体像、平面像、電影の像などで、動作も対象とする)を、実際の人間(ヒト)が目にするときに、写実の精度が高まっていく先のかなり高度なある一点において、好感とは正反対の違和感・恐怖感・嫌悪感・薄気味悪さ (uncanny) といった負の要素が観察者の感情に強く唐突に現れるというもので、共感度の理論上の放物線が断崖のように急降下する一点を谷に喩えて不気味の谷 (uncanny valley) という。不気味の谷理論とも。元は、ロボットの人間に似せた造形に対する人間の感情的反応に関して提唱された(原典を読めば誰でもわかるが(#詳細の節を参照)、方程式などで示されるような一般に「理論」と呼ばれるようなものにはあたらない)。

ロボット工学者の森政弘が1970年に提唱した。森は、人間のロボットに対する感情的反応について、ロボットがその外観や動作において、より人間らしく作られるようになるにつれ、より好感的、共感的になっていくが、ある時点で突然強い嫌悪感に変わると予想した。人間の外観や動作と見分けがつかなくなるとふたたびより強い好感に転じ、人間と同じような親近感を覚えるようになると考えた。外見と動作が「人間にきわめて近い」ロボットと「人間とまったく同じ」ロボットは、見る者の感情的反応に差がでるだろうと予想できる。この二つの感情的反応の差をグラフ化した際に現れる強い嫌悪感を表す谷を「不気味の谷」と呼ぶ。人間とロボットが生産的に共同作業を行うためには、人間がロボットに対して親近感を持ちうることが不可欠だが、「人間に近い」ロボットは、人間にとってひどく「奇妙」に感じられ、親近感を持てないことから名付けられた。 (Wikipediaより)

読んでもよく分からない。人間がAI人間を創り出す。そこに専門知識のある美人記者がインタビューに来る、という話。セックスまでしてしまった相手は、実はAI人間で、AI人間だと思っていた人が本物の人間だったなんて、しかもエンド・クレジット後のシーンで彼女はトイレで妊娠検査薬を覗き込んでいた。ミステリーな話がホントになるときが来るんだろう。

『ファイヤーフォックス』(Firefox)

1982年・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/クリント・イーストウッド/フレディ・ジョーンズ/デイヴィッド・ハフマン/ウォーレン・クラーク

今年の5月で89歳になっているクリント・イーストウッド、まだ映画監督として映画を製作し続けている。恐れ入り谷の鬼子母神。30年前、59歳の時の監督・主演作品。これは彼の監督作品ではないだろうと予想しながら観ていた。近年の彼の映画作品のようなスピーディーな展開ではなかったのでそう思ったのだが、おそらく時代という大きな壁が映画ストーリーや映像に大きな作用があったのかもしれない。

Mozilla Firefox(モジラ ファイアフォックス)というインターンエット・ウェブブラウザがある。一時はこのブラウザをメインにしていたが、今やGoogleChrome(グーグル・クローム)の圧力に負けて、併用という感じで使っている。GoogleChromeの音声検索は凄く便利だ。映画の題名なんて簡単に表示してくれる。変換ではなくビッグデータからの候補選びの技術が相当進化した。

映画はおもしろいような、おもしろくないような。最新戦闘機をソビエトから盗むというような奇想天外なストーリーだが、ジェット戦闘機のシーンなんかは、なかなかどうして迫力のあるシーンで観ていて飽きがくることはなかった。ただ、その前のちんたらストーリーとアクション時に眠ってしまったのは言い訳もできない。

『メビウス』(Mobius)

2013年・フランス/ベルギー/ルクセンブルク 監督/エリック・ロシャン

出演/ジャン・デュジャルダン/セシル・ドゥ・フランス/ティム・ロス

メビウスの帯(Mobius strip, Mobius band)、またはメビウスの輪(Mobius loop)は、帯状の長方形の片方の端を180°ひねり、他方の端に貼り合わせた形状の図形(曲面)である。メービウスの帯ともいう。数学的には向き付け不可能性という特徴を持ち、その形状が化学や工学などに応用されているほか、芸術や文学において題材として取り上げられることもある。(Wikipediaより)

ロシアとアメリカの諜報合戦のど真ん中で暗躍する男と女、本人の職業意識をも飲み込む男女の愛情、愛欲がその人生を壊してしまう。なかなか見ごたえがあるスパイもの、アメリカ映画のような乾いた描き方ではないストーリーや映像に新鮮味を覚える。寝ころびながらタブレットでアマゾン・プライムを堪能した。二重スパイ、三重スパイの行き着くところがメビウスの帯だというのだろう。

目の前に本物のスパイがいたら楽しいだろうな。私はスパイだよ、なんて真実を言う人はいる訳ないから、そんなことになる確率はほとんどゼロパーセントだろう。日本人はのほほんとしているから、ほとんどの人はまさかスパイが日本にいるなんて信じていない人が多いだろう。けど、ちょっと調べてみると、日本はスパイ天国だという情報にぶつかる。いつか誰かのスパイ活動に協力したいなぁ。

『ベルファスト71』('71)

2014年・イギリス 監督/ヤン・ドマンジュ

出演/ジャック・オコンネル/ポール・アンダーソン/リチャード・ドーマー

北アイルランドを背景にしたストーリー。歴史的にも政治的にもこの北アイルランドに関しては疎過ぎてなんのコメントも出ない。プロテスタントとカトリックが政治的にも対立している。ある意味中世から続く人間の営みの戦いのようにも見える。軽々しく口に出来ない。年寄りから子供までが、毎日その戦争に翻弄されている姿が哀しい。

英国人新兵が戦闘の中で取り残された敵地から脱出するまでのサスペンスフルな逃走劇がメインストーリー。新兵は、この地に派遣されるときに、ここはイギリス領だと強く上司が厳命する。そのあたりがこの戦争のキモなのだろうか。土地柄も暗くこんな社会に生まれてきてしまった人間は自分の不幸をどう嘆いたらいいのだろうか。

「新兵さんはかわそうだねー、また寝て泣くのかよー!」、日本軍の就寝ラッパはそんな風に聞こえるのだよ、と大昔父親に聞いた記憶がある。もう少し軍隊時代の自慢を聞いてあげればよかったと、ずっと公開しているが我が娘たちはそれなりに聞かされていたらしいことを、本人から聞いたことがあった。オヤジもなかなかやるもんだ。ちなみに、起床ラッパは、「起きろよ起きろよみんな起きろ、起きないと曹長さんに怒られるー!」だったような。

『ディール・ブレイク』(Brave Men's Blood)

2014年・アイスランド 監督/オーラフ・デ・フルール

出演/ダリ・インゴルフソン/オーグスタ・エヴァ・アーレンドスドーティル

伝説的な名警察官を父に持つハンネスはアイスランド警察の特殊部隊「武装警察」に志願するが、試験代わりの訓練に落ち、内務調査室に配属されることになる。ある日、かつてはギャングのボスだったが今は落ちぶれて麻薬の密売人となっていたグンナーが、自分を破滅させたセルビア人ギャングのボスであるセルゲイを銃で襲撃しようとして失敗し、逮捕される事件が起きる。警察でグンナーは尋問相手としてハンネスを指名し、ハンネス以外には何も話さないと言い出す。呼び出されたハンネスは、グンナーから麻薬課のトップでハンネスの父親の古くからの友人であるマルゲールがかつてはグンナーと結託していたが今はセルゲイと癒着していると密告する。(Wikipediaより)

珍しいアイスランドもの。ところ変われば品替わる、と言われる人間社会、警察ものでは圧倒的にアメリカ映画が優位に映画界を席巻しているが、切れの悪さと誰が誰だか区別がつかないこの映画は、残念ながら二流といわれても仕方がない。それでも悪と立ち向かう青年の心情が手に取るようにわかり、映画に没入できる時間もある。

街を牛耳るボスの座に返り咲き、警察とギャングの癒着は続けられることになる。という結末は現実社会の生き写しのように見える。つい最近の日本社会に明るみになった原発マネーの例なんぞは、今に始まったことでもなく、自分の小さい頃からも同じようなスキャンダルが飽きもせずに社会に蔓延している。これをもって日本の後進性を嘆くわけではないが、欧米社会だって、ましてや独裁国家と言われる国々では当たり前のように汚い金まみれのに権力の座と経済までをも支配している。スウェーデン人の環境保護活動家のグレタ・トゥーンベリさん(16)の言葉は重い。彼女の言葉を世界中が賛美し、追随するするムーブメントが、新しい地球を生むきっかけになるといいのだが。

『羊の木』(The Scythian Lamb)

2018年・日本 監督/吉田大八

出演/錦戸亮/木村文乃/北村一輝/優香/市川実日子/水澤紳/田中泯/松田龍平

山上たつひこ原作、いがらしみきお作画の漫画作品が原作らしい。漫画作品には見えないシリアスな内容だった。話はユニークで興味深い。元受刑者を地方都市に移住させるという国の極秘更生プロジェクトで、過去に凶悪犯罪を犯した11人を受け入れることになった魚深市。元受刑者の情報は市民には一切知らされず、魚深市の中で計画を知るのは市長と課長と主人公の市役所職員の3人のみだった。映画では受け入れる元受刑者は6人。6人ともが元殺人犯だったことを知り、愕然とするのだったが、淡々と話が進んで行き、結末はどうなるのだろうかと久しぶりに心が騒めいた。

監督は吉田大八、これまでの過去作「美しい星」「パーマネント野ばら」同様、原作からの引用はコンセプトや基本設定にとどまり、吉田監督が考案した、ほぼオリジナルに近い脚本・ストーリーが展開されているという。力のある監督だという印象が強い。「霧島、部活やめるってよ」がこの監督だった。

元受刑者をどう社会は受け入れるのか。外国人をどうやってこれから移民として受け入れていくのだろうか、とちょっと違うが、それでもどこか似たような状況に追い込まれるはずの日本社会の一端を見せてくれる。ダイバーシティーと言いながら、自分の周りの環境には超保守的にしか振りまえない日本人の生活には、小さい頃からの人間教育問題が大きな課題として立ちはだかっているように思える。おもしろかった。

『聖の青春』(さとしのせいしゅん)

2016年(平成28年)・日本 監督/森義隆

出演/松山ケンイチ/東出昌大/リリー・フランキー/竹下景子/染谷将太/安田顕/柄本時生/北見敏之/筒井道隆

 奨励会員時代から「終盤は村山に聞け」とまで言われたほどであった。その代表的なエピソードとして、村山を含む棋士達が、A級順位戦の対局を関西将棋会館の控え室で検討していた際、関西の大御所で詰将棋作家でもある内藤國雄が入室してきて「駒(持駒)はぎょうさんある。詰んどるやろ」と言った。そこでほとんどの棋士達が一斉に詰み手順を検討し始めたところ、「村山くんが詰まんと言っています」という声が上がった。後に内藤は「詰みを発見しようという雰囲気の中で『詰まない』と発言するというのは相当な実力と自信」と賞賛している。(Wikipediaより)

「東の羽生、西の村山」と称されていたという。将棋界にも多少なりとも興味をもって生きてきたはずだが、この程度のことを知らなかったというのは、どれだけ浅く物事の表面だけをさらっていたのだろうかと、自分自身の生き方にさえ疑問が持たれる。

将棋ばかりか囲碁世界だって、タイトルを保持するような人物はおそらくどこか奇人変人の類に違いない。そのあたりをうまく演じているのには感心させられる。もしも生きていたら、羽生棋士との争いはどうだったのだろうかと想像を書き立てられる。将棋界も時々その団体の運営でトラブルが起こっているが、将棋を心底よく知る第三者の手に委ねた方が団体運営には健全だろうと提言する素人のひとりだ。

『不良探偵ジャック・アイリッシュ 3度目の絶体絶命』(Jack Irish: Dead Point)

2014年・オーストラリア 監督/ジェフリー・ウォーカー

出演/ガイ・ピアース/マルタ・デュッセルドープ/アーロン・ペターゼン/ロイ・ビリング

昨日書いておいた『リターン・トゥー・マイ・ラヴ』(LONESOME JIM・2015年)は早々とやめてしまった。ラグビーに気持ちが向いているときなので、軽い題名を選んで観ようと思っているが、頭から7流作品の匂いがしたので、いつも通りの結果となってしまった。この映画は探偵ものらしいから大丈夫だろう。

オーストラリアのテレビ映画で3作目になるという。web上の評価を観ていると、おおむね好評なのであらためて現在の映画の評価ゾーンを意識することが出来た。大したことのない映画を観続けている若者層は可愛そうだ。100本に1本くらいしかこれぞ映画という作品には回り逢えないけれど、それにしても屁でもない映画が横行するこの頃には悲嘆にくれる。

全然強くない探偵と称する主人公、推理も検証もありきたりだし、どこが主人公の役なんだろうと訝る。信用も信頼もおけないけれど、仕方がなくて近くの人間に自分の意思をたくことがあるだろう。それこそ不幸だが、半分くらいは物事が成功するから、それ満足する人生が大半なのではなかろうか。

『グッド・オーメンズ (4K UHD)エピソード6』(Good Omens)

2019年配信・アメリカ/イギリス 監督/ダグラス・マッキノン

出演/マイケル・シーン/デヴィッド・テナント/アドリア・アルホナ/

だいぶ前からアマゾン・プライム4K映像なるものを観始まっている。こういうことのために新しいテレビにしたのだが、思いのほか美しくはなく、ちょっとがっかりしているところ。約1時間ものが6本、通常の映画を観るよりはるかにエネルギーがいる。今回は天使と悪魔とアルマゲドンの話、興味深いが・・・。

ようやくエピソード5の頭までやって来た。同じことの繰り返しでちょっとうんざりという気味だが、天使と悪魔が地球を崩壊させないために結託している姿が微笑ましい。変わり身の早い人は天使のようであり、悪魔のようであり、そんな人が身近にいる人は毎日心が休まらないに違いない。病気の100%がストレスが原因という噂は、おそらく本当のことなのだろう。

悪魔軍団から送り込まれた赤ん坊がいよいよ悪魔であることを自覚し始めた。いつも一緒に遊んでいる同じ年頃の子供たちを説得している。地球は破滅し、自分たちだけが生き残るそうだ。結末までにはもう少し。地球が終わるまで見届けることは叶わないけれど、同じことの繰り返しの人生の中に紆余曲折のある日本人の生活は、結構イケているのではなかろうかと改めて感じ入る。

『情婦』(Witness for the Prosecution)

1958年・アメリカ 監督/ビリー・ワイルダー

出演/タイロン・パワー/チャールズ・ロートン/マレーネ・ディートリヒ/エルザ・ランチェスター

きわめておもしろい映画だとだけ記憶している。観始まるとどこがおもしろかったのかを思い出すだろうと高をくくっていたが、どこがおもしろいのかのポイントを認識できないままに観進む。でもやっぱりおもしろかった。日本のテレビドラマを見る機会がほとんどないが、爪のあかを・・・と。

この映画の最後にクレジットがある。「この映画を観た方は、この映画の結末を他人に絶対喋らないでください。」と。現役時代にこの手の文言を宣伝文句で使うことは多かったが、もしかするとこの映画が初めて使った宣伝だったのかもしれない。

ということで、映画の内容には一切触れない。それはこの映画に限ったことではない。映画の内容が知りたければ、今やWeb上には雨後の筍のように情報が氾濫しているので、そちらをググれば済むこと。私の役目は、人生の遺言のように今迄生きてきた事象と照らし合わせて、おもしろおかしく過去を振り返っているに過ぎない。騙し騙され、人間は何処まで自分や他人に不誠実になれるのだろうか。一生に一度しかない人生なのに、末代まで禍根を残すような悪事を働き、神から見放された子孫の不幸を招かないようにしなければならない。

『ブレードランナー 2049』(Blade Runner 2049)

2017年・アメリカ 監督/ドゥニ・ヴィルヌーヴ

出演/ライアン・ゴズリング/ハリソン・フォード/アナ・デ・アルマス/シルヴィア・フークス

おもしろくなかった。観終わってからストーリーを読んで少し腑に落ちたが、なんの予備知識もなく観るには耐えがたい映画だ。前作を観ているが、これっポッチも覚えていないのが辛い。1982年制作の映画『ブレードランナー』の続編であり、前作の主演ハリソン・フォードが引き続きリック・デッカード役で出演し、前作の監督リドリー・スコットは製作総指揮を務めた。第90回アカデミー賞では5部門にノミネートされ、2部門を受賞したという。

地球の未来というか世界の将来を描いた映画は昔から数多く存在する。そのほとんどが、核戦争の勃発により地上に住むことが出来なくなった人間たちが、地中深く生きながらえるというものだった。ところがどうだ、最近の未来ものには、地球ではない星に移り住むというストーリーが横行している。夢は広がるが、あまりにもなんでもありの世界が展開されて、あり得ない人間社会が映し出されている。

いずれにしても、地球が無くなるときは来るのだろうけれど、そんな時が来ることを今生きている人々は誰も実感しない。その時になって今と同じような人間の姿をした動物が地球上にいたとしたら、どんな気持ちでその時を迎えるのだろうか。てなことを考える。ばかばかしいけどそんなことを考えることが好きだ。

『助太刀屋助六』

2002年(平成14年)・日本 監督/岡本喜八

出演/真田広之/鈴木京香/村田雄浩/鶴見辰吾/風間トオル/岸部一徳/岸田今日子/小林桂樹/仲代達矢/竹中直人

なんともはやおもしろくない映画だった。名将岡本喜八監督でこの配役なら絶対面白いだろうと期待できる映画のはずだが、なかなか映画は難しい。ここまでおもしろくない映画にになるとは誰も考えなかったろう。話がおもしろくない。落語のネタ落ちのようななんとも言いようのない倦怠感が。

仲代達也が出てくると映画が急に堅くなる。竹中直人が出てくると映画が急にお茶らけてくる。真田広之が出てきたって何にも起こらない。それが問題だろう。役者は人を驚かせてなんぼ、知人の真田広之マネージャーは苦労しているだろう。もう3段階くらい上に上がらなければ、左うちわでマネージャー稼業を続けていくことは困難なのではなかろうか。

ただ、役者は死ぬまで職業を続けられるのがいい。デビューが遅くたって、一度テレビ画面に出てしまえば、あとは何とかなってしまうのが日本の芸能界だから。デビューするまではどんな職業を経験したっていい。いろいろな仕事を経験すればするほど、役者という職業に寄与しないことは何一つない。問題なのは、売れる前まで、どうやって毎日のおまんまを食っていくことかだ。この人手不足の世の中、役者の卵には最高の生活条件が整っている。あとは成り上がろうとするする闘争心だけだろう。頑張れ!長谷川君!

『マネー・ピット』(The Money Pit)

1986年・アメリカ 監督/リチャード・ベンジャミン

出演/トム・ハンクス/シェリー・ロング/アレクサンドル・ゴドゥノフ/モーリン・ステイプルトン

スティーヴン・スピルバーグの名前がはじめのクレジットに見えたので、ちょっと期待してしまった。ということは反語的におもしろくなかったということだ。うとうとと寝てしまうのはおもしろくない時の症状、きちんと目を見開いて映画を観るという行為が困難になってきた。

ぜいたくな悩みだ。一生に数えられるほどの映画しか観ない人だって結構いるに違いないのだから。毎日1本観ようと思っていた決意は、もう予定は未定にして決定にあらずという状態になってしまった。せっかくテレビの環境を思い切って良くしたつもりだったが、なかなか上手くいかないものだ。

同じドタバタでも時代が変わるとその質が変わるのだろうか。だいぶ前にアメリカで大ヒットしたコメディ映画がちっとも刺さらなかったことがあった。そのときには日本とアメリカでは笑いも違うんだ、と思ったものだけれど、考えてみたら、自分の笑いのツボは通常ではないなぁと最近とみに感じるようになってきている。

『ヒンデンブルグ』(The Hindenburg)

1975年・アメリカ 監督/ロバート・ワイズ

出演/ジョージ・C・スコット/アン・バンクロフト/ウィリアム・アザートン/ロイ・シネス

マイケル・M・ムーニーの同名小説の映画化作品で、ヒンデンブルク号爆発事故を軸に、当時流行していたパニック映画の常道であるグランドホテル方式で人間模様も描いた作品である。現実の事故における原因には諸説あるが、本作では人為爆破説が採られている。カラー作品であるが、クライマックスでヒンデンブルグ号が爆発すると同時に画面がモノクロに切り替わり、実際の記録映像が編集で挿入され、当時のラジオ局のアナウンサー、ハーブ・モリスンのアナウンスも流される演出となっている。

1937年、飛行船ヒンデンブルグ号の爆破を警戒するため、ドイツ空軍のリッター大佐が乗り込んだ。飛行船には伯爵夫人のウルスラを初め、さまざまな乗客が乗り込んでおり、その中にはゲシュタポから送り込まれたフォーゲルもいて、独自に捜査を行っていた。やがて、乗員のベルトがドイツ人ながら反ナチスを喧伝するため、時限爆弾を仕掛けたことが判明する。爆弾は飛行船着陸後、乗員・乗客が降りてから爆発させる予定だったが、飛行船は天候不良のため着陸が大幅に遅れ、ついに悲劇の時を迎えてしまう。(Wikipediaより)

ヒンデンブルク号爆発事故は、1937年5月6日にアメリカ合衆国ニュージャージー州マンチェスター・タウンシップにあるレイクハースト海軍飛行場で発生した、ドイツの硬式飛行船・LZ129 ヒンデンブルク号の爆発・炎上事故を指す。この事故で、乗員・乗客35人と地上の作業員1名、合わせて36名が死亡、多くの乗客が重症を負った。映画、写真、ラジオなどの各メディアで広く報道されたことで、大型硬式飛行船の安全性に疑問が持たれ、飛行船時代に幕が降ろされるきっかけとなった。

『コードネーム:ストラットン』(Stratton)

2017年・イギリス 監督/サイモン・ウェスト

出演/ドミニク・クーパー/オースティン・ストウェル/トーマス・クレッチマン/ジェンマ・チャン

題名からして面白そうに見える。最近はこういう風な諜報ものやアクションものを好んで観るようになった。映画界現役から退いた時には、いい映画にかなり拘っていたが、そろそろ見飽きてきたなぁという時間と共に、痛快でスカッとするストーリーや映像に惹かれ始まった。諜報ものでは、裏切りやどんでん返しが必須でちょっとついていけないところも。

こういったストーリーで多いのが内部通報者の存在、この映画も例外ではなく秘密捜査官が毎回待ち伏せを受けるところから犯人を割り出している。実社会でも小さな会社ながら、陰でこそこそと動くやつがいた。本人はたいした策略士だと勘違いしていたのだろうが、他人から見れば笑止千万な姑息な奴としか認識されていなかった。

人間が死ぬまでにはそれなりの物語があるだろう。それは本人にしか語れない唯一無二の物語、どんな小さなことでも本人にとっては心に刻まれることがある。それが唯一の生きがいだったりすることだってある。いずれにしろ、大した足跡を残すことなく現世からおさらばしなければならない庶民にとって、毎日のひと時が貴重な人生の時間であることは間違いない。

『マッド・ダディ』(Mom and Dad)

2017年・アメリカ 監督/ブライアン・テイラー

出演/ニコラス・ケイジ/セルマ・ブレア/アナ・ウィンターズ/ザカリー・アーサー

邦題は父親だけが「マッド」と言っているが、原題にあるようにママもパパもマッドな奇想天外な映画だった。もう手は無くなったとばかりに、父親と母親が娘や息子を殺しにかかるという、どうしたらこんなストーリーが考えられるのだろうかと思えるものだった。まだ臍の緒の付いている取り上げられたばかりの子供を殺そうとするシーンさえある。

何が原因でこういう超常現象事件が勃発しているのかの説明は一切ない。あるのは主人公の家族の両親が長女と長男を殺そうと奔走するコメディ・タッチだけ。本気でホラー映画だと解説している訳ではないと思われるが、日頃のうっ憤を晴らすような親の振る舞いに拍手を贈る人種もいるかもしれない。

どうしてこうも近くの人を疎んじてしまうのだろうか。身近な人ほどもっと親身になって気を遣わなければいけないのに。他人だからこその礼儀だと思っている節がある。いあやそれは違う。いつも自分の家族のことを自慢しているのだから、そういう他人に見せる姿を自分の身内にも本気になって見せなければいけない。どうせ100年も一緒にいるわけではないのだから。

『はじめてのおもてなし』(Willkommen bei den Hartmanns)

2016年・ドイツ 監督/ジーモン・ファーフーフェン

出演/センタ・バーガー/ハイナー・ローターバッハ/フロリアン・ダーヴィト・フィッツ

カトリーヌ・ドヌーヴが出ている『ルージュの手紙』(Sage femme/The Midwife)を早々とやめてしまった。まただ。映画だけを観ることに集中できない環境が、こうやって中途半端な映画鑑賞活動となっている。パソコンの修理と新規自作機もそろそろひと段落しそうだ。適当に録画していたやりかたも終わりそうだから、おそらくひとつの作品に集中できるようになるだろう。

テレビ番組の題名のようなこの邦題、原題をGoogle翻訳機にかけたら「ハートマンズへようこそ」と出てきた。ドイツのどこかにある町の名前なのだろう。ニュースでしか知りようがないが「難民」がたくさん入り込んでいるドイツならではの社会情勢が興味深い。難民を初めて預かった主人公の家族の物語だった。

家族を全員失ってナイジェリアからやって来た難民青年が主人公。どれだけ真面目に生活したって何か悪いことを企てているのではないかと疑われてしまう。お隣のアパートには黒人大嫌いのおばぁちゃんも住んでいる。真面目で几帳面な国民と教えられているわれわれ世代のドイツに対する認識、そんなところがちょっと発見できるとついつい嬉しくなってしまう。アメリカ映画のようにハッピーエンド映画になっているところが救われる。難民問題には知らんぷりしている日本国という島国根性が、これから50年後にどうなっているのだろうかと訝る。

『スーパーマン リターンズ』(Superman Returns)

2006年・アメリカ 監督/ブライアン・シンガー

出演/ブランドン・ラウス/ケイト・ボスワース/ケヴィン・スペイシー/ジェームズ・マースデン

昨日観始まって書いた『アウトロー 咆哮』(Outlawed)を早々とやめてしまった。なんということ。この頃は同じような状況が何度もある。そこで観始まったのがこの映画。観ているはずだけれど、なんという新鮮さ。ヒーローものを子供騙しと馬鹿にしている自分が、子供の時からスーパーマンにだけはまっているのは不思議な感覚だ。

6月の20日頃から7月いっぱい間違って入会していたWOWOW、目一杯2つのハードディスクに録画したやつの備蓄が途絶えそうになってきた。この後は、またアマゾン・プライムをメインにし、数少なくなってしまったテレビでの映画放映録画をやって行くしかない。2年に1回くらいはWOWOWに入って、その時々の時代を映す映画を蓄積することにしよう。

『スーパーマン』(1978年)及び『スーパーマンII/冒険篇』(1980年)の続編となる内容であり、『スーパーマンIII』(1983年)及び『スーパーマンIV』(1987年)での出来事は反映されていないというあたりは複雑な関係だ。なんといってもスーパーマン、テレビ放送を毎週観ていた子供時代が懐かしい。スーパーマンの声だった大平透(おおひら とおる、1929年〈昭和4年〉~2016年(平成28年))がもっと懐かしい。

『関ヶ原』(せきがはら)

2017年(平成29年)・日本 監督/原田眞人

出演/岡田准一/有村架純/平岳大/東出昌大/滝藤賢一/中越典子/壇蜜/西岡徳馬/松山ケンイチ/役所広司

 結局最後まで観たけれど、おもしろいはずの物語がよく分からず、面白みも半減といったところか。この映画を観る前に、2時間の講座を設けてもらいたい。そこで勉強してからこの映画を観れば、おそらく映画のおもしろさとともに、歴史ストーリーの醍醐味にも触れることになること請け合いだ。映画単体で完結しなければならないことだが、残念ながらこの映画は相当の歴史知識を持った人でなければ、その面白さを享受することは出来ない。

公開時期から楽しみにしていた作品だった。もう2年、まだ2年が経過した。いきなりのおもしろくない映像にかなりがっかりする。これは本当に司馬遼太郎の原作を基にしているのだろうか。いや違うだろう。力仕事が試される題材だけに、監督の力の無さが冒頭から如実に現れてしまっているのではなかろうか。司馬遼太郎のシーン・シーンでおもしろくないと思えるところは1か所もないはずだと確信していた。

セリフが聞き取りにくいかったのも一因かもしれない。天下取りでは最も有名な合戦を描けるなんて監督冥利に付ける。それが此の体たらくでは、頭を抱えてしまう。まだ途中の状態だが、最後まで観続ける自信が今のところない。石田三成と徳川家康にスポットを当てているが、誰に当てようと同じだろう。監督の力なくしては、せっかく集めたテレビ俳優が全員死んでしまう。

時間が短くて描き切れないという人もいるかもしれない。2時間前後でも語りを有効に入れて、歴史を紹介することを登場人物に語らせなければ、歴史事件のおもしろさが直接伝わってくるはずだ。そういうちょっとした工夫が必要な歴史上の大きな舞台。衣装や合戦シーンにお金をかけたって、映画の本当のおもしろさを観客に伝えられない。残念。

『蒼い衝動』(Les Exploits d'un jeune Don Juan)

1987年・フランス 監督/ジャンフランコ・ミンゴッツィ

出演/クローディーヌ・オージェ/セレーナ・グランディ/マリナ・ヴラディ/ファブリス・ジョッソ

1914年の夏、16歳の主人公は学校の寮生活を離れ、フランスの田園地方の“シャトー”と呼ばれる広大な屋敷に戻ってきた。ところが折からの戦争で、父を始めとする男たちが次々と出征してゆき、彼は女ばかりの屋敷にひとり取り残されることになる。そしてその日から主人公の年上の女性たちとの性の生活が始まった。

もう少し古い製作の映画かと思った。話には聞いているが江戸時代のおおらかな、開放的な性生活のフランス版のように見える。男も女も、年齢も特に気にせずひたすら男と女の営みを繰り広げる。言葉では愛していると言いながら、目的はお互いの肉欲だけでおおらかだ。フランスの艶笑小噺を観ているような気になってきた。少年が筆おろしからの初々しい体験だけが興味を沸かせるところか。

イギリスのドタバタ喜劇に比べれば、はるかに洗練されたエスプリがプンプンの喜劇という感じ。洒落てはいるが、やっていることは一緒。貴婦人の様相をまとう人種が、一皮むけば肉欲に溺れる姿は、日本のアダルトビデオの世界にも匹敵する。この時代なら仕方がないが、相変わらずのボカシ映像の氾濫で日本の文化程度を世界に知らしめている。

『青夏 きみに恋した30日』

2018年(平成30年)・日本 監督/古澤健

出演/葵わかな/佐野勇斗/古畑星夏/岐洲匠/久間田琳加/水石亜飛夢/秋田汐梨/志村玲於/霧島れいか/南出凌嘉/白川和子/橋本じゅん

昨日観始まった『ジョニー・イングリッシュ アナログの逆襲』(Johnny English Strikes Again)を早々に観終わった。終わったわけではなくやめた。MR.ビーンというイギリスのキャラクターが、どうにも好きになれなくて、観ていれば観ているほど、そのドタバタコメディーの仕草に腹が立ってきてしまう。イギリス人にどこがおもしろいのかをいつか教えてもらおう。

一転、日本の若者映画を観ることになった。時には青春のほとばしりを浴びながら、少しは若返った気分を味わいたい。そんな風に観る青春映画は、偶にだからいい。この映画の主人公は男も女も好みではなく、だから余計キュンとするシーンに巡り合えず、残念ながら1歳も歳は若返らなかった。

鳥だってさえずりながらコミニケションをとっている様子を見ることが出来る。もちろん鳥ばかりではなくあらゆる動物がコミニケションをとっているのだろうと思われる。神の技としか思えないこの地球上での生きとし生けるもの、今度生まれ変わるとしたら何になるのだろうか。などと、誰にも分からないようなことをさも知ったかぶりして教えて金にしている輩を見ると、人間の浅はかさだけが浮き彫りにされる。

『空飛ぶタイヤ』

2018年・日本 監督/本木克英

出演/長瀬智也/ディーン・フジオカ/高橋一生/深田恭子/寺脇康文/小池栄子/阿部顕嵐/ムロツヨシ/木下ほうか

この突飛な題名は何? 車の整備会社から少し大きくなって運送会社となった主人公の会社、なりたくはなかったが親の仕事を受け継いで何とか従業員の家族を食わせることが出来ていることが社長としてもモチベーションだった。そんなある日、大型車両が急ブレーキを掛けたとたん150キロもある大きなタイヤが外れて歩道を歩いていた親子連れを襲った。子供は助かったが母親は即死状態だった。小さな会社にとっては致命傷的な事故、主人公が調べていくうちに、その車は整備不良ではなくメーカーの根本的構造設計ミスであるらしいこと、リーコール隠しの行為ではないかということを突き止める。財閥系の大メーカーとの戦いが始まった。その財閥系会社にもサラリーマンとしての矜持を保ちながら内部告発をする者さえ現れ始めた。池井戸潤にとって初の映画化作品となるという。

そう、でかいタイヤが空を飛ぶさまを題名としてイメージして欲しかったのだろう、作者は。『月刊J-novel』に2005年4月号、2005年6月号から2006年9月号に連載され、第28回吉川英治文学新人賞、第136回直木三十五賞候補作となった池井戸潤の社会派小説が原作であった。2009年には、WOWOWの連続ドラマW枠でテレビドラマ化された。自動車会社が有力スポンサーの地上波では、作品の性質上、制作は難しいと思われたが、有料放送のWOWOWでは、地上波のようにスポンサーの影響を受けることなく番組制作を行えるため、ドラマ化が実現する運びとなったという。

巨大な壁に一人で戦いを挑んでも徒労に終わるというのは定番であろう。巨大な闇を突いても、全員不起訴相当となることは現実社会が示している。権力というものは恐ろしい。一度手に入れてしまえばその権力は次の権力を生み、新しい勢力なんぞ虫けらのように追い払われてしまう。人間社会の持つ最大にして最高の権力という奴。トランプやプーチン、金正恩、習近平、誰をとってみたって死に際が極めて悪そうに見えるが、生きていいるうちは栄華の極みを演じることに狂喜乱舞しているに違いない。

『マルクス・エンゲルス』(Le jeune Karl Marx)

2017年・ドイツ/フランス/ベルギー 監督/ラウル・ペック

出演/アウグスト・ディール/シュテファン・コナルスケ/ヴィッキー・クリープス/オリヴィエ・グルメ

1840年代のヨーロッパでは、産業革命により資本家の元、労働者たちは過酷な生活を強いられていた。1843年4月のケルンで、20代半ばだったカール・マルクスはドイツの小さな新聞社で記者として、鋭い政治批判を繰り返していたが、やがてプロイセン政府に追放される。一方、イギリスのマンチェスターでは、父親が紡績工場を所有する裕福な20代の男フリードリヒ・エンゲルスは、父の工場を首になったアイルランド系の女工・メアリー・バーンズと一緒に辞めたメアリーの妹のリディア・バーンズの後を追ってアイリッシュパブに行き、酔っ払いの労働者に殴られたのをきっかけに彼女と親しくなる。エンゲルスは、父親が経営する工場だけではなく他の工場においても、労働者たちは子供たちも含め、搾取され、過小評価されていると感じていて、本を書きたいと思っていたのだ。

1844年7月のパリでは、マルクスは貧乏だったが、妻のイェニー・フォン・ヴェストファーレンとは良好な関係を築き、幸せであった。ある時、共和派の集会で、ピエール・ジョゼフ・プルードンの演説を聞き、無政府主義者のミハイル・バクーニンなどと知合う。フランスの秘密結社でヴィルヘルム・ヴァイトリングが労働者の暴動を報告する中、エンゲルスがアーノルド・ルーゲ訪ねてきて、そこで偶然、マルクスと出会う。二人は再会ではあったがエンゲルスの経済論に着目したマルクスは意気投合し、そのまま朝まで飲み明かし、エンゲルスはマルクスの家で目覚める。妻のイェニーからは夫のマルクスは病弱で酒に強くないので気をつけてほしいと忠告される。マルクスとヴェストファーレンとエンゲルスは、労働者の為の集会を各地で開き、社会の変革を訴える。しかし政府に批判的な記事を書いたマルクスは今度はフランスを追放される。マルクスとの付き合いを父に窘められるエンゲルスは、メアリーや妹のリディアと再会、メアリーから正義者同盟の話を聞く。

1845年ブリュッセルで、マルクスは仕事に応募するがなかなか採用してもらえず、そんな中、2番目の娘が産まれる。文通を続けていたエンゲルスはマルクスの窮状を知って金銭的な援助をし、マルクスにロンドンの正義者同盟への参加を呼び掛ける。1846年2月のロンドンで、メアリーから紹介されてエンゲルスとマルクスは、正義者同盟の面接を受ける。面接には途中で、ヴァイトリングも参加する。マルクスは、プルードンと親しことを口に出して、利用価値を示す。1847年11月のロンドンのレッド・ライオンズ・ホテルでの、正義者同盟の総会にて、エンゲルスは招待である為、発言権はないとするのを、その場の投票で代表に選ばれ、エンゲルスはより過激な思想を提唱し、同盟を共産主義者同盟に改名して、共産主義を誕生させる。反対派は「クーデターだ」とその場を去る。1848年1月のオーステンデの海岸で、子供について話すイェニーとメアリー。共産党の綱領について話すマルクスとエンゲルスは、マルクスが本を書きたいと言い、やがて二人は永遠の名著『共産党宣言』を完成させるのである。 (全部 Wikipedia より)

『不能犯』

2018年(平成30年)・日本 監督/白石晃士

出演/松坂桃李/沢尻エリカ/新田真剣佑/間宮祥太朗/テット・ワダ/矢田亜希子/安田顕/小林稔侍

宮月新原作、神崎裕也作画による日本の漫画作品。『グランドジャンプ』(集英社)にて、2013年10号より連載を開始。やっぱり原作は漫画だったか。話の進展しない子供だましのストーリーでは玄人の映画観客人を騙すことは出来ない。催眠術のようなことを平気で映画化するのは気にくわない。絶対そんなものに引っ掛ることはないだろうけれど、他人が引っ掛るのを見るのも忍びない。

この映画に行き着くまでに5本の映画をスキップしてしまった。その中には1時間以上も観ていたものもあったが、そのほかはほんの5分や10分程度でおさらばする始末だった。『ハリケーンアワー』『ヒットラーに屈しなかった国王』『木曜日に抱かれる人妻』『グッバイ・ゴダール!』『ダリダ~甘い囁き~』。大巨匠ゴダールも興味がない。製作国ドミニカなんていう初物にも出会った。

「犯罪を意図した行為でも その実現が不可能であれば、罪に問われない。これを【不能犯】というーーーーー」 不能犯という言葉を知らなかった。いかにも学者が考えそうな名称だが、こういう言葉を作ることに酔ってしまう集団が法曹界をリードしているのかと思うと、いつもながらやりきれない。

『ダブル・ミッション 報復の銃弾』(LEGACY)

2018年・アメリカ 監督/デヴィッド・A・アームストロング

出演/ジャスティン・チャットウィン/マーク・トンプソン/ロビン・トーマス/ヤンシー・バトラー

警察が押収した大量の麻薬の原料が強奪される。実行犯は、中身も知らず盗み、売りさばこうとした。事件担当の新米刑事が捜査するが、関係者が次々と殺されて行き、黒幕の雇った殺し屋に自身も狙われる。B級サスペンスだけどおもしろかったです。登場人物が殺されていくので、わかりやすかったです。(Filmarks 映画 より)

こんな風に素直な感想文が書けるうちがいい。残念ながらB級作品では劇場公開には至らない。少なくとも劇場側から選ばれた作品しか映画館では見られなかった時代から、みそもくそ映画も見られる時になって観客の選択眼も試される時代となった。

父親の後を継ぐように警察官になった主人公だが、父親の殉職が汚名を着せられていたという耐えがたい過去があった。それが邦題のサブタイトルなのだろう。最初、戦争映画かと思っていたが、まさかこのタイトルがそんな意味を持っていたとは。最近の現役サラリーマンの宣伝感覚が伝わらない。

『エヴァ』(Eva)

2018年・フランス 監督/ブノワ・ジャコー

出演/イザベル・ユペール/ギャスパー・ウリエル/ジュリア・ロイ/マルク・バルベ

如何にも映画評論家うけする映画の雰囲気。それでも、賞という賞を獲っていないということは、私の眠りの原因となってしまったことは嘘ではなかったということか。これも如何にも、フランス映画らしい気怠いアンニュイな雰囲気、と使い慣れない古い言い回しを遣ってみる。話が先へ進まないという典型的な映画だった。

高級娼婦なのか、豪邸に一人住んでいるのがエヴァ。亭主らしき人物は刑務所の中。相当の売れっ子らしく、ある日の午前中に訪ねた主人公は、「もう3人とおわったのよ」と言われ、さすがに主人公も驚きの表情を見せる。そんな娼婦に心を惹かれる主人公の話のようだが、この主人公がどうしようもない奴。一瞬世話をしていた引退気味の作家をバスタブでの発作を助けることなく死に至らしめた。その作家の未発表作品を自分の作品の如く発表して、嘘の人生で固めていた。

娼婦のような人間に会ったのは3人かな。姿かたち、顔の記憶はまったくない。こういうのを人徳と言うのだろうか、いずれの場合も他人のお膳立てだった、しかも本人には予期もしないことだった。だからかもしれないが、どの機会も私の男は奮い立たなかった。そのあたりの具合は本人の精神意識の構造に因るところが大きいのだろうと想像する。

『アンロック/陰謀のコード』(Unlocked)

2017年・イギリス/アメリカ 監督/マイケル・アプテッド

出演/ノオミ・ラパス/オーランド・ブルーム/トニ・コレット/ジョン・マルコヴィッチ

陰謀という邦題が続いた。しかも製作国はどちらもイギリスが絡んでいる。こちらの映画の方が遥かに映画らしくおもしろかった。最大の欠点である出来過ぎ感は否めないが、出来過ぎなければ映画ストーリーが成り立たないのも事実。あまりにも裏切り者、内通者といった役割の人物が登場すると映画は詰まらなくなってくる。

映画製作者は、こういう映画を作ることによってただ単にテロの恐怖を警告するばかりではなく、政府や担当行政に対して今ある危機を、おそらく事前に察知してくれと訴えているのではなかろうか。日本のようにのほほんと毎日が過ぎていく国では考えられないようなことが世界各国で現実となっている。本気になって東京オリンピックが心配だ。ビビり症の私の杞憂で終わってくれることを心から願う。

この映画の主人公のような人間に出会うことは一生ないであろうが、そもそも自分の知っている人たちの数なんてたかが知れてる。友達が多いよ、なんて自分から言う奴に、本当の友達なんてほとんどいない、てなことを本人は知らない。いつも言うように、知らないからこそ生きていける人生なのだよ、きっと。それでいいのだ。

『スパイ・ミッション シリアの陰謀』(Damascus Cover)

2017年・イギリス 監督/ダニエル・ゼリック・バーク

出演/ジョナサン・リース=マイヤーズ/オリビア・サールビー/ユルゲン・プロフノウ/イガル・ノール

イギリス映画のお得意は探偵ものと諜報ものと相場が決まっている、と映画好きの後輩から教えられている。ちょっとしたことでは驚かなくなっている映画を観る力が邪魔をする。しかもこんなありきたりな進行では、あくびが出ることはあっても涙を流して喜ぶことはない。

舞台が中東になると余計距離が遠のく。なんでもありの国で勃発する事件にはまたかやどうでもいいやの感想しか湧き上がらない。ここまでいろいろな映画を集中的に観続けてくると、やはり心に残る、心を打ち砕くような劇的なストーリーと衝撃の展開が必要になってきている。

人生も同じかもしれない。同じことの毎日の中に、喜んだり、哀しんだり、時には怒ってみたり、喜怒哀楽に左右される時間の経過だけが人生になってしまう。もっと大宇宙的な普遍を揺るがすような事象の到来が望まれて仕方がない。一方では、平々凡々何もない毎日が人生の仕合わせかもしれないと、ことあるごとに言っていることが嘘のように聞こえてくる。

『ゴーゴリ 暗黒の騎士と生け贄の美女たち』(GOGOL. NACHALO、GOGOL. THE BEGINNING)

2017年・ロシア 監督/イゴール・バラノフ

出演/アレクサンドル・ペトロフ/ユリヤ・フランツ/オレグ・メンシコフ/アルチョム・トカチェンコ

ゴーゴリって? ニコライ・ヴァシーリエヴィチ・ゴーゴリ(ウクライナ語:Микола Васильович Гоголь / ロシア語: Николай Васильевич Гоголь; 1809年4月1日(ユリウス暦3月20日) - 1852年3月4日(ユリウス暦2月21日))は、ウクライナ生まれのロシア帝国の小説家、劇作家。ウクライナ人。戸籍上の姓は、ホーホリ=ヤノーウシクィイ(ロシア語:ゴーゴリ=ヤノフスキー)である。『ディカーニカ近郷夜話』、『ミルゴロド』、『検察官』、『外套』、『死せる魂』などの作品で知られる。(Wikipediaより)

記憶の片隅に残っていた名前。いつ、どこで、この名前を聞いたのだろう、知ったのだろう、もちろんテレビの番組内で何度もこの名前は喋られたに違いないから、たぶんそういう何気ない時間に接したのだろう、どう考えたって彼の本を読んだ記憶はない。

映画のジャンル:ファンタジー/犯罪/サスペンス、という記述があったが、予定調和のようなストーリーと、映画進行にはちょっとうんざり。WOWOW録画の名残には3作品連続でこの「ゴーゴリ・・・」が並んでいたが、この1本だけで大充分、残り2本は録画削除という運命しかない。残念。

『マイアミ・バイス』(Miami Vice)

2006年・アメリカ 監督/マイケル・マン

出演/コリン・ファレル/ジェイミー・フォックス/コン・リー/ナオミ・ハリス

メトロ・デイド警察(現在のマイアミ・デイド警察(英語版)の風俗取締班(風俗取締班をvice squadという。オフィスは「ゴールドコースト海運」という貿易会社に偽装)と、二人の潜入捜査官クロケットとタブス他、仲間達の活動を描く。 マイアミを舞台に、ヴェルサーチやアルマーニのスーツを着てフェラーリを乗り回し、毎回ビルボード上位にランクされるようなメジャーなナンバーが流れるというスタイリッシュな刑事ドラマとして話題になった。こと劇中に挿入される楽曲については、もともと企画段階において、音楽番組(放送していたCATVの局名でもある)「MTV」をヒントに“MTV Cops”といった側面も取り入れたいといったプロデューサーの意向もあったとのことで、ドラマに大きな方向性と彩りを与えている。テーマソングはヤン・ハマー。劇中挿入曲を集めたサントラも発売されヒットした。(Wikipediaより)

題名はよく覚えているがリアルタイムで毎回観ていた記憶はない。ほとんど観ていなかったかもしれない。特捜刑事ものなんて、当時のテレビ映画では断然面白い方だろう。このテレビ・ドラマ映画の変形版が今の水谷豊の「相棒」の原型になったんではなかろうかと、勝手に想像した。

実行力優先の警察力は観ていて気持ちいい。拳銃を発砲すれば、今回の発砲は正当でしたなんていちいち言い訳発言をしなければいけない日本の警察力とは雲泥の差。来年の東京オリンピックが心配でならない。頭のいい外国人の暴力集団が日本各地で騒動を起こせば、日本の警察権力もたじたじとなってしまいそうだ。

『スカイライン -奪還-』(Beyond Skyline)

2017年・アメリカ 監督/リアム・オドネル

出演/フランク・グリロ/ボヤナ・ノヴァコヴィッチ/イコ・ウワイス/カラン・マルヴェイ

くだらない映画だった。五流、六流というところだろうか。1作目が既にあってこんなつまらない映画になるということは、1作目はどれだけ詰まらないのだろうかと、思いをはせる。宇宙から地球に征服に来たらしい宇宙人が人間を青い光と共に吸い上げてその脳を取り出して改造ロボット化してしまうという子供騙しにもならない話だった。

宇宙人というのはどんな姿をしているのだろうか。今迄に数多くの宇宙人がスクリーンに登場して、観客を楽しませてくれた。もしもリアルな宇宙人が地球上のどこかに現れたら、それこそ地球上が大騒ぎになるだろう。そういうときが来ることがあるのだろうか? と、普通の人々は疑問符をもって感じているが、心から信じている人もいるだろうから、そういう人は早く実写写真を公開すべきだねぇ。

日産の往年の名車と同じ名前では食指も動かない。この題名を聞いただけで、おもしろくなかろう、ということになってしまう。そして観始まったら屁でもないストーリー、絵にかいたような面白くない映画に、たまにはこういう日もあるよと諦め顔。


『スカイライン -征服-』(Skyline)

2010年・アメリカ 監督/グレッグ・ストラウス

出演/エリック・バルフォー/スコッティ・トンプソン/ブリタニー・ダニエル/クリスタル・リード

あの糞詰まらなかった1作目だ。WOWOWに加入していた1か月の間、題名も分からず録画しまくっていた結果だから、これも仕方がない。久しぶりに早回しした。早回しというよりは新しいテレビのリモコンの使い方がイマイチで、チャプター送りしか出来ない状態で、相当早く観終わった。観終わったわけではないが。

さて、テレビの話。電気屋の息子は、誰よりも早くテレビを見ていた。父親が作った7インチのテレビを見たのが最初だろうか。伝説的な力道山のプルレス中継では、道路に向けたテレビ中継を見んがために車が通れなかった、という嘘みたいな話もあった。

高校生の時はイレブンPMに興奮した。毎日のようにテレビにかじりついていた。スーパーマンしかり、ララミー牧場、スパイ大作戦、アメリカからやってきたテレビ映画シリーズが満載だった。それとプロ野球中継で大半の視聴率を稼いでいたんじゃなかろうか。新聞社系のテレビ局ばかりで、活字屋さんが映像に移動することを由としていなかった時代だった。大学時代にはカラーテレビをもらうつもりもなかった。1日2時間のカラー放送を見たいとは思わなかったのだ。時代は大きく変わって行った。そして人間そのものも。

『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(Batman v Superman: Dawn of Justice)

2016年・アメリカ 監督/ザック・スナイダー

出演/ベン・アフレック/ヘンリー・カヴィル/エイミー・アダムス/ジェシー・アイゼンバーグ

スーパーマンが死んだのはこの映画でだった。バットマンがなぜスーパーマンと戦うことになったのかが、いまいち、全然分からなかった。一番肝心なことが分からないと、せっかくの映画も台無しである。また、眠ってしまった。本来なら、この映画を観てからジャスティス・リーグへとつながるシリーズを観るべきなのだが仕方がない。

アマゾン・プライムの会員になっているから観ようと思えばすぐに観ることが出来る。199円という有料料金も迷う金額ではないところがいい。もっとも、DVDレンタル・ショップならせいぜい100円で借りられるだろうが、隣にその店がなければ面倒さは問題だ。

スーパーマンを殺してしまわなければならないほどネタに尽きているアメリア映画業界なのだろうか。それでも、アメリカン・コミックが大復活してアメリカ人の心はざわついている。もしかするとトランプ大統領の存在も同じようなものなのかもしれない。アメリカ・アメリカと叫んでいれば、他は何を言っても許される風潮は自由の国アメリカを根底から覆すようで、世界の全ての倫理はまったく別の道を歩み始まったようだ。

『ジャスティス・リーグ』(Justice League)

2017年・アメリカ 監督/ザック・スナイダー

出演/ベン・アフレック/ヘンリー・カヴィル/ガル・ガドット/エズラ・ミラー

スーパーマンが死んでいた。えっ!知らないよ、そんなこと。スーパーマンが死んだならニュースでやってくれないと。と、本気でそう思った。小さい頃から大好きだったスーパーマン、日本テレビ映画の「月光仮面」を子供騙しと子供ながらに思い込んでいた。一度も観たことがなかった月光仮面をヘラルドが製作・配給した時は皮肉だった。まぁ映画は大ずっこけしたが。

バットマンは、常識を超えた脅威の出現とスーパーマンの死をきっかけに、それまでの盲目的な考えを改め、超人たちによるスーパーチームを結成しようとスカウトに奔走する。アメリカンコミックはどうにも理解できないところがあって、何が何だか分からない映像を観続けることになった。ワンダーウーマン、フラッシュ、アクアマン、サイボーグ、など聞いたことも見たこともないキャラクターが登場して、眠気も増した。

デイリープラネット社に勤めるロイス・レインは、子供のころからの憧れだった。この映画の彼女も魅力的な容姿で思い出を裏切らなかった。どうしてスーパーマンは死んでしまったのだろう、とそのことばかり頭から離れなくて困った。必死になって彼が死んでしまった映画を探して観よう。

『Love, サイモン 17歳の告白』(Love, Simon)

2018年・アメリカ 監督/グレッグ・バーランティ

出演/ニック・ロビンソン/ジョシュ・デュアメル/ジェニファー・ガーナー/キャサリン・ラングフォード

17歳の告白なんていう言い訳みたいなサブタイトルらしきものを題名の中に入れることを由としない。昔取った杵柄でどうしてもそういうところが気になって仕方がない。17歳までなら余韻をもって題名が生きる。告白という文字が問題だ。映画を観てしまうと、そこのところがやっぱりだめだなぁと思えてくる。

もっとも、ほとんど寝ていたと言っても過言じゃない。最初は何が起こるのだろうと、一所懸命観ていたつもりだったが、もういけません、一度眠り始まったら、目を開けているのが辛かった。何故か終わりに近くなると目が覚めるのはいつもの常。目が覚めて最初は戸惑うが、どうということなく途中経過が分かってしまうくらいの程度の映画だった。

17歳の告白とは? ゲイであることを誰にも言えず悩む話だった。LGBTとか言って人生が広がってきた最近の社会現象、気持ち悪いなんていう感情はいけないと言われても、困ってしまう。男の目から見れば、というか自分の目から見れば、女と女のキスシーンを特別嫌だとは思わない。だが、男と男のキスシーンには虫唾が走る。この映画の最後のシーンでは若い高校生の男二人のキスシーンが。

『オー・ルーシー!』(OH LUCY!)

2018年・日本/アメリカ 監督/平栁敦子

出演/寺島しのぶ/南果歩/忽那汐里/役所広司/ジョシュ・ハートネット/井上肇

日米合作映画。英会話教室の米国人講師に恋をした43歳のOLが彼を追って訪れたアメリカで巻き起こす騒動を、ユーモアとペーソスを交えつつ描く。平栁敦子監督が2014年に桃井かおり主演で製作した同名短編映画をもとに新たな物語を書き加えて長編化した脚本が2016年のサンダンス・NHK国際映像作家賞でNHK賞を受賞して製作された。2017年9月16日にNHK総合にてテレビ放送用に73分に再編集されたドラマ版が劇場公開に先立って放送されたという。

出来の悪い小噺の感が強い。登場する若い娘も、どうにもならない人物をこれでもかと性格の悪さを発揮させて、観客の反吐を誘うかのようだ。寺島しのぶが衒うことなく肉体をさらけ出していた。前作でもそんな感じだったので、偶然にしては? こういう演技をさらりと演じられる役者はなかなかいない。これからしばらくはこんな役がたくさん舞い込んで来そうな予感。

ルーシーは英会話学校での主人公の仮の名前。私も遊びで tony という名前を使っているが、これはNDF(日本フィルムディベロップメント・アンド・ファイナンス)という会社にいた時に使い始まったもの。決して遊びではなく、仕事上の手紙へ書くサインなんかの時に、こういう名前を持っていた方が便利だと諭されたのが始まり。

『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』(Valerian et la Cite des mille planetes)

2017年・フランス 監督/リュック・ベッソン

出演/デイン・デハーン/カーラ・デルヴィーニュ/クライヴ・オーウェン/リアーナ

フランス語原題をgoogle翻訳に掛けたら「バレリアンと千の惑星の街」と出てきた。邦題も結構近いじゃんと、珍しく。千と千尋・・・や千の風になって、と似通った題名がちょっと嫌だった。映画の邦題を付けるのは難しい。アニメ大ヒット作「君の名は。」を見た時、往年の有名な恋愛映画と同じ題名をアニメ映画に付ける神経が分からなかった。でも、大ヒットしてしまえば、もう往年の題名の方なんて若者には塵でしかなくなってしまったに違いない。

この監督の作品の印象が悪い。有名な監督なので自分にだけ当てはまる特殊性だと思わなければならない。SF映画。大好きなジャンルだが、この映画の描く未来は今から430年後あたりらしい。ちょっと遠すぎる。でも考えてみれば430年前を歴史の中で知っていることを思えば、先のことだって結局は同じことだと感覚的には思えるはず。

そのころになると題名にあるように、宇宙に存在している千の惑星からそれぞれの生物が集まって会議が行われているらしい。スターウォーズに出てくるようなキャラクターたちが登場するのを見ると、影響力の大き過ぎるスターウォーズからは大きく離れられないのだろうと、勝手に想像してしまう。あぁ~、400年後を生きてみたい。

『リミット・オブ・アサシン』(24 Hours to Live)

2017年・南アフリカ/中国/アメリカ 監督/ブライアン・スムルツ

出演/イーサン・ホーク/シュイ・チン/ポール・アンダーソン/リアム・カニンガム

ヒットマンのトラヴィス・コンラッドは、妻と息子の死後に引退した。 軍の請負業者であるレッドマウンテンは、組織の戦争犯罪を明らかにする可能性がある内部告発者であるキースを暗殺するために、高額の報酬を約束してコンラッドを復職させる。 キースを守るインターポールのエージェント、リンを誘惑した後、コンラッドは銃撃戦で殺害されてしまう。 レッドマウンテンはコンラッドの死体を回収して蘇生させ、24時間は生存し続けると説明する。 副作用として、コンラッドは自らの家庭生活への頻繁なフラッシュバックを経験し、己の悲しみに立ち向かうことを強いられる。 企てられた暗殺に対して悔い改めたコンラッドは、リンとキースをレッドマウンテンから守る決心をする。(Wikipediaより)

アジア系の女優が主役級のアクション・シーンを演じている。顔だけ見ればごくごく普通な顔立ちで、とてもじゃないけどアクション・シーンに相応しくない。製作国の不思議な組み合わせが配役に意味があるのだろう。今どき、まだまだカーチェイスをやっていたけど、さすがに長時間ではないところが己を知っているということなのだろう。

おもしろいような、おもしろくないような。アメリカ映画大好きな家族愛に満ち溢れた映画だった。簡単に引っ付いたり離れたりするくせに、子供への愛は異常と思えるほど凄まじい。片時も子供から目を離してはいけないと教えている。確かにそうだが、それに反して子供たちは日本人なんかよりはるかに早めに自立していく。このギャップはどうしてなのだろうか。

『ビハインド・エネミーライン 女たちの戦場』(HORE DIE STILLE)

2016年・ドイツ 監督/エド・エアレンベルク

出演/ラース・ドップラー/ジーモン・ハンガートナー/ドミニク・フェンスター/アンドレアス・ザーン

戦争 ドラマ。「 ミュンヘン映画アカデミー 」の学生による 卒業制作 作品らしい。1941年、ソ連のウクライナの小さな寒村をドイツ小隊が占領。その村は女性と老人と子供しかいなかった。興味深いのが、村民が18世紀から 19世紀にロシアに入植してきた「 民族ドイツ人 」(黒海ドイツ人またはウクライナ・ドイツ人 )なことだった。

村人の反応は三つに分かれた。ソ連赤軍に好意を寄せる者、いやいや私はイツ軍側よという者、中には「 強い方に付く」と、したたかな考えを持っている者もいたのは当然の構図。村人と小隊は友好な関係だったが、ちょっとしたことから不信感がつのりはじめ、ついには殺し合いという結末が。

引き続き暗い映画でちょっとめげるが、世の中にも楽しいことばかりがある訳ではないので、まぁ仕方のないことか。せめて映画の世界だけはたのしくありたいと願うのは正直な気持ち。どうせ短い人生、毎日笑顔で過ごしたい。

『ウインド・リバー』(Wind River)

2017年・アメリカ 監督/テイラー・シェリダン

出演/ジェレミー・レナー/エリザベス・オルセン/グラハム・グリーン/ケルシー・アスビル

ワイオミング州ウィンド・リバー保留地に住んでいるネイティブ・アメリカンの子孫たちの周囲には、自然環境の厳しさばかりではなく現実的な生活の糧という重大な問題が山積していた。そんな地域でのレイプ・殺人と思われる事件を解決していくのは地元出身のひとりの男、FWS(合衆国魚類野生生物局)の職員だった。

暗い警察ものも珍しい。トランプ大統領ばかりではなく歴史的にアメリカ合衆国とその征服者たちは、1492年アメリカ大陸発見以前から住んでいた先住民を蔑ろにしてきている。それが当たり前にように騎兵隊とインディアンの戦いは映画でも大いに喧伝されてアメリカ社会の礎となって行った。

今でもこの居留地の女性の行方不明者は多数でであるというテロップで締めくくられていた。事件は現場で起こっているんだという典型的な事件解決劇だった。地元に根差して生きてきた主人公の情報は適格、遠方からやってきたFBIの女子警察官なんて、子供だましのような操作能力しか発揮できなかった。暗い、けどおもしろかった。

『無伴奏』

2016年・日本 監督/矢崎仁司

出演/成海璃子/池松壮亮/斎藤工/遠藤新菜/光石研/藤田朋子/松本若菜

直木賞受賞作家・小池真理子の半自伝的小説。1969年、学生運動真っただ中の仙台を舞台に学園紛争や思想に当然のように左右された、当時の女子学生を中心に。映画の主人公よりもほんのちょっとだけ先輩だった自分の青春時代と重ね合わせてみることが出来る光景が懐かしい。

映画はさほどおもしろくないが、その当時のファッションや生活が滲み出ている映像に惹かれる。ミニスカートが今とは違う形で存在していた。その生々しい様子が手に取るように心をざわつかせる。何もないことを格好つけて「虚無的」と叫んでいた青い人間像が可愛い。自分にとっても、一番長くて印象的な時代だったような気がする。

新宿の地下通路にたむろする学生たちの姿が目に浮かぶ。やくざにさえ恐れられた全学連は、毎日のように機動隊と衝突を繰り返していた。そんな中、早稲田大学生花(いけばな)研究会の活動も学生運動と無縁ではいられなかった。映画の主人公が高校を卒業する1970年(昭和45年)、何の足跡も残せず卒業して、いつの間にか71才の爺になってしまった。というのが現実で、それ以上のことは何もない。

『ゲティ家の身代金』(All the Money in the World)

2017年・アメリカ/イタリア/イギリス 監督/リドリー・スコット

出演/ミシェル・ウィリアムズ/クリストファー・プラマー/マーク・ウォールバーグ/チャーリー・プラマー

「ゲティ家の身代金」という原作本が出版されているそうな。1973年に実際にローマで起きたゲティ3世誘拐事件が描かれている。なにこのゲティ家は? 当時フォーチュン誌によって”世界一の大富豪”に認定されたゲティオイル社社長の石油王のジャン・ポール・ゲティ、極端な吝嗇家としても知られていたらしい。

ケチだからこその邦題の原点なのだろう。この邦題は結論を言っていないからいいか。第75回ゴールデングローブ賞の監督賞(リドリー・スコット)、主演女優賞(ミシェル・ウィリアムズ)、助演男優賞(クリストファー・プラマー)にノミネート、第71回英国アカデミー賞の助演男優賞(クリストファー・プラマー)にノミネート、第90回アカデミー賞の助演男優賞(クリストファー・プラマー)にノミネートされた。プラマーはアカデミー賞演技部門での最年長ノミネート記録を更新した。

監督が著名だから、ノミネートされたのだろう。きっとこの監督はみんなに好かれているに違いない。映画はさほどおもしろくない。実話に基づきちょっとフィクションを付け加えたと最後のテロップは語っている。映画は事実に基づいて大きくその表現方法を付け加えなければ、おもしろさが倍増しない。淡々と肝心なところを変更できない呪縛が映画をつまらなくしている。

『イコライザー2』(The Equalizer 2)

2018年・アメリカ 監督/アントワーン・フークア

出演/デンゼル・ワシントン/ペドロ・パスカル/アシュトン・サンダーズ/ビル・プルマン

1作目がおもしろかったことを記憶していたので楽しみだった。観始まったら、あれ!これは違う、あれか?! と。それでもすぐに1作目の情景を思い出せたので良かった。なかなか主人公がスーパーマンのような人物で、自分の身の回りに起こった事件を一人で解決してしまう。勧善懲悪マン登場といった風情なのだ。

今回も前回同様小さな事件を解決しているのだが、かなり大きな事件に掛かりっきりになってしまった。それだとおもしろくない。市井のこまごまとした悪人をやっつけるのがおもしろいのに。ただスーパーマンのようなだけではなく、スマホ、パソコン、そういった類の機械類にめちゃめちゃ強いところが今風。腕力が強いだけではスーパー・ヒーローにはなれない時代となった。

あー言えばこういうろく、何を訊ねても適正な答えを返す御仁がいる。尊敬に値する。なかなかお目に掛かれない存在だが、時々そんな人に会うと憧れてしまう。おそらく自分の目を通過したことをすべて記憶出来ているのだろう。自分の耳を通過した言葉はもちろん、全部身となっている。そんな人間に成りたいと思ったことはあったが、そんな奇跡的なことは望むべきもない。凡人は凡人らしく、これからはただ死んでいくだけがオチだろう。

『ウォッチメン』(Watchmen)

2009年・アメリカ 監督/ザック・スナイダー

出演/マリン・アッカーマン/ビリー・クラダップ/マシュー・グッド/ジャッキー・アール・ヘイリー

1930年代、アメリカ合衆国の各地に、犯罪者を相手にマスクとコスチュームで身を隠して戦うヒーロー達が出没し始めた。彼らは自らと同じような仮面とコスチュームを身に着けた犯罪者(作中では身元を隠すためと説明されている)と闘っていくうち、いつしか一堂に集結して「ミニッツメン(Minutemen)」という組織を作り、第二次世界大戦など政治や戦争の世界にも大きく関与していくこととなる。しかし時と共に当初のメンバーたちは、戦闘や犯罪者の報復で命を落としたり、精神に異常を来したり、彼ら自身が法を破ったとして逮捕されたり、あるいは初代シルク・スペクターのように引退したりと、様々な事情で姿を消していく。(Wikipediaより)

アメリカン・ヒーローたちのことを描くアメリカン・コミックの映画化。おもしろいんだけど、同じようなことの繰り返しでだいぶ飽きが来る。アメリカン・ヒーローたちの本当の姿を暴露しているようなシーンが続くが、それはそれでおもしろい。アメリカ人は自分たちのコミックに大きな誇りを持っているのかもしれない。でなければ、2時間43分なんて長い劇場公開版を作るはずがない。

もう日本の漫画原作も映画化権を売りつくしてしまったなんていうニュースもあるくらいだから、アメリカ人が原点回帰して自国のコミックに注目を当てるのは時代が要求する必然なのだろう。なんといっても60年前からスーパーマンが好きだった子供が今や71歳になったのだから、日本がアメリカナイズされてしまっている、といっても過言ではなかろう。もっとも、相変わらず鋸だって、手招きし仕草だって全く反対の動きをするんだから、おもしろい世界だと。

『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』(IT(IT:chapter one))

2017年・アメリカ 監督/アンディ・ムスキエティ

出演/ビル・スカルスガルド/ジェイデン・リーバハー/ジャクソン・ロバート・スコット/ジェレミー・レイ・テイラー

原作は1986年に発表されたスティーヴン・キングのホラー小説『IT-イット-』。1990年、米国ではテレビミニシリーズとして2回に分けて放送されたという。そのリメイク作品だというが、スティーヴン・キングがこんな幼稚なホラーを書いたなんて信じられない。彼の作品は多く映画化されているが、どれも素晴らしいホラーに仕上がっていたと思っていた。

人間の弱さに付け込む不気味なピエロ、ペニーワイズに翻弄される人々を描く。物語前半は幼少時代、後半は大人になった現代のパートに分かれている。ペニーワイズは、特定の人物にしか姿を見せず、引き起こされる能力(物体を自在に操る、相手の恐怖心を覚える姿に擬態する、血を含んだ風船を飛ばすなど)も同じように一般の人間には見えない。このあたりが幼稚だと言わしめるところだ。これじゃ、くっだらない日本映画ホラーとちっとも変わらない。

他人に見えないものが見えるのは病気だ。それをさも心理現象、心霊現象のようにわめくのは間違っている。天才と気狂いは紙一重だと言うけれど、天才と気狂いとでは雲泥の差がある。その差は人間であることの証明でもある。もう少しで天才だからこの気狂いを許してください、と言われても、そんなもの誰が赦すものか。

『復讐のドレスコード』(The Dressmaker)

2015年・アメリカ 監督/ジョスリン・ムーアハウス

出演/ケイト・ウィンスレット/リアム・ヘムズワース/サラ・スヌーク/ヒューゴ・ウィーヴィング

1997年に大ヒットした『タイタニック』(Titanic)で一躍世界的な大スターとなったケイト・ウィンスレットはあの時22歳だった。あれから22年、放漫な肉体を惜しげもなくスクリーンに晒して、今やアカデミー賞女優としても円熟期に達している。この映画は日本での劇場公開はなかったようだ。劇場公開なしにいきなりDVD発売公開というのは寂しいものだ。

この頃の映画のストーリーは奇抜なものが多い。この映画もそのたぐい。よくよく考えてみると、それほど奇抜な展開でもないのだが、監督があれやこれやと味付けして、奇抜なものにしてしまっている観も免れない。サスペンスとかいうジャンルに収めているところもあるようだが、最初からコメディに見える。ストーリーがシリアスなものなので、コメディの方が相応しいと考えたのではなかろうか。

自分のことを一番よく知っているのが自分であるはずがない。周りの人からどう見えているのかを知ることはほとんど不可能に近い。それでも自分のことを最も見ているはずの自分の感覚を信じていくしかない。滑稽だが、それが現実だ。もしも、空から見えている自分に囁く自分がいれば、その人はラッキーと言うべきだろう。一方、自分で感じる痛みを他人に感じてもらうことは出来ない。絶対あり得ない。そんな両極端の感覚を持ちながらどの人間も生きている。同じことを繰り返して時間は過ぎていく。

『のみとり侍』

2018年(平成30年)・日本 監督/鶴橋康夫

出演/阿部寛/寺島しのぶ/豊川悦司/斎藤工/前田敦子/風間杜夫/大竹しのぶ/松重豊/桂文枝

ちょっとした失言が藩主の怒りを買い、女性に性的な奉仕をする裏稼業「猫ののみとり」にされてしまった生真面目なエリート侍が、様々な出会いを通じて新たな生き甲斐を見つけていく様をユーモラスに描いた時代劇コメディ。監督の鶴橋康夫自ら脚本を手掛け、小松重男原作の小説短編集『蚤とり侍』から「蚤とり侍」、「唐傘一本」、「代金百枚」等を再構成し一本のストーリーに仕上げた。(Wikipediaより)

落語のネタ噺かなと思いながら観ていたが、原作があったとは。寺島しのぶが脱いだって話題にはならないだろうに。大竹しのぶのちょっと鼻に付く演技とか、風間杜夫の仰々しいセリフ回しとか、突っ込みどころはたくさんある。前田敦子が乙女も恥じらうような演技をしているところがおかしかったり。

最後は勧善懲悪で一同笑い、という結末は、小学生の頃書いた脚本に似ていて恥ずかしい。あれはどんなシチュエーションだったのだろうか。今でも赤面ものなのだが、一件落着と言うオチを考えると、大岡越前守テレビ・ドラマの影響だったのではなかろうかと一人ほくそ笑む。

『M:i:III』(Mission: Impossible III)

2006年・アメリカ 監督/J・J・エイブラムス

出演/トム・クルーズ/フィリップ・シーモア・ホフマン/ヴィング・レイムス/ビリー・クラダップ

ミッション:インポッシブル(1996年)、M:I-2(2000年)、M:i:III(2006年)、ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル(2011年)、ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション(2015年)、ミッション:インポッシブル/フォールアウト(2018年)。どれを観てどれを観ていないのか、はっきりと覚えていない、いつもの通り。

この3作目の興行収入が一番低かったようだ。映画会社の現役だった時に一番不思議だったのが興行成績の妙。映画のプロたちがおもしろいと思ったところで、そんなに簡単に当たるわけではなかった。それどころか、宣伝すればするほど人気が落ちていくのが分かる作品があった。いずれも映画を観ていない人に宣伝するのに、不思議な現象だった。

よく言う口コミという奴がある。人の噂も七十五日と言うこともあるが、噂になれば映画は大成功、人の話にもならない映画は最悪、だからシャカリキになって題名だけでも連呼しようとする宣伝マンが横行する。この映画はおもしろいですよ、とテレビでタレントが喋ったら映画が当たるんだったら、こんな簡単な話はない。映画が当たるメカニズムを解き明かしたら、それこそ億万長者になれること絶対である。

『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』(Solo: A Star Wars Story)

2018年・アメリカ 監督/ロン・ハワード

出演/オールデン・エアエンライク/ウディ・ハレルソン/エミリア・クラーク/ドナルド・グローヴァー

『スター・ウォーズシリーズ』のスピンオフ作品「アンソロジー・シリーズ」の第2作で、時系列では『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』の13~10年前となる。映画のテーマはスペース・ウェスタンであり、過去のシリーズでハリソン・フォードが演じたアウトローな密輸業者ハン・ソロの若かりし頃が明らかになり、彼の愛機ミレニアム・ファルコンとその所有者ランド・カルリジアン、相棒チューバッカとの初めての出会いが描かれる。(Wikipediaより)

これまでのスター・ウォーズは全部観ているはずだが、あのワクワクとする感覚は何とも表現しにくい。ただ、作を重ねていくうちにどんどんゲーム化して行く映像に、こちらは逆に歳をとって行くから、どことなく気持ちが離れていくような気にさせられてちょっと不愉快な気分。

映画界にとってはこういうエポック的写真が何年かに1本出てくることが必要だった。この映画があるお陰で、別のしょうもない映画を地方の有力な映画館に売ることが出来た。それが、映画の営業なのだと知る人は少ない。そもそも映画配給業者の仕事って何?という人しかいないだろう。そんな小さな業界が映画の原点。映画業界全体で銀座三越の1年分の売り上げにかなわなかったなんて比較された時代があった。

『メイズ・ランナー』(The Maze Runner)

2014年・アメリカ 監督/ウェス・ボール

出演/ディラン・オブライエン/カヤ・スコデラリオ/トーマス・サングスター/キー・ホン・リー

アメリカの小説家ジェームズ・ダシュナーが2009年に発表したヤングアダルト向けSFスリラー小説で、記憶を失い、謎の巨大な迷路(maze=メイズ)に送りこまれた主人公たちが、脱出に挑む物語だということだ。1作目『メイズ・ランナー』、2作目『・・2 砂漠の迷宮』』、3作目『・・3 最期の迷宮』と映画シリーズが出来たらしいが、正直どれを観たのか分からない。

誰が味方で誰が敵なのかがよく分からん。この頃見る映画は、ストーリーさえもよく理解できない映画が結構多くて、自分の理解力不足がその大きな原因なのだろうと自分を責めることしか出来ない。もっと素直で単純なストーリー展開の映画はないものなのだろうか。もう余っている物語を見つけるのさえ大変な時代になってきたことは確か。

自分でも分からないうちに人生の迷宮に迷い込んでしまったことは間違いない。右へ行けばいいのか、それとも左なのか、はたまた後ろに戻るべきなのだろうか。もちろん、そんな詰まらないことは考えないで、今まで来た道の延長線上にしか自分の人生はないだろうことは分かっているだろう!!

『ラスト・リミット 孤独の反逆者』(Paralytic)

2016年・アメリカ 監督/ジョーイ・ジョンソン

出演/デビッド・S・ホーガン/アンジェラ・ディマルコ/ダーレン・セラーズ/ダンジェロ・ミディリ

おもしろいのかおもしろくないのか分からない映画、と聞いたら聞いた方が戸惑ってしまうだろう。一流映画になりそうで、実はあっちこっちが抜け落ちていて結局は4流映画に成り下がってしまったような。ストーリーが良く分からない。せっかくいろいろな要素を絡めて複雑にしているのに、それがかえって致命傷になっている。

人間にもそういう人がいるよね。訳が分かったようなことを吹聴しているくせに、自分でも何を言っているんだか分んないんじゃないの、と思えてくる人。大きな勘違いをしながら人生を歩んできた人に違いない。勘違いしないで真実を知ってしまったら、生きていくのが大変だろうから、そんな人生は大いに「あり」だと思える。

この映画の主人公は「殺し屋」。依頼人から殺害を頼まれて、プロフェッショナルな殺し方を得意としていた。いざ自分が消されると悟ったときに、惨い拷問をされないために自ら手りゅう弾で自爆しようともくろんでいたが、本人の希望通りにはいかずむごたらしい遺体となって発見されるのだった。死ぬ時ぐらいは、その状況を察知したいと思うのだが、無理だろうなぁ~。

『空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』(妖猫伝、Legend of the Demon Cat)

2017年(平成29年)・中国/日本 監督/チェン・カイコー

出演/染谷将太/ホアン・シュアン/チャン・ロンロン/阿部寛/火野正平/松坂慶子

留学のため唐に渡った若き日の空海が、詩人・白楽天とともに唐の都長安を揺るがす巨大な謎に迫る姿を描いた歴史スペクタクル大作。夢枕獏の小説『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』が原作。中国語の原題「妖猫伝」にあるように、猫に乗り移った魂が物語を進行する。こういうことを含めて、中国から発する話、物事に興味が湧かない。先入観がある訳でもないのに。

途中で寝てしまったこともあるが、どういう話なのかが分からない。分かろうとしない。中国人のいうことなんかどうでもいいじゃん。空海という日本では超有名な人物が主人公のように扱われているが、映画での主人公は猫だった。この頃の映画はフィルムで撮影するのではなく、ハードディスクにデジタル撮影することがほとんどのような。実際の撮影現場に行くことがなくなって、現在映画界事情に疎くなってしまったのが、ちょっと寂しい。

テレビを替えたのは正解だった気がする。画面も大きくなったし、色合いも前の陳腐な発色よりはだいぶいい。そういう外的要素で毎日の気分が変わるんだから不思議なものだ。ただ生きているだけなら、誰だって同じようなもの、頭の中だけにでも生きた足跡を遺せればそれで充分な人生に思える。

『ザ・ハント ナチスに狙われた男』(Den 12. mand)

2017年・ノルウェー 監督/ハラルド・ズワルト

出演/トーマス・グルスタッド/ジョナサン・リース=マイヤーズ/マリー・ブロックス/ベガール・ホール

この長ったらしい邦題と同じように映画本編も只管長かった、上映時間2時間15分。ナチスドイツに占領されているノルウェーに、イギリスで訓練されたノルウェー兵12名が破壊工作要因として派遣される。上陸した時点で11名は捕まり、1名だけが逃れる。ノルウェーの住民がこの兵をいかにスウェーデンに逃がすかということになる。という流れだが、この1名が奇跡的に生き延びながらの逃亡劇。事実は小説よりも奇なり、という実話に基づいた映画。

ナチス・ドイツの悪行はどんな映画でも言い伝えられている。ノルウェーにまで蔓延っていたとは。ノルウェーの抵抗運動も激しかったようだ。戦後、ナチスの幹部クラスが次々と処刑されるのは当たり前のことだったのだろう。どうしてあそこまでナチス・ドイツが栄華を極めていたのかを探求してみたくなる。悪玉を中心として組織された軍団に、意識的、あるいは強制的に協力した人民がいたことが。

日本映画の長回しの退屈映像を思い出した。毎回違った状況ではあるが、ノルウェーからスウェーデンに脱出することがなかなか出来ない。それが事実だからと延々と苦行を見せられてもなぁ~。自分で自分の足の壊疽した指を切るシーンに至っては、一種のマゾ的映画に見えてきた。おしんのような映画に見えるが、おしんをきちんと観たことはない。

『プロヴァンスの贈りもの』(A Good Year)

2006年・アメリカ 監督/リドリー・スコット

出演/ラッセル・クロウ/アルバート・フィニー/マリオン・コティヤール/アビー・コーニッシュ

ロマンティック・コメディ映画というジャンルに属するらしい。まぁどうでもいいような内容だけどねぇ~。アメリカの金融業界で働くイギリス人の主人公が、フランス・プロヴァンスでワイン農場を経営していた叔父が死んだため、その遺産として受け継ぐ予定のワイン農場を売り飛ばしてしまおうと画策して、現地に乗り込んでからの他愛もないストーリー。

ラッセル・クロウは、どうしても『グラディエーター』(Gladiator・2000年)のイメージが強く残り過ぎてしまって、こういう軽い雰囲気が彼には似合わないと勝手に思い込んでしまっている。グラディエーターの後だって、かなりの数々の映画に出演しているのは分かっているが、ホントに困ったものだ。

その叔父の隠し子の女性が現れたり、主人公が子供の頃一緒に遊んだことのある女の子が現れたり。ロマンティック。コメディの内容には困らない。お酒好きの人たちは、あそこの酒が美味しい、ここのお酒が美味しいとウンチクを傾ける人が多いけれど、下戸に言わせれば、プロヴァンスのワインだって、カナダのワインだって、日本のワインだって、その他世界各国のワインを飲み比べる事なんて出来ないのが実情でしょう。

『エリジウム』(Elysium)

2013年・アメリカ 監督/

出演/マット・デイモン/ジョディ・フォスター/シャールト・コプリー/ヴァグネル・モーラ

2154年、超富裕層は、大気汚染や人口爆発により生活環境が悪化した地球から離れて、衛星軌道上に建造されたスタンフォード・トーラス型スペースコロニー「エリジウム」で暮らしている。映画の描く近未来もいよいよ2150年台に入ってきた。これから135年後だ。

今から135年前が1884年(明治17年)だということを考えれば、自分の目で見ることが出来なくとも、妙に現実に近い感じがする。40年前くらいに描かれている地球の近未来は、第三次世界大戦が勃発し、原爆の落とし合いで人間は地中深く住むというようなストーリー展開が多かった。そこまで人間は馬鹿ではなさそうな具合だということだけは、現実味を帯びてきている。

それでも、あのアメリカ合衆国でさえ変な大統領が出現する時代となってしまった。それに呼応するが如く、世界各国の政治体制が大きく変化しているのは気になるところだ。一庶民が何を悩もうが、現実は無慈悲に時を刻んでいくだけなのだろう。人生100年時代になったと日本の政治も言うけれど、たかが100年しか生きられないのだ。同じことの繰り返しをほくそ笑んで見ている神々たちの姿が目に浮かぶ。

『トレイン・ミッション』(The Commuter)

2018年・アメリカ/イギリス/フランス 監督/ジャウム・コレット=セラ

出演/リーアム・ニーソン/ヴェラ・ファーミガ/パトリック・ウィルソン/ジョナサン・バンクス

北アイルランド出身の主演リーアム・ニーソンは、この頃アメリカ映画のアクション部門で活躍している印象が強い。2015年、スパイクテレビ主催のガイズ・チョイス・アワードで「ビゲスト・アス・キッカー(最もタフな男)」賞を受賞しているというから頷ける。現在、ニューヨーク在住。

元警官のマイケル・マコーリーは保険のセールスマンとして働いており、仕事場へは毎日メトロノース鉄道ハドソン線の電車で通勤していた。ある日、マイケルがいつものように電車に乗ると、ジョアンナと名乗る女性から話しかけられた。彼女は「この電車が終着駅に着くまでに、乗客の中に紛れ込んでいる盗品を持ったある人物を発見できたなら、貴方に10万ドル(着手金2万5千ドルと成功報酬7万5千ドル)を渡す」と言ってきた。最初は適当に応対していたマイケルだったが、徐々に状況が切迫していき、ついには彼女の要求に応じなければならなくなった。図らずも陰謀に巻き込まれたマイケルは、自分と乗客の命を救うべく行動を開始した。(Wikipediaより)

緊急事態になったときに一体何が出来るのだろうか、というのが自分の人生のテーマになっている。その割にはちょっとしたことにすぐ動揺してビビっている姿を鏡で見ていると、緊急事態に遭遇したら一目散に逃走するのは自分だろうと、情けない結論になっている。先日のニュースで、自分の家の窓から見えた川に溺れている人を救助服を沈着冷静にまとって助けに行った主婦の話に涙した、と書いたのには、そういう事情があったのだ。

『ジョー・ブラックをよろしく』(Meet Joe Black)

1998年・アメリカ 監督/マーティン・ブレスト

出演/ブラッド・ピット/アンソニー・ホプキンス/クレア・フォーラニ/ジェイク・ウェバー

心地よい邦題だと感じたが、こういう柔さの題名とブラピだけではロードショーに耐えられないかも、と強く反省しながら思い返す。1934年の映画『明日なき抱擁(Death Takes a Holiday)』を元にしている。第19回ゴールデンラズベリー賞最低リメイク及び続編賞にノミネートされたという。

確かにちょっとかったる過ぎるところはあるけれど、ゴールデンラズベリー賞にノミネートされるほどではなかろう、と思えるのだが。アメリカ人のこういうところが好きだ。アカデミー賞という名誉を与える場を大々的に喧伝しながら、こんな風にその年の最低な映画を選出して見せるところが素晴らしい。政治の世界の2大政党方式だって同じような構図に見える。

日本人は、残念ながら心の広さが見えない。思いやりだと言いながら、陰口をたたくのが好きな国民らしいし、馬っ鹿みたいに執念深く追い越した車を追跡したり、と心の狭さを実証するような出来事が最近頻繁に起こっている。そのくせ、身内にはどうにも甘い態度をとるのが日本人のDNA特徴のような気がする。それでも、お隣の国のように泣き叫びながら訴える人はそうざらにはいないことが救いだろうか。

『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』(Lemony Snicket's A Series of Unfortunate Events)

2004年・アメリカ 監督/ブラッド・シルバーリング

出演/ジム・キャリー/エミリー・ブラウニング/リアム・エイケン/ティモシー・スポール

レモニー・スニケット著『世にも不幸なできごと』シリーズの3つの作品を取り混ぜて、一つの映画作品にしているという。第77回アカデミー賞では4部門にノミネートされ、メイクアップ賞を受賞したらしい。濃いおっさんが出演していたけれど、あれがジム・キャリーだったのか。メイクアップ賞の一端のような感じだ。

活字の世界を映像化するとそのギャップが堪らないことがある。本を読んでいない私にはこの映画がどの程度活字と映像にギャップがあるのか想像すらできない。あまりにも幼さ過ぎる物語にちょっと引いてしまった。こういう物語をおもしろいと思えるのは、小さい頃から童話や昔話的なストーリーに慣れている人に違いない。

新しい大きくなったテレビの1本目の映画としては、映像には文句のつけようがなかった。字幕スーパーがくっきりと大きく見えるようになったことは、凄く嬉しい。念願のSHARP製、4T-C50AJ1というのが型番。さんざん日にちを費やした結果のテレビだった、Amazonで5年保証を付けて73,500円。もう既にこれより安くなっている。仕方がない。

『シェイプ・オブ・ウォーター』(The Shape of Water)

2017年・アメリカ 監督/ギレルモ・デル・トロ

出演/サリー・ホーキンス/マイケル・シャノン/リチャード・ジェンキンス/ダグ・ジョーンズ

2017年8月に第74回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門で上映されて金獅子賞を受賞し、第42回トロント国際映画祭で上映される[7]。北アメリカで2017年12月8日に広く一般公開された。暴力描写や自慰行為、刺激の強い性描写があるため日本国内では、東京国際映画祭で公開されたオリジナルバージョンはR18+指定で公開され、2018年3月1日に公開された本作は1か所にぼかし修正を加え処理したR15+指定バージョンの作品である。第90回アカデミー賞では作品賞など4部門を受賞し、第75回ゴールデングローブ賞でも2部門を受賞した。(Wikipediaより)

摩訶不思議な映画である。性描写がどうのこうのと書かれていたが、別になんていうことないシーン。普通の人間の営みが猥褻だと表現されてしまう世の中の方が不思議でならない。主人公の女性はある研究所の掃除婦、ある時不思議な生物が研究所に運ばれてくるのを見てしまった。このあたりが摩訶不思議な話の根源。変な生物がきちんと登場するところがミソだろう。

主人公は話は聞こえるが自分では喋れない障碍者。この手の登場人物は観客を委縮させてしまいがちだが、この映画に限って言えば必要不可欠な条件を持った人間に見えた。そのあたりも不思議な感覚。世の中には飄々と生きている人がたまに居る。毎日食事をしているのだろうか、何を食べているのだろうか、想像できないような人が居るのだ。

『ハングマン』(HANGMAN)

2017年・アメリカ 監督/ジョニー・マーティン

出演/アル・パチーノ/カール・アーバン/ブリタニー・スノウ/ジョー・アンダーソン

名優アル・パチーノと「マイティ・ソー バトルロイヤル」のカール・アーバンが、連続殺人鬼を追う刑事役で共演したサイコスリラー。殺人課の敏腕刑事レイ・アーチャーと相棒ウィル・ルイニーは、子どもの遊び「ハングマン」に見立てて犯行を繰り返す連続殺人鬼を追っていた。殺人は24時間ごとに起き、犠牲者の遺体には次の殺人へのヒントとなる文字が刻まれる。そんな中、犯罪ジャーナリストのクリスティ・デイビスが、連続犯罪の取材をするためレイたちに同行することに。さらなる殺人を防ぐべく奔走する3人だったが……。クリスティ役に「ピッチ・パーフェクト」シリーズのブリタニー・スノウ。新宿シネマカリテの特集企画「カリコレ2018/カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション2018」(18年7月14日~8月24日)上映作品。(映画.comより)

アル・パチーノの刑事役も食傷気味の感がする。なんて言ってしまうと、名優とまで書いてくれている人たちにどやされそうな気がする。何の抵抗もなく話が進行して行く。事件がどんどん起こっても、それが予定調和のように見えてしまっては魅力ある映画ではなくなってしまう。

日本の2時間ドラマをきちんと観た記憶がない。チャンネルを回している途中に見る刑事や警察官、検視官などの姿が嘘っぽくて目も当てられない。ましてや滅多に拳銃を発砲しない日本の警察官が、テレビの中では平気で銃を扱っている。やめてくれ~と言いたくなるような嘘っぱち映像を見ることを由としない。

『女は二度決断する』(Aus dem Nichts)

2017年・ドイツ/フランス 監督/ファティ・アキン

出演/ダイアン・クルーガー/デニス・モシットー /ヌーマン・アチャル/ヨハネス・クリシュ

トルコ人移民に対する連続殺人や爆弾テロを行っていたネオナチ組織、国家社会主義地下組織(NSU)の事件を下敷きとする。連続殺人事件がNSUの犯行であると判明するまで、警察もメディアもトルコ人同士の抗争という見方を取っており、トルコ人社会を治安悪化の主犯として責める報道が相次いでいた。この事件では監督の友人の家族が殺されており身近な事件でもあったが、それだけではなく排外主義一般をテーマにすることを長らく考えていたという。監督はネオナチから脱退した人たちへの取材を繰り返し、「人は暴力では変わることができないが対話などで変わることはできる」ということを確信したという。一方で、「暴力がいかに次の暴力を生み出し、ヘイトがいかに次のヘイトをもたらすか。今作は、そうした連鎖についての物語だ」とも述べている。人は変わりうる、ということを信じることができるか、それとも暴力による復讐に進むかがテーマになっている。(Wikipediaより)

スピードを要求されるこの手の映画にとって、ドイツ・フランス映画ではちょっとばかりかったるい。主人公は夫と息子をテロにより失ってしまう。自ら目撃者となり裁判に持ちこむが「疑わしきは罰せず」という大原則の前に、容疑者は無罪となってしまう。自分の手でこの容疑者を殺してしまおうと考えるのは普通のこと。思い直すことがあって、悲惨な結末に至る過程が。

親日国だとされるトルコのことを十分に知ることはない。イスラム教国家でありながら、欧米のような様式が社会に浸透している珍しい国だという思いしかない。ユセフ・トルコという力道山時代のプロレスのレフリーがトルコ人だと思い込んでいた。今更ながらに調べてみたらトルコ人の両親の間に横浜で生まれた、とあった。インチキ・プロレスを手に汗握り見ていた子供の頃は、純真無垢だったのだろうなぁ~。

『ネイビーシールズ ナチスの金塊を奪還せよ!』(Renegades)

2017年・フランス/ドイツ 監督/スティーヴン・クォーレ

出演/サリバン・ステイプルトン/チャーリー・ビューリー/シルヴィア・フークス/J・K・シモンズ

1992年から1995年まで続いたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争末期サラエヴォでの話。コメディと言ってもいいのだろうが、アクション・コメディなどというジャンルがあるなら、それで行ってみよう。ここでもまたナチスの遺産がコメディの素、基。

湖に眠るナチスの金塊27トンを引き揚げるという壮大な物語。しかもネイビー・シールズ(アメリカ海軍の特殊部隊)は紛争の真っただ中で戦っている最中なのだ。アメリカ映画なら軽快に進行して行くのだろうが、残念ながらこの映画はフランスとドイツの映画。期待するほどには格好良く進まないのは仕方のないことか。

たわいもない話、映画と言ってしまえば元も子もない話だ。アメリカ軍だって軍隊のはずなのだが、日本映画に見る日本軍との違いははるかかなたという感じだ。上官が部下を平気で殴り倒して規律を保っていた日本軍の光景は、もしかすると映画で植え付けられてしまった幻影かもしれない。もしかすると本当に近かったのかもしれない。本物の日本軍の兵隊さんだった父の話をもう少し親身になって聞けばよかった。

『ワンダー 君は太陽』(Wonder)

2017年・アメリカ 監督/スティーブン・チョボスキー

出演/ジュリア・ロバーツ/オーウェン・ウィルソン/ジェイコブ・トレンブレイ/マンディ・パティンキン

「僕は普通じゃないから - 心の中がのぞけたら - みんなも普通じゃないと思う - 誰だって一生に一度は称賛されるべきだ 」 『エレファント・マン』(The Elephant Man・1980年)という宿敵東宝東和が配給して大ヒットさせた映画を強く思い出した。

主人公はトリーチャーコリンズ症候群が原因で顔の形が変形しており、長らく入退院を繰り返していた。容態が安定した主人公は学校に通うようになるが、クラスメートたちの差別によるいじめを受けふさぎこんでしまう。自分の顔が普通ではないことを嘆いたが、両親の励ましを受け立ち直り、学校生活に適応するため、家族に支えられながら懸命に行動を起こす。当初、顔の形がみんなと違うと囃し立てたクラスメートたちも、彼との交流を通して「人間の内面の価値には外見で推し量れないものがある」ということを学んでいき、相互理解を得るようになる。(Wikipediaより)

言葉で書いてしまえば、お涙頂戴のハッピーエンド映画の様相しか伝わらない。どうやってハッピーエンドになって行くかのプロセスが映画の仕事になる。結果だけで生きていくのなら、こんな味気のない人生はないであろう、一つ一つのことには、それこそ必然も偶然もあり、そこをどうやって歩んできたかが人生なのだということが分からない人が多い。目の前の事柄は、すべてが自らの思考と行動の結果にしか過ぎないと。

『ジオストーム』(Geostorm)

2017年・アメリカ 監督/ディーン・デヴリン

出演/ジェラルド・バトラー/ジム・スタージェス/アビー・コーニッシュ/アレクサンドラ・マリア・ララ

"geostorm" という言葉は英語の辞書に載っていません。 この映画のシナリオを書いた人が新しく造った言葉でしょう。"geostorm" はおそらく、「大地・地球」を意味する接頭辞 "geo-" と「嵐」を意味する名詞 "storm" とを組み合わせて造った言葉でしょう。"geo-" という接頭辞は、"geography(地理)" や "geology(地質学)" など地面関連の語に使用されています。映画「ジオストーム」において、"geostorm" は「世界的な大災害」という意味で用いられています。 ~ こんな解説を見つけた。

2019年。災害史に残るような規模の自然災害が多数発生した後、18の国が共同で、国際気象宇宙ステーション(ICSS)を中心とした人工衛星のネットワークにより気象をコントロールするシステムを構築し、ダッチボーイと名付けた。システムの総責任者である主人公は、緊急時に上司の承認なしに異常気象を防いだためにアメリカ合衆国上院の査問会に呼び出され、査問会の議長を務めるバージニア州知事を罵倒してしまう。主人公は更迭され、弟が後任となる。(Wikipediaより)

SF災害映画。こんなジャンルがあったのか。今や世界的な異常気象が現実に続いている。地球温暖化が為せる業だと、専門家は口をそろえて言うが、億年という地球の存在からすれば小さなうねりのひとつではないかと思える。人間が生きていけなくなる気象が、また新しい地球の生命を創り出すという仮説が正しいと、私も思っている。

『インクレディブル・ファミリー』(Incredibles 2)

2018年・アメリカ 監督/ブラッド・バード

出演(声)/ホリー・ハンター/クレイグ・T・ネルソン/サミュエル・L・ジャクソン/ビル・ワイズ

「アニメ映画はあまり観ない」「アニメはめったに観ない」「アニメ映画を観ることはほとんどない」「極く稀にしかアニメ映画を観ない」 どの言い方も合っている。時々は意図的に観ることもある。『アナと雪の女王』(Frozen・2013年)は、早く観たかった映画。どこがそこまで支持されたのだろうか、という1点が興味の対象だった。映画もおもしろかった。

この映画は1作目を観た時は偶然だったが、その面白さに驚いた。この2作目を録画出来て幸運だと思ったくらいだ。相変わらず前作の内容に関してはほとんど覚えていないのは御愛嬌と自分を擁護する。ミセス・インクレディブルが活躍する映画になっている。まだおしめの取れない赤ん坊にもスーパー・パワーが備わっているという設定が何ともおもしろい。

アメリカ人の考えることがやっぱり恐れ入る。日本人の考えることは、音楽と同じようにマイナー・コード、例えば幽霊や心霊のようなものがほとんどで、アメリカ人の考えるメジャー・コードとは正反対のテーストを感じる。おおらかでハチャメチャでやることなすことが奇想天外でおもしろい。絶対に追いつかないことだ。100年経っても差は詰まらないだろう。

『ガーディアン 偽りの守護天使』(The Guardian Angel)

2018年・フィンランド/デンマーク/クロアチア 監督/アルト・ハロネン

出演/ピルウ・アスベック/ジョシュ・ルーカス/ラデ・シェルベッジア/サラ・ソウリエ

第2次世界大戦が終わってから6年後のデンマーク。銀行強盗犯が自分に犯行を指示したという“守護天使”とは誰か。ショッキングな実話を再現したヨーロッパ産サスペンス。1951年、コペンハーゲン。銀行強盗犯のひとりは“守護天使”に命じられたと証言するが、“守護天使”とは何者か……。心理学に精通する黒幕が、催眠術で他人を操ったという衝撃的な実話を再現。黒幕はしかも、捜査を担当する刑事の妻に近づき、彼女の心までコントロールしようとする。1950年代が舞台ながら、現在でも起き得る“洗脳”が題材なのが恐ろしく、最後まで目が離せなくなる戦慄編。こうWOWOWの映画紹介ページに。WOWOWの放送が日本初公開だという。

刑事が主人公。アメリカの警察ものや刑事ものは圧倒的におもしろいが、ヨーロッパ産のデカものはやはりどこか匂いが違う。アメリカ映画の動きの速い、ストーリー展開の激しいものに慣れてしまっているので、どことなくゆったりとしたしかも同じ事の繰り返しを厭わない映像にはちょっと不満が。

催眠術で銀行強盗を実行させるというあたりはなかなかおもしろい。実話に基づいた映画だというが、ナチスの後遺症があっちこっちに埋まっていた。1951年という時代にはまだ第二次世界大戦の清算が出来ていない社会構造だったことは理解できる。お隣の国からは70年経っても責任追及されて、忘れっぽい日本人には不愉快なことばかりが聞こえてくる。

『モリーズ・ゲーム』(Molly's Game)

2017年・アメリカ 監督/アーロン・ソーキン

出演/ジェシカ・チャステイン/イドリス・エルバ/ケビン・コスナー/マイケル・セラ

今日は2019年(令和元年)5月25日(土)。真夏のように暑い1日だ。北向きの部屋で開け放てるような窓もない部屋では温度計は29.1度を示し、湿度は34%。ようやく少し汗をかけるようになってきた。老体に鞭うって最後の時間を快適に過ごす算段をすることだけが日課。手当たり次第にWOWOWを録画しているが、わりあい新しい映画なのに、全くこの存在を知る由もない。

アメリカの伝記映画。出だしはおもしろいが、途中から同じようなことの繰り返しで飽きが来る。また寝てしまった。2時間20分の上映時間と知って、あと30分短くしていたら、たぶんもう少しおもしろげな映画になったのではなかろうかと思った。伝記もの、実話もの映画の欠点特徴は、どうしてもその事実とかけ離れた表現が出来ずに面白みに欠けるというところ。

オリンピックに出場寸前まで行ったアスリートの主人公が、挫折の果てに掴んだ職業が私設カジノ経営者・運営者。アメリカの法律によりチップはもらうが手数料を取らなければ合法だという。世の中に知られた著名人や有名人、映画スター・プロ・スポーツマンが限定客として毎週博打に明け暮れる。負けても負けても毎週顔を出せるのも、知り合った億万長者たちに投資の話を持ち掛けて、ギャンブルで負けた何倍もの金額を扱えるからだ、という一つのからくりもあった。金があればあるように、金がなければないように、人間とは結構賢明な動物なのかもしれない。この映画の中で語られた「チャーチルは言った、成功とは失敗から失敗へ情熱を失わずに進むこと」が印象に残った。

『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』(THE KILLING OF A SACRED DEER)

2017年・アイルランド/イギリス 監督/ヨルゴス・ランティモス

出演/コリン・ファレル/ニコール・キッドマン/バリー・コーガン/ラフィー・キャシディ

思わせぶりな邦題『いい匂いのする女』(Oregon Pine・2016年)を20分くらい観ただけで録画を消してしまった。間違っただけだが、内容はさほどのものではなかったような。原題にあるようにオレゴン産の木材・松の匂いが発端になってこんな下品な映画題名になっというあたりが窺えた。先日のボクシングを見るために臨時加入してすぐやめるつもりだったWOWOWがその月には解約できず、1か月分は払わなければならないと分かり、録画体制を変更していて手間取ってしまった。

そして次に観始まった『スリー・キラーズ』(Reincarnation・2016年)は、ものの10分もしないうちに観るのを止めたくなって、そうした。なんと薄っぺらな映画なんだろう、という感想だけが。WOWOWの映画録画に対する傾向と対策がまだまだ出来ていない。

さてさて、この映画になって、ようやくまともな映画にぶち当たった、と思ったら、とんでもない、稀に見る変な映画だった。2017年のカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した、というが、このカンヌ映画祭での受賞というのは曲者だ。このタイトルからして怪しい。この監督が、『籠の中の乙女』では常軌を逸したルールのもとで暮らす家族の狂気を描き、『ロブスター』では独身者が動物に変えられてしまうという世界を描いた、不条理で奇想天外な映画を連発する奇才という評判があるらしい。観ていてまったく不愉快な気分になりイライラしていた。それが監督の狙いなら、私はまんまとはまってしまったというべき。いやー、気持ちの悪い気分にさせられた。

『万引き家族』

2018年(平成30年)・日本 監督/是枝裕和

出演/リリー・フランキー/安藤サクラ/松岡茉優/池松壮亮/城桧吏/佐々木みゆ/高良健吾/池脇千鶴/樹木希林

タイトルだけ書いておいた『ある殺し屋』(KILLER FRANK・2015年)は結局5分持たずに断念してしまった。よくあることなので、あらためて書くのも躊躇われるが。この映画は、脚本段階では子どもに「お父さん」「お母さん」と呼んでほしいと願う主人公の想いが重点的に描かれており、撮影中につけられていた映画のタイトルは『万引き家族』ではなく『声に出して呼んで』だったという。

そうこのタイトルが気にくわない。善良な市民に誤解を招くようなタイトルは良くない。内容を観れば、さほど万引きを勧めているようには見えないので、媒体の映画紹介にこのタイトルと万引きという犯罪が大手を振っている様子が我慢ならないのだ。映画は至極つまらない。ここまでおもしろくない映画だとは想像すらできなかった。2時間という時間がどれだけ長いものなのかを味わった。

どうしてこうも自分の価値観と映画祭の価値観が違うのだろうか。不思議なくらい反比例するこの二つの溝は埋まらない。耳が悪くなったのかと思われるくらいセリフが聞き取れなかった。普段のアンプを通したスピーカーの音がぼやけた。仕方がなくテレビのスピーカーだけで聞くようになって、ようやく言葉が判別できた。何から何まで独りよがりでおもしろくない映画だった。

『ミッション:インポッシブル フォールアウト』((Mission: Impossible ? Fallout))

2018年・アメリカ 監督/クリストファー・マッカリー

出演/トム・クルーズ/ヘンリー・カヴィル/ヴィング・レイムス/サイモン・ペッグ

『ミッション:インポッシブルシリーズ』の第6作目。どれを観て、どれを観ていないかまったく分からない。おそらくワン・シーンを観て作品名を答えよ、などと言われたら赤面しかないだろう。トム・クルーズのアクションがますます激しくなって、それが映画の売りになっているのだろうか。そこまで身体を張ってやってくれても、そんなに驚かなくなってしまった。映画館できちんとした大きなスクリーンで観なければいけな作品のひとつ。

このシリーズの元々のテレビ映画「スパイ大作戦」はおもしろかった。毎週必ず見ていたばかりか、何年後かに再放送されたシリーズも欠かさず見ていた記憶がある。3度目の再々放送の時も、そうだった。知能犯のような仕掛けがもの凄く新鮮で刺激的だった。

オートバイや車のアクション・シーンが満載だが、飽きが来る。逆転の連続でいい加減にして欲しいと願う心まで芽生えた。さほど美味しくないメニューがずらりと並んでいても、食指が動かない様子に似ている。過ぎたるは及ばざるがごとし、といった按配だろうか。

『DESTINY 鎌倉ものがたり』

2017年(平成29年)・日本 監督/山崎貴

出演/堺雅人/高畑充希/堤真一/安藤サクラ/田中泯/中村玉緒/市川実日子/ムロツヨシ/要潤/大倉孝二/神戸浩/國村隼

『まんがタウン』(双葉社発行)に連載されている西岸良平の漫画作品。2017年7月現在、コミックスは34巻まで発行している。第38回日本漫画家協会賞大賞受賞作品。だというが、活字どころか漫画世界に疎い自分には、これぽっちも情報が入ってこない。漫画を嫌いだなどと言うはずもないが、漫画を読んで楽しんでいた短い時間があったことは確か。でもそれは、だいぶ小さい頃の話で、少年ジャンプが800万部の発行を誇る頃に、電車の中で読んでいる若者を見た時期には、もういい加減にしたらという言葉を投げつけたい心境になっていた。

息抜きとしての娯楽には大賛成だが、娯楽が生きがいになってしまってはどうしようもない。娯楽は、提供する側は仕事として没頭しなければならないが、その娯楽を楽しむのは他にあるメインの仕事ややらなければいけないことのための息抜きにならなければいけない。今だって電車の中でスマホを弄って感心だなぁと思っていると、たかが携帯ゲームに夢中になってるだけじゃないかというケースも少なくなく、日本の未来が心配になる老人の心境也。

2時間9分もあるこの映画はつまらない。日本映画独特の子供だましの話では興味が失せる。それなりのお金はかかっているが、特撮分野ではアメリカ映画に圧倒的に遅れている映像がはなし同様子供っぽくてこっちまで馬鹿にされているよう。さすがにアメリカ映画は腐っても鯛、内容や撮影技術で勝負できた昔の日本映画の世界的地位は、残念ながらもうとっくの昔に地に堕ちてしまったと言わざるを得ない。

『ザ・レジェンド』(Outcast)

2014年・アメリカ/中国/カナダ 監督/ニコラス・パウエル

出演/ヘイデン・クリステンセン/ニコラス・ケイジ/リウ・イーフェイ/アンディ・オン

時は12世紀。十字軍で活躍していた歴戦の騎士ジェイコブとガレインは、虚しい戦いの日々に辟易し極東の中国へと旅立った。一方その中国では、皇帝が実子により暗殺され、国中に不穏な影が渦巻いていた。皇帝を暗殺した長男シンは、皇帝の座を継ぐのに邪魔な幼い弟を殺害するよう兵に命じるが、弟は兄弟の姉であるリアンと共にすでに逃げ去った後だった。こうしてリアンと弟は決死の逃避行を開始するが、とある酒場で二人はシンの兵に見つかってしまう。二人の絶体絶命の危機を救ったのはそこに居合わせたジェイコブだった。二人と出会ったことで再び戦う目的を見出したジャイコブは山中で盗賊の頭に身を落としていたガレインを説得し、たった数人で大多数を相手に戦う決意をするのだった。(Wikipediaより)

中国が入ってくると話が大袈裟になって観るのもつらくなる傾向が強い。仰々しいという表現が相応しいのだろう。大したことのない事柄をさも大きいことだと言い放つ性癖は古来4000年の歴史の積み重ねなのだろうか。

最初はヨーロッパで起こっていた戦いのはずだったのに、時が移って舞台は中国の様子。東へと流れついた白人二人が巻き起こす活動劇とでもいえるだろうか。つまらない。国王を継ぐ者が兄なのか弟なのか、単純な話が色付けされて別の話になって行く。おもしろくない。中国嫌いが頭を擡げる。

『英雄の証明』(Coriolanus)

2011年・イギリス 監督/レイフ・ファインズ

出演/レイフ・ファインズ/ジェラルド・バトラー/ヴァネッサ・レッドグレイヴ/ブライアン・コックス

シェイクスピア悲劇『コリオレイナス』の舞台を現代に置いた映画化で、レイフ・ファインズの監督デビュー作。ローマ時代の話を現代の戦争様式に例えているので違和感が拭えない。攻める都市が「ローマ」で銃を使っていたのでは、頭の整理が出来なくて困る。

頑なな司令官候補者が人民の賛同を得られずに逆恨みして母国を攻撃する。そのあたりの人間の心の変化は理解できるが、簡単に司令官候補者を死刑だとまで責め立てる民衆の総意が理解できない。半分分かるところがあって、半分分からないところがあるという不思議な映画だった。指揮官までも意思をまげて人民に阿ねなくてはならないのかと怒る主人公の気持ちが良く分かる。

いざとなれば母や妻、子供の訴えに耳を貸すことになる無慈悲な指揮官も形無し。女の涙は剣よりも強しか。折れないで自我を通して欲しかった、と珍しく映画ストーリーに難癖を付けたくなる。

『ビッグショット・ダディ』(World's Greatest Dad)

2009年・アメリカ 監督/ボブキャット・ゴールドスウェイト

出演/ロビン・ウィリアムズ/ダリル・サバラ/アレクシー・ギルモア/ジェフ・ピアソン

ロビン・ウィリアムズが主演だった。思いがけないところで再会できた。好きな俳優だ。最初に彼の死について触れない訳にはいかない。カリフォルニア州の自宅にて2014年8月11日に縊死。63歳没。検視されて「自殺」と断定される。関係者によると、ウィリアムズは数か月に渡ってうつ状態にあり、アルコール依存症専門のリハビリセンターに入院したこともあったという。病理報告では、初期のパーキンソン病ならびにレビー小体型認知症であったとも伝えられ、これらの罹患が自殺の一因になったと一部メディアで説明されたが、娘のゼルダはその後のインタビューで「憶測では原因を語れない」と断定できない立場を取った。

彼の映画はおもしろい。彼が他人を笑わせるからではない。その持っている雰囲気が大好きなのだ。『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』(Patch Adams・1998年)の中での彼は、まさにその天性のものを周りの人々に確実に伝えていた。あーいう風に入院している子供たちを笑顔にさせられたら、どれだけ嬉しいことだろうか。この映画、WOWOW放送時のタイトルは『ディア・ダディ 嘘つき父さんの秘密』だったが、DVDレンタル開始時に邦題がこの題名に変更されている。当初はiTunesなどでのネット配信でのみ映画本編を視聴することが可能だったが、2014年10月にDVDが発売されたという。

この映画も無理やりのコメディではない。どういう風に映画が結末を迎えるのかが凄く気になった久しぶりの映画だった。映画の中のせりふ、「自殺は、一時的な問題の恒久的な解決策だ。」「孤独に死ぬことが最悪な人生だと思っていた。だが違う。孤独を感じさせる人に囲まれる方が最悪だ。」 この二つがえらく印象に残った。ロビン・ウィリアムズは稀有な才能に溢れた役者だった。

『シンデレラ 前編・後編』(Cenerentola)

2011年・イタリア 監督/クリスチャン・デュゲイ

出演/ヴァネッサ・ヘスラー/フラヴィオ・バレンティ/ナタリア・ヴォルナー/ルース・マリア・クビチェック

現代版シンデレラ、作ったのはイタリア映画界、チネチッタという映画人なら誰もが知っている撮影所が登場したりして楽しい。勿論、シンデレラという物語をきちんと読んだことはない。長年人間をやっていると、シンデレラという物語にはカボチャの馬車やガラスの靴、動物たちとのお喋り程度の「知識」が身に付いてくるから不思議だ。

どう考えたって、この程度の映画を全編・後編と日本の映画館で公開することは不可能だろう。いきなりDVD発売しか道はないと思われるが、観ている分には結構楽しめた。日本の代表的なテレビ・ドラマ「おしん」は東南アジアを中心に有名だと聞くが、いつのどこの世界でも意地悪な人種が善良な人間をいじめる話は興味が尽きない。

どうして意地悪な人が存在するのか疑問だった。そんな人がいる事すら信じられないことだが、現実社会には掃いて捨てるほどの意地悪人間が存在することはうすうすようやく分かってきた。意地悪されたとしても、そう感じないほど優秀だったのかもしれない若い私は。歳をとってから意地悪されると、もういけません。自分で恢復する力がなくなってしまったので、小さな傷でも致命傷になりかねない。惜しまれているうちに居なくなった方が賢明だと思うのは正しいことだと。

『バッド・ウェイヴ』(Once Upon a Time in Venice)

2017年・アメリカ 監督/マーク・カレン

出演/ブルース・ウィリス/ジェイソン・モモア/ジョン・グッドマン/トーマス・ミドルディッチ

悲惨な映画だった。ブルース・ウィリスが探偵でアクション・コメディを展開する、と聞いたら何それ!と全員が摩訶不思議な顔をするだろう。その通りなのだ。この探偵さん、自分の飼っているチンケな犬が大好きで、それをこれまた大好きな姪に預けて楽しんでいる。やることなすことがドジで間抜けで、というハチャメチャ・ストーリーなのだ。

アメリカ西海岸の物語。ロスにあるベニス・ビーチが頻繁に出てくる。アメリカの地名は世界各国の有名な地名が名付けられている。人間だって世界各国からアメリカン・ドリームを夢見てやってきた人たちが多いのと同じようなものか。スペイン語の地名・道路名が多いと感じていたが、このベニス・ビーチはイタリアからのものだろう。種馬イタリア人と揶揄されるイタリア系アメリカ人も数多く映画に登場する。

日本ヘラルド映画配給作品『女と男の名誉』で、東海岸のサラリーマンが西海岸に出張に行くシーン、スーツにネクタイでピシッと決めていた男が飛行機の中でアップになると、なんと黄色いアロハ・シャツを着ていた。その時に初めてアメリカの東と西の違いを覚えたのだった。

『ユージュアル・ネイバー』(THE HARVEST)

2013年・アメリカ 監督/ジョン・マクノートン

出演/サマンサ・モートン/マイケル・シャノン/メドウ・ウィリアムズ/チャーリー・ターハン

普通の人々ならぬ普通の隣人は普通ではなかった。ホラー映画というジャンルに属するのだろう。映画の面白味が発揮されているが、終始暗いムードに包まれていて私は好きではない。病気の息子がいつもベッドで寝ていると思わせて、実は彼は新生児の時に病院から誘拐してきた少年だった。実の息子に肝臓移植、心臓移植を秘かに行うためにさらってきた生贄だったのだ。母親は医者である。

てな感じなのだが、なんとまー見ていると嫌になってくるのが良く分かる。隣に越してきた家族の中に同じような年頃の好奇心旺盛な少女がいた。隣といっても、家と家の間に小さな森があり川も流れている。アメリカの田舎ではこんな光景もよくあることなのだろう。

向こう三軒両隣という組合組織が田舎にはある。たぶんというか勿論今でもあるだろう。葬式を出せば、必ずこの組合の人たちで助け合うのが普通だが、普通以上に面倒な存在であることも確か。そういう生活を子供の頃していた身にとっては、団地生活の付き合いは慣れなかった。今でも隣近所の付き合いをもっとしたいと思っていても、自分だけではどうにもならない。人間生活の一部だろう。

『人生の動かし方』(The Upside)

2019年・アメリカ 監督/ニール・バーガー

出演/ブライアン・クランストン/ケヴィン・ハート/ニコール・キッドマン/ジュヌヴィエーヴ・エンジェルソン

今日は平成31年4月30日、明日は令和元年5月1日だ。「AMAZON ORIGINAL」と書かれていて、絵柄は「最強のふたり」とほとんど同じようだったので観るきっかけが掴めなかった。調べてみたら、2011年に公開されたフランス映画『最強のふたり』をリメイクした作品であるとあった。なるほど。おもしろいと思っていた映画なので、今回も新鮮におもしろかった。

資産家の主人公は四肢の麻痺を抱えており、介護者なしでは生活できない状態にあった。主人公は気難しい性格であったため、雇われた介護者は早々に辞職してしまうありさまであった。新しい介護者を探していた主人公の下に、もう一人の主人公の若者がやって来た。主人公の周囲の人々はもう一人の主人公に前科があることに難色を示したが、主人公は何を思ったのか彼を介護者として採用することにした。というのが物語の始まり。

率直に意見を言ってくれる人がどれだけいるかがその人の人生をも決めかねない。面倒くさいことだから、余計なことだから、鬱陶しがられながら愚直に意見を述べてくれる他人は、そうざらにはいない。言う方だって疲れるのだ。それを言わなくなってしまったら、言われなくなった方の悲劇だろう。まさしく神様だけが知っていることに属する事柄だけど、誰だった気持ちよく時間を過ごしたいと願うばかりがおおすぎるから。

『パシフィック・ウォー』(USS Indianapolis: Men of Courage)

2016年・アメリカ 監督/マリオ・ヴァン・ピーブルズ

出演/ニコラス・ケイジ/トム・サイズモア/トーマス・ジェーン/マット・ランター

インディアナポリス(USS Indianapolis, CA-35)は、アメリカ海軍のポートランド級重巡洋艦。1945年7月26日にテニアン島へ原子爆弾を運んだ後、7月30日フィリピン海で日本の潜水艦伊58(回天特別攻撃隊・多聞隊)の雷撃により沈没した。第二次世界大戦で敵の攻撃により沈没した最後のアメリカ海軍水上艦艇であるという。

乗員1,199名のうち約300名が攻撃で死亡し、残り約900名は8月2日に哨戒機によって初めて発見されてから5日後に救助が完了するまで、救命ボートなしで海に浮かんでいたが、水、食料の欠乏、海上での体温の低下、これらからおこった幻覚症状、気力の消耗などで多数の乗組員が死亡した。それに加えサメによる襲撃が心理的圧迫を強くした。その後映画およびディスカバリーチャンネルの番組等で、サメの襲撃が演出として過剰に語られたため、大多数がサメの襲撃の犠牲者になったかのように思われているが、おもな原因は救助の遅れと体力的限界が死亡の原因といわれている。救助された生存者は わずか316名であった。

映画は酷くつまらなかった、と言ってしまえば誰に対しても失礼なような気がする。歴史的事実だから。原爆投下の正当性はアメリカではまだ半分くらいの確率らしい。第二次世界大戦は原爆を投下しなくても、間違いなく終わっていたという専門家の説が多いが、当事者にとっては未来のことなど誰にも分からないことと一笑にふすだろう。敗戦国となった日本には何の正当性もない。それが勝負事の原則だ。仕方がない。

『ボヘミアン・ラプソディ』(Bohemian Rhapsody)

年・イギリス/アメリカ 監督/ブライアン・シンガー

出演/ラミ・マレック/ルーシー・ボイントン/グウィリム・リー/ベン・ハーディ

日本での興行収入が100億円大台を突破しているらしい。どこにそこまでの魅力があるのだろうかというのが最大の関心事項だった。音楽物で成功物語は想像の付く範囲だが、この映画はちょっと予想とは違っていた。人間の才能が多くの人に認められて、成り上がって行く様は、外から眺めていても涙が出るほど気持ちのいいものだ。

伝説的ロックバンド「クイーン」のボーカリスト・フレディ・マーキュリーが主人公。第76回ゴールデングローブ賞では作品賞(ドラマ部門)と主演男優賞(ドラマ部門)を獲得。第91回アカデミー賞では、作品賞を含む5部門にノミネートされ、主演男優賞、編集賞、録音賞、音響編集賞の最多4冠を獲得した。興行収入は音楽伝記映画のジャンルで史上1位、日本では2018年公開の映画として最高となった。日本では『ボラプ』『ボヘラプ』という略称が用いられることがある(Wikipediaより)というけどホント?なんでも短くしてしまうのは凄いけれど。

ベット・ミドラーの『フォーエバー・フレンズ』(Beaches・1988年)という映画を思い出した。感動して涙を流す映画だと記憶しているが、今日の音楽映画とどこかが違う気がする。世の中が変われば人間の心の中も少しばかり変わってくるのは必然。どちらがよりいいということではないが、ボヘミアン・ラプソディがかなり評判がいいという話を聞いて、描き切れていない人間の心と映画的技法にちょっと疑問がある。

『陰謀のセオリー』(Conspiracy Theory)

1997年・アメリカ 監督/リチャード・ドナー

出演/メル・ギブソン/ジュリア・ロバーツ/パトリック・スチュワート/キルク・カザート

サスペンス映画というジャンルに入るこの映画だが、観ているとどうにもコメディに見えて仕方がなかった。それくらい奇妙な主人公と事件の数々、製作者の意図するところだろうか。もしかすると3度目の鑑賞になるかもしれないと思い始まったのは、だいぶ経ってから。前回にはコメディという感触はまったくなかったような気がするが相変わらずよく覚えていない。

ニューヨークでタクシー運転手をするジェリー・フレッチャー(メル・ギブソン)。陽気だが変人の彼は、夜な夜な乗客たちに様々な都市伝説的な陰謀論を語り聞かせていた。だが彼は、タクシー運転手になる以前の記憶が無い。ただ一つの記憶は、司法省ニューヨーク局の連邦検事であるアリス・サットン(ジュリア・ロバーツ)をストーキングし、その安全を毎日確認しなければならないと言うこと。そして彼のもう一つの顔は、陰謀論に基づいた時事解説を載せる月刊ニュースレター「陰謀のセオリー」を個人で編集・発行しているということ。(Wikipediaより)

ラストシーン近くになって改めて観た記憶が蘇った。それとラストシーンも確かに。途中のストーリーはいったい何だったのだろうか。確かにミステリーと言われれば、そうだねと答えられるかもしれない。アメリカの幅の広さを見る思い。FBIやCIAに属さないその上の国家最高秘密機関なるものが登場して、映画はおもしろくなるが、実際はどうなのだろう。コメディではなく本格サスペンスだと思い込んで観れば、かなりおもしろい映画になるだろう。

『アトミック・ブロンド』(Atomic Blonde)

2017年・アメリカ 監督/デヴィッド・リーチ

出演/シャーリーズ・セロン/ジェームズ・マカヴォイ/ジョン・グッドマン/ティル・シュヴァイガー

おもしろくないスパイ・アクション。外国映画の欠点は名前が明確に覚えられないこと。顔と名前が一致しなくては、諜報活動では致命傷だ。誰が味方で誰が敵なのかの見分けがつかなければ、物語はまったくおもしろいものではなくなってくる。その典型的な映画かもしれない。

なにしろ、ちょうどベルリンの壁が崩壊した1989年秋の話で、まだまだ冷戦が続いている最中、スパイのリストをめぐりイギリスのMI6、ソビエトのKGB、そしてどこにでも顔を出すアメリカのCIAの三つ巴のスパイ合戦が繰り広げられる。原題通り、逞しき女スパイが不死身の身体でストーリーに生き残る。主演のシャーリーズ・セロンの顔が分からない。同じことをどこかで書いた記憶がある。一発喰らえば死んでしまいそうな打撃を受けても戦い続けるスパイ連中は、あまりにも現実感から離れていて、観客の心も離れてしまう。

1989年はくしくも昭和が終わり平成が始まった年。同じ年にベルリンの壁が崩壊するなんて誰が予想できただろうか。専門家は「兆候はあった。」などと知ったかぶりをするのがおちだが、一瞬先を予測できる人なんて何処にもいない。毎日のように天気予報が外れたなんていう世界が、相変わらずの日常だ。ここまで人工衛星の情報をもとに予測する世界でも、所詮は前例の焼き直しを踏襲するだけ。神の領域に近づいたと思ってはいけない類の話しだろう。

『ナチスの愛したフェルメール』(Een echte Vermeer)

2016年・ オランダ/ベルギー/ルクセンブルク 監督/ルドルフ・バン・デン・ベルグ

出演/ユルン・スピッツエンベルハー/リゼ・フェリン/ルーラント・フェルンハウト

ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer、1632年 - 1675年)は、ネーデルラント連邦共和国(オランダ)の画家で、バロック期を代表する画家の1人。映像のような写実的な手法と綿密な空間構成そして光による巧みな質感表現を特徴とする。フェルメール(Vermeer)の通称で広く知られる。ナチス・ドイツの高官ヘルマン・ゲーリングなどにフェルメールの絵画を売った罪で逮捕・起訴された主人公が予想外な告白をした。

主人公は、実在の天才贋作画家ハン・ファン・メーヘレン、名前が似ていて紛らわしい。観るという作業が進まない。同時にひとつのことしか出来なくなってしまったツケが日常生活に影を落としている。フェルメールの絵って?と調べてみたらひとつの絵だけを知っていた。おそらくこの絵はほとんどの人が知っているに違いない。タイトルを『真珠の耳飾りの少女』という絵画だった。映画はつまらなかった。進行が遅いのと同じことの繰り返し。なんとか最後まで行き着いたという感じ。

エンド・クレジットあたりにこんな言葉が書かれていた。「ファン・メーヘレンは6年かけ フェルメールの贋作を制作 彼の贋作技術は今も評価が高い 彼の『エマオの食事』はボイマース美術館に今も展示されている ポストモダンの視点から見ると ファン・メーヘルの作品は芸術である」。

『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(Fantastic Beasts and Where to Find Them)

2016年・イギリス/アメリカ 監督/デヴィッド・イェーツ

出演/エディ・レッドメイン/キャサリン・ウォーターストン/ダン・フォグラー/アリソン・スドル

2013年9月に、「ハリー・ポッターシリーズ」の新作として映画化が発表され、全5部作予定になっているという。このニュースを聞いたことがあるような、ないような。この作品では、原作者のJ・K・ローリング自身が初めて脚本を手掛けることとなった。英語では同名となる著書『幻の動物とその生息地』(Fantastic Beasts and Where to Find Them)に触発された作品であるという。舞台は禁酒法時代1926年のニューヨーク、「ファンタスティック・ビースト」シリーズの第1作であり、ハリー・ポッターシリーズの映画で始まるウィザーディング・ワールドの9作目となるという映画ファンなら知っていることを知らない。ハリーポッター・シリーズをたぶん3作目くらいまでしか観ていない。同じことの繰り返しという印象が強くなって、観る興味を失ったというのが本音だ。

中身はハリーポッター・シリーズと同じようなものだった。あまりにも魔法が使え過ぎるのが興味を削ぐ。ニューヨークにも魔法を使える種族がいるというのがストーリーなのだが、空想にしてもちょっと無理がある。夢の世界を他人に押し付けるのには、それなりの納得性が必要になってくる。

あまりにも現実離れした物語には子供騙しという烙印を押すしかない。この映画はお金もかかっているし、アクションも立派でなかなかのものだと思うが、一歩映画の中に心を踏み入れる勇気が湧いてこない。考えが理解できても、言っていること、やっていることにどうにも同調できない現実社会に似ている。だからこそ、少しでも心の安らぐ仲間を見つけたら離したくなくなるのだろう。


2021/5/3 再び観たので記す。

『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』(Fantastic Beasts: The Crimes of Grindelwald)

2018年・イギリス/アメリカ 監督/デヴィッド・イェーツ

出演/エディ・レッドメイン/キャサリン・ウォーターストン/ダン・フォグラー/アリソン・スドル

 今日は2021年(令和3年)5月3日。

『ブラックブック』(蘭: Zwartboek、英: Black Book)

2006年・オランダ 監督/ポール・バーホーベン

出演/カリス・ファン・ハウテン/セバスチャン・コッホ/トム・ホフマン/ハリナ・ライン

今日は2019年(平成31年)4月13日(土曜日)。この映画はちょっと前に観ていたのだが、訳あって本日の登場となった。といっても、以前にも観ているので、重ね書きということになる。

気になっていた映画があった。ナチスもので、ドイツの将校に取り入るために、髪の毛ばかりか下の毛も金髪に染めて敵陣に乗り込むユダヤ人女性を描いたものだった。この映画だった。題名を見てもピンとこなかったが、一言読んだ解説に、もしやという予感はあった。

前回観た時の印象の悪さが気になっていたのだ。下の毛を金髪に染めるというシーンを映画製作者は敢えてきちんと撮影しているのにも関わらず、日本の法律運用者はそこをボカせと命令している。想像がつくから良いだろうという安易な判断すらもない、ただ法律を厳格に適用する日本的文化程度の低さが、いたるところに蔓延っていることに耐えられない気持ちになったものだった。

今回の放映ではそのシーンがボカされていない。別になんていうことないシーンだが重要なシーンとして、映画の進行を妨げない。その後の別のドイツ人将校がセックス直後にすっぽんぽんでトイレに入ってきておちんちんをぶらぶらさせているシーンでは、さすがにおちんちんはボカされていた。それぐらいなら仕方がなかろうと思える男のイチモツと状況。

『フィフス・ウェイブ』(The 5th Wave)

2016年・アメリカ 監督/J・ブレイクソン

出演/クロエ・グレース・モレッツ/ニック・ロビンソン/ロン・リビングストン/マギー・シフ

主演のクロエ・グレース・モレッツについて:2010年公開の『キック・アス』で“ヒット・ガール”を演じ知名度を上げた。 このキャラクターは11歳の少女でありながら、父親と共にスーパーヒーローとして登場し、薙刀、バタフライナイフ、銃器、マーシャルアーツなどを使用し、ギャングを叩きのめしていく。放送禁止用語を多用するこの役柄については、(役柄の上で)「あの文脈だと特に意味を持たない言葉で、『おい!』と同じような形で使っているわけでしょ」と語っている。しかし監督と脚本家に「なるべくコミックを忠実に再現したいから、とりあえずワンテイクだけ言ってくれ。そのテイクは使わないだろうから」と説得されたが、結局使われたとも語っている。マーシャルアーツ、ガンアクションなどの過激なアクションシーンの9割を自分自身で演じ、撮影前に7か月の訓練を行った。 道徳的非難もありながらこの演技で広く賞賛され、映画評論家ロジャー・イーバートは、4つ星中1つ星の映画としながらも「ヒットガールのキャラクターについて物議はあるだろうが、モレッツは存在感があり魅力的である」と評している。クロエはキック・アスの撮影に入る前、参考に『キル・ビル』を観たこと、またヒット・ガールを演じるに際し、アンジェリーナ・ジョリーに一番影響を受けたと語った。

薦められて観た「キック・アス」がめちゃめちゃおもしろくって、その時の彼女はまだ13才だったが今や22歳、特徴のある顔立ちは珍しく忘れないでいられるのが嬉しい。この映画はSFスリラー映画というジャンルに属するらしいが、ちょっとばかりおもしろくない映画で、よくぞ最後まで作りきったなぁ、という程度の印象しか残らない。

地球人ではない宇宙人が人間と同じ格好で目の前に現れた時、あなたならどうする、という疑問符を投げかけてくれるだけが救いの道だった。ただ自分の家族だけを必死に守ろうとする身勝手さが顕著なアメリカ人の姿も映し出していた。そこまで家族を守るのなら、その前に自分の目の前の人にももっと敬意を払わなければ、と思うのは日本人のDNAなのだろうか。

『PUSH 光と闇の能力者』(Push)

2009年・アメリカ 監督/ポール・マクギガン

出演/クリス・エヴァンス/ダコタ・ファニング/カミーラ・ベル/クリフ・カーティス

かつてナチスが始めた超能力を持つ兵士の開発研究を、各国の政府がディビジョンと呼ぶ部署を設けて続けている。ディビジョンは市井の超能力者を野生動物のように狩り、使役し、人体実験を行っている。 主人公ニックは10年前に米国ディビジョンに父を殺された過去を持つムーバー能力者で、以来逃亡生活を続け、現在は香港に潜伏している。(Wikipediaより)

ディビジョンだ、スニファー能力者、ウォッチャー能力者、ブリーダー能力、スティッチャー能力者、だと超能力を発揮してくれるが訳が分からない。製作者の頭の中でしか理解できない代物。観客はポカーンとただ口を開けて観ているだけ。あるいは、子供だましのトリック映像を観ている感覚に襲われた。懐かしい香港が舞台で、「あぁ香港、ホンコン、ホンコン」と叫んでみたってもう行くこともないだろう。

超能力なんて持てれば素晴らしいが、人間社会の凡人生活には縁もゆかりもないこと。漫画や夢の中でさえ信じられないことは、現実逃避としか見えない。昔、もしかするとちょっと超能力的なところがあるかもしれないと錯覚したことは、間違いなく錯覚だった。今やただのじじいに成り下がった姿は、人間本来の欲も希望もない真っ直ぐな人間に戻っているような。

『ジュラシック・ワールド/炎の王国』(Jurassic World: Fallen Kingdom)

2018年・アメリカ 監督/J・A・バヨナ

出演/クリス・プラット/ブライス・ダラス・ハワード/レイフ・スポール/ジャスティス・スミス

『ジュラシック・パーク』シリーズの映画第5作目ということだが、3作目と4作目を観たかどうかの記憶がない。ジュラシック・ワールド事件から3年後の2018年。パーク崩壊後も、イスラ・ヌブラル島では恐竜達が自由に島中を徘徊して生きていた。が、島北部のシボ山で火山噴火が起き、島の恐竜達は存亡の危機にさらされる。そんなところから始まるが、途中抜けていたとしても、なんとなくストーリーは繋がって見える。

アクション・冒険映画の典型のような映像はやっぱり観ていて楽しい。お金をかけられない映画と比較すれば一目瞭然、映画らしい映画が少なくなってきてしまった昨今、たくさんのこういう映画の出現を望む一人。大きいスクリーンで観たいと思わせてくれる。今、39インチから50インチテレビに交換しようと結託している最中、帯に短し・・・・なんとかで、決断が鈍っている。

生きているうちにもっと多くの時間を映画で楽しみたい。大きい画面は間違いなく満足度を増加させてくれる。余計な4Kや8Kテレビの出現、しかも「対応」や「チューナー内蔵」と価格を含めて選択肢が多すぎる。同じ大きさでも何種類も存在する。メーカーの思惑を知れば、少しは決断が速くなるのだろうが。

『マネーモンスター』(Money Monster)

2016年・アメリカ 監督/ジョディ・フォスター

出演/ジョージ・クルーニー/ジュリア・ロバーツ/ジャック・オコンネル/ドミニク・ウェスト

1988年公開の『告発の行方』と1991年公開の『羊たちの沈黙』で2度アカデミー主演女優賞を受賞したジョディ・フォスターが監督した作品はおもしろかった。テレビの人気番組「マネーモンスター」では資産運用、株の動向などを大胆に予想する。主人公はその番組の司会者とプロデューサー、アドリブ得意な司会者だが、突然暴落した会社の株価の責任を追及するために暴漢らしき若者が拳銃と爆弾を抱えてナマ番組に乱入してきた。

番組は拳銃を持つ青年と司会者とを映しながらまったくライブ状態となって放送されている。どういうストーリー展開をしたら観客が喜ぶだろうかと監督は良く分かっているようだった。たいした作品に出演している彼女ならではの演出のようにも見える。映画監督が私説小説的に他人の目を一切感じないで映画を作ってしまうケースも多い中、地道に映画のおもしろさを訴えてくれて嬉しい。

自爆装置を身に着けさせられた場合、狙撃すらも封じられる。犯人は爆弾のボタンを押し続けていて、離すと爆発するという仕掛けだった。ナマで進行する迫力のある攻防劇はおもしろい。様々な企業の秘密も暴露され、株価がアルゴリズムで操作されているなど、難しいシステムも紹介されて勉強になった、と言っておこう。

『ワイルド・ギャンブル』(Mississippi Grind)

2015年・アメリカ 監督/アンナ・ボーデン

出演/ライアン・レイノルズ/ベン・メンデルソーン/シエナ・ミラー/アナリー・ティプトン

ゲリーはギャンブルで生計を立てていたが、ここ最近は思うように稼ぐことができずにいた。そんなある日、ゲリーがアイオワ州のカジノでプレイしていると、カーティスという年少のギャンブラーに遭遇した。テキサス・ホールデムで大勝ちして気前が良くなったカーティスはゲリーにバーボンを奢った。数時間後、再びカーティスに遭遇したゲリーは、さっきのお返しに酒を一杯奢ってやった。ゲリーがトランプで勝つ秘訣を尋ねたところ、カーティスは「勝ち負けにこだわらないことだ」と答えた。意気投合した2人はそのまま酒を飲み続けた。(Wikipediaより)

見知らなかった二人が意気投合したというのだろうか、セントルイス→メンフィス→ニューオーリンズへとロードムービーのようなギャンブル二人旅が始まった。時には人生訓のような言葉の言い合いが嘘っぽく見える映画ストーリー、日本公開は出来なかったらしいがさもありなん。

所詮はギャンブル、大儲けしてすぐまた堕ちていく人たちがどれだけ多いことか。パチンコをする人は自分が勝ったことを吹聴する人が多い。麻雀では負けたと喋る人が多い。ギャンブルの特性なのだろうか。刹那的な快楽に身をゆだねがちな人は、終始一貫後先を考えずに人生を生きている。それでも何とか生きていけるのが人生、他人のことを言えるほど立派な人生を歩んでいない自分も同類だ。

『奇跡の絆』(Same Kind of Different as Me)

2017年・アメリカ 監督/マイケル・カーニー

出演/グレッグ・キニア/レネー・ゼルウィガー/ジャイモン・フンスー/ジョン・ボイト

「他人からどうこう言われる筋合いはないけど、私は自分の顔を変えたり、目の手術をするという選択はしていません」と、整形疑惑をキッパリと否定。あくまで「このことは誰にとっても大事ではない」と前置きした上で、「でも(整形の)可能性について、ジャーナリストが公の場で語ることにより混乱を招いていること、そして社会の肉体第一主義的な考えを定着させることにつながる」と考え、真実を語る決意したという。

さらにレネーは「痩せすぎ、太り過ぎ、老化してる、茶髪の方がいい、太もものセルライト、フェイスリフト・スキャンダル、薄毛問題、太っているのか妊娠か、変な靴、汚い足、美しくない笑顔…。そんな見出しが、密かに人の価値を決めるようになっている。今の社会は、人々が“社会的に認められる”ために存在し、“プロフェッショナルとして価値を見出される”必要があると、感じているの。笑いものにされて、傷つかないようにね」と言及。「その風潮は、若い世代や感受性の強い人々にとって、大きな問題を引き起こしかねない。偏見や自己否定、いじめ、などを引き起こす、トリガーにもなりかねないわ」と、“外見至上主義”なメディアのあり方に苦言を申し立てた。(SPUR.JP より)

『ブリジット・ジョーンズの日記』で有名なレネー・ゼルウィガーが整形疑惑に答えたという。映画を観終わってこの事実を知らされるまでこの映画の主人公が彼女だとは気が付かなかった。歳のせいも少しあるが、好きな顔立ちだったので、凄く意外だった。邦題ほどには面白味がなくちょっと残念な映画だった。事実に基づくと大上段にかぶったようなタイトル・クレジットだったので、少し期待していたのだが。映画が詰まらないのではなく、その事実が映画にするほどおもしろくないということなのだろう。

『カリートの道』(Carlito's Way)

1993年・アメリカ 監督/ブライアン・デ・パルマ

出演/アル・パチーノ/ショーン・ペン/ペネロープ・アン・ミラー/ブランコ - ジョン・レグイザモ

ニューヨーク州最高裁判所の元判事エドウィン・トレスの同名小説、およびその続編『それから』を原作とする。ゴールデングローブ賞2部門の候補に挙がったという。元麻薬王の主人公は、親友の弁護士の尽力によって、30年の刑期だったものがたった5年で刑務所から出所した。彼が5年ぶりに見た街と人々は、仁義も信義も失って変わり果てていた。アル・パチーノのような役者が出ていると映画が引き締まる。監督ブライアン・デ・パルマはヘラルド時代に配給した「殺しのドレス」で印象に強く残っている。

おもしろい解説があった。原題“Carlito's Way”はフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」にちなんでつけられたが、劇中に「マイ・ウェイ」は一回も使われていない。『それから』をベースにしているのに映画のタイトルが『カリートの道』なのは、『それから』と原題が同じマーティン・スコセッシ監督の『アフター・アワーズ』(After Hours)との混乱を避けるためである。生い立ちから30代までのカリートを描いた『カリートの道』と40代のカリートを描いた『それから』が原作としてクレジットされているが、映画で描かれているのは主に『それから』の部分である。

カリートとイタリアン・マフィアとの電車でのシーンは、予算の都合で見送られた、アンタッチャブル (映画)のクライマックスシーンを応用している。クライマックスの銃撃戦が行なわれるエスカレーターは、ニューヨークのグランド・セントラル駅に実在する。映画では非常に長いエスカレーターに思えるが、実際はかなり短い。これはデ・パルマの得意する撮影テクニックであり、アンタッチャブル (映画)の乳母車のシーンにもその手法が使用されている。(Wikipediaより)

『リップヴァンウィンクルの花嫁』

2016年(平成28年)・ニホン 監督/岩井俊二

出演/黒木華/綾野剛/Cocco/原日出子/地曵豪/和田聰宏/金田明夫/りりィ

知る人ぞ知る手作りアメリカン・バーボンの銘酒にリップ・ヴァン・ウィンクルという名の酒がある。1800年代中頃から4代に渡るヴァン・ウィンクル家が作り続けたオールド・リップ・ヴァン・ウィンクル醸造所が家族の名を冠した由緒あるバーボン。リップヴァンウィンクルは、アメリカ版浦島太郎といわれた寓話の主人公の名前、リップ・ヴァン・ウィンクルは、旅先で出会った小人に酒をご馳走になります。あまりに美味しいお酒なので、飲み過ぎて寝てしまい、目覚めると数十年経ってしまっていた、という昔話。

特異な映画題名の内容もちょっと不思議な映画だった。主人公はインターネットで物を買うかのようにSNSで知り合った彼と簡単に結婚してしまった。ところがどっこい、いつの間にか簡単に離婚する羽目に陥って人生の進路が闇に入って行く。若い女が嵌められてどん底に落とされていくような流れだったが、結局はそうではなかったという救いがあって安堵した。本編が3時間と長過ぎる。描かなくてもいい些細なことを映像化するので、飽きが来るのは仕方がないことだろう。CM時間を入れて録画はなんと3時間25分だった。

主人公の母親は若い男と駆け落ちして離婚していた。親族もさほどいないらしく、結婚式に出席する親族や友達をそういう人を集める業者に託していた。そんな商売が本当にあるのだろうかと驚くばかりだが、もしかするとちゃんと存在するのかもしれない。そんな仲介業者が主人公の運命を勝手に左右する。それにしても何も出来ない主人公の若き女性、その程度の分別なら人生が何処に行ったって自分のせいだと後悔しようもない。そんな感じがする。ここまで酷い人間も珍しいと思える。

『アンデルセン物語』(HANS CHRISTIAN ANDERSEN)

1952年・アメリカ 監督/チャールズ・ヴィダー

出演/ダニー・ケイ/ファーリー・グレンジャー/ジジ・ジャンメール/ジョーイ・ウォルシュ

“これはハンス=クリスチャン・アンデルセンの伝記ではなく、そのおとぎ話の世界の映画化”である旨の文章で始まる、テクニカラーの見本のような色彩感溢れる美術と撮影が嬉しい童話ミュージカルの良心作。ミュージカルだと分かってから観る速度が急速に落ちた。落ちたというより、歌になった瞬間に休憩に入る始末。それでも、何故か観る事を止めようとは思わなかった。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen、1805年4月2日 - 1875年8月4日)は、デンマークの代表的な童話作家、詩人。活字に親しまない者には彼の名前は眩し過ぎる。火うち箱、エンドウ豆の上に寝たお姫さま、小クラウスと大クラウス、イーダちゃんの花、親指姫、いたずらっ子、旅の道連れ、人魚姫、裸の王様、しっかり者のスズの兵隊、野の白鳥(白鳥の王子)、空とぶトランク、ひなぎく、パラダイスの園、コウノトリ、天使、小夜啼鳥(サヨナキドリ)、仲よし、みにくいアヒルの子、もみの木、雪の女王、赤い靴、マッチ売りの少女、ある母親の物語、とび出した五つのエンドウ豆、最後の真珠、沼の王の娘、パンをふんだ娘、雪だるま、父さんのすることはいつもよし、蝶、かたわもの。

今、『1日1話3分で読める 頭のいい子を育てる[おはなし]366』という本を借りて読んでいる。毎日1話が1ページに書かれている。童話を読んだ記憶のない自分には新鮮だ。なかなかページが進まないが、ようやく7月に入ったばかりだった。この映画の中に出てくるおはなしも少し書かれていて、そのあたりがタイミングよく興味深かった。

『レディ・バード』(Lady Bird)

2017年・アメリカ 監督/グレタ・ガーウィグ

出演/シアーシャ・ローナン/ローリー・メトカーフ/トレイシー・レッツ/ルーカス・ヘッジズ

アメリカの女子高校生を主人公にした青春映画。この手のシチュエーションは日本映画では当たり前だが、アメリカ映画では珍しい。監督が女性ということが大きな理由だと思ったが、女子高校生の会話がかなりきわどい。日本映画にはまったく考えられないシーンが続いていた。同じ年頃の日本人女子高校生の感想を聞いてみたい。

冒頭のクレジット『カリフォルニア州の快楽主義を語る人は-”サクラメントのクリスマスを知らない”J.ディディオン』という何とも自虐的な言葉が出てくる。監督が自身の出身地でもある米カリフォルニア州サクラメントを舞台に、自伝的要素を盛り込みながら描いた青春映画との記載も見つけた。

男だらけの兄弟で育った自分には女子高校生の日常生活なんて、想像だに出来ない。男だって女だって同じようなものだよ、と言われてしまえばそれまでのことだろうか、死ぬまで神秘的なものは変わらない。主人公が通う高校がカトリック系だというのも、彼女の飽き飽き感がもの凄くよく伝わってくる感じがする。妊娠中絶を認めないカトリック、そんなことを皮肉ったセリフや映像があっておもしろい。普通の日本人にはキリスト教は同じようにしか見えないのも現実だろう。

『2ガンズ』(Guns)

2013年・アメリカ 監督/バルタザル・コルマキュル

出演/デンゼル・ワシントン/マーク・ウォールバーグ/ポーラ・パットン/ビル・パクストン

この映画の監督はアイスランド出身であるらしい。観ている途中でこの映画の監督は昔ならサム・ペキンパー、ここしばらくならクエンティン・タランティーノだろうなどと映画通ぶった見方をしていたが、それ以上の監督を知らないだけのこと、やっぱり別の監督だったことが分かり、そうなんだーと頷くばかり。

麻薬取締局の特別捜査官と海軍犯罪捜査局の捜査官が二人の主人公、お互いに相手の素性を知らないままに悪の巣窟へと向かったまでは良かったが、返り討ちにあって七転八倒、アメリカ人気質とでもいうべき行動力で最後はハッピーエンドとなるコメディ・アクションという訳。コメディと分類されるけれど、日本のお笑い芸人のコメディとは似ても似つかない。まず、本人たちが自分や相手の挙動に笑うことはない。観客を笑わせようとしていることもない。こんなことはあり得ないだろうと思えることをやってのけるからこそのコメディだと分かる。

二人で取っ組み合いをして潮時の頃、どっちが先に掴んでいる腕を離すかでもめる。「絶対離すから、3・・2・・1・」と2回やってもどちらも放そうとはしない。相手に信用させようとしていて、どちらも相手を信用していない。そんな付き合い方がアメリカ的だと感じたりする。偏見、知らぬことでしかないのだろうけれど。信じることは疑わないことだと、誰しも分かっているつもりが、なかなかどうして、半信半疑などと大きな声でいうのがオチ。

『麗しき日々』( Les beaux jours)

2013年・フランス 監督/マリオン・ベルノー

出演/ファニー・アルダン/ローラン・ラフィット/パトリック・シェネ/ジャン=フランソワ・ステブナン

今日は2019年3月21日(金曜日)。 60歳で歯科医をリタイアしたカロリーヌ。数カ月前に親友を亡くし心に痛手を感じていた。見かねた娘たちは、シニアクラブの会員証をプレゼントする。気乗りしないまま通い始めたクラブだったが、パソコン教室の若い講師ジュリアンと親しくなり、誘われるままベッドを共にしてしまう...。(Amazonより)

おばばだって恋をする。爺だって同じこと。隙あらば身体を重ねたいとも思うだろう。それは人間が自然に生活していることの証。異常なら狂気に走る輩もたまにはいることも恐ろしい。親友が5か月前に亡くなってしまったことが不倫に走る原因だとしてしまっているが、何が本当かは神にしか分からない。原題を直訳すれば「美しい日々」。

面と向かって新しい他人と親しくなるのには労力がいる。普通の人はそうだろう。何が怖いのか、何が知りたいのか、おおらかな気持ちがあれば何も恐れることはないはずだが、そんなに簡単に人間の心理は動かないのが普通らしい。ボールを壁に向かって投げれば、必ずそのボールがどう戻ってくるのかが分かる。壁が乾いてなければ反発もなく下に落ちてしまうだろう。もしもコンクリートの壁のようなものだったら、自分の想定以上に勢いよくボールが返ってくることになる。自分なりの想像、想定力と実際の現実とのギャップを埋めながら人生は日々明日になって行くのだろう。

『ファントム・スレッド』(Phantom Thread)

2017年・アメリカ 監督/ポール・トーマス・アンダーソン

出演/ダニエル・デイ=ルイス/レスリー・マンヴィル/ヴィッキー・クリープス/カミーラ・ラザフォード

本作は批評家・観客双方から賞賛されている。 Rotten Tomatoesでは276の批評家レビューのうち91%が支持評価を下し、平均評価は10点中8.5点となった。 Metacriticでは359のユーザーレビューに基づいて、平均評価は10点中7.7点となった。Metascoreは51の批評家レビューに基づいて、100点中75点となった。(Wikipediaより)

評価が高いけれど、おもしろくなかった訳ではない。評価の高い映画の欠点である進行の遅さと、繰り返しストーリーにちょっと苛立つが、この映画の主人公の苛立ちを観ていると、自分の欠陥なんて甘っちょろいものだと痛感する。高級既製服をデザイン、仕立てることを生業としている主人公の我儘さ加減は半端ではない。

それが赦されるこの主人公の才能は並大抵ではないようだ。洋服のデザインなんて誰がやったって、さほど変わらないだろうし、もうデザインパターンも出尽くしてしまったのではないかと思われる。ただ人間生活が続く限り、服を着飾ることを辞めることはないであろうから、一部のデザイナーが生き残ることは確かだ。作曲作業にも似ているような気がする。これだけ世界中で作曲されていれば、もうユニークなフレーズなんて生まれてこないような気がしてならないが、次から次へと新曲が発表されている。おそらく生みの苦労は凄まじいに違いないが、そういう仕事ではない人生で仕合わせだった。

『セールスマン』(FORUSHANDE/THE SALESMAN)

2016年・イラン/フランス 監督/アスガー・ファルハディ

出演/シャハブ・ホセイニ/タラネ・アリドゥスティ/ババク・カリミ/ファリド・サッジャディホセ

アーサー・ミラーの「セールスマンの死」が劇中劇として主人公とその妻が舞台に立っている。主人公は大学教授、引っ越してすぐに妻がその部屋でレイプされ暴行されてしまった。その犯人探しが主なストーリーとなっている。暗くて長い映画だ。この監督の作品はいつも評価が高いらしい。この映画もカンヌで男優賞と脚本賞、アカデミー賞で外国語映画賞を受賞しているという。

そういう評価の高い映画を何故かいつもおもしろくなかったと評しているのが私だ。今回も同じ道。ここでも小さな嘘が氾濫している。宗教に関係なく欧米人というひとくくりで、小さな嘘を平気でつく人種と認定しそうだ。映画の話ではない。おそらく現実社会も大した違いはないであろう。

イラン映画を何本か観ているが、この監督作品だったかどうかわからない。そういう映画鑑賞姿勢を強く非難されそうだが、これでいいのだ。監督が誰、この役者の前回出演した作品はこれ、この映画の舞台の歴史的背景はこう、などとたくさんの情報を知っていることは、自分にとっては大きな要素ではない。何の情報もなく映画を観始まって、おもしろいのか、おもしろくないのかが大重要なのだ。事実に基づく映画なら、あとから調べつくして身体の血となってくれればと思うだけだ。

『マッド・プロフェッサー 悪の境界線』(Asesinos inocentes)

2015年・スペイン 監督/ゴンザロ・ベンデーラ

出演/マキシ・イグレシアス/ミゲル・アンヘル・ソラ/ルイス・フェルナンデス/ハビエル・エルナンデス

どうにも欧米人は小さな嘘をつきまくって日常生活をしているに違いないと、思わせるシーンがどの映画にも随所に出てくる。この映画にだって、ひとつや二つではない小さな嘘のオンパレードという感じ。真っ正直にすべてのことに答えるのは馬鹿なんじゃないのと言われているよう。

邦題は狂気の大学教授というくらいだろうが、何のことはない病気の妻のために死亡保険金を遺そうと考えている大学教授が、自殺する勇気がないから試験の点数を加味する代わりに学生に自分を殺してくれと、執拗に迫るというものだった。その学生は学生で、借金を返済できずに暴力団まがいの輩に脅迫されている始末。社会の空気が濁っているように見える。スペイン語は美しいはずなのに、汚く聞こえてくる。

結末には視聴者が驚くような幕の降り方を用意しているような気配があったが、ちっとも驚かなくてよわった。まぁそれまでのずるずるとした展開を観ていれば、それほど期待できないなぁという感覚は否めなかった。小さな、ホントに小さな嘘をひとつつけば、その後の生活は大きく左右されると考える人種が多くなることを祈るばかりだ。

『ハートビート』(High Strung)

2016年・アメリカ/ルーマニア 監督/マイケル・ダミアン

出演/キーナン・カンパ/ニコラス・ガリツィン/ソノヤ・ミズノ/ジェーン・シーモア

成功物語が気持ちいいい。分かっていてもそうなることが映画の基本、原点。圧倒的なサクセス・ストーリーなら大ヒットにつながるのだろうけれど、ストーリーや役者がもう2歩と言うところなのかもしれない。ニューヨークを舞台に夢をかなえるために奮闘する若者たちの姿を、ジャンルを超えた音楽とダンスを融合させて描いた青春エンタテインメント。

プロのバレエダンサーを目指してニューヨークにやってきたルビーは、ある日、地下鉄でバイオリンを演奏するイギリス人青年のジョニーと出会う。2人は徐々に惹かれあっていくが、ルビーは奨学金資格はく奪の危機に直面し、ジョニーはバイオリンを盗まれた上にグリーンカード詐欺に遭ってしまう。追い詰められた2人はヒップホップダンスチーム「スイッチ・ステップス」を誘い、互いの夢をかなえるため弦楽器&ダンスコンクールに出場する。主人公ルビー役は、ロシアの名門バレエ団で活躍し、本作で女優デビューを果たしたキーナン・カンパ。ミュージシャンとしても活躍するニコラス・ガリツィンがジョニー役を演じた。

「エクス・マキナ」にも出演したソノヤ・ミズノが、ルビーの同居人ジャジー役で共演。監督は、歌手やブロードウェー俳優として活躍した経歴を持ち、映画監督や脚本家としても活動するマイケル・ダミアン。ダンサーだった妻でプロデューサー、脚本家のジャニーン・ダミアンとともに執筆した脚本を、自ら映画化した。(映画.comより)

『パシフィック・リム: アップライジング』(Pacific Rim: Uprising)

2018年・アメリカ 監督/スティーヴン・S・デナイト

出演/ジョン・ボイエガ/スコット・イーストウッド/ジン・ティエン/ケイリー・スピーニー/菊地凛子

2013年公開の映画『パシフィック・リム』の続編であるSF怪獣映画。また子供騙し映画だったが、人間が中に入った巨大ロボットが興味深かった。この、巨大ロボットの中に人間が入ってロボットを操る人型巨大兵器を「イェーガー」と呼んでいる。西暦2035年の地球。 太平洋の海底の裂け目から異世界より襲来した異種族「プリカーサー」の操る怪獣との激戦が終結して10年が経過した、というストーリー。

ロボットには興味がある。小学生の頃、欲しいものが何もなかったが、出来れば無線で動くロボットで遊びたいと願っていた節がある。同じロボットでも有線で動くものには何故か興味が湧かなかった。鉄腕アトムや鉄人28号全盛の時代だったが、これらの日本製ロボットにはまったく反応しなかった。天邪鬼なのだろう。

イマイチ好きになれない菊地凛子がアメリカ映画に時々登場する。日本人が思う日本人と外国人が好む日本人とは根本的に違う見本のようなものだと思うしかない。日本人にうけたからってすぐにアメリカで人気になることはない。ドリカムはその典型。悪くはないが、アメリカで売れるだろうと算段したことが間違いだった。音楽性が違い過ぎるのだろう。森昌子の息子、ONE OK ROCK(ワンオクロック)は今や世界標準になりつつある。どこが違うのだろうか。

『ジュピター』(Jupiter Ascending)

2015年・アメリカ/イギリス/オーストラリア 監督/ラナ・ウォシャウスキー/アンディ・ウォシャウスキー

出演/チャニング・テイタム/ミラ・クニス/ショーン・ビーン/エディ・レッドメイン

壮大な空想SF、監督はウォシャウスキー姉弟の二人だというが知らない。主人公ジュピターは亡くなった先代女王の生まれ変わりとして、地球を所有する権利を有しているらしい。話が大きい。先代女王は1万何歳まで生きたらしく、最後は息子に殺されたという。子供だましの典型なれど、可愛い嘘みたいに感じなければ観ていられない。

地上の土の上でのバトルではなく、宇宙空間における宇宙ステーションや宇宙船の戦闘シーンが延々と続く。訳の分からない感とつじつまの合わない感、出来過ぎ感がうざく感じる。ストーリーを描いた人の頭の中をのぞくことは出来ないけれど、なまじっかではこんな物語は書けない。才能ほとばしる人がたくさんいる現実に驚くしかない。

2015年1月に開催された第31回サンダンス映画祭において、サプライズ上映された。しかし、1億ドル以上の製作費をかけた作品が、インディペンデント映画の祭典で上映されることに対して違和感を覚える観客が多かった。なお、日本版の公式ポスターには、キャッチコピーだけではなくあらすじも掲載されている。これはハリウッドの大作映画のポスターとしては異例のデザインであると記載がある。ポスターにあらすじを書かなければいけないほど、宣伝が行き詰まってしまったとみるべきだろう。

『赤い風車』(Moulin Rouge)

1952年・イギリス 監督/ジョン・ヒューストン

出演/ホセ・ファーラー/ザ・ザ・ガボール/クロード・ノリエ/コレット・マルシャン

1889年にパリのモンマルトルにオープンした赤い風車が屋根の上にあるキャバレー「ムーラン・ルージュ」を拠点に活躍し、踊り子たちをモデルに数々のポスターを手掛けたことでも知られる、19世紀末のフランスの画家アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの生涯を描いている。トゥールーズ=ロートレック家は伯爵家であり、祖先は9世紀のシャルルマーニュ時代までさかのぼることができる名家であった。両親はいとこ同士の近親婚、これが彼の人生を決めた。

トゥールーズ=ロートレックは、幼少期には「小さな宝石」と呼ばれて家中から可愛がられて育った。しかし弟が夭折すると両親が不仲となり、8歳のときには母親と共にパリに住まうようになった。そこで絵を描き始めた。すぐに母親は彼の才能を見出し、父親の友人の画家からレッスンを受けるようになった。しかし13歳の時に左の大腿骨を、14歳の時に右の大腿骨をそれぞれ骨折して以降脚の発育が停止し、成人した時の身長は152cmに過ぎなかった。胴体の発育は正常だったが、脚の大きさだけは子供のままの状態であった。現代の医学的見解では彼の症状は、近親婚に起因する骨粗鬆症や骨形成不全症などの遺伝子疾患であったと考えられている。病気により、アルビに戻ったトゥールーズ=ロートレックは活動を制限され、父親からは疎まれるようになり、孤独な青春時代を送った。

差別を受けたストレスなどからアブサンなどの強い酒に溺れ、アルコール依存に陥っていた他、奔放な性生活もあって梅毒も患っており、心身共に衰弱していった。自身が身体障害者として差別を受けていたこともあってか、娼婦、踊り子のような夜の世界の女たちに共感。パリのムーラン・ルージュをはじめとしたダンスホール、酒場などに入り浸り、旺盛な性欲をもとに娼婦たちと頻繁に関係を持つデカダンな生活を送った。そして、彼女らを愛情のこもった筆致で描いた。作品には「ムーラン・ルージュ」などのポスターの名作も多く、ポスターを芸術の域にまで高めた功績でも美術史上に特筆されるべき画家である。(Wikipediaより)

『祈りの幕が下りる時』

2018年(平成30年)・日本 監督/福澤克雄

出演/阿部寛/松嶋菜々子/溝端淳平/田中麗奈/春風亭昇太/及川光博/伊藤蘭/小日向文世/山﨑努

久しぶりに日本映画を観ようという気になった。たまたまアマゾン・プライムの一番上に大きく表示されていたこの作品を選んだだけ。原作は東野圭吾の長編推理小説だった。2013年に発売されて、もう映画になるなんて当代随一の売れっ子作家に見える。テレビの2時間ドラマも彼による作品が多いように感じる。どれだけ作品を書いているのだろうか。

春風亭昇太、笑点の司会者が警察本部の指揮官のような役をやっている。違和感がある。キャスティングはもちろん重要。人気のあるテレビ出演者を起用するのは常套句のようなものだが、映画の配役をそう軽率に決められては興味が失せる。この頃の日本人は、頭が良過ぎて気持ち悪い。テレビのドラマに入るコマーシャルに同じ人間を平気で出している。フジテレビのお昼の番組の司会者坂上なにがしは、番組中に同じようなセットを組んだコマーシャルを挿入している。考えられない規律のようなものが平気で変わって行く。

価値観が変わるのは仕方がないことだが、それはないだろうと思えることが平然と変わって行く。長く生きていることの弊害なのだろう。早く空の上から眺められるようになりたいものだ。

『バーニング・クロス』(Alex Cross)

2012年・アメリカ 監督/ロブ・コーエン

出演/タイラー・ペリー/マシュー・フォックス/エドワード・バーンズ/レイチェル・ニコルズ

『バーニング・クロス』はジェームズ・パターソンによるアレックス・クロスを主役とした小説を原作としていて、アレックス・クロスはかつてモーガン・フリーマンが『コレクター』(1997年)と『スパイダー』(2001年)で演じたキャラクターであり、キャラクターは2010年にウィリアムソンとパターソンが脚本の開発を始めた際にリブートされたという。

引き続きクライム・スリラー映画だったが、今度は猟奇的殺人犯に挑むデトロイト市警の主人公2人の刑事が活躍していた。主人公の一人は、犯罪心理学の学位を持ち、その知識を捜査に役立てていたが、猟奇的殺人犯は彼の妻をも一発のライフルで殺してしまう。家族を最も大事にするアメリカ人主人公にとっては、とても我慢のならないこと。とはいっても、そんなに簡単に犯人には行き着かない。そのあたりの解決度が柔過ぎるのが難点だが、まずまずおもしろい映画だった。

原題の『アレックス・クロス』を『バーニング・クロス』という邦題に変える意図がまた分からない。直前に見た映画も同じようにカタカナ原題っぽい邦題になっていて頭を傾げた。そういう仕事をしていたことがあるからこその気になり方かもしれない。もう「哀愁の・・」とか「哀しみの・・」や「怒りの・・」なんていう邦題は時代に合わなさ過ぎるのだろうけど。

『ブラッド・スローン』(Shot Caller)

2017年・アメリカ 監督/リック・ローマン・ウォー

出演/ニコライ・コスター=ワルドー/オマリ・ハードウィック/レイク・ベル/ジョン・バーンサル

クライムスリラー映画とジャンル分けされているようだ。このカタカナ邦題の意味が分からない。大ヒットテレビシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」のニコライ・コスター=ワルドウが主演だからそういう題名にしたのだろうか。英語原題をカタカナ題名に見せかける手法に違いないが、意味不明では原題のままで充分だろうという気がする。原題の(Shot Caller)は刑務所でのスラングで、「リーダー」を意味するらしい。

エリート人生を歩んできた主人公は飲酒運転して交通事故を起こした。後部座席に乗っていた友人夫婦のうち夫が死んでしまった。司法取引により16か月という短期刑務所暮らしを余儀なくされた。弁護士に言われていたけれど、刑務所内部は想定以上に過酷な環境だった。自分の身を守るためひとつの派閥に入り、徐々に刑務所内での地位を高めていくことに成功するのだった。刑務所内での徹底抗戦の結果、刑期は10年となってしまったが、出所するときにはもうエリートーではなくギャングの中堅どころのようなものになっていた。こんなストーリーの流れがおもしろい。その後の展開も予想を裏切るおもしろさで、なかなか。

日本でいえば「牢名主」のような存在は何処にでもあるものなんだ。看守は牢名主にとっては召使いのようなもので、さすがアメリカという感じ。刑務所内の自由度も不思議なくらい。日本の刑務所内部を推し量ることは出来ないけれど、経験者が見てもかの国と日本との差は歴然としていると言うに違いない。

『もうひとりの息子』(LE FILS DE L'AUTRE/THE OTHER SON)

2012年・フランス 監督/ロレーヌ・レヴィ

出演/エマニュエル・ドゥヴォス/パスカル・エルベ/ジュール・シトリュク

テルアビブに暮らすフランス系イスラエル人の家族。ある日、18歳になった息子が兵役検査を受ける。そして残酷にも、その結果が証明したのは、息子が実の子ではないという信じ難い事実。18年前、湾岸戦争の混乱の中、出生時の病院で別の赤ん坊と取り違えられていたのだ。やがてその事実が相手側の家族に伝えられ、2つの家族は、それが“壁”で隔てられたイスラエルとパレスチナの子の取り違えだったと知る……。アイデンティティを揺さぶられ、家族とは何か、愛情とは何か、という問いに直面する2つの家族。はたして、彼らは最後にどんな選択をするのだろう。(cinemo より)

映画を活字のストーリーにまとめれば、こんな風になるのだろう。残念ながら、この文字を読んだだけでは当事者たちの感情やその時々の表情から読み取れることは、まったく不可能だ。だからこそ映画というものが存在する意味があるに違いない。人間の悩み、あるいは喜びさえも全ては時間が解決してくれる。そこに行き着くまでのプロセスそのものが人間生活なのだろうことは、ようやくこの歳になって分かってきたような気もする。それでも、その時に、その瞬間に去来する心の中の葛藤は、一個の人間をどん底にまで貶めるものにもなってしまうことがある。

河谷が生きていれば、イスラエルとパレスチナとの行き来などの解説をしてもらえたはずだが、今やweb上で知る似非知識しか得ることが出来ない。パレスチナ人たちはイスラエルを占領国と罵る。ユダヤ人であることを嫌い、憎む。それは長い歴史のDNAなのだろうか。その割には、制限された中でもパレスチナ人がイスラエルに容易に入国できるのだなぁと現実社会の運用に感心したりする。一向に解決しそうにない中東地区の紛争、すべての人々がいったん宗教を捨てることでしか、平和なるものが訪れることはないだろうと深く思う次第。

『アメリカ アメリカ』(America, America)

1963年・アメリカ 監督/エリア・カザン

出演/スタティス・ヒアレリス/フランク・ウォルフ/ハリー・デイヴィス/グレゴリー・ロザキス

この監督のエリア・カザンの名前を知らない映画業界人はいないであろう。と言われても、どの作品が監督作品なのかを言えない私は、厳密には業界人であったことを自慢できないかもしれない。たまたまこの『最近観た映画』欄の一番目の作品が『紳士協定』 (Gentleman's Agreement・1947年)で、エリア・カザン監督作品であったことを今回初めて認知した次第。

19世紀末のオスマン帝国(現・トルコ)では、ギリシャ人やアルメニア人が政府の圧政に苦しめられていた。ギリシャ人の青年スタヴロスは、親友のアルメニア人バルタンから自由の国アメリカの話を聞き、憧れを持つようになる。そのバルタンが、圧政に反抗したために殺された事から、スタヴロスは遂にアメリカ行きを決意する。スタヴロスはやはりアメリカ行きを目指すアルメニア人のホハネスと知り合い、父・イザークのはからいでコンスタンティノープル(現・イスタンブール)に行き、様々な困難にぶち当たりながらも、アメリカ行きを目指す。(Wikipediaより) こう書いてしまうとなんていうことないストーリーに見えるが、今風ではない映像が結構染み込む。暗くて長い映画。2度寝てしまったが、観直す勇気があった。

憧れのアメリカという情景は子供の頃の日本も同じようなものだった。そうやって世界中の人々がアメリカを目指した結果の現在のアメリカ合衆国なんだろう。それを根底から覆す発言を繰り返すトランプ大統領は罪作りだ。アメリカが世界史の中から後退する日があるとしたなら、それはまさしくトランプの罪に違いない。

『スパイ・ゲーム』(Spy Game)

2001年・ドイツ/アメリカ/日本/フランス 監督/トニー・スコット

出演/ロバート・レッドフォード/ブラッド・ピット/キャサリン・マコーマック/スティーヴン・ディレイン

今日は、2019年3月1日金曜日。そして1日経って今日は3月2日。もう老体で花粉症には反応が鈍くなっていたはずだが、今年の花粉にはまだ慣れない。発症した44年前のティッシュペーパーの使い方を考えれば、ほとんど軽微にもみえるが、辛いものは辛い。お顔のお肌にまで影響する花粉症の悪さを恨むしかない。

この映画の時ロバート・レッドフォードは65歳、ブラッド・ピットは38歳、新旧の二枚目俳優が相まみえている。リアルタイムではこの映画の存在さえ記憶にないが、なかなかおもしろい。伝説のスパイが新人を育てた経過を映画のストーリーに絡めている。フラッシュバックではなく弟子の行動を説明する形をとっているのが分かり易く、観易い。

日本には外国からのスパイが何人いるのだろうか? そんなことが急に気になった。時々、日本の会社員が中国でスパイ容疑で逮捕されるというニュースがあるが、あれは本当のことなのだろうか? 一般庶民には絶対分からない、理解できない世界に違いない。そんなことが分かってしまうようでは、そもそもスパイの役目が出来ようもない。奥深い人間の世界。

『シャトーブリアンからの手紙』(La mer a l'aube)

2011年・フランス/ドイツ 監督/フォルカー・シュレンドルフ

出演/レオ=ポール・サルマン/ビクトワール・デュボワ/マルク・バルベ/ウルリッヒ・マテス

「実話およびハインリヒ・ベル P=L・バスとE・ユンガーの著述に基づく」。1941年10月19日、ドイツ占領下のフランス、 シャトーブリアン郡のショワゼル収容所。そこにはドイツの占領に反対する行動をとった者や共産主義者など、政治犯とされる人々が多く収容されていた。その中に占領批判のビラを映画館で配って逮捕された、まだ17歳の少年ギィ・モケがいた。

またナチスものだった。今まで観たことのなかったストーリー・シーンにちょっと驚く。哀しい物語だったが、そういう気骨のある民衆の上にフランス式自由が成り立っているのだと感じる。非情なのは、ドイツ軍に命令されてフランス人が同じフランス人を処刑場に送り込むことだった。反政府分子、共産主義やユダヤ人という名を借りての愚挙には開いた口が塞がらない。

ドイツ軍人の中にも理解のある将校もいたのだと言い訳のような描き方がしてあったが、そのことも真実だったのだろうか。終戦後の毀誉褒貶が奇妙なもので、銃殺場送りしたリストを作ったフランス人の若き副知事は、勲章をもらったらしい。げに恐ろしきは人間の善悪。神の下で行う人間の業とはとても思えない。

『イン・セキュリティ 危険な賭け』(Armed Response)

2013年・アメリカ 監督/エバン・ビーマー

出演/イーサン・エンブリー/マイケル・グラディス/クレア・デュバル/ケイリー・エルウィズ

最後まで観たが、コメントすることが見つからない。内容にヒントを得て発想することもない。困った。

こんなこともある。

めげずに観続けよう。

『ロスト・イン・ザ・サン 偽りの絆』(Lost in the Sun)

2016年・アメリカ 監督/トレイ・ネルソン

出演/ジョシュ・デュアメル/ジョシュ・ウィギンズ/リン・コリンズ/エマ・ファーマン

むなしい映画だった。

「トランスフォーマー」シリーズのジョシュ・デュアメルが主演を務め、母を亡くした少年と謎の男の旅の行方を描いたロードムービー。母に先立たれた13歳の少年ルイスは祖父母と暮らすため、バスでニューメキシコ州へ向かうことに。そんな彼の前に見知らぬ男ジョンが現われ、祖父母のもとまで車で送ってくれると申し出る。ルイスは不審に思いながらもジョンの車に乗り込むが、実はジョンは刑務所から出てきたばかりだった。無一文のジョンは道中で強盗を繰り返し、ルイスも犯行に加担してしまう。共演に「ジョン・カーター」のリン・コリンズ、「最高の人生のはじめ方」のエマ・ファーマン。(映画.comより)

こういう映画を観ると、心が暗くなる。

『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』(A Street Cat Named Bob)

2016年・イギリス 監督/ロジャー・スポティスウッド

出演/ルーク・トレッダウェイ/ルタ・ゲドミンタス/ジョアンヌ・フロガット/アンソニー・ヘッド

この映画を観始まる直前に日本映画の『先生と迷い猫』(2015年)を観た。観たと書くには問題がある。10分くらいでやめてしまったからだ。最初から猫がメインで出てくるのは構わないが、一向に話も映像も前に進んで行かない。相変わらずの長回しとだらだら感が苛立ちだけを助長する。

テレビ録画での鑑賞だったので、すぐにその下のタイトルを観始まったわけだが、また猫が題名に付いているイギリス映画だったのだ。実話に基づく物語だった。出だしはそこそこ、途中もそこそこ、最後まで劇的な展開には至らなかったが、ハッピーエンドで気分は悪くない。イギリスにおけるジャンキーと呼ばれる若者の薬物依存症更生プログラムを見た。弱者に対するシステムでは、日本は大後進国だということを痛感する。

持って生まれた人たちは、持たない現実の人間に施しをする。日本ではいまどき絶対見る事の出来ない光景だ。他人のことを気にする日本人が、他人のことを思いやらない風景が目立つ。他人のことを、本当は思いやっているのに、別の他人の目が気になって仕方がないのだ。自分で良いと思ったことは、それこそ他人の目を気にしないで振る舞えばいいものを。

『ハッド』(Hud)

1963年・アメリカ 監督/マーティン・リット

出演/ポール・ニューマン/メルヴィン・ダグラス/パトリシア・ニール

いわゆる西部劇というほど古い時代ではないが、テキサスで牧場を経営する親と子供の確執劇とでも言えるだろうか。日本の映画でもよく観ることが出来た親子の間の物語。日本映画ほど直接的に怒鳴り合うシーンはないが、鬱積した双方の不満がスクリーンから観客を襲う。

ハッドは主人公の名前。彼には兄がいたが酔って運転して事故を起こし、同乗していた兄を殺してしまったと、トラウマを引きずっている。父もそういう風に自分を責めているに違いない、と思い込んでいる不幸が二人の関係。兄の息子は17歳、叔父を格好良いと思いながらも、祖父との関係が気になって仕方がない。

主人公は34歳で独身、夜になると町へ繰り出し、酒と女に入り浸っているのが日常だった。飼い牛に病気が発生、政府の殺戮令が下って、いよいよ二人の関係には決定的な亀裂が入った。日本映画だったら、なんとか仲直りするシーンが見えていたはずだが、このアメリカ映画は一向にそういう感じがしない。父親が死んで、甥も荷物をまとめて去って行くシーンでこの映画は終わる。寂しさ、哀しさしかない映画だった。第36回アカデミー賞でパトリシア・ニールが主演女優賞、メルヴィン・ダグラスが助演男優賞、またジェームズ・ウォン・ハウが撮影賞を受賞している。

『ヴェンジェンス』(Vengeance: A Love Story)

2017年・アメリカ 監督/ジョニー・マーティン

出演/ニコラス・ケイジ/アンナ・ハッチソン/ドン・ジョンソン/タリタ・ベイトマ

ニコラス・ケイジが刑事でありながら法で裁けぬ悪を成敗する処刑人に扮したアクション。湾岸戦争で活躍した元軍人の刑事ジョンは、長年の相棒を亡くして失意の底にいたが、あるパーティで知り合ったシングルマザーの女性ティーナとの交流を通し、次第に活力を取り戻していく。そんなある日、ティーナが町のチンピラたちに暴行される事件が起こり、犯人たちは逮捕されたものの、金に物を言わせて雇った弁護士によって無罪を勝ち取り、釈放されてしまう。この現実に怒りを覚えたジョンは、自らの手で犯人たちに制裁を加えることを決意するが……。(映画.comより)

どこかで観たことあるようなストーリーながら、世直し奉行には尊敬の念が湧くこそすれ、法律を犯してまでやってはいけないよ、などと思うことはない。映画の中でなら誰が真犯人で誰が騙し、誰が騙されているのかがわかるが、現実社会では真実が見え難い。一生冤罪を晴らすことが出来ず、死んでいった人も少なからずいるのだろう。

確たる証拠もないのに、状況証拠の積み重ねで有罪になった人たちもたくさん存在する。あくまでも知らぬ存ぜぬ、で通してしまう国会の様子が世の中に多大なる悪影響を与えていることは疑いの余地がない。そんなことを庶民の一人が危惧したって、世の中には何の影響も及ぼさない。因果応報という神の仕打ちを痛感するのは、何代もあとの人たちかもしれないが、それでもそういうことが間違いなく起こるのだと信じられなければ、生きている気持ちが充足しない。

『ナインイレヴン 運命を分けた日』(9/11)

2017年・アメリカ 監督/マルティン・ギギ

出演/チャーリー・シーン/ウーピー・ゴールドバーグ/ジーナ・ガーション/ルイス・ガスマン

2001年9月11日に米ニューヨークの世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)で起きたアメリカ同時多発テロ事件、たまたまその時間にエレベーターの中にいた5人が主人公。悲惨なこの事件の映像は本物だが、テレビのニュースで見るというちょっと救われる設定だった。横浜の自宅で机の前でパソコンをしていたときに突然飛び込んできた映像を鮮明に覚えている。

ワールドトレードセンター(WTC)へのテロ攻撃による死者は合計で2763人だった。その内訳は、事件当時WTCに居た民間人が2192人、消防士が343人、警察官が71人、ハイジャックされた旅客機の乗員・乗客が147人、ハイジャック犯のテロリストが10人となっていた。WTCのツインタワーで死亡した民間人の90%以上は、ジェット機が直撃した階以上のフロアに居た人々だった。北棟では、直撃を受けた階以上のフロアに1355人が閉じ込められ、煙の吸引・タワーからの落下・最終的なタワーの崩壊などの理由によってその全員が死亡した。北棟の3つの非常階段すべてがアメリカン航空11便の衝突の際に破壊されており、上層階から人々が脱出することは不可能だった。一方で、(北棟において)直撃を受けた階より下のフロアで死亡した民間人は107人とされている。南棟では、ユナイテッド航空175便の衝突の後も非常階段のひとつ(A階段)が崩壊を免れており、このA階段を利用することで18人(直撃を受けたフロアから14人・それ以上の上層階から4人)が直撃を受けた階以上のフロアから脱出した。南棟で死亡した民間人は計630人であり、北棟の半分以下の数字だった。南棟では、北棟へのジェット機突入の直後から多くの人々が自主的に避難を開始していたため、死者の数は大幅に抑えられた。一方で、『USAトゥデイ』は最初のジェット機突入後に南棟に居た全員を避難させることができなかったことを「事件当日における重大な悲劇のひとつ」と評している。

ジェット機の衝突によって北棟・南棟ではエレベーターが停止し、多くの人が閉じ込められた。『USAトゥデイ』の推定では、最小で200人、最大で400人がツインタワーのエレベーターに閉じ込められた状態で死亡したとされる。エレベーターに閉じ込められたものの、そこから自力で脱出した生還者は21人だった。エレベーターにおける死者の多くは、ケーブルの破損によるエレベーターの急落下や、引火したジェット燃料のエレベーターへの侵入によって死亡しており、それらを免れた者もツインタワーの崩壊時に死亡した。(Wikipediaより) これがこの映画の舞台だ。

『グランドフィナーレ』(Youth - La giovinezza)

2015年・イタリア/フランス/イギリス/スイス 監督/パオロ・ソレンティーノ

出演/マイケル・ケイン/ハーヴェイ・カイテル/レイチェル・ワイズ/ポール・ダノ/ジェーン・フォンダ

最後に「フランチェスコ・ロージ監督に捧ぐ」という文言があった。この映画の監督がイタリア人で、同じイタリア人の偉大な監督に対するオマージュだろう。フランチェスコ・ロージ監督は、1962年の『シシリーの黒い霧』で第12回ベルリン国際映画祭銀熊賞 (監督賞)を受賞、翌年1963年の『都会を動かす手』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞、1972年の『黒い砂漠』でカンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞を受賞している。頭10分とお尻10分だけ観た。真ん中100分は寝てしまっていたので、以下はすべてWikipediaから引用する。

楽曲「シンプル・ソング」で名声を得た音楽家のフレドは娘のレナ、親友の映画監督ミックとともにスイスのアルプスで休暇を過ごしていた。ミックは自身が監督する最後の作品となるであろう映画の脚本の執筆に取り組んでいたが、一方のフレドは指揮者として復帰する意欲はなく、英国王子の誕生日に演奏会を開いてほしい、との女王の依頼を拒み続けていた。そしてふたりは、スイスのホテルに滞在するセレブたちをタネに無責任な噂話に興じていた。だが、ミックの息子を夫にもつレナは、父親に主人の裏切りを訴える。軽く慰めの言葉でお茶を濁したフレドは、レナに不倫の真相を暴かれて自らの父親失格ぶりを意識させられた。一方、ミックのもとには最愛の女優、ブレンダが現われる。ミックの才能の枯渇を理由に、ブレンダは次作出演の辞退を宣言し、衝撃に耐えきれないミックは自らの人生に幕を引く。音楽にしか自分の生きる道はないことを思い知らされたフレドは、「シンプル・ソング」の指揮を断ってきた理由を明かして自作演奏に応じる。

本作は批評家から高く評価されている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには25件のレビューがあり、批評家支持率は84%、平均点は10点満点で7.8点となっている。サイト側による批評家の意見の要約は「美しい画面と見事な演技がある。『グランドフィナーレ』は魅力ある名優たちのアンサンブルを見せてくれる。ただし、欠点がないわけではない」となっている[11]。また、Metacriticには9件のレビューがあり、加重平均値は78/100となっている。『バラエティ』のジェイ・ワイスバーグは「ソレンティーノ監督の作品の中で、最も繊細な作品だ。人生の叡智というものは年齢とともに失われたたり、新たに獲得されたりする。また、人生の途中で思い出すこともある。そんな叡智を温かいまなざしで考察している」と述べている。『ハリウッド・リポーター』のトッド・マッカーシーは「『グランドフィナーレ』は快楽の饗宴というべき作品だ。作品全体が映画の与える快感に浸っているようだ」と述べている。批判的な評価を下している批評家もいる。『デイリー・テレグラフ』のロビー・コリンは本作に関して「ゴージャスではあるがある種の不気味さを感じる。中心となっている主題が明瞭ではない」と評している。『ガーディアン』のピーター・ブラッドショーは本作に5つ星評価で3つ星を与え「『グランドフィナーレ』は優雅で能弁ではあるが、どうも気迫に欠ける。失われてしまった時間に対する老人の後悔はマッチョイズム的であり、面白みもなく実りあるものでもない。しかも感傷的になっている」と述べている。

『タイム・トゥ・ラン』(HEIST)

2015年・アメリカ 監督/スコット・マン

出演/ジェフリー・ディーン・モーガン/ロバート・デ・ニーロ/ケイト・ボスワース/デビッド・バウティスタ

テレビ映画のような映像だがロバート・デ・ニーロが出演している。原題「HEIST」は「強盗」という意味らしい。発音をネットで聞いたが、カタカナ文字に出来ない難しさがあった。映画の冒頭に『BUS 657』という原題らしきクレジットが見えたが、あれは何だったのだろう。配給会社が勝手に原題を変えて素知らぬ振りをすることは、よくあること。

強盗をしたがうまく逃げられなかったときどうするのかを、犯人の一人は綿密に計画していた。そこらあたりのストーリー展開は充分に堪能できた。上映時間が短く、さっさと進んで行くのがいい。強盗される側のカジノのボスが容赦なく殺すのに、子供に対する愛情が半端ではない。そういういびつな関係や形がおもしろい結果をもたらす。

イマージェンシー、緊急事態に何が出来るのかが人間の真骨頂。日本での人質事件ではひたすら説得工作が常識だが、全員が銃を持っているアメリカでは「交渉」が一般的だと映画は教えてくれる。押すのか引くのかを一瞬で判断しなければいけない。日本人には到底期待できない。1万人が人質になったとき、日本ならひとりも犠牲者を出さないように「説得」する。アメリカでは1万人のうち10人が死んでもいいから、さっさと犯人を狙撃する。そこまで簡単ではないかもしれないが、それに近いような差がある気がしてならない。

『エクスペンダブル・レディズ』(Mercenaries)

2014年・アメリカ 監督/クリストファー・レイ

出演/クリスタナ・ローケン/ブリジット・ニールセン/ゾーイ・ベル/ヴィヴィカ・A・フォックス

シルヴェスター・スタローン・ジェイソン・ステイサム・アントニオ・バンデラスなどの男版『エクスペンダブルズ3 ワールドミッション』(The Expendables 3)を模倣した完璧な六流映画。オリジナルビデオ映画作品だという。小学校低学年のアクション映画入門用にちょうどいいかもしれない。

アメリカ大統領の娘が新興国の国がらみで誘拐されて、奪回作戦のために刑務所にいる屈強な女4人を集め、恩赦を肴に任務を遂行させるという御伽噺のような屁でもない内容。4人の中で早々に寝返る輩が出てくるお笑いぐさ。そうやって馬鹿にしながら見られるのが六流映画のもっともいいところ。

この4人にはそれぞれ特技が備わっていた。人生でなんでもいいから他人に自慢できる、あるいは他人には絶対負けない特技を持っていれば、鬼に金棒だろう。世界一や日本一でなくたって勿論問題ない。ちょっとした地域で一番も必要ないだろう。とにかく他人には負けないと自分が思っていればそれで十分だ。そうすれば人生は豊かになるのだが、その唯一無二を持っている人間はそうざらにはいない。

『エンド・オブ・トンネル』(Al final del tunel)

2016年・アルゼンチン/スペイン 監督/ロドリゴ・グランデ

出演/レオナルド・スバラーリャ/クララ・ラゴ/パブロ・エチャリ/フェデリコ・ルッピ

事故で妻と娘を亡くし自らも車椅子生活となったホアキンは、自宅に引きこもり孤独な毎日を送っていたが、貯金が底をついたため自宅の2階を貸し出すことに。そして住みはじめたストリッパーのベルタとその娘に亡き妻子の姿を重ね、少しずつ明るさを取り戻していく。そんなある日、自宅の地下室で奇妙な音を聞いたホアキンは、悪党たちが地下にトンネルを掘って銀行に押し入ろうとしていることに気づく。(映画.comより)

かなりユニークなストーリーでおもしろい。人ひとり主人公で暗い映画の出だしではあったが、なかなかどうして観客の期待を裏切る映画のおもしろさを魅せてくれる。アルゼンチン映画が日本で公開されるのは数少ない。この映画は、ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル梅田で開催の「未体験ゾーンの映画たち2017」上映作品だという。ヘラルドが1985年に配給したちょっと変わった作品『蜘蛛女のキス』(Kiss of the Spider Woman)がアルゼンチン映画かと思い出したが、そうではなくブラジル映画だった。大雑把な記憶はいつも健在。

安楽死させようとしていた飼い犬のために作った毒入り菓子が冒頭に出てくる。これをどこで使うのかな~、とずーっと観客の脳裏に埋め込みながら、巧みに映画が進行して行った。アメリカ映画のようにスパッとではなく、日本映画のようにだらだらとでもなく、エンドシーンは絶妙な長さで締めくくられている。監督の力が大きい。

『3月のライオン 後編』

2017年(平成29年)・日本 監督/長野晋也

出演/神木隆之介/有村架純/倉科カナ/染谷将太/清原果耶/佐々木蔵之介/加瀬亮/前田吟/高橋一生/伊藤英明/豊川悦司

前編があまりにもおもしろくなかったのでこの後編を録画するかどうかさえも悩んだ。結局何もなかったように録画予約した自分には、いつもながらの「どうでもいいんだという」一貫性があったようだ。観始まって不思議だったのは、倍速にすることもなく結構おもしろく観たことだった。どういうこと? と、我ながらこの顛末が解せないでいる。

タイトルについて、こんな記載を見つけた。コミックス表紙などには英題「March comes in like a lion」が書かれている。映画『三月のライオン』を羽海野(原作者)は観ていなかったが「おかっぱの女の子が食べかけのアイスをくわえている」映画ポスターと映画タイトルの印象が残っていた。この句はイギリスの天気の諺「3月はライオンのようにやってきて、子羊のように去る(March comes in like a lion and goes out like a lamb)」からであり、羽海野は「物語がつくれそうな言葉」と感じていた。また、監修の先崎(プロ棋士)は、6月に始まる順位戦は昇級、降級を賭けた最終局が3月に行われるため、棋士が3月にライオンとなる旨をコメントしている。

半分くらいは見損なっていた全編だったが、それが役に立ったことは間違いない。全編・後編とも2時間20分を超える長編、後半になってフラッシュバックで振り返る主人公の生い立ちが結構頭に入ってくる。なるほど、そうか、この後編だけで充分だったのかもしれない。または、後編を主軸にして前半のシーンをフラッシュバックしてやれば、もっと面白い一編が出来たのかもしれない。監督の領域を侵せるほど、卓越した才能がある訳ではないのに、何を言う!!

『愛と哀しみのボレロ』(Les Uns et les Autres)

1981年・フランス 監督/クロード・ルルーシュ

出演/ロベール・オッセン/ニコール・ガルシア/ジェラルディン・チャップリン/ジェームズ・カーン

なんといってもジョルジュ・ドンの圧倒的な踊りとフランスの作曲家モーリス・ラヴェル作曲のバレエ曲『ボレロ』(Bolero )が、映像と共にこびりついて頭から離れない。何十年もそのシーンだけを鮮明に覚えている。ヘラルド時代リアルタイムで自社の映画をきちんと観たことを覚えている映画の筆頭に挙げることが出来る。いやぁ~、こういう映画を観ないで死んでしまう人がいたら可哀そうだなぁと思える映画の1本。

1930年代から1980年代にわたり、パリ、ニューヨーク、モスクワ、ベルリンを中心とするフランス、アメリカ、ロシア、ドイツにおいて交錯する、2世代4つの家族の人生が描かれている。親子を一人二役で演じているケースもあり、かなり頭の中は混乱している。第二次世界大戦におけるヨローッパ戦線の国々では多くの悲劇的な人生が。

ジョルジュ・ドンが舞うボレロはこの映画の最大で最後のシーンの見所でだが、最初に観た時は永遠にこの音楽とバレエが終わらないのではなかろうかと思ったほどだった。今回観て、意外と短い時間のシーンだったことにちょっと驚いた。一度観たら誰しも忘れないだろうこのシーンは、映画という世界の価値を間違いなく高めている。

『ペイ・ザ・ゴースト ハロウィンの生贄』(Pay the Ghost)

2015年・アメリカ 監督/ウーリ・エーデル

出演/ニコラス・ケイジ/サラ・ウェイン・キャリーズ/ヴェロニカ・フェレ/ジャック・フルトン

原題の英語をカタカナ邦題にして、さらに~ハロウィンの生贄~なんていうどうしようもないサブタイトルを付けて得意がっている配給会社はどこのどいつだ。いかにも三流映画ですよ、と自ら宣言しているようなこの構図を由としない。ていうか、もう配給会社の良識を疑うしかない。

まさにテレビ番組の予告編的番組の始まりに酷似している。いつ頃からかドラマだけではなくバラエティー番組でさえ、番組始まりにこれから流そうとしている内容の告知時間がある。まさしく予告編を直前に流すようなもの。お陰様で、バラエティ番組だろうとドラマだろうと、もう観た気になってしまうことが常。かえって都合がよいことは確かだが、それにしても酷い番組づくりだと思っている。

出来の悪い題名ほど言い訳が必要になる。大ヒットしてしまえば忘れてしまうけれど、E.T.だって「宇宙圏外生物」というサブタイトルが付いていた。飛ぶ鳥を落としていた当時の配給会社もまさか「E.T.」だけでは心もとなかったのだろう。結果がよければサブタイトルなんか忘れてくれる。そういう歴史が映画タイトルには。

『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(Darkest Hour)

2017年・イギリス 監督/ジョー・ライト

出演/ゲイリー・オールドマン/クリスティン・スコット・トーマス/リリー・ジェームズ/スティーヴン・ディレイン

第二次世界大戦初期の1940年5月10日、ドイツ、イタリアに対し宥和政策をとったネヴィル・チェンバレンはその失策により辞任し、新たに成立した保守党と労働党による挙国一致内閣の首相として就任したのは主戦派のウィンストン・チャーチルであった。しかし、それは有事の際の貧乏くじのような人事で、国王ジョージ6世のチャーチルを迎える立場も冷たいものであった。あくまでもナチス・ドイツらへの徹底した抵抗を訴えるチャーチルだが、チェンバレンとハリファックス子爵を中心とする保守党は、ヨーロッパを侵攻し、拡大するアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツの危機に対して講和の道を探り、チャーチルと対抗する。しかし、事態が進行し、ついにはフランスがナチス・ドイツに敗北する事態になり、ヨーロッパ大陸に展開するイギリス軍も全滅の危機を迎える。更には講和の道を探るか、さもなくば大臣を辞任するというハリファックス子爵とチェンバレンが要求する事態になり、チャーチルは選択を迫られる。(Wikipediaより)

ザ・ブリッツ(The Blitz)ロンドン大空襲は、第二次世界大戦中にドイツがイギリスに対して1940年9月7日から1941年5月10日まで行った大規模な空襲のことで、ブリッツとは、ドイツ語で稲妻を意味するという。日本のように木と紙で作られた家屋は焼夷弾を落とせば戦火は広がるばかりで攻撃側には好都合だったのだろう。ドイツによる空襲は、ロンドンだけではなく、バーミンガム、ブリストル、マンチェスター、ベルファスト、シェフィールド、リヴァプール、ポーツマス、プリマス、サウサンプトン、カーディフ、コヴェントリー、エクセター、スウォンジ、ノッティンガム、ブライトン、イーストボーン、クライド湾岸の都市など、多数の都市が焼き払われたという。

徹底抗戦を訴えながらも戦況不利の中、チャーチルは苦悩しながらも強いイギリス人を演じていた。妻が言う「欠点があるから強くなれる。迷いがあるから賢くなれる」と、かくして彼は言葉を武器に変え戦場に突入したと称された。ヒトラーがもし徹底的にイギリス空襲を継続していたら、歴史は変わったかもしれない。チャーチルの抗戦は終始不安が伴うものであった。議会を説得し、愛国心を煽る演説だけが、彼の武器だったのだ。ノルマンディ作戦の成功後、連合軍はナチスに勝つことになるが、チャーチルも1945年7月の総選挙で敗北し首相を辞任することになった。「成功も失敗も終わりはない。肝心なのは続ける勇気だ。」(ウインストン・チャーチル)。

『ハード・ウェイ』(The Hard Way)

1991年・アメリカ 監督/ジョン・バダム

出演/マイケル・J・フォックス/ジェームズ・ウッズ/スティーブン・ラング/アナベラ・シオラ

マイケル・J・フォックスは、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(Back to the Future・1985年)シリーズの主人公マーティ・マクフライを演じ、同シリーズの大ヒットによりハリウッドスターの仲間入りを果たした。バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3 が公開された1990年直後の公開作品になる。

30歳の時、パーキンソン病を発症。1990年頃から発症の兆候が見られ、病を隠しながらも、自らプロデュースに参加し主演もつとめたテレビドラマシリーズ『スピン・シティ』などに出演を続けるが、1998年に病気を公表。2000年には『スピン・シティ』を降板し俳優活動から退いた。専門医の中には早くからマイケルの音声や動作に示される特徴からその兆候を認識していたものもいたという。

身長が163㎝とアメリカ人の俳優の中でも際立って低いのが特徴でおもしろい。日本のテレビ・タレントやアイドルなどは身長が高いことが最優先されているのと比べても、アメリカン・ドリームとはそんな差別の中から生まれてくるものではないということが分かるような気がする。イケメンだ高身長だというアイドルとブサイクで醜いお笑い芸人との両極端が最近の日本のトレンドに見える。偏見かなぁ。

『マッキントッシュの男』(The Mackintosh Man)

1973年・イギリス/アメリカ 監督/ジョン・ヒューストン

出演/ポール・ニューマン/ドミニク・サンダ/イアン・バネン/ジェームズ・メイソン

今日は、2019年(平成31年)2月9日(土曜日)、誕生日も過ぎてよもやの71歳となってしまった。マッキントッシュといえば、アップル社が開発してきたパーソナルコンピューター(パソコン)のマックや iPod、iPhone、iPad などのことを想像してしまう。マッキントッシュ (Macintosh, McIntosh, Mackintosh) とは、元々はスコットランドの姓であり、いろいろな製品、人物が知られているということらしい。

今回の映画のマッキントッシュは人物の名前であり主人公に指令をする謎の人物のことだった。一番比較しやすいアクション映画、当時のスピード、テクニックが人間らしくて微笑ましかった。こんな風にすればもっと激しく納得のいくアクションシーンになるだろうということを、我慢して映画製作をしていたこの時代以前の映画と今の映画の映像はあまりにも違い過ぎる。

出来ないことを出来るように努力することより、好きなことをもっと好きになるようにした方がいい、と言われた記憶は中学生の時。そんなもんかなぁと思いながらも、何故か忘れることのなかった言葉。日頃そんなことすら思い出すこともなく生きてきたけれど、なるほどせめて好きなひとつのことくらい他人に優ることを身につけておけば、さらに自信に満ちた人生を送れたのかもしれないなぁ。

『3月のライオン 前編』

2017年(平成29年)・日本 監督/長野晋也

出演/神木隆之介/有村架純/倉科カナ/染谷将太/清原果耶/佐々木蔵之介/加瀬亮/前田吟/高橋一生/伊藤英明/豊川悦司

前編は 2017年3月18日、後編は 2017年4月22日に公開されたという。久しぶりの日本映画だったが、あまりにものらりくらりの展開に録画を倍速にして観た。原作は漫画でテレビ・アニメ化もされていたようだ。ちょうど藤井聡太の現在の活躍を彷彿とさせているような天才棋士が主人公。彼が登場する前にこの原作は世に出ていると思うが、別に先を見越したわけでもない。棋界には天才と称された棋士が既に何人か神から遣わされている。

それにしても酷い。全体のストーリーを忘れてしまうほどのストーリー展開には呆れるばかりだ。しっかりと睡眠時間になってしまった後半だったが、もう一回観直そうという気にはなれていない。しかもまだ後編があるので、録画さえも躊躇したくなるかもしれない。2時間20分も何をもたもたやっているんだ! さっさとせい! と突っ込みを入れるのは当然だろう。

天才と言われる人たちの存在は確かだが、そこまでの天才には会ったことがない。まぁ、自分以外の人たちは、少なくとも自分より才能がある人ばかりに見えるので、天才に囲まれて生活している凡人だと思えばいいのかもしれない。

『グリフィン家のウエディングノート』(The Big Wedding)

2013年・アメリカ 監督/ジャスティン・ザッカム

出演/ロバート・デ・ニーロ/キャサリン・ハイグル/ダイアン・キートン/アマンダ・セイフライド

観終わって記録に残したばかりの『クーパー家の晩餐会』(Love the Coopers)の続きの映画かと勘違いしそうな映画だ。同じような家族もので、しかもダイアン・キートンとアマンダ・セイフライドが同じように顔を出している。クーパー家の方が新しく2015年作品で、この映画は2年早く2013年の製作だという。製作者も、観客が立て続けにこの2作品を観ようとは、想定外だったろう。

また『「グリフィン家のウエディングノート」のネタバレあらすじと結末』というページのお世話になった。今回はさほど混乱し過ぎるほどの人間関係ではなかったが、それでも映画を観終わてから頭の中を整理するためには、こういうネタ晴らし解説を読むことが適当だと感じている。

セリフが厳しくて結構おもしろい。アメリカ映画にしてはわざとらしい言い回しも多く見られ、必死になって映画をおもしろくしようとしている態度が見られる。相変わらず簡単に寝てしまう男と女ばかりのアメリカ人だが、この家族の長男は29歳の産科医なのにまだ童貞という妙な役回りになっている。ロビン・ウィリアムズはこの映画の公開1年後2014年8月亡くなっている。いい役者だったなぁ。

『クーパー家の晩餐会』(Love the Coopers)

2015年・アメリカ 監督/ジェシー・ネルソン

出演/アラン・アーキン/ジョン・グッドマン/エド・ヘルムズ/ダイアン・キートン

『ネタバレ「クーパー家の晩餐会」あらすじ・結末』というページを見て、ようやく人間関係が分かってほっとした。観ている間は心が不安定で困ってしまった。映画製作が外国の場合はよくある話、さすがに日本映画なら誰と誰がどういう関係なのかは、まさか終わりになるまで続くことはない。最近の芸能界の俳優たちは、ごっつうお金をかけて容姿を若返らせようとしているので、こんなことになり易いのではなかろうか。歳をとったらとったなりの顔かたちで出てきてもらわねば、映画そのものが成り立たない。昔たくさん居た腰の曲がったおばあちゃんやおじいちゃんは、どこへ行ってしまったのだろうか。

4世代11人の登場人物が様々な人間模様を見せてくれる。前半の快調なセリフのやり取りが、後半ちょっと息切れしてしまったのが惜しい。この手の映画ではなんといっても『ラブ・アクチュアリー』(Love Actually・2003年)が出色で、事あるごとに他人に喧伝している。どうしてもそれと比較してしまうのがちょっと。

結局人間なんてみんな欠点ばかりで、そこが人間らしくて、というようなことを最後に言っていたような気がする。観たばかりだろうと、突っ込みを入れないで欲しい。観てしまうと、それはもう過去、その時間から次へと繋がる時間だけが現実なのだと、いつもそんな気持ちが強過ぎて、言い訳ばかりしている。まぁ、満足のいく映画であったことは確かだ。

『英雄の条件』(Rules of Engagement)

2000年・アメリカ 監督/ウィリアム・フリードキン

出演/トミー・リー・ジョーンズ/サミュエル・L・ジャクソン/ガイ・ピアース/ベン・キングズレー

極限状態で発砲を命令した軍人と、彼の正義を信じる戦友の苦悩を描く法廷サスペンス映画。原題の「Rules of Engagement」は交戦規定の意。物語の鍵は、在イエメン米国大使館への群集によるデモのシーンでの群集は武装していたか、否か。先に発砲したのは群集か、チルダーズの部隊か。

本作品のアラブ人の特徴の描写は人種差別であると広範囲に及ぶ批判を招いた。アメリカ・アラブ反差別委員会は、「おそらく、これまでのハリウッドの作品で最もアラブ人に対して差別的な作品」と評した。ボストングローブ紙のポール・クリントンは、「悪く言えば、露骨に人種差別的で、風刺漫画の悪役のようにアラブ人を利用している」と評した。映画評論家マーク・フリーマンは、「(本作品において)イエメン人は、考えられるうちの最も人種差別的な描かれ方をした。フリードキン監督は、イエメン人のこわばった表情を誇張し、また、彼らの奇怪な容姿や様式、辛辣な言語、暴力への強い欲求を誇張した。(本作品の鍵となる)"真実"が終盤で開明されるとき、本作品の人種差別的意図はより強調される。本作品のメッセージとは、アメリカに批判的な勢力や女子供を殺すことを活発に許容する必要性のことだ」と評した。

軍法会議も評決で行われる。評決するのも軍人なのが一般裁判と違うところか。関係者は自分の立場に拘泥し、嘘をついてまでも自分の立場を守ろうとする。そのあたりは一般人よりも軍隊の方が顕著に現れている。映画の最後に、嘘をついて映画の中ではそのまま通してきた何人かが、きちんと罰せられたとクレジットがあった。良かった。映画とはいえ正義が負けてしまうのは不愉快でしかない。まだまだ子供心の抜けない自分があるようだ。

『ある天文学者の恋文』(La corrispondenza)

2016年・イタリア 監督/ジュゼッペ・トルナトーレ

出演/ジェレミー・アイアンズ/オルガ・キュリレンコ/シャウナ・マクドナルド/パオロ・カラブレージ

原題のイタリア語は英語ではコレスポンデンス(correspondence)のこと。貿易関連の業務上の連絡で、相手方と英語などの外国語でやり取りすることで、略して「コレポン」と呼ばれていることで有名。この監督は、『ニュー・シネマ・パラダイス』(Nuovo cinema paradiso・1989年)や『海の上のピアニスト』(La leggenda del pianista sull'oceano・1999年)を監督している。

素敵な映画だった。愛にはいろいろな形があるらしいことはうすうす知っているが、不倫と呼ばれる愛には未来がないように思っていた。「ある天文学者」は余計な言い回しで、『恋文』だけで充分なお話だった。まだ生きているときから何かを予測したように愛の便りをプレゼントしていた男だが、死を予感した時から自分の死後も便りやプレゼントが届くように仕掛けていたとは。

愛される女にとっては充分過ぎる環境ながら、家庭を持っていた男の周りの人にはどうだったのだろうか。というあたりは少しだけ触れられるがあまり語られていない。少なくとも、家族ではない友人や知人には絶大な信頼があったらしい主人公の男、死んでからも本人の意図を汲んで動いてくれるなんて。いつまでも忘れないで欲しいと願う心があったとしても、それは無意味に近いだろう。現実に生きている人間は生身、そんな予感を感じさせながら終わりを迎えたこの映画は、なかなかどうして素敵な映画だった。

『シャドウハンター』(The Mortal Instruments: City of Bones)

2013年・アメリカ/カナダ/ドイツ 監督/ハラルド・ズワルト

出演/リリー・コリンズ/ジェイミー・キャンベル・バウアー/ロバート・シーハン/ケヴィン・ゼガーズ

カサンドラ・クレアのベストセラー小説『シャドウハンターシリーズ』の第一作目である『シャドウハンター 骨の街』を原作にしている。ごく普通の高校生であるクラリーは、母親ジョスリンと幸せに暮らしていた。そんなある日、ジョスリンが何者かにさらわれ、クラリーも謎の化け物に襲われてしまう。そこに突然、武器を持った青年ジェイスが現れ、化け物を倒してクラリーの命を救うのだった。ジェイスが言うには、自分は妖魔と戦うために選ばれた戦士「シャドウハンター」であり、実はジョスリンも優秀なシャドウハンターの一人だというのだ。しかも、その血を受け継いでいるクラリーもまた、選ばれしシャドウハンターの一人だと告げる。にわかに信じられないクラリーだったが、ジェイスと共にジョスリンを探す旅に出発する。ジョスリンをさらった敵の目的は、大きな力が秘められた「伝説の聖杯」であり、その行方はジョスリンによって封印されたクラリーの記憶に記されていることがわかる。こうして平凡だった少女は、世界の命運を握る戦いに挑むことになる。(Wikipediaより)

アマゾンプライムの映画紹介欄には「全世界2000万部を売り上げたベストセラー小説を完全映画化!」と謳ってあった。ハリーポッターと同じような匂いがして、一度目は完全に寝落ちした。どこまで観たのかの記憶は薄く、再生再開に苦労した。うっすらと観ながら寝てしまうんだなぁ、と自分の寝落ち姿を想像している。

子供騙しのストーリー展開には辟易している。どうにも我慢がならないことが多い。何故スーパーマンは子供騙しに映らないのだろうか。それは自分だけに特有のことなのだろうか。この手の物語に対する対応が自分でも分析出来ない。初めて観る映画が始まらなければ分からない。事前に活字で知っていたら、たぶんどの映画も観ることはないだろう、とそれだけは言える。

『EMMA エマ 人工警察官』(Emma)

2016年・フランス 監督/アルフレッド・ロット

出演/パトリック・リドレモン/ソレーヌ・エベール/スリマン・イェフサー/サブリナ・セブク

邦題のサブタイトルがネタ晴らしになっていて興ざめする。どこのどいつがこんな題名を許しているのだろうか。映画配給会社の使命は、単に映画を買い付けて劇場に流せばいいというものではない。題名を見ただけで、映画の楽しみの一部を奪ってしまうなんて、相当ひどい配給会社だ。せめて『EMMA/新米警察官』くらいにとどめて欲しかった。

なんといっても、研修生として配属された美女は人工知能を搭載したアンドロイドだったのだ。映画を観始まって彼女がアンドロイドだと、すぐに分からないからこその違和感のおもしろさが全く消えてしまう。わりあい早くにネタ晴らしはされるが、それがストーリーの途中だから許される事。最初から分かっていては、ホントに罪作りな題名だと何度もため息が出てきた。

この映画の中で事件を2つ解決するが、ロボットの解析力は凄い。見た目には人間なのに、いきなり殺された女の遺体を見て「妊娠している」とか言ってしまう。シリーズ化されそうな雰囲気がある。そのせいなのか、あまりスーパーマン的な挙動をしていない。2作目、3作目になったら、もっと漫画チックに彼女が活躍しそうだ。いっそのこと、アメリカでの映画化の方が良さげな。

『ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出』(A Royal Night Out)

2015年・イギリス 監督/ジュリアン・ジャロルド

出演/サラ・ガドン/ベル・パウリー/ジャック・レイナー/ルパート・エヴェレット

第二次世界大戦のヨーロッパ戦線の連合国勝利を記念する日「VEデー(英: Victory in Europe Day, V-E Day or VE Day)」は、1945年5月8日に当たる。日本が降伏する3か月前に実質的に第二次世界大戦は終わっていた。ヨーロッパ戦勝記念日の夜、後の英国女王エリザベス2世が、妹マーガレット王女と共に外出を許され、臣民と共に戦勝を祝ったという史実に着想を得て、一夜の経験を通じて王女の成長を描いたフィクションドラマである。現エリザベス女王は、映画『英国王のスピーチ』(The King's Speech・2010年)で描かれたどもりに悩まされたイギリス王ジョージ6世の第一子長女だ。セリフの中に「うちもドイツ系よ」という言葉があったので調べてみた。

ウィンザー朝は、1917年に始まる現在のイギリスの王朝。ウィンザー家(House of Windsor)の元の家名(王朝名)はサクス=コバーグ=ゴータ家(House of Saxe-Coburg-Gotha)といった。これはヴィクトリア女王の夫(王配)アルバートの家名(その英語形)であった。アルバートはドイツのザクセン=コーブルク=ゴータ公エルンスト1世の息子であったが、この家系からはベルギー、ブルガリア、ポルトガルの王家も出ている。第一次世界大戦中の1917年、ジョージ5世は敵国ドイツの領邦であるザクセン=コーブルク=ゴータ公国の名が冠された家名を避け、王宮のあるウィンザー城にちなんでウィンザー家と改称し、かつ、王家は姓を用いないとの先例を覆してウィンザーを同家の姓としても定めた。そのため、1917年以降は現在の女王エリザベス2世にいたるまでをウィンザー朝と称し、かつ、その構成員は(必要がある場合には)ウィンザーの姓を用いる。(Wikipediaより)

イギリスの王室に関する映画は数多い。かなり興味を持って観ているが、歴史という縦の線とそこに登場する国王や王女の名前の横線が記憶にとどまることはない。『ブーリン家の姉妹』(The Other Boleyn Girl・2008年)では、自分が離婚をしたいがためにローマ法王下のカトリック教会から離脱して、イギリス国教会を創ってしまったヘンリー8世の話がもの凄くおもしろかったと。

『リベンジ・リスト』(I Am Wrath)

2016年・アメリカ 監督/チャック・ラッセル

出演/ジョン・トラボルタ/クリストファー・メローニ/アマンダ・シュル/サム・トラメル

「I Am Wrath」=「私は怒りです」。いつも Google 翻訳のお世話になっている。「Wrath」=「extreme anger (chiefly used for humorous or rhetorical effect」。「rhetorical effect」=「修辞的効果」。妻を目の前で殺されてしまった夫の気持ちを表している。

主人公は特殊部隊の元工作員であり、戦闘のプロだったので、昔取った杵柄で自分で犯人を探し出して復讐をしようと思い立った。復讐の相手は意外な方向に行った。そこが映画のおもしろいところ。その辺にいるチンピラから始まって、クスリの密売人の胴元、さらには警察内部、そして州知事へと。妻の職業が政府から委託された環境分析官だったことが、話を大きくしていた。

ジョン・トラボルタは1954年2月生まれで6歳下だった。1977年『サタデー・ナイト・フィーバー』(Saturday Night Fever)の大ヒットから数多くの映画に出演している。彼の活躍と自分の人生は同時進行している気がする。この映画ではちょっと違和感のある髪の毛の生え際が気になったが、アクションシーンをうまくこなしてまだまだ若い。羨ましい。

『フィラデルフィア』(Philadelphia)

1993年・アメリカ 監督/ジョナサン・デミ

出演/トム・ハンクス/デンゼル・ワシントン/ジェイソン・ロバーズ/メアリー・スティーンバーゲン

第66回アカデミー賞では主演男優賞をトム・ハンクスが、ブルース・スプリングスティーンが歌曲賞を受賞した。第44回ベルリン国際映画祭銀熊賞(男優賞)受賞。第51回ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門)および歌曲賞受賞。エイズとゲイにまつわる偏見を法廷で覆してゆく物語である。(Wikipediaより)

まだ20年も経っていないことに驚かされる。エイズもHIVも当たり前のように認識されてはいるが、もう過去の病気のように日本社会の中での存在感は皆無に等しいようにみえる。おそらく深く静かに潜航している日本におけるエイズ問題。常時既読スルーのような扱い方で重要事項を先送りしている日本という国、どこかで大きな爆発が起こるに違いない。

同性愛者でエイズにかかってしまったら、会社をクビにされてしまった、と訴えた弁護士事務所の若手弁護士が主人公。この時代にはとうに市民権を得ていてたと思った同性愛が嫌われていた。ただ同性愛者の数は結構多そうな雰囲気を映画は描いている。モラル的というかキリスト教的に許されないと、参考人尋問で答える上司の言葉が一般的だったのだろう。

『オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分』(Locke)

2014年・イギリス/アメリカ 監督/スティーヴン・ナイト

出演/トム・ハーディ/オリヴィア・コールマン(声)/ルース・ウィルソン(声)/アンドリュー・スコット(声)

バーミンガムで建設工事の現場監督を務めるアイヴァン・ロックは、7か月前に一夜限りの関係を持った同僚のベッサンが早期分娩の危機にあることを知る。翌日にはコンクリートの大量搬入が予定され、自宅では妻と息子たちがサッカー観戦のために彼の帰宅を待ちわびているが、ベッサンの出産に立ち会うため、ロックはロンドンへ向かう。子供の頃に父に見捨てられ、いまだに父を許していないロックは、自分は父と同じ過ちを犯すまい、と心に決めている。(Wikipediaより)

スティーヴン・スピルバーグの出世作と言われる『激突!』(Duel・1971年)は、1973年に第1回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭グランプリを受賞しているが、運転中に追い抜いたトレーラーから執拗に追跡されるセールスマンの恐怖が描かれている。それを思い出した。ひたすら、トラックに追っかけられるシーンだけで映画を完成させている。

主人公が{BMW}に乗り込むところだけが映っていて、その後映画全編は車の中で主人公があっちこっちと電話で喋っているシーンだけ。もしかするとそうなのかなぁ、と思っていたがその通りだった。喋っている内容がおもしろいので、飽きることはなかった。それにしても立派な主人公だった。15年間でたった1度の間違いの責任を全うしようとしている。「愛」も感情もない相手なのに。愛しているのは妻だけだと直接言っても、女は1度の過ちを決して許さないという。他にも同じようなことをしていたに違いない、と罵ることもする。信じるとは、疑わないことだということが分かっていない。こんな誠実な男なら、間違いなく明るい未来が待っているだろう。

『プリデスティネーション』(Predestination)

2014年・オーストラリア 監督/マイケル・スピエリッグ

出演/イーサン・ホーク/サラ・スヌーク/ノア・テイラー/クリストファー・カービイ

1970年3月、1970年11月、1963年4月、1970年3月、1964年3月、1945年9月、1963年6月、1975年1月、1975年3月、目まぐるしくタイムスリップする時空警察官が主人公。原作が短編小説『輪廻の蛇』というタイトルだと知って納得しなければならない。あまりにも高等な発想が映像化されていて、観客は戸惑うしかない。

過去からタイムスリップして未来の自分に会うなんていうことがあったら、楽しいだろうな。勿論、未来から過去に舞い戻って会ったっていい。そんなことは夢物語でしかないことは誰でも分かっている。でも活字や映画でなら大いに許される事。過去や未来の自分に会ったら、自分は何かを言いたいことがあるだろうか。

人生は一度きり、何をやってもやらなくても全ては自分の為せる技。何が起こっても起こらなくても自分のせい。地球が丸いのも私のせいなどと言っていた昔だが、気持ちは今でも同じようなもの。かといってすべてを自分の中に押し込めてしまうほど自我は強くない。程よいいい加減さが自分の一番いいところだと思っている。基本は真面目ながら、ほどほどの不真面目さを同居させることが理想的だと。

『ラスト・ダイヤモンド 華麗なる罠』(LE DERNIER DIAMANT)

2014年・フランス 監督/エリック・バルビエ

出演/イヴァン・アタル/ベレニス・ベジョ/ジャン=フランソワ・ステヴナン/アントワーヌ・バズラー

Google 翻訳に原題を入力したら「最後のダイヤモンド」と出てきた。陳腐な邦題だと思ったが、原題がこれでは仕方ないか。この題名の如く内容はいつも通りの窃盗のお話。昔、テレビ・シリーズで「泥棒貴族」を楽しんで観ていたことを想い出す。この手の映画でのアメリカ、フランスの違いはほんの少し。手口は同じだが副産物の扱い方に・・・。

1回のどんでん返しではおもしろくないのだろう。2回、3回とどんでん返してようやくおもしろい映画になったようだ。窃盗団と言える大人数で一つのダイヤモンドを奪うには、あっちこっちに内通者と言われる内部潜入者の存在が必要のようだ。欧米では顔や身体つきで違和感を見つけるのは大変なことだろう。日本人の集団では、まだまだ外国人は目立ってしまうから、違和感のある人間が片棒を担ぐのは困難かもしれない。

ダイヤモンドがなぜ価値があるのだろうか。どうして高価なのだろうか、そういう基本的なところが理解できていない。何故昔から「金(きん)」が価値があるのだろうか。人間が作った価値のシステムが受け継がれているのも不思議でならない。ビット・コインなどという訳の分からない新しい価値を生み出すのも、人間の業欲がそうさせているに違いない。そんな人間技にはとてもじゃないけど追いつくことが出来ない凡人で良かった、かもしれない。

『かぞくはじめました』(Life as We Know It)

2010年・アメリカ 監督/グレッグ・バーランティ

出演/キャサリン・ハイグル/ジョシュ・デュアメル/ジョシュ・ルーカス/ヘイズ・マッカーサー

日本公開に関してこんな話があった。ワーナー エンターテイメント ジャパンは2011年3月22日、3月11日に発生した東日本大震災の影響により関東地方を中心に劇場の営業が困難であることなどを理由として3月26日に予定されていた劇場公開の中止を発表した。その後、2011年7月20日にBlu-ray Disc/DVDが発売されることが発表された。

軽い映画もいいなぁ、と思いながら観始まった。気楽に観られる映画もたまにはいい。ナチだホローコーストだというテーマは嫌いではないが、続けて観るもんじゃない。観ていくうちにだんだん良くなっていく映画は希だった。視点が違う恋愛ものは嬉しい。もうほとんど見たことのないパターンなんてないだろうと思っていたが、よくぞこういうテーマを考えついたものだ。

それにしてもアメリカというのは、見事なほどにケース・ワーカーが発達している。夫婦が急死した時に残された子供をすぐに一時預かる社会なんて、日本じゃ考えられない。遺言によりもしそういう場合が発生した場合は、友人の二人に養育を頼むなんてことも書いてあった。その二人はそれぞれ独身で、付き合っている訳でもないのに。そんなドタバタ喜劇が明るさを失わずに、最後まで突っ走るなんて考えもしないことが起こった映画だった。

『ザ・ワーズ 盗まれた人生』(The Words)

2012年・アメリカ 監督/ブライアン・クラグマン

出演/ブラッドレイ・クーパー/ゾーイ・サルダナ/オリヴィア・ワイルド/ジェレミー・アイアンズ

おもしろいんだけどねぇ、また寝てしまった。作家志望ながらまったく売れそうもない生活が続いていた主人公が、たまたまパリの骨董屋で見つけたカバンの中に、誰が書いたのかも分からない原稿に出会ってしまった。そこからは想像通りの物語が始まった。

どう結末に続くのかに興味はあったが、そこそこの展開がそこそこで留まってしまった。だから寝たのだろう。一つの大きな嘘を引きずった人生なんて惨めでしかない。主人公もそこに悩むことになる。実際その原稿を書いた老人が出現して話はおもしろくなるはずだった。

大きな嘘ばかりではない、小さな嘘だって、そんな必要が何処にあるのだろうか。容姿だって頭の中だって、世の中に自慢できるほどのない人間が、どうして虚勢を張らなければならないのだろう。人間が人間たる不思議さの原点のようなものかもしれない。かもしれないけれど、何をどう思われたって人間の中身が変わるはずもなかろうに。

『オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主』(Odd Thomas)

2013年・アメリカ 監督/スティーヴン・ソマーズ

出演/アントン・イェルチン/アディソン・ティムリン/ウィレム・デフォー/ググ・バサ=ロー

原作は、ディーン・クーンツのオッド・トーマス第一作である『オッド・トーマスの霊感』と聞けば霊的ななにかを題材にした物語だと理解できる。が、その霊的ななにかがよく分からない。副題にあるように死神が見える、ということらしいが、その死神が酷い。エイリアンの焼き直しのような黒いビニールで作られた死神が風のように現れて消える。

子供騙しというよりは、作りが甘い感じがする。二流映画から四流映画に陥落してしまう原因はそのあたりだろう。霊感と言えばちょっとSFに通じるところがあるので、私の好きなジャンルのはずだが・・・。アメリカ映画らしく恋人との話が必ず現れるのは御愛嬌。哀しい結末を用意して泣かせようとでも思っているのだろうか。

霊感や予感が現実になることは恐ろしい。もしそんな力があったとしても自慢する力ではないだろう。毎日テレビやラジオや新聞でさえも、ましてや雑誌くんだりでは生れ月による「運勢」なるものを発表している。遊びの一環として凡人は受けているのは確かだが、遊びなら運が悪いことをことさら言うこともないだろう。面白おかしく時の運を語るなら、もっと訳の分からない表現で遊ばなければ、身近な不運が現実になったら不愉快極まりない運勢伝言ゲームになってしまう。

『ナチスの犬』(Suskind)

2012年・オランダ 監督/ルドルフ・バン・デン・ベルグ

出演/ユルン・スピッツエンベル/ハー/カール・マルコビクス

今日は、2019年1月19日(土)。何度も繰り返し製作されるナチスのユダヤ人狩り、ホロコーストの話は、どの映画を観ても目を覆いたくなるような内容だ。こんなことが赦されるのだろうかと誰しもが思うことを、平気でやってきたヒットラー軍団はまさしく歴史に汚点を黒々と遺した。

オランダにも魔の手は伸びて、着々とドイツに送り込むナチスの所業。自分と家族の身を護るためにナチスの片棒を担ぐ人種が現れたって仕方がない。何故、ナチスの猫ではなく、ナチスの犬なのだろうか。犬というのはもよもと頭の良い動物だとされているからなのだろう。人に懐かず家に懐く猫では、その意味合いも明確ではないのだろう。

アメリカ映画のような明快さがない。只管に同じような毎日を描写して行くこの映画は飽きる。こんな深刻な映画で飽きるはないだろうと思えるが、眠ってしまったところをみるとやはりおもしろさがイマイチ。悲惨な映画でもおもしろい映画はたくさんある。おもしろいというのは笑うということではない。興味が尽きず、どこまでも追いかけていく気持ちが湧き上がるかどうかの問題なのだが、それを映画のおもしろさと私は表現している。

『聖なる復讐者たち』(The Reckoning)

2014年・オーストラリア 監督/ジョン・V・ソト

出演/ジョナサン・ラパリア/ルーク・ヘムズワース/ハンナ・マンガン・ローレンス/ビバ・ビアンカ

「この作品はまじ酷かった。サスペンスとしての展開も動機も陳腐。wowowの未公開作品は外れが多い。もっと選別してほしい。」こんな書き込みが「映画.com」にあった。おもしろくなかったとだけ冒頭に書こうとは思っていたが、映画詳細を調べたサイトでこんな書き込みに出会うとは。

警察ものでおもしろくないものは少ない。そういえば、「NYPD」とか「LAPD」と横書きされたパトカーが出てこなかった。アメリカ映画ではなくオーストラリア警察ものだった。腐敗の仕方や裏切りなど、警察ものはアメリカに限る。それを真似して作ったって、所詮は真似事のストーリーでしかない。畳みかけるような展開を期待したが、終始暗く凄惨な物語だった。

今回のテーマは「復讐」。一人の姉が殺されて、「ヤク」を密売していた連中をことごとく殺していく素人衆が怖い。組織から見ればこんな素人衆なんて屁でもないのだろうが、視点を変えて描けばこんな結末も用意できるのだろう。そんなところがおもしろくない所以かもしれない。プロの暴力団に太刀打ちできる恋人二人なんてあり得ない。無理なストーリーは映画を五流如何に貶める。

『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』(Der Staat gegen Fritz Bauer)

2015年・ドイツ 監督/ラース・クラウメ

出演/ブルクハルト・クラウスナー/ロナルト・ツェアフェルト/ゼバスティアン・ブロンベルク

 アドルフ・オットー・アイヒマン:ナチス政権下のドイツの親衛隊将校。ゲシュタポのユダヤ人移送局長官で、アウシュヴィッツ強制収容所(収容所所長はルドルフ・フェルディナント・ヘス(=ルドルフ・へース))へのユダヤ人大量移送にかかわる。最終階級は親衛隊中佐。「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)に関与し、数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担った。第2次世界大戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送ったが、1960年にイスラエル諜報特務庁(モサド)によってイスラエルに連行された。1961年4月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられ、同年12月に有罪・死刑判決が下された結果、翌年5月に絞首刑に処された。

 アイヒマン逮捕の影の功労者であるユダヤ人のドイツ検事長フリッツ・バウアーの執念と苦悩を描いた作品。西ドイツでは当初は占領軍の手でナチスの追及が行われたが、占領期の後期にドイツ人の手にゆだねられた結果「非ナチ化はいまや、関係した多くの者をできるだけ早く名誉回復させ、復職させるためだけのものとなった」と評価される事態となった。そしてドイツ連邦政府発足後、わずか1年あまりの1950年にはアデナウアー政権の元で「非ナチ化終了宣言」が行われた。その結果、占領軍の手で公職追放されていた元ナチ関係者15万人のうち99%以上が復帰している。1951年に発足した西ドイツ外務省では公務員の3分の2が元ナチス党員で占められていた。

 検事長である主人公だが、ユダヤ人は彼一人、周りは元ナチ親衛隊出身者ばかりで、彼の執念も空回りするばかりだった。一方では戦犯としてのナチス残党があり、一方では堂々と政府の要職に付いているナチス残党がいたらしい。スパッと戦後体制が純潔で進められるほど社会構造は簡単ではない。明治だって、10年も過ぎなければ明治と言えない時代だったことを考えれば、ドイツだって同じようなものだったのだろう。

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(The Post)

2017年・アメリカ 監督/スティーヴン・スピルバーグ

出演/メリル・ストリープ/トム・ハンクス/サラ・ポールソン/ボブ・オデンカーク

ジョン・F・ケネディとリンドン・B・ジョンソンの両大統領によってベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国民の間に戦争に対する疑問や反戦の気運が高まっていたリチャード・ニクソン大統領政権下の1971年、以前に戦況調査で戦場へ赴いたことがある軍事アナリスト ダニエル・エルズバーグは、ロバート・マクナマラ国防長官の指示の元で自らも作成に関わった、ベトナム戦争を分析及び報告した国防総省の最高機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を勤務先のシンクタンク、ランド研究所から持ち出しコピー機で複写、それをニューヨーク・タイムズ紙の記者 ニール・シーハンに渡し、ニューヨーク・タイムズがペンタゴン・ペーパーズの存在をスクープする。(Wikipediaより)

主人公は競合紙ワシントンポストの社主、父親が作った新聞社を夫が継承したが、その夫が自殺してからポスト社の経営を引き継いだ。1877年創刊のアメリカ合衆国ワシントンD.C.の日刊紙である。米国内での発行部数は66万部で、USAトゥデイ(211万部 本紙のみ全国紙)、ウォール・ストリート・ジャーナル(208万部)、ニューヨーク・タイムズ(103万部)、ロサンゼルス・タイムズ(72万部)に次いで第5位。首都ワシントン最大の新聞であり特に国家政治に重点を置いている。2013年にAmazon.comの創業者ジェフ・ベゾスに買収された。事実と映画が入り混じる情報。

ベトナム戦争に対する情報は多岐にわたる。このペンタゴン・ペーパーズの趣旨は、「負けると知りながらなぜ続けたのか」「10%南ベトナム支援、20%共産主義の抑止、70%アメリカ敗北という不名誉を避けるため」と暴露される。アメリカの良心が映画の随所に表現されている。「報道の自由を守るのは、報道しかない」。ニクソン大統領は新聞掲載を差し止めるが、「建国の父たちは、報道の自由に保護を与えた。民主主義における基本的役割を果たすためだ。報道が仕えるべきは国民だ、統治者ではない。」1971年7月1日木曜、6対3で新聞勝利、最高裁、とワシントンポスト紙の一面に見出しが躍る。この後、ニクソンはウォーターゲート事件でアメリカ大統領唯一の辞任者という不名誉な記録を作ることになる。政治の闇は深い。日本なんて子供みたいなものだろう。ペンタゴンの機密文書がなぜペリカン文書と言われるようになったのかを知ると、またおもしろい。

『LION/ライオン ~25年目のただいま~』(Lion)

2016年・オーストラリア/アメリカ/イギリス 監督/ガース・デイヴィス

出演/デーヴ・パテール/ルーニー・マーラ/デビッド・ウェナム/ニコール・キッドマン

ノンフィクション本『25年目の「ただいま」 5歳で迷子になった僕と家族の物語』を原作としているという。インドが舞台でインド人らしき人が登場したので、インド映画のおもしろさを信頼している自分にとっては、かなりおもしろくなるだろうという予感があった。でも、インド映画ではなかった。

自分の名前も正確に覚えていなかった、実際の名前の意味が「ライオン」ということでこの原題が付いたようだ。というのが最後のオチだが、その程度のことではオチにならないだろうが。事実に基づいたストーリーという映画は、残念ながら期待ほどのおもしろさでないことも多い。この映画もその部類に入る。

1600キロメートルも離れたところに回送列車で運ばれて迷子になってしまった主人公、オーストラリア人の夫婦にもらわれるというラッキーがあった。もともと極貧の家族で、母親が一人で3人の子供と暮らしていた。25年後にようやく母親を探すことが出来たが、それまでの人生が映画的ではなく、活字の世界にとどめておくべき物語のように見えて仕方がなかった。映画は劇的な一瞬を切り取ってこそのおもしろさ、ドキュメンタリーを語りたかったら、ちょっとジャンルが違う。

『幸福の罪』(NEVINNOST)

2011年・チェコ 監督/ヤン・フジェベイク

出演/オンドジェイ・ヴェトヒー/アニャ・ガイスレロヴァ/ルデェク・ムンザール/ヒネク・チェルマク

チェコ映画とは珍しい。まぁ、とにかく暗い。ストーリーは結構面白い。ダメな日本映画のようにちょっと間延びするのが。大どんでん返しのような結末を言いたくて、その途中経過があるような感じがする。有無を言わせず逮捕されるシーンがあって、今の日産自動車問題のことをつい考えてしまう。

「この素晴らしき世界」でアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた、チェコを代表する若き巨匠ヤン・フジェベイク監督による心理サスペンス。ある“幸せな家庭”を舞台に、人間の抱える「罪と罰」を問いかける。主演は「ダーク・ブルー」のオンドジェイ・ヴェトヒーと「ルナシー」のアニャ・ガイスレロヴァ。  リハビリ医として評価の高いトマシュに、患者である14歳の少女オリンカへの性的暴行疑惑が持ち上がる。捜査にあたることになった刑事ラダは、トマシュの妻ミラダの前夫であり、ミラダはラダとの結婚生活中にトマシュと不倫し、トマシュの子供を身ごもったことからラダと離婚したのだった。果たして本当にトマシュはオリンカと姦通したのか?(allcinemaより)

露骨なセリフが平然と語られるところは凄くいい。日本社会のように忖度や使用禁止用語の設定など、言論の自由には程遠い状況にある国には考えられないこと。素直に頭に入ってきて絶対この方がいい。テレビ画面で観ていたがなかなか終わらず、タブレットを持ち出して寝ころびながらや歩きながら小さな画面で見る映画にぴったんこだった。時代は変わったな~。

『イングリッドとロラ 犯罪との戦い』()

2012年・フランス 監督/Jerome Foulon

出演/Muriel Robin/ Fatou N'Diaye/Christian Hecq

アマゾンプライムの映画手引きは酷い。原題すら書いていないと罵っていたが、この映画なんか何処を見たって上記以上の項目を埋められない。続編『イングリッドとロラ マンタの海』が出来ているらしいことだけはweb上で知ることが出来た。

展開が速すぎて理解するのが難しくもう1回観ないといけない、てなことを書いたページもあったが、展開が速いのではなくセリフが多過ぎるのが最大の問題。しかも殺人事件にかかわる人物の名前が連呼されて、誰が誰だか分からないままに観続けなければいけないことが大問題なのだ。元刑事(字幕では警視総監?)が早期退職して、偶然知り合ったいわくつきの黒人女性とコンビを組んで事件を解決していく。というストーリー自体はおもしろいが、おもしろさを演出する技術が拙い。

人の名前を覚えるのが苦手だ。意識して覚えようとしても忘れることが多い。逆に数字は簡単に頭に残る。一度聞いて必要な数字なら覚えとうとすることなく記憶に残る。勿論、いつもすべての数字を覚えられるわけではないが、人の名前を覚えることに比べたら、はるかに数字の方が覚え易い。得意面と不得意面なのだろう。そうやって得意面だけもっと伸ばせれば、学者にでもなれそうな。なんていうことはあり得ない。

『ブルゴーニュで会いましょう』(Premiers Crus)

2015年・フランス 監督/ジェローム・ル・メール

出演/ジャリル・レスペール/ジェラール・ランヴァン/アリス・タグリオーニ/ローラ・スメット

フランス・ブルゴーニュのワイナリーで生まれたシャルリは束縛を嫌い、パリでワイン評論家として活動していた。ある時、実家のワイナリーが経営不振で売却寸前であると聞き、実家に戻る。農業や醸造には全くの素人であるシャルリだが、妹夫婦や幼馴染に助けられつつ、昔ながらの農法でワイナリーを立て直そうと挑戦する。(Wikipediaより)

辛辣な批評で飯を食べているワイン評論家が、自分の手でワインづくりをしなければならなくなった。そんなことは普通起こらないし、起こらないように本人が画策してしまう。でもどうしてもその状況になってしまったら、一体何が出来るのだろうかと誰しも悩むに違いない。ハッピーエンドに終わるのか、残念でしたとなるのかの興味だけがこの映画の。

隣の家も同じようなワイン醸造農家、娘がアメリカに留学して連れてきたアメリカ人は、オレゴン州でワイナリーを営む家の出、結婚式を挙げるまでになるが、頑固な母親はアメリカ人のワイナリーをまったく信用していない。頑固なフランス人の面目躍如、どこの国でも同じような光景が繰り返される。恋物語も鏤めれれているが、アメリカ映画のような執拗さはなく、さらりとかわすフランス特有のエスプリが曲者。

『トゥームレイダー ファースト・ミッション』(Tomb Raider)

2018年・アメリカ 監督/ローアル・ユートハウグ

出演/アリシア・ヴィキャンデル/ドミニク・ウェスト/ウォルトン・ゴギンズ/ダニエル・ウー

つまらない。半分以上寝てしまった。トゥームレイダー1作目と2作目の主演だったアンジェリーナ・ジョリーはうってつけの役者で、とても性格俳優ジョン・ボイトの娘とは思えなかった。このジョン・ボイトには苦い思い出がある。1983年、当時のヘラルドの営業部長はたまたまヨーロッパで観た試写でいたく感動して、彼の主演作『5人のテーブル(Table for Five)』を買った。それが大ゴケとなった。中途半端な作品は記憶にないが、ここまでコケると大いに記憶に残る。

日本のコンピューターゲームが原作だとは知らなかったが、1作目・2作目はそれを感じさせない映画的な迫力に満ち満ちていた気がする。そういう期待感の中で観始まったこの作品、残念ながらドメスティック的なテーマがまずうけない。日本周辺の離島が舞台となり、卑弥呼の魔力とかがセリフで聴かれるに至っては、早々と興味が失せていく。幼児的な、子供だましのストーリーが多い日本の漫画原作、そんなものとは一線を画すのが欧米の志向だったはずだが。

ちょっとかわいこちゃんでアクションもそこそここなせる主人公なれど、何故か魅力がない。ストーリーはインディ・ジョーンズの焼き直しのような、しかもさらに退屈な物語が続く。ちょっと面白くないと寝てしまうこの頃の私。老体と体調という二重苦に苛まれながら、来年も映画を観続けることは間違いないだろう。(2018年-平成30年-12月31日)

『デッドマン・ダウン』(Dead Man Down)

2013年・アメリカ 監督/ニールス・アルデン・オプレヴ

出演/コリン・ファレル/ノオミ・ラパス/テレンス・ハワード/ドミニク・クーパー

アクション映画を連続で観た。こちらもなかなか面白い映画だった。相変わらず最初のうちは人間関係とその顔の区別に苦労して、どうやって観て行ったらいいのかという単純なことに悩んでいた。しばらくして、なんとなく筋書きが分かりだしてからは、おもしろさが倍増して行った。

前の映画に女は絡まなかったが、この映画では重要な登場人物。今までにもなかったような女の顔が印象的。交通事故にあって顔の左半分は縫った筋が何本も浮きだっている。外出すれば公園で遊んでいる子供どもが「怪物」と言って石を投げる始末。でもこの女性が主人公の復讐劇の重要なパーツとなって行くあたりが斬新だった。知り合ったのは、隣の高層マンションのベランダ越しあたりもおもしろい設定。

主人公さえ死んでしまうこの頃のアクション映画、やっぱり映画の主人公は無敵でなくてはならない。バンバン撃ち合ったって、弾は主人公には当たらない。まぁ、敵の大将にもなかなか当たらないのが常套句だが。心の優しさを啓示してくれるシーンがあるかないかは大きい。ただアクションだけが羅列されてもおもしろいと感じることはない。そんな些細なことが映画のおもしろい、おもしろくないの基本なのだろう。

『フレンチ・ラン』(Bastille Day)

2016年・イギリス/フランス/アメリカ 監督/ジェームズ・ワトキンス

出演/イドリス・エルバ/リチャード・マッデン/シャルロット・ルボン/ケリー・ライリー

今日は2018年(平成30年)12月27日(木)。かなりおとなし目な映画を4日間くらいかけて観ていたので、その反動でどうしてもアクション系映画を所望した。舞台はパリ、単独アメリカ映画とはどことなく違う匂いがしたが、黒人CIA捜査官の縦横無尽の活躍にやんやの喝采を贈りたくなる。

パリにはいい思い出がない。悪い思い出がある訳ではないが、飛行機から見えるパリの風景が土、埃っぽい感じでいつ行っても馴染めなかった。カンヌ映画祭の時はいつもパリで乗り換えていたが、乗り換え方さえ気にくわなかった。ルーヴル美術館だってあの当時は特に混んでいなかった。気楽に歩き回れたおおらかな時代だったな~。

パリの街で偶然に出会ったヘラルドで働いていた女性はその後自殺をしたと風の便りに聞いた。ロンドン1週間の仕事の中、1日だけパリに日帰りしたことがあったが、帰りの飛行場へのタクシーが渋滞にはまって飛行場で走ってやっと間に合ったことなどを思い出す。いつだってパリの日は、どんよりと暗く重い雲が。

『人生は小説よりも奇なり』(Love Is Strange)

2014年・アメリカ 監督/アイラ・サックス

出演/ジョン・リスゴー/アルフレッド・モリーナ/マリサ・トメイ/ダーレン・バロウズ

 LGBTでも女同士なら興味がわくが、男同士ではキスなんかされたらたまらない。まだ観終わらない。片割れが71歳だと分かった。相棒は60才くらいかそれ以上。この歳になって39年間の同棲のけじめとして結婚式を挙げるのだが、男仲間ばかりではなく夫婦やその子供からも祝福されたパーティーが。この結婚式がばれて、専門学校らしい教師を追われる羽目になった。ニューヨーク市街地に買ったマンションも手放さなくてはならなくなった二人、とりあえず友人の家に分かれて暮らさなければならない。

 久しぶりに再会すると、友人の家の子供部屋の2段ベッドで寝る様子。我慢できず一人が上の段から下のベッドに移り熱い抱擁、キスをする。まさかと思いながらこんな光景を見ることはないと思っていたこの映画。男同士でも肉体を求めることが普通なのかと、改めて記憶する。でもやっぱり見たくないな~、男同士なんて。女同士なら何故かエロチックで見てもいいと思えてしまうのは男だからだろうか。続く・・・

 続くと書いたけれど、今日は一歩も前に進まなかった。何日経ったら観終わるのだろう。ようやく観終わった。最後になって急に71歳の方が死んでしまった。死ぬシーンは一切なく、なぜ死んだかも語られない。それでいいような気がする。映画の流れなんだろう。映画の最後のシーンでは5分くらいセリフがなかった。何を語らなくても何かが分かることが嬉しい。信頼とは裏切らないことだということを想い出した。



2023年11月再び観たので記す

『人生は小説よりも奇なり』(Love Is Strange)

2014年・アメリカ 監督/アイラ・サックス

出演/ジョン・リスゴー/アルフレッド・モリーナ/マリサ・トメイ/ダーレン・バロウズ

ニューヨーク・マンハッタンで、39年間連れ添った熟年ゲイ・カップル、ベンとジョージは、同性婚が合法化されたことを受け、周囲の祝福の中で結婚する。しかし、ジョージが同性婚を理由にカトリックの学校の音楽教師としての職を失ったことから、2人は長年住み慣れたアパートから立ち退かざるを得なくなる。ベンは甥エリオットの家に、ジョージは元隣人のゲイ・カップル、テッドとロベルトの部屋にそれぞれ居候することになる。新婚でありながら離れて暮らすことになった2人は、それぞれの居候先で居場所のなさを感じる。(Wikipediaより) 邦題が間違っている。「人生」ではなく原題にあるように「恋愛」である。ちょっと眠いストーリー展開だった。ゲイに興味がなさ過ぎるのかもしれない。

『天使にショパンの歌声を』( La passion d'Augustine)

2015年・カナダ 監督/レア・プール

出演/セリーヌ・ボニアー/ライサンダー・メナード/ディアーヌ・ラバリー/バレリー・ブレイズ

しょぼい邦題がひどい、とは思ったけれど観ようと思った動機が我ながら分からない。この映画を観始まる前にそれなりの時間を経過した映画があった。炭鉱での災害で街中が暗くなり経営者と炭鉱夫がいがみ合うというような内容で、暗くて暗くてしょうがなかった。

「アウグスティヌスの情熱」が原題の翻訳。カナダのケベックにある、白銀に囲まれた小さな寄宿学校。同校は音楽教育に力を入れ、コンクール優勝者も輩出する名門音楽学校の側面もあったが、修道院によって運営が見直され、採算の合わない音楽学校は閉鎖の危機に直面してしまう。といった内容。

この映画も中途半端。何か奇跡的なことが起こるのだろうと期待しながら観ているが、何も起こらないなんて観客泣かせ。修道院がそんなに珍しいものでもないし、女同士のいがみ合いも普通だ。最後にはピアノコンテストで優勝するなんて、あまりにも普通過ぎて反吐も出ない。

『僕と世界の方程式』(A Brilliant Young Mind)

2015年・イギリス 監督/モーガン・マシューズ

出演/エイサ・バターフィールド/レイフ・スポール/サリー・ホーキンス

途中でまた深い眠りにおちた。目が覚めたら夜中の3時、そのあとは観る暇がなかった。映画によって、観進む度合いがまったく違うのは仕方のないことだが、やっぱり寝てしまうのはおもしろくないということなのだろう。

自閉症の少年が実は特殊才能があって数学に秀でていた、なんていう物語は映画にはよくある筋書きで、その中でさらなる期待を望むのも仕方のないこと。高校生になって数学オリンピックに出場する世界の高校生が台湾で合同合宿をする、というくだりだけが興味があった。そこで主人公は中国から来た少女と恋に落ちるなんて、ちょっと的を外れれている。

数学オリンピックが始まっていよいよかなと思っていたら、主人公がこの大会をスポイルしてしまう。なんやねん、中途半端にストーリーが途切れてしまうのはつまらない。おもしろくなるだろうと期待してはいたが、まだ序盤に寝てしまった先見性は大したものだ。

『ハロルドが笑う その日まで』(Her er Harold)

2014年・ノルウェー 監督/グンナル・ビケネ

出演/ビョルン・スンクェスト/ビヨルン・グラナート/ファンニ・ケッテル

ノルウェー映画を観たのは初めてかもしれない。北欧にも疎い自分には、スウェーデンが右だっけ、いやノルウェーだったかな程度の地理的知識すらない。まぁほとんどの日本人が同じようなものだろうと高をくくっているが、それにしても知らないことばかりのスカンジナビア半島あたりだ。

スウェーデンにはボルボやサーブといった車が日本でも有名なものがある。一方、ノルウェーはサーモンと森だけと言える人さえ少ない。スウェーデンが他の北欧諸国から嫌われているなんていう情報は聞くのも初めてだが、そもそもどうでもいいことだと思えて、はぁ~と言うのが精一杯。コメディ映画なのだろうけれど、アメリカやイギリス映画の笑いとは雲泥の差がある笑いとなっている。そこらあたりが映画を観る楽しみのひとつだろう。

ノルウェーのオサネで長年質にこだわった家具店を営んできたハロルド。しかし、隣に世界的家具チェーン「IKEA」の北欧最大店舗ができたことで、廃業に追い込まれてしまう。認知症を患っていた妻も喪い、全てをIKEAに奪われたと感じるハロルドは、創業者カンプラードを誘拐し、復讐を果たそうと決意。オンボロなサーブ車でスウェーデンへと向かうハロルドだったが…。

『未来を花束にして』(Suffragette)

2015年・イギリス 監督/サラ・ガヴロン

出演/キャリー・マリガン/ヘレナ・ボナム=カーター/ベン・ウィショー/メリル・ストリープ

世界各国の国政選挙における女性参政権の獲得年次:1893年 英領ニュージーランド,1902年 オーストラリア、1906年 フィンランド、1913年 ノルウェー、1915年 デンマーク、アイスランド、1918年 ソビエト連邦、オーストリア、イギリス、1945年 フランス、ハンガリー、、イタリア、日本、ベトナム、ユーゴスラビア、2005年 イラク、クウェート、2006年 アラブ首長国連邦、2009年 サウジアラビア。

女性参政権とは、女性が直接または間接的に国や地方自治体の政治に参加するための諸権利のこと。かつて婦人参政権と呼ばれていた。革命で権利を勝ち取って行く欧米各国でさえ、女性の参政権どころか社会における基本的な地位が、こんなに低かったのかと驚いてしまう。「洗濯女」と称される低賃金職業が今回の主人公の職業。その当時クリーニング屋で働く女性の地位も権利も微塵たるもの。

今や選挙権なんて当然で、そんなもの行使したって世の中は何も変わらないよ、とうそぶく不届き物の姿が見え隠れする。こういう映画を観て、最初から何も考えずに所有していたものではないことを肝に銘じてほしい。ましてや、日本だって第二次世界大戦が終わって初めて女性の参政権がもたらされたなんて、思っても見なかったことに違いない。まだ70年だよ。

『イコライザー』 (The Equalizer)

2014年・アメリカ 監督/アントワーン・フークア

出演/デンゼル・ワシントン/マートン・ソーカス/クロエ・グレース・モレッツ/デヴィッド・ハーバー

おもしろかった~。休憩をとることなく観続けられる映画は嬉しい、快感だ。クロエ・グレース・モレッツは「キック・アス」の子役時代から気になっていたが、今や大とは言わないまでも売れっ子の女優になったようだ。2日前に見た『アクトレス~女たちの舞台~』でも本物の大女優ジュリエット・ビノシュと堂々と渡り合っていた。

今度はデンゼル・ワシントンとの掛け合い。使い勝手がいいのだろう。なんといっても今回は娼婦役で、ぼこぼこに顔を歪められるシーンをなんなくこなしている。日本で言えば世直し奉行のようなこの映画、主人公は何者なのだろうか、ということを惜しんで語らない切り口がおもしろい。この前映画はマジック、イリュージョンだったが、この映画もそれに近い。スーパーマンのような主人公は元CIA局員だったことで、納得してしまうのも不思議なことだ。

主人公は英雄になることを望んでいないが、世直しのためなら相手が誰だろうと敢然と戦いを挑んでいく。シリーズになることだって書けそうだが、あまりにもスーパーマンぶりが、かえって話を狭めているかもしれない。日常的なスーパーマン、私が昔試写で観て買おうと言ったけれど誰も見向いてくれなかったチャックコナーズの「ザ・ライフルマン」を思い出すことしきり。

『グランド・イリュージョン 見破られたトリック』(Now You See Me 2)

2016年・アメリカ 監督/ジョン・M・チュウ

出演/ジェシー・アイゼンバーグ/マーク・ラファロ/ウディ・ハレルソン/ダニエル・ラドクリフ

2013年劇場公開作の『グランド・イリュージョン』の続編。なんとなく観たことのある感じは、あくまでも感覚だけだが結構正しい。ド派手にマジック、イリュージョンの世界を映像で表現すると、小さなテクニックで不思議がらせるその辺のマジックとはだいぶ違うもののように映る。

そういう意味では、映像でのマジックは嘘にも見えてしまうので、なかなか作る側は大変なんだろうなという苦労がしのばれる。目の前で現実に物が消えたりすれば信用に足るが、映像では説得力に欠ける。どんなに大胆なことでも、創りものだという感が拭えない。それをそう思わせない映像力は、監督の力、発想力の力に委ねるところが多い。

出来過ぎ感満載で、終始飽きさせることのないこの手の映画をおもしろくないとは言えない。ただ笑わせようと必死こいてる日本のテレビに登場するお笑い芸人は、今や巨大な要塞と化している。素人衆はぽかんと口をあけながら、そのおもしろくない「芸」をさも面白そうに見ているしかない。それにしてもおもしろくないよね。R1だM1だと、芸人が内輪で芸人に賞を上げて喜んでいる姿は、昔「一億総はくち」と揶揄されたことに似ている。「はくち」が漢字変換されない。やな時代だ。

『アクトレス~女たちの舞台~』(Sils Maria)

2014年・フランス/スイス/ドイツ 監督/オリヴィエ・アサヤス

出演/ジュリエット・ビノシュ/クリステン・スチュワート/クロエ・グレース・モレッツ

ジュリエット・ビノシュ(Juliette Binoche, 1964年3月9日 - )は、フランス出身の女優。1996年公開の『イングリッシュ・ペイシェント』でアカデミー助演女優賞を受賞、また世界三大映画祭のすべての女優賞を受賞した女優でもある。そんな現実感を映画に中に引きずり込む。大女優として今や押しも押される女優となった主人公とその周りを護るマネージャー・エージェントなどが映画界のしきたりを教えてくれる。

フライトの予約やチケットの購入、ホテルの手配ばかりがマネージャー役ではない。主には台本の読み合わせをするだけではなく、そのセリフやセリフに込められた感情、行き着くまでの物語の解釈まで役者と対峙する役割がある。気心を赦せない人には到底できないポジション。時には本当の自分が役者の仮想人物と喧嘩するまでに至る。

映画配給に関してはそれなりに分かっているつもりだったが、こと映画製作に関しては、悔しいけれどほとんど何も分からない。強い人間関係が映画製作の基本だということだけは分かる。嫌な奴と組んで映画を作る必要はないのだし、かといって嫌いな奴でもどうしても外せないキャスティングは製作者の最大の悩みだろう。映画の中で演じる役柄が、現実社会でも同じように生かされる。大役者ほど生意気な人間はいないとよく言われるのは本当だ。いちいち妥協しながら生きていく道は、役者の道ではない。

『教授のおかしな妄想殺人』(Irrational Man)

2015年・アメリカ 監督/ウディ・アレン

出演/ホアキン・フェニックス/エマ・ストーン/パーカー・ポージー/ジェイミー・ブラックリー

今日は、2018年(平成30年)12月1日(土)。おもしろい展開が始まっていたのに、何故か50分近く眠ってしまったようだ。目覚めたときに、最後のシーンだったが、今回はしっかり戻って見直すことにした。監督がウディ・アレンだと知ったのはその時。彼の監督作品は相性が悪い。笑いのツボが合わないと強く感じているせいもあったのかもしれない。観る前に彼の作品だと知らなくても、自然と身体が反応したのには驚いた。私という人間の真骨頂だと褒めてあげたい。

もう一度見直したまでは良かったが、また寝てしまった。今度はどうも最後のシーンを見逃したようだ。もういいや、これ以上見直したって意味がない。教授とは哲学を教える大学教授のことで、久しぶりに「カント」なる名前を聞いた。「デカルト、カント、ショーペンハウエル」と言えば泣く子も黙る偉大な哲学者だったが、今どきはこのような名前を聞く機会がまったくなかった。

明治・大正の帝大生が「デカンショ節」を歌ってはやらせた。当時の学生にしてみれば哲学といえば、デカルトとカントとショーペンハウエルだったらしい。今や専門学科の哲学はあるけれど、一般人が酒場で哲学の話をしているなんてことは聞いたことがない。ゲームやYouTube、ツイッター、インスタグラム、Tik Tok、などなど世界中の庶民が有名人を目指しているようで、ちょっと気持ち悪い。

『アラビアの女王 愛と宿命の日々』(Queen of the Desert)

2015年・アメリカ 監督/ヴェルナー・ヘルツォーク

出演/ニコール・キッドマン/ジェームズ・フランコ/ロバート・パティンソン/ダミアン・ルイス

20世紀初頭、イラクとヨルダン両国の国境線を引いてイラク建国の立役者となり、“砂漠の女王”と呼ばれたイギリス人女性ガートルード・ベルの生涯を描いている。イギリスの良家の子女がそのじゃじゃ馬ぶりを発揮してまだ未踏の地だったアラブ地域を探検し回る話だ。アラビアのロレンスも登場する。第一次世界大戦頃の話になる。

中東の紛争は理解できない。教えられても、勉強しても、頭の中から抜けていく。スンニ派だ、シーア派だと今更ながらに宗教・宗派対立している姿が情けない。あまりにも「神」と口に出して叫ぶので、神は本気で怒っているのに違いない。占領していたかつての大国も無責任に手を引いてしまった。アジアの多くの国々が見事に独立しているのとは正反対だ。独立したって資源がないアジアと独立が危うくても資源が確かな国との差があるが、それは単なる経済的な問題。長期的に見れば民族が統一された後者の方が可能性は高そうに思う。

いつもは観終わってからこの女性は誰と思うのがニコール・キッドマン、今回は最初からクレジットを確認できたので、なるほど彼女かと思いながら。アップになるとだいぶ歳をとった雰囲気が。若い頃は端正な顔立ちに意地悪い特徴がなく、覚えられない顔のNo.1だった。年相応の演技派大女優への入り口を感じさせるが、大袈裟に哀しむシーンを観た時、まだまだかなぁという感想が自然とわきあがっていた。

『クリミナル 2人の記憶を持つ男』(Criminal)

2016年・アメリカ/イギリス 監督/アリエル・ヴロメン

出演/ケヴィン・コスナー/ゲイリー・オールドマン/トミー・リー・ジョーンズ/アリス・イヴ

ケヴィン・コスナーもだいぶ歳をとった。この映画では感情を持たない極悪人として刑務所暮らしをしていたところから始まる。CIA捜査官が重大な任務中に死んで、その脳みその記憶を自分の脳内に移植される手術を受ける羽目になった。邦題の意味はそういうことだが、なかなか演技達者なベテラン俳優にしか出来ないことだろう、と感じる。

CIAでありながら情けないほどのドジを踏む本部捜査陣、どう考えたって違うだろう、と突っ込みを入れたくなるほどのシーンが何か所もあり、二流映画にもなり切れないものが。アクション映画というよりはサスペンス映画のような。アメリカ映画の特徴である家族愛も手堅く描かれている。

トミー・リー・ジョーンは日本ではテレビ・コマーシャルに数多く出ている。自国では間違ってもCMに出ない。日頃の顔や商業的な顔を晒すことを極端に嫌うアメリカの一流俳優たちは、それでも日本でならいいだろうと高をくくっている節がある。日本にだった字幕で映画を観るファンはたくさんいるのだから、同じ映画圏としての尊敬を払ってもらいたいものだ。

『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』(Florence Foster Jenkins)

2016年・イギリス 監督/スティーヴン・フリアーズ

出演/メリル・ストリープ/ヒュー・グラント/サイモン・ヘルバーク/レベッカ・ファーガソン

アメリカ大統領ドナルド・トランプは、メリル・ストリープを「ヒラリーの腰巾着」 で、「最も過大評価されている女優のひとり」だと非難した。そのメリル・ストリープが主演する映画に外れはなさそうだ。そう思いながら観ていると、映画は自然とおもしろくなるものだ。

実在の人物モデルがいたというが、こんな人が本当にいたんだと驚くほかない。歌唱能力が完全に欠落していたことで有名であるのにもかかわらず、76歳にしてあのニューヨーク・カーネギー・ホールの舞台に立った。

彼女の演奏したレコードを聴くと、ジェンキンスは音程とリズムに関する感性がほとんどなく、極めて限られた声域しか持たず、一音たりとも持続的に発声できないこと、伴奏者が彼女の歌うテンポの変化と拍節の間違いを補って追随しているのがわかる。にもかかわらず、彼女はその型破りな歌いぶりで大変な人気を博した。聴衆が愛したのは音楽的能力ではなく、彼女の提供した楽しみであった。音楽批評家たちは、しばしば彼女の歌唱を皮肉まじりに説明し、それがかえって大衆の好奇心を煽る結果となった。音楽的才能が全くなかったにもかかわらず、フローレンスは自分が偉大な音楽家だと固く信じていた。彼女は自分を名高いソプラノ歌手フリーダ・ヘンペルやルイーザ・テトラツィーニに比肩しうると考え、自分の演奏中にしばしば聴衆が笑い出すのを、ライバルが職業的な競争心からやらせているのだと思い込んだ。しかし、彼女は批判に気付いており、「皆さん私が歌えないとおっしゃいますが、私が歌わなかったといった人はいませんわ」などと述べた。(Wikipediaより) といったクスッと笑いそうな物語だった。

『ランナーランナー』(Runner Runner)

2013年・アメリカ 監督/ブラッド・ファーマン

出演/ジャスティン・ティンバーレイク/ジェマ・アータートン/ベン・アフレック

ポーカー用語だという、Runner-runner:最後の2枚のカードで完成した hand(役)のこと。あるプレーヤーが55をもっており、 board(ボード)がAA455の順に開いたとすると、このプレーヤーは、runner-runner(ランナー・ランナー) quads(クワッズ、4カード)を完成させたことになる。ポーカーに造詣が浅く、意味が分からない。

主人公は実在のギャンブラー、ナット・アレムをモデルにしているという。オンラインカジノが舞台だが、取り仕切っている場所はコスタリカ。国全体がギャンブル国家のような描き方がされている。なんでも金次第、賄賂でなんでもが解決してしまう。ひとり彼の地に乗り込んだ主人公が・・・・・。

ギャンブルは魅力いっぱいだ。初めて本格的なカジノに入ったのは、初めての海外旅行で行ったモナコでだった。パスポートを持っていれば入ることが出来た。確か上着とネクタイ着用だった気がする。もちろん、大金を持って遊ぶことなどあり得なかったが、雰囲気だけでも若い時に味わえたことは意味があった。2回目はラスベガス、この時だってお金があるわけではなかったので、遊ぶというよりやっぱり雰囲気を嗅ぐだけだった。ラスベガスといえば、旅行する人の餞別代りに$100を渡して「黒」に1回だけ全額賭けてくれと頼んだことがあった。当たりだったら、当たった分を返してくれたらいい、と言ったのだが、お金は戻ってこなかった。

『奇蹟がくれた数式』(The Man Who Knew Infinity)

2016年・イギリス 監督/マシュー・ブラウン

出演/デーヴ・パテール/ジェレミー・アイアンズ/トビー・ジョーンズ/スティーヴン・フライ

トリニティ・カレッジ (英: Trinity College) は、ケンブリッジ大学を構成するカレッジの一つ。ヘンリー8世によって1546年に創設された。2018年現在33人のノーベル賞受賞者や、フィールズ賞受賞者、アイザック・ニュートンなど数多くの著名人を輩出しているカレッジである。インドマドラス(現・チェンナイ)、数学者であるシュリニヴァーサ・ラマヌジャンは極めて優れた直観によって様々な定理を発見した。しかし、数学者としての正式な訓練を受けていなかったがために、証明には数多くの不備があった。そのため、ラマヌジャンは学会から黙殺されそうになった。そんなラマヌジャンに目を付けた人物こそ、ケンブリッジ大学の数学者、ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディであった。(Wikipediaより)

インド映画はおもしろいし、インド人が主役級の映画もおもしろい。さらに、天才数学者を描いた映画もこれまたおもしろい。天才にしか分からない天才のこと。凡人がその天才の才能について云々すること自体が滑稽だが、神ではない人間の集団にはそれを判別する才能さえ見つからない。

凡人だって同じこと。凡人が凡人の才能を見つけ出すこともある。それはやはり奇跡のようなこと。いつ何処で出会うかも分からない人間同士の中でも、凡人が凡人を知ることも難しい。天才は数少ないからこそ、その存在感が顕著になる。ところが凡人はそんじょそこら中にい過ぎるので、その中から探し出せる凡人は貴重過ぎる。そんな偶然の仕合わせを満喫しながら終末を迎えることは、また仕合わせなことと言えるだろう。

『フェリスはある朝突然に』(Ferris Bueller's Day Off)

1986年・アメリカ 監督/ジョン・ヒューズ

出演/マシュー・ブロデリック/ミア・サラ/アラン・ラック/ジェニファー・グレイ

何かが起こるのだろうと期待しながら観ていたが、とうとう最後まで何も起こらず、そのまま終わってしまった。シカゴに住む高校生が、学校をサボるさまを面白おかしく描いただけなのだが、アメリカ人はこういうのが好きらしい。アメリカでは根強い人気を誇っていて、また、リグレーフィールドやシカゴ美術館などのシカゴの観光名所で撮影していたことも話題となったという。

小学生の時は、テスト以外はただ楽しい毎日だったような気がする。山や川で遊ぶ毎日は、今の子供たちには羨ましがられる状況だった。隣は靴屋さんだったので、靴をゼロから作る作業も見慣れた光景だった。高校生になったときに、お祝いにあつらえた靴を贈られたことは、今から考えればなんと贅沢なことだったのだろうと振り返るばかり。

大学生になって1年間に1回も授業を受けなくても「優」がとれるようになると、授業をサボるというよりも世の中を馬鹿にし始まることが。そんな不真面目な心のうちが今の自分を作ってしまったのかもしれない。もう少しどころか、もっと一所懸命に勉学にいそしんでいれば、人生が少しばかり違っていたような気がしないでもない。

『ファーゴ』(Fargo)

1996年・アメリカ 監督/ジョエル・コーエン

出演/フランシス・マクドーマンド/ウィリアム・H・メイシー/スティーヴ・ブシェミ/ピーター・ストーメア

ジョエル・コーエンとイーサン・コーエンの兄弟制作映画がおもしろくない訳ないと書いたが、前回何故かおもしろくない作品に出逢ってしまった記憶が蘇った。映画の始めに「これは実話である」(原文:THIS IS A TRUE STORY.)という一文が映るがこれも演出の一つで、実際に映画のような経緯を辿った誘拐事件が起きた事実はなく、物語は完全なフィクションである。というのは、ちょっと行き過ぎの演出だろう。

まぁ、映画はおもしろかった。しがない車販売店の営業部長が情けないほどどうしようもない。妻を誘拐させて、金持ちの義父にお金を出させ、その半分をくすめとろうと画策する。ところが頼んだ相手がいけなかった。刑務所上がりの車整備士は悪くはなかったが、彼が依頼した人物が酷過ぎた。トラブルになる前に相手を殺害してしまうので、表立たたない前に事件はどんどん大きなものになって行ってしまった。狂言誘拐が成功しようとするときには、誰も後戻りできない状況となっていた。

世界のどこの国でも罪の重い誘拐をして身代金をなどと考える輩は、本当の極悪人だろう。割に合いそうもないコンビニ強盗や、タクシー強盗をやらかす輩は頭が悪過ぎる。チンピラの常とう手段のカツアゲや出来心が発展したひったくりもたちが悪い。生理中に万引きが多くなる女性心理は学問的研究余地がある。而して、猥雑な人間模様がうようよと世間の空気にまじりあって、いかにも人間らしい社会を形成している。

『ギャラクシー・クエスト』(Galaxy Quest)

1999年・アメリカ 監督/ディーン・パリソット

出演/ティム・アレン/シガニー・ウィーバー/アラン・リックマン/トニー・シャルーブ

『スタートレック』へのオマージュ満載のパロディ映画。宇宙の英雄である『エンタープライズ号』ならぬ『プロテクター号』乗組員を演じる売れない俳優が、実際の宇宙戦争に巻き込まれる二重構造に、現実の『スタートレック』を絡ませた三重構造の形を取っている。前半ではSFシリーズと熱狂的なファンのパスティーシュで、冷静にファンダムの在り様を描いている。批判的にも見えるシーンは中盤からスペース・オペラ活劇になだれ込む。実際の『スタートレック』の俳優や役に重なる部分は多々あり、ウィリアム・シャトナー演じるカーク船長のブリッジでの座り方から、お馴染みのセリフを言うなどのテレビシリーズの場面に始まり、舞台で高い評価を受けている俳優をキャスティングするなど多岐に渡る。トレッキー/トレッカーに対するクエスティー/クエスタリアンの区別がしっかりとされている。実際の『スタートレック』ではエンタープライズ号の設計図や機構図が販売されており、クエスタリアンの助けで船内の構造を知る場面などは、十分在りえる場面。(Wikipediaより)

スター・トレックを観ていない輩には、こういう説明を見聞きしても何のことか分からない。テレビシリーズの子供だまし風宇宙物には興味が行かない。どうしてかは分からないけれど、人形劇などにもまったく反応しない。きわめてはっきりした欲望に、我ながら一貫しているなぁ、と感心することしきり。

劇中劇のようなストーリーがおもしろくて観続けることになった。俳優たちの演じる態度の本音が見て取れたりする。こんな子供騙しは演じたくないな、と思いながらも、役者魂で何年も同じ役を演じている。職業とは言え困難な仕事だ。日本では戦隊ものを演じている役者が、いつの間にかイケメン俳優になっているケースが頻繁にある。そういう夢があるからこそ、なんとかやっていられる仕事なのかもしれない。

『アンストッパブル』(Unstoppable)

2010年・アメリカ 監督/トニー・スコット

出演/デンゼル・ワシントン/クリス・パイン/ロザリオ・ドーソン/ケヴィン・ダン

暴走機関車のようなパニックアクション映画。最初からそういうつもりで観なければいけない映画は、ちょっと興味が減ってしまうのは私だけかもしれない。いずれにしろ助かるのだろうとか、主人公は死にそうになっても死なないに違いないと思いながら観るのは、少し辛い。

どんなシチュエーションでも、どんな映画でも冷静沈着なデンゼル・ワシントンが気になるところだが、それでもそんじょそこらの役者とは桁違いの演技力。いかにして緊急事態を脱するかの見どころは、映画ならではのシーンの連続だった。この歳になると、手に汗握るほどのことはないが、おもしろくなかったとは言えない。

現実の人間力でも緊急事態に如何に対応できるかが真価を問われる場面となる。普段は偉そうにしている輩が、いざとなるとへなちょこになる姿を見ることもある。逆に、日常は木偶の坊にみえる人間が、結構適切な行動をすることがあることも知っている。社会にはいろいろな人間がいて、この人間模様を眺められるのは、生きているうちの最大の喜びかもしれない。

『二ツ星の料理人』(Burnt)

2015年・アメリカ 監督/ジョン・ウェルズ

出演/ブラッドリー・クーパー/シエナ・ミラー/オマール・シー/ダニエル・ブリュール

日本ヘラルド映画は、1978年(昭和53年)アメリカ、イタリア、フランス、西ドイツ合作映画『料理長殿、ご用心』(Who Is Killing the Great Chefs of Europe?)を配給した。新橋駅前ビル1号館3階に会社があったが、その地下街に社員がお茶やランチに利用している喫茶店があった。宣伝部員のアイディアマンがその喫茶店とタイアップして、この映画に出てくる料理をメニューに加えた。

映画の宣伝は何でもあり、担当宣伝マンの知恵と腕が試される。競馬場で試写会をやったかと思えば、クルーズイングの船上でも、武道館や東京ドームなんていうのはお手の物だった。アイディアが卓越していればお金は惜しまない。サンタクロースの時は、会社の入り口を木で包んでしまった。

腕のいいシェフが登場する映画はいつもおもしろい。普段は見ることが出来ない一流店のメニューと料理のさわりだけを見ているだけで仕合わせな気分になれるものだ。ただこの映画の腕のいいシェフは怒りっぽいのが玉に瑕。日本の親分職人のように只管怒っている。美味しい料理も、ちょっと美味しさも半減というシーンの連続で、おいしい映画にはなれなかった。

『潜入者』(The Infiltrator)

2016年・アメリカ 監督/ブラッド・ファーマン

出演/ブライアン・クランストン/ダイアン・クルーガー/ベンジャミン・ブラット/ジョン・レグイザモ

1985年。アメリカ税関の捜査官、ロバート・メイザーはボブ・ムセラという変名を使って、麻薬組織の資金洗浄の現場に潜入していた。やがて、メイザーは世界最大の麻薬カルテルの内部に潜入し、パブロ・エスコバル(コロンビアの麻薬王)の資金洗浄組織の存在を暴き出すことに貢献した。その過程で国際商業信用銀行が資金洗浄において大きな役割を担っていたことが判明し、世界中が驚愕することとなった。本作はメイザーが如何にして潜入捜査に従事していたかを描写していく。(Wikipediaより)

回顧録が原作というから、いわゆる事実に基づく映画なんだろう。こういう映画を観るといつも思うのは、アメリカの観客は頭がいいなぁということ。登場人物が複雑すぎて、とても覚えきれない。同じような顔つきの登場人物で、これもまた分かり難い。そんななか観る映画はおもしろいという域に達する前に萎えてしまう。

原作者が主人公だから、いかにして潜入捜査を成功させたかという一方的な見方による映画になってしまっている。そんなところが随所に見られるのが溜まってくるのかもしれない。2時間7分と長過ぎるのもいけない。もしかすると途中で寝てしまったのが最大の原因かもしれないが、あっけなく大捕り物が終わる最後のシーンにちょっと気が抜けた。

『はじまりへの旅』(Captain Fantastic)

2016年・アメリカ 監督/マット・ロス

出演/ヴィゴ・モーテンセン/フランク・ランジェラ/キャスリン・ハーン/スティーブ・ザーン

なかなか面白い内容の映画だった。子供は6人、一番上は16歳頃だろうか。森を購入して父と母は二人にとって理想的な教育環境を実践している。学校には行かない。まさしく文武両道と思える教育を両親が担当する。身体も鍛え、頭も鍛える。本を読んで内容を暗記するのではなく、自分で理解したことを自分の言葉で喋らせる。

8才の娘にセックスとは、と理詰めに話をする。決して子供だからと隠すようなことをしない。母親が精神病になったこと、自殺をしてしまったこともきちんと伝えるあたりは、並大抵の親では出来ないことだ。ただそんな家族だけの生活はちょっと人間の生活には足りない部分もつくってしまう。何事が起きても一人で生きていける精神力と体力と知恵を教えられても、そこに家族ではない他人が一人いるだけで、人間対人間の対応に苦慮してしまうおかしさがある。

母親の葬式をめぐって家族と母親の実両親との戦いが始まる。このあたりが実におもしろい。母親の遺言は、仏教徒だから火葬にしてその灰をトイレに流して欲しいと。当然実家の両親は反対する。教会でミサが始まり埋葬の霊柩車が墓地に向かう、と戦いがクライマックスを迎えていく。久しぶりに結末への期待が高まった。

『ベネファクター/封印』(The Benefactor)

2016年・アメリカ 監督/アンドリュー・レンツィ

出演/リチャード・ギア/ダコタ・ファニング/テオ・ジェームズ/クラーク・ピータース

日本国内で劇場公開されなかったが、WOWOWで放送されたことがあり、その時の題名は『リチャード・ギア/人生の特効薬』だったようだ。DVD化の際には『ベネファクター/封印』という邦題が使用されて、アマゾンプライムでの放映の際にはこちらの邦題が使われたということらしい。

何が何だか分からない内容で、お金持ちの良きおじさんが親友夫婦と一緒の車で事故にあい、自分だけが生き残ったという事実だけは明確だった。この夫婦に遺された娘と5年後に再会するが、ここから映画は訳が分からなくなってくる。日本での劇場未公開は大正解。当たるはずがない。

何故かお金を持っている主人公。友人の遺児の結婚に家さえ贈ったりするが、その夫は不信感でいっぱいになる。理由もなくお金を贈られたって、自分の教育ローンを勝手に清算してくれたって、嬉しくもない。そんな気持ちを分からないでもないが、映画はずーっと訳が分からない。どうせ訳の分からない人生なら、そんなこともありかな、と、ただエンド・クレジットを眺めてぽか~としていた。

『ノー・エスケープ 自由への国境』(Desierto)

2015年・メキシコ/フランス 監督/ホナス・キュアロン

出演/ガエル・ガルシア・ベルナル/ジェフリー・ディーン・モーガン/アロンドラ・イダルゴ

メキシコからアメリカへ不法入国しようとしている。彼らを乗せたトラックが故障する。映画らしい。仕方がないので、砂漠地帯を乗り切ろうと試みる。何故かそこに、ライフルを抱えたハンターが現れる。ウサギを撃つところを見せておいて、今度は不法移民集団を見つけて岩の上からライフルを放つ。人間狩りへと映画は進行する。

まさか最後まで追いかけっこの映像だとは、つゆ想像だにしなかった。偉そうに人間狩りをしていたアメリカ人が、形勢が逆転するとなんと女々しい人間に変身するのだろうか。トランプが言うメキシコとの国境はこういうのも典型なのだろう。砂漠に3本の鉄条網が張られているだけ。国境を越えるというのがこんなに簡単だったとは。これでは、壁を建造しようという提案も頷ける。

それにしても酷い映画だった。平気で人間を殺すシーンが映し出されるのは困る。銃を自由に使えるアメリカでしかあり得ない映像だ。「フリーズ」と言って止まらなかったからと、ハロウィンの日に日本人の留学生が射殺されてしまった事件を思い出す。なんでも銃で片を付けようとするアメリカ人のDNAがアメリカ・ファーストに繋がっている。

『ゴッド・タウン 神なきレクイエム』(God's Pocket)

2014年・アメリカ 監督/ジョン・スラッテリー

出演/フィリップ・シーモア・ホフマン/リチャード・ジェンキンス/クリスティーナ・ヘンドリックス/ジョン・タトゥーロ

2014年に急逝した名優フィリップ・シーモア・ホフマンが亡くなる直前に主演したクライムドラマ。と言われても、名優フィリップ・シーモア・ホフマンの名前と顔が一致しない。あぁ、この人かと納得した。数多くの映画に出演している。脇役でいつも出てくる人のように見える。

舞台は、フィラデルフィア南部の荒廃した労働者階級地区ゴッズポケット。トランプのメイン支持層はこういうところかと思わせる町だった。よそ者を受け付けない、が、自分たちも外に出ない。まるで愛三岐と言われるこのあたりの人たちの精神状態のように。大学すら外に行くのを勧めない。結婚なんてもってのほか、近くに住みなさいと親から命令される。

さまざまな価値観を受け入れない心はもう時代遅れだ。LGBTだって後ろめたくはない。今や何でもありの時代になったからの結果ではない。これが人類の進歩というものだと理解する必要があるに違いない。そういう風に、自分もなんとか世間に置いて行かれないようにと、寄る年波を乗り越えて精神状態を研ぎ澄まそうとしている。

『岸辺の旅』

2015年(平成27年)・日本 監督/黒沢清

出演/浅野忠信/深津絵里/蒼井優/小松政夫/柄本明/奥貫薫/村岡希美/赤堀雅秋/首藤康之

湯本香樹実の小説。2009年9月号の『文學界』に掲載され、2010年に文藝春秋から単行本が出版され、2012年には文庫化されたという。まだ観始まったばかり。

まだ観終わっていない。発想はなかなか共感できるものがあるが、話がおもしろく展開していない。日本映画の一番悪いところ、だらだらと切れの悪いシーンが延々と続いている。あと残り1時間もないと思われるが、辛いものがある。早回しは考えていない。そんな宣言をわざわざする必要もないだろうに。

海の藻屑と消えてしまった夫が蘇った。妻だけが見えている訳ではなく、周りの人にもふつうに見える。ただ普通の生きている人間ではなさそうだ。あっちから来た人たちにはお互いに分かるらしい。夫の想い出を辿りながら、人生を回顧する旅に出る。活字の世界だろう! 映像にするには、お金がなさ過ぎる。入り込めない映像は夢物語にもなれない。長々と続くストーリーは凡庸。この手の話には卓越した表現力を期待しているので。

『シンプル・プラン』(A Simple Plan)

1998年・アメリカ 監督/サム・ライミ

出演/ビル・パクストン/ブリジット・フォンダ/ビリー・ボブ・ソーントン/ブレント・ブリスコー

こんな三流映画は久しぶりだなぁ、と観ていた。観終わって調べて驚いた。監督がなんとあのサム・ライミだったからだ。そんなことを言っても通じないだろうけれど、この監督は『死霊のはらわた』(The Evil Dead・1981年)の監督なのだ。製作から約3年半、ようやくヘラルドの手でロードショーされた伝説のスプラッター・ムービー。ニュー東宝シネマ2という小さな映画館で公開されたこの映画は、誰もが予想だにしなかった大ヒットを記録した。

なんといってもこの邦題の名付け親は私なのだ。ほとんどヘラルドの宣伝に寄与したり、痕跡を残したことはないけれど、この題名だけは当時のヘラルド宣伝部では公認されているのが嬉しい。この映画だって三流映画の典型のような映画だったが、だからこそホラー映画として威力を発揮したに違いない。

祖父はヘンリー・フォンダ、父はピーター・フォンダ、伯母はジェーン・フォンダに繋がるブリジット・フォンダを見ても、まったく分からなかった。大金を目の前にして人生が大きく変わってしまうさまが三流映画らしく描かれている。こういう映画を観ると、類は友を呼ぶという諺が見事に生かされている。お金という魔物は人間をどん底にも落としてしまう。

『エブリデイ』(Every Day)

2018年・アメリカ 監督/マイケル・スーシー

出演/アンガーリー・ライス/ジャスティス・スミス/マリア・ベロ/デビー・ライアン

アメリカでは今年公開されたようだが、日本では劇場未公開でいきなりアマゾンでの公開だという。こういう作品が増えることになるのだろう。う~ん、正しい判断だったのかもしれない。おもしろさはあるけれど、劇場で公開するには耐えられない感じ。宣伝費を回収できないだろう。それよりも劇場側が手を挙げない雰囲気。

今日の私は誰? 毎日誰かに乗り移っての日常が繰り広げられる。一種のSFみたいなもので、私の好きなジャンルの映画には甘い点となる。夢物語に見えるが、それこそこういう気分、気持ちで毎日を送っている人もいるかもしれない。

そんな風に100年後の世界を見ることが出来たら嬉しいのだが、さすがにそれは夢物語だと断定されてしまう。それでも、毎度のように100年後を夢見ていれば、その時に気が付いてくれる自分を見つけられるかもしれない。夢物語の中で夢物語を語るようになってしまうと、もう生身の人間ではないのかと? と訝りに苛まれる。

『三度目の殺人』

2017年・日本 監督/是枝裕和

出演/福山雅治/役所広司/広瀬すず/斉藤由貴/吉田鋼太郎/満島真之介/松岡依都美/市川実日子/橋爪功

第41回日本アカデミー賞:最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀脚本賞・最優秀編集賞(是枝裕和)・最優秀助演男優賞(役所広司)・最優秀助演女優賞(広瀬すず)・優秀音楽賞(ルドヴィコ・エイナウディ)・優秀撮影賞(瀧本幹也)・優秀照明賞(藤井稔恭)・優秀録音賞(冨田和彦)を受賞した作品をとくと見た。

殺人を認めている犯人、主人公の動機は何だったのかと、弁護士も探しあぐねている。実社会のニュースでいつも語られる犯人の動機について、警察はその動機を調べているというところで終わってしまうが、実はこういう動機だったよという発表を聞くことはまずない。

おもしろいけれど、特段おもしろいと言える映画ではない。この手の映画ならアメリカ映画に到底及ばない。日本映画の特徴は、主要人物に足の悪い高校生を登場させたりするところだろうか。ただセリフを喋っていれば事件が解決したりストーリーが進行する程度の映画にしか見えないのは、観る側の問題なのだろうか。

『リバティーン』(The Libertine)

2004年・イギリス 監督/ローレンス・ダンモア

出演/ジョニー・デップ/サマンサ・モートン/ジョン・マルコヴィッチ/ロザムンド・パイク

原題 The Libertine は「放蕩者」の意味という。ときは1675年ごろ、まだまだ江戸時代の初期、イギリスのロンドンではぬかるんだ道を馬車と人が歩いている。芝居小屋は盛況で現国王様までもが足を運ぶ。国王が舞台を見に来る姿はこの映画ばかりか多くのイギリスものに登場する。ある意味優雅な世界だった。

実際に存在した天才貴族の天衣無縫な生活を描いている。ジョニー・デップにはうってつけの役回り。最後は梅毒で鼻をももがれて若くして死に至る。ちょうど今、大阪での梅毒患者が急増しているというニュースを見た。インバウンドなんて格好良い言葉を遣っているが、結局はその外国人から風俗嬢に梅毒が移り、それを一般日本人がまたうつされるというありきたりな構図が横行しているようだ。

身分階級の甚だしい欧米社会、日本の方が身分制度が厳しいと勘違いしていた若い頃、イギリスなんぞはその典型的な社会のようだ。公・侯・伯・子・男(こう・こう・はく・し・だん)と言われる爵位が敗戦のお陰でなくなったのは、怪我の功名とでも評価できるかもしれない。金持ちはいつまでたっても金持ちでは人間の生きる道がなくなってしまう。アメリカンドリームと称される成功物語は人間の生きる希望だろう。それでも、ドリームなんていらないから目の前の幸せだけを望む人たちだって、相当数いるに違いない。

『復讐のセクレタリー』(La volante)

2015年・フランス/ベルギー/ルクセンブルク 監督/クリストフ・アリ/ニコラ・ボニラウリ

出演/ナタリー・バイ/マリック・ジディ/ヨハン・レイセン/サブリナ・セブク

邦題が物語を説明してしまっている。映画が始まってしばらくすると、あぁこの女性が復讐のためにこの男に近づいてきたのかと。そんな映画がおもしろいはずがない。どうやって復讐をしていくのかの一点だけが見どころになってしまっては、映画も形無しである。

復讐という心情が理解できない。他人に報復の念を抱くことがなかった。自分の方が悪いに決まっていると、常に責任は自分にあるのだと自覚していた。他人を恨めるほど、物事に集中していないのかもしれない。一所懸命他人のために何かをすれば、裏切られた時の心が燃え滾るのかもしれない。

そういう意味では不感症な人間なのだろう、私は。情熱という奴を持ってみたい。パッションという奴を表現したい。夢中になって何時間も喋っていたことは記憶にあるが、何年間も同じ趣味を全うしたことはない。熱中すること、気持ちを持続させることが出来ることも人間のひとつの才能なんだと、つくずく思う。

『禁断のケミストリー』(Better Living Through Chemistry)

2014年・アメリカ 監督/ポサメンティアとムーア

出演/サム・ロックウェル/オリヴィア・ワイルド/ミシェル・モナハン/レイ・リオッタ

薬局の店長を務める主人公、うだつのあがらない風貌で、いつも通り夫婦仲は良くないし、子供にも疎まれる存在。妻の父親が経営する薬局、自分の名前にして欲しいと願っても叶うこともない。薬剤師と言いながら、学校を出ていないというセリフもあり、義父の名義で薬を調合することは可能なのだろうか、と観ている方が不安になってくる。

規制の緩い欧米だって免許を持たない薬剤師が薬を扱うことは出来ないよな、きっと。そんなどうしようもない主人公が、大邸宅に住む有閑マダムと関係を持ってしまう。どうしてこんな組み合わせが出来るのだろうかと訝る暇もなく、二人の仲が急接近する。有閑マダムは夫を殺してくれとまで言い始まる。コメディだが、おもしろい訳ではない。

8週間に1回処方箋を持って薬局に行っている。なんかいろいろなことを訊ねてくる薬剤師だが、なんと答えていいのか分からない。だから、ふんふんとただ頷いてごまかしている。この薬のせいで調子が悪くなったなんていってみたところで、解決策を聞けるわけではないだろう。市販の薬を袋に詰めるだけの薬剤師って、一体どういう意味があるのだろうか。

『ギリシャに消えた嘘』(The Two Faces of January)

2014年・アメリカ/イギリス/フランス 監督/ホセイン・アミニ

出演/ヴィゴ・モーテンセン/キルスティン・ダンスト/オスカー・アイザック

1962年、ハンサムで魅力的に見えるチェスター・マクファーランドとその妻コレットはギリシャに旅行し、アテナイのアクロポリスを訪れた。そこで2人はツアーガイドに扮して観光客に詐欺を行っていたライダルと出会う。2人はライダルをディナーに招待する。ライダルはチェスターの資産とコレットの美しさに魅了されていたため、招待を受けることにした。そして、夫妻のことを自分のガールフレンドに話した。(Wikipediaより)

サスペンス調ながら、サスペンスにならなかったおそまつ物語。ギリシャが舞台でなければ、何の魅力もない映画だったろう。40年前以上、初めての海外旅行でトランジットで立ち寄ったことしかないギリシャ、しょんべん臭いと評判だったあの当時のパルテノン神殿は、今では見違えるような観光名所になっているに違いない。

まさかギリシャまでユーロ貨幣を使うようになるとは思わなかった。ヨーロッパの中でもギリシャの通貨ドラクマは劣等生の最たるものだった。それが一転優等生のようなユーロ圏に入ってしまった。それでも相変わらず、ギリシャが足を引っ張っている状況は変わらないようだ。にもかかわらず、何とかやっていけてしまうことがおもしろい。給料が安いからと結婚を躊躇していた昔の若者、なんとかなるさと結婚に踏み切った人たちが正解だったような状況に似ている。

『幸せになるための5秒間』(A LONG WAY DOWN)

2014年・イギリス/ドイツ 監督/パスカル・ショメイユ

出演/ピアース・ブロスナン/トニ・コレット/アーロン・ポール/イモージェン・プーツ

主人公は4人、いずれも自殺志願者だ。場所はロンドン、飛び降りの名所のビルの屋上、時は大晦日、朝の情報番組の人気司会者や大物政治家の娘、ピザの配達人、寝たきり障碍者の母親まで、映画ならではの話題に事欠かない登場人物たち。日本では劇場未公開だったわけが分かる。

自殺するくらいなら相談してくれればいいのに、とドラマなどでは現実離れしたセリフが多く聞かれる。実際はどうかと言えば、自殺したい人の状況での相談事に親身になってこたえられる人なんているはずもない。そんなことが分かるの、と問われれば、そんなことわかるよと経験者のようなセリフを吐ける。

どう考えたって他人の心の中に入り込むことは不可能だ。したり顔をして分かったようなことを言う奴ほど、信用できない人だ。あくまでも他人であることを意識しなければならない。ちょっと触れ合っただけでもう他人じゃないなんて錯覚する輩もいるだろうけれど、他人であることを意識してこそお互いを尊重し合えるのだと肝に銘ずべし。偉そうなことを言っている。

『キング・オブ・マンハッタン 危険な賭け』(Arbitrage)

2012年・アメリカ 監督/ニコラス・ジャレッキー

出演/リチャード・ギア/スーザン・サランドン/ティム・ロス/ブリット・マーリング

原題の「Arbitrage」とは、「裁定取引」を指す英語。と、言われても、日本語のその「裁定取引」の意味が分からない。裁定取引:金利差や価格差を利用して売買し利鞘(りざや)を稼ぐ取引のこと。サヤ取り(鞘取り)ともいう。ある場所では豊富に存在していて安い商品が、ある場所では極めて貴重で高値で取引されていたとする。その事実を知っていれば、安いところで買い、高いところに持って行って売るだけで、利益を得ることが可能となる。と、聞かされてようやく少しわかった気になれる。

主人公は、一代で莫大な富と名声を築き、家族にも恵まれ幸せな毎日を過ごしているかのように思われた。会社経営の嘘ばかりか私生活での愛人の存在など、一皮むけば普通の人々にも劣る実生活があった。よく言う仮面夫婦などはまだましな方で、粉飾決算をしながら優雅な生活をしている経営者もかなり多いことだろう。なんとか一時期を乗り越えられれば、何もなかった如く富裕層でいられる瀬戸際人生を謳歌しているに違いない。

一生貧祖な生活を我慢しているくらいなら、ほんのひと時だけでも裕福を装って生きていければ、それに越したことはない。どうせ最後は元の貧乏生活に戻ろうとも、1回くらいは人生の華やかさを味わって死んでいく方が、人間らしくていいかもしれないと思うこの頃。

『トゥモローランド』(Tomorrowland)

2015年・アメリカ 監督/ブラッド・バード

出演/ジョージ・クルーニー/ヒュー・ローリー/ブリット・ロバートソン/ラフィー・キャシディ

東京オリンピックの1964年4月22日から翌年1965年10月17日まで開催されたニューヨーク万博での発明コンテストが物語のスタート。米Dolby Laboratoriesが2014年に発表した「放送や動画配信における映像の輝度とコントラスト比を向上させ、色の表現力をも高める」、HD/Ultra HD(4K)の映像信号を対象とし、従来とは異なる2つのアプローチで画質向上を図ったドルビービジョンによる映画。

不思議な映画だった。未来に行って過去を眺めるという目線は特に新しい訳ではないが、映像が伴ってくるとだいぶ違う。夢の中に出てくるような幼心が縦横無尽に頭の中を走り回っているような感覚に襲われた。地球の最後を予言するかのような夢想は、一種の知的障碍者にだけ与えられた才能でしか語れないかもしれない。

人々が齷齪と悪戦苦闘して歩む姿は、先人たちの轍を踏んでいるだけのように見えて仕方がない。それでも、自分の人生にしか責任を持てない人間の集まりは、何かの基準や規則の中でうごめく虫たちでしかないのだろう。今度生まれ変わったら本当に虫になって地球圏外生物となっているかもしれない。夢は恐ろしい。

『バニラ・フォグ』(SIMPLY IRRESISTIBLE)

1999年・アメリカ 監督/マーク・ターロフ

出演/サラ・ミシェル・ゲラー/ショーン・パトリック・フラナリー/パトリシア・クラークソン/ベティ・バックリー

アマゾンプライムでは題名がまた原題のまま「SIMPLY IRRESISTIBLE」では発音も出来ないし、意味も分からなかった。調べてみて分かったのは、「RESIST」の否定語なのだと。接頭語としての「ir-」は「un-」や「in-」と同じような意味合いになるのかな、と英語の本質を知りもしないくせに勝手に想定している。

この邦題は映画を観た人に分かる題名。観ていない人には説明するのが難しい。この手の邦題の付け方は独りよがりだと現役時代に罵っていた。語呂合わせのように、意味が不明確でも心地よい言葉なら、題名としてはあり得る。が、意味を持っているようで、実は説明しなければ分からない題名は最低と言える。

シンデレラ・ストーリーのような話は大好きだ。夢物語がどうやって現実になるのかは分からないが、夢か現実か分からない現実は夢うつつで気持ちがいい。ホントに夢ではないという証明は出来ない。昔から『徒然草』の序段『つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。』を繰り返しぶつくさとのたまっている。

『ファング一家の奇想天外な秘密』(The Family Fang)

2016年・アメリカ 監督/ジェイソン・ベイトマン

出演/ニコール・キッドマン/ジェイソン・ベイトマン/クリストファー・ウォーケン/メアリーアン・プランケット

ケヴィン・ウィルソンが2011年に上梓した小説『ファング一家の奇想天外な謎めいた生活』を原作としている。本作は日本国内で劇場公開されなかったが、2017年3月3日にDVDが発売された。2011年10月27日、ニコール・キッドマン率いるブロッサム・フィルムズがケヴィン・ウィルソンの小説『ファング一家の奇想天外な謎めいた生活』の映画化権を獲得したと発表した。2012年5月8日、デヴィッド・リンジー=アベイアが脚色のために起用されたと報じられた。2013年11月1日、ジェイソン・ベイトマンが監督と主演を兼任し、キッドマンも出演するとの報道があった。2014年5月5日、クリストファー・ウォーケンがキャスト入りした。7月14日、本作の主要撮影がニューヨークで始まった。(Wikipediaより)

『マルコヴィッチの穴』(Being John Malkovich・1999年)を観た時と同じような匂いを感じた。いかにも映画的なストーリーと映像。映画評論素人の私にも感じるこの映画のおもしろさ。玄人評論家もかなり評価したらしい。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには78件のレビューがあり、批評家支持率は81%、平均点は10点満点で6.6点となっているという。

子供は親を選べない。それは道理であり真実でもある。一番腹が立つのは、子供がまだ思考していない期間に宗教で染めてしまうこと。イスラム教でもキリスト教でも、本人が意識して選択できるようになってからの入信なら誰も文句は言えない。ところが、気が付いたら何かの宗教を信じるように仕込まれている現状況は、どう考えたって不思議な現象としか見えない。

『ザ・センチネル/陰謀の星条旗』(The Sentinel)

2006年・アメリカ 監督/クラーク・ジョンソン

出演/マイケル・ダグラス/キーファー・サザーランド/エヴァ・ロンゴリア/キム・ベイシンガー

主人公はシークレットサービス(SS)に勤務する20年来のベテラン警護官であり、レーガン大統領暗殺未遂事件では自ら銃弾を受けて大統領を守ったというSS内でも尊敬の絶えない伝説的な人物だが、女への手癖が悪く、親友で同僚の妻を寝取って仲違いし、そして現在は警護対象である大統領夫人サラ・バレンタインと関係を持っていた。大統領夫人とねんごろだなんて陳腐な設定がちょっとうざい。

大統領を警護するシークレットサービスの仕事の一端を垣間見られて楽しい。それにしても異常に大変だなぁと強く感じる。大統領が一般の人たちと接する機会がある場合、無限の警護が必要にみえる。誰もが平気で拳銃を振り回すことが出来るアメリカにおいて、どうやったら警護などということが可能なのだろうか、とさえ思える。

2020年東京オリンピック、再びやってきた東京での五輪という機会に、準備万端でテロをぶちまかしてやろうと計画している集団はいないのだろうか。私が心配したって何も始まらないし仕方がないことだけれど、そんなことを考えていたら夜も眠れない。一人の逃亡犯を逮捕するのに1か月半以上も要している日本の警察力では、テロを未然に防ぐどころか、テロが起きてもあたふたしている警察官の姿しか想像出来ない。

『オーバーボード』(Overboard)

2018年・アメリカ 監督/ロブ・グリーンバーグ

出演/エウヘニオ・デルベス/アンナ・ファリス/エヴァ・ロンゴリア/ジョン・ハナー

この映画は、1987年に公開された映画『潮風のいたずら』をリメイクした作品、日本国内で劇場公開されなかったが、Amazonでの配信が行われている。という奴を観た訳だ。まったくのコメディで、最後まで行き着くことが考えられないような展開だったが、何とか観終えた。最後はほろっとさせるところが、さすがアメリカ映画。

女手一つで3人の子供を育てている主人公、清掃員やピザの配達など生活費を稼ぐ仕事をしながら看護師の試験に臨むために毎日奮闘していた。これだけなら映画にはならない。コメディーにもならない。もう一人の主人公はこの女性とは対照的な大富豪の道楽息子。この二人の接点にアイディアがある。

金がなくても子供はすくすくと育つを見る思い。周りの友達がいい。現実を見渡したって、仕合わせな環境にいられる人が一番仕合わせに違いない。毎日あくせくと人生を悩みながら生きている人々には、自分の生き方をもう一度見直してみなさいと助言する。見直すったって、何を? と思うだろうが、そんなことは自分が最も知っている人だということを知っているだろう。

『サウンド・オブ・サイレンス』(Don't Say A Word)

2001年・アメリカ 監督/ ゲイリー・フレダー

出演/マイケル・ダグラス/ショーン・ビーン/ブリタニー・マーフィ/ファムケ・ヤンセン

原作はアンドリュー・クラヴァンの小説『秘密の友人』。5人組の銀行強盗団が銀行を襲い、貸金庫から運び込まれたばかりの赤いダイヤを強奪するところから映画は始まる。そして10年後というタイトルと共に、本格的なサスペンス・シーンが満載。マイケル・ダグラスはこの手の映画に超向いている。

子供が誘拐されて脅迫されながらしなければいけない主人公の行動、ちょっとばかり辻褄が合わない、設定の未熟さが気になって映画に没頭できない。言うことを聞かなければ子供を殺すと脅しているが、子供を殺してしまったら脅す意味がない。

アメリカ人の家族愛はこの映画でも健在だ。日本人はシャイなのだろうか、ここまで子供への愛情を示すことが出来る人種には尊敬の念が。アメリカ流に表現するなら、元妻への愛情は消えてしまったかもしれないが、3人の子供たちへの愛情は今でも衰えるyことがない。と、格好の良いことを言っている。

『L.A.ジョーンズ』(L.A. JOHNS)

2001年・アメリカ 監督/Joyce Chopra

出演/ブリットニー・パウエル/デボラ・ハリー/ダグ・デイビッドソン/トーマス・キャラブロ

娼婦が主人公のストーリーだった。そういえば、この頃の映画でこの娼婦を描いた作品が極めて少なくなっている気がする。昔は玄人、素人と厳然たる区別があったはずの男と女の関係、今や誰がプロで誰が素人さんなのかが分からない社会状況となっている。

吉原遊廓、五番町夕霧楼、なんていう言葉を読めもしないし、読んでも何のことか分からない世代が闊歩している。昭和33年の売春防止法施行後から日本もようやく欧米の仲間入りとなったが、日本らしく抜け道がその後もずーっと続いている現状がおもしろい。

HIVなんていう恐ろしい病気も社会の底辺で蔓延しているに違いない。プロが適正に認められていれば、こういった病気を未然に防ぐことも可能だが、自分が保菌者かどうかを知らない素人集がたむろしている今の日本はホントにヤバいことになっている。いつの日かそういう事実が公表されて、なんて考えると末恐ろしい未来しか待っていないような気がする。はやくおさらばできる70才には仕合わせな毎日しか待っていない。

『スワンの恋』(UN AMOUR DE SWANN)

1983年・フランス/西ドイツ 監督/フォルカー・シュレンドルフ

出演/ジェレミー・アイアンズ/オルネラ・ムーティ/アラン・ドロン/ファニー・アルダン

19世紀の末、美術に造詣の深いスワンは、ユダヤ人株式仲買人の息子で社交界の花形的存在である。彼は、ある瞬間から一人の女性への恋の妄想にとりつかれていた。馬車の上で、その女性オデットが胸につけていたカトレアの花を直すために彼女に触れた瞬間から彼女にとりつかれたのだ。(Movie Walker より)

フランス映画によくある訳の分からない映画のひとつに見える。たまにはこういう難しそうな映画を観ておかないと、幼稚な世界に浮遊する乞食のような心になってしまいそうなので、仕方なく観始まり仕方なく観終わるという雰囲気。馬車が主な交通機関のこの時代、おおらかなはずの社会の中でも社交界というところは、なんとまー猥雑な世界なのだろうかと眉を顰める。

フランス人のエスプリという奴がよく分からない。日本での粋(いき)のようなものなのだろうか。気分の悪いものに触れただけで本気になって反吐を吐きたくなってくるこの頃、身体はどんどん鈍感になっているのに、神経はますます敏感になって行くような気がしてならない。

『キングダム』(The Kingdom)

2007年・アメリカ 監督/ピーター・バーグ

出演/ジェイミー・フォックス/ジェニファー・ガーナー/クリス・クーパー/ジェイソン・ベイトマン

サウジアラビアの首都リヤドで、警察官を装ったゲリラ集団が外国人居住区を襲撃し、100人以上を虐殺する。死者の中にはFBI捜査官のフランもいた。アメリカのFBI本部では捜査官を送り込むべきかどうかの議論から映画は始まっていく。眠りにおちるのも早かった。どうしようもなく目があけられない状態は意外と気分がいい。

サウジアラビアで殺されたFBI捜査官に関係のある同じ職場の女性に、同僚が慰めの声を掛ける。「やつらを皆殺しにしてやる!」と。結局5日間だけFBI捜査官がサウジアラビアに送り込まれて、死闘の末今回の首謀者を抹殺することに成功する。もうおじいちゃんのその首謀者の最後の言葉を孫娘が聞いていた。「心配するな!必ず仲間が彼らを皆殺しにする!」と。

綺麗ごとで言う殺し合いを止めなければ、というニュアンスは見事にここで実証されているよな気もするが、敵には目には目を歯には歯をという教えがある限り、右の頬を打たれたら左の頬を出せなんて言う教えはどこかへ行ってしまうのも必然。生き物がふたついれば、争いが必ずおこるものなのだろうか。たぶん、そうなのだろう。

『アンリミテッド』(Tracers)

2015年・アメリカ 監督/ダニエル・ベンマヨール

出演/テイラー・ロートナー/マリー・アヴゲロプロス/アダム・レイナー/ラフィ・ガヴロン

あぁ、これをパルクール(仏: parkour)って言うのか、と妙な納得の仕方をしていた。映像を見れば一発で分かる動作なのだが、それを言葉で説明するのは至難の業であろう。「移動動作を用いて、人が持つ本来の身体能力を引き出し追求する方法」とか「パルクールとは、フランスの軍事訓練から発展して生まれた、走る・跳ぶ・登るといった移動所作に重点を置く、スポーツもしくは動作鍛錬である」と言われても、知らない人にとっては何のことだかちっとも分からないことであろう。

もうちょっと、「障害物があるコースを自分の身体能力だけで滑らかに素早く通り抜けるため、走る・跳ぶ・登るの基本に加えて、壁や地形を活かして飛び移る・飛び降りる・回転して受け身をとるといったダイナミックな動作も繰り返し行われる」と聞くと、少し想像できる人もいるかもしれない。

犯罪がらみのストーリにこのパルクールが組み合わされて、結構ダイナミックな話になっていた。いつも通り男と女の物語も挿入されて、しかも今回は中国マフィアがアメリカでもはばを利かせている現実社会の様子が垣間見られた。日本の闇社会の中国占有率はどのくらいになっているのか、知りたくなってきた。

『海賊とよばれた男』

2016年・日本 監督/山崎貴

出演/岡田准一/吉岡秀隆/染谷将太/鈴木亮平/野間口徹/ピエール瀧/綾瀬はるか/小林薫/國村隼/堤真一/近藤正臣

期待した映画は残念ながらおもしろくなかった。百田尚樹による歴史小説、経済小説。第10回本屋大賞受賞作品、2016年(平成28年)12月で、上下巻累計で420万部突破のベストセラーとなっていたという。そういう噂を聞いているからこその期待値なのだが、そもそも題名だけの知識で、何を期待していたのかさえ自分も分かっていない。

おもしろいということはどういうことなのか、と問われても明確な返事は出来ない。ひとつだけ言えることは、映画を観ている心が次へ次へとシーンの期待感が膨らんでいく状況が必要だということ。映画の内容が暗かろうが明るかろうが、観ている心がわくわくすれば、映画はおもしろいと言える、私の場合には。

岡田准一には映画で何度も出逢っているが、この背広姿の経営者には向いていなかったようだ。侍姿はかなり良かった記憶がある。口髭を蓄えた経営者然というシルエットが、ちょっときばり過ぎているように感じた。映画も、いきなり特撮の焼夷弾シーンが気分を削ぐ。特撮も適切な用い方をしないと、違和感を醸し出す道具になってしまう。原作がもともと大したことがないのか、脚本が悪いのか、役者の力量の問題があるのか、監督の力がないのか。凡庸な映画であった。偉そうに語れる第三者庶民は、なんと気楽なことだろうか。

『フェイク シティ ある男のルール』(Street Kings)

2008年・アメリカ 監督/デヴィッド・エアー

出演/キアヌ・リーブス/フォレスト・ウィテカー/ヒュー・ローリー/クリス・エヴァンス

アマゾン・プライムでの映画の題名は「Street King」という原題のみ。先日も同じようなケースがあったが、なぜ既に付けられている邦題を使わないのかは分からない。一風変わった私生活をしているというニュースのあるキアヌ・リーブス、最近の黒人代表選手のようなフォレスト・ウィテカー、アメリカ映画お得意の警察もの、とくればおもしろくない訳がない。毎回様々な警察事情を見せてくれるアメリカ映画に感謝しなければならない。ただ、いつも不正の温床が警察内部に充満している様子が、偏見を助長するようなきがして心配になる。

極悪人を検挙しなければならない警察の仕事というものは、本気になって命を賭けなければやっていけない。普通のサラリーマンだって、自分の地位と名誉をかけて毎日仕事していなければ、真に影響のあることをを成し遂げることが出来ない。そんな大袈裟なことを考えないで生活しているサラリーマンは多数だが、その多数が凡人サラリーマンなのだ。

今や日本の「交番」が一般人に襲われる時代となってしまった。日本から「交番」制度を輸入したアメリカでは、交番は絶対に襲われないのだという。それはそうだ、アメリカだったらちょっとの不審者だっていきなり拳銃で殺されてしまうリスクがある。日本の警察官は滅多に銃を発射しない。それがアダとなって惨劇が起こってしまうのだ。先日あった交番での警察官による銃殺は、抑止の歯止めとして不埒なことを考える極悪人に影響があるといいのだが。

『ブロークン 過去に囚われた男』(Manglehorn)

2014年・アメリカ 監督/デヴィッド・ゴードン・グリーン

出演/アル・パチーノ/ホリー・ハンター/ハーモニー・コリン/クリス・メッシーナ

小さな街で鍵修理屋を営む老人マングルホーン。息子とは疎遠になり、溺愛する孫ともなかなかふれ合う時間が取れない寂しい毎日を送っていた。孤独な独り暮らしを支えるのは愛猫のファニーと、毎週通う銀行で顔を合わせる受付係の女性ドーンだった。交わす言葉は少ないものの、お互いのペットやおすすめのカフェの話をする短いひと時が、彼にとってはなによりも大切だった。ある週末、マングルホーンが通っているカフェに突如ドーンが姿を現し、この日をきっかけに彼女との距離が縮まり始める。一緒にパンケーキを食べ、週末を彼女の家で共に過ごす。彼女との穏やかな時間を重ね、徐々に閉ざされた心の鍵を開き始めるマングルホーン。だが彼の心の奥底は、過去に愛した女性クララへの未練が今なお支配していて…。(Filmarksより)

アル・パチーノの独り舞台のような映画。もともと演技には自信があるし評価も高い。陥る穴に落ちたような映画に、ちょっと飽きが来るのは仕方のないことか。いつの間にか眠ってしまっていたのは、いつものこと。家族愛への思いが強いアメリカ人が、いつもの通り描かれている。

熱烈に愛し合い、子供を可愛がり過ぎているアメリカ人は、それでも平気で離婚して親権を持とうとする。毎週末交互に親の特権を主張するような生活の中で、子供たちは逞しく育っていくのかもしれない。蝶よ花よとはぐくまれるのが日本的な可愛がり方だが、どの点を取ってもまったく正反対の指向が見える日本とアメリカ、それでもお互いに無い物を尊重する文化が根付いているような気がする。

『バッド・バディ! 私と彼の暗殺デート』(Mr. Right)

2016年・アメリカ 監督/パコ・カベサス

出演/サム・ロックウェル/アナ・ケンドリック/ティム・ロス/ジェームズ・ランソン

ヒットマンと失恋女子との恋愛とアクションを融合させたコメディ映画。こんな解説の序を聞いても想定すらできない映画。内容もその通りで、何がなんだか分からない進行、製作者グループだけが喜んでいるような映画作りに見えている。まだ、観終わっていないが、とりあえず最後まで行ってみよう。

最後まで訳の分からない映画だった。難しいというのではなく、登場人物の相互関係がイマイチ分からなかったのだ。そんな中主人公の二人の愛がメインテーマとなっているのだろう。殺しのプロの男と失恋ばっかりしていいるダメ女のプロとの愛は、男と女の世界には他人には推し量ることのできない不思議な世界が存在することを確認させてくれる。

これまでどれだけの女性を好きなって、何度ふられたことだろう。思い返しても、たいした回数を経験していない。それよりも、妄想の世界で恋をして失恋していたのではないかとさえ思える。もしかすると何度かは恋の現実社会もあったのかもしれない。でもそんなことを思い出せないくらい、遠い昔のことだった。

『マイ・ボディガード』(Man on Fire)

2004年・アメリカ 監督/トニー・スコット

出演/デンゼル・ワシントン/ダコタ・ファニング/ラダ・ミッチェル/クリストファー・ウォーケン

久々の骨太映画だった。主人公はかつて米軍の対テロ暗殺部隊に所属していたが、現在はアルコール中毒で生きる目的を失っていた。メキシコで会社経営者の娘のボディーガードの仕事を友人から紹介されて、最初は子供に興味を抱くこともなく、「俺は君の友達じゃない」と冷たくあしらったりもしたが、次第に彼女に対し父親のような感情が芽生え、水泳や勉強を教え、家庭教師的な役割も果たすようになった。

そこから先がこの映画の骨。2時間26分と長尺、もう終わるだろうと思っていたがなかなか終わらない。最後の最後まで主人公の意思を見せたいようだった。デンゼル・ワシントンは勿論だが、普段は悪役の多いクリストファー・ウォーケンの友人がなかなか良かった。

誘拐罪は何処の国でも罪は重い。しかもリスクが大きいのに一向に減らない。どころか、メキシコの子供誘拐事件は頻発しているという。多大な金額を搾取出来ると踏んでの悪行を実行しようとする人間の業が酷い。息をつかせぬ展開が待っていた。70才の爺さんには目の前の自分に起こっている奇跡のような事態に対処するのが精一杯。

『今日、キミに会えたら』(Like Crazy)

2011年・アメリカ 監督/ドレイク・ドレマス

出演/アントン・イェルチン/フェリシティ・ジョーンズ/ジェニファー・ローレンス

ロサンゼルスの大学に留学していたイギリス人のアンナはそこでジェイコブと恋に落ちる。しかし、アンナはビザの期限が過ぎても帰国しなかったために強制送還されてしまい、2人は遠距離恋愛をすることになる。距離と時差に阻まれた2人の気持ちは揺らぎ始め、ジェイコブはサマンサという新しい恋人まで作るが、それでも互いに離れられないジェイコブとアンナはイギリスで結婚する。結婚したことでアンナのアメリカへの入国許可はすぐに得られると思われたが、なかなか許可は下りない。その焦りが2人の間に深い溝を生み、その結果、ジェイコブはサマンサとよりを戻し、アンナは隣人のサイモンと同棲するようになる。しかし、サイモンがアンナの両親の前でアンナに求婚したことから、アンナの気持ちは大きく揺らぐ。そして、ちょうどアンナのアメリカへの入国許可が下りていたことから、アンナとジェイコブはアメリカで2人で暮らすことになる。はた目には上手く行っているように見える2人だったが、2人の間にかつてのような熱い思いはなくなっていた。(Wikipediaより)

ありふれた恋愛物語。初恋のような心がときめく二人だが、映画からはその初々しさが伝わってこない。何とも言えない、あのあまずっぱい気持ちをセリフとしぐさで表現するのが映画の役目だろう。それが出来なくては、大したことのない映画と評価されても文句は言えない。

偶然のように、あるいは必然のように出会う男と女。そこから先へどう進むのかは本人たちにも分かっていない。だからこそ人生は楽しいの一点だが、苦しんだり悩んだりしないで、楽しいことだけがいつも自分の周りにあればいいのにと、思うことは同じでも現実は百人百様。

『セントラル・インテリジェンス』(Central Intelligence)

2016年・アメリカ 監督/ローソン・マーシャル・サーバー

出演/ドウェイン・ジョンソン/ケヴィン・ハート/エイミー・ライアン/ダニエル・ニコレット

アクションコメディ映画と解説されている。確かにアクションはふんだんに用意されているが、まずはコメディーというところだろう。どんな映画か分からい始まりの音楽でもコメディだと分かるのがおかしい、たいしたものだ。

ひとりのCIA職員を大勢のCIA職員が追っかけている。どちらが正義なのか皆目見当がつかない。お笑いにも素直なストーリーでは満足できないアメリカ映画がある。気楽に観られるコメディは本場に限る。おかしな動作やギャグで笑わせよう、笑わせようと無邪気にけたたましい日本のお笑いがとてもじゃないけど我慢が出来ない。

それにしても日本のテレビに出てくる人たちの大半がお笑い芸人とは、どういうことだろう。ワイドショーには別の専門分野の達人が出始まって、ところてん現象のようにお笑い芸人はニュース・ショーにまで足を踏み込んできた。それで十分な話術を観たりすると、今までの専門職たちはいったい何者だったのだろうと、かえって疑ってみたりすることになる。

『Re:LIFE~リライフ~』(The Rewrite)

2014年・アメリカ 監督/マーク・ローレンス

出演/ヒュー・グラント/マリサ・トメイ/ベラ・ヒースコート/J・K・シモンズ

ヒュー・グラントはいい男なのにこの手のコメディ映画がよく似合う。ちょっと猫背気味の格好が終始印象的で、どの映画も同じように映るのが最大の欠点かもしれない。人間はちょっともったいないくらいが一番ふさわしいので、彼の映画人生はこれでいいのだろう。

ハリウッドで一発屋のように成功したかにみえた人生も、柳の下にドジョウの2匹目がそう簡単に生息してはいなかった。片田舎の公立大学に脚本を教える講座を紹介されて、嫌々ながら二足の草鞋を履くことになる。俳優の名前を出して粋がってみたところで、自分の人生の先行きは誰にも分からない。

自分の天職はいったい何なのだろうか、などと真剣に悩んだことがない。自分に出来ることがどれだけあるのか、などと考えたこともない。小学生のうちから、将来はユーチューバーになるんだと宣言できる子供たちが羨ましい。20才過ぎてからだって、自分はいったい何者で、何を職業として生きていくのかをイメージしたことすらなかった。だから、今、70才にもなってまだまだ見知らぬ世界を彷徨い続けているのかもしれない」。

『マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ』(Maggie's Plan)

2016年・アメリカ 監督/レベッカ・ミラー

出演/グレタ・ガーウィグ/イーサン・ホーク/ジュリアン・ムーア/ビル・ヘイダー

マギー・ハーデンはアート関係の仕事に携わりつつ、大学でデザインを学んでいた。あるとき、彼女は子供が欲しいと思うようになり、旧知のガイ・チャイルダーズから精子の提供を受けた。大学で、マギーは文化人類学者のジョン・ハーディングと知り合いになった。彼はコロンビア大学で教鞭を執るジョーゼットと結婚していたが、全てを研究に捧げる妻に嫌気がさしていた。その後、2人は大学でよく顔を合わせる関係になり、ジョンはマギーに「私は小説を書き進めているのです」という秘密を明かした。ジョンの小説を読み始めるようになったマギーは、それ以来、彼と小説の話をするようになった。

マギーがチャイルダーズの精子を注入しようとした矢先、ドアのベルが鳴った。マギーがドアを開けると、そこにはジョンが立っていた。ジョンは彼女に「君に惹かれているんだ。子供の父親になりたい」と告白した。それから3年後、マギーとジョンは結婚し、娘のリリーとジョンの連れ子2人と共に幸せな生活を送っていた。しかし、マギーは自分の仕事を後回しにして子供3人の世話と夫のサポートに明け暮れている現状に不満を抱いていた。ある日、リリーと散歩に出かけたマギーは、チャイルダーズにばったり会った。リリーの顔を見たチャイルダーズは彼女を自分の娘だと勘違いした。リリーがジョンの娘だと知ったチャイルダーズは複雑な気分になった。

そんなある日、ジョーゼットがまだジョンを愛していると痛感したマギーは、魅力を失いつつある夫をジョーゼットに返す算段を整え始めた。(全部 Wikipedia より) 実は、ほとんど観ていない。すっかり眠りに陥って、気が付いた時にはまだやっていたが、それからまた眠ってしまい、結局観たのは最初の何分だったのだろうか。こうした場合、最初に戻って観直すこともあるのだが、今回はそんな気になれなかったので、こうして観たようなふりをして全文引用という今風学生のような所業と相成った。

『ラストスタンド』(The Last Stand)

2013年・アメリカ 監督/キム・ジウン

出演/アーノルド・シュワルツェネッガー/ロドリゴ・サントロ/フォレスト・ウィテカー/ピーター・ストーメア

シュワちゃんは日本流に言えば同級生の年齢、1947年生まれだ。この映画の撮影時は66才だったろうか。かなりのよぼよぼに見える。アクションはわざわざ年寄り然としている節はあるけれど、顔のしわにねんきを感じる。

FBIというアメリカ全国組織の命令を無視してしまう小さな町の保安官、西部劇でも見ているような面白さ。軽くていい。映画そのものの評判は良かったらしいが、前々年に発覚した隠し子スキャンダルの影響や、前年の銃乱射事件(サンディフック小学校銃乱射事件)の影響で興行は思う通りにはいかなかったようだ。

かつてロサンゼルス市警察の敏腕刑事であった主人公が、歳をとって活躍するのは正義の味方が登場するようなもの。映画の定番ではあるし、老体に鞭を打って頑張っている姿を観ていると、応援せざるを得ない映画になっているような。

『トム・クランシー/CIA分析官 ジャック・ライアン』(Tom Clancy’s Jack Ryan)

2018年・アメリカ 監督/

出演/ジョン・クラシンスキー/アビー・コーニッシュ/ウェンデル・ピアース/アリ・スリマン

2018年8月31日から配信されたアマゾン・オリジナル・テレビ映画だ。シリーズ1のエピソード1から観始まるわけだが、一体このテレビシリーズがどこまで続くのかをまったく知らないで観始まってしまった。滅多に観ることのないテレビ映画シリーズ、なにしろ観始まったらとめるのが困難だと自分で分かっているから困る。シリーズ2の製作発表はすでになされているらしい。

エピソードは8まであった。一日目に5まで観て疲れ果て、それでも翌日の午前中には6、7と観終わっていた。トム・クランシーの創作した小説シリーズのキャラクターであるジャック・ライアンが主人公、CIA分析官、元海兵隊員で元投資会社勤務。経済学博士。なかなか魅力にあふれる主人公だ。

このシリーズを短縮して劇場用映画にしたものを観たような気がしていたが、あれは幻だったのだろうか。調べても、それらしき映画を探すことは出来なかった。でも間違いなく観ているはずなので、ゆっくりと調査してみよう。その幻想がなければ、このテレビ映画にここまで入り込むことは出来なかっただろう。まぁ、よく7時間も一所懸命観ることが出来た。自分をほめたい。

『フリーランサー NY捜査線』(Freelancers)

2012年・アメリカ 監督/ジェシー・テレロ

出演/カーティス・“50 Cent”・ジャクソン/フォレスト・ウィッテカー/ロバート・デ・ニーロ

アメリカで本作は拡大公開されず、ニューヨークとロサンゼルスの一部の映画館で限定公開された、とWikipediaに書かれていたが、どういう訳で拡大公開されなかったのだろうか。評価の項目には、本作には否定的な評価が多かった。ニューヨーク・ポストのロウ・ルメニックは「名優ロバート・デ・ニーロの2012年に出演した映画の中で『レッド・ライト』の次にひどい作品だった。彼は昔の刑事ドラマのパロディのような演技をしている。」と述べた。と書いてあった。

全米公開に耐えられないと。製作、配給会社が考えたのだろう。映画という商品は、墓穴を掘らないように、当たらないと分かったら余計なことをしないのが鉄則なのだ。映画館で公開するのにどれほどのお金がかかるのかを観客はさほど知る由もない。直接的には宣伝費、フィルムを焼き増す費用があり、間接的にはその時間に仕事を費やす人件費がある。勿論、当たるか当たらないのか、ホントのところは分からない。分かっていればそんな簡単なことはない。宣伝すればするほど評判の悪さが伝わってくる。そういう経験はトラウマだ。

アメリカでは結構一般的な警察ものだからこその、観客の厳しい目なのだろう。警察内部の腐敗を描いた映画が多いのも特徴的だ。この映画はその最たるものかもしれない。そんな姿をもう見せてくれるな、ということではないだろう。おもしろければ、そんな理由で全国公開がなくなるなんてことがないのがアメリカのはずだ。

『はじまりのうた』(Begin Again)

2013年・アメリカ 監督/ジョン・カーニー

出演/キーラ・ナイトレイ/マーク・ラファロ/ヘイリー・スタインフェルド/アダム・レヴィーン

2013年のアメリカ合衆国の音楽映画。監督および脚本は、『ONCE ダブリンの街角で』の監督であるジョン・カーニー。主演はシンガーソングライターを演じたキーラ・ナイトレイと音楽プロデューサーを演じたマーク・ラファロ。マルーン5のアダム・レヴィーンが映画初出演。劇中歌『Lost Stars』が第87回アカデミー賞の歌曲賞にノミネートされた。(Wikipediaより)

こういう説明を読んでもピンとこない。映画は大好きだが、同じ映画を何度も見て考察をする類の映画ファンではない。映画は毎日3度は食べる食事のようなもの。トマトを食べたら、こんな栄養素があって、身体のこういうところにいいんだ、とか思いながら食事をしている訳ではないのと同様。観る映画の何かが身体の底に積もっているはずだ。それでいいのだ。

解説のようないい音楽ではない。アメリカの楽曲変遷を知ったけれど、今の日本の楽曲の方が遥かに優れている。アメリカの曲は何を聞いてもビートが同じ。ラップみたいにただ詩を変えてしまえば違う曲になっているような気がする。おもしろくない。日本の曲だって同じようなものだが、それでもアメリカの楽曲よりはましだろう。

『セイフ ヘイヴン』(Safe Haven)

2013年・アメリカ 監督/ラッセ・ハルストレム

出演/ジュリアン・ハフ/ジョシュ・デュアメル/デビッド・ライオンズ/コビー・スマルダーズ

サスペンス調のストーリーが続いて行くが、殺人犯としてアメリカ全土に指名手配された主人公が、なぜそうなったかの謎解きが他愛なく緊張感が一気に緩む。ドメスティック・バイオレンスから逃れてきた主人公、始末の悪いことに夫は刑事だった。

子供の躾にも暴力は絶対ダメだという世の中になって、げんこつで頭をこつんとやっても暴力だと訴えられる場合もあるのがうざい。明らかなる暴力とこつんが同時に論じられるのが、一般社会では通常あり得ない。法律の専門家は馬鹿だから、暴力は区別できないから、線引きが難しいから、こつんでもダメなんだよと、分かったような御託を並べる。線引きが難しい時はそれこそ裁判をすればいいんであって、こつんが暴力だなんて決めつける方が非常識というものである。だから頭をなでなでしたってセクハラだなんて訴えられてしまうのだ。

人間なんて間違ったって相手の心になることは出来ないのだから、どんな人に対しても初心を忘れず一線を画して接しなければいけない。なまじ馴れ馴れしく振る舞うことは、タガが緩んでしまって失礼な態度に至ることを肝に銘じるべしだろう。甘えるところは甘え、他人の愛を感じることは重要なことだが、それよりも自分が他人をいかに愛せているかの人間力の方が、もっと重要なことなのだ。

『オール・ザ・ウェイ』(All the Way)

2016年・アメリカ 監督/ジェイ・ローチ

出演/ブライアン・クランストン/アンソニー・マッキー/メリッサ・レオ/フランク・ランジェラ

サブタイトルが「JFKを継いだ男」。そう、我が愛するジョン・F・ケネディがダラスで暗殺されて運ばれた病院で、息をひきとるところから映画シーンは始まる。高校時代はケネディーの大統領就任演説にメロディーを付けたレコードを擦り切れるほど聞いて喜んでいた。その大統領演説は、最初の数行を暗記することに悦びを感じていた。

大統領を「引き継いだ」ジョンソン大統領のことをほとんど知らないなぁ、とこの映画を観ながら強く感じた。当時はアメリカ事情を知る術は、高校生では到底かなわなかった。そこらあたりでもっと自分が優秀であるなら、いろいろな手立てを講じて知りたいことを知っただろうに。もっとも、まだ何も知らない人間の出来損ないのような存在には、明日のことさえよく分かっていなかった。

明日のことさえ分かっていなかったことについては、今だって同じようなもの。いつの間にか本人が知らないうちに息をひきとって、知り合いがどう自分を評価していたのかを天国から眺めることになるのだろう。生きている間は、評価されない偉大な芸術家と同じように、凡人たる我々だってきっといつの日にか懐かしんでもらえる時が来るかもしれない。

『マクリントック デジタル・リマスター版』(McLintock!)

1963年・アメリカ 監督/アンドリュー・V・マクラグレン

出演/ジョン・ウェイン/モーリン・オハラ/パトリック・ウェイン/ステファニー・パワーズ

かつての邦題は『大西部の男』だったという。デヴリン役のパトリック・ウェインはジョン・ウェインの息子である。なんといっても西部劇の帝王ジョン・ウェインはいい。安心して映画を観ていられる。時代としての西部劇時代のおおらかさにいつも圧倒される。

珍重される女の存在も見逃せない。この映画でも主役は女。ジョン・ウェインも形無しといったところ。女性の肩に手を触れただけでセクハラと訴えられる時代となっては、男はいつだって両手を挙げて生活しなければならなくなった。

デジタル・リマスター版が出来るようになってから、往年の名作が美しいスクリーンで見られるようになったことは非常によかよか。モーリン・オハラという女優の作品を記憶にとどめていない。たくさんの作品に出ているはずだが、この美しい女優が出演している作品を残念ながら想い出せない。

『ディス/コネクト』(Disconnect)

2012年・アメリカ 監督/ヘンリー=アレックス・ルビン

出演/ジェイソン・ベイトマン/ホープ・デイヴィス/フランク・グリロ/ポーラ・パットン

もう6年も前になると、映画で描かれていることがちょっと古く見えてしまうのが、ITやパソコンの世界。この映画での通信はチャットだ。日本なら今やLINEだろうし、アメリカならワッツアップ(WhatsApp Messenger)が圧倒的に使われているだろうから、チャットだけの世界は考えられない、という恐ろしい世界がITなのだ。

よく言うSNS世界での中傷は大問題。生徒、学生どもはSNS命みたいなところしかなく、年がら年中スマホをいじっているから、やることがなくなり遂には他人に干渉し始まるから始末におえない。面と向かっては言えないことを、陰口のように公にして楽しむすべを覚えてしまう。ネクラが本音の人種程どうにもならない。

映画で描かれることは遅くても2年後には現実化するのが通常。フェイスブックにしてもツイッターにしても、はたまたインスタグラムにしても自分だけで完結していればいいものを他人を巻き込んで悦に入っている奴ばかり。ほっといて欲しい人までも巻き込んで、今やどうしようもないカオスの世界を創ってしまっている。一体、この世界はどうなって行くのだろうか。100年後をこの目で見てみたいと、いつも言っているけれど、特にこのITの世界がどうなっているのかは極めて興味のある事柄だ。

『君の膵臓をたべたい』

2017年(平成29年)・日本 監督/月川翔

出演/浜辺美波/北村匠海/大友花恋/矢本悠馬/桜田通/森下大地/上地雄輔/北川景子/小栗旬

久しぶりに、一気に観た。活字世界に疎い自分には題名の「すいぞう」すら読めなかった。本屋大賞」2016第2位、「ダ・ヴィンチBOOK OF THE YEAR 」2位、「2015年 年間ベストセラー」6位、「読書メーター読みたい本ランキング」1位、「埼玉県の高校図書館司書が選んだイチオシ本2015」1位、「2016年年間ベストセラー」総合5位、文芸書1位、「2016年 年間ベストセラー」総合4位、単行本フィクション1位と高く評価されていた。

70才のおじいさんが高校生の恋に心が揺さぶられている。主人公の相手方が余命1年という特殊事情がこのストーリーの命となっている。でもおもしろい物語を考えるものだよね。住野よるのデビュー作ということらしいが、活字で読んでもかなり心を惹かれるものなのだろうことが想像できる。原作は高校生時代だけだったようだが、映画ではその12年後がストーリーの表舞台となっている。フラッシュバックの高校生時代の方が時間を多く描かれているのがなかなかいい。

日常的な言葉遣いながら、丁寧に喋り言葉が構築されている。若い頃に「男」と「女」の友情は存在するのか、などとつまらないことを自問自答し実践してきたことを想い出した。物語の二人の主人公が遊ぶ「真実」と「挑戦」ゲームをやってみたくなった。心が少し若返ったような気がする。老いていようと若返ろうと誰にも迷惑を掛けない、そんなことを考えて生きているのはいけないことだと主人公に教えられた。

『トレマーズ』(Tremors)

1990年・アメリカ 監督/ロン・アンダーウッド

出演/ケヴィン・ベーコン/フレッド・ウォード/フィン・カーター/マイケル・グロス

アメリカで制作されたパニック映画のシリーズである。1990年1月にロン・アンダーウッド監督の第1作が劇場公開され、この成功を受けて2015年までにビデオ公開の続編が第5作まで製作された他、『トレマーズ・ザ・シリーズ』というテレビシリーズが製作されている。(Wikipediaより)

三流映画を堪能した、と書いておこう。実際には堪能するという感じではなく、こういう映画がリアルタイムで当たったのだろうか、とか、当たらなかったとしてもこの手の映画はよくよく作られたよな~、なんていうことを想いながら観ていた。映像にしてもストーリーにしても、今から考えれば子供だましの域を超えていないが、映画の発展の中ではこういうプロセスも必要だったに違いない。

『ジョーズ』(Jaws)が1975年に超大ヒットしてからは、これまでの映画の得意分野であるパニック映画は全盛時代を迎えたのだ。その後のCG映画や3D映画、そして4D映画へとよりエンターテインメント性が本格化して行った。そのたびにストーリーは希薄になり、ただの見た目が重視され、本物の映画ファンが映画館から離れてしまったのではなかろうか。そうでなければ、観たばかりの『銀魂』なんていう映画がヒットすることがあり得ないはずなのに。

『銀魂』

2017年(平成29年)・日本 監督/福田雄一

出演/小栗旬/菅田将暉/橋本環奈/柳楽優弥/新井浩文/吉沢亮/早見あかり/ムロツヨシ/長澤まさみ/岡田将生

「世も末だ!」なんていう言葉を自分が吐く年齢になってしまったのか? 小河さん、こんな映画も観るんだ? と問いかけられそうな気がしている。録画したタイトルに「2017年実写邦画No.1 大ヒット作!地上波初放送」と書かれていたので、ひとまず観なくては、と思い立って観た次第。

最初から期待していないが、始まって早々に早回しを使うことになろうとは想定していなかった。それでもモニター画面を凝視することが出来なかった。何をとち狂ってこういう映像が現れるのか、とてもじゃないけど信じられない。こういう映画が大ヒットって、それは嘘だろうと叫んでみた。

何処のシーンを切り取っても同じようにしか見えない。そういえば、アイドルと言われるしょんべん臭い女どもの顔を区別するのにも苦労する。一見可愛い雰囲気は伝わってくるが、よくよく見ると作られた美形のような感じが圧倒的。たまにはホントにかわいい子がいるが、そういう人さえも飲み込んでしまいそうな類似性がうざくて仕方がない。もう年寄りもここまでくれば優等生。はやく墓場に両足を突っ込んで、姿を消してしまわなければならない。

『ブラジルから来た少年』(The Boys from Brazil)

1978年・アメリカ 監督/フランクリン・J・シャフナー

出演/グレゴリー・ペック/ローレンス・オリヴィエ/ジェームズ・メイソン/リリー・パルマー

本日は2018年8月19日(日曜日)。たまに日にちを入れておかないと、あとから見返したときに、この映画はいつ観たんだろうという単純な疑問に答えられない。誰が読むわけではないのに、そんなことを気にする方がおかしい。この『最近観た映画』欄は基本的に観た順に並べれれているので、万が一にこれらの感想欄を見る人がいれば、そういう風に見てもらえれば、どこかに日付が入っていますのでご了承ください、ということになる。

1日で観終わることのないこの頃の映画鑑賞。まったく内容を知らないで観始まるケースがほとんどだが、この映画のタイトルからは想像できない物語だった。なかなか興味深い映画だった。(以下、Wikipediaより)ブラジルでヒトラーのクローンを再生させようとする科学者ヨーゼフ・メンゲレと、それを阻止しようとするナチ・ハンターのユダヤ人・リーベルマンとの葛藤を描く。同じくメンゲレについて取り上げたスレイヤーの「エンジェル・オブ・デス」にフレーズが引用された。

ヨーゼフ・メンゲレ(Josef Mengele, 1911年3月16日 - 1979年2月7日)は、ドイツの医師、ナチス親衛隊 (SS) 将校。 親衛隊大尉。第二次世界大戦中にアウシュヴィッツで勤務し、収容所の囚人を用いて人体実験を繰り返し行った。実験の対象者やただちにガス室へ送るべき者を選別する際にはSSの制服と白手袋を着用し、クラシック音楽の指揮者さながらに作業にあたったと伝えられ、メンゲレの姿を見た人々からは恐れられた。人種淘汰、人種改良、アーリア化を唱えるナチス人種理論の信奉者であったが、その持論はまったく異なった独特の思想である。愛称のベッポ (Beppo) は、Josefのイタリア語読み「ジュゼッペ」 (Giuseppe) に由来する。戦後は南米で逃亡生活を送り、ブラジルで海水浴中に心臓発作を起こして死亡した。

『王様のためのホログラム』(A Hologram for the King)

2016年・アメリカ 監督/トム・ティクヴァ

出演/トム・ハンクス/アレクサンダー・ブラック/サリタ・チョウドリー/シセ・バベット・クヌッセン

デイヴ・エガーズの小説を『クラウド アトラス』のトム・ティクヴァ監督、トム・ハンクス主演で映画化。ティクヴァは原作本が発売されてわずか2日後にエガーズにコンタクトを取り、映画化を申し出たという。(Wikipediaより)

その割にはおもしろくない。活字と映像の違いなのか、監督の力不足なのか。同じことの繰り返しがうざい。不覚にも? また知らぬ間に眠りに落ちてしまった。この頃は眠気を感じないのに、突然寝ていて驚いている。寝覚めはいいが、起きた直後は体調不良になるのも辛い。

舞台はサウジアラビア、アメリカが他国を描く時に、どうも多少の蔑視があるように感じる。日本や日本人が出てくるときはよく分かる。こんな風に日本人は見られているのか、とがっかりすることが多い。もっとも、日本人ではなく中国人や韓国人を日本人に見立てていることも。日本人にだって見かけからは区別のつかない人種なら、致し方ないのかもしれない。

『ダーティ・グランパ』(Dirty Grandpa)

2016年・アメリカ 監督/ダン・メイザー

出演/ロバート・デ・ニーロ/ザック・エフロン/ゾーイ・ドゥイッチ/オーブリー・プラザ

いやぁ~、くそ汚い言葉のオンパレード。ネイティブのアメリカンは顔をしかめたり、大笑いするのだろう。字幕で読んでも、その原点のお笑いを感じられないのが辛い。永久に解決しないこの問題は、ネイティブ以外の人が抱えている。分からない方が良いかもしれないほどの酷いものに見えた。

ロバート・デ・ニーが祖父役を平気で出来る時代となった。死ぬまで役者は職業を続けられる。羨ましいが、役者をやれなくなった時のショックは凡人には及びもつかないことだろう。軍人と本物の戦争を経験しているこの祖父世代の人間は強烈だ。日本人の軍人は全員が敗戦を経験してしまっているので、アメリカの軍人上がりとはちょっと違うのかもしれない。

ここまで人生の一瞬でも謳歌出来たら最高だろうな、と思わせるシーンの連続。つまらない規則や規範を忖度して、なんの自由もない時間を過ごしてきた過去を振り返って、なんとつまらない人生だろうとつくづく思う。守るべきものは何なのか、そういう人間の人生を学んでもう一度人生を出発しよう。

『セル』(Cell)

2016年・アメリカ 監督/トッド・ウィリアムズ

出演/ジョン・キューザック/サミュエル・L・ジャクソン/イザベル・ファーマン

いやぁ~、おもしろくなかった。久しぶりに速回しをしなければいけないほどだった。原作はスティーヴン・キングで、脚本も担当しているというが、とても信じられないような出来の悪さだ。日本の幼稚なホラー映画の影響を受けたのではないかと思われるほどの酷さに驚きを感じる。スティーヴン・キングは、今まで映画界では絶大なる信用と信頼があったはずだ。

なんといってもゾンビが携帯電話を持っている人から増殖していくという、アメリカ人には小さな発想が考えられない。テレビの画面から怨霊が出てきたり、ビデオを見ていたらそうなったとか、よくもそんな稚拙な発想があるもんだ、と歯牙にもかけないのが普通の大人。オタク文化が世界を席巻してくると、それを馬鹿にしていた人種が小さくなっていなければならない。

見えないもの、見えないことを信じる心の存在は理解できるが、現実を見てみればすぐに吹っ切れる幻想だと分かるはずなのに。妄想ばかりを抱いて人生を生きていく人は結構多い。そうでもなければ、生きていかれないのかもしれないし、それが唯一の信じられることかもしれない。人生は奥が深い。

『サウスポー』(Southpaw)

2015年・アメリカ 監督/アントワーン・フークア

出演/ジェイク・ギレンホール/フォレスト・ウィテカー/ナオミ・ハリス/カーティス・“50セント”・ジャクソン

いやぁ~!おもしろかった。贅沢を言ってここのところをもう少し直してくれれば、なんていう見方はそれこそ不謹慎。ボクシング物はそれなりに見ていると思うが、ファイティング・シーンでは一番だろう。なんといっても、スポーツもので最悪なのはその主役となるべきスポーツ・シーンに素人臭がするとき。

アメリカの日常の中で親の育児義務を問う場面がよく出てくる。日本での親の法律的義務はあるようでない印象が深い。何度もチャンスを逃して子供が虐待死しているニュースが時々あるのは、法律の運用に不可があるということなのだろう。その点アメリカでは、強制的に保護施設に預けられるシーンをよく見る。どちらがどうのというより、子供を守るという視点がクローズアップされている法整備の基本がしっかりしているように感じる。

実話に基づく映画のような雰囲気だったが、どこにもそれらしき記載は見つからなかった。上映時間2時間3分と長編だ。1時間45分を超して行くと、やっぱり長いなぁ~と思えるのは習慣病みたいなものなのだろう。昔のテレビ放映は酷かったことを想い出す。2時間の映画放映時間枠だが、実際には1時間30分までのものでないと、無残にもブツブツとフィルムを切って放映していた時期があった。それでも映画の視聴率はキラー・コンテンツだったことがあったなんて、今の若者には信じられないことだろう。昭和の時代の遺物のひとつ。

『殺したい女』(Ruthless People)

1986年・アメリカ 監督/ジェリー・ザッカー/ジム・エイブラハムズ/デヴィッド・ザッカー

出演/ダニー・デヴィート/ベット・ミドラー/ジャッジ・ラインホルド/ヘレン・スレイター

ブラックコメディ映画だとジャンル分けしていた wikipedia だが、その wikipedia にはブラックコメディの説明はなかった。大辞林第三版の解説によるとブラックコメディとは「風刺や不気味さ、残酷さを含んだ喜劇」と定義されていた。ある個人のページには「映画の世界だから許せる!現実じゃ笑っちゃいられない!」映画がブラックコメディ映画だと書いてあって、なるほどと思わせる。

監督が3人もいて不思議な映画だ。なんとも言いようのないドタバタ劇は複数監督のせいかもしれない。ブラックコメディだなんてちゃんちゃらおかしくなる。何処がブラック? と、聞いているのは私だけではないだろう。日本流にいうドタバタ喜劇そのものの映画だ。

ダニー・デヴィートは、シュワちゃんと双子の兄弟になった『ツインズ』(Twins・1988年)の時が結構はまっていた。一人役者だと、どうしてもその風貌からくる演技がくどくなってしまう。日本でのくだらないお笑い芸人が、ひたすら笑わそうと喋ったり演じたりする姿がその代表的なもの。くどいとつまらない。さりげない中に笑いが詰まっていなければ。というのが自分のお笑いに対する偏見である。

『もういない』(Assassinee)

2012年・フランス 監督/ティエリ・ビニスティー

出演/パトリシア・カース/セルジュ・アザナヴィシウス/マリエ・ヴィンセント/Jean-Paul Comart

キャシーは朝からテキパキ準備を進めていました。 娘・エバが二十歳になるので、バースデーパーティーを計画していたのです。 そんな喜びの中、エバが残酷に殺されたという衝撃的な知らせが、キャシーの人生を狂わせます。(Amazonビデオより)

久しぶりのフランス語に懐かしい感じがした。ただひどく誤字だらけでアマゾンの品格すら問いたくなる思いだった。1作3万円くらいで発注しているのではなかろうか。それにしても酷い。チェック機能が全くない字幕スーパーなんだろう。「倒産と母さんが・・・」なんていう字幕、考えられます。勿論、父さんと母さん・・・が本当なのだが、ここまでノーチェックのものを流して「見放題」を謳うアマゾンの神経を疑う。

暗い映画だった。なかなか進展しないストーリーにもイライラする。死んでからでないと分からない「愛」や「絆」が描かれているが、人間の本性なのだろう。無い物ねだりが大好きな人間社会。隣の芝生は青くていいじゃないの、と思える人生の方が幸せなのになぁ~。

『ナイスガイズ!』(The Nice Guys)

2016年・アメリカ 監督/シェーン・ブラック

出演/ラッセル・クロウ/ライアン・ゴズリング/アンガーリー・ライス/キム・ベイシンガー

ラッセル・クロウが免許も持たない探偵役でコメディだなんて、考えたくもない配役。しかも、おもしろくない。アメリカ映画にはよく探偵さんが出てくるが、日本では探偵の広告張り紙しか見たことがない。一体、どんな人種が探偵を職業にしているのか、想像すらつかない。

まぁ~、しっちゃかめっちゃか、まったく支離滅裂な映画だ。製作費は結構かかっていそうだが、どう見ても元を取れるとは思えない。ハリウッドにある映画プロデューサーの邸宅でのパーティーシーンがあるが、おそらく関係者の本当のハリウッド邸宅での撮影だろうと想像がつく。

現役時代一度だけハリウッドのそれらしき映画人宅に行ったことがあったが、それはそれは大したものだった。そういえば、元チャップリン宅を購入した日本人がいたらしく、その知り合いを通して宿泊したこともあった。映画人ならではの特権に酔いしれていた罰が、今頃年老いた身にのしかかってくる。

『スターダスト』(Stardust)

2007年・イギリス/アメリカ 監督/マシュー・ヴォーン

出演/クレア・デインズ/チャーリー・コックス/シエナ・ミラー/ミシェル・ファイファー

ニール・ゲイマンのファンタジー小説(絵:チャールズ・ヴェス)であるという。ニール・ゲイマン(Neil Richard Gaiman, 1960年 - )は、イギリスのSF作家、ファンタジー作家並びに脚本家。現在のアメコミ界を代表する原作者のひとりで現在はアメリカ在住だという。作家としてのデビュー作は、バンド「デュラン・デュラン」の伝記であった。活字世界に疎い私には初耳ばかり。

ヴィクトリア朝時代のイギリス。ロンドンから馬車で一晩かかる距離にある村ウォール。村の東には村の名の由来になる高い壁がどこまでも続いており、その向こう側に入ることは普段禁じられている。そんなあたりが物語の中心。日本の民話、欧米のおとぎ話という感じだった。必ずと言っていいくらい魔女が登場するおとぎ話。宗教の違いは厳然としている。

おもしろいんだけれど、飽きるという雰囲気。やっぱり同じことの繰り返しになるし、魔女の力がどの程度なのか、都合が悪くなると魔力を発揮して狡いと思ってしまう。ミシェル・ファイファーが若さを取り入れるために奮闘する醜悪な老魔女を怪演している。ロバート・デ・ニーロも登場してくるが、もうアドリブ満載の振る舞いに見える。

『エクスペンダブルズ3 ワールドミッション』(The Expendables 3)

2014年・アメリカ 監督/パトリック・ヒューズ

出演/シルヴェスター・スタローン/ジェイソン・ステイサム/アントニオ・バンデラス/ジェット・リー

 1作目を観ているが内容の記憶がない。いつものこと。2作目は観ていない。どうせ荒唐無稽な話なのだろうからと観始まったら、想像以上の荒唐無稽さだった。これなら暫くしてからまた観ようと思い立って、映画よりも気になる作業へと立ち向かってしまった。ので、続きは明日。

シルヴェスター・スタローンが大将では品のない映画と言われても仕方がない。アクション映画のどこに品を求めるのか、と問わないで欲しい。相当の製作費がかかっていることを想像させるに十分。ハリソン・フォードの顔のたるみが気になる。アーノルド・シュワルツェネッガーはいつも同じ雰囲気。メル・ギブソンはもう大役者気取り。ギャラだけでいくらになるのだろうか。まだ見ている途中。

今日は進展なし。今日で3日目。ようやく観終わった、4日目だ。何処のシーンを切り取ったって、バカバカと打ち合っている場面ばかりで、変わり映えのしない映画である。こういう映画を観て気分がスカッとなれる人が羨ましい。無い物ねだりの人間の心根は卑しい。満足という心を知らない人は不幸だし、満足しか感じない人はもっと不幸だ。所詮有限な人生の繰り返し、空から眺めている神様がいるとすれば、きっといつもほくそ笑んでいるに違いない。

『バベル』(Babel)

2006年・アメリカ 監督/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

出演/ブラッド・ピット/ケイト・ブランシェット/役所広司/菊地凛子

2006年カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映され、監督賞を受賞。菊地凛子が米映画批評会議賞新人女優賞を受賞。2006年10月にアメリカで、2007年4月末に日本で公開された。イニャリトゥ監督の過去の作品と同じく、時間軸が交差する作品である。モロッコ、アメリカのカリフォルニア、メキシコのティフアナ、そして日本の東京と、遠く離れた地域の人物たちのそれぞれのストーリーが、ある事件をきっかけに交差する。(Wikipediaより)

観ている、ことが分かったが、ついつい観てしまった。おもしろいというわけではないが、気になる映画だ。ブラピが出ていることも記憶になかった。嫌いな顔の日本人女優が出ているのが嫌だった。日本の女子高校生役で顔を見せている全員が韓国人に見えて不愉快だった。差別ではなく、私が嫌いなのだ。

2時間22分とやたらと長い。3か所の中に東京があるのは、監督のどういう意図なのだろうか。単なる製作費なのか、東京という都市が重要なのか、何も関係ないのか、わからなくてもいいのかもしれない。それにしても日常生活のレベルが違い過ぎて複雑になってくる。そういうところが意図するところかな?

『スピーシーズ 種の起源』(Species)

1995年・アメリカ 監督/ロジャー・ドナルドソン

出演/ベン・キングズレー/マイケル・マドセン/アルフレッド・モリーナ/フォレスト・ウィテカー

約20年前、人類は地球外生命体を求め宇宙に向けて信号を送った。そして20年後に未知の存在から思いがけない返信が届く。そこには無限エネルギー確保を可能にするメタン触媒の構造式と、人類のDNAと結合させることができる未知のDNA情報だった。生命誕生の鍵を解こうとする研究機関はそれを人間のDNAと結合させ、新たな生命体を誕生させようとする。誕生した新たな生命体は3週間で可愛らしい少女へ急成長し名を“シル”とした。しかしその驚異的な成長過程に恐れをなした研究員達は、彼女が成人になる前に毒殺しようと試みるが逃走、霊能力者のダン、ハーバードの人類学者アーデン、分子生物学者ローラ、殺し屋のプレスを招集し追跡する。(Wikipediaより)

あらためてあらすじを読んだが、三流映画の趣はこんなところからも感じられる。「エイリアン」のような傑作SF宇宙ものを知ってしまっている輩には、ちょっとしたことでは驚くことは出来ない。

火星に間違いなく水脈があった、という程度の宇宙開発では、地球圏外生物が攻めてきたら、人間なんてひとたまりもないだろう。生きているうちにそんなことが起こるなんて言うことは、絶対あり得ない。と、絶対を使っていいのか、想定外の災害が多発している現代にはふさわしくない言葉かもしれない。

『アノマリサ』(Anomalisa)

2015年・アメリカ 監督/デューク・ジョンソン/チャーリー・カウフマン

出演/デヴィッド・シューリス/ジェニファー・ジェイソン・リー/トム・ヌーナン

「ストップモーションアニメ」という言葉を初めて知った。これって3Dアニメーションっていうのかなぁ~、と思いながら観ていた。実際の人形を使って撮ったらしい。技術的には相当なものだが、観客がどう思うのかは別問題。技術で映画が語れるわけはなく、何と言っても映画はその物語性に一番の魅力があると思う、私は。

何枚のセル画を描いたとか、ここでこんな新しい技術が使われている、などとアニメ映画の宣伝をもっともらしくやっているのは滑稽に映って仕方がない。そんなテクニックは映画人や映画業界内で語られれば十分で、私が見たいのは映画なのだと、いつも声を大きくしていた。

この映画は、鬼才脚本家チャーリー・カウフマンが監督・脚本をてがけている。あの『マルコヴィッチの穴』で長編映画の脚本を書いた人物だと分かれば納得する人は映画通。奇想天外なストーリー展開で知られている。アニメとは言え、おちんちんをぶらぶらさせているシーンがある。日本の官憲は、アニメなら文句を言わないというのだろうか。もともとおちんちんのない男が異常で、付いているものをそのまま見せてどこが悪い、と私はいつも思っている。R15+指定。そういう言い方をすると極端な例を出して反論する人がいる。限度というものを考慮しないで議論する愚人は無視するしかない。新聞広告で女性の乳首を白塗りしないと広告が出せなかった。乳首がない方が異常なのに、一体なにを考えているんだ、と心の中で強く怒っていた現役宣伝マン時代。「アノマリサ」は日本語だった。たくさんの突っ込みどころがあるこの映画は、やっぱり鬼才にしか理解できないのではと、眠ってしまった自分を。

『捕われた女』(CAPTIVE)

2015年・アメリカ 監督/ジェリー・ジェームソン

出演/ケイト・マーラ/デヴィッド・オイェロウォ/ミミ・ロジャース/マイケル・ケネス・ウィリアムス

逃亡犯によって自宅で人質に取られたシングルマザーの奮闘を描く。実際に起こった事件を基に、逃亡犯によって人質に取られてしまったシングルマザーの奮闘を描くサスペンス・ドラマ。巧みな心理描写に圧倒されること間違いなしの1本。という解説がstarチャンネルに見つかったが、そんな簡単に言葉でいうほどのおもしろさはない。

実話に基づく物語の限界かもしれない。映画オリジナルで描けば、もっと丁々発止のやりあいがあるだろうに、結構迫力のない緊迫シーンが続いて、あくびが出てしまう。実際の緊迫シーンと映画の緊迫シーンとの違いを見せつけられるようだった。目の前であり得ないことが起こったら、「キャー!」という声が無言になってしまうことは、よく言われることだ。

人生も残り少なくなったが、腰を抜かすほどの出来事にはまだお目にかかっていない。他人から見れば青天の霹靂のようなことが私の身に降りかかって見えたかもしれないが、私にはそれも人生の一部のように見えて仕方がない。所詮は100年も生きられない個人の人生、何が起ころうと、何が降ってこようと、驚くほどのことはないのが人生だろう。

『高台家の人々』

2016年(平成28年)・日本 監督/土方政人

出演/綾瀬はるか/斎藤工/水原希子/間宮祥太朗/坂口健太郎/大野拓朗/夏帆/大地真央/市村正親

原作は森本梢子の漫画だった。『YOU』(集英社)にて、2012年12月号に序章掲載後、2013年3月号から2017年4月号まで連載された。単行本は全6巻。心が読めるテレパスという特殊能力を持った家族が「高台家」だった。そこからもうお笑いだが、SF好きの私には興味のあること。自分の周りにいる他人の心の中が見えてしまうということは、どういう問題があるのだろうか、と考えたこともないことをこの物語は映像化している。

漫画っぽく、なかなかあり得ないような設定を施している。日本映画のコメディーはおちゃらけ過ぎちゃって、観るに堪えられないものが多いが、この映画、物語はぎりぎりの一歩手前で踏ん張ってくれている。この頃は「忖度」という現象が社会問題となっている。結局は相手のことを慮って忖度しているのではなく、あくまでも自分のために考えていることだと、分かっていないのは当の本人だけなのだろう。

大地真央の高台家の母親役は品があってぴったんこ。さすが、という感じがしたのには驚いた。なかなかこういう役をやらせられる役者がいないことも事実。ただセリフ回しが上手いとか、顔が美しいとかの問題ではなく、身についた品性とかいうものは、教えられて出てくるものではない。

『チェンジング・レーン』(Changing Lanes)

2002年・アメリカ 監督/ロジャー・ミッシェル

出演/ベン・アフレック/サミュエル・L・ジャクソン/キム・スタウントン/トニ・コレット

新しい映画かと思って観始まったが、存外古い。2000年という節目の年を経過してから、それ以降の年は新しい感覚が抜けない。もう2018年だとは数字の上では理解しているが、まさかもう18年、この映画だって16年前の映画という感覚が鈍い。

アマゾンの誘い文句には高速道路で接触事故を起こした二人の・・・、てな感じで食指がまったく動かなかったが、話は意外と面白い方向に進んで行った。最後はアメリカ映画らしくハッピーエンディングとなってめでたし、めでたしということになるが、そのなり方がちょっと甘い。原作なのか、監督なのか、その原因は分からない。

この映画でも起こった「初動の誤り」は人間生活の原点だ。一つの間違いは3つの修正を要求される。ふたつまちがえば5つの修正が必要だ。どんどんボタンの掛け違えが進んで行けば、戻るには時間も労力も、不必要な周りも巻き込んでの大事件になってしまう。男と女の二人の関係ぐらいなら可愛いものだと思っていたが、いつの世にも夫婦間の殺人事件がニュースになっている。つい最近の夫婦間殺人事件では、夫の母親が息子の手助けをしたという驚きの事件だった。生きていればいろいろな事件にぶつかって、楽しさが増えて行く。

『琥珀』

2017年(平成29年)・日本 監督/雨宮望

出演/西田敏行/寺尾聰/鈴木京香/工藤阿須加/川島海荷

テレビ東京の『浅田次郎ドラマスペシャル』と銘打たれたテレビドラマだった。2017年9月15日に放映された。かなり渋い。

舞台化も出来そうな場所が特定されたドラマ。だが、決して悪くはない。演技の達者な芸人が3人揃って、ちょっとくさい感じがしないわけではないが、この映画を腐すほどの人間力がこちらにあるわけはない。

3人の会話を聞いていると、3人とも話しながら遠くを見つめているような気がしてならない。人生の終末に向けて何かを清算しなければならない人生を見る。そういう年齢になってしまった自分と重ね合わせることが出来るこの映画は、おもしろいとかおもしろくないとかを論じることを。

『アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場』(Eye in the Sky)

2016年・イギリス 監督/ギャヴィン・フッド

出演/ヘレン・ミレン/アーロン・ポール/アラン・リックマン/バーカッド・アブディ

ドローンを使用した現代の戦争の実態を描いた軍事サスペンス映画。無人航空機(Unmanned aerial vehicle, UAV)は、人が搭乗しない(無人機である)航空機のこと。通称として、短くドローン(英: drone)と呼ばれることもある。もうひとつの武器は、上空2万2千フィートを飛んでいるMQ-9 リーパー偵察攻撃機だ。

戦地から遠く離れた会議室でドローンが映し出す映像を見ながら戦争に加担する人々の葛藤を描き、現代の戦争の闇を浮き彫りにした軍事サスペンス。邦題のサブタイトルは、なるほど現場ではない戦場をモニターの世界で指揮し、決断していく最新型戦場とでも言えるのだろう。

ナイロビ上空を飛ぶドローンを駆使してロンドンから英米合同軍事作戦を指揮しているが、アメリカの責任者とイギリスの軍人は手っ取り早く作戦を実行しようとしている。目の前の重要テロリスト二人をと今まさに自爆テロに出陣しようとしている現地人を目にして、標的近くにパン売りをしている少女の存在なんか気にもしていられないのが本音だった。そこは映画、少女一人の危険性が50%以下にならなければ作戦は実行できないとする反対勢力が、この戦争には横たわっていた。決断をすべき法務大臣や担当大臣、はたまた総理大臣の決断は実に曖昧でどうしようもない軍人には耐えがたき状況だった。

『僕のワンダフル・ライフ』(A Dog's Purpose)

2017年・アメリカ 監督/ラッセ・ハルストレム

出演/デニス・クエイド/ペギー・リプトン/K・J・アパ/ブリット・ロバートソン

犬の映画も歴史がある。日本ヘラルド映画の宣伝部は、主演の犬「ベンジー」をアメリカから招き寄せ記者会見を開いた。犬の記者会見なんて前代未聞、その当時だからこそのネタだったのかもしれない。「ベンジー2」の買い付け交渉にダラスに行くはずだったのに、急に中止になったことが残念で。と、いつも海外出張を遊んでいた現役時代が懐かしい。

この映画のエピソードがひとつ。2017年1月18日、アメリカ合衆国の芸能サイトTMZ(英語版)が、本作の撮影現場でドッグトレーナーらしき人物がジャーマン・シェパードを無理やりプールに飛び込ませようとする映像をリークした。これにより本作は多くの愛犬家や動物愛護団体からバッシングを受けることになり、同年1月21日に予定していたロサンゼルスでのプレミア上映を中止せざるをえなくなった。しかし、その後の第三者機関による調査の結果、「撮影現場の安全対策は十分に講じられていた」ことが発表された。また第三者機関は、リークされた動画が異なる時に撮影された2つのシーンを編集で繋げていることを示し、「誤解を招き、怒りを煽る目的で意図的に編集されたものである」という見解を示している。(Wikipediaより)

一匹の犬の「犬生」を描いているのではなかった。何匹かの犬が生まれ変わって、新しい犬生とパートナーとのおもしろい話が展開される。動物映画に外れはない。もしも動物映画でつまらない映画があったら、それは相当ひどい映画ということになる。犬の目線で、犬の言葉で進行していくこの映画も、それなり以上の安心感でいっぱいだった。


2019年10月4日再び観たので記す。

『僕のワンダフル・ライフ』(A Dog's Purpose)

2017年・アメリカ 監督/ラッセ・ハルストレム

出演/デニス・クエイド/ペギー・リプトン/K・J・アパ/ブリット・ロバートソン

『去り行く男』(JUBAL1955年)、せっかく久しぶりの西部劇を楽しみにしていたが、いきなり牧場主の中年のボスの若い妻がちゃらく、カウボーイたちを弄んでいるシーンが醜かった。たかが映画だけれど、そういう不埒な登場人物がいきなり出てきては、勧善懲悪の西部劇を台無しにしてしまう。ということで、犬が主人公のこの映画にさっさと乗り換えてしまった。

途中で観たことのある映画だと分かったが、結構面白かったのでそのまま観続けることとなった。動物の映画は禁じ手のひとつだ。世界中の人々がペットとして犬を飼っている状況を考えれば、よほど下手な作り方をしなければ映画がこけることはないと思われる。でも現実にはなかなか大ヒットを記録する映画も稀なことも事実。

ヘラルド時代の犬の映画のナンバー・ワンは何と言っても「ベンジー」。何度も同じことを書いていて恐縮だが、犬を記者会見に登場させるという前代未聞なことをやるのがヘラルドの宣伝の真骨頂だった。スポーツ新聞はそんなことを大きく記事にして、ヘラルドを応援してくれるマスコミの意地を発揮してくれたのだ。

『バリー・シール/アメリカをはめた男』(American Made)

2017年・アメリカ 監督/ダグ・リーマン

出演/トム・クルーズ/ドーナル・グリーソン/サラ・ライト/ジェシー・プレモンス

ドラー・ベリマン・"バリー"・シール(Adler Berriman "Barry" Seal、1939年7月16日 - 1986年2月19日)という人物の実話もの。アメリカ映画の得意とする分野だ。ただ、実話に基づいている映画の限界のようなものがあって、映画的にもう少し逸脱したら、と願うことも多々ある。

1970年代後半、バリー・シールは大手航空会社TWAでパイロットとして働いていた。シールの若くして機長に昇進した腕前は一級品かつ裏で検査が緩い立場を利用して密輸に手を染めていた事で、CIAからも注目されるようになった。ある日、シールはCIAに極秘の偵察任務への参加を求められた。野心家でもあったシールは喜んでその依頼を引き受ける事にし、すぐにTWAを飛び出してCIAが用意したペーパーカンパニーの小さな航空会社に転職し、メキシコ湾を航空レーダーを避けるように凄腕を発揮した超低空飛行で通り抜けてアメリカと中米や近隣諸国を秘密裏に往復するスリリングな日々を始める。(Wikipediaより)

トム・クルーズがやるような役柄ではない感じだが、小型ジェット機などを操縦するのはお手の物だろうから、喜んでこの役を演じていたような雰囲気もする。金が余って隠す場所に困っていたなんて、嘘みたいな話だが、実話だという。何処で一転転落する人生が始まるのだろうか、というのが見所になっていた。結局は身内の馬鹿な義理の弟が発端になった。いつでも言っている、信用も信頼もおけない人間と付き合うことは致命傷になると。

『ぶるうかなりや』

2005年(平成17年)・日本 監督/鶴橋康夫

出演/柄本明/宮沢りえ/村上淳/渡辺えり子/井川遥/小島聖/森本レオ/左時枝/六平直政/風間杜夫

WOWOWのテレビ映画のようだったが、結構画面は劇場映画っぽかった。落語の掴みのような最初の話は、突然ちがう話へとストーリーが変化して行った。そういう意味ではおもしろい映画だった。日本映画に出演している役者の数が限られているように感じて仕方ない。

民間企業に勤める主人公が、退職金の何分の一にも達しない報酬で超重要な企業秘密を売ることがあるのだろうか、とそもそもの話にいちゃもんをつけたくなる。バレなければその程度のお金でも人生を賭けてもいいかもしれないが、そこまでやることはあり得ないだろう。

普通の会社でも、なんとか会社の金をくすねようとしている輩がいることを知ったことがあった。そこまでして金が欲しいのか、そんなことは当たり前と思っているのか、なんとも複雑な気持ちになった。そんな会社ばかりではないと信じているが、自分の人生ではとても考えられないこと。どんな貧乏をしたって、生きていく道はある。なければ死ねばいいだけのこと。そんな潔さが奇妙に脳裏にこびりついている。

『テレフォン』(Telefon)

1977年・アメリカ 監督/ドン・シーゲル

出演/チャールズ・ブロンソン/リー・レミック/ドナルド・プレザンス/タイン・デイリー

チャールズ・ブロンソンはまだ生きているのかなぁ、と思って調べてみたら、15年前に81歳で亡くなっていた。一世を風靡した俳優だった。特に日本では映画でもテレビ・コマーシャルでも群を抜いていた。同じように人気を博していたアラン・ドロンは現在82歳で元気なようだ。

映画は、冷戦時代の雪解けムードが漂ってきた時期ながら、ソ連のスパイがアメリカで起こす事件を、自国の秘密組織が沈静化しようとする、この時代ならではのストーリー。チャールズ・ブロンソンがソ連人を演じているのも珍しい。題名の「テレフォン」は秘密指令のコードネームとは、想像だにしない簡易さで驚くばかり。

案の定、アメリカで手引するソビエト人の女性は二重スパイだなんて、今じゃここまでの王道は撮り切れないだろう。単純明快なストーリーは、今風の映画に慣れてしまうと、ちょっと物足りなさを感じるくらい。人間に対する期待も同じようなもの。期待しなければ、裏切られることもないが、期待値が高いと、ちょっとしたことで失望してしまう。もともと期待しているのだから、ちょっとくらい結果が出なくてももっと温かい目で見てあげられればいいのじゃないのかな、と。

『昼顔』

2017年(平成29年)・日本 監督/西谷弘

出演/上戸彩/斎藤工/伊藤歩/平山浩行/黒沢あすか/萩原みのり

もともとは、『昼顔~平日午後3時の恋人たち~』テレビドラマで、2014年7月17日から9月25日まで毎週木曜日22:00 - 22:54に、フジテレビ系の「木曜劇場」枠で放送された、全11話。ストーリーは、ドラマの結末から3年後が描かれているという。

録画の謳い文句にセンセーションを巻き起こしたと本気モードが見えたが、ありきたりの不倫劇のどこがセンセーショナルなのか、まったく伝わってこなかった。だいたいどろどろの不倫劇なのに、映画版でそれらしきシーンがないというのは興ざめとしか。言葉や心のうちだけで表現するのなら、テレビドラマで十分だろう。上戸彩が映画の大画面には向いていないということが分かった。かったるい物語が酷い。

昔の映画人にとって『昼顔』といえばきちんとした劇場用映画があったはずだと思って必死に探した。『昼顔』(Belle de Jour・フランス・1967年)。昼は娼婦、夜は貞淑な妻の顔を持つ若き人妻の二重生活をカトリーヌ・ドヌーブ主演で描き、1967年・第28回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した作品。内容を読んで観ているような気がするが、定かではない。いつものこと。

『マイ・ベスト・フレンド』(Miss You Already)

2015年・イギリス 監督/キャサリン・ハードウィック

出演/トニ・コレット/ドリュー・バリモア/ドミニク・クーパー/パディ・コンシダイン

原題にある「Miss You」という言葉、表現が好きだ。学生時代にはとても知らなかったこのフレーズが、今では一番感じるかもしれない。かといって、そのニュアンスや、どういう場合にどういう使い方をするのかを、きちんと知っている訳ではない。頻繁に喋られる映画のセリフのひとつだろう。臆面もなくこの邦題を付けた宣伝部の顔が見たい。

少女時代の出会いよりずっと、主人公二人は楽しさも悲しさもつねに分かち合う親友同士だった。一人は子供二人の幸せな家庭、一人はなかなか子供が出来ない家庭と対照的。一人の癌が発見されたところから、このストーリーは展開する。が、同じことの繰り返しで、堂々巡りになってしまった。確かに物語はがんの進行とともに前には進むが、残念ながら観客を惹きつけとくほどの切れはなかった。

ベスト・フレンドというタイトルを付けるだけのことはある。苦しい時ほど、ありきたりな慰めで人生を終わらせようなんて思わないのが親友たる所以。最後まで寄り添って生きていけることは羨ましい。誰にも看取られないで死んでいくだろう自分の境遇が、なんとも恨めしい。

『恋の復活術』(THE BOUNCE BACK)

2016年・アメリカ 監督/ユーセフ・デララ

出演/ナディーン・ヴェラスケス/シェマー・ムーア/カリ・ホーク/ビル・ベラミー

映画の題名になっている本を書いてアメリカ全土でキャンペーンを企画している。ベストスラーNo.1になるのが目標。そこに、偶然にセミナーに来ていた女性セラピストが、こんな本は詐欺師と変わらないといちゃもんを付け始める。そこからがこの映画のストーリー、思惑通りにこの二人はアメリカ各地の各テレビショーに招かれて、二人キャンペーンを始めることになってしまった。

イケメン作家と美人セラピスト、誰が見たってくっついてしまうと思われる状況がその通りになっていく。それでいいのだ。現実社会だってなかなかなさそうなストーリーが展開されて、観ている方は安心しきっている。そんな風に目の前の出来事も進んで行って欲しい。相手の思惑とか、気持ちを忖度しなければいけない現実は面倒くさい。

そういう点、アメリカ社会は余計なプロセスが少ない分分かりやすい。セックスなんてスポーツと同じではなかろうかと思えるくらい簡易な行為だ。それでいいのだ。と言いたいところだが、まだまだ日本社会ではそこまでのものにはなっていない。ピルを飲めば子供は出来ないから、セックスだって思いっきり出来るじゃん。という案配に見える。所詮男と女、いや今では男と男、女と女だって恋愛の対象になってしまってちょっと複雑かな。

『ヤング≒アダルト』(Young Adult)

2011年・アメリカ 監督/ジェイソン・ライトマン

出演/シャーリーズ・セロン/パットン・オズワルト/パトリック・ウィルソン

題名がイマイチ何なのか分からなかったが、この映画の主人公が執筆する小説のシリーズの名前らしい。若者の恋愛小説ジャンルのようだ。最後の1冊を編集者からせかされて、ミネソタの出身地に戻って、高校時代の顔見知りに妙な歓迎をされる下りが、この映画の命か。美人で高慢ちきだった主人公は、全国的にも名の知れた小説家になって里帰りした。そこには成長して正直になった元学友がたくさん住んでいたのだ。

昔の元カレとよりを戻そうと、生まれたばかりの赤子を抱える家庭を破壊しようとまで企む。見苦しいその振舞とセリフを聞いているだけで、体調の悪さが悪化してくる。映画と言えど、未練たらたらな人生を見るのは好まない。誰も相手しなくなった大人になって初めて人生の挫折を味わおうとしている。売れていたはずのシリーズ本も、地元の本屋では在庫整理が始まっているという体たらくだった。

人生の中で高校時代が最高だったイヤミな女の話だった。そんな女ってたくさんいそうな気がする。本人の前で嫌なことをバンバン喋っている主人公、孤独な誰も相手にしない人間になってしまったことを哀しむには遅過ぎた。子供のころ「大器晩成」という言葉を書かれたことがあって、そのころは全く意味が分からなかったが、未だもって大器晩成ではない自分の能力を憂いている。

『2010年』(2010: The Year We Make Contact)

1984年・アメリカ 監督/ピーター・ハイアムズ

出演/ロイ・シャイダー/ジョン・リスゴー/ヘレン・ミレン/ボブ・バラバン

1984年制作のアメリカ映画。スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』の続編にあたる。原作はアーサー・C・クラークの『2010年宇宙の旅』。1982年に原作者のクラークが前作『2001年宇宙の旅』の監督スタンリー・キューブリックに電話で「『2010年宇宙の旅』をあなたの仕事で映画化することを私は止めないし気にしない」と冗談めかして語った。その直後にMGMが『2010年』の映画化権を獲得したが、キューブリックはプロジェクトに関心を持たなかった。しかし、興味を示したピーター・ハイアムズはクラークとキューブリックの両方に連絡をとった。キューブリックはハイアムズに「恐れてはいけない。自分の映画を撮れ」と語った。1983年にハイアムズはクラークと連絡を取りながら脚本を完成させた。(Wikipediaより)

『2001年宇宙の旅』(2001: A Space Odyssey)は、アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックのアイデアをまとめたストーリーに基いて製作された、SF映画およびSF小説である。映画版はキューブリックが監督・脚本を担当し、1968年4月6日にアメリカで公開された。正確というか明確に内容を把握しないで観ていると、何が何だか分からない焦燥にかられる。映画を観終わって、すぐにWikipediaで再勉強する羽目になった。それでもよく分からない。偉大な先駆者に導かれて凡人の生活も向上していくのだろう。

フロイド博士がアップルコンピュータのMacintosh、Apple IIcを浜辺で使用するシーンがあり、アップルコンピュータによる映画におけるプロダクト・プレースメント(商品を映画作品などに登場させることで商品を認知させ、商品ブランドを構築する広告手法)の初期の例とされる。ただしこの製品は映画と同じ1984年発売であり、進歩の早いコンピュータ製品で作中の年代まで実用的に使われている可能性があるかどうかは公開当時から疑問視された。前作では土星の輪を映像化出来ずディスカバリー号の目的地が土星から木星に変更になったものだったが、ボイジャー1号の探査によって存在が明らかになった木星の輪も、今回は映像化が実現された。ディスカバリー号が再登場するが、前作で撮影に使われたディスカバリー号の模型は設計図と共に失われていた。これは他の作品への転用を防ぐ目的でキューブリックが破棄させたといわれる。その為映像を基に新たにディスカバリー号が製作された。

『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』(Scent of a Woman)

1992年・アメリカ 監督/マーティン・ブレスト

出演/アル・パチーノ/クリス・オドネル/ジェームズ・レブホーン/ガブリエル・アンウォー

見逃した映画の中で気になっていた映画だった。題名だけはしっかり覚えていたつもりだが、サブタイトルのような文字があるとは知らなかった。映画らしい映画が始まった、と思わせてくれる序盤のあたりがいいですね~。ストーリーも王道に徹していて気持ちいい。説得力のあるセリフが、またいい。

アル・パチーノの独り舞台、アカデミー主演男優賞を受賞した。人間は岐路に立った時にどうやって生きるべきかを教えてくれる、というような陳腐な言い方をしたくない。映画はいつだって、個人がどう感じるのかを強制するものではない。何が言いたいのだろう、と映画を観るのではなく、何かを感じることが重要なのだ。

何から何まで教えてもらわなければ、何も出来ないこの頃の人間には、ここまで懇切丁寧に指針を示してくれる映画はぴったんこかもしれない。日大のアメフト騒動の当事者たちは、間違いなくこの映画を観ていないだろう。もしかすると、正直者だった学生一人だけがこの映画を観ていたのかもしれない。何かを貫くという命題が見えていたのは、あの学生だけだったのだから。上映時間2時間37分。

『ドライブ・アングリー3D』(Drive Angry)

2011年・アメリカ 監督/パトリック・ルシエ

出演/ニコラス・ケイジ/アンバー・ハード/ウィリアム・フィクナー/ビリー・バーク

3Dでなければ映画じゃない、というような時期もあったようだが、この頃の映画はどうなっているのだろうか。この映画のように題名に「3D」が付いているのも、珍しいような気もするが。 ニコラス・ケイジ初の3D映画みたいな記述を見たが、そのおかげもあるのかもしれない。

ど頭からバイオレンス・アクションのオンパレードで、何が何だかちーっとも分からないで進行する。主人公は銃で撃たれても死なない。一瞬死んだようになるが、しばらくすると蘇ってしまう。ゾンビじゃあるまいしと思いながら眺めているしかない。地獄から「脱獄」してきたらしい。と分かるのはようやく最後の頃。悪魔に魂を売る、とかいう宗教的なことを言われても、実感がなくて困る。

何度も書いていることだが、アメリカ映画の骨格は「愛」。子供や家族への愛が主だが、それとは裏腹に離婚率の高さは別格だ。彼らにとってみればそれは別のことなんだよ、と言うに違いない。半端ない愛情を勝手に押し付けられても迷惑だろうけれど、愛情を注がない輩よりは、はるかにマシかもしれないな~。

『ジュリアス・シーザー』(Julius Caesar)

1953年・アメリカ 監督/ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ

出演/ルイス・カルハーン/マーロン・ブランド/ジェームズ・メイソン/ジョン・ギールグッド/デボラ・カー

クレジットに「ウィリアム・シェイクスピア」原作である旨の表示があった。確かにセリフはいちいち堅い。が、イチイチ心に響いてくる。すべてのセリフを書き写して残しておきたいと思えるほどの完成度に見えた。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』の映画化作品だという。

紀元前44年のローマ。ジュリアス・シーザーは終身独裁官となり、市民の圧倒的支持を集めていたが、元老院で刺殺される。王にもならんとするシーザーの所業に元老院たちが危機感を抱いての所業になるが、盟友ブルータスは故人を憎しみ殺すのではなく、あくまでもローマのためだと正当性を訴え支持もされる。「ブルータス お前もか」というシーザーの最後の言葉が未だもって語り継がれていることに驚く。その一言をもってブルータスは悪の暗殺者だとずーっと思ってきた。が、映画では決してそうではなかった。ブルータスはあくまでも「高潔」の士だと誰からも好かれ讃えられていたのだ。

ほんの一言を切り取って発言者を責めたりする現在のマスゴミ(塵)の原点を見たような気がする。もちろん、そこに至る言葉の中にその一言以上の意味があることは充分知っているはず。それでも問題の一言を発する必要性が本当にあったのかを吟味することなく軽率に振る舞う政治屋や官僚屋たちの言動の方が問題に違いない。

『傷だらけの栄光』(Somebody Up There Likes Me)

1956年・アメリカ 監督/ロバート・ワイズ

出演/ポール・ニューマン/ピア・アンジェリ/エヴェレット・スローン/アイリーン・ヘッカート

この超有名な映画、観たことがないとは思えないが・・・。勿論リアルタイムで観ている訳もない。人口1万人の小さな田舎町にも映画館が2館あった。学校からの映画鑑賞日があって、学校側が決めた映画を観ていた。どんな映画だったのかを、これっぽっちも覚えていない。今どきは自分たちの好きな映画を観ることが出来るらしいが、先生や親が見てもらいたいという映画を我慢して観ることの方が、20年後には役に立つのにな~。

アメリカの元・ボクシング世界ミドル級チャンピオン、ロッキー・グラジアノの生涯を描いた作品。ロバート・ワイズ監督、当初主演はジェームズ・ディーンに決まっていたが、撮影前に交通事故で他界、代わってポール・ニューマンが務める事になった。また、スティーブ・マックイーンの映画デビュー作品でもある。こんな話も有名なのだろうが、聞いたことがあるようなないような。

最後のチャンピオンタイトル戦のボクシングは壮絶な打ち合いだった。この当時のボクシングは、ただ相手を打ちのめすことしか頭になかった。防御という概念が感じられない戦いだった。だからおもしろい。今現実にこんなボクシング戦があったら、それこそやんややんやの喝采で、超人気ボクサーの誕生になることだろう。少年の頃の悪ガキ仲間にスティーブ・マックイーンの顔が見えた。本当だったのだろうかと調べたら、Wikipediaにはクレジット無しで彼が出演していたとあった。おもしろい。ポール・ニューマンは彼より5歳上の31才、今のアイドルみたいに10代で芸能界デビューしてしまうほど、世の中は成熟していなかった。

『海よりもまだ深く』

2016年(平成28年)・日本 監督/是枝裕和

出演/阿部寛/真木よう子/小林聡美/リリー・フランキー/池松壮亮/吉澤太陽/橋爪功/樹木希林

今をときめく是枝裕和監督作品。原案も脚本も監督自身がやることが多いが、こういう映画を観るともう少し外部の声を大々的に入れた方がいいのではなかろうかと心配してしまう。一つの価値観に根を下ろした作品の方が好ましいに決まっているが、さほどおもしろくない作品になってしまえば、映画を製作する目的も薄れてしまう。

作家を称する主人公は、確かに小さな文学賞はとったがそれ以降15年は鳴かず飛ばず。ギャンブルに目がなく小説のリサーチと称して興信所の仕事をしているも、せこい脅しのようなことをしながら日銭を稼ぐ始末では、離婚を承知しなければいけない状況に陥ってしまっている。

何処にでもありそうなはなしを芸達者な役者が演じたって、ストーリーが大胆に変わるわけではない。本来そんな平坦なストーリーを映画的に見せる内容にするのが本筋だと思うのだが、この監督は違う手法で描いている。そういうやり方が当たる映画もあるだろうが、人並みの10倍以上の引き出しを持っていなければ、芸術、文化と呼べる偉業を達成し続けることは難しいであろう。

『22年目の告白 -私が殺人犯です-』

2017年(平成29年)・日本 監督/入江悠

出演/藤原竜也/伊藤英明/夏帆/野村周平/石橋杏奈/竜星涼/早乙女太一/平田満/岩城滉一/仲村トオル

犯罪の発生時から一定の期間が過ぎた場合に、犯人の刑事責任を問う事が出来なくなることを根拠にした犯罪物語。連続殺人犯ともう少しのところで捕りそこなった刑事、その妹と恋人、事件の中で死んでいった先輩刑事、このあたりの絡みで、ストーリーが展開される。

時効が成立した翌日に「私が犯人です」と名乗り出て記者会見をして刊行本の発行を発表する。テレビは生中継で大々的に、センセーショナル的に事件を扱っていく。思わぬ展開が後半に凝縮されているが、ちょっと陳腐な展開に映画らしさの原点が飛んでしまった。なにも早々に犯人を捕まえる必要はない。もっとじっくりと見せるところを描かなければ映画とは言えない。

2時間テレビの欠陥のような展開。急激に犯人の過去と動機があからさまになっても、とても映画としてついていくほどのおもしろさにはならない。落ち着くべきところはおちついてストーリーを語らなければならない。フラッシュうバックを遣って過去をむやみに再現する軽率さがテレビ映画の最大の欠点のひとつ。

『今度は愛妻家』

2010年(平成22年)・日本 監督/行定勲

出演/豊川悦司/薬師丸ひろ子/水川あさみ/濱田岳/石橋蓮司

中谷まゆみ作の日本の戯曲。2002年と2014年に板垣恭一演出で舞台化。2010年には行定勲監督で映画化された。まさしく思った通りの経歴だった。どう考えたって舞台劇、映画にする必要が何処にあるのだろうかといったあんばい。

登場人物が少ない。舞台が変わらない。セリフが多い。と、舞台劇には誰にでもわかる特徴がある。少しナルシズムに入り込んだ人にしか出来ない脚本のように見える。死んでしまった妻と会話をし続ける夫が悲しそうに見えれば成功だろう。死んでしまわなければ、その価値も分からない人間がほとんど。死なないのに分かっていても、気持ちが通じなければ同じことか。

どうして世間の夫婦は仲が悪いように表現されているのだろうか。ホントはそんなに仲が悪くないのに、一種のテレのように仲が良いなんてとても言えないのに違いない。せっかく好きになったのにそんなに簡単に嫌いになるのだろうか。自分の見る目の無さでそうなったのなら、相手を嫌いになることで相手のせいにするのではなく、自分の不始末を罵って諦めた方が賢明だろうと思うが。

『一応の推定』

2009年(平成21年)・日本 監督/堀川とんこう

出演/柄本明/平岡祐太/酒井美紀/美保純/ベンガル/鶴田忍/白川和子/上田耕一

原作は広川純(「一応の推定」文藝春秋刊)、第13回松本清張賞作品だという。一応の推定とは保険用語で、自殺の場合、保険金を支払わなくてもよいという免責事項のある保険商品を契約した場合、亡くなった状況が自殺と断定出来なくても、それに足る状況証拠が揃えば「一応自殺と推定される」として保険金は支払われないということだという。推定するには4つの証明が必要1.自殺の動機があったかどうか2.自殺の意思があったと判断できる事実の有無3.事故当時の精神状況4.死亡状況。そんなことが一番のストーリー。

「推定」という言葉でいえば「推定無罪」(Presumed Innocent・1990年)という映画の題名を思い出す。勿論、内容に関してこれっぽっちも覚えていないが、おもしろかったことは確か? 「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という、近代法の基本原則だが、保険業界ではそれとは正反対のような意味合いで同じ言葉が遣われている。

この映画もWOWOWのテレビ映画。どうして劇場映画とテレビ映画とを気にするのかは、映画業界人だった経歴が大きく影響している。1200人も入る大きな映画館で観るスクリーンと最近だって平均40インチくらいだろうテレビ画面とでは、映像の描き方が違ってくる。将来4kや8kが当たり前となってしまったときには、美しい女優像は肌の綺麗な女性のことだと、言われるようになるかもしれない。

『ボクの妻と結婚してください。』

2016年(平成28年)・日本 監督/三宅喜重

出演/織田裕二/吉田羊/原田泰造/込江海翔/森カンナ/眞島秀和/大杉漣/高島礼子

この奇抜なタイトルの原作は樋口卓治の小説だという。活字世界に疎い自分にはどうにも眩しいタイトルに見える。おちゃらけたテレビ番組によく顔を出す役者?が映画に出てくるのを好まない。色のついている人間が別の色を演じようとしているように見えて仕方がないのだ。

あくまでも映画は非日常空間であるはずなのに。テレビドラマに入るコマーシャルの中に登場人物の主人公が出ている、といったことを平気でやってしまうテレビ局やスポンサー、そしてそれをこれまた平気で観ているだろう視聴者の存在が信じられない。ちょっと固いんじゃないの、とおもわれてもいい。嫌なことは嫌なのだ。柔らかいはずの私の頭には、結婚したばかりの役者がコマーシャルで別の人物と夫婦を演じていることすら許せない。

奇抜なタイトルはストーリーもなかなか面白かった。不覚にも感極まることはなかったが、日本映画らしく単なるコメディーではないよ、というアピールが堂に入っている。放映の最後の頃クライマックスシーンに、「東海テレビニュース速報 2018年FIFAワールドカップ 日本は2対1でコロンビアに勝利 東海テレビニュース/終」というテロップが音と共に流れた。なんという無粋なテレビ業界だろう。

『エブリシング』(Everything, Everything)

2017年・アメリカ 監督/ステラ・メギー

出演/アマンドラ・ステンバーグ/ニック・ロビンソン/アニカ・ノニ・ローズ

難しい病名で毎日を暮らさなければいけない主人公、自分の家に入ってこられるのは医者でもある母親、看護師とその娘だけだった。滅菌室を通らなければリビングにさえ入れない。本人は外を眺めるだけで一切の外出を赦されていない。もう18才になろうとしているのに。大きな窓から隣の家は見える。外の景色もみられる。でも直接話も出来ない生活。不治の病の悲劇なのかと思ったら、以外な展開のストーリーだった。

映画は残酷だ。この主人公が部屋に監禁されるように母親に可愛がられたのには決定的な訳があった。主人公には兄がいたが、父親と共に交通事故で死んでしまっていたのだ。母親の異常とも思える娘への愛が、形を変えて娘を拘束するという愚挙に出てしまったようだ。ネタバレになるが、この映画を観る人は少ないだろう。

子供への愛という言い方をよく聞く。3人子供がいれば、3人ともまったく違う性格をしているのがおもしろい。確かに親二人は同じはずなのだが、育て方を変えたつもりもない。もしかすると妻は意識的に変化を持たせていたのかもしれない、と今疑ってみたりもする。身体能力も頭脳も見事に違う。だから人間はおもしろいのだよ、と神から言われているような気がする。



2023/12月再び観たので記す

『エブリシング』(Everything, Everything)

2017年・アメリカ 監督/ステラ・メギー

出演/アマンドラ・ステンバーグ/ニック・ロビンソン/アナ・デ・ラ・レゲラ/アニカ・ノニ・ローズ

病気のため家から出られず外の世界を夢見る少女が、隣の家に越してきた青年とガラス越しに心を通わせ、自分の全てをかけた初恋に身を焦がす様を描いた青春恋愛映画。全米ベストセラーとなったニコラ・ユンによる小説。そう思わされてきた主人公の少女が境界を超えて外に踏み出すことが出来た。もしも日本でこんなことが起こったら、一生部屋の中から出られない人生を送ることになるだろう。

『結婚詐欺師』

2007年(平成19年)・日本 監督/金子修介

出演/内村光良/加藤雅也/鶴田真由/星野真里/満島ひかり/鈴木蘭々/夏樹陽子/秋本奈緒美/東ちづる/遠藤憲一/笹野高史

WOWOWのテレビドラマだった。このベタな題名でどういう内容を描き出しているのかに興味があった。原作は、直木賞作家の乃南アサの小説だという。結婚をすることはまさしく偶然のたまもの、小学生の時に隣り合わせた異性にずーっとぞっこんだってあり得る。中学校、高校、大学、会社と知り合う機会はどんどん増えていく。ただ、あぁ、この人だなとお互いに思えるのは奇跡なのだろうな、きっと。

色事師の手練手管は凄い。おだててるだけではない、怒り、なだめ、すかして女の歓心を縦横無尽に受ける。金にはきれいだ、いらない、と言って突き放しながら、相手からの申し出を待っている。こんな男に掛かったら、どんな女だってイチコロだろう。男の嘘、というより人間の嘘を見抜けるほどの能力を持った人間にはなかなか出会えない。

第三者から見ればどう考えたって騙されている状況なのに、自分は決して騙されているとは思っていない。思いたくないのだろう。被害届が出されなければ警察もそれ以上は動けない。詐欺師本人が曰く、「彼女は仕合わせだったはずだよ」という言葉にこの結婚詐欺の本質が見える。

『チェスターフィールド』(cigarettes et las nylon)

2011年・アメリカ 監督/Fabrice Cazeneuve

出演/Yeelem Jappain, Nina Meurisse, Anna Mihalcea

1945年、戦線から戻って来たアメリカ兵士に、休息とレクリエーションを提供する「シガレット・キャンプ」がノルマンディーに設立された。 キャンプはアメリカ兵士と結婚したフランス人女性のための訓練所となり、彼女たちはアメリカ人になるための特訓を受ける。(AMAZONビデオ解説より)

久しぶりの洋画で字幕を読むのが大変。「チェスターフィールド」で検索するとソファの情報ばかり出てくる。地名にもフランスは出てこないが、アマゾンの解説にあるように第二次世界大戦の連合軍の反撃上陸拠点ノルマンディーの近くらしいと察するしかなかった。原題はいつも明記されていない。映画のタイトルを見直して、たぶんこれだろうというものを書いた。4日間のアメリカ人になるための訓練場にはタバコもナイロン・ストッキングも用意されていた、というところから来た題名なのだろう、と想像するるしかない。

アメリカに旅立つ直前で一人の女性がバスから降ろされた。夫が終戦2日前に戦死したという報告を受けた。ひとりだけフランスに残された彼女のもとには、アメリカに渡った訓練場でともに学んだ友達から毎日のように手紙が届いた。居てもたってもいられず、アメリカに渡った主人公の身に起こる事柄は想定外のことばかりだった。日本女性の多くもアメリカの兵隊さんと結婚してアメリカに渡って行った。人間模様の様々な色具合は、戦争という理不尽な出来事の中でも、あるいは人間らしく息ずいているようだ。

『チキンレース』

2013年(平成25年)・日本 監督/若松節朗

出演/寺尾聡/岡田将生/有村架純/鹿賀丈史/松坂桃李/松坂慶子

これまたWOWOWのドラマWとして放送されたテレビドラマ。もうテレビドラマだからだなんて目線を下に見るようなことは出来ない。テレビドラマ・シリーズといい、役者だって普通に映画とテレビ映画を区別していないようにも見える。極端に内容が落ちるわけでもなく、映像的にはこれから、4k、8kとどちらが本筋か分からない映像業界になっていくことは必至。

結構おもしろかった。なまじ中途半端な役者が賑わす日本の劇場映画より、はるかに質の高い作品に見える。45年間も寝たきりの老人、事故にあったのが19才の時だったから今や64才になってしまった。そんなことが現実にあるとは思えないところが、映画のいいところだろう。

女を賭けてチキンレースをした末路が寝たきり老人だが、相手の男はその女と結婚して45年間にもわたり病院の個室代を振り込んでいたという話だ。なかなかわかりやすく、余計なことに気を揉むこともない。ダメな男看護師と厳しい可愛い女性看護師も登場させて、映画をおもしろくしている。

『チチを撮りに』(Capturing Dad)

2013年(平成25年)・日本 監督/中野量太

出演/柳英里紗/松原菜野花/渡辺真起子/滝藤賢一/二階堂智/小林海人/今村有希

家族を題材とした自主短編映画を手がけてきた中野量太監督の劇場用長編映画デビュー作。当初は自主映画として公開・配給も未定のまま製作されたが、2012年、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2012で国際長編コンペティション部門にてSKIPシティアワードおよび日本人初の監督賞を受賞したことから「SKIPシティDシネマプロジェクト」第3弾作品として2013年の劇場公開が決定した。また、一般公開を前に第55回アジア太平洋映画祭で渡辺真起子が最優秀助演女優賞を受賞し、第63回ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門に正式招待された。日本公開後も第39回シアトル国際映画祭、第62回メルボルン国際映画祭、第7回グラナダ国際映画祭、第2回Peace & Love Film Festival、第30回エルサレム国際映画祭と多数の日本国外の映画祭に正式招待され、第3回サハリン国際映画祭ではコンペティション部門でグランプリを受賞した。イスラエル、台湾では劇場公開された。タイトルの「チチ」は父親だけでなく母性の意味が含まれている映画であることからカタカナ表記にした。(Wikipediaより)

母親は14年前に既にお別れを言っていた。女が出来て家を出て行った父親の顔を20才になる姉はかすかに覚えている。妹は父親の姿を意識できないでいる。末期がんで余命わずかだから見舞いに行ってきなさいと、母親に背中を押されて初めて父親に会いに向かった。父の住む家に到着する前に、父親が死んだという伝言が入った。見舞いは葬儀に変わってしまった。

なかなか面白い話だった。新しい家族になって、そのあとのファミリーとはどういうものになるのだろうか。我が家でも一人だけ再婚をした娘がいる。2人の子供を連れての再婚だが、まだまだ二人とも小学生。このあと新しい家族が増えたりしたら映画のような物語が出来るかもしれない。せっかくの1回だけの人生だもの、好きなように生きればいいさ。

『その時まで、サヨナラ』

2010年(平成22年)・日本 監督/初山恭洋

出演/北村一輝/栗山千明/清水美沙/大塚シノブ/若林豪/銀粉蝶/北見敏之/河相我聞/佐戸井けん太/寺田農

WOWOWのオリジナルドラマ製作プロジェクト・ドラマWの作品として製作され、2010年2月14日に放送されたものらしい。原作は、2008年4月30日に文芸社より刊行された山田悠介の小説。登場人物も少ないし、物語の起伏もないが、どことなく納得しながらの映画といった雰囲気だった。

人の心が入れ替わるといったテーマの映画はよくある。この映画はちょっと色付けがあって、そこが題名の由来にもなっている。現実にそんなことが目の前に起こることがあれば信じることもあるのだろうが、そんな簡単には奇跡は起こらない。他人が自分に入り込んできたら、大パニックになってしまうだろう。

期間限定で死んだ妻が他人の姿の心になって現れて、映画は穏やかに進行することとなった。こういう日本映画はいい。馬鹿なコメディ映画ばっかりの日本映画の中、劇場用映画として作っても公開すら出来ない運命に逢うのかもしれない。

『合葬』

2015年(平成27年)・日本 監督/小林達夫

出演/柳楽優弥/瀬戸康史/岡山天音/オダギリジョー/門脇麦

杉浦日向子の漫画を原作にしたものだった。幕末、将軍徳川慶喜の身辺警護と江戸の秩序守護を目的とした武士組織・彰義隊のやり場のない、行き場のない状況を描く物語だった。「明治」が公布されても、まだ侍姿の彰義隊は、どうやって自分たちの思いを遂げられるのかの方向すら見えていなかった。

突然今までの300年の徳川幕府は終わった。これからは明治という時代で、刀を捨てて髪をおろせ、と言われた庶民たちはいったいどういう気持ちになったのだろうか。この時代、夏になったらネクタイを外していいよ、と政府が号令を出してしたり顔している。そんな時代に育った青年たちに、自らの判断力はあるのだろうか。

激動の時代を生きた世代は強い。明治は大正よりはるかに堂々とした人たちが多かった。大正生まれの人だって青春時代から戦争にまみれて、逞しい人たちばかりだった気がする。それに引きかえどうだ、戦後生まれの世代なんて、せいぜい食料に少々の難があったくらいで、何もしないで好景気の中に生きてきただけのような。

『快盗ルビイ』

1988年(昭和53年)・日本 監督/和田誠

出演/小泉今日子/真田広之/水野久美/加藤和夫/伊佐山ひろ子/天本英世

原作はヘンリー・スレッサーの『快盗ルビイ・マーチンスン』。小泉今日子が可愛い。彼女の若い頃はガリガリの小さな女の子のイメージだった。声量もなくプロ歌手としてはアイドル歌手を脱しない存在に見えていて、さほど興味がなかった。嫌いではなかったが。

この映画の時は22才、ちょうど一番ふくよかな年齢の時期だったようだ。この映画の4年前、ヘラルドが配給した「生徒諸君」のキャンペーンで名古屋の劇場事務所の中で小さな机で一緒に弁当を食べたことを、ことあるごとに書いてきた。その時は18才だったんだなぁ~。彼女がそういう経験をしたことがあったなんて覚えているわけではないが、こちらさんは素人さんだから40年経っても覚えて懐かしんでいる。

この映画の題名はリアルタイムで記憶にある。イラストレーターの和田誠が映画監督をしたことも記憶にある。マッチングはしていない。小洒落た都会風が吹きまくる映画だった。時々、映画界ではないところから監督が登場するが、やはり特徴があり過ぎて、たかが映画・されど映画という雰囲気には撮れないことを感じている。大人の絵本のような映画だった。

『真夜中の五分前』(five minutes to tomorrow)

2014年(平成26年)・ 監督/行定勲

出演/三浦春馬/リウ・シーシー(二役)/チャン・シャオチュアン

原作は本多孝好の小説。三浦春馬が孤軍奮闘中国語で演技している。だいたいは分かるが中国語は完璧ではないという設定ながら、独り言の日本語だけでやってのけている姿に感動する。監督が日本人だということも、大きかったかもしれない。

相手は中国人の双子。どちらが姉で、どちらが妹なのか分からない。一人二役とは思えない映像が素晴らしい。今の技術はここまで来たのかと驚く。同時に二人を登場させることが、まったく不自然には見えなかった。どちらが姉か妹か分からないことが、映画の重要なポイントなので、技術の進歩は映画の内容も確かなものにしていると言えるだろう。

話は終始、姉と妹の話になってしまって、ちょっと飽きる。

『スコア』(The Score)

2011年・アメリカ 監督/フランク・オズ

出演/ロバート・デ・ニーロ/エドワード・ノートン/マーロン・ブランド/アンジェラ・バセット

スコアとは「泥棒」を意味する隠語であるという。たぶん観たことがある映画だと思うが、おもしろかったので、また観ることにした。舞台はカナダのモントリオール、地元で「仕事」をしないことにしている主人公、引退前の最後の仕事として自分の住む町での仕事となった。

緻密な仕事を心掛けてきた人生でも、映画で観る緻密さは生半可ではない。到底あり得ない用意周到な準備が出来るのも映画ならでは、かもしれない。それでも、実生活においても、何も準備しないで物事にあたる人間に出逢うと、いったいこの人は何なのだろう、と疑問しか起こらないことがある。

実際の仕事の中で、さらに、進行中に思いがけない判断を迫られることがある。その時が人間の真価を問われる時だ。普通に物事が進むときには女子供で十分、と今では差別用語だと責められる言葉を遣うのが日常だった。イマージェンシーの時に如何に臨機応変に対応できるかが人間力というやつだ。そんなことを考えながらサラリーマン生活を送っている人はどれだけいるのだろうか。

『体脂肪計タニタの社員食堂』

2013年(平成25年)・日本 監督/李闘士男

出演/優香/浜野謙太/宮崎吐夢/小林きな子/吉田羊/壇蜜/草刈正雄

レシピ本としては異例の売上累計485万部を突破し、社会現象となった『体脂肪計タニタの社員食堂~500kcalのまんぷく定食~』を映画化したものだというが、タニタの騒動?を遠くで聞いていた気がするが、そんな発端だと今知った。映画は完全にコメディーで、漫画原作の映画に見えた。

タニタは本社を撮影場所として提供し、映画の告知イベント等で協力していたというが、いい宣伝になったことだろう。映画がさらなる躍進を助長できるのは嬉しいことだ。当たり前のように体脂肪がどうのこうのと、何かにつけてデータが公表されるようになったのは、このベストセラー以降なのだろう。

世の中は何でも数値化することが好まれる。なんとなくとか、たぶんという言い方は今風ではなく、嘘でもいいから数字をバックボーンに他人を納得させようとしている。時にはその数字を偽って、誰にもわからないだろうと、他人をだますことをする輩もいることを忘れてはならない。それが、政治屋だったり、官僚だったりすると、もうどうしようもない脱力感を覚える。

『天国の本屋~恋火』

2004年(平成16年)・日本 監督/篠原哲雄

出演/竹内結子/玉山鉄二/香里奈/新井浩文/香川照之/原田芳雄

原作の『天国の本屋』(松久淳と田中渉の共著)は、かまくら春秋社から2000年に刊行されたものの売れ行きは芳しくなく、在庫品となっていたものを岩手県盛岡市の「さわや書店」店長が偶然読んで感動し、独自に宣伝して評判を広めたことによりロングセラーとなった変り種。これに『恋火』のストーリーを加え、篠原哲雄と狗飼恭子が共同で脚本を担当して映画化したロマンティック・ファンタジー映画。 後半の設定と新井浩文と原田芳雄のシーンの脚本を、原田芳雄が「気に入らねぇ、これだ」と自ら書かれた脚本を監督に渡して、それがそのまま通った。主演を務めた竹内結子は、一人二役に初挑戦。(Wikipediaより)

へぇそうだったんだ~! かまくら春秋社刊の月刊『かまくら春秋』という小冊子を毎月知人から頂戴して読んでいるのだが、こういう話があったことはこれっぽっちも知らなかっら。舞台は天国、SFチックなところは好きだ、地上での同時進行のような出来事も交えて、面白おかしく、ストーリーが展開して行く。

天国があったらおもしろいよな~、という希望的観測をもっているが、実際にあるわけもなく、物語の中での空想を楽しむほかない。故人の風や雰囲気を現世の中で感じることはあるのだろうか。そう思えば思える程度のことはあるだろうが、見えない何かが今生きている人に実際に影響があるほど、この世は神秘的ではないような気がする。

『南風』

2014年(平成26年)・日本/台湾 監督/萩生田宏治

出演/黒川芽以/テレサ・チー/コウ・ガ/郭智博/ザック・ヤン

日本人と台湾人の少女が自転車での旅を通して成長していく姿を描いた、日台合作のサイクリングロードムービー。台湾でもロケを敢行し、九フン、淡水、日月譚といった風光明媚な観光地が登場するほか、日本のサイクリングロードとして有名な広島県と愛媛県を結ぶ「しまなみ海道」も舞台となる。恋人にふられ、仕事では希望しない担当に異動になってしまった26歳のファッション誌編集者・風間藍子は、取材のため台北を訪れる。藍子は自転車を借りるために立ち寄った店で、16歳の少女トントンと出会い、モデルになることを夢見るトントンは、オーディション会場に行くため21歳と偽り、藍子のガイドとして自転車の旅に同行する。最初はなかなかかみ合わなかった2人だが、旅の途中で台湾人の青年ユウや日本人サイクリストのゴウとも出会い、旅を続けていくなかで心を通わせていく。「帰郷」「神童」「コドモのコドモ」など、繊細な人物描写で定評のある萩生田宏治監督が、6年ぶりに長編映画でメガホンをとった。(映画.comより)

台湾ロードムービーの趣向。一度行ったきりで、しかも雨にたたられた台湾だった記憶しかない。仕事と称して国際部長と一緒だったような気がする。自由だったよなぁ~。香港の美味しい食べ物に魅了されていた頃だったので、台湾の庶民食堂の味を評価できなかった。

故宮博物館の存在さえ思い出せずに訪れそこなった。残念だった。何故その存在を思い出せなかったか、今でも謎だ。何のために日本中を旅したり、海外旅行をしてきたのか、自分の根力の無さを嘆くしかない。

『ヘンゼル & グレーテル』(Hansel and Gretel: Witch Hunters)

2013年・アメリカ/ドイツ 監督/トミー・ウィルコラ

出演/ジェレミー・レナー/ジェマ・アータートン/ファムケ・ヤンセン/ピーター・ストーメア

日本の童話ばかりか世界の童話をほとんど読んでいない私にとって、この映画題名は一番食指の動かなかった映画だ。ところがどうだ、この映画には魔女がいっぱい出てきてSF映画ではないのかと見まごうばかりの状況になっていた。

魔女の姿がこれほどまでに明確に顔を現すのは珍しい、と思う。それほどこの手の映画を多く見ていないので、自信はないが、もっと神秘的に扱われるのが魔女のような気がする。魔女は超人間的らしいが、どうしたら倒れるのか一貫性がなく、観ている方が戸惑う。魔法もどこまでが限界なのかの境が見えない。

「魔女狩り」をする兄と妹という設定がおもしろい。童話とはまったく違うものなのだろう、きっと。当たるかどうかは分からないけれど、これだけのものが日本未公開だったとは驚いた。結果的にはアメリカ公開から半年後の2013年7月19日にブルーレイとDVDが発売されることになったらしい。

『K-9/友情に輝く星』(K-9)

1989年・アメリカ 監督/ロッド・ダニエル

出演/ジェームズ・ベルーシ/メル・ハリス/ケヴィン・タイ/エド・オニール

熱血漢の刑事と『名犬リンチンチン』や『名犬ラッシー』のような相棒犬との物語というかコメディですね。垂れ流し的鑑賞にも耐えうる利点がある。そんなことを言いながら、しばらく眠ってしまったのは御愛嬌と製作者に謝らなければならない。

犬を飼ったことがない。猫とはだいぶ長い間一緒だったが、高校を卒業してからは動物との生活は終わりになった。実家のすぐ前に住んでいた兄の家には犬も猫もそれなりにいたので、まったく犬猫と遊ばなかったわけではない。ただ、もう50年近く動物との生活をしていないことも確かだ。

不思議なもんだね。犬や猫は人間に飼われたり一緒に住むことがDNAとなっているから、こんなに簡単に現代ではペット状態にあるのだろう。ほかの動物だって、長い間にそうなる可能性はある。次回のペット候補はこの動物だ、と意識的に人間がペット化すれば4、5百年もすればどんな動物だってペットになるかもしれない。

『ハード・ラッシュ』(Contraband)

2012年・アメリカ/イギリス/フランス 監督/バルタザール・コルマウクル

出演/マーク・ウォールバーグ/ケイト・ベッキンセイル/ベン・フォスター/ジョヴァンニ・リビシ

ドジな奴のためにせっかくまっとうな人生を送ろうとしていた主人公が、また悪に手を染めなければいけなくなった。父親と共に裏社会では凄腕の運び屋だったが、その父親は現在牢屋の中。妻と二人の息子との仕合わせな日々が夢となってしまいそうになる。

アメリカ映画で語られる家族の愛は異常にも見える。毎日、毎時間のように「愛してるよ」と言わなければ、妻も子供も納得してくれない。妻の弟がドジな奴だったが、それでも家族は家族、そんな奴のために家族を犠牲にする方が愛を捨てているようにも見えるが。

普通の人間社会にだっているドジな奴。そのせいで周りの人がどれだけ迷惑を被っているのか本人だけが知らない。周りの人は、結局後始末をしなければ自分のところにも迷惑が戻ってくるから仕方がない。周りがなんとかしてくれたおかげで、なんとかなったのに、自分の手柄だと言い張る連中までいるのが実態。どこまで人間は自分勝手なのだろうか。身心脱落という言葉を先日学んだばかりだった。自我なんて捨ててしまわなければ。

『コンファメーション』(Confirmation)

2016年・アメリカ 監督/Rick Famuyiwa

出演/Kerry Washington/Wendell Pierce/Jennifer Hudson/Greg Kinnear/Jeffrey Wright

この映画を観る前に『愛のラスト・チャンス 』というイタリア映画らしい緩い映画を観たが、情報がアマゾン・ビデオサイトの極くわずかな項目しかなく、とりあえず観たという記録さえできない状況に陥った。アマゾン・ビデオサイトは、ちょっとひどい。外国映画にオリジナル題名が表記されていない。製作国もない。出演者は、主演:という表記とヨコ文字の名前が2、3人だけ。

クラレンス・トーマス(Clarence Thomas、1948年6月23日 - )は合衆国最高裁判所の陪席判事であり、1991年10月23日に就任した。最高裁判所でのトーマスは、アフリカ系の祖先を持つ判事としては2人目であり、保守的な判断傾向を持っている。1991年6月にサーグッド・マーシャル判事が退官を発表したことに伴い、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領が後任として当時43歳のトーマスを同職に指名した。しかし、トーマスの指名に際して、トーマスの元部下で弁護士でもあったアニータ・ヒルという女性がトーマスからセクシャルハラスメントを受けたと訴え出た。その結果、この人事案の採決は歴史的な僅差で決まることになったが、最終的には1991年10月のアメリカ合衆国上院の本会議において52対48の採決で承認を受け、トーマスは宣誓を経て就任した。(Wikipediaより)

1991年当時のセクハラ告白は衝撃的だったようだ。黒人の女性が黒人の男性を告発している。アメリカ上院司法委員会の委員は全員白人の男性だ。セクハラ問題を人種問題に挿げ替えたりして、委員会の裏では丁々発止の取引や策略がうごめいていて、大変興味がある。この後からアメリカの議員に女性が明らかに増えていったらしい。26年後に「Me Too!」運動となって、再びセクハラ問題が白日のもとにさらされることになろうとは。

『ヴィンセントが教えてくれたこと』(St. Vincent)

2014年・アメリカ 監督/セオドア・メルフィ

出演/ビル・マーレイ/メリッサ・マッカーシー/ジェイデン・リーバハー/ナオミ・ワッツ

監督と脚本を担当したセオドア・メルフィは、本作が劇場公開映画のデビュー作。2014年のトロント国際映画祭で「最優秀ピープルズ・チョイス・アワード」の次点に選出された。メルフィによって2011年に書かれた脚本は、2011年における映画が未製作で出来がいい脚本のリストであるランクリン・レオナルドの「ブラック・リスト」に含まれていた。

ジャック・ニコルソンが本作に出演すると噂されていたが、2012年7月にビル・マーレイが契約を行った。2013年3月11日、メリッサ・マッカーシーが主演の女性役としてオファーされ、キャストに参加した。3月22日、クリス・オダウドが神父役でキャストに加わった。ナオミ・ワッツは4月22日にロシア人売春婦役でキャストに加えられた。7月19日、スコット・アドシットがマッカーシー演じるキャラクターの元夫役として参加した。オリヴァー役は約4回のオーディションを行った結果、オリヴァーと同様に母子家庭のジェイデン・リーベラーに決定した。ヴィンセント役のマーレイは猫アレルギーのため猫が苦手だったが、ヴィンセントの飼い猫フィリックス役に起用されたテディとジャガーの2匹はフケなどがなく清潔だったため撮影を乗り切り、マーレイは後に2匹を「プロの猫」と褒めている。登場人物はメルフィの家族が元となっており、ヴィンセントはメルフィの妻で本作にアナ役として参加しているキンバリー・クインのベトナム帰還兵だった亡き父がモデルで、妻は父の死の直前に再会して親友になったという。オリヴァーはメルフィの11歳の姪を元とし、メルフィの兄弟である姪の父親が死去した後メルフィが養子にとり、彼女はシャーマン・オークス・カトリックスクールに入学した。

主人公がが、エンドロールでウォークマンを聴きながら歌うボブ・ディランの「嵐からの隠れ場所(Shelter from the Storm)」、オリヴァーがオシンスキーに反撃するシーンで流れるグリーン・デイの「アイ・フォウト・ザ・ロウ」等多くの楽曲が使用されている。(以上すべてWikipediaより) 久しぶりに映画らしい映画を観たような気がしている。もう少し評価されてもいいような気もする。あるいは、こんな単純なストーリーでは高得点は獲れないよ、と映画専門評論家たちは言うのだろうか。

『手紙は憶えている』(Remember)

2015年・カナダ/ドイツ 監督/アトム・エゴヤン

出演/クリストファー・プラマー/ブルーノ・ガンツ/ユルゲン・プロホノフ/ハインツ・リーフェン

ストーリーを知らずに観るべき映画の1本だった。常にそういう状況で映画を観ている私にはぴったんこ。まさかと思える結末に拍手を送りたいくらいだった。ネタばれになってしまったら台無し、万が一にこの映画をこれから見ることがあるかもしれない人のために、これからは少しだけ。

第二次世界大戦が終わった時から多くのドイツ人がアメリカに移民している。その中にユダヤ人と偽った元ナチ党員、しかもユダヤ人を大量虐殺した捕虜収容所で働いていた者もいたという設定だ。たぶん本当にそういう輩もいたのだろう。ユダヤ人の姓名を奪って、成りすましてのうのうとアメリカ市民として、孫まで持つ家族をつくっていたらしい。

主人公はドイツ人。先日観た物忘れ病の人間ではなく、老人性痴ほう症だ。朝になれば自分が誰かも分からない。「君の妻は残念ながら先週亡くなった。」と始まる友達からの手紙を見て、ようやく自分の今の状況を認識する毎日だった。そんなことは起こり得る。起こっても本人がそれを認識できないことが悲劇であり、喜劇でもある。こんな風に拙い文章を書けることは、仕合わせ期間の絶頂にいるのかもしれない。

『オケ老人!』

2016年(平成28年)・日本 監督/細川徹

出演/杏/黒島結菜/坂口健太郎/笹野高史/左とん平/小松政夫/藤田弓子/石倉三郎

梅が岡高校に赴任してきた数学教師の小山千鶴は着任早々、地元の文化会館にアマチュアオーケストラのコンサートを聴きに行く。学生時代にオーケストラでバイオリンを弾いていた彼女は演奏に感銘を受け、入団を決意する。後日、千鶴が楽団の拠点に行ってみると、そこのメンバーは老人ばかりであった。実はこの町にはアマチュアオーケストラが2つ存在しており、彼女が聞いたコンサートはエリート集団の「梅が岡フィルハーモニー」のものだったのだが、誤って老人ばかりの素人オーケストラ「梅が岡交響楽団」の拠点に行ってしまったのだ。若者の入団を喜ぶ老人たちを前に、勘違いだと言い出せなくなった千鶴はそのまま楽団に入団することになり、ついにはなりゆきから、心臓の調子が良くない野々村に代わり、指揮者をつとめるハメになってしまう。(Wikipediaより)

もう映画を観なくても十分です。中学生が書いた本を映画化したような流れ。日本映画の70%はコメディ映画じゃないのと勘ぐっている。映画としては不十分だが、日本人の好きな「安定」「穏便」「静寂」などが鏤められている。アメリカ映画に必ずある「ユーモア」とは一線も二線も隔している。

音楽はいい。もしもピアノが弾けたなら、と歌の文句のような思いをしているのは私だけではないだろう。せめて2、3曲ピアノ独奏と弾き語りが出来れば、人生はもっと豊かになるような気がする。それじゃ、習えばいいじゃん、と思うのだが、どうにも難しい両手の動き、なんとか弾いているギターでもレベルアップしようか?!&%$#

『ブルースの女王』(BESSIE)

2015年・アメリカ 監督/ディー・リーズ

出演/クイーン・ラティファ/モニーク/マイケル・ケネス・ウィリアムス/トリー・キトルズ

実在したアメリカの黒人女性歌手ベッシー・スミス(Bessie Smith, 1894年4月15日 - 1937年9月26日)の物語。アーティストの成り上がりものを映画で観るのはおもしろい、はずだが、ちょっと期待外れ。テレビ映画ということもあるのだろうか。

このベッシー・スミスは、ブルースの女帝やブルースの皇后とまで呼ばれたらしい。建造物を揺るがすほどの圧倒的な声量と芳醇な情感を保つ歌唱力で聴衆を魅了し、偉大なブルース・シンガーとして現代でもその人気と名声は語り継がれているという。近代アメリカのポピュラー音楽史上、スミスの存在は後に活動する多くの歌手たちへジャンルを問わず幅広く巨大な影響を与えていた。スミスを尊敬したという歌手にビリー・ホリデイ、マヘリア・ジャクソン、ジャニス・ジョプリン、ノラ・ジョーンズ達が挙げられる。

確かに映画はそういう描き方をしているが、名声を得るまでのストーリーがめちゃめちゃおもしろいはずなのに、そこらあたりが上手く描かれていない。いつの間にか有名になっていて、いつの間にか世界恐慌期に入ってしまったりしていた。YouTubeには現役の時の歌声がたくさん上がっていて、なんと便利な世の中なのだろうと驚くばかりだ。

『ひるなかの流星』

2017年(平成29年)・日本 監督/新城毅彦

出演/永野芽郁/三浦翔平/白濱亜嵐/山本舞香/小野寺晃良/室井響/小山莉奈/大幡しえり/西田尚美/佐藤隆太

やまもり三香による日本の漫画作品。『マーガレット』(集英社)2011年12号から2014年23号まで連載された。単行本全13巻。主人公の与謝野すずめは、田舎でのんびりと暮らす高校1年生。しかし、両親が海外に転勤になったのを機に、東京に住むおじ・諭吉のもとにあずけられることとなった。上京初日に東京で迷子になり、熱を出して公園で倒れたが、偶然出会った獅子尾に助けられる。その獅子尾の第一印象は「あやしい人」であったが、転入先の学校で担任教師となり、何かと助けてもらったりと関わっていくうちに、獅子尾に惹かれるようになる。一方、転入してはじめて友達となった馬村にも、恋心を持たれるようになる。(Wikipediaより)

コイバナに終始していて、ちょっと意外だった。さすがに、こんな話だけでは映画として興味が持てない。もう少し人生に関係する出来事がなければ、おちゃらけた世間話で埋もれてしまいそうだ。こちらが若くても、ピンポイントの年齢でなければ、余計敬遠しそうな感じがする。

テレビ映画で十分過ぎる内容。出だしは面白そうだったので、少し残念。まぁ、本気になってこの手の映画を語れるほど実人生が既に終わってしまっている。もう一度、新しい自分の人生が始まることを願っている。

『われらが背きし者』(Our Kind of Traitor)

2016年・イギリス 監督/スザンナ・ホワイト

出演/ユアン・マクレガー/ステラン・スカルスガルド/ダミアン・ルイス/ナオミ・ハリス

モロッコでの休暇中、イギリス人の大学教授ペリーとその妻ゲイルは、偶然知り合ったロシア・マフィアのディマから、組織のマネーロンダリング(資金洗浄)の情報が入ったUSB をMI6(イギリス秘密情報部)に渡して欲しいと懇願される。突然の依頼に戸惑う二人だったが、ディマと家族の命が狙われていると知り、仕方なく引き受けることに。しかし、その日をきっかけに、二人は世界を股に掛けた危険な亡命劇に巻き込まれていく・・・。(AMAZONビデオ解説より)

この邦題はどういう意味なのだろうか? 正確には理解できないのが私の頭の中身らしい。イギリスMI:6ものなのに、進行するにつけイライラする。監督が下手なのか、もともと原作が詰まらないのか。ジョン・ル・カレ原作の同名スパイ小説の映画化だという。瞬間瞬間にはおもしろさを感じるが、何故か乗り切れない。ロシアン・マフィアの顔とMI:6の顔がイマイチそれらしくないことが問題だった。

権力のない諜報員と裏切りの約束をしても始まらない。どの世界でもそうだ。いかにも自分が実力があるようなことを言われても、本当のところは結果でしか証明できない。自分は何も出来ないくせに、他人が計画したことを認可するだけの能力しかない輩が偉そうにしていることもある。勘違い人生の典型だが、勘違いがなければ生きていけない人は多い。死んでも本当の自分の評価を知ることのない人がたくさんいる。それでいいのだ。

『時をかける少女』

2010年(平成22年)・日本 監督/谷口正晃

出演/仲里依紗/中尾明慶/安田成美/勝村政信/石丸幹二/青木崇高/石橋杏奈/千代將太/加藤康起/柄本時生

2006年にまだヘラルドの名称がかすかに残っていた角川ヘラルド映画はこの映画のアニメ版を配給したらしい。このアニメ版は、原作は同じ筒井康隆の小説『時をかける少女』であるが、原作の物語の映画化ではなく、原作の出来事から約20年後を舞台に次世代の登場人物が繰り広げる物語を描く続編であった。本映画は4度目の映画化だという。

原田知世初主演の『時をかける少女』は、1983年(昭和58年)大林宣彦監督の「尾道三部作」(『転校生』・『さびしんぼう』)の2作目として公開された。主演の原田知世は、第7回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し、配收は28億円を記録し邦画では年間2位となったという。この原田知世版を観ている気になっていたが、ストーリーをまったく思い出さなかったので、観ていなかったかもしれない。もっとも、観ていたって3年もすればすっかり忘れるのはいつものことなので、観ていなかったかどうかは分からない。

SFストーリーにはとりあえず興味があり、ちょっと出来が良ければ飽きもせず観ることが出来るのは嬉しい。この映画の主演仲里依紗は、アニメ版の声の主演をしている。コケティッシュな風貌が楽しい雰囲気。この映画で共演をした中尾明慶と2013年に結婚している。そういう実生活があるという想定があるとは、二人にも想定外だったのだろうか、それとも。

『エンド・オブ・キングダム』(London Has Fallen)

2016年・アメリカ 監督/ババク・ナジャフィ

出演/ジェラルド・バトラー/アーロン・エッカート/モーガン・フリーマン/アロン・モニ・アブトゥブール

アメリカ合衆国は、世界各国でテロを扇動している武器商人のアミール・バルカウィに対するドローン攻撃を行った。2年後、ベンジャミン・アッシャー大統領のシークレットサービスであるマイク・バニングは、妻レアの出産を前に、危険な今の仕事を辞めようと考えていた。そのおり、イギリス首相のジェームズ・ウィルソンが急逝したとの一報が、ホワイトハウスに入る。大統領は他の主要国首脳も参列する葬儀に出席するため、アメリカ合衆国シークレットサービスのマイク・バニング、シークレットサービス長官のリン・ジェイコブズと共にロンドンへ渡る。厳重な警戒体勢が敷かれているロンドン。葬儀会場のセント・ポール大聖堂に向かっていたカナダ首相とその妻を乗せた車が、突如、爆発した。それと同時に、他の首脳たちも、警官や近衛に紛れていたバルカウィの手下らによって一斉に攻撃を受ける。一方で、バニングとジェイコブズは大統領を守って、セント・ポール大聖堂から車で逃走する。(Wikipediaより)

『エンド・オブ・ホワイトハウス』(Olympus Has Fallen・2013年)の続編だということなのだが、その作品を観たと思うが、あらすじを読んでも思い出せないでいる。この映画は主人公シークレットサービスの独り舞台というところだろうか。悪くはない。

9.11アメリカへのテロは現実だった。この映画ではロンドンの有名な建物がどんどん破壊されていく。警察官を装ったテロ集団が殺戮を繰り返す。日本のテロ対策を考えると、こんなことも簡単に出来そうな気がして心底怖くなる。2020年東京オリンピック、大丈夫かな~。

『皆殺しの流儀』(WE STILL KILL THE OLD WAY)

2014年・イギリス 監督/サシャ・ベネット

出演/イアン・オギルビー/アリソン・ドゥーディ/スティーヴン・バーコフ/ジェームズ・コスモ

どこかで観たような雰囲気の映画だが、この映画そのものは見事な5流映画でおもしろい。時間も短いし、余計などんでん返しもないことがいい。昔取った杵柄てな感じで、ロンドンの古い街で活躍していた往年の暴力団またはマフィアとでもいう輩が、歳をとった兄が最近のしてきた若造暴力グループに殺されたのをきっかけに、もう一度昔にかえって仕返しをする話。

人生のどんでん返しは、良い方向に行くのなら誰でも「喜んで!」と居酒屋の注文を聞く店員のような返事が出来るだろうが、想定外の方向へ行ってしまう結末には苦々しい顔しか出来ない。どうせ100年も生きているはずもないことを分かっているのに、目に前の損得に拘泥する人間がほとんどで、それはく普通のことに違いない。

なにしろ、人間は自分の人生を1度しか生きられない。そんなことは誰にも分る。分かっているはずなのに、自分の身の回りのことにしか目がいかないのはどういうことなのだろう。他人のことを考えている風を装っても、そんなことはすぐにバレる。他人の話に耳を貸すことさえ、上手く出来ないような人が多いのには、本当に驚くばかりだ。

『ファントム/開戦前夜』(Phantom)

2013年・アメリカ 監督/トッド・ロビンソン

出演/エド・ハリス/デイヴィッド・ドゥカヴニー/ウィリアム・フィクナー/ランス・ヘンリクセン

「キューバ危機では、米ソの核戦争は回避されたが、1968年5月ソ連の核搭載潜水艦が消えた時、世界は核戦争突入の危機に K・シーウェル 歴史家」 というテロップが映画の冒頭に流れる。そして、「ルイバチー原潜基地 ソビエト連邦」という光景と文字が現れる。その後に「史実に基づいた物語」と続くのだった。

東西冷戦下にあった1968年に、ソ連の潜水艦K-129が通常の作戦海域を大きく逸脱した末にハワイ近海で謎の沈没事故を起こした事件を題材にしている。映画の大半は潜水艦の中での出来事。艦長の威厳と実行力がよく分かる。こんな話が本当にあったということを知るのはいつだって後の祭りの時点だ。

映画のエンド・クレジットには以下のような文言が。「冷戦時にソ連の核搭載潜水艦が南太平洋で行方不明に。後に引き揚げられた時、艦の行動目的は米露の政府間で極秘にされた。ミサイルは不発のまま海底から米国が回収したとの話だ。」 そう、ソ連の開戦主義者らしきテロ集団が一時潜水艦を乗っ取り、ミサイルを発射してしまったのだ。恐ろしきかな事実。

『フライトSOS ロスト・イン・ザ・パシフィック』(蒸発太平洋 Lost in the Pacific)

2015年・中国 監督/ビンセント・チョウ

出演/ブランドン・ラウス/キティ・チャン/ラッセル・ウォン/バーニス・リウ

AMAZONサイトには、「・・・巨大な嵐に遭遇した機体は、まさに空中版タイタニック号!・・・」と、書かれていた。恐れ多いタイタニックを出してくるとは、笑止千万どころではない。映画を観るすべての人を愚弄している。なんともチンケで、5流作品の下を走る映画の存在を初めて知った。あまりの陳腐さにそのまま観続けていたが、この映画の存在そのものがコメディだ。

もしかすると、2歳児が生まれて初めて見る映画にはちょうど良いかもしれない。難しいことは分からないだろうから、猫のようなオオカミのような張りぼて集団が人間を襲うシーンは、もしかすると人生のトラウマになってしまうかも、と危惧することもあるが。

特撮やCGといった表現は当てはまらない。どれだけ少ない予算で映画を製作できるかのテスト・パターンのような風さえある。同じストーリーで、有名どころを5人くらい配役して、同じストーリーでリメイクしたら、結構見られる映画になったりすることもあり得る。そこが映画製作の妙といえるものだろう。

『ランスキー アメリカが最も恐れた男』(Lansky)

1999年・アメリカ 監督/ジョン・マクノートン

出演/リチャード・ドレイファス/エリック・ロバーツ/アンソニー・ラパリア/オクタビア・L・スペンサー

マイヤー・ランスキー(1902年7月4日 - 1983年1月15日)はユダヤ系ロシア人のギャング。邦題が大袈裟だが、大物マフィアにはぴったんこかもしれない。当時ロシア帝国領だったフロドナ(現在のベラルーシ、グロドノ)でポーランド系ユダヤ人の両親の間に生まれる。1911年、一家で渡米し、1928年9月に国籍を取得した。

職業は非合法だが、一種のアメリカン・ドリームを体現した人物になるだろう。1960年代、ギャンブル、ホテル・ゴルフコースへの投資などで3億ドルを儲けたと言われる。1960年代からFBIのターゲットとなっていたが、1970年に脱税容疑を受けてイスラエルに逃亡した。2年後、帰化申請が却下され、国外追放されると、アメリカ政府は訪問先の中南米諸国にランスキーを入国させないように圧力をかけた。アメリカに強制送還されたが保釈された。このあたりが描かれている。フラッシュバックが甚だしく、時代と、それでなくとも判別し難い外国人の顔が交叉して、いつもの分かりにくい映画の典型のようになって行った。

チンピラからのし上がる手段は単純だった。それは暴力。上の人を殺してのし上がるという、これしかないという方法がとられていた。それしかないよね。マフィアだから許される手段。平々凡々とした人がのし上がるためには、東大でも出て社会に出て行くのが手っ取り速いかもしれない。

『柘榴坂の仇討』

2014年(平成26年)・日本 監督/若松節朗

出演/中井貴一/阿部寛/広末涼子/高嶋政宏/吉田栄作/藤竜也/中村吉右衛門

楚々として美しい着物姿の女性がチャンバラ映画には必ず出てくる。ところがこの映画に出てくる広末涼子が美しくない。内から出てくる美がない。有名ではない女優らしき出演者がいつも美しく感じられていたので、今回は特別にこんな印象論を書いてしまった。

時は明治6年、明治になったからといってみんながすぐに侍姿を捨ててしまったわけではない、ということがようやく実感できた映像だった。歴史を学ぶだけでは時代が明確に変わっているが、実社会はカオスの時期が相当なんだったんだなーと思い浮かんできた。滑稽な光景が広がる明治初期をこの目で見てみたい衝動にかられた。

桜田門外の変で暗殺された大老・井伊直弼が実はいい人だったんだと映画は語っている。ちょうどNHKの大河ドラマ「西郷どん」ではこの井伊直弼が権力をかざして世の中を席捲している最中なので、この人の人物像がまったく正反対のように見えて、ちょっと頭の中が混乱している。いずれにせよ、大変革の時代を想像だに出来ない。それは敗戦を経験した自分の親世代の人たちにも同じように向けれれている。

『クーデター』(No Escape)

2015年・アメリカ 監督/ジョン・エリック・ドゥードル

出演/オーウェン・ウィルソン/レイク・ベル/スターリング・ジェリンズ/ピアース・ブロスナン

映画では舞台が東南アジアの某国ということになっているが、なんとか最後に川を下って脱出した国がベトナムだったので、想定としてはラオスかカンボジアということになりそうだ。このあたりの国と境界線がまったく覚えられず、今回も地図を検索して確かめてみた。記憶に残りそうではないが、覚えようとしていないので仕方がない。

その某国に赴任するために降り立ったアメリカ人家族が、クーデターに遭遇し外国人を狙った殺人襲撃にあう話だった。観始まってすぐに5流作品の匂いがプンプンしてきたが、映画はその雰囲気を携えながらどんどん進んで行った。アメリカから初めて東南アジアに仕事で赴任するなんて、いったいどういう気持ちなのだろうか。想像もつかない。日本人だって同じ東南アジアの国のくせに、日本だけ進化していると思ってしまっている節がある。

香港は何度も行って、その美味な食事に魅了されていた。マカオもついでに一度だけ行ったことがある。そのほかの東南アジアと言われる国には行ったことがないが、今でもあまり行ってみたいと思わない。アメリカよりもヨーロッパ、歴史のある場所に行くのが好きだ。

『フォレスト・ガンプ/一期一会』(Forrest Gump)

1994年・アメリカ 監督/ロバート・ゼメキス

出演/トム・ハンクス/サリー・フィールド/ロビン・ライト/ゲイリー・シニーズ

テレビ放映にこの題名を見つけ、久しぶりに観てみたいなと強く思った。リアルタイムで観ている数少ない映画の1本。ガチャガチャと五月蠅くて忙しないこの頃の映画に、ちょっと苛立っている自分がいることは確かだ。24年前の映画、午後11半に観始まったが、一気に終わりまで観続けてしまった。おもしろい、というのはこういうことを言うのだ。

キャッチコピーは、劇中にセリフとしても登場する「人生はチョコレートの箱、開けてみるまで分からない(Life is like a box of chocolates. You never know what you're gonna get.)」。このセリフは、『アメリカ映画の名セリフベスト100』において第40位となっている。タイトルの「フォレスト・ガンプ」は主人公の名前。「フォレスト」はクー・クラックス・クランの結成者として知られるネイサン・ベッドフォード・フォレストからの由来で、「ガンプ」("gump") はアラバマ州の方言で、「うすのろ」「間抜け」「愚か者」を意味する。(Wikipediaより)

1996年、劇中に登場する「ババ・ガンプ・シュリンプ」をモチーフにしたシーフードレストラン「ババ・ガンプ・シュリンプ・カンパニー」が設立された。2012年現在アメリカを中心に世界で20店舗を展開。とWikipediaに書いてあったので調べてみたら、現在日本店舗3店を含め全世界に41店舗を展開しているという。機会があったら、是非行ってみたい。

『シャーロック・ホームズ』(Sherlock Holmes)

2009年・イギリス/アメリカ/オーストラリア 監督/ガイ・リッチー

出演/ロバート・ダウニー・Jr/ジュード・ロウ/レイチェル・マクアダムス/マーク・ストロング

一体何日観ているのだろうか。一向に観終わる気配がない。観始まって10分もしないうちに、なんかすぐに飽きが来てしまうので、とりあえず観るのをやめてしまうのだ。先日観たこのシリーズの2作目、『シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム』(Sherlock Holmes: A Game of Shadows・2011年)が酷く面白くなかったのがトラウマになっている。

なんとか観終わったが、どうしておもしろくないのか分からない。最後の頃になってようやく謎解きが一気に語られて、それまでもやもやしていた気分がようやく晴れて、なるほど!これだったのか!と合点がいった。話の途中経過が独りよがりなのだ。映画の中の人たちはもくもくと、すいすいと演技をしているだけで、何の感情もないような風景が見えているだけのようになっているのが、一番つらい。

まぁ、私がおもしろくないと思った映画はだいたい評価が高い。この映画も同様だった、概ね高評価でアカデミー賞・作曲賞、美術賞にノミネートされるが受賞したのはそれぞれ『カールじいさんの空飛ぶ家』と『アバター』であった。という解説が的を射ている。評価は高かったが、賞までは行き着かなかった、ということに安堵した。

『ビッグゲーム 大統領と少年ハンター』(Big Game)

2014年・フィンランド/ドイツ/フランス 監督/ヤルマリ・ヘランダー

出演/サミュエル・L・ジャクソン/オンニ・トンミラ/フェリシティ・ハフマン/ヴィクター・ガーバー

アメリカ合衆国大統領を乗せたエアーフォースワンが、フィンランドのとある山岳地帯を飛行中ミサイル攻撃を受けて墜落してしまう。間一髪脱出ポッドで逃げ出した大統領は、偶然近くにいた少年と行動を共にすることになる。そんな流れだが、アメリカ映画なら複雑に絡み合った敵と味方、現在と過去をどんどん映像化して、何が何だか分からなくしてしまう映画になっていただろう。

そこはフィンランド、と言ったってフィンランドの何かを知るわけではないが、話が単純明快で分かりやすい。ここまで簡素化されたストーリには近頃めったにお目に掛かれない。北欧にも一度足を延ばしたかったな~。

税金は高いけれど、教育費や医療費を考えれば圧倒的に住みやすそうな北欧諸国。成熟していない日本のたどる道はどうなるのだろうか。10年後は見えたとしても100年後はまったく見えない。生活のどの方面が著しく変わるのかを見たい。そういつも願っているが、自覚のない私の未来の分身が、時空を超えてバーチャル風景を送ってくれないだろうか。馬ッ鹿みたい?!

『追憶の森』(The Sea of Trees)

2016年・アメリカ 監督/ガス・ヴァン・サント

出演/マシュー・マコノヒー/渡辺謙/ナオミ・ワッツ/ケイティ・アセルトン

主人公がgoogle検索で「a perfect place to die」と入力すると、一番上に表示されたのは「Aokigahara Forest - The Perfect Place to Die - Oddity Central」だった。日本人には有名な富士山の麓にある青木ヶ原樹海のことだった。有名だけれど、本気になって自殺しに行かなければ、青木ヶ原樹海がどれだけ危険なのかを知る由もない。

2015年カンヌ映画祭のコンペティション部門に出品されたが、多くの観客からブーイングを浴びたらしい。何故ブーイング?なのかと調べてみたら、単純明快な理由だった。主人公は最愛の妻を亡くし、自殺しようとアメリカから富士山の青木ヶ原樹海にやってきた。そこで森を彷徨っている渡辺謙に出逢うのだが、この森の中の単調で退屈な二人芝居が原因だということが分かった。それは尤もな話だ。実際、観ていて詰まらないのが、この二人の青木ヶ原脱出行なのだ。何故主人公が自殺しにやってきたかをフラッシュバックするが、そちらの方がドラマらしくて、青木ヶ原のシーンになると暗く、闇の中に入ってしまうのだ。

全世界からこの樹海に死にに来る人たちがたくさんいるらしい。2013年には105遺体が発見され、首つり自殺と服毒自殺が大半だと統計を映し出している。どうせ死ぬのなら、美しい富士山の麓で天国に召されたいと思うのもありかなと思う。もともとキリスト教では許されない自殺行為だが、自分の人生ならそんなことを言っている暇はない。幸せなようで仕合わせでなかった主人公の夫婦関係、浮気が原因と言っているが、そんなことで破綻するような結婚生活なら、浮気がなかったとしても別の理由で別れてしまうに違いない、と私が断言する。

『シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム』(Sherlock Holmes: A Game of Shadows)

2011年・イギリス/アメリカ 監督/ガイ・リッチー

出演/ロバート・ダウニー・Jr/ジュード・ロウ/ノオミ・ラパス/ジャレッド・ハリス

映画を観て書くこの欄の内容は、映画の中身を説明したり評論したりすることではない。そんなことはネット上に山のように折り重なっているので、そちらを見れば極めて適切な描写に出逢えることと思う。私の書くのは、当該映画を観て、そこから感じる自分の人生と重ね合わせた感慨である。情緒的な自分の人生訓であり、映画とは直接関係のないことも多く含まれる。と何度も書いておかねば。

それにしても途中で寝てしまうと、もういけません。あまりにも予定調和のようなストーリー展開で面白みがない。シャーロックホームズの本来持っているであろう推理能力に驚嘆するようなシーンに出くわさない。この前見たこの映画の前作もそんな感じだった。

ありきたりで、誰がやったって変わりのない所業には興味がない。誰がやっても同じはずなのに、酢飯ではない海鮮丼を平気でメニューにしている名古屋の食堂が不思議で堪らない。実績のないと思われる若造が、これ見よがしに講釈を垂れる言葉を聞いていると腹が立つ。自分の頭の悪さを本気で信じていない人間が多い。まさか、そこまで頭は悪くないよ、と思っているようだが、実は本人が考える以上の頭の悪さを他人が認知している。

『イントルーダー 怒りの翼』 (Flight of the Intruder)

1990年・アメリカ 監督/ジョン・ミリアス

出演/ダニー・グローヴァー/ウィレム・デフォー/ブラッド・ジョンソン/トム・サイズモア

ベトナム戦争中の1972年。ベトナムにあるトンキン湾で展開している空母インディペンデンスでは、艦上攻撃機イントルーダーことA-6がいつものようにベトナムへ飛び立っていた。A-6のパイロットだが和平協定を理由にハノイへ飛べず、何の変哲も無い場所での軍事行動で次々と戦友が亡くなることに辟易していたグラフトン大尉は、新しくインディペンデンスにやってきたコール少佐に現状を訴える。初めこそ時期尚早だと諭していたコールは、軍事作戦中に仲間の死を目の当たりにしたことからグラフトンに共鳴し、彼と共に独断でハノイへ出撃する。(Wikipediaより)

誰のために、何のために爆撃しているのかと疑問しかない主人公。爆撃目標は何もない森だったりすることが多いのに、一方では迎撃されて死亡する仲間がたくさんいる。圧倒的な軍事力が、地べたを這って戦うベトナムに敗れてしまった一端が、この映画でも見ることが出来る。

戦争を知らない世代の先頭を行っている我々世代だが、戦争の影響をかなり受けていたはずに違いない。みんな生まれてきているからの人生なのだろうけれど、生まれてこれなかった人間も相当数いたのだろうし、生まれてきても短い人生で終わってしまった同級生もかなりいたのではないのだろうかと。

『ザ・ウィザード・オブ ライズ』(The Wizard of Lies)

2017年・アメリカ 監督/バリー・レヴィンソン

出演/ロバート・デ・ニーロ/ミシェル・ファイファー/アレッサンドロ・ニヴォラ/ハンク・アザリア

2008年に米国中の投資者たちを揺るがせた悪徳資本家、バーニー・マードフ。史上最大級の巨額詐欺事件の犯人。自身が興した証券会社「バーナード・L・マドフ・インヴェストメント・セキュリティーズLLC」(バーナード・マドフ証券投資会社、Bernard L. Madoff Investment Securities, LLC)の会長兼CEOとして、30年にもわたって人々を騙し続けて巨大な金額の金融詐欺事件を引き起こした人物。すべての訴因で有罪を認め禁固150年の判決をうけた。現在、ノースカロライナ州の刑務所で服役中であるという。

マドフが自ら運営する投資ファンドについて、「(運用によって)10%を上回る高利回り」などと虚偽の内容をうたい、投資家たちから多額の資金を集めたという。また、マドフは集めた資金を金融市場などで運用することをせず、既存の顧客たちへ支払わなければならない配当に自転車操業的に回し、それによって巨額の損失を隠していた。古典的なしかも今の日本でも時々出現する詐欺事件だったようだ。規模が大き過ぎる、被害総額については見解が分かれているが、一説には500億ドル(約5兆円)だという。罪を問われたのはマドフ一人だが、妻や子供2人、その妻の人生をも狂わせてしまったプロセスがドキュメンタリーのように描かれている。胸が苦しい。

HBOフィルム(アメリカ合衆国のケーブルテレビ放送局HBO(Home Box Office))作品がアマゾンプライムの目玉のようになっている。今や劇場用映画ではなくテレビ映画がネット動画の主流になってしまったことを以前書いたことがある。役者だって劇場用映画と遜色のない人たちだ。ちょっと現役を引退したばかりの大物俳優たちも大挙してHBO作品に出演しているような匂いもある。こういう大きな事件を扱った映画には大物俳優が似合っている。映画ジャーナリスト成田陽子さんがSNSでミシェル・ファイファーにインタビューしているページが検索に引っかかった。

『殿、利息でござる!』

2016年(平成28年)・日本 監督/中村義洋

出演/阿部サダヲ/瑛太/妻夫木聡/竹内結子/羽生結弦/松田龍平/草笛光子/山崎努

今日は、2018年4月10日火曜日。この映画の存在をまったく知らなかった。連日の大谷翔平騒動の後遺症で眠気が優先されてしまった。まぁ見直すこともなく話が繋がっていたような気もする。落語を聞いているというより観ているような雰囲気、確か前にも似たような感覚があったことを思い出した。Wikipediaにおもしろい記述があったので以下はすべて引用となる。

原作は18世紀に仙台藩の吉岡宿で宿場町の窮状を救った町人達の記録『国恩記』(栄洲瑞芝著)を元にした歴史小説『穀田屋十三郎』(磯田道史著)である。映画『武士の家計簿』を見た宮城県大和町の元町議・吉田勝吉が、原作者・磯田道史に「この話を本に書いて広めて欲しい」と手紙で託したのをきっかけに「穀田屋十三郎」含めた『無私の日本人』を出版。2014年、東日本放送が開局40周年記念事業の一環で、映画製作を中村義洋に依頼。「無私の日本人」を読んだ京都の読者が東日本放送に勤務している娘に送り、感動した娘が同社勤務の同僚に薦め、同僚が元同僚に薦めた。その元同僚が中村義洋の妻で「無私の日本人」を中村に見せた。「無私の日本人」に感動した中村が東日本放送に映像化を掛け合うが、最初時代劇に難色を示す。映画化した決め手は、東日本放送社長が「無私の日本人」に感動して映像化を許可したことだった。磯田はこの流れを「感動のドミノ」と称した。

この作品は東日本大震災から5年目を意識した地方再生もテーマにしている。クランクインは2015年7月6日、宮城県と山形県を中心に8月末まで撮影された。伊達重村役を演じた、仙台出身のフィギュアスケート選手羽生結弦の特別出演は、中村が「役者陣を圧倒するのはもはや役者ではない」と言い出したのがきっかけ。羽生は故郷の仙台に実在した人物の感動秘話に出演を快諾。撮影当日まで羽生の特別出演は極秘扱い、リハーサルで現れた羽生の姿に役者陣は歓声をあげた。

『ワーテルロー』(Waterloo)

1970年・イタリア/ソ連 監督/セルゲーイ・ボンダルチューク

出演/ロッド・スタイガー/クリストファー・プラマー/ジャック・ホーキンス/オーソン・ウェルズ

大谷翔平騒動で朝早くから大リーグを見ていると、映画が二の次になっている。しかもこの映画は往年のイタリア・プロデューサーが作ったものなので、当時のつくりかたが踏襲されていて、今どきではちょっとかったるいストーリー展開に見える。戦争映画も時代により描き方が大きく違うことが分かる。

垂れ流し的に観ているが、なかなか終わりそうにない。ナポレオン・ボナパルトのかの有名なワーテルローの戦いに至る戦争映画である。ナポレオンがどのようにして皇帝にまで成り上がったのかを描いてくれればよかったのだが、昔の戦争・戦闘シーンに重きをおかれてもさほどの興味が湧いてこない。

日本なら戦国時代のおもしろさに匹敵するのだろうが、歴史を後の世界から見つめなおすことは、人間の歓びなのかもしれない。目の前のことには誰も打つ手が見つからないのが現実。一歩、いや半歩先に精神を集中させられれば、人の上に立つような解決策が見えてくるような気がする。でも誰もそんな人は登場しないところを見れば、おおむね人々は凡庸なるものなのだということも分かるような気がする。

『ミルドレッド・ピアース』(Mildred Pierce)

1945年・アメリカ 監督/マイケル・カーティス

出演/ジョーン・クロフォード/ジャック・カーソン/ザカリー・スコット/イヴ・アーデン/アン・ブライス

ミルドレッド・ピアースは主人公の名前、いきなり主人公の夫が拳銃で殺害されるシーンからこの映画は始まった。まだ戦争中なのにアメリカはこんな映画を作っている。日本では長らく劇場未公開であったが、『深夜の銃声・偽りの結婚』や『ミルドレッド・ピアース 深夜の銃声』といったタイトルでテレビ放映されたこともあるという。日本では2013年にDVDが発売になった。ジョーン・クロフォードの名前を知らなかったが、彼女はこの映画でアカデミー主演女優賞を受賞している。

この時代のアメリカでは離婚もそう多くはなかったような感じだった。他人に離婚を知られたくないというようなセリフが喋られる。また、離婚手続きにも時間がだいぶかかるようだった。今や離婚大国のアメリカ、社会の変化は100年というキリのいいスパンでも大きく変化することが分かる。

自分はお金持ちでも裕福な出でもない主人公、子供には何不自由なく物を与えてしまう。2人の娘のうちの小さな子供を亡くしてしまってからも、もともと贅沢に育ててきた長女の我儘ぶりが酷くなっていった。その代償のように自分の成功が何の意味も持たなくなるほどの人生の困難に出くわすことになる。物を与えるだけが仕合わせを呼ぶ行動ではないよ、と宗教的な教えをストーリーが語っているような。

『フューリー』(Fury)

2014年・アメリカ/イギリス 監督/デヴィッド・エアー

出演/ブラッド・ピット/シャイア・ラブーフ/ローガン・ラーマン/マイケル・ペーニャ/ジョン・バーンサル

1945年4月ドイツ戦線、誰もが戦争の終わることを予想し、想定していた時期だが、連合軍は最前線でドイツに優位だったわけではない。最後の抵抗を無鉄砲に仕掛けられ、ドン・「ウォーダディー」・コリアー軍曹が車長を務めるM4A3E8 シャーマン戦車「フューリー」号は孤軍奮闘壮絶な戦争をしている。

砲手、装填手、操縦手はいずれもつわものだ。副操縦手は戦闘で死亡し、補充として送り込まれてきたのは、戦車を見たことも入ったこともない新兵だった。映画らしくストーリーは進んでいくが、今までに見たことのないような実践戦争シーンだ。だから戦争はダメなんだ、なんていう言葉はまったく似合わない表現。狂気の沙汰の世界が繰り広げられる。人道だ慈悲だなんていう言葉はクソくらえ、殺るか殺られるかの世界だった。実話に基づいているという。

1945年4月30日にナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーは総統地下壕で自殺した。海軍総司令官カール・デーニッツ元帥が大統領に指名され、新たな政府を組織した。5月7日0時15分、ヨードルの連絡を受けたデーニッツはドイツ軍全軍の降伏を決意した。中央ヨーロッパ時間午前1時41分(英国夏時間午前2時41分)、無条件降伏文書に調印。無駄な戦いだったように見えるこの映画の戦闘、だがこのような無駄の積み重ねが終戦をもたらしたのだろう。

『ダーク・プレイス』(Dark Places)

2015年・イギリス/フランス/アメリカ 監督/ジル・パケ=ブランネール

出演/シャーリーズ・セロン/ニコラス・ホルト/クリスティーナ・ヘンドリックス/クロエ・グレース・モレッツ

フラッシュバックが頻繁に使われ、せっかく盛り上がった気持ちがそのたびに元に戻ってしまうことを繰り返していた。28年前主人公は8才、母親と妹二人が殺害されたカンサスシティー一家殺害事件の当事者だった。逮捕されたのはまだ高校生だった兄だった。裁判で有罪になり、兄はまだ刑務所暮らしという状況。真犯人がいるのではないかと、犯罪オタク族が主人公に問いかけたことから、事件が再び動くこととなった。

こんなトラウマを抱えて人生をおくる自信がない。「普通であること」を希望して過去の事件に向かう主人公の苛立ちが、手に取るように伝わってくる。気持ちのいい映画ではないが、人間の心のうちを凄くうまく表現している。原作があるようなので、その活字を読めばさらに一人一人の心が見えるような気もする。

何を好んで事件にぶつからなければいけないのか分からない。神の思し召しは、今のことではなく累々と受け継がれる血の証かもしれない。それは過去を見るだけではなく、これからの将来にもかかわる重大な遺産である。心して人生をおくらなければ、神の思し召しを素直に受けられないのだ。

『ナイトクローラー』(Nightcrawler)

2014年・アメリカ 監督/ダン・ギルロイ

出演/ジェイク・ジレンホール/レネ・ルッソ/リズ・アーメッド/ビル・パクストン

追っかけなんて生易しい世界ではなかった。事件が起こると、車につけて常時監視している警察無線受信機から情報が瞬時に入ってくる。いち早く駆け付けた先にはまだパトカーさえ到着していない。そんな生々しい現場をビデオカメラに収めてテレビ局に垂れ込む。というよりより高い値段を付けたテレビ局に売るのだ。

Wikipediaでは、事故、犯罪や火事をフリーランサーのジャーナリストとして撮影する社会病質者と断定しているのも驚く。まぁ、殺人があった現場でも警察に通報する前にビデオ撮影を優先してしまうのだから、そう決めつけられても文句は言えない。取材手法はどんどんエスカレートしていくのは明らか、個人住宅の盗聴シーンはなかったけれど、犯罪すれすれの行動がなければ他人を出し抜くことは出来ない。

おもしろかったのは、テレビ局にはそんな際どい映像を流すことの法的根拠を即断するスタッフがいたことだ。その判断に基づいて、オン・エアーすることを決断する番組プロデューサー、このあたりはテレビ局のダイナミックさだろう。日本のテレビ局ではとてもじゃないけど、そんな切羽詰まった状況は考えられない。何事にも無難に収めることしか頭にない日本のテレビ局、明らかに犯罪を犯している映像の犯人の顔にモザイクをかけることは、どこにプライバシーの侵害があるのか素人には理解できない。

『隣人は静かに笑う』(Arlington Road)

1999年・アメリカ 監督/マーク・ペリントン

出演/ジェフ・ブリッジス/ティム・ロビンス/ジョーン・キューザック/ホープ・デイヴィス

大学でテロリズムの歴史を教えているマイケルは、ある日、路上で大ケガを負ったブレディという少年を助ける。ブレディは隣に越してきた設計技師を名乗るオリヴァーと妻のシェリルのラング家の息子だった。これが縁で、ファラデイ家とラング家の交流が始まる。マイケルの息子グラントはブレディと親友になり、さらにマイケルの恋人である大学院生ブルックも交え、交流は深まっていく。だがやがて、マイケルはオリヴァーが何か隠し事をしていると疑うようになる。彼の過去を調べたマイケルは、オリヴァーの恐るべき素性を知る。(Wikipediaより)

中途半端なおもしろさだな~、と思って調べていたら、なんとヘラルド配給作品だった。なかなか本物のおもしろい映画を買えないのは私が辞めてからでも変わりがないようだ。昔はお金で作品を買うよりも、その前に人間関係で映画を購入できる環境を構築する方が難しかった。さらにその前には、アメリカン・メジャー作品を日本の独立会社が手に入れることすらシステムとして登場していなかった。

だから、ヨーロッパ映画が独立会社の主流作品になっていた。フランス映画、イタリア映画はヘラルドや東和の買う映画のほとんどだった、時代が変わり始め、生活様式もアメリカ化された日本では、イタリアやフランスのかったるい生活を映す映画が流行らなくなって行った。なんでもアメリカ物が持て囃され、マクドナルドで昼食を済まそうとする人たちが現れて、日本の食生活も大きく変わっていったのだ。

『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』(The Mummy)

2017年・アメリカ 監督/アレックス・カーツマン

出演/トム・クルーズ/アナベル・ウォーリス/ソフィア・ブテラ/ジェイク・ジョンソン

この映画は1932年に公開された映画『ミイラ再生』をリブートした作品であり、ダーク・ユニバースの第1作目となる作品でもあるらしい。ダーク・ユニバースって? 2014年7月、ユニバーサルは過去に製作したホラー映画をリブートしたフランチャイズ作品を制作することを発表し、シリーズ第1作としてこの映画を発表したということだ。

トム・クルーズは稼ぎまくっている。この映画の後にも既に3本が完成している。「インディジョーンズ」のような色調が全体を覆う。古代エジプトのアマネット王女は生きミイラ化されていたが、現代のロンドンに蘇る。奇想天外なSFアドベンチャーとでもいうのだろうか。子供だまし嫌いな私には、ちょっと追いていけない展開になっていった。

漫画チックなストーリーとアクションは現代映画の潮流。うまくはまればやんややんやの喝さいを受けるが、どこかでボタンの掛け違いが見つかると、そっぽを向かれる。際どい勝負は映画興行の宿命だ。中途半端でしかもおもしろくない日本映画の現状は悲惨だ。本数だけ多く製作されているのすら不思議だ。


2019年(令和元年6月28日再び観たので記す。

『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』(The Mummy)

2017年・アメリカ 監督/アレックス・カーツマン

出演/トム・クルーズ/アナベル・ウォーリス/ソフィア・ブテラ/ジェイク・ジョンソン/ラッセル・クロウ

1932年に公開された映画『ミイラ再生』をリブートした作品であり、ダーク・ユニバースの第1作目となる作品でもあるという。このあたりの話がおもしろかったので以下Wikipediaより大部分を引用した。2014年7月、ユニバーサルは過去に製作したホラー映画をリブートしたシェアード・ユニバース作品を制作することを発表し、シリーズ第1作として『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』が2016年6月24日に公開されることも発表された。アメリカでの実際の公開は、2017年6月9日だった。

2017年、ユニバーサルは公開が延期されていた『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』が公開される直前に、シリーズの名称が「ダーク・ユニバース」であることを正式に発表し、同時に『透明人間』『魔人ドラキュラ』『フランケンシュタインの花嫁』『大アマゾンの半魚人』をリブートすることを発表した。また、『オペラの怪人』『ノートルダムのせむし男』をリブートすることが発表された。

しかし、『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』は興行成績が振るわず批評家からも酷評され、ダーク・ユニバースの専用オフィスは活動停止状態となっているらしい。そうなんだよね、映画は当たらなかったら、途端に予定は未定にして決定にあらず、という状態になって行くのだ。今後の方針として、シリーズとしての繋がりのない独立したリブート作品を製作していくことが有力視されているという。

『だれかの木琴』

2016年(平成28年)・日本 監督/東陽一

出演/常盤貴子/池松壮亮/佐津川愛美/勝村政信/木村美言/小市慢太郎

「きごと」ってなんのこと? 何? きごとって・・・? 漢字をそのまま検索窓に入れてボタンを押したら、写真ともっきんという文字が見えて ハッ!となった。そうか! なんで「もっきん」と読めなかったのだろう、とそのことが気になって仕方がなかった。これも認知症の一種なのかもしれない。認知症の始まりはもう自覚しているので、一歩進んだ症状なのかもしれないな~。

映画化されるきっかけは、監督・東陽一が本屋でいろいろな小説の題名を眺めていたとき、この本だけは題名を見ても内容がわからなかったと購入し読んでみたところ、様々な解釈が持てる余白のある内容に惹かれ、映画化が実現したのだという。普通の主婦がストーカーのような振る舞いをして、家庭を壊していく姿が上手く描かれている。

ストーカーまがいになってしまった主婦の行動が良く理解できた。何事にも一途に向き合っていると、相手には何でもないことがこちらにとっては是非とも反応しなければいけないことだと、このギャップが思わぬ誤解を生むことになるのだろう。気になって仕方がない、そのことを行動に起こしてしまうと、それはストーカーだよ! ということになるのかもしれない。ただ気になるから、何かをしてしまうだけなのに。こういう心のうちを描写できる作家が凄いと思った。原作者は井上荒野。

『カイト KITE』(Kite)

2014年・アメリカ 監督/ラルフ・ジマン

出演/インディア・アイズリー/サミュエル・L・ジャクソン/カラン・マッコーリフ/カール・ボークス

今日は2018年(平成30年)3月30日金曜日。よもや大谷翔平のメジャーリーグ・デビューを見られるとは想定していなかった。朝5時台でも、ちょっと昔なら起きだしてリアルタイムで見ることを由としていた。だがもういけません、そんな元気があるわけではないので、しっかり録画を忘れずにセットした。目が覚めたらその時間によってすぐに見るかどうかを考えればいいかな~、と。

7時過ぎに目覚めて、そのことを覚えていたので、ほかのメディアにはまず触れないように注意しながら録画を見始まった。結果は、まぁ~こんなものでいいんじゃないの。第一打席にいきなりヒットを打って、そのあとは凡打。これくらいのデビュー戦は理想的かもしれない。オープン戦の結果があまりにも良くなかったので、この1戦で目立ち過ぎるのもあとあと苦労すること必至だから。

ということがあって、この映画を観るころには疲れが出ていたのだろう。見事に長時間の眠りに陥って、観てない時間の方が長かったに違いない。日本のアニメが原作だみたいなことが書いてあったが、そんなことにはまったく興味がない。なにが原作だろうが、誰が監督だろうが、役者は誰だろうが関係ない。映画はおもしろければいいのだ。この映画がおもしろくないのは、すぐに分かってしまったが。

『バラバ』(Barabbas)

1961年・イタリア 監督/リチャード・フライシャー

出演/アンソニー・クイン/シルヴァーナ・マンガーノ/アーサー・ケネディ/ジャック・パランス

原作は小説だが、バラバという主人公人物は新約聖書の福音書に登場するユダヤ人の囚人。イエスの代わりに恩赦を受け、釈放された。マルコによる福音書によれば、過越し祭のたびの慣例となっていた罪人の恩赦にあたって、総督ピラトはイエスの放免を期して、バラバかイエスかの選択を民衆に迫った。しかし祭司長たちにそそのかされた群集はバラバの赦免とイエスの処刑を要求。ピラトは不本意ながらこれに従ったため、バラバは釈放された。

バラバは、イエス・キリストが磔刑にされるところを見ている。その後バラバはシチリアの硫黄鉱で強制労働させられたり、剣闘士養成所からグラディエーターになったりしながら何とか生き延びるのであるが、まだ異教として迫害を受けていたキリスト教が心の中から離れなくなってきたのだった。

キリスト教が生まれる周りの風景を見ているような気持になってきた。新興宗教はすべて邪教だ。せめて100年、200年、400年続けば一つの宗教として認識されるだろう。キリスト教が入ってきていながらメジャーにならない日本の国の宗教観が分からない。自分自身がそうなので、いったいどういう人生観なのだろうと訝るしかない。

『四月は君の嘘』

2016年(平成28年)・日本 監督/新城毅彦

出演/広瀬すず/山﨑賢人/石井杏奈/中川大志/甲本雅裕/本田博太郎/板谷由夏/檀れい

マンガが原作なのだろうなぁと思いながら観ていた。まったくその通りだったが、結構面白く観た。バイオリンを弾く主人公の女子高校生と、ピアノを弾く男子高校生、嘘っぽく見えてしまうパフォーマンスがそんなに違和感なく見えていたのがいいのかもしれない。

「定番」の不治の病の悲恋ものになってしまうが、それまでの展開はやけに明るく、結構スカッとするストーリーで気に入った。ピアノが弾けたらいいな~、と今でも思い続けている。あの時代の田舎町では男の子がピアノをやっているなんていう子供はいたのだろうか。考えもしなかったが、ひとりや二人いたかもしれない。

ピアノが弾きたい。弾けるようになりたい。ギターをボロン、ボロンと鳴らして演歌を歌っているだけでは満足がいかない。すごい欲求がある。来世の私は、きっと音楽の才能溢れた人間になっていることだろう。と、願わずにはいられない。

『桜並木の満開の下に』

2012年(平成24年)・日本 監督/舩橋淳

出演/臼田あさ美/三浦貴大/高橋洋/松本まりか/三浦力/小澤雄志/林田麻里/石垣光代/柳憂怜/諏訪太朗

東日本大震災の爪痕が残る茨城県日立市で、夫の研次(高橋洋)と暮らす栞は、製鉄工場に勤めている。ある日、工場で事故が起こり、研次が命を落とす。事故の原因となった同僚の工(たくみ)は、栞に謝罪しようとする。栞は頑なに工を拒絶するが、やがて工と恋に落ちる。(Wikipediaより)

こんな解説を読んでしまっていたら、まったく観る気にはなれなかったろう。久しぶりに日本映画の暗さを観た。しかも話が進まない。こういう映画もあることは承知しているが、それにしても遅い。本作に5つ星満点の3.5点をつけた『The Japan Times』のマーク・シリングは「成瀬巳喜男監督『乱れ雲』を想起させる」と指摘した、という記事もあった。

最後まで観続けられれば、悪くないという感想も出るだろう。製作にオフィス北野の名前が入っていて、ちょっと興味をそそられる。こういう映画を映画館でヒットさせるのは至難の業。今や風前の灯火となってしまったらしい「ミニ・シアター」系映画としてはぴったんこだ。暗いけれど、後味は悪くない。まっすぐな男と一線を越えない女がいい。

『エージェント・マロリー』(Haywire)

2012年・アメリカ 監督/スティーブン・ソダーバーグ

出演/ジーナ・カラーノ/ユアン・マクレガー/ビル・パクストン/チャニング・テイタム

原題の「Haywire」の意味は、「干し草を束ねる針金」から俗語で「混乱」だという。なるほどそれで分かった、映画はスタートから人間関係がまったく理解できずにアクションや殺人が横行していたのだ。観客が混乱することを想定した題名だったのか、それとも、登場人物間の関係が混乱しているということなのか。まぁ、どちらにせよ映画の後半まで訳が分からず見る羽目になる。

この映画の監督スティーブン・ソダーバーグは、1989年、初めての長編映画『セックスと嘘とビデオテープ』でサンダンス映画祭観客賞を獲得した。当時ちょうどこの映画祭に行っていたヘラルドの若社長が、この映画を買ってきて、日本ヘラルド映画配給作品になった。そんなことを知っているのはヘラルド社員だけ。

あまり美しくない主人公の女性はアクションにはめっぽうたけている。プロの用心棒男相手に活劇のオンパレード、政府関係の隠密指令が民間に委託されている。でもそこに裏切りがあると、誰が正しくて誰が悪いのかの境目が見えなくなってくる。権力と権威の争いとでも言えるだろうか。


2024年2月再び観たので記す

『エージェント・マロリー』(Haywire)

2012年・アメリカ/アイルランド 監督/スティーヴン・ソダーバーグ

出演/ジーナ・カラーノ/マイケル・ファスベンダー/ユアン・マクレガー/ビル・パクストン

製作年から見てどう考えたって観ていると思いながら、思い出すシーンがなかったこととそれなりにおもしろかったので、最後まで観てしまった。アクション映画は観ていて気持ちいいが女性の主人公は男よりましに見える。ただ、殴っても殴っても、蹴っても蹴っても、そう簡単には倒れなさ過ぎるシーンが多くて、昔の日本のチャンバラ映画のように、切っても切っても、いつまでもいなくならない敵の様子に似ていて吹き出してしまうのは私だけだろうか。

『北の桜守』

2018年(平成30年)・日本 監督/滝田洋二郎

出演/吉永小百合/堺雅人/篠原涼子/岸部一徳/高島礼子/永島敏行/中村雅俊/阿部寛/佐藤浩市

『北の零年』(2005年公開)、『北のカナリアたち』(2012年)に続く「北の3部作」の最終章。監督は滝田洋二郎。主演は吉永小百合で、本作が120本目の映画出演作となる。という宣伝文句が心に刺さることはない。40年前も同じような謳い文句で映画界は生きてきた。

2018年3月10日(土)に公開してからちょうど14日目の3月23日(金)に観た。特別鑑賞券(1100円)をもらったので久しぶりに映画館で映画を観ようという気になった。2、3年前だったかなぁ前回の映画館は? と、思っていたらなんと約4年前だったことが判明して愕然。ちなみに前回のその映画は『ゼロ・グラビティ』、3Dアイマックス映画だった。

「TOHOシネマズ 名古屋ベイシティ」という映画館に行った。イオンの別館のように建っている。名古屋あおなみ線の駅すぐだが、何年前のオープン知らないがもう場末の映画館の様相だった。受付は12スクリーンもあるのに1人だった。2階のフードコーナーは開いていない、ロビーにあるトイレは2個で1個は故障中だった。映画が始まった直後に1人遅れて入ってきたが、これでようやく11人。毎日チェックしていた上映時間が見るたびに変わっていた理由がこれだ。2週間目にしてキャパは97人のスクリーン、下から2番目の小さなスクリーンだった。最大数クリーンは488人、あの渋谷パンテオンの1200人客席は今から考えると奇跡のようだ。テレビの2時間ドラマを見たことがないくせに、まるでテレビ・ドラマのような内容と役者人だなぁ、と最初からヤケクソ気味。どうにも我慢がならず、1時間くらいで出てきてしまった。日頃席を外して観続けることをしなくなったつけが回ってきたようだ。

『L.A. ギャング ストーリー』(Gangster Squad)

2013年・アメリカ 監督/ルーベン・フライシャー

出演/ジョシュ・ブローリン/ライアン・ゴズリング/ニック・ノルティ/エマ・ストーン/ショーン・ペン

4時間ものかな~、と思いながら観ていた。アマゾンのテレビ映画を一つにまとめた映画のように見えた。「長い、長い」と感じたのはどういうことだろう。話が進まない、停滞映画にはいつもそれを感じるが、この映画は話は進むし結構面白いと思いながらだったが、珍しい感触だった。

最初の予告編は2012年5月9日に公開された。しかし、ワーナー・ブラザースは2012年7月20日にコロラド州オーロラで起きた銃乱射事件を受け、グローマンズ・チャイニーズ・シアターで男たちが観客に向かって短機関銃を乱射するシーンが含まれていたこの予告編の映画館での上映およびインターネットへの掲載を中止した。そして数日後、同社は映画の再撮影を行うため、2012年9月7日とされていた北米における公開日を2013年1月11日へと延期した。当初2012年12月21日とされていた日本での公開も、2013年5月3日に延期された。(Wikipediaより)

正義に命を懸けるというストーリーは大好きだ。命の方が正義より大切だなんて思っているのは凡人。どうせ100年もない自分の命を後々の社会のために使えれば、これこそ天国からの贈り物だ。自分という感覚以外の意識を実際に持つことは不可能。他人が何億人いようとも、他人の気持ちを推し量れない。それでも一所懸命生きているのにはどんな意味があるのだろうか。


2021年7月再び観たので記す

『L.A. ギャング ストーリー』(Gangster Squad)

2013年・アメリカ 監督/ルーベン・フライシャー

出演/ジョシュ・ブローリン/ライアン・ゴズリング/ニック・ノルティ/エマ・ストーン/ショーン・ペン

合法的な警察権力では解決できないのが人間社会。非合法でも構わない暴力行為が気持ちいい。

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(Manchester by the Sea)

2016年・アメリカ 監督/ケネス・ロナーガン

出演/ケイシー・アフレック/ミシェル・ウィリアムズ/カイル・チャンドラー/ルーカス・ヘッジズ

いきなり AMAZON の会社名が出てきて不思議に思ったが、2016年1月23日、第32回サンダンス映画祭で本作は初めて上映され、アマゾン・スタジオズはその会場で本作の配給権を1000万ドルで購入した、ということだった。マット・デイモンが製作にかかわっていた。2時間17分と結構長い。起伏が激しいストーリーではないが、おとなしくてもおもしろい。

ニューハンプシャー州マンチェスターという40万人以上の人口のある大きな都市もあるという。マンチェスターという地名はもともとイギリスにあるのは有名だが、アメリカにはイギリスばかりではなくメキシコなどの地名が都市名や通り名となっていることが多い。この映画のマンチェスターは、マサチューセッツ州エセックス郡ケープアンに位置する町で、1629年に初めてヨーロッパ人により入植され、町の経済は1845年、ボストンの詩人リチャード・ヘンリー・デイナ・シニアが別荘を構えたのを機にボストン周辺の避暑地となることに軸を移したという。

主人公リー・チャンドラーは短気な性格で血の気が多く一匹狼で、ボストンの住宅街で便利屋として生計を立てていた。ある冬の日、リーは兄のジョーが心臓発作で亡くなったとの電話を受けた。故郷の町「マンチェスター・バイ・ザ・シー」に帰ったリーは、自分が16歳になるジョーの息子の後見人に選出されたことを知らされる。兄を失った悲しみや自分に甥が養育できるだろうかという不安に向き合うリーだったが、彼はそれ以上に暗い過去、重い問題を抱えていた。(Wikipediaより) 結構胸に迫る物語。

『フローズン・グラウンド』(The Frozen Ground)

2013年・アメリカ 監督/スコット・ウォーカー

出演/ニコラス・ケイジ/ジョン・キューザック/ヴァネッサ・ハジェンズ/ディーン・ノリス

事実に基づいたストーリーとは言え、レイプ+猟奇殺人事件を描く映画を観るのは結構辛い。出来れば、こういう事実があったとしても、映画にはして欲しくない、と心から願っている。一方で、こういう事実を映画として残すことが絶対必要なのだと思う。

主人公はアラスカの刑事。映画に登場する土地はロサンゼルスやニューヨークが多く、あるいは日本人には馴染みのないがアメリカ人なら片田舎だと知っているような田舎町の場合もある。アラスカでの警察ものは珍しいが、これが作り事ではなく、事実に基づいているからという証拠でもありそうだ。

何食わぬ顔をして家庭を持ちながら、妻の全く知らないところで日常的に女を買い、挙句の果てにレイプ、殺人まで犯すような人間がいることが恐ろしい。毎日のように盗撮だ下着泥棒だ幼児ポルノだなどとニュースになってキモイ日本だと思っていたが、こういう度を越した猟奇犯罪を見ると日本なんてほんの幼稚園のようなものだと思えてきてしまう。

『アリスのままで』(Still Alice)

2014年・アメリカ 監督/リチャード・グラツァー/ワッシュ・ウェストモアランド

出演/ジュリアン・ムーア/アレック・ボールドウィン/クリステン・スチュワート/ケイト・ボスワース

『ピンピンころり』が合言葉のなっている日本の老人は、この映画の主人公アリスのような姿を決して見たくないに違いない。アリスは50才、バリバリの現役コロンビア大学言語学科教授(ニューヨーク)だ。そんな彼女に突然若年性アルツハイマーが襲う。

夫は医者、3人の子供の末っ子の娘は反抗期が長引いて、演劇の勉強で一人でロスに住んでいるが、全体的には絵にかいたような幸せな家族に見える。長女の不妊活動から妊娠、そして出産と時の流れを知らせてくれるが、それ以上にアリスのアルツハイマー病の進行が速く見える。言語学者が言葉が見つからないという皮肉を込めたストーリー。自分が自分ではなくなっていく恐ろしさが描かれている。監督が二人になっているが、監督のリチャード・グラツァーは企画があがった当時、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を悪化させており、ワッシュ・ウェストモアランドのサポートを得て完成させたという。主演のジュリアン・ムーアが第87回アカデミー賞で主演女優賞を受賞した。

自分の人生を自分で看取ることは出来ない。これも人間の皮肉だが、先達は全員同じように人生を全うしている。それだけが唯一の拠り所、仕方がないから、誰かが見つけてくれるまで生きていくしかないかぁ。

『モンスター上司』(Horrible Bosses)

2011年・アメリカ 監督/セス・ゴードン

出演/ジェイソン・ベイトマン/ケヴィン・スペイシー/ジェニファー・アニストン/コリン・ファレル

今日は2018年3月17日(土曜日)。パワハラ上司、セクハラ上司、バカハラ上司。上司に恵まれないすべての人々に贈る痛快復讐コメディ! と、観る前のアマゾンプライム映画での解説が書いてあった。ちょっと引いたが、まぁ体調の良くないときにはこんな映画がちょうどいいかな、と思いながら観始まった。

Wikipediaにはブラックコメディとの記載があったが、とてもじゃないけどブラックというのは恥ずかしい。明らかにドタバタコメディだ。だから観ているのに!&%$ ここまで馬鹿げていると、気持ちがいい。日本のドタバタは騒がしいのが特徴だが、アメリカのドタバタは言葉遊びが多い。

コメディ映画ならこれくらいのハラスメントは適当なのかもしれない。女性の歯科医がアシスタントにするセクハラは、日本では到底考えられないような振る舞いだが、アメリカだとこんなことまであり得るのかと、ちょっと驚いてしまう。普通の事務系会社の上司だって・・・・。

『ケイト・レディが完璧(パーフェクト)な理由(ワケ)』(I Don't Know How She Does It)

2011年・アメリカ 監督/ダグラス・マクグラス

出演/サラ・ジェシカ・パーカー/ピアース・ブロスナン/グレッグ・キニア/クリスティーナ・ヘンドリックス

原作本があってその日本語タイトルが『ケイト・レディは負け犬じゃない』というところからこの映画邦題が付いたようだ。アマゾンプライムで観る映画は、劇場用映画は二の次でとりあえず本数を揃えようという意図が見え見えで、多くの作品は劇場未公開というケースが圧倒的。これで映画見放題というお題目を唱えているところが寂しい。

日本での映画館未公開作品は、少なくとも日本の興行会社(映画館側)が劇場公開するのには力がなさ過ぎると判断して配給会社に通告するわけだ。通告された配給会社は、そのままお蔵にするか、せめてビデオ(今やDVDやブルーレイ)作品として世に出すことを画策する。以前なら大作のおまけとしてテレビ局に放映権を売ったりしたが、テレビ局もそんな余裕はなくなって、となって、今回観たアマゾンプライムのようなネット上のフリー・ムービーたる位置に落ち着いてしまうのだ。

そんな映画がすごく面白いわけもなく、ただ垂れ流し的に観る映画にしかならないのは自明の理。まぁ、少し笑えればいいのだろうけれど、深刻なファミリー問題を惹起させるようなストーリーは不愉快なものだ。ピアース・ブロスナンの高級サラリーマン姿も似つかわしくない。焼き付いている役柄のイメージは俳優生命にかかわるような気がする。

『天才を育てた女房~世界が認めた数学者と妻の愛~』

2018年(平成30年)・日本 監督/落合正幸

出演/天海祐希/佐々木蔵之介/生瀬勝久/立川談春/笹野高史/寺田農/渡辺哲/内場勝則/萬田久子/泉ピン子

読売テレビ開局60周年スペシャルドラマ。大阪生まれの天才数学者、岡潔(おか きよし)という名前を聞いたことがあるような、ないような。まぁ、そんなに何度も触れた訳ではないことは確かだ。天才であるが故の挙動不審さがおもしろい。実際にあんな天才がすぐそばにいたら、友達になることは出来ないだろうと思う。

日本のテレビドラマをこの欄に書くのは1年に1作品くらいだろうか。劇場映画でもテレビドラマでも、とにかくおもしろければいい。この作品はおもしろいが、ストーリーがちょっと平坦かなぁ。物語を映像化するという大胆な試みを思いっきり実践しないと、誰から見ても不満足な作品になってしまう。もっと思い切った演出が求められる。

なんて、いっぱしのことを言える程のものを持っていないのが実態だが。1960年、岡潔は文化勲章受章を受賞することになるのだが、生きているうちにその才能が評価されるという社会はいいな。死んでからだってすぐに忘れ去られる自分の身に置き換えてみても、意味のないことだと大いに分かっているつもりだが・・・。

『ザ・ガンマン』(The Gunman)

2015年・アメリカス/イギリス/スペイン/フラン 監督/ピエール・モレル

出演/ショーン・ペン/ハビエル・バルデム/イドリス・エルバ/マーク・ライランス/ジャスミン・トリンカ

西部劇みたいな題名だが、Wikipediaにはスリラー映画と書かれている。主人公は元特殊部隊兵士、退役後は大企業に雇われ、表向きではコンゴ民主共和国で治安維持部隊として活動しつつも、裏仕事で暗殺をも請け負う稼業をしていた。時は2006年、コンゴの要人を暗殺してから8年後、今度は主人公を含む暗殺団のメンバーが命を狙われ始めた。ジャン=パトリック・マンシェットが1981年に発表した小説『眠りなき狙撃者』が原作。事実に基づく物語のような雰囲気があったが、さすがに内容が内容では、そんなことはありそうにもない。

ショーン・ペンの顔が嫌いで、彼の名前を見つけると、鑑賞しないようにしていた。それでも何本かは観ているが、この映画を観る限りはその嫌いだという顔立ちの特徴をそれほど気にしないようになっていた。顔の好き好きという面では、男と女の組み合わせでは摩訶不思議なペアを結構見ることがある。あれでいいのだろう。蓼食う虫も好き好きという諺がいつの時代にも生きている。

アフリカのコンゴという国名を聞くと、アフリカの中でもかなり早く発展しているような気がしていたが、実際は違うのだろうか。一応2006年の話ということになっているが、それなり以上に砂ぼこりの多い国に見えていた。都市部とローカルとの差が激しいのかもしれない。アフリカの地に行くことはなかった。行きたいとも思わなかった。一度アフリカを体験すると、病みつきになったり、人生の見方が変わると昔は言われたが、もう今やウォシュレットのない国への旅行は考えられなくなった。

『ちはやふる 上の句』

2016年(平成28年)・日本 監督/小泉徳宏

出演/広瀬すず/野村周平/真剣佑/上白石萌音/矢本悠馬/森永悠希/清水尋也/松岡茉優/松田美由紀/國村隼

競技かるたに打ち込む高校生たちの青春を描き、コミックス既刊29巻で累計発行部数1400万部を突破する末次由紀による大人気コミック「ちはやふる」が原作。最近「まんが」を見ていない、読んでいない。毎週タブレットで読む週刊誌に掲載されている16コマ漫画を見るのが精いっぱい。週刊誌にもそれなりの数の漫画があるが、絵柄がどうも見難いものが多く、自分だけがそう思っているのだろうかと疑問を持っている。

この映画はちょっと興味があって、早く観たいと思っていた。競技かるたが題材だということが一番の的。広瀬すずも映画で見たことがない割にはテレビで見かけることが多かったことも理由のその一つ。冒頭からおもしろく無さが伝わってきて意外だった。監督が下手なのだろうと第一感。広瀬すずもイマイチの演技力で少し落胆。

アメリカのアカデミー賞を獲る役者の中で、演技メソッドを学んだ役者の獲得率が多いという分析があった。日本の芸能界、役者のように、多くがモデル上がり、街でのスカウト上がりでは、間違いなく役者としての勉強が必須になってくる。基礎的な演技力を身につけた人が演じないで映画は成立しない。薄っぺらなテレビドラマで、キャーキャー言っているだけで人気が出るのとは訳が違う。死ぬまで役者をやろうという気力さえあれば、何歳になっても演技者は務まる。そのためにも、最低限の学習をして欲しい広瀬すずちゃん。

『ちはやふる 下の句』

2016年(平成28年)・日本 監督/小泉徳宏

出演/広瀬すず/野村周平/真剣佑/上白石萌音/矢本悠馬/森永悠希/清水尋也/松岡茉優/松田美由紀/國村隼

前作上の句が予想外におもしろくなかったので、垂れ流し的に観ようと思いながらのスタートとなった。ストーリーが新展開になったからなのか、映像のテーストが違って見えて、監督が交代したのかと調べたくなるほどだった。

1995年に653万部という漫画雑誌の最高発行部数を記録した『少年ジャンプ』のキーワードは、『友情』『努力』『勝利』が有名だが、これらのキーワードはしばらくは青春映画にとって必要不可欠なものになっているように感じる。1960年代に製作されたラグビー映画『青春とはなんだ』のような直接的な問いかけ方の青春群像を、今風にするとこうなるのだろう。スポーツものから文化ものへの移行は、単に「飽き」を嫌った手法でしかないだろう。

「一番心あたたまる言葉」「一番大切に思う言葉」「一番嬉しい言葉」から生まれた青春キーワードは、ひとつの教育にも通じる。日本的な学校教育がどのようになされようと、心のうちを成長させる社会的要素は、こうやって漫画や映画などから取り入れられているだろうことは、容易に想像できる。そういう意味では漫画作者、雑誌編集者には社会的に大きな責任があると言える。

『コードネーム:ウルヴァリン』(CODE NAME WOLVERINE)

1998年・アメリカ 監督/

出演/Antonio Sabato Jr./Traci Lind/Danny Quinn

「X-MEN」のキャラクターであるウルヴァリンの情報ばかりで、このテレビ映画の情報はアマゾン・プライムにしかなかった。監督の名前が空白なのはこの「最近観た映画」欄2275本の中で初めてのことだ。1編あたり13分くらいで繋いでいく典型的なテレビ映画のようだった。

主人公は元海兵隊の秘密部隊で勲章も受けている。妻や子供が危険な状況になったとき、主人公は警察やCIAの言うことも聞かず、一人で救出に向かうという活動アクション映画だ。映画ほどの予算があれば、もっとねちっこくアクション・シーンもさらに派手になるのだろうが。

口ばかりで「愛してる」を連呼するアメリカ映画に辟易することがある。深い意味がないのだろうことは想定できるが、そういう人間教育を受けていない私にとって、「愛してる」なんている言葉を真から一度くらい口に出してから死んでいきたい、と思うこの頃。そんなことはありえなことだろうな、と心底諦めてはいるが。

『ドラフト・デイ』(Draft Day)

2014年・アメリカ 監督/アイヴァン・ライトマン

出演/ケビン・コスナー/ジェニファー・ガーナー/デニス・リアリー/フランク・ランジェラ

2014年のNFLドラフトの日、12時間前からカウントダウンの時計が表示されている。アメリカのプロ・ドラフト事情を詳しく知らないので、ものすごく興味があった。アメリカの4大プロ・スポーツ、ベースボール・フットボール・バスケットボール・アイスホッケーのそれぞれに同じようなドラフトがあるのだろうと想像できる。

日本プロ野球のドラフトはテレビ中継されて、毎年そのショーマンシップが貧弱なところを見せてくれる。アメリカのドラフトがこんなにダイナミックだったとは!、ちょっと驚いても収まらない。形ばかり真似ている日本のGMなんて話にならない。なんという権力を持っているのだろうかアメリカのGM。チームのオーナーと言えどもドラフトの一位指名者を決められない。GMが勝手に決めた第一位を気にくわなければ、その後にGMを首にする力だけは持っている。

ドラフト指名する順位を取引で譲渡したり譲渡されたり出来る。これをトレードというらしい。なんという大胆なドラフト制度だろう。日本のドラフトは、もちろんアメリカのドラフトを形だけ真似たもので、しかも何十年も同じような活気ないシステムを踏襲している。抽選だって?! 恥ずかしくて、アメリカ人に喋ることさえ憚れる。緊迫するドラフトの瞬間を見事に映像化してくれている。GMの力、ドラフトの仕様、どれをとっても大人と子供ほどの差がある。ドラフトもおもしろいが、この映画は勿論おもしろい。

『新婚道中記』(The Awful Truth)

1937年・アメリカ 監督/レオ・マッケリー

出演/アイリーン・ダン/ケーリー・グラント/ラルフ・ベラミー/アレクサンダー・ダルシー

この邦題がおもしろい。この時代の洋画にはほとんど原題直訳の題名がつけられることがほとんどだったが、この原題じゃどうしようもないと誰しも思える。あれッ!この映画の主人公夫婦は新婚だったっけ? と、肝心なことが確かではない。

離婚裁判の結果90日後に離婚が成立し、そのあとはそれぞれ再び結婚することが出来るというものだった。1937年のアメリカ・ニューヨーク、いつもの遠景は現在だと言われても分からないようなビル群だったことに驚かされる。

離婚しようと決心してからの男心、女心を描いて余りない。気の合った人との会話は心地良い、と第三者にも思わせてくれる。ちょっとふらついて別の人を好きになったような気になったが、もともと惹かれあった二人に離婚は無理だったようだ。そんな気がする人生の伴侶。せっかく巡り合って長年一緒に暮らしても、何の未練もなく離婚できる人が羨ましい。未練などこれっぽっちもないが、きっぱりなんていう気持ちは毛頭ない。

『キング・オブ・エジプト』(Gods of Egypt)

2016年・アメリカ/オーストラリア 監督/アレックス・プロヤス

出演/ニコライ・コスター=ワルドー/ブレントン・スウェイツ/チャドウィック・ボーズマン/エロディ・ユン

第37回ゴールデンラズベリー賞で最低作品賞、最低監督賞(アレックス・プロヤス)、最低脚本賞、最低主演男優賞(ジェラルド・バトラー)、最低スクリーンコンボ賞の5部門でノミネートされ、いずれも受賞はならなかった。ということは、ひどいことは酷いが、まぁ~最低というほどでもないということなのだろう。

壮大なCGアクション活劇とでも言えるだろうか。エジプトの国王は神の化身だった。変身すると人間になるが、もともとは羽根を持った金属片で覆われた鳥のような姿の神だった。このあたりのCGは観ていて楽しい。中途半端な日本アニメとは比較にならない完成度だろう。

欧米の神が登場するシーンは興味がある。日本のような八百万の神では姿かたちを特定できないが、ギリシャ由来の神はそれこそ水、金、火、陽、などの神々が人間社会と関わりあっている。今日の運勢は? などと、なんの当てもないことを平気で垂れ流している日本のテレビ局や新聞社は、一体どういうつもりでそんなネタを垂れ流しているのだろうか。大した理由など何もないことは分かっているが。

『キャビン』(The Cabin in the Woods)

2012年・アメリカ 監督/ドリュー・ゴダード

出演/クリステン・コノリー/クリス・ヘムズワース/アンナ・ハッチソン/フラン・クランツ

途中で寝てしまって顛末が分からない。リアル・テレビショーのような劇中劇が・・・。いかにもお粗末なストーリーや映像、この手の映画が好きな人には申し訳ないが、ゾンビが登場してリアル・テレビショーで遊んでいる映画に、ちーっとも興味が湧かなかったということだろう。

1979年3月に日本ヘラルド映画が配給したのが『ゾンビ』(原題: Dawn of the Dead, 国際題: Zombie)。伝説的な大ヒットを飛ばしたヘラルド宣伝部の真骨頂。私は当時経理部にいたので、この大ヒットの味を身をもって感じることは出来ていない。こんな映画をヒットさせられるのは、さすがヘラルドだ。それ以来、ゾンビという言葉は市民権を得て、誰もが普通に遣う言葉となっている。

あの当時はアメリカで公開された映画の興行成績がすぐには知らされず、また結果も正確ではなかった。「全米で大ヒット!!」などと全く嘘をコピーにしたって、誰も責める人はいなかった。いい時代だったのか、悪い時代だったのかは分からない。おおらかな時代だったという表現は的を射ているだろう。

『TAKING CHANCE 戦場のおくりびと』(Taking Chance)

2009年・アメリカ 監督/ロス・ケイツ

出演/ケビン・ベーコン/トム・アルドリッジ/ニコラス・リース・アート/ブランチ・ベイカー/ガイ・ボイド

イラクの戦場から帰国し、内勤の任務に就いている海兵隊員マイケル。ある日、イラクでの戦死者リストの中にチャンスという同郷の若者の名前を見つけたマイケルは、彼の遺体をワイオミング州の家族のもとへ移送する任務に志願する。遺体は専門家たちによって丁寧に清められ、遺品とともに棺に納められる。マイケルはチャンスに対して心からの敬意を払いながら、飛行機や車を乗り継いでワイオミングを目指す。(映画.comより) テレビ映画。

通常は遺体移送の任務に同行することのない中佐という身分の主人公、家族のもとでのほほんと日常をおくっている自分の身体と精神がかえって安らがない。アメリカでの戦死者に対する扱いや敬意の払われ方を見ることが出来て勉強になった。棺を開けないで埋葬してしまう今回の葬儀の予定ながら、遺体は爪の先まで綺麗にされている。真新しい軍服も着せられて、遺品はすべて拭き清められている。飛行場でも戦死者のお供だと分かると、敬意を払われる。

飛行機を降り一般道路を霊柩車で故郷に運ばれる途中、この車を追い越す車両が国旗を被せられた棺を確認すると、みんなライトを点灯して行く。そうして十数台の車がライトを点灯してこの霊柩車を先導していくシーンには感動を覚える。アメリカは広い、多くの戦死者が出ているのだろうが、戦死者の住んでいた片田舎の町では希な出来事なのに違いない。キリスト教でつながっている人々には、戦死者に対する想いが共有されているようだ。ちょっとしんみり、なかなか見られないアメリカ人を見た。

『セブンティーン・アゲイン』(17 Again)

2009年・アメリカ 監督/バー・スティアーズ

出演/ザック・エフロン/マシュー・ペリー/レスリー・マン/トーマス・レノン

負け組みとして人生を甘んじて受け入れていた30代の男が、バスケットボールのスター選手だった17歳のころの姿に戻って人生をやり直そうと奮起する姿を描くコメディー・ドラマ、という説明文を最初に読んでいたらとてもじゃないけど観る気にはなれなかったろう。

一応タイムスリップものだから興味を持った。このタイムスリップは、主人公だけが17才に戻ってしまい、妻や子供二人は今のままという設定が奇妙で・・・。友人も自分と同じように歳をとっている。離婚訴訟に入っている現実の環境を引きずりながら、妻は自分のことを若い時に会った夫に似ている、と言ってはいるが・・・。

会うたびに風貌が変化していく60才を過ぎてから。人間というのは実におもしろいものだ。50年前の自分に会えたらなんと声を掛けるだろうか。「今のままでいいよ!」と言うのか、それとも「今のままじゃだめだよ!」と叱るのか、いずれにしたって人生は一度キリ、この映画のように17才がもう一度やってきたってやることは同じことしか出来ないような気がする。

『マリリン 7日間の恋』(My Week with Marilyn)

2011年・イギリス/アメリカ 監督/サイモン・カーティス

出演/ミシェル・ウィリアムズ/ケネス・ブラナー/エディ・レッドメイン/ドミニク・クーパー/ジュリア・オーモンド

イギリスの名優ローレンス・オリヴィエが監督主演する1957年製作の映画『王子と踊子』(The Prince and the Showgirl)。マリリン・モンローはイギリスのこれまた有名なパインウッド・スタジオ(PineWood)での撮影のためロンドン入りした。この時彼女は30才、頭の悪い金髪女性役を演じたことで世界的に大人気女優となっていた。

彼女のこの時代の夫は、代表作『セールスマンの死』で知られる劇作家アーサー・ミラー(Arthur Asher Miller)。その前の夫がかの有名なヤンキースの花形選手だったジョー・ディマジオ(Joseph Paul DiMaggio)、彼が現役引退をして3年後の春1954年1月14日に二人は結婚し、同年2月1日に新婚旅行で日本を訪れたことは伝説的な出来事として語り継がれている。二人は3週間も日本に滞在し、東京、静岡、福岡、広島、大阪とまわり、ディマジオは根っからの野球人らしくまだ未熟だった日本人に指導したという。広島県総合球場でディマジオがカープ選手に打撃指導を行った際、球場には絶対に来てはいけないと念を押していたモンローが同球場を訪れ、ディマジオそっちのけでファンが殺到した。ディマジオがモンローを叱責したことが離婚の原因ともいわれるというが。

この日本中を訪れていた間、暇を持て余していたモンローは朝鮮戦争で駐留していた在韓米軍を慰問してほしいという依頼を受けた。2月16日から19日までモンローはヘリコプターに乗り、ジープや戦車を乗り継いで朝鮮の国連軍(10ヵ所以上の駐屯地)駐屯地を回り、多くの兵士たちを前にして歌った。その時の写真をホームページの隠れた リンク先 に保存しているので見て欲しい。彼女の素の姿を見るようで凄く微笑ましい。この季節の韓国は寒かったろうに大したプロ根性だと感嘆するしかない。

『ハッピーエンドが書けるまで』(Stuck in Love)

2012年・アメリカ 監督/ジョシュ・ブーン

出演/リリー・コリンズ/ローガン・ラーマン/グレッグ・キニア/ジェニファー・コネリー

気楽に観られる映画が欲しかったこの頃、イマイチこの題名じゃ食指が動かなかったが、まぁいいか~、と観始まった。今風に結構露骨な表現のセリフがボンボン飛んできて、まぁ想定内だからいいだろうという感覚で観続けることになった。それにしてもこの邦題はね~??!!

もともとのテーマが真面目なものだった。露骨なセリフは作家一家に原因があったのかもしれない。父親がそれなりに有名な作家で、娘は大学生の19才近々作家デビューすることが決まっている。息子は高校生、スティーブン・キング大好きの典型的なアメリカ人、まだ文章を書く機会が訪れていない。

作家の父親は3年前に離婚しているがまだ元妻への想いが断ち切れていない。娘は母親の離婚原因がトラウマとなって、「愛」のないセックスにいそしむ有様。気のいい息子は父親のもとに住みながら、母親の住む家にも出入りする中途半端な性格となってしまった。なかなか映像的にもストーリー的にもセリフ的にもお勧めなところが多い。配給会社がもっと上手く宣伝してあげられれば、このファミリー問題を共有できる日本人が喜んだだろうに、と惜しんでいる。

『スティーブ・ジョブズ』(Steve Jobs)

2015年・アメリカ 監督/ダニー・ボイル

出演/マイケル・ファスベンダー/ケイト・ウィンスレット/セス・ローゲン/ジェフ・ダニエルズ

スティーブ・ジョブズが発案した革新的なパーソナルコンンピュータ、1984年のMacintosh、1988年のNeXTcube、1998年のiMac、それぞれの発表前に苦悩するジョブズを描いている。iPhone の発売にまでは行き着かない。DTPとか音楽に特化していた話も出てこない。

リアルタイムで遠くから彼の活躍を見ていた我々にとっても、偉大な人間として認識されているが、もっと時間が経てばスティーブ・ジョブズがさらに神話化されることは間違いない。Windows派の私にとってマックは魅力的ではなかったが、先進的なものとしては記憶に鮮明だ。

仕事上ある時代のマックを使ったことがあるが、右クリックの使えないマウスと拡張子のないファイル名のこの二つに慣れることはなかった。性能はWindowsより上であることは明白だったが、あとは慣れの問題だろうと。iPod、iPad、iPhone、になってからは圧倒的にマック優勢だと思える。どうせ使うならデザインの格好良い、気分よく使い倒せる機械は庶民の賛同を得るのは当たり前だ。

『パーフェクト・ルーム』(The Loft)

2014年・アメリカ/ベルギー 監督/エリク・ヴァン・ローイ

出演/カール・アーバン/ジェームズ・マースデン/ウェントワース・ミラー/エリック・ストーンストリート

日本では2016年7月16日から8月19日まで開催された「カリテ・ファンタスティック! シネマコレクション2016」で上映されたという。その程度で十分な映画。テレビ映画用に製作されたのではないかと思えるような雰囲気。説明は難しいが、劇場用映画とテレビ用映画とでは、明らかに違うところがある。その明らかなところを説明できない私には才能がない。ごめんなさい。

2008年のベルギー映画『ロフト.』のハリウッドリメイクだという。新築マンションのロフトを情事を楽しむために共有している妻帯者の男たち5人が、その部屋で1人の女性の全裸死体が見つかったことから互いに疑心暗鬼になりながら犯人捜しをする姿を描いたミステリーなのだが、内容が不埒、気持ち悪い。男の本能と称する女と見たらやるだけのことを考えている輩のセリフのオンパレードに吐き気がしそうだった。

人間として程度の低い部類に属する人々は、毎日何を考えて生きているのだろうか。金と権力を手に入れてからも、セクハラを繰り返していたハリウッドの大物プロデューサーもそのいい見本だろう。自分には何も起こらなくても、末裔まで辱めることになる自分の行いを律しなければならない。そんな難しいことを考えながら生きているのは、ほんの一握りの部類の人間だろう。

『グランド・ジョー』(Joe)

2016年・アメリカ 監督/デビッド・ゴードン・グリーン

出演/ニコラス・ケイジ/タイ・シェリダン/ゲイリー・プールター/ロニー・ジーン・ブレビンズ

川や沼地、森林に恵まれた自然豊かな土地が広がっているアメリカ深南部。『グランド・ジョー』の主人公、ジョーは、ノースリーブの上着を着て、じめじめとした南部の農村で森林の伐採業に従事し、現場で労働者を指導監督している。南部貧困層が直面しているのは困窮の深刻さ、職場の男たちは酒場や売春宿でストレスを発散しながら、なんとか日々をやり過ごしていく。

作業は、木に毒を盛ること。故意に木を枯し、材木会社が伐採できるようにするらしい。実際、毒で木を枯らしていくという違法的な伐採は、アメリカ南部・フロリダ州で行われていたことが2012年に発覚しているという。そんな訳の分からない映像とストーリーを見せられても、一向にこの映画への興味は湧いてこなかった。

暗い、辛い、暴力父親の存在も疎ましい。エンディングは一気に希望を持たせるような展開になるが、こういう映画をプロの映画評論家は高く評価する。そんな予想は的中して嫌な気分になる。飲んだくれも嫌いだが、いつもタバコを離さないのも流行遅れだと批難する。売春宿での一瞬のsexシーンにさえボカシが入って、ちょっと見過ごすようなシーンをかえって際立たせてしまう。日本の文化程度はこんなものだ。

『コロニア』(Colonia)

2016年・ドイツ/ルクセンブルク/フランス 監督/フローリアン・ガレンベルガー

出演/エマ・ワトソン/ダニエル・ブリュール/ミカエル・ニクヴィスト/リチェンダ・ケアリー

1973年のチリ・クーデターの際に起こった実話に基づいて作られている。この時代、世界中の国々で政情不安が勃発していた。日本だって同じような時代だった。今のようにインターネットが発達していなくたって、不思議なくらい同じような事件や政変が違う国々で起こっていた。

チリという国の秘密警察の拷問の場所として「コロニア・ディグニダ」という場所が存在していた。おぞましい光景が展開されて、こんなことが事実だったのだろうかと目をそむけたくなる。主人公のドイツ人男女は、命からがらドイツ大使館に駆け込むが、飛行場に行ってさえも秘密警察の手が張り巡らされていた。国家ぐるみの悪事が平気で行われていたようだ。今現在の北朝鮮の姿をみるようだ。

首謀者以外の人間が誰一人として訴追されなかった、と映画は結んでいる。村で起こったことは誰にも喋るな、と大相撲村と同じような状況なのだろう。誰しも保身のためには正義などかなぐり捨てるものらしい。いくら粋がってみたところで、せいぜい100年しか生きられない命のどこが惜しいのだろうか。生きていればこそと、人々は言うけれど、死んでしまえば、生きていれば味わえたのになどとの感想すら持つこともなく、その方が圧倒的に仕合わせであることを知らないのだろうか。

『本能寺ホテル』

2017年(平成29年)・日本 監督/鈴木雅之

出演/綾瀬はるか/堤真一/濱田岳/平山浩行/風間杜夫/高嶋政宏/近藤正臣/田口浩正

この監督は『プリンセス トヨトミ』(2011年)を作ったらしい。奇妙な映画だったがおもしろかったと記憶している。SF好きの私にとって日本映画でさえも積極的な鑑賞対象作品となっている。しかもタイムスリップものなら、なおさら。いつも夢が膨らむ。

織田信長の本能寺の変は謎に包まれて今に伝わる。亡骸が見つからなかっというのが、謎の原因として歴史研究者の妄想をふくらませているのだろう。タイムスリプがどんな風に起こるのかというのが、映画による違いで、そこのところが特に興味がある。今回は、主人公は本能寺ホテルのエレベーターに乗った後、扉が開くとそこは本能寺の廊下だった。同時にその時代から伝えられている時計がチックタックと歯車が回り始めていた。

今住んでいるこの場所の100年後を体験してみたい。さらに200年後も。と、空想したって、そんなことはまったく無理な話なのは分かっている。でも、見たい。そんなことが夢だと言っているようじゃ、変な奴と思われても致し方ない。

『スターリングラード』(Enemy at the Gates )

2001年・アメリカ/ドイツ/イギリス/アイルランド 監督/ジャン=ジャック・アノー

出演/ジュード・ロウ/ジョセフ・ファインズ/エド・ハリス/レイチェル・ワイズ

日本ヘラルド映画株式会社を辞めてから約10年、こんないい映画を配給していいな~、と羨んだことを覚えていた。その後観る機会があったときには、わくわくして観たことも記憶にある。また観ることを躊躇しないことが嬉しい。多くの人に支えられて生きている人間の存在は、こういう映画を観ることが不可欠になってくる。

生きているうちに何本の素晴らしい映画に会えるだろうか? ランクを付けるなどという野暮なことはしないが、他人に勧められる映画は確かにある。100人いれば同じ映画を観て100人の感想が語られることも確かだ。極端な話をすれば、おもしろいかおもしろくないかで、99対1のことだってあり得る。おもしろくない人に「どうしておもしろくないのよ! おもしろいはずだ!」 と、強要することは出来ない。

それでいいのだ。映画を観なくては感想の対立も生じない。不細工な異性の顔を見て反吐を出す人もいれば、結婚してしまう人もいる。それでいいのだ。そうやって、他人とバトルを繰り広げながら、自分自身の存在を確認することになるのだろう。もっともっと他人に迷惑を掛けながら生きていくべきなのだろう人間は。無駄な忖度や思惑は何の希望も生み出さない。

『PAN ~ネバーランド、夢のはじまり~』(Pan)

2016年・アメリカ/イギリス/オーストラリア 監督/ジョー・ライト

出演/リーヴァイ・ミラー/ヒュー・ジャックマン/ギャレット・ヘドランド/ルーニー・マーラ/アマンダ・サイフリッド

ピーターパンがどういう活躍をしているのかを知らない。そういう人間にとってはピーターパンの誕生物語は凄く興味があった。映像もきれいだし、なかなかいいんじゃないのと思いながら観ていたが、後述するように専門誌の間では評価が低いらしい。

夢の世界に遊ぶことが出来るのは仕合わせなことだ。たかだか100年もない人間の人生、何をしようがしまいが、宇宙の塵にもなれない存在なのに、あれがどうの、これがどうの、あの人がどうの、この人がどうの、と毎日無駄な思考に支配されてばかりいる。他人に対する尊敬の念など、とてもじゃないけど持てる余裕のない人たちばかりで残念で仕方がない。まだ逢ったことのない人だって、同胞だと思える心情が芽生えなければ、世界の平和など望むべくもない。

本作は批評家から酷評されている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには111件のレビューがあり、批評家支持率は23%、平均点は10点満点で4.5点となっている。サイト側による批評家の意見の要約は「『PAN ~ネバーランド、夢のはじまり~』はCGを用いた切れのあるアクション要素と畳みかけるような展開の脚本が魅力だ。しかし、それらをもってしても、古典的児童文学の前日譚としての不発感は消えない。」となっている。また、Metacriticには33件のレビューがあり、加重平均値は34/100となっている。なお、本作のシネマスコアはB+となっている。本作は『ターミネーター:新起動/ジェニシス』や『ファンタスティック・フォー』と並んで、2015年を代表する不発映画の一本に挙げられている。

『リピーテッド』(Before I Go to Sleep)

2014年・イギリス/アメリカ/フランス/スウェーデン 監督/ローワン・ジョフィ

出演/ニコール・キッドマン/マーク・ストロング/コリン・ファース/アンヌ=マリー・ダフ

クリスティーンが朝目覚めると、そこは見覚えのない部屋で隣には見知らぬ男性が寝ていた。この状況を理解できず困惑する彼女に、ベンと名乗るその男性は説明を始めた。クリスティーンは自動車事故の後遺症により記憶障害を患っており、毎朝目覚める度に前日までの記憶を全て失ってしまうのだという。そしてベンは彼女の夫であり、自分の存在や結婚したことすら忘れてしまう妻を10年以上献身的に支えているのだった。(Wikipediaより)

この説明のごとく、話が進まない。同じシーンの繰り返しはつまらない、がこの映画にとっては絶対必要だから始末に負えない。都合の良い記憶障害を装う人が多い。知らんぷり、というかそんなことは聞いたことがありません、と平気で嘘をつく輩に出逢うと、人生はもうおしまいだな~、と嘆くことになる。

嘘をつく人の心のうちを覗いてみたいという衝動に駆られる。ちょっとした言い間違いだよ、と弁解する人もいる。こちらが糾さなければ、知らんぷりしてその後の人生を全うする覚悟らしい。いいじゃないの、その程度の軽いことは、と嘘をつかれた方を気遣う訳ではない人も多い。まぁまぁ、と穏便に何事もなかった如く済ませるのが人間の知恵のようで、正しいからと事を荒げることが尊ばれない世界がどんどん広がっていくような。この映画の邦題だって、カタカナを使いいかにも原題のカタカナ書きに思わせようという嘘が感じられる。

『ネイバーズ2』(Neighbors 2: Sorority Rising)

2016年・アメリカ 監督/ニコラス・ストーラー

出演/セス・ローゲン/ザック・エフロン/ローズ・バーン/クロエ・グレース・モレッツ/デイヴ・フランコ

『キック・アス』(Kick-Ass・2010年)、『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』(Kick-Ass 2・2013年)、父親と娘による一風変わったヒーローもので人気が確定したクロエ・グレース・モレッツ嬢が出演している。このキック・アスは結構面白くて、私のホームページのタイル画面に映画画像として名を連ねている。

下ネタ満載で始まったこの映画、シリーズ物の2番目だが、とりあえず1作目を観てからと思ったら、アマゾン・プライムでは有料だったのでやめた。確か99円だったような気がするが、お金の多寡が問題なのではなく、お金を払ってみる旧作ではないと思えるからだった。

それにしても終始ハチャメチャな映画だった。ここまでお下劣な言葉を遣うことが出来るのは、さすがアメリカ映画だ。このあたりのことは言葉の問題なので、出来れば字幕ではなく英語を聞いてそのまま分からなくては面白みも半減以下ということになる。日本語でさえうまくコミュニケーションがとれないのに、外国語をさらに理解することなんていうことは、自分の人生にはあり得ないことだ。

『クレイジー・パーティー』(Office Christmas Party)

2016年・アメリカ 監督/ジョシュ・ゴードン

出演/ジェニファー・アニストン/ジェイソン・ベイトマン/オリヴィア・マン/T・J・ミラー

これまた日本の劇場未公開映画だった。この頃未公開作品が多いのには簡単な訳がある。アマゾン・プライムだ。年間3900円の会費を払って映画見放題、音楽聞き放題、送料無料、翌日配達と謳い文句はいいけれど、ちょっと新しい作品は有料だし、最新版はもっと高い。毎日映画を観る輩にはこの会員制度はイマイチだが、こうやって劇場未公開作品を多く楽しめるから、いいか!

ヘラルドのように独立系配給会社にとって映画作品は財産と同じ。お金を払って日本における配給権を買ってきたまではいいが、劇場で公開できなければ、付加価値を付けることが出来ないことになるので、DVD発売だけで元を取ることは不可能に近くなってくる。それでも、劇場で公開するには興行会社のOKが出なければだめだし、公開したって宣伝費を回収できないことだってあり得る。そうすると、損を最小限にするために劇場公開しないで済ましてしまうこともあるわけだ。

こんなハチャメチャな映画を日本で製作するのは絶対不可能。映画ストーリーではなく、このお金をかけたクレイジーなクリスマス・パーティーシーンは? ビルの2フロアにある会社の中は想像を絶するアメリカ的クリスマス・パーティーではじけている。SEXする人たちは会社の中ではなく外へ行ってやってよ、なんて会社の風紀委員が演説している。クスリだって横行している。こんな映画を日本が作れるようになるには100年かかるかもしれない。それでも未公開。どの劇場でいつやるの、という映画館側の質問が耳に聞こえてくる。

『キューティ・コップ』(Hot Pursuit)

2015年・アメリカ 監督/アン・フレッチャー

出演/リース・ウィザースプーン/ソフィア・ベルガラ/マシュー・デル・ネグロ/マイケル・モーズリー

156cmとアメリカでは圧倒的に背の低いリース・ウィザースプーン、警官の娘が警官になったがいつもドジっ子だった。彼女の出世作が『キューティ・ブロンド』(Legally Blonde・2001年)だったので、この邦題が出来たのだろう。そんな程度では途中で寝てしまっても致し方ないことか。日本では劇場未公開だったことは正しい。

アメリカでは警察もの映画が結構多い。しかも警察内部の不正行為がストーリーの重要部分のことが。日本のように警官や学校の先生は聖職者として律せられた時代が長く続いていると、この頃の警官や先生のわいせつ行為などがニューになるご時世を嘆く人々が多いに違いない。

寝てしまったから観終わったばかりなのに内容がよく分からない。が、見直そうという気にはなれない。警察ドタバタ・コメディの典型映画だと推奨できる。日本でならおもしろいと思う人種もそれなり以上にいるような気がする。と、日本人を馬鹿にしたような表現を平気で使うが、だってあんなくッだらないバラエティーがテレビ番組のあっちこっちで見られるんだから! フジテレビの低視聴率の最大原因はそこだよ、と教えてあげるよ!

『パッセンジャーズ』(Passengers)

2008年・アメリカ 監督/ロドリゴ・ガルシア

出演/アン・ハサウェイ/パトリック・ウィルソン/デヴィッド・モース/アンドレ・ブラウアー

ネタ晴らしをしては絶対いけない映画なので、言いたいことを抑えなければならない。万が一にもこの映画を観る前にこの欄を読む人がいない、ということを断言できない。以下Wikipediaから引用して、場を濁す。

セラピストをしているドクター、クレア・サマーズは、ある日飛行機事故で生存した5人を受け持つことになった。グループカウンセリングの度に、窓の外にある人物の影が…そして、メンバーが一人ずつ消えていく…。クレアは徐々に、航空会社が過失を組織ぐるみで隠すために、生存者を口封じのため狙っているものと疑い出し、解明のため奔走する。

その中、生存者の一人エリックは、唯一自宅での個人カウンセリングを希望。事故のショックからか、躁状態とも言える彼の突拍子もない行動に、振り回されっぱなしのクレア。しかし、自分の心の痛みにそっと寄り添ってくれている彼に、戸惑いながらも次第に惹かれていく。そして、最後に意外な真相が明かされることに…。

『おいしい生活』(Small Time Crooks)

2000年・アメリカ 監督/ウディ・アレン

出演/ウディ・アレン/トレイシー・ウルマン/エレイン・メイ/ヒュー・グラント

crook:1.~を曲げる 2.〈米俗〉~を盗む、だます 見たことのない単語が原題に入っていた。この映画がクライム・コメディと称されるジャンルに入るということなので、意味としては2.の盗む、だますということか。大泥棒ではなく、こそこそと他人の物を盗んだり、だましたりする映画の主人公。

ひょんなことからまっとうな商売で大金持ちになってしまった主人公夫妻だが、悩みは教養のないこと。お金があったって幸せにはなれない、と主人公は必死に妻に語りかけるが、妻は必死になって付け焼刃の教養なるものを手に入れようと奮闘する。一緒に盗人家業をやっていた仲間たちも、偶然に会社の経営者に名前を連ねるものの、そんな会社が長続きするわけもない。という大ドタバタ劇に終始して、もともとウディ・アレン嫌いの自分はどう身を置いていいか分からなくなる。

それにしてもこの邦題は一体何なのだろうか。昔のパルコの宣伝コピーをそのまま当てはめるなんて、映画会社の宣伝部としてはあまりにも情けない所業。日本のお笑い芸人たちが繰り広げるドタバタ・コメディの原点のようなウディ・アレンだが、彼のセリフにはものすごい知性が含まれている。考え落ちばかりのセリフには圧倒されるが、それでも好きではないことは確かだ。

『バーバー』(The Man Who Wasn't There)

2001年・アメリカ 監督/ジョエル・コーエン

出演/ビリー・ボブ・ソーントン/フランシス・マクドーマンド/スカーレット・ヨハンソン

コーエン兄弟制作の映画だと聞くと、それだけでもうおもしろいと思えるくらいの信頼がある。カラー用のフィルムで撮影したものを編集でモノクロに変換したものなので、そのため劇場公開されたモノクロのヴァージョンとは別に、カラー版が存在し、フランスなどヨーロッパの一部の国では、DVD特典として幻のカラー版が付属されたという。

主人公は床屋なので、原題からはなかなかいい題名が浮かばなかったような気配で、原題にはまったく結び付かない邦題を付けたようだ。映画はおもしろい。2001年度のカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。主演のビリー・ボブ・ソーントンがナショナル・ボード・オブ・レビュー賞の主演男優賞、撮影監督のロジャー・ディーキンスが英国アカデミー賞撮影賞をそれぞれ受賞している。

犯罪がらみの映画としてはかなりおもしろい部類だ。最後のどんでん返しがあるのが裁判劇などの手法に多いが、さりげない人間模様がこの映画のいいところ。えッ!こんな展開するの!? と思わせてくれるだけで十分だ。妻の浮気相手の殺人に関しては何も疑われず、裁判にかけられた無実の妻が獄中で自殺。投資話で契約したペテン師を殺害したと身に覚えのない事件で死刑になってしまう。こういう裏腹な事象を扱わせたらコーエン兄弟は抜群。ネタ晴らしをしてしまった。

『スプリット』(Split)

2017年・アメリカ 監督/M・ナイト・シャマラン

出演/ジェームズ・マカヴォイ/アニャ・テイラー=ジョイ/ベティ・バックリー

おぞましい映画だった。解説にはスリラー・ホラー映画と書かれていたが、羊たちの沈黙を観た時のようなゾクゾクとする感覚を味わうこととなった。映画の中では解離性障害と言っていたが、世間的には「多重人格」と呼ばれる人間が悪さをする話だった。

それにしても23人の人格を持つこの映画の主人公は本物なのだろうか。せいぜい2人か3人なら話も見えてくるが、23人とは? しかも24人目が生まれようとして、それは狂暴の巨人だという設定は、映画だからというように思えてちょっと引く。カウンセラー、精神分析医のような老女がそれらしい診断模様を展開するが、所詮本人ではない第三者の空想に近い。異常のない人間同士だって理解できないのに、多重人格者を理解することなんて、あり得ないことだろう。

本物の躁うつ病の友人がいた元妻によると、躁の時と鬱の時の差はホントに凄いらしい。その程度しか現実社会で会うことのない多重人格者、もしかすると殺人を犯しなが逮捕されると一転否認に転じるニュースを聞くことが多いが、この犯罪者たちももしかすると解離性障碍者かもしれない。

『リトル・チルドレン』(Little Children)

2006年・アメリカ 監督/トッド・フィールド

出演/ケイト・ウィンスレット/パトリック・ウィルソン/ジェニファー・コネリー/ジャッキー・アール・ヘイリー

かなりユニークなおもしろさを感じた。凄く映画的なストーリー展開が次になにが起こるのかとわくわくどきどき。タイタニックのケイト・ウィンスレット嬢は平気で全裸になってSEXシーンに挑む。相手の男に「奥さんは、どんな人?」と質問し、男が「美しいし、スタイルもいいし、胸も大きいよ。」とケイト・ウィンスレットとは正反対のような言い草。その直前に彼女の全裸シーンがあったりで、思わず微笑んでしまう。

公園で子供を遊ばせている主婦3人組の意味のない会話、離れたベンチで読書をしながら子供を見守る彼女。から映画はスタートする。性犯罪を犯して服役してきたイタリア系男が街に戻ってきた。実名で新聞にも掲載されている。日本とのあまりに違いに愕然。1歩進んだ社会問題提起が見える。

いくつかのユニットのような組み合わせが交錯して、映画はどうなってしまうのかと心配してしまうほど。そこをきちんとまとめてみせるのが映画監督の力だろう。最後には、何事もなかったかのように元の街に戻っていくだろうという雰囲気を醸し出しながらエンディングする。おすすめ作品。第79回アカデミー賞では主演女優賞、助演男優賞、脚色賞にノミネートされた。2004年に発売されたトム・ペロッタの小説が原作。

『ボーグマン』(Borgman)

2013年・オランダ/ベルギー/デンマーク 監督/アレックス・ファン・バーメルダム

出演/ヤン・ベイブート/ハーデウィック・ミニス/イェルーン・ペルセバル/サーラ・ヒョルト・ディトレフセン

「アベル」「ドレス」「楽しい我が家」などシュールでブラックな作風で知られるオランダの鬼才アレックス・ファン・バーメルダムが、裕福な家庭に侵入する謎の集団ボーグマンを描いた不条理サスペンス。森の中に潜んでいたボーグマンが、武装した男たちに追われて街に逃げ込んだ。高級住宅地で暮らす幸せな家庭に住み着いたボーグマンは、仲間を呼び寄せて住民たちをマインドコントロールしていく。2013年・第66回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品。日本では同年の第26回東京国際映画祭ワールド・フォーカス部門で上映され、「シッチェス映画祭ファンタスティック・セレクション2014」で劇場公開。(映画.comより)

おもしろくなりそうでその神髄を現わしてくれない映画だった。結構経ってからだと思うが、寝ていた。久しぶりでこの言葉を書く。この頃の傾向としては、観始まって即終わってしまうケースが多いので、途中まで行っておもしろく無さが分かって観続けるということが少なくなったのだ。

お金を払って映画館で映画を観ながら寝てしまうのは贅沢の極みだ。招待券も自身では使わず顔パスで映画館に出入りしていた現役時代、実をいうとほとんでリアルタイムで映画館での映画を観ていない、とずーっと言ってきたが嘘ではない。そんな少なさの中でも眠ってしまうことがあったのは、映画がつまらないのではなく慢性寝不足によるところが大きかったのに違いない。

『THE BRIDGE/ブリッジ』(スウェーデン原題:Bron、デンマーク原題:Broen)

2011年・スウェーデン/デンマーク 監督/シャーロッテ・シーリング/リサ・シーヴェ

出演/ソフィア・ヘリーン/キム・ボツニア/ダグ・マルンベルグ/クレスチャン・ヒルボリィ

久しぶりのテレビ映画シリーズものだ。観始まってみたものの長い、長い・・・シーズン1にエピソード1~10まであったのにはちょっと。エピソード1話が約1時間、これまた久しぶりに午前3時過ぎまで観ていたが、ようやくエピソード8まで行きついていた。翌日2話観て、これで10時間か~。いくらなんでもちょっと長過ぎる。せいぜい6話までがいいところだろう。劇場用映画の2時間は短いという映画監督も多いらしいが、これだけ長くなる物語・映像を観ていると、2時間にまとめる力は、さすが映画監督と褒められる力だなと強く感じる。

題名にある橋は、スウェーデンとデンマークを繋ぐ橋「オーレスン橋」のことだった。観ている最中はスウェーデンとデンマーク? と、位置関係がまったく分かっていなかった。シリーズを観終わってから確かめた地図を見て、このあたりの地理をまったく知らないことに愕然とした。自分で行ったことがあれば一番だが行ったことがなくても、この程度は知っていたかった。ノルウェイ、スウェーデン、フィンランド、そしてデンマーク、ドイツ、バルト三国あたりのことがこれほどまで頭に入っていないとは。

話す言語が違うのが不思議なくらい近い。ただ橋がない時代にはやはり海を隔てているというギャップはあるのだろう。スウェーデン人の女警官とデンマーク人の警官の男。対比させるのも憚れるくらいの両極端の環境、性格をおもしろく描いている。この二人のやり取りがサスペンス・スリラー映画であるこの映画をコメディー映画かと一瞬錯覚させるくらいだった。ヨーロッパの各国に住んでいれば、おそらくどの国の人がどういうDNAなのかが分かって、もっと面白く見られるのかもしれない。まずまず、おもしろいシリーズだったが、さらにシーズン2~4が残っている。さらなる30時間を考えると、ちょいと気が重い。

『白い帽子の女』(By the Sea)

2015年・アメリカ 監督/アンジェリーナ・ジョリー・ピット

出演/ブラッド・ピット/アンジェリーナ・ジョリー・ピット/メラニー・ロラン/メルヴィル・プポー

ヘラルドが製作にも関わり配給した『赤い帽子の女』(1982年・昭和57年)は、芥川龍之介の作ではないかと言われる作者不詳の同名小説の映画化だった。今回の映画は原題を見れば分かるように白い帽子なんてどこにもないし、映画の中でもそれらしき帽子を被っていたときはほんの一瞬で、観客におもねて付けた典型的にダメな邦題だ。

アンジェリーナ・ジョリーが夫ブラッド・ピットと共に制作した作品で彼女が監督もしている。が、この映画は極めてつまらない。話が古過ぎるし偉大な映画監督が陥る自己陶酔映画に監督経験浅い彼女が入り込んでしまったような雰囲気だ。

リゾート地のホテルの壁に穴が開いていて、そこから隣客の情事を夫婦で覗いているシーンなんてお笑い種にしか見えない。訳あっての夫婦の行動などが後々理由が分かってくるのだが、大したことのないことを大袈裟に見せる純文学風の古くささに辟易する気持ちが。

『すべては君に逢えたから』

2013年(平成25年)・日本 監督/本木克英

出演/玉木宏/高梨臨/木村文乃/東出昌大/時任三郎/大塚寧々/本田翼/倍賞千恵子/小林稔侍

クリスマス間近の東京駅を舞台に描かれるラブストーリーで、東京駅開業100周年記念企画だという。この甘ったるい題名を見てすぐに観る気にはなれなかった。どう考えたって面白くないだろうと思い込んで観始まったことは間違いない。

開業以来、一日たりとも工事がない日はないと言われる東京駅は、駅構内などのシーンの撮影は極めて難しいとされていたが、深夜から明け方の始発前までの時間を利用して、終電後に新幹線を臨時ダイヤで動かしたりと、JR東日本の全面バックアップを受けて可能になった。 なお、撮影用列車には、E5系U13編成が充当された。 2012年10月に改装された東京駅構内や東京ステーションホテルなどの東京駅付近も、リニューアルオープンして以来、映画、TVドラマなどを含めても初めての撮影となったらしい。

どうにも私の一番好きな映画と言える「 love actually 」の展開に似ている気がした。しかも、日本的にうまく処理されていたことが気に入った。この手の映画は好きだ。何組かのオムニバスみたいな説明をチラ見してしまったので、余計観る気が失せていたのかもしれない。実際にはオムニバスではなく4組あるいは6組とも言える登場ユニットが絡み合ったシーンの連続で心地よかった。日本映画の欠点である悠長さや長回しが感じられなかったのは、製作者にワーナー・ジャパンが入っていたからなのでは、と想像してみたりした。

『硝子の塔』(Sliver)

1993年・アメリカ 監督/フィリップ・ノイス

出演/シャロン・ストーン/ウィリアム・ボールドウィン/トム・ベレンジャー/キーン・カーティス

amazonプライムの宣伝文句には「「硝子の塔 -ノーカット版」は劇場版では過激すぎてカットされたシーンも収めた完全版。主人公のカーリーは、最近引っ越したニューヨークの最高級マンションで住人の連続殺人事件に遭遇する。カーリーが殺人犯の正体に近付く時、衝撃的な結末が訪れる。」とあった。

ヘラルドが配給した『ロマンシング・アドベンチャー/キング・ソロモンの秘宝』(King Solomon's Mines・1985年)に出ていたシャロン・ストーンは可愛かったけれど、まだ三流役者の雰囲気がプンプンしていた頃だった。いつの間にか一流女優に成りあがったようだった。この映画で初めて見るような顔を確認して驚いている。この題名も知っていたが観る気になれないでいたことも確かだった。

ノーカット版とかいう表現をするとかなり際どいものに見えるが、今どきなら何て言うことはない。それでも、大画面の映画館で大衆に見せる映画では、この程度でもテレビでは放映できないのだろう。特に日本では暴力場面には甘いのにsexシーンには厳しい。不思議な規制DNAが国民性にもおおきく影響していることは間違いない。

『ダンテズ・ピーク』(Dante's Peak)

1997年・アメリカ 監督/ロジャー・ドナルドソン

出演/ピアース・ブロスナン/リンダ・ハミルトン/チャールズ・ハラハン/ジェイミー・レネー・スミス

1月23日に噴火した群馬・長野県境の草津白根山の火口は、従来警戒を強めていた「湯釜」ではなく、気象庁が3000年間も噴火していないとみている2キロ南の「鏡池」付近だったと考えられる。火山活動の高まりを示す事前の現象もなく、まさに寝耳に水の災害。この映画のダンテズ・ピークも1700年噴火がない、と住民が避難会議開催すら疑問視するくらいだった。

この映画の場合は噴火の兆候の兆しが見えるというので調査隊が入った。ピアース・ブロスナンが地質学者とはとても見えないけれど。大掛かりな予備調査風景を見ているだけでも、火山噴火予測が難しいことが伝わってくる。噴火対象から外れていた今回の草津白根山の噴火はまさに想定外なのだろう。想定外という言葉が便利過ぎて、学者も使うんだと思い始まってだいぶ経つ。

題名からパニック映画の匂いがしているので、観る機会があっても避けていた。どうもパニック映画は苦手だ。アニメ映画嫌いとはずいぶん様子は違う。パニック映画の特撮はどんどん進んでいて、考えられないような自然の災害を本物以上に大袈裟に映像化している。危機一髪で助かる主人公が嘘っぽく見えてしまうのが最大の欠点かな。

『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』(Mr. Holmes)

2015年・イギリス/アメリカ 監督/ビル・コンドン

出演/イアン・マッケラン/ローラ・リニー/真田広之/マイロ・パーカー

1947年、現役を引退していた私立探偵のシャーロック・ホームズ(93歳)は、家政婦のマンロー夫人と彼女の息子であるロジャーと共にサセックスの農場で、ミツバチの世話をして暮らしていた。世間では助手だったワトスンが執筆した小説に基く「名探偵ホームズ」の虚像が浸透していた。(Wikipediaより)

穏やかな流れの中で観る映画だった。日本に関する話題がさりげなく映画の中に登場することが多いこの頃、この映画では「来週から日本に出張する予定だ。」といったさりげなさではなく、実際の日本での風景が現れた。戦後、街の中に進駐軍が横行している風景だった。そこに真田広之が出てきていた。ロンドン郊外の柔らかい緑の風景を思い出す。あのモンキーアイランドは結構おもしろかった。一人で行く海外出張は、非日常の毎日で心が躍った。懐かしい。

主演のイアン・マッケランはこの時まだ77歳くらいだと思うが、劇中の93才老人にまったく相応しい風貌と挙動だった。映画はそういう細かいところが重要で、日本の役者のようにテレビのバラエティーでもコマーシャルでも映画の中でも同じような風貌と声では、映画であることの非日常性が保たれない。

『ネイビーシールズ: チーム6』(Seal Team Six: The Raid on Osama Bin Laden)

2012年・アメリカ 監督/ジョン・ストックウェル

出演/カム・ジガンデイ/ロバート・ネッパー/ウィリアム・フィクトナー

本作はテレビ映画であり、劇場では公開されていない。 2012年11月4日、ナショナルジオグラフィックチャンネルで公開され、翌日からネットフリックスで配信された。放映から2日後の11月6日は、オバマ大統領(当時)の再選投票日であったため、本作はオバマの功績をアピールするプロパガンダ映画ではないかとの批評があるが、製作陣はこれを否定している。日本では2014年9月2日、GAGA配給でDVDがリリースされた。(Wikipediaより)

最近観たばっかりのウサーマ・ビン・ラーディンの殺害映画「ゼロ・ダーク・サーティ」と比較しながらの鑑賞となった。このテレビ映画の方がほんの少し早く世の中に出たようだから、お互いに真似をする暇もなかったようだ。「ゼロ・・」は多くの映画賞を獲得しているのと比べると、こちらは小規模と言い切ってしまえそうだ。

映画としてのラーディン殺害ではなく、ドキュメンタリータッチのフィルムという感じに見える。問題の拷問のシーンがない分、その困難さを訴える力は弱い。生々しいけれど、淡々としている分、映像進行に飽きが来るのは仕方がないことか。

『ゴースト・イン・ザ・シェル』(Ghost in the Shell)

2017年・アメリカ 監督/ルパート・サンダース

出演/スカーレット・ヨハンソン/ピルー・アスベック/ビートたけし/ジュリエット・ビノシュ

攻殻機動隊(こうかくきどうたい)という漫画のあることをマンガに広い知識を持つ知人から教えてもらっていた。が、このカタカナ邦題と結びつかなかった。ばかりか好きな女優スカーレット・ヨハンソンがたけしと共演した映画がこれであることも知らなかった。AMAZONの最近追加された映画の中に2017年公開作品があったので飛びついたらこれだったというわけだ。

攻殻機動隊を原作とする劇場用アニメ映画が1995年に公開され、またテレビアニメ作品が2002年に公開された、などということを当然知る由もない。未だもってこの題名の由来を知りたいとも思わないのは、頑ななアニメ嫌いによるものなのかもしれない。漫画が嫌いというわけではない。「がんばれ元気」が単行本で発売されていた頃には、発売されるたびにイスラエルにいた友人に送っていたこともあるくらいだから。もちろんこの漫画が好きで毎回涙を流しながら読んでいたものだった。

この映画はつまらない。原作とリンクさせている人には申し訳ないが、原作をまったく知らないで観るこの映画はまずおもしろくない。近未来というより超未来的な物語の骨格を好きではない。感情が入らなければ映像は単なる映像に過ぎない。スカーレット・ヨハンソンもその素敵な顔を変えてしまっている。「ショコラ」でその優しい顔を見せてくれたジュリエット・ビノシュの頬が細くなって、似合わない科学者の役だったこともノラナイ原因のひとつだった。

『ゼロ・ダーク・サーティ』(Zero Dark Thirty)

2012年・アメリカ 監督/キャスリン・ビグロー

出演/ジェシカ・チャステイン/ジェイソン・クラーク/ジョエル・エドガートン/ジェニファー・イーリー

2011年5月2日に実行された、ウサーマ・ビン・ラーディンの殺害にいたる経緯を描いた、実話を元に作られたフィクション映画である。監督は、2008年公開の『ハート・ロッカー』で史上初の女性によるアカデミー監督賞を受賞したキャスリン・ビグローが行った。主役のCIA女性エージェントはジェシカ・チャステインが演じ、第85回アカデミー賞主演女優賞にノミネートされ、第70回ゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞した。政治的論争で、大統領選挙にからむプロパガンダではないかとの批判で公開日が延期になり、また作中の拷問の描写を巡っても論争が起きている。一方で作品は批評家から絶賛されており、また120以上の賞にノミネートされ、アカデミー賞を含む60の賞を受賞した。ワーキングタイトルは『For God and Country』であった。正式タイトルの『Zero Dark Thirty』はティーザー予告編が公開された際に公式に確認された。ビグローによると、タイトルは軍事用語で午前0時30分を指す。(Wikipediaより)

多くの友人を失ったCIA分析官の主人公は、テロリストを許すことは出来なかった。CIAによる拷問にも立ち会った。今どき絶対許されないであろう拷問シーンが結構時間をとって前半の映画のポイントだった。さすがに拷問の情報が洩れて、第三者ばかりではなくCIA内部でも問題になってきた。拷問だって口を割らせることは困難だが、拷問という手段がなかったらテロリストたちの口から情報を得ることは、間違っても出来ないだろうことは誰にでもわかることだ。

これは映画だったが、実際にビン・ラディンを殺害することが出来た訳だから、相当の困難は映像を超えたものがあったことだろう。テロとの闘いは戦争だ。命を懸けて戦うのに拷問を許さないというのが不思議な規律である。一発で命をとってしまうことは許されるが、口を割らせるために肉体を虐めることは許さない、という人間社会の規範はどうして生まれ、容認されているのだろうか。

『ボーダーライン』(Sicario)

2015年・アメリカ 監督/ドゥニ・ヴィルヌーヴ

出演/エミリー・ブラント/ベニチオ・デル・トロ/ジョシュ・ブローリン/ヴィクター・ガーバー

原題のSicarioとはスペイン語で『殺し屋』の意味。犯罪映画というジャンルがあるそうな。主人公は女性のFBI捜査官。映画の冒頭では彼女が指揮した踏み込みで事件を一つ解決したような。ところがどっこい、そこからの彼女はもっと大きな国家組織の一スタッフとして、女であること、未熟な捜査官であることを嫌というほど見せつけられる。

世の中の究極では「合法」であることだけで物事は解決しない。どれだけ彼女が「それは合法ではないからできない!」と言ったところで、そのままだったら彼女なんか簡単に消されてしまうのが現実なのだ。合法と非合法のはざまにこそ、物事を究極解決できるキーがあるらしい。

自分がそういう立場に陥ることはまずないだろうが、ちょっとした会社での出来事だって同じようなものだった。規則、規則と頭の固い連中ばかりでは会社は回らない。そんな時に機転を利かせて規則を無視してやってしまうことが現実には必要だった。ただし、会社の場合もある程度の権限を持った人間にしか許されないこと。全くの平社員がこれはいいことだからとやったところで、誰も支持してくれないばかりか、お前辞めろと言われるのがオチだった昔の話。

『蠢動 -しゅんどう-』

2013年(平成25年)・日本 監督/三上康雄

出演/平岳大/若林豪/目黒祐樹/中原丈雄/さとう珠緒/栗塚旭/細川純一/芝本正/楠年明/増田久美子

題名がいい、と思いながら観始まる。出だしも好調、と思っていたのは束の間だった。役者が喋り始まると激下手くそなせりふ回しに驚いてしまった。なるほど、役者の良し悪し、出来不出来は映画に大きく影響するものだと、あらためて認識させられた。名前の通った役者が伊達に有名なのではないとも悟った。

法治国家に程遠かった江戸時代の謀(はかりごと)は、それこそ無法地帯と同じ。権力のある者の言うことが正義で、庶民は虫けらと同じようなもの。そうして世の中から消えていった良民も多かったに違いない。おそらく、その末裔は神のご加護をうけて、今幸せな人生を全うしているはずだと願いたい。

すべて一人の人間がやっている映画には限界がある。おもしろくなりそうで、そうなってはいない。もったいない。高いギャラの役者は今後も遣えないだろうけれど、役者の指導は出来る。せっかくの企画が腑に落ちなく終わってしまうのはもったいない。なんとかならないものだろうか。

『不屈の男 アンブロークン』(Unbroken: A World War II Story of Survival, Resilience, and Redemption)

2014年・アメリカ 監督/アンジェリーナ・ジョリー

出演/ジャック・オコンネル/ドーナル・グリーソン/MIYAVI/ギャレット・ヘドランド/フィン・ウィットロック

第一次世界大戦期、日本の徳島県鳴門市大麻町桧(旧板野郡板東町)に開かれた板東俘虜収容所。ドイツの租借地であった青島で、日本軍の捕虜となったドイツ兵(日独戦ドイツ兵捕虜)4715名のうち、約1000名を1917年から1920年まで収容した。1917年に建てられ、約2年10か月間使用された。これを映画化した『バルトの楽園』(バルトのがくえん、独題:Ode an die Freude)・2006年)とは戦争自体の違いはあっても、日本人の行いや日本人を見る目がこの映画とは正反対となる映画だった。アマゾンプライムで視聴料199円。

アンジェリーナ・ジョリーが監督をしたというのも話題だろう。だが、この映画をおもしろいとは感じない。日本人の酷さを描いているからではない。この映画の原作の伝記が何を語りたいのか、まったく伝わってこないのだ。日本での公開にはひと悶着あったようだ。どこかで聞いたような気もするが、遠いところで何が起こっていたのかを確認できなかった。東宝東和(ユニバーサル・ピクチャーズ作品の日本配給権)が配給権を持っていたようだが、ちょっとでも公開反対の運動が起これば、東宝の子会社の東宝東和は何も出来ない。

原作における、日本軍によって「何千人もの捕虜が、死ぬまで叩くか焼くか刺すか棍棒で殴るかされたり、撃ち殺されたり、斬首されたり、医学実験の過程で殺されたり、儀式的 (ritual) なカニバリズム行為で生きたまま食べられたりした」という記述が問題だった。どこかの一部でそのようなことがあったかもしれない。あったような伝聞があったかもしれない。10万人のうちの1人が行った行為が、日本軍という形で後世に伝えられる。忘れることが得意な日本人は、自分たちが被った被害も忘れて、ただひたすらに責めることしか能のない人種や種族に言われるままになっている。永久に続きそうな歴史的事実の錯誤。

『グレートウォール』(The Great Wall/ 長城)

2016年・中国/アメリカ 監督/チャン・イーモウ

出演/マット・デイモン/ジン・ティエン/ペドロ・パスカル/ウィレム・デフォー/アンディ・ラウ

なんとか4千年と大法螺ばかり吹く中国のこの手の映画は見ていて飽きがくる。嘘ばっかり、とちゃちを入れてしまう。無数とも思える饕餮(とうてつ)と呼ばれる怪物がCGで創られて暴れまわる。主人公が射る矢は不思議な力があるのだろうか。なぜか急所を打ち射抜いているのだろうか。

アクション・スターとなったマット・デイモンには中国の雰囲気が合わない。いかにもアメリカ人的な容姿を前面に曝したアクションがいい。怪獣と戦う彼の姿は滑稽にしか映らない。いつも言うように、不死身の主人公がもっともらしく見えるのは、辻褄がきちんとあっていることの連続が必要なのだろう。

漫画の嫌いなところは紙芝居であるのとともに現実味から離れ過ぎているからだと思っている。ささいなことをオーバーに表現して、煩い音楽をバックに映像を積み重ねても、心に響いてくるものが少ない。「信頼」が主人公二人のテーマだったようだが、観客には何の信頼も寄せてこない。

『エージェント:ライアン』(Jack Ryan: Shadow Recruit)

2014年・アメリカ 監督/ケネス・ブラナー

出演/クリス・パイン/ケビン・コスナー/ケネス・ブラナー/キーラ・ナイトレイ

トム・クランシーが創造したキャラクターであるジャック・ライアンを主人公とした映画。ジャック・ライアンの映画作品としては5作目であり、「ジャック・ライアン」シリーズをリブートした作品。これまでの映画とは違ってクランシーの特定の小説を原作としておらず、ホセイン・アミニによるコンセプトを基にしたオリジナルストーリーとなっている。ライアンを演じるのはクリス・パインであり、アレック・ボールドウィン、ハリソン・フォード、ベン・アフレックに続いて4代目となる。日本公開版は池上彰が字幕監修を担当した。(Wikipediaより)

昔よく見たアメリカのテレビ映画「スパイ大作戦」、トム・クルーズのシリーズ「ミッション・インポッシブル」、マット・デイモンの出世作「ジェイソン・ボーン」などと通じるスピード感溢れるアメリカ映画らしい、しかもアメリカ映画の得意とするジャンルだ。

あまりにもうまく行き過ぎて、ちょっとやり過ぎ? と思えるようなシーンの連続に、ただ驚いて見入るしかない。日本のテレビ・ドラマや日本映画にもこういった類の映画ジャンルはあるが、あまりにも差があり過ぎて見る気がしない。それでも人気があるらしいのは、どういう訳なのだろうか、と常々思っている。子供のころにスーパーマンは一所懸命見たが、月光仮面には見向きもしなかったことに似ているのかな?#!&%$

『将軍の娘/エリザベス・キャンベル』(The General's Daughter)

1999年・アメリカ 監督/サイモン・ウェスト

出演/ジョン・トラボルタ/マデリーン・ストウ/ジェームズ・クロムウェル/ティモシー・ハットン

「プライム会員の皆様~、見放題の映画をぜひ見ましょう!」と、テレビコマーシャルが流れる。珍しくこのアマゾン・プライム会員なるものに2、3か月前に加わっていた。インターネットで得る情報や知識は、まず無料と決めていたが、時代がもう無料では収まらなくなってきた。

コマーシャルが「もったいないから見ましょう!」とまで言っているが、わたしに言わせれば「見たって見なくたって、もったいなくないよー!」と。日本の劇場未公開作品やDVDだけの発売作品が並ぶアマゾン・プライム、たまにこれはおもしろいなぁと思える作品に巡り合うと、もう既にみている映画が多い。

この映画はおもしろい。アメリカの将軍の娘が同じネイビーに入隊した。学校時代から成績優秀、運動能力抜群だったが、新兵となったときに闇夜にレイプされてしまった。軍隊で女性兵士がレイプされたなんていうことは許されない時代だった。それなりの立場にいた父親だったが、娘から見れば娘を守らずに自分の立身だけに拘泥した。これが引き金になって、おぞましいことが10年後に起こってしまった。組織を守るために公にされない事件はいっぱいありそうだ。貴乃花親方が何も語らず、何もしないことは正解なのかどうかは10年後に分かることなのかもしれない。

『キラー・インサイド・ミー』(The Killer Inside Me)

2010年・アメリカ 監督/マイケル・ウィンターボトム

出演/ケイシー・アフレック/ケイト・ハドソン/ジェシカ・アルバ/ビル・プルマン

犯罪映画である。原作は、ジム・トンプスンのノワール小説『ザ・キラー・インサイド・ミー』。同書の日本語訳は、村田勝彦訳の『内なる殺人者』(河出書房新社)と、三川基好訳の『おれの中の殺し屋』(扶桑社)がある。同原作の映画化作品には1976年の『The Killer Inside Me』(監督:バート・ケネディ、主演:ステイシー・キーチ、日本劇場未公開)がある。(Wikipediaより)

日本の劇場では公開できなかったのかぁ。今はなくなってしまったミニ・シアターというジャンルの扱いとしてぎりぎりのところだろうか。ミニ・シアターそのものは残っているが、今やシネコン全盛の時代、何館もある映画館のなかから朝か深夜かを選んで一日1回だけ上映するというやり方が出来るなんて、想像だにしていなかった。

保安官助手の主人公が殺戮を繰り返す映画だった。権力の隅っこを握っている人間が、一般庶民を愚弄するのは簡単だ。この映画では犯人として認識される結末があったが、知らぬ存ぜぬを決め込めば、墓場の先へ行っても真実は暴露されないだろう。そうやって悪事を働く輩も少しはいるだろう。まぁ、本人が知らない未来で身内に類が及ぶことは間違いないが。

『疑惑のチャンピオン』(The Program)

2015年・イギリス/フランス 監督/スティーヴン・フリアーズ

出演/ベン・フォスター/クリス・オダウド/ギヨーム・カネ/ジェシー・プレモンス/リー・ペイス

2020年東京五輪を目指していたカヌー日本代表候補の鈴木康大選手(32)が、ライバルである小松正治選手(25)の飲み物に禁止薬物の筋肉増強剤メタンジエノンを混入させるという前代未聞の問題が9日、発覚した。五輪開催国としての信頼も失いかねない事態に、関係者の間には衝撃が広がる。「小松選手は若手で実力も伸びていた。地元開催の五輪に何とか出たい思いがあった」。

こんなタイミングでジャストのニュースだった。この映画は、かの有名なツールドフランスで7連覇したアメリカ人が実は薬まみれの選手だったという話。最終的には真実を告白して7連覇は剥奪されてしまった。ツールドフランスの大会記録を見ると、この7年間の優勝者は「無し」になっている。

この映画は実話に基づいているという例のクレジットがある。癌になった前から薬をやっていたこの主人公の自転車選手は、薬とはまったく正反対の世界でも活躍していた。癌を克服しツールドフランスを連覇することがどれだけ人々を励ましたことなのか。社会的なキャンペーンを大々的にやっている。彼に失望したファンは気持ちの整理をどういう風にしたのだろうか。自転車競技に興味はない。見ないことはない。ツールドフランスのドキュメントを偶に見るが、おもしろさが分からない。競輪だって、テレビ中継される大試合は見る。

『ペネロピ』(Penelope)

2008年・アメリカ 監督/マーク・パランスキー

出演/クリスティーナ・リッチ/ジェームズ・マカヴォイ/リース・ウィザースプーン

ペネロピはイギリスの名家ウィルハーン家の一人娘。先祖が魔女に受けた呪いのせいで、ブタの鼻と耳を持って生まれた。呪いを解く唯一の方法は、「(ウィルハーン家と同等の)名家の子息が、ペネロピに永遠の愛を誓うこと」。(Wikipediaより)

映画を観ていて『みにくいアヒルの子』という題名を思い出した。が、基礎力に欠ける私にはこの物語がどういうものか語ることが出来ない。「アヒルの群の中で、他アヒルと異なった姿のひなが生まれた。アヒルの親は、七面鳥のひなかもしれないと思う。周りのアヒルから、あまりに辛く当たられることに耐えられなくなったひな鳥は家族の元から逃げ出すが、他の群れでもやはり醜いといじめられながら一冬を過ごす。生きることに疲れ切ったひな鳥は、殺してもらおうと白鳥の住む水地に行く。しかし、いつの間にか大人になっていたひな鳥はそこで初めて、自分はアヒルではなく美しい白鳥であったことに気付く。」調べて分かっても遅い。死ぬ前で良かった。

美しいか醜いかは好き好きで判断できるが、程度を超えれば美人とブスは多くの人に共有される。二つ目が普通な地球上では三つ目は異常人間となってしまう。三つ目が普通な別の世界では、二つ目が異常になる。そんなことを映像化した「世にも不思議な物語」という外国映画をいつも思い出す。

『ワイルドカード』(Wild Card)

2015年・アメリカ 監督/サイモン・ウェスト

出演/ジェイソン・ステイサム/マイケル・アンガラノ/ドミニク・ガルシア=ロリド

こんな超アクション映画に原作があるとは思わなかった。ウィリアム・ゴールドマン著の1985年の小説『Heat』の映画化であり、1986年にアメリカ合衆国で製作された映画『ビッグ・ヒート』のリメイクだという。主演のイギリス俳優をこの頃よく見かける。

ラスベガスだけが舞台の映画。主人公の乗る車がラスベガスを離れようとすると、道に大看板が掲げられていた。「Drive Carefully ComeBack Soon!」 ラスベガスはおもしろかった。飛行場にだってスロットマシーンが置いてある。日本のパチンコ屋のような、ゲームセンターのようなインチキ・マシーンではない。現金交換はありませんと言いながら、陰で現金化している偽物システムすら直そうとしない日本政府は、よく言う子供になんと言い訳をするのだろうか。

決して拳銃を持たない主人公はめちゃめちゃ強い。そのあたりにあるものは何でも武器に変えてしまう。たとえ灰皿だろうと、クレジットカードだろうと。四流映画に見えたけれど、アクションシーンだけ見れば一流に見える映画だった。


2019年10月9日再び観たので記す。

『ワイルドカード』(Wild Card)

2015年・アメリカ 監督/サイモン・ウェスト

出演/ジェイソン・ステイサム/マイケル・アンガラノ/ドミニク・ガルシア=ロリド/マイロ・ヴィンティミリア

痛快アクション映画で、一度観ていることに気が付いてからも楽しめた。なにしろ強い男には憧れがある。自分が非力で殴り合いなんかしたらたちどころに蹴散らされてしまいそうな想像力がヒーローに憧れる最大の理由だ。

アメリカ合衆国で製作されたクライムスリラー映画。ウィリアム・ゴールドマン著の1985年の小説『Heat』の映画化であり、1986年にアメリカ合衆国で製作された映画『ビッグ・ヒート』のリメイク。ゴールドマン自身が脚本を書き、監督をサイモン・ウェストが、主演をジェイソン・ステイサムが務めた。アクション監督はコリー・ユン。

元特殊部隊のエリート兵士だったニック・ワイルドは、今では落ちぶれてラスベガスの片隅で用心棒を生業としていた。冴えない生活の中、ギャンブルとアルコールに溺れる彼の前に、ある日元恋人のホリーが現れる。ホリーは自身をレイプし、大怪我を負わせた男たちへの復讐をニックに依頼しに来たのだった。これを渋々引き受けたニックは、容易く男たちを片付けるのだったが、後にその男たちは恐ろしいマフィアと繋がっていることを彼は知る。一方でニックは、彼を慕うサイラスという若者と交流を深めていく中で、この町を出て自らの堕落した人生を変えようと決意するのだった。(Wikipediaより)

『アウトバーン』(Collide)

2016年・イギリス/ドイツ 監督/エラン・クリービー

出演/ニコラス・ホルト/フェリシティ・ジョーンズ/マーワン・ケンザリ/ベン・キングズレー/アンソニー・ホプキンス

天才的なドライビングテクニックを持つ自動車泥棒のケイシー。彼はアメリカ合衆国からドイツへと渡り、マフィアのボスであるゲランのもとで悪事に手を染めていた。だが、そんなケイシーに転機が訪れる。ジュリエットというアメリカ人女性と出会い、恋に落ちたのだ。ジュリエットのために悪事から足を洗うことを決意したケイシーだったが、彼女が重い病気を患っていることが判明する。彼女を救う手術には高額な費用が必要なことを知ったケイシーは、ゲランの誘いに乗りとある大仕事へと臨む。しかし、それは麻薬王ハーゲン・カールが密輸した大量のコカインをトラックごと強奪するという危険なものだった。(Wikipediaより)

アクション映画を言葉にするとこれほどつまらないストーリーに見えるのか!? カーアクションに徹底したこの頃では珍しい映画だった。ドイツ車がいかに優れているのかを喧伝したいような風にさえ見える。ドイツのロード・ムービーにも見える。ケルンの大聖堂も見られて興味深かった。

ドイツの自尊心というのだろうか、もう充分有名な自国の景色を時間をとって見せたりしないよ、という意気込みがこの映画に込められているような気もした。アウトバーンという世界に冠たる高速道路を猛スピードで走り抜ける映像は、往年の車社会の名残のようだ。ヒトラーのアウトバーン計画は、トラックや自家用車などの新たな自動車交通手段を改善し、そこからドイツの勢力圏に道路交通を通じた経済・文化的影響力を波及させることに重点が置かれていたのである。もっとも、一部区間は、いざという時は飛行機を離陸させるための滑走路としても使用できるように設計されていた。

『ロック・ザ・カスバ!』(Rock the Kasbah)

2015年・アメリカ 監督/バリー・レヴィンソン

出演/ビル・マーレイ/ブルース・ウィリス/ケイト・ハドソン/ゾーイ・デシャネル

日本では「カリテ・ファンタスティック!シネマ・コレクション2016」の中の一作として2016年7月20日から限定公開されたというから、日本ではロードショーに耐えられないと判断されたのだろう。さすがにその判断は正しいと言わざるを得ない。宣伝費をかけても掛けてくれる劇場が見つからないだろう。

気楽にせんべいをかじりながら見るに相応しい映画だった。コメディーというのだろうが、アメリカ映画のいいところ、すごいところは、これはコメディーですというような際立ったギャグや動作で表現しないこと。日本の馬鹿な芸人のごとくではないところが素晴らしい。

女がベールを開いて他人の前でテレビ番組に出て歌を歌うことなんか、絶対許されないのがイスラム世界らしい。どんな宗教を信じるのも自由だが、宗教に縛られて食べるものを禁じられたり、顔を覆わなければならなかったり、個人を窮屈に縛り付ける風習は愚かにしかみえない。もう死んでしまった神の預言者の言葉を後生大事に崇め奉ることの愚かさが不愉快だ。時代とともに人間の価値観は変わって当然。信仰心はそのままにして、現在に生きる宗教観が横行しなければ、そんな信仰心はどぶにはまって泥だらけになってしまう。

『君の名は。』(Your Name.)

2016年(平成28年)・日本 監督/新海誠

出演(声)/神木隆之介/上白石萌音/長澤まさみ/市原悦子/谷花音

今日は2018年1月4日、昨日地上波初放映を録画したのでCMを飛ばしながら観た。早く見たいという願望が続いていた。それでも公開から1年半後の鑑賞というのは元業界人としては恥ずかしい。アニメだから観たくないというマイナス要素を払拭していた。どこがウケたのだろうか? というのが最大の興味ごと。日本人ばかりではなく世界中で大ヒットするのは、どこにその要因があるのだろうか。

『ほしのこえ』(2002年)、『雲のむこう、約束の場所』(2004年)、『秒速5センチメートル』(2007年)、『星を追う子ども』(2011年)、『言の葉の庭』(2013年)と劇場用映画を公開しているが、映画に対する評価はかなり高かった。受賞も多い。が、映画興行的には前作が最高で興収は推定1億5000万円だった。それがこの作品では興収200億円越えをしたというのが凄い。

所詮はアニメなのだが、一つのシーンの時間が短い。時々現れる本物のような光景。これらが相まって、今でもその辺にゴロゴロしている昔ながらの動かない紙芝居アニメとは一線を画しているかもしれない。今まで見た中で一番面白かった、と我が孫の中で最年長の中学一年生(ロードショー当時)の男子が言っていた言葉が耳に残っている。

『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』(5 Flights Up)

2014年・アメリカ 監督/リチャード・ロンクレイン

出演/モーガン・フリーマン/ダイアン・キートン/シンシア・ニクソン/クレア・バン・ダー・ブーム

アメリカのロングセラー小説にほれ込んだモーガン・フリーマンとダイアン・キートンが、夫婦役で初共演を果たしたドラマ。ニューヨーク・ブルックリンのアパートメントの最上階に新婚以来暮らしている画家のアレックスと妻のルース。眺めも日当たりも良く、最高の物件なのだが、エレベーターがないため、アレックスも年齢的に5階までの道のりがきつくなってきた。そんな夫を気遣い、この部屋を売ることを決断したルース。妻の考えに承諾したものの、本当は家を売りたくないアレックス。結局、部屋は売りに出すこととなり、内覧希望者も殺到するが・・・・(映画.comより)

アメリカで住宅を売り出すときのやり方がおもしろかった。やっぱりアメリカ人は、自分の意志で値を決めたり決断したり、と個人の意思が率直に左右する。日本のように他人任せで直接売り主と買主が出会うことがないのとは、大いに違い過ぎる。

洒落ている映画。ダイアン・キートンという女優を若い時も観ているはずだが、名前ほどには憶えていない。結構年を取ったこの女優の雰囲気がいい。正月のビデオばかりの特番なんか見る気もしないので、映画に没頭できるのが嬉しい。芸能ニュースでハワイに行く姿を晒しておきながら、平気でバカ顔を出している芸能人如きが気に障って仕方のない今日この頃。

『湯を沸かすほどの熱い愛』

2016年(平成28年)・日本 監督/中野量太

出演/宮沢りえ/杉咲花/伊東蒼/松坂桃李/オダギリジョー/篠原ゆき子/伊東蒼/駿河太郎

第40回日本アカデミー賞では6部門受賞、そのうち2部門宮沢りえと杉咲花が最優秀賞を受賞したというから、今の日本を代表する映画の1本なのだろう。題名のチンプさが気になったが、内容はなかなかどうして大したものだった。原作があるのでなければ、こんな奇をてらった題名じゃなければいいのにと思った。が、ラストシーンを観た人には分かる、この題名の由来にこだわったのだろう、・・・か?

昔では考えられないようなストーリー展開だった。離婚、結婚を繰り返し、しかも結婚しないまでも誰の子供かわからないような社会環境になってきた今だからこその内容だ。他人の子供だろうと現実に育ててくれた人が親だ、と思うのは今も昔も変わらない。そういえばそんな題材も昔は結構あったような。

主人公が近い将来の死を宣告される状況はずるい。映画といえども一人の人間の死を予定されてしまうとぐうの音も出ない。いつも変わらないオダギリジョーがうざかった。同じ格好、同じしぐさ、同じ喋り方をするこの役者をよくつかうな~、と不思議がっているのは私だけ?

『レッド・ムーン』(The Stalking Moon)

1968年・アメリカ 監督/ロバート・マリガン

出演/グレゴリー・ペック/エバ・マリー・セイント/ノーランド・クレイ/ロバート・フォスター

今日は2017年12月31日。劇場用映画製作にのり出してCBS・TV製作部門のひとつのNGP(ナショナル・ジェネラル・ピクチャーズ)の日本公開第1作だという。セオドア・V・オルセンのベストセラー小説が原作の西部劇。久しぶりの西部劇は新鮮に映る。観客はつねに勝手、西部劇が2、3本続けばそれだけで飽きが来る。

騎兵隊とインディアンが激しく対峙していた末期だろうか、インディアンは居留地に押し込められて、それでもまだまだ小競り合いをしていた時代だったようだ。この映画の時代、1881年にはかの有名なOK牧場の決闘があったようだ。

小さいころにインディアンに拿捕されて成人し、インディアン戦士の子供を産まされた白人女性とその子供がお供で主人公と旅をする。インディアンとして育った白人女性、英語は少し喋れるがインディアンの言葉の方が流暢だ。言葉は不思議なツールだ。生まれた時から聞いていれば、どんな階層の人間だって母国語を流暢に話すことが出来る。どんな頭の良い奴だって、他国語を成人してから習得するのはなかなか難しい。帰国子女の多くがアイデンティティーとともに母国語も外国語も同じように中途半端な遣い手になってしまっていることを、本人が一番よく分かっていない。

『サバイバー』(Survivor)

2015年・イギリス/アメリカ 監督/ジェームズ・マクティーグ

出演/ミラ・ジョヴォヴィッチ/ピアース・ブロスナン/ディラン・マクダーモット/アンジェラ・バセット

主人公は、ロンドンのアメリカ大使館駐在の外交官ケイト(女性)だ。アメリカに入国しようとしているテロリストを事前に調査、追跡しなんとか入国を阻止することが彼女の仕事だった。そんなことをしている人が実際にいることが凄い。が、アメリカだったら専従班にどれだけの人がいるのだろうかと、想像に難くない。

日本のことを考えると多少憂鬱にならざるを得ない。自分も勿論そうだが、テロリストやそれに準じる人間が日本にそう簡単に入ってくることはないだろう、と考えている気がする。一度でも本物のテロリスト外国軍団が日本で暴れたら、日本はパニック状態に陥るだろう。侵略の歴史を経験しているヨーロッパ人には、そういうものへの対処の心根がDNAとして受け継がれているような気がする。

この映画の主人公はアメリカの強い女性の代表のような存在だった。トランプ大統領が標榜するアメリカをも代表しているような。ちょっと辻褄の合わないところを払拭してくれるストーリーのおもしろさがある。最近の映画は、主人公が途中で死んでしまったり、主人公の仲間たちが消されたりと、昔ながらのヒーロー、ヒロインでいられる確率が減ってきた。

『レフト・ビハインド』(Left Behind)

2014年・アメリカ 監督/ヴィク・アームストロング

出演/ニコラス・ケイジ/チャド・マイケル・マーレイ/キャシー・トムソン

『レフトビハインド』( Left Behind )とは、ティム・ラヘイ、ジェリー・ジェンキンズの共同著作によるアメリカの小説。およびその続編からなるシリーズ。1995年に最初の小説が発売された。公式サイトによれば全米で6,500万部を売り上げたベストセラーである。アメリカ本国では映画化、ゲーム化もなされている。日本語訳はいのちのことば社から刊行されている。時は近未来、最後の審判が迫り「ヨハネの黙示録」の預言が実現していく世界を描く。「患難前携挙説」の立場をとっており、「携挙」によって信心深い人々や幼い子供が姿を消すところから物語が始まる。(Wikipediaより)

まさしくこの映画の映像がそうだった。ひたすら平穏な生活を映しておいて、突然何かが起こるのだろうな、とおもわせる物語の流れ。何事が起ったのかと思ったが、あまりに突拍子もないことだったので、観客としても理解するのに戸惑った。飛行機の中で、突然何人かが消えてしまったのだ。子供がメインだが、この映画の副操縦士も、着ているものがもぬけの殻となって消えたのには驚いた。

ここまで行くのはやり過ぎだろう、とちゃちを入れたくなったが、これが聖書のマルコによる福音書13章に書かれていることであると理解する信者には、突拍子もないことではなかったようだ。宗教というのは恐ろしい、信じなければなにも起こらないのに、信じる者には何かが見えるとでも言うのだろうか。頭の悪い未熟な人間には、高潔な世界の姿がよく見えない。

『山の音』

1954年(昭和29年)・日本 監督/成瀬巳喜男

出演/原節子/上原謙/山村聡/長岡輝子/杉葉子/丹阿弥谷津子/中北千枝子/金子信雄/角梨枝子/十朱久雄

川端康成の長編小説が原作で、戦後日本文学の最高峰と評されたということすら知らない。川端の作家的評価を決定づけた作品として位置づけられているという。日本人の原風景を見るような感じがしたが、その思いは正しかったのかもしれない。

老いを自覚し、ふと耳にした「山の音」を死期の告知と怖れながら、息子の嫁に淡い恋情を抱く主人公の様々な夢想や心境、死者の夢を基調に、復員兵の息子の頽廃、出戻りの娘など、家族間の心理的葛藤を鎌倉の美しい自然や風物と共に描いた作品。繊細冷静に捕えられた複雑な諸相の中、敗戦の傷跡が色濃く残る時代を背景に〈日本古来の悲しみ〉〈あはれな日本の美しさ〉が表現されている、との解説は説得力がある。

こういう映画を観ていると、ほっとする自分の気持ちがある。ざわついた、ただ五月蠅いテレビ番組表を見ただけで、テレビを消してしまいたい衝動に駆られるこの頃、ちょうど映画の老夫婦のような年齢と同じになって、ようやくこの手の映画の本質にほんの少し触れることが出来るようになったようだ。嬉しい。もう遅過ぎるのだろうが、私の生まれ変わりにはいい経験が、たくさん出来ている今日この頃だと悦に入っている。

『ブローン・アパート』(Incendiary)

2008年・アメリカ 監督/シャロン・マグアイア

出演/ミシェル・ウィリアムズ/ユアン・マクレガー/マシュー・マクファディン

原作は、クリス・クリーヴの小説『息子を奪ったあなたへ』。イギリス公開から3年後の日本公開は、ロードショー商売の難しさを物語っている。役者の格だけでは興行に耐えられない配給業の苦悩がうかがえる。話はいいんだけど、活字、脚本だけを読めば「買い」になるかもしれないけれど、出来上がって見たら、う~む、とうなってしまう作品だった。

ロンドンのイーストエンドに住むある若い母親。警察の爆弾処理班の夫レニーとの関係が冷え切っている彼女にとって、幼い息子だけが心の支えだった。そんなある日、爆弾処理へ向かったレニーの身を案じる彼女はその孤独に耐えられなくなり、パブで出会った新聞記者のジャスパーと一晩関係を持ってしまう。彼女は後悔するが、レニーと息子がサッカー観戦にスタジアムへ向かった日、彼女とジャスパーは偶然再会する。彼の押しに負けて彼女はジャスパーを自宅に招き入れ、再びセックスをしてしまう。しかしその最中、つけていたテレビがレニーと息子が向かったスタジアムで大規模な自爆テロが起きたことを知らせる。急いで現場に向かう二人だったが、夫と息子を失ったことを知った彼女は、大きな罪悪感に襲われ全てに絶望する。一方ジャスパーは、スタジアムのテロについて、真相を明らかにしようと躍起になる。(Wikipediaより)

人妻がふらふらと夜中に街に出て、ナンパされてSEXしてしまうくだりは、妻の苦悩を理解できたとしても、人間の品格を理解できない。所詮は誰でもいいから心と体を満足させてくれる時間を多く持ちたいという人間が普通なのだと。そこに厳しく自分と人間を見つめる人格と共に生きる覚悟が欠けているのだろう。自分だけではない、末期の幸せを考えない自分勝手な思考や行動を戒めなければ、生きてきた意味が半減する。

『ラストベガス』(Last Vegas)

2013年・アメリカ 監督/ジョン・タートルトーブ

出演/マイケル・ダグラス/ロバート・デ・ニーロ/モーガン・フリーマン/ケヴィン・クライン

ガキの頃から仲間だった4人組は、70歳になった今でも親交がある。12歳の頃の様子が映像で始まる。それぞれ4人の子供のころの顔が、ちょっと似た子役を使っているところが、さすがアメリカ。映画公開時の実年齢では、マイケル・ダグラがちょうど70才、ロバート・デ・ニーロは71才、モーガン・フリーマが最年長77才、ケヴィン・クラインが一番若く67才だったようだ。

いろいろな病名をあげてちゃかしたり、古女房からはせっかくラスベガスに行くのだから羽目を外しなさいとバイアグラとコンドームを手渡される一人も。帰ってきたら元気になってね、と励まされる始末。基本コメディーだが、この中の二人の秘密、一人の女の子をめぐる結婚問題が58年後の今まで尾を引いている。そこには意外な事実が隠されて、想定しない結末が待っているところが映画のおもしろさ。

ラスベガスも行ったことはあるが、この映画のような豪遊が出来ていたら、さらに楽しかったろうなぁ~。それでも、グランドキャニオンの一角を眺めることが出来たり、ラスベガスの何たるかのイメージだけでも掴むことが出来たのは、人生の経験の中では必要なことだったと、今更ながらに思い出す。

『ダブル・リベンジ 裁きの銃弾』(MONTANA)

2014年・アメリカ 監督/モー・アリ

出演/ラース・ミケルセン/マッケル・デヴィッド/ミシェル・フェアリー/ズラッコ・ブリッチ/アダム・ディーコン

観たばっかりの五流映画『ラスト・ガン 地獄への銃弾』に負けず劣らずの五流+映画だった。邦題の付け方も似ているのがおもしろい。日本劇場未公開も頷ける内容だった。こんな作品を2本も抱えたとしたら、映画配給会社の宣伝部は気がくるってしまうだろう。そういうどうにもならない映画を集めてB級作品と銘打って商売にしてしまうのが当時のヘラルドだったが。

やみくもに人を殺して問題を解決しまうあたりは、ラスト・ガンとそっくりで、繋げて観たって分からないのじゃないかと思える。こういうチンケな映画にも男女の恋物語がちりばめられている。この映画ではせいぜい高校生同士の話だったので、映像的にも許される範囲だった。

映画の世界ではなく現実の世界でのやくざの抗争は、今闇に隠れている。時々新聞沙汰になるが、もっと小競り合いが頻発していることだろう。目の前にやくざの住む家があって、名古屋の有名な組に属するという話があって、そのうち大きな抗争に巻き込まれるのではないかと訝っている。鉄条網が壁の上に張めぐされ、2台の監視カメラが堂々と道に向けれれている。目の前の駅の駐車場にはそれらしき車も停まっているから恐ろしい。

『ラスト・ガン 地獄への銃弾』(By the Gun)

2014年・アメリカ 監督/ジェームズ・モッターン

出演/ベン・バーンズ/レイトン・ミースター/スレイン/トビー・ジョーンズ/ハーベイ・カイテル

こんな邦題を見ると、最初から三流映画ですと宣言しているような。トム・クルーズの代表作『トップガン』(Top Gun・1986年)が鳴り物入りで日本公開になったとき、業界関係者は題名の「ガン」に鋭く反応した。どうしてもガンは拳銃という感覚が強く、このままでは日本での大ヒットが危ぶまれると疑ったのだ。

現実には日本でも超大ヒットしたトップガン、当たってしまえば誰も文句を付けたことを忘れてしまった。ジョーズ、E.T、然り、映画の内容が題名などに影響されないほどのおもしろさがあれば、その問題だった邦題が逆に印象に残る題名となって、人々の記憶に残ってきている。

この映画のようにそこそこの内容では、邦題すらすぐに忘れ去られてしまうだろう。アメリカ・ボストンでのマフィア抗争、原題にあるように銃による解決が一番だと、たけしの映画のような按配か。なまじ人情に苛まれて決断できない悪人より、きっぷのいい、非情なやくざの方が観ている側にはすっきりする人物像に映る。

『でーれーガールズ』

2015年(平成27年)・日本 監督/大九明子

出演/優希美青/足立梨花/白羽ゆり/安蘭けい/須賀健太/矢野聖人

原作は、原田マハの小説作品。文芸単行本版では「Fantastic Girls, Okayama,1980」(ファンタスティックガールズ, おかやま, 1980 )の副題が添えられているという。「でーれー」は岡山弁らしい。女子高校生が頻繁に遣っていた。青春の1ページ、岡山と聞くと私の胸もきゅんとなる。

掴みがおもしろく、そのまま映画を微笑みながら観ることが出来た。が、一向に話が進まず、途中居眠りをしてしまった。約2時間の映画は長過ぎる。あと30分短ければ、もうちょっと観たかったのに、と思わせて佳作と呼べる作品になったような気がしてならない。

岡山城には何度足を運んだことだろう。それでもせいぜい4回くらいだろうか。それ以上行く機会はなかった。岡山市の近くにある西大寺市には2度行った。2月の裸祭りが全国的に有名になってきたが、現役時代には誰も知らない都市だった。瀬戸内海の見える部屋を探しているのも、そういう楽しい過去があるからなのかもしれない。

『殺しのナンバー』(The Numbers Station)

2013年・イギリス/アメリカ 監督/カスパー・バーフォード

出演/ジョン・キューザック/マリン・アッカーマン/リアム・カニンガム/リチャード・ブレイク

主人公は元アメリカ合衆国・CIAの捜査官、実行部隊らしく「消せ」と言われれば容赦なく殺しをやってしまう。CIAがここまで恐ろしいものなのかを知らない。その彼が殺すべき人間を殺せなかったことから、ちょっと左遷されて、暗号文を発信する放送局勤務となった。

登場人物が少ないのは予算の関係かしら、などと奇妙なことを考えてしまうのは職業病かもしれない。原題と同じように見える邦題だが、原題のニュアンスとはまったくかけ離れたこのチンケな題名はなに?! 暗号の映画と言えば『エニグマ』(Enigma・2001年)がおもしろかった記憶がある。勿論、内容を覚えているはずもない。

それなりに面白い映画だと言っておこう。この題材でおもしろくなかったら、すぐに観終って文句も言わない。サスペンス、アクションではつじつまの合わないところがあったりすると、急にボルテージが下がってしまうが、ま~こんなものか。

『ローマ発、しあわせ行き』(All Roads Lead to Rome)

2015年・アメリカ 監督/エラ・レムハーゲン

出演/サラ・ジェシカ・パーカー/ラウル・ボバ/クラウディア・カルディナーレ/ロージー・デイ

軽いタッチのコメディー映画だった。クラウディア・カルディナーレが77才くらいなのに90才のようなおばあさん役で出ていた。サラ・ジェシカ・パーカーというちょっと好きではない顔の女優が主役だったので、観る側が気の乗らないことしきり。

母と娘二人のローマ旅行。そういえば私も三女とロンドン旅行を経験したことがあった。もう10年以上前になる。この間に彼女は結婚し、子供を二人持ち、離婚し、そして来年2月に再婚をするという。初婚の時は結婚式もなかったため、今度は結婚式と披露宴をやるという連絡が来て、本日ちょうど案内状も届いた。本人たちが納得しているのなら、どういう生き方をしたってかまわない。社会に生きている限り、本人の意思とは関係なくおおくの人たちにどれだけ迷惑をかけているのかを肝に銘じなければならない。

映画は軽すぎてどうでもいい感じ。なかなか良いところもあるが所詮。未成年の娘の反抗期的生き方と、一応世の中を知っている保守的母親世代のギャップが楽しい。知らないうちに自分だって進歩派ぶったって、今どきの若者の考え方なんか、なんにも分かっていないのが実態だと知らなければいけない。自戒。

『ハイネケン誘拐の代償』(Kidnapping Freddy Heineken)

2015年・ベルギー/イギリス/オランダ 監督/ダニエル・アルフレッドソン

出演/アンソニー・ホプキンス/サム・ワーシントン/ジム・スタージェス/ライアン・クワンテン

1983年11月に発生した実話に基づいて書かれたノンフィクションが原作だという。世界的なビール製造会社「ハイネケン」の経営者でオランダ屈指の大富豪フレディ・ハイネケンが誘拐された事件を題材としている。米国公開時のタイトルは『Kidnapping Mr. Heineken』。

事業に行き詰まっていた会社経営者のそれなりに若い犯罪素人集団5人が起こした事件。友達を集めた集団だった。もともと誘拐して大金を獲ろうという意図しかないため、ハイネケンンや一緒に捕まった運転手の命にかかわるようなことではなかったので、映画的にはイマイチなのかな?! 不謹慎だと言われればそれまでだが、結局5人全員が捕まってしまうおもしろく無さが、映画のおもしろく無さに繋がっている。

手錠をはめられ、倉庫の片隅に臨時で作られた個室に監禁されたハイネケンの堂々とした態度が印象的。好意的に描いているのだろうか。犯人側の動きにほぼ重点を置き、警察側、捜査側の動向をほとんど見せていないところが映画的に不満なのかもしれない。結局捕まってしまうときに、警察がどういう風に情報を掴んだのかの説明がなされていない不満足感が拭えない。ただドキュメンタりーを映像化したって、それを映画とは言えない。おもしろくなければ!!

『パーフェクト・プラン』(Good People)

2013年・アメリカ 監督/ヘンリク・ルーベン・ゲンツ

出演/ジェームズ・フランコ/ケイト・ハドソン/オマール・シー/トム・ウィルキンソン

原作小説『Good People』があるという。作者はマーカス・セイキー。シカゴからロンドンに移住してきた夫婦が主人公。日本では海外に移住するのは珍しいことだが、同じ英語圏なら簡単に住むところを変えるのも精神的にも容易のようだ。特にヨーロッパの中なら、言葉の問題を差し置けば、どこにでも住める気がする。

だが、実際に国籍のない国で働くのはどこでも簡単ではないらしい。「外国人」が働くには、かなりの規制を克服しなければいけない。労働力が問題になっている日本では、今後外国人の労働力に頼らなければいけないのは分かり切ったこと。ただ、旧態依然とした政治制度の中で、新しい理念と共に法体系を充実していくのは格段の力が必要になってくる。そういう若い政治家が台頭しなければ、日本は三流国になっていくだろう。

この映画の夫婦は、ロンドンで貸していた地下の部屋の住人がいつの間にか死んでしまっていて、偶然に見つけた天井裏にあった大金を目の前にして、迷った挙句ネコババしようと思ったところから事件が勃発した。竹やぶで見つけた1億円を届け出た人は昔居たが、貸している部屋にあった大金となるとどうだろう。私には届けるだろうという自信がない。それは、いつもお金がないからなのか、心がさもしいからなのか?

『88ミニッツ』(88 Minutes)

2008年・アメリカ 監督/ジョン・アヴネット

出演/アル・パチーノ/アリシア・ウィット/エイミー・ブレネマン/リーリー・ソビエスキー

シアトルで女性ばかりを狙った連続殺人事件が発生。同じ頃、FBI異常犯罪分析医・ジャックに「お前はあと88分で殺される」との電話が掛かってくる。やがて容疑者と思しき4人の美女の存在が浮上する。(Wikipediaより)

この手の出来過ぎた話はちょっと。誰が犯人なのかと観客を楽しませてくれるのはいいが、突然この人です、と言われるときの驚きにいつも困った顔をしなければならない。あと88分の命だよと脅されても、映画のストーリーの上だけの話だと思われてしまうような冷静な主人公。演技が鼻について、というほどアル・パチーノについて知ることは少ない。

明らかに女性の役者の方が背が高い。そこをなんとかカメラワークでアル・パチーノの背の低さを見せない工夫をしている。1か所だけそれが分かってしまうシーンがあったが、すぐにカメラが引いて、おー、うまく分からなくさせるものだと感心する。日本のテレビタレントは背が高いのが条件のようになっている。そし、幅の広いイケメンと呼ばせることも。

『エクスポーズ 暗闇の迷宮』(Exposed)

2015年・アメリカ 監督/デクラン・デイル

出演/キアヌ・リーブス/アナ・デ・アルマス/ミラ・ソルビノ/クリストファー・マクドナルド

『エージェント・ウルトラ』(American Ultra・2015年)という題名からして5流映画を観始まった。おもしろくなりそうで、なかなか展開が思わしくなく、堂々巡りをしているようなストーリーに耐えられなくなって、50分くらい観たのにやめてしまった。この映画も変なものだった。こういう映画を解説するページには何と書かれているのだろうか、とそちらの方が気になった。

キアヌ・リーブスが製作・主演を務めるクライムスリラー。ニューヨーク市警の刑事スコッティは相棒ジョーイを何者かに殺害され、犯人の行方を追いはじめる。しかしジョーイには悪い噂があったため同僚たちの協力を得られず、捜査は難航する。ジョーイが撮影した写真に写っていた謎の美女を手がかりに捜査を進めるスコッティだったが、次第に深い闇の中へと迷い込んでいき、やがて驚くべき事実にたどり着く。(映画.comより)

文字で書くとこうなるのか。映像ストーリーは訳の分からない映画に見えた。おもしろさが伝わらない。この邦題すら摩訶不思議だ。もともとの原題は、Daughter of God と映像にも表れる。英語のサイトでも Exposed が使われているが意味が分からない。日本では特殊な企画作品として上映されたらしい。アメリカのサイトでも The film was released in a limited release and through video on demand. と書かれていた。特殊な人種が喜ぶ映画のジャンルに入らざるを得ない。

『夏ノ日、君ノ声』

2015年(平成27年)・日本 監督/神村友征

出演/葉山奨之/荒川ちか/古畑星夏/大口兼悟/松本若菜/菊池麻衣子

ユカは夕飯をとらずに哲夫の部屋で帰りを待つが、返ってきた哲夫は夕飯はすませてきたという。つきあって5年になるのを機に、ユカが結婚を切り出したのが哲夫が冷たい原因かと尋ねるが、仕事が忙しいだけだといってはぐらかされる。ユカは自分の実家に帰ると告げて哲夫の部屋を出て行ってしまい、哲夫も自分の実家に帰ることにする。哲夫が実家に帰ると、昔の写真とともに懐かしい機械が出てきて、病院で舞子と初めて会った時のことを思い出した。実は結婚に踏み切れないのは、舞子との思い出が原因だった。その頃ユカも、舞子のことを思い出していた。(Wikipediaより)

チンケな恋愛ものだと高をくくって観始まった。冒頭のシーンを眺めながら「やっぱり!」と舌打ちする自分がたまらなかった。しばらく観ていると、なんか様子が違う、主人公の男が実家に帰って想い出にふけると、それはそれは悲しい恋の出来事だった。

いつの時代、世界中のどこにいたって、男と女の恋物語は始まり終る。最近では、男と女というものにとどまらないいろいろな形の恋愛ものが認知されているのを憂うべきか喜ぶべきか。他人を好きになる、成れるというのは何といっても素晴らしいことだ。なぜ好きになったのか、どこを好きになったのか、という質問は愚問に違いない。本人ですら理解できない「好きになること」の現象を、他人がとやかく理解できるはずもない。それでいいのだ。理解不能な心根の最たるものが恋愛感情というものなのだろう。むつけき髭もじゃの男同士が抱き合ったり、キスしている姿を想像すらしたくないが、現実にはたくさんあること。そういう摩訶不思議な人間行動を大きく認めるところから世界平和がやって来る。

『COP CAR/コップ・カー』(Cop Car)

2015年・アメリカ 監督/ジョン・ワッツ

出演/ケヴィン・ベーコン/ジェームズ・フリードソン=ジャクソン/ヘイズ・ウェルフォード/カムリン・マンハイム

低予算映画で一番面白い映画はどれだ、というコンクールがあればかなり上位に食い込むだろう。パトカーのトランクに閉じ込めた都合の悪い人間を、悪徳警官が野原の片隅に埋めてしまおうとやってきた。偶然家出をして2人で80kmも当てもなく歩いてきた少年がそのパトカーを興味本位で運転し始まった。警官が埋めるための穴を掘りに行ったちょっとした時間差があったようだ。

主な登場人物は少年2人、警官、パトカーのトランクに閉じ込められた男、少年の運転するパトカーとすれ違って訝った地元のおばさん。アメリカらしいところが、舗装された道といえども、他の車が一切通らなかったり、パトカーには何丁もの銃があったり、日本では到底成立しない条件で映画が出来ている。

少年の好奇心は旺盛だ。10年後に考えればほとんどなんて言うことないことに興味を持ち、なんていうことないことに怒りを感じている。浅はかな判断力で世の中を生きている。若いからといって許されるのも少年の間。そんなことを分かっているやい、と思いながら、実は何にも分かっていないのも少年時代。あたたかい社会環境がなければ、少年が確実に実のある大人に成長する確率が減ってくる。そんなことが少しだけ分かるようになるのも60才過ぎてからでは、社会の進歩など望むべくもない。

『マグニフィセント・セブン』(The Magnificent Seven)

2016年・アメリカ 監督/アントワーン・フークア

出演/デンゼル・ワシントン/クリス・プラット/イーサン・ホーク/ヴィンセント・ドノフリオ/イ・ビョンホン

2012年にトム・クルーズ主演で企画段階にあることが報じられた。またケビン・コスナー、モーガン・フリーマン、マット・デイモンが参加する可能性があることも報じられた。2014年12月4日、クリス・プラットの出演交渉中であることが報じられた。2015年2月20日、夫を殺された復讐として7人のバウンティハンターを雇う未亡人役でヘイリー・ベネットが加わった。2015年5月20日、ピーター・サースガードが悪役で加わった。同日、『Deadline』のマイク・フレミングはジェイソン・モモアが『Aquaman』への出演のため本作を降板していたことを報じた。2015年7月11日、『デイリー・ミラー』はヴィニー・ジョーンズが出演することを報じた。

映画音楽はジェームズ・ホーナーが担当する予定であったが2015年6月22日に彼は亡くなった。しかし2015年7月、フークアはホーナーが彼を驚かせるために音楽を既に作曲済みであることを知った。ホーナーのアレンジャーの1人であるサイモン・フラングレンは共同構成者となり、サウンドトラックはソニー・クラシカルより発売される。主要撮影はルイジアナ州バトンルージュ北部で2015年3月18日から8月18日にかけて行われた。この他にルイジアナ州セント・フランシスビルとザカリーがロケ地となった。セント・フランシスビルでの撮影は2015年5月18日から29日のあいだに行われた。ワールド・プレミアは2016年9月8日に第41回トロント国際映画祭で行われる予定である。また9月9日にはヴェネツィア国際映画祭でクロージング・ナイト作品を務める。一般公開は当初は2017年1月13日を予定していたが、2015年8月にソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントは2016年9月23日へと前倒しした。(以上 Wikipedia より)

いわゆる大型映画はその始まりの映像から匂いがプンプンしている。これから起こることにわくわくしながら観ることのできる特権を持っている。スターウォーズ然り、冒頭のタイトルから圧倒されっぱなしが気持ちいい。勧善懲悪、力と力の勝負が、人生を賭けて社会全体に表現される。トランプ大統領が登場した背景はこの映画からもうかがえる。こういう大作を作れるのはアメリカしかない。すごい。おもしろい。

『クリーピー 偽りの隣人』

2016年(平成28年)・日本 監督/黒沢清

出演/西島秀俊/竹内結子/川口春奈/東出昌大/香川照之/藤野涼子/戸田昌宏/馬場徹/最所美咲/笹野高史

原作は、前川裕による第15回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞小説。お世辞にもいい映画だったとは言わない。どころか、おぞましい内容に気持ちが悪くなる。映画は映画だから、気持ち悪くなったら見るのをやめればいい。どれだけ香川照之が歌舞伎役者として進歩したのか知らないが、テレビに出たり、コマーシャルで稼いだり、映画に出ている暇があったら、もっといっぱしの歌舞伎役者になってからだろう、と訝り怒る。

のどかな住宅街で起こった一家3人行方不明事件から発した出来事が思わぬ展開を見せていく。つじつまの合わないところやなぜこうなるのという説明もなく進行して行く勝手なストーリーだ。普段は饒舌過ぎるくらいの日本映画だが、ここまで説明を省略してしまっては、ストーリーの真実味に虚構が走る。

特に最後の場面は、もっと丁寧な映像が欲しかった。腑に落ちないでこの映画を観終った人が大半だろうと思う。余韻を残して映画は終わるべきだと持論を唱えているが、この映画は余韻に行きつく前に終わってしまっている。残念なり。

『SCOOP!』

2016年(平成28年)・日本 監督/大根仁

出演/福山雅治/二階堂ふみ/吉田羊/滝藤賢一/リリー・フランキー/斎藤工/塚本晋也/中村育二

主人公=カメラマン。かつては数々のスクープを手にしたスター的存在だったが、ある事件をきっかけに報道写真への情熱を失い、現在は芸能スキャンダル専門のパパラッチとして活動している。もう一人は、写真週刊誌「SCOOP!」の新人記者。さらに、写真週刊誌「SCOOP!」の副編集長(芸能&事件班)。この3人がメイン。

結構おもしろかった。役者の好き嫌いを超えて、なかなかのストーリー展開で久しぶりに見る日本映画のアタリだった。パパラッチの苦労がちょっと分かって、なんとなく週刊誌ネタを見る時の楽しみが増えた。英語のタイトルをそのまま邦題にする勇気が素晴らしい。

二階堂ふみというタレントをテレビで見ることはあったが、映画では初めて。福山雅治とラブシーンを演じたから有名人になったのだろうか。女は化粧で顔が変わるので困る。初めて見る女性は特に区別がつかない。化粧をしてもブスはブスなので、化粧映えする女性は基本美しいのかもしれない。

『パパ:ヘミングウェイの真実』(Papa: Hemingway in Cuba)

2015年・アメリカ/キューバ/カナダ 監督/ボブ・ヤーリ

出演/ジョヴァンニ・リビシ/ジョエリー・リチャードソン/エイドリアン・スパークス/ミンカ・ケリー

アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway、1899年7月21日 - 1961年7月2日)について語れるほど活字世界に精通していない。名前だけは試験に出ても答えられるけれど、1作品も読んでいないことが恥ずかしい。

『日はまた昇る』(1926年)、『武器よさらば』(1929年)、『誰がために鐘は鳴る』(1940年)、『老人と海』(1952年)、老人と海はチャレンジしたことがあるような気がする。それも見栄かもしれない。映画の中でも様々な名言が語られるが、印象深かったのは「結婚はやめといけ、快楽は一瞬なのに忍耐は一生続く。」、てなことかな。行動派の作家だということが意外だった。スペイン内戦にも積極的にかかわったという。この映画の生活拠点はキューバだった。反政府側に武器を供与するという大胆なことをしている。

本人の写真を見たら、映画の主人公が凄く似ていた。外国の映画の場合、実話の人物像を模写するところから映画は始まることが多く、この辺りが日本映画との違いを感じる。この映画は観ているとちょっとい飽きがくる。ヘミングウェイに可愛がられたこの映画の原作者自身の自慢話のような感じがしてならなかった。1954年ノーベル文学賞を受賞したころから、孤高の天才のようになっていったと映画は語る。やっぱり天才の一人だったようだ。

『愛と死の間で』(Dead Again)

1991年・アメリカ 監督/ケネス・ブラナー

出演/ケネス・ブラナー/エマ・トンプソン/アンディ・ガルシア/デレク・ジャコビ

いきなり殺人事件の新聞記事と死刑になった犯人とされる人間。ほんのちょっと謎を含みながら映画は始まる。そして、前世で殺人犯とその被害者という関係であった男女が惹かれあい、自分たちの死の謎を解こうとする。

催眠術師がキーワードとなってインチキっぽく映画は展開する。三流映画だった。いつも言うが、こんな歯の浮いたような邦題を付けるのは誰だ! と怒っている。

そこそこおもしろいけれど、と疑問符が付くストーリーが一番ダメ。五流作品に成り下がってくれた方が、見る方は安心する。急にやる気のない人生に陥って、観るものすべてがうざい。1年半くらい続いてろうか今回のハイテンション。もち直るにはだいぶ時間がかかりそうな予感がしている。

『ワン・モア・タイム』(One More Time)

2015年・アメリカ 監督/ロバート・エドワーズ

出演/クリストファー・ウォーケン/アンバー・ハード/ケリ・ガーナー/ハミッシュ・リンクレイター

このタイトルでネット検索をしていたら、どうも内容が違うみたいなので戸惑った。多くの検索結果は同じ日本語タイトルだが原題は(Chances Are・1989年)の映画だった。まだ観てはいないが、結構評判のいい映画のようだ。こちらは日本未公開、アマゾンンの無料映画にはこんな奴がそれなりに横たわっている。

テレ朝のMステで歌う西野カナがまったく同じタイトルの曲だった。映画のことなんか意識していないとは思うが、同じタイトルは・・・・、ふ~む!?%$# アンバー・ハードという聞いたことのない美しい女優が主演クラスだったが、ジョニー・デップの奥さんらしい。芸能界に疎いからへ~え!と驚くしかない。

父親は往年の歌手、同じように歌の世界を目指す長女とそれとはまったく正反対の優等生次女の対比がおもしろい。往年の歌手は6番目の妻と一緒に暮らしている。親子の葛藤、二世タレントの悲哀、姉妹の対峙などがミュージカルのように流れる。子を持つ親なら理解できる子供に対する愛情とその表現、生きていくって大変だな~。

『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull)

2008年・アメリカ 監督/スティーヴン・スピルバーグ

出演/ハリソン・フォード/カレン・アレン/シャイア・ラブーフ/レイ・ウィンストン

こういう著名なシリーズはどこかで全作品を観ているような気がしているが、今回も定かではない鑑賞歴を忘れて映画に見入った。こんなに漫画チックだったんだ、というのが第一印象。今までの映画を思い出しても、これほどのコミック映像には仕上がっていなかったような。

プロデューサーのフランク・マーシャルによると、この作品は前作の『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』から19年後の1957年が舞台となっている。『最後の聖戦』は1989年製作で、現実でも実際に19年が経っていることになる。シリーズで初めて第二次世界大戦後が舞台となる。これに伴い、財宝をめぐってインディをつけねらう悪役組織も、従来のナチス・ドイツから冷戦時代のソビエト連邦となった。ソビエト軍兵器のミリタリー描写は非常に精巧なものになっている。

映画の冒頭はシリーズ共通のイメージである、パラマウントのロゴマークと実景とのオーバーラップで始まる。保管庫からインディが逃げ出す際、壊れた木箱から『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』に登場した聖櫃が顔をのぞかせている。マリオンとインディが最初に出会う際、マリオンが言う「インディアナ・ジョーンズ…」のセリフの口調は、『レイダース-失われたアーク-』でマリオンとインディが出会ったときにマリオンが言った「インディアナ・ジョーンズ…」のセリフと同じイントネーションで再現されている。(Wikipediaより)

『複製された男』(Enemy)

2014年・カナダ/スペイン 監督/ドゥニ・ヴィルヌーヴ

出演/ジェイク・ギレンホール/メラニー・ロラン/サラ・ガドン/イザベラ・ロッセリーニ

ポルトガル語世界(ルゾフォニア)初のノーベル文学賞受賞作家ジョゼ・サラマーゴの小説『複製された男』(The Double, 2002年)の映画化だという。本の原題は Double で、映画の原題は Enemy。邦題はちょっと考え過ぎた結果の題名になってしまった。こういう内容に直結する邦題はダメ。先入観を持たせ過ぎる。しかも映画の内容を正確に表せていない。

世の中には自分と酷似する人が三人いるという都市伝説がある。この映画は偶然見つけた自分とまったく同じように見える人間をめぐっての物語。映画の題名が「敵」となっているのは、この映画を観ればよく理解できる。自分の顔と似ている人を見て、自分でもそう思えるのか分からない。私ならきょとんとしてしまうだけだろう。似ているのか似ていないのか、第三者の言葉でしか分からないと思う。

同じことの繰り返しで一向にストーリーが進まない映画の見本のようなものだった。が、最後にようやく想定外の物語になって、ほっとするのだった。活字で読めばもっとおもしろいだろう。ということは、映画監督の力量不足ということになるのだろう。

『間奏曲はパリで』(La Ritournelle)

2014年・フランス 監督/マルク・フィトゥシ

出演/イザベル・ユペール/ジャン=ピエール・ダルッサン/ミカエル・ニクヴィスト

フランス語の原題の意味を調べていたら、36年前からフランスに住む日本人のブログの中に意味がかかれていた。原題の"La Ritournelle"には「間奏曲」と言う意味はありません。音楽用語(イタリア語)で間奏曲はインテルメッゾ。フランス語のリトゥルネルは、音楽用語(イタリア語)のリトルネロに由来していて、これは主題が何度も繰り返される作曲形式で、日常用語的にはくりかえしや反復やリフレインや決まり文句やよくあることといった意味になります。

フランスのノルマンディー地方に住む酪農夫婦の物語。日常繰り返される変哲もない景色の中にも、一瞬の雷のような出来事があった。それは夫婦の問題であり、親子の問題でもあるが、よくよく見つめていなければ繰り返される日常に埋もれてしまいそうなものだった。いや、埋もれさせて通過すべき事柄なのかもしれない。ことさらに立ち止まって些細な事柄を事件にしてしまえば、ただ面食らう未来が待っているだけなのだろう。

こんなに何事も起こらない映画がおもしろいのも珍しい。何事も起こらないといっても、なにかは起こっている。でもそれは極めて日常的な流れの中での出来事であり、立ち止まって相手を問責するような事柄でもない。そういう生き方が人間的で、一番幸せな方法だと教えてくれているような。

『人生スイッチ』(Relatos salvajes)

2014年・スペイン/アルゼンチン 監督/ダミアン・ジフロン

出演/リカルド・ダリン/オスカル・マルティネス/レオナルド・スバラーリャ/エリカ・リバス

原題はスペイン語だが、英語のタイトルもついていて「Wild Tales」、スペイン語原題と同じ意味を持っている。6つの短編が入っていた。昔風で言うオムニバスというものなのだろうか。暴力と復讐という共通したテーマがあることがこれらの複数のストーリーを一貫させている。なかなかパンチの効いたストーリーで、人間が死ぬ話が多く、2時間映画では簡単に殺せない筋が20分では大胆に殺人ができるのか、と驚くばかりだ。

ブラック・ユーモアと称してもいいのかもしれない。何度か登場している「マッド・ボンバー」の要素に似た雰囲気がある。徹底的にこの現実の世で勧善懲悪を貫こうとすれば、当然のことながら他人を罵り、罵倒し、殺してまでその目的を達成しなければならない。それをおおむね我慢してこその社会生活だと誰しもが理解しているから、事件は極少で済んでいる。

邦題の人生スイッチは、人生の岐路に立った時にどちらを選択するのか、という意味に見えてちょっと違和感がある。まったく関係のない言葉に置き換えるのならいいのだが、同じような意味を持つ意味の違う言葉をあてはめるのは、観客に混乱を生じさせる。一般客ではない視点で映画を観てしまうのは、悪しき業界人の悪い癖に違いない。と、当事者なのに、第三者風を装う。

『ヘイル、シーザー!』(Hail, Caesar!)

2016年(平成年)・アメリカ 監督/ジョエル・コーエン/イーサン・コーエン

出演/ジョシュ・ブローリン/ジョージ・クルーニー/レイフ・ファインズ/アルデン・エーレンライク

コーエン兄弟の映画はおもしろいと洗脳されている。この映画は1950年代のアメリカ映画界、ハリウッドを舞台にした話。映画界が映画界の話をネタにした映画を製作することは結構頻繁にある。手前みそ的な話が多くて概して面白くないケースが多いような気がしている。

好きな女優スカーレット・ヨハンソンも登場したりして、華やかな映画界を映し出す。スターと呼ばれる偶像を守るためには、危機管理に長けた人物がすべてをコントロールする必要がある。そういう役目をこの映画の主人公がやっている。こういう人物が大相撲界にいれば、日馬富士の暴行問題も闇から闇へと消えていったのかもしれない。

いろいろな映画を撮影しているシーンが登場して楽しませてくれる。この原題もそういう映画の中で撮られる映画の題名なのだ。1950年代と言えばアメリカ映画界でも赤狩りという激震が走った。そういうパンチの利いたウィットをこまめに登場させて、映画界の摩訶不思議さを倍増させている。なにしろ、この映画の主人公はどんなトラブルでも片付けてしまう汚れ仕事請負人なのだった。まったく業界の違うロッキード社からヘッドハンティングを受け、主人公が悩んでいるシーンもおもしろ、おかしくストーリーされている。

『砂上の法廷』(THE WHOLE TRUTH)

2016年・アメリカ 監督/コートニー・ハント

出演/キアヌ・リーヴス/レニー・ゼルウィガー/ググ・ンバータ=ロー/ガブリエル・バッソ

アメリカの裁判劇はかなりおもしろいものが多い。この映画も例外ではない。日本でも裁判員制度が始まってだいぶ経つが、その裁判員にスポットを当てた秀逸な映画は出てきていない。そこまで描かないのが日本の社会であり、触れたくないものに触れることは、日本社会ではダブーなのかもしれない。

陪審員に選ばれるときから下工作に赴くのはアメリカでは当たり前のことだろう。不利な側に立たれることが分かっている人間を、裁判所から排除するというのがアメリカ的弁護士活動らしい。ひたすらに陪審員の関心をひく手法に徹するあたりは、人間味があって羨ましい。いくら法と証拠に基づくのが裁判だと叫んでみたところで、アメリカのように陪審員が評決を下すのなら、その陪審員をおとしこめなければ裁判に勝てるわけがないというわけだ。

「私がやりました」と依頼人が明確に殺人を宣言したって、他の誰も見ていない現場のことを陪審員に語る難しさがある。立証しようとする検察側にも同じ困難がつきまとう。かくして、陪審員の同情と憐憫を引き出した側が勝利して映画の中の裁判は終結する。その後に語られる真実が神に唾するものであったとしても。

『エルダー兄弟』(The Sons of Katie Elder)

1965年・アメリカ 監督/ヘンリー・ハサウェイ

出演/ジョン・ウェイン/ディーン・マーティン/マーサ・ハイヤー/アール・ホリマン

久しぶりの西部劇はおもしろかった。メリハリが効いていて、観ている方の精神状態が安定する。内容はハラハラドキドキの思い入れをしてしまうストーリーなのだが、落ち着いて観ていられるのが凄い。チャンバラ映画と同じように、多くの作品が作られれば、その分多くのユニークなストーリーが展開される。

最近の観客はその多くの作品に触れていない。なので、大したことのない作品が大ヒットしたりして、質の低下を嘆かなければいけなくなる。人間には限界がある。それほど才能のない人が集まったって、おもしろい、いいドラマを製作することは出来ない。見るに耐えないテレビ・ドラマが横行するのは仕方のないことなのだ。

この映画の主人公は男4人兄弟。長男がジョン・ウェインなのだが、抜きんでて存在感がある。致し方ない。あのディーン・マーティンでさえも、影が薄い。この4兄弟が亡くなった母親に誓う言葉が泣ける。どんないかつい男どもでも、母親の前では形無しだ。母親は偉大なり。いつの時代もそう決まっている。

『オートマタ』(Automata)

2014年・スペイン/ブルガリア 監督/ガベ・イバニェス

出演/アントニオ・バンデラス/ビアギッテ・ヨート・ソレンセン/ディラン・マクダーモット

2030年代末に太陽のフレア光が増加したことで、地球は砂漠化が進行し、人口の99.7%が失われた。生存者は安全な都市網を再構築し、過酷な環境で人類の手助けを行う原始的なヒューマノイドロボット「オートマタ」(ピルグリム7000型)を開発した。オートマタには、生命体に危害を加えてはならない、自他のロボットの改造を行ってはならない、という2つのプロトコル(制御機能)が設定された。当初は人類の救世主であるとされたが、砂漠化の抑制に失敗したことから肉体労働に追いやられた。ある日、自己改造を行っているオートマタが発見され、保険調査員のジャック・ヴォーカンが調査に派遣された。(Wikipediaより)

製作国表示がスペインとブルガリアという初めて見る組み合わせだった。近未来物の映像は、宇宙物からロボットに移ってきたようだ。AIという概念が現実のものになりつつあることが大きいのだろう。

自律型と呼ばれていた時代が懐かしい。そのうちロボットというのは、AIが当たり前で、そうではないロボットはあり得ないくらいチップを搭載された機械に埋め尽くされることだろう。素人だって、そのチップを買って機械に組み込めば、AIロボットを製作することが出来るようになるかもしれない。進歩の速度は恐ろしく速い。夢のような事柄がどんどん現実のものになって行く。命ばかりか心も追いつかない。

『ハミングバード』(Hummingbird)

2013年・アメリカ 監督/スティーヴン・ナイト

出演/ジェイソン・ステイサム/アガタ・ブゼク/ヴィッキー・マクルア/ベネディクト・ウォン

アフガニスタンの戦場で5人の仲間たちを目の前で殺された特殊部隊の兵士ジョゼフ・スミスは、その報復として民間人を5人独断で殺害していく。当然これは軍法違反であり、その姿は無人偵察機「ハミングバード」によってしっかりと監視されていたため、ジョゼフは軍からの逃亡を余儀なくされる。

殺害容疑の軍法会議から逃亡したジョゼフは、ロンドンでホームレスに姿を隠して生活していた。惨めな彼の境遇を慰めてくれるのは、唯一心を開いた同じホームレスの少女ただ一人であった。ギャングによる有り金の全てや隠し持っていたドラッグを巻き上げるホームレス狩りの際、ドラッグと酒に溺れていたジョゼフはギャングにさんざん殴られ、たまたま逃げ込んだ高級アパートメントに隠れたが、そこの住人は半年以上もニューヨークに行っていて不在であったため、住人の"彼氏"を装ってそこで生活をはじめる。またその騒動の際、逃げたはずのホームレスの少女は、ギャングの一味に捕まって、ドラッグ漬けにされた上、売春婦として風俗店に立たされていたのだった。そして彼は生きるために裏の仕事を着々とこなしていくのだった

またけがをしたジョゼフを助けた修道女に、淡い恋心をいだきはじめた。その修道女も10歳のころ、自分を18回レイプした体操の先生を殺したため修道院に入れられていて、ふたりはお互いの傷をなめあい励ましあい助けあうのであった。(すべてWikipediaより)
これでもう観た気になれるかもしれない。

『ル・アーヴルの靴みがき』(Le Havre )

2011年・フィンランド/フランス/ドイツ 監督/アキ・カウリスマキ

出演/アンドレ・ウィルム/カティ・オウティネン/ジャン=ピエール・ダルッサン/ブロンダン・ミゲル

第二次世界大戦で有名なノルマンディー、カレー、ダンケルクという地名が出てくる。この映画の主舞台はル・アーヴルといフランス北部の港町だが、さらに北にのぼったところにかの有名な場所があるようだ。イギリスには目と鼻のさきだ。改めて地図を見ると、第二次世界大戦の終結に向かう地理関係がよく分かる。

監督は、この映画を港町を舞台とした三部作の1作目とする構想で、続編はスペインとドイツを舞台として、それぞれ現地語を使う構想であるという。Wikipediaにはコメディ・ドラマ映画というジャンル分け表記があったが、難民の一人の子供に対するフランス人の思いみたいなものが垣間見えて、なかなか興味深いものだった。

小さな町に暮らす人々の心意気みたいなものが伝わってくる。日本人よりもはるかに高みにある人間愛を感じる。個人主義に根差した他人に対する思いやりは、ひたすらのおもてなししか知らない日本人には新鮮に映るに違いない。こういう映画をきっかけにして、もっと深いところに行かなければ、生きている意味もない。

『13時間 ベンガジの秘密の兵士』(13 Hours: The Secret Soldiers of Benghazi)

2016年(平成年)・アメリカ 監督/マイケル・ベイ

出演/ジョン・クラシンスキー/ジェームズ・バッジ・デール/パブロ・シュレイバー/デヴィッド・デンマン

2012年に実際に起きた2012年アメリカ在外公館襲撃事件。ミッチェル・ザッコフの原作『13 Hours: The Inside Account of What Really Happened in Benghazi』からの戦争映画。[THIS IS A TRUE STORY.]と英語で記された言葉に「これは真実の物語である。」という日本語字幕が付いていた。多くの映画はこういう場合「事実」を使うのに、この映画では何故「真実」なのだろうか。ちょっと気になった。

リビアのベンガジでの出来事、内戦、戦争と言われてもピンとこない。どうしてこうも戦争好きな民族なんだろうと訝るしかない。おおもとのイスラム教に大きな問題があるのだろうが、本当のイスラム教ではないとイスラム教徒が強調すればするほど、いやいやそこからしか原因は見えてこないよ、と世界中の人が感じていることだ。

こういう宗教的なことを非難できないことの方が異常なのだ。中国だって同じ、北朝鮮はもってのほか、誰しも嫌なことは嫌、違うと思うことは違うと言えなければ、それこそ独裁者の言いなりになってしまう。こんなクソのようなホームページが見つかることがないことが嬉しい。もしも中国にこのページがあったら、いつの間にか消滅されてしまっているだろう。怖い、怖い。

『オータム・イン・ニューヨーク』(Autumn in New York)

2000年・アメリカ 監督/ジョアン・チェン

出演/リチャード・ギア/ウィノナ・ライダー/エレイン・ストリッチ

元CIAのリチャード・ギアを観たばかりだったが、今回はお得意の女たらしレストラン経営者だった。ちょっとばかりかったるい恋愛映画と言っておこう。監督が女性だからという先入観はまったくないと思っているが、男と女の価値観の違いというものが、あっちこっちにあるような気がしている。

だからつまらなく感じるのだろう。時間の使い方がどうも、と思ってしまうのだ。それは、現実生活でも言えること。幸いに現在はひとり暮らしをしているが、それこそ女性が同居していたら、今ではとてもじゃないけど同じ時間を共有する自信がない。主張したくても出来ない環境には耐えられないだろう。

昔、人間の成長について考えた事があった。結婚もせず、勿論子供もいないで40歳になった男には狭量な精神しかないだろうと。結婚して我が儘を我慢し、子供が出来てどうしようもない不条理さを認めながら、ようやく男は一人前の人間になって行くのではなかろうかと。女ではない。女はそんなことを感じさせないくらいに、もっと逞しく人間ではない生き物なのではなかろうかと。

『ラスト・ターゲット』(The American)

2010年・アメリカ 監督/アントン・コービン

出演/ジョージ・クルーニー/ヴィオランテ・プラシド/テクラ・ロイテン

概してつまらない。活字原作があるようだが、おそらくそっちの方が何倍もおもしろいに違いない。暗殺用のライフル銃の製作を依頼された主人公だが、ジョージ・クルーニーという役者がそんな手の器用な人間には見えないのが致命傷。イメージは大切だ。

アメリカの役者は日頃素顔を晒さない。日本人の役者のようにテレビ・バラエティーにでるときも、テレビ・ドラマにでるときも、CMにでているときも、そして映画の中の顔も一緒だなんて信じられない。しかも、テレビ・ドラマなんて、主演している役者のコマーシャルを平気でそのドラマの中で流している。日本人的な発想では、よりコマーシャルが印象づけられていいのだと主張しているに違いない。アメリカかぶれしている私のような人間には、そんな行為があまりにも酷過ぎると叫んでいるのだが。

銃を作っている間の映像がなんともやりきれなかった。原題の「アメリカン」とは、潜伏したイタリアの土地で何処から来たのと問われて答えたところからの呼び名だった。アメリカ人は何処へ行っても恋に落ちる。その女性と暗殺者の女性の顔が似ていて区別がつかない。日本人には欧米人の女性を区別するのは困難だ。そういえばついこの頃、ドジャースの打者がアジア人の細目を侮蔑したような行為をして問題になった。アメリカ人には、日本人も、韓国人も、中国人も到底区別できないだろう。細目と言えば韓国人と、日本人には思えるのだが、お前らも同じだよといわれているに違いない。

『顔のないスパイ』(The Double)

2011年・アメリカ 監督/マイケル・ブラント

出演/リチャード・ギア/トファー・グレイス/マーティン・シーン

恋愛映画ではないリチャード・ギアは似合わない。CIAという職業がどういうものなのかのニュアンスなるものが肌身で分からないが、リチャード・ギアではないだろう。ちょっとしたアクション・シーンは意外性での起用だと思われるが、似合わない役柄はやっぱり。

タイミング良くトランプ大統領のロシア疑惑が再び表立って来ている。この映画のスパイも源もロシア、冷戦が終わっても、ソ連がロシアになっても永遠の敵国のようだ。アメリカで分からないのはCIAとFBIの関係、いつも縄張りで映画の中では争っているが、このあたりについては誰かにレクチャーしてもらわないと。

原題の「ダブル」というのは二重スパイのことなのか? スパイものはおもしろいが、どんでん返しを平気でやってくれるのがちょっと。それまでは映画で描いていなかったはずなのに、最後になって実はこんなことが、なんて言うことを表現されるのは、ちょっとずるい感じがしてならない。ヒッチコック映画のように、映画の中にヒントを鏤めていてくれれば、観客があとで解説を見て、知って納得出来るのに。

『その女諜報員 アレックス』(Momentum)

2015年・アメリカ 監督/スティーブン・カンパネッリ

出演/オルガ・キュリレンコ/ジェームズ・ピュアフォイ/モーガン・フリーマン

四流映画らしさをいきなり見せてくれる。時々2.5流映画になったりして観客を戸惑わせる。観終わってしまえば、今観たばっかりなのに、もう内容を思い出せないくらいのストーリーだった。そういうひとときを送るのも悪くない。

ここまでこの「最近観た映画」欄を書き始まって7年と半年、もうすぐ2,200本という鑑賞数になる。それでもまだ観ていない映画は山ほどあるどころか、何万という映画を見残して死んで行くのは見えている。毎日1本を実行していたときから比べれば、この頃の体たらくは酷い。が、AMAZONプライムのお陰でだいぶ息を吹き返した。

1年に1本も観ないで時を過ごしている人も多いに違いない。先日、ちょっと年下で現役を引退した人から、「小河さん、毎日何をしています?」と聞かれた。即答できるほど際だったことをしていない。ただ、それを聞いてきた人がほとんど「映画など」観ないと言っていたのを思うに、少なくとも毎日1本は映画を観るようにしているよ、というのがその答えのような気がする。心を揺さぶられる映画を観ないで生きている人達を憂う。

『ブルックリンの恋人たち』(Song One)

2014年・アメリカ 監督/ケイト・バーカー=フロイランド

出演/アン・ハサウェイ/メアリー・スティーンバージェン/ジョニー・フリン

今日は2017年11月1日(水)。ブルックリンと言えばブルックリン・・ドジャースだろう。折しも2017年のワールドシリーズはついに第7戦目に突入した。1884年創立以来ニューヨークを本拠地としてきたが、1958年ロサンゼルス・ドジャース(Los Angeles Dodgers、LAD)になり現在に至っている。同じ年にサンフランシスコ・ジャイアンツもニューヨークから移ってきたという。

全チームで永久欠番となっている「42番」、1947年にアフリカ系アメリカ人として初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンがデビューした球団としても有名だという。ニューヨークにはいくつもの物語が映画で語られる。ロスとは対照的に暗黒の一面を持った社会だと認識されている。

一番近くて遠い存在の家族が心を共有できる時、それは家族の誰かが思いがけない災難に遭い、生死を彷徨っている時が唯一のようだ。この映画はそういう時間を思いっきり見せてくれる。家族の全員が何不自由なく自由気ままに生きているうちには、お互いを思いやる気持ちなんて湧いてこないらしい。不思議なものだ。

『マリアンヌ』(Allied)

2016年・アメリカ 監督/ロバート・ゼメキス

出演/ブラッド・ピット/マリオン・コティヤール/ジャレッド・ハリス/サイモン・マクバーニー

大ヒット作や代表作品と呼べるものがないと思っているブラッド・ピット。人気だけはあるが大したことのない役者だった。この頃ようやく作品に恵まれてきたような印象がある。それでも題名をすぐに言えない。もっとも、私のことだから、題名なんてどんな役者だってよく覚えていないのが通常で、そんなことを言えた面ではない。

時代は第二次世界大戦さなかの1942年、主人公は連合軍のカナダからやってきた軍人、イギリス軍の諜報機関に属しアフリカ・モロッコでドイツ大使暗殺を実行する。相棒はフランスのレジスタンス、身を隠してこの主人公の妻としてアフリカの地に先乗りしていた。計画を完遂してあろうことか諜報員同士が結婚してしまった。あろうことか、と同僚が嘆いていたのだ。

久しぶりのスパイもの。と大枠で言ってしまうのは容易いが、スパイものはそのプロセスがおもしろいので、内容についてはこれ以上触れようもない。何かを隠しながら結婚生活を続けることは至難の業だ。一生知られずに隠し通せれば大したものだが、どこかで何かを知ってしまう相手が、何事もなかったようにそのまま添い遂げられれば仕合せというものだろう。この映画の主人公たちは、国家機密に属する身故の望まない結論に涙しなければならなかった。

『ラ・ラ・ランド』(La La Land)

2016年・アメリカ 監督/デミアン・チャゼル

出演/ライアン・ゴズリング/エマ・ストーン/ジョン・レジェンド/ローズマリー・デウィット

2016年最高の映画のひとつとして大ヒット、高評価を得た。。第89回アカデミー賞では『タイタニック』(1997年)、『イヴの総て』(1950年)に並ぶ史上最多14ノミネート(13部門)を受け、監督賞、主演女優賞(エマ・ストーン)、撮影賞、作曲賞 、歌曲賞(『シティ・オブ・スターズ』City Of Stars)、美術賞の6部門を受賞した。

いきなりの歌で想定通りと眉をしかめたが、だんだんとセリフが多くなり、これなら最後まで行けそうだと、気が楽になった。不必要な踊りや歌を入れて、ミュージカルと称さなければならないのは、どういう理由からなのだろう。何の脈絡もない手や足の動きは、どういう意味があるのだろうか。セリフを歌にのせて喋るくらいならまだ許せる。ミュージカル大嫌いな人種には、その技法なるものの真価を評することは出来ない。

成功物語かと思いきや、夢がこれからかなうかなという過程の始まりに、いきなり5年後というスーパーが出てきた。どこか満たされないストーリーで、大ヒットの世の中を薄っぺらだと決めつけてしまった。普段、あまりにも大したことのない映像、映画を観ているから、この程度を絶賛するのだろう。悪くてどうしようもないとは言わないが、大絶賛するほどの玉ではないと思う。ラ・ラ・ランドは、ロサンゼルスと「現実から遊離した精神状態」を意味するという。

『ラスト・タイクーン』(The Love of the Last Tycoon: A Western)

2016・2017年・アメリカ 監督/ビリー・レイ

出演/マット・ボマー/ケルシー・グラマー/リリー・コリンズ/ドミニク・マケリゴット

一昨日、Amazon Fire TV Stick なるものを買った。ずーっと気になっていたのだが、先日上京した時長女の家ではすでに導入済みだったことが、大きなきっかけとなった。1ヶ月前3980円だったと思っていたのに、4980円に値上がりしていた。NEWモデルと言うことで、何とリモコンに内蔵されたマイクで音声検索が出来るようになったらしい。タブレットとパソコンモニターで見ていたAmazon配信映画を、これからはテレビモニターで見ることになるのだ。

技術の進化を一番実感する機器だと思う。STICK PC の存在も知ってはいたが、イマイチ感が拭えなかった。PCの中のインターネット部分を抜き出して、映像を見せるというやり方は素晴らしい。しかもこの価格。テレビのHDMI端子にSTICKを差し、電源ケーブルをコンセントに挿せば、後はほんのちょっとした操作ですぐに見られるなんて。WI-FI環境は最終条件。昔のようなインストールという概念がなくなっている。どんどん人間は馬鹿になっていくのかもしれない。YouTubeだってhuluだってNETFLIXだって、niconicoも見られる。音楽だって。

この映画はAmazonオリジナル作品だという。監督エリア・カザン、出演ロバート・デ・ニーロ、ジャック・ニコルソンで1976年に劇場映画が公開されている。アメリカの小説家F・スコット・フィッツジェラルドの未完の長編小説が原作だという。この作家の名前に多少縁がある。元妻の卒論のテーマがこの作家だったことを聞いた気がする。間違っていなければ。映画界が舞台なのも興味をそそる。今どきの表現で、シーズン1のエピソード1から9がラインナップされている。既にエピソード8までを一気に観た。原作者は、第6章の第1エピソードを書いた翌日の1940年12月21日、アルコール中毒からくる心臓発作で死去した。ということらしい。

『永い言い訳』

2016年・日本 監督/西川美和

出演/本木雅弘/竹原ピストル/堀内敬子/深津絵里/ 藤田健心/白鳥玉季/池松壮亮/黒木華/山田真歩

原作者自らが映画監督したというから恐れを知らない年齢なんだろう。これまでも、幾度もそういうことはあったが、評価の高かった作品はなかったような気がする。だからといって絶対してはいけないというわけではないが、どう考えたって自分でするより第三者が撮って、さらに第三者が編集した方が出来が良くなるのは見えている。

冒頭に夫が妻に家の中で髪を切ってもらうシーンがあった。妻はプロの理髪師、それはいい、指が大写しになって結婚指輪を薬指にしている。まだこのふたりが夫婦だと言うことを映画は語っていない。始まって早々のシーンなのだ。その後に、ふたりの会話の中で明らかに夫婦であることを証明するセリフが出てくる。二重なのだ。しかも映像と言葉でたたみかける。映画の余韻もない。無駄な時間を費やしている。観客は馬鹿だとでも言いたげに見える。

この夫婦も映画が始まった段階で壊れている。世の中の夫婦というのはどうしてこうも簡単に不仲になっているのだろうか。男も女もどれだけ勇気があるのだろうか。臆病な私は愛想を尽かされたって好きでいられる。一度好きになった相手を嫌いになるっていうことはない。それは自分の生きてきた道でもあるし、将来を見据えた選択だったのだから。

『君への誓い』(The Vow)

2012年・アメリカ 監督/マイケル・スーシー

出演/チャニング・テイタム/レイチェル・マクアダムス/ジェシカ・ラング/サム・ニール

なんともヤワな邦題だったが、結構深刻な話でおもしろかった。結婚している2人の乗った車がトラックに追突されて、女性が記憶喪失となってしまった。事実に基づいた物語には驚きの体験が描かれていることが多い。彼女の記憶喪失が特殊で、彼に出逢った前から以前のことは記憶にあった。置いてけぼりされたのは彼だけだったのだ。

アメリカ映画の中での結婚式には必ずと言っていいくらい神父の前での誓いの言葉がある。「病める時も・・・」と、結局は嘘はっぱちになってしまう言葉を平然と発する。あれだけ離婚率の高いアメリカでは、日常的に発せられている無意味な言葉なのかもしれない。

この映画での彼は違った。必死になって彼女の記憶を取り戻すために、いろいろな試みをするのだった。映画の最後に実際の家族の写真と共に、彼女の記憶はまだ戻っていない、と記されていた。いつまでも隣人を愛していられる生活は理想だが、現実はなかなかそうはいかない。気持ちだけで解決できる問題なのに、そこんところが難しい。人間が生きている証拠でもあるかもしれない。


2021/4/ 再び観たので

『君への誓い』(The Vow)

2012年・アメリカ 監督/マイケル・スーシー

出演/レイチェル・マクアダムス/チャニング・テイタム/ジェシカ・ラング/サム・ニール

『アメリカン・レポーター』(WHISKEY TANGO FOXTROT)

2016年・アメリカ 監督/グレン・フィカーラ/ジョン・レクア

出演/ティナ・フェイ/マーゴット・ロビー/マーティン・フリーマン/アルフレッド・モリナ

日本で劇場未公開になるほど酷い映画とは思えないが、実際に1本の映画をロードショーするプロセスを知っている者にとっては、さもありなんと思えるところがある。ジブリ作品やスターウォーズなら、誰でも劇場にブッキングすることは出来る。そうではない映画にとっては、いつどの劇場で公開できるのかは死活問題なのだ。配給会社にとっても同じく死活問題で、運が悪ければ3億円で買った映画さえ公開できないこともあり得るのだ。

長嶋一茂よりも低い打率で映画を当てることは難しい。それこそ、何もしなくても良い映画があれば、こんな楽な商売はない。ただ当てるだけのために映画を買ったり、宣伝したりしているのではない。そこら辺が分からなければ、食いはぐれのない職業を選択して人生を送っている人々には、永久に分からない真実が隠されている。

映画を見て心の底から涙を流せるなんて、とても信じられないことが目の前で起こる。止まることのない涙腺に、本当の自分の気持ちを初めて知る人も多いだろう。紛争地区に入って現地レポートをするなんて、異次元のことに思える。相当の覚悟と類を見ない鈍感力がなければ、あんな場所で生活することすら考えられない。原題のWHISKEY、TANGO、FOXTROTにはやりきれない現場生活を全うする秘けつのようなものを感じる。そうでなければ、人間さえもやっていけないかもしれない。

『キングコング: 髑髏島の巨神』( Kong: Skull Island)

2017年・アメリカ 監督/ジョーダン・ヴォート=ロバーツ

出演/トム・ヒドルストン/サミュエル・L・ジャクソン/ジョン・グッドマン/ブリー・ラーソン

髑髏島の生物:コング=体長:31.6メートル/ 体重:158トン/髑髏島の生態系の頂点に君臨する超大型類人猿。スカル・クローラー=体長:3.65 - 28.95メートル/体重:40 - 100トン/髑髏島で最も獰猛な生物で、後ろ足がなく前足(腕)2本だけで動き回る巨大な爬虫類。バンブー・スパイダー=体長:5 - 7メートル/竹林に生息する巨大なクモで、竹と同じ長さの足を竹に擬態させ、頭上から獲物を待ち伏せする。スケル・バッファロー=体長:13メートル(角の長さ:19メートル)/体重:22トン/水辺に生息している巨大スイギュウで、数日間水中に潜伏することが可能。リバー・デビル=体長:27メートル/髑髏島の入江に生息している、イカとタコを合わせたような姿をした巨大な頭足類。サイコ・バルチャー=翼長:2 - 3メートル/白亜紀の大絶滅を生き延び、髑髏島で独自の進化を遂げた翼竜。スポア・マンティス=全長:15メートル/レッドウッドの倒木に擬態する巨大昆虫。

監督ヴォート=ロバーツは「日本の漫画・ゲーム・アニメを見て育ち、今の自分のDNAとなっている」と公言する程の日本好きであり、本作の製作にも影響を与えている。本作についても「自分が子ども時代に触れてきた文化を、ゲロを吐くみたいに全部ぶち込んである」と語っている。映画全体には『もののけ姫』の要素が多く含まれているとし、登場するクリーチャーは「宮崎駿監督作品に出てくるようなもの。精神性があり美しく、パワフルなものを目指した」と語っている。この他にも『AKIRA』『メタルギアソリッド』などのオマージュが含まれている。また、序盤に登場する日本兵グンペイ・イカリの名前は『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジと、ゲームクリエイターの横井軍平から取られている。(Wilipediaより)

確かにゲロが吐きたくなった。髑髏島はキングコングだけが主役ではなかった。何のオマージュか知らないが、一番見たくないと思っている子供だましの闘いが全編に溢れて、大人を気取っている人種にはちょっとばかり混乱の脳波が。それなりに面白いのだが、CGを駆使した映像には飽きがくる。出来ない映像の時代が懐かしい。こんなものを見せられるから、昔のアクションが逆にちゃっちく見えてしまう。どっちもダメに見えてくるのが辛い。

『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(Rogue One: A Star Wars Story)

2016年・アメリカ 監督/ギャレス・エドワーズ

出演/フェリシティ・ジョーンズ/ディエゴ・ルナ/リズ・アーメッド/ベン・メンデルソーン/ドニー・イェン

アメリカのスペースオペラである『スター・ウォーズ』シリーズの実写映画本編を補完する、実写映画スピンオフ(外伝)作品シリーズ「アンソロジー・シリーズの第1作品目。それ故に実写映画本編とは異なり、オープニング・クロールが存在しない。

監督のギャレス・エドワーズ曰くタイトルの『ローグ・ワン』には3つの異なる意味が込められている。1つ目は劇中で戦闘中に個人または集団を指す軍隊での「コールサイン」としての意味で、2つ目は実写映画本編から逸脱する「アンソロジー・シリーズ」の第1作品目である本作自体が「Rogue」(「反乱者」)だという意味で、3つ目は主人公のジン・アーソを始めとした「ローグ・ワン」を構成する戦士たちも「Rogue」(「反乱者」)と呼べる者達であるという意味である。

物語の時系列は『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』の直前に当たり、同作の冒頭でも触れられた銀河帝国軍の宇宙要塞である初代デス・スターの設計図の強奪任務を遂行した反乱同盟軍の活躍が、同作の10分前まで描かれている。(すべて Wikipedia より)

『破獄』

2017年(平成29年)・日本 監督/深川栄洋

出演/ビートたけし/山田孝之/松重豊/寺島進/渡辺いっけい/勝村政信/橋爪功/吉田羊/満島ひかり

原作は、吉村昭の長編小説。第36回読売文学賞(小説部門)受賞作品。1985年と2017年にテレビドラマ化された。脱獄の常習犯である主人公と、それを防ごうとする刑務官たちとの闘いを描いた犯罪小説である。また、戦前から戦後の混乱期にいたるまでの刑務所の実態を克明に描いた歴史小説との解釈も可能である。作者は“長きに渡り矯正業務に関わった人物(元刑務官)から聞いた、実在の天才的脱獄犯(白鳥由栄)にまつわる話を基にした”という。(Wikipediaより)

今回見たのは、2017年4月12日にテレビ東京で開局記念日スペシャルドラマとして放送されたものらしい。映像はテレビ映画の気がしなかった。おそらく映画と同じような手続きで撮影されたのだろうと想像する。だが、内容はつまらなかった。結局は脱獄犯が何度も脱獄するくだりを延々と映しているだけ。飽きが来た。勿論脱獄犯の妻や子供の姿を映し出して気分転換がはかられているが、あまり乗り切れないストーリーがうとましい。AMAZONプライムの紹介ポスターは韓国の王朝物語のような色彩とデザインで「破獄」という文字さえも読み取れない。おそまつ。

日本には宗教がない。罪を告白した人間に対する赦しがない。一度罪を犯すと、他人の目は厳しさしかない。だから今でも、しらを切り通す犯人が多いような気がする。無罪を訴えながら死刑になる人間がいるなんて、本来は考えられないが、そんな事件も何年かに1件は起こっている。不思議な国、日本だ。遠い将来。地球上に美しい日本という国があった、と言われる時代が来るような気がしてならない。

『フェンス』(Fences)

2014年・アメリカ 監督/デンゼル・ワシントン

出演/デンゼル・ワシントン/ヴィオラ・デイヴィス/スティーヴン・ヘンダーソン/ジョヴァン・アデポ

原作は1983年にオーガスト・ウィルソンが発表した戯曲『Fences』。この映画は極めて高い評価を得ており、第89回アカデミー賞では作品賞を含む4部門にノミネートされ、ヴィオラ・デイヴィスが助演女優賞を受賞した。さもありなんという印象が強い。正直言っておもしろくなかった。

芸達者なデンゼル・ワシントンが舞台で一人芝居をしているような前半、喋っている字幕を読むのが辛くなるようなシーンが続いて辟易したのだ。妻に話す、長男に話す、次男に話す、しかも言っていることややっていることが頑固おやじの屁理屈みたいで、聞いていて賛同も出来なかった。

黒人の労働者がゴミ取り車に乗っている。残念ながら下層階級の匂いが感じられない高給取りデンザル・ワシントン。ただセリフをしゃべっているだけに聞こえて仕方がない。こういう役は無名で誰も知らないいかにも労働者が演じないと、臨場感が半端なく遠すぎる。最後はいい話のように見せているが、まったく入り込めないストーリーと演技に飽きが来た。こういう映画が評価されるのだ。私は映画のプロではない。

『わたしのハワイの歩きかた』

2014年(平成26年)・日本 監督/前田弘二

出演/榮倉奈々/高梨臨/瀬戸康史/加瀬亮/宇野祥平/中村ゆり/:鶴見辰吾

どんな映画、と問われてもまったく答えられない。観始まったすぐから、ながら映画と化してしまった。こういう映画に金を出す御仁はどういう人なのだろうか。作るのも恥ずかしいが、映画俳優と名乗って出演することも恥ずかしい。

この手の訳の分からない映画製作が結構多い。日本映画の場合だ。どうしたらこの映画を製作までこぎ着けたのだろうか。そう考えるとこの映画の存在そのものが大したものだ。出演している俳優?は一所懸命覚えた台詞を喋っている。手振り身振りも付け加えているが、舞台がオープンなだけで、小学校の学芸会と何ら変わりない。

ハワイに行きそびれてしまった。いつでも行けるという安心感が災いした。出張の帰りに航空券料金の追加をすること無くハワイに寄れることがわかっていたので、次回かどこかでなんて暢気な事を言っていたのが悪かった。負け惜しみを言えば、どうせ海岸や買い物や砂浜くらいだろうから、海外旅行の好きな歴史探索にはほど遠いので、いいとするか。

『バニー・レークは行方不明』(Bunny Lake Is Missing)

1965年・アメリカ 監督/オットー・プレミンジャー

出演/キャロル・リンレー/キア・デュリア/アンナ・マッシー/エイドリアン・コリ

主人公のひとりで未婚ながら子供を持つ女性、その娘の名前がバニー・レーク。アメリカからロンドンに引っ越してきて、娘を初めて幼稚園に送ったが、その日のうちに娘が行方不明になってしまった。昔よくこういうサスペンスがあったよなぁ~といった雰囲気がぷんぷんしてくる。

警察が乗り出すも、娘の姿を見た人がいない、ということから、もしかすると空想好きな主人公の空想なのではないかと、観客に思わせるところがミソ。サイコ・ホラーの様相を呈してくる後半は、その手の映画を思い出させる。同じことの繰り返しは、やっぱり映画を飽きさせることになる。

心の内を映画で表現するのは難しい。映画だけではない、目の前の人がなにを考えているのかなんて、実は誰にもわからないことなのだ。知ったかぶりして相手の気持ちを慮ったって、それが相手にとっては胡散臭い事柄になるのかもしれない。そんなことをお構いなしに生きて行ければ、こんな仕合わせなことはない。

『アデライン、100年目の恋』(The Age of Adaline)

2015年・アメリカ 監督/リー・トランド・クリーガー

出演/ブレイク・ライヴリー/ミキール・ハースマン/ハリソン・フォード/エレン・バースティン

主人公は1908年生まれなのに30歳の半ばに自動車事故に遭い、その時の落雷をうけ永遠に歳をとらない身体になってしまった。一般女性からすれば夢のような話だ。容姿も変わらない。だが、この映画の主人公は、歳をとらない自分の人生がこんなに苦労をするものだとは。

自分の娘が自分よりもはるかに歳をとった容姿になってしまった。この事実は二人だけの秘密、誰にも語れない永遠の秘密。不思議だったのは、容姿とIDカードとの違いにいち早く警察官が気がつくこと。本人の心配は、標本として政府に捕らわれるのではないかということ。へぇ~そうなんだ。そんなことで10年に1回住むところをかえるんだ、と新たな判断材料が新鮮だった。

金に飽かせて美貌を保とうとする芸能人がわんさわんさテレビに出てくる。どこまでやるのだろう、と思えるほどの若作り芸能人の姿は、これからどうなっていくのだろうか。もっとも、芸能人ばかりではない。一般人だって、ちょっとした小金持ちや金がなくたって美容に金を掛ける女性どもは、これでもかこれでもかと容姿に金を掛けている様子が垣間見られる。

『64-ロクヨン- 前編/後編』

2016年(平成28年)・日本 監督/瀬々敬久

出演/佐藤浩市/綾野剛/榮倉奈々/夏川結衣/緒形直人/窪田正孝/椎名桔平/奥田瑛二/仲村トオル/瑛太/三浦友和

とりあえず前編を AMAZON タブレットにダウンロードして、試聴を試みるつもり。結局新幹線の帰り道で前半の残りを観た。それ以外の時間帯は作れなかった。もともと持ち歩きのタブレットというつもりがなかったので、そんなに簡単に映画を観る時間を作れるわけもない。座席のテーブルにタブレットを置いて、Bluetoothイヤフォンで音を聞いている姿は、禿げあがったおっさんが何をやらかしているのだろう、と疑問を提供したに違いない。

前半戦は抜群におもしろい。役者の演技の格が違い過ぎるのがちょっと気になったが、内容としてはかなり秀でた作品に見えた。後半を明日に観よう。起きぬけに後編を一気に観てしまった。おもしろいんだけれど、同じような場面の繰り返しは興味が失せていく。最後のシーンへの突入は、前編の緊張感に比較すれば、イマイチというところ。子供を愛する人を描く映画が増えてきている。アメリカ映画はそればかりで、ちょっと食傷気味だが、日本の社会も人間も映画も、どんどん建前が本音に変わりつつあるのかもしれない。

昭和64年を忘れない。3度ほど皇居に行き記帳した。4月の天皇賞では枠連1-7の1点買い12000円が36万円になった。川奈のフジサンケイクラシックのプロアマ大会ではチームが優勝した。不思議な縁を感じる年となった。7日間しかなかった昭和の年を実体験したものだけが絶対忘れない年となった。

『ザ・コンサルタント』(The Accountant)

2016年・アメリカ 監督/ギャヴィン・オコナー

出演/ベン・アフレック/アナ・ケンドリック/J・K・シモンズ/ジョン・バーンサル

おもしろい。主人公は会計士。そんじょそこらにいる税理士なっかではない。しかも数学の天才会計士なのだ。さらに驚くことにこの天才会計士は自閉症なのだ。子供の頃から将来を案じる父親から、いざという時にも困らないようにと、武術を鍛錬させられていた。

自閉症は障害だと一般的に言われている。障害児や知的障害者という言葉にどうにも馴染めない。一方では特殊な才能を持っていることも知られているが、ここでそんなことを解説する必要もあるまい。この映画の主人公は高機能自閉症だとも言われている。Amazonプライムで100円で観た。終わりにいわゆるメイキングが付録であった。普段、このメイキングなるものを観たことがない。業界にいたくせにその製作過程の裏側を見せつけられるのが嫌なのだ。今回メイキングを観たのは初めてだろう。

3部に分かれてメイキングがあった。主人公を演じるベン・アフレックの言葉が印象深い。リアルな人間を演じることに最大限努力したという。自閉症をリサーチしたことは言うまでもない。アクションもリアルに、と制作側のスタッフ証言もかなり興味ある。危険な会計を引き受ける主人公、闇の金を洗浄するためには自分の身体も危険にさらされる。シリーズものになってもおかしくないおもしろさだ。映画の台詞の中で、アメリカの68人に1人は自閉症と診断されるという表現があった。天と地ほど違う個々の自閉症の人、もっと人間に優しい言葉がないのだろうか、自閉症じゃなくて。

『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』(Miss Peregrine's Home for Peculiar Children)

2016年・アメリカ 監督/ティム・バートン

出演/エヴァ・グリーン/エイサ・バターフィールド/クリス・オダウド/アリソン・ジャニー

原作は、2011年にランサム・リグズが出版した同名小説だという。日本のおとぎ話とはまったく違う様相を呈していて、そのはなしの中に入り込むのが困難だった。それはDNAの問題ではなく、年齢の問題なのかもしれない。古いヨーロッパに伝わってきた話なのかと思ったくらいだったが。

特殊な才能を持つ子供たちが場を賑わす。時間のループというテーマに沿って、無間地獄へと観客を誘う。残念ながら、物語に入り込めない人間にはちょっと苦痛な時間が続いた。特殊な才能は映画では禁じ手だ。スーパーマンが一番分かり易い。スーパーマンのような人間が何人も登場したら、もう終始がつかない。

こういう映画を観るたびに人間の才能とは?と、不思議がる。次回観ることになる自閉症ながら数学の天才会計士の話と似てくる。何が仕合わせの基準なのかと、いつも正しい回答は待っていない。あれは欲しい、これも欲しい、と何かを求めながら生きている現実があるなら、その瞬間が一番仕合わせなのだろうと思う。ひとつずつ手に入った物がが増えるたびに、仕合わせがひとつずつ逃げていくのだろう。

『空飛ぶペンギン』(Mr. Popper's Penguins)

2011年・アメリカ 監督/マーク・ウォーターズ

出演/ジム・キャリー/カーラ・グギノ/マデリン・キャロル/マックスウェル・ペリー・コットン

きょうは、2017年10月1日。ジム・キャリーでこの題名ならちょっと身構えて観なければ、と思っていた。調べた結果、何と日本では劇場未公開でビデオのみ発売になったという。そこまでひどい映画とは思えなかったが、いわゆる何処の劇場でいつ公開するんだと劇場側に問われても、配給会社に答えはないと思われる。

彼が映画に出始まった頃はこちらは現役映画マンの最絶頂の頃、どうしても彼を好きになれなかったし、受け入れなくても映画の仕事に支障はなかった。ところがどうだ、この頃になってどんなジャンルでも観る映画生活になったら、彼の映画がおもしろく感じるようになった。単なる食わず嫌いだったのかもしれない。

このペンギンだってはちゃめちゃだけど、そこがいいのだ、と言えるような自分になった。彼自身に変化はないのだろう。驚くのは、映画の中ではあるが、ペンギンを連れて街を歩く彼や高級マンションの部屋の中でペンギンと戯れる子供たちや元妻が、平然として対応していることだった。このあたりは日本映画だとしたら、周りの人間の狂騒の方がクローズアップされるに違いない、などと思ってしまう。

『星に想いを』(I.Q.)

1994年(平成年)・アメリカ 監督/フレッド・スケピシ

出演/メグ・ライアン/ティム・ロビンス/ウォルター・マッソー/スティーヴン・フライ

メグ・ライアンの顔が若くていきなりびっくりした。そう、彼女の映画『恋人たちの予感』(When Harry Met Sally...・1989年)はヘラルドが配給した粋でおしゃれな映画で大好きだった。その5年後だから、まだまだ若い。トム・クルーズの『トップガン』(Top Gun・1986年)にも出演していることを今回初めて知った。

プリンストン大学の数学者の美しく聡明なキャサリン・ボイドが主人公。彼女はかの有名なアルバート・アインシュタインの姪だというところからして、コメディが始まっている。軽いタッチのコメディはアメリカ映画の得意とするところでもある。もっとも、どのジャンルでもアメリカ映画は卓越していて、日本映画の入り込む余地なんかこれっぽっちもない。

数学者の脳がどうなっているのか知りたいものだ。目の前を通り過ぎる数字のすべてが検索対象になっていて、さぞつらいだろうなぁ、と素人には映る。凡人が凡人であることを理解しないで必死に生きていくことが、人間にとって一番仕合わせなことだろうと、私は強く思っている。あるいは、自分は出来がいいのだと錯覚しながら人生を全うできるに越したことはない、と思っているのかもしれない。

『悲しみが乾くまで』(THINGS WE LOST IN THE FIRE)

2007年・アメリカ 監督/スサンネ・ビア

出演/ハル・ベリー/ベニチオ・デル・トロ/デヴィッド・ドゥカヴニー/アリソン・ローマン

こんなベタな邦題を付ける配給会社はどこだ、と怒りにも似た感情がわいた。角川映画だった。観る前からそんな冷静ではないことはめったにないが、宣伝部に配属が決まったばかりの若者が付けたような題名に腹が立つ。

親友とはどういう存在なのかを教えてくれる。陰の主人公は、この映画が始まって早々に死んでしまう。その死を引きずって生きていくのは妻、ヘロインに走ってしまった夫の親友とは接触すら持ちたくないと願っていた。

哀しいから涙が流れるのではない。懸命に生きる人間の姿に感動するのだ。子供から慕われる大人には共通のかたちがある。哀しい出来事を背負って生きるのは、いつだって生き残った人たち。生きていくことは、生かされていること。自分の意志で生を全うできるのなら、とっくの昔に息絶えている自分だろう。

『ジミー、野を駆ける伝説』(JIMMY'S HALL)

2014年・イギリス/アイルランド/フランス 監督/ケン・ローチ

出演/バリー・ウォード/シモーヌ・カービー/ジム・ノートン/アンドリュー・スコット

勇気のある邦題だ。この題名で大きな劇場に掛けるわけにはいかない。それが映画界の掟だ。せいぜいミニシアター系でのロードショーと割り切らなければ、こういう題名を付けるわけがない。一方、たぶん内容的にはかなり映画的でおもしろいだろう、と題名は物語っている。

1930年代のアイルランドを舞台に、実在の活動家ジミー・グラルトン(Jimmy Gralton)を描いたドラマ映画。第一次世界大戦と第二次世界大戦にはさまれた世界恐慌の時代、自給自足生活のような地域にも大きな経済的影響があったようだ。

カトリックという大宗教に支配されて住民はあっぷあっぷしている。民主化を阻害するのは、なんと教会だったのか。偉そうに教育から生活までをも教会が支配している。今では、そして日本では考えられないような暴挙に見える。恐ろしきは洗脳。北朝鮮国民がこの世のものとは思えない洗脳社会から解放される時がやって来ることを切に願う。

『グレイティスト』(The Greatest)

2009年・アメリカ 監督/シャナ・フェステ

出演/ピアース・ブロスナン/スーザン・サランドン/キャリー・マリガン/アーロン・ジョンソン

ピアース・ブロスナン主演で贈る感動のドラマ。スーザン・サランドン、キャリー・マリガンという豪華キャストが揃ったが、日本での劇場公開は見送られた。ピアース・ブロスナンは製作総指揮も務めた。(Yahoo!映画より)

この原題から家族ものを想定できなかった。ましてや交通事故で突然息子を失った父親と母親と弟、そしてまだ18才なのに一度限りの初めてのSEXで妊娠した女性たちが、死んでしまった若者をめぐって、どうしようもないやり場と葛藤にさいなまれる姿を映し出す。

The Greatestというタイトルは何を表すのか説明して欲しい。私の知識や検索能力では、その意味するところがいまだ分かっていない。腑に落ちないでいることは性に合わない。誰か教えてください。映画は結構いけてると思うが、どこをどうやって宣伝すれば間違ってヒットするのか、これこそが想定できない。だからオクラになったのだろうか。贅沢な話だ。

『ロックアウト』 (Lockout)

2012年・フランス 監督/スティーヴン・セイント・レジャー

出演/ガイ・ピアース/マギー・グレイス/ヴィンセント・リーガン/ジョセフ・ギルガン

西暦2079年。地球より少し離れた宇宙空間には、実験的に作られた刑務所「MS-1」が存在していた。500人にも及ぶ凶悪な囚人たちをコールドスリープの技術を用いて収監しているこの刑務所では、厳重な警備体制により未だ脱獄した者がいなかった。(Wikipediaより)というSFアクションものだ。

映画の近未来映像は、結構現実に起こり得るのもそれらしいと思っているが、あと60年後にこんな世界が出現するのはないだろうと思っている。ところが、現実人間社会は、現実に生きている人間が考える以上のスピードで進化していることも間違いない。携帯電話然り、まだ30年も経たないのに、目の前で携帯電話世界が変化を遂げた。

テレビ画面だってそうだ。30年前のスクリーンで見える会社や家庭のテレビ画面を見ると、古さが際立って見えることが分かる。日本国内のことだって、今やバブル時代のファッションや歌は、お笑いネタの提供元となっている。知らず知らずのうちに変化する環境、手をかざせば水が流れ落ち、ドアの前に立てば扉は自動で開くし、もうシャワー・トイレがなければアメリカでのスプリング・キャンプにも参加しないと宣言するプロ野球選手が現れるくらいだから、始末におえない。

『リスボンに誘われて』(Night Train to Lisbon)

2013年・ドイツ/スイス/ポルトガル 監督/ビレ・アウグスト

出演/ジェレミー・アイアンズ/マルティナ・ゲデック/シャーロット・ランプリング/ジャック・ヒューストン

原作はスイスの作家で哲学者のパスカル・メルシエの小説『リスボンへの夜行列車』、偶然手にした1冊の本に心奪われた1人の教師が、若くして亡くなった著者を知る人々を訪ね歩く姿を通して、独裁政権「エスタド・ノヴォ」時代のポルトガルに生きた1人の青年の波乱の人生を描く。(Wikipediaより)

スイスのベルン、高校で教師をしている主人公が、突然巡り合った1冊の本に触発され、授業をほっぽり出してポルトガルのリスボン行きの夜行列車に乗ってしまった。そんな馬鹿な、と思えるシーンから始まるこの物語は極めて映画的で興味をそそられた。その興味ほどに面白く映画は展開しないが、そこそこのおもしろさで最後まで魅せてくれる。

学生時代に覚えてしまった一人旅の楽しさ、1か月も一人で旅していると、最後にはもう家に戻りたくないという気持ちになったことも覚えている。旅の出逢いもそれなりにあったが、もう誰一人音信が続いている人がいない。人生とはそんなもので十分なのだろう。いつまでも昔のことを振り返って懐かしんでいたって、あしたのおまんまが降ってくるわけではない。

『シビル・アクション』(A Civil Action)

1998年・アメリカ 監督/スティーヴン・ザイリアン

出演/ジョン・トラボルタ/ロバート・デュヴァル/トニー・シャルーブ/ウィリアム・H・メイシー

普段は民事を争う弁護士をしている主人公。ジョン・トラボルタは、恰幅のいい容姿となって弁護士役も卒なくこなしている。活舌や声周りがいいので、弁護士を演じるのには十分だ。環境汚染問題を偶然扱うことになってしまった主人公、意地でもやり通そうとするがそんなに甘くない。

事実は小説より奇なりというが、事実に基づいたこの映画の結末は想定外だった。ハッピーエンドで終わってしまうには時代が経ち過ぎた。スムーズに勝訴になるなんていうことはなく、狡猾な大学教授兼弁護士にしこたま人生の苦みを味わされることになった。

真実は神のみぞ知る世界をどう評じるのかが弁護士の仕事、口も達者でなければ強い弁護士にはなり得ない。真犯人だって無罪を主張する人間を弁護するのが仕事なら、悪法だろうが条文を盾に自分の論理を組み立てていく。こういうケースでこんなことを言ってはいけない、とか、こんな時のこういう質問が致命傷だと学生に教えている片方の弁護士。その通りに悪い見本をやってしまう主人公が・・・。破産までして最後に勝つのは真実だ、と青二才のようなことを言ってしまう主人公が好きだ。大学教授は平気でそういう輩を貶める。それが現実の社会なのだろう。

『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』(Jack Reacher: Never Go Back)

2016年・アメリカ 監督/エドワード・ズウィック

出演/トム・クルーズ/コビー・スマルダーズ/オルディス・ホッジ/ダニカ・ヤロシュ

AMAZON タブレットを買って、まさか8インチ画面で寝転びながら映画を観るようになるとは。この前観た『再会の街で』ではじめて使い、これが2作目のタブレット映画鑑賞だが悪くない。テアトル東京のスクリーンを見上げながらの映画鑑賞が最高と認知している人種にとって、まさか8インチ鑑賞がこんな簡単に許されるとは。

画質を最高にして観るとかなりいい。昔ながらのスクリーンのざらざら感がなんとも言えないと思っている人種にとっても、あまり綺麗過ぎる画面は抵抗があるのかもしれない。それでも、それを素直に受け付けてしまえるのは観客側の問題なのだろうか。

アクション映画は大画面で、と言うのは定番の意見。こんな小さいもので観ても迫力がないよなぁ~、と思うのは観る前までのことだった。目の前10cmで映画を観ることがあるなんて、現役サラリーマン時代に映画業界に在籍した人間にとってはまったく想像だにしなかったこと。こうなるとシネコンなどで中途半端な大きさのスクリーンを距離があって観る方が、不満足な映画鑑賞になってしまいそうだ。

『エクス・マキナ』(Ex Machina)

2015年・イギリス 監督/アレックス・ガーランド

出演/アリシア・ヴィキャンデル/ドーナル・グリーソン/オスカー・アイザック/ソノヤ・ミズノ

想像の範囲内のロボットしか現実社会にはいない。いくらAIが進歩しようが、そのへんにいる極く極く普通の人間を超えるロボットが登場することは不可能だろう。まさしく人間の格好をして、外面上は区別がつかないロボットが作られる、ということがこの映画のテーマ。世界一の検索エンジンを作り上げたこの映画の主人公は、人知れず島でひとりでこのロボットを作っている。

まだ完璧に完成しているわけではない。優秀な社員のひとりを選んで、さらなるロボットの進化のためにデータをとることを任せた。ロボットが現実味がなくてちょと引いてしまう。特撮技術がどんどん進歩してロボットも想像を超える姿形となってしまった。

世界のロボットは人間の姿形を模して作ることは希だ。技能に特化したロボット技術がかなり進化しているようだ。日本のロボットはそういうロボットばかりではなく、人間の表情を模したものもだいぶさまになってきている。ただ、人間と区別がつかないロボットがもし出来たとしても、それは途方もない遠い未来になるだろう。

『ガール・オン・ザ・トレイン』(The Girl on the Train)

2016年・アメリカ 監督/テイト・テイラー

出演/エミリー・ブラント/レベッカ・ファーガソン/ヘイリー・ベネット/ジャスティン・セロー

原作の小説があるらしい。活字でならおもしろいかなと、想像は出来る。

原作がおもしろいからと言って、その映画化がおもしろいとは限らない。その見本のような映画だろう。

もっとも、途中でどうにも我慢がならず、何度も眠ってしまったというのが実情。

『プレイス・イン・ザ・ハート』(Places in the Heart)

1984年・アメリカ 監督/ロバート・ベントン

出演/サリー・フィールド/リンゼイ・クローズ/エド・ハリス/レイ・ベイカー

『クレイマー、クレイマー』で第52回アカデミー監督賞・脚色賞を受賞したロバート・ベントンが本作でも監督・脚本を兼任し、第57回アカデミー賞において脚本賞、主演女優賞を受賞。1935年の大恐慌時代のテキサス州の小さな町での物語。

夜の11時過ぎに観始まって、結局最後まで続けて観てしまった。保安官をしていた夫が突然黒人の少年に射殺されてしまった。住民はその少年を車で引きずり回して殺して木から吊るして見せしめをするという時代性が凄い。夫を失って、明日のお金がない。殉職でも一銭もお金が入ってこないというのも驚く。

それでも女は強い。男だって強い人もいるだろうが、一般的に女の生活力にはとてもかなわない。誰しもが認めるところだ。離婚するのはいい、子供の親権を持つのもいい、但し、この映画の主人公のように逞しく生きて欲しいと我が三女のこれからを憂う。

『クリエイター』(CREATOR)

1985年・アメリカ 監督/アイヴァン・パッサー

出演/ピーター・オトゥール/マリエル・ヘミングウェイ/ヴィンセント・スパーノ/ヴァージニア・マドセン

大学の先生には変わった人が多い、てなことを先入観として持っている。どこからそういうことが起こっているのだろうか。不思議だ。私だけがそんなことを考えているわけではなく、おそらく多くの人がそんな風に思っているような気がする。

この映画の主人公の大学教授もしかり。バイオテクノロジーを使い、亡き妻の再生を試みる教授、大学内では同僚や学生からも変な目で見られている。訳の分からないシーンが続いて、ようやく、なんとなく意味が分かってきた頃に終わりとなってきた。前回観た映画も同じようだった。理解する能力が本当に衰えて来たのか、それとも誰が観てもそう思うのかは分からない。

ひとつのことに熱中し、そこから飯の種をもらえる人生は仕合わせなのか、不幸なのか。万が一に夢のような研究が成就すれば、それこそノーベル賞ものだが、そんな暢気な人生が許されるのは学者の特権だろう。一般サラリーマンは普通に才能がなければ、出世すらもおぼつかず、毎日愚痴を言いながら酒浸りになる人生となる事は明白だ。

『メイジーの瞳』(WHAT MAISIE KNEW)

2012年・アメリカ 監督/スコット・マクギー/デビッド・シーゲル

出演/ジュリアン・ムーア/アレキサンダー・スカルスガルド/オナタ・アプリール/ジョアンナ・ヴァンダーハム

メイジーは主人公、小学校に入って間もない頃の想定だろうか。毎日のように夫婦喧嘩をしている。母親は口汚く父親を罵倒する。聞くに堪えない会話から逃れる術もない。案の定、両親は離婚してしまう。激しく罵りあうシーンを何度も見せつけることが、この映画の肝だったようだ。

何故、夫婦は当たり前のように喧嘩ばかりしているのだろうか。仲の良い夫婦は例外的な感じで扱われるのは、不思議な現象で仕方がない。アメリカの映画で見せつけられる恋人同士は永久に「愛してる」と言い続けるような描き方をされるけれど、いつの間にか双方に新しい恋人が出来てしまう。もしかすると、常に新しさを求めることの方が、より人間的なのかもしれない、と最近ようやく気付いた事だった。

10日ごとに母親と父親に引き取られる主人公、あなたを一番愛してると言われても、とても信じられる現実ではなかった。それぞれが再婚して、それぞれの結婚相手が主人公を引きとりに来るようになって、事態は大きく変わっていく。罵りあわない義理母と義理父、本当の両親でなくたっていい、目の前での喧嘩がないだけ仕合わせと思える生活が始まる。このあたりで映画はようやくおもしろくなったが、そこでストーリーは終わりに近づいてしまった。

『沈黙 -サイレンス-』(Silence)

2016年・アメリカ 監督/マーティン・スコセッシ

出演/アンドリュー・ガーフィールド/リーアム・ニーソン/アダム・ドライヴァー/窪塚洋介/浅野忠信/イッセー尾形

原作は、遠藤周作の小説『沈黙』(1966年)。構想は1991年から存在しており、マーティン・スコセッシ監督の「念願の企画」といわれていたらしい。企画は2009年から具体化したが、先延ばしになっていた。2011年12月、スコセッシは『沈黙』が次回作になると述べた。2013年4月、『沈黙』の撮影が2014年7月から台湾で開始されると発表された。製作が長く難航したのは17世紀の日本という舞台を再現するのが非常に高くつくためで、台湾は予算が抑えられるために撮影地に選ばれたという。

遠藤周作の「沈黙」というタイトルは、知っている人の方が多いだろう。ただ、活字をたしなまない自分には絶対読むことがないであろう小説であることは確かだった。映画化されるという段階から早く観てみたいという衝動は抑えきれない。今回amazonプレミアで500円という金額でこの時期に観ることが出来たが、高いのか安いのかは分からない。でも、ひとまず観られた満足感があった。同じことの繰り返しという点ではちょっと映像的に不満足な点もあるが、その人々を圧倒する映画内容が素晴らしい。観たものだけが味わえる珠玉の時間かもしれない。

遠藤周作ものをヘラルド時代1本扱っている。『海と毒薬』(原作/1958年・映画/1986年)。もちろん原作を読んだことはなかったが、映画は私好みだった。監督の熊井啓とも2時間くらい喋ったことがあった。映画宣伝マンのプロではない私にも、そういう時間があったことが今ではひどく懐かしく感じられる。宣伝部長という役割も、今から考えればなかなか都合のいい立場だった。

『スノーデン』(Snowden)

2016年・アメリカ 監督/オリバー・ストーン

出演/ジョセフ・ゴードン=レヴィット/シャイリーン・ウッドリー/メリッサ・レオ/ザカリー・クイント

2013年8月1日、スノーデンは、ロシア連邦移民局から一年間の滞在許可証が発給され、5週間以上滞在していたシェレメーチエヴォ国際空港を離れ、ロシアに入国した。スノーデンの弁護士によると、ロシアでは普通の生活を送り、仕事をしたり様々な都市へ旅行しているという。2014年7月、弁護士によりロシア内の滞在期間延長が申請され、3年間の期限付き居住権を得た。2017年1月に、スノーデンに対するロシアの居住許可は、2020年まで延長されている。(Wikipediaより)

これは事実の結果であり、この映画の描く内容は、そこに至るスノーデン本人の人間そのものである。超有名な話でも時が経つにつれ、彼の名前も忘れ去られようとしている。アメリカにトランプ政権が誕生し、スノーデンがアメリカに戻れる可能性がまたなくなったような気がする。ただ不思議なのは、国を売ったからと裁判に掛けられる可能性のある人物が、またロシアという国に守られているという不思議さである。

監視カメラがどうのこうのと議論になっていた日本だが、今や監視カメラなくしては犯罪の摘発に有効な手段が優るものはない、と全日本国民が認知したようだ。こういう歴史を経て、少しずつ人間は進歩していくんだ、といういい見本かもしれない。スノーデンが暴露したアメリカの監視システムも、実は全世界で当たり前のように採用される時代が来ている。

『サイレント・ランニング』(Silent Running)

1972年・アメリカ 監督/ダグラス・トランブル

出演/ブルース・ダーン/ジェシー・ヴィント/クリフ・ポッツ/ロン・リフキン

『2001年宇宙の旅』や『アンドロメダ…』の特撮を手がけたダグラス・トランブルが監督を務めたという。その割にはこの映画の宇宙空間はちゃっちい。出来損ないの宇宙船内部やロボットなどを見ていると、『2001年宇宙の旅』を観たことあるのかと罵りたくなったが、監督が特撮の本人とは知らなかった。

映画とは金のかかるものだと改めて分かる。技術があったって、それを実現するだけの金がなければ、現実妥協をせざるを得ない。映画を見比べれば明らかに違う。眠ってしまった言い訳をさんざん書くことになってしまう。

この時代のテーマは似通っている。地球に緑がなくなってしまうという世界、40年、50年前には地球を危ぶむ意見が圧倒的だった。今や異常気象がどうのこうのと世界が大騒ぎしているが、何十億年も経っている地球年齢のことを言う学者がいないのが不思議だ。おそらくはたくさんいるのだとは思うが、地球がおかしいという言い方をしないと視聴者受けしないと勘違いしているマスゴミ(塵)の責任が大なのではなかろうか。

『きのうの夜は…』(About Last Night...)

1986年・アメリカ 監督/エドワード・ズウィック

出演/ロブ・ロウ/デミ・ムーア/ジェームズ・ベルーシ/エリザベス・パーキンス

デヴィッド・マメット作の『シカゴの性倒錯』(Sexual Perversity in Chicago)という戯曲を基に、エドワード・ズウィック監督がロマンティック・コメディとして映画化した。ロブ・ロウとデミ・ムーアの激しいセックス・シーンは当時大きな話題となった。もう30年前の映画になるんだ。デミ・ムーアは、この4年後に『ゴースト/ニューヨークの幻』(Ghost・1990年)が世界中で大ヒットし、大女優の仲間入りをするなんて、まだ知る由もない。

乳首もあらわに大スクリーンに映し出されるなんて、と訝っていたが、さすがにゴーストの前の作品だったことで、何となく納得。ゴーストの後では、さすがのアメリカ女優も、この程度の映画でそこまで裸身をさらけ出すなんてことはないだろう。

この時代のアメリカ人の若者の苦悩の一端が垣間見れる。ただSEXだけの相性で同居をはじめる男女は多かったようだ。それでも結婚に至らないのは、「愛」だとか「恋」の問題が解決されないからのようなのだ。手当たり次第に相手を替えていくのは男も女も同じこと。最近別れたの、と今の日本人若者も平気で口に出すが、30年前のアメリカのような自由奔放さは、まだまだ追いつかない。おそらく、この分野の進行度はあと30年後も追いつかないだろうと、想像出来るが。映画はおちゃらけが最後までおさまらず、軽い映画となってしまった。

『100歳の少年と12通の手紙』(Oscar et la Dame rose)

2009年・フランス/ベルギー/カナダ 監督/エリック=エマニュエル・シュミット

出演/ミシェル・ラロック/アミール/マックス・フォン・シドー/アミラ・カサール

原作は、フランスの劇作家エリック=エマニュエル・シュミットのベストセラー小説『神さまとお話しした12通の手紙(原題:Oscar et la Dame rose)』という。活字に疎い私なんぞは、見たことも聞いたこともなかった未知の世界の産物だ。原作者自らが脚色、監督して映画化した作品。普通そこまでやると、映画はつまらないありきたりなものになるのだが、この映画はおもしろい。

ストーリーを活字化すると「白血病」だの「神」だのが登場して実に陳腐な物語に見えてしまうのが恨めしい。活字でも映像でも最初からかかわりあって、最後まで行ければ、それに触れた人々にはなにがしらの感動が宿ることになる。が、今風にネットで調べてふむふむと軽率に理解したつもりになってしまう状態が一番やばい。

元気な時には両親が思いっきり自分にぶつかってきたことを感じていた主人公、まもなく天国に召されると医者に告げられた瞬間から、急に腫物にでも触るように、笑顔しか見せなくなった。そんな偽善は重病人には一番嫌なことかもしれない。はっきりと事実を理解し、その上に立って相手を慮らなければ、すべての人生が嘘にまみれてしまうことを死に行く人は知っているのだ。

『ヒラリー・スワンク ライフ』(Mary and Martha)

2013年・イギリス/アメリカ 監督/フィリップ・ノイス

出演/ヒラリー・スワンク/ブレンダ・ブレシン/サム・クラフリン/フランク・グリロ

アメリカの母と小学生の息子が、イギリス生まれで大学を卒業したばかりの青年との出会いは、アフリカだった。二組のアフリカ行きへの経緯が、激しく何度も画面が切り替わりながら語られる。シーンが落ち着いた頃には、この二組の出会いが何のためだったのかが判明し、なるほどさすがはアメリカ映画、こういう切り口もあったのかと感心させられた。

全世界中でこの50年間にテロでなくなった人+なんたらかんたら+なんたらかんたら、よりも、1年間でマラリアで亡くなっていく人が何十倍もいるという現実は凄い。アメリカはそういう危機を見て観ぬ振りはしない、世界のリーダーとして国家予算でマラリア対策をやっていると、大見得を切っている。言い切れるのが凄い。日本とは比べものにならない社会観が見て取れる。トランプが登場するまでは、と但し書きを付けたくなるような事実だった。

アフリカの地でマラリアで息子を亡くしたふたりの母親、ひとりはアメリカでのキャリア・ウーマン、ひとりはイギリスでの専業主婦。それぞれの立場の人間生き様を問いかけながら、時にはマラリア撲滅キャンペーンの様相を孕みながら、映画としてどんどん他人を巻き込んでいく力は素晴らしい。

『世界一キライなあなたに』(Me Before You)

2016年・アメリカ/イギリス 監督/テア・シャーロック

出演/エミリア・クラーク/サム・クラフリン/ジャネット・マクティア/チャールズ・ダンス

障害者の自殺幇助・安楽死を扱った問題作。ロマンティック・コメディと銘打たれた本作の結末については、一部の映画評論家などが賞賛する一方で、多くの障害者活動家やレビューアーから非難の声が寄せられた、とWikipediaに書かれている。結局、そうなってしまうんだ、とこの一文を見ただけで落胆する。

この邦題がそもそも。映画の内容を書いてあるページのどれを見たって、素直に納得出来ないだろうと思いながら観ていた。久しぶりに清らかな涙が流れて、気持ち良かった。映画を語る時に大島渚の記者会見をいつも思い出す。アホな新聞記者が「この映画にどういうメッセージを?」などと聞こうものなら、「バカもん!」映画を見なさい。君の感じるものがメッセージだ、というような答えが返ってくる。

前述Wikipediaも然り。障害者の自殺幇助・安楽死を扱った問題作という書かれ方をしたら、その時点でこの映画の命は途絶える。この映画は何が言いたいのかではなく、この映画を観てあなたは何を感じるのか、何を思うのか、あなたは何を考えるのかを問うているのだ。映画は観なくては始まらない。観た人なら非難する資格はあるだろう。また、私のように絶賛する資格も得られるだろう。

『飛べ!ダコタ』

2013年(平成25年)・アメリカ 監督/油谷誠至

出演/比嘉愛未/窪田正孝/柄本明/洞口依子/中村久美/芳本美代子/螢雪次朗/ベンガル

太平洋戦争の終結から5か月後に佐渡島で起きた実話を基に、脚色を加えている。撮影に際し、タイに現存する「ダコタ」(DC-3)の同型機を佐渡に移送して復元、ロケはすべて同地で行われた。(Wikipediaより)

秘話が、60年以上も表に出なかったのには理由がある。制作進行(現地コーディネーター)を担当した地元・佐渡出身の渡辺啓嗣さん(32)によると、「不時着時、まだ海外戦地から日本兵はほとんど帰還しておらず、島には年寄りと子供と女性ばかりが残っていたため」で、戦後、この秘話を語り継ぐ者もほとんどいなかったのではないかという。もう1つの理由を、渡辺さんは「戦争で亡くなった方もいたり、この事件の後に引き揚げてきた方も少なくない。戦地で部下を殺された人もいる。この出来事を素直に“良いことをした”と言える時代ではなかった」と解説する。

表に出る直接のきっかけとなったのは、3年前、「ダコタ」を無事離陸させるため米軍基地から派遣されていた米人整備員の子息が、佐渡を訪問、「父が佐渡で世話になり、ぜひ1度佐渡に行きたいと言いながら亡くなった」ことを関係者に告げたことだった。撮影全体にかかわったエキストラ、裏方、石の制作などの協力者は3,000人に及ぶ。まさに「佐渡ん人間」の根性を見せつけた、全島協力の映画だといえる。関係者は、「ダコタ」の不時着の時と同じように、「名もなきおばちゃんや女性たちの協力がなければ映画はできなかった」と評している。(ニッポンドットコムより)

『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』(Bridget Jones's Baby)

2016年(平成年)・アメリカ/イギリス/フランス 監督/シャロン・マグワイア

出演/レニー・ゼルウィガー/コリン・ファース/パトリック・デンプシー/ジェマ・ジョーンズ

日本語での名前の表記はレニーとされることが多かったが、TVのインタビューにおいて本人が「多くの人が私を『レニー、レニー』と呼ぶけど、私は“レニー”じゃなくて“レネィ”だから」と発言し、訂正している。2005年に日本で公開された2作ではレネーと表記された。実際の発音もでレネーに近いが、原音により近い日本語での表記は、「レネイ」または「レネーイ」であろう。(Wikipediaより)

何とも言えなく愛らしい彼女が好きだ。体つきも好きな要素の一因かもしれない。前作をしっかり観ていた気がしているが、今回ちょっと顔も身体も細くなったんじゃない、と思った。イメージというのは恐ろしい。彼女はちょっと太めだというイメージが強過ぎたのかもしれない。前作のシーンが今回の中でも出てきたが、決して痩せたわけでもなかったことが分かった。

それと、こんなに下ネタ満載だったっけ?、ということが。1週間の間にふたりの男とSEXをして、その結果43才にして妊娠したけれど、どちらが父親か分からないというのが今回のオチ。SEXなんて息抜きのスポーツの類いなんだと言うことがよーく分かる。50年前のアメリカ映画では、あんなに堅かった男女関係が。同じことの繰り返しでちょっと飽きが来るが、それでも彼女の微笑みを観られるだけで、仕合わせになれるのが嬉しい。

『ジェイソン・ボーン』(Jason Bourne)

2016年・アメリカ 監督/ポール・グリーングラス

出演/マット・デイモン/トミー・リー・ジョーンズ/アリシア・ヴィキャンデル/ヴァンサン・カッセル

『ボーン』シリーズの5作目であるが、2012年の『ボーン・レガシー』の続編ではない、というあたりがこのシリーズを観ているなかでの問題点だ。おもしろシリ-ズで、間違いなく全部観ている。が、毎回そのスピーディーなストーリー展開について行けない自分を発見する。

続き物ではあるが1回完結型になっているところも凄い。1作目から1日中この映画を観たい気分にさせられる。でも、疲れるだろうな~。人間アクションもカーアクションも生半可ではない。なんといっても戦う相手がC.I.Aなのだから、世界中の監視カメラを駆使して主人公を探し出してしまうと言う、途方もない設定になっている。

まだ1週間も経っていないAmazonプレミアムへの加入だが、年間3900円も高くないかもしれない、と思わせられている。テレビの録画ではどうにも間に合わない新しめの映画鑑賞が、この手段によってようやく出来るかもしれない。レンタルショップで借りるDVDは、準新作100円をくだることはない。しかもこの値段は期間限定だ。1ヶ月4本の準新作を観られれば、元は取れる。もしかすると、このチャンネルにも有料新作があるのかもしれない。またパソコンを手放せなくなってしまった。


2021年4月 再び観たので

『ジェイソン・ボーン』(Jason Bourne)

2016年・アメリカ 監督/ポール・グリーングラス

出演/マット・デイモン/トミー・リー・ジョーンズ/アリシア・ヴィキャンデル/ヴァンサン・カッセル

『ダウンタウン物語』(Bugsy Malone)

1976年・イギリス 監督/アラン・パーカー

出演/スコット・バイオ/ジョン・カッシージ/マーティン・レブ/ジョディ・フォスター

眠ってしまった。いつものことだから、言い訳のひとつも出て来ない。おもしろい映画で眠ることはない。デビット・パットナムというイギリスのプロデューサー作品。彼は小さな恋のメロディやミッションでヘラルドとは深い関わり合いがあるが、この映画の配給は東宝東和だ。

彼が来日した時、宣伝部員の若手をお供に付けて、川崎のS.L.に送り込んだことがあったような、なかったような。外国人を受け付けないお店があった当時、営業部長に頼んで地元とのお店を確認してもらったことなど、今となっては懐かしい想い出のひとつ。

この映画はギャングの世界の話を全員子供が演じているところがミソ。なのだが、ミソがミソだけで終わってしまっているのが残念。話の導入部分にパロディーのように挿入するシーンならまだしも、子供が演じるマフィアの世界は観ていておもしろくない。ミュージカルでもて囃されても、映画には向いていない舞台の見本だろう。

『ロック・オブ・エイジズ』(Rock of Ages)

2012年・アメリカ 監督/アダム・シャンクマン

出演/ディエゴ・ボネータ/ジュリアン・ハフ/トム・クルーズ/キャサリン・ゼタ=ジョーンズ

トム・クルーズが主役ではなさそうだった。もっと若い男女の物語。ブロードウェイで人気を博した2005年初演の同名ロックミュージカル(ブロードウェイ初演は2009年)の映画化らしい。確かにミュージカルっぽく登場者が歌を歌うシーンが多い。ゲイの告白までをも歌で聞かせるなんて、今らしいと言えるのだろう。ミュージカル嫌いの私には辛かった。何が「ロック」だ、といつも怒っているが、この映画で聞かされる楽曲もさほどいけていないロックに聞こえた。

トム・クルーズは、かつての勢いはなくなったもの、いまだカリスマとして業界に君臨するスーパー・スター、ステイシー・ジャックスというロック歌手を演じ、勿論歌うシーンもたくさんある。吹き替えなのか本人の声なのかを記したページは見つからなかった。ありがちな設定、田舎から出てきて成功を夢みる歌手志望の娘が主人公らしい。今回はニューヨークではなくロスだ。ありがちな成功物語にはなっていない。そこが寂しい。成り上がり者的に成功する過程が映画としては、一番おもしろいところなのに。

スーパースターの描かれ方がコメディーのようで、ちょっと不快感がある。酒と女に溺れている生活が、あまりにも・・・・。最近はまっている「ベビメタ」音楽の方がはるかにロックっぽい。ベビメタはヘビーメタルのアイドル版としての地位を不動のものとしているが、矢沢永吉なんかよりはるかに「ロック」と言える聴き触りに思えて仕方がない。

『あ、春』

1998年(平成10年)・日本 監督/相米慎二

出演/佐藤浩市/斉藤由貴/富司純子/山崎努/藤村志保/三浦友和/余貴美子/村田雄浩

前月の若尾文子特集に続き今月は富司純子特集月間らしい。彼女はこの映画の主人公ではないが重要な脇役。今をときめく斉藤由貴が主人公の妻役で出ている。サラリーマンの普通の奥さん役のはずなのだが、彼女の醸し出す雰囲気は不思議な空気を漂わせる。おもしろい女優だ。東宝のシンデレラはみんな独特の個性をもっている。そういう意味では選考委員に一貫性があるのかもしれない。

5才の特に両親が離婚し、母親に育てられた主人公。父親は死んだと母親に聞かされていたが、30年後にふらりと主人公の家にやってきて、居着いてしまった。本当の父親かどうかも定かではない。困り果てた主人公は母親に追い出す応援を頼むと、母親の口から実はあんたは父親ではないと、ぶったまげた真実を告げられて、父親はすごすごと家を出て行くのだ。まだまだ話は終わらないが、ひとつの家族の物語は続くのだった。

浮浪者となって近くの公園で徒党を組まれては息子も嫁も嫁の母もたまったものではない。家に居られるのは嫌だが、かといって公園で浮浪者も困る。と、もしかするとありそうな設定が泣けてくる。家族という幻想を夢の中から現実に落とし込め、ありきたりの仕合わせに浸れる人は何パーセントいるのだろうか。よほど頭のいいやつか、あるいは極めて頭の悪いやつなのか、心の中で多くのことを処理できる人種が、一握りの仕合わせ者になれるのかもしれない。

『誘う女』 (To Die For)

1995年・アメリカ 監督/ガス・ヴァン・サント

出演/ニコール・キッドマン/マット・ディロン/ホアキン・フェニックス/ケイシー・アフレック

まったくオリジナル・タイトルにはない邦題を付けている典型的な例。最近では日本語題名にも限界が来て、オリジナル・タイトルをそのままカタカナ表示している邦題が、圧倒的に多いのは諸兄姉の知っているところ。

もう30年前以上に東宝東和が付けた邦題『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』あたりが、オリジナル・タイトルのカタカナ表記邦題のハシリだろうとみている。あのときには、さすがにこの長い題名はないだろう、と否定的だったが、案に相違してヒットした。さすが東和だと感服しなければならなかった。『ジョーズ』しかり『E.T』然り、いつの間にかカタカナ英語が当たり前の世界が到来していた。

内容に鑑みて紡ぎ出す邦題の苦労は分かる。ところが映画館に足を運ぶ人は内容を吟味して行くわけではない。なので、こういう軽い邦題は間違ってもヒットへとは繋がらない。もっとも、邦題なんてクソ食らえで、中身がめちゃめちゃおもしろければ、題名なんてどうでも良くなるから困ったものだ。それじゃ、題名なんてどうでもいいじゃないか、とお叱りをうけそうだが、そこがそうではないから映画の商売はおもしろいと言わざるを得ない。

『ペギー・スーの結婚』(Peggy Sue Got Married)

1986年・アメリカ 監督/フランシス・フォード・コッポラ

出演/キャスリーン・ターナー/ニコラス・ケイジ/バリー・ミラー/キャサリン・ヒックス

コッポラ監督作品であることすら忘れている。情けない。間違いなく観ていない作品だと確信をしながら観ていたが、観終わってから、ふ~む!観たことがあるかもしれないなぁ~、と情けない記憶力に愕然とした。観ていたって、観てなかったとしても何も変わりないはずなのだが、意味もなく、なにかが違う心情が我ながら理解出来ていない。

キャスリーン・ターナーの顔がまた一致しない。いつもながらのことなので辟易するが、彼女の名前と顔がどうにも一致しない。若い頃に記憶できていればそんなことはないと思われるが、固まってしまってからの脳には、うまく記憶されないことの見本のようなものだと感じている。

「バックトゥーザフューチャー」のようなタイムスリップ版。一瞬の気絶時間に体験する過去の自分は、やってみたい体験だ。仕合わせなことに毎日のように夢を観ているが、起き上がって、あ~また変な夢を見たな~、という日が多い。特別に特異なことではないが、登場する人物の組み合わせが不思議だったりするのだ。夢の内容を覚えているのは良くないことだ、みたいなことを聞いたことがあるが、それはだいぶ前のこと。今ではどういう診断があるのだろうか。嘘みたいな『専門家』達の言うことは。

『梟の城』

1999年(平成11年)・日本 監督/篠田正浩

出演/中井貴一/鶴田真由/葉月里緒菜/上川隆也/山本學/火野正平/根津甚八/中村敦夫/岩下志麻

なにしろ活字に疎い自分の人生の中でも、司馬遼太郎の作品はそれなりに読んでいる。『竜馬がゆく』の単行本を手に取ったのが初めて。その日のうちに1巻を読み終え、翌日には2巻目、そして3巻目へと必至になって読み終えたことを思い出す。なにしろ、おもしろかった。それでなくとも少なかった睡眠時間をもろともせず、深夜まで読み耽っていた何日間かだった。

その後、『国盗り物語』『功名が辻』『尻啖え孫市』『燃えよ剣』『夏草の賦』『峠』『世に棲む日日』『花神』『播磨灘物語』などを立て続けに読んだ、と記憶している。主人公の姿が目の前に現れて、こんなことを喋っていると夢想できるとする作者の言葉が印象深かった。『坂の上の雲』で司馬遼太郎を挫折した。なぜかは分からない。世間の評判が悪かった作品ならまだしも、評価の高い作品がおもしろくなかった。何度か挑戦したことも覚えている。

『梟の城』(ふくろうのしろ)は、1958年(昭和33年)4月から翌1959年(昭和34年)2月まで宗教専門紙「中外日報」に連載されたもの。初期作品の1篇である。1958年(昭和33年)7月、「司馬遼太郎」としての初めての著書『白い歓喜天』が出版される。当時は山田風太郎と並ぶ、伝奇小説の担い手として注目され、本格歴史小説の大家になろうとは予想だにされていなかったという。

『大統領の陰謀』(All the President's Men)

1976年・アメリカ 監督/アラン・J・パクラ

出演/ダスティン・ホフマン/ロバート・レッドフォード/ジャック・ウォーデン/マーティン・バルサム

なんといっても、アメリカ大統領で唯一現職を辞任したニクソンの、その原因となったウォーターゲート事件を扱ったもの。アメリカ大統領という言葉が付く映画題名は結構多い。みんなそれなりにおもしろいのは、実際の大統領を切りとった題材に起因するのだろう。

ダスティン・ホフマンもロバート・レッドフォードもまだ若い。ほぼ40才という年齢で、俳優人生も10年という経歴だ。もう有名になっているこのふたりを起用することで映画興行に箔がつくことは間違いないが、このふたりでなくても充分にヒットしただろうと思える内容だった。よほど下手くそな監督でない限り、おもしろくならないはずがない。ワシントン・ポスト紙がどういう地位に位置づけられているのかが分からないが、新聞記者、活字記者としてスーツとネクタイを必ず着けて、インタビューに向かう姿勢は、いまどきでは考えられないような律儀さだ。時代なのだろうか?

日本のマスゴミ(塵)とは雲泥の差があると植え付けられているのは、こういう映画や情報が逐一日本の社会にもたらされたからだろう。トランプになって、どうにも肩身の狭い思いをしているような現在のアメリカのマスコミ、そのうちこの映画のような度肝を抜く暴露記事が出ることを期待している。そうでなくちゃ!&%$

『スクリーム・クイーンズ』(SCREEM QUEENS)

2017年・アメリカ エグゼクティブプロデューサー/ライアン・マーフィ

出演/エマ・ロバーツ/アリアナ・グランデ/リア・ミシェル/ジェイミー・リー・カーティス

例の大阪の配給会社から貰った。スクリーム・クイーンズ DVDコレクターズBOX[DVD]という2つの箱に分かれたボックスだった。テレビドラマシリーズがDVDレンタル屋に並んでいるが、内容的にはそのちょっと上を行く映像だろうか、などと初めての媒体に嬉しさが。自分から手にとって借りることはないだろうから。このBOXの発売が今年の3月だったのでそう書いたが、アメリカではもっと前に公開していたのだろう。スクリーム・クイーンズ シーズン2も発売されていた。

1つの箱には4枚のDVDが入っていた。全部で8枚、1枚は特典映像だというが何が入っているのかまだ分からない。2枚まで観終った、このままこのシリーズだけを書くわけにいかないから、観続けはするが書くのは今日か明日までだろう。1枚ごとに最初に別の映画の予告編が入っていて、相変わらずうざったい。最初に入れる方式は、強制的に観ろという姿勢。本編の後に入れて、観ても観なくてもいいよという任意方式を取るべきだといつも思っている。

内容はイマイチどころかイマサンといったところか。悪魔のいけにえのようなチェーンソーを振りまわす殺人鬼が現れて、次々と人が殺されていく。誰が犯人なのだろうと、キャピキャピ・ギャルどもに女校長を巻き込んで、学園が騒然としていく。品の悪いセリフと共に存在感のない役者どもが舞台上で駆けずり回っている。

『ラスト・プリンセス~大韓帝国最後の皇女~』

2016年・韓国 監督/ホ・ジノ

出演/ソン・イェジン/パク・ヘイル/ユン・ジェムン/戸田菜穂

基本的に韓国映画を観ないことにしている。一度か二度観たことがあるが、評判の良い韓国映画なるものがちーっとも、おもしろくなかったのだ。日本の昭和30年代のような映像でテンポも遅く、たまに速いアクション映画には嘘のようなシーンが目立つだけだった。

この映画は大阪で映画配給会社をやっている知人からもらった「SAMPLE」版を観たのだ。左上に大きくSAMPLEと常時表示されているのがうざったいが仕方がない。韓国・中国を中心にヨーロッパ映画も仕入れているというから、大したものだ。

この映画が「反日映画」というやつか、と頷きながらの鑑賞となった。フィクションですと断りがあるものの、韓国王朝が日本による日韓併合で潰されたことを嘆く映画だった。日本人役も多くの韓国人が演じていて気持ち悪かったことが一番の文句の付けどころ。おもしろいことはおもしろいのだが、反日でも何でもいいから、きちんとしたキャスティングをしろ! せっかく戸田菜穂をつかっているのに、彼女まで偽物に見えてしまう。

『王になろうとした男』(The Man Who Would Be King)

1975年・アメリカ/イギリス 監督/ジョン・ヒューストン

出演/ショーン・コネリー/マイケル・ケイン/クリストファー・プラマー/サイード・ジャフリー

原作は、1888年のラドヤード・キプリングによる小説。アフガニスタンの僻地にあるといわれる「カーフィリスターン(英語版)」(Kafiristan)で王になった、英領インドの二人のイギリス人冒険家の話である。この小説は、ジェームズ・ブルックとジョシア・ハーランの二人の経験を元にしている。ジェームズ・ブルックは、ボルネオ島にあるサラワクで白人王に成った英国人であり、ジョシア・ハーランは、米人冒険家でゴール王子の称号を、彼自身のみ成らず、彼の子孫にまで与えられた。この小説は、それだけでなく他の事実を要素に取り込んでいる。たとえば、ヌーリスタンの人々が、ヨーロッパ人の外観を備えていることや、最後に無くなった主人公の頭が戻ってくる話は、アドルフ・シュラーギントヴァイトの斬られた頭が植民地省に戻ってきた事実をモデルにしたものである。(Wikipediaより)

軽いコメディ要素が強い。ショーン・コネリーが他人を笑わせようと演技しているわけではない。一種のおとぎ話のようなストーリーだが、ヨーロッパから見たインドやその周辺国への偏見と嫌味に満ちた思想を感じてしまう。極東とはファーイーストのことであり、何処が世界の中心地かを如実に物語っている。その極東の最果てに存在する島国日本が、なぜ世界に吾して活躍できるのかは七不思議であろう。

神と崇めるのも人間の所業であり、やっぱり人間だと奈落に堕とすのも人間の為せる技。あまねく宗教というものが人間社会を牛耳っている。ちっとも発展しない宗教が、少しは進化していく人間社会の邪魔となっている。千年、2千年以上前の習慣や忌避物を、現代社会にあてはめようとする。そんな異常なことを正常だと言い張っている。不思議な指導者とそれに従う人々だ、と単純に思うのだが。

『死海殺人事件』(Appointment With Death)

1988年・アメリカ 監督/マイケル・ウィナー

出演/ピーター・ユスティノフ/パイパー・ローリー/ニコラス・ゲスト/キャリー・フィッシャー

日本ヘラルド映画配給作品だった。『ドーバー海峡殺人事件』というインチキ邦題をつけて公開した作品は覚えているが、この作品がヘラルドだったとは意外だった。観始まったばかりだが質の悪さにちょっと・・・・。

そんなことを言っているから、観る気が失せている。もっとも日曜日は、目の前のテレビ番組を見るケースが多く、映画が2番目になっているのが悔しい。進まず。

わざわざ暑い最中、お天道様がギラギラしている時に出かける。家の中に一日中いたのでは、それでなくとも死んでいる身体が覚醒しない。少しでも負荷をかけることによって、元気な身体が蘇るような気がしている。久しぶりの大須往復、その後に観る映画環境は最悪、いや最高だった。気持ち良く眠って、目覚めた直後に映画も終わるなんて、なんと天才的なことだろう。

『カルテット! 人生のオペラハウス』(Quartet)

2012年・イギリス 監督/ダスティン・ホフマン

出演/マギー・スミス/トム・コートネイ/ビリー・コノリー/ポーリーン・コリンズ

引退した音楽家たちが身を寄せるビーチャム・ハウス(Beecham House)は資金難のため存続の危機にある。若者に対する音楽の普及に心血を注ぐレジー、ボケが始まったシシー(「弱虫」の意味もある)、ホームでも女性を追い回しているウィルフに衝撃が走る。プリマドンナだったジーンが入居してきたのだ。かつてイギリス史上最高と謳われたカルテットを組んでいたが、野心とエゴで皆を傷つけ、別れたままだった。(Wikipediaより)

かつてスポットライトを浴び、スタンディングオベーションの拍手で迎えられるという最高の誉れ高き時を過ごしてきた芸術家たちも、生きているならば一人で人生を全うできないこともある。そんなときには、一般人ではなくこんな風な老人ホームがあれば、心が休まるかもしれない。もしかすると、もう歌ったり楽器を弾いたりするのは嫌だという人もいるかもしれない。

日本でも、テレビが放送されてから登場した芸能人は、ほとんどが昭和の時代を生きている。そういう人たちが最後を迎えることが多くなったこの頃。この一団がいなくなった世界にはどんなエンターテインメントが流行っていくのだろうか。


2021年5月 再び観たので記録する

『カルテット! 人生のオペラハウス』(Quartet)

2012年・イギリス 監督/ダスティン・ホフマン

出演/マギー・スミス/トム・コートネイ/ビリー・コノリー/ポーリーン・コリンズ/マイケル・ガンボン

『ダブルチーム』(Double Team)

1997年・アメリカ 監督/ツイ・ハーク

出演/ジャン=クロード・ヴァン・ダム/デニス・ロッドマン/ミッキー・ローク/ポール・フリーマン

職務上で人殺しをする元CIAエージェントが主人公。何でもありのアクション、たまにはこういう映画がスカッとさせてくれる。ちーっともスカッとしないフジテレビの『スカッとジャパン』なんかとは比べものにもならない。監督のツイ・ハークはヘラルドが配給した『男たちの挽歌』(英雄本色・1986年)の製作総指揮をしている。

ジャン=クロード・ヴァン・ダムの映画をほとんど観ていないが、なかなかアクション・スターの要素を兼ね備えていていい。離婚率が圧倒的に高いアメリカ人が、映画の中ではいつも妻や子供、家族愛に満ち溢れている。離婚率が高いからこそ、そうではない人達がそうなのだろうか。あるいは、離婚する前はみんなそんな風なのかもしれない。

タイトルはバスケットボール用語の「ダブルチーム」からの由来だという。バスケットボールでは1人の選手に対して2人の選手がディフェンスをすること。ディフェンスをする際に、ある一人の選手のオフェンス力が高い場合、ダブルチームをすることでオフェンスを止めることを目的とする。しかし、残りの選手はオフェンス側が4人、ディフェンス側が3人となるため、ディフェンス側としては他の選手のディフェンスが手薄になりやすい。ディフェンス側の他の3人がマンツーマンディフェンスをした場合、オフェンス側は1人がフリーになる。という解説があった。そういう元CIAエージェント同士の殺し合い。

『あの頃ペニー・レインと』(Almost Famous)

2000年・アメリカ 監督/キャメロン・クロウ

出演/パトリック・フュジット/ビリー・クラダップ/ケイト・ハドソン/ビリー・クラダップ

監督・製作・脚本のキャメロン・クロウは実際に15歳で『ローリング・ストーン』誌の記者になり、レッド・ツェッペリン、ニール・ヤングなど、数多くの伝説的なミュージシャンへのインタビューに成功した。その体験が基になっており、彼はこの作品で第58回ゴールデングローブ賞作品賞(ミュージカル・コメディ部門)と第73回アカデミー賞脚本賞を受賞した。青春映画として、また音楽映画として非常に評価が高い。(Wikipediaより)

映画の終わりに「この映画はフィクションです」と断りをわざわざ入れている。もうすぐメジャーデビューしそうなロックグループの国内バス・ツアーの様子が生々しく描かれる。「酒と女とドラッグと」という合い言葉が現実なのかな、と思わせる音楽業界の世界である。

妙に引き込まれていくストーリーだが、ちょっと同じシーンの繰り返しで飽きが来るのは仕方のないことか。最後のどんでん返しみたいなものがなければ、映画としてまったくつまらないものになってしまっているだろう。日本だって同じような光景が繰り返されてきたのだろう、きっと。有名人に群れる女達は今に始まったことではない。それでいいのだ。

『しとやかな獣』

1962年(昭和37年)・日本 監督/川島雄三

出演/若尾文子/船越英二/浜田ゆう子/高松英郎/川畑愛光/伊藤雄之助/山岡久乃/小沢昭一/山茶花究/ミヤコ蝶々

BS12トゥエルビというチャンネルで現在進行中の特集が「銀幕の大女優BS12人の女」だ。この4月から始まっていた。4月吉永小百合、5月香川京子、6月山本富士子、この7月は若尾文子。山本富士子の作品を1本だけ見ている。特集と分かってから若尾文子を1本先日観て2本目の「浮雲」は早々と観終わってしまった。観たことがあり、おもしろさが見られなかったので。

この映画の監督川島雄三について友人からその才能なるもののレクチャーをうけたことがある。その時点でそれなりの本数を観た。若くして亡くなっている監督なので本数が限られている。久しぶりにこの映画を観る気になった。なかなか鋭い画面やセリフ回しにおもしろさが溢れ出ている。やっぱり優秀だと言われた監督は、優秀なのだなぁと改めて感じる。

したたかな人間(家族)が主人公の映画。ためになる。生まれてきて真面目に生きていくことだけが人間の生きる道ではない、と教えられる。したたかに、しとやかに、あるいは獣のように生きる人たちを生々しく、いきいきと描いて余りある。私なんぞは、見習うべきことばかりのような気がして、気が滅入りながら、一方ではまだまだ人間としての可能性を強く、深く感じ入る。

『ミスター・ノーボディ』(Il mio nome e Nessuno / My Name is Nobody)

1973年・イタリア/フランス/西ドイツ 監督/トニーノ・ヴァレリ

出演/ヘンリー・フォンダ/テレンス・ヒル/ジャン・マルタン/ジェフリー・ルイス

この映画のコメントを書く前に1本映画を観ようと思い観始まった。『フィッシャー・キング』(The Fisher King・1991年)以前観ていい映画だったという記憶だけあった。結構ゴ・トゥー・マッド的な映画だったので驚いたが、この程度の馬鹿さ加減が自分には丁度いいと再認識もした。

マカロニウェスタン作品について何も書く気が失せてしまった。映画の面白さを比べるのは滑稽なことだが、自分に合った映画を比べることは出来る。ロビン・ウィリアムズは死んでしまったが、いい俳優だった。彼なくしては成立しない映画が何本かあった気がする。

ニューヨークの浮浪者が主人公という毛色の変わった映画は、記憶に残る1本となった。細かいストーリーを今後も記憶に留めることは出来ないのだろうけれど、観た時に感じる蘇りは、自分の心のどこかに巣くっているに違いない。そうでなければ、今の自分も無いであろうから。

『座頭市血笑旅』

1964年(昭和39年)・アメリカ 監督/三隅研次

出演/勝新太郎/高千穂ひづる/金子信雄/加藤嘉/石黒達也/北城寿太郎/杉山昌三九

黒澤明の映画を始めとする日本の時代劇は日本国外でも高く評価され、『子連れ狼』と並んで、座頭市シリーズの影響を公言する映画監督も少なくない。キューバでの評価も高い。1958年のキューバ革命以後、キューバではハリウッド映画の輸入が禁じられたため、日本映画が頻繁に公開された。そのなかで1967年に初上映された『座頭市』シリーズはもっとも公開回数が多く、勝演じるハンデキャップを抱えた孤高の剣士座頭市に、キューバ国民は自らの置かれた境遇を重ね合わせ、熱狂的に支持されたという。(Wikipediaより)

ざーっと数えて26本。1989年(平成元年)には勝新太郎の監督による『座頭市』が公開された。しかし、立ち回りの撮影中に勝の長男である鴈龍太郎(奥村雄大)の真剣が出演者の頸部に刺さり、頸動脈切断で死亡する事故が起きたり、公開翌年には勝新太郎がコカイン所持で逮捕されるなどして、映画(および勝)の周辺にはトラブルが絶えなかった。『座頭市2』の企画がしばしば話題に出ることがあったものの、勝の逮捕が影響してか新作企画はいずれも頓挫したようであり、平成元年版が勝新太郎による最後の製作映画となった。

タケシの座頭市はつまらなかったことを思い出した。下駄をはいたタップダンスシーンが見事で斬新的だとお世辞を言われてその気になっているようじゃタケシも終わりだなぁ、と思った時だった。誰にも文句を言われず言いたいことを言い放題のように見せている彼の芸は大したものだけれど、いったん箔を貼ってしまうと、もうそれに縛られてがんじがらめの日本社会が垣間見えてくる。

『最高殊勲夫人』

1959年(昭和34年)・日本 監督/増村保造

出演/若尾文子/宮口精二/滝花久子/亀山精博/川口浩/丹阿弥谷津子/船越英二/近藤美恵子/北原義郎/柳沢真一

若尾文子が美しい。奇しくも日本のプロ野球では、オールスター第2戦目をやっている。そして奇しくも船越英二の息子で俳優の船越英一郎が夫婦問題で毎日のようにテレビ芸能ネタを席巻する事態となっている。

三人姉妹の長女が社長秘書からその会社の跡取り息子と結婚、次女も姉とまったく同じ道を歩み、その会社の社長秘書となりその会社の二男と結婚をした。三女はまた同じような道を歩むのだろうか、というのがこの映画の筋書き。こういう軽い源氏鶏太風物語だと思いながら観ていたら、まさしく同名小説からの映画化だという。

当時のサラリーマンやOLの生活感を感じ取れて興味ある。丸の内界隈や昼食処の雰囲気も我々世代にとっては違和感の無い日常生活そのものだ。三姉妹の父親の働く会社は都心からは遠いらしく、昼食時に女子社員がめざしを焼きながら弁当を食べている。微笑ましい。この家族の住む場所も都心からはかなり遠いらしく、家の周りには何もなく道路も舗装もされていない。電車とバスを乗り継いで通勤している。撮影現場はどのあたりなのだろうか、と興味は尽きない。

『ジャージー・ボーイズ』(Jersey Boys)

2014年・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/ジョン・ロイド・ヤング/エリック・バーゲン/マイケル・ロメンダ/ヴィンセント・ピアッツァ/クリストファー・ウォーケン

クリント・イーストウッド監督作品としては、珍しくおもしろくない。『シェリー』の大ヒットで人気を博したフォーシーズンズというグループの生い立ちと、その後のグループ内でのいざこざが、おもしろくなく描かれている。『シェーリー、シェリベイビー、シェーリー』という謳い文句をもちろん記憶しているが、計算すると14才の時だった。そんな若かったのかと、ちょっとまだ信じられない。

トニー賞受賞ミュージカル『ジャージー・ボーイズ』の映画化ということなので、イーストウッドのおもしろさを出すことが出来なかったのかもしれない。歌手の成功物語で面白くないものはない、というのが普通だが、そんなものではうけないだろうと視点の違う物語にしたのがこのミュージカルだったのだろう。

かなりの金を稼いでいたはずだが、ひとりのメンバーが負った借金をリードボーカルのメンバーがみんなで払おう、というあたりが泣かせどころ。映像的には仲間喧嘩に終始しておもしろくないのだ。彼がいたから成功したのだ、とグループが出来た時の恩を忘れない人間の心根は美しい。ちょっと金が入るようになると、まだ成功していなかった頃なんてころっと忘れてしまう輩が多いのが常だが。

『最後の恋のはじめ方』(Hitch)

2005年・アメリカ 監督/アンディ・テナント

出演/ウィル・スミス/エヴァ・メンデス/ケヴィン・ジェームズ/アンバー・ヴァレッタ

原題の「ヒッチ」は主人公の名前。モテない男性をモテるよう指南するデートドクターなる職業が彼の仕事だ。ちゃらい内容なのは観始まってすぐに分かった。アメリカ人はおもしろいこと考えるものだと、妙に感心したりした。気楽に観ていたが、意外と主人公の職業が真面目なことが分かってきて、映画を観る目が変わっていくのを感じていくようになる。

気の利いた邦題だが、理屈っぽくて即座に意味が身体に入らないところがイマイチ。題名としては洒落ていて好きな部類だ。SEX目的で女を引っかけるための指南をするわけではないことがだんだんと分かってくる。なるほど、気持ちを相手に伝えるためには第三者が教えてくれる「技」も必要なのが男女の仲なのかもしれない。

所詮は男と女、あばたもえくぼの世界は奥深い。好きになられるように頑張ったところで、振り向いてもくれない人がいることは多い。恋多き人間だからこそ、多いという表現が出来る。嫌われてもいいんだ、という思いで自分の嫌な面をわざわざ見せることが私流の恋の仕方。そんな自分を気にしてくれる人がホントの恋の始まりと思っていた。虚しいことはたくさんあったけど、恋の成就は極くわずかだったような気がする。

『ホビット 決戦のゆくえ』(The Hobbit: The Battle of the Five Armies)

2014年・ニュージーランド/アメリカ 監督/ピーター・ジャクソン

出演/イアン・マッケラン/マーティン・フリーマン/リチャード・アーミティッジ/エヴァンジェリン・リリー

J・R・R・トールキンの1937年の小説『ホビットの冒険』を原作とした『ホビット』三部作の第3作目(最終章)。1作目だけ見た記憶がある。壮大な話に見えたが、イマイチ子供騙しの域を脱していない感じがして、2作目は結局観ていない。

この手の物語は最初につまずくと、後が続かない。外国映画だからと期待に胸を膨らませていても、所詮おとぎ話よりも幼稚なストーリーに乗り切れない自分がいる。月光仮面以来触れることさえ遠慮してきた自分がいる。一貫性だけは健在なので、ちょっと眠ってしまったのも無理なきこと。

金がかかっているな~という映像が続く。一般的にこういう映画は大ヒットしているのが常なので、自分が一般的ではない、といつも認識させられる。普通の人と何処が違うのだろうか、と分析してもなんにも分からない。何処も違うはずがないと思っているのに、どこかが違うよと言われると、あっそう、と妙に納得してしまう自分もいる。

『スローターハウス5』(Slaughterhouse-Five, or The Children's Crusade: A Duty-Dance With Death)

1972年・アメリカ 監督/ジョージ・ロイ・ヒル

出演/マイケル・サックス/ロン・リーブマン/ユージン・ロッシェ

えっ! こんな古い映画だったのか! 題名すら知らなかった。こんな風にスキップしてしまうこともあるんだ。時空間移動という大好きなジャンル、SF内容だった。観始まったがおもしろくない。まだ10分も経っていないだろう。明日には観終わったと書けていればいいのだが。

予定通り、本日は一歩も進まなかった。また翌日にあたる今日は、少しは進んだがまだ観終らない。ようやく3日目にして観終わった。こんな経過を辿りながら1本の映画を観るのは不謹慎かもしれない。おもしろければ一気に観てしまうのだが。相手が人間だって同じこと、特に異性だったら、興味を持たせてくれる人とは時間を忘れて話し込むが、興味のない人からは一時も早く離れたいものだ。

タイムマシンという空想は壮大で楽しいが、理論上いくら実現可能と言われても、目の前で実行する人が現れなければ絵に描いた餅のようなものだろう。同じ空間に過去・現在・未来があるなんて言われても、馬鹿な頭では理解しようもない。せめて夢だけでも見ていたい。

『眼下の敵』(The Enemy Below)

1957年・アメリカ/西ドイツ 監督/ディック・パウエル

出演/ロバート・ミッチャム/クルト・ユルゲンス/ラッセル・コリンズ/デイヴィッド・ヘディスン

いやぁ~、おもしろいですね~。指揮官とはこうあるべきということが、よく分かる。昔、良い就職とは良い上司のいる会社・部署に就職することだと言われた。若くて訳の分からない時にどんな人間のもとで仕事が出来るのかは、その人間の将来に大きな影響があることは誰しにもわかること。

この著名な作品を観ていないわけはないと思うのだが、相変わらず新鮮な気持ちで観られるのは、やっぱり特技だと言っておこう。駆逐艦と潜水艦の戦いを、さも有りなんといったシーンの連続で描いてみせる。現実の指揮官がここまで優れているとはとても想定できないけれど、こんな超優秀な指揮官がいたらいいだろうな、と思わせてくれるだけで映画の役割は済んでいる。

明日になれば明日の風が吹く、と暢気な事ばかりを考えながら暮らしていける人間は最高に仕合わせだろう。一方ではこうやって一瞬の判断のミスも許されない時間を送っている人もいるのだろう。生まれかわったら、次回にはせめて2、3人でいいから全幅の信頼を受けられるような人間として大人人生を暮らしてみたい。

『奇跡のシンフォニー』(August Rush)

年(平成年)・アメリカ 監督/カーステン・シェリダン

出演/フレディ・ハイモア/ケリー・ラッセル/ジョナサン・リース=マイヤーズ/ロビン・ウィリアムズ

大好きな映画だった。題名からこの映画だとは分からなかった。それにしても陳腐な邦題だ。原題の意味に意味はないが、原題の由来には訳がある。映画の内容に八月はなんの関わり合いがないから『八月の鯨』『八月の蝉』『八月のラプソディー』のような題名でも良いかもしれない。『死霊のはらわた』を付けた宣伝部長としては、『八月のラッシュ』あたりで手を打つとしようか。

会いたい人には絶対会える。という言葉を信じている。この映画のテーマもそうかもしれない。その間を取り持つのが音楽ということになるのだろう。こういう映画を観るたびに、音楽の才能を持って生まれかわりたいという強い希望がふつふつと沸き上がってきて困るくらいだ。

間違いなく『最近観た映画』欄にはすでに書いていると思うが、そんなことを確認することなく一気に観終わった。嬉しさが涙を出させる。年老いたからではない、心が震えるから泣けるのだ。原題の由来を確かめるためにも、是非見て下さい。お奨めします。

『プロゴルファー織部金次郎2』

1994年(平成6年)・日本 監督/武田鉄矢

出演/武田鉄矢/財前直見/阿部寛/下川辰平/平田満/柴俊夫/小倉久寛/萩尾みどり

原作の漫画は、武田鉄矢原作、高井研一郎作画による日本の漫画。『ビッグコミックスペリオール』(小学館)で連載されたらしい。存在はそれなりに知っていたが、きちんと見たことはない。映画もあ~あったよね、くらいの感覚しか持っていなかった。

武田鉄矢の映画はおもしろい部類に入るだろう。このシリーズも5作目まで行ったらしいから、驚くしかない。観客のツボを押さえているのが強みなのかもしれない。財前直見の顔を好きではなかったが、この映画では美しく見えた。浜ちゃんシリーズの浅田美代子のような存在を意識したに違いない。それとも寅さんシリーズのマドンナまで行っている?

冒頭の画面がアニメのようなタッチの色遣いと風景でちょっとおもしろかった。そのシーンが実写に変わっていくのは製作者の意図するところなのだろう。新しい映画はこの程度でも充分楽しめる。くっだらない日本映画の中では、断然おもしろい方だ。

『草原の輝き』(Splendor in the Grass)

1961年・アメリカ 監督/エリア・カザン

出演/ナタリー・ウッド/ウォーレン・ベイティ/パット・ヒングル/ゾーラ・ランパート/サンディ・デニス

当時既にスター女優だったナタリー・ウッドの相手役に選ばれるというラッキーな映画デビューを果たしたウォーレン・ベイティがこの映画でスターになっていった。世界大恐慌を背景に青春と家族が描かれている。現代のハチャメチャSEX観念から見れば、到底信じられないような貞操観念はアメリカにもあったことを映画で知ることが出来る。

「女は男と違って喜びは感じないのよ」「女が身体を許すのは子供を産む時だけのもの」という母親の声がとてもアメリカだとは思えない。55年前はアメリカだって日本と何も変わらない雰囲気だったことがうかがえる。その後の変わり様は雲泥の差がありそうだ。ただ、当時のアメリカの高校生活が、今の日本の大学生活みたいで、そのあたりの違いは大きいな~、と印象深い。

その高校での授業でワーズワースという詩人の名前が出てきた。昔は時々聞いた名前のような気がするが、今では希有。ウィリアム・ワーズワース(Sir William Wordsworth,1770年-1850年)は、イギリスの代表的なロマン派詩人だという。映画の最後に彼の詩が繰り返され、映画の題名へとつながっていく。『草原の輝きは戻らず 花は命を失ったが嘆くことはない 残されたものに力を見いだすのだ』劇中、女主人公が高校の授業で「この詩の意味を答えなさい」と先生に聞かれたが、彼女は答えられない。今、渡しだって答えられない。どういう意味なのだろうか?

『マグノリアの花たち』(Steel Magnolias)

1989年・アメリカ 監督/ハーバート・ロス

出演/サリー・フィールド/ドリー・パートン/シャーリー・マクレーン/ダリル・ハンナ/ジュリア・ロバーツ

もともとは1987年にオフ・ブロードウェイで上演された。脚本は原作と同じロバート・ハーリングがつとめた。ハーリングは映画の脚本を初めて手がけて、自身が書き上げた戯曲を大幅に改稿した。原作にはなかった男性キャスト、屋外シーンなど多くの要素を追加した一方、トルーヴィの子供を2人から1人にするといった設定変更や、一部の台詞を削除・変更した。舞台設定はルイジアナ州にあるチンカピンという架空の町がつくられ、実際の撮影はルイジアナ州ナカタシュで行われた。(Wikipediaより)

女達の物語に男の出る幕はない。肝心な箇所で眠ってしまったが、もう一度観ている安心感があった。と言っても、相変わらず内容は新鮮に見えることが嬉しい。よくよく覚えていないもんだと、我ながら感心する。

普通の人間生活を取り出して、喜怒哀楽の心情模様を描いてくれる。こんな生活がしたかった。という過去の人生を振り返ったって、二度と意識のある人間生活を送ることは不可能なんだろう。

『インサイド・ヘッド』(Inside Out)

2015年・アメリカ 監督/ピート・ドクター

出演(声)/エイミー・ポーラー/フィリス・スミス/リチャード・カインド

現在世界ナンバーワンのウォルト・ディズニー・ピクチャーズとピクサー・アニメーション・スタジオ作品だ。『Mr.インクレディブル』(The Incredibles・2004年)が凄くおもしろかったし、最近では『アナと雪の女王』(Frozen・2013年)だって結構面白く観られて、アニメと侮るなかれという印象が強い。

このアニメのアイディアに脱帽した。12歳の少女ライリーの頭の中に存在する5つの感情たち――ヨロコビ、イカリ、ムカムカ、ビビリ、そしてカナシミを映像化、擬人化して観客に見せる。色の付いた球を上手く使って、感情の起伏が心の内から表に表現される様を映画にしている。原題の Inside Out は「裏返し」という意味らしいが、日本の配給会社は「心」の動きを「頭」の働きとして題名化したのだろう。悪くはないが、その理屈っぽさが庶民に伝わらない。

心の中の動きは、「想い出の保管場所」だったり「考えの列車」だったり「友情の島」だったりと、なるほどと思わせる人間分析情報が凄く生かされている。悲しい時に「喜び」の活躍を期待してもダメらしい。悲しい時には、その哀しさを思いっきり表現することによって、周りの人たちの助けが初めて自分に被さってくるのだという。ちょっと教育的で胡散臭さもあるが、ジブリのような雰囲気もしていいような悪いような。

『八十日間世界一周』(Around the World in 80 Days)

1956年・アメリカ 監督/マイケル・アンダーソン

出演/デヴィッド・ニーヴン/カンティンフラス/ロバート・ニュートン/シャーリー・マクレーン

長かった。2時間49分、インターミッションが1分間あった。言わずと知れたジュール・ヴェルヌ原作。1872年、主人公のフォッグは20,000ポンドの賭けに勝利するため、気球・鉄道・蒸気船などを利用して80日間での世界一周を目指す。ストーリーはほぼ原作に準じているが、英国ユーモアの要素が加味されてフォッグの言動がさらに誇張されている、という。

冒頭には映画の解説のようなシーンがあり、まだ月面着陸は実現されていない、というくだりがあった。そう初めて人類が月面に到達したのは、1969年7月20日、宇宙飛行士ニール・アームストロングおよびバズ・オルドリンがアポロ11号だった。

世界巡りといっても時間をかけるシーンはそれほど多くはとれない。スペインの闘牛、日本での鎌倉・大仏、アメリカでのインディアンに襲われるシーンが特に取り上げられていたことがおもしろい。それなり以上にお金をかけた映画だということが分かる。アカデミー賞では8部門ノミネートされ5部門で受賞している。ヴィクター・ヤング作曲、ヴィクター・ヤングオーケストラ演奏による主題テーマ曲「Around the World」は、『兼高かおる世界の旅』のテーマ曲やフジテレビ系列で1997年?2006年に放送されていたサスペンスドラマシリーズ『スチュワーデス刑事』のメインテーマ曲に使われている。また、近鉄名古屋駅での伊勢志摩方面行きの近鉄特急の発車メロディにも2016年より使用されているという。

『ぼく東綺譚』

1960年(昭和35年)・日本 監督/豊田四郎

出演/山本富士子/芥川比呂志/新珠三千代/織田新太郎/東野英治郎/乙羽信子/原知佐子/岸田今日子/松村達雄/淡路恵子

「ぼく」は、さんずいに墨という漢字を書くのだが、パソコン上では使用できない漢字らしく?になってしまう。私娼窟・玉の井を舞台に、小説家・大江匡と娼婦・お雪との出会いと別れを、季節の移り変わりとともに美しくも哀れ深く描いている永井荷風の小説というよりも、娼婦役であの山本富士子が主役を張っていることに驚く。公然と娼婦のいる世界を体験したことのない世代は、こういう世界に憧れがある。

山本富士子は、1950年(昭和25年)、読売新聞社・中部日本新聞社・西日本新聞社が主催する第1回ミス日本(700人近い応募者があった)において、満場一致でミス日本の栄冠に輝いた。ミス日本になってから3年後の1953年、映画会社の争奪戦の末、大映に入社。戦後ミスコン出身女優第1号と言われている。1954年に『金色夜叉』、1955年には『婦系図 湯島の白梅』のヒロイン、1956年の映画『夜の河』が大ヒットし、大映の看板女優として活躍した。

1963年1月、大映との契約更改を月末に控え、前年と同じ条件の「年に大映2本、他社2本出演」の契約を主張したが受け入れられず、1月末の契約切れを待ってフリーを主張。大映の社長・永田雅一は烈火の如く怒り、彼女を解雇し五社協定にかけると脅した。山本はフリー宣言をし、同年2月28日、帝国ホテルでの記者会見で「そんなことで映画に出られなくなっても仕方ありません。自分の立場は自分で守ります。その方が生きがいがあるし、人間的であると思います。」と語り、詫びを入れろとの周囲の声に耳を貸さなかった。永田は一方的に解雇し、五社協定を使って他社や独立プロの映画や舞台からも締め出すよう工作する。この事は当時の国会でも取り上げられ、世間でも「人権蹂躙」と非難の声が上がった。彼女はテレビドラマに活路を求め、『山本富士子アワー』などに主演した後、演劇に新境地を開き、2013年現在まで演劇一筋で主演を続けている。なお、五社協定から49年が経過した2012年の今も映画界には復帰していない。ただ、テレビ番組『映像美の巨匠 市川崑』(1999年、NHK)の中で、1983年に市川崑から映画『細雪』への出演依頼があったが断っている。結局、岸惠子が演じることとなったが、公開になった映画を観て、出演しなかったことを後悔したと語っている。(Wikipediaより)

『ウルヴァリン: SAMURAI』(The Wolverine)

2013年(平成年)・アメリカ/オーストラリア 監督/ジェームズ・マンゴールド

出演/ヒュー・ジャックマン/TAO/福島リラ/真田広之/スヴェトラーナ・コドチェンコワ/ブライアン・ティー

この手の映画を観るのは初めてだったので、ちょっと楽しみだった。いきなり外国人が選びそうな女優の顔が出てきてがっかりする。どうして外国人は日本女性を選ぶ時に、ほとんどの日本人が好きではない顔を選ぶのだろうか。不思議でたまらない。その後に主演女優クラスの日本女性がすっきりした顔だったので、安堵した。

真田広之の英語が上手くなっていて感心したが、その分日本語のセリフがちょっと衰えていた。演技もオーバーになって良くなったのは英語の発音だけといった感じだ。内容がまったく分からないので興味がわくのだが、だんだんと分かってくると、おもしろく無さが顕著になってきた。話に無理がありSFとしてもイマイチ。

超人物語はそのギャップが現実的でないと、画面に入り込めない。漫画の良い点と映画・映像の迫力が合体しなければ、飽き飽きしたシーンの連続になってしまう。まぁ、つまらない映画だった。

『ゲームの規則』(La Regle du Jeu)

1939年・フランス 監督/ジャン・ルノワール

出演/マルセル・ダリオ/ノラ・グレゴール/ローラン・トゥータン/ジャン・ルノワール

印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの次男ジャン・ルノワールが監督と役者を務めている。こんな情報はまったく知らなかったが、そういうことを全然気にしないで映画業界に在籍していた。誰が父親だろうが母親だろうが、そんなことはどうでもいい。本人がどれほどの人間力を示してくれるのが重要だ。いつの時代も。

「3年間私の生活はうそで固められてた」と主人公の侯爵夫人は嘆いて見せる。「それも現代の一面さ 皆がうそをつく 薬局の広告 政府 ラジオ 映画 新聞 一般の僕らもやっぱりうそをつく」「人生は何があるか分からん 幸運を祈るよ」 こんな会話がかわされる。小間使いまでもが愛欲にふけるこの映画は見苦しい。芝居じみたフランス人の人生を映し出しているようにも見える。

代々のお金持ち、権力者、土地持ちはどういう風に出来上がってきたのだろうか。もともと誰のものでもなかったはずのものが、個人の所有となって金持ちと貧乏人が出来てきた。もともとは誰かのものだったものを力によって自分のものにしてしまったものが伝承された。神が創りしたまう地球という惑星には、人間では計り知れない歴史と現実があるようだ。

『家族はつらいよ』

2016年(平成28年)・日本 監督/山田洋次

出演/橋爪功/吉行和子/西村雅彦/夏川結衣/中嶋朋子/林家正蔵/妻夫木聡/蒼井優

この5月27日から続編の「家族はつらいよ2」がロードショーされている。タイミング悪く主演の橋爪功の息子が薬物疑惑で逮捕され、30才にもなる息子の不祥事なのにマスゴミに晒されている状態だ。

ここにある家族の物語は、日常の家族の風景。大袈裟に表現しているわけではない。小さな事をことさらに述べているわけでもない。山田洋次の偉大さが分かる映画かもしれない。

三世代が同居する家族の形、今回は老夫婦の離婚問題を取り上げている。身につまされる。映画の中でも言われていたが、家族会議をしてこの老夫婦問題を話し合えるだけ仕合わせだと。そういえば、それまでにも勝手なことをしていながら、夫婦の問題だからと家族に何も話さず離婚してしまったことは、決して誉められた話ではないことを痛感させられた。

『フィラデルフィア物語』(The Philadelphia Story)

1940年・アメリカ 監督/ジョージ・キューカー

出演/キャサリン・ヘプバーン/ケーリー・グラント/ジェームズ・スチュワート/ジョン・ハワード

古い白黒映画を観始まった。お喋りな映画で、これでもかこれでもかと誰かが喋っている。主には主人公のどら娘の物語なのだが、これだけ喋られると少し静かにしてくれないかな、と思ってしまうほどだった。

お金があっても家族の絆は怪しい。いつも感じることだが、お金持ちの家族が概して不幸な種を抱えている姿が多くの映画で語られている。そして多くの映画で語られているのが、その反対の情況、貧しいけれど仕合わせな家族の姿だ。これはプロパガンダなのだろうか。誰の?何の?という疑問しかない。

人間の永遠のテーマなのだろう。この頃の社会は「格差」という言葉で自分の不幸を自覚する輩がたくさんいる。不幸なのは格差だからではなく、自分の精神構造の貧しさからだと分からない頭の弱さがある。

『男性の好きなスポーツ』(MAN'S FAVORITE SPORT?)

1964年・アメリカ 監督/ハワード・ホークス

出演/ロック・ハドソン/ポーラ・プレンティス/ジョン・マッギーヴァー/マリア・ペルシー/シャーリーン・ホルト

こんなタイトルって? と、一瞬戸惑ったが、公開年を見て、この頃なら邦題はほとんど直訳題名が多かったので、そういうことなのだろうと想定した。あまりにも直訳のような邦題だったので、かえって驚いた。外国映画の日本語題名を語るだけでも1冊の本が書けるだろう。先日発売になったヘラルド本によれば、私の名前は「死霊のはらわた」という題名を決めた宣伝部長となっていた。嘘ではないけれど、他に名を残せる宣伝を指揮したことを探して欲しかった。そんなものはないよ、と自分で否定してしまいそうだが。

ドタバタ喜劇なのに、いい男といい女が登場するので、日本のバタバタ喜劇とは雲泥の差がある。50年前以上にこんなコメディ映画を作られちゃ、とてもじゃないけど日本映画は追いつける術もない。

どんなスポーツに熱中しようが、目の前に美しい女性が現れれば、男はみんな女に夢中になる。と、歌を披露されてしまう。世界中、時代を超えて男は女の虜になるらしい。それでいいのだ、と神ものたまうのだろうか。そんな魅力に溢れた女性に巡り会いたかったが、残念ながら私の人生には女が重要ではなかったようだ。生まれかわったら肝に銘じておこう。

『バニラ・スカイ』 (Vanilla Sky)

2001年・アメリカ 監督/キャメロン・クロウ

出演/トム・クルーズ/ペネロペ・クルス/キャメロン・ディアス/ジェイソン・リー

観た記憶が明確にあり、おもしろくなかったという事も覚えている。こんな時は観る気がなかなか起きないで困る。当然の如く寝てしまったのは、想定内というやつだろうか。2時間16分の上映時間だが、放映時間番組は2時間40分。巻き戻さないで観続けたが、訳が分からないで往生した。こういうときは自分の愚鈍さを罵るのだが、出来れば頭脳明晰な人からこの映画の講義を受けたい。

酒を飲まない、飲めない者にとって一番悔しいのは、意識がなくなる瞬間に恵まれないこと。一度だけ、40年前以上のことだが、ちょうど名古屋に1年半居た頃、友人の家でコークハイが甘くて美味しいよと言われ、何も知らずに飲んだ結果が無意識状態だった。それ以来飲めない酒を勧められても甘いアルコール飲料は決して口も付けないようになっている。

どんなに酔っても本人が無意識だったと弁明しても、家に辿り着くというのは、無意識状態とは言えないだろう。最近、マスコミ関係の女性が無意識にさせられてレイプされたと訴えている事件があった。私が今使っている導眠剤、誘眠剤をアルコールと一緒に服用すると、そういう状態になるらしい。アルコールをとらなくても、この眠剤といわれるものを服用して3時間も起きていると、無意識に近い状態になれることをほどほど体験している。無意識とは違って、意識ははっきりしているのだが、目の前にある食べものを食べ尽くしてしまったり、パソコンのメールを内容も確認せずに返信してしまったり、ということが何度が起こっている。それは薬のせいではなく、もしかすると呆けの入り口のせいかもしれないのだが。

『魔法少女を忘れない』

2011年(平成23年)・日本 監督/堀禎一

出演/高橋龍輝/谷内里早/森田涼花/碓井将大/前田亜季/伴大介

「魔法」という言葉に強く反応した。あり得ないことや、あり得ない世界を見せてくれる技に憧れている。ライトノベルというジャンルに属する原作らしい。テレビ西日本の初めての配給作品と紹介されていた。フジテレビ系の福岡にある放送局だという。共同配給に「SPOTTED PRODUCTIONS」という名前があったり、この会社を設立したのが映画配給会社・アップリンク出身の人間だったりと、まったく知らない名前に隔世の感を抱いた。

昔魔法を使っていた少女は、そのうちみんなから忘れられてしまう。というのがテーマらしい。おもしろい発想だ。だから人間関係の希薄な現代に問いかけているのだろう、と浅はかな想定をしてみる。もっと奥の深いことだよ、とたしなめられれば、はい!すいませんと素直に謝るしかない。

魔法を使えたらいいなぁ、と小さい頃から密かに望んでいた。この歳になっても、まだ諦めてはいないけれど、他人にこんな事を喋れるわけもなく。

『バニシング in 60』(Gone in 60 Seconds)

1974年・アメリカ 監督/H・B・ハリッキー

出演/H・B・ハリッキー/マリオン・プシア/ジェリー・ドージラーダ/ジョージ・コール

・上映時間の半分を割いた約40分にわたる前代未聞のカーチェイスは語りぐさとなっている。製作から30年以上を経ても、このロングカーチェイスの記録は破られていない。 ・作品中のテロップでは主役は“ELEANOR(エレナ エレノア又はエレナーとの記載もあり)”とだけ記されている。これは主役はあくまで「車」なのだ、というハリッキーのメッセージである。 ・カーチェイスは、ロケーションも含めて、ドキュメンタリータッチで撮影されており、主人公の車が通過後の被害処理にあたる警察やヤジ馬などの描写など、独特の雰囲気をもっている。 ・ペイスの車がハイウェイから強引に出ようとする際、後続車と接触しスピンしながら鉄柱に激突するシーンが出てくるが、これはアクシデントによる実際の事故ショット。ハリッキーは負傷しながらも、カメラマンに「おい、ちゃんと撮ったか?」と聞いたというエピソードは有名。 ・スタントマン出身のハリッキーが自らハンドルを握る、カーアクション映画のカリスマ的作品である。(Wikipediaより)

確かに今まで観たカー・アクションは何だったんだろうかと思わせるシーンの連続だった。この映画を始めに観ておけば、のちのちのカーアクション・シーンにも少しは愛情を持てたかもしれない。

果てしなく続くカーアクションに終わりはないと思われた。上映時間1時間38分、こんな映画もあっていい。バラエティーに富んだ時代の申し子のような映画だったような。

『レッド・オクトーバーを追え!』(The Hunt for Red October)

1990年・アメリカ 監督/ジョン・マクティアナン

出演/ショーン・コネリー/アレック・ボールドウィン/スコット・グレン/サム・ニール

1984年11月、ゴルバチョフ政権の前夜、ソ連のタイフーン級潜水艦がグランド・バンク南に浮上、原子炉損傷の気配を見せ深海に姿を消した。乗組員救出の未確認情報もあるが、米ソ両政府は次のように言明している―この映画が描こうとするような事実が起こった事は一切ないと。-映画版、「レッド・オクトーバーを追え!」冒頭より(Wikipedia)

このクラスの映画は、いつ観直してもおもしろい。2時間15分なのに、飽きるという感覚がないのが嬉しい。内容を相変わらず覚えていないのが利点。最後だって、このあたりで終わりだろうなぁと思ったら、まだまだ続きがあってちょっと驚いた。冷戦という構図がなければ、こんな物語も出来て来ない。裏でロシアと通じていたのではないかと疑われるような政権が、平気でアメリカを牛耳っているのが現在の構図。ずいぶんと世の中は変わったものだ。

仮想敵国がないと国は成り立たないのだろうか。北朝鮮の未来はあるのだろうか。魑魅魍魎とした国際情勢はどっちに向いていくのだろうか。トランプの登場で、世の中はおもしろくなったのかもしれない。トランプでなかったら、おそらく何も変わらない半年だったろう。これから彼が2番目の大統領辞任にならない保証はない。それよりも賭け事ならば、彼が辞任するかどうかが、もう既にイギリスのブックメーカーに載っているかもしれない。

『超高層プロフェッショナル』(Steel)

1979年・アメリカ 監督/スティーヴ・カーヴァー

出演/リー・メジャース/ジェニファー・オニール/アート・カーニー/ハリス・ユーリン/ジョージ・ケネディ

四流映画の典型のような映画だった。だからおもしろい。でも物足りない。鉄骨で高層ビルを建てるというシーンがこの映画の売り。この時代だと日本では超高層という表現でも嘘にはならなかったのだろう。この題名あたりも胡散臭くて微笑ましい。

地震大国の日本で超高層ビルがこれほど建つようになったことは驚異的だ。現在の日本一は2014年3月竣工の大阪・あべのハルカス-高さ300m/地上60階。2番は、横浜ランドマークタワー高さ296m/地上70階/1993年竣工。3位、大阪泉佐野市・りんくうゲートタワービル-高さ256.1m/地上56階/1996年竣工。4位、大阪府咲洲庁舎-高さ256m/地上55階/1995年竣工。5位、東京・虎ノ門ヒルズ-高さ255.5m/地上52階/2014年竣工。ということらしい。

2022年完成を目指しているのが、東京・虎ノ門・麻布台地区再開発、森ビルの計画で地上65階、高さ約330mという規模だ。三菱地所は東京駅日本橋口前に高さ日本一となる390mの超高層ビルなど4棟を建設するらしい。一番高い建物は2027年完成らしいから、このビルを見ることはないであろう。このあたりが日本での高さの限界なのだろうが、100年後にはもっと高いビルが可能になっていたりするのだろうか。

『大空港』(Airport)

1970年・アメリカ 監督/ジョージ・シートン

出演/バート・ランカスター/ディーン・マーティン/ジーン・セバーグ/ジャクリーン・ビセット/ジョージ・ケネディ

昭和45年は記憶に残る年だ。日本万国博覧会いわゆる大阪万博はこの年の3月15日に開会している。卒業して名古屋の片田舎で働いていた私は、確か2度大阪に行っている。3月31日にはよど号ハイジャック事件が起こっている。今のようなインターネット時代でなくても、ニュースにかぶりついていた当時だった。この年には日米安保条約の自動延長に反対するデモも大々的に行われていた。前年の1969年には東大安田講堂事件、2年後の1972年にはあさま山荘事件と、日本の世の中は騒然としていた。

アーサー・ヘイリーによる同名の小説を原作とする。エアポートシリーズと呼ばれる4作品の第1作目。オールスターキャストによるパニック映画の元祖と言われる。いわゆるグランドホテル方式で、それぞれの登場人物にまつわるストーリーが複雑に交錯する構成となっている。当時のハリウッドを代表するようなスターが競演するのはそのためである。(Wikipediaより)

原題は単なる「Airport」というあたりがおもしろい。パニック映画だが、大袈裟になり過ぎず、観客が安心して観られるパニック映画という感じ。この後の映画は、どんどんCG技術が進化して行き、人力ではありえない映像が平然とスクリーンに現れ、最初のうちは観客を脅かせることが出来たものの、これでもかこれでもかという映像が大きな壁にぶち当たってしまったという事実も。

『天使と悪魔』(Angels & Demons)

2009年・アメリカ 監督/ロン・ハワード

出演/トム・ハンクス/アイェレット・ゾラー/ユアン・マクレガー/ステラン・スカルスガルド

原作はダン・ブラウンの小説『天使と悪魔』。原作では『ダ・ヴィンチ・コード』が2作目だったが、映画化では時系列を入れ替えて逆転しているということらしい。前回書いたように出来過ぎた話がこの映画でも続いていたが、最後の10分間は見応えがあった。どんでん返しの典型のような筋書きが映画っぽい。

カトリック教会におけるローマの司教たるローマ教皇を選出する選挙システムが映画の舞台。奇跡を起こしたことがないと教皇にはなれないと知ったのは前回2013年の時かもしれない。サラリーマン現役時代は、ヨハネ・パウロ2世が1978年から2005年まで長い期間だったので、教皇の話題にも無関心だったのだろう。今やインターネット時代となって、このコンクラーベも世界的な規模での報道合戦と化してきた。次回の時には、もっと大騒ぎになるのは目に見える。

人間の長い歴史の中で、キリスト教の果たす役割は極めて大きい。イスラム教だってその影響力が大きいのは確かだが、進歩しない宗教には先がないと思わざるを得ない。伝統とは受け継ぐものではなく伝えるものだとする思想は、時間をかけてその合理性を世の中に問わなければならない。科学を排除することが伝統を衛ることではない、とこの映画も言っている。

HDD/ブルーレイ・レコーダー『TOSHIBA DBR-Z610』

REGZAブルーレイ DBR-Z610 を購入したのは、2017年1月11日だった。それまで使っていた RD-S300 という HDD/DVDレコーダーは、使い勝手は悪かったが、映画鑑賞の本数稼ぎという点ではずいぶんと活躍してくれた。が、引っ越し先のパラボラ・アンテナの不調と相まってブロックノイズのオンパレードに見舞われ、アンテナのせいなのかこの録画機のせいなのかを特定できないままに、買い替えを決めてしまったのだ。もう9年目くらいだろうから、諦めてもいい時期であることも大きかった。

ブルーレイでなくてもいいのだが、今やそれ以外の選択肢の方が割高になってしまう。もちろんダブルチューナー機種を選択している。これだけは最低条件だろう。使い勝手では評判の悪い東芝を選んだ理由は簡単だ。習うより慣れろという言い方があるように、使い勝手が悪くても、もう慣れてしまった東芝のソフトウェアの方が、たぶん新規購入には相応しいだろうと決断する。場合によっては、これはいい機会だからと、敢えて新しい環境に挑戦することはあるが、今回は2流会社に成り下がってしまった東芝を潔く選んだ。

リモコンも使い回しができるだろう、と想定したことは当たっていた。500GBと容量の少ない方を選んだのも、価格の点はあるにしても、録画しても観ていない本数が増えるのを嫌ったせいだ。新陳代謝を求める体質が、こんなところにも生かされている、と自己分析をする。ダメな東芝でも少しは進歩していた。番組表や追っかけ再生など。他社のソフトを弄ってみたい衝動に駆られるが、これだって習うより慣れろだ。自然に指が動くことの方がストレスがない。そんな気持ちの良い人間に会いたい衝動を抑えきれない。

『ナイト・アンド・ザ・シティ』(Night and the City)

1992年・アメリカ 監督/アーウィン・ウィンクラー

出演/ロバート・デ・ニーロ/ジェシカ・ラング/ジャック・ウォーデン/クリフ・ゴーマン

ろくでなしの弁護士が、ボクシング試合の開催に夢を賭けるが、ろくでなしのまま終わる。舞台はニューヨーク。題名が題名なので、『セックス・アンド・ザ・シティ』(Sex and the City)のまがいものかと思ったが、こちらはこの映画の後の1998年から2004年にかけてのものだった。

信用とは、何らかの実績や成果物を作成して、その出来栄えに対しての評価のことをいいます。そのため「信用」するためには、実績や成果物が必要不可欠なわけです。この実績や成果物といった、過去の業績に対して「信用」するのです。

一方「信頼」は、そうした過去の実績や業績、あるいはその人の立居振舞を見たうえで、「この人ならこの仕事を任せてもちゃんとしてくれるだろう」とか「この人なら私の秘密を打ち明けても大丈夫だろう」などと、その人の未来の行動を期待する行為や感情のことを指します。もちろん「信頼」するためには何らかの根拠が必要ですが、その根拠を見たうえで、未来を「信頼」するというわけです。

『男はつらいよ 奮闘篇』

1971年(昭和46年)・日本 監督/山田洋次

出演/渥美清/倍賞千恵子/榊原るみ/田中邦衛/ミヤコ蝶々/犬塚弘/柳家小さん/前田吟/三崎千恵子/太宰久雄

最近寅さんシリーズの放映がまた始まったな、とは分かっていたが、だいぶこのシリーズを観ているので、もういいかと遠慮していた。この映画は7作目に当たるらしい。今までシリーズ最初の頃のやつを観ていなかったので、結構新鮮に映った。ダラダラと惰性になる前の初々しさがいい。

 マドンナ役には若い榊原るみ、映画の中で「頭のうすい」と表現されている役を演じた。観ていてハラハラするくらい、智恵遅れの彼女を表現していた。今やちょっとした差別的な表現も許されない。観客が忖度してしまうほど、我々は毒されてしまっているようだ。事実を表現するのと差別は別のもの。非正規雇用などと持って回った差別用語を平気で遣うくせに、びっこもつんぼも許されないなんて。意味すら理解できない若者には差別用語さえ通じないのが実態なのに。

46年も前の映画。これから50年もしたら、どんな風に世の中は変化するのだろうか。生きていたいとしたら、それを見届けたいだけ。ただ、どんなに長生きしたって50年後は見られない。それでは長生きする意味が無い。あと5年後を見たってなんていうことないと思うから。

『ダ・ヴィンチ・コード』(The Da Vinci Code)

2006年・アメリカ 監督/ロン・ハワード

出演/トム・ハンクス/オドレイ・トトゥ/イアン・マッケラン/ジャン・レノ

前回観た時に期待ほどではなかった記憶がある。活字を読んだ人用の映画ではないかと疑ったような気もしている。リアルタイムでの話題に富んだ映画だったので、観るのを楽しみにしていたが、内容に関する情報は皆無だった。それはいつものことなので、映画がより一層楽しめる秘策だとかたく信じている。そんなこともあり、映画の内容についていけなかったんじゃないかと思う。どんどん独りよがり的に推測を自分で推し進めながら、映画を進行していく。自分の頭の悪さを呪ったりするほどだった、たぶん。

まだ観終わっていない。だいぶ進んで佳境に入ってきたが、あと1時間はあるようだ。今回は最初から映画に集中していたのと、ちょっと目を離す時は一時停止をきちんとやったお陰で、セリフも飛んでいないのが良かったのだろう。おもしろさが少し分かってきた。だが、出来過ぎた話の本質は変わらない。

最後の1時間はおもしろいはずだったが、同じことの繰り返しでちょっと残念。終わってみれば、すっきりしない頭の中は前回と同様な反応を示した。世の中はすっきりしないことだらけだが、せめて映画くらいはすっきりとおちて欲しいと願う。

『すてきな片想い』(Sixteen Candles)

1984年・アメリカ 監督/ジョン・ヒューズ

出演/モリー・リングウォルド/アンソニー・マイケル・ホール/マイケル・シューフリング/ハヴィランド・モリス

見る映画がないからと言って、手当たり次第に録画したって、大したものにぶつかる可能性が薄い最近。観る前から先入観いっぱいでは、ちょっとおもしろければ大満足という逆説的な結果を期待するしかない。でも、始まった瞬間からテレビ映画のような平ったい映像で、見る気も失せながら・・・・・。

速回しすることなく、ながら鑑賞をした。昔、高校時代によくやった、ながら族のはしりという自覚がある。ラジオはまだ全盛だった。耳を使いながらは他の器官がまったく別の感覚で使えるから、ながらの王道だろう。だが、テレビながらは不自然だ。見るという行為がメインなので、耳だけだとちょっと難しい行為に見える。

アメリカでは16歳あたりが青春の真っ只中のようだ。高校生だって車を運転して学校に行く連中も結構いる。このあたりの青春構造は、あと100年経っても日本とアメリカが同じように見える時代は来ないだろう。教育が人格も血も作っているのは確かで、しょうもない歴史観しか持てない国民に仕上げるのも、むべなく簡単そうに見える隣国事情。

『アフリカの女王』(The African Queen)

1951年・アメリカ/イギリス 監督/ジョン・ヒューストン

出演/ハンフリー・ボガート/キャサリン・ヘプバーン/ロバート・モーリー/ピーター・ブル

『ホーンブロワー』で有名な小説家セシル・スコット・フォレスターの同名小説(英語版)を、ジョン・ヒューストンが映画化した。ハンフリー・ボガートは、この作品で念願のアカデミー主演男優賞を受賞した。(全部Wikipediaより)

リアリズムを追求するべく、アフリカで本格的なロケを敢行したこの映画の撮影は困難を極めた。天候不順でセットが流され、体調悪化や病気で倒れる出演者やスタッフが続出したため、撮影は長引いた。しかし、監督のヒューストンは撮影を軽視してハンティングに入り浸るなど消極的な態度を見せた。キャサリン・ヘプバーンはこの時の監督の態度を快く思わず、後年『アフリカの女王とわたし』という本を出版して彼を批判した。また、ロケに同行した脚本家のピーター・ヴィアテルも、この時の体験を元に小説『ホワイトハンター ブラックハート』を書いている。これはクリント・イーストウッドの監督、ヴィアテル本人も脚本に参加して映画化された。ヒューストンがモデルの映画監督ジョン・ウィルソンはイーストウッド自身が演じた。

本作は作品中(オープニングタイトル、エンドロール、等)に著作権表記が無かったため公開当時の米国の法律(方式主義)により権利放棄とみなされ、米国に於いてはパブリックドメインとなった(このため、コモンズに高解像度のスクリーンショット、ウィキクオートに台詞の抜粋が収録されている)。また、日本においては著作権の保護期間が終了したと考えられることから現在、複数の会社から激安DVDが発売中。

『誤差』

2017年(平成29年)・日本 監督/倉貫健二郎

出演/村上弘明/剛力彩芽/陣内孝則/松下由樹/田中美奈子/水沢アキ/左とん平

テレビ東京のテレビ番組だ。めったに観ることのないテレビ映画というやつ。いわゆる2時間ドラマというやつだろうか。番組名は、松本清張 没後25年特別企画 「誤差」。テレビと東京ホームページによると、2015年放送 『黒い画集-草-』、2016年放送 『喪失の儀礼』に続き、お馴染み、村上弘明・剛力彩芽・陣内孝則のトップスター三人が顔を揃える、松本清張医療サスペンス第3弾!、と書かれている。

なんかシリーズもののような感じがしたのは、このことだったのか。村上弘とう役者は知っていたが、なんかずいぶんと目にしたことがない。剛力彩芽はこの頃ドラマに活躍の場を移したのか。陣内孝則はあくの強さが嫌いで、顔が出てくるとチャンネルを回すくらいだ。同じ顔しておちゃらけていては、解剖学の権威だなんてとてもじゃないけど、視聴者に響いてこない。

淡々と筋書きが進んで行く。活字を読んでいるような気にさせる。活字を読まない人間が、そんなことを言うのもおかしな話だが。抑揚のない話しっぷりのように、ドラマに起伏がない。単に映画との違いだけではなかろう。「特別企画」と銘打っているのだから、全体予算もキャストにもお金をかけているのだろうか。この程度が精一杯のドラマ作り、この程度で満足しているテレビの視聴者、こういう構図は平和の証かもしれない。

『エネミー・オブ・アメリカ』(Enemy of the State)

1998年・アメリカ 監督/トニー・スコット

出演/ウィル・スミス/ジーン・ハックマン/ジョン・ヴォイト/リサ・ボネット

アメリカ連邦議会ではテロ対策のための「通信の保安とプライバシー法」案を巡って議論が交わされていた。NSAは当初撮影への協力を完全拒否していたが、出演者にNSA高官の娘がいたために辛うじて外観の撮影と内部の限られた部屋の見学のみが許された(この時撮影した本部の外観は一部の映像がオープニングに使用されている)。

ただし、職員への質問は禁じられ、地下にあるといわれるコンピュータルームへの立ち入りも許されなかった。そのため、撮影では元職員の証言や文献資料に頼らざるを得なかった。しかし本作でNSAが使う技術は、20年前のもの、また制作当時は逆に研究開発中だったものもあるが、ほとんどが実際に使われているものだという。また、ハックマン演じるブリルは『カンバセーション…盗聴…』でハックマンが演じたハリー・コールを彷彿とするオマージュが見受けられる。ブリルがハリー・コール同様に通信傍受のプロであるという設定に加え、ブリルのNSA履歴ファイルにはハリー・コールを演じているときのハックマンの写真が添付されていた。

すべてWikipediaからの情報だ。一度、間違いなく観ているはずなのに、まったくストーリーを覚えていなかった。こんなにおもしろいのにである。録画ストックがこの映画で途絶えた。こちらに移ってからはまだレンタルビデオ店に行ったことがない。TSUTAYAがないので、ゲオに行かなければ。ちょっと遠いけれど。

『小さな恋のメロディ』(Melody )

1971年・イギリス 監督/ワリス・フセイン

出演/マーク・レスター/トレイシー・ハイド/ジャック・ワイルド/ロイ・キニア

日本ヘラルド映画の代表作。日本の公開日は1971年6月26日、私はまだヘラルドに入社していなかった。この年の11月に名古屋のヘラルド興行に縁あって入社することになった。それから1年半後、1973年4月から東京に移籍し自分の今に繋がる人生がスタートした。Wikipediaのエピソードがおもしろかったので記す。ヘラルドの真骨頂がうかがわれる。プロデューサーのデヴィッド・パットナムは、のちに『ミッション』を製作し、ヘラルドはこの大作の配給権を獲得することになる。

後にハリウッドで監督として成功したアラン・パーカーの処女作である。少年少女の恋を瑞々しく描き、本国とアメリカではヒットしなかったが、同じく1971年に公開された日本では大ヒットした。「メロディ」は映画のタイトル(原題)でもあり、ヒロインの名前でもある。

この映画には「大人社会からの独立戦争」という趣がある。「結婚式」を取り締まるべく現れた教師たちであったが、爆弾マニアの少年が作った初めての成功作によって総崩れになり、少年少女2人が一緒にトロッコを漕いで出発していくラストは、"Don't trust over thirty"(30歳以上は信用するな)の時代の雰囲気を伝えている。また一方で、明らかに中産階級のマダムの一人息子であるダニエルと、労働階級の娘であるメロディの出会い、労働階級出身とみえるオーンショーとの友情という、イギリスの階級格差が少年少女の恋愛というセッティングの中で無視されているという面白さもある。

『バックドラフト』(Backdraft)

1991年・アメリカ 監督/ロン・ハワード

出演/ウィリアム・ボールドウィン/カート・ラッセル/ロバート・デ・ニーロ/スコット・グレン

この映画は、割合とリアルタイムで観たような気がしている。この手の映画は、何となく分かりきったような気になる映画で、観てみるとそれ以上の映像があるにもかかわらず、もう観てしまった気になりがちなものだった。という気持ちが強かったお陰で、想定外のおもしろさに時間を忘れるくらいだった。

まったくストーリーを覚えていないことが嬉しい。2時間17分と長めの映画だが、進行は結構速く感じる。ちょっと出来過ぎのシーンが多かったり、設定が甘かったりは愛嬌だろうか。脇役のロバート・デ・ニーロの存在感が凄い。48才と俳優では一番脂ののりきった時の映画だ。

ロスのユニバーサル・スタジオで経験したこの映画のテーマ館は、おもしろかったことを覚えている。本物の火を遣ってやるエンターテインメントは、日本では許されないだろうな~、と日本上陸の予定が発表されていたのでちょっと心配だった。日本に出来てからまだ行く機会がない。出来て早々に行けるチャンスはあったが、それを逃してからはもう絶望だ。チャンスというのは、決して逃してはいけない機会というものなのだろう。

『ワイルド・アパッチ』(Ulzana's Raid)

1972年・アメリカ 監督/ロバート・アルドリッチ

出演/バート・ランカスター/ブルース・デイヴィソン/ホルヘ・リューク/リチャード・ジャッケル

今日は2017年5月6日(土)連休の最中だ。最初に観始まった時には、なんと出だしから半分近く眠ってしまった。続きから、また観始まったが、結構おもしろかったので、一端最後まで行ってから、また最初に戻って見直すことになった。昔の映画館みたいだ。今の人にはまったく分からないだろうが、昔は映画館に入る時はとりあえず入ってしまう。映画の途中だろうが気にしない。3本立ての時だって同じだった。1本目がおもしろければ、3本目が終わってからも、まだ映画館にいるという情況だった。

立ち見も途中入場もありの映画館での鑑賞は、昔の風物詩だった。時代が変われば、少しずつ現象も変わってくる。10年経てば10年の時を感じる。1、2年ではその現象の変化を認知出来ないでいる。いつの間にか変わってしまった、と思えるのが時の流れ、というやつなのだろうか。

アパッチ族はいかに残忍かを植え付けるような映画内容だった。好戦的でないインディアンも数多く描かれているがアパッチ族をこういう風に捉えるのは、アメリカでは一般的なのだろうか。なにかと取り上げられる先住民というやつ、昔からその土地に住んでいた人達が蔑ろにされるなんて、考えてみればおかしな話だ。勝てば官軍という大原則が、人間の生活の原則なのかもしれない。仕方がないか~。貧乏人は麦を食え、なんて言われて、その通りにしていた方が健康的で長生きできる世の中になってしまっているのが皮肉だ。

『ネバーランド』(Finding Neverland)

2004年・アメリカ/イギリス 監督/マーク・フォースター

出演/ジョニー・デップ/フレディ・ハイモア/ケイト・ウィンスレット/ジュリー・クリスティ

劇作家ジェームス・マシュー・バリーが、ピーター・パンのモデルとなった少年と出会い、その物語を完成させるまでを描いた実話を基にしたヒューマンドラマ。泣けた。涙が出てくると目の調子が良くなる。どんどん酷くなっていく眼の状態、乾燥どころではなく目が見えなくなってきている。困ったものだ。

一瞬観るのを躊躇したのに、期待を見事に裏切ってくれて嬉しい。私はこういう話は好きだ。描き方も実に巧妙、ジョニー・デップの特異性が生かされている。普通の俳優では、この主人公を演じるのは困難だと思える。ネバーランドという夢の世界を実映像で表現するのも難しい。この手の映画で涙するとは、歳のせいばかりではなく人間力が進化したんだと思いたい。

舞台は1903年から始まっていた。貧しさを感じさせない貴族階級の話なのだろう。きらびやかな世界が、今どきの世界の話かと見まごうくらいだ。階級格差が社会の基本になっているイギリスと一億総中流と思っている人ばかりの日本とでは、根本的に社会の構造が違う。今の日本がどれほど素晴らしいかは分からない。でも、分かっている範囲でDNAを受け継ぎ、伝える使命があることだけは確かだ。

『最前線物語』(The Big Red One)

1980年・アメリカ 監督/サミュエル・フラー

出演/リー・マーヴィン/マーク・ハミル/ロバート・キャラダイン/ボビー・ディ・シッコ

日本ヘラルド映画が配給した作品だと記憶していた。なんてったて自分の現役時代の映画だから間違っていないと思っている。しかも間違っても試写室や試写会でも観たことがなかった、ということまで覚えている。ところが、Wikipediaには、ヘラルドの名前が出ていなかった。ありがたいことに、今はなきヘラルドの名前が、過去に配給した会社として通常書かれていることは、ありがたいと思っている。

観ていなかった自社配給作品をこうやって改めて観る機会を得たのに、始まって早いうちに眠ってしまった。2時間近い映画だったので、起き出してから戻らずに見続けても、長さを感じた。ということは、つまらない映画だからだろうか。珍しく気にくわない宣伝プロデューサーが担当していたことも覚えていたので、そういうことが眠りの素になっているのかもしれないなぁ。1分前のことは、すぐに忘れてしまうのに35年以上前のことを覚えているというのは、痴ほう症の典型的な症状の入口だ。

この映画の主人公は第一次世界大戦の前線で、終戦の知らせを知らずに、近づいてきた敵兵を殺めてしまった。落語のオチのように、隊長として参戦した第二次世界大戦でも、終戦の報を聞かない最中に敵兵の腹に前回と同じようにナイフを突き刺してしまうのだった、しかも両大戦の終戦とも彼の行為の4時間前だったというものだった。今回はなんとか相手の命が助かったという、映画的なオチが付いていて観客は安堵するのだった。第一次世界大戦が始まったのは1914年、大正三年のことだった。父小河隼人もヘラルド創業者古川勝巳さんもこの年に生まれた。「五黄の寅」という運気の強い年だった。

『ドライヴ』(Drive)

2011年・アメリカ 監督/ニコラス・ウィンディング・レフン

出演/ライアン・ゴズリング/キャリー・マリガン/ブライアン・クランストン

日本にニコラス・ウィンディング・レフン監督の名を知らしめた映画であり、この映画のヒットをきっかけにレフンの過去作が相次いで劇場公開・ソフト化されたらしい。今どきカーアクションかよ~、と訝っていたが、たぶんCGのない生身の人間によるカーアクションだと、訴えているような気がする。

車の修理さらに運転に秀でているのがこの映画の主人公、善悪を問わず車の運転なら相棒になる。どこから流れ着いたのかを知らせないで主人公はこの地ロサンゼルスで、如何なくその運転技術を発揮する。正義ではなく悪行の片棒を担ぐことになる主人公の将来には、偶然出会った母子への愛情が暗雲立ち込める想定を醸し出す。

出だしの好調さから比べたら、すぐにペースが落ちてしまう映像に、監督の力のなさを感じる。波があり過ぎる。アメリカ映画に欠かせない男女のシーンになると、急にペースが落ちていったように見えた。DVDが最後のチャプターにもう少しというところで映像が止まってしまった。今までも時々襲われる不具合だったが、今回初めてそこでホントにストップしてしまった。主人公が敵の懐に飛び込み、死を覚悟しているという場面でこの映画は終わった。主人公は最後どうなったのだろうか。

『駆込み女と駆出し男』

2015年(平成27年)・日本 監督/原田眞人

出演/大泉洋/戸田恵梨香/満島ひかり/内山理名/陽月華/キムラ緑子/中村嘉葎雄/樹木希林/堤真一/山崎努

おもしろかった。この映画の存在を知らなかった。陽月華という宝塚出身の女優も初めて知った。いろいろな新しさを感じる映画だった。この監督も監督になる前から知っていたが、初めの頃の作品はデクノボーのような感じだったが、今や日本を代表するような存在になったことを正直驚く。映像が抜群に綺麗だし、ストーリー展開もこの監督の脚本が実に映画らしい。格調の高い映画に仕上がっている。

活字世界にとんと疎い自分が恨めしい。原案が井上ひさしの『東慶寺花だより』だという。映画の題名は、こんな凝り方をせず単に『駆け込み寺』で良かったんじゃないかと思える。その方が単純明快でいい、と昔の癖が出てくる。縁切寺のはなしは、昔はしょっちゅう出てきていたが、久しぶりに聞いたなぁ。

江戸時代、幕府公認の縁切寺とされた鎌倉市の東慶寺というあたりが、なんとも日本的なありようで微笑んでしまう。この寺の恩恵を受けた人が2000人余りだったと最後のクレジットがあった。もう江戸時代のホントの最後の時期、あと25年待てば江戸時代が終わると分かっていれば、庶民の生活も大幅に変わってただろうに。

『アフター・アース』(After Earth)

2013年・アメリカ 監督/M・ナイト・シャマラン

出演/ジェイデン・スミス/ウィル・スミス/ソフィー・オコネドー/ゾーイ・イザベラ・クラヴィッツ

2025年という近未来なのに、動物は人間を見ると殺してしまうという地球になっていた。エイリアンに出てくるような化け物のような物体も登場する。人間はもう地球には住んでいないようだ。SFは大好きだけれど、この映画のはなしはイマイチ。冒険SFアクション映画といった風情。

あと10年したって今住んでいる所の様相が激変することはないだろう。ただ徐々に変わっていく姿が、結果として100年後には当然のことながら、大きく変わっていることは間違いない。その100年後をどうしても見たい。そして、そのまた100年後も。

映画の描く未来は確実に実現するのだが、「2001年宇宙の旅」以降描かれた宇宙空間には、まだまだ現実が追いついていない。宇宙船の姿が、とてもじゃないけど追いつけない。スターウォーズ然りといった感じだろうか。人間の移動手段としての乗り物も、何一つとして現実化していないところがおもしろい。夢は遠い。空の上から自分の目で見えるときには、人間という物体から切り離された精神が彷徨うことになるのだろうか。

『回転』(The Innocents)

1961年・アメリカ 監督/ジャック・クレイトン

出演/デボラ・カー/マイケル・レッドグレーヴ/メグス・ジェンキンズ/マーティン・スティーブンス

手元にあるDVDには「The Innocents(1961,UK,100mins)」と言う情報しか載っていなかった。innocents で検索すると、1979年日本ヘラルド映画が配給したルキノ・ヴィスコンティの『イノセント』ばかりがヒットして、何の役に立たなかった。きちんと、The Innocents と検索してあげてようやくタイトル周りの情報にありついた。

デボラ・カーの名前はよく知っているが顔と名前が一致しない。出來の悪い恐怖映画のような雰囲気を感じ始まった時から、急に眠気が襲って目を開けていられない状態に陥った。この頃はやたら多い。顛末はまた。

結局、再びこの映画を見る気にはなれなかった。洋画でこんな終わり方をするのは初めてじゃないかなぁ。途中でもういいやと、思うような洋画にはまず巡り合わない。この映画もそこまで酷いとは思えないのだが、どうも出來の悪い日本映画のスリラー映画の影響が大き過ぎたようだ。こんな風に日本映画のつまらなさが、洋画の見方にまで影響するとは。いろいろなことがあって、人生はやっぱりおもしろいということになる。

『スタア誕生』(A Star Is Born)

1954年・アメリカ 監督/ジョージ・キューカー

出演/ジュディ・ガーランド/ジェームズ・メイソン/ジャック・カーソン/チャールズ・ビックフォード

1983年にはスチル写真を利用した176分版が製作された、というバージョンを観たようだ。1937年に最初の映画が公開され、1976年にはジュディ・ガーランドの娘バーブラ・ストライサンド主演による映画が公開された。よく似た母娘だと思っていたが、母親の若い頃は娘の若い頃に比べてややおとなしめ目の顔だった。

ミュージカルという先入観が強く、録画からだいぶ経ってから観る決断となった。3時間に近い上映時間のまだ半分くらい、ミュージカルが嫌だと思えるほどのシーンが出てこなく、話が結構おもしろいのが嬉しい。スターと呼ばれるようになるには、偶然の何かが必要なのだと庶民も知っている。その何かは圧倒的な容姿や歌唱力で超せるものかもしれない。それでもまだ足りない何かがあるからこそ、スターと呼ばれる希少な存在に成り得るのだろう。

ミュージカルが嫌いなのではなく、苦手なのだ。物は言いよう、端から見れば、いずれにしろ同じに見える。後半のミュージカル部分はちょっと気だるかったが、速回しにするほどではない。アメリカの成功物語は、どれを観ても気持ちがいいものだが、この映画には悲劇が待っていた。そんな悲劇をさらりとかわすあたりがこの映画のいいところだろう。救われるのは、主人公の最後のセリフ。歌うのでも、演じるのでもなくチャリティーショーに集まった観客の万雷の拍手を受ける。こういうシーンでは涙が溢れる。鬼の目にも涙、と言われるような厳しい人間になりたかった。

『アドレナリンドライブ』

1999年・日本 監督/矢口史靖

出演/石田ひかり/安藤政信/松重豊/角替和枝/マギー/坂田聡/木下明水/長谷川朝晴/六角慎司

上映時間は1時間52分だが、放送時間は2時間23分だった。つかみはいいのだが、時間が経つにつれどんどん面白くなくなっていくのが顕著だ。日本のコメディ映画と称されるものの力は極めて低い。せっかくのコメディがお茶らケ映像になってしまうのは残念としか言いようがない。

平山三紀の「真夏の出来事」が要所に流れる。同じ曲だがこの映画のエンディングテーマとなって、タイトルが「真夏の出来事'99」になっていた。なかなか好きな曲なんだけどね~。相変わらず設定状況の甘いストーリー展開で、よく事前の打ち合わせでOKになったな、と首をかしげるのはいつもと同じ。

大金を手にしたこの映画の主人公二人、そこからなにをやるのかが社会的なメッセージ。アメリカ映画にあるように、特定団体に寄付してこの泥まみれの金の始末をつけるというような設定は、日本映画では希。日本人のDNAが意外と独りよがりで社会的でないことがいつも証明されて、なんか哀しい気持ちになってくる。

『ゴースト/ニューヨークの幻』(Ghost)

1992年・アメリカ 監督/ジェリー・ザッカー

出演/パトリック・スウェイジ/デミ・ムーア/ウーピー・ゴールドバーグ/トニー・ゴールドウィン

珍しくリアルタイムで観ている映画。単なる恋愛映画にえらく心が惹かれた記憶がずーっと残っていた。リアルタイム以来初めてこの映画を観たが、なぜ好きだったかを確認することが出来た。大きな理由は2点ある。

1点は、死んだ恋人がまだ天国に行く前にさまよっている姿が映像で映し出されて、一種のSF映画っぽくなっていること。偽物霊媒師が登場して、偶然にその恋人の声を中継することになる。日本のような幽霊という存在ではないところが軽くていい。2点目は、人を愛するという気持ちが凄く良く分かる時代に観た映画だったから。おそらく私が死んでも誰にも話すことがなかったこの事柄は、永久に私の心にだけ残っているだろう。こういう永久の秘密をどれだけ抱えられるかが、人間力の第一歩になる。

リチャード・ギア主演の『プリティ・ウーマン』(Pretty Woman)がリアルタイムの丁度同じ時期に映画館で大ヒットしていた。大きくジャンル分けすれば「恋愛映画」に区分されるこの2本の映画は、観客を2分した。両方とも好きだという人には巡り合わなかった。結果的には両映画を観た人は、どちらかの派閥に属さずにはいられないというおもしろい現象を引き起こしていた。機会があったら、この2本を見比べるといい。私の言っていることを理解できるだろうと思う。

『レイクサイド マーダーケース』

2005年(平成17年)・日本 監督/青山真治

出演/役所広司/薬師丸ひろ子/柄本明/鶴見辰吾/杉田かおる

こんなベタな題名って? と思いながらも観始まったが、なかなかおもしろい映画だった。東野圭吾の小説『レイクサイド』が原作だという。テレビの2時間ドラマやなんかでこの原作者の名前を何度も見ている。が、活字を読んだこともないし、映画化されたものしか勿論観ていない。

舞台劇のように背景の変わらない設定がちょっとうざいかな~。覚えたセリフをそれぞれ登場人物が一所懸命喋っている、という構図が生まれてきて、せっかくの映画化なんだから、もう少し話を膨らませて、背景も変化させなければ、と思えた。そんなことは重々承知の上、と言う制作者側の声が聞こえてきそうだ。こういう舞台劇になってしまうと役者の力量比べになってくるのが、ちょっとばかり興味がある。役者力をランキングするのも容易だった。そういう風に見られる側には絶対なりたくない、と思える。

サスペンスは特に一点曇りないストーリー展開が必要だ。あれっ! ここは少し変、とかいう個所を見つけると、どんどん興味が失せていく。数か所そんなところを見つけると、やっぱりテレビ映画で良かったんじゃない、とちょっと映画界から見下すテレビ業界の姿が見えてくる。

『バッド・ガールズ』(Bad Girls)

1994年・アメリカ 監督/ジョナサン・カプラン

出演/マデリーン・ストウ/メアリー・スチュアート・マスターソン/アンディ・マクダウェル/ドリュー・バリモア

『クイック&デッド』と同じく数少ない女性を主人公にした西部劇映画といわれても、クイック&デッドを観たことがない。売春宿とか娼婦という呼び名が闊歩する映画。チャンバラ映画の世界とよく似ている。

ほんのちょっと前まで世界中で女性の地位は低かった。どういう理屈や屁理屈が横行していたのだろう。機械やツールのない時代には人間の体力が勝負だったことは確か。だからと言って、頭も悪い社会のことにも対応できないと決めつけられていた。そんな過去の時代の遺物をまだ引きずっている国々が世界にはある。西部劇の時代にも女は貴重な存在で「イエス!マム!」と敬われてはいたが、こと人間社会では男の持ち物という認識しかされなかったようだ。この映画の一人の主人公女性、夫が亡くなって残った土地所有の証券も、妻にはそれを継承する権利がない、と弁護士に法律書を見せられる。遺産相続すら認められていなかった、というより女の権利なんてない、と法律で宣言されていた。

ドリュー・バリモアは生後11ヶ月からコマーシャルに出演してから、かの有名な1982年の『E.T.』で主人公エリオットの妹役で出演、その愛らしさで一躍天才子役として注目された。その後も子役をしっかりと演じ、大人になっても女優として活躍する珍しい存在だ。子役だけで消えていく人たちも数多くいるのに。日本贔屓としても彼女は有名だが、日本人も彼女の雰囲気を愛している。この映画はまだ20歳前に撮影したと思われるが、惜しげもなく乳房を曝け出す根性が気持ちいい。

『ブルース・ブラザース2000』(The Blues Brothers 2000)

1998年・アメリカ 監督/ジョン・ランディス

出演/ダン・エイクロイド/ジョン・グッドマン/ジョー・モートン/J・エヴァン・ボニファント

「あれから18年」と冒頭のクレジットが入る。いまいち乗れなかった伝説のオリジナル映画だったが、同じテイストが2作目になると、さすがに心に安心感が広がり、余裕をもって馬鹿馬鹿しさに付き合うことが出来た。もうおもしろいとか面白くないとかの問題ではなく、どこまで気持ちが映画に向くかという問題だった。

いつの間にか眠ってしまって、最後に行ってしまったが、もう1回見直そうかということが負担にならなかった。アメリカに住んでいたり、すごく親しんでいれば、オリジナル同様この映画にもたくさんの有名ミュージシャンが出ていたらしいので、かなり楽しめるのだろうと、ちょっと悔しかった。

世界中で、日本各地でもいろいろなライブが繰り広げられている。ひとつのサウンドのファンになれることは仕合せだろう。ましてやインディーズ時代から追っかけて、メジャーデビューするときには至極の仕合せ感にひたれるに違いない。一方で、小さな世界にとどまってくれていた憧れの人たちが、広い世間に離れてしまったという寂しさも、同時に味わうことになるんだろう。

『ブルース・ブラザース』(The Blues Brothers)

1980年・アメリカ 監督/ジョン・ランディス

出演/ジョン・ベルーシ/ダン・エイクロイド/ジェームス・ブラウン/ジェフ・モーリス/キャリー・フィッシャー

伝説の映画だ。リアルタイムで観ることはなかった。なぜか自分の観る映画ではなさそうだと感じていた。今回観てその感じは正しかったと分かった。たぶんこの映画をこよなく愛している人がいるだろうから、その人からこの映画のどこが素晴らしいのかレクチャーを受けたい。

この映画のエピソードを3件、Wikipediaより転載する。これだけで映画の雰囲気は分かるだろう。レイ・チャールズがエレピを弾き「Shake your tail feather」を演奏し、通りを歩く歩行者がリズムに合わせダンスをするシーンは、設定は夏だが撮影は真冬で極寒の日のロケだったという。

ショッピングモールのカーチェイスシーンは、イリノイ州ハーベイにあった、1975年に閉業したショッピングモールの廃墟を使って1週間かけて行われた。実際にある企業から商品を借りて撮影をしていたため、盗難防止に当時アメリカ最大の警備会社に警備を依頼していたが、撮影中商品が無くなる事が相次いだ。警察を呼び調べたところ、その警備会社の警備員が盗んでいたことが判明した。
 物語の終盤、シカゴ市役所前での群衆シーンでは500名を超えるエキストラが投入され、ここには200名の州兵、100名のシカゴ市およびイリノイ州の警察官が含まれた。さらに騎馬警官用のウマ15頭、戦車3輌、消防車3台、ヘリコプター3機も用いられた。

『ハムナプトラ2/黄金のピラミッド』(The Mummy Returns)

2001年・アメリカ 監督/スティーヴン・ソマーズ

出演/ブレンダン・フレイザー/レイチェル・ワイズ/オデッド・フェール/フレディ・ボース

酷いドタバタで内容をどうのこうのと騒げない。8歳になる子供が活躍して前作とはまた違った子供騙しを見せてくれるくらいだろうか。途中でひと眠りした。以前は多かったこの手の居眠り、この頃は少なくなったと喜んでいたが、この季節は眠気が襲ってもいい訳が出来る。体調の問題があるのだろうが。

エジプトへは行きたいと思うこともあったが、なぜか旅の食指は動かなかった。今どきのように世界中の人間が旅好きな時代ではなかった40年前なら、もっと自由にピラミッドも見学できただろう。イギリスのストーン・ヘンジに行ったとき、あの石に触ることさえできていたのに、今見る写真では周りに枠が巡られていて、ずいぶんと様変わりしていた。

日本を旅することなく海外旅行に行く人も多いに違いない。日本のように北から南に長い島国では、気候と共に風土・風習も言葉も大きく違う。景色も歴史的建造物にも大きな違いが感じられる。そんな基礎的な生まれた国の探索をまずしてから海外に行きなさいと言いたい。自分もそうしてきたから言えることだが、日本は素晴らしい。そして外国も。地球に生まれたという喜びが人生にはある。そのうち、異星人が地球に襲来することもあるだろう。それまで人間の営みは続くのだろうか。すごく興味がある。

『ランブルフィッシュ』(Rumble Fish)

1983年・アメリカ 監督/フランシス・フォード・コッポラ

出演/マット・ディロン/ミッキー・ローク/ダイアン・レイン/デニス・ホッパー/ニコラス・ケイジ

冒頭のクレジットでフランシス・フォード・コッポラ監督作品だと知って期待をした。なんだか訳の分からない映画だった。地獄の黙示録とどっちが早いかが気になった。というのも、主人公のハートが地獄の黙示録のカーツ大佐に似て go to mad になっているような気がしたから。

人間の心の内を映像で表現されても、観客は戸惑うばかりだ。それがもし分かるようなら、人間として凡人を演じていないだろう。上映時間1時間34分と短いのに、ずいぶんと長く感じられたのはおもしろさに欠けるからだろう。先日落ちぼれたボクサー役のミッキーロークを観たが、この頃の彼はその姿を想定していただろうか、興味のあるところ。

今や大俳優になったニコラス・ケイジはこの時19才か20才、コッポラ監督の甥ということで映画界に早々とデビューできたのかもしれない。きっかけはどうでもいい。その後の人生を全う出来る力があるのなら、二代目だろうが三代目だろうが世の中はその人間を受け入れるだろう。頑張れ、親の七光りで生きている人達よ。

『愛と哀しみの果て』(Out of Africa)

1985年・アメリカ 監督/シドニー・ポラック

出演/メリル・ストリープ/ロバート・レッドフォード/クラリス・マリア・ブランダウアー

第58回アカデミー賞作品賞ならびに第43回ゴールデングローブ賞ドラマ部門作品賞受賞作品。アカデミー賞の対抗馬はスピルバーグ監督の 『カラーパープル』 であり、この作品が受賞したのはスピルバーグに取らせたくなかったからだと陰口を叩かれた。(カラーパープルは結局無冠に終わった。)(Wikipediaより)

Wikipediaの情報は正しい気がする。この映画が賞に値するのはどこなのだろうかと疑問である。男と女の恋の形をアフリカという舞台で見せているだけじゃん、と私だって陰口をたたく。1937年に出版されたアイザック・ディネーセンの小説『アフリカの日々』が原作で、アフリカでのさまざまな出会いが複雑に絡まって描かれていて、決してメロドラマではない。と、Wikipediaは後を続ける。

日本ヘラルド映画が配給した『愛と哀しみのボレロ』(Les Uns et les Autres)のロードショーは1981年だったから、題名を真似たのはヘラルドじゃなかった、と確信が持てた。配給年が逆になっていたら、ヘラルドは同じように題名を付けただろうか、いや、間違ってもそんなことをするはずがないと、これも確信をもって言える。上映時間3時間5分と地味に長い。

『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』(The Mummy)

1999年・アメリカ 監督/スティーブン・ソマーズ

出演/ブレンダン・フレイザー/レイチェル・ワイズ/アーノルド・ヴォスルー/ジョン・ハナー

1959年に英国ハマー・フィルム・プロダクションが制作した『ミイラの幽霊』(テレンス・フィッシャー監督)に続き、1932年公開の『ミイラ再生』(カール・フロイント監督)の二度目のリメイク作品である(近年では二番目のリブート作品と言われる事もある)。当時、パソコンが一般に普及しつつある頃であり、最新のVFXを全編に取り入れた作品として、日本では注目された。(wikipediaより)

インディ・ジョーンズ シリーズを思い出す。『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981年公開)、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984年公開)、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年公開)、『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(2008年公開)、2013年、ウォルト・ディズニー・スタジオがパラマウントより版権を獲得し、2019年に公開予定の第5弾からがディズニー配給となることが決まっているという。

ハリソン・フォードとはまた違った雰囲気があり、おもしろい。子供だましであることには変わりないのに、こっちの映画は子供心をくすぐってくれて興味深い。どうして、こういう感覚の違いが生まれるのだろうか。どこまで嘘っぽくなく映像を作れるかの違いだと思う。滑らかなアニメとパラパラ動画の漫画の違い。舞台を本物の下でやることと、小さなプールに水を張った海を表現することの違いなんだろう、と思う。

『椿三十郎』

1962年(昭和37年)・日本 監督/黒澤明

出演/三船敏郎/仲代達矢/加山雄三/小林桂樹/団令子/志村喬/藤原釜足/入江たか子/清水将夫/伊藤雄之助

黒澤明監督のチャンバラ映画の中で一番だろうと思っている。なにしろノンストップ・ストーリーが小気味よい。加山雄三は25才、映画デビュー2年後の出演だ。それにしても三船敏郎は大したものだ。ここまで、チャンバラ映画に似合う俳優もいない。

椿三十郎という名前は、とっさに名前を問われた浪人の主人公が考えたもの。奥方から名前を聞かれた時、この主人公は部屋から庭を見回し、ちょうど目に入った椿の花からもらった、という演出になっている。それよりも、「椿三十郎」と名乗った後に、カメラが庭にある椿をなめた方が効果的だと思ったりして、黒澤演出にちゃちを入れる。

軽挙妄動する若者侍をたしなめるように、この主人公浪人侍が人間として上を行く。現代だって同じようなもの、大した実績も実力もあるわけではない若造が、偉そうに自分の考えを喋っている姿がダブってくる。いったいどこからそんな自信が出てくるのだろうか。非力な人間は、その非力さを補うために最大の努力を続けることが求められる。所詮は凡人の自分をもっと知らなければいけない。

『ミッドナイト・ラン』(Midnight Run)

1988年・アメリカ 監督/マーティン・ブレスト

出演/ロバート・デ・ニーロ/チャールズ・グローディン/ヤフェット・コットー/ジョン・アシュトン

タイトルの意味は、「一晩で終わる簡単な仕事」、「仕事は簡単」、「ちょろい仕事」というスラングであるという。元警官の主人公、マフィアの大金を慈善事業に寄付してしまった会計士を捕まえるという、一晩では出来そうもないことを請け負ってしまった。アクション・コメディの傑作と書かれている。

ライオン・マークで誰でも知っているメトロ映画の日本支社長からヘラルドにヘッドハンティングされたサム・難波副社長がこの映画のことを好きだと言っていたことを思い出した。何かの折に本人から直接聞いたことなので、こんな機会に思い出すことになったのだろう。ヘラルドが配給した『恋人たちの予感』(When Harry Met Sally...・1989年)のいちシーンで洒落たセリフのやり取りのある場面も好きだと言っていた。いずれも、さり気無い役者の言葉と表情が粋なシーンなのだが、字幕スーパーではなく英語を直接聞いて理解できるハートが、きっと彼には心地良かったんだろうな~、と想像する。

ロバート・デ・ニーロ45歳の時、今の顔形のふた回りも小さな顔だった。サム・難波さんはアメリカ育ちだけれど、たしか高校までは広島だったようなことを聞いていた。日本語は完璧だし、西海岸英語も完璧、読売巨人軍をこよなく愛し、「ナイト・ゲーム」と本物英語を遣わず、「ナイター」と使い分ける程の気配りの人だった。血液型B型には珍しい人だなぁ、と勝手に意味のない血液型占いをしていた。いい人だったな~。

『猿の惑星:新世紀』(Dawn of the Planet of the Apes)

2014年・アメリカ 監督/マット・リーヴス

出演/アンディ・サーキス/ジェイソン・クラーク/ゲイリー・オールドマン/ケリー・ラッセル

20世紀フォックスのオリジナル版『猿の惑星』シリーズをリブートした2011年の映画『猿の惑星: 創世記』の続編であり、フランチャイズ通算では8作目であるという。人間と同様の知性、そして人間に頼らないエイプ(猿)としてのアイデンティティを得たチンパンジーのシーザーが仲間とともに人類に反旗を翻し、ミュアウッヅの森に逃げ込んでから10年後……。このあたりの続き具合がよく分からず、冒頭から映画に没入できない辛さがあった。

映画がおもしろいかどうかは個人の感想。だが、この映画はおもしろいとか面白くないとかの問題ではなく、ストーリーがどうにも嫌いだった。まず暗い。擬人化された猿が気に障る。あまりにも基本的な人間模様を、大袈裟に映画・映像化しただけのような気がして仕方がなかった。

それでも、そんじょそこらの映画よりは断然おもしろいと思えるのは不思議なもんだ。猿だけではなく、この地球上に生きているものの意志なるものはどうなっているのだろう、と時々思うことがある。あの鳥は今何を考え、何を友と話しているのだろうか、と。人間だけが意思の疎通が出来ると考えるのは、明らかに大きな間違いなんだろう。

『ドント・ブリーズ』(Don't Breathe)

2016年・アメリカ 監督/ フェデ・アルバレス

出演/ジェーン・レヴィ/ディラン・ミネット/ダニエル・ゾヴァット/スティーヴン・ラング

舞台はアメリカ・デトロイト。視覚障害者の男性は娘を交通事故で失い悲しみにくれていた。30万ドルと噂された事故の和解金を目当てに強盗常習犯である3人組のマネー、アレックス、不良少女ロッキーが拳銃で武装して窓を割り強盗に押し入る。しかし彼は元・軍人であり、盲目でも超人的聴覚を持った人物だった。「拳銃で武装した強盗相手なら射殺も許される」というアメリカの法律にもとづいて、彼は銃で脅すマネーを逆に彼の銃で射殺する。残る2人は視覚障害者の金庫から盗み出した100万ドルの現金を持ち、彼の家から必死に逃走を図ろうとする。視覚障害というハンデを負った男性は、無事に強盗を捕え自分の財産を取り戻すことができるのか。(Wikipediaより)

サスペンスとかいうジャンルに入るのだろうか。それにしても出来過ぎた話で、ちょっといい加減にしてよ、と声をかける衝動にかられた。こういう単純構造のストーリーを作って映画にするのはなんか違う気がする。

いくら元軍人でもまったく目の見えない人間と戦う映像が嘘っぽくて、困った。こちらが素直ではないということが最大の理由ではないだろう。アメリカの有名な業界紙『バラエティ』のデニス・ハーヴィーは「この手のジャンルのファンが大喜びしそうな残忍で無慈悲な危険の中での、骨太な体験実習だ」と評した、というから一般的にはこの程度で十分なのだと理解しなくてはならない。

『シン・ゴジラ』

2016年(平成28年)・アメリカ 監督/庵野秀明(総監督) 樋口真嗣(監督・特技監督)

出演/長谷川博己/竹野内豊/石原さとみ/大杉漣/柄本明/渡辺哲/余貴美子/平泉成/高良健吾

キャッチコピー「現実対虚構」の意味するところすら分からない。もともとアンチ・ゴジラ派を自認しているが、別に表立ってゴジラなんて、と笑い飛ばすほどの自信があるわけでもない。何がアンチなのかと言えば、私の嫌いな子供だましの典型にしか見えないところ。張りぼての怪獣みたいなものやプールの中で撮影された海のシーンなどは笑いたくても笑えないほどだった。

今回はその怪獣シーンばかりではなく人間ドラマにも張りぼて感が満載。現実:そこらあたりのわき役連中が政府中枢の重要ポストを演じている。虚構:どう考えたってありそうにない設定を映画にしている。と解釈してしまうほどのの酷さに見える。途中、見事に眠ってしまったが、復活して何もなかったように観続けることが出来たのに我ながら驚くばかり。

こんなことを書いているとゴジラファンは読む気もしない、とポイしてしまうだろう。それでいいのだ。お互いに言いたいことが言えることが大切なのだから。ただ気になるのは、こちらは最大限にけなしても、ゴジラファンの存在を否定していないけれど、ゴジラファンはおそらく私を無視するだろうということ。そこんところを私は非難する。この映画、最初は政府批判映画かと思ってしまったくらいだった。

『赤ひげ』

1965年(昭和40年)・日本 監督/黒澤明

出演/三船敏郎/加山雄三/山崎努/団令子/桑野みゆき/香川京子/志村喬/笠智衆/杉村春子/田中絹代

武士の一分は面白いと確信していたのが、イマイチ印象が違っていた。この映画は何となく面白さが自分自身で伝わっていなかった。ところが観始まったら、想像以上に面白かった。前回はどこがおもしろくなかったんだろう、と思っていたら、ちょっとした患者のエピソードが2つばかり流されたあたりから、面白く無さが蘇ってきた。

映画全体に流れる主人公「赤ひげ」の人格は涙ものだが、脚本で作られたお涙頂戴のエピソード群がせっかくの映画を台無しにしている。地獄の黙示録の時の前半戦と後半のあまりの違いに映画が当たり損ねたことを思い出す羽目になった。

いつの世にも通じる主人公のセリフは、政府の無為無策を罵る抗議活動に通じる。時代が変わっても、弱者が切り捨てられる構図は一向に変わっていない。弱いものがさらに弱い立場に追いやられるのが現実社会。政府や金持ちには庶民などの気持ちが分かるはずない。所詮は日本でも有数の金を稼ぐ集団が、貧乏に人を憐れんで作る法律に心がこもるはずもなかろう。

『武士の一分』

2006年(平成18年)・日本 監督/山田洋次

出演/木村拓哉/檀れい/笹野高史/坂東三津五郎/岡本信人/左時枝/桃井かおり/緒形拳

藤沢周平原作の海坂藩が舞台だ。「・・・・がんす。」と、特徴のある接尾語、美しい女性から発せられるとこの言葉まで美しく感じる。前回観た時からおもしろいと思い込んでいたせいなのだろうか、前半は意外と面白さよりも、あまりにも真面目な演技の主人公が気になっていた。この欄に書かれていなかったことに驚いた。製作年が11年前ではあり得ることだった。

檀れいは美しい。日本女性の着物姿が、抜群に美しい。観光できた外国人が着つけてもらって喜んでいるが、しっくりこない点がある。胸が大きく足の長い外国人には、一番似合わないように作られているのが日本の着物なのだ。胴が長くなければ着物の線が美しく見えない。胸高に締める着物の帯が胸が小さくなくては出来ないこと。そういう肉体的欠陥を補って、あるいはそういう欠点があるから出来る技だということを外国人には理解できないだろう。

先日観た上戸彩の着物姿が美しかったので、檀れいがこの程度出来るのは当たり前で、もう一段も二段も上の所作を期待してしまったのは、過剰期待だったのかもしれない。それにしても、着物を着た時の所作、容姿の美しさを理解できる日本人であることがうれしい。わび、さび、の世界と同じように、言葉では説明が難しい感覚が日本には多くて、そこらあたりが日常を超えたところで最重要事項であることを、知る由もないのが外国人。それでいいのだ。

『ブラッド・ワーク』(Blood Work)

2002年・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/クリント・イーストウッド/ジェフ・ダニエルズ/アンジェリカ・ヒューストン/ワンダ・デ・ジーザス

冒頭に「Malpaso Productions」と出てきて、イーストウッド作品だと認知した。観始まってすぐに観たことのある映画だと分かったが、おもしろかったので、そのまま観続けることが楽しかった。この「最近観た映画」欄に書かれていなかったことが不思議だった。もう7年以上前になるのかな。

特殊な血液型を持つこの映画の主人公は元FBI分析官。現役時代に捕まえることの出来なかった殺人犯を追い詰める話だ。話がおもしろいと思ったら、マイクル・コナリーの『わが心臓の痛み』という原作があったらしい。おそらく活字で読んだら、もっと想像力をかき立てられておもしろかったろうと想像出来る。

世の中には未解決の重大犯罪が結構残っている。3億円事件もそうだし毎年年末に想い出させてくれる一家惨殺事件もそうだ。後者などは多くの遺留品や指紋までもがあるのにもかかわらず解決されない。もう死んでしまったのか高マクラで今も悠々自適しているのか、犯人達の生活を垣間見たい。神には成れないけれど、何か夢を叶えてくれるとしたら、神になって未解決事件を暴いてみたい。そんな夢にもならないことを夢みている。

『青天の霹靂』

2014年(平成26年)・日本 監督/劇団ひとり

出演/大泉洋/柴咲コウ/劇団ひとり/笹野高史/風間杜夫/柄本佑、小石至誠(ナポレオンズ)

今日は、2017年4月2日(日)。原作は劇団ひとりが書き下ろした小説で、デビュー作の『陰日向に咲く』に次いで2作目である、と知ったのは映画を観終わってから。その方が先入観がなくて賢明だったと思う。2010年8月25日に幻冬舎から刊行されて、2014年に映画化されるなんてかなり早い夢実現だったろう。

リアルタイムで劇団ひとりが本を書いたという情報は掴んでいた気がするが、自分が監督して映画を作ったとは。ある意味、大したものだ。役者としての大泉洋も嫌いじゃないし、柴咲コウは一番好きな女優だし、劇団ひとりだって才能があるんじゃないと思っていた芸人で、バックボーンに難癖を付けるところはない。

つかみは抜群だったが、暫くしたらちょっと拍子抜けになってしまった。終わり頃にはうたた寝をしてしまう始末。後で分かった原作者自身の監督が問題だったのだろう。彼の監督力があるかどうかの問題ではなく、自分の原作を映画監督することがいけないのだろう。なんか中途半端な想いを押しつけられているようで気持ちが悪かったのは、こんなところに原因があるのだろうと私の心が言っている。

『七人の侍』

1954年(昭和29年)・日本 監督/黒澤明

出演/三船敏郎/志村喬/加東大介/木村功/千秋実/宮口精二/稲葉義男/藤原釜足/左卜全/津島恵子

上映時間3時間27分だった。おもしろいと確信して今まで生きてきたけれど、観始まってもシーンを思い出せない特技が今回も。新鮮でいいことだらけしかない特技だが、それにしてもよくもまぁ~内容を覚えていないもんだ、と感心するしかない。

途中「休憩」が入る。「憇」舌・甘・心と書くたぶん旧字だろうと思われる漢字が使われている。近年は「憩」舌・自・心と書いていることを昔から覚えていたので、ちょっとおもしろかった。旧字もワープロで探せば出現するので、死字ではないようだ。

前半の軽快な動きが後半はちょっと停滞する。いささか長過ぎる。七人の侍が戦う相手の数が、劇中で数えられる数と一致しないように見えて、そんなつまらないことが気になった。黒澤明特集なのだろうか、NHK-BSは彼の監督作品をここのところだいぶ流している。何度でも観ておいた方がいい作品なので、そうすることにしよう。

『マラヴィータ』(英語題: The Family, 仏語題: Malavita)

2013年・アメリカ/フランス 監督/リュック・ベッソン

出演/ロバート・デ・ニーロ/ミシェル・ファイファー/トミー・リー・ジョーンズ/ディアナ・アグロン/ジョン・デレオ

フランス・ノルマンディーのとある田舎町に、アメリカ人のブレイク一家が引っ越してきた。彼らは一見ごく普通のアメリカ人の一家のようだが、実は主のフレッドは本名をジョヴァンニ・マンゾーニという元マフィアで、家族ともどもFBIの証人保護プログラムを適用され、偽名を名乗って世界各地の隠れ家を転々としていた。そんなワケありのブレイク一家は地元のコミュニティーに溶け込もうとするが、かんしゃく持ちのフレッドは事あるごとに昔の血が騒いでトラブルを引き起こし、妻マギーと2人の子供も方々でトラブルを起こしてしまう。(Wikipediaより)

といった内容なのでコメディであることは確かなのだが、おちゃらけたシーンが一切ないのが相変わらずのアメリカンなコメディのありようだ。これぞ「クール!」と呼べる映画だった。気にくわない周りの奴らを単純に暴力で懲らしめるのは、マフィアや暴力団のやり口。持って回らないだけいい。悪いことをしなければパンドラの箱を開けることはない。

子供二人の高校での振る舞いにも笑いが。嫌なやつなら殴りたいよね。徹底的に相手をのめすのがマフィア・スタイル。言っても分からなければ、実力行使というのは太古の時代からの人間・スタイル。今や、言葉だけでもネットが炎上する時代ではうかつな行動に出られない環境で、それが社会というものなのだろう。マラヴィータとは飼い犬の名前。

『アンフェア the end』

2015年日本・アメリカ 監督/佐藤嗣麻子

出演/篠原涼子/永山絢斗/阿部サダヲ/加藤雅也/向井地美音/吉田鋼太郎/AKIRA/寺島進/佐藤浩市

フジテレビ系列のドラマ『アンフェア』の劇場版3作目。2011年公開の映画第2作『アンフェア the answer』の続編でありシリーズ完結編とある。劇場版前作を見たことがあり、どことなく分かっているつもりだが、登場人物をいちいち覚えていない。明確な続編を観る前は、前作を直前で見直すことが、映画をさらに楽しくさせる技だろう。

篠原涼子も好きなタレントではないが、あっちこっちのテレビ番組に顔を出している役者が、同じ格好と声でまったく違う役を演じるのには違和感がある。アメリカの役者のようなスクリーンでの役作りが徹底されていない日本映画では、あまりにもリアリティーのないシーンや展開に反吐が出そうになる。話はおもしろいが、犬やサルでも撃ち殺せない日本の警察官が、簡単に引鉄をひくのを見るのは抵抗がある。

結局肝心な動機映像を最後のクレジット表示の時にまとめて見せる狡さには参った。ストーリー展開の中でそこをどう見せるかが映画の命。あっち側だった登場人物が、実はこっち側だったなんて、頻繁に入れ替わられては、いくら何でもありの警察ものと言えど、安心して映画に没頭できなくて、消化不良を起こしそうだった。おもしろいんだけどなぁ~。

『免許がない!』

1994年(平成6年)・日本 監督/明石知幸

出演/舘ひろし/墨田ユキ/西岡徳馬/片岡鶴太郎/江守徹/中条静夫/秋野太作/五十嵐淳子

書くのもおぞましいくらい、くだらない映画。当然速回しになる。いちいち癪に障るセリフと進行。こんな映画を作る金があるなら、何処かに寄付してほしい。すべてが観客に笑いを促すセリフ、所作、呆れかえるほどの脚本は森田芳光だった。役者全員が変われば、もしかすると面白くなるかもしれない。

ちょうど3年前「運転経歴証明書」に変わってしまった自分の自動車運転免許証。毎日飲まなければいけない6種類の薬の効能書きには、有効なところは1点で副作用が無数に書かれている。眠気なんかどの薬にも書かれている。便秘と下痢が同時に書かれている薬もある。そんな薬を飲み続けなければいけない環境では、ボケよりも先に薬問題の方が大きいと感じた。それでも車が目の前にあるのなら免許証を手放すことはなかったであろう。

ほとんどのところは運転免許証の代わりにこの運転経歴証明書を代用できるようになっている。ところがイオンのカードを作ろうと思ったときに、運転免許証でなければダメだというので、佐川急便のお兄ちゃんにやっぱり駄目だと、諦めてしまったことがある。昭和43年から持ってたものを捨てるというのはつらい決断だった。免許証もそうだし、もう一つ重要な出逢いも。

『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(The Postman Always Rings Twice)

1946年・アメリカ 監督/テイ・ガーネット

出演/ラナ・ターナー/ジョン・ガーフィールド/セシル・ケラウェイ/ ヒューム・クローニン

原作は、1934年に出版されたジェームズ・M・ケインの小説。これまで4度映画化されている。1本目、1939年:ピェール・シュナール監督:LE DERNIER TOURNANT(最後の曲がり角)と言うタイトル。舞台はフランスのパパス。2本目、1942年:ルキノ・ヴィスコンティ監督。舞台はイタリア、初監督作品。3本目がこの映画。4本目、1981年:ボブ・ラフェルソン監督。ジャック・ニコルソン、ジェシカ・ラングなどが出演。日本ヘラルド映画配給作品だ。

この映画は日本では劇場未公開だったらしい。戦後間もない頃では劇場未公開も多かったのだろうか。ヘラルド時代の映画に比較して、主人公二人の愛欲シーンがまったく見られなかったことが、拍子抜けのような雰囲気。このタイトルを見ると、ジャック・ニコルソンとジェシカ・ラングのキッチンでのSEXシーンをどうしても思い出してしまう。ポスターもそんな絵柄だったような気がする。

この映画の最後に「郵便配達は二度ベルを鳴らす」の意味を主人公が喋る場面があったが、二度見直しても意味が分からなかった。頭の悪い自分に嫌気がさす。映画的には劇場未公開になるほどの酷さはない。シーンの速さや想定外の展開に、さすが映画はいいな、と思わせるものがあった。ダブル・ジョパディー、一事不再理というキーワードがちらりと喋られるのだが、ほかの映画でもこのことについて学んでいたので、実にすんなりとわが身に入ってきて、気持ちよかったこと。

『隠し砦の三悪人』

1958年(昭和33年)・日本 監督/黒澤明

出演/三船敏郎/千秋実/藤原釜足/藤田進/志村喬/上原美佐/藤木悠/加藤武/上田吉二郎

以前観たときに酷くおもしろくなく途中でやめてしまったと思っていた。そのシーンだけがほのかに記憶に残っていた。今日は結構おもしろく観させてもらった、という感じ。2000本以上観てからやって来る鑑賞時間は、さすがに余裕がうかがえる。

黒澤明監督の仕掛けはいつも子供騙し。ここがこういう風におもしろい、と思っているのだろうが、どうにも世間を知らないプロの脚本家の話みたいで、いつもチンケに見える。それは仕掛けがそう見えるだけで、話全体の流れに関しては問題ない。名作と評されるけれど、素人にはそこまでの名作とは思えない。撮影技術とかの凄さはあるのだろうけれど、一般観客はそんなことには見向きもしない。おもしろいかどうかが一番、という点では、おもしろいような・・・と言葉が濁る。

前回途中退場だと思って記憶にあったシーンは、なんとラストシーンだった。最後まで観ていたんだ?!$% 著名な監督がこの映画を参考にしたらしいが、プロから観るこの映画の優れているところを教えて欲しい。そういう目で見れば、この映画の良さと共におもしろさが伝わってくるかもしれない。笑いが理屈っぽいのが黒澤映画の特徴、と素人っぽい断言をしてしまう。

『ひばりの花笠道中』

1962年(昭和37年)・日本 監督/河野寿一

出演/美空ひばり/里見浩太朗/近衛十四郎/香山武彦/西崎みち子/久我恵子/紫ひづる/富士薫/暁冴子/勝山まゆみ/北龍二

友人からのDVDには「花笠道中」とだけ書かれていたので、まさか美空ひばりの映画だとは知らなかった。自分からめったに観ることはないであろう作品なので、そういう意味では楽しい時間だった。一人二役、しかも姉と弟を演じている。あの時代は結構一人二役があった。今なら極めて簡単そうな同じ画面の二人も、あの時代では究極のテクニックだった。

ミュージカルのような場面が何回もあった。聞いたことのない歌だった。レコード化されていない美空ひばりの唄が、たくさんあるに違いない。美空ひばりの歌声は世界一と言えるだろう。テレビの解説で、彼女の歌声が高音と低音が一緒になって「ゆらぎ」ながら流れるのが特徴だと言っていた。このことは以前書いたような気もする。

江戸のいなせな活躍ぶりも目を見張るが、江戸を下っていく東海道の人通りの多さに驚く。最近の時代劇ではここまでの人込みを表現していない。昭和30年代の映画には忠実な歴史公証を再現しているのだろうか。上映時間1時間23分と短く、この時代の映画館3本立てを思い出させてくれる。

『リベンジ・マッチ』(Grudge Match)

2013年・アメリカ 監督/ピーター・シーガル

出演/ロバート・デ・ニーロ/シルヴェスター・スタローン/ケヴィン・ハート/アラン・アーキン/キム・ベイシンガー

Wikipediaの[評価]:本作には否定的な意見が寄せられた。映画批評サイトのRotten Tomatoesには69件のレビューがあり、批評家支持率は20%、平均点は10点満点中4.4点となっている。批評家の意見を総括すると「『リベンジ・マッチ』には笑える部分もあるにはあるが、とりとめのない話に過ぎない。豪華キャストも陳腐な脚本の前では何もできていない。」となる。また、Metacriticには、27件のレビューがあり、平均点は100点満点中37点となっている。第34回ゴールデンラズベリー賞において、シルヴェスター・スタローンが本作と『大脱出』、『バレット』の3作の演技によって最低主演男優賞にノミネートされたが、『アフター・アース』の主演俳優ジェイデン・スミスに敗れた。

『ロッキー』シリーズを観ていない。スタローンに魅力を感じなかったことが一番の原因。キム・ベイシンガーとのやり取りに過去の映画もしくは個人的事情も加味されたようなセリフが出てくるが、一向に分からない。こういうあたりは映画をきちんと観ていないとどうにもならない。

前述のように評判はイマイチな映画だが、それなり以上に楽しめた。実年齢70才にならんとする二人のボクシングシーンは楽しめる。コメディーがおちゃらけないのはアメリカ映画の大特徴、いつの日か日本映画界もこんなコメディを作ってほしい。テレビ番組にはお笑い芸人が溢れかえっているんだから。

『42 ~世界を変えた男~』(42)

2013年・アメリカ 監督/ブライアン・ヘルゲランド

出演/チャドウィック・ボーズマン/ハリソン・フォード/ニコール・ベハーリー/クリストファー・メローニ

原題は「42」だけ。世界を変えた男なんていう大袈裟なサブタイトルを容認した奴は誰だ。毎年4月15日、メジャーリーグの選手のユニフォームの背番号は全員42だ。初の黒人メジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンを記念してしる。唯一全球団の永久欠番も42だというから、彼の為したことがいかに凄かったかの証明になるだろう。

第二次世界大戦直後のアメリカ、軍隊には多くの黒人がいたはずなのに、実際のアメリカ社会では平然と人種差別をしていた。映画でしか知らないその差別の実態だが、そういう事実を見るたびに、そこまでやるかと思えるほどの酷さに呆れかえるほど。トランプだって、本当はそう言いたいのだろう。「White Only」とか「Colored」と書かれたドアには、そんなことは当たり前だよ、という社会のメッセージが明らかで、おおいに勉強させられる。日本人だって「Colored」に属するのだろうから、我が儘なアメリカ人はこうやって形成されたに違いない。

何故全員が42番を付けてプレーするのかを理解できていなかった。そういう意味では観た価値がある。分かりきったような気のする題名には食指が動かなかったが、実は彼の偉業を讃えるばかりではなく、時代の要請のせいにして人種差別を繰り返してたアメリカ人自身の反省に基づく映画なのだと、勝手に思うことにした。

『悪い奴ほどよく眠る』

1960年(昭和35年)・日本 監督/黒澤明

出演/三船敏郎/森雅之/香川京子/三橋達也/志村喬/西村晃/加藤武/藤原釜足/笠智衆

エピソード2件。本作で佳子を演じた香川は、終盤で三橋演じる辰夫の車から降りるシーンで、シートベルトをしていなかったので誤って車がブレーキをかけて止まった反動で、フロントガラスに頭から突っ込んでしまい、顔を何針も縫うほどの大怪我を負ってしまった。傷も大きかったので、香川は「もう女優の仕事はダメかもしれない」と引退を本気で覚悟したという。また、このとき香川が運ばれた病院にマスコミが集まってくるが、三船敏郎が香川の病室のドアの前に立ち、すべての取材を断っていたという。また三船は、ロケバスに衣装係が積み込むのを手伝うなど、そのように、三船は一生懸命に人のためにしてくれる人だと、香川は語っている。本作で副総裁岩渕を演じた森雅之は当時49歳と、息子役の三橋達也と一回りしか変わらないが、実年齢を上回る初老の役を演じて新境地を開いた。(Wikipediaより)

黒澤が東宝より独立して創始した黒澤プロの初作品。東宝との共同制作だが、次回作『用心棒』以降は菊島隆三が黒澤プロ側のプロデューサー(東宝側は一貫して田中友幸が担当)として固定されるので、本作は黒澤の数少ない製作・監督兼任作品(他には『どですかでん』『影武者』、途中から製作を兼ねた『隠し砦の三悪人』がある)となった。それだけに興業上の成功だけを狙った安易な作品ではなく、あえて難題を扱うという意志から、公団とゼネコンの汚職という題材を選んだと黒澤は語っている。また、次回作以降、黒澤は二人(以上)カメラマン分担体制を確立するので、単独カメラマンがクレジットされる映画はこれが最後である。岡本喜八作品などで知られ、これが唯一の黒澤作品となる逢沢譲が担当している。(Wikipediaより)

冒頭、状況説明を登場人物の語りで行うのは(本作では結婚式の場に取材に来たベテラン新聞記者が他の記者たちに語る)、ギリシア悲劇のコーラス隊のコーラスを踏襲したもので、黒澤映画の常套手法であるが、それを結婚披露宴で行うのは、後に映画『ゴッドファーザー』でも採用されている。タイトルは、本当に悪い奴は表に自分が浮かび上がるようなことはしない。人の目の届かぬ所で、のうのうと枕を高くして寝ているとの意味であり、冒頭のみならず、ラストシーンでもタイトルが大きく出る。(Wikipediaより)

『武士の献立』

2013年(平成25年)・日本 監督/朝原雄三

出演/上戸彩/高良健吾/西田敏行/余貴美子/成海璃子/柄本佑/夏川結衣/緒形直人/鹿賀丈史

上戸彩は、スクリーンで大きく映し出される顔には少し物足りなさはあるが、その佇まい、姿勢、立ち振る舞い、所作、どれをとっても日本女性の美しさを充分に表現している。監督は釣りバカの朝原雄三、松竹と北國新聞の共同製作。北國新聞創刊120周年作品だという。いい作品を選んだ。舞台は金沢、もってこいの素材だ。

「武士の家計簿」「武士の一分」「武士の台所」と、武士にまつわる映画はいつもおもしろい。武士よりもその周りを固める女性陣が、いつも美しい。日本人で良かったな~と思えるような、所作の美しさが際立つ。きりりとした女性の振る舞いにはぞくっとさせられる。

小京都とかいう言い方は失礼だろうな。京都ではない。あくまでも金沢だ。加賀百万石とか、金箔とか、新幹線が開通して、その特色がいかんなく喧伝されたが、一度は訪れておいた方がいいところ。日本三大名園と言われる、ここ金沢・兼六園、岡山・後楽園、水戸・偕楽園、ダントツで岡山が一番だと思うが、水戸よりははるかに金沢が上だ。

『陰謀のスプレマシー』(原題: The Expatriate、米国題: Erased)

2012年・アメリカ/カナダ/ベルギー 監督/フィリップ・シュテルツェル

出演/アーロン・エッカート/オルガ・キュリレンコ/リアナ・リベラト

二カ国語放送の字幕表示が、どうも上手く行かない。きちんと、普段の字幕になる場合がベスト。耳の不自由な人用と思われるちょっとうるさく感じる字幕でもベター。最悪なのは、字幕の切り替えボタンが表示され、字幕:日本語とボタンを押しているのに日本語が表示されないとき。音声は切り替わるのに、字幕がダメだと苛つく。

この映画も字幕切り替えが出ているのに、日本語字幕が出て来ない。ちょっとおもしろそうだったので、字幕のないまま観始まった。願わくば、いつの間にか英語が分かってしまってくれないかな~、と。この映画の英語はひどく分かりにくくはなかったけれど、ひとつひとつ意味が分かるほどでも無かった。

いらいらしながら観ていて、とうとう日本語吹き替え版に替えたのは、2/3を過ぎてからだろうか。字幕なしで観るという希望は永久に達成できそうもない。ひところよりは英語の言葉に少しづつ反応できているような気になっているが、それは気になっているだけで結局何も進歩しているとは思えない。

『汚れた英雄』

1982年(昭和57年)・日本 監督/角川春樹

出演/草刈正雄/レベッカ・ホールデン/木の実ナナ/浅野温子/勝野洋/奥田瑛二/中島ゆたか/朝加真由美/伊武雅刀

本作は角川春樹による監督作品第1作である。本来角川はプロデューサーであり、監督は別に計画されていたが人選が難航、結果的に角川が自ら演出することとなった。演出経験を持たない角川は、脚本の丸山昇一と相談し、極力台詞を削ることで映像の持つ迫力を前面に出す演出を心がけた。これについては当時、最低限のものだけを残しギリギリまで削り込む俳句の技法を応用した、との発言を残している。

また、物語は原作小説とはまったく異なるものである。脚本の丸山は当時のインタビューで、2時間弱の映画の中では原作の一部分しか描けず、また終戦後から始まる原作では当時の時代背景から描かねばならないことなどから、原作のストーリーから離れて現代を舞台にすることに当初から決めたという。丸山は原作の中の「物語」ではなく、「キャラクターの生きざま」を描こうとしたといい、「北野晶夫ライブ」という表現を用いている。(Wkipediaより)

角川春樹全盛時の映画かもしれない。角川春樹作品の4作目で日本へラレド映画は野性の証明(1978年)を配給している。この作品の前後の題名を羅列しただけでも彼のこの時代の活躍が分かる。スローなブギにしてくれ(1981年) 魔界転生(1981年・東映)ねらわれた学園(1981年・東宝)悪霊島(1981年)蔵の中(1981年・東映セントラルフィルム)セーラー服と機関銃(1981年・東映)セーラー服と機関銃 完璧版(1981年・東映)化石の荒野(1982年)蒲田行進曲(1982年・松竹)この子の七つのお祝いに(1982年・松竹)伊賀忍法帖(1982年・東映)幻魔大戦(1983年・東宝東和)探偵物語(1983年・東映)時をかける少女(1983年・東映)里見八犬伝(1983年・東映)。もし事件がなかったら映画界もちょっと変わっていたかもしれない。

『塔の上のラプンツェル』(Tangled )

2010年・アメリカ 監督/バイロン・ハワード

出演(声)/マンディ・ムーア/ザッカリー・リーヴァイ/ドナ・マーフィ/M・C・ゲイニー

ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ長編作品第50作目であり、初の「3Dで描かれるプリンセスストーリー」。原作はグリム童話の『ラプンツェル(髪長姫)』。本作は長年ディズニーのアニメーターとして活躍していたグレン・キーンが初めて企画の立ち上げから製作総指揮まで自ら務めた作品である。(Wikipediaより)

リアルタイムの宣伝を見たとき、ジブリ作品だと勘違いしていた。「覚えていません。」とか「記憶にありません。」という国会答弁は聞いたことがあるが、最近では「私としては自らの記憶に基づいて答弁した。虚偽の答弁をしたとの認識はない。」と言ってのける現職大臣が登場して、国会どころかテレビのワイドショーでもおもしろおかしく取り上げられている。

アメリカ人のユーモア・センスが粋だ。どうしても追いつかないのはユーモア・センス。真面目になればなるほど、凍り付いていってしまうのが日本人。幼児教育からリラックスすることを教えられていない。がんばれ! がんばれ! と、精一杯力を出し切ることを叩き込まれている。舌を出しながらシュートすることがリラックスの極致だということを、科学的に教えられていない。まだまだだなぁ~。

『告白』

2010年・日本 監督/中島哲也

出演/松たか子/岡田将生/木村佳乃/芦田愛菜/橋本愛/西井幸人/藤原薫

湊かなえ原作のベストセラー小説の映画化だと知って、また愕然とする。活字世界を敬遠しているつけが回っている。湊かなえの名前を聞いたことがある、ということはたぶん彼女の原作映画化作品を観たことがあるのだろう。活字で読めば、ぞくぞくっとする感覚があるに違いない。ベストセラーの意味が分かる。映画公開後また売れたらしい。双葉社は映画化に合わせて文庫本を出し、この文庫本だけで200万部のベストセラーになったという。分かるし、すごい。

女性の高校教師がこの3月で教師を辞めるにあたって、自分の受け持つクラスでの告白シーンから始まる。その内容は、おぞましいものだった。えッ!と思わせるような内容だった。観ていたくない、聞いていたくないと思わせるだけでも、映画化する意義があったかもしれない。活字ならもっと想像力を掻き立てられるだろう。だが、この映画の映像も大したものだった。この頃のそんじょそこらの日本映画とは一線を画していた。

もう7年も前の映画だったのがショックなのだ。せめて日本映画アカデミー賞の情報でも身近にあれば、陳腐な賞だけれど何が評価されているのかぐらいは分かるだろう。他人の気持ちは絶対分からない。分かるものはといえば、本人の口から発せられた言葉でしか判断できない。それでも、その言葉さえ、本人が100%の確証で言っていないこともある。何を考えているのかなんて、神のみぞ知る世界なのだ。その世界を「告白」という形で、映像化して見せている。かなり衝撃的な内容はグローバルだろう。

『96時間/リベンジ』(Taken 2)

2012年・フランス 監督/オリヴィエ・メガトン

出演/リーアム・ニーソン/マギー・グレイス/ファムケ・ヤンセン/ラデ・シェルベッジア

アルバニア・マフィアの首領のムラドは、トロポヤ県で息子マルコ(前作でブライアンが電気椅子で殺した男)らの葬儀に出て、息子を殺した犯人への復讐を誓う。ムラドは手下らとパリに行き、マルコが殺された現場にあった名刺から、元フランスの諜報員ジャン=クロードを探して捕え、拷問して尋問するが何も聞き出せない。アルバニアの情報局役人を買収して、ジャン=クロードの旧友で元CIA工作員のブライアンが犯人であり、現在イスタンブールにいることを突き止める。(Wikipediaより)

前作を確かに観ていたような気になっていて、この映画の中のセリフであっ!そのはなしかという箇所があって、少し納得しながら観ていた。ただいつもながら全篇を通して覚えているわけではないので、この頃の続き映画がだいたいそうであるしっかりとした続編がちょっと疎ましい。前作で確かこのリーアム・ニーソを初めて観て、なかなかやるじゃんという印象があった。テイストはさすがに良く似ているが、おもしろい。いつも比べる日本映画、間違ってもこの映画に近づくことは出来ないだろう。お金もそうだし、アクションもそうだし、フィルム・コミッションの協力があっても、これほどの街の中での暴走は許してくれないだろう。

おもしろかった。

『ツォツィ』(Tsotsi)

2005年・イギリス/南アフリカ共和国 監督/ギャヴィン・フッド

出演/プレスリー・チュエニヤハエ/テリー・ペート/ケネス・ンコースィ/モツスィ・マッハーノ

第78回アカデミー賞の外国語映画賞受賞作品だそうな。役者の名前を書いたってなんの意味も無さそうだが、一応自分の決めた規定通りに書いておく。万が一、どこかで同じ名前を見ることがあれば、それは奇跡の一つだろうが、そんなことも絶対無い訳ではないと信じられるのが、人生のおもしろさと思っている。

原作での時代設定は1960年代だったが、映画では現代へ移している。アパルトヘイト廃止から10数年経った今もなお残る差別や格差社会に苦しむスラム街のツォツィ(南部ソト語で「チンピラ」を意味するスラング)と呼ばれる主人公。そのツォツィがある出来事を契機に人間性を取り戻していく過程を描く。(Wikipediaより)

ようやく観終わった。最初のうちはアフリカの貧民街のネタで、映像も粗く気分が乗らない映画だな~という印象が強かった。最初のさわりが悪過ぎたが、30分過ぎてからは映画らしい惹きつける内容になっていった。舞台がたぶんアフリカの貧民街でしか有り得ないストーリーだ。アメリカでも、日本ならまったく考えられない。余韻を残して終わってくれて、ありがとう。いつかアフリカ人に生まれかわることがあるかもしれない。バッタになって生をうけるかもしれない。分かりもしないくせに、人間は他の動物には生まれ変われないなどとする、インチキ予言者が世の中に横行しているが、知りもしないことをさも知ったかぶりして神に唾してはいけない。

『なくもんか』

2009年(平成21年)・日本 監督/水田伸生

出演/阿部サダヲ/竹内結子/瑛太/塚本高史/皆川猿時/片桐はいり/鈴木砂羽/伊原剛志

キャッチコピーは「これは”泣ける喜劇”か”笑える悲劇”か!?」。では、見る気もしないけれど、このコピーを知らなかったので観始まることが出来た。おちゃらけてはいるけれど、早回しにしたり、途中退室と言うまでには行かなかった。宮藤官九郎の脚本はあざとさが際立っていて、嫌いだな~。

人間の運命はまったく未知数。親がその大半を担っているが、子育て放棄をしてしまえば、子供がどう成長するのかは神に委ねられてしまう。そこで人間を全うする者と、邪道に入ってしまう者とに別れる。本人のせいではないだろう。本人の知らないところで運命が一人走りするに違いない。

親がいない方がいいかもしれない。両親が新興宗教にかぶれていれば、その子供はその宗教しか価値観を認められなくなる。成長前の人間を洗礼してしまうことが平然と認められている人間生活は奇妙だ。生まれて30年経ってから、自ずから洗礼から脱することが出来れば仕合わせだが、その道しか見えなくなってしまったら、悲劇と言わざるを得ない。洗脳されていないと本人は言うに違いない。他の価値観を見ることが出来なければ、それは必定。人間生活は、斯くして面白きものかな、などと天守閣の上から物見遊山出来ればいいのだが。

『海底二万哩』(20000 Leagues Under the Sea)

1954年・アメリカ 監督/リチャード・フライシャー

出演/カーク・ダグラス/ジェームズ・メイソン/ポール・ルーカス/ピーター・ローレ

彼の有名なジュール・ヴェルヌのSF小説『海底二万里』をウォルト・ディズニーが映画化した作品。初のスコープ・サイズ、カラー作品で、当時はアニメーション製作を主体としていたウォルト・ディズニーが、実写版として製作した映画である。時代設定や大筋は原作に沿っているが、脚色も加えられ、特に結末は原作と異なったものになっている、という解説があった。

往年の少年たちはこの映画に出てくる潜水艦「ノーチラス号」の名前を誰もが知っている。ウォルト・ディズニー・ピクチャーズは2010年頃の公開を目指して本作のリメイクを進めていると発表されたが頓挫、その後も何回かリメイク作品製作の話題が続いた。結局、2016年2月、ジェームズ・マンゴールドが監督に起用され、『Captain Nemo』のタイトルで制作されることが発表された。まだ出来上がっていない?

子供心をくすぐる原作と映像化だが、この映画は2時間7分と子供が見る映画としては長い。子供だけではなく大人だって、こういう話には飛びつく。昔ながらに言う「冒険心」とやらをいたく刺激するのだろう。男の方がはるかにこの手の映画に興味を示す。この差がおもしろい。

『白雪姫と鏡の女王』(Mirror Mirror)

2012年・アメリカ 監督/ターセム・シン

出演/ジュリア・ロバーツ/リリー・コリンズ/アーミー・ハマー/ネイサン・レイン

いや~、おもしろかった。おもしろさを想定していなかったからという訳じゃない、と思う。69才の男の老人が観て「おもしろかった」というのは可笑しいかもしれない。アニメよりは絶対実写がいい。かといってアニメを観ることは希なことだが。

白雪姫のリリー・コリンズが良かった。眉毛の濃さに最初は違和感があったが、だんだん慣れてくると、実にこの役に相応しいと思えてきた。若き日のオードリー・ヘップバーンを彷彿とさせるような化粧の仕方が凄く気になった。『ミッシング ID』(Abduction・2011年)で彼女を観ているはずなのに記憶がない。化粧でかなり雰囲気が変わっているに違いない。

コメディの質が違い過ぎる。どうして日本のコメディ映画は、あーなるのだろうか? と言っても分からないかもしれないが、邦画を観ている人には分かるよね~! いつも言うのは、演じている人の顔に不真面目さが漂うのが日本映画。演じている人の顔にはコメディの「コ」の字も感じないのが欧米の映画。そんな説明で分かってくれると嬉しい。

『陽のあたる場所』(A Place in the Sun)

1951年・アメリカ 監督/ジョージ・スティーヴンス

出演/モンゴメリー・クリフト/エリザベス・テイラー/シェリー・ウィンタース/アン・リヴィア

アラン・ドロンもエリザベス・テイラーも知らない人が多いに違いない。そんな世の中が来ることを信じられないが、現実は厳しい。この映画は1949年に撮影されているので、エリザベス・テイラーが17歳の時の映画になる。大人びているが熟年の彼女の容姿の方を数多く見ているので、すごく初々しく感じる。

この映画を観たという確かな記憶がない。が、おそらくだいぶ前に観ているだろう。何故かって? この映画に影響されたと感じるものがあったから。それは決して嘘をついてはいけないということ。一つの嘘が次の嘘を生み、結局は嘘で固めた人生になってしまう、と心に強く刻まれているからだ。

この映画の前半は、好きになった普通の暮らしの女性を、後から現れた金持ちの女性に乗り換えてしまい、悲劇が起こるという、よくよくありがちな恋愛物語だった。ところが、後半は一転裁判劇へとうつり、その中で主人公の心のありようが観客に訴えるのだ。最後のシーンでは、もう少し見せてよ、とせがむ気持ちが顕著になった。もういい加減に終わったら、と常々おもう日本映画とは大きな差がある。こうやって知らず知らずのうちに、心の中の何かが形成されて、今の自分があるのだろうな、と思う。

『LIFE!』(The Secret Life of Walter Mitty)

2013年・アメリカ 監督/ベン・スティラー

出演/ベン・スティラー/クリステン・ウィグ/シャーリー・マクレーン/ショーン・ペン

1939年に発表されたジェームズ・サーバーの短編小説「ウォルター・ミティの秘密の生活」(The Secret Life of Walter Mitty)を原作とするダニー・ケイ主演映画『虹を掴む男』(1947年公開)のリメイク作品である、ということを知らない。また、原作は非常に短い短編であり主人公の職業も特定されていないが、本作が出版界を舞台としているのは『虹を掴む男』を踏襲している、ということらしい。

監督と主演はベン・スティラーが務めているが、この役者をよく知らない。アメリカ発の伝統的フォトグラフ雑誌『LIFE』が舞台。だが、そこのネガフィルム管理部門の社員が摩訶不思議な妄想と行動力でストーリーをつくって行く。この会社のスローガンは、「世界を見よう、危険でも立ち向かおう。それが人生の目的だから」。まだあると思っていたら、2007年に廃刊になっていた。ライフ誌はカメラマンをスタッフという専属的な所属とし、撮影から記事・レイアウト等の編集のスタイルを一貫させ、「フォト・エッセイ」と称した、という。

そうか、本当になくなってしまったのか! この映画も、経営権が代わって、主人公がリストラにあうことが一つの大きな柱になっている。経営陣は平気でリストラをする。それは極く一般的な人間社会だが、いい気なもんだよね。才能ではなく偶然に経営陣に名前を連ねている輩は多いだろう。そんな人間どもは、死ぬときになって、初めて自分の行いで地獄に陥ることを知ることになるだろう。

『ワールド・ウォーZ』(World War Z)

2013年・アメリカ/イギリス 監督/マーク・フォースター

出演/ブラッド・ピット/ミレイユ・イーノス/ダニエラ・ケルテス/ジェームズ・バッジ・デール

マックス・ブルックスの小説『WORLD WAR Z』(2006年)の映画化だが、爆発的な感染力で人間がゾンビに変化して人類の存亡を危うくする設定以外は原作と同一な点は無く、映画と原作は全くの別物である。(Wikipediaより)

もともとゾンビ映画は訳の分からないなんでもあり現象ばかりで、辻褄が合わないのは普通。そういう映画とは知らなかった。ブラピのNo.1 メガヒットとかいう宣伝文句をテレビで言っていたが、何を言ってんだか?!

ゾンビというオカルトの子供騙しは観ていて辛い。CGを使ってゾンビの塔を映像化していて、この辺りはさすがにヘラルドが広めたゾンビ映画をはるかに超えてる。それにしても面白くない映画を、CMばっかりの放映でさらに観客を馬鹿にしている。来週のお知らせや、地震情報など、映画放映には似合わないテロップをこれでもかこれでもかと流すテレビ局はあまりにも醜い。

『ジャズ大名』

1986年(昭和61年)・日本 監督/岡本喜八

出演/古谷一行/財津一郎/神崎愛/岡本真実/殿山泰司/本田博太郎/今福将雄/小川真司/利重剛/ミッキー・カーチス

どう考えたって、活字の世界で妄想を膨らませた方が賢明だと思えるストーリー展開と映像だった。なんともはや題名通りのクソおもしろくない映画だった。監督が岡本喜八とは驚いた。弘法筆を選ぶ見本のようなものになってしまっている。原作は、筒井康隆の中編小説らしい。軽過ぎて何を言っているのか分からない原作に思える。

同じような年代と話していると、ジャズが好きという人が結構多い。ちょっと上の世代は終戦後のアメリカナイズされっぱなしの社会に取り込まれていったに違いない。そんな人たちが今頃になって、お金があれば目一杯ステレオ装置に全神経をそそぎ込み、朝からコーヒーを飲みながらジャズ三昧に耽っている。

Softly, as in a Morning Sunrise というジャズではスタンダードな曲を、MJQの演奏で聴くのが好きだった高校時代。そこから自分のジャズ世界はちっとも進化していないけれど、jazzのほんの一端でもかじることが出来たのは自分の財産になってる。美空ひばりはめちゃめちゃいいけれど、演歌ばかりでは少し人生が寂しくなる。Dave Brubeck Quartet At Carngie Hall が一番好きなアルバムだなんて、ちょっとばかり格好つけるのが我々世代の特徴だ。

『裏切りのサーカス』(Tinker Tailor Soldier Spy)

2011年・イギリス/フランス/ドイツ 監督/トーマス・アルフレッドソン

出演/ゲイリー・オールドマン/コリン・ファース/トム・ハーディ/ジョン・ハート/トビー・ジョーンズ

アメリカが合作国名にない分、進行が遅いが複雑。易しい人間関係のはずなのに、すぐには分からない。外国人の場合、顔と名前を一致させるのに苦労する。毎回同じようなことで苦労している。1度と言わず何度でも観て下さいと、まさかそんなことを少しでも望んで映画製作をしているわけじゃないだろうが。

どうも、かなりおもしろそうなのだが人間関係が最後まで分からず、おもしろさが半減というところ。何事にも複雑過ぎる構図は好ましくない。もしかすると、もう一度観ると、凄く分かっておもしろさが倍増するかもしれない、という予測は立てられる。

単刀直入に物を言えれば、誤解や間違いを起こすことが少なくなるはずなのだが、どうしてもくどくどと説明する癖があるのは、私だけではないようだ。ただ、直線的に必要なことだけ伝えようとすると、どうしても言葉が不足して、間違って理解されたり、言いたいことがきちんと理解されないという経験は多々あったので、やはりぐちぐちと言葉が多くなるのは仕方のないことなんだろう。

『拳銃(コルト)は俺のパスポート』

1967年(昭和42年)・日本 監督/野村孝

出演/宍戸錠/ジェリー藤尾/小林千登勢/嵐寛寿郎/小池朝雄/佐々木孝丸/杉良太郎

全盛期の日活映画を観るのは何本目だったろうか。アニメと同じように子供だましのテーマと映像と決めつけてしまった映画を、若い頃でも好きではなかった。どうしてなのかは分からない。まぁ、好きか嫌いかではなく、高校・大学時代も好んで映画館に行く学生ではなかった。田舎の映画館がそのころにはなくなっていた?という原因もあったかもしれない。

早稲田通りには今も健在な名物劇場「早稲田松竹」があった。目の前を通ることはほとんど毎日だったのに、一度も入ったことがなかったかもしれない。そんな人間が映画配給会社で働いていて、宣伝部長をもすることになろうとは、人生はだから楽しいと思える。

映画は結構楽しかった。今どきの日本映画はコメディばかりで、しかも出ている役者が自分で笑い顔を晒しながら演じている。この日活映画のように、真面目に、ひたすら真面目に演じているのが嬉しい。ジェリー藤尾がここまで役者をやっているとは、今知った事実。単なる歌手ではなかった。なかなか役にはまっていて、観客が微笑んでしまう。

『気狂いピエロ』(Pierrot Le Fou)

1965年・フランス/イタリア 監督/ジャン=リュック・ゴダール

出演/アンナ・カリーナ/ジャン=ポール・ベルモンド/グラッツィラ・ガルヴァーニ/ロジェ・デュトワ

日本ヘラルド映画の代表的な配給作品だが、一度も観たことがない。ライオネル・ホワイトの小説『Obsession』(1962年)を原作とする。しかし他の多くのゴダールの作品と同じく脚本と呼べるものはなく、ほとんどのシーンは即興で撮影された、という。

観るのを続けるのが苦痛だ。まだ観終わっていない。観始まると、すぐにやめて普通のテレビ画面に替えたくなってしまい、そうしてしまう。いつになったら、観終わるのだろう。仕方がないので、いつものながら観をやってしまった。ヘラルドの諸先輩方には申し訳ないけれど、私にはこの映画の良さが分かりません。いや、この映画が分かりません。

いつの頃からかフランスを嫌いになっていた。フランスという国ではなさそうだ。フランス人かもしれない。直接接触したわけではないのにである。フランス語を聞いているとイラッとするようになった。単語の区切りが理解できない。そういう意味では映画の影響は大きいような気がする。今回あらためて、というより久しぶりにそういう感覚がよみがえってしまった。この頃、時々はフランス語を喋る映画を観ていたのに。くそ、おもしろくない。

『白鯨との闘い』(In the Heart of the Sea)

2015年・アメリカ 監督/ロン・ハワード

出演/クリス・ヘムズワース/ベンジャミン・ウォーカー/キリアン・マーフィー/トム・ホランド

小説作品としての『白鯨』の映画化ではなく、『白鯨』の物語のモデルとなった1820年の捕鯨船エセックス号で起こった事件を、1850年、アメリカの新進作家ハーマン・メルヴィルは、かつてエセックス号という捕鯨船に乗り組み、巨大な白いマッコウクジラと戦った人々の最後の生き残りだったトーマスという男から当時の壮絶な実話を聞き出す。1年後にメルヴィルは、取材した実話ではなく、そこから膨らませたフィクションの『白鯨』を出版した。

アメリカ文学を代表する名作、世界の十大小説の一つとも称される『白鯨』(Moby-Dick; or, The Whale)を読んでいないのでは話にならない。どうしてこういう人間が大手を振って生きてこれたのだろうか。読んでないからこそ、大手を振って生きては来なかったと反論したくなる。

この映画はクジラとの闘いという映像に終始し、さながらアクション映画のクジラ漁船版だった。そういう映像の連続は飽きがくる。カーアクション然り、最後には勝つんだろうという予測も、現実もない分、映画的に救いがあるといった程度だ。重い言葉や気の利いたセリフを見つけることも出来ず、映像的な驚きも興味を凌ぐほどではなかったのが残念。

『キャロル』(Carol)

2015年・アメリカ 監督/トッド・ヘインズ

出演/ケイト・ブランシェット/ルーニー・マーラ/サラ・ポールソン/カイル・チャンドラー

言葉がまとまらない。原作:パトリシア・ハイスミスの自伝的小説『The Price of Salt』はクレア・モーガン名義で1952年に出版された。1990年になってようやく、『The Price of Salt』はパトリシア・ハイスミスが執筆した小説であったことが公にされた。LGBTと今なら公に称される事柄も、第二次世界大戦後まもない社会ではまだまだ秘め事。

映画賞に多くノミネートされている。受賞したものもそれなりに。女と女の愛情とはいったいどんなものなのだろうか。男と男が絡む姿を見たくもないし、想像したくもない。女同士ならいいか、程度の認識しかもっていなかったし、今でもさほど変わらない。映画の中に出てくるセリフの中に、「男だろうと女だろうと、惹かれるか、惹かれないかの二者択一だ。」という言い回しには納得がいく。

1950年代のニューヨーク、キャロルはこの映画の主人公、人妻で稀に見る美しさと気品、そして寂しさを湛えた表情の持ち主。もう一人の主人公テレーズはデパートで働いていたが、将来は写真家になることを夢見ていた。本作の撮影にはスーパー16mmフィルムが使用されたとある。画調がちょっと違うな、と感じたのはそのせいだったようだ。

『スポットライト 世紀のスクープ』(Spotlight)

2015年・アメリカ 監督/トム・マッカーシー

出演/マーク・ラファロ/マイケル・キートン/レイチェル・マクアダムス/リーヴ・シュレイバー

「世紀のスクープ」なんていう余計な追加邦題を入れるなんて、どこの配給会社だ、とひどく怒る。題名に自信がない時に付ける邦題の見本のようなもの。こういうケースを自分で何度も経験しているので、悪夢が蘇る。映画はめちゃめちゃ面白いのだから、その自信を全面に出せばいいのだが、当事者はそうは思えない。不安は分かる。第三者と当事者にどれだけの違いがあるかということだろう。

舞台はボストン、アメリカの中でも一度は行っておきたかった場所だ。勿論、レッドソックスもあるがそれ以上に古き良きアメリカの名残が味わえるのかもしれないと思っている。もう行く機会もないだろう。そういう保守的でしかもカトリック教徒のおおい街で起こった「事件」を追うBoston Globeという地元紙の記者の活躍を描いている。神そのものとして崇められている教会や神父の存在が、とてもじゃないけど大き過ぎて実感できない。神父の不祥事といえば子供に対するセックス・スキャンダルだ。耳にしたことはあるが他人事だった。日本のその手のスキャンダルは、日常茶飯事で、坊主といえどもクソ坊主扱いで。警察官、教師、もうどうなってしまっているのだろうというくらいダメな人間がうじゃうじゃ。

タブーに切り込む姿は頼もしい。地元に生きる人たちに根付く、しかも宗教という名のもとに起こったスキャンダルは永遠に潰されてしまう運命にある。この映画に出てくる新聞記者たちの姿を見ていると涙が出てくる。仕事をしているなぁ~、とつくづくそう思う。世の中のサラリーマンどもがこんな風に生きてくれれば、少しは社会が良くなる方向に向かうのだろうが。

『レヴェナント: 蘇えりし者』(The Revenant)

2015年・アメリカ 監督/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

出演/レオナルド・ディカプリオ/トム・ハーディ/ドーナル・グリーソン/ウィル・ポールター

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』でアカデミー賞を受賞したアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥが監督を務める。レオナルド・ディカプリオが主演を務め、トム・ハーディとインセプション以来5年振りの共演をした。イニャリトゥ、ディカプリオとも、本作品でそれぞれアカデミー賞を獲得した。イニャリトゥは2度目の監督賞、ディカプリオは5度目のノミネートにして初の主演男優賞、だという。

いかにもアカデミー賞などの賞獲り作品にピッタンコ、と好意的ではない。リチャード・C・サラフィアン監督作品の"Man in the Wilderness"邦題:「荒野に生きる」1971年)のリメイク(原作が同じ)でもある、という。2時間36分、ひたすら長い。ロケ期間は9ヶ月に及び、撮影は極地で行われ、凍った川に入ったり、実際に生肉を食い、動物の死体の中で眠る等、過酷なものであった、という経緯を聞きたくない。なにしろ、ここはいつで何処の話なの、ということが分からずに見つめる映像やストーリーには、この良さが分からないものは去れ、という強いメッセージを感じた。

サバイバルという言葉を意識させられる。目が覚めたら誰もいない島に一人だった。という状況から生き延びるという人間を求められる。火をおこすことは基本中の基本、生きるということを肝に銘じる事が最も必要なことだと教えている。私にはまったくもって用のないことがらだ。

『ザ・ウォーク』(The Walk)

2015年・アメリカ 監督/ロバート・ゼメキス

出演/ジョゼフ・ゴードン=レヴィット/ベン・キングズレー/シャルロット・ルボン/ジェームズ・バッジ・デール

1974年8月7日、フィリップ・プティはワールドトレードセンターの屋上にいた。ツインタワーの間にはワイヤーが張られていた。プティは綱渡りでツインタワーの間を渡りきろうとしていたのである。この無謀かつ非合法な挑戦に至るまでの経緯とその挑戦の過程・結果を描き出した作品である。(Wikipediaより)

リアルタイムではそんな話の映画があると知っていたが、いざこの映画のタイトルが現れても、内容が全く分からなかった。『...A True Sory』とよくある1枚が。ただ綱渡りする話のどこがおもしろいのだろうか、とあまり期待しない分良かったのかもしれない。最後まで勢いが落ちず観られたのが収穫だった。

本作は批評家から絶賛されている(特に綱渡りのシーンは評価が高い)。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには199件のレビューがあり、批評家支持率は85%、平均点は10点満点で7.2点となっている。サイト側による批評家の意見の要約は「『ザ・ウォーク』はスリリングの視覚効果と実話に基づいた人間ドラマのバランスをうまい具合にとっている作品である。活力に満ちた人間の描写が見る者の印象に残る。」となっている。(これまたWikipediaより)

『帰ってきたヒトラー』(Er ist wieder da 「彼が帰ってきた」)

2015年・ドイツ 監督/デヴィット・ヴェント

出演/オリヴァー・マスッチ/ファビアン・ブッシュ/カッチャ・リーマン/クリストフ・マリア・ヘルプスト

2014年のベルリンに蘇ったヒトラーという風刺小説はもちろんコメディ要素も豊富なのだが、生真面目なドイツ製作らしくおちゃらけた雰囲気は一向にない。ヒトラー本人が本人だと主張しても誰も信じない。どうしてヒトラーは怒り出さないのだろうと首をかしげながら見ていた。

そもそも風刺という手法でさえもヒトラーを取り上げることが許される時代になったのかと、ちょっと意外な気がする。ドイツに住んでいればまた同じようにヨーロッパに住んでいれば、ヒトラーとどう付き合わなければいけないのかのリトマス試験紙のような自分を自分でさらさなければならない。そう思っていた。

ドイツや欧州の知識が豊富ではない日本人にはドイツ国内をまわるロードムービーのような風景は何の意味も持たない。政治全体も政党に関する知識もない。面白さが半減して残念だ。もっと地理や歴史や現代も勉強し直さなければ、せっかくの映画製作の意味を十分理解できないことになる。正直言うと、ヒトラーが出てきて、彼をどんな眼で見たらいいのか戸惑いがあった。触りたくないものに無理やり触らされているような変な気持ちに襲われた。

『ハドソン川の奇跡』(Sully)

2016年(平成年)・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/トム・ハンクス/アーロン・エッカート/ローラ・リニー/マイク・オマリー

あまりにも有名な、2009年の奇跡的な生還劇として知られるUSエアウェイズ1549便不時着水事故(ハドソン川の奇跡)が題材でちょっと躊躇した。どうせ、パニック状態を大袈裟に映像化しただけの話だろうとタカをくくっていた。それにしてもイーストウッドが監督をするんだから、どこを面白く描くんだろうと思っていた。

日本人は分かっていても、観る人が多い。邦題がモロ過ぎて気にくわない。原題のサリーは、この事故の当事者であり主人公USエアウェイズ1549便の機長の名前チェスリー・サレンバーガーのニックネームだった。おもしろかった。アメリカばかりではなく世界中のヒーローとなった機長だが、国家運輸安全委員会(NTSB)はこの基調の判断が正しかったのかと徹底的に調査が始まった。なるほど映画のメイン・テーマはそこだったのか。想定外の展開に映画的な面白さを見る。さすが、イーストウッドだと感心するばかり。

上映時間も短く1時間36分。だらだらと大袈裟な緊急事態を映さない映像は格好いい。泣きたくて仕方がない観客をさらりとかわす演出は凡人には出来ない。こうでなくちゃ。途中ブロックノイズと一時停止に頻繁に見舞われた10分間くらいが辛かった。

『あん』

2015年(平成27年)・日本 監督/河瀬直美

出演/樹木希林/永瀬正敏/内田伽羅/市原悦子/浅田美代子/水野美紀/太賀/兼松若人

「あん」とは「どら焼き」に挟むあんこのことだった。ハンセン病を扱うのが本当のテーマだったような話は、ちょっと遠慮したいという気持ちが強い。私は逃げる。石原慎太郎のように男らしくないから、逃げることを恥じない。「癩(らい)」、「癩病」、「らい病」と呼ぶと差別になり、ハンセン病と呼ぶと文句を言われない変な日本社会はいつから始まったのだろうか。

どら焼き屋をやっている主人公が小さな店の厨房でタバコを吸っている。店の小さなドアを開けっ放しにして腰をおろしてタバコを吸っている。その手を綺麗に洗うシーンもなく、どら焼きの皮を素手で掴んで「あん」を入れている。まず一つ目の無神経な演出に気分が悪い。

店の大家の妻がやって来る。犬を抱えてその店の中の厨房に入る。厨房の中で犬の毛をなでている。そんな馬鹿な!! よく行くイオン新瑞橋店3階に犬猫販売業者の店があるが、すぐ近くの通路に通行止めのようにして真ん中に看板がおいてある。「この先へは犬猫を連れて入らないように!」、と。当たり前だ。食べものを扱う商売をしていない人だって、動物の毛が厨房にまったくそぐわないことは分かっている。無神経な脚本、監督河瀬直美が信用、信頼できない。この頃は映画を観て怒ることが多い。

『油断大敵』

2003年(平成15年)・日本 監督/成島出

出演/役所広司/柄本明/夏川結衣/菅野莉央/前田綾花/水橋研二/津川雅彦/奥田瑛二/淡路恵子

痛快バディムービーという紹介文があって、何?このバディムービーは?、と。バディ‐ムービー(buddy movie):《バディは相棒の意》友人同士や仕事のパートナーなど、二人組を主人公にすえた映画。バディ映画。 とあるが、こんな言葉をちっとも知らなかった。いかに世の中に生きていないかの証明になる。

柄本明が出てくると、ちょっと嫌な気分になることが多い。どうにもわざとらしい演技と喋りが気に障る。個人の感想だから仕方がない。今回も始まるまではちょっと嫌な気分があったが、観始まるとこれが意外と悪くない。空き巣泥棒のベテランという設定だが、よく似合っていて・・・・。

映画は刑事と泥棒の友情なんていう映画らしいテーマだ。刑事の生活なんて想像も出来ない。中学時代の友達に警視庁生活を全うした奴がいて、最近になって年賀状のみでの挨拶を交わすようになった。交番勤務から公安に行ったらしいので、それなりの出世をしたのだろう。彼に会う機会があったら、根掘り葉掘り警察官の生活を聞いてみよう。

『アナライザー』(Interrogation)

2016年・アメリカ 監督/スティーブン・レイノルズ

出演/アダム・コープランド/C・J・“ラナ”・ペリー/パトリック・サボンギ/マイケル・ロジャース

米プロレス団体WWEの系列映画会社が、レスラー出身のスターを起用して作った映画らしい。先日も1本そんな映画があったが、題名はもちろん覚えていない。マッチョマンがFBI捜査官、しかも分析官を演じるという暴挙に出ている。出だしは快調でおもしろいじゃん、と観ていたが、なかなか筋書きの芯が見えてこなくてイライラした。

「記憶の家」とか言って、取り調べ相手の顔や言葉や所作を瞬時に分析して、答えを導き出すという特殊頭脳をも有する捜査官は、体力も凄かった。映像で観る殴り合いは、一般人なら一発で気絶または死に至るだろうパンチを見舞っても、アザひとつ残らない。そんな映像を見続けていると、あっ!これは五流映画だったか、とがっくり感に襲われてしまった。

男はマッチョでなくては。田舎育ちの身体をさらに鍛えた時期もあった。バーベルを50kg上げていたこともあった。夏になると両腕の太さでちょっと恥ずかしいと思えることもあった。恥ずかしいと思ったことはないが、若者のひ弱な腕を見ると吐き気がするくらいだった。両親に感謝しなければならない。入れ歯をすることなく死ぬことも出来そうだ。

『ピンク・キャデラック』(Pink Cadillac)

1989年・アメリカ 監督/バディ・バン・ホーン

出演/クリント・イーストウッド/バーナデット・ピーターズ/ティモシー・カーハート/ジョン・デニス・ジョンストン

クリント・イーストウッドの映画をそれなりに観ているけれど、この映画と彼とが結び付いていなかった。この年にこの映画に1本だけ映画出演している。その前も後も自身の監督作品が多いのに、歴史を辿ってみるとおもしろいものだ。彼の作品はまずおもしろいのが先に来る。そういう先入観を持って観ていると、この作品は監督していないんだろうな、という予想が当たった。

エルビス・プレスリーが1955年製ピンクのキャデラックを所有していたことから、ピンク・キャデラックとは、一言で言うと「アメリカの成功の象徴」というようなことを若い頃に聞いた覚えがあったような。映画の中でもプレスリーが持っていた車という台詞が入っている。あの図体のでかい車がピンク! 日本で走っていたら、それこそなにかの宣伝だとしか思われないだろう。映画の中で悪党軍団「純血団」が出てきて、「アメリカ人のためのアメリカを取り戻そう」「よそ者から白人の権利を取り戻す」「白人が大手を振って歩ける時代がやってくる」などと、今のアメリカで聞こえてくる声が30年前にも叫ばれていたなんて。

アメリカの車が日本で売れないのは、貿易障害だとトランプは言うけれど、何を勘違いしているのだろう。ドイツ車がこれだけ日本でもて囃され、しかも日本車よりも高価でも売れている事実をトランプは知らないのだろう。知らなくても言いたいことばかり言うトランプに正義はない。正義のないトランプを支持するアメリカ人が多いというのは、そういう社会の変化だろう。そういうことが一番嫌いなのがアメリカ人だと思っていた。私の認識が間違っていたようだ。

『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ)』(Feher Isten)

2014年・ハンガリー/ドイツ/スウェーデン 監督/コーネル・ムンドルッツォ

出演/ジョーフィア・プショッタ/シャーンドル・ジョーテール/ラースロー・ガールフィ/リリ・ホルバート

舞台はハンガリーの首都ブダペストだという。冒頭の映像、たくさんの犬が人が誰もいない街の道路に広がって走ってくる。その先には少女が自転車を漕ぐ姿が。この映像が結末につながっていることをまだ知らない。と、つかみはまずまずだが、後がいけない。総合力のない映画で大不満。

それよりもなによりも、登場してくる人間があまりにも性格が悪く、ここは何処の国なのだろうと訝った。どうもハンガリーらしいが、あの美しい国の人達はこんな感じなのだろうかと、映画の持つ悪い方の印象を憂う。犬達の反乱と言った内容なのだが、あのヒッチコックの『鳥』のような恐怖感を持たせることが狙いなのではなかろうかと、ちょっと映画を知っている人なら勘ぐらせる映像が続く。鳥が犬に替わっただけでは、映画として不充分。凶暴な犬という設定が嘘のように迫力がない。このあたりのテクニックは最重要で、予算の関係なのかなんかは知らないけれど、ただたくさんの犬が駆けている映像がチンケ。

そう思って観てしまうと、もうダメ。怒ってばかりいる登場人物と相まって、観る気もしなくなっていった。最後まで早回しすることがなかったのがせめてもの救い。これで第67回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品され、同部門グランプリとパルムドッグ賞をダブル受賞した、とはお粗末な情報だ。

『マキシマム・ブロウ』(The Package)

2012年・アメリカ 監督/ジェシー・V・ジョンソン

出演/スティーブ・オースティン/ドルフ・ラングレン/マイク・ドプド/ダーレン・シャラビ

ドルフ・ラングレンの名前は知っている、が、その前に出ているスティーブ・オースティンは誰? 元WWEの人気プロレスラーとして知られるのがスティーブ・オースティンだという。なるほど、普通の役者では考えられないような身体が凄い。邦題のマキシマム・ブロウとはどういう意味なのだろう。5流映画だけれど、肉体アクションは一流。今どきはカーアクションなんてちゃんちゃらおかしくて見ていられないが、人間アクションは永遠に不滅だ。

上映時間は1時間36分。昔のテレビ番組の映画枠なら、まったく丁度良い時間。テレビでの映画放映枠はだいたい2時間枠だが、実際には1時間52分くらいしかない。その時間の中に映画を入れるわけだからコマーシャル時間を考えて、1時間半未満の映画は対象にならない。配給会社がテレビ局に映画のテレビ放映権を売るときに気にするのがこういうことなのだ。

昔の映画放映権の売り方は、パッケージ売りというものがあった。例えば『地獄の黙示録』を売るときに、ほかの映画を束にしてつけるのだ。時には20本がゴミみたいな映画で、本筋は1本ということもあった。今では考えられないが、どの局にもきちんとしたゴールデンタイムの映画枠があり、深夜にはテレビ局にとっては時間潰しとして好都合な深夜映画劇場枠があったのだ。今は、様子がちょっと違うだろうな~。

『チャタレイ夫人の恋人』(Lady Chatterley's Lover)

2015年・イギリス 監督/ジェド・マーキュリオ

出演/ホリデイ・グレインジャー/リチャード・マッデン/ジェームズ・ノートン/ジョディ・カマー

大胆な性の問題を露骨に扱った作品で、内外で激しい論議の的となり、日本では伊藤整による翻訳本の出版に関して最高裁までの裁判となった(チャタレー事件)。こういう印象が強くあったが、もちろん活字で読んだこともないし、映画の1本も観たことがない。D・H・ローレンスが書いた1926年の作品なので、世の中の男と女に関する世界では現在とあまりにも違い過ぎる。

イマジカBSという局の放映だったが、この作品は映画館興行には耐えられないだろう。どこが裁判になるまでの描写なのかと、疑ってしまうほどのフラットなストーリーと映像だった。イマジカBSサイトのレビューにこんな書き込みがあって、まさにその通りと思う。「いろんなチャタレイ夫人を見たが、リチャードが若くて美しく小綺麗で、全体的に話が綺麗にまとまっていてなんか物足りなさを感じました。」

まだまだ日本人のSEX感は欧米人にはとても及ばない。それでも最近の若者は、まさかSEXをしないで結婚を決める人種もまれな状態になっているだろう。時代が変われば人間関係も大きく変わる。貧富が当たり前とされた時代にはお金のためだけに肉体を提供する女性がたくさんいた。今や全員が中流階級だと思っている日本では、さらなる富を求める女性の同じような姿はあったとしても、庶民の中では肉体関係なんて普通の付き合いとなってきて、少しは進歩した感じがしないでもない。

『女教師』(A TEACHER)

2013年・アメリカ 監督/ハンナ・フィデル

出演/リンジー・バージ/ウィル・ブリテン/ジェニファー・プレディガー

劇場未公開だということがよく分かる。女性監督らしいが、女性だから悪いということではないが、女性教師が教え子の高校1年生と性的関係を持ち、おぼれていく姿を描く視点が苦しい。結局何も大きな事件が起こらないままに、日常的な男女の関係が危険すぎて、見ていられない。

教師になる人はおそらく初めて教師になる前に誓いを立てるに違いない。決して異性の生徒に手を出さないと。それは全世界共通のことだと思う。それでも人間と人間、男と女の間ではそんな誓いも忘れてしまうほどの一瞬が訪れることもあるだろう。結婚という結末まで行きつくなら何の問題もないが、そうならない場合はすべてが不純異性交遊となってしまう。社会的な制裁を受けるのも必定、人生のやり直しがきかず崩壊することだってあり得る。そういう職業が題名の女教師のはずだが、そういう緊張感が足りないストーリーと映像に満足できない。

それらしい結末を持ってきたってもう遅い。観客がこうなるだろうと予想、予測するストーリに従いながら、ちょっと道をそれたり、大胆にどんでん返しをしてこその映画なのだ。それが出来なければ面白くない映画として配給会社が買い付けできない映画となってしまう。

『ディバイナー 戦禍に光を求めて』(The Water Diviner)

2014年・オーストラリア/アメリカ/トルコ 監督/ラッセル・クロウ

出演/ラッセル・クロウ/オルガ・キュリレンコ/ジェイ・コートニー/チェム・イルマズ

『聖地巡礼』を主宰していた友人のお陰でトルコに関する情報が少しあった。トルコにも聖地巡礼のルートがあるというのを知ったのは彼からだった。それでも、映画の中で出てきた地名の2ヶ所ぐらいしか聞いたことはなかった。第一次世界大戦のトルコ・ガリポリの戦いがこの映画のメイン・テーマだった。戦いそのものは1915年、現在は1919年という空間になっている。

ラッセル・クロウの名前が最初に出てきて、へ~え!そうなんだと驚いていたらクレジットの最後に彼が監督をしていると書いてあって、またびっくり。主人公はオーストラリア在住、息子3人がこの戦いに加わっていた。オーストラリアとニュージーランドの初本格的海外参戦と言うことらしい。違和感があったが、自分が知らないだけで、この時代は世界中の国々が戦争で殺し合っていたようだ。第一次世界大戦をもう一度勉強しなくては。

何とも哀しい実話に基づいた映画だった。ラッセル・クロウはなかなかいい映画を作る。クリント・イーストウッドの後継者になるかもしれない。映画の最後に次のような字幕が流された。『 第一次世界大戦の犠牲者は3千7百万人に上る うち8百万人を超える遺体が今も見つかっていない この作品を戦争で亡くなった全ての"無名戦士"にささぐ 彼らの命は今も遺族の心と記憶の中で輝き続けている 』。陳腐な邦題サブタイトルが恨めしい。

『サヨナラの代わりに』(You're Not You)

2014年・アメリカ 監督/ジョージ・C・ウルフ

出演/ヒラリー・スワンク/エミー・ロッサム/ジョシュ・デュアメル/ステファニー・ベアトリス

筋萎縮性側索硬化症[きんいしゅくせいそくさくこうかしょう](ALS:Amyotrophic lateral sclerosis) 正確な発音でこの病名を英語読みできる。それこそ何度繰り返したことか。ようやく出来るようになってから、しばらく間をおいても喋ることが出来たのには自分ながら驚いた。泳ぎや自転車に乗ることも忘れることのない体技だと言われているが、それに似ているのかも。そういえば自転車も泳ぎも、もう何十年もしいていないが自信がない。と言うのも、最近口笛が出来なくなっていることに気がついたのだ。人一倍いい音を奏でられた口笛が出ない。練習を繰り返せば出そうな感じだが、まだかすれている。歳をとったな~。

高校時代のクラスメイトの奥さんがこの病気にかかり2年後に亡くなった事実が重く心にのしかかっている。せめて正確な病名を覚えようと思ってそうした。病名が分かっても何も治療してやれない。目の前で日々衰えていく人間機能を見ているだけなんて、なんて神は過酷なことを人間に課すのだろうか。

この主人公も病院で機械まみれになって死ぬことを望まなかった。その意志を、まだ意識が健常な状態の時に表示し、文字に残しておけば、たとえ母親が可哀想だから病院に入院させたままにしたいと言っても、それは出来ない。クラスメイトの奥さんも自宅で亡くなったと聞いていたので、この映画の最後のシーンがダブって涙が溢れた。

『クリミナル・ミッション』(CRIMINAL ACTIVITIES)

2015年・アメリカ 監督/ジャッキー・アール・ヘイリー

出演/マイケル・ピット/ダン・スティーヴンス/クリストファー・アボット/ジョン・トラヴォルタ

シルベスタ・スタローンかと思ったらなんとジョン・トラボルタだった。太ったボディーからあのサタデー・ナイト・フィーバーの彼を想像するのさえ不可能になっていた。彼の演技は、アクターズ・スタジオ番組でも見ているが、確かなもので、ちょっと舞台俳優の喋りのような感じになってきたのが気になるが。

基本コメディなんだがマフィアが絡んだサスペンス仕立てとなっていて、まずはおもしろい。が、ネタバラシのように最後の頃に経緯と結果をまとめてくれる映像が、よく理解できずに往生する。せっかく説明してくれるのに分からないのはつらい。パソコンの説明をすると、最初はいい顔をしているのに、途中から分かっているのか分かっていないのか分からないような顔に変わり、結局はなにも理解していなかったことを後で知ることになるのは、これまた辛いものがある。

だから言ったsじゃないの、と責めても、分かっていない人にもの事を説明するのは無駄だと思わなければいけないのか。それとも、こちら側に責任なるものがあるのだろうか。理屈を知ろうとしない人種にとっては、結果だけが重要らしい。その結果をよくするためにお助けしようとしているのに、一向に学ぼうとしない態度が人間のいい加減さを物語っている。

『ぼくらの家路』(Jack)

2014年・ドイツ 監督/エドワード・ベルガー

出演/イボ・ピッツカー/ゲオルグ・アームズ/ルイーズ・ヘイヤー/ネル・ミュラー=ストフェン

ここへきて何本かドイツ映画が鑑賞対象になった。どれもこれも暗い。ある意味日本映画に通じるところがある。テンポ、空気、流れ、どこをとっても緩慢で不必要な時間が多過ぎる。昔は日本がドイツに似ているとよく言われていたが、今どきは遥かに遠くへ行ってしまったドイツかと思っていたが、こと映画に関しては今でも同じような感じがする。

まぁ、日本の映画でいえば、こんな暗い映画はもはや作られていない。どれをとってもコメディだらけだ。テレビ番組がお笑い芸人と、彼らが参画できる企画だらけになってしまっているのと、どこか。

10才と6才の兄弟が未婚の母から見捨てられている。兄は施設に弟は知人に預けられてほったらかし。母親は自分の生活とSEX相手をむさぼるだけ。哀しい兄弟の奮闘する姿をひたすら追いかける3日間。いつになったら終わるのだろうと、仕方なく眺めていたが、上映時間も酷く長く感じる。ついには兄弟が母親を捨てて、嫌だった施設に戻るところで映画は終了する。救いのない映画だった。

『トカレフ』(Tokarev、別題: Rage)

2014年・アメリカ 監督/パコ・カベサス

出演/ニコラス・ケイジ/レイチェル・ニコルズ/マックス・ライアン/マイケル・マグレイディ

 ポール・マグワイアは、過去に何件もの凶悪犯罪に手を染めながら、現在は足を洗い、妻と娘と幸せに暮らしていた。しかしある日、家に何者かが押し入り、愛する娘がさらわれ、後に無残な姿で発見される。怒りに震えるポールは、過去のギャング仲間の力を借りて、娘の命を奪った者たちへの復讐を決意する。娘の命を奪った銃がトカレフTT-33だと知ったポールは、事件の裏にロシアン・マフィアが潜んでいると確信する。(Wikipediaより)

 おもしろそうでおもしろくない二流映画の典型。しかも終わってみれば後味悪い。トカレフという名称は昔から有名だった。見たこともない、触ったこともないのに不思議だ。今更カーアクションなんて誰も見向きもしないだろうに、よくやるな~。

 アメリカ映画の特徴に、子供への「愛」、家族への「愛」がある。ひたすら、あるいは強引に愛を強要する姿は、トランプ大統領誕生の基になっているのではないかと思う。かなり勝手な理論で、その「愛」を実行する姿があまりにも人間的で哀しい。

『ばしゃ馬さんとビッグマウス』

2013年(平成25年)・日本 監督/吉田恵輔

出演/麻生久美子/安田章大/岡田義徳/山田真歩/清水優/秋野暢子/松金よね子/井上順

シナリオライターを目指して、ばしゃ馬のように一生懸命シナリオを書き続ける独身、馬淵みち代が通うシナリオスクールで出会ったのは、まだ一度もシナリオを書いたことの無いのに、妙に自信のあるビッグマウスの天童義美だった。(Wikipediaより)

これで、しかも青春ラブコメディだという。だらだらと、なんていうことなさ過ぎるシナリオライター志望独身女性の日常生活もその周りの人間の生態も、ことのほか面白くない。映画は、面白いところを切り取るからおもしろいのであって、他愛もない日常をそのまま映像にして、さぁどうだと言われても困る。映画にあこがれてみのうち話をしているようで、なんか気が滅入る。

それにしてもだらだら過ぎる。朝起きてから家で朝食を食べながらスマホをいじり、駅まで歩きながらもスマホを見つめ、電車の中ではひたすらスマホをいじり、昼食をとりながらもスマホをいじっている。どうしてそういう生活に疑問が湧かないのだろう。自分の遣う言葉すら吟味したことのない人間に、そんな質問をする方が悪いと言われそうだ。

『女ガンマン・皆殺しのメロディ』(HANNIE CAULDER)

1971年・イギリス 監督/バート・ケネディ

出演/ラクエル・ウェルチ/アーネスト・ボーグナイン/ロバート・カルプ/ジャック・イーラム/ストローザー・マーティン

珍しい英国製の西部劇だが、テイストはマカロニ・ウエスタン。銀行を襲ったクレメンツ三兄弟。彼らは、逃亡用の馬を盗むために、町外れの牧場に向う。兄弟は、地主のクローデルを殺し、その妻ハニーをレイプして去った。復讐を誓う彼女は、賞金稼ぎのプライスと組むことにする。プライスは、ガンさばきをハニーに指導、二人はクレメンツたちを一人ずつ倒してゆく。が、油断したプライスがクレメンンツの凶弾に倒れた。ハニーは単身クレメンツの隠れ家を襲撃、復讐を果たすのだった。前半のほとんどを裸体にポンチョで押し通すR・ウェルチが見どころの一つ。(allcinemaより)

西部劇は善と悪がはっきりしているので見やすい。町の保安官は「おたずねもの」だと分かっていても、今のところこの町では騒動を起こしていないから、あなたが去ってくれと賞金稼ぎに言う。日和見主義の役人は日本人ばかりではなかったらしい。

四流映画には四流映画のおもしろさがある。ラクエル・ウェルチがこの程度の映画に出る女優だったとは思わなかった。名前と顔が一致しない一人だ。美しいのだが、棘がなく、顰もない、整い過ぎている。

『ハンガー・ゲーム2』(The Hunger Games: Catching)

2013年・アメリカ 監督/フランシス・ローレンス

出演/ジェニファー・ローレンス/ジョシュ・ハッチャーソン/リアム・ヘムズワース/ウッディ・ハレルソン

胸糞悪かった第1作目の続き物なので、ちょっとでも気にくわなかったらすぐに観るのをやめようと思っていた。全米で大ヒットしたというらしいが、こん映画が大ヒットするようでは、アメリカの心はやっぱり病んでいる。だからこそ、トランプが大統領になったんだろうと納得するにいたる。

もともとは1作目と2作目で1本の映画ストーリーになっている。興行的に2本に分けたとしか思えない。思いのほか長い上映時間がそれを物語る。どうもアメリカのSFものには、荒唐無稽で訳の分からない筋書きが多い。特にこの映画のように、ゲーム感覚でストーリーが出来ていると、何でもありという手法がちょっと煩わしい。ただ脅かしてやろうとか、ここはいっちょうこんなものを出現させてやろうとか、最初から笑わせようとして無意味な事を喋っているお笑い芸人と似ている。

ゲーム感覚の映画をこれ以上コメントしたって、自分の意思が通じない。息抜きのためのゲームがメインになって世の中を席巻している現状が恨めしい。情けない。もっと凄いゲームを誰かが開発して、1ケ月に1回やるのがスタミナ的に精一杯だというような状態を作れるとおもしろいのだが。

『ミッシング ID』(Abduction)

2011年・アメリカ 監督/ジョン・シングルトン

出演/テイラー・ロートナー/リリー・コリンズ/アルフレッド・モリーナ/ジェイソン・アイザックス

[Abduction]というこの映画の原題の意味を知らなかった。[拉致]とか[誘拐]という意味らしい。もう忘れないだろう。三流映画の面白さがぷんぷん。なにかが替われば二流になり、なにかが変われば一流映画の仲間入りが出来るかもしれない。

ようやく日本でもIDカードが生まれたと思ったら、個人ナンバーがあると国家に管理されるとかいう間違った先入観を植え付けたのは一体誰なんだろうか。国家が個人を管理できないで国が存在するわけはないのに、今までなかったからといって、目の敵にするような存在ではない。あまりにも遅きに失した制度だと言える。戦後すぐにでもこういう制度を導入していれば、なんの不思議もなく享受できるのに。

アメリカではせっかくオバマ大統領が施行した国民皆健康保険がトランプに変わって、またなくなってしまいそうな状況。アメリカでだって今までなかった制度を取り入れるのには、その思考のDNAを教育し続けなければ、その本来の重要性を国民が理解することは出来ない。何でも新しいことには反対する勢力が、世の中の進歩を遅らせている。まぁ、それくらいの速度も許されるのが人間生活だと言えるかもしれない。

『ハンガー・ゲーム』(The Hunger Games)

2012年・アメリカ 監督/ゲイリー・ロス

出演/ジェニファー・ローレンス/ジョシュ・ハッチャーソン/リアム・ヘムズワース/ウディ・ハレルソン

若者どもが興じているゲームの中には人間狩りのような類いのゲームはあるのだろうか。こういう映画を見ていると、趣味の悪い人間性を強く感じて、反吐が出るようだ。いつの時代の何処なのか分からないが、12の区画から男女1人ずつが年1回選ばれて、24人による殺し合い、サバイバルゲームが行われている。

人間狩りをゲームに見立て、それを見る他の人間は賭さえする。コントロールする国家側?は、すべての映像を撮り国民に提供する。ちょっとインチキくさい現場映像が映画の趣味の悪さと相まって、ちょっと嫌な気分にさせられる。

こういうゲームに興じる奴らの顔が見たい。これは単なるゲームだよ、と言い訳にもならない思考を糾弾しなければならない。なんの理由もあるわけではなく、たとえ理由があったとしても、他人を平気で殺すような思考は異常だと認識しなければいけない。厭な映画だ。

『LIVE AT WEMBLEY』(BABYMETAL WORLD TOUR 2016 kicks off at THE SSE ARENA, WEMBLEY)

2016年(平成28年)・日本

出演/SU-METAL, YUIMETAL, MOAMETAL + 神バンド

日本人の奇跡と言っていいだろう。アイドル3人組がロンドンの若者のオタゲーを輪舞させている。イギリスばかりではなくヨーロッパ中から集まってきた。2016年4月2日、ロンドン・ウェンブリー・アリーナはロンドンで3番目の規模を持ち最高12500人が入れる。今日は映画ではなく初めてのライブ音楽映像を楽しんだはなし、2017年1月27日金曜日である。

BABYMETALのそのライブBlu-ray盤を買った。高校時代に小河電機商会にレコード・コーナーが出来てから、お金を出してこのレコード、CDが欲しいと思って購入したことはなかった。ようやくブルーレイ・録画機を手に入れたことが一番大きな動機だったことも確か。アンプからスピーカーを通して聴くシステムにイマイチのところはあるが、テレビのスピーカーではない音を聴けることも大きい。それ以上に、BABYMETALをyoutubeで頻繁に見ていて、このLIVE盤の存在を知ったことが一番だった。

2016年11月23日に発売されたこのBlu-ray盤、前日の11月22日には全国13ヶ所の映画館でも上映されたらしい。知っていれば見に行っていた。このサウンドは一体何なのだろう。バンドが超一流であることは聞いている。3人娘もパワー満開。大したものだ。様々な場面で「元気をもらった」という言葉をあっちこっちでよく聞くが、ようやくその意味を自分で分かるときが来た。今まではおそらく自分の気力は元気いっぱいだったに違いない、だから、他人から元気をもらうなどと言うことが信じられなかったのだ。ところがどうだ、BABYMETALを観ているとその意味が身に浸みてきたのだ。不思議な感覚だが、自分の心身がかなり衰えて来たことの反動かもしれない。大音量でこのブルーレイを観ていると、ストレスが発散できる。バンドのソロ・パート映像では涙さえ流れてくる。圧巻の1時間43分だった。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団だけが優良な音楽ではない。バンド4人と3人娘にあっぱれの大拍手を贈りたい。やっと普通の人間の感覚を知ることとなった。もう遅過ぎる気もするが。

『最後のマイ・ウェイ』(Cloclo)

2012年・フランス/ベルギー 監督/フローラン・エミリオ・シリ

出演/ジェレミー・レニエ/ブノワ・マジメル/ジョセフィーヌ・ジャピ

1960年代から1970年代のフランスで絶大な人気を誇ったポップスターだったクロード・フランソワを知らない。映画の中のこの主人公の顔が嫌いで、どうにも映画に入り込めない。若者に人気があるはずの主人公が、どうしてもそんな風に見えないのは致命傷だ。

マイ・ウェイの原曲は1967年のクロード・フランソワのフランス語の歌「Comme d'habitude」(作詞:クロード・フランソワ、ジル・ティボ 作曲:クロード・フランソワ、ジャック・ルヴォー)で、ポール・アンカが新たに英語の詞を書き、1969年にフランク・シナトラのシングル及び同名のアルバムとして発売された。後にエルヴィス・プレスリーはじめ多くの歌手によりカバーされ、カバーされた回数が史上第2位の曲(第1位はビートルズの「イエスタデイ」)だと言われている。(Wikipediaより)

アメリカ映画のスター誕生物語は観ていて気持ちのいい場合が多い。この映画は淡白で、盛り上がりに欠けている。そんな映画がフランスでは映画賞を獲得しているというのも、おそらくこの主人公の現実が人気があった証拠だろう。イマイチなスター成り上がり映画と言っておこう。

『戦争の犬たち』(The Dogs of War)

1980年・アメリカ 監督/ジョン・アーヴィン

出演/クリストファー・ウォーケン/トム・ベレンジャー/コリン・ブレイクリー/ヒュー・ミレー

リアルタイムで観てはいないが、題名をよく覚えているし、当時観たいと思っていたことは確かだった。こういう映画が格好良くモテハヤサレた時代だった気もする。原作が評判になってその映画が作られるという構図は、映画のヒットの一大要素だった。

戦争という究極の喧嘩に人生をかける人間が主人公。アフリカ大陸にあるある国の独裁者を暗殺しようと画策する。最近ジョン・F・ケネディの暗殺の真相の中に、キューバの独裁者カストロの暗殺問題が背景にあるとかいう説があった。ホントにそんなことがあったかもしれない、と思わせててくれるのがこの映画だ。

公表されていないケネディ暗殺事件の情報が、将来公表されたって、結局は何も明らかになることはないだろう。残念ながら、国家が公表するといったって、確定的な事実を公表するほど馬鹿ではない。悔しいけれど、その日まで生きていることはないので、そう言ってしまいたい。そう思っているだけなのだが。

『新選組』

1958年(昭和33年)・日本 監督/佐々木康

出演/片岡千恵蔵/山形勲/片岡栄二郎/徳大寺伸/仁礼功太郎/津村礼司/加藤浩/ 東千代之介/里見浩太朗/大友柳太朗

歌舞伎のような映画だった。いちいち見えを切って恰好よいセリフが跳び交わっている。久しぶりに鞍馬天狗や月形龍之介を観た。片岡千恵蔵の喋り方が小気味よく、耳障りがいい。本当は聞き取りにくいのだが、そこがまたいい。というくらい特徴的で現在の役者には到底まねのできない芸当。

新選組の近藤勇なる人物が、かなり出来のいい人間として描かれていた。あまりいい印象を持っていなかったが、本当はどうだったんだろう。どうでもよいことなので調べ直すのはよそう。昔の人の勝手な印象をどんなふうに持っていたって世の中には無関係だ。ちょっと気になるが。

新選組の存在があまりよい形では後世に伝わっていない。もし、徳川幕府があのまま当分の間残っていたとしたら、この新選組は高く評価されたのだろう。歴史はあくまでも勝者の歴史だ。敗者は何を言われたって甘んじてそれを受けるしか生きていく証がない。悲しいけれど、それが現実だ。

『マッドボンバー』(THE MAD BOMBER)

1972年・アメリカ 監督/バート・I・ゴードン

出演/ヴィンセント・エドワーズ/チャック・コナーズ/ネヴィル・ブランド/クリスティナ・ハート/ナンシー・ホノルド

ライフルマン(The Rifleman)というテレビ番組が放送されていた。ザ・ライフルマンと冒頭にタイトルと音声もあってそれが記憶に鮮明に残っていたのだと思う。主演は身長197cmのチャック・コナーズ。調べてみたら日本での放映は、1960年11月30日から1963年12月4日まで、TBS系列で毎週水曜19時30分~20時00分に156話だったという。この放映を毎週見ていたはずだ。中学1年生の頃。

この映画がたぶん売れ残っていてヘラルドの試写室で観た記憶があったので、録画したというわけ。正義の味方が世の中を糺していくという印象だけが残っていて、それ以上のことは覚えていなかった。この映画を買うべきかどうかの会議があったときに、私はおもしろかった、と言ったがみんなは反対して買わなかったと記憶していた。今回の調べ物の結果、配給はヘラルドになっていた。あれっ!買ったのか?!

映画をほとんど観ていない割には、この主演者だけをよく知っていた、ということが大きかったのかもしれない。おもしろいと思っていた映画を、2000本以上観た経験であらためて観ると、なんとつまらない映画だろうと、今分かった。遅かったけれど、長年の疑念がひとつ解決した。結構おもしろい四流映画ではなく、どうにもならない五流映画だった。残念。

『幕末高校生』

2014年(平成27年)・日本 監督/李闘士男

出演/玉木宏/石原さとみ/柄本時生/川口春奈/千葉雄大/谷村美月/吉田羊/渡辺邦斗/柄本明/伊武雅刀/石橋蓮司/佐藤浩市

フジテレビが20年前に放送したドラマシリーズに着想を得て作った映画だという。タイムスリップというSF要素の匂いがしたので、多少は期待したが、さんざんな内容で困ったものだ。せっかくのタイムスリップなのに、その落差のおもしろさがまったく出ていない。さすがフジテレビというところだろうか。

石原さとみは昨秋のテレビドラマ『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』で、一段上の演技にはまっていた。この映画と比べると格段の違いを感じられるのが凄い。役者の成長を目の当たりするのは初めてだ。今後の彼女の出演作を注目していきたい気になっている。

タイムスリップした現代人が歴史を変えるような行動は出来ない、とほとんどのこの手の映画で語られるが、実際には誰にも分からない歴史の真実は、もしかするとタイムスリプしてきた人間が大幅に変えていたのかもしれない。意外と事実が語られていない歴史上の事件が結構存在する。それでいいのかもしれない。そうでなければ歴史学者なんて必要なくなってしまうもの。

『女王フアナ』(Juana la Loca )

2001年・スペイン 監督/ビセンテ・アランダ

出演/ピラール・ロペス・デ・アヤラ/ダニエレ・リオッティ/エロイ・アソリン/ロサナ・パストール

フアナ(Juana, 1479年11月6日 - 1555年4月12日)は、カスティーリャ女王。結婚後から精神異常が顕著となり、特に夫と死別して以後さらに悪化したため、約40年の長期間にわたり幽閉された。この間、公文書のサインは女王フアナとカルロス1世の二つのサインが添えられ、名目上の共同統治者であり続けた。長男カルロス1世の統治下でスペイン帝国は隆盛を極めることとなる。「狂女フアナ」(Juana la Loca)という異名でも知られ、芸術作品の題材ともなっている。妹のカタリナはヘンリー8世 (イングランド王)妃(英語名:キャサリン)。(Wikipediaより)

ヨーロッパに生まれた人なら有名な王や王妃のことは、どこか頭の片隅に記憶として残っていることだろう。が、映画や物語として記憶に留めようと思っても、あっけなく忘れてしまうのが哀しい。現代まで「狂女」と伝聞されているこの映画の主人公を、その源となるところを描いていて興味深い。ただ、同じことの繰り返しが延々続くのが、ちょっと。

いろいろな国の政略結婚や掠奪などなどヨーロッパの王室はその血筋が入り交じっている、と感じているが、実際にはどうなのだろう。教えられたって、聞きたくない感じが。その点、日本の天皇家の血筋の正しさが際立っている。しかも男系の血筋は世界でも希な存在として認識されている?!&%$

『大統領の執事の涙』(Lee Daniels' The Butler)

2013年・アメリカ 監督/リー・ダニエルズ

出演/フォレスト・ウィテカー/オプラ・ウィンフリー/デヴィッド・オイェロウォ/ロビン・ウィリアムズ

主人公が初めてホワイトハウスの執事になったのが、アメリカ合衆国第34代大統領ドワイト・D・アイゼンハワー(共和党)の時。その後、第35代ジョン・F・ケネディ(民主党)、第36代リンドン・ジョンソン(民主党)、第37代リチャード・ニクソン(共和党)、第38代ジェラルド・R・フォード(共和党)、第39代ジミー・カーター(民主党)に仕えて、第40代ロナルド・レーガン(共和党)の時に辞めるというのが大筋のストーリー。

大統領の政党が替われば、掃除婦まで替わると聞かされていたが、執事と言われる人達は映画の中では主人公と同じように交替することはなかった。ストーリーは人種問題がメインだった。60年前のアメリカにここまで人種差別があったことは信じられないくらいだが、映画には同じような差別が何度も描かれている。30年前のレーガンの時でさえ、まだまだ黒人の地位は向上途上だ。主人公の長男は大学生になったときから人種差別に命を賭けて戦っている。父親は政府から給料をもらい、そのお金で学費を出してもらっているのに、息子は政府に反対し、幾度となく逮捕されている。親子関係が正常ではないのは当たり前のことだった。

現在でも黒人差別はあるのだろうか。トランプが大統領になって、白人以外はみんな差別されるという映画が作られるかもしれない。アメリカ合衆国大統領の中で任期中に辞任したのはニクソンだけだが、二人目が出現してもおかしくないトランプの大統領にあるまじき振る舞いと感じる。

『あの日 あの時 愛の記憶』(原題: Die verlorene Zeit、英: Remembrance)

2011年・ドイツ 監督/アンナ・ジャスティス

出演/アリス・ドワイヤー/ダグマー・マンツェル/マテウス・ダミエッキ

ニューヨークで生活しているユダヤ人女性ハンナは、かつてナチスの手を逃れてヨーロッパから、アメリカに渡ってきた過去を持つ。第二次世界大戦中のアウシュヴィッツ収容所で出会い、恋に落ちた男女が命がけの脱走に成功しながらも生き別れになり、30数年後に再会を果たしたという実話をもとにしている。(Wikipediaより)

『記憶は常に不完全で断片的なものだ その尖った断片が肌を刺し血を流す 過去を捨てたはずだった でも違っていた』 物語は1944年と1976年を行ったり来たりする。言語を絶する感動」と評されている『夜と霧』を読んだ経験があると、強制収容所という事件がまざまざと心の中に浸み込んできてつらい。収容されている現実がいつまで続くのかを想定できない毎日を耐えられることはできないだろう。それを何百万人にも強制したヒットラーの悪行は類を見ない。なまじっかの例としてこの事件を取り上げることの愚かさを韓国人も中国人も分かっていない。

受賞歴◆最優秀監督賞 ? アンナ・ジャスティス、タミル・ナードゥ(インド)国際映画祭2012、最優秀撮影賞 ? ゼバスティアン・エドシュミット、ワルシャワ・ユダヤ映画祭2012、観客賞(最優秀ドラマ)、 ロサンゼルス・ユダヤ映画祭2012、観客賞(最優秀映画)、 ザグレブ・ユダヤ国際映画祭2012、観客賞(最優秀劇映画)、ロンドン・ユダヤ映画祭2011、観客賞(最優秀劇映画)、香港・ユダヤ映画祭2011、観客賞(最優秀劇映画)、サンフランシスコ、ベルリン& それを超えて映画祭2011、観客賞、メッケルンベルク-フォアポンメルン映画祭2011

『恋のスクランブル』(Class)

1984年・アメリカ 監督/ルイス・ジョン・カリーノ

出演/アンドリュー・マッカーシー/ジャクリーン・ビセット/ロブ・ロウ/ジョン・キューザック

おちゃらけた高校生活を描く映画に見えた。が、半分くらいからようやく映画らしくなってきた。アメリカの大学入試制度が一つの要素なので以下にその概要を転載する。SAT(Scholastic Assessment Test、大学入試)は、非営利法人である「College Board」が主催する標準テスト。SAT論理試験(SAT Reasoning Test:旧SATⅠ)とSAT科目別試験(SAT Subject Test:旧SATⅡ)の総称。アメリカの大学入学時に考慮する要素の一つである。SATという略称は、本来Scholastic Aptitude Test(大学適性試験)であったが、1990年にScholastic Assessment Test(大学能力評価試験)に変わり、現在は略としてではなくSATそのものが名前に使われている。

アメリカ合衆国の学校制度では高校卒業までが義務教育期間である。しかし高校によって学力に差があり、成績評価基準も学校によって異なるため大学受験で高校の成績のみで合否を判定することはできない。そこで4,500校余りの高等教育機関からなる大学評議会が標準テストを実施し、そのスコアで生徒の大学受験の合否を決定することになった。SATは現在アメリカ国内で一番広く大学受験に使われているテストである。

誰がどの大学で学問を修める学力があるかどうかを判定し、合否の基準にする目的で1901年に導入され、何度か大幅な改定がなされてきた。またそれに伴い呼称も変わっている。試験は1年間に7回実施され、繰り返し受験することが可能である。同様のテストに、別団体が運営するACT (The American College Testing Program) があり、米国の大学進学には、SATかACTのいずれかのテストの点数の提出が義務づけられている。この点数は米国内で、T-Scoreとか、Deviation value と呼ばれている。素点(Raw Score) ではない。200点から800点で表示されるので正解率0でも0点とはされない。米国内のアメリカ人に対しても、米国外からの留学生に対しても平等に SAT か ACT の得点が要求される。

『タクシードライバー』(Taxi Driver)

1976年・アメリカ 監督/ マーティン・スコセッシ

出演/ロバート・デ・ニーロ/シビル・シェパード/ハーヴェイ・カイテル/ジョディ・フォスター/アルバート・ブルックス

考えてみれば、あの時代は「バブル」という時期だったのかもしれない。株や金融なんてまったく関係の無い自分にとっては、バブルだったとしても、そんなことはちーっとも縁のないことだった。が、生活はバブルのようなものだったかもしれない。

毎日のように麻雀をし、毎日のようにタクシーで帰っていた。多摩センター駅まで辿り着くにはかなりの時間を要した。会社のあった新橋から乗ることは非常事態で、通常は銀座線で渋谷まで行って、そこでタクシーに乗ることが多かった。ひとりではさすがにお金がもたないので、同じ方向の先輩が一緒だったことがこれも多い。どちらかが麻雀で勝っていれば、多めに払うというのも一つの不文律になっていた。

こんな生活でいいのだろうか、と思ったことはなかった。12時半に帰宅し、それから眠っている娘を起こして風呂に入れていた。多摩時代はまだ子供は2人だったので、たぶん2人とも入れていたのだろうと思う。それからまた夕飯を食べていた。雀荘で2食分を食べていたのにである。妻の作った食事をとらなければいけない、と決めていた節もある。こういう時間を過ごすと、おおむね2時半が就寝時刻になっていた。ヘラルドの朝は遅く10時出勤だったことも大きかった。しまも、遅刻したって誰に文句を言われるわけでもなかった。ボーナス査定の出勤分が悪くなるだけだとたかをくくっていた。

『アンタッチャブル』(The Untouchables)

1987年・アメリカ 監督/ブライアン・デ・パルマ

出演/ケヴィン・コスナー/ショーン・コネリー/ロバート・デ・ニーロ/アンディ・ガルシア/チャールズ・マーティン・スミス

触れてはいけない、触ってはいけない事柄は多い。それが出来なければ、単なる「空気を読めない人」ではなく、「馬鹿」と陰口をたたかれても仕方のない人物として評価されてしまう。それが人間生活だ。

求められればものを言い、求められなければ何食わぬ顔でその場をやり過ごす。これが出来れば人間として一人前だが、なかなかやすやすとこれが出来る人はいない。ある意味「不言実行」と似通ったところがあり、少々ずるい感じがしている。出来れば「有言実行」しながら、責任を全うする人生の方が好ましいだろう。

死んでも喋らないことをどれだけ腹の中に留め置けるかが人間の価値を決めるだろう。思いついたことをひたすら喋っているだけでは芸の無い人間となってしまう。どんなに悪く思われようと、真実一路、神だけは間違いなく己の人生を讃えてくれる。そう信じて生きて行くのが生活の知恵というものだろう。

『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』(Heartbreak Ridge)

1986年・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/クリント・イーストウッド/マーシャ・メイソン/エヴェレット・マッギル/モーゼス・ガン

朝鮮戦争で名誉勲章をもらいながらも、個人的には問題の多いアメリカ海兵隊古参一等軍曹トム・ハイウェイが主人公。退役近いこの主人公は、イーストウッドのこの時の実際の年齢56才あたりの人物なのかもしれない。老体に鞭を打って鬼軍曹を演じている姿は痛々しいが、その凜々しさには敬服する。

フジテレビの番組「スカッとジャパン」はちっともスカッとしないことが多いが、この映画の最後には誰もがスカッとするシーンがあって思わず笑みがこぼれる。それにしても、イーストウッドの映画はおもしろい。偉大な映画人であることは間違いない。

日本の軍隊ならまず上官が部下を殴るシーンに出くわすが、アメリカの軍隊でのシーンで個人的な感情で殴るシーンなんて見たことがない。国民性と言うよりはもっとどこか根付いたところに違いがあるような気がする。年功序列に典型される日本的価値観は、もう社会の中からさっさと掃き清めなければ新しいクール・ジャパンは始まらないだろう。

『ラブ・アフェア 年下の彼』(And While We Were Here)

2012年・アメリカ 監督/カット・コイロウ

出演/ケイト・ボスワース/ジェイミー・ブラックリー/イド・ゴールドバーグ/クレア・ブルーム

新しい録画機を買って最初の映画がこれだった。イマジカBSがクレジット付きながら見られたので、試し録画がうまくいった。録画画面ではクレジットが消える。ほかの有料チャンネルもクレジット付きで見えているのは、新しい機器の期間限定特権なのだろうか。

夫の出張でイタリアを訪れた女性が年下男性と織り成す禁断の恋の行方を、「スーパーマン リターンズ」のケイト・ボスワース主演で描いたラブストーリー。音楽家の夫レオナルドの海外出張に同行してイタリアへやって来たジェーン。夫との冷えきった関係にうんざりしていた彼女は、偶然知り合った青年キャレブと親しくなり、恋に落ちるが……。キャレブ役に「教授のおかしな妄想殺人」のジェイミー・ブラックリー。(映画.comより)

題名も上の紹介文もそのままの通り。激しく時が進まないで、ゆるやかなときが流れる雰囲気はいい。若い頃を想い出させるような会話や仕草もいい。イキアス島というナポリ湾に浮かぶ小島も一つの舞台。行きそびれてしまったナポリが恨めしい。「ナポリを見てから死ね」なんていう文言も最近では流行らないようだが、まったくその通りで、なんとかナポリでマルゲリータを食べてから死にたいものだ。

『フェイス/オフ』(Face/Off)

1997年・アメリカ 監督/ジョン・ウー

出演/ニコラス・ケイジ/ジョン・トラヴォルタ/ジョアン・アレン/ジーナ・ガーション

監督ジョン・ウーは、香港時代の1986年、日本ではヘラルドが配給した『男達の挽歌』を監督している。あんなにおもしろかった映画を当てられなかったと、今もって悔しがらせている作品だ。1993年からはアメリカを拠点としている。アクション・シーンが有名な監督で、この作品もふんだんに、いやこれでもかと飽きられるくらいのアクション・シーンをぶっ放している。

映画のストーリーはめちゃおもしろい。映画的にかなり出来過ぎている感は否めないが、まぁ映画なんだから許しちゃおうか、という程度だろうと納得した方が賢明だ。上映時間は2時間18分とかなり長い。複雑そうに見える話が、実はちっとも難しくないと分かりながら鑑賞できる映画。

ジョン・ウーはこの映画を、ハリウッド進出して初めて「自分の好きな様に撮れた」と誇るアクション作品だと言っている。ニコラス・ケイジとジョン・トラヴォルタの秀逸な一人二役の演技も話題となった。特にトラヴォルタの役は2013年の『キリングゲーム』一般試写会にてショウゲートが行ったアンケート“好きなトラボルタ作品”で1位を得るほど高い支持を得ているという。ちなみにこの役は元々、アーノルド・シュワルツェネッガーとシルベスター・スタローンの予定だったという裏話もおもしろい。

『映画 中村勘三郎』

2013年(平成25年)・日本 監督/松木創

出演/中村勘三郎/片岡仁左衛門/坂東玉三郎/市川左團次/中村扇雀/中村橋之助/片岡孝太郎/板東新悟/片岡亀蔵/板東彌十郎/中村勘九郎/中村七之助/波野七緒八/前田愛/波野好江/串田和美/笹野高史/森光子/中村富十郎/中村芝翫/中村雀右衛門

享年57才、2012年12月に亡くなった希代の歌舞伎俳優・十八代目中村勘三郎を10年間にわたって追ったドキュメンタリー『映画 中村勘三郎』。歌舞伎俳優としてのプロフェッショナルな顔、父としての頼もしい顔。2012年の死の間際までエネルギッシュに生きた勘三郎の人生を名語録&名シーンから振り返ります!というページが見つかったので、その内容を以下に書くことにしました。

■お仕事編:『ずっと夢を見続けて、死ぬまでいろんなことをしていきたい』 『(お客様の)反応がいいからね。それに甘えてっちゃうと芸が荒れてくる』 『気持ちがないから。言葉だけだよ!誰に教わったんだい!!』 ■家族編:『(足を踏むタイミングが合っているのは)DNAだと思う』 『親父とは目を見てしゃべれなかった。ガラスに映る顔色をうかがってました』 『極論を言えば「今日はハンバーグを食べようか」なんて考えながらも、泣いているように見せないといけない』 ■涙編:『病での休養から7ヶ月ぶりの復帰に思わず・・・・・』 『勘九郎から勘三郎へ、襲名で流した涙』 『これからもっともっとだったんです。あの人は』

制作はフジテレビジョンである。web上の映画紹介のどのページにも、出演者は勘三郎ひとりしか記載されていない。他の登場人物は芝居の中での出演だったり、ドキュメンタリーの登場人物だというのだろうか。この欄で記載した出演者は、この映画のエンド・クレジットに記載されていた名前をその順番通りに書いた、全員を書き切れていないが。本人にもこれほど早い死は意識になく、世間から惜しまれいる人が短い命を全うする。誰もその命を望んでいない老人が、本人の意識とは関係なく命を永らえる。不思議な人間生活が地球上での営み。

『ショコラ』(Chocolat)

2000年・アメリカ/イギリス 監督/ラッセ・ハルストレム

出演/ジュリエット・ビノシュ/ジョニー・デップ/ヴィクトワール・ティヴィソル/アルフレッド・モリーナ

観た方がいい映画を訊ねられたら、この映画も推薦するだろう。不思議な仕合わせ感をもたらしてくれるのがこの映画だ。ジョニー・デップは相変わらず一風変わった役回りだが、いつもよりは普通の人に近く出しゃばっていないのがいい。

チョコレートの原料カカオは紀元前2000年頃から主に中央アメリカで栽培され、アメリカ先住民族の間で嗜好品や薬用として珍重されたという。あのコロンブスによって1942年にヨーロッパに紹介されたらしい。チョコレートに苦みを打ち消すために加えるものが唐辛子から砂糖に変わっていった過程で、薬から嗜好品へとヨーロッパ中に浸透していった歴史があるそうな。

この映画を観ているとチョコレートを食べたくなる。映画の主人公は客の好みのチョコレートをアレンジできるという特技がある。日本で市販のチョコレートでさえ、多くの種類があるのにはびっくりする。同じカカオ原料の「ココア」が大好きで、コーヒーを飲まない自分の喫茶店・オーダー品はまずココアだ。結構いろいろなココア粉を試しているが、なかなか美味しいものに出逢わない。ごく最近見つけたココアが一段美味しさが違っていた。フランスからの輸入品だった。これからのココア生活はこの商品になるであろう。

『巨匠スコセッシ“沈黙”に挑む~よみがえる遠藤周作の世界~』

2017年(平成29年)・日本

出演/映画監督:マーティン・スコセッシ/俳優:アンドリュー・ガーフィールド/レポーター:塚本晋也(映画監督・俳優)/語り:武内陶子

アカデミー賞監督の巨匠マーティン・スコセッシが日本戦後文学の金字塔「沈黙」の映画化に挑んだ。「沈黙」は、遠藤周作が50年前に発表、17世紀初頭のキリシタン弾圧をテーマにした作品。監督が作品に出会ったのは28年前。物語の舞台・長崎を取材、歴史や文学の専門家にも話を聞き、構想を温めてきた。監督と遠藤周作の時空を超えた出会いは、一体どんな映画を生み出すのか?番組は知られざる制作の舞台裏に迫る。(NHKホームページより)

映画ではなくテレビ番組だ。1年に1本くらいしかテレビ番組を取り上げることはない。タイトルの頭に「BS1スペシャル」と銘打ってある。さすがのNHK、今どき無条件で視聴料を徴収してそれを制作予算にしている。税金よりも始末が悪い。将来誰が言いだすのだろう。テレビ・チューナーを持っていれば、それはNHK視聴料の対象になる。万が一NHKが映らなくてもである。

活字がまったくダメな自分には遠藤周作は遠い存在。この作品名くらいは知っているが、2作目は出て来ない。神という存在も遠いし、信仰という言葉も身を固まらせる。けれど、両方とも興味の尽きない事柄だ。重厚な画面からは良質な映画の匂いがぷんぷんしてくる。1月21日から劇場公開されるらしい。願わくば映画館で観たい、けど・・・。

『奇跡のリンゴ』

2013年(平成25年)・日本 監督/中村義洋

出演/阿部サダヲ/菅野美穂/池内博之/笹野高史/伊武雅刀/原田美枝子/山崎努

題名からして一番苦手な映画だ。しかもそれが実話と来ては、観る気が少々失せるのは仕方がない。いきなり2倍速で観始まったが、珍しく音が聞き取りにくいので、普通速に戻した。これも珍しいことである。

一般消費者の食べる果物の味がしない。果物だけではない、野菜だって味がしない。歳をとったからというのも一つの理由かもしれない。まったく熟していない実を買わされて、家で熟すのを待てというのだろうか。腐りかけてきてようやく味がするのでは虚しくて仕方がない。

バナナだって青々したものを輸入して、倉庫で寝かされる。市場に出回ってから黄色くなるのだから、同じだよ、と言われても納得が出来ない。バナナはそれでいい。しかも味がしなくても1個200円もするリンゴとはどういうことだろう。日本の食料流通で暴動が起きないのが不思議だ。日本人だからなのだろう。1kg単位で市場に出るのが普通なのが欧米、間違った経済理論で物価を高くして喜んでいる経済学者と政治屋よくたばれ。

『あさひるばん』

2013年(平成25年)・日本 監督/やまさき十三

出演/國村隼/板尾創路/山寺宏一/桐谷美玲/斉藤慶子/温水洋一/雛形あきこ/西田敏行/松平健/間寛平/上島竜兵/國本鍾建

『釣りバカ日誌』の原作者で、東映の助監督でもあったやまさき十三が、72歳にして初めて監督を務める映画でもある。やまさきの故郷・宮崎県を舞台にした作品で、『釣りバカ日誌』の主人公・浜崎伝助を演じた西田敏行(映画シリーズ)と山寺宏一(テレビアニメ)の2人が共演。ロケ地はすべて宮崎県内で、やまさきの故郷・都城市をはじめ、宮崎市・日南市・小林市・新富町・綾町で撮影を実施した。(Wikipediaより)

高校時代の野球部仲間の3人のアダナが「あさ」「ひる」「ばん」だった。野球部のマネージャーだった当時のマドンナが入院している。マドンナの手で育てられた娘の結婚式がせまっている。その子供を身籠もったときから実家とは絶縁状態だ。父親は誰なのか?甲子園をかけた決勝戦でサヨナラヒットを打った相手チームで現在国会議員が登場する。

そんな他愛ない話を軽いコミカルタッチで描いている。作り方によっては、それなりの話にも出来るのだろうが、この出演者を見れば分かる通り、センチメンタルな要素は何処にもない。何処にもなくっていいのだ、所詮は釣りバカ日誌だから。

『東京オリンピック』(Tokyo Olympiad)

1965年(昭和40年)・日本 監督/市川崑/渋谷昶子(バレーボール)/安岡章太郎(体操)/細江英公

『国内観客動員数は1950万人以上。映画史に残る不朽の名作として、現在も語り継がれている。』1枚看板が現れる。続いて『東宝株式会社』。その後には『オリンピックは人類の持っている夢のあらわれである』がまた1枚看板。格調が高いと共に、オリンピックに対する畏敬の念が半端じゃない。

高校2年の時だろうか。学校から団体でこの映画を観に映画館に行った記憶があるような。小学生の頃、人口1万人の町にも映画館が2館あった。学校から団体で見に行くのは普通のことだった。全国的にそうだったろうと思う。ヘラルド現役時代にもまだ学校の団体鑑賞はあった。それを儲けの主として商売をやっていた人もいた。旧作を配給会社から極安で借り受け、早朝の劇場を押さえ、学校にわたりをつけて1人あたり300円で映画を見せる。それでも大きな劇場に一気に詰め込めば、30万円の売上がある。儲けが7割くらいになるだろうか。そういうニッチな商売もあった。頭のいい人は、いつ何処ででも金もうけが出来る。羨ましい。

リアルタイムではかなり驚いていたような気がする。50年前のスポーツ・シーンはどうだったのだろう、ということがメインだった。記録映画だから、総監督市川崑の思惑は残念ながらここまで届くのは無理なようだ。斬新だと思えたポスターに象徴されるアップ映像も、近代映画には及ばない。やはり、人間という動物は未来に向かって生きているようだ。オリンピックに平和を託した言葉が羅列されていたが、こうやって50年過ぎても世界はさらに混迷の世界へと向かっているようで虚しい。

『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』(The Three Musketeers)

2011年・アメリカ/イギリス/フランス/ドイツ 監督/ポール・W・S・アンダーソン

出演/ローガン・ラーマン/マシュー・マクファディン/レイ・スティーヴンソン/ルーク・エヴァンズ

アレクサンドル・デュマ・ペールの小説『三銃士』を原作とし、『バイオハザード』シリーズのポール・W・S・アンダーソンによって監督された3Dアクション映画作品だという。キャッチコピーは「伝説よりも、ハデにいこうぜ。」といわれても、意味、意図するところが伝わらない。

三銃士なるものの名前を小さい頃から聞いているし、テレビでも映画でも観たことはある。ただ観ていただけで、強く印象に残ったいる事柄やキャラクターは記憶にない。実はこの映画も、観たことは観たが、始まってからよく分からないストーリーに愛想を尽かせてしまった。あとはながら族と化した。

子供の頃には当然童話や物語、偉人伝などに触れて、自然に人生を学んでいくものだ。そういう幼児体験は記憶になくても意識の下に眠っているものなのに違いない。そういう無意識下の事象が多ければ多いほど、人間は大人になったときに意外な人間力を発揮できる。そういうことなのだと勝手に夢みている。

『ビリギャル』

2015年(平成27年)・日本 監督/土井裕泰

出演/ 有村架純/伊藤淳史/野村周平/大内田悠平/奥田こころ

『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』は、名古屋市の学習塾・青藍義塾(現・坪田塾)塾長で学校法人大浦学園理事長の坪田信貴がストーリー投稿サイトSTORYS.JPに投稿したノンフィクション作品、およびアスキー・メディアワークスにより書籍化され2013年刊行された同名の書籍である。通称「ビリギャル」。その映画化作品。(Wikipediaより)

という大筋の話をテレビで見聞きしていたリアルタイム。もう忘れている頃になってようやく放映されるのが当たり前だが、どうせ見なくても分かるじゃんと思っていた気持ちを裏切るようにおもしろかった。最近の日本映画では珍しい印象。2012年の『るろうに剣心』(主演/佐藤健)を見たときのおもしろさを想い出した。原作通りの台詞なのかどうかを知りたい。なかなか含蓄のある、そのあたりの親に聞かせたいような言葉が心に残る。

偏差値が高いからその学校を選ぶ、とかいう理由は私には理解できない。自分なりの人生の中で、進みたい学校が見つかれば、それが一番いいに決まっている。ただ、日本の若者には将来を期待させる指標や指南、さらに平たく言えば情報というやつが的確に知らされていない。学習塾も先輩も家庭環境も何も情報のない自分が、早稲田に入ったのは高校がそういう環境にあっただけの理由しかない。その当時当たり前のように東北大、茨城大学、早稲田あたりに進学していた環境では、何も考えず早稲田に入ることが普通のことだった。今考えると、まったく不思議なことだった、と思える。

『ベン・ハー』(Ben-Hur)

1959年・アメリカ 監督/ウィリアム・ワイラー

出演/チャールトン・ヘストン/スティーヴン・ボイド/ジャック・ホーキンス/ハイヤ・ハラリート

『最近観た映画Log』にこの映画がなかったので、ここ7年くらいは観ていないということになる。3時間32分とさすがの大作上映時間だ。intermissionのある映画を映画館で観たことがない。映画館鑑賞の数が圧倒的に少ないことの証明。もっともintermissionのある映画だって、かなり少ない。内容について私がコメントできるような映画ではない。

原作の副題に「キリストの物語」とあるように、キリストの生誕、受難、復活が「ベン・ハー」の物語の大きな背景となっている。この映画はタイトルが出る前にキリストの生誕で始まり、キリストの処刑とともに復活で「ベン・ハー」の物語が終わる。1959年11月18日にプレミア公開され212分の大作ながら全米公開後、瞬く間にヒットとなった。同様に全世界でも公開されてヒットした。54億円もの制作費が投入されたが、この映画1本で倒産寸前だったMGMを一気に立て直すことができた。

1960年4月1日から東京はテアトル東京、大阪はOS劇場でロードショー公開され、他都市も東宝洋画系で公開された。テアトル東京では翌年61年7月13日まで469日間に渡って上映され、総入場者数95万4318人、1館の興行収入3億1673万円を記録した。全国各地の上映の後に、配給収入は最終的に15億3000万円となった。日本での一般公開は1960年4月1日だが、これに先立ち同年3月30日にはテアトル東京でチャリティ上映が行われた。このとき昭和天皇・香淳皇后が招かれ、日本映画史上初の天覧上映となった。ヘストン夫妻もこの場に立ち会っている。(Wikipediaより)

『アクシデンタル・スパイ』(特務迷城、The Accidental Spy)

2001年・香港 監督/テディ・チャン

出演/ジャッキー・チェン/ビビアン・スー/キム・ミン/ウー・シングォ

ジャッキー・チェンの映画は基本的には観ない、と書いて前回も同じように観る映画(録画)が尽きてしまって、仕方なく観た。今回も同じ状況。そう近くはないが引っ越す前の TSUTAYA との位置関係と同じような距離に「ゲオ」を見つけたので、近いうちに会員登録してこよう。

予定調和のようなアクションの何処がおもしろくて、何処に魅力を感じるのか分からない。下手くそな歌でもCDが売れるアイドル(歌手)と同じようなものなのかもしれない。歌は上手い下手で売れるわけではないけれど、基本的に下手くそな歌がもて囃されるのは許せない。アイドルとして生身の姿がキャーキャー言われることは別に構わない。踊りやギャグが上手くてテレビ的であるのも問題ない。でも、聞いていられない歌が、そのCDが売れることがどうにも分からない。もっとも、麻雀仲間にアイドルのためにCDを150枚も買うんだと先日聞かされて、そうか、ただ持っているだけでいいんだということも、何となく分かるような気もする???

結局観たことは観たけれど、ながら族宜しく音を聞きながらチラ見する程度のことしかしなかった。本人がいかに身体を張ってアクションをしたって、それがなんなの! こういう時代はとっくの昔に終わっている。もっとも、今の映画じゃないから、その当時にはなんだかんだと凄いとか言われたのだろうけれど、それにしても分かりきったようなアクションには反吐が出る。エンド・クレジットと共に声つきのメイキング映像が流れ、あ~この映像で充分だな~と思わせてくれた。

『赤い靴』(The Red Shoes)

1948年・アメリカ 監督/マイケル・パウエル/エメリック・プレスバーガー

出演/モイラ・シアラー/アントン・ウォルブルック/マリウス・ゴーリング/ロバート・ヘルプマン

原作はハンス・クリスチャン・アンデルセンの同名童話。この映画へのリスペクトを公言していた、映画監督のマーティン・スコセッシがオリジナル・ネガ修復作業に着手し、2年の歳月をかけて完成された<デジタルリマスター・エディション>が、2009年カンヌ国際映画祭で世界初公開されたという。

フィルムがデジタルリマスターで蘇るのが羨ましい。同じ年月を生きながら、こちとらは日に日に衰えていくばかり。今どきなら金があればもう少し長生きできるんだろうが、そんなに人生が長くなったって、何もいいことはない。そう思っているのは少数派だろうが、本気でそう思っている人も結構いるはずだ。

ひとりの女性バレリーナの哀しい物語だった。男をとるかバレイをとるかなんて究極の選択をさせられたら、それこそ死ぬしかない。いつの世も男と女のどろどろした関係が社会を作っている。すっきりと誰しもが目の前の事柄に満足している瞬間なんてありそうにもない。

『イーグル・アイ』(Eagle Eye)

2008年・アメリカ 監督/D・J・カルーソー

出演/シャイア・ラブーフ/ミシェル・モナハン/ビリー・ボブ・ソーントン/ロザリオ・ドーソン

久々のノンストップ・アクションでめちゃめちゃおもしろい。ちょっと出来過ぎの感はあるけれど、出來の悪い映画のことを考えたら、ちょっとした出来過ぎなんか許せて当たり前だ。もう8年前の映画だなんて、いつも通りこの映画の存在を知らなかった。以下に Wikipedia からの引用を書くが、鷹の目として知っていたと思ったことは、大きく言えばこの「鷲の目」だったなんて。

鷲(わし)とは、タカ目タカ科に属する鳥のうち、オオワシ、オジロワシ、イヌワシ、ハクトウワシなど、比較的大き目のものを指す通称である。タカ科にて、比較的大きいものをワシ、小さめのものをタカ(鷹)と呼ぶが、明確な区別はなく、慣習に従って呼び分けているに過ぎない。
鷲はその姿から鳥の王者とされ、信仰の対象にもなった。ローマ皇帝の紋章は鷲である。のちに東ローマ帝国が双頭の鷲を紋章とし、ロシア帝国などへ受け継がれたほか、12世紀以前からセルビアの国旗には白い双頭の鷲が描かれている。中欧・西欧ではハプスブルク家によって神聖ローマ帝国からオーストリア帝国へ双頭の鷲が受け継がれ、プロイセン王国やドイツ帝国も鷲を紋章とした。ナチス・ドイツもそれにならい、軍服や建築物の随所に鷲の意匠を施した。現在のドイツ・オーストリア両国の国章にも鷲が使われている。また、ナポレオンやイギリス王室、ポーランドなども鷲を紋章に取り入れている。メキシコ国旗に描かれているワシは「ウィツィロポチトリの予言鷲」と呼ばれる。「蛇をくわえた鷲がサボテンの上にとまっている場所を見つけ、そこを都とせよ」という神託に従い、現在のメキシコシティに安住の地を見つけたというアステカ族の神話にちなんだものである。 アメリカ合衆国はハクトウワシを、フィリピンはフィリピンワシを国鳥としている。

ドイツやスペインなどでは、視力や観察眼に優れていることを慣用句で「鷲の目」と言う。アメリカの戦闘機であるF-15は「イーグル」の通称で知られている。人類を初めて月に運んだアポロ11号の月着陸船の名前は「イーグル」である。ゴルフで、規定打数のパーより2打少なくホールに入れることを「イーグル」と呼ぶ。などなど、なかなか奥が深い。

『赤穂浪士』

1961年(昭和36年)・日本 監督/松田定次

出演/片岡千恵蔵/中村錦之助/東千代之介/大川橋蔵/市川右太衛門/丘さとみ/桜町弘子/三原有美子

冒頭の1枚看板は、「創立十周年創立記念」だ。いわずと知れた東映、原作は大佛次郎、豪華キャストにもまして脇役の役者がこれまた大したものだ。この時期の定番映画放映で、『忠臣蔵』も数多く放映されてるが、片岡千恵蔵だけで大石内蔵助を4度演じているというから凄い。

中村錦之介は29才の若造を演じている。松方弘樹は19才で大石主税、ようやく元服をするという歳頃の役だ。そうそうたるメンバーがちょんまげ姿のよく似合う役を演じている。眼と肩と身体の向きと物腰で役を演じる。もう映画ではない一大大河物語だ。何事も本当のように見せてしまう説得力が凄い。

余計なことを言わない。目を見ればそこには言いたいことが現れている.ものをいわなくても理解できてしまう人間同士、侍世界の人間の理知さが如実に描かれる。馬鹿な侍はスクリーンにも入れてもらえない。全ては社会共通の「義」からくる倫理観。多くを語らないで成立する社会がいい意味で素晴らしい。義理に疎い人間もいつの間にかいられなくなるのが人間社会だった。いまでもそうあって欲しいものだが。

『タイタンの逆襲』(Wrath of the Titans)

2012年・アメリカ/イギリス 監督/ジョナサン・リーベスマン

出演/サム・ワーシントン/リーアム・ニーソン/レイフ・ファインズ/シニード・キューザック

引っ越すまでは毎日1本は観ようと決めて、しかもほぼ実行出来ていた映画鑑賞。2000本鑑賞も11月くらいには達成できるはずだった。予定は未定にして決定にあらず、というたとえ通り、そう簡単に思惑は達成できない。あと15日であと14本は無理かもしれない。今日は2016年12月16日(金)。

この映画の第一作目を観たのは数日前、訳が分からない神々の登場に反吐が出たが、観た後の調べもので何とか思考の辻褄を合わせることが出来た。全知全能の神ゼウスの孫が登場する。10才くらいだろうか。また怪物たちが現れて、終始戦いが行われている。早々に眠りについた。音は聞こえている。同じようなリズムの音が続いている。

目が覚めたときにはもうほとんど終わりの状態。エンド・クレジットの長さといったら。どれだけ多くの人達がこの映画製作に参加しているのだろうか。幼稚で子供騙しの日本映画に比べて、荒唐無稽な印象が強い欧米のこの手の作品。あまりにも乱暴で魅力のないキャラクターたちが描かれている。キャラクターだけなら日本映画アニメの方がはるかに上だろう。

『紙の月』

2014年(平成26年)・日本 監督/吉田大八

出演/宮沢りえ/池松壮亮/大島優子/田辺誠一/小林聡美/石橋蓮司/中原ひとみ

原作は、角田光代による日本のサスペンス小説。学芸通信社の配信により『静岡新聞』2007年9月から2008年4月まで連載され、『河北新報』『函館新聞』『大分合同新聞』など地方紙に順次連載された。

著者の角田はこの作品を執筆する際、普通の恋愛では無い、歪なかたちでしか成り立つことのできない恋愛を書こうと決めていたが[1]、実際のニュースで銀行員の女性が使い込みをしたという事件を調べると、大抵が“男性に対して貢ぐ”という形になっていることに違和感を覚えた[2]。そして、“お金を介在してしか恋愛ができなかった”という能動的な女性を描きたいという思いが湧き上がったと話している。(wikipediaより)

こういう話だと知っていたら、この映画を観ることはなかったであろう。だって、こんなことくらいで映画がおもしろくなるわけがないもん。案の定、宮沢りえが主演して、ちょっと濡れ場を演じているくらいが売りとなってしまっている。この程度の物語は、想像を膨らませる活字世界で充分。映画にはもっとダイナミックな人間躍動感のある題材が相応しい。宮沢りえはせっかくの人間才能を、どこかで自ら捨ててしまっている。誰にでももてるわけではない才能を、もっと社会の人のために遣って欲しい。

『シノーラ』(Joe Kidd)

1972年・アメリカ 監督/ジョン・スタージェス

出演/クリント・イーストウッド/ロバート・デュヴァル/ジョン・サクソン/グレゴリー・ウォルマット

Wikipediaより引用する。オークランド・テクニカル・ハイスクール卒業後、朝鮮戦争のさなかである1951年に陸軍に召集され入隊。2年後の1953年に除隊後、サウス・カリフォルニアに移住。アルバイトの傍ら、ロサンゼルス・シティー・カレッジの演劇コースを専攻する。1950年代初めにユニバーサル映画と契約を結ぶが、当初は『半魚人の逆襲』『世紀の怪物/タランチュラの襲撃』といったB級映画の端役しか与えられないという、不遇の時代を過ごした。

1959年からCBSで放映されたテレビ西部劇『ローハイド』で、ロディというカウボーイを演じる。同作品は約7年間にわたり全8シーズン217話が製作された人気シリーズとなり、イーストウッドの知名度と人気は世界的に高まった。1964年にはセルジオ・レオーネ監督にイタリアに招かれ、マカロニ・ウェスタンの嚆矢でありかつそれを代表する作品となった『荒野の用心棒』に出演。その後も『ローハイド』の撮影の合間を縫って『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』と都合3作のレオーネ作品に出演した。この3作品で名無しの男を演じたイーストウッドはレオーネを師と仰ぎ、レオーネの逝去まで交友を続けた。これらの映画の人気により、イーストウッドの映画俳優としての評価はヨーロッパが先行し、アメリカに逆輸入された形となった。

『マンハッタン無宿』で出逢ったドン・シーゲルと再びタッグを組んだ『ダーティハリー』でイーストウッドは型破りな刑事ハリー・キャラハンを演じた。これはシーゲル作品としてそれまでで最大のヒットとなり、イーストウッド本人もこの作品で人気アクション・スターとしての地位を不動にした。現在においてもイーストウッドの俳優としての代表作として真っ先に挙げられるのがこの作品である。『ダーティハリー』シリーズは、全5作品が製作されている。

『パリ、テキサス』(Paris,Texas)

1984年・西ドイツ/フランス 監督/ヴィム・ヴェンダース

出演/ハリー・ディーン・スタントン/ナスターシャ・キンスキー/ディーン・ストックウェル

この監督が何故か嫌いだ。作品を観てもいないのに嫌いだと、なぜ言えるのだろうか。一応、業界に席を置いたことがあるので、頻繁に予告編やらの情報を掴んでしまっていたに違いない。この監督作品をほとんど配給していたフランス映画社が嫌いだったということも、この監督嫌いに通じているのかもしれない。観てみて分かったことは、「俺の映画的な技術は一流だろう! さぁ、観てみろ!」と、そんな感じのする映像とストーリーだった。そういうところが嫌いなんだ。「俺が、俺が、」という人種を忌み嫌う。そういう自分の人生観が大きく影を落としている。以下Wikipediaより引用。

テキサスを一人放浪していた男の妻子との再会と別れを描いたロード・ムービー、1984年(昭和59年)、第37回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞。テキサス州パリスは、同州ラマー郡の郡庁所在地で、人口約2.5万人(2000年)の小さな街である。同市には、登場人物が訪れることもなく、撮影は行われていない。原作は脚本のサム・シェパードによるエッセイ『モーテル・クロニクルズ』であり、『ハメット』の主役に推薦して果たせなかったヴェンダースがシェパードに依頼、L・M・キット・カーソンが翻案しシェパードが脚色した。キット・カーソンは、主人公トラヴィスの一人息子を演じたハンター・カーソンの父である。

ヴェンダースは本作で初めて音楽家ライ・クーダーと組み、以降の監督作『エンド・オブ・バイオレンス』、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』でもクーダーを起用するきっかけとなった。トラヴィスが倒れるガソリンスタンドの男を演じるサム・ベリーはイギリスの遺伝学者、テレビの中に映る女を演じるヴィヴァはアンディ・ウォーホル作品に登場する「ウォーホル・スーパースター」の一人である。映画の中の美しい女がナスターシャ・キンスキーだと気がつかなかった。「テス」で散々お世話になり、よく知っていたつもりだったのに。

『マラソンマン』(Marathon Man)

1976年・アメリカ 監督/ジョン・シュレシンジャー

出演/ダスティン・ホフマン/ローレンス・オリヴィエ/ロイ・シャイダー/ウィリアム・ディヴェイン

当時はかなり話題になった。何年か前に一度観たことがあるような、ないような。最初のうちはおもしろくなく、一瞬、二瞬眠ってしまったくらいだが、ちょうど目を覚ました時に事件が起こり、そこからは眠らずに観ることが出来た次第。いざこの欄を書こうとしたら題名が出て来なく、ダスティン・ホフマンをなんとか想い出し、そこから逆検索でようやく題名が分かった。もう見事に痴呆症に突入しそうだ。

ウィリアム・ゴールドマンの同名小説の映画化。原作者のゴールドマンが脚本も兼ねたので、原作に忠実に描かれている。小説と映画の両者とも、ナチの残党の歯科医が歯にドリルを突き立ててベーブを拷問するという非常に生々しいシーンで有名になった。(Wikipediaより)

リアルタイムで観ていたら、かなりおもしろいと思ったに違いない。もうちょうど40年前になる作品、映画として観るのは悪くないが、映画の中に入り込むにはちょっと辛い。風景が違い過ぎて、と思うのは私だけだろうか。願わくば、現代の風景で是非リメイクして欲しいものだと願う。

『目撃』(Absolute Power)

1997年・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/クリント・イーストウッド/ジーン・ハックマン/エド・ハリス/ローラ・リニー

クリント・イーストウッドは、原作の登場人物や基本的なストーリーは気に入っていたが、登場人物の大半が殺されてしまうことには不服だった。そこでイーストウッドは、最初に映画用に原作の改編について意見を求められた時、脚本担当のゴールドマンに、「観客に気に入られる登場人物は殺さないでくれ」と求め、それに沿って大幅な改編がなされたという。

製作・監督・主演をクリント・イーストウッドが行い、監督作としては17作目にあたる。彼の作品は間違いなくおもしろいけれど、この作品はその中でもトップクラスのおもしろさだろう。

大統領の殺人をテーマにするなんて日本では考えられないこと。このあたりからアメリカに追いつけない訳がありそうだ。彼の作る映画は、常に絶対悪を抹殺する。そういう本筋が必ず見えるところが好きだ。6年以上前に1度見ているようだった。

『タイタンの戦い』(Clash of the Titans)

2010年・アメリカ/イギリス 監督/ルイ・レテリエ

出演/サム・ワーシントン/リーアム・ニーソン/レイフ・ファインズ/アレクサ・ダヴァロス

欧米人の「子供騙し」は、話が壮大でついていけない。もっとも、日本の「子供騙し」映像は観る気もしないから、まだまだましだと思わなければいけない。

観る前に Wikipedia でも眺めておいた方が良さそうだった。終わってから調べても、過ぎ去ってしまった映像を思い出せない。複雑な神の名前が登場して、欧米人ではないDNAをちょっと恨んだりして。

リアルな化け物神様がたくさん出てくる。日本人の作る子供騙しは、そんなリアルなものが出てこない分いいのかもしれない。そんなところがグローバルなクールと印象付けられるのか。こんな比較でしか日本的アニメや子供騙し映像を誉められないのが哀しい。

『ギター弾きの恋』(Sweet and Lowdown)

1999年・アメリカ 監督/ウディ・アレン

出演/ショーン・ペン/サマンサ・モートン/ユマ・サーマン/アンソニー・ラパーリア

嫌いなウディ・アレンとこれも嫌いなショーン・ペン、なんとも言いようのない嫌いさだが、やっぱり気にくわない。いきなりウディ・アレンが画面に大写しになって喋り始まった。この映画の主人公のことを普段着のウディ・アレンが喋るという演出で始まるのがこの映画らしい。そんなところも気にくわなく、少し早回しをしてしまった。

ドキュメンタリー風にストーリーが展開していくが、主人公のエメット・レイは架空の人物である。そんな感じを見せない演出が嫌だ。素直にこの天才ギタリストの一瞬を切りとって見せてくれた方が、なんぼいいことだろう。

我が儘な人生を暮らす主人公のギタリスト、なんと勝手なんだろうと作り事の映画であることを忘れてしまうくらいだ。伝記物の芸術家は例外なく我が儘だ。それを敢えて許す才能が本人に備わっている。自分のことに置き換えてみれば、なんの才能もない人間が我が儘だったら、何処に救いがあるのだろうか、と考え込んでしまう。

『血槍富士』(ちやりふじ)

1955年(昭和30年)・日本 監督/内田吐夢

出演/片岡千恵蔵/島田照夫/加東大介/喜多川千鶴/進藤英太郎/田代百合子

概要が書かれたWikipediaには、こちらが知りたい、知らせたいことが適切に書かれていた。この時代の映画は、小気味いい。いつの間にか饒舌になってしまった日本映画の面影さえない。素晴らしい。題名を見て?、昭和30年製作を見て?白黒映画を観て? まさに杞憂だった。以下、引用する。

1954年に中国から復員した内田吐夢監督の戦後第一作で、1942年の『鳥居強右衛門』以来13年ぶりの監督作品となる。本作は1927年に井上金太郎が原作・脚本・監督をつとめた『道中悲記』(キネマ旬報ベストテン第10位)を再映画化したものであり、原作として井上の名前がクレジットされている。また、権八役で主演した月形龍之介は本作に旅の男役で、源太役で出演した杉狂児も殿様役でそれぞれ出演している。マキノ雅弘の実弟であるプロデューサー・マキノ満男が企画し、企画協力には伊藤大輔、小津安二郎、清水宏が参加した。

主君の槍持ちとして東海道を江戸に向かう主人公の権八が道中で出会う、様々な人たちの人間模様を描くとともに、酒のいさかいから主君を殺された権八が仇討ちをする姿を通して、封建制度の理不尽さを描いた。また、ラストシーンに「海ゆかば」を流して内田の戦争体験を反映させている。

『ラーメンガール』(The Ramen Girl)

2009年・アメリカ 監督/ロバート・アラン・アッカーマン

出演/ブリタニー・マーフィ/西田敏行/余貴美子/パク・ソヒ/前田健/石橋蓮司/山崎努

ほぼ全編日本ロケで制作されている。ハリウッド映画では、純粋な日本人という設定の登場人物を,韓国系や中国系の俳優が演じる事が多い(逆もまたある)が、本作は作中の日本人キャストは全て日本人俳優、しかも一流どころの俳優陣で固められている。さらに在日朝鮮人の設定のキャストであるトシを、実際に在日朝鮮人のパクが演じるなど、そのキャスティングは徹底している。

頑固親父役を西田敏行が演じることは当初からアッカーマン監督に決定されており、過去にテレビドラマ『西遊記シリーズ』を通じて西田と交流のあった奈良橋陽子が西田を海外進出させたいという願いから実現した。また、スタッフの98%が日本人で監督以外はほぼ日本人でハリウッド映画の現場とは到底思えない状態だったという。伊丹十三監督によるラーメン映画の『タンポポ』をオマージュして終盤登場する「ラーメンの達人」はタンポポで主役を演じた山崎努がキャストされている。(以上、Wikipediaより)

見るべきところがない。可愛くないアメリカ娘が主人公で興醒めから映画が始まった。たぶんこの程度の女優でも、可愛いという書き込みが多いだろう。有り余るほどのアメリカでの女優志願者たちのことを考えれば、こんなもので満足してはいけないはず。そういうところから金をケチっている様子がうかがえる。西田敏行がいくらもらったか知らないが、日本の一流どころを配役したって、アメリカ映画に比べれば屁でもない。そんなキャスティング背景が目に見える。

『ダーク・シャドウ』(Dark Shadows)

2012年・アメリカ 監督/ティム・バートン

出演/ジョニー・デップ/ミシェル・ファイファー/ヘレナ・ボナム=カーター/エヴァ・グリーン/ジャッキー・アール・ヘイリー

1966年から1971年に放送されたゴシック・ソープオペラ『Dark Shadows』を原作としたスーパーナチュラル・ドラマ(英語版)映画である。と、書いてあったが、意味が分からない。調べてみたら次のようなことが分かった。ソープ‐オペラ【soap opera】:テレビ・ラジオの連続メロドラマ。米国でスポンサーに石鹸会社が多かったところからいう。

ゴシックは、文学作品や映画、ファッションなどで、幻想的・怪奇的・頽廃的な雰囲気をもつもの。「―小説」。こんなところからと、実際のヨーロッパ中世、ロマネスクに次ぐ美術様式。200年後に生き返るドラキュラにされた主人公。

ジョニー・デップは普通の役には収まらない。あるいは、変わったキャラクターでなければ彼の良さは発揮できない。意外な展開を繰り返して行く。初めは真面目なドラキュラものかと思っていたら、途中から一気にコメディ満開となってしまった。笑いどころの違う文化は理解しにくい。笑いたいけれど笑えないシーンが続いていく。半端じゃない金のかけ方が映像を豪華に見せててくれる分、日本映画のような陳腐な笑いにはなっていないところが救いだろうか。

『プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂』(Prince of Persia: The Sands of Time)

2010年・アメリカ 監督/マイク・ニューウェル

出演/ジェイク・ジレンホール/ジェマ・アータートン/ベン・キングズレー/リチャード・コイル

2004年発売の同名ゲームの実写化作品。ただし、ストーリーは映画オリジナルであり、ゲームのストーリーとの関連性は全くない。ということらしい。壮大な物語があり、有名な図書が原作だと思いながら観ていた。「指輪物語」のようなイメージだった。舞台はペルシャ帝国なんて懐かしい国名だ。かつては宗教で国を支配できた時代から現代への移り変わりは激しい。それが出来なければ、世界から取り残される。

この映画を観る直前、『ベルリン・天使の詩』(独: Der Himmel uber Berlin, 英: Wings of Desire, 仏: Les Ailes du desir・1987年)ヴィム・ヴェンダース監督作品を観始まったが10分でやめてしまった。この著名な監督作品をまだ1本も観たことがない。業界現役時代、どうにも自分の観る映画じゃないな、と決めつけてしまった経緯がある。観なくとも、業界にいるが故の情報があり、その情報の結果そうなってしまった。食わず嫌いが原因だと分かっていたので、今回敢えて挑戦をしてみたわけだ。だが、やっぱり観れば余計観ないと決心したことが正しかったと証明された。

どうにも屁理屈で映画を、映像だったりストーリーだったりを作っているなぁ~、と強く感じて、自分の趣味じゃないことがひしひしと伝わってきた。観ていることが苦痛になる事はたまにあってしかるべき。そんな10分間の映画の後だったので、この映画の物語と映像が楽しかった。ディズニー・ブランドはやっぱり人を楽しませてくれる。

『銭形平次』

1967年(昭和42年)・日本 監督/山内鉄也

出演/大川橋蔵/舟木一夫/水野久美/大辻伺郎/小池朝雄/遠藤辰雄/大友柳太朗

スーパーマン、スパイダーマン、ヒーローと誕生物語はおもしろい。もともとは、1966年5月4日-1984年4月4日まで、フジテレビ系列で毎週水曜20時から放映された連続テレビ時代劇。野村胡堂の小説『銭形平次 捕物控』を、大川橋蔵の主演でテレビドラマ化したシリーズ。映画スターだった大川橋蔵が、18年にわたって主役を演じ、ギネスブックで「テレビの1時間番組世界最長出演」と認められた。橋蔵は番組が終了して間もない1984年12月7日に亡くなり、結果として銭形平次は橋蔵のライフワークとなったという。

大川橋蔵という名前を強く記憶しているが、彼の顔が覚えられない。「いい男」の代名詞のように言われていたはずだが、映画館でのスクリーンでも観る機会がなかったのがいけないのかもしれない。フジテレビのこのドラマを一度も見たことがなかったのが一番の原因かな。

この映画はおもしろい。アメリカの警察もののような匂いがして可笑しかった。殺陣も今風なヤワな感じではなく、厳しく演じられていて驚く。アイドル出演の舟木一夫だってちゃんと殺陣を演じてみせる。ちょっとした顔見せではないところがあの時代だったのか。カメラアングルもなかなか。今の映画製作者に見せたいくらいだ。

『明日への遺言』(Best Wishes for Tomorrow)

2008年(平成20年)・日本 監督/小泉堯史

出演/藤田まこと/富司純子/ロバート・レッサー/フレッド・マックィーン/西村雅彦/蒼井優

観たことがあることは確かだが、この欄に記録が残っていない。ということは、少なくとも6年半前以上と言うことになる。好きな映画は細かいところやストーリーを明確に覚えていなくても、それぞれのシーンで想い出すことが多い。あらためて、大岡昇平の長編小説『ながい旅』を原作としていることや藤田まことの遺作になること、監督が小泉堯史だったことを再確認した。大岡昇平の弟とは仕事上で知りあいになっている。そういえば、配給もアスミック・エース(ヘラルド・エースが発展した会社)だったこともなんか嬉しかった。

第二次世界大戦における日米の戦争を論じる内容に興味は尽きない。第十三方面軍司令官兼東海軍管区司令官で陸軍中将だった岡田資(たすく)の凜々しい人間に映画でしか触れられないけれど、観ている側の背筋もぴーんと真っ直ぐになる気がする。こうやってひとつひとつの事象が脳裏に焼き付き、一人の人間性を形作って行くのだろうと深く感じ入る。おもしろいエピソードがWikipediaにあったので、以下に転載する。

製作委員会には反自虐史観を標榜する産経新聞社が名を連ねているが、本作の基本スタンスは監督と共同で脚本を執筆したロジャー・パルバースが明言しているように、日米ともに戦争犯罪を犯したという点にあり、自虐史観を否定し、戦前・戦中における日本の行動は正しかったというような政治的主張を行った作品ではない。そのため日本軍の無差別爆撃についても触れているが、その資料映像を反日プロパガンダの捏造映像を使用したと『産経新聞』の石川水穂論説委員から批判を受けた(この捏造説は、元をたどれば戦前の日本軍がプロパガンダとして流布したものであり、根拠に乏しい)。産経側とは歴史認識問題で逆の立場に立つことが多い、『朝日新聞』や朝日新聞社の『AERA』などでも好意的に紹介された。

『ジャージの二人』

2008年(平成20年)・日本 監督/中村義洋

出演/堺雅人/鮎川誠(シーナ&ザ・ロケッツ)/水野美紀/田中あさみ/ダンカン/大楠道代

なんというつまらない映画だろうか。すぐに2倍速で観ていた。いつもならさらに5倍速を駆使してしまうが、それではほんの5分もかからないで終わってしまうことが分かっていたので、さすがに今回は2倍速で終わりまで行った。

台詞が一部聞き取り難いところはあるけれど、まったく違和感がないというのが実感。むしろ途中で、2倍速にしていることを忘れ、もっと速くなったらいいのに、と思い始まったから始末に負えない。

映画がつまらないと言うより、原作がどうにもならない感じがした。といってしまえば身も蓋もないが、活字で楽しまなければいけない物語なんだろう、と言っておく。今週は録画予定がたくさんあるけれど、いざ観ようとすると吹き替え版だったり、観たばっかりだったり、ということの繰り返しがトラウマになっていて怖い。

『ポリス・ストーリー/レジェンド』(Police Story 2013)

2013年・中国 監督/ディン・シェン

出演/ジャッキー・チェン/リウ・イエ/ジン・ティエン/ユー・ロングァン

ジャッキー・チェンの映画は観ない、と決めていた。決まりきったアクションなんて、本人が全部演じようが興味がない。そう決めていたが、観る映画がなくなってきて、已むに已まれず。そんなに毛嫌いすることないのにと思うのだが、いったんそう思ってしまうとそうなんだから嫌になってしまう。

女性を見つめる目はどうしても顔が一番。絶対的な美しさではなく、自分の好きな顔のタイプというものがある。この頃分かったことは、どうもタヌキ顔が好きなようだということ。キツネ顔が嫌いだということも明白になった。

相手が男なら、顔なんていうことを気にしたことがない、と思っていたが。最近知り合った人間でどうにも好きになれないと思ったら、顔が嫌いだった。勿論、言っていることも気にくわないが、それ以上に容姿から来る雰囲気が許せないのだろう。気持ちが小さい。

『社長洋行記』『続・社長洋行記』

1962年(昭和37年)・日本 監督/杉江敏男

出演/森繁久彌/加東大介/小林桂樹/三木のり平/フランキー堺/尤敏

すでにこの欄に7本もの「社長シリーズ」映画を書いていることもあって、もう録画するのはやめようとスキップしていた。ただ、新しい録画予定もなく観る作品に困っていたら、たまたまチャンネルを回していてこの映画の放映にぶつかったのだ。気楽にながら観しようと思っていたが、どうも観たことがなさそうだったので、急遽鑑賞態勢に入った。立て続けに2本を放映してくれてありがとう。

同じ年の4月と6月に公開していた。両方を同時に撮影したことは明らかだが、こんなに時を経ないでロードショーする時代性が凄い。まだまだ映画が隆盛だったような匂いが漂っている。社長シリーズもちょうど真ん中くらい、フランキー堺がこの映画からレギュラー入りしたという。

題名にある「洋行」先は香港だった。香港空港が新しくなってから一度も行っていない。新しくなったと言っても、もう18年も前の話になる。「パッチョハ」「カイラン」という食材の名前がすぐに出てくる。懐かしくもあり、贅沢した日々が思い出される。贅沢したと言っても、ほとんどご馳走になったことばかりが記憶にある。何度行ったことだろう。もう一度、と思わぬことはないが、まぁ~いいかっ、と諦めの方が先に立つ。

『利休にたずねよ』(Ask this of Rikyu)

2013年(平成25年)・日本 監督/田中光敏

出演/市川海老蔵/中谷美紀/大森南朋/市川團十郎/伊勢谷友介/成海璃子/檀れい/柄本明

山本兼一原作、第140回直木三十五賞受賞作。主演の海老蔵は原作者である山本の希望で選ばれた。2014年、山本の死去に際して海老蔵が自身のブログで語ったところによれば、自分のイメージは利休役に合わないと思いオファーを断り続けていたが、山本は繰り返し手紙を送って説得し続け、海老蔵が暴行事件に巻き込まれた際も態度を変えなかった。こういった熱意に心を動かされたことや、原作を読みその利休像の情熱的な部分や、若い頃の放蕩息子であった姿などに、「そういうことか」と自身を重ねて納得し、出演を承諾した。海老蔵はこの作品で父との最後の共演が叶ったことなども含め、山本に感謝と哀悼の念を述べている。(Wikipediaより)

結構おもしろい。利休という人物に興味が尽きない。映画での利休ものをたしか2本観たはずだが、この3本目が一番おもしろかったような。日本という国、人を美しい映像で表現してくれていると感じる。日本通の外国人なら、心が躍るに違いない。日本など眼中にない人にも少しは響くだろう。

曲がりなりにも、学生時代ちゃんとお茶の先生の元に通ったことは、今考えても正解だった。お茶の作法など知らない輩が多いが、実践して知っていることのアドバンテージは計り知れない。そういう心の余裕が、まったく関係のないサラリーマン生活にもいい影響をしていた。そう感じるのは本人だけだが、こういう事実をわざわざ他人に喋らないところが自分流。人生では失敗ばかりだが、心のありようでは後悔したことはない。

『箱入り息子の恋』

2013年(平成25年)・日本 監督/市井昌秀

出演/星野源/夏帆/平泉成/森山良子/穂のか/竹内都子/大杉漣/黒木瞳

Wikipediaの作品紹介欄、カテゴリのキーワードには、2013年の映画、日本の恋愛映画、視覚障害を扱った映画作品、ポニーキャニオンの映画作品とある。以前から映画業界に参入し始まっていた木下工務店が「キノフィルム」という映画会社を作ってこの映画の製作と配給をしていた。

結構おもしろい。活字原作があるようだ。映像にして正解、活字では表現できない視覚障害者の動きがある。映画の終わり方も、グダグダした日本映画の饒舌を排して映画っぽい。たまたまネットニュースに「イケメンではないのに人気」とかいった見出しでこの映画の主演星野源の名前を見たばかりだったので、なんとなく納得。

第37回日本アカデミー賞新人俳優賞(星野源 『地獄でなぜ悪い』と合わせて)、第68回毎日映画コンクール スポニチグランプリ新人賞(星野源)、第35回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞(星野源、『地獄でなぜ悪い』と合わせて)、第5回TAMA映画賞 最優秀新進男優賞(星野源、『地獄でなぜ悪い』、『聖☆おにいさん』と合わせて)、第23回日本映画批評家大賞新人賞・南俊子賞(星野源)、第54回日本映画監督協会新人賞(市井昌秀)。映画賞も数々あるなぁ~。

『白熱』(White Heat)

1949年・アメリカ 監督/ラオール・ウォルシュ

出演/ジェームズ・キャグニー/エドモンド・オブライエン/ヴァージニア・メイヨ/マーガレット・ワイチャーリイ

いやぁ~おもしろいですね~。リアルタイムで観ることがなかったジェームズ・キャグニーだが、一度でも彼の顔をスクリーンで観れば絶対忘れられないほどの特徴。小柄な身体も日本人受けするキャラクター。白熱=White Heat とは露知らず。どちらが先なのだろうか。もちろん英語の翻訳なのだろうか。

マザコンの主人公は極悪非道人種。解説ではマザコンと書いてあったが、母親しか信じることが出来ない男という印象。この母親が息子以上に悪の権化みたいな人物。自分で暴力を振るうわけではないが、悪人の息子を精神的に大助けするというのが本筋になる。大捕物帖という筋書きが小気味いい。

67年前の映画に無線を使った捜査が出てくる。パトカーの上に出っ張ったアンテナが可愛いが、基本的な思想は今と変わらない。技術的な進歩は遂げているが、人間の考えることは、さほど進歩がないのかもしれない。

『羊たちの沈黙』(The Silence of the Lambs)

1991年・アメリカ 監督/ジョナサン・デミ

出演/ジョディ・フォスター/アンソニー・ホプキンス/スコット・グレン/テッド・レヴィン

まったく覚えていない出だしにうきうきする。いや~、こんなにおもしろかったんだ!! この頃の映画鑑賞のおもしろくない映画と比べるなんていうことすら憚られる。原作がめちゃめちゃおもしろいだろうことは想像出来、それを映画化して映画もひどくおもしろかったという、希なケースなのかもしれない。

ちょっと出来過ぎているシーンも何カ所か見られたが、さほど気になるほどではない。むしろ、辻褄の合わないところが1ヶ所でもあると、やっぱり少し気になる。それを超えて、この映画のおもしろさは群を抜く。ジョディ・フォスターが「アクターズ・スタジオ」に来て、インタビューの時に、しきりに舌打ちするような喋り方をするのを見てから、ちょっと彼女を嫌いになっている。

役者というのは大変だよね。万人に好かれようなんてはしていないとは思うけれど、特定コアに好かれることだって、そんなに簡単なことではない。もっとも、庶民世界だって、八方美人的生き方は邪道だと嫌われる。じゃ~、どうすりゃいいの? と、疑問ばかりの人生が普通の人々ということなのだろう。

『宇宙人ポール』(Paul)

2011年・イギリス/アメリカ 監督/グレッグ・モットーラ

出演/サイモン・ペッグ/ニック・フロスト/セス・ローゲン/ジェイソン・ベイトマン/クリステン・ウィグ

原題は「ポール」だけだが、映画の冒頭で宇宙人の本人がポールと名乗っていることから受けた邦題なんだろう。いきなり宇宙人の姿を映像で見せる映画は珍しい。五流映画と言い切ってしまってもいいだろう。だからおもしろい。まだ途中なので、どんな結末になるのか結構楽しみ。

観終わった時には、この映画は一流作品ではないかとさえ思えてきたのには我ながら驚いた。だって、おもしろいんだもの。SF映画やスピルバーグ作品へのオマージュをふんだんにコミカルに綴る、と解説にあったが、そんな屁理屈なんてクソ食らえ、面白いものは面白いんだ。

スピルバーグは本当はこんな映画を作りたかったんじゃないの、なんて言ったらかなり失礼かもしれないが。汚い言葉(curse word)連発の映像に、映画ファンならずとも喜んでしまうのは、当たり前の話だけれど、なかなか映画製作者もここまでやるのは珍しい。『テッド』(Ted・2012年)が大ヒットしたのも、そんな欲求不満解消映画だったような気がしているが。

『華麗なるギャツビー』(The Great Gatsby)

2013年・アメリカ 監督/バズ・ラーマン

出演/レオナルド・ディカプリオ/トビー・マグワイア/キャリー・マリガン/ジョエル・エドガートン/アイラ・フィッシャー

F・スコット・フィッツジェラルドが1925年に発表した小説『グレート・ギャツビー』は過去、ブロードウェイ舞台化され、また何度も映画化されていた。今回は2008年12月に『バラエティ』は本作をオーストラリア人のバズ・ラーマンが監督する予定であることを報じた。映画について聞かれた際、ラーマンは裕福な者たちの無責任なライフスタイルを批判するそのテーマであるためによりタイムリーなリメイクになるだろうと答えた。プロジェクトに専念するため、2010年9月にラーマンはオーストラリアから撮影予定地であるニューヨークのチェルシー地区へ家族と一緒に引っ越した。ラーマンは2011年1月にコンシューマー・エレクトロニクス・ショーで『ハリウッド・リポーター』のインタビューに対し、まだどのようなフォーマットで撮影するか決まっていないが3Dの撮影を検討していると語った。2011年1月末時点でラーマンはプロジェクトを進めるべきか疑問を抱いていた。2010年時点ではソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントが準備していると報じられたが、2011年にワーナー・ブラザーズが出資し、全世界で配給する契約を結んだ。

ラーマンは、『華麗なるギャツビー』の出演者を決めるオーディションの検討過程の結果は「非常に勇気づけられた」と述べた。最初にレオナルド・ディカプリオがジェイ・ギャツビー役に決まり、またトビー・マグワイアはニック・キャラウェイ役となった。2010年10月、アマンダ・サイフリッドがデイジー・ブキャナン役の候補に挙がっていると報じられた。翌月、『Deadline Hollywood』は、ラーマンがデイジー役のためにキーラ・ナイトレイ、レベッカ・ホール、アマンダ・サイフリッド、ブレイク・ライヴリー、アビー・コーニッシュ、ミシェル・ウィリアムズ、スカーレット・ヨハンソンのオーディションをして、さらにナタリー・ポートマンも考慮していると報じた。ヨハンソンはキャメロン・クロウ監督の『幸せへのキセキ』を優先し、直後にイギリス人女優のキャリー・マリガンが筆頭候補となっていることが報じられた。11月15日、ラーマンはマリガンがデイジー役にキャスティングされたことを発表した。(Wikipediaより)

時間とお金がかかる映画、そう簡単には1本の映画ですら出来上がらない。原作が古いからといって延び延びになってしまえば、タイミングを逸してお蔵入りになる事も必至。時間とお金をかけても観客が喜んでくれるかどうかは分からない。おもしろくない映画はお金をドブに捨てているようなもの。反対に観客が押し寄せれば、お金を刷っているようなもの。業界に籍を置いた者として、そんなことを肌身に覚えている。

『竜馬の妻とその夫と愛人』

2002年(平成14年)・日本 監督/市川準

出演/木梨憲武/中井貴一/鈴木京香/江口洋介/橋爪功/トータス松本/小林聡美/嶋田久作

今日は2016年10月30日(日曜日)。頭のクレジットで脚本が三谷幸喜だと知って、かなりの先入観をもって観始まった。そんな先入観をはるかに超えて映画はつまらないものだった。最初の5分も観ないうちに、2倍速、5倍速を駆使する羽目となった。

早回ししても何の違和感がないという不思議な現象に出逢うのは、いつものことだから驚きすらない。こんな映画を作る人達が信じられない。2000年の舞台作品で、2005年に再演され、2006年にはニューヨーク公演もしたというから、世の中の多様性を礼賛するしか生きていく道はないと思われる。

坂本龍馬の本当の姿を知らないけれど、美しい偶像のような存在になってしまった彼は、永遠のヒーローとして日本に生き残るのだろう。

『くろねこルーシー』

2012年・日本 監督/亀井亨

出演/塚地武雅/安めぐみ/大政絢/濱田マリ/山本耕史/京野ことみ/佐戸井けん太/生瀬勝久

森裕二企画、正来賢考・汐野翔原案、倉木佐斗志・十月サクヒ著による小説。2012年の1月からテレビドラマにもなっていて、その後に映画化という具合らしい。日本で初めて黒猫をメインキャストにした動物実写ドラマ、という表現はなんか可笑しい。

日本映画にありがちな、怒鳴るか、わめくかといったシーンはなく、珍しく観ていて気持ち悪くならない。主演の二人、塚地武雅と安めぐみのキャラクタに負うところが大きいかもしれない。おもしろくなさそうに始まった話だったが、さらりとかわされる意外性が小さな衝撃として伝わってくる。

猫ブームになる前に作られた? どうだったかは分からないが、何でもブームにしてしまう日本人の商売根性は大したものだ。諸外国なら、そんな子供騙しに踊らされるなんて、と顰蹙を買ってしまうが。 ロリータ衣装で町を歩けるのは日本だけだ、と外国人が日本に憧れるなんていう、変なクール・ジャパンが実は本音の日本。あぁ~、何処までも成長できない日本、日本人がいつまで続くだろうか。結構悪くはない、と、失ったときに初めて気づくかもしれない。

『マンハッタン無宿』(Coogan's Bluff)

1968年・アメリカ 監督/ドン・シーゲル

出演/クリント・イーストウッド/リー・J・コッブ/スーザン・クラーク/ドン・ストラウド

学生時代のまっただ中に公開されたこの映画、暇な時間を持て余していたくせに映画をほとんど観ていなかった。もったいなかったと悔やんでいるからこそ、今、一所懸命映画鑑賞という作業に必死になってしている。

クリント・イーストウッドの映画は、自分で監督しなくてもおもしろい。こんな遅いデビュー近くの映画だって、今と同じようなおもしろさを持っている。一貫している。偉そうに、頭よさそうに、他人をコンサルティングして金を稼いでいる輩には、この映画の面白さが素直に伝わらないだろう。

カーボーイ・ハットが似合う役者もそう多くはない。今どきの役者なら、値段の高そうな帽子という印象だけで、その姿から匂ってくる草原や牛の香りは一切しない。日本の今どきだって、東京から遠く離れて、東京なんてなんぼのものや、と粋がってみたって、結局は自分の田舎っぺぶりを披露しているだけでしかない。

『グッドフェローズ』(Goodfellas)

1990年・アメリカ 監督/マーティン・スコセッシ

出演/レイ・リオッタ/ロバート・デ・ニーロ/ジョー・ペシ/ロレイン・ブラッコ

マフィア界で生きた男の実話を元にして書かれたニコラス・ピレッジのノンフィクション『Wiseguy』を原作としているという。上映時間2時間25分とかなり長い。何度かうつらうつらしてしまった。

直近でマフィアものの金字塔『ゴッド・ファーザー』を見直したばかりだったので、粒の小さいチンピラ・マフィアの自伝のように見えて、ちょっと興醒めしてしまったことが大きな原因だったろう。自分の働いてきた「悪事」を淡々と映像化されても、映画観客としては少し同調出来ないものがあった。

同じような人種がいるマフィア社会、結局は殺しから逃れた者が生き残る定め。そこにまとわりついている男も女も一蓮托生で命運が決まってくる。一般社会以上にトップにならなければハエのような存在に見えてしまう社会。覚悟を決めなければ、あんな社会で堂々と生きて行くことは大変だろうと思いながら観るのは映画だからでいい。

『ニック・オブ・タイム』(Nick of Time)

1995年・アメリカ 監督/ジョン・バダム

出演/ジョニー・デップ/クリストファー・ウォーケン/チャールズ・S・ダットン/ローマ・マフィア

Nick =「刻み」や「溝」と解され、Nick of Time = (その瞬間の)時の刻み =「際どい時」という意味。映画の中の時間と実際の時間がほぼ同じく流れてゆく。ということらしいが、どうにも語感の悪い原題そのままの邦題だ。

ジョニー・デップは、『シザーハンズ』(Edward Scissorhands・1990年)の時から好きな俳優だが、人気の割には興行的にも大きくはじけるまでは時間がかかった。特異なキャラクターを演じることが多いが、この映画は小市民の何処にでもいる感じの市民を演じるには、ちょっと目立ちすぎるかもしれない。

四流映画かな、と思って観ていたが、二流映画に属するような雰囲気。おもしろいようで大したことない。サスペンスのはずなのに、迫力が伝わってこない。空回りという奴だろうか、世の中にはそんな風に自分だけ汗をかいて頑張っているはずなのに、実は周りから見れば大したことのない奴が、ゴロゴロしている。

『ゴッドファーザー』(The Godfather)

1972年・アメリカ 監督/フランシス・フォード・コッポラ

出演/マーロン・ブランド/アル・パチーノ/ジェームズ・カーン/ロバート・デュヴァル

久しぶりに観てみたくなった。最初から初めての映像のような新鮮さに驚いてしまった。おもしろい映画は色褪せない。177分(2時間57分)という上映時間はいささか長いと思えるが、観ていると終わりがない物語のようで、もっと続いてもいいよと声をかけたくなってきた。

はまり役という言葉があるが、この映画に出演している役者は全員はまり役に見えてくるから不思議だ。要所要所で流れるテーマ曲がまたはまっている。日本映画の時代劇大作では必ずと言っていいくらい群舞と囃子が出てきて映画をぶちこわしているが、この映画にもそういうシーンはあるものの、いかにもファミリーの絆を描くに欠かせないシーンに見えた。うがった見方になってしまうが、そうなんだもの仕方がない。

この映画は、実在の人物と対比して見られるが、アンディ・ウイリアムスしか知識が無く、もっと実在の人物を知っていたら、別の意味でもっともっとおもしろく観ることが出来たのであろう。それにしてもおもしろい。こういうおもしろさを出してくれたら『地獄の黙示録』(Apocalypse Now・1979年)は凄まじく当たっていたに違いない。ボーナスもさらに増えていたことだろう。

『パーマネント野ばら』

2010年(平成22年)・日本 監督/吉田大八

出演/菅野美穂/小池栄子/池脇千鶴/夏木マリ/宇崎竜童/江口洋介

なんとつまらない映画だろう。日本映画なら、当たり前のこととして甘んじて認めなければいけないのだろうか。原作は、西原理恵子の漫画。『新潮45』で2004年1月号から2006年7月号まで間欠的に連載され、2006年9月に新潮社より単行本が出版されたという。

4コマ・ギャグ漫画を繋いだようなストーリーに辟易した。何が起こるわけでもなく、田舎に生きる女の生活をただ面白可笑しく描いているようにしか見えない。瀬戸内海に面したどこかだろうと観ていたが、クレジットによれば撮影は宿毛だったらしい。四国から九州・大分に渡ったときに一度だけ立ち寄ったことがある。ここで宿泊はなく、夜の船底に寝ながら九州に渡るという自作周遊券ルートだった。懐かしいなぁ~。

ぎゃーぎゃー騒ぐか、穏やかに雰囲気だけを醸し出すか、2つにひとつのような日本映画。もっと活発で、活き活きしたストーリーと映像を持った映画を作れないのだろうか。映画原作が1億円で取引されたなんて言う日本では夢のような話があれば、少しはおもしろい脚本を書いてみようかという若者が出てきそうに思うが、期待もするが。

『ディパーテッド』(The Departed)

2006年・アメリカ 監督/マーティン・スコセッシ

出演/レオナルド・ディカプリオ/マット・デイモン/ジャック・ニコルソン/マーク・ウォルバーグ/マーティン・シーン

たしか香港映画のリメイクで、かなりおもしろかったなぁ~と思いながら観始まった。めちゃめちゃおもしろいのは間違いなかった。2002年から2003年に架けて3作品製作された大ヒット香港映画『インファナル・アフェア』のリメイク作品だと分かった。覚えられない。

アメリカお得意の警官もの。そこにマフィアが登場するので二重におもしろい。第79回アカデミー賞作品賞受賞作品(外国映画のリメイク作品としては史上初である)。原題である「The Departed」 とは「分かたれたもの」転じて「体から離れた死者の魂」の意。単純に、「死んでいったやつら」、「逝った野郎たち」とも訳すことができる。R15+指定作品。この作品でレオナルド・ディカプリオはマーティン・スコセッシと3度目のタッグを組んだ。 また、この作品のビリー・コスティガン役でニューズウィーク誌に「この役でディカプリオの新たな時代が到来した」と絶賛された。(Wikipediaより)

どんでん返しという言葉があるが、この映画を観ればどんでん返しなるものがどういうことかを理解することが出来るだろう。そのあたりがおもしろいが、これは観たことのある人だけの喜び。まだ観ていなかったら、是非この映画を観て、生きている喜びを感じて欲しい。

『ダーティハリー3』(The Enforcer)

1976年・アメリカ 監督/ジェームズ・ファーゴ

出演/クリント・イーストウッド/タイン・デイリー/ハリー・ガーディノ/ブラッドフォード・ディルマン

このシリーズはテレビ放映が激しい。視聴率の分析も間違いなくあるのだろうから、各局は他局の放映が近かろうとお構いなしに見える。記憶力のいい視聴者ならシリーズ何番目の映画がどういう内容なのか覚えているだろうが、忘れることが得意なこちとらにとって録画することさえ迷っている。

この3番目はたぶん観ていないような気がした。特徴のある映画なので、どこかではっとして観たことを確認することが出来るはずだ。こういう映画をリアルタイムで観ていないことは、実に恥ずかしい。ヘラルドの経理部時代で、ちょうど40年前、その当時のオフィス・コンピューターに経理システムを構築していた時代だった。

毎日1人で夜遅くまで仕事をしていた。何ヶ月も続いていた。コンピューターを分かる人間が他には誰もいなかったので、外部の会社の人とシステムを作ったのだが、夜の仕事はいつも一人、未だに誰にもその苦労? を喋ったことはない。家族だって理解してくれるはずもない。日曜日に昼の2時過ぎまで寝ていたことが良くあった。懐かしい生きていたときの記録として、娘たちが読んでくれたら嬉しいけれど。

『ボビー・フィッシャーを探して』(Searching for Bobby Fischer)

1993年・アメリカ 監督/スティーヴン・ザイリアン

出演/マックス・ポメランク/ジョー・マンテーニャ/ジョアン・アレン/ベン・キングズレー

邦題しか知らなかったが、そもそもの原題がそうだったんだ。リアルタイムではこの格好良い題名に惚れた。実在のボビー・フィッシャーなるものがどんな人間なのか Wikipedia には以下のように書かれている。

ボビー・フィッシャーは、冷戦下にソビエト連邦の選手を下し、アメリカ合衆国歴史上、初となる公式世界チャンピオンになったことで、英雄としてもてはやされた。しかし、奇行や反米、反ユダヤ的発言により、反発を買い、「幻の英雄」とも呼ばれている。対ユーゴスラビア経済制裁時に当地で試合をしたことでアメリカ政府に起訴され、滞在中の日本で拘留されたが、以降はアイスランドの市民権を得て余生を送った。あえてタイトルを放棄したり、試合を拒否したり、あるいは長年に亘って失踪したりするなど、ミステリアスで数奇な人生もよく知られる。

欧米発祥の遊びは高等だと欧米人は思っている。コンピューターに負けたのはチェスが早く、将棋はつい最近になってようやく敗れるようになった。囲碁も負けるニュースが話題になってきたが、まだまだこの複雑なゲームを完璧に打ちのめすことが出来るかどうかは微妙。時間の問題だと思われているが、コンピューターが連戦連勝の時代は本当に来るのだろうか。

『ヒロイン失格』

2015年(平成27年)・日本 監督/英勉

出演/桐谷美玲/山﨑賢人/坂口健太郎/福田彩乃/我妻三輪子/高橋メアリージュン/濱田マリ/竹内力

こんなくだらない話が映画になる今の日本を憂う。漫画が原作だって別に構わない。ただ、漫画をそのまま映画にするなんていう素人根性が気にくわない。映画化というのは、そのまんま映像化することではなく、その原作の精神に基づき、真髄を映像化して初めて映画となるのだ。

それにしてもくだらない。勿論早回しで大部分を消化したが、まぁ桐谷美玲の顔だけ見ていれば、文句も少なくなろうというもの。ギスギスの体つきはちっとも魅力が無い。女の子たちはなんか勘違いをしている。痩せていればいいというものではない。ふくよかな女性が一番いいに決まっている。

日本のコメディーは何故こんなにダサイのだろうか。笑え!笑え!と演技されて、笑うのは、そのへんの馬鹿な家族ぐらいだよ。もう少し生きていることを謳歌できるような粋な笑いを提供しないと、このインターナショナル時代にほとんど置いてかれてしまいそうな様相だ。

『シックス・センス』 (The Sixth Sense)

1999年・アメリカ 監督/M・ナイト・シャマラン

出演/ブルース・ウィリス/ハーレイ・ジョエル・オスメント/オリヴィア・ウィリアムズ

BABY MATAL の YouTube 映像を見ながら書いている。24インチワイド画面で大きな音を出しているが、まだCDレベルでの音を聞いたことがなかったな~、と急に欲しくなってきた。YouTube には溢れるほどの彼女たちのパフォーマンスが世界中からアップされている。

高校時代にはまった Beatles 以来だろうか。こんなにひとつの音楽バンドが好きになる事なんかなかった。50年ぶりだな。アイドルとはほど遠いところを歩いてきた自分だが、アイドルにはまっているわけでもない。やっぱりあの音、雰囲気、曲の成り立ちだろう。YouTube での再生回数は1千万回を超える動画が何本もある。

Babt Matal Official と称して、公式に YouTube を使って音楽を全世界に拡散する方式が時代の生んだ象徴のようだ。もっとも、映像じゃなくてナマの方が、もっといいに決まっている。それは終生変わらないだろう。以前観たときにおもしろくないと思っていたこの映画、気を取り直して見直したつもりだが、おもしろくないことに変わりはなかった。全世界でヒットしているのに、この映画にはのれない。

『もういちど』

2014年(平成26年)・日本 監督/板屋宏幸

出演/林家たい平/福崎那由他/富田靖子/ゴリ/大野百花/渡辺正行/小倉久寛/熊谷真実/三遊亭金馬

落語家の林家たい平が、落語との出会う機会を増やすために、いろんなボールを投げたいという活動の一環として、今回の映画を企画。江戸から明治へ移り変わろうという時代の長屋を舞台にしている。人生の再出発を描いた人情味あふれる感動物語となっているが、落語の入門編にもなる作品に仕上がっているという。撮影は東京都にある深川江戸資料館の、深川の町並みを再現した展示室を「そのまま」撮影セットとして使った。劇中に登場する落語は、猫の皿、二人旅、初天神、子ほめ、味噌豆、狸の札、時そば、藪入り である。(Wikipediaより)

いつもの大喜利で林家たい平が映画を作ったらしいという話はだいぶ前に聞いていた。作ったのではなく単に映画出演をしただけかと思っていた節がある。落語家らしい企画でおもしろい発想だ。『あかね空』(2007年・内野聖陽/中谷美紀)を観たときのテイストが蘇ってきた。

『アイコ十六歳』(1983年・日本ヘラルド映画配給)の時に将来の大物女優を予言した富田靖子が、まだまだ大器晩成の途中で登場している。ちょっとした老け役が似合っているところを見ると、あと数年したら、ブレイクするかもしれないという予感がした。というより、ブレイクして欲しいと願っている私がいる。

『台北に舞う雪』(台北飄雪)

2010年・中国/日本/香港/台湾 監督/フォ・ジェンチイ

出演/チェン・ボーリン/トン・ヤオ/トニー・ヤン/モー・ズーイー/ジャネル・ツァイ

日本映画の一番悪いところを取り入れたような出だしに、いきなり2倍速で観始まった。おもしろくないわけではなかったが、字幕も付いているし、中国語なんてちんぷんかんぷんだから何の抵抗もなく最後まで行ってしまった。

よく映画フィルムを編集するシーンが思い出されるが、こうやって早回しで編集後に観ることを関係者にお奨めする。これで問題ないのなら、エピソードを2倍鏤められて、映画もモット充実したものになろうというもの。なんて勝手なことを言えるのは素人の為せる技。映画製作ほど面倒で複雑で、時間のかかるものはそんなにあるはずがない。

結構おもしろく観ていたのに、またちょっとばかり寝てしまった。立っているより、座っているより、横になっていたいと思う時間が多くなっている。そんなに簡単に死ねないようだが、明日目が覚めたら天国だったなんていうことにならないかなぁ~、と毎日夢みている。

『ザ・ロック』(The Rock)

1996年・アメリカ 監督/マイケル・ベイ

出演/ショーン・コネリー/ニコラス・ケイジ/エド・ハリス/ジョン・スペンサー

おもしろい。長い、2時間15分。おもしろいのに途中で眠ってしまった。ちょっと前にしょっちゅうそうだったことを思いだした。肝心なシーンではなかったのでそのまま観続けた。20年前の映画か~、何をしていたんだろうかこの時期。この映画の情報すら頭に入っていない。余裕がなかったんだろうな、きっと。

アメリカ大統領の決断を見る。81人の人質と救出に行った海兵隊の命よりも、8万人の命を優先することに躊躇いはない。日本の事件で、犯人を説得するなどという幼稚園のような仕草はお笑いぐさだ。そのうち、そんな悠長なことをしている暇が無いほどの事件が頻発するだろう。

一人の主演役者だけで大枚を払わなければならないアメリカ映画、この頃では役者もろくに配されない映画ばっかりで、映画界の危機状態は深刻だ。大昔の映画で、ショーン・コネリーがイギリスでの諜報員だったことをうまく利用している役やセリフがいかしている。アクションだって上手く撮られていて拍手ものだ。

『雲のむこう、約束の場所』(The place promised in our early days)

2004年(平成16年)・日本 監督/新海誠

出演(声)/吉岡秀隆/萩原聖人/南里侑香/石塚運昇/井上和彦/水野理紗/木内秀信/中川里江

新海誠監督の最新劇場ロードショー作品『君の名は。』公開記念と銘打って放映された。この監督の名前すら知らない。君の名は。が大ヒットしているという話を最近聞いたばかり。映画業界人だったことなど、何の意味を持たないほど映画の隅々まで気が行き渡らない。

『君の名は。』『シン・ゴジラ』ヒットに沸く東宝。という見出しがネット・ニュースに躍っている。ゴジラは東宝の命みたいなものだから、力のかけ方が違う。君の名は。は予想を超えるヒット現象に違いない。主なターゲットが若い層だとは思うがs、何処に惹かれるのか聞いてみたい。アニメの嫌いなところは、女の子も男の子も、アイドルじゃあるまいしみんな同じような顔に見えること。そのほかにも嫌いなところはいっぱいあるが、普通のアニメファンからも後ろ指さされるようで怖い。ゴメンナサイ。

なんか私にはこの映画の良さが分からなかった。きっといいところがあるのだろう、などと思いもしないことを言うつもりも無い。それぞれの人が、それぞれの考えで生きて行くのは大原則。相手の立場になって理解することは必要ない。というか、価値観が違えば理解することなんか出来ないのが普通。話し合いや会議の中で、反対意見を持つ人を説得するのは希にしか起こらない。それでも相手の言っていることを聞く耳だけは持たなければならない。もしかすると、万が一に自分の考えを修正する時に非常に役に立つことがあるから。

『乱気流/タービュランス』(Turbulence)

1997年・アメリカ 監督/ロバート・バトラー

出演/ローレン・ホリー/レイ・リオッタ//ヘクター・エリゾンド/ベン・クロス

めちゃくちゃ四流映画の雰囲気がぷんぷんしながら映画は進行していく。いいんだよね~、この雰囲気が。なまじ格好を付けて監督の私的感情だけで作られている一流映画もどきに比べたら、はるかに四流映画の方がおもしろい。

もう20年前の映画になるが、この頃でも普通のパニック映画じゃ飽き足らないと、様々なテクニックを使って、航空パニックを演出している。四流映画の真骨頂ここにありといった感じだ。主演のローレン・ホリーは第18回ゴールデンラズベリー賞最低女優賞にノミネートされた。という。さもありなん。

飛行機の尾翼に一瞬鶴のマークが見えて、あれっ!と思った。ら、作中に登場するトランス・コンチネンタルの塗装は日本航空の2代目鶴丸塗装をベースにしている。(尾翼のマークは首がない鶴丸マーク、側面は赤色と灰色の塗装)という情報があった。映画製作裏方の仕事ぶりが偲ばれる。

『SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』

2010年(平成22年)・日本 監督/入江悠

出演/山田真歩/安藤サクラ/桜井ふみ/増田久美子/加藤真弓/駒木根隆介/水澤紳吾/岩松了/上鈴木伯周

私がコメントするほどではないので、以下 Wikipedia からの引用にすべてまかせる。2010年に公開された日本映画。2009年に公開された『SR サイタマノラッパー』の続編。2009年の第19回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭オフシアター・コンペティション部門でグランプリを獲得し、そのグランプリの副賞である次回作支援で制作された。

埼玉のラッパーSHO-GUNGのIKKUとTOMは、今は亡き、タケダ先輩が生前に“伝説のライブ”を行ったといわれる群馬の田舎(こんにゃくが名産なことから設定は群馬県西部地域の田舎と思われる)を訪れ、実家のこんにゃく屋で働く女アユムに道を尋ねる。

アユムは、かつて高校生の時に“伝説のライブ”に参加していたタケダ先輩の一番弟子と自称する女子ラッパーだった。忘れていたラッパーの夢を思い出し、偶然にも旅館が借金まみれで東京から帰ってきたミッツー、ソープ嬢のマミー、走り屋のクドー、父が市長選挙で忙しいビヨンセらと再会し、ライブを再び夢見て活動の再開を目指す。高校時代に結成し5人組ラップ・グループ“B-hack”ははたして復活することができるのか?レコード屋もお金も彼も無し、そんなさえないアラサー女子ラッパーたちの夢は実現するのだろうか?高校生の頃の夢と、今それぞれがおかれているリアルな困難と別れ。そんな20代後半女子の夢と日常を時に切なく、コミカルに描く。~最後の葬式シーンでラップする若者たち。ここで、はっと驚くほどのラップを見せられなければ、何の意味もないのに。

『銀座カンカン娘』

1949年(昭和24年)・日本 監督/島耕二

出演/高峰秀子/笠置シヅ子/灰田勝彦/古今亭志ん生 (5代目)/浦辺粂子/岸井明/服部早苗/山室耕

「カンカン」とは山本嘉次郎(映画監督、俳優、脚本家、随筆家)の造語であり、当時の売春婦の別称「パンパンガール」に対して「カンカンに怒っている」という意味が込められている。これは1947年に発売された『星の流れに』と同じ意味合いであり、戦後の暗い世相を嘆いた山本の心の叫びであった(CD集「懐古・昭和歌謡」曲目解説書(解説:森島みちお)より)。高峰秀子が「カンカン娘ってどういう意味なんですか?」と作曲の服部と作詞の佐伯に尋ねたところ、二人とも知らなかったという逸話がある。(Wikipediaより)

子供の頃、特に小学校の低学年だったと思うが、笠置シヅ子をよくテレビで見た記憶がある。電気屋の息子の特権で小学1年生からテレビを見られたのは、この歳の人の中では希なことだったはず。美空ひばりも頻度が高かった。

映画は時代を映す。自分の生まれた年近辺の様子が映像で見られるのは、懐かしいと言うより、ある意味新鮮だ。こんな記載もあった。ラストで昭和の大名人である古今亭志ん生 (5代目)が元帳(替わり目)を演じており、演映像がほとんど残っていない志ん生の高座姿を偲ばせる貴重な記録となっている。また、途中に独りで疝気の虫を稽古するシーンもある。高峰秀子の他に笠置シヅ子、岸井明、灰田勝彦らこの時代を代表するエンターティナーが劇中で主題曲を歌っており、四人四様の銀座カンカン娘を聴く事ができる。

『超高速!参勤交代』

2014年(平成26年)・日本 監督/本木克英

出演/佐々木蔵之介/深田恭子/伊原剛志/寺脇康文/上地雄輔/知念侑李/柄本時生/六角精児/市川猿之助/石橋蓮司

主演の佐々木蔵之介がテレビで映画の宣伝をしこたまするものだから何の映画だろうと訝っていたら、この映画の2作目『超高速!参勤交代 リターンズ』だった。2作目が公開されるというので前作を放映する方式は、今や王道の映画宣伝となった。同じことをやってそれが宣伝と呼ばれるほど、宣伝道は地に堕ちたとも言える。

題名といい、内容もどう考えても漫画原作だと思っていたら、脚本が最初だった。2011年に第37回城戸賞を全審査員満点で受賞して、その後小説は2013年に講談社から刊行されたらしい。とりあえず、落語のつかみのようなものは面白いが、その後の展開が糞詰まりのような感じで、ハードルを超えられなかった雰囲気。

この女誰?と思って観ていたら、なんと深田恭子だった。そういえば、宣伝の中で彼女の名前も出ていたな~。好きな女性だが、太ったり痩せたりと、体重コントロールがままならない苦労が伝わってくる。今回のやせ形女郎役は悪くない。べたべたの喋りが少なく、ホンモノの女優になりつつあるような。それにしてもテレビで見る顔ばっかりで、映画というスクリーンの魅力が半減の半減くらいの価値もなさそうな気配が気になる。仕方ないかっ!

『フローズン・タイム』(Cashback)

2006年・イギリス 監督/ショーン・エリス

出演/ショーン・ビガースタッフ/エミリア・フォックス/ショーン・エヴァンス/ミシェル・ライアン

恥ずかしくてこんなランキングを発表してくれるな、と言いたいだろうな関係者たち。映画館大賞「映画館スタッフが選ぶ、2008年に最もスクリーンで輝いた映画」第91位。ランキングされるだけましかもしれない。だって、おもしろくないもん。

もともと『CASHBACK』という、原題と同じ短編映画をエリスが製作したところ、第78回アカデミー賞の短編賞にノミネートされた実績から、長編映画化されたらしい。監督はヴォーグやハーパース・バザーで活躍する写真家のショーン・エリス。同じようで、ちょっと違う業界の人間が監督する映画は、どこかポイントがずれている場合が多い。

途中から2倍速で見るのがちょうど良かった。新しい部屋になって映画を見続ける姿勢が確立出来ないでいる。大袈裟なはなしではなく、どうしてよいか分からなく身体をもじもじさせながらの鑑賞は、気持ちが落ち着かなく、集中して観ることに徹しきれない。なんか嫌な気分だ。

『ドノバン珊瑚礁』(DONOVAN'S REEF)

1963年・アメリカ 監督/ジョン・フォード

出演/ジョン・ウェイン/リー・マーヴィン/エリザベス・アレン/ジャック・ウォーデン/ドロシー・ラムーア

ジョン・ウェイン56才、リー・マーヴィン39才の時の映画。この二人が共演しているとは思わなかった。ジョン・ウェインは1976年まで映画に出ている。この映画の13年後だ。ちなみに監督ジョン・フォードはこのとき69才、3年後の1966年まで劇場映画を監督し、生涯136本の映画を監督。

他愛ないはなしではあるが、何故かほっとする映画だ。西部劇でなくても、男らしい男を描いてみせる。男だ女だと意識していた時代とうって変わって今や、男なのか女なのか分からない人種が闊歩している。特別に批難される事ではないが、生きているといろいろなことに出会うなぁという感慨にむせぶ。

50年以上前の映画にもハワイでの日系人が色濃く映し出されていた。男も女も和服を着ている人間がいる。主人公の家にいる女中さんは二人とも日系人の設定のようで、主人の帰りを「おかえり」と迎える。「おかえりなさい」と言わないのは愛嬌か。畳の部屋も出てくる。その部屋が使われているシーンはないが、靴のままでずかずかと上がり込むあたりは、愛嬌を超している。住民の東洋人は中国人ばかり、このあたりは現在と同じ。アメリカ人に日本人と中国人を区別する術はない。また、何処にでも出没する中国人がいつの時代にもうざったい。

『星守る犬』

2011年(平成23年)・日本 監督/瀧本智行

出演/西田敏行/玉山鉄二/川島海荷/余貴美子/中村獅童/岸本加世子/藤竜也/三浦友和

村上たかしによる日本の漫画作品、『漫画アクション』(双葉社)にて連載された。2011年現在、単行本は2巻(『続・星守る犬』)で完結しているという情報があった。知らないところに知らない題名があって、映画化もされている。実社会に生きていないと、いろいろなことが新鮮で反吐が出るほどだ。

最後まで早回しすることなく観た。が、途中でうとうととすることが何度かあった。この映画よく分からない。活字で読む原作なら、もう少しメリハリがあるだろうか。尤もらしいいい話にしようとしている意図を感じる。ちょっとばかり、人生が呆けている。

結局題名のように「犬」が主人公のような描き方になっている。大したことないことを、さもありなんといいた具合に筋を進めて行くのが心苦しく感じる。心と身体に感じるものが、希薄。日本映画の限界を見る。

『ペントハウス』(Tower Heist)

2011年・アメリカ 監督/ブレット・ラトナー

出演/ベン・スティラー/エディ・マーフィ/ケイシー・アフレック/アラン・アルダ/マシュー・ブロデリック

単なる「屋根裏部屋」のことなのか、あのポルノ雑誌のことなのか、この映画の原題の由来も他の何の情報も無く観始まった。いつも言う通り、情報が無いなら全くない方が、少なくとも出だしの時間を多いに楽しめることは確実だ。20分もすると、ほんとうにおもしろいかどうかを判断できる。今夜続きが観られると嬉しいのだが。

結局昨夜は観ることが出来なかったが、今朝昔のように午前中にとりあえず1本を観る、ということが出来た。大リーグ優先の日もあるが、今朝はアメリカ時間の日曜日、日曜日は昼間の試合がほとんどで、日本の放送は深夜の場合が多い。

Wikipediaによれば、クライムアクションコメディエンターテインメント映画とジャンル分けをしている。ニューヨークマンハッタンの超一等地にそびえ立つ、全米一の最高級マンション「ザ・タワ-」。そのペントハウスに住む大富豪と、主人公はそのタワーの管理マネージャーとが起こす事件(コメディ)の話。アメリカ映画らしく、まさしくエンターテインメントに徹している。女の存在も必ずあるのがアメリカ映画。単純におもしろい時間を潰せる。

『ガス燈』(Gaslight)

1944年・アメリカ 監督/ジョージ・キューカー

出演/イングリッド・バーグマン/シャルル・ボワイエ/ジョゼフ・コットン/メイ・ウィッティ

劇場映画の原点のような存在感いっぱいのこの映画。当然観ていて、この欄にも書いてあると思っていた。その時の文章をそのまま掲載して今日はお開きにしようと考えていたら、何とこの映画の掲載がなかった。1940年の英国版と1944年の米国版があり、イングリッド・バーグマンがアカデミー主演女優賞を受賞した後者がよく知られている。という付録的なことを知った。

 実は、この映画の女優はビビアン・リーだとずーっと思っていた。今回、まだ観始まったばかりだが、あれっ! えっ! 顔が違う、となってイングリッド・バーグマンだったんだと再認識させられた。観ているがおもしろくない。私の一番嫌いな話が進まないというやつだ。同じことを堂々巡りのように表現している。この映画はこのあたりまでで充分だと思えてきた。

少し飛ばしてしかもその後は倍速を駆使して観終わった。ややおもしろさが出ているが、ちょっと演技オーバー。そんなことが言えるのは、だいぶ年月を経た映画だからこどだろう。当時では間違いなく拍手喝采の映画だったに違いない。

『グッモーエビアン!』

2012年(平成24年)・日本 監督/山本透

出演/麻生久美子/大泉洋/三吉彩花/能年玲奈/塚地武雅/小池栄子/土屋アンナ

なんとまーたくさんの企業がこの映画に出資している。冒頭のクレジットに現れた会社名のなんと多いことか。危険負担というか、大した金額でなければ、儲けが無くても担当者が厳しく責任を取らされることもないわけだ。冒頭には、こんな意味深な言葉が書かれていた。この映画のオリジナルとは思えない、どこかで見たことあるような。

あなたが生まれたとき あなたは泣いて まわりはみんなわらっていたでしょう だからあなたが死ぬときは まわりが泣いて あなたが笑っているような そういう人生を歩みなさい

4日目にしてようやく観終わった。こんなペースはここ6年で初めて、まだまだ余波が残っている。意外とおもしろかった。ほとんどがおちゃらけている日本映画とさほど変わった様子は見られなかったのに、なにかが違う。主演クラスの三吉彩花が、毎週土曜日のお昼に見ている番組のサブ司会者をしていて馴染みがあったり、嫌いではない顔立ちの影響は大きいかもしれない。能年玲奈も飛んでいておもしろい。大泉洋の振る舞いも悪くはない。優等生的人生をあからさまに否定している姿勢がいいのかもしれない。なるほど、「ロック」とはそういうことだったのか。下手くそな歌を引っさげて、ロッカーと称している偽物たちの心意気だけは理解できたような気もする。これからは、どうしようもない「ロッカー」にも好意を持つことにしよう。

『ダレン・シャン』(Cirque du Freak: The Vampire's)

2009年・アメリカ 監督/ポール・ワイツ

出演/クリス・マッソグリア/ジョシュ・ハッチャーソン/ジョン・C・ライリー/マイケル・セルベリス/渡辺謙

この題名は? と思ったら、『ダレン・シャン』(The Saga of Darren Shan)シリーズは、同名の作家ダレン・シャン著の児童向けのファンタジー小説。全12巻(外伝を含むと全13巻)ということだった。

どうみても渡辺謙らしき登場人物がいた。どこから見てもそう見えるのだが、日本人には見えないし、アジア人でもない、アメリカ人の異種のような顔立ちで驚いた。児童向けのファンタジー小説と聞いて、ちょっと納得したが、アメリカ人オタク向けの童話じゃないかと思いながら観ていた。

ドラキュラの話か~と分かってから、一向に話が進まなくなって、しっかりと深い眠りに陥った。渡辺謙のクレジットを確認することなく映画は終わってしまった。物語の第一章目となるこの映画だが、興行成績も全く奮わず原作ファンの評判も悪いため、次回作の制作は白紙状態である、という記載を見つけたが。奇妙なサーカス団、シルク・ド・フリークの公演というくだりだけは、妙に興味のわく映像だった。

『コクリコ坂から』(From Up On Poppy Hill)

2011年(平成23年)・日本 監督/宮崎吾朗

出演/(声)長澤まさみ/竹下景子/風吹ジュン/岡田准一/大森南朋/石田ゆり子/内藤剛志/風間俊介/香川照之

こんな基礎情報新鮮に聞こえるほど無知な自分がいる。~佐山哲郎の原作、高橋千鶴の作画による日本の漫画、およびそれを原作としたスタジオジブリ製作のアニメ映画である。タイトルの「コクリコ」は、フランス語でヒナゲシを意味する。本作の街並みなどの情景は、横浜をイメージして描かれている。原作漫画は、『なかよし』(講談社)にて1980年1月号から同年8月号まで、全8話が連載された。単行本は同社より全2巻が刊行された。また、2010年に角川書店より新装版、2011年に同社より文庫版が発売された。

声の出演者の名前を見ていたら、これは実写映画じゃないかと勘違いするくらいの豪華さだ。坂本九の歌う「上を向いて歩こう」が何度も流れていて、自分の生きてきた時代が背景なのかと。そんな時代に高校生が「カルチェラタン」なんていう妄想をしていた? 大学生だったんじゃないのと、ちょっと首を傾げる。

アニメーション映画だと、他のことをしながらの鑑賞で充分な私の場合。梱包材の発泡スチロールをゴミ袋に小さく砕きながらの鑑賞となった。それにしても日本の商品には無駄な包装が多い。捨てても捨てても捨てきれない包装紙。これも生きているうちの楽しいことのひとつなのだろうか。無駄もいい加減にしないと。

『パイレーツ・ロック』(The Boat That Rocked)

2009年・イギリス/ドイツ 監督/リチャード・カーティス

出演/フィリップ・シーモア・ホフマン/トム・スターリッジ/ビル・ナイ/ウィル・アダムズデイル

ブリティッシュ・ロックが世界を席巻していた1966年。民放ラジオ局の存在しなかったイギリスでは、国営のBBCラジオがポピュラー音楽を1日45分に制限していた。若者の不満が渦巻く中、イギリスの法律が及ばない領海外の北海に、24時間ロックを流し続ける海賊ラジオ局“ラジオ・ロック”が誕生、熱狂的な支持を集める。(alllcinemaより)

なかなかおもしろいと思っていたら、やっぱり、「ラブ・アクチュアリー」のリチャード・カーティス監督作品だという。あれだけおもしろい映画を作る人の作品には狂いがない。実際にあった話だと言うが、国営のBBCラジオがポピュラー音楽を1日45分に制限していた、というのも本当だったんだろうか。

とりとめのない音楽映画のように見えて結構奥深い。無邪気に楽しめてしまうところがいい。「パイレーツ・オブ・カリビアン」がヒットしたからといってこの邦題はいただけない。日本的に『ロックのラヂオ』とかしたらいいかも。

『トラ・トラ・トラ!』(Tora! Tora! Tora!)

1970年・アメリカ 監督/リチャード・フライシャー/舛田利雄/深作欣二

出演/マーティン・バルサム/ジョゼフ・コットン/山村聡/田村高廣/三橋達也

監督降板劇の真相はいまだに不明な点が多いが、以後日本では、黒澤の「気難しい完全主義者」というイメージが強くなったとも言われる黒澤明降板劇で有名なこの作品、リアルタイムで観ていないことは確かだが、40年後にようやく観ることになった情けない映画人生。観たはずなのに、出だしから新鮮過ぎて驚いてしまう。

続きはあした。と、書いたがまだ序盤戦。凜々しい日本海軍の軍人たちが眩しく見える。アメリカのシーンになって吹き替え版になってしまった。急に映画の品格が落ちたような印象は拭えない。映画の製作者のせいではなく、テレビ局の放映担当者の責任だが、日本人が日本語を喋っているのに、その横でアメリカ人も日本語を喋っていることが、あまりにも不自然だ。そう思わないテレビ局はクソである。てなことで、中途半端なままで2週間もほったらかしにしなければならない事態は苦しいが、また。

2週間の空白期間に何本の映画を観溜め出来るのだろうかと楽しみにしていたが、結局観た映画は3本しかなかった。2本の題名は覚えているが、もう1本の題名が出て来ない。酷いものだ。ところでこの映画は? まぁ~、可もなし不可もなし、といったものか。爆撃シーンに拘るのは製作者の常、実は観客はもっと人間ドラマが観たいのに。

『夏の庭 The Friends』

1994年(平成6年)・日本 監督/相米慎二

出演/三國連太郎/坂田直樹/王泰貴/牧野憲一/戸田菜穂/淡島千景/寺田農/柄本明

おもしろくない。神戸市を舞台とし、セリフは全編神戸弁で演じられている。と書いてあったが、そんな関西弁ぽい雰囲気すら感じなかった。活字なら期待できそうな空気だけは感じたが、いまさら何を語りたいの、と場違いな疑問が起こるほど。

ヘラルド・エースが配給して、戸田菜穂がずいぶん若いな~ということが唯一印象的だった。クソミソに言ってしまうが、自分の人生にはこういう物語を理解できる余裕はなかったし、今もない。良質な観客だけが心に刻むことが出来る映画だろう。

人の死について興味を抱いた3人の少年、木山諄、河辺、山下らは、近所に住む変わり者の老人・喜八に目をつけ、彼がどんな死に方をするかを覗こうとする。3人に気づいた喜八は、最初は怒り出すが、やがて彼らはうち解けはじめ、男の子たちは老人の草むしりなどを手伝う仲になる。喜八から、子供達は、古香弥生という女性と結婚していたが別れたという話や、戦争中にジャングルの小さな村の身重の女の人を殺した話などを聞く。3人は古香弥生を探し当て、老人ホームを訪ねるが、弥生はボケているのか夫は死んだと答えるばかりだった。だが部屋には担任の静香先生がいた。静香は何と弥生の孫だった。彼女は喜八の話を聞き、彼のことを自分の祖父に違いないと確信するが、訪ねられた喜八はそれを否定し…。(Wikipediaより)

『16ブロック』(16 Blocks)

2006年・アメリカ 監督/リチャード・ドナー

出演/ブルース・ウィリス/モス・デフ/デヴィッド・モース/ジェナ・スターン

観始まったばかり。明日も観終らないかもしれない。と、昨日書いた。用事があって夕方戻り、さて昨日の続きを観ようと思って録画機を起動した。いざこの映画を観ようと思ったら、いきなりの最初の画面から始まった。なんのことはない、昨夜続きを観ていたようだ。あまりにもあっけなく何事も変化せず終わったものだから、印象に薄かった。というか、やっぱりボケも進行しているような気がしてならない。

アメリカの警察ものは間違いなくおもしろい。だが、この映画は警察ものでありながら、一向に話が進んでいかない展開に苛立つ。主人公以外の警察署員が、警察署長を含んでグルになって悪いことをしている。こういう状況になったら、人間は一体どうすればいいのだろうか。

そんなことが自分の周りで起こることはないであろうが、万が一に起こったとしたら、自分は何もしないで一人で地獄に堕ちていくだろう。そうするしかその状況を抜け出す方法は見つからない。どれだけ努力したって、人間社会という奴は、そんなことを認めてくれる人は、まずいない。あるのは結果だけ、とスポーツ社会とちっとも変わらないのが普通の状態だ。

『映画 鈴木先生』

2013年(平成25年)・日本 監督/河合勇人

出演/風間俊介/浜野謙太/窪田正孝/山口智充/田畑智子/でんでん/富田靖子/斉木しげる

始まってものの1分もしないうちに、漫画原作を察知できる映画。漫画原作が悪いことはない。今ではもう漫画原作が枯渇してしまっているくらいだ。一所懸命マンガを読んでいたのは小学校の時代。「少年サンデー」と「少年マガジン」が発売されて、現在の日本の漫画カルチャーの草分けとなったことを体感している。オタクにならなかった、なれなかったのには何か理由でもあるのだろうか。自分では分析できない。

原作は、『漫画アクション』2005年6月7日号より2011年1月18日号まで不定期で連載していた。単行本は全11巻が刊行されている。2007年、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。その後2011年5月8日号より2012年11月6日号まで、過去を舞台とした『鈴木先生外典』が不定期連載された。2011年、テレビ東京にてドラマ化された。そのドラマ作品が高い評価を受け、さらにその劇場版であるこの映画が2013年に公開されたという。

映画はきわめてつまらない。教訓的なことを差し込めば、ストーリーや思想が評価されるかと言えば、それは大きな間違いだ。現象的なことが非常に非社会的なことがたくさん描かれており、自分のような古い人間には不愉快な感覚しかもたらさない。幼児性と稚拙性の積み重ねの産物だとしか思えない。

『アンダーグラウンド』(Underground)

1995年・フランス/ドイツ/ハンガリー/ユーゴスラビア/ブルガリア 監督/エミール・クストリッツァ

出演/ミキ・マノイロヴィッチ/ラザル・リストフスキー /ミリャナ・ヤコヴィッチ

ベオグラードを舞台に、第二次世界大戦からユーゴ内戦まで、ユーゴスラビアの激動の歴史を描いている。ヘラルド・エースの配給作品だと調べてから分かった。そうか、私はもうヘラルドを辞めてしまっていたんだ。

私のような人間ではユーゴスラビアの歴史なんて、とうてい頭に入って来ない。その国際的位置から『七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家』と形容されるという。スロベニア共和国、クロアチア共和国、マケドニア共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国、セルビア共和国、モンテネグロ共和国に別れたのが現在らしいがよく分からない。

映画との相性もあるようだ。観ているとイライラしてくる映画に時々ぶつかる。この映画は典型的にそんな感じのした映画で、結局途中から映像の早回しで終わってしまった。これだけ観ていると、こんなことがあっても仕方がない。洋画では極めて珍しいことだが。

『バウンド』(Bound)

1996年・アメリカ 監督/アンディ・ウォシャウスキー/ ラリー・ウォシャウスキー

出演/ジェニファー・ティリー/ジーナ・ガーション/ジョー・パントリアーノ/クリストファー・メローニ

後に『マトリックス』シリーズを監督するアンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー(ウォシャウスキー兄弟)の初監督作品だという。こんなことすら知らないことが嬉しい。映画のプロではなく、あくまでも映画を楽しむプロであることに誇りを持っている。

主演のひとりジェニファー・ティリーの甲高い独特の声と喋り方に魅了される。最初はかなりの違和感を感じるのだが、慣れてくると心地良い声に聞こえてくる。何回か彼女に映画で会っているが、おもしろい存在感がある。

5年の服役を終えたレズビアンの女泥棒コーキーは、マフィアの伝手でアパートの一室を改装する仕事に就く。隣の部屋で暮らすのは、マフィアのシーザーとその恋人ヴァイオレット。コーキーとヴァイオレットはお互いに惹かれあうようになり関係を持つ。というのがこの映画のさわり。物語というより、映画の作り方におもしろさを感じる。

『リトル・ミス・サンシャイン』(Little Miss Sunshine)

2006年・アメリカ 監督/ジョナサン・デイトン/ ヴァレリー・ファリス

出演/グレッグ・キニア/スティーヴ・カレル/トニ・コレット/ポール・ダノ/アラン・アーキン

監督に2人の名前がある。夫婦で監督をし、これがデビュー作品だという。ロバート・レッドフォードが主宰するサンダンス映画祭にプレ出品され、その後フォックス・サーチライト・ピクチャーズが同映画祭史上最高額の契約金を支払って配給権を獲得した。

批評家に高く評価され、世界興行収入は1億ドルを超えた。第79回アカデミー賞では作品賞を含む4部門でノミネートされ、脚本賞(アーント)と助演男優賞(アーキン)を獲得した。アメリカの少女たちの美人コンテストをモチーフにしたコメディ。こういう映画をコメディ映画と呼びたい。エッジが効いている。

7才くんだりで美人コンテストを催すというあたりがいかにもアメリカ的。日本では1人の反対者の出現で絶対実現しそうにない。その7才の彼女たちの美人度ぶりがまたアメリカ的。子供の可愛さではなく、7才の子供に成熟した女性の容姿をあてはめているから変。そのあたりが結末の意外性を引き出していておもしろい。

『告発』(Murder in the First)

1995年・アメリカ 監督/マーク・ロッコ

出演/クリスチャン・スレーター/ケヴィン・ベーコン/ゲイリー・オールドマン

「刑務所としてのアルカトラズは、1963年に永久に閉鎖された。今日アルカトラズは、北カリフォルニア第一の観光地として、年間100万人以上の観光客が訪れている。」という字幕でこの映画は終了する。

アルカトラズ島は、軍から連邦司法省刑務所局に移管され、刑務所局は1934年7月1日、アルカトラズ連邦刑務所を開設した。大恐慌や禁酒法により1920年代末から1930年代にかけて組織犯罪が激化し、治安当局は、犯罪に対する強い姿勢を打ち出す必要があり、アルカトラズ島はそのために「社会の敵」である凶悪犯を収容する施設という役割を担ったということらしい。主人公はこのアルカトラズ島から脱獄を試み、失敗して懲罰的地下牢生活を3年間も強要される。

実話に基づく物語ということで、胸が痛むようなシーンが続く。アルカトラズ刑務所が閉鎖された原因がこの映画のストーリーらしい。映画としてはおもしろい。映像的にはテレビ・ドラマのような薄っぺらな映像だったのが、ちょっと気になった。

『俺はまだ本気出してないだけ』

2013年(平成25年)・日本 監督/福田雄一

出演/堤真一/橋本愛/生瀬勝久/山田孝之/濱田岳/指原莉乃/水野美紀/石橋蓮司

『日活創立100周年記念映画』というような文字が見えたが、まさか。こんな屁でもないタイトルをとっても、そんなものに値するとは思えない。漫画原作だというが、なんでも映画にすればいいというものではない。

直前に『アヒルと鴨のコインロッカー』(2003年)を観始まったが、15分持たずに観るのをやめてしまった。登場人物の一人がこの映画にも出てきて、どうにも映像がダブルだけでただややっこしく見えただけだった。この映画を観終わった後に『バケモノの子』(2015年)を観始まったが、これまた5分もしないうちに観るのをやめてしまった。どうにも食指の動かない日本映画界だ。

本気を出していないと、人生にたかをくくっている庶民も多い。そういう勘違いをしていなければ、人生なんてやっていられない。プライオリティがどうのこうのと、自分の出来ないことを棚に上げて、屁理屈を言う若者がいる。出来る人間は、そんなことを言う前に仕事をさっさと片付けてしまうよ。

『大奥』

2006年(平成18年)・日本 監督/林徹

出演/仲間由紀恵/西島秀俊/井川遥/及川光博/杉田かおる/松下由樹/浅野ゆう子/高島礼子

フジテレビが製作してきた「大奥シリーズ」の最終版だというアナウンスがされたという。確かに多くの「大奥」テレビドラマや映画が作られており、おちゃらけたものも結構世の中を騒がせていた。この映画だって、フジテレビと系列局から女子アナ31名を出演させている。どこまでも軽チャーなフジテレビである。

今度の映画はなかなか真面目に作られている。江戸時代の世、将軍は七代徳川家継、「絵島生島事件」という大奥御年寄の江島(絵島)が歌舞伎役者の生島新五郎らを相手に遊興に及んだことが引き金となり、関係者1400名が処罰された綱紀粛正事件、愛憎を交錯させた大奥の世界が描かれている。

この七代将軍徳川家継は、4才になる前に将軍職に就いている。お家の事情という奴だが、第6代将軍徳川家宣の四男、母は側室で浅草唯念寺住職の娘・お喜代(月光院)。正室・近衛熙子(天英院)は、月光院が難くて堪らない、というのが物語の大筋。女の執念、意地を全面に出して、意地悪・いじめの数々を繰り広げるはずだが、甘い演出に助けられて綺麗どころの大奥ご婦人だけが目立っていたような。

『釣りバカ日誌17 あとは能登なれハマとなれ!』

2006年(平成18年)・日本 監督/朝原雄三

出演/西田敏行/三國連太郎/浅田美代子/石田ゆり子/大泉洋/片岡鶴太郎/宮崎美子/松原智恵子

『釣りバカ日誌18 ハマちゃんスーさん瀬戸の約束』

2007年(平成19年)・日本 監督/朝原雄三

出演/西田敏行/三國連太郎/浅田美代子/檀れい/高嶋政伸/星由里子/石田靖/小沢昭一

なんといっても気楽に観られるのが最高。ゲスト陣も2人1組でその時どきの流行の顔を登場させていて、後から観ても時代を感じられて嬉しくなってくる。それ以上でもないし、それ以下でもない。

『デュプリシティ ~スパイは、スパイに嘘をつく~』(Duplicity)

2009年・アメリカ 監督/トニー・ギルロイ

出演/ジュリア・ロバーツ/クライヴ・オーウェン/トム・ウィルキンソン/ポール・ジアマッティ

発音しにくいこの映画の原題、duplicity:二枚舌(を使うこと)、二心(あること)、欺瞞(ぎまん)、偽り。受験生なら喜んでこういう単語を記憶するのだろうけれど、覚えていようと思っても3日もすれば、すぐに忘れてしまうこの歳頃。

7年前の映画と言えば、そんなに新しいものではないが、毎日のように観ている映画の大半が、10年、20年前の映画ばかりなので、結構新しさを感じる。よくよく考えるとおもしろい映画なのだが、フラッシュバックを多用して、わざわざ分かり難いストーリー展開にした技術的問題が、映画をひどくつまらないものにしている。

ジュリア・ロバーツのデビュー3作目『ミスティック・ピザ(Mystic Pizza)・1988年』をヘラルドが配給している。まだ無名だった彼女の作品だから、ヘラルドが買い付けられた。アメリカ映画に関しては、からっきし力のなかったヘラルドなので仕方がなかった。あの映画ではペチャパイだったはずの彼女がこの映画では、大きな胸を強調している。首を傾げながら観ることになったが、こんなに成長するのはスーパースターの勲章なのかもしれない。

『ニューヨーク1997』(Escape from New York)

1981年・アメリカ 監督/ジョン・カーペンター

出演/カート・ラッセル/リー・ヴァン・クリーフ/アーネスト・ボーグナイン/ドナルド・プレザンス

むつけき『ニューヨーク1997』。ヘラルドの宣伝部は、宣伝にあたってプルデューサー制方式というシステムをとっていた。多少宣伝部員のベテランになる頃から、1本の映画の宣伝を任せられることになるのだ。どこを、どう売って、誰を映画館に呼び込むのかを立案、計画、実施する責任者になる。大型映画なら宣伝予算は3億円になっていた当時、テレビ・スポット、新聞広告、雑誌広告、街頭広告、電車広告等々、やりたいことがあり過ぎるところから、適切な宣伝費を遣っていく。

試写会ひとつとっても、東京ドームや武道館、東京競馬場はたまた大型客船内でさえも決行するすさまじさだ。アイディアと実行力が問われるこの仕事、他の宣伝部員は全員一致で協力していく。新聞広告を何回に分けてどういうスペースで打っていくのか、ポスター・チラシ・プレスを何枚刷るのかなどのアイディアを提供する仕事が「宣伝業務」という仕事。テレビスポットだってどの局のどの時間帯に集中するのかを提案する。駅貼りといって結構大きなポスターを製作、貼り出す窓口もこの仕事。宣伝プルデューサーの補助をして、外部の会社の窓口にもなる。予算も管理する。そんな宣伝業務をしていた時代のヘラルド配給の映画だった。

読売新聞東京版の夕刊中面見開き全30段広告を敢行したのがこの作品。新聞は片面15段、真ん中の頁は真ん中に区切りのスペースがあるのだが、そこまで広告をデザインするという当時では画期的なものだった。あの時代のヘラルドの読売新聞単価は、約80万円/段くらいだったろうか。単純にこの広告は2400万円という価格になるが、たぶんその半分くらいで実施したような気がする。そういう交渉をするのも宣伝業務の仕事。現実的に宣伝費を使うのはプロデューサーではなく宣伝業務の仕事だったかもしれない。大型予算映画だったこの作品だったが、結果は散々だった。ということでムツケキという言葉遣いが出てくるのだ。

『ホットロード』

2014年(平成26年)・日本 監督/三木孝浩

出演/能年玲奈/登坂広臣/鈴木亮平/太田莉菜/木村佳乃/松田美由紀

2013年前期の連続テレビ小説『あまちゃん』でヒロインを務めた直後の次回作として注目された能年玲奈だが、その後はなんかのトラブルで芸能界を引退しているような状態になっている。芸名を『のん』に変えて再出発することが発表されたばかりだ。

『別冊マーガレット』(集英社)に1986年1月号から1987年5月号まで連載された少女漫画が原作だという。映画は至極つまらない。原作の話も同じようにつまらないのだろうけれど、対象が女ではその気持ちが理解できないので、なんとも言えないというのが正直な話。

気持ちの中を映像化するのは簡単に言ってしまえば不可能である。現象的に見える行動だけが映像化されるわけで、暴走族の馬鹿ったれどもが、どれほどの清らかな美しい心を持っていたって、そんなものは誰にも伝わるものではない。人間は生きている社会にきちんと適応しながら息をすることが求められる。勝手気ままな行動をして、その結果として病院で手術をうけるなんて許せない。病院に入る前に自らの命を絶つくらいの思い上がりがなくて、なんで我が儘が許されようか。


2019年10月7日再び観たので記す。

『ホットロード』

2014年・日本 監督/三木孝浩

出演/能年玲奈/登坂広臣/鈴木亮平/太田莉菜/木村佳乃/小澤征悦/鈴木亮平/松田美由紀

紡木たくによる日本の少女漫画である。紡木の代表作であり、『別冊マーガレット』(集英社)に1986年1月号から1987年5月号まで連載された。単行本全4巻(絶版)、文庫版全2巻、完全版全3巻が刊行されているという。こんな世界は、映画化されなければ間違っても触れることのない空気だったろう。

映画の最後に主題歌のように流れた曲は尾崎豊「Oh My Little Girl」だった。どうして? 陳腐なストーリー、大昔の暴走族を扱ったタイトルのようなストーリー展開をおもしろいとは思えない。こんな世界を今の若い人たちにも知って欲しいと願うのだろうか。いっぱしの教訓めいた最後のセリフを聞いていると、自分の生きてきた人生を馬鹿にされているような嫌な気分になる。

おりしも、関西電力のおえらさんが平気で原発都市から江戸時代のお代官のような金品授受があった。古くてダメな制度や意識が、時間が経つと美化されたり忘れ去られたり、はたまたこんな生き方もあるんだと現代を生きる人々に訴えているようで、そこんところだけはおもしろい。それにしても、関西電力社長がお祝いにお菓子でも持ってきてくれたのか、と思ったなんて言う嘘を平気で言える社会は異常だ。どこの馬の骨か知らないけれど、経営者の器ではない人が牛耳る社会は不幸である。

『織田信長』

1989年(昭和64年)・日本 監督/中島貞夫

出演/渡辺謙/名取裕子/真田広之/かたせ梨乃/藤真利子/加納みゆき/野村真美/黒崎輝/美木良介

1989年は平成元年の年であるが天皇崩御は1月7日なので、このテレビ映画の制作・放映は昭和64年と言うことになる。『大型プレミアム時代劇SP・織田信長』と銘打った映画を製作したのは、東映とTBS。昭和64年1月1日に放映されたらしい。テレビ放映はコマーシャル時間が入っていて長くなるが、それでも4時間54分は超大作だ。

先が長くなるのは見えているから、てみじかに話が進んで行く。ゆったりとするのが日本映画の特徴なのだが、そうか大河ドラマならさっさと長回しを回避出来るのか。出演陣もテレビ映画としてはかなり豪華版で、篠田三郎/松方弘樹/若山富三郎/根津甚八/司葉子/千葉真一/十朱幸代などをさらに列記しておかなければならない。

織田信長の人となりを機会あるたびに知っていく。ようやくここへ来て彼の大きな流れを忘れない状態になったような気がする。人間には幸運なことが重要で、その幸運を呼び込むのもその人間の生き様に由来すると、承知しているつもりだが、摩訶不思議な人間生活の一端を自分に置き換えるまでもなく、楽しい生きている時間を実感している。

『必殺仕掛人』

1973年(昭和48年)・日本 監督/渡邊祐介

出演/田宮二郎/高橋幸治/山村聰/野際陽子/川地民夫/津坂匡章/室田日出男/穂積隆信

1972年9月2日から1973年4月14日まで毎週土曜日22:00 - 22:56に、朝日放送と松竹(京都映画撮影所、現・松竹撮影所)が共同製作・TBS系(現在とネットワーク編成が異なる)で放送された時代劇。全33話。主演は林与一、緒形拳、山村聰。

テレビシリーズの大人気を受けて制作された、劇場版第1弾。各種設定は、テレビシリーズを元にしている。注目点は主人公2名、梅安と左内のキャストが変更されていることで、梅安は田宮二郎、左内を高橋幸治が演じている。半右衛門はテレビ版と同じく、山村聡が演じた。

田宮二郎がこんな役をやっていたとは知らなかった。ちょうど『悪名・続悪名』を観たばかりだったので、不思議な感覚はなかったが、彼が亡くなってから久しぶりだったので、ちょっと感慨に耽っていた。

『続悪名』

1961年(昭和36年)・日本 監督/田中徳三

出演/勝新太郎/田宮二郎/中村玉緒/水谷良重/藤原礼子/浪花千栄子/中村鴈治郎/上田吉二郎/羅門光三郎

1作目がすごくおもしろくて、この2作目の放映を楽しみにしていた。期待通りにおもしろかったが、どうも次回作の繋ぎ役のような内容に終始していて、終わりもあっけなく次回作を観て下さいと言わんばかりだった。

ヤクザなんかになりたいとは思っていなかった主人公が、知らず知らずのうちにヤクザの世界に引きずり込まれていく姿が、よーく分かる。現実社会のヤクザたちもおそらく同じような気持ちなんだろうな~。

この映画で夫婦役を演じている勝と玉緒は、時を同じくして現実社会でも夫婦となった。玉緒に惚れ抜いていた勝の映画の中の目は、現実社会と区別がついていない雰囲気が歴然としていて、おもしろい。

『大巨獣ガッパ』

1967年(昭和42年)・日本 監督/野口晴康

出演/川地民夫/山本陽子/和田浩治/藤竜也/町田政則/雪丘恵介/弘松三郎/大谷木洋子

この手の映画は、昔は絶対と言っていいくらい観なかった。今は、それなりに本数を稼ぎたいという邪心から観る機会がある。山本陽子が若くてデビュー作品に近いのだろうかと調べてみた。デビューしたのは1961年1月作品、この3年3ヶ月の間に約35本の映画に出演している。映画全盛を数字も証明している。

同じ日活の吉永小百合、松原智恵子、和泉雅子の人気に押され、もう一つ作品に恵まれなかった時代だったようだ。が、20年後の自分の活躍する姿を、まだまだ想像出来なかった時代だったろう。

ゴジラと同じテイストを感じる、と言ったら、この手の映画に一家言持つ友人に叱られた。「それは失礼でしょう」「どっちに」「勿論ゴジラにですよ」。どうもこういう映画を語ることすら許されない人種の範疇にいるようだ。確かに、この映画をきちんとどころか、まったくいい加減に観ていた。垂れ流しのながら観というやつだ。ホントに失礼な奴だよね。

『真田幸村の謀略』

1979年(昭和54年)・日本 監督/中島貞夫

出演/松方弘樹/あおい輝彦/片岡千恵蔵/萬屋錦之介/秋野暢子/森田健作/火野正平/萩尾みどり/真田広之

珍しく今年はNHKの大河ドラマ『真田丸』を毎週見ている。大河ドラマを見るのは何年ぶりかのことである。と書くと、おもしろいから見ているのかと勘違いされる。まぁ、おもしろくないわけではないが、特におもしろいとも思えない。毎年1回目を見て、その後のことを決めることにしていて、今年は見てもいいかなぁということになっただけのことだ。

歴史的なことに興味があった。子供の頃に親しんだ名前「真田幸村」という人物に興味があった。おそらくだが、漫画に彼の名前や真田十勇士の名前がそれなり以上に取り上げられていたのではなかろうか。どこまでがノンフィクションでどこからがフィクションなのか分からないのが、歴史上の人物の描かれ方。

おもしろくない映画だった。最初のうちはそれなりだったが、途中から漫画っぽいアクション・シーンばかりであくびが出てしまう。NHKの「真田丸」の方がおもしろく感じるようじゃ、時代劇でならしていたはずの東映映画のこけんにかかわる。

『天使にラブ・ソングを…』(Sister Act)

1992年・アメリカ 監督/エミール・アルドリーノ

出演/ウーピー・ゴールドバーグ/マギー・スミス/ハーヴェイ・カイテル/キャシー・ナジミー

『天使にラブ・ソングを2』(Sister Act 2: Back in the Habit・1993年)を観る機会がたくさんあったのに、この1作目をようやく観ることが出来た。ふむ、ふむ、なるほど、と悦に入りながら観ていた。こういういきさつで尼僧の格好をすることになったのか。

コメディであることは間違いないが、誰一人として観客を笑わせようとしたり、おちゃらけた振る舞いをすることがない。このあたりが日本映画との決定的な違いだろう。おそろしいほど、お笑いという分野を意識し過ぎる日本の活劇やテレビ、程度の低い日本人にはこれでもか、これでもか、と訴え続けなければいけないのだろうか。

教会に行って寄付をねだられることは、予想以上に嫌だった。こちらは教会なるものの見学に来たつもりなのに、平気で募金箱が回ってくる。こういう無神経な宗教活動が庶民には許せない。そうでなくとも、一生足を踏み入れることがないところに、勇気を持って来て「あげた」のにである。

『柳生一族の陰謀』

1978年(昭和53年)・日本 監督/深作欣二

出演/萬屋錦之介/千葉真一/松方弘樹/西郷輝彦/大原麗子/原田芳雄/丹波哲郎/芦田伸介/山田五十鈴/三船敏郎

映画・演劇・テレビ界の豪華スター陣を結集したオールスターキャスト作品で、東映が威信を賭けて時代劇復興を目指して12年ぶりに製作した巨篇だという。徳川幕府で発生した兄弟による三代将軍位争奪戦を基に、実在した歴史上の人物と史実をフィクションで織り交ぜ、“権力”に生きる柳生一族の存続を賭けた物語。

「柳生」と名のつく映画は何本か観たが、この映画の内容が柳生家の真髄を表しているような感じで、なんとなく謎解きが一部出来たような安堵の気持ちがした。三代将軍徳川家光が容姿悪く吃音であったと言うのは事実らしく、そういう事実と、二代将軍秀忠が発病後2時間で江戸城大奥で突然死去したというフィクションを絡めて、いかにもホントらしくしているところが、興味深い。

萬屋錦之介演じる柳生但馬守宗矩がいい。息子にはかの有名な柳生十兵衛三厳がいる。元和7年(1621年)3月21日、後の3代将軍となる徳川家光の兵法指南役となり、剣術(新陰流)を伝授する。その後、将軍に就任した家光からの信任を深めて加増を受ける。一介の剣士の身から大名にまで立身したのは、剣豪に分類される人物の中では、日本の歴史上、彼ただ一人である。三代将軍争いに重要な人物。

『コンドル』(Three Days of the Condor)

1975年・アメリカ 監督/シドニー・ポラック

出演/ロバート・レッドフォード/フェイ・ダナウェイ/クリフ・ロバートソン/マックス・フォン・シドー

ニューヨークにあるアメリカ文学史協会に勤める主人公、コードネームは「コンドル」れっきとしたCIA職員の一人だ。この協会にいる全員がCIAのコードネームを持ち、世界各国の雑誌書籍の情報分析を行っている。いかにもアメリカならではのストーリーで、おもしろくないわけがない。

ロバート・レッドフォードのような端正な顔をした役者には探偵ものやアクションものは似合わないだろうと勝手に烙印をおしている。この映画でもCIA職員ながら、もともと実働部隊ではなく、世界中の本を読んで、書かれていることから諜報活動に役立つ事柄を分析するのが日常の仕事だった。

身内に敵がいるという設定は一番オーソドックスでありながら、決してあって欲しくない現実。信じることは疑わないことであり、半信半疑などという状況が目の前にあったとしたら、気の弱い私なんぞでは毎日眠れない夜を過ごすことになってしまうであろう。

『悪名』

1961年(昭和36年)・日本 監督/田中徳三

出演/勝新太郎/田宮二郎/中村玉緒/中田康子/山茶花究/水谷良重/藤原礼子/浪花千栄子/須賀不二男/伊達三郎

今東光の小説『悪名』は、1960年に『週刊朝日』にて連載され、同誌の編集長が大映の監督・田中徳三の実兄だったことから、大映で1961年に映画化されたということだった。おもしろい。勝新太郎もいいけれど、田宮二郎がまたいい。

同じ仁侠映画の健さんと比べても、勝の方が人情味溢れていて、好感が持てる。健さんの妙に遠慮深過ぎる寡黙な人間に比べて、愛嬌たっぷりの勝の人間性が素敵に見える。酒が飲めないところもいい。女にはめっぽう弱いところがまたいい。

第1作目のヒットを受け、以降は脚本家依田義賢のオリジナルでシリーズ化され、全16作が製作されたという。今頃になってこのシリーズを観られるのが楽しみになっている。さっそく続悪名が1週間後に放映されるらしいので、忘れずに録画することにしよう。

『醉いどれ天使』

1948年(昭和23年)・日本 監督/黒澤明

出演/志村喬/三船敏郎/山本礼三郎/木暮実千代/進藤英太郎/清水将夫/久我美子/飯田蝶子

闇市を支配する若いやくざと、貧乏な酔いどれ中年医者とのぶつかり合いを通じて、戦後風俗を鮮やかに描き出したヒューマニズム溢れる力作。と、Wikipediaに書かれていたが、自分の生まれた年あたりは、こんなに貧しかったんだ~、という風景に圧倒された。この年から10年後、小学4年生になった小河少年は、下駄で通学する光景をなんとなく覚えているのがやっと。

先日観た「生きる」は胃癌を、この映画は結核という病気が人間の生き様に影響を与えるというテーマだ。映像が古くて暗く感じるというより、テーマが暗過ぎて乗り切れない自分がいる。同じところをしつこく堂々巡りしているようなストーリー展開は、現在の日本映画を観ているようで、おもしろくない。

黒澤明の映画が娯楽性を持っておもしろくなるのには、さほど時間を要しない。もっとも、この映画も含めて黒澤作品を評価する人にとっては、黒澤映画は最初からおもしろいということになろうか。志村喬は黒澤作品としては本作が初主演、黒澤明と三船敏郎が初めてコンビを組んだ作品でもある。準主役・三船の強烈な魅力が主役を喰ってしまっていると評されるらしい。

『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』

2003年(平成15年)・日本 監督/手塚昌明

出演/金子昇/吉岡美穂/虎牙光揮/大塚ちひろ/長澤まさみ/中尾彬/小泉博

「ゴジラシリーズ」の第27作、併映は『とっとこハム太郎 ハムハムハグランプリン オーロラ谷の奇跡』。興行収入は13億円、観客動員は110万人。懐かしいザ・ピーナッツが演じた女の子が登場した。でも、モスラの蛾のお化けみたいな張りぼてはいただけない。ゴジラファンの大人は喜ぶだろうが、これからファンになるべき多感な小学生などにはまったくうけないだろう。平成になったら平成の特撮が求められる。

懐かしがってばかりの人生なんてダメに決まっている。今この瞬間から未来がいつも始まっているのだから。思い出すくらいがちょうどいい案配だろう。たかが100年も生きていない人間の生活なんて、宇宙の塵にもなりやしない。哀しいけれど、それが現実。そうやって厭世的な人間が集まってISなどがうごめいているのだろう。

最初のうちはちゃんと観ていたが、途中から垂れ流し、ながら観となってしまった。それで充分だった。製作者、役者、観客には申し訳ないが、こういう子供騙しの映像をどうやって観たらいいのかを是非ご教授いただきたいと願う。今の子供たちはこの程度で騙されるほど幼稚ではない。そこんところが、どうにも理解できない。

『ゴジラvsビオランテ』

1989年(平成元年)・日本 監督/大森一樹(本編)/川北紘一(特撮)

出演/三田村邦彦/田中好子/高嶋政伸/小高恵美/沢口靖子/峰岸徹/金田龍之介/高橋幸治

「ゴジラシリーズ」の第17作。観客動員数は200万人、配給収入は10億4000万円。コアなファンを動員したのだろう。配給収入を発表していたのは私の現役時代のこと。今では「興行収入」といって、映画の売り上げ、窓口で発券した売上や前売り券の売り上げを発表している。「配給収入」は邦画なら50%、洋画なら60%、配給会社の取り分(売上)を指している。

ゴジラは子供の頃から見ていなかった。人間には趣味志向があり、子供全員が好きなわけではない。もっとも私の場合は、いわゆる子供騙しの映像にはまったく興味がなかった。子供なのにである。かといって、大人の世界に心をときめかせていたわけでもない。

ゴジラの映像で一番嫌いなのが、張りぼてのゴジラ、次に波の高さが作り物のプールの中だと分かってしまう海の映像、戦車や他の兵器でゴジラに発射する映像、そしてボール紙で作ったような町並みが燃える映像。きちんと見たのはこの頃になってからだが、テレビで紹介される映像に鋭く反応していた。困ったものだ。

『ランボー』(First Blood )

1982年・アメリカ 監督/テッド・コッチェフ

出演/シルヴェスター・スタローン/リチャード・クレンナ/ブライアン・デネヒー/ビル・マッキニー

リアルタイムでは宣伝部長になる2年前、それなりに重用されていい気になっていた頃かもしれない。東和から東宝東和となっても永遠のライバルと考えていたヘラルドの創始者社長、この映画のヒットには結構悔しいものがあった。社員の間でも。東宝東和らしい題名に関するいきさつが書かれていた。

配給元の東宝東和によってタイトルが『ランボー』に改められたとされる誤解が多いが、原題の "First Blood" はアメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリア・デンマークなどの英語圏と一部の国でのみ用いられ、その他の多くの国では日本公開以前から『ランボー』のタイトルが使われている[4]。日本ではこの誤解が非常に多く、スタローン本人の感謝文とされるものも原題の改変とは無関係な、東宝東和のマーケティングに関するものである。問題点だったことは、作品の舞台がアメリカのとある田舎町で派手さに欠けてたことやベトナム帰還兵という設定が日本人には理解しがたい物だったことや、決してハッピーエンドとはいえない終わり方であった。そのため、多くの国で使われていた題名「ランボー」に変更、作中には出てこない小道具などを配置したポスターを製作するなど、アクション超大作を思わせる宣伝が行われた。あの会社らしい姑息な手段の一端。

ベトナム帰還兵という設定が、まだまだアメリカの社会全体を覆っていたテーマなのかもしれない。何のために命を掛けて戦ったのかを問われるどころか、帰国したら歓迎どころか批難を浴びたという。ランニングシャツにはちまきをして、ライフル銃を構えているポスターの映画にまったく興味はなかった。彼が暴れる町の入り口にはこんな文字が書かれたアーケードがあった。「GATEWAY TO HOLIDAYLAND , WELCOME TO HOPE」。誰のために、何のために戦っているのか。

『生きる』

1952年(昭和27年)・日本 監督/黒澤明

出演/志村喬/小田切みき/金子信雄/千秋実/中村伸郎/伊藤雄之助/加東大介/浦辺粂子藤原釜足/左卜全

1900本以上の映画を観た感想を書いていながら、この映画を観ていないことはいけないことだと、ヘラルドの後輩から言われた。言われるまでもないことだが、生きているせっかくの証のひとつとして、著名な監督の作品は1本残らず見て観たいものだという希望は持っている。

志村喬がブランコに乗っているシーンのスチールはかなり有名で、だいぶ昔からこの写真だけは記憶に残っている。冒頭に東宝の創立20周年記念作品だと。今や泣く子も黙る東宝も結構歴史が若い。我々年代なら誰でも知っているような役者が大勢出演している。

話がしつこい。同じことを繰り返すように描いているのがちょっと。フラッシュバックという手法ではない描き方は悪くはない。ただ長い。もう終わりだな、と思っても、そこからまだまだ続くという感じ。プロの評論家には評価が高いのだろうなぁ~。いったん寝てしまって、しかもそれが結構長かったことを、見直してみて分かった。

『テッド2』(Ted 2)

2015年・アメリカ 監督/セス・マクファーレン

出演/マーク・ウォールバーグ/セス・マクファーレン/アマンダ・セイフライド/ジョヴァンニ・リビシ

日本では前作同様に、字幕版と日本語吹き替え版が全国公開された後、「大人になるまで待てない! バージョン」と称した通常版をファミリー向けに再編集した日本語吹き替え版がPG-12指定で一部劇場で限定公開されたという。はちゃめちゃな会話が喋られているようだが、ネイティブではないとそのおもしろさが伝わってこなくて、凄く悔しい。

1作目を結構おもしろいじゃん、と観た記憶はあるが、どこがおもしろかったのかどころか、内容をまったく覚えていないのには辟易した。ここまで覚えていないのは、先日も書いたアルツハイマーなるものかも知れないと、真剣に承知しなければならないかも。もっとも、自分がアルツハイマーかと思っているうちは、まだ正常範囲内かもしれない。

日本でファミリー向けに編集されたバージョンを観てみたい。日本の母親どもが一番嫌う汚い言葉のオンパレードを堂々と製作できるアメリカという国が尊敬に値する。なんでもアリなのがアメリカだけど、まさかトランプが大統領になることはないだろうな?

『野いちご』(スウェーデン語: Smultronstallet、英語: Wild Strawberries)

1957年・スウェーデン 監督/イングマール・ベルイマン

出演/ヴィクトル・シェストレム/ビビ・アンデショーン/イングリッド・チューリン/グンナール・ビョルンストランド

スウェーデン映画なんてきわめて珍しいが、終わってみてクレジットが表示され、やっぱりベルイマンかと納得。名誉学位の授与式に向かう老教授の一日を、彼の悪夢や空想、追憶などの心象風景を交えて描写した作品。

形而上学的な妄想や会話がふんだん、と分かっていない言葉を使いたくなるような映画。人間の「死」や「老い」、「家族」などの普遍的なテーマを扱った本作品は広く共感を呼び、ベルイマンの代表作として高く評価されているという。まんざら形而上学的という言葉もウソではなさそうだ。

この作品は公開と同時に全世界で批評家の絶賛を浴びた。第8回ベルリン国際映画祭金熊賞、ゴールデングローブ賞外国語映画賞、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞外国語映画賞など多くの映画賞を受賞、ベルイマンに更なる名声を齎した。日本でも本作品の人気は高く、1962年度のキネマ旬報外国語映画ベスト・テン第1位に選出された。というらしいが、私には難し過ぎて、そんな評価まで辿り着けない。

『招かれざる客』(Guess Who's Coming to Dinner)

1967年・アメリカ 監督/スタンリー・クレイマー

出演/スペンサー・トレイシー/シドニー・ポワチエ/キャサリン・ヘプバーン/キャサリン・ホートン

ハワイから戻ってきた23才の娘が黒人を家に連れてきた。すぐにでも結婚したいという。相手は医者で8年前に妻子を交通事故で失っていたが、経歴は申し分のない人物だった。黒人という以外は。父親はサンフランシスコで新聞社を経営している。日頃からリベラリストを自認する。母親も絵画を取り扱う店を経営している。母親の言葉「娘には人種差別をするな、と強く言って育ててきたが、黒人と結婚してもいいとは言ったことがなかった」と。

白人と黒人が結婚することには社会的同意もなかった時代らしい。大きな困難が二人を待っていると誰もが言う。州によっては法律違反とまでセリフガ言う。50年前にこれほどまでの社会的差別が堂々と行われていたのがアメリカ。その後急速に意識が変わってきたのもアメリカ。ダラダラと旧態依然の日本との違いはここだろう。

映画の中で喋られる言葉がいい。いちいち心に響いてくる。建前と本音を語る父親の言葉にも説得力がある。こういう生き方をしたいと思わせる。観たことのある映画なのに覚えていないと嘆く必要はない。知らないうちに血となり肉となって今の自分を形成してくれているに違いない。今やアメリカの人種差別はLGBT、女性同性愛者(レズビアン、Lesbian)、男性同性愛者(ゲイ、Gay)、両性愛者(バイセクシュアル、Bisexual)、性同一性障害を含む性別越境者など(トランスジェンダー、Transgender)への意識がどうなのかが問われる時代となった。肌の色から心のあり方に変化していく人間社会を、進歩という名前で一様に語れるのだろうか。

『瞬 またたき』

2010年(平成22年)・日本 監督/磯村一路

出演/北川景子/岡田将生/大塚寧々/新川優愛/清水美沙/田口トモロヲ/菅井きん

あなたは,一瞬で、愛する人を守れますか? どういうことなのだろうか、とイライラしながら観ていたが、なるほどこういうことなのかと、分かっても何も感動しない。大袈裟な音楽を音量高く挿入したって、何も響いてこない。1時間50分の上映時間がずいぶんと長く感じる。

巷では美人女優というけれど、北川景子は特別美しいわけではない。可愛いという形容も当たらない。不思議な顔立ちに見える。以前もそんな印象を書いた気がするが、よくよく飽きない顔立ちで、役者、女優に向いている感じがする。あと30年経ったら大女優として君臨しているかもしれない。

愛する人を交通事故で目の前で失うなんていう経験をする人は希だろう。そういう希な体験を映画化して同調できるのは女だけだろう。これほどまでの奇跡的なことを美化できるほど、一般庶民は夢を持っていないと思う。というのが正直な感想。夢を見たい時には、もっと違ったシュチュエーションで見るのが普通。かったるい映画だった。

『カンバセーション…盗聴…』(The Conversation)

1974年・アメリカ 監督/フランシス・フォード・コッポラ

出演/ジーン・ハックマン/ジョン・カザール/アレン・ガーフィールド/フレデリック・フォレスト

コッポラ監督の出世作『ゴッドファーザー』( The Godfather・1972年)と『ゴッドファーザー PART II 』(The Godfather Part II ・1974年)に挟まれた作品らしく、才気だった映像とストーリーが、観客にどうだと言わんばかりに迫ってくる。

盗聴という仕事を生業としている主人公、この手の世界ではかなり名が通っている。今でこその監視カメラ社会だが、40年前はまだまだ闇の職業として陰の存在だった。盗聴の見本市が開かれていたなんて、さすがアメリカという感じ。ネット社会になって規模が大きくなっただけで、基本的な盗聴のスタイルは変わっていない。

つい最近、盗聴カメラのことを古くからの友人に聞かれた。親族の一人が、夫が浮気をしているのではないかを調べるために盗撮カメラを設置したいのだが・・・。ということだったが、詳しくはないのでありきたりの答えに終始した。盗聴、盗撮、そして監視カメラと、他人のプライバシーを暴露して、ようやく証拠がつかめる。そんなに潔い人間はいないということか。

『変身』

2005年(平成17年)・日本 監督/佐野智樹

出演/玉木宏/蒼井優/佐田真由美/山下徹大/松田悟志/釈由美子/北村和夫/蟹江一平

冒頭に「玉木宏」「原作:東野圭吾」という文字が現れて、少しはおもしろいんだろうなぁ、という期待感が膨らんだ。活字世界にも弱い自分だが、もちろん東野圭吾の名前は知っている。当然、1冊の本も読んだことはない。テレビのサスペンス原作者として知っているだけである。自慢も出来ない。

サスペンスなんだろうな~、と思ってしまうほど、なかなか何がサスペンスなのかの状態に入っていかない。活字ではたぶん徐々に引きこまれていって、おもしろくなってくるんだろうな、という進行が、映像ではもどかしい。最初にサスペンスの核をバラしてしまった方が映画はおもしろくなったろう。なんて監督ばりの評論を私が出来るようでは、映画の出來が悪いと言わざるを得ない。

役者が一所懸命になればなるほど、気持ちが引いていく。映画はいかに登場人物になりきれるかで、その面白さが評価される。なんて偉そうなことを言ったって、自分ではこんな映画でさえ監督できるわけもなく、犬の遠吠えのような戯れごとでしかない。

『トム・ホーン』(Tom Horn)

1980年・アメリカ 監督/ウィリアム・ウィアード

出演/スティーブ・マックイーン/リンダ・エバンス/リチャード・ファーンズワース

スティーブ・マックイーンが、トム・ホーンの自伝をもとに製作総指揮と主演を務めた。撮影中に悪性の中皮腫と診断され、次作『ハンター』(The Hunter・1980年)が遺作となった。気骨のある伝説のカウボーイが雄々しくて嬉しくなってくる。

以前観ていることは承知していたが、幸いなことに今回もストーリーが新鮮に見えて良かった。最後のシーンになって、この映画の好きなところが分かった。それでも、また3ヶ月もすればすっかり忘れてしまうんだろうな、と思ってはっとした。これってもしかするとアルツハイマーになりつつあるということかしら? いやいや、映画の内容を覚えていない症状はだいぶ前からのことなので、これは違うだろう、とちょっと自分で自分に反論している。

1903年11月20日絞首刑になったという実話に基づいている。日本でも同じように明治生まれの人達の立派さが歴史上に燦然と輝いているが、情報収集能力のなかった時代ながら、世界中で同じような出来事や人物の登場が歴然と比較できる。やっぱり地球、人間を作ったのは神だと信じなければ、説明がつかない。

『東京上空いらっしゃいませ』

1990年(平成2年)・日本 監督/相米慎二

出演/中井貴一/牧瀬里穂/笑福亭鶴瓶/毬谷友子/竹田高利/谷啓/三浦友和

第14回日本アカデミー賞では、牧瀬里穂が優秀主演女優賞、新人俳優賞を受賞した[2]。第33回ブルーリボン賞、第15回報知映画賞、第64回キネマ旬報ベスト・テン、第3回日刊スポーツ映画大賞、第45回毎日映画コンクール、第12回ヨコハマ映画祭では、牧瀬里穂がおなじく最優秀新人賞を受賞したという。

映画の面白さと演技とは直接関係はないが、こんなおもしろくない映画の出演役者が受賞したって。 発想はおもしろいのだけれど、日本人の死生観というか死んでしまった「天使」なるものの処理があまりにもダサイ。アメリカ映画にもこの死んでしまった天使を扱った作品は結構多いが、どれをとっても面白いものばかりだった記憶がある。

天使が空から現世を見ている、という夢物語は、あくまでも夢の世界だろう。そうあって欲しいとは思うが、現実には死んでしまえば何も残らないというのが現実。残念ながら、そうあって欲しいという宗教的なものも、所詮は希望と願望が重なった世界でしかない。人間とは悩める生き物、ないものもあるような気になって、ようやく生きる喜びが起こるらしい。

『スケアクロウ』(Scarecrow)

1973年・アメリカ 監督/ジェリー・シャッツバーグ

出演/ジーン・ハックマン/アル・パチーノ/リチャード・リンチ/ドロシー・トリスタン

リアルタイムで観ているわけはないけれど、当時もかなり話題になった作品である。第26回カンヌ国際映画祭においてパルム・ドール(最高賞)受賞。だいぶ経ってから、どこかで観ているはずだが、題名だけが鮮明に記憶に残っているだけで内容はイマイチ。Scarecrowの意味が「かかし」であることすら忘れている。

研究社 新英和中辞典での「Scarecrow」の意味を調べると、1.かかし 《★【解説】 日本のかかしは 1 本足だが欧米のは 2 本足で,帽子をかぶせ,ぼろシャツやぼろ服を着せる》 2.(かかしのような)こけおどし 3.《口語》 みすぼらしい[やせた]人 だそうだ。

芸達者のジーン・ハックマンとアル・パチーノがかなりアドリブ演技やセリフを喋っているような痕跡が見える。昔ならたぶん何も感じなかったろうが、今や1900本もの映画を観ている直感という奴が、そう囁くので間違いないことだろう。あまりいい感じはしない。この二人の演技につられて、周りの役者が頑張り過ぎている様子も垣間見える。

『マイ・ガール』(My Girl)

1991年・アメリカ 監督/ハワード・ジーフ

出演/アンナ・クラムスキー/マコーレー・カルキン/ダン・エイクロイド/ジェイミー・リー・カーティス

マコーレー・カルキンは、ホーム・アローン(Home Alone・1990年)で世界のスターとなった。その後は数々のスキャンダルを提供していたが、今や35歳。この映画はホームアローンの次の年、まだまだ子役として充分魅力のある期間だったことが救われる。

子供同士の話に、興味が集中できず、思いっきり寝てしまった。もう一度巻き戻すか考慮中。と昨日はここまで書いたが、結局再見することはなかった。というか、もう一度見ようと思って録画メニューに行ったら、何故か録画が消えていた。本人にその意識がないのに、早々と消去してしまっていた。

題名からしてアメリカらしいこの映画、日本だったら子供がこんな言い方をしたら可愛くないと言われそう。洒落が効いている。日本人はかたい。ユーモアを持って質問に答えなければアメリカ人らしくない、と強く感じる。ユーモアを返さなければ関西人ではない、とテレビ番組で喧伝されているのとちょっと似ているような。


2017年5月11日再び観たので記す。

『マイ・ガール』(My Girl)

1991年・アメリカ 監督/ハワード・ジーフ

出演/出演/アンナ・クラムスキー/マコーレー・カルキン/ダン・エイクロイド/ジェイミー・リー・カーティス

既に「最近観た映画LOG」には記載があった。読んでみると、今回と同じように途中で眠ってしまったことが書かれていた。前の鑑賞を覚えているわけないが、今回の最後のころのシーンが絶対初めてだ、と思えたのが不思議だった。いつ頃観たのか分からない。1本1本に日付を入れていない。前後を観れば何十本に1本かに日付を入れている。

「俺の女」という題名がいい。日本で言えば小学4年生か5年生くらいの男の子が、俺の女と称する女の子がこの映画の主人公。男の子と言えば、アレルギー体質の塊みたいなひ弱な子供で、差し出されたチョコレートも食べられないというくらいだった。そんな彼氏が蜂に刺されて亡くなってしまう。これもアレルギー体質のせいだった。

彼を失った主人公の落ち込む姿が痛々しい。大人とか子供とかは関係ない。純粋に毎日のように遊んでいた親友がいなくなるのは痛い。毎日会っていたわけではないが、死んでいなくなってしまった友に会えない寂しさを痛感する。残念ながら、天国でまた会えるなんていう夢のようなことは考えていない。人間の世界に都合の良い霊の世界があるなんてことは、私の宗教にはない。肉体がなくなれば、そこに宿っていた精神も自然となくなるのは必然。それでいいのだ。

『釣りバカ日誌16 浜崎は今日もダメだった♪♪』

2005年(平成17年)・日本 監督/朝原雄三

出演/西田敏行/三國連太郎/浅田美代子/伊東美咲/金子昇/尾崎紀世彦/さだまさし/ボビー・オロゴン

今回のご当地は佐世保、元妻の出身地。といっても、父親が開業するために引っ越してきたらしい。もともとは佐賀県武雄市に副島家はある。祖父が開業医をしながら武雄市長をやっていたというのは、結婚してから知ったこと。11人もの子供を持ち、ほとんどが医者か医者に嫁いでいった。明治時代の人は考えも堅牢である。

サブタイトルは内山田洋とクール・ファイブの歌「長崎は今日も雨だった」のパロディだと言われてもピンと来なくちゃ、何の意味もない。武雄も佐世保も競輪場のある都市、と教えてくれたのはヘラルドの先輩。人間が戦う競輪には予想の楽しさがあるとも教えてくれた。出身地、同期生、練習場所などにより徒党を組んでレースに臨むのが競輪で、人間にははかり知れない馬の調子でレースを予想するのとは大きな違いがあるという。だから競馬のように1着と2着が単に逆転して連勝複式が成立するレースとは違い、1着が変われば2着も変わってしまうため、連勝単式の予想が正当だと言われた。まだ車券を買ったことがないので、面白さはまったく分からないが、ギャンブルとしての面白さは理解できているつもり。

尾崎紀世彦が飲み屋のマスターとして登場、懐かしい歌声を聞かせてくれる。やっぱりプロの歌手は凄い。最近、素人の歌ばかり、しかも自分ではかなりいけてると思っている歌を聴かされていたが、一番たちの悪い素人芸というやつに、ちょっと食傷気味だった気分が和らいだ。

『オデッセイ』(邦題英語表記: ODYSSEY, 英語原題: The Martian)

2015年・アメリカ 監督/リドリー・スコット

出演/マット・デイモン/ジェシカ・チャステイン/クリステン・ウィグ/マイケル・ペーニャ/ショーン・ビーン

つかみは最高。おそらくさまざまなトラブルを克服していくストーリーなんだろうなぁ、と想定させてくれる。宇宙もの、火星探検で緊急避難のため置き去りにされた主人公と地球への帰還途中の残り5人のスタッフ、地上NASAの活動をダイナミックに描いて佳作。

ただ、なかなか物語が進まないんだろうな、と危惧をしていたが、そこは合点承知の助とばかりに観客を飽きさせない展開を見せてくれる。それでも、中だるみは必至、ちょっとばかり眠ってしまって後戻りをして観直した。

究極のサバイバル。無人島に一人残されたらどうする、と言ったようなことを昔から例題として取り上げられていた。この映画はまだまだ未知の世界「火星」が舞台。宇宙工学的専門用語が飛び交い、字幕スーパーでも追いつけない時間があった。主人公は生物学者、こういう専門知識が自分の命を永らえる手段になるようで、今までの人生で専門が何もない自分にとっては、少し思い知らされる気分になってしまった。

『黄金のアデーレ 名画の帰還』(Woman in Gold)

2015年・アメリカ/イギリス 監督/サイモン・カーティス

出演/ ヘレン・ミレン/ライアン・レイノルズ/ダニエル・ブリュール/ケイティ・ホームズ/タチアナ・マズラニー

DVDには「Woman in Gold」と手書きされていた。まったく情報のないままに観始まる映画はおもしろい。あるいは、徹底的に情報を調べてから観る映画もおもしろい。こうやって観終わったあとにネットで調べる手間暇を楽しんでいるわけではないが、今回のようにあとから邦題を知ると、えらく気落ちした自分がいることに気づく。現役時代は映画の題名を決めることにも参画していた時期が強烈に記憶に残っているから。

金箔を絵画に貼っていくシーンから始まるこの映画、クリムトの名前が出て来なくて往生した。つい先日までは、絵を見てすぐに反応していたはずだが、これも年のせいと決めつけてしまうのは正しいのか。もっとも、ヘラルドの教養のある宣伝マンから教わったクリムトなので、自分の血となり肉とはなっていないのだろうことは、この一件からも判明する。

おもしろい映画だ。ナチが掠奪した絵画を返還する裁判があったことを知らなかった。情けない。まだ10万点もの絵画の返還がなされていないと、映画は締めくくる。あまりにも大きな負の遺産が歴史から消えることは永遠にないであろうことだけは分かる。

『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』(A Hard Day's Night)

1964年・イギリス 監督/リチャード・レスター

出演/ビートルズ/ウィルフレッド・ブランビル/ノーマン・ロッシントン/ジョン・ジャンキン

初めて自分のレコードを持ったのはこのアルバムだったろうか。田舎の電気店を経営していた親、東京電機大学高等学校を卒業した兄はレコード・コーナーを設けた。仕入れには多少とも流行の真ん中にいた自分の意見も反映されていた。たぶんこのレコードはお金を払っていないだろう。それまでの黒い旧態依然としたレコード盤ではなく、静電気が起きにくい新素材による赤いレコードだったことを鮮明に覚えている。何故なら、そのレコードを擦り切れるほど聴いていたから。歌われる楽曲の順番が見事に口をついてくる。どんな映画なんだろうとずーっと思っていた。50年の期待感を裏切らない斬新的なアイドル映画だった。wikipediaにはおもしろいエピソードが書かれていた。

イギリスで短編コメディを作っていたTV界出身のリチャード・レスターが映画界へ進出するきっかけとなった。脚本のアラン・オーウェンは、アメリカでこれまで量産されていたミュージシャン映画のメロドラマといったスタイルを踏襲せず、イギリス気質のあるコメディ作品にしようと考え、ビートルズの忙しい日常をドキュメンタリータッチで描くことにした。つまり、ビートルズがビートルズ自身の風刺漫画を演じるという作品になったのである。この作品では4人がそれぞれ主役であるが、特に印象に残る演技を披露しているのが、この作品のタイトルの考案者でもあり、ビートルズのコメディ面を担当していたリンゴ・スターである。この作品で演技が絶賛され、リンゴ自身も演技への自信をつけたことから、次作『ヘルプ!4人はアイドル』やビートルズ解散後の映画作品への出演に繋がった。

アメリカでの成功を念頭においていたため、サウンドトラックも兼ねた同名のアルバムを製作。ビートルズがデビュー後初めて、カバー曲を収録せずに彼らのオリジナル曲のみ収録したアルバムとなっている。しかし当時のビートルズは多忙を極めており、作曲とレコーディングには2週間しかなかったにもかかわらず、クオリティの高いアルバムに仕上がっている。映画作成に当たっては、アメリカでの失敗を恐れて低予算&モノクロで制作されたが、結果は大ヒットとなり、アメリカでもビートルズの作品が軒並み大ヒットを記録した。このアメリカでの成功は当時のイギリスでは衝撃的な出来事として迎えられた。なぜなら、ビートルズ以前のイギリス人アーティストはことごとくアメリカで惨敗を喫しており、ビートルズ以前に登場し、現在でもイギリスの国民的アーティストであるクリフ・リチャードでさえも成し遂げることができなかったからである。

『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(Invasion of the Body Snatchers)

1956年・アメリカ 監督/ドン・シーゲル

出演/ケヴィン・マッカーシー/ダナ・ウィンター/ラリー・ゲイツ/キング・ドノヴァン

SF映画。モノクロ作品(のちに着色)。アメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録された。ジャック・フィニイのSF小説『盗まれた街』(原題:The Body Snatchers)をドン・シーゲル監督が映画化した。日本では劇場未公開。SF映画の古典的名作ともいわれ、その後何回もリメイクされた(『SF/ボディ・スナッチャー』、『ボディ・スナッチャーズ』、『インベージョン』)。(Wikipediaより)

60年前のSFらしいと言えるが、この時代に発想を映像化する映画技術に感心する。今や当たり前どころか、必要のないところにまでCGを駆使する時代となって、先人たちは悔しがっているに違いない。映画全盛の頃に今の技術があったなら、それこそ山のような名作が出来ていたのではなかろうか。

自分以外の街全体の人達が異星人になっていたらなんて、考えるだけで恐ろしい。これが恐怖なのだろう。四面楚歌や村八分といった状況と同じような環境で、人間はいかに強く生き抜くことが出来るのだろうか。

『コードネーム U.N.C.L.E.(アンクル)』(The Man from U.N.C.L.E.)

2015年・アメリカ/イギリス 監督/ガイ・リッチー

出演/ヘンリー・カヴィル/アーミー・ハマー/アリシア・ヴィキャンデル/エリザベス・デビッキ

また冷戦時代のスパイもの。今回は冷戦時代のスパイに特化したDVDを送ってくれたのかな~、と思った。調べてみたら、なんと1960年代にアメリカや日本で放映されたテレビドラマ『0011ナポレオン・ソロ』のリメイク映画だということだった。

あの時代ナポレオンソロは毎週見ていたけれど、まったくそんなことを感じさせてくれなかった。ということはいいことなのだろう。もっとも、二人組が活躍する話だとしか覚えていないが。送ってくれる時のスカイプでそんなことをはなしていたことを思いだした。

おもしろくない。スパイ・アクションではなく、スパイ・コメディなのに笑えない。笑いのツボが違うと言ったら褒め言葉みたいなもの。ツボどころか洒落た演出がうざく感じるくらいだった。手間暇とお金を遣った遊びとしては、贅沢三昧の映画製作というところだろう。おもしろくない。

『寒い国から帰ったスパイ』(The Spy Who Came in from the Cold)

1965年・イギリス 監督/マーティン・リット

出演/リチャード・バートン/クレア・ブルーム/オスカー・ウェルナー/サム・ワナメイカー

イギリス情報部員が東ドイツに潜入、ひとつのミッションを遂行する物語。スパイものにおもしろくないものはない。が、登場人物が数人なのに複雑に見えて、よく理解できない。実社会でも苦手な人の名前を覚えるという作業が上手く出来ない。誰が誰なのかが明確でなくては、映画がおもしろくなるはずもない。

こういう映画でいつも思うことがある。スパイ合戦なのだから、もう少し登場人物が区別、認識できるような工夫をして欲しい。せっかくの人間同士の絡み合いが、こんがらかっちゃっては何にもならない。製作者は明確に登場人物を把握しているのだろうが、映画が始まってから知らされて見る人物を簡単に覚えられない観客は絶対多いに違いない。

冷戦がなくなって、もっとダイナミックに敵対する国々、それでも一般庶民が知らないところで厳然とスパイ合戦が行われているのだろうな、と想像の世界でしかない。

『マイ・インターン』(The Intern)

2015年・アメリカ 監督/ナンシー・マイヤーズ

出演/ロバート・デ・ニーロ/アン・ハサウェイ/レネ・ルッソ/アンダーズ・ホーム

ニューヨークでファッション通販サイトを運営している女社長のジュールズの会社に、シニア・インターン制度で採用された70歳の老人ベンがやってくる。出だしから軽快、コメディと断りを入れる必要もない。立ち止まって「笑え!」と笑いを強要するような日本映画とはちょっと笑いが違い過ぎる。

映画評論家が「上司が女性で部下が男性という時流に即したテーマを十分に掘り下げることができていない。」なんていう愚にも付かないことを言っている。ちゃんちゃらおかしい。おもしろい映画にいちゃもんをつけて、その理由が社会的な意義だなんて。

亀の甲より年の功という諺を思いだした。普通にきちんとしている70歳の老人が、妙に素敵なおじさんに見えてくる。今風の底の浅い人格なし若者には、往年の不良青年をも超えられないなにかが欠けているような気がする。


2019年10月15日再び観たので記す。

『マイ・インターン』(The Intern)

2015年・アメリカ 監督/ナンシー・マイヤーズ

出演/ロバート・デ・ニーロ/アン・ハサウェイ/レネ・ルッソ/アンダーズ・ホーム

何度観てもおもしろいものはおもしろい。軽妙なタッチが絶妙。ロバート・デ・ニーロが積極的にこういうサラリーマン退役風一般人を演じるのも珍しい。それでも一癖も二癖もあるサラリーマン時代のこだわりを彷彿とさせるエピソードが小出しに現れる。人生訓に通じるような粋なセリフもたくさんあって、まだまだ私にとってもかなり参考になる。

主人公は70歳、何の実力も分からない新人を雇うよりも今回は人生の経験を経た65歳以上を雇おうと決めたITショップ会社だった。あっという間に創業から一気に拡大したWebショップ・ファッション会社の創業者は女性、子育てと会社運営の2足のわらじは想像以上に苦労の連続らしい。結婚相手は主夫として彼女を支えているが、一筋縄ではいかない人生の綾が二人の人生にも大きな影を落とし始めた。

「長年の実績と勘」というのがサラリーマン経験者の定番価値観。余程の天才でなければ、サラリーマンのプロになることは難しい。同年代の一握りが会社の取締役となり、同期入社の他の人間は関連会社に追いやられるというのが、鉄則のように推移してきた時代があった。なんであんな奴が取締役で俺がリストラされていくのかと、心の中では不満たらたらの人生を送った人が多いに違いない。偶々そうではない方に属していたとしても、振り返ればなんていうことのないサラリーマン人生だったことも確かだろう。

『ミラーズ・クロッシング』(Miller's Crossing)

1990年・アメリカ 監督/ジョエル・コーエン

出演/ガブリエル・バーン/マーシャ・ゲイ・ハーデン/ジョン・タトゥーロ/ジョン・ポリト

時は禁酒法時代、アメリカのとある場所、アイルランド系マフィアとイタリア系マフィアの抗争。コーエン兄弟が映画製作と聞けばおもしろくないわけがない。そう思っていたが、一向におもしろくならない。妙にマフィアの抗争がセリフで説明されていくのを疎ましく観ていた。

相手のマフィアを騙すためには、味方のマフィアさえも騙さなければ生きていけない。危ない橋だと分かっていても、それを渡らなければ自分の人生が終わってしまう。緊張感はあるが、人間模様がすとんと入ってこないので、敵味方の混乱が観客にも伝わってしまう。

自分の周りにいる人を、敵か味方かで区別する人がいる。どういう神経に基づいているのか、今でも理解できないが、そういう人生を送っている人の毎日は波瀾万丈でおもしろいだろうなぁ~。全ての人が味方だと思っている自分のような人間にとっては、人生はさほど波高くなく、いつも凪いでいる海原に小舟を漂わせているような感じがしている。

『ショート・カッツ』(Short Cuts)

1993年・アメリカ 監督/ロバート・アルトマン

出演/アンディ・マクダウェル/ブルース・デイヴィソン/ジャック・レモン/ジュリアン・ムーア

やけに長い映画だと思いながら観ていた。実際に3時間7分という長さに辟易してしまったが、長さを感じさせる映画はおもしろくないを地で行くような映画だった。ロサンゼルスに住む22人の登場人物の人間模様を描くということらしいが、小津映画のアメリカ版を実践しているのではというような映画にも見えた。

観ながらこんなに苛々する映画も珍しい。何も事件が起きず、事件がおきたかな、と思ったら素通りしてしまう。映画の持っている醍醐味とかいう奴がまったくない。登場人物の魅力になさも影響している。映画だと分かっているのにイライラするのは、こちらの人間性が問われているようだ。

監督ロバート・アルトマンは数多くの映画を監督している。そういう人間だからこそのこういう描き方になるのだろうか。面白くないものは、どんな理由があったとしてもおもしろくない。

『恋はデジャ・ブ』(Groundhog Day)

1993年・アメリカ 監督/ハロルド・ライミス

出演/ビル・マーレイ/アンディ・マクダウェル/クリス・エリオット/スティーヴン・トボロウスキー

原題グラウンドホッグデー(英:Groundhog Day/ Groundhog's Day)とは、アメリカ合衆国及びカナダにおいて2月2日に催される、ジリスの一種グラウンドホッグ(ウッドチャック)を使った春の訪れを予想する天気占いの行事。アメリカ・ペンシルベニア州パンクサトーニーのフィル、カナダ・オンタリオ州ワイアートンのウィリーをはじめ、北米数か所のグラウンドホッグの予想がテレビや新聞で報道される。(Wikipediaより)

2月2日の出来事。日本なら節分の日だろうか、多くの風習を持つ日本の田舎ならさもありなん。アメリカのように歴史の浅い国だからこそ、珍しい行事を住民が喜んでいる。モグラの一種を使って天気予報させるという、合理的なアメリカにはないようなところに愛情を感じる。

目覚めると毎日同じ日だった。同じことを繰り返せば、人間も少しは進歩する。1日や2日ではさほど変わりようもない。ようやく半年くらいを経て、初めて半歩踏み出すことが出来るのが人間なようだ。毎日変化のある人生を送っている普通の人には、進歩を振り返る能力を備えることは不可能に近いかもしれない。

『ショーン・オブ・ザ・デッド』(Shaun of the Dead)

2004年・イギリス 監督/エドガー・ライト

出演/サイモン・ペグ/ニック・フロスト/ケイト・アシュフィールド/ディラン・モーラン

イギリスでヒットしたが、日本では未公開。ゾンビ映画の金字塔『ゾンビ』(原題: Dawn of the Dead)をパロディにした作品。ホラー映画だがコメディでもあり、ラブ・ストーリーも絡んでくるので、公開時のコピーは"Rom Zom Com"だった(Rom=Romance, Zom=Zombie, Com=Comedy)。(Wikipediaより)

『ゾンビ』(原題: Dawn of the Dead, 国際題: Zombie)は日本ヘラルド映画が1979年(昭和54年)に配給した作品。まだ経理部員だった頃かもしれない。映画にさほど興味を抱いていなかった。ゾンビにはいろいろなバージョンが存在するらしい。『日本劇場公開版』は、『ダリオ・アルジェント監修版』を元に一部シーンのカット、残酷シーンの修正、冒頭に日本オリジナルの惑星爆発の追加映像を加えて劇場公開されたバージョンで、本編115分。残酷なシーンが削除されたり静止画やモノクロに処理されているうえ、オープニングには惑星爆発のシーン(『メテオ』の未使用映像の流用)とそれによるゾンビ発生の説明が加えられ、エンドクレジットが削除されている。日本版予告編では『マタンゴ』のマタンゴの鳴き声が使用されている。こんな記事があったが、なんとなくそれらしきことを思い出すような。ヘラルドらしい手の込んだ解決策を施したようだ。他人事の映画世界だった。

本作のどこがおもしろいのか、まったく乗れない自分を発見して惨めだった。映画なんておもしろいと思えなければ何の意味もない。片想いの恋を10年抱えているのと同じだ。

『釣りバカ日誌15 ハマちゃんに明日はない!?』

2004年(平成16年)・日本 監督/朝原雄三

出演/西田敏行/三國連太郎/浅田美代子/奈良岡朋子/江角マキコ/筧利夫/吉行和子

今回気がついたことがあった。それは、毎回ゲスト役者が演じる男女またはどちらかが、ハマちゃんのお陰で結婚するということ。そんな単純なことも今頃になって気がつくとは。次回になってみなければ、その真偽の程は分からないが、たぶん。

今回は秋田県。唯一、東北地方への旅を残してしまった私の旅。いつでも行けるからということと、自分の故郷との距離が近いからと言うのが最後になってしまった明確な理由だった。見たことも、行ったことのない九州、関西地方を優先的に旅の目的としたことに間違いはなかった。それが縁で結婚にまで行き着いてしまったことも仕合わせのプロセスだ。

行っていない東北地方でも、仙台、石巻、山形までは足を伸ばしている。青函連絡船に乗るために青森に降りたこともおそらく夢ではなかったろう。ヘラルド時代、ブッカーという映画フィルムを全国の劇場に発送する仕事をした時、関東・東北地方の劇場のある都市を全て記憶したことを思いだした。酒田といえば「グリーンハウス」という映画館の名前がセットで記憶されていることに、懐かしい喜びを感じる。

『エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事』(The Age of Innocence)

1993年・アメリカ 監督/マーティン・スコセッシ

出演/ダニエル・デイ=ルイス/ミシェル・ファイファー/ウィノナ・ライダー/ジェラルディン・チャップリン

時は1870年代、日本はまだ明治維新のごたごたの最中。場所はアメリカ・ニューヨークなど上流社会。毎日のようにパーティーだオペラだと、噂話が仕事のような社会があった。サブタイトルは行き過ぎ。おとなし過ぎる映像に嫌気がさした宣伝マンが勝手に思わせぶりな邦題を付け足したようだ。

男と女の間にはいつの時代にも微妙な風が吹き、その風が暖かくなったり冷たくなったり、時には嵐のような勢いで二人を吹き飛ばしてしまう。幼馴染みならなおさら、小さな頃に芽生えた恋心が永遠に時を超えていくような気さえする。

いつまでたっても一向に進まない恋、観ている方が苛々するくらいだ。こういう当事者にはなりたくないな、と思いながらも、いつだってそんな恋に巡り合ってしまった自分の過去が思い出される。

『突破口!』(Charley Varrick)

1973年・アメリカ 監督/ ドン・シーゲル

出演/ウォルター・マッソー/ジョー・ドン・ベイカー/アンディ・ロビンソン/ジョン・ヴァーノン

おもしろい。結構早い時期に見たことのあるシーンを見つけた。珍しいことだが、そのシーンだけ覚えていたようだ。洒落ているし、粋だね。ドタバタと笑いを誘う喜劇とは違って、観客におもねることのない筋書きは、見ていて気持ちがいい。

銀行強盗した一味が早々に残り二人になり、そのうち最後の一人になっていく過程に、いろいろな面白味を鏤めて、映画の醍醐味を味あわせてくれる。薄っぺらでないところがいい。一皮剥いたら何も残っていないような日本映画とは、そもそもの作りが違う感じがする。

睨まれたら逃れられないマフィア、日本の暴力団抗争もいよいよ本格化する兆しが見える。この映画の主人公は盗んだ金をマフィアに返して命乞いしようとした。が、それでは映画がおもしろくない。主人公の前職が飛行機の曲芸飛行だったという特技を生かし、観客を飽きさせないタネをあっちこっちにばらまいている。

『100回泣くこと』

2013年(平成25年)・日本 監督/廣木隆一

出演/大倉忠義/桐谷美玲/ともさかりえ/波瑠/宮崎美子/大杉漣

原作は中村航という人の恋愛小説だという。解説によれば、愛する者を永遠に失うという普遍のテーマ作品ということになるらしいが、まさしくベタな内容ながら前半戦は結構興味を惹かせる内容だった。が、半分を過ぎた頃からボルテージが急に下がり、普通より以下の展開となってしまって残念。

初めは若い女性がメインの読者層だったが、2008年6月に行なった「雨の日に読みたい本」のラインナップでゴスペラーズの北山陽一による「うっかり新幹線で読んで号泣しました」というコメントが載った帯が付いたところ、”新幹線”というワードにビジネスマンの目が留まって各店舗で品切れとなり、特にターミナル駅構内の書店での売り上げが急激に伸びた。以降、男女共幅広い層に支持され、発売から8年で発行部数が77万部を突破したという。

タイトルがおもしろいと思った。こんな説明文を見つけた。タイトルは著者がこの話を書き始めた時にパソコンのファイル名として最初につけた仮タイトルそのままで、彼女が亡くなる前の100日と亡くした後の100日を描こうと思ってつけたもの。「こと」をつけて名詞化したことで、タイトルが内面的な言葉になった気がするとインタビューでは話している。他には「スケッチ・ブック」や、「開かない箱」というタイトル案もあったという。

『ブリッジ・オブ・スパイ』(Bridge of Spies)

2015年・アメリカ 監督/スティーヴン・スピルバーグ

出演/トム・ハンクス/マーク・ライランス/エイミー・ライアン/アラン・アルダ

ヘラルドの後輩から送ってくるDVDには英語のタイトルが手書きしてあって、邦題が分からない。「スピルバーグ」で検索して、彼の監督作品からこのタイトルの詳細を調べることになった。まさか原題のカタカナだとは思わなかった。自分が題名を付けるなら「スパイ」とかにしようかなと思っていた。

凄く懐かしく感じた映画だった。時代はベルリンの壁が出来た当初、アメリカとソ連の冷戦が華やかなりし頃だったからだけではない。スパイの交換という極めて人間的なアナログの取引が堂々と行われていた時代ということもあろう。それ以上に、その仲介役の人物が、この映画の主人公なのだが、家庭においても、その取引の駆け引きにおいても、実に昔ながらの物を言わない行動が今らしくない雰囲気満載に感じられたのだった。

言わずもがなの最近の風潮、全てを語らなければこちらの真意が伝わらない現実に胸を痛める。心意気とか気っ風の良い思惑なんて、誰も見向きもしない。庶民の生活にも少なからず影響する価値観の相違は、社会全体をおおって中国の大気汚染のように、人知れず迷惑を被る人が多くなってしまった。

『限りなき追跡』(GUN FURY)

1953年・アメリカ 監督/ラオール・ウォルシュ

出演/ロック・ハドソン/ドナ・リード/フィリップ・ケリー/リー・マーヴィン/ネヴィル・ブランド

久しぶりの西部劇だ。無法者の強盗団はお馴染みだが、展開は初めてかもしれない。逃げ込もうとするのはメキシコ。これもいつもの構図。トランプがメキシコとの間に壁を作るというスピーチも、西部劇時代から続くアメリカとメキシコの関係をよく表しているかもしれない。

南部諸州は北部による軍事占領下におかれ、そのもとで黒人に投票権が与えられた。しかし1877年以降南部の白人が州内において主導権を取り戻すと、激しい揺り戻しが起きた。1890年代以降、南部各州では相次いで有色人種に対する隔離政策(ジム・クロウ法)が立法化され、奴隷こそいなくなったものの人種差別はふたたび強化された。この人種差別状況が改善されるのは、1960年代の公民権運動を待たなければならなかった。こんな時代を背景に持つ西部劇らしい。

南部で牧場を経営する主人公のもとに嫁になるためにやってきた女性の存在なくしては、この映画は成立しない。いかにもアメリカ映画らしく、きちんと道理をわきまえて作られている。勧善懲悪、女性尊重の風土は歴史がある。判官贔屓、男尊女卑の風潮である日本とは、ちょっとわけが違う。

『ソロモンの偽証 前篇・事件 / 後篇・裁判』

2015年(平成27年)・日本 監督/成島出

出演/藤野涼子/板垣瑞生/佐々木蔵之介/夏川結衣/永作博美/黒木華/小日向文世/尾野真千子

宮部みゆきによる長編推理小説、またそれを原作とする映画。『小説新潮』(新潮社)にて、2002年(平成14年)10月号から2006年(平成18年)9月号、同年11月号から2007年(平成19年)4月号、同年6月号から2011年(平成23年)11月号まで連載され、2012年(平成24年)に刊行された。『事件』『決意』『法廷』の三部構成で原稿用紙延べ4700枚。週刊文春ミステリーベスト10及びこのミステリーがすごい!で第2位にランクインした。学校内で発生した同級生の転落死の謎を、生徒のみによる校内裁判で追求しようとする中学生たちを描く。舞台となる中学校は東京都「城東区」(江東区がモデル)と設定されている。

話は結構おもしろい。2015年3月7日公開の「前篇・事件」と4月11日公開の「後篇・裁判」の2部作で公開された。監督は成島出。本作でデビューし、役名を芸名とした主演の藤野涼子をはじめ、生徒役となる主要出演者はオーディションによって演技経験を問わず選定され、本作が初出演作となった者も少なくない。第40回報知映画賞と日刊スポーツ映画大賞で作品賞を得たほか、藤野もこの年の新人俳優賞を多数受賞した。(以上、Wikipediaより)

作家というものはなかなか想像力豊かな人種だ。ありもしないようなことと、現実の狭間のちょっとしたことをさも大きな出来事として目の前に突きつける。そうすると幻想が現実に見えてくるから不思議だ。

『オデッサ・ファイル』(The Odessa File )

1974年・アメリカ 監督/ロナルド・ニーム

出演/ジョン・ヴォイト/マクシミリアン・シェル/メアリー・タム/デレク・ジャコビ

つい最近、ヘラルド名古屋の後輩と話をしたばかりだった。アンジェリーナ・ジョリーの父親がジョン・ヴォイトだとこの頃知ったらしい。その時、ジョン・ヴォイトの出演作品で『5人のテーブル』(TABLE FOR FIVE・1982)がヘラルド作品だったがクソ当たらなかった、というようなことを言った。

彼が言うには『真夜中のカーボーイ』(Midnight Cowboy・1969年)の主演でしょうジョン・ヴォイトは、ということだった。この時代の映画をきちんと観ていないツケが回っている。題名だけは知っているが、観ていない作品が多い。そういう劣等感を抱えながら映画業界にいたことのある経歴が虚しい。

この映画はリアルタイムではかなり話題になった。自分が観たのはだいぶ経ってからだが、やっぱりジョン・ヴォイトは大根役者だった。まぁ、映画自体も今では考えられないような甘い作りだと、今だから分かる。スパイ映画なのに、それはないだろうというシーンがいっぱい。緻密な設定を鏤められなければ、陳腐なストーリー展開になってしまう。そんな危うい映画作りがまかり通っていた映画製作時代なのかもしれない。

『釣りバカ日誌14 お遍路大パニック!』

2003年(平成15年)・日本 監督/朝原雄三

出演/西田敏行/三國連太郎/浅田美代子/奈良岡朋子/高島礼子/三宅裕司/間寛平/松村邦洋

なにも観たからと言って、いちいちコメントを書くほどのこともないだろうと思われる、が、観たことの証のために書いている。意外と眠ることなく最後まで観られることが嬉しい。早回しすることもない。あれだけ観ようと思わなかった映画を、今こうやって好きこのんで観ている現実が不思議だ。

もしかすると、これは現実ではないのかもしれない。脇役がしっかりしていると、映画がしまる、そんな見本のような映画だ。三宅裕司のうざったい演技も、この映画では客分役者ではそんなに出しゃばれないのがいい。

この映画を観ていると、人生の歩み方をもう一度見直そうという気になる。それでいいのだ、ということになろうか。

『ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬』(Johnny English Reborn)

2011年・イギリス/アメリカ合衆国/フランス/イスラエル/日本 監督/オリヴァー・パーカー

出演/ローワン・アトキンソン/ジリアン・アンダーソン/ ドミニク・ウェスト/ロザムンド・パイク

スパイコメディ映画、『ジョニー・イングリッシュ』の続編。コメディというよりドタバタ喜劇といった方が適切。前作があったことすら知らない。主演のローワン・アトキンソンは Mr.ビーンのあの人。イギリス映画では彼しかコメディアンはいないんじゃないかといった存在感。何をしてもコメディに見えてしまい、本気で映像を見る気にすらなれない。

途中で永い眠りについてしまった。決しておもしろくないわけではない。かといって、おもしろいかというと、いいやと答えるしかない。007 MI-6をパロって、MI-7 の諜報員が馬鹿なことをやりまくる。お笑いが好きな人には、なんの問題もなく腹を抱えて笑いまくれるだろう。

そもそも何故コメディというジャンルがあるのだろう。人生の中には想像もしないようなお笑いごとがふんだんにあり、わざわざ職業でお笑いを振りまく人種から、笑いの福を受ける必要なんか、これっぽっちもないと思われるのだけれど。どんなことでも心から笑えるが、わざと仕掛けられた笑いには無性に反発してしまう。こういうのを臍曲がりと言うのだろうか。

『アイガー・サンクション』(The Eiger Sanction)

1975年・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/クリント・イーストウッド/ ジョージ・ケネディ/ヴォネッタ・マッギー/ジャック・キャシディ

題名のアイガーは「アイガー北壁」のこと。山を舞台としたスパイ映画で珍しい。登山シーンがふんだんに入っている。そしてこのアイガー北壁には欠かせない人を思い出す。何度も書いているが長谷川恒夫さん、同じ学年で天才登山家だった。

1977年2月16日 マッターホルン北壁 冬期単独登頂。北壁の冬期単独登頂はワルテル・ボナッティに次いで2人目。1978年3月9日 アイガー北壁 冬期単独初登頂。1979年3月4日 グランド・ジョラス北壁 冬期単独初登頂。アルプス三大北壁の冬期単独登攀の成功は世界初となった。この年の映画『北壁に舞う』(松山善三監督)をヘラルドが配給した縁で、新橋の寿司屋の2階で一緒に酒を飲んだ。勿論私は食べるだけだったが、彼の謙虚な心根に触れた。その後彼は、1991年 ウルタルII峰で雪崩に巻き込まれ遭難死。天才にも自然の驚異には。

彼はこの映画を観ただろうか。という疑問が起こった。プロの世界から見れば、映画の登山シーンなんてチャンチャンラおかしくて、見ていられないだろうけれど、そこを映画は映画として見る度量があったか、という問題かとも思う。そんな大袈裟でなくても、この映画を観て楽しんでくれていたらいいなと思った。こうやって彼を懐かしむことが供養と言えれば嬉しい。

『海街diary』

2015年(平成27年)・日本 監督/是枝裕和

出演/綾瀬はるか/長澤まさみ/夏帆/広瀬すず/大竹しのぶ/堤真一/風吹ジュン/樹木希林

原作は漫画だという。数々の賞をとっている。第39回日本アカデミー賞の最優秀作品賞、優秀脚本賞、最優秀撮影賞、最優秀照明賞を獲得している作品とはどんなものなのだろうか、という興味があった。舞台は鎌倉、地名が明記されている割には風景としての鎌倉はさほど多く現れない。

なんといっても3姉妹+腹違いの妹を加えて4姉妹の物語なのが楽しい。自分のことに置き換えれば、こんな風に小説や映画に出てくるような3姉妹の物語が現実化していくと嬉しいなぁと思っていた。そういう時期がずーっと続いていたが、現実はそんなに甘くなかった。美貌的にはおそらく羨ましがられるほどの体裁を備えていて、親としてはかなり自慢の子供たちだ。

一人くらいは場末のバーでジャズなんかを歌ってくれていれば最高だな、とひとりほくそ笑むのだったが、そんな破天荒な子供は現れなかった。一人くらいは離婚しても、と思っていたら、ちょうど離婚した子がいて想定内というところ。それぞれが二人の子供を持つなんて、出来過ぎているかもしれない。もう少し歳をくったら、物語の3姉妹のように仲良く人生を語り合ってくれればいいな。そんな人生を父親は望んでいる。

『花とアリス』

2004年(平成16年)・日本 監督/岩井俊二

出演/鈴木杏/蒼井優/郭智博/平泉成/木村多江/相田翔子/阿部寛/広末涼子/大沢たかお

長編と短編の2つが存在する。また、岩井俊二本人によるコミカライズ作品が角川書店より出版された。前日譚となる関連作品『花とアリス殺人事件』(はなとアリスさつじんじけん)が2015年2月長編アニメーション映画化された。(Wikipediaより)

それにしてもつまらない映画。パソコンを弄りながら観ているような、観ていないような、ながら族の先駆者は奮闘する。結局、何がなんだか分からないうちに映画は終わってしまった。この映画を観る前に『スリーデイズ』(The Next Three Days・2010年)を観たばかりだったので、日本映画の未熟さがもろに見えてまったく画面に引きこまれなくて、往生した。

どうしてここまでおもしろくない映画が多いのだろう、日本映画。自信満々に撮っている姿が、なんか虚しい。メリハリのない、非日常的であるはずの映画の世界が、日常より堕落している。それでいいのだ、と言うわけにはいかない。

『男子高校生の日常』(Daily Lives of high school boys)

2013年(平成25年)・日本 監督/松居大悟

出演/菅田将暉/野村周平/吉沢亮/岡本杏理/山本美月/太賀/角田晃広/東迎昂史郎/栗原類

なんというタイトルだろう、と調べたら、山内泰延による日本のギャグ漫画作品、および同作を原作としたテレビアニメ、実写映画とあった。Wikipediaにはどこのオタクが書いたのかと思われるような情報がしこたま載っていた。

途中まで観た段階では、なんて言うことないストーリーだが、このあと何か映画らしい事件が起こるのだろうか? と、昨日書いた。何も起こらなかった。というより、途中であきれ果てて2倍速にした。さすがにこの頃は見る映画が少なくなったので、5倍速を駆使することは極力避けている。

こういう映画に出て俳優だ、そして監督だと威張れる人がいるのだろうか。ながら観でも充分過ぎる内容と映像、セリフも聞き取り難いし、この映画のいいところを見つけることは困難だ。まぁ、極くわずかな賛同者だけ観て楽しめれば、それで役割を達せられるだろう。

『コルドラへの道』(THEY CAME TO CORDURA)

1959年・アメリカ 監督/ロバート・ロッセン

出演/ゲイリー・クーパー/リタ・ヘイワース/ヴァン・ヘフリン/タブ・ハンター/リチャード・コンテ

ときは1916年、ヨーロッパでは第一次世界大戦のまっただ中、この戦争が2年後に終結するなんて誰も知らない。ここアメリカとメキシコの国境では、1910年に起ったメキシコのパンチョ・ビラ将軍の動乱がこの年になってテキサス、ニュー・メキシコ地方へと拡大した。鎮圧のため派遣されたアメリカ軍との戦いが起こっていた。

『1916年3月8日の夜 パンチョ・ビリャ率いるメキシコ反乱軍がアメリカとの国境を越えコロンバスを攻撃 アメリカ兵と一般市民を殺傷した これに対しアメリカ陸軍は遠征隊を派遣し ビリャの逮捕と反乱軍の一層を命じた この遠征中に一人のアメリカ人将校が 人間を動かす根本的な2つの問いに直面した 勇気とは? 臆病とは? これは彼がその答えを探す物語である』と、冒頭にテロップが入る。

極めて困難な状況が、どんどんエスカレートしていく。アメリカ映画らしく、女の存在が映画に微妙な彩りを添える。アナログでおもしろかった時代を代表するような映画かもしれない。人間の心の機微を映し出さないで、どうして映画と言えるだろうか、と現代の我々に問いかけている。

『釣りバカ日誌13 ハマちゃん危機一髪!』

2002年(平成14年)・日本 監督/本木克英

出演/西田敏行/三國連太郎/浅田美代子/鈴木京香/小澤征悦/奈良岡朋子/笹野高史

また観てしまった。それにしてもテレビ放映の新作映画、特に洋画が圧倒的に少なくなった。まだ2、3年前の話だと思う。アメリカ映画の製作本数が減ったのは確かだが、つまらない日本映画があとからあとから作られる構図が理解できない。収支はどうなっているのだろう。儲かっていなければ二度と映画なんか作るか、と思う投資企業ばかりだと思うのだが。

今回は、富山県(富山市 ほか)重要文化財の浮田家をはじめ、黒部フィッシュアリーナ、新湊マリーナ、宇奈月温泉、トロッコ電車、瑞泉寺や井波町、立山連峰などがバックグラウンド。名古屋から犬山、下呂に行った社員旅行のついでに、誰かが言いだしたトロッコ電車へと足を伸ばしたことがある。もうだいぶ整備されているだろうと思うが、エマニエル夫人公開後時代のトロッコ電車周りは、まだまだ雑草生い茂る未開の地域だった。夜、道なき道を降りて川に作られた温泉に入ったことを思いだした。

今回のテーマは主人公が勤める鈴木建設イチの美人設計士の結婚話。出会いは思いがけないところで起こる。そんなもんだよね、現実社会の恋物語。それでいいのだ。

『HK 変態仮面』

2013年(平成25年)・日本 監督/福田雄一

出演/鈴木亮平/清水富美加/片瀬那奈/ムロツヨシ/安田顕/佐藤二朗/池田成志

気色の悪い題名だし、内容もおちゃらけの極みのようなもの。こういう物語や絵面が社会に出ること自体が日本の不思議。こんなことを言うと、認識不足と怒られることは間違いない。が、言わせてもらえば、こんな漫画が存在することが恥ずかしくて仕方がない。これが日本の文化だと心底誇れると思っているのだろうか。おぞましい価値観だ。以下は全てWikipediaから引用する。

2013年4月に第1作『HK 変態仮面』、2016年5月に第2作『HK 変態仮面 アブノーマル・クライシス』が公開された。いずれも福田雄一の監督、鈴木亮平の主演による。原作の雰囲気は踏襲しつつも、物語は完全にオリジナルであり、登場人物も一部異なる。『HK 変態仮面』(エイチケー へんたいかめん)は、2013年4月13日に公開された映画第1作である。PG12指定。監督の福田雄一が脚本も手がけているが、原作のファンである小栗旬が脚本協力として参加している。主演の鈴木亮平は、超筋肉質の変態仮面を演じるため、体重を一度15kg増量した上で脂肪をそぎ落とすという肉体改造を行った。キャッチコピーは「愛子ちゃん、どうか俺の闘う姿を見ないで欲しい。」「俺は正義の味方だが どうやら正義は俺の味方ではないらしい」。2012年11月、映画館にて予告編が告知上映された。予告編の最後には『“変態”って言えなかったらタイトル「HK」でも買えるよ』とある。2013年2月、実写映画化が正式発表された。同年4月6日に新宿バルト9にて先行公開の後、同年4月13日より全国で公開された。配給はティ・ジョイ。公開前から大きな反響を呼んでおり、公開後には上映館数を当初の12館から27館まで増やし、公開規模にもかかわらず4月30日には興行収入が1億円を突破する破竹の勢いをみせた。上映マナー用の短編フィルムも作成されている。内容は変態仮面が劇場マナー違反の迷惑客を必殺技で注意するのだが、一番の迷惑客は全裸に近い変態仮面自身だった。

日本国外での公開:台湾では、2013年4月9日に台湾ゴールデンホース・ファンタスティック映画祭でプレミア上映され、同年5月3日に一般公開された。公開前からテレビCMが流れ、首都・台北の街中には150台の『変態仮面』ラッピングバスが走った。公開3日間の興収も468万台湾元となり、週末興行収入ランキングで『アイアンマン3』、ダニー・ボイル監督の最新作『トランス』に続く第3位につけた。この他、香港では2013年7月に公開、アジア以外でもニューヨーク、スイス、スペインなど10近くの映画祭からのオファーが殺到した。

『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(STAR WARS: THE FORCE AWAKENS)

2015年・アメリカ 監督/J・J・エイブラムス

出演/ハリソン・フォード/マーク・ハミル/キャリー・フィッシャー/アダム・ドライバー/デイジー・リドリー

ようやく観ることが出来た。1年に1本くらいは映画館で観ようと思っていて、昨年はこれだ!と決めていたけれども、現実は厳しく映画館に足を運ぶことは出来なかった。久しぶりに待望の映画だったが、期待が大きすぎた感じは否めない。ここまで幼稚なストーリーとアクションだったかと、夢が覚めた感じがした。熱に冒されている時代からずいぶんと時間が経ったことが、大きな原因だろう。最後には寝てしまうという不覚をとった。

SF映像作品『スター・ウォーズ』シリーズにおける主要実写映画の第7作品目。シリーズ主要9部作の中では、レイを主人公とする3部作の第1章『エピソード7』に当たる。公開時のタイトルにエピソードとエピソード番号が表記されないのは、『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』以来である。ウォルト・ディズニー・カンパニーが、ルーカスフィルム買収後に製作した初の『スター・ウォーズ』映画である。公開日はフランス・イタリアなどで12月16日11時30分(現地時間)。香港・台湾で12月17日。中国(2016年1月9日)を除くその他の地域は12月18日(金曜日)9時30分(UTC)に同時刻一斉公開。レイティングについて、日本(映画倫理委員会)ではG指定だが、アメリカ(MPAA)では暴力表現があるため、『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』同様PG-13(13歳未満の児童には不適切な箇所があるため、保護者の判断が必要)に指定された。

末期癌で2015年7月に余命2か月と診断され、死ぬ前に本作を見たいという希望を持っていた、子どもの頃からスター・ウォーズの熱狂的なファンだったテキサス州在住の32歳の男性のためにインターネット上で嘆願運動が始まり、出演俳優のマーク・ハミル、ピーター・メイヒュー、ジョン・ボイエガも支援の輪に加わった。そして2015年11月3日、ディズニーやルーカス・フィルムのスタッフが男性の自宅を訪れ、特別に本作の未編集版を上映した。そのため、この男性は本作を世界最速で視聴した人物となった。それから1週間後の2015年11月10日、男性は眠りながら安らかに息を引き取った。非常によく似た内容の『ファンボーイズ』という映画があったことからも日本を含め世界中で大きな話題となった。(以上、Wikipediaより)

『バーディ』(Birdy)

1984年・アメリカ 監督/アラン・パーカー

出演/マシュー・モディーン/ニコラス・ケイジ/カレン・ヤング/ブルーノ・カービー

1985年のカンヌ国際映画祭で街路灯にくくりつけられたり、さらにおおきなこの映画のポスターがあったと思いだした。時期は合っていたので、おそらく間違ってはいないと思う。印象的なポスターで、当時この映画は小難しそうで観たくないな~、と心に刻まれていた。たぶん、間違いなくあのポスターだよな~。

それから30年、こういう形で初めて観ることになるとは思わなかった。今だからこそ冷静な心持ちで、静かに観ることが出来る。リアルタイムで観たとしても、おそらく何も感じなかったろう。30年という時間は人間を進化させるには充分だったかもしれない。まだ生きていてこういう映画を観ることが出来たことに、感謝しよう。

幼なじみの二人の物語。ベトナム戦争で心を病んでしまった友をなんとか快復させようとする。自分もしこたま顔に炸裂弾を食らい、包帯だらけの顔で友と対峙する。玄人好みの映画製作。素人にはもう少し単純なストーリー展開が望まれる。最後のシーンで観客も救われる。一瞬の出来事で映画は終わる。饒舌過ぎる日本映画は、こういうところを見習わなければ。

『ノーカントリー』(No Country for Old Men)

2007年・アメリカ 監督/ジョエル・コーエン/イーサン・コーエン

出演/トミー・リー・ジョーンズ/ハビエル・バルデム/ジョシュ・ブローリン/ウディ・ハレルソン

ちょっと映画好きくらいなら知らなくてもいいが、映画ファンと呼ばれる人や映画界にいる人なら、この映画の監督コーエン兄弟を知らない人はいないだろう。ちょっと気の利いた映画を作っている。観客の心理を巧みにとらえた映画は、ひと味もふた味も違う。この映画だって、最初の10分間の気の持って行かれ方といったら、生半可ではない。中盤から後半にかけては、少し食傷気味になる欠点はあったが。

調べていたらヘラルドが配給した三流作品にも関係していたことが分かって、懐かしんだ。『死霊のはらわた』(The Evil Dead・1981年)~ 編集助手、『XYZマーダーズ』(Crimewave・1985年)~脚本、この二本とも邦題に自分自身が多いに関わり合っていた。懐かしいな~。クソ変な映画を良く当てたもんだ。

日本ではサントリー・コーヒーの宣伝に出てきておちゃらけているが、主演クラス、トミー・リー・ジョーンズの存在感が大きい。最初の20分間に起こった事件が同じテイストで続いていくので、少し飽きてくる。話の展開がないと2時間の鑑賞には耐え難い。ディーテイルに並々ならぬ拘りを強く感じるし、時々遊びのように挿入されたシーンに、観客をかなり意識した映画作りを感じる。それを感じさせては失敗だとは思うが。

『釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇』

2001年(平成13年)・日本 監督/本木克英

出演/西田敏行/三國連太郎/奈良岡朋子/浅田美代子/宮沢りえ/吉岡秀隆/青島幸男

シリーズ第14作(レギュラーシリーズ第12作)。今作から題名の数字部分を日本語読みするようになった。また、副題が付いたという。この映画を観る前にマイケル・ダグラス主演の『ゲーム』(The Game・1997年)を観て、堪能していたのでこういう気休め映画にほっとする。

今回のご当地は山口県『萩』。3月、土塀の上から枝を這わせる夏みかん光景と香りが忘れられない。一人旅は楽しかった。最高1ヶ月の自分で作ったルートの周遊券を手に、西日本を一周したのが一番の想い出。九州へは二度行った。帰り道の京都には何度か寄っていた。

晴耕雨読ならぬ晴釣雨読の生活をし始まったばかりの今回のゲスト主人公、思い通りに人生は行かない。田舎に引きこもって早々に死んでしまうなんて、映画といえど哀し過ぎる。長生きしたいと思っている人が往々にして早死にし、どうでもいいやと思っている人間が長生きする。ままならない人生、それでいいのだ。

『夢の向こう側 ROAD LESS TRAVELED』(樂之路)

2011年・台湾 監督/セブン・リー

出演/ヴァネス・ウー/ジミー・ハン/ディーン・フジオカ/エリック・トゥー

台湾映画だった。『流星花園 花より男子』で人気を集めたヴァネス・ウーが、友人のジミー・ハン(「幻遊伝」)、エリック・トゥー(『あの日を乗り越えて』)とともに立ち上げた製作会社の第1作。自ら出演し、音楽に賭ける若者たちが紆余曲折を経てスターへの道を駆け上がって行く姿を描く。「イップ・マン 葉問」のサモ・ハンが共演。

こんな風に Movie Walker に解説があったが、ディーン・フジオカに関しては何も触れていなかった。彼が一躍有名になったので、急に放映することになったのだろうが、活字の方はさすがに web といえども書き直す余裕もないのだろう。

何処がうけるのか分からない。別に否定するような役者ではないが、ちらりと深キョンとの絡みのテレビ・ドラマを見たが、ちょっとばかり仰々しい発声と振る舞いに、少しがっかりした。あれだけ大騒ぎされるのだから、もっと際だった容姿と演技をするのだろうと勝手に期待してしまったのが、間違いだった。昭和の初めの頃のような映画のストーリーはお粗末。

『陽だまりの彼女』

2013年(平成25年)・日本 監督/三木孝浩

出演/松本潤/上野樹里/玉山鉄二/大倉孝二/谷村美月/菅田将暉/夏木マリ

まだ観始まったばかり。上野樹里は小生意気で嫌いだが、松潤の映画を観るのは初めてだろう。最初の10分ではそれなりにおもしろそうな気がしたが・・・・。明日。と、書いて昨日は寝てしまおうと思ったが、何を思ったのか続きを観て寝るのが遅くなってしまった。

話はおとぎ話のようなものだった。猫の好きな縁側の陽だまりが題名だったのか。現役時代に配給したアニメーション映画『綿の国星』(1984年)を思いだした。活字の世界なら想像力をかき立てて、夢の世界に浸れる少女思考世界の映像化。性格の悪さが全身に出ている主演女優が、やっぱり気持ち悪い。全くの新人デビュー映画だったら、もっと素敵な映画になっていたろう。

越谷オサムによる日本の恋愛小説。「女子が男子に読んでほしい恋愛小説No.1」と謳った書店のパネルが話題を呼び、普段は恋愛小説を読まない中年男性の目も留まるようになり売上が急上昇。2011年6月に刊行された文庫版は啓文堂書店の「2011年 おすすめ文庫大賞」の1位に輝き、2013年9月には累計発行部数100万部を突破したという、知らないことばかりだ。

『フィフス・エレメント』(Le Cinquieme element, The Fifth Element)

1997年・フランス/アメリカ 監督/リュック・ベッソン

出演/ブルース・ウィリス/ミラ・ジョヴォヴィッチ/ゲイリー・オールドマン/トリッキー/イアン・ホルム

いやぁ~、こんなつまらない映画も久しぶり。監督も主演もかなり一級品のはずだが、なんともはやつまらない。何度見直し始まっても、すぐに寝てしまう。目が自然に閉じてしまうのだ。思い直して何度同じことを繰り返しただろうか。最後には、結末を観ずに終わってしまった。でもいいや、これ以上観たっておもしろくない映画がおもしろくなるわけないし。

映画は1914年(大正3年)から始まる。300年後の2214年がメインのシーン。設定も幼稚だがCGも拙い。スターウォーズの焼き直しのような映像を作って、どこがおもしろいのだろう。クソミソだが、褒め言葉なんて言いようがない。

いつも言っている、10年後が見たいとは思わないが、100年後をこの目で見てみたい。そんなことは不可能なのだろうが、この自分という意識を永久に続けることが出来れば可能になる。それが出来ないのだ、と言われても、出来そうな気がしてならない。この次の自分は一体誰なのだろうか?

『釣りバカ日誌イレブン』

2000年(平成12年)・日本 監督/本木克英

出演/西田敏行/三國連太郎/三國連太郎/奈良岡朋子/村田雄浩/桜井幸子/笹野高史/谷啓

釣りバカ日誌シリーズ第13作(レギュラーシリーズ第11作)。数字ではなくイレブンとした題名にシリーズを長引かせようと奮闘する制作陣の工夫が見られる。そういえば前作は「花のお江戸の釣りバカ日誌」という江戸時代に置き換えた釣りバカだった。

今回のメインゲストは、村田雄浩と桜井幸子。この二人だけ新顔で、ほかの出演者はいつも通りという顔ぶれで映画館に人を呼ぼうとするのだから、映画産業も甘いと言えば甘い。寅さんを引き継いだご当地映画の典型映画、この回は沖縄、何故か沖縄と聞くと機嫌が悪くなる。嫌なことがあったわけではないし、行ったこともない。嫌な沖縄出身の友達がいるわけでもない。不思議だ。

ちょっと漫画チックなシーンを挿入して映画を飽きさせないことを強く意識しているような。全体がまんがなのだからそんなシーンも必要ないだろうに、と思うのは素人観客の見方なのかもしれない。

『ダーティハリー4』(Sudden Impact)

1983年・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/クリント・イーストウッド/ソンドラ・ロック/パット・ヒングル/ブラッドフォード・ディルマン

クリント・イーストウッド(Clint Eastwood、本名:Clinton Eastwood, Jr.(クリントン・イーストウッド・ジュニア)、1930年5月31日生まれだからこの映画のときは53才。もうだいぶ歳をとった雰囲気がする。それでも同じような雰囲気で今も映画を製作しているのだから凄い。

ようやくこの頃になって彼の映画をリアルタイム付近で観ることが出来ている。この映画の頃はとてもじゃないけどだいぶ後になってからの鑑賞で、後悔作品のひとつとなっている。彼の映画は、まずおもしろい。心に残る映画と言うよりは、徹底的に娯楽作品だということ。一番いいところは、観客を飽きさせないことだろう。

たいそうな映画監督ぶって、苛々する映画を平気で作っている人達には、爪あか映画製作作品。悪に対する徹底的な仕打ちが痛快だ。「悪いことではあるがどうのこうの・・・」と、いつも曖昧な善人ぶっている日本の良識人を見ていると、クソ食らえと罵っているのは私だけでもなさそうな気がするが。

『S.W.A.T.』(S.W.A.T.)

2003年・アメリカ 監督/クラーク・ジョンソン

出演/サミュエル・L・ジャクソン/コリン・ファレル/ミシェル・ロドリゲス/LL・クール・J

Special Weapons And Tactics(特殊火器戦術部隊)。アメリカ合衆国は建国以降、国内の大規模騒乱など、警察・保安官が対応し切れない事案には軍が関与する規定になっていたが1873年に、「民兵隊壮年団制定法」が制定され、暴動、騒乱等には、保安官の招集を受けた成年男子が、集団で対処することとなった。また一方で、軍の動員を基本的に禁止し、軍の関与は最後の手段と規定された。同法の制定により、各自治体警察では、暴動等に対処するための部隊を編成したが、部隊の名称、人員規模、指揮系統などは警察により異なっていた。その後、1966年にテキサスタワー乱射事件が発生し、事件を管轄したオースティン市警察は対応し切れず、結果として、警察官を含む15名が死亡した。この事件がSWAT創設の契機となったという。

おもしろくないわけがない。しかもアメリカ映画の警察ものは、お得意中のお得意。イギリス映画の探偵ものと同じようなもの。このSWATはロサンゼルス市警所属、ニューヨークと共に映画に登場する回数が多い。そういう意味では「LAPD」(ロサンゼルス)「NYPD」(ニューヨーク)とパトカーの腹に書かれた文字に馴染みが出来ている。

事件は現場で起きているのだ、ということを強く印象づけられる。一瞬の判断で犯人と対峙しなくてはいけない。映像を見ながら指令を出したって、現場の緊張感は伝わらない。事件のあとであーだ、こーだと言うのは簡単、いつもおいしいところだけ持って行ってしまうデスク組には、現場の緊迫は永遠に分からない。

『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-』(Hot Fuzz)

2007年・イギリス 監督/エドガー・ライト

出演/サイモン・ペグ/ニック・フロスト/ジム・ブロードベント/ティモシー・ダルトン

Wikipediaには、『ショーン・オブ・ザ・デッド』に続くエドガー・ライト監督・脚本、サイモン・ペグ脚本・主演作品。ブラック・コメディおよびアクションでありながらサスペンスの面を併せ持つ。とあるが、イギリスお得意の完全なコメディ映画だと強く感じる。イギリスのユーモアは黒いというよりは激辛という味わい。コメディ映画嫌いでも観られるコメディ映画だった。

日本のコメディは演者自身がこれはコメディだぞというメッセージを発しながら、自分で笑っているシーンしか見られない。それに比べたら、ユーモアがブラックなことが当たり前のイギリス、ノー天気な笑いが一瞬にしてシリアスに見えてしまうところが凄い。

ドタバタ、ドタバタと物語は進行するが、冷静な気持ちで観られる不思議な映画だ。出だしはスパーヒーローだった警察官が、いつの間にかお笑いの先頭を走っている。観たばかりのアメリカのコメディ『オー・ブラザー!』とは笑いの種類が全く違う。国の歴史を感じる大英帝国の笑いと言っても過言ではない。

『オー・ブラザー!』(O Brother, Where Art Thou?)

2000年・アメリカ 監督/ジョエル・コーエン

出演/ジョージ・クルーニー/ジョン・タトゥーロ/ティム・ブレイク・ネルソン/ジョン・グッドマン

大恐慌に喘ぐ1930年代のアメリカ南部。ミシシッピ州で服役する詐欺師のエヴェレットは、共に鎖でつながれた囚人ピートとデルマーと共に脱獄を図る。三人が目指すのは、昔エヴェレットが埋めたという120万ドルの大金。だが、その隠し場所は人造湖建設の予定地であり、あと4日で水没する運命にあった。目標に向かって邁進する三人は、旅の途中で様々な人物と出会う。(Wikipediaより) という物語であるが、セピア調を思わせるスクリーンが懐かしく感じる。

また、作中にはカントリー、ブルース、ゴスペル、ブルーグラス等のアメリカン・ルーツ・ミュージックが多数使用されている。T=ボーン・バーネットがプロデュースした本作品のサウンドトラックは大ヒットを記録。全米で700万枚を超える売上を挙げ、2002年度のグラミー賞最優秀アルバム賞に選ばれたという。

日本昔話のように「アメリカ昔話」じゃないかこの映画は、と思った。調べてみたら、ギリシャの叙事詩『オデュッセイア』を原案に、物語の舞台を1937年のアメリカ合衆国ミシシッピ州の田舎に移した作品であるというから、まんざら感じたことが嘘ではなかったようだ。コメディの出来方が日本映画と根本的に違う。何でも反対の動作をする日米、映画のコメディも笑いのツボは正反対のような気がする。

『ジュラシック・ワールド』(Jurassic World)

2015年・アメリカ 監督/コリン・トレボロウ

出演/クリス・プラット/ブライス・ダラス・ハワード/ジュディ・グリア/ローレン・ラプクス

『ジュラシック・パーク』『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』、『ジュラシック・パークIII』から続くシリーズの第4作であるというが、1作目以外は観ていないかもしれない。まぁ1作観ればそれで充分だと思わせる内容だと思っていた。全部話が繋がっているみたいなので、続けて観れば、また違った印象になるだろう。

動物園だってひと昔からは考えられないような発展形で運営が行われている昨今、遺伝子操作から生まれた恐竜ワールドが実現するのもまんざら夢ではないかもしれない。この映画ではコスタリカのある島、1日2万人がやってくるというから凄い人気だ。

後半はお決まりごとの恐竜の大暴れ。3Dという新しいスクリーンが登場して、アクション映画は夢の世界に突入している。映画界を救う次なる一手は何なのだろうか。先へ先へと人間の欲望は絶えることがない。あくまでも経済優先とお金ばかりに目の行く日本は、そのうち大きなしっぺ返しを食らうに違いない。

『007 スペクター』(Spectre)

2015年・イギリス 監督/サム・メンデス

出演/ダニエル・クレイグ/クリストフ・ヴァルツ/レア・セドゥ/ベン・ウィショー/ナオミ・ハリス

今日は2016年4月27日、昨年末2015年12月4日アメリカより1ヶ月遅れで日本でも公開されたこの映画を、4ヶ月遅れで茶の間で観られることは最高の仕合わせだ。友人がDVDを送ってくれたので、久しぶりに TSUTAYA のまだまだ新作棚に並ぶ作品を観る事が出来た。

出だしは快調、趣があり、重厚で、品格さえも感じる。そこら辺にある映画とは格が違うぞ、と言いたげ。さすがジェムズ・ボンド、名前だけではない受け継がれた伝統のようなものを感じる。いいですね~。映画を観始まって、これから展開されるだろうスクリーンに興味を奪われるというのがいい。

始まってしまうと、どんどんボルテージが下がっていく自分があった。前作などの情報がこの映画に取り入れられていて、観たことはあってもその内容を覚えていない自分には、ちょっと不愉快になるようなセリフガ結構あった。まぁ~それでも、普通の映画に比べたらはるかに満足の行く映画鑑賞であったことは確かである。

『少年と自転車』(Le gamin au velo)

2011年・ベルギー/フランス/イタリア 監督/ジャン=ピエール・ダルデンヌ/リュック・ダルデンヌ

出演/トマ・ドレ/セシル・ドゥ・フランス/ジェレミー・レニエ

第64回カンヌ国際映画祭・審査員特別グランプリ 受賞/第37回セザール賞・外国映画賞 ノミネート/第24回ヨーロッパ映画賞・脚本賞 受賞・作品賞、監督賞、女優賞 ノミネート/第69回ゴールデングローブ賞・外国語映画賞 ノミネート/第27回インディペンデント・スピリット賞・外国映画賞 ノミネート/ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 (2012年)・外国語映画トップ5(の1作品)/第17回サンディエゴ映画批評家協会賞・外国語映画賞 受賞/第16回サテライト賞・外国語映画賞 ノミネート/第9回セントルイス映画批評家協会賞・外国語映画賞 ノミネート/第36回トロント国際映画祭・マスターズ 出品

これだけ賞を受けた作品を私が好きなわけがない。そう思えてしまう暗い不愉快な映画だった。朝のうちから気分が悪くなる。クソガキが不愉快なのだ。映画のなかの物語であることを忘れてしまうクソガキの登場なのだ。

外国映画に多い小さな嘘の羅列。映画だけではなく、おそらく日常生活でもさもありなんと思えてしまう。どうして軽く嘘をついて平気な顔をして生活しているのだろうか。自分を下に見られたくないのだろうか。そもそも大したことのない一人の人生なんて、地球の塵にも見えやしないのに、それでもウソをついて自分を良く見せようとしている。如何に自分の実生活が充実していないかを自ら証明して見せているようで、ちゃんちゃんらおかしい。

『さらば愛しき女よ』(FAREWELL, MY LOVELY)

1975年・アメリカ 監督/ディック・リチャーズ

出演/ロバート・ミッチャム/シャーロット・ランプリング/ジョン・アイアランド/シルヴィア・マイルズ

アメリカの作家レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説。1940年刊。私立探偵フィリップ・マーロウを主人公とする長編シリーズの第2作目。活字を読まない私は知らないが、この主人公フィリップ・マーロウの名前は聞いたことがある。探偵ものはイギリス映画と相場が決まっているが、アメリカ映画では情緒が乏しく残念ながらおもしろさに欠ける。

あとからあとから探偵の依頼が舞い込み、そこをおもしろおかしく描いているようにも見えるが、ちょっとおざなり。何度見直してもすぐに眠ってしまったのには我ながら驚いた。頭の中に散漫的に去来する映像とストーリー。映画がまだ元気だった頃の映画だが、駄作と言ってもいいだろう。

この題名と内容を結びつけるシーンが見当たらなかった。たぶん寝ている間のシーンだったのだろう。それでもこの映画を観たと言っていいのだろうかと、ちょっと自分を責めるのが精一杯のコメントだ。

『花のお江戸の釣りバカ日誌』

1998年(平成10年)・日本 監督/栗山富夫

出演/西田敏行/三國連太郎/酒井法子/黒木瞳/中村梅雀/山田純大/ミッキー・カーチス/加藤武/竜雷太/鶴田忍/小野寺昭

釣りバカ日誌シリーズ第12作(特別編第2作)。このシリーズの全盛期だったかもしれない。と言っても、映画館で観たこともないし、ましてやテレビ放映の録画だって60才過ぎてから楽しめるようになった。不思議なものだ。今だったら、1回くらいなら映画館で観てもいいなという気持ちになっている。

「寅さんシリーズ」だって同じようなもの。若い頃と言えば、ちゃんちゃらおかしくてこんな映画観るわけないじゃん、と豪語していたのだから。録画作品が極端に少なくなったことが大きな理由だが、くっだらないこの頃の日本映画よりはるかにましに見える大衆映画の2作品だ。

釣りバカを江戸時代の風景に置き換えるなんぞ、なかなか大したものだ。これくらいのクオリティーがあれば、映画館の大きなスクリーンに耐えられるかもしれない。日本の大衆芸能の仲間入りが出来ているだろう。

『必殺! 主水死す』

1996年(平成8年)・日本 監督/貞永方久

出演/藤田まこと/三田村邦彦/中条きよし/津川雅彦/東ちづる/細川ふみえ/名取裕子/宝田明

1972年から20年間に渡って放送されたテレビ時代劇『必殺!』シリーズの5年ぶりの劇場版第6作。監督は初期テレビシリーズから『必殺!』にかかわり、劇場版第1作「必殺!」も監督した貞永方久。脚本は「復活の朝」の吉田剛、撮影は「忠臣蔵外伝 四谷怪談」の石原興がそれぞれ担当している。音楽はシリーズ全てを手掛ける平尾昌晃。『必殺!』の代名詞ともいえる仕事人・中村主水にはテレビ版同様に藤田まことがふんし、三田村邦彦、菅井きん、白木万理、中条きよしらテレビのレギュラー陣に加え、名取裕子、津川雅彦、東ちずる、野村祐人、細川ふみえら多彩な顔触れのゲストが華を添えている。(映画.com より)

2作目『必殺仕置人』の放送期間中に「必殺仕置人殺人事件」が起きる。この事件の犯人が「番組を見ていた」と供述したことから、マスコミによる批判が展開され、世論の糾弾を浴びることになる。結果として、当時の制作局であった朝日放送が、キー局だったTBSから放送打ち切りを通告される事態に発展した。しかし、その後、容疑者の「俺はテレビに影響されるほど、安易な人間ではない」という供述により番組と事件の関連性が否定され、打ち切りも撤回された(当時のスポンサー中外製薬と日本電装、そして日本電装の親会社のトヨタ自動車からの打ち切りに反対する圧力もあった)。ただし、人気を博していた『仕置人』の延長予定は白紙となり、5作目の『必殺必中仕事屋稼業』までタイトルから「必殺」を外す事態となった。また、次作の『助け人走る』では、内容も前作までのハード路線からややソフトなものに転換された(中盤でハード路線に戻っている)。この後も過激な内容を巡る論争は必殺シリーズに付き物となる。(Wikipedia より)

まぁ、おもしろいと言っちゃおもしろい。

『衝動殺人 息子よ』

1979年(昭和54年)・日本 監督/木下惠介

出演/若山富三郎/高峰秀子/田中健/尾藤イサオ/高杉早苗/大竹しのぶ/田村高廣/中村玉緒/藤田まこと/近藤正臣

1978年(昭和53年)に『中央公論』で連載された長編ノンフィクション「衝動殺人」(作者は佐藤秀郎)が原作。製作は松竹・TBS。この映画で若山はキネマ旬報主演男優賞・ブルーリボン賞・毎日映画コンクール・日本アカデミー賞などの主演男優賞を受賞した。また同じく主演の高峰は、この映画を最後に女優を引退した。この映画が世論を動かし、犯罪被害者給付金制度の成立に貢献したとも言われる。

地味な映画なのに出演者は豪華。さすが木下恵介監督作品だと。加藤剛も吉永小百合も出演している。木下恵介の面目躍如といった正当派社会派映画と言える。一切の笑いを求めようとしない映画なんて、この頃では見たことがない。

犯罪被害者等給付制度は,昭和56年1月1日から施行された。平成20年(2008年)7月1日、「犯罪被害者等給付金の支給等による犯罪被害者等の支援に関する法律」に改正された。クソがつくほどの真面目な映画。たまにはこういう映画を観て身を清めなければいけない。

『釣りバカ日誌10』

1998年(平成10年)・日本 監督/栗山富夫

出演/西田敏行/三國連太郎/浅田美代子/奈良岡朋子/金子賢/宝生舞/谷啓/中村梅雀/夏八木勲

くっだらないバラエティー番組やジャリタレのヘッタくそな歌を聴いているより、偉大なマンネリの方がはるかにおもしろい。毎回テーマが違うから、それなりに退屈にならない。釣りの種類も違っているのだろうが、そこまで気が回らない。

今回のテーマは、社長でさえ「会社を辞めてやる!」と、辞表を提出して勝手に辞めてしまった社長の話。と、妊娠したことを知らずに「子供はいらない!」と宣言したら、翌日から九州に帰ってしまった同棲人を訪ねて九州に行く話。今日は、平成28年(2016年)4月9日(土曜日)ちょうど今、地震が収まらない熊本地方の情報、1日中災害ニュースがテレビに溢れているとき。

こどもが出来たから結婚する。出来なければ、知らんぷりして同棲生活を続ける。そのままなら、飽きればすぐに別れる。なんていう生活をしている若者は多いのだろう。昔から、そんなことは当たり前の社会生活。結婚が大きな意味を持たないのは悪いことではない。様々な価値観が現実社会に存在していた方が健全だろう。決まり切った価値観や規律に縛られていれば、こんなに息の詰まる社会生活もないであろう。

『サクラサク』

2014年(平成26年)・日本 監督/田中光敏

出演/緒形直人/南果歩/矢野聖人/美山加恋/藤竜也//津田寛治/嶋田久作/佐々木すみ江/大杉漣

さだまさしの小説集『解夏』に収められた同名小説を映像化したものであるという。父親、義理の父、おじいちゃんが呆けていくプロセスを延々と見せつけられるけれど、そこが本当の主題ではない、と大きな声で言っている。働き蜂でもうすぐ役員に推挙されることになった男の家族を振り返る物語。

こうやって人間は呆けていくんだ、というあたりの描き方が懇切丁寧に描かれている。ホントなら見るのも嫌な光景だが、もし生きているなら避けられない自分の姿がダブってくる。まだまだ、と思っていたって、もうすぐだよと天国からの声が届いてくる。

20年前は単なる家族問題だった物語だろうが、この頃では必ず老人の呆けがそこに加わってくる。あと20年経ったら、一体日本はどうなっているのだろうか。我々団塊の世代のうち身体だけ元気に生き延びれば、ゆうに85才を超えてしまう。家族との結び付きというよりは、そんな老人ばかりで日本が成り立つのだろうか。100年後は見てみたいけれど、20年後は敢えて見たくない。

『サンクタム』(Sanctum)

2011年・オーストラリア/アメリカ 監督/アリスター・グリアソン

出演/リチャード・ロクスバーグ/ヨアン・グリフィズ/リース・ウェイクフィールド/アリス・パーキンソン

パプアニューギニアの巨大な地下洞窟、地上からは巨大な穴があいているように見える。冒険家たちの心を揺さぶる物件。ジェームズ・キャメロンの仕事仲間であるアンドリュー・ワイトの実体験に基づいたストーリーで、撮影には『アバター』のフュージョン3Dカメラシステムを改良したものが使われているという。

巨大な洞窟の中の水路は前人未踏、6人の挑戦が始まった。地上は嵐に変わり洞窟の中に水があふれ出す。パニック映画の原点だが、緊迫感がもう少し。一人づつ死んで行くのだが、そこにあるのは人間のミスと見にくい人間の争い。一般社会生活にも通じるような現象を訴えたいのだろうか。洞窟は地上からまっすぐ奥深く見える縦穴、そこにある水の中に潜り、新しい水路と未開の洞窟室を探検する冒険家たち。

映画とは言え、事実に基づいた物語だという最初のメッセージは結構重い。生死を決める決断を前に、リーダーのあるべき姿を映し出す。それは非情とも思える現実直視型。温情だけでは危機を乗り越えることは出来ない。そこまでの個人体験が出来る人はそうザラにはいないだろう。そういう意味では現実感のなさが評価に繋がり難い。

『バルジ大作戦』(Battle of the Bulge)

1965年・アメリカ 監督/ケン・アナキン

出演/ヘンリー・フォンダ/ロバート・ライアン/ダナ・アンドリュース/チャールズ・ブロンソン/ロバート・ショウ

「この大作戦で戦った百万の兵士に-- この映画をささげる 全戦士と戦いの精神をたたえるため 登場人物や地名はフィクションである」と、これは映画が終わってからのテロップである。第二次世界大戦末期1944年12月にドイツがアメリカ軍に対してしかけた作戦名「ラインの守り」大攻勢を描いている。

戦争映画は基本おもしろい。戦争もので面白くないものがあったとしたら、それは相当の駄作と断言して差し支えないだろう。観ていくうちに、あれっ!これ観たことがあるな、と気づいたシーンがあって、おそらく間違いないだろう。将軍から一兵卒まで、しつこくなく人間がうまく描かれている。ドイツ兵が英語を喋るのに違和感。どうせ字幕映画なら現地語で観たいと思う。

Wikipediaにこんなおもしろい記述が。「雪の中の戦いであったはずが撮影地がスペインだったため、後半は砂漠の様な地形(おそらくスペイン軍の演習地)になってしまっている。実際の戦史とはかけ離れているフィクションも多く、隠居生活を送っていたアイゼンハワー元大統領が公式に抗議声明を出したほどである。偶発的に発生した事件である『マルメディの虐殺』が計画的犯行のように描かれている。」

『津軽百年食堂』

2011年(平成23年)・日本 監督/大森一樹

出演/藤森慎吾/中田敦彦/福田沙紀/ちすん/藤吉久美子/手塚理美/伊武雅刀/大杉漣/かとうかず子

原作は、森沢明夫による日本の小説で、青森県が、三代、約100年続く大衆食堂を百年食堂と名付け、観光の目玉の一つとしたことから生まれた作品。青森を舞台とした“青森三部作”の第1作。第2作は2010年(平成22年)に刊行されたカーリングを題材とした作品『青森ドロップキッカーズ』、なんていう情報を全く知らなかった。

たまたま、久しぶりにスカイプしたヘラルドの後輩で、映画について私など足元にも及ばない知識を持っている人間に聞いたら、彼が知らないと答えたのには驚いた。新しく借りてきたDVDや録画の題名を言うだけで、もの凄い量の関係資料を投げつけられるのがオチだったのに、その彼が知らないというこの映画。どこかの映画学校の卒業制作のような雰囲気の映画。設定もそうだが、おもしろさが題名だけでは企画者も泣いているだろう。

お笑いの漫才二人が主演している。この4月の番組改編で、朝のワイドショーにはどの局にもお笑い芸人が「コメンテーター」としてレギュラー出演している。通産省あがりのしたり顔の輩が減ったのだろう。あるいは、関西ではお笑いの学校までだいぶ前に出来ているみたいだから、それこそお笑い芸人があとからあとから生まれるのは当たり前の現象になってしまったのだろう。そのうちお笑い芸人の就職率なんていうのも発表されるかもしれない。

『P.S. アイラヴユー』(PS, I Love You)

2007年・アメリカ 監督/リチャード・ラグラヴェネーズ

出演/ヒラリー・スワンク/ジェラルド・バトラー/ リサ・クドロー/ジーナ・ガーション/キャシー・ベイツ

ビートルルズの1枚目のシングル盤のB面曲「P.S.アイ・ラヴ・ユー」(P.S.I Love You・1962年)からとった題名かと思った。ニューヨークに住む夫婦、夫の出身はアイルランド人、毎日のように喧嘩を楽しみながら生活をしている様子が冒頭のシーン。突然友人達が集まっての「お別れの会」が現れる。夫が35才という若さで死んだらしい。死に至る過程は語られないし、映し出されない。そんな展開の速さが、映画に興味をもたせる。

なんてことはない、極く極く普通の映画に見えた最初の頃、だんだんとおもしろくなっていく。夫が早々と死んでしまうので、単なる恋愛映画ではない。下手くそな映画ならフラッシュバックが目障りだが、この映画の過去のシーンが気にならない。妻の女友達がいい。男とみれば声を掛ける一人の女友達、いい男とみれば必ずこう声を掛ける。「独身?」「あなたはゲイ?」「仕事は持ってる?」一つ目の質問をクリアしなければすぐに立ち去る。二つ目も、三つ目も然り。

突然夫を失った妻は、人生をたち直すきっかけが見つからない。そんな時、自分の誕生日に、亡くなった夫からのプレゼントと手紙が届く。目先を変えて愛や人生を語ってくれる。主人公の妻が美人ではない分、安心して行き先を見届けられる。原作は、アイルランド出身の女性作家セシリア・アハーンのデビュー作となる2004年出版の小説。

『晩春 デジタル修復版』

1949年(昭和24年)・日本 監督/小津安二郎

出演/原節子/笠智衆/月丘夢路/ 杉村春子/青木放屁/宇佐美淳/三宅邦子/三島雅夫

冒頭、「LATE SPRING Digitally Restored Version」、さらに、「画調はニューヨーク州のシネリック社にて4K修復しました。」「音声はカリフォルニア州のオーディオメカニクス社にて修復しました。」という文字が見える。題名「晩春 昭和24年完成」と珍しい表示が。このタイトルは古さを残してあるような感じだった。

日本国外でも非常に高い評価を得ており、英国映画協会(BFI)選定の2012年版「批評家が選ぶ史上最高の映画トップ50」で15位に輝いている。娘の結婚を巡るホームドラマを小津が初めて描いた作品であり、その後の小津作品のスタイルを決定した。小津が原節子と初めてコンビを組んだ作品でもある。なお、本作および後年の『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)で原節子が演じたヒロインはすべて「紀子」という名前であり、この3作品をまとめて「紀子三部作」と呼ぶこともある。(Wikipediaより)

父親は50才を超えたくらいの歳だろうか、父の友人と主人公の娘の会話「おじさんは不潔です。汚らしいわ。」とそのおじさんの再婚を評している。自分の父親の再婚話にも嫌悪感を隠そうとしない。時代を感じる会話が全編に響く。主人公の友人との会話や叔母さんとの会話に、ストーレートな表現が気持ちいい。今の時代のような、もって回ったような摩訶不思議な言い方が奇妙に思えるほど。

『鷲は舞いおりた』(The Eagle Has Landed)

1977年・イギリス 監督/ジョン・スタージェス

出演/マイケル・ケイン/ドナルド・サザーランド/ロバート・デュヴァル/ジェニー・アガター

ジャック・ヒギンズの小説『鷲は舞い降りた』を映画化したもの。1943年9月12日に実施されたムッソリーニ救出作戦の成功に気をよくしたアドルフ・ヒトラーは、同様の作戦で英国首相のウインストン・チャーチルを拉致してドイツへ連れてくる計画を思いつき、国防軍情報部の長官ヴィルヘルム・カナリスにこの計画の可能性評価を命じた。カナリスは非現実的な計画と判断して部下のマックス・ラードル大佐に名目が立つ程度の表面的な調査を命じた。

イギリスにポーランド義勇軍だとして潜り込んだドイツ兵、万が一に死ぬ時のことを考えて、ポーランド軍服の下にドイツ軍服を着て任務に就くことをドイツにいる時から上官にその許可を得ていた。そういう伏線が、意外とつまらないストーリー展開になっていく。

戦争はいけないことだが、戦争映画はおもしろい。それは過去を切りとって新しい物語を作れるからだろう。今起こっている戦争からは悲惨さしか伝わってこない。これが何年も、何十年もあとになれば、シリアにおける戦争も数多く映像化されるのだろう。


2017年7月12日にまた観たので記す

『鷲は舞いおりた』(The Eagle Has Landed)

1977年・イギリス 監督/ジョン・スタージェス

出演/マイケル・ケイン/ドナルド・サザーランド/ロバート・デュヴァル/ジェニー・アガター

観た記憶がどんどん蘇ってきた。第二次世界大戦末期、ヒトラーの命令はなんとイギリス首相チャーチルの誘拐が可能かを調べさせるが、すぐに誘拐を実行する運びになってしまった。おもしろい。まだ序盤。

最後までおもしろさは褪めなかった。観た記憶とはだいぶ物語が違っていて驚くくらいだ。ドイツ人にも極めて人間的ないい男がいたことを証明するような主人公のひとり。女子供を人質にして人間の盾に使おうなんて、これっぽっちも思わなかったこの時代の兵隊さんは偉い。ただ武力で制圧、国を興そうなんていうたいそれたことをしているイスラム国なるものとは、根本的に人間の出來が違う。

人を殺す武器が発達すればするほど、人殺しをなんとも思わなくなる。そんな当たり前のことだが、人間がいなくなって誰かひとりが生き残ったって、なんの意味もないだろうことが想像出来ない、アホな為政者が存在することが信じられない。もっとも他人の気持ちが一瞬でも分かりきったことなど無い人が全て。人間の存在には不思議過ぎることが多過ぎる。

『スーパーマンIII/電子の要塞』(Superman III)

1983年・アメリカ 監督/リチャード・レスター

出演/クリストファー・リーヴ/リチャード・プライアー/アネット・オトゥール/マーゴット・キダー/ジャッキー・クーパー

大好きなスーパーマン映画を観ていないわけはないが、どうにもこの映画の中身をなにも覚えていない。日本語吹き替え版だったが、他に観る映画がないことと、スーパーマンだから許そうと勝手に自分への言い訳をする。子供の頃は間違いなく吹き替え版だったはずなので、スーパーマンに限りそんなに違和感を感じなかったのは、勝手過ぎるか。

バットマンと戦っている現在のスーパーマン、邪悪な心が垣間見えるという宣伝があったが、この映画でもそういうことを彷彿とさせるシーンがある。もう30年以上前の映画にもそういう伏線を用意していたのだろうか。

この時期のスーパーマンのプロデューサーはイリヤ・サルキンド。ヘラルド時代に「サンタクロース」を配給したがその時はこの人から権利を買っている。サンタクロースのソリが空中で回転するという、まさしくスーパーマンのような曲芸シーンがあった。ロンドンでの試写に一人で行って、あまりのおもしろくなさに東京への電話を忘れたくらいだった。東京では「小河から連絡がないがどうだったんだろう?」と、みんな疑心暗鬼だったらしい。結果的には、連絡をしなかったことが正解だった。おもしろくもないものをおもしろくないと連絡しても問題だし、これをおもしろいと報告したらのちに嘘がばれてこっちの信用がなくなってしまっただろう。映画は年末のみ大ヒットして、年が明けたらさっぱりだった。懐かしい想い出のひとつ。

『釣りバカ日誌9』

1997年(平成9年)・日本 監督/栗山富夫

出演/西田敏行/浅田美代子/三國連太郎/奈良岡朋子/小林稔侍/風吹ジュン/笹野高史/谷啓

この時期毎週土曜日に『釣りバカ・シリーズ』が放映されている宣伝を見ていたが、もう2作と何作品かの盗み見をしていたので、もういいかっと思っていた。毎日のテレビ番組が詰まらなくて、たまには見てみようと思い見始まった。ら、これがなかなかおもしろかった。くっだらない日本映画に比べたら、遥かにおもしろい。

風吹ジュンの顔立ちは若い頃から好きだった。鼻にかかった声もいい。この年頃になって、さらに自然体が好ましい。子供の頃に「釣り」からは卒業してしまった。自分で竿を作り、近くの店で釣り糸とハリを買ってきて、当時のエサは近くの家の堆肥の下にわんさといるミミズだった。霞ヶ浦につづく小野川が町に流れていた。東京からはのっこみの時期になれば、大利根川、横利根川と釣りのメッカと化していた。

サラリーマンの理想の生き方のような主人公がいい。出世など目の前にない。家族を養う給料だけもらえればいい。釣りという趣味が特技となって、普通のサラリーマンには気づけない特殊な人脈を持って、現実サラリーマン生活を皮肉っている。現実逃避の理想郷のような映画シリーズ。

『エイプリルフールズ』

2015年(平成27年)・日本 監督/石川淳一

出演/戸田恵梨香/松坂桃李/ユースケ・サンタマリア/小澤征悦/菜々緒/寺島進/富司純子/里見浩太朗

こんな映画をよくつくるな~と思える映画が多過ぎて反吐も出ない。こんな映画を作るのはフジテレビだろうと予想したらその通りだった。日テレの映画製作選択もちょっと気にくわないが、どちらかというとオタク。フジテレビは世の中におもねる作品ばかり。テレビ視聴率の不振さがよく現れている。

『リーガル・ハイ』を手がけた脚本の古沢良太によるオリジナル作品となり(古沢のオリジナル作品による劇場映画は『キサラギ』以来となる)、同じく『リーガル・ハイ』の演出を務めた石川淳一が初監督を務める。そのほか、スタッフやキャストにも『リーガル・ハイ』の出演者や関係者が多数含まれる。また劇中にて『リーガル・ハイ』のクロスオーバーを示唆するシーンが一部存在する。公開日をエイプリルフール当日である4月1日に合わせた結果、東宝映画としては稀である水曜日の封切となった。(Wikipediaより)

イケメンと言われる松坂桃李と美しいと言われている菜々緒が、レストランで面と向かっているシーンがある。ご両者ともちっともそうではないと思っている自分からは、ひとりでに笑いが起こった。映画も人によってはこんな皮肉な見方で楽しむことが出来る。それにしても、クソおもしろくない映画だ。お金の無駄だ。

『白ゆき姫殺人事件』

2014年(平成26年)・日本 監督/中村義洋

出演/井上真央/綾野剛/蓮佛美沙子/菜々緒/金子ノブアキ/貫地谷しほり/染谷将太

テレビドラマの2時間映画に毛の生えた程度のつくり。もっともテレビの2時間ドラマをほとんど見ていないので、えらそーなことは言えない。それどころか、テレビドラマのうちでもなんとか殺人事件とか刑事ものはまず見ないので、比較したような言い方は嘘になる。そういう想像で物事を言っている。

どこが美しいのか理解できない菜々緒というタレント、映画の中でも美人OL役だし、テレビ出演でも美しいとか紹介されて、いつも不愉快になっている。たぶん活字からの映画化だろうことは予想できた。活字なら、もう少しおもしろく思えるかもしれない。湊かなえによる日本の小説。『小説すばる』(集英社)にて2011年5月号から2012年1月号まで連載され、2012年7月に発売された。また、湊かなえ初の電子書籍として2013年8月23日よりeBookJapan、BookLiveで配信されているという。

現実社会の殺人事件もそれなりに多い。が、テレビドラマや映画での件数に比べれば、さすがに少ないだろう。いつも思うことは、他人を殺してしまおうと思えるほど、他人に対して気持ちが関与できれば、それは一種の仕合わせの極致だろう。だが、現実社会では殺人は犯罪である。天国か地獄へ行くのか分からないけれど、かの国では改心して生き直して欲しいものだ。

『竹取物語』

1987年(昭和64年)・日本 監督/市川崑(本編)/中野昭慶(特撮)

出演/沢口靖子/三船敏郎/若尾文子/石坂浩二/中井貴一/春風亭小朝/中村嘉葎雄/伊東四朗/岸田今日子

「今も昔も、 世の中にはさまざまな 不思議なことが多い。 人間は常に、 あり得ないことを願い、 望んでいる。 永遠の命を 求めるのもその一つと 言える。 この奇異な 美しい幻想的な物語も 今の世に あり得ることである。」と、映画は始まる。最後のテロップは、「八世紀の末の(西暦七九〇年頃)ことである」と。フジテレビが元気だった頃の製作映画。

通常なら録画してあってもスキップしたいタイトル。しかも始まったらなんと三船敏郎がかぐや姫を見つける役。意外性があっておもしろかったし、生真面目な映像とストーリーはとりあえず飽きさせない。よくよく観てくると、以前に観たことがあるような覚えが蘇ってきた。でも、ほとんど内容を覚えていない特技が、こういうときにおおいに役立ってくれた。

今日は2016年(平成28年)4月1日(金曜日)。世の中で68才といえば、まだまだ平均寿命にはほど遠い。個人差が激しい人間の命、早く死んでしまいたいと思っている輩は命を長らえ、長生きしてやるんだと勇んでいる輩は突然死んで行ったりしている。明日が来ることは奇跡だと思いながら、1日を感謝しながら生きて行くことが大切なのだろう。

『鬼平犯科帳スペシャル 泥鰌の和助始末』

2013年(平成25年)・日本 監督/吉田啓一郎

出演/二代目中村吉右衛門/多岐川裕美/勝野洋/尾美としのり/沼田爆/蟹江敬三/梶芽衣子/石橋蓮司/酒井美紀

原作は池波正太郎 「泥鰌の和助始末」、「おみね徳次郎」で、かつて連続ドラマシリーズでドラマ化された二作を合わせてリメイク。鬼平側と盗賊側の駆け引きにおける緊張感は実にスリリングで、目が離せない。また石橋蓮司の名演もあって、鬼平と和助の顛末には、涙を禁じ得ない。これは、BSフジのホームページに書かれていた宣伝文句である。

かなりおもしろい。大工が新築や改築の際に仕込みをしておいて、数年後に盗賊に押し入ろうなんて、日本にもこういう仕掛けの大泥棒がいたんだと池波正太郎の筆に脱帽する。物事をするのに、目の前ではなく、将来に目を向けよといわれているような気がする。

十年後を常に頭に入れながら人生を過ごしていれば、今の自分なんて絶対ないだろう。そういう生き方が正当かもしれない。でも、こうやって明日のことすら分からない人生もまた楽しい。所詮は仮住まいの現実社会、死んでしまえば名誉もクソまみれになってしまう。それでいいのだ。

『眠狂四郎女妖剣』

1964年(昭和39年)・日本 監督/池広一夫

出演/市川雷蔵/藤村志保/久保菜穂子/根岸明美/春川ますみ/若山富三郎/小林勝彦/中谷一郎/浜村純/阿井美千子/毛利郁子

鶴田浩二主演のシリーズ(1956年 - 1958年)は、東宝京都製作で全3作がある。市川雷蔵主演のシリーズ(1963年 - 1969年)は、大映京都製作で全12作、映画化作品としては最も有名で、雷蔵の当たり役となったという。

この映画はシリーズの4作目で1964年10月17日公開されているが、この年の1月9日に2作目、5月23日に3作目が公開されている。しかも5作目は1965年1月13日公開だ。なんという映画全盛時代だったのだろうか。自分の高校生時代だったが、町に映画館が2館あったのはいつまでだったのだろうか。

柴田錬三郎の小説として有名であるが、彼の名前はもうテレビでは出て来ない。それにしても市川雷蔵という役者の男の色気が凄い。女を寄せ付けない男に好かれる男に見える。主人公の非情な仕打ちがまたいい。正義の味方にありがちな情に流されることがなく、非情に徹する正義感に惚れたりしそうな。

『アイアンマン2』(Iron Man 2)

2010年・アメリカ 監督/ジョン・ファヴロー

出演/ロバート・ダウニー・Jr/グウィネス・パルトロウ/ドン・チードル/スカーレット・ヨハンソン/ミッキー・ローク

アメリカン・コミックの実写版がアメリカ映画界に活気を呼び戻している。「バットマン」と「スーパーマン」が戦う映画なんて、40年前に誰が想像出来ただろうか。この映画の1作目を確かに見ているはずだが、スパーマンのようにその起原みたいなものが頭に入っておらず、ちょっと。

アイアンマン・スーツを着て活躍する姿はアメリカならではの光景。日本の風景の中に溶け込む雰囲気はない。世界の平和のためにという理想を掲げるあたりが、世界の警察と謳ってきた現実社会を投影しているような。

ひたすらのアクション・シーンには少しばかり飽きが来るが、お金を掛けて映像を作っている努力が伝わってきて、悪い気はしない。なにがなんだか分からないうちに正義が勝ってしまう。ミッキー・ロークのヒール役がはまっている。好きな女優スカーレット・ヨハンソンがアクション女優になっている。顔もどことなく違ってきている。残念。

『花様年華』

2000年・香港 監督/ウォン・カーウァイ

出演/トニー・レオン/マギー・チャン/レベッカ・パン/ライ・チン/スー・ピンラン

1960年代の香港を舞台に、既婚者同士の切ない恋を描いたウォン・カーウァイ監督のロマンス映画。主人公のチャウは香港の短編作家・劉以鬯(ラウ・イーチョン)がモデルとなっている。また相手のチャン夫人の名前は同監督の『欲望の翼』で同じマギー・チャンが演じた人物と同じスー・リーチェンで、本作は『欲望の翼』の続編、『2046』の前編ともいわれている。(Wikipediaより)

最初の5分間の映像と雰囲気は、その後の熟年同士の不倫のような物語を盛り上げてくれるだろう、とおおいに期待を持たせてくれた。が、残念ながら話が一向に進展せず、いつもの日本映画と同じような展開になっていってしまった。トニー・レオンがカンヌ国際映画祭にて男優賞を受賞した。その他、モントリオール映画祭最優秀作品賞、香港電影金像奨最優秀主演男優賞・最優秀主演女優賞、金馬奨最優秀主演女優賞、ヨーロッパ映画賞最優秀非ヨーロッパ映画賞、2001年セザール賞外国語作品賞など多数受賞したらしいが、映画の面白さと演技とは関係がないようだ。

同じ中国語でも、北京語と香港で喋られている広東語はちょっと響きが違う。きつい感じのする北京語に対して、広東語は優しい感じがする。ジャッキー・チェンの映画でも多く聞くことが出来るが、「アイヤー!」とか言って、すこぶるコケティッシュな耳障りがして気持ちがいい。と、昔は聞き分けることが出来たが、歳と共に判断能力の衰えに辟易する。

『ローラーガールズ・ダイアリー』(Whip It)

2009年・アメリカ 監督/ドリュー・バリモア

出演/エレン・ペイジ/マーシャ・ゲイ・ハーデン/クリステン・ウィグ/ドリュー・バリモア/ジュリエット・ルイス

女優として確固たる地位を築いているドリュー・バリモアがこんな五流映画に出演しているなんて、と思ったらなんと彼女の長編映画監督デビュー作品だった。もっとも、映画が始まってすぐに英語のクレジットに監督として彼女の名前が出ていて、一応へぇ~そうなんだ! と分かってはいたが。

五流映画だけれど、久しぶりのアメリカ映画はやっぱりいい。ひと頃のようの洋画ばかりの鑑賞が叶わなくなってしまって、つんまらない日本映画を見なければいけない日々が続いていた。日本映画とアメリカ映画は一体どこが根本的に違うのだろうか、と考えた。間(ま)だろうね、やっぱり。ダラダラとストーリーを作ろうとしているのが日本映画、描きたいことをさっさと繋いで進んで行くのがアメリカ映画。どんな日本映画も長回しが激し過ぎる。

ローラーゲームは、アメリカ合衆国のローラーダービーアメリカ合衆国で1960年代から流行し、さかんにテレビ中継された。しかし、アメリカ合衆国では市場調査の結果、このスポーツのファン層が購買力のほとんどない最低所得者層であることが判明し、やがてスポンサーが離れテレビ中継は下火になっていった。日本では1968年4月から1970年9月までロスアンゼルスサンダーバードの活躍が東京12チャンネル(現テレビ東京)で放送された。ロスアンゼルスサンダーバードの放送終了から2年後、日本人選手と日系人選手の混成チームが日本人チーム東京ボンバーズとして1972年にハワイで結成され、日米でアメリカ合衆国のチームと対戦した。これらの試合が1972年10月から毎週東京12チャンネルでレギュラー放送され、静かなブームになった。(Wikipediaより) 懐かしいよねぇ。今私の住んでいるマンションは、もともと「ヘラルドボウル天白」として開発された場所。その頃(昭和47年頃)は、この周りには何もなかった。

『座頭市地獄旅』

1965年(昭和40年)・日本 監督/三隅研次

出演/勝新太郎/成田三樹夫/藤岡琢也/林千鶴/岩崎加根子/丸井太郎/山本学/藤山直子/戸浦六宏

座頭市シリーズの第十二作目、ずいぶんと作られている。こんなに古い映画だとは感じなかった。しっかりと作られている感が強く、今どきの日本映画にはないエンターテインメントが素晴らしい。もっとも、最後の頃にはひとりでに眠りについてしまったのには自分ながら驚いた。

子母澤寛が1948年に雑誌「小説と読物」へ連載した掌編連作『ふところ手帖』の1篇『座頭市物語』が原作である。 江戸時代に活躍した房総地方の侠客である飯岡助五郎について取材するため千葉県佐原市へ訪れた際に土地の古老から飯岡にまつわる話の一つとして、盲目の侠客座頭の市の話を聞き、僅かに語り継がれていた話を基に記したと、後年、子母澤は語っている。ところが、1973年に出版されたキネマ旬報社の『日本映画作品全集』において、項目執筆者の真淵哲が、(『座頭市物語』は)原作の『ふところ手帖』に1、2行だけ記されたものであったと誤記する。その結果、この誤りが検証されることなく、様々な文献で引用されて、広く信じられるようになった。

黒澤明の映画を始めとする日本の時代劇は日本国外でも高く評価され、「子連れ狼」と並んで、座頭市シリーズの影響を公言する映画監督も少なくない。こうした影響力の代表的なものが、1989年にアメリカで製作された映画「ブラインド・フューリー」である。1970年代に香港で製作された多くのカンフー映画や武侠映画への影響力は凄まじいものがあった。中でもその影響力を顕著に現したのが1971年に製作された「新座頭市・破れ!唐人剣」であった。この作品の劇中で座頭市が対峙する片腕の唐人剣士(ジミー・ウォング)は、武侠映画「獨臂刀シリーズ」の人気キャラクターであり、盲目というハンデキャップを背負いながらも超人的な武術を体得した座頭市をモデルに創作されたものである。文字通り「新座頭市・破れ!唐人剣」は夢の共演を実現した作品であった。ブルース・リー主演の『ドラゴンへの道』についても座頭市からの影響を指摘する声がある。キューバでの評価も高い。 1958年のキューバ革命以後、キューバではハリウッド映画の輸入が禁じられたため、日本映画が頻繁に公開された。そのなかで1967年に初上映された「座頭市」シリーズはもっとも公開回数が多く、勝演じるハンデキャップを抱えた孤高の剣士座頭市に、キューバ国民は自らの置かれた境遇を重ね合わせ、熱狂的に支持されたという。(Wikipediaより)

『女殺油地獄』

1992年(平成4年)・日本 監督/五社英雄

出演/樋口可南子/堤真一/藤谷美和子/井川比佐志/岸部一徳/長門裕之/石橋蓮司/辰巳琢郎/佐々木すみ江/山口弘美/奈月ひろ子/うじきつよし

このタイトルはなに? なにかのシリーズもののひとつの題名かと。享保6年(1721年)に人形浄瑠璃で初演。人気の近松作品と言うことで歌舞伎でも上演されたが、当時の評判は芳しくなく、上演が途絶えていた。ちなみに、実在の事件を翻案したというのが定説だが、その事件自体の全容は未詳である。明治になってから坪内逍遙の「近松研究会」で取り上げられ、明治42年(1909年)に歌舞伎で再演され大絶賛された。文楽(人形浄瑠璃)での復活はそれから更に年月を経た昭和27年(1947年)であった。近年では歌舞伎、文楽の他に、映画化やテレビドラマ化もされており、「おんなごろし あぶらのじごく」と発音されることが多い。こんな情報を見つけて、ひと安心。

この映画は、お吉がかつて河内屋の奉公人で乳母代わりに与兵衛を育てたことになっていたり、小菊が油屋の元締の一人娘であったり、お吉が小菊に嫉妬して与兵衛と肉体関係を持つなど、設定もストーリーも原作から大幅に改変されているという。男と女の情痴はどろどろと、いかにも人間的でいたたまれない。すっきり爽やかに男女関係が行ってしまったら、人間が人間である意味がなくなってしまうような気がする。

樋口可南子はこういう映画に映える。小便くさい小娘が溢れる日本の芸能界、一体何人が一人前の女として人生を演じきれるのだろうか。

『アルゼンチンババア』

2007年(平成19年)・日本 監督/長尾直樹

出演/鈴木京香/役所広司/手塚理美/堀北真希/森下愛子/小林裕吉/田中直樹/きたろう/渡辺憲吉/菅原大吉/岸部一徳

原作は、よしもとばなな(文)、奈良美智(絵・写真)の小説、2002年12月24日、ロッキング・オンより刊行され、英訳文も併載されている。2006年8月1日、幻冬舎から文庫化された。おもしろいのはタイトルだけで、映画は詰まらない。おそらく活字と絵だけの方がはるかに想像力をかき立てるだろう。

アルゼンチン人の女性、街の外れの野原に建つ不思議な建物に住む。誰も近寄らない。などという奇妙な設定をして興味を惹こうとする。映画は映像がそのまま見えてしまうから、想像力の何倍もの現実感が伝わってきてしまう。活字社会の個人個人の想像力は、映像に統合されて、誰の目にも同じように見えてしまう。そこを乗り越えるのが監督の力であり、役者の演技力なのだ。

だらだらと妻に死なれた男の哀しさを訴えたって響いてこない。おもしろおかしく家族や親戚、町の人が関わり合ったって、所詮は物語を意図的におもしろくしようとしているだけ。そんな感じがして気が入らない。自分の価値観とは違うところで笑いが起こっているようだ。

『暗殺教室』

2015年(平成27年)・アメリカ 監督/羽住英一郎

出演/山田涼介/二宮和也/菅田将暉/山本舞香/橋本環奈/加藤清史郎/優希美青/竹富聖花/高嶋政伸/椎名桔平

なんとつまらない映画だろう。原作が詰まらないからなのだろうが、こういう映画を大きな顔して興行しているうちは日本映画の復活なんて、まったく望めそうもない。今やアメリカ映画の製作本数が激減して、日本映画が数多く制作され公開されている現実がある。製作される多くの邦画が、これまた詰まらないものばかりで、監督だスターだとマスゴミ(塵)が騒ぐほどに不愉快になっている。

どういう神経の人間がこんな物語を作れるのだろうか。想像力が豊か過ぎて、とてもじゃないけどついていけない。老人には幼稚過ぎて、ゲームにもなれはしないと感じる。映画は遊びじゃないんだと叫んだところで、映画って遊びでしょ!、と全員から反論が返ってきそうだ。

原作は、松井優征による日本の漫画作品。『週刊少年ジャンプ』(集英社)2012年31号から2016年16号まで連載。ニンテンドー3DSのゲーム『暗殺教室 殺せんせー大包囲網!!』もあるらしい。2015年1月より6月までフジテレビ・関西テレビ・東海テレビ・北海道文化放送・BSフジほかにて放送されたテレビ・アニメもあるという。この映画の最後に「to be continued」と。その第2作目『暗殺教室?卒業編?』が今週末金曜日から公開されるということから第1作目の放映だったようだ。

『ペコロスの母に会いに行く』

2013年(平成25年)・日本 監督/森崎東

出演/岩松了/赤木春恵/原田貴和子/加瀬亮/竹中直人/大和田健介/松本若菜/原田知世/宇崎竜童/温水洋一

原作は岡野雄一による日本の漫画。西日本新聞連載の後、東京新聞月曜朝刊にて『続・ペコロスの母に会いに行く』を連載中だという。ちーっとも知らなかった。NHK BSプレミアム「プレミアムドラマ」枠にてドキュメンタリードラマとしても放送されたらしい。

自分の人生にはまったく関係のないところで、いろいろな出来事がたくさん起こっている。それが普通だが、こうやって聞いたこともないタイトルの漫画や映画を3年遅れで見ることになるとは、ある意味情けない老人の生活になってしまったのだと、あらためて認識しなければいけないのかもしれない。

自分の母親のボケがどんどん酷くなっていくさまを描いている。身につまされるというよりは、まだ見たくないという気持ちが強い。そういう思いの方が大きいうちは、たぶん自分もまだ大丈夫なのではなかろうかと感じる。ボケを知らずに呆けていく人間の性が哀しい。日本映画の特徴のように話がなかなか進まない苛立ちが。

『ゲゲゲの女房』

2010年(平成22年)・日本 監督/鈴木卓爾

出演/吹石一恵/宮藤官九郎/坂井真紀/平岩紙/沼田爆/柄本佑/村上淳/南果歩

NHKの連続テレビ小説としてTVドラマ化され、2010年4月から9月まで放送されたことは知っている。興味がないからまったく見ていない。この映画は、2010年初めに撮影が始まり、春にクランクアップし、11月20日にロードショー公開された。主演吹石一恵は、2008年4月発売の女性誌ananで初ヌードを披露し、2015年9月福山雅治と結婚している。

NHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』とは原作(原案)を同じくするが別プロジェクトであるため、テレビドラマの劇場版などではないという。そうだろうなぁと思う。こんなおもしろくない話を半年間もテレビで流していたって、視聴率は下がるばかりだろう。話の展開があまりにも平坦で、見ていてやり場のない気持ちをもてあます。

貧乏だった時代の話をだらだらと見せつけられてもなぁ~。やっぱり成功した姿を見せてくれなければ、せっかく劇場へ行ったとしても、やりきれない気持ちで劇場を出ることになってしまう。私は1作品も見たことはない『水木しげる』、現在住んでいる部屋の家主の書棚には8冊もの関係本のツカが見える。あとで、ちょっとのぞいてみよう。

『クロユリ団地』

2013年(平成25年)・日本 監督/中田秀夫

出演/前田敦子/成宮寛貴/勝村政信/西田尚美/田中奏生/高橋昌也/手塚理美

これがあの日本映画のホラーという奴か、と初めて見るこの頃のこの手の映画。いろいろなホラー映画が話題になっていたが、まったく興味がわかず、たまに見るテレビでの宣伝映像に舌打ちをするのが精一杯。子供騙しの典型の日本映画ホラーが何故うけるのか全然理解できない。どこが怖いのだろうか。不思議で不思議でどうしようもない。

この映画のコメントなど何も浮かばない。無理矢理?に演技させられている役者が可哀想だと、余計な心配ばかりが先立つ。3年前なら前田敦子全盛の時だっただろうから、映画興行としては抜群の抜擢だろう。ただ、普通の女の子の顔はアップに耐え難い。映画も舐められたもんだ。スターと呼ばれる煌びやかな俳優達が大暴れする映画が。

夜の一人歩きで子供の頃に怖い思いをしたことがないわけではない。でもそれは、お化けが出るとか得体の知れないものに出会うからとかいうものではなく、ただ暗くて一人だから怖いというものだったような気がする。死んでしまった人が霊となって現実社会に舞い降りてくることは、残念ながら『ない!』と断言できる。そんな人生は楽しくないかといえば、そんなことはない。無駄にあり得ないことに驚くことは必要ない。むしろ、絶対安全と言い切る原子力発電所に、想定しない災難がふりかかることがあり得る、ということの方が遥かに現実味がある。

『ヨーク軍曹』(Sergeant York)

1941年・アメリカ 監督/ハワード・ホークス

出演/ゲイリー・クーパー/ウォルター・ブレナン/ ジョーン・レスリー/ジョージ・トビアス

実話。アルヴィン・ヨーク~米国南部のテネシー州にある貧農の出身で若い頃は不良だった時期もあるが、牧師との出会いをきっかけに敬虔なクリスチャンに変わったという。 1914年に勃発した第一次世界大戦により27歳の時に軍に徴兵されてヨーロッパの戦線へ送られた。 当初は軍人になる事を嫌がっていたが彼は銃の射撃が上手く軍隊において次第に頭角を現してきた。そして1918年10月8日にフランスのアルゴンヌにおける戦闘で、自軍の10倍以上もの勢力があるドイツ軍を相手に戦って大勝利を納めることになる。 この「アルゴンヌの戦い」と呼ばれる戦闘でアルヴィン・ヨーク率いるアメリカ軍の兵士達は、その10倍以上もの規模を誇るドイツ軍相手に勇敢に戦い、25名のドイツ兵を殺害し、132名ものドイツ兵を捕虜にするという奇跡的な大勝利をおさめた。 この功績は即座にアメリカ本土へも伝えられて彼は一躍アメリカの英雄となった。 後日この武勲により、アメリカより名誉勲章と殊勲十字章が、フランスより陸軍勲章が、それぞれ授与された。戦後、アメリカへ帰国後しばらくの間は講演をするなどして生計を立てていたが、その後は故郷へ戻り地元の農業発展に色々と貢献した。(Wikipediaより)

おもしろい。宗教上の理由で兵役拒否を申し立てることが出来たこの時代のアメリカ。主人公の拒否は受け入れられずに、前線にまで赴くことになってしまったが、そのあたりの葛藤がさりげなく、深く心に刻み込まれる。

奇をてらわない、突飛なシーンを盛り込むことなく、それでも映画はおもしろく進行する。クスッと笑うことはあっても、一瞬に次のシーンへと移行していく。神を、聖書を信じれば人生に幸せが訪れる、と信じている主人公の素直さを見習わなければいけない。信じることは、疑わないということなのだから。

『ハスラー2』(The Color of Money)

1986年・アメリカ 監督/マーティン・スコセッシ

出演/ポール・ニューマン/トム・クルーズ/メアリー・エリザベス・マストラントニオ

ポール・ニューマン主演の1961年公開の映画『ハスラー』(The Hustler)の、25年越しの続編。日本ではハスラーを「ビリヤードをする人」という意味が定着しているが、本来はギャンブルで相手を騙して金を巻き上げる勝負師の意だという。

おもしろい。トム・クルーズが若い。当然のようだけど、まだまだ現役スターの若い時の肖像は、なんとも懐かしく感じる。1作目を観ていたと思っていたが、この映画のシーンを見ていると、思い出すところが全くなく、もしかするとまだ観ていないのかもしれない。

ビリヤードはゴルフのパッティングに似ている。ここにこういうボールを打てば、こう当たってこう変化するだろうと予測を立てる。ゴルフでもこのラインにこうやって打てば、こう曲がってホールに入る。何が同じなのかと言えば、自分で予測を繰り返すこと。そう思ったことをその通り打てるかどうかは技術の問題。しかもそう打って予測通りに行かなかったら、それは考えた自分の予測の出来が悪かったということになる。特化された頭脳が求められる競技である。

『ペーパー・ムーン』(Paper Moon)

1973年・アメリカ 監督/ピーター・ボグダノヴィッチ

出演/ライアン・オニール/テータム・オニール/マデリーン・カーン/ジョン・ヒラーマン/ランディ・クエイド

観たはずの映画だが、まったくシーンを覚えていなかった。全体の雰囲気だけはなんとなく記憶に残っている。ただ白黒映画だというのは意外だった。あえてモノクロ作品として制作されたのは、主演の2人が恐慌という時代設定に合わない金髪で青い目をしていたのを隠すためと、監督によれば「白黒の方が映画として表現力が増して見えるからだ」という。

演技の経験も少なかったテータム・オニールは、当時わずか10歳でアカデミー助演女優賞を手にした。この最年少受賞記録は未だに破られていない。後に監督は、テータムが受賞したのはその努力の賜物だと証言している。子供の演技は大人を食う。どちらが主演か分からなくなるほどだ。テータム・オニールは今52歳、出演作は少ないがまだ女優として元気なようだ。

タイトルの『ペーパー・ムーン』は、劇中挿入歌として使われている1935年の流行歌『It's Only a Paper Moon』(『イッツ・オンリー・ペーパー・ムーン』、歌:ビリー・ローズ、イップ・ハーバーグ、ハロルド・アーレン)から拝借したもの。我々世代なら誰しもこのメロディーを♪口ずさむことが出来る。軽やかなこの映画の展開は、日本映画にもおおいに参考になると思うのだが。

『前橋ヴィジュアル系』

2011年(平成23年)・日本 監督/大鶴義丹

出演/風間俊介/黄川田将也/杉浦太雄/藤田玲/八代みなせ/つまみ枝豆/宍戸開/吉田羊/加藤和樹

大鶴義丹の企画・原案で監督もしている。全体として真面目な映画。そのへんのおちゃらけたコメディ日本映画とは違う。題名からすれば、もっとはっちゃけていてもよさそうだが、大鶴義丹という人物の性根が見える。なかなかいい。地味ではあるが。

日本全国にメジャーデビューを夢みているバンドがごまんといるのだろう。メジャーデビューなんかしなくても、音楽をやっていられればいい、という人種も少しいるかもしれない。それでも、みんなからキャーキャー言われたり、使い切れないほどのお金が入って来ることを願っている人が多いに違いない。

身近にもそんなバンド生活をしていた人間がいたが、詳しく聞いていなかったのでどこまで行って、どこで諦めたのかは知らない。結構若いうちに諦めて家業を継いだが、もう少しやっていたかったのではなかろうか。あの頃では、アマチュアがプロになれる確率はかなり低かったんだろうなぁ。

『のらくら』 (The Idle Class)

1921年・アメリカ 監督/チャーリー・チャップリン

出演/チャーリー・チャップリン/エドナ・パーヴァイアンス/マック・スウェイン/ヘンリー・バーグマン

私のハードディスクの中にはこのタイトルのフォルダーに3作品が収められていた。1本目は、『サニーサイド』 (Sunnyside・1919年・30分)極めておもしろくなかった、理由があとで分かった(後述)。2本目が本作品。3本目は、『給料日』 (Pay Day・1922年・26分)であった。

チャップリンのフィルモグラフィでは、次作の『一日の行楽』とともに『サニーサイド』はスランプ期における低調な作品とみなされているが、その背景の一つには、チャップリンのプライヴェートでの出来事が絡んでいた。
前作『担へ銃』の製作中、チャップリンは一つの噂話に悩まされることとなった。1918年6月ごろ、子役上がりで当時17歳の女優ミルドレッド・ハリスとの婚約の噂が流れるようになり、『担へ銃』完成のころになると、ミルドレッドの母親が「ミルドレッドが妊娠した」とチャップリンに告げ、これによりチャップリンは進退窮まるようになった。いわゆる「できちゃった結婚」のスキャンダルが流れて人気がガタ落ちすることを恐れたチャップリンは、側近に命じて大急ぎで結婚の手筈をととのえさせて、『担へ銃』封切の3日後にあたる1918年10月23日に、「なんの喜びもないままに」ミルドレッドと結婚することとなった。
このころのチャップリンの信念には「結婚は創造力を弱める」というものがあり、ミルドレッドと結婚した以上は結婚生活を何とかうまくやって行こうという意志こそあったものの、ミルドレッドの妊娠話が、実は完全な狂言であったことが発覚したことは、ミルドレッド自身が「チャップリンの妻」という肩書を得て一時的にせよ業界でもてはやされたのとは対照的に、チャップリンに少なからぬ打撃を与える結果となった。こういう、チャップリンにとっては「泣きっ面に蜂」的な状況の中で次回作の製作の準備は進められることとなるが、舞台を田舎に設定して、それが終始一貫していたこと以外、チャップリンが次回作に当初どのような腹案を持っていたかについては、ただでさえチャップリンが秘密主義者であったことも加味しても、他の作品以上にはっきりしたことはわかっていない。(Wikipediaより)

予定調和のコメディー・ストーリー展開が私には響かないのかもしれない。決まり切った笑いが、なんとも虚しく感じるのは自分の特徴のような気がする。誰も予想だにしない出来事が笑いになる時、初めて腹の底から大笑いできる気がする。

『アパートの鍵貸します』(The Apartment)

1960年・アメリカ 監督/ビリー・ワイルダー

出演/ジャック・レモン/シャーリー・マクレーン/フレッド・マクマレイ/レイ・ウォルストン

間違いなく観ているはずなのに、このコメント欄に記載がない。誰からも非常に評価の高いこの映画を、また?観ることのためらいはこれで消えた。やっぱり新鮮なシーンばかりで、期待にそぐわない。1960年ののアカデミー賞にて、作品賞、監督賞など5部門受賞。2時間と当時にしては長めの上映時間がまったく気にならない。細かいシーンに気配りがいっぱい詰まっている。1800本も観てくると、この映画の素晴らしさに感嘆する。

『1959年11月現在- ニューヨーク市の人口は804万2783人 平均身長 166.5センチとして横に並べると- タイムズ・スクエアからパキスタンまで届く ・・・ 勤続3年10ヶ月 週給94ドル70セント ・・・ 』と、冒頭に主人公が自分の境遇を語り出す。当時のアメリカの資料としても大変興味がある。上司の逢い引き用に自分のアパートを貸して、自分の出世の糧にしている毎日がおもしろおかしく描かれている。おもしろい映画はそつがない。余計な怒鳴り声も聞こえてこない。ジャック・レモンは35才、あのシャーリー・マクレーンは26才だ。

主人公が自宅でテレビをつけた際、ジョン・ウェイン主演の『駅馬車』や『拳銃無宿』、グレタ・ガルボ主演の『グランド・ホテル』が流れている。『お熱いのがお好き』の撮影時におけるトラブルから、一時期、関係が険悪になり決別していたワイルダー監督とマリリン・モンローはこの映画の大ヒットパーティーで偶然に再会し、和解したという。この事から、次回作『あなただけ今晩は』のヒロインにモンローを起用しようと考えていたが、モンローの突然の急逝によりそれは叶わぬものとなったらしい。明石家さんまがこの映画のジャック・レモンを意識しながらテレビドラマ『男女7人夏物語』の今井良介を演じていたと、自らDJを務めるラジオ番組『ヤングタウン』の中で語っていたことがある。テニスのラケットでスパゲティの湯を切るシーンはそのまま引用して演じていた。

『恋愛寫眞 Collage of our Life』

2003年(平成15年)・日本 監督/堤幸彦

出演/広末涼子/松田龍平/小池栄子/ドミニク・マーカス/山崎樹範/西山繭子

東京とニューヨークを舞台としたラブストーリー。写真が映画のテーマとなっており、主人公の誠人や静流が写真を撮影するシーンや写真が多数登場する。タイトルの「寫眞」は映画を意味する言葉(旧語)でもある。ただし「恋愛写真」を旧字体で書くと「戀愛寫眞」となるが、この映画のタイトルでは新字体の「恋」が使われている。本作とコラボレーションの形で、市川拓司によって執筆された小説が『恋愛寫眞 もうひとつの物語』である。映画と小説は、東京とニューヨークという物語の舞台、主人公二人の名前、二人が写真を撮る、という設定は共有しているが、人物の造型、エピソードの展開、物語の結末などは、まったく異なっている。この小説は『ただ、君を愛してる』の題名で、玉木宏、宮崎あおいの主演によって映画化され、2006年10月28日に公開された。(Wikipediaより)

いや~詰まらない映画だね~。また途中で寝た。ここのところ映画を見ながら寝ていないな、と思ったら、借りてきた洋画DVDを見ていた。意図しない録画の映像、しかも日本映画ではこうなることは必定かもしれない。こんな映画に金を掛ける手間暇がもったいない。

わざわざニューヨークロケまでしている。顔を見ただけで嫌な気分になる広末涼子、声を聞いても気持ちがすぐれなくなる。松田龍平も見ていて気持ち悪い顔をしている。個人の趣味志向だから仕方がない。一度嫌いになったら好きになる事はまずないであろうと思われる。

『フォックスキャッチャー』(Foxcatcher)

2014年・アメリカ 監督/ベネット・ミラー

出演/スティーヴ・カレル/チャニング・テイタム/マーク・ラファロ/ヴァネッサ・レッドグレイヴ/シエナ・ミラー

正式社名はE. I. du Pont de Nemours and Company(イー・アイ・デュポン・ド・ヌムール・アンド・カンパニー)で、本社はデラウェア州ウィルミントン市に存在する。創業は1802年。資本金は111億3600万USドル。創業者はフランス出身のユグノーでエミグレ(フランス革命後に国外へ逃亡した人々)であるエルテール・イレネー・デュポン(1771年 - 1834年)。メロン財閥、ロックフェラー財閥と並ぶアメリカの三大財閥と称されることもある。(Wikipediaより)

これも事実に基づく映画であるというクレジットが入っている。あのテュポン家の遺産相続人のひとりであるジョン・デュポンが主人公。アメリカのアマチュア・レスリングの支援者としても有名だった。所有するフォックスキャッチャー農場にレスリング施設を建設する。これが映画のタイトルになっていく。

なんと根暗なスポーツ映画だろう。これほどまでの陰湿なスポーツ映画は初めて。これはアマチュ・レスリングというスポーツ映画を取り上げたのではなく、ひとりの財産家で支援家の精神異常者の生活を描いたものに違いない。1997年に主人公は友人でありレスリングのフリースタイル金メダリストであるデイヴ・シュルツを殺害してしまった。そして、2010年獄中死している。

『フォーカス』(Focus)

2015年・アメリカ 監督/グレン・フィカーラ/ジョン・レクア

出演/ウィル・スミス/マーゴット・ロビー/ロドリゴ・サントロ/ジェラルド・マクレイニー

詐欺師と言うよりはチームでやる窃盗集団が主人公の仕事。スリとった物を次々と人手(ひとで)に渡していく様は一種の芸術、奪った高価な品物は海外に流し、スキミングしたカード情報も全部海外に売り飛ばして現金化している。実際にもこういった犯罪は引きも切らないのだろう。

手際の良い犯罪シーンを見ているのは意外と心地良い。アメリカ映画はどんな場合もベッド・シーンを入れて楽しませてくれるが、せっかくの軽快なリズムが台無しになって、余計なシーンだと珍しく怒ったりする。盗まれた側の映像が一切ないのがいい。罪悪感のない遺法行為は、決して悪いものではない。

順風満帆な軽犯罪の積み重ねも、最後の大勝負の前哨戦、映画らしく大きなヤマを作ってくれる。が、次の瞬間には仕組まれた罠だとどんでん返しばかりが映し出されて、ちょっと辟易。でもおもしろくないわけではない。映画の醍醐味はある。気楽に観られる映画としては素晴らしいと感じる。10本に1本くらいはこんな映画が好ましいと思える。我が儘な観客はそう思う。

『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(The Imitation Game)

2014年・イギリス/アメリカ 監督/モルテン・ティルドゥム

出演/ベネディクト・カンバーバッチ/キーラ・ナイトレイ/マシュー・グッド/ロリー・キニア

The Imitation Game (「模倣ゲーム」)というタイトルにちょっと違和感がある。勝手ではあるが、イミテーションというと「偽物」というイメージが強く、映画の内容とは相容れない題名だと感じて困った。

第二次世界大戦でドイツ軍が使用した『エニグマ』という暗号システムを解読しようと奮闘するイギリスの天才数学者の物語。このエニグマについては以前、2001年のまさしくその題名『エニグマ』(ENIGMA)を見た記憶がめずらしくあったので、ものすごく入り込みやすかった。おもしろかった。プロの評価も高いし興行的にも成功、多くの国際的賞を獲得しているらしい。珍しく私のおもしろいと思う心がプロとも大衆とも合致した。

『Based on A True Story』主人公の天才数学者がホモセクシャルであることから当時の社会から排除されたくだりは、時代を強く感じると共に時代の意識の変遷をも強烈に記憶にとどめさせられる。同性間性行為のかどで訴追された主人公の英国政府による恩赦が発表された2013年12月24日のことだったという。ふ~む、である。


2018年3月2日再び観たので記す。

『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(The Imitation Game)

2014年・イギリス/アメリカ 監督/モルテン・ティルドゥム

出演/ベネディクト・カンバーバッチ/キーラ・ナイトレイ/マシュー・グッド/ロリー・キニア

エニグマという語感の良い機械は、ナチが開発し第二次世界大戦で大きな威力を発揮した暗号発生器だ。どうにも解けない暗号を破るために集められた天才たちの中の主人公数学者とそれを取り巻く人たちの物語。一度観ていることを承知している。エニグマという題名のもう1本の映画も観ている。

舞台はイギリス。戦争が終わってからの話が本筋だが、子供のころや戦争が始まったばかりのころあたりが何度もフラッシュバックされる。戦争が終わってからでも、まだあのイギリスでもホモ・セクシャルは罰せられていたらしく、主人公は男色を抑えるための薬を飲まなければいけないという判決を受けていておかしかった。

LGBTなんていう流行語みたいなもので世の中の実態を知ることになるゴクゴク普通の人種には、この映画の中の本人以外の人たちの同性愛者に対する態度がちょっと冷たいんじゃないの、と思えていた。が、考えてみたら、我々だって少し前までは男が男を?なんていうことが信じれなく、気持ち悪がっていたことを思い出すほどの時間が経過していた。

『パージ』(The Purge)

2013年・アメリカ 監督/ジェームズ・デモナコ

出演/イーサン・ホーク/レナ・ヘディ/アデレイド・ケイン/マックス・バークホルダー

goo辞書によれば、[purge]:1.清める,浄化する;…から(不純なものを)取り除く((of ...));〈不純なものを〉(…から)取り除く((away,off,out/from ...)) 2.〈国・党・宗派などから〉(不純分子を)追放する,パージする((of ...));〈不純分子を〉(…から)追放する((from ...));(特に)〈党の不純分子などを〉粛清する 3.〈人の〉(罪・嫌疑を)晴らす,洗い清める,〈祭壇などから〉(汚れを)はらう,除く((of ...));(…から)清める,晴らす,除く((from ...))  Red Purge(レッドパージ)は有名だ。

経済が崩壊した後のアメリカでは、「新しいアメリカ建国の父たち」を名乗る集団が全体主義的な統治を行っていた。「父たち」は1年に1回、すべての犯罪が合法化される夜(パージ)を設けた(夜7時から翌朝7時までの12時間)。この間、すべての警察、消防署、医療サービスが停止される。パージの導入によって、犯罪率と失業率は1%にまで低下し、経済状況も改善したのである。大衆はパージによって日頃の鬱憤を晴らしていたが、実際は「父たち」が大衆をコントロールするための行事であった。なぜなら、パージの夜に犯罪の標的となるのは富裕層ではなく、貧困層だったからである。そんな状況下の2022年3月21日、ロサンゼルス近郊の富裕層の居住区に住むサンディン一家は、パージの前に逃げ込んできた男を匿ったために、犯罪者たちと戦うことになってしまった。(Wikipediaより)

胸糞悪い、趣味の悪い映画である。ホラー映画とジャンル分けされていたが、もっとひどい言い方のジャンルを求めたいくらいだ。アメリカの良心という言葉が何回か出てくる、一方は人殺しを一方は殺人を否定する。銃社会ならではのアメリカ、妻だろうが子供だろうが自分の身を守るためには引き金を弾くことを躊躇わない。ふ~む!$%&

『プロミスト・ランド』(Promised Land)

2012年・アメリカ 監督/ガス・ヴァン・サント

出演/マット・デイモン/ジョン・クラシンスキー/フランシス・マクドーマンド/ローズマリー・デウィット

いわゆるシェールオイルの採掘権を農家と契約しようと、大企業から派遣された営業マンが奮闘する物語。マット・デイモンが出てくるとまたまたアクションシーンがあるのではないかと、かすかに期待してしまうのは。

大きな役をずーっとやり続ける弊害があることは確かだ。もうアクションとは関係のない映画にたくさん出ているのに、仕方がないことでは済まされない。

新しいエネルギー源にもいろいろな問題がある。採掘することから起こるその土地の水の問題や環境問題は、この映画のテーマのように採掘さえも許さない世論へと発展している。さらに、エネルギーに対する世界的なニーズの変化は、せっかくの新しいエネルギーをも呑み込もうとしている。この映画も大会社の横暴と地元農家の誇りを秤に掛けるような物言いで、この問題の難しさを表現しているようだ。

『誘拐の掟』(A Walk Among the Tombstones)

2014年・アメリカ 監督/スコット・フランク

出演/リーアム・ニーソン/ダン・スティーヴンス/デヴィッド・ハーバー/ボイド・ホルブルック

誘拐ものは映画の王道でもある。ほとんどは助けられて還ってくるが、希に殺害されてしまう。いずれにしても物語だと思えばこそ、どきどきはらはら成り行きを見守っていける。こんな効率の悪い犯罪が起こってしまうのが現実だが、さすがに最近の日本では大きな誘拐事件は起きていない。

主演のリーアム・ニーソンは北アイルランド出身の俳優だが、日本ヘラルド映画が配給したカンヌ映画祭グランプリ作品『ミッション』(The Mission・1986年)に、ひとりの宣教師役で出ていたと初めて知った。ミッションでは、ロバート・デ・ニーロとジェレミー・アイアンズの陰に隠れてまだ役者としてはよく知られていない。スティーヴン・スピルバーグ監督作品『シンドラーのリスト』(Schindler's List・1993年)でオスカー・シンドラーを演じてアカデミー主演男優賞にノミネートされた頃からメジャーになっていった。出演作品はかなり多い。

誘拐犯から警察には知らせるな、という言葉を聞いて、さてどうしようかという家族の判断がよくあるシーン。現実的な日本ならおそらく100%警察に連絡するだろう。それは日本社会がまだアメリカほど病んでいない証拠かもしれない。残念ながら欧米の犯罪では簡単に人を殺してしまう。何時間でも説得すれば、人質を助けられると思っている警察関係者も庶民も、仕合わせな環境で暮らせている状況をかみしみなければならない。

『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』(Avengers: Age of Ultron)

2015年・アメリカ 監督/ジョス・ウェドン

出演/ロバート・ダウニー・Jr/クリス・ヘムズワース/マーク・ラファロ/クリス・エヴァンス/スカーレット・ヨハンソン

マーベル・スタジオが製作、ウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズが配給するアメリカ合衆国のスーパーヒーロー映画である。「マーベル・コミック」のスーパーヒーローチームである『アベンジャーズ』をフィーチャーした、2012年の映画『アベンジャーズ』の続編で、様々な「マーベル・コミック」の実写映画を、同一の世界観のクロスオーバー作品として扱う『マーベル・シネマティック・ユニバース』シリーズとしては第11作品目である。前作と同じく、再び各作品のヒーローらが集結し共闘する「フェイズ2(第2シーズン)」のクライマックスとなる作品でもある。(Wikipediaより)

面白くない。新たに借りてきたDVDが最初から3本目までまったく面白くなくて困った。アメリカの映画界ではアメリカン・コミックが息を吹き返し、やっぱりこれが俺たちのコミックだよな、と大手を振っている。子供の頃に馴染まないコミックの世界には、どうしても入りきれない。それでなくとも漫画チックなことを好きではない自分には、ちょっとばかりバカバカし過ぎて、何がなんだかちっとも頭に入った来なかった。

一人がヒーローものは、見応えがあった。これでもか、とヒーローが集結し、ハリウッド俳優も総出演では、味も素っ気もなくなっている。ただ多くのヒーローが活躍したって、面白いものではないことの典型作品みたいなもの。アメリカ人はキャッキャッ言っているのだろうか。

『あと1センチの恋』(Love, Rosie)

2014年・イギリス/ドイツ 監督/クリスチャン・ディッター

出演/リリー・コリンズ/サム・クラフリン/タムシン・エガートン/スキ・ウォーターハウス/クリスチャン・クック

最近の恋愛ものは、手を変え品を変え、ちょっと変わった恋愛事情を描くケースが多い。なので、そんなに失望することはなかった。が、この恋愛映画はひどい。幼なじみの二人が真実の愛に気づかないで、傷つき合いながら大人になっていく姿を描いている、と綺麗に言っておこう。

原題の Rosie ロージーは主人公の女性の名前。この邦題も酷い。この位の映画の出来では日本映画の中に入っても下位にしかランクされないだろう。

高校生あたりでもセックスをするのが日常の欧米、今や日本でもそうなのだろうか。このあたりはまだまだ追いつけない日本があるのだろうと思うが、よく分からない。そんな子供を見る親の目が欧米とは大きく違っているように感じる。自分達が通ってきた道を同じように歩む子供たちに、暖かい目を向けるのはさすが欧米人。日本は50年以上遅れているというか、こと親の意識と行動は追いつくそぶりさえ感じられない。


2017/8/30に再び観たので記す

『あと1センチの恋』(Love, Rosie)

2014年(平成年)・イギリス/ドイツ 監督/クリスチャン・ディッター

出演/リリー・コリンズ/サム・クラフリン/クリスチャン・クック/スキ・ウォーターハウス

なんと陳腐な邦題だろう。こんな卑猥な邦題を付けて恥ずかしいと思いなさい。そんな風潮が今を走る。宮城県観光PR動画での壇蜜編が下ネタ過ぎると文句を言う人がたくさんいるという。それじゃ何パーセントの人が嫌だと言っているのか正確に調査したらいい。あの程度の表現がほんの一部の「健康優良大人」に責められるのを見ていると腹が立つ。

この映画の前半など、あの観光動画に比べたら、大人と子供。今風の外国映画ならこの程度は仕方がないなぁ、と思っている「進歩派」の自分にとっても、ちょっとやりすぎじゃないの、と思えてくるシーンの連続でハラハラしてしまった。後半はだいぶ落ち着くのだが、なぜそんなはらはらシーンを登場させたのかを知るのは、ホントの最後になってからだろう。

5歳の時から親友のように育ってきた男と女、男と女にはセックスしかないのだという現実を知っているからこそ、キスもしないで過ごしてきた二人。男と女に友情はあるのか、という疑問を映像で語りかけている。そんな理屈でもないのだけれど、信じているからこそ、余計なことは言いたくなかった二人。肝心なことを言わないで忖度だけで生きていくには、人生は辛い。出逢いと別れを繰り返した二人に残されたのは、お互いの気持ちを素直に伝えることだけだった。というスタートからは考えられないエンディングに映画の良さがちょっと。

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(Birdman or The Unexpected Virtue of Ignorance)

2014年・アメリカ 監督/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

出演/マイケル・キートン/ザック・ガリフィアナキス/エドワード・ノートン/エマ・ストーン/エイミー・ライアン

本作は演出・演技・音楽・撮影・脚本など全てが大いに賞賛された。映画批評集積サイトRotten Tomatoesには256件のレビューがあり、批評家支持率は93%、平均点は10点満点で8.5点となっている。サイト側による批評家の意見の総括は「アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督にとって驚異的な躍進となる作品だ。『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』は奥深いストーリーとマイケル・キートンとエドワード・ノートンの見事な演技に支えられている。技巧を凝らした野心的な作品だ。」となっている。また、Metacriticには46件のレビューがあり、加重平均値は89/100となっている。中でも、マイケル・キートンの演技に対する称賛は並外れており、「21世紀を代表するカムバックだ。」「オスカー像をとるべき男だ。」などと多くの批評家から激賞されている。バラエティのピーター・デブルージは本作を絶賛し、「ショービズの世界に精通した者によるショービズ自体を風刺した映画」「あらゆる創作物の水準を超えている」と述べている。デイリー・テレグラフのロビー・コリンは本作に5つ星評価で満点となる5つ星を与え、エマニュエル・ルベツキの撮影技術を称賛した。リチャード・ローパーは本作にA評価を下し、「マイケル・キートンはオスカーの有力候補だ。」と語った。ゴールデングローブ賞には最多7部門にノミネート、2部門を受賞。アカデミー賞に最多9部門にノミネートされている。英国映画協会が発行する「サイト&サウンド」誌が選ぶ2014年の映画トップ20では16位、米ローリング・ストーン誌が選ぶ2014年の映画ベスト10で第2位を獲得。アメリカ映画協会(AFI)が選ぶ2014年のベスト映画トップ10に選ばれた。(Wikipediaより)

本格的な映画らしい映画ほど詰まらないものはない。観ている最中からどこが面白いのだろうと疑問を持って観ていた。玄人好みの映画は性に合わない。ましてや業界の話を持ち込んで、舞台劇をテーマに映像化、ストーリーを作っているこの映画に興味は全く沸かなかった。

久しぶりに借りてきたDVD、まったく情報がなく適当に選んでいる。観る順番は袋から出した順番、最初にこの題名でちょっとびびった。

『ロジャー・ラビット』(Who Framed Roger Rabbit)

1988年・アメリカ 監督/ロバート・ゼメキス/リチャード・ウィリアムス

出演/ボブ・ホスキンス/クリストファー・ロイド/ジョアンナ・キャシディ/ロジャー・ラビット(アニメ)

舞台は1947年のハリウッド。トゥーン(アニメーションキャラクター)が実社会に存在しているという設定で、トゥーンと人間の関係を描いている。先に撮影された実写にアニメーションを合成する形で制作された。1988年のアカデミー視覚効果賞・アカデミー編集賞・アカデミー音響効果賞を受賞。

なかなかたいしたものだけど、アメリカンジョークの世界にはついていけない。やっぱり寝てしまった。 ~ この映画に出てきたトゥーンたちが住む街・トゥーンタウンは、その後実際に世界各地のディズニーパークに作られ、キャラクターたちが住む街という設定も踏襲されている。 なお、この映画に出演しているトゥーンはディズニー作品だけでなく、バッグス・バニー(ワーナー・ブラザーズ)やドルーピー(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)、ベティ・ブープ(パラマウント映画)など、アメリカン・アニメーションの黄金時代を飾った他社のキャラクターが幅広く出演しているクロスオーバー作品である。当初、制作総指揮のスピルバーグは、他にもポパイやトム&ジェリーなどのキャラクターを登場させたかったが、権利を獲得することはできなかった。この世界のテリー・トゥーンズのマイティマウスとアニメ映画版のスーパーマンは最初の脚本(マーヴィン・アクメの墓場のシーン)で登場するはずだったが、後にそのシーンごとカットになってしまった。

1998年、続編を製作すべく案が浮上し、スピルバーグも興味を示した。だがスピルバーグはドリームワークス設立のためにプロジェクトを離脱し、3D上映の需要も高まってきていたためそのプロジェクトはしばらく頓挫する。しかし2010年現在、監督のゼメキスはインタビューで「続編の可能性はありうる」と発言し、現在もそのプロジェクトは存在している。(以上、Wikipediaより)

『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』(Back to the Future Part II)

1989年・アメリカ 監督/ロバート・ゼメキス

出演/マイケル・J・フォックス/クリストファー・ロイド/リー・トンプソン/クリスピン・グローヴァー

パート1でジョージ・マクフライ役を演じたクリスピン・グローヴァーは、本作では「他の役に挑戦したい」という理由から「役を引き受けるつもりはない」と断ったらしい。その一方で出演料の折り合いが付かなかったために降板したともされている。クリスピンはデタラメであると語っているが真相は不明[4]。そこで、パート2では、時空の歪みが生んだもう一つの1985年、通称1985年A(Alternate 1985)において、ジョージは死亡しているという設定になった。パート2とパート3では、ジョージ役を背格好が酷似したジェフリー・ウェイスマン(英語版)が演じており、老人となった2015年のジョージ以外は顔が目立たないように撮影されている。パート2の冒頭のロレインと一緒に、マーティとジェニファーをドア越しに見るシーンと、1955年のシーン(ジョージの顔がはっきり写っているシーン)はパート1の映像を利用し、新聞の顔写真にもクリスピンの写真を用いているが、この件に関してクリスピン・グローヴァーの許可を一切取っていなかったとしてゼメキスとスピルバーグを相手取って訴訟を起こした。結局、示談の末、クリスピン・グローヴァーの要求が認められることとなり、俳優組合にも新しい協約が設けられることとなった。

ジェニファー役は、パート2以降、パート1のクローディア・ウェルズからエリザベス・シューに変わった。これは、母親がガンと診断されたことでクローディア・ウェルズが女優業を一時休止したため。クローディア・ウェルズはその後1996年に映画『Still Waters Burn』に出演するまで活動を休止していた。『Still Waters Burn』は2008年2月にDVDとしてリリースされている。2015年のマーティの娘マーリーンは、マイケル・J・フォックスが女装をして演じている。

当時、最新合成技術であったビスタ・グライド・システムが使用されている。モーションコントロール・カメラでカメラの動きを完全制御し、小道具はすべてセットに固定し、同じ俳優を別位置で撮影し、フィルムの境界をぼかしながらつなげる技術である。このビスタ・グライド・カメラのお陰で従来のカメラを固定したままという制約から解放されている。合成の制約上、合成相手に触れたり、物を受け渡したり、フィルムAからフィルムBに移動することはできない。2015年から1985年Aに戻ってきたデロリアンが空から降下しながらタイヤを変形させ、着地してそのまま道路を走るシーンは、空中のシーンから画面手前の街灯を通るまでは模型の、街灯を通り過ぎてからは実車のデロリアンで撮影されており、模型と実車をワンカットで連続して見せる事に成功している。(全部Wikipediaより)

『荒野の一つ星』(WANTED)

1967年・イタリア 監督/カルヴィン・ジャクソン・パジェット

出演/ジュリアーノ・ジェンマ/テレサ・ギンペラ/セルジュ・マルカン/ゲルマン・コボス/ジア・サンドリ

マカロニ・ウェスタンはどれを観ても変わりないだろうから、どちらかというと観る気にはなれない。何本か観て、もうお腹が充分だと感じている。でも、観る映画がまたなくなった。テレビ局もそれなりに放映しているが、ますます吹き替え版が多くなってしまったのは困ったものだ。

欧米各国では映画館上映の外国映画は昔から吹き替え版がほとんどと言われていた。字幕を読むのが面倒だということよりも、一番のお客様たちが文字を読めないからだと聞かされていた。たぶん半分は本当だろうが、そんなに馬鹿にしたほどでもなかろうとも思う。

テレビばかりではなく映画館でも吹き替え版が幅をきかせる時代となった。日本人もどんどんレベルが落ちてきたのだろう。文字が読めないのではなくただ面倒だと言うかもしれない。でもそうやって字幕を読まなくなれば、おそらく20年後には欧米の映画館と同じように吹き替え版がほとんどの上映になってしまうかもしれない。心配するほどではない、という楽観論者は20年後の現状を伝えて欲しい。

『SADA 戯作・阿部定の生涯』

1998年(平成10年)・日本 監督/大林宣彦

出演/黒木瞳/片岡鶴太郎/椎名桔平/嶋田久作/ベンガル/石橋蓮司/赤座美代子/根岸季衣/池内万作/坂上二郎

1936年(昭和11年)5月16日の夕方から定はオルガスムの間、石田の呼吸を止めるために腰紐を使いながらの性交を2時間繰り返した。5月18日午前2時、石田が眠っている時、定は二回、腰紐で死ぬまで彼を絞めた。定は包丁で彼の性器を切断した。雑誌の表紙にペニスと睾丸を包み、逮捕されるまでの3日間、彼女はこれを持ち歩いた。そして彼女は血で、シーツと石田の左太ももに「定、石田の吉二人キリ」と、石田の左腕に「定」と刻んだ。

この事件はすぐに国民を興奮させた。そして彼女の捜索について引き続いて起こる熱狂は「阿部定パニック」と呼ばれていた。瓜実顔で髪を夜会巻きにした細身の女性を、定と勘違いし通報を受けた銀座や大阪の繁華街は一時騒然としてパニックになった。定が現れたという情報が流れるたびに、町はパニックになり、新聞はそれをさも愉快に書きたてた。この年に起こった失敗した二・二六事件クーデターの引用で、目撃例の犯罪が「試みイチ-ハチ」(「5-18」または「5月18日」)と諷刺的に呼ばれた。「上野動物園クロヒョウ脱走事件」「二・二六事件」とあわせて「昭和11年の三大事件」と呼ばれている。(以上Wikipediaより)

男のイチモツを切り取った猟奇的事件として、このことだけが大きく伝わっている。ここに行き着く過程を映画は描きたかったに違いない。でもよく分からない。黒木瞳がアベサダでは期待が持てないと思っていたが、その通り。愛欲の極致を表現できなければ、失敗だろう。この手の映画で思い出すのは『ラスト、コーション』(色・戒/2007年/アン・リー監督)、この映画のような描き方が出来て初めて男と女の決着をつけることが出来るだろう。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(Back to the Future)

1985年・アメリカ 監督/ロバート・ゼメキス

出演/マイケル・J・フォックス/クリストファー・ロイド/リー・トンプソン/クリスピン・グローヴァー

さすがにこの映画はリアルタイムでも観ているはずだが確かではない。久しぶりに観ると、内容をほとんど覚えていないのはいつも通りだが、割合と馴染みのシーンといった雰囲気があって、一所懸命観ていた過去が蘇ってくる。意外とドタバタな内容だったことが初めて分かった。30年前へのタイムスリップは夢がある。

Wikipediaに数々のエピソードが書かれていたので抜粋する。・冒頭の時計がたくさん並んでいる場面は「タイム・マシン 80万年後の世界へ」のオマージュ。・マーティが1955年にタイムスリップしてヒルバレーの町にやってきた際、ガソリンスタンドに入った車を複数の店員が清掃・点検する様子を彼は興味深げに見ていたが、これは1985年当時のアメリカではすでにガソリンスタンドはセルフサービスが一般的だったからである。・マーティがヒルバレーでビフとその子分たちに車で追い回された際、マーティは子供が使用していた木製のキックスクーターを借りてハンドル部分を取り外し、スケートボードのように使用して追跡から逃れようとした。これはスケートボードの原型がキックスクーターのハンドルを取り外した物であるという説に則っている。なお、スケートボードが本格的に流行し始めたのは1960年代以降である。・魅惑の深海パーティーで指を負傷したギタリスト、マーヴィン・ベリーの代理としてマーティがギターを演奏し、その後のアンコールでジョニー・B.グッドを歌った際、それを聴いたマーヴィンが「新しい音楽を探していた」従兄弟のチャック・ベリーに電話してマーティの演奏を聴かせた。つまりこれによってロック・アンド・ロールが誕生した、というお遊びである。ジョニー・B.グッドはチャック・ベリーの代表曲であり、シングルとして発売されたのは作品の舞台から3年後の1958年である。

2作目もすぐに放映されるらしく、是非また観よう。今度は未来へのタイムスリップだったっけ?

『大鹿村騒動記』

2011年(平成23年)・日本 監督/阪本順治

出演/原田芳雄/大楠道代/岸部一徳/佐藤浩市/松たか子/冨浦智嗣/瑛太/姜洪軍/石橋蓮司/小倉一郎/三國連太郎

長野県下伊那郡に実在する大鹿村では、大鹿歌舞伎(おおしかかぶき)が伝承されているという。幕府や政府の禁止にもかかわらず、庶民の娯楽として300年にわたり上演されてきたらしい。この大鹿歌舞伎を題材に、笑いあり涙ありの物語が展開する。なお、村民約300人がエキストラ出演したという。

18年前、40才を過ぎ駆け落ちしたこの村出身の二人が出戻ってきた。しかも女は記憶障害を冒している。二人を迎えた幼なじみ、特に記憶障害になってしまった女の夫はまだ離婚届を出していない。面白いはずのストーリーが相変わらず進展していかない。日本映画の大きな特徴と言える欠点が。

この監督とこの役者で面白くないのはどういう訳だろう。目の前の事柄が堂々巡りをしている。眠ってしまったのは自分の体調が理由だけでもなさそうだ。

『第七の封印』(Det sjunde inseglet, The Seventh Seal)

1957年・スウェーデン 監督/イングマール・ベルイマン

出演/マックス・フォン・シドー/グンナール・ビョルンストランド/ベント・エケロート/ビビ・アンデショーン

前作の『夏の夜は三たび微笑む』がカンヌ国際映画祭の特設賞である「詩的ユーモア賞」を受賞し、興行的成功を収めたことで自分の好きなように映画を製作できる自由を得たイングマール・ベルイマンが、一転して神の不在という実存主義的なテーマに挑んだ問題作である。本作品でベルイマンは前年の『夏の夜は三たび微笑む』に続き、1957年度のカンヌ国際映画祭のパルム・ドールに二年連続でノミネートされた。受賞はならなかったものの、本作品は同映画祭の審査員特別賞をベルイマンに齎した。前作と『第七の封印』の二作続けての批評的成功は、ベルイマンの世界的な映画監督としての声望を不動のものにした。同時に映画中で重要な役柄を演じたマックス・フォン・シドーとビビ・アンデショーンの二人にとって、本作品は彼らのキャリアを飛躍させる出世作にもなった。(Wikipediaより)

むずかしい。神の話は嫌いではないが、神と話をすることや死に神にとらわれている状況は想定外だ。この監督の名前は勿論知っている。現役時代にも有名な作品があったはずと調べてみたが、知っている題名は現れなかった。

どこの国だって映画が製作されている。この国の映画を見ることがないということは、あいかわらずこの映画のような難しい神の話が多いのだろうか。そんなわけではないだろうが、たまには現代の生活映画を観てみたいものだ。

『おさな妻』

1970年(昭和45年)・日本 監督/臼坂礼次郎

出演/関根恵子(現:高橋惠子)/新克利/坪内ミキ子/渡辺美佐子

昭和45年といえばちょうど早稲田を卒業した年。映画そのものに興味をもっていないどころか、この手の題名にはまったく反応しない精神構造だった。題名は聞いたことがあるし、関根恵子の名前も知ってはいた。今聞くこの題名は、「日活ロマン・ポルノ」と勘違いするような響きがする。

今どきだって普通ではない女子高校生の結婚。この時代としては多少きわどいセリフがふんだんにあるが、セリフだけとってみれば、今どきなら誰も驚くようなことはないであろう。極めて真面目な取り組み方に好感が持てる。同じ昭和45年には東京12チェンネルで50回、1時間枠のテレビ・ドラマが放送された。また、1980年には再映画化されているようだ。

ある程度歳をくってからの顔しか知らない関根恵子だが、どちらかというと好きではない顔だ。どうして人気があったのかは、この映画を見て分かった。この時代の彼女は癖のない実に素直な顔立ちが印象的だった。年を経て人生の苦労が顔を特徴あるものにしていったような感じがする。勝手な印象で申し訳ないが。

『ヒッチコック』(Hitchcock)

2012年・アメリカ 監督/サーシャ・ガヴァシ

出演/アンソニー・ホプキンス/ヘレン・ミレン/スカーレット・ヨハンソン/ジェシカ・ビール

アルフレッド・ヒッチコック監督は、1960年の映画 『サイコ』(Psycho)の映画化を決めると、いきなり弟が兄を撲殺するエド・ゲイン事件にヒントを得たロバート・ブロックのスリラー小説『サイコ』の買い占めを画策する。ラストを知られないようにするための思惑だが、彼の映画に対する情熱がほとばしり出ている。しかし、パラマウント映画社もエージェントも出資に難色を示したことから、屋敷を担保に入れて自費で製作するハメになる。妻のアルマはヒッチコックの最も親密な協力者であった。アルマは何本かの脚本を執筆し、ヒッチコックの全ての作品の擁護者であった。この時代のアメリカの映倫は極めて厳しかったようだ。シャワー中の殺害シーンの問題や「アメリカ映画史でトイレの映像は必要なかった、ましてや流すなんて」、と脚本の段階からいちゃもんをつけられた。それでもアルマはヒッチコックに対して「30分で殺すのよ」と映画の面白さを忠告するのだった。

1899年ロンドンで生まれたヒッチコックは1939年までイギリスで映画を撮っていた。1940年のアカデミー賞最優秀作品賞と撮影賞(黒白部門)を獲得した『レベッカ』(Rebecca)からアメリカでの映画製作となる。映画に対する姿勢は生半可ではない。妻の仕事も男に対する態度も気になる。一方、自分の映画に出演する女優にも熱い感情を持っている。

『サイコ』の撮影裏話をストーリーの柱として、映画製作のおもしろさを存分に見せてくれる。彼が発するセリフに、愛情や皮肉やウィットを充分に味わうことが出来る。ヒッチコック研究家にとっては普通のことにしか見えないかもしれないが、素人映画ファンにはどこもかしこもおもしろいことばかりで、久しぶりに映画の醍醐味を堪能した。

『トキワ荘の青春』

1996年(平成8年)・日本 監督/市川準

出演/本木雅弘/鈴木卓爾/阿部サダヲ/さとうこうじ/大森嘉之/古田新太/生瀬勝久/翁華栄/松梨智子/北村想

「この映画は 今から40年ほど前に 「トキワ荘」というアパートに暮らしていた 若い漫画家たちの青春を 史実に基づいて描いたフィクションです」と、最初に文字が入る。我々の世代なら、このトキワ荘というアパートのことは何となく知っている。そしてまた我々自身が漫画世代の先駆者のような集団でもあった。

寺田ヒロオが主人公であり、後に漫画の筆を折った寺田や、途中でトキワ荘を去った森安なおや、そしてなかなか売れずに苦悩の日々を過ごした赤塚不二夫らの運命を反映し、盛り上がりを抑えた物静かなトーンの作品となっている。また従来の「トキワ荘ものドラマ」には登場しなかったつげ義春や棚下照生等も登場している。また、主演の本木雅弘以外の主要キャストには、当時は無名に近かった自主映画・小劇団関係者が起用されたが、後年の観点からすると非常に豪華なキャスティングになっている。(Wikipediaより)

物静かなトーンの作品といえば格好良く聞こえるが、極めておもしろくない映画だ。ダイナミックでないところが一番いけない。静かだということは長回しをすることではない。せっかくの伝説的な漫画家達が、死んでいる。違う視点から映画を作ったのだという言い訳が聞こえてくる。日本映画の力が落ちたと、強く感じる。

『ALWAYS 続・三丁目の夕日』

2007年(平成19年)・日本 監督/山崎貴

出演/吉岡秀隆/堤真一/薬師丸ひろ子/小雪/堀北真希/もたいまさこ/小日向文世/吹石一恵

2005年11月5日に公開された『ALWAYS 三丁目の夕日』の続編。前作では建設中の東京タワーや上野駅、蒸気機関車C62、東京都電など当時の東京の街並みをミニチュアとCG(いわゆるVFX)で再現し話題を呼んだが、今作でも完成後の東京タワー、東京駅、羽田空港、日本橋、当時国鉄が運転を開始したばかりの20(→151)系新型特急電車こだまなどが再現される。また映画序盤には1954年に公開された『ゴジラ』のゴジラ[2][3]がフルCGで登場している。また、当時活況を呈していた映画館や庶民の社交場であった銭湯なども再現される。また、当時ヒーローだった日活の映画スターである石原裕次郎も登場する。(Wikipediaより)

懐かしさだけが売りの映画だと感じる。この映画のちょっとあとの時代を生きてきた自分にとって、昔のことはみんないい想い出という大原則しか感じない。田舎で育った自分にとっては、もっと活き活きした子供生活が思い出される。

川、丘、田んぼ、毎日遊ぶ場所には困らなかった。自分で漕ぐ船、手作りの釣り竿と隣の家の庭で掘るミミズでの釣り、橋の下での泳ぎ、木ノ上に作った番小屋、町内対抗の野球、自分で研ぐベーゴマ、ばくちのようにやりとりするビー玉、曲芸風に回して喜ぶ駒、新聞紙で作った長い足が自慢の凧、隣の家で食べる夕食、屋根の上に寝そべって身体を焼く、菱の実、蓮の実、椎の実、山苺、野性の梨、畑のスイカ、栗やサツマイモをナマで食べる、田んぼで獲ったザリガニを茹でて食べる、オタマジャクシ、ドジョウ、タナゴ、ゴロ、恵まれた自然環境の中でありとあらゆる自分達の遊びに没頭していた少年時代。そんな風景に比べものにならないチンケな昭和に面白味は感じない。また眠った。

『サン・ロレンツォの夜』(LA NOTTE DI SAN LORENZO)

1983年・イタリア 監督/パオロ・タヴィアーニ/ヴィットリオ・タヴィアーニ

出演/オメロ・アントヌッティ/マルガリータ・ロサーノ/ミコル・グイデッリ

第二次大戦末期、ドイツ軍から逃げ出した人々がパルチザンと出会う。しかし彼らを追って、ファシストたちが銃を向けてきた……。第二次大戦末期のトスカーナ地方を舞台に繰り広げられた戦争の悲劇。村を破壊し撤退を試みるドイツ軍から逃げ出した数名の村民たちが、北上するアメリカ軍の保護を求め旅する姿を描く。「父/パードレ・パドローネ」のパオロ、ヴィットリオ兄弟によるヒューマン・ドラマで、カンヌ映画祭審査員特別グランプリを受賞。ユーモアと緊迫を折り交ぜた演出手腕が物語を盛り上げる。(allcinemaより)

ということらしいが、映画はおもしろくなかった。相変わらず眠ってしまったのは、ご愛敬とは言えない状況。「父/パードレ・パドローネ」のパオロ、ヴィットリオ兄弟監督作品だということで納得がいった。だって、この映画もちっともおもしろくなかったから。

イタリア映画はどことなくペーソスと希望に満ちたストーリーであると感じていた。貧しくても気にしない。嫌なことがあっても落ち込まない。人生を謳歌する精神構造を見て、いつも嬉しくなるものだが、この映画にはそんなことを微塵も感じさせないつまらなさがあった。

『洋菓子店コアンドル』

2011年(平成23年)・日本 監督/深川栄洋

出演/江口洋介/蒼井優/江口のりこ/戸田恵子/加賀まりこ/ネイサン・バーグ

東京で評判の洋菓子店「パティスリー・コアンドル」。この店のオーナーでシェフパティシエの依子のもとに大きな荷物を持った鹿児島弁の田舎娘、なつめがやってくる。彼女はパティシエ修行中だという恋人、海を追って上京したというが、海はとっくにこの洋菓子店を辞めていた。行き場の無いなつめだったが、この店のケーキに惚れ込んでしまい、実家がケーキ屋であることをアピールしてなんとか雇ってもらおうと奮闘する。そこでかつて伝説のパティシエと呼ばれ現在は評論家の十村と出会う。(Wikipediaより)

キャッチコピーは『甘くない人生に、ときどきスイーツ。きっと幸せになれる。』ということだが、美味しそうなスイーツがこてこてしていて、あまり美味しそうに見えない。しかも食べにくそうなものばかりが出てきて、まさしく食指の動かないシーンばかりだった。

特別協力に辻調グループ校と記載があったが、三女も高い金を出してここに通っていた。今は役に立っていないようだが、人生は長い、そのうち役に立つ時が来るだろう。万が一役に立つ日が来なくても、それはそれでいいのではなかろうか。あぁ~美味しいケーキを食べたいな。伝説のパティシエが料理人の服を着て、部屋から出てきてタバコを煙うシーンがある。ヤニの付いた手でケーキを作るなんてことは、考えただけでも気持ち悪い。分かっちゃいない。

『鬼平犯科帳 劇場版』

1995年(平成7年)・日本 監督/小野田嘉幹

出演/二代目中村吉右衛門/多岐川裕美/梶芽衣子/蟹江敬三/岩下志麻/世良公則/平泉成/藤田まこと

いやぁ~、おもしろいですね~。テレビ・ドラマでずーっとやっていたことは知っていたが、一度も見たことがなかった。決まり切った捕物帖をテレビ・ドラマの安っぽい作りで見ることなんか、どう考えたっておもしろいと思えなかったから。時々テレビのチャンネルを回している時に遭遇する映像にもその原因はあった。

この映画のようにきちんと金を掛けて映像を作られてしまうと、文句の付けどころがない。室内スタジオで撮った映像との違いが明らかだ。こういう映像なら見る気になれる。役者も一流、おちゃらけた笑いを取ろうとしなくても、ほのぼのと笑えるところは笑える。

おおらかな江戸時代の庶民を彷彿とさせる風景が時々見えて、なかなか興味がある。火付盗賊改方長谷川平蔵の人となりがうまく描かれていて、これまた興味がある。活字で彼の活躍を堪能している諸兄にはこんなコメントが信じられないだろう。ようやく池波正太郎の世界の端っこに触れた気がした。よかよか。

『赤い河』(Red River)

1948年・アメリカ 監督/ハワード・ホークス

出演/ジョン・ウェイン/モンゴメリー・クリフト/ジョアン・ドルー/ウォルター・ブレナン

史実に基づいた物語を原作としている。端整な顔立ちのモンゴメリー・クリフトは、この映画に出演した事によりスターの仲間入りを果たした。アカデミー賞2部門にノミネートされるなど、西部劇映画の傑作の一つである。

テキサス州が成立した頃、1951年開拓民の幌馬車隊と行動を共にしていた開拓者の主人公は、幌馬車隊に別れを告げ「赤い河」を渡りテキサス州の広大な土地に自分の夢を託して旅だった。彼に恋していた娘の申し出も断り、幌馬車隊にいたもう一人のカウボーイと隊を離れるのだった。家族をインディアンに殺害された一頭の牛を連れた一人の少年を養子として迎え、ミシシッピ川の側にある広大な土地に自分の牧場を作る。

14年後南北戦争も終わり、せっかく育てた牛の値段が急落、窮余の策で牛1万頭を1600km離れた場所へ運び、牛を高く売る大計画を立てることになった。この道すがらが映画の物語。100日間に及ぶ移動生活を描いていく。おもしろい。カウボーイ同士の反乱や息子との確執など、余計な描写を切り捨て、テキパキと物語が進行する。68年前の映画は現代の日本映画より遥かにおもしろく、爪あかを望む気持ちが高ぶってくるのを抑えきれない。

『振り子』

2015年(平成27年)・日本 監督/竹永典弘

出演/中村獅童/小西真奈美/石田卓也/清水富美加/武田鉄矢/黒田アーサー/松井珠理奈

原作は、あのお笑い芸人でイラストレーターでもある鉄拳のパラパラ漫画の動画『振り子』で、動画再生回数300万回以上を記録したという。中村獅童も小西真奈美も好きな顔ではなく、食指が動かない鑑賞となった。映画はスターで作られるもの、自分の好きなスターを追いかけて気持ちが動くことが心地良いのだが。

高校生の時に出会った夫婦の生活が物語の筋。子供の成長が早く、なにも起こらない映画に見える。妻が脳梗塞で倒れて寝たきりの人生になってからが長い。落語のオチのように最後の最後に観客に訴える展開を用意している。そこに行き着くまでの線が細すぎて映画の体をなしていない、残念ながら。

誰かの夢に乗って自分の人生を歩んでいけたら、また違った人生が送れるかもしれない。自分で自分の人生を切り拓くなんて、本当は無理だったはずの自分には、そんな生き方もあるんだと後悔の念を抱かせる。十人十色の人生があって当たり前の人間生活、そんな多様な人生を理解できていれば、自分の人生もちょっとは変わっていたのかもしれない。

『ターミネーター』(The Terminator)

1984年・アメリカ/イギリス 監督/ジェームズ・キャメロン

出演/アーノルド・シュワルツェネッガー/マイケル・ビーン/リンダ・ハミルトン/ポール・ウィンフィールド

ボディビル出身の俳優アーノルド・シュワルツェネッガーを一躍スターダムに押し上げ、シリーズ化されたSF映画。1991年に『ターミネーター2』、2003年に『ターミネーター3』、2009年に『ターミネーター4』が製作される。 また、直接的な繋がりはないが、2015年に本作のリブートとなる『ターミネーター:新起動/ジェニシス』が製作された。

1968年に出身地オーストリアからアメリカにやってきたシュワちゃんが、2003年から2011年にかけてカリフォルニア州知事を務めるなんて誰が想像しただろうか。1977年にドキュメンタリー『鋼鉄の男』に出演する。彼はこの映画を政治家への障害と見なし、1991年に映画の権利、未使用フィルム、スチル写真を購入した。シュワルツェネッガーはこの映画に関しての議論を拒絶しているが、批評家は写真を根拠に彼は目とあごに少なくとも一回の美容整形手術を行っていると主張している、なんていう話もある。

32年前の映画を今更ながらに見た。リアルタイムで観る気にはなれなかった。ちょうど宣伝部長になった頃、まったく映画を見ない時間が続いていた。1984年に描く45年後2029年の物語。映画が描く近未来には殺伐とした風景の世界が出現する。必ず核戦争が起こり、その後は人類は地下に潜ったりすることが多い。この映画の未来は人間と機械軍との戦いが起こっているようだ。そういう未来からタイムスリップしてやってきたターミネーターだった、ということが分かっただけで府に落ちてよかった。

『私は二歳』

1962年(昭和37年)・日本 監督/市川崑

出演/船越英二/山本富士子/浦辺粂子/京塚昌子/岸田今日子/渡辺美佐子/倉田マユミ/大辻伺郎/中村メイコ(声)

都営団地のサラリーマン夫婦の間に生まれた赤ん坊の名前は太郎。パパとママは僕(太郎)の成長に一喜一憂する毎日。特にママは子育てに悪戦苦闘。おまけに子育てをめぐって嫁姑問題勃発。そのような中で僕が0歳から2歳になるまでの日々を描く。松田道雄の育児書『私は二歳』『私は赤ちゃん』を和田夏十が脚色し、市川崑が監督した子育てを通じて生命の神秘や生きるということについて描いた映画。赤ん坊の成長と赤ん坊の本音を織り交ぜ、赤ん坊の視点で右往左往する両親や大人達の日常を描く。同年のキネマ旬報ベストテン日本映画1位。(Wikipediaより)

こういう映画があったんだぁ。山本富士子が妙に色っぽい母親、妻役をやっている。この頃のテレビに出てくる女の子は痩せていて魅力のない人がほとんど。痩せてなければ太っていることを売りにする女性かどっちかだ。ほどよいふくよかさに対する評価が低すぎる。

言葉の喋れない子供の気持ちが喋られる。誰にも分からないことだが、たぶんこんなことを考えているのだろうということを、もっともらしくセリフにしている。このあたりが本当に分かったら、こんな楽しいことはないであろうが、どれだけ人類が進歩してもそんな時代は来ないだろうなぁ。

『続・社長えんま帖』

1969年(昭和44年)・日本 監督/松林宗恵

出演/森繁久彌/加東大介/小林桂樹/小沢昭一/藤岡琢也/関口宏

先日観たばっかりの『社長えんま帖』の続編をまったく気楽に観る。物語はまさしく続編で役者にも変わりがなく、記憶も新しく、こういう映画のシリーズの見方が正解なのだろう。銀座のバーや京都のお座敷に社費で遊興するこの時代の会社役員、今でもこんな優雅な役員生活があるとは、とても思えないが。

たかが映画、されど映画という言葉がある。たかが映画と考えているテレビ局は、放映の時に不作法なことをしている。平気で放映中の映画画面の中やシネマスコープ画面で空いた上下の黒味部分にテロップを流していることだ。今やっている映画なんてどうでもいい、と考えていなければこんな乱暴なことは出来ない。

地震や台風の時などはもっとひどい。テロップばかりか日本地図を表示し、黄色い沿岸線が点滅して、つなみ注意報を出したりしている。深夜時間に映画を見ている人が、そんな情報を求めているわけがない。もしそんなことが気になるなら、NHKのニュースを見ているに違いないのに。たかが映画、と思われても仕方のないような内容の日本映画が多いことが気になる。

『あぜ道のダンディ』

2011年(平成23年)・日本 監督/石井裕也

出演/光石研/田口トモロヲ/森岡龍/吉永淳/西田尚美/山本ひかる/染谷将太/綾野剛/藤原竜也

宮田は妻を早くに亡くし、男手一つで浪人中の息子・俊也と高校3年生になる娘・桃子を育ててきたが、家庭ではいつも会話がかみ合わない。子どもたちには弱音は漏らせず、いつもやせ我慢をして見栄を張ってしまう。唯一、親友の真田(田口トモロヲ)と喧嘩しながら飲み交わすことだけを楽しみとして生きていたが、ある日、宮田は胃の痛みを感じ、自分も妻と同じ胃ガンなんじゃないか思う。中卒なのがコンプレックスになっているが、何とか俊也とゲームで対戦しようとゲーム機を購入するが、機種が違った。本人もガンではなかった。真田は俊也を誘い、「君のお父さんはダンディだよ。見た目はかっこよくないけど、心は渋いんだ。君も男ならわかってやってほしい」といい、自分なりの「親子ごっこ」を楽しむ。子どもたちも父親の気持ちが分かりつつ、うまくコミュニケーションをとれない。私立大学に入学し、学費など自分なりの準備をしていた俊也と桃子が上京。真田と飲みながら泣いてしまう。(Wikipediaより)

こういう映画が作られていたことに驚く。時々ある、まったく知らない映画を時間が経ってから観ること。決して悪い映画ではない。テレビドラマでは描き切れない静けさだろう。普通の日常生活を普通に描いている。そういう意味では貴重な映画かもしれない。

小津安二郎が描く日本人の日常生活を真似しているのではなかろうかとさえ思えてくるが、決定的に違うのは映画のリズムとカメラの目線。とてもじゃないけど真似はマネに過ぎない。

『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』(Mission: Impossible - Rogue Nation)

2015年・アメリカ 監督/クリストファー・マッカリー

出演/トム・クルーズ/ジェレミー・レナー/サイモン・ペグ/レベッカ・ファーガソン/ヴィング・レイムス

画期的な鑑賞をした。たまたまDVDに日本語版字幕がなく、英語音声をそのまま観るという大胆なことをしたまでだが。千数百本の洋画を観ているが、字幕なしの映画を通して観るのは勿論初めてのことだった。途中で急に英語が分かるようになり、あれあれっと思っているうちに内容が理解できるようになる、なんていうことがあればいいなと思ったが、やはり妄想だった。

アクションシーンに字幕はいらないが、アクションに行き着く理由には字幕が必要だ。そもそもなにのミッションなのかが分からないでは、苛々しながら観るしかない。まぁ思ったほどには苛々しなかったのが意外だった。結局日本語だって、あるいは現実社会での会話だって、充分理解しないで行動してきたことが多々あったような気がする。直感と勘で行動することの方が大切だと感じていたが、映画を観るのにもそんな6感が必要だと悟ることが出来た。

今更ながらのカーアクションや1対1の戦いでは短剣を使っていたりと、アクションの原点回帰が見られたこの作品。金がかかっているなぁという訴えが一番かも。そんじょそこらの映画ではとてもじゃないけど追いつけないアメリカの大型映画、映画はこうでなくちゃという見本のようなもの。

『巨人と玩具』

1958年(昭和33年)・日本 監督/増村保造

出演/川口浩/高松英郎/野添ひとみ/伊藤雄之助/小野道子/信欣三/藤山浩一/山茶花究/町田博子

懐かしい顔が並ぶ。この奇妙な題名は何?と最初の印象。原作は開高健の小説である。勿論、彼の名前は知っているが、1冊も活字を読んだことはない。原作ではキャラメルという商品についての分析がされているという。

大正時代、西洋文化へのあこがれの象徴として登場したキャラメル。戦中戦後の窮乏な時期にはその古きよき大正時代の郷愁とされた。そして戦後十数年。さすがのキャラメルも“成熟市場商品”として扱われるようになっていたらしく、キャラメルの新発売競争をする3社の宣伝活動を題材にしている。

昭和33年、タクシー会社に勤めた女子社員の初任給は6千円だという。昭和41年、私の部屋代は風呂なし共同トイレで6千円だった。恐ろしく変革していった社会にまったく追いていけなかった自分の姿が見える。同じ時代をもう一度過ごしたって、きっと同じことしかできなかったろう。自分の人間力とはそんなものだと、今でも情けなく思うだけだ。

『キングスマン』(Kingsman: The Secret Service)

2015年・アメリカ 監督/マシュー・ヴォーン

出演/コリン・ファース/サミュエル・L・ジャクソン/マーク・ストロング/タロン・エガートン/マイケル・ケイン

諜報もの、スパイものでは追随を許さないイギリス映画。ちょっとひねってスパイ・コメディというジャンルになるだろうか。珍しくコメディをきちんと描いている。ちょっとしたエスプリを効かせればそれで充分のはずだが、しっかりと笑いを入れたい気持ちが分からないでもない。

諜報員になるための試験が繰り返される。6人の若者が共同でこの試験を受けている。共同でというところにミソがある。一人では乗り切れない試練をチームワークで克服しろと試験官は言う。かといって、最後の最後には非情に徹しなければ、諜報員の役は出来ないと諭される。間違っても仲間の素性を暴露するなんていうことはご法度だ。

小さな犬を選び訓練しながら成長する犬と暮らす訓練生。あるとき、試験官から一緒に暮らしてきた犬に向け拳銃を発砲しろと命じられる。この映画の主人公は最後まで引き金を引くことはなかった。それで最終選考から落ちても、彼の人間性が明らかになる。続きが間違いなくありそうな映画に主人公のキャラクターは欠かせない。次作はもっと面白くなるだろう。

『社長えんま帖』

1969年(昭和44年)・日本 監督/松林宗恵

出演/森繁久彌/加東大介/小林桂樹/小沢昭一/藤岡琢也/関口宏

お気楽『社長シリーズ』の第30作目。馴染みのフランキー堺と三木のり平は27作目の『続・社長千一夜』で降板している。訳の分からない日本語を遣う日系人には藤岡琢也が登場、ちょっと似合わない役柄。娘が今の芸能界を賑わしている内藤洋子が可愛い顔で出演している。

関口宏はこれが映画4作目の出演となる。その後も時々映画に出ているが、司会業が忙しくなったのか、役者には向いてないと思ったのか、出演作品は極めて少ない。特に下手くそな演技には見えないが、本人には何か理由があるのだろう。

今回は化粧品会社「マルボー化粧品」の社長。プライベートジェット機を購入して全国の支店を回るんだ、なんていう今でもなかなか出来そうにないことをやっている。時代を先取りするのが映画だけれど、さすがに日本の企業がプライベートジェット機を持つ時代にはまだなっていない。ホンダのジェット機がアメリカでは結構売れているというニュースを見たことがあるが、アメリカとは基本的に価値観の違うところがこんなところにもありそうだ。

『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』

1995年・日本 監督/押井守

出演(声)/田中敦子/大塚明夫/山寺宏一/仲野裕/大木民夫/玄田哲章

アニメが嫌いなことを知っている友人が奨めてくれた作品なら、多少は面白いと感じるところがあるのだろうと、期待して観始まった。こういう書き方をすれば次に進む言葉は決まったようなもの。残念ながら面白くも、クソもなかった。

Wikipediaによれば、士郎正宗による漫画作品。ジャンルとしてはSF(パラレルワールド含む)に属する。この作品を原作とする劇場用アニメ映画が1995年に公開され、またテレビアニメ作品が2002年に公開された。士郎正宗の原作版・押井守の映画版・神山健治のS.A.C.・黄瀬和哉と冲方丁のARISEでは、時代設定や主人公草薙素子のキャラクター設定、ストーリーを始め多くの相違点があり、それぞれが原作を核とした別作品といえる。その他、小説、ゲームなどの派生作品が展開されている。

名古屋にもこの手のアニメを詳しく説明できる友人がいるので、以前からこの題名は聞いていた。面白い題名を考えるものだ、という印象がある。今度その友人に会ったら、この映画について詳しく聞いてみよう。子供だましの発想を映像化して、出来の悪いアニメとして映画にしたとしか思えない。もっともらしいことや難しいことをキャラクターに語らせて、立派な物語だよと押しつけてくる意欲だけが評価できる。コマ数の少ない日本アニメは、基本的に粗悪品に見えて仕方がない。

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(Mad Max: Fury Road)

2015年・オーストラリア/アメリカ 監督/ジョージ・ミラー

出演/トム・ハーディ/シャーリーズ・セロン/ニコラス・ホルト/ヒュー・キース・バーン

ひたすら荒唐無稽な戦いが繰り広げられる。あまりにも馬鹿馬鹿しくて、とてもじゃないけど気持ちを映画にそそぎ込むことが出来ない。なんだ!この映画は。前作にそのヒントでもあるのだろうかと調べてみたら、なんと『マッドマックス/サンダードーム』以来、27年ぶりに製作されたものだというから、前の作品を観ていなくても忘れたとしても問題ないようだった。

Wikipediaによれば、本作は『マッドマックス2』と同様に、英雄誕生譚(貴種流離譚)など世界各地の英雄神話を研究した神話学者ジョゼフ・キャンベルによる著書『千の顔を持つ英雄』をテーマとしているという。難しいテーマを持っている割には、映像は果てしないものだった。

こういう映画は誰かに説明してもらうといいに違いない。核兵器による大量殺戮戦争勃発後、生活環境が汚染され、生存者達は物資と資源を武力で奪い合い、文明社会が壊滅した世界を舞台とする。なんていうことは、映画を観ていてもまったく分からないことだったが、どこかにそんな活字かセリフがあったのだろうか、不思議な映像だ。

『ワルキューレ』(Valkyrie)

2008年・ドイツ/アメリカ 監督/ブライアン・シンガー

出演/トム・クルーズ/ケネス・ブラナー/カリス・ファン・ハウテン/ビル・ナイ

観たことのある映画のはずだったが、ずーっと観たことのないシーンばっかりで、もしかすると観ていないかもと思ったくらいだった。肝心なヒトラー暗殺計画実行の場面で、ようやく少し思いだす。おもしろくない、という印象だけは確実に残っていた。

映画の最後に次のようなテロップが。「(1944年)7月20日のこの事件は数多くのヒトラー暗殺計画の最後となった それから9ヶ月後ヒトラーは包囲されたベルリンで自決した シュタウフェンベルクの家族は生き残って妻は2006年4月2日死去 自由と正義と名誉のために抵抗し命を捨てた者に恥はない "ベルリンの抵抗運動記念碑より"」

Wikipediaにおもしろいエピソードがあった。~ドイツではシュタウフェンベルクは反ナチ運動の英雄として称えられており、また敬虔なカトリック信者として知られている。そのため、サイエントロジーの信者であるトム・クルーズがシュタウフェンベルク役を演じることに対する強い反発が起きた(ドイツではサイエントロジーは悪質なカルトと見なされている)。ドイツの政治家は不快感を示し、シュタウフェンベルクの息子ベルトルトも「クルーズ氏が演じると聞いた時には宣伝のための冗談だと思っていた。彼が演じたら台無しになる。父とは関わらないでほしい。」とトム・クルーズを批判した。一時は、ドイツ国防省が事件の舞台であるシュタウフェンベルク街などの国防軍関連施設での撮影を許可せず、それに対しドイツ人映画監督のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクが非難を表明する事態となった。2カ月後、ドイツ国防省は『制作者側が「ナチス(Nazi)支配から解放され、完全なる民主主義国家となった統一ドイツの姿」を作品内に盛り込むことに同意した』として、撮影を許可した。

『父 パードレ・パドローネ』(Padre Padrone)

1977年・イタリア 監督/パオロ・タヴィアーニ/ヴィットリオ・タヴィアーニ

出演/オメロ・アントヌッティ/サヴェリオ・マルコーニ/ファブリツィオ・フォルテ

イタリア語でパードレは父、パドローネは主人を意味する。英語圏ではFather and Masterと呼ばれることもある(劇場公開題)が、最近発売のDVDにはイタリア語の原題がつけられている。保守的な厳父によって、小学校を数週間だけで退学させられ、20歳になるまで、一切の教育を受ける機会を奪われて文盲であったサルデーニャ島の羊飼いが、親元を離れ、教育を身につけて自立する物語である。後に主人公は著名な言語学者になった。原作は同じ題名のガヴィーノ・レッダの自伝である。(Wikipediaより)

小さな子供に家の仕事だといって山の羊飼いを強要する父親。今なら虐待にもあたるような乱暴狼藉を働く映像が流される。殴る蹴る打つのは父親の当然の権利だと主張している。塩と水しか与えない罰も施す。こんな父親がいたのだろうイタリアのその時代。後に自伝に書かれている事柄に対して、羊飼いの人達はおおむねそんなものだと否定もしなかった。物語としては訳の分からない映画だった。

日本だって親の言いなりにしかならなかった人生の時代があったことは確かだ。現代だってそういう生活がほとんどの国もあるに違いない。人間の仕合わせってなんだろう、と神にすがって教えをこうしかない。

『必殺! THE HISSATSU』

1984年(昭和59年)・日本 監督/貞永方久

出演/藤田まこと/三田村邦彦/中条きよし/鮎川いずみ/片岡孝夫/山田五十鈴/ひかる一平/菅井きん/中井貴恵/芦屋雁之助

「世の中の善と悪とを較ぶれば 恥ずかしながら 悪が勝つ 金 金 金の世の中で 泣くのは弱いものばかり 尽きぬ恨みの数々を はらす仕事の裏稼業」。と、冒頭に1枚のテロップが貼り出されて、雰囲気を盛り上げる。

「必殺シリーズ」通算600回記念として製作された作品。『必殺仕事人IV』をベースに、シリーズの特色である殺しの様式美やバラエティ色などをバランスよく配分し、テレビシリーズの豪華拡大版といった趣きの強い作品である。 封切り当時はテレビドラマの映画版は当たらないというジンクスがあったが、それをものともせず映画は大ヒット。以後年一回のペースでシリーズ化されることになったという。

映画らしく丁寧に製作された映像だと強く感じる。テレビ・ドラマとの違いが感じられなければ、何のために映画館で上映するのか分からない。そんなテレビ→映画化の映像が多いこの頃。世の中の悪を切り刻みたい衝動に駆られる。あなたの正義が本当に世の中の正義なのか分からないでしょう、と諫める人の言葉が浮かぶ。何にも出来ない人ほど、尤もらしい言い訳を世の中に求めたりするものだ。

『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』

2007年(平成19年)・日本 監督/馬場康夫

出演/阿部寛/広末涼子/吹石一恵/伊藤裕子/劇団ひとり/小木茂光/伊武雅刀/薬師丸ひろ子

なにこの題名は?!と、おもわず唸ってしまう。フジテレビが作った映画だと分かれば、なおさら見たくない映画題名だろう。補助タイトルのタイムマシンはドラム式にヒントがあった。なんとおちゃらけたタイムスリップの話だった。おちゃらけていてもタイムスリップだと、ついつい見てしまうのはいい癖なのだろうか。

2007年からバブルの終焉年の1990年に17年間タイムスリップすると、思いがけずこんなに違うのかという光景が見える。そんな時代背景を描きたかったのだろう。バブルは、崩壊して初めてバブルとわかる~アラン・グリーンスパンという言葉も映画の中に出てくるが、確かにその時代を生きていたはずだが、生来の金融無関係人間には、さほどの実感はなかった、残念ながら。

携帯電話でさえもあのでかいずうたいのものしかなかった。なんて考えられない。「やばくない!」なんていう言葉は使い方がおかしいと思われていた時代。過ぎ去ってしまった過去は戻らない。明日という1日先の未来は手に入らない。今だけが現実さ、と分かったようなことを言ったって、なにも変わらない人生は寂しい。

『オリエント急行殺人事件』(Murder on the Orient Express)

1974年・イギリス 監督/シドニー・ルメット

出演/アルバート・フィニー/ジャクリーン・ビセット/アンソニー・パーキンス/ローレン・バコール/イングリッド・バーグマン

アガサ・クリスティの『オリエント急行の殺人』を映画化した作品で、豪華なキャストが話題になった。第47回アカデミー賞では、主演男優賞、助演女優賞、脚色賞、撮影賞、作曲賞、衣装デザイン賞の6部門でノミネートされた。そのうちイングリッド・バーグマンが助演女優賞を受賞した。

探偵ものはイギリス映画と言われるが、今日は体調悪く理屈っぽいポアロの推理に嫌気がさしてしまった。半分くらいは眠っていたかもしれない。陽が差さない冬の日は憂鬱になる。身体が冷え切ってあたたまらず、心も苛々として、悩める若者のようだ。

ショーン・コネリー、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、リチャード・ウィドマークも出演している。もしかすると映画がおもしろく感じたり、おもしろくなかったりするのは、観客側の体調に依存するところもおおきいのかもしれない。そんな気がした今日の映画鑑賞。

『土竜の唄 潜入捜査官REIJI』

2014年(平成26年)・日本 監督/三池崇史

出演/生田斗真/仲里依紗/山田孝之/上地雄輔/岡村隆史/吹越満/遠藤憲一/皆川猿時/岩城滉一/堤真一/大杉漣

原作は漫画。漫画をそのまま映画化しようとする幼い技術が映画をひどくつまらないものにしてしまった。観始まってすぐに1時間も寝てしまった。ここまで寝なければいけない映画にぶつかると、映画が悪いのではなくこちらの体調に問題があるのでは、と思わざるを得ない。

同じ感想を言わなければならない。こんな映画のどこがいいのだろうか。こんな映画を観る気になる動機は何なのだろうか。好きな俳優が出ていてそれが見たいのと言うのであれば、それは素晴らしい動機になるが、こんなおちゃらけた映画を観たら失望しか残らないのが普通だろうが。

原作は漫画でもいいから、それを映画らしく製作することは出来ないのだろうか。それとも、まともに映画作りをすればボロばかり出てきてしまうので、おちゃらけてコメディだよと正面から向き合わない映画にしてしまっているのだろうか。それにしても、こんな映画製作にお金を出す企業があること自体が不思議で堪らない。いろいろな映画が出来上がるのは嬉しいことだが、この程度の映画は出来上がらなくてもいい。

『まだまだあぶない刑事』

2005年(平成17年)・日本 監督/鳥井邦男

出演/舘ひろし/柴田恭兵/浅野温子/仲村トオル/木の実ナナ/ベンガル/原沙知絵/佐藤隆太/窪塚俊介/水川あさみ

『あぶない刑事』劇場版シリーズの第6作だというが、テレビドラマでも映画でもこの物語を見るのは初めて。現実感のあまりにもなさ過ぎる日本の警察ものに、まったく興味が湧かないのはずーっと変わっていない。実際のニュースの中で「今回の拳銃使用に問題はなかった」というようなコメントを発表しなければいけない日本の状況の中で、拳銃を使いたいように使っているシーンに、あまりにも違和感を感じてしまう。

それ以上にこの映画がこんなにおちゃらけているとは思わなかった。現実感のない警察職員の言動は、あまりにも漫画チックで、出來の悪いコメディの最たるものだろう。あくまでも映画なんてそんなものでいいのだよ、と真面目なコメントを拒絶するような映画製作に見える。

核爆弾を軽率に描いているのも気になる。気になるどころか、核爆弾をそんな簡単に映画に登場させて処理出来てしまうのは、映画といえどもとても許せない。こんないい加減な映画を楽しんでいる人達が多いかと思うと、情けなくて嫌になってしまう。

『ジュブナイル』(Juvenile)

2000年(平成12年)・日本 監督/山崎貴

出演/遠藤雄弥/吉岡秀隆/鈴木杏/緒川たまき/清水京太郎/YUKI/香取慎吾/酒井美紀/桜金造/高橋克実/麻木久仁子

原題:Juvenileとは、google翻訳機によれば、[若年型]と答えがかえってくる。中央競馬会のGⅠレースの中に「阪神ジュベナイルフィリーズ」というレースがあって、サラ系2歳牝馬が出場資格らしい。フランス語のような響きを持つこの言葉を覚えられない。簡単に言えば「少年」「少女」を意味するものだという。

子供騙しのような映画だったが、何故か飽きもせずに最後まで見入ってしまった。タイムマシーンや宇宙人の登場がいたく興味を惹かせた。そもそもの発端であるロボットが可愛くて、なかなか素晴らしい。日本映画にありがちな稚拙な描写ではないところがいい。ゲームに出てくるような戦闘用ロボットも悪くない。

自分が作ったロボットがタイムスリップして自分の子供時代の現場に現れる、という考えたら堂々巡りでいつまでも終わらない現象を上手く描いている。宇宙人の超人的能力も分かり易い。子供騙しの内容をこんなにきちんと見たのは生まれて初めてだろう。もしかすると、自分の思考がどんどん子供還りしているのではないかとさえ思える。

『ふしぎな岬の物語』

2014年(平成26年)・日本 監督/成島出

出演/吉永小百合/阿部寛/竹内結子/笑福亭鶴瓶/笹野高史/小池栄子/春風亭昇太/井浦新/吉幾三

映画が始まってすぐに吉永小百合が顔を出した途端に眠りにおちた。5~10分くらいだろうと思って目覚めた後になんの抵抗もなく映画を見続けた。(実際に眠っていたのは約30分だった)彼女の目の演技に嫌な気持ちにさせられている。この映画ではアップのシーンが多く、その「目」の演技が際立っていて困った気持ちになった。いつからこんな風になってしまったのだろう。

箸をきちんと持てない落語家?鶴瓶のもっともらしい演技も気になる。世間ではその演技がいいなどと誉められているようだが、どこがいいのかさっぱり分からない。箸もきちんと使えない奴が偉そうに演技のことを言われたくないだろう。セリフをそれらしく喋ったって、それで演技が上手いというのとは違う。アクションではなく、リアクションが出来ていない。バラエティー番組で上位に座るのが関の山の才能だ。

岬の広場にそれらしい喫茶店があって、それを取り巻く物語が展開するのだが、あまりにもなんていうことない話では映画製作の費用がもったいない。残念ながら出來の悪い日本映画は、延々と続いているようだ。

『タイガー 伝説のスパイ』(EK THA TIGER)

2012年・インド 監督/カビール・カーン

出演/サルマーン・カーン/カトリーナ・カイフ/ランヴィール・ショーリー/ギリーシュ・カルナド/ローシャン・セト

昨年、インドで最高の興行成績をあげたアクション大作。確かに007よりも派手なアクション・シーンが満載。しかもちょっとばかりコメディがくさいくらいにふんだんに。さすが現代の映画製作大国インドだと思い知らされるばかり。

主人公であるインドの諜報部員とパキスタンの女性諜報部員が恋に落ちてしまったという物語。インドとパキスタンの隣国同士の争いは、日本にいては想像出来ないバチバチのようだ。1947年8月14日および15日にイギリス領インド帝国が解体し、インド連邦とパキスタン(後にバングラデシュとして独立する飛地の東パキスタンを含む)の二国に分かれて独立した。印パ戦争は、インドとパキスタンの間で行なわれた戦争のことで、第一次(1947年)、第二次(1965年)、第三次(1971年)と、両国間ではこれまでに3度の戦争が行われている。第一次と第二次はカシミール紛争の過程で、第三次はバングラデシュの独立に際して勃発した。

そんな両国間の紛争をおちゃらけてみせてくれる映画という媒体は、ある意味大したものだ。映像は綺麗だし、アクションも素晴らしい、なんかもの足らない感があるのは、007という偉大な諜報映画があるからなのだろうか。

『信長燃ゆ』(テレビ映画)

2016年(平成28年)・日本 監督/重光亨彦

出演/東山紀之/早乙女太一/高岡早紀/中島裕翔/神山智洋/内藤剛志/寺尾聰/佐藤隆太/栗山千明/的場浩司/津川雅彦

テレビ東京で毎年1月2日に行われてきた「新春ワイド時代劇シリーズ」の第36作として製作された。従来通り、ヤマダ電機の特別協賛を仰いで放送されるが、2015年まで長時間体制(当初12時間→10時間→7時間→5時間)で放送してきたのを、今回から大幅短縮し、過去最短の3時間で放送されることから、題名から「ワイド」の文言を外し、「新春時代劇」として放送されることが決まったという。

戦国時代の歴史物ドラマは興味がある。特に織田信長は何度観たって飽きない。歴史的な出来事「本能寺の変」に向かう武家と朝廷の対立をピックアップした物語。原作は安部龍太郎の著した時代小説。おもしろいのだけれど、なかなか先へ進まないストーリー展開に苛々してまた眠ってしまった。この頃は毎日のように映画を観ながら寝てしまう悪い癖が復活している。

信長の亡骸が確認されていないという歴史的事実は、その後の歴史小説家の妄想をかき立てるようで、実にいろいろな説が現代まで持ち越されている。このままでいけば、時間が経てば経つほどに、真の歴史的事項は、美化されたり奇説がまかり通ったりと、訳の分からない事態になっていくんじゃないかと心配になってくる。

『命ある限り』(JAB TAK HAI JAAN)

2012年・インド 監督/ヤシュ・チョプラ

出演/シャー・ルク・カーン/カトリーナ・カイフ/アヌシュカ・シャルマ

年間製作本数が1,000本を越える映画大国インドで、飛ぶ鳥を落とす勢いを見せているのが、北インドの映画のメッカ、ムンバイ(旧ボンベイ)で製作される“ボリウッド”映画。その魅力は、ハリウッド顔負けの製作費をかけた海外ロケとアクションシーンを筆頭に、IT大国ならではのCG技術、愛や勇気にときめくダンスシーン、生きることを真摯に見つめた普遍性など、奥は深い。

監督のヤシュ・チョプラはボリウッドのお家芸“切なすぎるメロドラマ”のひな形を作り上げた伝説の巨匠。『命ある限り』は8年ぶりの監督作で、80歳を迎えたことから「最後の監督作」と公言しており、本作の完成直後に急死を遂げた。ボリウッド随一のスーパースターシャー・ルク・カーンは“キング・オブ・ボリウッド”と称される、ラジニに優るとも劣らぬ最高峰スター。鍛えぬかれた肉体と、二枚目と三枚目を完璧に演じ分ける実力の持ち主で90年代からトップに君臨し続けている。(以上ぴあ映画生活より)

私の好きな映画『マイネーム・イズ・ハーン』(My name is Khan・2010年)の彼だった。インド人の特徴ある顔は欧米に立っていてもすぐに区別できる。が、特徴が際立っていてインド人同士での区別が出来なく自信がなかったが、やっぱり彼だった。この映画は残念ながらつまらない。落語で言う「マクラ」が長過ぎて、何?この映画は、と思っていたら寝てしまった。全編も2時間35分、だらだら。時にはミュージカルになるインド映画の特徴はしっかり。究極の愛を描いていると評価されているが、理屈っぽくてのれない。女優も美しいのだが、顔立ちが似ていて面白味に欠ける。

『のだめカンタービレ 最終楽章』(後編)

2010年(平成22年)・日本 監督/川村泰祐

出演/上野樹里/玉木宏/瑛太/水川あさみ/小出恵介/山田優/谷原章介/なだぎ武/吉瀬美智子/伊武雅刀/竹中直人

前編の終わり頃にはコンサートシーンがあって急に真面目な映画になった。どうしたのだろうと訝るくらいの変わり身に、この一貫性のない映画はどういうことなのだろう、と不思議で不思議でならなかった。後編を観ることにした。監督が違うということで最初の何分間かはう~ん違うかもしれないと感じたが、元の木阿弥でおちゃらけてきて妙に安心した。

上野樹里や竹中直人の演じるキャラクターが、あまりにもおちゃらけ過ぎていて気持ち悪くなってくる。なんといっても役者が役を演じているだけなので、そんなことで文句を言うのは筋違いのはずだが、どうにも我慢が出来ない。この二人は役者をやめた方がいいと思う。

こんな映画を作って鼻高々になっているフジテレビの根性が視聴率の低下を招いていると察しなければいけない。原因は経営者達だろう。ひとつひとつの番組を吟味して、なんでもクイズにしたりすぐにおちゃらけてしまう姿勢をあらためれば、フジテレビ復活の目もあるかもしれない。でも、無理だろうな~。

『のだめカンタービレ 最終楽章』(前編)

2009年(平成21年)・日本 監督/武内英樹

出演/上野樹里/玉木宏/瑛太/水川あさみ/小出恵介/山田優/谷原章介/なだぎ武/吉瀬美智子/伊武雅刀/竹中直人

漫画が原作で、テレビドラマ版の続編という形で前後編2部作で制作された。という情報すら知らなかった。タイトルは知っていたが、テレビドラマ放送中に何度か垣間見たことがあった。ちょっとみて竹中直人のおちゃらけた演技に辟易し、彼だけではなく全員がおちゃらけた人格だったことに腹を立てたくらいだ。

ということで、この映画を観始まったが、まだ前半戦、つづきものだということが分かっただけでも、このあとの見方が少し違ってくるだろう。しかし映画もひどい内容だ。音楽界を冒涜していると思える内容に、当の音楽界の人達は何を思うのだろうか。

映画を観終わっていないが、終わってから書いたって特に映画の内容に触れることはかけないだろう。でも、どうしてこんな映画が存在し、その映画を見に行く人がいるのだろうか、というのは変わらぬ疑問。この映画の翌年5ヶ月後には(後編)が公開されたという。録画もしてあるが観ることがあるのかないのかは未知数。監督がちがうというから、一応観てもいいのかもしれない。まずはこの映画を最後まで眺めてみなくては。

『風が強く吹いている』

2009年(平成21年)・日本 監督/大森寿美男

出演/小出恵介/林遣都/中村優一/川村陽介/橋本淳/森廉/内野謙太/ダンテ・カーヴァー/斉藤慶太/斉藤祥太

 なんとま~おもしろくない映画なのだろう。5倍速を駆使してそうそうと全編を眺めて終わった。それでも最初の10分くらいは我慢して普通倍速で観ていたから、そんなに責められるつもりはない。原作は、三浦しをんによる、箱根駅伝を舞台にした小説だという。舞台化もされたというが、何がいいのか?

 日本映画の一般的な駄目さ加減を随所に表現している。セリフがダメ、役者がおちゃらけてダメ、話がつまらなくてダメ、いいところなんてどこにもないような映画だった。いつも思う、こういう映画のいいところはどこなんだろうと。教えてくれる人を探したい。

 ある春の日、蔵原走(寛政大学1年)は、高校時代にインターハイを制覇したスタミナと脚力を生かして、万引き犯として逃走中の清瀬灰二(寛政大学4年)につかまり、成り行きで清瀬が住むボロアパート・竹青荘(通称:アオタケ)に住むことになり、そのまま箱根駅伝を目指すことになる。だが、アオタケに住んでいる住人は、運動音痴のマンガオタク、25歳のヘビースモーカーなど、とても走れるとは思えないものばかり。練習を重ねるにつれ住人達はタイムを縮めていくが、走は「適当に話を合わせておけばいいや」ぐらいしか思っていなかった。~こんなストーリーでは誰も興味を示さないだろう。

『蜩ノ記』

2014年(平成26年)・日本 監督/小泉堯史

出演/役所広司/岡田准一/堀北真希/吉田晴登/川上麻衣子/石丸謙二郎/寺島しのぶ/井川比佐志/原田美枝子

今日は2015年12月31日、平成27年の大晦日だ。昨年の10月に公開された映画で、その時は宣伝を見て観てみたいな~と珍しく感じた映画が、テレビ東京の年末の目玉放映作品として登場した。放映時間内のコマーシャルタイムが多かったのもテレビ東京の熱い想いの賜かもしれない。

岡田准一がいいですね。彼は本格俳優としてこれからも活躍することは想像に難くない。これでネイティブの英語を喋れたら、ハリウッドからもお呼びがかかるだろう。蜩(ひぐらし)は、「カナカナ」と聞こえる声を発するセミのことだと言うことで、子供時代を思い出す。「カナカナゼミ」と茨城の田舎では呼んでいた。「ミンミンゼミ」と共になかなか捕まえられない蝉のひとつだった。

この監督の映画は観ていて心が安らぐ。黒澤明の弟子として、師をも超える映画作家にも見える。時代劇にありがちな鳴りものや群舞のシーンを極力短時間に収めている意図を強く感じる。日本人のDNAをも強く感じ、クール・ジャパンと賞賛する外国人にこの映画の真髄を伝えたいと思える映画。

『源氏物語 千年の謎』

2011年(平成23年)・日本 監督/鶴橋康夫

出演/生田斗真/中谷美紀/真木よう子/多部未華子/蓮佛美沙子/榎木孝明/尾上松也/佐久間良子/田中麗奈/東山紀之

しばらく観ていたが、どうにも我慢できずに深い眠りについた。やっぱり興味の湧かない題材で、教養もなければ知識もない人間にとっては苦痛に感じる。そんなことを平気で言える神経は、きっと若かった頃の精神をそのまま引きずっているからに違いない。そう思いたい。

何故「源氏物語」が人気があるのだろうか。特に女性が好きだという印象がある。きらびやかさや絢爛豪華なイメージが女の心を動かすのだろうか。それとも文学的素養が女のDNAに存在するのだろうか。はたまた、女と男のどろどろした物語が好きなのだろうか。

目覚めて続きを観たが、何のことやらさっぱり分からない。製作に金がかかっていそうな映画、だとまず感じるのは古い映画人の癖かもしれない。誰かに一度この物語の講義を受けたい。残された時間が少ないので、早く適当な人物に巡り会えることを願っている。

『男はつらいよ 柴又慕情』

1972年(昭和47年)・日本 監督/山田洋次

出演/渥美清/倍賞千恵子/松村達雄/三崎千恵子/前田吟/太宰久雄/津坂匡章/佐藤蛾次郎/笠智衆/吉永小百合

山田洋次監督、吉永小百合主演の『母と暮せば』が2週間前から始まっていて、その公開記念というサブタイトルが付いた映画放映番組だった。録画して見るのはもういいや、と寅さんシリーズを録画することはなくなっていた。ただ年末の午後の時間は特別番組ばっかりで、しかもどの放送局もおちゃらけたバラエティー番組ばっかりで暇を持て余していた。そんな時、偶然に始まりから見ることが出来たので、最後までチャンネルはそのままだった。というのは嘘で、コマーシャルタイムにはしっかりサッカーにチャンネルを回していた。

映画はいつも通りだが、吉永小百合はまだまだ今風の化粧美人ではなく素の可愛さが印象的な時代だった。今や化粧技術がここまで進歩してしまうと、金さえあれば誰でも美しくなれる時代になったな~という感じがする。東大に入学する奴の多数が裕福な家庭だというのに似ている。人間力なんて関係なく、筆記試験さえ出来れば程度の高い大学に入れるシステムには、限界が感じられる時代にもなった。

お決まりの笑いを衒いもなくそのまま提供できる映画力は凄い。お決まりを無視して表現しなければ、観客からブーイングが起こるのも必至。スターウォーズは20世紀フォックスからディズニーになっても、最初の画面は間違いなくあの画面に違いないという確信が持てる。観たいな~。

『戦場のメリークリスマス』(Merry Christmas, Mr. Lawrence)

1983年(昭和58年)・日本/イギリス/オーストラリア/ニュージーランド 監督/大島渚

出演/デヴィッド・ボウイ/坂本龍一/ビートたけし/トム・コンティ/内田裕也/三上寛/ジョニー大倉

社内では「センメリ」と短縮形で言っていた。今どきなら流行る言葉としての短縮形は好まれて使われるけれど、この時代に映画を短縮形で表現することは希だった。ちょうど日本ヘラルド映画の宣伝部長になった年。それまでもほとんど観ていなかった映画をさらに見なくなった頃のヘラルド配給作品だった。

さすがにどこかで観ていると思っていたけれど、どうも観ていなかったのではなかろうかと思えてきた。予告編やテレビでの紹介映像で、ほんの一部に触れていただけで観た気になっていたのではなかろうか。どうにも全体の映像が初めてのような気がして、かえって不安な気持ちで鑑賞することになった。

映画に難しさを求めない自分にとっては、この映画はおもしろくない映画だった。何をどう表現しているのか眠気の方が優っていた。男色の映画?と思わざるを得ないが、そればかりではないのだろう。大島渚が「Go to Mad」の状態に陥っていってしまったような気がしてならない。そういう意味では世界の巨匠の仲間入りを果たしたのかもしれない。

『平原児』(The Plainsman)

1936年・アメリカ 監督/セシル・B・デミル

出演/ゲイリー・クーパー/ジーン・アーサー/ジェームズ・エリソン/チャールズ・ビックフォード

20世紀前半の映画創世記に最も成功した映画製作者のひとり、と言われるこの監督。描かれる時代は日本の明治維新と同じ頃。アメリカではリーンカーン大統領が暗殺された頃、いずれも実在の人物だった中西部を熟知している快男子ワイルド・ビル・ヒコック、親友のバッファロー・ビル・コディ、そしてヒコックの恋人のカラミティ・ジェーンが繰り広げるいかにも西部劇的な西部劇だ。

この3人にワイアット・アープを加えれば、アメリカ西部劇の舞台は役者が勢揃いする。第七騎兵隊、カスター将軍と他の著名人達も物語に彩りを添える。小気味良いほどに展開していく話に映画の醍醐味を味わう。もう80年前の映画が現代の日本映画を遥かに凌駕する。いや~、おもしろいですね~。

主演ゲイリー・クーパーは1926年から1961年まで数多くの名作に主演している。アカデミー賞受賞は、1942年/主演男優賞:『ヨーク軍曹』、1953年/主演男優賞:『真昼の決闘』、1961年/特別賞。ノミネートは、1937年/主演男優賞:『オペラハット』、1943年/主演男優賞:『打撃王』、1944年/主演男優賞:『誰が為に鐘は鳴る』がある。

また観る映画のストックがなくなった。これからの録画予定にも1日1本を課すことの出来ない厳しさがある。どうしてこうも録画する映画が少なくなってしまったのか。勿論、もうすでに1770本を超えなんとする「最近観た映画」では、観てない映画を探すことの方が困難ではないのと言われそうだ。が、そんなことはない。まだまだ観ていない映画がこの何倍もあること承知している。

極めて多くなったテレビ放映での「日本語吹き替え版」がかなり影響していることは確かだ。どうにも我慢できない吹き替え版、テレビ局だけを責める訳にもいかないだろう。映画館でさえロードショーと同時に吹き替え版を上映していることも多くなった。テレビ局に放送権を売る時に作らなければならない吹き替え版を、一足先に製作してしまってロードショー時に利用しようなんていう了見は、30年前では考えられなかった配給会社の意向。

劇場側だって、シネコン全盛になったこの時代、スクリーン数の多さを生かし3Dだ4Dだ、字幕版だ吹き替え版だと手を変え品を変えて当たる映画に人々が流れ込むよう腐心している現実もある。

BS日テレのように原則吹き替え版放映と決めつけている局もある。あるいは、二カ国語放送と称して、英語の喋りが分からない多くの人には、結局吹き替え版を選択しなければならないことを強いる。これじゃ日本に住む少数の外国人の方が特典を得ることになってしまう。大多数の日本人を蔑ろにする頭の悪いテレビ局の政策だ。

さてさて、こんなテレビ録画にまつわる枝葉末節的意見を書いたって、世の中が変わるわけがない。もうあとは天国なのか地獄なのかと自問自答するのが関の山の人種には、世の中の大樹に隠れてひっそりと生きるのが奥ゆかしい生き方なのかもしれない。

『秋日和 デジタル修復版』

1960年(昭和35年)・日本 監督/小津安二郎

出演/原節子/司葉子/佐分利信/岡田茉莉子/中村伸郎/北竜二/佐田啓二/沢村貞子/三宅邦子

今日は、2015年12月21日(月曜日)。たまにしか書かないこの欄への書き込み日、これはいつ書いたんだと後日問われても自分にも分からない。この欄を最初から順番に見てくれば、時々はこうやって書いた日が出て来ようというもの。そんな日が来ることも想定しながら日にちを入れている。

昭和35年頃の東京・丸の内界隈の会社内部が出てくる。丸の内中央郵便局の裏手と思われる風景が主人公のひとりが勤める会社であるようだ。何故かというと、郵便車の赤く塗られた車体と文字がスクリーンに映っている。この登場人物は商事会社の重役らしい。専用車をもっており、かなり優雅なサラリーマン生活をしているような。

大学時代の仲間4人が社会人になっても家族ぐるみの付き合いをしている。この時代には当たり前のような人間付き合いだ。そのうちのひとりが早死にし、残された娘の夫捜しに躍起になっている。出しゃばりが許された大らかな時代だったのだろう。この映画を観ていると、なんかほっとして悠久の時間を味わうことになる。ガキではなく大人社会に言葉は少ない。誤解が生じるが、そんなことは人間の付き合いのおかずみたいなもの。多ければ多いほど食卓が豊かになる。いいな~。

『祇園囃子』

1953年・日本 監督/溝口健二

出演/木暮実千代/若尾文子/進藤英太郎/河津清三郎/菅井一郎/田中春男/小柴幹治/浪花千栄子

若尾文子:1952年、急病で倒れた久我美子の代役として、小石栄一監督の『死の街を脱れて』で銀幕デビュー。翌1953年に映画『十代の性典』がヒットし、マスコミから性典女優と酷評されるも知名度は急上昇した。それ以降も出演作を重ね人気女優としての地位を築く。同年の映画『祇園囃子』(1953年)では溝口健二監督に起用され、女優としての実力を発揮し、性典女優の蔑称(汚名)を返上し、熱演が高く評価された。以降、日本映画を代表する正統派美人女優の一人となり、京マチ子、山本富士子と並ぶ大映の看板女優と謳われ、160本以上の映画に主演した。和服姿の艶やかな美貌から、未だに海外での人気が高い。 川島雄三により、本格派女優に鍛え上げられた。(Wikipediaより)

京都・祇園のお座敷では優雅な遊びが繰り広げられているが、所詮は金持ちの男どもの女遊びが性根と言わざるを得ない。役人は民間会社から酒の供用を受け、時には舞子の提供までをも受ける。泣かされるのは女、お金がなければ誰かの指示に従って、自分の人生をも男に捧げなければならない。それが正直な夜の世界だった。今でもさほど変わりはないだろう。あるとすれば、貧乏人が減った分だけ犠牲者が少なくなったということか。

夜の世界で働く人が、働くことが悪いというわけではない。ただその世界には金にまつわる人身売買が今でも歴然と存在することを認めなければならない。綺麗ごとで事済まされるほど、世の中は平たんではない。だから楽しいのかもしれない。自分の体がお金になったり、車に替わったりすることを、いったい誰が責めることが出来るのだろうか。

『コンスタンティン』(Constantine)

2005年・アメリカ/ドイツ 監督/フランシス・ローレンス

出演/キアヌ・リーブス/レイチェル・ワイズ/シャイア・ラブーフ/ジャイモン・ハンスゥ/マックス・ベイカー

エクソシストのお話。宗教色が強い作品であり、キリスト教にまつわる単語や人物名、宗教観などが取り入れられている。日本の子供騙し映画、怨念や亡霊が出てくるのとは根本的に違うような気がする。子供騙しではなく大人だましだと言ってもいいかもしれない。

「父と子と精霊の御名において」という文言が何度も言われる。聖書の「セ」の字も知らない者にとっては、単なる悪魔払いの映画としか観ようがない。それにしてもダイナミックに映像を作り上げるアメリカ映画は凄い。テレビの画面の中から人間の手が伸びてくるような映像しか作れない日本映画は陳腐だ。

それにしてもテロリストを多く輩出する宗教は邪教だろう。後生大事に何千年前の言葉を守り通して何の意味があろうか。目の前の人間を助けることも出来ないくせに、聖戦だとわめき散らす民族はクソだ。

『黒い十人の女』

1961年(昭和36年)・日本 監督/市川崑

出演/船越英二/岸恵子/山本富士子/宮城まり子/中村玉緒/岸田今日子/宇野良子/村井千恵子/有明マスミ/紺野ユカ

モノクロ映画。独特の雰囲気を持つこの時代の日本映画だが、ちょっとよそよそしくて飽きが来た。眠ってしまったことは言うまでもないが、何度見直そうと思っても、また眠ってしまったのには驚いた。

言葉が出て来なくて時間が過ぎていく。

妻を含めて愛人が10人もいるなんていうサラリーマン、テレビ業界の人間がいるなんて描かれるほど、テレビ業界は昔からチャラかったんだろうな。

『セッション』(Whiplash)

2014年・アメリカ 監督/デミアン・チャゼル

出演/マイルズ・テラー/J・K・シモンズ/ポール・ライザー/メリッサ・ブノワ

第87回アカデミー賞で5部門にノミネートされ、J・K・シモンズの助演男優賞を含む3部門で受賞した。という。音楽もので一番興味のある題材なのだが、どこか興味が湧かなかった。主演の男の顔が気にくわなかったのかもしれない。そんなことだけで映画そのものに影響してしまうなんて。

主演のマイルズはジャズドラマーを演じるため、2か月間、一日に3~4時間ジャズドラムの練習を続け、撮影で自ら演奏しており、作中の手からの出血はマイルズ本人のものである。 また、劇中で交通事故に遭ってしまうシーンがあるがマイルズ本人も2007年に命を落とす可能性もあった交通事故に遭っている。デミアン・チャゼルは高校時代に、競争の激しいジャズバンドに所属し、本当に怖い思いをしたという。テレンス・フレッチャーというキャラクターにはその経験が反映されている。その上でバディ・リッチのようなバンドリーダーを参考に練り上げたキャラクターだとチャゼルは語っている。(Wikipediaより)

2014年1月に開催されたサンダンス映画祭での上映以降、批評家からの賛辞がやまない。というが、この程度の映画は今までにたくさんあった。この頃の映画界の体たらくで、この映画が誉められている気がしてならない。もちろん、日本映画界の中にこの映画があったとしたら、ダントツでナンバーワンの評価をうけることを疑うつもりはない。

『サード・パーソン』(Third Person)

2014年・アメリカ/イギリス/ベルギー/ドイツ 監督/ポール・ハギス

出演/リーアム・ニーソン/ミラ・クニス/エイドリアン・ブロディ/オリヴィア・ワイルド/ジェームズ・フランコ/キム・ベイシンガー

ニューヨーク、パリ、ローマの3都市を舞台に、3組の男女が真実の愛を求めてもがく姿を描いた群像劇。よくある同時3組進行ドラマのように、訳が分からなくなることを楽しんで作られたような映画。正直言っておもしろくない。あくびが出る。

登場人物は、マイケル:小説家。スランプ中。息子を自らの不注意で亡くした過去を持つ。ジュリア:ホテルの客室係。元女優。息子を事故で死なせかけた罪を問われた過去を持つ。リック:ニューヨークのアーティスト。ジュリアの元夫。息子を引き取って恋人サムと育てている。スコット:ビジネスマン。未発表のファッションデザインを不正に入手して売っている。娘を自らの不注意で亡くした過去を持つ。アンナ:若手女流作家。マイケルの恋人。他に秘密の恋人「ダニエル」がいる。モニカ:ロマ族の女。幼い娘を密航船から引き取る金を必要としている。ローマのバーでスコットと出会う。テレサ:離婚弁護士。息子との面会権を望むジュリアの弁護を担当。スコットの元妻。エレイン:マイケルの妻。プール恐怖症。サム:リックと同棲中の女性。リックの息子を我が子のように慈しむ。マルコ:ローマのバー・アメリカーノの店員。英語が話せない振りをする。

こんな登場人物を読んだって何がなんだかわからない。そうなんですよ、映画もこんな風に何がなんだか最後まで分からないんですよ。それとも観客である私の能力が劣っているというのだろうか。


2018年11月24日、再び観たので記す。

『サード・パーソン』(Third Person)

2013年・アメリカ/イギリス/フランス/ドイツ/ベルギー 監督/ポール・ハギス

出演/リーアム・ニーソン/ミラ・クニス/エイドリアン・ブロディ/オリヴィア・ワイルド

ニューヨーク、パリ、ローマの3都市を舞台に、3組の男女が真実の愛を求めてもがく姿を描いた群像劇である、ということらしいが、映画は極めてつまらない。関係の分からない人間が何処に住んでいるのかも分からないシーンの連続で始まる映画は、どう考えたって独りよがりである。

複雑な構造にしなければ描けない映像は、万人受けするはずがない。何がどうなっているのか、まったく見当がつかないようなシーンばかり。そこでしか成り立たない映画は、現実社会のカオスだとでも言いたいのだろう。男と女の特徴的な一端を切り取り描いて見せることが映画の使命。わざわざ難しく男と女を描く必要はない。現実社会の男女関係で充分だ。

どうして映画というのはここまで男と女を別れさせてしまうのか。せっかく巡り会って仕合わせだと感じているのに、仕合わせはほんのつかの間、また新しい愛に生きることが出来るなんて、奇術師のようなものにも見える。フランス式事実婚だって同じようなものかもしれないが、書類を提出しない分別れは簡単なのだろう。国家に支配されなければ、もしかすると長続きするかもしれない結婚という儀式。

『不都合な契約』(Flying Home)

2014年・ベルギー 監督/ドミニク・デリュデレ

出演/ジェイミー・ドーナン/シャルロット・デ・ブライネ/ヤン・デクレイル/アンソニー・ヘッド

冷徹なビジネスマンが純粋な女によって心をかき乱されていく姿を描いたラブストーリー。ニューヨークの証券会社で活躍する敏腕ビジネスマンのコリンは社長の指示を受け、他社に奪われた巨額の契約を取り戻すべくアラブへ向かう。クライアントを翻意させるのに必要なものがベルギーにあることを知ったコリンは調査を開始し、やがて鍵を握る美女イザベルの存在にたどり着く。ビジネスのためには手段を選ばないコリンは、正体を隠して彼女に近づくが……。(映画.comより)

アラブの投資家は鳩を飼うのが趣味だったようだ。昔、子供時代は茨城県江戸崎町という片田舎でも鳩を飼っていた家が結構あった。ニワトリを飼っている家もそれなりにあった。ブタを飼っている家も農家ではなかった。そんな混然一体化した脳裏には、とてもじゃないけど鳩を飼うことが高貴な趣味だと理解できる訳もない。

こんなニュースが見つかった。週末に行われたレース鳩のオークションで、中国人ビジネスマンが史上最高額となる31万ユーロ(約4100万円)でベルギーの鳩を落札した。鳩はボルトという名前で、この世界では有名なベルギーの愛鳩家が飼育し、受賞歴もある。この愛鳩家は所有する全530羽の鳩をオークションに掛け、計430万ユーロで落札されたという。レース鳩のオークションサイト「ピパ」のNikolaas Gyselbrecht氏は21日、「絵画と同じだ。ピカソの絵は無名の画家の絵よりも価値があり、鳩も同じことが言える」と述べた。オークションには27カ国から入札があったが、最も高値を付けた10羽のうち9羽は中国人と台湾人によって落札されたという。人間の趣味の範囲がインクレディブルだ。

『パワー・ゲーム』(Paranoia)

2013年・アメリカ 監督/ロバート・ルケティック

出演/リアム・ヘムズワース/ゲイリー・オールドマン/アンバー・ハード/ハリソン・フォード/ルーカス・ティル

どう見たって三流映画だった。このままならもう少しで四流映画だよ、って叫んだところで、ようやくどんでん返しのような展開になり三流映画にとどまったという感じ。ハリソン・フォードが頭を五分刈りにした姿で、IT企業の社長をやっていた。あまり似合わないな~。

企業スパイというストーリーが陳腐で、「ここでそんなことするわけないじゃない!」とちゃちを入れたくなるのは困ったものだ。主人公と美しい女性との恋物語も、想定通りのストーリーで、飽き飽きしてくる。思ったように物語が進行することは決して悪いことではない。ただその後の展開が想像を超えるものでなくては、せっかくの映画が泣こうというもの。

日本ヘラルド映画創業者の古川勝巳さんは英語が分からなくてもあたる映画を買い付けてきた。言われたことはひとつ、観ていてこの後こうなるなー、とならない映画はダメだと。言葉が分からなくても、こんなことを喋っているのだろうと想像していたらしい。おそらく、この頃の映画では、古川さんの冴えた勘も上手く動いてくれないのではないかと思われるお粗末な映画が多過ぎる。

『her/世界でひとつの彼女』(Her)

2013年・アメリカ 監督/スパイク・ジョーンズ

出演/ホアキン・フェニックス/エイミー・アダムス/ルーニー・マーラ/オリヴィア・ワイルド/スカーレット・ヨハンソン

なかなか面白くてこの監督の作品はと調べたら『マルコヴィッチの穴』 (Being John Malkovich・1999年)があった。この1本だけでも監督の力量が分かろうというもの。でも寡作監督のようで、作品は極めて少ない。出演したり製作したりした映画もあるが、ミュージックビデオの作品がものすごくあった。

この映画の面白いところは、もうお馴染みになってきた Siri や Cortana、そして単純な Google 音声検索の行きつくところが見えることだ。映画ではパソコンの新しいOS、<OS1>は人格を持つ最新の人工知能型OS とリアル人間との会話がいけている。セリフには練られた数多くの言葉が心に届いてくる。好きな女優スカーレット・ヨハンソンはパソコンの声だけの出演で残念。声だけ聞いても分からなかったのは情けない。邦題のサブタイトルはいかにも陳腐だが、「ひとり」ではなく「ひとつ」としたところに工夫が見られる。が、まだこの映画を観ていない人にその思惑が伝わろうはずもなく。

瞬時に進化する自己啓蒙型PCは凄い。映画の描く未来は意外と早く現実化するものだけれど、そんな時代も生きてみたいと希望してみよう。映画の中で主人公の働く会社の名前がおもしろい。「ハートフル・レター社」というのだ。いわゆる代筆業なのだが、代筆をする社員だって手書きをするわけではない。パソコンに話しかければ、それが様々な筆記体フォントで様々な色と質感を持った用紙に印字される。そして、それを返信して仕事としている。心に響くプロの文面を読んで、人々は気持ちよくなれるわけだ。「あ~ぁ、変しい変しいヒロミさま~」。

『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト』(The Devil's Violinist)

2013年・ドイツ 監督/バーナード・ローズ

出演/デイヴィッド・ギャレット/ジャレッド・ハリス/アンドレア・デック/ジョエリー・リチャードソン

ニコロ・パガニーニ(Niccolo Paganini):1782年 - 1840年)はイタリアのヴァイオリニスト、ヴィオリスト、ギタリストであり、作曲家である。特にヴァイオリンの超絶技巧奏者として名高い。パガニーニがヴァイオリンを弾き始めたのは5歳の頃からで13歳になると学ぶべきものがなくなったといわれ、その頃から自作の練習曲で練習していた。それら練習曲はヴァイオリン演奏の新技法、特殊技法を駆使したものと言われる。そのヴァイオリン演奏のあまりの上手さに、「パガニーニの演奏技術は、悪魔に魂を売り渡した代償として手に入れたものだ」と噂されたという。そのため彼の出演する演奏会では聴衆は本気で十字を切ったり、本当にパガニーニの足が地に着いているか彼の足元ばかり見ていた観客もいたという。(Wikipediaより)

おもしろいと思った瞬間におもしろくない画面に変わったりと、珍しい展開をする映画だった。一貫性がないというか、希代のヴァイオリニストの人間性が上手く表現されていない。エンターテインメント性に欠けると感じていたが、終わってからドイツ映画だと知った。真面目過ぎるのだろうか、破天荒な人生のはずなのに妙に小さくまとまってしまっている。

超、超、超卓越したひとつの才能は万人をも唸らせる。どんな女癖の悪い男でも女がきゃ~きゃ~言って騒いでいる。それとはまったく真逆に、なんの卓越した才能も見せずにきゃ~きゃ~言われている日本の、時に男のグループどもよ、この映画のように真の才能で観客を喜ばせてはくれないだろうか。

『ビッグ・アイズ』(Big Eyes)

2014年・アメリカ 監督/ティム・バートン

出演/エイミー・アダムス/クリストフ・ヴァルツ/ダニー・ヒューストン/テレンス・スタンプ

監督のティム・バートンは、バットマン(Batman・1989年)、シザーハンズ(EDWARD SCISSORHANDS・1990年)、バットマン・リターンズ(Batman Returns・1992年)、エド・ウッド(Ed Wood・1994年)、PLANET OF THE APES/猿の惑星(Planet of the Apes・2001年)などなど監督作品も製作に関与している作品も多い。

この映画もよくある事実に基づく物語だと断り書きが出て映画が始まる。英語では「 Based on True Events 」、Events となっているところが珍しい。ダメ男、亭主の振る舞いに気分が悪くなってくる。映画はおもしろくない。観るのをやめてしまうほどのものではないが、なんの変哲もない物語にだんだん腹が立ってくる。

実話だからそうなのか、劇的に映画っぽくないところが不満。観終わってしまえば、こんなこともあるだろうな、で済んでしまう魅力のない内容。映画にするほどの実話ではなく、短編小説で充分なストーリーだった。

『マダム・マロリーと魔法のスパイス』(The Hundred-Foot Journey)

2014年・アメリカ 監督/ラッセ・ハルストレム

出演/ヘレン・ミレン/オム・プリ/マニシュ・ダヤル/シャルロット・ルボン/シャルロット・ルボン

アメリカ映画だけれどインド人が作ったインド人による映画に見える。舞台はインドを離れ、ロンドンからフランスに辿り着いたインド人一家。スティーヴン・スピルバーグの名前が製作者に入っている。ドリームワークスが製作会社に名を連ねているからなのだろう。

インド映画は何故かおもしろい。という期待が大きいので、見る目は厳しい。今回の映画は凡庸としていて、題名を見て分かる通り、料理人の話では観客を驚かせるレシピは披露出来なかったようだ。天才シェフの登場や客の驚きの顔などはありきたり過ぎる。

それでも美味しい食べものを見るとめちゃめちゃ食べたくなる。フランス料理だから少しばかり食指の動きも鈍いが、あれで余計なソースがなかったらな~と惜しがる。インド料理のタンドリー・チキンの方が匂いまで漂ってくるようで、食べたいと声を出してしまいそう。

『おみおくりの作法』(Still Life)

2013年・イギリス/イタリア 監督/ウベルト・パゾリーニ

出演/エディ・マーサン/ジョアンヌ・フロガット/アンドリュー・バカン/キアラン・マッキンタイア

好きなたぐいの映画だ。いかにも往年のミニ・シアター系映画という雰囲気がぷんぷんしていて気持ちいい。途中、ちょっとやり過ぎて、気分の良かった時間に、やっぱりこれは映画だったんだと、気分悪くさせられることもあった。でも意外な結末に、また映画らしい映画として拍手を送りたい。

ロンドン市ケニントン地区の民生係として働くジョン・メイは44歳の独身男である。彼の仕事は孤独死した人物の葬儀を行なうというもので、事務的に処理することもできるのだが、几帳面な性格のジョンは誠意をもって1人1人を丁寧に「おみおくり」している。ところが、人員整理によって解雇されることになり、ジョンの向かいの家で孤独死したビリー・ストークの案件が最後の仕事となる。近くに暮らしていながら言葉も交わしたことがないビリーの死に、同じように孤独な1人暮らしをしているジョンは少なからずショックを受け、ビリーを知る人々を訪ねてイギリス中を旅することにする。(Wikipediaより)

孤独死していく人に優しい役所が羨ましい。日本ではまだまだこんな風景にはほど遠いのだろう。誰も身寄りのいない死人なんて、それこそ闇から闇に葬られて永遠にその存在が日の目を見ることはないのであろう。こういうシーンを見ていると、自分のことに置き換えて、哀しい気持ちになってくる。仕方のないことだが。原題「Still Life」をGoogle翻訳機にかけると「静物」と訳される。なんと意味深なことだろう。

『スパイ・レジェンド』(The November Man)

2014年・アメリカ 監督/ロジャー・ドナルドソン

出演/ピアース・ブロスナン/ルーク・ブレイシー/オルガ・キュリレンコ/イライザ・テイラー/カテリーナ・スコーソン

ちょうど12月4日から『007 スペクター』(Spectre・2015年)が公開されて、主演6代目ジェムズ・ボンドはダニエル・クレイグ、日本ではどう考えてもうけない顔で大損している。その前のピアース・ブロスナンは日本人受けする顔立ち、それでも007シリーズが超大ヒットする時代ではなくなってしまった。

007が活躍するような映画にも見えるが、主人公ピアース・ブロスナンはもう60才だ。全体の感じからしてちょっとハードアクションには耐えられない。でも中身はかなりのアクションの連続、アメリカ、ロシアを巻き込んでの高等武官が事件の中枢となって映画は混乱を極める。題名がいまさんで、宣伝部員の質を疑う。

ブロスナンは、ジェームズ・ボンドを演じ続けることでイメージが固定してしまう危険に気付いており、ボンド役を引き受けたときに『007』シリーズに出る合間に他の映画にも出演する許可を製作会社イーオン・プロダクションに求めた。このため、『007』シリーズ以外のいろいろな映画に参加している(プロデュース作品も含む)。これらの作品で最も成功したのは『トーマス・クラウン・アフェアー』だった。 『ダイ・アナザー・デイ』出演後もボンド役を続けることを切望していたが、交渉で行き詰まり、2004年7月に自ら降板を申し出、MGMは慰留したが最後には同意し、ダニエル・クレイグが6代目ボンドに起用された。初代のコネリーに次ぐ人気を博したが、出演したシリーズ作品は4作と、歴代で3番目に少ない(Wikipediaより)。

『炎のごとく』

1981年(昭和56年)・日本 監督/加藤泰

出演/菅原文太/倍賞美津子/中村玉緒/国広富之/伊吹吾郎/藤田まこと/大友柳太朗/藤山寛美/高田浩吉/若山富三郎/丹波哲郎

巨匠・加藤泰の最後の劇映画である。上映時間147分。飯干晃一の『会津の小鉄』を原作に、幕末の京都を舞台に、侠客・会津の小鉄こと仙吉と京都の町の人々のドラマを、天誅横行、池田屋事件、蛤御門の変などを背景に描いている。(Wikipediaより)

日本ヘラルド映画の配給作品に『突然炎のごとく』(Jules et Jim)という作品がある。私の入社する前の映画だが、社内では「トツホノ」と今の時代の短縮形の呼び方をしていて、愛着をもっていた作品だと理解できた。そんなことを思いだしたが、この映画の題名とはなんの関わりもないことだろう。訳の分からない映画に見えた。ほどほどのところで、「第一部 了」という文字が見えた。へぇ~、まだ一部が終わったばかりか、と驚くほかない。

この作品への意気込みについて、加藤泰監督はパンフレットで次のように書いている。「僕のそれらは多く骨惜しみのない大チャンバラ、大格闘の大活劇、抱腹絶倒の大ドタバタの大喜劇、泣けて泣けて堪らん大悲劇、情緒纏錦の大恋愛劇だったものである。そこで僕らの先輩の活動屋達は、まるで頼もしい兄貴のように、何が正しいか、正しくないか、人生どのように生きたら良いか、この男と女はこんな素敵な恋をしたんだぜ、自分の考えを貫くためにこんな風に戦ったんだぞと熱っぽく動く映像で語りかけようとしたものである。僕もそんな「大活動写真」が作りたい。だが毎度力及ばず頭を掻くばかりである。だが今度こそはと、またまた、性懲りもなしの挑戦を試み格闘した成果が今回の『炎のごとく』である」

『フィクサー』(Michael Clayton)

2007年・アメリカ 監督/トニー・ギルロイ

出演/ジョージ・クルーニー/トム・ウィルキンソン/ティルダ・スウィントン/シドニー・ポラック

主人公マイケル・R・クレイトンは、アメリカ最大の法律事務所"Kenner, Bach, and Ledeen"の弁護士。59年にNYの聖ヨセフ病院で生まれ、77年オレンジ郡のワシントンビル中央高校を卒業。80年セント・ジョーンズ大学、82年フォーダム法科大を卒業。82年~86年までクイーンズで地方検事補、86年にマンハッタン・クイーンズ組織犯罪対策部隊(Organized Crime Task Force)に所属。90年から現職。仕事の内容は弁護士ながら、いわゆるフィクサー(揉み消し屋)といわれるちょっと道を外れた仕事。

web上に書かれていたストーリーをこの映画を観た後に読んでみたが、なんのことはない、へぇ~!そんな簡単なことだったのかと拍子抜けしてしまって、とてもじゃないけど観る前に読んでいたら映画を観る気も起きないようなことに見えた。やっぱり映画は事前情報が何もない方がおもしろい。特にサスペンス調な内容では、ネタ晴らしは絶対禁物だ。

死んでも喋らない人生の情報をどれだけもって死ねるだろうか。自分が死んでしまえば誰も知ることのない情報をもっていることは嬉しい。そういう情報が多ければ多いほど、今生きている他人が仕合わせに成れているはずだ。他人を不幸にする情報をべらべら喋る奴の気が知れない。口は言葉を喋るためにあるのではなく、美味しいもの食べるためにあるものだから。

『桐島、部活やめるってよ』

2012年(平成24年)・日本 監督/吉田大八

出演/神木隆之介/橋本愛/東出昌大/清水くるみ/山本美月/松岡茉優/落合モトキ/浅香航大/前野朋哉

録画予約をし損ねたが、リアルタイム放映が始まってから40分後に観始まった。どうにもこの桐島っていう奴が出て来なくて、やっぱり最初を見逃したのはまずかったかな、と反省した。YouTube で予告編を見たら、自分が観た後半40分のシーンしか出て来ない。桐島って誰だ、と余計知りたくなった。

登場人物名を各章のタイトルにしたオムニバス形式だった原作を、曜日を章立てて、視点を変えて1つのエピソードを何度も描き、時間軸を再構築して構成するスタイルにした。という解説が見つかって納得した。結局はデジャブの繰り返し映像だったのか。題名のユニークさにかなりの期待をしていたのは事実だが、これも独りよがりの映画製作品だった。プロデューサーの名前を見たらやっぱりと。

若手の中でいいなと思っていた東出昌大はこの映画でデビューしたらしい。この映画の彼は高校生にしてはちょっととうのたった雰囲気で、無理がある。役者としては大成しそうな感じがある。こんな勝手な言葉が30年後にきちんと立証されることを願う。

『ダージリン急行』(The Darjeeling Limited)

2007年・アメリカ 監督/ウェス・アンダーソン

出演/オーウェン・ウィルソン/エイドリアン・ブロディ/ジェイソン・シュワルツマン

ビジネスマンが慌ててダージリン急行に乗ろうとするが間に合わず、一人の男が追いつく。1年前の父の死をきっかけに絶交していたホイットマン3兄弟は長男フランシスの呼びかけで、この列車旅で再び兄弟の絆を固めようと皆に誓う。3人とも悩みを抱えている。フランシスはバイク事故で奇跡的に助かったものの、頭の包帯が取れていない。次男ピーターは父の遺品の独り占めを批判されていて、育った環境からか出産直前の妻との離婚を考えている。三男ジャックは作家で小説を書き上げたばかりだが、元の恋人が忘れられない。でも、しっかり女乗務員とトイレで寝たりする。列車は蛇が出たり、線路を間違えたりトラブルだらけ。

失踪した母親がヒマラヤの修道院で尼僧をしていることが分かり、会いに行くことにするが、大ゲンカでペッパー・スプレーを使い、列車から降ろされてしまう。砂漠に遅され、途方に暮れ、空港を目指す。母親から人食い虎が出ていて別の時にと手紙。筏で川を渡ろうとする幼い3兄弟を目にする。ロープが切れ、激流に飲み込まれる兄弟を慌てて救助するが、幼い弟が命を落としてしまう。亡骸を抱き、村へ行き、葬式にも招待され、父親の葬儀を思い出す。ようやく国際空港に到着。タラップの前に思い直し、父の葬儀に来なかった母親に会いに行く。朝、母親が失踪。いろんな重荷を捨てた彼らに「オー・シャンゼリゼ」が鳴り響く。(以上 Wikipediaより)

おもしろくないと思いながら観たウェス・アンダーソン監督作品3本目、2作目は眠ってしまったが後で見直した。今回もまた眠ってしまったが、見直す勇気は起こらなかった。

『グランド・ブダペスト・ホテル』(The Grand Budapest Hotel)

2014年・ドイツ/イギリス 監督/ウェス・アンダーソン

出演/レイフ・ファインズ/F・マーリー・エイブラハム/マチュー・アマルリック/エイドリアン・ブロディ

後輩の映画好きがこの監督作品に最近入れ込んでいるというので見てみた。あまり見えないようにジュード・ロウやウィレム・デフォー、ハーヴェイ・カイテルが出演しているのがいいという。音楽もかなりいいというが、監督・俳優や音楽に造詣が浅い私は映画ストーリーがおもしろくないと興味がない。

ドラメディ(コメディ・ドラマ)映画である。ホテルのコンシェルジュと若い従業員の交友を描いた作品である。監督・脚本はウェス・アンダーソン、主演はレイフ・ファインズが務めた。第64回ベルリン国際映画祭審査員グランプリや、第87回アカデミー賞の4部門などを受賞している。仮想の国ズブロフカ共和国が物語の舞台であり、歴史的なトピックスがパロディとして登場する。また、時間軸は1932年と1968年、1985年の3つであり、1.33:1、1.85:1、2.35:1の3種類のアスペクト比を使い分けることで入れ子構造を表現している。(Wikipediaより)

題名はかなり期待をもたせてくれたが、監督の趣向というのはどうも一貫性があるようで、先に観た『ムーンライズ・キングダム』(Moonrise Kingdom・2012年)をくそみそに言った言葉が嘘ではなかったと確信した。趣味の合わない女の顔も見たくないし声も聞きたくないと思うのと一緒。

『ボーダー』(Righteous Kill)

2008年・アメリカ 監督/ジョン・アヴネット

出演/ロバート・デ・ニーロ/アル・パチーノ/カーティス・"50セント"・ジャクソン/カーラ・グギノ

観始まったらロバート・デ・ニーロとアル・パチーノの二人が見えてきた。これって昔見た警察ものだよね、と思って観ていたが、どうも違う。最初の共演作品は『ヒート』(Heat・1995年)でアル・パチーノは刑事だったが、ロバート・デ・ニーはギャング集団の親玉だった。

ロサンゼルス市警察の前作から今回はニューヨーク市警察の相棒刑事二人の物語。探偵ものはイギリス、警察ものはアメリカがおもしろいと言われるがその通り、あまりにも現実感のない日本の警察ものなんて、まったく取るに足らない映像だと、しっかりと思わせてくれる。

日頃の鬱憤が爆発するかも知れない危険をはらむ警察の仕事、と言う背景を強く印象づけ、刑事だって世の中のクズを葬り去ってしまう衝動に駆られるのだと映画は訴える。そんな風に見えて仕方がなかった。警察官だって人間、普通の人間以上に悪を嫌う、そんな環境は普通ではないが、考えていることは理解できる。警察官である自分の姿なんて、到底考えも及ばない。

『カウボーイ』(COWBOY)

1958年・アメリカ 監督/デルマー・デイヴィス

出演/グレン・フォード/ジャック・レモン/アンナ・カシュフィ/ディック・ヨーク

東部育ちの青年フランク・ハリス(J・レモン)が西部に憧れて赴き、その精神を体に鍛き込んでゆく成長譚で、実話に基づいている。“逞しくなるのは荒っぽくなることとは違う”とつぶやく牧頭童のG・フォードがとてもいい。牛の暴走(スタンピード)やインディアンの襲撃、ロマンスのお約束もあるが、それらは色どりにすぎず、カウボーイの単調で過酷な労働の日々と、自主性を重んじるその社会の素朴な魂のふれあいに力点が置かれている。D・デイヴィスが“マッチョな世界”とある種の観客には遠ざけて見られがちな西部劇の世界を人間的に引きつけて描く男の叙情“リアリズム”あふれる名篇。(allcinemaより)

ジャック・レモンが西部劇に出ていた。最後の役者紹介で初めて知った、この映画のジャック・レモン。この映画の公開時は33才、翌年にビリー・ワイルダーと知り合って以降は「お熱いのがお好き」、「アパートの鍵貸します」などで名コンビぶりを発揮。人生の悲哀を巧みに表現するコメディアンとしてその地位を確立している。

真面目なカウボーイの見本をこの映画が紹介している。今まで見た映画で、ここまでの真面目なカウボーイを見たことがない。カウボーイの日常とはこんなものだったんだよ、と60年前のアメリカ人に話して聞かせているような映画に見える。

『日本侠客伝 雷門の決斗』

1966年(昭和41年)・日本 監督/マキノ雅弘

出演/高倉健/藤純子/島田正吾/村田英雄/待田京介/藤山寛美/長門裕之/ロミ山田/新城みち子/宮城千賀子/内田朝雄

このシリーズ5作目。浅草の興行師が主人公。そう、まんざら縁がないわけではない興行師、王子の映画館に集金に行った時、事務所に入ると怖そうな顔立ちが並んでいたのを、今もぞっとしながら思い出す。日本ヘラルド映画株式会社は配給会社で興行師ではなかったが、お客さんは全員が興行主。舞台だって映画だって、そんなに変わりはない。

抑えて、抑えて、あくまでも控えめにへりくだる健さんには、ちょっと不満もある。あたら不必要な争いをもたらすのは、控えめが講じての場合が圧倒的に多い。大きな事件になる前に決着を付けてしまえば、関係のない人に迷惑をかけることもないのに。勿論、映画だからいつもこうなっているのは分かっている。

現実の世界でも同じような歯がゆいこともしょっちゅう起こっている。言ってしまえば誤解も発生しないことを、言わないことで、いらぬ誤解を生じさせることがある。当人は割り切っているからいいものを、周りの人がそれで迷惑を被っていることを当事者だけが知らない。余計なお節介は邪魔だが、何もしない弊害もきちんと理解しなければ、人生のいい環境は作れない。

『エアフォース・ワン』 (Air Force One)

1997年・アメリカ 監督/ウォルフガング・ペーターゼン

出演/ハリソン・フォード/ゲイリー・オールドマン/グレン・クローズ/ウェンディ・クルーソン

アメリカ合衆国大統領が主役の映画はそれなりにあるが、実話のケースが多く、役者はその大統領に似せた役作りをすることが普通。今回の大統領役ハリソン・フォードにモデルはいない。というわけで彼がそのまま大統領の顔になっているのが、ちょっと違和感を感じて映画は始まった。

ちょうど今の世界情勢のようなテロと対峙する構図があり、このテロというやつが今に始まったことではなく、世界を取り巻く永遠の状況のように見える。テロに嚇されて、さっさと金を渡してしまう国もあったようだが、口先だけでは自分の身も守れない。戦争状態宣言をしたフランス大統領を見習わなければならない。

日本でもし今回のフランスのようなテロが起こったら。おそらく、強く非難しますとか言う言い方しか出来ないであろう日本政府。日本人だって、夜は誰も出歩かなくなって、テロ集団の思うつぼになってしまうことは確実だろう。

『ザ・ファイター』(The Fighter)

2010年・アメリカ 監督/デヴィッド・O・ラッセル

出演/マーク・ウォールバーグ/クリスチャン・ベール/エイミー・アダムス/メリッサ・レオ

ずーっと三流映画だと感じながら観ていた。ところが、第83回アカデミー賞で助演男優賞(クリスチャン・ベール)、助演女優賞(メリッサ・レオ)の2冠を獲得した。というから、自分の節穴さ加減に恐れ入ってしまう。世界チャンピオンにまでなる兄弟ボクサーの物語だが、かなり気分の悪くなるストーリーだ。

映画のクライマックスとして描かれたライトウェルター級王座戦のWBU(世界ボクシング連合)はプロボクシングの世界では認知度の低いマイナー団体であり、WBUの王座になったところで誰も弟ミッキーには注目していなかった。ミッキーのボクシング人生が真に輝くのは、その後、"稲妻"の異名を持つアルツロ・ガッティと繰り広げた死闘である。(Wikipediaより)

小さな町にもボクシング興行があり、そこから這い上がってチャンピオンになるくだりはいかにもアメリカという感じだ。出しゃばりの母親、7人の姉妹の登場がコメディみたいに見える。スポーツ映画にしては暗い展開、そんなところが映画界の賞に値する要素なのだろうか。

『プール』

2009年(平成21年)・日本 監督/大森美香

出演/小林聡美/加瀬亮/伽奈/シッテイチャイ・コンピラ/もたいまさこ

小林聡美が主演している映画『めがね』『かもめ食堂』と同じテースト。何度目かになると、新鮮味はない。飛行場に降り立つ主人公の娘、ここは一体どこなんだろう。最後までセリフの中に国の名前は出て来なかったが、予想したタイ国の名称をエンド・クレジットで見ることが出来た。

父親と息子の葛藤を描いた映画は多い。この映画は母親と娘の葛藤を優しく見つめている。と言えば、よさそうに聞こえるが、どちらかというと力量不足の感は否めない。こういう映画の作り方はいいだろう、という映画製作者の傲慢さを押しつける感じがして、最初から最後まで気になって仕方がなかった。

エンド・クレジットに載っていた製作者スタッフに、現役時代あまり気の合わなかった映画人の名前を見つけて妙な合点がいった。気の合わない人なんてそんなにいるもんじゃない、そう思っていたが、数少ないそういう人もいたことは確か。そういう人達が今厳然と映画界で活躍している姿が羨ましいかというと、そうでもない。この程度の映画を、さも素晴らしいだろうと押しつける態度が嫌いだ。これは失敗作だったと反省してくれるなら、同情してもいいけれど。

『天河伝説殺人事件』

1991(平成3年)・日本 監督/市川崑

出演/ 榎木孝明/岸惠子/日下武史/財前直見/神山繁/加藤武/奈良岡朋子/岸田今日子/大滝秀治/伊東四朗/石坂浩二

飛ぶ鳥を落とす角川春樹、その後のシリーズ化を狙っていたようだが、角川春樹の逮捕に始まる一連の角川書店内部の混乱の影響を受けたこともあってか、現在において「浅見光彦シリーズ」で唯一の映画化された作品となっている。

石坂浩二や加藤武が出演し、市川崑が監督を務めており、『犬神家の一族』に始まる金田一耕助シリーズのテイストが出ていると指摘され、また映画の広報や宣伝もそれを意識的に意図させたものらしい。妙な安定感がありこの時代の推理映画の基本を押さえた作品や宣伝になったような雰囲気が伝わってくる。面白みはないが日本人の好きな安定感なる作品であることは確か。

余裕から来るコメディー部分も、しつこく追求するわけでもなく、ある意味本を読みながら映画を見ているような心持ちが正座をしながらお茶を飲み、スクリーンに目を向けていれば、だいたい思った方に映画が展開するだろうと思わせるに充分な感じだった。と言ってしまったら怒られるだろうか。

『テレマークの要塞』(The Heroes of Telemark)

1965年・イギリス/アメリカ 監督/アンソニー・マン

出演/カーク・ダグラス/リチャード・ハリス/ウーラ・ヤコブソン/マイケル・レッドグレーヴ

ナチス・ドイツが原子爆弾の開発に躍起になっている。もしもドイツが先行してしまったら、この戦争は確実にドイツの天下になってしまうことは明白な状況だった。実際の第二次世界大戦の最終局面でも万が一にそんなことになっていたら、今の世界は様変わりしていたろうし、自分の人生にも大きな違いがあっただろう。

フィンランドのテレマークという場所で、原爆製造に重要な工場が稼働していた。フィンランドの地下組織はその製造を妨害すべく、現役の著名な物理学者も動員して原爆開発阻止を画策する。昔ながらのストーリーや計画とアクションが懐かしく感じる。

オリンピックのノルディック競技に銃を担いでスキーですべり時々伏せて的を狙う競技がある。あんなの単なる遊びだよねと思っていたら、この映画ではドイツ軍に追い掛けられたフィンランド人が必死に逃げているシーンがあった。あっ!これってかなり実践的なんだなと。現実的には狩猟という要素の方が多いのかも知れないが。

『白い肌の異常な夜』(The Beguiled)

1971年・アメリカ 監督/ドン・シーゲル

出演/クリント・イーストウッド/ジェラルディン・ペイジ/エリザベス・ハートマン/ダーリーン・カー

この題名って?と、ちょっと不思議な感じがいっぱいだった。アメリカ合衆国南北戦争の末期、南部のとある森で負傷をして助けてくれたのが地元の私設女子学校だった。黒人のお手伝いさんと校長先生、教師、年上の女性と、そのほかに5人の女少女達だった。男ひでりの女の園に迷い込んだ羊のように、女達の間で男の獲得合戦が起こった。

その程度で済むのなら問題はない。女の執念と嫉妬が混じり合い、男の立場はどんどん危うくなっていく。周りはまだまだ南軍の陣地、北軍であることも知られたくない負傷した男の姿はいつか消えかかってしまうようにさえ見えた。とうとう女の争が表面化した。一方北軍が徐々に学校にもその影響が感じられられるようになってきた。

階段から突き落とされる事件があった。女はみんな彼に信頼をもてなくなってきてしまった。唯一ひとりの女性が結婚を決めて彼についていくという。いっそのこと毒茸を食べさせてでも殺してしまった方が賢明な判断だと大人の女性たちは結論を導き出す。誘われても訪れなかった年増の校長の部屋、固すぎてまだ処女だと言う教師、一番若いが奔放過ぎる生徒、主人公はとんだところに飛び込んでしまった、どうにもならない解決策は彼が毒茸を食べて死んでしまうこと。小さな女の子でさえ彼に好意を寄せていたが、憎さ余って仕返しへと変わっていく。げに恐ろしきは女の性。とてもじゃないけどそんな状況を乗り切れる自信なんてあるはずもない。原題の[beguile]の意味は、1 〈人を〉だます,欺く,惑わす;〈人を〉だまして(…)させる((into ...));〈人を〉だまして(…を)巻き上げる((of, out of ...)) 、2 ((文))〈人を〉(…で)楽しませる,魅する;〈時間・悲しみを〉(…で)まぎらす,楽しく過ごす((with, by ...))、発音が難しい。

『くちづけ』(ANGEL HOME)

2013年(平成25年)・日本 監督/堤幸彦

出演/貫地谷しほり/阿波野幸助/竹中直人/宅間孝行/田畑智子/橋本愛/麻生祐未/平田満/嶋田久作/岡本麗/宮根誠司

いわゆる健常者が、いわゆる知的障害者の役を演じる。どう考えても違和感がある。知的障害者という名前を付けて、障害者だと決めつける。「びっこ」と呼ぶと差別になるらしいこの頃、足の不自由な人と呼ばなくてはいけないらしい。それでは、知的障害者のことを頭の不自由な人と呼べばいいとでも言われそうだ。

いつの頃の学生時代だったか覚えていないが、タモリではなく洋画もののテレビシリーズ「世にも不思議な物語」で見た映像が今でも忘れられない。ベットに横たわる患者、目のあたりの手術をして今日は包帯をとる日、ベットの周りには医者と看護婦が見守っている。さて包帯を取ると、観客はぎょっとなる。なんと、目が3つあるのだ。鼻の上にも目があり、なんとも奇妙な顔になっている。ところが、患者も医者も看護婦も喜んでいる様子が聞こえてくる。カメラがパーンすると、医者も看護婦も同じように3つ目だった。

このシーンは私の人生の規範になっている。差別とはなんなのだろうと考える時の指針になっている。結論めいたことはないが、こういうシーンを見れば誰しも差別とはなんだろうと、考えることが出来るようになると思っている。明確な差別定義を優秀な人に示して欲しい。

『アジャストメント』(The Adjustment Bureau)

2011年・アメリカ 監督/ジョージ・ノルフィ

出演/マット・デイモン/エミリー・ブラント/アンソニー・マッキー/ジョン・スラッテリー

ネットでのジャンル分けでは「SF恋愛サスペンス映画」ということになるらしい。直前に観た映画が2時間46分という長い映画だったので、ちょうど1時間短い1時間46分は凄く短いと感じた。主人公のマット・デイモンはボーン・シリーズの続きを見るような活躍を見せている。

人生は運命づけられている、という人間に対する「運命調整局」というエージェントが存在するらしい。主人公が最年少で下院議員に当選したのも、その調整の結果だという。交通事故にあうのも、必然と思われていることも、実は彼等調整局の努力のたまものだという。上院議員の選挙に負けてその運命がちょっと狂っていた頃、エージェントのミスにより逢わないはずの女性と巡りあってしまった。

調整局の人達は他人にも見えるらしいが、行動できる範囲は人間離れしている。ひとりの人間の運命が書かれたbookには、鉄道の路線図のように歩んできた道とこれから進む道が示されている。どんなにあがいたって、自分の歩む道は決められているらしいから、敏感な反応ではなく思いっきりの鈍感力を使って人生を生きて行くしかないのかもしれない。

『6才のボクが、大人になるまで。』(Boyhood)

2014年・アメリカ 監督/リチャード・リンクレイター

出演/パトリシア・アークエット/エラー・コルトレーン/ローレライ・リンクレイター/イーサン・ホーク

邦題には6才という年齢が入っているが、原題は男の子のことと表示されている。アメリカ人の少年時代のありようが描かれている。6才から18才、大学に入学して寮に到着し同室者達と散歩に出かけたシーンで映画は終わる。実際の撮影は2002年から2013年まで断続的に行われ、子供たちの成長をそのまま映像として収めたという。

なかなか終わらない映画に苛立つくらいだった。2時間46分は長い。上映時間の情報があれば多少は身構えるものだが、このタイトルでこの長さは想定していなかった。長時間を掛けて撮影した映画を、手短に編集するのは至難だ。アメリカ人なら、おそらく、これやった、とか、う~ん懐かしいな~、というシーンがたくさんあるのだろう。日本人には異国のことで、延々と子供の頃の出来事を紹介されても、あまり興味が湧くものではなかった。

母親は三度結婚し、最初の夫との間に生まれた二人の子供を育てる。その二人の子供の父親は終始子供の面倒を見ているのが印象的。このあたりは離婚が一般的なアメリカならではのことだろう。日本ではどうなのだろうか。映画と同じように離婚して男の子と女の子の親権を持って育てているうちの三女の生活が気になっている。

『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』(Chef)

2014年・アメリカ 監督/ジョン・ファヴロー

出演/ジョン・ファヴロー/ソフィア・ベルガラ/ジョン・レグイザモ/スカーレット・ヨハンソン/ダスティン・ホフマン

ジョン・ファヴローが監督・脚本・製作・主演を務めた。一流レストランのシェフがオーナーとの確執もあり、大物料理評論家からはこっぴどく叩かれる。ネットを使ったコメントはすぐに拡散して、シェフの言動さえも撮影され、ツイッターでフォローされてしまう。嫌な世の中になってしまったが、それも現実。

今までにあったシェフ物語と大きく違うところはない。ただネットが大きく介在するという視点でのシェフ映画は初めてなのかも知れない。腕の立つシェフなら、間違いなく成功するだろうという予測がその通りになるのは普通すぎる。映画としての驚きはない。喩えネットがあったとしても。好きな女優スカーレット・ヨハンソンの顔がちょっと違う。この映画では引き締まった褐色に近い色で、ほんわかとした顔立ちが消えていたのが寂しい。

ちょっと期待していた分だけ減点要素は多い。期待しないで人間をウォッチすることが肝心かも知れない。期待が大きいとどうしても、ダメな点が見えてしまう。そんなに完璧な人がいるわけないと分かっていてもダメ。それでも、期待を裏切られたとしても嫌いになれない人もいる。そういう人に巡り会える人生ってやっぱりいいなぁ。

『きっと、星のせいじゃない。』(The Fault in Our Stars)

2014年・アメリカ 監督/ジョシュ・ブーン

出演/シャイリーン・ウッドリー/アンセル・エルゴート/ナット・ウルフ/ローラ・ダーン/サム・トラメル

DVDのパッケージからは恋愛映画だろうと想像出来たが、この邦題は何?と怪しんだ。が、原題の意味や劇中の言葉を見てみれば、そんなに突拍子なタイトルだとも思えなくなった。でも、このタイトルで多くの観客を集めるのは大変だろう。

アメリカ映画ではよく見かけるサポート・グループ、重い病気にかかっている人達が心のうちを吐露することによって、安らぎや癒やしをうける時間。そこで友人を得ることも多い。主人公も嫌々ながら参加した集まりで信頼の置ける異性と出会うことになった。自己紹介する時に自分の難しい病名を言う、聞いている側からすれば、自分よりももっと酷い人生をおくっていることを察知する。慰め合うわけではない。そんな時に出会う『本』には無限の喜びを感じる。活字の持つ力が。一生に1度望みを叶えてくれる財団があり、審査が通り二人でオランダの作者に会いに行けることになった。

死ぬことが身近な二人の会話には、鬼気迫るものがある。凡々と死を感じている自分などとは大違い。オランダでの作者との出会いは予想外の展開が。こういう映画のいいところは、不治の病に侵された哀しさや同情ではなく、力強く生きることをメッセージする心のありようを見ることである。日本映画の同じような場面で、病院シーンが多いのとは対照的に、アメリカ映画は常に明るく、一見何事もなさそうな二人に見えるように作られたシーン。言葉がいい。胸中穏やかではない。好きな映画だ。

『ウォーリアー』(Warrior)

2011年・アメリカ 監督/ギャヴィン・オコナー

出演/ジョエル・エドガートン/トム・ハーディ/ジェニファー・モリソン/フランク・グリロ

総合格闘技で兄弟対決をする二人が最終的な話だが、そこに行き着くまでには語り尽くせない物語があった。そこを映画にしているわけだが、実話とも思えるようなところがあったが、それにしては出來過ぎていた。実話ではなかったようだ。父親と二人の男の子供、どうにも映画だけではなく、この親子関係には波風の立たないストーリーはあり得ないようだ。

アメリカでは2011年公開のようだが、日本ではこの程度の映画は公開できる環境にはなく、2015年になってようやく「カリテ・ファンタスティック!シネマ・コレクション2015」の中の一作として公開されるのが精一杯だったらしい。

格闘シーンはアップや引きを駆使して、なかなか上手く撮っていた。スポーツ映画ジャンルを観たくなってこのDVDを手にしてが、内容はともかく、白黒がはっきりするスポーツ映画はやっぱり観ていて区切りがいい。人生は1か10ではなく、4や5や7があるので、どこを彷徨っても楽しむことは出来る。たとえそれが他人から指さされる人生であっても。

『ジャッジ 裁かれる判事』(The Judge)

2014年・アメリカ 監督/デヴィッド・ドブキン

出演/ロバート・ダウニー・Jr/ロバート・デュヴァル/ヴェラ・ファーミガ/ヴィンセント・ドノフリオ

ロバート・ダウニー・Jrとロバート・デュヴァルの演技は絶賛されているが、作品全体の評価は芳しくないという評価が載っていた。今回の14枚のDVDレンタルで、知りあいに観たい映画がありますかと聞いた時、このタイトルが選ばれていなかった。こういうネット上の評価を見ての選択だったのではないかと、ちょっと疑った。

私にとってはなかなかおもしろい映画だった。男だけの3兄弟と父親との関係。主人公の二男の離婚問題。長男は前途有望なベースボール・プレーヤーだったが、交通事故で夢を断念。三男は周りからおつむの弱い素人カメラマンと揶揄されている人物。父親は地元インディアナ州の小さな町の判事。母親の死を契機に再び巡り合う家族の解決しない人生。インディアナ州の小さな町とイリノイ州のシカゴが比較されているが、アメリカ人ではない者にはよく分からない環境。

家族、子供、父親、母親、そしてその死、元妻などなど、この歳になっていろいろな思いが交錯する。いちいち映画の内容に反応して、喜びも哀しみも幾年月、と唄の文句が頭をよぎる。だから人生は楽しい、と割り切れるほど人生は簡単ではないが、それでも人生は楽しいものだと大声で叫んでみたい。


2020年10月19日 再び観たので記す

『ジャッジ 裁かれる判事』(The Judge)

2014年・アメリカ 監督/デヴィッド・ドブキン

出演/ロバート・ダウニー・Jr/ロバート・デュヴァル/ヴェラ・ファーミガ/ヴィンセント・ドノフリオ

『地獄の黙示録』(Apocalypse Now・1979年)でナパーム弾の匂いを嗅ぎながらパイプを燻らせていたビル・キルゴア中佐役のロバート・デュヴァルが、インディアナ州の小さな町の老人判事として登場している。感慨深い。主人公はその息子でイリノイ州シカゴに住み、被告側弁護士として順調な人生を送っている。家庭環境は複雑で日頃は疎遠な家族関係だが、母親の急死で葬儀のために故郷へ帰った時からその複雑な家庭関係にまた引き戻されるばかりか、父親判事の殺人容疑の弁護をする羽目に陥ってしまった。

誰にでも家庭があった。今は天涯孤独な人間だと思い込んでいても、小さい頃には家庭があった。記憶の中に家庭のない人もいることは確かだが、それでもまったく一人で生きてきた訳ではないだろう。自分の周りの人たちは一種の家庭環境の中にいる人だと断言してもいい。そうやって、自分の意志とか関係なく大人になって今に至っているのだと思わなければならない。

この映画の主人公には故郷に二人の兄弟がいた。自分の若気の至りから交通事故を起こしたために大リーグに行くはずだった兄貴の人生を変えてしまっていた。もう一人は知的障害の弟、8㎜カメラをいつも握りしめていて実社会には生きていない。もしかすると大なり小なりそれに近い家庭環境の人は多いのかもしれない。それ以上に惨めと思える環境で一生を過ごしている人も多いのかもしれない。それが神の試練だとは・・・。

『博士と彼女のセオリー』(The Theory of Everything)

2014年・アメリカ 監督/ジェームズ・マーシュ

出演/エディ・レッドメイン/フェリシティ・ジョーンズ/エミリー・ワトソン/マキシン・ピーク

そのあたりにある恋愛映画かと思ったら、なんとあの理論物理学者のスティーヴン・ホーキング博士と妻との伝記映画だった。ケンブリッジ大学で病気がまだ発症していない時に出会った女性との物語。余命2年と宣告されたが、現在73才でまだ生きている。運動ニューロン病、ルー・ゲーリッグ病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患ったが、途中で進行が急に弱まり現在に至っているという。

映画としての評価は高いが、自分の感性には合わなかった。同じことの繰り返しで、話が進行しない、という印象が強い。また物理学的なシーンも多く、造詣の浅い自分には理解が不能というより興味が湧かないのが一番辛い。どんなに立派な人でも、こちらの庶民が無能では、まったく同じ穴の狢にしか思えない。

第87回アカデミー賞では5部門にノミネートされ、エディ・レッドメインが主演男優賞を受賞している。理屈っぽい恋愛映画は嫌いだ。もしもこの博士の話だと知っていれば、このDVDを借りることはなかったであろう。

『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』(Fifty Shades of Grey)

2015年・アメリカ 監督/サム・テイラー=ジョンソン

出演/ダコタ・ジョンソン/ジェイミー・ドーナン/ジェニファー・イーリー/エロイーズ・マンフォード

原作はE・L・ジェイムズによるイギリスの官能小説。性描写を多く含む作品であるため、各国での上映に際し年齢制限が設けられ、これをめぐる騒動や話題も生じた。アメリカ・フロリダ州のシネマコンプレックス「AMC」では、公開間もない2015年2月14日の夜、R指定の制限のため入場には保護者の同伴を必要とするティーンエイジャーの男女約100名近いグループが訪れ、制限のためチケット販売を拒否されると、係員の制止を振り切って一斉に劇場内に押し入るという騒動を起こした。彼らは警察への通報により解散を命じられ、暴行罪と薬物所持により2名の逮捕者を出した。

日本では、公開当初官能的描写などにある程度の修正を加えてR15+(15歳未満入場禁止、保護者同伴不要)で公開されたが、成人の観客からの「よりオリジナルに近いものを見たい」という要望に応えて、一部劇場で修正を抑えたR18+バージョンの公開を決め、日本公開から12日後、日本の多くの劇場で女性客への割引料金を適用するレディースデーにあたる、2月25日水曜日より上映する。産経ニュースの伊藤徳裕によれば、R15+バージョンでの修正は製作国アメリカで行われたもので、モザイク処理ではなく黒い丸で雑に該当部分が塗りつぶされた「センスのかけらもない」もので、観客の不評を買っていたという。(Wikipediaより)

このネット時代、無修正のポルノ映像が氾濫する社会で、この映画の官能性を云々することすら摩訶不思議なこと。こんな映画だとは思いもしなかったが、映画館でこの映画を観ようなどという気が起こることはない。1974年(昭和49年)のあのエマニエル夫人が世の中を席巻したのとは全く違う。あの映画のお陰で生活が一変した懐かしい想い出が。

『チャーリー・モルデカイ 華麗なる名画の秘密』(Mortdecai)

2015年・アメリカ 監督/デヴィッド・コープ

出演/ジョニー・デップ/グウィネス・パルトロー/ユアン・マクレガー/オリヴィア・マン

主人公がジョニー・デップだとは最初にうち分からなかった。役にはまる扮装は超一流の彼は、役者の見本のようなもの。映画ではない時の彼のひげずらは、役者の心構えを表現している。日本の役者のように、普段もテレビ出演もコマーシャルも映画の中でも同じような顔、姿形をしているのとは大違い。

この映画はいただけない。アメリカ映画でもこんなおちゃらけた笑いを要求する映画もあるんだ、と妙な感心をしてしまう。洋画を観ていて、久しぶりに速回しを駆使してしまった。情報のない映画を観る楽しみではなく、観る苦しみを味わった。以下にWikipediaからの引用を。

本作は批評家から酷評されている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには89件のレビューがあり、批評家支持率は12%、平均点は10点満点で3.4点となっている。サイト側による批評家の意見の要約は「非常に奇妙で、意図的につまらない作品にしているかのようだ。誤った演出がなされた『チャーリー・モルデカイ 華麗なる名画の秘密』は『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ以降のジョニー・デップ出演作の中でも屈指の駄作であろう」となっている。

『ザ・ゲスト』(The Guest)

2014年・アメリカ 監督/アダム・ウィンガード

出演/ダン・スティーヴンス/マイカ・モンロー/ブレンダン・マイヤー/シーラ・ケリー

まったく情報のない映画でしかも題名からも何も想像出来ない映画を観るのは間違いなく楽しい。どんなにおもしろくない映画だって、これで30分間でおもしろくないと決めつけられるようじゃどうしようもない。その点、この映画は及第点だった。が、主人公の正体がだんだんはっきりしてきた頃から、4流映画に見えてきたのは仕方のないことか。

Wikipediaによれば、スリラー映画に分類されているが、いわゆる絶叫型のキャ~とかいうたぐいのスリラーではない。戦死した兄と同じ部隊だったという友人を名乗る主人公が尋ねてきた家庭に起こるできごと。この友人を名乗る人物の正体が分からない。一体誰なんだこの人は?ということがスリラーなのだろう。

拳銃を簡単に使いこなせる人の犯す殺人はこうなのだろう、と妙な納得がある。有無を言わせずすぐに撃ち殺すシーンが何回かあって、どうせ殺すのなら、下手な殴り合いになってからの殺人よりも、現実に近いように感じて心地良かった。拳銃を手にすることがないであろう自分だからこその想像が恐ろしい。やっぱりこんな物騒なものが簡単に手に入らない社会がいいことは、日本人だからこそそう思えるに違いない。映画の最後は、シリーズものにしたいような終わり方。そうやすやすと続きの映画が製作できるほど、世の中は甘くないだろうが。

『アメリカン・スナイパー』(American Sniper)

2014年・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/ブラッドリー・クーパー/シエナ・ミラー/マックス・チャールズ/ ルーク・グライムス

今回久しぶりにTSUTAYAからの準新作100円の連絡に即反応して、なんと14枚ものDVDを借りてきてしまった。しかも2日目にしてこれが5作目の鑑賞作品とは。自分でも驚くばかりだ。その14作品の中で唯一知っていたタイトルがこの映画。何故観たいと思っていたのかさえ忘れてしまっていた。監督がクリント・イーストウッドだったことがその理由なのだが、観終わってようやく名前を確認しているようでは、もう先が見えている。

彼の映画はやっぱりおもしろい。観客を飽きさせない映画魂を強く感じる。淡々とストーリーを進行していくだけなのに、見ている人のことを間違いなく意識出来ていることが素晴らしい。私が誉めるまでもないことだが。公開当時の印象として、この映画のスナイパーとはいつの時代のどの場所でのことなのかと、すごく興味があった。まさかイラク戦争でのアメリカ海兵隊の特殊部隊ネイビー・シールズのスナイパーであるとは想像だにしなかった。

原作はイラク戦争に4度従軍したクリス・カイルが著した自伝だという。瓦礫だらけの町を、アメリカ海兵隊のM1戦車が地響きを立てながら随伴歩兵と共に進撃していく。そして、その後方の建物の屋上ではスナイパーが海兵隊員の援護をする役目。初めての狙撃機会は、海兵隊の進路上に不審な親子を発見した主人公は、母親が子供にRKG-3対戦車手榴弾を手渡すのを確認し、上官に指示を仰ぐがはっきりとした答えは返ってこない。撃つのか撃たないのか。隣の海兵隊員は「間違ったら軍事刑務所行きだぞ」と忠告するが、カイルは子供に照準を合わせるという状況。家族を持っても従軍し続ける主人公、退役の決断が現実になれば、目の前の平和な空間に馴染めなくなってしまった自分がいる。う~ん、そんな人生を味わう人がどれだけたくさんいるのだろうか、アメリカ合衆国という国。

『るろうに剣心 伝説の最期編』

2014年(平成26年)・日本 監督/大友啓史

出演/佐藤健/武井咲/伊勢谷友介/蒼井優/神木隆之介/土屋太鳳/小澤征悦/福山雅治/江口洋介/藤原竜也

一作目は誉めちぎった。二作目はちょっと漫画チックになってきたと印象を言った。三作目は、もうほとんど漫画、と思うまでもなく、原作は漫画だったと思い知らされた。

これ以上のコメントは必要ないだろう。

特別編でもあれば、また映画らしい漫画になれるかも知れない。

『ケープタウン』(Zulu)

2013年・フランス/南アフリカ共和国 監督/ジェローム・サル

出演/オーランド・ブルーム/フォレスト・ウィテカー/コンラッド・ケンプ

今年2015年のラグビー・ワールドカップで史上最大の番狂わせと言われた日本対南アフリカ戦で一躍日本でも有名になった国が南アフリカ。舞台は言わずと知れたケープタウン、喜望峰という名称で日本でも古くからその存在は有名で、一度でもいいから行ってみたい場所だ。原題はズールー族(人)のことで、南アフリカ共和国からジンバブエ南部にかけて広い範囲に約1000万人が居住していて、南アフリカ共和国では最大の民族集団となっているところから。

フォレスト・ウィテカー演じる黒人警部がズールー人だというのが捜査で大きな利点になっている、と映画の中で分かる。もう刑事物語もニューヨークやロサンゼルスでは新鮮味がないらしく、こんなところの警察ものが映画になった。ロケをする費用が掛かるので、ある程度当たらなければ回収が大変だろうな、と余計な心配をする。

この頃の映画は主人公役に近い人でも平気で死んでみせる。昔みたいに主人公は絶対死なない、というのでは観客に訴える力が弱く見えてしまうのかも知れない。この映画もおもしろいような、おもしろくないような。


2018年4月18日 また意図しないで再び観て書いたので記す

『ケープタウン』(Zulu)

2013年・フランス/南アフリカ 監督/ジェローム・サル

出演/オーランド・ブルーム/フォレスト・ウィテカー/コンラッド・ケンプ/ジョエル・カイエンベ

久しぶりのハード・ボイルド映画で気持ち良かった。南アフリカ共和国からジンバブエ南部にかけて広い範囲に約1000万人が居住しているというズールー族出身の警部が主人公。麻薬・暴力・殺人集団を形成しているのもズールー族がほとんどで、原題の由来となっているようだ。

犯罪がはびこる社会で、どうやって警察は治安を維持しようとしているのかを垣間見ることが出来た。どんな社会でも一緒、深く掘り下げないで収まるところで収めてしまう国家権力が一番。それを見て見ぬ振りできない正義漢には、厳しい現実が待っている。長い物には巻かれろ、という諺がいつの時代、世界中のどこでも通用する金言なのかもしれない。

何が正しいかなんて、世の中が決めてしまう。神のみぞ知ると息巻いたところで、現実社会に神は舞い降りてこない。寂しいよな~、せめて遠山の金さんのような世直し奉行が目に見える社会の木鐸として居てくれたら、なんて叶わぬ夢を見ている老人が虚しい。

『マップ・トゥ・ザ・スターズ』(Maps to the Stars)

2014年・アメリカ/カナダ/フランス/ドイツ 監督/デヴィッド・クローネンバーグ

出演/ジュリアン・ムーア/ロバート・パティンソン/ジョン・キューザック/ミア・ワシコウスカ/サラ・ガドン

デヴィッド・クローネンバーグの映画は私には難解だ。身構えながら観始まったが、裏切らないその製作は強烈だ。『裸のランチ』(英: Naked Lunch・1991年)、この題名は記憶に残る。映画業界内のスターの心のあり方を、身内のものがばらすという構図に見えて、役者に興味のある人には堪らない内容かもしれない。

観ていると、こちらの方の心が不安定になってくる。異常な夫婦の秘密が明らかにされて、その娘と息子が闇の世界に彷徨ってしまう様子が痛々しい。というか、そんな現実的な問題ではなく、かなり深刻なサイコ世界の超常現象のように見えてくる。

お気楽な日本映画やおちゃらけた日本映画の対局にあるような映画だろう。この映画は2014年5月に開催された第67回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、パルム・ドールを争った。パルム・ドールの受賞こそ逃したが、ジュリアン・ムーアが女優賞を受賞した。

『ミリオンダラー・アーム』(Million Dollar Arm)

2014年・アメリカ 監督/クレイグ・ギレスピー

出演/ジョン・ハム/アーシフ・マンドヴィ/マドゥル・ミッタル/ビル・パクストン

インド人初のメジャーリーガーを誕生させたスポーツ・エージェント、JB・バーンスタインの実話をもとに製作されているというが、インド人のメジャーリーガーの話を聞いたことがなかった。

インドからメジャーリーグの選手が出るだけでマーケットが18億人増えることになる、という世界戦略の一環であることは想定できるが、ベースボールの底辺のない国からの挑戦は現実的には難しいことだったようだ。ピッツバーグ・パイレーツと契約した実話の二人は、残念ながらメジャーデビューを果たすことは出来なかった。

アメリカ映画ではあるがインド映画の色が濃い。私の好きなインド映画『マイネーム・イズ・ハーン』(My Name Is Khan・2010年)のような匂いがした。時間の流れ方がちょっと違うのかも知れない。インドからアメリカにやってきた若者の戸惑い方が、ちょっと差別的だなぁと思わせるところが気になった。もっとも設定がインドの片田舎出身だということなので、もしかすると本当にアメリカの生活が夢ですら見たことのないような現実だったのかも知れない。この映画もおもしろいような、おもしろくないような。

『やさしい本泥棒』(The Book Thief)

2013年・アメリカ 監督/ブライアン・パーシヴァル

出演/ジェフリー・ラッシュ/エミリー・ワトソン/ソフィー・ネリッセ

マークース・ズーサックのベストセラー小説『本泥棒(英語版)』を原作にしている。1938年。第二次世界大戦前夜のドイツ。軍部による赤狩りからの逃亡を余儀なくされた共産党員の夫婦は、道中で幼い息子を亡くしながらも、娘のリーゼルをミュンヘン近郊の田舎町へ里子に出すのだった。だが、途中弟が急死。二人来る筈が一人しか来なくて、給付金が少なくなり、養母のローザはリーゼルに対して冷たく当たるのであった。一方、養父のハンスはリーゼルを温かく迎え、読み書きができない彼女に優しく教えてあげるのだった。こうして読み書きを覚えたリーゼルは、様々な本を通じて知識や勇気、希望を手に入れていく。しかし、ドイツはナチスの統治下に置かれ、ついに読書までも禁止されてしまう。そんなある日、反ユダヤ主義による暴動で数多くの本が広場で焼かれているのを見たリーゼルは、そこから一冊の本を盗み出す。(Wikipediaより)

日本では劇場未公開だったらしい。分かるような気がする。この題名でいわゆるミニシアター系公開なら、なんとか興行も出来そうな感じだが。いかんせん、おもしろいような、おもしろくないような、いい映画のような、たいしたことない映画のような雰囲気いっぱいの映画だった。

1938年から1943年のドイツ、ユダヤ人の迫害は想像を絶する歴史的事実。何度映画で見ても、胸が痛む。いつ終わるかも分からない当時の当事者心理は、今でいうストレスなどという言葉さえ当てはまらない地獄絵図の世界だったことだろう。この映画は事実に基づいているという。

『剣客商売~御老中暗殺~』

2012年(平成24年)・日本 監督/山下智彦

出演/北大路欣也/杏/貫地谷しほり/斎藤工/山田純大/古谷一行/國村隼/神保悟志/斉藤暁

いや~驚いた。何がって、この池波正太郎原作のテレビドラマシリーズが、だいぶ前から放送されていたこと。いわゆる劇場版に発展することなくテレビドラマシリーズが4回目だったことにも驚く。1回目は1973年(昭和48年)の加藤剛・山形勲版で全22話。2回目は1982年(昭和57年)・1983年の中村又五郎版(誰これ?)で全2話。3回目は1998年(平成10年)からの藤田まこと版でスペシャル版を含めての全53話。そして4回目が今日観た2012年(平成24年)からの北大路欣也版全4話だ。

さすがに池波正太郎の書いたものだということか。見ていておもしろいし、北大路欣也もいい。これまで製作・放送されていたのは本当なのだろうか。1回も見ていなかったことは確かなので、不思議だった。テレビドラマという奴を観ないようになってからどれだけ経つのだろうか。最近のテレビドラマは劇場版が作られることがあり、その時にあらためてその物語を知るというケースが何度かある。

剣豪の主人公がとぼけた面白みを出していて、藤田まこと版が数多く作られた訳がちょっと分かった。はまり役のひとつだったことが想像出来る。北大路欣也版は毎年1本製作されているようなので、今年の1本と含めてあと3本は再放送されるだろうから、ちょっと楽しみである。

『デイ・アフター・トゥモロー』(The Day After Tomorrow)

2004年・アメリカ 監督/ローランド・エメリッヒ

出演/デニス・クエイド/ジェイク・ジレンホール/エミー・ロッサム/イアン・ホルム/セーラ・ウォード

最新のVFXによって作られた竜巻や津波などのリアルな映像が話題を呼び、決して豪華とは言えないキャスティングにも関わらず興行収入が北アメリカでは1億8600万ドル、日本では3週連続1位、52億円、全世界では5億4400万ドルに達し、メガヒットとなった。(Wikipediaより)

CG技術は日々進化しているから、11年も経ってしまえばもう古い技術になってしまうのかもしれない。そんなことを感じさせないなかなかの特殊技術の連続だ。今では逆に進歩した分だけ経済的なことばかりに目が行って、そこまでお金を掛けられない映画が増えてしまったような気がする。

途中で、「あっ!この映画みたことある」と感じたが、それなりにおもしろく見られた。日本映画ではこういうパニック映画の映像を作ると、どうしてもちんけで嘘くさい絵になってしまう。技術の問題ではなく、お金のかけ方が一番なのだと思う。それと子供騙しのような設定のお粗末なものになってしまうのは、日本人のDNAとして諦めなければならないのかもしれない。

『THE 有頂天ホテル』

2006年(平成18年)・日本 監督/三谷幸喜

出演/役所広司/松たか子/香取慎吾/佐藤浩市/篠原涼子/戸田恵子/生瀬勝久/原田美枝子/唐沢寿明/津川雅彦/伊東四朗/西田敏行

どうせおちゃらけていて、たいした映画ではないだろうと思いながら観始まった。期待を裏切らないおちゃらけた映画だった。生瀬勝久と唐沢寿明、このふたりが特に酷かった。登場しただけで、下手くそな演技が鼻をついて、いや~三谷映画を代表する役者だな~と。

それにしても相変わらず酷い映画だ。セリフや面白可笑しく見せようとする動作が全くうざい。こんな笑いを見て観客は本当に笑っているのだろうか。2時間16分の本編なのに、録画したのはなんと3時間12分だった。コマーシャルやその他のお知らせがあったとしても、こんなものをリアルタイムで見ている人が何パーセントいるのだろうか。

時々おちゃらけたことをやめて真面目なセリフと人生訓を見せようとする手の内が、それこそ小賢しくてチャンチャラおかしい。三谷幸喜は日本人の笑いのレベルを低いものと見ているとしか考えられない。あなたが思うより日本人のレベルは高いよ。もっとエスプリを効かせた話を書かないと、日本人の文化程度を疑われるよ。韓国人や中国人じゃあるまいし。

『青春群像』(I Vitelloni)

1953年・イタリア/フランス 監督/フェデリコ・フェリーニ

出演/フランコ・インテルレンジ/アルベルト・ソルディ/フランコ・ファブリーツィ/レオポルド・トリエステ

青春群像というから17、18才くらいの青春を描いているのかと思ったら、なんと映画の中でその年齢が語られると30才だというから、ちょっと戸惑う。1953年頃は30才はまだ青春というのだろうか。それともイタリアのみのことなのだろうか。もっとも原題の意味は「雄牛」ということらしく、イタリア男の特徴である女ばかりを追っかけ回している姿からつけられた題名で、映画の中身もそこが中心であった。

その時代のイタリアでは30才になっても職業を持たず、毎日遊んでばかり、ネクタイをしながら遊びほうらけていた集団があったようだ。映画はそんなどうしようもない5人の仲間の物語。そのうちの一人が仲間の妹を孕ませてしまって、親からこっぴどく怒られ、結婚しろと説得された。結婚はしたものの女癖は直らず、それがもとで嫁が逃げ出す事件が発生する。ここでさらにおもしろいのが、息子の不始末を見て親がベルトをズボンから抜いてそれで息子を鞭打ちの刑にしてしまうというくだり。親の威厳はこの時代の世界共通のことなのかも知れない。

とりとめのない話に終始するが、現代から見ればこの時代の生活の一端が見えて大変興味が湧く。著名なフェデリコ・フェリーニ監督だが、、『白い酋長』(1952年)で商業的に失敗した評判をこの映画で回復したという。舞台はイタリアのアドリア海沿岸の地方都市。

『るろうに剣心 京都大火編』

2014年(平成26年)・日本 監督/大友啓史

出演/佐藤健/武井咲/伊勢谷友介/蒼井優/神木隆之介/土屋太鳳/小澤征悦/福山雅治/江口洋介/藤原竜也

1週間前に1作目を観て、なかなかやるじゃん、と感想を書いた。特にチャンバラシーンが斬新で、漫画ではなく映画としてなかなkいいと思えた。ということで、第2作目には多少の期待をもって観ることとなった。が、予想に反して、どんどん漫画チックになっていく映画に失望した。

話が前作より映画っぽくなく、筋書きもありきたりの漫画ストーリーになってしまった。ひと味もふた味も違うな、と思わせてくれた1作目とは雲泥の差、というか1作目と何も変わらない空気がイマイチ。武井咲は1作目からダサくて、似合わない着物姿が哀しい。藤原竜也のパターン化された演技も気になる。

結局、一騎打ちや集団のチャンバラシーンを一生懸命描いてくれても、それはストーリーの中の一シーンに過ぎないのに、そのあたりがメインになってしまっては、おもしろくないという感想しか書けない。このままでは、第三作目も期待薄という感じ。いつまでも新鮮でいられることの難しさを痛感する。気持ちが毎時間先走りしていなければ、人々に感動を分けるのは難しい。

『海洋天堂』(Ocean Heaven)

2010年・香港・中国 監督/シュエ・シャオルー

出演/ジェット・リー/ウェン・ジャン/グイ・ルンメイ/ジュー・ユアンユアン

47歳の水族館職員・ワン・シンチョン(王心誠)は、自閉症と重度の知的障害を持つ21歳の息子・ターフー(大福)を男手ひとつで育ててきた。ある日、シンチョンは自分が癌に侵され余命わずかであることを知る。自分の死後のターフーの生活を案じたシンチョンは、ターフーを連れて海で心中を試みるが、泳ぎの得意なターフーに助けられてしまう。命をとりとめ考えを改めたシンチョンは、ターフーを預かってくれる施設探しに奔走し、残されたわずかな時間で服の脱ぎ方やバスの乗り方といった生活の術をひとつひとつ彼に教え始める。そんな親子の姿を、隣人のチャイ(柴)や水族館の館長ら周囲の人々は温かく見守り支えるのだった。そして、ついに最期の時が近づいてきた…。(Wikipediaより)

中国映画と言うだけでこの頃は観るのをためらう。出だしはなかなか好調で、このまま映画らしく物語が発展・展開していけば、結構おもしろそうだと期待した。が、話の展開が著しく緩慢で、もうこの話はいいよ、といった感じになってしまった。自閉症の子供が登場しているからと言って、映画が優れているわけではない。

自分が逝ってしまった後のことを憂う事柄があるというのは、もしかすると仕合わせなことなのかも知れない。残った人はそれこそ自分で人生を切り拓かなければいけないのだから、生きているうちに心配してもらうだけで充分だと言える。そうやって、人生は繰り返されていく。

『ブラック・ライダー』(BUCK AND THE PREACHER)

1971年・アメリカ 監督/シドニー・ポワチエ

出演/シドニー・ポワチエ/ハリー・ベラフォンテ/ニタ・タルボット/ルビー・ディー/デニー・ミラー/ジョン・ケリー

題名からバイクの暴走族のようなものかなと思ったら、なんと西部劇だった。しかも主人公は黒人の水先案内人、自由になった黒人集団を新天地に連れて行くという設定だ。ところが邪悪な白人どもが、黒人の労働力が無くなるのを恐れて、彼等を襲ったり殺したり、という事件が勃発した。

原題は主人公の名前と宣教師。邦題は主人公の黒人が馬に乗っている、というシーンからつけたのだろうか。同じブラック・ライダーが1986年ヘラルド配給で検索に引っ掛かった。現役でヘラルドにいたはずなのに、まったく記憶に無い映画。不思議なくらい覚えていない。

南北戦争後に奴隷開放宣言にて開放され、そして40エイカーとラバが与えられる筈だった黒人達が時代背景。ハリー・ベラフォンテの歌は昔から聴いていたが、顔が一致しない。偽物っぽい宣教師役が似合わないような感じなのだが、コメディタッチの映画なのでいいのかも知れない。

『パニック・ルーム』(Panic Room)

2002年・アメリカ 監督/デヴィッド・フィンチャー

出演/ジョディ・フォスター/フォレスト・ウィテカー/ドワイト・ヨアカム/ジャレッド・レト/クリステン・スチュワート

題名通りのサスペンス映画で、今どき何が起こってもそうは驚かなくなってしまった観客には、ある意味もの足らない。それなりにはらはらどきどきさせることは間違いないが、ただそれだけを狙った内容では、心が動かず、怖さも1/10程度になってしまう。

ジョディ・フォスターは役者として評価が高いと思われるが、私の知る限りではちょっと品格が少し問題。昔お気に入りだった「アクターズ・スタジオ」というアメリカの俳優インタビュー番組に出た時の彼女がちょっと意外だった。喋る時に「チッ!」といった舌打ちをするような動作を繰り返していたからだ。それだけで問題ありというのも短絡だが、どうにもその時に人間の品格という問題を自分に提起されたような気がした。

パニック・ルームというのは緊急避難室ということらしい。映画の中ではそこに入ってしまえば決して誰も進入できないし、家中の至るところにモニターカメラが設置してありその映像をパニック・ルームの中で見ることが出来るシステムになっていた。そんな場所で起こるサスペンス映画は、なんか言いようのない出來過ぎた感を恨むばかり。

『宇宙兄弟』

2012年(平成24年)・日本 監督/森義隆

出演/小栗旬/岡田将生/麻生久美子/濱田岳/新井浩文/井上芳雄/塩見三省/堤真一/益岡徹/森下愛子

漫画雑誌『モーニング』にて2008年1号から連載中だなんてことは勿論知らない。映画としての題名すら記憶にない。最近のテレビ番組は映画の宣伝か番宣ばかりなので、各局同じ俳優グループが持ち回りでテレビ番組に出ている。うざい。映画会社の連中も、これが宣伝だと出演番組をリストアップしているのだろう。愚かな宣伝手法の典型例だ。

宇宙旅行や宇宙飛行士などにはまったく興味がない。何故なら、自分には現実感が全然ないことが分かっていることに、気持ちが向く訳がない。夢みる人達は、空を見上げて大きな夢を馳せるのだろうか。現実のひとつひとつですら夢のような生活をしている人間にとって、手の届かない事柄に興味がないのは当たり前だと。

この映画が当たって評判がいいと聞くと、自分の映画を見る目のなさが浮き彫りになる。どこがおもしろくて、この映画を支持するのだろうか。極端に悪いというわけでもないが、取り立てておもしろいと声高に言うことは不可能だ。

『新・平家物語 デジタル・リマスター版』

1955年(昭和30年)・日本 監督/溝口健二

出演/市川雷蔵/久我美子/木暮実千代/大矢市次郎/進藤英太郎/林成年/千田是也/柳永二郎

吉川英治原作の同名歴史小説を、3部作で映画化した大河シリーズの第1作だというが、平家物語というタイトルは私のような偽物には縁遠い物語。そもそもの話が全く分かっていないお陰で、新鮮な物語として結構おもしろく観ることが出来た。

平安時代末期に貴族との激しい抗争の中で台頭してきた武士階級の御曹司・平清盛が、自らの出生の秘密に悩みながら成長していく姿が描かれているらしい。あらためて平家物語などをネット検索してみようと思わないところが自分らしい。浅薄な知識やうわっぺらをなぞって得意顔をすることを好まない。

ここのところ市川雷蔵主演映画に巡り合う。やっぱりきりりとしていて素晴らしい。役者は真似をすることが出来ないから、せいぜいその爪のあかを飲まないまでも、触って欲しいものだ、現代の役者に。デジタル・リマスター版は、2006年(平成18年)12月22日に溝口健二監督没後50年を記念したDVD-BOXに収録された。

『チャンス』(Being There)

1979年・アメリカ 監督/ハル・アシュビー

出演/ピーター・セラーズ/シャーリー・マクレーン/メルヴィン・ダグラス/ジャック・ウォーデン

リアルタイムで観たかった映画。題名を覚えていて、ドタ勘で観たいなぁ~と当時感じた希な映画の1本。そんなことを思いだした。題名を見て、映画を観始まってから思い出すとは。遅かったけれど、生きているうちに出逢えて良かった。こういう映画だとは、内容もまったく分かっていなかったが。

ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を下敷きにしたジャージ・コジンスキー原作・脚色のコメディー映画。と解説にあるが、知識がない。ツァラトゥストラはかく語りき、と言われてもタイトルだけ知っているが中身に関しては何のことだか分からない。映画の内容からは、含蓄のあるストーリーだと伝わってくる、ことだけは感じる。

31才か~! その時に観ていれば自分の人生もちょっと違っていたかも知れない。そう思える。余計なお喋りよりも、寡黙な方が神秘的でいいらしい、人間は。ベラベラと喋ってばかりで、本物になれなかった人間としては、なるほど、そうか~、喋らない方が良かったのか~、と反省しきりの今日である。

『るろうに剣心』

2012年(平成24年)・日本 監督/大友啓史

出演/佐藤健/武井咲/吉川晃司/蒼井優/青木崇高/綾野剛/須藤元気/田中偉登/奥田瑛二/江口洋介/香川照之

原作漫画のタイトルはだいぶ前から知ってはいた。外国人のインタビューの中に、好きな漫画のタイトルとしてこの漫画が良く出てきている。どこが好きなのかを聞きたいが、チャンバラと言うことが大きな要素なのだろうか。実写映画の宣伝でその映像を見た時に、なかなかやるじゃんという雰囲気は伝わっていて、ようやくその映画を観ることが出来た。

漫画原作『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』にあるように江戸末期の人斬りが明治に入ってからの物語のようで意外だった。単なる武士活躍時代のチャンバラ物語ではないところに、その特異性があるような気がする。外国人には江戸時代から明治時代にわたる背景はたぶん理解できていないだろうが。

今週から3週にわたり3本の映画放映があるという。日本テレビは大騒ぎだ。主演の佐藤健はテレビドラマ『天皇の料理番』で初めて知ったが、すでにこの映画などでも有名だったらしい。最近の若者の中では好ましい顔立ちだと感じる。香川照之がますますうざい存在になってきた。若い頃は誉めたこともあったのに、慢心という負の要素が大きくなっている。チャンバラシーンは斬新で、往年のチャンバラ映画監督達もおそらく誉めてくれるのではなかろうか。

『若親分』

1965年(昭和40年)・日本 監督/池広一夫

出演/市川雷蔵/朝丘雪路/藤村志保/三波春夫/山下洵一郎/成田三樹夫/佐藤慶/山田吾一

市川雷蔵は生後6か月のときに三代目市川九團次の養子となり、15歳のとき市川莚蔵を名乗って歌舞伎役者として初舞台を踏む。1951年(昭和26年)に三代目市川壽海の養子となり八代目市川雷蔵を襲名。1954年(昭和29年)に映画俳優に転身。1959年(昭和34年)の映画『炎上』での演技が評価され、キネマ旬報主演男優賞受賞、ブルーリボン賞主演男優賞などを受賞。1960年代には勝新太郎とともに大映の二枚看板(カツライス)として活躍した。ファンから「雷(らい)さま」と親しまれた。1968年(昭和43年)6月に直腸癌を患っていることがわかり、手術を受けるが肝臓に転移、翌年7月17日に死去した。

映画俳優に転身した動機について雷蔵自身は日和見的・試験的に映画に出てみようと思ったと述べている。雷蔵は以前から自分に対する処遇に強い不満を感じていたところ、1954年に大阪歌舞伎座で催された六月大歌舞伎『高野聖』において、台詞がひとつもない白痴の役が割り当てられたことに憤激し、梨園と縁を切ることを決意、かねてから雷蔵を時代劇のスターとして売り出そうとしていた大映の誘いに応じ、映画俳優に転身したという。なお映画俳優転身後に雷蔵がつとめた歌舞伎は1964年1月、前年に落成したばかりの日生劇場で上演された武智鉄二演出『勧進帳』の富樫左衛門のみである。雷蔵はこの時「歌舞伎は年を取ってからでないとだめだが、映画は年を取ったらだめ。若い間、映画で稼いで、年を取ったら歌舞伎をやろうと思っているんです」と語っている。映画俳優になることを決めた後、雷蔵は映画館に足繁く通って東映の時代劇スター中村錦之助の演技を研究した。(Wikipediaより)

こんなくだりは知らなかった。人情に厚いインテリヤクザの若親分。魅力がありますねぇ~。高倉健とはまた違った、演じる市川雷蔵にも凄い魅力があった。

『思い出のマーニー』(When Marnie Was There)

2014年(平成26年)・日本 監督/米林宏昌

出演(声)/高月彩良/有村架純/松嶋奈々子/寺島進/根岸季衣/森山良子/吉行和子/黒木瞳

スタジオジブリ作品ということで、録画した後もなかなか観る気になれなかった。ようやく観始まっても、やっぱり貧祖な画面はいただけない。慣れてくれば多少は気にならなくなるが、ディズニーが最高だと思っている人間には、どうしても陳腐な画面だという思いが強い。せめてテレビだけにとどめて欲しいというのが正直な気持ち。映画には向かないと。

原作は、イギリスの作家、ジョーン・G・ロビンソンによる児童文学作品だという。初版は1967年だというから、だいぶ新しい物語だった。話そのものはなかなか興味が湧く。悪くはない。実写だったら、もっと幻想的な、摩訶不思議な魅力をもった映画が出来るかも知れない。

声の出演の名前を見て驚いた。これだけの有名な芸能人なのに、名前を見るまではまったく気がつかなかった。声の出演はそれでいいのだ。ちょっと癖のある俳優が声の出演をやると、どうしてもその役者の顔が浮かんでしまって、どうにもならない。その点、この映画ではそんな感じはなかったので、良かったのでは。もしかすると、こちらの老人性が、声を区別できなくなってしまったのかも。

『リターナー』(Returner)

2002年(平成14年)・日本 監督/山崎貴

出演/金城武/鈴木杏/岸谷五朗/樹木希林

SFらしいと分かって、ちょっと嬉しい心が生じた。2084年地球は「ダグラ」と呼ばれる宇宙人に侵略され、残った人類はチベットの山の上で最後の防御をしている。設定が甘いのは仕方がないのだろうが、一貫性のない設定が気になってしまった。

こんな話は、82年後ではなく500年くらいの単位でないと、イマイチ。時々見せる機械的なSFシーンは、なかなか悪くないのだが、それが点のような存在で一貫性に欠けるのは同じ欠点。映画として継続的に見続けなければいけない観客は、不安定な心根をもって対処しなければならない。

昔はSF的映画がたくさんあったけれど、近頃近未来や未来を描いてみせる映画が極めて少なくなってしまった。残念だけど仕方がないのか。この映画だって、宇宙人はE.T.に出てくる宇宙人そっくりだし、弾丸を避けるシーンはマトリックスそっくり。わざわざそんな風に作った雰囲気はあるけれど、ちょっと興醒めの感じは否めない。

『ジェロニモ』(Geronimo: An American Legend)

1993年・アメリカ 監督/ウォルター・ヒル

出演/ウェス・ステュディ/ジェイソン・パトリック/ジーン・ハックマン/ロバート・デュヴァル/マット・デイモン

我々世代にとってアパッチもジェロニモも有名な名前。インディアンとしての誇りに生きたジェロニモの伝説が描かれている。チャンバラ映画を観る時に、日本人なら説明しなくても分かる時代の背景や武士のたしなみのようなものが、アメリカにおいてもインディアンの存在感のDNAがあるに違いない。

騎兵隊とインディアンの戦闘がほどほどに描かれている。このあたりは何度も目にした光景で新鮮味はない。騎兵隊がジェロニモを降伏させて嘘をついている。そういうことを恥ずかしいと嘆く若き将校が語り部となって、ジェロニモの真実を後世に伝えようとしている。

為政者の嘘を昔の時代に置き換えようとしているのか。映画としての魅力には欠けるが、インディアン、アパッチ、ジェロニモに興味が湧く。

『恍惚の人』

1973年(昭和48年)・日本 監督/豊田四郎

出演/森繁久彌/田村高廣/高峰秀子/市川泉/小野松江/中村伸郎/伊藤高/篠ひろ子/乙羽信子/浦辺粂子

こんなに古い映画だとは。当然のことながら、リアルタイムでは観ていない。観たいとも思わなかった。なんか避けて通りたいと思っていた節がある。介護する側から介護される側へと立場が逆転しても、まだ触れたくない事柄だと思っていた、いる。観るのにも勇気がいった。何故か。

1972年に新潮社から「純文学書き下ろし特別作品」として出版されたという。たびたび舞台化もされている。1990年には日本テレビ(大滝秀治、竹下景子)で、1999年にはテレビ東京(小林亜星、田中裕子)で、2006年には日本テレビ(三國連太郎、竹下景子)で、テレビドラマが放映された。

この映画の作られた時代からすると、認知症に対する一般的な知識や理解はだいぶ変化したと感じる。解決策もこの時代から比べれば雲泥の差があるかもしれない。しかし、日本の人口の1/4が65才以上になった現実は、これからの日本社会の最大の問題として国全体に重くのしかかっている。

『妖怪大戦争』

2005年(平成17年)・日本 監督/三池崇史

出演/神木隆之介/宮迫博之/南果歩/成海璃子/栗山千明/豊川悦司/津田寛治/柄本明/菅原文太/近藤正臣/阿部サダヲ

1968年に公開された大映の同名作品『妖怪大戦争』のリメイク作品である。登場する妖怪の一部は旧作に準じており、特に旧作で主役級の役割を果たした河童は今作品でも同様に扱われているが、時代設定・登場人物・筋立て等は旧作とは全く異なっている。水木しげる、京極夏彦、荒俣宏、宮部みゆきが「プロデュースチーム『怪』」として製作に参加している。荒俣の代表作『帝都物語』の登場人物加藤保憲が登場するほか、水木の代表作『ゲゲゲの鬼太郎』に言及する台詞も存在する。主題歌は井上陽水と、同映画で妖怪ぬらりひょんとしても出演している忌野清志郎。サントラCDと主題歌&挿入歌のCDは同年7月27日に発売。テレビでの地上波初放映は2006年8月11日であるが、物語の重要なキーワードである「真っ白な嘘」及びそれに絡む多くの部分、そして「本当の結末」が電波に乗らなかった他、妖怪件(くだん)や一つ目小僧の登場場面をはじめ多くのシーンやカットが削除されており、劇場公開時とはかなり異なった内容となった。

角川グループ60周年を記念して製作された。2002年11月、作家の宮部みゆきと雑誌『怪』編集部の、68年の『妖怪大戦争』に関する雑談がきっかけになり、同じ頃設立された(株)角川大映映画の企画として取り上げられた。2004年7月13日にロケ地である鳥取でクランクイン、9月1日に調布市の角川大映スタジオで製作記者発表が行なわれた。11月21日には火災によりセットの一部が焼失する事件があったが、2005年1月16日にクランクアップ(撮影終了)となり、8月6日に全国松竹・東急系劇場にて公開に至った。角川大映映画の処女作として13億円の制作費をかけ、スタジオ内に森・沼・吊り橋などの大規模なセットを設け、コンピューターグラフィックも用いているが、全面的に頼る事はせず、手作業やアナログの映像にもこだわりを見せている。妖怪は3000人ものエキストラを動員して撮影した。著名な芸能人が妖怪役を務めたことも話題となった(Wikipediaより)。

おもしろくないですねぇ~。1968年当時のものも見ていないし、存在そのものを知らない。子供騙しの典型のような物語は、まったく私の生きる世界とは違い過ぎる。こういう話をおもしろいと思う人の解説を聞いてみたい。いつも同じことを言う。子供騙しの駄菓子もほとんど食べていない。本物になりたくてなれなかった人間の成れの果てが今だ。せめて子供の頃に子供騙しに心を傾けていたら、今とは別の世界があったかもしれない。ふたつの違う道を生きられない人間の性が恨めしい。

『ケンとメリー 雨あがりの夜空に』

2013年(平成25年)・日本 監督/深作健太

出演/竹中直人/フー・ビン/北乃きい

開いた口が塞がらない、というのはこういう映画を指す言葉だ。当然の如く速回しにしてしまったので、そのおもしろくなさを伝えるのも困難。RCサクセションの名曲「雨あがりの夜空に」に乗せて贈るロードムービーと解説は言うが、忌野清志郎も草葉の陰で泣いているに違いない。

映画の内容にかこつけて書いている事柄も、今回は絶句。酷過ぎてこれ以上何も書きたくない。

『ヒット・パレード』(A SONG IS BORN)

1948年・アメリカ 監督/ハワード・ホークス

出演/ダニー・ケイ/ヴァージニア・メイヨ/ルイ・アームストロング/ベニー・グッドマン/トミー・ドーシー/ライオネル・ハンプトン

「教授と美女」のリメイク。ゲイリー・クーパーの役柄を音楽学者に変えてダニー・ケイが演じている。前作の珍しい言葉がここでは珍しい音楽(ジャズ)となり、当時の大御所ミュージシャンを一堂に集めていることも魅力の映画である。リメイクにあたり、脚本が完成するまでに8人ものライターが関わったとされているが、クレジットには1人の名前も現れない。(映画.comより)

高校時代くらいから聴き始まったジャズやスイング、片やビートルズにもうつつを抜かし、ようやく自分の音楽人生が始まった。そんなことを思い出させる出演者達。この映画が出来てから十数年後にも、もっと大御所になって音楽世界で活躍していた。今見ると、当時は写真でしか見たことのない演奏者達の姿が懐かしく感じた。

映画は軽い軽いコメディだが、この時代の笑いはしつこくない。押しつけてこない雰囲気が好きだ。嫌なら見るのをやめて寝たら、てな感じの軽さが心地良い。ギャングの情婦で色っぽい歌手が言う、「うぶな純情男が私に夢中で・・・」、いつの時代にも思わせぶりで男を手玉にとって嬉々としているゲスな女がいるもんだ。

『マンマ・ミーア!』(Mamma Mia!)

2008年・イギリス/アメリカ 監督/フィリダ・ロイド

出演/メリル・ストリープ/ピアース・ブロスナン/コリン・ファース/ステラン・スカルスガルド/アマンダ・サイフリッド

ミュージカル『マンマ・ミーア!』を映画化。劇中の曲は全て、世界的に有名なスウェーデン出身のポップ音楽グループABBAの曲をベースにしている。あぁそうか!これがABBAの曲のミュージカルか、と。ミュージカルは不得意分野だが、この物語がどんなものなのかに興味がありながらも内容を全く知らなかった。

評判のよいミュージカルと聞いていたが、もっと感動的な話かと思っていたら、なんのことはない出だしからコメディ、終始一貫したお笑いのストーリーだった。ミュージカルとしては曲がイマイチ。軽いことだけが取り柄のような曲は、ひたすらにミュージカルの雰囲気を盛り上げているだけのような。

ミュージカルでなかったら、これほど人気が出たとは思えない物語。軽いコメディにこれだけの役者を揃えても、映画としては三流に成り下がっていたろう。そういう意味では、ミュージカルという冠は、人間の錯覚をもたらすのに有効なのかも知れない。

『マザーウォーター』

2010年(平成22年)・日本 監督/松本佳奈

出演/小林聡美/小泉今日子/加瀬亮/市川実日子/永山絢斗/光石研/もたいまさこ

京都を舞台に、ウィスキー・バーを構えるセツコ、コーヒー店を営むタカコ、豆腐を売るハツミら男女7人の日々を描いた作品。『かもめ食堂』『めがね』『プール』『すいか』の流れをくむ映画に見える。『かもめ食堂』は抜群のおもしろさだったが。

小泉今日子が歳を経るほどにいい女になっている。この映画では今までとはまたひと味違う女を演じている。一番光っているような。

映画そのものは、ちょっとかったるい。製作スタッフに知った名前を見つけたが、ちょっと自信過剰な製作態度に映る。この役者で、こんなストーリーで、こういう映画を撮ったけれど、さぁどうだ、と言わんばかりのシーンの連続で、少し苛立ってきてしまった。そんな中、小泉今日子が気を穏やかにしてくれたような。

『モホークの太鼓』(Drums Along the Mohawk)

1939年・アメリカ 監督/ジョン・フォード

出演/ヘンリー・フォンダ/クローデット・コルベール/エドナ・メイ・オリバー/ジョン・キャラダイン

古い映画だ。私の誕生よりも9年前の映画。ジョン・フォード映画では初のカラー映画だという。西部劇というよりは、その前の時代、時は1776年アメリカ独立宣言の余波がまだおさまらない時代での話。映画では、マッチは発明されてないが、置き時計はあった。

逞しく開拓することが人生だったアメリカ人の様子がよく分かる。イギリス軍との戦いがあるが、戦闘シーンを一切映すことなく、その模様を想像させる。なるほど、普通の映画では戦争をテーマにすればくどくそのシーンを撮影するのが当たり前。そんな映画とは一線を画すかのように見事な描写というほかない。

映画の終わりは、ジョージ・ワシントンが、ヨーク・タウンで英軍を降参させたという報がもたらされたというくだり。夫婦に子供が誕生することが、これほどの喜びかと感じさせるこの時代。子は宝というのは社会の規範になっていることが、ひしひしと。

『黒い罠』(Touch of Evil)

1958年・アメリカ 監督/オーソン・ウェルズ

出演/チャールトン・ヘストン/ジャネット・リー/オーソン・ウェルズ/マレーネ・ディートリッヒ

映画の撮影と編集を一通り完了したウェルズは、そのフィルムをユニヴァーサル・ピクチャーズに託し次の映画製作の資金集めのためにメキシコに旅立った。しかしスタジオの役員たちは物語のプロットが難解すぎるとしてそのままでの公開に難色を示し、ウェルズに無断で映画の脚本変更と追加撮影、そして再編集を行った。このとき製作された109分のバージョンは、後に「試写会版」と呼ばれるものである。メキシコから帰ってきたウェルズはスタジオの独断専行に激怒し、彼らに自分の意見を述べた58ページにもおよぶメモを提出した。しかしスタジオは結局ウェルズの嘆願を殆ど無視、それどころかロサンゼルスで行われた先行上映会での不評(映画を俗悪だと感じた女性客が、映画会社の取締役をハンドバッグで殴りつけたという[2])を受けて更に映画を96分まで短縮した。これが最終的に一般公開されたバージョン、つまり「劇場公開版」である。

この劇場公開版は1958年5月21日に二本立て興行の添え物として公開されたが、映画会社の目論見とは裏腹に興行的には惨敗を喫した。作品に対するアメリカ国内の批評家たちからの評価も芳しくないものだった。ただし同年のブリュッセル万国博覧会で上映されたときは審査員のジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーたちから絶賛され、万博の最高賞を与えられたという。1960年代に入り若い世代の映画製作者たちを中心に再評価の機運が高まり、現在ではカルト映画として認識されている。

自分の作品に勝手に手を加えられたウェルズはハリウッドのスタジオ・システムに失望、また興行的に失敗した彼を援助しようとする映画会社も現れなかった。結果的にウェルズにとって本作品がアメリカにおける最後の監督作品となった。これ以降ウェルズはヨーロッパに拠点を移し、そちらを中心に活躍することになる。
1992年に映画評論家のロバート・ローゼンバウムが、ウェルズのメモの断片をフィルム・クォータリー誌で公開した。それに触発されたフィルム修復の第一人者リック・シュミドリンは、『黒い罠』の権利を保有しているユニヴァーサル・ピクチャーズと交渉し映画の修復を行う許可を得、映画の再編集を行った。ウェルズ本人は1985年に既に他界していたので厳密に言うとディレクターズ・カットではないが、彼の残したメモに忠実に再構成された上映時間111分の「修復版」は好評を博し、作品の評価を不動のものにした。(Wikipediaより)

『緑色の髪の少年』(The Boy With Green Hair)

1948年・アメリカ 監督/ジョセフ・ロージー

出演/パット・オブライエン/ロバート・ライアン/バーバラ・ヘイル/ディーン・ストックウェル/リチャード・ライオン

マッカーシズムとは、1953年より上院政府活動委員会常設調査小委員会の委員長を務め、下院の下院非米活動委員会とともに率先して「赤狩り」を進めた共和党右派のジョセフ・マッカーシー上院議員の名を取って名づけられた。ハリウッドを中心とする娯楽産業で活躍していた映画監督、脚本家や映画俳優などの芸能人の中で人生のある時期に共産党と関連があったとして列挙された。そのうち召還や証言を拒否して議会侮辱罪で有罪判決を受けた主要な10人をハリウッド・テン (Hollywood Ten) と呼ばれたという歴史がある。

ハリウッド・ブラックリストの始まりは1930年代に遡る。この時期、共産主義はアメリカの理想主義の若者の間で人気のある思想であった。ハリウッド・テンは馘首もしくは停職処分となり、彼らが無罪と見なされるか、嫌疑が晴らされ、また彼らが共産主義者ではないと自身で誓わない限り再雇用されることはないというものであった。この声明により、ハリウッド・テンと呼ばれる10人は以後、かなりの長期間アメリカの映画・テレビ業界で働くことができなくなってしまった。

この映画の監督ジョセフ・ロージーもハリウッド10の次にランクされるブラックリストに名前が載っていた。アメリカに嫌気がさした彼は、1953年にイギリスに亡命し、以後イギリス、あるいはフランス等で作品を作り続け、以降アメリカには帰っていない。突然髪の毛が緑色になってしまった少年。飲んでいる牛乳が原因ではないかと牛乳店の商売にまで影響する。伝染病ではないかと町で噂される。学校では当然の如くのいじめがある。学校の先生が一計を案じた。クラスの子供たちに尋ねる、「髪の毛が黒い人は? 髪の毛が茶色の人は? 髪の毛が金色の人は? 髪の毛が緑の人は? 髪の毛が赤い人は? 手を挙げてください。」、と。その場はおさまるが、根本的な理解にはほど遠いようだ。あのアメリカでさえ緑色の髪の少年は不思議がられる。普通の人間じゃないと言われる。民主主義にはいろいろな意見があるのだ、ということを比喩した内容だとテレビの解説は言うけれど、この時代だからこそなのか、至極分かり易すぎて、喩えにもならないような表現が赤狩りの対象になっていたことに、驚いてしまう。時代は確実に変化してきた。

『許されざる者』

2013年(平成25年)・日本 監督/李相日

出演/渡辺謙/柄本明/柳楽優弥/忽那汐里/小池栄子/近藤芳正/國村隼/滝藤賢一/小澤征悦/三浦貴大/佐藤浩市

残念ながらおもしろくない。1992年に公開されたクリント・イーストウッド監督・主演『許されざる者』(Unforgiven)のリメイク、アカデミー賞作品賞受賞作が日本映画としてリメイクされるのは、今回が初めてであるという。

渡辺謙の演技がどうにも重い。重厚であるという意味ではなく、重い。どう考えてもいい意味ではない。こんな大スターを貶していいのだろうかと思うが、どうにもならない。柄本明がまた、うざい。肝心要のセリフが聞き取れない。

クリント・イーストウッドの映画は分かり易くて、エンターテインメントに富んでいるが、この映画は重厚なれど内容薄し。映画の一番いいところがなくなって、漬け物の重しがどーんと頭から押し被さっているような雰囲気だ。もう少し、娯楽であることを肝に銘じて欲しい。

『愛さえあれば』(Den skaldede frisor)

2012年・デンマーク 監督/スサンネ・ビア

出演/ピアース・ブロスナン/トリーヌ・ディルホム/キム・ボドゥニア/パプリカ・スティーン

ピアース・ブロスナンがデンマークに住む会社経営者役で主演している。5代目ジェームス・ボンド、『007 ゴールデンアイ』(007 GoldenEye・1995年)、『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』(Tomorrow Never Dies・1997年)、『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』(The World Is Not Enough・1999年)、『007 ダイ・アナザー・デイ』(Die Another Day・2002年)。

またネクラのデンマーク映画かなぁ、と先入観があった。さすがにジェームズ・ボンドを迎えて作った映画のお陰で、暗さは払拭された。内容は結構深刻なコメディといったところか。片や息子の、片や娘の結婚式をイタリアであげるのだが、そこに集まってくる親族、そもそもの家族にも拭いがたい人生の闇がある。明るい地中海の陽を浴びて眩しいばかりの景色が好対照。結婚式は思わぬ方向へと転換していく。

どうせ別れるなら憎しんで離れた方が未練がない。好きだけど別れているなんて耐えられない。そんなことを・・・・。どこに心の安らぎがあるのだろうか、誰が心を癒やしてくれるのだろうか、なんてロマンチックな気分はもうどこにも見当たらない人生の最期。

『戦争のはらわた』(Cross of Iron)

1977年・イギリス/西ドイツ 監督/サム・ペキンパー

出演/ジェームズ・コバーン/マクシミリアン・シェル/ジェームズ・メイソン/センタ・バーガー

戦争映画であるが、ジェームズ・コバーンがドイツ兵なのに英語を喋っているから違和感ありあり。どことどこが戦っているのか分からないで見ていると、戦闘シーンばっかりでいつの間にか寝てしまった。2時間13分は長過ぎる。いつものことだが、最近は寝ていなかったのになあ。以下Wikipediaから引用する。

原題はドイツ軍の鉄十字勲章のことである。ペキンパー作品の特徴であるバイオレンス描写とスローモーション撮影は、観客はおろか映画制作者にも衝撃を与えた。日本公開時のキャッチコピーは「戦争は最高のバイオレンスだ」。また、視点がドイツ軍側になっていることも、それまでの連合軍側視点中心の戦争映画と一線を画する。

オープニングの、実写フィルムを利用したヒトラーユーゲントの登山シーンは、バックに流れる童謡 「Hanschen Klein(幼いハンス)」(日本では野村秋足作詞の唱歌「蝶々」として知られる) とともに、劇中の戦闘シーンと鮮烈な対比を見せている。好評だった本作品の続編としてヴォルフ・C・ハルトヴィッヒが『戦場の黄金律 戦争のはらわたII』を1978年に制作、公開したが、監督、俳優、ともに今作との関連はなく批評家の評価も低かった。

『ロビンとマリアン』(Robin and Marian)

1976年・アメリカ/イギリス 監督/リチャード・レスター

出演/ショーン・コネリー/オードリー・ヘプバーン/ロバート・ショウ/ニコール・ウィリアムソン

ロビン・フッドとその恋人マリアンの「その後」を描いている。ストーリーの原案は子供向けバラッド『ロビン・フッドの死』でイギリスや英語圏では非常に良く知られた内容である。当初、タイトルも同じであったが、コロンビア映画がマーケティングを考慮して死という不吉な言葉を避け、公開前に変更になったという経緯がある。また、マリアンを演じたオードリー・ヘプバーンにとっては1967年の映画『暗くなるまで待って』以来の映画復帰作である。(Wikipediaより)

ショーン・コネリー46才、オードリー・ヘプバーンはその1才上である。ロビン・フッドの時代は、リチャード1世(1157年- 1199年)治世時代、映画の中に1191年という年号が出てくる。リチャード1世は、生涯の大部分を戦闘の中で過ごし、その勇猛さから獅子心王(Richard the Lionheart)と称され、中世ヨーロッパにおいて騎士の模範とたたえられたが、10年の在位中イングランドに滞在することわずか6か月で、その統治期間のほとんどは戦争と冒険に明け暮れたという。

だいぶ前に観たことを珍しく覚えている。もちろん内容は定かではないが、雰囲気だけは結構記憶にあった。ロビン・フットとしての活躍を伝える物語というより、20年ぶりに再会した男女の物語といった風情だ。

『図書館戦争 ブック・オブ・メモリーズ』

2015年(平成27年)・日本 監督/佐藤信介

出演/岡田准一/榮倉奈々/田中圭/福士蒼汰/土屋太鳳/中村蒼/松坂桃李/栗山千明/石坂浩二

昨日観た『図書館戦争』の映画版第2作『THE LAST MISSION』が今週末2015年10月10日からロードショーされるというので、いつもの宣伝効果を狙ったテレビ放映が2晩続いた。この作品はテレビドラマスペシャルらしく、映画版第2作目とともにクランクアップしたと言うから、いわゆる純粋なテレビドラマの製作ではなく、映画と同じように作られたというものみたいだ。映像も映画版となんの遜色もない。

昨日観たせいか、この突飛な発想のシチュエーションにもアレルギーはかなりなくなっていた。観終わってからよくよく考えてみたら、ドラマの中で前回のような機関銃の撃ち合いがなかったことが大きな要因だった気がしている。日本では現実感の乏しい打ち合いは、やっぱり似合わない。

今回は感動路線で、図書館戦争というよりは恋愛映画の様相を色濃くしてきた。別に悪いことではないけれど。まあ、終末に映画館に行って新作を観たいという気分にさせてくれるわけではない。そんなところが、元映画マンとしての不満。前作を観たら次作が観たくなるという構造にならないと、映画は繁盛しない。主演の岡田准一の前途は明るいだろう。緒形拳のような存在感のある役者になって、これから30年も40年も活躍するだろう。

『図書館戦争』

2013年(平成25年)・日本 監督/佐藤信介

出演/岡田准一/榮倉奈々/田中圭/福士蒼汰/西田尚美/橋本じゅん/鈴木一真/嶋田久作/児玉清/栗山千明/石坂浩二

有川浩の小説が原作で累計発行部数が600万部を超えるという。活字世界に疎すぎる自分を恥じるけれど、映画を観てみてこの程度の内容でこれだけの数字をとれることが信じられない。タイトルが興味を惹く。漫画チックな内容ではなく、もっと激しくシリアスな内容だったらなあ。

2019年が時代の始まりというから、超近未来映画ということになる。東京オリンピック2020より1年前に、この映画のような焚書坑儒的現象を物語にする現実感に乏しい。ましてや、アメリカじゃあるまいし銃規制の厳しい日本で、かたや発禁本を規制するため、かたや自由を守るためとはいいながら、機関銃を撃ち合うお粗末さは、漫画にもならないと思えて仕方がない。

日本の物語でのアクション、銃による戦い、などはとてもじゃないけど見ていられない。こういう物語はアメリカに権利を売ってしまい、アメリカ映画として製作してもらった方が良い。奮闘している役者さんを見ていると、可哀想になってくる。どうにも、お子様ランチ的、日本的ストーリー展開は、今や極く極く普通のこととして、老若男女に受け入れられてしまっているかの如くだ。

『刑事コロンボ 殺人処方箋』(Columbo Prescription:Murder)

1968年・アメリカ 監督/リチャード・アーヴィング

出演/ピーター・フォーク/ジーン・バリー/ニナ・フォック/キャスリン・ジャスティス/ウィリアム・ウィンダム

記念すべき1作目。アメリカのテレビ・ドラマで1968年から1978年まで45本がNBCで放送され(日本語版タイトル『刑事コロンボ』)、その後1989年から2003年まで24本がABCで放送された(日本語版タイトル『新刑事コロンボ)。この映画は単発放送版だという。日本では1972年(昭和47年)放送だというが、このシリーズが2時間ものだった記憶がない。73分ものが30本、98分ものが39本放送されたらしい。

先日コロンボ刑事も参加した名探偵集合映画を見て主人公の生の声を初めて聞いた。今回は毎週再放送をするというので、とりあえず1作目を録画してみた。いきなりの日本語の喋りでちょっと残念感があったが、予想に反して見やすいのには驚いた。今風の吹き替え版に比べて、はるかに出來がいいのではと感じた。よそよそしくない喋りは、画面と合っている。

この頃のミステリー映画は、画面に何も再現せず、最後の謎解きでいろいろな仕掛けを明らかにするやり方がどうにも我慢できないでいる。このコロンボはまったく逆、殺人現場を観客に見せておいて、それをどうやって推理していくかの楽しみを観客にもたらしている。映像は古いけれど、おもしろい。吹き替え版でも問題なし。もう何話か時々見ることにしよう。

『第九軍団のワシ』(The Eagle)

2011年・イギリス/アメリカ 監督/ケヴィン・マクドナルド

出演/チャニング・テイタム/ジェイミー・ベル/ドナルド・サザーランド/マーク・ストロング

原作はローズマリー・サトクリフによる1954年の小説『第九軍団のワシ』(The Eagle of the Ninth)という。歴史映画。好きなジャンルだ。紀元120年、117年 - 138年 ハドリアヌスの時代、現在のイギリス南部に設置した属州の一つブリタンニアに起こる事件が契機。

20年後の紀元140年、父が奪われた第9軍団のシンボルというよりローマのシンボル「ワシの黄金像」を奪い返すべく、息子が北の地へ脚を踏み入れる。ハドリアヌスは北部からの蛮族の侵攻を食い止めるためにハドリアヌスの長城を築いていた。

ラッセル・クローのグラディエーターを彷彿とさせるような雰囲気ながら、ストーリーが弱い。戦争映画の戦闘シーンの多さが決め手となるように、主人公の敵との戦いがうざったくては映画もおもしろさが倍増しない。もうちょっとなのだけれど、惜しいなぁ。ちょっと生き方や考え方を変えれば、もう少しましな人間になるのになぁ、と思える人に出会った時のような。

『プラトーン』(Platoon)

1986年・アメリカ 監督/オリバー・ストーン

出演/チャーリー・シーン/ウィレム・デフォー/トム・ベレンジャー/フォレスト・ウィテカー/ジョニー・デップ

リアルタイムであの時代に観ていなければいけない作品。ちょうど宣伝部長の時だったので、他から見たら観ていて当然だと思われていただろう。ところが、その時代には映画をほとんど観ていなかった。何事にも晩熟の自分らしく、映画を好んで観るようになったのは60才過ぎてからである。

ベトナム戦争とは一体何だったのだろうか、とこの時代から映画は疑問を投げかけていた。今観るベトナム戦争は、もっと虚しい、狂気の沙汰に思える。ひたすら命令に従い敵を殺すことが目的で、それ以上の何事でもない、ということが理解できる。それじゃぁダメじゃん、と落語の合い言葉のようになってしまうが、見事なまでの戦闘シーンが、この時代の狂気をよく伝えている。

どうしても他のベトナム関係映画と比較してしまう。戦闘シーンの連続に少し飽きが来て眠ってしまったのは、映画がおもしろくないから。残念ながら、心にずしりと重いくさびを打ち込むほどのインパクトではない。地獄の黙示録のあのナパーム弾の臭いが妙に懐かしい。

『ファッションが教えてくれること』(The September Issue)

2009年・アメリカ 監督/R・J・カトラー

出演/アナ・ウィンター/グレイス・コディントン/アントレ・L・タリー/シエナ・ミラー

「プラダを着た悪魔」のモデルと言われるファッション業界のカリスマ的女性編集長、アナ・ウィンターの実像と成功の秘密に迫るドキュメンタリー。厳しく妥協のない仕事ぶりの一方で、仕事と真摯に向き合い働くことに喜びを見出していく姿を映し出していく。(allcinemaより)

観終わるまでに何日間を要したろうか。1週間以上前に観始まったが、観た回数は3回か4回、ようやく今日は最後まで行き着いた。ドキュメンタリーだけれど、カメラが入っていれば、まったくのドキュメンタリーではないのだろう。『VOGUE』というファッション雑誌の名前は知っているが、勿論見たことはない。雑誌が置いてある所で、ぺらぺらとめくったことは、もしかすると1回くらいはあるのかもしれない。

編集長の「yes」という言葉がなければ、この雑誌の中身は何一つ決まらない。最後のインタビューで、自分の長所はと問われて「決断力」と答えた。弱点はと問われ「子供」と答える。自分がファッションの未来を決めているのではない、と言い切る。信頼の置ける長年の相棒がいるから出来ることだとも言う。それまでの映像で見せてくれた即決即断の冷徹さの微塵もない。仕事を割り切れる才能溢れる女性のようだった。

『就職戦線異状なし』

1991年(平成3年)・日本 監督/金子修介

出演/織田裕二/的場浩司/和久井映見/坂上忍/羽田美智子/鶴田真由/仙道敦子

フジテレビが作ったこの映画の題名を見ただけで中身が知れようというもの。早稲田大学社会科学部4年生たちの就活物語。バブルの最後の年だったらしいが、就職活動もこんなにバブルだったことを知らない。今年あたりはだいぶ就活もやさしくなってきたらしいが、この映画で描かれた時代以来なのかも知れない。

織田裕二は1987年俳優デビューし、この映画の年、1991年1月~3月の『東京ラブストーリー』で大ブレイクした。この映画の公開は1991年6月だったので、撮影期間がダブっていたかもしれない。まだまだきりりとした雰囲気とはほど遠い、いなかっぺな顔立ちが初々しい。

就活の風景がまったく今とは違うことに驚いた。男も女も黒一色の洋服ではなく、女の子達はカラフルに、男の背広だっていろいろな色を着ていた。いつから誰も彼も分からない区別のつかない黒ばかりの服装になってしまったのだろう。まさか25年前こんな服装だったことを教えてくれただけでも、この映画の価値はあるかも。

『セレンディピティ』(Serendipity)

2001年・アメリカ 監督/ピーター・チェルソム

出演/ジョン・キューザック/ケイト・ベッキンセイル/ジョン・コーベット/ジェレミー・ピヴェン/ユージン・レヴィ

この題名に記憶はないなぁ、と思いながら観始まった。冒頭のシーンが印象的で、あっ!これ観たことある、となったが、ちょっと進んだストーリーがおもしろくて、やめられなくなってしまった。いつも通り、観たことのある映画の内容をほとんど覚えていないという特技が生きた。

純粋なラブ・ストーリーだが67才のジジイにもときめきを持って観ることが出来るのは嬉しい。「運命」とか「サイン」とかが大きく恋愛を左右するこの物語。ここまで劇的な再会が待っているのは現実の世界では無理かもしれない。が、そんな気持ちを持ちながら生きて行くのは、意外と現実的。

「会いたいと思う人には必ず会える」という先人の諺を信じている。せっかく偶然に出会ったのに、そんな大切なものを大事にしないで生きて行くことは罪に等しい。おそらくもうそんな人に出会うことはないであろうと、思えないなら哀しいこと。ただ、一人でそんなことを思っていたって人生は成立しない。二人が同じ時期に同じ感情を持つ奇跡がなければ、二人の恋愛は成就しない。哀しいけれど。

『GODZILLA ゴジラ』(Godzilla)

2014年・アメリカ 監督/ギャレス・エドワーズ

出演/アーロン・テイラー=ジョンソン/渡辺謙/エリザベス・オルセン/ジュリエット・ビノシュ/サリー・ホーキンス

『ゴジラシリーズ』のリブートであり、アメリカ合衆国の資本でゴジラ映画が製作されるのは1998年公開の『GODZILLA』以来16年ぶりの2作目。また、日本でゴジラ映画が公開されるのは、2004年公開の『ゴジラ FINAL WARS』以来、10年ぶりとなる。前作においては恐竜のような細身のスタイルだったが、そこから大幅に進歩を遂げて日本版のゴジラに近い姿に変貌し、基本的には日本版での設定に準じている。ただし、本家ゴジラとは学説や出自が若干異なる。(Wikipediaより)

一度もゴジラ映画をきちんと見たことがないけれど、今回の作品は公開時に2、3人に面白くはないという話を聞いていたのだが。否定的なことを潜在意識の中に持って見る映画は、意外と面白かったりするものだが、残念ながらそうではなかった。というか、発想そのものが自分の一番嫌いな子供騙しで、子供の頃からまったく見る気になれない映画として引き続くだろう。

緊迫したシーンの連続のはずなのに、ちっとも緊迫感が伝わってこない。慌てふためきながら逃げる大勢の人が嘘にしか見えない。悪意なんてこれっぽっちもないけれど、信頼も信用もおけない女を見ているようだった。

『劇場版 SPEC~結~ 漸ノ篇/爻ノ篇』

2013年(平成25年)・日本 監督/堤幸彦

出演/戸田恵梨香/加瀬亮/北村一輝/栗山千明/有村架純/神木隆之介/向井理/大島優子/竜雷太

 2部構成の作品で、前篇『漸ノ篇』(ぜんのへん)、後篇『爻ノ篇』(こうのへん)と読むらしい。劇場公開は11月1日(前篇)、11月29日(後篇)と別の日だったらしいが、全国の劇場がシネコンになって、公開劇場に関して昔のように悩むことはなくなったのかもしれない。

TBSのテレビドラマ『SPEC~警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿~』の劇場版で、前作の映画『劇場版 SPEC~天~』に続く作品であるというが、テレビ番組で目にも入らなかったのはどういう訳だろう。

それにしても面白くない映画だ。興行収入は、27.5億円(漸ノ篇)、20.6億円(爻ノ篇)だったらしい。前篇を観ておもしろいと思えれば、後篇はもっと興行収入が上がったはずだが。それでもこんなに観客が見に来る映画内容だとは間違っても思えない。おちゃらけているし、セリフもいい加減、何がテーマなのかも明確でなく、子供騙しの典型のような妄想の映像化、こんな映画がはびこる社会が日本映画界の未来を暗示している。

『南から来た用心棒』(Arizona Colt)

1966年・イタリア 監督/ミケーレ・ルーポ

出演/ジュリアーノ・ジェンマ/コリンヌ・マルシャン/フェルナンド・サンチョ/ロベルト・カマルディエル

マカロニウェスタンの典型のような映画。なのだろうか。きちんと見たことのないこの手の映画、さすがにジュリアーノ・ジェンマの名前は知っているけれど、もうちょっといい男かと思っていた。話はどうでもいいけれど、むやみやたらと人を殺してしまう映画だ。

最近イタリア語なのかスペイン語なのかをとっさに区別できなくなった。若い頃はそんなことを感じたこともなく、似てるけど違いはすぐに分かるじゃん、と思っていた。ウノ、ドゥエ、トレ、がイタリア語、ウノ、ドス、トレス、がスペイン語で1、2、3、だとだいぶ前に覚えた。それぞれの国に旅行した時、ホテルの部屋のキーをもらう時、現地語で要求するように努力していた。

この映画はイタリア語。西部劇がイタリア語なのは、やっぱり違和感がある。イタリアにはもう一度行ってみたかった。というよりは行く予定であった。いつとは決めていなかったけれど、ナポリから南へは行ったことがなかったので、そんなことを考えていた。が、もう無理だろう。まあ、三度も行っていれば充分だろう、と怒られそうだが。

『おおかみこどもの雨と雪』

2012年(平成24年)・日本 監督/細田守

出演(声)/宮崎あおい/大沢たかお/黒木華/大野百花/西井幸人/加部亜門/平岡拓真/菅原文太

先日初めて「どらえもん」アニメを見たが、今回は初めてのひらたい日本アニメを見ることとなった。題名のひらがな「おおかみこども」という表現にようやく興味をもった結果である。概要は、細田守監督による長編オリジナル作品第2作である。細田は本作で初めて自ら脚本も手がける。テーマは「親子」であり、19歳の少女が「おおかみおとこ」と出会い、その間に生まれた「おおかみこども」の姉弟が成長し自立するまでの13年間を描く。

ヘラルドの配給作品の中に『狼男アメリカン』(An American Werewolf in London・1981年)という映画があって、急にそのことを思いだしたからかもしれない。「おおかみこども」を漢字にすれば「狼子供」ということになり、まったく違った雰囲気になるのが凄く不思議だった。

話が面白かったので、口の合わない、背景の動かない日本アニメが気にならなかったのが不思議だった。おそらくアニメ好きの人たちは、きっとそんな風に細かいことを気にしていないんだろうな、ということが少し理解できた。自分の頭の中も少しは変化、進歩しているのだろうか。

『ポセイドン・アドベンチャー』(The Poseidon Adventure)

1972年・アメリカ 監督/ロナルド・ニーム

出演/ジーン・ハックマン/アーネスト・ボーグナイン/レッド・バトンズ/ロディ・マクドウォール

この初の映像化作品は大ヒットを記録し、パニック映画(Disaster film)の傑作の一つとして知られるようになった。2006年に再びワーナー・ブラザーズが映画化したリメイク版。初作での人間ドラマ的な面は省かれており、第27回ゴールデンラズベリー賞の最低リメイク賞にノミネートされた。

この作品で当時パニック映画(ディザスター・フィルム)と呼ばれるジャンルが確立して、アーウィン・アレンを中心とするスタッフが、この時の特撮技術を活かし、2年後に『タワーリング・インフェルノ』を製作した事はよく知られている。製作費1,200万ドルは船のセット、転覆場面の撮影、1,135万リットルの水に大半が消費されたという。まだコンピューターグラフィックの無い時代で全て実写であった。同年公開の『ゴッドファーザー』とほとんど同じ興行収入を記録する大ヒット作品となった。(Wikipediaより)

緊急事態に陥った人間の行動を見ることが出来る。「初めてのことだったので」という言葉を最近聞くことが多いが、ひとりの人間が何回も緊急事態に直面することはなく、そんな中でも沈着冷静な判断力を発揮できる人間がホントに人間力のある人ということになる。リーダーシップも緊急事態で発揮される典型的な人間力のひとつと言えるだろう。

『ひとひらの雪』

1985年(昭和60年)・日本 監督/根岸吉太郎

出演/秋吉久美子/沖直美/岩本千春/藤田亜里早/岸部一徳/丹波義隆/池田満寿夫/池部良/木内みどり/津川雅彦

渡辺淳一原作で、複数女性と関係をもつ中年男の姿を描く。渡辺淳一の小説を当然読んだことがないが、どんな表現をしているのか読んでみたくなった。結局は男と女の話を描いているだけのことで、そこら辺にあるエロ小説とどこが違うのだろうか。

秋吉久美子のおっぱいやお尻を見たってなんていうことないが、一般ピープルには興味のあることなのだろうか。グジグジとしかもダラダラと、ねちねちと男と女の関係を映像化しているが、見ているほどに飽きが来るのは原作のせいなの、それとも映像化する映画の限界なのか。

くっだらないこの頃の日本映画に比べれば、まだはるかにいい映画だとも言える。でも奥が深くなくて、面白みが胸の内に入ってこない。所詮世の中は男と女、そう言われてしまえば頷かないわけにはいかない。それが現実だよなあ。

『マダムと泥棒』(The Ladykillers)

1955年・イギリス 監督/アレクサンダー・マッケンドリック

出演/アレック・ギネス/ケイティ・ジョンソン/セシル・パーカー/ピーター・セラーズ/ハーバート・ロム

現金輸送車の現金強奪を目論む強盗団が、ある老未亡人の部屋を借りたことから巻き起こる騒動を描いたコメディ映画である本作。『成功の甘き香り』などで知られるアレクサンダー・マッケンドリックがメガホンをとり、アレック・ギネスが強盗団のリーダーを演じた。強盗団の計画を知らぬが故に男達にありがた迷惑なお節介を焼くお人好しの英国老婦人をケイティ・ジョンソンが演じ、強盗団のメンバーとしてピーター・セラーズ、ハーバート・ロム、セシル・パーカーらが脇を固めている。同作は2004年にコーエン兄弟が『レディ・キラーズ』というタイトルでリメイクを手掛けており、トム・ハンクス、イルマ・P・ホール、マーロン・ウェイアンズらが出演した。もともとの舞台はロンドンだったが、リメイク版ではアメリカ南部のミシシッピ州に変更され、強奪先はカジノ船、老婦人の設定も敬虔なクリスチャンである黒人の老婦人という設定に置き換えられた。(Wikipediaより)

おもしろいですねぇ~。探偵もの、推理ものには格段のおもしろさを発揮する大英帝国作品。コメディーだって日本の喜劇に比較しても、雲泥の差があると言わざるを得ない。馬鹿笑いとジョークという言葉の違いを感じる。

洒落ている。今でも居そうなおばあちゃんの挙動がおもしろい。一所懸命警察署長に説明しても、軽くあしらわれてしまうその伏線が、映画の最後にこんな風に生かされるとは。

『宮本武蔵 完結篇 決闘巌流島』

1956年(昭和31年)・日本 監督/稲垣浩

出演/三船敏郎/鶴田浩二/八千草薫/岡田茉莉子/瑳峨三智子/志村喬/千秋実/加東大介

1枚看板だった冒頭の三船敏郎が鶴田浩二との2枚看板になっていた。しかも左に三船、右に鶴田。勿論、縦書きである。『神佛を尊み、神佛にたのまず』という武蔵の人生修行が大きな路線となっている。恋慕はしない、といいながらお通への想いは消えず、不可思議な女心に翻弄される。

もうひとりの女が前作からまとわりついている。アケミという女は武蔵を想うあまり意地悪にさえなっている。このあたりの武蔵とふたりの女のくだりは、ちーっとも話が進まず、苛々させるだけ。とうとう速回しになってしまった。

この稲垣浩の武蔵シリーズは、往年の映画時代の産物なのだろう。残念ながら一所懸命観る映画としては、現代人に訴えてくるところは、ほとんどない。なんて言い切ってしまって後悔するかもしれない。なにしろ偉大な監督作品であることは紛れもないことだから。

『續宮本武蔵 一乘寺の決斗』

1955年(昭和30年)・日本 監督/稲垣浩

出演/三船敏郎/鶴田浩二/八千草薫/岡田茉莉子/木暮実千代/水戸光子/平田昭彦/加東大介

これまでに何度も映像化されている吉川英治の長編小説『宮本武蔵』の戦後最初の映画化作品の2作目。1作目を先日観たと思っていたら、それはこのシリーズの作品ではなかった。武蔵が高橋英樹、小次郎が田宮二郎で18年後の映画だった。

まだまだ映画技術が未熟な時代。野原の決闘シーンがスタジオの中に土を入れ、背景の雲が動かないというお粗末なものだったが、仕方がないことなのだろう。

1作目が東宝初のイーストマン・カラー作品でもあるという。女性の着物の着方が現在とは大きく違う。帯が細く、この方がその当時の公証だったことがうかがえる。今の時代劇のような格好良い着物を着ていたとは、とても思えないのは確かだ。

『アンフェア the answer』

2011年(平成23年)・日本 監督/佐藤嗣麻子

出演/篠原涼子/佐藤浩市/山田孝之/阿部サダヲ/加藤雅也/吹越満/大森南朋/寺島進/香川照之

2006年に関西テレビ・共同テレビ制作・フジテレビ系列で放送されたテレビドラマ『アンフェア』の劇場版2作目。前作の劇場版『アンフェア the movie』の続編であり、前作で謎として残った警察の不正が書かれた機密文書の背後にいる黒幕の存在が明かされると同時に、機密文書を巡る問題に一つの決着を迎える。映画冒頭には前作までのハイライトが挿入されている。前作に続き、「雪平、最後の事件。すべての答えが、そこにある。」といった完結を匂わせるキャッチコピーが使用されたが、完結には至らず、2015年に公開される続編『アンフェア the end』が完結編となった。(Wikipediaより)

現在、その『アンフェア the end』が劇場公開されているようだ。前作をよく覚えていないけれど、この作品だけで楽しめることは確か。だが、文句を言わせてもらえば、正直かったるい。格好ばかり付けて内容が伴わない人間がもったい付けているように見える。ひとつの場面があり、そこで行われた人間のやりとりを、終わってから再現するやり方が多く、結局製作者だけが秘密を知りながら進行し、観客は最後に種明かしされるのでは、たまったものではない。

ベッドシーンもあまい。ひとりの男とひとりの女が真剣に愛し合っている気持ちを表現するのに、日本映画はかったるい。以前観た香港と上海を舞台にした映画『ラスト、コーション』(色・戒/2007年)の迫力あるベッドシーンが犯罪、裏切りを背景にした出來の良いシーンとして頭に刻まれている。

『社長千一夜』

1967年(昭和42年)・日本 監督/松林宗恵

出演/森繁久彌/加東大介/小林桂樹/三木のり平/フランキー堺/黒沢年男

『社長シリーズ』第26作。3年後に開催される日本万国博覧会の準備に追われる「庄司観光」を舞台に、東京~大阪~九州を股にかけて繰り広げられる。本作から社長秘書役で黒沢年男(現:年雄)が出演、シリーズ後期の顔になる。 なお「元日公開」というのは、シリーズでは最初で最後である。(Wikipediaより)

もう社長シリーズを観るのも何作目かになると、ストーリーなんてどうでもいいような気分になってくる。寅さんシリーズもそうだけれど、安心感というより習慣性と言った方が相応しいかもしれない。

今回の登場場所は、阿蘇、湯布院、やまなみハイウェイ、天草。学生時代の一人旅が今になっても役にたっている。一番長かったのはちょうど1ヶ月。自分で周遊券を作って当時の国鉄路線を使った旅は有効期限が1ヶ月だった。九州は縁があって2回回ったが、それが人生の岐路にもなった。

『エンド・オブ・ザ・ワールド』(Seeking a Friend for the End of the World)

2012年(平成24年)・アメリカ 監督/ローリーン・スカファリア

出演/スティーヴ・カレル/キーラ・ナイトレイ/コニー・ブリットン/アダム・ブロディ

『世界の終わり』をテーマにした映画。普通なら科学的なシーンがたくさん出てきて、地球上の人間の右往左往を映像化しているケースが多いが、この映画にそんなシーンは一度も出て来ない。小惑星の衝突により、滅亡が間近に迫った地球が舞台だが、ひとりのしがない保険セールスマンが主人公で泣かせる。

『21 DAYS LAST』『14 DAYS LAST』『12 DAYS LAST』と、時間が経過していく。そのうち情報は間違いでした、とか言いだしそうな雰囲気だが、そこはさすがに押さえてあるみたいだった。主人公は人生最後の友達のパーティーでも浮かぬ顔をしている。知らない人と人生の最後を共にすることは嫌だと思っているらしい。

奇妙な二人の出会いと、その時を待つ人々の行動の一端を描いて見せてくれるが、所詮は三流映画で乗り切れない。パニック映画の仰々しい、大袈裟な映画に比べたら、無意味な時間を過ごさなくてもいいだけ好ましい。映画の最後には小惑星の衝突が1週間早まってあと16時間後に衝突が起こる、と展開する。最後に何がしたいのかと問われても、何も答えられないほど、最近の人生は充実とはほど遠い。

『名探偵再登場』(The Cheap Detective)

1978年・アメリカ 監督/ロバート・ムーア

出演/ピーター・フォーク/アン=マーグレット/アイリーン・ブレナン/シド・シーザー

先日観たパロディ・ミステリ映画『名探偵登場』の姉妹編。くそ面白くなく、もう二度と会いたくないゲスな女に会ってしまったら、なんと声を掛けたらいいか分からないような気持ちだと書いていた。少しはましな出だしにほっとした。

ハンフリー・ボガートが主演した映画『マルタの鷹』(1941年)と『カサブランカ』(1942年)のパロディであり、ピーター・フォーク扮する主人公は、ボガートをイメージしたキャラクターとなっている[2]。また他にも、『脱出』(1944年)や『欲望という名の電車』(1951年)、『チャイナタウン』(1974年)を真似たシーンやセリフが登場している。(Wikipediaより)

そういういかにも映画的なところが分からない。前回も感じた今回の主演ピーター・フォーの声が奇妙に聞こえて仕方がなかった。彼の生の声を聞いたことがなかった。何と表現したらいいのか分からない変な声なのだが、若い頃にたぶん聞いていた彼の吹き替え版テレビドラマ『刑事コロンボ』の小池朝雄の声が頭の中に入り込んでいるようだ。最近でこそ吹き替え版を毛嫌いしているが、アメリカのテレビドラマを一所懸命見ていた頃は、日本語の喋りを何の疑いもなく聞いていた。コロンボ刑事は日本語の方が馴染みがあっていい、とまで思えてしまう始末。ピーター・フォークの方が違和感がある。変な感覚だ。

『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』

2013年(平成25年)・日本 監督/御法川修

出演/柴咲コウ/真木よう子/寺島しのぶ/井浦新/染谷将太/木野花/銀粉蝶/風見章子

『すーちゃん』は、幻冬舎発行の4コマ漫画。著者は益田ミリ。続編に『結婚しなくていいですか。 すーちゃんの明日』『どうしても嫌いな人-すーちゃんの決心』『すーちゃんの恋』が刊行されている。2012年に本シリーズを原作としてこの映画が製作され、翌年公開されたという。原作も映画化もまったく知らなかった。

3人の女友達の日常生活をありのまま、等身大で描いた。こんな表現が出来そうな物語。結構好きである。柴咲コウが好きなので、ということもある。役者としてはイマイチの演技だが、持てるものは可能性がある。米倉涼子に比べたら、はるかに品格のうえでかなり上位である。

女性は化粧や髪型で雰囲気がだいぶ変わる。そこがまたいいのだ。男どもは髪型を変えたって、ちっとも変わりようがない。自分の好きなタイプというのは終始一貫している。えっ!こんなのが美人なの、と驚きの声を上げる芸能人ばっかりのこの頃、誰が見ても可愛い、美しい女性は天才に分類される。

『小さな巨人』(Little Big Man)

1970年・アメリカ 監督/アーサー・ペン

出演/ダスティン・ホフマン/フェイ・ダナウェイ/チーフ・ダン・ジョージ/マーティン・バルサム

同時代の『ソルジャー・ブルー』とともに、西部劇の転換点に位置する作品として映画史に残る作品である。 トーマス・バーガー原作。121歳の老人のホラ話のような人生の中に、ネイティブアメリカンや当時のベトナム戦争の問題をエンターテイメントに包んで表現している。(Wikipediaより)

幼い頃原住民の襲撃に遭い家族を失った主人公が、121歳となって、養老院で歴史家のインタビューをうける。『温かい人』と呼ばれるシャイアン族に育てられてられる。本人は『小さな巨人』と名付けられる。シャイアン族の中では身体は小さいが強い心を持つ人間だと評される。165cmのダスティン・ホフマンをカメラアングルを気にしないで撮影できた珍しい作品だろう。

長々と2時間19分、ちょっと眠ってしまってもまだまだ延々と話が続いていた。ホラ話と言うよりはとりとめのない老人の話という感じ。評価の高い映画を自分が楽しいと思ったことは希、どうにも本物の映画評論家になることは間違っても出来ない。もっとも、そんなつもりがないことは明らかだが。

『名探偵登場』(Murder by Death)

1976年・アメリカ 監督/ロバート・ムーア

出演/トルーマン・カポーティ/ピーター・フォーク/デイヴィッド・ニーヴン/ピーター・セラーズ

なんともはや、ひどく詰まらない映画だった。有名な架空の名探偵らをパロディ化したコメディタッチのミステリとあるが、ドタバタ喜劇の典型のようで、どうにもこうにもおもしろくない。

登場人物は、謎の大富豪、サンフランシスコの探偵(『マルタの鷹』サム・スペードのパロディ)、ニューヨークの探偵(『影なき男』ニック・チャールズのパロディ)、カタリーナ警察の警部(『シナの鸚鵡』チャーリー・チャン警部のパロディ)、ブリュッセルの探偵(エルキュール・ポワロのパロディ)、イングランド・サセックスの探偵(ミス・マープルのパロディ)、トウェイン邸の執事。盲目、ディックの妻(『影なき男』ニックの妻ノラのパロディ)、サムの助手兼愛人、マーブルズの付き添い看護婦、ペリエの秘書兼運転手、トウェイン邸のメイド。聴覚障害者、シドニー・ワンの養子。日本人、と言われても無知な私などにはまったくピンとこなくて困ったもんだ。

この後の録画予定に続きものがあったような気がして、ちょっと気が重い。二度と会いたくないゲスな女に会った時に、なんと声をかけたらいいのか分からない、そんな気持ちに似ている。

『STAND BY ME ドラえもん』

2014年(平成26年)・日本 監督/八木竜一・山崎貴

出演(声)/水田わさび/大原めぐみ/かかずゆみ/木村昴/関智一/妻夫木聡

藤子・F・不二雄生誕80周年記念作品。3DCG作品。初めて『どらえもん』を見た。テレビで放送されている普通のアニメとは全く印象が異なる。3Dだからだけではなく、3Dで見なくてもかなり立体的な絵になっているし、背景もかなり作り込んである。とりあえずは見てみるが、すぐに飽きるだろうと観始まったが、なんと面白かった。

ドラえもんの秘密兵器がひとつひとつ丁寧に紹介されてから使われるので、今まで見たことのなかった人間にも分かりやすくて大変結構でした。小さな子供で、まだドラえもんを見たことのない子らにとっては、ドラえもん入門書になりそうな感じさえする。

未来からやって来た猫型ロボット、とドラえもん自身が言う。22世紀からやってきたという。秘密兵器は未来の人生をも変えてしまう可能性があるというのは新鮮だ。これまでのタイムスリップは、原則的に歴史を変えない、変えられないというのが普通だったが、画期的な発想に顔がほころぶ。本当の3D画面で見てみたい気がするくらいだ。

『地球が静止する日』(The Day the Earth Stood Still)

2008年・アメリカ 監督/スコット・デリクソン

出演/キアヌ・リーブス/ジェニファー・コネリー/キャシー・ベイツ/ジョン・クリーズ

こんなたいそれた題名の映画が面白かったためしがない。と思っていたら、1951年公開の『地球の静止する日』のリメイク作品だという。1951年からすれば大胆な発想と映像で、まさしくSFアクション映画だったろう。今やSFも出尽くした感のある映画界では、宇宙人の描き方ひとつが凄く重要になっている。

未確認飛行物体のテレビ番組やその中で映されるUFOの映像が、実は簡単に作ることができるらしいことが暴露されて、やっぱり地球外生物は存在しないのだろうかと、ちょっとがっかりしていた今日この頃。

最後まで三流作品の様相は変わらず、ちょっとばかり飽き飽きしてくる。好きなSFがこんな感じで語られるのは、赦せないとまで思ってしまうのは奢りだろうか。


2019年(令和元年)7月9日再び観たので記す。

『地球が静止する日』(The Day the Earth Stood Still)

2008年・アメリカ 監督/スコット・デリクソン

出演/キアヌ・リーブス/ジェニファー・コネリー/ジェイデン・スミス/キャシー・ベイツ

1951年(昭和26年)公開の『地球の静止する日』のリメイク作品だという。1951年版には冷戦や核戦争といった時代的背景が示されていた。今回のリメイクにおいては自然との対立という視点も加えられている、という記述があった。SF映画は基本おもしろいが、嘘っぽく、また幼稚っぽくならないことが条件だ。

「私たちは出来る!」とどこかの大統領だった人がキャンペーンで使った言葉が飛び交う。宇宙人が地球に舞い降りて、「私たちは地球を救いたいが、そのために今住んでいる地球人を殲滅する」と宣言したのに答えた一人の科学者、主人公のひとりだった。

アメリカ大統領はその警告を無視して、到底敵うはずもない宇宙人に武器を向けるのだった。どう考えたって勝てる相手ではないのが分かっているのに、何度も同じように宇宙人に向かっていく姿は滑稽だ。もしかすると、人間の歴史はこれと同じようなことをしているのかもしれない。そんな気がする。

『波の数だけ抱きしめて』

1991年(平成3年)・日本 監督/馬場康夫

出演/中山美穂/織田裕二/松下由樹/阪田マサノブ/勝村政信/別所哲也

中山美穂を映画で見ることも数少ない。録画やDVDストックが充分なら、間違っても見ることのなかった映画だが、間違って見ることになってしまった。それでも我慢に我慢を重ねてきたが、とうとう速回しになってしまった。まだまだ修行が足りない。

こういう映画に関係していたら、恥ずかしくて仕方がないだろう。知った名前をクレジットに見つけたが、フジテレビが作った映画なら仕方がないか。ギャラをもらって世の中に作品を残すことが、ひとつの責任になるだろうことを知ったような気がする。

リアルタイムでこの映画を観た人の感想を聞きたい。人間は生きているだけで社会に何らかの責任が生じるんだなぁ、と妙なことを考えさせてくれる。どんなくだらない映画でも、残骸が物語る何かがある。人間は死んでしまえば、何も残らないのでちょっと安心。

『木曜組曲』

2002年(平成14年)・日本 監督/篠原哲雄

出演/鈴木京香/原田美枝子/富田靖子/西田尚美/加藤登紀子/浅丘ルリ子/竹中直人

原作は恩田陸の小説だと言われても、知らないなぁ。まったく活字世界では小学生以下だと、反省するわけでもない。女優6人が舞台劇のようにセリフを喋りまくる。ちょっと鼻につくシーンの連続だが、我慢すればなんとか面白くなってくるような。

男は刑事役で冒頭に登場する竹中直人だけ。若い頃に勝手に私が将来を嘱望した富田靖子は、残念ながらまだまだ大女優の片鱗も見せていない。これだけの女優を揃えてくれたが、好きな顔立ちがなく、そういうところでも満足行かないのかもしれない。

題名はいいよね。この舞台がないのが不思議なくらい。出だしはテレビの2時間殺人事件ドラマのように始まっていく。さすがに映画だなと思わせるシーンで、テレビドラマ感は払拭される。もう少し捻ってあれば、映画館で観終わった帰途の風景が浮かぼうというもの。

『猫侍』

2014年(平成26年)・日本 監督/山口義高

出演/北村一輝/横山めぐみ/蓮佛美沙子/浅利陽介/戸次重幸/洞口依子/温水洋一/津田寛治/寺脇康文

原作は漫画だろうと思って見ていた。2013年10月より東名阪ネット6および5いっしょ3ちゃんねる加盟局などで放送されたテレビドラマ(時代劇)だという。東名阪ネット6が中心となって制作してきた『イヌゴエ』『ネコナデ』『幼獣マメシバ』(及び続編の『マメシバ一郎』・『マメシバ一郎 フーテンの芝二郎』)『ねこタクシー』『犬飼さんちの犬』『ねこばん』『くろねこルーシー』に次ぐ動物ドラマシリーズの第10弾。シリーズでは初の時代劇として描かれる。何のことかよく分からない。

映画は途中で寝てしまうくらいだから、どうでもいい内容にみえる。最初に直感した漫画原作だろうという骨のないストーリー。どうしてこんな映画が出来てしまうのだろう。映画館で公開することなんか目的になっていないのではなかろうか。

ねこ派?いぬ派?と聞かれても、どちらも派ですと答えるだろう。自分では犬を飼ったことはないが、隣に住んでいた次兄の家ででかい犬から小さい犬までいたので、犬も飼っていたような気分にはなっている。ただ、動物を飼うという意識が、上から目線の生き方のように感じて、今はどうも好きな生き方ではない。

『必殺仕掛人 梅安蟻地獄』

1973年(昭和48年)・日本 監督/渡邊祐介

出演/緒形拳/山村聰/林与一/松尾嘉代/津坂匡章/佐藤慶/小池朝雄/秋野太作/松尾嘉代/ひろみどり

1972年(昭和47年)9月2日から1973年(昭和48年)4月14日まで毎週土曜日テレビで放送されたものが、1973年6月9日『必殺仕掛人』の映画化としてロードショ-された。そして1973年9月29日に映画化第2弾として本映画がロードショーされる。この素早さが凄い。イケイケどんどんの世の中は、人間の能力をも倍増させるのかもしれない。

わざわざ映画にするような内容でもないが、気楽に見られる映画としてはいいのかもしれない。メリハリがはっきりしていて、見ていて?がないのがいい。ちょっとお色気を入れたり、洒落ている。映画だともう少し濃厚な男女の絡みを入れたくなるところだが、そこらあたりが監督の力なのだろう。

世直しのためなら殺人稼業も厭わない主人公達は、日本人のDNAでは間違いなく支持されていると思う。相手は誰でもよかった、などという殺人事件が横行している昨今、この映画のような目的を持った世直し殺人事件は事件とはならないだろう。現代でも、現実の世の中でも。

『インクレディブル・ハルク』(The Incredible Hulk)

2008年・アメリカ 監督/ルイ・レテリエ

出演/エドワード・ノートン/リヴ・タイラー/ティム・ロス/ティム・ブレイク・ネルソン

2003年にアン・リー監督で『ハルク』が映画化されたが、人間ドラマに焦点を当てた事からヒーロー物としては高い評価を得られなかった。本作は『ハルク』の続編ではなくストーリー、スタッフ、キャストを一新した「リブート(再始動)作品」で、「マーベル・コミック」のヒーロー作品を、同一の世界観でクロスオーバー作品として扱う一大企画『マーベル・シネマティック・ユニバース』シリーズ。『アイアンマン』に続く第2作品目だという。

テレビ放映では二カ国語放送が多く、英語では字幕がなければまったく分からないのが辛く不愉快。吹き替え版が闊歩している昨今、そのうち字幕で外国語映画を観ることが出来ない人間が増えてくることは間違いない。題名だけ見た時には、Mr.インクレディブルと超人ハルクを併せたアニメかと思った。それなら日本語でもいいかっ、と想いながら録画した次第。

どうもハルクの誕生物語ではないけれど前作があったとも思えない内容で、ちょっと戸惑いながら観ていた。超人ハルクは何故か好きなので、吹き替え版でもなんとか我慢できる。お子様ランチが大嫌いなのに、何故ハルクはいいのだろうか。不思議だなぁ。たくさんいる女の子の中で、好きになるのは一人だけ、のような感じなのだろうか。どうして好きになるのか自分でも理解できない。そんなことを考る歳頃はもうとっくの昔になったはずなのに、いつまでたっても同じような堂々巡りをしていて進歩がない。


2019年(平成31年)4月22日再び観たので記す。

『インクレディブル・ハルク』(The Incredible Hulk)

2008年・アメリカ 監督/ルイ・レテリエ

出演/エドワード・ノートン/リヴ・タイラー/ティム・ロス/ティム・ブレイク・ネルソン

 あの「超人ハルク」の映画版かな、と同じようなことを想い、書いたことがった。ということは一度観ている映画なのだろう。四流、五流映画に属するこの映画は気楽でいいや。極く極く普通の人間が心拍数が200を超えると、超人ハルクに変幻するというのが大筋の話。最強軍人を創造する実験の途中で事故が起こってしまったというストーリー。

 あの超人ハルクはテレビ映画だったんだろうなぁ、そんなに長くはなかったが毎週見ていたような気がする。私の映画人生はテレビ映画人生だった。映画館で映画を観られる歳になっても、映画館で映画を観たという記憶はほとんどなかった。それが映画の仕事をするようになるのだから、人生は皮肉の典型のようなもの。人間万事塞翁が馬ということでもないが、何が起こるのかは誰にも予想できないのが人生。だから、おもしろい。

 おもしろくなければ人生なんてつまらないものになってしまう。お金があって、欲しいものは何でも手に入ったら楽しいのだろうか。お金があって世界中の行きたい場所にすぐに飛ぶことが出来たら嬉しいだろうか。お金がなくて欲しいものが手に入らないのは哀しいことなのだろうか。お金がなくて行きたい場所に行けないのは辛いことなのだろうか。お金があった方がいいに決まっている。お金がないことを楽しめるほど、神は人間を真摯な動物として創っていない。

『地獄の黙示録』(Apocalypse Now)

1979年・アメリカ 監督/フランシス・フォード・コッポラ

出演/マーロン・ブランド/ロバート・デュヴァル/マーティン・シーン/デニス・ホッパー

日本ヘラルド映画配給作品。現役時代にこの映画の配給に立ち会えたことを誇りに思う。現役時代にほとんど映画を観なかった自分だが、さすがにこの映画は観ている。しかも何度も。在りし日のあの日比谷映画街の有楽座で70m/m版だ。ナパーム弾が炸裂するシーンはスクリーンから火薬の臭いを感じたし、オシッコもちびった。冒頭から、狂気の沙汰への旅立ちに相応しい映像とドアーズの「ジ・エンド」に、もう酔いしれてしまう。

映画買い付けの条件に入っていた主演俳優スティーブ・マックイーンだったらどんな感じだったのだろうか。日本ヘラルド映画の創業者古川勝巳さんが嘆いた前半と後半のテイストの違い過ぎがなければ、もっと大ヒットしただろう。

有楽座での試写会が終わった後、70m/mプリントを車に積んで大阪まで運んだことなどは、当事者でしか味わえない若き日の想い出。題材はベトナム戦争だが、当時の馬鹿な評論家が本当のベトナム戦争を描いていないなどという的外れなことを言っていたことなども思い出す。ぶっ続けてこの映画を観れば、観客も確実に狂気の沙汰に突入していきそうな深い陰が。

『肉弾』

1968年(昭和43年)・日本 監督/岡本喜八

出演/寺田農/大谷直子/天本英世/笠智衆/北林谷栄/春川ますみ/小沢昭一/菅井きん

『明治百年記念芸術祭参加作品』 『肉弾をつくる会・日本ATG提携作品』 『日本ATG配給』 暗い音楽が流れる。当初は映画会社が制作費を出さず、監督の夫人の岡本みね子がプロデューサーとなって二人三脚で地道に制作費を集め、制作にこぎつけたという。

大谷直子は高校在学中に、この映画の一般公募に合格し、スクリーン・デビューを果たした。「あいつ」と呼ばれる主人公の、孤独な戦争を描く。戦争を題材とした岡本監督の代表作である。白黒作品。正直言って退屈。小難しい映画が好きな人向き。大谷直子のおっぱいだけで興味を惹かれることはあり得ない。

冒頭のテロップに流れた文字~日本人の平均寿命、昭和20年・男46.9才/女49.6才、昭和43年・男68.5才/女72.3才。今だって、「戦争ではなんの罪もない人々が殺される」と、疑いもないような言葉が遣われる。なんの罪もないという言い方は変だと考えた事がないのであろう。どう考えてもおかしい。半分以上眠ってしまった映画を云々することは出来ない。

『フィラデルフィア・エクスペリメント』(The Philadelphia Experiment)

1984年・アメリカ 監督/スチュアート・ラフィル

出演/マイケル・パレ/ナンシー・アレン/ボビー・ディ・シッコ/エリック・クリスマス

なんと四流SF映画だった。他に見るものがないので、速回しすることなく淡々と映画を≪堪能≫した。1943年の戦時下、重大な実験をしていたら二人が1984年にタイムスリップしてしまったなどという他愛もない話が進行する。思わせぶりなタイトルで人を騙そうという意図が感じられる。

41年しかタイムスリップしないのも中途半端。戦時下で実験をリーダーだった博士が、41年後にまた同じような実験をしているというのがミソらしい。服装や格好、テレビ番組のギャップなどを映像で見せているが、さほどの驚きが伝わってこない。随所に四流である痕跡がたくさんある。

どういう理論でタイムスリップが起こるのかを自分の頭で理解したいが、誰か教えて欲しい。映画が描く未来は意外と実現していくものだけれど、さすがにタイムスリップは夢のまた夢だろう。過去に戻って一瞬でも仕合わせの瞬間を味わいたい。それとも自分が死んでしまった未来を見てみたいと言った方が正直なのかもしれない。

『八月の狂詩曲』

1991年(平成3年)・日本 監督/黒澤明

出演/村瀬幸子/吉岡秀隆/大寶智子/鈴木美恵/伊崎充則/井川比佐志/根岸季衣/リチャード・ギア

以前観た時にひどくつまらない映画だなという印象が強く残っていた。その後1500本以上の映画を観たあとなら、おそらく印象が違って見えるに違いないという淡い期待があった。見事に裏切られた。つまらない映画はどこから感じたものなのかを自分なりに分析できた。

話がつまらない。長崎のピカドンにまつわる話だとは知らなかった。完全に忘れている。もっともつまらないと感じたことは、役者の動きの裏に監督の指示が見え隠れするところ。どうにも決まり切った動作やみんなで一斉に動いたりと、美しさではなく窮屈さが画面から滲み出ている。

理屈ではない。映画は感じるものだから、私が感じたことは私にとっては正解なのだろう。他人が何を感じるのかは分からない。それでいい。校庭に砂煙が立つのさえ、しっかりと演出が見えてしまっては、ちょっと興醒めになってしまう。相手が黒澤明監督なのだからそんな贅沢を言っても怒られないだろう。

『彼女が水着にきがえたら』

1989年(平成元年)・日本 監督/馬場康夫

出演/原田知世/織田裕二/伊藤かずえ/田中美佐子/谷啓/伊武雅刀/竹内力/安岡力也/白竜/今井雅之/佐藤允

広告手法の一つで、映画やテレビドラマの劇中において、役者に特定の企業名や商品名(商標)を表示させる手法のことをプロダクト・プレイスメント(Product Placement)というらしいが、バブル景気絶頂期の作品らしく、広告代理店の電通が中心となった企業タイアップが非常に多いのが特徴であるという。

なるほどと頷ける無意味なシーンやカットの連続で、いかにもフジテレビが喜んで作りそうな映画に見える。視聴率3冠王とかいって栄華を極めていたテレビ局も今や落ち目の代名詞みたいなもの。軽過ぎて軽過ぎて反吐が出る。もっとも、後半のどこかからか深い眠りについてしまったので結末がどうなったのかさえ分からないで不満足ではない。

人間というのは環境によってどうにでも生きられるものらしい。悪くはない。お金があればあるように、お金がなければないように、自由に人生を謳歌できた方がいい。なまじ難しい人生を選んだとしても、そんなに一所懸命生きる価値があるはずもない。お気楽に、お気楽に、と天国から声が聞こえてくる。

『ミッション:インポッシブル2』(Mission: Impossible II, M:I-2)

2000年・アメリカ 監督/ジョン・ウー

出演/トム・クルーズ/タンディ・ニュートン/ダグレイ・スコット/ヴィング・レイムス

映画シリーズの2作目、大ヒットしこの年の世界興行で第一位になったという。テレビシリーズのそのテクニックがすごくおもしろかったフェイスマスクをつけて変装し、それを首のあたりからはがして正体をばらすというシーンがやっぱり「スパイ大作戦」だ、と喜んでいる。この映画でも初めと終わりの肝心なシーンに使われている。

ところが、始まって早々に深い眠りに陥ってしまった。今回のミッションが何かを知っての眠りだったので、起き出して先に進んで締まったストーリーを見たが、辻褄は合っていて何の問題もなかった。アクションシーンの連続が終わり頃だった。現実感のないアクションは、ちょっといただけない。

監督ジョン・ウーは中国広州市生まれ、香港育ち。1986年の『男たちの挽歌』は日本ヘラルド映画配給作品。何度も悔しがるが、この映画を当てられなかったことが今でも悔しい。映画が当たるのはいろいろな要素が絡んでいて、ひと言でその成否を云々することは出来ない。製作中は大もめにもめていた製作委員会の毎回の会議だった「南極物語」が、何故あんな大ヒットになったのか誰にも説明はつかない。それでいいのだ。そういう読めないストーリーこそが人間社会の普通の法則だと誰もが認識することの方が重要だ。

『新 居酒屋ゆうれい』

1996年(平成8年)・日本 監督/渡邊孝好

出演/舘ひろし/松坂慶子/鈴木京香/津川雅彦/生瀬勝久/名古屋章/松重豊/大杉漣/鈴木ヒロミツ/根岸季衣

録画が上手くいかなくて1時間53分の上映時間なのに1時間45分くらいで切れてしまった。まぁいいかっ! とこの映画について見たことにしてしまった。たいしたことのない内容なので別に問題はないだろうが、そんないい加減な人生に憧れているので、実践第一号てな感じか。

この頃松阪慶子の出演作品によく出会う。この時44才、まだまだ美しい雰囲気が残っている。太ってからの彼女をテレビ画面で見たのが始まりだったので、彼女の美しさが実感出来ていなかったが、さすがに騒がれるのは納得できると、同じことを何度でも確認する。

最近では心霊スポットをめぐるタクシーツアーもあるらしく、日本人は幽霊大好き人種みたいだ。そんなものが本当にいると信じている人がいるのが信じられない。宇宙人がいるかどうかとは全く次元が違う。どういう教育をされているのだろう。心霊現象なんてあるはずがない。怖いと思うのは暗がりで大きな声が聞こえたり風が鳴ったりするからだ。摩訶不思議な人間心理だが、それも人生の潤いなのか。

『運が良けりゃ』

1966年(昭和41年)・日本 監督/山田洋次

出演/ハナ肇/倍賞千恵子/花沢徳衛/犬塚弘/桜井センリ/穂積隆信/砂塚秀夫/左卜全/藤田まこと/渥美清

最初っから落語のような雰囲気だなぁと思っていたら、天明年間の江戸の貧乏長屋を舞台に、左官で暴れ者の熊と妹おせいの周辺で巻き起こる騒動を描いた人情喜劇。「らくだ」「さんま火事」「突き落とし」「黄金餅」などの江戸古典落語を下敷きにした、山田監督最初の時代劇作品だった。

落語に出てくる長屋の庶民よりちょっとばかり乱暴狼藉の職人達の集まりだ。近江屋の若旦邦七三郎は道楽息子だが、これがいかにも落語に登場する馬鹿旦那で、砂塚秀夫がピッタンコを演じている。彼は今どうしているのだろう。調べてみたら、彼はもう85才、2000年以降は映画もテレビにも出ていないようだ。癖のある役者だが、嫌みの出し方がちょっとばかり洒落ていて、今そんな役者は見当たらない。

向島山谷堀の裏長屋の住人たちは、金はないけど子だくさん、人情はあるけど純情ではない。行き当たりばったりの女郎買いを女房も妹も父親も口に出してなじりはするが、遺法行為だなどとは言わない時代。大らかな世の中が伝わってきてほっとする。どこかの国の馬鹿が言う慰安婦やセックス・スレイブは単なる売春婦の集まりだろう。現在だって政府が公認する公娼制度が世界には存在するのに、何を寝ぼけたことを言っているのだろう。

『ミッション:インポッシブル』(Mission:Impossible)

1996年・アメリカ 監督/ブライアン・デ・パルマ

出演/トム・クルーズ/ジョン・ヴォイト/エマニュエル・ベアール/エミリオ・エステベス

アメリカのテレビドラマ『スパイ大作戦』の映画化作品。テレビで見ていたのはいつの時代だったのだろうか。毎週毎週楽しみにしていたことを覚えている。その後も何度も再放送され、深夜帯に放送された時もよく見ていた。テレビシリーズではピーター・グレイブスが演じたジム・フェルプスの顔が忘れられない。

映画としてバージョンアップした映像は、これまでの知能は集団プラスアクション・チームとなっていく。アクション・シーンは映画の華、回を重ねるごとにその激しさを増していくのは必定か。『ミッション:インポッシブル2』(2000年)『ミッション:インポッシブル3』(2006年)『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』(2011年)、先月の2015/7/31に『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』がアメリカで公開された。

まだアナログチックな映像が残っているこの映画第1作目は今見ても結構おもしろい。トムクルーズの精悍さも絶頂期のようだ。最新作も来年DVD化されたら間違いなく見るだろう。

『火垂るの墓』(Grave of the Fireflies)

2008年(平成20年)・日本 監督/日向寺太郎

出演/吉武怜朗/畠山彩奈/松田聖子/江藤潤/高橋克明/池脇千鶴/原田芳雄/長門裕之松坂慶子

何故か人気のある野坂昭如の短編小説。映画(アニメーション、実写)、漫画、テレビドラマ、合唱組曲などの翻案作品も作られており、特にアニメーション映画は一般的にも人気の高い作品となっている。

1988年のアニメ作品が何度もテレビ放映され、観る機会は多くあったが、アニメだということがあり観る気にはなれなかった。今回の録画は待望の実写版ということで多少の期待があった。私の映画ではなかった。戦火の下、親を亡くした14歳の兄と4歳の妹が終戦前後の混乱の中を必死で生き抜こうとするが、その思いも叶わずに栄養失調で悲劇的な死を迎えていく姿を描いた物語。

戦争の悲惨さを訴えるにはもってこいの題材として取り上げられるのだろう。兄妹、母の死、遠縁の不親切、戦争はいけないとのスローガンが目の前に大きくぶら下がっていて、気持ちが萎える。

『日本のいちばん長い日』

1967年(昭和42年)・日本 監督/岡本喜八

出演/三船敏郎/黒沢年男/佐藤允/笠智衆/山村聰/加藤武/戸浦六宏/江原達怡/石山健二郎/島田正吾/井川比佐志

2015年8月15日(土)、日本における終戦の日から70年目である。創立35周年記念映画と銘打った東宝株式会社製作の映画。昭和20年(1945年)7月26日午前6時、日本はポツダム宣言を知ることとなる。嘘つきソ連の仲介を期待するという決定的な間違いを犯しながら、その日から8月15日正午の玉音放送までの出来事、特に最後の1日に焦点をあてた骨太映画である。

この映画は、大宅壮一の名で発表されたノンフィクション『日本のいちばん長い日』(文藝春秋社、初版1965年)を原作としているが、どの程度事実関係と一致しているのかを知りたいところ。関係者の一挙手一投足をつぶさに見てみたい。今の日本人には、戦争を終わらせることなど到底出来そうもない。「胆力」を強く感じる日本人のありように、驚きを禁じ得ない。おやじに聞いておきたかったことのひとつ。今更ながらではあるが。

太平洋戦争に兵士として参加した日本人 1,000万人(日本人男子の 1/4)、戦死者 200万人、一般国民の死者 100万人、計 300万人( 5世帯に1人の割合で肉親を失う)、家を焼かれ財産を失った者 1,500万人、という数字以上のダメージをうけた日本、日本人が焼け野原から復活したのは、本当に凄いことだ。明治、大正時代に生まれた日本人の底力は驚異的なものだった。

『永遠の0』(映画)

2013年(平成25年)・日本 監督/山崎貴

出演/岡田准一/三浦春馬/井上真央/吹石一恵/風吹ジュン/夏八木勲/橋爪功/山本學/平幹二朗

半年前(2015年2月)にテレビ東京の3日間にわたる7時間10分のテレビドラマを見ていた。同じ内容の物語をもう一度見ようとは思わないのが私の常。なのに今回はとりあえず観てみようとなったのが不思議だった。でも観て良かった。原作を読んだ後に映画を観る心境とは、こんなものなのかもしれない。

作られたのは映画の方が先立った。当然、テレビドラマの製作者は映画の内容を踏まえて作っているのだろう。一番肝心の、物語の中での謎をテレビドラマでは断定的に描いていた。映画版はそこのところをボカしていた。原作はどっちなんだろうと知りたくもあるが、まぁどっちでもいいだろうと深追いしない。

映画の優れたところが少し分かった。「地獄の黙示録」の時に感じた映像の厚みっていうやつを強く感じた。活字を映像化するだけのテレビ画面と違い、映画には画面の深みがある。黒澤明が言ったと言われる、画面に映らない机の後にも張りぼてを使わないことが、その厚みに通じていると信じている。忘れることの得意な自分だが、さすがに半年前のテレビドラマ鑑賞は、今回の映画鑑賞にずいぶんと役にたった。

『社長行状記』

1966年(昭和41年)・日本 監督/松林宗恵

出演/森繁久彌/加東大介/小林桂樹/三木のり平/フランキー堺/司葉子/池内淳子/新珠三千代

『社長シリーズ』第24作。東京~名古屋、そして三重県が舞台。まさしく寅さんと同じご当地映画。ただ、会社関係なので大都市がメインとなっている。気楽な映画は毎日続く酷暑時に見る映画に相応しい。

相変わらずとりとめのない話ばかりだが、こんなもので映画シリーズを製作できた時代がすごい。今回は社長自らが金策に駆け回るという珍しいエピソードが入っている。社長なんて誰がやったって会社に影響しなかった時代が長かった。たいしたことのない才能が社長になって、あまりの切れ者は悲哀を見るというのが、社会の定番だった。

どこへ行っても馴染みの飲み屋・クラブがあるというのはうらやましい。自分の金を使わなくてもいいというばかりではなく、夜の時間に酒をお供に出来ることが羨ましい。しかも馴染みのママさんなんている環境は理想的だ。そうやって今でも接待費をふんだんに使い享楽に明け暮れしている人種がいるのだろう。天罰が子孫にくだらないように。

『ええじゃないか』

1981年(昭和56年)・日本 監督/今村昌平

出演/桃井かおり/泉谷しげる/緒形拳/草刈正雄/火野正平/倍賞美津子/田中裕子/犬塚弘/河野洋平/池波志乃/三木のり平

ええじゃないかは、日本の江戸時代末期の慶応3年(1867年)8月から12月にかけて、近畿、四国、東海地方などで発生した騒動。「天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ。」という話が広まるとともに、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊った。その目的は定かでない。囃子言葉と共に政治情勢が歌われたことから、世直しを訴える民衆運動であったと一般的には解釈されている。これに対し、討幕派が国内を混乱させるために引き起こした陽動作戦だったという説がある。岩倉具視の岩倉公実記によると、京の都下において、神符がまかれ、ヨイジャナイカ、エイジャナイカ、エイジャーナカトと叫んだという。八月下旬に始まり十二月九日王政復古発令の日に至て止む、とあり、明治維新直前の大衆騒動だったことがわかる。また、ええじゃないか、の語源は、京の都下で叫ばれた言葉であったようだ。 ~ Wikipediaより

映画の冒頭クレジットには慶応2年江戸・東両国と記載されている。物価がどんどん高くなっていき、時代の変わり目を庶民も感じ始めている。その割りには江戸庶民は享楽に明け暮れている。江戸時代の大らかな人心の一端が描かれている。

だらだらと2時間31分、とりとめもなく映画は流れる。悪くはないが、ちょと苛つく。明治維新に向かう幕末の出来事が多すぎて、あっちもこっちもと描き過ぎているのかもしれない。製作費が結構高かったのではなかろうかと余計な心配をする。

『オペラ座の怪人』(The Phantom of the Opera)

2004年・アメリカ/イギリス 監督/ジョエル・シュマッカー

出演/ジェラルド・バトラー/エミー・ロッサム/パトリック・ウィルソン/ミランダ・リチャードソン

ガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』の映画化だが、アンドルー・ロイド・ウェバーのミュージカルの映画化という言い方の方が正解。どこから書いたらいいのか分からないくらい、この映画というかこの物語には思い入れがある。ミュージカル大嫌いの自分が、これほどまでに好きな音楽もないであろう。

そう、物語ではなく音が好きなのだ。しくしくと胸が痛み、高鳴るのは何故だろう。劇団四季の学芸会的舞台を何度も見た。当時、いろいろと事情があって券の入手が容易だった。というか無料で貰ったことが何度もあって、いっぱしの通みたいな顔をして劇場に行ったのだった。勿論ロンドンの本場の舞台をその十数年後にも観ている。

まだ珍しかったFLASHメモリーにMP3化した音楽を入れて、楽しんでいた。娘達もおそらく覚えていてくれているだろう。ロンドンでは何本かのミュージカルを観たが、これほど楽しかった舞台は最初で最後。途中で退席したり眠ったりするのがオチだったのに。こんな音楽を生み出すアンドルー・ロイド・ウェバーは天才に違いない。

『宮本武蔵』

1973年(昭和48年)・日本 監督/加藤泰

出演/高橋英樹/田宮二郎/倍賞美津子/松坂慶子/笠智衆/細川俊之/佐藤允加藤嘉/加藤武/穂積隆信/戸浦六宏

原作は吉川英治。珍しく読んでいる「本」の1冊。「第一部・関が原より一条下り松」と「第二部・柳生の里より巌流島」になっているが、いずれも宮本武蔵の誕生やお通との情愛に行き着くくだりが上手く描かれていない。何故宮本武蔵が強いのか、何故お通が好きなのか、消化不良。

高橋英樹は29才、若い。将棋の駒のような顔形になってしまった現在に比べれば、はるかにきりりと引き締まったいい顔をしている。仕方がないか。倍賞美津子もきりりと引き締まっている。活字で読む物語は創造性に富み、無限の世界が出現する。映像の限界は宿命かもしれない。

巌流島の戦いが意外を超えた短さで決着する。延々とチャンバラシーンを見せつけられるだろうと思っていたので、かなり拍子抜けの様相。意地悪婆さんをずーっと登場させていた意図が良く分からない。活字で読んだ方が想像力が湧く。最後まで男と女の描き方がいまいちだった。

『大列車強盗』(The Train Robbers)

1973年・アメリカ 監督/バート・ケネディ

出演/ジョン・ウェイン/アン=マーグレット/ベン・ジョンソン/ロッド・テイラー

1907年5月生まれのジョン・ウェインがなんと65才の1973年2月に公開されている。撮影は前年だったろうが、いずれにしてもほとんど今の私の歳に西部劇の主演を張っているのが凄い。さすがに3年後の1976年が最後の出演作品になっている。

大列車強盗の題名だけは何度も聞いていたが、その作品がこれだったのかどうかは定かではない。1903年に作られた『大列車強盗』は、この作品以前に作られていたという西部劇作品は現存していないため、この作品は初の西部劇または西部劇の元祖として認知されているという。

映画はおもしろい。元軍隊の上官と部下2人が西部劇の主人公になって、その人生を語っていく。軽妙なタッチがいい。日本映画はこういう描き方を真摯に学ばなければならない。最後にオチがあり、さすがアメリカ映画と唸らせる。自分が監督できたとしたら、こういう映画を作ってみたい。

『世界で一番パパが好き!』(Jersey Girl)

2004年・アメリカ 監督/ケヴィン・スミス

出演/ベン・アフレック/リヴ・タイラー/ジョージ・カーリン/ラクエル・カストロ

こういう邦題でおもしろい作品を想定するのは困難だ。どこかおもしろいところがあったとしても、これから見ようとする観客に訴えるものははかることが出来ない。題名だけの問題でもなさそうだった。第25回ゴールデンラズベリー賞という最低映画賞の最低主演男優賞と最低助演女優賞と最低スクリーン・カップル賞にノミネートされたという。

気楽に何も考えずに垂れ流し的に見るのなら、そんなに文句を言うほどでもない。むしろ、くっだらないテレビドラマの替わりに、ゴールデンタイムで吹き替え版を流してあげれば、そこそこ以上の視聴率と拍手が来るだろう。

結婚して1年、第1子の誕生と引き替えに亡くなってしまった妻。こんな状況だったら、立ち直るのは不可能に近い。しかも生まれたばかりの子供の子育てをどうしたらよいのか、人生とはこんなにも試練を与えるのだろうか。自分の人生にはそんな波瀾万丈はなかったことが幸いだったのか。

『アルバレス・ケリー』(Alvarez Kelly)

1966年・アメリカ 監督/エドワード・ドミトリク

出演/ウィリアム・ホールデン/リチャード・ウィドマーク/ジャニス・ルール/パトリック・オニール

1984年アメリカは南北戦争のまっただ中、主人公は北軍と契約、牛2500頭をメキシコからリッチモンドまで運ぶ仕事を請け負った。戦争を戦うのは人間や兵器だが、もっとも大切なことは食料を確保することである、というのは戦場での常識のようだ。いざ目的地に着いてみると、そこは南北戦争の最前線、すぐにコンタクトしてきた南部軍から、今度はその牛を盗んで南部軍にもってきてくれという依頼が入る。

男同士の会話『金と酒と女、それだけが人生なのか?』 男と女の会話『君ほど情熱的で美しい人が正直なのは珍しい』 映画は戦場だけではない南部コミュニティーを映し出す。

『日本のように何もない部屋』と女性が説明する。1860年代に日本のことをこんな風に言うわけないが、この映画の製作された東京オリンピック1964年頃には、日本のことも少しは気になる存在になっていたのかもしれない。最近の映画でも、日本や日本人のことがさりげなく取り上げられているシーンがある。正確な描写ではない分、ちょっと複雑ではあるが、悪くない気持ち。

『ベスト・フレンズ・ウェディング』(My Best Friend's Wedding)

1997年・アメリカ 監督/P・J・ホーガン

出演/ジュリア・ロバーツ/ダーモット・マルロニー/キャメロン・ディアス/ルパート・エヴェレット

アメリカの軽いコメディー映画であることは、題名からも察しがつく。見事なまでのおもしろくなさで、これじゃそこらのテレビドラマや日本映画とちっとも変わらないじゃないの、と文句を言いたくなる。それにしても高いギャラを払ってこれだけの役者を揃えてこんな映画じゃ。

アメリカ映画の日常生活でかわされる会話の中で、お互いに平気で嘘をつくシーンが多いのが気になる。その嘘がもとで大事件が発生するわけでもなく、何気なく流されるシーンであるが故に、よけい気になる。おそらくそういったシーンが現実にもたくさんあるに違いない。気楽な冗談だよ、という雰囲気にも取れるが、嘘を平気で言う神経がどうにも理解できないのだ。

日本人だってそんな人はたくさんいるだろう。嘘を言って自分が有利になるようにしたい人が大半なのだろう。正直にあるがままに対応して、相手から責められても、自分がいかに不利になっても仕方のないこと。神に唾する行為を繰り返して人生を生きている人には、そんなことは些細なことで気にすることもないよ、と毎日をおくっているような気がする。嘘は泥棒の始まり、と小さい頃には社会が口を酸っぱくして教えていた。

『コンテイジョン』(Contagion)

2011年・アメリカ 監督/スティーブン・ソダーバーグ

出演/マリオン・コティヤール/マット・デイモン/ローレンス・フィッシュバーン/ジュード・ロウ

Contagion:1.(病気の)接触伝染;感染. ⇒INFECTION 1 spread by contagion(病気が)伝染していく。2.接触伝染病(菌)。3.(思想・感情などの)伝播(でんぱ)、伝染。感化[影響]。悪影響;(道徳的)腐敗。

いわゆるパンデミックをテーマとした映画。香港からアメリカ人女性と日本人男性が病原体となって、またたく間に世界中に伝染していく様子が映し出される。どこから発生したものなのかが分からず、ワクチンが出来なく、世界中が混乱する。事態は緊張感いっぱいなのだが、見えない病原体なので、その緊迫度が伝わり難い。結局同じことの繰り返し画面を見せられているようで、正直おもしろいとは言えない。

マット・デイモンがちょっと太めの普通のお父さん役で、少し不思議な感じ。彼はやっぱり緊張感溢れる、生と死の狭間で活躍する役がよく似合う。日本映画でもこんな映画があったが、緊張感の伝わらない同じような雰囲気だったことを思い出す。意外とおもしろくない共通点は同じものだった?

『誰よりも狙われた男』(A Most Wanted Man)

2014年・イギリス/アメリカ/ドイツ 監督/アントン・コルベイン

出演/フィリップ・シーモア・ホフマン/レイチェル・マクアダムス/ウィレム・デフォー

『2001年9.11テロ首謀者モハメド・アタは ドイツのハンブルクで犯行を計画 だが情報機関は察知できなかった 現在ハンブルクでは各国の情報機関が 前轍を踏むまいと躍起である』と、映画は始まる。ロシア人の父とチェチェン人の母を持つ一人の青年がハンブルクに入った時にこの事件が始まった。

地元のテロ対策局は存在しているけれど、誰にもその存在が知られていない機関。憲法に反することは出来ないはずだが、それをも超越する権力も有するという機関だ。但し、警察権力やアメリカのCIAまでもがテロリストを検挙する競争に加わっている。不思議な相関関係が、ちょっと複雑。

小さな芽を摘んでしまえばそれで解決というわけではない。むしろ小さな芽から大きな幹へと繋がる木を伐採したいと願うのがテロ対策局。一人の人物を幾つもの情報機関が監視している。どっちの権力が彼を捕まえるかで、その後の世界テロ情勢も変わってくる。緊迫の諜報合戦が意外な結末へと続いていく。日本の映画では決して描けないシーンの連続が。


2018年11月29日再び観たので記す。

『誰よりも狙われた男』(A Most Wanted Man)

2014年・イギリス/アメリカ/ドイツ 監督/アントン・コルベイン

出演/フィリップ・シーモア・ホフマン/レイチェル・マクアダムス/ウィレム・デフォー/ダニエル・ブリュール

先日、フィリップ・シーモア・ホフマンの最後の主演作品というのを観たばかりだった。相変わらずその題名すら覚えていないが、この俳優の顔を見れば、ほとんど忘れることがないインパクトがある。

主人公はドイツのテロ対策チームのリーダー、アメリカの9.11事件の犯人が直前に滞在したのがドイツだったということで、それ以来ドイツはテロ防止の拠点となっていた。ハンブルグという地名は知っているが、ドイツそのものに行っていない。オーストリアと共に、いつでも行けると思っていた油断が今まで続いている。そういえばハワイもそうだった。ちょっと途中下車すればいいだけのことだからと、あとあとにとっておいたのがいけなかった。

油断大敵、鉄は熱いうちに打て、すこし意味は違うが、時を外してはダメだという戒めだろう。自分の人生を振り返ってみれば、時を外してばっかりだった。気が付いた時には、もう10年前のことばかりだったような気がする。幼い心と知識の拙さが、ようやく開花する頃にはとうの昔の話になっていることばかり。そういえば中学生のころだったか、「大器晩成」と卒業の時に先生に贈られた言葉があった。大器でもなく晩成もしていないのが現状だが。

『ダラス・バイヤーズクラブ』(Dallas Buyers Club)

2013年・アメリカ 監督/ジャン=マルク・ヴァレ

出演/マシュー・マコノヒー/ジェニファー・ガーナー/ジャレッド・レト/マイケル・オニール

1992年に『ダラス・モーニングニュース』の記事で取り上げられたロン・ウッドルーフ(主人公)の実話が基となっている。

1985年ダラス、電気技師でロデオ・カウボーイのロン・ウッドルーフは「エイズで余命30日」と宣告される。当時まだエイズは「ゲイ特有の病気」だと一般的には思い込まれており、無類の女好きであるロンは診断結果を信じようとしなかったが、詳しく調べるうち、異性との性交渉でも感染することを知る。しかし友人や同僚たちに疎んじられ、居場所を失ってゆく。治療薬のAZTは、当時臨床試験が開始されたばかりだった。AZTの存在を知ったロンは主治医のイヴ・サックスに処方してくれと迫るが、イヴは藁にもすがりたい患者の思いを知りつつも、「安全性が確認されていない薬を処方することはできない」と突っぱねる。その治験に協力していたのが、トランスジェンダーのレイヨンだった。 ~ Wikipediaより

ジドブジン (zidovudine, ZDV) は、核酸系逆転写酵素阻害薬の一種で、HIV の治療薬として用いられる。別名は アジドチミジン (azidothymidine, AZT) 。商品名はレトロビル (Retrovir) 。アメリカ食品医薬品局(Food and Drug Administration; FDA)が認可しなければ、アメリカでは薬として使えない。認可事業の裏には製薬会社の思惑が強く渦巻いていることが告発される。それでも法律の基という社会は、毒性が強くても認可したものを是とする悪弊がはびこっている。

『チョコレートドーナツ』(Any Day Now)

2012年・アメリカ 監督/トラヴィス・ファイン

出演/アラン・カミング/ギャレット・ディラハント/アイザック・レイヴァ/フランシス・フィッシャー

「1970年代のニューヨークのブルックリンでゲイの男性が育児放棄された障害児を育てた」という実話に着想を得て製作された映画。こう書いてしまうと簡単だが、現実はそんなに簡単ではない。まだアメリカでさえ市民権のなかったゲイという関係は、社会生活にさえも支障を生じていた。

そんな主人公のひとりが偶然にパートナーを見つける。相手は地方検事局の検事。ゲイだと分かればさっさと首にされた時代で、彼も時間を経てそうなった。そんなふたりが偶然に出会った14才の少年、彼はデブで背が小さく、ダウン症で知的障害も持っている。しかも母親は麻薬容疑で逮捕され、ひとりぽっちになっていた。アメリカの凄いところは、母親が逮捕されたら、すぐに関係役所が彼を施設に収容してしまうのだ。横の連絡がない日本ではあり得ない行動の速さだ。

そんな少年と触れあい、心から彼を守ってやるんだと、ゲイの二人は考えられないような素早さで少年を自分たちの近くで育てようとする。すぐにでも手を差し伸べなければ、彼が可哀想だというのだ。そこら辺にいる普通すぎる男や女より、このゲイのカップルは遙かに人間的で、映画を見ていてさえこちらの方が恥ずかしくなってくる。ただ現実は厳しい。この時代のゲイのカップルでは少年を守れる法的根拠がとぼし過ぎるのだった。「この世に正義はないのか」とカップルの片方が叫ぶが、敢えて依頼した黒人弁護士は言う、「そんなことは法律を勉強し始まった時の最初に教わったことだろう」、と。あれから35年、ゲイ(同性愛者)の人権は飛躍的に進化した。気持ち悪いと思っていた男二人の関係でさえ、ま~いいか!と気持ち悪がることもなくなってきた。人間の進歩とはこういうことも指すのだろうか。

『大いなる勇者』(JEREMIAH JOHNSON)

1972年・アメリカ 監督/シドニー・ポラック

出演/ロバート・レッドフォード/ウィル・ギア/ステファン・ギーラシュ/アリン・アン・マクレリー

1850年代の西部を舞台に、ロッキー山中で猟師となる事を決意した男ジェレマイア・ジョンソンの苦闘の日々を描く。大自然の猛威やインディアンの襲撃も乗り越え、たった一人で戦い続けるジョンソンにやがて家族らしきものができていく……。雄大な大自然をバックに、自然と人間の調和、人間と人間の調和を静かに説いた傑作。 ~ allcinemaより

実在の主人公ジョン・"リヴァー・イーティン"・ジョンスン (John "Liver-Eating" Johnson, およそ1824年~1900年1月21日) はアメリカ西部のマウンテンマンとしてアメリカ人には有名らしい。彼のネイティブアメリカンの妻は1847年にクロウ族のメンバーによって殺されたと言われていて、ジョンソンはその後20年以上続くクロウ族に対する個人的な報復の戦いにとりかかった。伝説では、殺されたそれぞれの男性の肝臓を切り取って食べたなどと言われるが、これは一度だけ、肝臓を食べる振りをしただけという可能性がかなり高い。いずれにしても彼は最終的にリヴァー・イーティン(肝臓食い)として知られるようになったという。

ロバート・レッドフォードがひげもじゃの顔でこの山男を演じている。優男のイメージの彼だが、何の違和感もなく野生児をなんなく演じている。どうして厳しい山の中での放浪生活をしたかったのかの動機が分からないが、そういう人種もいることは理解できる。都会に住んで「ウォシュレット」がなければ生活出来ない心と身体になってしまった私なぞ、1日たりとも野宿などとうてい考えられない。

『サンダーボルト』(Thunderbolt and Lightfoot)

1974年・アメリカ 監督/マイケル・チミノ

出演/クリント・イーストウッド/ジェフ・ブリッジス/ジョージ・ケネディ/ジェフリー・ルイス

マイケル・チミノ監督は著名な監督だが『ディア・ハンター』(The Deer Hunter・1978年)を作った監督だとは知らなかった。もともと監督や俳優の名前を覚えないことを得意としているが、せめてこれくらいのことは知っていたかった。著名の監督の割には寡作な映画監督である。偉大なる愚作と評された『天国の門』(Heaven's Gate・1980年)の祟りが大きいのかもしれない。

この映画の題名サンダーボルトは主人公の名前、原題にあるライトフットも相棒の名前。銀行強盗をする主人公は、今どきならヒーローとは呼べないが、この時代にはこの程度のワルをやらなければ、逆に映画の中でのヒーローにはなれなかった。

クリント・イーストウッドはこの時44才、この後の映画で見る彼の顔は一向に変わらない。不思議な顔を持つ俳優だが、なんとも魅力に溢れた俳優だ。そして彼自身もマイケル・チミノよりもはるかに凄い映画監督になっていくのだった。

『アバウト・タイム~愛おしい時間について~』(About Time)

2013年・イギリス/アメリカ 監督/リチャード・カーティス

出演/ドーナル・グリーソン/レイチェル・マクアダムス/ビル・ナイ/トム・ホランダー

私の大好きな映画『ラブ・アクチュアリー』(Love Actually・2003年)が同じ監督によって作られていた。まだ見たことはないが『パイレーツ・ロック』(The Boat That Rocked・2009年)との長編3本で映画監督を引退すると表明しているらしい。

主人公の家に伝わる秘密~男はタイムトラベルが出来る。21才になった主人公が父親から聞かされた。自分だけの過去に戻れるという。未来には行けない。そうして父親も自分の人生を何度も繰り返し生きてきたという。そのあたりの映像化が実に巧みに描かれている。時には今がいつの時なのかさえ分からなくなる。

寝る前に今日の朝に戻り、また1日をやり直せたら。そんな夢のような事が出来たらどうなるのだろうか。映画はどうやって結末を迎えるのだろうかと、久しぶりにそのことだけを考えながら観ていた。主人公の出した答えはある意味当然と言ってしまえば当然のはなし。実際には出来なくても、そう考えてその場を瞬時に判断できれば、やり直しも必要なくなるかもしれない。どこかでそうしてきたつもりがあったが、いつの間にかそんなことを忘れて凡人になってしまったような気がする。それはそれで、悪くはないが。

『ゴーン・ガール』 (GONE GIRL)

2014年・アメリカ 監督/デヴィッド・フィンチャー

出演/ベン・アフレック/ロザムンド・パイク/ニール・パトリック・ハリス/タイラー・ペリー

この題名はどういう意味なのだろうと考えていた。映画を観て、『去って行った女』とか『行ってしまった女』という意味でいいんだろうな、と思えたが。思いがけずおもしろかった。今回借りてきた10枚のDVDは今のところ「当たり」。

女は怖い、と思わせる内容。怖いのは女だけではないはずなのに、どうして女は怖いという文句が一人歩きするのだろうか。古今東西、太古の昔から女の方が賢くて世渡りがうま過ぎるのだろう。嘘を言ったって、男の嘘みたいにそんなに簡単に見破られない。ちょっと腰を振ってみれば、何人もの男がついてくる。そういう歴史的な女の存在そのものが嘘の塊みたいなもの。

騙されたっていいや、と男はいつも思う。騙すより騙された方がいい。好きになられるより好きになった方がいい。と教えられて育つ男心は、純粋過ぎて今の時代に合わない。思い切って詐欺師のような人生を歩もうと目標を変えなければ、百戦錬磨の女どもに太刀打ち出来る訳がない。


2021年2月1日再び観たので記す。

『ゴーン・ガール』 (GONE GIRL)

2014年・アメリカ 監督/デヴィッド・フィンチャー

出演/ベン・アフレック/ロザムンド・パイク/ニール・パトリック・ハリス/タイラー・ペリー

女は怖い。と一言で表せるような物語。男だって怖いはずだが、女の執念とその実行力には頭を下げるしかない。2時間29分という上映時間の間、気弱な男である私はあらぬ女の憎しみを一身に受けているのではなかろうかと、過去の事象に照らし合わせて苦しみながら映画を観る羽目に陥った。。

父親が書いた児童文学の主人公として娘である主人公は「完璧なエイミー」として成長して行った。完璧でなくてはならない心のうちは、結婚してからも変わろうはずもなく、普通の夫婦のように心がはなれていく自分たちの関係に我慢が出来なくなっていく。完全犯罪のように自分が失踪して夫を殺人犯に仕立て上げる計画は、実に思い通りに進行して行く。怖いですね~。神のみぞ知る真実と、表面的な夫のダメさ加減は格好のマスコミの餌食となってしまう。怖いですね~。

アメリカ映画らしく、結論を急ぐことはない。この夫婦がどうなって行くのかは観客が考えてくれ、と投げられて、戸惑うばかり。他人には絶対分からない夫婦関係の真実、夫婦喧嘩は犬でも食わないと称されるその実態は、極く極く普通の人間生活だろう。ただ、小さい頃からちやほやされて育った女の満足を満たすことは、普通の男には叶わぬことだったと気づくのが遅すぎた。怖いですね~。おもしろかった。

『トランセンデンス』(Transcendence)

2014年・イギリス/中国/アメリカ 監督/ウォーリー・フィスター

出演/ジョニー・デップ/レベッカ・ホール/ポール・ベタニー/ケイト・マーラ

ジョニー・デップが主人公の映画だったとは。何の情報もなく手にしたDVD、いざ再生という段階になってようやく出演者が分かる。SFっぽいなぁと想いながら選んだ1本であることは確か。先日観た『インターステラー』もそうだったが、未来に対する卓越した発想力が凄い。

世界初の人工知能PINNを研究開発するコンピューター科学者の主人公とその妻は、コンピューターが人間の能力を超えることができる世界を構築する為の技術的特異点を目標に活動していた。しかしそのさなか、主人公は反テクノロジーを唱える過激派テロ組織の凶弾に倒れてしまう。妻は夫を救うべく、死の際にあった主人公の意識を人工知能にアップロードする。彼女の手により人工知能としてよみがえった主人公は、軍事機密から金融、経済、果ては個人情報にいたるまで、ありとあらゆる情報を取り込み、驚異の進化を始める。やがてそれは、誰も予想しなかった影響を世界に及ぼし始める。 ~ Wikipediaより

AI(Artificial Intelligence)人工知能は自我を持つことが出来るか。ということが研究のテーマのようだ。人間がプログラミングした「機械」が意志を持つようになることはあり得ない。たとえそれが意志のように見えたとしても、それはあくまでも人間が考えた道筋の結果なのだ。ロボットが人間を支配するようになるなんて心配する必要はない。それまでには人間が地球からいなくなるだろう。

『マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと』(Marley & Me)

2008年・アメリカ 監督/デヴィッド・フランケル

出演/オーウェン・ウィルソン/ジェニファー・アニストン/エリック・デイン/キャスリーン・ターナー

おちゃらけた邦題から期待が薄かったが、思いがけない気楽な映画だった。犬が主役になると、どうしても犬中心の映像になりがちだが、この映画はあくまでも犬は脇役に徹しているところがいい。マーリーという主役犬を22匹の犬が演じたという。

犬と一緒に暮らしている人が観れば、また感じるものは大きくなるだろう。夫婦という社会生活のひとつの形態を、犬の生活と共に描いている。人間との触れあいシーンは必要最小限にとどめ、どちらかというと一人の男、一人の女の考え方や生き方を軽妙なタッチで映像化している。

計画的に結婚、出産、離職をしてきた妻だが、3人目の子供は予定外だったらしい。そういう風に、生きて行くことが人生だと犬が教えてくれるわけではない。犬が教えてくれることは何もない。ただひたすらに言うことを聞かないで、自由気ままに夫婦と子供と生活しているだけだ。そんな犬にも寿命が訪れる。こういう別れがあるから動物を飼わないという人もいる。確かに遠くの親戚より近くの他人、と同じような意味でも、一緒に暮らしている動物がいかに自分にとって大切なものかは、想像以上のものであることは理解できる。

『遠すぎた橋』(A Bridge Too Far)

1977年・イギリス/アメリカ 監督/リチャード・アッテンボロー

出演/ロバート・レッドフォード/ジーン・ハックマン/マイケル・ケイン/ショーン・コネリー

豪華俳優陣が目を見張る。上記の他に、アンソニー・ホプキンス、ライアン・オニール、エリオット・グールド、ジェームズ・カーン、ローレンス・オリヴィエなどが出演している。

ノルマンディー上陸作戦から3ヶ月後の1944年9月、潰走するドイツ軍を追撃していた連合国軍の補給線は600キロにも伸びきってしまった。連合国軍は戦力を二分し、パットン将軍率いるアメリカ第3軍は南方ルートで、モントゴメリー元帥率いるイギリス第21軍は北方ルートで進軍していたため、どちらの補給を優先するかの問題も浮上していた。シチリア上陸作戦以来、パットンに強いライバル心を抱いていたモントゴメリーは、後の歴史家にモントゴメリー最大の汚点と言われる「マーケット・ガーデン作戦」を立案、連合国軍最高司令官アイゼンハワー将軍を説得する。アイゼンハワーは政治的配慮から、結局この無謀な作戦を承認する事となる。 この作戦は、3個空挺師団(英第1(英語版)、米82、米101)と1個空挺旅団(ポーランド第1(英語版))が敵中深く降下し(マーケット作戦)、ベルギー・オランダ間の5つの橋を占領、橋頭堡を築くことで機甲軍団(英第30)が駆け抜けて(ガーデン作戦)、一気にライン河を渡りオランダを解放。ドイツの喉元にクサビを打ち込んでベルリンに侵攻し、クリスマスまでには戦争を終らせるという思惑だった。 連合軍は、天候や情報の錯綜に苦しめられながらも、第3の橋の占領まで成功する。しかし、第4の橋の攻略の頃から、作戦の無謀さが露呈し始め、戦闘は悲惨さを増していく。 ~ Wikipediaより

撮影規模が非常に大きくなり、予算の増大を招き、多数の超大物俳優の出演料と共に本作の制作費を当初の予定から大きく超過させたという。『黒澤明監督・乱』は6億5千万円ほど予算をオーバーし、その超過分だけ損をした。

『エヴァの告白』(The Immigrant)

2013年・アメリカ/フランス 監督/ジェームズ・グレイ

出演/マリオン・コティヤール/ ホアキン・フェニックス/ジェレミー・レナー/エレーナ・ソロヴェイ

1921年のニューヨーク。ポーランドから移民としてアメリカに入国した敬虔なクリスチャンの女性エヴァは、同行していた妹マグダが入国審査で結核と診断されて収容されてしまった上、頼りにしていたニューヨーク在住の叔母からの迎えがなかったために、強制送還されそうになる。そんなエヴァを興行師のブルーノが救い出すが、彼は裏で売春を斡旋していた。

原題がまったく反映されない邦題では、映画の肝心な背景が見えなくなって、まったく感心しない。1914年6月のサラエボ事件をきっかけに始まった第一次世界大戦は1918年の11月まで続いた。両親を戦争で失った姉妹がアメリカに夢と希望を求めて辿り着いたことすら奇跡だったのかもしれない。

アメリカだって決して裕福ではなかった。金の力で移民局の職員を買収することも容易かった。おりしも1920年から1933年まではアメリカの禁酒法の時代、警察、マフィア、公権力を巻き込んで、混沌とした時代であった。そんな背景がこの映画の暗い画面を如実に現している。

『あなたを抱きしめる日まで』(Philomena)

2013年・イギリス/アメリカ/フランス 監督/スティーヴン・フリアーズ

出演/ジュディ・デンチ/スティーヴ・クーガン/ソフィ・ケネディ・クラーク

恋愛映画をかるく観ようと思って手にしたDVDだった。まったく違う内容に期待外れを超えた満足感があった。イギリス系の映画には欠かせないジュディ・デンチが、さすがにいい。原題のフィロミナは主人公の名前、こんな邦題で台無しになってしまう映画が可哀想。

もう一人の主人公が彼女に初めて会った時の会話で『あなたの出身はオックスブリッジ?』という言い方が出てきた。オックスフォードまたはケンブリッジ?ということをこんな風に言っているらしかった。おもしろい。冒頭には『INSPIRED BY THE EVENTS』字幕には『事実に基づく物語』とあるが、ちょっとニュアンスが違うだろう。

『仕合わせな者には神は必要ない』というセリフが出てくる。欧米人はみんなクリスチャンで神を信じている、と思いがちな日本人の偏見がある。映画で見る限り、教会に行く人でさえ神を信じないアメリカ人がいることを時々教えられる。それはそうだよね、それが自然で当たり前の世界だと、ちょっと安心する気持ちがある。

『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』

1981年(昭和56年)・日本 監督/山田洋次

出演/渥美清/松坂慶子/倍賞千恵子/前田吟/吉岡秀隆/下條正巳/笠智衆

『男はつらいよ』シリーズの27作目。松坂慶子29才、彼女が女優としてもて囃された訳が、少しだけ分かったような気がする。こんなに痩せていて綺麗な顔をしていたことが想像出来なかった。着物姿もなかなかいい。認識をあらためなければいけなくなった。

男はつらいよシリーズをこんな風に気楽に観る時代が来るとは思わなかった。だって、若い頃にはこのシリ-ズの内容なんて自分の笑いのツボに全く入っていなかったんだ。ここ数年で気持ちが変わってきた。

たくさんの映画を観るようになってから変わった。ということを考えれば、至極当然のことなのかもしれない。本当に、ホントにつまらない日本映画を観ていると、男はつらいよがどれだけおもしろいのか、という風になってしまうのだ。それと、歳をとったせいもあるな。とてつもなく涙もろくなったこの頃、この映画に涙する自分の姿が脆い。

『クレージー作戦 くたばれ!無責任』

1963年(昭和38年)・日本 監督/坪島孝

出演/植木等/ハナ肇/谷啓/犬塚弘/安田伸/桜井センリ/石橋エータロー/浜美枝/藤山陽子/北あけみ/淡路恵子

クレージーキャッツの映画も結構多い。他愛もないギャグの話で映画を製作していた勇気を誉めなければいけない。さすがに上映時間が1時間32分とは、身の程を知っている映画製作者と言うことが出来よう。

大東京商事の畑中社長役で出演している上原謙は「二枚目ばかりやらされて、うんざりしてたんだ」と坪島監督に語り、チョビ髭をつけての喜劇映画への出演を楽しんでいたという。いわゆるズーズー弁でのセリフも上原からの提案で、「ズーズー弁でやらせて欲しい」との希望があったという。

会社内のエレベータを降りる時、専務がエレベーター嬢のお尻をさわるシーンが出てくる。この時代なら当たり前のようなシーンでも、今では映画ですら憚られるシーンとなってしまった。当然よ!と女性陣には怒られそうだが、それくらいいいじゃないの、と思うのは男の勝手に違いない。

『インターステラー』(Interstellar)

2014年・アメリカ/イギリス 監督/クリストファー・ノーラン

出演/マシュー・マコノヒー/アン・ハサウェイ/ジェシカ・チャステイン/ビル・アーウィン

近未来SF。観ていて難しい。重力場と時間、特殊相対性理論(ウラシマ効果)、特異点、ニュートン力学、スイングバイ航法、漆黒の宇宙空間、音の伝達、運動の三法則などと言われても、想像力がかき立てられない。けど、結構おもしろい。五次元空間を映像化するなんて、素人にはとてもじゃないけど評論できない。監督が凄い。

そうか、今や映画館は3Dがメインか。それなら話が分かる。宇宙空間やどこかの星でのアクション、目まぐるしく変化する映像は録画したテレビ画面で見るには相応しくはない。撮影にはアナモフィック35mmとIMAX70mmフィルムが遣われた。

今度の地球崩壊は - 地球規模の植物の枯死、異常気象により、人類は滅亡の危機に晒されていた。何処までが近未来か分からないが、地球が何らかの形でなくなってしまう危機は、映画のテーマとしてまだまだ語られ続けるだろう。本当にそんな時が来ることは、想像出来るはずもないが、この目で見てみたいという欲望だけが受け継がれていくかもしれない。

『極道の妻たちII』

1987年(昭和62年)・日本 監督/土橋亨

出演/十朱幸代/かたせ梨乃/木村一八/竹内力/光石研/柳沢慎吾/藤奈津子/戸恒恵理子/佐川満男/安岡力也

ばらばらと観ていると、何が何だか分からない人間関係。この映画は第二弾なので、第一弾の内容が分からなくても、なんとかついて行けた。十朱幸代の親分の女房ぶりがいけてる。東映のドル箱となったこの作品は、数多く作られている。

極道の妻たち(1986年)、極道の妻たちII(1987年)、極道の妻たち 三代目姐(1989年)、極道の妻たち 最後の戦い(1990年)、新極道の妻たち(1991年)、新極道の妻たち 覚悟しいや(1993年)、新極道の妻たち 惚れたら地獄(1994年)、極道の妻たち 赫い絆(1995年)、極道の妻たち 危険な賭け(1996年)、極道の妻たち 決着(けじめ)(1998年)、以降ビデオ・シリーズ作品、極道の妻たち 赤い殺意(1999年)、極道の妻たち 死んで貰います!(1999年)、極道の妻たち リベンジ(2000年)、極道の妻たち 地獄の道づれ(2001年)、極道の妻たち 情炎(2005年)、極道の妻(つま)たち NEO(2013年)、と続いた。

リアルタイムでも、劇場でも観たことはないが、今度生まれ変わったら、こういう映画が公開されるたびに映画館で観ることを楽しみにしているような人生もいいなあ、と思えるようになってきたこの頃だ。

『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』(Inside Llewyn Davis)

2013年・アメリカ/フランス 監督/ジョエル・コーエン/ イーサン・コーエン

出演/オスカー・アイザック/キャリー・マリガン/ジョン・グッドマン/ギャレット・ヘドランド

兄のジョエルは1954年、弟のイーサンは1957年生まれ。少年時代から兄弟は読書や映画鑑賞を趣味としていた。ジョエルが貯めたお金で8ミリ映画撮影用機材を購入し、近所で仲間を募って映画を撮り始めたこともあった。ジョエルはニューヨーク大学で映画製作を学ぶ。一方イーサンはプリンストン大学で哲学を学んだ。ニューヨーク大学を卒業後、ジョエルはアシスタントとして映画やミュージック・ビデオの製作現場で働くようになる。ジョエルは映画監督のサム・ライミと知り合い、彼が監督したホラー映画『死霊のはらわた』(1981年)の編集助手となった。2012年現在でもライミは、コーエン兄弟の友人として公私共に親密な交際を続けている。

プリンストン大学を卒業したイーサンが、ジョエルの住むニューヨークを訪れる。兄弟は共同で脚本の執筆を開始、後にそれを彼ら自身の手で映画化した処女作『ブラッド・シンプル』(1984年)を発表する。『ブラッド・シンプル』は低予算での製作ながら、完成度の高いスリラー映画として好評を博した。この作品で兄弟はインディペンデント・スピリット賞の監督賞を受賞し、一躍インディペンデント映画界で注目される存在となる。その後兄弟はハリウッド大手スタジオの20世紀フォックスと契約する。そして20世紀フォックスからのバックアップを受けて『赤ちゃん泥棒』(1987年)、『ミラーズ・クロッシング』(1990年)、『バートン・フィンク』(1991年)といった話題作を次々に公開する。特に『バートン・フィンク』は同年度のカンヌ国際映画祭でパルム・ドール、監督賞、男優賞の主要3部門を制覇、兄弟の国際的な知名度を向上させた。 ~ Wikipediaより

コーエン兄弟制作映画はなかなかいい。映画人生の前半を上記に引用したが、その後も大活躍中の兄弟だ。この映画は、1961年、主人公ルーウィン・デイヴィスはニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジ で苦しい生活をしているフォーク歌手。音楽パートナーのマイク・ティムリンは自殺し、ソロアルバム『Inside Llewyn Davis』は売れず、金がなく、友人や知り合いの家のカウチで寝ている。そして大成功するのなら普通の映画だろうが。姉にも『最低の男』と罵られながら、結局映画の中では華やかな生活は訪れない。お金のために音楽をやっている、という誇りだけが人生。でも、何となくひきこまれていく彼の生き様。

『グッドナイト・ムーン』(Stepmom)

1998年・アメリカ 監督/クリス・コロンバス

出演/ジュリア・ロバーツ/スーザン・サランドン/エド・ハリス/ジェナ・マローン

またいい加減な横文字邦題をつけている。どういう意味なの、この題名は? 原題は『継母』、まさしくそういう物語なのです。映画が始まった時には、父親は既に家を出て新しい恋人と同居している。近くに元妻が住んでいる。2人の子供は、父親宅と元妻宅を行き来している。新しい恋人と元妻との実生活での戦いが長々と続く。

ある意味、理解し合うには時間がかかるということを映画も実践している。2時間5分の上映時間は、この手の映画としてはちょっとばかり長い。そして、元妻が「ガン」におかされてまもなく死んでしまうという事件がこの5人にふりかかり、物語は逆に好転していく。

『私たちは失敗したのに、今度はうまく行くと思うの?』と元妻は、元亭主を責める。ファミリー大好きのアメリカ人には、こういう話はいいのだろう。家族、子供、とあれだけこだわるアメリカ人なのに、あれほど離婚率が高いのも分からない。理想と現実が違うというのではなく、あまりにも身勝手に生きている人種が多いからのことだろう。それでも出来てしまった子供は大事にするよ、というのが人生のモラルとして教え込まれているDNAがあるのだろう。

『シャーロック・ホームズの冒険』(The Private Life of Sherlock Holmes)

1970年・アメリカ 監督/ビリー・ワイルダー

出演/ロバート・スティーブンス/コリン・ブレークリー/ジュヌヴィエーヴ・パージュ/アイリーン・ハンドル

『情婦』等、ミステリー映画で成功を収めてきたビリー・ワイルダーが、10年の構想を経て臨んだオリジナルストーリーのホームズ映画。「ホームズの私生活に深く関わるため発表されなかったエピソードが、ワトスンの死後50年を経て公開された。」という設定の元に、4つのエピソードが盛り込まれた4時間近い上映時間の大作を想定して撮影された。しかし、公開にあたって配給会社の要請で2時間ほどに編集される事になった。2つのエピソードは完全にカットされ、プリマバレリーナからの求婚のエピソードを序盤に残し、謎の美女とネッシーに纏わるエピソードをメインに据える内容となった。カットされたフィルムの多くは現存しない。この大幅な編集の為に、ワイルダー作品としてはややバランスを欠く仕上がりだとの評価もされる。それでも、ロンドンからスコットランドと、古き良きイギリスを再現した映像は秀逸で、ホームズ映画の傑作のひとつとして推す声も多い。カットされたシーンの多くは原題に相応しいホームズの意外な面を描いたコミカルなものだったといわれる。メインとして残ったエピソードは比較的シリアスな内容の為、構想とは違い、ワイルダー作品としてはやや重い印象の作品として完成した。また、このメインのエピソードでホームズは正式な依頼によって捜査を行っている上、国家機密に絡む大事にも関係しており、原題にある「Private Life」とはそぐわない内容になっている。日本では長くソフトが発売されず視聴が困難であったが、2004年にDVD-BOXの1巻として、2005年には単体でDVDが発売された。DVDの特典映像により、公開に至るまでの複雑な製作背景も明らかとなった。また、マイケル&モリー・ハードウィックによるノベライゼーションが『シャーロック・ホームズの優雅な生活』の邦題で創元推理文庫から刊行されている。 ~ Wikipediaより

アメリカ映画だけれど撮影は Pinewood Studios, London, England というクレジットが見られる。このパインウッド撮影所は現役時代にも良く聞いた名前で、こと撮影に関してはアメリカとイギリスは同じ国のように感じられた。製作国表示は、あくまでも製作費を出した企業の国に属するので、この映画はアメリカとなっている。推理劇はイギリスとお墨付きがあるけれど、遜色のない出来映えは監督の力によるものだろう。主人公の顔が日本ではうけないだろうな、という印象だけが強かった。

『11人のカウボーイ』(The Cowboys)

1972年・アメリカ 監督/マーク・ライデル

出演/ジョン・ウェイン/ロスコー・リー・ブラウン/ブルース・ダーン/コリーン・デューハースト

頑固一徹な老カウボーイと、牛追いのために雇われた少年達の心の交流を描いた作品。我が子とのつながりが上手く持てなかった男が、孫ほども年の離れた少年達に、西部の男の生き様を伝えていく。主演であり、タフなヒーローとして認知されているジョン・ウェインが映画途中(終了を20分も残して)で悪役に殺されてしまうという、珍しい展開の作品である。ジョン・ウェインが殺される作品としては、彼の遺作となった『ラスト・シューティスト』(The Shootist)がある。 ~ Wikipediaより

なんと一番上の子供は15才、がきっちょ軍団のカウボーイという珍しい光景が現れる。何でもありの西部劇でも、もうやることがなくなってしまったに違いない。それでもおもしろい。子供が銃で人殺しをするというシーンは、アメリカではダメだろうと思っているが、そんな批判はなかったのだろうか。

勧善懲悪の典型的な表現の場、西部劇は分かりやすく気持ちがいい。ぐずぐずと理屈をこねて推理劇を演じられたって、非現実的な光景ばかりの日本のドラマは、消化不良で体調が悪くなる。

『馬鹿まるだし』

1964年(昭和39年)・日本 監督/山田洋次

出演/ハナ肇/桑野みゆき/犬塚弘/桜井センリ/安田伸/石橋エータロー/花沢徳衛/髙橋とよ/長門勇/渡辺篤

クレイジーキャッツのメンバーが出てはいるが、ハナ肇主演で他のメンバーは単なる脇役に徹している。桑野みゆきという女優に久しぶりに出会った。好きな顔立ちだったのでよく覚えている。どうしているのかなと、調べてみたら、100作を越える映画作品に出演し、1967年、結婚し引退。家庭の人となったという。

山田洋次はやっぱりうまい。とりとめのない馬鹿な野郎の人生を実にうまく描いている。一途な想いは『寅さん』に通じる1本筋の通った人生観だ。

みんなにおだてられて、いいように使われ、都合が悪くなったら切り捨てられる人間が世の中には必要だ。そんな馬鹿丸出しの人間が愛らしい。どんな会社にもいるだろう、愛嬌だけで仕事をしている人が。でも、この頃のように世知辛くなった世の中では、ちょっとはパソコンでも使いこなせなければ、用無しと見向きもされない烙印を押されてしまうのかもしれない。

『社長忍法帖』

1965年(昭和40年)・日本 監督/松林宗恵

出演/森繁久彌/加東大介/小林桂樹/三木のり平/フランキー堺/司葉子/池内淳子/新珠三千代/団令子

前作『続・社長紳士録』をもって終了する予定だったが、ファンなどの要望で再開された『社長シリーズ』の第22作。本作より小林桂樹は部長役となり、司葉子と夫婦役を演じることとなる。 本作は「岩戸建設」という建設会社が舞台となり、名物の地方ロケは初の北海道となる。タイトルに『忍法』が付いているのは、当時『伊賀の影丸』を始めとした忍者物が流行っていたためで、劇中では三木のり平演じる総務部長が、何かにつけて「忍法」を連発するギャグがある。 ~ Wikipediaより

三木のり平の総務部長は、あまりにもギャグ過ぎていただけない。ちょうど先週からテレビ・ドラマが始まった『エイジハラスメント』に出てくる総務部長が竹中直人で、これまたぜんぜん相応しくないお調子者を演じている。竹中直人は映画好きで有名で自宅にも試写室があるというので、この三木のり平の総務部長を参考にしているのかもしれない。

サラリーマンものを見ていると、もう一度サラリーマン生活をしてみたくなってくる。今度は大企業に勤めてみたい。小さな企業は、もう分かった。1万人以上社員がいる会社で、自分がどれだけ仕事が出来るのかにすごく興味がある。小さい会社では仕事が出来ると思っていたことが、見事な勘違いだったのかを確認してみたいのだ。

『股旅 三人やくざ』

1965年(昭和40年)・日本 監督/沢島正継

出演/仲代達矢/桜町弘子/田中邦衛//志村喬/松方弘樹/富司純子//中村錦之介/入江若葉/山田人志

時代劇には珍しいオムニバスだった。第一話は仲代達矢、第二話は松方弘樹より志村喬なのだろうか。第三話は中村錦之介。それぞれの女優では富司純子しか分からなかった。

股旅って一体どういう意味なのだろう。今まで考えた事もなかった。股旅:博徒(ばくと)・芸人などが諸国を股にかけて旅をして歩くこと。なるほど。

一宿一飯の恩義で人殺しも引き受けてしまうというのがヤクザ稼業らしい。小さい頃から何度も見ているシーンだが、自分の中では何の違和感もない。ヤクザは大嫌いなのに不思議だ。現実感がなく映像の世界なら許せるとでも言いたいのだろうか。

『わが命つきるとも』(A Man for All Seasons)

1967年・アメリカ 監督/フレッド・ジンネマン

出演/ポール・スコフィールド/スザンナ・ヨーク/ロバート・ショウ/オーソン・ウェルズ

1528年、イングランド国王ヘンリー8世は宮廷の女官アン・ブーリンに恋をし、王妃キャサリンとの離婚を一心に望んでいた。しかし、当時はカトリックが国教であり、離婚は不可能でローマ法王の許しが必要である。法王に対して国王の離婚を弁護できるのは、広いイギリスにひとりトマス・モア卿だけであった。ユートピアを夢見た偉大な文学者としても有名な彼は、深い教養と厚い信仰心がゆえにヨーロッパの人々から尊敬と信頼を寄せられていた。宗教界の実力者ウルジー枢機卿はモアを呼び出し、大法官秘書のトマス・クロムウェルを介して王の離婚を法王が承認するようにとりなしてくれるように依頼した。だが、モアはこれを拒絶し、枢機卿の怒りを買ってしまう。国王は法王から離脱、強引に離婚を成立させてアンと結婚する。やがてウルジーは他界、いまやモアは大法官の地位についており、王に忠誠こそ誓ったが離婚には決して賛成しなかった。しかし、策士クロムウェルが権謀術数を弄し始める一方で、王はついに怒り心頭に発しローマ法王への忠誠を破り、自らの主義を捨てようとしないモアに死刑を宣告。孤立無援の状況下で反逆罪に問われ、弟子にさえ裏切られたモアは、信念を貫き通して、刑場の露と消えていく。 ~ Wikipediaより

離婚するためにローマ法王から離脱し、イギリス国教会を作り自ら国教会の首長となってしまったヘンリー8世は凄い。このあたりは『ブーリン家の姉妹』(The Other Boleyn Girl・2008年)を観た時に、ものすごいおもしろさを感じた。

この映画には多くの印象的な言葉がある。『神は天使を華麗に創り- 動物を無邪気に 植物を質素に創った だが人間だけは 神に仕えるように創った 神に試練を与えられても- 人は力の限り耐え抜く 真の勝利者になるには 苦しくても戦うことだ だが、試練は一方的に与えられる だから避けることも必要だ』 おもしろい。39回アカデミー賞では8部門にノミネートされ、うち6部門を獲得している。

『007 ゴールドフィンガー』(007 Goldfinger)

1964年・イギリス/アメリカ 監督/ガイ・ハミルトン

出演/ショーン・コネリー/オナー・ブラックマン/ゲルト・フレーベ/シャーリー・イートン

イアン・フレミングの長編小説『007』第7作。また映画『007』シリーズ第3作。1964年の世界興行収入で1位の映画となり、日本でも1965年には日本映画も含めた興行成績で第1位となったらしい。前作『007 ロシアより愛をこめて』の大ヒットの後、この映画でさらに人気を不動のものとした歴史がある。

日本ヘラルド映画が配給した『ネバーセイ・ネバーアゲイン』(Never Say Never Again・1983年)は、ショーン・コネリーが、久々にボンド役に復帰し話題となった作品であるが、007シリーズ第4作目『007 サンダーボール作戦』のリメイク作品をヘラルドが掴まされたもの。『007』というタイトルを使ってはいけないと言われて往生した記憶がある。ゴールドフィンガーにはショーン・コネリーのゴルフ・シーンがあるが、彼が宣伝キャンペーンで来日した際、成田から帰国する日にヘラルドの社長と副社長が一緒にゴルフをしてから飛行機に乗せるんだ、と言っていた光景もついでに思いだした。

『007』シリーズがまだまだ映画界で続いていることは奇跡のように見える。日本ではさほどではなくなってしまったが、欧米では根強い人気がある。主演役者の知名度、人気度が日本での不評の原因になっているのだと思う。アクションや秘密兵器、車のことなど、当時の映像を見ると可愛いものだ。アクションシーンなど見るに耐えないお粗末さに感じるのは、時代の経過と言うものだろうか。

『ロング・キス・グッドナイト』(The Long Kiss Goodnight)

1996年・アメリカ 監督/レニー・ハーリン

出演/ジーナ・デイヴィス/サミュエル・L・ジャクソン/イヴォンヌ・ジーマ/クレイグ・ビアーコ

またインチキな横文字邦題をつけたもんだ、と馬鹿にしていたら、なんと原題そのものだった。映画が始まってクレジットと音楽が流れている間、これはサスペンス映画に違いないと思わせる。脚本料が400万ドルらしく、さすがにアメリカでもこれは最高額の範疇だ。

ジーナ・デイヴィスの名前だけはなんとなく知っているが顔が出て来ない。映画を観終われば新しいアクション女優の登場かと思わせるが、彼女はこの映画以外でどれだけのアクションシーンをこなしているのだろうか。8年以上前の記憶をなくした主人公が海岸で発見され、娘や夫と共に幸せな日々を送っていたが、自分の出所を探したら、元CIAのスナイパーだったという奇想天外な物語。

アメリカ映画らしく、最後は子供の命が一番。単なるカー・アクション・シーンがないのは好ましい。CIAが国家予算を削られ、テロ対策のための予算獲得のために自らテロ行為をするなどという話が、もっともらしく聞こえる時代となってしまった。人間は敵という仮想相手がいないと、戦う名目は何もないというのが現実のようだ。

『獄門島』

1977年(昭和52年)・日本 監督/市川崑

出演/石坂浩二/司葉子/大原麗子/草笛光子/太地喜和子/大滝秀治/三木のり平/東野英治郎/佐分利信

1968年、「週刊少年マガジン」で横溝正史の推理小説『八つ墓村』が漫画化され、若い読者の間でヒットした。このことに注目した角川書店編集局長(当時)の角川春樹は、1971年に角川文庫版『八つ墓村』を刊行、出版直後に10万部のベストセラーとなったのを契機に、横溝作品を次々と文庫化、横溝ブームを巻き起こした。

角川春樹は当初からこの『八つ墓村』の映画化を考えており、『犬神家の一族』制作以前の1975年にすでに松竹との契約を発表している。しかし、『八つ墓村』制作の遅れと松竹経営陣との意見対立などから、角川は独自に横溝作品を映画化することを決意、角川映画第1作として『犬神家の一族』(1976年)を制作した。監督市川崑、主演石坂浩二の同映画は空前の大ヒット(17億円)を記録、「日本映画史上最高のミステリー」と称され、以後4作(第2作『悪魔の手毬唄』以降は東宝の自主制作)の横溝原作の映画が制作された。

この作品は角川映画の大きな前進となり、「金田一シリーズ=角川映画」という図式が広く認知され、その後も角川映画は大藪春彦、森村誠一、赤川次郎などの小説を映像化し、それらも原作と映画のブームが起こりヒットを記録している。シリーズ自体の評価も高く、第1作と第2作はキネマ旬報ベストテン入りした。物語が連続しない、永劫回帰タイプのシリーズ映画としては『男はつらいよ』を除いては異例である。 ~ Wikipediaより
 当時の映画界では画期的な興行となったが、今初めて見て、このつまらなさに驚愕した。

『ターザン』(Tarzan)

1999年・アメリカ 監督/ケヴィン・リマ/クリス・バック

出演(声)/トニー・ゴールドウィン/ミニー・ドライヴァー/グレン・クロー/ロージー・オドネル

ウォルト・ディズニー・カンパニー製作のアニメーション映画。エドガー・ライス・バローズの小説『ターザン』を元に製作されている。子供の頃に1回くらいはどこかで触れている、と思い込んでいる。情操教育の少なかった少年時代を経ると、現在のようなダメな老人になってしまう見本のようなもの。

いつも書いているが、ディズニーのアニメは観る。観ないのは日本のコマ数の少ない、口の動きすら合わないアニメ。しかも幼稚過ぎて見る気に絶対なれない日本製アニメ世界。この感覚は死ぬまで続くだろう。一方ではアニメオタクのように、私のような人間が存在することすら信じられないだろう。

ターザンの世界はアニメの方がしっくりいくかもしれない。実写ではここまでの描き方が出来ない。言葉ひとつとっても、何の違和感もなく画面に入り込める。不思議なくらいだ。こんなおもしろい記事があった。『ディズニールネッサンスと呼ばれた黄金期は今作をもって終了したとされ、その後はCGアニメーションの普及と作品質の急低下により、経営的にも迷走を始める。』

『必殺仕掛人 春雪仕掛針』

1974年(昭和49年)・日本 監督/貞永方久

出演/緒形拳/林与一/山村聰/岩下志麻/夏八木勲/高橋長英/竜崎勝/地井武男/花澤徳衛/村井国夫

『晴らせぬ恨みを晴らし 赦せぬ人非人を消す いづれも仕掛けして仕損じなし 人呼んで仕掛人 但し この稼業 江戸職人づくしには 載っていない』 うたい文句が格好いい。

『必殺仕掛人』は、1972年9月2日から1973年4月14日まで毎週土曜日22:00 - 22:56に、朝日放送と松竹(京都映画撮影所、現・松竹撮影所)が共同製作・TBS系(現在とネットワーク編成が異なる)で放送された時代劇。全33話。主演は林与一、緒形拳。池波正太郎の連作小説『仕掛人・藤枝梅安』と、その基になった短編『殺しの掟』(短編集『殺しの掟』に収録)を原作としている。『仕掛人・藤枝梅安』は当時連載が始まったばかりで、テレビ放送と平行して原作が書かれるという一種のメディアミックスの様相を呈していた。そのため、原作の主要人物である彦次郎や小杉十五郎が登場しないなど、『仕掛人・藤枝梅安』とは異なる部分も多く、『殺しの掟』の登場人物である西村左内・音羽屋半右衛門・岬の千蔵に藤枝梅安が加わった形になっている。逆に、ドラマの人気を受けて、音羽屋半右衛門が『仕掛人・藤枝梅安』でレギュラー化するという逆転現象も起こった。当時人気時代劇であった『木枯し紋次郎』に対抗すると同時に、新しい時代劇を作るというコンセプトの下に作られており、金をもらって人を殺す者達を主人公とする、当時としては異例な作品であった。これらの取り組みは功を奏して視聴者に受け入れられ、以後「必殺シリーズ」として長く続くこととなる。 ~ Wikipediaより

テレビシリーズの終了後、映画版は『必殺仕掛人』(1973年6月)、『必殺仕掛人 梅安蟻地獄』(1973年9月)、『必殺仕掛人 春雪仕掛針』(1974年12月)の3作品が作られている。しっかりとした映画になっている。見ていて飽きがこない。どうしても最近の邦画の出来映えと比べてしまう。

『春琴抄』

1976年(昭和51年)・日本 監督/西河克己

出演/山口百恵/三浦友和/中村竹弥/津川雅彦/中村伸郎/小松方正/名古屋章

今日は2015年7月6日。女子ワールド・カップ決勝戦で日本はアメリカに2-5で負けた。谷崎潤一郎原作のこの著名な物語を当然読んだことがない。山口百恵と三浦友和コンビの映画も、過去に1本観ているかどうか。少し長生きすると、自分からは絶対望まないことを、手に入れることになる機会がある。へぇ~、こんな話だったんだ、と妙に感心する方がひどい。製作はホリプロと東宝。

さすがに数多く映画化されている。1935年(昭和10年)松竹蒲田『春琴抄 お琴と佐助』(田中絹代/高田浩吉)、1954年(昭和29年)『春琴物語』大映(京マチ子/花柳喜章)、1961年(昭和36年)『お琴と佐助』大映(山本富士子/本郷功次郎)、1972年(昭和47年)近代映画協会・日本ATG『讃歌』(渡辺督子/河原崎次郎)、そしてこの映画、2008年(平成20年)『春琴抄』(長澤奈央/斎藤工)。テレビドラマでは1965年(昭和40年)フジテレビが『春琴抄』を山本富士子と市川猿之助で製作・放映している。舞台では宝塚歌劇団・月組・星組・雪組・宙組がそれぞれ取り上げている。また中国や台湾でも舞台化されているのには驚いた。

三浦友和の若い頃の顔を初めて見たような気がする。きりりと締まった顔をしていた。なかなかいいじゃんと今更ながらで申し訳ない。山口百恵も然り。若い頃には一体何に興味があったのだろうか。今でもそうだが。

『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』(The Lady)

2011年・フランス/イギリス 監督/リュック・ベッソン

出演/ミシェール・ヨー/デヴィッド・シューリス/ジョナサン・ラゲット/ジョナサン・ウッドハウス

ベタな邦題のサブタイトルが嫌だ。「ひき裂かれた愛」なんて誰が考えたのか! ミャンマー(ビルマ)における非暴力民主化運動の指導者アウンサンスーチーの物語だが、事実に基づいたこのストーリーに未だもって決着がついていない。彼女を殺すことによって「聖人」になってしまうことを恐れた軍の政策は、成功だったのか失敗だったのか、まだ歴史の証明は成されていない。

ノーベル平和賞を1991年に受賞しているが、佐藤栄作やオバマ大統領が同じ賞をうけているのはその権威がたいしたことないと思われても仕方がない。ミャンマーは今年(2015年)、歴史的な転換点を迎えそうだ。年末に総選挙が予定されているからだ。連邦議会を構成する二院(人民院と民族院)と各地方議会の計1100を越える議席が改選される。選挙のある国ではどこでもそうだが、総選挙は一国の政治にとって重大なイベントである。しかし、ミャンマーの場合はそれだけにとどまらない。

国際的に注目された2011年3月の民政移管後、今回が初の総選挙になる。総選挙は2010年11月にも実施されており、この総選挙は軍事政権下で実施され、そもそも民政移管が本当に実行されるのかも不透明だったし、表現の自由も、結社の自由も、集会の自由も著しく制限されたなかでの選挙だった。今回、政府からの不正な選挙介入がなければ、ミャンマーでは1960年以来55年ぶりの公正かつ自由な総選挙になる。ミャンマー史に残る大きな出来事だ。まだまだ映画の事実は終わらない。

『マジェスティック』(Mr. Majestyk)

1974年・アメリカ 監督/リチャード・フライシャー

出演/チャールズ・ブロンソン/アル・レッティエリ/リンダ・クリスタル/リー・パーセル/ポール・コスロ

チャールズ・ブロンソン演じるビンス・マジェスティック(原題は人の名前)は、コロラド州ユマ郡のエドナという農村で160エーカーにおよぶ大農園を持ち、そこでメロン(スイカ)の栽培をしていた。彼の乗り回すトラックのはらには『MAJESTYK BRAND MELON』と書かれている。映画の中ではスイカという字幕がついているし、実際にも楕円形のスイカに見える。

ここから先が荒唐無稽な話の連続で、結局は主人公のスーパーマンぶりを形の違った形式で表現しているだけのような映画。先が読めない進行で、気楽に観られる典型のような映画。とりあえずはチャールズ・ブロンソンが主役なら、物語は二の次といった風情。

スイカを収穫する1日の日当が1ドル40セントというから,時代はいつの事なのだろう。不法移民連中ばかりではなく、アメリカ人も職にありつけない時代というから、例の世界恐慌あたりの時代の話なのだろう、と勝手に思い込んでみた。ま~、時代がいつでもなんの関係もない映画であることは確かだが。

『日本の黒い夏─冤罪』

2001年(平成13年)・日本 監督/熊井啓

出演/中井貴一/北村有起哉/加藤隆之/細川直美/寺尾聰/二木てるみ/石橋蓮司/北村和夫/遠野凪子

原作は、長野県松本美須々ヶ丘高等学校放送部制作のドキュメンタリービデオ作品『テレビは何を伝えたか』(第43回NHK杯全国高校放送コンテストラジオ番組自由部門優勝作品)を元にした、平石耕一の戯曲『NEWS NEWS』。1994年6月27日に長野県松本市北深志地区で発生した松本サリン事件の第一通報者である河野義行に対する「警察の強引な任意同行」と「報道機関の誤報による過熱取材」の実態を描いた作品である。

熊井は、自身の母親が理科教師を勤めていた当時の長野高等女学校(現・長野県長野西高等学校)の校長に河野義行の妻の祖父である河野齢蔵が就任していた縁で、幼少の頃に河野家に出入りしていた経験から河野家の家風をよく知っており、当初より「河野は事件に関わっている疑いが濃厚である」とのマスコミ報道についても「シロ」ではないかと感じていたという。また、熊井の初監督作品『帝銀事件 死刑囚』での取材経験になぞらえて、犯行は極めて専門的な知識が必要であって「素人」では不可能である点や、確たる証拠がないまま容疑者を自白に追い込む警察の捜査手法が明らかになった事も、熊井が制作へ傾倒させる一因であった。構想以前から日活社長の中村雅哉から「社会性が濃厚で、文化的にもレベルが高い作品の構想を考えておいて欲しい」と依頼されていた事もあり、本作品の制作が決定した。 ~ Wikipediaより

真正面から事件を扱う熊井啓監督の面目躍如。読売巨人軍を愛する監督と話した2時間あまりは、人生のいい想い出になっている。知らず知らずのうちにマスゴミ(塵)によって偏向されてしまっている考えを、いつどうやってあらためなければいけないのか? 頭脳明晰な先駆者は、人類を良き方向に導く責任がありそうだ。

『栄光への脱出』(Exodus)

1960年・アメリカ 監督/オットー・プレミンジャー

出演/ポール・ニューマン/エヴァ・マリー・セイント/ラルフ・リチャードソン/ピーター・ローフォード

録画時に2週にわたり「前編」と「後編」の放映があることを確認していた。いざ観始まって、??? 20分過ぎても、どうにも筋書きが見えてこない。もしかしたらと思って、よーく確認してみたら、今観ているのは「後編」だった。どうも「前編」を録画し損ねたか、観る前に消してしまったらしい。

ホロコーストを生き延びたヨーロッパのユダヤ人多数がパレスチナへ移民しようとしたが、そのほとんどはイギリスが設けた移民枠を超過した不法移民で、多くがイギリス軍に捕まりキプロス島の難民キャンプに送られていた。難民キャンプで看護婦として働いていたアメリカ人のヒロインの前に、エクソダスと名付けた貨物船を手に入れて彼らを極秘のうちにパレスチナへ送ろうとするユダヤ人で元兵士の主人公が登場する。船に乗り込んだ移民たちはイギリス軍との緊迫した駆け引きの末にパレスチナへとたどり着き、キブツに受け入れられて農民として働き、アラブ人やイギリス軍と戦って翌年のイスラエル建国を迎える。 ~ Wikipediaより

第一次大戦中にユダヤ人からの資金援助を得るために、イギリス政府によるユダヤ人がパレスチナの地に定住することを認めこれを援助するという「バルフォア宣言」が出されますが、同時にアラブ人とも、当時オスマン帝国の所有地だったパレスチナを与えるという「フサイン・マクマホン協定」を結び、さらにフランス・ロシアにも、パレスチナを植民地として三国で分割するという「サイコス・ピスコ協定」を結んでいました。つまりパレスチナの地を異なる三者にそれぞれ与えると言う、矛盾する協定を結んでいた訳です、これが有名なイギリスの三枚舌外交。連合国側は1947年に国連による決議でパレスチナ分割案(ユダヤ人に有利)を示しましたが、アラブ側はこれを拒否。1948年イスラエル建国宣言と同時に、アラブ各国のイスラエル侵攻による第一次中東戦争が勃発します。映画ではイスラエル建国宣言までの物語が展開されます。

『十兵衛暗殺剣』

1964年(昭和39年)・日本 監督/倉田準二

出演/近衛十四郎/大友柳太朗/河原崎長一郎/宗方奈美/内田朝雄/岡田千代/林真一郎/香川良介/北竜二

五味康祐の同名作品を映画化した「柳生武芸帳」シリーズの最終作(9作目)。引き続き近衛十四郎が柳生十兵衛を演じた。原作者が異なる(紙屋五平)ことに加え、武芸帳が一切登場してこないそのストーリーから見て、正確には同シリーズの一作とは言い難いが、東映は本作をシリーズに含めている。

元々「柳生武芸帳」シリーズは、勧善懲悪物として製作されていたが、6作目の『柳生武芸帳 片目水月の剣』から幕府(十兵衛)とそれに対抗する反逆者との闘争劇として描かれ始め、明朗時代劇からリアリズム路線へと変わっていった。そして、その作風は『十兵衛暗殺剣』で頂点を迎える事になる。剣豪・十兵衛を主人公に据えながら、その超人性は著しく薄められ、虚無的な雰囲気と凄惨な描写、リアルな殺陣(過酷な状況下での集団戦、体力の消耗、武器の破損)といった要素は、むしろ東映が同時期に製作した「集団抗争時代劇」と共通しているため、このジャンルの代表作の一つとも評される(すでに8作目の『柳生武芸帳 片目の忍者』では、十兵衛と数十名の忍者が敵の砦に突撃するシーンをクライマックスとしており、集団抗争時代劇のシリーズへの影響が窺える)。 ~ Wikipediaより

単純におもしろい。味方が十兵衛ひとりになってしまったのに驚く。だって、チャンバラではいい方の人たちは斬られても斬られても、いつも何人も生き残っていることが多いんで。そんなこともあって、チャンバラ劇を楽しんで時間が過ぎていく。なんと贅沢な時間だろうか。

『ミッション: 8ミニッツ』(Source Code)

2011年・アメリカ 監督/ダンカン・ジョーンズ

出演/ジェイク・ジレンホール/ミシェル・モナハン/ヴェラ・ファーミガ/ジェフリー・ライト

SFテクノスリラー映画というジャンル分けがされていた。同じ世界に戻りつつも、また現実の世界に引き戻される。ただ、現実の世界にいる主人公は、戦闘の果てに胸から上しか存在しない人間だった。しかも送り込まれる過去への時間は毎回8分間のみ。自分ではない同じような波長を持つ別の人間の肉体に精神だけが宿るらしい。

どこかで見たことのあるような話だったが、発想はなかなかおもしろい。デジャ・ブと同じようなものに見えるが、勿論まったく違う代物。何度も繰り返す映像に最初は首をひねるが、手法を変えて表現されるカムバック現象が意外とおもしろい。1時間33分という短い上映時間。

過去に戻ってあの瞬間のあの決断を変えてしまえれば、人生はもっと面白いものになるだろう。あの瞬間の間違った決断を変えることが出来ないから、面白いと言えるのかもしれない。どうせ宇宙の塵にもなれないような人間ひとりひとり、何をやっても誰も困らないし、何をやっても誰をも動かせない。なんと虚しい存在なのだろう。

『クライマーズ・ハイ』

2008年(平成20年)・日本 監督/原田眞人

出演/堤真一/堺雅人/尾野真千子/高嶋政宏/山崎努/遠藤憲一/田口トモロヲ/堀部圭亮/でんでん

エンド・クレジットが尽きた時、最後にもう1枚のクレジットが表示された。『この映画は1985年8月12日に起こった 日航機墜落事故を報道する 架空の地方新聞社の物語です』 と書かれている。原作は横山秀夫による日本の小説。著者が上毛新聞記者時代に遭遇した日本航空123便墜落事故を題材としている。

硬派な展開に喜んだ。この小説も映画も知らなかったが、こんなりっぱな物語の存在は嬉しい。映画もなかなか見応えがある。NHKドラマが2005年に放送されたらしい。ちょうど今年は事故から30年目、また夏にはたくさんの関連番組がテレビを賑わすだろう。

社長の鶴の一声がここまで威厳がある会社も珍しい。新聞社、それも地方という存在、時代も大きく影響しているのか。社主が責任を持って言論を張らない限り、読者に対して訴えるものは何もなくなってしまう。言論を自認するのは一体何処なのだろうか。スポンサーにおもね、記者クラブネタや共同ネタを書くだけでは新聞社と言えない、と記者は嘆くが、そんな理想的なジャーナリストなんてあるわけがないことを知らない人はいない。

『まぼろしの邪馬台国』

2008年(平成20年)・日本 監督/堤幸彦

出演/吉永小百合/竹中直人/柳田衣里佳/窪塚洋介/風間トオル/黒谷友香/平田満/麻生祐未/小倉一郎/斉藤とも子/柳原可奈子/岡本信人

何度か録画そのものを見送っていた経緯がある。竹中直人じゃな~!? 吉永小百合でこの題名じゃなあ~ と、自分だけの基準が災いして、先入観いっぱい。宮崎康平の半生と邪馬台国が島原にあるという学説とを同時に記した原作本であり、小説でもなく評論でもない。

この映画は和子(妻)からの視点を中心に展開され、戦乱期の悲劇、康平との出会い、康平の目代わりとなって「邪馬台国探し」を続けて大成するまでの半生を軸に脚色して描かれており、原作との接点は余り無いという。「邪馬台国はどこにあったか」という、いわゆる邪馬台国論争は専門の学者らの間でしか語られていなかったが、この映画がきっかけとなり、一般人にまでその論争に火が点いた。私はまったく興味を示さなかったことを明確に覚えている。

期待がない分だけ、映画を見てしまうと、酷く毛嫌いするものでもない。単に邪馬台国論争を詳しく描いただけなら、間違いなく飽きが来る。そうではないところが、それなりに観客に支持されたのではなかろうか。映画としてはまずまず。まずまず以上の内容にはなっていないのも確か。

『テルマエ・ロマエ II』

2014年(平成26年)・日本 監督/武内英樹

出演/阿部寛/上戸彩/市村正親/北村一輝/宍戸開/勝矢/曙太郎/琴欧洲勝紀/笹野高史

観客の男女比は49対51で、30代以上が71.2%と多く、前作を評価していることを鑑賞動機に挙げた観客は92.7%だった。(Wikipediaより) まったくその通りで、1作目がそれなりにおもしろかったので、今回の積極的な録画・鑑賞となった。

ネタは1作目でほとんどバラしてしまったので、この作品で新機軸となるものは見当たらなかった。いちいち「平たい顔族」のもとにタイムスリップして、またローマに戻るというオチがしつこ過ぎていただけない。タイムスリップ場面では、監督の遊びと思えるシーンを盛り込んでいたが、新しさという点では落第点。

軽くてクスクス笑う程度のものを映画に求めるなら、ピッタンコかもしれない。さすがに最後には一瞬眠ってしまったのは、新鮮味のないことを繰り返す映画そのものに問題がありそうな。阿部寛の孤軍奮闘といった感じ。モデルから役者になった頃に比べれば、だいぶ貫禄がついてきた。

『呪怨 終わりの始まり』

2014年(平成26年)・日本 監督/落合正幸

出演/佐々木希/青柳翔/トリンドル玲奈/金澤美穂/高橋春織/黒島結菜/大村彩子

どれくらいの子供騙しストーリーと映像なのかに興味があった。見る前から、最初の5分間はせめて速回ししないように、と心に決めていた。しっかりと決めておかなければ、見なくても速回しをすることは見えていたから。

想像以上でも、想像以下でもなかった。唐突に出現する血や死霊など、見るべき所が何処にもない。こんなものを見て、本当に怖がる人がいるのだろうか。笑いを堪えて、最後まで見ることは至難の業に見える。あまりにも幼稚過ぎて、UFOや超常現象をきっぱり否定する大槻教授のコメントを聞いてみたい。

どれだけ罵ろうが世界的にヒットしてしまうと、毛嫌いする方がマイナーになってしまう。人間はいろいろな意見や考え方があって当然で、それを認め合わなければならない、なんていう原則論をどこかに忘れてきてしまいそうだ。もしも、こんな映画をおもしろいという女性に会ったら、どんな可愛い子でも好きになることはないであろう、と言い切れる。

『ロボッツ』(Robots)

2005年・アメリカ 監督/クリス・ウェッジ

出演(声)/ユアン・マクレガー/ロビン・ウィリアムズ/メル・ブルックス/ハル・ベリー

20世紀フォックス社製作のアニメーション映画。コッパーボトム夫妻の下に生まれたロドニー。けれどもコッパーボトム夫妻には、金銭的余裕があまりない様で、生まれたときから親族のお下がりパーツばかり。父親の勤めている料理店の意地悪な店主にもバカにされてしまう。そんな中、発明家ビッグウェルド博士の存在を知り、大企業ビッグウェルド・インダストリーのある大都会、ロボット・シティへと向かうが、しかしビッグウェルド・インダストリーではもう2年前にビックウェルドはお払い箱になっていて、アップグレード推進派のフィニース・T・ラチェットが実権を握っていた。さらにアップグレードしない古いロボットはすぐさまロボット回収車の対象にされ、すぐに解体工場でスクラップ(死刑)を行うと言う、陰謀が起きていた。(Wikipediaより)

ディズニーをようするアメリカのアニメは、どの会社が作ったって、動きの軽やかなしっかりものをつくるから、見る方も安心して見られる。子供のころに日本の子供だまし漫画チックなテレビ・アニメを1本も見ていない。いくらこどもだましだとはいっても、全然見ないというのはひどい。

情操教育の「じょ」も舐めていない子供心は、大人になってどこかひずんでいるに違いない。何の心配もなくただ育ってしまった子供は、今頃になってようやく「じょ」のありがたさを身に染みている。この映画のようにロボットが暮らす社会を人間の社会と模したって、別にどうということはない、と切り捨ててしまうのは大人げないことだと分かってはいるが。

『ザ・スパイダースのゴーゴー向う見ず作戦』

1967年(昭和42年)・日本 監督/斎藤武市

出演/ザ・スパイダース/山内賢/和田浩治/杉山元/木下雅弘/松原智恵子

1964年から1968年の4年間に12本もの映画が作られていた。おどろいた。ザ・スパイダースがこれほどの人気だったとは。日活が10本、松竹と東宝が1本ずつ作っている。現在のアイドルグループでも、ここまで映画を作っているグループはいないであろう。

もっとも、時代が違い過ぎる。今やテレビ出演がもっとも手っ取り早い人気取りのメディア。腐ってもテレビといった雰囲気だ。ザ・スパイダースの歌をギターの弾き語りで歌うことはあっても、誰が好きだとかの感情は一切なく、そういう自分の生活パターンは今でも続いているのが嬉しい。

キャンディーズだろうが山口百恵だろうが、一向に自分の趣味・志向の中に入ってこないのも嬉しかった。潤いのない生活だといってしまえばそれまでだが、自分では他の人の何倍もの興味心を、いろいろな分野に向けていたと思い込んでいた。確かに、高校時代から囲碁を覚えたり、陸上競技を現場に見に行ったり、野球だって、ゴルフだって、卓球だって、なんにでも興味があったことは、間違いない。マイナー・スポーツのラグビーが一番好きだなんていうのが象徴的な身の回りだろう。

『喜劇 駅前温泉』

1962年(昭和37年)・日本 監督/久松静児

出演/森繁久彌/伴淳三郎/フランキー堺/三木のり平/司葉子/淡島千景/池内淳子/淡路恵子/森光子/五月みどり

あたまに「喜劇」とつく題名が結構多いのに驚く。それ以上に、こういう軽い映画にそうそうたる女優陣が出演しているのが、おもしろい。これは東宝配給だが、同時上映は『ニッポン無責任時代』、クレージー映画の記念すべき第1作。この後7作に渡って、『駅前』と『クレージー』のカップリングが行われたいう。

この時代の映画館興行は2本立てが当たり前で、1本の上映時間は1時間30分前後だったことが多い。この映画は1時間43分と長い。『駅前シリーズ』第4作。本作から三木のり平・池内淳子・沢村貞子がレギュラーに加わり、シリーズの基礎が固まり始めた。

東京オリンピック開催前の貧しい時代なのに、なぜかみんなの顔が明るい。ただ単に経済的にどうのこうのと叫ぶ時代は、まだ来ていない。人間が生きていくうちで、最も大切なのはお金ではない、とどの映画も教えてくれる。が、お金がないと、何も出来ないとも悟らせてくれる。生きて行くのは辛いことだけれど、その辛さが楽しくなければ、人間なんてやっていられない。

『華麗なる激情』(The Agony and the Ecstasy)

1965年・アメリカ/イタリア 監督/キャロル・リード

出演/チャールトン・ヘストン/レックス・ハリソン/ダイアン・シレント/ハリー・アンドリュース

イタリア盛期ルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人だったミケランジェロ・ブオナローティ(1475~1564)と時のローマ教皇ユリウスのおはなし。バチカン宮殿にあるシスティーナ礼拝堂の『システィーナ礼拝堂天井画』を描くよう命じる教皇とミケランジェロの魂の争いがみもの。

20才にして『ピエタ』と『ダヴィデ像』の作品を製作している。両方とも本物を見たことがあるのがいい想い出。映画によれば、ミケランジェロ自身は彫刻家であり画家ではないという。嫌いな絵を描くという仕事を教皇から命ぜられ、嫌々ながらに天上画を描いたことがストーリーの大筋。それでも教皇に逆らいながら、自分の想いに相応しい天井画を仕上げていく。(

時のローマ教皇はユリウス2世。その治世において教皇領とイタリアから外国の影響を排除しようとした奮闘が、戦争好きの政治屋教皇というレッテルが彼に貼られるが、一方、芸術を愛好し、多くの芸術家を支援したことでローマにルネサンス芸術の最盛期をもたらした。王様であり軍隊の大将でもあるような存在に見える。話は多岐にわたらないが、なかなかおもしろい。この映画を見てからミケランジェロの作品を眺めれば、また心に響くものが違っていただろう。

『待ち伏せ』

1970年(昭和45年)・日本 監督/稲垣浩

出演/三船敏郎/石原裕次郎/勝新太郎/中村錦之助/浅丘ルリ子/北川美佳/有島一郎

三船敏郎の特集を放映していて、これが3本目。石原裕次郎はちょっとよけいだった。中村錦之助もあの役では、ちょっともったいない。三船と勝で充分だったように思う。浅丘ルリ子だって別の可愛い子ちゃんで十分。つまらないシーンが役者のために追加されているようで、話の筋に芯がない。

それでもこれだけの豪華な俳優を集めたのは凄い。いくらギャラが高いと言っても、サラリーマンに比較したら高いというくらいで、アメリカのようにジェット機を買えるようなギャラは、未だもって日本映画界では支払われてはいない。

三船敏郎の侍姿と石原裕次郎を比べてはいけないくらいの違いがある。裕次郎が出てくると、とたんに現代物になったような錯覚に陥る。喋り方もそう。人間には向き不向きが、はっきりとあるんだと教えられる。ほとんどのサラリーマンも、向き不向きで仕事が出来たり出来なかったりしているのがホントーのところ。

『Ray/レイ』(Ray)

2004年・アメリカ 監督/テイラー・ハックフォード

出演/ジェイミー・フォックス/ケリー・ワシントン/レジーナ・キング/クリフトン・パウエル

レイとは、レイ・チャールズのこと。レイ・チャールズ・ロビンソンの伝記映画。華麗な歌の裏には彼の生い立ちから背負ってきた負の遺産があった。そしてどさ回りで得るようになったギャラと共に、麻薬という副産物も身にまとわなければならなくなっていった。

数多くのヒット曲を世に生み出した。我々世代は彼の曲と一緒に育ったようなものだ。あまりにも人間的などさ回りの光景は、ちょっと幻滅にも通じるようなものだったが、それが現実というものなのだろう。50年前の歌手は、ライブでアピールしてレコードを売ることが収入の道だった。

麻薬と女なしでは生きていけなかったレイだが、それ以上に音楽がなければ生きている証にもならなかった。人種差別がまだまだ公然と行われていた時代のコンサートでは、白人しか踊れない舞台もあった。出演拒否をしてジョージア州に入ることが出来ないようになるなんて、信じられないようなことがあった。後年、名誉回復し『我が心のジョージア』(Georgia on my mind)が、ジョージア州の州歌となったなんて泣かせる。

『無法松の一生』(1958年の映画・Rickshaw Man)

1958年(昭和33年)・日本 監督/稲垣浩

出演/三船敏郎/高峰秀子/芥川比呂志/笠智衆/飯田蝶子/田中春男/多々良純/有島一郎

今日は2015年(平成27年)6月11日(木曜日)。稲垣浩監督が1943年(昭和18年)に製作した『無法松の一生』(主演:阪東妻三郎)を、自らリメイクした作品。第19回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。無法松の一生は、その後も二度映画化されている。1963年(昭和38年)版(主演:阪東妻三郎)、1965年(昭和40年)版(主演:勝新太郎)。テレビ・ドラマや舞台化も時代を反映していた。

三船敏郎が無法松を演じたとは驚きだった。三船の名前は知っていても、無法松の題名を知る若者は少ないことだろう。今回、録画して見る段になって、ちょっと躊躇があった。以前見たことのある記憶から、白黒で暗い物語を想像していた。無法松ほどの有名な話の内容をよく知らない自分が情けない。

物語は、こんなに淡々と進むのか、と驚いてしまう。一体この物語のどこが日本人に受け入れられたのだろうか。海外でも賞をとったということなので、なにか普遍の心根があるのだろう。分からないでもないが、口に出さない真実は、今どき他人を説得する材料にはもの足らない。稲垣浩監督本人には会ったことがないが、二人の息子には仕事で何度か一緒している。そのほかにも不思議な縁もあって、懐かしい名前だった。

『ネゴシエーター』(Metro)

1997年・アメリカ 監督/トーマス・カーター

出演/エディ・マーフィ/マイケル・ラパポート/マイケル・ウィンコット/カルメン・イジョゴ

邦題のネゴシエーターは偽り。確かにネゴシエート事件を1件片づけて、これから大きな交渉事件を扱うのかと思っていたら、なんと普通の刑事ものアクション映画に成り下がってしまった。しかも主人公お得意の自分で喋って自分で笑っているコメディー・タッチではなくカーアクションがメインのごくごく普通のアクション・シーンばかり。

映画界も大変だ。普通のアクション映画では観客はもう満足しない。CGを駆使して、ありもしないシーンを平然と作るくらいの心臓がないと、おもしろく見えなくなってしまった。車がどんな格好いい衝突を繰り返そうが、もう誰も驚いてはくれないし、感心もしてくれない。

日本の人質、立てこもり事件は、相変わらず警察による説得行為が行われる。アメリカではほとんどの犯人が拳銃を持っているので、単なる説得は事を大きくする危険がある。そこでネゴシエーターと呼ばれる専門家の出現となるわけだが、映画は事実と同じようにみえる。日本の2時間テレビ・ドラマでは、とてもじゃないけど嘘っぽくて、見る気にもなれないのが現実。その割りには、殺人事件や警察ものが多いのは、どういう訳だろう。

『雲霧仁左衛門』

1978年(昭和53年)・日本 監督/五社英雄

出演/仲代達矢/七代目市川染五郎/岩下志麻/松坂慶子/あおい輝彦/長門裕之/宍戸錠

原作は池波正太郎、英題がついていて『Bandits vs. Samurai Squadron』。長いな~、と恐れ入った長さだったが、なんと2時間40分の大作。親分だけが生き残り、子分たちが死んでいった。活字世界の方が妄想が広がっておもしろそうな感じ。

この主人公の名前を聞いたことがあるような気がする。どんな人物かなどは、一切頭になかったが、どことなく懐かしい。出来事のシーンだけの連続で、ちょっと訳の分からない映画になっている。何も考えずに見ているだけの映画なら、というところか。

37年前の映画になるが、出演者の顔はさほど変わっていないようにも見える。芸能界という化け物世界のなせる技だろう。でも、もう死んでしまった役者もいて、さすがに時代を感じる。

『極道の妻たち 最後の戦い』

1990年(平成2年)・日本 監督/山下耕作

出演/岩下志麻/かたせ梨乃/津川雅彦/小林稔侍/哀川翔/石田ゆり子/中尾彬/三上真一郎/平泉成

ばらばら観ている「極妻」映画。前後関係がはっきり分からないで観ている。この作品が最後と思いきや、まだまだ作られた作品がたくさんあった。この作品はシリーズ4作目、岩下志麻作品は10作まで続いた。劇場シリーズ完結後は高島礼子主演でレンタルビデオシリーズが5作品製作され、2013年には黒谷友香主演で1本作られている。

だらしのないのは男どもで、女のけじめはそんなもんじゃ許されない、と啖呵を切って岩下志麻が吼える。ヤクザの世界を礼賛するわけにはいかないが、心意気だけはそうありたい。義理も人情も秤にかけられないほど重い。この薄情な世の中には、今だからこそヤクザな心情が求められる。

観ている間はおもしろいが、心に残る映画というわけではない。過去に観ていることは間違いないが、ほんの時々そのシーンがよみがえるだけで、一貫したストーリーとしての印象がない。そんなものでいいのだろう、娯楽映画。

『沓掛時次郎 遊侠一匹』

1966年(昭和41年)・日本 監督/加藤泰

出演/中村錦之助/池内淳子/東千代之介/渥美清/清川虹子/弓恵子/三原葉子/高松錦之助

ヤクザ映画全盛の風潮に錦之助が我慢ならなかった。どうしても(錦之助は)もう一度時代劇がやりたい。(錦之助は)時代劇をもう一度作るためにヤクザ映画にも出演して本作品の企画を通したのだとの証言があるという。つい先日見た高倉健主演『日本侠客伝』にも書いた。

確かにチャンバラ映画だけれど、ヤクザ映画と変わらないような任侠の世界を描いているのもおもしろい。亭主を殺した任侠者が、いくら優しいからといって、すぐに旅のお供をするくだりは、時代劇ならではの物語なのだろう。

男と女の情が深くかかわりあって生まれる物語は、もどかしいけれど、不思議な感覚をよみがえらせる。願わくば、生きているうちにまっとうな愛を知っておきたかった。いまさら遅過ぎて、なんともならない人生は、哀しみだけが・・・・・・・。

『サラリーマン忠臣蔵』

1960年(昭和35年)・日本 監督/杉江敏男

出演/森繁久彌/加東大介/小林桂樹/三船敏郎/東野英治郎/池部良/司葉子/宝田明/有島一郎

「東宝サラリーマン映画100本記念作品」。『社長シリーズ』の1本だが、今回森繁久彌は社長ではなく専務。「仮名手本忠臣蔵」をモチーフに、「刃傷松の廊下」のシーンをロビー内で起こる暴力事件で行うなど、様々な所に「忠臣蔵」のパロディがある。

1本か2本社長シリーズを見たが、それで充分だと思い、積極的に録画をしてこなかった。この映画の描く時代の会社は大らかだ。たぶん本当だったのだろうが、専務にも常務にもお抱え運転手がいて送り迎えしている。運転手は夜の宴会で待っている間、ビールを飲んだりしているのには驚かされる。

役員と平社員の格差は大きい。昼休みに自社ビルの屋上でバレーボールで遊んでいるが、柵が低くボールが落ちやしないのかとひやひやする。昭和30年代の人たちが過ごしたサラリーマン生活と、昭和45年以降のサラリーマンとではこうも違うのかと目を見張る。会社の金で夜の飲み屋に繰り出すシーンは、すこしばかり名残を見ている。コンプライアンスだなんだかんだと締め付けられている現代のサラリーマンが、こういう映画を観ると憂さ晴らしになるかもしれない。

『日本侠客伝』

1964年(昭和39年)・日本 監督/マキノ雅弘

出演/萬屋錦之介/高倉健/大木実/松方弘樹/田村高廣/長門裕之/藤間紫/富司純子/南田洋子/三田佳子/津川雅彦

高倉健の人気を決定的なものにした東映任侠映画長期シリーズの草分け的存在。1964年から1971年にかけて11本が製作されたが、各作品の設定やストーリーに繋がりは無い。『網走番外地』シリーズ、『昭和残侠伝』シリーズと並ぶ高倉健の代表的シリーズである。

1963年、沢島忠監督、鶴田浩二主演による『人生劇場 飛車角』で、東映東京撮影所を任侠路線への転換を図った所長・岡田茂は、翌1964年東映京都撮影所所長に復帰、任侠路線第一弾鶴田浩二主演「博徒シリーズ」に次ぐ第二弾として本作を企画した。不振の時代劇を横目に、仁侠映画路線への転換を目指し、ギャング映画や美空ひばりの相手役の多かったが『人生劇場 飛車角』で好演した高倉健を主役に高倉健を抜擢した。企画では主演として進められていた中村錦之助は、任侠映画があまり好きではなかったため、この第一作のみ出演している。

映画は大ヒットし、それまで人気が燻っていた高倉は一気に東映の大看板になった。岡田茂が仁侠路線のエースコンビと期待していた沢島と錦之助は仁侠映画を嫌い、この後東映を退社した。高倉健の台頭により看板スターは時代劇黄金期から一新され、鶴田浩二・高倉健を頂点に、その脇役から藤純子、若山富三郎、菅原文太らが次々と一本立ちし、再び磐石のスター・ローテーションが形成されることになった。2014年11月10日満83歳で亡くなった高倉健、彼の映画をリアルタイムで観ていない。特にこの映画を今さらながらに初めて観て、時代を作っていった様式美よりもリアリスティックで粗削りの侠客の姿に圧倒された観客の姿が目に浮かんでくる。

『おとなのけんか』(Carnage)

2008年(平成20年)・フランス/ドイツ/ポーランド/スペイン 監督/ロマン・ポランスキー

出演/ジョディ・フォスター/ケイト・ウィンスレット/クリストフ・ヴァルツ/ジョン・C・ライリー

ポーランド人の監督ポランスキーは、アメリカのヒューストンに居を構えるが、1969年女優である妻シャロン・テートがチャールズ・マンソン率いるカルト教団に惨殺される過去を持つ。1977年にはジャック・ニコルソン邸で、当時13歳の子役モデルに性的行為をした嫌疑をかけられ逮捕、裁判では司法取引により法定強姦の有罪の判決を受ける。保釈中に「映画撮影」と偽ってアメリカを出国し、ヨーロッパへ逃亡した。以後アメリカへ一度も入国していない。1978年にフランスに移り、市民権を取得した。なにかと問題の多い監督として有名。

この映画は2組の夫婦が舞台劇のように演じる物語。いきさつはこうだ。11歳のザカリー・カウワンはブルックリンの公園で同級生のイーサン・ロングストリートを棒で殴り、前歯を折る怪我を負わせる。この喧嘩の後始末をするために、「被害者」の親であるロングストリート夫妻は、「加害者」の親であるカウワン夫妻を自宅マンションに招く。

当初、友好的に「子どものけんか」を解決しようとするのだが、会話を重ねるにしたがい険悪な雰囲気になっていくばかりか、それぞれの夫婦の間でも感情的な対立が生まれていく。口げんかの話題の中で展開される夫婦模様。口論の題材によっては夫同士が仲間意識を持ったり、妻同士の結託があったりして、初期の加害者側・被害者側という事件の争いという図式とは違う、都合が悪い話になると話題の逸らしや、男性として女性として感情揺さぶられる性別ゆえの異なる考え方、夫婦生活への不満、仕事に対する考え方、夫婦なら必ずありそうな摩擦すれ違い喧嘩の過去、そういう普段の生活などが事件より優先される現実感が強調されている。

『新選組』

1969年(昭和44年)・日本 監督/沢島忠

出演/三船敏郎/三国連太郎/北大路欣也/田村高廣/中村賀津雄/中村梅之助/司葉子/池内淳子/星由里子/野川由美子

新選組の物語は、昔はテレビ番組でもなんだかんだと話題になっていた。久しぶりに見る新撰組の話が、妙に懐かしい。芹沢鴨だ土方歳三だ沖田総司だと、我々の世代なら誰でも名前を聞いただけでイメージが出来る。

三船敏郎の侍ものは、やっぱりいいねえ。一途な近藤勇のいかにも男らしい姿を見せてくれる。時代に翻弄された近藤勇という武士がなんとなく分かった。今までは新撰組という組織のなかでの話だったが、幕府、会津藩、明治維新という歴史の中での彼の姿を初めて観る気がした。

どちらが正しくて、どちらが間違いなのかは分からない。分かるのは勝てば官軍ということだけ。それは国内にとどまらず、国際的にも同じこと。戦勝国とはとても思えない中国が、偉そうにしていられるのも、不思議な歴史を感じる。自分たちだけ原爆を保有し、そのほかの国は持ってはいけないなどと、考えられないような仕組みの上に胡座をかいている時代は、遠かれ崩壊していく運命にあることは間違いない。

『赤線地帯』

1956年(昭和31年)・日本 監督/溝口健二

出演/若尾文子/三益愛子/町田博子/京マチ子/木暮実千代/川上康子/進藤英太郎/沢村貞子/浦辺粂子/十朱久雄

 日本には、江戸時代以来の公娼制度が存在していたが、1872年(明治5年)に、明治政府が太政官布告第295号の芸娼妓解放令により公娼制度を廃止しようと試みた。しかし、実効性に乏しかったこともあり、1900年(明治33年)に至り公娼制度を認める前提で一定の規制を行っていた(娼妓取締規則)。1908年(明治41年)には非公認の売淫を取り締まることにした。
 第二次世界大戦後の占領下において、当時のGHQ司令官から公娼制度廃止の要求がされたことに伴い、1946年(昭和21年)に娼妓取締規則が廃止され、1947年(昭和22年)に、いわゆるポツダム命令として、婦女に売淫をさせた者等の処罰に関する勅令(昭和22年勅令第9号)が出された。公娼制度は名目的には廃止されたが、赤線地帯は取り締まりの対象から除外されたため、事実上の公娼制度は以降も存続した。なお、一部の自治体は勅令とは別に、同時期に売春それ自体を処罰する売春取締条例を成立させている。その後、風紀の紊乱などを防止するため、全国的に売春を禁止する法規の必要性が論じられるようになった。

 売春防止法の元祖は、1948年(昭和23年)の第2回国会において、売春等処罰法案として提出されたものである。しかし、処罰の範囲等に関する合意の形成が不十分であったため、厳格すぎるとして審議未了、廃案となった。しばらく間を置いた後の1953年(昭和28年)から1955年(昭和30年)にかけて、第15回、第19回、第21回、第22回国会において、神近市子などの女性議員によって、議員立法として同旨の法案が繰り返し提出された。これらは多数決の結果、いずれも廃案となった。第22回国会では連立与党の日本民主党が反対派から賛成派に回り、一時は法案が可決されるものと思われたが、最終的には否決された。一方で、1955年(昭和30年)10月7日最高裁判所において、酌婦業務を前提とした前借金契約を公序良俗違反として無効であるとの判例変更がなされるなど、売春を容認しない社会風潮は着実に進みつつあった。

1956年(昭和31年)、第4回参議院議員通常選挙を控える中で、第24回国会が開催された。自由民主党は選挙に向けて女性票を維持および獲得しようとの狙いから、売春対策審議会の答申を容れて、一転して売春防止法の成立に賛同した。法案は5月2日に国会へ提出され、同月21日に可決した。売春防止法は翌年の1957年(昭和32年)4月1日から施行されることになった。
 廃案のニュースがラジオから流れる時期の吉原『サロン 夢の里』店での物語。経営者も警官もニュースでさえも「売春禁止法」と喋っていることがおもしろい。一流の女優がこれだけ出演しているところもおもしろい。「世の中が必要としない商売が、300年続くわけがない」「俺たちはねぇ、政治の行き届かない所を補ってるんだ」 と、語る店の経営者の言葉がひびく。

『学校II』

1996年(平成8年)・日本 監督/山田洋次

出演/西田敏行/吉岡秀隆/永瀬正敏/いしだあゆみ/神戸浩/泉ピン子/原日出子/笹野高史

馬鹿真面目な題材ながらヒットを記録した「学校」1作目の製作者グループ、松竹・日本テレビ放送網・住友商事が2匹目のドジョウを狙って製作した。東京の夜間中学校が舞台だった1作目から、この2作目は北海道の高等養護学校へと舞台は移った。

重い障害を持つ生徒と軽い障害を持つ生徒の交流・葛藤、就職問題等を入学から卒業までの、3年間の出来事を描いている。頭では分かっているような気になっているが、実際の毎日を一緒に暮らしている人たちには頭が下がる。劇中、障害者といえど普通にみんなと同じ学校に通えないのは、どういうことだろうと疑問が投げられる。

そういう肝心なことをいつもきちんと議論することなく、目の前の刹那的な馬鹿笑いや馬鹿騒ぎに興じている社会がうとい。辛気くさいことを言うなよ、と責める方に利があり、楽しくやろうぜ、と肩をたたかれる。そうして何十年もやり過ごしてきた日本社会だが、もうすぐそのツケが回ってくる日が必ずやってくる。一部の熱狂的な超悲観論者も、少し心を穏やかに社会をリードしていってほしい。バランス良く。

『丹下左膳 百萬兩の壺』

2004年(平成16年)・日本 監督/津田豊滋

出演/豊川悦司/和久井映見/野村宏伸/麻生久美子/武井証/豊原功補

『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』は、1935年(昭和10年)公開の時代劇映画である。日活京都撮影所が、山中貞雄を監督に、丹下左膳役に大河内傳次郎で製作した。2009年11月20日、キネマ旬報社が創刊90周年(1919年創刊)を記念して『日本映画・外国映画オールタイム・ベスト・テン』を発表したが、『丹下左膳余話 百萬両の壺』は日本映画部門の7位に選ばれた。このリメイク版がこの作品。

こんなおもしろくない映画が7位ということはないだろうから、山中貞雄監督作品はまちがいなくまったく違う出來なのだろう。あきれはてるほどのおもしろくなさは、役者の力不足も大きく影響している。和久井映見の姐さんぶりがちっとも粋じゃない。下手くそな三味線シーンなどは,特筆すべき未熟さ。

Web検索ではこの作品は登場しなかった。恥ずかしくて登場できないのだろう。どうしてこんな映画が出来てしまうのだろうか。丹下左膳は右腕がないはずなのだが、懐に隠したような腕の膨らみが、着物の上から見えてしまって興醒め。基本的なところを押さえなければ、所詮は映画と軽んじられてしまう。

『ロング・グッドバイ』(THE LONG GOODBYE)

1973年・アメリカ 監督/ロバート・アルトマン

出演/エリオット・グールド/ニーナ・ヴァン・パラント/スターリング・ヘイドン/ジム・バウトン

この映画の主人公フィリップ・マーロウという名前をどこかで聞いたことがある、とずーっと気になって観ていた。調べてみたら、フィリップ・マーロウ(Philip Marlowe)は、レイモンド・チャンドラーが生み出したハードボイルド小説の探偵。マーロウの名はチャンドラーが在籍したロンドンのダリッジ・カレッジの寮名である。地方検事局の捜査官をしていたが、命令違反で免職となりロサンゼルスで私立探偵を開業する。

別の映画で観たに違いない、この主人公のストーリー。この映画は、レイモンド・チャンドラー原作『長いお別れ』の異色映画化。そのエキスだけを巧みに70年代に移植した、ということらしい。異色作と書いてあってちょっと安堵する。何故かと言えば、観ていてどうにも歯切れが悪いぐちゃぐちゃした展開に少し愛想を尽かしたから。

終わってしまえば、さすがに結末はなんとか理解できるが。スクリーンに見せない部分で謎解きがある物語は好きじゃない。あまりにも勝手すぎる。映像できちんと謎解きを示唆してくれなければ、映画にのめり込むことは出来ない。ロバート・アルトマンは結構、力があると思っていたが。

『西部に賭ける女』(Heller in Pink Tights)

1960年・アメリカ 監督/ジョージ・キューカー

出演/ソフィア・ローレン/アンソニー・クイン/マーガレット・オブライエン/スティーヴ・フォレスト

『アメリカの開拓地で ガンマンや無法者が 名を上げていた時代 ある旅回りの劇団の 美しく魅力的な女優が 西部で人気を博していた ”ピンクタイツの魔性の女”は花形女優として各地で活躍し 旧西部の伝説となった これは彼女の物語である』 と、冒頭のクレジットが映し出される。

この映画の数年前からソフィア・ローレンは、国際女優として何本かのハリウッド映画に出演している。まだ20代の彼女の容姿は、まさしく女優そのもの。今の時代にさえこれだけのスタイルをもった女優はいない。凄い存在感だと感じる。

映画の中の彼女は、肝っ玉姐さんのような心意気も滲み出ていて、思わず微笑んでしまう。大らかな時代の大らかな映画。彼女の魅力にすぐに騙されてしまう男ども。時代は変わっても、変わらないことがあるような。

『永遠の僕たち』(Restless)

2011年・アメリカ 監督/ガス・ヴァン・サント

出演/ヘンリー・ホッパー/ミア・ワシコウスカ/加瀬亮/シュイラー・フィスク

イーノックは赤の他人の葬儀に参列することを趣味としていた。ある日、故人の知り合いでは無いことを参列者の少女に見抜かれる。別の葬儀で係員に見とがめられたイーノックは、再び居合わせたその少女が自分の彼氏であると嘘を吐いてくれたことで救われる。少女はアナベルという名で、がん病棟の職員だという。イーノックは家庭では叔母と二人暮らしで、彼にだけ見える第二次世界大戦で戦死した日本の特攻隊員の幽霊・ヒロシのみが友人と言える存在だった。(Wikipediaより)

主演は、デニス・ホッパーのひとり息子。加瀬亮という私の知らない役者が出ている。デニス・ホッパーの存在は知っているが、ヘラルド出身者が彼との交友日記みたいなものを本にしたものを読んでから、結構近い存在になっていた。翻訳者もヘラルド出身者だった。

暗い話なのだが、死後の世界に通じる現世での話なので、、どことなく興味が惹かれる。いつも思う、本人は知らない本人の死後、雲の間から覗いてみたい衝動に駆られる。

『荒野のストレンジャー』(High Plains Drifter)

1973年・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/クリント・イーストウッド/ヴェルナ・ブルーム/マリアンナ・ヒル/ビリー・カーティス

1959年からCBSで放映されたテレビ西部劇『ローハイド』で、ロディというカウボーイを演じる。同作品は約7年間に亘り220話近く製作された人気シリーズとなり、イーストウッドの知名度と人気は世界的に高まった。1964年にはセルジオ・レオーネ監督にイタリアに招かれ、マカロニ・ウェスタンの嚆矢でありかつそれを代表する作品となった『荒野の用心棒』に出演。その後も『ローハイド』の撮影の合間を縫って『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』と都合3作のレオーネ作品に出演した。この3作品で名無しの男を演じたイーストウッドはレオーネを師と仰ぎ、レオーネの逝去まで交友を続けた。これらの映画の人気により、イーストウッドの映画俳優としての評価はヨーロッパが先行し、アメリカに逆輸入された形となった。

『マンハッタン無宿』で出逢ったドン・シーゲルと再びタッグを組んだ『ダーティハリー』でイーストウッドは型破りな刑事ハリー・キャラハンを演じた。これはシーゲル作品としてそれまでで最大のヒットとなり、イーストウッド本人もこの作品で人気アクション・スターとしての地位を不動にした。現在においてもイーストウッドの俳優としての代表作として真っ先に挙げられるのがこの作品である。『ダーティハリー』シリーズは、この後4作品が製作されている。

1968年に映画制作会社マルパソプロダクションを設立。1971年に『恐怖のメロディ』で初監督。俳優業の傍ら『荒野のストレンジャー』『アウトロー』などの作品を立て続けに発表。監督業に進出した他の役者と違い、所謂「大作」や賞レースに関わる作品には出演せず、自らのプロダクションで製作した小規模ともB級とも呼べる作品でのみ主演し、監督業と俳優業を両立しながら地位を確立した。80年代までの監督作の中で『アウトロー』『ブロンコ・ビリー』などでは「壊れた家族」というモチーフ、疑似家族を得ることで人生の輝きを取り戻すストーリーという共通した要素が見いだせる。1987年の第45回ゴールデングローブ賞で、セシル・B・デミル賞を受賞。(Wikipediaより)

『そうかもしれない』

2007年(平成19年)・日本 監督/保坂延彦

出演/雪村いづみ/阿藤快/下條アトム/夏木陽介/烏丸せつこ/桂春團治

妻がどんどん呆けていくさまが長く描かれる。なかなか興味のある風景だ。おそらくひとつの例として、具体的な観察がなされたことなのだろう。雪村いずみがまだ生きていたんだ、なんて失礼なことを言っている。過去の栄光など忘れたかのように、地味な呆け役を見事に演じている。

製作総指揮に大平義之という名前があって、妙に目立っていたので調べてみた。どこかの企業の代表とかかな、と思ったらまったく想像だにしない経歴の人だった。ジャッキー・ウー(本名:大平 義之、年齢非公開)は日本、フィリピンの俳優、映画プロデューサー、映画監督、ラジオパーソナリティ。神奈川県横浜市出身。男性。だという。1996年香港で俳優としての活動を開始。1998年からフィリピンでの活動を中心に映画プロデューサ兼主役。主演映画『少林キョンシー』は世界60カ国で公開される作品となったという。

自分が呆けていることを認識しないで生きて行くのは辛い。もしもそんなことになったら、早く始末して欲しい。心からそう思うが、そんなことは今の世の中では出来ないこと。一体どうすれば良いのだろうか。人間を作った神の思し召しは、何処にあるのだろうか。

『ザ・インタープリター』(The Interpreter)

2005年・アメリカ 監督/シドニー・ポラック

出演/ニコール・キッドマン/ショーン・ペン/キャサリン・キーナー/イヴァン・アタル

2008年に亡くなったシドニー・ポラック監督の最後の監督作品だという。いつ見ても覚えきれないニコール・キッドマンの顔、この映画ではくっきりと美しい顔かたちが目立っていた。題名通り、国連での通訳嬢にふりかかるサスペンス物語。おもしろい。

翻訳も通訳も難しい。生活習慣が同じではない言葉を訳すことは至難の業。本人は両方の言語に精通していると勘違いしているが、どちらの側から見ても中途半端に見えるとは意識していない。あるいは、少し外国の言葉を喋れるからといって、適切に訳せるわけではない。そんなことは当たり前なのに、そう思わない人が大半。不思議な現象だ。

ノコギリにしたって、日本のノコギリは曳くことで板が切れるが、アメリカではノコギリは押して切る。手招きの手を下向きにして手を振るのが日本で、アメリカでは手のひらは垂直に上を向いている。おいでおいでといって振る日本式手招きが、あっちへ行けという振る舞いになってしまうのはおもしろい現象だ。

『近松物語』

1954年(昭和29年)・日本 監督/溝口健二

出演/長谷川一夫/香川京子/南田洋子/進藤英太郎/小沢栄太郎/浪花千栄子/田中春男

近松門左衛門作の人形浄瑠璃・歌舞伎の演目『大経師昔暦』(だいきょうじ むかしごよみ、通称「おさん茂兵衛」)を下敷きにして川口松太郎が書いた戯曲『おさん茂兵衛』を映画化した作品である。スター嫌いだった溝口健二監督は、大映社長の永田雅一の強い要請で長谷川一夫を起用したという。

まともな映画をまともに撮って飽きさせないのは、監督の力というものだろう。ちょっと小生意気な監督や脚本家は、本筋をいいようにねじ曲げて、自分勝手な独りよがりなエピソードを挿入したりして、遊んでしまう。あらためて近松物語というものの一端に触れたような気になった。

悲しい物語ではあるが、人間が生きていくなかで必要な心根があることを知る。心は売らない、という言葉があるが、まさしく人間が人間であるための原点のような言葉だ。それだけの価値のある心かどうかは疑問だが。

『日本の首領 野望篇』

1977年(昭和52年)・日本 監督/中島貞夫

出演/佐分利信/松方弘樹/菅原文太/三船敏郎/高橋悦史/成田三樹夫/岸田今日子/菅原文太/小沢栄太郎

原作は飯干晃一の小説『日本の首領』(にほんのどん)。山口組三代目組長田岡一雄をモデルにしている。1作目『やくざ戦争 日本の首領』(1977年1月)、3作目『日本の首領 完結篇』(1978年9月)をすでに観ているが、この2作目がおもしろい。1977年10月の公開というから、ほぼ3作同時撮影したのだろう。

昭和四十六年、構成員四百団体、一万二千人の関西ヤクザ集団は全国制覇の肝、東京の覇権を争っていた。おもしろくないわけがない。他人事なら見ていて楽しい。本物のヤクザとつき合わなければならなくなったら、こんなストレスのかかる事態は他にない。

名だたる日本の俳優たちが顔を出している。そんななか、岸田今日が出てくると、画面が引き締まる。好き嫌いの問題ではなく、彼女の存在感を否定することは出来ない。この頃の松方弘樹も格好良い。いつのまにか、テレビではおちゃらけた態度しか見せなくなったが、映画の栄華が続いていたら、そんな姿を見せなくて良かったのに。

『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』

2009年(平成21年)・日本 監督/佐藤祐市

出演/小池徹平/マイコ/品川祐/田辺誠一/朝加真由美/森本レオ

もしかすると、おもしろいのかもしれない、と思いながら観始まった。が、酷いものだった。アスミック・エースがこんな映画に関わっていたなんて、ちょっと失望する。この手の映画のいつも通りの見方、倍速から、五倍速に移って一気に観終わる。まあ、観たとは言えない状況。

時々、普通倍速でチェックしたりはするが、やっぱりすぐに五倍速に戻ってしまう。観ていて一番嫌なのが、登場人物のセリフを聞いていると、不愉快になってくること。映画のセリフなのだから、仕方がないじゃないの、とは思えない。むかむかしてくる気分は一体何なのだろう。

このブラック企業は、いわゆるIT企業の末端、ソフト製作会社。プログラミング請負業とでもいう会社。ちょっとプログラムやシステム設計ということを知っている人間にとって、とてもじゃないけどこんな会社に仕事を任せるはずがない。仕事、世の中のこと、オールマイティーのように物事を知っていない人が作るシステムやプログラムが優秀なわけがない。どう考えたってどこかでシステム・ダウンを起こしそうな製品作りしか出来ないだろう。そんな雰囲気がぷんぷんで、そんな会社のことを物語にする稚拙なストーリー。

『狩人の夜』(The Night of the Hunter)

1955年・アメリカ 監督/チャールズ・ロートン

出演/ロバート・ミッチャム/シェリー・ウィンタース/リリアン・ギッシュ

1953年に発表されたディヴィス・グラッブによる同名の小説が原作である。グラップの小説は出版されると同時にベストセラーとなり、1955年度の全米図書賞の最終候補にも選ばれた。小説の大ヒットを受けて、当時優れた舞台・映画俳優として知られていたチャールズ・ロートンによる映画製作が開始された。映画は1955年8月26日に北米で公開されたが、興行的にも批評的にも失敗した。作品が受け入れられなかった理由について、同年に『暴力教室』や『理由なき反抗』のような話題作が有ったためそれらに埋もれてしまったとも、シネマスコープで撮影されたカラー映画が増えつつある中、スタンダード・サイズで撮影された白黒映画が観客に古臭く見えたとも言われている。ロートンはこの結果に失望して、再び監督をする意欲を無くしてしまった。結果的にこの作品が名優ロートンにとって最初で最後の監督作品となった。

公開後しばらく経ってから作品の芸術的価値が再発見され、現在ではカルト映画としての地位を確立している。映画が製作された1950年代には本国アメリカにおける不評のためか日本では劇場公開されなかったが、近年の再評価を受けて1990年になってようやく日本でも劇場公開されるに至った(ただし1990年以前にも、『殺人者のバラード』というタイトルでTV放送されたことはあるようである)。スリリングな物語展開、モノクロの幻想的で美しい映像と共に、狂気の伝道師を演じたロバート・ミッチャムの怪物的演技が高く評価されている。(Wikipediaより)

実を言うとこの映画はなんなの?と思いながら観ていた。どうにも殺人鬼のような伝道師が、自分の欲のために誰彼かまわず人を殺していく。子供も容赦しない。そんなストーリーをサスペンスと呼ぶのさえためらう。この時代のアメリカ人の気質はこんなにすさんでいたのだろうか。もっとも最後には孤児たちを救うおばさんの神の言葉を観客に投げかけているが。

『ファミリー・ツリー』(The Descendants)

2011年・アメリカ 監督/アレクサンダー・ペイン

出演/ジョージ・クルーニー/シェイリーン・ウッドリー/ボー・ブリッジス/ジュディ・グリア/マシュー・リラード

原題:descendant:(…の)子孫,末裔(まつえい)。邦題のでどころ、意味合いが通じない。これはハワイに住むアメリカ人の話。ハワイの王様の末裔家族の物語。評価が高い。批評家の総意は「おかしく、感動的で、美しい演技のある。予想のつかない人生の無秩序さを、説得力と稀有な優しさで捉えている」、と。

主人公の男は弁護士で、家族を顧みる時間もなく毎日をおくっていた。妻がボート事故で意識不明、存命中の彼女の意思表示に従い生命維持装置を外す日が近づく。そんななか妻が不倫中だったことが判明、大学に通う長女が母との折り合いが悪くなったのもそのせいだと告白される。後継者たちが受け継いだ莫大な土地問題が同時進行している。生命維持措置をしないで欲しいと、どこかに書いておかなくては、と妙にリアリティーを実感する。

意識はないけれど、まだ息のあるうちにお別れを言って欲しい、と夫から親族や知人に知らされる。本人には分からなくとも、お別れが出来るということは、美しい光景に見える。なんでも自分のことにおきかえて考えてしまう。そんな贅沢な時間が持てたら良いだろうなあ。家族はひとりずつ病室に入って、それぞれの別れのときを持つ。アメリカらしい。遺灰をボートから海にまくシーンがラスト。土葬が一般的なアメリカ本土だが、土地が限られるハワイでは、火葬が一般的なのだろう、と思ったりする。

『刑事物語2 りんごの詩』

1983年(昭和58年)・日本 監督/杉村六郎

出演/武田鉄矢/園みどり/玉野叔史/三浦洋一/寺田農/奥村公延/稲葉義男/高岡健二/岸部シロー/鈴木ヒロミツ

今日は、2015年5月19日(平成27年)だ。次女の誕生日、彼女は38歳になった。この映画は、初めて観た3作目の感想でおもしろくなかった、と書いたことをよく覚えている。気楽に観られるから、と録画をためらわなかったが、やっぱりおもしろくないことには変わりなかった。

とりたてて書くこともないし、映画の中に人生の一端を語るようなことも見つからない。ここまでいい加減な映画進行は珍しい。主人公が若い女にすぐ恋したりして、設定年齢がまったく分からない。唐突な物語の進行が、独りよがりのストーリーを描き出している。それにしても、おもしろくないなー。

(新人)の断りのあった園みどりという女優を見たことがない。テレビドラマには2、3年前まで出ていたようだが、とんと見ない。役者も売れなければ、どこかに消えてしまう運命。大変な職業だ。第3作目の録画はどうしようかな-。ふ~む。

『ブラックホーク・ダウン』(Black Hawk Down)

2001年・アメリカ 監督/リドリー・スコット

出演/ジョシュ・ハートネット/ユアン・マクレガー/トム・サイズモア/サム・シェパード

1993年に実際にソマリアでおこった壮烈な「モガディシュの戦闘」(米軍を中心とする多国籍軍とゲリラとの市街戦)を描いている。「ブラックホーク」とは、米軍の多用途ヘリコプターUH-60 ブラックホークの強襲型、「MH-60L ブラックホーク」の事である。

戦争映画なのだろうが、一体誰がなんのために戦っているのだろう。ソマリア内戦への超大国による介入とその失敗が内容。喧騒とした街に突如として降下するアメリカ兵、一般住民と民兵が入り混じった乱戦、少数精鋭のアメリカと数で押す民兵、現場と司令部との齟齬など、分かりやすい正規戦をモチーフとした、これまでの戦争映画とは違い現代の不正規戦における混乱が的確に描写されている。

第一次や第二次世界大戦とちがい、初めて戦場に向かう兵士も多い。ひとりひとりの命が大切にされている現代戦争。武器が粗末な割には、人殺しを平気で行っていた時代から比べると雲泥の差を感じる。ソマリア人千人、アメリカ軍兵19人の死亡が、ものすごい市街戦で描かれる。何百万人も死亡した先の大戦の恐ろしさが襲ってくる。

『弁天小僧』

1958年(昭和33年)・日本 監督/伊藤大輔

出演/市川雷蔵/勝新太郎/青山京子/阿井美千子/近藤美恵子/田崎潤/島田竜三/舟木洋一/河津清三郎/中村鴈治郎

知らざあ言って聞かせやしょう 浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の 種は尽きねえ七里ヶ浜、その白浪の夜働き 以前を言やあ江ノ島で、年季勤めの稚児が淵 百味講で散らす蒔き銭をあてに小皿の一文字 百が二百と賽銭のくすね銭せえ段々に 悪事はのぼる上の宮 岩本院で講中の、枕捜しも度重なり お手長講と札付きに、とうとう島を追い出され それから若衆の美人局 ここやかしこの寺島で、小耳に聞いた爺さんの 似ぬ声色でこゆすりたかり 名せえゆかりの弁天小僧菊之助たぁ俺がことだぁ!

 鼠小僧は小さい頃の定番だったが、弁天小僧は大人の世界。もう少しましなキャラクターだと思っていたが、意外と情けない存在だった。どう考えてもシリーズ化されるような雰囲気に見えたが、この映画の終わりを見ると、簡単につかまってしまって、なんか興醒め。格好良いセリフに反して、ちょっと期待外れ。

『学校』

1993年(平成5年)・日本 監督/山田洋次

出演/西田敏行/竹下景子/田中邦衛/裕木奈江/萩原聖人/大江千里/笹野高史/坂上二郎

©松竹・日本テレビ放送網・住友商事 この時期住友商事の映画担当者とよく会っていて、松竹の試写室でこの映画を観たのは、もう22年前にもなるのか-。その時に、この映画はいいねえ、当たるよ、と断言したことを覚えている。

もしかすると、試写を観た日は体調がすこぶるよかったのかもしれない。今見直して、とても当たるよなどとよく断言できたな、と自分のことを訝っている。真面目過ぎて、どうにも興行には耐えられない様相なのだが、結果的には結構当たったと記憶している。「文部省特選」

まだまだ勉学に燃えていたのかもしれない。こまめに勉強することなどしているわけはないので、他人の真摯な生活態度にいたく感動していたのかもしれない。夜間中学校で勉強するなんて、自分がそういう立場になったとしても、おそらくそんな勇気はでないのではなかろうか。こんな真面目な映画はもう作られないだろう。このシリーズは4作目までいったらしい。

『幕末』

1970年(昭和45年)・日本 監督/伊藤大輔

出演/中村錦之助/三船敏郎/仲代達矢/吉永小百合/仲谷昇/中村嘉葎雄/松山英太郎/神山繁/小林桂樹

幕末という題名ながら、ほとんど坂本龍馬を描いた映画だった。吉永小百合が明るくて可愛い。明確に複雑に龍馬の活躍を描いてくれればいいのだけれど、よく分からない物語が不満をもたらす。彼の活躍を明確にすればするほど、嘘っぽくなってしまうのかもしれない。

明治維新という日本歴史の大変換期を支えてきたのは数多くの志士の群であったことは間違いない。一人一人の覚悟と希望がひとつの魂となって維新を実現したのだろう。時間軸と人間軸が重なり合った時に、初めて志士たちも自分たちの往く道が見え始めたのではなかろうか。

尊皇だ攘夷だと言葉だけが先行したけれど、見えているものは何もなかったはずだ。それでも、世界を取り巻く空気は、日本といえども、そのままにしておかなかったことがおもしろい。時を同じくして、世界中の国々で内乱や革命が起こることは、今のインターネット時代ではないアナログ時代の出来事として、神の為せる技かと信じてしまうほどだ。

『山椒大夫』(さんしょうだゆう)

1954年(昭和29年)・日本 監督/溝口健二

出演/田中絹代/花柳喜章/香川京子/進藤英太郎/河野秋武/浪花千栄子/加藤雅彦

さんしょうだいゆ だとばっかり思っていた。安寿と厨子王の話だったとも初めて知った。活字世界に弱いのが情けない。こんな悲しいはなしだったとは。読んだことも見たこともないはずなのに、映画の中で語られる父親の教えが妙に心に響く。どうしてだろう。

中世の芸能であった説経節の「五説経」と呼ばれた有名な演目の一つ「さんせう太夫」を原話とした、1915年(大正4年)森鴎外53歳の時に「中央公論」に掲載された小説で、鴎外の代表作の一つであるという。

日本にも奴隷制度があったのだと思わざるをえない。先日見たアメリカ南部での黒人奴隷とまったく同じ扱いをされていたのに驚く。ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を獲得するなど、海外でも高く評価され、溝口健二監督の代表作のひとつとなったというが、日本の奴隷制度映像も、もしかすると当たり前のように受け入れられていたのかもしれない。

『母べえ』

2008年(平成20年)・日本 監督/山田洋次

出演/吉永小百合/浅野忠信/檀れい/志田未来/佐藤未来/笹野高史/笑福亭鶴瓶/大滝秀治/坂東三津五郎

『母べえ』(中央公論新社刊)の原作者野上照代さんを知っている。向こうは知らないと思う。黒澤明監督の『乱』の時に、常に監督のそばにいた彼女と仕事をしていたヘラルドの先輩のお供で私がいた。その当時は顔を合わせれば挨拶をする程度ではあったが。

相鉄ムービルが閉鎖になって映画界にいた友人が、この映画の宣伝動員担当として関わったことを本人から聞いていた。松竹の契約社員として1年半くらい活躍したようだ。吉永小百合主演でこの題名では大ヒットする要素がどこにもない。まじめな映画だという雰囲気が、強過ぎる。軽チャー路線の日本国民思考時代には悲劇としか言いようがない。

特高警察によって検挙され、巣鴨拘置所に収監される。思想犯が国体変革を狙う不届き者として白眼視される時代に、父との往復書簡を通して、家族が支え合って明るく暮らす姿が描かれている。国家によって思想までも強要され、挙げ句の果て戦争にかり出されてお国のために死を求められたこの時代を憂いでいる人々には、どうしても信用できない「国」という存在が厳然としてあるのかもしれない。

『マスク・オブ・ゾロ』(The Mask of Zorro)

1998年・アメリカ 監督/マーティン・キャンベル

出演/アントニオ・バンデラス/アンソニー・ホプキンス/キャサリン・ゼタ=ジョーンズ/スチュアート・ウィルソン

子供の頃にテレビで毎週放映されていた番組があったような気がする。何故かそういう記憶があるのだが、ホントだったかどうかを調べていない。そんな子供の気分がよみがえってきて、あまり観る気になれなかった。録画もしぶしぶの気持ち。

出だしは快調に、おもしろそうな滑り出しだった。初代ゾロの娘が成長して登場する頃から、おもしろくなくなってくる。キャサリン・ゼタ=ジョーンズは美しいと言うのだろうが、女優としては味気ない。どうもこの手の顔を好きになれない。ただ美しそうな女性が女優になれるのなら、こんな簡単な職業はないだろう。

漫画本を読んでいるような。一騎打ちのシーンが長過ぎて、とても観ていられない。こういう勧善懲悪のヒーロー映画はアメリカではうける。大ヒットして、2005年には引き続きキャンベル監督、バンデラス、ゼタ・ジョーンズ出演による続編『レジェンド・オブ・ゾロ』が制作されている。

『レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い』(Legends of the Fall)

1994年・アメリカ 監督/エドワード・ズウィック

出演/ブラッド・ピット/アンソニー・ホプキンス/エイダン・クイン/ジュリア・オーモンド/ヘンリー・トーマス

久しぶりに映画らしい映画を観た。もう20年も前の映画だが、この映画の存在を知らなかった。まったく評価していなかったブラッド・ピットだが、この映画の彼はいい。Wikipediaによれば恋愛映画というジャンル分けをしてあったが、そうじゃああまりにも製作者に失礼な気がする。

時は1914年、第一次世界大戦が始まるや牧場で生活していた3人の息子にも一生の大変化が起こる。婚約者を東部から連れて帰っていた一番下の弟が、すぐ上の兄の目の前で戦死してしまった。恋愛映画とはこの婚約者の女性をめぐっての物語を指しているのだろうが、単なる恋物語ではない。悲しい心が揺れる物語なのだ。

誰からも愛されて生きていける人生は仕合わせに見える。だが、その本人から見れば、守ろうとしても守り切れなかった弟やその婚約者の命を、胸の奥にしまい込んで平坦な人生を過ごすことは出来なかった。心に隠れたその想いを、映像で表すとこういう映画になるのだろう。大きなスクリーンを観終わって、劇場から出ていた時の気分をよみがえらせてくれる。

『太陽の帝国』(Empire of the Sun)

1987年・アメリカ 監督/スティーヴン・スピルバーグ

出演/クリスチャン・ベール/ジョン・マルコヴィッチ/ジョー・パントリアーノ/伊武雅刀/ガッツ石松/山田隆夫

かなり前に観たはずの映画だが、これっぽっちも思い出すシーンがない。スピルバーグの映画でおもしろくないと思った映画はなかったけれど、この映画はおもしろくないという記憶だけがあった。2時間31分と長い。同じようなシーンが連続し、あのエンターテインメント満載のスピルバーグには見えない。

イギリスの小説家J・G・バラードの体験をつづった半自伝的な長編小説。上海で生活していたイギリス人少年が主人公。日本の零戦に憧れる少年。だが、日英間で開戦し日本軍が上海のイギリス租界に侵攻した際に、避難民の大混乱のなか両親とはぐれる。捕虜収容所、そして蘇州の収容所へ送られる。一人の無邪気な少年が戦争のもたらす現実に翻弄されながらも、健気に生き抜こうとする姿が描かれる。

映画の終わりのナレーションにはいつもの「広島」「長崎」への原爆投下が戦争を終わらせたと語られる。もしも今この映画が作られたなら、この最後の語りは少し違っているだろう。原爆が正当化される土壌はもうない。アウシュビッツに匹敵する原爆投下だと世界の誰もが認めているはずだが。

『マイ・バック・ページ』

2011年(平成23年)・日本 監督/山下敦弘

出演/妻夫木聡/松山ケンイチ/忽那汐里/石橋杏奈/あがた森魚/長塚圭史/三浦友和

川本三郎が、1968年から1972年の『週刊朝日』および『朝日ジャーナル』の記者として活動していた時代を綴った回想録。前半は東大安田講堂事件や三里塚闘争、ベトナム反戦運動などの当時を象徴する出来事の取材談、出会った人々の思い出、当時の文化状況などが新左翼運動へのシンパシーを軸に綴られ、後半は活動家を名乗る青年Kと出会ったことから、朝霞自衛官殺害事件に関わって逮捕され、有罪となって懲戒免職に至る顛末が語られる。雑誌『SWITCH』に1986年から1987年にかけて連載され、1988年に河出書房新社から『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』という題で単行本が出版された。一時は絶版となっていたが、映画化を機に2010年に平凡社より再刊された。

2007年にプロデューサーの根岸洋之から原作が監督の山下敦弘、脚本の向井康介に渡され、約3年をかけて脚本化の作業が行われた。山下、向井はどちらも舞台となる時代には生まれていなかった世代である。通常使われる35mmフィルムではなく、16mmフィルムで撮影され、それを拡大することで映像全体にざらついた質感を与えている。キャッチコピーは「その時代、暴力で世界は変えられると信じていた」。 ~ Wikipediaより

自分の青春時代が大きくダブっている。からこそ、その時代の空気を感じないシーンは虚しい。よく分からない映画。心に響いてくるものがない。あの時代はもっと熱く、もっと心が貧しかった。

『恋するマドリ』

2007年(平成19年)・日本 監督/大九明子

出演/新垣結衣/松田龍平/菊地凛子/中西学/ピエール瀧/内海桂子/江口のりこ/世良公則

新垣結衣の顔は結構好きな感じだが、この映画は観ている気持ちが途切れるほどのつまらなさで、始まって早々に倍速、すぐに5倍速で観終わってしまった。コメントを書くきっかけもないので、以下に引用を。

本作には、大日本プロレスが副業として経営している引越会社「レスラーズ運輸」が重要なヒントとして出て来る。また、プロレスシーンでも、大日本プロレスが全面協力している。共演した中西学と関本大介は、後に2007年4月29日大日本プロレス横浜赤レンガ大会でタッグで対戦する予定だったが、関本が脳浮腫と診断された為に中止となっている。その代替として、7月1日新日本プロレスLOCK UP狭山大会で、関本・井上勝正vs中西・平澤光秀戦が行われた。 ~ Wikipediaより

ほのぼの気分を味わえます ~ ぴあ映画生活より、 だと。


2017年12月29日再び観たので記す。

『恋するマドリ』

2007年(平成19年)・日本 監督/大九明子

出演/新垣結衣/松田龍平/菊地凛子/中西学/ピエール瀧/廣田朋菜/江口のりこ/世良公則

インテリアショップFrancfrancの15周年記念作品として制作されたという。よくもま~こんなつまらない映画に金を出せと騙されているような。それにしてもかったるい、なんとつまらない映画だろう。映画って面白いよ、と先達のごとくふるまっている私にとって、こういう映画の存在はめちゃめちゃ邪魔である。

新垣結衣はいいよね。そうとうの美人というわけではないが、そのあたりにいる普通の女の子ではない、はるかにかわいい女性だ。女優としては長々とスクリーンに出続けることだろう。松田龍平はダメ。いつどこで見ても同じような表情と喋り方では、役者としてのメリハリがなさ過ぎる。いい男の部類でもないし、親が有名だったからってちやほやされて、本当のことを誰も言ってくれないで、育ってしまったような気がする。

監督の力がないのかもしれない。この映画の監督のことをまったく知らないが、この映画の後に見た成瀬巳喜男監督作品『山の音』を見たときに、なるほど監督の力というのは確かに映画の出来に大きく影響するものなんだ、と改めて感じたりしたものだった。

『タワーリング・インフェルノ』(The Towering Inferno )

1974年・アメリカ 監督/ジョン・ギラーミン

出演/スティーブ・マックイーン/ポール・ニューマン/ウィリアム・ホールデン/フレッド・アステア/フェイ・ダナウェイ

当時では極めて珍しいワーナー・ブラザーズ・20世紀フォックス共同製作・提供作品。1970年代中盤期のいわゆる、「パニック映画ブーム」の中でも最高傑作と評されている。こういう映画はリアルタイムで観なければいけない映画。時代に生きる人間なら、その時代の空気を吸いながら映画を共(友)にすることを心掛けたい。

主としてワーナーの映画に出演していたスティーブ・マックイーンと、主として20世紀フォックスの映画に出演していたポール・ニューマンの顔合わせが実現した。マックイーンはニューマンと同じ量のセリフを要求した。マックイーン、ニューマンのどちらがクレジットタイトルの最初に出てくるか注目される中、映画冒頭で二人の名前を同時に出した上で、マックイーンの名を左に据え、ニューマンの名を右側の一段上に据えて対等性を強調する、苦肉の策が取られた。高層ビルの設計者役のニューマンは映画冒頭から登場するが、消防士役のマックイーンは当然40分を過ぎたあたりから登場である。ただ日本ではパンフレットのキャスト欄やテレビ欄などでは大半がマックイーンを先頭においている。

ただの高層ビルの火災の映画だろうと思っていた当時の私。9.11という想定外の事態が起こってから見るこの映画は、ちょっと印象が違う。親子や恋人との別れをする暇もなかったろう同時多発テロに比べれば、まだまだ映画的にも余裕のあるシーンが多く、何故か死んでいく消防士やお客の姿が痛ましく思える。

『ヒート』(Heat)

1995年・アメリカ 監督/マイケル・マン

出演/アル・パチーノ/ロバート・デ・ニーロ/ヴァル・キルマー/ジョン・ヴォイト/トム・サイズモア

アル・パチーノとロバート・デ・ニーロが出ていてアメリカではワーナー・ブラザーズ配給の映画を、どうしてヘラルドが日本国内で配給にからむ事が出来たのか知らない。ヘラルドを辞めてからのことなので、今度誰かに会ったら聞いてみたい。こんな作品を買うことが出来なかったことがヘラルドの弱点でアリ強みだった。

片や悪の権化、片や刑事という対照的な役を演じている。アル・パチーノのちょっと上から目線演技が気になる。はなしはおもしろい。複雑そうで、そうでもないところがいい。アメリカ映画の王道、家族や男女の絡みを適当にちりばめて「吉」といった感じ。

追う側の方が圧倒的に不利なのに、簡単に刑事が悪にたどり着いてしまうくだりが、ちょっと納得できないものとしておもしろさを妨げる。最後のひとつと悪を繰り返すが、その最後のひとつが命取り。なにごとにも、これまでと思うひとつ前に辞めることが肝心。きりが悪くても、ここぞという場所で諦めることが肝要だと映画も教えてくれる。

『寄生獣』

2014年(平成26年)・日本 監督/山崎貴

出演/染谷将太/阿部サダヲ/深津絵里/橋本愛/大森南朋/余貴美子/國村隼/浅野忠信

始まってすぐに寝た。30分くらいだろうか、起き出して見始まったが、特にストーリーが分からないからとかの不満もなく見続けられた。わりあい新しい映画なので、その点だけが興味があった。新作のロードショーということで、前作がテレビ放映されることがおおい昨今。

映画は100人観たら100人の感想がある、と断言しているのに、誰がこんな映画を観て楽しいと思うのだろうか、と相反することを平気で言う。特撮が際立てば際立つほど、そんな馬鹿な、子供騙しも甚だしい、と罵っているのは、心が狭過ぎる自分に問題がありそう。そういう言い方で、この場を逃れようとする汚い手口。

原作漫画の人気が根強いという。一体どんな奴が見て、楽しんでいるのだろう。まあ、世の中には自分の物さしでは計れない人がいるということを最近知ったばかりなので、不思議がってはいけない。出来れば、そんな人間とは関わり合うことなく人生が過ごせればいいな、と思うだけのこと。ホントに悲しい人間がいることが、なんぼ悲しいことか。

『それでも夜は明ける』(12 Years a Slave)

2013年・アメリカ/イギリス 監督/スティーヴ・マックイーン

出演/キウェテル・イジョフォー/マイケル・ファスベンダー/ベネディクト・カンバーバッチ/ポール・ダノ/ブラッド・ピット

原作は1853年発表の、1841年にワシントンD.C.で誘拐され奴隷として売られた自由黒人ソロモン・ノーサップによる奴隷体験記『Twelve Years a Slave(12年間、奴隷として)』である。彼は解放されるまで12年間ルイジアナ州のプランテーションで働いていた。1968年発表のスー・イアキンとジョセフ・ログスドンの編集による初めてのノーサップの伝記の学術書によって、彼の伝記が驚くほど正確であると証明された。 ~ Wikipediaより

今さら奴隷映画を観たくない、と見ている途中でも何度も思った。何度も黒人奴隷の話は頭にすり込まれている。日本がアメリカと戦争をしたことを知らない若者が見たら、いつの時代の小説だろうか、と奴隷制度がホントの話だったなんて、これっぽっちも思わないかもしれない。鞭打ちのシーンは昔も何度も見ているが、リアリティーがあり過ぎるこの映画は、見ることに耐えられないと思わせるほど。

誰が奴隷制度なんかを合法として導入したのだろう。今だからこんなこと、と思えることが、その当時では当然のことだったなんて、私でも信じられない。どこから黒人だから奴隷だという思想が来るのだろうか。イスラム圏では、女性の地位や権利が相変わらず制限されている国がある。この映画を観れば、男だろうが女だろうが、黒人だろうが白人だろうが、まったく同じ存在の基に人間は生まれてきたんだ、ということをつくづく実感できる。中学生あたりの討論教材に是非遣って欲しい映画だ。

『アメリカン・ハッスル』(American Hustle)

2013年・アメリカ 監督/デヴィッド・O・ラッセル

出演/クリスチャン・ベール/ブラッドレイ・クーパー/エイミー・アダムス/ジェレミー・レナー

今回借りてきた10枚のDVD、最後から2枚目でこんな題名の作品を選んでいたことにショックをうけた。観終わって調べてみたら、無冠ではあったがアカデミー賞の10部門でノミネートされたという記事があったので、おそらくDVDパッケージにもそんなことが書いてあって、題名もしっかり見ないで手にしたのだろう、きっと。

1970年代にアトランティックシティで起きた収賄スキャンダル「アブスキャム事件」を基にしたストーリーで、映画の最初には一部実話を含むという表記があった。主人公のモデルはメル・ワインバーグという実在の詐欺師。複雑な詐欺模様をわざわざ複雑に描いていて、あまり好きではない。

会ったことはないけれど、名前だけを知っていて、その人が現れたって、当人かどうかを確認する術を持たないのが普通。そんな特異な状況に追い込まれることはないだろうが、万が一にもそういう状況になったら、誰でも騙されそうだ。年寄りが騙されるのも致し方ないかもしれない。民生委員の人に聞いたところによると、年寄りが騙されやすいのは、普段他人とのコミニケーションのなさが人恋しい状況を作ってしまっている、という一因があるそうだ。

『狼の挽歌』(Citta violenta)

1970年・イタリア 監督/セルジオ・ソリーマ

出演/チャールズ・ブロンソン/ジル・アイアランド/テリー・サバラス/ウンベルト・オルシーニ

録画のタイトルを見て一瞬『狼たちの午後』(Dog Day Afternoon・1975年)かと思った。似せた題名をつけたものだ、と馬鹿にしていた。なんとこちらの映画の方が古かった。犯罪アクションというジャンルらしい。この時代の雰囲気がいっぱいの映画にみえる。ちょっと陳腐だけど。

見たことのない女優がいた。綺麗そうな雰囲気は醸し出していたけれど、一体この女は誰。ジル・アイアランド、名前だけはなんとなく覚えている。この程度でも主演クラスを演じられた時代なのだろうか。好みの問題なのだろうか。

カーチェイス、F1レース場、スナイパー、裸、マフィア、と思いっきり要素を盛り込んでいる。いくつか印象的なセリフが喋られていたが、観終わった途端に忘れてしまった。そんな程度の映画。一時代を築いたチャールズ・ブロンソンだったが、今見るとかなり色褪せて見える。残念だが。

『みんなのいえ』

2001年(平成13年)・日本 監督/三谷幸喜

出演/唐沢寿明/田中直樹/八木亜希子/田中邦衛/白井晃/伊原剛志/八名信夫/江幡高志/井上昭文

布施明演ずる堀ノ内修司、戸田恵子・梅野泰靖演ずるバーの客は『ラヂオの時間』からの登場。 田中直樹演ずる飯島直介、八木亜希子演ずる飯島民子は『THE 有頂天ホテル』にも登場。劇中に、映画『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』に登場したゴジラとメガギラスのアトラクション用の着ぐるみが登場する。八木亜希子はある番組で、「田中邦衛さんは「みんなのいえ」がコメディー映画ということを知らなかったため、ずっとまじめな演技をしていて、打ち上げの席で初めてそのことを知って、「知らなかったよ、面白い演技できなくてごめん」と驚いていた」と語った。 ~ Wikipediaより

三谷幸喜のコメディーは大嫌いだが、この映画はひどくおちゃらけていないのが不思議なくらい。こんな奴は絶対いないよな、という人間を登場させることによって、笑いを取ろうとするから無理がある。普通の人間だとお笑いにならないのが問題なのだ。

始まって5分もしないうちに倍速に変更した。ちょっと言葉は聞き取りにくいが、映像的にはまったく問題がない。そのままずーっと最後まで見てしまえたことの方が問題なのかもしれない。そこらあたりが全般的な日本映画の優秀でないところ。

『俺たちスーパーマジシャン』(THE INCREDIBLE BURT WONDERSTONE)

2013年・アメリカ 監督/ドン・スカーディーノ

出演/スティーヴ・カレル/スティーブ・ブシェミ/オリヴィア・ワイルド/アラン・アーキン/ジム・キャリー

日本での劇場未公開が頷ける内容。宣伝費すら回収できない興行を打てるほど、さすがの日本映画界も甘くはない。特におもしろくないと貶すほどではないが、どこがおもしろいのか分からないのも確か。マジック好きな人が観たらもの足らなさすぎて、席を立つかもしれない。

子供の頃の誕生日祝いにもらったマジック・セットがきっかけで、大人になっても友達と二人でマジシャン・コンビを結成して、ラスベガスのホテルで一時は超満員のステージをこなしていた。マジックの神秘みたいなところが一切描かれていない。マジックを題材にした映画もすこし観たけれど、これは最低かも。

人を騙すというより華やかなパフォーマンスが求められる昨今のマジック、イリュージョン世界。どんどん大掛かりになり過ぎて、タネが分からなくても心に響いてこない舞台では、厚塗りをしたブス女の媚態のように見える。軽やかで、華麗なマジシャンには、いつの時代にもスターの座が用意されている。そんなスーパースターを目の前で見てみたい。

『LUCY/ルーシー』(Lucy)

2014年・フランス 監督/リュック・ベッソン

出演/スカーレット・ヨハンソン/モーガン・フリーマン/アムール・ワケド/チェ・ミンシク

Wikipediaより ~

ごく普通の平凡な女性ルーシーは、訪れた台北のホテルでマフィアの闇取引に巻き込まれ、下腹部にCPH4という新種の麻薬が入った袋を埋め込まれてしまう。この麻薬は通常10%までしか活用できない人間の脳の潜在能力を極限まで高めることができる恐ろしいものだった。運び屋として体内の麻薬と共に移動するよう命じられたルーシーだったが、麻薬を狙うマフィアに捕まってしまう。ルーシーは激しい拷問を受けるが、その拍子に体内の袋が破れ、彼女の脳は麻薬の力で覚醒し、超人的な力を発揮してその場から脱出する。ルーシーの脳はますます覚醒し脅威的な力を発揮し始め、マフィアの事務所を襲撃し、ボスのMr.チャンを負傷させ、残りのCPH4を手に入れるため、運び屋の行く先の情報を手にする。ルーシーはフランスのピエール刑事に協力を要請し、運び屋を逮捕させ、Mr.チャンの仲間も倒して残りも手に入れる。そして脳科学の権威であるノーマン博士に会いにいく。その間もルーシーの脳の覚醒は治まらず、いつしか彼女は人間性を失い、その力を制御することができなくなってしまうようにみえた。ノーマン博士と面会を果たし、Mr.チャンと仲間が復讐のためにルーシーを殺しにやってきたときに、ついにルーシーの脳が100%覚醒する。

好きな女優スカーレット・ヨハンソが主役だった。ただ今回の役は荷が重い。アンジェリーナ・ジョリーが適役だろう。スカーレット・ヨハンソはハイソなお嬢様役がよく似合う。そうあって欲しいと勝手にイメージを決めつける。

『とらわれて夏』(Labor Day)

2013年・アメリカ 監督/ジェイソン・ライトマン

出演/ケイト・ウィンスレット/ジョシュ・ブローリン/ガトリン・グリフィス/トビー・マグワイア

おもしろい評価があった。2013年11月9日時点でRotten Tomatoesの集計によると、27件のレビューで支持率は63%である。Metacriticでは7件のレビューで加重平均値は66/100である。本作はケイト・ウィンスレットの演技こそ称賛されているものの、作品の総合的な評価は賛否両論となっている。(ただし、賛成派の方が若干多い。) ニューヨーク・ポストのロー・ルメニックは本作と『パーフェクト・ワールド』(クリント・イーストウッド監督作品)との間に類似性があることを指摘しつつ、高く評価した。 ~ Wikipediaより

映画を観ている途中にわいていた不満感と、映画を観終わった時の満足感が交差して、モヤモヤしていた気持ちをこの評価は的確に表している。ちょっと甘い設定が不満感の原因。刑務所から逃げてきた男との生活のはしはしに気になるところがあった。繊細な神経がなければ映画は作れない。

逃亡犯人といえども心を惹かれる人だった。そういうところは凄く共感できる。いつどこで同時代に生きた喜びを語り合える友と出逢えるのか分からない。もし仕合わせにもそんな人に会うことが出来たら、一生の友として深く関わり合っていければいいのだけれど、現実社会は映画のように行かない。そこがおもしろいのかもしれない人生っていう奴。すごく悲しいことだけれど。


2018年10月21日再び観たので記す。

『とらわれて夏』(Labor Day)

2013年・アメリカ 監督/ジェイソン・ライトマン

出演/ケイト・ウィンスレット/ジョシュ・ブローリン/ガトリン・グリフィス/トビー・マグワイア

ケイト・ウィンスレットがいきなり出てきて驚いた。彼女は出演する作品をかなり吟味しているような感じで、いつもいい作品に登場してくる。題名からは期待感がなかったが、どんどんこの映画のおもしろさに惹きこまれていった。映画らしい映画を久しぶりに観ることが出来て、ちょっと安堵した。

なにしろこの頃は、観始まって5分くらいで観るのをやめてしまう作品が多くて困っていたのだ。その題名を記録するのも憚れるので、見過ごすことが唯一の抵抗だと決心している次第なのだ。日本映画ばかりではなく、ほとんど外れたことのなかった外国映画もこの頃は。

人間が人間に逢う、会う。信頼が高まるとともに、愛情へと変わって行く。それは自然の理と言えるだろう。無限に遭遇すると思われる人間同士だが、実際に言葉を交わしながら親交を育める人に出逢う数は限られている。そんな中で、さらに信用と信頼を寄せられる人はいったい何人いるのだろうか。もしかすると、そんな人に一人も出逢うことのない人もいるだろう。幸運なことの重なりがひとりの人間の幸せの度合いの目安になるのかな。

『8月の家族たち』(August: Osage County)

2013年・アメリカ 監督/ジョン・ウェルズ

出演/メリル・ストリープ/ジュリア・ロバーツ/ユアン・マクレガー/クリス・クーパー/アビゲイル・ブレスリン

メリル・ストリープの芸達者は有名だが、あまりにも彼女のセリフが多く、しかも舞台劇のように一人で喋り過ぎの感あり。そういう物語だから仕方がないけれど、彼女に加えてめっきりと歳をとってきたジュリア・ロバーツが、芸に目覚めたように二人芝居をしている。観ている間、メリル・ストリープの名前を思い出そうと苦労した。一度思いだし、また忘れるという酷さ。アルツハイマーの傾向を自己検診している。

前回観た映画も家族もの。この前は息子と父親、そこに言葉汚い母親が登場した。この映画は父親が亡くなり、葬式に集まった長女と夫、14歳の娘、二女と毎年変わる恋人、三女、母親、母親の妹、その亭主、とその息子、たちが、どんな家族にも秘密はあるんだとばかりに、家族の修羅場が展開される。

母親の毒舌は見もの、長女もよくその影響を受けて、言いたいことを言ってのける。日本の家族劇には絶対登場しないだろうシーンが、気持ち悪くなるほどの迫力を持っている。あそこまで言うことが出来れば、ストレスなんて何処吹く風。今度生まれ変わったら、そんな人生を歩んでみたい。

『はじまりは5つ星ホテルから』(VIAGGIO SOLA)

2014年・アメリカ 監督/マリア・ソーレ・トニャッツィ

出演/マルゲリータ・ブイ/ステファノ・アコルシ/レスリー・マンヴィル/ファブリツィア・サッキ

イタリア語の題名を翻訳機にかけたら「私は一人で旅行します」、要は「一人旅」というところだろう。世界中の高級ホテルの格付けを秘密裏にやっている主人公の女性は、もう40歳前後だろうか、独身で気楽で、妹夫婦の家族と仲良くしながら、時々家族気分も味わいながら人生をおくっている。

ロード・ムービーのように世界中の大都市の超一流ホテルが映画の舞台の半分。かといって観光映画ではないので、あえてそのあたりは意識してホテルの調査員の役割映像に徹している。同じようなシーンで少し堂々巡りの感。その中に自分の将来はどうなるのだろうという問題提起がなされて、ようやく映画っぽくなってきた。

海外旅行の楽しみのひとつは、ホテルでとる朝食の非日常性。日本のホテルや旅館では味わえない光景がある。コーヒーですか紅茶ですかと問われて、ジュースは何にしましょうかとくる。それじゃ~ゆで卵は3分でとか、こちらもちょっと気取ってみせる。あの時間帯のホテルでの過ごし方が、旅行の楽しみのひとつだった。映画会社が利用する一流ホテルは、なかなか経験できないものだった。

『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(Nebraska)

2013年・アメリカ 監督/アレクサンダー・ペイン

出演/ブルース・ダーン/ウィル・フォーテ/ジューン・スキッブ/ステイシー・キーチ/ボブ・オデンカーク

映画通好みの映画。白黒。地味だが悪くはない。ほとんど痴呆症に近い父親を気遣う息子の姿がけなげ。「あなたが百万ドルに当選しました」という昔ながらの手法の客寄せ手紙を信じた父親、まあいいかっ、と父親と一緒に過ごせる時間ももう少ないだろうと、一緒に騙される旅に出る。モンタナからネブラスカのリンカーンまでがどれくらい遠いのかのイメージが湧かない。距離だけなら東京から鹿児島に相当するだろうか。

父親が育った古びた町に立ち寄る。思いがけない、まったく知らなかった父親の若い頃の話に初めて触れる。母親も登場して、口汚く昔なじみの知りあいをコケおろしていく。本当に百万ドルが当たったと勘違いする町の人たち。金の無心が始まる。人間のどうにもならない嫌な部分を、思いっきり描き出している。

父親に対するきまじめな息子に涙が流れる。こんな優しい子供なんていないよ、と、おそらく観た人のほとんどが言いそうな感じ。年寄りの何ていうことない望みを叶えてやることが、こんなに素晴らしいことなんだと言っている。そこまでしてもらわなくてもいいけれど、心が通う人生だったと笑顔で旅立ちたいものだ。

『バチカンで逢いましょう』(Omamamia)

2012年・ドイツ 監督/トミー・ビガント

出演/マリアンネ・ゼーゲブレヒト/ジャンカルロ・ジャンニーニ/アネット・フィラー/ミリアム・シュタイン/ラズ・デガン

久しぶりに TSUTAYA に行ったら、見慣れない題名ばかりでまったく迷わずに10枚のDVDを借りてきた。この頃なかなか連絡がなかった準新作100円キャンペーン日を利用した。以前はこのキャンペーンは3日間あったのだが、今回の連絡は1日だけだった。どんな思惑でこうなったのか、そんなところが知りたい。

題名だけで選んで、観る順番もランダム、この題名はちょっと期待が高かったが駄作。途中からしっかりと眠りについた。見直す気もなく、適当な鑑賞時間でおしまい。ということで、以下に映画紹介の引用文を書く。あ~つまらなかった。

「バグダッド・カフェ」のマリアンネ・ゼーゲブレヒトが主演を務めたハートウォーミングドラマ。夫に先立たれたドイツ人女性マルガレーテは、ローマ法王に面会するため単身バチカンへと向かう。彼女は敬虔なカトリック教徒だったが、法王に懺悔しなければならないことがひとつだけあった。初めてローマを訪れたマルガレーテは、自分と同じく人生の秘密を抱える老詐欺師ロレンツォと出会う。やがて、ひょんなことから廃業寸前のドイツ料理店のシェフとなったマルガレーテは、美味しい料理で店を建て直すことに成功。その評判は法王のもとにも届き……。 ~ 映画.comより

『トゥームレイダー2』(Lara Croft Tomb Raider: The Cradle of Life)

2003年・アメリカ/ドイツ/日本/イギリス 監督/ヤン・デ・ボン

出演/アンジェリーナ・ジョリー/ジェラルド・バトラー/クリス・バリー/ノア・テイラー

1作目を偶然にDVDで観た時に、そのおもしろさに結構はまった。アクション・シーンが生半可でなく、それをアンジェリーナ・ジョリーが演じていることが凄かった。アクション映画でここまでおもしろいと思えるのは希。今回も喜んで観ることとなった。

ギリシャ・サントリーニ島近くの地中海→香港→中国の山の中→上海→香港→アフリカ・キリマンジェロと舞台が目まぐるしく変わっていく。往年の007のような新兵器も駆使して、観客を飽きさせないストーリーと映像がいい。最後には漫画チック&神がかり的なシーンの連続で、ちょっとやり過ぎだよと声を掛ける。

アンジェリーナ・ジョリーのこととなると毎回彼女の父親のことを書いてしまう。ジョン・ヴォイト主演の『5人のテーブル』(TABLE FOR FIVE・1982年)を日本ヘラルド映画が配給した。まったく当たらなかったので、そういう作品こそ印象に残っている。あの頃は自分の会社の映画もほとんど観ていなかった。今では考えられないけれど厳然たる事実。そうだ、今度DVDを探してみよう。

『相棒 -劇場版III- 巨大密室! 特命係 絶海の孤島へ』

2014年(平成26年)・日本 監督/和泉聖治

出演/水谷豊/成宮寛貴/伊原剛志/釈由美子/風間トオル/宅麻伸/及川光博/石坂浩二

普段のテレビ番組でこのタイトルを観ない分、映画版は観ている。それなりにおもしろいから。先日も劇場版Ⅱが放映され、間違えて録画し観てしまったが、観ている間中Ⅲの宣伝があったのに、これは前のと同じみたいだが・・・と、不思議がりながら最後まで観てしまった。よくよく調べてみたら、やっぱりすでにコメントを書いていた。

この作品はテーマがつまらない。話がつまらないから、いくら刑事が推理を働かせたって、おもしろくなりようがない。せっかくの映画版、もっとダイナミックな推理劇を展開して欲しい。船やヘリコプターを使ったからって、劇場の大スクリーンが満足の行くものにはならない。

自衛隊と「民兵」という日本には珍しい組み合わせ。映画の最後には、国を防衛するということの意見広告のようなシーンが現れる。例えば「人道的に化学兵器は許されないと言うが、それなら何故核兵器は人道的に許されるのか」というような問いかけがなされる。なるほど、確かに間違ってはいない。「一体誰が核兵器を持っている国を容認したのだろうか」、と。もっともだ。

『ブロードウェイと銃弾』(Bullets Over Broadway)

1994年・アメリカ 監督/ウディ・アレン

出演/ジョン・キューザック/チャズ・パルミンテリ/ダイアン・ウィースト/ジェニファー・ティリー

ウディ・アレンかあ、と思ったけれど、昔より毛嫌いすることなく観られる。けど、今日にように精神的ストレスによる体調の悪さの中では、出来れば敬遠した監督だと思っていた。本人が出演していない分、ちょっと観てもいいかななんて。勝手なことを言っている。

時代は禁酒法の時、場所はニューヨーク、マフィアのボスの愛人が舞台で主役をやりたいとおねだりする。ちょうど、あまりうけないだろう脚本をどうしようかと悩んでいたプロデューサーと脚本家がいた。なんとかするためには素人同然のボスの愛人を使わなければならない。コメディーだがおちゃらけてはいない。ここまでは想定通りだが、思いがけない展開が始まる。おもしろくなってきた。

米倉涼子が『シカゴ』にでたり、渡辺謙が『王様と私』にでたり、同じような客引き興行は今でも現実に存在する。きっかけはどうであれ、期待を裏切らないパフォーマンスが出来れば文句はないが、なかなか観客を満足させるところまでは行かないのが現実のようだ。

『おろしや国酔夢譚』

1992年(平成4年)・日本 監督/佐藤純彌

出演/緒形拳/川谷拓三/三谷昇/西田敏行/江守徹/沖田浩之/マリナ・ヴラディ/オレグ・ヤンコフスキー

原作は井上靖の歴史小説。ときは天明2年(1782年)、伊勢を出発し、光太夫ら17人を乗せた船「神昌丸」は、江戸へ向かう途中に嵐に遭い、舵を失って漂流中に1人を失いながらも、8か月の漂流後に当時はロシア帝国の属領だったアムチトカ島に漂着した。帰国の途につくのは9年9ヶ月後、帰国者は3人だった。

壮大な雰囲気の映画だが、よくよく見ていると極寒の地を命からがら犬ぞりで走るシーンなどが、ちっともおもしろくなく、冒頭の予感を裏切っている。その後もちんたらチンタラと、日本への帰国を切望する漂流者光景に飽きが来る。ロシアの人たちは優しい、てなことをしつこく描いている。日ロ友好か?

『この物語は、アメリカが独立して間もなく、そしてフランス革命が起こる直前の1972年に始まる。当時の激動する世界をよそに、日本は、未だ百五十年来の鎖国の眠りからめざめなかった。』『おろしや国 酔夢譚』、と始まるこの映画の格好だけは超一流。

『のんちゃんのり弁』

2009年(平成21年)・日本 監督/緒方明

出演/小西真奈美/水野絵梨奈/佐々木りお/岡田義徳/村上淳/山口紗弥加/花原照子/上田耕一/斉藤暁/絵沢萌子/岸部一徳/倍賞美津子

入江喜和作の日本の漫画作品。講談社「モーニング」にて1995年から1998年にかけて連載されていたが、ストーリーは未完で終わった。コミックスは全4巻。2009年9月4日に新装版(上・下巻)が発売された、という。テレビドラマとしては、中部日本放送(CBC)制作で、TBS系列「ドラマ30」枠で月曜から金曜の13:30 - 14:00(JST)に放送された。放送期間は、第1シリーズが1997年2月3日 - 3月28日、第2シリーズが1998年6月1日 - 7月31日。

この題名を聞いたこともなかった、ということは現在の生活パターンとは全然違った時間を過ごしていたからだろう。ストーリーは未完で終わったらしいが、映画もなんかちょっと中途半端で、これくらいのストーリーなら全然魅力ないよなあ、という嘆きのつぶやきが聞こえた。

どうしようもない男と別れて、娘ひとりを連れて実家に帰り、なんとか生きて行くための職を探そうとするなんて、当たり前すぎて誰が同情するのだろう。しかも、それから自分の本当の好きなことを見つけたなんて、お世辞にも誉められた物語になっていない。駄作。この映画の製作者の1社、木下工務店の映画製作への参加の話の方が興味ある。

『戦うパンチョ・ビラ』(Villa Rides)

1968年・アメリカ 監督/バズ・キューリック

出演/ユル・ブリンナー/ロバート・ミッチャム/チャールズ・ブロンソン/マリア・グラツィア・ブッチェラ

メキシコの革命家で、一般にパンチョ・ビリャ(Pancho Villa)の愛称で知られるという。Wikipediaを読んでいたら、おおむね映画のストーリーが事実と合っていたので、ちょっと驚き。というのも、映画はどちらかというと、コメディーじゃなかろうか、といった感じだった。

彼ではなく彼の手下が残虐だった。平気で捕虜を殺すのには恐れ入ったが、実際の戦争になったら、こんなことは当たり前だったのではなかろうか。1910年代のメキシコでの話なので、そんなに倫理観を持って戦争をしていたとは思えない。結構映画になっているメキシコ革命については、興味がないこともあってまったく知らないことばかり。

正々堂々、正義感に溢れていた主人公パンチョ・ビラ。映画の最後の15分くらいになって、はじめて彼の真の姿が語られる。それまでは極悪非道の盗人呼ばわりしていた映画の描き方は、何処に本音があるのだろうか。大らかな時代性が、大らかな映画人によって作られた映画。そんな印象が強く、おもしろいような、おもしろくないような。

『はじまりのみち』

2013年(平成25年)・日本 監督/原恵一

出演/加瀬亮/田中裕子/ユースケ・サンタマリア/濱田岳/斉木しげる/光石研/濱田マリ/山下リオ/大杉漣

松竹株式会社による、映画監督・木下惠介生誕100年プロジェクトの一つとして製作された。木下の第二次世界大戦中の実話を題材に、映画『陸軍』制作時の背景を交えながら彼の母との家族愛を描く。『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』などの作品でアニメ監督として著名な原恵一による、実写映画初監督作品である。木下惠介を演じる主演俳優は加瀬亮。 ~ Wikipediaより

クソがつくくらい真面目な映画である。しかも、意識的にゆっくりと物語は語られていく。あまりの遅さにまた眠ってしまった。今回はおもしろくないから、という理由が原因ではないと思う。木下恵介監督の映画作品をリアルタイムで映画館で観る機会はなかった。テレビドラマで彼の名前を見ることは結構あったような気がする。きらいではない。

作中には、木下の監督した映画のうち、15作品の一部分が、さまざまな形で引用されている。『花咲く港』『陸軍』『わが恋せし乙女』『お嬢さん乾杯!』『破れ太鼓』『カルメン故郷に帰る』『日本の悲劇』『二十四の瞳』『野菊の如き君なりき』『喜びも悲しみも幾歳月』『楢山節考』『笛吹川』『永遠の人』『香華 前篇/後篇』『新・喜びも悲しみも幾歳月』。なかでも、大原麗子の現在流行の太眉の元祖みたいな顔が印象的だった。可愛い。

『刑事物語3 潮騒の詩』

1984年(昭和59年)・日本 監督/杉村六郎

出演/武田鉄矢/星由里子/沢口靖子/佐藤佑介/金田龍之介/三田明/木之元亮/金子研三/ウガンダ・トラ

こんな映画シリーズもあったよなあ、と思い出すが、5作品あるうちの1本も観ていなかった。

1982年から1987年までに全5作が公開された日本映画のシリーズ。原作、脚本(第4作を除く)、主演に武田鉄矢(ただし原作と脚本はペンネームである片山蒼名義)。キネマ旬報社が製作し、東宝が配給した(ただし第1作の版権配給権は現在サンリオが所有)。芸術性を重視するベストテンの伝統で知られるキネマ旬報社の初製作としては意表を突く娯楽路線、プログラムピクチャー路線で興行成績は悪くなかったが、自社誌『キネマ旬報』のベストテンでは無視された。 一般には、武田が演じる片山刑事がハンガーをヌンチャクのように振るって相手を叩きのめす「ハンガーヌンチャク」と呼ばれるシーンが有名である。 ~ Wikipediaより

寅さんシリーズや釣りバカシリーズのようなものかと観始まった。が、そうそうに結構暗い場面が多くなり、単純な笑いではないところが、多々出てきた。おもしろくない。この頃何もしないことに疲れがたまって、無意味な笑いを求めていたのに。妙に真剣なシーンは似合わない。沢口靖子のアイドル映画になってしまうシーンもある。柱が3本あるような芯の見えない映画だった。

『敦煌』

1988年(昭和63年)・日本 監督/佐藤純彌

出演/西田敏行/佐藤浩市/柄本明/田村高廣/中川安奈/三田佳子/渡瀬恒彦

上映時間2時間23分、かったるい映像に感動はない。井上靖の小説「敦煌」を映画化したもの。始まりでは、日本人の顔をした人物が中国の古い衣装を着、日本語を喋る映像に違和感を覚えた。時々テレビのチャンネルを替える時に見かける韓国映画の日本語版吹き替えの雰囲気に似ていて気持ち悪かった。

しかも大作感いっぱいの雰囲気ながら、砂漠の映像と暗いメロディーが、これは「砂の器」か、と思わせるような。シルクロードとか敦煌とか美しい言葉とはほど遠い現実が、否応なく失望感を大きくする。砂漠での合戦なんて、なんと色気のない映像なのだろう。こうやって見ると、日本の侍の合戦は緑豊かで色彩鮮やかな別世界のように見える。

30年前の西田敏行や佐藤浩市の姿が考えられないほど若い。偉大なる愚作と評されてもおかしくない。日本アカデミー賞・最優秀作品賞・監督賞受賞作品を受賞(1989年)という実績が、日本映画の変わらない現実であることは確かである。

『アレクサンドリア』(Agora)

2009年・スペイン 監督/アレハンドロ・アメナーバル

出演/レイチェル・ワイズ/マックス・ミンゲラ/オスカー・アイザック/マイケル・ロンズデール/サミ・サミール

紀元4世紀末 ローマ帝国は崩壊寸前 しかし エジプトのアレキサンドリアは壮麗さを誇っていた 古代世界七不思議の1つ ”大灯台”と知と信仰の象徴 ”図書館” があり 人々は古代の神々をあがめていた だが ユダヤ教と新興のキリスト教の勢力によりアレクサンドリアにも混乱が迫りつつあった ~ こんな字幕で映画は始まる。

何故、星は落ちてこないのか~主人公は女性、それも後年天才的な天文学、数学者として讃えられる若き哲学者だった。エジプトのアレクサンドリアのテオンの娘ヒュパティアは、400年頃アレクサンドリアの新プラトン主義哲学校の校長になった。彼女はプラトンやアリストテレスらについて講義を行ったという。天才、女性、であるが故の迫害、キリスト教への帰依を由としない時代に翻弄された人物の物語。悲しい物語だった。

『唯一の神』と宗教にすがる人民が、結局は社会を崩壊していく。どうして自由であるべき宗教が異教徒を迫害するのだろうか。それは有史以来の謎かもしれない。いまだもって、同じ宗教なのにXX派と○○派とが戦っている。日本のように八百万の神が神様ならば、誰も何も信仰していないのと同じ状態になることが証明されているのに。

『ハリー・ポッターと謎のプリンス』(Harry Potter And The Half-Blood Prince)

2008年(平成20年)・アメリカ/イギリス 監督/デイビッド・イェーツ

出演/ダニエル・ラドクリフ/ルパート・グリント/エマ・ワトソン/ヘレナ・ボナム=カーター

イギリスの作家J・K・ローリングによる児童文学、ファンタジー小説。1990年代のイギリスを舞台に、魔法使いの少年ハリー・ポッターの学校生活や、ハリーの両親を殺害した張本人でもある強大な闇の魔法使いヴォルデモートとの、因縁と戦いを描いた物語。1巻で1年が経過する。第1巻『ハリー・ポッターと賢者の石』がロンドンのブルームズベリー出版社から1997年に刊行されると、全く無名の新人による初作であるにもかかわらず、瞬く間に世界的ベストセラーになった。子供のみならず多数の大人にも愛読され、児童文学の枠を越えた人気作品として世界的な社会現象となった。2001年から8本のシリーズで公開された映画(2011年完結)も大きなヒットを記録。当初から全7巻の構想であり、最終巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』の原書が2007年7月21日に発売され、完結した。2010年6月には、フロリダのユニバーサル・オーランド・リゾートに、映画版のセットを模したテーマパーク:ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター(The Wizarding World of Harry Potter)が開園した。 2014年7月15日にはユニバーサル・スタジオ・ジャパンでも開園した。 ~ Wikipediaより

シリーズ6作目。三回にわたって見る羽目となった。観始まると魔法にかけられたように眠くなり、2回は早々に眠りについて、それでも半分までいかなかった。3回目にようやく続きを眠らずに見ることが出来た。やっぱり、お子様ランチの内容や呪文がどうのこうのと、終始私の範疇ではなかった。人の名前が出てきても照合が出来ず、ちんぷんかんぷんの人脈やストーリーについていけない。こちらが悪いのだろう。今度、孫に会ったら、ストーリーを解説してもらおう。彼等はDVDが擦り切れるほど、何度も何度も見ているらしいから。

『悲しみよこんにちは』(Bonjour Tristesse)

1958年・アメリカ/イギリス 監督/オットー・プレミンジャー

出演/デボラ・カー/デヴィッド・ニーヴン/ジーン・セバーグ/ミレーヌ・ドモンジョ/ジェフリー・ホーン/ジュリエット・グレコ

若い頃に『フランソワーズ・サガン』と『悲しみよこんにちは』を繋ぐクイズが出されたら、正解率90%を越えるだろうと思えるほど有名な作家と題名。ただ、どんな話なのかを正確に答えられる人は、その半分くらいしかいなかっただろう。

知っていることと知識があることは別問題。この頃ではwebですぐに調べ物をする輩がやたらと増えていそうだ。調べることは悪くはない。調べないでなんとも思わない生活はどうにもならないが、調べて浅はかに知っていることだけ増やしたって、実はなんの役にも立たない。他人に聞かれて、それ知っているよ、と自慢するくらいが関の山。

金持ちで優雅な生活を送っている父親と娘の贅沢な人生の悩みを描いているように見える。毎日パーティーに明け暮れて、それでも退屈な人生は、一体何なんだろう。平々凡々たる生活が実は一番仕合わせの源だと分かるには、生まれ変わるしか方法はないのかもしれない。

『浪人街』

1990年(平成2年)・日本 監督/黒木和雄

出演/原田芳雄/石橋蓮司/勝新太郎/樋口可南子/杉田かおる/伊佐山ひろ子/中尾彬/佐藤慶/田中邦衛

このおもしろくないちゃんばら映画は何なんだ、と思いながら観ていた。マキノ正博監督により1928年(昭和3年)制作・公開された『浪人街 第一話 美しき獲物』の四度目のリメイク作品になるという。それにしても、おもしろくない。

ちゃんばら映画は西部劇と同じように人を殺すシーンが当たり前のようにある分、勧善懲悪だったりアウトローだったりと分かりやすい物語がよく似合う。よくよく見ればこの映画も、最後には正義が勝つような展開にはなるのだが、いかんせんそのプロセスが頼りなさ過ぎる。いまさん、といった感じ。

この頃出会う映画のおもしろくなさに閉口している。調子の悪い目がかさかさに乾いて、コンタクトレンズがごろごろしている。気がついてみたら涙を流していた、そんな映画にぶつかると、目の調子が良くなる。涙が溢れる環境が目にいいのはみえみえ、それと共に心の中も感動や喜びに溢れ、知らず知らずのうちに心地良い身体になっていることがある。病身だからこそ強く感じるメンタルの重要さ。哀しいことに打ち拉がれた心を癒やす術が見つからない。

『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(Harry Potter and the Order of the Phoenix)

2007年・イギリス/アメリカ 監督/デヴィッド・イェーツ

出演/ダニエル・ラドクリフ/ルパート・グリント/エマ・ワトソン/ヘレナ・ボナム=カーター

また眠ってしまった。シリーズ第5作目。何処までが魔法を使えて、どんな場合に魔法を使えないのか、そんなところが不思議で仕方がない。いつも思うこと。スーパーマン的能力を常に発揮していれば、危機に陥ることもなかろうに。

どうにもセリフが理屈っぽい。翻訳のせいなのか、読んでいても頭に入ってこない。というより、前からの続きのようなセリフが多く、これ1本だけ見る人にとっては、あまり親切な映画作りになっていない。

数年前にこの映画の撮影舞台のオックスフォード講堂に行ったことがあるくらいが、この映画に対する愛着。大人の男が喜んで観る映画ではない。残念ながら。

『ウエスタン』(Once Upon a Time in the West)

1968年・イタリア/アメリカ 監督/セルジオ・レオーネ

出演/チャールズ・ブロンソン/クラウディア・カルディナーレ/ヘンリー・フォンダ/ジェイソン・ロバーズ

『荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン』のいわゆる「ドル箱三部作」を撮影し終えたレオーネは、もう西部劇というジャンルでやりたいことは全てやりつくしてしまった、として新しく禁酒法時代のユダヤ人ギャングを描いた映画(17年後に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』として結実)を製作しようとしていた[2]。しかし、ハリウッドがレオーネに期待したのはあくまで従来のマカロニ・ウェスタンでしかなかった。当初「ドル箱三部作」の配給会社であったユナイテッド・アーティスツはチャールトン・ヘストン、カーク・ダグラス、ロック・ハドソンたちが出演する映画製作を打診したが、レオーネは気が進まなかったのでその申し出を辞退した。しかしパラマウント映画がヘンリー・フォンダが出演する映画製作のオファーを出した時にはそれを受け入れた。パラマウントが提示した潤沢な製作資金が魅力的であったことの他に、ヘンリー・フォンダがレオーネの敬愛する俳優であったことがレオーネの心を動かしたといわれている。

「アメリカの良心」を体現してきたヘンリー・フォンダが悪役を演じることに抵抗を感じた観客が多かったアメリカでは、『ウエスタン』は期待されたほどのヒットにはならなかった。しかしヨーロッパや日本では大ヒットし、それらの国におけるレオーネの評価を更に高めることになった。2005年にはアメリカの雑誌TIMEによって映画ベスト100中の1本に選ばれた。 ~ Wikipediaより

なんと2時間48分の上映時間。内容が濃いというよりも、シーンごとの長回しが気になった。一時の日本映画のよう。最後はチャンバラのいっきうちよろしく、拳銃の早撃ちで決着。兄の仇討ちといった話も、日本映画みたいだ。

『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』(Harry Potter and the Goblet of Fire)

2005年・アメリカ/イギリス 監督/マイク・ニューウェル

出演/ダニエル・ラドクリフ/ルパート・グリント/エマ・ワトソン/ロビー・コルトレーン/レイフ・ファインズ

1作目は当然のように観たが、まあこの1本でいいやとなって、そのあとは確か3作目までは観ただろうと勝手に思い込んでいる。ので、今回は4作目を観てみようと思い立った。よくよく観てみると、この作品も観た気がする。眠ってしまった。

暗い内容からアメリカではシリーズ初のPG-13(13歳未満には保護者の強い注意が必要)に格付けされた。ビデオカセットの発売(セル・レンタル)はこの4作目が最後となり、次作以降のハリー・ポッターシリーズはすべてディスクメディア(DVD、UMD、Blu-ray Disc)での発売となっている。時代を感じるね。

魔法を使えたらどんなにいいだろうと思うのは普通の人々。でも簡単に魔法が使えてしまったら、人生はつまらないものになってしまうだろう。考えなくても分かることだが、それでも使えた方がいいよね、と超普通の人々は考える。人間の欲はきりがないと戒めている神の言葉は、何が幸せで何が不幸せかを問いかける神の言葉だ。

『レミーのおいしいレストラン』(Ratatouille)

2007年・アメリカ 監督/ブラッド・バード

出演(声)/パットン・オズワルト/ルー・ロマーノ/ジャニーン・ガラファロー/イアン・ホルム

録画が途絶えるとお休みになるのは普通だが、ときどきパソコンに保存してある映画を思いだして、こうやって見ることがある。ネズミとレストランという最も釣り合わない組み合わせが、違和感ありあり過ぎて見る気になれなかったと言うのが本当の気持ち。

それだけに、どういう風にネズミがレストランで活躍するのかという興味があった。長い髪の毛の料理人が調理しているだけでも気になるキッチンにネズミという話が、どうして存在するのか不思議でならない。日本でなら、こういう物語はあり得ないのに、ここら辺がアメリカと正反対の感覚なのかもしれない。

ディズニーのアニメはいつ見てもスムーズ。日本の静止画アニメは子供騙しも甚だしく、いつまでたっても慣れない、というより毛嫌いをしている。たまに見る吹き替えでの洋画も、コンタクトレンズを外した目には致し方ない環境。しかもパソコンの24インチ画面で、映画を観たという満足感がちょっとそがれる。

『キツツキと雨』

2012年(平成24年)・日本 監督/沖田修一

出演/役所広司/小栗旬/高良健吾/臼田あさ美/古舘寛治/嶋田久作/平田満/伊武雅刀/山崎努

信じられない情報だった。第24回東京国際映画祭で審査員特別賞を受賞、第8回ドバイ国際映画祭では、最優秀脚本賞と最優秀編集賞、さらに主演の役所広司が最優秀男優賞を受賞している。こんなことがあっていいのだろうか。

いったいこの映画はなんなの? と、一番最初に書きたかったが、webを調べたら上記のようなことが書いてあって、頭が混乱した。どこに賞に値するような部分があるのだろう。何が何だか訳の分からない典型の映画で、一番しちゃいけない質問『監督はこの映画にどんなメッセージを込めていますか?』を投げてみたくなる。

ある山村を舞台に、職人気質の木こりの男と、ゾンビ映画の撮影でやって来た気弱な新人映画監督の青年との交流を描く、というコメディー映画だといわれて期待する人はいますか。そこまで批判することはないじゃないの、といわれてもとても納得しない。結論を見ないで眠ってしまったので、さすがにどう終わるかくらい見たいと思い直した。が、やっぱり何ていうことはなかった。

『京都太秦物語』

2010年(平成22年)・日本 監督/山田洋次/阿部勉

出演/海老瀬はな/USA(EXILE)/田中壮太郎/西田麻衣

この作品は、松竹と立命館大学そして、長い映画の歴史を誇る京都太秦大映通り商店街の人たちが、映画再興の熱い思いを込めて描くラブストーリーです。 山田洋次 と冒頭に。最後には、小森和子さんの遺志に感謝し、この映画を捧げます。というメッセージが。

山田洋次監督が立命館大学映像学科の学生22人とともに完成させた映画。客員教授を務める山田監督の直接指導・監督の下、学生たちが2008年からシナリオ制作のための調査・準備を行い、翌2009年9月から撮影を開始。撮影中は22人の学生たちがプロの俳優や京都太秦、大映通り商店街の人々とともに映画作りを実践した。

時々入ってくる実際の大映通り商店街の店主や妻のインタビューが、ドキュメンタリー映画のような雰囲気を。そしてプロの役者がそのお店の娘や息子のように、恋物語を演じている。とても不思議な感覚の映画。小森和子のくだりは、山田監督は本作の製作費が、20年前、今は亡き映画評論家の小森和子さんから寄付された3,000万円がベースになっていると公開記念会見時に明かしている。おもしろい。

『こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE~勝どき橋を封鎖せよ!~』

2011年(平成23年)・日本 監督/川村泰祐

出演/香取慎吾/香里奈/速水もこみち/深田恭子/谷原章介/沢村一樹/夏八木勲/平田満/柴田理恵/ラサール石井

この原作漫画が国民的コミックと言えるほどのものだとは知らなかった。絵面をどこかで見ているが、漫画をちゃんと読んだことはない。コミック・ギャグだろうから、どう考えても私の範疇ではない。そう断言してしまう。ちら見した漫画と香取慎吾の雰囲気が合っているなあ、という印象はあった。

映画を観始まったら、漫画とおんなじような挙動やセリフで、ちょっと呆れかえった。漫画をそのまんま映像化するなんて、暴挙と言える。お涙頂戴よろしく、人情味のあるシーンを作っているが、心に響いてくるものはない。いくらなんでも。

街のおまわりさんが主人公というのはいい。だったら、もっとおもしろい映画を作って欲しい。せっかく主人公が漫画っぽくていい感じなのだから、活字とはまったくちがう演出とストーリーで観客を沸かせて欲しい。そう願うのは、元映画関係者だからだろうか。

『新サラリーマン専科』

1997年(平成9年)・日本 監督/朝原雄三

出演/三宅裕司/岸本加世子/左とん平/宮下順子/松下由樹/中村梅雀/平泉成/山田雅人/伊東四朗/森繁久彌

今日は、2015年4月1日。何故か3作だけ作られてその後のシリーズ化にならなかった『サラリーマン専科』の3作目。2作目の放映を見逃しているのか、まだ見ていない。1作目の時は、この程度ではシリーズ化は難しいかもしれないが、やっていればそのうち評判も落ち着いてくるよ、と書いたような記憶があるが。

森繁久彌がまだ生きていたんだ。ボケていない老人が呆けを演じるあたりは、さすがに味がある。サラリーマンとしては、新任庶務課長の会社での問題、家庭に帰れば妻の父親を誰が面倒をみるのかというテーマが重なりながら。『寅さん』の2番煎じでは観客は満足しないのだろうか。それなりにおもしろく感じた今回作品。

上司の不正を首をかけて告発する主人公の苦悩にリアリティーがなさ過ぎるかなあ。小さな会社で言いたいことを言ってサラリーマン生活を満喫していた自分には、この映画や他で聞くサラリーマンの悲哀がよく理解できない。ダメならさっさと会社なんか辞めてしまえばいい、と毎日をおくっていた人間だから出来るなにかがあったのかもしれない。そうやって最後には辞めてしまったのだから、なんのことはないが。

『ブロンド・ライフ』(Life or Something Like It)

2002年・アメリカ 監督/スティーヴン・ヘレク

出演/アンジェリーナ・ジョリー/エドワード・バーンズ/トニー・シャルーブ/クリスチャン・ケイン

アンジェリーナ・ジョリーは、現在進行中でなにかと話題を提供している。主人公はアメリカ・シアトルの花形レポーター、邦題のブロンドはたぶん、彼女の髪の毛がブロンドで、それも染めていることが映画の中のセリフに出てくるところからもってきたのだろう。見ていない人に、そんな理由から題名にしたことが伝わっても、なんの意味もないのだけれど。配給会社の浅はかなところはそんなところ。

イチローが活躍しだしてからシアトルは日本では有名な都市になった。このレポーターが嘆く「シーホークスは今年も優勝できない」というアメフトのプロチームは、今やスーパーボールを勝ち取る有力チームになっている。10年も時が経てば、現実社会の話題にも変化が見られる。イチローはシアトル・マリナーズに2001年から加わっているから、この映画の製作・公開された年にはチームにいたはず。主人公の婚約者がマリナーズのスター選手ということで大リーグのシーンも出てくるが、さすがにイチローまで映し出すほどの予算がなかったらしい。

妙な予言者から1週間後の死の予言をうけた主人公のドタバタ・コメディー。アメリカ映画のこういうコメディーはおちゃらけてはいないので、見ていて楽しい。『明日死ぬかもしれないのが人生だから、今日一日を精一杯生きよう。いつかは死ぬ日がやってくるのだから。』、そんなセリフが最後にあった。私の若い頃からの信条。この歳になって逆にそんなことを考えることが少なくなってきた。現実を前にすると身のすくむ思いがする。死ぬことが怖いのではなく、その瞬間だけが妙に怖い。

『カラスの親指 by rule of CROW’s thumb』

2012年(平成24年)・日本 監督/伊藤匡史

出演/阿部寛/村上ショージ/石原さとみ/能年玲奈/小柳友/ベンガル/ユースケ・サンタマリア/鶴見辰吾

ひとこと『おもしろくない映画』とだけ書いてコメントを終わってしまいたい映画だった。原作は、道尾秀介による日本の推理小説とあったが、詐欺師の物語で、出來の悪いストーリー展開にちょっとじゃなく大不満。ここまで手の込んだ作品かよ、とアメリカ映画の詐欺師物語は出來が違い過ぎる。

台本に書かれたセリフをただ読んでいるような場面の連続で、ほとほと程度の低い映画製作にあきれ果てる。役者だって、こんな映画につき合わされて、10年後には後悔するだろう。自分のキャリアとして誇れる活動写真に参加して欲しい。

現実社会だって、これほど騙されやすい国民も珍しいだろう。毎年のように増えている詐欺まがいの被害総額、どういう神経をしていたら騙されるのだろうか。それは精神の問題ではなくお金を持っているのかいないのかの問題だ、と言われれば納得するが、自分の息子に電話で無心されたからって、ほいほいとお金を渡す年寄りが、いくらなんでも馬鹿過ぎる。


2018年6月11日再び観たので記す。

『カラスの親指』

2012年(平成24年)・日本 監督/ 伊藤匡史

出演/阿部寛/村上ショージ/石原さとみ/能年玲奈/小柳友/ベンガル/ユースケ・サンタマリア

観たことあるかもしれないなぁ~、と思いながら観ている。この頃体調が悪いので、日本映画ばかり観ている。この欄を書き始まったころは、95%以上が洋画鑑賞だったが、こんなこともあるだろう。だが、何を書いていいか分からない状態が辛い。集中力がない。

2時間40分と長い映画だった。長さを感じないわけではないが、物語が進行していくので、飽きが来ることはなかった。ここまで長い映画は、だいたい同じことの繰り返しでつまらないことが多い。堂々巡りやフラッシュバックの多用が問題のことが。

最後に種明かしをする懇切丁寧さは日本映画の特徴だ。それでも、よく解せないのはこちらの問題なのだろう。詐欺をして他人を騙せたら楽しいかもしれない。あぶく銭をむさぼっている輩がいるようなら、それも許されるかもしれない。そんな風に考えることは異常なのだろうか。正義がいつも勝つわけではないので、それくらいの反対性もあってしかるべきと思うのだが。やっぱり過去に観ていた。よくある話。

『君に届け』

2010年(平成22年)・日本 監督/熊澤尚人

出演/多部未華子/三浦春馬/蓮佛美沙子/桐谷美玲/夏菜/青山ハル/金井勇太/富田靖子/ARATA/勝村政信

かわいい、泣ける、切ない、とYahoo!レビューにあったけれど、さほどではない。というか、この歳になって高校生の恋愛ドラマを、「さほどではない」などと言うのが普通ではない、かもしれない。原作は少女漫画で、略称は「君届(きみとど)」とか言うらしい。

ブサイク(よくよく見るとそんなにへちゃむくれではないのだが)な女子高生が、一番人気の男子からコクられるという夢のような話が嫌いな若者はいないだろう。「定子」とか言われて気持ち悪がられていた、素直だけが取り柄な女の子、暗くても大丈夫と勇気づけているようでもある。

ちょっと風変わりな青春映画だが、エグゼクティブ・プロデューサーに知った名前を見つけ、彼なら作りそうな映画だとひとり納得。高校生もので老人の心がときめかなかったのは久しぶり。老化が進んでしまったのかと心配になってくる。

『スーパー・チューズデー ~正義を売った日~』(The Ides of March)

2011年・アメリカ 監督/ジョージ・クルーニー

出演/ライアン・ゴズリング/ジョージ・クルーニー/フィリップ・シーモア・ホフマン/ポール・ジアマッティ

アメリカ合衆国、民主党大統領予備選挙を物語にしている。おもしろくないわけがないが、吹き替え版だったのが悔やまれる。ジョージ・クルーニーが共同脚本・監督・主演を務めているのに、安っぽい日本人の声がせっかくの彼の良さを消し去ってしまっている。

アメリカの大統領選挙に接すると、いつも驚かされることばかり。ニュースで見る選挙戦は表の顔。こういう映画で見る選挙は、情報戦、諜報戦、陰謀渦巻く何でもありの裏の世界が描かれる。同じ選挙ながら、街宣車で怒鳴り散らしている日本的選挙戦が、いかに成熟していないバタ臭いものに見えるのか、当事者たちは考えた事もないだろう。

政治に関心があるというより、政治を動かしているのは人民だという自覚があるのかもしれない。支持をする政党が明確に存在するのも大きい。今日は民主党、明日は惟新の党と簡単に所属する政党を鞍替えしてしまう日本の政治屋に、信念などこれっぽっちもあるはずがない。あるのは保身と財産目当ての職業意識、堂々と家業のように代議士を継いでゆくシステムが当たり前のよう。

『独眼竜政宗』

1959年(昭和34年)・日本 監督/河野寿一

出演/中村錦之介/月形龍之介/岡田英次/宇佐美淳也/片岡栄二郎/浪花千栄子/大川恵子/大河内傳次郎/佐久間良子

1942年(昭和17年)監督は稲垣浩、主演は片岡千恵蔵、1987年(昭和62年)NHK大河ドラマ、主演は渡辺謙という同じ題名のドラマが検索された。萬屋になる前、この中村錦之介の侍ものはいい。ここまで侍を演じきれる役者は、もういないだろう。

戦国乱世の頃、陸奥の麒麟児伊達政宗は、知勇ともに勝れた若き武将として知られていた。豊臣秀吉は彼を恐れて、腹臣石田三成の縁つづきにある和田斉之を政宗の隣国に派遣した。政宗はこうした秀吉の意図を察して、鷹狩りでとらえた鶴を聚楽第の竣工祝いとして秀吉におくることによって、彼との親睦をはかった。そのような政略を離れて、山野を勇壮にかけまわる時が、政宗にとって一番心楽しい時だった。 ~ 映画.comより

佐久間良子がちょうど20歳の時の作品。初々しい。仙台という杜の都、学問の都市でもある。伊達政宗がどこまで現在の仙台DNAを形作ったのかは分からないが、少なからず良い影響を及ぼしてきたのではなかろうかと想像する。私がいなければ存在しなかっただろう人生の続きは、どんなことを後世にもたらすのだろうか。そんなことが気になって仕方がない。5年後に生きていたいとは思わないが、100年後の地球を見てみたいという欲求はおさまらない。

『眉山』

2007年(平成19年)・日本 監督/犬童一心

出演/松嶋菜々子/大沢たかお/宮本信子/円城寺あや/松本じゅん/金子賢/永島敏行/夏八木勲/竹本孝之

録画をした時、タイトルを見て中国映画なのかな~。「びざん」って読むのかなあ。とか不安だった。観始まって、すぐにお囃子と阿波踊りのシーンが映し出され、あれっ! これって徳島市にあるあの山の名前だったのか? と、頭の中を駆け巡った。確かに徳島を旅したことはある一度だけ、それも45年前のこと。正確に山の名前は覚えていないが、街のすぐにロープウェイのある山があったような記憶が。

始まりの画面では殺人事件が起こりそうな感じだったが、思い過ごしだった。小説を読んでいるようなストーリー展開は、結構心地良かった。有名な小説があるのだろうと、これも勝手に想像していた。なんと、さだまさしの小説だとわかって、ちょっとがっかりした。この小説の存在は知らないが、そういえばさだまさしがどうのこうのという時期があったような記憶も。

悔しいけど、なかなかおもしろい映画だった。故郷のお祭りは心の故郷でもある。実家茨城県江戸崎町の祇園祭も、子供の頃から佐原囃子の音色が頭の中をめぐっていた。阿波踊りの笛太鼓を聞いただけで、山車に乗った下座蓮の姿が目に浮かぶ。取って付けたようなにわかお祭りではなく、生まれた時から慣れ親しんだ故郷の祭りには、心を潤すなにかが宿っている。

『ミスター・ベースボール』(Mr. Baseball)

1992年・アメリカ 監督/フレッド・スケピシ

出演/トム・セレック/デニス・ヘイスバート/高倉健/高梨亜矢

高倉健の中日ドラゴンズ・ユニフォーム姿は似合わない。そう思っていたが間違っていなかった。いい役者がどんな役でも出来るわけではない。特に寡黙な役柄にこだわっていた高倉健がプロ野球の監督? どう考えたって違和感がある。本人が好きだったかどうかは分からないが、役柄としてちょっと。国辱ものだよな、といった展開に、中日がよく全面協力したものだ。

中日が当時本拠地として使用していたナゴヤ球場を中心に、各セ・リーグ球場でも撮影され、ナゴヤ球場での撮影ではのべ10万人以上もの名古屋市民がエキストラとして参加した。東の方角に東山スカイタワーを遠望できる主人公のアパートや三河湾を望む茶畑など、名古屋市内・愛知県内の各所、名古屋空港旅客ターミナル、さらに名鉄電車の車内を使ってもロケが行われた。ユニフォーム・ウィンドブレーカー・スパイク・帽子に関しては、中日で実際に使用しているモデルと同一のものを着用。また、映画内で対戦した広島東洋カープも実使用のユニフォームを着用していた。また、中部日本放送(CBC)など中日系メディアも撮影に全面協力し、映画ではジャックが『サンデードラゴンズ』や『中日スポーツ』内で特集されるなど随所に登場している。ただし、バックスクリーンのスコアボードは実際のものとは違い、グランド内の別の位置に作られている。 ~ Wikipediaより

セントラル・リーグの各球団が戦っているシーンが見えたが、何故か阪神タイガースだけは登場しない。『俺はメジャーリーガ-だぞ。日本になんか行くもんか!』という主人公のセリフが最初の頃に出てくる。結構正直にメジャーリーガーの思いがセリフになっている。23年前の映画だが、描かれている風景は今も変わらない。ガイジン助っ人の価値観も、ほとんど変わっていないような気がする。アメリカ人が日本に来て最初に感じる不思議な習慣をいくつか取り上げているところは、興味があるところ。日本人か中国人か分からないような描き方をしていないところだけ、好感が持てる。

『39 刑法第三十九条』

1999年(平成11年)・日本 監督/森田芳光

出演/鈴木京香/堤真一/岸部一徳/吉田日出子/山本未來/勝村政信/國村隼/樹木希林/江守徹/杉浦直樹

刑法第39条 1.心神喪失者の行為は、罰しない。 2.心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。 この法律を利用して完全犯罪を目論む犯人と、精神鑑定人との争い。話は極めておもしろい。映画としても悪くはない。何か決定的なところが抜けていると思うが、それがなにかは分からない。アメリカ映画で同じようなのがあったのを思い出す。あれは出來が良かった。

映画を離れて、このような場合の責任能力がどうのこうのという論を昔から気にしていた。『窃盗、強盗、詐欺、恐喝、背任、横領、贓物、毀棄、隠匿』くらいしか法学部出身を証明できない知能だが、この条文の意図する人間の営みを理解できない。

万が一にこの映画の争点『多重人格』が本物であったとしても、人間の肉体はひとつしかない。その中に精神構造がふたつだから、責任は問えないとする論理が分からない。もしも私が法学者なら、犯罪を犯す肉体も、普通の人間の時の肉体もひとつであるから、その罪ある肉体を刑罰に処することもやむを得ない。と判決をくだすべきと、論じるだろう。そうでなければ、ただ殺されてしまった被害者に報いる手立ては何もなくなってしまう。加害者の論理だけが取り上げられ、殺されてひと言も声を発することさえ出来ない被害者の利益は、永遠に取り上げられない法律は、不備すぎる気がしてならない。

『君とボクの虹色の世界』(Me and You and Everyone We Know)

2005年・アメリカ/イギリス 監督/ミランダ・ジュライ

出演/ミランダ・ジュライ/ジョン・ホークス/マイルス・トンプソン/ブランドン・ラトクリフ

サンダンス映画祭は、アメリカの映画祭。ユタ州のスキーリゾート地で有名なパークシティで、1978年より毎年1月中旬から11日間に渡って開催されている。インディペンデント映画を対象とし、数万人規模の客を招き約200本もの長・短編映画が上映される。日本のNHKがスポンサーに名を連ねている。名称は、この映画祭を主催するロバート・レッドフォードが映画『明日に向って撃て!』で演じた役柄サンダンス・キッドに由来する。 ~ Wikipediaより

NHKがサンダンス・インスティテュートと共同で実施しているサンダンス・NHK国際映像作家賞受賞作品。カンヌ映画祭もこの映画祭も受賞作品は地味な映画として有名。それにしてもかったるい映画。日本映画のなかなかさきへ進まない特徴と似ている。同じ場所で堂々巡りをしている。

ここでもまた離婚した男と女が主人公。どちらかというと男にスポットライトをあてている。結婚という形がもう意味のないものになっているような気がする。フランスでの法整備が婚姻によらないというのがいい見本だ。世界中が結婚という形を取らない実生活を模索している。一方では権利獲得のための同性婚が大きく幅をきかせる時代となってきた。

『僕達急行 A列車で行こう』

2012年(平成24年)・日本 監督/森田芳光

出演/松山ケンイチ/瑛太/貫地谷しほり/村川絵梨/ピエール瀧/伊武雅刀/伊東ゆかり/星野知子/笹野高史/西岡徳馬/松坂慶子

監督・脚本は森田芳光によるオリジナル作品。この作品は2011年12月20日に急性肝不全で死去した森田にとって遺作となった。監督2作目、『の・ようなもの』(1981年)が日本ヘラルド映画配給だったので、この監督のことは記憶に残る。

彼の監督作品だったことは観終わってから知った。おもしろかったので、まさか彼だとは、意外だった。電車オタクが社会でも役に立ったような話。種々の電車ファンにとっては、気持ちのいい映画になっているに違いない。『釣りバカ・・』の電車版に似ている。シリーズにもなるのでは、と思えてきた。

A列車で行こう、という題名からは、Take the A Train というジャズ・スタンダードが思い起こされるが、どこにもそんな形跡は見られない。こういう映画が撮れるなら、これ以降も結構いい映画を作ることが出来たのではなかろうか、と今頃になって監督の死を悼んでいる。

『半次郎』

2010年(平成22年)・日本 監督/五十嵐匠

出演/榎木孝明/AKIRA/白石美帆/津田寛治/坂上忍/雛形あきこ/竜雷太/北村有起哉/田中正次

一見、やさ男の主演榎木孝明は、自ら13年をかけて企画し、監督など主要スタッフの人選や制作費も自ら積極的に働きかけたという。彼は鹿児島県出身、薩摩男としては郷土の英雄たちを映画にしたいという思いが強かったのだろう。クランクイン時の仮題は『半次郎 ~桐野利秋風伝~』。

幕末維新(幕末、戊辰戦争、明治維新、西南戦争)に登場する人物像は凄く興味がある。最も有名な坂本竜馬をはじめ、この映画の西郷隆盛、今年のNHK大河ドラマ吉田松陰。誰がいつどんな働きをして世の中を動かしていたのか、もう一度勉強し直そう。

「たとえ戦に負けても、犠牲を払うても、捨てちゃならんもんがある。」「オイどんが戦う意味は必ずや誰かに届く」、という映画のキャッチコピーは、あながち嘘ではないだろう。映画の終わりに主演榎木孝明からのメッセージが映る。『 道しるべを持たない若者たち そして 道しるべになれない大人たちに この「半次郎」を届けます 榎木孝明 』。

『かぐや姫の物語』

2013年(平成25年)・日本 監督/高畑勲

出演(声)/朝倉あき/高良健吾/地井武男/宮本信子/内田未来/田畑智子/高畑淳子/立川志の輔/橋爪功/上川隆也

どうにも嫌いなアニメ映画だけれど、期待しない分だけ気楽に観られるだろう、と予想したが、おおむねそんな感じだった。情操教育を受けていないと、こういう物語が、どんな筋なのかをほとんど知らない。竹から生まれたかぐや姫、という幼児期の知識がそのまま来てしまっている。

商売人の子供には親から教育らしいものを受けた記憶がない。あの時代ということも重なり、よほど天賦の才能のあるもの以外、絵本に親しんだりしている友もいなかったように思う。小学4年生くらいになってせいぜい「少年サンデー」や「少年マガジン」が毎週発売されて、ようやくいっぱしの子供になっていったような気がする。

どうにも、静止画の延長線のようなアニメ映画はのれない。小さい頃からディズニー・アニメが普通の映像だろうと思い込んでいたトラウマが、日本的アニメを心から完全に排除してしまっている。絵本のつもりで観るこの映画は許容範囲だ。あくまでも絵本、小さい頃見損ねた本に出会ったような気分。後半にやっぱり教訓的なセリフがあり、ジブリのこれが嫌いなんだよな、というところをまた確認した。

『ハゲタカ』

2009年(平成21年)・日本 監督/大友啓史

出演/大森南朋/栗山千明/松田龍平/高良健吾/玉山鉄二/柴田恭兵

製作委員会に名を連ねるのは、NHKエンタープライズ、東宝、講談社、博報堂DYメディアパートナーズ、ヤフー・ジャパン、TOKYO FM、日本出版販売、TSUTAYAグループ、読売新聞、ニッポン放送。なんかおもしろい組み合わせだ。NHK土曜ドラマ「ハゲタカ」が国内外で高い評価を得た]ことから、東宝などの製作委員会により映画化されることとなったという。

ドラマから4年後が舞台で、出演者・スタッフともテレビドラマをほぼ踏襲し、原作者・真山仁が執筆した続編『レッドゾーン』をベースにテレビ版の後日談となる予定で、2009年5月公開を目指し、2009年1月15日にクランクインした。しかし、リーマン・ショックが発生し、当初予定されていた脚本(日本に進出してくる中国系ファンドを日本の金融界がどう迎え撃つかという構想だった)が、全く時流に合わない物となり、制作サイドは、時系列をテレビ版と実際の時間との中間に位置する話として、完成していた脚本をそのまま採用するか、あるいは、現在の時間軸に合わせた物にするかの決断を迫られることとなった。制作サイドは検討の結果、「現在の時間軸に合わせた物語にするために脚本を大幅に書き換え(8割程度を書き換えたと言われる)、配役やその設定自体を見直す」という大胆な決断を下した。このため、当初の3月撮影終了、5月公開という予定は不可能となり、公開日は正式に6月6日と発表し直された。 ~ Wikipediaより

結構ハードな内容で久しぶりの骨太映画に出会った。世の中に悲劇が2つある。ひとつはお金がないこと、もうひとつはお金があること。と、映画は締めくくられる。それにしてもこの頃は日本映画ばかり。一時は10本に1本くらいしか日本映画を観ていなかったが、なにしろ外国映画の放映がめちゃめちゃ少なくなった。

『横道世之介』

2013年(平成25年)・日本 監督/横道世之介

出演/高良健吾/吉高由里子/池松壮亮/伊藤歩/綾野剛/朝倉あき/黒川芽以/柄本佑/余貴美子/きたろう

原作は漫画だろうと思いながら観ていた。小説だった。原作者・吉田修一によると、主人公名を作品タイトルにする方針に沿い、まず世之介の名前が決定。「名字は韻を踏んだほうがいい。」という助言を踏まえ、作者の郷里でもある長崎で横着者を指す「横道もの」という言葉および、横道に逸れるといったニュアンスを意識し、決まったとのこと。

映画公開時のキャッチコピーは「出会えたことが、うれしくて、可笑しくて、そして、寂しい――。」。延々と終わらない映画は長過ぎる。ガチャガチャと入ってくるコマーシャルもうるさく、本編2時間40分は、いくらなんでも。初めから早々と2倍速で観たことが正解だったと思えた。

学園ものの映画は楽しいが、この映画のような大学生ものは意外とつまらない。自分の学生時代を少し思い出したりして、心がほころんだりするのも我ながら可笑しかった。あの頃いろいろなことを経験してきたはずだが、そのひとつひとつが自分の骨となり肉となってきたのだろうか。

『ハノーバー・ストリート/哀愁の街かど』(HANOVER STREET)

1979年・アメリカ 監督/ピーター・ハイアムズ

出演/ハリソン・フォード/レスリー=アン・ダウン/クリストファー・プラマー/アレック・マッコーエン/リチャード・メイサー

出逢ってしまったのだから仕方がない。そういう偶然の恋愛が現実にも多いはずだ。出逢わなければなにも起こらなかった運命。たまたま女は結婚をしていた。夫に特別の不満があるわけでもない。可愛い娘と三人の生活は楽しさいっぱい。ただ時代がそれを許さなかった。

時は1943年、場所はロンドン。第二次世界大戦が終わるのは2年後、まだ誰もそのことを知るはずもない。明日生きているのかさえも分からない。誰もが生死の狭間を生き抜いていた。男はアメリカ人。連合軍の爆撃機パイロットとして毎日のようにロンドンから出撃していた。そんな緊急時でなければ、急いで愛を確かめる必要もなかったろう。

愛は突然にやってきて、別れもまた突然にやってくる。それは永遠の愛の証のように、穏やかな別れが待っていた。それでいいのかもしれない。未練がましく別れを否定したところで、どうしようもない運命の道の先には、輝ける未来が続いているわけもないのだろうから。哀しい出逢いが心を打ち砕くかもしれないが、出逢わなかったことを考えれば、哀しい出逢いと悲しむこともない。心がうずく。

『キネマの天地』

1986年(昭和61年)・日本 監督/山田洋次

出演/渥美清/中井貴一/有森也実/すまけい/岸部一徳/堺正章/柄本明/笹野高史/ハナ肇/桃井かおり/倍賞千恵子

松竹大船撮影所50周年記念作品。この映画製作の契機としては、東映出身の深作欣二が『蒲田行進曲』(1982年。つかこうへい原作・脚本)を撮ったことを野村芳太郎プロデューサーが無念に思い、松竹内部の人間で「過去の松竹映画撮影所」を映画化したいという思いがあったという。 また、1971年8月の第9作『男はつらいよ 柴又慕情』以降、「盆暮れ」で年2回製作されていた『男はつらいよ』も、こういった経緯により、1986年の夏は製作が見送られた。

舞台は松竹が撮影所を大船に移転する直前の1934年頃の松竹蒲田撮影所。城戸四郎所長以下、若き日の斎藤寅次郎、島津保次郎、小津安二郎、清水宏ら気鋭の監督たちが腕を競い、田中絹代がスターへの階段を上りかけた黄金期である。この時代の映画人たちをモデルにして書かれた脚本には井上ひさし、山田太一も参加した。また、浅草の映画館の売り子からスター女優になる主役の「田中小春」役を藤谷美和子が降板したため、映画と同様に新人の有森也実が抜擢されて話題になった。 ~ Wikipediaより

誰が主役なんだろう、と思いながら観ていた。スターになっていく映画館の売り子の父親がクレジットの最初に出てくる。懐かしい映画界での話ながら、邦画の女優は段階的にスターになっていったようだ。「準幹部」などというヤクザ世界と同じような言葉が女優に対して使われる。なんか懐かし過ぎて、夢の世界のようだ。

『レンタネコ』

2011年(平成23年)・日本 監督/荻上直子

出演/市川実日子/草村礼子/光石研/山田真歩/田中圭/小林克也

大の猫好きで知られる『かもめ食堂』や『トイレット』の荻上直子が監督を務め、猫を通して人と人のきずなを描く心温まる人間ドラマ。 ~ YAHOO! より

映画というものは100人見たら100人の感想があっていいのだけれど、素直に言っちゃうとおもしろくない。いつも素直じゃないような書き方は卑怯かな? いつも言いたいことを言って、自分の不勉強さや人間性をさらけ出しているのは、それこそが自分の人間性。

はなしが進まない典型作品。穏やかすぎて飽きが来る。輪をかけて悠久のカメラ回しをするものだから、いい加減にしてよ、と、突っ込みを入れたくなる。小林克也がおばあさん役で登場する。お笑いをとりたいのか、安らいで欲しいのか、分からない。気に入ったのは題名と、レンタネコを個人でやっているそのシステム。「ト~フ」屋のようにリヤカーに猫を乗せて「レンタネコ」と叫ぶシーンだけが可笑しい。

『暴走特急』(Under Siege 2: Dark Territory)

1995年・アメリカ 監督/ジェフ・マーフィー

出演/スティーヴン・セガール/エリック・ボゴシアン/キャサリン・ハイグル/モリス・チェストナット

1992年公開『沈黙の戦艦』の正式な続編。正式な続編にもかかわらず、邦題に「沈黙」が入っていない。また、日本公開時には続編とは謳われておらず、『沈黙の要塞』が「沈黙シリーズ第2弾」と謳われていたという。

スティーヴン・セガールの映画を食わず嫌いのように見ていなかったが、前回意外とおもしろいと書いたとおり、今回の映画もなかなかおもしろかった。彼はスーパーマンの如く、強く逞しいまさにいっときのアメリカ合衆国そのもののような存在だ。

題名を見て一瞬水野晴郎大先生の作った映画かと勘違いした。彼の作ったのは『シベリア超特急』(1996年、2001年)で2本も作られている。見たくはない映画だが。業界では資産を築いた唯一の宣伝部長として有名である。

『アンディフィーテッド 栄光の勝利』(Undefeated)

2011年・アメリカ 監督/ダニエル・リンジー/T・J・マーティン

出演/ドキュメンタリー映画

結成以来未勝利であるテネシー州メンフィスの高校のアメリカンフットボール・チームである「マナサス・タイガース」がコーチのビル・コートニーによって立て直される姿が描かれる。2011年にサウス・バイ・サウスウエストで初公開されて批評家に絶賛され、ワインスタイン・カンパニーが配給・リメイク権を獲得したことが報道された。2012年2月26日、第84回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。 ~ Wikipediaより

DVDパッケージの絵柄とこの題名を見れば、おおまかな想定は出来る、と思いながら観始まった。ドキュメンタリーのような映像が延々と続き、これは劇映画に転換していかないのかと、不思議な感覚におそわれる。メンフィスといえばプレスリーの生まれたところ。今年の錦織圭の初優勝もこの地だった。

ボランティアで高校のアメフト・チームのコーチをやっている人物の目線でドキュメンタリーは作られている。「人間性」「規律」「チーム優先」を生徒たちにしつこく訴える。特にトラブルを裁く際の指針は、チーム優先である。ちょっと意外な感じがする。個性豊かなアメリカ人だからこそ、チーム優先の心が最重要なのだろう。日本のもスポーツ・シーンならあたりえのことが、アメリカでは心の支えになる。クール・ジャパンのひとつかもしれない。

『シェフ! ~三ツ星レストランの舞台裏へようこそ~』(Comme un chef)

2012年・フランス 監督/ダニエル・コーエン

出演/ジャン・レノ/ミカエル・ユーン/ラファエル・アゴゲ/ジュリアン・ボワッスリエ

料理人のジャッキーは数多くの有名シェフのレシピを完璧に暗記する才能を持ち、天才料理人を自称している。しかし、料理へのこだわりから客や同僚とたびたびトラブルを起こし、ひとつのレストランに腰を落ち着けることができなかった。しかし、恋人のベアトリスが妊娠したことをきっかけに、ジャッキーは安定した収入を得るためにペンキ職人として働き始める。 ~ Wikipediaより

もうひとりの主人公は、20年来の三ツ星レストラン「カルゴ・ラガルド」の超一流有名シェフ。基本的にはフランスのエスプリ満載のコメディーと言いたいところだが、さほどお笑いを取ろうとしている風情には見えない。オーナーシェフではないため、経営者の馬鹿息子との争いがお笑いのネタなのだが、これがおもしろくない。

1979年日本ヘラルド映画が配給した『料理長殿、ご用心』(Who Is Killing the Great Chefs of Europe?)があった。同じビルのみんながよく通っていたレストランとタイアップし、映画に出てくるメニューを期間限定提供した。壁には映画ポスターが貼られ、テーブルの上には小さな映画ポップが置かれた。映画記者用の会見は記者を招待してこの店で振る舞った。前売り券の半券を持っていくと割引もあった。ヘラルドには、アイディアと機知に富んだ宣伝マンが多かった。

『完全なる報復』(Law Abiding Citizen)

2009年・アメリカ 監督/F・ゲイリー・グレイ

出演/ジェイミー・フォックス/ジェラルド・バトラー/ブルース・マッギル/レスリー・ビブ

アメリカでは司法取引が行われるのは当たり前のようだ。が、有罪を勝ち取るために被害者の意思を無視して、勝手に司法取引をしてしまった検察に対する報復だということが、映画の途中から分かるようになる。最初は妻子を殺した犯人に対するものだと思わせるのも、手の内か。

日本語の題名が内容を教えてしまっているので、何の情報がなくても想定できることが出来てしまうのは、あまり芳しくない。報復といえど人を殺すのには抵抗があるはずなのに、観客としては「もっとやれ!」という心境になっている。とてもいいことじゃないように見えるが、なぜかそんな気分になっていた。少しこちらの精神状態が不安定なのだろうか。いやいや、みんなそんな風に見るはずだ、と勝手に自己肯定していた。

完全なる報復なら、すべてをうまく済ませて、どこか楽園にでも旅立つところで映画が終わる、てな想定だった。裏切られて、ちょっとがっかりした。でも最後には正義が勝たなければ、社会は保たれないから良しとしなければならないのかもしれない?

『バッド・ティーチャー』(Bad Teacher)

2011年・アメリカ 監督/ジェイク・カスダン

出演/キャメロン・ディアス/ジャスティン・ティンバーレイク/ジェイソン・シーゲル

元ビッグカップルの共演も話-題となり 全米大ヒットを記録したらしいが、ホントかい。題名から想像するおちゃらけ映画の期待を裏切らない。日本のおちゃらけ映画とどのくらい違いがあるのかの興味があった。

アメリカの先生のスタイルに興味をもったが、さすがにこの映画ほどの暴走先生はいないだろうから、まったく参考にならなかったと、いっていいだろう。この映画の先生は中学校の先生。担任するクラスに教える内容を自分が決められる雰囲気は、日本ではとても考えられない。

無数の教師と呼ばれる人間がいる。自分が学校を卒業し、資格試験に合格したとしても、すぐに他人に教えることができることが、ちょっと信じられない。よほど自信を持った人間しか出来得ないことだろう。いやいや、そんなことはないよ、などと謙遜されても、そんな先生には教えてほしくもないし。人の上に立つというのは極めて難しいこと。そんなことが出来る先生という職業を尊敬しなければ。

『セラフィーヌの庭』(Seraphine)

2008年・フランス/ベルギー 監督/マルタン・プロヴォスト

出演/ヨランド・モロー/ウルリッヒ・トゥクル/アンヌ・ベネント/ジュヌヴィエーヴ・ムニシュ

 フランスでのアカデミー賞にあたるセザール賞7部門を受賞している。TSUTAYAでパッケージを手にしたとき、ぱっとセザール賞という文字が見えたので、借りることにしたといっても過言ではない。DVDでなにを借りたらいいのか本当に難しい。普通の人々は、その基準をどうしているのだろうか。

 映画は1914年、第一次世界大戦が始まる年から描かれる。その後の世界恐慌時代に翻弄される女性画家セラフィーヌ・ルイが主人公。この画家の名前を知らなかった。彼女を見いだしたのは、ヴィルヘルム・ウーデというドイツ人画商であり評論家。ピカソを無名の時から評価したり、ルソーを世に出した人として有名らしい。実話の映画化は、さほどの出来事がない場合があり、どのあたりが賞に値するのか、イマイチ素人には想像もつかない。

 人が人を評価し、その評価が社会的になることは羨ましいこと。普通のサラリーマンだって、少しは同じようなことを経験している。誰かが評価されて係長、課長、次長、部長、取締役になっていくさまは、芸術の世界でも一般会社の世界でもさほど変わりないような気がする。サラリーマンは芸術家のように永遠に評価される技はないけれど、よくよく見れば、その才能は意外と後世にも残る芸術品みたいなものだと考えられなくもない。そんな普通で才能のあるサラリーマンに出逢えると、自分の人生も豊かに見えてくる。経験としてそう思える。

『川の底からこんにちは』

2010年(平成22年)・日本 監督/石井裕也

出演/満島ひかり/遠藤雅/相原綺羅/志賀廣太郎/岩松了/並樹史朗/稲川実代子/猪股俊明/鈴木なつみ

第19回ぴあフィルムフェスティバルスカラシップ作品であり、日本国外の映画祭で評価されてきた石井裕也監督の商業映画デビュー作。2010年、ファンタジア国際映画祭で、最優秀作品賞と最優秀女優賞(満島ひかり)をW受賞したという。

映画賞というのは作品賞を除けば、演じている役者の技量だったり、照明だったり、音楽など映画のストーリーは関係ないところで評価されるらしい。この映画を観て、一体誰が感動するのだろうかと、考えるまでもない。日本映画のコメディータッチのおちゃらけた映画とちょっと違うが、別の意味ではやっぱりおちゃらけている。品のないセリフが物語るように、一番使ってはいけない下ネタをセリフで言わせている。

それにしても酷い。なにもない映像をダラダラと流し続けるのは罪だ。こうやって少しずつ文化程度を低めていく日本映画に未来はない。文化芸術振興費補助金を受けているというが、税金の無駄遣いと批難されないだけ幸せだと。

『スパルタカス』(Spartacus)

1960年・アメリカ 監督/スタンリー・キューブリック

出演/カーク・ダグラス/ローレンス・オリヴィエ/ジーン・シモンズ/チャールズ・ロートン/ジョン・ギャヴィン/トニー・カーティス

この有名な映画をその当時に映画館で観てみたかった。以下、すべてWikipediaより。本作は元々アンソニー・マン監督でクランクインしていたが、カーク・ダグラスとの衝突により降板したため、当時まだ無名だったキューブリックが呼び寄せられた。マン演出によるシークエンスは現行本編冒頭に残っている。キューブリックはあくまで監督として「雇われた」だけだと言い張り、死ぬまでこの映画を自分の作品とは認めず、「あの映画には失望した」とまで言っていた。これは製作者カーク・ダグラスが大物俳優であったことにより、キューブリックの思惑どおりになかなかことが進まなかったことが理由とされている。

初公開時に削除された一部シークエンスが1991年に修復された。復元された削除シーンはクラッサスとアントナイナスが小浴場で入浴するシーン。香油によるマッサージやベール越しの撮影で妖艶さを増していた。会話も牡蠣や蝸牛など食のモラルに関するものだが同性愛に対するモラルを暗示するものが含まれていた。音声素材が消失しており、また、ローレンス・オリヴィエは1989年に死去していたので、彼にゆかりのあるアンソニー・ホプキンスが台詞を吹替えた。カーティスは、ドキュメンタリー映画 『セルロイド・クローゼット』 の中で、この場面(オリヴィエが入浴する場面でトニー・カーティスが演じる奴隷との絡みがある場面)がホモセクシュアルを匂わせる為に削除されたことを明らかにしている。上映時間3時間4分、復元版は3時間13分。

かつて赤狩りで追放歴のあるダルトン・トランボ(ハリウッド・テンの一人)が13年ぶりに実名で脚本を担当したことから、公開当時は右派や軍人を中心に非難や上映反対運動が起こった。これに対し、ジョン・F・ケネディ大統領が事前通知なしで劇場を訪れて同作品を観賞し、好意的な感想を述べたことで、大ヒットにつながった。ダルトン・トランボは、日本ヘラルド映画が配給した『ジョニーは戦場へ行った』(Johnny Got His Gun・1971年)の原作者であり、脚本、監督をした人物。

『故郷』(ふるさと)

1972年(昭和47年)・日本 監督/山田洋次

出演/倍賞千恵子/井川比佐志/笠智衆/前田吟/田島令子/渥美清

いわゆる民子三部作(1970年の『家族』、1972年の『故郷』、1980年の『遙かなる山の呼び声』)の第二作。瀬戸内海の小島で石の運搬をしている一家が工業化の波に押され、島を出て新天地で暮らすことを決断するまでを描いた作品。舞台となった広島県倉橋島に長期滞在し、島の住民を多く登場させるなど、『家族』同様ドキュメンタリーの手法も交えて撮った。

石船(いしぶね)と呼ばれるらしい。砂利ではなく結構大きな石を広島から海で運び、どこか決められた場所にその石を捨てるという作業が職業だ。石を海に捨てるときが凄い。船を傾けて一気に石を捨てる。文字で書いてもその様子は見たことがなければ伝わり難い。たんたんと毎日の生活が続く。時々、この瀬戸内海の小島での生活がいかに快適かを語りかける。

船の大修理が必要となり、100万円以上の借金をして修理するか、尾道に移住して工員として働く道を選ぶのかの決断を迫られる。日給2400円という金額がこの時代を表現している。人間の仕合わせは一体何処に拠点を求めればいいのだろうかと、問いかけられる。倍賞千恵子のさりげない妻役がすばらしい。

『小さいおうち』

2014年(平成26年)・日本 監督/山田洋次

出演/松たか子/倍賞千恵子/吉岡秀隆/黒木華/妻夫木聡/橋爪功/吉行和子/室井滋/中嶋朋子/小林稔侍/夏川結衣

山田洋次の通算82作目、直木賞受賞作の映画化、およびラブストーリーははじめてという。昨年2014年1月25日公開作品、きわめて新しい映画を録画で見られるのは嬉しい。内容をまったく関知しないで観る映画は楽しい。こんなはなしだったのかという驚きと、楽しみが倍増する。

しかも映画がきちんと作られていることが良く分かる。ベルリン国際映画祭に出品されたとのことだが、この微妙な心の動きを外国人が分からなくても、映画そのものが実に丁寧に、しかも構図も含めて技術的にも尊敬に値する映画だということくらいは分かってもらえるだろう。最近のおちゃらけた日本映画を見慣れた老人には、珠玉の宝石のようにさえ見える。

おそらく活字で読んでもその趣は伝わってくるのだろうが、そういう原作をこういう映像に作り上げる力が素晴らしい。ひとりでに涙が頬を伝わる。そんなひとときが持てた日の、その後の時間は、心の中がうきうきしていて気持ちがいい。そういう気分になれる人がどれだけいるのだろうか。時間がない人も、時間がある人も、映画を観て心を揺さぶられる瞬間を味あわなければ、なんのために生きているのか分からない。


2019年3月21日再び観たので記す。

『小さいおうち』

2014年(平成26年)・日本 監督/山田洋次

出演/松たか子/倍賞千恵子/片岡孝太郎/吉岡秀隆/黒木華/妻夫木聡/橋爪功/小林稔侍/夏川結衣

おばあちゃんが亡くなった。生きているときから孫に勧められて自分の回想録を大学ノートに書き留めていた。サラリーマンでさえ女中を雇える時代だった。山形から上京して平井家の女中として過ごした主人公、その人生の歴史が映像で蘇る。そして・・・・。

まったく初めてという感じで観ていた。後半の後半になって、またいつもの如く「あれっ!」これもしかしたら観たことあるかも、というシーンにぶち当たった。その後でもう一度このシーンという映画であることを確認出来て観終わった。山田洋次監督作品であることも後で知った。血となり肉となるように映画を観ているが、情けないほど覚えていなくていいのだろうか。それでいいのだ。

東京への一極集中主義はますます激しくなっている。それでも日本全国ほとんど同時に情報を共有できる時代のお陰で、さほどの地域差を感じないで生活している気になれるのが今だろう。この映画のような昭和5年以降の景色には、今では考えられないような地域差が歴然とあったに違いない。東京だって「下町」「山の手」とはっきりとした区分があった。一億総・・と形容されるときになれば、どこに住んだって同じようなものなのだろう。

『ジャッジ!』

2013年(平成25年)・日本 監督/永井聡

出演/妻夫木聡/北川景子/リリー・フランキー/鈴木京香/豊川悦司/荒川良々/玉山鉄二/玄里/田中要次/風間杜夫

「初めて映画館であんな笑った」「新年一発目から当たり引いた!面白い!」「肩を震わせながら何度も噴き出してしまったw」「最近の日本映画で一番おもしろかったわ!」「今までの映画の中で一番面白かった!」「コメディと思いきや、その実、ダメな主人公ががんばる青春映画の王道でしたよ。」

こんな考えられないようなコメントが並ぶページが見つかってがっかり。この映画の何処がおもしろいというのか。フジテレビが製作した映画、おちゃらけた日本映画の典型作品で、役者が顔を見せるたびに、なにこれ!と声を発してしまうほどのひどさ。そんな映画がおもしろいというのは、実に仕合わせなことだ。

こんな映画の海外ロケなんて、お金がもったいなくて反吐が出る。国際広告コンペを通して広告業界の裏側をコメディータッチでなどという形容をはるかに超えたつまらなさ。妻夫木はこの程度の映画のこの程度の役を演じるのにぴったんこ。ちょっと評価しはじめていた北川景子がこんな映画に出ていることが気にくわない。せっかくこの手の顔を好きになり始めていたのに。

『ガタカ』(Gattaca)

1997年・アメリカ 監督/アンドリュー・ニコル

出演/イーサン・ホーク/ユマ・サーマン/ジュード・ロウ/ローレン・ディーン

「Gattaca」のスペルであり、クレジットで強調されるGとAとTとCは、DNAの基本塩基であるguanine(グアニン)、adenine(アデニン)、thymine(チミン)、cytosine(シトシン)の頭文字である。映画は次の言葉から始まる。 「神の御業を見よ。神が曲げたものを誰が直しえようか」旧約聖書『伝道の書』  「自然は人間の挑戦を望んでいる」(ウィラード・ゲイリン)

近い将来という時代は未来の映画。出生前の遺伝子操作により、生まれながらに優れた知能と体力と外見を持った「適正者」と、「欠陥」のある遺伝子を持ちうる自然出産により産まれた「不適正者」との間で厳格な社会的差別がある近未来。もうそういう時代が来ることが予感される現実がある。

この時代には遺伝子を操作しないで生まれてきた子供は『神の子』と呼ばれるのが皮肉だ。生まれてくる子供が男か女かくらいなら、知ってしまうのが怖いことではない。生まれてすぐ、推定寿命や死亡原因までもが分かってしまう世界には、今とは大きく違う価値観が出来るに違いない。致命的遺伝的疾患を排除できてしまうことが、人間の心の仕合わせとは違う世界であるような気がする。

『犯人に告ぐ』

2007年(平成19年)・日本 監督/瀧本智行

出演/豊川悦司/石橋凌/片岡礼子/小澤征悦/井川遥/笹野高史/松田美由紀/石橋蓮司/崔洋一/柄本佑

はなしはおもしろい。WOWOW FILMSの第一弾作品。原作は、雫井脩介の長編サスペンス小説兼警察小説。単行本、文庫版ともにベストセラー。第7回(2005年)大藪春彦賞受賞。劇場型犯罪が『犯人につぐ』というタイトルに現れている。

警視庁と神奈川県警の縄張り争い、警察内部の足の引っ張り合いなど、いかにも日本的な人間関係が物語のひとつの要素。偉そうに若いキャリアが捜査の妨害をするなんてことは、現実警察でもあるのだろうか。アメリカ人の好きな刑事ものにはあるかに及ばないが、推理ものがおもしろくなかったら、まったく存在意義がなくなってしまう。

緻密な構成のはずなのに、ちょっと納得のいかない部分がいくつかあって、そのシーンがなければ展開も変わっていくので、見ていて満足の行かない気分にさせられた。ちょうど今現実社会では、川崎中1生徒殺人事件が未解決で毎日報道されている。神奈川県警は威信にかけて早期解決をして欲しいものだ。

『風立ちぬ』

2013年(平成25年)・日本 監督/宮崎駿

出演/庵野秀明/瀧本美織/西島秀俊/西村雅彦/風間杜夫/竹下景子/志田未来/國村隼/大竹しのぶ/野村萬斎

遺族からの反応:堀越二郎の長男は、映画版を観た感想として、実際には本庄より二郎は年下なので「さん付け」で呼んでいたはず、といった史実と異なる点が気になったものの、関東大震災のシーンあたりから引き込まれ、別れのシーンでは涙が止まらなかったと高く評価している。主人公については「いちずさ、気性、生きざまが美しく、その子供としてすごくうれしかった」と語っている。さらに「父は必ずしも零戦は好きではなかった」と指摘し「宮崎監督がすごいのは『九試』完成までで、零戦を描いていないこと」だと評している。なお、「零戦は好きではなかった」という理由について、堀越の長男は、設計時の要求水準の高さ、テストパイロットの殉職、神風特別攻撃隊での使用など、二郎にとって零式艦上戦闘機には、辛い思い出が多かったことを挙げている。

日本禁煙学会による批判:禁煙推進NPO団体である「NPO法人日本禁煙学会」は、2013年8月12日に、スタジオジブリに対する『要望書』を提出。映画はたばこ規制枠組み条約13条違反だと批判。教室での喫煙場面、職場で上司を含め職員の多くが喫煙している場面、高級リゾートホテルのレストラン内での喫煙場面などの登場を批判、特に、肺結核で療養中の妻の手を握りながらの喫煙描写は問題であり、この場面でタバコが使われなくてはならなかったのか?他の方法でも十分表現できた筈だ、と批判。また、大学生が「タバコくれ」とは、未成年者の喫煙を助長し、日本の法律である「未成年者喫煙禁止法」にも抵触するおそれがある、と批判した。しかし、これはスタジオジブリを誹謗中傷するものではなく、法令遵守した映画制作を願う、と云うステートメントを発表した。

喫煙文化研究会による擁護:それに対して、愛煙家の団体である「喫煙文化研究会」は、2013年8月15日に、映画に対するプレスリリースを発表し、昭和10年代の喫煙率についての公式データが無いが、昭和25年のデータでは、男性の84.5%は喫煙者であり、映画の描写は極自然な事で一般的な描写であると指摘。国際条約との優位性に於いては、現在「憲法優位説」が通説となっており、たばこ規制枠組み条約より、表現の自由を定めた日本国憲法が上位であると指摘し、表現の自由に対する要望は意味を成さない、と指摘し、喫煙者と非喫煙者が、共生出来る『分煙社会を実現すべき』だ、と云うステートメントを発表した。

以上、すべてWikipediaからの引用。タバコを吸うシーンがやたら多くてちょっと気になるのは確かなことなのだ。映画はアニメである必要がなく、きわめてつまらない。いい話に見えるが、いまいちメリハリがないシーンに終始する。アニメ嫌いだから、そう言っているのではない。

『イエスマン “YES”は人生のパスワード』(Yes Man)

2008年・アメリカ 監督/ペイトン・リード

出演/ジム・キャリー/テレンス・スタンプ/ズーイー・デシャネル/ブラッドレイ・クーパー

ジム・キャリーのこのタイトルでは、どれだけのはちゃめちゃぶりなのだろうと期待よりも不安の方が大きかった。出だしか好調、意外と静かじゃん、と思っていたのもつかの間、いつものジム・キャリーが始まりだしたら、もう止まらない。だが、これまでよりも少し抑え気味な表情、言葉、動作が進歩をうかがわせる。

「イエス教」という宗教みたいなものに出会った主人公、仕事でも遊びでも、なにか問われたらすべてに「イエス」と返事をするようになると、人生の出来事が何故か一変し始まる。このあたりがコメディーの真骨頂だろうが、めずらしく嫌みのない納得できるジム・キャリーがいた。

Yesは「New No!」だといった看板が「Yes教」の建物に掲げられていた。こういうところをさりげなく作っておくところがアメリカ映画の洒落。かならず嫌な顔して考えてから「じゃーOK」とか返事をする奴がいる。どうせOKの返事をするなら、途中を省略して「いいよ」と答えられれば、その人の株も上がろうというものだが、なかなかそういう人物に出会うことは希。

『アーティスト』(The Artist)

2011年・フランス 監督/ミシェル・アザナヴィシウス

出演/ジャン・デュジャルダン/ベレニス・ベジョ/ジョン・グッドマン/ジェームズ・クロムウェル

1927年から1932年までのハリウッドを舞台とし、トーキーの登場でサイレント映画の時代が終わったことで没落する男優と躍進する女優を描く物語である。サイレント、カラー映画として制作され、ポストプロダクションで白黒となった。第64回カンヌ国際映画祭でプレミア上映され、デュジャルダンが男優賞を受賞した。第84回アカデミー賞では作品賞、監督賞(ミシェル・アザナヴィシウス)、主演男優賞(ジャン・デュジャルダン)など5部門を受賞した。 ~ Wikipediaより

折しも今日はアカデミー賞発表の日、日本のテレビ局は同じ穴の狢のごとく、得意げになって特報を流している。一度は行ってみたかったアカデミー賞会場、現役時代のあの時代にはそんなに難しい相談でもなかった。いつの間にか、カンヌ映画祭もそうだが、ニュースネタの大きなものとなってしまって、仰々しい扱いにちょっとあきれている。

無声映画時代の雰囲気を出そうと音声は一切ない。いつか声が聞こえてくるだろうと、たかをくくっていたが最後まで音なしとは驚いた。偶然に女優になり大人気を博している女性が、その時の恩を忘れず、落ちぶれた往年の男優を心からたすけようとする。うるわしい物語が音声なしに伝えられるのも悪くない。

『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』(Bridesmaids)

2011年・アメリカ 監督/ポール・フェイグ

出演/クリステン・ウィグ/マーヤ・ルドルフ/ローズ・バーン/メリッサ・マッカーシー

ブライズメイズは花嫁の介添人のこと。馴染みのない英語が頭をちょっと混乱させる。アメリカの結婚式で活躍するのがこの介添人。結婚式は1年前から用意する。それは会場選びやウェデングドレス作りに時間が掛かるからともいわれているが、一番の理由は特別な結婚式場というものがないので、牧師や食事のケータリング、ケーキの注文、DJ、お花、写真家は半年以上前から出張サービスの手配を行うからという。

そしてこの時、親しい友人や兄弟姉妹から選ばれていた介添人、花嫁側はブライズメイズ、花婿側はベストメンと呼ばれる人たちが、新郎新婦と共に式の手はずを進めて行く。この映画は花嫁と花嫁介添人たちとのドタバタ・コメディー。「メイド・オブ・オナー(花嫁介添人のリーダー)」をめぐってののっぴきならない争いがおもしろいような、おもしろくないような。

別れるのが分かっているのに盛大な結婚式を行うのは、映画だからではなく現実だって同じこと。どうにもこうにも、結婚という形式はもう過去のものになりつつある気がする。ようやく日本でも同性カップルの法的地位を認めようとする動きが始まった。歳を取った同性カップルが手をつないで歩いているシーンが、気持ち悪く映らないイメージが根付くかどうかは、よく分からないけれど。ゲイという感覚、なんとなく分かるような気がしないでもない。


2017年6月20日再び観たので記す。

『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』(Bridesmaids)

2011年・アメリカ 監督/ポール・フェイグ

出演/クリステン・ウィグ/マーヤ・ルドルフ/ローズ・バーン/メリッサ・マッカーシー

この題名からして軽い。お気軽映画の典型だろうと思っていたら、まったくその通りだった。その通りより以上の軽さだった。女が主人公なのに、下ネタ満載の会話には顔をゆがめる。一番簡単に人の興味を惹くことを下ネタに委ねるのが、もっともやってはいけない事柄。お話にならない。

まだ観終わっていない。観終わる必要がないかもしれない、と思いながら観ていた。アメリカ映画の良いところは、おちゃらけ内容でも一所懸命作っていること。役者が笑うことはない。「メイド・オブ・オナー(花嫁介添人のリーダー)」という日本では馴染みのない習慣が新鮮に映る。そのあたりのやりとりがおもしろくなってきた。

花嫁介添人になるだけでストレスがかかるようなことが言われていて、驚く。ましてやそのリーダーになるのは大変らしく、そのあたりが映画の中でクソおもしろく語られている。最後までくそったれな言葉遣いで、だんだん聞くのも気持ち良くなってきた。英語が分かれば、もの凄く大笑いしているだろう、と想像出来る。才能がないのは悔しい。

『デート & ナイト』(Date Night)

2010年・アメリカ 監督/ショーン・レヴィ

出演/スティーブ・カレル/ティナ・フェイ/マーク・ウォールバーグ/マーク・ラファロ

最近のアメリカ映画はお金をかけた大作か、お金をかけられないおちゃらけ映画かの2局しかないようにみえる。お金をかけられない映画といっても、それなりにお金がかかっていることは疑いない。観始まると夫婦生活を舞台にした下ネタ合戦のセリフばっかりであきれ果てていた。

途中から急に事件が勃発して、夫婦が探偵のように事件解決物語になっていった。刑事ものにマフィアも登場、完璧なコメディーへと移行していった。気楽に見るにはこういう映画がいい。おちゃらけさも日本映画に比べたら、まったく比べものにならないくらい、アメリカ映画に軍配を上げる。

男と女しかいないのに、何故にこんなに問題が起こるのだろうか。男と女しかいないから、問題なのかもしれない。最近のように、男と女、男と男、女と女、という組み合わせがありとなった現状は、もしかすると社会を大きく変えていく一番の要素になるかもしれない、と思えてくる。

『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(Edge of Tomorrow)

2014年・アメリカ 監督/ダグ・リーマン

出演/トム・クルーズ/エミリー・ブラント/ビル・パクストン/ブレンダン・グリーソン

今日は2015年2月20日金曜日、久しぶりの洋画でしかも昨年公開作品にわくわくした。この頃のテレビ放映の映画は、製作本数の関係が一番の原因と思われる洋画不足に陥っている。なんといったって、この映画の主演トム・クルーズクラスなら1本20億円もギャラを取るんじゃ、とてもじゃないけどそう簡単には映画製作が出来なくなっているのだ。TSUTAYAでこの準新作と旧作3本を借りてきた。いつも書くようにDVDの並んだ棚を見ても、どれを借りていいか見当がつかない。もう少しジャンル分けではない情報を書いておいてくれないかなあ、例えば「ミニシアター系」とか。

桜坂洋による日本のライトノベル『All You Need Is Kill』を原作にしているという。なんか聞いたことあるなあ。英語圏では『Edge of Tomorrow(エッジ・オブ・トゥモロー)』という英題で公開されたが、日本では桜坂による原作小説のタイトルに準じた『オール・ユー・ニード・イズ・キル』という日本語タイトルで公開された。公開後、英語圏ではソフト発売の際に、映画公開時のキャッチコピーに準じた『Live Die Repeat(リブ・ダイ・リピート)』という英題に変更された。(Wikipediaより)

もっともこの小説の題名だってビートルズの大ヒット曲『 All You Need Is Love 』(愛こそはすべて)をもじっているのは誰にでも分かる。映画は完璧なるSFアクションで、解説しようもない。エイリアンが出てきてから、異星人の地球侵略計画は、一向に衰えを知らない。暗い画面が結構あって、何をやっているのか判別できない。それ以上に、敵が何(誰)なのかすらよく分からなくては、デジャブを繰り返す映画に感触は良くない。

『ゴールデンスランバー』(GOLDEN SLUMBER)

2010年(平成22年)・日本 監督/中村義洋

出演/堺雅人/竹内結子/吉岡秀隆/劇団ひとり/濱田岳/柄本明/大森南朋/貫地谷しほり/相武紗季/香川照之

ゴールデン・スランバーがビートルズの曲だということを知らなかった。アルバム「アビイ・ロード」(1969年)に収録されているという。高校時代に出会った『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! 』のサントラ盤「ハード・デイズ・ナイト」(A Hard Day's Night・1969年)のレコードを擦り切れるほど聴いて、ビートルズの全てが分かったような感覚になっていた。

主人公の昔の彼女や、大学のサークル仲間といった周りの人たちとの絆が大きな役割を果たすこの映画で歌われている曲。斉藤和義が音楽監督を務めている。原作は、伊坂幸太郎の小説で、2008年本屋大賞受賞、第21回山本周五郎賞受賞作品。『このミステリーがすごい!』2009年版1位。映画もなかなかおもしろい。映画館で絶対観たいというよりは、テレビドラマの特番で最上の評価を受けるような作品。

首相暗殺の濡れ衣を着せられた男の、2日間に亘る逃亡劇を描いた作品。基本的にコメディーだが、いつもの日本映画のようにおちゃらけていないのがいい。堺雅人は結構いろいろな映画に出演していた。香川照之は映画に出る暇があったら、本業?歌舞伎役者の腕を上げるために、もっとハードな鍛錬をしなければ、せっかくの歌舞伎界入りが単なる話題だけで死んでいくしかないよ。どうにも声の出方が素人域を脱せず、聞いていて歯がゆい歌舞伎役者だ。

『魔法遣いに大切なこと』

2008年(平成20年)・日本 監督/中原俊

出演/山下リオ/岡田将生/田中哲司/木野花/鶴見辰吾/余貴美子/斎藤歩/永作博美

洋画かと思いきや邦画だった。こんな題名を聞いたことがなかった。調べてみたら、原作者である山田典枝が城戸賞へ応募するために執筆したものが基となっている。この脚本自体は一般公開はされていない。この脚本を元に、よしづきくみちの作画による最初のシリーズ『Someday's dreamers』の漫画が富士見書房『月刊コミックドラゴン』で、2002年12月号まで全7話連載。この漫画を元に連続テレビアニメ版とアニメ版を基にした小説も発表されている。2008年、テレビアニメ版第2弾『魔法遣いに大切なこと ?夏のソラ?』を発表。映画公開に先駆け、同年7月より放送された。

魔法遣いの主人公が魔法労務士免許取得研修を受けるため上京し、研修中に出会う人々と触れ合うことで成長する姿を描く。日本映画では珍しい魔法遣い、おとぎ話のような物語。設定はおもしろい。ただ、だからどうしたのという肝心要の部分が欠如している。

コメディーなのだろうが、出演者の演技が不統一。おちゃらけた人間と真面目な人間とで、映画を変な位置にもっていってしまった。映画が終わって、ぽか~んとする観客が大勢いただろう。どうにも中途半端過ぎる。せっかくのファンタジーが、まったく目を覆うばかりの惨状になってしまった。

『永遠の0』(テレビ東京開局50周年特別企画ドラマスペシャル)

2015年(平成27年)・日本 監督/佐々木章光

出演/向井理 出演:多部未華子/中尾明慶/満島真之介/賀来賢人/金井勇太/工藤阿須加/大和田健介/石黒英雄/尾上松也/渡辺大/桐谷健太/広末涼子

今回は映画ではなくテレビドラマ。文庫版の販売部数300万部を突破したという原作の映像化には興味がわく。もっとも2013年12月には、岡田准一、三浦春馬、井上真央出演の映画が公開されているが、こちらのほうはまだ見ていない。映画は2時間24分、このテレビドラマは11日(水・祝)・14日(土)・15日(日)、CM入りとはいえ3日間で7時間10分とは凄い。

タイトルだけではわからない映画内容。ほんのちょっとの情報で戦争、ゼロ戦、くらいは知っていた。「ドラマ化!百田尚樹『永遠の0』はやっぱりネトウヨ丸出しの戦争賛美ファンタジーだ!」とネットにページまで出来ている。よく聞くようになった「ネトウヨ」ってなんだ? 「ネット右翼」がこんな言い方に変化したらしい。

意外だったのが原作者百田尚樹の評判。評判といっても自分の周りの人たちから直接聞いた言葉だが、この数日間で3人から「百田尚樹が嫌いだ」ということ。「探偵ナイトスクープ」の構成作家をしていたテレビ人間が作家になったからだろうか、テレビ出演での言動は確かに品がない。だが、彼を嫌いだという感覚にはならなかった。相手が男だからどうでいいや、ということかもしれないが。

『SPACE BATTLESHIP ヤマト』

2010年(平成22年)・日本 監督/山崎貴

出演/木村拓哉/黒木メイサ/柳葉敏郎/堤真一/西田敏行/山崎努/三浦貴大/池内博之/高島礼子

アニメ作品『宇宙戦艦ヤマト』の初の実写版映画である。2010年12月1日公開。キャッチコピーは「必ず、生きて還る。」「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」中、唯一の実写版映画である。本作公開前の2010年11月7日には、『宇宙戦艦ヤマト』の生みの親の1人である西崎義展が「YAMATO」という船から転落して事故死している。1年前の2009年12月には、西崎監督作の劇場版アニメ『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』が257館で公開されて最終4億円と言う結果だった。TBS開局60周年記念映画。

時は2199年。火星星域、第一艦橋勤務、空間騎兵隊、地球防衛軍、デスラー / ガミラス、イスカンダル、などなど子供騙しの言葉がならぶ。どうみたってこんなものを観る勇気がなかったが、すこしは心広く、映像を追いかけた。それほど酷いものではなかったが、宇宙で戦っている緊張感がまったく伝わってこない。

ストーリーのどの部分が触発するのだろうか。ありもしない、空想にはお粗末な物語を見て、楽しいと思える子供心が羨ましい。せいぜい鉄人28号くらいの空想が人間には限界だと思う。スーパーマンも同じように許せるが、あと200年も経たないうちに宇宙戦争が起こるなんて。幼児な社会には幼児な現象が、と言ってしまったら、元も子もないと怒られるだろうか。

『そして父になる』

2013年(平成25年)・日本 監督/是枝裕和

出演/福山雅治/尾野真千子/真木よう子/リリー・フランキー/田中哲司/風吹ジュン/樹木希林

出生時に子どもの取り違えが起き、小学校に入学する少し前に病院から事実を告げられる。相手の家族との変な交流が始まり、どう子供たちを遇していくのか。というより、どうこれからの家族構成を具体化していくのか、という重いテーマ。どんな風にこのテーマを処理するのかが興味がある。

どうしても自分のことに置き換えて考えてしまう。そんなことになったら、どうして良いのか分からない。一番苦手なテーマかもしれない。即決即断に物事を進行していくのが得意なはずなのだが、この分野はどうもそんな簡単ではない自分がいる。と重ねて観ていたが、なかなか物語は進まない。

現実にも何組かの家族は、こういう修羅場を味わったに違いない。そんなことを考えるだけで、ため息が出てきてしまう。小心者の自分にはとても耐えられそうもない。もっともそんな宝くじに当たるようなことは、自分には起こるはずもないと信じているから、自分の問題として悩む必要もない。

『バベットの晩餐会』(原題:Babettes gastebud, 英題: Babette's Feast)

1987年・デンマーク 監督/ガブリエル・アクセル

出演/ステファーヌ・オードラン/ビルギッテ・フェダースピール/ボディル・キュア

また暗い映画なんだろうかと、デンマーク映画の印象がぬぐえない。なんとまあ、きよらかな映画だった。いってんの曇りなき映画であったが、途中で眠りについてしまったので、明日もう一度見直すことにする。というわけで、今日観た。アカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞。

デンマークの片田舎で牧師である老父と清貧な暮らしを送っている美しい姉妹が主人公。そこにパリから亡命のように舞い込んできたバベットが家政婦として働くようになる。姉妹は、結婚することなく、清廉な人生を過ごしながら年老いていく。姉妹の父である牧師が亡くなって、村人の信仰心が衰えを見せていたため、姉妹は父の生誕100年を記念したささやかな晩餐会を催して村人を招待することを思いつく。そんな折、バベットに1万フランの宝くじが当たったという知らせがフランスから届く。マーチーネとフィリパ姉妹は、バベットがこのお金でフランスへ戻るであろうことを予期し、寂しく思いながらも、その思いは二人だけの心にとどめおく。その直後、バベットは姉妹に対して、お願いしたいことがあると申し出る。それは、祝いの晩餐会の食事を作らせて欲しい、また、今回だけフランス料理を出したい、費用は自分が出したい、というものだった。

バベットはかつて、パリの有名レストランの女性シェフだった。というので料理のシーンが続く。ただ、どうにも中途半端感がぬぐえない。美味しいはずのフランス料理が、それほど美味しそうに見えない。というか、フランス料理なんて。美しい姉妹の清貧な心だけが印象に残る。


再び観たので・・・・

時代は19世紀、重苦しい雲と海を背景にしたユトランドの片田舎が舞台である。美しい姉妹である「マーチーネとフィリパ」は牧師である老父と清貧な暮らしを送っている。姉のマーチーネには地元で謹慎中の若い士官ローレンスが、また妹のフィリパには休暇中の著名なフランス人バリトン歌手アシール・パパンが求愛するが、姉妹は父に仕える道を選び、結婚することなく、清廉な人生を過ごしながら年老いていく。やがて姉妹のもとに、パリ・コミューンによって家族を亡くしてフランスから亡命してきた女性バベットがパパンの紹介でやって来て、家政婦として働くようになる。姉妹の父である牧師が亡くなって、村人の信仰心が衰えを見せていたため、姉妹は父の生誕100年を記念したささやかな晩餐会を催して村人を招待することを思いつく。そんな折、バベットに1万フランの宝くじが当たったという知らせがフランスから届く。マーチーネとフィリパは、バベットがこのお金でフランスへ戻るであろうことを予期し、寂しく思いながらも、その思いは二人だけの心にとどめおく。その直後、バベットは姉妹に対して、お願いしたいことがあると申し出る。それは、祝いの晩餐会の食事を作らせて欲しい、また、今回だけフランス料理を出したい、費用は自分が出したい、というものだった。実はバベットには、姉妹には話していない秘密があった。バベットはかつて、パリの有名レストランの女性シェフだったのだ。また、牧師の生誕100年を祝う晩餐会のために、宝くじで当たった1万フランをすべて使おうと決めていた。

バベットに晩餐の準備を一任したものの、運び込まれた食材が生きたウミガメやウズラであることを見たマーチーネはショックを受け、夜中にウミガメが火にあぶられている夢で目が覚める。マーチーネは天罰を恐れ、村人たちと話し合って晩餐会では食事を味わうことなく、食事の話も一切しないことを決める。晩餐会にはかつてマーチーネに求愛していたローレンスも参加することになる。
バベットは豪華な料理をテキパキと用意し、晩餐会が開かれる。料理のあまりの美味しさにローレンスは感動するが、マーチーネをはじめとする他の参加者は食事について言及することなく不自然な会話を繰り広げる。料理の内容からローレンスは、この料理を作っているのが、かつてパリで人気だったレストラン「カフェ・アングレ」の女性シェフであることに気付く。頑なに食事を味わうことを避けていたマーチーネたちも料理の美味しさに心を解きほぐし、いがみ合っていた者同士も打ち解け合う。こうして晩餐会は無事に終わる。

晩餐会のあと、バベットはマーチーネとフィリパに、自分がかつてレストラン「カフェ・アングレ」のシェフだったことを初めて打ち明ける。パリに戻ってもあなたを忘れないとバベットに言う姉妹に対して、バベットはパリには戻らないと言う。「私は全て失った。お金もありません。」と続けるバベットに姉妹は驚き、お金のことを問いただす。バベットは今回の晩餐会で1万フランをすべて使い切っていたことを話す。そしてアシール・パパンがバベットにかけた言葉を引用し、これからもこの地に留まるつもりであることを告げる。

たぶん、この映画を観たことのない人は今後も観る機会に恵まれることは希だろうと思うので、Wikipediaのストーリー欄を全部転載した。心が洗われる気がして、明日の朝まではその気分がもちそう。今日は2016年3月11日(金)、東日本大震災から5年目。

『ラヂオの時間』

1997年(平成9年)・日本 監督/三谷幸喜

出演/唐沢寿明/鈴木京香/西村雅彦/戸田恵子/井上順/細川俊之/小野武彦/布施明/藤村俊二

また三谷幸喜かあっ。意外とまともに始まった流れだったが、途中からどうにも我慢できないように三谷節が顕著になっていく。ラジオ・テレビ業界人がよく分かる話。そんな身内のはなしが得意なのが三谷流に見える。「チ」にテンテンはキーボドで「di」と打つ、意外と知らない人が多い。

番組を統括するプロデューサー、編成部長など、いかにもの振る舞いや言いそうなことが、おもしろおかしく描かれている。映画業界だって、大きく見れば同じ業界人だから良く分かる。ただ、テレビやラジオ業界とは一線を画しているという自覚と自尊心があった。一般ピープルから見れば、どう考えたって同じ穴のだろう。

現役時代にも同じような軽いラジオ営業マンがいた。ニッポン放送の営業で、調子のいいことしきりだったが、いつの間にか常務にまで成り上がっていた。あんな調子のいい奴が、と仲間内では嫌な顔をしたものだが、案の定、例のフジテレビ乗っ取り未遂事件で失脚した噂を聞いた。日本ヘラルド映画も例に漏れない。私が辞めた後、こんな奴がという人物が常務になって、見事に吸収合併され、雲散霧消した。

『シャレード デジタル・リマスター版』(CHARADE)

1963年・アメリカ 監督/ジョナサン・デミ

出演/オードリー・ヘプバーン/ケイリー・グラント/ウォルター・マッソー/ジェームズ・コバーン/ジョージ・ケネディ/ネッド・グラス

デジタル・リマスター版だからといって中身が変わるわけでもない。でもやっぱり特技というか、もう、ひとつの才能だよね。観始まってもストーリーを思い出さない。これぞという映画は覚えていることもあるので、おそらく私の潜在意識がたいしたことのない物語だと決めつけているのだろう。

デジタル・リマスター:映像作品などにおいてはフィルム・テープの保存状態により、キズや経年変化による色あせなどの画質劣化を補うために、素材をデジタル化する作業を指して呼ぶことがある。フィルム撮影時代の映像作品や、アナログビデオで収録された作品などにおいても行われた作品は、販促力の高い旧作映像のDVD-BOXなどを販売する際の収録作業に用いられる。

タッチが軽く、いかにもアイドル映画といった映画に見える。日本の現在のようなアイドルではなく、あくまでもヘプバーンそのものがアイドルであるから、アイドル映画になってしまう。殺人のシーンがあったって、血のりが生々しくない。アクションシーンも軽やか。1ヶ月もしたら、また、ストーリーが思い出せなくなっているだろう。

『あなたに降る夢』(It Could Happen to You)

1994年・アメリカ 監督/アンドリュー・バーグマン

出演/ニコラス・ケイジ/ブリジット・フォンダ/ロージー・ペレス/ウェンデル・ピアース/アイザック・ヘイズ

大幅に脚色されてはいるが、実際にあった出来事を基に製作されているという。ロマンティック・コメディ。宝くじで400万ドル当たったのが主人公夫妻。しがないニューヨーク市警の警官と美容院で働く妻。人生は一変するのは当然だが、人生に正直に生きている夫に神は苦痛を与える。

「宝くじに当たった人たちのパーティー」なんていうのが催されるのは、さすがアメリカ。それにしても、私は宝くじに当たりましたと、タブロイド新聞に出てくるのが凄い。さすが今ではそこまでの大らかさはないと思われるが。

どこまで人間は正直に生きられるのだろうか。見せかけや見栄で人生をおくっている人には、いざという時にボロが出るのは必定。男か女かの問題ではない。いつまでも初心を忘れずに、どれだけ真摯な人生をおくれるかの問題。神がいないと分かっても、まよわず正直な人生を選ばなければ、孫子の代には必ず災いが襲うことは間違いない。

『ザ・マジックアワー』(The Magic Hour)

2008年(平成20年)・日本 監督/三谷幸喜

出演/佐藤浩市/妻夫木聡/深津絵里/西田敏行/綾瀬はるか/小日向文世/寺島進/戸田恵子/伊吹吾郎

三谷幸喜監督作品第4作。表題のマジックアワーとは、日没後の「太陽は沈み切っていながら、まだ辺りが残光に照らされているほんのわずかな、しかし最も美しい時間帯」を指す写真・映画用語。転じて本作では「誰にでもある『人生で最も輝く瞬間』」を意味する。なお、三谷自身、このマジックアワーの意味を、前作『THE 有頂天ホテル』の撮影時に知ったと本作のDVDに収録されたオーディオコメンタリーで述べている。 ~ Wikipediaより

どうしても好きになれないこの映画の監督作品。何処から見たっておちゃらけてしか見えない。その割にはずいぶんとお金がかかっている。もったいないなあ。映画製作をしないで、どこかへ寄付した方が世の中のためには役に立つのではなかろうか。

映画人が映画を手段にして遊んでいるように見える。そういう遊びは嫌いだ。もし、映画人としての才能があるのなら、もっとまともな映画製作をして、人々の心を泣かせ、笑わせて欲しい。どうにものれない映画だが、こういう映画を誉める人の話を聞きたい。いつも同じことばかりを言っている。芸がない。

『プリンセス・ブライド・ストーリー』(The Princess Bride)

1987年・アメリカ 監督/ロブ・ライナー

出演/ケイリー・エルウェス/ロビン・ライト/マンディ・パティンキン/アンドレ・ザ・ジャイアント

病気の孫のために、祖父が『プリンセス・ブライド』の本を読んでやっている。このシーンは、しばしば本編に挿入され、「おじいちゃん、ここで主人公は殺されてしまうの?」とかの質問をしながら、興味のなかった当初の気持ちが、どんどん物語にのめり込んでいく子供の心をうまく描いている。

小さい頃に読むおとぎ話って、どんな風にその人間に影響を及ぼすのだろうか。電気屋の息子は、親にかまってもらった記憶がない。小学校入学前の時期にはどのくらい面倒をかけたのかの記憶がないから、世話をしてもらった覚えもないのは当然。かまってもらえなかったからって、まったく恨む気持ちなどあるはずもない。いつも周りの子供たちと遊んでいたし、隣近所の家にもかなりあがりこんでいた記憶はある。

おそらく、想像だが、絵本やおとぎ話を読み聞かせられた子供には、心の中に小さな木の芽が出始めているに違いない。その木の芽は、大人になるとともに、大きな葉や実をつけて、心の中をおおう香りや安らぎをもたらしているに違いない。そうではない人間がそう思って、ちょっと羨ましい気持ちになっている。

『シンデレラ・ストーリー』(A Cinderella Story)

2004年・アメリカ 監督/マーク・ロスマン

出演/ヒラリー・ダフ/ジェニファー・クーリッジ/チャド・マイケル・マーレイ/ダン・バード

今日は、2015年2月1日。録画が切れたので、はじめて『GYAO!』という無料映画視聴サイトを使ってみた。存在は知っていてブックマーク登録もしてあったけれど、実際に2時間近くをパソコンモニターで見るのは初めて。わが家のモニターは24インチなので、パソコン用には充分だけれど、映画鑑賞にはちょっと小さめと言った感じ。映像もDVDを観るときのようにくっきりしていないのが残念。

童話『シンデレラ』の舞台を現代のアメリカに翻案した、ヒラリー・ダフ主演の学園ラブストーリー。日本では劇場公開されず、2005年4月22日にDVD・VHSがリリースされた。2008年には続編となるビデオ映画『シンデレラ・ストーリー2 ドリームダンサー』がアメリカで発売された。 ~ Wikipediaより

見た目ではなく心のうちが重要なのだよ、とどの物語も男女関係の理想型を訴える。けれども、見た目は何よりも重要。なぜなら人それぞれの好みが違うのだから、それぞれが見た目で選んでもそんなにバッティングしない。街を歩いていたって、なんとも釣り合わない雰囲気の男女に出会うことも珍しくない。だから、それでいいのだ。一方的に好きになっても、相手が振り向いてくれないなら諦めればいいだけのこと。

『大菩薩峠 完結篇』

1961年(昭和36年)・日本 監督/森一生

出演/市川雷蔵/中村玉緒/本郷功次郎/小林勝彦/近藤美恵子/三田村元/丹羽又三郎/見明凡太朗/阿井美千子/矢島ひろ子

三部作の中抜きで観ることになった。映画の冒頭には、前二作のあらすじが紹介され、当時映画館ではじめてこの作品を観た人にとっても、入りやすい映画となっている。邪悪の剣をつかう主人公は、いつの間にか目が見えない人となっていた。それでも剣の遣い手は、そんじょよこらの侍にはまったく負けない剣豪だった。

中村玉緒が似ているけど別の娘として三役目で登場する。よほど彼女を使いたかったことがうかがえる。江戸時代の一般庶民の生活が少し描かれていておもしろい。今やクールジャパンの目玉となった「おもてなし」の心は、日本人のDNAなのかもしれない。見ず知らずの人に手をさしのべる無償の愛は、当たり前のように行われている。

市川雷蔵の映画を数多く観ているわけではないが、彼が悪人っぽい役をやるのは珍しい。端正な顔立ちで、無慈悲な殺戮を繰り返す人間とのギャップがいいのかしら。原作の意図がまったく伝わらず、へんてこりんな感じで映画は終わっていく。なんともやるせない映画。

『ワイルド・ギース』(The Wild Geese)

1978年・アメリカ 監督/アンドリュー・V・マクラグレン

出演/リチャード・バートン/ロジャー・ムーア/リチャード・ハリス/ハーディ・クリューガー

第二次世界大戦後のアフリカを舞台に、国家や主義理想ではなく金のために戦場へ身を投じる傭兵たちを描く。基本的にフィクションだが、主人公のフォークナー大佐のモデルは実在の傭兵マイク・ホアーである(ホアーは本作のミリタリーアドバイザーも務めている)。ドラマティックなストーリーや迫力のある戦闘シーンなども相まって、傭兵物戦争映画の傑作として評価されている。 ~ Wikipediaより

基本的にはおもしろいのだが、戦闘シーンなどがただ長すぎるのが飽きる。人質奪還作戦を展開していくのだが、自分が人質になりそうになると、味方に対して自分を殺してくれと懇願する。いらぬ人質は、本人にも味方のためにも、いいことは何ひとつない、という鉄則を映画も実践している。

この時代ならではの手作り感いっぱいの映画。戦争状態のような異常事態で、信頼の置ける仲間に出会うことは仕合わせだろう。普通に生きている時間ですら、屁でもない信頼感のない人間と対峙しなければいけない人生なんて、気持ち悪くて一歩も前に進めない。

『許されざる者』(The Unforgiven)

1960年・アメリカ 監督/ジョン・ヒューストン

出演/バート・ランカスター/オードリー・ヘプバーン/オーディ・マーフィ/ダグ・マクルーア/リリアン・ギッシュ

1992年公開のアメリカ映画『許されざる者』(Unforgiven)は、監督・主演クリント・イーストウッドで、内容も違う。オードリー・ヘプバーン唯一の西部劇で、白人家庭に育ったがもともとはカウアイ族という先住民族の子供だったという話。彼女は既に人気スター、前年には尼僧物語(The Nun's Story・1959年)、翌年にはティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany's・1961年)に出演している。

人種差別を根本から考えさせてくれる。インディアンの生まれだと知った瞬間から見る目ががらりと変わる。ただそれだけのことが原因だと、第三者的に見ればよーく理解できる。人種差別は、それでもなんとかなくなる方向で、世界が動いている。

ただ宗教問題は、これからもひたすら争いの種になるのであろう。信仰は自由だけれど、他人の信仰を云々することはお節介。他人の信じることを許せないのは、よほど自分が神に近いと思っているに他ならないのだろう。

『トリック劇場版 ラストステージ』

2014年(平成26年)・日本 監督/堤幸彦

出演/仲間由紀恵/阿部寛/生瀬勝久/野際陽子/東山紀之/北村一輝/水原希子/石丸謙二郎/吉田鋼太郎

テレビドラマシリーズ『トリック』の劇場版第4作。テレビでは一度も見たことはないが正解だろう。どこがおもしろいのか、さっぱり分からない。どころか、なんでこんなおちゃらけたシーンや、おちゃらけた衣装の芸人が、おちゃらけたストーリーを演じているのだろうか、と訝ってばかりだった。

もちろんのことながら、倍速を駆使して最後の方に行ったことまでは記憶していたが、最後には眠りについて、いつの間にか映画は終わっていた。そんなもので充分な映画鑑賞。ここまでひどい映画も、久しぶり。映画館での客層の男女比は53対47で、20代の31.1%を筆頭に幅広い年代の観客を呼び、92.8%がシリーズのファンであることを鑑賞動機に挙げた。要はテレビで見たことのある人しか映画館に足を運んでいないことになる。

映画はこうあるべきである、などと断じることは出来ないが、この映画は映画ではないと断言できる。こんな日本映画ばかりで、どうして日本文化が向上しようか。文化なんてどうでもいいじゃないの、と大多数の日本人は無関心に違いない。でなければ、これほど酷いお子様文化が大手を振って闊歩していくなんてあり得ないこと。

『昼下りの情事』(Love in the Afternoon)

1957年・アメリカ 監督/ビリー・ワイルダー

出演/ゲイリー・クーパー/オードリー・ヘプバーン/モーリス・シュヴァリエ/ジョン・マッギーバー/ヴァン・ドード

前に一度ならずも観ているはずなのに、ラスト・シーンを覚えていないとは。それまでのコメディー映画が恋愛映画に替わるシーンを覚えていないことは、自分に失望しなければならない。舞台はフランス・パリ、オードリー・ヘプバーンがパリ娘なのは、なにか脚本上の理由があるのだろうが、そういうところを知りたい。

父親が探偵業。劇中のおもしろいセリフがあった。「・・・うつぶせに寝る女性の86%は、秘めた恋をしている。・・・」 この映画はコメディーというジャンルに分類されるらしいが、日本のコメディーを想像したらとんでもない違いがある。わざとらしい仕草やセリフは一切ない。こういう映画を繰り返し観れば、日本のバカ芸人にもちょっとは変化が起こるだろう。

字幕に「愁嘆場」という言葉が出てきた。私の世代でも馴染みのない言葉。愁嘆場:芝居で、登場人物が嘆き悲しむ所作のある場面。転じて、実生活上の悲劇的な局面にもいう。愁嘆。「―を演じる」 オードリー・ヘプバーンのアイドル映画としてもおもしろい方だろう。『魅惑のワルツ』の優雅な旋律が印象的。ゲイリー・クーパー56歳、オードリー・ヘプバーン28歳。

『初春狸御殿』

1959年(昭和34年)・日本 監督/木村惠吾

出演/市川雷蔵/若尾文子/勝新太郎/中村玉緒/中村鴈治郎/水谷良重/トニー谷/松尾和子/楠トシエ/左卜全

自ら「狸御殿」シリーズを生み出した木村惠吾が脚本・監督を務めた、シリーズ第七弾にして初のカラー作品。主演に市川雷蔵と若尾文子を迎え、歌と踊りと笑いを盛り込んだミュージカル時代劇。

そうなんだよねえ、ミュージカル時代劇。舞台劇のようなセット映像が、映画というジャンルからかけ離れている。こういう映画が作られることが、時代を感じさせる。ちょっと飽き飽きして早回しをしてしまったけれど、今の小学生あたりがこの映画を観たらどんな感想を言うだろうか、と関心がある。

映画俳優の存在感を感じる。もちろんテレビ全盛ではないからこその映画俳優。若尾文子はこの頃から活躍して、今ではソフトバンクのコマーシャルで犬と共演する女優として若者に認められているのかもしれない。長生きすれば、いいところ悪いところ、清濁併せのんで人生を見つめなければならない。

『大菩薩峠』

1960年(昭和35年)・日本 監督/三隅研次

出演/市川雷蔵/本郷功次郎/中村玉緒/山本富士子/菅原謙二/根上淳/笠智衆/島田正吾

中里介山の同名小説『大菩薩峠』を大映が映画化。三部作の一作目。だと分かったのは観終わってから。この映画のエンドは、敵討ちの決闘シーンの途中、こんな風に1作目が終わるのは、映画全盛でテレビの連続ドラマのような製作体制でも、観客がついてきてくれると思っていたからだろう。まさかこんな結末が待っているとは思わなかったので、引き続き放映があったが、1本だけで充分だろうと思い込んでいて、録画し損ねた。中途半端な気分は気持ち悪い。『了見の悪い女』『女は魔物だ』と昔ながらの言い方が懐かしく心痛。

山本富士子が美しい。子供の頃に見た彼女を、美しい人だと感じたことはなかった。ようやくこの歳になって、しかも毎日のように整わない顔をテレビで見ていると、ひときわ山本富士子という女優の美しさが際立っていることが分かった。あの当時の大人たちが騒いだのも、無理からぬことだったと思える。

地図上の大菩薩峠は、山梨県甲州市塩山上萩原(旧塩山市)と北都留郡小菅村鞍部の境にある峠。標高1,897m。また1969年(昭和44年)に発生した共産主義者同盟赤軍派(赤軍派)による大菩薩峠事件(「革命蜂起」のための大規模な軍事訓練を行っていたところを摘発された)でも有名である。

『鷲と鷹』(BARQUERO)

1970年・アメリカ 監督/ゴードン・ダグラス

出演/リー・ヴァン・クリーフ/ウォーレン・オーツ/カーウィン・マシューズ/フォレスト・タッカ

アリゾナを荒らす強盗団が、ロンリー・デルという新興の町にやってきた。メキシコ国境近くのその町には大きな川が流れており、唯一の交通手段はトラヴィスが操る艀だけだった。少ない住民を対岸に逃がし、強盗団の首領ジェイクと対峙するトラヴィス……。川を挟んだまま、男臭い二人の役者が激突する、という設定は良かったのだが、脚本・演出が平板すぎる。 ~ allcinemaより

西部劇は分かりやすくていいのだけれど、この映画はかったるい。かったるいのに、自分の夫を助けてもらいたくて、頑健な男に身をゆだねる妻のシーンなんかが出てきて、ちょっとばかりへんてこな映画になってしまった。しかもこの邦題、どこからこんなタイトルになったのか説明して欲しい。西部劇時代には男は体力勝負、ピストルを速く撃てること、ライフル銃を正確に撃てることが生きて行く証だった。分かりやすい人生だ。今は、錬金術に長けた人間が優雅な毎日をおくっている。なんか腑に落ちない人生道となってしまった。

『ロボジー』(ROBO-G)

2012年(平成24年)・日本 監督/矢口史靖

出演/五十嵐信次郎(ミッキー・カーチス)/吉高由里子/濱田岳/川合正悟/川島潤哉/田畑智子/和久井映見/小野武彦

会社の宣伝のため、わずか3ヶ月の開発期間で二足歩行型ロボット「ニュー潮風」を作るよう社長から命じられた、木村電器社員の3人。発表の場であるロボット博覧会開催の1週間前、不慮の事故によりロボットが暴走し、窓からコンピューターもろとも地上へと落下。骨組みは木端微塵に大破し、ソフトも全損してしまう。解雇を恐れた3人は、残されたニュー潮風の外装に人を入れてロボット博を乗り切る事を計画する。 ~ Wikipediaより

痛快ドタバタ・コメディと評価されるほどのドタバタでも痛快でもない。1日に何度もロボットの中に入って動くことが許されないお爺ちゃんに現実味がなさ過ぎる。ロボットに人間が入っているだろうという疑惑は、映画に中でも後々語られ、ストーリーの言い訳をしているように見える。

五十嵐信次郎と言う名前は、ミッキー・カーチスが子供の頃にいじめられて考え・使っていた名前だという。この映画製作会社にフジテレビの名前がある。映画製作やトレンディードラマの製作者が社長や常務をやっているフジテレビ、視聴率が落ちていくのは当然だろう。気分を良くする方策を知っていても、心を動かす「もの」を作れない、そんな会社だ。

『イヴの総て』(All About Eve)

1950年・アメリカ 監督/ジョセフ・L・マンキーウィッツ

出演/ベティ・デイヴィス/アン・バクスター/ジョージ・サンダース/ゲイリー・メリル/セレステ・ホルム

ものすごくいい映画だと記憶していたが、またまったくストーリーを覚えていない幸運に恵まれた。どこがどんな風に良かったのかを覚えていないのは幸運だ。そんな風に過去の人々を思い出せれば、人生ももっと素晴らしいものになりそうだが。

アメリカ演劇界最高の栄誉であるセイラ・シドンス賞が、新進女優イヴ・ハリントンに与えられた。満場の拍手のうち、イヴの本当の姿を知る数人だけは、複雑な表情で彼女の受賞を見守るのだった…田舎から出てきた女優志望のイヴは、ブロードウェイの大女優のマーゴの付き人となる。自分の大ファンだというイヴに目をかけるマーゴだったが、イヴは次第に本性を表してゆき、批評家やマーゴの周りにいる人々に取り入ってゆく。 ~ Wikipediaより

マリリン・モンローに似た顔をした人物がいた。なんと、無名だった頃のマリリン・モンローが端役(チャンスを狙う新人女優)で出演していたのだった。女の恐ろしさを見る映画。男だって同じかもしれないが、女ならではの、なんとも言えないクソ恐ろしい陰謀が怖い。

『ミスティック・リバー』(Mystic River)

2003年・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/ショーン・ペン/ティム・ロビンス/ケビン・ベーコン/マーシャ・ゲイ・ハーデン/ローラ・リニー

おもしろいという印象が強く残っていたが、観始まって、まったく物語を思い出すことなく新鮮な気持ちで最後まで観ることが出来た。クリント・イーストウッドの監督作品はおもしろい。

『許されざる者』『マディソン郡の橋』『スペース・カウボーイ』など、数々の名作を世に送り出してきたクリント・イーストウッド監督による重厚なサスペンス・ドラマである。1つの殺人事件を通して四半世紀振りに再会した、幼馴染の3人の男性の運命を描く。それぞれに交錯する嘘や疑いが、事件を思わぬ方向へと発展させてしまう描写が高く評価され、第76回アカデミー賞で作品賞を始めとした6部門にノミネートされ、ショーン・ペンが主演男優賞を、ティム・ロビンスが助演男優賞をそれぞれ獲得した。 ~ Wikipediaより

幼なじみが同じ土地で共に成人になっていくと、小さな頃の悪い想い出があまり良い影響をしないことがある。そんなテーマの映画だが、確かにそんなところがあるかもしれない。故郷は遠くにありて想うもの、とはよく言ったものだ。それで人生が済ませられれば、それに越したことはない。

『八甲田山~完全版から』

1977年(昭和52年年)・日本 監督/森谷司郎

出演/高倉健/北大路欣也/緒形拳/栗原小巻/秋吉久美子/前田吟/大滝秀治/小林桂樹/丹波哲郎/加山雄三/三國連太郎

完全版では劇場公開時にカットされた2分間が加えられた。ということらしい。明治時代の軍隊ばかりではなく、人間模様が垣間見られて興味深い。志が高いことが、ひしひしと伝わってくる。明治、大正、昭和と日本人はどんどん凡々とした人間になっていったような気がする。

新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』を原作とする。1902年(明治35年)に青森の連隊が雪中行軍の演習中に遭難し、210名中199名が死亡した事件(八甲田雪中行軍遭難事件)を題材に、一部創作を加えた作品である。

雪の中の行軍シーン、方向を見失った兵隊達、観客もよく見えない画面に苦労する。進行図をうまく演出すれば、もっと分かりやすいのになあ、と残念がる。中隊長の大尉につく従卒、家庭にまで入り込んで上官の世話をする風習は、いかにも軍隊らしく、また懐かしい映像だった。

『妖怪人間ベム』

2012年(平成24年)・日本 監督/狩山俊輔

出演/亀梨和也ベム/杏/鈴木福/柄本明/石橋杏奈/堀ちえみ/広田レオナ/筒井道隆/観月ありさ

2011年10月22日から12月24日まで、日本テレビ系列『土曜ドラマ』枠で放送された日本のテレビドラマ。テレビアニメ『妖怪人間ベム』を原作とするが、実写化作品でありオリジナルの要素も含まれている。この実写ドラマの劇場版として映画化されたのがこの作品だという。

もともと観る気の起こらない作品名だったが、なにごとも食わず嫌いは禁物、とりあえずはトライしようという精神は気高い。正義の味方が出てきて、いけるじゃん!これ、と思っていたら、すぐさまおもしろくない展開が始まって、呆れかえった。やっぱりダメなものはダメか!所詮は受け入れられないものを無理すると怪我が大きくなる。

それにしても、日本の子供騙しストーリーはひどい。月光仮面しかり、その後はほとんど観たこともなく、論ずる資格もない。まあ、おもしろいと思った人だけが楽しければいいんじゃないの。ダメよダメだめ?&%$#

『プロフェッショナル』(THE PROFESSIONALS)

1966年・アメリカ 監督/リチャード・ブルックス

出演/バート・ランカスター/リー・マーヴィン/ロバート・ライアン/ジャック・パランス/クラウディア・カルディナーレ

1917年、メキシコ革命の最中。テキサス油田の持ち主グラントは、妻マリアを革命派のリーダーに誘拐され、多額の身代金を要求される。グラントは妻を奪い返すため、戦いのエキスパートを雇うことを決断する。集まったのはリーダーで射撃の名手のリコ、馬の専門家ハンス、追跡と狩猟を得意としナイフと弓矢の扱いに長けたジェイク、そしてダイナマイトのスペシャリスト、ビルの4人。彼らはさっそく、マリアが連れ去られた革命軍のアジト目指して出発するのだったが…。 革命派のリーダーに、若く美しい妻を誘拐された大牧場主は、妻の奪還のために4人の男たちを雇った。爆薬、銃、馬、追跡、それぞれのプロフェッショナルたちは、任務を遂行するため死地に赴いていく……。メキシコを舞台に、徹底したプロの仕事を見せてくれるアクション西部劇。それにしても、この顔ぶれは渋い! ~ allcinemaより

西部劇にメキシコ革命が登場することが時々ある。「大義がなければ革命から去る」というセリフがあった。西部の男達にとって、革命に命を賭すのもひとつの人生だったようだ。

B.B.~ブリジット・バルドーと並び称された、C.C.~クラウディア・カルディナーレの顔が分からない。

『絶唱』

1966年(昭和41年)・日本 監督/西河克己

出演/舟木一夫/和泉雅子/志村喬/山田禅二/花澤徳衛/初井言榮/明石潮/雪丘恵介/梶芽衣子

これでもか、と思えるほどの超純愛物語。それを舟木一夫と和泉雅子が演じ、舟木一夫は主題歌も歌っている。見るはずのないこの映画を観ることが出来たのは、自分の心の器が少しばかり広くなったからだろう。

この映画は1958年(昭和33年)小林旭と浅丘ルリ子のコンビで、1975年(昭和50年)山口百恵と三浦友和の主演で作られている。こういう純愛路線が劇場で観られる日本は健全かもしれない。いまどきでは、とてもじゃないけど大笑いされて見向きもされないのではなかろうかと危惧する。

セリフの中から、「お前には一番悪いものが憑っついたらしい。思想だ。これは金がものいわんでな。」「こんなに一生懸命愛していますのに。」 村八分という集団ヒステリーがちらりと出てきて、悪しき日本の風習が。赤紙1枚で命をお国に捧げた日本国民の歴史がさらりと描かれている。純愛という世界もなかなか捨てがたいものがある。

『アントキノイノチ』(Life Back Then)

2011年(平成23年)・日本 監督/瀬々敬久

出演/岡田将生/榮倉奈々/松坂桃李/染谷将太/津田寛治/原田泰造/鶴見辰吾/檀れい

他人にそう簡単には言えない「ワケ」を持つ二人の男女が、遺品整理を業とする会社で出会う。「アントキノイノチ」とは、あのときの命、友達の死であり、身籠もった子供の生まれてこなかった命を二人が言う際での言葉。アントニオ猪木と似ているというだけの理由で、海に向かって「元気ですか~」と叫ぶシーンが出てくる。

原作がさだまさしの小説だという。モントリオール世界映画祭に出品したので、英語のタイトルがあるらしい。

吃音の彼と手首に傷のある彼女、ひっそりと働きながら生きて行くのさえ大変な世の中。遺品整理業者として働くのが一番相応しかったのかもしれない。「私は彼と出会って、もう一度生きていこうと思った」という彼女のセリフが涙を誘う。

『仁義なき戦い』

1973年(昭和48年)・日本 監督/深作欣二

出演/菅原文太/松方弘樹/田中邦衛/金子信雄/梅宮辰夫/川地民夫/渡瀬恒彦/小池朝雄

正直に言おう、ヤクザという存在が嫌いで、この映画を観る気もしなかった。格好良いと思えない必要悪だと思っている。2014年は高倉健、菅原文太が死んで昭和も終わりだね、という感覚にさせられた。追悼番組が数多く放映され、ようやくこの映画を観る機会にめぐりあった。

やられる前にやれ、という抗争の繰り返し。今ではこういうストーリー、人を殺すシーンの連続映画が成立することはないだろう。こういう映画に胸躍る人種はどういう人たちなのだろう。臆病者の私には無理な映画だ。

けど、おもしろくないかと言えば、そうでもない。映画としては、なかなかおもしろい。監督の力だろうか。観客を飽きさせることがない、というだけでもたいしたもんだ。今どきの日本映画も、少しは見習ったら、といいたくなる。さてさて、続きものの放映があっても、もう見ないかもしれない。

『ツレがうつになりまして。』

2011年(平成23年)・日本 監督/佐々部清

出演/宮﨑あおい/堺雅人/吹越満/津田寛治/犬塚弘/梅沢富美男/田山涼成/大杉漣/余貴美子

2006年3月に幻冬舎より出版したコミックエッセー。タイトルがユニークでいいねえ。2009年5月29日、6月5・12日の全3回、金曜日22:00 - 22:45に、NHK総合の「金曜ドラマ」枠で放送された。というが、まったく知らなかった。NHKのこの枠を時々見ることがあるんだけどなあ。

このタイトルの「ツレ」は「つれあい」のツレだけど、友達のことをツレという呼び方をするのは、全国区なのだろうか。茨城県の片田舎にはこういう言い方はなく、今でも違和感がある。また「タメ語」という言い方も、かなり大人になってから知った言い方。子供の頃から使っていない日常語には、どうも馴染めないところがある。

「鬱」という漢字を書けるように、と覚えたのはだいぶ前のはなし。難しい漢字を書けると、何かの場面で格好良いかもしれない、という不純な覚え方がいやらしい。この頃は、そんなことはどうでも良く、生きているだけで精一杯という毎日が恨めしい。

『ワイルド・ビル』(WILD BILL)

1955年・アメリカ 監督/ウォルター・ヒル

出演/ジェフ・ブリッジス/エレン・バーキン/ジョン・ハート/ダイアン・レイン/キース・キャラダイン

金鉱発見に賑わう西部の町に、保安官のワイルド・ビルはやって来た。彼はかつての恋人で拳銃の名手カラミティ・ジェーンに会い、平穏の日々をしばらく過ごす。だが、彼の命を狙う者が襲ってきて……。ウォルター・ヒルがセシル・B・デミル監督の「平原児」同様、実在した男ワイルド・ビル・ヒコックに材をとった作品。 ~ allcinemaより

西部劇で監督も著名なのにおもしろくない映画。日本では劇場未公開だったらしい。公開しなくて大正解。宣伝費さえも回収できない作品。

ジェームズ・バトラー・ヒコック(James Butler Hickok, 1837年5月27日 - 1876年8月2日)は、ワイルド・ビル・ヒコック(Wild Bill Hickok)の愛称で知られたアメリカ合衆国西部開拓時代のガンマン、北軍兵士。ヒコックはイリノイ州トロイ・グローブで生まれた。彼はサンタ・フェとオレゴン・トレイルの駅馬車御者になるため父親の農場を1855年に離れる。彼の拳銃の腕はその愛称に結びついた。1857年に彼は、カンザス州ジョンソン郡(現在レネックサ市の一部)の160エーカーの土地を要求し、モンティセロ郡区の治安官になった[1]。1861年には、ネブラスカ州で町の保安官になる。駅馬車の御者やバッファロー・ハンターとして生計を立てていたが、南北戦争では北軍に雇われて情報を収集した。1872年から1873年にかけては、バッファロー・ビルが主催する西部劇ショーの「Wild West Show」に参加して東部を巡業した。サウスダコタ州の酒場でポーカーに興じているところを無宿者に背後から撃たれ殺された。なお、このときビルが手に持っていたトランプがAと8のツーペアだったとされるため、この手は「デッドマンズ・ハンド」と呼ばれている。 ~ wikipediaより

『日本の首領 完結篇』

1978年(昭和53年)・日本 監督/中島貞夫

出演/佐分利信/三船敏郎/菅原文太/片岡千恵蔵/高橋悦史/西村晃/大谷直子

飯干晃一原作第一作『やくざ戦争 日本の首領』を観て、すごくおもしろかった。第二作『日本の首領 野望篇』はまだ観ていない。三作目となるこの作品もおもしろい。こういう役者が集まるだけでもすごい。今、こういう映画を作ろうとしても、一体誰をキャストしたら良いのか皆目見当がつかないだろう。

三船敏郎、佐分利信、片岡千恵蔵が同じ場面で競演した際には、挨拶の順は三船敏郎(1920生、戦後デビュー)が二人に挨拶し、次に佐分利信(1909生、1931デビュー)が片岡千恵蔵に「佐分利でございます」と挨拶して最後に千恵蔵(1903生、1927デビュー)が「おう」と返事を済ませて大物同士の挨拶が済んだとされる。こういうエピソードがおもしろい。

ヤクザの親分が娘婿の医者に「地位や名声は無償では手に入らんよ」と諭すシーンが印象的。結局ひとりの人間の生き死にが世の中を変えるこの世界は凄い。政治屋が誰から誰に代わろうと、世の中が変わることはない。そしてひとりの人間が死んで、また新しい人間が生まれる。それを繰り返して生きていくのが人間社会。神や仏を信仰しなければ、心の安寧が保てない時代になっている。

『96時間』(Taken)

2008年・フランス 監督/ピエール・モレル

出演/リーアム・ニーソン/マギー・グレイス/ファムケ・ヤンセン/オリヴィエ・ラブルダン

子供のためなら命をかけて守る。というセリフを良く聞く欧米映画だが、おそらく同じような言葉は現実社会でもよく話されることなのだろう。映画ではそんなシーンがたくさん見られるが、ここまで娘のために大活躍する主人公は滅多にいない。カリフォルニア州に暮らす元CIA工作員という設定が、それを可能にする。

娘を助けるために何人の男達を殺しただろうか。ときには拷問をし、挙げ句の果てに非情に殺してしまう。相手がすべて極悪人だから、観客も心の中では問題なく許してしまう。非暴力主義で娘を助けられるなどと、誰も思わないところが現実だろうか。邦題の96時間は、誘拐された娘が消息の分かる時間を表している。

それにしても欧米の家族愛はすごい。現実にそういうシーンに出逢うことはないが、映画では必ずと言っていいくらい、そんなシーンが目白押し。その割には簡単に離婚するよな、と不思議がるが、結婚生活と家族愛は別物だよと言っているような。久しぶりに洋画らしいダイナミックな金の使い方に接した。圧倒的に差がある邦画と洋画の製作費、ちまちまとした映像では映画館にかける映画と誇れるわけもない。

『ボックス!』

2010年(平成22年)・日本 監督/李闘士男

出演/市原隼人/高良健吾/谷村美月/清水美沙/宝生舞/山崎真実/香椎由宇/筧利夫

市原隼人は若手の役者の中で好きな人間なので、彼の映画を観ることにためらいなど全くなく、むしろ積極的に観てみたいと思っている。自分にとっては、珍しいことだ。百田尚樹の原作だという。最近よくテレビ画面に出てくるが、なかなかはっきりとした物言いがいい。

舞台は大阪、高校生、拳闘部、要はボクシング部でのはなし。大阪のノリとツッコミはすごい。なんのてらいもなく普通の人々が、乗ってくる。大阪弁も一役買っている。とてもじゃないけど、よそよそしい他人行儀な東京弁では、こういった映画は成立しない。百田尚樹自身も大阪出身らしい。

紅白歌合戦に対抗する年末のテレビ番組、格闘技はプロボクシングしかなくなってしまった。協会は増え、階級が倍増し、"世界"チャンピオンが多くなり過ぎたきらいはあるが。(2015年1月1日現在日本ジム所属の世界王者) 内山高志:WBAスーパーフェザー級、三浦隆司:WBCスーパーフェザー級、山中慎介:WBCバンタム級、亀田和毅:WBOバンタム級、河野公平:WBAスーパーフライ級、井上尚弥:WBOスーパーフライ級、田口良一:WBAライトフライ級、高山勝成:IBF・WBOミニマム級、異色は2002年、17歳で初来日し東京の帝拳ジムに入門してチャンピオンになったベネズエラ人ホルヘ・リナレス:WBCフェザー級、ずいぶんといるなあ。

『マン・オン・ザ・ムーン』(Man on the Moon)

1999年・アメリカ/イギリス/ドイツ/日本 監督/ミロス・フォアマン

出演/ジム・キャリー/ダニー・デヴィート/コートニー・ラヴ/ヴィンセント・スキャヴェリ

やっぱりそうだったのかあ。若くして癌で亡くなった実在のコメディアン、アンディ・カウフマンの伝記映画。ということが分かってちょっと納得。あまりにも馬鹿げたおちゃらけたシーンばかりで、いくらジム・キャリーでもやりすぎだよな、と思っていたら、彼よりもひどい実在のコメディアンがモデルだったとは。

すべてがギャグで通してしまうコメディアン、翻弄されるのは一緒にでている芸人だけではなく、テレビを見ている視聴者も。ギャグがギャグを生み、演じている本人だけしか笑えない芸となってしまう。

笑いって一体なんなのだろう。考えることじゃないよ、と言われそうだが、この日本でこれだけテレビに出まくっているお笑い芸人集団を眺めていると、「日本人と笑い」なんていう論文を書いてみたくなる。一所懸命やればやるほど笑えてくる笑いが好きで、わざとらしい喋りや挙動はちっとも笑えない。健康にもいいよ、と笑いを推奨されても、それはお門違いだろう、と反発したくなる。

『サラリーマン専科』

1995年(平成7年)・日本 監督/朝原雄三

出演/三宅裕司/田中好子/田中邦衛/裕木奈江/加勢大周/小林克也/柴田理恵/神津善行/中村メイコ/西村晃

原作は東海林さだおによる日本の漫画。『週刊現代』(講談社)にて連載中とあるが、東海林さだおのサラリーマンものはあっちこっちにたくさん連載されている雰囲気があり、この映画の元がどれなのかははっきり分からない。

松竹としては、寅さん、釣りバカ、に続くシリーズものを企画したのだろう。1997年の三作目までは製作されたようだが、その後は作られていない。何処に問題が生じたのか興味あるところ。脚本陣には三作とも山田洋次が入っており、どう考えたって長期化というつもりだったとしか思えない。

三宅裕司の課長職は、ちょっとわざとらしい演技が邪魔。ついつい舞台の上でと同じようなサービス精神を出してしまっている。そういえば麻雀仲間のひとりの息子が三宅裕司の劇団研修生から役者になっている。上京する前に2度会って励ましたが、テレビに出るだけが役者じゃないけれど、食っていくにはテレビを手段に出来れば最高なのだが。

『イントゥ・ザ・サン』(Into the Sun)

2005年(平成17年)・アメリカ/日本 監督/ミンク

出演/スティーヴン・セガール/マシュー・デイビス/大沢たかお/エディー・ジョージ/寺尾聰/山口佳奈子

1974年(昭和49年)ロバート・ミッチャム、高倉健主演の『ザ・ヤクザ』(The Yakuza)のリメイク。スティーヴン・セガールが一部日本語のセリフを喋っている。大阪で結婚生活を数年おくっているので、セリフも大阪弁だが、ちょっと聞き取りにくいのが難点。

ヤクザという職業もたいへんだ。命を張って生きているのは、サラリーマンより分かりやすいかもしれない。義理と人情だけで生きていけるなら、自分にだって自信はあるが、それ以外のことでは、とてもじゃないけど務まりそうもない。

もっとも義理も人情もない人間に出逢うと、ヤクザのほうがはるかにましではないかと、そんな人間を罵り倒したくなる。義理などなくてもいい、出来れば人情というやつを、こころから表現して欲しい。生きているということは、そういうことではないかと思っているが、なかなか人情篤い人に会うことも難しい。

『劇場版 ATARU THE FIRST LOVE & THE LAST KILL』

2013年(平成25年)・日本 監督/木村ひさし

出演/中居正広/北村一輝/栗山千明/松雪泰子/村上弘明/玉森裕太/堀北真希

2012年にTBSテレビで放送された中居正広主演のテレビドラマ『ATARU』の劇場版作品かつ続編だというが、このテレビ・ドラマを見ていないので、イマイチ誰が誰なのか分からず戸惑う。テレビを見ていなければよく分からないなんて、不純な映画作りだ。

まあそれにしても、いい加減なセリフが目白押し。なぜ、こんなにへちゃむくれた喋りを入れなければいけないのだろうと、そんなことばかり気になっていた。発想・展開はなかなかおもしろい流れなので、もっともっとまともな演技でなんの問題もなさそうなのだが。

天才的推理力を持つ発達障害者でサヴァン症候群の青年・チョコザイことアタルを演じる仲居正広がいいような悪いような。天才であることの証明がもう少し丁寧にされないと、映画の上での脚本上の作られたキャラクターから脱却できないのが最大の問題だろう。

『わが家』

2015年(平成27年)・日本 演出/竹園元

出演/向井理/田中裕子/村川絵梨/長塚京三/市川実日子/きたろう/草村礼子/濱田マリ

映画ではない。TBSの2015年新春ドラマ特別企画、制作は大阪の毎日放送(MBS)。番組表を見ていたらおもしろそうな予感がしたので、2、3分前の録画予約が間に合った。映画ではないと断ったが、テレビドラマと映画との境界線は何処なのかを知らない。

崩壊したように見える家族の話で、胸が痛い。家族と呼べる環境から逸脱してしまった自分の身の上をなぞられているようで、胸がしくしくする。どんな環境になっても家族であることに違いない、と思っているのは自分だけなのだろうか。男のけじめを貫く父親の心と行動に妙に共感する。

心寂しい客の元に友達・恋人・家族などを派遣する“人材レンタル会社"で働く長男。同じく故郷を出て東京で働く妹に結婚話が。小さい頃に家を出てしまった父親のことを言えず、“人材レンタル会社"から父親をレンタルしてのぞむ顔合わせ会。思わぬ方向へ進む物語がおもしろい。さらに父親の家出の理由が暴露されて・・・・。しくしくと心が泣いている。

『風俗行ったら人生変わったwww』

2013年(平成25年)・日本 監督/飯塚健

出演/満島真之介/佐々木希/松坂桃李/中村倫也/山中聡/滝藤賢一/時田愛梨

なにこのタイトルは?と訝って、期待などするはずもないが、予想をはるかに超えたおちゃらけた出だしの映画で5分もしないうちに早回し、しかもすぐに5倍速となり、早々と観終わった?

2011年に、インターネットの電子掲示板である2ちゃんねるへの書き込みがされ注目を集めたラブストーリー(恋愛小説)。2012年に小学館から書籍化された。2013年に映画化。2チャンネルじゃ、しょうがない。荒廃したウェブサイトからいいものが生まれるわけがない。

かなり可愛い感じで芸能界に登場した佐々木希だったが、何年たっても垢抜けてこない。喋らせてもダメ。いい加減に故郷へ帰ったほうがいいかもしれない。それにしてもこんな映画を作ろうとしたのは電通、他人のふんどしで相撲を取っている会社に相応しい映画だろう。

『酒井家のしあわせ』

2006年(平成18年)・日本 監督/呉美保

出演/森田直幸/ユースケ・サンタマリア/友近/鍋本凪々美/濱田マリ/本上まなみ/高知東生

この頃の録画作品は邦画ばっかり、しかもいつもおちゃらけたコメディー調のやりとりで、いったいどうなっちゃてるの、と不満顔がたらたらだった。アメリカ映画の製作本数が圧倒的に減ったのが一番の原因で、日本のマスゴミ(塵)は邦画優勢と謳うけれど、単にアメリカからの輸入作品本数が減っただけのこと。

ひとつの家族の日常を追う。そこにはどこにでもありそうな家庭の事情がいっぱい詰まっている。夫と死に別れ連れ子をして再婚した妻、母。中学生の反抗期の長男、再婚後に生まれた小さな妹。中学校生活での女の子の告白。友人の家、喫茶店での放課後の遊び。妻の実家での兄家族の確執。あまりに要素が多すぎて、いまいち関係がつかめない。

それでもたんたんと描かれた家族に大きな出来事が。どこかで聞いたようなはなしだけど、まあいいか。テレビで良く見る顔だけに、映画だからと言われてものれない観客がいることも確か。それなりにおもしろいのは監督の力かもしれない。悪くはないが、標準線を大きく越えるところまでは行っていない。

『見えないほどの遠くの空を』(A Sky Too Far to See)

2011年(平成23年)・日本 監督/榎本憲男

出演/森岡龍/岡本奈月/渡辺大知/橋本一郎/佐藤貴広/前野朋哉/中村無何有/桝木亜子

この邦題、しかも英語題名もついているが純粋な日本映画。ちょっと興味をそそられるのは間違いない。榎本憲男監督の日本映画、および同作を原作とした榎本自筆によるノヴェライズ小説である。従来映画プロデューサー、脚本家として活動していた榎本憲男の映画監督としてのデビュー作。

映画館で観る映像ではなく、学生っぽい青臭い映像が感じられたのは私だけ?ではないと思う。撮影には、本作の撮影監督古屋幸一の所有するレッド・デジタル・シネマカメラ・カンパニー社製のデジタルムービーカム「RED ONE」を使用した、とあるが、それが原因なのかどうかも分からない。

摩訶不思議な恋愛映画。大学の映画研究会を舞台としている。実存の「早稲田松竹」という映画館が出てきて大学は早稲田を連想させる。監督は、1987年(昭和62年)、銀座テアトル西友のオープンを手がけ、1988年(昭和63年)、同劇場支配人に就任するし、同劇場を経営する東京テアトルの各劇場に勤務のかたわら、脚本を独学で学び・・・とあるので、同じ時代に映画業界にいたらしい。もしかするとどこかで顔をあわせていたかもしれない。

『さよならドビュッシー』

2013年(平成25年)・日本 監督/利重剛

出演/橋本愛/清塚信也/ミッキー・カーチス/柳憂怜/相築あきこ/山本剛史/熊谷真実/戸田恵子

中山七里による日本の推理小説。ピアニスト岬洋介が登場する「岬洋介シリーズ」の第1作。第8回『このミステリーがすごい!』大賞大賞受賞作。太朗想史郎の『トギオ』とダブル大賞受賞となり、応募作の『バイバイ、ドビュッシー』に加筆して中山の初の単行本として刊行された。売上は25万部突破。著者の中山は、音楽の力を武器に闘う少女の物語にしたいと考えながらも、本作の執筆前にはマーケティングを実施し、音楽をベースに韓流のようなアップダウンのあるストーリー展開になるよう意識して、ミステリーを読まない層でも本の世界に入っていきやすくしたことが功を奏したと語っている。

岬洋介役を演じる“クラシック界の貴公子”こと現役ピアニストの清塚信也は、今までドラマ『のだめカンタービレ』の玉木宏や映画『神童』の松山ケンイチのピアノ演奏の吹き替えを担当していたが、本作が俳優デビューとなる。 ~ Wikipediaより、とこのあたりまでは大変興味あるバックボーン。結構おもしろかった。今日は2015年(平成27年)1月1日。新しい年になったからといって、なにが変わるわけでもない。

ピアノを教える先生の弾くピアノシーンがあまりにも素晴らしいので、まさかとは思ったが現役ピアニストだったとは。役者としてもまったく板についている。そのへんのテレビタレントやイケメンとか言われていい気になっている奴とは格が違うかもしれない。ひとつに秀でる人は、なにをやらせてもそつがない。

『あしたのジョー』

2011年(平成23年)・日本 監督/曽利文彦

出演/山下智久/伊勢谷友介/香里奈/香川照之/勝矢/倍賞美津子/モロ師岡/西田尚美/津川雅彦

出演はアイドルグループ『NEWS』(当時)の山下智久。山下は役作りのため、プロボクサー並みのトレーニングを行い、約10キロの減量と体脂肪率を10%近く落とすなど、過酷なスケジュールの基で撮影に臨んだ。力石役の伊勢谷友介も実生活での減量を実施、水を求めるシーンでは数日前からほとんどど飲まず食わずで撮影に臨んでいる。

このエピソードにもあるように、キャストそしてスタッフのこの実写映画に掛ける情熱が強く感じられる。特に映像が秀逸。漫画のもつ摩訶不思議な光と影が、映画の中で立体感をもって再現されていたのには、驚くばかり。ボクシング・シーンでのパンチが相手の顔をとらえるシーンなど、漫画よりも迫力のあるワン・カットになっている。こんな映像が今まであっただろうか。

内容的には力石とジョーとの決戦が、なぜ?というまでの「間」が映画では追い切れていない。何回も続く因縁の二人の動機がなくては、力石の減量も単なる漫画的なものになってしまう。そう力石の減量のシーンで、たくさんのストーブを焚いて汗を流す場面、部屋の空気がメラメラと熱く揺れているのが、漫画よりも漫画っぽい。とまれ、スタッフ・キャストに素直に脱帽したい映画。あしたのジョー2の劇場パンフレットに映るグローブを持つ腕は、実は私の若い頃のもの、腕自慢の筋肉をヘラルドのデザイナーに見込まれた。手元にないのが残念。

『旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ』

2009年(平成21年)・日本 監督/マキノ雅彦

出演/西田敏行/笹野高史/前田愛/とよた真帆/天海祐希/長門裕之/萬田久子/六平直政/岸部一徳/柄本明

旭山動物園が廃園寸前の状況から復活する過程を一部フィクションを交えて描かれた映画。ありきたりの話を映画的に上手く描いているマキノ雅彦(津川雅彦)監督の力が結構大したもの。用事もないのに北海道旭川へは行ったことがある。用事がないといっても、地方の映画館を見に行くことは、仕事のひとつだったことにはちがいない。

そんなときに今の旭山動物園があったら、間違いなく訪れていたに違いない。そう考えると、廃園に向かっていた動物園と、日本一の入場者までになった動物園との違いは大きい。そこまでのアイディアやそれを実現する力は、廃園という状況になってしか現れないのが残念と言えば残念。

全ての分野において、今あるものは既に過去のものだという意識を強く持たなければならない。そんなことは理屈では分かっていても、心底信じている人はなかなかいない。それが出来る人は天才か変人かもしれない。その変人を天才に代えてくれるのは、その人の周りにいる人たちのお陰と言えるだろう。周りの人が凡人過ぎれば、天才も認められない。

『イヴ・サンローラン』(L'Amour fou,Yves Saint Laurent - Pierre Berge', l'amour fou )

2010年・フランス 監督/ピエール・トレトン

出演/イヴ・サン=ローラン/ピエール・ベルジェ

ココ・シャネルのような伝記映画とは違い、ドキュメンタリーでつないでいく映画。えっ!この人はゲイだったの? と、ひとりの語り部が映画の進行を担っている。このことに確かに触れているページは見つからないが、映画では確かにそう言っているのがおもしろい。サンローランの物語を、公私に渡るパートナーだったピエール・ベルジェとの関係を強く打ち出して見せている映画。サンローラン21歳、ベルジェ26歳で出会い、瞬く間に恋に落ちたふたりは生涯のパートナーとして連れ添う。

クリスチャン・ディオールは師であり、また彼の死によって20歳のサンローランがフランスの代表的デザイナーの座についたという。オートクチュール、プレタポルテ、とファッション用語の基本が出てくるが、良く聞くが意味は知らないし、知ろうともしない。

引退会見や葬儀の模様から始まり、最後は膨大なコレクションのオークション風景が。一所懸命見ればおもしろいかもしれない。でも、ファッションに興味がない人や映画的でないことを嫌う人には、ちょっと退屈。早回ししてしまった。ブランドをいっさい受け付けない性格ながら、それなりにいいものを手に入れて悦に入っていた時代もあった。いいものはいい。手触り、色合い、安物には絶対出せないテイストがある。それが本当のブランド品。

『風にそよぐ草』(Les Herbes folles)

2009年・フランス/イタリア 監督/アラン・レネ

出演/アンドレ・デュソリエ/サビーヌ・アゼマ/アンヌ・コンシニ/エマニュエル・ドゥヴォス

原題を翻訳機に掛けたら「野草」と出てきた。邦題のほうがはるかに趣がある。いかにもミニシアター系劇場で公開されるような雰囲気。おもしろそうに話は始まるが、よく分からない映画。もって回ったような表現が好きではなく、思わせぶりな女の登場が気にくわない。

結局は男と女のはなしなのだと思うのだが、そこのところがイマイチ分からない。精神異常者の話かとも思ったが、そうでもなさそうだ。結局は二人とも愛していたなんて、訳の分からない結末では、一所懸命見ていた観客が馬鹿にされているよう。

よく分からない女の心理。もっとも男の心理だから簡単に分かるというものでもない。自分のことを自分でも良く理解できないのが普通なのだから、他人のことなんか残念ながら理解できるはずはない。そういつも思っているが、嘘でもいいから一度くらいは他人の心理の奥深く入ってみたいものだ。

『沈黙の戦艦』(Under Siege)

1992年・アメリカ 監督/アンドリュー・デイヴィス

出演/スティーヴン・セガール/トミー・リー・ジョーンズ/ゲイリー・ビジー/エリカ・エレニアック

結構ヒットして、人気があることは、なんとなく伝わっていた。が、超三流アクション映画だろうと勝手に思い込んでいたので、録画するチャンスは何回もあったが、見過ごしてきてしまった。この映画以降セガールの主演作の殆どに『沈黙の・・・』という邦題がつくことになったという。

退役を迎え、ハワイからアメリカ本土に最後の航海に出たアメリカ海軍戦艦「ミズーリ」でのものがたり。ミズーリは、太平洋戦争での日本の降伏調印式場となった。当時の大統領トルーマンの出身州に因んでミズーリが選定された。1999年からは、ハワイ州パールハーバーで記念艦として保存されている。そんなオマケ話。

観始まってすぐに三流映画ではないことが判明。映像がきちんとしているし、おちゃらけたところがみじんもない。ちょっとしたユーモアが場をやわらげるが、おちゃらけていないからすぐに次のシーンに移っていく。善悪の対決シーンも、しつこくなく、軽快に過ぎて行くのには驚いた。こういう歯切れの良さが人気になったのだろう。あなどってはいけない。反省。

『汚れなき悪戯』(Marcelino Pan y Vino)

1955年・スペイン 監督/ラディスラオ・バハダ/ヴァイダ・ラースロー

出演/パブリート・カルボ/ラファエル・リベレス/フアン・カルボ/ホセ・ニエト

若い頃に映画の名作にはこの映画が必ず入っていた。そんな映画を今頃観るのは、映画業界にいた者としては不名誉極まりないが、観ないで死んでいくよりははるかにいい。こんな話だとは、想像もしなかった。

原題はパンとワインのマルセリーノ(主人公の少年の名前)。パンと葡萄酒はクリスチャン世界では当たり前のことがら。天に召されるという概念がキリスト教だと思い込んでいるが、正しいかどうかは知らない。ちょうどクリスチャンの親友が天に召されたばかりで、なんの思し召しかこの映画を観ることになった。

大ヒットした「マルセリーノの歌」がこの映画の主題歌だったと知った。おそい。なんか題名といい、この歌といい、一昔もふた昔も前のことだよなあ、としみじみとしてしまう。いい加減にしてこの世とおさらばするのも、悪いはなしではないだろう。

『7月24日通りのクリスマス』

2006年(平成18年)・日本 監督/村上正典

出演/大沢たかお/中谷美紀/佐藤隆太/上野樹里/阿部力/劇団ひとり/川原亜矢子/沢村一樹/YOU/小日向文世

生まれ育った長崎で、地味で平凡な生活を送るOLが主人公。退屈な毎日を過ごす彼女の楽しみは、長崎の街をポルトガルのリスボンの街に置き換え、出会う男性たちに“自分だけの王子様ランキング”をつけること。哀しい恋の物語がクリスマス・イブに相応しい、といった雰囲気だが。

わざわざリスボンでの撮影もしている。エンド・クレジットには何十人ものリスボン・スタッフが列挙されている。メガネをかけて冴えないOL役の中谷美紀、途中から変身するが、さすがに一流の役者は出來が違う。はなしはつまらなくても、もうひとりの主役大沢たかおと共に、映画をしっかりと作っている。

一人きりのクリスマス・イブは慣れている。にわかクリスチャンになる日本人は偉い。1%しかいないクリスチャンなんてなんのその、これだけキリスト教が商売になる国も珍しいだろう。日本ヘラルド映画時代、ひとりでロンドンで完成試写を見てクリスマスまでは大ヒットだった『サンタクロース』(1985年)、スーパーマンチームが製作した作品だったが、クリスマス以降の観客大幅減に泣いたことを思い出す。

『ガチ☆ボーイ』(Gachi☆Boy)

2008年(平成20年)・日本 監督/小泉徳宏

出演/佐藤隆太/サエコ/向井理/仲里依紗/川岡大次郎/瀬川亮/宮川大輔/泉谷しげる

この題名でフジテレビジョンが製作会社にからんでいれば、どう考えたってつまらない、取るに足らない映画だろうと予想した。その通りだった。原作は蓬莱竜太(モダンスイマーズ)の舞台劇『五十嵐伝~五十嵐ハ燃エテイルカ~』(2004年)より、と言われても、ぽか~ん。

北海道学院大学プロレス研究会が舞台。コアなファンがいるプロレスを取り上げれば、コアな観客もついてくるということなのだろうか。大学まで行ってクラブ活動としてプロレスを楽しんでいるのと、「いけばな」をやっているのと、どこが違うのかを答えられない。

おちゃらけているけれど、人間が生きていくうちの結構重要な課題がある、ということを真面目に映像化している。と、訴えているが、所詮は題材が悪すぎる。ずーっと、おちゃらけていればいいのにと、真剣に思った。

『キャバレー』

1986年(昭和61年)・日本 監督/角川春樹

出演/野村宏伸/鹿賀丈史/倍賞美津子/三原じゅん子/ジョニー大倉/山川浩一/尾藤イサオ/原田芳雄/倍賞美津子

てっきり、ライザ・ミネリの『キャバレー』(Cabaret・1972年)だと思っていたら、なんと角川春樹監督の邦画だった。いきなりジャズ・カルテットでサックスの音が響く。『レフトアローン』が気持ちいい。けだるい雰囲気で始まった映画は、予想以上の出來の良さ。角川春樹も悪くないじゃん。

みんな若い。もう30年前にもなるのか。『K'S BAR』の倍賞美津子のママぶりに惚れる。今や先生様となってしまった三原じゅん子も体当たりの演技というところ。ジョニー大倉も若い姿を見せている。こういう映画は当たらなかったんだろうなあ。

日本映画がアメリカ映画っぽく見えていたのは、製作者の意図通りだったのだろうか。エンド。クレジットは全て横文字。出演者もローマ字表記だったことを考えると、きっとアメリカ的と思ったことは間違っていなかった気がする。ただテクニックで吹いたって、ジャズは遠い。酸いも甘いも苦難を経験してからでなければ、いい音は出ないよと、言われた主人公のジャズ・サックス。確かにジャズはそういうものなのだろうと、羨ましく音楽世界を眺めるだけ。

『おかえり、はやぶさ』

2012年(平成24年)・日本 監督/本木克英

出演/藤原竜也/杏/三浦友和/前田旺志郎/森口瑤子/田中直樹/宮崎美子/大杉漣/中村梅雀

先日見た『はやぶさ/HAYABUSA』よりはずーっと映画的でおもしろく感じた。「成功とは、意欲を失わずに、失敗につぐ失敗を繰り返すことである」という名文句が聞こえてきた。「スタップ細胞はありま~す」と言って信頼を失った小保方嬢にも是非この精神でこれからも生きて欲しい。

映画の中で町の碁会所シーンが出てくる。その時に壁に貼られていた格言がなかなか。「着眼大局、着手小局」19×19の碁盤全体を見ながら勝負しなければならないが、実際に打つ1手は局地戦を想定しなければならない、とでも言ったらいいのか。少し碁を知っていると、この言葉はよく分かる。

映画もその言葉通り、細かい宇宙のことやハヤブサのことを説明しつつ、全体として大きな流れを作っている。珍しく、片意地張らずに、さらりと演じている役者達に好感が持てる。ちょっと不思議な感覚の映画。読売新聞社が製作委員会に入っていたらしく、知った名前をエンド・クレジットに見つけ、ちょっと羨ましかったり。

『柳生武芸帳 剣豪乱れ雲』

1963年(昭和38年)・日本 監督/内出好吉

出演/近衛十四郎/松方弘樹/北龍二/徳大寺伸/永田靖/藤純子/山形勲/風見章子/和崎俊哉

藤純子、現在は富司純子(ふじ すみこ)というらしい。夫は七代目尾上菊五郎、長女は寺島しのぶ、長男は五代目尾上菊之助。同じ1963年『八州遊侠伝 男の盃』で千葉真一の恋人役でデビュー。この映画が2作目のようだ。

1968年(昭和43年)、『緋牡丹博徒』で初主演と主題歌も歌い、ヒット。主人公「緋牡丹のお竜」こと矢野竜子でシリーズ化され、若山富三郎・菅原文太と共演した1970年(昭和45年)の第6作目『緋牡丹博徒 お竜参上』はシリーズの代表作となった。『緋牡丹博徒シリーズ』の他に『日本女侠伝シリーズ』、『女渡世人シリーズ』もヒットし、東映スターの仲間入りをした。 ~ Wikipediaより

先日、柳生武芸帳 夜ざくら秘剣を見たばかりだが、王道の映画製作にほっとする感じがする。奇をてらうこの頃の映画作品は、危ういところが多すぎて問題だらけ。しかも日本映画の現代劇は見ていて嫌気がさしてくることが多すぎて、ほとほとおもしろくないと言っている。

『ブロウ』(Blow)

2001年・アメリカ 監督/テッド・デミ

出演/ジョニー・デップ/ペネロペ・クルス/ジョルディ・モリャ/フランカ・ポテンテ

おもしろくない。しかも例のBS日テレの吹き替え版だった。何度でも言うが、この局はどうしちまったんだろう。なぜ吹き替え版しか放送しないのだろう。その方が視聴者が多いと勘違いしているのだろうか。ジョニー・デップの吹き替えの声を聞いていると、日本のテレビ・ドラマを見ている感覚におそわれる。

というわけでコメントするのもはばかれる。なにも浮かんでこない映画。では、さようなら、と言いたいところだ。

この映画も事実に基づく映画だとのことわりがあったような気がする。でなければ、こんなにおもしろくない映画を誰が作るものかという感じ。麻薬の売人の浮き沈みなんて、話だけで興味が湧かない。勘違い野郎は重要人物でなければ良いが、万が一自分の会社の社長だったりすると、それは悲劇というものだろう。


2017年1月30日再び観たので記す。

『ブロウ』(Blow)

2001年・アメリカ 監督/テッド・デミ

出演/ジョニー・デップ/ペネロペ・クルス/ジョルディ・モリャ/フランカ・ポテンテ

おもしろくない。しかも例のBS日テレの吹き替え版だった。何度でも言うが、この局はどうしちまったんだろう。なぜ吹き替え版しか放送しないのだろう。その方が視聴者が多いと勘違いしているのだろうか。ジョニー・デップの吹き替えの声を聞いていると、日本のテレビ・ドラマを見ている感覚におそわれる。というわけでコメントするのもはばかれる。なにも浮かんでこない映画。では、さようなら、と言いたいところだ。この映画も事実に基づく映画だとのことわりがあったような気がする。でなければ、こんなにおもしろくない映画を誰が作るものかという感じ。麻薬の売人の浮き沈みなんて、話だけで興味が湧かない。勘違い野郎は重要人物でなければ良いが、万が一自分の会社の社長だったりすると、それは悲劇というものだろう。

最後の頃になって観たことがあるんじゃないかと思えた。最後のシーンだけは、間違いないと確信させてくれた。上記述はその前回の時のものだ。あの内容で吹き替え版は酷い。よく観たものだと感心するくらい。今回は字幕版なので、我慢することのひとつは減っている。

実話に基づく映画はおもしろいのとおもしろくないのと二種類に分かれる。この映画は間違いなく後者だ。実話上の主人公は2015年に牢屋を出ると最後に書かれていたが、実際はどうなっているのだろうか。そこだけが気になった。

『ミネソタ大強盗団』(THE GREAT NORTHFIELD MINNESOTA RAID)

1972年・アメリカ 監督/フィリップ・カウフマン

出演/クリフ・ロバートソン/ロバート・デュヴァル/ルーク・アスキュー/R・G・アームストロング

開拓時代末期に実在したジェシー・ジェームスとヤンガー兄弟の列車強盗団をテーマにした西部劇。監督が「ライトスタッフ」のP・カウフマンだけに、活劇というよりは歴史ドラマの趣があり、厳密な時代考証が光る作品に仕上がっている。時代遅れの強盗たちの日常を淡々と追った構成なので派手さは無いが、ロスト・ウエスト感覚の、水彩画のような描写が光っている。撮影を担当したのが「ダーティハリー」や「レニー・ブルース」の名カメラマンB・サーティースで、ここでも見事な手腕を発揮、西部の陽炎を美しく捉えている。強盗団が、当時流行り始めたばかりの野球に興じるシーンが素晴らしい ~ allcinemaより

こういう書き方には愛がある。正直言うとおもしろくない。細かいところを誉めてみたって、映画全体のおもしろさを書かないところに真実がある。野球のシーンなどはその典型。なんで西部劇に野球が。と思わざるを得ない。しかも結構長いシーンになっている。作り手が妙に観客に見せたくなったのか。当時のフィルムと思われる映像があったりして、自己満足のシーンがそれなりに。

西部劇は絶対おもしろい、と思っているが、こうやって時々は裏切られる。人間関係に裏切りはない。もしあったとしたら、それは絶縁の絶対理由になる。信頼があるのにウソをつくことなんて、間違ってもあり得ない。

『婚期』

1961年(昭和36年)・日本 監督/吉村公三郎

出演/若尾文子/野添ひとみ/京マチ子/船越英二/弓恵子/三木裕子/六本木真/片山明彦/高峰三枝子/藤間紫/北林谷栄

ひとつ屋根の下で暮らすある家族。父と母は、すでにいない。長兄は事業家で29歳の後妻をもらい、それから3年経っている。小姑がふたり、二女は29歳、家で習字を教えたりしている。三女は24歳、劇団員である。この時代29歳はかなりの婚期のがしの年齢らしい。もうひとり一緒に住んでいるのがお手伝いさんの婆~や。

長女は結婚、離婚をし、ファッション・デザイナーとして自活している。こんな女主体の人間関係で面白くないスト-リーが出来るはずがない。長兄は妾と言える女を囲っている。さらに愛人がいて、妾と愛人が修羅場を演じる。セリフが厳しくて、今のような第三者任せのような言葉はいっさいない。ある意味、気持ちがいい。

げに恐ろしきは女、を地で行くようなはなし。これがいやなんだよね。面倒くさい。まめな男が女にもてる、というのは真実。面倒くさがったら、敏感に相手に伝わる。そんなに嫌だと思っているわけではなく、ただ面倒くさいと思っているだけなのだが、そんなことは通じない。それが現実。

『告発の行方』(The Accused)

1988年・アメリカ 監督/ジョナサン・カプラン

出演/ジョディ・フォスター/ケリー・マクギリス/バーニー・コールソン/レオ・ロッシ/アン・ハーン

ジョディ・フォスター ~ 子役だった兄の仕事場についていった際にスカウトされ、3歳よりコマーシャルに出演し、主にテレビドラマで子役として活躍、一家を経済的に支えるまでになった。1972年に『ジョディ・フォスターのライオン物語』で映画デビュー。1976年公開のマーティン・スコセッシ監督作品『タクシードライバー』で12歳の少女娼婦アイリス役を13歳にして演じ、全米映画批評家協会賞助演女優賞や英国アカデミー賞 助演女優賞などを受賞、アカデミー助演女優賞にノミネートされ、高い評価を得た。しかし、この映画は同時に多方面に影響を与え、ジョディの熱狂的なファンを自称するジョン・ヒンクリーによって1981年にレーガン大統領暗殺未遂事件が発生。この事件に衝撃を受けたジョディは、一時期映画界とは距離を置いた。1984年公開の『ホテル・ニューハンプシャー』で本格的にスクリーンへ復帰以降、この『告発の行方』と1991年公開の『羊たちの沈黙』でアカデミー主演女優賞を受賞。人気・実力共にアメリカを代表する役者の地位を不動のものとした。

未婚のまま1998年と2001年に男児を出産(父親の名前は公表されていない)。2007年12月のロサンゼルスでの式典で、15年来の交際がある映画プロデューサーのシドニー・バーナードについて、「いつもそばにいてくれる美しいシドニーに感謝」と謝辞を捧げたところ、「レズビアンであることをカミングアウトした」として一斉に報道された。なお、2008年5月、破局したとの報道がなされた。2013年1月の第70回ゴールデングローブ賞授賞式において、自身が同性愛者であることをほぼ公表した(正確には「カミングアウトすると思ったでしょ?」と発言しており、公には認めていない)。2014年4月、パートナーの女性写真家アレクサンドラ・ヘディソンと同性結婚した。 ~ 以上、Wikipediaより

なんといっても彼女の映画。ケリー・マクギリスもアメリカ女らしく背が高くやり手の検察官が役にはまっている。

『傷だらけの男たち』(傷城、英題:Confession of Pain)

2006年・香港 監督/アンドリュー・ラウ

出演/トニー・レオン/金城武/スー・チー/シュー・ジンレイ/チャップマン・トウ

久しぶりに嗅ぐ香港の空気が懐かしかった。もうパッチョハもカイランも食べることはないのだろうか。レイユーモンに行って目の前の魚をすぐ料理してもらって食べることもないのだろうか。民主主義を求めてバリケードを築いた若い力は、結局中国という巨大勢力に飲まれて死んでいくのだろうか。

殺人事件の謎解きをしていく映画だが、テクニックを使っている分だけ、つまらなさが際立つ。原題は告白という意味だと分かったが、その題名に答えが含まれているので、もしその題名だとしたら、映画が始まって10分もしないうちに、すぐに犯人が分かってしまって、もっとつまらなくなっていたかもしれない。

あとから理由付けをして、屁理屈を言うのは卑怯で簡単な手法。現実社会だって同じこと、あとから言い訳したって始まらない。その時その時に瞬時に決断をした行動が人間性を表す。悔しかったら、考えたふりなどしないで、即決即断の人生を送ってみればいい。

『ディファイアンス』(Defiance)

2008年・アメリカ 監督/エドワード・ズウィック

出演/ダニエル・クレイグ/リーヴ・シュレイバー/ジェイミー・ベル/アレクサ・ダヴァロス

『 A True Story 』と映画が始まる。1941年、ポーランド、ナチス・ドイツによるユダヤ人狩りがはじまった。defiance:(公然たる)反抗[挑戦]の態度。ビエルスキ兄弟のユダヤ人救出を描いたネハマ・テクの小説『ディファイアンス ヒトラーと闘った3兄弟』が原作。

こんなことが ~ 基本的には実話に基づいているが、一部に映画的結末を描くための脚色があり、特にエンディングの戦車との戦闘シーンについては原作者も当初は戸惑いを覚えたことを告白している。また、ビエルスキ兄弟が率いたユダヤ人組織に対する歴史的評価もポーランド内では分かれており、同じポーランド人から略奪することで生き延びた山賊集団ととらえる向きもある。

どうであれ、ナチス・ドイツのやった行為は戦争ではなく虐殺。それと同じだと韓国や中国の馬鹿たれどもが日本を責める。歴史を変えることは出来ない、などと被害者意識丸出しの訳の分からない理論を言っている。兄弟で始まった逃走劇は1942年春で映画は終わる。戦争がいつ終わるのかまったく想像も出来ないで、逃げまどう生活には計り知れない苦難の連続があったろう。一人のユダヤ人が言う。「我々に武器はない。あるのは時間という武器だけである。」 山本五十六の言う「早期講和」が戦争の奥義なのかもしれない。

『聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-』

2011年(平成23年)・アメリカ 監督/成島出

出演/役所広司/坂東三津五郎/柄本明/柳葉敏郎/吉田栄作/阿部寛/中村育二/椎名桔平/中原丈雄/伊武雅刀

映画評論家の西村雄一郎は、佐賀新聞ホームページ『西村雄一郎のシネマ・トーク』2012年1月14日付で、「本作で山本五十六を演じた役所広司は、過去に山本を演じた三船敏郎(『連合艦隊司令長官 山本五十六』1968年)や山村聡(『トラ・トラ・トラ!(1970年)』と比較すると、『開戦に反対だったが、開戦を指揮してしまった悲劇の武将』としての山本を、どんな時でも沈着冷静な態度を強調し演じている。山本が(戊辰戦争で敗北した)長岡藩士の血筋を継ぐ侍としての意識を持っているという観点や、1930年代後半から1941年にかけての時流に乗って、世論を扇動するマスコミへの批判を絡ませた脚本は新しい試みと評価できる」「本作では、映画的スケール感が不足していて、見ている方の感情が盛り上がらない。その理由は、俳優の演技と、CGによる派手だが生身の人間が一切登場しない特撮シーンが分断されているため。実写と特撮シーンがつながらないので、別々に撮っているという気持ちを起こさせ、手抜きをしているような感じを観客に与えてしまう。『連合艦隊司令長官 山本五十六』では、たとえ危険であっても、戦火のなかで右往左往する人間を写す実写カットを撮影した。『トラ・トラ・トラ!』では、実物大の飛行機や戦艦を造り、それを実際に破壊した。それらの映画術が、観客を映画的スペクタクルの渦中に引き込んだ。本作の監督には、見せる技術を勉強して欲しい」という趣旨を述べている。 ~ Wikipediaより

まあ、こんなもんだね。サブタイトルの「太平洋戦争70年目の真実」とは、激しく勝利して早期講和に持ち込むしか日本の生きる道はないと言い続けた山本五十六ということだろうか。

『零戦燃ゆ』と立て続けて同じ時代の映画を観た。戦後生まれの身にはなんとなく後ろめたい人生だと感じている。そういう気持ちがどんどん増している。そんな必要がないのは分かっているが。

『野性の証明』

1978年(昭和53年)・日本 監督/佐藤純彌

出演/高倉健/中野良子/夏木勲/薬師丸ひろ子/舘ひろし/梅宮辰夫/ハナ肇/原田大二郎

東北の寒村で大量虐殺事件が起こる。その生き残りの少女と、訓練中、偶然虐殺現場に遭遇した自衛隊員。この二人を主人公に、東北地方の都市を舞台にした巨大な陰謀を描く。『人間の証明』に続き、森村誠一が角川春樹の依頼により映画化を前提として執筆した原作を、角川書店が映画化。原作には無かった主人公と自衛隊との戦闘シーンが作品後半に追加された。薬師丸の「お父さん、怖いよ。何か来るよ。大勢でお父さんを殺しに来るよ」の台詞はTVCMで流された。作中に自衛隊が登場するものの本作では自衛隊が好意的に扱われていないため、防衛庁の協力は一切得られなかった。

ヘラルド時代の配給作品だが、リアルタイムで観ていない。ちょうど名古屋の元ヘラルド映画社員と話をする機会があって、高倉健の名古屋・北陸キャンペーンに同行したということを聞いた。健さんが亡くなって、メディアから問い合わせがたくさん来たらしい。

ストーリー・ラインが乱暴過ぎて、ちょっとついていけない。まがい物のような気がする。今や漫画原作が当たり前となったが、この映画も小説ではなく漫画チックな動画を、映画化したもののように見える。この程度で配給収入22億円も稼ぎ出せる時代だったようだ。馬鹿にするわけではないが、決していい映画だと誉められるようなものではない。

『晴れ、ときどき殺人』

1984年(昭和59年年)・日本 監督/井筒和幸

出演/渡辺典子/太川陽介/松任谷正隆/神田隆/清水昭博/前田武彦/美池真理子/伊武雅刀/小島三児/浅見美那

1980年代、薬師丸ひろ子や原田知世と共に「角川三人娘」と呼ばれた渡辺典子を観て、この主演の女の子は誰?と何度も何度も問いかけていたが、まったく分からなかった。観終わってからこうやって名前を突き止めても、まだ誰だか分かっていない。ちょうど宣伝部長になったころ、じつは一番映画から離れていた。宣伝予算の管理が主な仕事で重要だった。なにしろ、1作品で3億円の予算を決済するのだから、外から見れば大変な仕事だった。

しかしまあ、この映画のつまらなさは筆舌に尽くしがたい。もし観る層があるとすれば、それは小学生だろう。サスペンスとはこんなものだよ、という見本のごとく、底の浅いストーリーと役者の演技で、映画への誘いをしたら良いかもしれない。

角川春樹の映画は結局こんなものだったのか。まわりからちやほやされて、人間としての品格を失っている。天才的な興行肌を持った人物だとは分かるが、ヤクザに似たいらぬ才能を持った社会の異端児のように見えて仕方がない。おもしろくない映画。

『零戦燃ゆ』

1984年(昭和59年)・日本 監督/舛田利雄

出演/堤大二郎/橋爪淳/早見優/加山雄三/丹波哲郎/あおい輝彦/北大路欣也/目黒祐樹/南田洋子/おりも政夫

零戦(ぜろせん、れいせん)の略称で知られている零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)にまつわる物語。第二次世界大戦期における日本海軍の主力艦上戦闘機である。最初のころちょっと寝てしまった。いつものことといえば、そうだけれど、そんなに面白くない出だしというほどではなかったのに、自分でも驚いてしまった。

映画の作りは昭和最後の映画という風情。唄入りの主題歌が映画の中でも流れるあたりは、ちょっと苦笑といった感じ。早見優がヒロインとは、時代を感じる。堤大二郎と橋爪淳が主役、どちらも馴染みがない。

それにしても最後は特攻隊となって死に行く零戦。哀しい物語が本当だったなんて、日本人以外の国の人には実感がないであろう。実感といったって、こちらもこういう映画やテレビでしか見たことのないこと。戦争という人間の歴史は、日本人の記憶からはなくなってしまうのだろう。

『四十七人の刺客』

1994年(平成4年)・日本 監督/市川崑

出演/高倉健/中井貴一/宮沢りえ/西村晃/石坂浩二/浅丘ルリ子/森繁久彌/岩城滉一/宇崎竜童/井川比佐志

映画公開時、宮沢りえは21歳、撮影はちょうど20歳のときだったのだろうと想像できる。1991年写真集『Santa Fe』(篠山紀信撮影)は人気絶頂時のヌード写真集で大ヒットし、155万部のベストセラーとなり、日本における芸能人写真集の売上部数としては未だに破られていないという。発売当時はヘアヌードが日本では黙認されはじめたばかり、サンタフェはそのパイオニア的存在となり、「ヘアヌード解禁」への道筋を作った写真集であった。1992年には当時関脇の貴花田との婚約発表をした。そのわずか2ヶ月後に婚約解消。

そんな騒動のあとの撮影時期だった。ちょっとふくよかな顔立ちが印象的。彼女の姿を見て、この映画を観たことがあると確信したのだ。相変わらずストーリーはほとんど覚えていない。高倉健との濡れ場にもならないようなシーンがあるが、記録する映像としてはちょっともったいない感じがする。

高倉健の大石内蔵助は、この役をずーっとやってきた役者達の小太り気味の雰囲気とはちょっと違う。映像は素晴らしい。さすが市川崑という感じがする。『清洲会議』とチャンバラものが続いたが、やっぱり映画としての格が違いすぎるかもしれない。

『清須会議』

2013年(平成25年)・日本 監督/三谷幸喜

出演/役所広司/大泉洋/小日向文世/佐藤浩市/妻夫木聡/浅野忠信/寺島進/剛力彩芽/中谷美紀/鈴木京香

原作、脚本、監督、三谷幸喜という我が儘な映画。この監督の映画をきちんと見る心がない。おちゃらけて、勘違いの笑いを売り物にする、うつけものの仕業に見えて仕方がなかった。そういう先入観がすごく大きかった。題材は極めて興味のある歴史実話。どこまでおちゃらけているのかが興味の的だった。

今をときめく監督とテレビ・メディア、映画業界の巨人企業がからむ映画のもとには、こんなにたくさんの芸人達が集まってくる。それだけでコメディと言えるだろう。役所広司が人一倍コメディを演じているのが奇妙なくらい、おちゃらけた映画にはなっていなかった。ところどころにちりばめた、お茶目な笑いは、監督の無言のメッセージに見える。抵抗にも見える。

衣装や小道具、セットなどにお金を掛けているのがうかがえる。ということもあり、えいがとして馬鹿にしたものでもないな、という印象。一目惚れのように女性を好きになるのは経験するが、ひと目嫌いのようにこの監督を見たくもない気持ちが少しゆるんだ気がする。

『ホワイトハンター ブラックハート』(White Hunter Black Heart)

1990年・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/クリント・イーストウッド/ジェフ・フェイヒー/ジョージ・ズンザ/アラン・アームストロング

1951年の映画『アフリカの女王』のアフリカロケに同行した脚本家ピーター・ヴィアテルが当時の体験をもとに執筆した小説をヴィアテル本人が脚色に参加して映画化した作品。監督およびプロデューサー、主演もクリント・イーストウッド。

『アフリカの女王』のエピソード ~ リアリズムを追求するべく、アフリカで本格的なロケを敢行したこの映画の撮影は困難を極めた。天候不順でセットが流されるやら、体調悪化や病気で倒れる出演者やスタッフが続出するやらで、撮影は長引いた。にもかかわらず監督のヒューストンは、映画そっちのけでひたすらハンティングに興じる始末だった。キャサリン・ヘプバーンはこの時の監督の態度によほど憤懣やるかたなかったか、後年『アフリカの女王とわたし』という本を出版して一矢報いた。

クリント・イーストウッドの映画はおもしろいはずなのだが、この映画はつまらない。前述のエピソード通りの映像化で、何がどういう風におもしろいのかまったく分からなかった。『白人のハンターは、邪悪な心』というタイトルが映画の中でも出てくるが、意味がよく分からない。映画界の中を描いている映画は概しておもしろくない。

『暗くなるまで待って』(Wait Until Dark)

1967年・アメリカ 監督/テレンス・ヤング

出演/オードリー・ヘプバーン/アラン・アーキン/リチャード・クレンナ/ジャック・ウェストン/エフレム・ジンバリスト・Jr

日本での公開は1968年(昭和43年)5月8日、早稲田の三年生の時かぁ~。リアルタイムで観ていたら「おもしろい」と叫んでいたに違いない。絶好のタイミングでオードリー・ヘプバーンの時代を共有していたはずなのに、もったいないことをした。田舎者の都会生活には「映画」という世界はいっさいなかったのが悔しい。

今見るヘプバーンの映画は、どちらかというとアイドル映画のように見えることが多い。そう感じるのは自分だけかもしれないけれど、映画的にはちょっとゆるい、肝心な厳しさが足りないように感じていた。この映画は、そんな中でも、かなりおもしろい部類に入る。

映画評論家のように、この映画のここがこんな風にいいなんていう言葉は出ない。ただ、サスペンス映画を仕上げるには充分な、細かい神経が行き届いていることは、見事に伝わってくる。近頃の映画のように出來過ぎたストーリー展開と、CGによる映像造りとは、ひと味もふた味もちがったおもしろさがぷんぷんしている。

『柳生武芸帳 夜ざくら秘剣』

1961年(昭和36年)・日本 監督/井沢雅彦

出演/近衛十四郎/山城新伍/品川隆二/尾上鯉之助/花園ひろみ/堺駿二/北龍二/赤木春恵/里見浩太朗

その後を彷彿とさせない山城新伍の徳川家光役が印象的。まだちょっとふっくらとした顔立ちが可愛く、りりしくも見える。この映画でも共演している花園ひろみと1966年に結婚している。彼女は1958年に映画デビューし1962年に引退しているが、1961年までに60余本の映画に出演しているという。映画全盛時とはいえ、これだけの本数に出ているなんてギネスものだ。

原作は五味康祐、もうだいぶ名前を聞いていないと思ったら、亡くなったのは1980年(昭和55年)だというから、彼の名前が出てくる場面はもうほとんどないことは仕方がない。柳生十兵衛が主人公だが、片目の剣豪というイメージが強く、この映画はまだ初期のものだったようだ。

斬っても斬っても減らない敵の侍。また死骸もまったく見えない現場。子供のころに不思議だった光景がよみがえる。場面は続いて、急に死骸が見え始まると、敵の数が一気に少なくなり、さらに敵は誰もいなくなる。やっぱり遠い思い出は幻ではなく、本当だったようだ。

『ルイスと未来泥棒』(Meet the Robinsons)

2007年・アメリカ 監督/スティーヴン・J・アンダーソン

出演/(声)ダニエル・ハンセン/アンジェラ・バセット/トム・セレック/ウェズリー・シンガーマン

ウォルト・ディズニー・ピクチャーズによる、47番目の長編アニメーション映画。『ロボッツ』と同じウィリアム・ジョイスの子供向け絵本「ロビンソン一家のゆかいな一日」(A Day with Wilbur Robinson)を原作に制作されている。ディズニー・アニメ鑑賞が続いている。

擬人化された動物や植物を描くことが得意なアニメの世界、容姿が普通の人間になると、ちょっとよそよそしい感じになるのが不思議だ。孤児院の玄関先に捨てられたルイス少年が主人公。里親を探すシーンなどは、アメリカではなんの変哲もなく受け取られるのだろうが、日本では慣れていない分、なるほどこんな風に里親を見つけるんだ、と興味のある事柄。

エンド・タイトルの最後にウォルト・ディズニーの言葉が紹介される。「過去を振り返らず、前へ進み続けよう。私たちは好奇心にあふれている。好奇心こそ、新しい世界への道しるべだ。」

『ティンカー・ベル』 (Tinker Bell)

2008年・アメリカ 監督/ブラッドリー・レイモンド

出演/(声)メイ・ホイットマン/ルーシー・リュー/クリスティン・チェノウェス/レイヴン・シモーネ

ティンカー・ベルの名前はよーく知っているが、どんなアニメや絵本に出てくるのかを知らない。名前のひびきや描かれた姿が可愛い。一体どんなはなしなのだろうという興味があったが、録画切れの状態でなければ、なかなか見ようという気にならないのも確か。今日は2014年12月3日、残りわずかな今年と命に、日付を頻繁に記録するのも悪くはない。

ネバーランドにある妖精の谷「ピクシー・ホロウ」に新しく産まれた妖精はティンカー・ベルだった。妖精たちには、植物を育てたり、動物を育てたり、光を集めたり、水を操るといった様々な才能のうち、1つを持って生まれる。誕生後の儀式で、ティンカー・ベルが持っている才能は「もの作りの才能」だと判明し、もの作り妖精の仲間たちと暮らすようになる。このあたりのストーリー展開はさすがアメリカ、日本人ではこんなことは想像できない。最初はドジなティンカー・ベルがコミカルで楽しく、おもしろい。

なかなか夢のある物語と映像で、こんなジジイでも楽しめたのにはおどろくしかない。孫達は、こういう映像を見てなんと言うのだろうか。女の子なら、きっとおしゃまな答えを用意していることだろう。

『チキン・リトル』 (Chicken Little)

2005年・アメリカ 監督/マーク・ディンダル

出演/(吹き替えの声)山本圭子/中村雅俊/朝倉栄介/小島幸子/野沢那智

1.イギリスの寓話。頭に木の実が落ちてきたのを空が落ちてくると勘違いしたヒヨコの話。転じて悲観論者をさす慣用句としても用いられる。2.1を題材にしたディズニー制作のアニメ映画。1943年版と2005年版の2作品がある。勿論観たのは2005年版。デジタル処理による3D映画、『チキン・リトル』で初めて導入された。

ハードディスクのストック作品を観ている。まあ、これは吹き替え版かな、と思いこちらにした。あとで英語版をちょっと聞いたが、まったく違った映画に見えるのが不思議。主人公のキャラクターはいいが、父親というか父鶏のキャラクターが妙にリアルで、ちょっと気持ち悪い。

どういう教訓なのかよく理解できなかった。子供は出来ないことはないからやるんだ、と言い、父親はまあまあ穏便に暮らそうよ、と諭す。アメリカ社会を描く映画としては、普段の様とまったく正反対、なんかそのあたりの説明が聞きたいものだ。

『翼は心につけて』

1978年(昭和53年)・日本 監督/堀川弘通

出演/石田えり/フランキー堺/香川京子/上村和也/渡辺みえ/鈴木瑞穂/山口崇/原知佐子/宇野重吉

いきなり『文部省特選』では、ちょっと。現役時代この文言は、良いような悪いようなと、悩みの対象だった。興行的には絶対マイナスになるのは分かっていたが、かといってその手の映画の場合、きちんと申請して取得しなければいけないというジレンマがあった。題名だけだと洋画かな、と思ったが、まったく正反対の映画で心の準備が整わなかった。

石田えりのデビュー作。18歳になっていた彼女が15歳の中学生を演じている。もう色気むんむんの彼女は、どうみたって高校生だが、まあいいかっ。フランキー堺と香川京子の普通の家庭の夫婦が違和感なく、さすがの脇役と感動すら覚える。狛江市立第三中学校昭和五十年度卒業という実在っぽい中学校が舞台。映画は終始超真面目な進行で、こういう映画を500本に1本くらい観るのは悪くない。骨肉腫というガンの病名を患者に知らせないのが、この当時の流れだったようだ。自分の病気も知らないで死んでいくのは、なんとも哀しいことに思える。

こういうド真面目な映像が今のテレビ・ドラマには求められている。毎週流してごらん、想像以上の反響があるはずだ。隣の局と同じようなおちゃらけた、つまらない映像ばかり流してどうする。テレビ局はいつもバカだなあ。

『八月のクリスマス』

1998年・韓国 監督/ホ・ジノ

出演/ハン・ソッキュ/シム・ウナ/シン・グ/オ・ジヘ/イ・ハンウィ

韓国映画かあ~、と観始まった。意外だった。こんな優しい顔をした韓国人の男を見るのは初めてだ。もっとも本物の韓国人に会ったことは数少ない。映画やテレビの映像で見る韓国人しか知らないので、当たり前のはなしなのかもしれない。

主人公は不治の病で余命数ヶ月と宣告されているようだ。そのあたりのセリフがなく、映像だけで物語っているのがいい。この映画は余計なセリフを一切排除して、観客の想像力にゆだねているところがいい。それが主人公の優しさとぴったりと合っている。セリフが少ないといっても、肝心じゃないことのセリフがあって、ムダを実にうまく使っている。

死んでいくと分かった時期になって、好きな女性に手紙をしたためるが、それを敢えて渡すことなく、結果なにも語らず死んでいく。なんか、自分の姿を見ているようで、心地良かった。もったいないくらいの才能が一番いい、と思っているのに似ている。言わないことによって、心に思い出を残すことに成功するかもしれない。そう思いながら旅立とう。

『理想の恋人.com』(Must Love Dogs)

2005年(平成17年)・アメリカ 監督/ゲイリー・デイヴィッド・ゴールドバーグ

出演/ダイアン・レイン/ジョン・キューザック/エリザベス・パーキンス/クリストファー・プラマー

婚活サイトに登録して異性に巡り逢おうとする離婚経験者たち。自分の年齢、容姿など、ほとんど偽りの人物像をアップして楽しんでいる人たちもたくさんいる。現実の世界でも、おそらく大差ないことが起こっているのだろう。

男と女のはなしは、なかなかおもしろいし、身につまされる。数々の名言が映画の中で喋られていたけれど、すぐに忘れてしまう。「失恋したって、恋することが出来たことが嬉しい」 こんなひと言には、心がうずく。原題は、犬好きだとプロフィールに書いたので、相手もそういうひとを望むというような意味か。

どこにでも男はいるし、女もいる。だけれども、なぜか気の合う人に巡り会うのは希なこと。不思議なものだ。どう考えたって、「恋の神」がいるとしか思えない。そんな偶然も、はかない時間で消滅してしまうのも現実。中国のお偉さんじゃあるまいし、握手しながらニコリともしないで横を向いているような人生だけはおくらないことにしよう。

『アトランティス 失われた帝国』(Atlantis: The Lost Empire)

2001年・アメリカ 監督/ゲイリー・トルースデール/カーク・ワイズ

出演/長野博(V6)/木村佳乃/平幹二朗/内藤剛志/高島礼子/吉田美和/柴田理恵

ウォルト・ディズニーが生誕100周年を迎えた2001年に公開されたディズニー製作のアニメーション映画。ハードディスクにストックしてあるものから選んだ。観たのは音声:英語版、日本語版字幕であるが、吹き替え版の日本人役者がおもしろかったので、そちらを記録した。

英語を聞いて字幕を観ていると、お子様ランチから解放されて洋画の雰囲気が感じられて嬉しい。ただ、ストーンと眠りに堕ちて、終わりの10分前くらいに目が覚めた。アトランティスという夢のあるはなしは、いつどこで聞いても興味がある。天体にはまったく興味がないが、なぜこの区別が出来ているのか分からない。

アトランティスは、古代ギリシアの哲学者プラトンが著書『ティマイオス』及び『クリティアス』の中で記述した、大陸と呼べるほどの大きさを持った島と、そこに繁栄した王国のことである。強大な軍事力を背景に世界の覇権を握ろうとしたものの、ゼウスの怒りに触れて海中に沈められたとされている。1882年、アメリカの政治家イグネイシャス・ロヨーラ・ドネリーが著書『アトランティス―大洪水前の世界』を発表したことにより「謎の大陸伝説」として一大ブームとなり、更にオカルトと結びつくことで多くの派生研究を生んだという。近年の研究によって、地中海にあるサントリーニ島の火山噴火によって、紀元前1400年ごろに突然滅んだミノア王国がアトランティス伝説のもとになったとする説が浮上してきたらしい。

『バグズ・ライフ』(A Bug's Life)

1998年・アメリカ 監督/ジョン・ラセター/アンドリュー・スタントン

出演/(声)デイヴ・フォーリー/ケヴィン・スペイシー/ジュリア・ルイス=ドレイファス

「トイ・ストーリー」のスタッフによるピクサー第二作。誕生のきっかけは「トイ・ストーリー」制作が大詰めを迎えたある日の昼食中の某スタッフの会話である。それから、虫の生態リサーチングをし、その99パーセントを忘れ、 キャラクターの性格を堀りさげることに力を注いだ。今作の誕生はイソップ童話をヒントにした。製作に当たっては「トイ・ストーリー」の十倍もの処理能力を持った最新式コンピュータが採用され、霧や雨、稲妻や炎、キャラクターの動きなどがよりリアルに表現できた。(以上、偕成社刊 ディズニーアニメ小説版28「バグズ・ライフ」より)

なにか格言めいたことは一体何なのだろうと、思いながら見ていた。冒頭の部分だけは、自作機パソコンができあがりソフトをインストールして確かめる画面として、何度も観ていた。それが思いがけない展開となって、やっぱり映画は見てみないと分からないなあ、ということを確認した。

バッタと戦うアリ、アリがバッタの100倍いることに気がつかないことを、バッタの親分が恐れていた。中国の民主化運動を揶揄するかのようなくだりだ。それでも自分の身しか守ろうとしない中国人に、自己犠牲を伴う真の民主化運動は永遠に無理であろう。

『草原の野獣』(Gunman's Walk)

1958年・アメリカ 監督/フィル・カールソン

出演/バン・ヘフリン/タブ・ハンター/キャスリン・グラント/ジェームズ・ダーレン

ワイオミング平原の大牧場主の主人公には2人の息子があった。反抗的で乱暴な長男と、臆病な、気の弱い二男の兄弟である。父親は2人を自分が理想とする勇敢な男に仕立上げようとしていたが、事件が起こった。邦題がこの時代には珍しくダサイ。長男の気質を表現したつもりかもしれない。

自分は息子であったけれど、自分には息子がいないので、父親と息子(特に長男)の葛藤を全然分かっていない。自分が物心ついたころから親と難しいはなしをした記憶がない。商売人の家庭はだいたいそんなものだと思うが、親が子供の面倒をみることなど、ほとんどなかった。それでも周囲の人たちのおかげで半人前くらいには成れたようだ。

この物語の父親と長男は、男として人生を争っている。二男は長男とはまったく違う性格で、逆に父親にとっては頼りない男に見えてしまうようだ。最近のように男の子供が長男の確率が高くなった世の中では、もっと確執が多くなっているのかと心配するが、厳しくない親と甘い息子では、なにも起こりようがないか。

『はやぶさ/HAYABUSA』

2011年(平成23年)・日本 監督/堤幸彦

出演/竹内結子/西田敏行/髙嶋政宏/佐野史郎/山本耕史/鶴見辰吾/筧利夫/桂ざこば

「はやぶさ」関連の日本映画は帰還後から相次いで企画され、2011年から2012年春にかけて公開されている。この映画は実写作品としては一番目、そのあと『はやぶさ 遥かなる帰還』、さらに『おかえり、はやぶさ』と合わせ、20世紀フォックス・東映・松竹の映画大手3社による競作として注目を集めたという。

天体とか星とかまったく興味のない自分にとっては、その実話もそうだけれど、映画にも全然反応を示さない。なんにでも興味があるはずなのに、なぜか空はどうでもいいことなんだな、これが。だいたい星のことをどこかで勉強したはずなのだが、ちっとも覚えていない。あの星座はなに?と聞かれても、ひとつも答えられない。

この映画は、20世紀フォックス映画製作・配給の日本映画。竹内結子が演技をし過ぎていて、ちょっと気持ち悪い。他のタレントも結局はテレビに出演している役者ばっかりで、オーバーアクションが気になる映画。科学者があんな雰囲気ではなかろう、と文句を言いたくなる。ちょっとばかり退屈。

『リーガルハイ・スペシャル』

2014年(平成26年)・アメリカ 監督/石川淳一

出演/堺雅人/大森南朋/吉瀬美智子/剛力彩芽/東出昌大/古谷一行/生瀬勝久/小池栄子

映画ではない。テレビ・ドラマのスペシャル版らしい。一度くらい見たことがあるようなないような。「法律」と「笑い」、相反する2つの要素が絶妙に組み合わさった大人が笑える極上コメディだといううたい文句。おちゃらけたコメディ部分が相当うざい。

堺雅人はお得意の舞台演技を、そのまましているようだ。普通にセリフを書いたってかたぐるしくならないだろうと思うのだけれど、どうしてあそこまでおちゃらけてしまうのか、よく分からない。日本国民が笑いを求めていると思い込み過ぎているのではないだろうか。

法廷ものは面白い。自分には関係のないところで愛憎を戦わせているという、第三者になりきれるからいいのだろう。いざ自分が証言台に立たなければいけない状況に陥ったとしたら、そんなに面白がって裁判風景を眺めることなど、出来なくなってしまうだろう。

『マッチスティック・メン』(Matchstick Men)

2003年・アメリカ 監督/リドリー・スコット

出演/ニコラス・ケイジ/サム・ロックウェル/アリソン・ローマン/ブルース・アルトマン

BS日テレの吹き替え版だった。ニコラス・ケイジのように字幕で見慣れた役者が、味けのない日本人の吹き替え版になっていると、それだけで興醒めする。詐欺でだまして生計をたてている主人公が、相棒にだまされて大金を巻き上げられるという他愛ない話で、おもしろくもおかしくもない。

主人公の詐欺師は強度のきれい好きでセラピーを受けている。部屋に入るときは靴を脱いで入るよう来客に強要する。お菓子のクズも落とさないでくれと言い放つ。そんな主人公が、娘のために料理をするシーンで、タバコを吸いながら料理している。そんなバカな!つじつまが合わない。

人間には一貫性が一番重要だ。バカな奴はバカなように、頭のいい奴は頭のいいように、小心者はいつでも臆病に、いい加減な奴はいい加減に生活すれば、誰もだまさずに人生を生きられる。ちょっと装って、いいところばかりを見せようとすると、えらい失望を相手に与えることになる。クソはクソの人生をおくっていればいいのだ。

『東京物語』

1953年(昭和28年)・日本 監督/小津安二郎

出演/笠智衆/東山千栄子/原節子/杉村春子/山村聡/三宅邦子/香川京子/大坂志郎/東野英治郎

今日は2014年11月20日。『最近観た映画』にコメントがなかったので、何度観てもいいかなと積極的な気持ちで観ることが出来た。世界の映画人で小津安二郎監督、この作品を知らない人はいない。何度でも観たいと思うほどの映画人でも、オタクでもないけれど、さすがにもう1400本の映画を観た実績の後では、この映画の良さがひしひしと伝わってくる。

主人公の老夫婦は広島県尾道市に住んでいる。三男二女の子供たちがいる。長男は医者で東京で開業している。長女は同じく東京で小さな美容院をやっている。二男は戦争で亡くなったようだが、その妻が東京に暮らしていて、主人公夫婦と親交が深い。三男は大阪で国鉄に勤めている。二女は尾道で一緒に生活していてまだ結婚していない。こんな家族構成の平々凡々たる日常の中、老夫婦は東京へと子供たちに会いにやってくる。

まだ68歳なのに、この頃ではもう老人だと思われていた時代。母親の危篤の電報を受け取って、喪服を持参した長男と長女。葬式が終わって、さっさと帰って行く3人の子供たち。そんななか二男の嫁が、たぶん一週間くらいひとり残っている。「自分で育てた子供より、あんたのほうがずーっと優しい」と父親がしみじみと言う。淡々としている物語と、セリフが心に沁みてくる。

『戦火の馬』(War Horse)

2011年・アメリカ 監督/スティーヴン・スピルバーグ

出演/ジェレミー・アーヴァイン/エミリー・ワトソン/ピーター・マラン/ニエル・アレストリュプ

スピルバーグ監督の映画だと知らずに観終わった。そういえば新作があるよな、と思っていたのはもう3年前のはなしだったのか。スピルバーグだと最初から知っていれば、観る側にも心構えが違ってくる。こういうのを先入観というのだろうけれど、おうおうにして人間心理の出発点はこういうところから。

ストーリーが分からなくても最初の数分で、その後の展開の予想がつく。数奇の運命をたどる馬の物語、最後には感動が待っているのだろうな、という予想は裏切られない。ただ、最後の15分のための前哨戦がちょっとかったるい。

 物語は第一次世界大戦の始まった1914年から。ちょうど100年前のこと。もともとの原作は、1982年に出版されたマイケル・モーパーゴによる児童小説だというから、戦争の中での馬の使われ方がまったく違っていたのかもしれない。題名を、映画の中にあるセリフ『奇跡の馬』とでもしたいところだが、「奇跡」も多く使われすぎているので二の足を踏んだのではなかろうか。

『戦略大作戦』(Kelly's Heroes)

1970年・アメリカ 監督/ブライアン・G・ハットン

出演/クリント・イーストウッド/テリー・サバラス/ドナルド・サザーランド/キャロル・オコナー

クリント・イーストウッドはデビューが遅かったので、この作品はデビューしてから6年後40歳の時のもの。顔立ちは今とほとんど同じ。シワのの数が10分の一といった雰囲気。もう44年前の映画、まだ本人が生きているのが嬉しい。最新監督作品『ジャージー・ボーイズ』(Jersey Boys)もはやく見たいものだ。さらに12月にはやはり監督作品『アメリカン・スナイパー』(American Sniper)が公開される予定だという。もう84歳、なんと精力的なのだろう。

なんともはやお粗末な邦題だが、内容もコメディ7割、戦闘シーン3割といった、なんだか訳の分からない映画になっている。第二次世界大戦中のヨーロッパ戦線を舞台にして、連合軍のならず者たちが繰り広げるアクション・コメディということらしい。

最後のシーンでは敵対するドイツ兵とさしの話し合い。お互い目的も分からない殺人をしても意味がないだろう。この金塊を分けよう、などと。コメディーとはいえ、奪った金の延べ棒をどうやってアメリカに運ぶのだろう、と真面目に疑問に思っても意味のないことか。


2016年9月30日に再び観たので記す。

『戦略大作戦』(Kelly's Heroes)

1970年・アメリカ 監督/ブライアン・G・ハットン

出演/クリント・イーストウッド/テリー・サバラス/ドナルド・サザーランド/ドン・リックルズ

観たような気もするが、観始まったらおもしろい。このまま最後まで観続けるだろう。結構早い段階で観ていたことを確定できるシーンがあった。ドイツの将校を捕まえたら、色を灰色に隠した金の延べ棒を持っていたのだ。あ~、これか、と結末がほとんど分かって、あとは倍速を駆使して映像を追うだけで充分だった。

今年86才のクリント・イーストウッドは、今も監督業をつとめている。『ハドソン川の奇跡』(Sully)が日本でも今公開されている。彼の監督作品では裏切られたことがない。かといって、大感動する映画を志向している訳でもないのがおもしろい。うるさいことを一切言わない監督だということが伝わっている。いい意味で軽い。

俳優デビューが遅かった彼だが、この作品の次の年1971年に『恐怖のメロディ』で初監督。俳優業の傍ら『荒野のストレンジャー』『アウトロー』などの作品を立て続けに発表。監督業に進出した他の役者と違い、所謂「大作」や賞レースに関わる作品には出演せず、自らのプロダクションで製作した小規模ともB級とも呼べる作品でのみ主演し、監督業と俳優業を両立しながら地位を確立した。同じような顔をしているが、さすがにこの作品の時には皺ひとつない若々しい40才だった。

『極道の妻たち 三代目姐』

1989年(平成元年)・日本 監督/降旗康男

出演/三田佳子/かたせ梨乃/財前直見/坂上忍/丹波哲郎/加茂さくら/成田三樹夫/萩原健一/小西博之

リアルタイムで観ていれば、どの作品が何作目なのかが分かるだろうが、こうやって20年も経ってからあと観していると、続き具合がイマイチ分からない。なんていう贅沢な文句を言っているんだろう。

調べてみたら、この作品は三作目、極道の妻たち(1986年)、極道の妻たちII(1987年)に続くものだった。おもしろい。親分が死んで跡目はどうなるのかという、もっとも興味深いヤクザ活動は迫力がある。坂上忍の名前があるが、観終わってもどの役だったのか分からない。

ものごとは速いほどいい、ということがこの映画から学べる。親分の遺言状があるのに、それを明らかにしないで、いらぬ抗争劇を生んでいる、のがこの映画の内容。三代目姐さんが小細工して、はっきりしないのがいけない。だからこそ、こういうストーリーが出来上がるのだが、それにしても、おもしろい割には、どこかすっきりしないところがあって、消化不良の鑑賞後。

『夜明けの街で』

2011年(平成23年)・日本 監督/若松節朗

出演/岸谷五朗/深田恭子/木村多江/石黒賢/黄川田将也/田中健/萬田久子/中村雅俊

東野圭吾が原作だと銘打ってあったので、今度はどんな殺人事件を見事に解決していくのだろうか、という興味にしぼられていた。いつまでたっても殺人事件は起きない。15年前に殺人事件があって、その時効が来年の3月31日だと不倫相手の女性が言う。あらたな殺人事件は最後まで起こらなかった。

ストーリーは不倫の話がメインになっている。深田恭子の不倫相手は不満足。愛欲シーンが肝心なのに、中途半端な映像で終始する。こんなところにも配役の妙があるはずだ。映画が映画として成立するためには、それに最も相応しい役者を選ばなければならない。テレビドラマの焼き直しのような映像で満足していても、観客は消化不良になってしまうだろう。

目的のために不倫をしたと告げてきっぱりと別れて行く女性が、タクシーの中で涙を流しながら、というシーンがあるが、この涙が本物だと知らせるためには、不倫シーンでの本物の心の変わりようを見せなければならない。そういう一番重要なシーンが盛り込まれない映画なんて、クソみたいに見えてしまう。『ラスト、コーション』(色・戒/2007年)はそういう意味でも出來が良かったなあ、と思いだした。

『僕の彼女はサイボーグ』

2008年(平成20年)・日本 監督/郭在容(クァク・ジェヨン)

出演/綾瀬はるか/小出恵介/吉行和子/竹中直人/小日向文世/伊武雅刀

韓国映画『猟奇的な彼女』『僕の彼女を紹介します』に続く"彼女シリーズ"第3弾。未来から来た人造人間の少女と、彼女に惹かれていく青年の共同生活を描くSFラブストーリー。前2作同様に郭在容(クァク・ジェヨン)が脚本・監督を担当、大胆な「彼女」とヘタレな「僕」という構図を継承しつつSFファンタジーとアクション要素を絡めた恋物語となっている。「"彼女シリーズ"最終作」という報道も一部でなされたが、2008年11月29日に同監督による"彼女シリーズ"第4弾『最強☆彼女』が公開された。撮影は『僕の彼女はサイボーグ』のほうが後である。 ~ Wikipediaより

日本人が演じるこういうSFファンタジーは、向いていない。クール・ジャパンといわれる日本、日本人の特徴はぜんぜん違うところにあるなあ、といつも感じる。映画は、その中に入ることが出来なければ、まったくの他人事、寝てしまっても仕方がない。

綾瀬はるかはどんな役にもそつがない。この時の小出恵介はイモのような顔、今ではちゃらい。

『徳川家康』

1965年(昭和40年)・日本 監督/伊藤大輔

出演/北大路欣也/中村錦之助/山本圭/有馬稲子/加藤嘉/田村高広/西村晃

昭和40年、東映が製作し、若かりしころの徳川家康を北大路欣也、織田信長を中村錦之助がやっている。家康の出生前から桶狭間の戦いまで描かれている。いつ作られたのかは結構興味深い。誰のいつの時代を描いているのかも、それ以上に興味深い。役者は誰が?と興味は尽きない。

女は子供を産む道具にしか過ぎなかった。できの悪い息子でも、自分の跡取りをまかせる。日本だけではなく、どの国だって同じようなもの。身内がかわいいという図式は変わらない。もっともわかりやすい人間の性は、ずーっとずーっとこれからも続くのであろう。

戦国から江戸時代の映画はたくさんある。テレビドラマだって、たくさん再現されている。いつも思うつまらないこと。すきま風が寒いんだよなあ、とか、便所は臭かったろうなあ、などは、少年のころに田舎育ちをした経験からのものに違いない。都会育ちの人には、こんな感覚は分からないだろうな。

『早春物語』

1985年(昭和60年)・日本 監督/澤井信一郎

出演/原田知世/林隆三/田中邦衛/由紀さおり/仙道敦子/早瀬優香子/宮下順子/秋川リサ/平幹二朗

林隆三は今年亡くなったんだ。もう少し前かと思っていた。横浜市あざみ野に住んでいて、元妻から奥さんと知り合ったという報告があったのはいつのころだったかなあ。

こういう映画を観ることになったとは、自分でも意外だった。しかも結構おもしろかった。小説を読まない、ましてや赤川次郎なんて、今までもなかったけれど、これからも読むことがないであろう作家が新鮮に映ったのかもしれない。映画としては何本か観ている作家なんだけどなあ。

17歳と42歳という年の差恋物語は、この当時は一般的ではなかった。今や高齢者時代となって、どんな組み合わせでもありの時代となった。いいのか悪いのかの問題ではなく、それが現実だとみんなが体感する時代なのだろう。

『陽はまた昇る』

2002年(平成14年)・日本 監督/佐々部清

出演/西田敏行/渡辺謙/緒形直人/真野響子/夏八木勲/江守徹/仲代達矢

日本ビクター(現・JVCケンウッド)が1976年(昭和51年)に開発・発売したVHS家庭用ビデオ機器の開発秘話みたいなもの。ソニーが1年先んじてベータマックス(βマックス、Betamax)を発売し、東芝や三洋電機が陣営に加わった。なぜVHSが勝ったのかの決定的逸話ではない。

当初は記録方式を表現したVertical Helical Scanの略称だったが、後にVideo Home Systemの略称として再定義された。当時は20万円以上するビデオ機器をみんな喜んで買っていた。すごい時代だったよなあ。

映画としてはおもしろくない。渡辺謙や仲代達矢が演技し過ぎていて、いらない。サラリーマンを演じるのに、有名俳優はいらない。そんな感じ。どこでもやたらとタバコを吸っていた社長以下のサラリーマン達が、時代を感じさせる。ずいぶんと世の中も変化したもんだ。

『ララミーから来た男』(THE MAN FROM LARAMIE)

1955年・アメリカ 監督/アンソニー・マン

出演/ジェームズ・スチュワート/アーサー・ケネディ/キャシー・オドネル/ドナルド・クリスプ/アレックス・ニコル

西部劇のゴールデンコンビなのに、この映画はイマイチ。痛快で、単純明白なストーリーが西部劇なのに、少しばかり複雑にした登場人物がうざい。

平日の昼下がりに、まったりとして観る映画は、最高なのだけれど、ちょっといらいらしながら観ていた。それでも、普通の人は汗水垂らして働いているんだろうなあ、なんて考えていると、生きていることすらが罪なのではないかと思えてくる。

テレビ・シリーズ『ララミー劇場』を見ていたのは、中学生くらいだったのか。調べてみた。日本では、1960年6月から1963年7月まで、NETテレビ系で放送された。なお、舞台となる牧場の正式名称は「ララミー牧場」ではなく、ワイオミング州・ララミー市郊外の「シャーマン牧場」であるという。やっぱり中学時代だったか。多感だったよな。

『武士道シックスティーン』

2010年(平成22年)・日本 監督/古厩智之

出演/成海璃子/北乃きい/石黒英雄/堀部圭亮/小木茂光/板尾創路/荒井萌/山下リオ

もともと漫画かと思ったら、誉田哲也の小説が原作だという。2009年5月から『月刊アフタヌーン』(講談社)、『デラックスマーガレット』(集英社)にて漫画化作品が連載開始。2010年に映画が公開された。おそらく映画製作と漫画連載が同じ時期だったのだろう。

剣道が好きなので、とりあえずはおもしろく観た。本格美少女、成海璃子の男っぽさがいい。北乃きいを映画で見るのは何回目かになるが、成長してだいぶかわいくなった。ブサイクだと思っていたのに、意外な育ち方にびっくりするくらいだ。

映画っぽく、もっとエピソードがくっきりしているとよかったのに。ダメな映画の見本のように、同じこと、堂々巡りのはなしばかりで、ストーリーが進行しない。ちょっとばかり、また、眠ってしまった。剣道そのもののシーンは、うまく撮っているようにみえた。これでペイするようなら、映画製作も苦ではない。

『フライトプラン』(Flightplan)

2005年・アメリカ 監督/ロベルト・シュヴェンケ

出演/ジョディ・フォスター/ ピーター・サースガード/ショーン・ビーン/エリカ・クリステンセン

今度はどんな飛行機ものをみせてくれるのかと、あまり期待していないような気分で観始まった。やけに気の強いアメリカ女性が主人公。日本人女性だったら、こんな描き方が出来ないので、人種に対する偏見に近いものは、もしかすると大多数の現象を言い当てているのかもしれない。

映画の後半に入り、あるシーンになり、あれっ!これ観たことがある、となった。情けないけど、途中でようやく判明することが困ったもの。他人にはどうでもいいことなのだけれど、自分にとっては結構重要なこと。「最近観た映画」のリストになかったので、5年以上前に観たのだろう。

飛行機に乗り込んで、一緒に連れていた子供を誰も見たことがない、というあたりがちょっと甘いといえば甘い。最も重要なこの映画の要素が崩れてしまっては何の意味もない。映画の終わりころの主人公のセリフに、意外と他人のことを気を付けて見ていない、とかいう言い訳のようなセリフがあることで、製作者はこの映画の正当性を訴えているようだった。

『エクスペンダブルズ』(The Expendables)

2010年・アメリカ 監督/シルヴェスター・スタローン

出演/シルヴェスター・スタローン/ジェイソン・ステイサム/ジェット・リー/ドルフ・ラングレン/ ミッキー・ローク

expendable:1.消費される(用例)expendable office supplies 事務用消耗品。2.【陸海軍, 軍事】〈戦略のため兵力・資材など〉犠牲に供せられる(べき)、消耗用の。映画的には傭兵部隊ということらしい。スタローンの監督作品。吹き替え版だったので、あの独特の訳の分からないセリフの言い回しが聞けなかった。

レンタルショップでこのタイトルが気になっていたのだが、「2」ものしか見つからなく、どうせ見るなら1作目から見たいな、ということで延び延びになっていた。そうこうしているうちに、テレビ放映があったのだ。吹き替え版も最近は、嫌々ながら見ている。

スタローンが監督をやるとこうなるのだ、という典型かもしれない。ただひたすらにアクションをつないでいく。ストーリー展開は単純。映画の面白さの半分を切りとって拡大しているような映画。画面が暗くてテレビ放映には適していない。暗いところで、どしゃん、ばきゅんと誰が誰だかわからないアクションが展開される。スカッとするはずのアクションが、ストレスになってくる。

『天国から来たチャンピオン』(Heaven Can Wait)

1978年(平成20年)・アメリカ 監督/ウォーレン・ベイティ

出演/ウォーレン・ベイティ/ジュリー・クリスティ/ジェームズ・メイソン/ジャック・ウォーデン

おもしろかった、という記憶があったので、また観る気になった。ところが始まってもいっこうにストーリーがよみがえってこない。感動的な話だと思っていたが、どうも別の「天国」ものだったらしい。それでも話はおもしろく展開するので、感動しなくてもいいやという気になった。

完全に死んでいないのに天国への途中駅から舞い戻った主人公、コメディではあるが、一種のSF的な描き方をしている。魂だけが乗り移るというあたりの映像処理がうまい。アメリカ映画は昔からこういう物語を見せるのが得意だ。日本映画でも時々同じようなシーンがあるが、幼稚だったり、ふざけすぎたり、どうにものれないことが多い。

最後は頭を打って一瞬担架で運ばれようとしていたアメフトのQB(クオーターバック)に乗り移るが、このくだりはこの当時だから出来たストーリー。今どきは、脳震とうには極めて敏感で、選手が「大丈夫」と言って起き上がっても、すぐに試合に戻してくれないスポーツ・シーンが当たり前になってしまった。こんな細かいところにも、時代の差を感じてしまうのは、いいことなのか、悪いことなのか。


2016年12月13日再び観たので記す。

『天国から来たチャンピオン』(Heaven Can Wait)

1978年・アメリカ 監督/ウォーレン・ベイティ/バック・ヘンリー

出演/ウォーレン・ベイティ/ジュリー・クリスティ/ジェームズ・メイソン/ジャック・ウォーデン

ジャパンラグビー トップリーグは、2016-2017シーズンから、HIA(Head Injury Assessment)を下記の通り導入することを決定いたしました。HIAを導入することにより、脳振盪の疑いのある選手を一時退出させ、HIAの専門的な講習を受けた担当者(マッチドクター、チームドクター)により脳振盪を確認することが可能になります。退出選手の評価に充てる時間は最大10分間で、その間は一時交替の選手が出場可能です。脳振盪ではないと判断された場合には試合に戻ることができますが、脳振盪と判断された場合には、当該選手はプレーを続行することはできません。これにより、脳振盪を起こした選手がそのままプレーを継続してしまうことを防ぐことができます(ワールドラグビーの発表によると、HIA導入前は脳振盪を起こした選手の56%はそのまま試合を継続していました。HIAを導入することで、その数字は12%以下に下がりました)。HIAは既に、ラグビーワールドカップ2015や、スーパーラグビーなどで導入されています。

スーパーボウルの最中、ロサンゼルス・ラムズのクオーターバックが脳震とうをおこしタンカで運ばれる。乗り移る身体を探していたこの映画の主人公は、このクオーターバックに乗り移り、ラムズをスーパーボウル優勝へと導く。最後半のストーリーをこんな風に言ってしまえば形無しだ。現在ではスポーツ選手への各競技団体の脳震とう規定は厳しくなっている。40年前なら映画らしくなったのに、今では規則違反で誰も納得しなくなる。

この題名を見るとイイ映画だったという記憶が蘇る。どんな風に涙を流したのかと、一字一句一所懸命字幕を読んでしまった。が、期待が多き過ぎたせいだろうか、自分の過去の感動が鮮やかには蘇らない。それでも、神に造られしこの世と人間という物体は、何かしら得体の知れない神がかり的なものに動かされていることは間違いがない。

『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』(Kick-Ass 2)

2013年・アメリカ 監督/ジェフ・ワドロウ

出演/アーロン・テイラー=ジョンソン/クロエ・グレース・モレッツ/クリストファー・ミンツ=プラッセ/ジム・キャリー

今回レンタルしたDVDの中での目玉作品。1作目が新鮮で、すごくおもしろかったので、喜んでこの作品を手に取った。たわいもないはなしなのだが、太古の昔から勧善懲悪は人間のテーマ。強くて、そして善を行う神のような存在が、いつの時代でもヒーローとして望まれ、もて囃される。

前作を保存し損なっていたので、残念ながら連続で見直すことが出来なかった。得意芸で、見た映画も簡単に内容を忘れてしまうので、この映画にも出てくる前作のことが、ちょっとよく分からなく悔しい限り。1作目は2010年作だったようだが、主演の女の子がやけに成長して見えた。次回作はなさそうな終わり方だったのが印象的。

街にはびこる「悪」をやっつけるなんて、夢のようなはなし。その現実感のなさが映画的でいい。スーパーマンのような超人間的でないところもいい。こうやって悪と戦う精神をもった人間が多くなれば、もっともっと住みやすい社会が出来るのだが、悪貨は良貨を駆逐する例えはどの分野でも生きているのが辛いところ。

『悪の法則』(The Counselor)

2013年・アメリカ/イギリス 監督/リドリー・スコット

出演/マイケル・ファスベンダー/ペネロペ・クルス/キャメロン・ディアス/ハビエル・バルデム/ブラッド・ピット

原題の“Counselor”とは、英米法(コモン・ロー)における“法廷弁護士”を意味するが、アメリカの制度では法廷弁護士と事務弁護士は基本的には区分されておらず、日常語としては「法律顧問」の意味で用いられることが多いという。字幕では「弁護士」と訳されていた。

監督はじめ名のある役者が勢揃いしているが、物語がいまいち理解できなくて、終わってしまってもぽかんとしていた。断片的に映像を作り、つないで行く手法。どうだ、わかるか?!と、挑戦状を突きつけられたような気分だ。すみません、わかりませんでした、と素直に謝るしかない。

ここでも主役は麻薬。ヤクが生み出す利益は相当巨大だ。だからこそ、ヤクを身につけて密輸入する個人も多く出現してしまう。快楽に溺れて身を潰す輩があとを絶たないのは、人間の性とあきらめなければいけないのだろうか。ヤクをやったら、この身体の不快感が一掃されると知ったら、逃れられない自分がいるかもしれない。もっとも、幸いなことにお金がないので、そういう状況にはなり得ないことが現実だろう。

『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(The Wolf of Wall Street)

2013年・アメリカ 監督/マーティン・スコセッシ

出演/レオナルド・ディカプリオ/ジョナ・ヒル/ジャン・デュジャルダン/ロブ・ライナー/カイル・チャンドラー

まさかこれが実話にもとづいた映画ではないだろうな、と思えるほどのはちゃめちゃなウォール街の人物が人公。事実は小説より奇なりで、ジョーダン・ベルフォートの回想録『ウォール街狂乱日記 - 「狼」と呼ばれた私のヤバすぎる人生』を原作としているという。

酔っ払って、ラリってどうしようもないひと夜を過ごす『ハングオーバー』(2009年・2011年・2013年)よりもひどい証券マン生活が、まさか! やりたい放題で金を稼ぎまくり、株にうつつをぬかす庶民、金持ちを手玉にとって、それ以上に自分たちもコカインどころかもっと強烈なヤクを会社中で使っている。そんなことが本当に? 会社内でSEXパーティーも年がら年中。そんな馬鹿な!

まあ、はちゃめちゃもここまでくると、すごいのひとこと。こんな奴らに金をだまし取られていたのか、とエセ投資家達は反省の材料にするといい。

『キャプテン・フィリップス』(Captain Phillips)

2013年・アメリカ 監督/ポール・グリーングラス

出演/トム・ハンクス/バーカッド・アブディ/バーカッド・アブディラマン/ファイサル・アメッド

トム・ハンクス主演の映画も久しぶりだなあ。2009年に発生した「マースク・アラバマ号」乗っ取り事件でソマリア海賊の人質となったリチャード・フィリップスを描くはなしだった。感心するのは、アメリカの役者は、その人物になりきることがうまい。貨物船の船長の姿を、たぶんトム・ハンクスはたくさん参考にして、キャラクターを創り出したに違いない。

ソマリア沖での海賊事件はニュースでだいぶ報道されたが、どうもこの時代の「海賊」に実感が湧かなかった。映画を見てなるほどと思う半面、ちょっと甘いんじゃないの、というシーンもあり、実話の迫力よりも映画的なサスペンス・アクション的な作り物の感がぬぐえなかった。

世界の警察を自負するアメリカ礼賛のような映画だったが、今のオバマではなかなかこんなことを毎回望めない。訓練された軍隊の危機対応能力はさすがだと思わせる。日本の甘っちょろい体制では、中国からちょっと攻められただけで降参してしまいそうな、いやな想定をしてしまった。

『スタンリーのお弁当箱』(Stanley Ka Dabba)

2011年・インド 監督/アモール・グプテ

出演/パルソー/ディヴィヤ・ダッタ/アモール・グプテ

またくだらない映画だった。だいたい舞台がどこかも分からずに見るはめになった。アメリカ系ではないのに先生も生徒も黒板の横に書いてある文字も英語だった。が、どうもインドらしいということは、うすうす分かってきた。そうこうしているうちに、軽く眠りに陥った。

倍速で見ていたので、よく内容は把握できなかった。それでもいいやと思わせる映画だった。冒頭に学校関係者や個人の名前を出して感謝の意を表明していた。1年半に渡って演技経験のない子供たちを毎週土曜日に学校に集め、映画のワークショップとして製作された作品であり、子供たちは最後まで映画撮影と知らずだったようだ。

自然の姿をとらえたからいいという評価にはならない。映画なのだから、おもしろくなくては。インド映画を見たのはこれまで数えるほどだったが、裏切られることがなかった。世界でも有数の映画製作国、その中から選ばれて日本にやってきた映画が、おもしろくないわけがない。という理屈だったが、これからはクズもたくさんやってきそうな映画業界事情かもしれない。

『プライズ ~秘密と嘘がくれたもの~』(EL PREMIO THE PRIZE)

2011年・メキシコ/フランス/ポーランド/ドイツ 監督/パウラ・マルコビッチ

出演/ラウラ・アゴレカ/パウラ・ガリネッリ・エルツォク

1970年代のアルゼンチン。軍事独裁政権下では、軍に賛同しない者は<悲観主義者>と呼ばれ、誘拐・拷問・殺戮がおおっぴらに行われていた。その時代に、軍から身をかくして、転々としながら生きる母と娘の日々を描いた。

なんともはや2作続けての不作。この2本とも女性監督だった。もちろん女性だから悪いわけではない。が、続けて2本が極めておもしろくなく、それがどちらも女性監督なら、ちょっと不信感がいっぱい。あまりにもひとつのことに拘り過ぎて、そのことばかりに終始するから、つまらないのだろう。

男と女とくくってしまうことは禁物だが、血液型の4種類でもすくな過ぎる。100人いれば100様の10000人いれば10000様の人生があると認めなければいけない。そんなに似た者が世の中にいたら、かえって気持ちが悪い。価値観の多様性を認めるところから人生は始まっている。

『パパの木』(The Tree)

2010年・オーストラリア/フランス 監督/ジュリー・ベルトゥチェリ

出演/シャルロット・ゲンズブールドーン/マートン・ソーカスジョージ/モルガナ・デイビス

デビュー作の「やさしい嘘」(2003)でカンヌ国際映画祭批評家週間を受賞したジュリー・ベルトゥチェリの監督第2作。突然目の前で父親を亡くした子どもたちと残された妻が、一本の大きな木を通して悲しみを乗り越えていく姿を美しい映像とともに描く。オーストラリアの広大な自然に囲まれて暮らすドーンとピーターの夫婦は、4人の子どもたちと幸せな日々を送っていた。しかしある日、夫ピーターが心臓発作を起こして死亡。運転中だった車は庭の大木に衝突して止まった。まだ人の死を理解できない8歳の娘シモーンは、ピーターがぶつかった庭の木にパパがいると言いはじめ、木を相手に話し始める。最初は真に受けなかったドーンも、木に話しかけることで心の平静を取り戻していく。 ~ 映画.comより

解説というのはいつもやさしい。実際に見ることは別次元。こんなつまらない映画も珍しい。何か起こるかと思いながら、結局何も起こらないで映画は終わった。普通の人々でも、その一瞬の出来事を描くのが映画。これじゃ~、邦画のほうがおもしろいと言われても、反論できなくなってしまう。

『セイフ ヘイヴン』(Safe Haven)

2013年・アメリカ 監督/ラッセ・ハルストレム

出演/ジュリアン・ハフ/ジョシュ・デュアメル/デビッド・ライオンズ/コビー・スマルダーズ

いきなり殺人事件の犯人を追っかけるようなシーンが出てきた。刑事が追いかける。という映像には裏があった。どんなジャンルかも分からずDVDを手にして借りてきた。Wikipediaには「恋愛映画」と記されている。

映画もいつの間にか男と女の話になっていった。そしていつもの手法、フラッシュバックを使って、主人公の女性がどうして刑事に追われる身になったのかを観客に知らせようとしている。三流映画ではあるが、軽さがほどほどで、映画館では見ようと思わないが、カウチポテトで見るならちょうどいい案配にみえた。

最後のクライマックスシーンになると、三流映画の本質をさらけ出した。まあいいかっ。ガンで妻を亡くした男と恋をするが、そのなくなった妻が未来のために書いた手紙が泣かせる。本人の口から愛しているよ、と言ってもなかなかその信実は伝わらないだろう。そこに、死んでしまった妻の書いた手紙に、「この手紙を読んでいると言うことは、夫が本当に愛していることです」と書いてあれば、こんな説得力のある言葉もないであろうと思われる。

『父の秘密』(Despues de Lucia)

2012年・フランス/メキシコ 監督/マイケル・フランコ

出演/テッサ・イア/ヘルナン・メンドーサ

2012年・第65回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門でグランプリを受賞したらしいが、この「ある視点」というジャンルがくせものだ。主コンペティションではないところ、ちょっと癖があるがまあ見方によってはおもしろいよ、という視点だと思っている。カンヌ映画祭に実際に行っていたころに比べて、最近はこの映画祭がどんどん仰々しくなって行く。

なかなか「父の秘密」らしきシーンや話が出て来ないので、いらいらしながら見ていた。ちょっと早回しもした。邦題が思わせぶりだったが、最後の10分でその秘密が分かった。最初の5分でおもしろくない映画はダメと、いつも言っているが、この映画はそんなことお構いなし、ダラダラと始まりすぱっと終わった。

『死霊のはらわた』は1時間おもしろくなく、最後の30分がめちゃめちゃスプラッターしていたが、そんな映画を思いだした。原題は「(妻)ルシアの(死の)あとで」といった感じ。メキシコ人が陽気でどうしようもないと思っていたが、この映画で印象が変わった。もしかすると、意外とねくらで、意地悪な国民なのではなかろうかと思えた。結構人間嫌いになりそうな映画だった。

『僕が星になるまえに』(Third Star)

2010年・イギリス 監督/ハッティー・ダルトン

出演/トム・バーク/ベネディクト・カンバーバッチ/JJ・フィールド/アダム・ロバートソン

29歳の誕生日を迎えたばかりのジェームズは、末期がんを患ってモルヒネを服用しており、余命いくばくもない状態だった。自分の最後の願いを叶えようと、残された時間を利用して、3人の親友、デイヴィー、ビル、マイルズを誘い、彼が「世界一好きな場所」であるウェールズのバラファンドル湾へ、キャンプをしながら旅を続ける。すでに体力が落ち、体の自由も効かないジェームズをカートに乗せ、男だけの4人の旅が始まった。4人は道中トラブルやいさかいを起こしながらも、それぞれが抱える悩みや本音をもあらわにして行く。やがて目的地を目前にしながら病状が悪化したジェームズは、仲間が止めるのも聞かず、痛みと戦いながら進もうとする。 ~ Wikipediaより

こういう内容を知ってしまったら、もう見る気がしなくなるかもしれない。それを越える映像や、言葉が映画の中に見つけられなければ、極めて退屈な映画になってしまう。この映画は残念ながらそっちの方向の映画だった。同じことを繰り返しても、新鮮みがないし、末期がんというテーマだけで人々が感動するほど、世の中は甘くない。

「水で薄めた紅茶のような人生」「人生は、配られたカードを使って生きていかなければならない」 このふたつだけが印象に残った言葉。

『47RONIN』(47 Ronin)

2013年・アメリカ 監督/カール・リンシュ

出演/キアヌ・リーブス/真田広之/柴咲コウ/浅野忠信/菊地凛子/田中泯/ケイリー=ヒロユキ・タガワ

公開当時から評判の悪さは伝わってきていたが、その実態はいかにという興味だけで観た。確かにおもしろくない。日本の地図まで示して赤穂浪士の物語だと宣言しておきながら、土地、城、衣装、人間の顔までもが日本とは相容れぬ様相。中国人と日本人を区別できない輩が寄って集まって作った映画に見える。

70年前じゃあるまいし、こんな日本をみせられて気持ちが悪くならない人はいないだろう。無国籍映画にしたいのなら、変な日本的なものを排除して欲しい。将軍を演じる役者など、気持ち悪くて見ていられない。菊地凛子などという外国人受けする女も気持ち悪い。

どれだけおもしろくないのか、という興味を持って見れば、最後まで見られる。中国と同じだと思われているのが不愉快だ。日本の風土を理解していれば、とてもじゃないけど、こんなへんちくりんな映像を作れるはずがない。まったくの勘違い映画の典型だろう。最近は、予算が少なくなって、画面を暗くして誤魔化している。困ったものだ。

『セッションズ』(The Sessions)

2012年・アメリカ 監督/ベン・リューイン

出演/ジョン・ホークス/ヘレン・ハント/ウィリアム・H・メイシー/ムーン・ブラッドグッド

ジャーナリストで詩人でもあるオブライエンは幼少期以来ポリオにより首から下が動かなかった。呼吸する際には鉄の肺を使っていた。38歳のときに彼は童貞喪失のためにセックス・サロゲートのシェリルを雇った。本作は1990年に『The Sun』誌に掲載された、オブライエンによる記事「On Seeing a Sex Surrogate」が基となっている。オブライエンは1999年に49歳で亡くなっている。

なんのことか分からないと思う。基本は実話である。6才くらいにポリオを患い、首から下が動かない。呼吸も難しく、鉄の容器のようなものの中で日常を過ごす。外出は1日3、4時間可能で、簡易呼吸器を持参する。ベッドに横たわりヘルパーに押してもらう。そんな彼がセックスをすることが出来るのかという、自分でも夢のようなことに挑戦する。その相手をしてくれたのがシェリルという女性だ。彼女は言う、これば売春ではない、けれども私の身体を提供しお金をもらう、と。彼女には夫もいるし、子供もいる。彼は、首から下は動かせないが、皮膚は感じることが出来るという。勃起も出来るからの問題提起なのだ。

こういう映画を観ていると、日本の映画界の幼稚性が明らかとなる。障害者の性を真っ正面から描くことなんて、日本では百年経っても出来そうもない。当然のことながら女性のヘアが一瞬だが何度も映ったりもする。救われたのは、さすがの映倫、警察もこれをボカせとは言わないだろう日本になったこと。昔ならボケの蝶が何度も舞ったに違いない。人生を考えさせる映画だ。

『ひまわりと子犬の7日間』

2013年(平成25年)・日本 監督/平松恵美子

出演/堺雅人/中谷美紀/でんでん/若林正恭/吉行和子/夏八木勲/檀れい/小林稔侍

一番苦手なタイトル。録画したまではよかったが、いざ「再生」ボタンを押す段階になって、躊躇することしきりだった。まったく情報がなかったからでもなく、情報があったら余計見たくなる可能性が高い。

いきなり堺雅人と檀れいが出てきて、なんだちゃんとした映画なんだと、思わせてくれた。しかも、中谷美紀まで出演している。やっぱり映画は、出演者が大事だ。もしこの映画が地味な役者だけで作られていたら、おそらく劇場公開は無理だったろう。

世の中から野犬がいなくなったという印象があったが、そんな犬や飼い主から見放された犬が保健所に保管されているということを初めて知った。さらにもらい手が見つからなければ、一定期間で殺処分されているともいう。人間の勝手で動物を飼い、そして殺していくのが現実。はやく、異星人が地球を攻撃する事態になってくれないだろうか。少しは、人間が自分たちの奢りを反省するときがくることを願っている。

『探偵物語』

1983年(昭和58年)・日本 監督/岸吉太郎

出演/薬師丸ひろ子/松田優作/秋川リサ/岸田今日子/中村晃子/蟹江敬三/財津一郎

薬師丸ひろ子の主演映画第3作。アイドル絶頂期に大学受験で休業していた薬師丸の復帰作。相手役である松田優作との身長差30センチや、当時の清純派アイドル女優としては極めて異例であるディープキスシーンなどで話題を呼んだらしい。当然のことながら、リアルタイムでは観ていない。

薬師丸ひろ子をアイドルとして好きだったかと聞かれても、さ~てどうなんだろう。そんな程度のこと。あらためてこの当時の映画を観て、この時期は絶頂期だったんだろうな、と納得できる雰囲気を持っている。映画は、典型的なぶりっこ映画で、観ていてどきどきしないところが、う~ん。

たくさん並べられた文庫本の中から題名も見ないで棚から1冊を手にとって、カウチ・ポテトならぬカウチ・ブックとしゃれ込んで、時間を過ごす。読んでしまった本は、すぐに内容すら忘れてしまう。そんな本を読んでいるようなストーリー展開。サスペンスものだったんだ、と最後のころに気がつく。事件が解決しても、ダラダラと終わらない映像は角川春樹にもとめられなかった?$#!

『ゴッドタン キス我慢選手権 THE MOVIE』

2013年(平成25年)・日本 監督/佐久間宣行

出演/劇団ひとり/観覧ルーム神様 - おぎやはぎ、バナナマン、 松丸友紀/葵つかさ/紗倉まな

テレビ東京で放送されている日本のバラエティ番組である「ゴッドタン」を見たことも聞いたこともなかった。テレビ東京の番組は結構好きで、またアイディアに富んだ番組が多いので応援もしているが、まったく聞いたこともない番組名に自分でも驚いた。

映画にしちゃいけないのだろうけれど、こんなものを映画館で見ようとする人間がいることも信じられない。人間の思想も信念も信仰も自由だけれど、こんなものを見に映画館に行っちゃいけないと、大声で叫ぶ自由もあるはずだ。

さすがに始まって早々に5倍速と相成ったが、最後の10分間くらい見てみようと、普通速にしたが、それでも我慢するのがしんどかった。どうしてこんな状況が世の中にあるのだろうか。劇団ひとりは評価する芸人だからこそ、こんな作品には出てはいけない。理由もへちまもない。生きているのが辛くなるような映画を作らないでくれ。

『ONCE ダブリンの街角で』(Once)

2007年・アイルランド 監督/ジョン・カーニー

出演/グレン・ハンサード/マルケタ・イルグロヴァ/ヒュー・ウォルシュ/ゲリー・ヘンドリック

アイルランドのダブリンを舞台に、自然主義俳優およびミュージシャンのグレン・ハンサードとマルケタ・イルグロヴァが演じている。映画撮影以前より2人は「ザ・スウェル・シーズン」の名で音楽活動をしており、映画のオリジナル曲全ての作曲および演奏を行った。製作費は日本円で1500万円という超低予算映画である。低いながらも予算の約75%はアイルランド映画局Bord Scanna'n na hE'ireann から出資されているという。

全米では2館からの公開だったが、その後口コミで話題になり、140館まで劇場数を増やした。サウンドトラックは全米チャートで2位を獲得。この映画は同名ミュージカル『ONCE ダブリンの街角で』として舞台化された。2011年12月6日、ニューヨーク・シアター・ワークショップで開幕した。トニー賞において11部門でノミネートされ、2012年6月10日、作品賞、演出賞、脚本賞、主演男優賞を含む8部門で受賞したという。

いかにもミュージカル映画向きの映画内容で、ちょっと私向きではなかった。悪くはないが、他人にお奨めできる映画という感じではない。ちょっと飽きがきたのと、番組の最初の解説で低予算という話を聞いてしまったせいで、随所の低予算ぶりが逆に気になった。ミュージカル好きにはおすすめ、なんて無責任な言い方しか出来ない。

『映画 ひみつのアッコちゃん』

2012年(平成24年)・日本 監督/川村泰祐

出演/綾瀬はるか/岡田将生/谷原章介/吹石一恵/塚地武雅/香川照之/堀内まり菜

ひみつのアッコちゃんの実態をまったく知らない人生なので、どうしてここまで関係なく生きてこられたのかを検証してみた。赤塚不二夫原作で、1962年(昭和37年)より集英社の少女漫画誌「りぼん」にて『秘密のアッコちゃん』として連載開始。

こちらは中学生。ちゃんちゃらおかしくて、こんな漫画の存在すら知らなかったろう。第1回目のアニメ化は1969(昭和44年)年1月6日から1970年10月26日。こちらは大学4年生、オタクでない限りは、アニメなんぞに関心を示す男はいなかった時代。

その後はこちらが大人の男になってしまったので、関心を示す機会もなかった。アニメ嫌いが輪を掛けたのかもしれない。映画を見て、こんなはなしだったんだ、と妙におもしろかった。おちゃらけた映画には見えなかった。放映前作の「ホタルノヒカリ」に比べたら、断然こちらの方がおもしろかった。

『七年目の浮気』(The Seven Year Itch)

1955年・アメリカ 監督/ビリー・ワイルダー

出演/マリリン・モンロー/トム・イーウェル/イヴリン・キース/ソニー・タフツ

マリリン・モンローが地下鉄の通気口に立ち、白いスカートがふわりと浮き上がるシーンは映画史上に残る有名なシーン。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番も有名。1954年1月14日、かつてメジャーリーグベースボールのニューヨーク・ヤンキースに所属し、最も知名度の高いプロ野球選手だったジョー・ディマジオとサンフランシスコ市庁舎で結婚。2月1日、読売ジャイアンツの招きもあり、新婚旅行を兼ねてパンアメリカン航空のボーイング377で日本を訪れ、東京国際空港で大歓迎を受けた。夫妻は3週間日本に滞在。東京、静岡、福岡、広島、大阪とまわり、ディマジオが福岡で松竹と国鉄の選抜選手、広島で広島カープ、大阪で阪神タイガースの野球指導を行った。福岡までは二人は仲睦まじかったが、広島県総合球場でディマジオがカープ選手に打撃指導を行った際、球場には絶対に来てはいけないと念を押していたモンローが同球場を訪れ、ディマジオそっちのけでファンが殺到した。ディマジオがモンローを叱責したことが離婚の原因ともいわれる。

monroe不倫を扱った物語ということでアメリカ映画協会 (業界団体)などからの検閲が厳しく、多くのシーンが削除されてしまった。また、撮影当時、モンローの精神状態が不安定で、台詞を覚えていなかったり忘れることがしばしばあったため、40回撮り直さなければならないこともあったという。例のスカートがまくれ上がるシーンの大観衆の前での撮影風景を見て、夫のジョー・ディマジオが激怒。二週間後に離婚が発表された。映画のシーンと一般的に出回っているスカートのシーンは異なり、スティール写真として別に撮られたものである。

新婚旅行中に朝鮮戦争で駐留していた在韓米軍を慰問してほしいという依頼が舞い込む。暇を持て余していたモンローに断る理由はなかった。行くなと反対するディマジオと喧嘩するようにして韓国へ向かった。モンローはヘリコプターに乗り、ジープや戦車を乗り継いで駐屯地を回り、多くの兵士たちを前にして歌った。その時の写真を偶然入手していた。ナマ写真の雰囲気がかなりいい。貴重なショットだ。おもしろい、楽しい。

『アウトレイジ ビヨンド』

2012年(平成24年)・日本 監督/北野武

出演/ビートたけし/西田敏行/三浦友和/中野英雄/松重豊/小日向文世/高橋克典/桐谷健太/中尾彬/神山繁

ようやくタケシの映画でおもしろいのにぶつかった。タケシ自身の初めての続編ものだという。たまたままだ記憶に残っていた前作「アウトレイジ」の最後のシーン。この続編では、そのシーンが最後までものがたりの芯になっているので、そこらが分からないと面白さが伝わってこないかもしれない。

役者は残念ながらみんなうまくない。静かな声でもドスがきいているヤクザの親分達がいない。みんな小粒に見える。誰も彼もでかい声で怒鳴りながら喧嘩している。刑事役の小日向文世だけが、むしろ親分の貫禄のような肝の据わったセリフを喋っている。

実はタケシとは何度も会っている。彼は私の顔すら覚えていないだろう。ちょうど『戦場のメリークリスマス』(1983年・昭和58年)のとき、彼はオールナイト・ニッポンのパーソナリティーをやっていた。ヘラルドのもっとも尊敬する先輩が宣伝担当で、麻雀の帰りに何度もニッポン放送の廊下で立ち話をしていた。その横で名乗らないで、いつも話を聞いていた。名乗っておけば良かったなんて思うこともなかった。

『相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿』

2009年(平成21年)・日本 監督/長谷部安春

出演/六角精児/萩原聖人/市川染五郎/紺野まひる/片桐はいり/益戸育江/鈴木砂羽/伊武雅刀/寺脇康文/水谷豊

結構おもしろい。相棒シリーズは、かなり評判がいいようで、テレビ・ドラマの傑作の範疇に入るかもしれない。もっとも、こちらはテレビ・ドラマを見ないので、ときどきチャンネルを替えるときに、覗くだけなのだが。今回はいつも脇を固めていた鑑識官を主役にしているところが、おもしろい。

水谷豊と相棒の話は、ちょっと出来過ぎている感じがする。見ないといっても、1回や2回はこのタイトルのテレビ・ドラマを見たような気がするから、そんなことが書ける。出来過ぎた物語は、セリフを読んでいるだけのような気がして、どうも乗れない。

この映画の原作がおもしろいのだろう。片桐はいりというブサイクを売りにしている女芸人も、ここでは存在感充分。市川染五郎が意外と存在感がないのと比較してしまう。そんなことを思いながら見られる映像は、やっぱりテレビ的なのかもしれない。大画面の映画では、そんなことを忘れさせてくれるはずだが。

『君よ憤怒の河を渉れ』

1976年(昭和56年)・日本 監督/佐藤純彌

出演/高倉健/原田芳雄/池部良/中野良子/大滝秀治/西村晃/岡田英次/倍賞美津子

「きみよふんぬの・・・」よ読むと思っていたら、映画の初めにタイトルにひらがながついていて、「きみよふんどの・・・」と書いてあって、きょとんとした。調べてみたら、Wikipediaによれば、原作本の裏表紙には、原作者の顔写真とともに『ふんぬ』と振り仮名の表記があるという。

やたらと長いと思いながら見ていたが、なんと2時間31分、長く感じるわけだ。三流小説を読んでいるような物語なのだが、これは時代性が大きく影響していると思われる。今どきなら、テレビ・ドラマでさえ、すぐに分かってしまうような警察捜査結果を、この時代には科学的な捜査手法がなかったため、容疑者がいらぬ疑いをかけられてしまう。

西村寿行の同名の小説(1974年発行)を原作としている。中野良子が若くはないが、初々しい顔立ちをしている。まだ芸能人になりきっていない顔肌が気になるくらいだ。高倉健の珍しいラブシーンもあるし、中野良子の体当たりの演技(スポーツ新聞風)もあるが、特筆すべき映像にはなっていない。その時にしか出来ない映像があるはずなので、すこし残念な気がする。

『映画 ホタルノヒカリ』

2012年(平成24年)・日本 監督/吉野洋

出演/綾瀬はるか/藤木直人/手越祐也/板谷由夏/安田顕/松雪泰子

テレビ番組でちらりと見たことがある。まったくおなじような雰囲気がいいのか、と問われれば、ノーと答える。同じだったら、映画にする必要がない。そんな問答をしたくなるような映画。あまりにも「本」がお粗末過ぎて、馬鹿言っちゃいけないと、大声を出したくなる。

わざわざイタリアまで赴いて、撮影をするなんて、暴挙だ。そんな予算があるなら、そのお金を映画を作らないで、社会貢献に使うべきだ。この映画くらい出来なくたって誰も困らない。むしろ、社会に還元すれば、何人かが恩恵を受けるだけで、神のご加護があろうというもの。

綾瀬はるかが悪いわけではない。ただ、テレビ番組でうけたからって、それを映画化するときには、断じて許さない、といった女優魂を持って欲しい。あまりにも短絡に映画、映画というものだから、勘違いして、映画俳優などと呼ばれても、否定しない輩ばかりになってしまった。映画界の未来は、やっぱり暗そうだ。業界リーダーの東宝が一番悪い。

『マッドマックス/サンダードーム』(Mad Max Beyond Thunderdome)

1985年・オーストラリア 監督/ジョージ・ミラー、ジョージ・オギルヴィー

出演/メル・ギブソン/ティナ・ターナー/アンジェロ・ロシット/エドウィン・ホッジマン

『マッドマックス』(Mad Max)は、1979年、昭和54年のオーストラリア映画。あの頃、オーストラリア映画が堂々と劇場公開されるなんて、考えられなかった時代だったと記憶する。メル・ギブソンがこの映画に出ていなければ、今の彼はなかったかもしれない。

ワーナー映画配給作品だが、ワーナーは何度も危機に見舞われ、たぶん、この作品も救世主のひとつだったかもしれない。有名な救世主は、『燃えよドラゴン』(Enter the Dragon・1973年)ではブルース・リーに本当に命を助けられたと、業界ではそんな話になっていた。

1981年のマッドマックス2もあたったということで、この映画が出来たらしい。1も2も観ていないので、なんともいえないが、なんと乱暴な映画だろう。1は確かオートバイの映画だったと思うが、どんな内容だったのだろう。荒唐無稽という意味では、誰にも負けない映画と威張れるだろう。

『いぬのえいが』

2005年(平成17年)・日本 監督/黒田昌郎、祢津哲久、黒田秀樹、犬童一心、佐藤信介、永井聡、真田敦

出演/中村獅童/伊東美咲/天海祐希/小西真奈美/宮崎あおい

なんとま~つまらない映画だ。と結論づける資格がないかもしれない。早々と倍速、5倍速で映画を終わらせてしまった。とりあえずは、一応観始まった、ことはウソではない。いきなりインド映画のように踊るマハラジャ映像が始まったのには驚いた。

ここはさっそく早回し。普通の映像に戻って、ちょっと安心。けど、話にならないおもしろくなさ、ここからすっとばしが始まってしまったのだ。調べてみたら、犬と人との触れ合いをテーマとした、11の短編からなるオムニバス映画だという。

テレビ局の製作。続編もあるというから、また驚き。犬好きの人が観てもおもしろいのだろうか。そんな映像はどこにも見えなかったが、見逃してるんじゃないの、と言われても、反論できない現実がある。

『アナと雪の女王』(Frozen)

2013年・アメリカ 監督/クリス・バック、ジェニファー・リー

出演/(日本語吹替版)神田沙也加/松たか子/原慎一郎/ピエール瀧/津田英佑/多田野曜平

今日は2014年10月10日。待望の作品を観た。アニメ嫌いな私でも観たくなる。もともとディズニー・アニメは好きだ。繊細なディズニー・アニメに比べて、日本のコマ数の少ない映像が嫌いだから、アニメ嫌いになっただけのこと。『Mr.インクレディブル』や『シュレク』などは、大人の鑑賞に充分こたえられる。

リモコン操作で「音声:英語」「字幕:日本語」を選べなくて、仕方なく吹き替え版を観始まった。慣れない見方なので、違和感がありありで困ったが、なんとかついていったという感じ。吹き替え版独特のあのよそよそしい雰囲気はない。ミュージカル独特の、あの嫌みなセリフ回しもない。うまく出来ている。ちょっと寝てしまったが。

終了後、画面から英語セリフ、日本語字幕を選択できたので、さっそくもう一度観始まった。最初は、やっぱりこちらの方がいいや。ずいぶんと映画らしい。と、思ったものだが、しばらくすると、さっきの日本語のほうが断然良いのに気づいた。今回の日本語吹き替え版は素晴らしい。セリフばかりではなく、勿論あの大ヒットした歌の場面も、日本語が優っている。そんなことを思いながら、今垂れ流し的に英語版をかけっぱなしにしている。日本語のある程度分かる外国人が見たら、この日本語版の素晴らしさが際立つのではなかろうか。

『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』(The Hangover)

2009年・アメリカ 監督/トッド・フィリップス

出演/ブラッドレイ・クーパー/エド・ヘルムズ/ザック・ガリフィアナキス/ジャスティン・バーサ/ヘザー・グラハム

2作目をなんの気なしにDVDレンタルで観たとき、なんというハチャメチャな映画だろうと強く印象深かった。この1作目を観て、ようやく今、いきさつが分かって、少し納得がいった。

単なる2日酔いで、無意識状態で一晩中動き回るなんてことがあるのだろうか。酔っ払って、無意識で家に帰ってた、なんて話は酒飲みの本人からも良く聞いたことがあったが、ホントに羨ましい限りだ。無意識になれるなんて、どうしたらいいのだろう。そういえば、今毎晩飲んでいるハルシオンにアルコールを加えると、ラリる事が出来るらしいが、無意識になる前に心臓が止まってしまうだろう、現在の身体。

今度生まれ変わったら、音楽の才能は間違いなく欲しいが、単にお酒を飲める身体で生まれてきたい。楽しみがひとつどころか、三つくらい少ないことが極めて悔しい。

『今日、恋をはじめます』

2012年(平成24年)・日本 監督/古澤健

出演/武井咲/松坂桃李/木村文乃/高岡早紀/長谷川初範/麻生祐未/村上弘明

漫画の原作があるようだ。漫画が原作で悪いことはなにもない。ただ漫画をそのままのタッチで映像化するのはまちがっている。どこがイケメンなのか分からないこの頃の若者の顔。ただイケメンとか美人とか、美辞麗句を並べていれば、スポーツ紙の見出しになるような風潮は、あまりにも幼稚過ぎる。

もう66歳になる老人だって、若者の恋物語にはちょっと心ときめいたりするものだが、この映画はそんな気持ちを起こさせてくれない。セリフが悪い。小津映画の爪の垢を煎じて飲む必要がある。むやみに出て行ってしまった母親のガン情報を登場させ、ちょっとしんみりさせようなんて、あざとくて吐き気を催す。

人気タレントを起用するなら、中身のもっと濃いストーリーにして、映画っていいな~、と思わせなければいけない。せっかくの観客動員が、日本映画の発展に繋がらない。ありきたりの才能で映画を製作しようなんていう根性が問題だ。映画は多くの才能を集結させた芸術の一部だということを肝に銘じて欲しい。

『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』

1997年(平成9年)・日本 監督/山田洋次

出演/渥美清/倍賞千恵子/前田吟/浅丘ルリ子/下條正巳/三崎千恵子/太宰久雄/笠智衆/佐藤蛾次郎/吉岡秀隆

先日48作目を見て浅丘ルリ子のマドンナ役がぴったんこ、と感心していた。気楽に見られる映画としては、随一かもしれない。こちらも少し成長したような気がする。

Wikipediaより ~ 制作予定だった『男はつらいよ 寅次郎花遍路』撮影前に車寅次郎役の渥美清が1996年8月に死去したことにより急遽48作で幕を閉じた「男はつらいよ」シリーズだったが、根強い寅さん人気に応える形で作られた作品である。内容は、満男が寅さんを回想し、タイトルになっている25作目『寅次郎ハイビスカスの花』だけではなく、11作目『寅次郎忘れな草』、15作目『寅次郎相合い傘』のシーンが使われている。映像技術の進歩によって制作することができた作品ともいえ、冒頭部では満男が見た幻として寅さんがCG合成で登場した。一部、新撮シーンも撮られている。

内容をどうこう言う映画ではない。人間の温かさを感じられれば、見た意味がある。

『アイ・アム・レジェンド』(I Am Legend)

2007年・アメリカ 監督/フランシス・ローレンス

出演/ウィル・スミス/サリー・リチャードソン/アリシー・ブラガ/ダッシュ・ミホク/チャーリー・ターハーン

リチャード・マシスンの小説“I Am Legend”(日本語版は映画化に合わせて『地球最後の男』から『アイ・アム・レジェンド』に改題された)の3度目の映画化作品。2007年12月14日、日米同時公開された。日本での興行収入は43億円だという。

そこまでおもしろい映画でもない。久しぶりに、日本映画から解放されて、ほっとする気分がある。なぜニューヨークで一人闘っているのかの謎解きが、うまく描けていない。映画の中に入り込めないのが一番。もっとも字幕ではなく、相変わらずの味けのない日本語ダビングが問題。最近のテレビ放送は、どんどん字幕がなくなって、知能低下も甚だしい。

地球がどのように危機にさらされてゆくのか、映画はいろいろな角度からその可能性を見せてくれる。ウィルスはその最たるものだが、ちょっと前までは、想像でしかなかったことが、今や現実となって目の前に迫ってきている。これから人生の大半を送らなければいけない人たちは、本当に大変だろうと強く感じる。

『謎解きはディナーのあとで』

2013年(平成25年)・アメリカ 監督/土方政人

出演/櫻井翔/北川景子/椎名桔平/中村雅俊/桜庭ななみ/要潤

またひどい映画にぶちあたった。連続での出会いはつらい。このおちゃらけた演出は一体なんなのだろう。どこがおもしろくてこんな映画が出来るのかが信じられない。もともとテレビ・ドラマがあったということなので、おそらくテレビでの演出をそのまま映画にもってきたのだろう。

格好いいのは題名だけで、こんな映画を見ておもしろいと思っている人間がいたら、是非お目にかかりたいものだ。どこまでけなしたって、足らないくらい。こんな映画を作っているから、日本の映画界がますますダメになって行くのだ。

謎は謎のままでいい。知りたいことと、知りたくないことを、うまくミックスしながら生きて行くのが楽しい。知りたくないことを知ってしまう不幸が、一番辛い。死んでも言わないことは、胸の内にしっかりしまってあの世に行こう。

『劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日』

2013年(平成25年)・日本 監督/中尾浩之

出演/要潤/夏帆/杏/時任三郎/上島竜兵

三作連続でつまらない映画にぶちあたる。SF好きを自認する自分にとって、SFものがこんなにおもしろくないのにショックをうけた。しかもタイムトラベラーという一番好きなテーマのはずなのに。「劇場版」と称するくらいだから、テレビ・ドラマがあったんだろう。観ていなくてよかった。

タイムワープ技術を駆使してあらゆる時代を調査・記録する機関「タイムスクープ社」の時空ジャーナリスト・沢嶋雄一が、歴史に埋もれた名もなき人々を取材し、時代を考察していく姿を描いたNHKのドキュメンタリードラマ風歴史教養番組「タイムスクープハンター」の劇場版。本能寺の変直後の京都にタイムワープした沢嶋が、織田信長の天下統一の拠点となりながらも、完成からわずか3年で焼失したとされる幻の名城・安土城の謎を解き明かす。テレビ版にも主演する要潤や杏に加え、新人時空ジャーナリスト役で夏帆が出演。 ~ 映画.COMより

あまりにもできが悪い。脚本がお粗末。セリフもイマイチ。脇を固めなければ映画は観られない。上島竜兵ではまったく話にならない。

『ロック ~わんこの島~』

2011年(平成23年)・日本 監督/中江功

出演/佐藤隆太/麻生久美子/土師野隆之介/岡田義徳/柏原収史/原田美枝子

「人間は忘れる動物だ。1時間後に半分、1週間後にはまたその半分を忘れる」。東京から船で6時間半の太平洋に浮かぶ小さな島、三宅島で民宿「たいよう」を営む野山一家。小学生の芯(土師野隆之介)は、ここで父・松男(佐藤隆太)、母・貴子(麻生久美子)と共に暮らしている。母は「この島は生きている」という。祖母・房子(倍賞美津子)は「すべてが自然の贈り物で太陽だけが知っている」という。おばあちゃん犬のハナから生まれたばかりの子犬をロックと名づけ、愛情を注いで育てる。父は「20年に一度くらい噴火が起きる」と客たちに話していたが、2000年8月、三宅島・雄山が大噴火を起し、島外避難をすることになる。その矢先、ロックがいなくなってしまう。慣れない東京での避難生活が始まり、必ず島に帰る、ロックは生きている、という希望を胸に一家は毎日を懸命に生きていく。ある日、芯たちは噴火災害動物救護センターでロックと奇跡の再会を果たす。しかし、避難住宅では犬は飼えない。ロックは次第に体調を崩し弱っていく。父は島の様子を見に行っている間に友だちが急死。さまざまな不安と葛藤の中、芯はロックを新しい飼い主に引き渡すことにする。家族にも帰れない焦燥感が生まれる。4年経って避難指示解除が出るが、父親がしたロックを返してもらう約束を果たすと、ロックはしっかりと覚えていた。ロックとも一緒に帰り、復興を誓う。~ Wikipediaより ~

実を言うと観始まって早々と、倍速、5倍速に転じて映像を流し観しただけ。どうにも続けて不作にぶちあたって、いらついている。とりあえず録画して、観ようとした、というのが正確な記録だろう。

『ROOKIES -卒業-』

2009年(平成21年)・日本 監督/平川雄一朗

出演/佐藤隆太/市原隼人/小出恵介/城田優/中尾明慶/高岡蒼甫/桐谷健太/佐藤健

守備範囲が広い鑑賞映画のジャンルだが、久しぶりにダメな映画にぶちあたった。テレビ・ドラマでやっていたことを知っている。映画化されてさかんに宣伝をしていたことも知っている。市原隼人はなかなかいい役者だということも知っている。

それにしてもこんなひどい映画があたるのだろうか。そんなに観客は馬鹿なのだろうか?ちょっと信じられない。漫画が原作でも、映画になればおもしろい映画はたくさんある。それなのに、漫画と同じようなギャグをいい、歯の浮いたようなセリフばかりが突出している。

それにしてもだ、歳を取った高校生ばかりで、よくもまー、こんな配役ができたもんだ。どうにもテレビ局が映画を作る弊害が顕著に出ている作品と言わざるを得ない。

「グッバイ、マザー」(AE-JA/GOODBYE MOM)

2009年・韓国 監督/チョン・ギフン

出演/チェ・ガンヒ/ペ・スビン/キム・ヨンエ/チェ・イルファ/チャン・ヨンナム

題名を見て、こんなベタな題名を英語圏の国の人がつけるとは思えないし、さて、日本でさえこんな題名は嫌うだろうな、と考えていた。まさか韓国映画だとは想像しなかった。中国も、韓国も、映画や文化には差別はなくてもいいはずだが、なぜか見たくない国の映画。

おもいのほか、出だしは快調、なかなかおもしろいじゃん、と見ていたが、中だるみから、急に話が進まなくなってしまった。せっかく母と娘の確執がうまく描かれ、娘は作家の道へと進んで行くのかとおもいきや、そんな話は隅のほうに追いやられて、ダラダラと母親の病気がどうのこうのと、まったくつまらない物語となってしまった。

「ヨボセヨ」「マシゾヨ」「カムサハムニダ」とカタコトでしか喋れない韓国語。決しておぼえたいとは思わないが、言葉はコミニュケーション、どんな国の人とも意思疎通がはかれれば、こんなに楽しいことはない。もっとも、同じ日本でさえ、言葉の壁というよりは価値観の壁にぶちあたり、気持ちが通じないことが多々あるのは、こちらの問題なのだろうか。

『DOCUMENTARY of AKB48』

とにかく見てみなければ文句も言えない、という思いでこういう映画を見ることにしている。見たといっても、どうやっているかというと、パソコン作業をしながらの、「ながら見」というやつ。見る前から、それで充分だろうと高をくくっている。

「ながら」族は我々世代の代名詞のようなもの。あの時代は深夜ラジオを聞きながらの勉強だった。テレビではなく、パソコンなんかとんでもない、ラジオという耳で聞くだけの「ながら」だから、道理に合っているようにもみえる。「オールナイト・ニッポン」のカメ・アンド・アンコーさんの実物と会い、一緒に仕事を出来たときは、内心うきうきしたことをおぼえている。

この映画の題名をうろ覚えに書き始まったわけだが、調べてみたら、もう第4弾までもあるそうで、どれだか分からなかったので、題名も頭だけ、製作年も、監督名も、出演者名も書かないことになってしまった。しょんべん臭いジャリタレどもが、なにを騒いでいるのか興味がない。AKB48の悪口を言っているのに、男なんてみんなAKBが好きなんでしょう、と馬鹿にされたことがあり、浅はかな女心が悲しく思えたことがあった。娘と孫との間くらいの年齢のジャリタレ達、まったく人間としての実感がわいてこない。

『ア・フュー・グッドメン』(A Few Good Men)

1992年・アメリカ 監督/ロブ・ライナー

出演/トム・クルーズ/ジャック・ニコルソン/デミ・ムーア/ケヴィン・ベーコン/キーファー・サザーラン

すごくおもしろくて、いい映画だったという記憶があった。観始まって、どのシーンも新鮮で、自分の記憶力のなさを激賛した。軍事法廷もの。普通の裁判劇でもおもしろいのに、そこに特殊な環境が加わることは、もっと興味を惹く。

デミ・ムーアが若くて制服を着た女性下士官の弁護士、格好いい。トム・クルーズはいつもの癖で、頬が笑っている。うまくそぐわない場面もあるが、彼の特徴として、映画スターの一人として大した問題はない。ジャック・ニコルソンがうますぎて、なんとも文句がつけがたい・・・。

上官の命令を実行することは罪になるのだろうか。東京裁判では、上官の命令に従ってアメリカ兵を殺した日本兵が死刑になっている。A級戦犯でもないのに死刑になっている。上官からの命令が非人道的なら、それを拒否して、自分が上官からのいじめやあるいは死も受け入れなければならない、と歴史は教えている。この映画でも。

『ヒマラヤ 運命の山』(NANGA PARBAT)

2009年(平成21年)・アメリカ 監督/ヨゼフ・フィルスマイアー

出演/フロリアン・シュテッター/アンドレアス・トビアス/カール・マルコヴィクス/シュテファン・シュローダー

1970年夏、ナンガ・パルバットアタック隊のメンバーとして弟のギュンターとともに参加、隊との軋轢を生み指揮系統を乱すような形で、そしてまた下りるためのザイルも用意しない、不完全な状態で強引に弟と二人でアタック、登頂には成功、初登頂者とはなったものの、すぐに日没を迎え弟とともに遭難。パルバットのデスゾーンでテントもシュラフもなく、ほぼ着のみ着のままで凍りつく夜を何度もビバークしては下山を試みる。重度の凍傷に罹り、歩行も困難な状態、幻覚も見る状態で下山を続けるが、ついには弟と はぐれてしまい、見失う。ラインホルトのほうは瀕死の状態で途中まで下山(実は、このころには隊はメスナー兄弟を見切って、キャンプの撤収を開始していた)。ラインホルトは山腹で倒れているところを地元住民に発見され、親切な住民にかついで運ばれたり、ジープに乗せて運ばれ、まともに意識もないような状態でほとんど奇跡的に、すでに下山中の隊の車列と遭遇できたものの、弟のギュンターのほうはついに戻ってこなかった。この登山でラインホルトは重度の凍傷に罹り、本国に帰国した後、足の指を7本切断することになった。また兄として弟の死の責任も問われ、重い十字架を背負ったような人生となる。(その後、ラインホルトは弟ギュンターの遺体を捜すためにナンガへ10回行くことになる。)  ~ Wikipediaより

これで、見た気になれると思う。邦題の運命の山とはどういう意味なのだろう。登山のこととなると、長谷川恒男さんを、いつも、何度も思い出す。天才登山家は帰らぬ人となり、凡人はこうやって生き延びている。

『あいつと私』

1961年(昭和36年)・日本 監督/中平康

出演/石原裕次郎/芦川いづみ/小沢昭一/吉永小百合/轟夕起子/宮口精二/中原早苗/滝沢修

青春時代を謳歌することなく、としをとってしまった自分にとっては、こういう物語は大歓迎。本をほとんど読まない自分にとっても、石坂洋次郎の本は数少ない数タイトル以上読んだ作家。

なんといっても、セリフの直接的な言い方がいい。今の人間は、考えてみれば、思いやりとか気遣いとか、思いっきりうわべだけの価値観を、心底のものと勘違いしている。ものの言いようも、なにを言いたいのか、本心がどこにあるのか分からないような、ちんちくりんな応答をしている。

それにひきかえ、どうだ。この映画に登場する人たちは、みんな言いたいことを言いながら、きちっと芯を外していない。からこそ、なにを言われても爽やか。腹黒い、クソみたいな心根なんて持っていない。そうありたい。吉永小百合が主人公の妹役で、隅のほうで光っていた。酒井和歌子はそのまた妹役らしかったが、認識できなかった。遠い昔の映画になってしまった。

『HOME 愛しの座敷わらし』

2012年(平成24年)・日本 監督/和泉聖治

出演/水谷豊/安田成美/濱田龍臣/橋本愛/草笛光子/飯島直子/長嶋一茂/段田安則

なんだこの題名は、と思いながら見始まったが、結構おもしろい。とくにツカミの部分がいいから、見るのが辛くなかったのだろう。だんだんとテンションがおちてきたのが、もったいなかった。

結局は家族愛、といったテーマを前面に押し出すものだから、ちょっと辛気くさくなってきた。もっともらしいお仕着せは、ちょっと抵抗がある。座敷わらしの扱いをもっと映画的にできたらよかったのに。

東京から左遷されて、田舎での暮らしに大満足していたはずなのに、また東京に呼び戻されて、ほいほいと戻っていくのは解せない。物語でも、現実社会でも、ちょっと違和感あり。せっかくの田舎礼賛が、台無しになってしまうなんて。

『男はつらいよ 寅次郎紅の花』

1995年(平成7年)・日本 監督/山田洋次

出演/渥美清/倍賞千恵子/浅丘ルリ子/吉岡秀隆/後藤久美子/下条正巳/三崎千恵子/前田吟

今日は、2014年9月21日。若いころには見向きもしなかったこのシリーズもの。歳をとってはじめて見始まったけれど、そうたくさんの本数を見ているわけではない。ただこの浅丘ルリ子との1本は、出來が良く感じた。最後の作品だとは知らなかった。調べていたら、エピソードのほうが断然おもしろかったので、以下にそれを Wikipedia より、引用する

この作品での寅次郎はほとんど動かず座っているシーンが多い。実はこの頃、寅次郎役の渥美清は肝臓の癌が肺にまで転移しており、主治医から前作と同様「もう出演は不可能」と診断されていたが無理を押して出演していた(主治医によると、今作に出演できたのは「奇跡に近い」とのことである)。このような経緯もあり劇中でのテレビで寅次郎が活躍している姿はすべて合成で制作されておりこのシーンは後述のテレビやDVDでも確認できる。

リリー演じる浅丘ルリ子は具合の悪そうな渥美の姿を見て、「もしかしたらこれは最後の作品になるかもしれない」と思ったという。そのため山田監督に「最後の作品になるかもしれないから寅さんとリリーを結婚させてほしい」と頼んだと言うが、山田洋次は節目の50作までは製作したかったらしく、願いは叶えられず浅丘の思った通り渥美が半年後に死去したため今作が最後の作品になっている。浅丘は『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』(1973年)『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』(1975年)『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』(1980年)と4作目だった。

この神戸ロケは現地からの要請によるものだったが、地震の記憶も未だ生々しい被災地で喜劇映画を撮るというミスマッチに脚本を逡巡していた山田監督に一通のファンレターが届く。神戸市長田区でパンの製造・販売をする障害者の作業所を運営する石倉泰三・悦子夫妻が山田監督へ送った手紙から、山田監督は「寅さんなら、たまたま立ち寄った神戸でボランティアをしていても不思議ではない」と思い脚本を書き上げた。石倉夫妻の名は、そのままパン屋の店主役の宮川夫妻の役名として生かされている。

『やくざ戦争 日本の首領』

1977年(昭和52年)・日本 監督/中島貞夫

出演/鶴田浩二/千葉真一/菅原文太/佐分利信/二宮さよ子/高橋悦史/成田三樹夫/松方弘樹/西村晃

おもしろい。半分くらいを前日に見た。佐分利信の親分と鶴田浩二の舎弟がいいですね~。これまでのところ、「ヤクザの方が信用できる」という言葉が凄く、すっごく印象的。クソみたいな人間が多い中、やっていることはクソみたいだけれど、信頼とか信用ではヤクザに優る人間なし。

つづきを見た。おもしろくなくなっていた。実話に基づくヤクザの抗争、飛ぶ鳥を落とす勢いの時は、見ていて迫力があり、さすがヤクザ映画と思わせる迫力が、なんともいえない。ところがどんどん警察の力が強くなっていくプロセスが、なぜかつまらなくなっていた。

ヤクザ映画なんてもう作られることはないであろう。おそらく。なんでもかんでも平穏これグッド、と穏便な生活を渇望する庶民の心には、せいぜいゴジラがやってくるくらいが、ちょうどいいのかもしれない。クソ人間もそうだが、なにがよくて何が悪いのかの区別さえ出来ないクソ思考ばかりの人間になってしまいそう。

『猿の惑星』(Planet of the Apes)

1968年・アメリカ 監督/フランクリン・J・シャフナー

出演/チャールトン・ヘストン/ロディ・マクドウォール/キム・ハンター/モーリス・エバンス/ジェームズ・ホイットモア

また観た。どうもSFものが好きなのは本物らしい。もう46年前の映画になってしまった。宇宙船が地球に舞い戻るところから映画は始まるが、そんなことは忘れている。シリーズ全部を見ているはずなので、シーンの混乱がある。ただこの一作目のラスト・シーンだけは間違っても忘れていない。

ストーリーの端々に、人間の将来に対する危惧が暗示されている。人間が言葉を喋り、思考する能力を持っているはずがない、と猿たちは人間を見下している。おもしろい現象だ。今、人間がずーっとやってきた人間最上位意識が、本当に正しいのかどうかを問うている。

犬や猫をペットにして飼い慣らす行為がすこし違和感がある、という思いが、こういう映画を観ると強くなってくる。言葉を喋るのは人間だけと思っているのはおごりなのではなかろうか。いつか別の惑星からの生物に支配されるときがくるかもしれない。

『天井桟敷の人々』(Les enfants du Paradis)

1945年・フランスカ 監督/マルセル・カルネ

出演/アルレッティ/ジャン=ルイ・バロー/ピエール・ブラッスール/マルセル・エラン

冒頭に「第一部」とあったので、短編集かなと思ったら、なんと一部が終わったのが1時間40分後、ようやく第二部に入った。ということで、またまたここのコメントは明日になる。もう30分寝てしまった。そんなにおもしろくない訳でもないが、ちょっと興味が薄い内容。1945年といえば終戦の年、ようはまだ戦争中のまっただ中にこんな映画を作る魂がすごい。

見た。観た。また30分眠ってしまった。正直言って、なにがおもしろいのか、どこがいい映画なのか、まったく分からなかった。やっぱりプロではないなあ。プロだとは、もちろん思っていないが、これだけ本数をみているのだから、もう少し、映画評論家のような頭の構造が欲しい。

パリの通りは見世物小屋で溢れている。ロンドン市民が劇場好きだったように、古くからヨーロッパの人たちは、貴族から庶民まで、劇場で演劇を楽しむ習慣があったようだ。日本でいえば、歌舞伎とか、落語とか、人間の価値観や楽しみ方はそんなに違うものではなさそうだ。今やそれがテレビに変わっただけなのだろうか。

『誰も守ってくれない』

2009年(平成21年)・アメリカ 監督/君塚良一

出演/佐藤浩市/志田未来/柳葉敏郎/石田ゆり子/佐々木蔵之介/松田龍平/木村佳乃

犯罪者家族の保護 未成年者による凶悪事件が発生した時 警察が犯罪者の家族を保護する場合がある 過去の事件で、犯罪者の家族がマスコミから批難され 自殺したケースが何度もあったからである この件について、警察は公には認めていない

冒頭のクレジットは映画の内容を事前に教えてくれている。悪くはない。だが、最近のテレビドラマのように、予告編のような内容を繋いだ冒頭の映像はいただけない。なかなか興味ある題材をじっくりと描いていて、見応えがある。

加害者(犯罪者)の家族という立場が、実に一生ものだということをあらためて訴える。このネット社会、マスゴミ(塵)にも劣るバカ者どもがネットで遊んでいる。普段なら他人の一人とも意思の疎通が図れない超劣等人間が、ネットではいっちょまえに暴言を吐いている。気持ち悪くて、間違っても近づけない連中だ。

『遠き落日』

1992年(平成4年)・日本 監督/神山征二郎

出演/三田佳子/三上博史/仲代達矢/牧瀬里穂/田村高廣/河原崎長一郎/篠田三郎/馬淵晴子

野口英世の生涯にスポットを当てた作品。渡辺淳一の小説『遠き落日』と新藤兼人の著作である『ノグチの母 野口英世物語』のふたつの作品を原作としているという。多くの伝記で取り上げることがはばかれていた野口の借金癖や浪費癖などの否定的な側面も臆さず描き出している。

細菌学の研究に主に従事してばかりで、人間的な部分はまず知らなかった。結構強引に借金をしたり、ストーカーまがいのことをしたり、普通の若者と変わらない姿を見てほっとする。人間なのだから両極端の面を持っていてあたりまえ。それを凌駕するすごい才能があれば、充分だろう。

映画の終わりにはこんなクレジットが。 ~ しかし黄熱病の病原体は微細なウィルスで、これを当時の顕微鏡で発見することは不可能だった。そして半年ののち英世は研究中の黄熱病に冒されて、1928年(昭和3年)5月21日アフリカで客死した。石碑にはこう記されている。 ~ 科学への貢献を通して、彼は人類のために生き、そして死んだ。

『日輪の遺産』

2011年(平成23年)・日本 監督/佐々部清

出演/堺雅人/中村獅童/福士誠治/ユースケ・サンタマリア/森迫永依/八千草薫

この映画は実話に基づいているのかな、と思わせるようなストーリー。浅田次郎による長編小説が原作。昭和20年8月15日の数日前からのはなし。玉音放送を聞いた女学生20人のうちの19名が自決のように死んでいった。哀しい物語は、ひめゆりの塔のようなものとはちょっとちがう。

戦争にまつわる話は語り尽くせないだろう。もう少し父親の話を聞いてあげればよかった、といつも後悔している。小さい頃から何度も満州のはなしを聞かされていたが、大人になってからきちんと聞いてみたかった。遅過ぎるよね、なんに対しても。

なかなかおもしろく観ることが出来た。嫌いだった中村獅童だが、これまたいい役をやっていて、映画のお陰で彼の嫌いさ加減がちょっとやわらいだ。やっぱり原作がしっかりしていると、映画もおもしろい、という原則は生きている。

『新しい靴を買わなくちゃ』

2012年(平成24年)・日本 監督/北川悦吏子

出演/中山美穂/向井理/桐谷美玲/綾野剛/アマンダ・プラマー

ま~おもしろくない映画だね。もちろん最初のうちはきちんと観ていた。ツカミは結構おもしろく、すこしは期待できるかな、と思ったのは勘違い。古川爲三郎ページを作りながら、音を聞き、画面をちらりちらりと観ながらの鑑賞となった。それで充分な映画。

かねてから親交のあった北川悦吏子、岩井俊二、中山美穂の3者間でパリを舞台にした映画の話があった。公開より5年ほど前からあった企画であったが、その間監督を務めた北川の疾病や、主演を務めた中山の他映画への出演などの理由により延期されていた。スケジュールの都合上、北川による監督作品『ハルフウェイ』が本作より先に制作、公開された。2009年には、物語の原型となるくらもちふさこによる漫画が雑誌『an・an』に掲載され、その3年後の2012年にオールパリロケにより撮影された。

フランス語が喋れたり、英語を話せることがアドバンテージだと思っている人が多い。大勘違いをした帰国子女が入社試験を受ける姿を見たことがあり、日本語だってうまく喋れない日本人がたくさんいることを考えれば、きちんとした外国語を話せる人は、それほど多くないことがよく分かる。桐谷美玲の足が細過ぎて、気持ち悪いくらいだった。

『リーサル・ウェポン4』(Lethal Weapon 4)

1998年・アメリカ 監督/リチャード・ドナー

出演/メル・ギブソン/ダニー・グローヴァー/レネ・ルッソ/ジョー・ペシ

ロサンゼルス市警の刑事・リッグスとマータフのどたばた警察もののシリ-ズ最終作品。途中で眠ってしまうほど充実していない最終回。前作の始まりは相棒があと3ヶ月で引退だと始まったものだったが、最後にはあと10年は引退しないとひるがえして、このはなしに繋がってきた。

シリーズものはある意味観る方も気楽だ。男と女だって長い間知り合っていれば、あうんの呼吸という奴がいい。基礎的な価値観を共有できているからこその長年の知りあい。もし、価値観が大きくちがえば、どこかで疎遠になるのは必至。同性の友人だって同じこと。

大きな笑いをとるような挙動よりも、ちょっとした気の利いたギャグがおもしろい。わざとらしい笑いなんてくそ食らえ。さりげない知性と教養が滲み出る笑いを求めるのはむずかしい。ただ舞台の上で観客におもねる芸人は悲惨だ。言い手もそうだが、受け手もそれなりの頭脳がなくては、気の利いたギャグも伝わらない悲劇が。

『秋刀魚の味』

1962年(昭和37年)・日本 監督/小津安二郎

出演/岩下志麻/笠智衆/佐田啓二/岡田茉莉子/中村伸郎/東野英治郎/北竜二/三宅邦子/加東大介/杉村春子/高橋とよ

これまでに小津監督が一貫して描いてきた、妻に先立たれた初老の父親と婚期を迎えた娘との関わりを、娘を嫁がせた父親の「老い」と「孤独」というテーマと共に描かれている。また、父親と2人の友人たちとの応酬が喜劇味を加えている。孤独な父親、快活な娘、これまでの小津作品とは違った味わいを醸し出している。この作品を発表した翌年の1963年、小津監督は60歳の誕生日に亡くなったため、この作品が彼の遺作となった。

ようやく小津作品の良さがすこし分かるようになった。この欄に書き始まって映画本数も1200本以上、これだけ観てはじめて映画の真髄らしきところに触れることが出来たわけだ。人間生活は奥深い。目の前のことを分かったつもりでいることが多いが、所詮は勘違いの産物。知らないところに本当の愛が潜んでいるようだ。

初老といってもあの当時のサラリーマン、55才定年直前くらいの想定か。友人と酒を酌み交わして馬鹿なことを言ってられるのは最高。そんな時間をほとんど持てなかった自分の人生は、すこしゆがんだ価値観でいっぱいかもしれない。

『ライラの冒険 黄金の羅針盤』(The Golden Compass)

2007年・アメリカ 監督/クリス・ワイツ

出演/ダコタ・ブルー・リチャーズ/ダニエル・クレイグ/ニコール・キッドマン/サム・エリオット

イギリスの作家フィリップ・プルマン作の『ライラの冒険』シリーズの第1巻『黄金の羅針盤』を原作とする実写作品。『ナルニア国物語』と同じような雰囲気が物語り全体を包む。なぜかこういう映画は好きな部類。『指輪物語』は嫌いなのに、どこがポイントなのか自分では分からない。

おもしろい記述が ~ 2008年10月、続編2作の制作について、制作会社は無期限で延長することを決定したとContactmusic.comが伝えた。理由としては、世界的な金融危機の影響が指摘された。2009年12月、制作会社から続編の制作について断念することが発表された。北米カトリック連盟が「子供に対し無神論を奨励する映画だ」などとしてボイコット運動を展開したことからアメリカにおける興行収入が振るわなかったことが理由であるとされ、原作者であるフィリップ・プルマンが遺憾の意を述べる事態となっている

明らかに映画の最後は続きを想定している作りになっていた。さてさて、このまま第2作目は幻となってしまうのであろうか。夢や幻は生きるための栄養のようなもの。夢がなくては張り合いがないし、幻がなくてはギスギスしてしまう。夢もチボーもない人生には、つける薬が見つからない。

『月光の夏』

1993年(平成5年)・日本 監督/神山征二郎

出演/渡辺美佐子/田中実/仲代達矢/若村麻由美/田村高廣/山本圭/石野真子

悲しい、哀しいはなしでした。実話に基づくドキュメンタリーの映画化というちょっとまわりくどい表現が誤解を生む。この映画は事実ではないとか批難するページが見つかった。『地獄の黙示録』をあれは本当のベトナム戦争を描いていないと批評する人と同じような言い方になる。

鹿児島県の知覧、太平洋戦争(大東亜戦争)末期の沖縄戦では、知覧飛行場は本土最南端の特別攻撃隊の出撃地となった。ここを訪れておいてよかった。映画の中にもその風景が出てくるが、哀しみの心をはっきりとさせてくれる。

それにしても昭和20年の6月に、なんで死ぬだけのために出陣していくのか。いつ戦争が終わると分からない庶民には哀しい出来事。そういう意味では戦争を始め、負けると分かってからもあたら若い命をつんでしまった日本国という政府には無限の責任がある。無差別に日本の民間人を殺したアメリカ軍にも、無限の責任がある。

『グランド・イリュージョン』(Now You See Me)

2013年・アメリカ/フランス 監督/ルイ・ルテリエ

出演/ジェシー・アイゼンバーグ/マーク・ラファロ/ウディ・ハレルソン/メラニー・ロラン/モーガン・フリーマン

ミステリー・サスペンス映画と言っておこうか。邦題ほどひどくない内容が救いだ。簡単に言えば、マジックの世界を描いている。種明かしで生計を立てている人間が登場し、その彼がキーポイントだということがだんだんと分かってくる。

映画におけるマジック映像は、それこそホントのマジックでなくても撮影できるから便利だ。テレビ番組を見る日本人の一般視聴者は、「あれ?」「どうして?」とタネがどうなっているのだろうかということにもっとも気が行く。それよりもマジックの華麗さをたたえる気持ちを持った方がよいのに。

この頃のテレビ番組ではマジックのタネあかしがひとつのテーマになっている。それでどれだけのマジシャンが飯を食えなくなったのかと、映画の中の影の主人公がつぶやく。複雑な何層にもなったマジックを駆使し、映画そのものがイリュージョンになったようなストーリー展開は結構おもしろい。

『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(Good Will Hunting)

1997年・アメリカ 監督/ガス・ヴァン・サント

出演/マット・デイモン/ロビン・ウィリアムス/ベン・アフレック/ミニー・ドライヴァー

何度も録画するチャンスを逃していた。劇場で観るチャンスはなかった。こういう映画ははやく観ておかなくてはいけない。死ぬ前に一度は巡り逢いたい映画の1本だった。嬉しい。朝のうちに観られると1日の気分がすぐれる。こういう映画を観たいのだ。涙が溢れる心地よさを共有したい。

俳優として当時まだ無名であったマット・デイモンがハーバード大学在学中の1992年、シナリオ製作の授業のために執筆した40ページの戯曲を親友であるベン・アフレックに見せたことから映画化に向けた脚本を共同で執筆した。2年を経て完成した第一稿を映画プロデューサーのクリス・ムーアが絶賛したことからキャッスル・ロック・エンターテインメントが映画化権を取得した。しかし、一向に映画化は実現せず歳月は流れた。ところが、アフレックが自身の出演した映画『チェイシング・エイミー』の監督であるケヴィン・スミスとプロデューサーのスコット・モスィエに脚本を見せたところ、スミスとモスィエも好感を抱いた。知人を介して脚本に目を通したハーヴェイ・ワインスタインとジョナサン・ゴードンは映画化を即決した。 ~ Wikipediaより

ロビン・ウィリアムスの追悼番組にみえる。彼は希有な役者、アメリカには映画人材多しといえど、その存在感は群を抜いていた。『グッドモーニング・ベトナム』(Good Morning, Vietnam・1987年)で彼がこのタイトルと同じ言葉を叫ぶ姿が、頭から離れない。彼の偉才をいかんなく発揮した映画だと強く感じる。


2016年12月3日、再び観たので記す。

『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(Good Will Hunting)

1997年・アメリカ 監督/ガス・ヴァン・サント

出演/マット・デイモン/ロビン・ウィリアムズ/ベン・アフレック/ミニー・ドライヴァー

ベン・アフレックとマット・デイモンと共同で脚本を執筆、両者はアカデミー脚本賞を受賞した。また両者は映画にも出演し、アフレックは世界的に知名度を上げた。マット・デイモンの無名時代、幼馴染のベン・アフレックと共に脚本を書くことを思いたち、授業用に書いた若き数学の天才に関する脚本を映画用として完成させる。しかし、映画化にはベンに見せた1992年から完成の1997年まで、長い年月と紆余曲折を要したという。

この映画を機に二人は世界的な映画俳優へと成長していくのは周知の通り。何度も放映されて何度も見ようと思いながら、観たのはまだ1回か2回、自分の好きな映画であることは分かっているので、観る前からワクワクする。それでも、新鮮なストーリーはどういうことだろう。どんどん覚えている期間が短くなっている。

『ラーメンガール』(The Ramen Girl)を観た直後だったので、比べちゃいけないと思いながら、作品の質の違いに愕然とする。勝手にと断りを付けながら、ひとつひとつの言葉にまだ終わらない人生の師を感じる。長く生きているだけで何の社会貢献をしていない自分の人生、神から与えられた宝物を社会のために使っているか、と問われてぐうの音も出ない。

『グリーン・ホーネット』(The Green Hornet)

2011年・アメリカ 監督/ミシェル・ゴンドリー

出演/セス・ローゲン/ジェイ・チョウ/キャメロン・ディアス/クリストフ・ヴァルツ

またしかたなく吹き替え版だったからというわけではないが、途中から爆睡した。考えてみたら、子供の頃アメリカ製作の連続テレビドラマは、吹き替え版だったことにまちがいはない。その時はなんの不思議さもなく日本語を喋るアメリカ人を見てなんか違うと感じたことはなかった。

今や映画館でも吹き替え版をいきなり上映する時代、吹き替え版を見てなにが悪い、と逆ギレされそうだ。どうにも馴染めない日本語訳社の喋り方。たびたび同じことを言ってきたけど、舞台俳優のような大仰な表現セリフは、やっぱりどこか変。そう思う方が自然だろう!

映画をきちんと見ていないで、おもしろくなかったとはいいにくいが、おもしろければ吹き替え版だっておもしろいはず。今回の映画は吹き替え版+おもしろくなさ=爆睡という結果になったと思う。タダで観る映画館での映画も、いい睡眠時間だったような気がする。現役時代、英語が分からなくたって、字幕のない保税試写で眠ったことはない。


2019年4月29日再び観たので記す。

『グリーン・ホーネット』(The Green Hornet)

2011年・アメリカ 監督/ミシェル・ゴンドリー

出演/セス・ローゲン/ジェイ・チョウ/キャメロン・ディアス/クリストフ・ヴァルツ

いやー久々のノー天気・ムービーだった。「カトー」という中国人らしき人物が主人公の一人だが、名前といい舞台装飾といい日本人を想定しているようで、いやいややっぱり中国人かなという感じで。アッメリカ映画ではかなり日本人や日本を正確に表現することが多くなったが、本当のところを理解して製作されていないだろうことはよく分かる。

新聞社のドラ息子が父親の死後、中国人と相棒を組んで正義に燃え始めた。だが、やっていることはハチャメチャ、このあたりがアメリカン・コミックの真骨頂だろうか。キャメロン・ディアスが登場して、この映画がまともに作られているのだと訴えているような。

アメリカ人には日本人だろうが中国人だろうがどっちでもいいのだろう。おおきくアジア人とくくってしまっているのかもしれない。大リーグをみれば、アメリカ国籍ではない人がどれほど多いのだろうと感心する。日本プロ野球チームのように外国人枠を設けることが何のメリットがあるのだろうかと思わされる。持論、全員が外国人のチームだっていいじゃないか。そのチームの人気を左右するのは観客側に託されたことなのだから。

『スタンピード』(The Rare Breed)

1966年・アメリカ 監督/アンドリュー・V・マクラグレン

出演/ジェームズ・スチュワート/モーリン・オハラ/ブライアン・キース/ジュリエット・ミルズ/ドン・ギャロウェイ

西部劇の題材は豊富だ。イギリスからハーフォード種という白と茶のまだら色で角のない牛を売りに来た女性と娘が主人公。そこにひとりのカウボーイが絡む。アメリカではロングホーン種(角の長い牛)が巾をきかせ、角のない牛は牛同士の生存競争で育たないものとされていた。

題名を見てこれなに。まあ映画の中でこの言葉が出てくるだろうと注意していたが、最後まで見つけられなかった。英語でこういう意味があった:家畜などの集団暴走や人間の群集事故を意味する英語 Stampede。この時代には珍しくワケの分からない邦題付けをしている。原題を見れば希な育種、今流行の犬のブリーダーならぬ牛のブリーダー家が女性の実家らしい。

西部劇だけではなくジェームズ・スチュワートの出演作品は他種多彩。作品名を挙げればきりがない。彼のこんなエピソードが:悪役を演じたことは一度も無い。ゴシップと無縁な稀有なスターとして知られる。結婚も生涯一度きりであり、離婚歴はない。妻のグロリアは「夫は毎日のように美しい女優と共演しているのに、いつもきちんと家に帰ってきました」と語っている。キス・シーンが苦手。後年「あなたの演技(Act)の秘密は?」と聞かれた際に、「I don't act.I just react.(私は演じてはいません。ただ相手に合わせているだけです。)」と答えている。

『アンノウン』(Unknown)

2011年・アメリカ/ドイツ 監督/ジャウム・コレット=セラ

出演/リーアム・ニーソン/ダイアン・クルーガー/ジャニュアリー・ジョーンズ/エイダン・クイン

自分は一体誰なのか、なにものなのか、そんなことが映画の導入部分。かなり複雑に張り巡らされた人間関係の糸がからみ合い過ぎていて、最初はいらいらするくらいの展開。ある意味かなりおもしろい。ある意味と断らなければいけないなにかがあるような。

よくよく考えてみれば、映画の主人公のように事故に遭って昏睡状態から、自分で自分の存在に確信を持てなくなることは、普通の人間にも起こりそうなこと。こうやって息をしていることは確かだが、一体自分はなんなのだろう、という疑問を毎日抱いている。

誰からかおまえはこうだよとか、あなたはこんな人間だよと断定されないで生きていると、自分の価値観さえ本物なのか、ただ世の中に流されて思考しているのか、まったく正気ではなくなってくる。人間が人間らしき生きるためには、常時人間の輪の中で生きていかなければいけないと痛感している。


2018年3月16日再び観たので記す。

『アンノウン』(Unknown)

2011年・アメリカ/ドイツ 監督/ジャウム・コレット=セラ

出演/リーアム・ニーソン/ダイアン・クルーガー/ジャニュアリー・ジョーンズ/エイダン・クイン

観ていたと分かったのは半分くらいから。

おもしろいので、最後まで問題なく。

エンディングになって、本当に観たことを思い出した。

『少年H』

2013年(平成25年)・日本 監督/降旗康男

出演/水谷豊/伊藤蘭/吉岡竜輝/花田優里音/小栗旬/早乙女太一/原田泰造/佐々木蔵之介/國村隼/岸部一徳

妹尾河童の自伝的小説の映画化ということを公開された当時は知っていたのに、今回録画するときにこの題名を見てなにも思い出さなかったことが悔しい。というより、そんなことすらすぐに忘れてしまうことが嫌になってくる。水谷豊と伊藤蘭の夫婦共演などということが宣伝の一部になるようでは、・・・・。

昭和16年4月に物語は始まり、12月の戦争状態にいでりという状況が映画のバックボーン。子供の頃からひとこと多く、トラブルを引き起こしていたことが語られる。クリスチャンの家庭であったことも物語の重要な要素。なんともいえない価値観を見るにつけ、人間の不思議さがおおってくるばかり。

愛国精神を煽っていた大人たちが、戦争が終わるとさっと身をひるがえして、アメリカ人相手に商売をしている光景に愕然とする主人公に同感。空気に流されて、漂うように生きて行くことが人生の極意、だとも言いたげな大人社会に不条理を見いだす主人公がいい。

『メダリオン』(飛龍再生、The Medallion)

2003年・香港/アメリカ 監督/ゴードン・チャン

出演/ジャッキー・チェン/クレア・フォーラニ/リー・エヴァンス/ジュリアン・サンズ

でだしの英語クレジットを声を出してよんでいたらジャッキー・チェンと読めて、なんだ彼の映画かとちょっとがっかりしながら見始まった。アクション映画だから嫌だと言っているのではない。ジャッキー・チェンだから見る気になれないのだ。なんかわかりきったアクションを見せつけられるだけの、味気ない映画だと先入観をもっている。

もう10年前の作品、人力的アクションは悪くない。そんじょそこらのテレビで見るインチキ・アクションに比べては失礼なくらいきれている。超人的パワーや生命を授かるといった、この頃流行った宇宙的アクションに行ってしまうのは、仕方のないことか。

それにしても指輪とか、メダルとか、魔法を持った小道具が子供騙しに見えて、どうにも入り込めない。漫画ににかよっていて、何でもありという世界を描く映画はずるい。ずるい奴は世の中に多い。孫子(まごこ)に類が及ぶことも知らず、自分だけ楽しがっても、神の目は逃れられない。

『トレブリンカ 発掘された死の収容所』

2013年・イギリス 制作/Furneaux & Edgar Productions/GroupM Entertainment

NHKオンラインより ~ 2013年、イギリスの法医考古学者キャロライン・コールス博士は史上最大規模の犯罪現場の調査に挑んだ。その現場とは、1942年から1943年にかけてナチスの殺人工場として稼働したとされるポーランドのトレブリンカ強制収容所跡地。ほとんど記録が存在しないため、その全貌は謎に包まれている。初めての科学的捜査と地道な発掘作業によって、70年もの間地中に埋もれていた大量虐殺の詳細を突き止めようとするコールスのチームに密着する。

現在記念公園となっているトレブリンカには、被害者を各地から収容所に運んだ線路が象徴的に残されているが、建物はない。ナチスによる周到な証拠隠滅が行われたため、ガス室の存在も被害者の遺体もいまだに確認されていないのだ。調査では、レーザーで地形を読み取る特殊な技術を使ってトレブリンカを空から撮影。収容所の形跡と思われる凹凸を手がかりに発掘を進めていく。チームが最初に発見したのは子供の歯だった。周辺で数十本の骨や被害者の所持品と思われるアクセサリ-、コインなどが見つかったことから、この場所は死体を埋めた穴ではないかと推測される。 コールス博士は、数々の物的証拠を目撃者の証言や過去の記録と照らし合わせ、死の収容所の真実を暴いていく。

トレブリンカ強制収容所(またはトレブリンカ絶滅収容所)は、ポーランドのユダヤ人絶滅を目的としたラインハルト作戦に則って作られた三大絶滅収容所の一つである(他にベウジェツ強制収容所、ソビボル強制収容所)。1942年7月の開所から1943年10月に放棄されるまでの約14か月の間に、ここで殺害されたユダヤ人の数は90万人にのぼるといわれる。列車で運ばれてきたユダヤ人は、最終駅で下ろされそのまま女・子供と男に別れて建物の中へ。そこで服を脱がされ裸のまま貴重品を追って外に出される。塀に囲まれた通路を歩かされ、その間に貴重品は全部没収される。また別の建物に入ることを強要され、すぐにガスを充満されて死にいたる。そして死体は外に運び出され償却される。その間わずか1時間だったという。後世にまで事実を隠蔽しようとしているナチは凶暴だ。鬼畜だ。今こうやって真実を暴こうとする良心が救いだ。そんなナチと従軍慰安婦を同じように論じるかの国がうざい。

『ストリート・オブ・ファイヤー』(Streets of Fire)

1984年・アメリカ 監督/ウォルター・ヒル

出演/マイケル・パレ/ダイアン・レイン/ウィレム・デフォー/エイミー・マディガン

イケイケの時代の映画みたいに、いきなりのライブ・シーンからノリノリの映像と音楽が聞こえてくる。ダイアン・レインはまだ19才、これからしばらくは彼女の時代が来ることを、彼女自身も知らなかったのではなかろうか。

ウィレム・デフォーもまだ29才、つい最近彼の53才の時の映画を見たので、なんか不思議な感覚。見た目は驚くほど変わっていない。ほんの少しだけ肉がついたようにもみえるが、これだけ変わらない俳優も珍しい。あの独特な表情はすごく一貫性がある。

西部劇の形式を踏襲したロック映画。人が一人も死なないという珍しいアクション映画である。という解説があった。高架と路地裏の町リッチモンドが舞台(ロケ地は主にシカゴ)という。まだ拳銃を持っているのが珍しい、という時代だったようで、いつのことなのかとちょっと戸惑う。

『ヒトラー 権力掌握への道 前編・後編』(APOCALYPSE HITOLER)

2011年・フランス 制作/CC&C/France2

今日は2014年8月13日、終戦記念日が近い。NHK-BSで放送された『BS世界のドキュメンタリー』というテレビ番組。『シリーズ 世界大戦と人間 第2週』と銘打ってある。4日連続のうちの2日間がこの番組の放送だった。このあとの2日間は、『迫害に立ち向かったユダヤ人教師』と『トレブリンカ 発掘された死の収容所』という。歴史上のことを詳しく知らない自分がいる。こういう番組はたいへんありがたい。自分が知ったってなんの役にもたたないが、来世の自分のためになるに違いないと信じている。

まだ整理がつかなくて、これ以上のことを、今日書けない。と、昨日書いたのにはワケがある。2日間ヒトラーの台頭理由を観たけれど、よく分からなかったのだ。それぞれの年のそれぞれの出来事は頭に入ってきたが、じゃ何故ヒトラーがあそこまで凶暴にドイツを支配できのかが分からなかったのだ。

ナチ党は当初は少数党だった。1933年の連立与党になってからが彼の本領発揮だったようだ。一番の原因は国民の無関心、しかも国を代表する金持ち層の彼への無関心がヒトラーをのさばらせた最大の原因だった。小さな集団だった頃からユダヤ人排斥を訴えていたので、ある意味当然の結果だった。もうひとつの狂気集団共産主義グループを完璧に社会から追いやって、法律を無視し始まった時から、やりたい放題が始まったようだ。国民の無関心が最大の原因といってもいいのかもしれない。

『しあわせの帰る場所』(Fireflies in the Garden)

2008年・アメリカ 監督/デニス・リー

出演/ライアン・レイノルズ/ジュリア・ロバーツ/ウィレム・デフォー/エミリー・ワトソン/キャリー=アン・モス

むずかしい映画だ。大学教授で作家の父親は、子供に絶対的地位で教育している。体罰をも辞さない。母親は美しい専業主婦。母親の妹が居候でやってくる。妹と庭で野球をやって遊んでいる。原題「庭のほたる」シーンは一瞬あるが、たいした意味を持っていない。

なんていうことない話なのだが、父親と長男との葛藤がすさまじく描かれている。大人になった長男が登場し、またまたよくよく映画にありがちな過去とのフラッシュバック攻勢に観客は悩まされる。アメリカ映画らしく男と女の関係もそれなり以上に描かれてはいるが。

「しあわせ」という邦題は配給会社の連中が好む言葉。それにしてももうネタ切れにさえ見える「しあわせ」をひらがなにして使うとはすごい執念だ。現実社会の仕合わせは幻想だろう。そんなものが存在するなら、誰しも簡単に手に入れているはずなのに、みんな生きていることに不満が多すぎる?

『トランス・ワールド』(Enter Nowhere)

2011年・アメリカ 監督/ジャック・ヘラー

出演/サラ・パクストン/スコット・イーストウッド/キャサリン・ウォーターストン/ショーン・サイポス

日本の劇場未公開は正解の映画。製作者だけが面白がって、独りよがりの典型映画。どこか分からない森の中で何故か一人ずつ登場して合計4人。謎解きができて4世代の親子関係だったなんて、話をおもしろくするだけの勝手すぎる妄想。

だからこんなちんちくりんな邦題がついたのか。一番卑怯な夢の中だったを地で行くような映画。こういう映画を見ていると、だんだんとむかついている自分がいるのを感じる。映画にむかつくようでは、現実のクソ女にむかつくのはあたりまえだと納得する。

トランス (意識):トランス (英: trance) あるいはトランス状態とは、通常とは異なった意識状態、つまり変性意識状態の一種であり、その代表的なものである。その状態にもよるが、入神状態と呼ばれることも、脱魂状態や恍惚状態と呼ばれることもある。

『写楽』

1995年(平成7年)・日本 監督/篠田正浩

出演/真田広之/フランキー堺/岩下志麻/葉月里緒菜/佐野史郎/坂東八十助/加藤治子/中村芝雀/市川團蔵/宮崎ますみ

多額の私財を投じて東洲斎写楽の研究を行っていたことでも有名であるという。この映画では、版元・蔦屋重三郎を自ら演じるとともに、企画総指揮・脚色も務めた。これは、『幕末太陽傳』でフランキーを主演の石原裕次郎より目立つ役にすえてブレイクさせた川島雄三監督が「次回作はフランキー主演で写楽を撮る」と告げたまま急死してしまったため、その遺志を継いで30年後に完成させたものだった。

ヘラルドの大先輩でもあるフランキー堺のことを調べているうちに知ったこと。今回の鑑賞はちょっと違った気持ちだった。最初のうちはなかなかおもしろいじゃんと見直した気持ちになっていたが、いかんせんこの監督ではやっぱり飽きがくる。盛り上がりに欠けるのだ。

役者が揃うのはいいけれど、あまりにも演技臭くてどうもいけません。さすがにフランキー堺だけが江戸に入り込んだような雰囲気で、まわりの人たちはその引き立て役にしか見えなかった。うまいだけでは役者はつとまらない。そんな感じ。

『荒鷲の要塞』(Where Eagles Dare)

1968年・イギリス/アメリカ 監督/ブライアン・G・ハットン

出演/リチャード・バートン/クリント・イーストウッド/パトリック・ワイマーク/マイケル・ホーダーン

また吹き替え版だった。イギリス軍とアメリカ軍の共同作戦、喋っているのは英語のはずだ。ドイツ語が出来るというので、この作戦に参加したはずなので、ドイツ軍に潜入したときにはドイツ語を喋っていたのも間違いない。そういうところを無視してしまう吹き替え版がむごい。

前回観たときは吹き替え版ではなかったと思うが、どうもテレビ放送用は尺も短くしているのも間違いない。ぷつっと切れて、つじつまが合わないのが平気なのがテレビ放送のすごいところ。映画に合わせて放送時間を長くすべきなのに、番組時間に合わせて映画を斬ってしまう。それがテレビというやつさ。

映画はおもしろい。スパイ、二重スパイ合戦で、一体誰が本物なのかをごちゃごちゃと分かり難くしているのが、おもしろい要素だろう。ちょうどテレビでは今、ガキの歌と踊りを得意げに放送している。あくまでも幼稚な社会だなあ。

『私が愛した大統領』(Hyde Park on Hudson)

2012年・イギリス 監督/ロジャー・ミッシェル

出演/ビル・マーレイ/ローラ・リニー/サミュエル・ウェスト/オリヴィア・コールマン/オリヴィア・ウィリアムズ

今日は2014年(平成26年)8月1日(金曜日)。誰が読むわけでもないのに、せっせと書いているのは滑稽にうつる。この欄を書くことをインスパイアしてくれた人とはすでに疎遠になってしまったので、もう義理も人情もないから、きりのいいところでやめることを考えよう。

主人公は第32代大統領(1933年 - 1945年)フランクリン・デラノ・ルーズベルト。アメリカ史上唯一の重度の身体障害者で、唯一4選された大統領。そして世界恐慌、第二次世界大戦時の大統領としても有名。映画の中でも車椅子で執務している。いとこであったサックリーという女性の死後に発見された日記などを基に、両者の不倫関係が描かれている。まあ駄作だね。

若きイギリスのジョージ6世国王夫妻がアメリカ訪問というシーンがおもしろい。『英国王のスピーチ』で全世界の人が知ることになったこの国王の吃音(どもり)も再現される。現エリザベス女王はこの夫妻の長女。1936年にジョージ5世が死去し、長兄エドワードがエドワード8世としてイギリス国王に即位した。しかしながら、即位間もないエドワード8世は、王太子時代から交際のあった離婚歴のあるアメリカ人女性ウォリス・シンプソンとの結婚を望み、議会との対立を深めていく。当時の首相スタンリー・ボールドウィンは、政治的、宗教的理由から、国王に在位したままでのシンプソンとの結婚は不可能であると、エドワード8世に勧告し、最終的にエドワード8世はイギリス国王からの退位を決め、弟のジョージがジョージ6世としてイギリス国王に即位した。といういわくつきの国王でもある。

『キャット・バルー』(CAT BALLOU)

1965年・アメリカ 監督/エリオット・シルヴァースタイン

出演/ジェーン・フォンダ/リー・マーヴィン/マイケル・カラン/レジナルド・デニー/ナット・キング・コール

こんな解説が ~ ナット・キング・コールの軽快な歌に乗せて、コミカルに展開するほのぼのウェスタン。そうなんだよね、なんとも珍しい西部劇なのにコメディ。どちらかというと、ジェーン・フォンダのアイドル映画の様相が。

ジェーン・フォンダが若い頃にこんなに可愛かったなんて、この前もどこかでおんなじことを言っていたような気がする。1960年に映画デビューして、この映画の時は28才、歳をとってからの彼女の映画しか見ていないので、結構そのギャップは大きい。

ナット・キング・コールが何故この映画に出演しているのか不思議だ。しかも西部劇とは関係ない二人組で、物語の進行役のように歌を歌っている。驚いたことに、歌手としてまだ絶頂時の1965年2月15日に、カリフォルニア州サンタモニカの病院で肺ガンにより死去したという。情報が正しければ、この映画の北米公開は1965年6月24日、映画が公開される前に亡くなったことになる。

『天国からのエール』

2011年(平成23年)・日本 監督/熊澤誓人

出演/阿部寛/ミムラ/桜庭ななみ/矢野聖人/森崎ウィン/野村周平

実話に基づいた映画だというにおいがぷんぷんしていて、いいようなわるいような。舞台は沖縄、沖縄嫌いの私には、ちょっとそっぽを向くような感じ。無理に沖縄弁を喋らなくてもいいのにと、思ってしまう。

主人公の妻役がいい。ミムラという女優、出てきたときにはなんと優しさに溢れた女優だろうと、驚いた記憶がある。単なる演技の問題ではない。人間としての心根が顔にあらわれている。性悪で意地の悪いクソ女の眉間には、意地の悪さがあらわれているのと対照的だ。

久しぶりに見た彼女だが、映画を見ている最中は誰だか分からず、誰だろうだれだろうと見ていたのだった。彼女もすこし歳をとったのか、印象がだいぶ違った。でもそのやさしいまなざしと、なんともいえない顔立ちには相変わらずの人間味が充分感じられて、嬉しかった。

『容疑者』(City by the sea)

2002年・アメリカ 監督/マイケル・ケイトン=ジョーンズ

出演/ロバート・デ・ニーロ/フランシス・マクドーマンド/ジェームズ・フランコ/エリザ・ドゥシュク

日本語を喋るロバート・デ・ニーロをはじめて見た。格好をつけて字幕スーパーがいい、と言っているわけではない。子供やお年寄りには日本語の方が都合がよいから吹き替え版でも仕方がないとおもうだけ。できれば本人の喋っている声を聞いた方がいいに決まっている。

渋くてなんともいえぬあの表情とマッチした声がいいのだ。それが妙に若々しく大袈裟で、本人が聞いたらお世辞にも似てると言わないだろう声を聞かされるのは苦痛だ。あの独特の日本語吹き替え版、舞台俳優のような喋り方がなんといってもいちばん気になる。

この物語の主人公は過酷な運命を背負っている。8才の時に親は死刑になって、その時逮捕した警察官が養父になって、主人公も敏腕刑事になった。今度は妻と別れて面倒すら見られなかった実の息子が殺人罪で追う身となった。親子の絆とはなんぞやと問いかける。

『天国の駅 HEAVEN STATION』

1984年(昭和59年)・日本 監督/出目昌伸

出演/吉永小百合/西田敏行/三浦友和/津川雅彦/真行寺君枝/中村嘉葎雄/丹波哲郎

おもしろくない映画ですね~。一番重要な冒頭部分を覚えていないくせに、後半になるとすこし思い出すシーンがあった。それにしてもおもしろくない映画。吉永小百合の濡れ場なんて見られたもんじゃない。女の情念とかいうやつがちっとも画面から伝わってこない。

どうにもならない女の心と身体、そんなものを演じる役者はそうざらにはいないが、明らかにミスキャストであることには間違いがない。映画をおもしろくする、成功させるということでキャストを組めば、無名でもそれらしい俳優がいるはずなのだが。

こういう映画を見ていると自分の精神状態がよく分かる。もしも、安定した精神状態ならこういう映画でも楽しく見られるかもしれない。なにしろ極めて不安定な状態がこうも続いていると、もう人間をやっていることを諦めた方がいいよ、という神の声が聞こえてくる。

『ギルバート・グレイプ』 (What's Eating Gilbert Grape)

1993年・アメリカ 監督/ラッセ・ハルストレム

出演/ジョニーデップ/ジュリエット・ルイス/レオナルド・ディカプリオ/メアリー・スティーンバーゲン

仕合わせとはいったいどういう状態のことをいうのだろうか。仕合わせとはいったいなにをさしているのだろうか。そんなことを考えながら見つめる映画。確かに以前見ている。なんとなく全体像を覚えていた珍しい映画。だが、映画の終わりは全く覚えていない。観終わってなるほど、これなら覚えていなくて当然と、ひとりで納得。

自分が生まれ育ったアイオワ州の小さな町から生まれてから一度も出たことがないギルバート。彼には重い知的障害を持つ弟アーニー、夫の自殺から7年の間家から出たことがない超肥満で過食症の母、ソファーにどっかりと座りテレビを見ながら1日を過ごしている。さらに二人の姉妹がおり、食料品店で働きながら家族の面倒を見ていた。そんな時、旅の途中でトレーラーが故障し、ギルバートの町にしばらくとどまることになった少女ベッキーと出会う。

弱者をいじめたり笑いものにしないアメリカ人がいる。それでも超肥満、おそらく2百数十キログラムの体重だろうと想定させる母親の姿は、小さな町の子供たちばかりか大人にも興味津々らしい。重度の知的障害者をディカプリオが演じる。19才の彼は18才役を見事に演じている。おそらく。

『ぱいかじ南海作戦』

2012年・日本 監督/細川徹

出演/阿部サダヲ/永山絢斗/貫地谷しほり/佐々木希/ピエール瀧/斉木しげる

なんというおもしろくない映画なのだろうと思いながら見ていたら、案の定いつの間にか眠っていた。起き出してから見直すことになるが、今度は2倍速で充分と、結局見たのか見なかったのか定かではなくなった。一応このタイトルを見たという実績だけが欲しかったようだ。

佐々木希がテレビに出てきた頃は、なんと可愛い娘なのだろうと、感動すらおぼえた。モデルならただ立っているだけで役に立つのだろうが、バラエティーで喋り始まった頃から印象が大きく変わった。どうも「まぐろ」なのだ。この頃ではなんでこんな芸のないテレビタレントを使うのだろうか?と不愉快にさえなってきた。この変わり様はなんなのだろうか。自分でも分からない。

エンドクレジットに原作椎名誠の名前を見つけて、さもありなんと思った。何故かこの作家を嫌いなのだ。元々本の世界には縁遠いのに、テレビでこの御仁を見たことも一度や二度しかないのに。不思議な感覚だ。いわゆる第一印象なのか直感なのか、ド頭から好きになれない人種の典型。もっともこちらが好きでも、相手に嫌われてしまっていれば、なんのこともないが。

『エンド・オブ・ウォッチ』(End of Watch)

2012年・アメリカ 監督/デヴィッド・エアー

出演/ジェイク・ジレンホール/マイケル・ペーニャ/ナタリー・マルティネス/アナ・ケンドリック

ロサンゼルス市警察(Los Angeles Police Department、略称:LAPD)ものだが、全編通して複数の登場人物の持つカメラ映像を中心に物語が進行するファウンド・フッテージ形式の作品。どこかで出てきたこの形式、観客としては見にくい映像の連続で、予算の少ないチープ作品に見えてしまう。

警察もの好きのアメリカ映画、変わった手法でなければ飽きられるとでも言いたげ。まともな手法で描けば、もっと素直におもしろい作品だったかもしれない。メキシコ系の警察官がスペイン語を話す犯人に対峙したとき、やっぱり言葉が通じるというのは結構なアドバンテージになっていた。

努力だけでは他言語を会得するのは難しい。頭の良し悪しでもない。パンパンだって英語がちゃんと喋ることが出来るというのは有名なはなし。アッパラパーだって男を騙す手練手管を持っている。

『アウトブレイク』(Outbreak)

1995年・アメリカ 監督/ウォルフガング・ペーターゼン

出演/ダスティン・ホフマン/レネ・ルッソ/モーガン・フリーマン/ケヴィン・スペイシー

見たことがあるのは確かだったが、とにかくまた見てみようと。日テレBSの映画放送は全部が吹き替えだけれど、仕方がなく見たりするのと同じ。この頃録画作品が少なくて、見る映画がないからしょうがない。いつごろ見たかの記憶はない。

途中で結構良く覚えているシーンにぶつかり、あっこれは意外と最近なんじゃないかなと、思いながらの鑑賞となった。このページのログに既に感想文があったら、今書いているものは霧と消える。なにも書いていないのと同じだから、気にすることもないか。

ウィルスのパニック・サスペンスでありながら、主人公の化学者夫婦は離婚したばかりの状態。そんなことをある意味メインとしてストーリーを作っているところが、さすがアメリカ映画。ウィルスの危機をお互いに乗り越えて、離婚の危機も乗り越えるのか。そんなハッピーエンドを平気で作り出すアメリカ映画がすごいし、すてきだ。

『マージン・コール』(Margin Call)

2011年・アメリカ 監督/J・C・チャンダー

出演/ケヴィン・スペイシー/ポール・ベタニー/ジェレミー・アイアンズ/ザカリー・クイント/デミ・ムーア

原題は金融経済用語、マージンコールは、「追い証」とも呼ばれ、信用取引や先物・オプション取引、外国為替証拠金取引、CFD取引などにおいて、差し入れている委託証拠金の総額が、相場の変動等によって必要額より不足してしまった場合に追加しなければならない証拠金のことをいう。

こういう世界は一番苦手なのだが、映画はそれなりにおもしろい。なにしろ、いわゆるリーマンショック、2007年に発生した世界金融危機に焦点を当て、金融危機のあいだに従業員たちが取る行動が描かれるのだから、おもしろくないわけがない。「すべては金さ!」という最高経営者の言葉が、今の時代のすべてを物語っている。「本日付を以て解雇です」と告げられるアメリカの会社。「あのアマ」と陰口をたたき、本人には面と向かって「クソ女」と罵るアメリカ人が羨ましい。

ただ当初は自主映画として制作されたということもあって、日本では劇場公開されず、DVDのみが発売されたらしい。二度ほど眠ってしまい、もう一度かえって見直したというのがそのまま評価に繋がろうか。

『暗殺者』(Assassins)

1995年・アメリカ 監督/リチャード・ドナー

出演/シルヴェスター・スタローン/アントニオ・バンデラス/ジュリアン・ムーア

スタローンが暗殺者とは。筋肉で暗殺するわけではないので、イメージが合わなくて見る方が戸惑う。20年前の映画、apple のノートパソコンが暗殺命令を送ってくる。ターゲットの写真も送ってくる。かなりデザインの古さが目立つノートパソコンだが、この当時では最新だったのだろうな~。

コードレスの電話機がまた大きくて古い。たった20年前のことをこんなに古く感じるのはこういう機器ならではだろう。人間の心の中が同じように変わったのだろうか。当時も使っていて、同じ役割の機器を今も使っているものを比較すれば、まさしく10年ひとむかし、人間はここまで進歩できるのかと驚く。

自分のこの感覚を維持しながら、100年後の世界が見てみたいという欲求はさらに高まってくる。そんなことは無理だよ、ということは簡単だが、もしかすると100年後に、「やあ~」といって挨拶しているかもしれないよ。

『そんな彼なら捨てちゃえば?』(He's Just Not That into You)

2009年・アメリカ 監督/ケン・クワピス

出演/ベン・アフレック/ジェニファー・アニストン/ドリュー・バリモア/ジェニファー・コネリー/ケヴィン・コナリー

このおちゃらけた題名はなんなのだ。原題を Google 翻訳にかけたら「彼はただそれほどあなたに夢中ではない」、めずらしく意味の分かる日本語が出てきた。見ていると、どうもあの流行った『Sex and the City』と同じようなテイストなのが、すごく気になった。

この Sex and the City は、好きな映画ではなく、適当に見た記憶があるが、同じようにただ男と女のうわべだけを切り取ったような話の作りかたに、不快感がすこし。おとこの気持ちはこうだとか、女の気持ちはこうだとか、週刊誌の人生相談をまとめたような内容は、今更聞いてもおもしろくない。

自分の気持ちさえ明確に語ることが出来ないのに、他人のことなど分かろうはずがない。ましてやこちらが好きなのに、なかなか振り向いてくれない異性のことなんか、もうどうでもいいこと。自分の気持ちがぶれなければ、人生は楽しいということが身にしみているだけ、歳をとった意味がありそうだ。


2018年4月17日意図していないのに再び観たので記す

『そんな彼なら捨てちゃえば?』(He's Just Not That into You)

2009年・アメリカ 監督/ケン・クワピス

出演/ベン・アフレック/ジェニファー・アニストン/ドリュー・バリモア/ジェニファー・コネリー

なんという邦題。これが映画の題名でヒットするんだったら、こんな容易いことはない、と思えるが、そんなことに関係なく当たっていたら申し訳ないと謝るしかない。この原題をGoogle翻訳に掛けたら次のような日本語が表示された。「彼はあなたに興味を持っていないだけです」 原題も結構チャラかった。映画もかなりチャラい。ここまでチャラいアメリカ映画も珍しい。

若い男も女も、異性を追っかけてばかりの映画。こちらが若ければ、少しは理解できるところもあるだろうが、こうも一方的な恋愛話ではちょっとばかり嫌気がさしてくる。

高級官僚が夜の街に繰り出して「おっぱい触っていい」なんてことを日常言っているとは、なんという不謹慎な人生なのだろうか。夜の席ではよくあることだとテレビ画面では言っている。ホントかい!?酒を飲まない輩には、到底信じられない言い草に聞こえる。しらふで「おっぱい」何て言うことを目の前の女性に言えるほど、狂気的な精神ではないことを誇りに思う。

『トランス』(Trance)

2013年・イギリス 監督/ダニー・ボイル

出演/ジェームズ・マカヴォイ/ロザリオ・ドーソン/ヴァンサン・カッセル/ダニー・スパーニ

黒人女性のカウンセラーが登場し、患者を催眠状態(トランス)にして治療を施す。そんなところがキーポイントなのだが、トランス状態の患者の行動が現実なのか夢の中なのか、いつもの映画的映像が繰り広げられ、観客をただ戸惑わせるだけ。卑怯な手法で、見ていて飽きが来るのは多くの作品を見過ぎたツケかもしれない。

絵画を盗むというポイントもある。ルネサンスの芸術絵画には下半身のヘアーが描かれていない、と主人公が拘り、カウンセラー女性との痴戯でそんな映像が。映倫ではOKになったのだろうか?ビデ倫では本当にOKしたのか。なんとワ○メちゃんが見えていた。現役時代には保税試写で修正前の映画を何度も見ているが、ほとんど下半身に気が向くことはなかった。社員全員、そんなものどうでも良かった。ロードショーで当たるか当たらないかが問題だから。あるいは修正費用がかかるなら、もっときちんとチェックしなければ、とそんな感覚だった。

複雑な話の展開をするのは、こういうサスペンス映画の常套手段。もっと単純に見せた方が、もっとおもしろくなるのに。

『愛のメモリー』(Obsession)

1976年・アメリカ 監督/ブライアン・デ・パルマ

出演/クリフ・ロバートソン/ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド/ジョン・リスゴー/ワンダ・ブラックマン

嫌いな日本の歌手の持ち歌と同じ題名では観る気が一瞬うせた。監督がブライアン・デ・パルマだというので気を取り直した。監督名も俳優の名前も覚えようとしないのにこの監督は良く覚えている。ヘラルド時代の配給作品『殺しのドレス』(Dressed to Kill・1980年)があったから。

辞書では、obsession:1.取りつくこと,取りつかれていること 2.妄想,強迫観念,執念。この監督はサスペンス大好きで、いろいろな仕掛けをしてくるので有名。早々と誘拐事件が起こり妻と娘を殺されてしまう。その後の仕掛けが淡々としていて、なにかあるに違いないと思わせられるだけで、監督の思うつぼか。

妻によく似た女性を見つけてまた好きになるなんて。と思ってしまうが、現実はやっぱりこんなものだろう。いつも好きになる顔立ちはどことなく似ている。違うのは心の中や考え方。よっぽど酷くなければ、ずーっと好きでいられて仕合わせなのだが、時にはクソみたいな女に出会う不幸もある。

『ザ・バンク 堕ちた巨像』(The International)

2009年・アメリカ/ドイツ/イギリス 監督/トム・ティクヴァ

出演/クライヴ・オーウェン/ナオミ・ワッツ/アーミン・ミューラー=スタール

刑事ものだが、今回は珍しいインターポーもの。国際刑事警察機構( International Criminal Police Organization、略称:ICPO)は、国際犯罪の防止を目的として世界各国の警察機関により組織された国際組織である。インターポール(Interpol、テレタイプの宛先略号より)とも呼ばれる。加盟国は190か国(地域)を数え、国際連合に次ぐという。

おもしろいのだけれど、いつものアメリカ的警察ものとはなにかが違う。妙に理屈っぽくて、話がまとまらない。なんか自分を見ているようで、反省してしまうのは何故だろう。

結局インターポールには逮捕権もなく、犯人を最終的に追い詰めることは不可能らしい。ぬくぬくと大企業や政府は、知らない裏世界で密接に繋がっていて、いっかいの刑事ではなにも出来ないらしい。そこを打ち破るには、やっぱりアウト・ローの法則しかないのだと、この映画も語っている。

『ショーシャンクの空に』(The Shawshank Redemption)

1994年・アメリカ 監督/フランク・ダラボン

出演/ティム・ロビンス/モーガン・フリーマン/ボブ・ガントン/ウィリアム・サドラー

いい映画は何度見てもいいといわれるけれど、しっかりとシーンやストーリーを思い出せない特技がちょうど良い。なんとなく結末は覚えていたが、刑務所からどうやって脱出したのかの肝心なことを忘れてしまっている。

冤罪によって投獄された有能な銀行員が、腐敗した刑務所の中でも希望を捨てず、懸命に生き抜く姿を描いた作品である。原題の"Redemption"は「罪を贖う」という意味と同時に、債券などの「満期償還」や「買戻し」「回収」という意味をもつ言葉であるという。

刑務所の所長や刑務官たちが極悪非道の行為をしなければ、こんな映画は出来上がらない。そこまでアメリカの刑務所が酷かった時代があったのかと信じられない。『グリーンマイル』(The Green Mile・1999年)もそうだがアメリカの刑務所映画はおもしろく質が高い。いずれもスティーヴン・キング原作。キャリー( Carrie・1974年)はじめ、ホラーの巨匠としても有名。

『孤高のメス』

2010年(平静22年)・日本 監督/成島出

出演/堤真一/夏川結衣/吉沢悠/中越典子/成宮寛貴/余貴美子/生瀬勝久/柄本明

直前に観た映画が久しぶりに出逢えたいい映画だったせいなのか、この映画もなかなかいいじゃない、と思えた。意地悪の医者が出てきてちょっと違和感があった。原作:高山路爛、作画:やまだ哲太による日本の漫画作品、『ビジネスジャンプ』に1989年より4年間連載された。漫画が原作なら。

手術のシーンで内蔵を明らかに見せる手法はいつ頃から出てきたのだろうか。見たくないシーンということもあり、テレビドラマの病院や医者ものを見たことが一度もない。そんなシーンは想像だけにとどめることは出来ないのだろうか。

活字が原作の病院、医者ものと違って、漫画が原作の世界はなんとなく、どこかが違う。そのくせちょっとばかり感動的で、直前見た作品と続けて涙が潤いコンタクトレンズの具合がよくて、心地良かった。一途な職人たちの尊いプロ意識が素晴らしい。やわな場当たり的場末の人間たちを正面からののしれる。

『最高の人生のはじめ方』(The Magic of Belle Isle)

2012年・アメリカ 監督/ロブ・ライナー

出演/モーガン・フリーマン/ヴァージニア・マドセン/エマ・ファーマン/マデリン・キャロル/キーナン・トンプソン

こういう映画に会いたいために生きている。久しぶりに出会って、観おわってしばらくは最高の気分でいられた。体調もいい。なんくせをつけるなら、同じような「最高」「人生」を組み合わせた邦題が多すぎて、見る前から、あれっこの映画見たことあったようなと、悩ませられるのがちょっと。

そんな邦題の問題をさておいて、なんという気分の良い映画なのだろう。監督のロブ・ライナー、現役時代ヘラルドが配給した『恋人たちの予感』(When Harry Met Sally...・1989年)で、よく知っている。おそらくウマが合う監督なのだろう。他の人がどのくらいおもしろく感じるのか知りたいものだ。

映画の内容をここで書いてここがいいとかいいたくない映画。是非観て欲しい。いつも言っている、人間と人間の心と心のふれあいが理想的。知的だ。馬鹿な世間ばかりに囲まれて生活してきた輩には絶対感じられない、味わう事が出来ない人生の喜び、いいな~。

『泥棒は幸せのはじまり』(IDENTITY THIEF)

2013年・アメリカ 監督/セス・ゴードン

出演/ジェイソン・ベイトマン/メリッサ・マッカーシー/ジョン・ファヴロー/アマンダ・ピート

1時間51分のうち1時間30分は不愉快なクソ映画に思えた。日本未公開も仕方なしか。邦題もいかにもビデオ会社の連中が何気なくつけた、といった風情。原題の意味は他人のアイデンティティを盗むということ。そして偽造カードを作りカードで買い物をしまくるというはなしだ。

主人公は男で「サンディ」という名前。アメリカではどちらかというと女性の名前らしい。主人公にいわせると「男女共有」の名前だという。女が泥棒、盗んだIDは男だが、世間的にはそんなカードが平気で使えるようだ。そこらあたりが面白味の初めなのだろうが、異国人にはなかなか伝わらない。

わけがあり、この二人が車に同乗してロード・ムービーのように話が展開する。コメディのためのコメディといった感じで、クソ映画になってしまうのだ。クソ女のことを思いだした。「クソ」は悪い言葉と教えられても、使わないわけにはいかない。

『リーサル・ウェポン2/炎の約束』(Lethal Weapon 2)

1989年・アメリカ 監督/リチャード・ドナー

出演/メル・ギブソン/ダニー・グローヴァー/ジョス・アクランド/パッツィ・ケンジット

わりあい最近見た1作目が思いのほかおもしろかったので、2作目は喜んで観始まったという感じ。ところがどうだ、いきなりコメディーかと思わせるような始まり方で、そのあとも変わりなくおちゃらけていてかなりがっかりした。

何も考えずに、いわゆるカウチポテト状態で映画を見るなら、こういう映画は相応しいだろう。観終わったあとには何も残らないし、何も感じない。不感症状態と同じだ。心に響く何も残さない女と同じようなもの。嫌みや憎しみだけが残骸では、生きていて楽しくない。

血の通った人間ならば、同時代に生きた喜びを共有できるはずなのに。サラリーマン現役時代、毎日のように開催していた中国文化研究会、「同じ時代に生きていて嬉しい」とお互いに誉め合って、金のやりとりをしていたことを、鮮明に思い出す。


『リーサル・ウェポン3』(Lethal Weapon 3)

1992年・アメリカ 監督/リチャード・ドナー

出演/メル・ギブソン/ダニー・グローヴァー/レネ・ルッソ/ジョー・ペシ

20年以上経ってからこのシリーズを観ている。結構おもしろい。もんもんと時間をやり過ごしている日には、こんな映画がいい。コメディというのではなく、真面目なんだけど急におちゃらけたりして、その段差がおおき過ぎてなんと表現して良いか分からないくらい。

この時代のアクションとしては最高の出来なのではなかろうか。今観ても、この頃のCGを駆使した映像より、はるかに見栄えがするのには、どこか秘密があるのだろう。アメリカ映画らしく、警察、刑事ものなのに、きちんと男と女の話も混ぜられていて、満腹になりそうだった。

主人公のひとりの刑事が、銃撃戦の末少年を撃ち殺した。少年だったことにその刑事は強くショックを受けていた。ちょうど今日のニュースで、アメリカの射撃練習場で、自動小銃の撃ち方を教わっていた少女が自動小銃を支えきれず、銃口を教官の方に向けてしまって、教官が死んだという。最後のシーンはさすがに映像がなかったが、その直前までの映像が全世界に配信されている。なんという銃社会。アメリカの病弊は大きい。

2014/8/31

『君と歩く世界』(De rouille et d'os)

2012年・フランス 監督/ジャック・オーディアール

出演/ マリオン・コティヤール/マティアス・スーナールツ/アルマン・ベルデュール/セリーヌ・サレット

両脚を失い絶望した女性が、ひとりの男性との出会いを経て再び人生に希望を見出していく姿を描いた人間ドラマ。主演は「エディット・ピアフ 愛の讃歌」のオスカー女優マリオン・コティヤール。監督は「真夜中のピアニスト」「預言者」の名匠ジャック・オーディアール。南仏アンティーブの観光名所マリンランドでシャチの調教師として働く女性ステファニーは、事故で両脚を失う大怪我を負い、失意のどん底に沈む。そんなある時、5歳の息子をひとりで育てているシングルファーザーのアリと出会い、不器用だが真っ直ぐなアリの優しさに触れたステファニーは、いつしか生きる喜びを取り戻していく。 ~ 映画.comより

これだけの情報なら見たいと思うかもしれない。だが現実は厳しい。DVDを借りるとき、ミニシアター系と思われるものを選ぶ傾向にあるが、この作品同様暗くてじめじめした作品が多いのが難点。両足の膝から下を失っても、男とセックスすることにより、自信と喜びを取り戻すという一面もあり、人間の生活、生きる喜びをちょっと教えてくれる。ただ映画はひたすら暗く、扱っている題材を、なにも映画で見たくないという部分が多すぎる。ちょっと閉口。

『動く標的』(Harper)

1966年・アメリカ 監督/ジャック・スマイト

出演/ポール・ニューマン/ローレン・バコール/ジュリー・ハリス/アーサー・ヒル/ジャネット・リー

なーんだ、そういうことだったのか。 ロス・マクドナルドの1949年のミステリ小説『動く標的』を原作としている。 イギリスで公開された際のタイトルは原作の原題と同じ『The Moving Target』である。映画の原題「ハーパー」は私立探偵である主人公の名前。

刑事コロンボは今でもテレビ放映されている。推理ものはおもしろい。日本のテレビドラマの大半も殺人事件推理ドラマじゃないかと思われるほど。一度もそんなテレビドラマを見たことがないけれど、映画なら仕掛けが大きくて見ていておもしろい。

少しは複雑な仕掛けを作っているが、今どきの映画に比べたら幼稚園のようなもの。ヒッチコックのようにいつ見ても色あせない映画には及ばない。くっだらないバラエティー番組を見るくらいなら、こちらの方が何倍もおもしろいことは確か。価値観がちがうから、と屁理屈にもならないことを平気でほざく輩には、「価値観」を言う能力を認めない。

『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々/魔の海』(Percy Jackson: Sea of Monsters)

2013年・アメリカ 監督/トール・フロイデンタール

出演/ローガン・ラーマン/ブランドン・T・ジャクソン/アレクサンドラ・ダダリオ/ジェイク・アベル

「ナルニア国物語」や「ハリー・ポッター」のようなテイストを感じて、あれっ借りてくるものを間違えたかな、とちょっと後悔しながらの鑑賞となった。最初からそのつもりなら、覚悟が出来ているが、あとでそんなつもりじゃないからと言われるのと似ている。

子供ものなのか、大人が喜ぶのかまったくみえない映画。少なくともこの老人には向いていなかった。一貫性がない映像が続くのがおもしろくない。主人公は神と人間の半神という種族らしいが、よくあるように超能力が都合良く使われ、えっここも超能力で切り抜けろよ! などとちゃちを入れたくなってしまう。

いつまでも子供心を持ち続けたいとは思う。成長しない肥満児のような奴ばかりでは困る。飽食足って礼節を忘れる昨今の人間、いつまでも初心忘れるべからずという意味での子供心でありたい。

『7BOX セブン・ボックス』(7 cajas)

2012年・パラグアイ 監督/フアン・カルロス・マネグリア/タナ・シェムボリ

出演/セルソ・フランコ/ビクトル・ソサ/ラリ・ゴンザレス/ニコ・ガルシア

歴代の映画製作本数が20本にも満たないという映画後進国のパラグアイで製作された長編映画。同国内で大ヒットを記録し、サン・セバスチャン映画祭など海外の映画祭でも多数受賞を果たしたアクションスリラー。パラグアイのスラム街を舞台に、謎に包まれた7つの箱を運ぶ仕事を引き受けた少年ビクトルが、箱を狙うギャングやスリ、警察にも追われるはめになり、命懸けの逃走劇を繰り広げる。日本ではSKIPシティ国際Dシネマ映画祭2013の長編コンペティション部門で上映された。 ~ 映画.comより

観終わってみると意外とおもしろいじゃん、という感想も言えるけれど、観ているときが結構辛い。映画的ななにかに欠けているからなのだろう。いろいろなところに仕掛けをしてストーリーをおもしろくしている努力はうかがえるが、やっぱりなにかが足りない。一所懸命生きているのに、その必死さや心根が伝わってこない人のようだ。誠意がなければ、うわべの嘘っぽさが致命傷になる。そういえばこの映画に出てくる人たちもウソばっかりいって、その場しのぎをしている。平気でウソのつける人が羨ましい。

『風の音、愛のうた』(LOVING YOU, LOVING ME)

2011年・タイ 監督/ピーラサック・サックシリ/プッティポン・サーイシーケーウ/サヨムプー・ムックディープロム

出演/パッチャイ・パックディースースック/アピンヤー・サクンチャルーンスック/ソムチャイ・サックディクン

2011年秋に行われた「第12回NHKアジア・フィルム・フェスティバル」で上映され、NHK-BSで放送されたもの。日本での劇場未公開。残念ながら、日本の劇場でお金を取って上映できるものではない。話はおもしろくなくはないのだが、映画として表現する力が弱い。

北朝鮮にだって映画はある。どんな国にも映画製作者はいる。数多くの映画を見ていると、何を言わずともいい映画、悪い映画の区別が出来てしまうことがおそろしい。ほんらい、悪い映画などないのであろうが、おもしろくない映画を悪い映画と呼んでしまうことも、もしかすると間違いなのかもしれない。

ただお金をとって劇場公開する商業映画は、おもしろくなければその使命を果たせない。製作者、監督がどれだけおもしろいと思っても、観客がおもしろいといわない限り、劇場にお客は集まらない。見ていないのにおもしろくないと、言い切れないのに、どうしてお客はそれを察知するのだろうか。現役時代から不思議だった。おもしろくない映画に宣伝費をつぎ込んでも、やっぱり駄目なものはダメと結果が証明していた。何度、そういう痛い目にあったことだろう。今から考えると、恐ろしい話だ。

『インポッシブル』(Lo Imposible)

2012年・スペイン 監督/J・A・バヨナ

出演/ナオミ・ワッツ/ユアン・マクレガー/トム・ホランド/サミュエル・ジョスリン

冒頭のクレジット「2004年12月26日、アジア南東の海岸が大津波に襲われた。それにより、世界各国の無数の家族が人生を変えられた。これはそんな家族の体験を描いた真実の物語である。」 エンドクレジットには「これはマリア、キケ、ルーカス、トマス、シモンの実体験を基にした作品である。」

いわゆる「2004年のスマトラ島沖地震による津波」に巻き込まれたスペイン人一家の実話の映画化。だから製作国はスペインだ。日本で働いているこの家族はクリスマス休暇で遊びに来ていた。一瞬にして津波が襲うシーンが生々しい。マグニチュード9.1の地震、死者22万人、負傷者13万人という桁違いの災害である。特撮も凄いが、その後の3.11をまのあたりにして、つくりものだと平静ではいられない。

そうそうに津波にのまれ、さまよい、病院に収容される。その後の家族の探しあいがメインの映像。ちょっとばかり映画的に感動を呼ぼうとする意図がうるさい。そんなに訴えなくたって、その悲惨さは伝わってくるのだから。

『天使の分け前』(The Angels' Share)

2012年・イギリス/フランス/ベルギー/イタリア 監督/ケン・ローチ

出演/ポール・ブラニンガン/ジョン・ヘンショウ/ウィリアム・ルアン/ガリー・メイトランド

“天使の分け前”とは、ウイスキーなどが樽の中で熟成されている間に、年2%ほど蒸発して量が減るらしく、業界ではそれを天使の分け前と称している。そういうことらしい。きれいな表現、天使というひびきは、実態とかけ離れていても心地良い。

映画の題名にも「天使」のついた邦題は数多い。この映画のように原題に「エンジェル」が付いているケースの方が少ない。日本人には心地良いからってそんな題名を平気でつけていた時代が懐かしい。題名とは反対に内容はシビア。刑務所から社会に戻った若者が主人公。ウイスキーの利き酒、幻のウイスキー樽のオークション、と題名は飾りだけではない。そして未来の希望が。

社会奉仕100時間とかの罰を受けた人が、マイクロ・バスに乗って、同じような人たちとペンキ塗りをしたり、公園の清掃をしたりする姿が、先進国イギリスらしく映った。主人公が怪我を負わせた被害者家族と刑務所を出てから面会をさせられ、その被害者家族から罵倒されている。しかも主人公は今の恋人と一緒なのだ。そんな光景は日本では考えられない。さすが大きな意味での社会的先進国だと思わざるを得ない。

『クロニクル』(Chronicle)

2012年・アメリカ 監督/ジョシュ・トランク

出演/デイン・デハーン/アレックス・ラッセル/マイケル・B・ジョーダン

なんだか訳の分からない映画だった。ので、すぐに引用。Wikipediaより~SF映画である。トランクの映画監督デビュー作である。シアトルを舞台とし、何処にも居場所の無いナイーブな少年が主人公、その従兄弟、皆の人気者の高校生3人組が超能力を手に入れ次第に暴走してゆく物語をファウンド・フッテージ形式で描く。

ファウンド・フッテージとは、映画 (やテレビ番組) のジャンルの一つで、モキュメンタリーの一種。撮影者が行方不明などになったため、埋もれていた映像という設定のフィクション作品。撮影者と無関係な者の手に渡り、そのまま公開されることになった設定である。第三者によって発見された (found) 未編集の映像 (footage) なので、ファウンド・フッテージと呼ばれる。ホラー作品が多い。なお、既存の映像をコラージュして作られた映像などもそう呼ばれる。

これでも訳が分からないと思う。そんな映画だ。人間だって訳の分からない人間と称するのが相応しい人がいる。そんなことを想像すれば、この映画の価値も分かろうというもの。

『蝉しぐれ』

2005年(平成17年)・日本 監督/黒土三男

出演/市川染五郎/木村佳乃/緒形拳/原田美枝子/今田耕司/ふかわりょう/小倉久寛/田村亮

とうの昔に見ていることは確かだが、始まってもちっとも筋を覚えていない。この特技は凄い。時々、明白に見たシーンが飛び出すのも特技。父親の遺体を大八車に乗せて、坂道をのぼって行くシーンは、はっきりと。

藤沢周平原作の映画はおもしろい。珍しく何冊か小説を読んだことがあるが、海坂藩という架空の雰囲気が映像の方がいいという感じがする。ただ雰囲気が同じような感じがして、ほかの物語と混同してしまうのが難点。あれっ!この映画に木村拓哉は出ていないんだっけ、てな具合。

武士時代の主従関係はある意味むごい。よく描かれる忍従というやつ。こういう映画を見るたびに、どんどん植え付けられる心。そうして人間は成長して行くのかもしれない。バーチャルでも経験をすればするほど、人間っぽくなって行くのだろう。毎晩ビールをかっくらってバカ番組ばかり見ているのでは、とうてい進歩などはのぞむべきもない。

『デンバーに死す時』(Things to Do in Denver When You're Dead)

1995年・アメリカ 監督/ゲイリー・フレダー

出演/アンディ・ガルシア/ガブリエル・アンウォー/クリストファー・ウォーケン

『ベニスに死す』(Death in Venice・1971年)という有名な映画をもじってつけられた邦題かと思いきや、原題直訳でも文句は言えない感じがなんか妙な雰囲気。それなりに見せてくれる。今までにはお目にかかれなかった一種のギャング映画。犯罪そのものではなく、血の掟というテーマ。

「聖人ジミー」と呼ばれた元ギャングが主人公。聖人と呼ばれる理由が分かる。ここが映画のポイント。映画業界人間にも通じる人情という奴。仲間を決して捨てない、裏切らない。どころか、仲間のためなら自分の危険をかえりみないで生き抜く。そんな人間には滅多に会えない。簡単に裏切られて、ぎゃふんと言うのが現実。現実は厳しすぎる。

ヤクザになることはないけれど、ギャングになることもないけれど、映画の中で見る、彼らの心根は見習いたい。そう小さい頃から思っていたが、歳を取っても同じようなことを考えている。進歩してないのか、一貫性があるのか。誉められるとすれば、友を裏切らない心だろうか。

『秘剣ウルミ バスコ・ダ・ガマに挑んだ男』(URUMI)

2011年・インド 監督/サントーシュ・シヴァン

出演/プリトヴィーラージ/プラブ・デーヴァ/ジェネリア・デソウザ

れっきとしたインド映画だが例の踊りは冒頭1回のみ。今までインド映画に騙されたことはなかったが、今回はどうも。日本劇場未公開はもっとも。勇気のある配給会社なんていないだろう。

映画は現代のインドの都市に住む青年が、先祖から受け継いだ土地を売れば大金が入ると持ち掛けられるところから始まる。故郷の村の学校の敷地は、鉱山として開発する価値のある資源の眠る土地だという。ところが村の学校を訪問してみると、鉱山の開発は環境破壊につながるので考え直せといわれ、さらに土地の人々から彼の先祖がもっていた秘剣ウルミを渡されて、先祖の物語を聞かされる。

喜望峰からインド洋を渡って南インドに到着したポルトガルの冒険家ヴァスコ・ダ・ガマは悪い奴だった、と映画が言う。世界の歴史は欧米の歴史で、インドの歴史ではないとも。どこかで聞いた事のあるような歴史に対する認識!?

『風雲児 織田信長』

1959年(昭和34年)・日本 監督/河野寿一

出演/中村錦之助/香川京子/里見浩太郎/月形龍之介/進藤英太郎/中村賀津雄

おもしろい。この織田信長がいちばんしっくりしている。そう思うには、もしかすると昔に見ているからかもしれない。テレビドラマや映画でも他の人の織田信長を見るけれど、なかなかぴったんこというイメージの人が出て来ない。中村錦之助の以下の解説もおもしろい。

昭和時代劇を代表する大スター。歌舞伎俳優から映画・テレビの時代劇俳優に転じて成功。若い頃の芸名は歌舞伎名跡の中村錦之助。抜群の演技力を誇り、大映の市川雷蔵と共に、時代劇若手二大スターとして映画界に君臨した。1971年に小川家一門が播磨屋を抜けるかたちで「萬屋」の屋号を使いはじめてからは萬屋錦之介に改めた。父は三代目中村時蔵、俳優の中村嘉葎雄は弟、五代目中村時蔵、二代目中村錦之助、二代目中村獅童はそれぞれ甥にあたる。妻はいずれも女優の有馬稲子(初婚)、淡路恵子(再婚)、甲にしき(再々婚)。長男で俳優の島英津夫と、芸能人ではない次男は淡路の連れ子。実子は淡路との間に三男の小川晃廣(元俳優、1990年にバイク事故死)と四男の萬屋吉之亮(元俳優、2004年に窃盗罪・家宅侵入罪で実刑判決、2010年に自殺)。~Wikipediaより

親分の気構え、妻の気構え、大番頭の気構え、従う人の気構えがよく分かった。香川京子の信長の妻濃姫が凄くいい。こんな感じの人だとは今まで知らなかった。

『スマイル、アゲイン』(Playing for Keeps)

2012年・アメリカ 監督/ガブリエレ・ムッチーノ

出演/ジェラルド・バトラー/ジェシカ・ビール/キャサリン・ゼタ=ジョーンズ/デニス・クエイド

第33回ゴールデンラズベリー賞ではジェシカ・ビールが『トータル・リコール』の出演と合わせて最低助演女優賞にノミネートされた。というくらいだから、映画そのものも評価が低いのはしかたがないことか。

スコットランド南西部の都市グラスゴーを本拠地とするサッカークラブチームのセルティックのスター選手だった主人公。今は元妻の母国アメリカに住んでいる。往年のスター選手も今や無職でお金もない。1週間に1度会える息子だけが生きがいのようだ。それにしてもアメリカ映画の夫婦は離婚率が90%くらいの感じ。それでなければ映画が成り立たないという風情。

ちょうどワールドカップで日本が予選リーグ敗退の時期と重なった。どのチームも堅守速攻と称されているのに、堅守でもなければ速攻もできない日本チームが勝てるわけがない。小学生からようやく20歳過ぎになったような日本チーム、その進歩速度は年齢に比例するように確かに速かった。しかし同じ時間を掛けて世界のチームが大人からさらに強化された成人になっていることを知らなかった。それは選手ばかりではなく、うざい日本のマスゴミ(塵)に顕著にみうけられる。

『ビトレイヤー』(Welcome to the Punch)

2013年・イギリス 監督/エラン・クリーヴィー

出演/ジェームズ・マカヴォイ/マーク・ストロング/アンドレア・ライズブロー

原題とはまったく違い、しかも意味の分からない邦題をつける気が知れない。たまたま手に取ったDVDだったけれど、意外とおもしろかった。いわゆるクライムアクションとかいうやつ。むしろ警察ものだがこのごろはやりの、内部裏切り者ばかりで、何が何だか分からなくしてある意図を強く感じる。

ガチガチのイギリス英語を喋る役者ばかりで珍しく思える。アメリカのアクション映画を見慣れていると(といってもアクション映画を好んで観ているわけではないが)、他の国のアクションを見たときに、なにかちがうな~という感覚が起こる。不思議なものだ。よく会うことがある女性が髪の毛を切ったときにすぐに気付くのと同じようなもの。

警察という組織の上司や同僚が犯罪者側だったら、一体どうしたらよいのだろうか。そんな警察内部の人間より大きな犯罪を犯しても、決して殺人が目的ではなく、むしろ仁義を求める人間たちの方が信用ができる。そんな映画内容。確かにうわべだけの思わせぶりの信用をひけらかすゲスやろうなんて、人間の風上にもおけない下等人種と断罪しておこう。

『真夏の方程式』

2013年(平成25年)・日本 監督/西谷弘

出演/福山雅治/吉高由里子/北村一輝/杏/山﨑光/塩見三省/白竜/風吹ジュン/前田吟

また東野圭吾か、と思っていたら、福山雅治主演のフジテレビのテレビドラマ『ガリレオ』の劇場版第2作で、ガリレオシリーズの映画化は『容疑者Xの献身』以来5年振りとなるという。よくできた話だと思う。前作もそういう印象があった。

ただ出来過ぎた推理ものの話を、出来上がった脚本通りに役者が演じる映像が、どれだけおもしろいかというと、さほどの興味がわいてこないというのが正直なところ。テレビ・ドラマはそれをちんけな予算で製作するものだから、観る気にもなれないというのが現状。映画なら。

物理学者が推理の原点を探ってゆくあたりに原作者の才能がみえる。映画的には、それを一度壊して、どうしたら大きなスクリーンで感動を与えられるかという視点から再構築した方がいいだろう。映画の中での玻璃ヶ浦という美しいロケ地は西伊豆の浮島海水浴場、最寄りの駅玻璃ヶ浦駅は愛媛県松山市伊予鉄道高浜線の駅「高浜駅」だということだ。

『花嫁と角砂糖』(Yek Habbeh Qand)

2011年・イラン 監督/レザ・ミル・キャリミ

出演/レザ・キヤニアン/ナガール・ジャワヘリアン/サイド・プールサミミ/ファルハド・アスラニ

久しぶりのイラン映画、異文化に触れることは楽しいはずなのに、あまりにも日常的な話の連続では、爆睡もやむを得ないところか。物語は、五人姉妹の末娘パサンドの結婚式のために続々と集まって来た親族たちが繰り広げる数日間を描いた群像劇。

情報がない中で見るこの映画は、人間関係を考えているだけで集中できなくなってしまう。昔の日本でもたくさん見られたように、結婚式ともなれば一族郎党が日本全国から集まってくる風景と似ている。誰が誰やら、おもしろいというわけにはいかない。

文化が違えば価値観が違う。どんな考えや行動が興味を惹くのか、共感できない部分が多すぎて、困ってしまう。こちらが歳をとり過ぎてしまったらしい。現実の世界でも、計り知れない価値観に戸惑いが。そろそろおさらばしなくては。周りの人たちに迷惑をかけるだけになってしまっているに違いない。

『偽りなき者』(JAGTEN)

2012年・デンマーク 監督/トマス・ヴィンターベア

出演/マッツ・ミケルセン/トマス・ボー・ラーセン/アニカ・ヴィタコプ/ラセ・フォーゲルストラム

えらく暗い、いやな映画。こんな映画を好んで観る人もいるだろうけど、そういう人に会って是非長時間はなしをしてみたいものだ。デンマークという国民性もあるのだろうか。そのあたりのところは、デンマーク人や住んだことのある人に尋ねてみたい。

中年の男は幼稚園の先生。日本の幼稚園とはちょっと違う。小さな保育園のよう。子供たちに人気がありそう。外で一緒に遊べるのは彼しかいない。あとは女性のせんせいだけ。あるひ、一人の女の子が園長とはなしをした。あの先生のおちんちんを見た。と。しかも太くおっ立ってたなどとも。こういう話が出るまでにはいきさつがあるがそれは映画を観なくては。ここからがひどい。中年女性の園長は勝手に話を膨らませていってしまう。ほかの先生、教育委員会のような人、警察にまで届ける。町中に知られる。ところが実は、この女の子の話は全くの作り話。事実無根どころではないのだ。

デンマークの小さな田舎町中が集団催眠にあったように彼を「変質者」扱いする。こんな話は耐えられないよな。子供たちには好ましい人物が、まったく逆の扱いを受ける。日本の村八分もこんなものだったのだろうと想像する。暗くて嫌な映画だけれど、結末が見たくて我慢していた。観終わってもすっきりしないのが難点。プロの映画評論家たちが泣いて喜びそうな映画。

『モネ・ゲーム』(Gambit)

2012年・イギリス/アメリカ 監督/マイケル・ホフマン

出演/コリン・ファース/キャメロン・ディアス/アラン・リックマン/スタンリー・トゥッチ

キャメロン・ディアスがでてくると、コメディ映画だろうと想像してしまう。観始まったらやっぱりそうで、それにしてはおもしろくない映画。クライムコメディ映画というが、クライムは犯罪のこと、なんのことはない1966年の映画『泥棒貴族』のマイケル・ホフマン監督によるリメイク作品だという。

それにしてもおもしろくない。これだけの役者を揃えてドタバタでは、観客が泣くよ。Rotten Tomatoesでは29件の批評家レビューで支持率は14%となっている。かなりの低さで納得。こんな映画を作ったら、会社のひとつやふたつが簡単に潰れてしまっているだろう。

昔「泥棒貴族」のテレビシリーズがあった。高校生か大学生の頃だと思う。すごくおもしろくて毎週欠かさず楽しみに見ていたことを思いだした。泥棒が悪いなどという感覚ではなく、ねずみこぞう的庶民大喝采の大泥棒が妙に気に入っていた。


2018年8月18日再び観たので記す。

『モネ・ゲーム』(Gambit)

2012年・イギリス/アメリカ 監督/マイケル・ホフマン

出演/コリン・ファース/キャメロン・ディアス/アラン・リックマン/スタンリー・トゥッチ

またまた眠ってしまったら、映画は終わっていた。今回は珍しく再び観ることにした。早回しで進んで行ったら、ほとんど最後のシーンだった。そこで、あっ! これって観たことあるわ、という話になった。そのシーンが出てきて初めてそう思うほど、脳軟化症になっているようだ。

クロード・モネの絵画『積み藁・夜明け』と『積み藁・夕暮れ』にまつわるストーリー。完全なコメディだが、贋作で金を巻き上げようという詐欺、クライムコメディーというものらしい。フランス人のエスプリとやらも分からないが、イギリス人のお笑いもなかなか受け入れがたい。まだ、日本のお笑い芸人の方が謙虚に見える笑いが笑えない。

本物の絵画かどうかを鑑定する人たちの力量は、何処をもって本物だと証明できるのだろうか。ヘラルドの創始者古川為三郎翁は、偽物だろうが何だろうが自分が気に入れば押し売りされたものでも購入していたという伝説がある。たぶん、そういう買い方が一番正しいのではなかろうか。

『アパッチ』(APACHE)

1954年・アメリカ 監督/ロバート・アルドリッチ

出演/バート・ランカスター/ジーン・ピータース/ジョン・マッキンタイア/チャールズ・ブチンスキー

「アパッチ族最後の戦士マサイの物語である。語り継がれアメリカ南西部の伝説となった。話は1886年のジェロニモの降伏に始まる。」こんなクレジットが冒頭に流れ、映画が始まって行く。この監督にしては凡庸な作品だとの評があった。

見ている分にはおもしろい。敵と味方がはっきりしていて、わかりやすい。インディアンというのはとても野蛮で、悪い人だと子供心に騙されていた。あの頃はアメリカのテレビ・ドラマが日本のテレビで数多く放送され、なんとなく心の中がアメリカナイズされていった。

今だって分からない。アメリカ人のDNAは、こういうインディアン映画のどこかに潜んでいるに違いない。追われ続けていた主人公が、自分の子供の産声を聞いて、戦いを放棄してしまうあたりがアメリカ的。敵も味方もなくなるためには、まさしく子供の存在がそうさせるのかもしれない。

『美味しんぼ』

1996年(平成8年)・日本 監督/森崎東

出演/佐藤浩市/羽田美智子/三國連太郎/遠山景織子/芦田伸介/樹木希林/竜雷太

漫画本でちょっと見たことがある。テレビ・ドラマでも見たことあるような。テレビ・アニメにもなっているらしいが、当然それは見ていない。この映画は一度見たことがある。次のような映画よもやまはなしがおもしろい。

漫画を忠実に実写化したドラマと違って設定をかなり変更してあり、ごく基本の設定だけを生かしたほとんどオリジナルの作品となっている。三國がひとりの主人公を演じることについては、原作者の要望である。もう一人の主人公の配役を、実際の親子である佐藤浩市と三國が演じていることが話題になったが、これも三國が佐藤を指名している。ちなみに三國と佐藤はこの当時は実生活上で確執があり、親子でありながら互いに「佐藤くん」「三國さん」と名前で呼び合う間柄であり、会見でもかなり気まずい雰囲気であり、役柄そのままの状態だった。

漫画が原作でもとびぬけて違和感がない実写版は見ていておもしろい。時々勘違いして漫画チックになってしまっているところをのぞけば、劇場映画としても合格だろう。

『NANA2』

2006年(平成18年)・日本 監督/大谷健太郎

出演/中島美嘉/市川由衣/玉山鉄二/姜暢雄/丸山智己/本郷奏多/成宮寛貴/伊藤由奈/水谷百輔

1作目を観たときに、なかなかおもしろいという印象だけが残っていた。内容をまったく覚えていないのはいつものこと。中島美嘉の相手役は宮崎あおいから市川由衣に変わったという。この市川由衣という子がなかなかいい。もちろん原作をよんだことはないけれど、たぶんイメージ通りではなかろうかと思う。

設定もおもしろいのだが1作目のつづきということで、いまいちそのあたりの具合がよく分からなく、ちょっと戸惑った。それでも全体として映画らしく、観ていて飽きはない。ちょっと長すぎるけど。(上映時間2時間10分)

若い女の子の心理を余すところなく投影している。共感されているのではなかろうか。いつの時代でも日本人の女の子なら、同じような心理では。どっちの男の子供を孕んだのか分からない主人公は現代の象徴か。携帯電話の厚さが8年前という時代を感じさせてくれる。

『ももドラ momo+dra』

2011年(平成23年)・日本 監督/佐々木敦規

出演/ももいろクローバーZ ~ 百田夏菜子、玉井詩織、佐々木彩夏、有安杏果、高城れに、ほか

体調が悪いときにはよさげな軽さに思えた。正確にはこういうことらしい。2011年にテレ朝動画で配信された全5話のオムニバスドラマ。ももいろクローバーZのドラマ初主演作品。2012年2月4日から1週間限定で映画館で上映された。もともと映画ではなかった、といってはいけないのだろうか。

ひたすら元気なだけのこのグループのことは少し知っているつもりだったが、今回観始まってから1時間した時点で、ようやくあっそうか!ももいろクローバーZだったんだと理解した。題名を見たときも、そんな気がしていたのにすぐに忘れている。

マー君が好きだというのは、大リーグ情報から入っている。映像としては観るべきものはまったくない。あくまでもファンのためのものなのだろう。それで充分、誰か一人でも好きな人がいれば充分と同じようなもの。こういう世界で満足できる若者が羨ましい。とにかく何でも観なければ、けなす資格はないから。

『シンシナティキッド』(The Cincinnati Kid)

1965年・アメリカ 監督/ノーマン・ジュイソン

出演/スティーブ・マックィーン/エドワード・G・ロビンソン/アン=マーグレット/カール・マルデン/チューズデイ・ウェルド

マックィーンが演技派としての地位を築くきっかけにもなった、若きポーカー賭博師の挑戦と挫折を描いた骨太のシリアス・ドラマ。そして後に「夜の大捜査線」を製作するN・ジュイソン監督の出世作でもある。ニューオリンズに住むスタッド・ポーカーの名手シンシナティ・キッド(マックィーン)は、名実共にその世界で三十年も君臨する大物“ザ・マン”ことランシー・ハワード(ロビンソン)がニューオリンズにやって来た事を知る。

そして、“我こそがNo.1”と豪語するふたりは周囲の人間たちの思惑の中で名誉を賭けての一大勝負を開始するのだった……。簡単に言ってしまえばストーリーはこんな所なのだが後半から延々と続く勝負シーンの息詰まる対決がぐいぐいと画面に引き込んでくれ、結末が判っているにも関わらず、2度3度と見直しても毎回ドキドキできる展開はまさに圧巻!

往年のギャング・スター、「キー・ラーゴ」のE・G・ロビンソンの貫禄ある名演技もさることながら、マックィーンも彼に負けないぐらいの好演で、アクション以外でも通用する事を証明した作品である。レイ・チャールズの歌う主題歌も渋い! ~ 体調悪く全文 allcinemaよりの引用。マックィーンがが予定通り『地獄の黙示録』にでていたら、映画はどんな感じに仕上がっていただろうか。

『ラスベガスをぶっつぶせ』(21)

2008年・アメリカ 監督/ロバート・ルケティック

出演/ジム・スタージェス/ケイト・ボスワース/ローレンス・フィッシュバーン/ケヴィン・スペイシー

原題の「21」はブラックジャックからきている。ブラックジャックはギャンブルのなかではディーラーよりもプレーヤーのほうが有利である数少ないゲームであることが数学の確率論によって証明されている。それを前提にマサチューセッツ工科大学の数学の学生がラスベガスのカジノに乗り込み、ブラックジャックで一山当てようとたくらむ。

首謀者は教授で教え子の中から5人の優秀な数学天才児たちを集める。トリックを使うわけではなく、頭脳を使ってチームプレーでやるわけだから、ばれることはないだろうと考える。監視カメラが張り巡らされたラスベガスの賭博場内。ちょっとした不審者も見逃さないソフトも導入されているが、人間の目はもっと深い観察眼をを持っている。

ラスベガスは凄い。ホテル代を安くしてその分賭け事にお金を使わせようとするシステムが徹底している。だから安全だ。裏ではマフィアが暗躍しているのかもしれないが、表面的には子供だって遊べる街になっている。それ以上に各種のエンターテインメントの本場として賭博場以上の魅力溢れる街になっている。

『イレイザー』(Eraser)

1996年・アメリカ 監督/チャック・ラッセル

出演/アーノルド・シュワルツェネッガー/ジェームズ・カーン/ヴァネッサ・ウィリアムズ/ジェームズ・コバーン

重大事件に関わる証人を保護する証人保護プログラムを実行する凄腕のエージェントがシュワちゃん演じる主人公だ。たまにはこういう超アクション映画がおもしろい。FBI内部での裏切りがキーポイントなので、誰を信じたら良いのか分からない構図が、ちょっと。

ここまで隙のないアクション映画も珍しい。といっても、アクション映画をそれほど観ていないこちらが、そんなことをいえる立場でもない。主人公と相手の悪玉は最後まで死なない、という王道がやっぱりいい。この頃のアクション映画は主人公が映画の途中でいなくなってしまったりして、ちょっと。

スーパーマンのような主人公がいい。ハイテクとローテクとをミックスしたようなシーンの連続で飽きがこない。スカッとしないサッカーを観たあとだったので、このアクション映画がすごくおもしろいと思ったのかもしれない。それにしても相変わらずヘタくそな日本チーム。ちょっとどころか大喝のゲームだった。

『社長漫遊記』

1963年(昭和38年)・日本 監督/杉江敏男

出演/森繁久彌/加東大介/小林桂樹/三木のり平/フランキー堺/雪村いづみ

昭和31年の第1作から昭和45年の第33作まで続いたシリーズの第16作目。森繁久彌がシリーズの主役であり、顔である社長。人徳があり、強いリーダーシップを発揮、様々なアイデアを取り入れて会社の業績を伸ばすべく苦心する。しかしその一方、恐妻家であり、地方への出張の際などには、妻に隠れて浮気を試みるだらしない一面もある。とにかく美女にモテまくり、女性側から誘惑されて浮気を決行しようとするのだが、肝心な時に邪魔が入り、浮気は必ず失敗する。

さすがにシリーズも中だるみの頃の作品。アメリカ出張から帰って、アメリカかぶれの施策を自分の会社で実行するところがミソ。女子にはお茶くみはさせない、残業もしない、夜の接待禁止、役職名で呼ばないなどなど今でもそうではない会社が多い日本の現状がおもしろい。この太陽ペイント株式会社の秘書課長の手取り給料が3万8千円、普通の女子社員の税込み給料が1万3千円だと映画のなかで語られている。そんなものかなあ。

芸能界デビュー前に名古屋のライブハウスに出ていたことのあるフランキー堺(ドラム)。そのレストラン・ライブハウスを経営していたのがヘラルドの創始者古川勝巳さん。その縁もあってヘラルドの初代宣伝部長はフランキー堺だった。日系二世の役で名古屋弁を喋っているあたりに、そういういきさつがあったのだと知っていると。

『つる -鶴-』

1988年(昭和63年)・日本 監督/市川崑

出演/吉永小百合/野田秀樹/樹木希林/川谷拓三/横山道代/菅原文太/岸田今日子/常田富士男/石坂浩二

吉永小百合の映画出演100本記念作品と銘打たれた映画としては、まずぴったんこの雰囲気がする。吉永小百合の映画を好んで観たことはないが、この映画の持つ全体感が大したものだ、という感想に繋がる。よくぞ「鶴の恩返し」を映画化、映像化したものだと、その勇気に感嘆する。

極貧の母子が初めて手にした大金から、今までになかった欲望を欲するようになる。人間の飽くなき欲望が不幸の始まりだと言っているようだ。仕合わせは目の前にあり、さらなる欲望は悪である、ということが分からない。自分の身近なものを仕合わせに出来なくて、何の人間か。

離れて分かる本当かもしれなかった仕合わせ。そんなことが分かるようなら、もっと素直に、真摯に、迷いなくその仕合わせを掴んでいることが出来ただろうに。

『リーサル・ウェポン』(Lethal Weapon)

1987年・アメリカ 監督/リチャード・ドナー

出演/メル・ギブソン/ダニー・グローヴァー/ゲイリー・ビジー/ミッチェル・ライアン/トム・アトキンス

この有名な映画もリアルタイムで観ていない。1987年、昭和62年といえば宣伝部長時代、自社の映画はもちろん、他社の映画もまず観ていない。毎日、新聞社の広告局の人達や宣伝費目当ての多くの人達の対応に追われ、何をして1日が終わって行くのか分からないような日々だった。

それでも6時半には雀荘で麻雀が始まっていた。ストレス解消の完璧な手段だと言い聞かせていた。打率1割台の映画のヒット確率、数千万から数億円の宣伝費を遣って当たらなかったときの気分は最低だった。それでも胃に穴が空くようなことがなかったのは、まさしく麻雀のお陰だったと言い訳しておこう。

この映画がこんなにおもしろいとは思わなかった。アクションシーンは、さすがに時代のもので、今ではお奨めとはいかないものも、まあ、悪くはないよな、と言った感じ。シリーズは、1994年のリーサル・ウェポン4まで続いたようだ。

『死刑台のエレベーター』

2010年(平成22年)・日本 監督/緒方明

出演/吉瀬美智子/阿部寛/玉山鉄二/北川景子/平泉成/りょう/津川雅彦/柄本明

ノエル・カレフのサスペンス小説を映画化した、フランスの名匠ルイ・マル監督のデビュー作をリメイクした作品。あの海外作品ではなく、好きではない女優もどきの役者もどきが出演している日本の映画。

「あの人を殺して、私を奪いなさい。」「愛のための完全犯罪。それは15分で終るはずだった。」というキャッチコピーが泣く内容。いつの間にか眠ってしまっていた。この頃はよく眠る。

時代が進んで、映画並みの完全犯罪を目指す事件がよくおこっているように感じる。しかも逮捕されても「否認」という態度を貫き、裁判を難しくさせている。証拠がなければ有罪にはならないと考えているのだろう。そういう意味ではえん罪の可能性はかなり低くなったが、罪を犯した人間が大手を振って世の中に生きていることも多々ありそうな気がする。嫌な世の中になっている。神の鉄槌を!!

『新幹線大爆破』(英題: The Bullet Train、仏題: Super Express 109 )

1975年(昭和50年)・日本 監督/佐藤純弥

出演/高倉健/山本圭/田中邦衛/織田あきら/郷えい治/宇津井健/千葉真一/小林稔侍/志村喬/永井智雄

1974年(昭和49年)頃からその人気が下火になりつつあった東映の『仁義なき戦いシリーズ』。東映社長岡田茂は、当時のアメリカ映画『大地震』、『サブウェイ・パニック』、『タワーリング・インフェルノ』など、いわゆるパニック映画に的を絞った。

「日本だけにあって題材となるものといえば新幹線しかない、新幹線を乗っ取る、あるいは爆発させるというストーリーは日本だけでしか出来ないし、外国に持っていっても遜色ないものが出来るに違いない、それをやろうじゃないか」というのが企画の始まりだったという。日本よりも海外での評価が高い作品であるというのが寂しい。

当時の国鉄からは一切の協力が得られていないという。高倉健が似合わない犯人役、そのほか豪華キャストが出演していて、並々ならぬ東映の新しい映画に掛ける姿勢がみられる。が、任侠路線が色濃く残る東映のイメージもあいまって興行的には失敗に終わっている。日本映画のひとつの歴史という意味だけが残っている気がする。

『さよなら、クロ』

2003年(平成15年)・日本 監督/松岡錠司

出演/妻夫木聡/伊藤歩/新井浩文/金井勇太/佐藤隆太/近藤公園/三輪明日美/田辺誠一/塩見三省/余貴美子/柄本明

録画をしておきながら、再生ボタンを押すのをためらう題名。どうせたいしたことないだろうと、思っていると、早々と眠りにおちて前半を観ていない。長野県松本深志高校での実話に基づき、身寄りのない犬が迷い込んだ高校の生徒や職員と繰り広げた心温まる交流を描いた物語。

まぁそんなもんだ。青春の恋物語と言ってしまった方が分かり易い。妻夫木聡はこういう映画なら存在感を示せている。動物を映画に使えば、当たる確率は高い。人間の演技を食ってしまいそうなシーンがたくさんある。

動物をペットにするという行為が、どうにも人間のおごりにみえて仕方がない。子供の頃は何の抵抗もなく動物が身の回りにいたけれど、今更、犬、猫と一緒の生活なんて考えられない。もっとも、じぶんで世話をしなくていいなら、側にいても悪くはないが、と贅沢なことを言っている。

『春との旅』

2010年(平成22年)・日本 監督/小林政広

出演/仲代達矢/徳永えり/大滝秀治/菅井きん/小林薫/田中裕子/淡島千景/柄本明/美保純/戸田菜穂/香川照之

北海道増毛郡増毛町に暮らす元漁師の老人・忠男は、妻に先立たれ、同居する孫娘・春の世話がなくてはならない生活を送っていた。だがある日、春は職を失い、東京で職を探そうと考える。しかし足の不自由な忠男を一人暮らしさせるわけにもいかず、二人は忠男の身の置き場所を求めて宮城県の各地(姉茂子:鳴子温泉/弟道男:仙台市内)に住む親類を訪ねる旅に出る。(Wikipediaより)

何も知らないで観始まると、老人と孫娘が喧嘩をしながら歩き始まる。何のことかいねと訝っていると、そんな荒筋だったのかということが分かってくる。話は興味ある。ただ、やっぱりあまりにもゆったりずむで、もう少し何とかならないのとつっこみを入れたくなる。

今日の老人問題を取り上げている。兄弟がたくさんいたって、誰も親身になって面倒をみようなんて思わない。そういう現実が目の前にある。ホントにこのまま息だけしていたら、どうなって行くのだろうか。

『狼たちの午後』(Dog Day Afternoon)

1975年・アメリカ 監督/シドニー・ルメット

出演/アル・パチーノ/ジョン・カザール/チャールズ・ダーニング/クリス・サランドン

『ゴッドファーザー』(The Godfather・1972年)、『スケアクロウ』(Scarecrow・1972年)、『セルピコ』(Serpico・1973年、『ゴッドファーザー PART II』(The Godfather Part II・1974年)と、たてつづけにヒット作に出演したアル・パチーノ。

多少演技臭が匂い過ぎる感はあるが、そこいらの役者がとてもじゃないけど太刀打ちできる相手ではない。「あなたが今まで演じてきた役の中で、どの役が一番自分に似合っていますか?」という質問に、「どの役が一番自分に似合うということはない。すべて私の一部なのだ」と語ったという逸話がある。

1972年8月22日にニューヨークのブルックリン区で発生した銀行強盗事件を題材にしている。二人の犯人と人質にされた支店長、従業員の女性たち、銀行の建物を包囲する警察官、やじうま。その当時を彷彿とさせる大らかな交渉ごとに、ある意味ほっとしたりする。殺伐とした殺人事件ばかりの現代社会、ずいぶんと社会に発生する事件もさまがわりしている。

『藁の盾』

2013年・日本 監督/三池崇史

出演/大沢たかお/松嶋菜々子/岸谷五朗/伊武雅刀/永山絢斗/余貴美子/藤原竜也/山崎努

観終わる前から、こんな底の浅いストーリー設定は、なんと詰まらない映画だろうと嘆き始まっていた。日本のアクション映画が世界に認められた、とかいって番組の頭に前宣伝をしていたので、ちゃんちゃらおかしくなって、日本映画の底力のなさを思い知らされた。

「この男を殺して下さい。名前・清丸国秀。お礼として10億円お支払いします。」という衝撃的な広告が全国の主要な新聞に一斉に掲載された。掲載主は政財界の大物・蜷川で、自分の愛しい孫娘を殺した清丸の首に懸賞金をかけたのだ。これだけでは面白さが伝わらないが、出だしは快調、なかなかの展開だと感心したものだったが。

いかんせん現実離れした筋書きやシーンが目白押しでは、興味がへたる。これはないだろうというシーンが何回か続いて、とうとうへたってしまったわけだ。浅すぎる。アクション・スリラー映画の名が泣く。一部の役者が舞台の台詞回しさながらの名演技?で違和感多々。見かけ倒しってやつだな。

『逃亡者』(The Fugitive)

1993年・アメリカ 監督/アンドリュー・デイヴィス

出演/ハリソン・フォード/トミー・リー・ジョーンズ/ジュリアン・ムーア/ジェローン・クラッベ

若い頃見ていたアメリカ・テレビドラマ『逃亡者』は、1960年代だったということなので、中学、高校、大学という時代だったのだろう。それこそ毎週のようにテレビにかじりついていた時代。電機屋の息子は小学1年生からテレビっ子だった。

タモリのあと番組の視聴率がついに1.8%だとニュースになっている。フジテレビの軽チャー路線番組編成は、今や末期症状。向上心のない精神構造がこんな悲惨な結果をもたらす。目の前の享楽だけを追っかけて、遠い先を見据えないその生き方が問題なのだ。

話が分かっていても観ていておもしろいのは、映画製作者の実力なんだろう。日本では今やコマーシャルでの不思議な宇宙人として認識されているトミー・リー・ジョーンズは、この映画でアカデミー助演男優賞を受賞している。本当はたいしたスターなのだ。

『卒業白書』(Risky Business)

1983年・アメリカ 監督/ポール・ブリックマン

出演/トム・クルーズ/レベッカ・デモーネイ/ジョー・パントリアーノ/ニコラス・プライアー

青春映画の端役を演じた後、この映画の瑞々しい演技で注目され、若手スター候補生(ブラット・パック)のひとりに数えられる。1986年『トップガン』の世界的大ヒットでトップスターの仲間入りを果たした。そんな過去を初めて知った。

高校3年生の両親のいない期間のはちゃめちゃな生活を「卒業白書」とは、気の利きすぎたかんのある日本語題名。トムクルーズはこのとき20歳。ただ若かったこの頃に比べて、精悍さも備わった今の方がいい顔に見える。

30年前のアメリカの高校生と、現在の日本の高校生を比較しても、まだまだ幼稚に見える日本の高校生。アメリカのようになるにはさらに50年以上の時間が必要かもしれない。先進国で唯一と言っていいくらいの18歳に選挙権のない日本、大きな社会の動きがなければ幼稚な子供・大人の実態は変わらない。

『あ・うん』

1989年(平成元年)・日本 監督/降旗康男

出演/高倉健/富司純子/板東英二/富田靖子/山口美江/真木蔵人/大滝秀治/三木のり平/宮本信子

板東英二の喋りや演技にいらいらしながらの鑑賞だった。この映画で評価されているのかもしれないが、私はできの悪い素人役者はいらないと思った。もっと芸達者がやっていれば、もっと引き締まったいい映画になっていたに違いない。他人の好意が分からない木偶の坊を演じているので、はまっていると感じた人がいるかもしれないが、それは演技をしない生身の人間と同じだというだけで、映画ではもっともやってはいけないこと。

1980年3月9日から3月30日までNHKで放送された向田邦子脚本のテレビドラマ。テレビドラマとして続編が制作され、1981年5月17日から6月14日まで放送された。向田は大人の恋の物語としてこのドラマを続ける意向であったが、1981年8月に飛行機で事故死したため中断した。向田自身により、同名で小説化されている。向田の唯一の長編小説であり、1981年に文藝春秋から刊行された。1989年に映画化され、2000年には正月スペシャルドラマとしてTBSで放送された。

一度か二度観ているはずだが、まったく内容を覚えていなかった。数字だけは一度見たり聞いたりすると、覚えようとしていないのに思い出す。人間には、なんか不得手なことと得意なことがあるという見本みたいなものかもしれない。

『俺たちに明日はない』(Bonnie and Clyde)

1968年・アメリカ 監督/アーサー・ペン

出演/フェイ・ダナウェイ/ウォーレン・ベイティ/マイケル・J・ポラード/ジーン・ハックマン/エステル・パーソンズ

アメリカン・ニューシネマの先駆けとして、アメリカ映画史上特別な地位を占める作品。悲惨な最期を遂げる犯罪者を主役に据えたこと、銃に撃たれた人間が死ぬ姿をカット処理なしで撮影したこと、オーラルセックスやインポテンツを示唆するシーンを含めたことは、1960年代当時としては衝撃的なものだった。特に映画のラストシーンで87発の銃弾を浴びて絶命するボニーとクライドの姿(通称「死のバレエ」)は、当時の若者の反響や後続の映画製作者に大きな影響を与えた。

映画公開後もその暴力性やセックス描写で、本作は保守的な評論家からの非難に晒された。特に当時『ニューヨーク・タイムズ』の批評家だったボズリー・クラウザーの批判は過激で、映画を酷評するレビューを三回も掲載したという。しかし『ザ・ニューヨーカー』の批評家ポーリン・ケールや、当時駆け出しの映画評論家だったロジャー・エバートが映画を賞賛したことで風向きが変わり、結果1960年代のアメリカ映画を代表する傑作として認知されるようになった。数ヵ月後にクラウザーは『ニューヨーク・タイムズ』の批評家を更迭されたが、一説にはこの時『俺たちに明日はない』を酷評したことが辞任に繋がったとも言われている。 ~ 以上、Wikipediaより

20才大学2年生の自分がリアルタイムで観ていたらどんな感想を言うのだろう。実際に観たのはここ数年のことだろうか。その時の印象は、どうしてこの映画がもて囃されるのだろう?という疑問符だった。今回あらためて見直したが、どうにもこの映画の良さが分からない。元来の頭の固さがこういう映画の見方をも左右しているのかもしれない。

『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』

1981年(昭和56年)・日本 監督/熊井啓

出演/仲代達矢/山本圭/浅茅陽子/中谷一郎/平幹二朗/井川比佐志/隆大介/大滝秀治

面白いと観終わった後に調べたら、監督が熊井啓だったのでさもありなんと。いわゆる社会派ドラマなど最近では製作することさえままならない題材。誰かがちょっとした声をあげれば、止めとこかと製作が出来ないのが今の日本。正義とか真実とか言う言葉は社会から抹殺されてしまった。事件当時の日本は今の韓国のような社会不安事故が多発していた。

1949年(昭和24年)7月に、第二次大戦後の連合国による占領統治下の日本で起こった「戦後最大のミステリ」ともいわれる「下山事件」(下山定則国鉄総裁の変死事件)とその捜査・解明に当たった人々を描いたミステリ映画。捜査時に活躍した朝日新聞の矢田喜美雄記者の著書『謀殺・下山事件』(1973年)が原作。

熊井啓監督とは『海と毒薬』(1986年・昭和61年・遠藤周作原作・奥田瑛二/渡辺謙・日本ヘラルド映画配給・宣伝部長時代)の時に長い時間話したことがあった。事前に熱烈なジャイアンツ・ファンだという情報を聞いて会話に臨んだことを思い出す。

『L.A.大捜査線/狼たちの街』(To Live and Die in L.A.)

1985年・アメリカ 監督/ウィリアム・フリードキン

出演/ウィリアム・L・ピーターセン/ウィレム・デフォー/ジョン・パンコウ/ダーラン・フリューゲル

『ミシシッピー・バーニング』を観た直後に観た映画。どちらの映画でも主役クラスの役者ウィレム・デフォー、一度見たら忘れられない顔の役者は数多くの映画に出演している。『プラトーン』(1986年・Platoon)、『スピード2』(1997年・Speed 2: Cruise Control)、『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』(2000年・Shadow of the Vampire)、『スパイダーマン』(2002年・Spider-Man)など。

この当時の映画らしくカー・アクションがメインのアクションシーン。CGではなくアナログっぽいところが懐かしくもアリ、物足らなくもアリ。

普通の警察ものでは太刀打ちできないと思ったのか、主人公が最後には死んでしまうという結末も珍しい。非合法なことをも辞さないとする執念が映画に活力を与える。ミシシッピー・バーニングでもそうだったが、非合法集団に対する合法捜査では解決に至らない、という現実的な映像が興味を惹く。

『ミシシッピー・バーニング』(Mississippi Burning)

1988年・アメリカ 監督/アラン・パーカー

出演/ジーン・ハックマン/ウィレム・デフォー/ブラッド・ドゥーリフ/フランシス・マクドーマンド

映画が始まりクレジットが流れるシーンのひとつ、どこか公園の一角だろうか並んで設置された手洗いの2つの場所にそれぞれ『WHITE』『COLORED』というプレートが貼られている。1964年、ミシシッピ州の小さな町で公民権運動家3人が殺害された事件をモデルにしたノンフィクション映画。映画の中でのシーン、「4つの眼を持つ土地は?」「Mississippi」(i=目[アイ]が4つある)

アメリカ映画のひとつのテーマ、人種差別問題を事件から24年後に映画化している。それからまた26年が経った。白人至上主義団体KKK(クー・クラックス・クラン)が大活躍?する人種差別の典型。アメリカ南部のこの町に生まれ育ったひとりが言う「7歳の時、聖書の中にも(正当に)人種差別のことが書かれていると教えられた。」と。

堅くて面倒な物語だが、映画としては面白い。事件当時、日本人だって有色人種の「ジャップ」としてずいぶん差別されたに違いない。つい最近、アメリカ・プロバスケットNBL、ロサンゼルス・クリッパーズのオーナーが自分のチームの試合を観戦中に隣に座っていた女性に黒人と付き合うなと言っている映像が公開され、このオーナーは罰金2億5千万円と強制的にチームを売却するよう勧告された。人種差別には特に敏感なアメリカ社会、日本よりも2歩も3歩も先に進んだところで、社会が病んでいるのが現状かもしれない。

『水曜日のエミリア』(Love and Other Impossible Pursuits)

2009年・アメリカ 監督/ドン・ルース

出演/ナタリー・ポートマン/スコット・コーエン/チャーリー・ターハン/ローレン・アンブローズ

なかなか面白い。考えさせる。主人公は新人弁護士。いきなり妻子ある上司に一目惚れしてしまう。上司の家庭には8歳の男の子がいる、妻との関係はもう既に切れている状態。すぐに新しい家庭が始まったが、そこには恐ろしい現実が待っていた。そうでなくては映画にならない。

主人公の舌鋒は鋭い。何事にも真正面から真摯に向かいすぎるからかもしれない。人生なんてもう少しいい加減だよと、離婚した母親でさえ娘に言う。揉め事があって追い出された父親とよりを戻す母親の気持ちが理解できないでいる。

もっと酷い物語が続く。本人曰く「私の歯の先は尖っているの。」と。後から謝るくらいなら、もう少し考えてから喋れよ、とちゃちを入れたくなるキャラクター。もっとひどい人間が現実にはいるんだよね。どんな言葉でも、本当の心から発すれば、相手を傷付けないで相手に伝わることを知らないんだな、きっと。


2017年12月21日再び観たので記す。

『水曜日のエミリア』(Love and Other Impossible Pursuits)

2011年・アメリカ 監督/ドン・ルース

出演/ナタリー・ポートマンエミリア/スコット・コーエンジャック/チャーリー・ターハンウィリアム/ローレン・アンブローズ

継母となった主人公は、継子から疎まれ、先妻からもぼろくそに扱われて、自分の子供を生まれて3日で失ってしまった不幸と重なって、人生が破綻していく。そういう日常を描いていく。家族ものの大好きなアメリカ映画、厳しさと優しさを併合した複雑な心理状況が。

再婚するのはいいけれど、子供たちはどういう心境でいられるのだろうか。結果的に成長してしまえばいいのだが、その経過は大変だろう。どうやったらぐれずに育ってくれるのか、誰にも分からない。見守ってくれる人が多ければ多いほど、当人たちは無意識に真っ直ぐな人生を送れるのではなかろうか。

そういう意味では、私も一助になりたいなぁ、と希望はするが、残念ながら成人になるまで見守ってあげることはできない。天国が、もしあるというなら、どんな時にも守ってあげられる。こういう思いが届くことはないのだろうが、思いが伝わることはあるだろう。

『地平線から来た男』(Support Your Local Gunfiter LATIGO)

1971年・アメリカ 監督/バート・ケネディ

出演/ジェームズ・ガーナー/スザンヌ・プレシェット/ジャック・イーラム/エレン・コービイ

どうしたらこんな題名が付けられるのだろうか。映画を見終わってからでも、文句のひとつやふたつ言いたくなる。おちゃらけた西部劇は珍しい。おちゃらけていたって面白ければいいのだけれど、ちっとも面白さが伝わってこない。こんなアメリカ映画はそんなにない。

allcinema より ~ 炭鉱の町に立ち寄った男、ラティゴは、生来のギャンブル好きから全財産を無謀な賭で失ってしまう。なんとか金を稼ぐために、一人の男を腕利きガンマンにしたてあげ、用心棒代をだまし取ろうとしたが、そこへ本物の雇われガンマンがやってきてしまう。腕には自信のないラティゴは、果たして彼を倒せるか……? 佳作「夕陽に立つ保安官」の姉妹編。J・ガーナーの飄々とした演技が楽しいコメディ西部劇。

常に命を張っている西部劇ではコメディーが成立しにくい。この映画に人を殺すシーンがまったくないことでも、そんな原則が分かるような気がする。

『アナライズ・ユー』(Analyze That)

2002年・アメリカ 監督/ハロルド・ライミス

出演/ロバート・デ・ニーロ/ビリー・クリスタル/リサ・クドロー/ジョー・ビテレッリ

第1作『アナライズ・ミー』(Analyze This・1999年)がオナジスタッフ・キャストで作られていたことを観てから知った。1作目はそれなりに面白かったのだろうと想像できるが、この2作目は完璧なるおちゃらけコメディー。ここまで行ってしまうと乗り切れないで溺れてしまう。

ニューヨークの悪名高いマフィアのボスと偶然に彼を診察した精神科医の話がメイン。対立するマフィア・ファミリーとの対決を目前に、突然パニック障害に陥ってしまう主人公が1作目。2作目は刑務所から仮釈放されて対立ファミリーから命を狙われる主人公。

ロバート・デ・ニーロとビリー・クリスタルという芸達者ふたりがいれば、内容はどんな映画でも成立するだろう。下ネタ満載のセリフは50女には受けるだろう。

『キャスト・アウェイ』(Cast Away)

2000年・アメリカ 監督/ロバート・ゼメキス

出演/トム・ハンクス/ヘレン・ハント/ニック・サーシー/ジェニファー・ルイス

FedEx(フェデックス)という実在会社の貨物専用飛行機が墜落した。主人公はひとり助かり、どことも分からない小島で4年間を暮らすことになる。公開時にさまざまな情報から期待をしていた記憶がある。ところが、見たら全くの期待外れだったということもよく覚えている。

内容はいつも通りこれっぽっちも覚えていないので、新鮮な感覚で観られるのが嬉しい。だが、やっぱり面白くなかった。飛行機が墜落するシーンに時間と金をかけていること自体が、面白くない映画の始まりみたいだ。無人島での生活も面白味に欠ける。

助かって戻ってきたら妻が再婚していた。そこらあたりが一番のシーンになるのだろうが、いまいち描き切れていない。「愛してるわ」元妻が言う。「僕も愛してるよ、君が考えている以上に!」と舞い戻った主人公が言う。でもこれ以上の進展がない。映画はここで「鳩」を出してあげなければ、観客は少しも心を動かされないのだ。

『ゾラの生涯』(The Life of Emile Zola)

1937年・アメリカ 監督/ウィリアム・ディターレ

出演/ポール・ムニ/ジョセフ・シルドクラウト/ゲイル・ソンダガード

フランスの文豪エミール・ゾラの伝記を基に、前半は名作『ナナ』をはじめとする連作「ルーゴン・マッカール叢書」によって名声を得るまで、後半はスパイ容疑で投獄される参謀将校ドレフュスの潔白を信じて世論に訴え、無罪を証明したドレフュス事件の実話をドラマ化している。当然のように面白い。77年前の映画が現代のどの日本映画より面白い。

パリの屋根裏部屋で画家セザンヌと同居していた頃のゾラは、敢然と体制批判を繰り広げていた。小説『ナナ』で評判をとる。やがて貧乏暮らしを抜け出して、大作家の道を進んでいった彼だが、太った豚のように反骨心を出す必要のない生活に浸ってしまっていた。嫌々ながら引き受けたドレフェス事件で再び正義の行動を取り戻して行く。

ペンは剣よりも強しということを実践してみせる。腐敗した軍隊に正義はない。人民を煽り悪の道に導く体制側の仕打ちがひどい。何も知らずにただひたすらに生きて行くだけの国民には、正義の味方はやって来ない。自由とは戦い勝ち取るものだという自覚など、日本人にはないも同然。

『彼女はパートタイムトラベラー』(SAFETY NOT GUARANTEED)

2012年・アメリカ 監督/コリン・トレヴォロウ

出演/オーブリー・プラザ/マーク・デュプラス/ジェイク・ジョンソン/カラン・ソーニ

こんな題名のDVDを手に取る方が悪い、と言われそうでばつが悪い。案の定日本での劇場は未公開。どんな内容だろうと、始まってしばらくは新鮮な展開にとりあえず映像を見ることは出来る。DVD屋さんの題名の付け方はそれにしてもひどい。

タイムトラベラーだというので見てみようと思ったのだけれど、なかなか肝心のタイムトラベルのシーンがやって来ない。そんなシーンを撮ることになったら、どう考えたって予算が間に合わないので、そんなシーンが簡単に始まるわけがないな、と分かった時には深い眠りに堕ちてしまっていた。

グチグチと昔つきあっていた女の子を思い出す「女の腐ったような」男がこの映画の中にもいた。いつまでたっても忘れられないのはいいことだけれど、他人から見れば何であんなクソ女のことをいつまで思っているんだと、本気になって馬鹿にされてしまうよ。

『アンコール!!』(SONG FOR MARION)

2012年・イギリス 監督/ポール・アンドリュー・ウィリアムス

出演/テレンス・スタンプ/ヴァネッサ・レッドグローブ/ジェマ・アータートン/クリストファー・エクルストン

「心温まるコメディドラマ」と、ぴあ映画生活に紹介されていたが、こんな言い方は酷い。途中から涙が止まらず、ずーっと心が震えていたのに、それがコメディーだなんてひと言で片付けてしまうのが。逝くことをすごく身近に感じるこの頃だからこその涙なのかは自分でも分からない。

老人のコーラスグループの話で題名がアンコールでは、見る前から詰まらない予想をしてしまう。ところが、もしそんな簡単なはなしだったら映画なんか作らないよ、と制作者からお叱りをうけてしまう。

真っ昼間から映画を観て時間を過ごすなんて贅沢だといつも思っている。この時間に仕方なくお金のために心身を削って働いている人には申し仕分けない。一方、こういう映画に出逢えることなく、心からの涙を流すことなく一生を終わってしまう人達には、なんていう馬鹿な生活をしているの、と哀れみを感じる。仕事をさぼってでもこういう映画に触れなければ、何のために生きているのかさえ分からなくなってしまう。

(2014/5/15)

『探偵はBARにいる2』

2013年(平成25年)・日本 監督/橋本一

出演/大泉洋/松田龍平/尾野真千子/ゴリ/渡部篤郎/佐藤かよ

大泉洋という役者が気に入っている。が、今回の映画のシーンを見ていると、舞台のセリフのような喋り方をしている感じがして、ちょっとばかり失望したというか・・・。

映画は見事に詰まらないので、いつもやるWikipediaからの引用もしたくない。1作目を見て面白かったと思ったのは幻だったのだろうか。この欄に記載がないので、もしかするとホントに見ていなかったのかもしれない。どっちにしろたいした問題ではない。

いらぬカーアクションや小さなクラブでの乱闘シーンなど見事なくらいもったいない映画製作予算だと、他人事ながら心配してしまうだけの映画、と言っておこう。

『オンリー・ユー』(Only You)

1994年・アメリカ 監督/ノーマン・ジュイソン

出演/マリサ・トメイ/ロバート・ダウニー・Jr/ボニー・ハント/ホアキン・デ・アルメイダ

主演のマリサ・トメイという女優がいい。いいというのは好きだという意味。ほんの少し彼女の出演作品を見ていると思うが、調べてみるとたいした作品に出ていないのが残念。一目見ると好きか嫌いかに別けられる。

出だしの歌はタイトルに合わせて「オンリー・ユー」だったが、歌い手はザ・プラターズではなく何故かルイ・アームストロングだった。特に歌の内容と映画の内容が関係あるわけではない。ロマンチック・コメディーというジャンル分け、ロマンチックというより恋愛コメディーと言う感じ。最後はハッピーエンドになるから、まぁ~いいか!

ベニス・フローレンス・ローマと観光映画のよう。想い出すたび嬉しくなる。もう一度行くとしたらベニスだな。無理して買ったベネチアン・グラスはあのとき8万円だった。ソーメンを食べられるようなガラスの小鉢と、サラダボールのようなガラス器大鉢、あの作家は有名になっただろうか。

『わが母の記』

2012年(平成24年)・日本 監督/原田眞人

出演/役所広司/樹木希林/宮﨑あおい/ミムラ/南果歩/キムラ緑子/真野恵里菜

観始まりは快調。新鮮な物語は観ていてわくわくする。ただ、たぶんこんなことなのだろうという内容が分かってきて、そのまま進行が続いてしまうと、ちょっともう少し展開してよ、と文句が言いたくなってくる。

昭和の文豪である井上靖が68歳の時に出版した自伝的小説。老いた母の80歳から亡くなる89歳について書かれた「花の下」(1964年)、「月の光」(1969年)、「雪の面」(1974年)の3部作となっている。井上靖の育った地である伊豆市や沼津市にて、地元の全面支援体制でロケ撮影が行われ、実際に東京都世田谷区にある井上の自邸でも行われた。

全体としては観るべき映画のひとつだろう。歳を取ってくればくるほど、こういう映画には敏感になる。自分の親との時を見比べているのかもしれない。限りある命の繰り返し、自分に出来ることがあるならば、心の底から精一杯親の面倒をみなければいけない。それが繰り返しの人生の原則なのだから。そして、望むと望まずにかかわらず、ひとりひとりの人生は100年もも持たないで終わってしまう。

『レッド・バロン』(Der rote Baron)

2008年・ドイツ 監督/ニコライ・ミュラーション

出演/マティアス・シュヴァイクホファー/フォルカー・ブルッフ/レナ・ヘディ

第一次世界大戦(1914年~1918年)、連合国はフランス、イギリス帝国、ロシア帝国、イタリア王国、アメリカ合衆国他多数、大日本帝国もこっち側、中央同盟国はドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、大ブルガリア公国。この当時は映画のセリフにあるように「親戚同士で戦争している」といったように各国民は入りくんでいた。

まだプロペラ機の時代、ドイツの「赤い男爵」と呼ばれたマンフレート・フォン・リヒトホーフェンの伝記映画。男爵は主人公の家の元々の位、木で作られている機体を赤く塗って、不意打ちで ではなく堂々とスポーツのように空中戦を戦った優雅な時代。

この時代の戦争を見ていると、戦争も悪くないなと思える。原子爆弾などという兵器を実際に使うようになってから、戦争は悪になった。飛行機は打ち落とすけれど、飛行機に乗っていた人間の命は助ける。そんな本当にスポーツのような戦いをしていた。なんか考えさせられる。

『ホワイトハウス・ダウン』(White House Down)

2013年・アメリカ 監督/ローランド・エメリッヒ

出演/チャニング・テイタム/ジェイミー・フォックス/マギー・ジレンホール/ジェイソン・クラーク

直前に観た『エンド・オブ・ホワイトハウス』(Olympus Has Fallen)とどこがどういう風に違うのかに興味があった。2013年3月に『エンド・・』がロードショーされ、こちらは3ヶ月後の6月に公開されている。

ホワイトハウスをアタックするのは前者は北朝鮮だったが、こちらは身内の大統領護衛官のトップという設定。前者でも護衛官のひとりが裏切っていたが、やっぱり身近なところに内通者がいることは絶対条件なのだろう。

こちらの映画はちょっとばかり劇画チック。前者の真面目な態度とは一線を画す。コメディーかと思えるようなシーンがふんだんに取り入れられ、ユーモアでは片付けられないおちゃらけさが気になった。ま~いずれにせよ同じような時期に同じような内容の映画を作るのは希。本当にそんな危機があったりするような予感があるのだろうか。

『エンド・オブ・ホワイトハウス』(Olympus Has Fallen)

2013年・アメリカ 監督/アントワーン・フークア

出演/ジェラルド・バトラー/アーロン・エッカート/モーガン・フリーマン/リック・ユーン

同じような時期に同じような内容の映画が作られた。『ホワイトハウス・ダウン』(White House Down)はこの次に観ようと思っている。ホワイトハウスが北朝鮮のテロリストにアッタクされるという完全なアクション映画。たまにはこういう映画を観て発散しないと。

さすがにアメリカのアクション映画は凄い。こんな映画を見せつけられると、ちんけな日本映画、テレビ映画のアクションなど屁でもなくなってしまう。アクション・スリラー映画というジャンル分けもどうかと思うが。「ホワイトハウスがこんな姿に!」と主人公が嘆くと、「心配するな保険でカバーされる」と大統領が答える。どんなときもユーモアを心に持たなければ、と反省。

北朝鮮がここまでの武器を持ってホワイトハウスを攻められるのかは超大疑問のところだが、もしかするとあり得るかもしれないと思わせるような内容。想定外と問題視していない可能性は高く、いつだって危険はすぐそばにあると。

『風花』(かざはな)

1959年(昭和34年)・日本 監督/木下惠介

出演/岸惠子/東山千栄子/細川俊夫/井川邦子/久我美子/和泉雅子/川津祐介/有馬稲子/笠智衆

風花:晴天時に雪が風に舞うようにちらちらと降ること。あるいは山などに降り積もった雪が風によって飛ばされ、小雪がちらつく現象のこと。こんな美しい日本語があったんだ。他人との会話でこういう言葉を遣う時もないだろうが、日記になら書けそうだ。

捨て子のように生まれたから「捨雄」(すてお)と名前を付けられてしまった主人公のひとり。昔の日本人はややデリカシーに欠けていて、もう最後の子供にしたいからと「トメ」や「留吉」という名前の人も結構いた。一郎、二郎、三郎なとと味気なさ過ぎる名前も結構存在した。

農村メロドラマという解説があった。貧しい農村を舞台にした映画ではあるが、なんかどこか清々しい気分になった。子供時代の風景を思い出す。田舎に住んでいたので、日本の原風景は自分の原点でもあるかもしれないと思うようになってきた。そろそろお別れの時が近づいてきているのかも。

『刑事マディガン』(Madigan)

1968年・アメリカ 監督/ドン・シーゲル

出演/リチャード・ウィドマーク/ヘンリー・フォンダ/インガー・スティーヴンス/ハリー・ガーディノ

面白いですね~。日本のテレビ映画の刑事ものをよく知らないけれど、薄っぺらな脚本で事件を解決して行くのとは訳が違う。ニューヨーク市警察の刑事ダニエル・マディガンと相棒のロッコ・ボナーロ、このふたりが主人公。

ここに警察幹部の「本部長」と「警察委員長」が登場する。このあたりの人間模様が実に面白い。事件が解決して映画は終わるけれど、警察内部のもっと重要な事柄が解決しないでエンドマークとなる。こんな終わり方をする日本映画やテレビドラマは観たことがない。

警察委員長は日本で言えば警視総監だろうか。映画の中では「コミッショナー」と呼ばれていた。日本のプロ野球のコミッショナーなんていうのとは、まったく違い過ぎるくらいの地位と権威に映る。人を愛することが純粋に素晴らしいことだと、こうやって書き残せることが仕合わせだ。映画の内容とは全く関係のないことだが、ふっとそんなことが浮かんできて一人で喜んでいる。

『或る夜の出来事』(It Happened One Night)

1934年・アメリカ 監督/フランク・キャプラ

出演/クラーク・ゲーブル/クローデット・コルベール/ウォルター・コノリー/ロスコー・カーンズ

いや~面白いですね~! 面白い映画は観始まってすぐにスクリーンに引きこまれる。こういう映画をスクリューボール・コメディ(Screwball comedy)というらしい。主に1930年代から1940年代にかけてアメリカで流行したロマンティック・コメディ映画群で、その特徴は、常識外れで風変わりな男女が喧嘩をしながら恋に落ちるというストーリーにある(スクリューボールとは野球における変化球の一種のひねり球で、転じて奇人・変人の意味を持つ)。

アカデミー賞では主要5部門でノミネートされ、5部門とも受賞した(作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚色賞)。ちなみにこの5部門(脚色賞は脚本賞でもいい)を全て制することは、1975年の『カッコーの巣の上で』が成し遂げるまで出ないほどの大記録であった。というのもまったく頷ける。

『ローマの休日』と『卒業』の原点になった映画だという。おしゃれな台詞、キビキビした物語展開に、キャプラの弾むような演出のどれもが光る作品であるとい評がまさしくぴったんこ。人間の才能はいつの時代にも開花している。

『櫻の園』

2008年・日本 監督/中原俊

出演/福田沙紀/寺島咲/杏/大島優子/はねゆり/武井咲/米倉涼子/菊川怜/上戸彩

原作は吉田秋生のオムニバス漫画。1985年から1986年にかけて『LaLa』(白泉社)に連載された。1990年に同じ監督で映画化されている。その時は、「少女達の友情」という、あまり注目されなかった題材を派手さを抑えて繊細に静かに描ききったことで、クオリティの高い作品としてキネマ旬報ベスト・ワン受賞、同時に興行的にも成功して当時の話題となった。

この2008年版は、1990年版のリメイクではなく、リ・イメージとして、内容を一新。現代的な青春ガールズムービーとなっている。面白いデータが。

11月8日から11月30日までの23日間で、延べ観客動員数は30,431人、興行収入は3,775万6,900円、1館当たりの興行収入は約25万円。この動員数・興行成績は、単館上映作品ではなく、メジャー作品並みの150館規模で公開された映画としては異例の低さだった。この数字は単純計算で1館あたり各上映に1、2人しか入場していないことになる。寝てしまうのも仕方のないことか。

『きっと、うまくいく』(3 Idiots)

2009年・インド 監督/ラージクマール・ヒラーニ

出演/アーミル・カーン/カリーナー・カプール/マドハヴァン/シャルマン・ジョシ

インド映画のヒット作を日本で見ることは少ない。Wikipedia の記事がそのまま映画を良く語っているので引用する。 ~ インド映画歴代興行収入1位を記録した大ヒット映画。インドの工科大学の寮を舞台にした青春劇であり、コメディ映画だが教育問題をテーマにしていて、若者の自殺率の高さなども取り上げている。2010年インドアカデミー賞では作品賞をはじめ史上最多16部門を受賞した。

スティーヴン・スピルバーグは「3回も観るほど大好きだ」と絶賛していて、本作のスポンサーであるリライアンス・ADA・グループはスピルバーグの経営する映画制作会社ドリームワークスにも1000億円以上の出資をしている。ブラッド・ピットも「心震えた」とコメントしており、インド以外でも高い評価を受け、各国でリメイクが決定している。

主演のアーミル・カーンは若々しい大学生役を演じたが、実年齢は当時44歳である。当初はもっと若い俳優を起用する予定だったが、カーンは「是非やりたい。やらせてくれるなら若く見えるように体を絞る」と言い、撮影期間中は肌をフレッシュにするため水を1日4リットル飲んで臨んだという。また、R・マダヴァンも当時39歳、シャルマン・ジョーシーも30歳だった。

『乱』

1985年(昭和60年)・日本/フランス 監督/黒澤明

出演/仲代達矢/寺尾聰/根津甚八/隆大介/原田美枝子/井川比佐志/ピーター/植木等/田崎潤/油井昌由樹

日本ヘラルド映画製作・配給の作品。その時宣伝部長2年目だったが、熊本、御殿場と撮影現場まで行きながら、今日初めて映画全編を観た。そのこと自体は恥ずかしくてもいつものことなので、さほど悔やんではいないが、いろいろと調べていくうちに、当時の弁護士のブログを見つけ長文を読むこととなった。

いや~驚いた、というより俺は一体どんな仕事をしていたのだろうか、と自分のサラリーマン生活を罵りたくなった。映画製作がいかに大変かを知っていたつもりだったが、書かれていたブログにはほとんど知らないことが書かれていた。ヘラルドの先輩で一番尊敬し目標にしていた人の名前は当然出てきていたが、その当時四六時中一緒にいて全てを話していたと思っていたことが、幻だったことを知った。

こうやって誤解しながらも人生を生きて行けるのが凡人。その仲間であることは間違いないが、まだ自分はましな方だと思いたい。映画製作と長文に興味のある方は  こ ち ら  をどうぞ。映画は、2時間42分の絵画を見ているようだった、という言い方がぴったんこ。

『みすゞ』

2001年(平成13年)・日本 監督/五十嵐匠

出演/田中美里/加瀬亮/中村嘉葎雄/寺島進/永島暎子/増沢望/小嶺麗奈/イッセー尾形

若くしてこの世を去った童謡詩人・金子みすゞの半生を描く伝記ドラマ。1903年(明治36年)4月11日 - 1930年(昭和5年)3月10日)、大正末期から昭和初期にかけて、26歳の若さでこの世を去るまでに512編もの詩を綴ったとされる。西條八十からは若き童謡詩人の中の巨星と賞賛された。

みすゞの作品の一つ「こだまでしょうか」を取り上げたCMが、東北地方太平洋沖地震に伴うCM差し替えにより多く露出したことにより「金子みすゞ全集」の売り上げが伸び、金子みすゞ記念館の入場者数が急増、2011年5月に100万人を突破した。

金子みすゞの作品そのものの著作権は作者であるみすゞの死後50年を過ぎており消滅しているが、作品集を出版しているJULA出版局を窓口とする「金子みすゞ著作保存会」は、みすゞ作品を利用する際には同会の許可を得るよう求めている。その理由としてJULA出版局は、著作の大半が生前未発表であったこと、ならびに未発表作品を一般に広めるきっかけとなった『金子みすゞ全集』(JULA出版局)による二次的著作権の存続を挙げている。「金子みすゞ著作保存会」の姿勢に対して疑念を持つ者も存在し、長周新聞も著作を独占しているとして記事内で批判している。

『オブリビオン』(Oblivion)

2013年・アメリカ 監督/ジョセフ・コシンスキー

出演/トム・クルーズ/オルガ・キュリレンコ/アンドレア・ライズボロー/モーガン・フリーマン/メリッサ・レオ

原題[oblivion]の意味を調べてみた。:【名】①〔完全に〕忘れられていること[状態]②〔完全な〕忘却、忘我、無意識状態③《法律》恩赦、大赦。『君の名は』の「忘却とは忘れ去ることなり」のそれだ。 Wikipedia によれば、SFスリラー映画というジャンル分けをしている、ちょっと??

『一見どこかで見たようなSF映画と思われそうだが、きちんと観ると、映像もストーリーも細部までしっかり作り込まれた秀作だ。』てなコメントをwebで見つけたが、嘘っ!! と叫びたくなる。この映画3Dじゃないのと思ったが、調べてもよく分からなかった。ただ映像はこれでもかこれでもかと立体映像を意識したシーンばかりで飽き飽きする。

2077年3月14日が映画の始まりだ。『2001年宇宙の旅』がそうであったように、映画の予見性は結構事実の未来図を語っている。今から63年後なら孫達もみんな充分生きているだろうから、こんな映像のどこかに似た光景があるかどうか確かめて欲しいものだ。

『普通の人々』(Ordinary People)

1980年・アメリカ 監督/ロバート・レッドフォード

出演/ドナルド・サザーランド/メアリー・タイラー・ムーア/ティモシー・ハットン/ジャド・ハーシュ

ロードショーされた当時から気になっていた作品のひとつだが、ようやく観ることが出来た。30年以上前の作品だという感覚がない。俳優としてのロバート・レッドフォードはまだアカデミー賞の演技賞を手に入れていない(アカデミー名誉賞は受賞している)が、演出家としてはこの処女作で作品賞、監督賞を獲得した。

半年前に長男が水死事故を起こして以後、父、母、次男の悩みが露呈し、心がちぐはぐになり、家庭は崩壊していく。気の弱い父親、冷淡で他人と協調できない母親、繊細で感受性豊かな次男で構成されるホーム・ドラマ。普通の人々と言いながら普通の人々を描いていたのでは映画にならない。

面白いが身につまされる。が、人生の生き方での勉強にもなる。もう少しはやく観ていたら、自分の人生にも少なからず良い影響があったかもしれないと残念がる。『感情は苦痛を伴う。苦痛を感じない人は不感症だ。』映画の中でのセリフが心に突き刺さる。

(2014年月30日)

『打倒(ノック・ダウン)』

1960年(昭和35年)・日本 監督/松尾昭典

出演/赤木圭一郎/二谷英明/稲垣美穂子/和田悦子/岡田真澄/殿山泰司/清川玉枝/初井言栄/高品格

赤木圭一郎 ~ 1958年(昭和33年)、日活第4期ニューフェイスとして日活へ入社。石原裕次郎主演の『紅の翼』に本名の「赤塚親弘」名義で群衆の一人としてエキストラ出演し、これが映画デビュー作となった。その西洋的風貌や退廃的な雰囲気がこれまでの日本人俳優にはない個性として評判を呼び、「トニー」の愛称(1950年代~1960年代にかけ人気のあったハリウッドスター・トニー・カーチスにどことなく風貌が似ていたことが由来)で主人公の弟分や準主役級として出演するようになった。

鈴木清順監督の『素っ裸の年令』(1959年)で初主演。その後『拳銃無頼帖』シリーズなど20本以上の無国籍アクション映画に主演し、日活のアクション俳優として、“タフガイ”石原裕次郎、“マイトガイ”小林旭に続く「第三の男」と呼ばれた。『霧笛が俺を呼んでいる』(1960年)では少年時代からの憧れだったという船乗りを演じ、「マドロス姿が最もさまになる日活俳優」と評価された。より多忙になる中でステレオやスポーツカー、オートバイなどに趣味を広げ、カーマニアとしても知られるようになった。映画を観ることも好きで、アンジェイ・ワイダ監督のポーランド映画『灰とダイヤモンド』を何度も観ており、暗く影のある主人公マチェックに非常に共感していたという。逆に自身の俳優業には違和感を覚えていたようで、ゲスト出演したラジオ番組では「映画は好きだけどやるのは好きじゃないです」と語っていた(『驚きももの木20世紀』より)。昭和36年2月14日満21歳没。 ~ 以上、Wikipediaより

時代を感じる。ませた顔の大学生ばかり。当時の車のナンバーが「5 ゆ 1435」と懐かしさいっぱい。ボクシングシーンは練習時も含め酷い、あんなもので当時は観客が喜んでいたのだろう。

『軍用列車』(Breakheart Pass)

1975年・アメリカ 監督/トム・グライス

出演/チャールズ・ブロンソン/ベン・ジョンソン/ジル・アイアランド/リチャード・クレンナ

懐かしい顔チャールズ・ブロンソン、ヘラルドも彼とアラン・ドロンにだいぶお世話になった。一世を風靡したという表現がぴったりの二人だった。

この当時のアクション・シーンを見ていると、なんかすごく可愛くて、大人が子供劇を見ているような気になってくるのは、時代というものなのだろうか。

金のために人生を生きている悪党どもがいつの時代にも描かれている。それも人生だし、金のない清らかな人生もまた人生。死んでもどちらが良かったなんて分からないはずだが、おおかたの人達は金がある方が仕合わせだと言うんだろうな。

『ローン・レンジャー』(The Lone Ranger

2013年・アメリカ 監督/ゴア・ヴァービンスキー

出演/アーミー・ハマー/ジョニー・デップ/トム・ウィルキンソン/ヘレナ・ボナム=カーター/ウィリアム・フィクナー

『キモサベ』とコマンチ族のトントが白人のローン・レンジャーに声を掛ける。そんな懐かしいシーンに50年ぶりに出会った。信頼の出来る奴という意味かと思っていたら、映画の中では「劣った弟」と揶揄してて遣っているのに笑い。優秀な兄貴がいての弟ローン・レンジャーの誕生の物語。

2時間29分と長いが、途中経過ではこのまま最後まで行き着くのだろうかといった進行の遅さ。相変わらずのジョニー・デップの奇抜性が映画を面白くさせ過ぎている。お笑い映画にも見えてくる。アメリカン・ジョークのつもりなのかもしれないが、往年のローン・レンジャー良く見た少年には、ちょっとばかり違和感いっぱい。もっとまともな映画で良かったのでは?

ウィリアムテル序曲と共に白馬にまたがってやってくるマスクマンの姿に喜んだ初年時代。スーパーマン、ローハイド、秘密大作戦、アメリカ文化に触れて日本の幼稚性が嫌になってしまったトラウマが尾を引きずっている。

『(500)日のサマー』((500) Days of Summer)

2009年・アメリカ 監督/マーク・ウェブ

出演/ジョゼフ・ゴードン=レヴィット/ズーイー・デシャネル/クラーク・グレッグ/ミンカ・ケリー

心境がこの映画を観るのに適していた。『原作者のメモ:これは架空の物語で、実在の人物との類似は偶然である。特にジェニー・ヘックマンは、クソ女め!』とののしりのナレーション。さらに続く『これは、ボーイ・ミーツ・ガールの物語。男女が出会う物語だが、前もって断っておくが恋物語ではない』。ふ~む、男にとっては悲しい話なのだ。

一目惚れしてから4日目交流が始まる。28日目、彼女が恋人を作らない主義であることを知る。34日目、イケアで新婚夫婦ごっこをしたりと徐々に親密になっていく二人だが、「真剣に付き合う気はないの」と言われ、不本意ながらも「気軽な関係でいいよ」と妥協する。そして109日目、サマーの部屋に招き入れられたトムは、二人の間を隔てる壁が一気に低くなったと実感する。

こうやってまがりなりにも順調に見える交際が実は。キスもするしSEXもするのは当たり前のアメリカ流。それでも二人の関係にラベルを貼りたくないと彼女はのたまう。しかも目の前から何も言わずにいなくなる。再び出逢った時の彼女の指には結婚指輪が。顔の上にクソをされたみたいだという男の気持ちが良く分かる。「薄情女」と心の中で罵るが忘れられない。でも彼は若い。500日も過ぎてしまえば新しい出会いが待っている。羨ましい。

『フレフレ少女』

2008年(平成20年)・日本 監督/渡辺謙作

出演/新垣結衣/永山絢斗/柄本時生/斎藤嘉樹/染谷将太/内藤剛志

観始まって、どう考えたって漫画が原作だろうと思った。ら、映画公開に先駆けて、小説化(集英社文庫)・コミック化(「スーパージャンプ」連載、漫画・よしづきくみち)されたという。まぁ~同じようなものだ。所詮は漫画チックな高校生ちょっと変わった恋愛もの。

若い人達の恋物語は結構好きだ。自分がそんなに恋多き男ではなかったから、憧れがあるのかもしれない。女が嫌いだったわけでもないし、好きな女の子の一人や二人はいたが、憧れだけで満足できるような青春だったことも思い出す。

映画は詰まらない。残念ながら。漫画チックな話と映像が中途半端で繋がらない。百山桃子:新垣結衣 - 櫻木高校応援団第50代団長あたりが面白い設定だが、その面白さがそのままで終わってしまっている。再び残念。

『舟を編む』

2013年(平成25年)・日本 監督/石井裕也

出演/松田龍平/宮崎あおい/オダギリジョー/加藤剛/小林薫/鶴見辰吾/八千草薫

1年前にロードショーされた映画がテレビで観られるのは嬉しい。古い映画は面白い映画しか放映される機会がないので面白い確率は高いけれど、5年や10年前の映画だと古くて面白くないという二重苦にあえいでしまうケースが多々あり、不愉快になることが多い。

とりあえず新しければいい。今年2014年3月7日発表・授賞式が行われた第37回日本アカデミー賞で、作品賞、監督賞、主演男優賞など6部門の最優秀賞を受賞した。別に作品内容を否定するわけではないけれど、この程度の映画が最優秀賞では日本映画の質が問われるのは間違いない。面白くないというわけでもない。

所詮は業界内の投票がメイン、松田優作の息子ふたりともたいしたことがなくても、親の威光が今でも影響している。テレビ放映は公開から1年後以降、DVD発売は1年半後以降と、現役時代はそんなスケジュールだったが、今でも同じような契約がされているような気がする。

『長い灰色の線』(The Long Gray Line)

1955年・アメリカ 監督/ジョン・フォード

出演/タイロン・パワー/モーリン・オハラ/ドナルド・クリスプ/ピーター・グレイブス/ロバート・フランシス

題名からヨーロッパの暗い映画を想像し観始まるのに時間が掛かった。ところがどうだ、何と ニューヨーク州ウェストポイントにある陸軍士官学校の教官だったマーティン・マーの自伝を映画化した作品だった。軍隊ものは概して面白く、期待感でいっぱいになった。

陸軍士官学校の制服には、いわゆる「肋骨飾り」のついた灰色の上衣と白色のパンツの組み合わせか、灰色の上下(上衣は立襟、前あわせがファスナー)が用いられる。いずれにせよ「灰色」は陸軍士官学校を象徴する色となっており、この映画の原題もこれに由来している。

アイルランドから移民をしてきた主人公の人生を描いている。コメディー調の映像がちょっともったいない。第一次世界大戦そして真珠湾攻撃の報が陸軍士官学科校にもたらされ、士官候補生の人生が一変する。士官候補生から愛されている主人公、親と子供の両方を見守ることが出来る教官なんて、なんと仕合わせなのだろう。

『大奥~永遠~[右衛門佐・綱吉篇]』

2012年(平成24年)・日本 監督/金子文紀

出演/堺雅人/菅野美穂/尾野真千子/柄本佑/要潤/宮藤官九郎/西田敏行

よしながふみによる歴史改変SF漫画『大奥』の実写映像化シリーズの第3作。あの男女の立場が史実と逆転した江戸時代での女将軍・徳川綱吉の治世、大奥で成り上ろうとする右衛門佐と彼女との愛が描かれる。

初めて観た時の驚きと喜びはもうない。結局奇抜な発想も当たり前となってしまっては、心に響かなくなってしまう。男と女の関係と同じようなもの。重くなってもういいやという気持ちになって当然か。

五代将軍の話なのでどの程度史実に従っているのか調べてみたら、六代将軍は甥(兄・綱重の子)で甲府徳川家の綱豊(のちの家宣)に決定するあたりはその通りだった。何でも思い通りに手に入れることが出来る将軍という地位、それだけで仕合わせだとは誰も言えない。そんなことを尤もらしく描いているが、説得力に乏しい。

『善魔』(ぜんま)

1951年(昭和26年)・日本 監督/木下惠介

出演/森雅之/淡島千景/三國連太郎/桂木洋子/笠智衆/千田是也

岸田國士が 1951年に発表した小説が原作。三國連太郎が役名と同じだと思ったら、この映画がデビュー作品でこの映画の役名を芸名にしたという反対のはなしだった。

淡島千景、いいですね~、森雅之もいい男でこの当時の映画俳優は正当派美形が役者になっているので、観客にとっても本当の意味で憧れを持たせてくれる。

この映画は面白い。何年前に作られたっていいものはいい。悪魔の反対という単純な意味で遣われている題名ではないが、よく分からない。劇中にその由来の話が出てくるが、お坊さんの言葉の禅問答のようで、せっかくの意味もしっかり理解できなかった。男と女の心のもつれを描いているようで、自分の心が痛むのを感じた。

『ワイルド・スピードX2』(2 Fast 2 Furious)

2003年・アメリカ 監督/ジョン・シングルトン

出演/ポール・ウォーカー/タイリース・ギブソン/コール・ハウザー/デヴォン青木/エヴァ・メンデス

1作目がそこそこ面白かったので早々に放映された2作目を喜んで観ることにした。所詮は車と女の映像ばかりで、内容が1作目に比べたらガタ落ち、2作目の悲劇が現実となっていた。

以前、ロサンゼルスにて強盗団の潜入捜査をしていたブライアンだったが、彼らとの交流から生まれた友情と、警察官という職業、どちらを取るかに悩み、最終的には強盗団のリーダーであったドミニクを故意に逃がした上、警察官の職を放棄して逃亡した為に追われる身となっていた。各地を逃亡しつつ流れ着いた先のマイアミで、ストリートレーサーとしてカリスマ的存在になっていたブライアンであったが、ある夜のレース後に、警官隊によって連行されてしまう。連行された先にはロサンゼルスでの強盗団捜査の指揮を執っていたFBI捜査官・ビルキンスがおり、ブライアンの検挙は彼の指示によるものであった。 これまでの罪を免除する見返りとして、貿易会社を装う麻薬組織の囮捜査を強要されてしまったブライアンは、旧友のローマン・ピアースをパートナーとして捜査に乗り出すのだった。(Wikipediaより)

車に興味を持たない若者が増えているという。以前何故麻雀をしないのかと若者に聞いたことがあった。答えは明確で「時間とお金のムダ」だという。確かにそうだが、時間とお金を無駄に遣わない何で青春が成り立つのだろうと、他人事ながらその人の人生を心配してしまった。

『私は貝になりたい』

2008年(平成20年)・日本 監督/福澤克雄

出演/中居正広/仲間由紀恵/柴本幸/笑福亭鶴瓶/石坂浩二/西村雅彦/平田満/武田鉄矢/伊武雅刀/名高達男

フランキー堺が主演したのは1959年(昭和34年)と大昔の話。彼は日本ヘラルド映画株式会社の役員に名前を連ねていたことがあった。社長の知己で、長男古川爲之さんの話によれば、フランキー堺の家に居候をしていたこともあったと聞いたことがある。映画も観ているはずだが記憶に定かではない。

中居正広!?ってな感じで録画をスキップしていたが、ようやくまぁ~見てみようかという気になった。出だしは悪くない、ちょっと偏見を持ちすぎたかなと後悔さえしたものだった。だが話が進むにつれて、仲居くんの「演技」の臭さが気になってきた。映画に出るのならおちゃらけ番組は控えよと叫びたい。

オーバーなアクションで仲間由紀恵、笑福亭鶴瓶が「演技」をしているが心に響いてくる度合いは低い。何で一介の二等兵が戦犯で絞首刑にならなければいけないのか、物語とは言え憤りがふつふつと沸き上がってくる。戦争は勝たなければ負けた国が裁かれるという鉄の掟が非情だ。アメリカの原子爆弾投下など重大な超A級戦犯に値するのに。

『ストロベリーナイト』

2013年(平成25年)・日本 監督/佐藤祐市

出演/竹内結子/西島秀俊/小出恵介/武田鉄矢/大沢たかお/三浦友和

面白いじゃない!! 誉田哲也の警察小説シリーズ「姫川玲子シリーズ」を原作とするフジテレビの刑事ドラマ『ストロベリーナイト』の劇場版作品。姫川玲子シリーズのうち第4作の『インビジブルレイン』を原作としている、なんていう情報に初めて接する。テレビドラマ、ましてや刑事物なんてテレビの前に座ってみようなどと思いもしないから。

ドンパチと現実感のない銃撃戦がないことがいい。殺人事件も争うシーンをことさらアップしていないのがいい。よくは見ていないが、今までのテレビ刑事ドラマとはひと味違う感じがする。刑事グループで女リーダーという存在も物語を面白くしていそうだ。

その主人公の女刑事リーダーは、ただのエリート刑事ではない設定が物語の幅を持たせている。むしろ他人には言えない陰を持つ警察官という彼女のキャラクターが、物語の最重要部分。竹内結子がいいような、普通のような。中村獅童と結婚、離婚する前は可愛かったがな~。

『連合艦隊』

1981年(昭和56年)・日本 監督/松林宗恵(本編)・中野昭慶(特技監督)

出演/小林桂樹/高橋幸治/三橋達也/丹波哲郎/神山繁/鶴田浩二/永島敏行/森繁久彌/古手川祐子/奈良岡朋子

1940年(昭和15年)、連合艦隊司令長官・山本五十六らの反対にもかかわらず、時の海軍大臣・及川古志郎の「やむを得ない」の一言により日独伊三国軍事同盟が締結された。当然史実に基づいて作られた映画だろうから、観ている方も真剣になる。負けるべくして敗戦した日本であることが良く分かる。もっとも、戦う前から勝負は決まっていたのだろう。

それにしても日本軍の見通しの甘さは酷かったようだ。映画はそのことを、これでもかこれでもか、と責める。局地戦で勝利をおさめたとしても、結局は負けていただろうことは想定できる。山本五十六がいかに迅速に終戦へと向かえるかのために真珠湾攻撃をし、ミッドウェイ海戦を仕掛けたと知った。

戦争がいつも悪いなどと言うつもりはない。現在がそうであるように、世界を席巻するのは戦勝国で核保有国だ。安保理の拒否権が国際連合を形骸化している問題が最近顕著に現れて、これからの世界が非常に不安定方向へ向かっていることが不安になる。

『いらっしゃいませ、患者さま。』

2005年(平成17年)・日本 監督/原隆仁

出演/渡部篤郎/原沙知絵/大友康平/梨花/原史奈/田中千代/渡辺えり子/さとう珠緒/藤岡弘/石原良純/石橋蓮司

久しぶりに観始まった早々2倍速、5倍速を駆使してしまった。こんな映画を作る方が悪い。一体誰が楽しむというのだろうか。いつも言う、映画は百人観れば百人の感想があると。そう、感想は百人百色かもしれないけれど、面白さの基準は間違いなく存在する。

急性心筋梗塞の手術をしてから7年半あまり、手術をしてくれた医者から3人目の現在の担当医、9週間に1回の定期検診はほとんど3分くらいの問診だけで終わる。9週分の処方箋をパソコンで出力してはいさようなら。「おはようございます」と挨拶しても何の反応も示さないこの医者は典型的なダメ医者の見本。

それにしても飲んでいる薬は凄い。効能は1つしかないのに、副作用は無数。同じ薬の副作用に下痢と便秘があるなどお笑いぐさ。効能を違法申請して社会問題になっても、医者は希望があれば別の薬を出しますよと無頓着。現実の病気世界はまだまだ未知の分野、たぶん、おそらく、間違いなく何年経ってもまず変わることはないであろう医療分野の保守性。

『ブラッディ・ガン』(QUIGLEY DOWN UNDER)

1990年・アメリカ/オーストラリア 監督/サイモン・ウィンサー

出演/トム・セレック/アラン・リックマン/ローラ・サン・ジャコモ/クリス・ヘイウッド/ダニエル・ボールドウィン

オーストラリアを舞台にした異色西部劇。西部劇といえば、土地の無力な人々を迫害する牧場主や悪徳保安官はつきもの。この映画では、「ダイ・ハード」「ロビン・フッド」でたっぷりと悪役を楽しませてくれたA・リックマンが、原住民狩りをする大牧場主に扮し、またもいい味を出している。スゴ腕ガンマン、マシューは、金もうけのためオーストラリアにやって来る。牧場主マーストンが、腕のたつガンマンを探していると聞きつけ訪ねるが、目的が原住民アボリジニ狩りと知るや、取引を拒否。逆にマーストンに狙われることになる。(ぴあ映画生活より)

原題は「オーストラリアのクィグリー(主人公の名前)」、日本劇場未公開でビデオ会社が勝手に邦題をつけるいい加減な邦題の典型。

オーストラリア先住民アボリジニを守る主人公を登場させ、西部劇お馴染みのインディアンに対するアメリカ人の扱いと対比しているよう。1.2km先の的を射ることが出来るライフルを武器に映画を面白くしている。さらにお馴染みの「女」も脇役以上に存在感が。「この映画では動物を殺したり、傷つけたりしていません」とエンド・クレジットに記しているあたりが、ただの西部劇ではありませんよと。

(2014/4/15)

『ちゃんと伝える』

2009年(平成21年))・日本 監督/園子温

出演/AKIRA/伊藤歩/奥田瑛二/高橋恵子/高岡蒼甫/でんでん/吹越満

稲荷神社の門前町に住み隣接のある都市の地域タウン誌編集部に勤める主人公(27歳)はそろそろ彼女との結婚を考えている。ある時、主人公の父がガンで入院する。在籍していた高校の教師で入部していたサッカー部の顧問でもあった厳格な父と向き合えるチャンスを得た。そして、県境の美しい湖で父が亡くなる前に一緒に釣りをしようと心積もりをしていた。しかし、なんと主人公自身がガンで、余命は父よりも短いと宣告を受けた。主人公はとてつもない衝撃を受ける。(Wikipediaより)

面白い題名だが内容は地味。興味のある題材であることは確かで、地味ながらも最後まで問題なく観ることが出来る。実話に基づいた話にも見えるが、監督自身のオリジナル脚本のようだ。主人公はEXILEのメンバー、このグループの良さが分からずメンバーにも親しみを感じない。

映画館で興行として成功の難しい作品。こういう作品ならテレビの特番で一気に全国放送した方が反響が強いのではなかろうかと思う。考えさせるテーマなので、日本人にはかなり向いている映像だろう。

『ニュースの天才』(Shattered Glass)

2003年・アメリカ 監督/ビリー・レイ

出演/ヘイデン・クリステンセン/ピーター・サースガード/クロエ・セヴィニー/スティーヴ・ザーン

1998年に起きたアメリカの権威ある政治雑誌『ニュー・リパブリック』の記者スティーブン・グラスによる記事の捏造事件を描く。ちょうど小保方晴子嬢のSTAP細胞論文の改竄、捏造問題がクローズアップされている昨今の社会状況を思い起こさせるような内容で、吹き替え版というハンディがありながら一気に観ることが出来た。

初めて観たわけじゃないとどこかで感じていたが、その時は吹き替え版ではなかったはず。いつになっても吹き替え版には馴染めない。この主人公の新聞記者は、取材ノートを捏造していた。記事が採用されたのは、面白いからという一点の故だった。なんか小保方嬢の捏造問題も意外と同じようなところが原点ではないのだろうかと思ったりしている。

ついつい妄想が本当に思え、裏付けもなく捏造してしまう人種がいることは確かだ。独り言を言っているのに本人は気がつかず、隣にいる人間にはその独り言がちゃんと聞こえている経験をしたことがある。不思議な体験だったが、これは捏造でも改竄でもなく、一体何と表現したらいいのだろうか。

『ワイルド・スピード』(The Fast and The Furious)

2001年・アメリカ 監督/ロブ・コーエン

出演/ヴィン・ディーゼル/ポール・ウォーカー/ミシェル・ロドリゲス/ジョーダナ・ブリュースター

ロサンゼルスを舞台にドラッグレース(ゼロヨン)に熱中するストリート・レーサーたちを題材としたカーアクション映画。公道での違法レースに興じる若者たちの姿は、まさしくアメリカという感じ。改造車の走行中にも濛々と上がる白いタイヤスモーク、白煙、直管(サイレンサー無しの排気管)から盛大な音を響かせるエンジン等、車好きには堪らないシーンの連続だろう。

車に一向に興味がない自分にもどことなく興味がわいてくる。かなり人気が高いようでこの第1作から2013年の第6作までシリーズが続いているという。単なる若者の車好きどもの話ばかりではなく、潜入捜査官が潜り込んだりと確かな映画となっているところがいい。

運転免許証の書き換えが今年あった。どうしようかなと思ってけれど結局は返納した。運転することはこれからもあるかもしれないけれど、実質的にはこの10年間で何回運転しただろうかという程度だったことも原因。それよりももう7年飲み続けている6種類の薬の効能書きを読んだら、とてもじゃないけど運転なんか出来やしないと言うことが最大の原因。万が一に事故でも起こしたら、言い訳の立たない状況であることは確実で、やむを得ない決断だと。

『プリシラ』(The Adventures of Priscilla, Queen of the Desert)

1994年・アメリカ 監督/ステファン・エリオット

出演/テレンス・スタンプ/ヒューゴ・ウィーヴィング/ガイ・ピアース/ビル・ハンター

海辺の街シドニーに住む3人のドラァグ・クイーンが、オーストラリア大陸の中心・砂漠の真中の街アリススプリングのホテルで開かれるショーに出るため、入手したバス「プリシラ号」に乗って旅をする、いわゆるロードムービーである。様々なトラブル、アボリジニらとの出会いを経つつ、一見陽気な彼らにも、様々な過去や思いがあることが明らかにされる。砂漠の荒涼とした風景と、彼らの派手な出で立ちの対比が特徴である。(Wikipediaより)

「ドラァグ・クイーン」てなに? ドラァグクイーン(英: drag queen)は、男性が女性の姿で行うパフォーマンスの一種とある。要はオカマのショーと言ってしまった方が分かり易い。映画の中では3人のまさしくオカマの口パクショーがふんだんに演じられる。ニューハーフのように女の子の可愛い姿ではなく、むつけきおっさんの女装姿だ。

こういう姿に対して若い頃はものすごい嫌悪感があった。40代近くなった頃にようやく新宿2丁目に行っても、楽しく語ることが出来るようになった。そういうところは成長したのかもしれない。今ならどうだろう? どっちでもいいやという感覚しかないような気もするが。

『ユージュアル・サスペクツ』(The Usual Suspects)

1995年・アメリカ 監督/ブライアン・シンガー

出演/ガブリエル・バーン/ケヴィン・スペイシー/スティーヴン・ボールドウィン/ケヴィン・ポラック

回想によって物語を錯綜させる手法で謎の事件を描く。アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』を下敷きにしたという計算された脚本が話題を呼び、アカデミー脚本賞を受賞した。また、ケヴィン・スペイシーは本作でアカデミー助演男優賞を受賞している。

極めて体調の悪い時に観ているので、この複雑な事件と、回想、人間関係が頭に入らず、面白そうだねなどと言う第三者てき見方になってしまった。この回想、フラッシュバック手法は映画の王道みたいなものだけれど、あまり好きになれず、いつもその手法が出始まると、「またか!」と舌打ちをするのが常だ。

旧作を選ぶ時、知っているタイトルで評判の良かったものを選ぶ。そういう点では業界にいたメリットを生かせることが出来るのが嬉しい。ただ、どの題名を見ても、題名だけは聞いたことがある場合が多くみんな観た気になっているのが困る。そうなんだよね。

『もしも昨日が選べたら』 (Click)

2006年・アメリカ 監督/フランク・コラチ

出演/アダム・サンドラー/ケイト・ベッキンセイル/クリストファー・ウォーケン/ヘンリー・ウィンクラー

建築士の主人公は、美しい女性と結婚して いる。彼は、二人の子どものいる家庭を顧みない仕事人間。ある日ホームセンターで、怪しげな従業員からマルチリモコンを受け取るが、その時「返却できない」と警告される。 そのリモコンは時間を制御できるが、面倒なことを回避し望みを叶えているうちに、時間が先送りさ れてしまう。(Wikipediaより)

ちょうどマルチリモコンをまた入手し、4つのリモコンボタンをひとつのマルチリモコンに覚えさせたばかりだったので、万能リモコンという夢物語もまんざら嘘には見えないようだった。面白いことを考える人がいるもんだ。

おちゃらけ過ぎて、ちょっとのけぞりそうになるが、そこはアメリカ映画、最後まで観ることが出来ればなかなか示唆に富んだ結末を用意してくれている。結局は平凡で凡庸な日常生活が一番仕合わせだと教えてくれるが、いざその現実に身を置くと、どうしてももっともっととあらぬ欲望が頭をもたげるのが、やっぱり凡人の凡人たる所以なのだろう。

『ジュリエットからの手紙』(Letters to Juliet)

2010年・アメリカ 監督/ゲイリー・ウィニック

出演/アマンダ・セイフライド/ヴァネッサ・レッドグレイヴ/クリストファー・イーガン/フランコ・ネロ/ガエル・ガルシア・ベルナル

録画のストックが切れそうだったので、久しぶりに TSUTAYA にて旧作(100円)を4枚借りてきた。そろそろ準新作100円キャンペーンの連絡が来るはずだが、待てなかったのでとりあえず4枚だけという感じ。SF、ホラー、コメディー、ドラマなどとジャンル分けされているレンタルDVDの中から、どれが良いのかを選ぶには至難の業。

原題は“ジュリエットへの手紙”で、例のイタリア・ヴェローナにある『ジュリエットの家』を訪れた人達が、その家の壁に貼るジュリエット宛てに書かれる多くの手紙を意味している。『ロミオとジュリエット』をきちんと読んだことがなく恥ずかしい限りだが、何となく概略を知っていればこの映画を観るのにも支障はなさそう。

結構あたたかい映画だった。薄情な女の話をこの頃よく引き合いに出しているが、それとは正反対、思わず涙がこぼれてきて気持ちよかった。そしてちょっと笑ったりと、さすがアメリカの恋愛映画はツボを心得ている。この映画の登場人物はみんな心があたたかい(嬉し涙)。 50年前に出逢った二人が再び会えるなんて、そんな奇跡を私も願っているのだが。

『漫才ギャング』

2011年(平成23年)・日本 監督/品川ヒロシ

出演/佐藤隆太/上地雄輔/石原さとみ/綾部祐二(ピース)/宮川大輔/成宮寛貴/金子ノブアキ/大島美幸(森三中)

お笑い芸人の品川祐(ペンネーム:品川ヒロシ)原作、脚本、監督の映画。どう考えたって面白いとは思えなかったが、芸人が作ったから面白くないだろうと決めつけることはしていない。どこにどんな才能があるのか分からない。映画はとりあえず観てみなきゃ。

途中早回しをした箇所はあったが、まずまず観られた。今時の日本映画の面白くなさに比べれば、こっちの方が面白いと断言できる。原作が違えば、監督としての力を発揮できるかもしれないと感じさせる。既に 『ドロップ』(2009年)を監督し、もうすぐ監督第三作目『サンブンノイチ』が公開されるようだ。

お笑い芸人ばかりのテレビ番組がうざくてしかたない。よくもま~あとからあとから誕生してくるもんだ。お笑いしか出来ないよ、と昔の「でもしか先生」みたいにお笑い芸人になれば、それこそサラリーマンでは考えられないようなギャラを手にすることが出来る。日本のテレビ界は天国だ。


2017年5月3日再び観たので記す。

『漫才ギャング』

2011年(平成23年)・日本 監督/品川ヒロシ

出演/佐藤隆太/上地雄輔/石原さとみ/綾部祐二/宮川大輔/成宮寛貴/金子ノブアキ/笹野高史

録画するときも躊躇したけれど、いざ観ようという段階になってまで躊躇している。そもそも日本のお笑い漫才なるものを、好んで見ない。若い頃は、それなりに見ていて、てんぷくトリオなんて好きだったような気がする。見事に笑わせてくれるのなら、拒絶する必要はまったくない。おもしろくないからいけないのだ。奇妙な動きや奇声を発して笑いを誘われても、残念ながらそんなものに反応するほど単純ではない。

観始まってからも、すぐに、やっぱり止めようかな、と2回は思った。箸の持ち方がなっていない鶴瓶がテレビの人気者なのが不思議だ。基本的に悪くはないが、その基本の所作が出来ない落語家が、何を言ったって信用できない。そういう事実を知らない視聴者は平気なのだろ。私だってテレビで見て知った事実だから、他の人だってかなり知っているはずだ。それでもそんなことを気にしないで生きていくことが大切らしい。

才能のないお笑いタレントが必死に生きている姿はけなげだ。本人が一番そのことを知っていて、実は蔭でいつも涙ぐんでいるに違いない。サラリーマンだって同じ。どこかで自分の才能のなさを知ってしまったとき、悲劇は始まってしまう。それでも、そんなことを知らんぷりして、バカをやっていられる人が、結局は生き残る。人間なんて大差ないものなんだ。自分をダメにするのも、つまりは自分の考え方次第。ずうずうしく生きていけば、何とかなるさ。だから馬鹿な人間の方が長生きするのが条理というものなんだ。

『プレステージ』(The Prestige)

2006年・アメリカ 監督/クリストファー・ノーラン

出演/クリスチャン・ベール/ヒュー・ジャックマン/マイケル・ケイン/スカーレット・ヨハンソン

いつものことながら、観たことがある映画だよな、と強く感じながら観始まった。最近観た映画のリストにはなかったところを見ると、もう4年も過ぎているということなのだろう。これもまたいつものことながら、観始まってもシーンを思い出さない特技は、新鮮な映画鑑賞に大いに貢献している。<好きな女優スカーレット・ヨハンソンの顔を見ているだけで嬉しい。/p>

面白い。時は1900年がもうすぐというロンドンでの物語。この頃のイギリス人はマジックが相当好きだったみたいだ。簡単なマジックを演じると、「それはこの前見たことがあるぞ~!」と厳しい声が掛かるところがおもしろい。大掛かりイリュージョンを競い合うマジシャンの戦いが興味を。種明かし的な場面も結構あり、楽しく時間を過ごせる。

マジックは3つのパートから成り立っている。最初のパートは「確認」(プレッジ)、何でもない物を見せる。2番目は「展開」(ターン)、その何でもない物で驚くことをしてみせる。だが拍手はまだまだ、消えるだけでは十分じゃない。それが戻らなければ。だからどんなマジックにも3番目がある。もっとも難しい。人はそれを「偉業」(プレステージ)と呼ぶ。と映画の中でマジックの解説が語られ、いわゆる奇術の面白さと難しさを後押ししている。

『トスカーナの休日』(Under the Tuscan Sun)

2003年・アメリカ/イタリア 監督/オードリー・ウェルズ

出演/ダイアン・レイン/サンドラ・オー/リンゼイ・ダンカン/ラウル・ボヴァ/ヴィンセント・リオッタ

主人公の女友達に外れ日本人顔みたいな脇役が出てきて気持ち悪くなってしまった。中国系アメリカ人のようだが、どうにも嫌いな顔立ちで、この娘が登場すると気分が悪くなってしまった。この頃は好き嫌いが激しくて、自分でも制御出来ないような狭量さがどうしようもない。

ダイアン・レインの顔がいつも分からない。毎回同じことを書いている気もする。綺麗な人なのだけれど、特別に特徴が際立っていないからかもしれない。

軽い話で、結局は恋の話に見える。自分に恋心が芽生えている時は、こういう映画を観ると妙に納得して心地良い時間を過ごせる。ところが、ちょうど振られたばかりの時間では、キスシーンさえ見ていて気分がすぐれないとは、歳をとり過ぎてしまったのか、もともとその程度の人間なのか、たぶん後者なんだろうな、と自分が情けなくなった。

『墓石と決闘』(HOUR OF THE GUN)

1967年・アメリカ 監督/ジョン・スタージェス

出演/ジェームズ・ガーナー/ジェイソン・ロバーズ/ロバート・ライアン/フランク・コンヴァース/サム・メルヴィル

西部劇史上、最も有名なOK牧場の決闘。この決闘に関係した7人の、その後の運命を描いたもの。1881年10月26日午前11時、OK牧場での決闘は終わった。アリゾナ準州トゥームストンという場所。この映画は事実に基づいているというクレジットが冒頭に。

正義なのか私怨なのかというようなお題目はあるが、あの時代からも建前は法の下の決闘を体現していた。証拠や目撃者がいなければ誰もが無罪だとの認識を共有しているのが凄い。状況証拠を積み上げて「死刑」までもありうる日本の現代とは、どこか文化が違い過ぎるのかもしれない。

題名を「はかいし」と読むのか「ぼせき」と読むのか分からなかったが、たぶん前者だろうと題名区分けでは「は」欄に入れた。絶対喋らないと決めたことは墓石まで持って行こうと密かに思っているが、もう溢れんばかりに溜まってしまったネタをどうして良いか分からない。

『ダブルフェイス』(テレビドラマ)

2012年(平成24年)・ 監督/羽住英一郎

出演/西島秀俊/香川照之/小日向文世/伊藤かずえ/伊藤淳史/角野卓造/和久井映見/蒼井優

映画ではないことは分かっていたが、何となくドタ勘で録画してしまった。東京ドラマアウォード2013 単発ドラマ部門でグランプリを獲得したこともあとで知ったが、ドタ勘は相変わらず良く当たる。面白い。見て行くうちにどこかで見たようなストーリーだなぁ~、と強く感じながら最後まで楽しめた。観終わってから調べてみた。

2002年公開の香港映画『インファナル・アフェア』のリメイク作品だと分かった。面白いはずだ。この香港映画は、2006年にアメリカでマーティン・スコセッシ製作・監督、レオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン主演で、『ディパーテッド』としてリメイクされ、アカデミー賞やゴールデングローブ賞など各賞を受賞した。両方とも観ているが面白かったことだけは記憶している。

このテレビドラマも余計なセリフを削ぎ落として、内容の面白さで勝負している。香川照之はテレビや映画に出ている暇があったら、もっともっと歌舞伎役者の精進に傾倒すべきなのだが、今や役者としては大御所の範疇に入っていそうで、こっちの世界にいた方が居心地がいいのかもしれない。

『クローズZERO』

2007年(平成19年)・日本 監督/三池崇史

出演/小栗旬/やべきょうすけ/黒木メイサ/桐谷健太/遠藤要/上地雄輔/岸谷五朗/山田孝之

くそ面白くない「富士山頂」を見た直後の映画だったが、それにも増してどうにもならない映画に出逢ってしまった。映画が面白くないと言うより、原作そのものが取るに足らない題材で、健全な社会生活を送っている人にとってまったく不必要な情報。携帯電話ゲームと同じようなものだ。

高橋ヒロシの漫画『クローズ』、『週刊少年チャンピオン』に連載された漫を原作としている。漫画の世界は漫画でとどめておいて欲しい内容や絵がある。言論の自由は保障されているから、こんな内容のものを物語や漫画にしないでくれと、PTAや主婦連のようなことをいうつもりもないが。

それにしても東宝はよくこんな作品を配給した。清く正しく美しいことをモットーにしている企業が、高校生がタバコを吸いまくる映像を平気で流す時代となってしまったのか。映画とは言え、やっていいことと悪いことがある。何でもありの世界が、訳の分からない人間を社会に発生させていると危惧する。

『富士山頂』

1970年(昭和45年)・日本 監督/村野鐵太郎

出演/石原裕次郎/渡哲也/芦田伸介/山崎努/佐藤允/中谷一郎/市原悦子/星由里子/山内明/東野英治郎/古谷一行

こんな面白くない映画を作ったのは誰だ、と怒りが。石原裕次郎の石原プロ製作だと冒頭のクレジットで知って、これは面白くないのだろうな、と思った以上に面白くなかったというのが率直な感想。

富士山レーダーを納入した三菱電機の全面的な協力により製作されたため、主人公が原作者新田次郎自身をモデルとする気象庁課長葛木章一から、石原裕次郎の映じる三菱電機社員・梅原悟郎に変更されており、社名も原作では全ての会社名が架空の社名に置き換えられており、例えば三菱電機は「摂津電機」とされていたが、映画では三菱電機だけは現実の社名で登場する。この年に三菱電機に入社した友人は、当然前売り券を手に劇場に足を運んだに違いない。

石原裕次郎がサラリーマンに見えない。黒部の太陽もそうだが、題材として映画化する面白味に欠ける。何が面白くて富士山頂での作業を映像化しようとしたのだろうか。役者しか職業を経験したことのない石原裕次郎、一般庶民がさほど興味を持たない富士山頂での作業、黒部ダム建造、栄光への5000キロでのレーサーの姿などは、ドキュメンタリー映像の方がはるかに面白い。どうもお坊ちゃま思考の映画製作という感じがして、映画が当たらないのも当然の如し、と切って捨てる。

『プラチナデータ』

2013年(平成25年)・日本 監督/大友啓史

出演/二宮和也/鈴木保奈美/生瀬勝久/杏/水原希子/遠藤要/和田聰宏/萩原聖人/豊川悦司

またまた東野圭吾のミステリー作品の映画化。今や彼の名前を見ない日はないほどの売れっ子作家。日本国民全員のDNAを管理してしまうという近未来的な話が、ありそうで面白かった。ただ、寸詰まりのような話の展開で、窮屈な感じがしたのは私だけだろうか。

国民のDNAを管理しながら、政治家や高級官僚、その家族のデータを排除してしまうと言うのが「プラチナデータ」と称している。こんなところも実社会にありそうなこと、この作家の卓越したヒット・メーカー性は一体何処からやってくるのだろうか。

同じDNAながら二重人格が出来てしまったりと、不思議なところも漏らさず題材となっている。二重人格と言えば、すぐに女の世界を考えてしまう。うぶな男どもには二重人格のような振る舞いは望めない。一方、女たちは生まれながらにして男を手玉にとって楽しんでしまうように躾けられている。そんな女ばかりではないことを願いつつ。

『女と男の名誉』(Prizzi's Honor)

1985年・アメリカ 監督/ジョン・ヒューストン

出演/ジャック・ニコルソン/キャスリーン・ターナー/ロバート・ロッジア/ジョン・ランドルフ

忘れもしない、この邦題は私が決めたようなもの。日本ヘラルド映画配給作品。宣伝部長になって2年目、普段は宣伝のことには口出ししなかった。というより宣伝の素人である私は、宣伝の細かいことに口出しさせてもらえなかった。せいぜいポスターの題字とか色とかくらいにいちゃもんをつけるのが関の山だった。

「男と女・・」というありきたりの順番ではあまりにもインパクトがなさ過ぎるので、女が先になった。ただそれだけのことだが、原題の「プリッツィ家の名誉」により近くて良い題名だとその時は思っていた。今こうやってその題名がそのまま継承されていることが嬉しい。その当時としては極く普通程度の映画。

今観るとそれなりに面白い。この程度の映画が作られていないのが昨今の映画。ただその当時はさほど当たらなかったと記憶している。面白いのだけれど、何かがふたつくらい足りない。コメディーっぽいのだけれど、笑いにまでは至らないという中途半端さがうけないのだろう。バカでも良いから笑いがとれた方が好まれるのか。

『おはん』

1984年(昭和59年)・日本 監督/市川崑

出演/吉永小百合/石坂浩二/大原麗子/香川三千/ミヤコ蝶々/常田富士男/横山道代/浜村純/桂小米朝

山口県玖珂郡(現・岩国市)出身。実家は酒造業を営む裕福な家だが、父親は生涯生業に就いたことはなく、博打好きだった。千代が幼いころに母親がなくなり、父親は千代と12歳しか違わない若い娘と再婚。千代は実母と思って育ち、大変慕っていた。この継母が「おはん」のモデルとされる。原作者宇野千代のこと。「おはん」は、宇野の代表作の一つでもある。

吉永小百合では本来は役不足、濡れ場が濡れ場になっていない。映画の内容からすれば、もっと激しく生き様をぶつけなければ、ありきたりの表面的な描写になってしまっている。好きな大原麗子がいい。サユリストには申し訳ないが、映画の中での二人を比べたらはるかに女優としての存在感が比較されてしまう。

時代は明治の後半くらいか?もう昭和になっていたのか良く分からない。が、ひものような男の存在は、優雅だった日本社会を彷彿とさせる。小説を読んでいるような錯覚に陥る。鼻に掛かった喋り方をする大原麗子の美しい姿を見ているだけで仕合わせになれる。そんな女優がもういなくなってしまった日本映画界。

『黒水仙』(Black Narcissus)

1947年・イギリス 監督/マイケル・パウエル

出演/デボラ・カー/フローラ・ロブソン/ジーン・シモンズ/デヴィッド・ファーラー

インド・ヒマラヤ山麓の女子修道院を舞台としたルーマー・ゴッデンの小説の映画化。デボラ・カーという女優名はよく知っているが、顔が一致していない。あまりにも整った美くしい人で、別の映画を観てもこの人誰?と言ってしまいそうなくらい特徴が区別出来ない。美しさもちょっと癖があった方がいいのかもしれない。

修道院という女の世界と、ヒマラヤ山麓という土地柄を映画的に面白くしている。この当時にわざわざヒマラヤかよっと声を掛けたくなる。実際の撮影は現地で行われていない、というあたりが結局当時らしい。

宗教に生きる人生って、きっととても仕合わせなのだろうな~。信じるものはすくわれる、というけれど、信じるに値しない人を勘違いして信じてしまうことの悲劇は、もう引きずること引きずること。やっぱり信用と信頼の出来る仲間とつきあっていることが、人生の幸せというのだろう。

(2014/3/28)

『神様のカルテ』

2011年(平成23年)・日本 監督/深川栄洋

出演/櫻井翔/宮崎あおい/要潤/原田泰造/西岡徳馬/池脇千鶴/加賀まりこ/柄本明

現役の医師である作者が、第10回小学館文庫小説賞を受賞したデビュー作が原作、2010年に本屋大賞で2位となったという。テレビ・ドラマの病院ものをちゃんと見たことはないが、予告編的なものを眺める限りは、救急病棟の医療活動がメインのような何とも興味のない光景しか見たことはなかった。

まぁ~そんなものだろうとたかをくくっていたが、そうではなかった。極めて良質な命と向き合う病院ドラマだった。自分自身が死ぬ姿を想像する時間となっているこの頃の気持ちからすると、映画とはいえひとりの人間が死んで行く姿には興味がある。それを見守る医者の姿、特にこの映画の主人公の医者の人間と相対峙する真摯な態度が素晴らしい。患者が死んで大泣きする医者の姿が人間らしい。久しぶりの優良な日本映画。

病気が直らないのは分かっていても、生きている間は楽しく時間をおくりたい。そうここの患者もいう。そういう患者を暖かく見守る人達がいることは仕合わせの極致だ。そんなことが分からないで、冷たく他人を扱う人間がいることは哀しいこと。暖かい心に触れたい。

『センチメンタル・アドベンチャー』(Honkytonk Man)

1982年・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/クリント・イーストウッド/カイル・イーストウッド/ジョン・マッキンタイア/アレクサ・ケニン

よく耳にする原題「ホンキートンク」の意味が気になったので調べてみた。1.【可算名詞】 (騒々しい)安酒場[キャバレー(など)]、2.【不可算名詞】 【ジャズ】 ホンキートンク調の音楽。

中年の歌手レッド・ストーバルは、グランド・オール・オプリのオーディションの誘いを受け、甥のホイットを伴ってナッシュビルへ向かう。車が故障したり、詐欺の片棒を担がされたりしながらレッドはナッシュビルへたどり着くが、結核が原因でオーディションの途中で咳き込み、退場してしまう。オーディションの様子を見ていたレコード会社のスカウトがレッドにレコーディングをするように申し出る。末期の結核を自覚していたレッドは、死の覚悟の下、レコーディングに立ち向かう。レッドの死後、墓の前で歌うホイット。通りすがりの車のラジオからは、レッドの歌が流れている。

もの哀しい男の生き様が身にしみる。情の薄い女に捨てられるように、人生から見放されてしまった男には、哀しい末路しか残っていない。

『日本海大海戦』

1969年(昭和44年)・日本 監督/丸山誠治

出演/三船敏郎/加山雄三/仲代達矢/黒沢年男/田崎潤/加藤武/草笛光子/笠智衆/松本幸四郎

かの有名な日露戦争におけるバルチック艦隊を撃破した、海軍大将・連合艦隊司令長官東郷平八郎がメインで描かれている。映画とはいえ凜々しく決断力に優れ、強固な意志を持った指導者像は、今の世の中では物語の主人公でしか登場しないような人物。

戦争映画は面白い。戦争は決してしてはならないなどと、優等生の答えをするつもりなんかこれっぽっちもない。映画で観る明治天皇もいつも凜々しく、国民の象徴として遜色ない風貌。現世の九代目松本幸四郎の父親八代目松本幸四郎が眩しい。三船敏郎のような役者も今では後を継ぐような役者がいないことでも、希有な存在だったことがうかがえる。

それにしても明治時代の日本人は気骨があった。この時代確かなレーダー情報がなく、バルチック艦隊がいつ何処の方向から現れるのかが分からなかった。この時代になって、地球上には数々の情報網が張り巡らされているのにもかかわらず、マレーシア航空機の消息が2週間以上も分からないでいる。何でも分かるつもりになっているが、世の中にはまだまだ分からないことがたくさんありそうだ。

『映画女優』

1987年(昭和62年)・日本 監督/市川崑

出演/吉永小百合/森光子/横山道代/石坂浩二/常田富士男/渡辺徹/中井貴一/菅原文太/岸田今日子

原作は新藤兼人の『小説・田中絹代』。女優・田中絹代の半生を映画化した作品だが、随所に日本の映画発展史のような映像と解説が入り、元業界人としては興味ある内容だった。田中絹代作品はそれなりに観ているつもりだが、彼女が歳をとってからの作品ばかりだったので、いまいち女優としての輝きを見つけられないでいた。

この作品での吉永小百合は美しい。一番脂がのりきっていた年頃なのかもしれない。42才。どことなく彼女自身が田中絹代に似ているところがあるような気がする。蒲田撮影所の大部屋女優として採用され、一家4人を食わせていけるんだから役者の給料はたいしたものだったようだ。

快調な出だしだったが、あとの展開はぐだぐだ。もったいない。映画界の話がメインではなく、もっと映画女優という職業にスポットライトを当てるべきだった。原作もそうではないのだろうが、身内の話は身内しか面白がらないものだ。

『人生は、奇跡の詩』(La tigre e la neve)

2006年・イタリア 監督/ロベルト・ベニーニ

出演/ロベルト・ベニーニ/ニコレッタ・ブラスキ/ジャン・レノ

真実が伝わらない、何も分かってもらえない、と感じた時にはこの映画のことを思いだそう。どれだけ尽くしても、相手が気付かなければ、説得力を持たない。いつか分かってくれるだろう、などという儚い希望は捨てて、真実は神が見ていてくれている、と信じて生き続けることが必要。

前日観た『ライフ・イズ・ビューティフル』の内容が頭の中でごちゃごちゃになっている。そこであらためて見直したわけだが、製作は10年という間が空いているが、こうやって連日観ることが出来る便利な世の中になって、出演者も雰囲気も同じようだとちょっと? と思ってしまうのは贅沢な悩み。

前半は相変わらずのイタリア男の嘘と冗談に明け暮れる。この映画はひたすら我慢して見続けることが肝要。最後の10分間に女性の驚きと喜びの表情を確かめられれば、それだけでこの映画に出逢えた嬉しさが倍増する。人生とはこうありたいものだ、と強く感じることが出来る。何度観ても心が嬉し泣きしている。お奨め映画の1本。

『ライフ・イズ・ビューティフル』(La vita e bella)

1997年・イタリア 監督/ロベルト・ベニーニ

出演/ロベルト・ベニーニ/ニコレッタ・ブラスキ/ホルスト・ブッフホルツ/

人生そのものが嘘つきで、冗談で、楽しく生きればいいや、と勘違いしてしまいそうなイタリア人の特徴が極まっている。そんなイタリア人ばかりではないことは分かっているつもりだが、一方冗談ばかりの一瞬一瞬を過ごしているのも本当ではなかろうかと今でも思っている。

第二次世界大戦下のユダヤ人迫害(ホロコースト)を、ユダヤ系イタリア人の親子の視点から描いた作品。カンヌ国際映画祭で審査員グランプリを受賞。第71回米国アカデミー賞で作品賞ほか7部門にノミネートされ、そのうち、主演男優賞、作曲賞、外国語映画賞を受賞した。また、トロント国際映画祭の観客賞やセザール賞の外国映画賞も受賞している。

男は見た目ではない、と勇気を持たせてくれる。お金持ちのお嬢さんと結婚してしまうくだりは嬉しくなってしまう。収容所で殺される寸前までも冗談で人生を楽しむ姿は感動的でさえある。めげずに毎日を楽しめ、と教えられる。出逢っておきたい映画。


2016年10月12日、再び観たので記す。

『ライフ・イズ・ビューティフル』(La vita e bella、Life Is Beautiful)

1997年・イタリア 監督/ロベルト・ベニーニ

出演/ロベルト・ベニーニ/ニコレッタ・ブラスキ/ホルスト・ブッフホルツ/ジョルジョ・カンタリーニ

見るたびに印象が変わってくる。最初に観たときは、なんというイタリア男のいい加減さが強調された映画だろうと思った。それでも最後には、ちょっとほろっとさせてくれて満足感いっぱいになる映画という印象だった。

今回観ても、イタリア男のいい加減さは、深く伝わってくる。でもそれは日本人が見たいい加減さだったような気がする。人生を楽しむためには、その時その時点をおおいに楽しまなければいけないと教えてくれているようだ。生真面目に、お上の決めた規則ごとをきっちり守りながら窮屈な生活をすることが、いかにつまらないことかと、問われているような気がしてくる。

人生は奇跡のようだと、この監督は別の映画で私たちに訴える。まったくその通りで、人体の摩訶不思議さが証明するように、それに伴う「人生」とか言う奴は、その存在だけで美しいと言わざるを得ない。あぁ~あ、今度生まれてくるときはイタリア男がいいかもしれない。

『冬のライオン』(The Lion in Winter)

1968年・イギリス 監督/アンソニー・ハーヴェイ

出演/ピーター・オトゥール/キャサリン・ヘプバーン/アンソニー・ホプキンス/ティモシー・ダルトン

どうもセリフが多いな、向かい合って罵り合ってるな、と思っていたら、やっぱりもともとは演劇作品だった。ブロードウェイ初演は1966年、リバイバル上演されているという。ここの部屋の持ち主がたくさんのDVDを持っていて、この映画があって見ていると思っていた。勘違いだった。ここにあるのは『砂漠のライオン』(Lion of the Desert・1981年)だった。

アンソニー・ホプキンスとティモシー・ダルトンの映画デビュー作だというから、かなり古い作品だ。正直言うとこういう作品は苦手だ。ミュージカルと舞台はどちらかというと敬遠したいもの、舞台作品が映画化されてもやはり全体の格調が「舞台」ということが明白で、ちょっとばかり眠ってしまったのはそのせいだと言い訳しておこう。

「毛利元就の三本の矢の教え」~晩年の元就が病床に伏していたある日、隆元・元春・隆景の3人が枕許に呼び出された。元就は、まず1本の矢を取って折って見せるが、続いて矢を3本を束ねて折ろうとするが、これは折る事ができなかった。そして元就は、「1本の矢では簡単に折れるが、3本纏めると容易に折れないので、3人共々がよく結束して毛利家を守って欲しい」と告げた。息子たちは、必ずこの教えに従う事を誓った。この映画の主人公イングランド国王ヘンリーは、3人の息子の縁を切り誰にも王位を継がせないと宣言する。国が違えば価値観も大違いなのか、そんな単純な話ではないのか、良く分からない。

『トラック野郎 一番星北へ帰る』

1978年(昭和53年)・日本 監督/鈴木則文

出演/ 菅原文太/せんだみつお/大谷直子/舟倉たまき/田中邦衛/愛川欽也/春川ますみ/嵐寛寿郎

1975年~1979年に東映で(全10作)製作・公開した、日本映画のメインタイトル。トラック野郎シリーズの大ヒットにより、電飾で飾りペイントを施して走るアートトラック(デコトラ)が増加し、菅原文太演ずる本シリーズの主人公・星桃次郎が乗るトラック「一番星号」を模したプラモデルが子供たちの間にも大ヒットする等、映画の枠を超えた社会現象となった。

そんな映画を初めて観た。リアルタイムで映画館で観る気がしなかったのは、正しい判断だったようだ。こんなはちゃめちゃな映画だとは思わなかった。この映画が10作のうちの8作目では、これまでの映画も取るに足らない内容だったことがうかがえる。当時もて囃されたのは一体何処なのだろうか、想像がつかない。

世の中が大きく変わったことがひしひしと感じられる。こんな内容の映画は間違っても今の時代では製作出来ないだろう。モラルハザードに大きな障害がある。それにしても、こんな嘘っぽい人情を嬉しく思う人種がいることが不思議だ。同じように「人情」を勘違いして生きている薄情な男も女も、少なからず存在している人間社会。

『愛と青春の旅だち』(An Officer and a Gentleman)

1982年・アメリカ 監督/テイラー・ハックフォード

出演/リチャード・ギア/ルイス・ゴセット・ジュニア/デブラ・ウィンガー/デヴィッド・キース/デヴィッド・カルーソ

めずらしくリアルタイムで観ていたような気がする。だが始まっても、まったくシーンが記憶にないのがいつもらしい。ラストシーンだけは凄く記憶に残っていて、よくこの原題からこの日本語題名を付けたなぁ~ということと併せて、この二つのことはずーっと心に残っていた珍しいこと。

マイケル・J・フォックスやダスティン・ホフマン、トム・クルーズと並んで背が高くないトップスター、リチャード・ギア、ヘラルドの社内を歩いていた時には、その辺のおっさんの風貌だった。際だって男前ではない彼が、ハリウッドで多くの主役を演じているのは、どこか不思議な感じがしている。一般人には分からないアメリカ映画業界内の何かがあるのだろう。

13週間の海軍士官養成学校でしごかれている期間での男女関係、遊びと分かっている若者の行動がアメリカらしく描かれている。真剣になっちゃいけないよと、男も女もうたかたの恋を楽しんでいられればいい。たまには本気になって悲劇になってしまうことも。所詮は男と女の世界、一所懸命誠意を尽くしたって、愛を表現したって、献身的な想いも、男をたぶらかすだけの心情しか持たない相手の心には届くことはないのかもしれない。「DOR」=「任意除隊」という言葉がキーワードのように遣われていた。「Drop On Request」の略、訓練に耐えきれなくて半数の者が落ちこぼれて行くらしい。

『サイドカーに犬』

2007年(平成19年)・日本 監督/根岸吉太郎

出演/竹内結子/古田新太/松本花奈/鈴木砂羽/ミムラ/寺田農/温水洋一/樹木希林

第125回芥川賞の候補にもなった長嶋有のデビュー作の短篇小説が原作。タイトルはちょっとそそるが、中身はなんていうことのないある家族の日常生活。映画として見るのには耐えがたい。こういう物語は活字世界だけで充分だ。もし映画化したいなら、もっともっと優秀な脚本を書かなければ観客を唸らせることは出来ない。

芥川賞の候補になったくらいなのだから、文体がユニークだったのだろう。そのユニークさを映画で表現出来なければ、賞に値する映画になるはずがない。映画制作者はもっと真摯に映画を作るという作業に没頭して欲しい。

母親が家出してしまった期間の幼い思い出がメインの映像として、フラッシュバックされるという映画。ほんのちょっと共感出来る心情があるが、ただそれだけ。情の薄い母親の行動は、男をもてあそぶ薄情な女に似て、どうにも食えないやつだと罵るしかない。

(2014/3/17)

『ナヴァロンの要塞』(The Guns of Navarone)

1961年・アメリカ 監督/J・リー・トンプソン

出演/グレゴリー・ペック/デヴィッド・ニーヴン/アンソニー・クイン/アンソニー・クエイル/イレーネ・パパス

第二次世界大戦中、1943年。イギリス軍の将兵2,000名が、ギリシャのケロス島で孤立した。軍事的にはさほど重要な拠点ではないが、中立を保っていたトルコと目と鼻の先にある島である。ナチス・ドイツはトルコを味方に引き入れるため、精鋭部隊をもって、ケロス島のイギリス軍部隊を全滅させようという示威作戦を立案した。その情報を1週間前に察知した連合軍は、部隊を撤退させるために駆逐艦6隻をケロス島へ向けるべく、救出作戦を準備する。しかし、隣のナバロン島では、ドイツ軍のレーダー照準式要塞砲2門が海峡を睨んでいた。

戦争映画の醍醐味がすべて詰まったような映画。実際の戦闘シーンがさほどないのにもかかわらず、戦争状態の緊張感がひしひしと伝わってくる。面白い映画はやっぱり冒頭から面白い。観る側も気が抜けない。「戦争と人間」というテーマにも挑戦している。目の前の敵をナイフで殺すのと、離れた距離の敵を機関銃で殺すのには、心理的な落差がかなりあるらしい。

誰が味方で誰が敵かすらも分からない。殺すのか殺さないのか、一瞬にして決断をしなければいけない状況が間断なく迫ってくる。究極の人生を送る自信はない。戦争時に成人でなくて良かったと思うのは非国民なのだろうか。アホな人生を送っている塵みたいな奴らがのうのうと生きているのが今の現実。

『追憶』(The Way We Were)

1973年・アメリカ 監督/シドニー・ポラック

出演/バーブラ・ストライサンド/ロバート・レッドフォード/ブラッドフォード・ディルマン/ロイス・チャイルズ/パトリック・オニール

思い出は美しいもの。辛い思い出は捨て去って、楽しいことだけ思い出そう。てな歌詞が歌われた主題歌はアカデミー主題歌賞を獲得している。まだまだ日本語の題名が幅をきかせていた頃、同じような雰囲気の題名が多く、この映画は観たことあるよなという勘違いの原因になっている。

二人でいれば楽しいはずなのに、どうしても別れなければいけない状況が訪れる。仕方がないというのは切なすぎる。でもそれが現実、誰もが同じような道を何度も歩んできている。不思議な関係だ。今度会った時にはどんな顔をして会えばいいのだろうか。冗談のひとつでも言って笑っていられるのだろうか。

映画は時代を映す。学生運動がまだ鎮火しないこの時代には、ニューヨークのアパートでマッチを擦ってガスコンロに火を付けている光景が懐かしい。普通のヤカンでお湯を沸かすシーンも顔がほころぶ。それなりに長生きをしてしまったお陰で、哀しい別れもまたひとつ増えてしまう。生きていることを恨むよりも、楽しかった時間だけを思い出してもう少し生きてみよう。この主題歌のように。

『フォー・ルームス』(Four Rooms)

1995年・アメリカ 監督/アリソン・アンダース/アレクサンダー・ロックウェル/ロバート・ロドリゲス/クエンティン・タランティーノ

出演/マドンナ/ジェニファー・ビールス/アントニオ・バンデラス/ブルース・ウィリス

オムニバス作品。大晦日、ロサンゼルスのとあるホテルを舞台に、4つの物語が繰り広げられる。映画全体を通して登場する主人公のベルボーイはティム・ロスが演じた。クエンティン・タランティーノが3人の監督に声を掛けて作られた。面白くないことおびただしい。

第1話「ROOM 321 お客様は魔女」、第2話「ROOM 404 間違えられた男」、第3話「ROOM 309 かわいい無法者」、第4話「ペントハウス ハリウッドから来た男」、これだけ読むと面白そうに見えるが、実は何とも表現出来ない面白くなさでいっぱい。

ホテルを舞台にした映画は多いし、何でもありの題材が出来る舞台としては最高。そんなはずなのに面白くなかった。短い映画を面白くするのは難しい。1本の映画ならもっとまともになったのかもしれない。

『セント・エルモス・ファイアー』(St. Elmo's Fire)

1985年・アメリカ 監督/ジョエル・シュマッカー

出演/エミリオ・エステベス/ロブ・ロウ/アンドリュー・マッカーシー/デミ・ムーア/ジャド・ネルソン

アメリカ映画の編集もこの映画に極まれりというくらい小気味よすぎて、老人にはついて行けないくらいシーンの展開が目まぐるしい。30年前の映画には見えない。若者が人生に悩む姿が清々しい。この頃の日本の若者は妙に物わかりがよすぎて気持ち悪い。今悩まないでどうするという期間を、目一杯生きてこその人生だと思うのだが。

大学卒業後の生活や大人としての責任との折り合いをつけようとするジョージタウン大学を卒業したばかりの男4人女3人の友人グループの姿を描いている。映画の題名は映画のクライマックスで男の1人が慰める女性友人へのセリフからの引用。「これはセント・エルモスの火だ。暗い空ならどこでも見ることのできる放電の光さ。船乗りは航海の間はずっとこの光に導かれて船を進めたということだけど、これはジョークさ。これは火じゃないし、セント・エルモですらない。これは船乗りがでっち上げたものだよ。君がアレやコレやを吹いて回っているように困難な状況の時でも進み続けなくちゃならないからそんなことをでっち上げたんだ。僕らは皆これを乗り越えなきゃならない。今が正念場なんだよ。」 セント・エルモスとは2人のカトリックの聖人の綽名。

青春映画やドラマにかなりの影響を与えたらしい。さんまが大竹しのぶと結婚したきっかけを作った「男女七人夏物語」(1986年)とかいうTVドラマも、この映画にかなりインスパイアされたのではなかろうかと勝手に想像した。テレビドラマはまず見ていないので、無責任な想像だが。

『フライド・グリーン・トマト』(Fried Green Tomatoes)

1991年・アメリカ 監督/ジョン・アヴネット

出演/キャシー・ベイツ/ジェシカ・タンディ/メアリー・スチュアート・マスターソン/メアリー=ルイーズ・パーカー

久しぶりにいい映画を観た。哀しい出来事があったばかりなので、自然と涙が溢れて気持ちよかった。映画の中でのセリフ、「私が忘れなければ、いつまでも彼らは生きている。」という言葉が忘れられない。親友、友人をいつまでも想っていられることは、なんと仕合わせなことなのだろうか。

原作は、1987年に発表されたファニー・フラッグの小説『Fried Green Tomatoes at the Whistle Stop Cafe』。「ホイッスル・ストップ・カフェ」を経営する2人の女性の出来事を、老人ホームの老婆が語る形式のドラマ。タイトルの「フライド・グリーン・トマト」というのはカフェの名物料理のことで、青いトマトをスライスし、衣をつけてフライパンで揚げたもの。ジェシカ・タンディがアカデミー助演女優賞にノミネート。

誰かの口を借りて話されることを、懐古的に映像化する断片的な手法で、今までに心地良かった映像にはお目にかかれなかった。この映画はそのフラッシュバックを観客が待ち望むかのように作られていて、ホントに面白かった。友を失うことは哀しいことだが、楽しかったひとときのほんの少しでも思い出せれば、人生の喜びのひとつだと納得出来るかもしれない。

『忘れられた人々』(Los olvidados)

1950年・メキシコ 監督/ルイス・ブニュエル

出演/エステラ・インダ/ミゲル・インクラン/アルフォンソ・メヒア/ロベルト・コボ

『この映画は事実に基づき登場人物も実在する。ニューヨーク、パリ、ロンドンのような近代都市はその富と極貧を裏に隠している。子供たちは飢えて学校からも見放され非行に走りがちになる。改善しようと社会は努めるが報われるのは限定的である。未来は現在に縛られ子供たちの権利が回復するのは先の話だ。近代的大都会メキシコも例外ではない。この映画は事実を見せるため楽観的には製作されず問題の解決は社会の進歩に委ねられている。』

64年前の映画の冒頭にこうクレジットされていた。世界の片隅ではまだまだ同じような光景が存在するのかもしれない。メキシコの貧困街に住む少年たちとその家族の悲惨な日常が記録されている。

衣食足りて礼節を知ると言われるけれど、近年の人間たちの所業を見るにつけ、衣食足りて礼節忘れると言い換えた方が良いのではないかとさえ思える光景があっちこっちに見うけられる。

『フルメタル・ジャケット』(Full Metal Jacket)

1987年・イギリス/アメリカ 監督/スタンリー・キューブリック

出演/マシュー・モディーン/ヴィンセント・ドノフリオ/R・リー・アーメイ

ベトナム戦争を題材にした映画は数多い。ディア・ハンター (1978年)、地獄の黙示録 (1979年)、プラトーン (1986年)、グッドモーニング, ベトナム (1987年)、ハンバーガー・ヒル (1987年)、7月4日に生まれて (1989年)、きりがない。

今更ながらにこの著名な映画を初めて観た。恥ずかしい。何事においても恥ずかしいという気持ちが持てるかどうかは、人生を有意義にするかどうかで重要な要素だ。映画は前半の新兵教育シーンと後半のベトナム戦線シーンとでくっきりと別れている。日本映画で見る日本軍隊の兵隊いじめと同じような光景が、アメリカ兵の新兵にも行われているのに驚いた。

ベトナム戦争と言っても今の若い人達には何のことだか分からないだろう。それで良いのかもしれない。日本がアメリカと戦争していたことを知らない若者がいる、などという信じられないことが一般的になった時こそ、平和の現実なのかもしれないから。

『50回目のファースト・キス』(50 FIRST DATES)

2004年・アメリカ 監督/ピーター・シーガル

出演/ドリュー・バリモア/アダム・サンドラー/ロブ・シュナイダー/ショーン・アスティン

始まって早々深い眠りについた。今回の眠りは深かった。心がきしんでいるし、すさんでいるからかもしれないが、この頃の夜の眠りが浅いせいかもしれない。私の使う導眠剤「ハルシオン」の副作用のような嫌な体調が毎日起こるので、この頃は1錠ではなく半錠だけにしているせいで、眠りが浅い雰囲気。

ヒロインは前日の出来事を忘れてしまう記憶障害の持ち主。彼女にひと目ぼれをした男が、連日ゼロからのアタックを繰り返す。荒唐無稽なストーリーが延々と続いていたようだ。

どうか、どうか、振り向かないで、思いのままに歩いて欲しいあなたの道を。再び巡り逢えることない、愛とか、恋とか、心の中に、いくつも深く刻み込んで・・・・。

『メイン・テーマ』

1984年(昭和59年)・日本 監督/森田芳光

出演/薬師丸ひろ子/野村宏伸/津和夫/桃井かおり/太田裕美/渡辺真知子

こんなくだらない映画がその当時ヒットしたらしいと知って、今も昔も一般観客の程度はさほど変わっていないのかと。製作角川春樹では映画をビジネスとして大発展させた功労者としか評価のしようがない。

片岡義男原作とあるが、片岡義男の書いている「メイン・テーマ」シリーズの中に、この映画と同じストーリーのものはないので、オリジナル・ストーリーである。ダットサントラック4WDで旅に出る青年など、映画と共通するキャラクターや部分的に重なるストーリーはある。このように、作品の題名や背景だけを借用したかのような作品は、当時の角川映画には多かった、という話も伝わってくる。

こういう青春映画でその当時を懐かしむことが嬉しいことだが、ここまで屁でもない映画作りを見ていると、どうでもいいからいい加減にしてくれと、その当時の人達を批難したくなる。何も分からず青春時代を過ごしたそれぞれの個人のように見えてしまう。若い頃のよい経験が宝物になっている人がいれば、それとは反対に若い頃の不始末な思考や行動が、歳をとった今でも影響しているような人を時々見かける。

『チキンとプラム ~あるバイオリン弾き、最後の夢~』(Poulet aux prunes)

2011年・フランス/ドイツ/ベルギー 監督/マルジャン・サトラピ

出演/マチュー・アマルリック/マリア・デ・メデイロス/ゴルシフテ・ファラハニ

この頃、せっかく生きているのにろくでもない出来事にしか巡り逢わない。レンタルDVDはもっと酷くて、クソ面白くない映画ばっかりで、毎回ため息も出ない。よい行いや、考えをしていない報いかもしれない。本人が悪ければ、たいしたことのなさ過ぎる人間しか集まってこない。そうは思っていても、これ以上にはなれないから仕方がない。

原作のタイトルにもなっている「鶏のプラム煮」は主人公の好物であり、主人公に死ぬのを諦めさせようと妻が料理するエピソード。死ぬ前に最後に食べたいものは何?と聞かれても、特別な食事を言えない。ほとんどのものが好きで、美味しいと思っているから、バイキングでたくさんの種類を並べて欲しいというのが本音。

それにしても人生とはこんなに面白くないものだったのか。何をやっても確かに楽しいが、何をやっても面白くない。もう欲しいものもない。この映画の主人公のようにベッドに横たわり、死を待つなんていうことが出来るなら、是非そうしたいものだ。

『ツナグ』

2012年(平成24年)・日本 監督/平川雄一朗

出演/松坂桃李/樹木希林/佐藤隆太/桐谷美玲/橋本愛/大野いと/八千草薫/浅田美代子/遠藤憲一

生者と死者を一夜だけ再会させる仲介人「ツナグ」が主人公というおはなし。なかなか面白い視点をついてくるな~、と観始まって前半は快調。ところが同じような人が同じように死者と再会していたのでは、芸がなさ過ぎて飽きてくる。このあたりが日本映画の限界か。ハリウッドならもっと映画としてのエンターテインメントを強調してきただろう。

『ツナグ』は辻村深月の著した連作短編小説、およびそれを原作にした日本映画、第32回吉川英治文学新人賞受賞作。こういう映画は活字の方が面白いのかもしれないと思える。

自分がその立場、誰でも良いから死んだ人に会えるとなっても、特に会いたい人はいない。父とか母とか、一度だけではなく長い時間を過ごすことが出来れば、会ってみたいという気持ちはある。父親からはもう少し戦争中の話を聞きながら囲碁をしたかった。母親は特に話すこともないだろうから、一緒にひなたぼっこするくらいかな。

『モリエール 恋こそ喜劇』(Molie`re)

20057年・フランス 監督/ロラン・ティラール

出演/ロマン・デュリス/ファブリス・ルキーニ/リュディヴィーヌ・サニエ/ラウラ・モランテ

ロマンティック・コメディ映画。17世紀フランスを代表する劇作家モリエールの空白で謎とされる青年期に、後の名作を生むきっかけとなった知られざる恋があったとの仮説に基づいて描かれたフィクション。

フランスのエスプリがぷんぷんする映画は飽きが来る。結構深い眠りについてしまった。どこが面白いのか理解出来ない映画。真の映画ファンやプロの映画評論家にしか分からない面白さのように見える。映画の中の恋物語を喜んでいられるほど余裕のあるこの頃ではない。フランスでは180万人を動員する大ヒットとなったという。

一体、人が人を好きになるということはどういうことから来るのだろうか。不思議の極みだが、いくつになっても恋心を持ち続けていたいと願う。たぶんそうした心が若さの秘訣なのではなかろうか。人を好きになることを諦めてしまった時に、本当の老いがやってくるような気がしてならない。

『かあちゃん』

2001年(平成13年)・日本 監督/市川崑

出演/岸惠子/原田龍二/うじきつよし/勝野雅奈恵/山崎裕太/飯泉征貴/石倉三郎/小沢昭一/宇崎竜童

なんと山本周五郎原作だった。時代劇映画。江戸の長屋に住む庶民の心を描いた映画。最初から最後まで落語を見ているような気分。落語を聞いているのではなく、見ている気分になるのが面白い。セリフもしゃべり方もかなりそういうことを意識していると思われる。長屋の八つぁんの世界。

「あなたが人に親切にすると、人は時にあなたを偽善と責めるかも知れませんが、気にせず、親切でありましょう。」マザー・テレサの言葉がそのまま当てはまるような内容。肝っ玉かあちゃんはひたすら人間に優しい。こんなことはあり得ない、と思う人は、たぶん正直な人生を歩いてこなかった人。存在を信じられる人は、いい人になれる可能性がある。

人の人生は様々。いつも言う、ダメな仲間に囲まれて生きてきたり、現在生きている人には、人間の本当の気高さが分からない。ただ何も考えずに刹那的に快楽を求めることにしか能がない。だからパチンコを楽しいと思ったり、携帯ゲームに夢中になれるのだろう。馬っ鹿みたい。

『秘密』

1999年(平成11年)・日本 監督/田洋二郎

出演/広末涼子/小林薫/岸本加世子/石田ゆり子/金子賢/伊藤英明/篠原ともえ/柴田理恵/大杉漣

今日は2014年3月2日(日曜日)、心の痛みに耐えかねてホームページのメニュー(メイン頁)を停止した。人の信頼がなくなった時、人は希望を失う。 この映画は面白い。観始まってストーリーの肝心なところが分かって、あっこれは前にも観たことがあるな、と悟ることとなった。この『最近観た映画』リストを調べてみたが題名がない、ということはもう4年前以上のことだったのだろうか。また、リュック・ベッソン制作、ヴァンサン・ペレーズ監督、デイヴィッド・ドゥカヴニー主演によるリメイク作『秘密 THE SECRET』が2007年に公開された。2010年10月期には、志田未来主演によってテレビドラマ化もされたという。

今や2時間ドラマの原作の帝王のような東野圭吾であるが、長らく大きなヒットに恵まれていなかった東野圭吾が、ブレイクすることとなった出世作であるという。第120回直木賞、第20回吉川英治文学新人賞、第52回日本推理作家協会賞(長編部門)にそれぞれノミネートされ、最終的には推協賞を受賞し、「無冠の帝王」などと呼ばれることもあった東野にとって、乱歩賞以来、つまり、デビュー以来のタイトル獲得となった。

ストーリーがしっかりしていることは、いい映画の原点、携帯小説や漫画チック原作ではない底の深い力が伝わってくる。テレビの2時間ドラマを見たことがないが、こういう作家の原作のドラマ化なら、そんなに馬鹿にしたものではないかもしれないと、ちょっと見直したい気分になった。

『その男、凶暴につき』

1989年(平成元年)・日本 監督/北野武

出演/ビートたけし//白竜/川上麻衣子/佐野史郎/芦川誠/遠藤憲一/寺島進

観たつもりでいたが観ていなかったようだ。タケシの映画の中では一番面白いかもしれない。さもありなん、お笑い芸人・ビートたけしとは別の映画監督・北野武が誕生した記念すべき作品となった。北野武の映画初監督作。

たけしは「この映画で監督をやってなかったら今日まで映画監督をやってなかった」と語っている。なお、興行上の理由で、宣伝ポスターでは主演・監督ビートたけしとされ、フィルムのクレジットでは監督北野武、主演ビートたけしとなっている。

現実離れし過ぎていて漫画やアニメの世界の話ではないかと、受け止めることが出来ない観客が想像出来る。もう少し、ダーティーハリーに近づければ、興行的にも成功を収めることが出来ただろう。この後の一連のヤクザ映画が、なるほどここからスタートしたのかと、あらためてタケシの歴史を見た思いがする。タケシの映画は嫌いではないが、面白くないことが多い。この映画の面白さは、この後には出て来ない。どこか乗り切れないバリアがある。一歩も二歩も踏み出せない男女関係のようだ。

『うさぎドロップ』

2011年(平成23年)・日本 監督/SABU

出演/松山ケンイチ/芦田愛菜/香里奈/桐谷美玲/綾野剛/高畑淳子/池脇千鶴/風吹ジュン/中村梅雀

題名のツカミはいい。始まりもなかなかツカミ鋭く映画らしく始まりはしたが・・・。宇仁田ゆみ原作の漫画が映画化されたらしい。祖父の訃報で訪れた葬儀の場で、30歳の独身男である主人公は一人の少女と出会う。その少女は祖父の隠し子であった。施設に入れようと言う親族の意見に反発した主人公は、その子を自分が引き取り育てると言った。こうして、不器用な男としっかり者の少女との共同生活が始まる。

いかにも漫画らしいストーリーだが、それなりに面白かった。おちゃらけた雰囲気になっていないことに救われた。松山ケンイチという役者のキャラクターに負うところが大きいかもしれない。内容を云々する映画ではないことは確か。

風吹ジュンが大御所のような存在なのが印象的。若い頃は可愛くて好きだったが、いい歳の取り方をしている。クレジット表示も最後の中村梅雀の前に間を置いて書かれている。このクレジット表示の順番や表示のされ方が、役者としてのステータスを現す目安。このまま映画をメインに出演して行けば、女優としてかなりの名声を残せるだろう。


2018年1月29日再び観たので記す。この段になって二度観を認識。同じようなことを書いてしまった。

『うさぎドロップ』

2011年(平成23年)・日本 監督/SABU

出演/松山ケンイチ/芦田愛菜/香里奈/桐谷美玲/秋野太作/池脇千鶴/風吹ジュン/中村梅雀

『FEEL YOUNG』(祥伝社)にて連載されていた宇仁田ゆみの漫画が原作。子役の芦田愛菜はこの時7歳、年相応の役回りだったが、今じゃ13才、堂々とした慶應義塾中等部の中学生だ。何組かの役者が日本映画出演を持ち回りしているような気がする。底の浅い役者層ではちょっと演技がうまい輩が、たいそうな持ち上げられ方をして変な感じ。

この映画を観る前に1本日本映画を観始まったが10分もしないで早々とあきらめた経緯がある。風吹ジュンはどの映画でも存在感がある。若いころは可愛かったなぁ~、などと懐かしむ暇もなくいい歳の取り方をしていて異性ながら羨ましい。

祖父の葬式に行ったら、その祖父の子供(自分から見れば叔母さん)だという小さな女の子がいた、という話。話のきっかけはおもしろい。誰も預かろうと手を挙げる親族がいなかったので、恰好つけて(本人の後悔)預かったまではいいけれど、誰にも想像つくような毎日の生活での困難が待ち受けていた。なかなかおもしろい。映画としてもうまく出来ている。

『コップランド』(Cop Land)

1997年・アメリカ 監督/ジェームズ・マンゴールド

出演/シルベスター・スタローン/ハーベイ・カイテル/レイ・リオッタ/ロバート・デ・ニーロ/ピーター・バーグ

アメリカ映画で数多く描かれる警察ものだが、ちょっと変化を持たせている。これだけアメリカ人が警察ものを描き続けるということは、それだけ警察という場所に映画でも描けないくらいの人間ドラマが埋まっているということなのだろうか。

スタローンが体重を増やし、それまでのイメージを覆すような、冴えない保安官を演じている。保安官というと西部劇に登場する保安官・シェリフ(sheriff)のイメージが強く残っているので、現代にもあるんだと聞くとちょっと違和感があるが現実らしい。警察組織の拡充によってその仕事量は減る傾向にあり、シェリフそのものを廃する州もあるという。映画は、ニュージャージー州ギャリソン郡は、川を挟んでマンハッタンを臨む静かな地域。郡内にはニューヨーク市警察(NYPD)の警官が数多く居住している。そこはまさに警官の王国『Cop Land』であった。ギャリソン郡保安官事務所で保安官を務めるのが冴えないスタローン。

警察内の汚職は目を覆うばかりだが、ここまで人間が腐ってくると、神も仏もまったく通じない世界が存在するような感じ。もっとも、そんない酷くはなくても、このあたりの会社にだって、どうしようもない精神状態の連中が大手を振って偉そうに日常を送っているかと思うと、生きているのにも希望が失せてしまう。

『アメリカ交響楽』(Rhapsody in Blue)

1945年・アメリカ 監督/アービング・ラッパー

出演/ロバート・アルダ/ジョーン・レスリー/アレクシス・スミス/チャールズ・コバーン/アルバート・バッサーマン

38歳9ヶ月半でこの世を去ってしまった天才音楽家ジョージ・ガーシュウィンの物語。人が成功して行く様を観るのは凄く楽しく、嬉しい。下世話な馬鹿どもの存在を聞くにつれ、こういう天才児の側にいたらなんと素敵なことなのだろうと、夢のような羨望をしてしまう。類は友を呼ぶ良い例の典型、才能ある人間が集まってくるのも羨ましい。今度生まれ変わったら、絶対にピアノが弾ける人間になりたい。

ニューヨークのレミック楽譜出版社にある日ジョージ・ガーシュインという若者がピアノ弾きとして雇われてきた。彼の仕事は朝から晩までこの店の楽譜をお客に弾いてきかせることだった。まもなく彼の作曲した「スワニイ」はブロードウェイの人気者アル・ジョルソンに認められ、ジョルソンの「シンバッド」で唄われたこの曲は作曲家ガーシュインの名とともにたちまち全米を風びした。

ジョージの伝記映画として著名な作品で、1940年代にしばしば作られた音楽家伝記物の中でも最も成功した例。全編に渡ってガーシュウィン・ナンバーが流れる。ジョージ役はロバート・アルダ。日本では1946年に劇場公開され、第二次世界大戦後初めて劇場公開されたアメリカ映画でもある。この作品中には、ジョージと近しかった人々が多数実名で出演している(ジョージの親友だったピアニストのオスカー・レヴァントは、この映画がきっかけで映画界入りした)。この作品は現在パブリックドメインとして扱われているため、日本国内でも容易に入手可能である。

『夜叉』

1985年(昭和60年)・日本 監督/降旗康男

出演/高倉健/いしだあゆみ/田中裕子/田中邦衛/大滝秀治/小林稔侍/ビートたけし

このところ立て続けて高倉健映画を観ている。前回観たのが「ホタル」で、半分くらい出演者が同じ雰囲気がして、あまりお勧め出来ない鑑賞方法だと。本来なら16年の時を経て観なければいけないものを、昨日・今日ではやっぱりおかしい。

ビートたけしが重要な役割を演じているが、どう贔屓目に見たってキャラクターが映画の中に溶け込んでいない。映画役者は映画の中だけでその人物になりきらなければならないが、日本には映画俳優は存在しなくなってしまったことが悲しいこと。そういう意味でも高倉健の俳優魂はすさまじいものがある。もうすぐ83才になる彼がいなくなったら、俳優と呼べる人はいなくなってしまうかもしれない。

映画はちょっと長すぎる。2時間8分はそれなりの長さだが、ストーリーがなかなか進行しないという日本映画の特徴を持っているのが辛い。代わり映えのしない役者を集めているのも飽きに繋がる。映画作りはなかなか難しいものだけれど、・・・・。

『ホタル』

2001年(平成13年)・日本 監督/降旗康男

出演/高倉健/田中裕子/水橋貴己/奈良岡朋子/井川比佐志/小澤征悦/小林稔侍/夏八木勲

東映創立50周年記念作品のタイトルが。鹿児島県南九州市知覧町郡17881番地に知覧特攻平和会館という施設がある。大東亜戦争(戦後は太平洋戦争ともいう。)末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の出撃の場所がこの知覧の飛行場。その特攻隊員の遺品や関係資料を展示している。数年前鹿児島に住んでいた次女を訪ね、その時にこの知覧という場所に行っておいてよかった。まったくの知識だけでは臨場感がなさ過ぎるから。

映画は元特攻隊の生き残りである山岡という漁師が主人公、桜島を望む鹿児島の小さな港町で静かに暮らしている。時代が“平成”に変わったある日、ある事件が起こる。さらに、映画の後半では日本人として海の藻屑となった朝鮮人もいたことが強調されている。「ホタル」という題名には、特攻隊員がホタルになって戻ってくるからと言って出撃して行った魂が込められている。

特攻隊の部下だった藤枝が知覧まで来たのに山岡に会わずにすぐに東北に戻ってしまった、そして山に入り自殺のように死んで行ってしまった。山岡は言う、「あの後にでもすぐに彼の元に行って話をしていれば、こんなことにはならなかったのではなかろうか。人間が出来ることはそんなことで充分なのだ。悔やまれる。」と。そうなのだ、何かをしてあげるなどと大それたことは必要なく、ただ会いにさえ行けばいいのだ。そんなことを考えながら涙する映画に出逢った。

『ザ・マスター』(The Master)

2012年・アメリカ 監督/ポール・トーマス・アンダーソン

出演/ホアキン・フェニックス/フィリップ・シーモア・ホフマン/エイミー・アダムス/ローラ・ダーン

人間を見る眼もないと思ったら、やっぱり映画を見る眼もなかった。何度も思い知らされている。何が何だか訳の分からない人間に出逢うことも希にあるが、映画も然り。まったく理解出来ない映画が賞を受けることの不思議さよ。

プレミア上映は第69回ヴェネツィア国際映画祭で行われる。同作品でポール・トーマス・アンダーソン監督はヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を獲得し、世界三大映画祭の監督賞を制覇した。他にホアキン・フェニックス、フィリップ・シーモア・ホフマンがヴェネツィア国際映画祭最優秀男優賞を授与され、アカデミー賞にもノミネートされた。第二次世界大戦後のアメリカ合衆国、カリスマ的な素質を持った一人の聡明な男が大衆の信望を集めていた。その男、ランカスター・ドッドに興味を抱いた青年フレディ・サットンは、次第に彼の思想に傾倒して付き従うようになる。やがてランカスターの周囲に熱心な人々が集い、集団は大きな力を持ち始める。だがそれと並行するようにして、フレディは次第にランカスターの言葉に疑問を抱くようになる。

何が本物で何が偽物なのかは分からない。お互いに認め合えば、たいした存在だろうし、屁でもない存在だと決めつけてしまえば、これっぽっちの敬愛も持てるものではない。100人も狂信者がいればりっぱな教祖になれるだろう。不思議な人間社会が多様なのが面白い。

『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』(The Best Exotic Marigold Hotel)

2012年・イギリス/アメリカ/アラブ首長国連邦 監督/ジョン・マッデン

出演/ジュディ・デンチ/ビル・ナイ/ペネロープ・ウィルトン/デーヴ・パテール/セリア・イムリー

優雅なリゾート生活を満喫しようとイギリスからインドにやって来た7人の熟年男女。近い将来豪華になる予定のぼろホテルとジャイプールの街に圧倒されつつも、それぞれが新しい生き方を模索する。2004年のデボラ・モガーの小説『These Foolish Things』を原作としている。コメディ・ドラマ映画。

コメディというと、すぐに笑いを届けることを想定してしまうが、イギリスの笑いなんかは日本のお笑いとは雲泥の差というほかない。自分でセリフを言って自分で笑ってしまう最低の笑いが日本なら、自分の言ったセリフに相手が勝手に反応して、自分が相手を笑わせたことを理解出来ないのがイギリスの笑いだ、なんてこれこそ勝手な分析をしている。程度の低い仲間が集まっていれば、そこで交わされる会話の質は当然低い。そんなことを毎日のように経験していたら、自分たちがどの程度質が悪いのかにさえ気がつく機会がない。自分がどこかで笑われていると察知出来る人がいたら、それだけでもその人は仕合わせだろう。

インドのことをちょっと見下したような、人種差別的な、国そのものを馬鹿にしたような映画作りは、際どいと言わざるを得ない。いかに日本という国の中にいると、自由な物言いが出来ていないのだと、この映画を観ると良く分かる。表現が自由であることが重要で、言いたいことを隠して、さわりだけを論じていたのでは真の物言いは出来ないことを教えてくれる。心の中をさらけ出さなければ、まったく人間味のない、魅力のない物言いしか出来ない。

『駅 STATION』

1981年(昭和56年)・日本 監督/降旗康男

出演/高倉健/倍賞千恵子/いしだあゆみ/烏丸せつこ/宇崎竜童/根津甚八/池部良

北海道警察本部捜査第一課の三上英次巡査部長は、オリンピック出場経験のある射撃選手でもある。刑事としては拳銃操法を見込まれて危険な現場に投入されることが多く、射撃選手としてはオリンピックのために、先輩・相馬の射殺事件の捜査から外されるなど、刑事と射撃選手の二足のわらじを履く警察官人生は苦悩が多かった。妻の直子とも若くして離婚している。ある日、三上は帰郷中に立ち寄った居酒屋で桐子に出会う。三上を刑事とは知らないまま、桐子は恋に落ちる。ところが、相馬を射殺した犯人は桐子の昔の男だった。

主役は変わらず、直子、すず子、桐子というタイトルが流れ、オムニバス風に話が進んで行く。JR北海道留萌本線の増毛駅(ましけえき)が主役の故郷として登場する。寒々とした北海道の雪景色を見ていると、何故か哀しい気持ちで胸がつまる。歳をとったのだろう。なんていうことはない情景に涙するなんて、一体どうしちまったのだろう。

最後の女性桐子の話の時に、八代亜紀の「舟唄」がテレビから3度も流れてくるシーンが。時代を映す歌謡曲、今でも懐かしのメロディーでよく歌われていることが不思議な感じ。映画を見終わって、さっそくギター生オケででかい声を出してこの歌を歌ってしまった。演歌というのは摩訶不思議なDNA、知らず知らずのうちに日本人であることの証明のようになっている。日本好きの外国人はAKBやPerfumeの歌は知っていても、演歌にまで行き着く人は数えるほどだろう。

『クール・ランニング』(Cool Runnings)

1993年・アメリカ 監督/ジョン・タートルトーブ

出演/レオン・ロビンソン/ダグ・E・ダグ/ロール・D・ルイス/マリク・ヨバ

雪とはまったく無縁のジャマイカのボブスレーチームが、カナダのアルバータ州カルガリーで1988年に行われた冬季オリンピックで立てた功績を元にした映画。公開当時からこの手の映画に興味がなく、テレビ放映されても録画を何回もパスしていた。何が興味をわかせないのかよく説明出来ないところが、自分の才能のないところだと開き直っている。

観始まってしばらくしたら完全なる睡眠へと入ってしまった。9週間ぶりの通院のため朝早くから起きていたのが原因だったのだろう。今回は素直に見直しが始まったが、眠る前よりは素直に映画に溶け込めた。それにしても、題材を聞いただけでコメディだと思わせるのに、内容が最初からおちゃらけていては興醒め。この程度の映画がそれなりにヒットするのが今の映画館状況。観客が程度が低いと、ますます駄目な映画しかつくられなくなってしまう。

ちょうどソチ冬季オリンピックが始まる直前なのでテレビ放映となったのだろう。映画としては幼稚すぎるし、ボブスレーという競技の面白さも充分に伝わってこない。ジャマイカ国民の明るさも、それなりにしか表現されていない。いいところがほとんどないのにまずまずのヒットは、ホントに日本人観客の質が低下してしまったことの証明でしかない。

『ソナチネ』

1993年(平成5年)・日本 監督/北野武

出演/ビートたけし/国舞亜矢/渡辺哲/勝村政信/寺島進/大杉漣

タケシ映画の面白くなさが極まれり、といった感じ。この頃のたけし映画は、映画の中に表現されないメッセージを托そうとしている。解釈は勝手だからタケシがこんなコメントを見たとしても、ただ苦笑するだけだろうが。ただ映画が面白くないのは確かで、興行的にも失敗作ばかりだったことは事実。

まわりをいつも同じようなメンバーで固めているのも、問題なのかもしれない。野菜だって季節感があり、今のようにいつ行っても同じような野菜が並んでいては、購買意欲って奴もどこかへ吹っ飛んでしまっている。いつも同じメンバーで会社の将来を考えたって、堂々巡りがいいところで、新鮮なアイディアなんて出てくる素地がない。

飽きもせずに馬鹿な連中が集まっては酒を飲んでわいわいがやがやばっかりでは、せっかく生まれてきた意味がない。意味がある人生にするためには、もう少しは基礎学力と基礎人間力を地道に蓄積して行かなければならないだろう。そんなことをタケシは言いたかったんではなかろうか。

『鍵泥棒のメソッド』

2012年(平成24年)・日本 監督/内田けんじ

出演/堺雅人/香川照之/広末涼子/荒川良々/森口瑶子

堺雅人と香川照之の組み合わせが『半沢直樹』の1年前にこんな形であったことを初めて知った。なるほど。快調にスタートしたストーリーだったが、コメディが中途半端に顔を出したり隠れたりして、一貫性に欠ける。こんなものでも、第86回キネマ旬報ベスト・テンで日本映画脚本賞、芸術選奨文部科学大臣賞、第36回日本アカデミー賞・最優秀脚本賞を受賞しているのが現実の日本映画社会だ。

全体の話は面白いのだが、先に述べたように映像にチグハグ感があり、映画を作る覚悟が出来ていないと強く感じる。観客、しかも程度の低い観客におもねるような映画作りばかりしているから、日本映画の底力が出て来ない。もっと気持ちよく、観客を意識しない映像作りをすれば、もっとメリハリのある映画が出来上がったような気がする。

日本人にはコメディが向かないようだ。作る側も見る側も、まだまだその域には達していない。だから低俗な下ネタ笑いが一般社会でも受けている。禁じ手を使うのは最後の手段、馬鹿な素人集団が下ネタ連発でみんなが笑ったって、そんな笑いはちゃんチャラ可笑しい。学ぶべき笑いは欧米の方がはるかに進んでいるようだ。ウィットに富んだ笑いが底辺に行き渡るようになってくれたら。


また観たことも知らず観て、書いてしまった。2018年6月13日

『鍵泥棒のメソッド』

2012年(平成24年)・日本 監督/内田けんじ

出演/堺雅人/香川照之/広末涼子/荒川良々/森口瑶子/木野花/小野武彦

2013年、第86回キネマ旬報ベスト・テンで日本映画脚本賞、芸術選奨文部科学大臣賞、第36回日本アカデミー賞・最優秀脚本賞を受賞しているらしい。2014年に演劇集団キャラメルボックスが本作を舞台化、2014年5月10日から6月1日にサンシャイン劇場・同年6月5日から10日に新神戸オリエンタル劇場にて上演されたともいう。

芸達者というよりは濃い演技をする堺雅人と香川照之の二人がメインとあって、少々くさい感じがぷんぷんと。いつになっても平坦な広末涼子が清涼剤に見えるのは怪我の功名とでも言えるだろうか。話はおもしろいが、コメディーを演じようとする二人が、やっぱり邪魔だなぁ~。

題名がねぇ~。偶然手に入れてしまった鍵のことがこんな風に題名になっていると、泥棒貴族のようなイメージを与えてしまうのが意図しないところではなかろうか。嘘は泥棒の始まりという諺があるが、嘘の大嫌いな私には他人の物を盗むなどという大それたことは一生出来そうにない。


『いつかギラギラする日』

1992年(平成4年)・日本 監督/深作欣二

出演/萩原健一/木村一八/多岐川裕美/荻野目慶子/石橋蓮司/千葉真一

いや~、日本のアクション映画がこんなに詰まらないとは。再確認したような気持ち。現金強奪シーンや拳銃を使うシーン、警察やパトカーの登場が臨場感なく、映画のための映画アクションでしかない。さすがにテレビ・ドラマのアクションに比較してしまうほど酷くはないが、欧米のアクション映画に慣れてしまうと、日本製は子供騙し。日本にはアニメがよく似合う。

ヒロインを演じた荻野目慶子は愛人の河合義隆監督が自殺したスキャンダルから1年ぶりに本格復帰、それまで清純派で売ってきた荻野目と木村のベッドシーンも話題になった。本作で荻野目は日本アカデミー賞助演女優賞を受賞。そして、本作の撮影を機に、監督の深作欣二と不倫関係に陥った。当初は3億円の予算だったのが深作の粘りで4億8千万円となり、さらにパトカーを何十台も並べて壊すシーンのため車輌を買い取ることになり、最終的に約11億円の製作費になった。しかし興行的には当たらず、インタビュー本を作っていた映画評論家の山根貞男によると、深作はショックを受けたようだったという。さらに本作のために制作会社も1社倒産した。

自分の感想がこんな悲惨な結末と合致していることが嬉しいような、悲しいような。やっぱり勉強不足だよね。独りよがりになって、これは面白いはずだと叫んでも、面白くないものは面白くない。他人を納得させるためには、相当以上の精神的、肉体的鍛錬が絶対不可欠だ。

『ヒース・レジャーの恋のからさわぎ』(10 Things I Hate About You)

1999年・アメリカ 監督/ジル・ジュンガー

出演/ヒース・レジャー/ジュリア・スタイルズ/ラリサ・オレイニク/ジョセフ・ゴードン=レヴィット

誰このヒース・レジャーって? オーストラリアでテレビ・映画に出演した後、1999年のこの映画でハリウッドデビューを果たす。当初はアイドル路線的な注目だったが、ほどなくして本人がこの路線を拒否し、以後出演作品を選ぶようになった。『ブロークバック・マウンテン』(Brokeback Mountain・2005年)の演技が絶賛され26歳の若さでアカデミー主演男優賞にノミネート、一躍若手演技派俳優と目されるようになったという。あのホモ映画は訳の分からない映画だったがな~。

アメリカでは結構当たったらしい映画が、日本未公開とは不思議な話だ。映画を観てみれば、とてもじゃないけどこんなものを劇場公開しようなんていう人はいないだろう。NHK-Eテレビでやっているアメリカのスタジオ・ドラマのテイストに似ている。他愛もない学園ドラマと言ってしまって問題なし。

それにしてもアメリカの高校生ライフは楽しそうだ。日本の制服を着た高校生があまりにも子供に見える。いつになっても若年層の思考が子供だから、マンガ世界のみが発展しているのだろう。

『マーサ、あるいはマーシー・メイ』(Martha Marcy May Marlene)

2011年・アメリカ 監督/ショーン・ダーキン

出演/エリザベス・オルセン/ジョン・ホークス/サラ・ポールソン/ヒュー・ダンシー

訳の分からない映画。タイトルとパッケージからでは想像出来ないが、もっとましなあるいは感動的なドラマを期待していた。ところが、カルト団体との共同生活から逃げ出してきた主人公が、日常へ戻ってもなおその恐怖に悩まされる。というストーリーを、例の力のない監督がよく使うフラッシュバックという手法で映像を表現するものだから、観客は何が何だか分からなくて不愉快になってくる。

過去の亡霊に悩まされて生きている人達が、世の中にはたくさんいるのだろう。トラウマに悩まされ、毎日を地獄のように過ごしている人もいるに違いない。なんとか深い穴からは逃れられたが、これ以上は絶対出来ないという境界線を自ら課して、なんとか生きるすべを持つことが出来ている人もいるに違いない。

人間は生きていること自体が悩みの対象。ある程度の困難を克服した人なら、過去の亡霊は無理にでも切り捨てなければならない。せっかく通常の生活環境に暮らしているのに、バリアを張って他人を受け入れなければ、人間の生活の楽しみは半減してしまう。あるいは、自分の周りの人達に、本人が感じる以上の精神的迷惑を掛けてしまう結果となる。おおらかな精神をなんとか会得して、人生を全うして欲しいものだ。

『涙そうそう』

2006年(平成18年)・日本 監督/土井裕泰

出演/妻夫木聡/長澤まさみ/麻生久美子/塚本高史/小泉今日子/中村達也

歌謡曲「涙そうそう」(作詞:森山良子・作曲:BEGIN)の歌詞をモチーフに映画化したもの。あまりにもなんていうことない内容にふ~む。この程度に映画が感動を呼んで劇場でもそれなりにヒットするのが、今日本人の映画観客としての資質。テレビドラマよりも映画らしいだけで、何処がうけるのだろうか。

沖縄が嫌いだからと言うわけでもないが、沖縄音楽が画面に流れると嫌な顔をしてしまう。美味しいと思えない沖縄料理も気にくわない。どうしてそこまでなってしまったのか分からない。甘ったるくてまったく美味しいと思えなかったグリーンカレーを食べてから、タイ料理に対して好意を持てなかったのに似ている。いずれにしろ勝手な我が儘思考が人生を狭くしている。

長澤まさみは現在の容姿よりやせて見える。8年前の映画だということを差し引いても、たぶん中学生役をやることから、かなりダイエットしたのではなかろうか。顔も違って見える。女は恐ろしい。ここまで役になりきれるのはたいしたものだ。妻夫木聡はどの映画を観てもイモ。50才過ぎてから役者として役に立つ時が来るだろう、たぶん。

『あなたは私の婿になる』(The Proposal)

2009年・アメリカ 監督/アン・フレッチャー

出演/サンドラ・ブロック/ライアン・レイノルズ/マリン・アッカーマン/クレイグ・T・ネルソン/メアリー・スティーンバージェン

サンドラ・ブロックが出てくると、どう考えたってコメディーだなと思ってしまう。ご多分に漏れずその通りなのだが、ドタバタ喜劇ではないし、どちらかというと会話で楽しくさせてくれる女優だ。アイマックス3Dで観た『ゼロ・グラビティ(Gravity)』に彼女を起用した理由がちょっと分かるような。宇宙での船外活動や宇宙飛行士のたくましさに加え、彼女の会話にはユーモアが溢れている気がする。

もう今年で50才になる彼女が、30代のやり手出版会社編集長を演じている。しかも恋愛映画だ。一般的に日本人は若く見られるが、欧米人の50才なんて見られたもんじゃないというのが相場だった。女優だからというより、最近の化粧魔術の成果ではなかろうかと想像する。ある程度歳相応の顔の表情が残っていて欲しいが、女性にとっては皺一本ないことの方が大切なのかもしれない。

出版会社でうだつの上がらない仕事をしている男のアラスカの実家に行ってみたら、地元の名士どころか大実業家の家だったなんて、映画の中だけの話だろう。そんな人間にはお目に掛かったこともないし、これからも会うことはないであろう。嘘から始まった恋愛ごっこが、本当の愛に行き着いてしまうなんていうのも、映画の中だけの話だろう。嘘からは嘘しか生まれないし、嘘で固めた人生には地獄の閻魔大王が待っているだけだろう。

『一枚のハガキ』

2011年(平成23年)・日本 監督/新藤兼人

出演/豊川悦司/大竹しのぶ/六平直政/大杉漣/柄本明/倍賞美津子/津川雅彦

新藤兼人監督の遺作。2010年10月98才の時にクランクアップしている。映画監督として今作で日本最高齢記録を保持している。2011年8月6日、公開日が広島市への原子爆弾投下日と同じだったことから、配給元のテアトル新宿のほかに広島市の八丁座でも先行上映された。

戦争末期に100名の中年兵士が召集された。松山啓太ら兵士100名たちは上官のくじ引きで赴任先が決まる。くじ引きが行われた夜、フィリピンに赴任が決まり、生きて帰って来れないと悟った森川定造はハガキを読んだことを妻に伝えて欲しいと、妻・友子から送られた1枚のハガキを啓太に託す。終戦後100人中6人の兵士が生き残り、その一人の啓太は1枚のハガキを元に友子の家を尋ねるが…。

その1枚のハガキを書いた女性は、夫の戦死後嫁いだ家の両親の懇願を受け入れ夫の弟と再婚した。その弟にも召集令状が来、出征後1ヶ月で戦死の知らせを受ける。舅は心臓発作で亡くなり、姑は覚悟の自殺をしてしまった。何という悲劇なのだろうか。反戦映画かと思わせるストーリー、そんな薄っぺらな訴えではないだろう。考えてみれば、同じような境遇を送った人達がどれだけいたことだろう。1枚の赤紙がその人ばかりではなく、周りに生きている人達の運命を翻弄して行く。神も仏もいないのかと、罵りたくなってしまう。もしかすると3度目の結婚の中に、希望の光が見えるかもしれない、と映画は幕を閉じる。

『東京家族』

20013年(平成25年)・日本 監督/山田洋次

出演/橋爪功/吉行和子/西村雅彦/夏川結衣/中嶋朋子/林家正蔵/妻夫木聡/蒼井優

ものすごい早いテレビ放映に驚いた。山田洋次の最新作『小さいおうち』がロードショーになるというので、その宣伝を兼ねての放送だったようだ。小津安二郎監督による『東京物語』(1953年松竹)のリメイク。広島側の舞台が尾道から豊田郡大崎上島町に変更され撮影されている。キャッチコピーは「おかしくて、かなしい。これは、あなたの物語です。」。もともとは2011年12月公開予定であったが、東日本大震災によって公開が延期となった。それとともに脚本の一部を改訂し、主演の老夫婦の配役を菅原文太と市原悦子から、橋爪功と吉行和子に変更。また長女役も室井滋から中嶋朋子に交代した。

製作会社に、松竹、住友商事、テレビ朝日他系列5局、衛星劇場、博報堂DYメディアパートナーズ、講談社、日販、Yahoo! JAPAN、ぴあ、読売新聞社、TOKYO FMと多数の会社が名を連ねる。最初の頃のユッタリズムを我慢出来れば、2時間26分のこの長編映画を心地良く観られるようになる。保証する。最後にはどうしようもない涙に嗚咽してしまうだろう。

エンドクレジット直前に、「この作品を小津安二郎監督に捧ぐ」と表示が。本人が天国でどういう評価をしているのか、凄く知りたい気がする。こういう映画に登場する役者はいろいろな意味で演技を云々されて大変だろう。今日は体調がさほどいいという訳ではないのに、心地良く観終えた充実感がある。何となく嬉しい、哀しい出来事があったのにもかかわらず。

『ペンギン夫婦の作りかた』

2012年(平成24年)・日本 監督/平林克理

出演/小池栄子/ワン・チュアンイー/深水元基/山城智二/田仲洋子

石垣島の「食べるラー油」を全国的な知名度に押し上げた「辺銀(ペンギン)食堂」の辺銀暁峰さん、愛理さん夫妻をモデルに、国際結婚や都会から離島への移住、帰化問題など、「食べるラー油」誕生の裏に隠された夫婦のエピソードを描き出していくドラマ。主演は小池栄子と台湾の人気俳優ワン・チュアンイー。

映画は面白くない。わざわざ映画にするようなストーリーには見えない。映画はもっと映画らしくドラマチックに描かなければ。ペーソスを描きたいなら、もっと心を描かなければ。食べるラー油も流行が完全に下火になってから食べただけ。流行だからと結構高い価格で売り出す商法が嫌いだ。現在はだいぶ落ち着いているので価格もそれなり。ようやく食卓に。

何故か沖縄が嫌いなのだ。誰かが揺すりたかりだと批判していたがまったくその通り。毎年3千億円以上の金が落とされて、働かなくても何とか食って行ける環境にしてしまった罪は大きい。韓国じゃあるまいしすぐに被害者意識を吹聴する風土が許せない。もっと謙虚に人生を生きることを教えなければ、中国の属国になった方が良いかもしれない。

『バンク・ジョブ』(The Bank Job

2008年・イギリス 監督/ロジャー・ドナルドソン

出演/ジェイソン・ステイサム/サフロン・バロウズ/リチャード・リンターン/スティーヴン・キャンベル・ムーア

1971年9月のある日曜日、ロンドンのベイカーストリートの銀行に強盗団が押し入り、数百万ポンドの現金と宝石類を強奪した。事件は連日大々的に報道されたが、ある日を境にピタリと止まる。なぜなら強盗団は現金と宝石の他に様々な国家秘密までもを盗んでいたため、政府が報道禁止命令を出したのだ。実話に基づく映画だとのクレジットが冒頭の題名の下に明記されている。

見たばっかりの『PARKER/パーカー』の主演と同じジェイソン・ステイサム、今やブルース・ウィリスを凌ぐ雰囲気がぷんぷん。アクション・スターもスタローンやシュワルツネッガー、ジャッキー・チェンなどがまだ活躍しているようでは、映画界も視界が暗い。

銀行強盗のシーンなどは今までの同じようなシーンから比べたら、はるかに面白くない。実話が基本と言うことで面白くなかったのか、監督の力不足からなのか分からない。ダラダラと終わりがすっきり行かないのは、ハリウッドではないからか。映画は映画らしく、余韻を残して終わって欲しいものだ。


2018年1月15日再び観たので記す。

『バンク・ジョブ』(The Bank Job)

2008年・イギリス 監督/ロジャー・ドナルドソン

出演/ジェイソン・ステイサム/サフロン・バロウズ/スティーヴン・キャンベル・ムーア

題名を見てこの映画を観ていないと思って観始まった。途中で、ふ~ん、観たかも、という気になってきて、観た!見た!と確信するに至ったが、おもしろいことと結末をやっぱり思い出せなかったので観続けることとなった。1971年にロンドンで実際に起こった銀行強盗事件(Baker Street robbery)(「ウォーキートーキー強盗」ともいう)をモデルにしている。

内容の仔細までも事実かと問われれば、そこまでは保証しないと言うのだろうが、強盗団がロイズ銀行の貸金庫から盗んだものの中には、各国の通貨や宝石だけではなく、大臣をはじめとする有名人たちのスキャンダラスな写真だった。中でもスキャンダラスなのはマーガレット王女 のセックス写真があった。という衝撃的なものだった。

貧乏人には縁のない貸金庫というもの。三井住友銀行の料金を調べたら、一番小さい内箱の大きさ(7,000立方cm未満・目安のサイズ5.9cm(高さ)、26.0cm(間口)、45.0cm(奥行)で半年8,100円だと分かった。何か入れておくものが手に入ることがあればいいが。

『顔』

2000年(平成12年)・日本 監督/阪本順治

出演/藤山直美/佐藤浩市/豊川悦司/大楠道代/國村隼

35歳で長年ひきこもり状態の女性が主人公。藤山直美:藤山寛美の娘などという看板は彼女がデビューした時からいらなかった。父親のいかにも関西喜劇役者のようなあくの強さをちょっと柔らげた雰囲気を持っている。オーバーアクションではなく演技出来る数少ない女優かもしれない。

顔というタイトルは直接的だが意味深だ。「お姉ちゃんのことが子供の頃から恥ずかしかった。」と妹に言われ、さらに「お姉ちゃんもそろそろ女になったら?」と侮辱されるに至っては彼女の35年間の鬱積が爆発してしまうのは頷ける。ブスを演じられる女優はなかなかいない。ブスというほどのブスではないが、彼女が演じればその役も何の違和感もない。

この頃のカップルは顔の似た者同士が結構多い。昔だってそれなりにいたが、今の方がはるかに多いような気がする。持論を:好きか嫌いかに関わらず、自分の顔を鏡などで見る機会が一番多い。そうすると自然と美の基準が自分の顔を基に出来上がってしまう。誰が見ても絶世の美人以外は、自分の好みの顔を美しいと潜在意識が導いてしまう。自分が好きな顔の人を単純に好きになれるのは、そういう理由からが多い。本人に自覚症状はない。だから千差万別で男も女もなんとか人間をやっていける。異性の顔を好きになるのに理由がないというのはこのあたりから来ている。だから嫌なことがあっても、邪険にされてもいつまでも好きでいられるのかもしれない。

『BROTHER』(ブラザー)

2000年・日本/アメリカ/イギリス 監督/北野武

出演/ビートたけし/オマー・エップス/真木蔵人/加藤雅也/寺島進/大杉漣

日本を追われ、米国に逃亡した日本人ヤクザ・山本とその一味が抗争の末敗北して行く様。この映画を観ていないわけはないが、全体の雰囲気だけが記憶にあって細かいところはまったく覚えていなかった。特技である忘れっぽさが今日も生きている。覚えなくてもいいことは見事に忘れてしまう。数字だけは何故か記憶に残ることが多い。覚えなくてもいいことと言っても、自分の中だけでの話で、世間一般の価値観とは違うことは明らか。

タケシの映画は面白くない、興行的に弱いというのが結果であった。が、この映画に関しては面白いと思っていた。今回見直した形になったが、面白いという感想は変わらない。無情なまでの割り切り方、人生の生き方が好きだ。やれどうのこうのと、能書きをたれて理屈ばかりで生きていても面白くない。駄目なら駄目、と割り切りの良い生き方を愛している。グジグジと昔を引きずって前に進むことを由としない。

ヤクザの親分と子分、兄弟分などは典型的な日本人のDNAだと勘違いしている。ヤクザそのものは必要悪の典型で、世の中から抹殺したい代表だと思うけれど、人間社会がある限りは名前は変わってもヤクザと同じような組織は永久になくならない。カタギの衆を巻き込まなければ、ヤクザ同士の抗争なんてどうでも良いこと、とタケシも思っているような気がする。平気で人を殺せる神経がなければ、ヤクザなんてやってられない、と思うのは私だけではないだろうと思うのだが。

『ワルボロ』

2007年(平成19年)・日本 監督/隅田靖

出演/松田翔太/新垣結衣/福士誠治/木村了/城田優

とりあえず観た。面白いとか面白くないとか以前の映画。中学生の悪ガキどもの内容のない、ただ想い出を活字化して映像化しただけの作品。コメントをするのが出来ない。。

中学生の頃は学校にワルがいた。どうしようもない奴らだけれど、存在感だけは抜群。顔と名前を知らない奴はいなかった。いわゆる勉強家タイプの連中は、同じように顔と名前は有名でも、存在感に乏しい。スポーツの出来る奴はそれなり以上に有名で、勉強の出来る奴より誇らしげだった。

必要悪といった感じで悪ガキは存在する。全体が逆にまとまるという点でも必要な存在だった。それでも、あの当時は生徒よりも先生の方がはるかに権力を持っていて、悪ガキといえども乱暴な生活を許されていたわけではない。そのあたりが今の環境と大きな違い。先生が生徒を殴っても、何の問題も起きなかった。このあたりがあまりにも違いすぎる学校の環境なのだろう。

『思秋期』(Tyrannosaur)

2011年・イギリス 監督/パディ・コンシダイン

出演/ピーター・マラン/オリヴィア・コールマン/エディ・マーサン

思秋期とはなかなかの邦題を考えたものだ。思春期が10代の悩める期間なら、この思秋期は60代のやるせない期間だと言いたいのかもしれない。東京国際映画祭では原題の「ティラノサウルス」で上映されたと言うが、この由来と映画内容とは直接関係がない。映画の中で使われてはいるが例えとして、あのジュラシック・パークで出てくるティラノサウルスを引き合いに出しているだけだった。映画を観なければ、永久にその例えは分かろうはずもない。

映画は暗くて滅入る。主人公二人の気持ちが手に取るように分かるだけに、この虚しい人生の過ごし方に同情するというより、嫌気がさしてくる。妻に死なれ、毎日を不平不満の巣窟の中で送っている一人の主人公。夫の暴力に耐えながら客の来ない洋服店を営んでいるもう一人の主人公。いずれにしろ人生とは何なのだろうと考えさせられるストーリーだ。

ここまでというほど歳を取っていないだろう言われるかもしれないが、自分にとっては想定していなかった年齢。まさかと思いながらも現実に息をしている自分の姿が、滑稽で喩えようもない。映画の主人公のように、気にくわないことに真正面からぶつかって、相手を殴り殺してでも気を紛らわす路を選択したくなる。もやもやもやと胸の中に積もり積もってきている得体の知れない塊が、いつ何処で爆発するのか自分でも不安で仕方のないような。

『PARKER/パーカー』(Parker)

2013年・アメリカ 監督/テイラー・ハックフォード

出演/ジェイソン・ステイサム/ジェニファー・ロペス/ニック・ノルティ/マイケル・チクリス

面白かった。まったく期待しないで手に取ったタイトルだったが、ノンストップ・アクションで内容が面白い。この頃は七面倒くさい理屈映画ばっかりにぶち当たっていたので、こういう痛快無比の映画は観ていてスカッとする。何かのきっかけで中ヒットにはなりそうな作品。

アクション映画なのだがアクションシーンを意識的に押さえているように見える。「余計な」カーチェイスや銃撃シーンが極端に少ない。それでいてインパクトのある殺し方。主人公は天才的な犯罪者だが、汚い金しか奪わない、悪者しか殺さない、仕事は完璧に美しく行なうという、3つの厳格なルールを自分に課していた。そういう筋の通った信条が映画の一本筋の通ったストーリー展開を支えている。

生身の人間が深傷を負いながらも、復活する痛快さがある。CGでは味わえない人間のアクションがやっぱり映画には必要なのかもしれない。それと妻や義父への思いやりなど、人間らしい心の動きを的確に表現しているところもいい。ドナルド・E・ウェストレイクが「リチャード・スターク」名義で書いた小説『悪党パーカー』シリーズの『悪党パーカー/地獄の分け前』を原作としている。シリーズものにはもってこいの題材に見える。


2019年1月29日再び観たので記す。

『PARKER/パーカー』(Parker)

2013年・アメリカ 監督/テイラー・ハックフォード

出演/ジェイソン・ステイサム/ジェニファー・ロペス/ック・ノルティ/マイケル・チクリス

ドナルド・E・ウェストレイクが「リチャード・スターク」名義で書いた小説『悪党パーカー』シリーズの『悪党パーカー/地獄の分け前』を原作としているという。主演のジェイソン・ステイサムは、この頃アクション映画で大活躍している。いかつい身体と顔が特徴的で、一度観たら忘れられない。

他人を殺さないで仕事を成し遂げるのが主人公の流儀だが、その流儀に反した仲間をいとも簡単に打ち殺す心が強い。他人からは非情にも見える振る舞いが、一個人の意思に基づくものならば、それはやるかたないものに。その非情さを脆く守れない果てには、己の破綻が待っていることが多いに違いない。

同じような教育を受けているはずなのに、なぜにこうも違いが出てくるのだろう。同じように育てたつもりの子供だって、同じように違って育っていることが可笑しい。それが個性の基本というものだろう。その違うところを伸ばせれば唯一無二の存在に成れるのだろうが、ただ違っているからと伸ばしたって、残念ながら他人より秀でた人間に成れるわけでもない。そこらあたりが難しいことなのだ。

『愛のあしあと』 (Les Bien-Aime's)

2011年・フランス/イギリス/チェコ 監督/クリストフ・オノレ

出演/カトリーヌ・ドヌーヴ/キアラ・マストロヤンニ/リュディヴィーヌ・サニエ/ミロス・フォアマン

ようやく朝のうちに TSUTAYA に行き準新作を10本借りてきた。この頃の面白い映画確率は極めて低く、50%を割っているのではなかろうかと思われる。準新作に拘って借りてきているのもその原因かもしれない。新作は高いし、すぐに返さなくてはいけないしと、二重苦になってしまう。今回もどうだろうと観始まったが、これが面白くない。往年のフランス映画の栄光などもう何処にもないような感じだ。とりあえず観終わっていないので、このあとのコメントは明日にしよう。解説ページを見て何処が面白いところなのかを、学ばなければ分からない面白さ。

映画.COMの解説を ~ カトリーヌ・ドヌーブとキアラ・マストロヤンニが母娘役で親子共演を果たしたドラマ。フランス人の母と娘が2代にわたって繰り広げる愛やセックスにまつわる人間模様を、ミュージカル場面も交えて描く。1960年代のパリ。靴屋で働きながら売春婦のアルバイトをしていたマドレーヌは、チェコ出身の医師ヤロミルと恋に落ちる。2人はプラハへ行き、やがて娘のヴェラが生まれる。時は流れ、ヴェラは美しい女性へと成長。クレモンという優しい恋人のいるヴェラだったが、ロンドンで知り合ったヘンダーソンと激しい恋に落ちてしまい……。

最後まで何処が面白いのか全く分からなかった。ドヌーブ親子はよく似ている。これならDNAなんて関係ないけれど、女は自分の子供だと分かるから面倒なことはない。もっとも病院での子供の取り違え事故も起こっているから、女といえども自分の子供であるかどうかの確信は意外と持てないこともあるかもしれない。

『キング・アーサー』(King Arthur)

2004年・アメリカ/アイルランド/イギリス 監督/アントワーン・フークア

出演/クライヴ・オーウェン/キーラ・ナイトレイ/ヨアン・グリフィズ/レイ・ウィンストン/ヒュー・ダンシー

中世騎士伝説として著名な「アーサー王と円卓の騎士」のモデルである、古代末期に実在したブリトン人、もしくはローマ帝国軍人出身といわれる抵抗指導者のアルトリゥスを、彼がローマ軍のサルマティア人(サルマート)傭兵を率いる指揮官であったのではないかという、最近打ち出された歴史学上の仮説をベースに大胆に解釈した作品である。また、この当時のローマ帝国は映画『ベン・ハー』で見られるような多神教の時代と異なり、すでにキリスト教を国教とした専制国家となっており、映画ではアルトリウスもまた伝道者ペラギウスを精神的な師として仰いでいる。従って、従来のアーサー王伝説の映画化と異なり、舞台は中世ではなく古代末期、衰退しつつあるローマ帝国とブリテン島先住民のケルト系ブリトン人やピクト人、さらにブリテン島に新たな侵略者として登場したサクソン人の間の確執と戦いを描いている。またアルトリゥスとその部下である円卓の騎士達も中世の騎士ではなく、ローマ帝国に徴用された騎馬遊牧民族サルマティア人の兵集団として描かれている。敵役のサクソン王の設定は、今日のイングランド王家の始祖とも言える、初代ウェセックス王、セルディックである。 ~ Wikipediaより

重厚長大という表現が正しいのかどうか分からないが、そんな一言で片付けてしまいたくなるような大作である。重厚長大:重化学工業等からIT産業を除いた産業。扱う製品が重く、厚く、長く、大きいことから、それらの頭文字を取った造語。また、それら産業の特質を指す経済用語。反対語は、「軽薄短小」。具体的には、鉄鋼業・セメント・非鉄金属・造船・化学工業や、これに関連する装置産業が分類される。重厚長大という場合、軽薄短小に対して、「古い」「過去のもの(過去となりつつあるもの)」といった侮蔑的な意味が含まれる場合もある。実際に、「方針転換無く、何かしらの要素を発展させる(それに付随して発展した分コストも増す)こと」に対して、批判的に使用される。

時代の背景がいまいちよく分からず、漫然と見続けてはいたが、面白さが伝わってこなかった。ひたすら戦いモードの映画の中にも女が一人登場し、主人公アーサーの妻となるくだりなどはさすがアメリカ映画と唸らざるを得ない。歴史映画は面白いが、DNAのない外国の歴史映画は事前に背景を学んでおくと、もっと面白く見られるかもしれない。

『太秦ライムライト』

2014年・日本 監督/落合賢

出演/福本清三/山本千尋/合田雅吏/萬田久子/本田博太郎/小林稔侍/松方弘樹

まだ劇場で公開されていない映画だった。じゃ~何故?と思ったら、どうも今回録画したものは「テレビ編集版」ということらしい。よく分からないが、いい映画だけれど地味な内容で大きくロードショーすることは出来ないだろうから、何かの都合でそうなったのだろう。「劇場編集版」は2014年初夏公開予定だという。編集によって大幅に変わる内容ではなさそうだが、さてさて。

チャンバラ映像の切られ役にスポットライトを当てている。面白い。見たことのある切られ役福本清三さんは、、時代劇・現代劇を問わず「斬られ役・殺され役」を演じてきたことから、「5万回斬られた男」の異名を持つという。若い女優が登場して誰かな、と思っても見たことがない。チャンバラの手ほどきを受けて立ち回りがきびきびしていたので調べてみたら、その人は山本千尋嬢、3歳より太極拳を学び、2012年9月にマカオで開かれた第4回世界ジュニア武術選手権大会で金メダル1枚、銀メダル2枚を獲得したのだという。やっぱりね、ド素人ではないと思ったが、納得。

太秦=うずまさ、とすぐに読めなかった、情けない。元映画人と自負しているのに、なんのことはない。業界人であったことはもう遠い昔の夢だったのだろうか。映画業界の雰囲気が伝わってきて、思わず涙が流れた。知り合えばすぐに「XXXちゃん」と平気で呼んでしまう業界人。何と言っても人情があふれている。時にはその人情が面倒に感じることもあるくらいだが、目の前の世界の人情のない人影を見るにつけ、この心の生活の違いはどんな薬を飲んでも直せるものではないと思い知る。

『ミート・ザ・ペアレンツ2』(Meet the Fockers)

20054年・アメリカ 監督/ジェイ・ローチ

出演/ロバート・デ・ニーロ/ベン・スティラー/ダスティン・ホフマン/ダスティン・ホフマン/ブライス・ダナー/テリー・ポロ

1作目の内容をいつも通り全く覚えていなかった。続きのこの映画を観て行くうちに、ちらりと前作の雰囲気だけおぼろげになってきた。見ていてこんなに面白い映画だったっけ、と意外な展開に嬉しくなってくる。なにしろ、アカデミー賞2度の受賞歴を誇るロバート・デニーロ、ダスティン・ホフマン、バーブラ・ストライサンドの3人と、コメディスターであるベン・スティラーらが揃った豪華キャストだ。コメディ映画では、世界で最高の興行収入額を記録したという。

豪華キャストの割にはドタバタ、はちゃめちゃなストーリーなのだが、おちゃらけてはいない。そのあたりの区別は理屈ではなく、見てみなければ説明がつかないし、議論も出来ない。一番羨ましいのは登場人物ひとりひとりが言いたいことを言っていること。これだけ言いたいことを無神経と思えるほど相手にぶつけられれば、ストレスなんてまったく関係ないだろうと思えるほど。言いたいことを言って、その後で謝る光景は、アメリカならでは。日本ではここまで素直に謝れる状況を創り出せない。一度口にして罵ってしまえば、罵られた方は一生それを根に持つのではなかろうか、というのが日本的図式としてみんなが共有している。

結婚を前提としてその二人の両親が初めて出会う場は日本でも普通のこと。ただ、その光景はアメリカと日本では雲泥の差だろう。この映画のように言いたいことを言い合い平気で喧嘩することが出来る神経が素晴らしい。とてもじゃないけど喧嘩をして、その後で理解し合える精神を持っていないことが劣等感だったし、今でも変わらない。心底をさらけ出して、そこからお互いの理解を積み重ねるという人間のつきあい方を、理論でしか分かっていない自分は、永久に未熟なままで人生が終わってしまう気がしてならない。

『リンカーン』(Lincoln)

2012年・アメリカ 監督/スティーヴン・スピルバーグ

出演/ダニエル・デイ=ルイス/サリー・フィールド/ジョゼフ・ゴードン=レヴィット/ジェームズ・スペイダー/ハル・ホルブルック

スピルバーグ自身が監督した作品で、これほど面白くなかったものはなかったのではなかろうか。TSUTAYA原店の準新作コーナーの目立たない最下段に本数少なく置かれているのが、気なっていた。ドリス・カーンズ・グッドウィン(英語版)による伝記本『リンカン(英語版)』を原作とし、リンカーンの最後の4ヶ月が描かれている。

1865年1月。大統領に再選され2ヶ月が経ったが、アメリカでは4年以上に及ぶ南北戦争が未だに続いていた。1862年の奴隷解放宣言で奴隷は解放されたかに思えたが、この宣言で実際に解放された者はわずかであり、「すべての人間は自由であるべき」と信じるリンカーンは奴隷を永久に開放するため、アメリカ合衆国憲法修正第13条を議会で可決させることを決意する。このアメリカ合衆国憲法修正第13条を巡る話がメインであることは分かるが、どうも同じことの繰り返しとセリフの多さにちょっと飽きが来てしまう。最後の評決になってようやく盛り上がるが、あまりにも長過ぎる前戯のようで、さすがに誰でも嫌になってくると思うのだが。

サントリーのBOSSで日本でも知名度が高くなったトミー・リー・ジョーンズはアメリカでは結構有名な俳優、遠い日本ではおちゃらけたコマーシャルに出ているが、そのあたりのギャップが面白い。劇中でリンカーンの懐中時計の音が聞こえるシーンは、ケンタッキー州・フランクフォート歴史研究博物館に保管されていた、リンカーンが暗殺された際に所持していた本物の懐中時計の音を使用した。デイ=ルイスは本作への出演を1年間の準備期間を条件に受諾し、「私が興味を持ったのは、リンカーン個人の経験を主観的に理解すること」であると語っている。そのために髪やあごひげを伸ばし、リンカーンが書き残した書物を読みあさり、メアリー・トッド・リンカーン役のサリー・フィールドと4カ月間 当時の文体でつづって文通を行ったという。一方、スピルバーグはリンカーンに敬意を表すため、製作期間中は常にスーツを着たという。

『Jam Films』

2002年・日本 監督/北村龍平/篠原哲雄/飯田譲治/望月六郎/堤幸彦/行定勲/岩井俊二

出演/魚谷佳苗/山崎まさよし/大沢たかお/吉本多香美/佐々木蔵之介/妻夫木聡/広末涼子

ショートフィルムを集めた日本映画のオムニバスシリーズ。現在までに『Jam Films』(2002年)、『Jam Films 2』(2003年)、『Jam Films S』(2005年)の3本が公開されている。セガ、アミューズなどを中心に製作された。同作品スタッフが制作した関係作品に『female』(2005年)があるという。今日見たのは1作目。

最初のショート作品がアニメーションシーンから始まったので、いまいち感でいっぱいになる。ショートフィルムはアイディアの集積箱、集中力を高めてみれば必ずや面白いはずだと思っていた。が、所詮は日本映画、アイディアがいまいちなら映画としての完成度も低い。日本映画はこの程度だと喧伝する材料にしか見えない。残念ながら。

昔「世にも不思議な物語」というアメリカ製のテレビシリーズがあった。ショートフィルムというよりは毎週完結の気の利いた内容だった気がする。その中でもエピソードとして覚えているシーンがあり、強烈な想い出が残っている。だからこそ、この程度の短編集ではまったく満足の行かない感でいっぱいになってしまうのだ。

『ロード・オブ・ウォー』(Lord of War)

2005年・アメリカ 監督/アンドリュー・ニコル

出演/ニコラス・ケイジ/ジャレッド・レト/イーサン・ホーク/ブリジット・モイナハン

録画が切れてこの作品しか見るものがなかった。レンタルDVDも品切れ。そろそろ準新作100円キャンペーンが始まる頃だと目論んでいるが、今週末はまだだった。来週か遅くとも再来週にはあるだろうから、その時にはまた10本くらい借りてこよう。録画が始まると字幕版と吹き替え版の雰囲気が何となく分かる。今回は嫌な予感がしたが予想通り吹き替え版、それでも見るものがないという理由だけで吹き替え版を仕方なく観た。

ノンフィクションに基づくフィクション映画であるという。複数の武器商人への取材を元に作られたらしい。映画の終わりには個人の武器商人よりもっと罪深いのは、武器輸出大国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の5大国であり、いずれも国連の常任理事国であるところが皮肉だと言っている。

嘘から始まればすべては上手く行くという。映画の中のセリフだが、嘘を嘘で固めて人付き合いしている人間が結構多いらしいことは想像がつく。嘘もつけないようでは一人前とは言えないとも言う。正直さだけしかない人間なんて、結局はいいように騙されて泣きをみるだけなのだろう。それでもいいのだ、嘘で固めた人生なんて、それこそ閻魔大王に舌を抜かれるに違いないから。まったく幼稚なことを言っている。そこがいいところだと自分だけが信じている。

『田園交響楽』(LA SYMPHONIE PASTORALE)

1946年・フランス 監督/ジャン・ドラノワ

出演/ピエール・ブランシャール/ミシェル・モルガン/ジャン・ドザイー/アンドレ・クレマン/リーヌ・ノロ

雪景色の田園。老婆の死によって孤児となった盲目の少女は村の神父に引き取られた。彼女はジェルトリュートと名付けられ、家族同様に教育され美しく成長する。分け隔てなく…のつもりがいつのまにかひいき目に見てしまう神父。そんな様子に妻は嫉妬しているが、嫉妬心を持つのは罪なので、非難されるのを恐がって何も言えない。やがて上の息子のジャックが留学から帰ってくる。聡明で音楽の才能もある彼には、ピエットという幼なじみがいていずれ婚約することになるのだが、ジェルを一目見て恋に落ちてしまう。神父はジェルとの結婚は許さないと、自分の本当の気持ちを告白した。ハロウィンのピクニックの日、彼女の生まれて初めてのダンスをジャックがエスコートする。人々は好奇の目で2人を囲んだ。ある日神父は妻と話し合ううち、情けをかけてやることよりジェルの目を治してやることのほうが大事に思えてきた。既にピエットがジャックとのことを公平にしたいがため、医者の手配を進めていた。そして彼女の目は手術で見えるようになる。最初に会いに来たジャックと思わずキスしてしまうジェルだったが、それは彼女の想う人ではなかった……。人々が道徳心と本心との葛藤に苦しむように、どうしてもこの場合、誰もが正しい人にはなりえない“不幸”な状況がある。ラストの神父の台詞は罪深いと言えるのか。文豪アンドレ・ジイドの同名小説を映画化した悲恋物語の名作。(allcinema より)

素直に面白い。68年前の映画がこの何十年かのどの日本映画より面白い。人間の仕合わせって、何だろうと、何度も改めて考えさせられる。目が見えないことが不幸なのか、目が見えることが仕合わせなのか、ともっとも原始的な問いかけは映画全般を通して観客に投げかけられる。

目が見えるようになって訪れるはずの幸せな毎日は、苦悩という毎日に取って代わる。いつの世にも、何処の世界にでもある人間であるが故の現実は、悲しい結末を持ってしか解決出来ないのだろうか。哀しさや、虚しさにうちひしがれる鑑賞後感。

『さくらん』

2007年(平成19年)・日本 監督/蜷川実花

出演/土屋アンナ/椎名桔平/成宮寛貴/木村佳乃/菅野美穂/小泉今日子/安藤政信/永瀬正敏

公開時にさかんにテレビに出まくっていたので、この作品の存在は知っている。その時からまったく見たいという気持ちが起こらなかったのは自然か。監督が好きではない。写真家が映画監督になったって何の文句もないが、写真家時代の構図や色を映画という映像世界にそのまま持ち込んで「どうだ!」と言われても、何とも答えようがない。

土屋アンナも好きではない顔で、この映画を観る動機はまったくないのだけれど、映画ウォッチャーとしては目の前に置かれた映画を避けて通る自信はない。とりあえず最後まで見ることは出来た。早回しもしなかった。物語はそれなりの感じはしたが、だからなんなのと声を発してしまう映画。女郎や花魁という言葉が自由に言えるのは映画くらいしかないのではなかろうか。この時代、売春行為を正当化するような発言は誰も正当化しない。歴史的にみて問題ない事柄でも、全部現代に当てはめて物を言うエセ知識人たちが罪作りだ。

PG12指定されているが、映画漬けの眼から見れば、きわどいシーンなど何処にもなかったように見える。郭の中の出来事は郭の中でしか解決出来ない。北朝鮮の現状も同じようなものかもしれない。原作は、安野モヨコの漫画作品だという。

『のぼうの城』

20012年(平成24年)・日本 監督/犬童一心

出演/野村萬斎/榮倉奈々/成宮寛貴/山口智充/上地雄輔/山田孝之/平岳大/市村正親/佐藤浩市

『劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル』(2010年・仲間由紀恵/阿部寛)を観始まったが、あまりにもおちゃらけ度がきつくどうしようもないな~と思っているうちに深い眠りについてしまった。見直す気にもなれなかったので、久しぶりのパスとなってしまった。

この映画は、当初は2011年9月17日公開の予定だったが、「水攻め」のシーンがあることから東日本大震災による被害に配慮し、2012年11月2日の公開となった。「水攻め」描写は大震災を予見していたかのようなリアリティであり、人間が水に飲み込まれてゆく描写がリアルすぎるため一部がカットされたという。確かに大震災の時の映像を彷彿とさせる映画シーンに様々な思いを抱いてしまう人が多いかもしれない。たかが映画と言い切れないほどの深い傷が日本全体に残っているのは仕方がない。

キャッチコピーは「豊臣軍にケンカを売った、でくのぼうがいた。」「この男の奇策、とんでもないッ!」。指揮官、責任者でありながらその決断力や鋭敏さを尊敬されているのではなく、でくのぼうに見える普段の姿ながら、その心底に潜む優しさ、民への愛情が領民に浸透している。経営者の望まれるひとつのタイプ、従業員に対する愛情があれば余計なことを言わなくても、誰もが一致団結して働いてくれると言うことを、アホな経営者が分からない現実がいつでも可笑しい。

『アキレスと亀』

2008年(平成20年)・日本 監督/北野武

出演/ビートたけし/樋口可南子/柳憂怜/麻生久美子/中尾彬/大杉漣/伊武雅刀/風祭ゆき

あるところにアキレスと亀がいて、2人は徒競走をすることとなった。しかしアキレスの方が足が速いのは明らかなので亀がハンディキャップをもらって、いくらか進んだ地点(地点Aとする)からスタートすることとなった。スタート後、アキレスが地点Aに達した時には、亀はアキレスがそこに達するまでの時間分だけ先に進んでいる(地点B)。アキレスが今度は地点Bに達したときには、亀はまたその時間分だけ先へ進む(地点C)。同様にアキレスが地点Cの時には、亀はさらにその先にいることになる。この考えはいくらでも続けることができ、結果、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない。

こんな数式上の逆説(パラドックス:(paradox)とは、正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉)を冒頭アニメで見せて始まるこの映画、タケシが口癖のようにいう才能のない奴が一生懸命頑張ったって何も出来やしない。出来ない奴に頑張れというのは酷な話だ、という言い草を映像で実践している。タケシの映画はいつも面白くないが、この映画は後半まではだいぶましになった。ただ後半部分はもう何が何だか分からなくなって、どう映画を終わっていいのか分からないように見えた。

一種独特の皮肉で画商は訳の分からないものに価値を付けて騙しているとか、芸術なんて偶然の産物でしかない、なんてことをセリフで喋っている。中年になって急にタケシが主人公役になって出てきた時は、ちょっと違和感あり。出だしの快調さに比べると尻つぼみの感は否めない。何か示唆に富んだことを言いたいわけではなく、いつものヤクザ映画のようにただ撮りたい映画を撮っただけなのだろう。

『棚の隅』

2007年(平成19年)・日本 監督/門井肇

出演/大杉漣/内田量子/渡辺真起子/榊英雄/今井悠貴

連城三紀彦追悼記念放映という注釈があった。直木賞作家のこの人の作品を読んだことは勿論ないが、名前くらい知っているのが救いか。どういう作家なのかをまったく知らないが、この映画を観る限りは、人間の心の内の微妙な情景を描くことを得意としているように見える。この映画はひどく詰まらない。活字で読んだ方が遙かに良さそうに思えるのは、映画として不合格ということなんだろう。

原作は短編小説?、長編小説だったらその一部を映像化したように見える。離婚で別れたのではなく、まだ歩けない子供を置いて出て行ってしまった女性が、8年後我が子の顔を見たいために仕事も手につかなくなってしまった、といった暗いじめじめした話がダラダラと続いて行く。今風の協議離婚なら、親権を持たない親も定期的に子供に会うことが可能なので、アメリカ映画に良くある今風親子の関係が映像化されるケースが多い。

物語の設定で、生命保険の外交員をやっている女性が担当地域が変更になり、別れた夫と子供の地域担当になったというのがそもそも解せない。家を飛び出してしまった女性がそんな近くに住んでいること自体が不自然だし、万が一住んでいたとしても、担当替えになったからといって急に子供に会いたくなったなんていう設定は説得力に欠ける。映画は活字と違って五感に訴えるもの、何を言いたいのか、何を描きたいのかではなく、その映画を観て観客が何を感じるのか、何を思うのかが重要なのだと分かっているのだろうか。細かいところに粗相があっては大きな流れは自然と崩れてしまう。

『モテキ』

2011年・日本 監督/大根仁

出演/森山未來/長澤まさみ/麻生久美子/仲里依紗/真木よう子/新井浩文/リリー・フランキー/ピエール瀧/満島ひかり/菊地凛子

この映画を見たけれどおちゃらけた題名から食指は動かず、いきなり大嫌いなリリー・フランキーが出てきて、もうそれだけでかなり観る気が失せてしまった。せいぜい携帯小説が原作だろうと思っていたら、講談社が発行する隔週刊青年漫画誌『イブニング』に掲載されたものだという。品のないセリフも然り、お下劣な会話が吐き出される低俗な物語で、こんなものは映像化して欲しくないと強く思った。漫画の世界だけで留めておいてそれで充分使命を果たしている。

長澤まさみは可愛くていいけれど、不倫をしているけど悩んでいるの、なんて演技をしたってあまり共感出来るものではない。ストーリーも途中から急に真面目になったりして、映画を作っているんだぞ感を醸し出しているのが可笑しい。

馬鹿だね、こんな映画に出演するタレントも不幸というものだ。当然のことながら2倍速を駆使して観終わったので、きちんと観たことにはならないかもしれない。

『ラスト・アクション・ヒーロー』(Last Action Hero)

1993年・アメリカ 監督/ジョン・マクティアナン

出演/アーノルド・シュワルツェネッガー/オースティン・オブライエン/ロバート・プロスキー/アンソニー・クイン

寂れた映画館に入り浸る少年ダニー(オースティン・オブライエン)は、アクション映画『ジャック・スレイター』シリーズの大ファン。ある日、老映写技師の特別な計らいにより、『ジャック・スレイター』シリーズ最新作の試写を鑑賞できることとなったダニー。喜び勇む彼に、老映写技師は彼が子供の頃、魔術師からもらったという「魔法のチケット」を手渡す。なんでもそれは「異次元へのパスポート」なのだという。チケットを手にしたダニーが『ジャック・スレイター』を観ていると、悪役が投げたダイナマイトが突如スクリーンから飛び出し、眩い光に包まれる。気がつくと、そこはたった今スクリーンで観ていたはずのジャック・スレイター(アーノルド・シュワルツェネッガー)が運転する車の中であった。

題名と主演者を見れば、内容は想像出来なくても、だいたいの雰囲気は想定出来る。盆とか正月には小難しくない軽い映画を観るのが定番。そういう意味ではこの時期に相応しい映画であることは確かだが、正月早々眠ってしまったのは、昨年と何にも変わらない光景となってしまった。

タイムトラベラーの新種と思えるような趣向だが、所詮この映画のおちゃらけさの中に入ったら、残念ながらSFとは思えないような瞬間になってしまった。映画、映画館好きの少年が出てくるのが唯一の救い。小学生のためには300円くらいで映画が観られる環境が出来たらいいのにと思う。概して生産性のない小学生、中学生に対して何かと料金が高い日本であるような気がする。映画もそうだけれど、将来に支えてくれる層を育てる努力が、日本ではどの分野でも皆無に見えるのは私だけだろうか。

『エル・シド』(El Cid)

1961年・イタリア/アメリカ 監督/アンソニー・マン

出演/チャールトン・ヘストン/ソフィア・ローレン/ジョン・フレイザー/ジュヌヴィエーヴ・パージェ/ラフ・ヴァローネ

なんと3時間4分の堂々たる大作、2013年の年末に観るに相応しい映画だ。若い頃にはこの映画の題名は有名だった。もちろんずーっと観てはいなかったが、今回の録画で偶然に出会うことが出来て嬉しく感じる。TSUTAUAに行って積極的にこのパッケージを手にするほど、いつも頭にあるわけではない。同じように聞いたらすぐにタイトルだけは知っていると言える作品が、まだまだたくさんあるけれど、これからどれだけ観ることが出来るのか楽しみはまだまだだ。

2014年元旦、1日過ぎれば新しい年が始まる。上手いことを考えたもんだ。チャールトン・ヘストン38才、50才にも見える老け顔だったと分かった。ソフィア・ローレン27才、若い、引き締まった顔は将来の大女優を約束するかのよう。

この映画の主人公は伝説になったエル・シドの物語。邪念なく、打算なく、無駄な殺生をしない心底人間性豊かな人物。何があっても正しいとされる信念を曲げることなく、誰からも尊敬される神のような存在。人間の生き方を教えてくれる。意思堅固な生き方こそ、せっかく生まれてきた人間の歩む道。付和雷同型の典型のような生き方を慎むべし。八方美人的へつらい人生は終わるべし。神にも恥じぬ真の道をもう一度模索すべし。

『奇跡』

2011年(平成23年)・日本 監督/是枝裕和

出演/前田航基大/前田旺志郎/林凌雅/永吉星之介/内田伽羅/橋本環奈/磯邊蓮登/オダギリジョー/夏川結衣/阿部寛/長澤まさみ/原田芳雄/大塚寧々/樹木希林/橋爪功

2011年3月の九州新幹線 (鹿児島ルート) の全線開通を機に、九州旅客鉄道(JR九州)とジェイアール東日本企画(JR東日本傘下の広告代理店)の企画により製作された。監督の是枝にとって初の「企画もの」の映画であるが、是枝自身が鉄道好きであるということもありオファーを快諾、製作に当たっては、JR側からほとんど制約を受けなかったという(実際、企画の軸となる九州新幹線そのものが登場するのは本編の最後の方だけである)。出演する子供達はオーディションにより選考され、主演となる2人には少年漫才コンビ・まえだまえだの前田航基と前田旺志郎が抜擢された。是枝は元々「鹿児島にいる男の子と、博多に住む女の子が別々にそのすれ違いを見に行って、恋に落ちる…みたいなボーイ・ミーツ・ガールの話」を想定していたが、オーディションで二人を見て台本を全面的に改稿したという。また、子役の一人・内田伽羅は本木雅弘・内田也哉子夫妻の長女で、オーディションは、応募を渋る両親を尻目に、本作に出演する祖母の樹木希林が無理矢理受けさせたという。撮影に当たっては、同じく子供を主役にした「誰も知らない」同様、脚本を子どもには渡さずに撮影を進行するという手法を採用した。

こうやって長々と Wikipedia から引用する時は、映画がひどく詰まらなかった時だ。スタンド・バイ・ミーでも意識したのであろうか、奇跡を見に小学生が旅をするシーンが。正直言うとほとんどをながら観したので、内容は良く分からない。日常生活の映像なんて、映画館で見る観客に失礼な映画だ。ながら観はもっと失礼だけれど、面白くないから仕方がないと居直ってやる。

今の子供たちと違って私の子供時代の環境は最高に近かった。毎日暗くなるまで遊んでいた。夕飯だって隣の家で食べることも多々あった。みんなでソフトボール、竹・釣り糸・針で釣り竿を作りミミズを掘って川釣り、田んぼにはザリガニ・ドジョウ、船を棹さして操る、菱の実を食べる、蓮の実を食べる、ウナギを仕掛けで取る、川で泳ぐ、番小屋を作る、椎の実・山栗・サツマイモを生で食べる、木いちごを食べる、イチジク、ぐみを食べる、蚕を手にとって気持ち悪がる、などなど、このうちのひとつでも今の子供たちは毎日の生活の遊びの中で体験しているだろうか。挙げ句の果てが今の生活では誇るものは何もないけれど。

『最後の忠臣蔵』

2010年・日本 監督/杉田成道

出演/役所広司/佐藤浩市/桜庭ななみ/山本耕史/風吹ジュン/田中邦衛/伊武雅刀/笈田ヨシ/安田成美/片岡仁左衛門

昭和33年の長谷川一夫主演映画『忠臣蔵』を観終わった後に、この映画が録画されていることを発見しさっそく観た。赤穂浪士四十七士の一人で、討ち入りに加わったメンバーの中で唯一生き残った人物寺坂信行にスポットライトを当て、討ち入り後赤穂浪士の17回忌を迎えたご時世の出来事を描いている。面白くてついつい夜更かしをして観てしまった。

討ち入り後に赤穂浪士一行が泉岳寺へ引き上げたときには寺坂の姿はなかった。討ち入り直前に逃亡したという説、討ち入り後に大石良雄から密命を受けて一行から離れたという説、足軽の身分の者が討ち入りに加わっていることを大石が公儀に憚りがあるとして逃したという説があるが、真相は不明である。映画では大石内蔵助から命を受け赤穂藩士を一人ずつ訪ね、また討ち入りの真実を後世にに伝える役目を担っていたとされる。

もう一人の主人公は討ち入り前夜に逃亡し、大石内蔵助から命を受け京都に赴き隠し子を隠れ家にかくまい育てた大石家の用人瀬尾孫左衛門。赤穂藩士からはその後も逃亡を責められ続けても、大石内蔵助との約束をひたすらに守り、一切の秘密を明かすことなく隠し子を育て上げる。使命のためには自分の命を賭して頑なに生きて行く姿が美しい。忘れかけていた意地、人間足るべき姿を思いだした。もう一度心確かに雄々しく生きて行こうと勘違いさせられたい。

『忠臣蔵』(前編・後編)

1958年(昭和33年)・日本 監督/渡辺邦男

出演/長谷川一夫/市川雷蔵/鶴田浩二/勝新太郎/京マチ子/山本富士子/木暮実千代/淡島千景/若尾文子/滝沢修

なんといっても豪華な役者陣が凄い。大石内蔵助に大映の大看板スター長谷川一夫、いいですね、今時の役者でこの役に相応しい人はいるだろうか。『忠臣蔵』の戦後映画化作品の中で最も浪花節的かつ講談調で娯楽性が高く、リアリティよりも虚構の伝説性を重んじる当時の風潮が反映されている作品であり、『忠臣蔵』の初心者が大枠を掴むのに適していると言われている。

確かにこの映画で描かれていることのほとんどを本当の話として覚えた記憶がある。吉良上野介の意地悪な陰湿ないじめがこの仇討ち劇の発端になっていると今でも信じている。総花的に描くのではなく、監督のメッセージが色濃く感じられる作品。大石内蔵助の誰にも漏らさぬ頑なな姿勢が日本人の心に合っている。ぺらぺらと嘘八百を並べ立てて自分の正当性ばかりを主張する近年の風潮は、だんだんだめになって行く日本人の心の内を象徴するかのよう。この映画を観ると当時の人々の間ではまだまだ慎ましやかで、一歩も二歩も謙って生きることが美しい所作であったと言っている。

何を言わずとも以心伝心、心底相手を慮り信頼を寄せ合いながら生きている人達は美しい。口先三寸で誤魔化しながら、さも気持ちを寄せているように振る舞う醜さには反吐が出る思いだ。オードリー・ヘップバーンも言っていた、魅力的な唇のためには、優しい言葉を紡ぐこと、と。

『相棒シリーズ X DAY』

2013年(平成25年)・日本 監督/橋本一

出演/川原和久/田中圭/国仲涼子/別所哲也/田口トモロヲ/宇津井健/木村佳乃/水谷豊/及川光博

テレビ・ドラマシリーズで人気になって、どんどん映画化して行くのは、映画界にとっていいことなのか、悪いことなのか。目の前の金に目がくらみ、不細工な男の餌食になる女の心情に似ている。先のことなど後から考えればいいやという場当たり経営が、映画業界全体をこの体たらくにした原因であることは誰でも分かっている。テレビに阿ねなければ生きてゆけなくしてしまったのは、映画業界自身の責任。

決して面白くないというのではない。ただ、映画館で大きなスクリーンで大勢の観客をエンターテインメントしたいのなら、何かが足りない。ただ漫然と話が進んで行ったって、ただそれだけのこと。

主演者をちょっと変えて目先を変化させている。観客がいつもテレビドラマを見ている人だと前提を置いている。それがテレビ文化。一作で映画の神髄を見せてくれるような映像を是非作って欲しい。出来過ぎたストーリー展開なっんて、ただ心地良いだけのお子様ランチと何も変わらない。

『北のカナリアたち』

2012年・日本 監督/阪本順治

出演/吉永小百合/森山未來/満島ひかり/勝地涼/宮﨑あおい/小池栄子/松田龍平/柴田恭兵/仲村トオル/里見浩太朗

東映創立60周年記念作品。湊かなえ原作の短編集『往復書簡』に所収された「二十年後の宿題」を原案としている。監督は阪本順治。吉永小百合の116本目の出演作品。北海道の最北端の離島で分校の小学校教師を務める主人公、6人の教え子に歌の才能を見出し、合唱を指導する事によって交流を深めていった。しかし、ある夏の日、はるが生徒たちと行ったバーベキューで悲しい事故が起き、主人公は夫を失い、子供たちは心に深い傷を負ってしまう。主人公は6人の教え子を残し、後ろ髪を引かれる思いで島を去った。

吉永小百合で面白い映画に出会うことは希。原作や脚本がしっかりしていると、こんな風に面白い映画ができるのかと改めて思う。物語が時を追って進行して行く。往々にして昔のシーンなのか今の現実なのかも分からない映像が多い中、回想シーンも頻繁に出てくる割には極めて分かり易く、ストーリーの中に観客が没頭できる。

ちょっとしたミステリーっぽい内容がいい。不満足な部分もあるけれど、充分満足しながら映画館から出て来られるだろう。監督の力が大きいのかもしれない。よくある撮影秘話やメイキング映像は10年後に見ればいい。今目の前にある作品が完成した映画なのだから、映画での苦労話など邪魔になりこそすれ、鑑賞心にはまったく必要もないことだと悟って欲しい。

『ゼロ・グラビティ』(Gravity)

2013年・アメリカ/イギリス 監督/アルフォンソ・キュアロン

出演/サンドラ・ブロック/ジョージ・クルーニー/エド・ハリス

何十年ぶりかでお金を払って映画館に入った。今年2回目の映画館。アイマックス(IMAX)3Dを初めて観た。20数年前アメリカ、グランドキャニオンにあるアイマックス劇場を観たんだけれど、撮影方式、映写方式がどう違うのか未だもって分かっていない。要は3Dなのだけれど、昔だって赤と青のめがねをかけて観る立体映画は存在した。技術の進歩で今の方式の方が遙かに優れているのだろうことは想像できるが、ディズニーランドで観たキャプテンEOと何処が違うのだろうかといった興味は凄くあった。

今年劇場で観た映画1本目はスーパーマン映画の『マン・オブ・スティール』(Man of Steel)。ひどく期待外れでがっかりしたけれど、今回もそれに劣らずがっかりした。要は面白くないのだ。初めて観る最近の3D映画が想定内なら、映画の内容は想定内以下。残念ながら3D効果を見せるための域を脱せず、これだけ3D映画全盛にもかかわらず、映画らしき映画の3Dが現れてきていないのだろうことが想像に難くない。

今や宇宙空間や宇宙船の中で無重力状態の活動をすることすら、映像を通して全世界の人が体験できる時代となった。そんな題材をメインに取り上げても、実際に無重力状態を体験できる人はわずか。一般的に現実感が伝わってこなないことが最大の問題かもしれない。現実感を求めること自体が正しいことではないが、なんか作り事の映画であるにもかかわらず夢も希望もない映像のつなぎ合わせだとしか思えないのが残念だったというはなしです。

『ビフォア・サンセット』(Before Sunset)

2005年・アメリカ 監督/リチャード・リンクレイター

出演/イーサン・ホーク/ジュリー・デルピー

『恋人までの距離(ディスタンス)』(Before Sunrise)の完璧な続編。ウィーンでの出会いから9年後。あの一夜のことを描いた小説 "This Time "を書いたジェシーは、小説のプロモーションで各地の書店を回る一環でパリの書店を訪れる。そこでインタビューを受けていた時、ふと横を見るとセリーヌが立っていた。ほほ笑むセリーヌと、驚くジェシー。ジェシーの飛行機が出るまでの短い間、二人は秋のパリを歩きながら思い出を語り合う。物語は、この二人の会話を中心に展開し、それ以外に物語に係わってくる登場人物は少ない。また、映画内の時間がほぼ現実の時間と同時進行するように作られている。主演の二人の会話の掛け合いの面白さが、特徴的な作品である。

1日だけの出会いで恋人までの距離を感じた二人だが、半年後にまたウイーンで会おうという約束は実行されず8年が過ぎてしまったという設定。前作と同じように二人の会話だけが映画の中心、ちょっと頬のこけた女性に実際の、そして映画としての年輪を感じる。

今回も偶然に会って話に弾むだけ。お互いのセックスライフのことにまで触れているが、自分たちのつきあいはそれ以上には発展しない。それは時間がないからというのではなく、会っている時間を大切にしたいかのよう。今回の原題は、彼の方がこの会った日にアメリカに戻る飛行機が待っていて、日没ぐらいまでしか時間がないという意味。男友達は肉体関係がなくてもずーっと友達でいられるが、男と女の友人関係の場合、セックスの果たす役割はどんなものなのだろう。女友達とのそんな経験のない私には神秘の世界に見える。

『恋人までの距離(ディスタンス)』(Before Sunrise)

1995年・アメリカ/オーストリア/スイス 監督/リチャード・リンクレイター

出演/イーサン・ホーク/ジュリー・デルピー

ブタペストからパリへ帰る列車の中で、フランス人女学生セリーヌはアメリカ人学生ジェシーとひょんなことから会話を始めた。途中のウイーンから翌朝飛行機でアメリカに帰る予定のジェシーは、一晩語り明かさないかと彼女を誘った。そして映画全編はほぼ二人の会話と言う映画が出来上がった。

冗談を言ったり、自分の生い立ちから前の恋人のこと、人生観などを何十年も気の合った恋人のように言葉を投げ合う。ウイーンという街を知っていれば、ドキュメンタリーのような映画にも見えてきたかもしれない。気が合うと言うことは素敵なこと、いつまででも一緒に語り合いたいという気持ちにさせられる。

こういう映画は見る側の体調がかなり影響する。今回は体調不良っぽい時期だったので、最後まで行き着くのが大変だった。心穏やかな時に見られた前回は、かなり面白い映画だと思った節がある。ほとんどが会話なので、その内容を読んでいると、面倒くささが先立ってしまったのは、体調が原因と断定したい。

『マイ・フレンド・フォーエバー』(The Cure)

1995年・アメリカ 監督/ピーター・ホルトン

出演/ブラッド・レンフロ/ジョゼフ・マゼロ/アナベラ・シオラ/ダイアナ・スカーウィッド/ブルース・デイビソン

隣の家に越してきた家族は母親と子供。アメリカ映画で良く描かれる家庭環境、母子家庭は当たり前のような世相だ。しかもこの子供はエイズを発症している。隣の家との間には木で出来た高い柵が置かれている。話し声だけで始まった主人公二人。同じような年頃、エイズの彼は言う「11才の平均身長より10cm低いだけだ」、と。明るく振る舞う隣人と遊ぶようになったのは単なる同情からではなさそうだ。

心からなのか、単なる子供心からなのか、主人公たちは無茶な冒険をして行く。それが行く先短いエイズ少年への楽しい時間のプレゼントなのかを映画は語らない。入院してしまう後半部分、ベッドの上で死んだふりをして看護婦が駆け込んできた時に跳ね起きて驚かすという悪戯をした。看護婦は呟くように「いつかこういう日が来ることは分かっていたが・・・」。二人の子供は死への確信を持たされたようだが、強くそのことを引きずる映画でもなかった。

死んで行くだろうなと予想される子供がいざ死んで、涙が自然と流れる。こういうシーンで涙が流れることは、まずなかった。年を取ったことをはっきりと自覚する。大群衆が一人の天才に歓喜熱狂するというシーンが、私の定番パターンの涙。ひとにはそれぞれの涙のシーンがあるに違いない。

『Love Letter』

1995年(平成7年)・日本 監督/岩井俊二

出演/中山美穂(二役)/豊川悦司/范文雀/篠原勝之/鈴木慶一/田口トモロヲ/酒井美紀/柏原崇/加賀まりこ/光石研

日本ヘラルド映画・ヘラルドエース配給作品。この映画を配給する時までヘラルドにいたら良かったかもしれない。そんな都合の良いことを考えたって仕方がない。第19回日本アカデミー賞にて、作品が優秀作品賞を、秋葉を演じた豊川悦司が優秀助演男優賞と話題賞(俳優部門)を、少年時代の藤井樹を演じた柏原崇と、少女時代の藤井樹を演じた酒井美紀が新人俳優賞を、REMEDIOSが優秀音楽賞を受賞した。一人二役を演じた中山美穂は、ブルーリボン賞、報知映画賞、ヨコハマ映画祭、高崎映画祭などで主演女優賞を受賞した。95年度『キネマ旬報』ベストテン第3位、同・読者選出ベストテン第1位。

最初の5分は確かに面白かったが、その後は堂々巡りのような物語で詰まらなかった。あまり好きではない映画。どうも玄人筋受けする映画は性に合わないらしい。映画テクニックはあるのだろうけれど、映画の魂が何か違う。

恋人が死んでしまうという状況は、そんなに味わえるものではない。トラウマの如く長年思いを引きずるのは分かるような気がする。監督の評価が高いが、正直言うと良く分からない。風の噂で元ヘラルドの女子社員と結婚したと聞いた。

『ベラミ 愛を弄ぶ男』(Bel Ami)

2012年・イギリス 監督/デクラン・ドネラン/ニック・オーメロッド

出演/ロバート・パティンソン/ユマ・サーマン/クリスティン・スコット・トーマス/クリスティーナ・リッチ/コルム・ミーニー

3日間もかけて見る映画ではなかった。主演の男は妙に気に入ったドラキュラ映画『トワイライト』シリーズの男だった。特徴ある顔が変わらずそのまま出ているので、キスシーンでは首筋を噛むのではないかとさえ思える雰囲気だった。タイトルのBel-Amiは"美しい男友達"の意である。美貌の青年が、女性たちを利用して栄達する姿を描く。原作は自然主義文学の典型例とされる。

映画『トワイライト』シリーズで一躍トップスターになったロバートだが、その出演料も破格の額に上がっているという。ロバートはトワイライトの最終章の『トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part1』と『トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part2』の2部作でそれぞれ2,500万ドルの出演料が約束されており、作品がヒットすればさらにプラス1,600万ドルを手にすることになるという。ハリウッドにおいて2,000万ドル以上の出演料を手にするのは、ウィル・スミスやトム・クルーズなどの『A級リスト俳優』と呼ばれる一握りの人物に限られており、若手俳優としては異例である。

若い男の顔に惚れ身体に溺れて行く有閑マダムたちの姿を見るのは久しぶり。こと恋愛に関しては男でも女でも、若者でも年寄りでもそれほど変わるところはない。どちらか一方が若く、相手が年を取っている組み合わせは、ある意味理想に近いかもしれない。異性のホルモンを浴びて暮らすことが良いことだと感じるのは、異性が目の前にいることが当たり前でなくなってからであることが皮肉だ。

『尼僧物語』(The Nun's Story)

1959年・アメリカ 監督/フレッド・ジンネマン

出演/オードリー・ヘプバーン/ピーター・フィンチ/イーディス・エヴァンス/ペギー・アシュクロフト/ディーン・ジャガー

この映画を見ている間は少しばかり敬虔な気持ちにさせられた。神に仕えるということの一端を見た気になった。とてもじゃないけれど、身近な人に尼僧がいても、お話さえ出来ないような気がする。

この映画の30年後オードリー・ヘップバーンはユニセフ親善大使に任命され、アフリカの子供を抱く写真がよく見られる。映画の中で尼僧と看護士の二役でコンゴの病院で生活する彼女の姿が、30年後にまた見られるようになるとは、彼女自身も想像していなかったであろう。

ヘップバーン30才の時の映画。まだまだ顔がふっくらとしていて、また違った愛らしさを感じる。アイドル映画ばかりのヘップバーン映画かと思っていたが、この映画は極めて真面目で身が洗われる思いがするのは、こちらになにか後ろめたい思想の問題があるからなのだろうか。

『社葬』

1989年(平成元年)・日本 監督/舛田利雄

出演/緒形拳/十朱幸代/井森美幸/吉田日出子/藤真利子/高松英郎/船越英一郎/芦田伸介/北村和夫/野際陽子/加藤武/佐藤浩市/江守徹/若山富三郎

伊丹十三の面白シリーズかと思ったら、まったく違うものだった。ちょっとしたユーモアはあるが、なかなか硬派でひとりの男の生き様を描いて凄く面白かった。舞台は太陽新聞社という特殊な会社だが、大きな会社ならこれくらいの権力闘争は日常茶飯事なのだろうな、と想像するしかない。自分の社会人生活で出来なかった大会社で働くサラリーマン、自分の目で見てみたかったな~。

東大出の人達が集う新聞社で高校出で取締役局長となった主人公、曲がりなりにも男の意地、人間の意地を見せてくれる物語が好きだ。長いものには巻かれろ的生き方は、家族のためなら何だって堂々とするけれど、曲がったことを強要されても、そこだけは譲れないと意地を張る主人公が好きだ。

所詮は単なる人生の中でのこと、何をやっても何をやらなくても時間が物事を解決してくれる。そうやって流されて生きて行く人が大半。少なくとも、生を受けたからには、自分のつたない頭で考え導き出した人間の生きる道を実践しなければ、神の思し召しに応えることは出来ない。

『カティンの森』(Katyn')

2007年・ポーランド 監督/アンジェイ・ワイダ

出演/マヤ・オスタシェフスカ/アルトゥル・ジミイェフスキ/ヴィクトリア・ゴンシェフスカ/マヤ・コモロフスカ

カティンの森事件は、第2次世界大戦中にソ連のグニェズドヴォ近郊の森で約22,000人のポーランド軍将校、国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者が内務人民委員部によって銃殺された事件。

スモレンスクの近郊にある村グニェズドヴォでは1万人以上のポーランド人捕虜が列車で運ばれ、銃殺されたという噂が絶えなかった。独ソ戦の勃発後、ドイツ軍はスモレンスクを占領下に置いた際にこの情報を耳にした。1943年2月27日、ドイツ軍の中央軍集団の将校はカティン近くの森「山羊ヶ丘」でポーランド人将校の遺体が埋められているのを発見した。3月27日には再度調査が行われ、ポーランド人将校の遺体が7つの穴に幾層にも渡って埋められていることが発覚した。報告を受けた中央軍集団参謀ルドルフ=クリストフ・フォン・ゲルスドルフは「世界的な大事件になる」と思い、グニェズドヴォより「国際的に通用しやすい名前」である近郊の集落カティンから名前を取り「カティン虐殺事件」として報告書を作成、これは中央軍集団から国民啓蒙・宣伝省に送られた。宣伝相ゲッベルスは対ソ宣伝に利用するために、事件の大々的な調査を指令した。

嘘つきソ連は、この虐殺はドイツの所業であると逆宣伝をした。映画としてどうのではなく、この事実が極めて衝撃的すぎて言葉にならない。映画の最後10分ほどは、その虐殺はこうやっておこなわれたであろうというシーンを長々と流している。有無を言わせず背後から頭を銃で打ち抜くシーンが続くと、人道の問題を遙かに超えた深い悲しみが心の奥深くから沸き上がるのを禁じ得ない。

『ヴェラクルス』(VERA CRUZ)

1954年・アメリカ 監督/ロバート・アルドリッチ

出演/ゲイリー・クーパー/バート・ランカスター/シーザー・ロメロ/ドニーズ・ダルセル/アーネスト・ボーグナイン

ちょっと一風変わった西部劇、時代は南北戦争の後、場所はなんとメキシコ。政府軍と反政府軍に加担するアメリカからの流れ者ガンマンが主人公。話は面白くないが、それなりに。一度観ているという安心感があり、適当にながら観をしてしまった。

何と言ってもゲーリー・クーパー。 ~ 両親ともにイングランド系。アイオワ州の大学で学ぶが卒業はせず[3]、両親の持つ牧場で働きながら商業デザイナーを目指して新聞に漫画を書くようになるが、両親がロサンゼルスに移ったために共に移動する。ロサンゼルスでセールスマン等の仕事に就くが長続きしなかった[5]。しかし、友人のツテでその191cmの長身を生かして1924年ごろから西部劇映画のエキストラ出演を始め、俳優を志すようになる。1925年、名前をゲイリー・クーパーと変え、1926年、『夢想の楽園』で本格的に映画デビューした。また、クーパーが小さな役で出演しているこの映画を見たパラマウント映画の製作本部長は「この男は、うしろ向きに立っているだけで女性ファンの心をつかむ」と見込んで契約した。

1927年、『アリゾナの天地』で主役を演じてからは、しばらくは主にB級西部劇で活躍した。1929年、『バージニアン』で西部劇スターとしての地位を確立する。そして翌年、マレーネ・ディートリッヒと共演した『モロッコ』で世界的な大スターの仲間入りを果たす。また、1936年、『オペラハット』でアカデミー主演男優賞にノミネートされるなど、順調にキャリアを重ねていった。また、映画館主は選出するドル箱スターベスト・テンにおいて1937年から1957年の21年もの間に、19回もランキングされていた。

『誰かがあなたを愛してる』(An Autumn's Tale)

1987年・香港 監督/メイベル・チャン

出演/チョウ・ユンファ/チェリー・チェン/ダニー・チャン/ジジ・ウォン

この映画の前年の『男たちの挽歌』(英雄本色)は衝撃的な格好良さだったチョー・ユンファ、何故かニューヨークを舞台にしたチャラ男を演じていた。舞台はニューヨークなのに中国人ばかりの登場人物で、喋っているのも中国語ばかり。香港が舞台だったとしてもまったく同じ内容の映画が作れただろう。

チェリー・チェンという女優もかなり有名のようだが、初めて映画を観た。顔立ちが愛らしくて、スクリーンでのアップに充分耐えられる女優顔。顔を見ているだけで仕合わせになれる。こういうのが女優の本来のあり方。演技がどうのという必要もない。不思議な感覚だよね、好きになってしまうとどうしようもない。

男はいつも控えめ。相手の邪魔をするくらいなら、自分から身を引いて行くことを躊躇しない。相手が何を考えているかと言うより、相手が仕合わせに振る舞っていれば、自分はあくまでも存在しない存在で充分だという位置に身を置く。そんな古い日本人気質に似た男心をあのアクションスター、チョー・ユンファが演じている。ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画配給だと記録にあるが、知らなかった。ホント#$%&”!

『虹をつかむ男 南国奮斗篇』

1997年(平成9年)・日本 監督/山田洋次

出演/西田敏行/吉岡秀隆/松坂慶子/小泉今日子/哀川翔/田中邦衛/笹野高史/星野真理/倍賞千恵子

観終わってから解説を読んでいたら、この2作しか作られなかった『虹をつかむ男』シリーズの1作目も観ていることを、かすかに想いだした。「オデオン座」という映画館の話で、「ニュー・シネマ・パラダイス」が上映されているシーンがあり、日本ヘラルド映画もクレジットに協力会社として名を連ねていた。

そんなことをすっかり忘れて観始まったが、冒頭のシーンや音楽を聴いていたらまた変な日本映画かと勘違いした。すぐに物語が面白くなりやっぱり山田洋次監督はさすがだなという思いがするのだった。三谷幸喜なんていうエセコメディー監督とは一線も二線も違う。ついつい最後まで観てしまう面白さがある。

虹をつかむ男1作目のいきさつ~『男はつらいよ』第49作のタイトルは『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』、ロケ地に高知県、ストーリー、キャスト、公開日は1996年12月28日と決まり、秋からの撮影を控えていた。しかし、同年8月4日に車寅次郎役の渥美清が死去したことにより制作が不可能になり、『男はつらいよ』シリーズは終了(打ち切り)することとなった。『虹をつかむ男』は渥美を追悼して、『寅次郎花へんろ』の公開予定日であった1996年12月28日に公開された。本作の主演は『寅次郎花へんろ』に出演予定だった西田敏行、ヒロイン役も同作でマドンナを演じる予定だった田中裕子である。さくら役だった倍賞千恵子、ひろし役だった前田吟、満男役だった吉岡秀隆の3人に至っては本作でも親子役であり、おいちゃん(3代目)役だった下條正巳、おばちゃん役だった三崎千恵子、源公役だった佐藤蛾次郎なども登場しており、寅さんファミリーの総出演と呼ばれることも多い。他にも『男はつらいよ』シリーズの準レギュラーや出演経験のある俳優が多く出演している。

『みんな私に恋をする』(When in Rome)

2010年・アメリカ 監督/マーク・スティーヴン・ジョンソン

出演/クリスティン・ベル/ジョシュ・デュアメル/ウィル・アーネット/ダニー・デヴィート/アンジェリカ・ヒューストン

日本での劇場未公開も頷けるあまりにもなんて言うことなさ過ぎる映画。男運の悪い主人公の恋愛映画と思いきや、なんとも単なるお笑い恋愛映画と呼べるような代物。途中でついつい寝てしまうのはいつものことだが、結構深い眠りに入ってしまったようで、それでも起き出してから続きを見ても何の違和感もない不思議さ。

原題にローマが入っているのは、トレビの泉に願いを掛けて投げられたコインがキーポイント、といってもおちゃらけた話なのでキーポイントなんても呼べないかも。それにしても男と女の巡り会いは不思議だ。一生会えることもない人の方が多いのは確かだが、偶然に会うことになった男と女のストーリーは、映画よりも現実の方が遙かに興味深い。

この頃は忘れられずにストーカーに変身し、殺人まで犯してしまう男がいたりする。女の写真を眺めてみると、キャバ嬢の出来損ないのような顔をして、一体この女の何処にそんなに惚れてしまったのかと、勝手な想像をする。第三者には分からない当事者だけが知っている何かが世の中を往来している。摩訶不思議な男と女の世界。

『アルバート氏の人生』(Albert Nobbs)

2011年・イギリス/アイルランド/アメリカ/フラッンス 監督/ロドリゴ・ガルシア

出演/グレン・クローズ/ミア・ワシコウスカ/アーロン・ジョンソン/ジャネット・マクティア/ブレンダン・グリーソン

19世紀、アイルランドのダブリン、ホテルのレストランで住み込みのウェイターとして生真面目に働き、常連客や他の従業員からの信頼も厚く「ミスター・ノッブス」と呼ばれていた主人公、実は女だった。設定は何歳くらいなのだろう、老人に見える容姿だが、グレン・クローズならではの映画。

女優のグレン・クローズが製作・主演・共同脚色・主題歌の作詞の4役を務めた。2011年の第24回東京国際映画祭コンペティション部門で上映され、最優秀女優賞を受賞した。第16回サテライト賞では主題歌賞を受賞した。また、第84回アカデミー賞では、主演女優・助演女優・メイクアップの3部門でノミネートされた。

観終わってしまうと、だから何なの? と冷たい印象も言いたくなるが、見ている間は凄く面白い。映画らしい映画と言える。日本映画と違ってすぱっと終わりが潔いので、もう少しその後の話も聞かせてよと、言いたくなるのは常。見ている間の仕合わせ感が生きているということの証、過ぎ去ってしまえばすべては過去の遺物、そんなことの繰り返しが人生なのだろう。

『クラウド アトラス』(Cloud Atlas)

2012年・ドイツ/アメリカ/香港/シンガポール 監督/ラナ・ウォシャウスキー/トム・ティクヴァ/アンディ・ウォシャウスキー

出演/トム・ハンクス/ハル・ベリー/ジム・ブロードベント/ヒューゴ・ウィーヴィング/ジム・スタージェス

訳の分からない映画で頭の悪い奴には向いていないのかもしれない。途中30分くらい深い眠りについてしまった。これ以上のコメントは出来ないので、以下引用する。

2004年に発表されたデイヴィッド・ミッチェルの小説『クラウド・アトラス』を原作とする。映画は19世紀から文明崩壊後までの異なる時代に舞台を置いた6つの物語をグランドホテル方式で描き、キャストは各エピソードに応じて複数の人物を演じるという、複雑な手法が取られる。異なる時代の異なる物語の断片を繋ぎ合わせて、ひとつの巨大なテーマを浮かび上がらせる意欲作だ。

ということらしい。SFは好きなはずなのにまったく興味を持てなかった。もしも理解する気があるなら3回くらい見れば、ようやく何かが分かるかもしれない。そんな気もないので、眠った部分をもう一度見ようとも思わない。この頃の海外物も企画倒れが多くて嫌になる。まだ日本映画よりは遙かに確率高く面白いけれど。

『しゃべれどもしゃべれども』

2007年(平成19年)・日本 監督/平山秀幸

出演/国分太一/香里奈/松重豊/森永悠希/八千草薫/伊東四朗

この日本映画はいい。面白かった。ストーリーが進んで行き、話が先へ先へと展開して行くのがいい。ということは、いつも言うようにおおかたの日本映画の最大欠点であるダラダラ感、饒舌感がないのがいいのだと。

香里奈は嫌いだけれど、この映画では出しゃばっていないから許そう。国分太一がなかなかいい。テレビ番組での司会者役を時々見るけれど、落ち着いていてガチャガチャ、騒がしくないところがいい。喋りも的確で、落語家の役に不自然さがない。伊東四朗もいい。八千草薫もいい。大阪から引っ越してきて関西弁しかしゃべれないという子役森永悠希もいい。松重豊も味を出している。

『一瞬の風になれ』で2007年本屋大賞に選ばれた佐藤多佳子の出世作『しゃべれども しゃべれども』を国分太一主演で映画化した純情青春ドラマ。東京の下町を舞台に、ひょんなことから“話し方教室”を始めることになった落語家の青年と、そこに通うワケありの3人を中心に、不器用にしか生きられない人々が織りなす心温まる人間模様を優しい眼差しでさわやかに綴る。監督は「愛を乞うひと」「OUT」の平山秀幸。

『愛情は深い海の如く』(The deep blue see)

2011年・アメリカ/イギリス 監督/テレンス・ディヴィス

出演/レイチェル・ワイズ/トム・ヒドルストン/アン・ミッチェル/カール・ジョンソン/ジョリオン・コイ

それなり以上の映画を期待したが、面白くない、途中でwebを調べてストーリーを確認したりしたけれど、とうとう見るのを諦めた。辛抱が足りないこの頃、心の中が壊れている。

『ハングリー・ラビット』(Seeking Justice)

2012年・アメリカ 監督/ロジャー・ドナルドソン

出演/ニコラス・ケイジ/ジャニュアリー・ジョーンズ/ガイ・ピアース/ハロルド・ペリノー/ジェニファー・カーペンター

どう考えたって四流映画だろうと、半ば諦め気味にこの映画を観始まった。予想通り汚い画面ながら少しの時間で面白さが伝わってきた。「正義」の名の下に「悪」を追放してしまう。もちろん人の命を奪うのだ。それを秘密結社のような組織が行っている。結構この手のはなしは好きだ。社会正義では解決できないことは、アウトローに任せるしかないであろう。

ヘラルド時代、チャック・コナーズがライフルを片手にワルを働く奴らを殺しまくった映画があった。試写室で観て買うか買わないかという相談だったが、私が気に入ったと言ったにもかかわらず買いではなかった。やっぱり映画を観る目はないのか、とそれもトラウマのひとつになっている。

ハングリー・ラビット・ジャンプ(空腹なウサギは跳ぶ)というのが秘密組織の中での合い言葉、邦題はそこから取っているが、原題は正義という思想を訴えたいようだ。自分たちで作った規則に縛られ、一歩も外に出られない人たちを見ると、たまにはこういう映画を見て精神をクリアにして欲しいと思ったりするのは変か。


2018年1月18日再び観たので記す。

『ハングリー・ラビット』(Seeking Justice)

2012年・アメリカ 監督/ロジャー・ドナルドソン

出演/ニコラス・ケイジ/ジャニュアリー・ジョーンズ/ガイ・ピアース

ニューオーリンズで高校教師を務めるウィルは音楽家の妻ローラと幸せな日々を送っていたが、ある日、ローラが何者かに暴行を受け負傷してしまう。病院で激しいショックに動揺するウィルにサイモンという謎の男が近づいてきて、彼に囁いた。「妻を襲った犯人を代わりに自分が始末してやろうか?」と。それは正義の名のもとに行なわれる“代理殺人”の提案だった。ウィルは衝動的にその話に乗り、“代理殺人”は実行された。しかしそれから半年後、ウィルのもとにサイモンが再び現れ、今度はウィルが“代理殺人”を実行するように迫られてしまう。(Wikipediaより)

またやらかしてしまった。観ている途中で、あれ!このシーン観たぞ、と。まったく観ていない映画だと思って観始まった映画なので、嫌になる。もっとも、この頃では観終わってコメントを書いて、webに編集する段階になって観ていたことを知るなんて言うことが珍しくなくなってきた。

この手の正義感を取り上げた映画で思い出すのは、「マッド・ボンバー」、なんどか書いているが忘れられない。自分の映画を観る目がないことを教えられた映画だった。これおもしろいじゃん、と言ったところ他のヘラルド社員は誰も見向いてくれず、結局買わないことになったという作品だった。

『世界にひとつのプレイブック』(Silver Linings Playbook)

2012年・アメリカ 監督/デヴィッド・O・ラッセル

出演/ブラッドレイ・クーパー/ジェニファー・ローレンス/ロバート・デ・ニーロ/ジャッキー・ウィーヴァー/クリス・タッカー

8ヶ月の精神病院生活から退院したところから映画は始まる。映画の主人公ばかりではなく、精神を病んでいる人がほとんどと思えるほどの現実社会でもある。どうして精神が病んでしまったのか、この映画の面白さはここにあるのかもしれない。同じようにちょっとおかしくなってしまった女性も登場して、この二人の会話を聞いていると、こちらも頭の中が混乱してくる。

解説はこうだ。 ~ 『ハングオーバー!』シリーズのブラッドリー・クーパー、『ハンガー・ゲーム』のジェニファー・ローレンス、ロバート・デ・ニーロ共演の人間ドラマ。家も仕事も妻も失った元教師の男が、同じように問題を抱えた女性と出会い、再起に賭ける姿を描く。男女の再出発を優しい視点で見つめたデヴィッド・O・ラッセル監督の名演出に、第37回トロント映画祭が観客賞を贈った感動作だ。第85回アカデミー賞では作品、監督、脚色、主演・助演男女と主要部門すべてでノミネート。ローレンスが主演女優賞を受賞した。

特に前半部分はこちらの頭がおかしくなるほどの展開。正常だと思っていた自分が、映画の中の主人公とちっとも違うところはないのではないかと思ってしまう。何が正常で何が異常なのか、誰が普通で誰が普通でないのか、そんなことを特定できるほどの人は、どこにもいないのではなかろうか。“silver lining”というのは、地上から見た灰色の雲の後ろ側で、銀色に輝く裏地のこと。転じて、悪い側面の裏側には、良い側面がある。「希望の兆し」という比喩的な意味を持つ表現。そして、「プレイブック」とは、アメリカンフットボールの用語でフォーメーションを収録してある戦略書のこと。主人公の父親が異常なほどのアメラグ・ファンで、地元フィラデルフィア・イーグルスを熱狂的に応援していて、物語の結構重要な要素になっている。邦題は意味不明。

『破線のマリス』

2000年(平成12年)・日本 監督/井坂聡

出演/黒木瞳/陣内孝則/山下徹大/筧利夫/白井晃/篠田三郎/中原丈雄/鳩山邦夫/中村敦夫/秋本奈緒美/大場久美子

malice:悪意、敵意、犯意 というクレジットが映画の始まり。なかなか軽快に、そして珍しくテンポ良く映像がスタートした。だが、しばらくするとテレビの2時間ドラマのようなちんけな方向に話が向いて行き、いつまでたっても面白い路線に戻ることはなかった。

陣内孝則なんていうオーバーアクションの見本のような芸人が役者もどきをやっていると、映画はそれだけで質が落ちる。テレビ局が流す事件の真相を編集するビデオ編集員にスポットを当てている。視聴者におもねるように映像を編集しているテレビ映像を皮肉っているようだ。

内容はそれなりの面白さがあるが、やはり映画としての重みに欠ける。表面的に世の中に問題を提起したって、所詮は犬の遠吠えと何も変わらない。

『スウィート・ノベンバー』(Sweet November)

2001年・アメリカ 監督/パット・オコナー

出演/キアヌ・リーヴス/シャーリーズ・セロン/ジェイソン・アイザックス/グレッグ・ジャーマン/リーアム・エイケン

恋愛映画ではあるが、妙にさらりとしている。11月の1ヶ月間だけの恋人よと、女が男を選び宣言するのには、普通ではない事情があった。何となく一度観ている気がしていたが、間違いなく観ていた。こういう二度目の作品に出会うことが多いこの頃、この欄を書き始めてから3年以上経つが、時の流れの速さには驚くばかり。

何かを隠して恋愛状態になることはよくあること。この映画の主人公のように致命的なことを言わずにつきあう気持ちは想像も出来ない。男の悩みを助けてあげると言いながら始まったこの月の恋愛、実は自分が生きるモチベーションを持続するためのものだったなんて。

一瞬でも分かり合えて信頼できる期間があれば、人生もまた楽しからずやということになるであろう。片想いも悪くはないが、虚しさばかりがおそってきて、毎日を耐える気力がなかなか持続できない。そんな若い頃の気持ちを思い出す。映画の中では主人公のゲイの友人たちの存在が大きい。男女関係ではない親密関係は、本当の人間つきあいの原点かもしれない。

『クヒオ大佐』

2009年(平成21年)・日本 監督/吉田大八

出演/堺雅人/松雪泰子/満島ひかり/中村優子/新井浩文/児嶋一哉/安藤サクラ/内野聖陽

1970年代から90年代にかけて、「アメリカ空軍パイロットでカメハメハ大王やエリザベス女王の親類」と名乗り結婚話を交際女性に持ちかけ、約1億円を騙し取った実在の結婚詐欺師。実在の「クヒオ大佐」について ~ 主人公のモデルとなった「クヒオ大佐」を名乗る男は戦時中に北海道に生まれ、中学卒業後に職業訓練学校へ入学。職業訓練校を卒業後東京へ上京した日本人である。容姿がコーカソイドに似ていたこともあって、いつからか髪を金髪に染めて軍服のレプリカを身にまといカタコトの日本語を使う「ニセ軍人」を名乗るようになった。その「ニセ」プロフィールは次の通り。

1.名前:ジョナサン・エリザベス・クヒオ 2.職業:アメリカ空軍特殊部隊パイロット 3.国籍:アメリカ合衆国(日本国籍も所持する、いわゆる「二重国籍」) 4.出身地・ハワイ そしてターゲットとなる女性にはこう持ちかけたという。 ・私と結婚すれば、軍から5000万円の結納金が支給される。 ・またイギリス王室からも5億円のお祝い金が出る。 ・ウェディングドレスはダイアナ妃のドレスも手がけたデザイナーに依頼して製作してもらう。 ・結婚式は故郷のハワイで盛大に行い、仲人は田中真紀子、司会はKONISHIKIに依頼して快諾してもらっている。

こうしてクヒオは女性を巧みに口説き、結婚費用を騙し取った後に「また最前線に赴かなくてはいけなくなった。仮に私が戦死してもキミには軍から莫大な額の功労金が支給される」と言い残して姿を消す。ここでようやく詐欺だったと気づくことに。しかし「クヒオ大佐」は結局逮捕され、その手口などはワイドショーなどで報じられた。刑期を終え出所した後もやはり同様の手口で女性から結婚費用を騙し取るなどし、その被害総額は約1億円と言われている。

『エリザベスタウン』(Elizabethtown)

2005年・アメリカ 監督/キャメロン・クロウ

出演/オーランド・ブルーム/キルスティン・ダンスト/アレック・ボールドウィン/スーザン・サランドン

シューズ会社に勤務するドリュー(オーランド・ブルーム)は、自らがデザインしたシューズが大失敗し、約10億ドルもの損害を出してしまい、会社をクビになる。恋愛もうまくいかず、絶望に打ちひしがれたドリューは自殺を決意する。そんな時、生まれ故郷に帰っていた父親の訃報を妹に知らされ、飛行機でケンタッキー州エリザベスタウンに向かう。ドリューは機中で世話焼きなフライトアテンダント、クレア(キルスティン・ダンスト)に出会い、そしてエリザベスタウンに住む親戚や父の友人たちと触れ合う中で、次第に生きる喜びを見出していく。

映画というものも、ただ物語をこうやって書いてしまうとアジケのないものだ。たぶん素人が映画脚本を読んだって、どんなにいい映画か分からないだろう。この欄を書き始まってからは見ていないようだったが、一度見た記憶のある映画。だが、いつも通り正確に覚えている箇所が1カ所もなかった。どこかで血となり肉となっていると信じているのは妄想か。

映画の良いところは、65歳の老人が20代の若者に戻れること。日本人でもアメリカ人になれること。成長していない老人かというとそんなこともない。一瞬だけ老人であることを忘れてしまう、忘れられるのだ。だから生きていられるのかもしれない。全部の現実が現実なら、生きて行く望みは何も見えないだろう。

『アウトロー』(Jack Reacher)

2012年・アメリカ 監督/クリストファー・マッカリー

出演/トム・クルーズ/ポーラ・ワグナー/ゲイリー・レヴィンソン/ドン・グレンジャー/ケヴィン・J・メシック

原題ジャック・リーチャーは主人公の名前。なんで人間の名前の題名がアウトローになったんだろうと思ったら、全米でベストセラーとなっているジャック・リーチャーシリーズ9作目の2005年の小説『アウトロー』(原題: One Shot)を原作としたものだということが分かった。単にいい加減な邦題をつけたわけではなかったようだ。

映画は面白い。さすがハリウッド、トム・クルーズ。トム・クルーズは製作にも加わっている。映画が当たれば、手に入れる金が半端でなくなっている。俳優も特ランクになると、ギャラは固定ではなく興行収入のパーセンテージを得られる仕組みになっている。日本の俳優など木っ端微塵、ジェット機を持てるのだから比べようもない。

カー・アクションやガン・アクションなど必要もないストーリーの面白さながら、やっぱりちょっとくらいは入れないと面白くないとでも言いたげに。トム・クルーズの特徴だった、セリフを喋る時の少し微笑んだような顔立ちが消えていた。この方がいい。なんか照れくさそうにセリフを喋るみたいに見えていたのが辛かった。

『ムーンライズ・キングダム』(Moonrise Kingdom)

2012年・アメリカ 監督/ウェス・アンダーソン

出演/ジャレッド・ギルマン/カーラ・ヘイワード/ブルース・ウィリス/エドワード・ノートン/ビル・マーレイ

こんな解説が、 ~ 『ダージリン急行』など、ユニークな登場人物が繰り広げる物語に定評のあるウェス・アンダーソン監督が、駆け落ちした12歳の男女と、彼らを心配する親や周囲の人々の滑稽な姿を描く。ビル・マーレイやジェイソン・シュワルツマンらおなじみの顔ぶれに加え、ブルース・ウィリス、エドワード・ノートンも加わり、よりユニークな作品に。

よりユニークな作品に、と書いてあるのが優しい。ホント言うと、何が何だか分からない変な映画。製作に関わっている映画人だけが楽しんで作った映画に見える。この頃こんな風な訳の分からない映画に出くわす確率が高くなってきた。どこが面白いのだろう。

主人公たちの大半はボーイスカウト。馴染みのないこの世界が面白可笑しく描かれているが、知らない世界なので何が皮肉なのか何が真実なのかも伝わってこない。見続けるのが苦痛だった。こんな映画も珍しい。

『ジャンゴ 繋がれざる者』(Django Unchained)

2012年・アメリカ 監督/クエンティン・タランティーノ

出演/ジェイミー・フォックス/レオナルド・ディカプリオ/クリストフ・ヴァルツ/ケリー・ワシントン/サミュエル・L・ジャクソン

タランティーノの映画は観ていて気持ちいい。ぐずぐず言わせず、かたっぱしから片付けて行く。チャンバラ映画でひととき物まねでも人気のあった上田吉二郎のセリフ「ガタガタいうんじゃねぇ~!」を思い出した。時は1858年南北戦争の2年前、場所はテキサスのどこか、というクレジットで映画は始まって行く。

主人公は奴隷の黒人、今では誰も口にしない「ニガー」という言葉が乱発される。歯医者だがここ5年間は賞金稼ぎに転じていたドイツ人に助けられて、繋がれざる者の身となった主人公。町へ行けば馬に乗ったニガーなど見たことがない、と全員から批難される。酒場に足を入れることさえ許されない身分であったようだ。奴隷制度が堂々とまかり通っていた時代、ニガーは頭蓋骨さえ白人とは違うと罵られている。こういう明白な人種差別があったからこそ、今のアメリカにおける人権尊重主義が受け継がれているのだろう。

それにしても簡単に人を銃で殺してしまう監督だ。有無を言わせないところが気持ち良いのは確か。アメリカでのプレミア上映は2012年12月14日を予定していたが、サンディフック小学校銃乱射事件の影響を受けて中止された。主人公が拷問を受け逆さづりにされ、「タマを切ってやろうか!」と脅されるシーンがあるのだが、肝心の「タマ」にぼかしが入っていて、セリフが虚しく聞こえる。ただ見えたからと言ってボカすのが日本の文化、こんなシーンで「タマ」がわいせつ物と認定され、誰が欲情を催すというのだろうか。

『モンテ・ウォルシュ』(MONTE WALSH)

1970年・アメリカ 監督/ウィリアム・A・フレイカー

出演/リー・マーヴィン/ジャンヌ・モロー/ジャック・パランス/ミッチ・ライアン/ジム・デイヴィス

久しぶりの西部劇。カウボーイも職がなくなりかけてきた時代、主人公はカウボーイ以外出来ることがないと、牧場の仕事にひたすら携わっていた。人望が厚い。西部の町にも資本とかいうやつが入り込んできて、馬にも乗れない連中が牧場を経営していると嘆く。なんか今の日本、いや世界中でも同じような光景を見るようだ。

特に大きな事件が起こるわけでもなく、カウボーイの日常生活が淡々と描かれる前半。もしかするとコメディー西部劇ではないかと思えるような進行。でも喜劇ではない。いざ安住の地で結婚までも考える頃になると、友人は無情に殺され約束していた女性は病気で死んでしまった。皮肉なものだな人生は、といつの時代にも。

おとなしい西部劇が、かえって人生を考えさせる。分かりかけてきた頃に人生はドン詰まり、昔を後悔したって懐かしんだって、もう目の前にある現実を受け入れなければならない。それが人生というものさ、と輪廻転生の世界観がこんなところにも。

『LOOPER/ルーパー』(Looper)

2012年・アメリカ/中国 監督/ライアン・ジョンソン

出演/ジョゼフ・ゴードン=レヴィット/ブルース・ウィリス/エミリー・ブラント

こんなくだらない映画を観るために生きているわけではない。いつも言っている「この映画を観ないで死んでしまう人もいるんだろうな。」と映画の良さを訴えているが、絶対観なくてもいい映画もあることは確かだ。SFということで期待して観始まった裏返しが怖い。2044年とかタイムマシンとか、未来の自分と対峙するとか、下手くそな映像が眠気を誘う。いろいろな映画祭の賞の対象になっているのに驚いた。中国嫌いだから面白くないと言っているつもりはない。

ストーリー ~ 舞台は2044年のカンザス州、ジョーは未来の犯罪組織の依頼で過去にタイム・トラベルしてくる標的を処理する殺し屋、通称「ルーパー」だ。しかしある依頼で処理することになったのは、30年後の未来からやってきた自分自身だった。未来の自分を殺せずに取り逃がしてしまったジョーは、彼が標的にしている相手が30年後に未来の犯罪王「レインメーカー」となる幼い子供であることを知る。

公開 ~ アメリカ合衆国では2012年9月28日に公開。映画の制作会社であるエンドゲーム・エンターテイメントは2011年5月のカンヌ国際映画祭でフィルム・ディストリクトと交渉し、トライスター・ピクチャーズを通じて、アメリカ合衆国で公開される。中国での公開時にはペーシングを理由により本来カットされたいくつかの上海の数シーンが追加される。この働きは、中国の観客にさらにアピールするために中国の製作会社であるDMGエンターテイメントによって要求された。2012年9月6日に第37回トロント国際映画祭のガラ・プレゼンテーションに選ばれ、オープニング作品として上映された。

『レッド・ライト』(Red Lights)

2012年・アメリカ/スペイン 監督/ロドリゴ・コルテス

出演/キリアン・マーフィー/シガニー・ウィーバー/ロバート・デ・ニーロ/エリザベス・オルセン/クレイグ・ロバーツ

こういう映画だ。 ~ 大学で物理学を教えるマーガレット・マシスンと助手のトム・バックリーは、超能力の存在を疑問視する立場からその科学的な解明を行ない、巷で“超能力者”と呼ばれる者たちの嘘を次々と暴いていた。ある日、40年前に一世を風靡し、その後表舞台から姿を消していた伝説の超能力者、サイモン・シルバーが活動再開を宣言した。トムはマーガレットにサイモンの調査を進言するが、彼女はかつてサイモンと対決して敗れた苦い過去から、トムに自制を求める。しかし、トムは忠告を振り切って、単独でサイモンの調査を始める。すると、それを境にトムやマーガレットの周囲で不可解な現象が次々と起こり始める。

シガニー・ウィーバーとロバート・デ・ニーロが出ている割には、地味に見える映画。シガニー・ウィーバーは大学教授、エイリアン退治の次は“インチキ超能力者退治”とやっぱり強い女性を演じている。ちょっと仕掛けがハリウッドっぽく派手な雰囲気がなく、何かが足らない。

超能力なんて信じる人の周りにしか起こらない。一時テレビでバトルを展開した大月教授の姿を思い出す。まったくそんな感じで彼女もインチキ能力を暴いてゆく。テレパシーなんかないとはっきりと断定する。今日の運勢はいいのかな、なんてお遊びで毎日の潤いを求めているうちは可愛いもんだ。あくまでもエンターテインメントのショーとして人生を楽しめれば、それはそれで良しとしよう。


2019年1月18日再び観たので記す。

『レッド・ライト』(Red Lights)

2012年・アメリカ/スペイン 監督/ロドリゴ・コルテス

出演/キリアン・マーフィー/シガニー・ウィーバー/ロバート・デ・ニーロ/エリザベス・オルセン

一度観ている。相変わらず最初のシーンからしばらくは、「観たことないなぁ~」なんてつぶやきながら観ていた。いつも新鮮で嬉しいことだが、他人と映画の話をするとみんながよくストーリーや役者のことを覚えているのとに驚いてしまう。

大学で物理学を教えるマーガレット・マシスンと助手のトム・バックリーは、超能力の存在を疑問視する立場からその科学的な解明を行ない、巷で“超能力者”と呼ばれる者たちの嘘を次々と暴いていた。ある日、40年前に一世を風靡し、その後表舞台から姿を消していた伝説の超能力者、サイモン・シルバーが活動再開を宣言した。トムはマーガレットにサイモンの調査を進言するが、彼女はかつてサイモンと対決して敗れた苦い過去から、トムに自制を求める。しかし、トムは忠告を振り切って、単独でサイモンの調査を始める。すると、それを境にトムやマーガレットの周囲で不可解な現象が次々と起こり始める。(Wikipediaより)

これからおもしろくなるというところで眠りにおちた。一度観たことがあるという安心感がそうさせたのだろう、という嘘を平気でつけるほど肝っ玉は据わっていない。それも相変わらず。人間の魂はそんなに簡単には変わらない。そう、凄く残念なことだけれど、一人の人間の一貫性は良くても、悪くても、変わりようがないところが人間なのだ。

『KT』

2002年(平成14年)・日本 監督/阪本順治

出演/佐藤浩市/キム・ガプス/チェ・イルファ/筒井道隆/香川照之/原田芳雄/柄本明/光石研/麿赤兒

1973年に起こった金大中事件を題材にした映画。その当時はニュースで報じられていたが、今ほど政治世界に興味を持っていなかったので、ただそういう事件があったとだけしか記憶していない。1971年4月に行われた韓国大統領選挙は僅差で朴正熙の三選が決まり、敗れた野党候補の金大中は、朴正熙大統領の地位を脅かすことが明らかとなった。金大中は日本を訪れるが、その時朴大統領は非常戒厳令を宣言し、反対勢力の弾圧に乗り出した。追われる金大中と追う当局の戦いが始まる。

映画は三島事件から始まった。1970年(昭和45年)11月25日、三島由紀夫は前年の憂国烈士・江藤小三郎の自決に触発され、 楯の会隊員4名と共に、自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪れて東部方面総監を監禁。その際に幕僚数名を負傷させ、部屋の前のバルコニーで演説しクーデターを促し、その約5分後に割腹自殺を遂げた。また、1973年(昭和48年)吉永小百合がが今日結婚式があるというテレビの声も響いて、時代の風潮を伝えようとしている。

金大中拉致事件は、1973年8月8日、大韓民国(韓国)の政治家で、のちに大統領となる金大中が、韓国中央情報部(KCIA)により日本の東京都千代田区のホテルグランドパレス2212号室から拉致されて、ソウルで軟禁状態に置かれ、5日後ソウル市内の自宅前で発見された事件である。ドキュメンタリー風に映画は作られている。中薗英助の『拉致-知られざる金大中事件』を原作としている。この手の映画はハリウッドの足下にも及ばない。残念ながら緊迫感と迫力に欠ける。いつもそう思うけれど、お金をふんだんにかけなければ、映画というスクリーンには満ち足らないものができてしまう。

『コンフィデンスマン/ある詐欺師の男』(THE SAMARITAN)

2011年・アメリカ 監督/デイヴィッド・ウィーヴァー

出演/サミュエル・L・ジャクソン/ルーク・カービー/ルース・ネッガ/トム・ウィルキンソン/ギル・ベローズ/アーロン・プール

サブタイトルが主人公の職業を言ってしまっている。25年の刑期を終えて出てきたばかりの主人公に、刑務所時代には想定していなかったもろもろの出来事が襲いかかってくる。登場人物を極力抑えながら、ミステリー・アクション要素を取り入れた結構面白い映画。原題 SAMARITAN、よきサマリア人(good Samaritan);((しばしばs-))困っている人の真の友。

ハリウッド・アクションとは一線を画したおとなしい中にも芯のある映画、とでも言えようか。禁じ手と思えるような設定を作り出しては、ミステリー部分を面白くしている。ただ予算がなさそうな雰囲気が、映画の厚みを作り出していない。物足らないのはそういうところなのだろう。

詐欺に引っ掛かる人たちの根性が分からない。ボケや病気なら仕方がない。お金がなければ、そんな魔の誘いにも応じようがないはずなのだが、なまじお金を持っていると簡単に詐欺まがいのことに陥れられてしまう。ざま~みろ!と言ってやりたい気持ちがいっぱいだ。

『ステキな金縛り』

2011年・(平成23年) 監督/三谷幸喜

出演/深津絵里/西田敏行/ 阿部寛/中井貴一/竹内結子/山本耕史/浅野忠信/市村正親/草彅剛/小林隆/KAN/小日向文世/深田恭子/戸田恵子

三谷幸喜作品だと分かっていたら、まず観なかっただろう。どうも笑いのツボが違いすぎて、彼がテレビ画面に出てきただけでチャンネルを変えてしまうくらいだ。たまたま観始まってからそのことを知った時には、ドタバタはちゃめちゃ喜劇志向映画としては、まずまず面白かったのでそのまま観ることにした。これだけ毛嫌いしている思考が受け入れられるとは、自分でも驚くくらいだ。

身の回りの社会にだって相性の悪い人に出会うことも多々ある。お互い様だけれど、こちらが嫌いな人はだいたい向こう様も嫌いだと思っているが、そのことについてちゃんと話したことがないので、もしかするとこちらの思い過ごしかもしれない。

頭の良い悪いは関係ないはずだけれど、頭の悪い奴は何も確かめないで勝手に自分がだめな奴だと思い込んでいる。自分は嫌われ者だと思い込んでいる。そういうところが頭の悪い奴だと言うのだけれど、鶏と卵のようにどっちが先なのかは分からない。意地悪の人もそう。意地悪いことを自慢したり、自分は分かっていて意地悪しているんだと、嘯く人は、結局は頭の悪い人。もうちょっと頭が良くなれば、他人に対して無条件に優しくなれるはずなのだが。

『細雪』

1983年(昭和58年)・日本 監督/市川崑

出演/岸惠子/佐久間良子/吉永小百合/古手川祐子/伊丹十三/石坂浩二/三條美紀/小坂一也/細川俊之/江本孟紀/横山道代

ちょうど30年前の映画、原作は谷崎潤一郎。4姉妹という設定が楽しい。豪華キャストで俳優の顔を見ているだけでも時代の風を感じる。内容は別にどぉってことないが、京都の風景、風情、美しい着物、着物姿を見ているだけで、日本映画の良いところがたくさん見られるような気がする。140分と長編なので、途中またうつらうつらと。

エピソードを。当初、長女蒔岡鶴子役は山本富士子に主演依頼をしていたが山本が舞台中心に活動していたため断られた為市川崑監督が岸に出演を国際電話で依頼、「恵子に似合わない役だけど頼むよ」と懇願されて引き受けたエピソードを岸恵子自身が市川崑監督を偲ぶ会で披露した。古手川祐子の入浴シーンも湯気の上がり方が気に入らないと3回撮り直すなど監督の拘りが随所に表れている。でも胸に巻かれたタオルの一端が見えて、日本女優のプロ根性のなさが。

吉永小百合は38歳、女盛りの真っ最中という雰囲気。一番自然体で映画に出ていた時期のような気がする。みんな若い。江本孟紀がどういういきさつでこの映画に出演したのか分からないが、意外と良い味を出しているので驚いた。外国人が日本文化に触れる入り口の映画として紹介したいような。


2016年11月21日に再び観たので記す

『細雪』

1983年(昭和58年)・日本 監督/市川崑

出演/岸惠子/佐久間良子/吉永小百合/古手川祐子/伊丹十三/石坂浩二/岸部一徳

前回観たのはいつのことだったのだろうか。今回観始まって、まったく違和感がなかったのはいつものことかもしれない。凄く新鮮に観られることが嬉しい。が、時々、あれっ!このシーン、う~ん、という瞬間が何回かあった。観終わって調べ直すと、この欄にまさしく書かれていて、ちょっと納得。

こういう文芸大作作品を映画化するのは業界にとっても絶対必要なことだろう。今なら誰と誰がこの4姉妹を演じるだろうと興味津々。こういう映画にキャスティングされることは役者としての誇りだろう。あるいは、こういう映画に出演できることが役者としての目標になるのかもしれない。

美しい日本の着物や風景を充分過ぎるほどに表現できるこういう映画はいい。画面からは想像出来ないほどの準備、下ごしらえ時間がさかれていると察することが出来る。「東宝創立50周年記念映画」と銘打つことが伊達ではないことも証明されていた。

『デタッチメント 優しい無関心』(Detachment)

2011年・アメリカ 監督/トニー・ケイ

出演/エイドリアン・ブロディ/マーシャ・ゲイ・ハーデン/ルーシー・リュー/ジェームズ・カーン/クリスティーナ・ヘンドリックス

日本では劇場未公開もちょっと頷ける気がしないでもないが、こういう映画を劇場公開して世に問わなければならない仕事が配給会社の本来のやらなければいけないこと。学校崩壊、親の子供への無関心、過剰なモンスターペアレント、未成年による売春、教師のストレス、などが描かれている。なかなかの映画。

舞台は現代のアメリカだが、日本ばかりか世界中共通の学校問題だろう。日本の先生がこの映画を観て何と言うのか。何を考えるのか。何も役にも立たないというのか。すごく興味のあるところ。日本のテレビドラマでありがちな熱血教師の成功物語ではない。人間は誰も悩みを抱えているという基本姿勢が、この主人公教師にはある。いつも臨時教師を務め、常勤教師がくると去って行かなければならない運命がある。自らも幼い時の母親の死のトラウマに悩まされながら、生徒に向かっている。

生徒に触れることさえ許されないアメリカの教師。サブタイトルの邦題は、そこのところを皮肉っているよな気がする。仕事と割り切って深く関係を持たないことが良いことなのかと悩む主人公の姿がある。この映画をヒットさせて、一人でも多くの教師にこの映画を見せたい。少しは世の中に問題提起できるだろう。いつまでも腫れ物にでも触るような学校問題を、目の前に引きずり出さなければいけない。結論を言っているわけではないこの映画を観て、何も教えてくれていないじゃないかと嘆く教師たちがちらつかないわけではないが。

『テイク・ディス・ワルツ』(Take This Waltz)

2011年・カナダ 監督/サラ・ポーリー

出演/ミシェル・ウィリアムズ/セス・ローゲン/サラ・シルバーマン/ルーク・カービー

Wikipedia によれば、コメディー映画だと記載されているが、それはきわめて失礼な決めつけ。もっと奥深い女性の心の内を描いてあまりない映画だ。あえてジャンルなど必要ない。主人公の心の内、幸せな結婚生活をしていることに間違いないのだが、何かが足らない。といつもの瞬間に感じてしまう。その何かが何なのかは分からない。毎日毎日楽しいはずなのに、ふと何かを求めている心がある。誰にでもどこにでもある心を映像化するのは難しい。でも言わんとしているところは、ぼんやりと分かるような気がする。退屈だけれど何か惹かれる映画。新しいことも、時間が経てばまた古い慣習のひとつでしかない、と人生の何かを教えてくれているよう。主役のミシェル・ウィリアムズが可愛い。作中でヌードになったことの多い女優であり、『ブロークバック・マウンテン』、『ブローン・アパート』でバストトップを披露しており、この映画では役作りのため体重を増加し、アンダーヘアも披露しているはオマケ。原題の意味が観終わっても分からない。

フリーライターのマーゴ(ウィリアムズ)は、取材で訪れた地でダニエル(カービー)という青年と出会う。帰りの飛行機からタクシーまで一緒になったダニエルはマーゴの向かいの家に越してきたばかりだという。マーゴは結婚5年になる夫ルー(ローゲン)と一見幸福な結婚生活を送っているが倦怠期気味であり、その満たされぬ気持ちからダニエルに急速に惹かれて行く。一方のダニエルもマーゴに惹かれて行くが、2人はキスすら交わすことなく、プラトニックな関係を続ける。しかし、想いを抑え切れなくなったダニエルはある朝突然引っ越して行ってしまう。それを黙って見送るマーゴの姿を目撃したルーは全てを察する。マーゴに別れを告げられたルーは激しいショックを受けるもののマーゴを優しく送り出す。マーゴはダニエルの後を追い、2人は新居で暮らすようになる。しかし、はじめは激しく愛し合った2人だったが、しばらくしてダニエルとの関係もかつてのルーとの関係のようになり、マーゴは一抹の寂しさを感じるようになる。そんなある日、ルーの姉で親友のジェリーがアルコール依存症を再発して起こした騒動をきっかけに、マーゴは久しぶりにルーと再会する。仕事は順調だが恋愛はしていないと言うルーにマーゴの心は揺れるが、ルーはマーゴへの未練を残しながらも「終わったこと」とマーゴを見送る。マーゴはかつてダニエルとのデートで乗った遊園地の乗り物に1人で乗る。

『最終目的地』(The City of Your Final Destination)

2009年・アメリカ 監督/ジェームズ・アイヴォリー

出演/アンソニー・ホプキンス/ローラ・リニー/シャルロット・ゲンズブール/オマー・メトワリー/真田広之

眠ってしまって(いつものことだが)コメントするのが1日遅れてしまった。よくよく見直したら、眠ってしまう方が悪いことが明らかになった。台詞が多くて話が進まなかったと見えたのは前半の部分で、ちょっと我慢していれば物語は大きいな流れのように緩やかに動いていた。

ピーター・キャメロンの同名小説を原作としているが、監督のご指名で原作では韓国人だったのを真田広之が日本人として演じている。アンソニー・ホプキンスに15歳の時拾われてから25年間、彼の愛人として生活しているという役はちょっと気持ち悪いが仕方がない。よくある設定なのだが、40歳の日本人とアメリカ人の老人とのゲイ関係は、想像したくもないが、それが主題ではないのでほっとする。

こういう映画を観ていると、人生の奥深さをあらためて感じることになる。今までは良かったと思えることも、違う世界の人々に出会うことによって、見事にその価値観は覆され、今までは見えなかった何かが出現してくる。結局は死ぬ時になっても、その人の人生が正しかったかどうかなどを問うことすら正しいことではないということかもしれない。

『サンセット大通り』(Sunset Boulevard)

1950年・アメリカ 監督/ビリー・ワイルダー

出演/グロリア・スワンソン/ウィリアム・ホールデン/エーリッヒ・フォン・シュトロハイム/バスター・キートン

ロサンゼルス郊外の豪邸を舞台に、サイレント映画時代の栄光を忘れられない往年の大女優の妄執と、それが齎した悲劇を描いたフィルム・ノワールである。公開当時から批評家たちの評価も高く、同年のアカデミー賞11部門にノミネートされたが、対抗馬であった『イヴの総て』相手に苦戦し結局3部門での受賞に留まった(『イヴの総て』は計6部門受賞)。現在ではアメリカ映画を代表する傑作と見なされており、1989年に創立されたアメリカ国立フィルム登録簿に登録された最初の映画中の1本である。 ~ Wikipediaより

ウィリアム・ホールデンは1950年代のハリウッドを代表するスター。1939年のデビュー作『ゴールデン・ボーイ』で早くも注目される。当時は“赤ん坊のような笑顔を持った隣家のお兄ちゃん”と呼ばれ、アイドルスターとして売り出した。この映画でアカデミー主演男優賞にノミネート、この一作でそれまでのアイドル路線から脱却し演技派スターへと変化を遂げてスターダムを駆け上がる。その後は1950年代を通じて興行的に最も信頼できるスターと称され、数々のヒットを飛ばし、『第十七捕虜収容所』、『戦場にかける橋』、『鍵』、『騎兵隊』、『喝采』、『麗しのサブリナ』、『ピクニック』、『慕情』と、世界映画史を代表する名作・ヒット作に出演し大活躍。常に人気も上位にランクインしていた。

「世間から忘れられたという事実を受け入れられず、およそ実現不可能だと思われるカムバックを夢見るスター気取りの中年女優」という役柄が忌避されてか、主演のノーマ・デズモンド役の女優選びは非常に難航した。引退していたグレタ・ガルボに最初のオファーが出されたが、彼女は復帰にさして興味を示さなかった。次のメイ・ウエストは「サイレント映画時代の大女優の役をするには自分は若すぎる」と断った。他にメアリー・ピックフォードやポーラ・ネグリの名前も挙がったが、二人ともストーリーラインや役柄を嫌がり辞退、最後に伝説的なサイレント映画時代の大女優グロリア・スワンソンを、監督であるビリー・ワイルダー自身が説得することで何とか撮影にこぎつけることができた。当初スワンソンはあまりに大物過ぎて、ワイルダーたちも彼女がオファーに応じるとは思っていなかったという。スワンソンは期待通りにノーマ役を演じ、作品の評価を確固たるものにした。昔の映画はみんな面白いという言い方は間違いで、昔の中でもいい映画だけが残って今でも観ることが出来る。

『しあわせのパン』

2012年(平成24年)・日本 監督/三島有紀子

出演/原田知世/大泉洋/森カンナ/平岡祐太/光石研/八木優希/中村嘉葎雄/渡辺美佐子/あがた森魚/余貴美子

好きですねこの映画。日本映画の特徴であるゆったりずむの上を行くような流れながら、その穏やかさがすごく心地よく気持ちがいい。東京から北海道の洞爺湖の畔に移り住み、小さなオーベルジュ式のパンカフェ「マーニ」を営む夫婦と、そこに訪れる客たちとのふれあいが描かれている。出来立てのパンの香りや暖かさ、新鮮な野菜の色が、レシピ本の写真のように色鮮やかにスクリーンに映し出される。大泉洋がいい。飄々としているという簡単な形容ではなく、役者としてひとつの大きなアドヴァンテージを生まれながらにして持っている人間に見える。

映画の終わりに流れる主題歌がまたいい。この歌、矢野顕子 with 忌野清志郎の「ひとつだけ」にインスパイアされ、監督が本作の脚本を書き下ろしたという。映画宣伝のキャッチコピーは「わけあうたびに わかりあえる 気がする」、中国人にも韓国人にも絶対分からない「何も言わなくてもわかり合える心」が上手く描かれていて、日本人はもともとこうだったんだよな、と古い日本人の心を思い出させてくれる。

アスミック・エースが制作にも絡み配給をしている。ヘラルド・エースとして1981年(昭和56年)に創立された会社が、いろいろな変遷を経て未だ生き残っているのが嬉しい。ヘラルド・エース時代は、南極物語、瀬戸内少年野球団、 乱、Love Letter、エースピクチャーズ時代はスワロウテイル、失楽園、リング、らせん、の制作や配給に関与している。映画の面白さを伝える会社だ。

『ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋』(W.E.)

2011年・イギリス 監督/マドンナ

出演/アビー・コーニッシュ/アンドレア・ライズボロー/ジェームズ・ダーシー/オスカー・アイザック/リチャード・コイル

1936年1月のジョージ5世の死後、独身のまま「エドワード8世」として王位を継承したエドワード(エドワード・アルバート・クリスチャン・ジョージ・アンドルー・パトリック・デイヴィッド・ウィンザー)とウォリスの「王冠を賭けた恋」として知られる結婚騒動を描いたもの。ほとんど実話に基づいて作られているようだ。なんと監督はあのマドンナだった。くそ面白くないこの映画はどこまで進んでも面白くならなかった。国王と愛人の話に、現代ニューヨークに暮らすひとりの女性の物語を交錯させているものだから、訳が分からず映画関係者だけが独りよがりの喜びに浸っている映画に見えた。マドンナの歌は嫌いではないが、この監督作品はいただけない。

映画の話よりも以下に引用するこの二人の物語を簡単に読んだ方が、映画全編を見るより明らかに面白い。 ~ ウォリスは、ボルティモアの社交界にデビュー。彼女は抜群の美貌ではなく、また小柄だったが、お洒落や会話術、ダンスなどに人一倍の努力を払っていたこともあって、男性たちを魅了、ボーイフレンドに恵まれており、常々「金持ちで、いい男を見つけて結婚するのが夢なの」と周囲に語っていたという。1916年にアメリカ海軍の航空士官ウィンフィールド・スペンサー・ジュニア中尉と結婚したが、夫のアルコール依存症に起因するDVと女癖の悪さに耐え兼ね離婚。1928年には、ニューヨーク生まれの船舶仲介会社社長のアーネスト・シンプソンと結婚した。

シンプソン夫妻を王太子エドワードに紹介したのは、当時の王太子の愛人であった、ファーネス子爵夫人テルマであった。1931年1月に、夫人の別荘で催されたパーティーにおいて二人は出会い、ウォリスは王太子に一目惚れし、同年6月にはバッキンガム宮殿で開かれた王太子の父ジョージ5世の謁見に夫妻揃って参内した。夫人がニューヨークに出かけた1933年の冬頃、ウォリスは王太子の新しい愛人となった。以降の2年間は、王太子から夫妻揃って幾度となくロンドン郊外の王室所有の別荘に招待される様になったが、王太子は次第にウォリスにのみ極端に緊密に接するようになり、ウォリス自身もその様な王太子にますます惹かれていった。その後の王太子は、外遊には必ずウォリスを同伴させ、高価な宝石などを好きなだけ買い与え続け、王太子の邸宅で同棲するにまで至った。一方ウォリスの夫シンプソンにも当時愛人がおり、シンプソンは妻と王太子のこのような行状をほぼ黙認していたといわれる。この2人の恋を、当時の『ニューズウィーク』誌は「さまざまな人種、階級、宗教からなる世界の5億人を統治する者が、アメリカ人と結婚しようとしている。その女性は個性的な魅力で、無名の一族から世界最強の王座へと登り詰めようとしている」(1936年12月12日号より)などと記している。

『マイ・ビューティフル・ランドレット』(My Beautiful Laundrette)

1985年・イギリス 監督/スティーヴン・フリアーズ

出演/ゴードン・ウォーネック/ダニエル・デイ=ルイス/サイード・ジャーフリー/ローシャン・セート

アル中の父親と共にロンドンに住むパキスタン系のオマルは、イングランドも政治も好きではなかった。一方、ロンドンで成功する実業家の叔父ナーセルは、オマルの父親に頼まれ、コインランドリーの経営をオマルに任せるようになる。ある日、右翼の人種差別者たちから車を壊されそうになったオマルは、その中に旧友のジョニーを見つける。ジョニーによって難を逃れたオマルは、赤字経営のコイン・ランドリーをジョニーと共に経営するようになる。 ~ Wikipediaより

全米映画批評家協会賞脚本賞受賞。ニューヨーク映画批評家協会賞脚本賞および助演男優賞受賞。この手の映画はその良さがよく分からない。ストーリーもいまいち繋がっていないので、何を語ろうとしているのか知りたくなってしまう悪さがある。この映画は何を言いたいですかと尋ねる質問が最悪であると思っているのにである。

現役時代、海外出張の際ホテルのランドリー・サービスをよく使った。いつも一緒だったアメリカ籍の日本人サム・難波さんにパンツまで洗濯に出せばいいよ、と教えられて実践していた。電話をかけて洗濯物があるよと言いたいのだけれど、発音が上手く出来ずいつも苦労していたことを思い出した。laundry:カタカナで書くと「ローンドリー」てな発音なのだが、どうにも上手くいかなかった。

『みんなで一緒に暮らしたら』(Et si on vivait tous ensemble?)

2012年・フランス・ドイツ 監督/ステファン・ロブラン

出演/ジェーン・フォンダ/ジェラルディン・チャップリン/ダニエル・ブリュール/ピエール・リシャール/クロード・リッシュ

DVDのえづらと題名を見てイタリアの陽気な大家族物語だろうと、勝手な想像をした。始まったらいきなりフランス語で、想像はすぐに外れた。物語がまた意外だった、というか、これから映画の中で同じようなシーンをたくさん見そうな題材だった。身につまされる老人の日常生活問題だ。

舞台はパリ郊外、歳は75才前後だろうか、二組の夫婦と独身男が一人、合計5人の老人が日頃の話題の中からいっそのことみんなで一緒に暮らそうか、という提案が出てきた。けれども、なかなかそんな生活に踏み切れないでいた5人、なんだかんだあったけれど5人の共同生活が始まった。もちろんいろいろな出来事が起こるのが映画の見せ所、老人には禁句の性の話などもフランスらしい粋な会話で盛り上げてくれる。

ジェーン・フォンダはニューヨーク出身のアメリカ人だがフランス語が上手い。女優になる前にパリに滞在していたこともあったり、1965年から8年間フランス人映画監督のロジェ・ヴァディムと結婚していたという実生活があったおかげなのだろう。老人問題は世界的な課題、また戦争でも起きなければ一気にこの問題を解決する地球とはならないのかもしれない。

『声をかくす人』(The Conspirator)

2010年・アメリカ 監督/ロバート・レッドフォード

出演/ジェームズ・マカヴォイ/ロビン・ライト/ケヴィン・クライン/エヴァン・レイチェル・ウッド/ダニー・ヒューストン

何の気なしに手に取ったDVDが思いがけず面白かった。監督がロバート・レッドフォードだということを見終わってから知ったが、彼はなかなかいい映画を作り続けていて、役者よりも監督の方が評価が高いかもしれない。『普通の人々』(Ordinary People・1980年)、『リバー・ランズ・スルー・イット』(A River Runs Through It・1992年)、『モンタナの風に抱かれて』(The Horse Whisperer・1998年)、『バガー・ヴァンスの伝説』(The Legend of Bagger Vance・2000年)などなど。

リンカーン大統領暗殺事件に関与したことでアメリカ合衆国連邦政府史上初めて死刑となった女性であるメアリー・サラットが描かれれている。この暗殺事件は、南北戦争の最末期、1865年4月14日金曜日(聖金曜日)午後10時頃に起きた最初のアメリカ大統領暗殺であった。下宿屋の経営者だったこの女性は、暗殺犯たちの密会場所を提供したかどで共犯の疑いをかけられたのだった。もう一人の主人公は彼女を弁護する若き弁護士、直前まで南北戦争に加わり名誉の負傷をして戻ってきたばかりだった。

国の威信をかけて裁判をした結末は全員死刑、よく言う結果ありきの裁判で何をやっても国の力で強引に有罪へと向けられてゆく。この時代のアメリカでの個人と国との関係がうまく描かれている。むなしくて嫌になるほど個人の力の及ばないところが悔しい。時の政権に異を唱える人たちの原点を見る思いがする。実話ではあるが、映画の言うような真相が本当だったのかどうかは分からない。分からないまでも、こと国が出てきたらいつの時代でも個人など蟻の遠吠えにもならないことがよく分かった。

『ねらわれた学園』

1981年(昭和56年)・日本 監督/大林宣彦

出演/薬師丸ひろ子/高柳良一/長谷川真砂美/峰岸徹/手塚真/大石吾朗/岡田裕介/ハナ肇/鈴木ヒロミツ/

題名はよく聞いたが、どういう話なのかをまったく知らなかった。こんなにおちゃらけて「マンガ」そのものだとは想像もしていなかった。その当時のCGや特殊撮影技術では、テレビ画面と同じようなちんけなお絵かき画法が氾濫していて、見るに堪えないというのが正直なところ。当時の観客はこんなものを支持していたのだろうか。

角川映画のアイドル路線および大林宣彦の”大林ワールド”と呼ばれる独自の映像スタイルを確立させた作品。脚本家としてクレジットされている「葉村彰子」は、逸見稔を中心とした創作集団のもつ共同ペンネームである。逸見は、長年テレビドラマ『水戸黄門』を手がけてきたプロデューサーである。制作に際しては、関耕児役を「薬師丸ひろ子の相手役募集」として一般からのオーディションで選ぶこととなり、当時慶應義塾高等学校在学中の高柳良一が選ばれて映画デビューを果たした。また、後に川島省吾(現:劇団ひとり)と漫才コンビ「スープレックス」を結成する秋永和彦が子役として出演している。手塚眞(手塚治虫の息子)、岡田祐介(現東映社長)が出演している。 ~ Wikipediaより

薬師丸ひろ子は17才、当時はかわいいと思っていたが、この頃の年をとってからの顔を時々見ているので、あのたるんだほっぺたがちょっと気品がなくイメージがダブって見えてしまって、あまりいい気持ちにはなれなかった。と、勝手なことを言いっているが、人の顔はそれぞれ、好きになったら理由はなく好きでいられるところがいい。もともと私の好みではなかったということが分かっただけだ、今頃になって。

『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』(Life of Pi)

2012年・アメリカ 監督/アン・リー

出演/スラージ・シャルマ/イルファーン・カーン/タッブー/レイフ・スポール

日本公開は今年の1月なので新しい。サブタイトルと絵柄を見て、観たいという気にならなかった映画。予想外、想定外に面白いことを期待していたが、最後まで面白くならなかったのが残念。3D映画だという。物語よりも海の荒れるシーンやトビウオがわんさか出てくるシーンの意味が分かった。

2週間前に動物園に行ったばかりなので、ちょっとは動物たちのシーンに親しみをもてるかなと思ったが、何とも心の変化はなかった。第85回アカデミー賞で11部門ノミネートし、監督賞、作曲賞、撮影賞、視覚効果賞の最多4部門を受賞した。頷けない結果。

CGや3Dという映像手法は、どんどん映画をつまらないもにしていっている。2時間もの間映像だけの驚きで観客を満足させるのは無理、スピルバーグの出て来た時のようにスターはいなくても話がメチャメチャ面白い全編にして欲しい。そんな願いは私だけではないはずで、50年後にも楽しんでもらえる映画になるための努力を是非して欲しいものだ。

『特別な一日』(Una giornata particolare)

1977年・イタリア/カナダ 監督/エットーレ・スコラ

出演/ソフィア・ローレン/マルチェロ・マストロヤンニ/ジョン・ヴァーノン

1938年第二次世界大戦が始まろうとしている時、ドイツからヒトラーがムッソリーニ政権下のローマにやって来る、という「特別な一日」。熱狂的にヒトラーを迎えるイタリア国民、どこの家からも彼を迎える式典に参加しようと広場に集まって行く。6人の子供を持つ主人公は、朝から大忙し、自分が3人いなければ家事はこなせないとぼやいている。集まりから帰ってきた父親が子どもたちに向かって「今日ヒトラーに会えたことを30年後に自分の子供に話せる喜び」みたいなことを言う。歴史は恐ろしく人間の堕落を指摘してみせる。

家に残っていた主人公は、中庭を挟んで見える向かいの部屋の住人、官憲に追われそこに忍んでいた反ファシストの男と知りあってしまった。とここまで書くと、何だ主婦とやさぐれ男の不倫の話か、と想像してしまうだろうが、そんなに簡単にことが運んでは面白くない。それぞれが持つ人生の生き様が語られ、映画の中核を形成している。

何とヘラルド・エース配給だったと知った。株式会社ヘラルド・エースは日本ヘラルド映画株式会社の子会社で、ちょっと癖のあるいわゆるミニ・シアター系の映画配給に特化した会社だった。ヘラルドの中でも映画に拘りを持つ社員がこの会社に移って活躍していた。自分はと言えば、おそらくは経理部員だった頃の作品だと思う。毎日その当時のオフィス・コンピューターと一人で格闘し、プログラムを組み、ヘラルドの経理システムをコンピューター化していた時期だった。宣伝部長になっても自社の映画を見ることは希だったことを考えれば、どう考えても試写室で自分の会社の作品を一所懸命見ていたとは思えない時期だったはず。

『レナードの朝』(Awakenings)

1990年・アメリカ 監督/ペニー・マーシャル

出演/ロバート・デ・ニーロ/ロビン・ウィリアムズ/ジュリー・カヴナー/ルース・ネルソン/ジョン・ハード

医師・オリバー・サックス著作の医療ノンフィクション。また、そのノンフィクションを基にした映画作品。実話である原作では20名の患者全てに対する記述が行われているが、映画は原作に基づくフィクションであり、レナードに対する描写が主である。患者が示す症状は必ずしも科学的に正確でない。第63回アカデミー賞において作品賞、主演男優賞(ロバート・デ・ニーロ)、脚色賞の3部門でノミネートされた(受賞はならず)。 ~ Wikipediaより

間違いなく一度見ているが、冒頭の部分などまったく覚えていない。細かいところはなおさら、ロビン・ウィリアムズが道化に徹しない映画も珍しい。こうやってたいした映画を覚えていないことは、自分の人生にとってこの映画を見たことがあるという薬みたいなものが、どれだけ効用があるのかないのか。おそらくだが、覚えていなくても、その時期に食べた食事と同じように、本人の知らないところで血となり肉となっているのではなかろうか。

原題の辞書訳は、[形]〈人が〉目を覚ましつつある;〈感情などが〉呼び起こされつつある;〈事態・知らせなどが〉人を目覚めさせる[驚かす].[名]目覚め, 覚醒, 認識。 この映画は真実の物語、と訳す人がいるが、それは間違い。この映画は事実に基づく映画です、と訳すべき。真実と事実では意味も違うし、ニュアンスも違う。


2016年12月19日 再び観た記録を残す。

『レナードの朝』(Awakenings)

1990年・アメリカ 監督/ペニー・マーシャル

出演/ロバート・デ・ニーロ/ロビン・ウィリアムズ/ジュリー・カブナー/ルース・ネルソン

この時期の放映作品、前回観た赤穂浪士に引き続き『最後の忠臣蔵』(2010年・役所広司/佐藤浩市)を観始まった。すぐに観たことがあると分かり、しかも一種のミステリー作品でネタバレ解説がついていて、急に観る気が失せた。仕方がないと『ザ・シークレット エージェント』 (SECRET AGENT MAN・2000年)を観始まった途端、日本語が聞こえてきて、これまたボツ。それならと、レアル・マドリード対鹿島アントラーズを見ることにした。

サッカー好きのテレビ芸人でさえ予測する5対0でレアルが勝つだろうという試合だ。いきなり試合開始後9分でレアルが1点をとった。あ~あ、こんな試合もう見られるか、とサッカーファンではない本性が剥き出しになった。スポーツ好き老人は、サッカーが嫌いでも試合は結構見ている。それでは、とこの映画を観始まったわけだ。何度目かになるだろうが、最初の5分でおもしろさがまた新鮮に伝わってきた。1時間半くらい観ただろうか。ちょっと休憩、サッカーはどうなっているのかとチャンネルを回した。なんと2対2、後半34分だった。それからはサッカーを観続けたが、延長戦までもつれこんだ試合も結果的には4対2でレアルの勝ちとなった。

医師・オリバー・サックス著作の医療ノンフィクション。また、そのノンフィクションを基にした舞台作品、映画作品。最初から映画の物語だけだったらもっと仕合わせな終わり方をしただろうが、実はそんな簡単ではない。たまには、このような映画を観て心を洗わなければ、人間をやっている意味がない。

『アンフェア the movie』

2007年(平成19年)・ 監督/小林義則

出演/篠原涼子/椎名桔平/成宮寛貴/阿部サダヲ/濱田マリ/加藤ローサ/加藤雅也/大杉漣/寺島進/江口洋介

これまたテレビ映画シリーズの映画化。残念ながら一度もテレビで見たことがないし、この題名すら知らなかった。

日本のテレビドラマや映画での警察もの、刑事もののリアリティーのなさが興醒めしている。今に始まったことではないが、こんなことが一体どこで起こっているんだろうと、思わせてくれる映像ばかりで、見ているといつも虚しくなってしまう。

どんぱち、どんぱちと拳銃をぶっ放すシーンなど、せいぜいマンガでしか信用できない。たまに実ニュースで警察官の発砲事案があると、あれは正当な行為だったとコメントが出るくらいが関の山。こんな社会でいつも拳銃を使うのは違和感ありあり。映画は軽く垂れ流しで見るには充分。セリフシーンが特に見られない。せいぜいテレビドラマが精一杯。薄っぺらい。

『東京公園』

2011年(平成23年)・日本 監督/青山真治

出演/三浦春馬/榮倉奈々/小西真奈美/井川遥/高橋洋/染谷将太/長野里美/宇梶剛士

人気作家・小路幸也と解説で見つけるものの、聞いたこともない名前では浮世離れなのだろうか。ユッタリズムの日本映画の典型とはまたちょっと違うゆっくりズム。2つの話が同時進行して、その他の出来事は何も起こらない。若い人達の男女関係の微妙さが好きだ。

東京にある公園が出てくる。東京のいいところは公園も然りだが、緑が多いということ。田舎の都会はビルばかりで、息抜きが出来ない。それなりに大きな公園があるじゃない、と反論するのは地元出身の人だけ。大きな公園をひとつふたつ造ったって、そんなんじゃダメなのだ。このあたりにも天白公園という大きな公園があるが、そこにたどり着くまでに陰のある道路なんか皆無、なんと殺風景な街並みなのだろうか。

ビルがひとつ出来れば緑が増えるのが東京。ビルがひとつ建つと、緑がまた減って行くのが名古屋。根本的な都市計画が出来ていない。中途半端な思想と、劣等感に苛まれた行政、いいところを見つけるのが難しい名古屋。


2018年5月27日 観たことを知らず、またコメントまで書いてしまった。

『東京公園』

2011年(平成23年)・日本 監督/青山真治

出演/三浦春馬/榮倉奈々/小西真奈美/高橋洋/染谷将太/宇梶剛士/井川遥

第64回ロカルノ国際映画祭で金豹賞(グランプリ)審査員特別賞を受賞したという。なかなかおもしろい題材で、興味のあるストーリーが引き継がれていく。一つの大きなテーマがあるのだが、そのことを忘れさせるようなサイド・ストーリーがうまく立ち回っている、という雰囲気だろうか。

二つのテーマは、いずれも男と女にかかわる愛の形を問うものだった。それぞれが、当事者たちが真正面からそのことに向かい合うことで、時間をかけて解決していく姿に安心感があった。ここまで素直に展開する映画ストーリーも珍しいと。そのあたりが賞の対象になったのだろう。

東京には結構規模の大きい公園がたくさんある。名古屋に住んでだいぶ経つが、実感として感じていたのは、都心に大きなビルが建てば建つほど、どんどん緑が減っていくという現象だ。当たり前のようにも見えるが、東京の場合はその正反対だったと、ずーっと感じていた。必ず大きな緑ブロックを確保して再開発していく東京の姿は、世界でも称賛されているに違いない。一方、歌の題名に「白い街名古屋」と歌われるくらいだから、為政者たちに意識のあり方に厳然たる違いがあるのかもしれない。と柔らかく表現しておこう。

『金融腐蝕列島〔呪縛〕』

1999年(平成11年)・日本 監督/原田眞人

出演/役所広司/仲代達矢/椎名桔平/風吹ジュン/若村麻由美/佐藤慶/根津甚八/矢島健一/中村育二/石橋蓮司//黒木瞳/丹波哲郎/多岐川裕美

面白い。半沢直樹はこの映画をかなり参考にしたのではないかと勝手に想像した。原作は、高杉良による1997年初版の小説(経済小説)、およびそれに続く一連のシリーズ作品。クレジットを見ていたら、結構知っている人がいて、華やかな映画界の一端を見るようで、凄く羨ましい気持になってしまった。

半沢直樹のように細かい出来事を追いかけてそれを解決するという描き方が為されていないので、観終わってちょっと何か物足りなさは残る。観ている間の充実感と比べると、少し意外な感じがした。監督が大したことないので、そのあたりが原因なのだろう。

それにしても銀行の裏側は、どうなっているのだろうか。午後3時になったら早々と店を閉めてしまって、サービスを提供しないのが当たり前のように振る舞っていることが、そもそもおかしい。借りたい人にお金を貸すことはなく、借りたくない人に貸すという矛盾を多いに謳歌する存在そのものが胡散臭い。間違っても銀行業に関係しなくて幸せだった。

『バンテージ・ポイント』(Vantage Point)

2008年・アメリカ 監督/ピート・トラヴィス

出演/デニス・クエイド/マシュー・フォックス/フォレスト・ウィテカー/シガニー・ウィーバー

米大統領が狙撃された瞬間とその前後を、性別・国籍・職業の全てが異なる8人の視点によって描く。タイトルのバンテージ・ポイントとは「有利な見地」の意味で、登場人物8名それぞれの立場でしか見えない「視点」を集めるこの映画の趣旨を表す。それぞれの視点は、必ず重要な場面の直前で終わるという、いわゆるクリフハンガー(劇中の感極まる盛上がる場面、物語の「クライマックス」(climax in narrative)、例えば主人公の絶体絶命のシーン、又は、新展開をみせる場面などで物語を「宙吊りのまま」中断して「つづく」としてしまうエンディングである。)の形式をとり、徐々に真相を明かしていく。 ~ Wikipediaより

12時58分から数分間同じ事件(アメリカ大統領暗殺、2殿爆破)をシーンを変えて繰り返し流される。もうこのあたりからノンストップ・アクションの連続となり、観客に考える隙も与えてくれない。暗殺とその後の爆破事件が徐々に解明されて行くことになり、探偵物で頭のいい探偵が一人で解明して行くのとは違う面白さがある。

カー・アクションも悪くない。いつもながらのただ追いかけて追いかけられて、といったよりは工夫がある。一人の大統領護衛官、SPの活躍をクローズアップして、映画らしく派手やかに。テロ集団は警官の中にも、ホテルマンの中にも、テレビ・カメラクルーの中にも、当然一般群衆の中にもいて、これを防ぐのは容易なことではないと現実感一杯。ボストンマラソン爆破事件のような雰囲気が蔓延して、こんな映画を見てしまうと恐ろしくてそれらしき地域にはなかなか行けないな、と思ってしまう。

『福耳-FUKUMIMI-』

2003年・日本 監督/瀧川治水

出演/宮藤官九郎/田中邦衛/高野志穂/司葉子/坂上二郎/宝田明/谷啓/横山通乃

高齢者用マンション「東京パティオ」に住む住民と、そこで働き始めた青年が主役達。宮藤官九郎の初主演映画であるという。彼のことを知ったのはだいぶ後でタイミングを逸していた。理由もなくこの名前を聞いただけで毛嫌いしていた。役者としての演技を見た訳でもなく、脚本を読んだ訳でもないのに。週刊誌のコラムで名前は見たことがあった。でも決して読まなかった。いつの間にか人気者となり、今年は「あまちゃん」の脚本を担当したということで大ブレイクとなった。それでもあまり興味が湧かない。男だからだろうが、この映画を見て彼の歯並びの甚だしく悪いのが気持ち悪くなった。

映画ではいわゆる福耳を特殊メイクで作っている。福耳といえば日本ヘラルド映画の創業者古川勝巳さんを思い出す。人相見や占い如きで福耳が成功者のタイプなどと言われても、にわかに信じがたいが、古川さんの耳を見ていたらそんな気にもなってくる。大正3年五黄のトラ生まれという強運の持ち主であることを差し引いても、何か福耳に表現されるような運を持ったひとだった、と今でも思い出し笑いしている。

映画は面白い。久しぶりの日本映画での満足。宝田明がおかまの老人をやっているのがうける。脇役がしっかりしているので映画が締まる。死人に取り憑かれた主人公、落語で良く聞く話を上手く映像化している。話が先へ先へと進んで行くのがいいのだと、あらためて感じた。ダメな日本映画の典型、話が一向に進まず堂堂巡をしているような全編とはまったく違っている。脚本、役者がはまっているのだろう。

『マッチポイント』(Match Point)

2005年・イギリス/アメリカ 監督/ウディ・アレン

出演/ジョナサン・リース=マイヤーズ/スカーレット・ヨハンソン/エミリー・モーティマー/マシュー・グッド

ウディ・アレンという役者、監督が嫌いだが、ここのところ何本か観ている。どうも才気だった雰囲気が性に合わないのだと思う。この映画が36本目の監督作品というから、たいしたものである事は確か。前にも観ていてこの映画はどことなく覚えていることが多いと感じていたが、後味の悪い印象を持っていたのも確か。

それでもまた観てみようと思うのは、スカーレット・ヨハンソンという好きな女優が出ているからという理由が大きい。何とも言えないんだよね~彼女の顔立ち。役の上でも男を惑わす女優の卵という設定が、ぴったんこといった感じがして堪らない。

所詮人生はこんなものさ、という脚本・監督ウディ・アレンの皮肉、嫌み、虚無感が伝わってくる。人生で成功するためには何処までもやるさ、という主人公は元ツアープロ・テニスプレーヤー。イギリス上流階級に食い込むために用意周到な準備をしてまんまと上り詰めて行く様が、人間の根源的な生き方を問いかけていると思い過ごししてしまうのだった。

『ジョニーは戦場へ行った』(Johnny Got His Gun)

1971年・アメリカ・日本1973年[昭和48年]配給:日本ヘラルド映画株式会社 監督/ドルトン・トランボ

出演/ティモシー・ボトムズ/キャシー・フィールズ/ドナルド・サザーランド/ジェイソン・ロバーズ/マーシャ・ハント

原作はドルトン・トランボが1939年に発表した反戦小説。第二次世界大戦勃発の1939年に発表されたが、反戦的な内容が「反政府文学」と判断され、戦争の激化した1945年、ついに絶版(事実上の発禁処分)となる。 戦後になって復刊されたものの、朝鮮戦争時には再び絶版とされ、休戦後に復刊されるなど、戦争のたびに絶版と復刊を繰り返す。 これはこの本が非常に強力な反戦メッセージを持っていることに、アメリカ政府(特に軍部)が危機感を持っていたことの証左とも言える。(実際に著者は1947年に共産主義者のレッテルを貼られて逮捕、禁固刑に処されている。後の1971年(ちなみにベトナム戦争の最中)、著者自身の脚本・監督により映画化された。 ~ Wikipediaより

日本ヘラルド映画はこういう作品が得意だった。その当時東宝本社のあるビルの地下にあった「みゆき座」という800のキャパを持つ劇場でロードショーされたと記憶している。みゆき座は東宝の映画館の中でも問題作と言われる作品を主に公開していた。今ならせいぜいシネコンの座席数100以下の映画館でしか掛けられないだろう。その当時はなかったミニ・シアター系という選択が一番相応しいと思えるが、それでもミニ・シアターはだいたい200席だったので、現在の映画館環境とは大きく違っていた。

現実は白黒で夢の世界や幼い頃、出征前の楽しい恋人との時間や戦場での出来事はカラー画面に切り替わる。通常の映画手法とは反対だ。手も脚も目も鼻も口もない彼は横たわっているだけ。誰かが動く気配はその振動で感じることが出来るが、彼が何かを頭の中で考えていることは誰にも分からない。本人が自嘲する単なる塊(かたまり)があるだけだ。殺してくれと叫ぶ魂(たましい)が何かを訴える。それでも周りの軍人や医師団は彼を暗い部屋に閉じ込め、隔離して命だけを永らえようとしている。殺してくれという彼の声が心に残る。こんな映画を現代の若者が観たらどういう感想を言うのだろうか。まったく想像できないことだが、100人に1人くらいは感動したと言うだろうか。

『もうひとりのシェイクスピア』(Anonymous)

2011年・ドイツ・イギリス 監督/ローランド・エメリッヒ

出演/リス・エヴァンス/ヴァネッサ・レッドグレイヴ/ジョエリー・リチャードソン/デヴィッド・シューリス

どう考えても面白いはずなのに、途中眠ってしまった。この頃よく眠る。毎回眠ってしまったようなことを書いているが、面白い映画は決して眠らない、と誓える。シェイクスピアには陰の真執筆者がいるという時代劇サスペンス。エリザベス1世時代の英国王室の物語が絡み、面白くないはずがないのだが・・・・。原題「 Anonymous 」(アノニマス)はコンピューター世界でも良く出てくる言葉、「匿名」を表しあまり良い使われ方がしていない。通信アクセス時の匿名性にも用いられる。

シェイクスピア自身に関する資料が少なく、手紙や日記、自筆原稿なども残っていない。また、法律や古典などの知識がなければ書けない作品であるが、学歴からみて不自然であることから、別人が使った筆名ではないかと主張する人や、「シェイクスピア」というのは一座の劇作家たちが使い回していた筆名ではないかと主張する者もいる。真の作者として推定された人物には哲学者フランシス・ベーコンや第17代オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアー、同年生れの劇作家クリストファー・マーロウ、シェイクスピアの遠縁にあたる外交官ヘンリー・ネヴィルなどがいる。もっとも英文学者でまともに別人説を取上げる人はほとんどいないようである。全戯曲を翻訳したシェイクスピア研究家の小田島雄志は、資料が残っていないのは他の人物も同様である、シェイクスピアは大学に行かずエリート意識がなかったから生き生きした作品が書けたのだ、と一蹴している。 ~ Wikipediaより

末娘とロンドンに行った時、観光地としてシェイクスピアの生地であり埋葬された教会のあるストラトフォード・アポン・エイヴォンに行こうかと思ったが、コッツウォルズという古い町が残る田舎を選んだ。行かなかったことを後悔していないのは、もともと観光という旅行には興味がないからだろう。ロンドンは映画の商売には欠かせないところで、カンヌ映画祭、ミラノ映画祭の行きか帰りには必ず寄っていた。そのお陰でロンドンが一番好きな場所になったような気がする。楽しかったな~、日本ヘラルド映画時代。

『ダイ・ハード/ラスト・デイ』(A Good Day to Die Hard)

2013年・アメリカ/ハンガリー 監督/ジョン・ムーア

出演/ブルース・ウィリス/ジェイ・コートニー/セバスチャン・コッホ/メアリー・エリザベス・ウィンステッド

邦題はラスト・デイではあるがシリーズ最終作ではない。脚本家ベン・トレビルクックはすでに6作目の脚本の構想があることを発表している。9200万ドルの制作費に対し、アメリカ国内での興行収入は6700万ドルとなり、全米記録としてはシリーズ最低となった。しかし海外では成功し、最終的に3億ドルを越える興行収入となり、これはシリーズ第3位の記録である。全体的に評価はあまり高くなく、RottenTomatoesでは199のレビューの中でわずか16%という評価であり、RottenTomatoesの数値としてはシリーズ最低の記録である。 ~ Wikipediaより

始まって早々のアクションシーンの最中に眠ってしまった。アクションシーンで眠るって、どういうこと? CGが一般的になってからのアクションは、あまりにも派手派手過ぎて見ていて飽きがくる。もともとアクション映画が命のこの映画、時代に即さない何かを考えないと観客にも飽きられる。アメリカ人には飽きられて、まだ世界では通用する図式が、他の何かと同じようで可笑しい。

原題は、インディアンの言葉である「死ぬにはいい日だ(="It's a good day to die.")」のもじりだという。垂れ流しで見ることが出来るアクション映画とでも宣伝することが出来る。馬鹿にしすぎかな。

『ニノチカ』(Ninotchka)

1939年・アメリカ 監督/エルンスト・ルビッチ

出演/グレタ・ガルボ/メルヴィン・ダグラス/アイナ・クレアー/シグ・ルーマン/ベラ・ルゴシ

グレタ・ガルボ(Greta Garbo、1905年9月18日 - 1990年4月15日)は、スウェーデン生まれのハリウッド女優。本名はグレタ・ロヴィーサ・グスタフソン(Greta Lovisa Gustafsson)。初期ハリウッドの伝説的スター。「神聖ガルボ帝国」、「永遠の夢の王女」、「スウェーデンの美のスフィンクス」と呼ばれスター街道を歩む。絶世の美女と謳われた彼女だが、現代の美人定義とは明らかに違うところが面白い。といっても何処が違うのかはよく分からない。こういうところは、よく分からない方が幸せだ。

映画はソビエト連邦を風刺したコメディ。舞台はパリ、ニノチカとは主人公の名前、ロシア人、アメリカ映画なのでセリフは英語。ロシア革命の後の話らしく、ソ連の国内事情がセリフの中によく登場する。帰国したソ連での生活もちょっと出てくる。食糧危機、贅沢品は敵だ的な雰囲気がレーニンの写真を掲げてデモする労働者の姿に投影されている。

共産主義を信奉するニノチカが、冬に南に去るツバメに喩えて「私たちには高い理想が、彼らには暖かい気候がある」と言う。見るもの全てが珍しいパリ、共産主義のどこがいいのと罵っているようにもみえる。フランス人ではなくアメリカ人が作ったエスプリはくどくない。軽妙なコメディータッチがイカしている。こんな映画をリメイクしたら面白いだろう、が、日本人役者では演じられる人が思いつかない。

『Dear Friends』

2007年・日本 監督/両沢和幸

出演/北川景子/本仮屋ユイカ/黄川田将也/通山愛里/松嶋初音/大谷直子/宮崎美子/大杉漣

ケータイ小説『Dear Friends リナ&マキ』が原作。ケータイ小説を馬鹿にする訳ではないが、それなりにまとまった内容。ツッパリ女王様女子高校生のような主人公が、ガンに冒されて初めて知る本当の人生のこと、とかいう何処にでもありがちなストーリーではあるが、不滅の定番の物語であると考えれば、ありかなと思える。

北川景子という女優、これまでも何度か見てきて誉めていた記憶はあるが、女優として死ぬまでやっていけそうな感じがする。決して美人という訳ではなく、可愛いというのとも違う、それでいて一度見れば覚えてしまいそうな顔立ちがいい。雨後の筍のように後から後から出てくるテレビタレントは、可愛いけど区別が出来ない女の子ばかり。そういうのとは一線を画している感じがしていいと思う。

それにしても人間は、究極の状態になってからしか真実を理解できないものらしい。表面的な幸せや快楽に興じることで歳をとってしまった人には、酷い人生の仕打ちが待っているなんて想像も出来ないだろう、当事者には。万が一当事者に災難が降りかからなくとも、孫子の代までその罪を引きずって行かねばならないことを知る由もない。そんな人生もまた人生。清く正しく生き抜くことも、また人生なのだ。

『東ベルリンから来た女』(BARBARA)

2012年・ドイツ 監督/クリスティアン・ペッツォルト

出演/ニーナ・ホス/ロナルト・ツェアフェルト/ライナー・ボック/ヤスナ・フリッツィー・バウアー

思わせぶりな日本語題名。冒頭、1989年のベルリンの壁が崩壊する9年前という字幕が流れる。まだ東ドイツが厳然と残っていた時代のはなし。1年後にベルリンの壁が崩壊すると分かっていれば、人間の生活もまったく違ったものになっていただろう。1年後に日本が降伏すると分かっていれば、日本人の生活も・・・。もしもの世界ではなく明日どうなるのか分からない時代に生きている人達を将来から見るのはあまり気持ちいいものではない。

1980年、当時社会主義国家だった旧東ドイツの田舎町を舞台に、国外脱出を計画する女性医師の姿をサスペンスフルに描いた人間ドラマ。いつも通り何の情報もなく観始まった映画は、何がどうなっているのか、どうなって行くのかの見当もつかず、興味津々といったところ。原題の BARBARA は主人公の名前、映画の字幕ではバルバラと呼んでいた。

2012年2月に第62回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞したというだけあって、なかなか見応えのある映画だった。かなり優秀な女医というばかりではなく、心の美しい女性であった。こんな風に映画は終わらないで欲しい、と思う方向で結末を迎えると、何か哀しい気持になってきてしまった。でもそれで良かったのかもしれない、という気持もあり、またひとつの映画の中に真実の人間性を見ることになった。機会があれば是非見て欲しい。

『新選組始末記』

1963年(昭和38年)・日本 監督/三隅研次

出演/市川雷蔵/若山富三郎/天知茂/松本錦四郎/伊達三郎/木村玄/千石泰三/堂本寛/田崎潤

原作は子母澤寛の小説。新選組を題材にした作品で、関係者への取材などを取りまとめられていることから、新選組に関する代表的な資料とも捉えられており、その後の幕末を題材にした創作作品に影響を与えた。司馬遼太郎は1967年(昭和42年)に最晩年の子母澤と対談し、その対談「幕末よもやま」によれば、司馬は20歳くらいの時に『新選組始末記』を読んで、どうしてもこれは超えられないと思い、子母澤に会いに行って教えを請うたという。

Wikipediaから新撰組を ~ 幕末の京都は政治の中心地となり、諸藩から尊王攘夷・倒幕運動の過激派志士が集まり、治安が悪化した。従来から京都の治安維持にあたっていた京都所司代と京都町奉行だけでは防ぎきれないと判断した幕府は、最高治安機関として京都守護職を新設し、会津藩主の松平容保を就任させた。その配下で活動した準軍事的組織が新選組である。同様の組織に京都見廻組があった。ただし、新選組は浪士(町人、農民身分を含む)で構成された「会津藩預かり」という非正規組織であり、京都見廻組は幕臣(旗本、御家人)で構成された正規組織であった。
隊員数は、前身である壬生浪士組24名から発足し、新選組の最盛時には200名を超えた。任務は、京都で活動する不逞浪士や倒幕志士の捜索・捕縛、担当地域の巡察・警備、反乱の鎮圧などであった。その一方で、商家から強引に資金を提供させたり、隊の規則違反者を次々に粛清するなど凄惨な内部抗争を繰り返した。
慶応3年(1867年)6月に幕臣に取り立てられ、翌年に戊辰戦争が始まると、旧幕府軍に従って戦い、敗戦に伴い散り散りになり、解散した。明治政府が新選組と敵対していた倒幕派たちによって樹立された経緯もあり、近年まで史学的に研究されることがほとんどなく、現在における人気は明治時代からの講談や、後述する数々の小説・映画・ドラマなどフィクション作品の影響が大きい。漫画やアニメ、ゲームにもなり、老若男女から高い注目を集め、隊士の墓参りをするファンも多い。イベントも開催されている。

『テッド』(Ted)

2012年・アメリカ 監督/セス・マクファーレン

出演/マーク・ウォールバーグ/ミラ・キュニス/セス・マクファーレン/ジョエル・マクヘイル/ジョヴァンニ・リビシ

1985年のボストン郊外。ジョン・ベネット少年はテディベアのテッドを可愛がり、命が宿るように祈るとそれが叶うのであった。以後、2人は親友となり、2012年になってもジョンとテッドは一緒に暮らしていた。かつて「生きているぬいぐるみ」として一世を風靡したテッドも今や落ちぶれ、酒と女とマリファナ漬けの日々を送っていた。こんな物語を読んでも面白さは伝わってこない。ぬいぐるみが喋るなんて、どこが面白いのか想像できない。映像とはそんなもので、やっぱり自分の目で確かめなければ、どんな風に面白いのかいくら説明されても分からない。

そんな風に観始まったこの映画だが、早々にその期待しない感は嬉しくも裏切られた。コメディ映画でありながら、過激な描写があるため、R指定されている国が多く、日本では2013年1月18日に字幕版と日本語吹き替え版が公開され、その後7月5日に「大人になるまで待てない! バージョン」と称した通常版をファミリー向けに再編集した日本語吹き替え版がPG-12指定で公開されたという。

英語が分かれば本当に面白く感じるのだろうと、観ながらえらく悔しかった。日本語字幕では表現できそうもないことを英語で喋っているらしいというところまでしか分からない。もっとも英語が少し分かるくらいでは、映画のセリフは完璧には理解できないといわれているので、そんなに失望することもないかもしれない。それにしてもだ、アメリカ映画は凄い。ぬいぐるみがヤクをやったり、日本で言う放送禁止用語を連発したり、可愛い女の子とSEXしたりと、はちゃめちゃぶりは純情ではない。アメリカ人も最近では規制が多くて、一般人のストレスも相当なものなのだろう。だからこういう映画が大ヒットするのかな~、などと最近のアメリカ人事情を察したりした。

『アメリ』(Le Fabuleux Destin d'Ame'lie Poulain)

2001年・フランス 監督/ジャン=ピエール・ジュネ

出演/オドレイ・トトゥ/マチュー・カソヴィッツ/セルジュ・マーリン/ジャメル・ドゥブーズ/ヨランド・モロー

公開当時の評判の良さが気になって観た前回から何年経つだろうか。どういう面白さか想像できなかったが、自分の趣味に合わない映画だと、面白さを感じなかった。ということもあって、しばらく時間をおいた後で観る映画に違った感想が出るのかどうかが興味あった。

フランスでは国民的大ヒットだったし、日本でも相当の当たり方をした。特に女性に評判が高かった。今回、多少の良さを感じ取ることが出来た。ストーリーや映像、美術に愛らしさがあふれ、ブラック・ユーモアや奇妙な人間像、コミュニケーション不全の問題も軽妙洒脱に描かれていることは確かだ。フランス映画には必ず存在するエスプリとかシニカルな表現が、アメリという主人公の可愛さで薄まっているような気がする。

夢物語、日常一人の女の子が抱く夢のような妄想ごとを、上手く描いてくれている映画だから好きになっているのだろうと思う。男世界では考えられない現実と夢とを混同した毎日が、女の子達にとっては気持ちの良い時間なのだろう。やっぱり、どうしても入り込めないバリアがそこにはある。それで良いのだ、自分のことさえろくすっぽ分からないのに、摩訶不思議な女子社会を理解するなんてもっての外だと言われそうだ。

『小川の辺』(おがわのほとり)

2011年(平成23年)・日本 監督/篠原哲雄

出演/東山紀之/片岡愛之助/菊地凛子/勝地涼/尾野真千子/藤竜也/松原智恵子/笹野高史/西岡徳馬

藤沢周平原作。例の架空の藩「海坂藩」での出来事。原作がしっかりしているので、観ていて安心感がある。日本映画のゆったりずむは、現代劇にはちっとも合わないが、時代劇となるとその悠久の時間が心になごむ。風景や家の中での所作など、物語とは関係ないところでも、日本人のDNAを嬉しく感じる時間だ。

「半沢直樹」で妙なブレイクの仕方をしてしまった歌舞伎役者片岡愛之助がやっぱり芸達者。東山紀之の侍姿も何度か観ているが、なかなかいい。菊地凛子が何故こういう映画に抜擢されるのか分からない。嫌いな顔立ちだから悪く言ってしまうが、何とも一人だけ浮いてしまっている姿形に見えて仕方がない。

剣の達人である若き海坂藩士・戌井朔之助は、藩命により藩政を批判し脱藩した佐久間森衛を討つべく彼の元に向かっていた。しかし佐久間の妻は朔之助の実妹・田鶴である。場合によっては妹も斬らねばならないという朔之助は葛藤を続けていたが…、という物語。実妹・田鶴は男勝りでかなり剣が立ち、夫のためならたとえ兄にも刃を向けるだろうと父母も心配している。山形から佐久間森衛の潜んでいる行徳(千葉県)に行く。行徳は成田山参拝者で賑わっていたらしい。「上意討」はマゲを切って証拠として持ち帰るが、何かの映画でもあったように、どうせ誰のものだか分からないのだから他人のマゲでもお土産に持って帰れば、すべての心配事が解決するのに、と当時の人達の心情を無視できるのも現代だからか。

『ニーチェの馬』(A torino'i lo', The Turin Horse)

2011年・ハンガリー/フランス/スイス/ドイツ 監督/タル・ベーラ

出演/ボーク・エリカ/デルジ・ヤーノシュ

どうしてこんなDVDを手に取ってしまったのだろうと後悔するも、たまにはこういう異常に堅そうな映画も観なければいけないと心を鼓舞した。冒頭黒味の画面でナレーションがあった後、30分もの間セリフが一言もないのには参った。哲学的なんだから自分で考えろとでも言いたそうだった。

トリノの広場で泣きながら馬の首をかき抱き、そのまま発狂したというニーチェの逸話にインスパイアされて生まれた。しかしニーチェが登場したりすることはなく、全編ニーチェ的なニヒリズムの世界におけるとある親子の生活が描かれる。名前だけしか知らないニーチェ、こういう映画を観て何かを感じるためには彼の作品なりに少しでも触れていなければ語る資格もないと思われる。

ところで映画どうだったの、と聞かれても何も言えず。というか面白くない。偉そうに難しい話みたいに見える映画は嫌いだ。尤もらしく語る映画も嫌いだ。どんな賞を獲ろうとも面白くない映画は面白くない。時間がもったいないと思える映画に出会うのは不幸だ。それでもくだらない日本映画よりマシだと言えるかどうかは微妙だ。

『ラストサムライ』(The Last Samurai)

2003年・アメリカ 監督/エドワード・ズウィック

出演/トム・クルーズ/渡辺謙/真田広之/小雪/ティモシー・スポール/ビリー・コノリー/小山田真/原田眞人

さすがに初めて観る映画ではない。といっても映画館で観た訳でもない。今回観始まって、相変わらず冒頭のシーンすら覚えていないことに自分で驚いた。観続けていると、一度目ではない安心感のようなものがあり、はっとしたりしない新鮮さがないことが、妙な気分にさせる。

日本での興行収入は137億円、観客動員数は1,410万人と、2004年度の日本で公開された映画の興行成績では1位となった。そこまで当たったとは知らなかった。この映画以降、渡辺謙や真田広之は生活拠点をアメリカに移動している。小雪がもっとアメリカからお呼びがかかるかと思っていたが、言葉の問題なのだろうか、大きな話は聞こえてこない。

トム・クルーズが演じる主人公ネイサン・オールグレンのモデルは、江戸幕府のフランス軍事顧問団として来日し、榎本武揚率いる旧幕府軍に参加して箱館戦争(戊辰戦争(1868年 - 1869年))を戦ったジュール・ブリュネである。物語のモデルとなった史実には、元政府の要人による叛乱という意味では、西郷隆盛らが明治新政府に対して蜂起した西南戦争(1877年)が該当する。近代化・西洋化に対しての反発としては、熊本の不平士族が明治政府の近代軍隊に日本の伝統的な刀剣のみで戦いを挑んだ神風連の乱(1876年)が考えられる。という解説には映画を見終わった後で納得。

『ペリカン文書』(The Pelican Brief)

1993年・アメリカ 監督/アラン・J・パクラ

出演/ジュリア・ロバーツ/デンゼル・ワシントン/サム・シェパード/ジョン・ハード/ジョン・リスゴー

ジョン・グリシャムが書いた原作はたくさん映画化されていた。『評決のとき A Time to Kill』(1989) 同題で映画化、『ザ・ファーム/法律事務所 The Firm』 (1991) 同題で映画化、『依頼人 The Client』 (1993) 同題で映画化、 『処刑室 The Chamber』 (1994) 『チェンバー/凍った絆』で映画化、『原告側弁護人 The Rainmaker』 (1995) 『レインメーカー』で映画化、『陪審評決 The Runaway Jury』 (1996) 『ニューオーリンズ・トライアル』で映画化などなど。

法廷ものを扱った作品をリーガル・サスペンスと言うらしい。法廷そのものが今回の主題ではないが、最高裁判事が暗殺されるなんていう冒頭のシーンを見せられれば、そういう範疇に入ってもおかしくない。アメリカ大統領まで絡んだ大掛かりな国家隠謀をも示唆する内容は、さすがアメリカと唸ってしまう。

いつもの如く気楽に午後11時から見始まった。間違いなく観た記憶はあるが、それは題名だけの記憶だった。内容はなにひとつ覚えていないし、どのシーンも記憶にない。でも良い映画だったよな~という記憶に頼り、自信を持って見始まったが、見始まったらそれ以上だった。結局翌日まで持ち越すことなく見終えてしまった。面白い。大胆且つ繊細に物語は進行して行く。ジュリア・ロバーツの出世作だったようだが、彼女でなくともちょっと気の利いた顔をしていれば、物語の面白さが他全部を補ってくれそうな映画だった。

『幸福のスイッチ』

2006年・日本 監督/安田真奈

出演/上野樹里/本上まなみ/沢田研二/中村静香/林剛史/深浦加奈子/芦屋小雁/田中要次/宮田早苗

何と言っても「稲田電器商会」(イナデン)という、町の電気屋さんが舞台の映画であることが嬉しかった。母親は既に亡くなっているが、三人姉妹がいる。長女は嫁いでいてまもなく子供が生まれる身重。二女が主人公で、和歌山県田辺市から東京の美術学校に行き、東京のデザイン会社に就職している。三女は高校生。そんな家庭環境。沢田研二が電気屋のおっさん役というのも面白い。

まさしく小説という感じの短い読み物を映画化したような作品。小さな出来事がたくさん起こって、興味を惹かれる。テレビ映画でも充分のような気がするが、クソ面白くない日本映画と比べれば、こちらの方がはるかに支持できる。

町の電気屋さんはアフターサービスが命。真空管の時代なら修理もある意味簡単だったがプリント配線、トランジスター、ICの時代になっては修理もままならない。ただ売って、あとはメーカーさんお願いしますよ、という構図では、町の電気屋さんの存在意義は皆無。しかも大型店舗の方がはるかに価格が安いとあっては、世の中から町の電気屋さんが消えるのは必至の状況が何十年も続いている。12月31日の寒空の中、屋根の上に登ってお客さんが紅白歌合戦を見られるように、アンテナを立てている自分の姿が映画の中に投影されていた。

『インドシナ』(Indochine)

1992年・フランス 監督/レジス・ヴァルニエ

出演/カトリーヌ・ドヌーヴ/ヴァンサン・ペレーズ/リン・ダン・ファン/ジャン・ヤンヌ/ドミニク・ブラン

冒頭から大作感溢れる雰囲気を醸し出している。ヘラルド・エース配給だったことを知らなかった。日本ヘラルド映画が買うと高い金を払わなければならない、そこをミニシアター専門の子会社が買うと値が下がる、という映画業界独特の買い付けにはまったのだろうか。もう現役を引退していたので真相を知らない。

舞台はフランス領インドシナ、ここがどういう地域で歴史的にどうなっていてどうなっていったのか。1887年から1954年までフランスの支配下にあったインドシナ半島(インドシナ)東部地域で、現在のベトナム・ラオス・カンボジアを合わせた領域に相当、仏印(ふついん)とも略するということが分かった。勉強になった。

2時間40分は長いが、日本映画のようなダラダラ感はなく、スムーズに物語が進行して行く。こういう大作には大きなスクリーンのアップに耐えられる、カトリーヌ・ドヌーヴのような大女優が不可欠。大作にありがちな、よくよく見ると男と女の単なる痴情を大袈裟に表現しただけのものでもない。大作らしい事件が映画を魅力的にしている。

『ブロンコ・ビリー』(Bronco Billy)

1980年・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/クリント・イーストウッド/ソンドラ・ロック/スキャットマン・クローザース/ビル・マッキーニー

クリント・イーストウッドの映画は面白い。31才までは靴のセールスマンをやっていたという主人公、大好きなカウボーイに憧れてカウボーイ・ショーの巡回興行座長となった。ボスとして、仲間のことは絶対裏切らないが、無料で慰問することばかりで、給料もきちんと払えていなかった。

金がないからもう辞めると団員が言い出すと、子どもたちの喜ぶ顔が見たいからショーをやっているんじゃないのか、カネのためにやっているのかと責められてしまう。そんな真正直な生き方が好きだ。ひとつの大きな骨となる話しがあって、そこにいろいろな出来事が起こるというオーソドックスなストーリーが気持ちいい。あざとくなく余計なへそ曲がり演出がない。

子供は道化師を好きになり、女はカウボーイが好きだ。とかいってこの映画は始まって行く。何処の会場に行っても子どもたちには絶対の人気があるカウボーイ、さすがアメリカの子どもたちと感心する。日本人には日本人のDNAがあり、アメリカ人にはアメリカ人のDNAがある。西部開拓時代のフロンティア精神がアメリカなら、日本は一体何なのだろう。

『ティモシーの小さな奇跡』(The Odd Life of Timothy Green)

2012年・アメリカ 監督/ピーター・ヘッジズ

出演/ジェニファー・ガーナー/ジョエル・エドガートン/CJ・アダムス/オデヤ・ラッシュ/ダイアン・ウィースト

日本では劇場未公開だったという。ディズニー映画のファンタジー、最近の日本人にはアニメーションはいいが、実写映画ではファンタジーが伝わらないとでも言うのだろうか。一種の御伽噺のような物語だが、結構楽しめた。こんなことを信じられる日本の子供はひとりもいないだろう、と悲しむほどではないと思うが。

子供の頃には他人には言えないような自分だけの秘密があったりする。たわいのない、しかも根拠のない夢のような事柄を後生大事に抱いていたりする。とてもじゃないけど他人様には言えるようなまともなことではないが、大人になって考えればそんなに後ろめたいものでもないことがようやく分かったりする。

大人になったって、また新しい秘密を抱えることになる。誰にも言いたくないとか、一生秘密だよと言いながら、平気で誰かに喋るような事柄も多い。そんなことは屁でもないことで、自分よがりの自己中心から生まれた些細なことに過ぎない。本当の秘密なら、墓場まで持って行くという決断が、ひとことも喋らずに自分の心の中にのみ生き続けるシークレットなのだ。

『キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語』(Cadillac Records)

2008年・アメリカ 監督/ダーネル・マーティン

出演/エイドリアン・ブロディ/ジェフリー・ライト/ビヨンセ・ノウルズ/コロンバス・ショート/モス・デフ

サブタイトルにあるようにアメリカのレコード音楽史みたいなもの。映画の舞台となるチェス・レコード (Chess Records)は、米国のブルース、R&B系のレコード・レーベル。ポーランドからの移民だったチェス兄弟(レナードとフィル)がシカゴに設立し、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、チャック・ベリー、エタ・ジェイムズなどの主要な作品を多く送り出した。その影響はブルースに留まらず、ロックンロールの歴史にも大きな影響を与えたと言われている。

音楽に目覚めたのは高校時代。それまでは美空ひばりやいわゆる歌謡曲? ビートルズの『ハード・デイズ・ナイト』(A Hard Day's Night)LP盤を手に入れて、何度も何度も聞いていた。それまでレコードは黒く堅いものだったが、このビートルズのレコードはプラスチックのような素材でホコリが付きにくく紅い色をしていた記憶がある。エルビス・プレスリーはひとつ上の世代のもので馴染めなかったが、ビートルズ以降は洋もの音楽にちょっとはまっていた。

ニール・セダカ、ポール・アンカくらいの名前しか思い出さないが、少しアメリカかぶれした精神生活が、今の頭の底に残骸として埋もれているのかもしれない。この映画の中ではチャック・ベリーしか知らない。もう少しこの時代の人達の音楽をリアルタイムで楽しんでいたら、この映画ももっと興味を持って観られたのかもしれない。

『新しい人生のはじめかた』( Last Chance Harvey)

2008年・アメリカ 監督/ジョエル・ホプキンス

出演/ダスティン・ホフマン/エマ・トンプソン/リアーヌ・バラバン/キャシー・ベイカー

離婚してニューヨークで一人暮らしをしている主人公、一人娘がロンドンで結婚式を挙げるというので多忙な仕事の合間を縫ってイギリスに行く。そこで待っていたものは、冷たい元妻の視線と嫌みな言葉、自分に取って代わった新しい夫と楽しそうな家族。挙句の果てに、結婚式のバージンロードを歩くのは義理の父としたいと、娘からの強烈なパンチを食らってしまった。

なんか凄く良く分かるんだよね~、主人公の気持ちが。結婚式前日のパーティーでもの凄い疎外感を味わいすっかり落ち込んで、結婚式には出るが披露宴には仕事の関係で出られないと娘に告げてしまった。ロンドンに住む行き遅れの女性がもうひとりの主人公。母親とふたり暮らしで、いつも母親からの電話に悩まされている。

偶然に出会うことになるふたりだが、女性のバリアはかなり高く、堅い。他人に迷惑を掛けることを極度に恐れている。少しづつ心を開く女性に新しい人生の兆しが見え始める。これから先どのような人生が待っているのかしらと言う彼女の疑問に、それは誰にも分からないことだと彼は答える。もしも分かっているのなら、人生なんてこんな詰まらないものはなくなってしまう。

『恋のロンドン狂騒曲』(You Will Meet a Tall Dark Stranger)

2010年・アメリカ/スペイン 監督/ウディ・アレン

出演/アントニオ・バンデラス/ジョシュ・ブローリン/アンソニー・ホプキンス/ジェマ・ジョーンズ/フリーダ・ピントー

DVDを手にとって3流で軽くて、気楽に観られるだろうと思っていた。いざ映画が始まって早々にクレジットにウディ・アレンの名前が出て来たので、これは気楽ではなく何処まで理屈っぽいのかな、という不安が押し寄せてきた。監督・脚本を兼ねているので、余計彼の世界が展開されることは必至。

人それぞれの人生の悩みを彼一流の皮肉っぽい目線から描いている。大したことのない人生、勝手に好きなように生きていれば、喜びも哀しみも単なる人生の一部として日常に埋もれて行くだけだよ、とでも言いたいようだ。確かに誰かがどれだけ真剣に悩もうとも、みんな大したことのない人生を生きている。

誰が映画の主人公か分からない。原題「You Will Meet a Tall Dark Stranger」はどういう意味なのだろう?映画の中にヒントが出て来たのかもしれbないが、見逃している。一度寝てしまったので、戻って見直した。セリフが多すぎて、内容が素直に身体の中に入ってこない。もうちょっとお気軽だったら・・・・・。

『心の旅路』(Random Harvest)

1942年・アメリカ 監督/マーヴィン・ルロイ

出演/ロナルド・コールマン/グリア・ガースン/フィリップ・ドーン/スーザン・ピータース

『失われた地平線』、『チップス先生さようなら』と同じジェームズ・ヒルトン原作の物語というプチ知識。面白い映画は何度観ても面白いと断言できる。正攻法の映画ながら、奇をてらったへなちょこ映画なんて、比較するにも値しないと言い切れる素晴らしさが際立つ。

主人公は第一次世界大戦の末期に戦場で負傷、記憶喪失となる。精神病院に入れられて誰だかも分からずに過ごした3年間、記憶も定まらないままに今度は交通事故に遭遇してしまう。この事故のお陰で戦場にいたこと以前の自分を思い出すが、記憶喪失していた3年間が今度は記憶の闇に隠れてしまう。その3年間の間に出会った女性と結婚したことも忘れてしまって。

これでもかこれでもか、と畳みかける。もう記憶を戻して幸せだった日々を思い出させてもいいのでは、とひとこともふたことも声を掛けたくなってしまう。そういう感情移入が平然と出来るのが素晴らしい映画だと言い切れる。どこかで観たことのあるようなストーリー、もしかするとこういう映画を観てたくさんの精神的支柱を得ていたような気もする。ひとつの価値観として、主人公達の無垢な心根が心底共感できる。幸せになりたい、心の中だけでも。

『NEXT -ネクスト-』(Next)

2007年・アメリカ 監督/リー・タマホリ

出演/ニコラス・ケイジ/ジュリアン・ムーア/ジェシカ・ビール/トーマス・クレッチマン/ピーター・フォーク

主人公は2分先の未来を知ることのできる予知能力の持ち主。ただしそれは自分の身の回りに起こることしか見えないという。そんな中途半端な超能力でも、映画の題材としても問題ない。荒唐無稽なFBIからの依頼を頑なに拒絶して、その超能力をつかうことをしようとしなかった。

この超能力はちょっと信じるられるほどの説得力がない。テレビのチャンネルを変えながら、その先のコメントを言い当ててみせるシーンがあるが、こんな能力はちょっと変。拳銃から発射された弾道をマトリックス宜しく避けるシーンもなんか変。予測は出来ても撃たれたタマを避けられる能力とは違うような。細かいことが気になってしまう。

この欄を書く前に一度観ていた記憶がある。見始まってもほんの断片的にしか思い出さないので、それなりに楽しく鑑賞できる。いつものことながら、監督や俳優の名前、観たことのある映画の内容、都合良いのか悪いのか分からないが、頭にも心の中にも残らないことが多くて楽しい。

『至宝 ある巨大企業の犯罪』(IL GIOIELLINO)

2011年・イタリア 監督/アンドレア・モライヨーリ

出演/トニ・セルヴィッロ/レモ・ジローネ/セーラ・フェルバーバウム/リノ・グアンチャーレ

題名がすべてを語り尽くしている。その割りにはさほど面白い映画とは言えない。畳みかける迫力が希薄。こういう題材なら、もっと面白く作れそうな気がする。脚本の問題か、監督の問題か。

会社が潰れて行くというのはどんな感じなのだろう。日本ヘラルド映画もヘラルド・コーポレーションも結局は潰れてしまった。自分の青春の多くのページが跡形もなくなくなってしまったことが悔しい。潰れることを見越したかのように、会社を逃げてしまった訳ではない。私如きが会社に残っていたって、結果は同じだったことは間違いない。ただ潰れた瞬間に立ち会えなかったのは悔やまれる。人生は1回限りと決まっているから、出来るだけ多くのことを経験できた方が面白い。

ヘラルドOB会は会社がなくなる前から発足していた。会社が好調な時を含めて、それなりに会社を辞める人がいた。自分もそのうちの一人だが、あんないい会社はそんなにお目にかかれないと今でも思っている。悪い会社だから辞めたのではなく、自分がこれ以上貢献できないと思ったから辞めたのだ。人それぞれ理由は違っても、会社を辞めても集える仲間がいるというのは嬉しい。今年もまた第13回ヘラルドOB会がもうすぐ開催される。


2019年(令和元年5月8日再び観たので記す。

『至宝 ある巨大企業の犯罪』(Il gioiellino)

2011年・イタリア 監督/アンドレア・モライヨーリ

出演/トニ・セルビッロ/レモ・ジローネ/サラ・フェルバーバウム/リノ・グアンチャーレ

イタリアを揺るがした戦後最大の不正経理スキャンダル(パルマラット事件)、その実話に基づいた企業サスペンスの傑作! とあるが、何が何だかよく分からない映画だった。結局は深い眠りについて起きた時には当該企業は倒産、書類を燃やし、捨て、宝石を庭に埋めているシーンにぶつかった。逮捕されて護送車に手錠で繋がれている幹部社員の姿があった。

イタリアらしくノー天気な明るい映画とは正反対のものだった。女とみれば見境なく誰にでも声を掛けるイタリア野郎の雰囲気は、ちょっとだけこの映画の中でも見えたりするが、基本的には真面目な映画だ。至宝とは何を指すのだろうか。巨大企業の犯罪が至宝なのか、この映画が至宝なのか、どういう日本語なのかも理解できない。

イタリアのリラが事実上破綻していたはずなのにユーロ圏に入ってあっさりとリラを捨てユーロ貨幣になるとは、世の中なんでも出来るのだという証明にでもなるような出来事だ。一方、ユーロ圏に入りながら気高くポンドを捨てないイギリスが、ユーロを離れる国民投票になって右往左往している。もともと無理な集合体だと言ってしまえばそれまで。すべては経済のためという大義名分のために国という単位が無意味な実態を晒している。

『マン・オブ・スティール』(Man of Steel)

2013年・アメリカ 監督/ザック・スナイダー

出演/ヘンリー・カビル/エイミー・アダムス/ラッセル・クロウ/マイケル・シャノン/ケビン・コスナー/ダイアン・レイン

日本公開2009年2月末の『オーストラリア』から4年ぶり、映画館で映画を観るのは。それ以降で観た記憶にはないけれど、ボケが酷くて確かかどうかも分からない。スーパーマン大好き少年は今でも続いているが、今回の映画はテレビコマーシャルを見た時、妙に不吉な予感がした。勘は当たり、どうにもつまらない映画だった。客席127に入りは21人、観終わってみれば当たらない映画である事が良く分かる。

出だしは快調、ラッセル・クロウがグラディエーターよろしく甲冑姿で出て来た時からお笑いが始まってしまった。それでもスーパーマン誕生秘話を描いている前半部分は興味津々で見られる。後半はスーパーマンと同じ星からやって来たスーパー機械クリプトン星人同士のバトルシーンの連続で、これならトランスフォーマーのようにマシーン同士の闘いの方が面白いじゃない、という感じになってしまった。

3D映像が見栄えするようなシーンばかりで、ただガチャガチャと画面が騒々しいだけ。あの正義の味方スーパーマンはいつやって来るの、と不平不満が溜まりっぱなし。ようやくラストシーンになって、デイリー・プラネット社に勤め出すクラーク・ケントが現れる。今度の主役はちょっと顔が濃い。身体も凄いマッチョだし、昔ながらの優しいスーパーマンはこの時代では役不足なのだろうか。ほんわかヒーローなんて、もう望む可くもないキャラクターなのかもしれない。それにしても詰まらなかった。一瞬眠りかけた。


2021年7月再び観たので記す

『マン・オブ・スティール』(Man of Steel)

2013年・アメリカ 監督/ザック・スナイダー

出演/ヘンリー・カヴィル/エイミー・アダムス/マイケル・シャノン/ケビン・コスナー

スーパーマンの生い立ちが明かされる。子供の頃から「月光仮面」派を馬鹿にしていた心は、大人になっても変わりようがない。

『汽車はふたたび故郷へ』(Chantrapas)

2010年・フランス/グルジア 監督/オタール・イオセリアーニ

出演/ダト・タリエラシュビリ/ビュル・オジエ/ピエール・エテックス

「素敵な歌と舟はゆく」「月曜日に乾杯!」の名匠オタール・イオセリアーニが、旧ソ連グルジアに生まれ、1979年から仏・パリを拠点に活動してきた自らの体験に基き手がけた半自伝的映画。旧ソ連体制下のグルジアで暮らす映画監督のニコラは、検閲や思想統制により自由な映画作りができないことに耐えかね、フランスに旅立つ。しかしフランスでは、作品に商業性を求めるプロデューサーと対立するなど困難が連続し、なかなか思うような映画作りが進まないが……。 ~ 映画.COMより

岩波ホールで公開されたという邦題、それらしい。何度も眠ってしまって、退屈な映画だった。この手の映画の「良さ」がまったく分からない。字幕の翻訳者がヘラルド出身者だった。

タイトル『Chantrapas(シャントラパ)』の意味を問われた監督。「偉大な歌手、パバロッティのような歌唱法はベルカントといいます。私はあのように歌うことはできませんが…」と言いながら、その日2度目の歌声を披露。再び会場を沸かせた。そして姿勢を正すと、「サンクトペテルブルクに昔、イタリアからベルカントの先生たちがやってきました。当時のサンクトペテルブルクでは全員がフランス語を話していたのですが、彼らはフランス語ができません。そこでフランス語を二言ほど覚えました。一言目は“シャントラ”、すなわち『彼は歌うようになるだろう』という意味。二つ目は“シャントラパ”で、『彼は歌うようにはならないだろう』という否定形です。こうして“シャントラパ”とされた子ども達は、試験に落とされたのです。その後、言葉だけが独り歩きしてロシア語の中に残り、役立たず者のことを“シャントラパ”と呼ぶようになりました」と解説。 ~ 2011フランス映画祭より

『ザ・シューター/極大射程』(Shooter)

2007年・アメリカ 監督/アントワーン・フークア

出演/マーク・ウォールバーグ/マイケル・ペーニャ/ダニー・グローヴァー/ケイト・マーラ/ローナ・ミトラ

思いがけず面白い映画に出会った。このタイトルから面白さを想像することは不可能だ。映画館で公開したって、誰を対象に宣伝して良いか分らない題名。よくもま~こんな邦題を考えるものだと、ちょっと呆れている。

原作はスティーヴン・ハンターのボブ・リー・スワガー三部作の一作目、『Point of Impact』(邦題『極大射程』)だという。国家隠謀に巻き込まれ生命までをも脅かされ、保証されない一人の狙撃手が主人公。単なるカー・アクションや肉体アクションではない、そして単なる戦争アクションでもない新鮮さが面白い。

夜の11時半頃録画した映画を観始まることがある。面白かったら翌日気持ち良く続きを観よう、面白くなかったら気が進まないままに続きを観よう、という不埒な考えのもとで。この映画もそんな感じで観始まったが、面白くて午前1時半過ぎまで観る羽目になってしっまった。病気をしてから寝ることに関しては上手くいっていない現状、ちょっと寝始まる時間帯を間違えると体調に響く。それでも見続けてしまう面白さがあった。続編が出来たらまず観たいと思うだろう。

『デンジャラス・ビューティー2』 (Miss Congeniality 2: Armed and Fabulous)

2005年・アメリカ 監督/ジョン・パスキン

出演/サンドラ・ブロック/レジーナ・キング/ウィリアム・シャトナー/ヘザー・バーンズ/アーニー・ハドソン

「ミス・アメリカコンテスト」への潜入捜査で爆破事件を見事解決し、今や全米中の人気者となったFBI捜査官グレイシー・ハート。そのさい、顔と身元が知れ渡ってしまったため潜入捜査をしても足を引っぱることになってしまう。 そんな彼女をFBIの広告塔に仕立てようと、グレイシー・セレブ化計画がもちあがる。セレブ・ファッションに身を包み、テレビのトーク番組で“営業用スマイル”を振りまくグレイシー。華麗なる犯人逮捕歴を綴った自伝の出版、笑顔と握手のサイン会、PRツアーはどこへ行っても賞賛の嵐。一躍時の人となる。そんなある日、グレイシーのもとに「ミス・アメリカ」誘拐の報せが飛び込んできた。 事件には絶対手を出すなとの長官命令を無視し、ミスコンを一緒に戦った親友シェリルを救い出すため、グレイシーは事件の捜査を決意する。 ~ Wikipediaより

1作目を観ているかどうか記憶にあるような、ないような。お気軽でお金もかかっていて、楽しませてくれるアメリカ映画の典型的な映画。こんな映画ばかりでも疲れてしまうけれど、5本に1本くらいはこんな映画を望む。

そっくりさんのコンテストを楽しむシーンが出てくる。何でもエンターテインメントにしてしまうアメリカ人気質、ショービジネスの世界は日本が足許にも及ばない世界へと、遠いところへ行ってしまった。

『天国の約束』(Two Bits)

1995年・アメリカ 監督/ジェームズ・フォーリー

出演/アル・パチーノ/メアリー・エリザベス・マストラントニオ/アンディ・ロマーノ/ジェリー・バローン

1930年代の大恐慌時代のアメリカの田舎町を舞台にしたヒューマン・ドラマ。原題の「Two Bits」は英語で25セントを表す言葉であり、この映画に出てくる映画館の入場料を示している。もの凄い貧しさに生きていた時代の風景が全編に映し出されている。

芸達者すぎるアル・パチーノのための映画のようにも見える。他の役者は聞いたこともない名前で、こういうヒューマンと称される映画ではこれで充分のような気もする。毎日庭の椅子に座って朝から晩まで過ごす老人の主人公、すぐにでも死ぬからと口癖のように言っている。同じようなことを言っているな~、と自省の気持。

おだやかな流れの映画を観るのに何日間かかったのだろう。途中で諦めることがなかったのは、この映画が面白くないのではなく、映画を観ている自分の方に問題があるから見続けることがなかなか出来ないのだと、どことなく悟っていたからに違いない。

『薄桜記』

1959年(昭和34年)・日本 監督/森一生

出演/市川雷蔵/勝新太郎/真城千都世/三田登喜子/大和七海路

「はくおうき」と読む。原作は五味康祐の時代小説。もうひとつの「忠臣蔵」といった内容の映画だが、主人公堀部安兵衛と丹下典膳の友情や、上杉家江戸家老の名代・長尾竜之進の妹・千春をめぐる悲恋が描かれる。

市川雷蔵、勝新太郎ともに27歳の時の映画。若々しい2人の姿は、映画全盛を彷彿とさせるに充分な光を放っている。忠臣蔵がメインではなく背景として描かれているという贅沢な設定。

忠義を尽くすなんていう言葉は死語になっている。現実は厳しい。途中20分くらい眠ってしまったのは体調の問題なのか、映画の問題なのか?

『ココニイルコト』

2001年(平成13年)・日本 監督/長澤雅彦

出演/真中瞳/堺雅人/中村育二/小市慢太郎/黒坂真美/原田夏希/島木譲二

久しぶりで日本映画で最初から飽きない映画を見ることが出来た。主演の女性の顔を見ても名前が出て来ない。見終わって調べてもまだピンと来ていない。今を時めく「半沢直樹」の堺雅人がちょっと細めで出ていた。最初彼だとは分からなかったが、特徴ある口元を見つけて確認することが出来た。

日本ヘラルド映画の名前が製作サイドと配給に出ていて、ちょっと嬉しかった。サラリーマン世界、不倫の結末、そんな物語だが思いのほか共感できるところがあり、それなりに心地良い気分になれる。

実社会に生きているといろいろなことがある。嫌な奴でも上司は上司、どんなに気に食わなくても社長は社長、そんなことだけで会社生活をしなければならなかったら、ストレスが積もりっぱなしになってしまう。半沢直樹がうけるのも、そんな不条理な社会を一刀両断に切ってしまうからなのだろう。

『Black & White ブラック&ホワイト』(This Means War)

2012年・アメリカ 監督/マックG

出演/リース・ウィザースプーン/クリス・パイン/トム・ハーディ/ティル・シュワイガー

題名からして6流映画だったが、何故か借りてしまった。原題をそのままカタカナ題名にするわけにはいかないので、適当な日本語を遣うことになるが、悲惨な邦題は内容にも匹敵する。

CIAでの職務と恋愛をくっつけただけのおちゃらけた映画。いくらなんでも酷い。気楽に見られるはずの4流以下の映画、ここまで酷いと呆れ果てて声も出ない。

CIAが個人の一挙手一投足を監視している様子が見られたのが唯一の収穫。恐ろしい時代になったものだ。やろうと思えばどんな個人情報でも野晒し状態、そんなことには無頓着な日本でも、そのうちいろいろな個人情報事件が起こりそうだ。

『キリマンジャロの雪』(Les neiges du Kilimandjaro)

2011年・フランス 監督/ロベール・ゲディギャン

出演/アリアンヌ・アスカリッド/ジャン=ピエール・ダルッサン/ジェラール・メイラン/マリリン・カント

タイトルは劇中流れる歌の詩に書かれている言葉。アフリカ旅行をプレゼントされた主人公たちがそういう風景も見られるよ、と友達から言われた言葉でもある。キリマンジャロの近くでの話とか、そういうことではない。生活苦にあえぎながらも隣家の孤児を引き取る漁師夫婦を描いたビクトル・ユゴーの長編詩「哀れな人々」に着想を得て描いた人間ドラマだという。

日本人のDNAに合いそうな性善説に基づいた映画の雰囲気。他人の心や生活を思いやる主人公の姿が日本人みたいに見える。多少文句を言ったりするが、奥さんもそれに輪をかけて大らか。こういう奥さんの姿を眺めているとほっとする。

場所はフランス、マルセイユ、港町。ひとつの事件をきっかけに主人公とその周りの人達の生活が明らかになって行く。貧乏以上に大切なものがあるという仮説は、なかなか証明されない人生ながら、たぶんそうに違いないと思わせてくれる。

『遠距離恋愛 彼女の決断』(Going the Distance)

2010年・アメリカ 監督/ナネット・バースタイン

出演/ドリュー・バリモア/ジャスティン・ロング/チャーリー・デイ/ジェイソン・サダイキス/クリスティナ・アップルゲイト

恋愛映画は好きだ。なんか甘酸っぱい気持を年寄りが味わうのは相応しくないような気がするが、そんな気持がもしなくなってしまったら、本当に生きている意味がなくなってしまう。

ニューヨークとサンフランシスコに分かれての遠距離恋愛、考えてみればアメリカには大きな有名な都市がアメリカ全土に広がっている。東京・大阪・福岡・札幌くらいしかない日本の比ではない。同じ国の中に時差があるということでも、ホントの遠距離と言えるかもしれない。

この映画はかったるい。ドリュー・バリモアもちょっと歳をとってしまった。同じことの繰り返しで一向にはなしが前に進まない。そういう意味では現実の恋愛もそんなものだから、現実に近すぎて映画らしくなく面白くない、のだろうか。

『ホビット 思いがけない冒険』 (The Hobbit: An Unexpected Journey)

2012年・アメリカ 監督/ピーター・ジャクソン

出演/イアン・マッケラン/マーティン・フリーマン/リチャード・アーミテージ/ジェームズ・ネスビット

「ロード・オブ・ザ・リング」の前章となるJ・R・R・トールキン著「ホビットの冒険」を映画化した3部作の第1部。ロード・オブ・ザ・リングは何故か興味が湧かなくて、未だもって見ていない。

指輪がどうのこうのという子供騙しのストーリーに食指が動かない。この話だって大差なさそうだが、とりあえず見てみようという気になっただけ。三部作だと知っていたら止めていただろうが、このあと続きを見ることになるかどうかは、気分次第というところ。

欧米の絵本を見ているような感じ。観客に関係なく、ひたすら自分たちの物語を語り尽くそうという雰囲気。このあたりはDNA、性格にも通じる。相手が訳も分からなくてもどんどん前に進んでしまう。もうちょっとひと息しながら映画製作をして欲しい。だいぶ後半に「指輪」が登場し、なるほどこれが「指輪物語」のはじめのはなしなのかと分かったような気になる。明らかに続きがあるという感じでこの映画は終了する。

『レインメーカー』(The Rainmaker)

1997年・アメリカ 監督/フランシス・フォード・コッポラ

出演/マット・デイモン/クレア・デインズ/ジョン・ヴォイト/ダニー・デヴィート/ミッキー・ローク

タイトルの「レインメーカー」は、金を雨に例え、雨が降るように大金を稼ぐ弁護士を意味している。法律学校を卒業したばかりの主人公、最初に就職した法律事務所の経営者はヤクザのような人物、そこから面白い物語が始まって行く。マットデイモンがだいぶ若く、いかにも初々しい青年を演じている。

アンジェリーナ・ジョリーの父親ジョン・ヴォイトが大根からちょっと成長したような演技をしている。見終わってから監督がコッポラだと分かったのだが、やっぱり面白い映画はしっかりした監督が作っている。

正義の味方を気取って弁護士試験にも合格したが、初めての法廷で物の見事に社会の厳しさに直面する。大企業にくっついて甘い汁を吸い続ける偉そうな弁護士達、主人公は裁判には勝つが結局相手企業が倒産して一銭の稼ぎにもならない現実を見る。まっとうな商売ではない弁護士を早々と諦めて、先生へと歩む道を変えて行く決断をして映画は終わる。法廷劇は面白い。アメリカの司法制度に触れたり、裁判官気質を知ったりして、日本とは根本的に違う何かがあるといつも感じることになる。

『ロンリエスト・プラネット 孤独な惑星』(THE LONELIEST PLANET)

2011年・アメリカ/ドイツ 監督/ジュリア・ロクテフ

出演/ガエル・ガルシア・ベルナル/ハニー・フルステンベルク/ビジナ・グジャビゼ

題名とDVDパッケージを見れば、どう考えたって面白い作品とは思えない。それでも、もしかするとSF映画で他の惑星への旅立ちの映画だったらいいな、というかすかな望みを持ったので、借りて見ることにした。そんな望みは見事にズタズタと引き裂かれて、途中での気持ちよい睡眠と早回しという、つまらない映画の定番行動となってしまった。

昔なら8mm映画や実験映画でこういう映像は作られていたのだろうが、映画館で見る映画としてはまったく問題外。もっとも日本では未公開映画らしく、こういう映画では当然のことと当たり前の如く納得。哀しいよね、製作した映画が日の目を見ないということは。

地球ではないところに人間と同じような世界があったら、といつも夢想している。そうすれば、地球にも本当の平和が訪れるだろう、などと優等生的発言をするつもりはない。純粋に、何故この広い宇宙に地球と同じ世界がないのだろうと、不思議でたまらない。そんな世界があれば、もっと人間世界が豊になるような気がしてならない。

『サブウェイ -デジタル・レストア・バージョン』(SUBWAY)

1984年・フランス 監督/リュック・ベッソン

出演/クリストファー・ランバート/イザベル・アジャーニ/リシャール・ボーランジェ/ジャン・レノ

大富豪の美しい人妻に招かれたパーティーで重要書類を盗み出した男が潜伏先の地下で風変わりな若者たちと出会い、奇妙な運命に巻き込まれていくドラマ。1986年にセザール賞の3部門を受賞した本作は、リュック・ベッソンが26歳で撮り上げた長編第2作で、パリの地下を舞台にアクションや純愛ドラマをちりばめたファンタジックな世界を描出。クリストファー・ランバート、イザベル・アジャーニら豪華キャストの好演も必見。久しぶりの引用、 ~ シネマトゥデイより

なんだか訳の分からない映画だった。嫌いなフランス、パリとリュック・ベッソン、ジャン・レノ、だから嫌いなんだよ、と鶏と卵論争のようになってくる。パリの地下鉄で「SORTIE」が出口だと言うことらしきことを思い出していた。埃っぽいパリの雰囲気が嫌いだ。

イザベル・アジャーニが可愛い。こんなに可愛かったかと。まだ映画に出演しているようだ。映像や写真は若かりし頃の美しい姿を留めてくれるので、なかなかいい。

『噂のギャンブラー』(LAY THE FAVOURITE)

2013年・アメリカ 監督/スティーブン・フリアーズ

出演/レベッカ・ホール/ブルース・ウィリス/キャサリン・ゼタ=ジョーンズ/ジョシュア・ジャクソン/ヴィンス・ヴォーン

実在の女賭博師ベス・レイマー自叙伝の映画化。題名からして四流映画だが、話の流れも映画としても、まさしくその通りになっていて、見ていて悪き気はしない。気楽に見られるという点では、三流映画、四流映画は相応しい活動写真という感じ。

ラスベガスなら合法だがニューヨークでは違法だというブックメイカー、何でも賭けの対象としてしまうイギリスは特別な存在かもしれない。今年だって英国王室の後継者の誕生を廻って、毎日のようにその情報が世界中を駆け巡っていた。白か黒かをはっきりさせるという意味では、自分がどちらに賭けるのかというのは正しい方法。日本の政治家のように八方美人的な発言ばかりでは、国民はたまったものではない。

映画の宣伝部には賭け事の好きな人間が多かった。ただ凡々と毎日を暮らしているのではなく、当たるのか当たらないのかと心をときめかされる瞬間は健康にも良い。当たっても外れても、責任はその当事者にあり、他人のせいにすることなんか出来ない。いつも第三者的で、自分とは関係ありません的な態度が得意なこの頃の若者は、時間がもったいないとか損をするから嫌だと言って、賭け事をしない傾向にある。はまり過ぎてしまうか、全くやらないか、極端な人間しか生まない今の教育が問題なのかもしれない。

『屋根裏部屋のマリアたち』(Les Femmes du 6e`me e'tage)

2010年・フランス 監督/フィリップ・ル・ゲイ

出演/ファブリス・ルキーニ/サンドリーヌ・キベルラン/ナタリア・ベルベケ/カルメン・マウラ

コメディー映画というジャンル分けがされていたが、決してコメディーを売りにしているわけではない。久しぶりに気持ちの良い、心が和む映画を見させてもらったという感じがした。スペイン人の女たちがパリの資産家達の家にお手伝いさんとして住み込んでいる。大きな建物の6階部分、屋根裏部屋として彼女たちの住む部屋が与えられている。

スペインではフランコ将軍の時代と言うから1938年頃だろう。まだフランスではスペイン人をお手伝いさんにするのは珍しい時代だった。アメリカなどではホテルでもスペイン人ばかりという印象とはちょっと違っているようだ。代々資産家でパリを離れたことがない主人公、初めてスペイン人のお手伝いさんを雇った時から、人生の生き方に新風が通り抜けるようになった。

資産家の子どもたちは中学生と小学生くらいの年頃、時々寄宿から帰ってきてはお手伝いさんに対して生意気な口をきく。そんなフランス人と対照的に描かれるスペイン人の生い立ちは大変なものだった。でも生来の明るさは人生を楽しむことを知っている。金があったって何のための人生か分からなければ、生きている意味もないと悟ってしまった主人公は・・・・。人生の楽しさをあらためて見せてくれる。面白い。こういう映画に乾杯。

『ホームレス中学生』

2008年(平成20年)・日本 監督/古厩智之

出演/小池徹平/西野亮廣/池脇千鶴/古手川祐子/イッセー尾形/宇崎竜童/黒谷友香/いしだあゆみ/田中裕子

この物語が存在するのは知っていた。漫才の片割れが書いた本が売れたという程度だが。だいたいあんなにお笑いと称する人間がたくさんいて、良く食べていけるな、と言うのが率直な感想。現にテレビに出ている何倍もの予備軍がいるのも確かだし、毎年毎年どんどんお笑い志望人間が学校を卒業している。

最近のテレビ・バラエティー番組ではひな壇にお笑いの人間がたくさん座っている。よっぽどギャラが安いのか、よっぽど番組予算があるのかと言うくらい不必要な数の人間が座っている。どうにも笑いの壺が合わないというか分からないというか、漫才を見て笑ったことがない。笑ったことがないどころか、きちんと見たこともない。

この映画だって、何処が面白いのかまったく分からない。活字で読んだって、面白いところが探せるかどうか疑問だ。優しい日本人は、ちょっと不幸な他人を見ると、やたらと親切になる。本が売れて映画が当たるのだから、たぶん良いところがあるのだろう。それが分からない人が問題なのかもしれないと、いつも反省をする。

『オンディーヌ 海辺の恋人』(Ondine)

2009年・アイルランド 監督/ニール・ジョーダン

出演/コリン・ファレル/アリシア・バックレーダ/スティーヴン・レイ/デヴラ・カーワン

DVDパッケージの絵柄とこの題名で、出来損ないの恋愛映画を期待していた。準新作100円セールで借りる時、まったく情報もなく手っ取り早く棚から借りる作品を選ばなければならない。邦題は配給会社の出来の悪い宣伝マンが考えることなので、もともと信用ならないから変な題名でもいい映画もあり得ると直感を働かせなければならない。

監督が著名な人だったので、結果的にはいい選択をしたのかもしれないとちょっと安心して見始まった。『クライング・ゲーム』(The Crying Game・1992年)は、ヘラルドが配給した第65回アカデミー賞 脚本賞作品。監督初期の頃の作品をヘラルドが配給している。少しメジャーになるとヘラルドでは買うことが出来ず、アメリカンメジャーなどが彼の作品を扱うようになる。ヘラルドとは先駆者という意味、才能を発掘しては美味しいところを、別の人に持って行かれる。

海で漁船の網にかかった娘、登場の仕方が摩訶不思議だったので人魚ではないかと、或いはアザラシの生まれ変わりではと小さな漁村で噂になる。摩訶不思議な展開は、御伽噺や絵本の雰囲気で興味を持たせてくれる。結局はなんていうことのない結末になってしまうのだが、ひとときでも夢を見させてくれる映画は楽しい。そんな人に会えるのも楽しい人生。

『スリープレス・ナイト』(Nuit blanche)

2011年・フランス/ルクセンブルク/ルギー 監督/フレデリック・ジャルダン

出演/トメル・シスレー/ジョーイ・スタール/ジュリアン・ボワッスリエ/ローラン・ストーケル

三流映画には三流映画の流儀がある、といった殺し文句が聞こえてきそう。ハリウッド映画ではないアクション映画をこの頃時々見る機会があるが、やっぱりどこか洗練されないごつごつとした荒々しいシーンが連続する。良いのか悪いのか、そんな問題ではないことは確かだが、どうも慣れない観客がいる。

映画の終わり方は超一流のように、余韻を大きく残してエンド。四流作品ならくどくどとしつこく、だらだらと饒舌になるのだけれど、正しい警察官が誰なのかといった肝心なことを言わずに終わってしまうのは、狡いとしか言いようがない。金がかかっていそうでそうでもない、そんな作り方が上手いのも三流作品の特徴。

どんなに暴力的でも、警察の内部抗争を描いていても、ヨーロッパ映画もハリウッド映画と同じく結局は「愛」をテーマにしてしまう。今回は自分の子供をマフィアに人質に取られた刑事、子供を助けるために一体何人の人間を殺すのか。それが「愛」のためなら、許されることだと訴えるかのように。

『SAFE/セイフ』(Safe)

2012年・アメリカ 監督/ボアズ・イェーキン

出演/ジェイソン・ステイサム/キャサリン・チャン/ロバート・ジョン・バーク/クリス・サランドン

DVDのパッケージ写真を見て単純にブルース・ウィリスだと勘違いしていた。映画が始まってもそうだと思い込んでいたが、ちょっと何かが違う。まぁ~誰でもいいや、どうせアクション映画だし。主演のジェイソン・ステイサムは、2010年に公開された『エクスペンダブルズ』で好演し、『エクスペンダブルズ2』にも出演しているという。このタイトルはTSUTAYAで何故か気になっていたので、次回は選択作品に入れておこう。

中国マフィアが絡んだ映画で、中国人らしき人間がたくさん出てくる。胸くそ悪い中国人には映画の中でも会いたくなくなってきた。天才的な中国人の子供も出てくるが、あののっぺらぼうとした特徴のある顔立ちが気持ち悪い。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、と狭量な心が恥ずかしい。

アクション映画は見ている時は楽しいが、1時間も過ぎてしまえばどんな内容だったかを思い出せない。そんな刹那的な人生を瞬間瞬間で送れれば、ストレスなしのあっぱらぱ~な人生が過ごせるものを。

『大臣と影の男』(L'exercice de l'E'tat)

2011年・フランス/バルギー 監督/ピエール・ショレール

出演/オリヴィエ・グルメ/ミシェル・ブラン/ザブー・ブライトマン

日本劇場未公開らしい。結構賞を獲っているようだが、題名ほど魅惑的で魅力的な内容にはなっていない。大臣と秘書官の話がメインで、黒幕とか本当の影の男ではないところが、イマイチな設定なところ。

政治家の世界なんてなんでもありの世界だから、いくらでも奇抜で面白い話が作れる。それなのにこの映画はたいしたことがないと思わされる。こんなことも、あんなことも、と想像を絶するような政治の世界を見せてくれるのかと期待したが、この程度なら想像のつく範囲で、現実とあまり変わらないのではないかとちょっとがっかり。

フランスの辛口のエスプリと言う奴からはほど遠い。何故かは分からない。脚本が詰まらないのだろう。もっとダイナミックに政治世界の裏側を描かなければ、TBSのドラマ『半沢直樹』に負けてしまうよ!


2019年2月21日再び観たので記す。

『大臣と影の男』(L'exercice de l'Etat)

2011年・フランス/ベルギー 監督/ピエール・ショレール

出演/オリヴィエ・グルメ/ミシェル・ブラン/ザブー・ブライトマン

政治劇はおもしろいのだが、難しくてよく分からない部分が映画そのものをおもしろくないものにしている。原題をGoogle翻訳機に掛けたら「国家の運動」とこれまた訳の分からない日本語が現れた。入り組んだ話になると、顔と名前が一致しない外国映画は観ているのが辛い。

昔は政治家と尊敬して称していたものが、だいぶ前から政治屋と揶揄する存在になってしまった。一般商家のように代々受け継ぐ職業になってしまった。良い面もありそうな気がするが、商売だってバカな二代目、三代目が世間から疎まれているケースが多いことを考えれば、素直に良しという訳にもいかない。

もっとも、芸能界だってスポーツの世界だって二代目が横行しているのには驚くばかりだ。タレントとは本来才能のことを言うはずだが。『門前の小僧習わぬ経を読む』くらいの才能で国を司る仕事をやられては、国民も誰に文句を言っていいのやら。偶々、出来の悪い政治屋に、才能豊かな政治家が生まれることもあるが、そんなことは極めて稀だということを庶民はよーく知っている。

『トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン』(The Twilight Saga: Breaking Dawn)

2011年・アメリカ 監督/ビル・コンドン

出演/クリステン・スチュワート/ロバート・パティンソン/テイラー・ロートナー/ピーター・ファシネリ

あの首筋や手首に噛みつきたくなる衝動を覚える『トワイライト・サーガ』シリーズの4作目で、最終章 PART1 と PART2 に分かれている。普通の女の娘がドラキュラに恋をして、自分もドラキュラの世界に導かれて行く。まだ人間であるうちにドラキュラの子を宿し、禁断の世界へと進行して行く。人間とドラキュラのハーフは禁じ手らしく、これがドラキュラ族の戦争へと発展して行くのだ。

最後の章は日本の御子様ランチサスペンスのような雰囲気になって行き、ちょっとばかり眠気を誘うシーンが続く。さすがに4作目ともなるとアクション・シーンも新手が繰り出せない。もう人間世界なんて関係なく、スーパー特殊才能達のドラキュラ同士の戦いが勃発する。ちょっとばかり漫画的。

これまでの大人っぽいドラキュラ世界から、子供っぽいマンガチックな映像へと変化する。アメリカ映画の凄いところは、いつだって『愛』を語るところ。何が何でも『愛』なくしては、生きていけないのがアメリカ映画。そんな世界にどっぷりと浸かって毎日を暮らしたいものだ。

『マーサの幸せレシピ』(Bella Martha)

2005年・ドイツ/オーストリア/イタリア/スイス 監督/ザンドラ・ネッテルベック

出演/マルティナ・ゲデック/セルジオ・カステリット/マクシメ・フェルステ/ウルリク・トムセン

主人公はドイツ・ハンブルグで女性シェフをしている。料理の腕はかなりのものだが、客に対しても自分の考えは曲げずかなり頑固者。もっと肉をレアで焼いてくれと2度も言われ、生肉をナイフに刺してテーブルに打ち付けるまでしてしまう。気に入らなかったら出て行ってくれと剣幕。フォアグラが半生だと言われると、きちんと時間を見て焼いてあるので、あなたのタバコに冒された舌が悪いと客をののしるのだ。かなり腕には自信を持っている独身女性。

姉の娘を自宅に預からなければならない状況となり、8才の子供との接し方に戸惑いばかり。「幸せレシピ」は料理のレシピではなく、幸せになるためのレシピを指し、配給会社宣伝部の渾身の邦題に見える。

姉の娘とは言え他人と同居をしなければならないのは難しい。ましてや自分は子供どころか結婚もしていない。仕事はレストランのシェフで夜遅い仕事場。もろもろの困難が映画を面白くしている。美しいシェフと美味しそうな料理を見ているだけで、仕合わせな気分になれる。

『すべて彼女のために』(Pour elle)

2008年・フランス 監督/フレッド・カヴァイエ

出演/ヴァンサン・ランドン/ダイアン・クルーガー/ランスロ・ロッシュ/オリヴィエ・マルシャル/アンムー・ガライア

突然妻が逮捕され殺人罪で禁固20年の判決をうける。そんなことが簡単に、偶然にあり得るということを映像は見せてくれるが、残った証拠は彼女の有罪を証明するものしかない。こんなことがあったら本当に怖いけれども、あり得るかもしれないと思える。これこそまさしく冤罪という奴だが、現実の世界では100万件に1件もないだろうと思いたい。

無罪を証明すべく夫が奔走して何とかそれを勝ち取るのかと思いきや、物語は想定しない方向へどんどん進んで行く。もちろん、そうでなければ映画は面白くない。在り来たりの進行と結末で喜んでいるのは日本映画くらい、世界の良質映画は非日常的空間を創造的に創作している。

ちょっと出来過ぎなところは仕方がない。ぎりぎりですり抜けて行くタイミングは人生にも通じる。知らないで生きてはいるが、ちょっとしたタイミングで事故に遭遇したり、数秒前に通り過ぎたために事故を免れたりと、神の悪戯に翻弄されるのが人間生活の掟みたいなもの。

『アルゴ』(Argo)

2012年・アメリカ 監督/ベン・アフレック

出演/ベン・アフレック/ブライアン・クランストン/クレア・デュヴァル/ジョン・グッドマン/マイケル・パークス

1979年1月、イラン革命が発生した。指導者はルーホッラー・ホメイニー。ホメイニーらが敵視するアメリカが、同じく敵視する元国王を受け入れたことにイスラム法学校の学生らが反発し、11月4日にテヘランにあるアメリカ大使館を占拠し、アメリカ人外交官や警備のために駐留していた海兵隊員とその家族の計52人を人質に、元国王のイラン政府への身柄引き渡しを要求した。これがイランアメリカ大使館人質事件。

この占拠事件発生の際、6名のアメリカ人外交官達が大使館からテヘラン市街に脱出し、カナダ大使公邸に匿われた。この6名に対しカナダ政府はカナダのパスポートを発給、更にCIAが彼らをカナダ人の映画撮影スタッフに変装させて脱出させる作戦を実行に移した。これがこの映画が実話に基づいて作られたというところ。ここで作る偽物映画の題名が「ARGO(アルゴ)」なのだ。SF冒険ものと言う設定で、そんな絵コンテも登場する。映画製作だと騙そうなんて言うことの発想がアメリカらしい。輸出産業の第二位に位置する映画産業は、アメリカの宝みたいなもの。第85回アカデミー賞作品賞受賞作品。

ハリウッドの映画人・プロデューサー達の会話が面白い。業界に居たからこそ分かることかも知れない。厳戒態勢のイランにロケハンに行くなんていうことが通じるのが面白い。もしもホントにこの映画のような危機一髪の展開だったとしたら、まさしく表彰もの。事実は小説より奇なりと言うくらいだから、おそらく事実に近いのであろうと後から驚く。

『ハート・オブ・ウーマン』(What women want)

2000年・アメリカ 監督/ナンシー・マイヤーズ

出演/メル・ギブソン/ヘレン・ハント/ローレン・ホリー/マリサ・トメイ/マーク・フュアースタイン

邦題よりも原題の方が、この映画の内容を良く現している。摩訶不思議な女という動物、一体何を考えているのか少しでも分かったら楽しいし嬉しい。ひょんなことから女性が考えていることを読めてしまうようになった主人公、その間は女性の使う商品を宣伝するという仕事に多いに役立つことになった。つぶやくように心を吐露する女性の心理が分かる、なんて、夢みたいな気分になるだろう。

メル・ギブソンがマッチョな身体を武器にして女を漁っている。コメディーだけれど、おちゃらけていないところがいい。広告代理店の宣伝マンというサラリーマン役にちょっと違和感を覚えるが、ま~ありかなとも思える。

日本のテレビコマーシャルは15秒が主流。欧米では30秒、1分が当たり前の世界。一所懸命テレビCMを見ている人はいないだろうが、それにしても洪水のようなその量に辟易させられる昨今。変なおばさんが登場して面白い動作や科白を言って製品を売り込むあざとさが鼻に付くのもこの頃。老人性ボケは見た瞬間に商品名を忘れているので、日常生活には丁度良い具合になっている。

『あなたへ』

2012年(平成24年)・日本 監督/降旗康男

出演/高倉健/田中裕子/佐藤浩市/草彅剛/綾瀬はるか/ビートたけし/大滝秀治/長塚京三/原田美枝子/三浦貴大

高倉健出演作品205本目。もう80才を過ぎて、さすがに衰えは隠せない。公開時のキャンペーンは凄まじいものだった。高倉健の作品を扱わなければ、テレビではないと思えるような特別待遇は致し方ない世間の義理みたいなもの。あまりにも情報が多すぎて、観た気になってしまいそう。

ちょっと感傷的すぎて、センチメンタルだな~という思いが強い。でも感傷的って?センチメンタルって? そんな言葉の定義は関係なく、じめじめとしたストーリー展開に前半は少しめげる。この物語をまったく無名の俳優達が演じたらどうなるだろうか、なんてことを考えながら観ていた。映画というものは不思議な生き物だ。観客だって昨日観るのと、今日観るのでは微妙に受け取り方が違ってくる。それが映画のいいところでもあり、楽しいところなのだ。

富山から九州の平戸の海へ、妻の焼骨を撒きに行くロード・ムービーのようなもの。死んでしまえば何も求めない。墓もなく、生きていた証もなく、もしかすると誰かの心の片隅に、ほんのちょっとだけ記憶として残っていれば、それで充分な人生だったと喜べるだろう。

『リンカーン弁護士』(The Lincoln Lawyer)

2011年・アメリカ 監督/ブラッド・ファーマン

出演/マシュー・マコノヒー/マリサ・トメイ/ライアン・フィリップ/ウィリアム・H・メイシー/ジョシュ・ルーカス

主人公は刑事弁護士。お抱え運転手つきの高級車リンカーンの後部座席を事務所代わりに使っている。題名からしてどう考えたって三流、四流映画だろうとタカをくくっていた。出だしは予想通り、どれだけ面白くなくなるのかと背筋が寒くなったくらいだ。

これがま~、なんとだんだんと面白くなってきた。弁護士ものの本領を発揮、話がどんどんこんがらかってきて、何重にもトリックが隠されている。弁護士と依頼人との間の「秘匿特権」という法律用語がキー。弁護士と依頼者の間のコミュニケーションの内容を秘密とするもの。

ヤクザ、警察、弁護士は同じ穴の貉(むじな)として認識している。弁護士が正義の味方だなんて思っちゃいない。依頼人が殺人者だと分かっていても弁護をするのが弁護士の仕事。人間が生きて行く中で、何処に正義があろうというのか。だからこそ人民は神にその救いを求めるしかないのだ。何を言っているんだか?&%$#!

『ラスト・ボーイスカウト』(The Last Boy Scout)

1991年・アメリカ 監督/トニー・スコット

出演/ブルース・ウィリス/デイモン・ウェイヤンス/ノーブル・ウィリンガム/チェルシー・ロス

過去にカーター大統領の命を救ったことのある腕利きのシークレットサービスだったが、今ではしがない私立探偵に落ちぶれ、負け犬人生を送っている主人公。一方、元プロフットボール選手のジミー・ディックス(デイモン・ウェイアンズ)はフットボール界を追い出され、麻薬に溺れながら無為な負け犬人生を送っていた。

タイトルのボーイスカウトは、“正義漢”といった意味で用いられている。警察官だった時も正義感から職を追われることになった。私立探偵になっても、汚い言葉を遣うこと以外は正義に基づいていて行動している。ブルース・ウィリスのアクション映画は見ていて安心感がある。役柄をすり込まれてしまっているのかもしれない。

ちょうど今朝のニュースで警察署長がゴルフに行って、ビールを飲んで暫くしたからと車を運転して帰ってきた、ことを内部告発され更迭された。一緒にゴルフに行った部下3人はビールを飲まなかったし、署長に対して飲まない方がいいのではないか、と進言していたという。酒を飲まない人種には分からないことが多いが、どうも酒飲みには、自分で自分を許してしまうところがある、と訝っていた。サラリーマンの酒も汚い。自分で金を出さなくていい場面には積極的に参加する傾向にある。自分の酒代くらい自分で出せよ、といいたくなるシーンが結構あった現役時代。

『Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!』(Mr. Bean's Holiday)

2007年・イギリス/フランス/ドイツ 監督/スティーヴ・ベンデラック

出演/ローワン・アトキンソン/エマ・ドゥ・コーヌ/ウィレム・デフォー/カレル・ローデン

Mr.ビーンの名前が出てくれば、もうそれはドタバタの極みだと覚悟しなければならない。イギリスの笑いのツボが自分にはしっくりこないことは分かっている。もっともアメリカの笑いだって、極端なことを言えば日本のテレビタレントの笑いなんかもっての外、それに比べたら洗練されたイギリス的ドタバタの方がまだ笑えるかもしれない。イギリスの興行では週末1位になったらしく、さすがに同じ国の人は彼の笑いを支持しているようだ。

原題はカンヌのことに触れていないが、邦題は映画の内容から余計なことを言っている。カンヌと言えば映画祭、この映画でもそういうシーンがあるのが一般的に享けるのか。セリフをあまり喋らず、身振り手振りで笑いを伝えようとしている。イギリス人がフランス語が喋れない可笑しさを笑いで表現している。

何度か行ったカンヌ映画祭。優雅だったな~。英語だってフランス語だって喋れない自分にとっては、カンヌに行くということは遊びに行くことと同じ。社長や副社長が朝から晩まで外国人とミーティングしているのに、こちらはカンヌという街を堪能していた。ホテルは1泊3、4万円していた、当時でも。そういう時代がなければ、生きている喜びもなかったであろう。

『網走番外地』

1965年(昭和40年)・日本 監督/石井輝男

出演/高倉健/南原宏治/丹波哲郎/安部徹/嵐寛寿郎/田中邦衛/潮健児/滝島孝二

今頃になってこの映画を初めて見るなんて、恥ずかしいような気になる。リアルタイムで見ていた同年代の人達は、高倉健の姿に心躍っていたのだろうか。もし生まれ変わることが出来たなら、映画だけは若いうちにたくさん見ておこうと刻み込もう。

前半の面白さに比べて、後半部分はちょっとセンチになりすぎている。映画的な面白さが伝わってこなかったのが残念。刑務所の中に「アラカン」らしき人がいたので調べてみたらまさしく嵐寛寿郎だった。高倉健とアラカンが同じ映画に出ていたことに驚いた。アラカンは我等が世代のヒーロー「鞍馬天狗」で良く目にしていた。名前を縮めて呼ぶ走りのような人かも知れない。

北海道旅行はしたことがない。出張や出張にかこつけて札幌、旭川、北見方位面へは足を運んだが、学生時代九州に2度も個人的旅行をしているのに、何故か北海道には行かなかった。関東から北へは好んで旅に出なかったようか気がする。山陽道、山陰、四国、不思議と西の方に足が向いていた。理由は良く分からない。

『推理作家ポー 最期の5日間』(The Raven)

2012年・アメリカ 監督/ジェームズ・マクティーグ

出演/ジョン・キューザック/ルーク・エヴァンズ/アリス・イヴ/ブレンダン・グリーソン

19世紀アメリカの作家エドガー・アラン・ポーを主人公にしており、彼の謎めいた最期を題材にしている。江戸川乱歩という日本の推理作家がエドガー・アラン・ポーから名前をもじったという話は有名だが、もうだいぶ昔の話になってしまっている。原題「Raven」は、カラスのこと、特に大型のカラスを指すらしく、不吉な鳥とされているらしい。映画の中でもそれらしいシーンがあることにはあるが。

なんだか良く分からないうちに推理劇が始まり進行して行く。あまりにも勝手に進んで行くので、話が見えてこない。面白そうに展開するのだけれど、どう考えても独りよがりに見えてしまう。映画の中に気持が入り込めないと、第三者的な鑑賞の仕方になってしまい、面白さも伝わらなくなってしまう。

言っていることは確かなことだが、心に残らない言葉が多い。自分だけで酔いしれて、自分だけで笑い、自分だけで納得している人がいる。頭の悪い経営者もその類だ。特に2代目経営者などは、何の才能もないのに親の資産を受け継ぎ、イエスマンばかりを自分の周りに従え、死ぬまで何も分からずに経営者をやっている。それで幸せなのだろうけれど、あの世に行ってからきっと後悔するに違いない。

『シカゴ』(Chicago)

2002年・アメリカ 監督/ロブ・マーシャル

出演/レニー・ゼルウィガー/リチャード・ギア/キャサリン・ゼタ=ジョーンズ/クイーン・ラティファ/ジョン・C・ライリー

ブロードウェイの伝説的振付師・演出家、ボブ・フォッシーによるトニー賞受賞作『シカゴ』を映像化した作品である。言わずと知れたミュージカル、もっとも苦手とするジャンルだが、もう少し前に観ていた気になっていた。が、始まって、あ~これ観ていないや、と分かり始めた。まさしく典型的なミュージカルだと分かり出した頃から、2倍速、5倍速になってしまった。ホントに失礼なはなし。

好きな女優レニー・ゼルウィガーが出演しているとは。まさかミュージカルで歌を歌える女優とは知らなかった。今より遙かに引き締まった顔が若い。どちらかというと現在のちょっとふくよかな顔の方が好きなのだが。リチャード・ギアも出ていた。ちょっと意外な感じがする。

歌にしないで普通のドラマでも面白そうな内容。普通のドラマよりミュージカルの方が一段ランクが上だと思っている節がある、エンタテインメント業界。確かにでくの坊のような俳優達では、とてもじゃないけどミュージカルなんて無理。そういう意味では歌もちゃんと歌える人達による劇の方が程度が高いと言っても間違いではないかもしれない。

『ミッドナイト・イン・パリ』 (Midnight in Paris)

2011年・アメリカ 監督/ウディ・アレン

出演/キャシー・ベイツ/エイドリアン・ブロディ/カーラ・ブルーニ/マリオン・コティヤール/レイチェル・マクアダムス

ウディ・アレン監督作品だと知った時は、ちょっと嫌な気がしていた。見る時にはもうそのことをすっかり忘れていて、今こうやって書き物をする段になって調べ直して、あ~そうだったと思いだした。歳をとるということはこういう時に都合がいい。何事も忘れ去って、真っ白な気持で向かい合えれば、人生も少しは楽しくなるだろう。

この映画を見ていて思ったことは、文化的素養があればいいけれど、そうでない人にはこの映画の面白さは半減するだろうと。私だって文化的素養はないのだから、見終わって何とか調べ直して、ようやく映画の内容に追いつこうと努力している。若い頃からもう少し教養があれば、この映画を見ながら何度もほくそ笑んで、妙な納得をしながら鑑賞できたであろう。

パーティで出会ったコール・ポーター、F・スコット・フィッツジェラルドと妻ゼルダ、そのパーティはジャン・コクトーのパーティだった。その後、フィッツジェラルド夫妻、ポーター夫妻と行ったクラブでは、ジョセフィン・ベイカーもいた。その後に、フィッツジェラルド夫妻と飲みに入ったバーでは、アーネスト・ヘミングウェイと出会う。ヘミングウェイにガートルード・スタインを紹介される。スタインの家へ行くと、今度はそこにパブロ・ピカソとその愛人、アドリアナがいた。現代と1920年代をタイムスリップしながら、さらにサルバドール・ダリ、ルイス・ブニュエルとマン・レイにも会うことになる。半分以上の人物がすぐ分かるようなら、この映画を見るといい。

『コント55号とミーコの絶体絶命』

1971年(昭和46年)・日本 監督/野村芳太郎

出演/萩本欽一/坂上二郎/由美かおる/太地喜和子/財津一郎/花沢徳衛/小松政夫/倍賞美津子/田中邦衛

たわいもない話を映画製作して劇場公開できる時代はいい。懐かしい昭和という時代を象徴するような、と言っても何が象徴するのかを説明するのは難しい。この程度の映画に太地喜和子や倍賞美津子、田中邦衛が出演していることがそうなのだろうと。

昭和46年か~!&%$# ずいぶんと昔のような気もするけれど、ほんの一瞬のことだった気もする。列島改造とかで次兄のやっていた電気工事店は大忙しだった。長兄がやっていた町の電気屋さんだって、まだまだ元気だった。日本全国どの町にもそれなりの商店街が賑わっていた。人間の生活する基盤形態がどんどん変わって行く。長生きすればいろいろなことを自分の目で確かめられて、それはそれは楽しいこと。100年後の世界を見てみたいという希望はどう考えたって叶えられないが。

生きると言うことに関してもう少し気の利いた考えを持っていたなら、今の生活もおおいに違っていただろう。生まれ変わって別の生き方をするかと問われて、やっぱり同じことをするだろうと答えたくなる。多少違うことがあるとすれば、要所要所で多少なりとも対処の仕方が上手くなっていることぐらい。そのくらいしか能力はなさそうだ。

『最強のふたり』(Intouchables)

2011年・フランンス 監督/エリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュ

出演/フランソワ・クリュゼ/オマール・シー/アンヌ・ル・ニ/オドレイ・フルーロ

頸髄損傷で体が不自由な富豪と、その介護人となった貧困層の移民の若者との交流を、ときにコミカルに描いたドラマ。2011年10月23日、第24回東京国際映画祭のコンペティション部門にて上映され、最高賞である東京サクラグランプリを受賞し、主演の二人も最優秀男優賞を受賞した。また、第37回セザール賞で作品・監督・主演男優・助演女優・撮影・脚本・編集・音響賞にノミネートされ、主演男優賞を受賞した。フランスでの歴代観客動員数で3位(フランス映画のみの歴代観客動員数では2位)となる大ヒット作となった。日本でも興行収入が16億円を超え、日本で公開されたフランス語映画の中で歴代1位のヒット作となった。 ~ Wikipediaより

お金持ちで車椅子に乗り、頭しか健常者ではない人に接するにはどうしたらよいのだろうか。普通の人ならそんな我が儘な人と付き合うことさえ嫌になるだろう。金のために世話をするというのでは、それを受ける方が拒否してしまう。そんなところを上手く描いている。なかなか面白い。健常者ではない人に接するのは経験が必要だろう。平常心でいられる一般人がどれだけいるだろうか。本当はただの人間同士なのに、そこにはどうしても超えられない垣根があるように思えて仕方がない。邦題が???

この映画は、実在の人物である フィリップ・ポゾ・ディ・ボルゴ(Philippe Pozzo di Borgo)とその介護人アブデル・ヤスミン・セロー(Abdel Yasmin Sellou)をモデルにしている。フィリップは、1951年生まれで、1993年に事故で頸髄損傷となり、2001年に自身のことや介護人アブデルとのことを書いた本 Le Second Souffle を出版した。2002年には、フィリップとアブデルはフランスのテレビ番組 Vie prive'e, vie publique で取り上げられた。この番組の司会者ミレイユ・デュマ(Mireille Dumas)は二人に興味を持ち、2003年に二人を描いたドキュメンタリー A` la vie, a` la mort を製作した。このドキュメンタリーを観たエリック・トレダノとオリヴィエ・ナカシュが、映画化を考え、フィリップに話を聞きに行き、脚本を書き上げて、映画を監督した。 ~ Wikipediaより

『濡れ髪三度笠』

1959年(昭和34年)・日本 監督/田中徳三

出演/市川雷蔵/本郷功次郎/淡路恵子/中村玉緒/中田ダイマル・ラケット/楠トシエ

市川雷蔵の主演作を数多く手掛けた田中徳三監督の作品で、これは雷蔵にしては珍しいユーモアと諷刺のきいた道中もの。旅ガラスの濡れ髪の半次郎は、鉄火肌のお蔦、のんきな弥次さん、喜多さんと旅を続けていたが、ある宿で将軍家斉の38番目の若君・長野助と出会い、命を助ける ~ ぴあ映画生活より

こういう映画は、映画がどうのこうのという話にはならない。中村玉緒は丁度二十歳、若い顔が初々しい。懐かしき楠トシエも久しぶりに見た。それに淡路恵子もはすっぱな役がよく似合って、小気味いい。

何か江戸時代の人情を感じる。バカ殿様をいさめる姿もいい。チャンバラものと言うよりはまた旅ものといった感じ。昔は結構見ていた。テレビドラマでもたくさん作られていたような気がする。これからのトレンドにもなりそうな感じがするが、馬鹿な若者には人情ものなんて通じないかも知れない。バカ殿様より始末が悪そうだ。

『ボビー』(Bobby)

2006年・アメリカ 監督/エミリオ・エステベス

出演/ハリー・ベラフォンテ/ジョイ・ブライアント/アンソニー・ホプキンス/ヘレン・ハント/マーティン・シーン

1968年6月5日、ロサンゼルスのアンバサダーホテルでは民主党の大統領候補指名選キャンペーン中の上院議員ロバート・ケネディを迎える準備が進められていた。ボビーの愛称で親しまれたロバート・ケネディが暗殺された日に、事件が起こったアンバサダーホテルに居合わせた人々を描いた群像劇。出演俳優は豪華な顔ぶれとなっている。

BS日テレの映画放映は吹き替え版ばっかりで、いつも騙されて録画するが見ないケースがほとんど。どうも日本語吹き替え版の空々しい言い回しに慣れない、というより嫌いだ。朝いちで映画を観ようという気になって吹き替え版だと分かったが、内容にかなり興味があったので一応観ることにした。途中で内容をweb検索したら、上記のような事柄が書かれていたので、面白くないのに見続けることにした。

映画の中でケネディを演じる役者の顔は一切映らず、代わりに当時のケネディの実写映像が使われている。記録映画と今回の映画をうまくミックスしたつもりだろうが、あまり上手いとは言えない。セリフの中に昔の名作『グランドホテル』(Grand Hotel・1932年)が出て来たりするが、とてもじゃないけど比較するのは失礼というもの。日本語の何を喋っているのだか分からない言い回しと、登場人物のあまりにも無意味な人間模様がうざったい。映画の最後にロバート・ケネディが暗殺されて彼のこれまでの演説が流されるところだけを見せるために、時間を費やしすぎて映画としての魅力はひどいものだった。それにしてもロバート・ケネディが暗殺されて50年も経つのに、彼の演説しているアメリカにおける暴力に対する指摘は、まったくそのまま今の世の中にも通用する内容であることに驚く。

『ゲットバック』(Stolen)

2012年・アメリカ 監督/サイモン・ウェスト

出演/ニコラス・ケイジ/ジョシュ・ルーカス/マリン・アッカーマン/サミ・ゲイル/ダニー・ヒューストン

DVDパッケージには、「リミット12時間、身代金10億円、誘拐されたのは銀行強盗の娘」。さらにこんなコピーが続く、「盗られたものは、奪い返す。」 ニコラス・ケイジひとりで大半のギャラを持って行ってしまいそうな雰囲気。2流作品だと思っていたらもっとひどかった。

ストーリーが詰まらない。銀行強盗をするアイディアは、他の映画にはないテクニックを見せている。そこだけが売りの感じ。お決まりのカーチェイスなんて、どの映画を観たって同じよう。今時はそんなものでは誰も驚かされない。

アメリカ映画の特徴的なところは、必ずと言って良いくらい家族の絆が描かれている。現実が希薄であればあるほど、映画的にはそのあたりを強調して描くようになっているのだろう。あくまでも親は子供を愛し、何があっても裏切ることはない。日常的に「愛してる」と叫べる民族には、日本の建前社会のように、愛を忘れた人々を平気で侮蔑出来る。神を信じ、愛を信じる、何と美しい世界なのだろう。

『ラスト・ソング』(THE LAST SONG)

2010年・アメリカ 監督/ジュリー・アン・ロビンソン

出演/マイリー・サイラス/グレッグ・キニア/ボビー・コールマン/リアム・ヘムズワース/ケリー・プレストン

こんなベタなタイトルがまだ残っていたとは。ここにも相変わらず離婚をした夫婦と子供2人が登場する。今回は一人離れて暮らす父親のもとへ、高校を卒業したばかりの娘と小学生の男の子が、ひと夏を一緒に暮らすために母親に送られてやって来るというシーンから映画は始まる。

テイストが違うシーンが入り込んできて、ちょっと違和感があったりするけれど、後半部分にことの真相が語られてきて、ようやく映画らしくなって行く。もう少し早く神髄を表現してくれれば、もっとストーリーに入り込めるのに、とちょっと文句が言いたくなってきた。

父親はピアニストで作曲家。題名にも現れているが、父親の命が短いことが判明する。そうなって初めて親子の蟠りも解けるという王道が物語。人間の命はそれほど大切なものなんだ。どうしようもない父親でも、いざ目の前で死ぬと分かったら、娘達も悲しんでくれるのだろうか。そんなことを知らずに死んで行く方が、自分の人生には合っているような気がする。

『レ・ミゼラブル』(Les Mise'rables)

2012年・イギリス 監督/トム・フーパー

出演/ヒュー・ジャックマン/ラッセル・クロウ/アン・ハサウェイ/アマンダ・サイフリッド/エディ・レッドメイン

8ヶ月待たされてようやく観ることが出来た。期待が大きすぎる分、どういう感想になるのか自分でも興味深かった。ジャン・バルジャンという主人公の名前は当たり前の如く知っていたが、いつ何処でこの名前が記憶に入り込んできたのかを覚えていない。ヴィクトル・ユゴーの小説を読むはずはないし、だいたいジャン・バルジャンがどういう人だったかさえ私の頭にはなかった。漫画で知ったのかしら?

1980年代にロンドンで上演され、以後、ブロードウェイを含む世界各地でロングランされていた同名のミュージカルの映画化作品である。予告編での「完全映画化」という売り文句は、ミュージカル作品の完全映画化という意味で、原作の完全映画化という意味ではない。日本の舞台は観ていないが、ミュージカル嫌いの私には舞台は無理かもしれない。映画だから何とか早回しもせず観ることが出来た。前半のあまりの物語進行の速さに驚いた。これじゃ2時間40分、一体何がこれから待っているのだろうかと。中盤、これはロメオとジュリエットか?と恋愛ものの匂いにちょっと嫌な顔をした。後半、やっぱりこれはフランス革命の話なんだと、すこし分かった気に。個人が喋るセリフに抑揚を付けてミュージカルになっているうちは、何の違和感もなくミュージカルという奴を堪能できた。群衆が同じセリフを喋るように歌を唄うシーンになると、そのミュージカルという奴が気になってくる。後半には朗々と歌い上げるシーンも多々現れ、物語のつまらなさと重なり、少しばかり苛々する。

終わりよければすべて良し、と例えられるように、最後のシーンで涙のひとつでも流れてくれば、もうしめたもの。この話って、何か子供心に焼き付いていたような気がしてならない。どこで知ったのだろうか?分からない。神の赦しに導かれて、自分の人生を悔恨するなどと言うことは、自分で考えられるものでもない。そんな生き方が正しいはずだと、小さい頃から擦り込まれていたような。華原朋美のこの頃の持ち歌「夢破れて」(I Dreamed a Dream)を聞いて、良い歌だけれど心に響いてこないな~と思っていた。この映画でこの歌が歌われるシーンを観て初めて納得。綺麗に歌うばかりが歌じゃないと言うことが良く分かる。歌詞に込められた思いが映像と重なり合って初めて命を得るような感じがする。主人公の最後の言葉「今 私の命が祝福された。」と言いながら、私も命を終えたい。

『いけちゃんとぼく』

2009年(平成21年)・日本 監督/大岡俊彦

出演/深澤嵐/ともさかりえ/萩原聖人/モト冬樹/蓮佛美沙子/吉行和子/蒼井優(声の出演)

西原理恵子による絵本作品と同名実写映画。まったく興味のない世界からの映画化で、どこがいいのか全く分からない。いつも言っている「最初の5分間でその映画が面白いかどうか分かる。」という断言によれば、やっぱり面白くなかった。いつも通りの2倍速、5倍速で早々と最後まで行き着いてしまった。

角川映画製作ということもあり、エンドロールのスタッフに知った名前を見つけて懐かしんでいた。こんな映画誰が観るのだろうか。原作を知っていれば多少は興味が湧くのだろうが、あまりに違いすぎる好みの範疇に、何ともどう対処して良いのか思いもつかない。こういう映画を観て「面白い!」と言う人の話を、しっかりと聞いてみたい気がする。

ともさかりえ、役者としてなかなかいい。もっと若かった頃は、特徴のある顔がそんなに好きではなかった。最近NHKドラマ10での連続ものにも出演していて、あ~意外と言っちゃ失礼だがなかなかいいじゃんと感じられるようになった。他の役者と比較すると彼女の演技がいけてるのがよく分かる。これこそ第一印象で勝手に評価してしまうのはいけないことだと反省している。

『ドリームガールズ』(Dreamgirls)

2006年・アメリカ 監督/ビル・コンドン

出演/ジェイミー・フォックス/ビヨンセ・ノウルズ/エディ・マーフィ/ジェニファー・ハドソン

黒人のレコード・レーベル、モータウンの伝説的な黒人女性グループスプリームスのメンバー、ダイアナ・ロス、メアリー・ウィルソン、フローレンス・バラードがモデル。メアリーの自伝“Dreamgirl: My Life As a Supreme”がベストセラーになり、『ドリームガールズ』としてブロードウェイで上演された。この舞台を映画化したもの。といったことは前回観た時に多少知識を得ていた。グループ名については、日本では従来、 supreme (「最高位の、最大級の」の意)の英音から“シュープリームス”と表記されていた。近年は米音に近づけて“スプリームス”と表記する例が多いが、より正確には“ザ・スプリームズ ”である、てな記述が面白い。

一度観ていると緊張感に欠ける。もっと面白い映画のはずだという先入観が邪魔をして、何かが違う、何かが違う、と独り言を言ってしまう。観る時の体調や心のありようで、映画の印象もだいぶ変わってくる。まったく同じ映画なのに不思議である。

よくよく第一印象は悪かったが、好きになってしまった、とかいう話を聞くことが多い。初めて会った時の印象がそんない大事なのは、考えてみれば不思議なことだ。何時間も何年間もかけてお互いを知り合えるのに、一目惚れで好きになったって、大きな勘違いを引きずっているようにみえる。もっと平らかな気持を持って他人に対処して行ければ、お互いに変な誤解が生じることもないだろう。

『幸せへのキセキ』(We Bought a Zoo)

2011年・アメリカ 監督/キャメロン・クロウ

出演/マット・デイモン/スカーレット・ヨハンソン/トーマス・ヘイデン・チャーチ/コリン・フォード

原題を私が直訳しても「私たち家族は動物園を買いました」となるが、それがこんな陳腐でチンケな邦題になってしまうと、一体誰が見に行くのだろうかと、他人事ながら心配になってしまう。もう興行成績の結果はでているので、今更心配には及ばないと言われそうだが、元映画会社勤務者としては、とても他人事で済まされる問題ではない。それじゃどんな邦題がいいの、と聞かれても困る。ミニシアター系での公開なら堂々と『動物園』としたいところ。この映画は、一般向けのようなので『私たち家族が買った動物園』とでもしたらどうだろう。宣伝部長時代『死霊のはらわた』以外自分の意見が採用されたことがないので、当然没になる提案だと分かっているつもりだが。

私の好きな女優スカーレット・ヨハンソンが、動物園の飼育係として出て来て驚いた。ニューヨークで働く女性役や中世ヨーロッパの王女役などにはピッタンコだと思うが、どうもね飼育係は合わないな~、と違和感一杯が続いた。そういえばマット・デイモンだって『ボーン・シリーズ』のイメージが強烈に残っていて、その後のいろいろな役をこなしても、何をやってもイマイチしっくりこないのが現実。

実話に基づいているらしく、現在も動物園内に3人の家族(父・長男・長女)は住んでいるという。種々の問題を抱えたそれぞれの家族が、動物に触れ合うことによってキセキの人生を取り戻す、というのが邦題の言いたいことなのだろうが、こんなユニークな物語に、あまりも在り来たりな「幸せ」や「キセキ」を使うことによる弊害を考慮しない宣伝マンに「喝!」と言いたい。



2023年11月再び観たので記す

『幸せへのキセキ』(We Bought a Zoo)

2011年・アメリカ 監督/キャメロン・クロウ

出演/マット・デイモン/スカーレット・ヨハンソン/トーマス・ヘイデン・チャーチ/コリン・フォード

最愛の妻を亡くし、2人の子供を抱え、ロサンゼルスでコラムニストとして働いていたシングルファーザーのベンジャミン・ミー (マット・デイモン) は、人生と家庭を修復しようと仕事を辞めて街外れの広大な家を買う。そこはローズムーア動物公園といい、ケリー・フォスター (スカーレット・ヨハンソン) ら飼育員と47種の動物がいた。(Wikipediaより)

『人生の特等席』(Trouble with the Curve)

2012年・アメリカ 監督/ロバート・ロレンツ

出演/クリント・イーストウッド/エイミー・アダムス/ジャスティン・ティンバーレイク/マシュー・リラード/ジョン・グッドマン

面白い。今回のイーストウッドは、監督はやらず製作と主演だ。自分の実年齢の体験から演じられる年回りの役柄ということもあり、ちょっと微笑んでしまう。おしっこの切れが悪い、短気、いらいら、目が見えなくなっている、駐車場から車がスムーズに出せないなどなど、ストーリーの重要な要素に彼の演技は極く自然に見え過ぎるくらいだ。

人生の特等席とはちょっと言い過ぎにみえる。セリフの中でそのような字幕が入っている箇所があったので、それを頂戴したのだろう。大リーグのスカウトを長年職業としているのが主人公。同じように古くからスカウトをして、視察に訪れた球場では顔見知りの仲間達が大勢いる。原題にある「Curve」は、ピッチャーが投げる「カーブ」のこと、最後の頃にこの原題の意味がよく分かってくる。普通なら『スカウト』とかいう直接的な邦題にしてしまうだろう。またまた『カーブに難あり』とかいうことはないだろうが。どちらがいいかは観客が決めること。でも公開前に決めなければいけないのがつらい選択。

今回の父と娘は離婚によるものではなく、娘が6歳の時に母と死別した。その時にも父はスカウト、全米を遠征しまくって高校や大学の選手を発掘する仕事をしている。娘は弁護士へと成長しているのだが、今以て父と娘の間には解決できない何かがわだかまっていた。ラストシーン近くはちょっと出来過ぎだけれど、こういう風に話が展開するだろう、という方向にきちんと進んでくれる映画の王道をまっとうしている。出だしから終わりまで、軽いタッチで観客を飽きさせない。イーストウッドはやはりただ者ではない。

『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』(Batman & Robin)

1997年・アメリカ 監督/ジョエル・シュマッカー

出演/アーノルド・シュワルツェネッガー/ジョージ・クルーニー/クリス・オドネル/ユマ・サーマン/アリシア・シルヴァーストーン

DCコミックの『バットマン』を原作とした1997年のスーパーヒーロー映画(英語版)である。映画『バットマン』シリーズの4作目であり、バットマンとロビンがゴッサム・シティを氷漬けにしようと企むMr.フリーズ、ポイズン・アイビー、ベインに立ち向かう物語である。1997年6月20日に封切られたが、批評家には玩具チックでキャンプなアプローチ、シュマッカーが追加した同性愛的暗示もあって酷評された。第18回ゴールデンラズベリー賞では最低作品賞などにノミネートされた。この後、ワーナー・ブラザーズは企画していたシリーズ5作目『Batman Triumphant』を中止し、クリストファー・ノーラン監督の『バットマン ビギンズ』(2005年)でシリーズはリブートされた。 ~ Wikipediaより

ほんの十数分で眠くなり、かろうじて薄目を開けながら観ていた。気を取り直して2倍速にしたりして、なんとか最後まで行き着いた。他のバットマン作品を観た時には、こんなひどい感覚になることはなかったので、観る側に問題があるのかなと思っていたら、上記のような評がありちょっと溜飲を下げた。あまりにも子供騙し過ぎて、アメリカンコミックの印刷ページをそのまま映像にしたような雰囲気。それまではもっと映画的に処理されていたような気がする。

だいたいシュワちゃんが悪のヒーローで出てくることから漫画チック。ジョージ・クルーニーという色男がバットマンなのだから、もっと大人チックなストーリーにしなければ観客に失礼。色男金と力はなかりけり、と謳われる存在だが、巷ではイケメン、イケメンと訳の分からない基準のいい男がうじゃうじゃで気持ち悪い。何かあると「かわいい」「美男」「美女」ともて囃すスポーツ・マスゴミ(塵)に大きな責任がある。

『ガントレット』(The Gauntlet)

1977年・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/クリント・イーストウッド/ソンドラ・ロック/パッド・ヒングル/マイケル・カバナー

今年83歳のクリント・イーストウッドは、このところ毎年1本ずつ映画に関わっている。2009年・インビクタス/負けざる者たち(Invictus)監督・製作、2010年・ヒア アフター(Hereafter)監督・製作・音楽、2011年・J・エドガー(J. Edgar)監督・製作、2012年・人生の特等席(Trouble with the Curve)製作・出演、2013年・スター誕生(A Star is Born)監督・製作。自分が出演することは希になってきたが、映画に対する製作意欲は微塵も衰えていないと見える。

この映画の時彼は47歳、今から考えればだいぶ若いが、面影はそのまま。もうすでに6本目の監督作品となり、これ以降も多くの監督作品、主演作品を生んでいる。独特の台詞回しや雰囲気は、映画スターそのものの象徴のような存在になっている。観客を楽しませることが一番だと思っているらしく、いつだって緩みのないストーリーと映像が堪らない。

警察もので人気を博した流れを追うかのようなこの映画。ちょっと乱暴なストーリー展開だけれど、あの時代の映画にはそれが赦される雰囲気があった。とにかく最後はハッピーエンドで、よかったよかったと映画館から出てくる人達の顔がほころんでいれば万々歳。昭和52年、いい時代だったな~。

『226』(THE FOUR DAYS OF SNOW AND BLOOD)

1989年(平成元年)・日本 監督/五社英雄

出演/萩原健一/三浦友和/竹中直人/本木雅弘/勝野洋/佐野史郎/名取裕子/南果歩/賀来千香子/有森也実

二・二六事件(ににろくじけん)は、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件である。事件後しばらくは「不祥事件(ふしょうじけん)」「帝都不祥事件(ていとふしょうじけん)」とも呼ばれていた。 ~ Wikipediaより

この事件を真正面から描いた映画はそれなりに多い。日本歴史上五・一五事件(ご-いち-ご じけん)と並んで扱われるが、この226事件の方が大きく扱われている。その気になったら、もう一度参考資料を片っ端から読んでみたい事柄。今更何を詳しく知りたいと思うのか。中途半端な知識で死んで行くのは日本人として許せない、とそんな大袈裟なつもりはないが、なんとなく。

決起した部隊の中に「近衛歩兵第3連隊」があり、父が自分で書いた履歴書に昭和7年現役志願兵としてこの部隊に入営と記されていた。昭和10年別部隊に配属され満州に渡ったとも書いてあったので、この226事件に関与してはいなかったのだろうと思う。そのあたりのことをもっと詳しく聞いておけば良かったと、いつも悔やんでいる。歴史的事実は当事者に聴くに限る。この映画は、ちょっとばかりかったるく、映画としては失敗作だったような気がする。114分が短すぎると思えるくらい、もっと肝心なことが描かれていないのでは、と感じるのだ。

『くたばれ悪党ども 探偵事務所23』

1963年(昭和38年)・日本 監督/鈴木清順

出演/宍戸錠/笹森礼子/川地民夫/星ナオミ/金子信雄/佐野浅夫/土方弘/初井言栄

日活製作。カラー作品。大藪春彦の小説『探偵事務所23』原作第1話「都会の墓場」を下敷きにしたアクション・コメディとある。笹森礼子の名前は知っているが、スクリーンの中の彼女の顔が記憶になかった。映画とテレビが明確に分かれていた時代なので、女優がほいほいとテレビ画面に映ることはなかった。

漫画みたいな映画。日活の映画はこんなものだったのだろうか。もっとも拳銃をばかばか撃っているシーンなんて、あまりにも現実感がなく、漫画でさえも描かないだろうというストーリーにもなっている。そういうことを楽しむのが映画なのだろうけれど、相変わらず子供騙しの活劇には入り込めない自分がいる。

おそらく活字世界を読みながら、頭の中で想像するシーンを映し出しているのだろう。そういう意味ではなかなか上手く出来ていると言える。楽しむか楽しまないかは、それを観る人に委ねられている。そうか!?

『ヘッドハンター』(HODEJEGERNE)

2012年・ノルウェイ/ドイツ 監督/モーテン・ティルドゥム

出演/ アクセル・へニー/ニコライ・コスター=ワルドー/ユーリー・ウルゴード

北欧製サスペンス・スリラー。優秀なヘッドハンターと美術品専門の怪盗という二つの顔を持つ男が、元軍人の抱える絵画コレクションを盗もうとしたことから絶体絶命の危機に陥る姿を活写していく。 ~ シネマトゥデイより

原題を翻訳機にかけたら、ノルウェイ語でまさしくヘッドハンターと翻訳された。ハリウッドお得意の活劇だが、北欧が作るとこうなるのか、という興味が湧いてくる映画。結構残酷なことを平気で映像化している。アメリカ映画がそれなりに洗練された、観客を意識した映画作りだと言うことが良く分かった。

面白いのだけれど、ストーリーや映像に一貫性がなく、其の場凌ぎのシーンの連続に感じられた。ハリウッド映画には一日の長があると言わざるを得ない。


2010年10月30日再び観たので記す

『ヘッドハンター』(Hodejegerne)

2011年・ノルウェイ/ドイツ 監督/モルテン・ティルドゥム

出演/アクセル・ヘニー/ニコライ・コスター=ワルドー/シヌーヴ・マコディ・ルンド

ロジャーは、表向きは有能なヘッドハンターとして成功し、美しい妻ダイアナと誰もがうらやむような優雅な生活を送っているが、裏では美術品泥棒を働いている。それは168cmという低身長に対するコンプレックスから、妻に贅沢な生活をさせるためのものであったが、その一方で身体だけの関係の愛人もいた。そんなある日、画廊を経営する妻の開いたパーティで、電子機器ビジネスで成功した外国人実業家のクラスと出会ったロジャーは、彼が高価な絵画を所有していることを知ると、その絵画を盗む計画を立てる。まず、会社を売却して現在は一線を退いているクラスを国内一流企業の重役として就職させるとして近づき、彼についての情報を集めると、ロジャーは首尾良く絵画を偽物とすり替えることに成功する。ところが、その場で妻のスマホを見つけたロジャーは、妻がクラスと浮気をしていることを知ってしまう。(Wikipediaより)

珍しいノルウェー映画でしかも犯罪映画というジャンルだった。おもしろくもあり、おもしろくもなし、という感じだった。小さなどんでん返しが次から次へと起こって、映画らしきストーリーがなかなかいい。アメリカ映画でなくてもこんな風になるんだ、と感心した。

後先を考えずにヘラルドを辞めたのは42歳の時だった。宣伝部の元部下の中に従妹か誰だかがヘッドハンティングをしているというので、紹介してもらったことがあった。案の定、その人とあった後には何の連絡もなく、やっぱり何の才能もない自分を見透かされたと、今でも確信している。それでも、あれから30年も生き延びてきたことは不思議なこと。人間の命の・・・・・。

『おにいちゃんのハナビ』

2010年・日本 監督/国本雅広

出演/高良健吾/谷村美月/宮崎美子/大杉漣/岡本玲/剛力彩芽/佐藤隆太/朝加真由美/佐々木蔵之介

ヘラルド残党の会社が配給、宣伝をしているのが分かって、正直羨ましかった。映画は観るだけではなく、直接その映画製作に加わると、思い入れが天と地ほどの差がある。最初はまたつまらない映画だろうと思いながら観始まったが、贔屓目ではなくそれなりに面白かった。ブレイク前の剛力彩芽が脇役で出ているが、確かに髪の長かった頃の彼女はなんとも普通の女の子で、ちっとも光っていなかった。

新潟県小千谷市片貝町を舞台に、実際にあった話に基づいて描かれた作品である。妹の病気の治療のために東京からこの町に引っ越してきた一家。ひきこもりになり心を閉ざしてしまった兄は、病弱な妹から勇気をもらい再生していくが、そんな最中、妹は白血病を再発させてしまう。家族が暮らすこの町では毎年、世界一の花火が打ち上げられる片貝まつりが開かれており、兄は妹のために大きな花火を打ち上げることを決意する。この実話は2005年に放送された新潟県中越地震後の被災地を取り上げたドキュメンタリー番組で紹介されたことが、映画化になるきっかけとなった。 ~ Wikipediaより

映画の主題である片貝まつりの「はなび」に興味が行く。もともとは町内の各家庭で花火をつくり、辻などで個人や近所など少人数で打ち上げていたのが始まりといわれている。誕生や結婚などの慶事や年忌などの弔事、成人や還暦・33歳や42歳の厄払いなどにちなみ浅原神社に花火を奉納する形式で打ち上げる。個人や家族単位でだけでなく、地元の片貝中学校を卒業と同時に同級生で結成した「会」(同級会)単位でスターマインなどの大きな花火を打ち上げている。企業がスポンサーではなく個人の集まり、しかも同級生グループが高いお金を出し合って、一瞬の輝きに萌えられるのは羨ましい。

『ベガスの恋に勝つルール』(What Happens in Vegas...)

2008年・アメリカ 監督/トム・ヴォーン

出演/キャメロン・ディアス/アシュトン・カッチャー/ロブ・コードリー/ レイク・ベル/ジェイソン・サダイキス

おちゃらけた邦題だが、意味が分からない。まぁ~内容もおちゃらけているに違いないと感じることが出来るのが利点。アメリカ映画はこういう映画を作らせたら上手い。おちゃらけているし、ハチャメチャだけれど、2歩も3歩も踏み外すことがないから、見るに堪えない日本映画の笑いとは根本的に違うところを見ることが出来る。

気分転換にラスベガスへ行こう、というところからアメリカらしさが一杯。日本ならさしずめ何処へ行こうと言うのだろう。大昔なら、それじゃ熱海にでも行こうかということになったのかもしれないが。さてさて、今の若者達は一致団結して何処へ行きたいというか、聞いてみたい。

ギャンブルで金をたくさん落としてくれるからホテル代は安いと聞いたことがある。一度だけNDFという会社時代アメリカ社員旅行を4人で敢行したことがあった。その時、ロスから日帰りでラスベガスに行き、グランド・キャニオンも見、深夜便でロスまで戻ってきたことがあった。ただただ遊ぶだけならそれで充分。金持のように高級ホテルに宿泊し、一流のショーを毎晩堪能するのも悪くないだろうが、庶民にはそんな夢のような話は必要ない。

『ロンドン・ヒート』(THE SWEENEY)

2012年・イギリス 監督/ニック・ラブ

出演/レイ・ウィンストン/ベン・ドリュー/ヘイリー・アトウェル/ダミアン・ルイス

このおっさん誰?という感じの見てくれも良くないが年も結構食っている刑事が主役。ロンドン警視庁の特別捜査チームは、手加減を知らない過激な捜査で“スウィーニー”と呼ばれている。アメリカ映画お得意の警察内部告発ものではなく、ちょっと乱暴に違法なことも厭わないが、あくまでも憎っくき犯人を捕まえるためなら、何でもするぜという洗練されていないデカもの。

舞台はロンドン、画面に映る街並みや空撮の雰囲気は、あくまでもニューヨークやロサンゼルスを意識したようなシーン。そこに繰り広げられるデカ達のチームは、アメリカとは一線を画すダサさが売り。チームのボスが既婚者の女子デカと出来ちゃうなんて言う売りも誇っている。見たことのない主役だと思っていたが、どうも『ヒューゴの不思議な発明』 (HUGO・2011)で見ているらしいが顔がダブらない。

警察はヤクザと紙一重と例えられる。それは日本ばかりではなく、世界中の国で当てはまるようだ。小さな悪が巨大な悪を倒すのであれば、それは許されることなのかもしれない。人間100%完璧なことはあり得ないし出来はしない。どちらが正しいのかは、歴史上の裁定を待つしかないのが、人間社会の掟なのだ。

『クロール 裏切りの代償』(Crawl)

2011年・オーストラリア 監督/ポール・チャイナ

出演/ジョージ・シェヴソフ/ジョージナ・ヘイグ/ボブ・ニューマン/リンダ・ストーナー

いきなり殺人事件を映し出す。何故か犯人はクロアチア人。どうしてなのかとかの説明は最後まで一切出て来ない。著名な監督の演出、撮影技法を大胆に撮りれた映画かと思った。というのも進行がやたらに退く普通なら20分くらいで切り上がってしまうシーンを1時間30分の映画として仕上げている。

音楽を使って嘘だろうと思えるくらいの効果的な幼稚な盛り上げ方をしている。どう考えたって実験映画か、学生映画の内容に思える。こんな映画を公開したら「金返せ!」とクレーマーが大挙して押し寄せるだろう。劇場公開していることはないだろうと予想したが、やっぱり日本での劇場未公開だった。

怖がらせようと作られた映像やストーリーを怖いと思ったことはない。下手な漫才師が舞台で何をやっても笑えないのと同じに思える。ちょっとしたことに一喜一憂して、涙を流さんばかりに大袈裟に喜怒哀楽を表現できる人が羨ましい。そういう人は、おそらくストレスというものには無縁で、優雅な精神生活を送っているに違いない。

『あの日の指輪を待つきみへ』(CLOSING THE RING)

2007年・イギリス/カナダ/アメリカ 監督/リチャード・アッテンボロー

出演/シャーリー・マクレーン/ミーシャ・バートン/クリストファー・プラマー/ネーヴ・キャンベル/ピート・ポスルスウェイト

米国で暮らす女性エセルに届いた知らせ。それは彼女の名前が記された指輪が遠いアイルランドの地で発見されたというものだった。長い年月と距離を経て明らかになった切なくも悲しい愛の真実とは? ~ ぴあ映画生活より

1941年と50年後のシーンが切り替わりながら、この長い間の「愛」を描いて行く。最初は何が何だか分からないでストーリーが進行して行く。こういう映画にありがちな描き方だが、こういう間の時間をどう表現するかが監督の力。ここで飽きさせてしまっては、元も子もない。脚本と役者が重要な役割を担っている。

人を好きになることを映画で観ても、おおいに共感できる。ましてや現在の心境がそういう状態なら、よくよく分かろうというもの。平坦な気持の連続の毎日なら、こういう映画を観ても何も感じないだろう。映画を観ることは自分が今どういう状態に置かれているかを、しっかりと教えてくれるものでもある。

『ミート・ザ・ペアレンツ』(Meet the Parents)

2000年・アメリカ 監督/ジェイ・ローチ

出演/ロバート・デ・ニーロ/ベン・スティラー/ テリー・ポロ/ブライス・ダナー/ジョン・エイブラハムズ

ここまでドタバタなアメリカ映画も珍しい。最初から笑わせることを目的にして作った映像やシーンは、見ていて楽しいことはない。結婚を申し込もうと女性の両親の家に会いに行くというのが、題名のそもそも。芸達者なロバート・デ・ニーロが父親では、誰が相手をやっても勝てそうにない。

今までのアメリカ映画に出てくるカップルは、結婚しましたと報告に行くシーンばかり。この映画のように女性の両親に認めてもらうために実家を訪れるのはなかなかない。そうか、だからこういうストーリーを作ったんだ!普通ではあり得ないことを物語の芯にして、笑いを誘おうという魂胆だったのか。

気楽に何も考えずに観られるのがコメディのはずだが、ここまでドジな青年が出てくると、それはやり過ぎだよ、と思わず声を掛けたくなる。何をやらせてもドジな若者もいる。日本テレビの朝の番組で、何をやってもいつももうまくはかどらない女性アナウンサーがいて、へぇ~こんな若者がいるんだ、といつも感心している。

『危険がいっぱい』(Les felins)

1964年・フランス 監督/ルネ・クレマン

出演/アラン・ドロン/ジェーン・フォンダ/ローラ・オルブライト

アラン・ドロンは映画の中で28歳役を演じているが実年齢と同じ。ジェーン・フォンダの若い頃は可愛かったんだ、とあらためて驚く。別の映画の時も同じようなコメントをしたような気がする。この時25歳。アランドロンを起用したアイドル映画のようにも見える。

サスペンスやアクションは時代が古いと見られたものではない。ヒッチコックのように時代褪せしない映画の方が珍しい。仕掛けは幼稚だし、今ならこんなシーンは撮らないだろうという感じの進行が疎ましい。途中、気持ちよく眠ってしまった。声は聞こえていたので、熟睡ではなかったようだ。

ヘラルドもこの時代はアラン・ドロンには結構お世話になっている。フランス映画やイタリア映画がかなり大手を振っていた。いつの時からなのだろう、アメリカ映画でなければ映画ではないという時代になってしまった。関西芸人が全員東京進出してきたように、ハリウッドに世界中のスターが集まってしまった。フランスもイタリアもミニシアターでしか生きる道はなくなってしまった。

『イングリッシュ・ペイシェント』(The English Patient)

1996年・アメリカ 監督/アンソニー・ミンゲラ

出演/レイフ・ファインズ/クリスティン・スコット・トーマス/ジュリエット・ビノシュ/ウィレム・デフォー/コリン・ファース

この著名な映画を観ていたと思い込んでいたが、もしかすると観ていないのかも。見終わっても、観たことあるようなという感覚だけは残っていた。いかにも「良さげ」な映画、回想シーンと現実とが入り交じって、頭の良くない自分には混乱して良く理解できない。しかも外国人の顔が同じように見えるので、明確な区別をしなければいけない内容なのに、こんがらかってしまって話が面白くならない。

大したことのない不倫映画を取り上げて、延々と3時間近くの長編にしてしまうのも酷い。玄人好みの典型的な映画。最後の15分くらいでようやくほっとできる。

第二次世界大戦ではアフリカも結構主要な戦場になっていたことを、今回も確認させられた。連合軍の中にはインド兵もいたりして、インターナショナルだな~。献身的な看護婦さん達が軍服を着て戦争に加わっている。戦争がいいわけではないが、戦争はなくならない。どうすれば人間の叡智が悪魔の囁きに勝てるのだろうか。

『フォーエヴァー・ヤング』(Forever Young)

1992年・アメリカ 監督/スティーブ・マイナー

出演/メル・ギブソン/ジェイミー・リー・カーティス/イライジャ・ウッド/イザベル・グラッサー

婚約するはずだった恋人が事故で植物人間化し、ショックを受けたパイロットが冷凍睡眠の実験台となって数十年の時を経て現代に目覚め、恋人がまだ生きていることを知り、愛を告白しようとする姿を描く。というと恋愛映画のように聞こえるが、一種のコメディー映画に見える。1939年に完璧な実験装置ではなかった人間を冷凍する実験にされて、50年もほったらかされてしまったという設定がコメディだ。

アメリカ映画らしく「結婚してくれ」と言い損ねてしまった主人公が、50年を経て巡り逢うことが出来た恋人とのシーンがラストとは、それまでの内容はどうでも良さそうな感じにさせる。そこがアメリカ映画のいいとことだろう。

昔に帰れれば、あの時言いたかったことを素直に言える気もする。現実が目の前では何も言えないことを考えれば、いつになっても同じことの繰り返ししか出来ないような気もする。三つ子の魂百までもと言うくらい、人間はそんなに変われるものでもなさそうだ。

『リンカーン/秘密の書』(Abraham Lincoln: Vampire Hunter)

2012年・アメリカ 監督/ティムール・ベクマンベトフ

出演/ベンジャミン・ウォーカー/ドミニク・クーパー/アンソニー・マッキー/メアリー・エリザベス・ウィンステッド

何この映画は?と見ているうちに腹が立ってきそうな映画。この頃「トワイライト・サーガ」というヴァンパイア映画シリーズを見ているお陰で、ヴァンパイアに馴染みにはなったが、あのリンカーンが若き頃ヴァンパイア狩りをしていたなんて話は、どうにも受けつけがたい。紛れもなくあの第16第アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンにまつわるストーリー。セス・グレアム=スミスによる小説『ヴァンパイアハンター・リンカーン』(Abraham Lincoln, Vampire Hunter)が原作。

トワイライト・サーガではヴァンパイア達は美しく描かれており、このヴァンパイアになら首筋や手首を噛まれてもいいな、というくらい見事に描かれている。この映画の吸血鬼達は、今までの映画のような悪魔からの使者みたいな出で立ちで、奇想天外な映画に拍車をかけている。

学者達による歴代アメリカ合衆国大統領の評価では、リンカーンはトップ3に入っており、1位となることが多い。2004年の調査では歴史学と政治学の学者がリンカーンを1位に推し、法学の学者はワシントンに次いで2位とした。リンカーンが暗殺されたことで、国家の殉教者となり、神話の一部という認識を与えられた。奴隷制度廃止論者からは人の自由を推進した者と見られた。共和党員はリンカーンの名前をその党に結びつけた。南部ではリンカーンを傑出した能力の人物として見なす者が多いが全てではない。 ~ Wikipediaより

『あなたになら言える秘密のこと』(The Secret Life of Words)

2005年・スペイン 監督/イザベル・コイシェ

出演/サラ・ポーリー/ティム・ロビンス/ハビエル・カマラ/エディ・マーサン

確かに一度見たことがあると確信したが、どんな映画かは相変わらず想い出さない。割合いい映画の部類だったとも思いだしていたが、何処がどんな風にいい映画だったのかを想い出せない。タイトルのような浮ついた映画ではない。まったく正反対の暗い映画だ。もっと早めに「いい映画」の部分を見せてくれたら、観客としても見る気持がおおいに賛同できるのに、この映画監督はそれをしない。

過去の苦難の記憶を胸に秘め、誰とも言葉を交わすことなくひたすら孤独な毎日を送る若い女性、ハンナ。工場でも黙々と仕事をこなす彼女だったが、ある日、働き過ぎが問題となり、無理やり1ヵ月の休暇を取らされてしまう。宛てもなく長距離バスに乗り込んだ彼女は、ひょんなことから海の真ん中に浮かぶ油田掘削所でジョゼフという男性の看護をして過ごすことに。彼は事故でひどい火傷を負い、一時的に視力を失っていた。それでもユーモアを失わないジョゼフは彼女に名前や出身地を質問するが、ハンナは決して答えようとしない。この油田掘削所で働いている男たちは、それぞれに事情を抱えた者たちばかり。閉ざされた空間でそんな風変わりな男たちと生活を共にするうち、ハンナも少しずつ人間らしい感情を取り戻していくが…。 ~ allcinemaより

生きているのが恥と思える程悲惨な経験をしてしまった主人公に、これから生きる目的を聞くことさえ憚れる。一生背負っていかなければならない苦難を持ってしまった時、人間はどれだけ強く生きることが出来るのだろうか。「トラウマ」とかで片付けられるそんななま易しい経験ではない。それがこの映画の主人公の持つ「秘密」。いい映画なんだけど、暗くてやりきれない前半部分を観客が耐えるのも一苦労する。

『ルルドの泉で』(Lourdes)

2009年・オーストリア/フランス/ドイツ 監督/ジェシカ・ハウスナー

出演/シルビー・テステュー/レア・セドゥー/ブリュノ・トデスキーニ/エリナ・レーベンソン

1858年2月11日、村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルー(フランスでは「ベルナデット」)が郊外のマッサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしているとき、初めて聖母マリアが出現したといわれている。ベルナデッタは当初、自分の前に現れた若い婦人を「あれ」(アケロ)と呼び、聖母とは思っていなかった。しかし出現の噂が広まるにつれ、その姿かたちから聖母であると囁かれ始める。聖母出現の噂は、当然ながら教会関係者はじめ多くの人々から疑いの目を持って見られていた。ベルナデットが「あれ」がここに聖堂を建てるよう望んでいると伝えると、神父はその女性の名前を聞いて来るように命じる。そして、神父の望み通り、何度も名前を尋ねるベルナデットに、ついに「あれ」は自分を「無原罪の御宿り」であると、ルルドの方言で告げた。それは「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・クンセプシウ」という言葉であったという。これによって当初は懐疑的だったペイラマール神父も周囲の人々も聖母の出現を信じるようになった。「無原罪の御宿り」がカトリックの教義として公認されたのは聖母出現の4年前の1854年である。家が貧しくて学校に通えず、当時の教会用語だったラテン語どころか、標準フランス語の読み書きも出来なかった少女が知り得るはずもない言葉だと思われたからである。以後、聖母がこの少女の前に18回にもわたって姿を現したといわれ評判になった。1864年には聖母があらわれたという場所に聖母像が建てられた。この話はすぐにヨーロッパ中に広まったため、はじめに建てられていた小さな聖堂はやがて巡礼者でにぎわう大聖堂になった。 ~ Wikipediaより

信じるか信じないかは信仰の問題。手をかざして病気を治すとかいう宗教まがいのものと何処が違うのか明確に説明出来ない。映画の中で、信仰心のなさそうな軍服を着た偉そうな人が問う、「神は全能か善か?全能で善なら誰でも治せるのではないか?」と。ルルドの泉 は24時間全世界にLIVE中継されている。

フランス南西部ピレネー山脈の麓に位置し、「聖母マリア出現の地」「奇跡の水が湧き出る地」として知られるルルドを舞台に、奇跡が起こった女性とそれを目の当たりにした人々の間とで起こる人間模様をサスペンスフルに描くドラマ。不治の病で車椅子生活を送っていたクリスティーヌがルルドの泉を訪れると、次第に体が動くようになり、歩くことができるまでに回復した。しかし、さほど熱心な信仰心ももっていなかったクリスティーヌに奇跡が起こったことで、周囲には羨望と嫉妬の感情が渦巻き……。2009年・第66回ベネチア国際映画祭で国際批評家連盟賞ほか5部門を受賞した。 ~ 映画.comより

『007 スカイフォール』(Skyfall)

2012年・イギリス/アメリカ 監督/サム・メンデス

出演/ダニエル・クレイグ/レイフ・ファインズ/ナオミ・ハリス/アルバート・フィニー/ベン・ウィショー/ジュディ・デンチ

23作目だという。日本公開は2012年12月1日だったので、半年とちょっと遅れ。まだいい方だ。劇場公開と同時に映画館という異次元世界で映画と相対峙しなくては、本当の映画の良さは味わえない。それでも映画を観ないで死んで行く人達のことを考えれば、こうやってDVDで見るのも悪くはない、といつでも叫んでいる。四の五の言う前に、とりあえず映画を観なさい、と叫ばずにはいられない。

『007』シリーズが50周年を迎えた旨のエンド・クレジットがあった。半世紀か!!この映画の舞台は、イスタンブール、上海、マカオ、大半はロンドンが中心。日本の長崎県のゴーストタウンである軍艦島がクレジットされていてちょっと驚いたが、劇中マカオ海岸沖にある島として撮影されたらしい。

批評家の反応 ~ 『007 スカイフォール』は、批評家から主に肯定的な評価を受けた。レビュー集約サイトのRotten Tomatoesでは232件で91%の支持を集め、平均点は8.2/10となった。有力媒体のレビューから得た評価を数値化し、加重平均値を出すMetacriticでは、43件のレビューで81/100を記録した。『デイリー・テレグラフ』の映画レビュアー、ロビン・コリンズ(英語版)は、『007 スカイフォール』は「常に大胆な、しばしばまぶしい」と述べ、アクションシーンにも触れ、「ユーモアと暖かさがいっぱい」と評した。『タイムズ』のケイト・ミューア(英語版)は、「偉大な英国のブルドッグの映画だ...古典的なボンドへの凱旋」と述べ、「007の復活、そして最高の1本として残るだろう」と考えた。ロジャー・イーバートは星4つの満点を与え、「この数年間で最高のボンド映画」と評価した。イーバートがボンド映画に星4つを与えたのは『カジノ・ロワイヤル』以来である。 ~ Wikipediaより

『陰陽師II』

2003年(平成15年)・日本 監督/滝田洋二郎

出演/野村萬斎/伊藤英明/深田恭子/中井貴一/今井絵理子/市原隼人/伊武雅刀/古手川祐子

1作目が思いがけず面白かったので、2作目も観る気になれた。前作の内容を全く思い出せないでいたが、役者が同じだった記憶があり、そんなところは安心感がある。深田恭子は前作にはいなかったと思うが、摩訶不思議な彼女の雰囲気はこういう映画に合う感じがする。途中、上半身裸で背中しか見せないシーンがあり、まさか彼女自身が演じる訳はないだろうと信じてなかったが、エンド・クレジットに日美子(深田恭子の役)吹替という人物名があり、さもありなんと日本映画の限界をこんなところに見る。アメリカ映画ならあの程度の露出を吹き替えでやるなんて考えられないこと。なにもかにも、幼稚園児のような社会を形成している日本的構造。

前回も書いたような気がするが、占いやおまじない、魔法や絵空事を日本の女性達は好きなようだ。そういう人達がこの映画を支持してヒットさせたに違いない。どうにも分からぬこういう世界を信じる人達。藁人形に5寸釘を打ち続けることを本気でやりそうな日本の女性。怖いけども、そんなところが可愛いのかもしれない。

妙なおまじないや曰く因縁のこと、毎日のテレビ朝番組の占いを信じる如く、本気になって日常生活に取り入れているのは日本だけだろう。確かな理屈で世の中が動く訳でもないから、批難するほどのこともないことも確か。どこに素晴らしい運が落ちているかも分からないし、何処に地獄の穴に通じる落とし穴が待っているのか誰も分かろうはずもない。製作総指揮・植村伴次郎(東北新社創始者)の名前が懐かしかった。

『河井継之助~駆け抜けた蒼龍~』

2005年(平成17年)・日本 監督/松原信吾

出演/中村勘三郎 (18代目)/稲森いずみ/京野ことみ/伊藤英明/佐野史郎/坂東三津五郎 (10代目)/唐沢寿明/田畑智子

日本テレビ系で放送されたテレビ映画、河井継之助という人物に興味があってテレビ映画を取り上げることになった。たぶん司馬遼太郎の『峠』を読んだ時に、もちろん初めて知った河井継之助という名前。司馬遼太郎の本はめったに本を読まない私にとっては神のような存在。1頁を読み始まると、もう止まらない。あの頃はまだ目も健在だったし、ただ活字が好きではないという理由だけで、本を読んではいなかった。

今では本を読みたいと思っても、ド近眼に老眼が加わって、コンタクトをしながら手許がまったくおぼつかないという悲惨な状況なのだ。だいぶ前に読んだ本だと思うのだが、この主人公のことを強烈に覚えているのだ。細かいことは勿論忘れている。でも幕末のたいした人物のうちの一人だと記憶している。

テレビ映画はどうしても画面の広がりがないので、こういう幕末の風景を描くにはあまり相応しくはない。実際、戦闘場面などを必死になって入れているのが精一杯で、彼の人となりについてもう少し突っ込んだ表現が欲しかった。昔のたいした記憶が、たいしたものではないような感じになって、ちょっと感じ悪かった。

『シャイアン』(CHEYENNE AUTUMN)

1964年・アメリカ 監督/ジョン・フォード

出演/リチャード・ウィドマーク/キャロル・ベイカー/ジェームズ・スチュワート/アーサー・ケネディ/エドワード・G・ロビンソン

160分と長い割には面白くない。ジョン・フォード監督の最後の頃の作品というのも影響しているのかもしれない。始まりから、この映画は長いんだからゆっくり進行するよ、といった風情で物語が進んで行く。監督、西部劇、騎兵隊、インディアンと面白い要素ばかりなのに、何故かどんどん面白くなくなって行くのが悲しかった。

子供の頃に見たテレビ映画にはいろいろなインディアンの名称が出て来た。このシャイアンはじめ、コマンチ、スー、チェロキーなどなどあの頃の子供なら誰しもインディアンの豆知識くらいは全員が持っていたような気がする。

インディアンの子供に読み書きを教え、彼等に同行する白人女性がいた。クエーカーという宗教の人らしく、親子で布教活動をしているようだった。馴染みのないこのクエーカーという言葉が頻繁に出て来て、アメリカ人ならその辺のあたりの理由がDNAとして分かるのだろうか。珍しく2倍速を駆使しての鑑賞となってしまった。日本映画の詰まらないものを観る時のように、さすがに5倍速にはしなかった。

『容疑者Xの献身』

2008年(平成20年)・日本 監督/西谷弘

出演/福山雅治/柴咲コウ/北村一輝/松雪泰子/堤真一/真矢みき/ダンカン/長塚圭史

東野圭吾の推理小説。ガリレオシリーズ第3弾。2003年から文芸誌『オール讀物』に連載され、2005年8月に文藝春秋より出版された。2008年8月に文庫化された。第6回本格ミステリ大賞、第134回直木賞受賞作。また、国内の主要ミステリランキングである『本格ミステリベスト10 2006年版』『このミステリーがすごい!2006』『2005年「週刊文春」ミステリベスト10』においてそれぞれ1位を獲得し、三冠と称された(のちに前出の2賞を取り、最終的に五冠となった)。

こんな面白い小説が原作では面白くない訳がない。ただ映画の中にちょうどあったのだが、容疑者のアリバイが出来過ぎていると刑事が訝るシーンがあるように、あまりにも話の進み方が出来過ぎていて、なんか言葉では表せないはまり過ぎたストーリーという感が否めない。役者の言っている難しい数学的なセリフが、ただ丸暗記した台本を喋っているだけ、という味気ない瞬間の連続のように感じられたのは、私だけなのだろうか。

映画的な味を残した映像作りは、日本映画に望むのは酷なのかもしれない。相変わらず饒舌過ぎる全編は、映画的完成度を明らかに低下させている。奥がない、と意味の分からないことをほざいてしまうが、ホントに奥がないただ表面的に面白い映画。確かに面白いが、何かが・・・・・。

『座頭市』

1989年(平成元年)・日本 監督/勝新太郎

出演/勝新太郎/緒形拳/樋口可南子/陣内孝則/内田裕也/片岡鶴太郎/奥村雄大

座頭市シリーズの第1作目は1962年(昭和37年)の『座頭市物語』だという。この映画は昭和が終わった年、平成元年に公開された勝新太郎本人の監督によるもの。これが勝新太郎の最後の座頭市映画である。この映画で、立ち回りの撮影中に勝の長男である鴈龍太郎(奥村雄大)の真剣が出演者の頸部に刺さり、頸動脈切断で死亡する事故が起きたり、公開翌年には勝新太郎がコカイン所持で逮捕されるなどして、映画と勝の周辺にはトラブルが絶えなかった。

タケシの作った座頭市は2003年だったが、大したことない映画という印象が残っている。それに比較するまでもなく、本人が監督、主演し息子も出演させたこの映画は、立ち回りの迫力など他の映画の追随を許さない雰囲気を持っている。やっぱり座頭市というキャラクター、容姿、挙動などを総合して勝新太郎という役者の凄みを見る。格好良く、スーパーマンみたいに見える。外国人がチャンバラ映画を観たいと言ったら、一番にお薦めできるだろう。

黒澤明の映画を初めとする日本の時代劇は日本国外でも高く評価されているが、座頭市はキューバでの評価も高い。 1958年のキューバ革命以後、キューバではハリウッド映画の輸入が禁じられたため、日本映画が頻繁に公開された。そのなかで1967年に初上映された「座頭市」シリーズはもっとも公開回数が多く、勝演じるハンデキャップを抱えた孤高の剣士座頭市に、キューバ国民は自らの置かれた境遇を重ね合わせ、熱狂的に支持されたという。こんな面白いエピソードもおまけ。

『関東無宿』

1963年(昭和38年)・日本 監督/鈴木清順

出演/小林旭/松原智恵子/伊藤弘子/平田弘三郎/中原早苗/伊藤雄之助/高品格

今や懐メロ歌謡曲のテレビ番組では、引っ張りだこで一番ギャラも高く人気がある小林旭。映画よりも歌のヒット曲が多い。彼の主演作品をリアルタイムで観ていないし、その後もまず観た記憶がない。社会的に悪だとされているヤクザの世界を美化して描く映画を、子供心に嫌っていて、それがしばらく続いていた。今でこそ単なる映画として捉えることが出来るが、自分の心の狭さはこういうところが発端だったかもしれない。

小林旭はこの時25歳、かなり若いと感じる。仲代達矢ばりに意外と目の演技をしているのがちょっと気になった。松原智恵子は18歳、若くて可愛い。リアルタイムでは好きな芸能人ではなかったが、人気があったことがようやく分かった。

監督は力のある映画監督として有名だが、この映画の中身はつまらない色恋沙汰がメインで、少し興味が薄れる。小林旭作品をもう少し期待していたが、やっぱりリアルタイムで観なくても問題はなかったようだ。

『スイートリトルライズ』

2010年・日本 監督/矢崎仁司

出演/中谷美紀/大森南朋/池脇千鶴/小林十市/大島優子/安藤サクラ

江國香織による恋愛小説が原作。100組の夫婦がいれば、そこには100組の夫婦関係がある。夫婦について語る資格などとっくになくしているが、男と女の関係の延長と考えれば、夫婦関係もさほど難しいものではない。ただ、毎日同じ場所にいることが当たり前のようになっている夫婦にとっては、そこから離れたいと願う潜在意識がいつも頭をもたげているような気がする。

それにしてもこの映画の夫婦の日常はちょっと変わっている。夫は夜の時間部屋に閉じこもり鍵をかけて、40吋ワイド画面でゲームに興じている。妻が連絡を取る時は携帯電話を鳴らす。そんな馬鹿な、ということを何の不思議もなくこなしている。二人がそれでいいのなら、他人がとやかく言うことではないかもしれない。題名を見ただけでは邦画だとは直感できなかった。だいぶ前に観た「ホワイト・ライズ」という意味を思い出せなかった。「方便」というのがその意味だったが、この映画の題名は夫婦間の甘酸っぱい小さな嘘とでも感じればいいのだろうか。

ある家庭を訪ねた時、夕飯を食べ終わり雑談のような会話をしていた時間に、突然夫の方がテレビゲームをやりだしたことがあった。一人ならまだしも、お客さんである私をさしおいてゲームをするとは、と驚いたことがあった。そう考えれば、テレビゲームをやりたかったら一人で部屋に閉じこもり、他人様には迷惑を掛けることなく一人で盛り上がっていた方が、健全のようにも見えてくる。どっちもどっちか。

『お茶漬の味』(Flavor of Green Tea Over Rice)

1952年(昭和27年)・日本 監督/小津安二郎

出演/佐分利信/木暮実千代/笠智衆/津島恵子/鶴田浩二/淡島千景/十朱久雄/三宅邦子

地方出身の素朴な夫と夫にうんざりする上流階級出身の妻、二人のすれ違いと和解が描かれる。もともと本作は、小津が1939年に中国戦線から復員したあとの復帰第一作としてとるつもりで書いたシナリオであった。小津によれば、初めに考えたタイトルは『彼氏南京に行く』で、内容は「有閑マダム連がいて、亭主をほったからしにして遊びまわっている。この連中が旅行に行くと、その中の一人の旦那が応召されるという電報が来る。さすがに驚いて家に帰ると亭主は何事もないようにグウグウ寝ていて、有閑マダムは初めて男の頼もしさを知るという筋」だったという。 ~ Wikipediaより

一流企業らしき会社の「機械部 部長」が主人公、一軒家の家には「女中」がいる、時には二人。子供はいない設定だが、優雅な時代だった雰囲気が伝わってくる。海外出張ともなれば、羽田飛行場(たぶん)の送迎デッキには会社の人ばかりではなく知り合いまでもが見送りに来ている。昭和27年、まだまだそんな時代だったようだ。

上原葉子(加山雄三の母)や北原三枝(後の石原裕次郎夫人)が端役で出演している。後楽園球場でのロケ、パチンコ、競輪など昭和20年代の庶民の娯楽、ラーメンやトンカツなどが懐かしい。後楽園球場は椅子席ではなく、木の長椅子(ベンチ)形式だった。時代を感じる。それでも戦後の復興はもの凄く速い。東日本大震災の復興状況を垣間見るに、現代の能力のない為政者、役人どもとは遙かに違う骨のある人達がいたのではなかろうかと羨ましく思える。

『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』

2010年(平成22年)・日本 監督/東陽一

出演/浅野忠信/永作博美/市川実日子/西原理恵子/香山美子

なに?この映画は?こんな映画あったの?原作は戦場カメラマン・鴨志田穣の自伝的小説。2006年11月にスターツ出版から出版された。浅野忠信は信頼している俳優なので、観始まってもそんなに不安感はなかったのだが・・・・。早々と2倍速、5倍速と相成って、いつもの詰まらない日本映画を観るスタイルになってしまった。悲しい。

何処で公開して、誰が見に来たというのだろう。こんな映画を。

酔っぱらえることは至極、何も覚えていないほど酔えたらこんな仕合わせなことはない。毎日服用している導眠剤ハルシオンでも多少は酔っ払いの気分が味わえる。アルコールの匂いとか、喉ごしの泡の感覚などは味わえないが、朦朧として何が何だか分からない時間を過ごせる、という点では同じようなものだと思える。どうせ大したことのない人生、何を覚えていたって何を忘れてしまったって大したことはなさそうだ。

『チザム』(Chisum)

1970年・アメリカ 監督/アンドリュー・V・マクラグレン

出演/ジョン・ウェイン/フォレスト・タッカー/ベン・ジョンソン/パトリック・ノウルズ/ジェフリー・デュエル

原題チザムは実在した人物ジョン・チザムのこと、この映画の主人公。ニューメキシコ州に広大な牧場を開拓した。堂々たる西部劇だ。時代は1800年代半ばから後半にかけて、西部劇の大主役ビリー・ザ・キッドとパット・ギャレット、この映画の中で追う人と追われる人とのきっかけが描かれている。実際にこの通りだったかどうかは定かではない。

まだ法律が出来ていない頃からようやく法の下に人々が動き出した時代。主人公は法律を守りながらも、最後の決着はどうしても血で血を争うことになるだろうと、覚悟をしている。今の時代だって同じように生きている人がいるからこそ、犯罪と呼ばれる事件が発生するのだ。理屈や理論だけでは世の中が動かないことがある。見境もなく逆上してしまえば200年前の西部劇と同じ社会になってしまう。

1万にいたって声高に反対する1人がいれば、物事はスムーズに進行しない。ましてや、国という単位でまつりごとを行う時、せっかく革命が成功したと思ったエジプトでは、またまた大混乱が起こっている。カリスマ的指導者、或いは幻想的指導者が登場しない限り、こういう国を治めるのは至難のワザだろう。その点日本は楽勝、オカミの言うことをハイハイと従順に聞いている国民が大半。それでいいのだ。


2017年5月24日再び観たので記す。

『チザム』(Chisum)

1970年・アメリカ 監督/アンドリュー・V・マクラグレン

出演/ジョン・ウェイン/フォレスト・タッカー/ベン・ジョンソン/パトリック・ノウルズ

既に間違いなく観ていることを確信していたが、観始まって、最後まで快調に鑑賞した。実はこの映画を観る前に、同じように観たことのある映画を2本、途中まで観て止めてしまった経緯がある。こういう映画は格が違うという表現がぴったんこ。西部劇に出てくるジョン・ウェインと時代劇に出てくる三船敏郎がダブる。

舞台は1878年のニューメキシコ。この映画によれば、ビリー・ザ・キッドが追われ始めるのは、この映画でのエピソードがきっかけのようだ。彼を追いかける保安官のパット・ギャレットも登場して、筋書き的にはこの映画の続きの続きになるだろう有名なこの二人の対決を興味深くさせてくれる。

血気盛んな主人公チザムも今や一国一城の主、法律を守ることを是としているが、立ち上がらなければいけない時には、敢然と逞しい男に変身する。法の下では殺人だって合法とばかりに、激しく撃ち合うその様は、今の世の中と違う力と力を見せつけられる。そういう意味では、アメリカ大統領にトランプが選ばれたのにも、頷かされる。言葉なんて言う便利なものがあるから、世の中は複雑になっているのだろう。

『アバウト・ア・ボーイ』(About a Boy)

2002年・アメリカ/イギリス/フランス/ドイツ 監督/クリス・ワイツ/ポール・ワイツ

出演/ヒュー・グラント/ニコラス・ホルト/トニ・コレット/レイチェル・ワイズ/ナット・ガスティアン・テナ

ヒュー・グラントは不思議な俳優だ。清潔感あるスマートな青年像、屈折味を帯びている悩めるインテリ役を得意とし、ダメ男役をやらせたら世界一という声もある。『フォー・ウェディング』に代表されるロマンティック・コメディの主人公として欠かせない存在感。1987年ヘラルドが配給した『モーリス』(Maurice)で華開いた。この映画はゲイの映画、当時それを聞いただけで自社配給作品だけれど、観る気にはなれなかったことを覚えている。彼が出てくると全体が軽くなる。良い言い方をすれば、軽やかになる。どんな映画も雰囲気が同じようになってしまうのは、ちょっと考えものだ。

観る機会もないだろうから、以下Wikipediaより長文を引用する。

ノース・ロンドンに住む36歳独身のウィル・フリーマンは、父親の遺した印税収入により、何もせず気ままに暮らしていた。人生を謳歌していると自分で語るウィルだが、周りからは精神的に成長していないと見られている。たくさんの女性とデートはするものの、その関係は2カ月以上持ったためしがない。たまたまシングルマザーの女性と交際し、その気楽さに味をしめたウィルは、片親が互いに励ましあうグループ:SPATに参加。うまくスージーという女性とデートの約束を取り付けるが、デートには彼女の友人フィオナの息子マーカスも一緒だった。
マーカスは、精神的に不安定かつヒッピー風で奇妙な母:フィオナの影響で学校に溶け込めずにいたが、フィオナはそれに気づいていない。マーカスは、フィオナと自分を支えてくれるよう、ウィルを頼り、放課後ウィルの家に遊びに来るようになった。ウィルは、周りの子供と同じような外見をさせてやろうと、マーカスにアディダスのスニーカーを購入するが、学校でさっそく盗まれてしまう。これがきっかけで、フィオナにウィルとの交遊がばれ、フィオナとウィルは激しい口論となり、マーカスはウィルに会えなくなる。
マーカスは盗難について校長に呼び出され、そのときに出会った不良風の上級生:エリーに一目惚れする。マーカスは再びウィルの下に出向き、エリーが心酔するカート・コバーンのことを教わる。カート・コバーンの話題をきっかけに、マーカスはエリーと友達になった。ウィル、そしてエリーとの交流によって、マーカスは精神的に成長していく。
一方、ウィルはイラストレーターのレイチェルを真剣に愛するようになる。レイチェルの思い込みから、マーカスに息子のふりをしてもらうが、最終的には真実を話す。レイチェルはウィルのことを「空っぼ」と評した。
マーカスはエリーを誘い、実父に会うためケンブリッジへ向かった。その途上、カート・コバーンの死を知ったエリーは、ショックからウォッカを飲み、さらに途中下車した町のレコードショップで窓ガラスを割るという事件を起こし、マーカスも一緒に補導されてしまう。マーカスの実父、フィオナ、ウィル、エリーの母、レコード店主らが一堂に会し、誤解を乗り越え、互いに理解し合う。

『Life 天国で君に逢えたら』

2007年・日本 監督/新城毅彦

出演/大沢たかお/伊東美咲/川島海荷/哀川翔/真矢みき/袴田吉彦/石丸謙二郎

BASED ON A TRUE STORY とクレジットされて映画は始まるが、こんなつまらない映画も久しぶり。つまらなさが半端でなく、高校生が作った映画の様相。飯島夏樹著の小説、それを原作とした映画。プロ・ウィンドサーファーの哀しい話なのだろうが、映画にするほどの内容ではなく、活字だけで涙を流していれば充分と感じる。

2009年9月、TBS系列にて「JNN50周年記念スペシャルドラマ」と銘打ってテレビドラマも放映されているという。盛り上がりもなく、何がそんに感動させるのか、まったく分からないはなし。このあたりに個人の差を強く感じる。この程度で感動できることは、ある意味素晴らしい。並大抵ではない製作費を使って、人を感動させる映画を作るということが、この程度では私は我慢がならない。

しかも2時間もある。最初の1時間ぎりぎりくらいまでは何とか等倍速で観ていたが、もういけません、それからは2倍速、5倍速と、映像を見ただけでも詰まらなそうな流れを終わってしまった。ロケのシーンは映画的だが、そこに映っている映像や役者達の振る舞いも、いかにもテレビ映画的。奥が浅い。こんな映画を観て感動しましたというまでに、日本人の映画鑑賞能力は衰えてしまっただろうか。

『Dr.パルナサスの鏡』(The Imaginarium of Doctor Parnassus)

2009年・カナダ/イギリス 監督/テリー・ギリアム

出演/ヒース・レジャー/ジョニー・デップ/ジュード・ロウ/コリン・ファレル/クリストファー・プラマー

ファンタジー映画。PG12指定。エロもグロも暴力も感じなかったが何故かPG12(12歳未満(小学生以下)の鑑賞には不適切な表現が含まれるものには、成人保護者の同伴が適当)指定。大人の絵本的な雰囲気の映画で私にはまったく面白くなく、終わりまで見るのが正直言うと辛かった。ナルニア国物語のようにある一線を越えると、その先に広がる世界は幻の国、といった映像。この映画のある一線は「鏡」。

鏡の向こうのトニーという同一人物に3人の役者ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルを配しているのが、宣伝的な売りなのかも知れない。私にとっては、そんなことどうでも良く、あれっ、ジョニー・デップに似ているけど違ったかな、程度の驚きしかなかった。自分の思いがそんまま他人に伝わるならこんな素晴らしいことはない。だが、たいていの場合、自分の思っていることが相手にそのまま伝わる確率は半分以下。そこに誤解や思惑違いが生じて、人間生活の面白さが闊歩するのだ。

Wikipediaよりの解説を読んでも何が何だか分からない、面白さが伝わってこない。 ~ 数世紀前に悪魔との賭けにより不死の命を手に入れたパルナサス博士は、自分の娘を16歳の誕生日に悪魔に引き渡さねばならなくなり、苦悩していた。彼は自身の率いる、他人の想像の世界を垣間見る鏡の見世物を巡り、パーシーら古くからの仲間とともに興行を続けながら、何とか悪魔との賭けに勝利する手立てを画策していた。そんな折、博士はタロット占いの「吊られた男」のカードが示した、橋の上から吊るされた若者トニーを死から救う。助けられたトニーは商才を発揮して見世物を繁盛させ、博士の助けとなるが、悪魔との賭けのタイムリミットは目前に迫っていた…。

『ゆりかごを揺らす手』(The Hand That Rocks the Cradle)

1992年・アメリカ 監督/カーティス・ハンソン

出演/レベッカ・デモーネイ/アナベラ・シオラ/マット・マッコイ/アーニー・ハドソン/ジュリアン・ムーア

淀川長治さんだったら、「怖いですね~、こわいですねぇ~、怖い映画ですね~」とひとこと、みこと言ってから解説が始まるだろう。スリラーの類は実はあまり好きではない。怖いこともあるが、次に起こる何かを想像し過ぎてしまう。具体的に想像するのではなく、イメージとして自分に恐怖観念を植え付けてしまう。おそらく心理学的に見れば、それがく普通の反応なのかもしれない。日本映画の超幼児的な恐怖映画は、映画紹介映像を見ただけで笑ってしまうけれど。

2人目の子供を妊娠したクレアは産婦人科医のモットの診察を受けるが、彼は診察するふりをしてクレアにわいせつ行為をはたらく。クレアはその事を知った夫マイケルに薦められてモットを告訴。すると、他にも彼に被害を受けたとする女性が続出して大事件となり、追い詰められたモットは自殺した。それを知ったモットの妻は保険を全て没収されたうえ、ショックで流産、子供が産めない体となってしまい、クレア一家に復讐を誓う。6か月後、モットの妻はペイトンというベビーシッターとしてクレアの家に入り込み、復讐を開始する。 ~ Wikipediaより

公開当時はそれなりに話題になったような気がする。邦題はほとんど直訳ながら、何かを想像させる含みのあるいい題名。ということは原題がいいのか。女の執念というものを強く意識させられる。たまたまなのか、大半の女性がこれくらいのことをするわ、と思っているのか、こちらにはいっこうに分からないが、男でここまで執念深いのは希だろう。その希なケースが最近はストーカー事件として結構報道される。心を病んだ人が多くなったのか?

『電車男』

2005年(平成17年)・日本 監督/村上正典

出演/山田孝之/中谷美紀/大杉漣/田島令子/西田尚美/瑛太/国仲涼子/佐々木蔵之介/木村多江

オタク族がようやく日の目を見た初めての出来事かも知れない。単行本化されてベストセラーになり、漫画・映画・テレビドラマ・舞台にもなる。ネット発の純愛ストーリーとして世間でも話題を得た。もう電車男と言ったって、そんなの古すぎるよ、と馬鹿にされるだけのことになってしまった。一過性の流行語としてしか残らなかった。

まだ健在の2ちゃんねるという掲示板、今ではツイッターが全盛で、パソコンではなくスマートフォンの時代へと移り変わってしまった。時の流れが速すぎる。誰でも匿名で発言できるようになって、さらに人間の品性はお下劣に成り下がってきている。親が子供に不干渉だというのも、かなり影響している。

どんどん日本人がダメになって行くのに、どんどん日本の文化が世界中でもて囃されるようになって行く。皮肉なものだ。とりあえずは島国である利点を充分に生かし、世界中から羨まれるような国がもっと発展することを望みたい。

『少年は残酷な弓を射る』(We Need to Talk About Kevin)

2011年・イギリス/アメリカ 監督/リン・ラムジー

出演/ティルダ・スウィントン/ジョン・C・ライリー/エズラ・ミラー

日本語タイトルを発案した人は鼻高々だろう。よくぞこの原題から、内容を抜き出したこのタイトルを考えたものだと感心する。問題作に見えるところがいい。映画は面白くないし、ストーリーも気持ち悪い。異常な子供に育ってしまった物語。事件は起こり、主人公の母親は一体何を思ってこれからの人生を生きられるのだろうか。

親孝行という言葉があるが、子供は親のために育つ訳でもない。育って大人になったって、親の苦労の一握りをも実感していない。それが普通であり、親子だからといって他人様より理解し合えていると思うのは錯覚。

殺人を犯してしまうほどの人間には、どこか異常性がある。ほんのちょっとした違いしかない、などと異常な人間を弁護する人が多い。何が正常で何が異常なのかの区別は付けにくい、などと尤もらしい言論を平気でひけらかす「専門家」の類もおおい。異常は異常、それは脳の異常から来ることがあるかもしれない。それは病気。犯してはならない一線を越えてしまう人間には、神の厳罰が下るのは必然。そうでなければ、人間社会はますます栄えなくなってしまう。

『別離』(Nader and Simin, A Separation)

2011年・イラン 監督/アスガル・ファルハーディー

出演/レイラ・ハタミ/ペイマン・モアディ/シャハブ・ホセイニ/サレー・バヤト

第61回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品され、最高賞である金熊賞と、女優賞、男優賞の2つの銀熊賞の計3部門で受賞を果たした。第84回アカデミー賞ではイラン代表作品として外国語映画賞を受賞したほか、脚本賞にもノミネートされた。

玄人受けする映画の出来。タイトル・クレジット全てがペルシャ語で書かれているので、映画を見始まると異次元世界に入って行くような気になる。映画で描かれているのが本当だとすれば、なんという身勝手で、自分の主張だけを言い放ち、原因は全て自分ではない相手方にあるのだとばかりの国民性だと思えてしまう。日本にだってこんな奴はいるだろうけれど、登場人物が全員言いたい放題の世界はちょっと異常だ。そのくせ「神」や「コーラン」の前に立つと、急にしおらしくなって、今まで言っていた嘘を誓えないと言い出す。人間になら嘘も暴力も振るえても、神には罰が当たるかもしれないから、そんなことは出来ないのだと言う。

お手伝いさんが雇い主のアルツハイマーの父親の「おもらし」を自分の意志では始末できない。何処かに電話して相談している。宗教上の問題で私は他人の父親の下の世話をしていいのでしょうか、と。ある意味遅れた世界が存在する。宗教上の問題なら、この時代宗教上の問題として、簡単に時代に合わせた解決策を講じて行くのが為政者のやるべきこと。ひたすらに守り通すだけでは、先人がそうではなかったように、都合の良い人間の営みのための人間の知恵を繰り出すべきではと、いつも考えている疑問符が大きくなる。

『アンネの追憶』(Mi ricordo Anna Frank)

2009年・イタリア 監督/アルベルト・ネグリン

出演/ロザベル・ラウレンティ・セラーズ/エミリオ・ソルフリッツィ/モーニ・オヴァディア/ガスパール・メセス

『アンネの日記』で知られるアンネ・フランクの「その後」について、アンネの親友ハネリ・ホスラーにインタビューした内容をまとめたアリソン・レスリー・ゴールドの書籍『もうひとつの「アンネの日記」』を原作としている。1935年のアムステルダムでのアンネとハネリの出会いから始まり、幸せだった頃の2人の友情と潜伏生活に伴う別れ、収容所での過酷な日々と2人の偶然の再会、生還したアンネの父オットーとハネリとの交流を、1979年のオットーによる子供たち向けの講演における回想の形で描き、『アンネの日記』の前日譚と後日譚となっている。ただし、登場人物や描かれたエピソードについては、エンドクレジットにおいて「歴史的事実から想像し、創作されたものである」としている。 ~ Wikipediaより

情けないけど、原作を読んだことがない。世界的にも超著名なこういう本は一度は目を通しておかなければならない。それが生きる道のひとつの方法。そういうことをしないで死んで行くのは、いい映画を観ることなく死んで行くのと同じようなもの。

悲惨なアウシュビッツでの生活を見ると、いつも胸が押しつぶされる。目の前の建物の煙突からもうもうと出る煙を差して、父親はあそこだと平気で言うナチの兵隊がむごい。良心と命令のどっちが大切だと問われるナチの兵隊に、正しい答を言える状況はない。

『夜の道』(NIGHT PASSAGE)

1957年・アメリカ 監督/ジェームズ・ニールソン

出演/ジェームズ・スチュワート/ダン・デュリエ/オーディ・マーフィ/ブランドン・デ・ワイルド/ジャック・イーラム

西部劇。コロラド山脈。ひたすら延びて行く鉄道。先頭部隊の鉄道工事作業隊。給金輸送列車襲撃。アメリカは週給だから、線路敷設部隊の人夫に払う給料は、現金を現地まで持ち込まなければならなかった。既に出来上がった手前の町で払ったりすると、人夫はすぐに辞めてしまうかもしれないと経営者は危惧するのだ。そうして格好の強盗団の餌食になるという構図。そこに映画の物語がある。

アコーデオンを弾く特技がある主人公、西部劇では珍しい。昔のテレビ映画「ローハイド」にもアコーデオンを弾くカーボーイが毎週登場していたことを思い出した。強盗団の一味に主人公の弟が加わっているのがミソ。賢い兄貴とダメな弟の組み合わせは、洋の東西を問わずありがちなことなのだろう。

面白いのか面白くないのかよく分からない映画。飽きずに見終わったことを考えれば、それなりに面白かったのだろう。ジェームズ・スチュワートは、まさしく主役といった風情、映画スターの面目躍如といったところか。

『真夜中まで』

2001年(平成13年)・日本 監督/和田誠

出演/真田広之/ミッシェル・リー/岸部一徳/國村隼/春田純一/柄本明/高野拳磁/笹野高史

監督が生粋の映画人ではないと、やはり漂ってくる匂いが違うのを感じる。良いのか悪いのか、興行的にはおそらく失敗だろうが、作品の質としては評価される、といった類の映画評が書かれそうな作品。真田広之も本拠地はアメリカのはずだが、こうやって偶に日本映画に出演するために帰国したり、テレビー・コマーシャルで金を稼ぐために戻ってきたりしている。もうベテランの範疇に入る役者、ここらで当り役が何か欲しい年頃。そうすれば友人のエージェントも、少しは潤うことが出来るだろう。

ジャズのトランペット奏者がひょうんなことから、殺人事件の犯人捜しに巻き込まれてしまうおはなし。アメリカ映画お得意の警察内部抗争ものを織り交ぜて、小気味よくストーリーは展開して行く。とりあえず見ている分にはなんの文句もないが、これは面白い映画だから映画館に足を運んで下さい、という作業は至難のワザに見える。

中途半端にテレビ・タレントを遣っているのがうざい。ちょっと日常的でない映画にはいつもテレビで見かけるタレント達は相応しくない。紫煙に煙ったジャズクラブの雰囲気を映し出すこの映画、余計なわざとらしい笑いなど必要ない。こういう映画がミニシアターで8週間くらい上映されるようになったら、日本の映像文化も花開いていると評価出来るのだが、たぶんそんなことはなかったんだろうな~と想像する。

『コロンビアーナ』(Colombiana)

2011年・アメリカ/フランス 監督/オリヴィエ・メガトン

出演/ゾーイ・サルダナ/マイケル・ヴァルタン/クリフ・カーティス/レニー・ジェームズ/カラム・ブルー

DVDレーベル印刷の絵柄を見て映画を観始まると、また中南米の麻薬組織がどうのこうのという暗くて陰惨な映画かと思ってしまった。確かにコロンビアで話が始まるが、その時主人公は9才、それから15年後に悪人を無慈悲に殺すヒロインが誕生した。面白い。主演の褐色の女優ゾーイ・サルダナについて調べたら、センターステージ(2000年・CENTER STAGE)でデビューしたと分かった。確かバレイの映画で観た記憶がかすかにあり、この欄にも書いていた。細身の身体がアクション女優としてはうってつけ、これからの続編もおおいに期待できようというものだ。

この映画の製作・脚本はリュック・ベッソン、フランスの映画監督であり、脚本家、プロデューサーである。映画会社、ヨーロッパ・コープ社長。映画 『レオン』や、『トランスポーター』シリーズの製作などで知られる。ちょっと作られすぎている映像とストーリーが鼻に付く作品という印象があった。

なかなか手の込んだ作品で、しかも撮影にかなりの手間暇、費用をかけていると観客を唸らせる。調子の悪い時はアクションに限る。スカッとはしないが、見終わって何も残らないのは気持がいい。人生もかくありたい。

『わたしのグランパ』

2003年(平成15年)・日本 監督/東陽一

出演/菅原文太/石原さとみ/浅野忠信/平田満/宮崎美子/伊武雅刀/波乃久里子

確かに一度観ていることが分かったが、最後まで楽しんだ。この欄に書き込んでいることが分かった時は、一度観た映画はうろ覚えでも、もう一度観る気になるのは希。どうしてもまだ観たことのない映画を優先したいと思っているから。

筒井康隆の小説が原作、筒井にとって「時をかける少女」以来のジュブナイルとなっている、という解説があって、さてこのジュブナイルとはなんぞや?と調べてみた。ジュブナイル(juvenile)は、小説のジャンルの一種を呼ぶための日本での呼称。英語では young adult fiction やjuvenile novelあるいはjuvenile fictionと呼ぶ。図書館では young adult の頭文字を取って「YA」の分類を設けている場合がある。分かったような分からないような??

最近では孫に自分を呼ばせる時に「グランパ」や「グランマ」を遣う人が多い。「おじいちゃん」「おばあちゃん」で充分だと思うのだが、慣れてしまえば同じこと、批難するほどのことでもなさそうだ。この映画の孫娘は中学一年生、孫が大きくなることは自分がそれだけ歳をとったということなのだが、自分のことを忘れて孫が大きくなったことだけが感慨深い感覚になるのがよく分かる。囹圄(れいぎょ)-ひとや。罪人を入れておく場所。牢獄、などという聞き慣れない言葉を冒頭に持ってきて、観客を惹き付ける演出が筒井流か。

『ボーン・レガシー』(The Bourne Legacy)

2012年・アメリカ 監督/トニー・ギルロイ

出演/ジェレミー・レナー/エドワード・ノートン/レイチェル・ワイズ/ジョアン・アレン/アルバート・フィニー/スコット・グレン

なんだかんだ言ってもこのボーン・シリーズをこの4作目までちゃんと観ている。後で見直したらもっといろいろなことが分かるだろうと思われるくらい、1作目からノン・ストップアクションの連続で、正直言うと物語の繋がりがよく分かっていない。それでも1作1作の出来が面白いものだから、先へ先へとこちらの気持も前のめりになって行く。こんな映画、日本では絶対製作できないだろうという見本みたいなもの。

これまでずーっとマット・デイモンが演じてきた「ジェイソン・ボーン」、今回は写真だけでの出演となり主役が違いちょっと見慣れない顔で、最後まで馴染めなかった。あのマット・デイモンの精悍な姿がどうしても頭に焼き付いて離れない。それでも、よくもまぁ~考えるよな、と思わせる次から次へのストーリー、国家隠謀とかCIAとかの世界では何でもありのネタの宝庫のように見える。映画の最後のシーンはバイク・アクション、さすがにタネが尽きたかと思わせる蛇足のようなシーンの連続にはちょっとばかり飽きてしまった。

折しも現実社会のアメリカでは、中央情報局(CIA)の元職員が、国家安全保障局(NSA)が市民の通話記録やインターネット上の情報をひそかに収集していたことを米紙ワシントン・ポストなどに暴露した事件が明るみになった。国家の隠謀にあったら、簡単に命まで奪われてしまうのは映画のようで現実なのかもしれない。この映画まで凄いことをしているのかしら、と疑ってみても、現実はもっと厳しいのかもしれない。平和ボケした日本社会では到底及びもしない諜報活動社会が存在することは、こういう映画を観てようやく納得することなのだろう。

『ぼくたちのムッシュ・ラザール』(Monsieur Lazhar)

2011年・カナダ 監督/フィリップ・ファラルドー

出演/フェラグ/ソフィー・ネリッセ/エミリアン・ネロン/ブリジット・プパール

カナダ国内では唯一フランス語のみを公用語に定めているケベック州、モントリオールのとある小学校での物語。ある朝、女性教師が教室で首つり自殺をしていた、その光景をドア越しに見てしまった生徒がいる。そんな始まり方をする映画。重いテーマなのかなという感じもしたが、たぶん日本映画のような悲惨な描き方はしないだろうと、ちょっと気楽に見始まった。

代替教師が自薦してきた。それがアルジェリア出身の主人公、彼にも他人には言えない過去と現在がある。フランス領だったアルジェリア、現在の主要言語はアラビア語とベルベル語だがフランス語は公式な公用語には指定されていないが、教育、政府、メディア、ビジネスなどで広く用いられるなど事実上の公用語となっており、大多数の国民はフランス語を話すという。主人公は難民である事を偽って臨時教師の職に就く。

もの凄く良い先生で生徒の誰からも愛されて、といったアンチョコな物語を作るはずもない。前の教師の自殺、生徒、先生、校長、保護者、難民申請などなど複雑な人間関係と出来事がさりげなくさらりと進行する。教師が生徒に向かう時、そこには昔では考えられないような異常とも思える規律が存在するのは世界共通の事柄らしい。軽く頭をこづくなどもっての外、生徒に触れることもいけないという規則がある。ハグしてもいけないというのだ。ある教師が言う、「生徒は放射性廃棄物と同じようなもの、触れれば火傷する」と。こういう教師と生徒との関係は進歩なのか退歩なのか?未来にはどういう関係が待っているのだろうか?ラザール先生はどうなる?

『クレイマー、クレイマー』(Kramer vs. Kramer)

1979年・アメリカ 監督/ロバート・ベントン

出演/ダスティン・ホフマン/メリル・ストリープ/ジャスティン・ヘンリー/ジェーン・アレクサンダー

30才の若さのメリル・ストリープの頬がちょっとふくよか。1977年に『ジュリア』で映画デビューし、翌年公開の『ディア・ハンター』でアカデミー助演女優賞にノミネートされる。そしてこの作品で助演女優賞を受賞し、以来アカデミー賞の常連となってきた。もう63才になった彼女、月日の経つのは本当に速い。

公開当時はアメリカだけではなく日本でも社会現象となっていた。当時のアメリカでは社会問題となっていた離婚・親権を、この作品が真正面から捉え享けたのだろう。日本では社会現象としての離婚問題にはまだちょっと早い時期ではあったが、何となくこんな時代が来るのかもしれないという人々の予感があったのかもしれない。原題は親権を争う「原告クレイマー(夫)対被告クレイマー(妻)裁判」のことだという。

リアルタイムで観てはいない。映画会社にいればほとんどの映画をタダで観ることが出来た。それなのに当時は毎日のように麻雀に明け暮れて、年間数本しか観ていなかったことを今でも残念に思っている。だからこそ今こうやって毎日のように、乾いた喉を潤す如く映画を渇望している生活がある。良いのか悪いのか?あのまま同じように映画を観ない生活で人生が終わってしまうことを考えたら、なんと仕合わせな毎日だろうと神に感謝の一言でも言わなければならない。

『善き人』(Good)

2008年・イギリス/ドイツ 監督/ヴィセンテ・アモリン

出演/ヴィゴ・モーテンセン/ジェイソン・アイザックス/ジョディ・ウィッテカー

私の好きな映画『善き人のためのソナタ』(Das Leben der Anderen)と比べてしまう。今回の映画の方が少しばかり劣ると言ってしまうのは酷かもしれないが。同じ時代のドイツ、ナチが背景。友人のユダヤ人を助けたくとも助けられなかったが、彼のとった行動が「善き人」と言うことなのだろうか。原題は「Good」だけなので、そこのところがよく分からない。

日本が侵略戦争を反省していないと言われる時、よく当時のドイツと比較される。ユダヤ人虐殺の歴史と日本の軍隊が行った行動を同じように論ずるのを聞くのは不愉快。日本の歴史がどう歪められているのかは分からないが、ユダヤ人を虐殺したことを持ち出されるのはお門違い。個々の歴史は個々の事実として検証されなければ、真実は見えてこない。

戦争は終わらない、なくならない。自国が戦争をしないで、後方から戦争を支援している現代の戦争の方が煩わしい。兵器がなければ戦争も出来ないはずなのに、兵器産業が堂々と存在する。自由な銃所持がなければ、アメリカの日常的な惨劇は起こらない。なのに戦争兵器も銃も永遠に規制されない人間の愚かさが存在する。

『エクリプス トワイライト・サーガ』(The Twilight Saga: Eclipse)

2010年・アメリカ 監督/デビッド・スレイド

出演/クリステン・スチュワート/ロバート・パティンソン/テイラー・ロートナー/ブライス・ダラス・ハワード/ビリー・バーク

バンパイアと人間の禁断の恋を描いたステファニー・メイヤーのベストセラー小説の映画化「トワイライト」シリーズの第3作。前作で禁断の壁を乗り越え結ばれたベラとエドワードに、凶暴なバンパイア集団の魔の手が迫る。エドワードはベラを守るため、恋敵のオオカミ男・ジェイコブと手を組むことに。バンパイアとの全面戦争を前に、ベラの恋心は2人の間で大きく揺れ動く。主演は前2作同様クリステン・スチュワート&ロバート・パティンソン。監督に「30デイズ・ナイト」のデビッド・スレイド。 ~ 映画.COMより

珍しくシリーズものにはまってしまった。嫌いジャンルだったバンパイアものが、今では好きなジャンルに変わってしまった。食わず嫌いで何度も挑戦しているうちに好きになったのではない。嫌いな女の子のまったく別の良い面を見つけてしまった時、急にその子が嫌いでなくなってしまった感じだ。

次作も既にDVD化されていて、何とPart1とPart2に別れている。準新作のPart1はもう入手済みだが、新作Part2はもう少し経たないと安くならない。こんな小さなことに悩んでいるようでは、いくら命があっても足らないくらいのストレスだろう。馬っ鹿みたい!

『なにはなくとも 全員集合!!』(Everybody,Let's Go!)

1967年(昭和42年)・日本 監督/渡辺祐介

出演/三木のり平/いかりや長介/加藤茶/仲本工事/高木ブー/福岡正剛/丹阿弥谷津子/中尾ミエ/高塚徹/古今亭志ん朝

お化け視聴率番組『8時だョ!全員集合』は1969年(昭和44年)10月だったようだ。当時の人気はクレージーキャッツでありコント55であった。懐かしい名前、テレビ全盛の時代、どんな低俗番組でも見ない訳にはいかなかった。

この映画はまだドリフターズが爆発する前に作られている。それでもこんな内容も書けないようなドタバタ映画を製作し、映画館でお客を集めようとしていたことが凄い。

1985年(昭和60年)9月まで続いたTBS土曜日夜8時の番組全員集合は低俗番組のレッテルを貼られ、ドリフは人気と引き換えにPTAと地婦連から目の仇にされた。今のテレビ局では間違っても出来ないだろことが出来る時代だったのかもしれない。あたらずさわらず、ふれあわない人間どもが集団を作っているだけの社会になってしまった。

『パラダイス・キス』

2011年(平成23年)・日本 監督/新城毅彦

出演/北川景子/向井理/山本裕典/五十嵐隼士/賀来賢人

「NANA」で知られる矢沢あいが手がけた人気漫画を、北川景子主演で実写映画化する。ファッション誌「Zipper」で1999~2003年に連載され、累計発行部数500万部を超える大ヒットを記録。有名進学校に通う高校3年生で、受験勉強に追われる主人公の早坂紫(ゆかり)が、服飾専門学校生・小泉ジョージ(向井理)らの学園祭でファッションモデルを務めることなり、夢を追いかけるジョージと仲間たちの姿に自らも歩む道を見出していく姿を描く。 ~ 映画.comより

漫画が原作という日本的幼児ストーリーが何故こんなに受けるのか分からない。生まれた時から漫画に囲まれて育った世代が圧倒的。我々のように商業的漫画「少年サンデー」や「少年マガジン」を小学校時代にひとつの道具として受け取った世代には、漫画なんて所詮は補助的なもの。何でこんなに全員が漫画軽チャーに冒されてしまったのか、不思議でならない。

出来もしないことを簡単に出来てしまうのが漫画。現実逃避を漫画の中でしてしまう人生と現実とのギャップに挟まれて生活している若者。いい加減にもっとしっかりした一本線を自分で見つけないと、ただの馬鹿人間になってしまうよ。

『ヘンリー・アンド・ザ・ファミリー』(Jesus Henry Christ)

2012年・アメリカ 監督/デニス・リー

出演/トニ・コレット/マイケル・シーン/ジェイソン・スペヴァック/サマンサ・ワインスタイン

一種の「お馬鹿さん映画」だと思うが、こういうのって好きだな~。典型的なお馬鹿さん映画『ハングオーバー』シリーズまでハチャメチャではなく、母と祖父と共に暮らす少年ヘンリーは、1歳になる前に言葉を話し、10歳で大学生となった超天才児であった、という夢のある話なので好きなのだろう。日本での劇場未公開は惜しい気もするが、配給会社経験者としてはやっぱり宣伝も難しいし、万が一宣伝が上手くいったと思っても動員にはなかなか繋がらないだろうと首を痛めそうだ。

話にはとりあえずオチがあって、フェミニストである母パトリシアは、過去に精子バンクを利用した人工授精によって彼を妊娠、出産していたのだ。冒頭でこのファミリーの不幸な物語が紹介されるが、それは落語の「枕」のようなもので、本筋はこの天才少年にまつわる話だった。

人間誰しも3才から5才くらいまでは天才に見える。3人の子供の天才ぶりを見てきたけれど、小学校に行く頃には見事に凡人になって行くのも同じようなものだった。レバタラで言えば、あの天才時代に親が別のことをやっていたら、子供の才能も違った面が開花したのかもしれない。それでも何も開花しなかったかもしれない。そう思って人生を過ごしている人が大半なら、そんなに悩まなくてもいいのかもしれない。

『ローマ法王の休日』(Habemus Papam)

2011年・イタリア/フランス 監督/ナンニ・モレッティ

出演/ミシェル・ピッコリメルビル/ナンニ・モレッティ/イエルジー・スチュエル/レナート・スカルパ/マルゲリータ・ブイ

バチカン市国にあるバチカン宮殿内のシスティーナ礼拝堂でおこなわれる教皇選挙(コンクラーヴェ)を題材としている。誰もがなりたいと思っているに違いないローマ法王、その選挙の最中にささやかれる枢機卿達の言葉が意外で面白く、この映画の発端となっている。

2013年の今年、ベネディクト16世(2005年即位)が高齢を理由に2月末で退位したことを受けてのこのコンクラーヴェが開催されて世界中のニュースとなった。ローマ法王が存命中に退位したのは約600年ぶりとかで、その後の人選がメディアでも注目された。今回の選挙人115人の5回目の投票で266代目の法王となったベルゴリオ氏はアルゼンチンの出身、「教皇 フランシスコ」が誕生した。史上初のアメリカ大陸出身のローマ教皇であり、史上初のイエズス会出身の教皇であることが話題となっている。「手造りの聖地巡礼」ホームページを更新している関係から、多少は耳年増になっていて、こういった話題や映画のテーマに心から興味が湧くようになっている。

映画は前法王の葬儀から始まる。原題「Habemus Papam」は、新ローマ法王が決まった時に発せられるラテン語で「新法王が決まりました」という意味という。コメディーではあるが、終始威厳を持って物語が展開して行く感じがした。さすがにローマ法王がテーマであると感じる。よくぞここまで人間ローマ法王に踏み込んだストーリーを創ったという感じもする。日本映画のようにだらだらと終わりの潔さがなく饒舌過ぎるのも困るが、この映画のようにもう少しその後のことを知りたいと思わせる映画も、ちょっと困る。

『臨場 劇場版』

2012年(平成24年)・日本 監督/橋本一

出演/内野聖陽/松下由樹/渡辺大/高嶋政伸/段田安則/若村麻由美/平田満/長塚京三

テレビ2時間ドラマをきちんと見たことがない。このドラマは題名すら聞いたことがなかった。テレビ朝日系で2009年・2010年と放映され、視聴率も15%を超える人気作品だったようだ。「臨場」という聞き慣れない用語が覚えられないが、警察組織において事件現場に臨み、初動捜査に当たることを意味するらしい。主人公は検視官、死体が語る推理を廻らすという物語。

内野聖陽は不倫騒動で、高嶋政伸は離婚騒動で毎日のようにドロドロとした人間劇を視聴者に見せつけておきながら、りっぱな「検死官」や「管理官」を演じているのは違和感があり過ぎで、こういうところが日本のテレビ、映画、役者の質の低さがひいては日本映画界の万年構造不況の原因となっている。

役者も同じで内容もさほど変わらないものをテレビ画面で見てしまえば、劇場版と謳ったところで所詮は2時間ドラマの延長のように見えてしまう。見る側に問題があるのは確かだが、わざわざ映画館で見なくたっていい映画になってしまう。多くの人々が満足していれば、それはそれでいいのだろう、たぶん。

『崖っぷちの男』(Man on a Ledge)

2012年・アメリカ 監督/アスガー・レス

出演/サム・ワーシントン/エリザベス・バンクス/ジェイミー・ベル/アンソニー・マッキー/エド・ハリス

公開時に、高層ホテルの窓棚に立ち飛び降りようとしている姿とこの題名から、何とも軽そうな3流映画を想像していた。そう思わせてしまうのは宣伝の失敗、見て行くうちにだんだんと面白くなって行く映画に、ちょっと楽しませてもらった。

アメリカ映画お得意のコップ(警察)もの。NYPD、ニューヨーク市警の内部告発もの。警察官が警察官を罠に陥れ、懲役25年の刑務所に送り込むとは。今の日本のホテルでは窓から身を乗り出すことすら出来ない。こんなシーンを撮ることが出来ない。無実の人を簡単に有罪に出来ることがなんともやりきれないが、権力のある人が3人も集まれば、誰でも有罪に出来そうな人間社会。

体調が悪い中、ずーっと見通せたのは映画の力だろう。


2016年8月31日に再び観た

『崖っぷちの男』(Man on a Ledge)

2012年・アメリカ 監督/アスガー・レス

出演/サム・ワーシントン/エリザベス・バンクス/ジェイミー・ベル/アンソニー・マッキー/エド・ハリス

 観たような気もするけれど、とりあえず録画しとこうか、といって録画することが多い。この作品もそう、観始まってもお得意の全くシーンを覚えていないという現象がしばらく続いた。それなら録画する前に確認すればいいじゃんと思うのだが、そんなことすら面倒で出来ないのが私の癖、というより弱点。

 原題の[ Ledge ]は造語かと思ったけれどしらべてみたらちゃんとした英語だった。edge の頭にに[L]が付いている。Ledge:1.(壁・窓から突き出た)棚、on a window ledge 窓の棚に 2.(岩壁側面や、特に岸に近い海中の)岩棚 まさに1.のホテルの窓の棚に乗り主人公が飛び降りる姿を見せている。何故主人公はそんなことをしているのか。時々、あっ!このシーン、とおもわず思いだしたりして一気にこの映画を観終わった。おもしろい。

 邦題も原題と内容を加味してよく練られている。が、この題名でヒットに繋がるかどうかは疑問。もうすぐ6年半で2000本という大台に乗る最近観た映画の本数、新たな1本にはならないけれど、楽しい時間が過ごせたことの喜びの方が大きい。なんて、格好つけちゃって。

『アイス・カチャンは恋の味』

2010年・マレーシア 監督/阿牛 (アニュウ)

出演/阿牛 (アニュウ) /李心潔 (アンジェリカ・リー) /曹格 (ゲイリー・ツァオ) /梁静茹 (フィッシュ・リョン)

マレーシア映画は初めてかも知れない。体調が悪くじーっとしているのもイライラする状態で見たので、集中力がなく面白さも良く分からなかった。第11回NHKアジア・フィルム・フェスティバル上映作品だということで、NHK-BSでの放映となったのだろう。青春ロマンティックコメディ映画といったジャンルになるだろうか。

日本人よりも若く感じられる容貌のマレーシアの若い男女、主演クラスは実際には30才を過ぎていそうだが、その10才以上下くらいの役を演じている。喋っているのは広東語に聞こえたが、公用語はマレーシア語らしく、調べてみたがそのあたりは結構複雑すぎて良く分からない。ストーリーはたわいないが、初めて見るお国柄の雰囲気に興味が湧く。アイス・カチャンとは「かき氷」のことで、小さい頃から一緒に食べたかき氷の想い出が淡い初恋に繋がって行く。

主人公の可愛らしい女の子は勝ち気で男勝りだが、男子から人気がある。そんな女の子はいつもいたよね。あまりにも勝ち気なので「闘魚」というあだ名が付けられていた。映画の中で「闘鶏」ならぬ闘魚を闘わせるシーンがあり、これで賭けをするのが新鮮。実際に、ベタ (Betta)、トウギョ(闘魚)とは、スズキ目 キノボリウオ亜目オスフロネムス科(かつてはゴクラクギョ科)ゴクラクギョ亜科ベタ属(別名トウギョ属)の淡水魚、という魚がいることが分かっただけでもいいかっ!

『忠臣蔵 四十七人の刺客』

1994年(平成6年)・日本 監督/市川崑

出演/高倉健/中井貴一/宮沢りえ/西村晃/石坂浩二/浅丘ルリ子/森繁久彌/岩城滉一/山本學/石倉三郎/井川比佐志/宇崎竜童

10年ひと昔と言うけれど、もうふた昔前の映画、宮沢りえは21才ふっくらとした顔とふくよかな身体つきが着物の上からも窺える。高倉健が大石内蔵助のイメージではないけれど、役者としてはまったく問題なく、これまでに描かれて何度も見てきた主人公の残像がかなり強すぎるのだと感じた。映画の中身については以下のWikipedia引用を読むと参考になる。

~ 己の権勢を誇示するために浅野内匠頭に切腹を命じ、赤穂藩を取り潰した幕府を仇討ちによって、その面目を叩き潰そうと目論む大石内蔵助。吉良上野介をそれから守る事によって幕府の権勢を維持しようとする米沢藩江戸家老・色部又四郎。この二人の謀略戦と大石と一文字屋の娘・かるとの恋を中心にした『忠臣蔵』を描いている。本作では、『忠臣蔵』で定番とされてきた江戸城松の廊下での刃傷事件の描写は省略され、終盤で大石と吉良が対決する時に回想シーンとしてわずかに登場するだけである。また、浅野が吉良を斬り付けた理由は最後まで謎とされた。途中、色部が吉良に理由を尋ねるが、吉良は答えない。また、吉良が大石に、浅野の刃傷の本当の理由を知りたくはないか、と助命を請うシーンがあるが、大石は「知りとうない」と言って吉良を討ってしまう。そのことが、それまでの『忠臣蔵』とは違ったリアリティをこの作品に持たせている。一方で、吉良邸内に迷路があったり、庭に障害物競走を想像させる水の溜まった溝があったりと、歴史考証に疑問を感じさせる部分がある、原作に描かれている大部分を省略している等、批判的な意見もある。 ~

高倉健が女性と絡むシーンなど今までほとんど見たことがない。この映画でも濡れ場シーンを演じることはなかったが、その3歩手前ぐらいまでのカラミ方をしていて、ちょっと興味が惹かれる。忠義の見本のような物語、こんなこと馬鹿馬鹿しくて誰もついて行かないよ、と全員が言いそうな時代も近づいている気がする。

『死ぬまでにしたい10のこと』(My Life Without Me)

2003年・カナダ/スペイン 監督/イザベル・コイシェ

出演/サラ・ポーリー/スコット・スピードマン/マーク・ラファロ

原題と邦題の落差が激しい。日本語タイトルを付ける時、宣伝部員は当然映画を見てから題名をどうしようかと考える。が、題名はその映画を見ていない人に発信するものなので、当然そのギャップが生じるのだ。この邦題はちょっと見たいと思わせる点ではいいのかもしれない。内容的にも死ぬまでにしたい10のことをメモるシーンがあるので、意外と違和感はない。

ただ、内容的には凄く哀しい話なので、邦題から受ける印象とはかなりかけ離れている鑑賞後感。だって結婚していて娘が二人いて、環境的には仕合わせではないかもしれないが、気持の上では充実している23才の妻が余命2ヶ月の宣告を受けてしまうのだ。そのことを誰にも喋らず、10のことをして行く。

死期が分かったとしても何もすることはない。特別にこれがしたいとか、あれを食べたいとか。気持ち的には極めて安らかに死期を迎えられたら、それで充分だと思える。どれだけいい言葉を遺したって、それはもう単なる遺物、自分が生きていた証明などまったく必要のないもに思える。

『プロメテウス』(Prometheus)

2012年・アメリカ 監督/リドリー・スコット

出演/ノオミ・ラパス/シャーリーズ・セロン/マイケル・ファスベンダー/ガイ・ピアース/イドリス・エルバ

題名だけ耳にしていてかなり期待感があった。他には何の情報もなかったが、久しぶりの宇宙ものに心が躍った。見ているうちに、これってエイリアンと同じようなもの?と思ったが、見終わって調べてみたら、「本作はリドリー・スコット監督によるSF映画である。元々、同監督の『エイリアン』(1979年)の前日譚として企画されたが、『エイリアン』シリーズから独立した物語に発展した。」という解説が見つかって納得した。

時は2089年、映画的には凄く近い現実に思える。2500年ともなってしまえば、もう遠すぎてイメージも湧きにくい。2089年ならまだ孫たちもぎりぎり生きている時代、その頃にはこんな宇宙探検が行われているのだろうか。2001年宇宙の旅がそうだったように、映画で描く近未来は意外と現実にやって来る。

途中ちょっと眠くなってしまったのは、あまりにもエイリアンに似すぎていて、やっぱり新しいキャラクターを待望しているのかもしれない。映画館の大きな画面で見なければいけない映画。さらに3Dになっているような映画は、そんな作り方をしているので、是非映画館に足を運ばなくては。まだ最新3Dを映画館で観ていない。

『エデン』(Eden)

2012年・アメリカ 監督/ミーガン・グリフィス

出演/ジェイミー・チャン/マット・オリアリー/ボー・ブリッジス

アメリカで実際に起きた事件をもとに、人身売買組織に囚われた少女の過酷な運命を描いたサスペンス。1994年。ニューメキシコに住む少女ヒョンジェは、バーで知り合った男に拉致されてラスベガスへと密輸され、売春宿で働かされることに。始めのうちは激しく抵抗するヒョンジェだったが、やがて生きるために売春宿での暮らしを受け入れ、組織内で地位を築いていく。主演は「エンジェル ウォーズ」のジェイミー・チャン。 ~ 映画.COMより

実話に基づいている映画というクレジットは、何のお墨付きにもならない。この頃ではさほど興味の湧かない題材に基づいていることが多く、この映画などもだんだん気分が悪くなってくる。引用では分からない嫌らしい世界。全ての男がスケベで、買春を厭わないと思えてしまうような内容に辟易する。

映画を見ている時は何処の国のはなしか分からなかった。まさかアメリカとは。それにしても酷い世界があるもんだ。あまりコメントしたくない映画。こんな映画もある。

『サーカスの世界』(Circus World)

1964年・アメリカ 監督/ヘンリー・ハサウェイ

出演/ジョン・ウェイン/リタ・ヘイワース/クラウディア・カルディナーレ/リチャード・コンテ/ジョン・スミス

シルク・ドゥ・ソレイユという超人的なエンターテインメント集団が現れてしまった現代、昔ながらのサーカスの場面は見るに耐えられるだろうか、という興味があった。またジョン・ウェインはどんな役割でサーカスと絡んでいるのかという興味もあった。

時代は19世紀サーカス黄金時代、ジョン・ウェインはサーカスの団長だった。しかも彼は、西部劇のシーンを演じる一団に加わり、馬上からライフル銃をぶっ放したりして、やんやの喝采を浴びていた。空中ブランコ、綱渡り、猛獣遣い、ピエロ達、馬の曲芸などなどを大きなテントの下同時にエンターテインメントが行われている。子供の頃見た木下サーカスなどあまりにも子供騙しと思い起こさせるほどの違いに、あらためて感心をしたし、今見ても何も見劣りするものではなかった。

サーカス・シーンがチンケに見えたとしたら、ストーリー全体にもかなり影響しただろうが、背景がしっかりしていれば、描かれている人間模様は結構面白い。団長の統率力や何があってもへこたれないという開拓魂とでも呼べる精神が、ひしひしとスクリーンから伝わってくる。今の日本、こんな逞しい人間を見つけることは出来ないだろう。

『アフタースクール』

2008年(平成20年)・日本 監督/内田けんじ

出演/大泉洋/佐々木蔵之介/堺雅人/常盤貴子/田畑智子/山本圭

なかなか面白い。しょっぱなのクレジットに「TBS製作」と出て来たので、また詰まらない2時間ドラマの焼き直しだろうと、タカをくくっていた。しかも題名が学校ものときては、期待できないと思うしかなかった。

学校ものではなくルーツが学校だった。母校の中学校で働くお人好しな教師と同級生で同じ教師仲間で今は一流企業に勤めるもうひとりの主人公、そこに中学時代にマドンナ的存在だった女の同級生が加わる。物語はテレビドラマで良くある刑事物とは一線を画しそうな感じ。2時間ドラマをきちんと見たことがなく、チャンネルを回す時にちらりと見る映像とセリフでは、とてもじゃないけど見る気になれていないので、比較するのも適当ではないが。

中学時代の友人がずーっと続いていれば、もう50年以上の付き合いということになる。田舎へ帰ればまだまだ見覚えのある顔にはたくさん会えるだろうが、もう田舎へ帰ることもなかなかないだろう。親が生きているうちは関係が保たれるが、両親が亡くなってしまうと、疎遠になってしまうと、若い頃思いもしなかったことが現実となってしまった。便利なもので、自作機のパソコンを6才上の長兄に渡し、Skypeを設定してあるので、たま~に無料通話を楽しむことが出来る。もともと電気系の頭を持つ兄貴だったが、72才も過ぎているとパソコンも教えたことをすぐ忘れ、好きな囲碁をパソコンでやるのが精一杯。それでもパソコンをいじれるだけ大したもの、私の分まで長生きして欲しい。

『リトル・フィッシュ』(LITTLE FISH)

2005年・オーストラリア 監督/ローワン・ウッズ

出演/ケイト・ブランシェット/サム・ニール/ヒューゴ・ウィーヴィング/マーティン・ヘンダーソン

ケイト・ブランシェットはそれなり以上に活躍している女優。彼女がどうしてオーストラリア映画のちょっとマイナーな映画に出演しているのか不思議だった。あれよ、とよくよく彼女の顔を見ていたら、この顔ってオーストラリア人じゃん、ということに気がついた。明確な区別を知っている訳ではないが、イングランド・スコットランド・ウェールズ・アイルランド・イタリア系アメリカ人とはどこかテイストが違う。

日本未公開、上映されたとしてもミニシアター系がせいぜい。暗いし、ヘロインという麻薬が絡む話なので、「またか!」と、ちょっと食傷気味。ちょっと問題作や映画祭で賞をとろうとする作品にありがちな、麻薬社会での出来事、あまりどころか心から好きではない。

体調が良ければ、こういう暗く侘びしい映画の鑑賞にも堪えられる。しかし体調不良だと、気もそぞろ、何を見ても言われても、心の中には何も入ってこない。どころか、観ているのが辛くなる状況。

『ヘルプ ~心がつなぐストーリー~』(The Help)

2011年・アメリカ 監督/テイト・テイラー

出演/エマ・ストーン/ヴィオラ・デイヴィス/ブライス・ダラス・ハワード/オクタヴィア・スペンサー/シシー・スペイセク

面白い。軽いテンポで結構シリアスな問題を捌いて行く。日本映画だとちょっと笑いがあるような映画は、お笑い映画ジャンルに入ることが多いが、この映画の笑いはそんな軽チャーではない。結構つい微笑んでしまうシーンがあるのだが、そこのところがかなりブラックで小気味いい。製作費2500万ドルに対し、興行収入は1億7500万ドルを超える成功作となった、というのもおおいに頷ける。

1950年代から1960年代にかけてアメリカの黒人(アフリカ系アメリカ人)が、公民権の適用と人種差別の解消を求めて行った大衆運動を「公民権運動」と言うが、キング牧師という名前は我々世代なら知らない人はいない。ちょうどその時代の黒人のメイド、日本流で言うなら家政婦さんの物語。キング牧師らによって導かれた人種差別撤廃を求める運動の一環として行われた行進で、20万人以上が参加した1963年8月28日に行われたワシントン大行進の話が出てくる。この時代の人種差別は、遠い日本に居ては分からなかった、激しい人種差別があったことが窺える。メイドの食事はひとりでキッチンで食べる。仕える家族の子守をし、料理も作っているのに。トイレだってわざわざ専用のトイレ、しかもいったんドアを出て玄関横に作られたトイレを使わなければならなかった。同じトイレに座ると、ばい菌がうつるとまでとまで言われて。ありとあらゆる差別をされていたようだ。

折しも、タイガー・ウッズと不仲で知られるガルシアが欧州ツアー年間表彰式で、6月の全米オープンでウッズと食事を共にするかと問われ、冗談めかして「毎晩、彼を招いてフライドチキンを出すよ」と欧米で米国南部の黒人を強く想起させる食べ物の名前を出した、ことが問題になっていた。ウッズも短文投稿サイト、ツイッターで「あの発言は明らかに不適当で傷つけられた」とつづった。映画の中ではある家庭の黒人メイドが若い奥さんにフライドチキンの作り方を得意げに教えているシーンがあり、このガルシアの発言の意味するところをイメージすることが出来てラッキーだった。


2016年10月16日に再び観たので書く。

『ヘルプ 心がつなぐストーリー』(The Help)

2011年・アメリカ 監督/テイト・テイラー

出演/エマ・ストーン/ヴィオラ・デイヴィス/ブライス・ダラス・ハワード/オクタヴィア・スペンサー

是非観ておきたい映画のひとつ。他人にあげようと思って机の上に置いているこの作品、くだらない最近の録画作品を途中で辞めて。もう一度見直そうと決めた。最初に観たときは、まぁまぁ~だなという印象だったはずだが、今回は凄くいい映画だと感じる。いかにつまらない映画ばっかりのこの頃だと分かった。

時は1911年、アメリカの南部、ミシシッピー州ジャクソンという町での話。「Colored」と差別された建物がある。ハウスメイドは奴隷の如く、トイレだって庭に作られた黒人専用トイレを使わなければならない。あれから100年でようやく表面的な差別はなくなったが。

どうして人間は他人を差別するのだろうか。頭脳や技術や自信のない人にとっては、他人を差別することでしか自分の存在を確定出来ない。不思議なものだ。優秀でりっぱで出來のいい人ほど、他人が何をやろうが何を言おうが無頓着でいられる。そんな人に私もなりたい。と、宮沢賢治風に。

『ザ・タウン』(The Town)

2010年・アメリカ 監督/ベン・アフレック

出演/ベン・アフレック/レベッカ・ホール/ジョン・ハム/ジェレミー・レナー/ブレイク・ライヴリー

まだ暫くは大活躍しそうな近年の映画才能人ベン・アフレック(1972年8月15日 - )は、アメリカ合衆国の俳優、脚本家、映画監督、映画プロデューサーである。ケヴィン・スミスの映画『モール・ラッツ』(1995年)、『チェイシング・エイミー』(1997年)、『ドグマ』(1999年)への出演で知名度を上げ、友人のマット・デイモンと共同で脚本を書いた『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』でアカデミー賞とゴールデングローブ賞を受賞した。その後も、『アルマゲドン』(1998年)、『パール・ハーバー』(2001年)、『チェンジング・レーン』(2002年)、『トータル・フィアーズ』(2002年)、『デアデビル』(2003年)、『ハリウッドランド』(2007年)、『消されたヘッドライン』(2009年)に出演した。アフレックは映画作家としても成功しており、これまでに監督作『ゴーン・ベイビー・ゴーン』(2007年)、『ザ・タウン』(2010年)、『アルゴ』が公開された。『アルゴ』により共同でプロデューサーを務めたジョージ・クルーニー、グラント・ヘスロヴと共にアカデミー作品賞を受賞した。 ~ Wikipediaより

久しぶりに骨太の映画を見た。原作はチャック・ホーガンの小説『強盗こそ、われらが宿命』、家業的に強盗団を仕事にしている一家に育った主人公、父親は現在も服役中、5回死んでも刑期は終わらないという現実。場所はアカデミックで有名なボストン、一方で年間300件以上の銀行強盗事件が起こる街、ボストンのチャールズタウン。ボストン・レッドソックスの本拠地フェンウェイ球場も登場する。現在ボストン・レッドソックスでは上原投手と田沢投手が今シーズン活躍をしている。鳴り物入りで入団した松坂は、結局メジャーリーグ入りした2007年15勝12敗、2008年18勝3敗とこの2年間しかめぼしい活躍が出来なかった。現在はクリーブランド・インディアンス傘下のAAA級コロンバス・クリッパーズに所属。大復活は望めないだろう。

ボストンという街に行ってみたい。アメリカで訪れたいところはさほど見当たらないが、この都市は何故か魅力がある。もう海外旅行は無理だろうな。国内移動だって、乗り物に2時間も乗っていると身体の調子が狂ってくる。それは乗り物に乗るな、ということだと感じているので、あまり逆らわないで生きられるところまで生きて行こう。

『人生はビギナーズ』(Beginners)

2010年・アメリカ 監督/マイク・ミルズ

出演/ユアン・マクレガー/クリストファー・プラマー/メラニー・ロラン/ゴラン・ヴィシュニック

『セックスの相手を求む。できればその後恋人か友人に。1対1でなくても。当方78才の老人、まだ魅力も精力もある。引退した美術史家、美術・インテリア・ガーデニングが趣味。パーティや犬との散歩も。身長180センチ、体重72.5キロ、髪はグレー、目はブルー、胸毛あり。お互いに愛撫し合い、優しく愛し合うのが好み。居心地のいい家、食べ物、飲み物、友人、私。年配の男性に興味あれば、まずは会ってほしい。』

父はこんな新聞広告を出した。母が亡くなってから5年が経ったある日、父から突然自分がゲイであるとカミングアウトされる。同時に様々な人生の楽しみを探し始め、歳若い恋人(男)とも出会いゲイの友人たちに囲まれて幸せそうに過ごすようになった。父親の突然の行動に戸惑いを隠せないが、老いてなお人生を楽しむ姿に影響を受けていく。だが直後に父は末期ガンであると診断され、治療と息子の看護を受けつつも亡くなってしまう。

映画はなかなか前に進まず物語ほど面白くはない。父が生まれた頃のゲイは、重い精神病で直らない病気だとされていた時代。母は自分の手でそれを直してあげると求婚したことを知らされる。監督が違っていれば、もう少し面白い映画になっていたような気がする映画。

『素敵な人生のはじめ方』(10 Items or Less)

2006年・アメリカ 監督/ブラッド・シルバーリング

出演/モーガン・フリーマン/パス・ベガ/ジョナ・ヒル/ジム・パーソンズ/ダニー・デヴィート

史上初めて、劇場公開中にインターネットでのダウンロード公開を行った作品として知られる、という。日本では劇場未公開、当然かも。モーガン・フリーマンという芸達者による彼自身のための映画だとも言える。簡単な内容は ~ かつて名優として知られていたが現在は全く仕事が無いとある役者が、なんとか復帰するためにインディーズ映画のオーディションを受けようとする。彼が狙う役柄はスーパーの夜間店長であるため、役作りの為に実際に行って研究しようとする。男は、向かった先のスーパーでレジ打ちをしているスカーレットという女性と知りあう。彼女もまた、現状から脱出するために建設会社の面接を受けようと考えていたのだ。

原題「10 Items or Less」は、スーパーマーケットにある「10品目以下の専用レジ」、何故そんな専用レジがあるのかは、映画を見ている中では解明できなかった。何故?いかにも場末のスーパーマケットが舞台だが、日本でならこんなスーパーはとっくの昔に姿を消してしまっているだろう。

主人公が主演していたビデオが半額でスーパーの棚に並んでいる。それを見つけた彼は、その半額というシールを剥がしにかかったり、一番奥に並べ替えたりしている。やっぱりそうだよね、自分の顔が映っている商品が、そんな邪険に扱われるのは気持ち良いものではないだろう。自分の書いた本が「10円」で中古本屋に並んでいたらと考えると、作家も気楽な商売ではない時代なのかもしれない。

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(The Curious Case of Benjamin Button)

2008年・アメリカ 監督/デヴィッド・フィンチャー

出演/ブラッド・ピット/ケイト・ブランシェット/ティルダ・スウィントン/ジェイソン・フレミング

この映画は間違いなく一度観ているし、それも公開から結構早い時期に観ていることを承知していた。その時には、さほどの面白さを感じなっかったのだが、もう一度見直せばまた違った感想になるのかな、という期待感があった。

物語が極めて独創的なので、大ざっぱにその骨子を誰しも記憶しそうな映画。特に凄い事件がある訳でもなく、観客が深く考え込むものでもない。80才の老人で生まれた主人公が、逆成長して若返って行くシーンが、どんな風に描かれているのかに、みんなが注目していたに違いない。

人間が生まれるということ、老いて死んで行くということ、をあらためて心に刻んでくれる映画である事は確か。息子を戦争で失った時計職人が、公共の場にかける大時計の製作を依頼され、逆回りの時計を披露したことが印象的。時計が逆回りして、戦争で死んでいった息子達に、みんながまた会えるといいね、と語りかける。

『アイ・ラブ・トラブル』(I Love Trouble)

1994年・アメリカ 監督/チャールズ・シャイア

出演/ジュリア・ロバーツ/ニック・ノルティ/ソウル・ルビネック/ジェームズ・レブホーン

いかにもアメリカ的な軽いノリで見られる映画。推理劇がある分、単なる恋愛映画より気持が突っ込んで行ける。終始頭脳勝負だけで充分だったのに、最後のドタバタアクションは3流映画の評価を得るためのものとなってしまった。

ライバル紙の新聞記者同士の男女、ベテランと新人という組み合わせが面白い。それでなくても意地の悪い新聞記者魂、この映画に登場するふたりはまだまだ清潔で、それほどの嘘つきでもない。現役時代の新聞記者は付き合うのが大変だった。プライドは高いし、かといってさほどの飛び抜けた才能がある訳ではないし。誰もがそう思っていても、バックボーンは新聞社、やっかいなマスゴミ(塵)だ。

ネット全盛となっても活字である新聞がまだまだきちんと発行されていることに驚く。だいぶ前から新聞社には危機感というやつがあったはずだが、何故かすんなりと活字離れしないのには、どういう理由があるのだろうか。1ヶ月4千円というお金が、健全な社会生活を営んでいる人には、大したことのない金額なのだろうか。

『偶然の旅行者』(The Accidental Tourist)

1989年・アメリカ 監督/ローレンス・カスダン

出演/ウィリアム・ハート/ジーナ・デイヴィス/キャスリーン・ターナー/ビル・プルマン/エイミー・ライト

『偶然の旅行者』という旅行ガイド本を執筆しているのが主人公。本人も取材のために自らが旅行者を体験する。最初のシーンは飛行機の中でそんな彼に声を掛けてきた隣席のかなり太った男性、彼もまた主人公の書いたノーハウ本の愛読者だと語り、これだけの最初のシーンで、『偶然の旅行者』という本やテーマを語ってしまうテキパキさが心地良い。

先日観た『最高の人生をあなたと』のウィリアム・ハートが予想以上に歳をとっていたのが気になっていたが、その12年前のこの作品ではずーっとイメージを持っていた彼の雰囲気がそのままだったので、なぜか安心した。物腰、声、かなり特徴のある役者で、いかにも映画人と言った風情が素敵だ。

12才まで育てた子供をコンビニ強盗犯に殺害されてしたっま夫婦。1年経っても、2年経っても傷が癒えるどころか深まって行く。夫婦の仲も微妙な違和感が広がって行く。ひとりしかいない子供がそんな形でいなくなったとしたら、私なら到底耐えられないだろう。そういう状況をマゾヒスティックにさらに悲しむだろう。3人娘がいて、それぞれが2人づつの子供をもうけているとういう状況は、誇れる状況。ひとりくらい離婚者が出たって、まぁいいじゃないかと言えることは言えるが、出来れば自分が死ぬまではそんなことは知りたくなかった、というのが正直なところ。

『勇気ある追跡』(True Grit)

1969年・アメリカ 監督/ヘンリー・ハサウェイ

出演/ジョン・ウェイン/グレン・キャンベル/デニス・ホッパー/キム・ダービー/ロバート・デュヴァル

千本以上の映画を観てくると、面白い映画と面白くない映画の区別が良く分かるようになる。自分にとって分かり難い映画があったとして、そんな映画をどう見たらいいのかと尋ねる人もいる。答は簡単、分からなかったら分からないままで良い。無理して分かろうとする必要なんか、これっぽっちもありません。面白い映画はひとりでに映画に引き込まれて行きますから、気がついたら面白くて終わっているでしょう。

この映画なんかも面白い映画の典型的なもの。特に西部劇なので、古さというものをまったく感じさせない。時代物はそのあたりがいい。今西部劇を作るとすると、アクション場面はどうしてもCGを駆使し、奇想天外なシーンの連続になってしまうのではなかろうか。そう考えると、西部劇あたりは昔作られた作品の方が、イメージに合った映像と言えるかもしれない。

ナルシスト風に前髪を思いっきり垂らした現代人。この映画ではその時代の男のイメージとして、「前髪を垂らして可笑しい人」と表現されていた。個性的に髪型を決めるのは好ましいが、今時の若者の姿は全員が同じようで気持ち悪い。就活の大学生の姿がみんな同じ出で立ちで、これも気持ち悪い。個性、個性と教育され来たはずなのに、現実は超コンサバな若者を生み出す教育だったらしい。

『最高の人生をあなたと』(LATE BLOOMERS)

2011年・フランス/ベルギー/イギリス 監督/ジュリー・ガヴラス

出演/イザベラ・ロッセリーニ/ウィリアム・ハート/ドリーン・マントル/サイモン・キャロウ/ケイト・アシュフィールド

ぴあ映画生活より ~ 『ぜんぶ、フィデルのせい』で鮮烈デビューを飾ったジュリー・ガヴラス監督の最新作は、“還暦“を間近に控え“最高の人生“を模索する夫婦の物語。『ブルーベルベット』のイザベラ・ロッセリーニと『蜘蛛女のキス』のオスカー俳優ウィリアム・ハートが、円熟の夫婦像をフィルムに焼きつけていて見逃せない。ビタースウィートな人間ドラマだ。

考えさせられる。会話がいちいち的を射ていて、見ていて辛くなるようだ。映画の題名としてはこういう結論めいた題名付けは相応しくない。映画はどうなるか分からない流れを描いているのに、結論ありきでは配給会社の知恵を疑う。

自分が感じている以上の老い方をしていると主人公は言う。確かに自分が自分を見る目はちょっと贔屓目。謙遜した素振りをしながらも、実は「お若いですね」などという愛想に心の中では、嬉しくて仕方がなくなっている。同じことの繰り返し、と嘆いてみても、それが人間の生き様なら、甘んじて人生をまっとうするしか法がない。

『96ミニッツ』(96 MINUTES)

2011年・アメリカ 監督/

出演/ブリタニー・スノウ/デヴィッド・オイェロウォ/エヴァン・ロス/クリスチャン・セラトス

inspired by true story というクレジットが最初にあったので、多少期待していたがまったくの期待外れ、お粗末さを通り越した映画だった。日本未公開も頷ける。一体誰がこの映画を観て、何を触発されようというのだ。触発されたのは製作者で、出来上がったものは凡作だというだけか。

録画したものの中に確かこの映画があって、見始まったのだけれど日本語吹き替え版だったので早々に見るのを止めてしまった記憶があった。そんなことでDVDを借りる時、大量の枚数だったのでためらいなく選択した作品だった。こういう時に人間は後悔という念を抱くようだ。大袈裟ではなく自分の選択違いをえらく反省した。BS日テレの映画放映が吹き替え版ばかりなので、それがいけないのだ。

題名から受ける印象ではアクション映画、96分という制限時間の中で、何事かをやらなければいけない、と誰もが想像しそうな題名。妄想もいい加減にしないと、知らないうちに訳の分からないことを口走っているような耄碌爺になってしまいそうだ。

『ニュームーン/トワイライト・サーガ』(The Twilight Saga: New Moon)

2009年・アメリカ 監督/クリス・ワイツ

出演/クリステン・スチュワート/ロバート・パティンソン/テイラー・ロートナー/ビリー・バーク/ピーター・ファシネリ/エリザベス・リーサー

ちょっと前に偶然観た『トワイライト~初恋~』(Twilight・2008年)、ヴァンパイア一家が出て来たりしてなかなか面白かった。役者もなかなか洒落ていて、昔ながらのヴァンパイアを凌ぐ美的感覚が美しかった。その続編があったので借りてきたが、これは2作目、すでに3作目も出ていて、4作目はDVDで PART1 と PART2 の2枚になっていた。

シリーズものを追っかけて観る趣味がなく、偶然そういうことになる時以外、意識してシリーズ鑑賞は拒絶している。なんか性に合わないだけの理由なのだが、ぱっと咲いてぱっと散って行く江戸っ子気質みたいなものに憧れているからなのだろう。この頃はDVDでもテレビ映画の何十巻も続くシリーズがあり、よくま~飽きもせずに見続けられるものだと、感心しきりだった。

映画の2作目ほどあまりお薦めできないものはない。1作目がこければ予定があったとしても、2作目の製作は中止になる。製作資金が集まらないから、どうやったって製作できなくなるのが普通。1作目で適当な利益があがれば、2匹目のドジョウを目論んで、多くの人が集まってくる。意気込みとは裏腹に、ちょっと面白くない映画が出来てしまうことが、これまた普通。本作も1作目の迫力あるストーリーや映像からすると、少し物足りない。ヴァンパイアに対抗する狼族を登場させて、3作目以降の期待感を煽る戦法のようだ。シリーズものが流行るのも時代背景が関係しているかもしれない。全世界中でコンサバな若者は、新しいものより既に価値観の決まってしまった事象を手に取るという図式に思える。

『自虐の詩』

2007年(平成19年)・日本 監督/堤幸彦

出演/中谷美紀/阿部寛/遠藤憲一/カルーセル麻紀/西田敏行

クレジットに原作者が出ていたので、それなりのしっかりしたストーリーかと勘違いした。なんと4コマ漫画が原作だという。屁でもない4コマをつなぎ合わせて、漫画チックないでたちで映画に登場するなんて、ひとを馬鹿にしているとしか思えない。

勿論最初のうちはちゃんと見ていたが、それが2倍速、5倍速になって、早々と見終わってしまった。正確に言えば見終わった訳ではなく、流して最後まで行き着いてしまっただけ。こんな映画を作る金があるなら、復興支援に全額寄付をした方が世の中のためにどれだけ貢献できるか分かりやしない。

最近の日本女優の中でNo.1評価をしている中谷美紀、先日観た『青い鳥』でもの凄く良い味を出していた阿部寛、ふたりともこんな映画に出ちゃいけない。人生の汚点になってしまう。映画俳優は矍鑠として泰然自若、良い脚本に巡り逢った時に役を演じればいい。



観ていたことを知らないでまた書いてしまったコメントを以下に。2016/1/8



『自虐の詩』

2007年(平成19年)・日本 監督/堤幸彦

出演/中谷美紀/阿部寛/遠藤憲一/カルーセル麻紀/西田敏行/名取裕子/竜雷太/松尾スズキ

ひどくおもしろくない映画にあきれ果てる。原作は漫画なんだろうとは思っていたが、観終わってから調べて、かすかにその漫画をちらりと見たことがあったような、という思い出し方をした。漫画は漫画でその役目を充分に果たしているだろうが、漫画がおもしろいからと言ってむやみに映画にする軽率は責められるべきことだろう。

男性サラリーマン向け週刊誌『週刊宝石』のショートコミック枠に掲載。当初は複数のシリーズがあるオムニバス作品だったが、人気のあった「幸江とイサオ」シリーズに一本化された。この項では特に「イサオと幸江」シリーズを「自虐の詩」として記す。シリーズ初期は、怒るとすぐにちゃぶ台をひっくり返したり、金をせびるばかりのイサオとそれに従う幸江といった構図のギャグが中心だったが、中期以降幸江の子供時代の回想が増えてくるとしだいにストーリー4コマとなっていき、幸江の小学生編・中学生編を経て最終回に突入していくドラマチックな展開は「泣ける4コマ」として定番になっている。また作品完結からヒットし映画化されるのにかなりの時間が空いている。これは2004年に『BSマンガ夜話』にて取り上げられて泣けるマンガとして絶賛されたことが大きい。番組で取り上げた直後にはネット通販にて完売している。(Wikipediaより)

毎週必ず何冊かの週刊誌を買い通勤電車のお供にしていた。この時代の週刊宝石も確か木曜日発売で、買っていたひとつだと思うが、週刊誌の中で読んだ記憶がない。見難い、嫌いな漫画は飛ばしていたことは確かだが、この漫画もそんな中のひとつだったのかもしれない。

『彼女を見ればわかること』(Things You Can Tell Just by Looking at Her)

2000年・アメリカ 監督/ロドリゴ・ガルシア

出演/グレン・クローズ/ホリー・ハンター/キャシー・ベイカー/キャメロン・ディアス/キャリスタ・フロックハート

オムニバス形式なんだけれど、各話に出てくる人物が相互乗り入れしている、といった感じの映画。各話の見出しと内容を下記するが、それを読んだだけで映画を観た気になれるかもしれない。映像がつけば、自分の想像力を超えた何かが脳と眼から入ってくる。

第1話 「キーナー医師の場合」:認知症の母親を介護する女性医師の心の拠り所。 第2話 「レベッカへの贈り物」:不倫関係の末に妊娠した女性の葛藤と決断。 第3話 「ローズのための誰か」:思春期の息子をもつシングルマザーの新たな恋。 第4話 「おやすみリリー、クリスティーン」:死にゆく恋人を見守るレズビアンの占い師。 第5話 「キャシーを待つ恋」:盲目の妹との関係を通して愛を摸索する女性刑事。

主人公は全て女性。キャメロン・ディアスが盲目の女性になっていた。頬がふっくらとしていて、今より見た目が良い。男の話だともっとぎすぎすした話になってしまっていただろう。第3話での母親と15才の息子の会話、「今日会った娘はガールフレンド?」「ただの友達、でも1回だけ寝たことあるよ。」「コンドームは?」「もちろんさ。」 母親は多少驚いた様子ではあったが、日本ではあと50年経ったってもこんな会話は聞けないだろう。

『青い鳥』

2008年(平成20年)・日本 監督/中西健二

出演/阿部寛/本郷奏多/伊藤歩/重松収

いじめを扱った作品。紹介文を引用する。 ~ 2007年7月に刊行された重松清著の連作短篇集『青い鳥』の中から、その表題作(初出:『小説新潮』2006年12月号)を映画化したもの。一見平穏な新学期を迎えた東ヶ丘中学校。しかし、その内面は前の学期に起こった、いじめ自殺未遂事件に大きく揺れていた。新学期初日、当該学級である2年1組に、極度の吃音症である村内が臨時教師として赴任してくる。彼が初めて生徒達に命じた事は、事件を起こし既に転校している生徒・野口哲也の机を教室に戻す事だった。毎日「野口君、おはよう」と無人のその机に向かい声をかける村内の行為に、生徒・教師・保護者の間には波紋が広がるが村内は止めようとしない。そんなある日、野口へのいじめに加担したと苦しむ園部真一は、その思いを村内にぶつけるのだった。

こんな良質な映画が製作されていたことに驚いた。もう学校とかイジメとかには全く縁のない立場になってしまったが、社会に生きている一員として、かなり気に掛かっていた事柄である事は確か。この原作や映画がイジメの即解決策にはならないかもしれないけれど、人間が生きて行くこととはどういうことかを教えてくれる一助になる。

何故「どもり」の教師が派遣されたかには奥深いことがある。本人が生徒に言う、「世の中にはいろいろな人がいる。僕のように言葉をうまく喋れない人がいるように。」 口先では同じようなことを言って小賢しく振る舞っている自分が、偽物としてはっきり自覚できた。心の底から、他人の存在を認めなければ、本人が生きている意味もないのだと。

『最後に恋に勝つルール』(A LOT LIKE LOVE)

2005年・アメリカ 監督/ナイジェル・コール

出演/アシュトン・カッチャー/アマンダ・ピート/タリン・マニング/エイミー・ガルシア/リー・ガーリントン

日本での劇場未公開らしい。邦題を見ると、ちゃんと劇場でやったのとそうでないとの区別が何となく分かる。とてもじゃないけどこんな題名で映画館にかける訳には行かない、というのが正直な気持ち。こんな題名じゃ、宣伝費も回収できなくてもいいよ、と宣言しているみたいなもの。どれだけ観客が馬鹿だって、この題名以上の内容を期待して見に来てくれるなんて言うことはあり得ないから。

原題(A LOT LIKE LOVE)=(たくさんの恋に似たようなもの)を経験すれば、最後に恋に勝つルールが見つかるとでも、付けた題名なのだろうと想像する。日本全国に恥を晒しながら邦題を決める作業は、今考えても冷や汗もの。日本ヘラルド映画配給作品、『突然炎のごとく』『小さな恋のメロディ』『旅情』『愛と哀しみのボレロ』『男たちの挽歌』『死霊のはらわた』『少年は空を飛んだ』『ナインハーフ』『ジョニーは戦場へ行った』『眺めのいい部屋』、当たったもの当たらなかったものにかかわらず、宣伝部員は結構頭を悩ませていた。

ちょっとばかり早く出会ったから恋愛に陥って、その後出会った人にまた恋をして、何度も同じような気力で恋が出来る人は素晴らしい。ストレス発生器みたいな「愛」とか「恋」だけれど、心を楽しくさせてくれる「薬」や「癒し」、そして生きて行くには絶対不可欠な「栄養素」みたいなものにも思える。

『椿三十郎 (2007年の映画)』

2007年(平成19年)・日本 監督/森田芳光

出演/織田裕二/豊川悦司/松山ケンイチ/鈴木杏/村川絵梨/佐々木蔵之介/風間杜夫/西岡徳馬/小林稔侍/中村玉緒/藤田まこと

(2007年の映画)と断らなければいけないこと自体が凄い。大胆不敵にも角川春樹はあの黒澤明監督三船敏郎主演作品(1962年・昭和37年)のリメイクを敢行した。脚本はまったく加筆されず、そのまま使用したという。

どんな感じに出来上がっているのかという興味が一番。作品全体、織田裕二と三船敏郎、比べるなと言う方に無理がある。観始まってすぐに感じたことは、三船敏郎という役者はあらためて凄かったな、ということ。この映画での主人公、浪人侍の顔、姿形、声、風貌、どれをとっても迫力が並大抵ではなかった。織田裕二が悪いと言う訳ではないけれど、比べてしまえば月とスッポン、いちいち三船敏郎の亡霊がちらついていけない。大胆不敵、天衣無縫といった風情など、過去の映像が焼き付いていて離れない。

監督は森田芳光か~、と観始まった瞬間に知り、期待感も縮んでしまった。久しぶりの映画出演になる中村玉緒も、テレビのバラエティー番組に冒されて、映画のスクリーンには映えない姿となってしまった。角川春樹が「40億円は最低ライン。そこからどれだけ伸ばせるかが勝負。60億円が一つの目安になる」と、前年の松竹配給の木村拓哉主演の時代劇『武士の一分』の興行収入40億円超えを宣言し、話題となった。 最終的な興行収入は11.4億円というオチが付いてしまったが、それがこの映画の正直な評価かもしれない。

『忍者狩り』

1964年(昭和39年)・日本 監督/山内鉄也

出演/近衛十四郎/河原崎長一郎/山城新伍/田村高広/佐藤慶/安部徹/天津敏/北条きく子/園千雅子/藤山直子

近衛十四郎のことが良く分からなかった。勿論名前は知っていたが、はて?松方弘樹(長男)、目黒祐樹(次男)と二人の息子のことが分かり、あれ!聞いたことはあるな。

チャンバラものは好きな方だが、忍者ものはいつの時代にもちょっと幼稚っぽくしか映像が出来ないようで、あまりリアリティーのない漫画チックなものだという認識が先に立つ。忍者の親玉は強すぎて滅多に死なない。その割りには下っ端の忍者がいとも簡単にやられてしまう光景が、いつも一貫性がなく見ていて嫌になってくる。

海外からは今でも憧れられる忍者や侍、所詮は人間の所業、ちょっとばかり大袈裟に伝えられてしまっているようだ。今日のニュースで「福島第一原発のテロ対策予行演習」というものが映像で映し出された。そんな単純なテロ行為などあるもんか、という想定でテロ対策をやったって無意味なことと思うが。この映画での忍者狩りに雇われた浪人が言う、「忍者の親玉は決して斬れません!」と。この時代、昔ながらのアナログ的テロを想定するなんて、何と芸のない政府関係者だろうと、かなり呆れてしまった。

『僕らのワンダフルデイズ』

2009年(平成21年)・日本 監督/星田良子

出演/竹中直人/宅麻伸/斉藤暁/稲垣潤一/段田安則/浅田美代子/紺野美沙子/貫地谷しほり/塚本高史/田口浩/賀来千香子

演技過剰の竹中直人が出てくると、映画が壊れてしまう感じがして嫌な気になる。この映画では本人はかなり抑えたという雰囲気だけは伝わってくる。

高校時代にやっていたバンドを再結成して、おやじバンドコンテストに出場しようという在り来たりの話を映画にするお金がもったいない。勿論単なるそんな話ばかりでもないのだが、それにしても1本の筋が弱い。コンテスト会場の別のバンドの演奏の時、一瞬ヘラルドの同級生が見えた気がするけどエキストラで出演したのだろうか、いつか本人に会ったら聞いてみよう。

いつだって青春は続いていると思うが、同じことの繰り返しの人間のやることには、そろそろ飽きが来ている。

『Go!』

2001年(平成13年)・日本 監督/矢崎充彦

出演/高田宏太郎/椋木美羽/美保純/伊集院光/松重豊/山崎裕太/沢木哲/堀つかさ/松本竜助/山崎努

これもまた『サンダンス/NHK国際映像作家賞』支援作品というクレジットが付いている。好きになった年上の女性に自分が作ったピザを届けるため、東京から長崎まで1300キロを宅配用スクーターで飛ばす。という漫画がそのまま映画になって、幾ら何でもちょっと無理があるストーリー。

馬鹿馬鹿しいと思いながら観る映画もあるかな、と言った感じ。ピザーラ(PIZZA-LA)が全面協力したようで、いい宣伝になったのだろうか? というのも、犯罪行為のような行動もあり、ピザーラのユニフォームやバイクが経営者が観たら、ちょっと問題になるような感じがしたので。

このタイトルで検索したら、別の映画『GO』ばかりが出て来て、この映画を見つけるのに苦労した。あっちの方は、窪塚洋介と柴咲コウが出ていて、結構評判の良いコメントが多かった。機会があったら見てみよう。

『Laundry ランドリー』

2001年(平成13年)・日本 監督/森淳一

出演/窪塚洋介/小雪/田鍋謙一郎/村松克己/角替和枝/西村理沙/木野花/内藤剛志

『サンダンス/NHK国際映像作家賞』支援作品というクレジットが付いている。ストーリーが最初からつながって描かれて行くのが観やすい。この頃の映画は現在と過去をフラッシュバックさせたりして、もの凄く分かり難い映像を展開していることが結構多く、このような素直な映画に出会うと、内容は別にして早回ししようなどという気にはなれない。

内容はかなり特殊だが、映画はこういう題材を取り上げて初めてその存在感がある。 ~ 幼い頃、頭部に傷を負い、脳に障害を残す青年テル。彼は祖母の経営するコインランドリーで洗濯物を盗まれないように見張り続ける。そこにはさまざまな人が毎日やって来てはまた帰っていく。彼にとってはこのコインランドリーだけが世界のすべてだった。ある日、そこに水絵という女性がやってくる。テルは彼女が置き忘れた洗濯物を届けてあげたことから言葉を交わすようになる。しかし、水絵は突然故郷へと帰ってしまった。最後にここにやって来たときに忘れたワンピースを残して。ついにテルは、それを彼女に届けるために初めて外の世界へと足を踏み出すのだが……。

一人では出来ないけれど、二人なら出来るよ、と励まされる主人公達が逞しく見える。素直な気持ちを永遠に持ち続けられることは、一種の特殊才能のように見える。「Laundry」英語の発音では「ローンドリー」という感じで喋るはずだが、ヘラルド時代パンツまでクリーニングに出しなさい、と教えてくれた当時副社長だった Mr.サム・難波さんの教えに従い、一流ホテルの部屋から電話したが上手く伝わらなかったことを想い出した。遠い昔の話。

『見知らぬ乗客』(Strangers on a Train)

1951年・アメリカ 監督/アルフレッド・ヒッチコック

出演/ファーリー・グレンジャー/ロバート・ウォーカー/レオ・G・キャロル/ルース・ローマン/パトリシア・ヒッチコック

映画としては勿論面白いが、この古い時代のサスペンス映画は、ちょっとばかり物足りない仕掛けとアクションに見えてしまう。CG全盛の映像を観てしまうと、どうしても比較してしまうのがいけないのかもしれない。当時の人々には余計な想像力など、必要なかったのだろう。素直に観ることさえ出来れば、ずいぶんと面白いはずだが、登場人物の言っていること、やっていることに、いちいちいちゃもんを付けたくなってしまうのは、へそ曲がりだからだろうか。

この映画そのものはパブリック・ドメイン、いわゆる著作権が切れている状態にある。超格安DVDも発売されているのはそういう理由から。アメリカはディズニーのキャラクターを守るために映画の著作権期間を50年から70年に延ばしたが、このあとのことはどうなるのだろうか。

列車の中で見知らぬ人に声を掛けられ、そこから殺人事件に巻き込まれてしまうのだが、気楽に声を掛け合うアメリカならではのことに見える。モノクロ映画でも、映画が面白いとそのことを気がつかないことが多い。揺れたり、匂いがしたり、映画もそんな時代になったと最近のニュースに登場したが、想像力を刺激しない映像なんてたぶん面白くないであろう。

『カムイ外伝』

2009年(平成21年)・日本 監督/崔洋一

出演/松山ケンイチ/小雪/伊藤英明/佐藤浩市/小林薫

時々テレビに出て来ては自分勝手な理論を振りかざし、いかにも自分の言っていることが人生上も社会上も最も正しいようなことを言う崔洋一監督が好きではない。それでも面白い映画を撮ってくれるのなら、何の文句も言わないが、この映画は1本の筋が通っていない。出来のいい箇所と悪い箇所がつながっていて、映画としての物語が語られていない。そんな感じを持ちながらずーっと観ていた。

白土三平の原作漫画を勿論読んでいない。存在は知識としてあったが、食指が動かない。この映画の脚本家の名前を観ただけで嫌な気分になる。特に何があった訳ではないのだが、幻想のように嫌気がさしている。訳も分からず。

こんな面白い話を見つけた。 ~ 2009年9月11日付の朝日新聞紙上で映画評論家の秋山登が「仕立てが大味」などと評価した事に対し、10月1日付の中日新聞紙上で崔が反論。「秋山さん、本当に映画を観ていたのですか」と名指しで批判した。2009年9月18日付の日本経済新聞紙上で映画評論家の宇田川幸洋は、5点満点でたった2点で「アクションは停滞し、緊張はゆるむ」「サスペンスがどこかに消えてしまった」「本筋を忘れたかのように見えるのは残念である」と評している。映画雑誌「映画秘宝」が、その年度最低の映画や監督を選出するHIHOはくさい映画賞にて、崔監督が本作で2009年度の最低監督賞に選出されている。

『ウインドトーカーズ』(Windtalkers)

2002年・アメリカ 監督/ジョン・ウー

出演/ニコラス・ケイジ/アダム・ビーチ/クリスチャン・スレーター/ロジャー・ウィリー/フランセス・オコナー

この映画、第二次世界大戦アメリカと日本の戦いがサイパンを舞台に繰り広げられた。コードトーカー(Code talker)と呼ばれる、アメリカ軍において、盗聴される可能性の高い無線交信に英語ではない、部族語を駆使して偵察報告や命令下達に登用されたアメリカインディアンがいた。アメリカはさすがに頭が良かった。第一次世界大戦でもチョクトー族、コマンチ族両部族出身者がコードトーカーとして従軍しているが、第二次世界大戦において最初に用いられたのはナバホ族だった。約400名がサイパン島、グアム島、硫黄島、沖縄に従軍した。そのうちの二人のナバホ族が主人公みたいなもの。

アメリカ兵でそのナバホ族を守り通す任命を受けた主人公、最前線で命がいくらあっても足らないような戦闘をくぐり抜けてきていた。「自分が勲章をもらったのは、自分が生き残ったからだけだ。仲間15人も勲章をもらったが、それは死んだからだ。」と、自嘲気味に戦争を語る。「 I am a good , facking-marine. 」と、自分をあざけり笑う。

殺し合っている日本兵を遠目に見ながら、50年後は楽しそうに一緒にお茶を飲んでいるかもしれない、と誰かがつぶやく。戦闘シーンのオンパレードで、ちょっとやり過ぎ感がある。監督ジョン・ウーは確かな腕の監督、『男たちの挽歌』(1986年・英雄本色)はヘラルド時代の想いで深き作品。この映画は興行的に大失敗だったようで、3700万米ドルの損失を出したという。


2019年1月10日再び観たので記す。

『ウインドトーカーズ』(Windtalkers)

2002年・アメリカ 監督/ジョン・ウー

出演/ニコラス・ケイジ/アダム・ビーチ/クリスチャン・スレーター

二度目だったが、おもしろさに変わりなかった。戦争の秘密兵器である暗号にインディアンの言葉を遣うなんて、あの当時の日本軍には想像だに出来ないことだったろう。1944年、太平洋戦争末期のサイパン島を舞台にした、日本軍とアメリカ海兵隊所属のナバホ族(コードトーカー)を守ろうと奔走した隊員達を描いた戦争映画である。3700万米ドルの損失を出し、興行的には失敗した。

1943年、南太平洋ソロモン諸島ブーゲンビル島。上官の戦死で小隊を指揮することになったエンダーズ伍長は、日本軍の猛攻の前に若い兵士たちを次々と失い、自らは負傷しながらも唯一の生き残りとして帰還したが、左耳に重度の障害が残った上に平衡感覚まで失い、ハワイの海軍病院で療養していた。しかし彼は失った仲間のために戦う事を決意し、従軍看護婦リタと共にリハビリを続け、復帰の為の聴力テストではリタの計らいによって無事合格し、軍へと戻った。復帰した彼は第2偵察隊に配属され、隊長イェルムスタッド、オックスらに出会う。与えられた任務はタラワキャンプ内ナバホ族の暗号通信兵であるヤージとホワイトホースの援護と秘密暗号の死守だった。

その後1944年6月16日彼ら第2偵察隊はサイパン島に上陸し日本軍と激しい攻防戦を展開。そんな中、共に戦いを乗り越えてゆくエンダーズとヤージの間に友情が芽生え始める。だが進軍した先の日本人村で奇襲に遭遇し、日本軍の捕虜になりかけたホワイトホースをエンダーズは軍の命令に従い殺害してしまう。それに激昂したヤージは我を忘れた様に戦いにのめり込むようになる。(すべて Wikipedia より引用)

『シラノ・ド・ベルジュラック』(Cyrano de Bergerac)

1990年(平成2年)・フランス/ハンガリー 監督/ジャン=ポール・ラプノー

出演/ジェラール・ドパルデュー/アンヌ・ブロシェ/ヴァンサン・ペレーズ/ジャック・ウェベール

第43回カンヌ国際映画祭において主演のジェラール・ドパルデューが男優賞を受賞した他、第16回セザール賞(フランス語版)において作品賞、監督賞(ジャン=ポール・ラプノー)、主演男優賞(ジェラール・ドパルデュー)、助演男優賞(ジャック・ウェベール)など10部門で受賞。17世紀のフランスに実在した剣豪作家シラノ・ド・ベルジュラックを描いた、エドモン・ロスタンの同名戯曲を映画化した作品。

シラノ・ド・ベルジュラックとロクサーヌという名前は、子供の頃からのテレビのお笑いによく取り上げられていた馴染みのある名前。それでもそれ以上のことは何も知らない自分がいて、お恥ずかしい限りだと悟った。他人の3倍もあるような大きな鼻を持ち、そのことで悩む詩人が彼だという思い込みは、意外と合っていたような気もする。

最初は外見だけの美しさに惹かれたけれど、本当の魂を知ってからは真の愛が分かった、みたいなことを言う当時の女性が羨ましい。美しい言葉が紡げなければ、相手にもしたくない、とはっきりと言える女性が素晴らしい。そんな夢物語は、今や遠い昔の戯れ言にしか聞こえない。どうせ短い人生、誰がなんと言おうと清く正しく美しい人生でありたいと、叶わぬ夢を見る。

『わが谷は緑なりき』(How Green Was My Valley)

1941年・アメリカ 監督/ジョン・フォード

出演/ウォルター・ピジョン/モーリン・オハラ/ドナルド・クリスプ/ロディ・マクドウォール

ときは19世紀末、ところはイギリス・ウェールズ地方のある炭坑町。丘に沿うようにして立てられた家から出て来た何百人にもなりそうな炭鉱夫が、丘上にある炭鉱へと延々と出勤して行く。帰り道もまた同じ、身体中を真っ黒にして歌を歌いながら帰宅してくる。集落全体が炭鉱の町、それ以外に職業は見当たらない。日曜日には敬虔なクリスチャンとして、誰もが顔見知りの何とも暮らしにくい雰囲気。辛く苦しい生活ばかりが目立っているが、映画に流れる空気は優しさに満ち溢れている。

この作品でジョン・フォード監督が描こうとしているのは「善意と誠実さを貫いて生きる人間の姿と魂」である。という解説もまんざら嘘には思えない。1時間58分と結構長めの映画は、監督が描きかったことを余すことなく描き切っているように感じる。哀しいことや辛いことは、神が与えてくれた試練だと、本気になって聖職者は説教している。

こういう時代背景に生きている人間を見ていると、自分が如何に贅沢な環境に生きているのかという、自責の念にも似た感情がわき上がってくる。良くも悪しくも自分だけではなく、生きている人達のコミュニティーという社会を見る。ものが豊かではないことが、世界の何処ででも人間の生活での価値観を同じようにしている。貧富の差ということではなく、不必要な衣が、人間の心を貧しくしている。

『彼岸花』

1958年8昭和33年)・日本 監督/小津安二郎

出演/佐分利信/有馬稲子/山本富士子/久我美子/田中絹代/佐田啓二/高橋貞二/笠智衆

小津監督初めてのカラー映画。松竹の監督だった小津がライバル会社の大映のスター女優・山本富士子を招いて撮った作品。戦後、鎌倉に暮らし、作家の里見弴と親しくしていた小津が、里見の原作をもとに共同でシナリオ化した作品。英語題名は「Equinox flower」。山本富士子以外にも有馬稲子、久我美子という当時の人気女優たちが競演。

大手企業の常務である主人公が、友人の娘の結婚披露宴に出席しているシーンから映画は始まる。お通夜のように厳粛で静かな披露宴開場の雰囲気が懐かしい。中学時代の級友達は時々集まっては、自分の子どもたちのことを話題にしている。他人の子供には理解が示せるのに、ほとんど同じ状況の自分の子供には頑固な父親になってしまう。よく昔から描かれてきた家庭の様子は、永遠不滅の家庭風景のようだ。

親の勧める見合いを断り、好きな人と一緒になりたいと、どこの娘も時代の流行ごとのように自己主張している。父親は、分かってはいるけれど、とりあえず娘の好きな相手には最初からOKとは言えない、明治時代から続く父親の威厳があるようだ。そんな懐かしい風景と、他愛もない家庭問題を織り交ぜて、映画らしい物語が心地良く進行している。

『小早川家の秋』

1961年(昭和36年)・日本 監督/小津安二郎

出演/中村鴈治郎(二代目)/原節子/司葉子/新珠三千代/小林桂樹/加東大介/浪花千栄子/団令子/森繁久彌

「こはやがわ」と発音するらしい。英語題名は『The End of Summer』、小津作品らしく英語題名があるが、後から付けたものだろう。京都・伏見の造り酒屋・小早川家、当主の万兵衛は最近、行き先も告げずにこそこそと出かける。祇園に住むかつての愛人宅への出入り風景は、今の若い人達には想像も出来ないような世界かもしれない。

京都を舞台にしているので、言葉が優しく、聞いていて心が和む。姉妹の結婚に対する会話の中で、「結婚する前ならちょっと品行が悪くても気にならないわ。品格が悪いのは許せないけど。」という言葉があった。確かに、ちょっと子供の悪戯程度の品行の悪さは、愛されるべきものかもしれないが、性根の品格が悪い人間にはどうにも我慢がならない。

葬式での女性達の喪服は全員が和服、時代を感じると共に和服のたたずまいの凛とした美しさがまぶしい。好き勝手に生きてきた人だけれど、死んでしまったら何もない、と悲しんでくれるかどうかは、本人には間違っても分からないこと。生きているうちが華だけれど、生きているのか死んでいるのか分からないような毎日は結構辛い。

『お早よう』

1959年(昭和34年)・日本 監督/小津安二郎

出演/笠智衆/三宅邦子/田中春男/杉村春子/佐田啓二/沢村貞子/久我美子/大泉滉/東野英治郎

昭和34年という時代が色濃く映し出されている。テレビはまだまだ贅沢品、普通のサラリーマン家庭ではなかなか買えない。子どもたちはテレビのある水商売らしき女の家に上がり込んで、栃錦と若乃花の相撲を見ている。自分の家に戻り、テレビが欲しい、テレビが欲しいと親に反抗して、ひどく叱られる。男は余計な事を言うんじゃない、と叱られると、学校に行ってまで何も喋らない抵抗の日が続く。

他愛もない日常生活を切り取って、映画はたんたんと進行して行く。大人だって、「お早う」とか、「こんにちわ」とか、「こんばんわ」とか、「ごきげんよう」とかと、意味のないことを言っているじゃないかと、子供心が反抗する様が可笑しい。久我美子が掃溜めに鶴の如く、貧しい風景の中に光っている。荒川の堤下に立てられた文化住宅群といった感じの下町風景だ。

日本語が美しい。この時代の人達は、よもやま話で盛り上がっているが、話す言葉は美しい。隣近所の噂話に興じているが、日本語が丁寧だ。いつの時代から、こんなにきたなくなってしまったのだろう日本語。

『百万長者の初恋』

2006年・韓国 監督/キム・テギュン

出演/ヒョンビン/イ・ヨニ/イ・ハンソル

まさか韓国映画だとは思わなかった。アメリカ映画で昔よく作られた「百万長者・・・」タイトルのひとつかと思っていた。映画は万国共通語、韓国映画だからといって馬鹿にしちゃいけないとは思っている。けれども、観てみれば良く分かる映画の「質」という奴、この頃の日本映画はこの「質」に欠けている映画が多すぎて、いつもこの欄で文句を言っている。

今日は2013年(平成25年)4月30日。この欄を書き始めてまる3年、こつこつとやり続けることがいかに大切なことなのかをこの歳になって教えてもらった。姫路城に行った人がいて、その話をちょっとした。初めて自分が姫路城に行ったのはおそらく45年前、丁度20才の頃だったと思う。あまりの美しさに、それ以来結構日本全国のお城を見るようになった。お城オタクにまでならないところが自分の特徴と良く心得ている。何事にも広く薄く、表面的な知識みたいなものしか体得出来ない大したことのない奴でござんす。

初恋だけではなく、人を好きになると言うことは凄く大切なこと。無理をして人を好きになるなんて言うことはないし、神様の悪戯がなければ、人に出会う奇蹟もなかなか訪れない。この映画の初恋は、人にお勧めできるような出来ではないけれど、「初恋」なんていう甘酸っぱい感情を思い起こさせてくれてありがとうと言いたい。

『リバー・ランズ・スルー・イット』(A River Runs Through It)

1992年・アメリカ 監督/ロバート・レッドフォード

出演/ブラッド・ピット/クレイグ・シェイファー/トム・スケリット/ブレンダ・ブレシン

何度も観るチャンスがあったのに、何故か縁のない映画になってしまっていた。川でフライフィッシングをする姿の映像がことあるごとに紹介されていた。そのシーンと物語り全体はどんな関係なんだろうと、ちょっと想像することもたびたびだった。

アメリカの片田舎、モンタナ州ミズーラに住むスコットランド出身の厳格な牧師の父、真面目で秀才の兄、陽気で才能に恵まれながら自分の生きる道を見いだせない弟。フライフィッシングがストーリー展開のポイントになっているのは確かだが、この映画独特の風と匂いを醸し出している。基になる原作はノーマン・マクリーンの小説『マクリーンの川』。

子供の頃に自分たちで篠や竹でさおを作り、釣り糸と釣り針を買って、餌はミミズを何処の家の裏庭にあった藁の積んである下の土を掘って、全ての材料を自前で手に入れて、町のすぐ近くを流れる霞ヶ浦につながっている小野川で釣りをしていた。割合釣りをしていた時間は長かった。あの辺りは東京から釣り人がやって来るような土地柄で、「鮒」や「鯉」が良く釣れた。小舟を出して鰻捕りを仕掛けたこともあった。船から手を延ばせば「菱の実」がおやつ変わりとなった。夏になれば川は水泳場、橋の欄干下で泳ぐ日課だった。この映画にも負けない山川に恵まれて育った自分には、新鮮さはないけれど、環境の違う羨ましさもある。今やそんな子供の遊び事は夢物語。せめてあの「蓮の実」の美味しさをみなさんに味あわせてあげたい。

『シェナンドー河』(Shenandoah)

1965年・アメリカ 監督/アンドリュー・V・マクラグレン

出演/ジェームズ・ステュアート/ダグ・マクルーア/グレン・コーベット/パトリック・ウェイン/キャサリン・ロス

時は1864年、父親と6人の息子、娘が1人、長男の嫁、母親は16年前に一番下の男の子の命と引き替えに天国に旅立ってしまっている。母親の墓石には、1811-1848という年号が刻まれていた。1861年から1865年のアメリカ南北戦争の最中、南部に属するバージニア州で農場を営む家族に降りかかる出来事の物語。

こんなに哀しい物語になってしまうなんて、最初のうちの大家族の仕合わせ風景と対照的に映し出される。周りの家では兵隊になって南部のために尽くすんだと、出兵している。この父親は最後まで息子達を自分から兵隊に出すことを潔しとしていなかった。そんな社会の中、いつまで農場の仕事をして行くだけの人生が送れるのか、誰にも分からなかった。

奴隷制や戦争に対するセリフがなかなか印象に残る。母親が亡くなった時のいきさつも、さりげなく映画の途中でセリフに鏤められている。雄々しいこの時代の父親像が眩しい。「戦争なんて世界中の葬儀屋を儲けさせるだけ。」と南北戦争の無意味さを豪語する。映画の後半に、こんな展開になるなんて・・・。機会があったら是非観てもらいたい作品だ。

『奈緒子』

2008年(平成20年)・日本 監督/古厩智之

出演/上野樹里/三浦春馬/笑福亭鶴瓶/佐津川愛美/柄本時生/綾野剛/藤本七海/嶋田久作/光石研

坂田信弘原作・中原裕作画による陸上漫画作品。小学館発行の「ビッグコミックスピリッツ」にて1994年から2003年まで連載されていた。終盤は『奈緒子 新たなる疾風』とタイトルを変更し再スタート。単行本は『奈緒子』全33巻と『奈緒子 新たなる疾風』全6巻の計39巻。文庫版は全25巻で発売されている。2008年2月16日に上野樹里主演で映画化された、というしろものだという。ある時から漫画の世界もまったく情報が入らなくなってしまった。

それにしても面白くない映画だ。肝心の主人公二人の心の交わりが何も表現されていない。駅伝なのに短距離走のようなシーンばかりで、ウソばっかりと罵りたくなってくる。笑福亭鶴瓶の持って回った演技は鼻に付く。最初から最後まで暗い青春映画。吉永小百合主演の昭和38年ものの足許にも及ばない。漫画より漫画チックになってしまった映画。

こんないい加減な映画をどうやったら作れるのだろう。出演している役者には迷惑な話だ。映画館を出て来た人達から「面白かった」と言う言葉を聞くことはないであろう。

『若い東京の屋根の下』

1963年(昭和38年)・日本 監督/斎藤武市

出演/吉永小百合/浜田光夫/山内賢/伊藤雄之助/三宅邦子/太田博之/下元勉/山岡久乃/沢井正延/初井言栄/小沢昭一

さわやかですねぇ~。リアルタイムか数年後にでもこの映画を観ていたら、自分の人生もまた違った方向に行っていたかもしれない。今頃になって毎日1本の映画を観たって、何の役にもなっていないだろうから、本当は意味のないことかもしれない。若いうちなら人生の糧として充分すぎる栄養素があり、それが社会還元の一役になることだってあったかもしれないというのに。

映画は時代を良く映している。病院に入院した主人公達の高校の先生、8人部屋のベットには間仕切りが全然なかった。主人公が勤める会社では「そろばん」が使われていた。主人公が通う大学は早稲田で、映画にはやっぱり大隈講堂がよく似合うらしい。主人公の家族構成は、父、母、長男、次男、長女、次女(本人)、弟とまだまだ大家族構成の時代だった。父親の退職後の面倒を兄弟でみようと言うことになって、長男夫婦8千円、次男夫婦4千円、長女夫婦3千円という金額設定が泣かせる。

いつの時代も家族にはそれぞれの事情や悩みがあるものだ。セリフの中に、「家族の安定は夫婦の愛ではなく、経済的基盤だ。」というのがあり、この言葉をめぐっていろいろな事件や恋愛が極めて素直に描かれている。吉永小百合はこの頃でももう目の演技をしていたのには驚いた。この時代はまだ初々しい汚れを知らない演技かと思っていたが、まだ18才でもう既に演技に目覚めていたような様子が見える。若い頃の代表作『キューポラのある街』は1年前の映画、翌年のこの映画の間に14本も出演している。大変な映画時代だったことが窺える。

『マイ・ルーム』(Marvin's Room)

1996年・アメリカ 監督/ジェリー・ザックス

出演/メリル・ストリープ/ダイアン・キートン/レオナルド・ディカプリオ/ロバート・デニーロ

実家では結婚したことのない姉が、痴呆症で寝たきりの実父の看護をしている。身体のちょっと不自由な叔母さんのおまけもついている。妹はといえば、姉との確執などもあり20年も実家を離れて暮らしている。離婚をし子供2人を養うべく、美容師を目指す日々。姉の白血病が判明し、ドナーの検査のために反抗期で問題児の息子共々実家に帰ってきた。

家族の問題は世界共通、介護の問題も地球上いたるところに同じように存在する。社会構造上、増えすぎる老人問題は人間社会の大きなテーマである。日本はこの問題の入口、我々世代で生き残った80歳代の人間が、どれだけ社会に貢献できるだろうか。或いは社会にどれだけ迷惑を掛けるのだろうか。

本人だって長生きしたくないし、家族だってそうそうに亡くなって欲しいと口には出さないけれど思っている。社会は医療費負担が減るから当然老人人口は減って欲しいと願っている。誰もが仕合わせになれるはずなのに、老人に向かって「死ね」と言う人間は誰もいない。そんなことは言えないのが人間社会。どうなって行くのか全く分からないけれど、そんな混乱時代に生きていることがないだけ気が楽だ。


2014/8/28 再鑑賞したとき

間違いなく一度観ているが今回はあまり抵抗なく再びの鑑賞となった。ふたり姉妹の物語。日本でだって同じような場面は多く見られるかもしれない。寝たきりの父と呆けかかっている叔母の面倒をみながら、結婚もしないで生活している姉。妹は実家を離れ結婚、離婚をし子供ふたりを育てている。

そこに確執があったのか、もう20年も会ったことがない。本人にしてみれば、仲が悪くたって他人の知ったこっちゃないと思っている節がある。ところが、他人からみれば、兄弟姉妹がはなしもしないというのは、異常な状態に映って仕方がない。そんなに深入りをしたいとは思わないが、せっかくの身内、人生を考えれば簡単に近づけそうな気がするが。

姉は白血病を告げられる。ドナーを探すために疎遠になっていた妹と子供たちを呼び寄せる。結末はどうなったか、ちっとも記憶になかったが、観終わってさすがアメリカ映画、余韻を残して観客の心を揺さぶる術を知っている。

『テルマエ・ロマエ』(THERMAE ROMAE)

2012年(平成24年)・日本 監督/武内英樹

出演/阿部寛/上戸彩/北村一輝/竹内力/宍戸開/笹野高史/市村正親

劇場公開時の宣伝を見て、面白そうじゃんと思っていた。観始まって、あまりにも漫画チックなので、ちょっとここまでとは、と想定外だった。こういう感じのものが受ける時代なのだろう。もともと原作はヤマザキマリというシカゴに住む女性漫画家によるもの。彼女の夫が「ローマ皇帝の名前を全員言えるほどの古代ローマおたく」で、日常会話でも古代ローマの話題が当たり前のように出ることに影響されて出来た作品だという。

古代ローマ帝国の117年 - 138年 ハドリアヌス帝時代からタイムスリップしてきた公衆浴場の設計技師が現代とを行ったり来たりするお笑い話。テルマエ (thermae)とは、古代ローマの公衆浴場のことらしい。ローマに行った時にカラカラ浴場の遺跡に足を延ばしたことが一度あった。なんということもなくただ浴場の跡地の雰囲気だけだったが、この浴場は212年から216年にかけて、カラカラ帝の治世に造営されたという。古代ローマ時代2世紀頃から発展したというイギリスのバース(BATH)にも行った。この都市はなかなか趣があり、観光地としては想い出に残る場所になっている。

現代の日本、種々の風呂文化と古代ローマの公衆浴場をくっつけるという発想は素晴らしい。映画としてどうのではなく、漫画と軽チャーを取り入れたフジテレビのお得意路線。第2作を製作中という宣伝があった。こんな映画もあったっていいんじゃないと思える映画。

ラルジャン(L' ARGENT)

1983年・フランス/スイス 監督/ロベール・ブレッソン

出演/クリスチャン・パティ/カロリーヌ・ラング/バンサン・リステルッチ/マリアンヌ・キュオー

「風が吹けば桶屋が儲かる」の例えの如く、物事には目には見えなくとも因果応報の連鎖があるのだと伝えたいのだろうか?フランス人のエスプリは、セリフを極端に省き、挙動だけで観客に訴えかけてくる。自分にとって良いことの連鎖であれば良いのだろうが、こと無実の者が裁判で有罪になるような物事の連鎖では、生きて行くことさえままならない。暗くてやりきれない気持にさせられる。そういったことを描いた映画、内容を《allcinema》から引用して下記する。

小遣いに不足したブルジョワ少年が親に無心して断られ、借金のある友人に弁解に行くが、友人は彼に偽札を使ってお釣りをくれればいいと唆す。彼らはその札を写真店で使い、まんまと企ては成功。偽札をつかまされた店の主人夫婦は、これを燃料店への支払いに使う。結果、その従業員イヴォンが気付かず食堂で使って告発された。彼は写真店を訴えるが、店員ルシアンの偽証で責任を負わされ失職する。ルシアンは商品の値札を貼り替えて、差額をかすめ取っていたが、見つかって解雇される。だが、その掌中には店の合鍵が。一方、イヴォンは知人の強盗の運び屋をし、未然に逮捕され三年の実刑を受ける。その間に愛娘が病死、妻の心は彼を離れる。それを中傷した同房の者を殴ろうとしてやめるイヴォン。独房送りで毎夜支給される睡眠薬を溜め、自殺を図るが未遂に終わる。やがて、写真店を荒し逃げ回っていたルシアンが入所してきて、赦しを乞い、見返りに脱獄の誘いをするが、イヴォンはこれに乗らず、おとなしく刑期を終える。出所して泊まった安ホテル。ここで彼は主人夫妻を惨殺し、はした金を奪って逃走。ある村の裕福な農家の家事一切を引き受ける中年の女の世話になる。夫を失い、車椅子の息子と老いた元ピアノ教師の父と、姉夫婦一家と暮らしている健気な彼女は、事情を知ってもひたすら彼をいつくしみ、彼との語らいの時を持つが……。たぶんに『罪と罰』への傾斜を感じさせる内容で、現代の神、交換の魔法--金(ラルジャン)の真意を探る。

『TIME/タイム』(In Time)

2011年・アメリカ 監督/アンドリュー・ニコル

出演/ジャスティン・ティンバーレイク/アマンダ・サイフリッド/キリアン・マーフィー/オリヴィア・ワイルド

知人が持っていたDVDを借りて観た。日本語の吹き替え版しかなかったので、一度観るのを止めたけれど、内容が面白そうだったことと、知っている俳優も出演していないのでまぁいいかっ!、ということにして観始まった。SFスリラー映画というジャンル分けがしてあったが、構想はなかなか優れていて面白い。映像化する無理があるのは仕方がないが、漫画の世界なら大受けするところだろう。以下にWikipediaからの引用を記す。

そう遠くない未来、人類は遺伝子操作で25歳から年を取らなくなることが可能になった。人口過剰を防ぐため、時間が通貨となり、人々は自分の時間で日常品から贅沢品まで支払うこととなった。また、通行料も時間で支払う必要があるため貧困層の地域と富裕層の暮らす町は実質的に隔離されている。裕福な人、すなわち時間を十分に持っている人たちは永遠にも近い時間生きることができるが貧困層の人々は働くことでわずかな時間を給料として受け取り、生活していた。左腕に光る時間表示が0になるとき、人は命を落とす。自分の腕を上にして相手の腕をつかめば相手の持っている時間を奪い取ることができる。一秒一秒が無駄にできなくなった世界で、スラム街で暮らす主人公は時間を奪うことで生活をしているマフィア集団から富裕層の男を救う。富裕層の男は自分の時間をすべて主人公が眠っている間に与え、置手紙を残して自殺してしまう。主人公は117年という時間を手にするが母親が不平等な社会の仕組みのせいで時間切れになり息絶えてしまう。復讐を誓った主人公はスラム街を飛び出し富裕層が集まる場所に行くのであった。

命の終わりが分かっていたら、人間の生き方はどれだけ、またどういう風に変わるだろう。今の世界では自分の身体が思うように動かなくなった時に、初めてようやく自分の寿命を知ることになる。五体健全で何でも出来る時に自分の寿命が分かったら、世の中はもっと慈しみに満ちた世界になれるだろうか。

『月夜の宝石』(Les Bijoutiers du clair de lune)

1958年・フランス/イタリア/アメリカ 監督/ロジェ・ヴァディム

出演/ブリジット・バルドー/アリダ・ヴァリ/スティーヴン・ボイド/ペペ・ニエト

BB(ベベ)は1934年9月28日生まれ、現在78才。パリ16区の航空会社経営者、および母方は保険会社の重役職にあった、きわめて富裕な両親のもとに出生、幼い頃からダンスやバレエ、舞踏を習う。雑誌のカバーガールをしていたときに、かねてより実家に出入りがあったロジェ・ヴァディムの進言で、女優を志すことになるが、決定的な動機は「映画を通し、己の美しさを世界に知らしめることが出来得るため」であった。ヴァディムとは18歳のときに結婚したが、後年離婚した。1956年、ヴァディムの監督作品『素直な悪女』で男達を翻弄する小悪魔を演じ、セックス・シンボルとして有名になった。

この著名な監督の作品がこんなに面白くないとは。フランス嫌いの私のせいなのか、内容が本当に詰まらないのか。BBのいかにも小悪魔といった風情の色香を、スクリーンに映し出すことが最優先の映画に見える。今時ではこれくらいのシーンでは、誰も喜ばない時代となってしまったので、やっぱり時代を超える映画を残すためには、内容がそれなり以上でなければならないことは明白だ。

映画界もまだ景気の良い頃の作品だろうから、少々の辻褄が合わない進行でも誰も気にしなかったのだろう。洋画で早回しは珍しいのだが、仕方がなかった。

『山桜』

2008年(平成20年)・日本 監督/篠原哲雄

出演/田中麗奈/篠田三郎/檀ふみ/南沢奈央/富司純子/高橋長英/永島暎子/村井国夫/東山紀之

藤沢周平の原作だと知ったのはエンドタイトルで。例の海坂藩の中での物語、ゆったりとしているが見応えがある。こんな映画がひそかに作られていたことさえ知らなかった。映画館で当てるのは大変だろうな~。NHKの愛聴番組「クールジャパン」ではこの頃の日本が取り上げられているが、こういう映画を理解できることが本当の日本好きだよ、と言って強引にでも見せてあげたい。

嫁と姑、マザコン、倫理観のない武士、サラリーマンのような侍、といったような興味あるストーリーが時を刻む。侍映画は日本人にしか描けないDNAのような気がする。貧しい江戸時代の生活の中にも、女達の美しい着物姿が印象に残る。桜を活けるシーンも美しい。題字もいい。一青窈の主題歌もなかなか。

こういう映画を観ていると、いつも不満に思っている日本映画のテンポや長回しが全く気にならない。ということは、やはり原作、脚本の力がまずあること。次にいい映画を作ろうとする力の結集がある事が、極めて重要なことだと分かったような気になる。

『冒険者たち』(Les Aventuriers )

1967年・フランス 監督/ロベール・アンリコ

出演/アラン・ドロン/リノ・ヴァンチュラ/ジョアンナ・シムカス/セルジュ・レジエニ

何が冒険者たちなのか全く伝わってこなかった。アンニュイなフランス映画などと、分かったこようなことを言う脳を持ち合わせていない。ジョゼ・ジョヴァンニの同名小説を映画化したというが、どうにも散漫的な内容に翻弄されていた。村上春樹の小説はこんな感じなのだろうと、1冊も読んでいない作家を夢想する。

「村上春樹の小説は本当に面白いのか?」と、Googleで検索したら、結構な数が引っかかった。読んではみたものの、その面白さが分からなかった人が結構いるらしい。それはそうだ、ベストセラーになって読まなくてもいい人が読んだって、理解するのは大変だ。この活字離れの時代、売れる時に売り尽くしてしまおうと、無理やり読者に仕立ててしまう出版社にも責任がある。

アラン・ドロンは自身が映画の中で死んで行くのが好きなようだ。いい男は死なない、という漫画チックな世界を好まないのだろう。前回も同じような感想を書いたことがあった。その当時ほとんど映画を観ていなかったことが、こんなところで証明される。

『スタンド・バイ・ミー』(Stand by Me)

1986年・アメリカ 監督/ロブ・ライナー

出演/ウィル・ウィートン/リバー・フェニックス/コリー・フェルドマン/ジェリー・オコンネル/キーファー・サザーランド

名作の誉れが高いこの映画、リアルタイムで観たとは思えないが、どこかで観る機会があって、なんとも面白くない映画だという記憶しか残っていなかった。その後も何度も録画をするチャンスはやって来ていたが、どうしても積極的に観ようという気にはなれず、今回もイヤイヤながら録画鑑賞した。時を経ていれば、こちらも少しは成長して、面白く観られるかもしれないという期待感が結構大きかった。

まったく内容を覚えていなかったところをみると、前回はほとんど映画の中に入り込めなかったらしい。して今回はというと、やっぱりダメだった。途中で寝てしまったりするようでは、残念ながら私の心には響いてこなかった。小学校、中学校時代の田舎の生活は、こんな映画の内容ではなかった。毎日のように夜まで外で遊び回っていた毎日。もの凄くいろいろな出来事が毎日のようにあり、甘酸っぱい幼い日の想い出にはほど遠いものだった。

音楽が良すぎるのかもしれない。その音楽にのせて線路を歩く4人の子供を映し出してやると、何もかもが綺麗な想い出に見えてしまう。現実とは違った「遠い日良き日」が演出されて、すべてがいきいきとしている。明らかに錯覚の世界。それでいいのだが。

『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(Interview with the Vampire)

1994年・アメリカ 監督/ニール・ジョーダン

出演/トム・クルーズ/ブラッド・ピット/キルスティン・ダンスト/クリスチャン・スレーター/スティーヴン・レイ

リアルタイムでこの題名を見た時に、見たくない映画だと思ってしまった。ドラキュラものには何か幼稚さと宗教的なものを強く感じ、映画として食指が動くものではなかったことは確かだった。それ以来、テレビ放映の録画鑑賞の機会は結構あったような気がするが、ずるずると今回まで来てしまったという感じ。題名からくるイメージ、というか素晴らしい内容を想定させない題名が嫌いだったような気もする。

観始まってすぐに現存のヴァンパイアにインタビューするという奇想天外な内容だと分かって、あとはどんどんと惹き込まれていった。アン・ライスによる小説『夜明けのヴァンパイア』の映画化作品、1976年に出版された。スタンド・バイ・ミー(Stand by Me・1986)で人気の出たリヴァー・フェニックスがインタビュアー役をやる予定だったが、1993年23才の若さで死んでしまった。クリスチャン・スレーターがその役を替わった。この映画を見終わって劇場から外に出れば、ちょっと触れた他人の手首や首筋に、歯を立てたくなるような錯覚に陥りそう。

カリフォルニア州サンフランシスコ。とある建物の一室で、野心的なライターの青年ダニエル・マロイ(クリスチャン・スレーター)は用意したテープを回し、黒髪の青年紳士ルイ(ブラッド・ピット)へインタビューを始める。「私はヴァンパイアだ」。ルイは、200年というその驚くべき半生を語り始める。トム・クルーズが妙に舞台俳優ぽく演技過剰なシーンがあるのが気になった。ブラッド・ピットの方が自然体で役者としては上かな、という印象。ヴァンパイアは西欧の特許、日本の土壌には「番町皿屋敷」という言葉がよく似合う。

『ハナミズキ』

2010年(平成22年)・日本 監督/土井裕泰

出演/新垣結衣/生田斗真/蓮佛美沙子/ARATA/木村祐一/松重豊/向井理/薬師丸ひろ子

一青窈の代表曲である「ハナミズキ」をモチーフにした10年の時をかける純愛ラブストーリー。キャッチコピーは「君と好きな人が、百年続きますように」、「『恋空』と『涙そうそう』のスタッフが贈るこの夏No.1泣けるラブストーリー」。ヒットしたようだ。

16才でも25才でも、30才にでも青春はある。心の持ちようばかりではなく、いつも絶やさない何かが残っていれば、青春という二文字は永遠に続いている。甘酸っぱくて、ほろ苦い想いは人生の出発点、ほんの少し想い出すだけですぐに帰ることが出来るターニングポイント。

テレビドラマよりはかなりいい。ただかったるい。時の流れと心の変化をうまく表現し切れていない。さらに研ぎ澄ませる時間があれば。涙が流れるほどのこともなく。

『ドラゴン・タトゥーの女』(The Girl with the Dragon Tattoo)

2011年・アメリカ/スウェーデン/イギリス/ドイツ 監督/デヴィッド・フィンチャー

出演/ダニエル・クレイグ/ルーニー・マーラ/クリストファー・プラマー/ステラン・スカルスゲールド/スティーヴン・バーコフ

原作はスティーグ・ラーソンの世界的ベストセラーだという。あまりにも知らないことばかりで嫌になってくる。2009年にスウェーデン映画「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」として映画化されていて、それをハリウッドが再映画化したようだ。極めて面白い内容なので、再映画化も頷ける。

2006年『007 カジノ・ロワイヤル』(Casino Royale)で第6代目ジェームズ・ボンド役に抜擢されたダニエル・クレイグ。007シリーズ第23作『007 スカイフォール』(Skyfall・2012年)も評判がいい。現役のジェームズ・ボンドながら、この映画のように余計な肩書きをつけない方がより一層よく見えた。

この邦題はひどいよね、と見直したけれど、原題通りだったのでちょっと驚き。知人から借りたという感じで、何気なくというか変な題名だな、と思いながら観始まった作品、思わぬ拾い物をした感じ。上映時間2時間38分と少し長すぎるが、気にはならない。いくつものサスペンスが重なり合って、観客はかなり戸惑う。ある時点てクロスしたストーリーが、ようやく明白になってきた。アメリカ映画に似ず、しつこく最後まで語っていたのも違和感があるけど、悪くはない。久しぶりに映画を堪能したという鑑賞後感。ほっとひと息付けるのも、映画館ではなくホットカーペットの上での出来事。よかよか。

『馬上の二人』(Two Rode Together)

1961年・アメリカ 監督/ジョン・フォード

出演/ジェームズ・スチュワート/リチャード・ウィドマーク/リンダ・クリスタル/シャーリー・ジョーンズ/アンディ・ディヴァイン

ジョン・フォードは1917年に監督デビューしているというから、この時点でもう44年も映画監督をしていることになる。この映画は晩年に近い作品。西部劇の匂いがぷんぷんしている。始まってすぐに映画に惹かれて行く感覚が堪らない。

こんな良い見本が今までにもたくさんあったのに、どうして最近の日本映画は昔の良さを見習わないのだろう。特別に凄い映像を使って訴える訳でもなく、激しいアクションを駆使して観客を驚かそうとしている訳でもない。

コマンチ族にさらわれた白人の子どもたちを探してくれと、頼まれる主人公の話は、西部劇にありがちな極く普通の話に見える。それなのにどんどん映画の中に引きずり込まれる。面白い。最後はどうなるのだろうと、興味は尽きない。胸躍らせて映画を観る、という雰囲気を充分に味わえる。久しぶりの映画らしい映画。

『茶々 天涯の貴妃(おんな)』

2007年(平成19年)・日本 監督/橋本一

出演/和央ようか/富田靖子/寺島しのぶ/高島礼子/余貴美子/原田美枝子/渡部篤郎/松方弘樹

ひどく詰まらない、テレビドラマのような合戦場面や間延びした物語が飽きを誘う。と思いながら見終わったが、インターネット上には下記のようなまったく正反対のコメントが載っている。

豊臣秀吉の側室・茶々を中心に、織田信長、徳川家康などによる戦国人物絵巻が繰り広げられる豪華絢爛(けんらん)な歴史ドラマ。元宝塚男役で絶大な人気を誇ったトップスター和央ようかが、映画初出演で時代に翻弄(ほんろう)された茶々をつややかに演じる。監督は『新仁義なき戦い/謀殺』など、アクションや時代劇を手掛ける橋本一。伏見桃山城を全面改装し、大坂城に見立てて撮影されたクライマックスシーンは迫力満点。

好きになれない女優の顔が並ぶ。1983年『アイコ十六歳』で将来性を予言していた富田靖子が、もう老けた顔をして登場していて残念。


2019年(令和元年6月7日再び観たので記す。

『茶々 天涯の貴妃』

2007年(平成19年)・ 監督/

出演/和央ようか/富田靖子/寺島しのぶ/高島礼子/余貴美子/原田美枝子/平岳大/渡部篤郎

もう12年も前の映画だが、製作費は10億円で、そのうち1億円が衣装代にあてられ、7000万円かけて撮影用に伏見城を改修した。2007年9月20日にクランクインし、11月中旬にクランクアップしたという。主演の和央ようかは、宝塚出身でこの映画が初出演映画であり、初めて女性を演じた作品であるという。

織田信長の妹「お市の方」の生涯は極めて興味深い。そしてその娘ら3人の生涯もそれ以上に興味深い。浅井長政、柴田勝家、茶々、豊臣秀吉、初、江、徳川秀忠、などなどそうそうたる歴史上の名前が登場する。どこの馬の骨か分からない者や橋の下で拾われた人物とは程遠い、血統というえもいわれぬ種族が存在することを肝に銘じられる。

活字を読まない人間にとって、せめて大学受験の時に日本史をとっていればまだしも、早々と世界史1本で暗記ばかりに費やしていた労力は、大人になって何の役にもならないことを思い知らされる。

『遙かなる山の呼び声』

1980年(昭和55年)・日本 監督/山田洋次

出演/高倉健/倍賞千恵子/武田鉄矢/吉岡秀隆/ハナ肇/渥美清

いわゆる民子三部作の第三作。と知っても何のことだか分からなかった。主人公、民子(倍賞千恵子)物語三部作のことらしい。そういわれれば、一作目『家族』(1970年・昭和45年)を観た記憶がある。二作目が『故郷』(1972年・昭和47年)。

『男はつらいよ』シリーズをはじめ、数々のヒット作で知られる山田洋次監督の作品。北海道東部の中標津町を舞台に見事な四季の映像を織り込んでいる。『幸福の黄色いハンカチ』に続き、高倉健、倍賞千恵子、武田鉄矢のほか、チョイ役ではあるが、渥美清も出演している。タイトルの『遙かなる山の呼び声』は、映画『シェーン』の主題曲名であり、当映画もそこから着想を得たものである。牧場所有者は当初ロケ地提供を、零細酪農家が映画化されるということで渋ったが、倍賞との交流を通じ、承諾した。倍賞はその後毎年の半分をこの牧場で私的に過ごすようになった。 ~ Wikipediaより

この映画で吉岡秀隆はまだ10才、まったくの子供だったのにもう今年43才、映画でも主演を張れるいっぱしの役者。時の流れは速い、共演した役者にも感慨深いことだろうと、他人事ながら感慨に耽る。人は変われども、同じことの繰り返し、そんな毎日に一喜一憂して生きて行くのがまさしく人間生活、楽しからずや。

『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』(Revolutionary Road)

2008年・アメリカ/イギリス 監督/サム・メンデス

出演/レオナルド・ディカプリオ/ケイト・ウィンスレット/キャシー・ベイツ/マイケル・シャノン/キャスリン・ハーン

『タイタニック』のレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットが夫婦役で再共演。またキャシー・ベイツも『タイタニック』(Titanic・1997年)以来の再共演を果たしている。また、ウィンスレットは実生活上の夫であるサム・メンデスの監督作品に、初出演・主演している。原作はリチャード・イェーツの小説『家族の終わりに』。

映画の中での世界は1955年、主人公が勤めている会社で今度大きな真空管コンピューターを導入する、というセリフがあった。あれから60年弱でコンピューター世界は様変わり、誰がここまで予想していたのか。分かっていた人がいたのだろうか? 

人間の幸せとはなんぞや? という大きな命題が潜むこの映画、真剣に人生に向かい合う人でなければ、とてもじゃないけど飽きてしまうかもしれない。精神を病んでいる知人の息子の登場、彼の言葉が一番主人公の悩みの受け答えに相応しかった現実が皮肉だ。飽くなき人間の欲求をとことん突き詰めることはいけないのだろうか? 誰にも答を出せない現実社会と、どう向き合って行くのかは、いつの時代にでも永遠の課題であるように見える。

『相棒 -劇場版II- 警視庁占拠! 特命係の一番長い夜』

2010年(平成22年)・日本 監督/和泉聖治

出演/水谷豊/及川光博/小西真奈美/小澤征悦/宇津井健/國村隼/益戸育江/岸部一徳

テレビ朝日が元気だ。2012年度の平均視聴率が、ゴールデンタイム(午後7~10時)で12.4%、プライムタイム(午後7~11時)で12.7%を記録し、ともに1959年の開局以来初めての首位を獲得し、2012年度の視聴率「2冠」を達成した。サッカーやWBCのスポーツ番組も積極的に放送している結果だ。一時のフジテレビを彷彿とさせる。

そんなテレビ局の製作するテレビドラマの映画化第二弾。監督が映画監督なのもいい。テレビドラマではきちんと見たことが一度くらいしかないが、前回の映画化一作目も見た。今回の映像も悪くはない。その辺にある日本映画よりは遙かに良いことは誰にでも分かる。刑事コロンボのような解決方法が、好きかどうかは問題だけれど、見ていてまずまず面白い。

映画らしい画面になっているのは、ひとえにお金のかけ方と監督の力だろう。もしかすると入社していたテレビ朝日、昭和45年当時の社名は「日本教育テレビ」、この名前だったので入社しなかった。入っていたら、このホームページにつながる人生にはなっていなかった。人間万事塞翁が馬、人間何処に幸せが、不仕合わせが待っているか誰にも分からない。

『SP THE MOTION PICTURE 野望篇/革命篇』

2010年/2011年・日本 監督/波多野貴文

出演/岡田准一/香川照之/真木よう子/松尾諭/神尾佑/山本圭/堤真一

2007年からフジテレビ系土曜ドラマ枠で放送された連続ドラマ『SP 警視庁警備部警護課第四係』の劇場版であり、『野望篇』(やぼうへん)『革命篇』(かくめいへん)の2部作からなる。監督はドラマ版でも演出を務め、本作が初監督映画となる波多野貴文。テロに対抗するSP(セキュリティポリス)の戦いと連続ドラマで描かれた謎が明らかにされる。 ~ こういうことの切れっ端も知らなかった。

テレビドラマをほとんど見ない私にとっては、この映像を見るのは初めて。ましてやフジテレビのドラマなら、見ていないのは仕方がない。テレビドラマで毎週見ていれば、少しは内容が分かっていようが、まったくの白紙状態で見るこの映画はなかなかいい。素晴らしくいいとは言えないものの、他の日本映画がひどすぎるので、この映画がよく見えてしまう。

岡田准一がなかなかいい。セリフが少ないのもそう思わせる要因。演技をし過ぎる日本の俳優は、喋れば喋るほどボロが出て来てしまう。現実感がなくてもセリフよりはまだアクションの方が見られる。政界の不正を糾すという大きな命題は、この映画ばかりではなくいろいろな映画で取り上げて欲しい。胸くそ悪い現実世界政治屋集団の所業を幻にでも暴いてくれなければ、生きて行く力も湧いてこない。

『福沢諭吉』

1991年(平成3年)・日本 監督/澤井信一郎

出演/柴田恭兵/榎木孝明/仲村トオル/南野陽子/若村麻由美/哀川翔/野村宏伸/火野正平/芦川よしみ/鈴木瑞穂/勝野洋

こんなど真面目な映画が作られていたことにまず驚く。それでももう22年も前の話、今時では誰も作ろうとは思わないだろう。豊前(大分)中津藩の下級武士の家に生まれたことなど、史実の少しばかりの知識を得ることになり、なんとなく嬉しい。

映画の中での福沢諭吉は、終始学問をすることだけが取り柄で、多少は世の中のことに交わったりするが、どちらかというと学問馬鹿のような描き方がされている。それが正しいことなのだろうけれど、もう少し世の中に絡んで生きていた人物だと思っていたので、ちょっと意外だった。明治維新という荒波をくぐり抜けたけれど、慶応義塾を作っただけでは、歴史的人物としては少し興醒め。

映画的には少しばかり飽きがくる。前半部分は主人公の人物なりを描いて興味あるが、後半には余計な戦闘シーンなどもあり、蛇足になってしっまったような出来具合。手間暇、金を使い戦闘シーンを入れるのは製作者の自己満足、こんなシーンを削って、もっと人間を描けば良かったのに、と。

『リプレイスメント』(The replacements)

2000年・アメリカ 監督/ハワード・ドイッチ

出演/キアヌ・リーブス/ジーン・ハックマン/ブルック・ラングトン/オーランド・ジョーンズ/リス・エヴァンス

あのキアヌ・リーブスがこんなつまらない映画に出ている。この映画は2000年8月公開、マトリックス(The Matrix)は前年の3月公開だったのだが、まだ出演映画を選べなかった時だったのだろうか。それともジーン・ハックマンが出ているからという理由なのだろうか。どちらも当たっていないとは思うけれど、ちょっと信じられない出演作品。

アメリカのプロ・スポーツシーン、ストライキも辞さない権利意識は日本にも影響を及ぼしている。高額ギャラを取りながら、ストライキでさらなる権利を主張するのは、ちょっと何かが違うんじゃないかとは思うけれど、誰にだって権利がある事を考えれば、普通のことなのかもしれない。

レギューラーに変わって急遽組んだメンバーを寄せ集めと訳していた。リプレイス→寄せ集め、少しニュアンスが違う。ゴルフ用語に「リプレース」と「プレース」があり、その区別が分からず、又は知らないままに言葉を遣っている人が結構多い。ゴルフをやる人は、この言葉をもう一度調べ直した方がい

『青春☆金属バット』

2006年(平成18年)・日本 監督/熊切和嘉

出演/竹原ピストル/安藤政信/坂井真紀/上地雄輔/佐藤めぐみ/若松孝二/寺島進

想像に絶する酷い映画。恥ずかしい。こんな映画製作に金を出している日本出版販売やビクター・エンターテインメントという会社の資質を疑う。どんなものでも映画にする権利はある、と主張されたって、こんな映画は勘弁してくれ、と懇願したくなるような映画。

『青春☆金属バット』は、古泉智浩による日本の漫画短編集。および、それに収録された「路地裏のバッター」を原作にした映画(「真夜中の聖火ランナー」のエピソードも盛り込まれている)。「路地裏のバッター」は、『ヤングチャンピオン』(秋田書店)にて、2002年No.17から2002年No.21まで連載されていた。単行本は2003年に同社より単巻(後に絶版)、青林工藝舎より2006年に再刊した。 ~ 活字の世界だけなら、まだ自由がある気がするけれど。

録画作品が切れていたので、普通倍速で垂れ流しで観た。どうにも我慢が出来なくなってくる、こちらの方が金属バットで映り出されている映像を殴り倒してやりたくなった。クソミソという言葉があるけれど、そういう表現がピッタンコのような作品。これまで観た映画の中でダントツの最悪作品だろう。

『シティヒート』(City Heat)

1984年・アメリカ 監督/リチャード・ベンジャミン

出演/クリント・イーストウッド/バート・レイノルズ/ジェーン・アレクサンダー/マデリーン・カーン/トニー・ロビアンコ

クリント・イーストウッドの映画がこんなに面白くないこともあるんだ、と驚いてしまった。調べてみたら、バート・レイノルズはこの映画で第5回ゴールデンラズベリー賞最低男優賞を受賞してしまっている、というから納得。

警察官時代同僚だった仲の悪い2人、ひとりはまだ警察官でもうひとりが独立して私立探偵をやっている、という設定。アクションやサスペンス映画はこの30年間で様変わりしてしまった。CG技術の異常な発達により、あり得もしないシーンがいとも簡単に作られ、これでもかこれでもかと観客の度肝を抜くようになってしまった。

そういう環境になってから昔の映画を振り返ると、あまりにも物足らない感が強すぎて、とても見られたものじゃない。アクションシーンを排除してしまえばいいのだろうが、この手の映画にアクションシーンは不可欠、車が暴走して消火栓を壊し、水が吹き出るシーンなどは、子供でも描かないだろうという時代になってしまった。

『おっぱいバレー』

2009年(平成21年)・日本 監督/羽住英一郎

出演/綾瀬はるか/木村遼希/高橋賢人/橘義尋/本庄正季/恵隆一郎/吉原拓弥/青木崇高/仲村トオル

原作は漫画ではなく小説らしい。どう考えても面白くなさそうな映画放映を録画する気にもなれなかった。この頃録画する映画もなかなかなく、仕方なく録画をしたというのが本音。こういうちょっと際どいタイトルの内容は、意外と良かったりすることもあり、密かに期待していた節もある。

映画が始まって暫くして、見事に期待が裏切られてしまったことを確認する。いや、たぶんというか間違いなく感動的なラストシーンが待っているはずだ、とまだ諦めてはいなかった。1時間42分の上映時間の残り30分、ようやくここだな、というシーンがやって来た。このまま盛り上がって行けば、最終的にはいい映画だったと思える、と少し安心したのもつかの間、一瞬にして元通りのテイストになってしまった。こういう映画は絶対にいい話にしなければいけない。原作と大きく違ったとしても、映画らしいストーリー展開にすべきなのだ。今までの評価された映画は、みんなそうやって原作を超えた映画になっていた。

その落差が後世に残るか残らないかの違いなのだ。エイベックスの20周年記念映画だとクレジットが入っていた。エイベックスはこの程度なんだろう。日本テレビが制作の母体になっている。日本テレビの体質もこの程度である事は知っている。世の中に阿るのではなく、世の中から憧れられる作品を作らなければならないのに。この程度が日本アカデミー賞を受賞するのも、陳腐な日本映画業界ならでは。あまりにも離れすぎてしまった本家アカデミー賞のアメリカ映画業界。

『エターナル・サンシャイン』(Eternal Sunshine of the Spotless Mind)

2004年・アメリカ 監督/ミシェル・ゴンドリー

出演/ジム・キャリー/ケイト・ウィンスレット/イライジャ・ウッド/キルスティン・ダンスト

この頃見る映画は難しすぎる。この主演2人の組み合わせは珍しいけれど、内容はちょっとへんてこで説明もしにくい。そういう訳ばかりでもないのだが、この頃はWikipediaからの引用ばかりになってしまって恐縮している。なんともはや最後まで見るのが辛かったとだけ鑑賞後感想を書いておこう。以下全て引用。

人気脚本家チャーリー・カウフマンがプロデューサーおよび脚本家で参加している。「記憶除去手術」を受けた男女を主人公として、記憶と恋愛を扱った作品。原題は、劇中でメアリーが暗唱するアレキサンダー・ポープの詩にちなむ。ミシェル・ゴンドリー、チャーリー・カウフマン、ピエール・ビスマスの3人は、この作品によって2004年度のアカデミー脚本賞を受賞した。

もうすぐヴァレンタインという季節。平凡な男ジョエルは、恋人クレメンタイン(クレム)と喧嘩をしてしまう。何とか仲直りしようとプレゼントを買って彼女の働く本屋に行くが、クレムは彼を知らないかのように扱い、目の前でほかの男といちゃつく始末。ジョエルはひどいショックを受ける。やがて彼はクレムが記憶を消す手術を受けたことを知る。苦しんだ末、ジョエルもクレムの記憶を消し去る手術を受けることを決心。手術を受けながら、ジョエルはクレムとの思い出をさまよい、やがて無意識下で手術に抵抗し始める。

『デビルズ・ダブル -ある影武者の物語-』(The Devil's Double)

2011年・ベルギー 監督/リー・タマホリ

出演/ドミニク・クーパー/リュディヴィーヌ・サニエ/ラード・ラウィ/フィリップ・クァスト

ウダイ・サッダーム・フセインとその影武者を描いたドラマ作品であり、実際に影武者であったと主張するラティフ・ヤヒアによる自伝本を原作としている。ただし、ヤヒアが影武者であったことに対しては疑問視する声もある。

「生まれてきた時に殺せば良かった」イラクの独裁者サダム・フセインにそう言わしめた、彼の長男ウダイ。権力の傘の下で暴力を振るう残忍で無慈悲で淫蕩な殺人狂だ。不幸にも彼とウリ二つの顔を持つラティフは、突然ウダイの屋敷に連れてこられ、彼の影武者になるよう強要される。拒めば家族の命が危ない。仕方なく従い、整形し、癖を覚え、ウダイになりきろうとするラティフだが、ウダイと行動を共にする中で、彼の狂気に満ちた日常を目の当たりにする。下校途中の女子学生を誘拐同様に連れ去り、犯し、殺す。結婚式の最中の新婦をレイプし、自殺に追いやる。本能の赴くまま己の欲望を満たす野獣の様なウダイに次第に怒りを覚えるが、どうすることもできない。やがてウダイの情婦サラヴと心を通わせていく。 ~ Wikipediaより

やりたい放題の権力者の息子、それを映像化することがどれだけ意味のあることなのか分からない。結局は歴史の中で消滅して行く運命にあったけれど、これが本当の話だったとしたら、その国民は何と悲惨なのだろうと世界中に思わせる意味だけはあったかもしれない。ただそれだけのことか?

『マーガレット』(Margaret)

2011年・アメリカ 監督/ケネス・ロナーガン

出演/アンナ・パキン/マット・デイモン/マーク・ラファロ/キーラン・カルキン

「ピアノ・レッスン」のオスカー女優アンナ・パキン主演、マット・デイモン共演によるヒューマンドラマ。幸せな毎日を送っていた女子高生のリサ。ある日、彼女が運転中のバス運転手の気を引いたことが原因で、死亡事故が起こってしまう。しかしリサは動揺のあまり、事故原因は歩行者の信号無視だったと嘘の供述をする。罪悪感で事故のことが頭から離れなくなったリサは、次第に荒んだ生活を送るようになっていく。そしてついに、真実を告白することを決意するが……。 ~ 映画.comより

心地良くない映画。主人公の女子高校生の体質が理解できなく、一体何を悩み何をしようとしているのか、その映画内容に疑問符が一杯となってしまった。女心は魔物だ、という言い伝えがその通りと思えるような展開ぶりに、ちょっと違和感があって仕方がない。

映画は面白くて気持ちよくならなければいけない。見ていて不愉快になってくるようでは、その存在、使命が意味なくなってしまう。

『メン・イン・ブラック3』(Men in Black III)

2012年・アメリカ 監督/バリー・ソネンフェルド

出演/ウィル・スミス/トミー・リー・ジョーンズ/ジョシュ・ブローリン/エマ・トンプソン/アリス・イヴ

1作目が1997年、2作目が2002年、そしてこの3作目と着実にシリーズ化している。むしろ本数が少ないくらいだが、アイディア、CG、となかなか手間暇が掛かる映画である事は確かだ。でも、CGがここまで進歩しなければ、こういう類の映画は生まれてこなかったであろう。雑誌で活躍していたキャラクターやアクションが、まったく遜色なく映像化されている現実が凄い。

元々、はちゃめちゃなストーリーの映画シリーズ、今回は輪をかけてぶっ飛んでいる。ここまで思い通り?に映画を作れれば、映画作りも面白いだろう。トミー・リー・ジョーンズは日本でもテレビCMでメジャーになったが、なかなか味のある役者だ。若い頃を演じた役者も雰囲気が酷似していて、なかなかいい。

単純に笑えればもっと楽しめるだろうだろう。面白くないとは思わないが、笑ったシーンが1箇所もなかったことが残念と言えば残念。無理してでも笑うと、身体には良いらしいが、テレビのバラエティー番組もそうだが、腹を抱えて笑うという瞬間がますます少なくなってきていて、寂しいというか虚しい。


2017年2月17日に再び観たので記す。

『メン・イン・ブラック3』(Men in Black III, MIB3, MIB3)

2012年・アメリカ 監督/バリー・ソネンフェルド

出演/ウィル・スミス/トミー・リー・ジョーンズ/ジョシュ・ブローリン/エマ・トンプソン

新しい録画機になって初めて観る二カ国語対応放映だ。壊れた録画機はこれが出来なく何度悔しい思いをしたことか。のはずだったが、いきなり日本語が聞こえてきて戸惑った。リモコンから言語と字幕を切り替え操作をしてやると観られて、なるほど機械は日進月歩しているなぁと感心しきり。

実は初めてではなくこの映画の前に『REDリターンズ』(RED 2・2013年)がそうだったのだが、最初の10分であまりのおもしろく無さと、見慣れない字幕の表示に辟易して、早々と見るのを止めてしまった。どうも、この二カ国用字幕はもともと耳の不自由な人用に用いられているものを、そのまま一般の字幕としても使っているようだった。別に悪くはないが、慣れていないことが一番大きい。それと、擬音をも表示するから、ちょっと疲れる。字も大きい。フォントも奇妙。字幕の下に半透明な黒帯がひかれている。まぁ、吹き替え版ではなく見られるだけでも仕合せか。

この映画はすさまじいギャグの応酬で、ちょっとついていけない。始まって早々と、翌日再開してからもすぐに眠ってしまった。ということもあって、何がどうなっているのか、見当もつかなかった。それでも、最後のころはようやくギャグも落ち着いて、大まかなストーリーが把握できて御の字。

『幸せの教室』(Larry Crowne)

2011年・アメリカ 監督/トム・ハンクス

出演/トム・ハンクス/ジュリア・ロバーツ/ブライアン・クランストン/セドリック・ジ・エンターテイナー/タラジ・P・ヘンソン

題名を見てDVDの絵柄を見て、先生が主人公で、何か熱い物語になっているのかな、と勝手な想像をしていた。観始まって暫くしたら、状況はまっtく逆だと言うことに気がついた。主人公は、長年勤めていたスーパーマーケットを、大卒でないという理由から解雇された中年男性のラリー・クラウン、再就職を目指してコミュニティ・カレッジに入学してストーリーが展開する。

トム・ハンクスが監督のほか、共同製作、共同脚本、主演までもこなしている。その割りには面白くない。というか、日本映画のように核がない、芯がない、だらだらと物語が進行して行くだけで、ぴりっとしない。ヘラルドが良く買わされていた、トム・ハンクスとジュリア・ロバーツが出ているんだから絶対買いだよね、と売り込まれて買ってはみたものの、かなりヤバイものを掴まされてしまった、といった雰囲気の映画に思えた。

トム・ハンクス55才、ジュリア・ロバーツ44才、まだまだ老け込む歳ではないはずだが、ちょっと精彩がない。もう既に多くの話題作に出演してしまったのかもしれない。これからは代表作の1番目や2番目にあげられるような、出演作品選びをしなければならないだろう。原題は主人公の名前に過ぎない。

『J・エドガー』(J. Edgar)

2011年・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/レオナルド・ディカプリオ/ナオミ・ワッツ/アーミー・ハマー/ジョシュ・ルーカス/ジュディ・デンチ

ジョン・エドガー・フーヴァーという、アメリカ連邦捜査局(FBI)の初代長官というよりはむしろ、FBIを創設した人物の実話の物語。8代の大統領に仕え、48年間長官職にとどまった。彼の死後は長官任期は10年になったという。この頃のレオナルド・ディカプリオはようやく大人顔になってきて、いっぱしの役者としてさらなる成長が期待されるだろう、などと評論家っぽく書いてあげたい。

FBIの組織を強化したことや、科学的な捜査手法の導入などが称賛される一方で、自らの権力を盾に、有名人や政財界人に対する諜報活動や恐喝に加え、政治的迫害を行ったことを始めとする、違法かつ利己的な権力行使が批判されるなど、毀誉褒貶が極めて激しい人物であることが映画の中でしつこいほどに描かれている。クリント・イーストウッドが監督だったことをエンド・クレジットで初めて知った。彼の監督作品としては詰まらないと感じたのは、映画の作り方の問題ではなく、実在の主人公にもしかするとたいした魅力がなかったことによるのかもしれない、と思ってしまった。

主人公がクローゼット・ホモセクシュアルであったとする報告も、しっかりと映画の中で取り上げられている。クローゼットとは、衣類を仕舞う「クローゼット」を当人の心に見たてて、「(性的指向を)隠している状態」(in the closet)を暗喩していると知った。性的指向等を表明することをミングアウト(Coming out)、カムアウト(Come out)と言い、「表に出した状態」(come out of the closet)を暗喩してという。映画は残念ながらさほど面白くない。

『アメイジング・スパイダーマン』(The Amazing Spider-Man)

2012年・アメリカ 監督/マーク・ウェブ

出演/アンドリュー・ガーフィールド/エマ・ストーン/リス・エヴァンス/デニス・リアリー/マーティン・シーン/サリー・フィールド

元々、映画『スパイダーマン』シリーズの第4作目は2011年公開を予定していたが、2010年にサム・ライミ監督が降板したことによりプロジェクトは白紙となった。ソニーはシリーズの新監督としてマーク・ウェブを迎えてシリーズをリブートし、ピーター・パーカー役のアンドリュー・ガーフィールド、グウェン・ステーシー役のエマ・ストーン、リザード役のリス・エヴァンスを新キャストとして次々に発表した。リブート版では高校時代のピーター・パーカーが描かれる。3Dで撮影されており、2012年6月30日に日本で他国に先駆けて公開された後、7月より世界各国で封切られた。

アメリカン・コミックは好きではないのだが、雑誌を見るのではなく、それが映画化された時、結構楽しんでみることが多い。『スーパーマン』は子供の頃からテレビシリーズが大好きだった。そのお陰で同時代の日本オリジナル・キャラクター『月光仮面』などを子供騙しのおこちゃま映像として、馬鹿にしていた。

ディズニーの漫画を見てしまった子供心には、日本のテレビ・アニメのコマ数の少ない、口と言葉の合わない映像を好きにはなれなかった。それがトラウマとなって、今でも日本のアニメをまったく好きになれないでいる。

『エド・ウッド』(Ed Wood)

1994年・アメリカ 監督/ティム・バートン

出演/ジョニー・デップ/マーティン・ランドー/サラ・ジェシカ・パーカー/パトリシア・アークエット

「史上最低の映画監督」と言われた映画監督エド・ウッドを題材にした1994年の白黒映画。監督はエド・ウッドのファンであるというティム・バートン。アカデミー賞ではマーティン・ランドーがアカデミー助演男優賞を受賞、またメイクアップ賞も受賞した。

『グレンとグレンダ』製作から『プラン9・フロム・アウタースペース』完成にいたるまでのエド・ウッドの「黄金期」を描いた作品で、ウッドの知名度を飛躍的に高める契機となった。この映画には、ウッドが監督した映画の場面を忠実に再現しているシーンがいくつかあり、あまりにもそっくりな描写にバートンのウッドに対する敬愛ぶりが伺える。またエド・ウッドは実際に女装する趣味を持っていたため、作中にもジョニー・デップが女装するシーンがある。作品中であこがれのオーソン・ウェルズと偶然出会うシーンは脚色で、実際には本人は生涯ウェルズに会うことはなかった。ウェルズもまた生涯映画の資金繰りに苦労した人物で、片や「映画史上最高」、片や「映画史上最低」の才能がどことなく似通った人生を送ったことは興味深い。

前述は全て引用になる。どうにも面白くない映画だったが、ジョニー・デップの映画好きが良く伝わってきて、最後まで我慢しながらの鑑賞となった。ドラキュラ役が特に名高いベラ・ルゴシやフランケンシュタイン・モンスター役で知られるボリス・カーロフという実在の役者を語られても、元々の映画ファインではない私にはちんぷんかんぷん、博識でないことは悪いことだ。

『ビバ!マリア』(Viva Maria!)

1965年・フランス 監督/ルイ・マル

出演/ブリジット・バルドー/ジャンヌ・モロー/ジョージ・ハミルトン/グレゴール・フォン・レッツォーリ

ブリジット・バルドーとジャンヌ・モローが西部劇に出ている、しかも喋っているのはフランス語。映画界がまだぎりぎり元気だった頃だからこそ出来る荒技。それにしても面白くない。このところ立て続けに面白くない映画を観ているので、気が滅入ってくる。

ブリジット・バルドーは現在78才、ジャンヌ・モローは85才、映画界の大女優達も歳をとってしまったものだ。

観ていてこんなにイライラした映画も珍しい。どこが面白いのか、何を見て笑えばいいのか、全く分からないままにコメディーのようなストーリーが繰り返される。やっぱり西部劇はアメリカものに限る。

『ブレイクアウト』(Trespass)

2011年・アメリカ 監督/ジョエル・シュマッカー

出演/ニコラス・ケイジ/ニコール・キッドマン/ベン・メンデルソーン/リアナ・リベラト/キャム・ギガンデット

観始まって4流映画と確認、暫くして5流、6流、この頃には一眠りしていたら、7流映画にまで成り下がっていった。ニコラス・ケイジやニコール・キッドマンという一流俳優が、何故こんな映画に出演しているのだろう?Wikipediaに書いてある以下のような製作秘話がヒントになるかもしれない。

2010年8月3日、ケイジはキッドマンの夫役ではなく誘拐犯役を演じたくなったが認められず、プロジェクトから降板すると報じられた。ケイジの代役にはリーヴ・シュレイバーがオファーされた。しかしながら後日、結局ケイジが夫役に復帰することが報じられた。この混乱により、製作開始日は2010年8月16日から30日に延期された。

それにしても面白くない映画だ。緊張感の無いサスペンス映画なんて、何に例えたら良いのか分からないほど酷過ぎる。原題 [ trespass ] は馴染みのない単語だが、(1) (土地・家屋への)不法侵入;(財産・権利への)不法侵害;(身体への)暴力行使 (2) ((1)の損害賠償を求める)訴訟 2 《聖書》(道義・宗教上の)罪, 違反, 不正 3 (他人の生活・時間などへの)侵害, 邪魔, 立ち入り, 迷惑((on, upon ...))。 ~ 金目当てに豪邸に不法侵入してきた強盗と家族3人との戦いが映画の内容。

『婚前特急』

2011年(平成23年)・日本 監督/前田弘二

出演/吉高由里子/加瀬亮/浜野謙太/杏/石橋杏奈/白川和子/榎木孝明

5股をかける若い女の話だということだけが分かった。何も書きたくないくらい詰まらない話と進行。こんな映画に出て女優だ役者だなんて言っているとしたら、こんな哀しいことはない。テレビドラマにも出来ないようなお粗末な映画。

当然のことながら、2倍速から5倍速へと早々にリモコンを駆使してしまった。

映画ってホントに詰まらないものですね~、と叫びたくなってしまう。

『G.I.ジェーン』(G.I. Jane)

1997年・アメリカ 監督/リドリー・スコット

出演/デミ・ムーア/ヴィゴ・モーテンセン/アン・バンクロフト/スコット・ウィルソン/ジェイソン・ベギー

こんなアメリカ映画らしいアメリカ映画を配給したのがヘラルドだと知って驚いた。会社を辞めてから7、8年経っていたが、現役の時これほど質の高いアメリカ映画は手に入らなかった。どういう偶然でこれほどのものが買えたのか分からないけれど、期待以上のヒットをさせることは出来たのだろうか? もし大ヒットだったら、ヘラルドが潰れているわけはなく、たぶん大したことなかったのだろうと、想像する。

アメリカ海軍情報局に所属するジョーダン・オニール大尉は、男女差別雇用撤廃法案を唱えるデヘイヴン上院議員の要請で、志願者の60%は脱落すると言われる最難関の海軍特殊部隊 (実在のSEALsをモデルにした架空の偵察部隊) の訓練プログラムに挑むことになる。彼女を待っていたのはウルゲイルたち訓練教官による想像を絶するしごきと、女性であるが故の訓練生たちからの軽蔑の視線だった。しかし、彼女は驚異的な頑張りで、12週間に及ぶ地獄の訓練プログラムを闘い抜いてゆく。(Wikipediaより)

こういう映画を観ながら、アメリカの女性達はどんどん強くなっていったのだろう。まさしくアメリカ。アメリカ万歳と叫びたくなるような映画。面白いですね~。

『ワン・デイ 23年のラブストーリー』(One Day)

2011年・イギリス 監督/ロネ・シェルフィグ

出演/アン・ハサウェイ/ジム・スタージェス/パトリシア・クラークソン/レイフ・スポール

恋愛映画と分かっていてレンタルしているが、珍しくあまりときめかない恋愛映画だった。言おうとしていることは良く理解できるが、残念ながらあまり面白くなかった。内容は、大学の卒業式で意気投合して親友となった男女の23年に渡る切ない紆余曲折の道行きを、毎年7月15日の一日を切り取り描き出していく。

1988年から2011年まで、同じ日にちの1日を抜き出して見せるという切り口は悪くはない。映画でなくとも、自分の生活でも同じようなことができたら、ずいぶんと面白いだろう。人間は確実に歳をとるということが分かるのは、自分が歳をとったときにはじめて理解するもの。若い頃に自分の今の姿が想像できていたら、もう少しましな人生を歩めたのかもしれない。

この映画は最後の20分に観るべきところがある。それまでの何を言いたいのかちょっと疑問符が付くような進行が、この最後のシーンで「なるほど」と分かったような気になる。同性でも異性でも、何十年間にもわたり友人でいられることは幸せの極みだ。余計な説明などいらない間柄がいい。お互いに心底分かり合っていないかもしれないが、同じ青春時代を過ごしたというだけで、何か何でも知りあっているような気になれている。そういう信頼感が結構大事なことなのだと。

『リトル・ダンサー』(Billy Elliot)

2000年・イギリス 監督/スティーブン・ダルドリー

出演/ジェイミー・ベル/ジュリー・ウォルターズ/アダム・クーパー/ゲアリー・ルイス/ジェイミー・ドラヴェン

角川ヘラルド映画配給という珍しい作品。ヘラルドの名前はこれが最後。一応名誉を重んじて短期間ながらもヘラルドの名前が残ったのだ。このあと、名古屋のヘラルドも潰れ、角川映画と単体名になってしまって、世の中から『ヘラルド』の名前がなくなってしまった。我が青春はすべて消えてしまった。

宣伝文句にいう「僕がバレエ・ダンサーを夢見てはいけないの?」という少年の夢が叶う過程を描いている。場所はイギリス北東部の炭鉱の町、時はマーガレット・サッチャーが首相時代の景気の悪いとき。父や兄は炭鉱のストライキで息子がダンスに気を奪われているなんて、もってのほかだと一蹴にふしていた。イギリス地方都市の貧しい風景が、たびたびいろいろな映画の中で紹介される。結構うら侘びしく、寂しい風景。

ダンスを教えていた先生がロイヤルバレエ学校への進学を勧める。その時この主人公の少年は、どう見たって基礎もまったく出来ていない状態だった。なのに奨める。技術があるから進学を勧めるのではなく、可能性を感じるから奨める教師の目が、日本的なお稽古事と全然違う感じがした。子供にテクニックを教えるのではなく、大人になってから発揮できるための、技量を授けることなのだとよく分かる。

『眺めのいい部屋』(A Room with a View)

1986年・イギリス 監督/ジェイムズ・アイヴォリー

出演/マギー・スミス/デンホルム・エリオット/ジュディ・デンチ/ヘレナ・ボナム=カーター/ジュリアン・サンズ/ダニエル・デイ=ルイス

製作者イスマイル・マーチャントと監督ジェイムズ・アイヴォリーは、『モーリス』(Maurice・1987)、『ハワーズ・エンド』(Howards End・1992)、『日の名残り』(The Remains of the Day・1993)、と立て続けに気品の高い作品を此の世に残してくれた。大劇場で華々しくロードショーされるアクション映画と対極にある、ミニ・シアター系映画館で半年間もロードショーされる映画だ。

この映画も実に面白い。物語全体ばかりではなく、セリフも研ぎすまされていて、心に響いてくる。前半のフィレンツェを舞台にしたストーリーが、後半のロンドン郊外での話にも脈々と受け継がれていて無駄がない。主人公の姿形もいい。女も男も。そして脇を固める役者にも不足はない。誰にでも出来そうで、やっぱり無理かと思わせる映画。

世の中に上品と下品という言葉が存在するなら、まさしくこの映画は上品な映画。何とも言えない雰囲気が、何とも言えない匂いを醸し出している。なかなかお目にかかれない映画だろう。10時間でもこのまま物語が進行して、見続けていたいと思える。映画とはこうあるべき、と教えてくれそうな映画でもある。教材にもなるのではなかろうか。『フィレンツェ』篇のお薦め映画だが、出来映えはそんな形容が失礼なくらいの出来のいい映画。面白い。

『ベニスに死す』(Morte a Venezia, Death in Venice)

1971年・イタリア/フランス 監督/ルキノ・ヴィスコンティ

出演/ダーク・ボガード/ビョルン・アンドレセン/シルヴァーナ・マンガーノ/マーク・バーンズ

この有名な作品を観る機会がようやく偶然に訪れた。友人がイタリア旅行に行くというので、助言としてご当地映画を観た方がいいよと、お薦めしたのだ。ローマ用には言わずと知れた『ローマの休日』、フィレンツェ用には『眺めのいい部屋』、ベニス用には『旅情』をと思ったが、TSUTAYAで見つけることが出来ずこの作品になったのだ。今まで観ていなかったことが恥ずかしいくらいの、有名な映画である。

期待感はそれほどなかった。というのも、昔のこの手の映画で本当に面白い映画に出会ったことが希だからである。この手の映画とは、有名で評価も高くそれなり以上の監督作品が、意外と詰まらないことが多いのだ。初めて観たから面白くなかったのか? そんなことはない、描かれている内容が、大したことなさ過ぎるのだ。初老の男が美しい青年に恋するなんて、生理的に観たくない、と今でも直感する。

ルキノ・ヴィスコンティは巨匠になっていた。最後の作品『イノセント』 (L'innocente・1976年)を日本ヘラルド映画が配給した。絢爛豪華なでっかいポスターを製作したことを覚えている。その頃はまだ経理部でコンピューターを担当していた頃、まだまだ映画そのものに馴染めない頃だった。それでもえらく力を入れていた、という印象は今でも覚えている。懐かしい映画業界でのこと。

『フェイシズ』(Faces in the Crowd)

2011年・アメリカ/フランス/カナダ 監督/ジュリアン・マニャ

出演/ミラ・ジョヴォヴィッチ/ジュリアン・マクマホン/デヴィッド・アトラッキ/マイケル・シャンクス

見事なまでの三流映画。サスペンス系映画は、どうしても一流か三流かになってしまう。結末的にはよくあるパターンを踏襲している。しかも男と女のくっつき方がアメリカ的で、手っ取り早すぎて、ちょっと待ってくれと言いたくなる。

相貌失認(そうぼうしつにん、Prosopagnosia)という病気がある事を初めて知った。これは脳障害による失認の一種で、特に「顔を見てもその表情の識別が出来ず、誰の顔か解らず、もって個人の識別が出来なくなる症状」だという。『失顔症』というスーパーも入っていた。殺人犯と争って河に落ちた主人公が、頭を打ったためにこの病気にかかり、結果犯人を見分けられないというストーリー展開。恋人も、父親の顔さえ見分けられない。テーマは凄く面白い。

三流と一流との境は一体何処なのだろう。まぁ~人間だって一流と三流はいるのだから、作品にそんな区別が出来るのも当然か。時間潰しに三流映画はうってつけ、馬鹿にしたものでもない。一流映画ほどの緊張感や手に汗握るほどではないところが良い。

『アニマル・キングダム』(Animal Kingdom)

2010年・オーストラリア 監督/デイヴィッド・ミショッド

出演/ベン・メンデルソン/ジョエル・エドガートン/ガイ・ピアース/ジャッキー・ウィーヴァー

どうしてこんなタイトルのDVDを借りてしまったのだろうと不思議だった。予想に反して面白いケースが多いことは常だったが、どうもこの映画にはまいった。ちっとも面白くない。でもきっと、プロの評論家はこういう映画を評価するんだよな、と思ったらその通りだった。以下Wikipediaより引用する。

本作は批評家から絶大な賛辞を集めた。映画のレビューを集積するウェブサイトRotten Tomatoesによると、141個のレビューのうち97%が本作に好意的な評価を下し、段階評価の平均は8/10であった。また同サイトは批評家の総意を「大胆な進行、スマートな脚本、そして一流のキャストを備えた『アニマル・キングダム』は、オーストラリア映画界が提供できる最高を示している」としている。

内容は、17歳のジョシュア・コディは母をヘロインの過剰摂取で亡くし、家族の厄介者と思われていた祖母“スマーフ”の家に身を寄せるが、彼女と4人の息子たちはメルボルンを支配する犯罪組織だった。日本映画のヤクザ家族が悪行の限りを尽くしながら、自分たちの身だけ守る、といった雰囲気。だから好きにはなれない内容を持つ映画。映画の出来の問題ではない。

『火天の城』

2009年(平成21年)・日本 監督/田中光敏

出演/西田敏行/福田沙紀/椎名桔平/大竹しのぶ/夏八木勲/石橋蓮司/内田朝陽/西岡徳馬/渡辺いっけい

織田信長が安土城を作るという話なので、城好きの私としては楽しみだった。だが、まったくの期待外れ、面白くない。映画が始まってすぐに早回しとなったくらい、出来の悪い映画に呆れ果てた。原作は山本兼一の小説、第11回(2004年)松本清張賞受賞作品だという。

NHKの大河ドラマのような画面や役者の台詞回し、映画のダイナミックな映像が見られない。監督が下手なのかカメラが下手なのか、素人にも分かる下手くそな映画作りが気持ち悪い。2倍速、5倍速と速度が速まってしまった。いつか同じようなことを言った覚えがある。この映画の画面はいつも真ん中に中心物がある。テレビ画面から脱却できないような技量に見える。

最近テレビドラマでなかなかいい信長役を見つけた。及川光博、テレビ界にデビューしたときはゲテモノの範疇に入るようなタレントだったが、何と織田信長役では出色の出来ではないかと感じた。『信長のシェフ』という漫画を原作にした深夜帯のテレビドラマが面白かった。不思議な感覚だ、檀れいと結婚して、急に役者魂が成長したように見える。それほど彼の役者ぶりを見ていないが、このテレビドラマの信長は間違いなくいい。

『アイリス』(Iris)

2001年・イギリス/アメリカ 監督/リチャード・エアー

出演/ジュディ・デンチ/ジム・ブロードベント/ケイト・ウィンスレット/ヒュー・ボネヴィル

実在したイギリスの女性作家アイリス・マードックを主人公に、アイリスの夫ジョン・ベイリーが書いた回想録を元にしている。結婚前は男にも自由奔放に闊達な生活をしていた主人公、映画の大半は呆けて行く過程と、痴呆症となって夫からも愛想を尽かされそうになる二人の生活を暖かく見つめている。

痴呆になるということは、過去のことを忘れることぐらいしかイメージしていなかったが、この映画で描かれる現実はさらにさらに厳しいものだった。言葉を一番大切にしている作家という仕事をしていた人間が、文字の意味ばかりではなく「読み方」さえも出来なくなって行く姿は痛々しい。まだぎりぎりの時に、自分のことさえ分からなくなってしまうのかしらと、将来の不安を語るシーンがもの悲しい。

若い頃をフラッシュバック的に多用し、現実の姿と対比させている。若い頃を演じるあの「タイタニック」のケイト・ウィンスレット、惜しげもなく相変わらずふくよかな裸体を披露している。水浴びからあがる場面で、ちょっと横向きのアンダー・ヘアーが一瞬映る。ほんの一瞬で横向きなのに、わざわざそれさえもボカす所業は、劣等文化国日本の典型見本のようなもの。演じた女優にも製作者にも失礼な行為は、著作権法違反で訴えたいくらいだ。

『男はつらいよ』

1969年(昭和44年)・日本 監督/山田洋次

出演/渥美清/倍賞千恵子/光本幸子/笠智衆/志村喬/森川信/前田吟/津坂匡章/佐藤蛾次郎

2年間にわたり放映された「山田洋次が選ぶ日本の名画100本」(家族篇50本・喜劇編50本)の最後の作品に山田洋次監督自身の作品で、27年に及ぶ映画シリーズの記念すべき第一作が選ばれた。倍賞千恵子は当然美しいが、前田吟の顔はぱんぱんに張っていて、若いな~という言葉が思わず出てしまった。

映画が終わってから、山田洋次監督と小野文恵アナウンサー、山本晋也監督の対談があった。英国映画協会発行の「サイト・アンド・サウンド」誌が2012年8月2日までに発表した、世界の映画監督358人が投票で決める最も優れた映画に、小津安二郎監督の「東京物語」(1953年・昭和28年)が選ばれた。批評家ら846人による投票でも同作品は3位だった。という現実を基に、この東京物語に肩を並べる作品が現れていないことを嘆いていた。私の日本映画に対する感想は、さほど間違ってはいなかったようだ。昔からの映画にも現代に通じるテーマがたくさんあるのに、どの監督も取り上げようとしないし、ましてや真似をしようとは思わない。そういう心意気のなさが、日本映画の永久衰退現象を招いているのだと。

「一部配慮すべき言葉はありますが、オリジナリティーを尊重してそのまま放送します。」と、但し書きを書かなければいけない世の中がいけない。何事にもコンサバで、新しいことはとりあえず価値観がない物だと受け容れない、老人大国になりつつある社会規範構造が恨めしい。寅さんの口上をノーカットで言える芸人も、放送局もないであろう。

『ノックは無用』(Don't Bother to Knock)

1952年・アメリカ 監督/ロイ・ウォード・ベイカー

出演/リチャード・ウィドマーク/マリリン・モンロー/アン・バンクロフト/エライシャ・クック・ジュニア

1946年、20世紀フォックスのスクリーン・テストに合格し「マリリン・モンロー」という芸名で契約を結ぶ。1947年に20世紀フォックスの『嵐の園』という映画に端役で初出演するが、あまりぱっとせずに契約を切られるが、彼女は女優への夢を諦めきれずコロムビア映画に移籍、『コーラスのレディたち』で準主役となる。コロムビア映画とはその映画一本のみで終わってしまったために、その後は再びヌードモデルなどをしながら演技の勉強をし、エージェント(交渉代理業者)を探し続けた。生活が苦しく家賃や車の月賦が払えなかったためにカレンダーのヌードモデルになった(写真家トム・ケリー撮影の「ゴールデン・ドリーム」と呼ばれる作品で有名)。しかしこのことが後にスキャンダルを巻き起こすことになる。

1951年にエージェントのジョニー・ハイドの尽力で『アスファルト・ジャングル』、『イヴの総て』に出演、注目される。以後、数本の映画に脇役で出、1952年の『ノックは無用』で準主役。1953年『ナイアガラ』では不倫相手と夫の殺害を計画する悪女を主演し、腰を振って歩く仕草(モンロー・ウォーク)で世の男性の注目を集める。続く『紳士は金髪がお好き』、『百万長者と結婚する方法』や『七年目の浮気』が大ヒットして一躍トップスターとなった。

この映画の頃はまだあどけない表情が残っていた。演技も浅く、心に病を持つ人を演じ切れていない。面白くない映画になってしまっている。以降の映画でのお馬鹿さんぶりは、誰からも愛される女優像だが、まだまだそんな余裕もない頃では仕方のないこと。初々しさが貴重な映像として残っている、と世界中のファンは喜ぶだろう。それだけでも充分な大女優の駆け出しの頃、と思っておこう。

『DOG × POLICE 純白の絆』

2011年(平成23年)・日本 監督/七高剛

出演/市原隼人/戸田恵梨香/時任三郎/村上淳/カンニング竹山/阿部進之介/本田博太郎/相島一之/きたろう/伊武雅刀

警備犬(けいびけん)にスポットをあてている。日本の警察において警備・捜索活動や災害現場で被災者の救助などを行えるように訓練された犬である。犯人の追跡等を行う警察犬とは別に設置されており、爆発物の捜索やテロリストの制圧、災害救助などの警備任務を目的として運用されている。警察犬は全国の都道府県警察に設置されているが、警備犬とハンドラーで編成された警備犬部隊は、警視庁と千葉県警察のみに配備されている。警備犬部隊は警視庁では、警備部警備第二課警備装備第三係に所属している。また千葉県警察では、警備部成田国際空港警備隊警備室警備第二課に所属している。

題名を見ただけで子供騙し、リアリティーのない映画と想像がつくが、市原隼人が主演していたので、最後まで静かな鑑賞となった。若手の俳優の中でも彼は特筆されると思っている。ストイックでおちゃらけていないところが、断然違う。お金のために、または好きだからだけで役者をやられては、たまったものではない。そのあたりが断然違うと感じるのだ。20年後の彼の役者魂を見てみたい。

それにしても日本のテレビや映画では、リアリティーの感じられない警察ものドラマが氾濫している。現実にはほとんどないから良いのだろうか。アメリカみたいに日常茶飯事的に銃による殺人があったとしたら、こんなにまでテレビの中で殺人シーンを流せるだろうか。平和だからこそ出来る所業なのかもしれない。もっとも最近では予測不可能な殺人事件がニュースになって、日本国民を震撼させ始めているが。

『フィッシュストーリー』

2009年(平成21年))・日本 監督/中村義洋

出演/伊藤淳史/高良健吾/多部未華子/濱田岳/大森南朋/渋川清彦/眞島秀和/森山未來/石丸謙二郎

最後まで我慢して観られれば、「シュールだね~!」と言って褒め言葉を訳も分からず遣うことが出来る。問題は最後まで見続けることが出来るかどうかだ。饒舌な日本映画も、この映画に限り最後っ屁がないと何が何だか全く分からない映画になってしまう。最後の5分を観れば、それまでのストーリーが全て繋がり、しかもその後はすっきりと終わってくれるので、シュールだな~ということになるのだ。

大昔、あの『2001年宇宙の旅』(2001: A Space Odyssey・1968年)を作ったスタンリー・キューブリック監督の『時計じかけのオレンジ』(A Clockwork Orange・1971年)を観たときの感覚を思い出した。珍しいことだ。そこまで素晴らしいと言うことは出来ないが、自分にとっては結構好きな映画だ。もう少し途中をつまんだりして工夫したら、完成度が上がったことだろう。

「Fish Story」とは「ほら話」のことと、知らない私は馬鹿だった。映画の中で歌われるロックがなかなかいい。出演者によってCDアルバム「FISH STORY」をリリースし、実際にデビューを果たした。楽曲のプロデュースは斉藤和義が担当した、というおまけが付いていた。「私の孤独は魚になった。」という映画の中での誤訳がいかしていて、これが歌詞に使われている。

『ニライカナイからの手紙』

2005年(平成17年)・日本 監督/熊澤尚人

出演/蒼井優/平良進/南果歩/金井勇太/かわい瞳/比嘉愛未/中村愛美/斎藤歩/前田吟

沖縄本島から、はるか南の八重山諸島。そのうちの一つである竹富島で、父の死後、郵便局長であるオジイと2人で暮らしていた風希。毎年誕生日に、東京で暮らす母から届く手紙は、風希を励まし、勇気づけ、彼女にとって何よりの宝物であった。いつしか亡き父のカメラを手に写真の練習を始める風希。14歳の誕生日に20歳になったら全てを話すという内容の手紙が届き、その約束を信じる風希は高校を卒業して上京する。そして20歳の誕生日がやって来る。ニライカナイは、沖縄県や鹿児島県奄美群島の各地に伝わる他界概念のひとつ。理想郷の伝承。(Wikipediaより)

沖縄とはどうも縁がない。ヘラルドを辞めた年、あと3ヶ月いれば社員旅行で沖縄だった。そしてあと1年いれば20年勤続で香港旅行と結構な金一封が出るはずだったが、どうにも我慢できずに辞めてしまった。沖縄料理店で食べる食事が、どうも合わなかった。一度か二度で、もう沖縄料理には勝手に失望してしまった。

監督のオリジナル脚本はなかなか面白い。が、映画としてはあまりにも時間を使い過ぎて、ユッタリズムの局地といった進行にイライラする。そこが良いのだよ、という批評家の声が聞こえてきそうだが、映画館で見せる商業映画としては落第点だろう。ミステリアスな物語が解決する感動シーンが、悪くはないがやはり饒舌過ぎる。流れ落ちようとした涙が、また戻ってしまう感覚。45分くらいの映像にしてしまった方が、もの凄い感動で映画を見終われると。

『お日柄もよくご愁傷さま』

1996年(平成8年)・日本 監督/和泉聖治

出演/橋爪功/吉行和子/布施博/伊藤かずえ/新山千春/根岸季衣/野村祐人/古尾谷雅人/松村達雄/西岡徳馬

仲人を頼まれて家を出ようとしていた最中、昨日までは元気にしていた父親が、布団の中で亡くなっていた。題名が表す非日常の出来事が同時に起こってしまった。この設定だけでこの映画の面白さは成り立っている。だが、設定の面白さに頼りすぎて、実際のストーリー展開、映像は期待をだいぶ裏切っている。

もともと面白い物語なのに、余計なエピソードや愚にも付かないセリフの羅列。脚本が良くない、とはっきり言える。もっともっと面白い映画が作れるはず、と見ながらずーっと思わされる。監督の力というものでもない。間違いなく脚本が優れていれば、傑作も可能だったろう。

両親が仲人で出かける直前にお爺ちゃんの死んでいるのが分かった時、その娘達は「こんな時に結婚式に行くの!?」と両親を責め立てる。その後も同じような対応だったが、実際ではこんな対応はあり得ないだろう。頼まれた仲人を「父親が今朝死んだから行けない。」と、仲人を断るだろうか。映画の中でも結果的には仲人役を務めて帰宅するのだが、当たり前のはなし。どうにもこのあたりから、物語展開の下手さが気になった。最終シーンなどは悪くないのだが、途中和田アキ子の不必要な登場などもあり、どうにも企画倒れ感が強いのが残念。垂れ流し鑑賞には充分面白い。

『マディソン郡の橋』(The Bridges of Madison County)

1995年・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/メリル・ストリープ/クリント・イーストウッド/アニー・コーリー/ヴィクター・スレザック/ジム・ヘイニー

リアルタイムで観たときに、くそ面白くない映画だと思ったことがあり、今回の録画すら敬遠しようかと一瞬戸惑った。ちょっと考え直したのは、少し時間が経っていれば、そう自分という観客が人生の時を経験していれば、映画の見方にも変化が生じているかもしれないと言うことだった。

世界的ベストセラーでありロングセラーの小説、そして映画も大ヒットした。面白くないと思った人種はマイナーだったのだろうか。単なる不倫の話だという印象しか残っていなかったが、もう少し味がある内容だった。亡くなった母の遺言に「火葬」をして橋の上から遺灰をまいてくれという言葉があった。物語はそうやって始まるが、この冒頭のシーンすら全く記憶になかった。火葬が一般的ではないアメリカならではのシーン。駆けつけた娘と息子に宛てた手紙がストーリーを作って行く。イタリアからアメリカのアイオワ州の片田舎に嫁いできて、自分の人生を見つめ直すきっかけを作ってくれた、マディソン郡の橋を撮りに来たカメラマンとの出逢いが語られている。

女心の微妙な揺れを少しばかり理解できた。前回のようにまったく面白くないとは思わなかった。セリフが良く聞こえてきた。こちらも伊達に歳をとってはいなかった。主人公二人のセリフにも、書き留めておきたい良いセリフがたくさんあったが、残念ながらもう忘れてしまっている。若い頃には全然感じもしなかった女心のこと、もう一度若い自分が再現できたら、もう少しはましな愛情表現が出来るかもしれない。

『愛する人』(Mother and Child)

2009年・アメリカ/スペイン 監督/ロドリゴ・ガルシア

出演/アネット・ベニング/ナオミ・ワッツ/ケリー・ワシントン/サミュエル・L・ジャクソン/デイヴィッド・モース/アイリーン・ライアン

久しぶりに映画らしい面白い作品に出会った。だが、話は哀しい。1982年にノーベル文学賞受賞したガブリエル・ホセ・ガルシア=マルケスはコロンビアの作家・小説家。本を読まない自分には聞いたことがあるような程度の知識しかない。この映画の監督は彼の息子だという。女性の心情を描いた数々の名作で知られる監督だという。『パッセンジャーズ』(Passengers・2008年)を観たことがあるが、これも面白かったと記憶している。

14歳の時出産した子供はすぐに養子に出され、いつの間にか37年を経て、まだ見たこともない娘を想う毎日だった。養子に出す決断をした母を憎みながらも、目の前にいるその母の老後をみている。一方、弁護士になって極めて自立して生きてきたその娘は、実母の存在すら興味がないように振る舞っている。ここまでだって、見せ場はたくさんあるが、ストーリーには哀しさが漂う。。さらに出来事はふたつもみっつも重なり合って、希望を見せたかと思えばまた哀しさが・・・。

アメリカの養子縁組制度のひとつを見た。日本でのこの制度のことは知らないけれど、さすがにアメリカは進んでいるな~、という印象。実母に会いたくなったときの救済も、きちんと用意されている。双方が望めばという前提だが、なるほどと納得させられる。こういうところは断然アメリカの良いところ。良いところはどんどん見習って、日本のコンサバ制度を改革して欲しいものだ。

『デーヴ』(Dave)

1993年・アメリカ 監督/アイヴァン・ライトマン

出演/ケヴィン・クライン/シガーニー・ウィーヴァー/フランク・ランジェラ/ケヴィン・ダン/ベン・キングズレー

軽快なアメリカ映画の見本みたいな映画。アメリカ大統領のそっくりさんが、ホワイトハウスに招かれ1回だけの替え玉を演じた。丁度その時本物の大統領が倒れ、替え玉が本物の役を演じる羽目になった。話が面白い。20年前の映画なので、ヘラルドを辞めて3年くらい後の公開作品。まだまだ映画界にいた時代だった。この映画をたぶんリアル・タイムでも観たような気がする。

議会のシーンや閣僚の会議シーンなど、おそらくほとんど本物の映像作りが、安っぽいコメディーではない映画にしている。大統領夫人との関係なども、もしかすると、特定の大統領夫婦を真似している感じもする。面白い。さりげない政治風刺も折り込み、ぴりりと辛いテイストがアメリカ映画らしい。

こういう映画は日本では絶対作れないだろう。何がって?真面目にコメディーを作ることに長けていないのだ。ちょっとコメディーを、という味が入ると、途端におちゃらけて言葉や動作で笑わそうとする。そこらあたりがアメリカ映画との差と言えるだろう。大統領夫人にシガーニー・ウィーヴァーという配役も驚いてしまう。

『夕陽に赤い俺の顔』

1961年(昭和36年)・日本 監督/篠田正浩

出演/川津祐介/岩下志麻/炎加世子/内田良平/渡辺文雄/小坂一也/三井弘次/平尾昌晃/西村晃

前年監督デビューしたのにもう5本目の作品。まだまだ映画全盛の時代だったのだろう、こんなくだらない物語を作っても映画館は満杯だったのだろうか。脚本は寺山修司、天才のひとりだが、舞台脚本が映画になったような、現実感のないただ演技を競っているような映像になっている。まさしく荒唐無稽な映画を作って遊んでいられる時代だったのだろう。

昭和の色濃い時代のはずなのに、時代背景がまったく感じられない。そういう脚本で、そういう映画にしたかったのだろうけれど、50年経ってから観る映画としては古さも新しさもなく、ただ稚拙な映画製作作品だとしか思えない。

岩下志麻はちょうど20才、今とほとんど変わらない雰囲気と存在感は大したものだ。50年前に彼女を観た人が受けた未来感が、そのまま生きている感じがする。 栴檀は双葉より芳し(せんだんは ふたばより かんばし)という諺を想い出す。

『舞台よりすてきな生活』(How to Kill Your Neighbor's Dog)

2000年・アメリカ/ドイツ 監督/マイケル・カレスニコ

出演/ケネス・ブラナー/ロビン・ライト・ペン/スージー・ホフリヒター/リン・レッドグレイヴ

ロバート・レッドフォード製作総指揮。子供嫌いの劇作家と、向かいに引っ越してきた少女の交流を中心にしたコメディ。原題は隣に越してきた家に飼われている犬が夜中に五月蠅く吠えるため、殺してやりたいと願う気持が込めれれている。邦題は、主人公が劇作家であるため自分の作品の舞台稽古に付き合って、神経質な毎日を送っているところからヒントを得たのだろう。

会話が多く、セリフが多いため、しかも作家の言葉をことさら強調してセリフにしているので、最初のうちはちょっと話しについて行けなかった。こちらが歳をとってしまったのだろうか。それとも、こういう映画にありがちの、この映画を見るなら最低少しくらい情報を得てから観ろよ!とでも言いたいのだろうか。主人公が隣の子供とままごと遊びをするシーンがあって、「紅茶はアールグレーよ!」と子供が言っていたのが、何か嬉しかった。

子供がなく、痴呆症で片足義足の妻の母親同居の主人公夫婦と、隣に越してきた母親と娘一人の家族。子供嫌いから起こる小事件が、言い難い大人同士の関係を露骨にする。終始理解できない隣人同士が、結局は引越という別れの中で、何か後ろめたい人生観をお互いに見せ合っていた。

『リンダ リンダ リンダ』

2005年(平成17年)・日本 監督/山下敦弘

出演/ペ・ドゥナ/前田亜季/香椎由宇/関根史織/三村恭代/湯川潮音/山崎優子/甲本雅裕/山本浩司/山本剛史/ピエール瀧

どうにもならない面白くなさに書くこともないので、以下Wikipediaからの引用だけで勘弁して欲しい。

映画プロデューサーの根岸洋之によるストーリー企画が、第1回日本映画エンジェル大賞(角川出版映像事業振興基金信託)を受賞し(ちなみに、受賞当時の企画名は『ブルハザウルス17』)、映画製作がスタートした。当初の企画では、留年した中島田花子が主役であった。ギャルバンがライブハウスで演奏合戦、という設定もあった。企画が行き詰まったときに、山下監督が『ほえる犬は噛まない』のペ・ドゥナをふと思い出し、映画祭で会ったことのあるポン・ジュノのコネによって出演が決まったという。ペ・ドゥナは、同監督の『リアリズムの宿』のファンであった。なお、企画の初期段階では木村カエラ主演案もあり、彼女の名も、協力者としてクレジットされている。撮影は2004年9月9日に開始され、ほぼ全てが群馬県高崎市と前橋市で行われた。また、舞台となる高校の撮影場所は、現在では旧校舎となった前橋工業高校(群馬県前橋市岩神町2-23-22)である。ほか、県内の音楽センターなども使用された。フィルム・コミッションの利点が最大限に発揮された作品のひとつであるといえる。劇中に登場する、主人公たちのバンド「パーランマウム」(PARANMAUM、?? ??、韓国語で青い心=BLUE HEARTS)は、ユニバーサルミュージックよりCDもリリースされた。映画雑誌の『映画芸術』で2005年の邦画ベストランキングで1位を獲得している。同じく映画雑誌の『キネマ旬報』による第79回キネマ旬報ベスト・テンでは日本映画ベスト・テンで6位、読者選出日本映画ベスト・テンで3位に選出された。また、この作品の演技で香椎由宇が第29回山路ふみ子映画賞新人女優賞を受賞した。

一体この映画の何処が賞に値するのか、自分の価値観との大きな違いに戸惑う。

『サハラ 死の砂漠を脱出せよ』(Sahara)

2005年・アメリカ 監督/ブレック・アイズナー

出演/マシュー・マコノヒー/ペネロペ・クルス/スティーヴ・ザーン/レイン・ウィルソン/ウィリアム・H・メイシー

クライブ・カッスラーの小説『ダーク・ピット』シリーズの『死のサハラを脱出せよ!』(原題は映画と同じく、Sahara)を原作としている。しかし、カッスラーは「製作側が自分の了承なしに大幅に脚本に手を加えた」とし、制作会社を提訴する動きを見せている。この映画の撮影がきっかけで知り合った、マシュー・マコノヒーとペネロペ・クルスは一時期交際していた。 ~ この程度がこの映画の評価として相応しい。

あまりにもはちゃめちゃで、奇想天外といった風情は、4流映画の典型のように見える。お金の掛かり方を見れば一流映画なのだろうが、ただひたすらに勝手なアクションを繰り返していた。アメリカならポップコーンをたくさん買い込み、コーラの大瓶を飲みながら見たい映画だろう。こっちだって、煎餅をかじりながらお茶を用意してから見始まったくらいだから。

ペネロペ・クルスはお色気要員だったろうけれど、一応WHO(世界保健機構)の職員役だったので、劇中でのお色気は期待ほどではなかったことが、予想外れ。事件が一段落して海岸で水着姿を晒すだけなんて、ちょっと演出不足じゃないの、と文句を言いたくなるほどの平凡さ。途中寝てしまうのも仕方のないこと。

『プチ・ニコラ』(LE PETIT NICOLAS)

2009年・フランス 監督/ローラン・ティラール

出演/マキシム・ゴダール/ヴァレリー・ルメルシェ/カド・メラッド/サンドリーヌ・キベルラン

こんな解説があった。 ~ 日本の『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』的な、フランスの国民的人気絵本を実写で映画化した心温まるキッズ・ムービー。本国フランスでは大ヒットを記録した作品だ。舞台は平和でのんびりした60年代、主人公は天真爛漫でわんぱくな小学生の男の子ニコラ。ちょっとした誤解から、想像力豊かなニコラが仲間たちと引き起こす大騒動を描く。

どうも「笑い」というテーマに弱い、しかもフランスでは、そのエスプリとか言う奴の神髄が分からない。基本的にはドタバタ、日本のバラエティー番組でもやらないだろいうという在り来たりのお笑いの連続。これがフランス風なのかと、自分の合わなさを再認識した。

パリにも何度か行っているが、どうにも好きになれない街。ロンドンをこよなく愛しているのと、この段違いの差は何処あるのだろうか。フランス語でも喋れたら、また違った付き合いが出来るのだろう。人間にはコミュニケーションが重要で、そのコミュニケーションをはかるためには、言葉を話せるのが一番の近道で必要なこと。今度生まれ変わったら、せめて英語ぐらいは普通に喋ってみたい。

『チャイコフスキー』(TCHAIKOVSKY)

1970年・ソ連 監督/イーゴリ・タランキン

出演/インノケンティ・スモクトゥノフスキー/リリア・ユージナ/マイヤ・プリセツカヤ/ウラジスラフ・ストルジェリチク

なんとヘラルド配給だった。くそ面白くないと罵しるのはやめようかと思ったけれど、やはり面白くないものは面白くないと正直に書かなければならない。2時間37分というその当時なら、大作中の大作という雰囲気。最近当たっている『レ・ミゼラブル』(Les Mise'rables・2012年)はまったく飽きが来ないという評判だが。

チャイコフスキーの生涯のうち、ピアノ協奏曲第1番を作曲した1875年ころから、交響曲第6番『悲愴』の初演(1893年)までを、親友ニコライ・ルビンシテインとの関係や、長年にわたって経済的にチャイコフスキーを支援していたフォン・メック夫人との文通のみでの交流を中心に描いている。プロローグとエピローグに少年時代のエピソードが挿入されている。

親友であり姓は日本ではドイツ風に“ルービンシュタイン”と表記されることも多いユダヤ系ピアニスト、作曲家、指揮者が、第一部ではかなり多く登場する。第二部となって彼が何の前触れもなく早々と死んでしまうシーンなどは、典型的なこの映画の出来の悪いところ。著名な作家ツルゲーネフとパリで語らう場面などは興味深いが、よくも早回しせずに最後まで見通せたと我ながら感心した。この時代を含めて、心底いい映画をヘラルドが入手するのは困難なことだった。そのあたりを良く知っている自分にとっては、納得のヘラルド作品だと。

『ALWAYS 三丁目の夕日'64』

2012年(平成24年)・日本 監督/山崎貴

出演/吉岡秀隆/堤真一/薬師丸ひろ子/小雪/堀北真希/三浦友和/森山未來/大森南朋/高畑淳子

第一作が酷く面白くなかったので、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年)を見損なったというか、たぶん録画の機会はあったのだろうが意識的にパスしたようだ。世の中では評判がいいので、へそ曲がりの私の方がいけないのだろうと思う。でも面白くないものは面白くないんだよな。「ならぬものはならぬ」という会津の精神に似てる?

昭和39年東京オリンピックが舞台背景。高校一年生だった自分の生活、さすがにこの頃のことは何となく記憶にある事が少しある。その後大学のクラブ活動の合宿で、代々木のオリンピック選手村に宿泊したことは記憶に確か。あの施設は今は何になっているのだろうか。

この映画は3Dだという。妙に鮮やかな色彩が画面から窺われ、なるほどと納得した。どうもこういう映像の革新は映画の内容にまで多少影響している。小道具は昭和39年だが、やけにみんな美しく、実際にその場にいた者にとっては、そんなに綺麗な駄菓子屋なんてなかったよと、文句を言いたいところ。懐かしさは、どんなことでも美しくなり、生きる希望を与えているのかもしれない。

『扉をたたく人』(The Visitor)

2008年・アメリカ 監督/トム・マッカーシー

出演/リチャード・ジェンキンス/ヒアム・アッバス/ハーズ・スレイマン/ダナイ・グリラ

9.11以降アメリカ合衆国に住む外国人は、敵か味方かに分類されるらしい。主人公はシリア出身、9.11以前にアメリカに渡ってきたが、事件以降の不法滞在者には不安な毎日が訪れていた。結構シリアスな題材、ここにも9.11という事件の影が映されている。

舞台はほとんどがニューヨーク、人種のるつぼと言われるけれど、アメリカが問うのは人種ではなくアメリカの市民権を持っているかだ。9.11以降のアラブ社会に対する一種の偏見は、あっても仕方がないような大事件だったような気がする。

ブロードウェイでは「オペラ座の怪人」がロングランされている。シリア出身の女性も一度は観たかったと感激する。ニューヨークの一面。原題 Visitor はどういう意味合いで使われているのだろう。冒頭シーンは部屋をノックする人とドアを開ける人、こういうことかなぁ~と思ったが、アメリカという大きな扉を叩く人ではないかという思いが、だんだんと湧き上がってきた。結末は日本映画のように親切ではない。絶対饒舌にならないアメリカ映画、見終わってからも考えさせられる。


2016年10月26日に再び観たので記す。

『扉をたたく人』(The Visitor)

2008年・アメリカ 監督/トム・マッカーシー

出演/リチャード・ジェンキンス/ヒアム・アッバス/ハーズ・スレイマン/ダナイ・グリラ

コネチカット州で大学教授をしている62歳のウォルター(リチャード・ジェンキンス)は、妻を亡くし、心を閉ざしていた。ある時、学会のためにニューヨークに出張し、滞在のために別宅のアパートを訪れるが、そこには見知らぬ外国人のカップルがいた。ふたりはジャンベ奏者のシリア系男性タレク(ハーズ・スレイマン)と、アクセサリーを作って売るセネガル系女性のゼイナブ(ダナイ・グリラ)といい、詐欺にあってウォルターの家を貸されたのだった。やむを得ず共同生活を始めた彼らだったが、陽気なタレクはウォルターにジャンベの演奏法を教え、ストリートセッションに誘った。初めての体験に充実感を覚えるウォルター。しかし、タレクは地下鉄無賃乗車を疑われて逮捕され、不法滞在の身を暴かれてしまった。何とかして彼を釈放させようと奔走するウォルターの前に、タレクの母であるモーナ(ヒアム・アッバス)が現われる。(Wikipediaより)

アメリカを求めて世界中から移り住んでくる。合法なら問題ないが、不法滞在者は毎日びくびくしながら生きている。9.11以降のアメリカは、かなり移民に対する規制が厳しくなったらしい。あのトランプが声高に差別を喋れるくらい、とりあえずアメリカに住むということが難しくなったようだ。

日本はまだまだ遠い国だから、そう簡単に大量の移民が入って来ない現実が嬉しい。それでも、違法滞在者は結構いるのだろう。アメリカのような移民の国ではない基盤では、とりあえず住んでしまえば、もう永久に知らんぷりして居座ることが出来るだろう。こんな情報を見知らぬ外国人に流すことさえ憚れる。

『マルタの鷹』(The Maltese Falcon)

1941年・アメリカ 監督/ジョン・ヒューストン

出演/ハンフリー・ボガート/メアリー・アスター/グラディス・ジョージ/ピーター・ローレ/バートン・マクレーン/リー・パトリック

ダシール・ハメットの同名探偵小説をジョン・ヒューストンの脚本・監督で映画化した映画。同じ原作の3度目の映画化であり、その中で最も有名な作品である。また、ジョン・ヒューストンの監督デビュー作でもある。ハードボイルドの古典である原作を忠実に映像化し、いわゆるフィルム・ノワールの古典と目されている。単純な家出娘さがしと思われた依頼に端を発して、莫大な価値を持つ「マルタの鷹」像の争奪戦が展開する。

途中で寝てしまった。偉大な監督ジョン・ヒューストン作品で寝てしまうなんて、なんて不埒な奴なんだろう。まだまだ修行不足の身、映画を見る目が成熟していない。

この映画以前の作品は、1931年と1936年に作られている。この作品は、1940年代の名作のひとつに数えられ、ボガートの出世作としても知られる、という。このほかパロディ作品も数多いが、そのほとんどがハメットの原作のというより、1941年のヒューストン=ボガート版のパロディになっていることが多いらしい。

『カレンダー・ガールズ』(Calendar Girls)

2003年・イギリス/アメリカ 監督/ナイジェル・コール

出演/ヘレン・ミレン/ジュリー・ウォルターズ/ペネロープ・ウィルトン/アネット・クロスビー/シーリア・イムリー/リンダ・バセット

ヨークシャーに住む女性たちが、白血病の研究に対する寄付のため、自分達がモデルになってヌード・カレンダーを制作したという実際の出来事が元になっている。という話だけを聞けば、それなりに面白そうに見えるが、実際の映画はそれ以下の面白さで、映画としては底が浅い。

バスト90cm、ウェスト70cmの初老女性がヌードになって、話題だけでカレンダーが売れてしまう現実が、世界共通なのだろうか。女性アスリートが活動資金捻出のために同じようなことをやっているのは、この頃良く聞く話。神代の時代から女が服を脱げば、天岩戸も開いてしまうのだろう。

『フル・モンティ』(The Full Monty・1997年)という映画があった。舞台はイギリス、衰退してしまった鉄鋼の町で、失業中の金欠中年男達が男性ストリップ・ショーに出演する様子を描いた映画は面白かった。賞もそれなりに獲っていて、比べてしまうとこの映画は面白くないということになってしまう。

『クララ・シューマン 愛の協奏曲』(Geliebte Clara)

2008年・ドイツ/フランス/ハンガリー 監督/ヘルマ・サンダース=ブラームス

出演/マルティナ・ゲデック/パスカル・グレゴリー/マリック・ジディ/クララ・アイヒンガー/アリーネ・アネシー

あまたある音楽家映画の中ではやっぱりモーツァルトを描いた『アマデウス』(Amadeus・1984年)が一番かもしれない。『グレン・ミラー物語』(The Glenn Miller Story・1954年)や『ベニイ・グッドマン物語』(THE BENNY GOODMAN STORY・1955年)もは、忘れられない面白さと楽しさがある。

題名になっているクララ・シューマンは、作曲家ロベルト・シューマンの妻でピアニスト。音楽の時間に習ったシューマンという作曲家がどんな音楽を作って有名なのかを知らない。映画の中ではベートーベンの後継者という言葉も出て来ていた。夫婦の物語であるが、その家にヨハネス・ブラームスが可愛がられて入り込んでくる、実話だ。さすがにクララとブラームスの不倫関係とかいった下世話なはなしになっていないところだけは良かった。この映画の主人公が活躍する前後の時代では、バッハ→ハイドン→モーツァルト→ベートーヴェン→シューベルト→ベルリオーズ→メンデルスゾーン→ショパン→[シューマン]→リスト→ワーグナー→ブルックナー→ブラームス→マーラーと著名な音楽家が目白押し。

映画としては例に挙げた音楽家映画に比べたら、まったく足下にも及ばない平凡なもの。才能がある人は、他の何かを犠牲にしている、といったたぐいのセリフがあったが、確かに、でも何か犠牲になってもいいから、他に類を見ないような才能が欲しいものだ。

『雨あがる』

2000年(平成12年)・日本 監督/小泉堯史

出演/寺尾聰/宮崎美子/三船史郎/檀ふみ/井川比佐志/吉岡秀隆/加藤隆之/原田美枝子/松村達雄/仲代達矢

山本周五郎の短編小説。黒澤明は脚本執筆中に骨折して療養生活に入り、完成させることなく亡くなった。助監督として脚本執筆の手伝いをしていた小泉堯史が黒澤から聞いた構想や残されたノートを参考に補作して完成させた脚本。小泉堯史は黒澤明に師事し、28年間にわたって助手を務める。黒澤の死後、この遺作シナリオを映画化し、監督デビューした。

良いところも悪いところも含めて黒沢明監督の「色」を強く感じる。それはそれでいいのだろう。一度観ているという思いも強く、前半のだらだらとした雰囲気に「あれ!こんなもんだっけ!」と、ちょっと期待外れの感を抱いた。断片的に覚えている物語だったが、肝心なシーンを覚えていなかった。相変わらずダメな自分を叱りたい。

剣は立つが浪人中の侍を支える妻の姿が凛々しい。今度もまた女性の芯の強さを教えられる。概してダメな男には立派な女性が伴侶となっている。これこそがお似合いの夫婦。同じような性格や同じような特技を持っている人がくっついたって、そんなものは意味がない。お互いに補い合うことこそが、本当の伴侶と言える。

『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(Extremely Loud & Incredibly Close)

2011年・アメリカ 監督/スティーブン・ダルドリー

出演/トム・ハンクス/サンドラ・ブロック/トーマス・ホーン/マックス・フォン・シドー/ヴィオラ・デイヴィス/ジョン・グッドマン

もの凄く奇妙な題名、邦題もほとんど原題を訳したような雰囲気。原作は、ベストセラー小説。9.11事件が映画のテーマ、10周年のクリスマスにアメリカ合衆国だけでロードショーされた。想い出すまでもなく、深い傷がアメリカ人の心の奥深くに潜んでいることが察せられる。

内容はこうだ。9・11テロで最愛の父を亡くした少年オスカーは、クローゼットで1本の鍵を見つけ、父親が残したメッセージを探すためニューヨークの街へ飛び出していく。第2次世界大戦で運命の変わった祖父母、9・11で命を落とした父、そしてオスカーへと歴史の悲劇に見舞われた3世代の物語がつむがれ、最愛の者を失った人々の再生と希望を描き出していく。

映画は最後の20分で全てが腑に落ちる。何の理由もなく手に取ったこのDVD、題名ほどには変な映画ではなかろうと思ったのは当たっていた。何も分からないままに観て行く映画に、ちょっと不安もあった。見終わってみればまずまずの満足感、各映画賞にノミネートされた回数は多いが、受賞に至ったのはごくわずかという結果に、この映画の「良さ」の限界を見る。

『白夜行』

2011年(平成23年)・日本 監督/深川栄洋

出演/堀北真希/高良健吾/船越英一郎/斎藤歩/戸田恵子/田中哲司/姜暢雄/篠田三郎

これまた東野圭吾の小説が原作のサスペンス作品。なんと2009年には韓国版が作られている。映画的に人気のある作家なのが分かる。映画以上にテレビドラマで彼の名前を頻繁に見る。一度でいいから活字で物語に触れてみたい作家だが、もう本を読むということは到底出来ない環境になってしまった。

上映時間2時間29分だと知ったが、テレビ放映番組時間は2時間54分、30分近くもコマーシャルが入っている。NHKでの録画鑑賞と、あまりにも違いすぎて反吐が出るほどだ。実際民放の映画放映にはCMがだらだらと、ところ構わず入ってくるので、ちょっと辟易している。もっともCM部分は飛ばし飛ばしで早送りするので、その手間だけが面倒なのだが。

物語は面白いが映画的な面白さにはちょっと問題が多い。映画の持つダイナミズムと言うやつに欠けている。最後に映像的に全部バラスからいいやといった感じで、途中経過があまりにも杜撰。知らせないことがミステリーだと勘違いしている。こんな作り方では、映画館を出るときに不満足な顔をした人ばかりになっていたことだろう。

『我等の生涯の最良の年』(The Best Years of Our Lives)

1946年・アメリカ 監督/ウィリアム・ワイラー

出演/フレデリック・マーチ/マーナ・ロイ/テレサ・ライト/ダナ・アンドリュース/ヴァージニア・メイヨ/ハロルド・ラッセル

この監督の大傑作『ローマの休日』(Roman Holiday)は、7年後の1953年の作品。第二次世界大戦直後の昭和21年にアメリカではその戦争から戻ってきた復員兵を題材に、こんな素晴らしい映画を作っている。「愛とは全てを受け容れること。」という金言もまた観ることが出来て、仕合わせな気分にひたれた。みなさんがこの映画を観ることもないだろうから Wikipedia から以下を引用する。

第二次世界大戦が終わり、出征した3人の男が同じブーンの町に帰ってきた。中年の銀行員アルを出迎えたのは、妻ミリーと、すっかり成長した娘ペギー、息子ロブだった。かつてソーダ水の売り子をしていたフレッドを待っていたのは、息子の安否を常に気遣っていた父と母。だが、出征する20日前に結婚した妻マリーの姿はなかった。夫の帰還を待ちきれずに家を出た彼女は、ナイト・クラブで働いているらしい。若い水兵ホーマーは戦火の中で両肘から先を失っていた。鉄カギ付きの義手という痛ましい姿に、彼の両親と恋人ウィルマは激しいショックを受ける。3人は社会や家庭で復帰するが、その姿は三者三様であった。やがてフレッドはアルの娘と、ホーマーは恋人と結ばれるのだった。

観ている途中はこの結末は一体どうなるのだろう、ということばかり。久しぶりに結末が気になった。待てよ、考えてみれば題名にヒントがありそうだな、と思ったけれど、具体的な結末イメージまでには至らなかった。映画の中で復員兵の一人が家族に持ってきたお土産の中に日本刀と寄せ書きのある破れた日本の旗があった。子供が言う「日本人は絆が強いから、みんなで寄せ書きをするんだ。」と。この時代にも日本の本当の良さがアメリカ人に知られていたなんて感動。そして学校では原爆の事も学んだと。しかも原爆を良くないことだと言っていることに、原爆を落とした当事国の教育が教えるとは、何と幅の広い文化なのだろうと何度も驚く。チャップリンもこの監督も反戦争を叫び、当時のアメリカでは要注意人物になっていたことが信じられないような歴史として残っている。

『北の螢』

1984年(昭和59年)・日本 監督/五社英雄

出演/仲代達矢/岩下志麻/夏木マリ/早乙女愛/佐藤浩市/丹波哲郎/露口茂

つまらん。大作風駄作。五社英雄監督もどうしちゃったんだろう、この前この監督のことを誉めたばかりだったのに。監督の力が及ばないくらい詰まらない物語、脚本なのだろう。役者を責める訳にはいかない。岩下志麻は光っていた。雪という大道具、小道具に溺れすぎてしまった結果の映像に見える。出だしは良かったんだけどなぁ~。

時は1883年・明治16年、処は北海道石狩川上流、北海道開拓のために明治政府が企てた計画は、日本全国から囚人を集めて開拓作業に従事させること。まだまだ薩長の「官」が大手を振って権力をむさぼっている。ドラマ設定は映画らしくて壮大だが、それ以上のものはなにもなく、あまりにも意味のない映像の連続で辟易する。

おまけに映画の真ん中当たりで森進一の主題歌が大きく流れ、いくらなんでも酷い演出だと嘆いた。この話は本当なのだろうか、と知りたかったが、冒頭のクレジットで実話ではない旨の但し書きがあったような気がしたので、それ以上は詮索する気も失せたので、そのままになっている。

『バレンタインデー』(Valentine's Day)

2010年・アメリカ 監督/ゲイリー・マーシャル

出演/ジェシカ・アルバ/キャシー・ベイツ/ジェシカ・ビール/ブラッドリー・クーパー/エリック・デイン/パトリック・デンプシー

ロサンゼルスに住む10組の別々のカップルのバレンタインデーを描く群像劇。私の愛してやまない『ラブ・アクチュアリー』(Love Actually・2003年)やちょっと映像や描き方が似ている『ニューイヤーズ・イブ』(New Year's Eve・2011年)のような群像劇だったので、比較しながらの鑑賞となってしまった。

チョコレート業界の隠謀で、この日には女性が男性にチョコレートを贈るものだと躾けられてしまった日本人には、この映画で見るバレンタインデーの欧米の在り方を学ぶこととなった。映画の中では小学校でバレンタインデーの起源まで教えていたことに、ちょっと驚いてしまった。

男と女の付き合い方世界では、まだまだ幼稚な日本という感じがする。アメリカ映画を多く観ていると、成熟した大人の世界がいつも展開されている。いろいろな分野で50年は遅れているかな、という精神構造を感じてきたけれど、こと男と女の世界ではさらに距離が離れて行く感じがしてならない。

『一枚のめぐり逢い』(The Lucky One)

2012年・アメリカ 監督/スコット・ヒックス

出演/ザック・エフロン/テイラー・シリング/ブライス・ダナー/ライリー・トーマス・スチュワート

アメリカ映画の戦争といえば、この頃はイラク戦争を指すケースが多い。あのベトナム戦争は、今の世代には歴史的な事実としか受け取られないのだろう。目の前のニュースを体験していなければ、そう簡単には感情移入も出来ない。その戦争に派遣された海兵隊員、3度も出動していれば心の傷もそんな簡単には癒えない。そういう大きな背景がある。ニコラス・スパークスの同名小説を原作としている。

アメリカ映画独特のカラッとした雰囲気はない。日本映画のようなじめじめしたストーリー展開にイライラさせられた。その割りにはあっけなく男と女がくっついたり、肝心なシーンがあっけなかったりと、ちょっと消化不良になりそうな映画。

でもいいよね。アメリカ人の男女のくっつき方は単純で明解。好きならそれでいいじゃないか、と余計な事は考えない。ぐじぐじと、今のことより明日のことを考えてしまう、日本的恋愛はもう流行らない。と、言っているのは年寄りだから?もう既に日本だって後腐れのない割り切った男女関係なんて、ずーっと前からそこら中にあるよ、と怒られそうだ。

『グレート・ディベーター 栄光の教室』(The Great Debaters)

2007年・アメリカ 監督/デンゼル・ワシントン

出演/デンゼル・ワシントン/フォレスト・ウィッテカー/デンゼル・ウィッテカー/ネイト・パーカー/ジャーニー・スモレット

主演のデンゼル・ワシントンが監督もやっている。題名から、DVDの絵柄からして、理屈っぽい映画なのだろうな~、と予測をする。驚いたことに日本では劇場未公開。確かに、どの世代の誰を対象に宣伝して良いのか、かなり難しい。時代は1935年、場所はテキサス州、人種差別は当たり前のように激しい時代のはなし。

アカデミー賞アフリカ系アメリカ人俳優としては史上4人目の受賞者フォレスト・ウィッテカー、2人目デンゼル・ワシントン、この2人で面白くない映画が出来る訳がない。最近でこそ「ディベート」という言葉が遣われるようになったが、日本人の一番苦手な分野だ。「討論」と訳されてはいるが、ちょっとニュアンスが違う気がしてならない。討論というよりは、どうやって聴衆を納得させられるかの演説競技、日本では「弁論大会」に近いかもしれない。弁論大会と違うところは、一人ではなく2人でチームを組む対抗戦、「肯定派」「否定派」と役割分担させられた上での競技というところ。

映画の中での短いシーンでも説得力がある。英語は「話し言葉」で日本語は「書き言葉」に向いていると、ずーっと思ってきたが、まったくその通りだと確信できた。同じような討論番組を日本のテレビで見た気がするが、ほんの一瞬だけで打ち切りになってしまったのだろうか。日本人は議論下手、どうしても相手が喧嘩の対象になってしまう。さもなければ、議論が終わってからも深く恨みを持ってしまう人種。だから、まぁまぁ、と曖昧にその場を治めて、結論を先延ばしすることのみに長けた国民性になってしまったようだ。

『冬の華』

1978年(昭和53年)・日本 監督/降旗康男

出演/高倉健/池上季実子/北大路欣也/池部良/田中邦衛/藤田進/三浦洋一/倍賞美津子/夏八木勲/小池朝雄/寺田農

何とあざとい演出なのだろう、という印象が強かった。最初から最後まで、このはなし?この音楽?このカット?とこちらが映画人のプロになったような錯覚に陥るほど、あざとさが一杯の物語だった。最後には思わず『まさか!こんな作り方をする映画人はいないよなぁ~!』などと大声で叫んでしまった。

ちょうど直前に倍賞美津子第1回主演作品を観たばかりだったので、彼女の9年後の姿を眺めることが出来て、ちょっと嬉しい気分になれた。まだまだふくよかな顔立ちと、一段と綺麗になった姿に、「こんなに綺麗な人だったんだ!」と思わず驚きの声を発してしまった。

それにしても「あざとい」。これじゃまるでテレビドラマの作り方と同じじゃないか、と先入観も含めて思った次第。やっぱり映画とテレビの作り方は、脚本の段階から違っているのだということを、あらためて確認した。この映画の脚本は倉本聰。所詮はテレビ画面を創ることに長けていた人なのだろう。

『喜劇 女は度胸』

1969年(昭和44年)・日本 監督/森崎東

出演/倍賞美津子/沖山秀子/河原崎健三/清川虹子/有島一郎/渥美清

倍賞美津子23才、まだ顔がふっくらとしている。クレジットの名前の横には、(第1回主演作品)とわざわざ謳ってある。大学4年の時の映画、時代は良く知っているつもりだが、映画で描かれている下町の工場や飲み屋街とはまったく縁がなく、自分の知っている世界ではなかったのが残念。

映画として面白くはなかった。喜劇と書いてあるが、まったく笑えなかった。出来の悪い喜劇としか思えなかったが、映画の後の山本監督や小野アナウンサーの対談を聞いていると、そこまで面白くないと言い切ってしまう私の方が、感受性がなさ過ぎるのかな、とも思える。

1箇所だけ面白いと思えるシーンがほとんど最後の頃にやって来る。この瞬間だけのために、詰まらないシーンを積み重ねていたのかもしれない、と思える。やっぱり強かったのは「おかあちゃん」。清川虹子がいい。若い頃にはよく見た顔だったが、特徴のある役者だった。タンカの切り方もいいが、いいセリフを喋っている。

『オカンの嫁入り』

2010年(平成22年)・日本 監督/呉美保

出演/宮崎あおい/大竹しのぶ/桐谷健太/絵沢萠子/國村隼/林泰文/斎藤洋介/春やすこ

咲乃月音著作の日本の小説が原作。家族の心理をリアルに描き絶賛されたデビュー作『酒井家のしあわせ』に続く呉美保の第2回長編映画監督作品。この辺は引用しておかないと、後から読んでもどういう映画なのすら分からなくなってしまう。大竹しのぶの映画は2本目か3本目、芸達者だという噂は聞いているが、自分で確かめるのはなかなか機会がない。

母と娘は不思議な関係だ。歳をとるごとにその仲が良くなって行くのが普通のように見える。男親と娘の関係は子供が小さいときだけ、大きくなった娘と父親は微妙な心理状態になってしまう。自分の体験からはせいぜいそんなことぐらいしか言えない。男親と男の子供との関係とはまったく違う。成人すればするほど自立心が芽生え、親とは疎遠になって行くのが普通。所詮男親は、男でも女でも子供とは離れて行く運命にあるらしい。

映画はテンポが遅い割には、飽きさせない。話が盛りだくさんではない割には、面白い。監督の力が大きいのだろうか。これくらいの内容の映画は今まででも、日本映画にはたくさんあったはず。そういう意味では出来のいい映画だと言えるのかもしれない。

『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』

2010年(平成22年)・日本 監督/錦織良成

出演/中井貴一/高島礼子/本仮屋ユイカ/三浦貴大/奈良岡朋子/橋爪功/佐野史郎/宮崎美子/甲本雅裕/笑福亭松之助

題名を見ただけで映画を観た気になってしまう。映画ストーリーも早々と夢を叶えた主人公、この後どうやって物語が進行して行くのか、といらぬ心配をしてしまった。淡々と進行して行く物語が意外と飽きさせない。それどころか、抑え気味の役者達の演技が結構心地良い。怒鳴ることが演技だと思っている日本映画での役者、ちょっと一線を画している。

この作品と、『うん、何?』(2008年)、『渾身 KON-SHIN』(2013年)の3本を、この監督の「島根シリーズ」と称しているという。この映画の出来を見て、他の2作品も観てみたくなった。

人生をどう生きるのか、といういつの世にも問われる永遠のテーマを、軽いタッチで、しかも結構ひとつの方向性を言い切っている。そんなところが心地良いのかもしれない。このシーンで映画は終わりかな~、という箇所が2回あって、3度目の正直で終了した。順番を入れ替えれば、もっと感動を持ちながら映画館を出られるのに、と贅沢なことを思ってしまった。

『陽炎』

1991年(平成3年)・日本 監督/五社英雄

出演/樋口可南子/荻野目慶子/本木雅弘/かたせ梨乃/白竜/岩下志麻/神山繁/川地民夫/丹波哲郎/仲代達矢

五社英雄監督作品、『鬼龍院花子の生涯』(1982年)、『陽暉楼』(1983年)、『櫂』(1985年)、『極道の妻たち』(1986年)、『吉原炎上』(1987年)、と強い女性を見事に表現してきた。樋口可南子はヤクザな女にはちょっと物足りなく、周りにいるヤクザ経験者の女優達に圧倒されてしまったのが惜しい。

何とも言えないストーリー展開は、映画の持っている要素を余すとろろなく表現している。テレビ映画ではとてもじゃないけど作れなさそうな映像がいい。映画館で見終わって出てくる頃には、どっぷりとその世界に浸った感覚が残っていて、健さんの映画を観たときと同じような感覚に陥るだろう。

明治、大正、昭和初期を時代背景として描く日本映画は概して面白い。時間がいい案配に離れているのがいいのかもしれない。それよりもその時代に生きた日本人の気骨や凛とした人生観が、映画という媒介を通して現代の柔な人間に訴えているのかもしれない。

『感染列島』

2009年(平成21年)・日本 監督/瀬々敬久

出演/妻夫木聡/檀れい/国仲涼子/田中裕二(爆笑問題)/池脇千鶴/カンニング竹山/佐藤浩市/藤竜也

いやはやどうにもならない映画だ。緊迫感のないパニック映画なんて。2009年の現実社会で起こった新型インフルエンザ騒動をうまく映画の背景にしたつもりだろうが、あまりにも現実感のない映像の連続、ストーリーにはあきれるばかり。こういう映画は日本映画では表現できない。日本国民の3950万人が感染して、1950万人が死亡したとするプロセスが、あまりにも局所的過ぎて全体感がまったく伝わってこない。

確かに恐ろしいテーマである。今後ホントにこんなことが起こるかもしれない。想定外といって逃げられる「専門家」が多い割には、何の対処策も決められないで何十年も経っている。こうしたら良いだろうとシステムを作ったって、いざとなったら何の役にも立たないことは日本の「誇り」。

目の前の「インフルエンザ」でさえ、マスクをしなさい、手を洗いなさい、と欧米では考えられない幼児的なことしか言えない医学界にも「喝」だ。幼稚園のような社会システムが続く日本、早く小学校に入学したいものだ。

『クレアモントホテル』(Mrs. Palfrey at the Claremont)

2005年・イギリス/アメリカ 監督/ダン・アイアランド

出演/ジョーン・プロウライト/ルパート・フレンド/アンナ・マッセイ/ロバート・ラング/ゾーイ・タッパー/クレア・ヒギンズ

登場人物は ~ サラ・パルフリー :自立した生活をするためにクレアモントホテルにやって来た老婦人。ルードヴィク・メイヤー:作家志望のハンサムな青年。サラの孫デズモンドと同じ26歳。グウェンドリン・グース:ルードヴィックがDVDレンタル屋で出会った女性。エルヴィラ・アーバスノット:クレアモントホテルに長く滞在している老婦人。オズボーン氏:クレアモントホテルに滞在している老紳士。サラに惹かれる。

物語は今まで見た映画から想定したり、題名からこんなものだろうと、感じていたシーンを超えていた。面白かった。ロンドンが舞台、簡易ホテルのようなしょぼいホテルなのだが、そこは長期滞在者ばかりの一種の老人用施設になっている。あざとくない話の展開がいい。よくありがちな毒のあるような話やセンチメンタル過ぎるストーリーになっていないので、登場人物が少ない割にはまったく飽きさせることがない。しっかりした同名の原作がある。

人は出逢いを繰り返す。ひとつひとつの出逢いは短いものでも、忘れられない時間がある。てなことを最後の頃に言っていたような気がする。そうだよね、いつだって人間の出逢いはときめく。生きている意味の大半も、そこにあるのではなかろうか。何をしたのか、何が出来たのか、というより、誰と出会ったのか、どういう人と知り合えになれたのかの方が、人生を語るに当たってはより重要なことに違いない。

『神様のくれた赤ん坊』

1979年(昭和54年)・日本 監督/前田陽一

出演/桃井かおり/渡瀬恒彦/吉行和子/樹木希林/河原崎長一郎/吉幾三/嵐寛寿郎/曽我廼家明蝶/泉谷しげる

肝心な時間を眠ってしまった。評価は高そうな映画だが、私には飽きが来た。いわゆるロードムービーとも言えるが、尾道、別府、天草、長崎、唐津、若松と自分でも行ったことがある土地の風景は、懐かしくもあり。もう一度見直してみたいという欲求は起こらなかった。

桃井かおりが若い。当たり前だ。この時彼女は28才、映画館で彼女の映画を観たことはない。テレビで物真似される彼女で認識したみたいなもんで、なんとも情けない観客である。リアルタイムで観ていればファンになっていたかもしれないし、歳をとってからの印象もまた違っていただろう。

樹木希林は36才、登場時間はみじかいけれど流石に存在感がある。嵐寛寿郎は75才、「アラカン」として子供の頃に良く見ていた役者がこうやって登場してくるのも懐かしい。変な長回しがある訳でもなく無駄なシーンが多い訳でもない、でもあまりにも普通すぎる物語と映像は、私の望む映画ではないようだ。

『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』(Charlie's Angels: Full Throttle)

2003年・アメリカ 監督/マックG

出演/キャメロン・ディアス/ドリュー・バリモア/ルーシー・リュー/デミ・ムーア/バーニー・マック

2004年の第24回ゴールデンラズベリー賞にて最低続編賞を受賞。これだけで充分な勲章だ。ここまで来ちゃうと、もう漫画の世界も飛び越えて、どう表現したら良いか分からない映画の世界。やりたいことをやりたいようにやっている。観客が内容を理解できないで、唖然として映像を眺めているだけという感じだ。

映画のCG発達は明らかに映画製作を変えてしまった。出来ないと思われていたシーンが、お金さえ掛ければどんな場面でも考えた通りに出来てしまうと、ストーリーの面白さよりアクションの派手さが際立ってきてしまう。そして物語は、何が何だか分からない展開を繰り返し、アクション映画ではなくCG映画となってしまう。

主人公3人娘の中に中国系、または中国人そのものと思われる女性がいる。特徴的にまさしく中国人と見える顔立ちが嫌で、どうして東洋人を登場させなければいけなかったのか、そのあたりのことを聞いてみたい。アクション体形ではないドリュー・バリモアを起用している位なので、もっとアメリカ人らしいアメリカ娘を登場させて欲しいと勝手に希望する。中国嫌いだからそう思うのかなぁ~。

『未来を生きる君たちへ』 (Haevnen)

2010年・デンマーク/スウェーデン 監督/スサンネ・ビア

出演/ミカエル・パーシュブラント/トリーヌ・ディルホム/ウルリク・トムセン

デンマーク語で原題を辞書検索すると「復讐」と現れる。なるほど。2010年のアカデミー賞外国語映画賞受賞作だという。ふ~む。映画的にはなかなかの作り方だと感じるが、どうにも暗い映画で、たまにみるデンマーク映画というジャンルに心が沈んでしまう。邦題は考えに考えた結果なんだろうな~。

舞台はデンマークで、スウェーデン人の子供が学校でいじめられている。人種差別の典型みたいなものだけれど、日本で起こっているようなことは同じように世界中でも発生しているらしい。デンマーク人は日本人のマイナー・コードにも似た陰鬱な様相を呈している。家庭、夫婦、暴力を振るう人、日本映画でも同じようなシーンを何度も見た。違うのは、日本映画はヤクザを礼賛しているように映像化してしまう。それを観客がやんやの喝采で迎えるという、本音と建て前を映画でも実践しているところ。外国映画はそんな嘘はつかない、ので面白くない映画となってしまう。

アフリカの難民キャンプで働く医者が主人公のひとり。一方では命を助け、一方では自分の家庭をも守れない矛盾を描いている。そんなものだ現実は。理想的にどの方向でも仕合わせを維持して行けるなんて、あり得ないことかもしれない。短い人生、腹を割って人生に向かい合わなければ、せっかくの命が無駄になってしまう。

『黒いドレスの女』

1987年(昭和62年)・日本 監督/崔洋一

出演/原田知世/永島敏行/菅原文太/藤真利子/時任三郎/成田三樹夫/室田日出男/橋爪功

原作は北方謙三のハードボイルド小説。そういう感じを思わせるストーリー展開が明白、どう見たって原作がちらちらして映像の上での単なる演技にしか見えなかった。ぴあ映画生活を眺めたら、なんと39点という点数、面白くないけれどここまで低い点数はつけにくい。

活字ならいいのだろうが、題名からくるハードボイルドが泣く。幼児体型の女が「黒いドレスの女」では、見ている方が入り込めない。脇役の方が明らかに目立つし存在感がある。題名負けは明らか。本物ではないという映画がもったいない。

角川春樹事務所がこんなつまらない映画を作るのも珍しい。詰まらなくてももっと何かを訴える映像があるはずなのに。もちろんテレビ映画よりは、遙かに映画らしくはなっているが。

『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(The Iron Lady)

2011年・イギリス 監督/フィリダ・ロイド

出演/メリル・ストリープ/ジム・ブロードベント/アンソニー・ヘッド/アダム・クーリック/アレクサンドラ・ローチ/ハリー・ロイド

首相在位期間は、1979年5月4日~1990年11月28、日本の昭和54年から平成2年にあたる。「鉄の女」という呼び方は知っているが、それ以外のことを何も知らないことに気付いた。フォークランド紛争(1982年)の当事者だったことすら知らなかったが、この映画はこのアルゼンチンとの戦争を彼女の政治の賜物として強く表現している。

アメリカの役者は凄い。実在の主人公を演じるとき、メーキャップを施しほとんど本人になりきってしまう。超一流の芸達者なメリル・ストリープが本気になれば、本人と見まごうほどの出来映えに観客は驚かされる。映画の中の彼女と実物の写真を見たら、あまりにもそっくりなので驚いた。喋り方まで本物だ、ということはロードショー時のメーキング映像で見た覚えがある。

マーガレット・サッチャーは2013年1月現在87才、存命だが認知症を患い表舞台には姿は見せていない。強硬な政治方針と信念から、在任中も、またその後も英国内では非常に毀誉褒貶の激しい二分された評価がある、という。そのあたりが鮮明に映画で描かれている。語録が面白い。(議会で動物擁護法案が通過する際、野次を飛ばす野党議員に対して)「お黙りなさい! これはあなた方のためにもなる法律なんですからね!」とか、(フォークランド紛争開戦に反対する閣僚たちにむかって)「この内閣に男は一人しかいないのですか?」、そして「言ってほしいことがあれば、男に頼みなさい。やってほしいことがあれば、女に頼みなさい」、まさしく鉄の女の面目躍如。

『ヒューゴの不思議な発明』(Hugo)

2011年・イギリス/アメリカ 監督/マーティン・スコセッシ

出演/エイサ・バターフィールド/ロエ・グレース・モレッツ/ジュード・ロウ/ベン・キングズレー/サシャ・バロン・コーエン

ブライアン・セルズニックの小説『ユゴーの不思議な発明』を原作とする、マーティン・スコセッシ初の3D映画。

監督のことは知らなかったが、公開時の宣伝の雰囲気を覚えていて、どうしても観なければいけない映画にリスト・アップしていた。たぶん自分のすきそうなテイストと、ストーリー展開があるだろうな、と勝手に想定していた。期待は意外と大きかった。始まってから暫くして、自分の期待しているような映画ではないことを悟った。なんかテイストが違う、フランス映画の持って回った上から目線のエスプリがプンプンするストーリーにも見えてしまった。

結局見終わるまで、期待を超えるストーリー展開やエピソードには出会えなかったが、こんなものかなぁ~と諦めた。今の時代だって他人のために必要な発明や発見をすることは出来るかもしれない。幼かった頃の無垢な好奇心をもち続け、今のオタク以上の努力をすれば、こんな時代だって役に立つひとつやふたつは出来そうな気がするが。

『マシンガン・プリーチャー』 (Machine Gun Preacher)

2011年・アメリカ 監督/マーク・フォースター

出演/ジェラルド・バトラー/クリス・コーネル/ミシェル・モナハン/マイケル・シャノン/キャシー・ベイカー/スレイマン・スイ・サヴァネ

実話の映画化。LRAと呼ばれる、ウガンダの反政府武装勢力が国境を越えて南スーダンの部落を襲撃、子どもたちを拉致し拷問などを繰り返し、戦士に育て上げているという。そういう戦いは現在でも現実に起こっており、主人公は今もただ子供の命を救いために戦っているというのだ。

マシンガンを持った牧師、と原題は伝えるが、そういう新聞記事も実際にあったようだ。主人公が刑務所から出所するシーンが冒頭にある。家庭がありながら相変わらず、酒に入り浸り、ヤクに溺れる生活は変わらない。ひとつの事件が元で、急に「神」にめざめてしまう。妻が敬虔なクリスチャンだとはいいながら、ちょっと唐突すぎて映画的には大不満。実話なのだから仕方がない、と言われてしまえばそれまで。アフリカの現状を伝える牧師の話を聞き、これまた急に自分がアフリカにのめり込むようになってしまう。拉致された子供を救い出すために狙撃した相手は同じような子供だった。とかいう考えさせるシーンも折り込んではあるが、映画としては3流、詰め込み過ぎのきらいがある。

それでも実話の訴えは確かなこと。エンド・ロールに実写版の本人と家族と思われる映像が、セピア調の小画面で映し出されていた。彼の言葉が真実を物語っている。 ~ 『正当化するためにあれこれ弁解しない でもみんなに聞きたい 子供や兄弟のいる人たち全員に もし自分の家族が誘拐されたら- もしテロリストが現れて- 自分の家族をさらっていき- 私が連れ戻すと約束したら- 方法を問うだろうか 』

『書道ガールズ!! わたしたちの甲子園』

2010年(平成22年)・日本 監督/猪股隆一

出演/成海璃子/山下リオ/桜庭ななみ/高畑充希/小島藤子/市川知宏/森岡龍/坂口涼太郎

この実話があって、テレビで紹介されて一躍全国区になったことは記憶にある。若い出演者の顔と名前が一致しているのは成海璃子だけ、少し前から注目をしていた好きな顔立ち。この頃は大人顔に変化する途中なのか、幼な顔の愛らしさから、ちょっと癖のある顔へとあまりいい変化ではない変貌が見られると、勝手に悲しんでいる。

字を書くという事については人一倍興味がある事なので、映画の中での書道パフォーマンスには「大したものだ」と、驚いている。体調が良く、心が平和だと、自分の書く文字に満足感を覚える。体調悪く、心が乱れていれば、書く文字がバランス悪く、書いている本人ですら気持ち悪くなってくる。

何事も中途半端な修行で、書道も小学生の時に2~3年習字教室に通っていたような気がする。ソロバン教室も然り、三つ子の魂百までもという諺は正しく、子供の頃に中途半端な育ち方をすると、この歳になっても苦労が絶えない。何事も本人の責任である事は間違いなく、今更生き方を変えようなんてことも出来ず、地獄まで一緒に持って行かなければならない。

『刑務所の中』

2002年(平成14年)・日本 監督/崔洋一

出演/山崎努/香川照之/田口トモロヲ/松重豊/村松利史/大杉漣/伊藤洋三郎

猟奇、怪奇漫画で知られる漫画家の花輪和一が、銃砲刀剣類不法所持、火薬類取締法違反で懲役3年を受け服役したのがきっかけで、その出所後に描かれたエッセイ風漫画。主人公の花輪と同部屋生や同じ囚人たちの刑務所の中での生活を、緻密かつコミカルに描いている。とウィキペディアに書かれていた。こんなものまで原作が漫画とは驚く。

興味があるのは題名通りの刑務所の中のはなし。原作者自身の実体験に基づく原作なので、全部事実なのだろう。人権蹂躙ではないかと思われるような事もあったが、そうでもしなければ統率がとれなくなってしまう。限られた条件の下では、人間らしくないことも容赦ないのかもしれない。こればかりは自分で体験したくても、おそらく?たぶん?死ぬまで体験することはないであろう。

せっかく人間として生まれてきたので、いろいろなシチュエーションでの生活をしてみたいと思ってきた。安定した毎日はいらない、と強がってきたけれど、歳をとるとやっぱり間違っていたかな、という後悔の念も湧く。ただ、今更戻ることは出来ないので、このまま息が絶えるまで生き続けなければいけないのだろう。

『ローズ・レッド:ザ・ビギニング』 (THE DIARY OF ELLEN RIMBAUER)

2003年・アメリカ 監督/クレイグ・R・バクスリー

出演/リサ・ブレナー/スティーヴン・ブランド/ケイト・バートン/ブラッド・グリーンクイスト/ツァイ・チン/ディアドレ・クイン

TVMらしい。どうも画面作りが乱暴な感じがして、見終わった調査で分かった。1910年シアトルという設定で、カラーなのにセピア色の画面が気になる。スタンダード・サイズの画面も、もともと古い映画に見えて、もうだいぶワイド画面に慣れてしまったのだなぁ~、とつくづく思う。

昔『悪魔の棲む家』(The Amityville Horror・1974年)という映画をヘラルドが配給したことがあって、まずまずのヒットをしたと記憶している。題名が良かったのだろう、というのが一番の理由だったような気がする。同じようなホラー気味の映画だけれど、こんな題名では味気なさ過ぎる。もっとも、原題と邦題とではあまりにも違いすぎて、何とも評を言えないほど。

「霊」だとか言われても、まだ信じるに足る現実に出会ったことがない。UFOだって存在しておかしくないけれど、自分で見たことがないので信じられない。ましてや幽霊やその類の現象は大槻教授じゃないけれど、何の根拠もない妄想や幻想だと決めつけている。時々テレビバラエティー番組に現れる預言者のようなインチキ人間、見えないはずの未来が見えるとは、何と神に唾する大馬鹿者なのだろう。

『トイレット』(toilet)

2010年(平成22年)・日本/カナダ 監督/荻上直子

出演/アレックス・ハウス/タチアナ・マズラニー/デイヴィッド・レンドル/サチ・パーカー/もたいまさこ

山田洋次が選ぶ日本の名画100本に登場する女性監督2人のうちのひとり。『かもめ食堂』は面白かった。『めがね』はイマイチだった。この映画はふーむ。面白いけれど、ちょっと引き延ばしすぎの傾向。最後の10分に言いたいことを凝縮させるために、途中はもったりと急がず、といった感じがする。監督の趣向なのだろう。そのあたりの日本映画に比べたら、もちろんだいぶ程度が違うと思う。

舞台はアメリカ、登場する日本人は「ば~ちゃん」独りだけ。日本的文化がキーワードになっている。日本独特の文化から来る恩恵を日常的に受けているが、その日本人本人達はその素晴らしさを評価できないでいる。

成熟している訳ではない、むしろ現代日本社会を見ればどちらかと言えば幼児的。それなのに独特の価値観と基準が根強く息づいている。日本的文化とはそういうものなのだろうか。2013年、平成25年、皇紀二六七三年といわれる歴史そのものが、日本文化の背景なのだろう。

『抱かれた花嫁』

1957年(昭和32年)・日本 監督/番匠義彰

出演/有馬稲子/高橋貞二/大木実/望月優子/田浦正巳/片山明彦/高千穂ひづる/永井達郎/桂小金治/日守新一/朝丘雪路

題名がね~?!この題名は良く意味が分からない。なんか色っぽいシーンでもあるんじゃなかろうかと、思わせぶりな題名としか思えない。内容はそんなことは一切なく、極めて普通のストーリー、映像なのだが。昭和30年代の映画全盛の時代に封切る映画としては、ちょっとでも他の映画と違う雰囲気を伝えたかったのかもしれない。

有馬稲子をリアルタイムでほとんど見ていない。超有名女優だったことは確かだが、あらためて見る彼女は、いいですね~。浅草の寿司屋の看板娘、チャキチャキとしている様が見事だ。こんな雰囲気を持った女優はこの頃見かけたことがない。江戸っ子の粋とやらが映画全体にも行き渡っていて、清々しい映画になっていて面白い。

親が自分の青春時代をすっかり忘れ去って子育てをする姿は、どの時代にも通じる親の姿。子供を持つことなく一生を終える人には絶対分からないだろう、子供と一緒に年老いていく人生。全ては結果が求められるが、生きているだけで心の拠り所となってくれる親の存在は、誰でも同じ思いだろう。千年後にも家系譜が残されることを夢みながら短い一生を終えて行くのが、人間の宿命という奴か。淀みに浮かぶ泡沫は、かつ消えかつむすびて、久しくとどまるためしなし、かぁ~。

『白いカラス』(The Human Stain)

2003年・アメリカ/ドイツ/フランス 監督/ロバート・ベントン

出演/アンソニー・ホプキンス/ニコール・キッドマン/エド・ハリス/ゲイリー・シニーズ/アンナ・ディーヴァー・スミス

1998年、アメリカ合衆国マサチューセッツ州。名門大学で学部長を務めていたコールマン教授は、ある日の講義で発した「スプーク」という単語が、黒人学生への差別発言だと波紋を呼んでしまい、その影響から大学を辞職に追い込まれてしまう。しかも、この出来事にショックを受けた妻は、間もなくこの世を去ってしまい、コールマンは絶望の淵に立つのだった。しばらくしてそんな彼の前に、若い掃除婦のフォーニアが現れる。フォーニアは夫の暴力や辛い過去に悩まされながらも懸命に働く女性であった。そんな彼女とコールマンは、心に傷を持つ者同士、次第に惹かれあっていくのだった。だが、実はコールマンには、亡き妻にさえ隠していたある秘密があった。 ~ Wikipediaより

出だしは快調だったが中だるみが長すぎて、ちょっとばかり眠ってしまった。気がついて起きたときには、ほとんど終わりに近かった。そのままいったん見終わって、もう一度見直した。外国映画には珍しく、ストーリー展開が疎い。

題名が妙なのと、主役二人の熱演舞台風な演技が鼻に付く。主人公は70才を過ぎているだろうか、若い娘といっても34才の女性と最後の恋に落ちるという話が、この映画のキーワード。ちょっと違和感。自分に置き換えてみれば到底あり得ないこと、虚しさが人生を物語っている。

『センターステージ』 (Center Stage)

2000年・アメリカ 監督/ニコラス・ハイトナー

出演/スーザン・メイ・プラット/アマンダ・シュル/ゾーイ・サルダナ/サシャ・ラデッキー/イリア・クーリック/アイオン・ベイリー

バレイ映画である。映画の中で見るバレイは短時間なので、私のような無粋な人間でも、映画の一部として辛抱して見ることが出来る。これがバレイそのものだったら、せいぜい10分間くらいしかもたないであろう。観る順番は逆になってしまったが『ブラック・スワン』(Black Swan・2010年)と比較して、こちらの方が映画らしいダンス映画という感が強く好きだ。

登場人物はもちろん皆んなクラシック・バレイの素養があるように見える。プロのダンサーも多く出演しているが、主役の女の娘は役柄的にイマイチのバレイ技術しか身につけられない設定とあって、女優業の方が先だったのだろうか。

それにしても映画作りが上手い。在り来たりのストーリーと思いきや、要所にどんでん返しをさらりと注入したりして、飽きさせない。日本映画の学ぶべきところは、こういうところなのだ。ニホン映画では「さらり」という雰囲気が苦手で仕方がないように感じる。映画って面白いね、と満足する姿がある。

『2012』

2009年・アメリカ/カナダ 監督/ローランド・エメリッヒ

出演/ジョン・キューザック/アマンダ・ピート/ダニー・グローヴァー/タンディ・ニュートン/オリヴァー・プラット/キウェテル・イジョフォー

3月4日のひな祭りみたいに、その日が終わってしまえば虚しい後の祭。古代マヤ人が2012年に訪れるとしていた世界の終末。2012年12月21日がその日だったので、テレビ各局はここぞとばかりに番組を製作していたが、そんなに簡単に地球が無くなるはずもない。

早々とCGを駆使した映像が流れ始まったのは驚いた。これじゃクライマックスはどうなるの、と心配したりもした。さすがアメリカ映画は幾重にも、次々とパニック・シーンを用意していた。こんなに緊張感の無いパニック・シーンも珍しいけれど、これでもか、これでもかと繰り出すcgアクションには、ちょっと呆れかえってしまうくらいだ。

地球がなくなるという人間の永遠の恐怖テーマが現実になるのは、いつのことなのだろうか。天文学的な何億年という時間が一般的だけれど、それにしては早すぎる環境に対する心配。さも100年経たないうちに地球が危ないというような雰囲気で喋るコメンテイターは、害にこそなれウザイ存在でしかない。

『消されたヘッドライン』(State of Play)

2009年・アメリカ/イギリス 監督/ケヴィン・マクドナルド

出演/ラッセル・クロ/ベン・アフレック/レイチェル・マクアダムス//ロビン・ライト・ペン/ジェイソン・ベイトマン/ジェフ・ダニエルズ

イギリスBBCのテレビドラマ『ステート・オブ・プレイ~陰謀の構図~』をハリウッドでリメイクした作品である、という。日本ばかりではなくアメリカでも、イギリスでも主役の座はテレビに移りつつあるのか。日本でのテレビ放送の内容を映画にするやり方と、海外とでは雲泥の差があるような気がする。映像の作り方がテレビ的かどうかは、観客が観ればすぐに分かる。

いわゆるジャーナリズム、マス・コミュニケーションといわれる世界では、日本はまだまだひよっこも同然。こういう映画を観ていると、如何に日本のマスゴミ(塵)が本当のゴミであるかよ~く分かる。映画の中で主人公のセリフに、「ゴシップを追いかけるだけの3流記事と、真剣に追いかけて書く記事とを読者は読み分ける。と語っていたが、日本社会の幼児性から考えれば、そんな記事を見分けられるほどの国民性とは到底思えない。勿論、中国などから比べたら、比較するのも憚れるほど進歩しているとは思うが。

折しもアメリカでは銃規制に対するオバマ大統領の方針が示された。一方では、全米ライフル協会やある州知事でさえ、銃規制には反対であると公言している。国を司る議員達の利権は、映画の格好の対象。せめてお金にまみれた国会議員が登場するのは、映画だけにして欲しいものだが、現実社会は映画よりも映画らしいストーリーで成り上がって行く人達が闊歩する。

『居酒屋兆治』

1983年(昭和58年)・日本 監督/降旗康男

出演/高倉健/山口瞳/平田満/加藤登紀子/田中邦衛/大原麗子/左とん平/山藤章二

好きな大原麗子の名前を見つけ、嫌いな加藤登紀子の名前を見つけ、ちょっと複雑な心境で観始まった。高倉健の映画も数えるほどしか観ていないが、この役にはちょっと違和感がある。そこがいいのだ、と逆説的なことを言う関係者の声が聞こえるようだが、この物語なら彼ではなかった方が良いと断言できる。大原麗子も哀しい役柄で、彼女にはもっと華やかな役が似合うと、勝手に思い込んでいる。

この頃の日本映画と比較したら、遙かに楽しく見られる作品であることは確か。言いたいことを言わず、抑えることを美徳とする高倉健の演じるいつもの男は、一人の女を不幸にしているという映画の中のストーリーがある。現実世界だって、あまりにも抑えすぎた考えは、誤解を生みこそすれ、世の中に良い影響を与えることの方が少ないように思える。

自分の気持ちを伝えることの難しさは、異性に対することばかりではなく、対人間という場面では同じようなもの。自分でさえ分からない自分の本当の気持ちを、口に出すことによって納得し、確認するという作業を繰り返して、初めて自分の考えが表に出てくるんだ、ということを肝に銘じたい。

『とんかつ大将』

1952年(昭和27年)・日本 監督/川島雄三

出演/佐野周二/津島恵子/角梨枝子/三井弘次/美山悦子/高橋貞二/徳大寺伸/幾野道子/坂本武

籠もりきりの生活に入らなければ、その存在さえ知らずだったであろう川島雄三監督、NHK-BS山田洋次が選ぶ日本の名作100本に3本が入っている。『幕末太陽傳』『真実一路』、そしてこの映画だ。45才という若さで亡くなっているが、約20年間に51本の映画を撮っている。映画が隆盛だった頃でラッキーだった。きりりと筋の通った映画作りという印象が伝わってくる。同じ映画監督に多大な影響を与えているらしい。

題名から、トンカツ屋の大将(経営者)といった想像をしていたが、そうではなかった。とんかつが大好きな長屋に住む主人公のことだった。この主人公が訳ありで、すべてはこの主人公の回りで話が進行して行く。人情あり、メロドラマありと戦後間もない東京・浅草近辺の下町長屋を舞台に、さすがに面白い作品を残してくれている。

我が故郷にはまだ幼稚園すらなかった時代だが、東京にはもう保育園があった。映画の中で遊ぶ子どもたちは、ちょうどこの時代の自分と同じような年齢の子どもたちに見える。まったく記憶にすらない自分のこの年頃、おそらくもう少し貧しそうな身なりで、鼻を垂らして遊んでいたに違いない。

『花のあと』

2010年(平成22年)・日本 監督/中西健二

出演/北川景子/甲本雅裕/宮尾俊太郎/市川亀治郎/國村隼/相築あきこ/谷川清美/佐藤めぐみ/伊藤歩/柄本明

藤沢周平お得意の東北地方の架空の藩、海坂藩を舞台にした物語を原作としている。美しい題名だなという印象と、映画の中で観る人々の凛としている様が、見事に一致して清々しい気持になれる。武家の屋敷に居住する女性達の立ち振る舞いが、美しい所作と共に華麗さを提供してくれる。日本の女性が世界で人気がある背景には、このようなDNAがまさしく受け継がれているからなのだと、強く感じる。

AKB48やまんが、アニメが享けている日本のサブ・カルチャーだが、外国人にはそれらと同じようにこの映画を是非見て欲しいものだ。おそらく和服を着た日本女性の美しい所作に目を見張るだろう。今では伝統芸のような様相になってしまった事柄だが、おそらく何処かに日本人としての血を受け継いでいるに違いない。

登場人物にも映像にも「品」というものが備わっている。映像は無駄な、余計な動きもなく、長回しになることもなく、滑らかにストーリーが描かれている。北川景子は美人ではないが、主役を張れる、しかも和服を着ての演技にも秀でている。黒沢明監督作品を思わせる雲のシーンなどを見ていると、侍ものには必要不可欠の息抜きなのかな、などと詰まらないことに思いがいってしまう。

『四月物語』

1998年(平成10年)・日本 監督/岩井俊二

出演/松たか子/田辺誠一/留美/加藤和彦/藤井かほり/光石研/江口洋介/石井竜也/伊武雅刀/松本幸四郎/市川染五郎

なんともはやかったるい映画だ。監督自身による脚本には、良く出る面とまったくダメになってしまう面が同居する。心に余裕のある老人が、青春の時を思い出しながら悦に入っているシーンが浮かぶ。

松たか子が若い。それはそうだ15年前の映画になる。それが唯一見るべきものだった。

どうしてこういう映画ができてしまうのだろう。日本は金持ちの国なのかもしれない。そうでなければ、こんな趣味趣向の映画が映画館で公開される余裕はないはずだ。

『釣りバカ日誌19 ようこそ!鈴木建設御一行様』

2008年(平成20年)・日本 監督/朝原雄三

出演/西田敏行/浅田美代子/中本賢/竹内力/笹野高史/山本太郎/三國連太郎

テレビ各局がこのシリーズを放映しているので、観る前から観た気になってしまうのが欠点。釣りの好事家ならまだしも、さほど釣りそのもには興味を持っていない人間には、釣り場が何処であろうとどうでもいい話なのだ。それでも一番の良いところは、まったく気楽に映画を観られること。この頃では嫌みな演出もなく、無駄なくストーリーが進行して行く。

真夜中の12時頃に観始まった。ちょっとさわりだけ観て、面白そうだったら翌日の楽しみに、という思惑だったが、これが観始まったら気楽で何の抵抗もなく最後まで観てしまった。余計なスナック菓子なども食べることになってしまい、不健康な夜を過ごしてしまったが、気分は軽やかでこの映画の特性を充分に味わえたようだ。

浅田美代子は年齢を重ねて、ようやく落ち着いた奥さん役をやっている。初期の奥さん、石田えりが裏ビデオ流失?事件で降板したのが、今でも惜しい気がするが、成熟した日本的映画シリーズは、いかにも日本的な文化として、外国人にもアピールできるもになっている。

『ガン・ファイター』 (THE LAST SUNSET)

1961年・アメリカ 監督/ロバート・アルドリッチ

出演/ロック・ハドソン/カーク・ダグラス/ドロシー・マローン/キャロル・リンレー/ジョセフ・コットン/ジャック・イーラム

この邦題を考えた人は、今頃後悔しているに違いない。西部劇でこの題名じゃ、当然ドンパチを期待して見始める人も多かっただろう。題名三流、内容一流といった映画だ。原題の直訳なら『最後の夕陽』とでも。観れば分かる原題だが、観ても分からない邦題。

何でもありの西部劇といつも私が評しているように、こんな恋愛劇まであるんだと言える西部劇。セリフも極力削ぎ落とし、余計な活劇シーンをも排除して、最低限の西部劇っぽさを残して、最後まで映画らしい映画の良さを見せてくれる。

映画が始まってすぐに見え始める主役から共演者、監督名などのクレジット表示が堂々としている。昔の映画はほとんどそんな感じだったような気がするが、あの大きなスクリーンに一人の名前が手書き風文字ででっかく映っている。今風の日本映画なら、小さい活字の文字がチマチマと表示されて、とてもじゃないけど比べようもない。そんなに大きな文字を載せて欲しいと言えるほどの、たいした役者がいないので、日本映画の現状を表しているようなクレジット表示だとも思える。

『武士の家計簿』

2010年(平成22年)・日本 監督/森田芳光

出演/堺雅人/仲間由紀恵/松坂慶子/西村雅彦/草笛光子/中村雅俊/伊藤祐輝/藤井美菜/大八木凱斗/嶋田久作

2003年(平成15年)に新潮新書で発刊された、歴史学者磯田道史の著書『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』を原作としている。リアルタイムで映画館にて観るチャンスがあったのに、前売り券までもらっておいて劇場へは足を運ばず仕舞いだった。日本映画に対する信頼感がなさ過ぎて、二の足を踏むというのが現状。

淡々と三代に亘る大河ドラマを描いている、剣ではなく算術で武士の世界に生きていた当主、明治維新には明治政府から1万人分の力があると誉められて財政方を担当する。頭の中に筋肉が入っていたって、政府の中枢は動かすことが出来ない、と昔も今も、経済、経済ともて囃されるのは頭でっかちの財界人なのかもしれない。

際立って観るべきところがないのがいい。映画館ではちょっと飽きが来て、眠ってしまうかもしれない。悪くはないけど、特にお勧めするかと問われれば、ふ~むと考え込んでしまうだろう。でも、面白くない訳じゃないんだよなぁ~。

『ディア・ドクター』

2009年(平成22年)・日本 監督/西川美和

出演/笑福亭鶴瓶/瑛太/余貴美子/井川遥/香川照之/八千草薫

箸をきちんと持てない落語家と知ってから、笑福亭鶴瓶の言うことやることが嘘っぽく見えて仕方がない。落語家が箸をきちんと持てないなんて、最低ランクの基準でしょ!わざとらしさに、嫌みが加わって、世間での評判と違って、私はどうしても鶴瓶がどんどん嫌いになって行く。

山田洋次監督が選ぶ日本の名画100本の中でも、女性監督は2人しかいないうちの一人。監督インタビューが放映後にあって、その中で監督は、どうしても重いテーマなので笑いが欲しかった。だから鶴瓶を起用したと言っていたが、どうみてもミスキャストだと思う。監督が自ら書いた脚本はなかなか優れもの、日本映画の良いところをたくさん持っている。鶴瓶ではない無名役者の方が作品の味を殺さなかったのでは、と強く感じた。

笑福亭鶴瓶、瑛太、香川照之を別の役者が演じていたら名作になったかも知れない。癖のある役者が物語の中に入ってくると、物語よりも役者の演じるキャラクターが優ってしまう。そういう演技をするのが日本の役者なので、いい話も普通の話になってしまうのが残念なところ。

『麒麟の翼 ~劇場版・新参者~』

2012年(平成24年)・日本 監督/土井裕泰

出演/阿部寛/新垣結衣/黒木メイサ/溝端淳平/田中麗奈/松坂桃李/劇団ひとり/山崎努/中井貴一

東野圭吾の推理小説はずいぶんとテレビ2時間ドラマに原作を提供している。そんな感じがするだけで、著作物を読んだこともなければ2時間テレビを見た訳でもない。映像を見ていると、わざわざ劇場映画にしなくたっていいんじゃないの、と思えてくるが、ドラえもんと同じようにテレビで見ていれば映画館にも足を運んでくれるだろうという、どうも安直な思想が見えてくる。

ストーリーを作る力は認める。推理劇らしく面白いと思う。でも、それまでは隠れていた事実を、事件が解決するとその後に、こんなことも、あんなこともあったんだと言われても、それは狡いんじゃないのと反発したくなる。

所詮は3時間ドラマの雰囲気であることが残念。テレビ画面ではなく、映画館のスクリーンで観たいと思わせなければ、映画としての価値は半分以下。テレビ画面で充分だと言い切ってしまうのは失礼か。

『ジョゼと虎と魚たち』

2003年(平成15年)・日本 監督/犬童一心

出演/妻夫木聡/池脇千鶴/上野樹里/新井浩文/新屋英子

面白いタイトルだが、『月刊カドカワ』1984年6月号に発表された田辺聖子の短編小説が原作だという。田辺聖子の名前は知っているが、もちろん読んだことは1冊もない。自慢できることではないが、名前から受ける雰囲気で言うと、こんな題名のストーリーを書くとは思わなかった。

Wikipediaから引用すれば、~ 足が不自由で、車椅子がないと歩けない。そのため、ほとんど外出したことがなく人形のようになっているジョゼと、大学を出たばかりの共棲みの管理人・恒夫。二人はひょんなことから出会い、お互い惹かれ合っていく。なお、ジョゼの名前の由来は彼女の愛読書フランソワーズ・サガンの登場人物の名前から。

珍しく2倍速にすることもなく、結構楽しく時間を過ごせた。足の不自由な人が出てくると、妙に教育的になったり、やけに暗かったりすることが多いけれど、この足の不自由な主人公は面白い。妻夫木聡はもう23才になっているが、学生役くらいが丁度良い役柄で、この映画では「イモさ」があまり感じられないのが幸いだった。もっともっと成長しなければ、性格俳優などとレッテルを貼られてしまいそうだ。

『パニック・イン・ロンドン 人類SOS』 (THE DAY OF THE TRIFFIDS)

2009年・イギリス 監督/ニック・コパス

出演/ダグレイ・スコット/ジョエリー・リチャードソン/ブライアン・コックス/ヴァネッサ・レッドグレーブ/エディ・イザード

原作はジョン・ウィンダムのSF小説「トリフィドの日」。トリフィドは肉食植物という設定。放送時間はCMを含めて3時間30分、長い。SFが救いだが、テレビ映画なので、お金を掛けていない撮影が気になる。原作を読んで満足しておくだけで、充分な雰囲気。

安物の映像作りは話がなかなか進展しない。同じ舞台を何度も使い、一生懸命映像を作っているが、残念ながら人類滅亡という危機は肌身に伝わらない。人間の愚かな仕業のために、人間の命がなくなって行くと言うことを訴えたかったらしいが、今までにもあるテーマを超えられず、垂れ流し映像で充分な感じになってしまっている。

それにしてもだ、映画館で公開しない映画の日本語題名はうざい。こんな題名で新聞広告やテレビ・コマーシャルが出来ると思うのだろうか。いかにも安物の映画ですよ、と宣言しているようで、題名を見るだけで嫌になってくる。配給会社の宣伝部に在籍した経歴を持つと、そういう小さなことに気が行ってしまい、それだけで価値判断してしまうのが欠点。

『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』

1966年(昭和41年)・日本 監督/佐伯清

出演/高倉健/池部良/三田佳子/岡崎二朗/津川雅彦/芦田伸介/菅原謙二/水島道太郎

昭和残侠伝シリーズの第2作。リアルタイムで観ていないことが情けない。このシリーズが全盛の頃、自分の青春時代とまったく重なり合っていたので、大多数の健さんファンが映画館に押し寄せていただろうことは、おそらく自分の知らないところで現象になっていたのだろう。

映画で観るヤクザの世界が好きではなかった。この時代、世の中には本物のヤクザやヤクザまがいのチンピラもあっちこっちに横行していて、映像だから許せるという心境になっていなかったのは確か。臆病な自分の性格からして、こんな理不尽な殺人行為はどうにも世界が違っていた。刑務所帰りを礼賛する風潮にも、嫌悪感しかなかった。

たかが映画じゃないか、という心境になれていないところが、成長していなかった自分姿。この歳になってようやく映画の世界として、認識できる気持になってきた。成長が遅い。ベタな任侠世界は、それでもあまり気持の良いものではない。もう少し、からっとした義理人情の世界ならなんとかついて行けるのかもしれない。

『バグジー』(Bugsy)

1991年・アメリカ 監督/バリー・レヴィンソン

出演/ウォーレン・ベイティ/アネット・ベニング/ハーヴェイ・カイテル/ベン・キングズレー/エリオット・グールド/ジョー・マンテーニャ

第二次世界大戦終結後の1946年に、ベンジャミン・シーゲル(バグジーとして知られるこの映画の主人公)がフラミンゴホテルを建設した。そこに行き着くまでの彼の成り立ちを描いている。マフィア世界の話でもある。バグジーとは害虫、ばい菌という意味の蔑称で、シーゲル自身はこの名を忌み嫌っていた。そんな実在の人物がモデル。

ラスベガスの都市名の由来は ~ 1820年代後半、ソルトレイクシティからカリフォルニアを目指すモルモン教徒によって発見された。ネバダ砂漠の中にあってこの付近は窪んだ地形となっており、オアシスとなっていた。「ベガ」とはスペイン語で「肥沃な草原」の意の女性名詞で、「ベガス」はその複数形。これに女性定冠詞(複数形)を付けて「ラスベガス」となり、それが固有名詞となった。

主人公が成り上がって行く過程での彼の振る舞いは勝手すぎて、映画の中の人物と分かっていても不愉快になってくるくらいだった。そんな玉でなければ、マフィアの中で台頭することもままならないのだろうが、いい男が好き勝手に毎日を謳歌して行く様は、不幸な最後を予感させるに充分な序章だった。

『レスラー』 (The Wrestler)

2008年・アメリカ 監督/ダーレン・アロノフスキー

出演/ミッキー・ローク/リサ・トメ/エヴァン・レイチェル・ウッド/マーク・マーゴリス/トッド・バリー

あの格好良い男ナンバー・ワンとして君臨したこともあるミッキー・ロークが実生活でも落ちぶれて、映画の中でも同じように落ちぶれたプロレスラーを演じている。身につまされる。最後の砦、一人娘にも見放されて、心臓病を患って元レスラーとなってしまった最後の花を散らすことになろうとは。

プロレス興行の裏舞台がさらりと披露される。いわゆる「段取り」というやつだ。プロレスは分かり易いが大相撲では八百長となってしまう。いくら段取りが決まっていても、生身の身体を痛めつけるのに容赦はない。身体に生傷が絶えない。それでも段取りが決まっているところに、興行という面白い世界が存在する。

はちゃめちゃな実生活でも有名なミッキー・ローク、役者からプロボクサーに転身し、また俳優業に戻った。私が愛してやまない「アクターズ・スタジオ」に出演した時にこの映画のことを知り、ようやく観られて楽しめた。彼とキム・ベイシンガー主演の『ナインハーフ』(NINE 1/2 WEEKS・1986年)は日本ヘラルド映画の配給作品。忘れられない多くの想い出が浮かんでくる。


2017年3月28日再び観たので記す。

『レスラー』(The Wrestler)

2008年・アメリカ 監督/ダーレン・アロノフスキー

出演/ミッキー・ローク/マリサ・トメイ/エヴァン・レイチェル・ウッド/マーク・マーゴリス

この映画のことを紹介する番組をだいぶ前に見ていた。映画の内容というよりミッキー・ロークの生きざまみたいなものだったような気がしている。1980年代には、セクシーな魅力を持ったキャラクターがセックスシンボルとして賞され、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』、『ナインハーフ』、『エンゼル・ハート』等の話題作で主演を務めた彼が、老体をさらして、ただ年の割には激しく鍛えられた肉体を晒してプロレスラーを演じている。

当初、製作会社はニコラス・ケイジのような大物を主演俳優に起用することを条件に予算の大幅な増加を監督のダーレン・アロノフスキーに持ちかけたが、アロノフスキーは自分が選んだミッキー・ロークを主演に据えることを強硬に主張し譲らず、その結果、映画はわずか600万ドルという低予算で製作された。一方、元ボクサーのロークは、当初、プロレスは振り付けでしかないと考えており、レスラーを尊敬できなかったが、撮影を通してそのような考え方は変わったという。ロークは、70年代80年代に活躍したプロレスラーのアファ・アノアイから3ヶ月間の訓練を受けた。アロノフスキーは、ロークの肉体を、ドキュメンタリーのような生々しい手持ちカメラの映像で映し出した。アロノフスキーは、「映像スタイルは素材次第。この物語ではミッキーが自由に動ける遊び場のようにしたかった」と語った。プロレスシーンなどでは、ネクロ・ブッチャーをはじめ、20人を越すプロレスラーを登場させた。またプロレス団体ROHも会場等で協力した。(Wikipediaより)

映画の主人公は惨めだった。大切な娘を久しぶりに訪問しても、「最悪!」と罵られるだけだった。必要な時にいないで、今更面倒を見ろとでも言うのか、と言われるに至っては、いくら反省しても、もう自分のいる場所はないと悟るしかない。主人公に自分の人生を重ねるのは容易い。自然と涙が流れてくる。最後の死に場所を求めるのは当然の成り行きかもしれない。一般ピープルにだって、そんな場所を探すことが出来れば。第65回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を筆頭に、54個の賞を受賞した映画。

『つむじ風食堂の夜』

2009年(平成21年)・日本 監督/篠原哲雄

出演/八嶋智人/月船さらら/下條アトム/田中要次/スネオヘアー/生瀬勝久/芹澤興人

これもまた三重テレビ出資作品とサブタイトルが付いた放映。映像と音楽のコラボレーション・ムービー“CineMusica“シリーズの第7弾ということらしいが、これまでこのシリーズの1作品でも見たことがあるだろうか。主演の顔を見た途端、テレビ番組のおちゃらけた雰囲気が伝わってきて、それだけで面白くなさそうに見えた映画。

早々と2倍速にしたのはいつも通りだったが、最後の15分くらいだけ通常倍速で観た。日本映画の悪いところを全部兼ね備えているような、まったく詰まらない作品。原作がきちんとあるらしいが、活字で楽しむだけで充分な内容に思える。映画という総合的なエンタテインメントを製作するのなら、それなりに素晴らしい脚本と役者を揃えないと、一体誰に見て欲しいのかが伝わってこない。

行きつけの喫茶店や食堂があると、毎日の生活に潤いがわく。馬鹿なことを喋りながら過ごせる時間があれば、知らず知らずのうちに体内にある塵は輩出され、いつも新鮮な気持ちで生活が出来る。お茶のみ友達という言い方があるが、そんな友達がすぐそばにいれば、人生も楽しいだろうに。

『ねこタクシー』

2010年(平成22年)・日本 監督/亀井亨

出演/カンニング竹山/鶴田真由/山下リオ/室井滋/高橋長英/芦名星/甲本雅裕/内藤剛志/塚本高史/根岸季衣/水木一郎

「三重テレビ出資作品」というサブタイトルが付いた録画用記述。また誰かに騙されてお金を巻き上げられた企業が出て来たのかと、可哀想な気持になってしまった。放映権がタダになるから出資したら、とかの誘いに乗って、何ともつまらない映画にお金を出さされた会社は哀れだ。相談を受けたら、即座に止めなさいと言うだろう、私なら。

ただ映画はそれなりに面白かった。映画館で公開するにはちょっと荷が重いが、テレビでの特別枠映像には耐えられるだろう。全編2倍速での鑑賞となったが、5倍速にしたいとは思わなかっただけ、まずまず。この頃の日本映画鑑賞は30本に1本が精一杯の面白い作品。嫌になってくる。

知らないところでどんどん作られる日本映画、結局誰に見せたくて作っているのか訳が分からない。映画は観客に観てもらってなんぼの世界、作る側が自分達だけで満足したって何にもならない。エンタテインメントの神髄とは何なのかを、もう一度見極めて製作してくれたら、と、心からそう思う。

『まほろ駅前多田便利軒』

2011年(平成23年)・日本 監督/大森立嗣

出演/瑛太/松田龍平/片岡礼子/鈴木杏/本上まなみ/大森南朋/松尾スズキ/麿赤兒/岸部一徳

題名からしてまた漫画が原作の映画だろうと思っていた。すぐに2倍速になったが、5倍速にするには惜しい気がして、ずーっとそのまま観ていた。ストーリーはそれなりに面白い感じがした。見終わって調べてみたら、直木賞を受賞した三浦しをんの同名小説を映画化したものだと分かった。なるほど、漫画よりはなるかに内容がしっかりしている。

松田龍平という役者が気持ち悪い。見ているとむかついてくるのは何故だろう。セリフもだらだらで、役柄からそうなっているのかと思いきや、これまで見た彼の出演作品でも、大したことのない役者として記憶していた。申し訳ないが何処かで修行して10年後に映画に出て欲しい。

便利屋という職業は新しい。需要と供給の賜物だけれど、お金で時間を買うという風潮の典型のようなもの。お金がない人は、詰まらないことでも自分でしなければならない。昔の人には、詰まらないことをお金を出して他人に頼むような精神はない。時代が変われば人心も変わる。変わらないものがあるとすれば、それは一体何なのだろうか? それを見つける旅が終わることはない。

『ジャケット』(The Jacket)

2005年・アメリカ 監督/ジョン・メイバリー

出演/エイドリアン・ブロディ/キーラ・ナイトレイ/ジェニファー・ジェイソン・リー/ダニエル・クレイグ/クリス・クリストファーソン

Wikipediaより ~ 1992年、湾岸戦争で頭に重傷を負った元軍人・ジャック・スタークス。後遺症で記憶に障害をもつ彼は、ある事件に巻き込まれ精神病院に送られてしまう。そこで拘束衣=ジャケットを着せられ、実験的な矯正治療を受ける。ところが目覚めると、彼は別の場所に立っていた。そして彼は荒れた生活を送る女性と出会う。信じられないことに、彼女はつい先日、道端で出会った幼い少女・ジャッキーであった。彼は、15年後の2007年にタイムスリップしていたのだ。

どうにも暗い映画で正月早々観る映画ではない雰囲気。題名ジャケットは精神病院で使われる「拘束衣」のことだと言えば、なんだそういうことかと分かってもらえるかと思う。病院に押し込められて、何を言っても病人扱いされたら、何も出来ない。患者が異常で医者は正常だというのが社会常識、現実の世界でもこんなことが起こっているかもしれない。

「1回目死んだのは27才、頭は生きているが身体が死んでいる」という主人公のセリフから始まるこの映画、ちょっと狡い設定が観客を戸惑わせる。未来を見て復って来るという夢のような話が、映画では苦しい場面の連続で、息が詰まってしまう。最後は何となくハッピーエンドなので、少し気が休まる。

『華麗なるアリバイ』(Le Grand Alibi)

2008年・フランス 監督/パスカル・ボニゼール

出演/ミュウ=ミュウ/ランベール・ウィルソン/ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ/アンヌ・コンシニ/マチュー・ドゥミ/ピエール・アルディティ

『ホロー荘の殺人』というのが原作で、ポワロも探偵も登場しない、しかも舞台はフランス。なんとなく雰囲気が違うけれど、そんなことに文句を言ってはいけない。映画原題がちょっとばかりオーバーなので、期待してしまうのがいけない。密室劇のような展開がだいぶ期待を裏切る。

やはりこの手のものは雰囲気が重要だ。赤毛でもない日本人がミュージカル舞台で力んでみたところで、所詮は場違いの様相を呈するだけ。しかも歌も下手だしセリフもただ脚本を読んでいるだけでは、偽物出演者にスタンディング・オベーションする偽物観客の姿しか見えない。

2012年12月ロードショーの「レ・ミゼラブル」が当たっているようだ。評判がいい。CMを見ただけで、映画の出来の良さが伝わってくる。学芸会のような劇団四季のミュージカルも、少しは進化しているかもしれない。それでも、本物のミュージカルを見たいなら、ロンドンやニューヨークに行って、その神髄に触れた方いい。違いすぎる。

『ノルウェイの森』

2010年(平成22年)・日本 監督/トラン・アン・ユン

出演/松山ケンイチ/菊地凛子/水原希子/玉山鉄二/高良健吾/霧島れいか/初音映莉子

この超ベストセラー原作の映画化には、勿論大変興味があった。映画撮影が始まった頃にはちょっとした情報が流れてきたが、いつの間にかまったくそんな情報もなくなり、公開する頃になってもいつからロードショーなのかすら知る由もなかった。名古屋で唯一の若者の知り合いがいて、映画好きの彼がこの映画を観て、もの凄く面白くなかったという話を聞いていた。彼の感性は結構自分に近いことを知っていたので、期待感なく観始まった。

あまりの面白くなさに、何故?という疑問だけが湧き上がる。ベストセラー小説なはずではないか。ということが一番の疑問。本を読まない自分が悪いのだけれど、何処がそんなに良くてベストセラーになったのかすら、疑問に思った。この程度の内容がベストセラー?何かの間違いではないか?

1968年(昭和43年)という時代背景が?その時代に青春を生きていた自分なら分かるが、30才そこそこの若者に時代の匂いは届かないだろう。原作と同じ時代、同じモデルの大学に生活し100%時代が分かっているこの老人にも、入り込めないバリアがある。それにしても面白くない。私小説といわれる分野が、ベストセラー?単なるエロ青春小説ではないか。しかもあまりにも観念的に映像を作り過ぎている。映画が面白くないというより、そもそも原作が詰まらないのだろう。なんていうことのない昔ながらのテーマをただ上手く書いただけに思える。ノーベル賞候補に毎年挙がりながら、毎年日本マスゴミ(塵)を失望させる著者、本人が悪い訳ではないが、こんなものでノーベル賞なんておこがましい気がする。好んで読む人の書評を聞きたい。

『喜劇 にっぽんのお婆あちゃん』

1962年・日本 監督/今井正

出演/ミヤコ蝶々/北林谷栄/飯田蝶子/浦辺粂子/原泉/村瀬幸子/岸輝子/東山千栄子/斎藤達雄/渡辺篤

東山千栄子-71才、飯田蝶子-64才、浦辺粂子-59才、原泉-56才、村瀬幸子-56才、岸輝子-56才、北林谷栄-50才、ミヤコ蝶々-41才、当時の年齢を山本晋也監督と44才にして結婚したばかりの小野文恵アナウンサーが解説する。一番若い二人が老け化粧をして主役を張っている。題名に「喜劇」とわざわざ入れているのには、深い想いがあるに違いない。十朱幸代はなんと19才の初々しい姿を見せている。市原悦子、沢村貞子、三木のり平、渡辺文雄、渥美清、小沢昭一、木村功、田村高廣、伴淳三郎、ちょっと考えられないような豪華キャストが脇を固めている。

主役の想定年齢は72才、この時代ならりっぱな老人だが、この頃と比較すれば約10才以上はイメージが上がっている。核家族が社会現象として問題化され始めた頃、養老院に入れるのは家族の恥だとか、家族と一緒よりも養老院の方が気楽で幸せだとか、50年前の映画は現在の世相を先取りしている。そんなことが分かっているのに、政治は何もしないで、ただほっぽりだして現在を迎えている。

映画そのものはさほど面白くもなく淡々と進行して行く。最後の20分くらいになると、ようやくわざわざ「喜劇」と付加した意味の一端が分かってくる。長男夫婦と同居している一人の主役、嫁との激しいやりとりにこの時代も同じ問題提起が。ようやく本音で語られる人間関係、喜劇といわなければ角が立ちすぎて、全てが切れてしまう危うさが潜んでいる。

『女の子ものがたり』

2009年(平成21年)・日本 監督/森岡利行

出演/西原理恵子/深津絵里/大後寿々花/森迫永依/波瑠/高山侑子/福士誠治/風吹ジュン/板尾創路/奥貫薫

西原理恵子の漫画が原作。正直言うとよく観ていない。あまりにも退屈すぎて、2倍速、3倍速、5倍速といつものテクニックを駆使して、見終わっただけになってしまった。内容の雰囲気だけは充分伝わってきたような気がするが、観てもいないのにそんなことを言える筋合いでもない。

ぴあ映画生活より ~ 『ぼくんち』『毎日かあさん』など独自の語り口で人気を博す西原理恵子のベストセラーを映画化。スランプから抜け出せず人生絶不調の女性漫画家・菜都美が自分が“女の子“だった頃に一緒にいた友達のことを思い出し、生きる勇気を取り戻すまでを描く。

女の子達の生活は摩訶不思議。この歳になっても、女の子世界への憧れは尽きない。

『12人の優しい日本人』

1991年(平成3年)・日本 監督/中原俊

出演/塩見三省/相島一之/上田耕一/二瓶鮫一/中村まり子/大河内浩/梶原善/林美智子/豊川悦司

三谷幸喜脚本の舞台劇が元々。かの有名な映画『十二人の怒れる男』へのオマージュとして、「もし日本にも陪審員制度があったら?」という架空の設定で描かれている。『十二人の怒れる男』での展開や設定を基にしたパロディが各シーンでみられる。日本の裁判員制度は2009年から始まったので、だいぶ前に先取りした舞台を設定するところだけが素晴らし。

番組の解説で三谷幸喜の名前が出て来たので、まったく期待はしなかった。だいたい『十二人の怒れる男』という名作をパロディるなんて、大胆不敵すぎる。面白くないセリフと挙動が、やっぱり期待しない通りだった。

裁判員制度の是非は兎も角として、一度でいいからその裁判員に呼ばれないだろうか。宝くじよりは確率が良さそうだけれど、こんなところにまでラッキーが付いてこないのは、なんと詰まらない人生なのだろうか。

『ソラニン』

2010年(平成22年)・日本 監督/三木孝浩

出演/宮崎あおい/高良健吾/桐谷健太/近藤洋一/伊藤歩/美保純/財津和夫

2005年から2006年まで『週刊ヤングサンデー』にて連載された漫画が原作という。青春時代を切り取った内容は、永遠不滅のテーマ、若者の悩みや希望を描いている。この題名ソラニンは、ジャガイモに含まれている毒性を指していて、ジャガイモがストーリーに登場するところからとったようだ。

青春時代は甘酸っぱい想い出ばかり。今でさえ分かっていないけれど、その時代にはもっと分かっていなかった自分自身のこと。自分のことが分からないのに、他人のことなどもっと分からない。どうやってここまで生きてきたのかさえ定かではなく、生まれ変わっても同じことを繰り返すような気がする。

今度生まれ変わったら音楽を職業としたい。そうやって青春時代を過ごしている人もかなりたくさんいるだろう。この映画の主人公達はまさしくそう。バンドを組んで、プロになれる訳でもなく、それでも1週間に1回集まり、バンド演奏をしている。そんな中から針の孔を通すかのように、スターが生まれるのが現実。現実は極めて厳しい。その厳しさがなければ、人間の生きる意味もなくなってくる。映画を批判するのは簡単だけど、一所懸命映画作りをしている人のことを思えば、言葉も少なくなってしまう。

『イングロリアス・バスターズ』(Inglourious Basterds)

2009年・アメリカ 監督/クエンティン・タランティーノ

出演/ブラッド・ピット/クリストフ・ヴァルツ/メラニー・ロラン/ダイアン・クルーガー/マイケル・ファスベンダー

タランティーノ監督作品であることも、ブラピが出ていることも知らずにレンタルした。こんな映画があったんだ、と、やっぱり映画館で映画を観る習慣を復活しないと、時代に遅れ遅れになってしまいそうだ。映画は監督で観るものでもないが、この監督のように独特の感性と構えを持っている人が監督した作品は、さすがにひと味もふた味も違う。

1941年、1944年ドイツ・ナチがフランスを占領している時の話。面白い。とてもじゃないけど普通の監督には出来そうもないストーリー展開と映像。さすがだと感じた。調べたら、彼の監督作品の中でも最高の興行成績だったというのも頷ける。

勿論自分で脚本も書いているという強みもある。映像美という言う方があるが、まさしくそういうものを感じる。しかも人を殺すシーンでのはなし。並大抵の監督でないことは確かだ。映画でしか表現できないスケール感を持っている。テレビ映画じゃとてもじゃないけど、こんな映像は間違っても作れない。

『トワイライト 初恋』 (Twilight)

2008年・アメリカ 監督/キャサリン・ハードウィック

出演/クリステン・スチュワート/ロバート・パティンソン/ビリー・バーク/アシュリー・グリーン/ニッキー・リード

何の情報もなく観始まる映画には、とりあえず興味を惹かれるので、少なくともその時間だけは楽しい。見終わって調べてみると、原作があって全世界で4200万部も読まれているシリーズだと知っても、へぇ~と驚くばかり。3流映画の雰囲気は最初から最後まで変わらない。途中では4流映画に転落する場面もあるが、まぁ~いいか!としか言いようがない。

ドラキュラ伝説は欧米では根強く残っているかもしれないが、日本人にとってみると心底理解できようもない。主人公は高校生、アメリカでは高校生が自分の車で平気で通学している。転校生は日本と同じように、クラスに気軽に溶け込めない様子があって、どことなく親しみやすい。転校元の土地柄を揶揄されたり、結局若者の心根は世界各国あんまり変わらない。こんな事柄が映画の中に出てくる。

アメリカ人の映画作りの根幹思想は「愛」なのだろうと思う。これをきちんと抑えていれば、そのほかのことはどうでもいいやという感じが伝わってくる。そうか「愛」か、そんなものは縁がなかったような気もするが、それに替わるものはいつも持っていたような気がしないでもない。

『ノウイング』 (KNOWING)

2009年・アメリカ 監督/アレックス・プロヤス

出演/ニコラス・ケイジ/チャンドラー・カンタベリー/ローズ・バーン/ララ・ロビンソン/ベン・メンデルソーン/ナディア・タウンゼンド

1.5流の映画が2流になり、さらに3流になって行く様がよく見える。出だしは好調なのだが、時間が経つ毎にどんどん3流になって行くのは、どうしたことだろう。いわゆるCGとかいう奴を駆使して、アクション画面が頻繁する。こういうアクションを見せつけられると、昔の映画のアクション場面などみられたものではなくなってくるけれど、それはアクションというシーンだけの話。やっぱり技術に溺れて、映画本来のあるべき姿から離れていってしまう。

SFチックで好きな映画なのだけれど、荒唐無稽の話になって行くのがちょっとねぇ~。未来を予見できる能力なんてあるはずはないのだけれど、憧れの能力を目の前にしてしまうと、新機軸のSFシーンに見入ってしまうことも確か。何かほんの少しだけでも、超能力の片鱗を持っていないだろうかと生きてきたけど、やっぱりなんにもなさそうだ。

地球が無くなるといったはなしは数多くあるけれど、この映画のストーリーがそっちの方向に向かうとは、ちょっと意外だった。まだまだ何億年も存在しそうな地球という星、儚い世紀末論が無くては宗教も成り立たないだろうから、人間は都合良くいろいろなことを考えるもんだと、感心させられることが多い現世。


2018年5月8日 意図することなく再び観たので記す。

『ノウイング』(Knowing)

2009年・アメリカ 監督/アレックス・プロヤス

出演/ニコラス・ケイジ/チャンドラー・カンタベリー/ローズ・バーン/ララ・ロビンソン

ディザスター・ムービーという言葉の遣い方があり、ナニコレ?と思いながら調べてみた。パニック映画または災害映画(disaster film)と説明があったが、災害とパニックは同じに並ぶものなのか。大きいジャンルでのパニック映画の中に災害や大惨事など突然の異常事態映画があるのだとばかり思っていた。

この映画はSF映画だった。小学校を卒業するときにタイムカプセルに入れたものに、主人公の書いた摩訶不思議な数字の羅列があった。50年後にその紙が一人の現役小学生に渡されることになった。大学で数学を教えている父親がその数字に興味を持ち、分析してみると驚くべき真実が見つかった、というもので、とてもディザスター・ムービーというジャンル分けが正解だとは思えないが。

未来を予知する能力って、本当に信じる人がいるのだろうか。偶然が重なれば信じるに足る現実を見ることになるが、もし間違いなく見えるのなら、・・・・。そんなことはあり得ない。あってほしいとは思うが、あり得ない。念力で物体を動かして見せたりするのはトリックに過ぎない。マジシャンがやっているのは超マジックであって、マジックなのだ。振り込め詐欺にあう人がいるのも信じられないが、実際にいるのだから不思議だ。映画の主人公は50年間にわたる世界の大惨事の日付と死亡者数そしてその事件が起こった経度と緯度を書いていた。映画だからこそあり得る夢物語だ。

『幸せのポートレート』(The Family Stone)

2005年・アメリカ 監督/トーマス・ベズーチャ

出演/サラ・ジェシカ・パーカー/ダイアン・キートン/クレア・デインズ/レイチェル・マクアダムス/ダーモット・マローニー

この頃めぼしい洋画がなく邦画ばかりの録画鑑賞となっていたので、久しぶりの洋画に喜んだ。でも一度間違いなく見ていることが分かったが、この最近観た映画欄には記述がなく、ちょっとみてあ~この映画って面白かったよね、と自問自答しながら観始まった次第。そんなこともあり楽天ネットレンタルのスポットを使い、DVD7枚(洋画のみ)、CD2枚(Jポップ)を借りた。キャンペーン期間だったので、なんと1枚10円送料600円合計690円だった。製作中のパソコン・ソフトDVDFab8・9、DVDコピーの具合を確かめる意味もあって、早々と適当なタイトルを選んだので、この欄に書くときにどんな不平不満を書き出すのか不安。

この映画はやっぱり面白かった。毎年クリスマスになると、男兄弟3人と女姉妹2人が実家に集まってくる。この人物設定がめちゃめちゃ面白く、それが映画のポイント、テーマとなっている。一番下の弟は聾唖者、家族は全員手話を交えて会話をしている。しかも彼はゲイ、実家を訪れるときも「彼」と一緒なのだが、母親も父親もそれを極く普通のように承知している。「生まれつき左利きなのか、右利きなのかと同じように、ゲイなのかそうではないのかはそれだけのこと。」と、言い切ってしまえる母親が凄い。家族は全員言いたいことを言い、辛辣な会話を楽しんでいるようにも見える。

そんな家族のクリスマス・デーに神経質で気難しい女性が、長男のフィアンセとして登場する。面白くないわけがない。日本語題名と原題とは全く関係がない。日本語題名の意味は、他の映画とも同じように、観れば分かるというみなもと、写真のことではあるが。原題の「Family Stone」は、母親がその母親から受け継いだ「指輪」のことだと思う。その指輪を長男があげたい人が出来たら、あなたに渡すよと約束していたことが、物語の核をなしている。珍しく自分でストーリーの一部を書いてしまった。この程度で全部が分かるはずもないので、いいだろうと言い訳する。

『カルメン故郷に帰る-デジタル・リマスター版-』

1951年(昭和26年)・日本 監督/木下惠介

出演/高峰秀子/佐野周二/笠智衆/小林トシ子/井川邦子/坂本武/佐田啓二

戦後、アメリカから輸入されたカラー映画に刺激され、日本でも本格的なカラー映画を製作しようとする機運が高まっていた。日本最初のカラー映画としては1937年の『千人針』があったが、フィルムは国産ではなかった。松竹ではトーキーに続く「日本初」を目指し、富士フイルムと協力してカラー映画を製作することを決定した。しかしカラー映画には技術やコストの面で問題が多く、松竹と富士フイルムは、万一『カルメン故郷に帰る』がカラー映画として満足のゆく出来にはならなかった場合は、カラー撮影そのものがなかったことにしてフィルムを破棄し、従前のモノクロ映画として公開することを内約していた。このため『カルメン』はまずカラーで撮影を行い、それが終わってから改めてモノクロの撮影を行うという、二度手間をかけて撮り上げた作品となった。 ~ Wikipediaより

主人公は家出をして東京でストリッパーとなった娘が、故郷に錦?を飾るという物語。初めての「総天然色」だということで、ことある毎にカラーを意識させる映像ばかりが目立つ。洋服も赤や黄色に黒のシマウマ模様だったり、野原と空を対比させる構図だったり、白樺の白や柵に白樺を使い目立たせたり、内容よりも初めての色物という重圧に押しつぶされているような感じがした。

たわいないストーリーはやっぱり物足らない。この当時としては高峯秀子の太股が見られるだけでも、映画館に行く価値があったのかもしれない。映画の興行を強く意識させられる映像。映画の原点だけれど、今となっては初カラー映画以上のお勧め処はない。

『きな子~見習い警察犬の物語~』

2010年(平成22年))・日本 監督/小林義則

出演/夏帆/寺脇康文/戸田菜穂/山本裕典/広田亮平/大野百花

香川県を舞台に、警察犬試験に何度も失敗し挑戦し続けるラブラドール・レトリバーの「きな子」と、訓練士を目指す少女の実話に基づいた作品である。きな子は香川県の丸亀警察犬訓練所に実際に所属しており、そのドジっぷりを地元瀬戸内海放送のテレビ番組で紹介されて以来、「ズッコケ見習い警察犬」の愛称で地元住民からの人気を集めている。 ~ これだけで見た気になれる映画。

動物映画はずるい。人間よりもはるかに心に訴えるものだから、大したことのないストーリーでもちょっと見入ってしまう。一度見入ってしまえば、動物の自然体に惹かれてしまう。この映画の出来はいい。ストーリーが弱いので、積極的に他人にお勧めできるものではないが、小学生にはピッタンコの映画だ。こういう映画を観て、映画館に通う喜び、楽しみを見つけてくれたら、と思う。

夏帆という役者の顔が覚えられない。前回彼女を見た映画でも同じようなことを言っていたような気がする。名前よりはだいぶ印象が若い感じがする彼女、特徴のないのが特徴と言えるようなどこにでもいそうな娘にみえる。それでいいのだろう、それが彼女の特徴なら。

『プライド』

2008年・日本 監督/金子修介

出演/ステファニー/満島ひかり/渡辺大/高島礼子/長門裕之/黒川智花/由紀さおり/五大路子/ジョン・カビラ/新山千春

一条ゆかりによる日本の漫画が原作だと言うが、漫画そのもに疎いので、どれだけ売れて読まれていても、その存在さえ知らなかった。そもそも題名だけで録画をし、後から観ているので、邦画なのか洋画なのかさえ分からずに観始まるのが常。今回も例外に漏れず、邦画なら屁でもないのだろうと観始まった次第。

ベタなストーリー展開から、これは少女漫画が原作に違いないという感じが強くなった。見終わって調べたらその通りだったので、したり顔の自分がいた。そんなことよりも何よりも、女のイジメ、ねたみ、そねみ、意地悪、などが見事に発生してきて、なるほどこれが少女漫画の原点なのだろうと、納得充分。なかなか面白い世界を見せてもらった。少女漫画を10冊分読んだ後のような気分。

劇中の音楽シーンが予想以上に素晴らしかった。普通なら口パクの雰囲気が伝わってきて興醒めするところだが、そんな様子もなく本人が本当に歌っているように見えるのが自然でいい。本人の歌なら、たくさんの二重丸をあげたいくらい上手い。真偽の程は分からない。満島ひかりは何かの映画を観たとき、この娘は将来大成するな、といつもの勝手な評価をしていた。今回の映画ではその片鱗をいかんなく発揮しているように思う。テレビ芸人ではない本物の女優になって欲しい。思いがけない拾い物のをした。

『ジャイアンツ』 (Giant)

1956年・アメリカ 監督/ジョージ・スティーヴンス

出演/エリザベス・テイラー/ロック・ハドソン/ジェームズ・ディーン/マーセデス・マッケンブリッジ

ジェームズ・ディーンの出演作品は、『折れた銃剣』(Fixed Bayonets!・1951年)、『底抜け艦隊』(Sailor Beware・1952年)、『Has Anybody Seen My Gal?』(1952年)、『Deadline - U.S.A.』(1952年)、『勝負に賭ける男』(Trouble Along the Way・1953年)、『エデンの東』(East of Eden・1955年)、『理由なき反抗』(Rebel Without a Cause・1955年)、『ジャイアンツ』(Giant・1956年)。1955年9月、ジャイアンツの撮影1週間後、24才の若さで自動車事故のため死亡して伝説の人となった。作品名を見ても分かるように、まさしくこれからというときにいなくなってしまった。次回作に予定されていた『傷だらけの栄光』(Somebody Up There Likes Me・1956年)の主役はポール・ニューマンが演じることとなった。

この映画での主役は、エリザベス・テイラーでありロック・ハドソンである。脂の乗りきったエリザベス・テイラーは、大河ドラマのように娘から母親、おばあちゃん役までをこなしている。全編3時間21分の超大作だが、あと1時間長くても良かったのではないかと思えるくらい、充実した内容とそれでも描ききれない長編ストーリーだ。

テキサスという土地のまだまだ発展していない様子が映し出される。テキサスNO.1の大牧場主である主人公の持つ土地は、59万5千エーカーだという。調べてみたら大ざっぱに1エーカーは1200坪らしいが、掛け算して総坪数を出したって、想像すら出来ない広さだ。この時代には人種差別が顕著であり、特に南部ではまだ問題意識にもなっていなかった。ジェームズ・ディーンは屈折した青年を演じていた。それでもこういうゆったりした、全体的におおらかな雰囲気の映画を観ていると、心が柔らかくなって行くのが分かる。ちまちました現世の毎日は、生きている意味さえも分からない人生そのもののような気がする。今日は2012年(平成24年)12月19日、この欄を書くようになってからずいぶんと長くなった。

『息子』

1991(平成3年)年・日本 監督/山田洋次

出演/三國連太郎/永瀬正敏/和久井映見/田中隆三/原田美枝子/浅田美代子/山口良一/浅利香津代/ケーシー高峰

『学校』(1993年・平成5年)は住友商事の知人が映画製作に掛かり合っていたので、完成試写を観たりして真面目なテーマをよく映画として見やすいものにしたな、という印象が強かった。その2年前にこういう伏線があったのかと納得した。題名からして映画館に足を運ぶのは躊躇う。テレビ録画放映だって、とりあえず見てみようかという消極的な気分で見始まった。山田洋次監督にはいつも裏切られてしまう。どうしてこんな重いテーマを普通に描けるのだろうか。肩に力が入っていない自然体の映像やセリフが、観客の肩の力も抜かせる。

三國連太郎は山形に住む妻を亡くした老人、山形弁がわざとらしくなく、聞いていて不思議なくらい自然に聞こえる。テレビ、映画で役者が喋る方言は、どう考えたって演技しているとしか見えたことがない。役者が上手いのか方言指導者がいいのか、監督の指示が的確なのか、全部が良いからこその結果なのだろう。

21年前の映画で、その時代の世相を映す映像には、懐かしみを感じる。田舎から出て来て団地に住み、毎日朝早くから夜遅くまで働き蜂が飛んでいる東京。日本ヘラルド映画は10時から6時と、重役出勤のようなタームテーブルで、そんなに一般的な話をするのも不適当だが。年老いた親を引き取って同居すべきかどうかなどというテーマも、その頃では普通に語られていた風景だった。和久井映見が初々しい。「凄く現実感のある映画」という評があるとすれば、そういう表現が一番相応しいような気がする。

『社長三代記』

1958年(昭和33年)・日本 監督/松林宗恵

出演/森繁久彌/小林桂樹/越路吹雪/雪村いづみ/加東大介/三木のり平/有島一郎

『社長シリーズ』第4作目だという。リアルタイムの映画館でこの映画シリーズを観たことはない。おそらく今公開されたとしても、映画館まで出かけて観る気にはならないだろう。寒い冬の部屋で温かい緑茶を飲みながら、黒蜜の羊羹でもあればいうことないが、ホットカーペットの上に座り、毛布かなんかを身にまとい録画テレビを観ているのが、人生の幸せを感じようというものだ。

「不適切な表現があるけれど、オリジナリティーを尊重してそのまま放映します。」といった類の断り書きが必ず現れるこの時代の映画、一体どの言葉が不適切なのか分からないで見終わってしまうことが多い。勝手に差別用語だと決めつけて遣わなくしている言葉が結構多い。バッカみたいと思うけれど、こういうところが最近の日本のコンサバ傾向を如実に表している。ほんと、バッカみたい。

この社長シリーズの功罪は枚挙にいとまないと勝手に思っている。ごますり社員、社長の交際費、無能役職者、陰の実力者、といったありそうでなさそうなことが映画の笑いの源となっている。それを見せつけられた現役サラリーマンは、新橋の飲み屋で上司の悪口を言って、憂さを晴らしている姿が現実だったような気がする。サラリーマンは面白い。

『やじきた道中 てれすこ』

2007年(平成19年)・日本 監督/平山秀幸

出演/中村勘三郎/柄本明/小泉今日子/ラサール石井/間寛平/國村隼/笹野高史/藤山直美/安倍照雄/笑福亭松之助

中村勘三郎を偲んでというサブタイトルが付いた放映。こんな映画があったことすら知らなかった。話は落語、それを芸達者たちが演じるものだから、最初は舞台を観ているような錯覚に陥った。だいぶ慣れてくると、今度はちょっと消化不良なストーリーが気になってくる。

30年前の小泉今日子と面と向かって昼弁を食べた仲、といっても向こうは間違っても覚えていないだろうが、毎回この話を持ち出し自慢話をしている。こんな風に年を取るとは想像もつかなかった。いい歳のとり方をしている。化粧法も昔から比べれば数段進歩して、金さえ出せば若さを装える時代となった。若い頃にはこんなに鼻が高かったかな~、と思えるくらいの高さがあるのが驚く。トム・クルーズのように、ちょっと微笑んで演技する癖が彼女にも見受けられ、私一人が共通点を発見したと喜んでいる。

この日ちょうど、仕事で忙しかった小泉今日子が勘三郎宅に弔問に訪れたというニュースがあった。人間の世界は不思議が一杯。神の仕業としか思えない現象が、次々とやって来ては人間世界を脅かす。どれだけの才能があっても、どれだけの偉業を達成したとしても、107才まで生きた人と57才で亡くなった人との差は、なんと50年にもなる。極く極く当たり前の話だが。

『桜田門外ノ変』

2010年(平成22年)・日本 監督/佐藤純彌

出演/大沢たかお/長谷川京子/柄本明/生瀬勝久/渡辺裕之/加藤清史郎/中村ゆり/渡部豪太/須賀健太/本田博太郎/温水洋一

キャッチコピーは「幕末リアリズム。日本の未来を変えた、史上最大の事件。」だという。公式サイトでスペシャル動画『幕末通信 立川談春の3分でわかる『桜田門外ノ変』』が配信された。 ~ このことを知らない。 10月4日以降各局でテレビ特番『公開直前!映画「桜田門外ノ変」徹底解剖スペシャル』が放送された。 ~これも知らない。 また『サムライ・シネマキャンペーン』と題し、『十三人の刺客』『雷桜』『武士の家計簿』『最後の忠臣蔵』と併せて、2010年公開の時代劇映画5作共同のキャンペーンも行われた。 ~ この三つとも全く知らないイベント。

Wikipediaより ~ 『桜田門外ノ変』(さくらだもんがいのへん)は、吉村昭の歴史小説。また、これを原作とした2010年10月16日公開の日本映画。江戸幕府大老・井伊直弼が暗殺された桜田門外の変とその前後の顛末を、襲撃を指揮した水戸藩士・関鉄之介の視点から描いている。『秋田魁新報』(1988年10月11日から1989年8月15日)など地方紙各誌に連載された後、加筆改稿を経て1990年に新潮社から単行本が刊行された。「桜田門外ノ変」の表記は、当時の資料の一部で用いられていたものである。単行本あとがきによれば、桜田門外の変に関心を持った吉村は、1982年~1983年頃から資料集めを始めていた。執筆に当たって吉村は、まず東京大学史料編纂所の教授も務めた吉田常吉を訪ね、その勧めによって関鉄之介を主人公とした。関が暗殺の現場指揮者で事件の全てに立ち会っており、また多くの日記を残していることから、吉村も関以外に主人公とすべき人物はないと判断したのである。吉村は単行本あとがきでまた、江戸幕府崩壊の過程と「大東亜戦争」の敗戦の類似を感じるとし、桜田門外の変と二・二六事件とを重ね合わせている。

骨太で、最近の日本映画では珍しいくらい正統派、東映という映画会社らしい実直な映画という感じがする。前段にも引用したが、幕末の気骨ある武士たちの心情は、戦争時代の青年将校の状況に似ているな、と観ながら思ったことは確か。1860年3月3日の出来事、あと7年待っていれば大政奉還になった。と思うのは間違いで、水戸脱藩士がいたから明治維新が始まったのだと考えるのが正しいのだろう。西郷隆盛の江戸城入城の最後のシーンで、馬上桜田門にさしかかったときに、「ここから始まった。」というセリフが歴史を証明している。国を憂いて行動する若者は、今の時代では到底考えられない夢物語となってしまった。

『チャーリーズ・エンジェル』(Charlie's Angels)

2000年・アメリカ 監督/マックG

出演/ドリュー・バリモア/キャメロン・ディアス/ルーシー・リュー/ビル・マーレー/サム・ロックウェル/ティム・カリー

アンジェリーナ・ジョリーの女アクションを観てから、前の時代の女アクションを見ると、ちょっと物足らないし、第一この役者たちでは「漫画」だなという印象が強い。面白くないという訳ではないが、軽快なストーリーや金をふんだんに使っている製作熱意は間違いなく伝わってくるが、どうしても軽すぎる感は否めない。それでもいいのだ。こういうジャンルの映画としては出色だろう。

こんな裏話があった。 ~ エンジェル探しが難航したが、結局キャメロン・ディアス、ドリュー・バリモア(本編制作者、友人のディアスに出演も依頼)、ルーシー・リューの3人が演じた。監督は多くのミュージック・クリップやCMを手がけてきたマックGで、最先端のVFXが駆使され、ワイヤーアクションも話題を呼んだ。

同名テレビシリーズの映画化。2003年に続編『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』が公開された。何も考えずに映画に見入る時間が持てるのも、こういう映画ならでは。見終わった時に、頭に何も残っていない状態で劇場を出、友人と近くの喫茶店に入って、今観た映画の話などまったく話題にもせず時間を潰せるような映画。ちょっと言い過ぎかもしれないが、そんな感じの映画、悪くはない。アホなテレビのバラエティー番組を見るくらいだったら、何十倍も充実した時間を過ごせる。

『E.T. 20周年アニバーサリー特別版』 (The Extra Terrestrial)

2002年・アメリカ 監督/スティーヴン・スピルバーグ

出演/ヘンリー・トーマス/ドリュー・バリモア/ピーター・コヨーテ/ディー・ウォレス/ロバート・マクノートン

映画を見ない人もこの題名は知っているだろう。20年も過ぎてしまうと、金字塔を建てたこの映画も、そんなに何処が面白かったの、と問われたら、具体的に説明出来るほど明確なものはもっていない。映画は時代を映すものと言われる所以がこれだ。その時代に作られた映画は、その時代に見ることが肝心。先を見越していろいろな手法や技術や風俗や世界観を、どれだけ鏤めたとしても、時代が移ってしまえば、良い映画であることだけが残り、臨場感という最も重要な要素は昔のものとなってしまう。いい映画であることには間違いないが、今の映画ではない、どんな映画もそうなのだ。特にこの映画のことを言っているのではない。極く極く一般的なはなし。

公開から20年を経て、人形(パペットや着ぐるみ)で作られたE.T.を最新技術のCGで作り直し幾つかの場面を修正および追加しているという。リジナル版ではカットされていた「バスタブでのシーン」や「ハロウィンのシーン」が、最新技術での編集により公開可能な水準に達し20年を経て初めて追加された。主人公達を追いかける警察官の手から拳銃とショットガンが取り除かれ、トランシーバーなどに変更。これに伴いショットガンのクロースアップのカットと「銃はやめて。相手は子供なのよ!」というセリフは削除された。父親になって以降のスピルバーグが常に変更を望んでいたシーンである。また、劇中における「テロリスト」という台詞が「ヒッピー」に変更された。公開前年の2001年に発生したアメリカ同時多発テロ事件の影響を考慮したものと推測される。という面白いエピソードがあった。

ちょうど今見かけている『チャーリーズ・エンジェル』にドリュー・バリモアが出ていて、20年前のE.T.の子役をやっていたのが彼女だと初めて知った。子供の頃も、大人になっても同じようなぽっちゃりした顔立ちが愛らしい。おそらく映画ファンならこれくらいのことは間違いなく知っていることなのだろうが、監督も役者にも興味がなく、ただいい映画だけが観たい、と必死に思っている自分にとっては、目新しい情報で嬉しかった。本来はそうすべきなのだ。あの映画を作った監督がこの映画を作り、あの映画であんな役をやった役者が、今度はこんな映画でこんな役をやっている、という情報は、決してマイナスになる材料ではない。ただ、映画をそういう視点からばかり見ていると、まったく素な心境で、映画にのめり込むことは難しくなり、ちょっとオタクっぽい映画観客にならざるを得なくなってくることも確か。どちらがいいかは、自分で決めるしかない。

『三等重役』

1952年(昭和27年)・日本 監督/春原政久

出演/森繁久彌/小林桂樹/新珠三千代/加東大介/坪内美詠子/雪村いづみ/浪花千栄子/草笛光子/高見淑子/横山道代

小説『三等重役』は、源氏鶏太が昭和26年から昭和27年まで、週刊誌『サンデー毎日』)に連載した、毎週読みきので長篇小説。日本が太平洋戦争に降伏後、連合国軍最高司令官総司令部の指令により、特定の関係者が公職に就くことを禁止された公職追放のお陰で、平サラリーマンが臨時に重役になったことから三等重役という呼ばれ方をしたという歴史があった。ずーっと、才能のない単なる重役のことかと思っていた。題名ひとつにも時代を映す背景があることを、あらためて学んだ。

昭和21年1月4日附連合国最高司令官覚書「公務従事に適しない者の公職からの除去に関する件」により、以下の「公職に適せざる者」の追放することとなった。1.戦争犯罪人 2.陸海軍の職業軍人 3.超国家主義団体等の有力分子 4.大政翼賛会等の政治団体の有力指導者 5.海外の金融機関や開発組織の役員 6.満州・台湾・朝鮮等の占領地の行政長官 7.その他の軍国主義者・超国家主義者。 この覚書を受け、同年にさらに公職追放令、翌年の「公職に関する就職禁止、退官、退職等に関する勅令」で改正され、公職の範囲が広げられて戦前・戦中の有力企業や軍需産業の幹部なども対象になった。その結果、1948年5月までに20万人以上が追放される結果となった。政治家は衆議院議員の8割が追放されたが、世襲候補[1]や秘書など身内を身代わりで擁立し、議席を守ったケースも多い、という。これが日本の戦後の始まりの歴史なのだ。

東宝の「社長シリーズ」の草分け的存在で、森繁久彌はまだ社長ではなくごますり人事課長を演じていた。彼はこの時39才、顔や声は歳をとってからもほとんど変わらなかった雰囲気。若い頃の方が、嫌みもなく、結構爽やかな中年を演じている感じがする。源氏鶏太もそうだが、サラリーマンを描いている物語は、身につまされることが多々あり、それなり以上の興味と好奇心で鑑賞出来るのがいい。昭和27年、社長には2号さんや愛人、お妾さんといった存在が当たり前のようにいて、大らかと言うべきか何と言うべきか、時代を感じる事柄であることには違いない。

『シェアハウス』

2011年(平成23年)・日本 監督/喜多一郎

出演/吉行和子/佐伯めぐみ/浅田美代子/木野花/牧田哲也/高橋愛/坂上忍/大杉漣/榎木孝明/劇団ひとり

いきなり日本映画であることが分かり、興醒めしながら鑑賞が始まった。おもいのほか重苦しくない日本映画で、軽過ぎる雰囲気でもなく、テレビ映画の4時間ドラマくらいの重みがあった。ストーリー的には分かりやす過ぎるきらいがあり、映画館で観る映画としては、ちょっと物足りない。テレビのスペシャルドラマとして放映するなら、良くできた映像だと誉められるだろう。

主役4人の女性で一番若い娘の顔が分からなく、一体誰なんだろうと終始気になっていた。主役クラスで顔も知らない娘に出会うことは希だ。見終わってから調べたが、この映画の他には何も出演していない雰囲気で、Wikipedia にも一切記事が掲出されていない。その割りにはオフィシャル・サイトが存在しているのが、さすが今風の人間。佐伯めぐみという娘だったが、極く普通の美人形で、この程度なら残念ながら再度出演を依頼されるまでには至らないのだろうと、勝手に想像している。役者も大変だ。特殊な顔をしていたり、特殊な技を持っていなければ、ただ美人だけでは、誰も使ってくれない。分かってはいるけれど、一般大衆の役以外を演じるのには、余程のことがなければ役は廻ってこない。

湘南海岸という日本有数の憧れの地に、4人の女性がシェアハウスするという話。家を建てるお金の問題とか権利の問題とかには一切触れず、表面的なことのみ映像化するのは、爽やかだが。海の見える部屋を望んでいる今の気持にはピッタンコ。湘南は高くてとてもじゃないけど夢でしかない。交通不便でもいいから、高台から見下ろせる海がある部屋がいい。どうなることやら*`)(&$”!

『警察日記』

1955年(昭和30年)・日本 監督/久松静児

出演/森繁久弥/伊藤雄之助/三國連太郎/三島雅夫/十朱久雄/宍戸錠/二木てるみ/杉村春子/東野英治郎/飯田蝶子

出演者クレジットの1枚目には3人の名前が、当然縦書きで右から森繁久弥/伊藤雄之助/三國連太郎の順番になっていた。宍戸錠は(新人)というクレジットが。どうもこの映画が彼のデビュー作品らしい。会津磐梯山が見える小さな町が舞台。全編を通して『会津磐梯山は宝の山よ~♪』という唄やメロディーが流れている。懐かしさと共に、郷愁を強く感じさせるこの音楽に、ちょっと涙ぐんだかもしれない。

角隠しを着けた花嫁と親戚一同が乗り合いバスに乗って、結婚式に向かう風景が時代を感じさせる。後半にも同じように蒸気機関車に乗り込むシーンも出て来た。田舎の警察署はてんやわんや、それでもこれでもかという程の人の良い警察官ばっかりの登場で、同じ日本人ながら、異国の情景を見る思いがする。外国から見れば、今の日本でさえも、これに近いような光景に見えるのだろうと思えたりもする。一杯飲み屋で愛知県から来たという労働監督署の輩が、酔っぱらって喧嘩をし、「俺を誰だと思っているんだ!役人だぞ!」と言うと、相手がかしこまってしまうのには驚かされる。

役所の縦割りはこの時代も顕著、今でもちっとも変わっていない。戦争で頭が変になった人がここでも現れる。それでも、時代を映すさまざまな光景の全てが優しい。こんなにも人間は優しくなれるものなのだろうか。他人を見る眼差しが、優しさに溢れている。こうやって育ってきたのかもしれない、と思うだけで気持が良くなる。そんなことを感じさせる映画。昭和30年、小学2年生だった。

『大洗にも星はふるなり』

2009年(平成21年)・日本 監督/福田雄一

出演/山田孝之/山本裕典/ムロツヨシ/戸田恵梨香/安田顕

2006年12月に劇団ブラボーカンパニーが恵比寿・エコー劇場で上演した舞台劇 (2009年12月9日より同劇場で再演)、およびそれを原作とした 2009年11月7日公開のコメディ映画。という説明を読んでもまったく分からない。早々に5倍速にしてしまった久しぶりのもの。映画と呼ぶには、あまりにもお粗末すぎて、これ以上何かを書くのすら躊躇われる。

日本映画の栄華は何処へ行ってしまったのだろう。

こんな映画を作って、こんな映画に出演して、映画人と自称するのはやめて欲しい。映画評論家という職業も、あくまでも自称でしかないが、こんなヤワな映画を評価する映画評論家などひとりもいないことを願う。もっとも、早回しすぎて一体何が映画の中で起こっているのかさえ分からない。それでも映像を流しているだけでも、つまらなさが伝わってくるのだから、もうどうしようもない映画というほかない。

『隠し剣 鬼の爪』

2004年(平成16年)・日本 監督/山田洋次

出演/永瀬正敏/松たか子/小澤征悦/吉岡秀隆/田畑智子/高島礼子/光本幸子/田中邦衛/倍賞千恵子/小林稔侍/緒形拳

国内の映画賞を独占し、米国のアカデミー外国語映画賞にもノミネートされた『たそがれ清兵衛』(2002年)に続き、山田洋次が藤沢周平の小説を映画化した本格派時代劇の第2弾。藤沢周平の作り出す架空の「藩」、『海坂藩』という設定がいかにも東北地方の純朴な世界を想像させて、読者や観客に心地良い雰囲気を伝えてくれる。「お忘れでがんすか?」とか「もう忘れたでがんしょ!」といったセリフを聞いていると、ひとりでにその世界に引き込まれていってしまう。

「寅さん」の映画を観ているだけでは、山田洋次の素晴らしさは分からないが、こういう映画を観ると、この人は才能のある監督なんだな~ということが、よく分かるような気がする。日本映画の特徴である「長回し」「ダラダラ感」「饒舌」と言った類の欠点が、まったく見られないのがいい。

辛抱強い東北の人達の性根を見る思い。昔の日本人は、東北人でなくとも、少しは辛抱強かった気がする。我々の子供の時を思い起こせば、よくもここまで来たもんだ、と我ながら感動したりもする。自分の生まれてくる国も時代も選べない人間の誕生という神秘的な現象、この海坂藩という空想の世界に夢を馳せるのも悪くはないな、という気分にさせてくれる映画だ。

『花嫁の父』(Father of the Bride)

1950年・アメリカ 監督/ヴィンセント・ミネリ

出演/スペンサー・トレイシー/ジョーン・ベネット/エリザベス・テイラー/ドン・テイラー/ビリー・バーク/レオ・G・キャロル

いやぁ~面白いですね~。物語は題名から想像がつく範囲のものであるが、こんなに面白いとは、大変驚いた、というのが正直な感想。コメディー的要素もふんだんに入っているが、いちいち喋られるセリフがいい。身につまされることもあり、この時代のアメリカ中流家庭よりちょっと上のクラスの生活が、今の日本でも全然違和感なく受け容れられる。この映画を土台にして多くの映画が世界中で作られたのではなかろうか、と想像に難くない。

エリザベス・テイラーは18才で、20才の花嫁役を演じている。すでに貫禄充分で、どう見たって20代なかばは過ぎているよね、と見入っていた。この時代のアメリカ人は結構早婚だったようだ。今から62年前の映画、エリザベス・テイラーは生きていれば80才、2011年3月に亡くなっていた。

娘が3人もいれば、この映画の主人公「花嫁の父」の心境は一応分かるつもり。一人くらいは、場末の飲み屋でジャズでも歌っていてくれないだろうか、という夢のような儚い望みは、まったく影にもならなかった。とりあえず結婚式で2人を送り出したが、3人目は結婚式もせず子供が二人いるのにもかかわらず、先日離婚してしまった。一人くらいなどと呑気に構えていると、今時は何が起こっても不思議のない現実が待っている。長生きして悪夢を見るだけになってしまわぬよう、神頼みするしか術はない。

『キングダム・オブ・ヘブン』(Kingdom of Heaven)

2005年・アメリカ 監督/リドリー・スコット

出演/オーランド・ブルーム/リーアム・ニーソン/ジェレミー・アイアンズ/エヴァ・グリーン/エドワード・ノートン

十字軍とは、中世に西ヨーロッパのキリスト教、主にカトリック教会の諸国が、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のことである。一般には、上記のキリスト教による対イスラーム遠征軍を指すが、キリスト教の異端に対する遠征軍(アルビジョア十字軍)などにも十字軍の名称は使われている。実態は必ずしも「キリスト教」の大義名分に当て嵌まるものではなく、中東に既にあった諸教会(正教会・東方諸教会)の教区が否定されてカトリック教会の教区が各十字軍の侵攻後に設置されたほか、第4回十字軍や北方十字軍などでは、正教会も敵として遠征の対象となっている。また、目的地も必ずしもエルサレム周辺であるとは限らず、第4回以降はイスラム最大勢力であるエジプトを目的とするものが多くなり、最後の十字軍とされることもある第8回の十字軍は北アフリカのチュニスを目的としている。 ~ Wikipediaより

ずーっと、世界史で十字軍という言葉は有名だし覚えていると勘違いしていた。あらためて調べ直して、今ようやくその実態が理解出来た。映画を観た直後なので、今度はしっかり覚えていられそうだ。映画の舞台は1187年フランスというクレジットが映し出され、第3回十字軍の記録と符合する。なるほど、キリスト教、イスラム教両方の聖地であるエルサレムは、今でも続く紛争の種を宿しているのか。リドリー・スコット監督は、グラディエーター(Gladiator・2000年)で アカデミー作品賞を獲得している。1979年には『エイリアン』(Alien)を監督、33年の時を経てエイリアンの前日譚となる監督作品、3D映画『プロメテウス』が2012年6月に世界公開された。

宗教を信じられる人は仕合わせだ。ひとつのことを信じられること自体が奇蹟に近い。凡人は、右に向けという人がいればそっちを向き、左を向けという人がいれば今度はそっちを向く。どちらが好きなのか、どちらが正しいと思うのか、と問われても、自分では判断がつかない。流されて、流されて、人生という航路も波まかせというのが現状だ。何かを信じて生きられるほど、賢明でもなければ、愚鈍でもない。ただひたすらに、ほんの先に見える道しるべを頼り、少しづつ足を前に進めるのがやっとの人生。

『この愛のために撃て』 (A BOUT PORTANT)

2010年・フランス 監督/フレッド・カヴァイエ

出演/ジル・ルルーシュ/ロシュディ・ゼム/ジェラール・ランヴァン/エレナ・アナヤ/ミレーユ・ペリエ/クレール・ペロー

この陳腐な邦題は何?と文句を言いながら、おそらく50年前、1960年代の映画だろうと予測しながら見始まった。いきなり製作年が2010年と表示されて、予測違いも甚だしい。映画は最初からノンストップ・アクションの様相を呈し、軽快に進行して行く。

これまでにあったような人質もので、普通に展開するだろうという予測は、ここでもはっきり裏切られた。さすがフランス人、しつこく内容を突き詰めている。警察内部の勢力争いが事件の発端だという謎解きのような手がかりは、さっさと明かしてしまい、そうではないはらはらドキドキ感を随所にちりばめて飽きさせない。細かい神経が行き届き、現実感と映画感との狭間を行くような物語と映像。映画館で観たらきっと、「あぁ~、疲れたなぁ~」と溜息をつきながら、暗闇から大通りに出て行く風景が浮かぶ。

同じアクション映画でも、アメリカ映画とフランス映画の違いは大きい。これでもか、これでもかと畳みかけてくる感覚はよく似ているが、そのしつこさの質が違うように思う。からっとアッケラ感なのがアメリカ、ねちねちとしつこいのがフランスだろうか。この映画は意外とあっけらかんとしているが、殺され方や、殺された死体の見せ方などに、アメリカではないドロドロを見る。平気で同僚の警察官を撃ち殺してしまうほど、アメリカは成熟していない。もっと建前に似たモラルを前面に出した社会のように感じる。愛人の存在を質問された大統領が、「それが、何か?」と、平然と答えられるフランス魂が、歴史の重みを背負った国民のように見える。

『リオ・グランデの砦』 (RIO GRANDE)

1950年・アメリカ 監督/ジョン・フォード

出演/ジョン・ウェイン/モーリン・オハラ/ベン・ジョンソン/クロード・ジャーマン・Jr./ヴィクター・マクラグレン

1880年、メキシコ国境近く、リオ・グランデ河のスターク砦。昔からの定番、砦に立てこもり攻めてくるインディアンという光景ではなかった。全体的に情に流されている物語は、ダラダラと極めて切れ味の悪い映画となっている。先日観て褒めちぎった『捜索者』(THE SEARCHERS・1956年)とはだいぶ出来合いが違う。ジョン・ウェインは43才、晩年の作品で見る彼の姿の二回りくらい引き締まって、小さく見えた。相変わらず俳優の名前が確かではなく、モーリン・オハラという女優はこの人だったのかと、あらためて記憶にとどめた?

ジョン・フォード監督作品の中の『アパッチ砦』、『黄色いリボン』と並んで「騎兵隊三部作」と評される最終作だという。若かりし頃に聞いた「リオ・グランデ」という言葉は、あっちこっちに出て来た映画の中での砦の名前だったのか、それともこの映画のことを特定していたのか、今でも分からない。

長くなるが Wikipedia の解説が面白かったので引用する。 ~ ジョン・フォードはこの作品を作る予定は最初はなかった。1936年に企画した『静かなる男』を製作するために、B級映画3本の映画製作契約を結んだ。しかし、当時の社長がこの芸術色の強い内容である『静かなる男』の製作に対して、いい顔をしなかった。しかし、フォードは負けずに訴え続けた。条件としてまず映画を1本撮って、それが大ヒットしたら『静かなる男』の製作を許可すると提示された。早速フォードは、『アパッチ砦』、『黄色いリボン』と同じくジェームズ・ワーナー・ベラの短編小説『記録なき作戦行動』を原作に、赤狩りに巻き込まれ仕事を干されていたジェームズ・ケビン・マクギネスを脚本家に任命。当初は『リオ・ブラボー』という名の仮タイトルをつけ、夫婦愛や家族関係などのエッセンスを盛り込んだ。キャスティングも、ウェインの妻役に『静かなる男』でも女房役となるモーリン・オハラを起用。このウェインとオハラのコンビは、息の合った演技を見せ、『静かなる男』だけでなく『荒鷲の翼』、『マクリントック』、『100万ドルの決斗』でもそのコンビネーションを披露した。制作費は『アパッチ砦』の半分である123万8000ドルに絞られた。そのせいで、ベン・ジョンソンとハリー・ケリー・ジュニアは出演料を値切られた上に、カメラアングルや俳優の衣装にまで注文をつけられた。なお、ベン・ジョンソンとハリー・ケリー・ジュニアは、2頭の馬に跨るハイレベルな乗馬術であるローマ式立ち乗りをフォードからマスターするよう命じられる。2人は3週間でこの乗馬方法を身につけ撮影ではノースタントで挑んだ。結果的に、この作品は大ヒットしたことによりフォードはようやく『静かなる男』の製作に取り掛かる事が出来た。

『オーシャンズ13』(Ocean's Thirteen)

2007年・アメリカ 監督/スティーブン・ソダーバーグ

出演/ジョージ・クルーニー/ブラッド・ピット/マット・デイモン/アンディ・ガルシア/アル・パチーノ/エレン・バーキン/ドン・チードル

『オーシャンズ11』(Ocean's Eleven)は2001年に公開されたアメリカ映画で、ダニエル・オーシャンと彼が率いる10人の仲間がラスベガスのカジノの金庫破りに挑む犯罪アクション。1960年公開の『オーシャンと十一人の仲間』のリメイクである。ハリウッドを代表する豪華な俳優が何名も登場することでも有名。2005年に続編の『オーシャンズ12』が公開され、2007年にシリーズ3作目のこの映画『オーシャンズ13』が公開された。

仲間のルーベンが悪名高いウィリー・バンクに裏切られ、そのショックで心筋梗塞で倒れたと聞き、ダニー・オーシャンと仲間が急遽ラスベガスへやってきて、またとてつもない計画を実行する。よくある金庫破りではなく、今回の大泥棒は今までにはなかった思考を凝らし、最初から最後まで飽きさせない。こういう映画作りが、映画らしい映画と呼べるだろう。『ボーン~』シリーズで主役を張って活躍しているマット・デイモンも、この仲間に入るとひよっこのような存在でしかないのが可笑しい。

ストーリーの中でルーベンが、何度も「シナトラと握手した」というセリフが出て来た。これは、「フランク・シナトラと関係下にあった」ということである。シナトラ一家と呼ばれ、その信頼関係は非常に厚いもので有名である。また、『オーシャンズ11』のオリジナルである1960年公開の『オーシャンと十一人の仲間』において、シナトラはダニー・オーシャンを演じた。さらに、エンドクレジットが映り出す頃、シナトラが歌う『This Town』が流れる。ラスベガスとシナトラは切っても切り離せない。だんだん薄れてゆく、古き良き?時代。

『ニューヨークの恋人』 (KATE & LEOPOLD)

2001年・アメリカ 監督/ジェームズ・マンゴールド

出演/メグ・ライアン/ヒュー・ジャックマン/リーヴ・シュレイバー/ブレッキン・メイヤー/ナターシャ・リオン/ブラッドリー・ウィットフォード

ケイト(KATE)はこの映画の女主人公、レオポルド(LEOPOLD)はもう一人の主人公、男。男は1876年のニューヨークから現代のニューヨークへタイムスリップしてきた。女はバリバリのキャリア・ウーマン。男がタイムスリップしてきたのには、ひとつの訳がある。この手の話は大好きなので、最初から画面(スクリーンではないのが残念)にかじりついていた。

「ニューヨークの恋人」?、どう考えても見たことあるよなぁ、と録画の時に飛ばしてしまい、2度目くらいでこの最近観た映画リストに載っていないことを確認してから、ようやく録画と相成った。こんな極く極く普通すぎる題名を付ける方が罪だ。見始まった瞬間に、これは見たことがない作品だと確信が持てるのも久しぶり。テレビ局も何度も同じ映画を放映するものだから、こちらがしっかりしていないと、何度でも録画をしてしまう。たぶん今でも変わっていないと思うが、テレビ局と配給会社との放映契約は、2年間で3回とかの契約をすることが多かった。その2年が終われば、今度ははるかに安い金で別の局に、また売り飛ばすのだ。見ている方の側にたてば、どの局で放映したかの歴史など覚えていないから、日本に権利がある限りは、視聴率がとれる映画なら、何度でも放映されるという仕組みになっている。元々の権利者が売り止めしない限りは、何度でも売買される。

先日観た西部劇と同じような時代ながら、さすがニューヨークは都会っぽく描かれていて、コマンチ族と戦っている騎兵隊の匂いは全くしてこない。アメリカにも貴族社会があったのか、とちょっと不思議な感覚で見ていた。ヨーロッパからの落ちぶれた貴族が、アメリカに金持ちの貴族を捜しにやって来たと、この映画の主人公は語っている。オーチスというエレベーターの発明者がいるのだが、この映画で19世紀からタイムトラベルしてきてケイト(メグ・ライアン)と恋に落ちるエレベーターの発明者レオポルド(ヒュー・ジャックマン)のモデルである、という解説を見つけた。

『捜索者』 (THE SEARCHERS)

1956年・アメリカ 監督/ジョン・フォード

出演/ジョン・ウェイン/ナタリー・ウッド/ジェフリー・ハンター/ウォード・ボンド/ヴェラ・マイルズ

最初から面白い。という印象は間違っていなかった。1987年4月、ハリウッド100年を記念して選ばれたアメリカ映画ベスト作品の中で、西部劇部門のベスト1に選ばれた不朽の名作、とある。西部劇だが、時代が西部劇とその小道具があるだけで、物語はいつの時代にも通用するもの。だから名作と呼ばれるのだろう。

時は1868年テキサス、といきなりクレジットが現れる。南北戦争(American Civil War)は、1861年~1865年、アメリカ合衆国に起こった内戦である。奴隷制存続を主張するアメリカ南部諸州のうち11州が合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまった北部23州との間で戦争となった。南部軍人として戦ってきた主人公には、いわゆる南部魂がもの凄くあるように見える。といっても、南部魂って何?と言わざるを得ないが、何度も見てきた西部劇に少しは何かが擦り込まれている。日本でも明治維新が1867年だから、地球上のいろいろな国が同じような動きをしていた。同じように発展しないのは中国や韓国、そこが尊敬されないところなのだろう。

騎兵隊も民間人も、インディアンと戦っていた。この映画でのインディアンは「コマンチ族」、さらわれた小さな娘が5年間もコマンチに育てられた。母親はそのコマンチに殺されてしまったが、義弟にあたる主人公が姪をひたすら捜し回る物語。この頃の外国映画に対する邦題は、直訳の場合がほとんどで、この映画でも味気ない日本語直訳邦題となっている。西部に生きる人達の非情なまでの割り切り方があり、それでいて温かい思いやりがあり、有り体に言えば理想的な人間像を映画は映し出している。「・・・男は心と魂を求めて・・・」と最後にクレジットされるが、そうだよね!と納得するほど映画に引き込まれてしまった。

『サラリーマンNEO 劇場版(笑)』

2011年(平成23年)・日本 監督/吉田照幸

出演/小池徹平/生瀬勝久/伊東四朗/大杉漣/篠田麻里子/麻生祐未/宮崎美子/平泉成/沢村一樹/田口浩正/中越典子

2年連続で国際エミー賞にノミネートされるなど、人気だけでなく高評価も得ているNHKのコント番組が、小池徹平を新キャストに迎えて映画化。『劇場版…』は、TVシリーズの世界観やテイストはそのままに長編ストーリーを導入。生瀬勝久、沢村一樹らレギュラー陣が、個性豊かなサラリーマンたちを演じている。 ~ というぴあ映画生活の解説を見て、もの凄く新鮮な気持ちになった。

2004年3月26日に単発番組として放送。視聴者からの反響が好評であったため、同年8月12日にも単発番組として第2弾を放送。という歴史があった。コントやショートドラマ中心のバラエティ番組。2006年のseason1まで、正式名称は『謎のホームページ サラリーマンNEO』(なぞのホームページ サラリーマンネオ)だった。という説明も見つけた。確かに時々チャンネルを回している時、この番組らしきものに出会ったことはあるが、きちんと番組を見たことがなかった。それ故、新鮮な気持ちでこの情報に接した。

録画を見始める前は、また三谷幸喜のつまらない映画だろうと、勝手にこの題名から内容を予測した。始まって、一体何カ所で「くすり#&’”」と笑うことがあるだろうと、タカをくくっていた。結局笑う場面はなかったが、それ以上に大変皮肉っぽくサラリーマン生活をおチョクっていた姿勢に惚れた。NHKは凄いね。ありとあらゆるジャンルの番組を製作し、民放などよりはるかに完成度が高い。その番組を基にして、劇場用映画を作ってしまうのも凄いが、映画としてもなかなかのものだと感じた。フジテレビや日本テレビの大衆におもねた映画作りとは、ひと味もふた味も違っていて、妙に感心させられてしまった。

『東京五人男』

1945年(昭和20年)・日本 監督/斎藤寅次郎

出演/横山エンタツ/花菱アチャコ/古川緑波/柳家権太楼/石田一松/戸田春子

なにしろ時代背景が凄い。昭和20年8月15日終戦の3ヶ月後、11月20日にクランクインしらというから、ぶったまげてしまう。映画の中にはロケではとても再現出来そうもない本物の焼け跡、東京が映っている。都電はもう走っている。都電の走る道の両側は、ほとんどがガレキ。ぽつん、ぽつんと焼けなかった家が残っている。主人公たちの住んでいるバラック小屋も酷い。吹けば飛ぶような構えの家だ。映画の中では実際に飛ばされ、流されるシーンが盛り込まれている。よくぞ這い上がったな、と感動に近いものが込み上げる。それにひきかえ、現状の東日本大震災の罹災地はどうだ、情けないやら哀しいやらで、二重に胸が押しつぶされる。

5人男のひとり石田一松という人が面白い。昔よく聞いたことがある「のんき節」で人気を博した“インテリ・時事小唄・法学士”演歌師だという。メロディーを聞いて子供の頃を思い出したりした。「~凡て内密で取引きするのが闇取引きで御座います。帝国議会の闇取引きは秘密会議と申します~ハハのんきだね~」などと当時の軍部や政治権力、社会の矛盾を辛辣に批判。歌詞内容が今の時代と寸分違わないのも可笑しい。『わたしのラバさん 酋長の娘 色は黒いが 南洋じゃ美人』という唄も作っている。この映画の翌年、タレント議員・第一号として衆議院議員となった。選挙期間中「~地盤とカバンは有りませんけど、看板だけなら日本中~ハハのんきだね~」などと演説の間に持ち歌を歌って人気を集めたらしい。面白い時代だ。

このエネルギーはどこから来るのだろうか。マニフェストとか称して、やれもしないことを掲げながら、掲げていないことを決めてしまう現政権民主党は、この主人公たちの爪の垢でも煎じて飲まなければいけない。エンタツ・アチャコ・ロッパと言っても、何のことだか分からない人種ばかりの時代になってしまった。ここまで生きているとは予測だにしない年頃となって、これからの人生がまったく見えない、そう、人生とは面白いを体感出来る楽しさがある。強がりを言っている!

『嗤う伊右衛門』

1997年(平成9年)・日本 監督/蜷川幸雄

出演/唐沢寿明/小雪/香川照之/池内博之/椎名桔平/六平直政/井川比佐志/藤村志保/MAKOTO/松尾玲央

お茶の宣伝かい、と思える題名だが、れっきとした京極夏彦による日本の小説。第25回泉鏡花文学賞受賞作、第118回直木賞候補作が原作だった。いきなり監督が蜷川幸雄だとクレジットされたので、これは面白いわけがない、と覚悟を決めた。

その覚悟が見事にあたり、ものの5分もしないうちに早回しとなった。2倍速は音が聞こえるので、日本映画の場合は適当であると、いつも書いてきたが、さすがに3倍速以上になると、物語も進行もなにひとつ分からず、困ってしまうのが現状。だが、苦にならないのは、どういう訳だろう。結局40分くらいで見終わってしまったが、見たとは言えない時間。失礼な話だよね、本当に!

面白いことに、最後の頃になって、この映画観たことあるような気がするなぁ~、と思い始めた。その時は、もしかすると別の映画で、同じ話だったのでは、などと思ったのだが、後で調べてみたら、この映画しかないようだ。確かに2度目だったと確信するに至ったが、おそらく1度目も早回しで、ほとんど記憶に残っていなかったのだろうという結論に達した。早回しをすると、セリフがなくなるケースが多いので、役者の挙動だけが目に入る。それにしても全員、多少オーバー演技に見えたのは、こちらの心が曲がっているせいなのだろう。

『ソウル・キッチン』(Soul Kitchen)

2009年・ドイツ 監督/ファティ・アキン

出演/アダム・ボウスドウコス/モーリッツ・ブライブトロイ/ビロル・ユーネル/アンナ・ベデルケ

録画する時に邦題を見て韓国映画だったら見るのはやめておこう、単に舞台が韓国なら見てもいいかな、なんて的はずれなことを思っていた。韓国ソウルの英語表記は、「Seoul」だった。この映画のソウルは、あの「魂」のことで、「ソウル・キッチン」という主人公の経営する食堂の店名だった。

ドイツ映画も滅多に観る機会がないが、しかもコメディーとは。日本ヘラルド映画が配給して大ヒットした『U・ボート』(Das Boot・1981年)のように戦争映画なら話は分かるが、とドイツに対する先入観はかなり強い。この映画は純粋なドイツ人のドイツ映画ではなさそうなテイスト。というのも、主人公兄弟の苗字が(カザンザキス)であることや登場人物友人たちの振る舞い、食堂でのメニューなどを見ていて、これは何処の国?と訝ってしまっていた。映画の言語にギリシャ語があることなどを後から知り、はは~ん、これはギリシャ人が大きく関与したドイツ映画なんだろうと勝手に悟った。舞台はドイツのハンブルグ。

アメリカ映画とはまったく違う進行の仕方。メリハリがないというか、自由奔放というか、あまり心地良くない作りになっている。面白くないわけではないが、面白いとは言えない。主人公の兄弟、夫婦、経営するぼろレストラン、これだけが素材で料理されている。ドイツ人というよりは、むしろギリシャ人という気質がぷんぷんする、ちょっと毛色の変わった映画とでも言っておこう。

『ダイヤモンド・イン・パラダイス』 (AFTER THE SUNSET)

2004年・アメリカ 監督/ブレット・ラトナー

出演/ピアース・ブロスナン/サルマ・ハエック/ウディ・ハレルソン/ドン・チードル/ナオミ・ハリス/クリス・ペン

いやぁ~日本語題名からして、どう考えたってお気軽映画にしか見えない。どの程度軽くて、どのくらいつまらないのか、そういう興味で観始まった。内容は「泥棒成金」のはなしだった。大昔テレビシリーズでこれと同じような泥棒成金の番組があったが、あれは凄く面白かったと今でも記憶に残る。わずかな記憶を辿れば、主役はシャルル・ボワイエ、もしかすると全く見当違いなことを言っているのかもしれないけれど、たぶん合っているだろう?$?

舞台はバハマ、西インド諸島にある島国で、イギリス連邦の加盟国であると同時に英連邦王国の一国たる立憲君主制国家であるという。西インド諸島という直感的に戸惑ってしまう地域、海を隔てて北西にアメリカ合衆国のフロリダ半島が、南西にキューバが、南東にハイチが存在する、と言われれば、あぁ~あそこね、となんとなくイメージ出来る。あのウサイン・ボルトの国ジャマイカは、キューバを挟んで反対側に位置する。

一度は行ってみたいこのあたり。もう海外旅行は無理だろうな、と何となく思っているが、よれよれで本当に無理になってしまったら、やっぱり悔しい思いしか残らないだろうな。今までは海外旅行といえば歴史のある地域、といつも考えていた。ただ海を見ているだけでは我慢が出来なかったのかもしれない。今なら何処でもいい、新鮮な空気と爽やかな風が吹いていれば、何も言うことはない。

『将軍家光の乱心・激突』

1989年(平成元年)・日本 監督/降旗康男

出演/緒形拳/千葉真一/丹波哲郎/織田裕二/二宮さよ子/京本政樹/松方弘樹

テレビ映画のような題名だが、れっきとした劇場映画。アクション監督として千葉真一が名を連ね、役者としてもここぞのシーンを演じている。冒頭から軽快に話が展開し、日頃のちんたらムードの日本映画とは一線を画するような出来映えに見えた。

『少林寺2』や『酔拳2』に出演した中国人俳優・胡堅強(フーチェンチアン)が様々な中国武術を披露し、時代劇初出演の織田裕二もほんの少し活躍している。『タワーリング・インフェルノ』、『炎の少女チャーリー』で、炎に焼かれる人々を手がけたファイア・スタント・コーディネーターのジョージ・フィッシャーが、終盤の「人馬もろとも、火だるまになりながら疾走する」というアクション効果を担当した。

さすがにアクションはなかなかのもの。後半1/3は、このアクションシーンの連続で、ちょっと飽きてくるのが欠点。江戸時代の将軍、世継ぎ、女たちをめぐるドロドロとした話を、もっとうまく料理出来たのではなかろうかと残念がる。あれもこれもと、いいとこ取りは、出来そうで出来ない。アクションがメインになれば、犠牲を払うシーンも多々。それでもかなりのお金が掛かっていて、ずいぶんと映画館で観なければいけない映画になっている。緒形拳、丹波哲郎も凛々しい。

『ガンヒルの決斗』 (LAST TRAIN FROM GUN HILL)

1959年・アメリカ 監督/ジョン・スタージェス

出演/カーク・ダグラス/アンソニー・クイン/アール・ホリマン/キャロリン・ジョーンズ/ブラッド・デクスター/ブライアン・ハットン

ガンヒルとは町の名前。この町までは列車が来ていて、原題にそれが入っている。西部劇の時代にも列車がどんどん線路を延ばしていったようで、馬と拳銃と汽車という西部劇の風景が小道具として不可欠。

いつも言う、何でもありの西部劇の題材、今回も又ユニークな話が展開されている。どうしようもない馬鹿息子が、親友のコマンチ族の妻を強姦し殺したって、見逃してくれと親友である保安官に頭を下げる。馬鹿息子ほど可愛いものなのか、このあたりの人間心理は西部劇ならずとも、世界中のいつの時代にも通用する話。西部劇では、それが法律ではなく実力、実行力によって決着出来るところが、話が簡単でいい。

50年以上前の映画だから評価するのではない。ただ単純に面白い。登場人物の言葉のやりとりに、多くの感情が込められていて、余計な演技や、不必要なシーンもないのがいい。西部劇は観るまでの勇気がいるのだが、観始まるといつも面白く、そのギャップに常に悩まされている。

『フレンチ・コネクション』 (THE FRENCH CONNECTION)

1971年・アメリカ 監督/ウィリアム・フリードキン

出演/ジーン・ハックマン/フェルナンド・レイ/ロイ・シャイダー/トニー・ロー・ビアンコ/マルセル・ボズフィ/フレデリック・ド・パスカル

カリフォルニア州サン・バーナディノ生まれ。本名はEugene Alden Hackman。イングランド系の血を引く。16歳のとき、年齢を詐称して海兵隊に入隊。中国の駐屯地でラジオ放送のDJを務めた[2]ことから演技に興味を持つようになる。除隊後様々な職を経験。その後イリノイ大学でジャーナリズムなどを学んだ。
30歳を過ぎてから俳優を志すようになり、パサディナ・プレイハウス[2]やリー・ストラスバーグ主催のアクターズ・スタジオでダスティン・ホフマンとともに演技を学んだのち、ニューヨークへ渡る。ホフマンが多数の映画に出演しスターダムへ上り詰める一方、ハックマンは舞台やテレビドラマで端役しか与えられず、鳴かず飛ばずの状態が続いた。
ブロードウェイでの公演を観たロバート・ロッセン監督に見出され『リリス』で映画デビュー。1967年にアーサー・ペン監督の『俺たちに明日はない』に主人公クライドの兄バック役で出演。映画出演3作目で第2回全米批評家協会賞の助演男優賞を受賞。第40回アカデミー助演男優賞にもノミネートされ、37歳にしてようやく脚光を浴びた。
1970年に『父の肖像』で再度アカデミー助演男優賞にノミネートされると、翌1971年に出演したウィリアム・フリードキン監督の『フレンチ・コネクション』での演技が認められ、第44回アカデミー主演男優賞を獲得。一躍世界中の知るところとなった。同作品で演じた粗暴なコワモテ刑事ドイルの愛称ポパイは、現在に至るまで彼の愛称として親しまれている。
その後も『ポセイドン・アドベンチャー』、『スケアクロウ』、『ミシシッピー・バーニング』といった大作・名作に立て続けに出演。主演から脇役まで、また悪役から三枚目まで幅広い役柄をこなす俳優としてアメリカを代表するトップスターに上り詰めた。中でも『スーパーマン』で演じた悪役・レックス・ルーサーは、2006年に公開されたリメイク版の『スーパーマン・リターンズ』でケヴィン・スペイシーがハックマンと見まがうほど役に入り込んで演じたことで、話題が再燃した。
1990年には心臓発作を起こして引退も考えたが、その後も映画に出演。病を克服して自分でも忘れるほど多くの映画に出演したことでタフガイの名をほしいままにした(しかし2004年のインタビューで俳優業の引退を公言)。1992年に出演したクリント・イーストウッド監督の映画『許されざる者』で第65回アカデミー助演男優賞を獲得。2002年にはゴールデン・グローブ賞の功労賞にあたるセシル・B・デミル賞を受賞した。

 すべて Wikipedia より引用した。リアルタイムで観ていなければならない映画。映画界に入る前だった。映画界に入ってからだって、それほど観ていないので、単なる言い訳。だから今となって映画鑑賞意欲が強い。そんなことで威張るな!


『フレンチ・コネクション2』 (FRENCH CONNECTION Ⅱ)

1974年・アメリカ 監督/ジョン・フランケンハイマー

出演/ジーン・ハックマン/フェルナンド・レイ/ベルナール・フレッソン/ジャン・ピエール・カスタルディ/キャスリーン・ネスビット/フィリップ・レオタール

1作目が大ヒットしたので、当然2作目が製作された。2匹目のドジョウを狙うのは映画界では規定の方針。この時代、まだ2作目で終わっただけましな方、普通で行けば4作目くらいまではいけそうな感じのシリーズ。

1作目と同じシーン、フランスの「マルセーユ」というスーパーが入っている風景から始まる。1作目では「ポパイ」の活躍場所は、アメリカ・ニューヨークが舞台だったが、今回は全編マルセーユという設定。昔ながらの足で稼ぐ刑事スタイルが懐かしい。今時の刑事ドラマは、科学的な証拠に基づいた推理、展開が見事すぎて、身体を張った警察官という印象が薄くなっている。まだまだ犯人を追いかけられる体力を持っている。ジーン・ハックマンの髪の毛もふさふさとまではいかないが、縮れ毛の雰囲気が何となく若々しい。

言葉が通じないアメリカ人の刑事がフランスで活躍するのは難しい。といった初歩的な話が筋書きになるほど、まだまだ素直な世の中だった。生身の人間が体当たりで演じる映画にも、作られた映画という雰囲気はなく、良くやるなぁ~といった感想が思わず出て来てしまう。

『バーン・アフター・リーディング』(Burn After Reading)

2008年・アメリカ 監督/イーサン・コーエン/ジョエル・コーエン

出演/ジョージ・クルーニー/フランシス・マクドーマンド/ブラッド・ピット/ジョン・マルコヴィッチ/ティルダ・スウィントン

このカタカナ・タイトル「バーン・アフター・・・」「バーン・アフター・・・」と何度も唱えながら、これはどういう意味だろうと考えながら観始まった。いきなり日本語で喋り出したので、一旦止めたのだが、C.I.Aがらみで面白そうな出だしだったので、ついつい再開した。タイトル・ロールに著名な俳優がたくさん出て来たので、観てもいいかなぁという気になったことも確か。ジョン・マルコヴィッチが出てるなら、それなりに面白さもひと味違うだろうと思ったりもした。

なんと映画界でヒットを飛ばしているコーエン兄弟制作のコメディ映画だということは、後から知った。第65回ヴェネツィア国際映画祭オープニング作品で、2008年9月12日に北米公開し、北全米興行収入初登場1位を記録し、コーエン兄弟の映画としては最大級のヒット作となったという。面白くなかったのは私だけなのだろうか。このアメリカ的笑いには、とてもじゃないけど腹の底から笑うという雰囲気にはなれなかった。2008年度のゴールデングローブ賞のミュージカル・コメディ部門において作品賞と主演女優賞にノミネートされたが、受賞には至らなかった、という結果を知って、何故かひと安心。

吹き替え番だったことも面白くない原因のひとつだったろう。この頃のテレビ放映は、BSでさえも吹き替え番が横行し、ちょっと始末に負えない。劇場での洋画公開も、吹き替え番が多くなり、昔のアメリカでの映画公開の様相を呈してきた。今はどうなのだろう?アメリカでの外国映画の公開は、ほとんどが吹き替え版だったと聞かされていた。英語スーパーを入れても、英語を読めないヒスパニック系がメジャーな映画観客では、映画館に足を運んでくれないと思われていたらしい。こうやって、まったく違う意味でも、日本もどんどんアメリカナイズされ、スーパー・インポーズなど読めても、読むのが面倒だという人がメジャーになってゆくのだろう。文化程度は徐々に落ちて行き、あの中国と同じようになってしまうのではないかと、千年後の心配をしている。ちなみに、タイトルは秘密の命令書に必ず頭書される注意書き「読後焼却のこと」の意だった。



2023/8月 再び観たので記す

『バーン・アフター・リーディング』(Burn After Reading)

2008年・アメリカ 監督/イーサン・コーエン/ジョエル・コーエン

出演/ジョージ・クルーニー/フランシス・マクドーマンド/ブラッド・ピット/ジョン・マルコヴィッチ

CIAを舞台にしたコメディなんて、なんぼコーエン兄弟の制作といえど、詰まらないものは詰まらない。CIA分析官のオズボーン(オジー)・コックスは、アルコール問題が原因で職務を解任され、怒りのあまり退職した。そしてCIAでの出来事の暴露本執筆を目論む。という始まりだが、半分寝てしまった。

『近距離恋愛』 (MADE OF HONOR)

2008年・アメリカ 監督/ポール・ウェイランド

出演/パトリック・デンプシー/ミシェル・モナハン/ケヴィン・マクキッド/シドニー・ポラック/キャスリーン・クインラン

題名からして軽く、どんな映画なのだろうと興味津々だったが、軽い割りには面白く、飽きさせないで最後まで楽しんでしまった。今の自分にはこのくらいの雰囲気の映画がちょうどいいな、というのが率直な感想。こんな映画ばかりを見ていれば、当然もっとシビアなものをと思えてくるだろうが、その時の気分で映画の感想も大いに変化して、作る方はたいへんだなぁ~。

アメリカでは花嫁の介添人という存在が、結婚式では当たり前のようになっている。そんなことをあらためて教えてくれる。その介添人の中でもさらに介添人代表を務める人を指名して、結婚式前から盛り上げてゆこうとする、アメリカ社会らしい楽しみ方が伝わってくる。学生時代からやりまくっていた主人公の男が、セックス無しに10年来の付き合いだった女友達の介添人代表をやってよ、と頼まれたところからコメディーが始まる。さりげないお笑いをふんだんにちりばめて、映画を作って行くのはさすがだ。ただ、この程度の映画を映画館で観ようと思うのは、現在進行中のカップルくらいしかいないだろうな、と勝手な想像をしてしまう。

男が女友達の介添人、と紹介された相手の家族は、「ゲイよ!」と勝手に決めつけてしまうあたりが、現代社会。一番近いところに最も大切な人がいる、というのが邦題の主旨なのだろうが、これはちょっと考えすぎの題名で、近距離恋愛という響きから来る題名とは内容が違うので、違和感ありありの題名付けとなってしまっている。

『バロン』 (he Adventures of Baron Munchausen)

1989年・イギリス 監督/テリー・ギリアム

出演/ジョン・ネヴィル/エリック・アイドル/ユマ・サーマン/ロビン・ウィリアムズ/オリヴァー・リード/サラ・ポーリー

この頃映画を観る回数が確実に減っている。1日1本のノルマは達成出来ないでいる。さすがに録画鑑賞がメインでは、見るに耐える確率の低さに反省の心あり。何が面白いのか全く分からない映画。大人の絵本といった印象が強く、物事を知り尽くした人向けの、大人の物語を映画化したんだという感じ。ぴあ映画生活に書かれていた要旨を読めば、映画を観た気にもなれるかもしれない。

ドイツで語り伝えられた有名な物語『空想男爵の冒険』の映画化。製作費75億円という巨費を投じて作られた圧倒的な映像の世界は観る者の創造力を快く裏切り、興味は尽きるところがない。時は18世紀。トルコ軍支配下にある城塞を救おうとする老男爵ミューヒハウゼンが、とてつもない能力を持った昔のお供の者たちを探し求めていく冒険の数々。

題名の訳は「ミュンヒハウゼン男爵の冒険」。さすがに飽きて、後半は久しぶりの早回しとなった。監督テレンス・ヴァンス・ギリアムは、アメリカ生まれのイギリスの映画監督。イギリスのコメディグループ「モンティ・パイソン」のメンバーの一人。ちょっと毛色の変わった映画を作っているが、それなり以上に通好みの監督のようだ

『フィリップ、きみを愛してる!』 (I LOVE YOU PHILLIP MORRIS)

2009年・アメリカ 監督/ジョン・レクア/グレン・フィカーラ

出演/スティーヴ・マクヴィカー/ジム・キャリー/ユアン・マクレガー/レスリー・マン/ロドリゴ・サントロ/フィリップ・モリス

フィリップは男、愛している相手方も男、そうこの話は主人公二人ゲイのはなしなのだ。ぴあ映画生活によれば、実在する服役囚の半生を描いたノンフィクションに基づく、ユニークな人間ドラマ。愛する者のために犯罪と逮捕、投獄と脱獄を繰り返した詐欺師の物語が、キャラクターの豊かなバイタリティを伝えつつ展開しているそうだ。そしてまた、映画ジャンルは、ラブ・ストーリーで、気分は爽やかな感動が味わえます。だそうな。

アメリカ映画では、ゲイの出て来ない映画はないのではないかと思われるほどの繁盛ぶり。たとえ登場人物にそれらしき人がいない時でも、セリフの中に「 Are You Gay ? 」という文句が出て来たりするのである。よく分からないその心情、日本にだって男が惚れたくなるような男、という表現があることにはあるが、それが同性愛に繋がるとは昔の人間には及びもつかなかった。

考えてみれば男と女の組み合わせしかないよりは、選択肢が増えることは人間生活の活性化になるのかもしれない。既に「先進国」では同性の結婚が法律で認められている時代、いろいろな分野でまだまだ後進国である日本の人間意識は、どの位遅れて欧米に追いつくのだろうか。それとも、永久に排除する思想なのだろうか。

『プーサン』

1953年(昭和28年)・日本 監督/市川崑

出演/伊藤雄之助/越路吹雪/小林桂樹/八千草薫/木村功/小泉博/菅井一郎

「クマのプーサンではありませんよ!」とNHK司会者小野文恵さんと解説の山本晋也監督が言う。毎日新聞夕刊に昭和25年から昭和28年まで連載された、横山泰三のニュースを風刺した4コマ漫画が原作。当時の東京の風景が随所に出て来て、それを見ているだけでも興味深い。銀座の通りを信号のないところで渡るのは普通だったようだ。銀座三越の店構えも、へぇ~こんなにみすぼらしいのと声を出したくなるほどの体裁。自分の住んでいた田舎とは段違いの都会であったと思っていたが、まだまだ日本全体が貧しい国だったということが、風景からも感じ取れる。

越路吹雪は大した芸人だと思うが、その顔立ちが好きになれず、もったいぶった歌い方も好きではなかった。この映画当時は29才、嫌いな顔立ちが晩年よりももっと際立っていて、どうもおばさん顔が不気味な感じ。演技は上手いし、文句の付け所はなさそうだが、ちょっと遠慮したい。それにひきかえ八千草薫のかわゆいこと、歳をとった今でも愛らしいおばあちゃんになっているが、若い頃の目立ち方は凄い。

大学を出ても職はなく、と今と同じような社会情勢。それでも大学だけは出ておいた方がいいよ、と母親は力説する。それどころか、今は職がなくても中学出ではなく大学出の人と結婚しなさいと、娘を諭すのだった。少しは意識が変化しているように思うが、根本的なところでは変わりようのない日本人のDNA。映画も4コマ漫画のように進行が速く、後を振り返らないような作り方が目新しい。ダラダラとなかなか進まない最近の日本映画には、こういう良い手本を見習って欲しい。

『三人の名付親』 (THREE GODFATHERS)

1948年・アメリカ 監督/ジョン・フォード

出演/ジョン・ウェイン/ペドロ・アルメンダリス/ハリー・ケリー・Jr/ジェーン・ダーウェル/ベン・ジョンソン/メエ・マーシュ

何でもありの西部劇ストーリーの中でも異色の作品かもしれない。ジョン・フォードとジョン・ウェインのコンビは、一体何本の映画を作ってきたのだろう。映画評論家と言われる人種は、そういうことをきっちりと調べて、さも昔から自分が知っていたかのように書くのを職業としている。

西武の荒くれ男たちが、天から授かった子供の命に対して、これほどまでの敬意と尊敬の念を抱いていたのか、ということにひどく驚かされる。好き勝手に生きてきて、やれ子供が出来てしまったから結婚するだの、嫌いになったからすぐ離婚するだのと、根本的にどこかタガが弛んでしまっている現代人には、こういう映画をじっくりと観ることをお奨めする。

映画製作情報が面白い。 ~ 本作はクリスマス時期の興行を目的として製作された、宗教的要素の強い映画である。カリフォルニア州のモハーベ砂漠で、32日間のロケ撮影が行われた。本作は、同じくジョン・フォード監督による、同一原作を元にした1919年の無声映画『恵みの光(Marked Man)』のリメイク作品であり、1947年に亡くなった旧作の主演者ハリー・ケリーに捧げられている。なお、『恵みの光』のフィルムは現存しないとされている。旧作の主演者ハリー・ケリーはジョン・フォードの盟友であり、ハリーへの追悼と、その息子であるハリー・ケリー・ジュニアを世に出すということを目的に製作された作品でもある。ピーター・B・カインによる原作は何度も映画化されており、上記『恵みの光』以外にも同じくジョン・フォード監督による『光の国へ』、『三人の父親』、『ブロンコ・ビリーと赤ん坊』、ウィリアム・ワイラー監督の『砂漠の精霊』などが『三人の名付け親』以前に製作された。

『ワーロック』 (WARLOCK)

1959年・アメリカ 監督/エドワード・ドミトリク

出演/リチャード・ウィドマーク/ヘンリー・フォンダ/アンソニー・クイン/ドロシー・マローン/トム・ドレイク/ウォーレス・フォード

西部劇にはたくさんの舞台がある。この映画は「ワーロック」という小さな町を舞台としている。無法者に蹂躙された町や町民が、最後には一致団結をして無法者たちと戦うことになる。そんな勇気が出るまでは、自分たちのお金で「保安官」を雇わなければならなかった。雇った保安官とその相棒が問題だった。この辺りが映画としての真骨頂。

悪人は悪人らしく、善人は善人らしい顔をしているのが、とっても分かり易い。メイキャップにもよるのだろうが、意識してそういう顔を作っているのだろうと思う。今の日本映画のように、どの映画に出たって、同じような顔立ちと同じような喋りでは、テレビドラマの延長戦でしかなく、やっぱり底が浅すぎると感じてしまう。

西部劇は映画ストーリーの百貨店のようなもの、という印象が強くなってきた。それこそ活動劇から恋愛もの、教会ものから人権運動ものまで、ありとあらゆる分野の要素が入っている。それが不思議と違和感なく受け容れられている。この頃では映画のネタ切れ現象が起こっていて、日本の漫画ストーリーももう何もなくなったという状況にあるようだが、原点に返って、西部劇を作るつもりなら、何でも出来そうな気がしてならない。

『マッケンナの黄金』 (MACKENNA'S GOLD)

1969年・アメリカ 監督/J・リー・トンプソン

出演/グレゴリー・ペック/オマー・シャリフ/テリー・サヴァラス/キーナン・ウィン/エドワード・G・ロビンソン

初期正統派西部劇は、騎兵隊とインディアンとの戦いだった。この頃になると、さらに話を面白くするために、いろいろな話のネタをつぎ込んでくる。今回はアパッチ族に伝わる黄金伝説だ。欲の皮の突っ張った者どもが、我先にと黄金のありかを目指している。そこに本当の悪者が首謀者となり、話を盛り上げて行く。

最初から最後まで飽きさせないアメリカ映画らしい、王道を行く西部劇だ。女の執念や愛憎劇も織り交ぜ、この時代には憧れにも見える「特撮」をも駆使し、映画らしい映画を作っていた時代の象徴品のようなもの。

それにしても人間の金に対する執着心は昔も今も変わらないようだ。黄金があると分かれば、貞淑な女性も一瞬の戸惑いにうち拉がれる。西部劇らしく、人の殺し合いには遠慮がない。ぐじぐじと殺したりする場面を多く語らない。むしろ殺してしまった後に訪れる、人間関係の描き方が驥尾だ。たまには西部劇がいい、といつも思う。

『人生万歳!』 (WHATEVER WORKS)

2009年・アメリカ 監督/ウディ・アレン

出演/ラリー・デヴィッド/エヴァン・レイチェル・ウッド/パトリシア・クラークソン/エド・ベグリー・Jr./ヘンリー・カヴィル

監督がウディ・アレンだと分かっていたら、見るのを躊躇っていたことは必至。彼は業界では大した監督として褒め称えられているが、どうも笑いのツボがうまく合わず、まともに最後まで観た作品を思い出せない。どころか彼の作品だと分かると、いつも後回しにしてしまい、結局は見ないで録画を削除したりしてしまっていた。

今回の作品を監督名を知らずに観てしまったのは仕合わせだった。珍しく笑いのツボがはまった。見るもの全てにいちゃもんを付けながら毎日を生きている自称天才の主人公、ノーベル賞の候補になったことも吹聴している。そこからもうお笑いごとだが、言っていることは結構正しく、世の中と斜に構えて対峙している姿が自分の姿をちょっと見るようで、ツボがあったのかもしれない。

最後の主人公のセリフが面白かったので、画面から筆記してみた。シーンは、大晦日のカウントダウン直後、スクリーンの中から主人公が映画館の観客に向かってメッセージを発信している。 ~ 『新年を祝うのは嫌いだ。誰もが必死で楽しもうと無理やり祝ってる。何を祝う?墓場に近づくことか?最後に言おう、あなたが得る愛、与える愛-、あらゆる幸せは全てつかの間だ。だからこそ、うまくいくなら”何でもあり”だ。でも勘違いするな、それは才能とは無関係、あなたが存在しているのも”運”なんだ。何十億もの精子のたった1匹が卵子と結合-、それがあなたになった。考えるな、発作を起こす。』

『序の舞』

1984年(昭和59年)・日本 監督/中島貞夫

出演/名取裕子/風間杜夫/岡田茉莉子/佐藤慶/三田村邦彦/高峰三枝子/三田佳子/水沢アキ/菅井きん

明治時代に画家として、また未婚の母としてひたむきに生き、女性として初めて文化勲章を受けた上村松園をモデルに、その一生を描いた作品。メロドラマになりがちなテーマを、中島貞夫が清楚で気品あふれる画風で骨太の女性映画に仕上げた。名取裕子が好演。 ~ ぴあ映画生活に書かれていた解説が的確。

この映画を今の俳優でやるとしたら、誰が頭に浮かぶだろうか。女優も男優もまったく思い浮かばない。名取裕子は映画女優と呼べる最後の世代のひとりかもしれない。女優らしい女優、色気もあり、また鼻に掛かった声が艶っぽい。本来ならもう少し愛欲シーンも描きたいところなのだろうが、何故かさらりとかわしているところがちょっと不満。題材からして逃れられないシーンを、思いっきり映像に留めなければ、悔いが残りそう。他人事ながら。

歴史的に明治から大正、昭和初期に女流画家は皆無だったと見える。映画のセリフの中に、「女の描いた絵なんて、1晩オマケでも付けなければ売れやしない。」と娼婦のようなことを提案する画商がいた。参政権と供に地位向上が図られる女性の地位、世界共通の歴史的事実。アラブ諸国の国家としての発展や尊厳も、この辺りに大きなポイントがあるような気がしてならない。

『ダンケルク』 (WEEK-END A ZUYDCOOTE)

1964年・フランス/イタリア 監督/アンリ・ヴェルヌイユ

出演/ジャン=ポール・ベルモンド/フランソワ・ペリエ/カトリーヌ・スパーク/ピエール・モンディ/マリー=フランス・ボワイエ/マリー・デュボワ

1940年ドイツがフランス侵攻大攻勢の頃、ダンケルクの戦いはあっちこっちで映画化された史実。大々的にこの物語をストーリーにした映画はどれだったのだろう。最初この映画が昔見たものに違いないと勝手に決め込んで、いざ見始めたらなんとまぁ~映画全体としてはコメディーのような映画だったことに驚いた。さらにヘラルド配給だったことも分かり、また驚いた。もっともこの当時私は高校生、ヘラルドに関わりが出来ようなど誰も予測出来ない頃だった。

ジャン=ポール・ベルモンドが一人の兵士役、戦いの中で彼にスポットをあて、フランス映画のエスプリを効かせ、皮肉たっぷりにドイツ侵攻を描いているようにも見える。だらだらと長く、3時間映画ではないかと勘違いするくらいのもったり感。

イギリス兵とフランス兵を登場させ、撤退する時の統率制のなさなどを強調している。何を言いたいのか、何を描きたいのか、まったく伝わってこない映画。戦争の悲劇を、フランス風にアレンジすれば、こんな感じだよとでも言いたそうなストーリー展開、ヘラルドはこの映画を当てられたのだろうか。営業品目としての映画、扱っている作品を毎年「ストック・リスト」と称した小冊子にしていた。権利があればリストに掲載されていたはずだが、自分の記憶では全く残っていない。ストック・リスト作成という仕事もしたことがあるので、そう簡単に忘れないはずなのだが。

『大奥~男女逆転』

2010年・日本 監督/金子文紀

出演/二宮和也/柴咲コウ/堀北真希/大倉忠義/中村蒼/玉木宏/阿部サダヲ/和久井映見/佐々木蔵之介

テレビ放送の特別版映像なのかと思った。映画でもテレビ放送でも映像に変わりはないと思えるが、薄っぺらいテレビ映像を2時間も観ていると、映像そのもに飽きが来てしまう。調べてみたら、劇場公開された映画だった。元々は、よしながふみによる日本の少女漫画作品が原作らしい。史実における男女の役回りを逆転させた歴史改変SF作品である、という解説にぶち当たった。

江戸時代の日本で、疫病によって男性の数が激減したため、社会の運営が女性を中心としたものとなってゆくという設定で、男女の逆転した江戸時代の社会を大奥を中心に描いている。幕府においては徳川将軍家の女性たちが国を統治する征夷大将軍の座を代々引き継ぎ、江戸城に希少な存在であるイケメンの男たちを多数集めた大奥が作られるという架空の歴史を背景に、歴代の将軍たちと、彼女らをとりまく男たちの愛憎が描かれる。という。劇場で大ヒットしたらしい。テレビドラマと映画との垣根がないどころか、出演者もテレビタレントだらけのテレビドラマをそのまま映画館で公開しているのと同じ。そんな映画に人が集まると言うことは、映画らしい映画作りに拘った方が、効率が悪いという結果を暗示しているようなもの。

柴咲コウの姿形が好きだ。役者としては何度か映画を見ている限り、イモいとしか言いようがない。ただこの映画での(女)将軍役は、はまっていた。こういう役なら、安心して見ることが出来、好きな気持が持続出来る。好きな女の嫌なところを見るほど、人生が嫌になることもないことなので。

『東京キッド』

1950年(昭和25年)・日本 監督/斎藤寅次郎

出演/美空ひばり/川田晴久/堺駿二/高杉妙子/西条鮎子/花菱アチャコ/榎本健一

「・・・右のポッケにゃ夢がある、左のポッケにゃチューンガム・・・」美空ひばりが13才で歌うこの唄をリアルタイムでは聞いていないが、何十年にもわたって流れている。なんとまぁ~、天才少女なのだろう。こまっしゃくれた印象のあった少女時代だったが、この映画で見る限りは、余計なこぶしもなく極めて素直な歌い方だった、意外なほど。大人になってからのちょっと鼻に掛かった癖のある歌い方をリアルタイムで見ていて、そう思ったのかもしれない。

「ありがとう。」と子供のセリフなのに、大人になってからの、よく物真似される言い方が、ほとんど同じように聞こえたのがおかしかった。時々アップになる顔だけは、子供の顔ではなく、妙に老けた感じがしたのもご愛敬。天才歌手は、演技でも天才役者として堂々と映画女優をやっている。

脇がいい。堺駿二、花菱アチャコ、榎本健一、この時代をときめく喜劇役者が美空ひばりを盛り立てようとしている。監督斎藤寅次郎は喜劇の神様と言われていたという。確かに軽妙な笑いのタッチは、今時のドタバタ笑いには及びもつかない境地にいるように感じる。たぶん面白くないだろうと、気が進まなかった録画も鑑賞も、見事なまでに裏切られて、凄く面白かった。歌の上手いのは認めるが、どうも映画までは、と思っていたのは間違いだった。もう少し他の映画も観てみよう。

『嘆きのテレーズ』 (Therese Raquin)

1952年・フランス 監督/マルセル・カルネ

出演/シモーヌ・シニョレ/ラフ・ヴァローネ/ジャック・デュビー/ローラン・ルザッフル

題名からくる一瞬の印象は、修道院に暮らす「テレーズ」という女性の数奇な人生でも描いているのだろうと勝手に想像してしまった。ところがどっこい、そんな聖女の話ではなく、もっとドロドロとした人間くさいストーリーだった。今の日本の昼メロテレビ・ドラマにでも出来そうな物語。いつの世も同じような人間関係の繰り返し、ただ踊っているのが過去も未来も知る由がない現実に生きる人々だけのこと。

気が弱く身体も弱いマザコン息子と、その息子を溺愛するばかりに息子の妻を罵るばかりの母親。外の世界を知る機会もなく育ってしまった妻には、鬱積した人生の不満がたまっている。そこに現れた逞しきトラック運転手の独身男。ストーリーはなるようにしてなって行き、映画らしく事件も起きる。時代は変わっても男と女、人を愛するという気持は変わらない。そこから先は、映画以上の事件性が垣間見られる現代社会のように、それぞれの人生が交錯して夜も日も明けない修羅場と化して行く。

他人の気持ちが究極分かろうはずもない人間関係、一番悪いのが自分一人で合点して、あの人の思っていることはこうに違いないと思い込んでしまうこと。良くある話。頭の悪い人ほどそういう傾向がある。頭の良い人が違うのは、自分で思い込まず、もし分からないことがあったら、直接本人に話をしてその言葉を聞くことをする。馬鹿な奴ほど、本人に確かめもせず他人から聞いた言葉を鵜呑みにしてしまう。本人の言葉に騙されるのなら、それは別次元の信頼の問題。現役生活を送っている諸輩には肝に銘じてやって欲しいこと。

『めがね』

2007年・日本 監督/荻上直子

出演/小林聡美/市川実日子/加瀬亮/光石研/もたいまさこ

「また面白くない日本映画だろうと思って観始まったら、結構これが面白かったんだよね。」という感想を書けるかと密かに期待していたが、期待は見事に裏切られた。映画が始まってすぐに『かもめ食堂』(2006年)のテイストがそのまま画面に出ていたので、まさか?!と思いながら見続けた。調べてみたらかもめ食堂から多くのキャスト・スタッフを引き継いでいるという記事があり、さもありなんと妙に納得して失望した。『かもめ食堂』は面白くて、他人に奨められる映画のひとつだが。

映画は最初から「あざとい」ストーリーと「あざとい」科白、「あざとい」演技が満載だ。こまかな笑いをとりたいがための進行が、凄く気になって仕方がなかった。一本芯のある主義主張など、微塵のカケラもない。テレビ・コマーシャルの面白シーンをつなぎ合わせて出来たような映像に、誰が心を惹かれるのだろう。

結局最後まで同じテイスト。それはそれで当たり前の話だが、せっかくの『かもめ食堂』が霞んできてしまった。この頃の価値観にどうも馴染めないおじいさんは、ただ軽くて面白げな雰囲気だけを漂わせた映画は好きではない。人間も一緒、どうも嘘っぽい真実味のない輩ばっかりが横行する社会は、とてもじゃないけど生きて行く場所には思えない。

『太陽が知っている』 (La piscine)

1969年・フランス/イタリア 監督/ジャック・ドレー

出演/アラン・ドロン/ロミー・シュナイダー/モーリス・ロネ/ジェーン・バーキン

一世を風靡した『太陽がいっぱい』(Plein soleil・1960年)や『太陽はひとりぼっち』(L'eclisse・1962年)のヒットがあれば、「アラン・ドロン」+「太陽」でまた観客を欺せると考えた安直な日本語題名。恥ずかしながらヘラルドの配給だったが、この当時のヘラルドはこの程度の軽いノリでしか、映画配給業界での地位を維持出来なかった。私はまだヘラルドに入社していない。

よくもまぁ~、こんな映画を劇場で公開出来たなという程度の出来。かったるくて、我慢出来ずに眠ってしまった。目覚めると事件らしきものが勃発、その解決にいたる道筋もたわいない。そのまま画面は「FIN」にいちもくさん、なんとも後味の悪い中途半端な終わり方で、映画は幕となる。

アラン・ドロンのアイドル映画ではないかと思われる映画。まだ22才だったロミー・シュナイダーのピチピチした裸を見せて興味を惹き、内容はどうでもいいやといった雰囲気。原題の「La piscine」を翻訳機にかければ、「プール」という訳がかえってくる。南仏サントロペという保養地、別荘にあるプールで事件は起こった。それにしても、退屈で、気怠くて、こんないい時代もあったのかと想い出に浸れる。

『ココ・アヴァン・シャネル』(Coco avant Chanel)

2009年・フランス 監督/アンヌ・フォンテーヌ

出演/オドレイ・トトゥ/ブノワ・ポールヴールド/アレッサンドロ・ニヴォラ/マリー・ジラン/エマニュエル・ドゥボス

フランスで映画のポスターが掲示された際、主人公のシャネルが右手にタバコを持っていたため、ポスターが全面回収される騒動が起きた。史実では、シャネルは愛煙家として知られており映画の中でもそのように描かれているものの、フランスでは1993年以来タバコの広告は禁止されていたからである、という記述が時代を感じさせる。エドモンド・シャルル=ルーの同名小説を原作としたココ・シャネルの伝記映画。

確か観たことがあるよなぁ、と思っていたのは『ココ・シャネル』(Coco Chanel)、2008年のアメリカ・フランス・イタリア合作のテレビ映画であった。シャーリー・マクレーンが晩年のココ・シャネルを演じていた。結婚をして不自由になるよりは、愛人として暮らしたいという科白がある。彼女の小さい頃の家庭環境が大きく影響しているのだが、よくよく考えればそんな生き方も素敵なのかもしれない。

映画によればシャネルのデザインはシンプルさが基本、余計な飾り立ては無用と言っているようだったが、実際はどうなのだろう。男でも分かる超高級品シャネル、時代と共にどんどん価値が上がってきたブランド。

『岳-ガク-』

2011(平成23年)・日本 監督/片山修

出演/小栗旬/長澤まさみ/佐々木蔵之介/石田卓也/矢柴俊博/やべきょうすけ/浜田学/鈴之助/宇梶剛士

この映画観客のうち4割が原作を読んだことのある読者である、という記事があった。原作は、『岳 みんなの山』(がく みんなのやま)、石塚真一による、山岳救助を題材とした漫画作品。2012年12号までで完結したという。原作本の前半部分がこの映画のストーリーらしい。

小栗旬の雰囲気が山岳救助とは結びつかなかったが、現実的には彼のような風貌で飄々とした著名な登山家に出会ったことがあったので、意外と違和感がなかった。もし登山家とはよくあるいかつくて、髭を蓄えた風貌の人物を連想するだけにとどまっていたら、おそらく小栗旬などとんでもないという気持になっていたろう。他の映画でも少し彼を見かけたが、イモいという印象しかなかった。この映画ではキャラクターが合っていたのだろう、それなり以上の役者に見えた。

もう一人の主役長澤まさみはちょっといただけない。どう考えたって彼女が山岳救助隊員という設定には違和感しかない。こういう時のためにも、テレビに顔を出す回数を減らさなければならない。但し、最後のシーンになるまで彼女だとは気付かないくらい引き締まった姿形をしていた。最後になってようやくいつも見る彼女の顔立ちになり、彼女もそれなり以上の努力をしたのだろうと想像させられる。全体としては悪くはない。深く掘り下げられないシーンばかりなので、上っ面の出来事を映像化しただけに過ぎないのは、日本映画の限界なのか、それとも山岳ドラマ映画の限界なのか。

『大いなる幻影』(La Grande Illusion)

1937年・フランス 監督/ジャン・ルノワール

出演/ジャン・ギャバン/ディタ・パルロ/ピエール・フレネー/エリッヒ・フォン・シュトロハイム

監督ジャン・ルノワール ~ 印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの次男。パリのモンマルトルに生まれる。 学校を中退後、第一次世界大戦に騎兵少尉として参戦。戦後、その療養中にチャップリン等の影響を受け、映画監督を志す。1920年にカトリーヌ・エスランと結婚。1924年、カトリーヌ主演の映画『カトリーヌ』に出資した後、カトリーヌ主演作『水の娘』で監督デビュー。その後、父の絵を売却した資金で映画を本格的に撮り始め、フランスを代表する映画監督になる。ただし興行的には失敗が多かった。

1937年の反戦映画『大いなる幻影』で巨匠として名が知られる。第二次世界大戦中にアメリカに亡命し、ハリウッドの撮影システムに困惑しながらも『南部の人』や『この土地は私のもの(邦題:自由への闘い)』等の作品を創り上げた。しかし大戦終了後も祖国フランスでは映画を撮る機会に恵まれずインド(『河』)やイタリア(『黄金の馬車』)などの他国で映画を作成する。祖国に戻ったのは大戦終了から10年近くも経過した後だった。

フランス復帰第一作の『フレンチ・カンカン』こそ商業的な成功を収めることができたが、その後の作品は当たらず映画を撮る機会が次第になくなっていった。そのことに失望して、晩年は亡命時代の知己を訪ねアメリカで暮らしその後終生フランスに戻ることはなかった。1979年2月12日、ビバリーヒルズの自宅で他界。アメリカで失意の底にあったルノワールを精神面で支えていたのは、ルノワールを師と仰ぐヌーヴェル・ヴァーグの旗手フランソワ・トリュフォーだった。 ~ すべてWikipediaより引用、監督のことだけでも充分な情報

『ぼくの妻はシャルロット・ゲンズブール』 (MA FEMME EST UNE ACTRICE)

2001年・フランス 監督/イヴァン・アタル

出演/イヴァン・アタル/シャルロット・ゲンズブール/リュディヴィーヌ・サニエ/ロシュディ・ゼム/テレンス・スタンプ

シャルロット・ゲンズブールと聞いて、果て?歌手だっけ、女優だっけという程度の知識しかない。もっと古い俳優だという思いがあったが、1971年生まれというからずいぶんと若い。顔を見ても思い出すこともなかったので、映画作品は1本も観ていないのだろう。映画としてはなかなか面白い。業界人だった自分の経歴は、こういうところで頭をもたげてくる。解説は以下の通り引用した。

実生活でも夫婦であるシャルロット・ゲンズブールと、本作で監督デビューを果たしたイヴァン・アタル共演のロマンティック・コメディ。『いつまでも二人で』でヒロインの人妻を悩ませた色男、イヴァンが今回は全く逆の愛に苦悩する夫を演じる。『フェリックスとローラ』をはじめ、アンニュイな役の多かったシャルロットが初めてスクリーンで極上の笑顔を見せる。 ~ シネマトゥデイより

俳優だからといって特に人間としておかしな器官が付いているわけではないのに、何故か注目を浴びる。選ばれた人という意味では当然のことのようだが、有名人に群がる神経が理解出来ない。現役時代それなりに俳優やタレントに会っているが、特に印象深かったことは記憶にない。どちらかといえば、作られた人物像という印象を持ったことを覚えているくらいだ。

『豚と戦艦』

1961年(昭和36年)・日本 監督/今村昌平

出演/長門裕之/吉村実子/南田洋子/丹波哲郎/中原早苗/小沢昭一/加藤嘉/三島雅夫/大坂志郎/東野英治郎/菅井きん

肉体派女優といわれた吉村実子は、17才この映画で銀幕デビュー。姉は、モデル・女優・司会者の芳村真理であることも有名。ほとんど同じ年頃かと思っていたが、5才上なので当たらずといえども遠からず。日本を代表する映画脚本家山内久は、社会の片隅に生きる普通の若者を描いている。代表作の一つでもあるが、「幕末太陽傳」(日活、1957年)、「若者たち」(フジテレビ、1967年)などがある。

そうそうたるメンバーが出演している。日活の匂いがぷんぷんする映画。長門裕之は27才、若いねぇ~。石原裕次郎のデビュー作として有名だが、主演は長門が主演した「太陽の季節」(1956年)から5年後の作品。丹波哲郎をテレビでしか知らない世代が彼の姿をこの映画で観たら、びっくりしてしまうだろう。菅井きんはいつ見ても同じ風貌なので、何か嬉しい。

NHKの説明役、山本晋也と小野文恵アナウンサーの時間が貴重だ。当時の映画台本を映しだしてくれた。その台本には、表紙の「豚と戦艦」タイトルの少し離れたところにちょっと小さい文字で「殺し屋には墓場がない」と印刷されている。これはサブタイトルと言うより、宣伝用のキャッチコピーではないかという見解だった。ページをめくるとこの映画の『製作意図』が明確に書かれていた。「基地を舞台に目先の生活しか考えない人達を喜劇風にとらえ、その世界から抜け出そうとする一少女と少女を慕うチンピラの、泥だらけのしかし必死な生活を描きたい。」 すべて架空の物語とことわりのあったこの映画は横須賀を舞台に、60年安保の翌年に製作されたということでの特徴がある。キューポラのある街(1962年)の監督浦山桐郎はこの映画で助監督をしている。世の中の流れが背景に見えると、映画の世界もずーっと視野が広がってくる。題名がユニーク、映画を観ればずぐに謎が解ける。こんな科白が印象に残った。母親菅井きんが娘吉村実子に言う、『・・・あんまり貧乏してるから、貧乏が好きになっちゃったっだねこの子は・・・』。

『ファンシーダンス』

1989年(平成元年)・日本 監督/周防正行

出演/本木雅弘/鈴木保奈美/甲田益也子/竹中直人/田口浩正

当時全盛期だったトレンディドラマとトレンディ女優、スクリーンからもその雰囲気が伝わってくるよう。岡野玲子による日本の漫画作品の映画化。題名とは裏腹に、寺の跡取りの主人公が禅宗寺院で修行生活を送る模様を描いている。リアルタイムでこの題名は聞いたことがあると思い出したが、内容については全く興味がなく、初めて触れてちと驚いた。

辞書によれば、トレンディー【trendy】:[形動]最新流行である。時代の先端をいっている。「―なウエア」「―な街」。トレンディー‐ドラマ:《(和)trendy+drama》都会を舞台に、若い男女の生活を、最新の流行や風俗を交えて描いたテレビドラマ。と書かれているくらいだから、映像に表現されたものがいかにも古そうに感じるのは致し方ないことか。

それにしてもあざとい。面白い動作や言葉で画面を繋いで行くだけで、一本芯の通った筋書きが見えない。もともとそんなものだよ、と言われてしまえば返す言葉もないが、せいぜいテレビドラマの枠で収めたいようなストーリー。映画とテレビドラマの垣根がまったくなくなってしまった昨今、儲かれば良いんだとその時代のことしか考えていない業界人。それでは、ダメな日本政治と何も変わらない世界ではないか。

『セカンドバージン』

2011年・日本 監督/黒崎博

出演/鈴木京香/長谷川博己/深田恭子/天野義久/ヌル・エルフィラ・ロイ/田丸麻紀/橋本一郎/北見敏之

NHKで放映され、大きなセンセーションを巻き起こしたドラマが映画になって登場。17歳年下の妻子持ちの男性と恋に落ちた45歳のキャリアウーマンの苦難の道行きを、マレーシアでのロケも敢行しつつ切々と描く。脚本はもちろん大石静。鈴木京香、長谷川博巳、深田恭子らドラマ版おなじみのメンバーが再集結して、波乱万丈の恋の行方を熱演する。 ~ ぴあ映画生活より

この解説を読んだだけですべてが分かった気になれる。しかも「しみじみと感動できます」とまで書かれていた。NHKのテレビ番組宣伝で、ちらりと見たような気がする。タイトルが興味を惹くことは間違いない。映画としては作り方の中途半端さが不満足。これではたぶんテレビドラマの時と、ほとんど変わってはいないのではないかと思える。映画には映画としての、大きいスクリーンで上映するという別の使命がある。濡れ場だって甘チョロい。こんな二人ならもっと愛欲シーンを強烈に映像化しなければ、映画としての真価を問われる。

それにしてもフカキョンの演技の拙さは何!結構好きな顔かたちなので、下手でもいいやと思えるのはテレビドラマだけ。映画に出るなら、もう一度でも二度でも演技の勉強をし直して欲しい。あと40年経ったって女優を続けられるのだから。

『ウィンチェスター銃’73』 (WINCHESTER '73)

1950年・アメリカ 監督/アンソニー・マン

出演/ジェームズ・スチュワート/シェリー・ウィンタース/スティーヴン・マクナリー/ダン・デュリエ/チャールズ・ドレイク

これぞ西部劇。西部劇に良く出てくる「ウィンチェスターライフル」にまつわる物語。この頃はとんと見られなくなったインディアンも出て来て懐かしい。’73というのは1873年のこと、手造りで作るウィンチェスター銃には千挺に1つとてつもなく出来の良い銃が完成し、この時代の人はみんなこの銃を欲しがったのだそうだ。

その銃の持ち主がどんどん変わって行き、その間に無用な戦いも起こり、どんどん西部劇っぽくなって行く。余計な演出はない。余計な長回しもない。極めてシンプルに言いたいことだけを映像化する姿勢が、映画に面白さを付け加えていく。

非情なまでの実力主義の社会。拳銃を扱う技術がなければ生きて行けない。分かり易くて簡単な社会。屁理屈ばかりの現代社会から見れば、ひとつの理想。そんな中でも女性を大切にするアメリカ魂は健在。太古の昔から男と女しかいなかった。これまた分かり易い。

『8人の女たち』 (8 FEMMES)

2002年・フランス 監督/フランソワ・オゾン

出演/カトリーヌ・ドヌーヴ/エマニュエル・ベアール/イザベル・ユペール/ファニー・アルダン/ヴィルジニー・ルドワイヤン
/リュディヴィーヌ・サニエ/ダニエル・ダリュー/フィルミーヌ・リシャール

フランスの作家ロベール・トマ作の戯曲で、1961年8月28日にパリのエドワード7世劇場で初演された。という解説が見つかって納得。どう考えたって舞台劇だよなぁというシーン、というかほとんど同じ場所での科白のやりとりしかない。ちょっと飽きるだろうという配慮からか、ミュージカルまがいの歌が何度か挿まれている。ミュージカルのように科白を歌にのせて喋るのではなく、歌そのものが科白になっている。

8人の女という設定が面白い。メイド2人を除く6人は親族関係、唯一の登場人物男は1人。この男は豪邸の主、彼の背中にはナイフが突き刺さってベッドにうつ伏せになっている。誰が彼を殺したのかという憶測が憶測を呼び、母娘が、姉妹が、古参と新参のメイドも交え醜い争いを展開する。心が穏やかなら、こういう物語は他人事で面白いだろう。ただ映画として見続けるには、ちょっと飽きがくる。ある意味予想された結末を迎える。

こういう話には必ずといっていいくらい「金(かね)」がつきまとう。何をさらけ出してでも金のために生きる女性たち。死ぬ時に「仕合わせだったよ」と言えるのは、金が潤沢にあったお陰なのだろうか。お金がない時の仕合わせ感を味わうことなく死んで行く人には、本当の意味での仕合わせについて語る資格がない。

『弾丸を噛め』 (BITE THE BULLET)

1975年・アメリカ 監督/リチャード・ブルックス

出演/ジーン・ハックマン/ジェームズ・コバーン/キャンディス・バーゲン/ベン・ジョンソン/ジャン=マイケル・ヴィンセント

いかにも西部劇っぽい題名。だが弾丸を噛むのは歯を抜いた後に、応急措置としてやっているだけのこと。そのあたりがさすがアメリカ映画、ユーモアに溢れている。メキシコ人が結構バカにされているのが印象的。人種のルツボとは言うけれど、初期アメリカにはさまざまな人種偏見があったことは周知の事実。

ドンパチの西部劇ではなく、1000kmの馬のレースのはなし、参加者は確か8人と8馬。東京から福岡までを、よく西部劇に出てくるあの荒野を走るのだから、面白いシーンは予想通り。後半に、唯一参加していた女性の参加目的がレースではなかったというくだりがあり、ここらへんだけが興味を惹くストーリー。あとはちょっと飽き飽きの物語。最後のシーンに思いを込めている感じはしたが、そこまで行き着くまでがかったるい。

この映画を観る前に、『お買いもの中毒な私!』(Confessions of a Shopaholic・2009年・アメリカ)と『東南角部屋二階の女』(2008年・日本)を見始まって早々に中断してしまった。題名からの期待出来ない感が影響して、ホントに5分も見ないうちにやめてしまったとは情けない。情けないのは映画内容だけではなく、自分の辛抱のなさ。この頃一段と偏屈な自分に気が付いてきて、やっぱり歳はとりたくないものだと、歳のせいにして誤魔化している。

『お嬢さん乾杯!』

1949年(昭和24年)・日本 監督/木下恵介

出演/原節子/佐野周二/青山杉作/東山千栄子/佐田啓二/村瀬幸子

なんとまぁ~63年前の映画。画面に雨の降っているシーンも多かったけれど、こうやって自分の生まれた頃の風景を眺められるのが感慨ひとしお。勿論茨城の田舎っていうことではなく東京の風景だったが、終戦後4年目にしてこの復興ぶりにはちょっと驚く。東日本大震災から1年半が経っているのにこの有り様とは、月とスッポンほどの違いがある政治主導復興路線。

戦前は栄華を極めていた貴族階級にも、戦後は厳しい仕打ちが待っていた。そこのお嬢さんの結婚問題を描いた作品。原節子の顔は好きではないけれど、なんといっても伝説の女優、存在感のある映像と木下監督という天才の作る空間に文句の付けようはない。

こういう映画を観るたびに思う、どうしちゃったんだろうこの頃の日本映画は!関口宏の父親と中井貴一の父親が共演している。なかなか面白い。コメディーなのに余計な振る舞いは一切なく、流れの中で可笑しさが伝わってくる。これもまた今時のお笑いを比較して眉をひそめてしまう。

『陰陽師』(おんみょうじ)

2001年(平成13年)・日本 監督/滝田洋二郎

出演/野村萬斎/伊藤英明/小泉今日子/真田広之/今井絵理子/夏川結衣/宝生舞

原作は夢枕獏の小説『陰陽師』。実在した陰陽師・安倍晴明の活躍を描いた伝奇時代劇。太陽が見えなくなったら、神か悪魔の仕業だと誰もが信じていた時代、人間の心を操る技術士は、天下国家までもを思うままにしていたに違いない。陰陽師は官職の1つであった時代もあったらしく、地球上のどの世界においても非科学的な現象を道具として生計を立てていた人種がいた。この時代になって、科学が万能かと言えばそうではなく、今までの実績や勘、科学的証明に基づかないことだって、まだまだたくさん存在することを否定出来ない。

大ヒットした記憶があるが、まったく食指が動かない映画だった。この期に及んで見ることにも、ちょっと躊躇いがあった。どうもいけない、占いや迷信の類をまったく信じない自分にとって、こういう物語が作られること、そういう人種がもて囃されることは我慢がならない。「今日の運勢」や「誕生日占い」など、毎日のように楽しんで生活している女性が多そうだが、そんな人達がこの映画のヒットを支えていたのだろうと勝手に想像する。しかも映画の中では、きも可愛いシーンや、ちょっとだけぞーっとするような殺戮シーンがあったりして、女性の好奇心を充分に満たすリサーチに基づき、映像が作られているのはないかとさえ思えた。

すべての宗教がそうであるように、信じる者には見えるが信じない者には見えないものがある。見えた方が仕合わせなのか、見えない方が仕合わせなんかは分からない。偶然が何回も重なれば奇蹟を起こしてると言えるが、一生に一度だけの奇蹟まがいの現象を敬って信心してしまうほど、素直ではない。超常現象を屁でもない、まやかしものと思っている人種にとって、この映画内容は子供騙しの何者でもなく、面白さを理解出来ないディーテール。映画製作としての完成度は結構高いと思うが、小道具の貧弱さにはちょっと文句。お金をかけられない日本映画の弱点が出ている。

『拝啓天皇陛下様』

1963(昭和38年)年・日本 監督/野村芳太郎

出演/渥美清/長門裕之/左幸子/桂小金治/中村メイ子/高千穂ひづる/加藤嘉/西村晃/藤山寛美

物語は昭和6年から昭和25年まで、主に兵隊生活が描かれているが、終戦後の風景も貧しさが漂っている。主人公は兵隊さんの方がおまんまが充分で、そのまま兵役に服していたいと思っていた呑気者。昭和6年に初めて兵隊さんになった頃は、2年間の服役でまた一般人となっていたようだ。この辺のいきさつはよく分からない。親父に聞いておけば良かった。

満州に行くシーンはあるが、饒舌にならず余計なカットを多用せず、きわめてすっきりと、何と観やすい映像なのだろう。日本映画が世界的に評価されている時代、こういう映画にもその片鱗は見ることが出来る。最近の日本映画と比べてしまうと、あまりの出来の違いに愕然とするくらいだ。人間は進歩するばかりが能ではなく、退歩することがこんなにはっきりと分かることがあるんだ。渥美清の喜劇役者としてのスタートになる映画かもしれない。この6年後、『続・拝啓天皇陛下様』(1964年)の脚本や助監督を担当した山田洋次監督により『男はつらいよ』第1作が製作された。

今のいじめ問題なんで屁でもない。この時代の兵隊さんもの映画を小学生、中学生に見せてやると良い。この理不尽な兵隊生活をどう考えるのか、少しは人間同士のことについての教訓になるであろう。この映画の主題「天皇陛下様」という文章が映画の最後に書かれている。 『拝啓天皇陛下様 陛下よ あなたの 最後のひとりの 赤子が この夜 戦死致しました』 ~ 赤子(せきし):天皇陛下は、かって「天子様」と呼ばれていた。一方、我々(特に兵隊)は天子様の子供という事で「赤子」(せきし)と云われていた。

『ローマの休日』 (Roman Holiday)

1953年・アメリカ 監督/ウィリアム・ワイラー

出演/オードリー・ヘプバーン/グレゴリー・ペック/エディ・アルバート/ハーコート・ウィリアムズ

1953年度のアカデミー賞において、主役の新人オードリー・ヘプバーンがアカデミー最優秀主演女優賞を、脚本のイアン・マクレラン・ハンターが最優秀脚本賞を、衣装のイデス・ヘッドが最優秀衣裳デザイン賞をそれぞれ受賞した。何度も観ているような錯覚に陥っていたが、もしかするときちんと最初から最後まで観たのは初めてだったかもしれない。

1953年といえば昭和28年、昭和30年頃に茨城の田舎小学校への通学は「ゲタ」だったことを考えれば、ずいぶんとハイカラであか抜けた映画が作られていたもんだ。トレビの泉や真実の口、コロッセオなど、ローマの観光映画としても良くできている。ローマには3度しか行っていない。偉そうに聞こえるかもしれないが、行きたい場所には何度でも行きたい。明日からローマにタダで連れて行ってあげるよ、と言われれば、何をさておいても喜んで飛行機に乗るだろう。

オードリー・ヘップバーンの映画はみんなアイドル映画みたいなものだけれど、映画として成立しているところが素敵だ。日本映画だってアイドル映画はたくさん作られている。そういうときにこそ面白い映画を作るべきなのに、なんてことない映画になってしまっているところがまことに残念。アイドルで劇場に足を運ばせ、観てみたら想像以上に面白かった、という良き循環を作り出してこそ、映画界の発展が望めるはずなのに!!

『化身』

1986年(昭和61年)・日本 監督/東陽一

出演/黒木瞳/藤竜也/阿木燿子/淡島千景/梅宮辰夫/三田佳子/青田浩子

渡辺淳一原作、日経新聞連載ものの映画化というのは後の『失楽園』と同じパターン。札幌医科大学出の原作者の作風は、初期においては医療をテーマとした社会派的な作品が多かったが、80年代からは中年男女の性愛を大胆に描いた作品で話題を呼んでいる。

黒木瞳は、この映画の前年に宝塚を退団し、映画主演デビューとなるこの作品で大胆な全裸が話題を呼んだという。相手役の藤竜也は、1976年(昭和51年)公開の大島渚監督の映画史に残る『愛のコリーダ』では、ハードコアポルノとして世間を騒がせた男優。この当時はこの程度の「カラミ」で、観客も満足していたのだろう。今観ると、まったく刺激がなく、時代というのは怖ろしいものだと痛感させられる。黒木瞳のおっぱいの薄さも気になり、せっかくなのだからもっと美しく豊満に見えるように撮ってあげられなかったのかと、変な批評を加えたくなる。アメリカでは背の低いトム・クルーズが、そうとは分からないようなカメラワークで主演を張り続けられているのも、カメラワークという技術のお陰なのだ。

男と女、しかも中年以降にスポットを当てたことに、この原作者の才能があるのかもしれない。若い男女ではなかなか表現しにくい、人間の驥尾や愛憎劇を、おそらくかなり興味ある表現で書き尽くしているのだろう。自分には興味のない活字世界とその題材。

『ハードボイルド 新・男たちの挽歌』(辣手神探,Hard Boiled)

1992年・香港 監督/ジョン・ウー

出演/チョウ・ユンファ/トニー・レオン/國村隼

『男たちの挽歌』(英雄本色, A Better Tomorrow・1986年)日本ヘラルド映画配給のこの映画は忘れられない。宣伝部長になって2年目、本来なら4ヶ月後くらいにロードショー予定だったこの作品を、前の映画が当たらなかったからと急遽繰り上げ公開させられて、当たらなかったという苦い経験がある。ヘラルドばかりではなく配給会社に良くある話だったが、興行会社の言いなりにならざるを得ない弱い立場が、誰も仕合わせにしない結果となっては、今でも悔しい思いがつのってくる。初めて見ただけでめちゃめちゃ面白く、よ~し当ててやるぞ!と全員が身構えていた映画だったので、私だけではなくその当時のヘラルド社員全員が同じ思いをしたことは間違いない。

主演のチョウ・ユンファがもの凄く格好良く、その後の映画買い付けにも大きな宝物のに思えていた作品だった。1本当たれば次がまたやってくる。水商売の映画にとって水脈を見つけられれば、こんな嬉しいことはない。のちのちに結構評価されることになった映画は、映画会社の宣伝部にとっては敗北を意味した。

ひたすら銃撃戦を映し出すこの映画に、賛辞を贈るのは映画オタクとエセ評論家のみ。残念ながら1作目のような情緒は何処にもなく、銃撃戦の見本市になってしまっただけ。殺しても殺しても、何処からか湧き上がってくる敵の数には呆れ果てる。昔のチャンバラ映画みたい。そして同じようになかなか死なないタフガイが必ずいて、興醒めしてしまう。日本人の顔をした俳優がいたが、確かに彼は國村隼だった。どういういきさつで出演することになったか知らないが、他の出演者とどこか違うとだけ記しておこう。

『フリーダム・ライターズ』(The Freedom Writers Diary)

2007年・アメリカ 監督/リチャード・ラグラヴェネーズ

出演/ヒラリー・スワンク/パトリック・デンプシー/スコット・グレン/イメルダ・スタウントン

アメリカ合衆国でベストセラーとなった実話を基にしたノンフィクション作品の映画化。製作にあのシュワちゃんと『ツインズ(Twins・1988)』で、似ても似つかない双子の兄弟役で名コンビを組んだダニー・デヴィートの名前を発見した。彼はもちろん役者としての映画出演が多いのだが、監督作品としても数本実績を残し、プロデューサーとしてはそれ以上の作品を製作している。この映画の製作総指揮は主演のヒラリー・スワンク、役者に飽きたらず製作する側にも顔を出すようになると、映画作りの面白さが倍増するのだろう。理解出来る精神構造。

映画の内容はいわゆる学園もの。アメリカ映画に良くある暴力教室のようなどうしようもない生徒たちを、新任女性教師が生きる糧を見つけさせてあげる物語。その方法がちょっとユニークでなければ、活字にもならなかったろうし映画化もされなかったであろう。新任教師が題材として用いたのは、「ユダヤ」「ホロコースト」「アンネの日記」、永遠不変の問題提起は若年層の未熟な心の発達のためには、不可欠な重要な要素を含んでいる。正義やフェアネスが大好きなアメリカ人には、こういう普遍の問題提起が、凄く影響するのだと教えられる。

教育のない中国や韓国では、心に訴えても何も通ぜず、頭でっかちの偏屈な歴史教育だけがまかり通っているように見える。考えたくもない、むつけき中国や韓国、国民全員がそうじゃないよと弁解されても、インターネットなどで横行する頭の悪い書き込を確認するだけでも、独裁政府からの情報を妄信するだけの幼稚な国民であることが証明される。

『アトランティスのこころ』(Hearts in Atlantis)

2001年・アメリカ 監督/スコット・ヒックス

出演/アンソニー・ホプキンス/アントン・イェルチン/デヴィッド・モース/ミカ・ブーレム/ホープ・デイヴィス/ウィル・ロスハー

アメリカの作家スティーヴン・キング、映画化されたものだけでも記憶に残る作品が多い。『キャリー Carrie (1976年)』、『シャイニング The Shining (1980年)』、『スタンド・バイ・ミー Stand by Me (1986年)』、『ショーシャンクの空に The Shawshank Redemption (1994年)』、『グリーンマイル The Green Mile (1999年)』、ホラーものの作家としても有名だが、この映画やスタンド・バイ・ミーのように子供の頃や青春時代を懐かしむノスタルジックなストーリーにも惹かれる。

映画に登場する人物は少ないのに飽きさせない。いわゆる「本」がしっかりしていることが不可欠だが、アンソニー・ホプキンスひとりだけでも日本のジャリタレ100人いたってかなわない。ちょうど観たばかりの『バーバー吉野』と比べることになった。映画全体を覆う気怠さは、ノスタルジーではなくきがぬけたビールみたいなもの。それにひきかえ本作品は、昔を懐かしむのにもっと聴きたいな~と思わせる昔の音楽、例えば「プラターズのオンリーユー」をほんの一瞬しか鳴らさない。製作者の余裕の違いがはっきりと見て取れる。悔しいほどに。

子供の頃遊んだ山川の情景は永遠に忘れない。その光景は歳をとると共に、さらに美化されて、美しい想い出だけが心に宿る。仕方がないよね、何と言ってももう64才だもの、押しも押される老人の仲間入り。こんな歳まで生きると分かっていたら、もっと思いっきり人生を突っ走れば良かった。びくびくしながら送った青春時代は、自分にとって一体何だったのだろうと。

『セックスと嘘とラスベガス』 (SEX AND LIES IN SIN CITY: THE TED BINION SCANDAL)

2008年・アメリカ 監督/ピーター・メダック

出演/マシュー・モディーン/ミーナ・スヴァーリ/ジョナサン・シェック/マーシャ・ゲイ・ハーデン/マーク・シヴァートセン

スティーブン・ソダーバーグ監督の『セックスと嘘とビデオテープ』(Sex, Lies, and Videotape・1989年)、日本ヘラルド映画が配給した元々の題名に似せているが内容は全く違う。ヘラルド配給のものは、ロバート・レッドフォードが主宰するアメリカ・ユタ州のスキーリゾート地で有名なパークシティで開催される「サンダンス映画祭」で賞をとったくらいの評価があるもの。ヘラルドの社長がスキーが好きで上手かったこともあり、それじゃぁ~と主席した映画祭で見つけてきた作品。そんなもんでいいんだ映画界は、と誰しもが認めていた。

FOX238チャンネルの映画は、結構TVM(テレビ・ムービー)が多く、やっぱり予算がかけられない映像と、脚本に金をかけない出来上がりには、不満足さが漂う。最後まで観るには見たが、何を語りたいのかがまったく伝わってこない。事実に基づいて作られた映画とのクレジットが、何のアドバンテージにもならない様子。大金持ちと愛人関係になって、その金持ちを殺したかどうかで争われる裁判も、どうしようもないストーリー展開に、TVMの限界を強く感じる。

映画も星の数ほど作られているが、心に残るものはわずか。そのわずかを求めて毎日のように時間を費やしている。あらためて言おう、「この映画を観ないで死んで行く人は可哀想だ!」と思える映画がある。そんなときに生きていること、人間であることに喜びを感じている。

『バーバー吉野』

2003年・日本 監督/荻上直子

出演/もたいまさこ/米田良/大川翔太/村松諒/宮尾真之介/石田法嗣/岡本奈月/森下能幸/たくませいこ/三浦誠己/桜井センリ

この映画もそうだが、1990年 松竹映画『つぐみ』、1990年 映画『稲村ジェーン』』、2004年 TBSドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』などが静岡県の伊豆半島南西部の海岸沿いに位置する町、松崎町にて撮影されている。町内には史跡も多く、なまこ壁造りの建物が特に印象的である。また、温泉もあり、中心部の松崎温泉、東部の大沢温泉、南西部三浦温泉(岩地温泉・石部温泉・雲見温泉)等、夏の海水浴などを含め、多くの観光客が訪れる。桜餅に使われる塩漬けした桜の葉は、全国の約7割が松崎町で生産されている。

「その町の少年は皆、 同じ髪型をしていた…」というのが宣伝文句。それ以上でも、それ以下でもなく、なんてことのない映画。暇つぶしにはもってこいの映画。配給がユーロスペースだったので意外。敬愛してやまないユーロスペースの経営者、この映画を評価していると言うことは、もしかするとこの映画は面白いのだろうか。信頼出来る人の言葉には耳を傾けるのが当たり前。直接その評価を聞いたわけではないが、もう会うこともないだろうから、真相は分からずじまい。

ポスターの絵柄を見たら、凄く面白そうに見える。このデザインは素晴らしい。題名とポスターだけでも動員の一助になりそうな雰囲気。残念ながら内容はちょっとお粗末。

『勝利への脱出』(Escape to Victory)

1981年・アメリカ 監督/ジョン・ヒューストン

出演/シルヴェスター・スタローン/マイケル・ケイン/ペレ/マックス・フォン・シドー

どうしようもない面白くなさにがっかりする。著名な監督が泣く。スタローンに期待はしないが、「捕虜収容所脱出劇」は映画の題材としては最高位にランクされる題材なので、もう少し実のある面白い映画になっていて欲しかった。この監督の作品に『女と男の名誉』(Prizzi's Honor・1985年)があった。ヘラルド時代配給した作品で、題名の決定にも深く関与していた。当てられなかった訳が、今何となく分かりかけた。要は、監督の力量が大衆受けしないイマイチのものだったと。

スティーブ・マックイーンの『大脱走』(The Great Escape・1963年)、ウィリアム・ホールデンの『第十七捕虜収容所』(Stalag 17・1953年)、などの足許どころか影にも及ばない映画。サッカーシーンのためにサッカーの王様ペレを始め、現役スター選手達が多数出演しているとのことだが、肝心のサッカーシーンも迫力無しのお粗末な3流映画と化している。

スタローンのようにただ体力だけで映画自体を創ってきた俳優は、時間が経つにつれて賞味期間がなくなってしまったような輝きが失われていることに気付く。不朽の名作とは言わないまでも、あとあと評価される映画でなければ、製作したことを誇りに思えない悔しさが残るだけだろう。色褪せてしまった黄色いハンカチには、その存在すら人々が気付かなくなってしまう。

『タンポポ』

1985年・日本 監督/伊丹十三

出演/山崎努/宮本信子/役所広司/渡辺謙/安岡力也/桜金造/池内万平/加藤嘉/大滝秀治/黒田福美

前年製作して大ヒットした『お葬式』が大成功だったので、頭に乗ってやりたい放題の映画を作ってしまったという感じ。今度は才気走った有り余る能力を、これでもかこれでもかと観客に見せつけている。堪ったものではない、これが才能というものか?と勘違いして、さすがは伊丹十三監督などと恐れ入る輩もたくさん出たことだろう。

売れないラーメン屋を立て直す物語。役所広司や渡辺謙が若々しく、とてもじゃないけど現在の活躍に至る過程を想定出来ない。『ラーメン道』とも称される位の地位にまで高まった「ラーメン」、今この映画を作るとしたら、当時とは比較にならないくらいのラーメン考証が必要になっていたろうと、詰まらぬ心配事をした。

あまりにもお笑いに拘りすぎて、笑えない映画となっている。物語が面白ければ、笑いは自然と付いてくるのが普通。とってつけたような所作やセリフで笑う人がいるかもしれないが、今のテレビのお笑い番組と同じく、どこが面白いの?と興醒めしてしまうシーンの連続が痛々しい。

『ジョージア・オキーフ ~愛と創作の日々~』 (GEORGIA O'KEEFFE)

2009年・アメリカ 監督/ボブ・バラバン

出演/ジョーン・アレン/ジェレミー・アイアンズ/エド・ベグリー・Jr/キャスリーン・チャルファント

実在の人物ジョージア・オキーフ(Georgia O'Keeffe 、1887年11月15日 - 1986年3月6日)は、20世紀のアメリカを代表する女性画家。夫は写真家のアルフレッド・スティーグリッツ。この二人を描く物語。いわゆるテレビ・ムービー(TVM)製作のせいか、とても中途半端な物語と映像になっている。一番いけないのが、彼女の人となりが映画としてまったく上手く描かれていない点。

夫婦の葛藤が適当にあしらわれていて、見ていると同じことの繰り返しで飽きてきてしまう。勿論、この人物を知らないのだが、せっかく映画という媒体を使って表現しているのだから、もう少しジョージア・オキーフという人が如何にすぐれていたのかを、映画っぽく処理して欲しかった。これでは彼女の名前を、またすぐ忘れてしまいそう。

芸術に携わる人は、どうしたって天才のうちのひとり。いきなりゴルフ場で、初めてパットをしたって、すぐにコツを覚える人もいるし、料理などしたことなかった奴が、いきなり塩こしょうを上手く使って炒め物が出来る。格好ばかり整えても、美味しくないレストランはいつまでも変わらない。こじゃれたお店がそれなりにある現在の住居地周辺、感心するほど美味しいお店には出会えていない。凡才たちの住み家となってしまっているのだろう。

『パッセンジャーズ』(Passengers)

2008年・アメリカ 監督/ロドリゴ・ガルシア

出演/アン・ハサウェイ/パトリック・ウィルソン/デヴィッド・モース/アンドレ・ブラウアー

この頃はろくでもない映画しか観てない気がして、この映画のド頭がかなりアメリカ映画っぽかったので、勇んで心が躍っていた。ひとこと目のセリフが日本語だったので、驚きながら、また映画を観るのをやめようと思った。吹き替え版の洋画を観る趣味はなく、今まででもテレビ放映の吹き替え版を観るのは、大人になってからだと数えるほどもない。

何と言っても、あの独特のセリフの言い回しが馴染めない。日本のテレビドラマだって、映画だって、ましてやアメリカ映画の言葉は違えども、あの喋り方なんて、何処でも見たことがない。舞台の上で、しかも観客の一人もいない時間に、セリフだけを話しているような喋り方、とでも言えば良いのだろうか。心がないその言葉を聞いていると、映画のストーリーなんて、まったくこちら側に伝わってこない。教育上もよろしくないよね、なんていう訳の分からない批判もしてみたくなる。何とか最後まで観たのは奇蹟に近かったが、吹き替え版でなかったら、もう少し面白さが伝わってきたのではないかと思えた。

映画のストーリーは、ちょっと禁じ手を使って、観客が良く話が分からないように進行して行く。最後になって、なるほどこれは面白いかもしれないと思えた映画。最初から中身を知っていたら、全然興醒めの映画。知らないで観ると訳が分からなく、話に入って行けない。こういう映画は監督の力量が問われるのだろう。だから観ている途中で、かなりイライラ気分味わってしまったのだろうと思う。

『ダブルフェイス 秘めた女』 (NE TE RETOURNE PAS, DON'T LOOK BACK)

2009年・フランス 監督/マリナ・ドゥ・ヴァン

出演/ソフィー・マルソー/モニカ・ベルッチ/ブリジット・カティヨン/アンドレア・ディ・ステファノ/ティエリー・ヌーヴィック

ソフィー・マルソーの若い頃の映画を観ていない。アイドル女優のような存在だったような気がするが、ぬぎっぷりも良くかなり人気があったと何となく記憶している。最近映画を観るようになってからの方が、圧倒的に彼女を見るようになった。といっても、やはりフランス映画での出演が多いので、絶対本数ではまだまだ見ていない方。この映画2009年時既に43才、もう大ベテラン女優の域に入っている。

この映画は日本劇場未公開、万が一に配給しなければいけない作品だったとしたら、最初から宣伝費を抑えて徹底的に損を少なくすることを考えるだろう。映画の意図するサスペンスやエロチックさが、あまりにも中途半端で、映画製作している人達だけが一生懸命に見える。心のうちを描くサイコ・サスペンスの様相なのだが、監督の独りよがりで映像や物語が進行して行くだけで、観客には飽きさせる画面のオンパレード。

確かに、勝手に思い込みが激しく、勝手に他人の行動などを思い込んでしまう人種がいる。そんな映画の主人公、自分の過去がトラウマとなって、自分の顔さえも違って見えてしまう、というのがタイトルの由来。人間の想像力は無限だけれど、本人が思うほど他人様はあなたのことを何とも思っていないよ、というのも事実。自意識過剰で被害妄想的体質は、かの中国や韓国という国民性に当てはまる気がしてならない。

『39歳からの女性がモテる理由(ワケ)』 (FLIRTING WITH FORTY)

2008年・アメリカ 監督/ミカエル・サロモン

出演/ヘザー・ロックリア/ロバート・バックリー/キャメロン・バンクロフト/ヴァネッサ・ウィリアムズ

「FLIRT」を辞書で引いてみた。1.(…と)戯れに恋[火遊び]をする, いちゃつく((with ...)) 2.(計画・危険などを)もてあそぶ, おもしろ半分に(…に)手を出す, (法律などを)軽視する, いいかげんに扱う((with ...)) I flirted with the idea of buying a farm.農場を買ってみようかと気まぐれに考えた. 3.〈羽のある小動物が〉飛び回る, ひょいと[ぴくっと]動く.

2人の子供をもうけ、40歳を前にして離婚。シングルマザーとして子供たちと変わり映えのない毎日を送る主人公。誕生日も控えたクリスマス・ホリデイには子供たちは元夫とその恋人と共にスキー旅行に出かけ、彼女は一人で過ごすことになってしまった。そんな彼女を見かねた友人が、ホノルル旅行をプレゼント。気乗りしないまま一人で旅立つが、そこで彼女は離婚以来初めての恋の予感を覚え・・・。

BSチャンネルのFOX238では、日本劇場未公開と思われる多くの作品を放映している。こんな題名で日本の劇場で公開するはずもなく、どうせ大したことのない内容だろうと予想出来、実際その通りだとコメントの一言も出て来ない。39歳からの女性がモテる理由は、全く分からなかった。この映画を見て同じ現象のような芸能人ネタを現実に見るだけ。熟女好きのお笑い芸人と若貴の母親(64歳)との熱愛報道、馬鹿みたいなことでメシを食っている日本のマスゴミ(塵)の典型のひとつ。いいよなぁ~、こんな他愛のない、屁でもない記事や映像を流してお金儲けが出来るなんて。

『理想の女〈ひと〉』 (A GOOD WOMAN)

2004年・スペイン/イタリア/イギリス/ルクセンブルク/アメリカ 監督/マイク・バーカー

出演/ヘレン・ハント/スカーレット・ヨハンソン/トム・ウィルキンソン/スティーブン・キャンベル=モア/マーク・アンバース

オスカー・ワイルドの原作を基にした文芸ドラマ。最近の日本映画でもわざわざロケ地として選ばれるイタリアの「アマルフィ」が舞台。時代は1930年代。断崖絶壁に立ち並ぶ建物がもの凄く美しい。さすがにここまで足を伸ばす機会には恵まれなかった。世界の富豪が避暑に来る場所での優雅な男と女の遊び。アマルフィ海岸は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

題名が大き過ぎるので、内容がそれに伴っていない欠点がある。主人公の女性は2人、そのどちらを指して理想の女と言っているのか?言いたいことは分かるが、あまり同調出来ない理想の女。女優スカーレット・ヨハンソンの何とも言えない愛らしい顔や姿を見ているだけで、ちょっと仕合わせな気分になれる映画。

テレビなどで見かける好き合った男女の顔が似ていることに、昔から法則のようなものを見る。自分の顔が他人から見たらどう見えるのかを、具体的には察知していない。だが、否応なしに自分の顔を毎日のように見ている。そんな自分が選ぶ異性の顔は、知らず知らずのうちに自分の顔が基礎となった美形を決めてしまっているのではなかろうか。似たもの夫婦という言い方も時々これに当てはまる。顔の作り、顔のパーツが、よく似ている気がする。十人十色の好みがあるからこそ、男女の組み合わせも収まりが着く。誰でもいいや、などという好みで生きてきた人には、人を愛する喜びも少なかろうと。

『長崎ぶらぶら節』

2000年(平成12年)・日本 監督/深町幸男

出演/吉永小百合/原田知世/高島礼子/勝野洋/松村達雄/渡辺いっけい/高橋かおり/藤村志保/いしだあゆみ/渡哲也

いやぁ~、おもしろくないですねぇ~。製作に植村伴次郎(東北新社創業者)の名前を見た時は懐かしく思っただけだったが、脚本に市川森一の名前を見た時に、あぁこれは面白くないんだろうな、ということを予感した。勿論、この脚本家を心底知っているわけではないが、折に触れて見るテレビドラマや本人のインタビューを聞いていて、大したことのない人物だと常々思っていたから。失礼な話だけれど、何処の馬の骨か分からない庶民が勝手なことを言っているので、例え本人の耳に入ったとしても、痛くも痒くもないだろう。

その後に吉永小百合の名前を見、続いて渡哲也では、俳優にお金をかけてはいるが、組み合わせとして面白かろうはずがないと、心の中で断定してしまった。映画が始まり暫く見ていると、予想を超えたストーリーの面白く無さに一言も二言も発しながらの鑑賞となってしまった。最後の頃にほんの少し映画らしい面白さがあるが、全体としてはまったく面白味のない駄作に思える。偉大なる駄作と称するのも適当ではない。ちっとも偉大ではないから。吉永小百合の仕草で気になったことがひとつ。畳に座り和服姿で三味線をひくシーンがあるのだが、彼女の身体が左に傾いていた。2、3度そのシーンがあり、毎回身体の傾きが目立ったので、どうしたのかと不思議に思えるほど。監督やキャメラマンは気にならなかったのだろうか。美しい和服姿で三味線をひくシーンなので、特にそのことが気になって仕方がなかった。

そもそも原作が面白くないのだろう。「なかにし礼」の小説で評判にはなっていたが、どうも嫌いな有名人の一人で、尤もらしいコメントを尤もらしい顔つきで喋るのが嫌いだった。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い類の感覚で、狭い人生を送っていることを、時々自戒の念を込めて振り返る始末。2倍速、3倍速を駆使して見終わったが、こういう映画に感動を覚える人に直接そのコメントを聞いてみたいと強く思う。

『五月のミル』 (Milou en Mai)

1989年・フランス 監督/ルイ・マル

出演/ミシェル・ピコリ/ミュウ・ミュウ/ミシェル・デュショッソワ/ドミニク・ブラン/ブルーノ・カレット

時代の背景が最も重要。 ~ フランスの五月革命は、1968年5月10日に勃発した、フランスのパリで行われたゼネストを主体とする民衆の反体制運動と、それに伴う政府の政策転換を指す。ベトナム戦争反対を唱える者たちの検挙に反対する学生運動に発展、フランス全体の労働者も同趣旨から、民主化に賛同し、運動は拡大した。ベトナム戦争、プラハの春事件等の国境を越えた国家権力の抑圧に反対し、自由と平等と自治を掲げた約1千万人の労働者・学生がパリでゼネストを行った。シャルル・ド・ゴール大統領は、軍隊を出動させて鎮圧に動くと共に、国民議会を解散し、総選挙を行って圧勝し、事態の解決をみた。労働者の団結権、特に高等教育機関の位階制度の見直しと民主化、大学の学生による自治権の承認、大学の主体は学生にあることを法的に確定し、教育制度の民主化が大幅に拡大された。また、五月革命は政治的側面のみならず、「旧世代に反対する新世代の台頭」あるいは「フリーセックス」「自由恋愛」に代表されるような「古い価値観を打破する20世紀のルネッサンス運動」という意識を持って参加するものも多かった。この五月革命は、1966年の中国における文化大革命とともに「世界的学生反乱」を大きく波及させた。「反乱」はフランスのみならず、5月11日には西ドイツのボンで50,000人の抗議行動、5月16日にはイタリアのフィレンツェでの大学学生抗議行動、5月18日のローマでのストライキ、遅れて同年夏に開始された東京大学学生占拠に象徴されるような全共闘の活動、又、1968年8月の「プラハの春」などに飛び火し、世界的にも同時多発的な「学生運動」「政治の季節」の導火線となった。

こんな中ブルジョア家族はおばあちゃんの葬儀をのために、郊外の家に集まりそれぞれが好き勝手な生活を暴露してゆく。フランスの個人主義という生き方を象徴しているかのような様子は、今まで聞いていた言葉が現実となって現れたような気がした。カルチェラタンでの出来事を伝えるラジオに聞き入るのは一人だけ、集まった女性は遺品の分配だけが気になる時間。男どもは隣の女にうつつを抜かし、ベッドに横たわっているおばあちゃんのことなど、既に忘れてしまっているかのよう。

巨匠ルイ・マル監督は、小津安二郎監督のように日常をさりげなく切り取ってみせる映画監督のようにも見えた。割合晩年近くの作品。いかにもフランス映画らしい雰囲気、ウィット、に溢れた映画に見える。

『地下鉄〈メトロ〉に乗って』

2006年・日本 監督/篠原哲雄

出演/堤真一/岡本綾/常盤貴子/大沢たかお/田中泯/吉行和子/笹野高史/北条隆博

日本映画を続けて観ると、その出来の違いがちょっと気になる。こちらは、浅田次郎の出世作である同名小説の映画化。タイムスリップの話。現在と、昭和21年終戦直後、そして昭和39年オリンピック直前の世界との行き交うタイムスリップ。タイムスリップして高校生くらいの自分の兄に会うシーンがある。タイムスリップしているという感覚があれば、それもまた楽しい。夢の中での出来事にように、不自然な感覚や辻褄の合わない世界では、単なる夢物語となってしまう。

これだけタイムスリップの物語が多く作られているが、現実に起こりうることなのだろうか。正常な感覚からすれば、そんなことは夢の世界で、どう考えたってあり得ない話だと言われるのがオチだろう。あり得ないことだけれど、考えてはいけないことではなく、夢だとしても夢みることは自由な世界のような気がする。

毎日そんなことばかりを考えている人は、現実の世の中からは「馬鹿」か「気狂い」の類に認定されてしまう。この時代「きちがい」とひながなを入力して漢字変換しようとしても、当該漢字が現れない。いやな時代になってしまった。言葉が差別を生むのではなく、差別するのは人間の心なのだと言うことを、役人もマスゴミ(塵)も分かっていない。分かっていても触らせないように、隠し通そうとしている。映画はごくごく普通の物語。時間があれば観てもいいかな、という程度。ちょっと昔の風景や風習を画面の中に出せば、みんな郷愁に浸って喜んでくれる、と勘違いしている節もある。「三丁目の夕日」などはその典型。

『さまよう刃』

2009年・日本 監督/益子昌一

出演/寺尾聰/竹野内豊/伊東四朗/長谷川初範/木下ほうか/池内万作/岡田亮輔/佐藤貴広/黒田耕平/酒井美紀/山谷初男

映像化が相次ぐ超人気作家・東野圭吾の小説がまたまた映画化。原作は150万部も売れたというからたいしたものだ。ストーリーが分かっていて観る映画というのは、どういう心境なのだろうか、ということがいつも私の疑問。活字だけでは満足出来なくて、どうしても映像でも観てみたいというのだろうか。ミステリーやサスペンスでは、間違いなく分かった結末を観たいとは思わない。その点この映画は謎解きストーリーがメインではないので、面白さがまた違う。

なかなか映画は面白い。上手く作られている。日本映画の中ではかなり質の高いものだと言えるだろう。津川雅彦が先日の「たかじんの何でも言って委員会」で言っていたが、映画は筋が80%だと。監督の力もかなり重要であることは、観客のひとりなら誰でも感じていること。役者はさほど重要ではなさそうだが、「イモ」が一人いると、途端にボルテージが下がってしまうのも確か。

究極の場面に出くわした時に、人間は一体どういう行動をとるのだろうかそしてその心の中は?、というのがこの映画の主題のように見える。中学生の娘を凌辱され殺害された父親が主人公、母親は何年か前に亡くなっていて、娘との二人暮らしだった。犯人は未成年、裁判となっても極刑を望めない日本の現法律の下では、自らが裁きを下さなければ思いを遂げられない。もしもこんな場面に遭遇したら、私だって自らの死をもっても犯人を殺害することに走るだろう。たとえそれが法律で罰せられる殺人罪になったとしても。

『コクーン2 遥かなる地球』 (COCOON:THE RETURN)

1988年・アメリカ 監督/ダニエル・ペトリー

出演/ドン・アメチー/ウィルフォード・ブリムリー/モーリン・ステイプルトン/スティーヴ・グッテンバーグ/ターニー・ウェルチ

今日は2012年7月13日(月)、ロンドン・オリンピックも昨日終了し、猛烈な夏が続いている。この頃顕著なゲリラ豪雨的天候不順は、日本が亜熱帯地域に編入されてしまったかと思われる様相を呈している。リアルタイムで観なかったが、この2年間での鑑賞作品に入っていて、それなりに面白かったので積極的に続きを観たという感じ。SFものが好きだというのが一番の理由。ロードショーは現役時代の一番ブイブイいわせていた時代なので、この程度の作品を観ようという気にはなれなかった記憶が少しある。ジジババ元気物語という内容。

1作目を観ていないと何のことか全く分からない映画。こういう作り方は興行に大きく影響する。おそらくヒットしなかっただろう。しかも1作目とこの2作目を同時に撮ったのではないかと思われるくらい、手抜き感が否めない。だらだらと、何のために地球に戻ってきたのか分からない下手くそ演出。途中から2倍速で何の問題もなく見終わってしまった。

地球以外の星に人間と同じような生命体が存在すれば、地球の紛争も少しは減るだろうと思っている。そうすれば神という概念も少しは変わり、人間が人間であること、地球が地球であることの存在価値をあらためて問われる時代が来るだろう。何も知らないで生まれて死んでゆく北朝鮮国民のことを思うと、同じ地球上に生まれてしまった我が身を恥じるしかない。何のことだか支離滅裂。

『サンダーパンツ!』 (THUNDERPANTS)

2002年・イギリス 監督/ピーター・ヒューイット

出演/ルパート・グリント/ブルース・クック/サイモン・カロウ/サイモン・キャロウ

ぴあ映画生活より ~ オナラが止まらない体質で皆から嫌われる少年が、唯一の友人の発明したオナラパワーによる宇宙ロケットの飛行士に抜擢、地球を救うため宇宙へと旅立つ! こんな奇想天外なストーリーが展開する、異色作。『ハロルド・スミスに何が起こったか?』をはじめ、ユーモアの溢れる作品を作り続けるピーター・ヒューイット監督のシニカルな視点が何とも痛快だ。

ていうか、このおちゃらけた題名からしてよく見る機会があったなと思う。推薦された作品なので観たが、自分で選ぶ作品なら、一生観ることもなかったろう。内容は題名通り終始おちゃらけているが、それを終始真面目に作っている姿勢が凄い。イギリス流ユーモアの真骨頂、Mr. ビーンのように日本人にはちょっと分からない、的を射ていない笑いが満載。ので、私も笑えなかった。奇想天外の発想が映像になって、興行出来る懐の深さがある。

ちょうど「釣りバカ日誌20 ファイナル」を再度観ていたところだったので、日本的な笑いとの違いが大きすぎて、何と言っていいか分からないくらい。日本的な笑いの大きな特徴は、笑いのツボが決まっていて、安心して笑えることだろう。松本人志の映画を観ていないで批判するのもなんだが、奇想天外をも逸脱した笑いの選択に反吐が出るという感じ。日本人には、「笑点」程度の笑いが一番合っている気がする。

『さよなら子供たち』 (AU REVOIR LES ENFANTS)

1988年・フランス/西ドイツ 監督/ルイ・マル

出演/ガスパー・マネス/ラファエル・フェジト/フランシーヌ・ラセット/イレーヌ・ジャコブ

この原題をWEB翻訳機にかけたら、この日本語題名とまったく同じ訳が出て来た。ルイ・マルといえばフランスの映画監督では超有名な人、それでもたぶん一つも作品を観ていないだろうと調べてみたら、何と「死刑台のエレベーター」(1957年)が処女作だと知って驚いた。映画界を経験していてもそういうことにはとんと疎いので、いやいや恥ずかしい限りだ。

この映画はいわゆるユダヤもの、先日観た「黄色い星の子供たち」と時を同じくする話。第二次世界大戦が終わる前のナチス・ドイツの悪行は、疎開地のカルメル修道院学校にまで手が伸びていた。片田舎にも胸に黄色い星のワッペンを付けた人が映っていた。怖ろしい時代だった、何も知らない子どもたちも、何故ユダヤ人が迫害されるの?と素直に質問している。私も思う、何故?説明されても、いくら考えても、自分の頭では整理が出来ないだろう。

淡々と描くこの映画は、見る人が見なければ良い映画だとは言わないだろう。専門家は間違いなく評価するだろうが、いっかいの映画マンにはこういう映画の良さは分かり難い。もって回った表現がそもそも好きではないので、こういう類の映画を評価するほど、こちらが優れていないと記しておこう。

『モーターサイクル・ダイアリーズ』(Diarios de motocicleta)

2004年・イギリス/アメリカ/メキシコ/ドイツ/フランス/アルゼンチン/ブラジル/キューバ/チリ/ペルー 監督/ ウォルター・サレス

出演/ガエル・ガルシア・ベルナル/ロドリゴ・デ・ラ・セルナ

題名だけ見れば青春のバイク・ロード・ムービーみたい。内容はそんなもんだが主人公がちょっと意外な人物だった。エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(後の革命家チェ・ゲバラ)の若き日の南米旅行記『チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記』をもとに、ロバート・レッドフォードとヴァルテル・サレスらによって映画化されたもの。

チリの最下層の鉱山労働者やペルーのハンセン病患者らと出会いなど、途中巻き起こるさまざまな出来事を通して、南米社会の現実を思い知らされる。後に革命家、キューバのゲリラ指導者となった若き日のチェ・ゲバラの生涯に大きく影響を及ぼした南米旅行だという。映画としては面白くない部類。ゲバラという名前がなければまったく歯牙にもかけない映画だろう。映画の中の主人公たちが旅の途中で、食べ物や宿泊場所を得るために、平気で嘘をついている姿が不愉快だった。こんな奴らが革命の指導者になること自体が許せない。

ほとんど最後の頃になって、このシーン見たことあるなぁ、といういつもの癖に似た感覚が蘇った。確かに観ていた。おそらく、その時も大して面白くないと思ったのだろう、思い出したシーンを除いては全然記憶になく、映画を観る目の一貫性を我ながら誉めた。この程度の話なら、その原作とかいう活字を読めば充分である。その方が想像力を掻き立てて、彼等も立派な人物に見えるかもしれない。

『グッバイ、レーニン!』 (Good Bye Lenin!)

2003年・ドイツ 監督/ヴォルフガング・ベッカー

出演/ダニエル・ブリュール/フロリアン・ルーカス/カトリーン・ザース/チュルパン・ハマートヴァ

1945年5月8日の第二次世界大戦のドイツの降伏により、ドイツは米・英・仏占領地域に当たり自由主義を名目とした西ドイツと、ソ連占領地域に当たり共産主義を名目とした東ドイツに分断された。ベルリンは、米・英・仏・ソ連によって分割占領されたが、米・英・仏の占領地域である西ベルリンは、周囲を全て東ドイツに囲まれた「赤い海に浮かぶ自由の島」となった事で、東ドイツ国民の西ベルリンへの逃亡が相次いだ。かかる住民流出に危機感を抱いたソ連共産党とドイツ社会主義統一党(東ドイツ政府)は、住民の流出を防ぐ為に壁を建設した。壁は両ドイツ国境の直上ではなく、全て東ドイツ領内に建設されていた。同一都市内に壁が建設された都市は、ベルリンとメドラロイト(Mo"dlareuth)だけであった。冷戦の象徴、そして分断時代のドイツの象徴であったが、1989年11月9日にベルリンの壁の検問所が開放され、翌11月10日に破壊され、今では一部が記念碑的に残されている以外には現存しない。

東ベルリンに住む主人公家族、ベルリンの壁崩壊の1ヶ月前に昏睡状態に陥った母親は、何も知らずに8ヶ月後に病院で奇跡的に目を覚ます。心臓発作の病気に良くないという理由で、家族はもう東も西もないということを母親に告げられずに日々を暮らす羽目になった。一種の喜劇とも見えるが、そんな単純な思考では考えられないだろう。東側からみた西側への憧れや畏怖の感覚を、少しだけ我々も見ることになる。

奨められて借りたDVD、何処かで見たことのあるストーリーだなぁ、と思いながら見ていたが、録画で間違いなく見たことがある、と気が付いたのは映画の真ん中を過ぎてから。まずまずの面白さだが、ドイツ本国では大ヒットをし、映画賞もそれなりに獲得している。映画作りの視点の勝利と言えるだろう。

『幸せはシャンソニア劇場から』 (FAUBOURG 36)

2008年・フランス/チェコ/ドイツ 監督/クリストフ・バラティエ

出演/ジェラール・ジュニョ/マクサンス・ペラン/カド・メラッド/クロヴィス・コルニアック/ノラ・アルネゼデール/ピエール・リシャール

第二次世界大戦間近のパリの下町を舞台に、不況のため閉鎖されたミュージックホールを愛する人々が、力を合わせて劇場再開のために奔走する姿を描く。『WATARIDORI』の製作ジャック・ペランほか、監督、音楽など『コーラス』をヒットさせたスタッフとキャストが再結集して贈る人間賛歌。全編を彩る美しい音楽の数々が心に染みる。 ~ ぴあ映画生活より

いかにもよさげなストーリーをいかにもよさげな雰囲気で映像を紡いでいるが、ちょっと飽きがくる。世間にもいるじゃない。いかにももっともらしく、服装から、喋り方から、行動まで、特に批難に値しないけれど、結構胡散臭く、よくよく見て聞けば、実は大したことをやっているわけではない奴が。そんな感じの映画で、グズグズと時間を割いて感心するほどのものでもない。

こういう映画を、またプロの映画評論家は好みそうだ。心に沁みる映画というのは、情景をただ撫でているだけではなく、静かにずさっと心を突き刺す映画のことをいうのだ。人生をも変えかねない映画の存在は、映画そのものの社会での存在価値を表す。たかが映画、されど映画と言われる所以である。

『私の愛情の対象』(The Object of My Affection)

1998年・アメリカ 監督/ニコラス・ハイトナー

出演/ジェニファー・アニストン/ポール・ラッド/アラン・アルダ/ナイジェル・ホーソーン/ジョン・パンコウ

「 I really miss you. 」と別れを告げられた男が男に言う。ここは「ゲイ」の世界。外見からはまったく想像出来ない普通そうな男が、男への愛に目覚めてしまうと、女の身体を愛せなくなるらしい。映画は始まってすぐにそういう物語を描いていると教えてくれる。主人公は女性?、そういうゲイを好きになってしまったこれこそ普通の女性と、それでもやっぱり男がいいなと身体がうずく男の関係。

この普通の女は、実はそんなに普通ではない。セックスはするけれど一緒に住むのはしたくないボーイフレンドの存在はいる。しかも妊娠までしてしまった。その時彼女がとった行動は、父親となるべき男との同居や結婚ではなく、ゲイの男に一緒に住んで子供を育てて欲しいということ。そんなことを考えるのは普通ではないけれど、それ以外の人生ならまともに見える女性が描かれている。

アメリカでは普通そうなゲイの存在、日本ではその存在を100%否定する社会風潮はないけれど、100%受け容れる風潮もない。どちらかというと、自分の友達にゲイがいることを容認する人は少ないだろう。映画を見ていると、いたるところにゲイがいて、しかも一目見ただけでお互いの趣向を目配せしている様が、異様というか、男と女の関係よりも厳しいものがあると思える。歳をとった男が若い男を連れてホテルにチェックインしている。若い男と男が仲良くなると、年寄りの男は羨ましそうにこの二人を見ている。自分が若い頃は、こんな男の心理を全く理解出来なかったし、分かろうともしなかった。この歳になって、ゲイの存在を放ってはおけるが、それ以上でもそれ以下でもない精神状態。男を好きになる暇があったら、側にいるだけで幸せに浸れる女性の存在を求めてやまない。

『スクール・オブ・ロック』(School of Rock)

2003年・アメリカ 監督/リチャード・リンクレイター

出演/ジャック・ブラック/ジョーン・キューザック/マイク・ホワイト

面白いからと推薦してもらったが、そこまでの映画ではない。どころか、ちょっとお馬鹿さん映画で、途中で投げ出す人もいるだろうと思える映画。一種の学校ものではあるが、生徒たちが10才というから日本なら小学校4年生の子ども達にあたる。アメリカの私立学校は、こうも担任教諭に授業内容が任されているのか、と驚くくらいだ。

アメリカはロックの国、ちょっとした映画に出てくる「ロッカー」でも、矢沢永吉よりはるかにロックしていて格好良い。実際の年齢は少し上だと思うが、映画の中で演奏している子ども達は、自分で楽器を演奏していると言うから凄い。

お馬鹿さん映画でもきちんと作るアメリカ映画の奥深さにいつも感心する。ポルノ映画だってなにしろ一生懸命製作している。お馬鹿さん映画を日本では作れないだろう。日本でのお馬鹿さん映画は、おちゃらけた扱い方や、子供騙し、キワモノ扱いをしなければ映画作りが出来ない。底辺の広さが違いすぎる。

『台風騒動記』

1956年(昭和31年)・日本 監督/山本薩夫

出演/佐田啓二/菅原謙二/佐野周二/野添ひとみ/桂木洋子

社会派監督といわれる山本薩夫、その珍しい喜劇映画。氷点(1966年・大映)、白い巨塔(1966年・大映)、戦争と人間 三部作(1970年 - 1973年・日活)、華麗なる一族(1974年・芸苑社)、金環蝕(1975年・大映)、不毛地帯(1976年・芸苑社)、あゝ野麦峠(1979年・新日本映画)などの監督作品がある。

町長と町会議員、県会議員、校長先生、お巡りさんなどが出て来て、自分たちの都合の良いことばかりをやっている。現在の社会構造と何も変わっていない姿が痛々しい。「中央公論」を読んでいるだけでも「赤」と決めつけてしまう社会。嘘をついてでも政府から補助金をもらえばいいのだと主張する議員たち。ばれたら誰が責任をとるのだと質問されても、誰も答えられない議会。ホントに見事に進歩しない日本社会なのだと、50年前の映画でも確認出来てしまう。

ただ映画はつまらない。残念ながら社会派監督の名が泣くような、切れ味のない映像が続く。連戦(連日のオリンピック鑑賞)の疲れで、後半は深い眠りに陥った。昭和を懐かしむにはいいかもしれない。

『白と黒のナイフ』 (JAGGED EDGE)

1985年・アメリカ 監督/リチャード・マーカンド

出演/グレン・クローズ/ジェフ・ブリッジス/ピーター・コヨーテ/ロバート・ロジア/ジョン・ディナー/ランス・ヘンリクセン

裁判劇だった。似たようなどんでん返しの裁判劇映画が多いので、まさかこの映画もそうなるんじゃないよね、と願いながら観ていたが、案の定というか残念というか、同じような結末でちょっとがっかり。とりあえずは面白く、軽く観られるので、お奨めでないというわけではない。二重否定。ダブルジョパディーに引っかけて、ちょっと洒落てみたが分かる人には分かるオチ。

アメリカの裁判劇ではなんといっても『十二人の怒れる男』(12 Angry Men・1954年)。日本でも裁判員制度が導入されて丸3年が過ぎたが、実際に参加した人にお目にかかりたい。実際に裁判員の連絡が来た時の用意に、この12人・・・を観ていない人は、是非鑑賞をお奨めしたい。必ずやその時の心構えには、充分な頼れる逸品になること請け合い。

検事や弁護士が陪審員に向かって証拠を突きつけたり、有罪・無罪を説得する姿が未だもって違和感がある。結局口のうまい奴が勝つという結末が、神を冒涜しているように思えてしまう。人間の作ったシステムはいつだって未完成、それでも裁判という人の命をも左右するシステムを、もっと精度を高めることは出来ないのであろうか?「何の落ち度もない被害者」という裁判長の言い方に、いつも首を傾げている。落ち度があったら殺されても仕方ない、というように聞こえてしまうのだ。


2017年1月17日再び観たので記す。

『白と黒のナイフ』(Jagged Edge)

1985年・アメリカ 監督/リチャード・マーカンド

出演/グレン・クローズ/ジェフ・ブリッジス/ピーター・コヨーテ/ロバート・ロッジア/ジョン・デナー

新しい録画機が来て、見る映画のジャンルも増えたし本数も増えてうれしい。一度見ていても途中まで見ておもしろかったら、継続して見続けるようにしている。裁判劇はヤッパリおもしろい。たとえそれが真実の追及にならなくても。

とは言いながら、人間が人間を裁くという現実が残酷である。神のみぞ知るという真実を人間がどうやって立証できるのだろうか。世の中の一般的な暮らしや常識とは無縁の裁判官が判決を下すという摩訶不思議な「裁判」が行われている。だからこその裁判員や評決という制度なのだろうが、どこにその確実性があるのかを誰も証明出来ない。

OJシンプソンの裁判は昔かなり話題になった。日本にだって冤罪裁判はそれなりにある。有名な「疑わしきは罰せず」にならざるを得ないのが人間生活なのだろう。確たる証拠がなくても、状況証拠を数多く重ねて有罪が確定するのが現在。良いとも悪いとも言えない。12人の陪審人で構成されるアメリカの陪審制度、陪審が有罪・無罪を答申し、有罪の場合の量刑については裁判官が決定するのが原則である。評決は、伝統的に全員一致であることが必要であるが、現在では、法域によって特別多数決(11対1や10対2など)を認めるところもある。陪審員の意見が分かれ、全員一致や特別多数決の条件を満たさない場合は評決不能 (hung jury) となり、新たな陪審の選任から裁判をすべてやり直す必要がある法域が多いという。

『二等兵物語 女と兵隊・蚤と兵隊』

1955年(昭和30年)・日本 監督/福田晴一

出演/伴淳三郎/花菱アチャコ/松井晴志/宮城野由美子/山路義人

この人気シリーズの題名を列挙するだけでも意味がある。第2作『続二等兵物語 五里霧中の巻』(1956)、第3作『続二等兵物語 南方孤島の巻』(1956)、第4作『続二等兵物語 決戦体制の巻』(1957)、第5作『二等兵物語 死んだら神様の巻』(1958)、第6作『二等兵物語 あゝ戦友の巻』(1958)、第7作『二等兵物語 万事要領の巻』(1959)、第8作『新二等兵物語 吹けよ神風の巻』(1959)、第9作『新二等兵物語 敵中横断の巻』(1960)、第10作『新二等兵物語 めでたく凱旋の巻』(1961)。

リアルタイムで見ているはずはないが、この映画シリーズをいつか何処かで見ている。昭和30年代は、故郷の小さな町にも映画館が2館あった。学生時代に名画座に通った人もいるだろう。あの頃なら3本立てで半日以上を映画館で過ごすことが出来た。そんな趣味もない自分は、おそらくテレビ放映されたのを見ていたのだろうと思うが、この伴淳三郎と花菱アチャコのコンビは面白かった。喜劇ではあるが、今の薄っぺらい芸人のように、自分でネタを喋り観客が笑う前に自分で笑っているような芸をしない。もう忘れ去られてしまったペーソスという味が見事に存在した。

福田晴一監督はこのシリーズ10作中9作品を監督した。解説の山本晋也監督によれば、福田監督は晩年台湾で映画製作の指導をし、台湾映画人では知らない人はいないという。知らないことは多いけれど、機会があれば積極的に作品を観てみたい映画監督だ。それにしても凄い。戦後10年経って、あの日本陸軍を笑いで批判する映画を製作する姿勢が。廃墟となった街を復興する力は、こういう精神的なバックボーンがあるこそからなのだろう。

『スター・トレック』(Star Trek)

2009年・アメリカ 監督/J・J・エイブラムス

出演/クリス・パイン/ザカリー・クイント/エリック・バナ/カール・アーバン/ウィノナ・ライダー/

劇場版『スタートレック』シリーズの第11作目であり『宇宙大作戦』より少し前の時代が舞台の映画。映画シリーズも、TVシリーズも、アニメシリーズもチラ見したことしかなく、スタートレック・ファンからは怒られそうだが、どこが面白いのかまったく分かっていない。スターウォーズは大好きなのに、スタートレックは嫌いというのは、ありなのだろうか。

一番最初の話の前の物語だと言うことを知ったので、たぶん興味を持ってみられるかな、と期待していた。が、残念ながら途中何度も眠りに落ちてしまった。ロンドン・オリンピックのために今日は4時半に起き出してしまったのがいけなかったのかもしれない。シリーズの登場人物を誰も知らないで、いきさつも分からないで見るのは、賢明な鑑賞方法ではないと分かった。知っていれば面白そうな事態も、ただの新しい状況にしか見えず、何も興味も湧かなかった。

というか、何となく毛嫌いしていた作品が、さらに嫌いになった。アメリカ映画には珍しく子供騙し。他のアメリカン・ヒーローものは、夢を語るが妄想は語らない。どうもそこのところが、引っかかっている。日本の漫画チックな発想と似ていて、そこが嫌なのだと。

『間諜×27』 (DISHONORED)

1931年・アメリカ 監督/ジョセフ・フォン・スタンバーグ

出演/マレーネ・ディートリッヒ/グスタフ・フォン・セイファーティッツ/バリー・ノートン/ヴィクター・マクラグレン/ワーナー・オーランド

1914年6月、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が銃撃されるというサラエボ事件を契機に第一次世界大戦が勃発。ドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアからなる中央同盟国(同盟国)と、イギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国(協商国)との戦いが起こった。日本、イタリア、アメリカ合衆国も後に連合国側に立ち参戦した。そんな最中の1915年のはなし。内容は映画であるが、史実に嘘はない。

「This film has been preserved by the UCLA Film Archives」とのクレジットがあった。UCLA(University of California, Los Angeles・カリフォルニア大学ロサンゼルス校)には有名な映画学科があり、映画を大切にしてきている国のフィルム保管体制も、日本とは比較にならないものがありそうだ。フィルム冒頭のクレジットは映画の内容をよく表している。 ~ 1915年- 戦火の最中のウィーン、 オーストリア帝国の落日を飾る”あだ花”のように、 怪しげな者たちが暗躍した。 そうした者たちのうち- 陸軍省の機密文書に- ×27と記された人物がいた。 偉大なスパイになったろう、 もし女でなかったならば。 ~ 題名の「間諜」という言葉がよく時代を表している。今どき、この意味をとっさに答えられる若者がどれだけいるだろうか。

マレーネ・ディートリッヒの顔が覚えられない。まさしくこの時代を代表しているかのような美形に思うが、伝説的な女優として同時代を生きていない憧れの薄さがある。女を使ってスパイ活動させる手口は、現代でも時々話題になる古典的な諜報活動のひとつ。映画の中でロシアの軍人が言う、「スパイと分かっているけれど、そそられる。」、と。スパイでありながらも女であるが故の感情を捨てきれず、情に流されながらも、男よりも男らしく女の一途さを人生に向けている生き方が凄まじい。

『きみがぼくを見つけた日』 (The Time Traveler's Wife)

2009年・アメリカ 監督/ロベルト・シュベンケ

出演/レイチェル・マクアダムス/エリック・バナ/アーリス・ハワード/ロン・リビングストン/スティーブン・トボロウスキー

映画.COMより ~ 自分の意思とは関係なく、時空を超えて過去や未来へ行き来してしまう男ヘンリーと、そんな彼と運命的な出会いを果たし、結婚した女性クレアの生涯の恋を描いたラブストーリー。「ゴースト/ニューヨークの幻」の脚本家ブルース・ジョエル・ルービンが、ベストセラー小説を脚色、「フライトプラン」のロベルト・シュベンケ監督がメガホンを取った。主演は「きみに読む物語」のレイチェル・マクアダムス、「ミュンヘン」のエリック・バナ。

原題と日本語題名との差が著しい。こんな直接的な原題で、アメリカ人は興味を惹くのだろうかと、かえって心配してしまうくらい。タイム・トンネル的な話は大好きで堪らない。今までにはなかった設定も悪くはない。ただ、あまりにも過去や未来を行ったり来たりで、現実との区別が難しすぎて、観客を戸惑わせ過ぎる。

日本のロト6のような宝くじを当ててしまうという禁じ手も、さりげなく登場したりして、未来を見ることが出来るアドバンテイジを面白おかしく描いている。気楽に映画を楽しむのなら、こういう映画はぴったんこ。


2017年10月29日に再び観たので記す。

『きみがぼくを見つけた日』(The Time Traveler's Wife)

2009年・アメリカ 監督/ロベルト・シュヴェンケ

出演/レイチェル・マクアダムス/エリック・バナ/アーリス・ハワード/ロン・リビングストン

柔な邦題が続く。映画を観てからだと、この邦題の意味するところはよく分かる。映画を観る前に感じたこのタイトルには、恋愛ものかなとかいった一般的な印象と、どうしてこんなベタな題名を付けるのだろう、という二つの印象があった。

原題は珍しく内容を表した直接的な題名だった。説明してもし切れないタイムトラベラーという概念。冒頭にこのタイトルを見たときには、邦題を見て嫌々ながら観始まった感触が消えていた。SFは大好きなのだ。ただ、このタイムトラベラーは始末に負えない。時空間を行ったり来たりするのは仕方がないにしても、本人がコントロールできない時空間移動には、終わりのない世界しかない、と思わせる。そこのところをどうするのかが映画のテーマだったろう。

自分がいつ消えて、どの世界に行ってしまうのか。どうやったら戻れるのかのストーリーにはなっていなかった。観ていて歯痒い。このあたりの処理がすっきりすると、もっとはるかにおもしろい映画になっていただろう。新しい時空間を誕生させて、映画の終わり方はなかなかだった。夢物語が、憧れに見えれば大成功なのが映画の世界。ウソに見えてしまえば、大失敗ということになる。

『ダウト ~偽りの代償~』(Beyond a Reasonable Doubt)

2009年・アメリカ 監督/ピーター・ハイアムズ

出演/ジェシー・メトカーフ/アンバー・タンブリン/マイケル・ダグラス/ジョエル・デヴィッド・ムーア

日本では劇場未公開らしく、ちょっと不思議だった。出演者、内容的にも当然ロードショーされたものと思っていた。アメリカの配給会社の関係かもしれない。例えば、20世紀フォックスやワーナー、ソニー、ユナイトなどが母国で配給していれば、自動的に日本の支社に流れてくる。メジャー会社が配給会社でなければ、自由競争品となり売る、買うという映画ビジネスが発生する。見てから買うかどうかを決断するのには難しい映画。

面白くない映画ではない。かといって、劇場公開したら「当たる」だろうかと判断すれば、誰にも肯定的な意見は言えないだろう。映画興行はそこが難しい。時間とお金をかけて観客は劇場へと足を運ぶ。ある意味相当のインパクトがなければ、劇場へと足を運ばせることは出来ない。少人数を劇場に呼べても、ロードショーはそれでは成功とは言えない。1日4回映画をまわし、観客席は最低200席としたって、1日800人がフルキャパ人数となる。それを最低でも4週間程度持ちこたえられなければ、宣伝費も出ない結果となってしまうのだ。

映画は結構面白い。マイケル・ダグラスは人気検事役。アメリカでは勝訴が多い検事の次の職業候補は知事らしい。何度となく見ている。彼は普通のビジネスマンもこなすし、何をやらせてもそつがない。どんでん返しがある映画では、一度見たら内容を忘れるまで、次回の鑑賞は御法度という感じがする。結末を知ってしまった映画を見ることはないだろうと思えるジャンルの映画。

『好人好日』

1961年(昭和36年)・日本 監督/渋谷実

出演/笠智衆/淡島千景/岩下志麻/川津祐介/乙羽信子/北林谷栄

大学の数学教授が主人公。数学を職業としている面白い人の話は、日本映画でもアメリカ映画でも時々映画化される。並大抵の頭脳ではないところから発揮される奇行などが、映画の題材に相応しいのだろう。

アメリカ映画で印象に残っていた映画のタイトルが分からず、「アメリカ映画 数学教授 娘」と文字を入れて検索したら、ようやく見つかった。『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』(Proof・2005年)、おそらくこの映画で間違いない。心を病んでいる数学教授とその娘の話で、結構面白かったと記憶している。見ているのは間違いないが「最近観た映画」リストには登場していない。書き始めてからまだ2年、記録に残っていない映画もずいぶんありそうだ。

笠智衆57才、淡島千景37才、岩下志麻20才、川津祐介26才、乙羽信子37才、北林谷栄50才の時の映画。北林谷栄はいつどの映画を見ても変わらぬ老け顔で、凄くいい味を出している。大先輩に対して失礼な言い方とは思いながら。

『アイアンマン』 (Iron Man)

2008年・アメリカ 監督/ジョン・ファヴロー

出演/ロバート・ダウニー・Jr/テレンス・ハワード/ジェフ・ブリッジス/グウィネス・パルトロー

アメリカン・コミック実写版。日本の鉄人28号やウルトラマンのような由来ではなく、人間が金属を装着して変身するキャラクター。いかにもアメリカ人が好きそうな見た目。アイアンマンの誕生秘話とでも言えばいいのだろうか、そこには人類愛という涙なくしては見られない魂が宿っていた。胡散臭い「愛」を語らせたら、アメリカ人に敵う人種はいない。日本のマンガに刺激されて、アメリカン・コミックも元気を取り戻しつつある。

映画興行としてのアメリカン・コミックの日本公開は、成功している映画はないようだ。この映画も満足度は高評価だったらしいが、興行成績は日本のテレビ局が製作するごくごくつまらない映画の足許にも及ばない。荒唐無稽で、だんだんとコミック・ペーパーをめくっているような絵柄ばかりになって行くが、それはそれなりに面白いと言える。『アイアンマン2』は2010年に公開されているとのこと、是非にという訳でもないが機会があったら観てみよう。

グウィネス・パルトロウは雰囲気が好きな女優。ちょっと歳をくったかなという印象もあるが、好きなものは好きなんだよね。いつも不思議に思う、この好きだということ。反対に嫌いな顔にも同じようにいつも嫌いだという反応が起こる。見ているだけで仕合わせになれたり、側にいるだけで幸福感に浸れるなんて、人間とはなんて優れた動物なのだろう。いや、こういう気持はすべての動物、生き物に共通の思いなのかもしれない。

『ノーバディーズ・フール』 (Nobody's Fool)

1994年・アメリカ 監督/ロバート・ベントン

出演/ポール・ニューマン/ジェシカ・タンディ/ブルース・ウィリス/メラニー・グリフィス/ジーン・サックス

珍しくあらすじを・・・・舞台はニューヨーク州のとある町。60歳の土木作業員ドナルド・サリヴァン、通称“サリー”は、妻と離婚し息子夫婦とも疎遠となり、中学時代の恩師であるベリルの家に居候していた。さらに仕事中に負った怪我のため雇い主のカールと裁判で争っていた。敗訴したサリーは腹いせにカールの工事現場からセメントブロックを盗もうとするがトラックを立ち往生させてしまい、仕方なくヒッチハイクをする事にしたが、彼を乗せてくれたのは何と疎遠となっていた息子ピーターとその家族だった。サリーはこれを皮切りに様々な出来事を通じて、失いかけていた人間の絆を次第に取り戻していく。(wikipediaより)

どうしようもない父親像が出てくる。それでも断ち切れない絆、生きるとは生きていることだと証明するに値する内容。ポール・ニューマンはこういう物語に相応しいが、ブルース・ウィリスが出演しているのには驚く。ジェシカ・タンディはこの映画が公開される前に85才で亡くなっている。エンドクレジットの前に「ジェシカ・タンディに捧ぐ」という字幕が挿入されている。

身につまされるような父親像ながら、逞しく人生を楽しんでいる父親本人に傾倒する。白か黒かではなく、灰色や薄茶色の中で人生は営まれている。良いか悪いかではなく、こっちもあっちもありだよねという感覚の中で、善悪は横行する。後ろを向いても意味がないから前を向く。人生とは、と語ることの出来ないのが人生なのだ、と思い知らされる。明日になれば、また別の1日がやって来る。

『闇の列車、光の旅』 (SIN NOMBRE)

2009年・アメリカ/メキシコ 監督/キャリー・ジョージ・フクナガ

出演/パウリーナ・ガイタン/エドガー・フロレス/クリスティアン・フェレール/テノック・ウエルタ・メヒア

2009年のサンダンス映画祭で監督賞と撮影監督賞を受賞した注目作。ホンジュラス出身の移民の少女とギャングに追われるメキシコ人青年が、命懸けの危険な旅を乗り越えて、未来を掴もうとする姿を、日系4世の新鋭キャリー・ジョージ・フクナガ監督が、ビビッドに描く。中南米の衝撃的な“今“をリアルに切り取った感動のロード・ムービーだ。(ぴあ映画生活より)

やっぱり、こんな評になるんだろうな。もの凄くつまらない映画だった。推薦されたのだけれど、何処がいいのか分からない状態で、見続けた。自分が偶然手にしたDVDだとしたら、おそらく途中でやめていただろう。ホンジュラス、グアテマラ、メキシコ、と馴染みのない土地を見せられて字幕にXXXXX州、とか出たって何の意味もない。

何かがありそうな内容を、何かがありそうな雰囲気で描くのが芸術といわれる世界の真骨頂。優秀な人間が、その中の何かを捉えて、これは凄いとか言うと、庶民は何がなんだか分からずにひれ伏すのみ。所詮はそんなものが大手を振って珍重される。実態は新興宗教の中身みたいなもの、鰯の頭も信心からてなことに通じている。

『ジェイン・オースティンの読書会』(The Jane Austen Book Club)

2007年・アメリカ 監督/ロビン・スウィコード

出演/キャシー・ベイカー/マリア・ベロ/マーク・ブルカス/エミリー・ブラント/エイミー・ブレネマン/ヒュー・ダンシー

主要なキャラクターであるジョスリンとグリッグは、原作ではそれぞれ50代・40代だが、映画では40代・30代の役者が演じている。それに応じて、他のキャラクターの年齢も改変が加えられている。また、原作では各登場人物の過去についての回想場面が多数挿入されているが、映画では省略されている。という解説を見つけ妙に納得。映画の得意手、回想シーンが入っていないお陰で、とっても見易い映画になっている。どう考えたってこの映画に回想シーンが入っていたら、おそらく耐えられなくなるだろう。

面白くない訳ではない。回想シーンは相応しくないと思えるから。製作者もきっとそう思ったに違いない。本に親しんでいない自分を呪った。実在の小説家ジェイン・オースティンが書いた主要作品、『分別と多感』『高慢と偏見』『エマ』『マンスフィールド・パーク』『ノーサンガー僧院』『説得』の6作品について、グループのひとりひとりが感想を述べあうという読書会の話なのだ。当然のことながら、未だに1冊も読んでいないのは、こういう機会を得ながら恥じなくてはいけない。

小説を通して、そして現実の自分の人生を通して、それぞれが或いはみんなが人生を語り合っている。また実践している。最後の落ちは、7度目の結婚報告をしに現れた主人公の一人、図書館晩餐会場、こんなイベントがあるのもさすがアメリカらしい。

『メモリー・キーパーの娘』 (The Memory Keeper's Daughter)

2008年・アメリカ 監督/ミック・ジャクソン

出演/ダーモット・マローニー/エミリー・ワトソン/グレッチェン・モル

全米で500万部を超えるベストセラーとなった同名小説の映画化。1964年の大雪の夜、医師のデイビッドは妻のお腹から初めての赤ん坊を自らの手で取り上げるが、双子の片方はダウン症を患っていた。デイビッドはとっさの判断で立ち会っていた看護師に赤ん坊を施設に連れて行くよう指示し、妻には死産だったと嘘をついてしまう。しかしデイビッドに想いを寄せていた看護師はこっそり赤ん坊を育て……。(映画.COMより)

出来が良くない映画。軽い気持で見る分には悪くはないかもしれない。テーマは面白いが映画として消化し切れていない。監督が違えば、もう少し面白い映画になっていただろうと想定出来る。

ハンディキャップを背負った子供、人間を映画の中で扱うやり方は、断然アメリカに学ぶところが多い。社会そのものがまだまだ慣れていない、こなれていない日本においては、ハンディキャップという言葉を聞いただけで恐れおののく人ばかりであることが哀しい。この育ての親になる元看護婦にしても、自らそういう子供を育てて行こうとする心の在り方が、さすがアメリカ人。やはり宗教心を背景とするDNAが違うのだろうな、と感心する。メモリー・キーパーとは「カメラ」のことを指している。子供を出産した時、妻が夫にプレゼントしたカメラのことを言っている。このカメラが今回のストーリーの重要な小道具。

『ニューイヤーズ・イブ』 (New Year's Eve )

2011年・アメリカ 監督/ゲイリー・マーシャル

出演/アシュトン・カッチャー/ロバート・デ・ニーロ/キャサリン・ハイグル/リア・ミシェル/アビゲイル・ブレスリン
 /ヒラリー・スワンク/ミシェル・ファイファー/ザック・エフロン/ジェシカ・ビール/ハル・ベリー/サラ・ジェシカ・パーカー
 /ジョン・ボン・ジョヴィ/ジョシュ・デュアメル

大晦日(ニューイヤーズ・イブ)のニューヨーク。夜にはタイムズスクウェアに人々が集まり、新年へのカウントダウンイベントが行われる。午後11時59分からは、ワン・タイムズスクウェア屋上から23メートルの高さに上げられていたボール (Times Square Ball) が、1分かけて降りてくる「ボール・ドロップ」が行われ、新年になると花火が上がる。映画史上初となる100万人もの人々が祝うタイムズスクエアのカウントダウンイベントでの撮影を行った。8組の男女カップルの間で繰り広げられる様々な出会い・悩み・エピソードが繰り広げられ交叉する物語。俳優人も華やかだが、顔と名前が相変わらず一致しない。たまたまヒラリー・スワンクをアクターズ・スタジオで見たばっかりだったので、見分けることが出来てちょっと嬉しかった。

何処かで観たようなストーリー、『ラブ・アクチュアリー』(Love Actually・2003年)、クリスマスのロンドンを舞台に、19人の男女の様々なラブストーリーを同時進行で描いている映画と雰囲気は同じ。監督の力が問われる内容だ。抜群に面白かったラブ・アクチュアリーがいつも頭に残っているため、内容よりも映像の処理の仕方やセリフのひとつひとつをチェックしていた。前半では登場人物を上手く消化しきれず、ちょっともったいない映画だという印象が強かった。後半になって、ようやく登場人物が落ち着き、それぞれの絡みが映画っぽくなって行った。

タイムズスウェアのネオンサインには日本の企業名がデカデカと表示されているので、さすがに映さないという訳にはいかないが、極力長写しをしないような工夫が成されていたと勘ぐった。「TOSHIBA」「TDK」「SONY」、横には「MAXCELL」も時々見えた。この地域をもう少し時間をかけてカメラがなめ回せば、もっと多くの日本企業名が現れることだろう。さらに韓国、中国の会社名も結構あるに違いない。アメリカを代表する場所にアメリカの企業名が大きく出ていない時代、何年したらアメリカ企業も復活するのだろうか。

『エジプト人』(The Egyptian)

1954年・アメリカ 監督/マイケル・カーティス

出演/エドマンド・パードム/ジーン・シモンズ/ヴィクター・マチュア/ジーン・ティアニー/ベラ・ダーヴィ

主人公シヌヘ役は当初マーロン・ブランドに決まっていたが降板した。またマリリン・モンローがネフェル役を強く希望していたが、プロデューサーのダリル・F・ザナックは当時の愛人だったベラ・ダーヴィを起用した。いつの時代、どこででもこんな話があるのはやりきれないと言うより、面白いとみるべきなのだろう。

古代エジプト第18王朝の王(ファラオ)アメンホテプ4世は、イエス・キリストが現れる13世紀前、多神教であったそれまでの宗教を廃し、唯一神アテンのみを祭る世界初の一神教を始めた。周りからは頭がちょっとおかしいと思われていた国王。現在のエジプトとちょうど同じように、国政が乱れ、近隣諸国からの圧力もあり、歴史上に輝くエジプトという訳には行かなかった時代での物語。

原作はフィンランドの作家ミカ・ワルタリの同名歴史小説。どうしても我々日本人は、遠いエジプト、歴史上のエジプトを神格化して見てしまうところがある。映画の内容を信じれば、そこには今と同じドロドロとした人間模様が一杯で、いつの世も金と欲と色恋沙汰が大きな生きる糧だったように見える。

『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』(Transformers: Dark of the Moon)

2011年・アメリカ 監督/マイケル・ベイ

出演/シャイア・ラブーフ/ロージー・ハンティントン=ホワイトリー/ジョン・タトゥーロ/ジョシュ・デュアメル/タイリース・ギブソン

2007年から続く実写映画版『トランスフォーマー』シリーズの第3作でシリーズ完結編。シリーズで初の3D映画。この手の映画はご遠慮申し上げることが多いのだが、偶然に1作目を見た時になかなかやるじゃんという印象が強く、第2作目を見ていない状態で第3作目の鑑賞となった。1作目の時に画面が凄く綺麗で、メカニック対決というシチュエーションが美しく見えたと記憶していた。

ところが今回は映像がやたらとざらついていて、まったく美しくなく、どうしたんだろうと思っていたら、3D映画だったことが原因ではなかろうかと推測した。3D映画への人々の興味も、もうさほどではなくなってきているかな?元業界人としては、凄く気になる動向だけれど、3Dになると急に料金も高くなるし、それでなくとも日本の映画料金は高いと言われているのだから、ちょっと考えた方がいい。

前半はそれなりに見入ったけれど、後半に入ると同じことの繰り返しで、興味半減うたた寝時間となってしまった。映画のシリーズものは、1作完結編という作り方が多く、単独でみてもまったく問題のないことが多い。ところがこの映画は、人間関係も含め、前作までの繋がりが結構シビアに描かれていて、2作目を見ない人が3作目を見るにはちょっとばかり辛かったこともある。主人公の恋人役が一見美人、よくよく見るとへちゃむくれで、100m美人の様相。色の白さは七難隠すと言われていた言葉が、今やスタイルの良さは八難隠すとでも言い換えてみたい気がした。言いたいことを言っているなぁ~。

『ラビット・ホール』(Rabbit Hole)

2010年・アメリカ 監督/ジョン・キャメロン・ミッチェル

出演/ニコール・キッドマン/アーロン・エッカート/ダイアン・ウィースト/タミー・ブランチャード/マイルズ・テラー

これまたアカデミー賞狙いの公開方式をとっている。内容的にも、いかにもアカデミー賞を強く意識したストーリーで、それを最後まで押し通して見せつけられた気分が、ちょっと嫌だったかもしれない。思惑通りアカデミー賞他のノミネートを多数獲得したが、受賞にはいたっていないようで、そこらあたりがさっきの感想とちょっと一致していておもしろい。

何の予備知識なく見る映画としては最適だ。映画の進行とともに少しずつ登場人物が明確になって行き、この夫婦は一体何を悩んでいるのだろうか、ということが徐々に分かってくる。だから映画は面白いのだ。もしもこの話をネットで調べてしまったり、はたまた原作(今回は本にはなっていないが)を読んでしまっていたら、興味が湧く前に気持が萎えてしまいそう。

映画の中で「ラビット・ホール」の言葉について説明があるのだが、現実社会ではこんな言葉はなさそうだ。ネットで調べても見つからないけれど、実はちゃんと存在している?現実と宇宙を繋ぐラビットホール、という想像を廻らす少年が出てくる。映画の肝心なストーリーとは関係ないことだが、この少年がこの映画のキー・パーソン。ニコール・キッドマンの顔が覚えられない。いつ見ても輝いてはいるが、いつも違う顔に見える。新鮮でいいのかもしれない。

『カンパニー・メン』 (The Company Men)

2010年・アメリカ 監督/ジョン・ウェルズ

出演/ベン・アフレック/クリス・クーパー/トミー・リー・ジョーンズ/ケビン・コスナー/マリア・ベロ/ローズマリー・デウィット

2011年のアカデミー賞にノミネートされることを願って、2010年12月10日にロサンゼルスとニューヨークのみで公開された。最低2館以上の一般劇場での公開が条件になっている。こういう話は映画業界では聞き慣れた話であるが、一般の人にはそのあたりの思惑なども含めてピンと来ないかもしれない。一般公開は翌2011年1月21日だったようだ。

アメリカのサラリーマンでリストラにあった人のはなし。メインは3人だが、1番目は会社の創業者の一人である副社長、2番目はかなりの古株で現場からたたき上げてかなりの地位になった59才、3番目は37才ながら地区営業責任者。それぞれがそれぞれにリストラ後の人生を苦労する。日本の映画だと首になったりリストラにあったりする題材は結構多いけれど、アメリカ映画ではなかなかお目にかかれないテーマ。日本のハローワークに当たるような施設が出てくるが、さすがアメリカと唸ってしまう。

元いた会社が支払えば、就職支援施設の中で個室がもらえる。そこから誰に気兼ねナシに電話をかけられる訳だ。取締役クラスにはそういう特権が与えられるらしい。家庭環境は日本に似ている。リストラされても隣近所には知られたくない。奥さんが言うには、早く帰宅しないこと、そしてブリーフ・ケースをもって出勤すること。このあたりはまったく日本の風景と変わらない。社員のリストラはするけれど、この会社の社長の報酬は全米17位と発表されて、アメリカでの貧富の格差を訴えているかのよう。

『女帝 春日局』

1990年(平成2年)・日本 監督/中島貞夫

出演/十朱幸代/名取裕子/鳥越マリ/草笛光子/金田賢/淡路恵子/長門裕之/若山富三郎

春日局なる者が、どういう素性から大奥を取り仕切るようになったのかを知りたかった。見たかった。映画を見終わってからいろいろと調べてみた。素性については史実通りだったが、さすがに大奥へと歩む道は映画的なフィクションで、面白おかしく作られていることが分かった。映画はこうでなくちゃ、実話をそのまま描いたって面白い訳もなく、映画として作る意味もない。ということで、結構面白かった。若山富三郎の徳川家康、エロ爺役がぴったんこ。最近の映画ではこんな感じの役者がいなく、寂しい。

何処の会社にも女子社員3人いれば女帝の存在が出来る。男社会では役職がものを言うけれど、女子はそういう訳にはいかない。理屈ではない何かが人間関係を形成しているようだ。

日本ヘラルド映画株式会社のような小さな会社、東京の本社だけなら80名あまりだったけれど、女子社員は十数名いただろうか。それぞれが自分の空間を持っていて、芸術や文化の世界に生きているような女性ばかりだったので、女帝らしき存在はなかったような気がする。そう思っていたのは自分だけだったのかもしれないので、今度のOB会で会ったらそこら辺あたりを聞いてみよう。後学のために。もう必要ない後学だけれど。

『時雨の記』

1998年(平成10年)・日本 監督/澤井信一郎

出演/吉永小百合/渡哲也/佐藤友美/林隆三/原田龍二

昭和天皇の様態を伝えるニュースがテレビで頻繁に流される中、その昭和時代を仕事一途に働きずくめた一人の男が偶然の出会いから恋をした。世間で単なる不倫という物語でも、この映画の作りは違う、もっとロマンチックに初老の愛を描いている。という風に見えた。好意的。吉永小百合では愛欲シーンはなし、役者が変われば違う展開も考えられたかもしれない。

大会社で上り詰めた成功者にも、庶民以上の人間欲があったのか。良く描かれるパターンの人生を羨ましいと思いながらも、何処かに冷たく見放す眼もある。それでも、いつまでも他人を愛する心を持っていられることが、どれだけ素晴らしいことなのかと羨ましく思う。

珍しく吉永小百合が自然体、こういう役は合っているのかもしれない。日陰者と世間からうとましく見られる存在、そんな身にはなりたくないけれど、彼女の美しさは輝きを増していた。「顰(ひそみ)に倣(なら)う。」という諺を想い出した。意味はお調べあれ。

『御用金』

1969年(昭和44年)・日本 監督/五社英雄

出演/仲代達矢/丹波哲郎/司葉子/浅丘ルリ子/田中邦衛/夏八木勲/西村晃/東野英治郎

フジテレビがテレビ局として初めて劇場用映画製作に進出したのがこの作品だった。単独ではなかったが、映画業界をも黙らせるテレビ業界の栄華がこの時に始まったと言っても過言ではない。五社英雄監督は、ニッポン放送プロデューサー、フジテレビ映画部長からの転身であり、『ひらけ!ポンキッキ』の企画にも携わり、企画書を提出した人物でもあるという。

1980年に銃刀法違反の容疑で逮捕され、フジテレビを依願退職。オファーされていた映画『魔界転生』の監督もなくなり、妻にも逃げられた。活動再開第1作が『鬼龍院花子の生涯』である。『鬼龍院花子の生涯』『陽暉楼』『櫂』は、宮尾登美子とのコンビ作品で「高知三部作」とも呼ばれた。1985年には自ら映画制作プロダクション「五社プロダクション」を設立。映画『世界最強のカラテ キョクシン』(1985年、極真映画製作委員会)の総監修や、映画『陽炎II KAGERO』(1996年、松竹・バンダイビジュアル)の脚本監修も手がけていた。後年、二代目彫芳の手により刺青を全身に彫ったことを娘に明かした。安藤昇とは親友。『新三匹の侍』の企画段階で、五社自ら安藤をレギュラーに推薦して起用した。

こういう人物の作った映画が面白くない訳がない。浅丘ルリ子は29才、一連の日活青春映画シリーズは既に終わっていたが、まだまだちょっとふくよかな顔をして大スターの面影一杯。仲代達矢は37才、黒澤明監督作品「用心棒」は8年前、「椿三十郎」は7年前の出演作品。丹波哲郎47才、極めて滑舌良く、おちゃらけた雰囲気のカケラも見えない真面目な役者生活時代。

『陰謀の代償 N.Y.コンフィデンシャル』 (The Son of No One)

2010年・アメリカ 監督/ディート・モンティエル

出演/チャニング・テイタム/アル・パチーノ/ジュリエット・ビノシュ/レイ・リオッタ/トレイシー・モーガン

いわゆるコップ(警察)もの。今回はニューヨーク市警。日本語タイトルがちょっとばかり大袈裟過ぎて、内容が伴わない。暗いテーマを取り上げてのコップものなので、見ているとイライラしてきてあまり気分が良くない。

ニューヨークには1度しか行ったことはない。エンパイア・ステート・ビルディングにも昇っていない。東京の建物をただ高くしただけのような街並みが、あまり好きになれなかった。旅行で観光するところではなく、仕事で住むところだなという印象がある。

旅行するならヨーロッパ、行きたいけれどまだまだ行っていない場所が多い。特に元共産圏の国々、叶わぬ夢を持ちながら、出来たらいいなぁと思える日々が、本当の仕合わせ。

『ハウスメイド』 (下女)

2010年・韓国 監督/イム・サンス

出演/チョン・ドヨン/イ・ジョンジェ/ソウ/ユン・ヨジョン

韓国映画界の名作「下女」(1960年)をリメイクした官能サスペンス、だとは知らなかった。韓国映画をDVDレンタルしたのは初めて。テレビ放映番組でさえ、まだ韓国ドラマを見たことはない。録画では何本か観ているが、好んで観たい範疇ではないことは確か。準新作100円の案内がまた来たので、作品を選ぶ時に焦りがあった。しゃがみ込むようにして作品名を見ていた時、人妻風女性がさらりとこのDVDを手にしていったので、こちらも何の気なしに手に取ってしまった。

お手伝いさんが雇い主の夫と関係を持ってしまった、という在り来たりのストーリーで終わるはずのない韓国映画。と、見ながら結末もしくは途中での奇抜なアイディアを期待していた。ところがどっこい、結末はちょっと意外だったが、驚くほどの映像効果も物語集結でもなく、この程度のものならわざわざ見ることもないな、と思えてしまう映画。

官能サスペンスなど劇場映画では今や無駄なこと。インターネット全盛となって、今や無修正映像が氾濫し、さりげないエロチックさなど希有な時代となってしまった。見えないから興味をそそるのであって、全部オープンになってしまったら何の情緒もありやしない。これからの人達は、こんな詰まらないことでさえ、味気のない世界を生きなければいけないのか、と同情を禁じ得ない。

『独立愚連隊』

1959(昭和34年)・日本 監督/岡本喜八

出演/佐藤允/中谷一郎/雪村いづみ/鶴田浩二/中丸忠雄/上原美佐/三船敏郎/南道郎/ミッキー・カーチス

映画は文句なしに面白い。軽快で淀みなく、ちょっとしたサスペンスも盛り込んで、日本映画も大したものじゃん、と思わせてくれる。こんな風に面白いはずの日本映画が、何故今、考えられないほどの凋落をしてしまったのか、誰だ!責任者は!と叫びたい。

1953年(昭和28年)にデビューし、不動の人気スターとなり、同年代の人気少女歌手江利チエミ・美空ひばりと共に「三人娘」と称されていた雪村いずみが22才、慰安婦役で出演している。こういう自由さがこの時代を象徴しているように思う。今なら、例えば上戸彩を娼婦役に据えるだろうか?ミッキー・カーチスは21才、新兵の端役、時代は確実に年月を経ているが、現在の彼の姿には決してダブらない。三船敏郎が気のふれた大将役も面白い。

悪徳商人や悪い兵隊さんなど、映画ばかりではなく現実社会でもはびこっている悪人どもの存在が、人間社会を惨めなものにしている。イジメは認めたけれど、イジメと自殺の因果関係は分からない、などとうそぶく教育関係者、イジメが自殺の原因ではないと言い切れる確率はゼロに近いということすら分かっていない。正義は常に勝つ訳ではなく、悪義が力を落とした時にだけ、そっと顔を出す程度。

『黄色い星の子供たち』 (LA RAFLE)

2010年・フランス/ドイツ/ハンガリー 監督/ローズ・ボッシュ

出演/メラニー・ロラン/ジャン・レノ/シルヴィー・テステュ/ガド・エルマレ/ラファエル・アゴゲ/ユーゴ・ルヴェルデ

「ぴあ映画生活」には、ジャンル:社会派ドラマ、気分:心から泣けます、という不謹慎な言い方が掲載されていた。内容を引用する ~ 直訳すると“一斉検挙“という原題を持つ本作は、1942年にパリで起こったユダヤ人の一斉検挙を描いた真実の物語。胸に黄色い星をつけることが義務付けられていたユダヤ人たちの過酷な運命を、実際に体験した少年の証言や、緻密な調査と研究をもとに元ジャーナリストの監督が映画化。『オーケストラ!』のメラニー・ロランと名優ジャン・レノの好演も見どころ。

過酷な事実の前には、名優もなにも必要ない。このおぞましき事実を、映画を通してでも知っておかなければならない。映画は1942年6月から始まり、1945年終戦直後で終わる。フランス、パリ。1940年 - 1944年、フランス中部の町ヴィシーに首都を置いたことからそう呼ばれた「ヴィシー政府」時代の悪名高きドイツ・ヒットラーの所業。ちょうど70年前の話だが、第二次世界大戦はまだまだ終わらない。ユーロ圏でのドイツの一人勝ちは?と考えると、複雑な気持ちで映画に見入る。どんどん気が滅入ってくる。映画が面白くない訳ではなく、その事実に心が打ちのめされるのだ。ユダヤ人の悲劇については、聞かされれば聞かされるほど、涙が流れてやまない。

フランス人がヒットラーの言いなりになって、ユダヤ人排斥の片棒を担いでいたのかと疑ったが、以下のような記述を見つけちょっと気が安らんだ。 ~ 1969年にマルセル・オフュールス監督のドキュメンタリー映画『悲しみと哀れみ』が公開された。レジスタンスとしてドイツに抵抗するのではなく、生き延びるために受動的な生活を送っていたフランス国民の姿を描いたこの作品は当局に衝撃を与えた。ルイ・マルの『リュシアンの青春』など、対独協力を描いた作品も現れ、アンリ・アムールーが「4千万人のペタン派」というタイトルの本を出すなど、フランス人が対独協力に積極的であったという否定的な神話も生まれた。1980年代以降もさまざまな研究、議論が発生している。

『ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル』 (Mission: Impossible - Ghost Protocol)

2011年・アメリカ 監督/ブラッド・バード

出演/トム・クルーズ/ジェレミー・レナー/サイモン・ペッグ/ポーラ・パットン/マイケル・ニクビスト

1962年生まれというから、もう50才になったトム・クルーズ。1986年の『トップガン』で世界スターの仲間入りを果たしてからの活躍は目覚ましい。最近ではまた離婚ゴシップを垂れ流し、芸能界記者を小躍りさせている。身長170cm、ダスティン・ホフマン、マイケル・j・フォックスなどと同じく、背が低い大スターのひとり。。

テレビ・シリーズでは頭脳の勝負が際立って面白かった「スパイ大作戦」、映画も4作目ともなると、こんな手まで使うのかと呆れかえってしまうようなアクションの天こ盛り。上映時間2時間12分は長いよね~。それでも、日本映画の2時間ものに比べれば、比べようもないほど面白いのがいい。これでもかなり削ぎ落としている映像のカケラが見える。

スーパーマンのようにキャラクターが特定されてしまう主役ではなく、普通の姿形で演じられるシリーズものは、役者の幅を狭めることがないのがいい。この頃では貪欲に映画製作者側にまで手を延ばしている。2017年に『ション:インポッシブル 5』の製作がもう決まっている。

『ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える』 (The Hangover Part II)

2011年・アメリカ 監督/トッド・フィリップス

出演/ブラッドリー・クーパー/エド・ヘルムズ/ザック・ガリフィアナキス/ケン・チョン/ジェフリー・タンバー

二日酔いで記憶をなくした男たちの騒動を描き世界的大ヒットした「ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」(2010)の続編。フィル、スチュ、アラン、ダグの4人は、スチュの結婚式に出席するためにタイ、バンコクへ。再びバチェラーパーティを繰り広げる。翌朝目覚めると部屋には猿がいて、アランは丸刈り、スチュの顔にはタトゥが入っており、またしても想像できない事態を引き起こしていた……。前作のスタッフ、キャストが再結集。 ~ 映画.COMより

お馬鹿さん映画は嫌いではないが、ここまでお馬鹿さんだと気が滅入る。全米で5月26日(木)より3615館で公開され、R指定のコメディ映画として史上最高のオープニング新記録を樹立したほか、2D作品としては2011年度最高のオープニング成績を記録した、という。

いわゆるジョークが好きな国民、と決めつけるのは適当ではないかもしれないが、日本人なら空気が読めないと批難するようなシチュエーションでのジョークには、どう反応して良いか分からない。それでも喋り続けるのがアメリカ人、沈黙は金なりという諺は、日本だけのものではないはずなのに、やっぱり根本的にDNAが違う。

『アメイジング・グレイス』(Amazing Grace)

2006年・イギリス 監督/マイケル・アプテッド

出演/ヨアン・グリフィズ/ロモーラ・ガライ/アルバート・フィニー/ベネディクト・カンバーバッチ

音楽を付けてみた。会社で急に大きな音を出して、みんなが驚かないように!ヘイリーの歌声は透き通っていて気持いい。

映画.COMより ~ 200年以上もの間、世界中の人々に愛され続けている名曲“アメイジング・グレイス“。その裏には、18世紀のイギリスで当時、収入源となっていた奴隷貿易というおぞましい事実があった。映画は、その制度を廃止するために人生を捧げ、やがて世界を変えていくひとりの若き政治家、ウィリアム・ウィルバーフォースの実話を基に綴る感動のドラマだ。

1700年代後半、大英帝国は奴隷制度の上に大繁栄を続けていた。庶民までもがこの奴隷制度をおかしいものとして捉えてはいない時代だ。主人公の唱える「奴隷貿易廃止法案」に対して、その恩恵に最もあずかっていた商人や政治家達は口を揃えてこう言った、「奴隷制度を廃止してしまえば、大英帝国はつぶれるだけだ」と。何処かで聞いたことのあるセリフに聞こえた。原発を廃止すれば日本経済は、いや日本国は終わりだ、と言っている現政権と同じではないか。ダメなものはダメと言い切れる本当の政治家なんて日本にはいない。そういう時代に生まれてしまった不幸を嘆くしかあるまい。


2018年12月6日再び観たので記す。

『アメイジング・グレイス』(Amazing Grace)

2006年・イギリス 監督/マイケル・アプテッド

出演/ヨアン・グリフィズ/ロモーラ・ガライ/ベネディクト・カンバーバッチ/マイケル・ガンボン

前に観たことあることが分かっていたけれど、また観た。あの有名な楽曲の由来が語られる。未だ本田美奈子の歌うシーンがYouTubeで流されている。訳詞を見ても原曲を歌えるまでにはならない。こういう歌は聞くだけで充分だろう。

奴隷船貿易を当たり前のようにやっていた欧米諸国。今や指をさして「黒人」と言うだけで差別行為に認定されてしまう時代の到来を想像も出来なかっただろう。イギリスの若き高潔な政治家が生涯を通して訴え続け、最終的に奴隷船を廃止することに成功するまでの物語。

何処の国のどの時代の政治屋たちも同じような活動をしていたらしい。日本の今を罵ることは簡単だが、ずーっと人間の歴史は同じことを繰り返している。一筋の光明を見出すように、ほんの一握りの政治家が本当に働いてくれれば、それで由としなくてはならないのだろう。そのほんの一握りさえもいない国では、ただ諦めて大きなものに巻かれているだけが精一杯の庶民の生き方になるのは仕方がない。

『光のほうへ』 (SUBMARINO)

2010年・デンマーク 監督/トマス・ヴィンターベア

出演/ヤコブ・セーダーグレン/ペーター・プラウボー/パトリシア・シューマン

運命に翻弄されながらも、孤独の闇から再び光を求めて歩き出そうとする兄弟の姿が胸を打つ。なんていう映画評が見えたが、まったくそんな風には見えなかった。暗くて、くそ面白くない映画。おそらく一生観ることはないと思われる読者に向けて、生きていて見逃してもいい映画のひとつと言っておこう。

「光のほうへ」というよりは、「暗闇の中へ」とでも題名を変えた方がいい。それでも観る人はなかなかいないだろうなぁ。《 Submarino。「海の下」?ここでは、水中に頭を突っ込まれる刑務所内での拷問を意味しています。デンマークのような人権先進国でもこのような拷問が行われたんでしょうか。 》と書いたページが見つかった。

映画の主要テーマとなることが多い、麻薬・ドラッグ、暴力、セックス、良い意味でも悪い意味でも社会に対する影響が大きいだけに、映画の持っている力と責任は、極めて大きいものだと自覚しなければならない。

『ナタリー・ホロウェイ』 (Natalee Holloway)

2009年・アメリカ 監督/ミカエル・サロマン

出演/トレイシー・ポラン/グラント・ショウ/キャサリン・デント

こんな記事があった。 ~ 最近では、カリブ海のアルーバ島で行方不明となっている白人女性、ナタリー・ホロウェイさん(18)の事件が大々的に報道されている。ところが、メディアに取り上げられるのは誘拐された人のほんの一部で、FBIの捜査ファイルに掲載されている10万人以上の行方不明者のほとんどは報道されず、世間にその事実が知られることはない。

「 based on a true story 」と始まった映画、どれほどの感動を呼び起こすのかと期待していたが、何のことはない卒業旅行で行った先で、羽目を外して酒を飲み男3人の車に乗ったまでは分かったが、結局行方不明となり、アメリカから急遽駆けつけた母親などの必死の捜索を描いただけだった。容疑者は裁判にかけられることもなく、結局主人公ナタリー・ホロウェイさんは、行方不明者で片づけられている、という事実だけが残っているようだ。

映画としては、面白くない範疇に入る。人の命は重いけれど・・・・・・。観ていて、気分がすぐれない方向に向かう。DVDのタイトルには、「ナタリー・ホロウェイ ~真実はカリブの海に~」とか「ナタリー・ホロウェイ ~偽りの真実~」とか付けてあるようで4流映画の証明書を発行しているようだ。さすがに劇場公開はない。

『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』(X-Men: First Class)

2011年・アメリカ 監督/マシュー・ヴォーン

出演/ジェームズ・マカヴォイ/マイケル・ファスベンダー/ケヴィン・ベーコン/ジャニュアリー・ジョーンズ/ローズ・バーン

『X-メン』シリーズの5作目であり、1-3作目の前日譚であり、アメリカ映画のX-MEN (チーム)としてのエピソード1作品である。という説明を読んでもピント来ない。1作目、2作目までは観たような気がしているが、良く覚えていない。面白かった気はするが、登場人物のキャラクター特定は出来ていない。

もともとこの映画が物語の発端を描いているので、単純に楽しむことが出来る。けど、あまりにもコミック過ぎて、途中からはちょっと飽き飽きする映像と人間関係が顕著。良く作るよねぇ、と思わず声を発したくなる。特殊なことに秀でたミュータントは、あなたの側にもいるかもしれない。と思わせてくれるSFっぽさは大好きだ。音楽、絵画などの芸術分野で、天才と呼ばれる人達はきっとミュータント(突然変異体)なのだろう。

どんなに見かけが醜くとも、それを凌(しの)ぐくらいの偉大な才能があった方が嬉しいのか。それともただの凡人なのだけれど、他人よりちょっと綺麗な顔をしている方が良いのだろうか。天はなかなか二物を与えてくれない。どちらかを選ばなければならないとしたら、どっち?年老いて、脳梗塞を患い手足や喋りが不自由になるか、アルツハイマー病になって自分が誰だか分からなくなるか、どちらかの結末を選ばなければいけないとしたら?

『アーネスト式プロポーズ』(The Importance of Being Earnest)

2004年・イギリス 監督/オリバー・パーカー

出演/コリン・ファース/ルパート・エヴェレット/ジュディ・デンチ/リース・ウィザースプーン/フランシス・オコーナー

もともと『真面目が肝心』(まじめがかんじん)という舞台劇だったようだ。どうも面白くないと思ってい観ていたが、おそらく舞台から映画化する際の脚本あたりで、つまづいてしまったのだろう。出演者は一流なのに、何かよそよそしい感じで、どうにも乗れず、早回しをしてしまった。日本では劇場未公開でDVDのみの発売だった雰囲気。

最後の頃に1箇所だけ、急に話が展開し面白くなったシーンがあった。このことだけを言いたいために、詰まらないストーリーを積み重ねていたんだ、と思い当たった。資料には、W・S・ギルバートの喜劇『婚約』の影響下に、オスカー・ワイルドによって執筆された、3幕あるいは版によっては4幕から構成される風習喜劇である、としている。

聞き慣れない言葉風習喜劇は、風俗喜劇と同意語らしい。おそらく英語が堪能であれば、セリフのひとつひとつに鏤められた宝のような皮肉や滑稽さが、光り輝くように心の中に迫って来る気がする。せいぜい買い物英語くらいしか喋れない自分の劣等感を、後押しするような映画だと自嘲するのみ。

『家の鍵』 (LE CHIAVI DI CASA)

2004年・イタリア 監督/ジャンニ・アメリオ

出演/キム・ロッシ=スチュアート/シャーロット・ランプリング/アンドレア・ロッシ/ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ

重い。この映画のことをどう書いて良いのか、今でも分からない。一番苦手な分野であり、人間生活のことである。15才の主人公は実際の身体障害者で知的障害者、役者ではなくそういう境遇の人が演じている。父親は難産の末死んでしまった19才の女性と障害を背負って生まれてきた子供から逃げてしまっていた。子供がこの歳になって初めて出会い、今まで育ててくれた人からドイツの病院での検査・リハビリに同行するよう言われる。

初めて見る我が子、障害児であることは分かっていたが、どう接して良いのかすらも分からない。病院でのリハビリでは、あまりの辛さに抑えきれない感情が・・・。重い。辛い。神はそういう子供を育てることに相応しい人にしか、そういう子供を授けないというのだが。その言葉を信じられても、現実は重い。

題名の「家の鍵」とは、この障害児は実は家の鍵を持つことを許されている。ということは、外に行くのも自由だし、という具合に解釈されてはいるが、実際には不自由な脚を引きずりながら、奇行にに見える行動をしながらの外界との接触には、大きな壁があるのだと言うことが、映画を見るに付け納得しなければいけない事実。ようやく会う勇気を持った父親が、今ある家族の中に彼を引き入れて、逞しく生きて行こうとする雰囲気の中で映画は終わる。饒舌な日本映画なら、何処まで結末を引き延ばしてくれるのか?結末だけは、日本映画で観てみたい。

『さよならをもう一度』 (Goodbye Again, Aimez-vous Brahms ?)

1961年・フランス/アメリカ 監督/アナトール・リトヴァク

出演/イングリッド・バーグマン/イヴ・モンタン/アンソニー・パーキンス/ジェシー・ロイス・ランディス/ピエール・デュクス

フランスの作家フランソワーズ・サガン原作の小説『ブラームスはお好き』(1959年・Aimez-vous Brahms? )の映画化。1915年生まれのイングリッド・バーグマンは、この時45才で40才の女性を演じている。『ガス燈』(Gaslight・1944年)時代の姿形からはだいぶふくよかさが目立つが、まだまだ充分すぎる美貌を備えている。

映画の中では25才の青年が熟女に恋してしまうという、今ならその辺にゴロゴロしていそうな男女関係が、原作当時ではかなり違和感のある様子が描かれている。そういえばこの頃は、熟女ばやりで、アンチ・エイジング術の発達と共に、歳が分からない人達が増えてきた。見た目にも、心の中も、年相応の成熟度があれば、歳を重ねることが怖くなくなるかもしれない。でも普通の人は、やっぱり歳をとることはあまり良いことではないと思っている節があり、それもまた正しいことだと好んで否定出来る事柄ではない。

この時代の映画の特徴は、音楽が効果的に使われていること。この映画でも、ブラームスの交響曲第3番第3楽章(ポコ・アレグレット)の甘美なメロディが様々にアレンジされている。パリの佇まいもさりげなく紹介され、英語とフランス語がセリフの中でイキイキと踊っている。映画産業が世界的に熱気をおびていた頃。

『転校生』

1982年(昭和57年)・日本 監督/大林宣彦

出演/尾美としのり/小林聡美/佐藤允/樹木希林/宍戸錠/入江若葉/志穂美悦子

大林宣彦監督の尾道三部作と呼ばれるのは、この1作目と、『時をかける少女』(1983年)、『さびしんぼう』(1985年)。NHK-BSプレミアムシネマ 「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本~喜劇編~」、この喜劇編になってからほとんど観ていない。どうも日本のコメディー映画を観る気がしない。まさしく偏見だが、偶に見る機会があって観たとしても、期待通り以下の映像に出くわすだけの経験しか持っていない。

1979年(昭和54年)中学2年の時に武田鉄矢主演のドラマ『3年B組金八先生』のオーディションに合格し、生徒役でデビューしていた小林聡美は、この映画で銀幕デビュー。17才という未熟な身体を恥ずかしがらずに精一杯見せている。主役の二人がなかなか良い。ストーリー自体がコメディーなので、わざわざおかしい演技をしなくても良かったことも幸いしている。もう30年も経ってしまうと、小林聡美はりっぱに脚本家・映画監督の三谷幸喜と結婚をし、離婚も経験している。

「尾道三部作」は、広島県尾道市を観光都市として世に知らしめることになったが、1980年代の日本映画界を代表する映画のひとつと評され、更に地元との協力関係の中で映画を作るという手法も注目を集め、それはその後全国各地のフィルム・コミッション誕生へとつながっていった。「坂の街」としても有名、若くて元気な時、一人で歩いてこの街の坂道を登ったことを思い出す。また、「文学の街」「映画の街」として全国的に有名であり、小津安二郎監督の「東京物語」が尾道で撮影されている。

『ブリジット・ジョーンズの日記』(Bridget Jones's Diary)

2001年・イギリス/フランス 監督/シャロン・マグアイア

出演/レネー・ゼルウィガー/ヒュー・グラント/コリン・ファース/ジム・ブロードベント/ジェマ・ジョーンズ

何とも愛らしくて素敵なレネー・ゼルウィガー、この映画での体形が普通だと思っていたら、実は大幅に体重を増やしてブリジット役に取り組み、高い評価(アカデミー主演女優賞候補など)を得ていたらしい。体重60kg・煙草は1日40本・酒は底なしの独身女性を演じている。

筋書きを覚えていないことに、我ながらまた驚いた。最重要なポイントだけは記憶の通りだったので、ちょっと安心もしたが、それにしても覚えてないもんだね。こんな具合じゃ、何本映画を見たって人生の役になっていることなんて、これっぽっちもないんじゃなかろうかと思う。でもいいんだよね、ほとんど忘れてしまっていたって、その時観た時間は何処か足の先の血豆くらいの役立ち方はしているだろうと。

男と女の関係は難しい。と全員が思っている。男と女だけではなく、男と男だって、女と女の関係だって同じように難しい。所詮人間は、相手の気持ちを完璧に分かるはずもなく、自分の真の気持だって分からないのだから、そういう曖昧な関係を楽しみながら生きて行くしかないのだよ。「セックスは単なる楽しみ」と割り切っていられる社会が羨ましい。今の日本の若者文化も、もう既にそうなっているのかどうかを知らない。

『アルティメット2 マッスル・ネバー・ダイ』(Banlieue 13 - Ultimatum)

2009年・フランス 監督/パトリック・アレサンドラン

出演/シリル・ラファエリ/ダヴィッド・ベル/ダニエル・デュヴァル/エロディ・ユン/フィリップ・トレトン

2013年、パリ郊外バンリュー13地区。そこは様々な人種が入り乱れるギャングたちの巣窟、ノンストップ・リアルアクション、だそうだ。すべて生身の人間が生身のままでやるアクションに見える、ので、そんな命名をしたのだろう。アメリカ映画のアクションとはちょっと違う、フランス風アクション、なんて訳の分からない言い方。2004年の1作目『アルティメット』(Banlieue 13)も観た記憶があり、結構面白かったような。

映画にはフランスの大統領も登場する。悪役のセリフの中に「これで次回選挙は安泰だ。」という言い方があり、やっぱり何処の国でも国会議員は自分の次の選挙の事ばっかりしか、考えていないのだと思い知らされる。日本ばっかりを嘆いたって始まらない。そろそろ民主的と言われる社会構造自体を、再構築しなければならない時代に入ったのかもしれない。

悪の巣窟に集う悪人集団には、アラブ系、ロシア系、イタリア系、中国系はいるけれど、日本のヤクザが世界舞台に現れるのは、極く希なこと。そういう意味でも、まだまだ国際舞台に乗れていない日本人、日本国。せいぜい MANGA カルチャーだけが、幼稚思考の代表として表舞台にいるだけかもしれない。

『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』(The Nutty Professor)

1996年・アメリカ 監督/トム・シャドヤック

出演/エディ・マーフィ/ジェイダ・ピンケット/ジェームズ・コバーン/ラリー・ミラー/デイヴ・チャペル/ジョン・アレス

エディ・マーフィが一人7役、シャーマン・クランプ(主人公の大学教授)、バディ・ラヴ(教授が変身したもうひとり)、アンナ・クランプ(母)、クランプ父、クランプ兄、クランプ祖母、ランス・パーキンスを演じている。ひたすらのドタバタ喜劇、エディ・マーフィの一人舞台といった案配。汚い言葉を平気で罵り合う家族を自分で演じていられれば、さぞ気持ちのいいことだったろう。

アメリカ映画の凄いところは、こんな映画でさえ最後までおちゃらけないところ。内容はおちゃらけているのだが、そこには愛、真実の愛とかいうくだりが必ず差し込まれ、笑わせているばかりがこの映画の主旨ではないよ、という主張さえ見え隠れする。100kgをはるかに越えると思われる主人公、テレビで見る通販番組は「痩身」に関する番組ばかり、番組の中で司会者が何度も叫ぶ「Yes I can !」。オバマ大統領は、ここから言葉を盗んだの?

特殊メイクの手本のような映画かもしれない。相当の時間をかけてメイクして、使われなかったカットを考えると、気の遠くなるような時間と費用を費やしているだろうことは、想像に難くない。いいなぁ、アメリカの映画事情、この映画の爪の垢ほどの費用を日本映画にも掛けさせてあげたい。

『八日目の蝉』

2011年(平成23年)・日本 監督/成島出

出演/井上真央/永作博美/小池栄子/森口瑤子/田中哲司

面白くないですねぇ。辛気くさい話を辛気くさい映像で語られても、面白くも何ともないという印象のみ。第35回日本アカデミー賞で最優秀作品賞を初めとして10冠を獲得したらしいが、信じられない出来事。映画が面白くないのは言った通りだが、原作そのものもきっと面白くないのだろう。こんな物語をよく、一生懸命読んだり見たり出来るものだと、感心しきり。

八日目の蝉なんて言う思わせぶりな題名が、まず気に食わない。映画のセリフで語られていた「蝉は地中に2年間幼虫生活をして、成虫になって飛び回るのは7日間」という俗説は、一般的にそう信じられている。だからこそ、こういう題名が付いて諸々の想いを醸し出している。実際の蝉は、幼虫として地下生活する期間は3-17年(アブラゼミは6年)に達し、成虫期間は野外では1か月ほど、と言うのが真相らしい。

同じ原作からアメリカ人が製作した映画を見てみたい。舞台もアメリカでアメリカ人の俳優で演じたら、こんな詰まらない映画にはなっていないだろう。何処まで興味を惹く映画になるかは分からないけれど、少なくともこんな映画でなくなっていることは確かだと思える。

『エスター』 (Orphan)

2009年・アメリカ 監督/ジャウム・コレット=セラ

出演/ベラ・ファーミガ/ピーター・サースガード/イザベル・ファーマン/CCH・パウンダー/ジミー・ベネット

《R-15》指定映画、映倫管理委員会(映倫)や日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)、またはビデオメーカーの自主規制による映画のレイティングシステムに基づき15歳未満購入またはレンタル不可の作品。ひたすら怖がらせようとする内容はまだしも、残虐な殺人シーンや目を覆いたくなるおぞましいシーンがいただけない。

心理的なものなら何とか許せもしようが、ここまで血を見せつけられると、正常な人間でもどこかへ飛んで行きそうな感覚に陥る。こうやって、自己制御の出来ない人間達の中から、とんでもない犯罪を犯す奴を輩出する一因になっているような気もする。こんな映画は世の中に必要ない、とさえ思える。携帯ゲームの不必要さと似ている。

滅多に好んで恐怖映画と称されるジャンルの映画を観ることはない。怖いからではなく、嫌なのだ。日本の恐怖映画のように、子供騙しのあり得もしない心霊現象とかの方が、まだ幼稚な分だけ許されてしまいそうだ。人間の心理を読む映画としては、観るべきところはある。そういう観点をブロー・アップして行けば、何も血を見せなくても限りなく恐怖をもたらす映画になっていたのではなかろうか。

『カウボーイ&エイリアン』 (Cowboys & Aliens)

2011年・アメリカ 監督/ジョン・ファブロー

出演/ダニエル・クレイグ/ハリソン・フォード/オリビア・ワイルド/サム・ロックウェル/アダム・ビーチ

何この題名は、と訝しげにDVDを取る姿があった。要は、カウボーイ全盛の時代に宇宙の彼方から地球にやってきたエイリアンがいて、そこからいろいろな事件が勃発すると言うことだ。言われてみれば、もし宇宙船が地球に飛来しているのなら、この時代に来たってちっとも不思議ではない。そんな虚をついたストーリーが展開されている。

こんな解説が物語の発端を知る意味で適役。 ~ 「007」のダニエル・クレイグと「インディ・ジョーンズ」のハリソン・フォードが共演するアクション大作。「アイアンマン」シリーズのジョン・ファブロー監督がメガホンをとり、製作陣にはロン・ハワード、スティーブン・スピルバーグらが名を連ねる。1873年、米アリゾナ。荒野の中で目を覚ました男は記憶をなくし、腕には見慣れない機械の腕輪をはめていた。(映画.COMより)

最初のうちは「まんが」、そして「マンガ」、次に「MANGA」、最後には「アメリカン・コミック」という映像になっていった。ハリソン・フォードはだいぶおじいちゃんの雰囲気だし、エイリアンはあのシガニーウィーバー出演映画のエイリアン姿のようだし、新鮮味のない宇宙人がちょっと興醒め。このて手の映画は好きなので、もっと映像的にも美しい夢のある絵を見せて欲しい。


2018年2月8日再び観たので記す。

『カウボーイ & エイリアン』(Cowboys & Aliens)

2011年・アメリカ 監督/ジョン・ファヴロー

出演/ダニエル・クレイグ/ハリソン・フォード/オリヴィア・ワイルド/サム・ロックウェル

このユニークな題名を見て過去に観た映画かどうかぐらい容易に分かるだろうとたかをくくっていた。観始まっても何の疑問もなく新しい鑑賞を楽しんでいた。ところが一瞬、このシーン観たことがある、となって、その後もう一か所だけ観たことの記憶が蘇った。

どうしていつも一度観たことのある映画について語るのかと言えば、出来るだけ一度観た映画は二度目をスキップしたいのだ。何らかの事情で観始まって面白ければ、分かっていても分かっていなくても二度目、三度目の鑑賞も固辞することはない。ただ出来れば、生きているうちに観ることが出来る映画に限りはあるから、もっともっと多くの映画に会いたいと強く希望している。

西部劇の時代にも宇宙船が到来したっておかしいことがあるはずもない。まさしく映画「エイリアン」に出てくる宇宙怪物と同じような怪獣が登場して、この時代の人間は拳銃と弓矢と槍で戦うことになる。スピルバーグの名前が冒頭のクレジットのどこかに見えた気がした。すると先入観のように「おもしろい映画」と、もう刷り込まれてしまっていた。

『リメンバー・ミー』 (Remember Me)

2010年・アメリカ 監督/アレン・コールター

出演/ロバート・パティンソン/エミリー・デ・レイビン/クリス・クーパー/レナ・オリン/テイト・エリントン/ピアース・ブロスナン

何気なく手にした恋愛映画と思われるDVDタイトル、パッケージの絵柄とは違った雰囲気で始まった映画は、やはり一筋縄では行かないこの頃の恋愛映画といった感じ。予想だにしなかった結末は、いろいろな想いを投げかけるシーンとなった。こういう映画なら、たぶん1年経っても結末シーンだけは覚えているのではなかろうか。007のジェームズ・ボンドが父親という俳優が、最初だけ違和感。

男と女、それぞれの家族にはそれぞれの歴史があり、なかなか他人には話せぬ事柄が多い。濃厚な親しさがさらに増した時、これらの秘密は二人をさらに緊密にするのか、それとも離れた存在にしてしまうのか。永遠の恋愛ストーリーのテーマではあるが、結構惹き付けるものがあった。

身内の近いところに突然の不慮の死を受け止めなければいけない時、現実の人生では耐えるのが難しいとさえ思える。涙が溢れて止まらないという状況だって、容易に想像出来る。そういう現実に巡り逢わなかった人が仕合わせかと言えば、それだけで人の幸不幸が推し量れるものでもない。仕合わせの定義は難しすぎて、それぞれ個人が今をどう考えるかでしか、尺度はないのだろうと考える。

『アンナ・カレーニナ』(Anna Karenina)

1997年・アメリカ 監督/バーナード・ローズ

出演/ソフィー・マルソー/ショーン・ビーン/アルフレッド・モリナ/ミア・カーシュナー

トルストイ原作の7目の映画化であり、全編ロシアでの撮影、アメリカでの映画化作品で、ロシアで撮影されたのは本作が初である、という。面白くない。映画が面白くないのか、もともと原作が面白くないのか。時代により大きく変わる社会通念が災いしているのか。内容的に主人公や社会に感情を同化出来ない。

文豪が書く文芸大作の映画化に大したものがないのは事実。我が儘な女の一生を描いただけじゃん、と思えるこの作品も、この時代から眺めれば、言っていることもやっていることも、あまりに古くさくてストーリーとしてさえ評価出来ない気がする。時代というのは怖ろしい。それはそうだ、150年前の日本なら「ちょんまげ」を結っているのが当たり前、着物を着て侍は刀まで差している。それがどうだ、今では若者がこれが自由だとばかりに、汚らしいタトゥーを見せびらかしながら世間を闊歩している。

ロシアの1880年代、社交界では不倫は当たり前、若い小娘に恋をすることの方が野暮ったいと言い放つ。いつの時代も世の中は男と女、この話で持ちきりで、夜も日も明けぬ風情は変わらぬというところか。

『しの』

2003年(平成15年)・アメリカ 監督/徳江長政

出演/小崎さよ/長門裕之/川上麻衣子/セイン・カミュ

調べてみたが映画館での公開は?株式会社織部の宣伝用映画といったページが見つかった。普通の日本映画に比べ、こっちの方がマシ。この映画を観る機会もまずないだろうから、次項にそのページにあった文章をそのまま引用する。これで観た気になれるかも。

壊れた陶にも愛は生きていた ~  ごく普通の短大生“しの”は卒業を前に、漠然とした将来への不安を抱き始める。ふと周りを見渡すと、友達・彼氏・アルバイト先の人々そして母親、それぞれとの関係はただぼんやりとした実感の無いものであり、人と人との距離感を掴めずに20歳になる自分が、少し恐くも見えた。そんな時、卒業旅行のプランがもちあがる。幼くして父親を亡くした“しの”は家族旅行の思い出が皆無だった。その時、母親が手渡してくれた1本のビデオテープ、それは“しの”が初めて見る家族旅行の“記憶”であった。幼い頃の自分、それを見てくれている父親の視線、体全身に感じる家族の愛情…。“しの”の不思議な旅は、その瞬間から始まった。このビデオが切っ掛けとなって、卒業旅行は“ベトナム”へ行くことになる。“しの”の幼い頃の記憶はあのビデオの中にあったかすかなものだけ、父への思いに包まれながらやがてその旅は自分探しの旅へと変化して行く。ベトナムの旅先で思わぬ事から迷い込んだ小さな村。そこは陶芸の村“バッチャン”そしてこの村でひとりの陶芸家に出会う。すいこまれるように“しの”を魅了し引き込んでゆく陶芸の世界、その陶芸家から聞く日本の話し。「日本の多治見という町で自分と同じ名前の“志野”という焼物が作られている事」を。こうして少女の自分探しの旅は、ベトナムの陶器の町“バッチャン”から美濃焼の里岐阜県多治見市へと巡り巡ってゆく。東京→ベトナム→美濃を舞台に見失いつつある家族の愛の確かさを、土と炎に練り込まれた陶芸の世界を通じてあざやかに描きあげた抒情詩。

『リミットレス』 (Limitless)

2011年・アメリカ 監督/ニール・バーガー

出演/ブラッドリー・クーパー/アビー・コーニッシュ/ロバート・デ・ニーロ/アンナ・フリエル/アンドリュー・ハワード

「幻影師アイゼンハイム」のニール・バーガー監督という名前が出て来た。この映画は面白かったという記憶に残っている映画だった。が、今回観た映画は、観ている間はそれなりに面白くて、映画っぽいものだったが、見終わって半日もしないうちに、結末が思い出せなくて弱った。結末が、間違いなく重要なのに、それが思い出せない。私が悪いことは確かだが、映画の持つ何かが問題なのかもしれない。

人間の欲求は無限だ。1を得れば、2を欲しがり、2を得れば、3を目指してしまう。その向上心、上を見る思考が人間を進化させることも確かだ。ただ、人間の能力には限りがあることを知らなさすぎる。だから、いらぬ戦いや戦争が始まるのだ。

個人の生活も然り、ほどほどのところで収めることが出来れば、何の問題もなく明日に行けるのに、つい次の目標物が欲しくなり、横道にそれてしまう。後から考えるくらいなら、その時止まって人生を吟味しなければならない。そうしなかったからこそ、今の自分があるのだと、深く反省しなければならない。ほとんどの人は、そうやって大したことない人生が、さらに大したことない時間となってしまっている。

『スリーデイズ』(The Next Three Days)

2010年・アメリカ 監督/ポール・ハギス

出演/ラッセル・クロウ/エリザベス・バンクス/リーアム・ニーソン/オリヴィア・ワイルド/レニー・ジェームズ

2008年に公開されたフランスの映画『すべて彼女のために』のリメイク。2008年のものを2年後にリメイクするなんて、とちょっと何故なのと思ってしまう。肝心のストーリーはおなじだというから、フ~ン?!$#

こんな批評が私の気持ちを代弁している。 ~ 本作に対する評価は割れている。Rotten Tomatoesは154個のレビューに基づき、本作のトマトメーターを51%、評価の平均を5.9/10、批評家の総意を「ラッセル・クロウとエリザベス・バンクスは最善を尽くしているが、彼らの手堅い演技は『スリーデイズ』の不揃いなペースと訝しいプロットに全く釣り合っていない」としている。ロジャー・イーバートは2.5/4個の星を与え、「『スリーデイズ』は駄目な映画ではない、ただ少し係わった人たちは才能を浪費している」と書いた。

サスペンス、スリラーは、重要な箇所で少しでも辻褄が合わなかったり、出来過ぎが見えてしまうと、興味を削がれる。それでも面白さは残るのだが、その後の気持が萎えていることに気付く。何の情報も持たないでこの映画を観る機会があったら、とりあえずは面白く見られる映画かもしれない。

『ブリッツ』(Blitz)

2011年・イギリス 監督/エリオット・レスター

出演/ジェイソン・ステイサム/パディ・コンシダイン/アイダン・ギレン/ザウエ・アシュトン

荒くれ刑事役が主人公、どこかで見たことがあると思っていたら、「トランスポーター」シリーズのジェイソン・ステイサムだった。「ダーティー・ハリー」シリーズのイギリス版といった雰囲気だが、もっと乱暴に犯罪者を痛めつけるところが痛快に見える。ちょっとだけ。当然シリーズとして稼げる映画になりそうだ。もう、なっている?

スコットランドヤードという通称、愛称で呼ばれるロンドン警視庁は、映画にたびたび登場するが、あまり良く描かれたことはない。たぶん事実なのだろうから、だらけた警察の見本なのだろう。そんな中、この主人公は悪には滅法強く、弱者から見れば英雄のようにさえ見える。結構好きなキャラクターで、こういう勧善懲悪ストーリーは自分には合っている。

上司にはへつらうが、部下には威張ってばかりのサラリーマンは多い。権力には弱いが、ずる賢いサラリーマンも多い。なんともはや、生きて行くのは並大抵のことではない。ラッキーにも五体満足で生まれ、五体満足で成長出来たことを、心から感謝しなければならない。どんなに仕事が出来なくとも、他人にかなり迷惑を掛けていようとも。


2018/1/19再び観たので記す。

『ブリッツ』(Blitz)

2011年・イギリス 監督/エリオット・レスター

出演/ジェイソン・ステイサム/パディ・コンシダイン/エイダン・ギレン/ザウエ・アシュトン

聞いたことのあるような原題だが新作だ。最近活躍しているイギリスの俳優ジェイソン・ステイサムは身体は小さいがどすのきいた声とアクションで、今風の映画には欠かせない俳優になってきたような。ロンドン警視庁ものだが、なかなかアメリカの警察ものに負けないおもしろさがある。

加害者の権利が守られ過ぎていて、どうにも手の施しようがない状況は、世界中同じようにも見える。絶対正義が勝てなくてどうする? と、訝ったところで、法と正義に基づく規律の中では絶対証拠を提示しない限り正義すらも行えない。

「必殺仕事人」のような世直し稼業が待ち望まれるのは、どの時代どの国でも。警官殺しの犯人だが逮捕されても証拠が固まらないと釈放された。殺した警察官の服を着て新たな警官殺人を企てたが、世直し警察官に返り討ちにあう。警官殺しではシロだった、ということはまだ警官殺しの犯人は世の中にいる。そこで新たな警官殺しが発生したんだ、と真犯人が殺されるストーリー展開に、ちょっと胸のつかえがとれるような。

『親愛なるきみへ』(Dear John)

2010年・アメリカ 監督/ラッセ・ハルストレム

出演/アマンダ・サイフリッド/チャニング・テイタム/ヘンリー・トーマス/スコット・ポーター/リチャード・ジェンキンス

急に恋愛映画が観たくなって、このタイトルのDVDを手に取った。若い人が「愛」や「恋」で毎日を過ごしているのは、凄く健康的。爺になってまで愛したの恋したのでは、エロジジーと呼ばれても文句は言えない。でも、いつまでも恋心を忘れないで過ごせれば、きっと仕合わせな毎日なのだとつくづくと思える。『きみに読む物語』『ウォーク・トゥ・リメンバー』の人気作家ニコラス・スパークスによる恋愛小説の映画化。

今時、ただの恋愛ストーリーが映画になる訳はなく、ひとひねりもふたひねりも話が展開する。知的障害者の子供や自閉症の親までも登場して、二人の恋の味付けをしている。原題は手紙の書き出しの文言、まさしく二人でやりとりする手紙がキーポイントになっている。かといって、そんな単純なはなしではなく、ちょっと予想を裏切って甘酸っぱさが増していた。この歳になっても、この甘酸っぱさがひしひしと身体に沁みてくる。生きているうちは、こういう想いをずーっと持ち続けていたいと思う。

先日観た娼婦役「クロエ」の役者アマンダ・サイフリッドが今回の一人の主役。どこにでもいそうな顔立ちながら、愛らしくて抱きしめたくなる女性だ。映画の中で二人がデートをしての別れ際、いつも「see you soon !」と言う。今までずーっと会っていたのに、その日の別れでさえ、またすぐに会おうねと!、と言える気持がときめくが素敵だ。分かる気がする、こんなジジーにでも。


2018年11月30日再び観たので記す。

『親愛なるきみへ』(Dear John)

2010年・アメリカ 監督/ラッセ・ハルストレム

出演/チャニング・テイタム/アマンダ・サイフリッド/ヘンリー・トーマス/スコット・ポーター

I'll see you soon.(映画字幕:すぐまた会おうね。) 翻訳機の「また後で」では感情が表現されない。恋愛映画ではあるが、毎回こういう別れ言葉を遣う恋人同士は多いに違いない。それが恋というものであり、愛というものだから。他人に今更そんなことを言われる筋合いはないと、怒られるようなことがら。

プロの評論家からは評判の良くなかったこの映画らしいが、思いのほか当たったという記述があった。確かに、よくあるような出会いからこの映画は始まる。それは愛や恋の始まりの王道であり、それをもって大したことない映画だと切り捨てるプロの映画評論家の方がうざい。

予想通りの展開も心地よかったが、最後の10分が思いがけなかった。さらりとそのあたりを描き切る監督の力が、観客の共感を得たのだろう。匿名と言えばインターネット時代となってからの問題点の最大級。悪名高きこの言葉だが、慈善を行う場合の匿名は尊い。俺が俺がとしゃしゃり出る人たちには分からない世界に、信じられないような神々の世界が見える。

『マネー・ボール』(Moneyball)

2011年・アメリカ 監督/ベネット・ミラー

出演/ブラッド・ピット/ジョナ・ヒル/フィリップ・シーモア・ホフマン

大リーグとプロ野球、選手ばかりではなく背広組の活動にもその差を見せつけられ映画。ブラピがようやく大人顔になって、これからの活躍も期待されるスタートの作品に見える。2001年ポストシーズン、オークランド・アスレチックスはニューヨーク・ヤンキースの前に敗れ去った。オフには、スター選手であるジョニー・デイモン、ジェイソン・ジアンビ、ジェイソン・イズリングハウゼンの3選手のFAにより移籍した。その穴を埋めるための軍資金がないこの球団、《ゼネラルマネージャー、ビリー・ビーンが仕掛けた策とは?》といった宣伝文句を言ってみたい。実話であり原作もある。

大リーグの華やかし表舞台の裏で、一体何が行われているのか、もの凄い興味を持って観客となった。突然の移籍、と言ってしまえばなんて事ないが、実は売られて別の球団に強制的に行かされる。と言ったことが日常茶飯事な大リーグならではの、想像以上の瞬間が大変面白い。日本人大リーガーだって何人もそういう目にあっている。そして、それ以上に興味あるのが「セイバーメトリクス」と呼ばれる統計学的見地から客観的に分析し、選手の評価や戦略を考える分析手法のこと。

映画の世界にだってメソッド演技法と呼ばれる演技理論がある。スタニスラフスキー・メソッドは代表格で、アメリカの俳優は必ず一度は勉強している。同じようにベースボール世界においても、ただ長年の実績や勘で選手を採用したり手放したりするのではない手法で成功したこの映画の主人公は、今でも同じチームで健在だ。近年日本にも導入されたゼネラル・マネージャー制、形だけ真似て魂が入っいないのは日本流、プロ野球コミッショナーだっているのかいないのか。「オーナーと神」以外恐れるものがない職権、日本人社会の曖昧さが重要な地位関係では、とてもじゃないけどアメリカ流にはなれそうにもない。たかが大リーグのゼネラル・マネージャーの話なんて何が面白いのだろうと、ソーシャル・ネットワークの時と同じような鑑賞事前感覚を持っていた。貧しいのは自分の感覚で、さすがに映画を作る人達は、そんな想定内のストーリーなんて作ってこない。良い意味で裏切られてしまった。というより、こちらの未熟さが露呈した。もっと謙虚に映画に向かわねば、罰が当たる。

『ツリー・オブ・ライフ』 (The Tree of Life)

2011年・アメリカ 監督/テレンス・マリック

出演/ブラッド・ピット/ショーン・ペン/ジェシカ・チャステイン

初めて洋画で早回しを最大限に駆使してしまった。どうにも我慢が出来ない映像の連続で、最初の10分間を維持出来なかった。こんな映画も珍しい。キリスト教のプロパガンダ映画かとも思えるくらいの内容に見えた。それにしても、これが第64回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した。、というのだから、自分の映画眼の無さが証明されたようなものだ。

だからと言う訳でもないが、また引用する。 ~ 「天国の日々」「シン・レッド・ライン」のテレンス・マリック監督が、ブラッド・ピット、ショーン・ペンを主演に描くファンタジードラマ。1950年代半ば、オブライエン夫妻は中央テキサスの田舎町で幸せな結婚生活を送っていた。しかし夫婦の長男ジャックは、信仰にあつく男が成功するためには「力」が必要だと説く厳格な父と、子どもたちに深い愛情を注ぐ優しい母との間で葛藤(かっとう)する日々を送っていた。やがて大人になって成功したジャックは、自分の人生や生き方の根源となった少年時代に思いをはせる……。製作も務めたピットが厳格な父親に扮し、成長したジャックをペンが演じる。 ~ 映画.COM より

このところレンタルで準新作を10本以上観ている。比較的オールドファッションの映画ばかり観ている録画鑑賞生活には、新しい刺激が刺さってきて頭脳がリフレッシュされることは確かだ。人間は今に生きているので、どんなに良いものでも古いものばかりに接触している毎日では、心の中が停滞するばかりだ。

『寒椿』

1992年(平成4年)・日本 監督/降旗康男

出演/西田敏行/南野陽子/高嶋政宏/かたせ梨乃/藤真利子/野村真美/海野圭子/中野みゆき/浅利香津代/岡本麗/三谷昇

宮尾登美子の小説が原作。文芸作品の匂いがする映画は、活字に飢えている自分にとってはありがたい作品。昭和初期の土佐高知の色街が舞台。この時代、東京から遠く離れた地方都市にも、「女」という財産をめぐる一見華麗な文化が存在した。それはたぶん、高知だけではなく、日本全国の主要都市でもそうだったろうと想像に難くない。そういう意味では、今よりもはるかにこの時代の方が、所謂地方分権が進んでいた時代だった気がする。交通、通信の発達と共に、本来なら津々浦々に広まるべき情報が、かえって東京に一極集中してしまったのは、何故だろうか。

南野陽子は18才でアイドル歌手デビューして壁にぶつかり、女優業に転向したばかりの頃25才。小さな胸を惜しげもなく披露して、アイドル脱却を計った作品となった。次の主演映画『私を抱いて、そしてキスして』でもヌードになり、両作での演技が評価され、日本アカデミー賞主演女優賞を受賞した。

博打で金を使い果たし、娘を売るなどと言うことが本当にあった時代。今でこそ子ども達は、それなりに人権を守られている時代となったが、世界の隅々ではまだまだ人身売買が横行しているのも確か。これだけの情報社会になっても、例えば北朝鮮のように、旧態依然のシステムの中でしか生きられない国民もいる。そんな格差が歴然と継続して行くこの時代、これから世界はどっちの方向に行こうとしているのか、神のみぞ知るなどと呑気に構えている場合じゃなさそうだ。

『NINE』(ナイン、Nine)

2009年・アメリカ 監督/ロブ・マーシャル

出演/ダニエル・デイ=ルイス/マリオン・コティヤール/ペネロペ・クルス/ジュディ・デンチ/ニコール・キッドマン/ソフィア・ローレン

パッケージの端にあるタグに記されていた「ジャンル:ミュージカル」というのを、ちらりと見た時はもう既に借りてしまった後だった。大嫌いなミュージカルを観るのは勇気がいる。映画界の話だと分かって、さらに興味が失せた。映画人の端くれとしては、本来なら喜ぶべき内容だろうが、この業界内部を描いた映画で面白かったものに出会っていない。

監督はロブ・マーシャル。マーシャルにとっては3作目の映画作品で、映画監督デビュー作でアカデミー賞作品賞を受賞した『シカゴ』に続くミュージカル映画となり、主要なスタッフも再結集している。主人公の映画監督グイドを演じるのはアカデミー賞を2度受賞した名優ダニエル・デイ=ルイス。その他、主人公を取り巻く女性たちをマリオン・コティヤール、ペネロペ・クルス、ニコール・キッドマン、ケイト・ハドソン、ジュディ・デンチ、ソフィア・ローレンらアカデミー賞受賞経験(クルスは撮影後に受賞、ハドソンは候補のみ)のある豪華女優陣が出演する。また、グラミー賞受賞歌手のファーギーことステイシー・ファーガソンも女優として本格的に出演する。(Wikipedia より)

久しぶりに熟睡した。そういえば、この頃はあまり寝ていなかったよなぁ、と変な感心の仕方をした。

『悪の花園』 (GARDEN OF EVIL)

1954年・アメリカ 監督/ヘンリー・ハサウェイ

出演/スーザン・ヘイワード/ゲイリー・クーパー/リチャード・ウィドマーク/ヒュー・マーロウ/キャメロン・ミッチェル/リタ・モレノ

ゲーリー・クーパーに関してこんな面白い記事があった。 ~ 191cmの長身を生かして1924年ごろから西部劇映画のエキストラ出演を始め、俳優を志すようになる。1925年、名前をゲイリー・クーパーと変え、1926年、『夢想の楽園』で本格的に映画デビューした。また、クーパーが小さな役で出演しているこの映画を見たパラマウント映画の製作本部長は「この男は、うしろ向きに立っているだけで女性ファンの心をつかむ」と見込んで契約した。

もの凄い数の映画に出演しているが、この映画は映画出演の晩年に近い。53才なら今では超現役といったところだが、この時代ではもう年寄りの部類に入ってしまう。スーツを着た役ならまったく違和感もないだろうが、西部劇の衣裳では、ちょっと顔の皺が気になるところ。変わった西部劇という印象が強い。男どもが「可愛い女」をめぐって、心を揺り動かされる様を、まざまざと見せてくれる。

どうしてこうも男どもは女に弱いんだ。それを承知で、振る舞う女が一枚も二枚も上手なのだと、誰もが諦めてしまう。スーザン・ヘイワードはこの時37才、女盛り真最中の姿態は、登場人物ばかりか観客を惑わせるにも、充分過ぎる。

『グリーン・ゾーン』(Green Zone)

2010年・アメリカ 監督/ポール・グリーングラス

出演/マット・デイモン/エイミー・ライアン/グレッグ・キニア/ブレンダン・グリーソン

マット・デイモンの『ボーン』シリーズと同じようなものくらいの感覚で、TSUTAYAでのDVDパッケージを眺めた後でのレンタルだった。観始まって驚いたのが、イラク戦争の話だったこと。だいたい、イラク戦争は何故始まって、イラクでは何が起こっていたのかを当時知る由もなかった。そんな訳で、観始まったらもうやめられない。夕方5時半過ぎにスタートして、7時になったら途中休憩でNHKニュースを見、夕飯を食ってから再開しようなどと考えていたのだ。ところが、あまりにも面白く、結局ニュースも飛ばして最後まで行き着いてしまった。

戦争の原因とされるイラクの大量破壊兵器は、見つからなかった。実話なのか?全くのフィクションなのか?当然、実話であるはずもないのだが、もしかすると半分くらいは本当ではなかろうかとも思えるストーリー。ワシントン・ポスト」紙のジャーナリストであるラジャフ・チャンドラセカランの2006年のノンフィクション作品『インペリアル・ライフ・イン・ザ・エメラルド・シティ』にインスパイアーされて出来た作品だとするクレジットがあった。タイトル『グリーン・ゾーン』は、イラクに連合国暫定当局があった、バグダード市内10kmにわたる安全地帯の一般的呼称。まだフセインが見つからない戦闘の最中、このグリーン・ゾーンにはプールがあり、水着ではしゃぐ女性陣までもが存在する摩訶不思議世界であった。

以下 Wikipedia より。 ~ 映画は政治的な面で批判を受けた。ある者は本作を「反米」「反戦」とし、また、評論家のカイル・スミスは「恐ろしく反米である」とまで言った。Fox News.comの記事では、「ミラー(主人公:マット・デイモン演)の活動は不正なものであり、グレッグ・キニア演じる国防総省員の存在によってそれが肯定されてしまっている」と評された。マイケル・ムーア(あの有名な映画監督)はTwitterにて、「私は、この映画が作られたことが信じられない。愚かにも、アクション映画として公開されてしまった。ハリウッドで作られたイラク戦争映画では最もまっとうである」と述べ、また公式サイトにも映評を書いている。一方、本作の政治性に対して以下の様な批判もある。「私はこの映画を見て、内心笑いが止まらなかった。イラク戦争の大義だった「大量破壊兵器」が実在せず、プロパガンダだったことは今では常識。ところがこの映画ときたら、この世紀の大嘘は一人の悪い小役人のせいで、国民もいたいけな米軍兵たちも、それにだまされた被害者だというのだ。まさに厚顔ここにきわまれり。タブーを暴いたふりをして責任を矮小化し、自分たちの大多数を正当化する。本年度ダントツトップの、トンデモプロパガンダムービーである。 ~ こんな批評が堂々と行き交うアメリカが凄い。この100分の1でも日本のマスゴミ(塵)は、批評を加えただろうか。

『ジュリア』(Julia)

1977年・アメリカ 監督/フレッド・ジンネマン

出演/ジェーン・フォンダ/ヴァネッサ・レッドグレーヴ/ジェイソン・ロバーズ/マクシミリアン・シェル/メリル・ストリープ

アメリカの女流作家リリアン・ヘルマンの原作。彼女とジュリアという女性の友情、実在のハードボイルド作家ダシール・ハメットとの愛が描かれている。見終わって、なかなかいいよねと思える作品の監督名を確かめると、やっぱり名のある監督の名前が出てくるのは当然といえば当然か。映画が、如何に監督の力によるところが大きいという証明。

メリル・ストリープはこの映画で映画界デビュー、翌年公開の『ディア・ハンター』でアカデミー助演女優賞にノミネートされている。端役ながらクレジットも最後の方ではなく、役柄的にもそれなりに必要な人物を演じていた。ただ最近の彼女の自信に満ち溢れた女優像に比べれば、まだまだひよっこという雰囲気一杯の登場であった。こんなところにも映画の面白さがある。

親友である女友達二人。いつまでも信頼と信用を委ねられる関係は素敵だ。現実社会で、どれだけの人にこういう関係を持てるのだろうか。名古屋に来てからの麻雀仲間に信用は出来るが信頼が出来ない若造がいる。若造といってももう40過ぎだと思うが、価値観の相違なのだろうか、軽薄な物の言い様と打算的な考えが如実に見え過ぎて、とても好きになれない。いつまでも全面信頼の出来る友達は、神からの最高の贈り物だ。

『ヤギと男と男と壁と』(The Men Who Stare at Goats)

2009年・アメリカ/イギリス 監督/グラント・ヘスロヴ

出演/ジョージ・クルーニー/ジェフ・ブリッジス/ユアン・マクレガー/ケビン・スペイシー/スティーブン・ラング

ノンフィクション本『実録・アメリカ超能力部隊』を原作としたコメディで、日本語題名はお笑い芸人の千原ジュニアが考えたものらしい。超能力を実際の犯罪捜査に使っているとかいうアメリカの、奥の深さを見る思いがする。いくらなんでも嘘だろうと思えるような映画の内容を、もしも本気になってやっているとしたら度肝を抜かれる。

最初から最後まで「お馬鹿さん」映画になっていて、それなりにはまってしまえば心地良く思えるかもしれない。まぁ、でも、所詮はお笑い、笑わそうとするテクニックなど見たくはないものだ。「Mr.ビーン」を見た時の感覚にちょっと近いものを感じた。理屈を言わずに観てみたら、と言われれば、はい、と答えるのみ。

原題の直訳は「ヤギを凝視する男」てな感じだろうが、要は超能力の話、ヤギを目で殺してしまうのだそうだ。そんな話の連続なので、スピルバーグの超能力映画のような雰囲気を期待したら大間違い。ここまでお馬鹿な映画を作り、もしも元が取れているとしたら、尊敬に値する。

『ソーシャル・ネットワーク』 (The Social Network)

2010年・アメリカ 監督/デヴィッド・フィンチャー

出演/ジェシー・アイゼンバーグ/アンドリュー・ガーフィールド/ジャスティン・ティンバーレイク/ブレンダ・ソン

つい最近のヒーローを映画化した成り上がりものなんて、どこが面白いのだろうとタカをくくっていた。しかもたかが「Facebook」の創始者のこと、いまいち興味がわかず公開2年後の鑑賞となった。2011年アカデミー賞では主要部門を含む8部門にノミネートされ、主要ではない3部門を受賞した。コンピューターの専門用語も飛び交い、私には予想をはるかに越えて興味深いものだった。映画製作にあたり当然本人の了承などを得ていると思ったが、そうではなかったらしく、そこが映画的に面白いものになった理由だろうと。次段に Wikipedia に書かれていた製作秘話みたいなものを。

映画を作成するにあたり、実際にマーク・ザッカーバーグ(映画の主人公・Facebook創始者)に取材を申し込んだが断られた。また当時を最もよく知る人物としてエドゥアルド・サヴェリン(主人公の友人でFacebook立ち上げ時期の共同創始者)に取材を申し込んだが、双方ともに拒絶されたものの、映画に関してはエドゥアルドが監修として参加している。このような経緯により完成した映画・書籍はfacebook側の協力は得ずに作られており、サヴェリンの視点に偏っている部分が多く見受けられる。ザッカーバーグは全米公開後に映画館を借りて、facebook社員全員と共に見た。その後、社会的地位を得るためにfacebookを立ち上げたように描かれている点が事実と異なるとコメントした。一方で、「映画の中でキャストが着ているシャツやフリースは、実際僕が着ているものと同じだよ」と、衣裳に関しては評価した。

日本では12歳未満の鑑賞には保護者の助言や指導が必要とされるPG12に指定されている。一体どこが問題でこうなったのか今でも分からない。エロ・グロ・暴力、どれをとっても子ども達に見せられないシーンがあったのか、見当もつかない。現役時代、日本ヘラルド映画の試写室で輸入手続き中のフィルムを「保税上屋」で観る時、結構アンダー・ヘアーが映っていることがあった。ところが、観ている社員はそんなところに特に目が行く訳ではないので、毎回「えっ!そんなシーンがあったっけ?」と、全員が不思議がっていたのを思い出す。ストーリーの中に入ってくる、自然体の映像には、とりたてて問題視するところを指摘する必要がない、という見本みたいなもの。

『エリザベス』(Elizabeth)

1998年・イギリス 監督/シェカール・カプール

出演/ケイト・ブランシェット/ジョセフ・ファインズ/ジェフリー・ラッシ/リチャード・アッテンボロー/クリストファー・エクルストン

続編である『エリザベス:ゴールデン・エイジ』(Elizabeth: The Golden Age・2007年)も観たはずだし、この映画も既に観ていると思っていた。記録にないので、観たとしてもこの2年のうちではなかったのだろう。だが、この映画を観始まって、おそらく観てはいないと思えてきた。あまりにもつまらない内容だったので、こんなはずではないというのがその理由。

『ブーリン家の姉妹』(The Other Boleyn Girl・2008年)を観て知った、イギリスのこのあたりの歴史の面白さ。エリザベス1世の父親ヘンリー8世は、6人と結婚している。最初の妻と離婚をし、二人目の妻アン・ブーリン(エリザベス1世の母親)と結婚するため離婚を認めない所謂トリックから離脱し、自らをイングランド国教会の長としてしまったことが最も有名な出来事。勝手な国王だが、歴史がそれに追随する形で現在に至っているところが面白い。

この映画のつまらなさは一体何なのだろう。歴史的に非常に興味あり、且つまた重要な出来事が、あまりにも華やかな衣裳や舞台装置に打ち消されてしまっているようだ。第71回アカデミー賞では作品賞を始めとする7部門にノミネートされたが、結局メイクアップ賞のみ受賞、というのも頷ける。『恋におちたシェイクスピア』(Shakespeare in Love・1998年)の男優ジョセフ・ファインズがエリザベス女王の愛人役、顔がダブってしまってあまりよろしくない。「つまらん!」と一言叫んでしまった。

『遥か群衆を離れて』 (Far From The Madding Crowd)

1967年・イギリス 監督/ジョン・シュレシンジャー

出演/ジュリー・クリスティ/アラン・ベイツ/テレンス・スタンプ

T・ハーディの原作を映画化した一大ロマン。イギリスのウェセックスに住む農場の女主人が、紆余曲折を経て、やっと“宿命の男性”が誰であるかを悟り結ばれるまでを描く。“幸せは足元にある”という教訓的ニュアンスもあり。ローグの捉えた田園風景がこの上なく美しい。(映画.COMより)

トーマス・ハーディ、と言われても、文学無知の私にとって、名前しか知らない存在。調べていたら知っている作品があった。といっても、活字を読んだ訳ではなく映画化された作品をヘラルド時代配給した。『テス』(Tess/ロマン・ポランスキー監督・1979年)この欄に何度も出て来ているナスターシャ・キンスキー主演作品。忘れられない作品というのは10本以内?たぶん。そのうちの1本であることは確かである。

イギリスの田園風景は美しい。ただ、この映画の時代、1866年頃では美しさというより、貧しさの方が目立つ。しかも作品内容が、いまいち理解出来ない。テスを観た時の感覚が多少蘇ってきた。イギリスの田園風景 ~ ストーンヘンジ、エジンバラからセント・アンドリュースへの路、コッツウォルズの街並み、訪れた時は違うけれど、まだまだ心に残っている楽しい想い出のひとつひとつ。

『Emma エマ』 (EMMA)

1996年・イギリス 監督/ダグラス・マクグラス

出演/グウィネス・パルトロー/トニ・コレット/アラン・カミング/ユアン・マクレガー/ジェレミー・ノーサム/ポリー・ウォーカー

舞台である1800年代のイギリスといい、主演女優のグウィネス・パルトローといい、好きな要素がふたつもあるのに映画は詰まらない。監督の腕や脚本家の問題ではなく、話がつまらないのだと思う。日本に当てはめれば、世話好きの仲人をやりたがるおばちゃん、ところがこの映画では、まだうら若き未婚の女性エマが誰かと誰かをくっつけたいと、毎日の生き甲斐にしている。

横文字の登場人物が次から次へと出てくるので、誰が誰だか分からない。それでもストーリーはどんどん進み、会話が多くて字幕を読むのにも苦労する。初めて吹き替え版をみたい、と思った。社会の階級制度が色濃く残る時代、貧乏人の娘は貴族に恋しただけで変人扱いされる。女同士の嫌みの応酬に辟易する。こんな現実にはお目に掛かりあいたくない。

人を好きになるのに理由はいらない。そんなことは誰でも分かっているけれど、どうして好きになるのかは自分でも分からない。一方、どうしても好きになれない人種もいる。こちらの方は、どことなく理由が分かっている。もちろん身体的な理由や顔立ちの理由は大きい。それよりも大きいのは、おそらくその本人の持っている性格から来る行動ではなかろうか。話しぶりや仕草に、聞きたくもない、見たくもないという感情が後押ししてしまう。心理学の領域。

『霧の子午線』

1996年(平成8年)・日本 監督/出目昌伸

出演/岩下志麻/吉永小百合/玉置浩二/林隆三/山本耕史/北條えみ子/井川比佐志/本田博太郎/筑紫哲也/風間杜夫

子午線とは地球の赤道に直角に交差するように両極を結ぶ線。経線(経度)のこと。この題名の意味を知りたくて、観ている間も気になっていた。ストーリーの中に何かヒントがあるのだろうと、タカをくくっていたが私の頭では分からなかった、今でも。1968年(昭和43年)10月21日という日が字幕で紹介される日があった。東大・安田講堂事件や全学連と機動隊の衝突実写映像を頻繁に使い、その当時学生運動仲間で親友だった二人の女性の物語。それから17、8年後が描かれる。若い人にはピント来ないシンパシーとやらも、当時同じ時代を生きた我々には、共感するところは多い。

だが、物語は予想をはるかに越えて、昼メロと思えるほどの展開となっていってしまった。岩下志麻はずいぶん先輩だと思っていたが、昭和16年生まれ、吉永小百合は昭和20年生まれで、この二人は意外と近い年齢だった。昭和51年生まれの山本耕史が息子役をやっているのも当たり前か。

ラストシーンあたりにはノルウェイ・ロケまで敢行して、製作費を惜しみなく遣っている。海外ロケをわざわざやらなくても、話を終わることはできそうだけれど、敢えてそういうシーンを切り捨てないところが日本映画のいいところ?饒舌すぎて、もういいよと思えるほどの結末。映画は原作通りに作ればいい、などと思っている訳ではないと思うが、それにしても・・・・・。

『ある公爵夫人の生涯』(The Duchess)

2008年・イギリス 監督/ソウル・ディブ

出演/キーラ・ナイトレイ/レイフ・ファインズ/シャーロット・ランプリング/ドミニク・クーパー/ヘイリー・アトウェル/サイモン・マクバーニー

実話。デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュの伝記小説を映画化した作品。原題「The Duchess」は、「公爵夫人」という意味。「Duke」(デューク)が公爵という意味だから、そこから派生した単語なのだろう。1700年代後半のロンドン、公爵夫人となるべく嫁いだ先での華やかなりし公爵夫人の生活を追う。

日本だってあととりを生めない妻の肩身の狭さは、一時の日本映画でも数多く描かれていた。そういう視点ではまったく同じ境遇の女性、まだまだ男優位社会の見本みたいな時代には、今では考えられないような女性の地位の低さが際立っている。主人公の公爵曰く、「妻に求めるのは、忠誠とあととりだけだ。」と。外で生んだ娘を長女として引き取り、自分では2人の男を死産し、2人の娘しか出来なかった公爵夫人は、卑劣な夫の仕打ちにも耐え忍ばなければならなかった。というようなことが、イギリス、ロンドン社交界の当時の様子と共に映し出される。興味深い。

実話でなくても面白い。男の子を産めなければ虫けら同然とは、さすがに今では考えられないだけ仕合わせ。もしかすると、そんなことがまだどこかに残っていたりして?!ヘラルド時代、せっかく結婚して養子に入った後輩が、子供を二人作ったらその家からぽっと追い出されて、姓も元に戻った奴がいた。世間話に興味がないので事の真相は知らずじまいだったが、今思うと、きっと彼は種馬のような存在でしかなかったのかもしれない。


2018年2月1日再び観たので記す。

『ある公爵夫人の生涯』(The Duchess)

2008年・イギリス 監督/ソウル・ディブ

出演/キーラ・ナイトレイ/レイフ・ファインズ/シャーロット・ランプリング/ドミニク・クーパー

一度観ていることを承知していた。観始まってもおもしろさは期待通り、内容が定かでないからもう一度観てもいいな、と思えるのだ。時代は18世紀後半、場所はイギリス。保養地としての「バース」が何度か出てきて、懐かしさがいっぱい。風呂「バス」の語源となった古い温泉地だ。

描かれているのは貴族社会。何の不自由もない貴族に嫁いだ主人公は、母親からも「男子」を出産しなさい、と半ば命令口調で送り出された。貴族の主(あるじ)からは、男を産まなければ意味がないと罵られる。6年間に生まれた子供は3姉妹、その間に流産を2回しているという。その2回の流産の時が男の子だったというセリフがあった。レントゲンもない時代、かなり大きくならなければ男か女も分からなかったろう。ということは、お腹が休まる暇がなかったということか。

毎日の生活に飽きが来ている貴族生活、食うものにも困る階級の方が幸せを感じる所以だろう。デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュの伝記小説を映画化した作品。実話に基づく話と聞くと、世界に冠たる大英帝国繁栄時の面影を見るようだ。

『めぐり逢えたら』(Sleepless in Seattle)

1993年・アメリカ 監督/ノーラ・エフロン

出演/トム・ハンクス/メグ・ライアン/ビル・プルマン/ロス・マリンジャー/ロージー・オドネル/ギャビー・ホフマン

1957年製作、ケーリー・グラントとデボラ・カー主演の『めぐり逢い』(An Affair to Remember)がモチーフ。というよりは、この映画の中で、女性達が『めぐり逢い』のビデオを何度も何度も見ては泣いているシーンが出てくる。アメリカ女性の好きな映画らしい。一方男どもはこの映画には何の反応もせず、冷ややかに対応しているのが対照的。今度録画リストに「めぐり逢い」があったら、有無を言わず是非観てみよう。てなことを書いた後に自分の観た作品リストを見直したら、ちゃんとこの題名が載っている。内容が定かではないが、また鑑賞を始めれば部分部分で思い出すシーンもあることだろう。

トム・ハンクスは37才、この映画の後、フィラデルフィア(Philadelphia・1993)、フォレスト・ガンプ/一期一会(FORREST GUMP・1994)で、2年連続アカデミー主演男優賞を受賞、ライトコメディ俳優から一躍オスカー常連の名優へと成長した。メグ・ライアンは32才、1989年ヘラルドが配給した忘れもしない『恋人たちの予感』(When Harry Met Sally...)で既にブレイクしていた。

原題と日本語題名の違いは、この映画でも顕著。原題の日本語訳「シアトルの眠れない男」とでもしたら、劇場側から非難囂々だろうから、モチーフをもらった『めぐり逢い』の亜流題名にしたことか、賢明だったのかもしれない。妻に若死にされ気持が戻らず引っ越した先のシアトル、8才の息子が視聴者参加番組に電話をし「お父さんにお嫁さんを」と訴えたことから話が始まった。運命の出会いという言葉が、人の心のモチベーションを高めていることは確か。そういう状況は実に好ましいことで、誰しも天から与えられた幸運にその想いを託すことが出来る。

『日の名残り』(The Remains of the Day)

1993年・イギリス/アメリカ 監督/ジェームズ・アイヴォリー

出演/アンソニー・ホプキンス/エマ・トンプソン/クリストファー・リーブ/ジェームズ・フォックス/ヒュー・グラント

ひのなごり~なんという美しく味わいのある日本語なのだろう。日は暮れてしまったが、闇夜までは経過していなく、まだどこかに薄明かりを残したような大気の頃、といった風情だろうか。原作は同名小説。ストーリーは、火の名残を人生に例えている。スティーヴンスという主人公が、自分の生涯の仕事、「執事」を通して、一人語りすることがらを映像化している。富豪ダーリントン卿のお屋敷には、どれほどの雇い人がいるのだろうかと思えるほど。古き良きイギリスの歴史が垣間見られて、どことなく落ち着いた時間を過ごせる。

監督ジェームズ・アイヴォリーは、『眺めのいい部屋』(A Room with a View・1986)、『モーリス』(Maurice・1987)、『ハワーズ・エンド』(Howards End・1992)で、ヘラルドと縁が深かった。イザベル・アジャーニにカンヌ国際映画祭主演女優賞をもたらしてから、以来、スター俳優が彼の監督作品に出演を熱望するようになったという。この映画でもアカデミー賞では、主演男優賞、主演女優賞、美術賞、衣装デザイン賞、監督賞、作曲賞、作品賞、脚本賞の8部門にノミネートされた。

人生を振り返るほど大した人生を歩んできた訳ではないので、燃えかすも残っていないような晩年だったと思われて然るべき。それで充分だと思ってしまうところが、この人生の意味の無さを物語っている。誰一人として存在を忘れてしまうものではないだろいう、と思ってみたいが、誰一人として覚えていなくても充分だ、と言い残しておこう。

『ヴィクトリア女王 世紀の愛』 (The Young Victoria)

2009年・イギリス/アメリカ 監督/ジャン=マルク・バレ

出演/エミリー・ブラント/ルパート・フレンド/ポール・ベタニー/ミランダ・リチャードソン/ジム・ブロードベント

何でもかんでも「世紀の・・・」では困ったものだ。若き日のヴィクトリアという原題の雰囲気が、陳腐なものになってしまう。イギリス国王の話は何度も映画化され、それぞれがそれぞれの面白さを誇っている。同じ王室でありながら、これほど世間との関わり合いが顕著なイギリス王室ならではの、ゴシップ騒動を含めた描かれ方が興味深い。

ほとんど史実に忠実に描かれており、その史実というのが気になっていた。鑑賞途中でもう少し歴史的なことを知っておかねば、と Wikipedia のヴィクトリア女王欄を読んでみた。実に多くの情報がありすぎて、かえって頭の中が混乱したようになったが、それなりにその後の鑑賞に役に立ったことは間違いない。1837年6月20日から1901年1月22日までの在位は63年7か月は、歴代イギリス国王の中でも最長であるという。ヨーロッパの王室が国と国との複雑な入りくみを見せているのは、日本とはまったく成り立ちの異なる点として特筆されるだろう。

この映画はヴィクトリア女王が18才で結婚をし、第一子をもうけたあたりまで描かれている。現実世界では、第二子(長男) がハノーヴァー朝第7代英国王エドワード7世となっているが、第一子(長女) はドイツ皇帝フリードリヒ3世皇后であり、第三子(次女) はヘッセン大公ルートヴィヒ4世大公妃となりその血はロシア皇后まで繋がっている。日本の皇室を表す中で、「・・・人間の種ならんぞ、やんごとなき。」という言い方が頭にこびりついている。

『博士の異常な愛情』 (Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)

1964年・イギリス/アメリカ 監督/スタンリー・キューブリック

出演/ピーター・セラーズ(3役)/ジョージ・C・スコット/スターリング・ヘイドン/キーナン・ウィン/スリム・ピケンズ/ピーター・ブル

「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」という原題訳があるが、「Dr. Strangelove」を「博士の異常な愛」と訳すのには、いろいろと裏があるという話があり、なかなか興味深い。そもそも「Strangelove」というのは、映画の中では人の名前であり、異常な愛という意味で使われている訳ではないことから、題名にまつわる話が語り継がれている。

冷戦下を舞台に、偶発的な原因で核戦争が勃発しそうになり人類滅亡の危機が急迫するという状況で、大半が利己的な俗物(一部は異常者)である政府や軍の上層部が右往左往するというシニカルで意地の悪いコメディである。また、キューブリックが監督した最後の白黒作品である。上映時間は93分。本作品はピーター・ジョージの『赤い警報』(Red Alert)という真面目な本を原作にしているが、キューブリックはストーリー構成段階で題材の観念そのものが馬鹿げたものだと思い直し、ブラック・コメディとしてアプローチし直した。
核戦争の緊張と恐怖を皮肉を込めて描いた本作品はキューブリックの代表作の一本と位置付けられている。このアイロニカルな姿勢は、同時期に撮られた同テーマのシドニー・ルメットの『未知への飛行』のヒロイズムを含んだ感傷性とは一線を画している。『2001年宇宙の旅』(1968年)、『時計じかけのオレンジ』(1971年)と共に「SF3部作」と呼ばれることがしばしばあるが、これについてキューブリック本人の言及はないし、事前に「3部作」を想定していたという記録もない。(Wikipediaより)

キューブリック作品に触れたのは「時計じかけのオレンジ」。若い頃偶然に映画館で観た時に、訳が分からないけど何か心に響く映画だなぁ、という印象を強く持ち、それ以来忘れられない題名になっている。この「博士の・・」は、出だしは普通っぽいけれど、徐々にキューブリック色が強くなり、最後にはメッセージ映画と思われるほどの顛末となって行く。天才の心や技術は、天才にしか分からない、と諦めるしかない。

『クロエ』 (CHLOE)

2009年・カナダ/フランス/アメリカ 監督/アトム・エゴヤン

出演/ジュリアン・ムーア/アマンダ・セイフライド/リーアム・ニーソン/マックス・シエリオット/R.H.トムソン/ニーナ・ドブレフ

名前は「クロエ」、職業は「娼婦」。カナダのトロント、もうひと組の主人公、夫は大学教授、妻は産婦人科開業医。夫の浮気を疑う妻は、娼婦クロエに誘惑して、報告してくれとビジネスライクに頼む。ここから思わぬ展開と、思わぬ結末が待っている。面白い。同じようなテーマを日本映画で製作すると、長々と、ダラダラと、なかなか先へ進まず、結末もどこまで引っ張るのというくらい、つまらない映画になることが見える。

大学教授のiPhoneに女性の名前を発見して、それを疑い始める。教え子の女子学生だって、たくさんいるだろうに、そんな立場の人は容易に想定出来る。共通の異性友達以外、信用の出来る人がいないとしたら、それだけでストレス倒れしてしまいそうだ。所詮は男と女、何があってもおかしくないくらいの気持で生きていなければ、人間なんてやっていられない、と思った方が賢い。

かなりエロチックな映像が随所にある。ジュリアン・ムーアはこの時49才、娼婦役のアマンダ・セイフライドは24才、映画の中でもこの若き娼婦を誉めるセリフがあるが、確かに女性の身体もこの歳の差が並んでしまうと、その違いは歴然としている。この頃流行のアンチ・エイジングという諸々の作用、飽くなき人間の欲望は尽きない。

『ミケランジェロの暗号』 (Mein bester Feind)

2010年・オーストリア 監督/ウォルフガング・ムルンバーガー

出演/モーリッツ・ブライブトロイ/ゲオルク・フリードリヒ/ウルズラ・シュトラウス/マルト・ケラー

このチンケな日本語題名を見てしまうと、内容も大したことないであろうと予想してしまう。原題はたぶんドイツ語だと思い翻訳機にかけたら、「私の最高の敵」という訳が返ってきた。典型的な日本語題名の付け方で、内容のキーである日本人の好きそうな言葉をピックアップして、題名を作っている。テレビの2時間ドラマよりちょっとましな、4時間ドラマくらいの脚本で練りに練ったストーリーといったところか。

ミステリー・サスペンスというジャンル分けが端的に内容を表している。時は1938年から1943年、ヒットラー台頭から主人公のユダヤ人家族が画商を剥奪され、収容所送りとなり、貴重な絵画をも没収されるところから映画が核心に触れて行く。つかみは軽やかだし、観ているのに不満はない。最近の映画観客も、この程度の分かり易い映画を求めていることも確か。そういう意味では、この題名もあながち、非難の対象になるものではないかもしれない。

ただ奥が浅い。こういう映画なら、もっと複雑な人間心理や、もっと込み入った展開にして、いい映画の称号を得ようとするのが当然。予算も中途半端なのだろう。やっぱりテレビ映画に毛が生えた程度では、映画館の大スクリーンを2時間占拠する道具としては不満足。観客自体の映画を観る質が高くならなければ、良き映画もなかなか生まれて来ない。

『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』 (Captain America: The First Avenger)

2011年・アメリカ 監督/ジョー・ジョンストン

出演/クリス・エバンス/ヘイリー・アトウェル/セバスチャン・スタン/トミー・リー・ジョーンズ/ヒューゴ・ウィービング/ドミニク・クーパー

「スーパーマン」でもなく、「スパイダーマン」でもなく、「バットマン」でもなく、直前に観た「アイ・アム・ナンバー4」でもないけれど、純然たるアメコミらしい。アメリカ人はやっぱりヒーローが好きだ。誰かをヒーローに祭り上げて楽しんでいる癖がある。漫画の世界はいつも馬鹿にしている日本漫画の方が、まだマシかもしれない。どうもアメコミの描写を見ただけで、興味が湧かなくなってくる。もっとも英語が分からないから、それが大きな原因かもしれない。

この主人公は成り立ちが面白い。もう既にヒーローになってしまっているものを描くのではなく、その生い立ちと言おうか、どうやって生まれてきたヒーローなのかが面白いのだ。兵役志望の小柄で貧弱な青年、4回も兵隊になり損なったのに急にパスして兵役に就く。そこで待っていたのは、実験中の体力増強マシーン、要は人体実験のモルモットになって筋肉隆々人間に変身させられてしまったのだ。ひとつだけ採用された条件の中身がこれまた面白い。身体は貧弱だが、邪悪な心がないというお見立てなのだ。何故なら、この体力増強マシーンは身体ばかりではなく心まで増幅するという副作用があるらしかった。

アメリカ人らしい正義の味方に、全国民が熱狂し、兵隊の中でもヒーローとなって活躍する。単純に面白いが、それ以上のものは何もなく、エンドマークを観ることなく、深い眠りについてしまった。

『アイ・アム・ナンバー4』 (I AM NUMBER FOUR)

2011年・アメリカ 監督/D・J・カルーソ

出演/アレックス・ペティファー/ティモシー・オリファント/ダイアナ・アグロン/テリーサ・パーマー/カラン・マッコーリフ/ケビン・デュランド

最近レンタルしたうちのひとつなので、比較的新しい。映画.COMによれば、SFアクションスリラーだという。まったく何の情報もなく観始まると、いきなり暗いシーンで何か戦いをやっているな、という雰囲気しか掴めず、時代は?場所は?、と、いいのか悪いのか、神経が過敏に反応する。三流映画にありがちな、困った時は画面を暗くして細部が分からないようにする、という手法かなとも思った。

異星人ものだということは、早めに説明があり、その後は漫画チックな超能力人間らしき異星人と、恋に落ちたりする女子高校生の登場で、いかにも今風な軽いノリの映画となっている。面白かったのは、どう考えても続編がまた製作されなければならないはず、という終わり方をしていること。この程度の映画で、シリーズ化を目論む製作者の意図は凄い。

スーパーマンの超能力が、「弾よりも速く、力は機関車よりも強く、高いビルもひとっ飛び!」と毎回その持っている力を喧伝されれば、観客も彼の超能力に安心していられる。ところが最近の超能力を持った人間は、どこまでが出来て、何が出来ないのかがはっきりと分からず、その一貫性の無さに映画ストーリーが壊れてしまっていることが多い。現実の人間だって、ころころ自分の意見を変えるような奴は最低、一貫性のみが信頼と信用を得る唯一の術である。

『フロント・ページ』 (The Front Page)

1974年・アメリカ 監督/ビリー・ワイルダー

出演/ジャック・レモン/ウォルター・マッソー/スーザン・サランドン/デビッド・ウェイン/ビンセント・ガーディニア

面白いですねぇ!フロント・ページとは新聞の1面のこと。新聞記者と編集長との掛け合い漫才のようなやりとりが面白い。ブラック・コメディーというジャンル分けをしているサイトがあったが、特にブラックな感じはしなかったが、行政府である市長や市長が任命する警察署長などを辛辣に新聞記事で批判するので、そういうことなのかもしれない。とてもじゃないけど、日本映画だろうが、現実の日本社会だろうが、ことジャーナリズムに関してはアメリカの足許にも及ばない。

スーザン・サランドンが凄く若いなぁ、と見ていたが、1970年にデビューして鳴かず飛ばずだった時代のようだ。28才の彼女は、将来の大活躍を予言するかのような輝きを放っている。ウォルター・マッソーの顔は、いつみてもフランス人のようで、不思議な印象がある。祖先はロシア系ユダヤ人だということなので、多くのアメリカ人がアイルランド系やスコットランド、はたまたイタリア系だったりする顔立ちと違って見えるのは当然なのだろう。彼にフランス語を喋らせたらフランス映画に見えること100%。

1925年生まれのジャック・レモンと1920年生まれのウォルター・マッソー、この作品は両人にとっても映画人生のちょうど真ん中くらいの時期の作品。両者とも2000年、2001年と相次いで物故者となってしまったが、映画の良いところは、こうやって往年の面白い映像をいつでも観られること。人生は長いようで短く、短いようで長い。今日は2012年5月24日(木)、そういえば昨日は38回目の結婚記念日だった。まだ法律上は婚姻状態にある。

『真実への旅路』 (THE WRONGED MAN)

2010年・アメリカ 監督/トム・マクローリン

出演/ジュリア・オーモンド/マハーシャラルハズバズ・アリ/リサ・アリンデル・アンダーソン

どうも日本では劇場公開がなかったようで、web情報ではブログの2、3個しか見つからなかった。冤罪の話で、実話に基づいて作られているという但し書きが、最初に映し出される。映画の題材としては良くある話として、あまり興味を抱かれなくても仕方がない。主人公がアフリカ系アメリカ人で、そんなに品行方正ではなかったという過去が語られ、被疑者として同情を集めにくいストーリー。でも実話であることの力は大きい。

弁護士事務所に事務として働いていた女性が、彼の再審請求を出し続ける。ちょうどボスである弁護士が、興味ある事件として取り扱おうかなと思っていた矢先に亡くなってしまったから。他の弁護士事務所に勤めながらも、結果的には22年間も経過して釈放されるという、冤罪事件なのだ。まだDNA検査に高額な費用がかかる時代、しかも確かな目撃者もなく、被害者が被疑者を指さすだけで刑務所に入れられてしまう不合理。アメリカ社会の意外と保守的な風潮が、良く分かる映画でもある。

神のみぞ知る真実は、人間の力ではこじ開けることは不可能だ。ただひたすらに、真実の道を歩く人のみに、神の祝福が待っている。

『赤と黒』 デジタルリマスター版(Le Rouge et le Noir)

1954年/2009年・フランス/イタリア 監督/クロード・オータン=ララ

出演/ジェラール・フィリップ/ダニエル・ダリュー/アントネッラ・ルアルディ/アントワーヌ・バルペトレ/ジャン・メルキュール

スタンダールの長編小説が原作。もともと公開は144分短縮版だったが、2009年に主演のジェラール・フィリップの没後50周年を記念して、オリジナル(185分)に未公開シーン7分を加えた完全版(192分)が制作され、デジタルリマスターされたものが公開された。ジェラール・フィリップは、1959年39才になる直前に亡くなっている。フランスのジェームズ・ディーンとも呼ばれている、という。フランスでは、1940年代は感性の美ジャン・マレーであり、1950年代は知性の美ジェラール・フィリップであり、1960年代は野心の美アラン・ドロンであるという解説頁があった。

原作の小説名を知っていても、映画ででも観ない限り、この原作内容に触れることも、知ることもなかったであろう。文学にとんと疎い自分にとっては、映画は神様、仏様みたいなようなもの。録画した後にしばらく観るのを躊躇っていたが、いざ観てしまえば、なんていうことはない内容で、世界文学に名を轟かせている本でも、所詮はこんなモテ男の浮ついた話かと、ある意味安堵すると共にがっかりしたりもする。そういえば「風と共に去りぬ」だって、ただの我が儘な女の自分ストーリーでしかなく、そんなに小難しい内容が世界中の人にもて囃される訳ではない、ということがよ~く分かった。

テレビでは「第一幕」「第二幕」それぞれが1時間30分として放映された。話のつかみは、なかなか興味深くスタートするも、色男のモテさぶりに終始する内容では、ちょっと飽きがくる。原作を活字で読むよりも、まだ映像の方が自分には合っているだろうと感じる。主人公が自問自答するシーンが多く見られたが、これが活字だと他の場面と同じ活字であり、頭の中のことと現実のこととが区別しにくく、もっと飽きてしまいそうな感じがした。因みに「赤」は軍隊の制服、「黒」は僧侶、主人公の活躍する場を表している。実際に活躍するのは「女の園」であることが、この物語の骨格。映画の中で時々表示される格言の如き名言を、このホームページの「言葉」欄に3編掲載した。

『コニャックの男』 (Les marie's de l'an deux)

1970年・フランス 監督/ジャン=ポール・ラプノー

出演/マルレーヌ・ジョベール/ジャン=ポール・ベルモンド/ラウラ・アントネッリ

『勝手にしやがれ』(A` bout de souffle・1959年)が、ヌーヴェルヴァーグの代表作として大ヒットするとともに、ベルモンドを一躍映画スターの座に押し上げた。フランスの伊達男とか称されるけれど、あまり好きな顔・雰囲気ではなく、彼の作品は数えるほどしか観ていない。ヘラルド現役時代は、彼やアラン・ドロンはどうして外せない映画スタートしての威厳があった。

映画の時代は、フランス革命の始まる前1786年という字幕が入る。王制派と共和制派が入り乱れて、まだまだ社会が混乱している頃が時代背景で、だからこそ面白おかしく社会風刺的なストーリーを考えたのかもしれない。実際のフランス革命は、一般に1789年7月14日のバスティーユ襲撃に始まり、ナポレオン・ボナパルトによる1799年11月9日のブリュメール18日のクーデターで終焉した、とされている。

フランス風エスプリが満載され過ぎていて、滑稽さを通り越してドタバタ劇になっている。映画を楽しむと言うより、現在のテレビ番組、しかもかなりおちゃらけている番組を連想させるほど、あまりのドタバタにずっこけてしまいそう。最初から最後まで、一貫しているのは流石、フランス映画もこんなものを作れるほど、この当時には余裕があったのかもしれない。

『愛の選択』(Dying Young)

1991年・アメリカ 監督/ジョエル・シュマッカー

出演/ジュリア・ロバーツ/キャンベル・スコット/ビンセント・ドノフリオ/コリーン・デューハースト/デビッド・セルビー

何という陳腐な日本語題名かと思いながら観始まった。原題は直訳すれば「若死に」といった意味合いだろうが、あまりにも直接過ぎる題名でこちらもいただけない。主人公が白血病という映画話のお涙頂戴物としては、欠かせないシチュエーション。残念ながら涙が流れて止まらなくなった、というほどの感動的な完成度ではない。せっかくのお涙もので、涙が流れなくては、何のためのストーリーか分からなくなってくる。

ジュリア・ロバーツのデビュー作品は『ミスティック・ピザ』(Mystic Pizza・1988年)でヘラルドが偶然配給権を持っていたが、超ヒット作プリティ・ウーマン( Pretty Woman・1990年)の前の作品だったため、彼女の知名度がなく、ロードショーも見向きもされないで、鳴かず飛ばずだった。それなりに面白かった印象はあるが、これが映画は水物だと言われる所以。ジュリア・ロバーツという新星に目を付けたことは良かったが、一旦ヒット作を出してしまったら、その当時のヘラルドではそれ以降の彼女の出演作品を手に入れることは不可能になってしまった。

夏目雅子でも有名だが、白血病は不治の病として世間一般に知られていた。それが今では、臍帯血などでの治療を含めて、立派に復帰出来る病気のひとつとなっている。血液を全部入れ替え、血液型が変わってしまう手術を受けても、生命をしっかり維持している。おそらく手術というテクニカルだけの問題ではなく、病人本人の「生きたい」という強い意志が、生命の大きな鍵なのだろうと勝手に想像している。

『阪急電車-片道15分の奇跡-』

2011年・日本 監督/三宅喜重

出演/中谷美紀/戸田恵梨香/宮本信子/南果歩/谷村美月/有村架純/芦田愛菜/小柳友/勝地涼/玉山鉄二

人気作家・有川浩の原作小説を映画化。宝塚駅から西宮北口駅までの阪急今津線を舞台に、何組かの登場人物が描かれている。中谷美紀と宮本信子、この二人だけでこの映画は成立しているような存在感がある。やっぱり映画は役者によって、だいぶ完成度が違って見える。今をときめく子役芦田愛菜は、残念ながらテレビ程度でお茶を濁すのが精一杯、映画という大きなスクリーンにはまだ向いていない。

大阪出身の人には馴染みがあるのだろうが、旅行でしか行ったことのない地域はイメージでしか想像出来ない。大阪のおばちゃんが電車の席を取り合う姿は、ごく普通のことかと思っていたら、この宝塚沿線ではどちらかというと変なおばちゃんに見られる、ということを後から友人に聞いた。今度大阪地区に行く機会があったら、是非この阪急今津線に目的もなく行ってみたい。38年前くらいに初めての海外旅行で知りあった人が東京から母親の出身地の宝塚近辺に引っ越したのだが、今元気でいるだろうか。急に懐かしくなってきた。

監督に映画を飽きさせない能力があるような気がする。ストーリーは原作に負うところが大きいのは勿論だが、普通にある日本映画の長回しやいらぬカットの連続などなく、極めてすっきりとした全編に仕上がっている。例えば今回の中谷美紀と宮本信子という二人以外は、まったく無名の俳優を使ったほうが、映画として評価出来る可能性が高い。おちゃらけたテレビのバラエティー番組で、馬鹿をやっている奴が急に真面目な顔をして映画に出て来たって、観客が白けてしまっては何にもならないから。

『噂のモーガン夫妻』(Did You Hear About the Morgans?)

2009年・アメリカ 監督/マーク・ローレンス

出演/ヒュー・グラント/サラ・ジェシカ・パーカー/サム・エリオット/メアリー・スティーンバージェン/エリザベス・モス/マイケル・ケリー

映画は軽ラブ・コメディーでなんてことないが、映画の中で知ったアメリカの証人擁護システム「目撃者保護プログラム」に興味が湧いた。噂のモーガン夫妻の住むのはニューヨークだが、保護されて辿り着いたのがワイオミングの田舎という設定。アメリカ人ならニューヨークとワイオミングを比較しただけで笑いがとれるのだろうが、私には雰囲気しか伝わってこない。残念。

映画の面白さはそう言うところにもあるので、予備知識がないところを刺激されても、痛くも痒くもないのが辛い。ヒュー・グラントはラブ・コメディーの常連、他の役でも活躍したことがあったはずだが、いつもこんな役ばっかりという印象が強い。それと、どの映画に出ていても、喋り方、姿勢、身振りなどが同じに見えて、もしかするとイモ役者なのかもしれないと思ったりもする。

結婚生活の危機をめぐる話は、アメリカ映画なら常套句のようなもので新鮮味がない。この程度の話を映画にするなんて、よほどネタ切れしているのかと心配になってくる。が、実際にはそうで、アメリカ映画もネタが枯れてしまっていることは確か。ギャラの高騰とネタ枯れは、これからも世界の映画界のガンであるが、どう克服して行くのか見届けてみたい。


2014/8/9 再びの感想

なにごともなかったように、またこの欄を書いている。誰にも分からないひとの心のうち、どれだけ虚しい思いをすれば、神は救いの手をさしのべてくれるのだろうか。ホームページからの問い合わせメールが動いていないみたいだと言うので、ここ何日間かかかりきりで対処した。サーバー会社も違うし仕様も違う。プロでもないのにどこまで頑張るのか、不思議で仕方がない。この苦労は絶対分からないだろうなあ。なんとか使えるようにしたけれど、単なるホームページの更新と違い、プログラムをいじるというのはかなり荷が重かった。

ヒュー・グラントはちょっと猫背にどの映画でも同じような仕草をする。そんなことが気になるようでは、映画もおもしろくないといえる。コメディの中のラブシーンは、どうみてもおちゃらけているだけのように見えて、「愛してる」なんて言葉も嘘にしか聞こえない。

そういえば、脳を調べると、嘘をつく人が分かったというニュースがあった。今までは知らんぷりして、他人の気持ちをズタズタにしても平気なクソ女には朗報だ。『嘘をつかなくする薬』が発明されるかもしれない。と期待して生きていけるといいな。

『バンガー・シスターズ』 (The Banger Sisters)

2002年・アメリカ 監督/ボブ・ドルマン

出演/ゴールディ・ホーン/スーザン・サランドン/ジェフリー・ラッシュ/エリカ・クリステンセン/ロビン・トーマス/エバ・アムッリ

キャピキャピしているゴールディ・ホーンだが、彼女ももう66才というから時代は確実に経過している。今から10年前の映画だが、大きな胸を揺らして、映画の中でもそういう話題を振りまいているのが凄い。話が軽くて、えらく見易い映画だ。こんな軽さは、映画の醍醐味のうちのひとつ。役者の気質に依存するところが大きく、彼女とスーザン・サランドンの対照的な雰囲気が、映画をさらに面白くしている。

大親友だった二人は若い頃にロック・シンガーの追っかけ、グルーピーと言われる存在で、歌手やスタッフと一夜をともにすることに明け暮れていたという過去と、20年後の二人の久しぶりの出会いがストーリー。ドアーズのジム・モリソンの名前が出て来たり、歌もバックグラウンドで流れたりと、伝説のロッカー達も形無しといった二人の会話が楽しい。記念に撮った「おちんちん」の写真を引っ張り出して昔を懐かしむ二人、心の垣根が外されてようやく昔の二人に戻るまでが、なかなかの辛辣な家族ストーリーで、思わず拍手。

若い頃に馬鹿をやっていればいるほど、大人になって更生した心を持つ生活が豊かになってくるはず。優等生で育ったおぼっちゃまが、盗撮事件などを起こしたりするんだよ、きっと。悪が悪のままでは、本当の悪人や犯罪者になってしまう。悪ぶって、つっぱっている若者ほど、人生の真実を知った時に良い意味でいい寝返りが出来る。一人っ子の多くなった昨今、あまりにも子供に手をかけすぎて、反抗心を抑えられたまま大人になって行く子ども達が多く、世の中に一人で立たなければならなくなった時の、不安定さを心配する。そんなことを言える人間ではないと承知はしているが。

『プリンセス トヨトミ』

2011年・日本 監督/鈴木雅之

出演/堤真一/綾瀬はるか/岡田将生/沢木ルカ/森永悠希/和久井映見/中井貴一/村松利史/菊池桃子/江守徹/玉木宏

万城目学の直木賞候補になったベストセラーを映画化。1615年の大阪夏の陣で断絶したはずの豊臣家の末裔が、今も生きつづけているという奇想天外な物語。「プリンセス トヨトミ」とは、豊臣家のお姫様ということらしく、上手いタイトルをつけたもんだと感心した。日本映画は、この位のおちゃらけた話を映像化するのが、一番合っている気がする。本を読まない人には、こういうストーリーは新鮮に映る。

橋本徹の大阪都構想は、もしかしてこういうところから出たんじゃないのと、疑りたくなるほどの大阪気質が強調されている。確かに一歩世の中が違っていれば、日本政府だってもしかしたら豊臣家のものだったかもしれない。歴史に「もしも」はないけれど、誰の人生にも「もしも」の瞬間は、結構数多く現れているはずだ。

最初から最後まで、珍しく飽きもせず日本映画を観た。出来の問題だけではなく、ストーリーの面白さ、映像のテンポ、役者の本気度などが幾重にも重なって、目に見える映画を作っているのだと、よく分かる。敢えて言うならば、奇想天外と幼稚性妄想ストーリーとは、根本的な違いがある。もっともっと、たくさんのいい映画を作って欲しい、日本映画界。

『ワールド・オブ・ライズ』(Body of Lies)

2008年・アメリカ 監督/リドリー・スコット

出演/レオナルド・ディカプリオ/ラッセル・クロウ/マーク・ストロング/ゴルシフテ・ファラハニ/オスカー・アイザック

ディカプリオがこんなお堅いテーマの役をやるんだ!と妙な感心の仕方をした。それはそうだ、いつまでも愛したの愛してないのと、恋愛映画ばっかりという訳にはゆかないのだろう。精悍な顔つきと体形は、この映画のためのものだろうと想像出来る。もう一方の主役ラッセル・クロウは、嫌な役回りの為にわざわざお腹を大きくし、醜い面に仕立て上げている。アメリカの俳優達の役者根性は凄い。アクターズ・スタジオで何回となく聞かされ、見せられる役作りの話、こうでなければ良い映画なんて簡単に出来るはずがない。

中東で対テロ殲滅作戦を展開する米CIA中東局の主任と現地工作員の話。物語、展開、仕掛け、どれをとっても一級品、監督も一流だし言うことナシ。「制服組」と「背広組」と比較される組織だが、片方は目の前でCIAの為に人殺しまでしている最中、もう一方は子供と遊びながら命令を下している。その対比するやりとりが、実に見事に描かれていて気持いい。

イラク、ヨルダン、トルコ、シリア、またオランダまでもがテロ爆破の舞台として登場する。現実社会は今、こんな風に毎日のようにテロ活動が起こっているのかと、あらためて覚らされると共に、ノー天気日本の平和ボケが対照的。宗教は自由だといいながら、本人が知らないままに信じ込まされている宗教。目には目をという戦いを許している宗教は、物事を解決する能力を自ら放棄しているとしか思えない。何事も話し合いで解決するとはとても思えないが、ものには限度があり、それを抑制、規制、発展させるのが人間の知恵だと信じていたい。


2019年(平成31年4月16日再び観たので記す。

『ワールド・オブ・ライズ』(Body of Lies)

2008年・アメリカ 監督/リドリー・スコット

出演/レオナルド・ディカプリオ/ラッセル・クロウ/マーク・ストロング/ゴルシフテ・ファラハニ

ずーっとみたことあるはずだけどなぁ~、ということばかりが気になっていた。ちーっとも覚えていないのはいつものことだけれど、どこかで「あれっ!」と思える瞬間があるのが普通なのに、どこまで来てもそんなシーンにぶつからない。

中東の諜報部員をレオナルド・ディカブリオをその上司がラッセル・クロウが演じるという豪華配役でしかも結構お堅い話なのだ。しかも話が出来過ぎていて、終始同じようなテイストで映画が進んで行くのが問題なのだろう。引っかかるところがない、流れがスムーズに進み過ぎる。そんな印象が、かえって何も印象が残らない映画になってしまったのかもしれない。

気が付いたら中東紛争や中東戦争は日常的なニュースだった。小学生の時から今まで、結果的には何も変わらない中東地域紛争という感じがしてならない。「専門家」からすれば、何を馬鹿な、どれだけ変化していることかというのだろうけれど、実際の政治状況を見れば、何も変わらないどころかどんどん酷くなっていく対立状況というのが本当の姿として見える。永遠に解決しない情勢だと断じられる。もしかすると、そういう状況を正確に理解しながら中東の国々は永久に国を司って行こうと考えている節もある。

『ゴーストライター』(The Ghost Writer)

2010年・フランス/ドイツ/イギリス 監督/ロマン・ポランスキー

出演/ユアン・マクレガー/ピアース・ブロスナン/キム・キャトラル/オリビア・ウィリアムズ/トム・ウィルキンソン/ティモシー・ハットン

元英国首相の自伝執筆を依頼されたゴーストライターが、主人公だ。サスペンス映画とはこうあるべきだという、本来の面白さを持った映画で、久しぶりに面白い映画を堪能した。ポランスキー監督は、1977年に当時13歳の子役モデルに性的行為をした嫌疑をかけられ逮捕された。その後、保釈中に「映画撮影」と偽ってアメリカを出国し、ヨーロッパへ逃亡した。以後アメリカへ1度も入国していない。2009年9月、チューリッヒ映画祭授与式に出席するためスイスに滞在中、前述の少女への淫行容疑に関連してスイス司法当局に身柄を拘束された。こんな性癖を持つ変な監督だが、映画製作者としての腕はピカイチ。

ヘラルドが配給した1979年の作品『テス』で主演をつとめることになるナスターシャ・キンスキーとは、彼女が15歳の頃から性的関係を結んでいた。『戦場のピアニスト』(The Pianist・2002年)なんていう、いい映画も作っている。人間の上半身と下半身は別人と言われる所以。

ゴーストライターの存在は、政治活動社会だけではなく、どの分野でも不可欠の存在だ。アメリカ大統領だって、勿論優秀なゴーストがつきまとっている。日本の政治家には大したことのないゴーストしかいない。何故なら、国会での演説を聴いて、これは凄いと唸ったことなど一度もないことからも明白だ。気の利いたことを言う小泉進次郎にはどんなゴーストが付いているのだろう。結構ウイットに富んでいるし、政治家としての筋も一本道のように見える。このまま小さなスキャンダルを2、3個経験した後に、総理大臣の道が見えているような気がする。だいたい一国の首相が、国会答弁で下を向きながら原稿を棒読みしているだけでは、いつの世になっても庶民と国会との垣根は高すぎて、相容れないものだと見えてしまうだけだ。

『猿の惑星:創世記』(Rise of the Planet of the Apes)

2011年・アメリカ 監督/ルパート・ワイアット

出演/ジェームズ・フランコ/アンディ・サーキス/フリーダ・ピントー/ジョン・リスゴー/ブライアン・コックス/トム・フェルト

猿の惑星(Planet of the Apes・1968)、続・猿の惑星(Beneath the Planet of the Apes・1970)、新・猿の惑星(Escape from the Planet of the Apes・1971)、猿の惑星・征服(Conquest of the Planet of the Apes・1972)、最後の猿の惑星(Battle for the Planet of the Apes・1973)。初代作はその奇抜なストーリー展開と精巧なメークアップで大好評を博したが、三作目以降は低予算化されストーリー・演出も陳腐なものになり、一・二作目の威を借りたB級映画に近いものとなった。という評はもっともだ。

製作者が変わり、PLANET OF THE APES/猿の惑星(Planet of the Apes・2001)、こちらの方がより原作に忠実なものとなっているらしい。今回の「創世記」は、第一作の最後の衝撃的なシーンが、何故起こったのかという解明の作品かと思ったら、『猿の惑星』(征服)から着想を得た新たな物語として作られたのだという。新作第1作目ということで、このシリーズの新しい作品が今後も製作されるのだろう。

どんな三流映画に成り下がっても、この題材の映画は面白い。結局は人間が悪いよ、という主旨の内容が多いけれど、間違ってはいないし、どこか動物園で見る動物たちに、後ろめたさを感じている現実を思い知らされる。ペットとして動物を飼うこと自体に、いつもちょっと違和感がある。どこかの本や映画にもあったように、人間よりも賢くて強靱な肉体を持っている動物がいれば、人間がペットとして飼われる社会も容易に想像出来るから。そんな夢のようなことは現実感がない、と切り捨てられるほど確かかどうかは分からない。

『マンデラの名もなき看守』(Goodbye Bafana)

2007年・フランス/ドイツ/ベルギー/イタリア/南アフリカ 監督/ビレ・アウグスト

出演/ジョセフ・ファインズ/デニス・ヘイスバート/ダイアン・クルーガー/パトリック・リスター

久しぶりに、映画を観ながら涙を流すことが出来た。1968年から1990年の南アフリカが舞台。あのアパルトヘイト時代、終身刑を受けたネルソン・マンデラを監視するという任務に就いた名もなき刑務官の手記の映画化。『インビクタス/負けざる者たち』(Invictus・2009年)では、マンデラ自身にスポットをあてているが、この映画では看守という白人から見た投獄中のマンデラという視点が興味深い。

看守という職業の家族は、どういう気持で毎日を送っているのだろうか。普通の人と何も変わらないよと、そういう答が返ってきそうだが、真実はどうなのだろう。高圧的に黒人は人間ではないという扱い方は、映画とはいえあながち嘘には見えないその当時を想像出来る。

ネルソン・マンデラが大統領に就任したのが1994年、まだ20年も経っていないことにあらためて驚く。今では当然の如く言われる人権や自由も、考えてみれば現在その戦いが続いている。アフリカの国々が真の民主国への路途上なのだ。人間は無知であり蒙昧であると考えさせられる。マンデラは共産主義で暴力主義者だと、その当時の白人は擦り込まれていた。そういうことを知るだけでも、この映画を観る価値がある。

『ドゥ・ザ・ライト・シング』(Do the right thing)

1989年・アメリカ 監督/スパイク・リー

出演/ダニー・アイエロ/オジー・デイビス/ジョン・サベージ/ジャンカルロ・エスポジート/ジョン・タトゥーロ/サミュエル・L・ジャクソン

社会的な政治的な、そんな映画を撮り続けているスパイク・リー監督。黒人の社会的地位のことが、気になって仕方がないようだ。ニューヨーク黒人街、イタリア人の経営するピッツァ店が主な舞台。韓国人の経営する雑貨店も出てくる。そこに生まれ、そこに育っている黒人達の傍若無人の生活環境は、観ているだけでも腹が立ってくる。だんだんとイライラしてくる気持が抑えきれない。

舞台を観ているような感覚が嫌だった。登場人物は向かい合う相手にセリフを喋っているはずなのに、舞台下の観客席に向かってひたすら台本を読んでいるように見えて仕方がなかった。ウェストサイド・ストーリーを真似ているような対立構図を画面上に作り、ミュージカルっぽい手法も使い、どうにも好きになれない映画だと悟った。日本のヤクザ映画のようなすぱっとした割り切りがなく、だらだらと黒人擁護をしているようにしか見えなかったのが残念。

この題名を見て、あぁ一度観たことがあり、結構良かったんだよなぁ、と勝手なことを思ったが、全くの勘違いで、初めての鑑賞だった。こうやって、他人から話題を向けられた時に、知ったかぶりをして、あぁそれね、などとしたり顔をしているのではないかと、自分のことが信用出来なくなった。

『木洩れ日の家で』 (Pora Umierac)

2007年・ポーランド 監督/ドロタ・ケンジェジャフスカ

出演/ダヌタ・シャフラルスカ/クシシュトフ・グロビシュ/バトルィツィヤ・シェフチク/カミル・ビタウ

ヘラルドの先輩が経営する会社、苦節30年で初めて大ヒットとなった作品。10年間1度もヘラルドOB会に出て来なかった人が、昨年初めて出席。この事実を知った。買い付けの時に見る映画には字幕は当然無く、ポーランド語だけでこの映画を見極めることは、普通人では到底出来ないこと。言葉は分からなくても、全編を通して見られれば、この映画は良い映画だという確信が持てたのかもしれない。

セリフの中から主人公の年齢を察すると、91才くらいだと分かる。まさしく木漏れ日の射し込む森の中の家に一人で住む老人、残り少ない人生を覚りながら、懐かしむ人生に哀感が。小さな出来事が映画を飽きさせない、と言いたいところだが、予想通りちょっと眠ってしまった。面白くないというのではない。体調が良い日に観ようと決めていたのだが、そんなに体調が良い日がある訳でもなく、まぁいいか!と観始まった次第だが、やはり心に余裕がないとこういう映画は観られない。モノクロ画面。

一人暮らしという意味では同じようなもの、世間との関わり合いが薄くなればなるほど、文句も多くなってくる。軽口を言い合える人が側にいない哀しさ。この主人公のように、椅子に座りながら安らかに・・・・。

『モールス』(Let Me In)

2010年・アメリカ 監督/マット・リーヴス

出演/コディ・スミット=マクフィー/クロエ・グレース・モレッツ/イライアス・コティーズ/リチャード・ジェンキンス

3ヶ月に1回くらい TSUTAYA のレンタルを利用して、準新作と称される割合新し目の映画を観るようにしている。新し目といっても2、3、年前の映画になってしまうが、それでもテレビ放映の録画ばかりでは、なかなか新し目すら見られないので、そういう努力は惜しまないようにしているつもり。情報を持っていないので、いつも適当にパッケージを見つめながら決断している。ドタカンは、意外と好調だったのだが、今回の外れくじのひとつになってしまった。

原作も以前に映画化された姉妹編もあるとのことだが、ひたすら怖がらせようという意図しか感じない映画だった。日本映画のあり得ない子供騙しに似た、何とも言えない幼稚さを感じる映画だった。画面は暗いし、ストーリーの中から湧き起こる恐怖ではなく、ただ驚かせようとする設定につまらなさを強く感じてしまった。

『エクソシスト』『オーメン』『13日の金曜日』など、海外の恐怖映画は当然の如く宗教に根付いている。何らかの言い伝えを含めた根拠があるからこそ、映画を観てさらに恐怖心を煽られるのだろう。ビデオを見てたら画面から霊が乗り移ったなと言う子供騙しは、何の裏付けもないインチキ恐怖映画だといつも罵っている。そういう日本的なイカサマ映画的な内容に、ちょっと呆れ果てたけれど、なんとか最後まで観たという結果だけで満足してしまった。

『コナン・ザ・グレート』(Conan the Barbarian)

1982年・アメリカ 監督/ジョン・ミリアス

出演/アーノルド・シュワルツェネッガー/ジェームズ・アール・ジョーンズ/サンダール・バーグマン/マックス・フォン・シドー

プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスは、当事のインデペンデンス系としては業界の最高峰に位置していた。この名前を聞いても業界外の人にはピンと来ないだろうが、それはそれは羽振りがよろしかった記憶が鮮明。例えばカンヌやベルリンでの映画祭の際には、必ずこういう儲かっている会社主催のパーティーがある。挨拶も何もないパーティーなのだが、そこは映画業界、いわゆるスター達の出席もあったりして、華やかなことは天下一品だった。そういう場所に何食わぬ顔して入り込めるメリットがヘラルド社員にはあったことが懐かしい。

1970年には映画デビューしているシュワちゃんだが、2年後のターミネーター(The Terminator・1984年)で世界的な超スーパースターになろうとは本人にも予想がつかなかった時の映画。主演ではあるがセリフが少なく、ボディービルダーとしてのシュワちゃんといった感じ。今風のCGを駆使する時代ではないので、アナログ的肉体アクション映画の典型といった風情。

今頃になって彼の出世作を観ることになるなんて、映画人としては恥ずかしい限りだが、まぁ生きているうち観られて良かったという印象。1947年生まれの彼は、アメリカンドリームのそのものだが、そう言う意味では彼の映画を見直せば、自分の人生と重なる部分がかなりあるのだろうと、ちょっと懐古的な心情になってくる。

『女優マルキーズ』 (MARQUISE)

19987年・フランス/イタリア/スイス/スペイン 監督/ベラ・ベルモン

出演/ソフィー・マルソー/ベルナール・ジロドー/ランベール・ウィルソン/パトリック・ティムシット/ティエリー・レルミット/アネモーヌ

17世紀のフランスを舞台に、実在した舞台女優マルキーズ・デュ・パルクの人生を描く人間ドラマ。踊り子から劇団の女優となり、国王ルイ14世や新進劇作家ラシーヌの心を捉えたマルキーズ。ラシーヌの劇団で花形女優として成功するものの、そんな彼女を思わぬ悲劇が待ち受けていた……。S・マルソーが、女優の情熱とプライドを力強く体現。(映画.COMより)

実在の女優なら、もう少しメリハリの利いたストーリーにしてあげないと可哀想。どこが素晴らしい女優なのか、なるほど女優らしく我が儘なのか、といったことが凄く希薄に描かれていて退屈になってくる。久しぶりの洋画だと喜んだのもつかの間、面白くなければ邦画も洋画も同じようなもの。それでも、いつも言うように詰まらない日本映画を観る時のように、2倍速や5倍速を駆使する気にはなれない違いがある。

フランス国王が主人公の女優を招いたパーティーで、女優と比較して胸やお尻でしか魅力を表現出来ない取り巻き夫人達に辛口をたたくシーンがある。そこで、ロングドレスをたくし上げて下着をはいていないと強調する場面があるのだが、たぶんほんの一瞬なのだろうヘアーが見えるのかな、その一瞬をぼかしているのには呆れかえった。フランス流のエスプリや洒落は、日本では画面をボカすという手法でしか対応出来ない、やっぱり子供社会の仕組みになっていてやりきれない。

『転々』

2007年(平成19年)・日本 監督/三木聡

出演/オダギリジョー/三浦友和/小泉今日子/岸部一徳/吉高由里子/岩松了/ふせえり

このところ日本映画ばっかりで、しかもくそ面白くないものを見てばかりなので、フラストレーションがたまりっぱなし。

この映画も「何これ?」と、思わず言ってしまう内容で、いつもの通り2倍速、5倍速で早々と見終わってしまった。

コメントしたくなくなってきたので、これで終わり。

『華の乱』

1988年・日本 監督/深作欣二

出演/吉永小百合/松田優作/石田えり/風間杜夫/松坂慶子/緒形拳/池上季実子/中田喜子/成田三樹夫/石橋蓮司

与謝野晶子、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)は、戦前日本の歌人、作家、思想家。を吉永小百合が演じているが、どうもイメージが合わない。映画の中でも確かに原稿を書いているシーンはあるのだが、現実感に乏しく、ましてや思想家と言われてもねぇ。子だくさんで12人も子供がいたという。

映画の中でも子供がたくさん出て来て、浮浪者などを食わせてやっているのかと思っていたら、何と自分の子供という設定。とてもじゃないけど映画の中では、そんな風には見えないところが吉永小百合たる所以。今なら、寺島しのぶが演じればピッタンコといった役柄だが、サユリストには申し訳ないがイマイチ。

興味深いのは、同じ時代を生きた執筆家達が登場すること。有島武郎は、軽井沢の別荘(浄月荘)で波多野秋子と心中したエピソードも丹念に描かれている。島村抱月は、愛人松井須磨子が抱月の後を追って自殺するエピソードが。映画で描かれるこの当時の文筆業達は、主義主張のための執筆であり、拝金主義ではないとする雰囲気が強く醸し出されている気がして、かなり印象的だった。

『ハーメルン プレカット版』

2012年(平成24年)・日本 監督/坪川拓史

出演/西島秀俊/倍賞千恵子/坂本長利/風見章子

映画「ハーメルン」は2012年3月に福島でのメインロケを終了致しました。そしてこのたび、「ハーメルン プレカット版」として、BSフジで放送 されることとなりましたので、お知らせ致します。なお、劇場での公開につきましては、改めてご報告いたします。(※このプレカット版は劇場で公開される本編とは一部異なり、本編よりも約30分程短く編集されています。)

ということらしい。今年の秋公開予定の映画を、ほとんど見せてしまう公開技法は吉と出るのか、凶と出るのか。映画は当たり前のように詰まらない。何が郷愁だ、何が想い出だと、映画の良さを分かろうとしない老人がここにもいる。役目を終えたある村の小学校舎が取り壊されるというエピソードが主題。あまりにもテンポが遅すぎて、誰がこんな映画を作っているんだ!と怒鳴ってしまった。

6年間通った小学校も、3年間通った中学校も、そして高校も、校舎だけはしっかり覚えている。もう懐かしんだって何の意味もない時間だけれど。

『シャンハイ・ヌーン』(Shanghai Noon)

2000年・アメリカ 監督/トム・ダイ

出演/ジャッキー・チェン/オーウェン・ウィルソン/ルーシー・リュー/ブランドン・メリル/ザンダー・バークレイ

時代設定は1881年、中国北京の紫禁城からお姫様がさらわれて、西部劇時代のアメリカ・ネバダまで身代金を運びお姫様を取り返すという、お笑いストーリーだ。ジャッキー・チェンの映画をまともに観たことがない。決められたアクションとコメディーを大きな画面に張り巡らされても、興味が湧かない。CGを使わない肉体アクションも彼のひとつの売りだが、CGを使ってでも観客を楽しませてくれるのが映画の在り方だと思っているので、そもそも映画の楽しみ方が違う。

今回はアメリカが舞台で、しかも西部開拓時代というシーン設定は面白かった。約束されたコメディーに面白みは全く感じられないが、観客の予測を覆す展開には、興味が湧いてくる。いつの時代でも、世界のどこの国にも中国人がいることに驚かされる。この映画では、お姫様がかくまわれた荒野のテント村では、働いているのは中国人ばかり。

昔、カンヌ映画祭の帰りスコットランドのセントアンドリュースに行った時、ゴルフのメッカといわれる街でイギリス最古の大学がある場所に、中華料理店があった。社長、副社長と私の一行は、当然のことながらその中華料理店に足を運んだ。チャイナタウンはそれこそどこの場所でも遭遇出来るので、日本人にとって世界旅行で困ることはないだろう。

『恐怖の報酬』 (Le Salaire de la peur)

1953年・フランス 監督/アンリ=ジョルジュ・クルーゾー

出演/イヴ・モンタン/シャルル・ヴァネル/ペーター・ヴァン・アイク/フォルコ・ルリ/ヴェラ・クルーゾー

第6回カンヌ国際映画祭にてグランプリと男優賞を、第3回ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した作品。サスペンス映画の範疇に入るが、この当時の発想や映像技術を、そのままこの時代に通用させることは難しい。特にCGを駆使した最近の映画を観てしまうと、とてもじゃないけど往年の名画も色褪せて見える。CGがいいという訳ではないが、一度観てしまうと、出来ないことでも簡単に実現してしまうシーンの連続は、いかにも映画っぽくて堪らない。

だいたいニトログリセリンを普通のトラックに乗せて運ぶなんて、とてもじゃないけど現実味が薄くて映画に入り込めない。それでもその当時にすれば、こういう設定やストーリーで充分観客を納得させられたのだろう、と考えると、仕合わせな時代だったのだと思わざるを得ない。

始まって30分くらいは「恐怖の報酬」という題名って何?と思わせるほどの前振りの長さに、ちょっと唖然としていた。アクションを伴う映画では、3Dを含め最近の映画に格段の進歩を認めるしかない。好きか嫌いかの問題ではなく、ダイナミックさや迫力を考えたら、昔の映画に戻ることは不可能だろう。良いような、悪いような。

『毎日かあさん』

2011年・日本 監督/小林聖太郎

出演/小泉今日子/永瀬正敏/矢部光祐/小西舞優/正司照枝/古田新太/田畑智子/光石研/鈴木砂羽/柴田理恵/遠山景織子

結構好きな小泉今日子主演なので、ちょっと期待していたが、まったくダメでどうしようもない。コミック漫画の映画化だと言うことなので、そこらあたりに問題があったようだ。サザエさんのようなコミック漫画を映画化するのと似ている。サザエさんの場合は、紙から映像化するのも、実写化するのも、それなりに上手くいっていた実績がある。でも、これはダメだな。

永瀬正敏という芸人をよく知らない。名前を聞いたこともあるし顔も見たことはあるが、この映画で観た彼の姿は役柄ながらも、むさ苦しくて話にならない。そう言う役だよ!と言われて、納得することは出来ない。ただ地を出しているだけでは、大きな予算と大きなスクリーンをせっかく用意したのに、全く無駄になってしまっている。

16才の小泉今日子に出会ってから、何となく気になる存在として、他の芸能人とは違う目で見てきた。彼女のこの才能を若い時に見いだした人の目が凄いと思う。歌が極端に上手い訳でもなし、容姿が素晴らしく言い訳でもなく、そこらにいる女の子とほとんど違わない感じの子を、こうやって大スターに育ててしまっている。あれから30年、今風の芸能人のように、小泉今日子も子供を持っていれば、面白かったのにと、ふと詰まらぬことを考える。

『ペーパーバード 幸せは翼にのって』(Pajaros de papel)

2010年・スペイン 監督/エミリオ・アラゴン

出演/イマノール・アリアス/ルイス・オマール/ロジェール・プリンセプ/カルメン・マチ

スペイン語の原題を直訳すれば「紙の鳥」、それを英語訳してさらにサブタイトルを付けている日本語題名。一般劇場で多くの人に観て欲しいと思う映画ではないので、ここは『紙の鳥』という特異な題名でミニシアター公開すべきと思う。『眺めのいい部屋』もそうだが、こういう大ヒットした前例を見習うことが賢明。配給会社時代の癖が抜けきらず、いらぬお節介をしてしまう。ただ、この日本語題名はないな、と何度でも言いたくなるのは事実。

スペインもフランコ将軍独裁時代の負の遺産が色濃く残っている。歴史によれば1939年から1975まで続いたというこの独裁時代、ヒットラーの台頭に似た国民の困窮生活が、よく映画化されている。民主化されたスペインは1982年にNATOに加入、同年にはスペイン社会労働党が政権に就き43年ぶりの左派政権が誕生している。1986年にはヨーロッパ共同体(現在の欧州連合)に加入。1992年にはバルセロナオリンピックを開催した。一方、国内問題も抱えており、スペインはバスク分離運動のETAによるテロ活動に長年悩まされている。

こうやってみてくると、世界を席巻したあのスペインでさえ、近代化の歴史はまだ浅いということに驚いてしまう。演芸一座の主人公達は、母国を捨ててアルゼンチンのブエノスアイレスに亡命しようと夢を語っている。ブエノスアイレスには、夢のような楽しい毎日が待っていると信じられていた。10才くらいの子供時代をこの演芸一座で過ごし、アルゼンチンに亡命し80才くらいで戻ったスペイン・マドリッドの劇場で、昔を懐かしむように観客に歌を披露するその姿に、人生の驥尾を語る姿に、胸を打たれる。

『ブラザーズ・グリム』(The Brothers Grimm)

2005年・イギリス 監督/テリー・ギリアム

出演/マット・デイモン/ヒース・レジャー/モニカ・ベルッチ/ジョナサン・プライス/レナ・ヘディ/ピーター・ストーメア

地方の村々を巡り民間伝承を蒐集するかたわら、魔物退治と偽り村人から多額の報酬を得ていたペテン師まがいのグリム兄弟が、ある時本物の魔女と対決するハメになるさまを、『赤ずきん』『ヘンデルとグレーテル』『眠れる森の美女』などのエッセンスを散りばめつつ、VFXを駆使したファンタジックで悪夢的な映像で綴ってゆく。らしいが、どうにもこの映画のエッセンスを理解出来ず、とてつもなく退屈な映画としか認識出来なかった。

一体この映画を観る人がいるのだろうか。だまされてグリム童話だと勘違いしたり、マット・デイモンが出ているからアクションで面白い映画だろうなんて勘違いしても、口コミや評判がこの映画をヒットさせる訳がない。これほどまでひどい映画も珍しい。それでも日本映画のひどさに比べたら、最後まで早回しさせないだけでも大したものだ。

子供の頃に童話というものを読んだ記憶が全くない。大人になっても本も読まない習慣は、こうやって小さい頃から培われていたのだろう。本を読まない人種はダメだという神話みたいなものがある。そう言われてしまえば、自分などは人間の屑の範疇にしか入れないことを自覚する。せいぜい息をして、周りの人達に迷惑を掛けるのが関の山の人生。生きているのも楽ではない。

『マイティ・ハート/愛と絆』(A Mighty Heart)

2007年・アメリカ 監督/マイケル・ウィンターボトム

出演/アンジェリーナ・ジョリー/ダン・ファターマン/アーチー・パンジャビ/イルファン・カーン/ウィル・パットン

2002年パキスタンで実際に起きた誘拐事件、テロリストを取材中のウォール・ストリート・ジャーナル紙の記者ダニエル・パールが、何者かに誘拐される。彼の妻であり同じジャーナリストであるマリアンヌは妊娠5カ月の身重ながら、現地での救出活動に全力を傾ける。隣国インドとは常に緊張状態にあり、またインドと共に核保有国のひとつであることが、世の中をややこしくしている。

パキスタン政府は、厳格な原理主義のターリバーンを発足から政権樹立まで強力に支援したが、ターリバーンがかくまうアルカーイダがアメリカ同時多発テロ事件を起こしたことから、さらに混乱社会が継続している。ジャーナリストは、そこに取材対象がいるなら危険は二の次、現場をそそくさと逃げてしまうほど柔ではない。集団で同じ情報源しかとることの出来ない日本のジャーナリストと称する偽物達は、この映画を観て何と言うのだろうか。携帯電話とパソコンを駆使して、犯人を特定して行くプロセスは、日本的なだらだらとした捜査活動には考えられないほどの、意志と方向性を持っていることに気付く。

ブラッド・ピットは製作者の一人として名を連ねている。アンジェリーナ・ジョリーが役者としての本領を発揮しているように見える。ドキュメンタリータッチのざらついた映像が、緊迫感を充分に生み出している。夜11時に観始まったが、明日まで引き延ばす気持になれず、ずるずると最後まで続けて観てしまった。パキスタン、カラチ、街の喧噪や猥雑さは、「輝ける青春」で観た1965年代と寸分違わずといった様相であった。車と人が渾然となって動いている映像に、あと100年経っても街は変わらないのではないかという思いがした。

『孫文-100年先を見た男-』(Road to Dawn)

2006年・中国 監督/デレク・チウ

出演/ウィンストン・チャオ/アンジェリカ・リー/ウー・ユエ/チャオ・チョン/ワン・ジエンチョン

中華民国の建国以前、孫文の辛亥革命までの道程を描く歴史ドラマ。逃亡先のマレーシア・ペナンにまで暗殺の手が伸びる中、革命家・孫文に尽くす女性や支援者とともに革命資金の調達に奔走する様を映し出す。(シネマトゥデイより)

映画よりも主人公の人となりを再認識した方が良さそうだ。 ~ 孫文(そんぶん、1866年11月12日 - 1925年3月12日)は、中国の政治家・革命家。初代中華民国臨時大総統。中国国民党総理。辛亥革命を起こし、「中国革命の父」、中華民国では国父(国家の父)と呼ばれる。また、中華人民共和国でも「近代革命先行者(近代革命の先人)」として近年「国父」と呼ばれる。海峡両岸で尊敬される数少ない人物である。中国では孫文よりも孫中山の名称が一般的であり、孫中山先生と呼ばれている。1935年から1948年まで発行されていた法幣(不換紙幣)で肖像に採用されていた。現在は100新台湾ドル紙幣に描かれている。(Wikipediaより)

映画はペナンだけが舞台で、何とかマレーシアに住む中国人の富裕層から活動資金を得、革命を蜂起すべく中国に行く船上の姿をとらえてエンドマークとなる。そして現実世界では、中国に戻った孫文は4月にも革命を失敗し、遂に1911年10月10日辛亥革命を成就したのである。名称は、革命が勃発した1911年の干支である「辛亥」(辛:しん:かのと)(亥:がい:い)に因む。欧米諸国の中国支配を背景としているこの時代の歴史を、あらためて勉強し直すと面白そうだ。

『SUPER8/スーパーエイト』(Super 8)

2011年・アメリカ 監督/J・J・エイブラムス

出演/ジョエル・コートニー/エル・ファニング/カイル・チャンドラー/ライリー・グリフィス/ライアン・リー

個人用の映画を製作する時に、昔は何と言っても8ミリ・フィルムがすべてであった。映画に趣味のない人にも、この8ミリという言葉は密かに楽しむ映画の代名詞のようになっていた。スーパー8mmフィルム(英語: Super 8 mm film)は、1965年(昭和40年)に発表された改良版商品で、コダック(Kodak)社が開発している。16コマ/毎秒が標準であったフィルム走行速度を18コマ/毎秒と早めた。さらに高級機種においては24コマ/毎秒という商業映画と同じ滑らかな動きの撮影・映写を可能とした。そのコダック社も今年2012年1月チャプター・イレブンと称される「連邦破産法第11章」の適用をニューヨークの裁判所に申請する時代となってしまった。静止画や動画を撮る機器の進歩は、想像を絶するように発展している。

公開時の宣伝でスピルバーグが監督をしているのだと勘違いしていた。観ている間もずーっとそのつもりでいた。イマイチ面白さが倍増してこない展開に、何か違うなぁと思っていたら、観賞後の調べでスピルバーグはプロデューサーとして参加しているだけだった。宣伝なら仕方がない、彼の名前を大々的に、しかも効果的に使うのが当たり前のことだから。

宇宙からやってきた生物は、誰しもその容姿に注目が行く。この映画ではなかなかその全貌を表さないという、伝統的テクニックに終始しているのが詰まらない。「E.T.」のようにその愛らしい姿を通して、心の繋がりを映像化しようとする映画だからうけるのだ。エイリアンのような、よくは見ることが出来ないが、醜いけれど優しい心を持っているのだよ、と言われても、何となく乗れない自分がいる。こういうSF映画は結構好きなジャンルなのに。

『GANTZ』(ガンツ)

2011年・日本 監督/佐藤信介

出演/二宮和也/松山ケンイチ/吉高由里子/本郷奏多/夏菜/千阪健介/白石隼也/水沢奈子/戸田菜穂/田口トモロヲ/山田孝之

『週刊ヤングジャンプ』に連載されている同名漫画を原作とするSFアクション映画。映画化に関してはアメリカ・ハリウッドを含めた、国内外の多くの映画会社・プロダクションが争奪戦を繰り広げていたが、日本テレビが映画化権を獲得した。女性客を中心に支持を集めており、ぴあ初日満足度ランキング(ぴあ映画生活調べ)でも第1位になっている。韓国では第14回富川国際ファンタスティック映画祭で、前編後編とも発売直後約2分で完売するという映画祭の最短時間での売り切れを記録している。2011年7月13日発売の前編DVD&Blu-rayは、発売初週にDVDが3.5万枚、BDが2.2万枚売り上げオリコン週間DVD、Blu-rayランキングで共に首位となる邦画作品としては初の2冠達成の快挙となった。

こういうデータを見ていると、この映画に何の興味を示さない自分が、普通ではないのかとさえ思えてくる。「子供騙し」の発想を漫画にして、それがうけるという構図は、日本のポップカルチャーの特徴。何故にこうも、日本だけに特徴的な漫画チックな、子供っぽい物語が、大人の世界でもうけるのだろうか。不思議でならない。ことあるごとに、そのことを考えているのだけれど、おそらくその大きな原因は「信仰心」に由来するのではなかろうか。生まれてすぐに何らかの洗礼を受けることの多い諸外国の人々、ただ可愛い可愛いと育てられる日本人との違いは、心の違いだろうという結論に達している。

荒唐無稽な考えを持った時、諸外国ならその信仰するところに従い、親がきちんと考え方を修正する。ところが日本では、何を考えたって何を夢想したって、それを邪悪なものとして拒否されることはない。しかも、個人と同じように社会も又然りである。そうやって甘やかされた日本人の考えは、表現となって現れる。それでも、誰も叱責しないし、ユニークなものだとしてもて囃す傾向すらある。そうして生まれた漫画文化には、何でもありの世界が横行し、その世界に逃げ込む人種が育ってしまう。夢のある漫画なら許されると言うことではなく、八百万の神を受け容れている日本国土には、これほどまでの漫画がはびこってしまう現実があることを、理解しなければならないということなのだろう。


『GANTZ PERFECT ANSWER』

2011年・日本 監督/佐藤信介

出演/二宮和也/松山ケンイチ/吉高由里子/夏菜/綾野剛/白石隼也/伊藤歩/田口トモロヲ/山田孝之/戸田菜穂/浅野和之

2部作の前作を思いっきりけなしておきながら、また見たのか、と言われるかもしれないと思った。結末が見たくて一応観た。でも、2倍速や3倍速、5倍速を駆使した。それでも結局眠りにおちて、結末を見ることは出来なかった。

子供騙しの発想と言うより、子供にも劣る発想と罵りたい。こんなものを後生大事にしている若者を嘆く。だって、ホントに幼稚過ぎるもの。

やっぱり見ていないじゃないかと言われれば、そう。努力はしたという実績を作っただけかもしれない。でも、まったく見ようとしないよりは、どれだけマシなことか。威張れないけど。

『サラエボの花』(Grbavica)

2006年・ボスニア・ヘルツェゴビナ・オーストリア・ドイツ・クロアチア 監督/ヤスミラ・ジュバニッチ

出演/ミリャナ・カラノビッチ/ルナ・ミヨビッチ/レオン・ルチェフ/ケナン・チャティチ

良く分からないこの地方の独立にまつわる歴史。すべて引用になってしまうが、お許し頂きたい。ボスニア・ヘルツェゴビナは、東ヨーロッパのバルカン半島北西部に位置する共和制国家、地域。首都はサラエヴォ。ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国(セルビア人共和国)のふたつの構成体からなる連邦国家である。ほぼ三角形の国土を持ち、国境のうち北側2辺をクロアチア、南側1辺をセルビア、モンテネグロと接する。ユーゴスラビアからの独立時、独立の可否や国のあり方をめぐってボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人がそれぞれ民族ごとに分かれてボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で戦った。(Wikipediaより)

ボスニア内戦から10数年の時を経たサラエボを舞台に、戦争の犠牲となった女性の再生と希望を描いた人間ドラマ。女性監督ヤスミラ・ジュバニッチがメガホンを取り、デビュー作にして06年度ベルリン国際映画祭でグランプリに輝いた。母娘2人でつましい生活を送るエスマと12歳のサラ。シャヒード(殉教者)と聞かされていた父親の死に疑問を持ち始めたサラは、真相を話そうとしないエスマに反感を募らせていき……。(映画.COMより)

日本に生まれてホントに良かったと思う。人間として生まれたのもラッキーなら、この日本に生を受けたこともラッキー、人種、宗教など生まれてくる子供には何の関係もないことが、人生そのものを左右する不思議さ。映画はメッセージを携えていることも多いけれど、深刻なメッセージほど映画を観る心を打ち砕く。贅沢な悩みなど、クソ喰らえと罵られても文句は言えない。

『バッド・エデュケーション』(La mala educacion)

2004年・スペイン 監督/ペドロ・アルモドバル

出演/ガエル・ガルシア・ベルナル/フェレ・マルティネス/ハビエル・カマラ/レオノール・ワトリング/ダニエル・ヒメネス・カチョ

かつてのフランコ政権下の抑圧的な神学校での少年二人の友情と初恋、神父による性的虐待、および現代の成人して再会した彼らの姿とが交錯して描かれる。かつて自らも保守的な神学校で少年時代を送った監督の半自伝的な作品と言われる。ニューヨーク映画批評家協会賞外国語映画賞受賞。第57回カンヌ国際映画祭特別招待作品。(Wikipediaより)

神学校における10才の可愛い坊やは、性的対象となるのだろう、ということは、他の映画でも観たような気がする。「ホモ」「おかま」、良く理解出来ない世界ではあるが、厳然と存在するところをみると、もしかしたら美しくも素晴らしい世界があるのかもしれないと勘違いしそうだ。この歳になって、急に宗旨替えすることもなかろうから、そんな世界のどれだけの素晴らしさも見たくも、味わいたくもないというのが本音。

昔神父だった人が、神父をやめ、結婚し、子供までいるのに、神父だった頃の男色を思い出し、いい歳になってからまた男に狂い出すなんてことが、気持ち悪いと思うのは正常だと思うのだが・・・。正常とか異常とかで推し量れないものがある世界だ、と言われれば素直に頷くのが筋というものだろう。摩訶不思議な世界は、せいぜい映画の世界だけで充分だ。

『ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~』

2009年(平成21年)・日本 監督/根岸吉太郎

出演/松たか子/浅野忠信/室井滋/伊武雅刀/光石研/山本未來/鈴木卓爾/小林麻子/信太昌之/広末涼子/妻夫木聡/堤真一

モントリオール世界映画祭で監督賞を受賞したというが、映画賞の基準が全く分からない。自分が「う~ん、詰まらない」と何度も叫んでしまう映画が賞をとるなんて、自分の映画を観る目がないという証明なのかと疑ってしまう。太宰 治を知らない人はいないだろうという映画製作姿勢があり、彼の作品だけではなく文学に通じない私のような者が観てはいけない映画かもしれない。

映画の中では、サクランボ(桜桃)を食べるシーンや「グッド・バイ」を連呼するシーンなど、彼の作品を読んだことのある人なら、充分に頷けるようなことを鏤めているのが気に食わない。下手くそな役者ばかりで、太宰 治に全部をおんぶされている映画としか見えない。松たか子は、なかなかいい。妻夫木聡は、表情の演技だけで反吐が出る。広末涼子は、自分で自分の演技に酔っている。堤真一は、テレビ演技の延長程度。ここまでけなせば、これから観る人に勇気を与えられるだろう。

主な作品、『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』をせめて読んでおかないと、それこそ人間失格になってしまうかもしれない。どうも自分には相応しくないことばかりで、自分が小さく見えてくる。でも仕方のないこと、人間が人間らしくなれるのは、自分の殻に閉じこもっているからなのだから。そういう意味では、太宰の世界は誰の心の中にもひそんでいる。

『バガー・ヴァンスの伝説』(The Legend of Bagger Vance)

2000年・アメリカ 監督/ロバート・レッドフォード

出演/ウィル・スミス/マット・デイモン/シャーリーズ・セロン/ジャック・レモン/J・マイケル・モンクリーフ/ブルース・マッギル

ロバート・レッドフォードは、1980年には初めて監督した映画『普通の人々』でアカデミー監督賞を受賞。ハリウッドで初めて「演技と製作の双方で地位を確立した映画人」の地位を確立した。翌1981年、ユタ州のパークシティに若手映画人の育成を目的としてサンダンス・インスティテュートを設立。優秀なインディペンデント映画とその製作者を世に送り出すためにサンダンス映画祭を開催。現在は出演、監督、製作の面から映画に携わっている。

監督作品として、ミラグロ/奇跡の地(The Milagro Beanfield War・1988年)、リバー・ランズ・スルー・イット(A River Runs Through It・1992年)、クイズ・ショウ(Quiz Show・1994年)、モンタナの風に抱かれて(The Horse Whisperer・1998年)などが有名。

ゴルフ映画はそんなにたくさんはない。今回は球聖と呼ばれ生涯アマチュアで通していながら、1930年、28歳のときに当時の世界4大タイトルの全米アマ、全英アマ、全米オープン及び全英オープンに優勝し年間グランドスラムを達成したボビー・ジョーンズが登場。またプロゴルファー:ウォルター・ヘーゲンは、メジャー大会の優勝回数は全米オープンが2度、全英オープンが4度、そして全米プロゴルフが4連覇を含む5度で、総計「11勝」を挙げた逸材。この二人と1日36ラウンド、2日間で72ラウンドの戦いを挑むのが映画内容。マット・デイモンのフォームが、ちょっとアマチュアから抜け出れないスイングで、ちょっと興醒めだけど、ストーリーはなかなか面白い。バガー・ヴァンスとはマット・デイモンのキャディーを務めるために急に現れた不思議な存在、主役はゴルファーではなく、このキャディーということになる。だから面白いのだろう。キャディーの重要性が分からない人でも、ちょっと見方が変わるかもしれない。あぁ~ぁ、もうゴルフ場に行くこともないのかなぁ。あれだけ投資した余暇だったのに。

『約三十の嘘』

2004年・日本 監督/大谷健太郎

出演/椎名桔平/中谷美紀/妻夫木聡/田辺誠一/伴杏里/徳井優/田中耕二

録画予約した時も、映画を観始まっても邦画だとは思っていなかった。しかも観始まってから約5分、まだ"既"鑑賞作品だと気付かないでいた。なんとまぁ~情けない記憶力なのだろう。テレビ画面で見慣れた顔が映画スクリーンに現れても、違和感こそあれ、俳優などという呼び方はとても出来ない面々だ。中谷美紀を除いては。

今回は早回しすることもなく、あっ観た奴だと感づいた瞬間に、鑑賞を止めてしまった。「ウェストサイド・ストーリー」を36回観たとか言う人が、往事にはいたものだが、この映画など2度目を観ることすら恥ずかしい。せめてテレビ映画特番くらいで我慢してくれていれば、嬉しい限り。

何故こうも日本映画はダメになってしまったのだろう。と、いつも考えているのだが、残念ながらそのヒントさえも分からない。ただ言えるのは、テレビの存在が、日本映画の場合はもっとも悪影響を与えていることは察し出来る。そのテレビ業界だって、ガラパゴス状態であることには変わりない。極々詰まらないバラエティー番組ばかり、新しいテレビ局が出来たって、通販と映画の番組ばかり。日本のテレビ局に「報道専門局」がひとつも無いというのも、日本に特殊なテレビ環境が育ってしまったという証拠に他ならない。

『クルーシブル』(The Crucible)

1996年・アメリカ 監督/ニコラス・ハイトナー

出演/ダニエル・デイ=ルイス/ウィノナ・ライダー/ジョアン・アレン/ポール・スコフィールド

アメリカ合衆国ニューイングランド地方のマサチューセッツ州セイラム村(現在のダンバース)で、1692年3月から行われたセイラム魔女裁判を題材としている。収束には1693年5月までかかっている。現代ならおぞましい事件として語られるに違いない。なにしろ、200名近い村人が魔女として告発され、19名が処刑され、1名が拷問中に圧死、5名が獄死した。無実の人々が次々と告発され、裁判にかけられたその経緯は、集団心理の暴走の例として著名であるという。

医師によって悪魔憑きと認定された時代背景がある。もちろん日本では考えられない、「悪魔」の存在認識にも大きく左右されている。「聖書」に書かれている「悪魔」を信じなければ、そもそも信仰心が無いなどと言われては、今の人達には到底理解出来ないことが起こっていた。1953年、作家アーサー・ミラーは当時の赤狩りとマッカーシズムに対しての批判を描くため、セイラム魔女裁判を題材とする戯曲『るつぼ』(The Crucible)を発表、上演された。これがこの映画の原作。

「るつぼ」と言われても、意味がきちんと分かっていない。辞書によれば~ 1.《「鋳(い)る壺」あるいは「炉壺」の意からか》中に物質を入れて加熱し、溶解・焙焼(ばいしょう)・高温処理などを行う耐熱製の容器。金属製・黒鉛製・粘土製などがある。2.熱狂的な興奮に沸いている状態。「会場が興奮の―と化す」3. 種々のものが混じり合っている状態や場所。「人種の―」~ この映画の後味の悪さは中途半端ではない。少女達の悪魔憑きの演技により、正式な裁判が行われ、有罪となり、処刑されるなど、キリスト教に対する不信感しかもたらさない。信者はこの話を聞き映画を観て、一体何を語ってくれるのだろうか。まぁ、どうせ自分とは最も遠い宗教世界の話だし、所詮信仰なんてそんなものだよ、と罵っていれば済むこと。

『左ききの拳銃』(The Left Handed Gun)

1958年・アメリカ 監督/アーサー・ペン

出演/ポール・ニューマン/リタ・ミラン/ジョン・デナー/ジェームズ・ベスト/ハード・ハットフィールド

ポール・ニューマンは、1952年にジェームズ・ディーンやマーロン・ブランドと共にアクターズ・スタジオに入学。1954年に『銀の盃』でスクリーンデビューを果たすものの、作品自体が映画評論家から失敗作の烙印を押されるという不本意なデビューとなった。ディーンとブランドがそれぞれ『エデンの東』『波止場』で世界的トップスターへと上り詰める一方でポールは満足のいく作品に出演できないでいた。

彼が33才で、しかも映画出演初期のもの。何度も書いてきたが、彼の演技?が好きではない。仲代達也と同じように。ちょっとオーバー過ぎる表情や仕草が、舞台劇を観ているようで好きになれないのだ。この西部劇だって、舞台を観ているような錯覚に陥るシーンがあった。ビリー・ザ・キッドとパット・ギャレットという西部劇の大スター二人の登場の割りには、物語は地味で面白みがない。

相手が銃を抜かなければ、こちらも銃を抜かないという不文律が西部の掟、巡回判事がやってきたりしてアメリカは建国から法律を重んじる国家だと良く分かる。ゼロから作り上げた国家だからこそ、短い歴史ながら世界に冠たる国家となれたのだろう。もちろん人種の多さも、その理由の一端であることは間違いない。

『決断の3時10分』(3:10 To Yuma)

1957年・アメリカ 監督/デルマー・デイビス

出演/グレン・フォード/バン・ヘフリン/フェリシア・ファー/レオラ・ダナ

題名から西部劇だとは分からない。原題は、3時10分発のユマ行き(アリゾナ州)列車という意味だ。強盗団の親玉を捕まえたまではいいが、仲間に奪われないために列車で都会まで護送しようという計画が。現代劇のサスペンスに通じる心理劇のようにも見える。題名と共に内容的にも毛色の変わった西部劇としては、見応えがある。

2007年、ラッセル・クロウとクリスチャン・ベール主演でリメークされたという情報を知った。今度の邦題は『3時10分、決断のとき』、まぁ逆さにしただけで同じようなもの。1度観てしまったら結末が分かってしまっているサスペンスには、それほどの魅力も感じられないと思うのだが、そうでもない人がたくさんいるのだろうか。

貧農にあげく主人公とギャング団の親玉との会話がみもの。両極端の人種を対峙させ、人間性の勝負をさせているように見える。正義が欲しいのか、お金が欲しいのか、心の通う人間的な行為が心地良い終わりを運んでくれる。

『歩いても 歩いても』

年・アメリカ 監督/是枝裕和

出演/阿部寛/夏川結衣/YOU/高橋和也/田中祥平/樹木希林/原田芳雄

京浜急行が走る路線の駅からバスで行く実家が舞台。バス停からは結構長い階段坂を登らなければならない。庭からは海が見える。開業医だった父は引退し、母と一緒に小言を言い合いながら毎日を送っている。男女男の3人兄弟だったが、長男は結婚してから海で他人を助けた身代わりのように亡くなってしまった。今日はその長男の命日、姉の家族と自分の家族が実家へとやって来る、1年に1度の帰宅。自分の家族は、子連れで再婚した妻と3人、父親からは亡くなった兄のことばかりを話題に出され、母親も同じように兄のことが結局忘れられない現実。

超リアリスティックに何処にでもありそうな家族を描く。是枝裕和は、原作・脚本・編集・監督をやっている。ある意味、一人の人間からのメッセージの一貫性が、ぶれない映像を創り出しているような気がする。なかなかいいと思う。いかにも日本映画的なシーンもあったりして、あぁ~、日本人だなぁ~、と思わせてくれる。夏川結衣という役者、いいですね。初めて行く夫の実家、1泊しなければいけない。その緊張感とどうして振る舞って良いのか分からない嫁という立場を、その気持分かるよ、と観客が声を掛けたくなるように演じている。

樹木希林は上手すぎて、ちょっと、と思うけど、下手な役者よりは遥かにいい。気まずい時間の空気感が何とも言えない。「歩いても・・・」、この題名の由来はどこからと考えたが分からなかった。見終わって暫くしてから、はたっ!と気が付いた。いしだあゆみの歌う「ブルーライト・ヨコハマ」の一節だ!と。劇中、母親の想いでのレコードをかけるシーンがあって、ここの一連のエピソードが笑えるのだが、そこからとったのだ。間違いなく。それにしても気付くのが遅かったと、自分なりに悔しいような。ドタ感だけで生きてきた人生なのに、そこのところまで無くなってしまっては!?#$。こういう物語には、高台の家、海が見えて、頑固な父親、出来のいい母親、兄弟、素直な子と変わった子、そんな登場人物がやっぱり不可欠なのだろう。

『西部開拓史』(How the West Was Won)

1962年・アメリカ 監督/ヘンリー・ハサウェイ

出演/キャロル・ベイカー/ジェームズ・スチュワート/ジョン・ウェイン/スペンサー・トレイシー/ヘンリー・フォンダ/グレゴリー・ペック

アメリカ西部開拓時代の1839年から1889年までの50年間を、ある開拓一家の視点から描いた叙事詩映画。1776年7月4日、「われわれは自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由および幸福の追求の含まれることを信じる。」という主旨のもと、アメリカ合衆国は独立を宣言した。

16世紀後半からイングランド、スコットランド、フランス、スウェーデン、スペインおよびオランダが北アメリカ大陸東部の植民地化を始めた。独立宣言をしたって、すぐに独立国に成れた訳ではない。植民地だと思っていたイギリスとの戦いは続いていた。国を分かつ南北戦争もあった。日本で言うなら明治維新の頃の前後時期辺りがこの映画の時代。先住民と称されるインディアンとの戦いもあった。広大なアメリカの、どの程度に先住民が暮らしていて、どの辺りを民衆は自由な選択で土地を獲得していったのだろうか。結構面白い歴史がある。独立宣言をしてから今年で236年、日本は皇紀2672年、歴史の重みは文化となって違いが生じるが、こと社会・経済・政治の類はゼロから作り上げたアメリカの方が、はるかに優っているだろう。

「最近観た映画」リストに入っていなかったのでまた観たという感じ。だが、どうしても最近観たばっかしという感が強く、今回はかなり早回しで観てしまった。興味ある歴史事項ではあるが、映画的には2度も3度も白紙から見られるほど素晴らしい出来ではないように感じた。

『イントゥ・ザ・ワイルド』(INTO THE WILD)

2007年・アメリカ 監督/ショーン・ペン

出演/エミール・ハーシュ/ハル・ホルブルック/キャサリン・キーナー/ウィリアム・ハート/マーシャ・ゲイ・ハーデン

強烈な映画だ。何が強烈かって?人間の生き様を直接的に問いかける映画だからだ。裕福な家庭で育って青年は何故、優秀な成績で大学を卒業してすぐに彷徨うような旅に出、家族とも社会とも断絶したアラスカの大地で過ごすようになったのか。2年後には24才の若さで、餓死状態で発見されるまでを描く。原作はジョン・クラカワーのノンフィクション小説『荒野へ』。

映画賞でも数多くのノミネートと受賞をしている。ショーン・ペンという俳優としては嫌いな役者だが、才能ある人物が監督としてもその才能をいかんなく発揮している。内容は、「人生とは?」という大命題なので、このタイトルでWEB検索すれば、多くの人がこの映画についてのコメントを寄せている。書かずにはいられないという衝動に襲われる映画だ。所詮「人生とは?」と考えてみたところで、答が見つかる訳でもなく、だからといって、何も考えずに生きている奴は馬鹿だ、と言われそうな命題でもある。若くしてそのどつぼにはまりこんでしまったら、抜け出すのは容易なことではない。「生きている」のではなく、「生かされているのだ」とは良く聞く言葉だが、それを体現できるほど、人生は簡単なものでもない。だから楽しいのだと思う。

「仕合わせは、その時間を誰かと共有して初めて現実となる」ようなことを、ノンフィクションの主人公は、映画の中で語りかける。自分にもこの類のことを深く考えることもあり、身につまされたり、バーチャル体験したりと、この映画の持つテーマをしっかりと受け止めてしまった。疲れた。明日になれば、さらりと忘れてしまうようなことでも、また同じような思考場面に出会った時、今考えているぼんやりとした思いが、もう少しクリアに見えてくるかもしれない。年齢的には、そんなことを考えている暇もないけれど、来世の自分にとっては必要不可欠な脳の皺を刻められればいいなと感じる。

『顔のない天使』(The Man Without a Face)

1993年・アメリカ 監督/メル・ギブソン

出演/メル・ギブソン/ニック・スタール/マーガレット・ウィットン/フェイ・マスターソン/ギャビー・ホフマン/ジェフリー・ルイス

『マッドマックス』(Mad Max・1979年)以来、メル・ギブソンはアクション・スターに思われがちだが、だいぶ前から心の有り様を描いた作品に出演したり、自ら監督した作品が結構ある。調べるまで、この映画で彼が主演だという確信が持てなかった。いつも通り何の情報も持たずに観始まった映画だが、顔の半分を自動車事故で火傷した姿だったので、声はそうだけど、ホントかな?と訝りながらの鑑賞となっていた。

三つ目の世界に生まれたら二つ目は異常者に見られるのに、ちょっと顔に火傷があるだけで、目をそらしてしまうのが現実。そういう現実を踏まえた上でのストーリーには、普遍的な何かがある。プロの歌手がもて囃されるのが、歌の上手さだけではなくその声の響きの良さが好まれるのと同じ、役者にも演技だけではなくその喋りの響きの心地良さが求められる。メル・ギブソンの喋りは、なかなか気分が良くなるものを持っていると感じている。

英語タイトルには「天使」という文字は全く無いが、日本人はこういうタイトルにしてしまうのが好きだ。内容と照らし合わせれば、決して嘘でもないし悪くはないが、敢えて原題を「顔のない男」とした製作者の意図を充分に汲み取ることも必要。ただ、心地良くて、人を惹き付けるからと言うだけで題名をいじってしまうのは、悪い癖でしかない。配給会社にいれば、至極当然の行為なのだけれど、冷静に考えればあまり好ましいことではないのかもしれない、と現役を引退して初めて分かること。

『私がウォシャウスキー』(V.I.Warshawski)

1991年・アメリカ 監督/ジェフ・カニュー

出演/キャスリーン・ターナー/ジェイ・O・サンダース/アンジェラ・ゴーサルス/チャールズ・ダーニング/ナンシー・ポール

映画のコメントは、以下「allcinema」からの引用で充分すぎる。~シカゴの街を舞台にタフな女探偵V・I・ウォーショースキー(原作邦訳名)の活躍を描く、サラ・パレツキーの人気小説を映画化。シリーズ第2作『レイクサイド・ストーリー』を基にはしているが、海運業の利権争いをめぐってのストーリーは映画用のオリジナル。主演のK・ターナーはウォーショースキー役には少しばかりトウが立っているような気がするが、それ以前の問題として、あまりにもTVムービー的な平坦な展開が興を殺ぐ。運河という舞台を活かしたボート・チェイスのシーンも迫力無し。

面白ければシリーズ化されてもおかしくない、女探偵というキャラクター。キャスリーン・ターナーはまだ37才なのに、貫禄充分で身体も少しブヨっている。いい女の部類なのだが、出演作品も意外と少なく不思議な感じがする。彼女が主演の『女と男の名誉』(Prizzi's Honor・1985)は、ヘラルド配給で、自分がこの邦題に関係していた記憶がある。

主人公の探偵が男相手に闘うシーンがあって、空手をやっているとは聞いていない、と言って彼女を拉致したヤクザの子分が嘆いていた。その時、彼女のセリフで「空手ではなく合気道よ!」と言っていたのだが、こんな細かいことを言っても違いが分からないだろうに、アメリカ人には。アメリカの合気道協会とタイアップでもしなければ、こんなセリフもなかったろうにと、詰まらないことを考えていた。スーパーマン的女探偵と言うほど強くはなく、意外と現実的な探偵では、映画的にも面白さが渋くなってしまっている。

『狼よ落日を斬れ』

1974年(昭和49年)・日本 監督/三隅研次

出演/高橋英樹/松坂慶子/緒形拳/近藤正臣/西郷輝彦/太地喜和子/田村高廣/辰巳柳太郎

太地喜和子という女優の雰囲気が好きだったのだが、この映画ではふっくらした顔がパンパンに張っていて少しびっくりした。女性の色香というのは、どこから来るのだろうか。大して変わらない顔から、実に不思議な雰囲気を感じることが出来るのも、人間の特技かもしれない。何とも言えない色気に、大人の女を感じていたような気がする。1992年、49才で亡くなっている。

この映画は正直言って詰まらない。眠ってしまったこともあるが、一番興味深い幕末から明治維新の話なのに、焦点ボケした映像とストーリーが続くだけで、かなり飽きが来てしまった。三隅研次監督は、この作品が最後の監督作品みたいなのだが、そういうことが影響しているのかどうかは分からない。

高橋英樹は今も変わらない顔で凄い。ただこの頃は、イモ侍に見える。ということは、役者としてはまだまだだったのだろう。往年の映画スターが出演していて懐かしい、というだけの映画になってしまっている。

『インベージョン』(The Invasion)

2007年・アメリカ 監督/オリヴァー・ヒルシュビーゲル

出演/ニコール・キッドマン/ダニエル・クレイグ/ジェレミー・ノーサム/ジャクソン・ボンド/ジェフリー・ライト/ヴェロニカ・カートライト

ジャック・フィニイのSF小説『盗まれた街』(The Body Snatchers (Invasion of the Body Snatchers) ・1955年)の4度目の映画化作品であるという。これまでの題名は、『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(Invasion of the Body Snatchers・1956年)、『SF/ボディ・スナッチャー』(Invasion of the Body Snatchers・1978年)、『ボディ・スナッチャーズ』(Body Snatchers・1993年)。

原題 [ Invasion ] は「侵略」(浸入)という意味だが、[ Snatcher ] とは「ひったくり」ということらしい。宇宙からの侵入者といってもこの原作では、細菌や細胞という姿の宇宙人が、地球上の人間の中に入り込んで、身体を借りて侵略するという物語。1955年頃の現実なら、SFとしても受け容れられたのだろうが、今それを映像で再現すると、どうみても三流映画としか見えない。

彼女がニコール・キッドマンか?と再確認。どうも彼女の顔を覚えられない。スクリーンでは映える顔であることは確かだが、美人だからといっても、印象深い女性もいれば、ただ美しいだけね、とさらりとかわしてしまう女性も存在する。

『砂時計』

2008年(平成20年)・日本 監督/佐藤信介

出演/松下奈緒/夏帆/井坂俊哉/池松壮亮/塚田健太/岡本杏理/伴杏里/戸田菜穂/風間トオル/高杉瑞穂/藤村志保

これまた携帯小説が原作かと思った。実際には少女漫画が原作らしい。何故かストーリーの軽さを感じるのは、一体どういう訳なのだろうかと、訝りながら映画を見続けていた。大昔『地獄の黙示録』を見た時に、「映像の厚み」を感じたことがあって、同じ映像でも何かが違うと言うことを実感していた経緯がある。

成人した役を松下奈緒が演じ、夏帆が中学生と高校生時代を演じているのだが、よく似ていて違和感がないのがいい。特に成人してからのフラッシュバック的演出は、こういう配役で生かされている。若い人の関心事のナンバーワンは、どうしても異性問題。ホントに愛してるの?あの人のことが好きなんでしょう?とか、不安定な若者心理状態が、時を超えて同じ年代に訴えている。どれだけ経験しても、また同じような心理状態を経験しなければならないのも、また人間の性。

ストーリーは軽いが、なかなか面白い。ただ、二人のことが中心になり過ぎている嫌いがあり、話の進展がイマイチ。と、思えてしまうところが軽いのかもしれない。ほろ苦い青春時代を思い出して、心の中で苦笑いしている。

『希望のちから』(Living Proof)

2008年・アメリカ 監督/ダン・アイアランド

出演/ハリー・コニック・Jr./ポーラ・ケイル/アンジー・ハーモン/エイミー・マディガン

乳がんになって細胞の検査結果が出るとホルモン感受性は、陽性、陰性?HER2(ハーツー)は、陽性、陰性?というふうに判別され、その後の治療計画が立てられる。従来は手だてが少なかった、HER2をねらい撃ちした治療法(分子標的療法)が開発されて乳がん治療が大きく変わった。日本でも2001年に認可された。という記述を見つけ、この映画の主人公が開発した実際の薬の存在を確認した。

あのアメリカでもガンの治療薬開発は、負担が大きすぎて製薬会社も二の足を踏んでいた。しかも薬として認可されるまでには、考えられないほどの年月と、数層にわたる臨床試験ををクリアしなければならないことが、映画の中で何度も何度も語られる。最後の頃のセリフには、ここまで12年間、何のために研究してきたのかと、嘆く主人公の姿が。

ガンを宣告された患者の落胆の仕方は並みたいていではない。それよりも落胆した姿は、臨床試験の第一段階を経験したのに、データ基準に合わないから第二段階に進めないと医者から言われた患者。例え臨床試験でも、為す術のない患者には一筋の救いであることが良く分かる。いっこうに開発されないガン治療薬。ガンから救われる時が、地球上にやって来るのだろうか。私には必要ないことだが。

『恋空』

2007年(平成19年)・日本 監督/今井夏木

出演/新垣結衣/三浦春馬/小出恵介/香里奈/麻生祐未/高橋ジョージ/浅野ゆう子/臼田あさ美/中村蒼/波瑠/深田あき/山本龍二

1982年のアメリカ高校生の青春映画を観たばかりだったが、今度は平成の日本高校生の青春映画だ。今をときめく新垣結衣と三浦春馬が主演の映画、どんな感じに出来上がっているのだろうか、と素直な観客ではない見方がいやらしい。三浦春馬が茨城県出身だということを知っているので、何となく贔屓目でみている老人がいる。別に何処の出身だって関係ないだろうに、でもそうはいかず、やっぱり少しでも共通点を見つけると、そうなってしまうのは庶民の生き方。

青春映画はどこの国の映画だって楽しくできている。この映画は、中高生から圧倒的な支持を獲得し、出版後わずか1カ月で100万部を突破したケータイ小説を映画化したものだという。なるほどと頷ける軽さが確かにある。歯の浮いたようなセリフが多いのも、今の若者には新鮮に映るのかもしれない。多少早回しをしてしまったが、一応最後まで見届けた。小出恵介が出て来た時には、何!この下手な表情は!と思っていたら、何!この下手なセリフは!と、今風人気者の実力の無さを知ってしまった。

盛り上がってこれで終わるかな、と思っていたら、その後2回も話を延ばされたような印象。日本映画の伝統を踏まえ、なかなか終われない映画になってしまっているのが、さらに惜しい。原作を読んでいたり、内容を既に知っていた方が映画を観やすいのではないかと思える、不思議なストーリー展開。それと、痒いところにどれだけ手を届けてくれるのだろう、と現代若者の甘やかされて育てられた様子が、映画製作にも反映されている。もう、一から百まで映画の中で語り尽くされて、余韻が何も残らなくなってしまっているのが、さらにさらに残念。

『初体験/リッジモント・ハイ』(Fast Times At Ridgemont High)

1982年・アメリカ 監督/エイミー・ヘッカーリング

出演/ショーン・ペン/ジェニファー・ジェイソン・リー/フィービー・ケイツ/ジャッジ・ラインホルド/ロバート・ロマナス/ブライアン・バッカー

アメリカの高校生達の恋と青春を描いた青春映画。2005年にはアメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録された。とあるが、そんな大したものであるとは思えない内容。軽チャー映画の典型のようだが、1980年代初めのアメリカの高校生とは、こんなことに憧れていたのかという面白さがあった。後に有名になる俳優達が多く出演している。当時、人気絶頂のアイドル女優だったフィービー・ケイツが水着を外してトップレスになるシーンが話題となる。このシーンは寝ていて見ていない。彼女は、1980年代に世界中でブルック・シールズと人気を二分する程の活躍をしたアイドル女優。日本においても、CM等に出演して活躍した。

1982年といえば、ちょうど三女が生まれた年、あれからもう30年も経ったのだと感慨が深い。こちらだって人生の絶頂期、宣伝部長になったのがこの2年後だったので、こと年代当たりが一番自由で毎日が楽しかった頃だったような気がする。

この中では、ショーン・ペンが一番出世か。前の年に映画デビューしているが、その後の活躍は目覚ましい。どうも顔が好きになれなくて、この映画で一番嫌いな雰囲気を観た。ニコラス・ケイジも本名ニコラス・コッポラでクレジットされている。ヴィンセント・スキャヴェリは、『アマデウス』(Amadeus・1984年)で。エリック・ストルツは、『マスク』(Mask・1984年)に。フォレスト・ウィテカーは、『バード』(Bird・1988年)で成長した顔を見ることが出来る。

『愛されるために、ここにいる』(Je ne suis pas la pour etre aime)

2005年・フランス 監督/ステファヌ・ブリゼ

出演/パトリック・シェネ/アンヌ・コンシニ/ジョルジュ・ウィルソン/リオネル・アベランスキ/シリル・クトン

フランス語がまったく分からないので、原題をGoogle翻訳機にかけてみた。訳文は、「私は愛されないようにしています」と出た。なるほど、そう言うことだったのかと、納得したようで、やっぱり納得出来ていない。機械翻訳は訳の分からない日本語を表示することが多く、こんな短文なら正しいだろうと思ったけれど、それでも信用出来ない、意味の通じない表現で困る。

初老、一応50才くらいの独身男性が主人公。妻はいたようだが、今は顔も見たくない状況らしい。息子は嫌々ながら祖父が立ち上げ父親が後を引き継いだ「執行官事務所」(役所からの督促状などを届ける仕事で強制執行も代行する一般的には嫌な仕事)で働くようになる。事務所の向かいには「タンゴ」のダンス教室があり、事務所の窓からも見える。主人公の父親は老人ホーム暮らし、毎週末に会いに行くが小言ばかりを聞かされフラストレーションがたまる。意を決して始めたダンス教室通い、そこで思いもかけず出逢った一人の女性。歳は40歳前後だろうか、結婚式も決まっているというのに、人知れず心の中では踏み切れない自分がいた。

フランス映画らしい穏やかな流れが気持ちいい。日本映画のようなつまらないシーンの連続や、長回しがある訳でもない。もう一人の主人公の女性がいい。表情だけで、喜び哀しみを、大袈裟にならず表現している。一緒にいると安堵感があるという表情が、ひしひしと伝わってくる。こんな初老の男を、そんな風に見つめられる女性心理が理解出来なかったが、映画の中の女性の心は嘘ではないように映る。あぁ~あ、こんな題名のセリフを吐いてみたい!

『地上より永遠に』(ここより とわに、From Here to Eternity)

1953年・アメリカ 監督/フレッド・ジンネマン

出演/バート・ランカスター/モンゴメリー・クリフト/デボラ・カー/フランク・シナトラ

時は1941年夏、ハワイの軍隊での話。映画の最後に日本軍の真珠湾攻撃があり、それが話の終わりを告げる別れも待っている。アカデミー賞最優秀作品賞、監督賞、助演男優賞、助演女優賞、脚本賞、撮影賞、録音賞、編集賞の8部門を獲得している。

この監督は映画賞には深く縁があるらしく、『山河遥かなり 』、『真昼の決闘』、『尼僧物語』、『サンダウナーズ』、『わが命つきるとも』、『ジュリア』、『ジャッカルの日』などで、アカデミー賞だけでなくゴールデングローブ賞、ニューヨーク映画批評家協会賞にノミネートされたり、受賞したりしている。フランク・シナトラはこの時38才、後の大御所もまだ若造、時の流れが見えるようで興味深い。

アメリカの軍隊にもイジメがあったんだと見せてくれる珍しい映画。日本映画の軍隊生活のように、ビンタの場面などは一切ないのがアメリカ映画。どうやっていじめるかというと、いちゃもんをつけて訓練と称するハードワークをさせるだけ。暴力行為は厳しく制限されている社会が見える。アメリカ側から見た真珠湾攻撃がおもしろい。1941年12月7日ハワイ現地時間朝8時少し前、いつものように朝食をとっていた軍人達が、突然の爆音に驚くシーンが映し出された。日本軍が突然攻撃してくるのを、当時のアメリカ軍人達はどの程度「突然」と思っていたのだろうか。

『スイミング・プール』(Swimming Pool)

2003年・イギリス/フランス 監督/フランソワ・オゾン

出演/シャーロット・ランプリング/リュディヴィーヌ・サニエ/チャールズ・ダンス/ジャン=マリー・ラムール

シャーロット・ランプリングは、1973年にヘラルドが配給した『愛の嵐』(Il Portiere di notte[イタリア語],The Night Porter)で、倒錯した愛とエロスを見せた。内容をまったく覚えていないのだけれど、小難しい映画でエロティックだった雰囲気だけ覚えている。その時彼女は27才、この映画での実年齢は57才、30年後にも全裸になって、当時の雰囲気を持ちながら歩んできているのは凄い。

イギリス人の持つフランスの別荘にあるプールが題名の由来、主人公はミステリー、刑事物を得意とする売れっ子女流作家、彼女の身にミステリーな事件が降りかかるという、アメリカ映画ではない情緒ある映画だ、とでも言っておこう。女流作家という言い方はあるが、男流作家という言葉を聞いたことがない。

茨城県の片田舎育ちの私たちの世代に、小学校・中学校ともまだプールは出来ていなかった。夏になれば、すぐ近くを流れる小野川という霞ヶ浦に繋がっている川で、毎日のように泳いでいた。橋の下は上級者用、川の決められた場所では、小さい子ども達も泳いでいた。川底は泥も交じったりして、今では考えられない非衛生的な場所だった。足に傷が残っているのは、その時たぶん竹の切り株で傷つけた名残だ。思い出すたびにぞっとする傷だが、50年以上前の風景を今でも蘇らせることが出来る。懐かしく、故郷の香りがする風景だ。

『グランド・ホテル』(Grand Hotel)

1932年・アメリカ 監督/エドマンド・グールディング

出演/グレタ・ガルボ/ジョン・バリモア/ジョーン・クロフォード/ウォーレス・ビアリー/ライオネル・バリモア

「また人が集まり、また人が去ってゆく。ただそれだけのこと。」というセリフが冒頭にある。場所はドイツのベルリン、超高級ホテル「グランド・ホテル」に集う人間模様。映画会社にいて良かったことのひとつは、海外出張の際は一流ホテルに宿泊出来たこと。当時1本100万ドル~400万ドルもする映画を買いに来た人が、それこそ2流や3流ホテルに泊まっていては、売り手から信用されないという単純な理由によるもの。と、聞かされていたが本当かな?とまれ、若造でも良い思いが出来たことは確か。ロンドンの『ドチェスター・ホテル』という超一流ホテルが、一番記憶に残っている。

MGMのオールスター・キャストとして作られたこの作品は、ヴィッキイ・バウムの小説から作られた舞台劇を基にして、ウィリアム・ドレイクがアメリカ的な舞台劇にアレンジしたものが土台になっている。さまざまな人物が1つの舞台に集いあい、それぞれの人生模様が同時進行で繰り広げられていくという、当時としては斬新なストーリー展開(グランド・ホテル形式)が大ヒットを呼び、第5回アカデミー賞の最優秀作品賞受賞作となった。本作品の大ヒットを受けて、同様の手法を用いた映画作品がホテル・空港・港から駅、災害や海難事故に至るまで、さまざまなモチーフを元に製作されるようになり、本作品はいわばグランド・ホテル形式の元祖と呼べる存在となった。またこの映画のキャスティングと出演者の実際の末路が非常に似ており、奇なる映画としての拍車もかけている。(Wikipediaより)

病気のためにもう寿命は短いと知り、一生の思い出作りにとこのホテルに泊まりに来た老人がいた。自暴自棄になっている彼に声を掛ける自称「男爵」の盗人。人気ものだったがいまは落ち目の美人バレリーナ。会社が危機に瀕し、合併工作を図っている最中の大企業の社長。社長に雇われた美人速記タイピスト。と登場人物が勢揃いしたところで眠りにおちた。目覚めた時には盗人が社長に部屋で殺され、人生を諦めていた老人はギャンブルで一攫千金をものにし、タイピストと一緒にチェックアウトしてパリへ、バレリーナはひとときの盗人との恋に想いを残しながら、次の公演地ウイーンへ。社長は手錠をかけられ、警察官に連れられてゆく。そしてまた、新しい客がホテルにチェックインしてくる。

『ジェームズ・キャメロンのタイタニックの秘密』(Ghosts of the Abyss)

2003年・アメリカ 監督/ジェームズ・キャメロン

出演/ビル・パクストン/ジェームズ・キャメロン

今から100年前、1912年4月10日に、当時世界最大の豪華客船タイタニックはイギリスのサウサンプトン港にある専用の埠頭であるオーシャンドックからニューヨークへとむけた処女航海に出航した。乗員乗客合わせて2,200人以上を乗せており、一等特別室は、6日の航海の費用4,350ドルと伝えられている。そして4月14日深夜に氷山に接触し、翌未明にかけて沈没した。犠牲者数は乗員乗客合わせて1,500人以上、当時世界最悪の海難事故であった。

『タイタニック』でアカデミー賞・オスカーを受賞した後に、ディズニー初の3D映画として撮影されたドキュメンタリー映画。北大西洋に眠る、89年間誰も目にしたことのなかった伝説のタイタニック号の内外をくまなく探査し、3D撮影している。『アビス』の時に映画の中で活躍した潜水艇やリモコン操作による無人探査機とほとんど同じような機械が、本物の深海3,650mで本物のタイタニックを探査している映像は、かなり興味深い。 監督自ら潜水艇に乗り深海に繰り出す。どれだけ映画で儲けたか知らないが、こうやって自分の夢を実現出来るのは凄いことだ。羨ましい。深海に眠る今のタイタニックに、その当時の映像や映画の映像を重なり合わせ、この歴史的な船が、他のどの難破船よりも好奇心を刺激し人々を魅了する理由について語ってゆく。

アビスの時に言い忘れたが、ジェームズ・キャメロン監督は、『ニューヨーク1997』(Escape from New York・1981年)という映画の特殊効果撮影監督だったことが分かった。くそー!このニューヨーク1997には苦い苦~い思い出がある。ヘラルド配給で、目一杯宣伝費(当時3億円くらい)を使い勝負した作品だったが、結果は悲惨、めちゃコケしたことがあった。恨み骨髄の映画だったので、今こうやってその思いを吐き出さずにはいられない。

『アビス/完全版』(THE ABYSS: SPECIAL EDITION)

1993年・アメリカ 監督/ジェームズ・キャメロン

出演/エド・ハリス/メアリー・エリザベス・マストラントニオ/マイケル・ビーン/キャプテン・キッド・ブリューワー・Jr/レオ・バーメスター/トッド・グラフ

1989年に製作された最初のバージョンより30分も長い。何と言ってもこの監督が、大ヒットメーカーであることが特筆される。ターミネーター(The Terminator・1984年・監督、脚本)、エイリアン2(Aliens・1986年・監督、脚本)、タイタニック(Titanic・1997年・監督、脚本、製作、編集)、アバター(Avatar・2009年・監督、脚本、製作、編集)。世界中で大ヒットしているのが凄い、記録を塗り替えている。

この映画は、海底油田の発掘基地近くの海域で、原子力潜水艦が行方不明となる。という設定のもと、深海6000mで繰り広げられる、海洋アドベンチャーとでも言ったらいいだろうか。宇宙人も重要なファクターになっており、現実とSFがうまく噛み合っている。観客を楽しませる凄技を持っている。原題:アビス(ABYSS)は、深海という意味。

映画の製作には興味深いものがあったりする。以下Wikipediaよりの引用。エド・ハリス演じるバッドが激怒して結婚指輪をトイレに捨て、思い直して拾い上げる場面がある。後の場面で大変重要な役割を演じる事になるのだがそこは拘りの強いキャメロン監督のこと、この指輪についても「リンジーから贈られた高級チタン製の指輪」と設定がされていた。映画でとり上げられた事によりチタンやタングステンで指輪を製作していたアーネル社に多数照会が寄せられ「アビス・レプリカ」仕様の指輪を発売した。劇中、ネズミが特殊な液体に沈められるシーンがある。これは実際に酸素を含む特殊な液体を用意し、撮影された。複数のネズミが用意されたが、すべて生き残り、撮影後にスタッフのペットとなった。舞台となる海には一切の魚が登場しない。

『NOEL ノエル』(Noel)

2004年・アメリカ 監督/チャズ・パルミンテリ

出演/スーザン・サランドン/ペネロペ・クルス/ポール・ウォーカー/アラン・アーキン/マーカス・トーマス/チャズ・パルミンテリ

この欄を書き始まってから1回観たと思っていたが、記載がなく、良さげな感覚もあったので、あらためて観た。やっぱり観ていた、珍しく多くのシーンの記憶が甦る。実は1度だけ、この欄を倉庫に持って行く過程で、何かの作品を消してしまったことがあった。この作品がそれだったのかもしれない。

アメリカではクリスマスを一人で過ごすのは、もの凄く寂しいことらしい。日本だって多少ではあるが、気持ちは分かる。さしずめ日本なら、正月を一人で過ごすようなものか。そんな環境にいる人にスポットをあて、何組かの人達を登場させている。ペネロペ・クルスは、どの映画でもその艶っぽい姿態が武器なような描かれ方をしている。ロビン・ウィリアムスは、それなりの登場時間があるのにもかかわらず、クレジットにないのはどういう理由からなのだろうか。

たくさんの人に囲まれて生活していれば、こういう映画を観ても、特別な感情が湧き上がってくることはないであろう。自分のように一人の時間が多く、寂しさやもの哀しさをそれなり毎日のように味わっている人間には、身につまされる映像ばっかりで、観ていてどんどん心が沈んで行くのが分かる。寂しいなぁ~。

『アルカトラズからの脱出』(Escape From Alcatraz)

1979年・アメリカ 監督/ドン・シーゲル

出演/ロバーツ・ブロッサム/クリント・イーストウッド/パトリック・マッグーハン/フレッド・ウォード

サンフランシスコを一人でぶらぶらしたことがあるが、1963年で連邦刑務所の役目を終え国立レクリエーション地域となっていた、このアルカトラズ島へは行かずしまいだった。フィッシャーマンズワーフというベイエリア商業地区からフェリーが出ている。このあたりで揚げたての魚のフライなどつまんだ記憶はあるが、何故行かなかったのか覚えていない。旅はいつも一人旅、この時はロスの映画祭の最中に確か3日間くらい抜け出して、義妹の住むモデストとサンフランシスコを往復したような気がする。

この「モデスト」という町は、サンフランシスコから東へ150km車で2時間、ヨセミテ国立公園はさらに東へ100kmの位置にある。『スター・ウォーズ』の監督で有名なジョージ・ルーカスの生まれた町として、アメリカでは知られている。かつて日本から移民が渡った地「フレズノ」にも近く、日本人が割合多く住む地域。あの当時は黒人も少なく、日本人には住みやすい地域だと聞かされた記憶がある。

刑務所を脱獄する映画は、昔はひとつの大きな映画題材だったが、今の刑務所施設・設備からすると非現実的なものになってしまったのだろうか、とんと見かけなくなった種類の映画だ。仕掛けやアクションなど、映画の重要な要素は、この当時の技術では、今の時代に通用しないだろう。アナログ的面白さはあるが、気の遠くなるようなCGばかりの映画を見慣れてしまうと、ちょっと懐かしさ全面の映画に見えてしまうのが残念。クリント・イーストウッドは49才、今の風情と変わらない雰囲気になっている。

『家族』

1970年(昭和45年)・日本 監督/山田洋次

出演/倍賞千恵子/井川比佐志/木下剛志/瀬尾千亜紀/笠智衆/前田吟

昭和45年当時、長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡伊王(島)町から北海道標津(しべつ)郡中標津町へ移住する家族の話。故あって昔から「にしそのぎ」は読むことが出来る。何と言っても昭和45年は大学を卒業して、社会人になった年。忘れることの出来ない年だ。

長崎から列車に乗って夫の弟の住む広島県福山市で途中下車、その後は万博真っ最中の大阪へ。太陽の塔の見える入場門前まで行く。映画全編、エキストラではない映像が、見事にこの時代を甦らせてくれる。大阪から東京まではまだ目新しい新幹線、そこから東北線で青森へ、青函連絡船で北海道へ行きまた列車の旅という、気の遠くなるような家族の旅を通して、昭和45年という時代背景を色濃く映しながらの物語になっている。3月31日には「よど号ハイジャック事件」が起こっている。騒然とした世の中がずーっと続いていた。全学連だ、デモだと毎日のように騒がしかったが、妙に勢いのある時代だった。

キャストの字幕は、民子:倍賞千恵子、その夫:井川比佐志と表示されているので、倍賞千恵子が主演なのだろう。時代を映すミニスカート姿が懐かしい。同じミニスカートでも今とはどこか感じが違う。旅の途中で娘を、旅の終わりに夫の父をなくすのだが、葬儀はキリスト教。当時の伊王町は、自治体人口に占めるカトリック教徒の比率が、日本で最も高かったという事実があった。もう42年も前のこと、過ぎてしまえば短いことだが、ひとりの人間の人生にとっては、振り返ればなが~い時間だった、先のことを考えるまでもなく。

『モンゴル』(Mongol)

2007年・ドイツ/カザフスタン/ロシア/モンゴル 監督/セルゲイ・ボドロフ

出演/浅野忠信/スン・ホンレイ/ホラン・チョローン

モンゴル帝国の創始者であるチンギス・ハーンの生涯のなかで、少年時代から数々の苦難を克服しモンゴル草原の支配者となるまでの日々を描く。予想通りというよりは、チンギス・ハーンとして君臨する前の話なので、地味な感じがして、ちょっと期待通りではなかった。面白くないという訳ではないが、おもしろい?と問われれば、まぁまぁ、と答えてしまうかもしれない。

浅野忠信をトーク番組で見て以来、密かに好きになっている。それまでは、どちらかというと嫌いか存在を確認していない状態だったが、テレビの番組もこんな風に一人の俳優に、良い影響もあるのだと改めて思う。日本人一人で外国映画の中で役者を演じるのは、大変だったろう。浅野忠信の母親がハーフ、その父親がアメリカ人だったが、そのアメリカ人はノルウェイとオランダからのアメリカ移民者の子供だったという。彼の顔を見ても分からない、そんな血が入っていることが面白い。

実在の人物で、「チンギス・カン」「チンギス・ハン」「チンギス・ハーン」と呼ばれる、モンゴル帝国の初代皇帝(在位:1206年 - 1227年)。日本には、衣川の戦いで自害したという源義経(1159年-1189年6月15日)と同一人物であるという伝説めいたものがあるが、源義経=チンギス・ハーン説は否定され、学説では問題にされていないという。

『ワン・モア・タイム』(Chances Are)

1989年・アメリカ 監督/エミール・アルドリーノ

出演/シビル・シェパード/ロバート・ダウニー・Jr./ライアン・オニール/メアリー・スチュアート・マスターソン

エクスカリバー(Excalibur・1981年)という映画を観始まったのだが、30分過ぎても物語の進展がおもわしくなく、好きなジャンルのはずなのに録画を消してしまった。その直後の映画だったこともあり、軽すぎる感は否めない感覚。ライト・コメディ。

仕合わせの絶頂にいた夫婦、初めての子供が出来たことを喜んでいるときに、夫は目の前で交通事故にあって死んでしまった。ここは天国、分かり易くいろいろな職業の服を着た人達が順番待ちをしている。また元通りになりたいと願う主人公、それではとどこかの誰かの子供として生まれ変わった。天国での手違いがあり、前世の記憶を消す注射をしそこねてしまった。そんな出だしから、20数年後に記憶は元夫がその時の妻に出会い、あの時の子供に会うことになる。そんな軽いテーマが映画全体の流れ。

人間が生まれ変わるなんてことがあるのだろうか。誰にも分からないからこそ、永遠のテーマとして多くの物語が語り継がれている。何が科学的と言うのか良く分からないまでも、生まれ変わるなどということは非科学的な夢物語だろう。人間の肉体がなくなれば、そこに存在した魂も同じように消滅する。新しい生命が何かの生まれ変わりだなどと考えるのは、眉唾どころか人間の生命をも愚弄する戯言でしかない。それでも人間は、そんなことがあってもいいよな、とか、そんなことがあったらいいな、とかの感情を、現実世界の端っこに置いておきたいのだろう。

『RONIN』(Ronin)

19998年・アメリカ 監督/ ジョン・フランケンハイマー

出演/ロバート・デ・ニーロ/ジャン・レノ/ステラン・スカルスゲールド/ショーン・ビーン/ジョナサン・プライス/ナターシャ・マケルホーン

日本の侍が落ちて「浪人」と呼ばれた、といったキャプションが映画の始めに流れ、この原題は日本語からとったものだと説明している。各国の諜報機関をリストラされた5人の元スパイが、パリに集められた。雇い主も目的も謎のまま、ニースのホテルにいるターゲットから銀色のケースを盗み出すのが、彼らの仕事だ。というストーリーを、こんな題名で表したかったようだ。

劇中、日本の街並みミニチュアを趣味とする人物が登場し、忠臣蔵の話まで披露する。仇は討ったけど、最後は名誉を重んじるために切腹したとまで、セリフが語っている。映画の内容と直接関係がある訳ではなく、まぁ単に映画のダシに日本の武家時代の話が持ち出されただけのようだが。

話は面白いし、カーアクションも凄いといえば凄い。ただ映画のカーアクションは、作られた人工的なアクションでしかなく、今更そんなものを見たところで、新たな驚きや感動的なものは全く湧き起こらない。映画はやっぱり時代を映すものだということを強く感じる。

『第十七捕虜収容所』(Stalag 17)

1953年・アメリカ 監督/ビリー・ワイルダー

出演/ウィリアム・ホールデン/ドン・テイラー/ロバート・ストラウス/オットー・プレミンジャー/ピーター・グレイブス

この作品で主演のウィリアム・ホールデンは、オスカー俳優の仲間入りを果たし、その後も目覚ましい活躍を遂げる。しかし、1981年不慮の事故でこの世を去った悲劇の俳優である。名前はかなり有名であるが、この作品という映画を覚えていないのが情けない。作品名をあげられれば、あぁこれね、と何度も頷くくらい観ているのかもしれない。

映画の始めに、多くの戦争映画が作られているが、捕虜収容所を描いたものはないので、この映画を作った旨のメッセージが流れた。スティーブ・マックイーン主演で大ヒットした『大脱走』(The Great Escape)は、この映画の10年後1963年に製作されている。両作品ともアカデミー賞受賞作品である。

テレビ映画シリーズ『スパイ大作戦』のリーダー、ピーター・グレイブスが目立った役どころで出演していて、なんか懐かしさ一杯だった。ついつい観ずにはいられない、といった感じで時間が過ぎて行き、やっぱり映画っていいなぁと思わせてくれる。アメリカ人の入る捕虜収容所の何と自由なことか。手に入らないものなどないが如く、すべての物資で溢れている風情には、いつも驚かされる。日本の戦争映画で映し出される営舎内部、いつだってイジメやビンタばかりの可哀想な姿とは、正反対の人間模様。本質的に何かが違うのだろう。

『スミス都へ行く』(Mr. Smith Goes to Washington)

1939年・アメリカ 監督/フランク・キャプラ

出演/ジェームズ・スチュワート/クロード・レインズ/ガイ・キビー/ユージン・パレット/ボーラ・ボンディ/H・B・ワーナー/ポーター・ホール

ジェームズ・ステュアート31才の時の作品。いい男ぶりを発揮するにはまだちょっと若い感じのする頃。もちろん面影一杯ではあるが、大人の男の色気が、まだ出ていない時、その後の彼の素晴らしき映画人生を、誰が予想出来ただろうか。

『フィラデルフィア物語』(The Philadelphia Story・1940年)、『素晴らしき哉、人生!』( It's a Wonderful Life・1946年)、『グレン・ミラー物語』(The Grenn Miller Story・1954年)、『裏窓』(Rear Window・1954年)、『翼よ! あれが巴里の灯だ』(The Spirit of St. Louis・1957年)、『めまい』(Vertigo・1958年)。ほんの一部。

日本語題名『都へ行く』は不適当。これでは観光映画になってしまう。行くのはワシントンで、すなわち上院議員となって主人公がワシントン、議会に行くということなのだ。日本でならさしずめ「東京・永田町へ行く」といった感じ。1939年製作時にはアメリカでも政治屋がたくさんいたようである。私利私欲のために政治を舞台に金儲けをしていた様子が、よく描かれている。今の日本もほとんどこれと同じだろう。州を代表する上院議員が、州知事の任命によって選ばれていたらしい。アメリカだって選挙の歴史はそんなに古くないのかも。中東で女性参政権がまだないのも、頷けることなのか?

『失われた週末』(The Lost Weekend)

1945年・アメリカ 監督/ビリー・ワイルダー

出演/レイ・ミランド/ジェーン・ワイマン/フィリップ・テリー/ドリス・ダウリング

アカデミー賞4部門、カンヌ映画祭グランプリ受賞など各国で賞賛を集めたシリアスドラマ。ということだが、好きではない映画。今観る古い映画にだいたい外れはない。何故かと言えば、今よりも数多く製作された映画の中でも、ずーっと観るに耐え得る映画だけが生き残ってきたのだから、面白くないはずがない。それでも、やっぱり自分に合わない映画もそれなりにある。

だいたい分かってきたことは、はなしがグズグズと進行しない映画を嫌いなようだ。酒飲みの話だったことがよけい輪をかけ、そんな奴の気持ちなんかいくら見せられても納得しないという気持が起こってしまった。途中の爆睡は、いつものことではあるが、言い訳すれば、最近はそれほど眠くなっていなかったと思うのだが・・・。週末も平日もない生活には、現役時代の週末の喜び実感がない。そう言えば明日は2012年3月20日(火)春分の日で祝日だ。何の変化もないけれど。

映画が出来てまだ百二十年くらい、これからは保存される技術も進歩して、さらに多くの映画が生き続けることだろう。つまらない映画は切り捨ててと誰もが同意しそうだが、千差万別の好みが存在する映画世界では、どれが良くてどれが悪いのかなんて、誰にも判別は出来ない。それでも、松本人志の映画などこうやってこの欄で取り上げるのさえ、おぞましい映画に違いない。観ていなくても断言してしまえるほどの映画もある。

『6デイズ/7ナイツ』(Six Days Seven Nights)

1998年・アメリカ 監督/アイバン・ライトマン

出演/ハリソン・フォード/アン・ヘッシュ/デビッド・シュワイマー/ジャクリーン・オブラドース/テムエラ・モリソン

ハリソン・フォードは56才で、アクション・シーンで坂を駆け下りる足下がおぼつかない。ロマンティック・アクションと称する映画みたいだが、誰がお金を払って劇場まで足を運ぶのだろうと、いぶかってしまう。あまりにもお気軽すぎて、アメリカ映画の奥深さどころか、こんな浅さもあったのかと驚くくらい。

ハラハラドキドキしないアクション・シーン、催さないラブシーン、結末を期待することもないストーリー、どうしようもない出来の悪さに困ってしまう。

たまたま観た映画がこれで、しかも久しぶりだったら不幸としか言いようがない。そんなことがないように、この映画が100本のうちの1本だとしたら、許すことも出来るだろうから、出来るだけ多くの映画を観るようにお奨めしたい。

『ハーヴェイ』(HARVEY)

1950年・アメリカ 監督/ヘンリー・コスター

出演/ジェームズ・スチュワート/ジョセフィン・ハル/ペギー・ダウ/チャールズ・ドレイク/セシル・ケラウェイ

ピュリッツァー賞を受賞した大ヒット舞台劇を映画化したハートフル・コメディ。アメリカ中西部の小さな町。名門ダウド家の主人エルウッドは、ハーヴェイという身長6フィートの白ウサギを親友だと思い込んでいる。他の人には見えないこの親友を会う人ごとに紹介したがる彼に、同居している姉ヴィタや彼女の娘マートルは大迷惑。ついに彼を精神病院に入院させる決意をするのだが……。風変わりな男が巻き起こす騒動を、ほのぼのとしたタッチで描き出す。(映画.COMより)

このあらすじを読んでも、たぶん映像を想像することは出来ないと思う。そこが映画のいいところ、原作があっても、活字でどれだけ読み込んだとしても、実際に見る映像は予測をはるかに超えている場合が多い。もちろん期待はずれの映像に出逢うことも多々あるが、映画の持つ虚像体験は活字想像世界とはまた別の世界を創り出す。

おそらく日本映画では、このての映画を製作することは不可能であろう。摩訶不思議な世界を、大真面目に、それでいてコメディタッチに、アメリカ人の持つそもそものユーモア精神がなければ、創ることも観客が喜ぶこともあり得ない。いくら説明したって、ほんの10分映像を見るだけで、その空間に身をおけることの素晴らしさが映画の魅力。今から62年前の映画に、今どきの日本映画がまったく太刀打ち出来ないなんて。

『LOVE SONG』

2001年・日本 監督/佐藤信介

出演/伊藤英明/仲間由紀恵/一條俊/原沙知絵、

時は1985年北海道から物語は始まる。16才の女子高生が主人公、2年後の最後の夏休みが主なシーン。東京での人捜しが映画の大半。仲間由紀恵は21才、高校生を演じるのも無理ではない。まだ特徴的なせりふ回しも、気にならない頃、初々しさがかわいらしい。久しぶりの日本映画としては、まずまずというところで小満足。

尾崎豊の「十七才の地図」というレコード・アルバムが映画の重要な小道具。尾崎豊は結構好きだ。短い人生に思いを詰め込んだような生き方、歌、歌詞が、いなくなったという事実をバックボーンに人々に語りかける。歌のこと、愛のことを大いに悩んでいたんだろうな~。誰にも分からない他人の心、分かって欲しい人にも分かってもらえない虚しさを、歌で表現していたような思いが伝わってくる。

若者達誰もが通過する青春時代。ほろ苦さ、淡い想い、自分の心を素直に伝えられない時間、夢と現実の狭間、大いに悩み、ひたすら突き進む先には、平凡な人生が待っている、普通の場合は。

『ザ・ウォーカー』(The Book of Eli)

2010年・アメリカ 監督/アルバート・ヒューズ

出演/デンゼル・ワシントン/ゲイリー・オールドマン/ミラ・クニス/レイ・スティーブンソン/ジェニファー・ビールス/エバン・ジョーンズ

デンゼル・ワシントン主演の近未来アクション。あらゆる文明が崩壊した近未来の地球。イーライと名乗る男(ワシントン)は、世界でたった1冊残る本を運び、30年間、ただひたすら西へ向かって旅をしていた。そんな彼の前に、その1冊の本を探し続ける独裁者・カーネギーが現れる……。(映画.comより)

何の情報もなく観始まったが、いつ、どこで、という肝心なことがなかなか見えてこない。そういう感覚が好きでたまらないが、画面はひたすら暗く窓から入る日射しのもとでテレビ画面を見るのもままならない。映画館でゆっくり観たい作品だ。主人公の名前は「イーライ」、原題にある「Eli」をこう読むらしい。知らなかった。

映画が描く近未来は、ほとんどの作品が同じような風景を作っている。荒れ果てた荒野のような都市、最後の戦争の傷跡が、人間の心の中までもゆがめ、西部劇時代よりも酷い殺戮が平然と行われている。2001年宇宙の旅のように、映画で描かれた世界は意外と現実に近い。そうやって考えると、近未来、たぶん2050年~頃には地球最後の戦争の後の凄惨なプラネットと化している、なんてことはないか?!

『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』(Mitt liv som hund)

1985年・スウェーデン 監督/ラッセ・ハルストレム

出演/アントン・グランセリウス/マンフレド・セルネル/アンキ・リデン

公開当時に高い評価を受けていた記憶がある。観ていないかとも思ったが、どうも要所要所でかすかにシーンを見た覚えが・・・。世間の高い評価とは裏腹に、自分には合わない映画なのだという感覚も蘇ってきた。久しぶりに眠りにおちたが、起き出してみた続きは、同じようなストーリー展開で、こういうところが嫌いなのだなぁ、と。

フランス映画社という配給会社の作品だった。それだけで自分には合わないものだと納得出来る。どの作品をとっても、いかにもプロの映画評論家好みの作品ばかりで、映画自体の良さが分からないものばかり。もちろん問題は自分の方にあるに決まっているが、観ていると苛つく映画ばかりであることには違いない。

この作品で監督は世界舞台で活躍するようになったということだが、スウェーデン出身ではイングマール・ベルイマンが超有名。俳優では、グレタ・ガルボ、イングリッド・バーグマン、マックス・フォン・シドーくらいしか知らない。

『スラムドッグ$ミリオネア』(Slumdog Millionaire)

2008年・イギリスアメリカ 監督/ダニー・ボイル

出演/デーヴ・パテール/マドゥル・ミッタル/フリーダ・ピントー/アニル・カプール/イルファーン・カーン

みのもんた司会で一世を風靡した「クイズ$ミリオネア」、これは日本版で元々はイギリスの番組「フー・ウォンツ・トゥ・ビー・ア・ミリオネア」、フジテレビは勿論正式に契約し番組を製作している。大昔なら、平気で外国の番組をパクっていたけど、今や日本も中国のパクリを非難出来るまでに国民の意識が向上した。

舞台はインド、スラム街に育った主人公のはなし。1995年にボンベイからムンバイに都市名変更された現在の人口2千万人以上の大都市、その中にある世界最大規模のスラムで育った主人公は、クイズ$ミリオネアで2千万ルピー(現在レートだと3千2百万円くらい?)を獲得する。映画はその過程で、少年時代からの生い立ちや、兄との確執や信頼、そして一番重要な同じ身寄りだった女の子を捜し求める姿を映し出して行く。この映画が公開された時の映画紹介などの映像を見て、なんだあのクイズ番組の話か、とタカをくくっていたが、そんな簡単なものではなく、さすがに映画賞を数多く獲得しただけのことはある内容だった。

第33回トロント国際映画祭観客賞、第66回ゴールデングローブ賞作品賞(ドラマ部門)、第62回英国アカデミー賞作品賞受賞。第81回アカデミー賞では作品賞を含む8部門を受賞している。映画の最後、出演者やスタッフの名前が現れると共に、例のインド音楽とダンスが始まった。見ていて不思議だったのは、この映画を見終わって見るダンス群舞シーンが、意外なほど心地良く、理由は分からなくても、こういうシーンを入れることの必要性を、昔からインド映画を製作した人達には、分かっているのだろうなぁ、と感じたものだった。

『ある日どこかで』(Somewhere in Time)

1980年・アメリカ 監督/ヤノット・シュワルツ

出演/クリストファー・リーブ/ジェーン・シーモア/テレサ・ライト/スーザン・フレンチ/ウィリアム・H・メイシー/クリストファー・プラマー

タイムトラベル・ファンタジーとは、言い得て妙。こういう話は好きだ。大学を卒業したての劇作家の主人公、初公演の打ち上げパーティーで見知らぬ老女から、金の懐中時計をプレゼントされる。ここから物語は始まり、この老女は一体誰なのかという疑問を解いていくうちに、物語の核心が露わになって行く。夢物語のような現実が、自分にもいつか起こるのではなかろうかと、半分期待し半分夢みている。

スーパーマンを演じたクリストファー・リーブが主演、スーパーマンはスーパーマンⅣ/最強の敵 (Superman IV: The Quest For Peace ・1987年)まで行ったが、この作品はスーパーマンII/冒険篇(Superman II・1980年)同年の作品。2004年に彼は亡くなっているが、優しいまなざしはスーパーマンばかりではなく、この映画でも印象深く観客を魅了する。

こういうファンタジー溢れるストーリーは、アメリカ映画界の得意とするところかもしれない。いや、日本の映画でもファンタジーっぽい映画はたくさん作られているが、見るべき映画は1本もない。どうも日本人には、夢と現実の狭間を漂う空間を、表現する手だてが見つからないような気がする。

『名もなきアフリカの地で』(Nowhere in Africa)

2001年・ドイツ 監督/カロリーヌ・リンク

出演/レア・クル/カロリーネ・エケルツ/メラーブ・ニニッゼ

1934年ドイツの総統となったアドルフ・ヒトラーの登場により、ユダヤ人である主人公は裁判官という高官の身分を捨て、はるかアフリカ・ケニアの地に自由を求めて亡命・移住してしまう。1938年妻と小さな娘は父を追いアフリカへと後を追ってきた。主人公の妹、親、妻の親などをドイツに残して。既にドイツから自由に国外に出ることすらままならない状況だった。

アフリカの地で聞く母国の情報は、親族の動向を心配させるに足る状況だった。第二次世界大戦勃発と共に、イギリスが統治するケニアでは戦争敵国ドイツ人だという理由だけで、収容所に入れられてしまう。ユダヤ人で反ドイツだと主張してみたところで、何にもならない事態であった。そんな中、娘はアフリカでの自由を満喫し、地元の黒人達とも自由に生活出来る逞しさが増して行く。

淡々と夫婦関係や友人関係、そして何よりもどうやってこれからの人生を送って行くのかという命題を、日々の日常生活を描くことで問題提起しているようだ。流れる時間が心を打つ。逞しく育つ子供の姿に、一筋の救いを見る。

『ワンス・アンド・フォーエバー』(We Were Soldiers)

2002年・アメリカ 監督/ランダル・ウォレス

出演/メル・ギブソン/マデリーン・ストウ/サム・エリオット/グレッグ・キニア/クリス・クライン/ジョシュ・ダーハーティ/バリー・ペッパー

1965年11月14日、米陸軍第1騎兵師団隷下の第7騎兵連隊第1大隊と大隊長のハル・ムーア中佐は南ベトナムの中央高地、イア・ドランの渓谷にて北ベトナムのベトナム人民軍との激戦を迎える。映画のほとんどが戦闘シーン、というか肉弾戦といった様相。北ベトナム軍の司令室のような場面も描かれ、ひと味違うベトナム戦争映画となっている。

何のために戦うのかさえ分からなくなって行ったベトナム戦争の初期。多くの犠牲を伴うこの時代の戦争は、一体何だったのだろうかと、今更ながらに考えさせられる。ジョン・F・ケネディが暗殺されなければ、ベトナム戦争は同じ経過を辿ったのだろうか。

メル・ギブソン演じる指揮官は、リーダーの見本のようなもの。「私は、戦場へ着いたら、誰よりも早くヘリコプターから降りて一番乗りし、退却する時は誰よりも遅く一番最後にヘリコプターに乗り込む」と、部下を鼓舞する姿に、本物のリーダーを見るような気がする。リーダー不足の日本に住んでいると、何事にも距離を置き、いつも第三者のように振る舞う、偽物政治屋集団を罵るのさえ面倒になってきてしまう。

『アイリスへの手紙』(Stanley & Iris)

1990年・アメリカ 監督/マーティン・リット

出演/ジェーン・フォンダ/ロバート・デ・ニーロ/スウォージー・カーツ/マーサ・プリンプトン/ハーリー・クロス

goo映画の解説にはこんなくだりが、「パン工場に勤める女性と非識字者の男性の、心の交流と愛を描くドラマ」。非識字者とは、まぁ何とまわりっくどい表現なのだろう。これが現在の日本社会を表す、典型的な言葉。なるべく触れず、さわらず、差別をしていないような態度をしながら、実は心の中で差別をしている。だから表面的な体裁をつくろっているのだ。文盲と言われていた方が分かり易く、ただ事実を表現しているだけなので、卑怯な人間心理など毛頭無く、わだかまりもない。

1990年製作なんて、ほんのちょっと前という感覚なのだが、実はもう22年も前のことになってしまった。ちょうどヘラルドを辞めた年頃、考えてみれば若かったよな、あの頃はまだ。ジェーン・フォンダもロバート・デ・ニーもまだ若い。あれから22年では、この二人もだいぶ老人の域になったかも。

映画全体を流れる穏やかさがいい。小さな仕合わせが、人生には一番大切なのだと、そって教えてくれているような気がする。そんな人生をおくれなかったが、今度生まれ変わったら、小さい頃から価値観を見極められるよう、脳にたたき込んでおこう。輪廻転生。

『ランダム・ハーツ』(Random Hearts)

1999年・アメリカ 監督/シドニー・ポラック

出演/ハリソン・フォード/クリスティン・スコット・トーマス/チャールズ・S・ダットン/ボニー・ハント/デニス・ヘイスバード/リチャード・ジェンキンス/ポール・ギルフォイル

アメリカ映画らしい、と勝手に感じる映画を久しぶりに観た。監督作品の数は多くないが、シドニー・ポラックの名前は不動だ。俳優として活躍し始まったが、監督と共にプロデューサーとしても、ハリウッドで評価され、1985年の『愛と哀しみの果て』でアカデミー監督賞を受賞している。

ハリソン・フォードはこの時57才、ちょっと老けて見える。不倫していることを知らない2組の夫婦、たまたまの飛行機事故でそれぞれの連れ合いが事故死した。そんな滅多になさそうな出来事を、映画らしく描いてみせる。100年に1回しかないことを取り上げて、映画の題材とするところが、興味を惹かれることになるのだ。100%起こらないことを描いても、子供騙しの絵空事になってしまう。

ランダム・ハーツとはどういう意味なのだろう。文字通り、あっちこっちと心が揺れ動くことを言うのだろうか?コンピュータのプログラムで最初に楽しめるのが「Random」、連続する数字を順番に検索するシーケンシャル(sequential)とは正反対の、どこにあったとしても検索出来るプログラムを書いた40年前に、コンピューターの可能性を信じた記憶がある。


2018年2月14日再び観たので記す。

1999年・アメリカ 監督/シドニー・ポラック

出演/ハリソン・フォード/クリスティン・スコット・トーマス/ボニー・ハント

飛行機が墜ちた。搭乗者名簿に妻の名前はなかったが、留守番電話にその飛行機に乗ったようなことが残されていた。そんな風に始まるこの映画はおもしろい。早々に一度観たことが判明したが、いつも通りおもしろい時にはそのまま観続ける。結末がどうしても思い出せない、ということが多くこの映画も例外ではなかった。

一緒に搭乗したと思われる男がいた。男は弁護士、妻が下院議員だったことから展開がめちゃめちゃおもしろくなる。妻を亡くした主人公の男の職業は刑事だった。設定が極めておもしろい。アメリカの政治家が、どうやって選挙戦で戦うかの一端を観ることが出来る。さらに興味深い。

簡単に男女が寝てしまうアメリカ社会ならではのストーリー展開に、ついていくのは大変だ。下院議員の地元後援会長夫人が急にこの議員の夫との不倫を告白したりして、話が盛り上がる。所詮男と女の世界、何があったって驚くことはない。自分が当事者でなければ、他人の色恋沙汰はえらく魅力的なソースにしか見えない。そうでなければ、ここまで週刊誌やスポーツ紙、テレビのワイドショーがネタとして商品化することはないだろう。

『キリング・ミー・ソフトリー』(Killing Me Softly)

2002年・アメリカ 監督/チェン・カイコー

出演/ヘザー・グラハム/ジョセフ・ファインズ/ナターシャ・マケルホーン/ウルリッヒ・トムセン/イアン・ハート/ジェイソン・ヒューズ

ヘラルドの先輩がプロデュースした『さらば、わが愛/覇王別姫』はこの監督作品だった。中国の監督もハリウッドで活躍する人が増えている。ポルノ並の激しいセックスシーンもあり、一部ビデオレンタル店では18歳未満貸出禁止作品に指定されている。というが、今時の映像としては驚くほどのことはない。ただ一般映画では、必要に迫られても、限度をもって描くのが当たり前。そう言う意味では、ハードな映画に見えるのかもしれない。

サスペンス・エロティック映画とでもいう範疇に入れてあげたい。それでも、サスペンスと言うほど緊迫している訳でもなく、エロティックというほどそそられる映画でもない。美しい女優が、惜しげもなく裸体を晒すのは、悪くはないが。中国の監督はけっこう描き方がしつこい。もったいぶった音楽と共に、ちょっと思い入れと思わせぶりが過度な印象。

久しぶりに2本続けて映画を観たが、いずれの映画も心には残らず、不満足な気分だけが残る。いい映画に出会える確率はどんどん低くなってきて、「いい映画に会えない焦燥感」に苛(さいな)まれている。


2018年2月6日再び観たので記す。

『キリング・ミー・ソフトリー』(Killing Me Softly)

2002年・アメリカ/イギリス 監督/チェン・カイコー

出演/ヘザー・グラハム/ジョセフ・ファインズ/ナターシャ・マケルホーン/イアン・ハート

ポルノ並の激しいセックスシーンもあり、一部ビデオレンタル店では18歳未満貸出禁止作品に指定されている。という記事もあるが、さほどではない。男と女の話にsexシーンは欠かせない。そこをどう見せるかが監督の力になるが、日本の映画ではあまりにも物足らない表現がこの時代にも続いている。

ジャズ・カルテット、MJQの曲に「 Softly as in a morning sunrise 」という有名な曲があって、この映画題名を見たときに最初にそのことを思い出した。原作はニッキ・フレンチの『優しく殺して』ということだが、オリジナルタイトルも映画原題と同じなのかもしれない。

横断歩道のボタンを押したときに触れた男女の手から急速な恋愛物語が始まった。男はイギリスでも著名な登山家だったが、彼の過去を何も知らないで、一瞬の刹那的恋愛に溺れてしまった。脅迫状が来たりして話は急激に展開する。名探偵ポアロのようなサスペンスになっていく。お互いに相手の過去を知らないで結婚生活がおくれれば幸せかもしれない。無駄に相手のことを知れば知るほど、余計な心配事が増えていくのがオチだろう。

『幸せの1ページ』(Nim's Island)

2008年・アメリカ 監督/ジェニファー・フラケット、マーク・レビン

出演/アビゲイル・ブレスリン/ジョディ・フォスター/ジェラルド・バトラー/マイケル・カーマン/マーク・ブラディ/マディソン・ジョイス

科学者の父親と孤島に住む少女『ニム』の島というのが原題の由来。全編軽いコメディタッチ、子ども達にはちょうど良いかもしれない。などというと、俺たちだってこんな軽い映画は面白いと思わないよ、と言われそうだ。自分ではそうは思っていないのに、あたかも該当人物を指して、このようなものだと言うのは、失礼千万なはなしである。

IMAGICA BS というチャンネルが3月1日からスタートしたみたいで、番組表の洋画検索にたくさんの映画が現れた。イマジカと言えば現役時代の「東洋現像所」、映画界で知らない者はいない。当時社名がイマジカに変わった時、何その名前は?!という驚きの声が上がったことを覚えている。今でも馴染まない、あまり優秀ではなかったC.I.活動。何がなんだか分からないうちに、とりあえず予約しようと思い、適当に選択した。こんな時はハードディスクが大きいに越したことはなく、300GBではすぐに一杯になってしまう。調べてみたら、3/1~11日までは無料放送しているのだという。

割合新しい映画なのに、この程度の映画を製作しているとは思わなかった。ジョディ・フォスターが出演するほどのものではなく、もっと無名の俳優にチャンスをあげればという雰囲気。ギャラだけでも大変だろうに、こんな興行価値のないものを作っては、後々が大変だったろうと想像する。

『ゲーム・オブ・ライブス』(The Game of Their Lives)

2005年・アメリカ 監督/デヴィッド・アンスポー

出演/ジェラルド・バトラー/ウェス・ベントリー/ジェイ・ロダン/テリー・キニー/ジョン・リス=デイヴィス

日本劇場未公開。アメリカのサッカーが1950年のワールドカップ・ブラジル大会において、イギリスを破ったという奇跡の実話を映画化。映画の中で実況中継のアナウンサーが喋る、「世界の強豪イギリス対ランク外のアメリカの対戦」と。そんな試合としても、アメリカのサッカーなんて誰も興味がないだろうから、日本未公開も頷ける。

セリフの中に「ワールドカップで優勝するには50年は早い」というのがあったが、サッカーの世界では50年経ったって優勝出来るようなチームを作るのは至難のワザ。日本だって多少は強くなったようなことを言われているが、それこそ5年や10年先を見るのではなく、100年後にワールドカップ優勝を目指すといった、超ロングランの選手育成プログラムを組まなければ、たぶん200年後でもカップを手にすることは出来ないであろう。

サッカーもフットボール、フットボールといえばアメリカではアメフトのこと、身体能力は高いがサッカーというゲームにはアメリカ人は向いていない。この当時はまさしくそう思われていたみたいで、結局はサッカーをやっているアメリカ人は、大半がイタリアやドイツなどから移民してきたアメリカ人だった。アップ映像を多用し、スポーツ映画の陳腐さを消していて、映像はなかなかのものだと感じた。まぁ、劇場公開は無理だろうな、やっぱり。

『理想の結婚』(Oscar Wilde's An Ideal Husband)

1999年・イギリス/アメリカ 監督/オリヴァー・パーカー

出演/ケイト・ブランシェット/ルパート・エベレット/ミニー・ドライバー/ジュリアン・ムーア/ジェレミー・ノーサム

理想の結婚と聞いて、語る資格がないなぁと言うしかない。時は1895年ロンドン、華やかな社交界が舞台だ。役達者な俳優達が、ここぞとばかりに長いセリフを喋っている。あまりの流暢さに、最初のうちはなかなか映画について行けないという症状が起こってしまった。現代よりも100年以上前のヨーロッパを描く映画は、華やかで煌びやかで、それでいて貧困層もいきいきとしていて、見るのが好きだ。

他人に指さされることなどこれっぽっちもないと思われていた理想の夫が、たったひとつの過ち故に人生をも投げ捨てなければならない状況に陥る。さて、この時妻は何をどうするのか?そんな内容ではあるが、なかなか興味深く、夫、妻、夫の友人、友人の父、夫の妹、妻の友人が、それぞれの人生をあからさまに表現している。

学生時代、先輩から「ひとに好きになられるより、自分がひとを好きになれ」と言われて、尤もなことだと、ずーっとそれを信じ、実践してきたつもりだった。男と女の間には、どうにもならない深い溝があり、その溝を見ているだけでは、いつになっても埋まらないということを感じる。同性の友達だって同じこと、男と女だからではなく、人間が二人いれば、相手のことを心底理解するなんてことは、実は不可能なんだと思い、そこから真の思いやりを導かなければいけないのだろう。

『エバー・アフター』(EverAfter)

1998年・アメリカ 監督/アンディ・テナント

出演/ドリュー・バリモア/アンジェリカ・ヒューストン/ダグレイ・スコット/ミーガン・ドッズ/メラニー・リンスキー/ジャンヌ・モロー

『グリム童話』の編集者として知られるグリム兄弟は、ある日「陛下」と呼ばれる貴婦人の住む宮殿を訪れる。グリム兄弟の生きた時代は、1786-1859、1790-1863、ドイツである。陛下が彼等に言いたかったことは、『シンデレラ』のようなはなしを書いているようだが、それは本当の話で、ほらこれがそのガラスの靴ですよ、と実物を見せる。そして、映画シンデレラ物語が始まって行く。

ドリュー・バリモア、この頃は女優としてよりも映画監督、プロデューサーに志向がいっているようだ。継母(ままはは)や義理の姉が活躍する物語だが、この手の話はこの頃流行っていない。これだけ離婚・再婚が増えているのに、不思議なものだ。物語の主人公は、継母や義理姉達の召使いとして働くという、今では考えられないような不条理の中で人生を送っている。

シンデレラ・ストーリーは女の特権ばかりではなく、世界中で、一気に成功した者に与えられる称号となった。日本ではねたみ、そねみ、が活発な社会故に、なかなかそんな人達は現れにくい。せめて一攫千金を夢みて、霊能者もどきの不埒どもに騙されるのがオチか。

『君にラヴソングを』

2010年・日本 監督/園田俊郎

出演/ユナク/ソンジェ/グァンス/ソンモ/ジヒョク/ゴニル/南沢奈央/英玲奈/光浦靖子/渡部建/狩野英孝

何だ韓国映画かと勘違いしたが、韓国人のグループが実名で登場する日本映画だった。フジテレビのテレビ映画にも見えたが、とりあえず見てみた。手術の成功率10%という目の見えない少女と、韓国からやってきた「超新星」のメンバーとの淡く哀しい恋物語。

「超新星」というグループが本物らしかったが、調べてみたら実存のグループだった。南沢奈央という子が可愛かった。というか、どこかで見たような気もするが、テレビにもたくさん出ているのかもしれない。年をとると1回見ただけでは覚えることもままならず、可愛い子だなと思っているのに忘れてしまうとは情けない。まぁ、アイドルなんて若い頃から自分とは関係ない存在、憧れもしないしファンになろうという気になんてなれもしない。

フォーリーブスの二人目が亡くなったというニュースがあったばかり。自分に意外と近い年齢だと初めて知った。上でも下でも、もっと離れているだろうと思っていたのは、全然関係ない存在としてしか見ていなかった証みたいなもの。もっと素直に誰かの追っかけでもやっていたら、もっと素直な心が育っただろうに。妙に大人びた心を持っていたので、可愛くない心に成長してしまったようだ。

『ヤッターマン』

2009年・日本 監督/三池崇史

出演/櫻井翔/福田沙紀/深田恭子/生瀬勝久/ケンドーコバヤシ/岡本杏理/阿部サダヲ/滝口順平/山寺宏一/たかはし智秋

アニメ作品の実写化映画。何処まで堪えられるか試してみたが、せめて5分くらいはという願いを叶えるのが精一杯。5倍速で見てこの映画も、コマーシャル映像と本編映像が区別出来なかった。櫻井翔も深田恭子も嫌いではないが、こんな映画に出ているようでは、先が思いやられる。もっとも、深田恭子はこの手の映画にしか生きる道はないのか、いつだって際どい役柄しか声が掛からないようだ。ごく普通の映画に堂々と出て、演技して欲しいのだが、もしかすると、50才過ぎてから良い役が回ってきたりするのかもしれない。

日本のこの手の物語やキャラクターが、異様に発展しているのはどういう訳だろう。子供騙しには手厳しい欧米にはない文化?文化と呼べば何事も許されるような現代だが、子供騙しは所詮子供騙しとして受け容れるのが正当。アメリカなどは典型で、子供騙しが流行らないから、大人の漫画「バットマン」や「スパイダーマン」、せいぜい「スーパーマン」までしか許されない。それ以上のおちゃらけた、ありもしない絵空事、陳腐な発想などは嫌われるだけだ。

しかるに日本の漫画やアニメ、何でもありの世界を平気で創造している。今や世界中から「クール」だとか「かわいい」などとお褒め言葉を頂いて、頭に乗っている節がある。パチンコだってそう、何が面白いのか、ただ騒々しい玉入れなんて、と思うのは私だけ?娯楽として否定はしないけど、面白い遊びと?問われれば「否」と即座に答える。子供騙しのお遊びの延長にしか見えない。そういうのが日本の文化だと言われれば、はいと素直に頷くだけ。

『パットン大戦車軍団』(Patton)

1970年・アメリカ 監督/フランクリン・J・シャフナー

出演/ジョージ・C・スコット/カール・マルデン/スティーブン・ヤング/マイケル・ストロング/カール・マイケルフォーグラー/モーガン・ポール/フランク・ラティモア

久しぶりの戦争映画、今まで観た戦争映画とは少しばかり趣を異にする映画とみた。パットンという老将軍から見た第二次世界大戦。アフリカ・チュニジア戦線からイタリア・シシリア島、そしてノルマンディ作戦からドイツ侵攻へと1943年から1945年まで戦い続けたパットン将軍が凄い。不謹慎ながら、心を奮い立たされる何かを感じる。

冒頭大きなアメリカ国旗を背にし、「アメリカ人は戦争が好きだ。負けることを考えることすらしない、いつだって勝つことだけを考えている」と演説をぶっている。1970年当時の映画が喋らせているアメリカ人気質、すーっと変わっていないと見える。ひとりの将軍が彼に向かって言う、「私は訓練を受けたから戦うことが出来るが、君は戦争を愛しているから戦うことが出来る」と。「君のビッグマウスが弱点だ」と責められながらも、彼の軍人魂は群を抜いており、攻めることを止められない異常さこそが、戦争現場には必要なのだと訴えているようにも見える。

ちょうどアメリのアカデミー賞発表の時期、この映画でジョージ・C・スコットは主演男優賞に輝いたが、これを辞退したことで話題になった。他にもアカデミー作品賞、監督賞、脚本賞など、1970年度の最多7部門を受賞している。

『サンシャイン・クリーニング』(Sunshine Cleaning)

2009年・アメリカ 監督/クリスティン・ジェフズ

出演/エイミー・アダムス/エミリー・ブラント/アラン・アーキン/ジェイソン・スペバック/スティーブ・ザーン/メアリー・リン・ライスカブ

配給がファントム・フィルムという名前だったので、調べてみたが良く分からない。配給した作品でいくつか題名を知っていたが、大したものは配給していない。沖縄映画祭を手懸けているらしかったが、そもそも沖縄映画祭について何も知らない。業界事情に疎くなり、映画界とは無関係な一般人化してきたのが嬉しい。

軽い映画、特別に悪い意味ではなく、観ていて何か考えさせられたり、歴史的に重要な事実だったり、はたまた心にプレッシャーをかける類ではない映画、のことを総称して軽い映画と呼んでいるが、こういう映画も存在するんだという印象。買い付け場面で、この映画を観てから、「買うか?」と社長に問われたら、「まさか!」と答えたであろう。もっとも字幕が入っていない時に観るので、正確な内容が分かる訳ではない。それでも、映像だけで面白くなくれば、ダメだというのが映画買い付けの基本。

日本ヘラルド映画の創設者古川勝巳さんは、英語もフランス語もイタリア語だって全く分からないのに、「エマニエル夫人」を買ってきて、当時の社員に24ヶ月のボーナスをプレゼントした。商売で買い付けることは勿論のことなのだが、それ以上に映画が好きで好きで堪らない人だったことが、良い買い付けに結びついていたと信じている。懐かしき良き時代を象徴するかのような会社、日本ヘラルド映画株式会社。

『ラウンド・ミッドナイト』(AUTOUR DE MINUIT, 'ROUND MIDNIGHT)

1986年・フランス/アメリカ 監督/ベルトラン・タヴェルニエ

出演/デクスター・ゴードン/フランソワ・クリュゼ/ボビー・ハッチャーソン/フィリップ・ノワレ

天才ジャズ・ピアニストとうたわれたバド・パウエルと、サックス奏者レスター・ヤングのキャラクターと実話に想を得て、B・タヴェルニエ監督が脚色した作品。1959年。ニューヨークからパリのジャズクラブ“ブルーノート“にサックス奏者デイル・ターナーがやって来た。酒とドラッグに溺れたデイルだが、その演奏は人々の心を感動させずにはおかなかった。ある雨の夜、貧しいがゆえに、クラブの扉の外で彼の演奏に聴き入っていたフランシスは、その演奏に感動し、デイルこそ“神の声“を伝えるアーティストだと確信する。やがてデイルにふと声をかけられたフランシスは彼の支えとなり、酒とドラッグの生活から脱出させようと心血を注ぐが……。忠実に再現された“ブルーノート“と、そこで演奏されるジャズが聴きもの。ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、フレディ・ハバート、ロン・カーターほか一流アーティストの特別出演、演奏も話題を呼んだ。独特の色調による映像が美しい。(ぴあ映画生活より)

不覚でもなく途中爆睡した。面白くない訳ではなく、朝からこの手の映画を観ること自体が間違っていた。けだるい、ここち良いジャズの音楽を聴いていたら、このありさま。音楽映画ではないが、ジャズのシーンが圧倒的に多く、嫌いではない人にとっては、気持のいい時間かもしれない。

初めてではない鑑賞が気をゆるませる。たぶん、すぐに鑑賞し直しても、ひとつひとつのシーンを思い出せないだろう。煙草の煙がスポットライトに映える部屋、バーテンダーやカウンターの客の声が響く、悦に入ったテーブルの客は軽く足を踏みならし、指を合わせる。そんな珠玉の時間は、人生の中でも贅沢なこと。夢想するだけでも、仕合わせになれる。

『ナイルの宝石』(The Jewel of the Nile)

1985年・アメリカ 監督/ルイス・ティーグ

出演/マイケル・ダグラス/キャスリーン・ターナー/ダニー・デビート

『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』(Romancing the Stone・1984年)の続編だということだが、軽いコメディーで時間潰しにもってこいの映画。それ以上のもではないし、それ以下でもない。連続して500本以上の映画を観ている現状から考えても、ただ単にお笑いを誘うだけの映画では、残念ながら心を満足させてはくれない。こんな映画に思いっきりお金をかけられるアメリカ映画のバブル期は、今や夢物語、それでなくとも俳優のギャラが高騰し、ごく普通の映画さえなかなか製作が難しくなってきているのが、アメリカ映画界の現状だ。

キャスリーン・ターナーはもっと活躍していていい女優だと思うが、2000年以降は3本の映画出演しか見当たらない。アメリカに住んでいれば、芸能情報などももう少しリアルに察知出来るのだろうが、異国にいては個々の俳優の情報は、なかなか分からない。それこそ映画雑誌「スクリーン」や「ロードショー」で、映画界の雑ネタを収集出来た時代が懐かしい。両誌とも廃刊になったと思ったら、ロードショーは2008年になくなったが、スクリーンは「SCREEN」と改名し、まだ存命中だという。喜ばしいことだけれど、経営は大変だろうな~。

映画にはいろいろなジャンルがあるのは周知のこと。政治的なメッセージからエロ・グロ・ナンセンスまで、実に多岐にわたり題材が転がっている。ユダヤ人がメジャーなアメリカ映画界、歴史的事実を忘れさせないために何年かに1本、必ずホロコーストに関する映画が製作される。世の中を洗脳させるために作られることがある映画、どうにも社会そのものに無関心な日本人をギャフンとさせるような思想的映画など、間違っても日本人が作り出すことはないであろう、今後とも。

『いつか晴れた日に』(SENSE AND SENSIBILITY)

1995年・アメリカ/イギリス 監督/アン・リー

出演/エマ・トンプソン/アラン・リックマン/ケイト・ウィンスレット/ヒュー・グラント/グレッグ・ワイズ/エミリー・フランソワ

原題の中にある単語、 [ sense ]:感覚、五感のひとつ、(senses)五感、[ sensibility ]:感性、感受性、情緒。辞書によればこう記されているが、「分別と多感」という邦訳題名がついた原作がある。現実世界と微妙な心の中の世界を実にうまく描いている。日本人ならその繊細な感覚を、心から理解出来そうな気になる。舞台はイギリス、時々ロンドンの邸宅に戻って舞踏会を楽しんでいる資産家家族や、父が亡くなったけれどこの時代の法律で、妻と3人娘には雀の涙しか相続がなかったという家族の、それぞれの愛、恋の物語。

監督アン・リーは台湾人。アカデミー賞をとった『ブロークバック・マウンテン』(Brokeback Mountain・2005年)はまったく好きになれなかったが、『ラスト、コーション』 (Lust, Caution・2007年)は力強く面白い映画だったことを鮮明に記憶している。ヒュー・グラントは爽やかでいいが、映画の中で初めて彼が顔を見せた時、時代が合わないなぁ、と感じた。現代ロンドンやニューヨークならそんな気持にはならないだろうが、馬車が交通機関の時代にはいない顔に思えて仕方がなかった。先日絶賛した『愛を読む人』のケイト・ウィンスレット、タイタニックの2年前の作品で、引き締まった顔とまだまだ細身っぽい身体で美しさが充満している。映画の後半には、この映画の中でさえ太り始めたのではなかろうかと思える、ちょっとふくよかさが増した顔に見えたのはおもい過ぎ?ちょっと見ないでいると、すぐに太めになるこの女優。日本なら深田恭子もそんな感じ。

好きな人には嫌われて、嫌いな人には好かれる、という王道のような恋愛関係は、いつの時代にも生きていたようだ。ただこの時代には、今にも増して相続による巨大な資産が結婚の大きなバックボーンになっている。「お金を取るのか、愛を取るのか」そんな選択を真剣にしなければならない。お金は人々の精神生活をも支配している。今でも同じように、お金に弄ばれている人生に気付かないで生きている人が、なんと多いことか。

『狂った果実』

1956年(昭和35年)・日本 監督/中平康

出演/石原裕次郎/津川雅彦/北原三枝/岡田眞澄/芦田伸介/藤代鮎子

裕次郎自体をそんなに好きではなく、録画機会を反故にしていた。この頃の放映がいいものがなかなかなく、仕方なく録画し鑑賞した。思っていたよりはるかに面白かった。さすがに日活を、いや映画界を支えたスターだ。裕次郎よりはむしろ津川雅彦が主演に見えた。そしてその初々しさと、いい男ぶりにちょっと驚く。Wikipedia の「来歴」記事が面白かったので、以下に抜粋した。

父(澤村国太郎)兄(長門裕之)祖父(牧野省三)叔父(加東大介)叔母(沢村貞子)母方の叔父(マキノ雅弘)母方の叔母(轟夕起子)義姉(南田洋子)妻(朝丘雪路)。芸能一家に生まれ、本格的な銀幕デビューは16歳のとき、『狂った果実』。やはりこの映画が本格的な主演デビューとなる石原裕次郎の弟役を探していた石原慎太郎が一目見て気に入り、沢村家に頼み込んで強引にキャスティングして名付け親ともなったが、本人はジャーナリストに憧れて早稲田高等学院に在学しており、「夏休みだし1本くらい出てもいいか」と軽い気持ちだったという。しかし映画のヒットとともにたちまち、美男俳優として日活の看板となった。デヴィ夫人との不倫騒動をきっかけに仕事が激減、窮地に陥ったこともあった。中年となってからの演技派としての活躍には、叔母である沢村貞子から「雅彦、お前はね、顔がいいんだから芝居は4倍うまくならないと認めてもらえないよ」と、津川が若い頃に口酸っぱく忠告されたことが影響しているといわれる。

東京では放送されていない「たかじんのそこまで言って委員会」に偶に出演した時、津川雅彦がこんなに保守的で政治的発言をするのか、と思ったものだが、こういう若い頃の志があったのだ。石原慎太郎は先日の芥川賞での発言で、自分を驚かせてくれる作家が出て来ないことを嘆いていた。55年前に既に世の中にショックを与え、以来作家としてあるいは政治家として、日本社会に影響を与え続けている。好き嫌いは別にして、たいした玉だぜ。

『本日休診』

1952年(昭和27年)・日本 監督/渋谷実

出演/三國連太郎/岸恵子/淡島千景/鶴田浩二/長岡輝子/柳永二郎

今日は2012年(平成24年)2月15日、時々日付を入れておかないと、いつの記録なのか分からなくなってしまう。毎日のホームページに掲載したものは、「最近観た映画」の倉庫版として遺言のつもりで残している。もう500本以上になっていると思われるが、1頁で済ましてしまっている。文字だけなので重いページになっても、なんとか見えるだろうと勝手に想定している。

久しぶりに爆睡した。後から見直そうという気にもなれない。いいのはテンポだけで、ストーリーも在り来たり、コメディーの味がまったく伝わらない。これだけの俳優を配しながら、たわいもない喜劇では、見ていて面白くない。今でも日本映画、芸能界の喜劇は詰まらないと感じているが、この時代の喜劇も例外ではなかった。伴淳三郎やフランキー堺など映画でも活躍した喜劇役者は多いけれど、この映画に出演している正統俳優には、喜劇は似合わない。佐久間良子が不倫をしていたと告白した相手鶴田浩二、当時の芸能マスゴミ(塵)を賑わしていたが、火のないところには煙は立たぬ如く、芸能界の魑魅魍魎の相関図は昔からどうにもならない様相を呈していたようだ。

小津安二郎監督の下に木下恵介監督とこの渋谷実監督がおり、二人は相当仲が悪かったと、NHK-BS映画解説の小野文恵アナウンサーと山本晋也 監督が話していた。渋谷実監督の下には、奇才・天才、川島雄三監督がいる。映画監督の師弟関係系譜も興味深い。

『動乱』

1980年・日本 監督/森谷司郎

出演/高倉健/吉永小百合/米倉斉加年/田村高廣/永島敏行/佐藤慶/田中邦衛/志村喬

高倉健49才、吉永小百合35才の時の作品。健さんは昨年80才でタケシと共演したというが、まだ格好良い姿を演じているようだ。この時の吉永小百合は綺麗だ。まだ目の演技に目覚めていない時らしく、現在よりもずいぶんと自然体に見える。女盛りの真っ最中といった風情である。サユリストではないけれど、美しさに惚れてしまいそうだ。

昭和七年、主人公が部下思いの「少尉」時代から映画は始まる。この年には、5.15事件が起こっている。映画の主題である2.26事件では「大尉」として、リーダーになって事件の首謀者になっている。ここでも一握りの富裕者や地に堕ちてしまった軍閥達が、跋扈している。白い米を食えない国民が大半で、新聞には東北の飢饉が報じられている。女郎として売られて行く娘達の姿が痛々しい。やむにやまれず決起した青年将校達の姿は、後世に何を伝えようとしているのだろうか。今の時代だって似たようなものだな、と思うのは間違っているのだろうか。

2.26事件に加担した3部隊の中に近衛第3歩兵聯隊(れんたい)があった。自分の父親が志願兵として入営したのがこの部隊であったことは、父の記録に残っていた。ただこの事件が起こった昭和11年には、既に父は別部隊に転属し満州にいたらしく、関係はなかったようだ。そのあたりを、もっと根掘り葉掘りと聞いておけば良かったと、今になって後悔している。

『どら平太』

1999年・日本 監督/市川崑

出演/役所広司/浅野ゆう子/宇崎竜童/片岡鶴太郎/菅原文太/石倉三郎/石橋蓮司/大滝秀治/神山繁/加藤武/江戸家猫八

黒澤明、木下惠介、市川崑、小林正樹からなる“四騎の会”が残した脚本を映像化。原作は勝新太郎の主演で一度映画化されている、山本周五郎の『町奉行日記』。とあるが、勝新主演の題名、制作年も分からなかった。4人の巨匠が脚本を書いたというが、どういう分担で1本の作品に仕上げたのか、裏話を聞いてみたい。

痛快時代劇。スーパーマンのような侍をひとり登場させ、思いっきり悪を懲らしめて行く様は、見ていて気持ちよい。映画としてのテンポも軽やかで、その辺の日本映画とはひと味も、ふた味も違って見える。今や大スターとなった役所広司だが、この役では軽妙で素晴らしい演技をしている。飴と鞭を使い分ける正義の味方お奉行さんを演じているのだが、一番の適役ではなかったろうか。

いつの世にも問われる為政者の悪、その末裔達には真の仕合わせは来ていないはずだが、映画のように子孫達の今の姿が見られたら、こんなに面白い物語はないであろうと思うのだが。

『シャレード』(CHARADE)

1963年・アメリカ 監督/ジョナサン・デミ

出演/オードリー・ヘプバーン/ケイリー・グラント/ウォルター・マッソー/ジェームズ・コバーン/ジョージ・ケネディ/ネッド・グラス

ケイリー・グラントはなんと59才の時の映画、オードリー・ヘプバーンは34才まだ若い。彼女の作品は題名を聞いただけで、誰でも知っているような気になるものが数多くある。この映画の前々年なら、『ティファニーで朝食を』(Breakfast at Tiffany's)、翌年には『パリで一緒に』(Paris When It Sizzles)、『マイ・フェア・レディ』(My Fair Lady)がある。凄いですねぇ、最も愛された女優ではなかろうか。

2002年にはリメイク版(The Truth About Charlie(英語)、邦題は『シャレード』)が製作されたが見ていない。キャストを見ると名も知らぬ俳優ばかり、彼女の映画は「ヘップバーン」だから成り立つストーリーなので、思い入れが出来ない俳優が出て来ても、面白くないだろう。見たことがあるはずなのに、ほとんど内容を覚えていなかった。内容ではない別の要素が重要な映画だということが分かる。面白いけれど、軽妙過ぎていわゆる娯楽映画と呼べる典型のような映画。どんでん返しがなかったら、何この映画は?と不満たらたらになってしまいそうだ。

この映画のDVDがだいぶ前から安売りされていたことを、ご存知の諸氏も多いだろう。それには以下のような理由がある。本作は作品中(オープニングタイトル、エンドロールなど)に著作権表記が無かったため、公開当時の米国の法律(方式主義)により権利放棄とみなされ、パブリックドメインとなった。このことは家庭用ビデオが普及するまでは深刻ではなかった。家庭用ビデオが普及した1980年代に入ると、許諾や使用料が不要であることから、各社から様々な画質でビデオソフトが発売されるようになった。このことは、以前から無方式主義となる日本をはじめとする全世界に及ぶと考えられることから、日本をはじめ各国でも格安DVDとして各社からリリースされている。

『にごりえ』

1953年(昭和28年)・日本 監督/今井正

 『十三夜』 出演/丹阿弥谷津子/三津田健/田村秋子/芥川比呂志

 『大つごもり』 出演/久我美子/中村伸郎/荒木道子/仲谷昇

 『にごりえ』 出演/淡島千景/山村聡/宮口精二/杉村春子

 樋口一葉の短編小説『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』を原作とするオムニバス映画。明治時代の生活が再現される。映画は昭和28年の製作なのだが、今の時代から遠い昔を眺めると、ふたつの時代の古さが重なり合っているように見えて、多少頭の中が混乱した。今のキャバクラみたいなものなのだろうか、「御料理 XXXX」と書いてある看板の店に一見(いちげん)さんがあがり、女達と酒を飲みどんちゃん騒ぎをして楽しんでいる。

 以前良く見た俳優達の若い姿が懐かしい。ここにも淡島千景が、いいですね。哀しいはなしを見ていると、我々の子供時代などまだまだ恵まれていたのだと、あらためて思い知る。2円のお金が返せない、いくら時代が変わったとはいいながら、このお金の単位に愕然とする。短編小説の良いところを、落語や小咄のように切り取ってみせる映像は、余韻を残してなかなか見応えがある。

 かっぷくと品のいい山村聡、今時の俳優で彼ほどの存在感を見せられる者はいるだろうか。十朱幸代の父、十朱久雄を第三話『にごりえ』で見つけて、懐かしかった。晩年はテレビのホームドラマでも、父親役としてずいぶんと活躍していた。

『君の名は』

1953年(昭和28年)・日本 監督/大庭秀雄

出演/佐田啓二/岸恵子/淡島千景/月丘夢路/川喜多雄二/小林トシ子/野添ひとみ/淡路恵子/笠智衆

「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」「君の名はと たずねし人あり その人の 名も知らず ・・・・」子供の頃には、それこそ耳にたこができるくらい聞こえていた。どういう風に巻くのか知らないけれど、主人公のショールの巻き方が「真知子巻き」と呼ばれていたことを知っている。

メロ・メロ・メロドラマの王道とでも言うのだろうか、日本のメロドラマやテレビの昼メロの原点は、まさしくこの映画だろうと想像に難くない。見事なすれ違いにイライラするのは、映画にはまってしまった証か。岸恵子が主役をやっていることを初めて知った。彼女の名前を見聞きしたのは、もうフランスかぶれしてしまった頃だったので、まさか「真知子」役だったとは意外だった。中井貴一の父親佐田啓二はいいですね、淡島千景もいいですね。

川喜多雄二という岸恵子の夫役が見事だった。役人で女々しく、マザコン風の役がぴんたんこ。今のメロドラマなら主役を張れるのではなかろうか。調べてみたら、昭和20年代後半から昭和30年代中半にかけて、なんと70数本の映画に出演していた。昭和40年代前半に俳優を引退し、家業の歯科医にもどったという。面白い人生のようだ。

『愛染かつら(総集篇)』

1938年(昭和13年)・日本 監督/野村浩将

出演/田中絹代/上原謙/佐分利信/高杉早苗/河村黎吉/吉川満子/桑野通子

子供の頃に、この映画題名と主題歌を知らなかった者はいないだろう。最初の映画化は自分の生まれる10年も前のことであったが、その後に何度も再映画化されたので、我々の時代のものと勘違いしていた節がある。映画化の詳細については以下の映画.COMの引用が、もの凄く分かり易いので引用する。

戦後の「君の名は」とともに絶大な人気を誇った“すれ違いメロドラマ”の代表作。前編・後編・続編・完結編と続き、「花も嵐も踏み越えて……」で有名な主題歌「旅の夜風」は大ヒットした。これら4編をまとめたのが総集編で、子持ちの未亡人看護婦と青年医師が恋に落ち、身分の違いや子供の病気、様々なすれ違いといった障害を乗り越えて、ついに結ばれるまでをまとめている。戦後には「新・愛染かつら」(1948・大映、久松静児監督、水戸光子・竜崎一郎)「愛染かつら」(1954・大映、木村恵吾監督、京マチ子・鶴田浩二)「愛染かつら(正・続)」(1962・松竹、中村登監督、岡田茉莉子・吉田輝雄)がリメイクされた。

田中絹代、加山雄三の父親上原謙ともに28、9才の頃、絶大なる人気だったことは、今映画をあらためて鑑賞しても納得出来る雰囲気がある。田中絹代のもう少し年をとってからの作品を何本か観たとき、何故この人がそんなにもて囃されたのだろうとちょっと不思議だった。この映画を観て、さすがに若い頃の顔は悪くなかったなと、初めて納得した次第。

『ベジャール、そしてバレエはつづく』(BEJART:LE COEUR ET LE COURAGE)

2009年・スペイン 監督/アランチャ・アギーレ

出演/ジル・ロマン/エリザベット・ロス/ジョルジュ・ドン/ショナ・ミルク/ブリジット・ルフェーヴル/クロード・ベッシー

20世紀後半のバレエ界に多大なる影響を与えた偉大な振付家モーリス・ベジャールの死後、彼が遺したバレエ団の新たなる挑戦に迫るドキュメンタリー。ベジャールの後継者ジル・ロマンと40名のダンサーたちが、巨匠が遺したバレエを後世に伝えるため奮闘する姿を追う。

モーリス・ベジャールの一周忌に当たる日にバーゼルで行なわれた「80分間世界一周」の公演と、その1か月後にローザンヌで行なわれた新監督ジル・ロマン振付作品「アリア」のワールド・プレミア上演にカメラが潜入。(いずれもシネマトゥデイよりの引用)

 奇しくも2012年2月5日、ベジャール・バレエ・ローザンヌ(バレエ団)があるスイスのローザンヌでのローザンヌ国際バレエコンクール にて、日本人の高校生の菅井円加(まどか)さんが優勝したというニュースが世界を駆け巡った。

たまたま『愛と喝采の日々』でバレエダンス・シーンを観た直後だったので、意外と違和感なくこのバレエ世界のドキュメンタリーを楽しめた。何事も慣れが必要で、1作目より2作目の方がはるかに気楽に接することが出来た。バレエ界で「神様、仏様、ベジャール様」と謳われる人物。ヘラルドが配給した、クロード・ルルーシュ監督映画『愛と哀しみのボレロ』(1981年)、ジョルジュ・ドンが踊る「ボレロ」の振り付けで不朽の名声を得た。ベレエ音痴のこの私でさえ、延々と続くこのシーンのミュージックとバレエダンスは、強烈に脳裏に焼き付いており、今でも鮮明に想い出せる。

『愛と喝采の日々』(THE TURNING POINT)

1977年・アメリカ 監督/ハーバート・ロス

出演/シャーリー・マクレーン/アン・バンクロフト/ミハイル・バリシニコフ/レスリー・ブラウン/トム・スケリット/マーサ・スコット

第50回アカデミー賞では10部門で候補に挙がったが、無冠に終わった。バレエという文化の殿堂界のはなし。教養のない私のようなものには、バレエというものの良さというか、バレエそのものの魅力が身体や精神に響いてこない。この世界に自ら身を置く人、観客として熱狂する人、いずれも尊敬に値する。皮肉でも何でもなく、どちらかというと憧れみたいなもの。バレエの舞台を見て、涙を流せるような人間でありたかった。

元バレエダンサーの両親、今は小さな町のバレエ教室を開いている。長女はバレエダンサーのプロとして歩み始めようとしている。母親には、現役だった頃のかつてのライバルがいて、いまだ第一線で踊り続けている。妊娠、結婚して家庭を選んだ自分と、いまだ踊り続けているライバル。これが原題「TURNING POINT・ターニングポイント」の意味するところ。長男はまだ中学生くらいだが、同じようにバレエダンサーを目指している。ひとり次女だけは、ダンスは嫌い、と家庭内の食事作りに勤しむのが好き。母親はこの次女を称して、「ひとりだけまともな人間がいる」。親のやっていることをそのまま受け継いだり、親に言われて始めた習い事世界には、どこか違和感があることを、母親自身は気付いているのだ。それでも、自分のやってきたことを受け継ぎ、さらなるプロになることは、母親自身の誇りでもある。不思議な人間心理を、映画は容赦なく描いて行く。

本物のバレエダンサーでなければ演じられない役を、ソ連/ラトビア共和国出身のミハイル・バリシニコフが演じている。長女役のレスリー・ブラウンもたぶんバレエダンサーなのだろう。可愛い顔をしているのに、出演映画として、ダンサー(1987年)、ニジンスキー(1979年)しか見当たらなかったところをみると、ほぼ間違いない。

『ファイナル・カウントダウン』(The Final Countdown)

1980年・アメリカ 監督/ドン・テイラー

出演/カーク・ダグラス/マーティン・シーン/キャサリン・ロス/チャールズ・ダーニング/ロン・オニール/スーン=テック・オー

チャーリー・シーンがずいぶん若く、これはたぶん1985年頃の映画だな、と思って観ていた。まったく嘘っぱちで、チャーリー・シーンの親であるマーチン・シーンだったこと、そして1980年製作だった。チャーリー・シーンならまだ15才にしかなっていない時代。だいたい題名を見て録画する時に、これは日本のゲームで有名なタイトルで、またそういうゲーム性の亜流作品なんだろうと、高をくくっていた。マーチン・シーンはヘラルド配給の『地獄の黙示録』(1979年)で、馴染みがある。

話はタイムスリップ、原子力空母ニミッツが真珠湾攻撃の前日、現地時間1941年12月6日にタイムスリップしてしまうというストーリーだ。『トップガン』よろしく、空母から発着する戦闘機シーンが、男心をくすぐる。こういうシーンに心を躍らせるのは、やっぱり男でなければ分からないだろうな、と思ったりする。

この頃日本映画の割合古めのやつを何本か観ていると、「男なんだから」という表現で、かなり男と女を区別しながら育てていた時代があった雰囲気を感じた。そういう時代に育った自分にも、ほとんど残っていないと思われる、男らしさのカケラぐらいは身体のどこかにあるのかもしれない。

『真実一路』

1954年(昭和29年)・日本 監督/川島雄三

出演/山村聡/淡島千景/桂木洋子/須賀不二夫/佐田啓二/水村国臣/毛利菊枝/多々良純/市川小太夫/三島耕/水木涼子

1935年から1936年にかけて「主婦之友」誌上に連載された山本有三による小説の映画化。奇才・天才と謳われた川島雄三監督作品。後輩に教えられこの監督のことを知り、何本か鑑賞している。『幕末太陽傳』(昭和32年)は日本映画史上でも、傑作の1本として映画ファンの熱狂的支持がある。

淡島千景が綺麗だ。一種の汚れ役っぽい、はすっぱな役回りなのだが、妙に品がある。今なら米倉涼子のように顔立ちが良さそうに見えながら、品のなさが垣間見えるのとは正反対と言うべき。おのれ自身の清くなかったろう生活態度が、顔に表れていると言ったら、言い過ぎなのだろうか。

原作が文学作品だけに、映画も奇をてらうことなど一切なく、まさしく真実一路。映画タイトルは「眞實」と旧漢字が使われ、いかにも古そうな映画に見える。文学作品だけにセリフにも含蓄のある表現が多い。「母親になるのは簡単だが、母親であることは難しい」「時には嘘の方が、真実より真実に見える」「事実ばかりに気を取られないで、真実に従いなさい」。昭和6年頃を描いた映画だが、複雑な家庭環境の中で、大人達には秘密が多く、そのお陰で無用なトラブルを生じてしまう様が描かれている。嘘つきで秘密ばかりと言えば、現代の政治屋集団の特許みたいなもの。

『セントアンナの奇跡』(MIRACLE AT ST.ANNA)

2008年・アメリカ 監督/スパイク・リー

出演/ジョン・タートゥーロ/ジョン・レグイザモ/オメロ・アントヌッティ/ルイジ・ロ・カーショ/ジョセフ・ゴードン=レヴィット

ネタ晴らしにならない Wikipedia の解説を引用する。1983年のクリスマス前、ニューヨークで起きた殺人事件。新聞記者は刑事たちと、犯人の自宅で石像の頭部を見つける。それは、イタリア・フィレンツェのアルノ川に架かるサンタ・トリニータ橋にあったプリマヴェーラ像で、第二次世界大戦時にドイツ軍に橋を破壊された際に失われたものだった。1944年秋、イタリア・トスカーナ州セルキオ川流域。アメリカ陸軍の黒人部隊(通称バッファロー・ソルジャー)はドイツ軍と対峙していた。バッファロー・ソルジャーの伍長だった犯人の主人公は、戦線のドイツ軍側に取り残されてしまう。兵隊達が出会ったひとりの少年とともに、ヴィッラ・バジーリカの分離集落へと辿り着く。

監督の項も引用する。スパイク・リー(1957年 - )は、ジョージア州アトランタ出身の映画監督、プロデューサー、作家、俳優である。発表する作品ごとに社会的・政治的な問題を扱い、論争を巻き起こす事で有名である。現在ニューヨーク大学とコロンビア大学、ハーバード大学、ティッチ・スクール・オブ・アートで常勤の教授として映画について教鞭を執っている他、母校であるモアハウス大学でも時折教壇に立っている。彼が設立した映画制作会社40エーカー・アンド・ア・ミュール・フィルムワークスは1983年以来35本の映画を公開している。

奇跡の話であるので、映像的にちょっと胡散臭いのが欠点。ただ XXX村大虐殺とか言われる戦争での大悲劇映像を、これでもかと見せられると、言葉だけでその行為を批難しているのとは大いに違う、アピールになることが分かった。この時代のアメリカに住む黒人が、「自国では差別されるのに、イタリアでは差別されない」と、アメリカに対する自嘲の念をセリフで語るのが印象深かった。

『セブン』(SEVEN)

1995年・アメリカ 監督/デヴィッド・フィンチャー

出演/ブラッド・ピット/モーガン・フリーマン/グウィネス・パルトロー/ジョン・C・マッギンレー/リチャード・ラウンドトゥリー

確か、それなりにヒットしたような記憶がある。ストーリーは面白いが、こういう刑事物の推理進行は、出来過ぎた話にちょっとつまらなさを感じることがある。ブラッド・ピットは、スタートしての華やアイドル性はあるけれど、映画的なヒットをもて囃されたことが少ない。

グウィネス・パルトローは、いつも素敵な雰囲気で映画に登場するが、今回の刑事であるブラピの奥様役としては、何か違和感があった。普通、役者にこのような感想を持ったことがないけれど、今回は何故かふと浮かんでしまった。そもそもブラピの刑事役に違和感がある。

モーガン・フリーマンがうますぎるだけに、ひよっこ刑事役のブラピの拙い演技が丁度良いという感じの存在感なのだが、贔屓目に見ても現実味のない刑事ドラマに見えてしまった。先日見た『愛を読む人』の出来の良さが残像になっていて、すぐには抜け出せない。

『風の中の子供』

1937年(昭和12年)・日本 監督/清水宏

出演/河村黎吉/吉川満子/葉山正雄/坂本武/爆弾小僧/岡村文子

昭和12年といえば、今から75年前の映画、残っているだけでもすごい。フィルムの状態はかなり悪いが、昔のフィルムという先入観を持って見れば、ひどく気になる訳でもない。動かない写真よりもはるかに感動的な動画が、歴史の証人となってくれる。

子ども達が毎日のように12、3人が集まって、外で遊んでいる姿が懐かしい。川で泳いだり、木に登ったり、自分の小さい頃も同じような日々だったような気がする。水泳パンツではなくふんどし姿がおもしろい。最近ではお祭りなどでの大人のふんどし姿は見られても、子供が泳ぐためのふんどし姿は珍しく、可愛く見える。さすがに我々の時代には、もう水泳パンツになっていた。

ほとんど毎日外で友達と遊んでいた小学生時代。橋の下は丁度良い水泳場所、小舟で川を廻ったり、まだまだ開発されていない丘や小さな森もあり、番小屋を造ったり、ソフトボールで遊んだり、外で遊ぶことが商売人の両親への面倒のかからない一番の過ごし方だった。昭和32~35年の頃、昭和12年と比べても子供の遊びに著しい変化は見られなかったようだ。

『ハモンハモン』(JAMON JAMON, SALAMI, SALAMI, HAM HAM)

1992年・スペイン 監督/ビガス・ルナ

出演/ペネロペ・クルス/アンナ・ガリエナ/ジョルディ・モリャ

/ステファニア・サンドレッリ/ハビエル・バルデム/ファン・ディエゴ

あの子がペネロペ・クルスだったなんて、映画を観ている最中には分からなかった。調べてみたら、この映画が彼女のデビュー作品で、18才の時だということを知った。その後の活躍を、誰も予想出来なかっただろうが、今やハリウッド・スターの立派なひとりだ。

映画はひどく詰まらなく、ただペネロペ・クルスが若さに任せて、脱ぎっぷりよく美しい乳房や乳首まで見せていた。スペイン映画は、時々傑作と思えるような映画を輩出することがあるので、今回は期待をし過ぎてしまったのかもしれない。それにしても、お粗末なストーリーにお粗末な映像、飽き飽きしながら見終わった。

コスタ・デル・ソル地方での3日間のゴルフ三昧、バルセロナへのひとり旅、カンヌ映画祭帰りの遊びの時間を想い出す。その時のヘラルド副社長のサム・難波さんも亡くなってしまった。想い出だけが生きている。楽しい時間だったなぁ~、日本ヘラルド映画時代の日々。

『過速スキャンダル』(Scandal Maker)

2008年・韓国 監督/カン・ヒョンチョル

出演/パク・ボヨン/チャ・テヒョン/ワン・ソクヒョン

「猟奇的な彼女」でブレイクしたチャ・テヒョンが主演するコメディ、とある。韓国映画はまず観ないので、顔と名前が分からない。珍しく、間違えて録画してしまったらしく、だから見てみたという感じ。アクション映画よりはこちらの方が良いような気がする。アクションはどうも嘘っぽ過ぎて、大袈裟な仕掛けや動作が気に入らなかった。

日本映画のコメディよりはるかに笑える。テレビで見る芸人などは、笑わせようとする言葉や動作が、あまりにも幼稚っぽくて、しかも観客が笑わなければいけないのに、演じている芸人が先に笑顔になってしまっている、いつも。

時々は韓国人らしい激しい言葉のやりとりをしていたが、総じておとなしく、見ていて軽く、ベタベタ、ゴウゴウとしていないところがいい。最後まで飽きさせず、見させてくれたのには、正直驚いた。意外性のあるストーリーが、行き過ぎないコメディを支えているようで、好感を持った。

『ハッピーフライト』

2008年・日本 監督/矢口史靖

出演/田辺誠一/時任三郎/綾瀬はるか/吹石一恵/田畑智子/寺島しのぶ/岸部一徳/田中哲司/いとうあいこ/江口のりこ

ウォーターボーイズ(2001年)やスウィングガールズ(2004年)で大ヒットを飛ばした監督。なるほど、作り方が上手い。ツボを押さえているのだろう。偉そうに日本映画を作っている、他の監督にも見習って欲しいものだ。といって、手放しで誉めている訳でもないが。

フジテレビ、東宝が製作側、東宝は業界最大手で業界リーダーなのに、自社では映画を作らず、テレビ会社が製作する映画に乗るだけの、狡くてせこい会社に成り下がってしまっている。不動産運用だけで充分に利益をあげられているので、無意味な映画製作というリスクを冒そうとしない。そんな業界が発展する訳もなく、じり貧状態が永遠に続いている責任は、第一に東宝にある。

『愛を読む人』を観た直後の映画ということもあって、映画作りの奥の深さの違いを感じる。面白おかしいことは大切だが、用意されたストーリーに用意された脚本と演技だけの、薄っぺらな映画であることは確かなのだ。いつもテレビで見ている顔が、ただ大きなスクリーンに映されるだけ、という感が否めない。テレビでドラえもんを見ている子ども達が、時々映画館でドラえもんを見るのと同じような状況だと思う。もう少しまともな役者環境を作ってあげなければ、結局は映画などテレビ・ドラマと何も違わない映像だと思われても、仕方のないことになってしまう。

『愛を読むひと』(The Reader)

2008年・アメリカ/ドイツ 監督/スティーブン・ダルドリー

出演/ケイト・ウィンスレット/レイフ・ファインズ/デビッド・クロス/レナ・オリン/ブルーノ・ガンツ/アレクサンドラ・マリア・ララ

『タイタニック』から11年、ケイト・ウィンスレットは33才の裸身を惜しげもなく晒して、アカデミー賞の主演女優賞を獲得した。もう少し美しい乳房だったら良いのに、とあらぬ想いを廻らした。映画は前半と後半のテイストがまったく違い、興味の尽きない素晴らしい映画となっている。観ていない人がいたら、絶対に鑑賞をお勧めする。

テレビ録画予約時に何度もこの題名を見たが、[二]という二カ国語表示になっていて、結局は日本語吹き替え板になってしまうので、諦めていた。英語版をそのまま観て理解出来ることが一番良いのだが、生きているうちには出来そうにもないこと。生まれ変わったら、バイリンガルを目指そう。

Wikipediaに記載されている”制作背景”が面白かった。1998年にミラマックスが原作の権利を取得。ハンナ役にケイト・ウィンスレット、ミヒャエル役にレイフ・ファインズが配役されたが、ケイトのスケジュール(『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』の撮影)が合わず、ニコール・キッドマンがハンナ役となった。2007年8月から撮影開始。2008年1月にニコールが妊娠により降板し、当初配役されていたケイトがハンナ役に起用された。撮影も当初はロジャー・ディーキンスが担当だったが、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』の契約があったため、クリス・メンゲスに変更された。製作のアンソニー・ミンゲラとシドニー・ポラックが他界したため、ドナ・ジグリオッティとレドモンド・モリスを新たに加えた。公開時期を巡ってスコット・ルーディンとワインスタイン・カンパニーが対立し、2008年12月公開が決まったが、スコットは製作から降板した。アカデミー賞の規定ではプロデューサーは3人までとされていたが、今回は4人でも認められた。舞台はドイツであるが、全編英語による製作である。そのため登場人物名も英語読みとなっている(ミヒャエル→マイケル等)。


2017年1月7日に再び観たので記す。

『愛を読むひと』(The Reader)

2008年・アメリカ/ドイツ 監督/スティーブン・ダルドリー

出演/ケイト・ウィンスレット/レイフ・ファインズ/ダフィット・クロス/ブルーノ・ガンツ

ようやく6年8ヶ月でこの欄の作品が2000本になった。この映画は、1995年に出版されたベルンハルト・シュリンクの小説『朗読者』を、スティーブン・ダルドリー監督が映画化。第81回アカデミー賞では作品賞を含む5部門にノミネートされ、ケイト・ウィンスレットが主演女優賞を受賞。(Wikipediaより)

他人からどの映画を観ればいいのと聞かれ、どうしても題名が欲しいというときにはこの作品を出すだろう。一度目に観たときの感動は忘れない。情報がない中で観た方がいいという映画の典型的な映画だ。フラッシュバック手法が多少観客を戸惑わせるが、二度目となると凄く冷静に観ることが出来たのには我ながら驚く。内容をしっかり覚えていないけれど、最も肝心な箇所だけは記憶に鮮明だから為せる技だろう。「ネタバラシ」という言い方があるけれど、ネタがばれてしまってはこの映画の前半は台無しになってしまう。

ホロコースト裁判が戦後かなり行われていただろうことを想像させる。ドイツの汚点として後世に伝えることが大切だとは言うけれど、この頃の世界の社会不安は、そんなことをまったく忘れ去ってしまったような案配になっている。人間は何度でも同じような失敗を繰り返す。それは間違いない事実だけれど、人間の叡智という奴がもしかすると同じ過ちを防御してくれるかもしれない。

『恋するトマト』

2005年・日本 監督/南部英夫

出演/大地康雄/アリス・ディクソン/富田靖子/藤岡弘/ルビー・モレノ/村田雄浩/織本順吉/でんでん/あき竹城/石井光三

冒頭シーン、一台のバスが田舎道の停留所で止まり走り出す光景、字幕には「茨城県新治(にいはり)郡霞ヶ浦町」と字幕が表示される。しかもふりがな付きで。そうだよな、地元の人にしか読めない地名だよね。現在は「かすみがうら市の一部になってしまっているようだ。後で分かったことだが、バスの行き先は「土浦」。自分の実家、この当時は茨城県稲敷郡江戸崎町からも土浦行きのバスが出ている。高校時代3年間このバス通学。この辺りでは円を描くように土浦圏が存在していた。

懐かしいイバラキ弁、ちょっと恥ずかしい気持もあるけれど、役者は土地の言葉を良く再現している。「いがっぺよ!」というよく遣った言葉も、久しぶりに懐かしく聞こえてきた。東北弁のように有名でもなく、関西弁や九州弁のように市民権を得ている訳でもないイバラキ弁は、世間から見れば中途半端な方言。この頃ひと組の近隣栃木弁を売りにした漫才コンビが奮闘しているだけ。津軽弁のようにフランス語ではと思わせる美しい響きでも持っていれば、自慢げに今でも遣えるのだろうが。

企画・脚本・製作総指揮・主演を大地康雄が。サブタイトル「クマインカナバー」は、タガログ語で「ごはん食べましたか?」の意、マニラで浮浪者になった時に少女に掛けられた言葉。ヘラルド配給の『アイコ十六歳』(1983年・昭和58年))に14才で映画デビューした富田靖子も36才、この子は大女優になるなと予測したが、残念ながら大成しなかった。日本の農村に於ける嫁不足・後継者問題、フィリピンに於ける売春ツアー・じゃぱゆきさん等、日本・フィリピンが抱える深刻な問題を描いているが、機会があったら是非ご覧下さい。茨城県出身者でなくても、おおいに楽しめます。大地康雄の映画製作者としての才能を凄く感じます。

『レザボア・ドッグス』(Reservoir Dogs)

1992年・アメリカ 監督/クエンティン・タランティーノ

出演/ハーヴェイ・カイテル/ティム・ロス/マイケル・マドセン/クリス・ペン/スティーヴ・ブシェミ/ローレンス・ティアニー

クエンティン・タランティーノが監督・脚本・出演の三役を務めた犯罪映画、当時、28歳であったタランティーノにとって初めての監督作品。ある意味、出世作。題名の"Reservoir Dogs"は「掃き溜めの犬たち」の意。「Reservoir」とは元々、貯水池とか貯蔵所という意味がある。

彼の監督作品を語る時、この映画を観ていなければ、どうしようもない。ようやく見ることが出来た。題名からくる響きが、ハードで何かとてつもない得体の知れないイメージがある。観始まり、その期待は裏切られなかった。が、たけしの映画に似た、映画の中での無意味な殺戮が気になった。暴力に名をを借りた映像美は、危なっかしくて観ていられないところがある。映画だから許されるということではなく、世の中の一部が、脳裏に焼き付いてしまうその官能美に溺れてしまいそうだからだ。

余りにも出来過ぎた展開と無意味な殺人シーンは、たけし映画と共通する。映画が座席数1200席の映画館で1日5回も上映されるものだと分かっていれば、一握りの観客が喜ぶだけの映画を製作し、評価されたからと言って、実は本当の映画製作者として誉められている訳ではないと、気付かなければならない。こういう映画をプロと称する映画評論家は、大いに誉める癖がある。


2024年2月再び観たので記す

『レザボア・ドッグス』(Reservoir Dogs)

1992年・アメリカ 監督/クエンティン・タランティーノ

出演/ハーヴェイ・カイテル/ティム・ロス/マイケル・マドセン/クリス・ペン

クエンティン・タランティーノが監督・脚本・出演している。この著名な映画を観ていなかった? いや、観ているのかもしれない。あらためて講評すれば、ちょっとエキセントリックで乱暴で時代を挑発しているような映画に感じる。タケシのやくざ映画に相通じるところがあるような。

『美しい人』(Nine Lives)

2005年・アメリカ 監督/ロドリゴ・ガルシア

出演/ロビン・ライト・ペン/エイミー・ブレネマン/ホリー・ハンター/シシー・スペイセク/グレン・クローズ/ダコタ・ファニング

原題は「9人の人生」とでも訳せばいいのだろうか、美しい人という日本語とはまったく関係ない。オムニバスになっていて、9人の特に女性を主人公にした、9つのまったく関連しない物語。長編物語の途中12、3分を切り取ったような映像。途中から始まり、途中で終わってしまうと言う不満足感が残る。そこが良いのだと、言う人がいるだろうが。

何処から何処までが仕合わせで、どこから不幸が始まるのかという、仕合わせの境界線を切り取ってみせたような物語が続く。9人のアメリカを代表する女優が、それぞれの物語に登場し、人生の痛みを表現してゆく。オムニバスのはじめには、彼女たちの役名が表示される。例えば、「サンドラ」「ダイアナ」「ソニア」「サマンサ」など。

最初の物語が始まってすぐに、あっ!この映画観たことある、と思ったけれど見続けてみた。2話目もうっすらと覚えがあった。ところが3話目になったら、全然記憶になく、記憶される現象の研究に役に立ちそうな具合だった。ゆったりと映画に浸りたい性質(たち)の人間には、余りにも余韻を残し過ぎて終わってしまう物語は、ちょっとばかり消化不良といった感じ。

『秋深き』

2008年・日本 監督/池田敏春

出演/八嶋智人/佐藤江梨子/佐藤浩市/赤井英和/渋谷天外/山田スミ子/和泉妃夏/鍋島浩/別府あゆみ/要冷蔵/芝本正

往年の小津作品を思わせるような題名、ストーリーはなかなかのものだが、如何せん主役がいかん。八嶋智人などいつもテレビでおちゃらけた役ばかりやっているので、たまにこういう趣のある物語に出て来られても、拒絶する精神状態の方が強い。佐藤江梨子を好きではないが、この映画では良い味を出している、悪くない。

『夫婦善哉』などの作品で知られる織田作之助の短編小説を基にしているだけあって、伝えたい想いは良く伝わってくる。佐藤浩市もこんな映画に出ている暇はないだろう。もっとスターとしての自覚を持ち、1本1本吟味された作品に出演してゆくべき。

一体どのロードショー系列で公開し、誰に見て欲しいのだろうかと考え込む。この程度の映画なら、テレビ映画の特番として制作・放映すれば、それなりの価値も高まろうというもの。内容的には悪くはないと思うので、後はどうやってたくさんの人に見てもらえるかの仕組み作りをしなければ、日本映画に未来はない。

『吉原炎上』

1987年(昭和62年)・日本 監督/五社英雄

出演/名取裕子/二宮さよ子/藤真利子/西川峰子/かたせ梨乃/根津甚八/山村聡/左とん平/岸部一徳/井上純一/小林稔侍

吉原の5人の花魁の悲喜を描く。日本の公娼制度は、1193年頃の文献にも見ることが出来るという。この映画の時代は明治40年~43年を設定している。公に営業を許可された制度といいながら、世間的には「娼婦」「女郎」「淫売」などと、今では差別用語として言えないような言葉が、映画の中で頻繁に遣われる。

名取、かたせ、西川、藤ら今では考えられないような当時の有名女優の大胆なヌードシーンが、当時宣伝文句に謳われたことをうっすらと記憶する。名取裕子、好きなんだよね。あの鼻にかかった喋り方が、なんとも色っぽい。これだけの女優が裸身を惜しみなく披露するのも、監督の力が大きいのだろう。名取裕子は当時30才、まだ自分では大した女優ではないと思っていた節があり、演技にも初々しさが残っているのが印象的。

ある意味大らかな時代だったのだろう。人身売買と聞けば、それはいけないことと、今では即座に答が返ってくるが、身体で米の飯を得るという究極の選択が許されていたことが、悪いことだったのかどうか何とも言えない。時代と言えば時代の産物なのだろう。あまり頭でっかちになってしまうと、どうしても原則論が本道となってしまい、脇道にそれる行為は全部ダメという、考え方まで窮屈な世の中になってしまっているようだ。

『月に囚われた男』(MOON)

2009年・イギリス 監督/ダンカン・ジョーンズ

出演/サム・ロックウェル/ケビン・スペイシー/ドミニク・マケリゴット/カヤ・スコデラーリオ/ベネディクト・ウォン/マット・ベリー

デビッド・ボウイの息子ダンカン・ジョーンズの長編初監督作となるSF映画、という。見方によっては面白いと言えるかもしれないが、途中でまた寝てしまったので「見方」も形無し。

舞台は全編が「月」の上。一人で任務に就くというところから、ちょっと非現実的。と言っても現代の話ではなく、未来の話ではあるが、それにしても、地球で必要なエネルギー源を採掘するため、3年間の契約で月にたった一人で滞在する仕事に就く。というストーリーは、その時点で興味を削がれる。

人類初の有人火星探査宇宙船カプリコン1号、火星に行ったという事実の捏造を描いた映画を思い出した。ホントにアポロ11号は月に行ったのだろうか。最近でこそまた宇宙への探検に熱が入り始まったが、どうにも信じられない昔のイベントのような感じがしないでもない。

『姉妹』

1955年(昭和30年)・日本 監督/家城巳代治

出演/野添ひとみ/中原ひとみ/内藤武敏/望月優子/河野秋武

「いえき みよじ」という聞き慣れない監督作品。日本映画界の黄金時代、昭和30年代は華々しい花火のように煌びやかだった。直前鑑賞作品『兄とその妹』の島津保次郎監督も、今では一般的な知名度はそれほどないが、現代の日本監督には爪あかの存在だろう。中原ひとみは映画出演2作目のこの作品でブレイク、以後数多くの作品に出演し黄金時代を支えたひとりとなっている。

女2人の姉妹は美しい、男二人ではとてもじゃないけどむつけき存在。うちの娘達は3姉妹、それはそれで良かったのではなかろうかと思っている。この後も仲良く助け合いながら、人生を楽しんで欲しいものだ。親として望むのはそのくらいのもの、多くを望むことはない。

映画の中で冷たいことを「ひゃっこい」と言っていたが、自分の生まれた地方だけの方言かと思っていた。この映画は長野県が舞台なので、この言葉が広く関東地方で遣われていたと想像出来る。古き良き時代と言うけれど、昔が全部良かったなんて誰も思っていないが、昔の良かったことだけが綺麗事のように脳裏に残っている。

『兄とその妹』

1939年年(昭和14年)・日本 監督/島津保次郎

出演/佐分利信/三宅邦子/桑野通子/河村黎吉/坂本武/上原謙

貧しそうな一軒家でも朝食の食卓には、パンとバターとゆで卵が並ぶ。妹は派手なコートを羽織り、粋な帽子をかぶって、満員電車に揺られて出勤してゆく。英文タイプを打つくらいなので、普通のOLより、ちょっと進んでいるのかもしれない。この時代でも、横浜方面から東京へ向かう電車は満員だ。兄夫婦と妹の同居暮らし、今時では考えられないような、和やかな家庭である。

その妹の誕生日会がその貧しそうな一軒家で開かれた。女友達が4人お祝いに駆けつけた。もちろん畳の上で座っての会だ。終わった後に妹が義姉に尋ねた。用意してもらった会の食事代はいくらなの?と。9円70銭だという。子供の頃に遣っていた10円札や100円札を思い出した。

友人の家を訪ねた時、門でインターフォンで話すシーンがあった。昭和14年にもこんな設備があったのかと、正直驚く。ファッションにしてもこの時代のものを今着ていても、まったく違和感がないかもしれない。ただ、駅まで送るのにも「懐中電気」(懐中電灯)を持って、夜道を歩かなければならなかったのが、さすがかなと思わせる。映画はメリハリ良く、ダラダラせず、余計な長回しなく、日本映画の素晴らしかった頃を代表するように思える。何故現在のような、詰まらない日本映画業界になってしまったのか、想像が出来ない。

『ランジェ公爵夫人』(NE TOUCHEZ PAS LA HACHE)

2006年・フランス/イタリア 監督/ジャック・リヴェット

出演/ジャンヌ・バリバール/ギョーム・ドパルデュー/ビュル・オジェ

バルザックの原作を基に描く珠玉の文芸ロマンで、岩波ホールでの公開と知って、私にはとてもではないけど太刀打ち出来ない映画だと確信した。それでいいのだ、あらゆるジャンルに精通していたり、分かったような顔をするつもりなど毛頭ない。それでいいのだ。

てんぷくトリオの唯一の生き残り、伊東四朗がこの前演劇論を語っていた。セリフは覚えたら、忘れるのだという。相手のセリフなど、勿論覚えていてはいけないと。セリフを覚えていると、相手方のセリフに反応する時間が、無意識に早くなってしまい、その間(ま)が観客が期待するやりとりに違和感を及ぼすのだと。そのことは以前にも書いたことがあった。演技はアクションではなく、リアクションだと。

この映画は終始舞台劇のようにセリフだけを語りかける。堪えられなくなったのは、こちらのせいばかりではないと思いたい。てんぷくトリオの元メンバーの残り二人は、三波伸介、戸塚睦夫、もうだいぶ前に亡くなっている。

『突然炎のごとく』(Jules et Jim)

1962年・フランス 監督/フランソワ・トリュフォー

出演/ジャンヌ・モロー/オスカー・ウェルナー/アンリ・セール/マリー・デュボワ/サビーヌ・オードパン/ミシェル・シュボール

ヘラルド入社前の配給作品。入社してからしばらくして、「突炎」(トツホノ)を話題にして、この映画の良さを誉めまくっていた先輩がいたことを思い出す。以下、ウィキペディアからの引用である。

原作はアンリ=ピエール・ロシェの小説。ストーリーの大枠は同名の作品に基づいているが、いくつかのエピソードやセリフはロシェの他の作品から取り出したものである。ジャンヌ・モロー演じるカトリーヌの奔放で開放的なキャラクターは多くの女性から共感を得た。トリュフォーのもとには「カトリーヌはわたしです」という内容の手紙が世界中から届いたという。特に当時女性解放運動が活発化しつつあったアメリカとイギリスでは、フランス映画としては異例のヒットを記録した。ただし、トリュフォー自身は、本作が「女性映画」のレッテルを貼られて政治的な文脈で評価されることや、登場人物と自分とを短絡的に結びつける自己愛的な映画の見方に対して否定的である。

ジャン=リュック・ゴダールは本作に刺激されて『気狂いピエロ』をつくったという。クエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』に”Don't fucking Jimmy me, Jules”というセリフがある(本作の英題”Jules and Jim(ジュールとジム)”を意識している)。ジャン=ピエール・ジュネ監督の『アメリ』において、本作の2つのシーンが引用されている。キャメロン・クロウ監督の『バニラ・スカイ』において何度も本作がリファレンスされている。ポール・マザースキーが『ウィリーとフィル 危険な関係』でこの映画にオマージュを捧げている。

『紀ノ川』

1966年年(昭和41年)・日本 監督/中村登

出演/司葉子/岩下志麻/有川由紀/田村高廣/丹波哲郎/東山千栄子

早稲田に入り上京した年の作品。映画とはほど遠いところにいたこの頃、その後も作品名を何度も聞いたことはあるが、初めての鑑賞となった。有吉佐和子の長編小説をもとに、明治、大正、昭和の三代にわたる女の大河ドラマ。

私の愛してやまない『輝ける青春』(上映時間6時間)くらいの長さが必要だったかもしれない。ちょうどその半分の3時間では、長編ではあるが、見ると分かる描き切れていないもどかしさがある。岩下志麻22才、顔立ちにも声にも、現在と変わらぬところが多く、早熟した女優の姿を見ることが出来る。司葉子は、明治32年から昭和21年まで、特殊メイクが本格化していない時代ながら、女の一生を見事に演じている。女の逞しさを描いた映画である。

大作感はあるけれど、どうも中途半端な出来だというのが正直な感想。音楽がおどろおどろしくて、ミステイリー大河ドラマのバックグラウンドのように聞こえた。活字世界の方が、かなり良さそうな感じがしている。

『舞妓Haaaan!!!』

2007年・日本 監督/水田伸生

出演/阿部サダヲ/堤真一/柴咲コウ/小出早織/京野ことみ/酒井若菜/生瀬勝久/真矢みき/吉行和子/伊東四朗

宮藤官九郎が脚本を、阿部サダヲが映画初主演を務めた異色コメディ、という解説を見て、なるほど詰まらないのは当然かと思った。詰まらなさ加減は冒頭からで、5倍速を駆使してものの10分もしないうちに見終わった。やっぱり見てないじゃん、と言われれば、その通り。見るに値しない、誰が金を出しているのか余計なお世話かもしれないが、こんな映画を作っている暇があるなら、世の中の為になることに、お金を遣って欲しい、心から。

京都もしばらく行っていないなぁ。文化的ではない自分の人生は、京都への興味を、刺激することはなかった。それなりに回数は重ねているが、それはあくまでも恰好を付けているだけ、心底魅せられているのではない偽物人間が本性だ。

柴咲コウは好きな顔なのだけれど、舞子になるとブスに見えた。あの手の顔はスッピン顔の方が、美しく見えるかもしれない。京野ことみのクレジットを見て、えっ!どれが京野ことみと分からなかった。もっとも、5倍速ではじっくりと容姿すら見定められないのは当然だが。

『ショウタイム』(SHOWTIME)

2002年・アメリカ 監督/トム・デイ

出演/ロバート・デ・ニーロ/エディ・マーフィ/レネ・ルッソ/フランキー・R・フェイズン/ウィリアム・シャトナー

エディ・マーフィーとロバート・デニーロが演じる警官コンビ、と聞いただけでコメディに間違いないが、始まって暫くは、この後どうなってしまうんだろうと思いたくなる進行だ。実はこの映画を観る前に、3本録画したものを観ないで削除してしまった。

録画予約時には、たぶん観ていないだろうと、深く考えないで予約するのだが、いざ観る段階になって、あらためて自分の『最近観た映画』の映画題名一覧表で確認した結果。それでももう一度観る映画は何本もあるが、今回は3本ともパスしてしまったという次第。

アメリカ映画お得意の警官映画、アクションもふんだん取り入れて、単純に楽しめる。この映画も一度観たことがあることは、途中から気が付いていたが、いつも通りぼんやりとした雰囲気しか記憶になく、まったく問題なく楽しめた。こういう映画は好きだ。余計なことを考えることもなく、おふざけもそれに優るアクションで、すぐに気分転換させてくれる。デ・ニーロの役者としての芸達者ぶりが、抜きんでているのを証明しているよう。

『クレールの刺繍』(BRODEUSES)

2004年・フランス 監督/エレオノール・フォーシェ

出演/ローラ・ネマルク/アリアンヌ・アスカリッド/トマ・ラロップ/マリー・フェリックス/アルチュール・クーエン

「しみじみと感動できます 」という評は、まんざら嘘ではないだろう。フランスのどこか、片田舎に住む少女が主人公。終始暗く、気が滅入ってくるので、見る機会があるようなら、体調のよい時間を選んだ方が良い。

世界中のどこかで、そして何処ででも、人間の営みはさほど変わらない。意に沿わない妊娠をして、どうしようかと悩みながら、出産を迎えるなんてことは、世界規模では日常茶飯事なことかもしれない。ただ劇中の話によれば、フランスでは「匿名出産」という出産を、どの病院でも出来るという。生んで、すぐに里子に出す制度らしい。生きることに対する現実的な諸制度は、とても欧米にはかなわないと感じる。

生きることへの希望は、子供を授かること、そして手に職を持って自立出来ることだと、この映画の主人公は強く思い、未来へのかすかな光を見せながら、映画は終わってゆく。

『暖流』

1957(昭和32)年・日本 監督/増村保造

出演/根上淳/左幸子/野添ひとみ/小川虎之助/村田知栄子/船越英二

いやぁ~面白いですね。冒頭からテンポよく、余計な長回しやぐずぐずしたところがない。この時代にこんな映画があったのか、と驚くくらいのノリの良さだ。ここ何十年かの日本映画の怖ろしく間延びした映像は、こういう時代の寵児映画を踏み台にしていないようだ。左幸子も野添ひとみも、リアルタイムでは普通の顔立ちで特に印象深い女優としては見ていなかったが、この映画で観るご両人は端正な顔立ちと品の良さに溢れていた。最近のテレビタレントの顔に毒されていると、昔の普通に綺麗な人が、とてつもなく素晴らしく見えてくる。

調べてみた。監督の増村保造は、この映画の5年前イタリアに留学して、フェデリコ・フェリーニやルキノ・ヴィスコンティらに学ぶとあった。イタリア語で日本映画評を書いていたという話もある。また、当時の巨匠成瀬巳喜男を『日本の社会をそのまま認め、はかなき小市民の「情緒」を描く自然主義的風速映画』と、他に今井正作品を痛烈に批判したらしい。

生涯で残した全57本の作品は、「強烈な自我を持ち、愛憎のためなら死をも厭わない個人主義」=ヨーロッパ的人間観に貫かれている。モダンで大胆な演出により、これまでにない新しい日本映画を創出した。こういう解説を読むと、この映画が他の日本映画とは、一線を画すものだということがあらためて分かる。それにしてもこの頃の日本映画、少しは見習えよと言いたい。

『クリスティーナの好きなコト』(THE SWEETEST THING)

2002年・アメリカ 監督/ロジャー・カンブル

出演/キャメロン・ディアス/クリスティナ・アップルゲイト/セルマ・ブレア/ジェイソン・ベイトマン/パーカー・ポージー/トーマス・ジェーン

こんなお馬鹿さんな映画を観たことがない。下ネタ満載で、呆れるほど。まさか劇場用映画ではないだろうと思い、エンドクレジットをじーっと見ていたが、どうもちゃんとした映画のようだった。それにしても、こんな軽い映画を作るアメリカ映画の奥は深い。

2、3年前のスーパーボールの観客の中に、キャメロン・ディアスとニューヨーク・ヤンキースの超スーパースター、A・ロッド(アレックス・ロドリゲス)が二人でいるところが映し出された。中継のNHKのアナウンサーは、そのことに触れなかったことを鮮明に覚えている。そして昨年のオフシーズン、巨乳好きのA・ロッドに新しい恋人が出来たとかいうゴシップがスポーツ紙に載っていた。キャメロン・ディアスにも豊胸手術を勧めたとかいうおまけ話もついて。

キャメロン・ディアスはテレビCMに出ていたので、日本でも非常にポピュラー。親しみやすいのはいいが、反比例して映画女優としての存在感がなくなっている。やっぱり俳優という職業は、遠くて手の届かない存在であって欲しい。

『イヴォンヌの香り』(Le Parfum d'Yvonne)

1994年・フランス 監督/パトリス・ルコント

出演/イポリット・ジラルド/ジャン=ピエール・マリエール/サンドラ・マジャーニ/リシャール・ボーランジェ

面白い評があったので引用する。映画をどの視点で観るのかが、問われた時の答え。淀川長治さんは、その映画の良いところを評していた。だからどんな映画でも賞めていたように感じるのだ。

アルジェリア紛争の頃の南仏を舞台に、徴兵を逃れ貴族的蕩尽生活を送る主人公が運命の女に出会う。脚本がうまく書けていないルコント作品など見るに耐えない。そもそも、今デュヴィヴィエみたいな“フィルムで小話”的指向の監督さん。ちょっとトリュフォーを気取った三角関係を何やら思い入れたっぷりに描くのだが、人物造型がいつになく浅く、女にも男二人を虜にする官能(エロス)がない。ただひたすら登場人物のファッションばかりに目がいってしまう。『アンアン』の読者向け映画。~allcinemaより

フランスのレマン湖畔の避暑地で、パリから徴兵を逃れてきたビクトールは、ゲイの医師ルネと美しい女性イボンヌに出会う。ロシア人伯爵と偽るビクトールは、イボンヌとすぐに愛し合うようになるが……。「仕立て屋の恋 」「橋の上の娘」のパトリス・ルコント監督が描くラブロマンス。~映画.COMより

『タイムマシン』(The Time Machine)

2002年・アメリカ 監督/サイモン・ウェルズ

出演/ガイ・ピアース/ジェレミー・アイアンズ/オーランド・ジョーンズ/シエンナ・ギロリー/サマンサ・ムンバ/マーク・アディ

H.G.ウェルズの小説『タイム・マシン』を原作とした映画、1959年のSF映画『タイム・マシン 80万年後の世界へ』(アメリカ)のリメイク作品。監督のサイモン・ウェルズは原作者H.G.ウェルズの曾孫であるという。

タイムマシンを描いた映画は数多く作られている。この映画はどのタイムマシンかな、といった心境で観始まった。タイトルから暫くしても初見参だと思っていたが、あるシーンになって、あっこれやっぱり観ているわ、と気が付いた。けど、タイムマシン好きの人間は、そこでやめることはしなかった。

1890年代から2030年代、そして一気に80万年後に行ってしまう奇抜さは、ちょっとばかり興味を失せさせる。どうも映画で描くタイムマシンの機械は、どの映画でもよく似ている。しかも原子爆弾戦争の末の地球には、地上で生きる人間と、地下で生きる人間がいる、というような描写も不思議と同じで面白い。いつも思うこと、それは今日死んでも問題ないので、100年後、また千年後の地球規模の様子をこの目で見たいこと。それこそSFだ。

『アジアンタムブルー』

2006年・日本 監督/藤田明二

出演/阿部寛/松下奈緒/小島聖/佐々木蔵之介/高島礼子/村田雄浩/小日向文世/

大崎善生による日本の恋愛小説の映画化。短い命だった「角川ヘラルド映画株式会社」時代の配給作品。もちろん原作を読んでいない。本を読むという作業をしたことのないここ何十年。今や活字が大きくなった新聞ですら、読むことは困難になってしまった。いざというとき、例えばパソコンをくみ上げる時などは、コンタクトレンズを外し、心の準備も整えてから取りかかるようにしている。

アジアンタム(学名:Adiantum raddianum)とは観葉植物のことで、劇中の説明によると、この植物はこまめに水をやらないと、枯れはじめると手の施しようがなく、その状態は“アジアンタムブルー”と呼ばれるが、ごくまれにその“憂鬱”を抜けだし、再び青々とした葉を茂らせることがあるという。この映画も同じように、悲劇的な状況を抜け出し、ひたむきに愛を奉仕しあう“大人の恋愛物語”として製作された。

淡々とした映画の進行は、いつものくだらない日本映画とはひと味違う。何とも言えない気怠さと、穏やかな映像を好ましく観ることが出来た。ついつい10分くらい、知らないうちに眠ってしまったのには、自分でも驚いた。面白くないからではなく、心地よい眠りだったのである。その見逃した部分を、後から見直す気持になるくらいだから、結構満足した映画と言えるだろう、自分にとっては。

『ハリウッド式 恋のから騒ぎ』(THE DEAL)

2008年・アメリカ 監督/スティーヴン・シャクター

出演/ウィリアム・H・メイシー/メグ・ライアン/ジェイソン・リッター/フィオナ・グラスコット/シャロン・レジニアーノ/ ジョン・カーソン

録画した後の日本語タイトルを見て、これはダメだと一瞬見る気も起こらなかった。劇場公開していれば、間違ってもこんな題名を付ける訳もないが、DVD直接発売だと、業界の違いからもお気軽すぎて批判する気にもなれない。一体誰が提案して、最終決定責任者は誰なんだろう。

内容は結構面白いものだった。といっても、映画業界にいた人だけが分かる面白さといってもいい。『バラエティ』(Variety)誌(紙)というエンターテインメント界の記事専門誌の原物が出て来たり、多少専門用語が分からないと、面白さも半減するだろう。ということもあってか、劇場公開には至らなかったのかもしれない。

映画プロデューサーをつかまえて「誠意のカケラもない。」と罵るシーンなど、業界人なら思い当たる節があるかも。1本の映画をフィニッシュするのには、想像もつかない困難が待っている。普通の人が見ても、その難しさが、単なるお笑いで終わってしまいそうで、面白さと共に共感するところが薄いかもしれない。結局映画製作者には、勇敢さと超然さが求められると、この映画にあるセリフが的を射たことを言っている。

『ジャッキー・ブラウン』(Jackie Brown)

1997年・アメリカ 監督/クエンティン・タランティーノ

出演/パム・グリア/サミュエル・L・ジャクソン/ロバート・フォスター/ブリジット・フォンダ/マイケル・キートン/ロバート・デ・ニーロ

監督クエンティン・タランティーノは、本人の容貌も特異だが作った映画もみんな奇抜だ。『レザボア・ドッグス』(Reservoir Dogs・1992年)、『パルプ・フィクション』(Pulp Fiction・1994年)、『キル・ビル』(Kill Bill: Vol.1・2003年)などなど。熱狂的なファンも結構多い。

この映画のロバート・デ・ニーロが面白い。面白いというか、脇役でしかもちょっと老けてしまったドジな犯罪人役なのだ。1965年以来30年以上も数多くの主役ばかりを演じてきていた彼にとっては、こんな役柄もたまにはいいもんだと思っている節が見える。それはそうだ、まだまだいろいろな役を演じてみたいという欲望は、増すばかりだろうと想像する。

ジャッキー・ブラウンは女性の名前。密売人の金の運び屋をやってまでも、逞しく生きている黒人女性の姿を描いている。ある意味この監督には珍しいまともな筋書きだが、2時間34分という長尺にもかかわらず、飽きさせることのない映像はさすがというほかない。

『イルマーレ』 (The Lake House)

2006年・アメリカ 監督/アレハンドロ・アグレスティ

出演/キアヌ・リーブス/サンドラ・ブロック/クリストファー・プラマー/ディラン・ウォルシュ/ショーレ・アグダシュルー

2000年の韓国映画『イルマーレ』(イタリア語で海を意味する「イル・マーレ(Il Mare)」という名の海辺の家を舞台にした映画。)をリメイクした恋愛映画だという。だからか!、どうも腑に落ちない展開や、ちょっと無理のある設定があり、せっかくのスター共演が、いまいち面白くなり損ねている。

タイム・マシーンや時空を超えた話は大好きだが、この映画の時空は何と2年間だけの差、ちょっとスケールが小さすぎて、そういう意味で映画の面白さが出て来なかったのかもしれない。今までになかったこの2年間だからこそ面白い、と考えるのは勝手だが、出来上がった映像は時空が近すぎて辻褄が合わなくなり、残念ながら失敗作と言わざるを得ない。

キアヌ・リーブスは1985年から映画出演してるが、1994年の『スピード』(Speed) で一気にブレイク、『マトリックス』(1999年)でスターの座を確固たるものとした。日本人好みのアメリカン・スターの一人。トム・クルーズ、ジョニー・デップ、ブラッド・ピットあたりが日本で超のつく人気スターか。ヘラルド時代、この手の作品を買うことが出来ず、いつも歯がゆい思いをしていた。

『東京タワー』

2004年・日本 監督/源孝志

出演/黒木瞳/岡田准一/松本潤/寺島しのぶ/宮迫博之/平山あや/加藤ローサ/半田健人/余貴美子/岸谷五朗

直木賞作家・江國香織の同名恋愛小説の映画化という、小説の内容にいちゃもんを付けつもりはない。若い男が人妻で子供のいない女と火遊びのつもりが、本気になってしまった、みたいな内容にしか感じられなかった。二組のそのような男女の顛末は、小説的にも映画的にも面白い題材であることは確か。

若い男は映像的に二人ともいわゆるイケメン岡田准一と松本潤、女の側といえば、一人は綺麗で可愛くて自分の店も持っている黒木瞳、もう一人は決して綺麗とは言えない、ごく普通の主婦としての寺島しのぶ。愛欲シーンが不可欠ではあるが、日本映画の限界、あるいは黒木瞳のよそよそしい演技が興味を引かせる。台本をただ読んでいるようなせりふ回しや大胆ではない演技に、役者を変えればもう少し違っていたのになぁ、という感想が湧き上がる。

飽きてはいたが、めずらしく等倍速で最後まで観ることが出来た。ただ、共感する部分は何処にもなく、映画としては悪くはないが、一体誰がこの映画を観たいのか、誰に見せたいのかという単純な疑問が残る。小説よりも優れて映像化出来る内容ではなく、文字だけで想像を廻らせていた方が健全だろうと思ってしまう。

『愛という名の疑惑』(FINAL ANALYSIS)

1992年・アメリカ 監督/フィル・ジョアノー

出演/リチャード・ギア/キム・ベイシンガー/ユマ・サーマン/エリック・ロバーツ/ポール・ギルフォイル

リチャード・ギアが主演と製作総指揮を兼任しているというが、役者の欲張りがちょっと結末の冗長性を表現してしまった。途中まではそれなりだったが、最後のひとひねりが余計で、映画を台無しにしてしまった。

キム・ベイシンガー39才、リチャード・ギア43才とはとても思えない若々しさで、ベッドシーンを演じている。金のためなら愛を偽ってでも、夫殺しをしようというもの、日本語題名はそういうつもりなのだろう。男の職業は精神科医、原題にはその生業が反映されている。

最近でこそ日本の街にも「心療内科」という医院の看板を見ることが出来るが、占いと同じようにどうにも分かりそうにないことに、お金を払いたがらないのが日本人のようだ。アメリカ人のセラピー好きは、映画でたびたび確認出来るけれど、何かを他人に話すという行為が、実は心の安らぎに繋がっているのだと、教えられる。

『シャイン』(Shine)

1996年・オーストラリア 監督/スコット・ヒックス

出演/ジェフリー・ラッシュ/ノア・テイラー/アレックス・ラファロウィッツ/アーミン・ミューラー=スタール/リン・レッドグレーヴ

オーストラリア・メルボルンに住むユダヤ人家族、ユダヤ人父親の厳格さは他の映画と同じく絶対だと描かれている。実在天才ピアニストの狂気と才気の狭間が、父親との関係をクローズアップして描かれて行く。良くある天才物語とはちょっと趣の違う、うまく理解出来ないままに物語は進行して行く。

最後の10分を描きたくて、この映画が作られたような気がした。同じことの繰り返しで、ユダヤ人父親の厳しさのみが映画のテーマでは面白くないと見守っていたが、最後に来ていよいよ感動の場面となった。分かってはいても涙が流れ、この10分だけで後味の良い気分を味わうことが出来た。

人生だって同じこと、棺桶に入る時に仕合わせだと感じられれば、人生全部が仕合わせだったと思えるかもしれない。それでも、現実の1分1時間が苦しい状態では、先のことを考えられるほど気楽ではない。


2024/2月再び観たので記す

『シャイン』(Shine)

1996年・オーストラリア 監督/スコット・ヒックス

出演/ジェフリー・ラッシュ/ノア・テイラー/アーミン・ミューラー=スタール

オーストラリアの実在のピアニストであるデイヴィッド・ヘルフゴットの半生を描いている。天才ピアニストとは彼を指して言うことなのだろう。狂気と現実の狭間に翻弄されて、人間なのか神なのか誰にも分からない人生を歩んでいる。父親が天才的な子供の将来のために奨学金を得てさえも自分の元を離れていくことに反対したのは何故なのだろう。物語なら何も気にしないですむが、実話となるとそんな父親の気持ちを知りたくなって仕方がない。

『マンハッタン・ラプソディ』(The Mirror Has Two Faces)

1996年・アメリカ 監督/バーブラ・ストライサンド

出演/バーブラ・ストライサンド/ジェフ・ブリッジス/ローレン・バコール/ジョージ・シーガル/ミミ・ロジャース/ピアース・ブロスナン

女優、作曲家、映画プロデューサー、映画監督と八面六臂の活躍をしているバーブラ・ストライサンド、神は不公平にも才能を一人の人間にたくさん与えた。こういう映画が作りたいと思ったのだろうが、その発想を実際製作し監督した作品が、これだけ面白いとただただ感心をするばかり。映画が作りたいからと作るのはいいが、どうにもならない日本映画を数多く見ていると、この差は一体何処に由来するのだろうかという素直な疑問が湧き上がる。

男と女の間にはSEX抜きでの真の愛は存在しないのだろうか、という永遠のテーマを面白おかしく、そしてユーモアいっぱいに描いて行く。こういうテーマを描かせたらアメリカ映画は天下一品、日本映画ではもっとも苦手な範疇である。

学生時代からこのテーマには興味があった。実践することも難しい課題だが、現実的には長続きする人生の友人を多く得ていることも確か。日本語題名と原題とがあまりにも違いすぎるので気になる。製作者の意図が表面から崩されているようで、気に食わない。映画を観れば、この原題の意味するところが良く分かるのだが。

『80デイズ』(AROUND THE WORLD IN 80 DAYS)

2004年・アメリカ 監督/フランク・コラチ

出演/ジャッキー・チェン/スティーヴ・クーガン/セシル・ドゥ・フランス/アーノルド・シュワルツェネッガー/ジム・ブロードベント

何のことはない『80日間世界一周』の再映画化。ジャッキー・チェンの映画をきちんと見たことがない。今回も結果的には眠ってしまったので、途中までしか見なかったが、お決まりのアクションを彼が身体を張って演じているだけの、古くさすぎる映像には興味が湧かない。しかも断末魔の時期だったヘラルド配給と知って、またゴミをつかまされたな、と思わざるを得なかった。

正月早々いつもながらの貶しの感想はどうかと思うが、詰まらないものは詰まらないとして、今年も貶しまくろうと決意を固める。面白い映画に出逢う確率は、ごく希ではあるが、その映画を見ないで死んでしまう不幸を考えれば、どうしても見続けなければならない。

この映画のつまらなさは、次の引用にも見られる。「最先端のコンピュータグラフィックスを駆使し、世界10か国出のロケを敢行した大作であったが、オリジナルのような評価(アカデミー作品賞他)を得ることはできなかった。逆に第25回ゴールデンラズベリー賞で最低助演男優賞(アーノルド・シュワルツェネッガー)と最低リメイク及び続編賞の2部門でノミネートされた。」

『歓喜の歌』

2007年・日本 監督/松岡錠司

出演/小林薫/浅田美代子/伊藤淳史/光石研/根岸季衣/でんでん/渡辺美佐子/片桐はいり/塩見三省/立川談志/由紀さおり

年末に放映しようと予定していたのだろうが、さらに話題が二つ重なった。ひとつは立川談志の死去。この映画は、立川志の輔による新作落語を原作としているが、彼は談志の弟子、本人もちょっと映画に顔を出している。もう一つは由紀さおりの再ブーム。この映画が出来た頃は予想も出来なかったが、ピンク・マルティーニとのコラボレーション『1969』が2011年に世界20ヵ国以上でCD発売・デジタル配信され、海外で高く評価されている。

久しぶりに日本映画を等倍速で観た。ちょっとおちゃらけた雰囲気はあったが、歌の場面はさすがにふざけることも出来ず、真面目な画面に戻ったのが良かったのだろう。日本映画のコメディーというのは、何故そんなに面白おかしいセリフを言ったり、面白おかしい振る舞いをしないといけないのだろう。

落語で聞くよりも、映像の方が面白いのではないかと思った。小林薫がいい。滲み出る笑いの要素を持っているようだ。漫才やテレビ芸能人にはない、役者としての何かがある感じがする。映画での主役を、もっとやる機会に恵まれることを願う。

『キッド』(THE KID)

2000年・アメリカ 監督/ジョン・タートルトーブ

出演/ブルース・ウィリス/スペンサー・ブレスリン/リリー・トムリン/エミリー・モーティマー/ジーン・トーマス/チー・マクブライド

8歳の頃の自分に出会ってしまった男に『シックス・センス』でも子供とコンビが絶妙だったブルース・ウィリス。彼の8歳の子供時代を演じるのは映画初出演のスペンサー・ブレスリン。監督は「この役はブルース以外に考えられない」と言いはなった、『クール・ランニング』『あなたが寝てる間に…』のジョン・タートルトープ監督。見終わった後、自分自身は子供の頃なりたかった大人に今なっているのか?と心の中で自分に問いかけてしまうメンタリティな作品でもある。(allcinemaより)

どうにもならなくなり深く眠った。面白くなかったからで、引用するしか能がない。そういえば、シックス・センスもちっとも面白くなかった記憶があり、どうもこういう心理映画は苦手なようだ。眠る前までは、もう少ししたら映画が展開するだろうと期待していたが、一向に話が進まないのを確認しながら、眠ってしまった訳だ。

2011年年末、最後の1日になる明日くらい、せめて眠ることなく映画を完賞(鑑賞)したいと願っている。

『イン・ザ・プール』

2004年・日本 監督/三木聡

出演/松尾スズキ/オダギリジョー/市川実和子/岩松了/ちはる/松岡俊介/田中要次/嶋田久作/きたろう/三谷昇/森本レオ

いきなり製作に日本ヘラルド映画が出て来たのでびっくりした。2004年当時はまだ角川の名前もなく最後の頃だったのだろう。エンド・クレジットには知った名前も出て来て言いにくいのだけれど、こんな映画を作っていたようなら潰れても当たり前の会社と罵りたい。

あまりの面白くなさに反吐が出るとはこのことだ。内容的にも問題ありとみた。精神科医の表現があまりにも不適切で、こんな医者なら誰も門を叩かないだろうと思わせる。いくら表現の自由とはいえ、こんなおちゃらけた医者を登場させなければ、お笑いがとれないのか。不謹慎極まりない。

自由が大好きな人間でも、もちろん許せないことはいっぱいある。その典型がこの映画だ。年末に当たり大きな声で『喝』を入れる。

『99年の愛~JAPANESE AMERICANS~』

2010年・日本 演出/福澤克雄

出演/草彅剛/仲間由紀恵/松山ケンイチ/イモトアヤコ/大泉洋/中井貴一/泉ピン子/市川右近/八千草薫/上條恒彦/岸惠子

TBSテレビの開局60周年記念として、2010年11月3日 - 11月7日まで、5夜連続で放送されたテレビドラマの特別番組。2011年12月26日と27日に再放送された。なんと1日目は3時間、2日目は5時間という番組枠だった。コマーシャルもかなり入っているが、一気に見た人はどれだけいたのだろうか。

リアルタイムでも見たような気がするが、今回の方が印象深かった。当然録画をしたものを見たのであるが、追っかけ再生という便利な機能があって、録画をしながら再生は1時間後くらいから始めると、CMを飛ばしあとはほとんどを2倍速で見た。面白くないから2倍速なのではなく、今回は全体の時間の問題。それでも全体を1日で通せたことが、印象に繋がっているのだろう。

大泉洋がかなりいい。役者としての将来性を感じる。シアトルがあんなに酷い「ジャップ」嫌いだなんて。イチローの活躍が大きく取り上げられるのも、こういう背景があったのか。アメリカでの差別は、この映画に限らず結構酷いところが描かれているが、ジャパニーズ・アメリカンの人達の苦労がしのばれる。日系アメリカ人のみで編成された442部隊の存在など、歴史上の出来事も教えられた。

『ぐるりのこと。』

2008年・日本 監督/橋口亮輔

出演/木村多江/リリー・フランキー/倍賞美津子/柄本明/寺田農/寺島進/八嶋智人/加瀬亮/片岡礼子/木村祐一/温水洋一

リリー・フランキーの名前を聞いたのは、いつ頃からだったのだろう。ふざけた芸名で、それ自体が気に食わなかったが、テレビのコマーシャルで姿や声を見聞きしてから、さらに不愉快な存在となってしまった。人の好き嫌いに理由はなく、嫌いなものは嫌い、好きな人はどうしようもなく好きなので仕方がない。

いつも不謹慎な見方しかできていない日本映画なので、今回は嫌な奴が出ていても我慢しながら普通倍速で観ていた。が、やっぱり駄目だった。それでも30分以上はきちんと観ていたと思う。2倍速になり、さらに5倍速へと移行して、見終わった。途中2倍速であることを忘れていた瞬間があり、それに気付いた時のショックは相当なものだった。

年末には日本映画のいろいろな賞が発表されているけれど、底の浅い役者人もさることながら、映画作品が実に詰まらないものばかりで、往年の世界に冠たる日本映画はどこへ行ってしまったのだろうと、嘆き悲しんでいる。一組の夫婦を主人公に、生まれたばかりの子供の死を乗り越える10年の軌跡を描いた90年代が舞台の感動ドラマ。と、書いてあるところがあったが、どこが感動ドラマなのかまったく理解出来ない。

『天使のくれた時間』(THE FAMILY MAN)

2000年・アメリカ 監督/ブレット・ラトナー

出演/ニコラス・ケイジ/ティア・レオーニ/ドン・チードル/ジェレミー・ピヴェン/ソウル・ルビネック/ジョセフ・ソマー

優雅な独身生活を謳歌していたビジネスマンが昔の恋人との“もうひとつの人生”を体験することで本当の幸せに目覚める姿を描いた大人のファンタジー。成功を夢見て恋人ケイトと別れロンドンへ旅立ったジャック。13年後のいま、ジャックは大手金融会社の社長として、優雅な独身生活を満喫していた。クリスマス・イブ、昔の恋人ケイトからの電話があったが、かけ直すことはしなかった。その夜、自宅で眠りについたジャックだが、目覚めると、ケイトと我が子2人に囲まれた家庭人ジャックになっていた……。(allcinemaより)

天使好きの日本人のために付けられた題名なのかな?原題とは似ても似つかない日本語題名、前述allcinemaの解説にあるように、彼の心の底にある憧れは家庭人なのだというのが原題の言うところ。『天使にラブ・ソングを…』(Sister Act)は日本語タイトルとしては綺麗だが、これまた原題とはほど遠い。

人生の岐路は思いがけない瞬間(とき)に起こっている。後から考えれば、なるほどあの瞬間だったのか、と思えることも、その時にはそんな余裕がある訳でもなく、もっと考える時間があれば人生も変わっていただろうにと思うばかり。

『ジャック・フロスト パパは雪だるま』(JACK FROST)

1998年・アメリカ 監督/トロイ・ミラー

出演/マイケル・キートン/ケリー・プレストン/ジョセフ・クロス/ヘンリー・ロリンズ/アーメット・ザッパ/マーク・アディ

1年前に死んだパパが、雪だるまになって帰ってきたという御伽噺の映像は、いくらなんでもちょっと行き過ぎで、吹き替えの子供版のみが許される。最後まで観ることが出来たのは、日頃の日本映画のつまらなさに失望している経験があるからかもしれない。

そういえば雪だるまなんか、何十年も作ったことがないし、見ることも希だ。今年の暮れは急に寒くなって、寒さが例年より身体に凍みる。神が創った人間という生き物は、それ相当の年頃になれば、それ相当以上の傷みを身体に感じるようになる。もうそろそろ良い頃だよ、と言われているようで、哀しさが先走る。

幸福と思われていた家族に、突然やって来る不幸な出来事。映画の世界ばかりではなく、現実の世界にも起こってしまった。今年2011年は誰にとっても忘れられない年となり、大晦日まで1週間の週末には災害時の映像が繰り返し流され、あらためて大災害を思い起こさせてくれる。生きているから体験することになってしまったと言うべきか、生きていなければ見ないですんだのにと思うべきか、寒さに震えながらいろいろなことが頭をよぎる。

『いそしぎ』(The Sandpiper)

1965年・アメリカ 監督/ヴィンセント・ミネリ

出演/エリザベス・テイラー/リチャード・バートン/エバ・マリー・セイント/チャールズ・ブロンソン/モーガン・メイソン

『シャドウ・オブ・ユア・スマイル (The Shadow of Your Smile) 』はこの映画の主題歌だった。昔のヒット映画は、ほとんどが主題歌に有名な楽曲が流れていた。映画音楽というジャンルがあったくらいだから、今のように音楽をヒットさせるためのタイアップ曲とは、ちょっと一線を画していた。多少似たとことがあることは認めるが。

自由な心を持つ美しい女流画家と、妻子ある牧師で学校長の男との半年間の恋を描くメロドラマ、と言ってしまえばそれまでだが、セリフには人生訓に満ちた内容が多く、結構考えさせられた。エリザベス・テイラーの作品を見たのは数多くない。どうもあの濃すぎる顔の雰囲気が好きになれなく、美人だと言われても素直に頷くことすら躊躇われる。

「いそしぎ」とは磯鷸(Sandpiper)であり、鳥のことだとあらためて知った。なんかぼんやりとこの映画題名を聞きかじっていた。フィルムの状態が良く、古さを感じさせない。男と女の愛は、人生の永遠のテーマだ。

『ベッドタイム・ストーリー』(Bedtime Stories)

2008年・アメリカ 監督/アダム・シャンクマン

出演/アダム・サンドラー/ケリー・ラッセル/ガイ・ピアース/ジョナサン・プライス/ラッセル・ブランド/コートニー・コックス

一瞬題名からくる恋愛映画っぽい話かと思ったら大違い。姉の子供たちを預かることになった映画の主人公。その晩、子供たちに自分を主人公にした思いつきの物語を語り始める。しかし、昨晩語った物語が現実となる。というディズニー映画、日本語版吹き替えで始まったが、意外と楽しく気楽に見ることが出来た。不調な時はこの程度の映画が一番。

それにしてもアメリカ映画は奥が深い。こんな子供騙しの映画と思う事なかれ、日本映画のようなおちゃらけた部分は全くなく、逆にどんどん話に引きずり込まれて行く気分。どこがどんな風に違うのかは分からないが、映画にかける情熱と、それを誇りに思う観客があってこそのことだろう。

夢を夢で終わらせてはいけない。ヒーローは諦めることなく、最後まで頑張り通すのだと、夢のおはなしの主人公は言うのだが・・・。

『二百三高地』

1980年・日本 監督/舛田利雄

出演/仲代達矢/あおい輝彦/新沼謙治/湯原昌幸/佐藤允/永島敏行/森繁久彌/天知茂/夏目雅子/野際陽子/三船敏郎/丹波哲郎

夏目雅子は22才、まだ幼顔の面影が残る。5年後に没。あおい輝彦が若々しい。それはそうだ、31年も前の映画だもん。この時ならこちらだって若い、三女奈積はまだ生まれていない。役者達もまだ活躍している人もいれば、既に亡くなった人も多い。

映画はとてつもなく詰まらない。戦闘シーンにお金をかけているのは分かるが、テレビ映画を見ているような薄っぺらいシーンやセリフ、なによりもストーリーが面白くない。上映時間3時間1分と長すぎるのはまだしも、インターミッションが入る直前に「さだまさし」の歌が流れ、黄色い文字をデカデカと黒画面に歌詞を映し出すに至っては、開いた口が塞がらないというもの。この映画の翌年には、映画と同じスタッフでテレビドラマ化され、TBS系列で放送された。テレビドラマ版タイトルは『二百三高地 愛は死にますか』。なんともはや。

三船敏郎の明治天皇が凛々しくて格好良い。時代劇も悪くはないが、この役は当たり役と言えるだろう。昔、嵐勘十郎が明治天皇をやっていたことがあるような。

『江戸城大乱』

1991年・日本 監督/舛田利雄

出演/松方弘樹/十朱幸代/坂上忍/三浦友和/池上季実子/野村真美/加藤武/神田正輝/丹波哲郎/金子信雄

徳川幕府4代将軍徳川家綱には30半ばに至っても男子がなく、将軍継嗣問題が勃発、暗躍する大老が面白おかしく描かれている。家綱自身は生まれつき体が弱く病弱で、延宝8年(1680年)5月初旬に病に倒れ、危篤状態に陥る。このあたりは史実に忠実である。末弟の館林藩主松平綱吉を養子に迎えて将軍後嗣とし、直後の5月8日に死去した。享年40。大老曰く「将軍様は、今宵お隠れになる。」、人知れず医者に殺せと命じたのだ。

情報が隠匿されている時代、大老という職を利して、自分に都合の良い政をするのは容易いことだった。そんな隠謀うごめく世界は、映画題材としてはぴったんこ、思いがけない面白い映画であった。この当時の江戸の規模をセリフから聞けば、10万戸の家屋と1万の蔵、100余の橋、300の神社仏閣の規模だという。

フジテレビジョンと東映が作っている。当時のフジテレビの社長が製作に名前を連ねていて、南極物語以来映画にアドバンテージを持っているテレビ局の面目躍如。松方弘樹は時代劇にはまる役者、十朱幸代は20年前ならまだ30代と言っても分からないくらいの美貌を誇っている。日本映画は、時代劇に特化した方が良いかもしれない。

『ヤングガン』(Young Guns)

1988年・アメリカ 監督/クリストファー・ケイン

出演/エミリオ・エステヴェス/ジャック・パランス/チャーリー・シーン/キーファー・サザーランド/ルー・ダイアモンド・フィリップス

実在で伝説の人物ビリー・ザ・キッドとその仲間の物語。つまらない。出だしは好調に見えたが、どうも軽くてとてもアメリカ映画とは思えない、ちゃらちゃらした雰囲気が漂っていた。

もう23年前にもなると、チャーリー・シーンやキーファー・サザーランドなど、後々の映画でも活躍している役者達の顔がすごく若く見える。その頃こちらだってまだ40才、日本ヘラルド映画株式会社の宣伝部長としてブイブイいわせていた時代だ。と、こう書くと皆信じてしまいそうだが、実情は謙虚に慎ましやかに麻雀生活をおくっていた。

西部劇の題名を見る時、観たいという意欲はなかなか起きない。けれども、観始まると面白いのが西部劇、最近でこそたまにしか制作されなくなったけれど、それこそマカロニ・ウェスタン全盛時などは、映画界の救世主(種)と崇められたものだ。簡単に人を殺してしまう分かり易い善悪が、時代を超えて愛される理由なのかもしれない。


『ヤングガン2』(Young Guns II)

1990年・アメリカ 監督/ジョフ・マーフィ

出演/エミリオ・エステヴェス/キーファー・サザーランド

/クリスチャン・スレイター/ルー・ダイアモンド・フィリップス

監督が替わっても、面白くなさは変わらない。多少、この続編の方がましかなとも思ったが、後半になるにつれ同じようなちゃらちゃらした部分が多く、満足の行く映画とはなっていない。主演の顔、声が居心地悪く感じたのも、印象の悪さに繋がっている。それでも、普通の日本映画よりは、はるかに映画として観るべきところがあることには違いない。

ビリー・ザ・キットを撃ち取ったと言われているパット・ギャレットという人名、子供の頃から知っていたのは、子供時代のテレビ番組には外国テレビ映画シリーズが多く、その中で知った情報のような気がする。

映画はつまらなかったが、面白い話を見つけた。1879年3月、ビリーはニューメキシコ準州知事のルー・ウォーレスと極秘に会見し、説得された上で投降した。が、期待していた恩赦は受けられそうになく、6月には留置所を脱走した。ちなみにこの準州知事ルー・ウォーレスは小説家として有名で、大作映画『ベン・ハー』の原作者でもある。

『ある愛の風景』(BRODRE, BROTHERS)

2004年・デンマーク 監督/スザンネ・ビア

出演/コニー・ニールセン/ウルリク・トムセン/ニコライ・リー・コス/ベント・マイディング/ソビョーリ・ホーフェルツ/パウ・ヘンリクセン

デンマーク映画などめったに観られるものではないが、なかなかの内容、力作に打たれた。ネタ晴らしをしたくない作品なので、どこからの引用もしたくない。是非機会があったら見て欲しい。日本映画も、こういう作品を見習い、饒舌にならず余韻を残して終わって欲しいものだ。

主演女優コニー・ニールセンはグラディエーター(Gladiator・2000年)にも出演していたようだが記憶にない。美しい人で、顔立ちから普通のアメリカ人かと思ったが、珍しくもデンマーク人だった。家族や夫婦、親子、兄弟のやりとりを映画の中で見ていると、結構日本と同じ保守的な社会環境が垣間見られたことは、印象的なことだった。

中近東あたりに派遣された兵士、戦争はアメリカの特許かと思っていたが、デンマーク人も世界の荒波に飲み込まれていたんだと、これまた新鮮な驚きがあった。映画の中の男主人公は、捕虜生活時間の致命的な精神障害を引き起こす事件を引きずりながら、どうにもならない一人だけの苦悩を地獄に持ち込んで行くのだった。

『グリーンカード』(GREEN CARD)

1990年・アメリカ/フランス/オーストラリア 監督/ピーター・ウィアー

出演/ジェラール・ドパルデュー/アンディ・マクダウェル/ビービー・ニューワース/グレッグ・エデルマン

米国の永住権及びその資格証明書(永住者カード、Form I-551)は、初代の証明書が緑色だったことから「グリーンカード」の俗称がある。公開当時はかなり話題を呼んだと記憶しているが、どのくらい当たったのだろうか。観ていたと思ったら、観ていなかった。新鮮な気持ちで楽しめた。アンディ・マクダウェルのはにかんだような笑顔が魅力的と、いつもうっとりしてしまう。

アメリカ人と結婚してしまえば、永住権をとれるというシステムを利用したフランス野郎とアメリカ娘との話。アメリカ娘にも偽装結婚、ある意味偽装ではなく婚姻届まで出して、法律的には結婚している状態を作らなければいけない理由があった。

日本の男性と結婚した外国人女性は、簡単に日本国籍をとれるが、日本女性と結婚した外国人男性は、簡単に日本国籍をとれないという時代があったが、さすがにもう変わっているだろう。。

『安城家の舞踏會』

1947年・日本 監督/吉村公三郎

出演/滝沢修/森雅之/原節子/逢初夢子/神田隆/津島恵子/清水将夫/日守新一/殿山泰司/村田知英子/岡村文子

冒頭のクレジットに、昭和二十二年九月完成と表記されている。終戦の次の年には製作に入っていた、何と精力的な日本映画界だったのだろう。映画館そのものがまだままならない状態で、とにかく映画を作ってしまうことが凄い。しかも、華やかなりし華族制度の廃止の最後っ屁を、舞踏會という舞台で描いている。

『公侯伯子男』という言い方は、爵位を表す言葉として、まだ子供の頃は残っていた。1869年からある華族、日本国憲法の施行とともに1947年廃止された。公家に由来する公家華族、江戸時代の藩主に由来する大名華族(諸侯華族)、国家への勲功により華族に加えられた新華族(勲功華族)、臣籍降下した元皇族を皇親華族と言うらしい。映画の安城家は伯爵だった。

「ごきげんよう」という美しい日本語が、違和感なく華族社会で交わされる。「おとうさま」という呼び方にも、憧れはあっても嫌みはない。伝説の女優原節子の顔は好きではないが、この映画では今まで観た中でも一番の存在感を見ることが出来た。

『アラビアのロレンス 完全版』(Lawrence of Arabia)

1988(1962)年・アメリカ/イギリス 監督/デビッド・リーン

出演/ピーター・オトゥール/オマー・シャリフ/アレック・ギネス/アンソニー・クイン/ホセ・ファーラー/クロード・レインズ

デビッド・リーン監督生誕100周年、コロンビア映画創立85周年を記念したニュープリント完全版。このあたりの経緯は、allcinemaによる解説を読むと大変分かり易い。1962年に製作されたD・リーンの名作「アラビアのロレンス」は、元々ロイヤル・プレミアの時には222分の上映時間であったが、1カ月後には約20分カットされ、以後も上映効率のためなどで次々と短くなっていた。1966年以降は2巻目のプリントが裏焼きになるなどしたまま今日に至っていたものを、欠落部分を探しだして223分に復元、リーンが最終的に216分にカットした。復元には費用がかかりすぎて完成も危ぶまれたが、スコセッシ、スピルバーグ等の働きかけにより88年に「完全版」として上映となった。幸いなことに監督リーン、編集のコーツが直接携わることで当初の編集の間違いを正し、全編にわたって細かいシーンやショットが復元され、フィルムの退化による画質の劣化も蘇った。

録画時間を見て、3時間50分という時間が途方もなく長く思えた。映画ファンを名乗る人で、この映画を観ていない人はいないだろう。これだけの時間を細部まで記憶に留めることは至難で、おそらく何度観ても新鮮なシーンに驚かされるに違いない。

初めての公開時、リアルタイムで観ていないのは恥ずかしい。もっとも青年小河俊夫は、映画館で映画を観たことは数えるほどしかなかった。それの方が、もっと恥ずかしい。人生は間違いなく違っていただろうと思われる、青春時代に映画を友としていたかどうかで。リアルタイムで何度も観ることとなった『地獄の黙示録』の戦争観、狂気に陥って行くカーツ大佐の姿が、この映画の主人公ロレンスとダブって見えた。


2016年12月28日再び観たので記す。

『アラビアのロレンス 4Kレストア版』(Lawrence of Arabia)

1962年・イギリス 監督/デヴィッド・リーン

出演/ピーター・オトゥール/アレック・ギネス/アンソニー・クイン/オマー・シャリフ

上映時間3時間47分、ベンハーに引き続きintermissionのある充実した時間を過ごすことが出来た。デジタル・リマスターという名称をもって古いフィルムを蘇らせる人間の文明伝承は、素晴らしい。それをさらに4Kというまだ一般家庭に普及していないテレビ技術にして、レストアという言いかたをしてくるとは想定外だった。2020年東京オリンピック時には、この4Kテレビでまた一儲けをたくらむ電機業界が見える。さらに8Kも既に発表されているし。

上映時間情報には207分と227分の2種類の上映時間がある。オリジナルは207分の方だったようだ。短いオリジナルバージョンにも序曲、休憩、終曲があり黒画面に音楽が流れていた。1988年、再編集が行われて227分の完全版が完成した。

実在のイギリス陸軍将校のトマス・エドワード・ロレンスが率いた、オスマン帝国からのアラブ独立闘争(アラブ反乱)を描いた歴史映画であり、戦争映画である。国という概念がなく、群雄割拠の部族の塊にもならないような形態が実情だった。

『シン・レッド・ライン』(The Thin Red Line)

1998年・アメリカ 監督/テレンス・マリック

出演/ショーン・ペン/ジム・カヴィーゼル/エイドリアン・ブロディ/ベン・チャップリン/ジョン・キューザック/ジョージ・クルーニー

第二次世界大戦において、1942年8月以降日本軍と連合軍が西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島を巡って繰り広げた、ガダルカナル島の戦いを舞台に若き兵士たちの姿を描いている。本編上映時間2時間51分とやたらと長い。体調不良だったこともあり、時々眠りにおちた。

『地獄の黙示録』のカーツ大佐のような囁きが全編を通して流れている。ひとりの若者の心の声を映画の進行役にしているのだが、どうもあまり好きではない演出。いかにも映画賞を狙うぞ、といった意気込みが前面に感じられたのがいけない。

殺される役としての日本兵も出てくるが、クレジットを見る限り名もなき役者のようだ。楽園のような現地民の生活や若者の徴兵前の仕合わせそうな生活を映し出し、悲惨な地上戦をまざまざと見せつける対比映像は、戦争とは一体何なのかという素直な疑問を、観客に訴えようとしている。人間がいる限り永遠になくならないだろう戦争、戦争を知らない世代としては、どう表現して良いのか見当もつかない。

『トゥルー・グリット』(True Grit)

2010年・アメリカ 監督/ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン

出演/ジェフ・ブリッジス/マット・デイモン/ジョシュ・ブローリン/バリー・ペッパー/ブルース・グリーン/ヘイリー・スタインフェルド

映画.COMの解説を読めば、誰でも観たくなろうというもの。映画ファンから圧倒的な支持を集めるコーエン兄弟最新作にして、あのスピルバーグが製作総指揮、さらに名優ジェフ・ブリッジス、マット・デイモンらアカデミー賞常連俳優陣が顔を揃える「トゥルー・グリット」。凛として可憐な新星、ヘイリー・スタインフェルドの演技と存在感も話題を集め、全米ではすでに1.6億ドルを超えて週末興行ランキング第1位を記録。まさに“極上のエンターテイメント”の本作品は、見逃してはならない1本だ!

どうしてこうも違うんだろうと思う。面白さがひしひしと伝わってくる。日本映画と比べること自体が、やっちゃいけないことか、いつも同じことをつぶやいていて、自身でも嫌になってきてしまう。こういう面白い映画は、何の事前情報も必要ない。しかも、新しく才能のある役者が、また現れたかという感嘆の声に変わる。

アメリカの合衆国制度をきちんと理解出来ていないが、この頃ささやかれる日本での道州制論争がこれなのだろう。江戸時代の藩制度もこれに近いのかもしれない。アメリカほどの大きな国土を収めようとするには、当然それに見合ったシステムが必要になる。人間の叡智は、こういう風に使われると後々の人々の仕合わせに繋がる。この映画の中でも西部劇の時代に拘わらず、よその州を馬鹿にしたような会話があり、大変面白い。


2016年10月11日に再び観たので記す

『トゥルー・グリット』(True Grit)

2010年・アメリカ 監督/ジョエル・コーエン/イーサン・コーエン

出演/ジェフ・ブリッジス/ヘイリー・スタインフェルド/マット・デイモン/ジョシュ・ブローリン

おもしろい映画は最初の5分からおもしろい。最初の5分間でおもしろさを感じなかったら,その映画はおもしろくないと言い切れる。『死霊のはらわた』(The Evil Dead・1981年)の如くアメリカ公開後3年半経ってようやく日本公開となった映画のように、最初の1時間まったくおもしろくないのに最後の30分でめちゃめちゃはじける映画も希にはあるが。

西部劇で14才の可愛い女の子が主人公なのも珍しい。アメリカ人の女性・子供に対する男の態度はこの時代も顕著に表現される。男に対しては非情なムツケキ野郎どもが、女性に対しては異常に優しさを見せる。現在のアメリカ大統領選挙で、トランプが窮地に陥っているのも、過去の女性蔑視の発言が取り上げられているからだ。

『死霊のはらわた』は売れ残っていた。東京のヘラルド試写室で字幕なしで何人かが観た。酷く退屈な映画のはずだったが、最後のシーンでヘラルドの宣伝魂に火が付いたようだった。どう考えても当たらないだろうと思っていた東宝は日劇前の「ニュー東宝シネマ2」という劇場しか用意しなかった。その小さな劇場が満員になった。痛快な出来事として強く記憶に残っている。

『南極料理人』

2009年・日本 監督/沖田修一

出演/堺雅人/生瀬勝久/きたろう/高良健吾/豊原功補/西田尚美/黒田大輔/小浜正寛/小野花梨/小出早織/宇梶剛士/嶋田久作

録画時間2時間24分を見て、いやはや長いねぇ、と観始まる前から溜息をついてしまった。そして、始まって3分もしないうちに2倍速鑑賞と相成った。いきなりの映像はひどかったけれど、題名からして内容は面白そうだったので、5倍速ではなく2倍速なのだ。

2倍速だと音声が速すぎてちょっと聴き取りにくいが、この映画での映像は丁度良い速度と感じた。ということは、いつもの日本映画のように、ダラダラと時間を消費しているシーンの連続だということが分かる。ホントに何の違和感もなく2倍速映像がフィットしているなんて、信じられます?お勧めする日本映画製作方式が浮かんだ。上映時間1時間45分のものを作るとして、とりあえず3時間30分のものを作り、それを試写する。次に、それぞれのシーンを半分ずつの時間に編集し直して、本編を1時間45分にすれば、テンポが良くシーンもふんだんな映画が出来上がるというもの。

話が面白いのに、そう見えないのは、監督の力も大きい。相変わらずの饒舌で、映画的な切れの良い見せ方など微塵も感じられない。調べたところによれば、本編の上映時間は2時間5分、ということはCM時間が約20分、セクター飛ばしで観ているのでさほどの苦痛は感じないが、それにしてもBS放送の映画枠では異常なCMの長さ。因みに、ヘラルド配給の『南極物語』の撮影は北極地帯でだった。

『天と地と』

1990年・日本 監督/角川春樹

出演/榎木孝明/津川雅彦/浅野温子/財前直見/野村宏伸/夏八木勲/渡瀬恒彦/風間杜夫/大滝秀治/岸田今日子/室田日出男

正確に言うと、この映画も最後まで観ることは出来なかった。しばらくは何とか我慢をして観ていたのだが、あまりのテンポの悪さと面白くなさに辟易して観るのを止めてしまった。再度続きを観ようと試みたが、結局早回しで映像を眺めただけだった。

主演として期待されて起用された当時の若手俳優渡辺謙が、急病で役を降りたのがけちのつき始めかもしれない。どうにも締まらない役者達では、この歴史上の人物群を描くには役不足というところ。角川春樹も監督にならず、プロデューサーに徹していれば、こんな悲惨な映画にはならなかっただろう。

シーンの中で女性が横笛を吹いているカットでは、アップした上半身のいかにも笛を吹いていない映像には、一体何を撮っているのだろうと唖然とした。時代劇に相応しくない顔というものもあり、どうにもしっくり来ない。肉の付きすぎた女性の顔は、現代劇を観ているよう。他の人の批評を見てみたい気がする。

『ネットワーク』(Network)

1976年・アメリカ 監督/シドニー・ルメット

出演/フェイ・ダナウェイ/ウィリアム・ホールデン/ピーター・フィンチ/ロバート・デュヴァル/ウェズリー・アディ/ネッド・ビーティ

今年のアカデミー賞を競ったのは、『ソーシャル・ネットワーク』(The Social Network)。35年前のネットワークは、インターネットが現れていない時代の、いわゆるテレビ局のキー局と地方局とを繋ぐネットワークのこと。ハード的にもソフト的にも一番進歩が著しい分野である。

この映画にまつわる面白い話を見つけた。映画は1976年11月27日に公開され、興行的にも批評的にも成功を収めた。同年度のアカデミー賞で作品賞を含む10部門にノミネートされ、そのうち主演男優賞、主演女優賞、助演女優賞、脚本賞の4部門で受賞した。映画中で徐々に狂気に蝕まれていくニュースキャスターを熱演したピーター・フィンチはノミネート直後に心不全で急死、アカデミー賞史上初の死後受賞となった。映画中の「俺はとんでもなく怒っている。もうこれ以上耐えられない!」(原文:I'm as mad as hell, and I'm not going to take this anymore!)という彼の台詞は、アメリカでは非常に有名なものである。

面白い。日本のテレビ局のニュース番組が、ワイドショー化してきたのは、こういうアメリカの背景があったからなのだろう。テレビっ子としては、凄く興味をそそられるテーマ、そして内容であった。

『ヒア アフター』(HEREAFTER)

2010年・アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

出演/マット・デイモン/セシル・ドゥ・フランス/ジョージ・マクラレン/ブライス・ダラス・ハワード/フランキー・マクラレン

何の情報もなく TSUTAYA の棚でタイトルを見ただけだった。何のことか分からないストーリーが心地良い。この映画もたぶんそうだと思うが、ちょっとでも内容がインプットされていたら、映画の見方が変わってしまったような気がした。だいたい監督がクリント・イーストウッドだと知ったのは、映画を見終わってエンド・クレジットを見た時だ。

正直言うと、下手くそな監督だなぁ、もっと上手い監督ならこんなに間延びした映像にはならないだろうに、と思っていたのだ。この途中感想は正しかったのだろうか。映画は個人の感想が100点満点なので、間違ってはいないのだろう。アクションのないマット・デイモンも、どこかで暴れ出しそうで、不思議な雰囲気だった。

映画の内容は嫌いではなく、どちらかというと好きなテーマだった。死後の世界を見たことのある人の話。臨死体験という言葉があるが、真実とは思えないが嘘とも思えない。宗教とはまた違った意味で、死者との会話を楽しむなぞ、小市民にはとうていあり得ない実体験。

『陰謀の報酬』(THE 39 STEPS)

2008年・イギリス 監督/ジェームズ・ホーズ

出演/ルパート・ペンリー=ジョーンズ/リディア・レオナルド/エディ・マーサン/パトリック・ケネディ/デヴィッド・ヘイグ

これもTVMということだが、劇場用映画がいかにビジネスとして成功していないかの現状を繁栄している。現役時代でも良く言っていた、劇場で当たる確率は長嶋一茂の打率.175 くらなものだと例えていた。今やその時代よりも酷い状況になってしまったようだ。現役映画人との最近の会話にも、映画ビジネスの駄目さ加減が感じ取れた。

配給会社が持つ権利は、劇場配給権、ビデオ権(DVD、ブルーレイ)、テレビ放映権などが主なものだが、劇場で当たる映画はDVDレンタルも繁盛するし、テレビ放映の視聴率も高くなる。劇場公開しない映画は、どの分野でも数字を残せす、結局は良くてトントンといったものなのだ。濡れ手に粟という表現があるが、まさしくそう、当たれば後から後から売り上げが付いて来るという嬉しい状況が起こる。エマニエル夫人がいい例だった。

この邦題もオーバー過ぎるが、諜報もの好きのイギリス作らしがいっぱいの映画。時は1914年、第一次世界大戦勃発を廻るイギリス国内での話。映画の中に「婦人参政権」という思いがけない言葉が出て来た。今から100年前、イギリスですら女性の選挙権がなかったとは意外だった。アフリカやイスラム教国の民主化運動元年のような今年、いろいろな意味での女性解放運動が、結局は民主化の最初の砦だということがよく分かった。

『キック・アス』(Kick-Ass)

2010年・アメリカ/イギリス 監督/マシュー・ヴォーン

出演/アーロン・ジョンソン/クリストファー・ミンツ=プラッセ/クロエ・グレース・モレッツ/ニコラス・ケイジ/マーク・ストロング

アメリカン・コミックの映画化、面白い。スーパーマンやスパイダーマン、バットマンなどアメリカ人の好きそうなヒーローは、日本的アニメ世界のヒーローとは一線を画す。お子様ランチに終始する日本的主人公とは違い、どのキャラクターも大人達をも熱狂させようとする意図的なものを感じる。「キック・アス」という駄目ヒーローを登場させ、そこにさらにビッグ・ダディとヒット・ガールというキャラクターを登場させている。

このヒット・ガールが凄い、可愛い11才くらいの女の子がここぞとばかりに悪人の大人どもを、ナイフや拳銃をぶちかまして次から次へと殺してしまうのだ。痛快アクションと言っても良いだろう。ここまで善が悪を倒せば気持ちよくて、ハードアクションだからなどと批難する方がおかしいくらい。当初ソニーと契約したが、ハードアクションの修正を要求され、さらに他の映画会社にも断られて一種の自主製作映画になったらしい。

それでもここまで面白いと、大衆は文句なく支持してしまう。映画会社といえど、保守的志向は大勢、子供が拳銃をぶっぱなしたり、ナイフで首をかっきったりするシーンを許せないのだろう。そういう意味でも、この映画がヒットする意味がある。いつだって、映画は現状を打破するものとして存在することが、ひとつの目的だから。続編として『ヒット・ガール』が出来そうな予感。

『お葬式』

1984年・日本 監督/伊丹十三

出演/山崎努/宮本信子/菅井きん/大滝秀治/津川雅彦/財津一郎/江戸家猫八/尾藤イサオ/横山道代/小林薫/津村隆/高瀬春奈

NHK-BS 山田洋次監督が選んだ日本の名作100本(家族編50本)のうちの1本を、久しぶりに録画・鑑賞した。題名を見てから1週間分の録画予約をするのだが、この頃放映のこの枠の作品に食指が動かなかった。この映画はちょうどヘラルドの宣伝部長になった年、もう映画がだいぶ当たらなくなっていた頃ではあるが、今から考えれば、まだまだ映画に人々の注目が注がれていた時代だと懐かしくなった。

51歳この映画で映画監督としてデビュー、その後『タンポポ』、『マルサの女』、『あげまん』、『ミンボーの女』などメガ・ヒット作を製作していた時は、現役時代の業界人として体感している。もともと俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CM作家、ドキュメンタリー映像作家などのマルチタレントの草分け的存在だった人だ。

1997年64才、伊丹プロダクションのある東京麻布のマンション下で遺体となって発見された。警察が死因を「自殺」と断定した後も、古くから伊丹十三を知る人物、大島渚や立川談志が「不倫報道ぐらいのことで、あいつは自殺しない」「飛び降り自殺は絶対に選ばない」と話し自殺を否定した。映画よりもこちらの方がはるかに面白い話だが真相は闇、暴力団や宗教団体に深く拘わると、何が起きてもおかしくない現実の日本社会。政治屋だって簡単に殺されてしまうのが怖い。

『ハリウッド・ミューズ』(The Muse)

1999年・アメリカ 監督/アルバート・ブルックス

出演/アルバート・ブルックス/シャロン・ストーン/アンディ・マクダウェル/ジェフ・ブリッジス

ハリウッド業界人が、自分で脚本を書き、監督をし、主演までしている、アルバート・ブルックス。しかもストーリーは、ハリウッドの脚本家にまつわるはなし。音楽をエルトン・ジョンが担当し、ジェームズ・キャメロン、マーチン・スコセッシ、ロブ・ライナーという巨匠監督が本人役で出演している変な映画。一流シェフも実名で出ているが、この人のことはよく分からない。最初からライト・コメディで、一体最後はどういう結末なのかと、その1点だけが気になって仕方がなかった。

それなりの結末が用意されていて、途中までの不安みたいなものは少し解消された。原題ミューズは女神のこと、ツキをもった彼女の出現が映画のキー・ポイント。テレビ、ラジオや新聞の占いを読んで、たまたまラッキーなことがあれば、それ以降は信じるにたるメディアとして崇めてしまうかもしれない。

そんな人間の摩訶不思議で、奇妙な行動は誰にでも起こりそうなこと。このページのおみくじだって、50種類の中からランダムで壱番札を引き当てれば「大吉」にぶち当たる。その確率で1日が仕合わせに過ごせるなら安いもの。同じように「大凶」だって50分の1、中途半端な「中吉」あたりを引くのが普通の人々かもしれない。

『切腹』

1962年・日本 監督/小林正樹

出演/仲代達矢/石浜朗/岩下志麻/丹波哲郎/三國連太郎/三島雅夫/中谷一郎/佐藤慶/稲葉義男/井川比佐志/松村達雄

いや~、面白いですね。映画はこうでなくちゃ、と思わせる。殺陣のシーンを除いては、場面もそう変わらず、回想シーンもあるにはあるが、映像ばかりを使う訳ではなく、言葉だけでの回想シーンもあり、飽きるなどという感覚は毛頭起こらない。ストーリーが抜群に面白いし、脚本も相当優れているに違いない。

お家大事とばかりに、彦根藩井伊家上屋敷内で起こった事件を、外に漏らすことなく処理してしまう様は、現代にも通じる由々しき日本的保守思想を表現しているかのよう。今回の原発事故の顛末をつぶさにウォッチして行けば、何も知らされない国民は、ある意味仕合わせと言えるかもしれない。それにしても酷すぎる日本という国の情報開示のお粗末さ。幼稚園児でさえ文句を言いそうな事態になっても、しらを切り通す根性は、もうどうにもならない国民性としか言いようがない。

明々白々になるまでは、事実など公表してなるものか、という精神構造は、延々と受け継がれたおかみ体質の真の姿。武士道などというのも、実は見かけのものだけ、真の武士道なんてとうの昔になくなってしまった、と嘆くこの映画のアンチテーゼは、いつまでも人々の心の中に受け継がれるかもしれない。

『図鑑に載ってない虫』

2007年・日本 監督/三木聡

出演/伊勢谷友介/松尾スズキ/菊地凛子/岩松了/ふせえり/つぐみ/水野美紀/片桐はいり/渡辺裕之/高橋恵子/森下能幸/嶋田久作 ろだが、ホントになんでこんな映画を作るの、と同じことの繰り返しを言ってしまうほど酷い。今回の早回しでは、CM部分がきちんと識別出来ただけでも、映画の映像がきちんと作られている?という感じだけはした。

主演の伊勢谷友介は、最近の俳優の中ではなかなかいいんじゃないの、と感じていたので、もっとまともな映画に出ることをお奨めする。作品を選ぶのも役者の能力のうちのひとつ。題名のユニークさで人を惹き付けようとする魂胆が、結構見受けられる昨今の映画、そして原作の小説も。中身が良ければ、題名なんてまったく関係ないよ、とは言うけれど、それ相応の内容をもった作品など、ゴロゴロしている訳でもなく、物書きも映画人も生きて行くのは大変だ。

『フライト・デスティネーション』(TERMINATION POINT)

2007年・カナダ 監督/ジェイソン・ボルク

出演/ジェイソン・プリーストリー/ルー・ダイアモンド・フィリップス/ガーウィン・サンフォード/ゲイリー・ハドソン

TVMだったことが驚き。出来の悪い映画だと思いながら見ていたけれど、テレビ用映画しては大したものだ。あくまでも比較対象として誉めるだけで、やっぱり劇場映画とは根本的に違うところがある。パニック・SFのジャンルに入るらしいが、緊迫感のあるシーンで、その緊迫した状況がまったく伝わってこないところが凄い。

珍しく吹き替え版にもかかわらず見てしまったので、やっぱり吹き替えが悪いのかとも思ったが、元々の英語で聞いたところで、大差はなかったのではなかろうとも思う。冒頭のシーンで、これは宇宙もので、宇宙人が出てくるかもしれないと、勝手に思い込んだのがいけなかった。宇宙人が出てくるシーンが好きで、今度はどんな宇宙人を映画に登場させるのかという1点だけが、大変興味あるところ。だから日本語吹き替え版にも拘わらず見始まったのに。

吹き替えが嫌いだというと偉そうに聞こえるが、そんなことはない。吹き替えの声がいつも、誰でも同じように聞こえたり、どうにも平坦な棒読みの雰囲気がして、我慢出来ないだけなのだが。

『ボージェスト』(BEAU GEST)

1939年・アメリカ 監督/ウィリアム・A・ウェルマン

出演/ゲイリー・クーパー/レイ・ミランド/ロバート・プレストン/ブライアン・ドンレヴィ/スーザン・ヘイワード/J・キャロル・ナイシュ

タイトルの「ボー・ジェスト(Beau Geste)」はフランス語で「優雅な仕草」の意味だが、「上品ではあるが無益な(仕草)」といったニュアンスを含んでいる。また、中世フランスの武勲詩(chansons de geste)とも関連する。「ジェスト(Geste)」は英語の「jest(冗談)」と同音であることから、タイトルには洒落で「美しい(または胸を刺すような)冗句」の意味も含まれている。(Wikipediaより)フランス外人部隊に加わったジェスト3兄弟の話で、ボージェストは長男の名前でもある。

この映画の前1926年と、あと1966年と3度映画化されている。1982年にはイギリスBBCでミニシリーズ(全8話)テレビ・ドラマ化されている。舞台はイギリスの豪邸内とサハラ砂漠。男女の愛は移ろいやすいが兄弟の愛は永遠のものだ、てなことが冒頭に文字とし現れる。以前見たことを割合良く覚えていた油断から、始まって暫くしたら、またまた眠ってしまった。老人性爆睡症候群にでもかかっているのかもしれない。

ラストシーンのほんの1分間のために物語は出来ているよなもの。そこでストンと映画が終わり、結構後味良くエンド・タイトルに繋がって行く。70年以上前の映画が、この頃の日本映画よりはるかに面白いというのは、考えるまでもなく納得出来る、と言い切れる。

『ソードフィッシュ』(SWORDFISH)

2001年・アメリカ 監督/ドミニク・セナ

出演/ジョン・トラヴォルタ/ヒュー・ジャックマン/ハル・ベリー/ドン・チードル/サム・シェパード/ヴィニー・ジョーンズ

映画の主人公は、いきなりインタビューにでも答えるかのようにつぶやく。ハリウッドは今でもクソ映画を作り続けている。『狼たちの午後』(Dog Day Afternoon・1975年・シドニー・ルメット監督)は役者も監督も脚本も一流だが、リアリティーがないと。このアクション映画の主人公は非情で、無慈悲、殺すと宣言したら、有無を言わさず10人でも20人でも殺してしまう。そういうアクション映画なのだ。世界最高のコンピューター・ハッカーも登場して今風のと言っても10年も前になるが、情報戦+それこそ彼が言うリアリティー・アクション・ストーリー。

何がなんだか分からなくなるきらいがある。自分の死体までをも用意して結末に至る展開は、良く言う何でもありの世界に突入してしまい、ちょっと勝手すぎる。お色気ありも含み、映画としては娯楽大作になっているような。役者自身が一番楽しんで映画を作っているような雰囲気。日本の映画やテレビでの銃撃シーンのリアリティーのなさは、物語そのものの興味を失わせてしまうほどのお粗末さ。それでも喜んでみている人がたくさんいるというのは、ひたすら仕合わせな国だと思うしかない。

『電話で抱きしめて』(HANGING UP)

2000年・アメリカ 監督/ダイアン・キートン

出演/メグ・ライアン/ウォルター・マッソー/アダム・アーキン/クロリス・リーチマン/ジェシー・ジェームズ/ダイアン・キートン

「めぐり逢えたら」「ユー・ガット・メール」でM・ライアンと組んだ監督N・エフロンが、妹デリアの小説を彼女とともに脚色、D・キートンが監督を務めた家族劇。夫と息子の世話をしながら仕事もこなすイヴ。彼女には女性誌の編集長をしている姉ジョージアと、昼メロの女優をしている妹マディがいたが、離れて暮らしているために老人性痴呆症の父ルウの面倒はイヴに任せっぱなし。仕事のトラブルや毎日病院から電話してくる父のことで彼女はパンク寸前だった……。壊れそうで壊れない3姉妹の絆、そして父への愛情を温かい視点で綴っていく。父を演じた名優W・マッソーの遺作ともなった。(映画.COMより)

娘が3人、いざ父親の死に直面すれば、みんな心の動揺を隠せない。自分の死の当日を、天国から見られたら楽しいだろうな、などと考えたりしている。


2017年5月4日に再び観たので記す

『電話で抱きしめて』(Hanging Up)

2000年・アメリカ 監督/ダイアン・キートン

出演/メグ・ライアン/ダイアン・キートン/リサ・クドロー/ウォルター・マッソー

泣かせる映画だ。主人公は三姉妹の真ん中、母親が父親を見限って出ていってしまった環境。父親とはしょっちゅう会ったりしているが、その父親が痴ほう症に突入した。ダメな父親でも好きらしい。泣ける。なんだかんだと喧嘩しながらも仲良くしている三姉妹、泣ける。うちの三姉妹はこんなに仲良くしているのだろうか。

入院した父親の安否が気になって仕方がない。電話が鳴ると父親が死んだという知らせではないかと、毎回ひやひやしている。ダメなオヤジはどんどん酷くなっていく。それ以上に娘たちの父親に対する思いは強くなっていく。現実的にダメ親父が娘に愛される要素は薄い。日本的な家族関係では、疎遠になった親子関係は疎遠のまま終わってしまうに違いない。

一度だけ三人を前にして怒ったことがあった。一生に何度も真剣に怒る必要はない、と自分に言い聞かせていたので、それ以外の怒ったシーンは記憶にない。お前さんたちは一生姉妹で、あんたたち以外の人は姉妹になれないんだから、ずーっと仲良くしなさい。と言ったつもりだったが、このダメ父親の言葉は彼女たちに届いていたのだろうか。

『ラフマニノフ ある愛の調べ』(LILACS)

2007年・ロシア 監督/パーヴェル・ルンギン

出演/エフゲニー・ツィガノフ/ヴィクトリア・トルストガノヴァ/ヴィクトリア・イサコヴァ/ミリアム・セホン/アレクセイ・コルトネフ

ラフマニノフの名前は良く知っているが、ピアノ・ソ連というキーワード以外何も知らないということに気付いた。情けないほど浅薄な頭の中。1917年12月、ラフマニノフは十月革命のロシアを家族とともに後にし、スカンジナビアア諸国への演奏旅行に出かけた。そのまま彼は二度とロシアの地を踏むことはなかった。1920年頃のアメリカ・ロサンゼルスでの演奏会が回想の中心的映像。

彼の作曲した音楽が映画の中でも流れているらしいが、ひとつも分からなかった。全編ロシア語の映画も久しぶりで、なんか馴染めなかった。映画はもっと馴染めなくて、偉人を描いた偉大なる愚作という範疇に入る映画かもしれない。それほど酷くないよと、言う人もいるかもしれない程度の映画であることは確か。こういう伝記物で、ここまで詰まらない映画も珍しい。

『天国への引越し屋』

2011年・日本 演出/三城真一

出演/原田泰造/佐藤江梨子/榮倉奈々/鶴見辰吾

2011年11月19日(土)から公開された劇場用映画『アントキノイノチ』に先駆けて放映されたテレビ・スペシャル番組。『アントキノイノチ~プロローグ~天国への引越し屋』が正式タイトル、偶然に録画してしまったので観た。最近時々取り上げられる職業、遺品整理会社にまつわる話。テレビ用映画では監督ではなく演出と言う、昔から不思議に思っている。題材が面白いので、こういう話は凄く映画的。先週からロードショーされている本編は当たっているのだろうか。調べれば分かる類の話だが、当たっていようがいまいが興味がないので調べない。

ただ、このテレビ・スペシャルは時間も短くて結構面白い。原田泰造がちょっとイモだけれど、まぁこんなものか。誰にも看取られずにいなくなってしまっても、たぶん何か生きていた証のカケラくらいは残るであろう。カケラくらいでいいのだ。どうせ1週間もすれば忘れ去られる存在、心に残るとすれば、何かをしたことではなく、その影のようなぼんやりとしたもの。それだけでも充分なカケラかもしれない。

『60歳のラブレター』

2009年・日本 監督/深川栄洋

出演/中村雅俊/原田美枝子/井上順/戸田恵子/イッセー尾形/綾戸智恵/星野真里/内田朝陽/佐藤慶/原沙知絵/石黒賢

この頃観た日本映画の中では、ダントツに面白かった。公開された頃に宣伝を見たことはあったが、もうすでにこの映画の存在そのものを忘れてしまっていた。日本映画をわざわざレンタルで観ることがないので、割合早めに放映されると助かる。勝手に描いていた予測内容とは、まったく違うものであったが、良い意味で裏切られてよかった。

アメリカ映画的な映像を感じた。蛇足を極力排除し、言いたいことを最後まで言い尽くすことなく、余韻をもってシーンが編集されていて、小気味いい。詰まらない長回しシーンもなく、役者も上手くていいな。また、セリフがいい。男と女の関係を、なるほどとか反省を持って考えさせられる。若いうちにこういう映画を観ていれば、その後の夫婦生活にも良い影響を与えるのではなかろうかと、思ってはみるが・・・。

『百万円と苦虫女』

2008年・日本 監督/タナダユキ

出演/蒼井優/森山未來/ピエール瀧/竹財輝之助/嶋田久作/斎藤歩/堀部圭亮/江口のりこ/弓削智久/笹野高史

タイトルがユニークだが、それなりに見応えがあった。悪くはない。ただ、現実社会を切り取ったような映像手法は、ちょっと気になって仕方がなかった。スクリーンに映る人物、喋りは、やっぱり映画であって欲しい。目の前にいる普通の人々を映したり、会話を録音したような映画には、ちょっと苛つくところがあった。

映画館でこの映画を2時間も観ていられるだろうか。テレビの特別番組のために制作し、目一杯宣伝をし、ゴールデンタイムにTVMとして放映すれば、映画館公開よりもインパクトがあったのではなかろうかと思えた。エンド・クレジットに、ヘラルド出身者の名前がプロデューサー欄にあった。彼女の会社はどういう会社なのだろうか?それにしても結構、ヘラルド出身者が映画界のあちこちを闊歩している。羨ましい。

『ロープ』(ROPE)

1948年・アメリカ 監督/アルフレッド・ヒッチコック

出演/ジェームズ・スチュワート/ファーリー・グレンジャー/ジョン・ドール/セドリック・ハードウィック/コンスタンス・コリアー

1924年、シカゴで実際に起きたローブ&レオポルト事件を題材に、1948年に製作された映画。自分と同じ63年前の映画。1時間20分と短いのには訳がある。映画の中の時間経過と現実が同じなのだ。普通映画とは長い時間を、ほとんど2時間に縮めて表現している。が、この映画は1時間20分の長さの現実を描いている。

ヒッチコックなのでミステリーだが、やっぱり上手く作っている。誰もが舞台劇を想像してしまいそうな、ニューヨーク・マンハッタンでのアパートの一室でのシーンしかない。冒頭、ビルの外の風景と、その一室の外からカーテンの掛かっている窓を映すのが例外だけだ。

たぶん日本人がこの映画を作ると、役者は舞台劇のように、独特なせりふ回しに終始してしまうだろう。さすがヒッチコックの映画は、舞台劇と思わせない、やっぱり映画だよという雰囲気がいい。この小さな違いが致命的にアメリカ映画と日本映画の本質的な違い。

『ラストキス』(THE LAST KISS)

2006年・アメリカ 監督/トニー・ゴールドウィン

出演/ザック・ブラフ/ジャシンダ・バレット/ケイシー・アフレック/レイチェル・ビルソン/マイケル・ウェストン

劇場未公開。4人の男友達がそれぞれの家族、恋人、両親の問題を抱えて苦悩する姿を結構リアルに描いている。役者が違えば一流劇場で公開されるかもしれない作り。映画というのは面白い、内容が全く同じでも出演している役者がスターであれば、公開前から注目を浴びられる。一方、無名役者達しかいなければ、公開して初めてその真価が問われ、万が一の場合のみヒットすることになる。

もうすぐ30才にならんとするアメリカの若者、彼等にも子供を育てること、結婚することに、人並みの悩みがあろうとは。すぐにSEXで片づけてしまいそうな彼等にも、そういう社会であるからこそのもっと深い悩みがあったのだ。

30年も結婚生活を続けている奇跡的なアメリカ人、お隣にはやっぱり男二人のゲイ同居者。アメリカ社会の典型的な家族形態は、この離婚とゲイ同棲が大きなウェイトを占め、さらに多数派になっている。

『ブレードランナー ファイナル・カット』(Blade Runner: The Final Cut)

2007年・アメリカ 監督/リドリー・スコット

出演/ハリソン・フォード/ルトガー・ハウアー/ショーン・ヤング/ダリル・ハンナ/エドワード・ジェームズ・オルモス

本編の放映の前に、いわゆるメイキングと言われるTVM『デンジャラス・デイズ/メイキング・オブ・ブレードランナー』(2007年)を観た。日本映画のおちゃらけたメイキングとは雲泥の差、ブレードランナーが如何にして生まれてきたかを、関係者のインタービューをメインにして映像が出来上がっている。「デンジャラス・デイズ」は、当初の題名だったという。脚本の段階でも執筆者の交替があったり、撮影中のトラブル発生は日常茶飯事。大きくは、出資者からの予算超過に対するクレームが厳しく、撮影終了日に行き着くまでには相当の苦労があった。

そういう舞台裏を見せられてからの鑑賞だったが、メイキングで監督が言っている、予算がないため多くのシーンは暗闇とスモークに彩られている映像。テレビ画面にはあまりにも相応しくなく、いつの間にか眠りに落ち込んでしまった、いつもの如く。企画が始まったのは1975年、完成は1982年、賛否両論の中でのロードショーだったが、1週目を除き成績はイマイチ。映画芸術性が伝説となって現在に至る。リアル・タイムで観ていれば、感想はまた違ったものになっていただろう。

『グーグーだって猫である』

2008年・日本 監督/犬童一心

出演/小泉今日子/上野樹里/井上伸一郎/加瀬亮/村上知子/大後寿々花/松原智恵子/山本浩司/大島美幸/黒沢かずこ

原作者大島弓子には「綿の国星」でキョンキョンには「生徒諸君」で思い入れが出来ていたので、心地よく観始まったのだが・・・。乙女チックな世界も悪くないはずなのだが・・・。不要なキャスティングはやめて欲しいと切に願う。それでなくとも下手くその集まりが、映画という総合芸術をダメにしてしまう。小泉今日子のアップ顔が結構写しだされて、あれっ?キョンキョンの鼻ってこんなに高かったんだ、と首を傾げてしまった。目の前で昼食弁当を食べたのは、もう27年前のことになる。

『ミュージック・オブ・ハート』(Music of the Heart)

1999年・アメリカ 監督/ウェス・クレイヴン

出演/メリル・ストリープ/アンジェラ・バセット/グロリア・エステファン/エイダン・クイン/エイダン・クイン/ジェイン・リーヴズ

主人公が荒れた小学校の臨時教師となり、音楽による子供たちとの交流によりお互いに成長していく姿を描いた作品。実話を元にしており、メリル・ストリープが演じたロベルタ・ガスパーリも実在の人物である。アイザック・スターン、アーノルド・スタインハート、イツァーク・パールマン、マーク・オコーナー、ジョシュア・ベル等の著名な演奏家が本人として登場している。最後の演奏シーンはカーネギー・ホールで収録された。メリル・ストリープは役作りのためにヴァイオリンの猛特訓を行い、本番も自分で演奏している。Wikipediaでのこの説明で充分、それ以上のコメントは全く必要ない。今度生まれ変わったら、是非音楽に関係のある才能が欲しい、とずーっと思っている。

『Dr.Tと女たち』(DR.T AND THE WOMEN)

2000年・アメリカ 監督/ロバート・アルトマン

出演/リチャード・ギア/ヘレン・ハント/ファラ・フォーセット/リヴ・タイラー/ローラ・ダーン/シェリー・ロング/タラ・リード/ケイト・ハドソン

この頃BSの「FOX238」チャンネルが何故か映り、録画を時々するようになった。他のBSチャンネルにはないタイトルがあったりするので、便利している。同時に数チャンネルを見ることは出来ないが、多くのチャンネル・番組の中から自分の好みの番組を選択出来ることが、多チャンエルの意味。悪くはない。この映画もTVMの雰囲気があったが、著名な監督と役者が出ていれば、映像はそれなりに堪えられる。

主人公は産婦人科の個人医院経営者で医師、受付嬢初め従業員も全部女、患者は病気でもないのに優しく親切な医者の元にやってくる。家に帰れば2人娘と美しい奥さんがいる。何処を見回しても女だらけ。こんな恵まれすぎた環境でも、人間の悩みは尽きない。最大の悩みは、何不自由なく生活出来ている妻が、旦那から愛されすぎていることに起因する精神障害を発症し、昔で言うなら「気狂い病院」に入ってしまったことだ。

差別用語とされる「気狂い」は、「きちがい」と入力しても正しく変換されない、理不尽な世の中になってしまった。目の見えない人を「めくら」と呼ぶことが差別だなどと、誰が言い出したのだろう。差別するから「めくら」と言うのではなく、「目の不自由な人」では「目が見えない人」を正しく表現していないから遣うのだ。歴史的にも、昔からきちんと遣われていた言葉で差別用語として聞かなくなった言葉が大変多い。日本語が正しく遣われなくなってしまうことの方が怖ろしい。その方がはるかにファッショだ。

『ノーラヴ・ノーライフ』(A PERFECT DAY)

2006年・アメリカ 監督/ピーター・レヴィン

出演/ロブ・ロウ/クリストファー・ロイド/フランセス・コンロイ/パジェット・ブリュースター/ジュード・チコレッラ/ロイナ・キング

日本語題名は、たぶん「愛がなければ、人生とは言えない。」くらいの意味を込めて、さも原題であるかのようにカタカナ表記している。配給会社が良く使う手。原題「A PERFECT DAY」は、主人公が書いた本のタイトル。失業して書いた処女作が全米大ヒット、そこから彼の人生が大きく変わり・・・。クリスマス・シーズンに贈る愛の物語。TVMと称されるテレビ映画。劇場用映画との大きな違いは、セットがちゃっちいこと。大きな画面では堪えられないだろう。仕事も、お金も手に入れ始めたが、失ってしまいそうな愛がある。目の前から消え去って行く愛がある。人間の本当の仕合わせとは何か、という普遍のテーマを軽いタッチで見せてくれるのがいい。

『サクリファイス』(The Sacrifice)

1986年・スウェーデン/ロシア/フランス 監督/アンドレイ・タルコフスキー

出演/エルランド・ヨセフソン/スーザン・フリートウッド/アラン・エドバル

カンヌ国際映画祭において絶賛され、審査員特別グランプリを初めとする4賞を独占したような映画を、セリフが多すぎるからとすぐに飽きてしまうような輩では、とてもじゃないけど映画が好きですなどと、大声では叫べそうもない。

『アメリカン・スウィートハート』(America's Sweethearts)

2001年・アメリカ 監督/ジョー・ロス

出演/ジュリア・ロバーツ/キャサリン・ゼタ=ジョーンズ/ジョン・キューザック/ビリー・クリスタル/アラン・アーキン

ただ飾っておけばいいような容姿のキャサリン・ゼタ=ジョーンズ、役者の下手さ加減は分からない英語でも分かる。最初からコメディーですよと、ひたすら笑わせようとする映画は好かない。ジュリア・ロバーツが、この時代に出るような映画ではないような気がする。

『ベリッシマ』(Bellissima)

1951年・イタリア 監督/ルキノ・ヴィスコンティ

出演/アンナ・マニャーニ/ワルテル・キアーリ/ティーナ・アピチェラ/ガストーネ・レンツェッリ/アレッサンドロ・ブラゼッティ

「もっとも美しい女性」という原題。今の日本の母親に見せたい映画。母親の姿も心も美しいたとえか。ローマにあった有名なチネチッタ撮影所、6~8才の娘主役募集のオーディションに、生活も顧みず舞い上がった母親のストーリー。ところがどっこい、主役に抜擢されたのだが、娘の笑われてうける姿に狼狽し、今までの希望もどこかへ吹っ飛んでしまった。ただ有名になりたい、お金が欲しいと人身を売買している人間どもへ、この60年前の映画が警告している。意外と寡作な、巨匠と呼ばれたヴィスコンティ監督作品。

『悪人』

2010年・日本 監督/李相日

出演/妻夫木聡/深津絵里/岡田将生/満島ひかり/樹木希林/柄本明/宮崎美子/松尾スズキ/光石研/余貴美子/井川比佐志

在日コリアン三世の監督の力は本物、フラガールも撮っている。大根・妻夫木聡のセリフが少なく、雰囲気を壊していないところがいい。携帯の出会い系サイトで知りあった男女の愛にも、本物があるんだと必死に訴えているようで気持ち悪い内容。内容の如何に関わらず、俳優の演技が映画賞の対象になることが出来るので救いがある。

『ティン・カップ』(Tin Cup)

1996年・アメリカ 監督/ロン・シェルトン

出演/ケビン・コスナー、レネ・ルッソ、チーチ・マリン、ドン・ジョンソン

ゴルフ映画、観たことがあると勘違いしていた。以前観たのは、どうも別のゴルフ映画だったようだ。数少ないゴルフ映画、あの映画は何だったのだろう。この映画を観てはいなかったが、気軽に観られるだろうと思っていたことは、間違っていなかった。

気怠い月曜日の午後、寝っ転がって観る映画としては、これ以上のものはなさそうに思える。それなりに面白いし、出来の悪い日本映画を罵って気分が悪くなるよりははるかに健康的で、久しぶりに自分がゴルフ場へ行った気にしてくれる。テキサスのゴルフ練習場は凄い。防護網などまったく見えない。広大な野原に打席エリアだけを作ったような大らかな練習場、こんな場所でなら毎日でも気分転換に練習場に行ってみようという気になる。

1打のナイスショットが忘れられなくなり、もう一度もう一度とどつぼにはまってゆくのがゴルフの魅力。やらないでいると忘れてしまいそうな趣味の領域、それでもまた、やり出せば何度でも行きたくなるのがゴルフ。でも、もう二度とゴルフ場へ行くことはないであろう。ただ、練習場で遊ぶことくらいは面白いだろうと、思ってはいるが何故か実行出来ていない。往年のプライベート・シングル・プレーヤーも形無し。

『迷子の警察音楽隊』(BIKUR HATIZMORET)

2007年・/フランス 監督/エラン・コリリン

出演/サッソン・ガーベイ/ロニ・エルカベッツ/サーレフ・バクリ/カリファ・ナトゥール/イマド・ジャバリン/ヒシャム・コウリー

和平が築かれつつある隣国イスラエルで、エジプト人警察音楽隊の一夜をコミカルに描く。「ユダヤ国でアラブ人が迷子になる」という政治的な設定ながら、機知に富んだ展開を描く。摩訶不思議な雰囲気が漂っている。

1979年エジプト・アラブ共和国及びイスラエル国との間の平和条約が結ばれている。エジプトはイスラエルを正式に承認した最初のアラブ国家となった。条約を締結したサーダートはイスラエルとの和平条約調印後、同条約ならびにイスラエルとの国境樹立に強く反対する者によって1981年暗殺された。暗殺後に成立したムバーラク政権下においても、イスラエルとの国交それ自体は2011年現在に至るまで維持されていた。

そして今年2011年1月アフリカ、チュニジアでは一人の青年の自殺から始まった「ジャスミン革命」により23年間続いた政権が崩壊。2月にはエジプトのムバーラク政権の歴史は30年で終止符が打たれ。「facebook」「アフリカの春」旋風は、10月リビアのカダフィ大佐42年の政権をも倒すこととなった。アフリカから中東にかけては、まだまだ火種がくすぶっており、のっぴきならない状況は当分続くのだろう。エジプトはこの映画の時は親米、反イスラエルではない国だったが、これからの関係は不透明。革命といってしまえば格好良さそうに見えるが、上手いシステムが構築出来なければ、もっと悲惨な泥沼状態になるであろうことは容易に想像出来る。

『カイジ ~人生逆転ゲーム~』

2009年・日本 監督/佐藤東弥

出演/藤原竜也/天海祐希/香川照之/山本太郎/光石研/松尾スズキ/佐藤慶/松山ケンイチ

舞台で活躍している姿を実際見たことはないが、元祖イケメン俳優組としては、なかなかの実績を残している藤原竜也が出ていたので、多少の期待はした。彼の主演した『DEATH NOTE デスノート』(2006年)、『カメレオン』(2008年)も録画で見るチャンスがあり、映画的にも優秀じゃん、と上から目線で評価している。

この映画が始まって、なんか変、という印象が一番。舞台上でのセリフや映像もどこか舞台っぽい違和感。テレビで年がら年中見ているような顔が並んでいると、映画であることの良さがまったく伝わってこない。そんなことを考えていたら、、たぶん20分後くらいだと思うが、深い眠りについてしまった。2倍速にしてすぐの出来事だった。

映画はこんこんと続いている。声は聞こえてくるけれども、間違いなく眠っている。それも深く眠っている感覚なのだ。もうそろそろいいかなぁ、と目を覚ましてみると、なんとまぁタイミングの良いこと、まさしく映画は最後の2分間くらいだった。こんなくだらない映画をよく作るな、と感心していたら、なんと続編が公開される前宣伝の放映だったことを知り、またびっくりした。これじゃ日本映画界が浮かばれないのは当然、情けないやら悲しいやらだが、浮世のことには口出し出来る立場ではないし、まぁいいかっ!

『スライディング・ドア』(SLIDING DOORS)

1997年・イギリス/アメリカ 監督/ピーター・ホーウィット

出演/グウィネス・パルトロウ/ジョン・ハンナ/ジョン・リンチ/ジーン・トリプルホーン/ザラ・ターナー/ダグラス・マクフェラン

題名スライディング・ドアとは、電車のドアのようにスライドしながら自動開閉してくれるドアのこと、エレベータのドアもその中に入る。この自動ドアにより、電車に乗り遅れたり、エレベーターに乗り遅れたが故に出逢うことになった男女のストーリー。映画とはそういう偶然を切り取って見せてくれることが多い。。

この映画のように、もしもその電車に乗れていたらという状況と、乗れていなかったという現実を、最初から最後まで映像を切り替えながら描いているのも珍しい。主人公の髪の毛、もしもの状況で短くしているのと、現実には長い髪の毛の対比で一応区別している。観客が混乱することを計算に入れているのだろうが、もしもと現実の2つの画面の同時進行は、長時間になると何故か腹が立ってくる。

人生には岐路がたくさんあり、選べるのはそのうちのひとつ。もしもあの時に右ではなく左に行っていたらという仮定は、その瞬間だけが重要で、その後の人生は現実を追わなければ、虚しいものになってしまう。面白いようで卑怯な映像手法に見えて、少し不愉快になったのは自分だけかもしれない。済んでしまった過去を振り返らない、という自分の生き方には、この映画の良さが伝わらない。


2017年11月9日再び観たので記す。

『スライディング・ドア』(Sliding Doors)

1998年・イギリス/アメリカ 監督/ピーター・ハウイット

出演/グウィネス・パルトロー/ジョン・ハナー/ジョン・リンチ/ジーン・トリプルホーン

広告代理店勤務の主人公は作家志望の男と同棲中。ミーティングに遅刻したところ、クビになってしまう。最悪の気分で地下鉄に向かい、電車に乗る寸前にドアがしまる(第1のストーリー)。もし、この電車に間に合っていたら?(第2のストーリー) この後は、ヘレンの人生が2つの運命にわかれて展開していく。

最初から最後まで2つのストーリーを同時展開させ、交互に映像が現れるのは困る。時々なら許せるが、常時では観ていてイライラ感が積もってくる。しかも、そんなに話がおもしろく展開しないのもつらい。いい加減にしてよという言葉を画面に向かって吐きつけたくなった。

誰にだって人生の岐路は2つや3つ保持している。それがなければ人生とは言わないし、もっとたくさんあれば人生はもっと豊かに見えるだろう。所詮、人間なんて経験出来る事柄は限られている。長年の実績と勘だなんて、偉そうに説教ぶったところで、大した経験もしていない年寄りに偉そうなことを言われたくない。そう思っている人間が大半。それにしても飽き飽きするラブ・ストーリーだった。ウソつきの男が堂々と女をだましている姿は不愉快に見えて仕方がない。小さな嘘なんてつく必要がさらさらない。不思議で仕方がない。嘘なんか言わなくたって、お互いが好きになれるのに。ウソを言わなければ好きになってもらえないなら、さっさと諦めればいい。そんな往生際のいい人間はめったにいないが。

『102』(ワンオーツー、102 Dalmatians)

2001年・アメリカ 監督/ケヴィン・リマ

出演/グレン・クローズ/ジェラール・ドパルデュー/イオン・グラファド/アリス・エバンス/エリック・アイドル

題名を見てピンと来なかった。尤もこの映画は『101』(101 Dalmatians・1996年)の続編なので、その映画存在も知らなかったし観てもいなかったというのもその原因。でも、ディズニーのアニメーション『101匹わんちゃん』(One Hundred and One Dalmatians・1961年)は良く知っている訳なので、もう少し頭が働いてもよさそう。老いを感じる。

黒いブチが可愛い犬ダルメシアンは、絵本でも子供の頃から親しまれている。それが実写になったのが『101』『102』だ。ディズニーの映画は女・子供と馬鹿にしたものでもないが、この映画はいささか60過ぎの老人には、退屈に見えてしまう。いつものディズニーと何ら変わらないようにも見えるが、どちらかというとお子様ランチは致し方ない。

半端ではない犬の演技と言おうか、それを撮影・編集した映画製作者が凄い。犬の映画ひとつとってみても、日本映画では及びもつかないお金のかけ方と出来映えが違う。あくびをしながらも最後まで観てしまうのは、さすがのディズニーと感心した次第。

『ラブ・アクチュアリー』(Love Actually)

2003年・イギリス/アメリカ 監督/リチャード・カーティス

出演/ヒュー・グラント/キーラ・ナイトレイ/コリン・ファース/エマ・トンプソン/リーアム・ニーソン/ローラ・リニー

最初に観た時、あまりの面白さに唸った。二度目を観る時は何時なのだろうと、心待ちにしていた。毎年クリスマス・シーズンになると、繰り返し観られているような情報が結構あって、もうそろそろいいかなっていう感じで浮き浮きしながら鑑賞した。ほとんど内容は新鮮に見えるが、細かいセリフや挙動などにも目配りが出来て、1回目ではないメリットがあって嬉しい。ラブ・コメディというくくりでは収まらない出来映え。

クリスマスのロンドンを舞台に、9つのストーリーそして19人の男女の様々なラブストーリーが同時進行していく。たいていの映画なら、3組の同時進行でも、頭がごちゃごちゃになって面白さがどこかへ飛んでしまう。監督の力量なのだろう。これほど複雑な映像を、こんなに上手くまとめられるのは。調べてみた、もともと脚本家が本職のようだ。ノッティングヒルの恋人(Notting Hill・1999年)、ブリジット・ジョーンズの日記(Bridget Jones's Diary・2001年)の脚本を手懸けている。

こういう映画を観ないで死んでしまうのは哀しいことだよね、と思える1本。まさしく豪華キャストと呼べる俳優達も集まって、映画の質がさらに向上している。来年のクリスマス・シーズンにも三度目の鑑賞をしよう。生きていたら。

『HACHI 約束の犬』(Hachiko: A Dog's Story)

2009年・アメリカ 監督/ラッセ・ハルストレム

出演/リチャード・ギア/ジョアン・アレン/サラ・ローマー/ケイリー=ヒロユキ・タガワ/ジェイソン・アレクサンダー

忠犬ハチ公として有名な話だが、内容までは良く知らなかった。子供の頃から知っていた事柄だが、おそらくあの当時なら日本中知らない人はいなかっただろう。この映画は、1987年公開の『ハチ公物語』のリメイク版として、2009年フジテレビが製作した。ヘラルドが配給した「南極物語」といい、フジテレビは犬が好きなのだろう。映画内容よりも、製作にまつわる話が面白いだろうと思いながら観ていたが、以下のような話が見つかった。

『ハチ公物語』の舞台設定を1930年代の日本の東京から現代のアメリカ東海岸の架空の街に変更して製作された。プロデューサーのヴィッキー・シゲクニ・ウォンは日系3世および中国系であり、1980年代半ばに来日した際に渋谷駅前のハチ公像に興味を示し、ハチ公のストーリーを映画などで知って感銘を受けて帰国後には飼い犬に「ハチコー」と名付けるなどした。その「ハチコー」が2002年に亡くなったのを期に映画製作を決めたという。ハチ役は、フォレスト・レイラ・チーコという名前の三頭の秋田犬で、それぞれの性格に合わせて異なるシーンを演じ分けた。原題はハチ公をそのまま「Hachiko」としているが、邦題は「HACHI」となっており、逆転現象が起きている。尚、大の愛犬家である主演のリチャード・ギアは、この映画の脚本を読んだ際、涙が止まらなかったという。(Wikipediaより)

映画はあまりにも盛り上がりに欠ける。ハチ公がいなくなってしまった主人公を、ひたすら待ち続けるというシーンだけがいじらしく見えるのみ。さすがにこの内容では、アメリカでの劇場公開は断念されたようだ。制作費はフジテレビが大枚出しているのだろうから、アメリカ側は躊躇なく劇場公開を止めた節がある。秋田犬だったんだ!

『僕は君のために蝶になる』(蝴蝶飛、Linger)

2008年・香港 監督/ジョニー・トー

出演/ヴィック・チョウ/リー・ビンビン/ヨウ・ヨン/マギー・シュー/ロイ・チョウ/ウォン・ヤウナン

香港映画の鬼才であるジョニー・トー監督が、1996年公開の香港映画『ラヴソング』の脚本を手がけたアイヴィ・ホーを迎えて贈る初のラブストーリー作品、とある。英語原題「Linger」を翻訳機にかけると、「ぐずぐずする」と出る。映画内容がぐずぐずしているからこの題名なのか、と思えるほど苛つく展開に爆睡。

どうしようもなく我慢出来ない状態で眠りにつくのは、快適なようで意外と疲れる。贅沢なことを言っているが、実際昼寝をして快適だったことが最近はない。夜は相変わらず導眠剤を毎日服用しなければ眠りに落ちないので、眠るまでの苦しさを毎日味わっている。全然利かない導眠剤だと馬鹿にしていると、2時間も過ぎると突然朦朧としてくる時もあり、薬の利き方が良く分からない。

少しばかり見ていた時間の主人公は、薬に頼って毎日を生活していた。この辺りの心情は良く分かる。副作用がだいぶ貯まっていそうで、怖ろしい感じもするが、これこそ仕方のないこと。

『善き人のためのソナタ』(DAS LEBEN DER ANDEREN, The Lives of Others)

2006年・ドイツ 監督/フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク

出演/ウルリッヒ・ミューエ/マルティナ・ゲデック/セバスチャン・コッホ

/ウルリッヒ・トゥクール/トーマス・ティーメ

録画ストックがまったくなくなってしまったので、どうしようかと思案した。最近TSUTAYAの準新作100円を利用して、20枚以上のDVDを借りてきていて、最後の頃にはだいぶ作品の質も落ちてきたのを痛感していた。この「最近観た映画」欄を書くようになったのが昨2010年5月から、ある人に背中を押されたのがきっかけで、記録を残すようになっていた。

「いつだって遅すぎることはない。」自分で言っていたことが、本当なんだとあらためて思う。あの時素直に書き始めていなければ、これほどの蓄積が出来るはずもなく、ひとつでも生きていた証を遺せていることに感謝したい。書き始める以前に観た映画も多いが、これぞと思う映画をいつでも観られるようにしてあるので、その中の1本を観ることとなった。

1989年11月9日に検問所が開放され、翌11月10日に破壊されたベルリンの壁、そのちょっと前の東ドイツでの物語。全盛期には対人口比でナチスのゲシュタポ、ソ連のKGBをしのぐ監視網を敷かれていたシュタージと呼ばれた秘密警察・諜報機関である国家保安省が舞台の中央。ストーリーは暗く、何事が起こるのか、起きようとしているのかと観客を惹き付ける。面白い。二度目ではあるが、相変わらず初めてのように字幕を読む自分の姿が、情けなくはなく微笑ましいとさえ思えてきた。アカデミー賞の外国語映画賞受賞ほか、数多くの栄誉に輝く作品。

『シティ・オン・ファイア』(Scorched)

2008年・オーストラリア 監督/トニー・ティルス

出演/キャメロン・ダッド/レイチェル・カーパニ/ジョージー・パーカー/ヴィンス・コロシーモ/レス・ヒル

1979年アメリカ製作の日本語同題名あった。そちらの方の原題は、「CITY ON FIRE」なので真似をしてつけた日本語題名っぽい。内容も近そうで、どうもリメイクの様相。ヘンリー・フォンダまで出ていたが、酷評のページがあった。原題「SCORCHED」は、「焦げた」ということらしい。

パニック映画なのに、そのパニックが伝わってこない。語るべき処がない映画。画面ではかなり緊迫しているのに、何の緊迫感もなく見られる不思議な映画。三流、四流というより、テレビ映画を映画館ぽくした感じ。

オーストラリアのクリスマスは真夏だということを、あらためて知った。雪のないクリスマスなんて、と思うのは勝手なのだろう。水不足、山火事のニュースが時々世界を駆けめぐる。そんな土地柄からの映画発信。

『ミッシング』(Missing)

1982年・ 監督/コスタ=ガヴラス

出演/ジャック・レモン/シシー・スペイセク/メラニー・メイロン/ジョン・シェア/チャールズ・チオッフィ

「この映画は実話に基づく事件も事実関係も真実だ。無実の人や映画の保護のため一部仮名とした。」字幕と喋りとで映画は始まって行く。1973年に南米チリの軍事クーデター中に起きたアメリカ人男性チャールズ・ホーマン失踪事件がその実話というやつ。

1970年の大統領選挙により、社会主義政権が誕生、これは世界初の民主的選挙によって成立した社会主義政権。西半球に第二のキューバが生まれることを恐れていたアメリカ合衆国はCIAを使って工作、ついには1973年9月11日、アメリカ合衆国の後援を受けた軍事評議会がクーデターを起こした。これが真実というやつ。

アメリカという国が、如何に国民を保護しようとしているかが映画で分かる。他国にいるアメリカ人は、絶対自分が無差別に殺されることはないと信じている。それでも起こってしまった1アメリカ人の失踪を、妻と父親が必死になって捜索する話だ。保護をするアメリカでさえ、国という大きな存在のためには1個人などどうでも良いという真実も暴いてみせる。リアルタイムでこの映画を観ていれば、もしかすると人生の岐路はどちらかに変わっていたかもしれない。もっと早くヘラルドを辞めていたかもしれない。あるいは、ヘラルドが潰れるまでいたかもしれない。たぶん、この人生ではない路があったような気がする。オーバーに言えば。

『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』(L'Affaire Farewell)

2009年・フランス 監督/クリスチャン・カリオン

出演/エミール・クストリッツァ/ギョーム・カネ/アレクサンドラ・マリア・ララ/インゲボルガ・ダプクナイテ/アレクセイ・ゴルブノフ

第2次世界大戦以降、長きにわたって世界を二分していた、アメリカ合衆国を主軸とする資本主義諸国とソビエト連邦を主軸とする共産主義諸国の対立=“東西冷戦”。その構造は、1989年のベルリンの壁崩壊を経て91年のソ連解体により終結を迎え、国際社会のパワーバランスと世界を包み込んでいた価値観は大きな転換を余儀なくされる。だがその背景には、歴史の闇に埋もれたあるひとつの驚愕の事件があった──それが「フェアウェル事件」だ。

この、80年代初頭のモスクワで起こったKGBの大物スパイによる極秘情報漏洩事件を、レーガン米大統領やミッテラン仏大統領、そしてゴルバチョフ書記長など、当時の各国首脳を登場させ、実話に基づいた重厚なリアリティで、ドラマティックかつ緊迫感たっぷりに描いたのが、このである。(映画.COMより)

アメリカ映画が実在の人物を描く時、俳優やメイキャップを駆使して、結構似ている人物像を映画に登場させることが多い。20kg痩せたり、太ったりという話は撮影秘話として、良く伝え聞く。そのリアリティーが卓越した演技と相まって、究極の映像美を創り出している。日本映画に欠けている決定的な要素が、これだ!この映画はフランス映画だが、同じようにレベルの高さを感じる。(2011年10月27日)

『フルメタルポイント』(SECONDS TO SPARE)

2001年・アメリカ 監督/ブライアン・トレンチャード=スミス

出演/アントニオ・サバトJr./キンバリー・デイビス/ケイト・ビーハン/キンバリー・デイヴィス/ニック・テイト/ヴィクター・パラスコス

三流映画の面白さを堪能出来る。これ見よがしのボインの可愛い娘ちゃんも勿論登場する。「映画製作・初級編」とでも名付けて、この映画を公開すれば、教則本としての価値はありそうだ。まぁ、それだけのことでしかないが。

三流と一流との違いは何なのだろうか。大根役者と名優なら、誰にでもその区別は出来ようもの。好き嫌いがあるといっても、映画の場合も区別はつきやすい。区別がつかないのは、人間本人かもしれない。あんたは三流だよと言われて、はいそうですかと素直に納得する奴がたくさんいるとは思えない。ましてや、自分から三流人間だと卑下する人ほど、出来が良いのが普通だから困ってしまう。

三流会社は良く分かる。区別がつかない人間が集まって出来ているのが会社なのに、良く分かるとはどういうことなのだろう。不思議なのだけれど、見事に分かってしまうのが現実。怖くて、あなたの会社は三流ですよとは言いにくいけれど、世間の人は言われなくても、そんなことは分かっているから頼もしい。

『僕の初恋をキミに捧ぐ』

2009年・日本 監督/新城毅彦

出演/井上真央/岡田将生/杉本哲太/森口瑤子/細田よしひこ/原田夏希/窪田正孝/仲村トオル

今年のNHK連続テレビ小説・おひさまの主役をやっている井上真央、この映画が約3年前の撮影だと思うが、まだまだ顔が引き締まっていて可愛い雰囲気満点。最近のテレビなどで見る彼女の顔は、面積が大きくなり横へと拡張されていて、何故この娘がもて囃されるのか分からなかった。この映画を観て、初めて納得がいった。

ベタな題名と内容もひけをとらないベタさ加減が、日本の若者に受け容れられている事実は好ましい。こんなクソ純愛ものなど、どう考えたって敬遠されてしかるべき、なのにうけているのは日本人のDNAと信じたいところ。シーン的には結構工夫が見られ、それなりに飽きもしないで最後まで観ることが出来たことが嬉しい。

このところ連戦連敗で、日本映画もこれまでかと諦めかけていたところ。20才までは生きられないよ、と宣告された子供を持つ親の心境の方が気になったが、映画の主題は宣告された本人と、その相手を中心に描いている。日本人の好きなマゾ的境遇は、映画の永遠の題材としてこれからも数多く製作されることだろう。

『ナルニア国物語 第3章:アスラン王と魔法の島』(The Chronicles of Narnia: The Voyage of the Dawn Treader)

2010年・アメリカ 監督/マイケル・アプテッド

出演/ジョージー・ヘンリー/スキャンダー・ケインズ/ウィル・ポールター/ベン・バーンズ/リーアム・ニーソン/サイモン・ペッグ

『ライオンと魔女』(2005年)、『カスピアン王子の角笛』(2008年)に引き続いて製作された3作品目。原作七部作全ての映画化が計画されている。ハリーポッターのような人気にはならず大ヒットしなかったため、この3作目ディズニーから20世紀フォックスに製作会社が移った。

いわゆるファンタジーな世界、おとぎばなし的な映像をどう見るかにかかっている。アニメの世界はまったく受け付けない自分であるが、この類のファンタジーに抵抗はない。理屈ではなく感覚なのだろう。しかもファンタジーの中ででも、お子様ランチや子供騙しには見向きもしない。何処でその差を感じるのか自分でも分からない。

今回の映画も最初は快調だったが、どうも理屈っぽすぎて冒険が詰まらなく伝わってきた。どうせ無理な話を作っているのがファンタジーなのだから、理由付けした行動など望んでいないのに。まぁ、それでも最近の日本映画に比べたら、比較にならないほどの映画的魅力が満載で、是非とも映画館で観てみたいと思わせる映画だ。

『ボトル・ドリーム カリフォルニアワインの奇跡』(Bottle Shock)

2008年・アメリカ 監督/ランドール・ミラー

出演/クリス・パイン/アラン・リックマン/ビル・プルマン/フレディ・ロドリゲス/レイチェル・テイラー/デニス・ファリナ

実話の映画化。1976年5月24日、パリ、ワインの歴史に残る試飲会が開催された。伝説の『パリ・テイスティング事件』。このイベントを仕掛けたのは、パリに住むイギリス人のスティーヴン・スパリエ 。アメリカ建国200周年にあたるこの年、カリフォルニアワインとフランスワインを比較試飲するという企画を実行したのだ。

当時、フランスのワイン愛好家にとって、カリフォルニアワインなど、存在していないにも等しい代物で、フランスワインに匹敵するワインなど造られるはずがないと信じられていた。 審査員は、フランスを代表するワインの専門家たち。 AOC(フランスのワイン法)委員会の代表、三ツ星レストランのオーナー、三ツ星レストランのソムリエ。ロマネコンティの社長、ボルドー格付けシャトーのオーナー、そして高名なワイン評論家など。 ここまでの話で内容は分かってしまうだろう。そう思ってみていたが、映画的には軽いタッチで展開速く、アメリカ映画お得意の恋愛シーンも絡めて、気軽に楽しめる映画となっている。この事件以降、オーストラリア、チリなどなど世界中のワインが飲まれるようになったという。

お酒には縁のない自分にとって、セリフにもあったが「芳醇でまろやかで樽香のする」とかいうワインの表現には、イメージが湧かなくて戸惑う。今まで一口舐めるだけの経験の積み重ねではあるが、日本酒の甘口・辛口、ビールの苦さ・軽さ、Ballantine 30年ものがブランデーのようなまろやかさとテイストがあることを一応知っているつもり。ただ、ワインの美味しさというやつを、一度も実感したことがない。テレビ特番でやる芸能人が見極められない高級酒と安い酒、酒ばかりではないけれど、良いものと粗悪なものの区別は、品物本体の問題ではなく、それに接する人間の本物性に関わっていることは確かなようだ。

 『ミリキタニの猫』(The Cats of Mirikitani)

2006年・アメリカ 監督/リンダ・ハッテンドーフ

出演/ジミー・ツトム・ミリキタニ/ロジャー・シモムラ

ジミー・ツトム・ミリキタニ(Jimmy Tsutomu Mirikitani、日本名:三力谷 勉〈みりきたに つとむ〉、1920年6月15日 - )は、アメリカの路上画家。日系二世。カリフォルニア州サクラメント生まれ。珍しい苗字だが、題名からドキュメンタリー映画と想像することは出来なかった。

トゥーリーレイク戦争移住センターと綺麗な言い方をしても、何のことはない第二次大戦時にアメリカのとった日系人の強制収容政策(なんと12万人)による、カリフォルニア州の砂漠地帯にあるツールレイク強制収容所(ここだけで1万8千人)、このドキュメンタリーの主人公は25才の時この収容所で3年半暮らしたという。その悪夢を語りながらこの映画は進行する。渡辺謙が2、3ヶ月前NHK-BSでこの収容所の特番をやっていて、こういう事実があったことをその時知った。この老画家もアメリカ生まれのアメリカ市民権を持っているのにもかかわらず、強制収容されたという悲劇の生き証人だ。

9.11同時多発テロ後のアメリカ人の、アラブ系アメリカ人に対する差別や広島に投下された原爆の話を映画は事実として映し出す。反戦ドキュメンタリーではないが、人間には明らかな、大きな間違いが歴史上に存在し、それでも同じ間違いは犯してはならないと訴えているようでもある。珍しくもドキュメンタリー映画を楽しんだ。彼の描いた「猫」も印象深い。若い頃の作品を見れば、彼が自分を称して言う「芸術家」が嘘でないことが分かる。こういう映画に巡り会えるのも、生きているお陰か。

『ツーリスト』(The Tourist)

2010年・アメリカ 監督/フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク

出演/アンジェリーナ・ジョリー/ジョニー・デップ/ポール・ベタニー/ティモシー・ダルトン/スティーヴン・バーコフ

最近のサスペンスっぽい映画としては、最悪の出来の範疇に入る。アンジェリーナ・ジョリーもジョニー・デップもギャラだけ稼いで、あまり労力を使わず次回作にでもエネルギーを貯めておこうとしているようにさえ見える。人気スターの出演している4流映画だと断じておこう。

日頃から映画は観る人によって面白かったり、面白くなかったりがある、と言っていることと矛盾する。でもそれはある程度の水準以上の映画のことであり、こうも詰まらない映画を見せつけられると、言っていることは間違いだと言われても、反論したくなる。この程度が面白いと思うのは、テレビの軽薄なドラマやくだらないお笑いが蔓延している、超軽チャー日本的精神構造が原因していると、これも断じておこう。

蛇口に手をかざせば自動的に水は流れ出てくるし、ドアの前に立てば勝手にドアは開く。何もかもが便利そうになってしまった日常生活の中で、難しいことを考えるのが面倒だという風潮も流れる。確かに、ひとつひとつが簡単で、無造作に流れていった方が暮らしやすいかもしれない。これを繰り返していたら、不器用でもやしみたいな日本人ばかりになってしまうのではなかと恐れる。

『ミルコのひかり』(ROSSO COME IL CIELO)

2005年・イタリア 監督/クリスティアーノ・ボルトーネ

出演/ルカ・カプリオッティ/シモーネ・グッリー/アンドレア・グッソーニ

「輝ける青春」を手掛けるなどイタリア映画界の第一線で活躍するサウンドデザイナー、ミルコ・メンカッチの実体験を基に描く感動ストーリー。不慮の事故で失明し、心を閉ざしてしまった少年が、一台のテープレコーダーとの出会いによって新しい世界への扉を開き、自由と希望を獲得していく姿をドラマティックに綴る。監督はこれが長編4作目となるクリスティアーノ・ボルトーネ。(allcinemaより)

「輝ける青春」がこんなところで出てくるのには驚いた。今まで観た中で一番面白かった映画は?とか聞かれたら、この頃はこの題名を言うことにしている。というか、本当にそう思っている。全6時間の超大作な映画だったが、自分の青春時代の背景とほとんど一致していたこの映画は、まだ終わってはいないが自分の一生を観ているようで、すぽっと映画の中に入っていける内容であった。

その映画の音楽担当をしていたのが今回の映画の主人公、実話とはいえそういう出会いがあることに生きている喜びを感じる。些細なことでも、喜びを感じられるこの頃、若い頃とはまったく違う心理状態を予測さえ出来ていないのは当たり前のことか。

『赤毛のアン』(Anne of Green Gables)

1986年・カナダ/アメリカ/西ドイツ 監督/ケヴィン・サリヴァン

出演/ミーガン・フォローズ/コリーン・デューハースト/リチャード・ファーンズワース/シュイラー・グラント

NHK-BS ハイビジョン・デジタル・リマスター完全版(前編)(後編)として放映された。不朽の名作でこれまでも、いくたびか映画化されているが、原作の舞台プリンス・エドワード島でロケされたのはこの作品が初めて。若い頃にはちっとも興味が湧かなかったこういう作品にも、まず観てみようという気が持てるだけでも進歩した。

若い少女達がこの作品に最初に触れるのは、何歳くらいなのだろうか。そしてどう思うのだろうか、といったことが知りたくなった。タイトルがあまりにも有名ではあるが、活字人間ではないこと、やはり感性のない男だという理由で、たぶんだが、敢えてこの物語に興味を持てなかったのだろうと自己分析する。

観てしまえばなかなか面白く、一気に前・後半を通して鑑賞出来た(約3時間半)。時代背景の中で、カナダのあの時代のあの地方での孤児が、ゴミや奴隷の如く扱われていたことにちょっとショックを覚えた。英語は相変わらず聞き取れなかったが、英語教則本になりそうなせりふ回しだというニュアンスは伝わってきた。これくらいの英語は、字幕なしでも分かるようになれば、もっと映画が楽しくなるのにと、悔しい思いでいっぱい。いつも。


『続・赤毛のアン/アンの青春』(Anee of Green Gables the Sequel)

1988年・カナダ 監督/ケヴィン・サリヴァン

出演/ミーガン・フォローズ/コリーン・デューハースト/ジョナサン・クロンビー/ウェンディ・ヒラー

「赤毛」と虐められていたアンも成長して、自分が学んだ学校の先生になった。なんとも可愛くて愛らしいこの主人公を観ていると、心が和む。子供の成長は側にいるものとしては、かなり楽しい作業。もう一度子育てをと言われても、出来ないだろうけれど、してもいいよいう感じ。

子ども達が大きくなったら、一緒に街を歩いてみたい、とかいう夢があったのだが、何度実現したのだろう。末娘とは5年半前くらいにロンドンヘ旅したことがあり、これが娘達との付き合い集大成として記憶に残した。娘も成長すれば、父離れするのは仕方がない。今度懐かしんでもらえるのは、こちらの命が絶えた時でしかないであろう。

1998年にはアンを囲む人々との交流をより細かく捉えた「赤毛のアン アンの青春〈完全版〉」(220分)が公開された。ヘラルドの後輩に「赤毛のアン」を最近観たよと言ったら、彼は今でも毎年1回は原書でこの物語を読んでいるという。映像ばかりではなく、活字を読むことでも癒されるとは、何と素敵なことだろう。


『赤毛のアン/アンの結婚』(ANNE OF GREEN GABLES: THE CONTINUING STORY)

2000年・カナダ 監督/ステファン・スケイニ

出演/ミーガン・フォローズ/ジョナサン・クロンビー/シュイラー・グラント/キャメロン・ダッド/パトリシア・ハミルトン

前2作同様、デジタル・リマスター・完全版(前編)(後編)だ。主役の二人は変わっていないというが、赤毛のアンが成長して顔が細くなり、体つきも少女体形から大人の女性へとなってしまうと、前2作の凄く可愛かった映像が懐かしい。大人びていて、ちょっと役者が違うのではないかと思えたほど。「笑顔がいい」と言われた顔も、どこか違う感じがしてちょっと違和感。

時は第一次世界大戦末期、1918年の話だ。戦争というと第二次世界大戦がどうしても頭に浮かんでしまう世代、もっとも本当なのか信じられないが、日本とアメリカが戦争をしたことを知らない人種が出現しているという。1914年から始まった第一次大戦は、カナダ国民までをも巻き込んだ最初の世界戦争であることが窺える。

映画の中では兵隊に志願しない若者を非国民のように扱っているシーンもあり、日本ばかりではなく戦争状態に陥った時の異常さが、戦争の恐ろしさをまざまざと見せつける。こんな大戦を経験しながら第二次大戦が起こってしまうのも、人間の為せる技。映画の世界がこれまで予知してきた、第三次世界大戦が起こらないことを願うのみ。

『トンマッコルへようこそ』(Welcome to Dongmakgol)

2005年・韓国 監督/パク・クァンヒョン

出演/チョン・ジェヨン/シン・ハギュン/カン・ヘジョン

韓国では800万人を動員し、2005年の最多観客動員、音楽を久石譲が担当。舞台は朝鮮戦争が激しさを増していた1950年11月という設定。戦争コメディーとでもジャンル分けしたいような、どことなく愛すべき映画に仕上がっている。韓国映画をこれだけ面白く観たのは初めて。トンマッコルとは「子供のように純粋な村」という意味。その内容から、韓国国内では「親北反米」との声も沸き起こり、賛否両論となったという。

小笠原諸島は大陸と繋がっていたことがないので、蛇とか猛獣とかがジャングルにも潜んでいないのだという。靴底や洋服に付いた余計な菌などを、取り除いてから森に入るよう規則付けられている。戦争の真っ直中、そういう外界と閉ざされ無垢の村・村人が舞台。

銃剣を向けられても「挨拶するのに、いきなり棒を突きつけるのはひどいね。」と言う村人。理想郷を映像化して見せてくれる。悪くはない。予定調和と言ってしまえばそれだけだが、映画製作者はひたすら飽きさせないためのエピソードを、全編に鏤めている。もの哀しい出来事もあり、映画として必要な要素は全て取り込んでいる。後は、観る人の心に委ねられていると言っても過言ではない。

『お引越し』

1993年・日本 監督/相米慎二

出演/中井貴一/桜田淳子/須藤真里子/田中太郎/田畑智子/茂山逸平/笑福亭鶴瓶

ヘラルド・エースと日本ヘラルド映画の名前が一番最初に出て来た。アルゴプロジェクトと三者の共同配給だったようだ。ヘラルドを辞めて3年後、まだまだ近いところにいたはずなのに、ヘラルドが配給したことすら記憶になかった。贔屓目で観た訳でもないが、なかなかの作品で、こういう映画なら積極的に関係を持っても誇りを持てただろう。

主演は明らかに小学6年生役の田畑智子、この時役と同じ年頃。7年後にはNHK朝ドラ『私の青空』のヒロインとなる。もう31才になる彼女、小さい頃の姿がこうやって眺められるのも、映画という世界のお陰。なんか不思議な感じがする。桜田淳子もいい。存在感というか、映画の中で生き生きとしている。その後の映画活動がないのも不思議なくらい。

日本ヘラルド映画の会社名と共にロゴ・マークが出て来た。この数年前、当時流行っていたいわゆるCI(コーポレート・アイデンティティ)の流れに乗り、ヘラルドも創業以来のマークを変更したのだ。自分が担当したことなので、鮮明に覚えているが、結局はロゴ・マークどころか会社まで無くなってしまっては、苦い想い出としか言いようがない。

『恋のためらい/フランキーとジョニー』(Frankie and Johnny)

1991年・アメリカ 監督/ゲイリー・マーシャル

出演/アル・パチーノ/ミシェル・ファイファー/ヘクター・エリゾンド/ネイサン・レイン/ケイト・ネリガン/ジェーン・モリス

どうも地味な話だと思ったら、もともと舞台劇として上演されていた話を映画化したらしい。2大スター共演の割りには、映画にするにはちょっと展開が少なすぎて、観客を飽きさせる。現実社会の恋にもためらいは憑きもの。なにがなんでもがむしゃらに突き進むのも行動のうちかもしれないが、押しつ戻りつ、その余韻を楽しむのも恋のうち。何事も簡単に成就してしまっては、喜びも浅いものになってしまう。得難いものだからこそ、喜びもひとしおと言えるだろう。

ミシェル・ファイファーはまだ33才の頃、ちょっと老けて見える、というか36才にして恋を卒業したという役柄だったので、そう見えるのは役者の勝ちか。アル・パチーノは51才の頃、役柄としては46才、まだまだ若い者には負けないといった風情で頑張っている。

恋や愛を語らせたらアメリカ映画に敵うものはない。ある意味ストレートで、ある意味複雑に、男と女をまな板に載せて物語を作って行く。必ずと言っていいほど登場するゲイ・カップル、今回も彼女の隣部屋の住人として現れる。彼等達のシーンがなかったら、それは味気のないもっと詰まらない映画になってしまっていたであろう。どんな料理にもスパイスは必要だ。

『彼女が消えた浜辺』(DARBAREYE ELLY)

2009年・イラン 監督/アスガー・ファルハディ

出演/ゴルシフテェ・ファラハニー/タラネ・アリシュスティ/シャハブ・ホセイニ/メリッラ・ザレイ

キアロスタミ監督が有名なイラン映画界、自分の趣味には合わないので、イラン映画を評価する気にはなれない。本作も然り。ベルリン映画祭最優秀監督賞などを受賞しているというが、ちょっと誉めすぎじゃないのと訝る。原題は消えた女性の名前。日本語題名は、『彼女が消えた訳』くらいが良かったのに。

映画はあくまでも映画のはずだが、劇中で多くのイラン人が嘘を付き合っていたのが気になる。映画は何かの事件が起こるもの、だから嘘も出てくるのかと思いたいが、どうも国民性として日頃から嘘をつくのは日常的な癖であるようにみえた。そんな風に思われるなんて、恥の文化輸出になってしまう。映画は文化だから、気をつけなくてはならない。

平気で嘘をつく人は日本にだっている。嘘か冗談か分からないとよく言うけれど、仕事や友達の会話で嘘も、冗談もあまり言わないのが普通だ。よく「冗談だよ」と言って、前言を翻す輩がいる。信用も信頼もおけない奴で、口先だけでその場を取り繕うことにしか長けていない。そういう人種が友人の仲間にいたり、会社の上司や経営者だったりする不幸は、人生の最悪を歩んでいるのと同じ。気が付かないで、歩いている人がいたら、すぐに身辺調査をしてドロップ・アウトすることをお奨めする。

『最後の初恋』(Nights in Rodanthe)

2008年・アメリカ/オーストラリア 監督/ジョージ・C・ウルフ

出演/リチャード・ギア/ダイアン・レイン/スコット・グレン/クリストファー・メローニ/ビオラ・デイビス/ジェームズ・フランコ

原題は、アメリカ・ノースカロライナ州の田舎町「ロダンテの夜」というくらいのもの。その町で二人が出逢うのだ。またまたこんな陳腐な日本語題名になってしまった理由は分からない。その程度の内容であることも確かだが、こんな題名を見てこの映画に興味をそそられる人が、どれだけいるのだろうか。

アメリカ人の離婚率は相当なものだと思うが、アメリカ映画に出てくる家族は、あまりにも離婚した男と女ばかりで呆れかえるほどだ。この映画の主人公二人も、離婚の果てに歳をとってから本当に愛する人に出逢ったという、それこそ陳腐なストーリー。わざわざ大スター2人が共演するような映画でもなさそうに思えるが、奥の深いアメリカ映画だからこその作品かもしれない。

所詮は男と女、同じことの繰り返しの人生と思えども、目の前の生活に一喜一憂している姿は、人間のどうしようもない世界。だからこそ、目の前にいる隣人を愛することが、まずしなければいけない人生の全うの仕方なのだろうと、いつもそういく気持だけが先行している。

『終着駅-トルストイ最後の旅-』(THE LAST STATION)

2009年・ドイツ/ロシア 監督/マイケル・ホフマン

出演/ヘレン・ミレン/クリストファー・プラマー/ジェームズ・マカヴォイ/ポール・ジアマッティ/アンヌ=マリー・ダフ/ケリー・コンドン

ロシアの文豪トルストイは晩年、財産分与などを巡って妻ソフィヤとトルストイ信奉者たちが対立することに悩まされ、82歳にして突然家出。小さな駅で最期を遂げた。そんなトルストイ夫妻の長年に渡る愛と葛藤の物語を描き出す感動作。(ぴあ映画生活より)

感動作を途中から爆睡してしまった。もう一度見直す気にはなれない。極めてぐずぐずと、面白くなさそうに進行する映像の責任は監督だろう。実はもっと面白いストーリーだったはずなのではなかろうか。そんな感じがしてならない。ま~、寝てしまった奴が何を言っても言い訳にもならないが。

トルストイの代表作に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。なにひとつ読んでいない。帝政ロシアの小説家・思想家。ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフと並んで19世紀ロシア文学を代表する巨匠。活字の世界は本当に疎い。時間があるのだから、こういう年齢になって文学に親しむのも悪くはないはずだが、小さな文字を読むことはもう不可能。たとえ読めたとしても、眼が疲れてそれどころではない。


2014/9/15 再び観る

原作は、ロシアの作家レフ・トルストイの晩年を描いたジェイ・パリーニの『終着駅 トルストイの死の謎』。トルストイ主義を実践する弟子たちと、悪妻名高い妻、いつも父の味方の娘、新しい秘書たちがトルストイの人間性とともに死の床までの姿を描いている。

映画を観て強く感じるのがトルストイの妻の悪妻ぶり。あれっ!悪妻の代名詞はソクラテスの妻ではなかった?と調べ直した。辞典にも載っているという「世界の三大悪妻」は、1.)ギリシャの哲学者ソクラテスの妻クサンチッペ。弟子のクセノフォンの著書「饗宴」の中に「人前で夫を罵倒し頭から水を浴びせたりして、現在は言うまでもなく、過去にも未来にもこれほど耐え難い女はいないだろう」と書いてある。2.)モーツアルトの妻コンスタンツェ(写真)。彼女は浪費家で家事の能力がなく、夫の今わの際に遊び歩き、遺品の楽譜が高く売れるように、ワザと破りまくったという。3.)そして、もう一人の悪妻はロシアの小説家トルストイの妻ソフィアで、財産を貧しい人に与えたい夫の意志に反し、作品の版権を取得するのにやっきとなる強欲ぶり。愛想を尽かしたトルストイは82歳で末の娘を連れて家出して、そのまま肺炎で亡くなったとか。

三人目の悪妻に書いてあること、その通りの映画進行。ニュアンスの違いといえば、ののしりあいながらもすぐに仲直りする永遠の同士、友人のような夫婦だった。そんな風に見えた。

『ドクターズ・ハイ』(PATHOLOGY)

2008年・アメリカ 監督/マーク・ショーラーマン

出演/マイロ・ヴィンティミリア/マイケル・ウェストン/アリッサ・ミラノ/ローレン・リー・スミス/ジョニー・ホイットワース

いかにも陳腐な題名から想像していたものを超える、おぞましい映画だった。よくこういった内容の映画を作る気になるな、と驚くばかりだ。日本のテレビドラマの清廉潔白、人助けの医療ドラマとは一線どころか第三線も画する内容だ。日本劇場未公開は当然。

医学界も摩訶不思議な業界だ。分かっていること、分かっていないことが混然一体となって医療現場に襲いかかっている。昔コレステルールガ高いからといって病院の掲示板に貼り出されていた「イカ」が、今では善玉コレステロールだから食べても良い食物に逆転している。

毎朝飲んでいる5種類の薬、効能書きを読めばとてもじゃないけど服用出来ないような副作用ばかり。効能は1個なのに、副作用は必ず数個以上。同じ薬に下痢と便秘の両方の副作用が書かれている。頭痛、目眩、発疹、動悸、ほてり、胸痛、吐き気、口角炎、胃痛、かゆみ、じんま疹、むくみ、筋肉痛、空咳、目のかすみ、脱力感、悪心、鼻炎、聞こえにくい、筋肉がぴくぴくする、腹痛、脈が速い、尿が赤い、関節が腫れて痛い、赤や紫色のあざ、などなど怖ろしい「薬の副作用及び注意事項」が列挙されている。

『トロン:レガシー』(Tron: Legacy)

2010年・アメリカ 監督/ジョセフ・コシンスキー

出演/ジェフ・ブリッジス/ギャレット・ヘドランド/マイケル・シーン/ブルース・ボックスライトナー/オリヴィア・ワイルド/ボー・ギャレット

1982年の映画『トロン』の28年ぶりの続編。最初の映画を見た記憶は確かにあり、内容は間違いなくまったく覚えていない。ただ今でもそうであるように、コンピューターやその手の世界には著しく興味があったので、楽しんで観た記憶は間違っていないだろう。

コンピューター内部世界でのシーンは、時間的には半分以上になるが、コンピューター・ゲームを見せられているようで気持が反応しなかった。もともとそういうゲームは好きなはずなのに、何故かゲームに熱中出来ない時代が続いている。なんか自制心が働きすぎている気がする。何の自制心かというと、あの手のゲームに夢中になるなんていうのは、あんまり頭の良くない連中がすることだと。

理由は良く分からない。麻雀というゲームは大好きなのに、パチンコというゲームに夢中になる人を軽蔑している。自分の中では、ゲームの面白さの程度が違うと思っているのだが、第三者から見ればどっちもどっち、同じように程度の低いものだよ言われそう。長時間を掛けて反論するほどの元気がない。

『ドアーズ まぼろしの世界』(When You're Strange)

アメリカ年・ 監督/トム・ディチロ

出演/ジム・モリソン/ジョン・デンズモア/ロビー・クリーガー/レイ・マンザレク/ナレーション:ジョニー・デップ

ドアーズの音楽に接したのは、『地獄の黙示録』(Apocalypse Now・1979年)。ヘラルド配給というラッキーのお陰で、何度も映像を観た。全編を通してみたのは当時1度だけだった気がするが、試写会会場であの「ワルキューレの騎行」と爆撃シーが始まると、劇場の中に入りナパーム弾の匂いを嗅いで満喫していた。

ドアーズの「ジ・エンド」を初めて聞いてときめいた。衝撃だった。カーツ大佐の狂気じみた場面でも、このドアーズの音楽が強烈に心の中に入り込んできた。ユニークなサウンドは、狂気へと導く雰囲気充分。このグループ、ジム・モリソンの出現は、60年代の騒然とした世界の象徴だった、とこの映画も語ってくれる。今更ながらではあるが、ドアーズのルーツを確認することが出来て、何故か心がほっとした。この懐かしむべき時代。

60年代を象徴するアメリカのロックバンド、ドアーズを題材にしたドキュメンタリー。本作のための新たな撮影は行わず、当時のオリジナル映像のみで構成。結成前の映像やエド・サリバンショー出演時の映像、さらにジャニス・ジョプリンやアンディ・ウォーホルとの交流といった貴重な資料を交えながらバンドの軌跡をたどり、その創作活動の裏側を明かしていく。(映画.COMより)

『チェイシング/追跡』(TENDERNESS)

2008年・アメリカ 監督/ジョン・ポルソン

出演/ラッセル・クロウ/ジョン・フォスター/ソフィー・トラウブ/ローラ・ダーン/アレクシス・ジーナ/アリヤ・バレイキス

原題の TENDERNESS は辞書によると、『柔軟さ;もろさ;敏感;触れると痛い状態;扱いにくさ;優しさ』とある。一番最後に書かれている『優しさ』が本来の意味かと思っていたが、どうも由来するところは違う感じだ。もろさから出る優しさや触れると痛いと感じる感覚から来る優しさだったとは意外。

映画のテーマは、まさしくそんな感じで、決して警部が追跡をすることがメインではないはず。それが劇場未公開で、出演者がラッセル・クロウなら、嘘ではないから警部補役の彼が、既犯罪者の少年を追いかけるという内容を題名にしちゃえといった感覚なのだろう。

映画のテーマはかなり重いが、料理しきれずに中途半端すぎる映画になってしまっている。結婚式にどでかい鯛をお祝いにあげようと思い、漁師が最大限の努力をして捕ろうと試みたが、捕れたのはいつもより小さな鯛だった、みたいなもの。脚本だけならラッセル・クロウも良い映画だと感じたのかもしれない。監督が違えば、かなり出来が違ってきそうな内容ではあることが、救いかもしれない。

『キリング・フィールド』(The Killing Fields)

1984年・アメリカ 監督/ローランド・ジョフィ

出演/サム・ウォーターストン/ハイン・S・ニョール/ジュリアン・サンズ/ジョン・マルコヴィッチ/クレイグ・T・ネルソン/ビル・パターソン

この題名を見るたびに何度観たことかと錯覚していた。録画の機会も多かったが、ようやく実行した。よくよく考えたら、考えなくても分かることだが、結局1回しか観ていない気がする。ラストシーンはこうだ!と思っていた映像も違っていた。また新鮮な気持ちで観られるのは、仕合わせなことなのか・・・?!エンディング、イマジン (ジョン・レノン)が印象的。

ニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグ(Sydney Schanberg)の体験に基づく実話を映画化したもの。1984年のアカデミー賞において、助演男優賞・編集賞・撮影賞の3部門受賞。ベトナム戦争を描いた『地獄の黙示録』(Apocalypse Now・1979年)や『プラトーン』(Platoon・1986年)と同じく、映画が人の心を撃つことをしっかりと世に示してくれる。この映画の時代背景は1974年~79年頃。

カンボジアは1949年にフランス領インドシナからの独立しているが、その後の内戦の歴史はややこしい。シハヌーク国王、ロン・ノル将軍、クメール・ルージュ、ポル・ポト、など聞いたことのあるキーワードが歴史のポイントだが、詳しくは良く分からないし、それ以上知りたくない。1973年、アメリカ軍のベトナムから撤退が、この地域での歴史上の大きな分岐点になっている。題名は、大量虐殺が行われた刑場跡の俗称。

『オーバー・ザ・ムーン』(A Walk on the Moon)

1999年・アメリカ 監督/トニー・ゴールドウィン

出演/ダイアン・レイン/ヴィゴ・モーテンセン/アンナ・パキン/リーヴ・シュレイバー/トヴァ・フェルドシャー

1969年7月16日、アポロ11号により史上初の有人月面着陸、着陸地点の周辺を歩行。ウッドストック・フェスティバル(Woodstock Music and Art Festival)、1969年8月15日(金)から17日(日)までの3日間、アメリカ合衆国ニューヨーク州サリバン郡ベセルで開かれた、ロックを中心とした大規模な野外コンサート。

映画では1969年当時のこの2つの出来事を、ある家族の2週間のキャンプ生活の中で再現して見せている。キャンプ地からウッドストックにも行っている。、伝説のコンサート、なんと40万人の観客。月面歩行はキャンプ地でもみんなが熱狂して、テレビ生中継を見ているシーンがあった。きっと、アメリカ中でそうだったんだろうな~!

劇場未公開は良く分かる。売りどころのない映画とはこういうのを指している。製作されたのは今から12年前、その30年前の時代をただ懐かしむように作っているだけの雰囲気。当時の性文化を織り交ぜながら、誰かの想い出いっぱいのプライベート・フィルムみたいなもの。ダイアン・レインが孤軍奮闘といったところか。

『ウォール・ストリート』(Wall Street: Money Never Sleeps)

2010年・アメリカ 監督/オリバー・ストーン

出演/マイケル・ダグラス/シャイア・ラブーフ/ジョシュ・ブローリン/キャリー・マリガン/イーライ・ウォラック/スーザン・サランドン

『ウォール街』(Wall Street・1987年)の続編であり、前作に続きオリバー・ストーンが再び監督。相変わらず前作はどんな内容だったのかを覚えていない。前作を観ていなくても、十分楽しめるから同じようなもの。前作の主人公が刑務所から出てくるシーンで始まる。

オリバー・ストーンにとっては、この程度の内容の映画なら、お茶の子さいさい、手の上で転がすよう、いとも簡単に作ってしまっているように見える。漫画本や小説を読みように、映像が物語を邪魔しない。あまりにもスムーズな流れに、ある意味感嘆の声をあげたくなるほどだ。彼にはやはり、問題作といわれるテーマが良く似合う。

マネー・ゲームの世界に入ったことはなく、この世界がどれだけ魅力的なのかを実感出来ていない。ようやく人生修行を積んで、もう一度生まれ変われるとしても、やっぱり金融業界の仕事をすることはないであろう。映画界という両極端に存在する業界を経験してしまうと、お札でホッペタを叩かれるのは、映画の中だけで充分だと思えてくる。

『23年の沈黙』(DAS LETZTE SCHWEIGEN)

2010年・ドイツ 監督/バラン・ボー・オダー

出演/ウルリク・トムセン/ヴォータン・ヴィルケ・メーリング/カトリーン・ザース/ブルクハルト・クラウスナー

この題名はないなぁと思いながらまた Google 翻訳でこのドイツ語を日本語訳したら、何と英語で「Last Silence」と出た。この作品も日本未公開だったので、DVD販売会社がこんな題名をつけたのだろう。このところDVD準新作18本、新作2本を借りてきて、録画とあわせて観ていた。

ドイツというのも日本に似ているようだ。この暗い題材を惜しげもなく映像化し、後味の悪い作品となっている。映画の作り方としては、なかなか充実していると思うが、如何せん内容が嫌だ。映画が総合芸術と言われる所以はそこにある。全てが揃ってなんぼの世界。時には、音楽が気に食わないといって、その映画を嫌いだという人もいる。

子供が殺されたりする映画は、どうもいただけない。実話をヒントにしたとしても、そんなものを映画で観たいとは思わない。私の心が弱いのか、普通なのか、それともそういう映画を何とも思わない人の心が強いのか。音楽でいうマイナ・コードの人種分類に日本やドイツが入り、メジャー・コードの範疇にはアメリカやイタリアが入るだろう。

『ローラ・スマイルズ』(LAURA SMILES)

2006年・アメリカ 監督/ジェイソン・ラッシオ

出演/ぺトラ・ライト/マーク・ダーウィン/キップ・パルデュー/ジョナサン・シルヴァーマン

日本劇場未公開。ミニシアター系なら何とか公開出来そうな映画だが、いざそういう立場に立ったら、どうやって宣伝した良いのか分からなくなるだろう。ローラは主人公の名前。何不自由なく仕合わせで、子供や夫に囲まれた生活に見えるローラの微笑みの裏には、人知れず苦悩する潜在意識下のどうしようもないものがあった。

日本ならPTSD(Posttraumatic stress disorder・心的外傷後ストレス障害)だと簡単に片づけてしまいそうな履歴や症状。東日本大震災で、目の前で家族や友達が波にさらわれてゆく姿を見たとしたら。おそらく、何にも堪えられない心が宿ってしまうような気がする。映画の主人公も然り、カウンセラーに言った言葉が端的にそれを表している。「・・・心の痛みが止まらない」、と。

こういう地味な映画を、最後まで観通すことが出来るようになったことが成長。今更成長しても、何も社会に貢献出来ないし、誰にも影響を与えることも出来ない。それでも、歳をとるほどに老け込むのではなく、せめて精神コンテンツだけでも前に進んで行けたら、少しは生きている実感を味わえるかもしれない。

『瞳の奥の秘密』(El Secreto De Sus OJos)

2009年・スペイン/アルゼンチン 監督/ファン・ホゼ・カンパネッラ

出演/リカルド・ダリン/ソレダ・ビジャミル/パブロ・ラゴ/ハビエル・ゴディノ/ホセ・ルイス・ジョイア/ギレルモ・フランチェラ

2009年度米アカデミー賞外国語映画賞受賞。アルゼンチン映画は滅多にお目にかかれない。『最近観た映画』の中には1作品、「ボンボン」という犬と間抜けな人間との毛色の変わった映画があるだけ。今回はジャンル的に言うならサスペンスというやつ。

日本語題名を見てしまうと、なんとも底の浅そうな映画に見えてしまうのが問題だ。Google 翻訳でこのスペイン語原題を訳してみたら、「彼の目の秘密」と日本語訳が出てきた。映画内容のサスペンス部分のキーポイントは「目線」といった感じなので、凄く悪いわけではないのだろうが、「奥」がいけない雰囲気。当たってしまえば題名はどんなものでも支持される。ただこの映画もそうだと思うが、さほど当たらない映画でDVDやテレビ放映権で稼ぐ作品は、そういう観点から日本語題名を付けなければならず、配給会社にとっては頭の痛い話だった。

サスペンスでも、アメリカ映画との違いがどことなくあり、世界各国で製作される映画という商品の奥深さを見る。

『ブラック・スワン』(Black Swan)

2010年・アメリカ 監督/ダーレン・アロノフスキー

出演/ナタリー・ポートマン/バンサン・カッセル/ミラ・クニス/バーバラ・ハーシー/ウィノナ・ライダー

面白くなかった。期待値は結構高かったが、監督の力量不足といった感じ方をした。バレエという文化的なものを理解していない、自分に非があるのかもしれない。主人公の苦悩がまったく伝わらず、映像的なずるい技法で現実と幻を同居させる進行に腹が立ったほどだ。

ナタリー・ポートマンは今年のアカデミー賞で主演女優賞を獲得。アンジェリーナ・ジョリーの「ソルト」の方が遙かに面白かった。ジャンルが違うとかではなく、観客としてどちらを面白いと感じるかのはなし。テーマがバレエだったりすると、下手に批評も出来なく、分からないままに否定もしない映画の感想を言う人が多そうだ。昔、試写室で『銀河鉄道の夜』を見終わった後、誰も口を開かなかった。面白さが分からなくても、そう言えない作品が時々ある。

生のバレエを見たことがない。オペラは一度だけ、もの凄い特別席で見たのだが、まったく訳も分からず、今でもその時のことを思い出すと、ただ恥ずかしいばかり。人間の営みの中でも、芸術といわれる世界に生きている人と、そうではない人との差は、想像以上に垣根が高い。

『英国王のスピーチ』(The King's Speech)

2010年・イギリス 監督/トム・フーパー

出演/コリン・ファース/ヘレナ・ボナム=カーター/ジェフリー・ラッシュ/ガイ・ピアース/デレク・ジャコビ/マイケル・ガンボン

今年、第83回アカデミー賞作品賞受賞作品。現女王エリザベス2世の父、イギリス国王ジョージ6世が史実として重度の吃音症に悩んでいた様を映画化している。アカデミー賞発表前、この映画のことを知って凄く興味を持った。賞を獲得してからも劇場で観たいとさえ思ったが、叶わず今回の鑑賞となった。

NHK-BSの好きな番組「アクターズ・スタジオ」にコリン・ファースが出てきて、その際この映画の一部を見ながらインタビュアーのジェームズ・リプトンとのやりとりが相変わらず楽しかった。劇場へ通っていれば予告編を見ることになったろうが、テレビ番組で最初に映像を見ることになった。実は、この映像を見てちょっと不安になっていた。それは、期待が大き過ぎるのではなかろうかと。

案の定、ある意味では予想を下回り、ある意味では予想通り、存外退屈な映画であった。期待値が高過ぎたとこういうことも大いにある。それでも映画的には、最近見た「バーレスク」や「マイネーム・イズ・ハーン」に遙かに及ばない出来だと感じた。アカデミー賞を獲るくらいだから、面白いと感じる人も多いのだろうが、残念ながら私にとっては普通の映画+位の面白さ。

『テキサスの五人の仲間』(A BIG HAND FOR THE LITTLE LADY)

1965年・アメリカ 監督/フィルダー・クック

出演/ヘンリー・フォンダ/ジョアン・ウッドワード/ジェイソン・ロバーズ

/バージェス・メレディス/チャールズ・ビックフォード

軽妙に展開するコメディ・ウェスタンという評がぴったんこ。男は度胸、女は愛嬌などと言われたのは、遠い昔の話。だいぶ以前から度胸は女の特権みたいになって、世の中が大きく変わってきた。ヘラルド時代取引先の社長が、社会党が女に牛耳られ始まったと、嘆いていたことを思い出す。

この映画のテーマ、ポーカーというハッタリをかます勝負事では、配られた手札や、揃えた手札で勝負するのではなく、いかに自分の札を大きく見せられるかの勝負になるのは周知のこと。男のようにぐずぐずと小心者では、度胸と肝の据わった女にとても太刀打ち出来ないだろう。

好きな麻雀もそう、あたると100%分かっていれば、その牌をきることはなく、残り1%でも分かっていないからこそ、勝負に出なければならない。その時の肝の据わり方が、顔や挙動に現れる。そうして相手の思うつぼに填ってしまうのだ。だからこそ面白い勝負事。時間の無駄を使って人生を楽しむのが、面白いと思わなければ、他のどんなことでも同じように面白くなくなるはずだ。

『ハイ・クライムズ』(HIGH CRIMES)

2002年・アメリカ 監督/カール・フランクリン

出演/アシュレイ・ジャッド/モーガン・フリーマン/アマンダ・ピート/ジェームズ・カヴィーゼル/アダム・スコット/マイケル・ガストン

サスペンスとしては一級品のような気がするが、興行的には当たらなかったようだ。進行上、なかなか真実が見えてこないと、観客もいい加減にしろよと言いたくなってくるのかもしれない。しかも裁判劇で、相手は軍隊、国防省とくれば、国家秘密を傘に民間弁護士では切り込めない大きな壁が立ちはだかっている。

アフリカで起こっている民主革命にしたって、頼みの綱は軍事力。人間の力の及ぶところは、すべてが力で支配されている。女子供のように、話し合えば分かるわといった簡単な構図で、社会は成り立っていない。人間、その浅はかな生き様が、神という絶対力を生む結果となっているのだろう。

人間の存在そのものが、神の創造としか思えないという考えは間違っていないように見える。この摩訶不思議な人間という身体を持った生き物が、しかも他の天体には未だ発見されていない存在が、1日1日歴史を重ねて行くことこそが奇跡と言えるだろう。願わくば、自分の周りの人達との、生きている間での親密な交流が継続することを望むのみ。

『ジャッカル』(The Jackal)

1997年・アメリカ 監督/マイケル・ケイトン=ジョーンズ

出演/ブルース・ウィリス/リチャード・ギア/シドニー・ポワチエ/ダイアン・ヴェノーラ/ダイアン・ヴェノーラ/マチルダ・メイ

『ジャッカルの日』(The Day of the Jackal・1973年)のリメイク作品であるとも知らずに観た。だいたいジャッカルの日だったらどうしようと思いながら、録画を少し躊躇ったきらいがある。特技として、観た映画の内容を覚えていないということが挙げられる。こういう時に、凄く便利だ。

元々の原作はフレデリック・フォーサイス、超有名な作家で、映画界も足を向けて眠れない人だ。ジャッカルの日が放映されたら、間違いなく録画・鑑賞してみよう。そこまで言いながら、DVDレンタルまで心が動かないのは、一度観たという気持があるからなのか、良く分からない。

たかが映画、されど映画と評されるが、映画の見方は千差万別、感じる面白さも十人十色、それでいいのだ!と叫びたい。ブルース・ウィリスはロバート・デ・ニーロと同じように出演作品がかなり多い。リチャード・ギアも出ているし、往年のスター、シドニー・ポワチエまで登場する。この映画でも「ゲイ」が重要なポイントを担っている。へぇっ!っていう感じ。

『シマロン』(Cimarron)

1931年・アメリカ 監督/ウェズリー・ラッグルズ

出演/リチャード・ディックス/アイリーン・ダン/エステル・テイラー/エドバ・メイ・オリバー/ロスコー・エイツ/ジョージ・E・ストーン

1890年頃オクラホマ州に昇格する前、ランドラン、ランドクラッシュ、グレートランなどと呼ばれる土地獲得競争を舞台にしている。一番乗りしたものが好きな土地を無料で手に入れることが出来るという、アメリカ開拓史ならではの出来事が凄い。西部劇の分野ではあるが、ドンパチがメインではなく、そこに生きる逞しい女性を描いているところがひと味違う。

トム・クルーズ主演『遥かなる大地へ』(Far and Away・1992年)にも、このランドランあたりの様子が興味深く描かれている。裸一貫、何もない土地に町を作り、農場を作り、現実としてそれが今のアメリカ合衆国になっていることを考えると、日本という国の出来方や発展の仕方とは、大きな違いがあるのは当たり前。ベースが違えば考え方も違ってくる。

この映画の主人公の生き方は、かなり太い筋が通っている。指名手配の強盗団をやっつけはしたが、人を殺してもらう懸賞金などいらないと、妻の目の前で小切手を破り捨てる。こうして、いつだって男と女の価値観の違いは、二人の人生の溝を深くして行くのだ。

『キンキーブーツ』(KINKY BOOTS)

2005年・イギリス 監督/ジュリアン・ジャロルド

出演/ジョエル・エドガートン/キウェテル・イジョフォー/リンダ・バセット/サラ=ジェーン・ポッツ/ジェミマ・ルーパー/ニック・フロスト

面白い映画は、出だしからその雰囲気を漂わせて映像がスタートする。監督にもう少し力があれば、この分かり切ったような物語を、さらにドラマチックに仕上げたのではなかろうかと感じた。ゲイというよりは、日本ならさしずめおかまバーで活躍していそうな御仁が主役。面白くないわけがない。少し実話を基にしたところがあるらしいが、大部分は脚本。

『危険でセクシーな女物の紳士靴 (Kinky Boots)』 、なんのことやら分からないだろうが、そういうことがメインテーマ。女性の身体を触るのは今では猥褻行為で訴えられたりするが、男が女装をした男を触ったって、セクハラになるわけでもなく、面白い世界を体験出来る。そういう場所に出入りした時代も、ほんの少しある。

男が女装をするなどということを、信じられないと思っていたのは若い頃。今では気持が分からないわけでもないと、答えられるようになっても、それが成長かどうかは全く分からない。世の中にはいろいろな人種が存在することだけは、確かなようだ。

『バッド・トリップ』(HOLY ROLLERS)

2010年・アメリカ 監督/ケヴィン・アッシュ

出演/ジェシー・アイゼンバーグ/ジャスティン・バーサ/アリ・グレイナー/マーク・イヴァニール/Qティップ

実際の事件を基に製作した作品とはいえ、100万個のエクスタシーを密輸した男という説明書きがDVDパッケージにあるのを見れば、あまり気が進まない鑑賞意欲。それでなくとも録画した映画を珍しく3本も途中中止してしまった直後だったので、何とか観始まった次第。

ニューヨーク・ブルックリンに住む正統派ユダヤ教徒のコミュニティー、黒づくめの服装と黒い帽子、髭をたくわえるかもみあげががクルクルとなっている。そんな格好の若者が主役。ニューヨークは人種の坩堝だとは言うけれど、さすがに凄い。日本ではとてもお目にかかれない人種が住んでいる。

映画は何の盛り上がりもなく、面白いものではなかった。興味が湧いてきたユダヤ教徒の生活の一端を、映画で確かめるという作業に終始する鑑賞であった。それにしても日本語題名も品がない。もっとも、劇場未公開でDVD販売だけだったらしいので、仕方のないことだが。

『利休』

1989年・日本 監督/勅使河原宏

出演/三國連太郎/山崎努/三田佳子/松本幸四郎/中村吉右衛門

/田村亮/坂東八十助/岸田今日子/北林谷栄/山口小夜子

NHK-BS『山田洋次監督が選んだ日本の名作100本《家族編50本》』の1本。山田洋次曰く「家族映画と呼ぶには相応しくないかもしれないが、この芸術性の高い勅使河原映画を是非観て欲しかったから選んだ」と。モントリオール世界映画祭最優秀芸術貢献賞、ベルリン映画祭フォーラム連盟賞を受賞している。

松竹製作だが、伊藤忠商事や博報堂もお金を出している。大きなスクリーンで観ても、何処にもボロが出ない、見つからない、本物の素材をふんだんに使って贅を凝らしいる。衣裳しかり、セット然り、絨毯や茶道具に至るまで、これだけ本物を映画の中に登場させている日本映画はないであろうと解説が言う。たとえ黒沢明の映画でも、とてもここまでは用意しないだろう。制作費はいくらだったのだろう。

一点の曇りもなく映像は刻まれて行くが、後半の40分を半分にしたら、もっとキレの良い映画に仕上がっていただろうと残念におもった。リアルタイムで見損ねたけれど、この歳になって観ることが出来たことが自分にとって有益に思える作品。茶道も独特の繁栄を築き、千利休系譜は[武者小路千家]官休庵・[表千家]不審庵・[裏千家]今日庵として今も隆盛であることが歴史の重みだろうか。

『オーケストラ!』(Le Concert)

2009年・ 監督/ラデュ・ミヘイレアニュ

出演/アレクセイ・グシュコブ/ドミトリー・ナザロフ/メラニー・ロラン/フランソワ・ベルレアン/ミュウ=ミュウ/バレリー・バリノフ

1980年代の旧ソ連ブレジネフ政権はユダヤ人の排斥運動を断行し、ボリショイ交響楽団でユダヤ人団員をかばった指揮者を解雇した。また2001年、ニセボリショイ交響楽団が香港でコンサートツアーを行った。こんなエピソードをもとにこの映画の脚本が出来た。原題は「コンサート」だが、日本人にとってコンサートは美空ひばりの単独コンサートという表現があるように、フルバンドの交響楽団を表すには、こちらの方が直感的に理解してもらえると思った節がある。

コメディーではないかと思われる内容。確かにおちゃらけたコメディー要素をふんだんに鏤めた映画であることは確か。それを人々はフランス風に「エスプリ」と呼ぶのかもしれない。オーケストラ団員の苦悩や悩みを、暗くせつなく描いていれば、良い映画が出来るわけでもない。

終始エスプリを利かし、それでいて最後には感動のチャイコフスキー・ヴァイオリン協奏曲の演奏となる。可笑しくもあり、哀しくもあり、映画とはかくも様々な人生を一気に描いてくれる素晴らしい活動写真である。

『みんな元気』(Everybody's Fine)

2009年・アメリカ 監督/カーク・ジョーンズ

出演/ロバート・デ・ニーロ/ドリュー・バリモア/ケイト・ベッキンセイル/サム・ロックウェル/オースティン・リシ

ジュゼッペ・トルナトーレ監督が「ニュー・シネマ・パラダイス」の直後に、マルチェロ・マストロヤンニ主演で撮ったイタリア製人情悲喜劇のリメイク版。今回はアメリカが舞台。主人公の父親が住む土地は分からないが、そこから電車でニューヨークへ、またシカゴ、デンバー、ラスベガスへと物語は展開して行く。

デ・ニーロがまたまた普通の父親を演じている。妻に先立たれて初めて知る家事の大変さや、妻からしか知り得なかった子供の情報に戸惑いを隠せない。子供に夢を託して育てたはずなのに、現実にはどうなってしまったのかと、映画は語る。一人の父親として、どことなく共感するところもあり、哀愁漂う父親の心境が偲ばれる。それぞれに子ども達は成長し大きくなっても、自分にとっていつだって子供。実生活ではなかなか仕合わせにはなれていないようだが、なき妻に贈る近況は「みんな元気!」という一番嬉しい言葉しかない。

親孝行したい時には親はなし、と言われるように、親と子供のギャップは生きているうちに埋めることは、なかなか出来そうもない。だからこそ、惜しまれているうちに、この世からおさらばした方が良いのだろうと、妄想を廻らして毎日を過ごしているのかもしれない。



2024年1月再び観たので記す

『みんな元気』(EVERYBODY'S FINE)

2009年・アメリカ/イタリア 監督/カーク・ジョーンズ

出演/ロバート・デ・ニーロ/ドリュー・バリモア/ケイト・ベッキンセイル/サム・ロックウェル

誰しも順風満帆に人生を送っている人はいない。子供たち4人を訪ねることになった主人公、手紙や電話で聞いていた子供たちの現実が実はだいぶ違っていたんだと悟り、帰路の飛行機の中で持病の心臓が・・・。子供を持つ親なら誰もが経験しそうな風景を見せつけられる。たぶん、世界中のどんな国でも同じような人間模様が繰り広げられているのだろう。

『ソルト』(Salt)

2010年・アメリカ 監督/フィリップ・ノイス

出演/アンジェリーナ・ジョリー/リーヴ・シュレイバー/キウェテル・イジョフォー/ダニエル・オルブリフスキー

1975年生まれのアンジェリーナ・ジョリーは、今最も稼げるスーパー・スターとなった。2世俳優とは言わせない存在感、ゴシップ、篤志家の一面などなど、アメリカの女優としても映画界史上に名を残すことであろう。少なくとも、父親ジョン・ヴォイトよりはランクが上であろう。

『トゥームレイダー』以降、アクション女優として成功を収め、見事なまでの活躍が光る。公開当時のテレビ宣伝で、アクション・シーンが放映されると、ま~見ることもないかと勝手に決め込んでいた。準新作100円の誘いに乗りDVDレンタルと相成ったが、侮るものではないと思い知らされた。最近のアクション映画は、ちょっと境界を越えたように出来が良くなってきている。

先の何でもありのSF映画のように、何でもありのアクション映画ではあるが、生身の人間が演じている分、その迫力に拍手をおくらなければならない。また、ストーリーもよく練られており、単なる2重スパイの世界を描くに留まらないスタイルが格好良い。少しばかり驚きながら、満足度100%の鑑賞となった。

『運命のボタン』(THE BOX)

2009年・アメリカ 監督/リチャード・ケリー

出演/キャメロン・ディアス/ジェームズ・マースデン/フランク・ランジェラ/ジェームズ・レブホーン/ホームズ・オズボーン

ある日の朝、夫妻の元に、赤いボタン付きの装置が入った箱が届く。夕方、謎めいた来て「このボタンを押せば100万ドルを手に入れられるが、代わりに見知らぬ誰かが死ぬ。考える猶予は24時間」と驚くべき提案を持ちかける。二人は迷いながらもボタンを押してしまうが……。(シネマトゥデイより)

こんなストーリーを知ってしまったら、映画を見る気になれないだろう。だって、面白くなさそうだもの。映像を使って活字を具現化して行くのが映画、どんな面白くなさそうな脚本でも、超一流の監督にかかれば、それなりに面白くなるはずだ。今回も然り、映画はかなり快調に進行した。が、途中からSFものでこうなってはいけないという方向に、進み始めてしまった。

宇宙人が出てきて何でもありの世界を作ってしまうと、見ている方に嫌気が差してくる。残念ながら、そんな風になってしまった。原作者リチャード・マシスンは短編小説を得意とし、多くの作品が映画化されている。ただし、ま~ま~の映画が多く、どうも長編に映像化しようとすると、間延びしたり、訳が分からなくなってしまうきらいがあるようだ。それでも、SFは基本的に面白い。

『ストーン』(Stone)

2010年・アメリカ 監督/ジョン・カーラン

出演/ロバート・デ・ニーロ/エドワード・ノートン/ミラ・ジョヴォヴィッチ/フランセス・コンロイ/エンヴァー・ジョカ/ペッパー・ビンクリー

仮釈放管理官という聞いたこともない職業が主人公が働く職場だ。ロバート・デ・ニーロは何を演じても上手いけれど、今回は難しい。何故なら何か特殊な技能や才能を持った人ではなく、まったく逆に冴えない、日頃はビールを飲みながらテレビのゴルフ中継を必死になって見、奥さんの言葉も上の空という、極く一般的な人を演じなければならない。特殊なのは職業だけ。

日曜礼拝もほとんど出席しているが、実は神を心から信じているわけでもなく、聖書の言葉にいたく感心しているわけでもない。そういう意味では、アメリカ人の多くも、こんな感じでダラダラと人生を送っている人も多いのだろうと察しがついた。どうも映画に登場する人達の多くは、敬虔なクリスチャンだったり、家族を溺愛している人がほとんどだと思われがちだが、冷静に考えればそんな人ばっかりではなさそうだ。

映画的には暗く、話がなかなか進まなく、ちょっと飽きがくる。体調が良い時に観れば、おそらく「神」だとか「信仰」だとかについて、冷静に映画の中に入り込むことが出来るのかもしれない。よくよく考えれば、なかなか思わせぶりで、示唆に富んだ内容だと言える。



2019年1月28日再び観たので記す。

『ストーン』(Stone)

2010年・アメリカ 監督/ジョン・カラン

出演/ロバート・デ・ニーロ/エドワード・ノートン/ミラ・ジョヴォヴィッチ/フランセス・コンロイ

デトロイトで仮釈放管理官として真面目に働き、結婚43年目の妻のマデリンを持つ主人公は、定年を間近に控えていた。仮釈放管理官という職業を初めて知る。考えてみれば、仮釈放するのにもいきなり審査という訳にはいかないのだろう。相応しい受刑者の選択をしなければならない。なるほど。

ロバート・デ・ニーロが真面目なサラリーマン生活者は似合わない。しかも結婚43年目と言われても、ウッソーという突っ込みが出るだけな気がする。役者も大変だが観客も気を入れ替えて観ないと、悪人なのか善人なのかさえ区別がつかなくなってくる。映画出演作品の多い彼は、罪作りだなぁ。

真面目に暮らしていて仲の良い夫婦だと思わせる。家でボヤが出てそのまま全焼してしまった事件が起こった。妻は、普段からあっちこっちの機器をメンテナンスしていなかったと夫をなじる。一気に爆発した妻は、早々と家を出て行ってしまう。そんなもんなのだろう、か? 妻の色仕掛けで仮釈放管理官の気持ちを変えさせようとしていた、定年前の最後の受刑者。ひょんなことから宗教に目覚め、逆に真面目になって行く姿。人間の対比がおもしろいが、そこまで。

『ロビン・フッド』(ROBIN HOOD)

2010年・アメリカ/イギリス 監督/リドリー・スコット

出演/ラッセル・クロウ/ケイト・ブランシェット/ウィリアム・ハート/マーク・ストロング/マーク・アディ/オスカー・アイザック

シャーウッドの森に住み正義の味方として活躍するロビン・フッドの物語を、子供の頃よくテレビ・シリーズで見た気がする、たぶん。映画として作られたことも多々、1991年の『ロビン・フッド』(Robin Hood: Prince of Thieves)は、ケビン・コスナー主演のもので、記憶に新しい。

ラッセル・クロウは、『グラディエーター』(Gladiator・2000年)が印象深く、役者の名前も監督名も覚えが疎い自分にとっても、記憶に残る俳優となった。歴史物、甲冑ものがよく似合う感じがするが、素顔で登場する現代劇でも爽やかで、逞しい人物を演じるのが上手い。この映画のようにいかにも大作として作り上げられ、大スクリーンで見る映画としての役者には打って付けな俳優である。

今回のストーリーは、今までのようにシャーウッドの森に住んでいる現在形ではなく、そこに住まなければならなくなった経緯が本筋となっている。十字軍、イギリス国王、フランスのイギリス攻撃など歴史上の史実に則りながら、映画的な面白さを加えて大変面白かった。この時代の国王は、それこそ人民の先頭に立って戦場で活躍している。臆病な将軍では国王は務まらない、心身共に国王たる所以の存在だったようだ。

『ブロークン・イングリッシュ』(BROKEN ENGLISH)

2007年・アメリカ/日本・フランス 監督/ゾエ・カサヴェテス

出演/パーカー・ポージー/ジーナ・ローランズ/ドレア・ド・マッテオ/ピーター・ボグダノヴィッチ/ジャスティン・セロー/ティム・ギニー

軽い恋愛映画は見ていて気楽でいい。ニューヨークに住むキャリア・ウーマンも、ひとりひとりにはそれぞれの人生の悩みや解決出来ないことを抱えているのだよ、と映画は語ってくれる。それはそうだよ、悩みのない人なんていない。どんなにお金があったって、なくたって、どうせ悩むならお金はあった方が良いと考えるのが普通かな。

この映画の主人公は、誰が見たって綺麗で可愛いのに結婚出来ないでいるのが悩み。親友は人も羨む結婚しているのに、これまた満足の行かない日常生活に悩んでいる。原題の意味がよく分からない。登場するフランス人の遣う英語は時々ブロークンだけれど、映画の重要な要素になっていないので不思議だ。

知りあってすぐに「寝る」のは軽く見られるから絶対しないといいながら、簡単に一夜を共にするのはアメリカ映画の特徴。と言うよりは、アメリカ人はこんなに簡単にSEXを日常化しているのが羨ましい。日本の日常では、あと100年経っても追いつかない風習のようにみえる。

『コンドル』(Only Angels Have Wings)

1939年・アメリカ 監督/ハワード・ホークス

出演/ケイリー・グラント/ジーン・アーサー/リチャード・バーセルメス/リタ・ヘイワース/トーマス・ミッチェル/シグ・ルーマン

南米バランカに到着した踊り子のボニーは郵便物の空輸会社のボス、ジェフと知り合う。ジェフは結婚に失敗して以来、女性不信に陥っていた。最初は冷ややかなジェフに反感を抱くボニーだが、危険と隣合せの職業に命を賭ける姿を見て、心惹かれていく……。作品は大成功を収め、当時ほぼ無名であったリタ・ヘイワースにとってはスターダムへの足がかりとなった。(映画.COMより)

原題を見ても内容を聞いてもこの日本語題名は?と、思ってしまうだろう。当時の配給会社の人は、甘っちょろい恋愛映画ではなく、厳しい飛行機乗りをイメージした闘う男像でも訴えたかったのかもしれない。観れば日本語題名の由来が分かるので、敢えてお知らせしないでおこう。

こういう古い映画を見ると、いつもアメリカ映画の奥深さを感じる。1941年12月の太平洋戦争開戦前にこんな映画を作っている。ホントにこの時代の映画には、いい男といい女が役者として出演している。観客は憧れの対象として登場人物を見ることが出来、映画を観る大きな仕合わせにつながっている。

『シングルマン 』(A SINGLE MAN)

2009年・アメリカ 監督/トム・フォード

出演/コリン・ファース/ジュリアン・ムーア/ニコラス・ホルト/マシュー・グード/ジョン・コルタジャレナ/ジニファー・グッドウィン

NHK-BSで不定期に放映される「アクターズ・スタジオ・インタビュー」がまた復活した。ケイト・ハドソン(ゴールディ・ホーンの娘『あの頃ペニー・レインと』[Almost Famous]・2000年など)とジョシュ・ブローリン(ダイアン・レインの夫『ブッシュ』[ W.]・2008年など)の二人の話を聞きまた心が動いた。その後この映画の主演であるコリン・ファースが今年の収録として放映された。この番組がまだ続いていたことが嬉しかった。

コリン・ファースは今年のアカデミー賞作品『英国王のスピーチ』(The King's Speech)の主役だ。まだ観ていない。アクターズ・スタジオを見ていると、ここに出てくるような役者がいかに役を演じるために努力しているかを、知ることが出来る。感嘆させられるほどの労力を、映画に注いでいることが分かる。ここが日本映画との大きな違いのひとつだ。

この映画はいわゆるゲイがテーマ、ちょっと苦手な分野ではあるが、映画として飽きさせることはない。日本で言う中年の大学教授が、16年間も男と暮らしている姿はとても想像出来ない。しかも一軒家で、隣には普通の家族が住んでいる。「愛人」の突然の死からの苦悩する姿が描かれている。日本の辞書で調べると、ゲイ【gay】(主として男性の)同性愛者、とある。最近ゲイが登場する映画は珍しくなく、女性同士でもゲイと言っているシーンを良く見かける。同性を好きになることで、異性の時とは違った安らぎや癒しがあるのだろうか。

面白いセリフがあった。「若い頃は女に恋したこともあったが、以後男に目覚めた。」「恋愛はバスのようなもの、待っていれば次がやってくる。」

『ロンゲスト・ヤード』(The Longest Yard)

1974年・アメリカ 監督/ロバート・アルドリッチ

出演/バート・レイノルズ/エディ・アルバート/マイケル・コンラッド/ジム・ハンプトン/チャールズ・タイナー/リチャード・キール

アメフト好きのアメリカ人は、刑務所の中での看守チームと囚人チームの対決を描いてしまう。アメリカなら本当にありそうな話。日本の映画でも刑務所内の様子を映し出すことはあっても、アメリカのような陽気な雰囲気を見たことはない。そして『グリーンマイル』のような摩訶不思議に魅力的な映画も生まれている。

2005年にピーター・シーガル監督、アダム・サンドラー主演でリメイクされている。まだ見てはいないが、積極的に観る気になるほどではない。1974年当時当たり前の如く、人種差別もまだまだ堂々と蔓延っていたし、看守の暴力などもあからさまに描かれていたことが驚き。この頃では取り調べの可視化が問題になってきているように、人権に対する一般化が激しく進歩している気がする。

アメフトにおける「ロンゲスト・ヤード」は、最後の1ヤードからの攻撃が非常に難しいものとして喩えられるので、こういう題名が出来上がった。ただロンゲスト・ヤードという言葉だけで意味が分かったような気になってはいけない。映画の中でも最後のクライマックスは、タイムアップ寸前の1ヤードからの攻撃。この時代の映画なら、この程度の盛り上げ方で観客は大いに喜んでくれた。今や、どこまでしたら大衆の喜びを満足させることが出来るのだろうか。映画作りも大変だ。

『シルバラード 』(SILVERADO)

1985年・アメリカ 監督/ローレンス・カスダン

出演/スコット・グレン/ケヴィン・クライン/ケヴィン・コスナー/リンダ・ハント/ロザンナ・アークエット/ジェフ・ゴールドブラム

ケビン・コスナーは好きな俳優の一人だが、ヘラルドも彼の本格デビュー前の映画を配給していた。5人のテーブル(Table For Five・1983年)、ファンダンゴ(Fandango・1985年)。人気が出てからは買えない逸材、その後アンタッチャブル(The Untouchables・1987年)で押しも押されぬスターの仲間入り、結構遅咲きだった。

『フィールド・オブ・ドリームス』(1989年)や『ロビン・フッド』(1991年)、『ボディガード』(1992年)、『JFK』(1991年)や『パーフェクト・ワールド』(1993年)。監督業やプロデューサー業にも進出、1990年の『ダンス・ウィズ・ウルブズ』は、渋い脚本にお金が集められず、自分で映画を製作し評価も高い作品となった。

この映画では主人公の弟役で、へらへらと出来の悪いアホ役を演じている。声と顔は同じだが、まだまだ役者として自身に溢れていない姿が印象的だ。この超有名な映画も見ていなかった。いつも通り、「シルバラードって、こんな映画だったんだ!」

『RED/レッド』(RED)

2010年・アメリカ 監督/ロベルト・シュヴェンケ

出演/ブルース・ウィリス/モーガン・フリーマン/ジョン・マルコヴィッチ/ヘレン・ミレン/カール・アーバン/メアリー=ルイーズ・パーカー

最初のクレジットに「DC COMIC」という文字があった。アメリカ漫画の実写版ということらしいい。今や日本の漫画が世界中を席巻し、映画の原作に多く使われているのは有名な話。アメリカン・コミックも「バットマン」や「スパイダーマン」など大作として製作されることも珍しくないが、こんな形での実写は面白い。

主演の名前を見て多少馬鹿にしていたが、なかなか結構イケテル。脇役が揃っているのは何よりだが、それ以上にストーリーが面白い。元CIA部員が古巣から命を狙われる、その理由を探って行くうちに、巨大な悪に遭遇する。そしてアメリカ映画お得意の恋も愛も登場する。コメディータッチではあるが、あくまでも真剣にアクションもおちゃらけていない。話が進んで行くうちに、面白さが倍増してきた。

日本はスパイ天国だと言われているが、本当なのだろうか。映画で見る今のCIAの武器は怖ろしい。何処にいても居所を突き止めるのは、いとも簡単、電話を使えば声紋から本人を特定、遠隔操作で攻撃までしてくる。人を殺すことだって何とも思っていない。闇から闇に葬って知らんぷりして生きている高級官僚、そんな現実は日本にはないだろろうと祈っているが。

『ジェシー・ジェームズの暗殺』

(The Assassination of Jesse James by the Coward Robert Ford)

2007年・アメリカ 監督/アンドリュー・ドミニク

出演/ブラッド・ピット/ケイシー・アフレック/メアリー=ルイーズ・パーカー/サム・シェパード/ズーイー・デシャネル/サム・ロックウェル

ジェシー・ジェイムズ、敬虔なキリスト教徒、甘いマスクの美男子、フロンティアの郷愁を漂わせる名前。極悪非道の重罪人にもかかわらず、その悲劇的最後は人々の同情を集め、強者に立ち向かうロビン・フッドのイメージに重ね合わせる者もおり、ジェシーは伝説化した。ジェシー兄弟の人気を高めたエピソードの一つとして知られているのが、1872年9月のカンザスシティ襲撃でのエピソードである。その日、カンザス・シティでは秋祭りが開かれ、競馬を中心として30,000人の群集が詰め掛けていた。競馬も終了し、会計係が収益を集めて10,000ドルを銀行へ輸送しようとした午後4時頃、三人の騎乗の男たち(ジェシー兄弟、ボブ・ヤンガー)が突如として襲いかかってきた。男たちは収益を奪うと疾風のように去っていき、銃で撃たれたり死亡したものはいなかったが、ただ少女が一人、馬の蹄にひっかけられて怪我をしてしまった。事件からまもなくして、タイムズに一通の投書が届けられる。投書は先日の強盗の犯行を認めることと、同時に少女への治療代を支払う意思が表明されており、「自分たちは何百万ドルを盗んでも咎められない政治家たちよりは道義的に優れていることと、自分たちは自衛のため以外に人を殺さず、金持ちから金を奪って貧乏人に配っている」と釈明がなされていた。投書が本人によるものか未だわかってはいないがその内容は公表され、ジェシー兄弟の伝説化に貢献した。(Wikipediaより)

映画は極めて面白くなく、欠伸が出る。アメリカ人が面白いと思うなら、彼等の持つDNAが映画を面白くさせているのだろう。

ヴェネツィア国際映画祭でブラッド・ピットが男優賞を受賞したのと、映画の面白さは比例しない。ブラピの映画はいつもイマイチ。

『オズ』(Return To OZ)

1985年・アメリカ 監督/ウォルター・マーチ

出演/ファルーザ・バークニコール・ウィリアムソン/ジーン・マーシュ

ディズニーの実写映画で、当時の最新鋭のSFXをふんだんに使ったファンタジー映画。内容的には『オズの魔法使い』の続編の二作、「オズの虹の国」と「オズのオズマ姫」をアレンジしたストーリーとある。もともとの本編を見てもいないのに、続編を見ることとなった。

『オズの魔法使い』はいつでも見られる環境にはあるが、きちんと最後まで見ることが出来ていない。自分はこういう映画を観る資質に欠けているのではないかと思う。本当に少女達はこの映画を観て、楽しくなるのだろうか。それは女と男の違いなのだろうか、それともやっぱり男女に関係なく資質の問題なのだろうか。

ディズニー映画はさすがで、観始まってしまえばそれなりに楽しめる。特に面白くないわけではないのに、後半に入った頃には突然意識がなくなった。大袈裟だが、眠ってしまったことが不思議だった。今度はもう一度、挑戦してみたくなった『オズの魔法使い』という映画。


2016年9月24日(土)にまた観たので書いている。

『オズ』 (Return To OZ)

1985年・アメリカ 監督/ウォルター・マーチ

出演/ファルーザ・バーク/ニコール・ウィリアムソン/ジーン・マーシュ/パイパー・ローリー

ライマン・フランク・ボームの児童文学作品『オズの魔法使い』の続編作品『オズの虹の国』(The Marvelous Land of Oz)と『オズのオズマ姫』(Ozma of Oz)を原作とする。米国本国の興行は失敗したが、当時最新鋭のSFXが潤沢に使われ、アカデミー賞視覚効果賞他、さまざまな映画賞の部門賞にノミネートされた。(Wikipediaより)

どうも苦手なジャンルの映画。活字世界とはまったく無縁な老人が、今更ながらにこの世界に触れようとしている。今の若者は活字離れが甚だしいらしいが、そういうことなら私は先駆者のようなものなのかもしれない。意外とおもしろく感じた最初のうちだが、いつの間にか眠ってしまった。また起き出して観る時間はあったので、そのまま最後で行くことになった。

この手の映画は女、子供と相場が決まっているが、男だってどうしようもなく好きな奴は少しいそうだ。妄想と現実の狭間で生きて行くなんて、今の若者の特技みたいなものだろう。今年の夏のアニメ『君の名は。』が興収100億円を早々に超えたという。何処がそんなに惹かれるところなのか、是非是非聞いてみたい。

『BALLAD 名もなき恋のうた』

2009年・日本 監督/山崎貴

出演/草なぎ剛/新垣結衣/夏川結衣/筒井道隆/武井証/吹越満/斉藤由貴/香川京子/小澤征悦/中村敦夫/大沢たかお

アニメ『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』を原作とした映画というのも驚く。クレヨンしんちゃんのキャラクターを知らないわけではないが、テレビ画面ですら一度もきちんと見たことはない。アニメ嫌いが一番の原因だが、見る気もしないというのが正直なところ。監督は『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)の山崎貴、これまた嫌いな映画なので、どういう映画になっているのかという興味はあった。

話の始まり「つかみ」はOK、とりあえず面白そうにスタートしたので、期待を込めて観始まれた。日曜日のゴールデンタイムの放映だったようだ。やたらとコマーシャルの回数が多いし、長い。民放BS放送の映画枠では、CMが少なくて見易い場合が多い。いずれにしろ録画だし、仕方のないことか。

タイムスリップという設定が興味深い。好きな設定。天正二年(1574年)織田信長が活躍している時代の関東、後世に名を残さない名もなき戦国。そんな場所にタイムスリップした親子3人、夢を語る映画の役目としては、充分すぎるくらいのシチュエーション。飽きさせずに最後まで何とかもちこらえられた、という感じ。

『今、愛する人と暮らしていますか?』

2007年・韓国 監督/チョン・ユンス

出演/オム・ジョンファ/パク・ヨンウ/オ・ジヨン/チェ・ヨンミン/イ・ヨンスク/ホン・ウォンベ/カン・ソンピル

愛を重ねて結婚した夫婦と、愛のないまま結婚を続ける夫婦。ふた組のカップルが偶然に出会い、それぞれが“甘い誘惑“に直面したとしたら?『B型の彼氏』やドラマ『パリの恋人』で人気のイ・ドンゴンが、愛の複雑さと痛みを描いたビターな恋愛劇に挑む。人気女優オム・ジョンファや、クールなルックスで人気のパク・ヨンウなど共演陣も豪華だ。(ぴあ映画生活より)

日本の昼メロドラマの典型?(見たことがないけど、たぶんそんなものだろうな・・・)のような映画。隣の芝生はいつだって青く見えるし、新しいものには目が眩んでしまうのは日常の心理。気の向くままに人生があるなら、こんな楽しいことはない。不倫をしたければ結婚しなければいいものを。そんな人間ほど世の中をいい加減に生きている。知らぬは本人ばかりなれど、来世に不幸が振りかぶることも知らずに。

アメリカ映画っぽいタッチで進行するも、韓国女性の気性の激しさに、映画ながらもあきれかえるほど。国民性のDNAで片づけてしまえるならそれ以上言及したくない事柄。身近に好きな人がいるだけで、仕合わせな気分になれる。

『若草の萌えるころ』(TANTE ZITA, ZITA)

1968年・フランス 監督/ロベール・アンリコ

出演/ジョアンナ・シムカス/カティーナ・パクシヌー/ホセ・マリア・フロタッツ/ベルナール・フレッソン/ポール・クローシェ

「詩情溢れる珠玉の青春映画、スペインのギター古謡の響きが静かに感動の余韻を深める。」という評も悪くはない。この時代の映画の空気が全編に流れて、懐かしさを誘う。何故この日本語題名なのかはよく分からない。もったいつけたアンニュイ?な雰囲気を出したかったのだろうか。

地球規模で学生運動が盛んだった時代、世の中に反抗して成長して行く若者群の真っ直中で、主人公も普通の可愛いだけの娘ではいられなかった。叔母の危篤状態に堪えられず、混乱した頭を抱えながら夜のパリを彷徨う姿は、今から考えると当時の若者そのものを表現しているようにみえる。

自分の若かった頃を思い出すと、どんなことでも赤面してしまう。何も分からず行動していた、恥ずかしい想い出しか蘇ってこない。今だって同じように恥ずかしい毎日を送っているところをみると、何も懲りていないのか、無頓着なのか、頭が悪すぎるのかと、自暴自棄にならざるを得ない。

『食べて、祈って、恋をして』(Eat Pray Love)

2010年・アメリカ 監督/ライアン・マーフィー

出演/ジュリア・ロバーツ/ジェームズ・フランコ/ヴィオラ・デイヴィス/リチャード・ジェンキンス/ハビエル・バルデム/ビリー・クラダップ

朝から世界陸上を見、夕方からまたテレビにかじりつかなければいけない期間、映画を観る時間が限られてくる。気分も重いものではなく軽いものと心理が働く。それでこの題名の映画となった。原題が日本語題名と同じとは、珍しい軽さ。

ジュリア・ロバーツが出るような映画ではないと思うが。観光映画の様相でもある。イタリア、インド、バリとロケをしているので、それなりにお金もかかっている。内容が伴わない割りには上映時間2時間20分は、何とかロケ費用分を映像に残したいという現れにしか感じない。案の定、インド編では軽く睡魔に襲われた。

ラストシーン近くになって、ようやく何かを言わんとしていることを感じた。イタリアで食べて、インドで祈って、バリで恋をしてということらしいが、悟りを開いた主人公の想いを伝えたかったらしい。なるほどと頷けるが、もう誰もが知っている悟りなど、クソ食らえとしか言えない。愛だの恋だの、頭で考えることはもうこりごり。

『メッセージ そして、愛が残る』(AFTERWARDS, ET APRES)

2008年・ドイツ/フランス/カナダ 監督/ジル・ブルドス

出演/ロマン・デュリス/ジョン・マルコヴィッチ/リース・トンプソン/エヴァンジェリン・リリー/グレンダ・ブラガンザ

フランスのベストセラー小説が原作。確かにこの話を活字で追って行くと、かなり面白い世界に入り込めるのではなかろうかと感じた。ということは映像化は難しい作業になるはずだが、出だしから前半は観客の興味を惹き付けるのに充分な出来映えだった。

映画の中だるみというやつで、約10分ほどすとんと堕ちてしまった。今回は終わってからその部分を見直した。そうしたかった内容だった。ディズニーの魔法使いを見た直後ということもあって、超能力を運命づけられた人の話は、なかなか興味深かった。しかも他人の死期を予感出るという、今までになかったことだけに、映画としてのミステリー・ゾーンは大合格。

映像の中に死線を彷徨ってきた映像があった。誰しもが見てみたい、永遠の神秘の世界は、結局誰にも分からない世界。1回死んだことがあるからもう怖いものは何もないと言って、人生を逞しく生きている人が時々いる。ヘラルドの大先輩にも、シベリア抑留から戻ってきた人がいて、さすがにこの人は言いたいことを言い、やりたいことをやっていたサラリーマンの神様みたいな人だった。

『魔法使いの弟子』(The Sorcerer's Apprentice)

2010年・アメリカ 監督/ジョン・タートルトーブ

出演/ニコラス・ケイジ/ジェイ・バルチェル/アルフレッド・モリナ/モニカ・ベルッチ/テレサ・パルマー/アリス・グリーク

ディズニー映画だった。この題名でディズニー?、ということは子供騙し?と疑いをもって観始まった。確かに題名通りの物語がスタートし、面白おかしく進行してゆく。この頃の映画ならCG合成を駆使して、この手の映画にはぴったんこ。昔のディズニー映画よりも、思った通りの映画に仕上がっているのだろうと思う。

ニコラス・ケイジも役の幅が広い。いわゆる美男子俳優ではないところがいいのだろう。せりふ回しも独特で、一度観たら忘れられない俳優だ。アメリカの映画作りは適材適所、間の抜けた主人公の顔や喋り、可愛い同級生の女の娘など、何の違和感もなく映画に没入出来るところが素晴らしい。

魔法を使えるのは夢物語。小さい頃からこういうシーンを見るたびに、自分も超能力があるんじゃなかろうかと、勘違いしてしまうことがよくあった。今でもある。思いの丈を魔法で実現してみたい!。

『オーシャンズ』(Oce'ans)

2009年・フランス 監督/ジャック・ペラン

海のドキュメンタリー映画。人間は脇役でもなく、撮影クルーが陰となって、この映画を支えている。それにしても凄い映像ばかりで、驚きと共に新鮮な息吹を感じる。よくもこんな映像を作り上げたな、と誰しも感嘆するであろう。エンド・クレジットにハイライトシーンと平原綾香と藤澤ノリマサによる『Sailing my life』という歌が聞こえてくる。気持ちの良い終わり方に拍手。

出来得れば、こういう映画は映画館のでかいスクリーンと気持ちの良いくらいの大音響で鑑賞したいものだ。テレビ画面では、驚きが半分も行かないだろう。最初に思ったのは、20年前なら子ども達3人を連れて、映画館でこの映画を一緒に観てみたかったと。

一番下の娘とは「E.T.」を2階席の指定席一番前で見た記憶がある。当然タダで。その当時の劇場の人達は凄く親切だった。招待券で入場したのだが、顔見知りがいたので挨拶すると、何も言わずに指定席へと案内してくれるのだ。業界のいいところは、そんなところ。もう夢のような昔のはなし。

『マラソン』

2005年・韓国 監督/チョン・ユンチョル

出演/チョ・スンウ/キム・ミスク/イ・ギヨン

韓国での実話を基に、自閉症の青年が「走ることが得意」という才能を開花させ、やがて一大マラソン大会に挑む姿を描く。主人公の母親の苦悩や、最初はやる気のなかったコーチの男性の変化も描かれている。『走れ、ヒョンジン!』(パク・ミギョン著)を原作としており、日本でも同作を原作としたTBS系テレビドラマ『感動ドラマ特別企画 マラソン』(二宮和也主演)が2007年9月20日に放映された。(WIKIPEDIAより)

『人間の条件』を必死になって見たせいなのか、その後の2作品とも眠ってしまった。いつもこんな様子を書いていて恥ずかしい限りだが、面白くなければ寝てしまうのは仕方ない。

自閉症を扱った作品としては、先日見たばかりの『マイネーム・イズ・ハーン』の出来が良すぎたため、この映画のような扱い方に相当の不満を感じた。韓国映画の静かな展開は、どことなく空々しく、らしくないといった感じ。韓国で記録的な大ヒットらしいが、韓国人も底が浅い。

『イーオン・フラックス』(AEON FLUX)

2005年・アメリカ 監督/カリン・クサマ

出演/シャーリーズ・セロン/マートン・ソーカス/ジョニー・リー・ミラー/フランシス・マクドーマンド/アメリア・ワーナー

吹き替え版だった。通常録画予約時点で、[二]という表示があり吹き替え版であることが分かるようになっているので、録画をすることは基本的にしない。録画しても再生時点で、こちらが見ることを拒否することが普通。

何故見始まったかというと、冒頭で西暦2415年の話だと分かったから。この目で100年後の世界を見てみたいというのが、叶わぬ望みなので、映画であったとしても未来の世界を見てみたいという欲求は強い。この頃、このあたりの未来を描いた映画が少ないことが不満。

結局は途中から深い眠りについてしまい、何も語る資格がなくなってしまったが、その程度の映画であったことも確か。吹き替えの日本語セリフには、舞台での喋りのように一種独特の雰囲気があり、どうも映画に入り込めないという弱点を感じる。勿論出演している本人の声ではないというのが、吹き替え版を見ないという最大の理由であるが。

『お父さんのバックドロップ』

2004年・日本 監督/李闘士男

出演/梶剛士/神木隆之介/南果歩/生瀬勝久/AKIRA/笑福亭鶴瓶/榊英雄/南方英二/田中優貴/奥貫薫/中島らも/コング桑田

故・中島らもの小説を映像化したファミリー・コメディ、とある。監督が韓国人で、マイナーコードのお涙頂戴的な日本的映像ではない、乾いた感じのする映画であることは確か。結構楽しめる。プロレスがショーだと知ったのは、いくつ位の時だったのだろう。

実家が電気屋さんだったお陰で、小学生の頃から充分にテレビを見る時間があった自分にとって、プロレス、相撲、後のイレブンPMは読書に長けた人達の本に等しい媒体であった。力道山が日本人ではなかったことを知った時にも、ちょっとした驚きがあった。

そんなテレビ好き人間が、今の民放には愛想が尽きているから可笑しい。若い時だって、くっだらない番組が目白押しで、昔は良かったなどととても言えたもんじゃないことは周知の事実。それにしても、くだらない番組ばかり。お金をふんだんに遣い、ありとあらゆる方向からの番組作りが出来るNHKに、対抗出来る民放など皆無。それどころか、どんどん差がついてしまった番組内容を、どうしようとしているのだろう、経営者達は。

『人間の條件 第一部 純愛篇』

1959年・日本 監督/小林正樹

出演/仲代達矢/新珠三千代/淡島千景/佐田啓二/石浜朗/山村聡/宮口精二/小沢栄太郎/三井弘次/安部徹/三島雅夫

NHK-BS『山田洋次監督が選んだ日本の名作100本《家族編50本》』の1本、といってもナント全6部全長9時間31分という映画だ。今日から毎日この映画を観ることになる。原作は五味川純平の同名ベストセラー小説。出演俳優も当時のオールスターキャスト、所属がきっちりと決まっていた頃の作品なので、松竹製作ながら俳優の横に「東宝」や「俳優座」「文学座」などのクレジットが見える。

いきなり出てきた佐田啓二、いい男だねと思っていた昔の面影が、この頃の中井貴一の顔に似ていることに驚く。中井の若い頃は親父に似ていないな~と感じていたので、余計その印象が強いのだろう。嫌でも親の顔に似てくるのは世間一般の話だが、本人はあまり分からなくても他人から観れば、親子の顔はよく分かるというものだ。

満州での民間会社に勤務する主人公、この時代日本軍との関係は強く、日本人・日本国がどれだけ酷い仕打ちを現地人にしたのだろうかという一端を見せつけられる。真実は分からないが、あまりのひどさに主人公でなくとも辟易する場面が多い。これからもっと出てくるのだろう、これ以上の不条理が。えっ!ここで終わるの!という場面で第1部は終了する。劇場公開時、第1部と2部は同時だったようだ。明日が楽しみ。


『人間の條件 第二部 激怒篇』

1959年・日本 監督/小林正樹

出演/仲代達矢/新珠三千代/淡島千景/佐田啓二/石浜朗

/山村聡/宮口精二/小沢栄太郎/三井弘次/安部徹/三島雅夫

日本人の正義感を一人で背負ってしまっているような主人公の苦悩は、第一部より増して過酷になってくる。日本軍隊、この場合は憲兵に特定されているが、人を殺すことなんかへっちゃら、拷問なんてなんのその、真実・事実の一部を垣間見るようなおぞましい光景は、自虐史観を呼び起こさせる。

それにしても凄い物語だ。まだ始まったばかり、これからの苦痛を共にしなければならないかと思うと、気が遠くなってくる。「・・・このままでいたら、俺は人間でなくなってしまう。」また、職場での唯一の理解者が彼に言った言葉、「・・・君はヒューマニストという専用列車に乗り込んでしまったな。」というセリフが、この映画のメイン・テーマとして記憶に残る。

映画の始めと終わりに、NHKアナウンサー小野文恵と山本晋也監督のトークがあり、仲代達也へのインタビューを主に放送したこの第一部、第二部の内容は結構面白かった。その中で、仲代達也がこの映画の主人公に抜擢された理由として、監督が仲代の目の演技を評価したという話があった。かねてから仲代達也の目の演技がうざいと言っていた私にとって、なるほどと合点の行く話であった。こうやって彼の目の演技がスタートしたのだと。


『人間の條件 第三部 望郷篇』

1959年・日本 監督/小林正樹

出演/仲代達矢/新珠三千代/淡島千景/所英夫/多々良純/南道郎/田中邦衛/桂小金治/岩崎加根子/原泉/千秋実/佐藤慶

「この映画には一部配慮すべき表現・用語が含まれていますが、作品のオリジナリティーを尊重し、そのままで放送しました。ご了承ください。」というクレジットが入る。この時代の日本映画放映時には、ほとんどこの断り書きが出されるのも、いかにも日本的なことだ。

何が差別用語なのか分からない。また、これが差別用語なので放送には使えないよ、と言われても怪訝そうな顔しか出来ない。「めくら」と言えない今、「目の不自由な人」と置き換えて意味が伝わらなくても、責めを負わない方が得策と決め込む腰の引けたマスゴミ(塵)が象徴的。自虐史観に似た勝手な思い込みで、世の中が動いている日本の現状。だいぶ昔から。

召集令状が来ないことを条件に最果ての場所に赴任したはずなのに、南満州鉄鉱会社から日本軍に招集される羽目になった主人公「梶」、何処へ行っても正義感故の問題が勃発する。「アカ」というレッテルを貼り、差別が堂々と行われる。それ以上に、日本軍の理不尽な軍隊生活は、今の若者には到底想像すら出来ない行いであろう。「新兵さんは可哀想だね、また寝て泣くのかよ~」と、また消灯ラッパが泣いている。


『人間の條件 第四部 戦雲篇』

1959年・日本 監督/小林正樹

出演/仲代達矢/佐田啓二/千秋実/藤田進/渡辺文雄/井川比佐志/井上昭文/川津祐介/諸角啓二郎/安井昌二/小林昭二

一等兵として国境最前線へと向かった主人公。幸いなのか不幸なのか、会社員時代の友人が上官として赴任してくる。上等兵に昇格し、新兵訓練を手伝うこととなった。幸いであるべきなのに不幸なのかと思えるのは、自分の正義感を友人である上官に、ぶつけることが出来るという環境だからこそである。そういう状況がいっそう主人公「梶」を、苦悩世界へと引きずり込んで行く。

この当時の日本軍が登場する映画を見れば、いかに日本軍内部は疲弊していたのかが想像出来る。セリフを考察してみれば、ドイツは降伏したらしく、沖縄戦でも敗北したらしいから昭和20年7月頃のような気がする。最後の場面はソ連軍の戦車が攻めてくるシーン、まだ8月9日のソ連侵攻とは違うような気もするが。

CG合成技術がなかった時代、戦闘シーンはリアリティーに溢れ、実際の戦場もこんなものだったのだろうと想像した。少尉は部隊長なんだ。志願兵で准尉まで行き、親部隊が玉砕したので決まっていた少尉になれなかったと言っていた父の姿が、少しかぶる。満州の地で日本軍刀を提げた父、母、兄の家族写真を見たことがある。生きて帰ってくることがどれだけ困難なことだったのか、ほんの少し映画で学ぶことが出来た気がする。


『人間の條件 第五部 死の脱出』

1961年・日本 監督/小林正樹

出演/仲代達矢/新珠三千代/川津祐介/岸田今日子/上田吉二郎/金子信雄/坊屋三郎/菅井きん/山内明/内藤武敏/中村玉緒

戦争は終わっていたようだ。主人公「梶」と共に最前線の戦場にいれば、世の中がどうなっているのかの情報は希薄、当時の一兵卒達も何も分からずに終戦を迎えたことだろう。妻の元へ生きて帰るんだという気持だけでの脱出行が始まる。

民間人や生き残りの軍人達にも出会うことになるが、人並み外れた体力と気力を兼ね備えた「梶」に従わない者はいない。たとえ上官といえども、すぐさま梶の指揮下に入るところが可笑しい。所詮、意味のない階級だけでの命令系統なんて、生死を分ける環境では何の役にも立たない。必要なのは強烈なリーダーシップと、それを可能にする太く通った1本の筋だけだある。

戦闘下における殺人さえも自己否定の対象としてしまう主人公、悩める人間はどんなことでも悩みの対象としてしまうようにみえる。たとえそれが、人間の生きる条件だとしても。終戦直後に満州にいた多くの民間人、帰国出来た人達は奇跡の賜物としか思えない。残留孤児として数十年後にようやく母国の土を踏んだ人達もいた。異常な時代の異常な世界が、現実として今でも世界のどこかで起こっていることを思うと、痛みを感じる。


『人間の條件 第六部 曠野の彷徨』

1961年・日本 監督/小林正樹

出演/仲代達矢/新珠三千代/川津祐介/内藤武敏/金子信雄/二本柳寛/石黒達也/山内明/垂水悟郎/笠智衆/高峰秀子

「会いたい人にはまた会えるよ。」と言われた、病院で知り合った気の合った軍人との二度目の再会はシベリアでの重労働の場面。男の老人一人と女だけの日本人の集団と主人公「梶」達の軍人との一夜の慰め。このまま生きては日本に帰れないだろうと皆んなが思っていた。

あくまでも人間としての尊厳を求め続けて行く主人公だが、可愛がっていた部下の死に直面し、彼の心は折れはしないが、明らかにキレてしまったようだ。壮絶なラストシーンに遭遇し、観客はどう対処して良いのかと心の整理が付かない。遂に終わったという感じ。

この映画製作には足かけ4年、仲代達也は撮影中に黒沢映画にも参加している、「用心棒」「椿三十郎」。監督同士が仲良かったことと、息が詰まる「梶」からの解放が目的だったとインタビューに答えている。、NHKアナウンサー小野文恵と山本晋也監督のトークは絶妙で、勿論映画の内容をくどくど説明することなど一切なく、仲代達也のインタビューをメインにした製作秘話とでも言える興味ある話であった。BSフジの映画番組におちゃらけた女子アナウンサー2人が、映画の始まる前に内容をだらだらと解説?しているのとは大違い。人間の質の違いを感じる。

『マイネーム・イズ・ハーン』(MY NAME IS KHAN)

2010年・インド 監督/カラン・ジョーハル

出演/シャー・ルク・カーン/カジョール/ジェニファー・エコルズ/クリストファー・B・ダンカン/エイドリアン・カリ・ターナー

なかなか考えさせられる映画だった。9.11同時多発テロ後のイスラム教徒に対する偏見が、主なテーマと片づけてしまっていいのだろうか。インドからではなく、たぶんチリからだと思うが、アメリカに移民してきたインド人の兄弟。母親はアメリカに渡る前に死んでしまった。

兄は自閉症、名前は「KHAN」最初の「K」は発音しないが喉の奥で発音する無声音、「ハーン」この人が主人公、正確にはアスペルガー症候群で「知的障害がない自閉症」の人。自閉症という名前は聞くが接触したことがなく、よく分からない。「レインマン」の雰囲気か?「私の名はハーン。テロリストではありません。」と、アメリカの大統領に直接伝えたいという奇想天外な話の背景に、人種、宗教、差別などを鏤めて映画は構成されている。

ちょっと不思議な感覚に囚われる映画。インドにはヒンドゥ教だけではなく、イスラム教も大きな勢力としてあることを初めて知った。知らないことは多すぎるけれど、少し偏見を超えられたような気持になった。機会があったら、この題名を思い出して是非観ることをお奨めする。

『クロッシング』(Brooklyn's Finest)

2009年・アメリカ 監督/アントワーン・フークア

出演/リチャード・ギア/イーサン・ホーク/ドン・チードル/ウェズリー・スナイプス/ウィル・パットン/エレン・バーキン

NYPD(The New York City Police Department):ニューヨーク市警察、映画に良く登場する警察官やパトカーに付いている略称が気になっていたが、まぁこれは想像通りだった。アメリカ映画ではホントに多く登場する。ロサンゼルス市警察も良く登場するが、LAPDのロゴはあまり映画で目にすることはない。

リチャード・ギアの警察官制服は似合わないが、年相応にあと7日間で退職するさえない警察官を演じているのが、ちょっと面白い。3人の主役はそれぞれ任務の違った警察官、同時進行的に交叉する任務が複雑そうに映像化されて、映画っぽい。この一瞬訳の分からない時間と、それを承知しながらも見続け、だんだんと分かってくるのが映画鑑賞の醍醐味。(ちょっと大袈裟)

日本の警察官の知り合いは一人いたことを書いたことがあったが、警察官になろうとする心理はどんなものなんだろう。親がその職業に就いていれば、そういうことも分かり易いが、正義感で警察官になろうとする人達の統計があったら、是非知りたい。

『フローズン・リバー』(FROZEN RIVER)

2008年・アメリカ 監督/コートニー・ハント

出演/メリッサ・レオ/ミスティ・アップハム/マーク・ブーン・Jr./チャーリー・マクダーモット/マイケル・オキーフ/ジェイ・クレイツ

テレビ録画のストックが1本もなく、録画予定も何故かないようなので、久しぶりにTSUTAYAでのレンタル4本のうちの1本。準新作4本で千円、高いような安いような。映画情報が乏しく、題名を見てもどれを借りよいのか見当も付かず。適当に選んだ。選ぶ基準は、暗くて哀しそうなやつ。1本だけはサスペンスっぽいやつ。

製作が2008年だったが公開は2010年1月、なんか騙されているような。ちっとも新しくない。まぁ、仕方がない。予想通り、暗くて哀しい内容だった。米・ニューヨーク州、インディアン部族のモホーク居留地区、カナダとの国境、凍り付く川、密入国者、こんなキーワードが。

密入国者の代表格はやっぱり中国人、日本人はいなかった。サンダンス映画祭のグランプリ作品というから、明るいわけはない。朝から眠くて仕方がなかったので、熟睡するのではないかと恐れていたが、結構穏やかに鑑賞出来た。ヘラルド現役時代、このTSUTAYAなどを全く無視していたが、時が経てば当たり前のように映画レンタルが一般的になっている。

『罠にかかったパパとママ』(The Parent Trap)

1961年・アメリカ 監督/デヴィッド・スウィフト

出演/ヘイリー・ミルズ/モーリン・オハラ/ブライアン・キース/ジョアンナ・バーンズ/チャーリー・ラグルス/ウナ・マーケル

児童文学『ふたりのロッテ』(Das doppelte Lottchen)が原作。それにしてもディズニーの映画は面白い。離婚した二人、住むのはカリフォルニアとボストン、という風に対照的な環境や考え方、そして離婚する時にいた子どもが14才になった頃に起こった出来事をコメディタッチに、そして心温まるセリフや仕草で物語を作って行く。対象は子供なのだろうけれど、男の老人が観たって面白い。ちょっとした休憩を挟みながら鑑賞することが多いのだが、今回は休憩の度に「上手くできてるよな。」とか「やっぱり作り方がうまえね。」とか、つい口に出してしまうほど。

主役は前回観たディズニー映画「ポリアンナ」と同じだが今回は1人二役。50年前の映画の合成技術も大したもの。ポリアンナのことを知識に長けた、映画通の後輩に話したら、さすがに彼は凄く、観てはいないけれど題名を知っていて見たいと思っていたこと、また心理学の世界では『ポリアンナ症候群』という言葉もあると聞かされた。

夏休みの4週間、子ども達だけのキャンプ地に全米から人が集まってくる。3人一部屋でのバンガロー生活を体験する。アメリカは進んでいた。子供の成長は早い、いつの間にかおじちゃんとなってしまった自分が実感出来ていない、今でも。

『誰が為に鐘は鳴る ワールド・プレミア上映版』(For Whom the Bell Tolls )

1943年・アメリカ 監督/サム・ウッド

出演/ゲイリー・クーパー/イングリッド・バーグマンエイキム・タミロフカティーナ・パクシヌー

超有名なアーネスト・ヘミングウェイの同名小説の映画化。冒頭、『誰も人の死より逃れられぬ。ゆえに問うなかれ、「誰がために鐘は鳴る」と。そは汝(な)がために鳴るなり。』という文字が映し出され、内容の濃さを如実に表している。やはり、早々と見終わってしまう映画とは、ひと味どころか5味も違う。ワールド・プレミア上映版の意味は分からない。

イングリッド・バーグマンの美しさに、はっと息をのむ。ゲイリー・クーパーの男前も吹き飛んでしまうほど。彼を見つめるシーンが多々出てくるが、その美しさにただうっとりしてしまうのみ。「鼻が邪魔で、どうしたらキスが出来るの。」と、問いかける場面など、70年前の映画をまったく感じさせない映像が目の前にある。うっとりした表情が、またいい。白黒映画かと勘違いしてしまったが、カラーであった。1937年スペイン動乱を舞台にしたスペクタクルとロマンスの映画。

イングリッド・バーグマンの美しさを見るためだけでも充分満足。彼女はこの時28才、19才の娘役を演じているが違和感はない。前年に『カサブランカ』(Casablanca・1942年)、翌年に『ガス燈』(Gaslight・1944年)が。若い時にこういう原作本に親しむことなく、ましてや映画まで見逃していた自分の人生が、今となって充足していないのは当然の報いだろう。観るのが遅過ぎたけど、観ないで死んでしまうよりは、なんぼかまし。

『異人たちとの夏』

1988年・日本 監督/大林宣彦

出演/風間杜夫/片岡鶴太郎/秋吉久美子/名取裕子/永島敏行

実は見ていないのに等しい。早々に2倍速やら5倍速にしてしまった。つまらないんだもん。風間杜夫のセリフを聞いていたら、なんて芋い俳優なんだろうと思えてきた。さすがに秋吉久美子はいいけれど、片岡鶴太郎なんかも、屁でもない、役者としては。

15分も経っていなかったので、欲求不満になり『誰も知らない』(2004年・日本)を見始まったが、これはもっといけない。5分もしないうちに鑑賞打ち切りとなった。両作品とも以前ちらりと見たことがあったが、同じようにきちんと見ていなかったような気がする。

何故か耐えられない。映画を映画館で見る時も、無料で見る習慣がついているので、面白くないと決めつければ我儘を通して、席を立つことが癖になってしまっている。それでいいのだと思う。日常生活では、昔から我慢をすることを旨としてきたが、もしかするとそう思っていたのは自分だけだったのかなと、こういう現象にぶつかるとふっと反省?してみたり。

『危険なささやき』(POUR LA PEAU D'UN FLIC, FOR A COP'S HIDE)

1981年・フランス 監督/アラン・ドロン

出演/アラン・ドロン/アンヌ・パリロー/ミシェル・オークレール/ダニエル・セカルディ/アニク・アラーヌ

またまたアラン・ドロン、リアルタイムで観ていないので多少楽しめる。今度は警察を辞め私立探偵でのおはなし。結局は警察にいた時と同じような活躍をする。フランスものの警察汚職的な表現は、アメリカ映画に比べたら可愛いもの。

監督作品はこれ1本?分からない。自分で監督し、主演をやるとだいたいが自分を格好悪く描くことが多い。それでなくても格好悪い役をやっているので、この映画でもお粗末な私立探偵を描くことになる。ただ、凄く駄目な役回りまでには行かないせいで、なんか中途半端な映画となってしまった。もっと終始格好良い男を演じればいいのにと思ったりする。今更遅すぎるが。

よくよく見ていると、アメリカ映画とは一線を画した何かを感じる。どこがその一線なのかが分からないところが、素人観客。それでいいのだ。理屈っぽく、ここがあれだとか、そこがあれだとかを言っていると、純粋に映画を楽しむ精神(こころ)が、どこかへ置き忘れてしまいそうだから。

『フリック・ストーリー』(FLIC STORY)

1975年・フランス/イタリア 監督/ジャック・ドレー

出演/アラン・ドロン/ジャン=ルイ・トランティニャン/クローディーヌ・オージェ/マリオ・ダヴィッド

「アラン・ドロンは意外と格好悪い役をやっていることが多いよ。」と、映画に詳しい友人に教えられていたが、あの顔と姿に似合わず今回もドジな刑事っぽい役割を演じている。見た目にドジなのではなく、やっている役がおもいのほか格好良くない、と言い換えた方が正しいかも。

無慈悲に人を殺してしまうもう一方の主人公、追われる立場の犯人は、こういう映画を見て夢か現実か分からなくなってしまう人達に、多大な影響を与えてしまいそうで怖い。今時は、おそらくこんな殺し方を映画で見せることはしないだろうと、世の中の変化に驚いている。

35年前の東宝東和配給作品。まだ東和と名乗っていた時代?かもしれない。調べるのが面倒でそのままにしてあるが、現在でも厳然と東宝東和として残っている。もっとも、東宝のおもちゃ会社みたいなもので、松岡修造の兄が社長をやっているようだ。彼は本家東宝の後継者だと思っていたが、東宝の社長にならないのはどういう訳だろう。業界を離れて久しいので、そのあたりの事情には全く疎くなっている。

『トレーニング・デイ』(TRAINING DAY)

2001年・アメリカ 監督/アンソニー・フュークワー

出演/デンゼル・ワシントン/イーサン・ホーク/スコット・グレン/トム・ベレンジャー/スヌープ・ドッグ/クリフ・カーティス

デンゼル・ワシントンのワンマンショーを見せつけれれているような映画。お馴染みのアメリカの刑事物。今回はロス市警の麻薬捜査官の話。毎回アメリカ映画で見る限りは、アメリカの警察は何でもありの組織に見えるが、本当にこんなことが日常茶飯事なのかと。偶に現実社会のニュースとして、アメリカの警察官の暴行シーンなどが放映されるが、実際にはどうなのだろう。

日本のように本音と建て前を見事に使い分けている社会も珍しい。中国共産党は一部の富裕層と、役人汚職が明らかになっているだけ健全かもしれない。日本ではそんなことはあり得ません、ということが堂々と陰ではまかり通っているようで凄く怖い社会だ。

パチンコでは現金と交換出来ません、と謳っておきながら、誰もが知っている景品交換ですぐに現金化出来る。しかも警察官がパチンコ屋に堂々と天下りしている。売春は禁止されていますといいながら、堂々と営業しているソープランドはどうなの。非合法が故に管理が行き届かないよりも、合法化して病気や暴力団を排除した方が、遙かに健全な社会を構築出来るはずなのに。

『めぐり逢い』(An Affair to Remember)

1957年・アメリカ 監督/レオ・マッケリー

出演/ケイリー・グラント/デボラ・カー/リチャード・デニング

/ネヴァ・パターソン/フォーチュニオ・ボナノヴァ

いい映画ですね。もともとは、1939年の『邂逅』(Love Affair)、シャルル・ボワイエ、アイリーン・ダン主演。そして後年『めぐり逢い』 (1994年・Love Affair)、 ウォーレン・ビーティ、アネット・ベニング主演。3回も映画化されている。話が面白いし、ピュアな心情が観客を惹き付ける。

『めぐり逢い』という題名は、同じような雰囲気の題名がたくさんありすぎて、どれがどれだか分からなくなってくる。男女のめぐり逢いには、カップルの数だけ物語がある。役者としても、いい男と、いい女が、その役割をきっちりと演じているからこそ、この映画の魅力がさらに増している。おちゃらけた軽い役者やせりふ回しもままならない日本の役者では、こうも心温まるシーンを撮り続けることは出来ないだろう。

自分の人生の中で、どれくらいの年齢で誰にめぐり逢うのかがターニングポイント。もしかすると偶然の出会いが、最高のめぐり逢いになっているのかもしれない。そうではなかったのかもしれない。神のみぞ知る領域であることは確か。

『ポリアンナ』(Pollyanna)

1960年・アメリカ 監督/デヴィッド・スウィフト

出演/ヘイリー・ミルズ/ジェーン・ワイマン/リチャード・イーガン/カール・マルデン/ナンシー・オルソン

エレナ・ホグマン・ポーターの1913年の児童文学『少女パレアナ(少女ポリアンナ)』(原題:Pollyanna)を原作としたディズニー映画。だいぶ前の映画だが、NHKは夏休みということで、こんな良心的な放映もしている。字幕だが幼稚園児くらいの子ども達にも、是非見せてあげたい映画。

こういういい映画を見たとしても、内容や細かい描写など覚えているはずもなく子ども達は成長してゆく。それでもいいのだ。頭のほんの片隅に、善や悪、やって良いこと悪いことなどをどんどん詰め込んでゆく。だから人間は成長という過程を過ごせるのだ。記憶に残らなくても見ていない子供と、見た子供の差が、死ぬ時になって初めて分かる。

キリスト教という宗教に根ざしたアメリカの国民性と、無宗教が大半のような日本人では、価値観も多少違うだろう。でも、こういう映画に表現された「良いこと」は全地球的に良いことだと信じたい。飽きさせずに真面目なストーリーを映画化してしまうアメリカ、そしてディズニーという映画関係者に賛辞を贈ろう。

『私のちいさなピアニスト』(FOR HOROWITZ)

2006年・韓国 監督/クォン・ヒョンジン

出演/オム・ジョンファ/シン・ウィジェ/パク・ヨンウ/チェ・ソンジャ/ユン・イェリ/チョン・インギ/ジュリアス=ジョンウォン・キム

在り来たりのストーリーを韓国風に感動的に仕上げようと試みた映画。日本のつまらない映画よりはずーーとマシだが、心動かされることもなく、そんなに飽き過ぎもせず、時々2倍速にして鑑賞するくらいのものだった。何も思いつかないので、以下にweb上の解説をただ引用する。

一流ピアニストになる夢が破れ、ソウル郊外でピアノ教室を開いている女性ジスと、絶対音感を持つ少年キョンミン。孤独な2人が偶然に出会い、ピアノ・コンクール優勝を目指す中で生きる喜びを取り戻していく感動ドラマ。シューマン、ラフマニノフ、モーツァルトなど名曲が全編に渡って流れ、物語に深い余韻を残している。(ぴあ映画生活より)

落ちこぼれのピアノ教師とピアノの才能を秘めたわんぱく孤児が出会い、レッスンを通じて次第に師弟を越えて母と子のような絆で結ばれていく姿を描いた韓流感動ドラマ。彼女は近所に暮らす孤児キョンミンのわんぱくぶりに手を焼くが、ある時彼が絶対音感の持ち主であることを知る。そこで、彼をコンクールで優勝させて、ピアノ教師としての名声を獲得しようと目論み、キョンミンにピアノのレッスンを始めるジスだったが…。(allcinemaより)

『ベッドかざりとほうき』(BEDKNOBS AND BROOMSTICKS)

1971年・アメリカ 監督/ロバート・スティーヴンソン

出演/アンジェラ・ランズベリー/ロディ・マクドウォール/サム・ジャッフェ/デヴィッド・トムリンソン/ジョン・エリクソン/シンディ・オカラハン

題名からしてディズニーだなと思いながら録画、鑑賞。この時代にアニメと実写を合成しているところが凄い。子ども達が見ればえらく楽しんでくれるだろう。63才の老人だって楽しめる。浅い日本映画との違いをつくずく感じる。ストーリー展開がギクシャクしていない。

御伽噺の内容でも子供騙しではない。ウルトラマンや・・・マンなど、ありもしないキャラクターを空想して喜んでいる日本のこども大人には、この良さが分かるとは思えない。とか何とか言っているが、結局は深い眠りに陥ってしまったことを白状しなければならない。

それでも初めての心地よい眠り鑑賞だった。何となく爽やかに目覚めたけれど、不思議な気持ちよさがあった。言い訳ではない。大半を見てもいないのに見たように書くのはいけない。現役時代、映画評論家の中で観てもいないのに映画評を書いていた輩がいた。「プレス」と呼ばれる映画資料を読みさえすれば、何でもネタは揃っている。そんな奴は今頃地獄に堕ちているといいのだが。

『悪魔のくちづけ』(THE SERPENT'S KISS)

1997年・イギリス/フランス/ドイツ 監督/フィリップ・ルスロ

出演/ユアン・マクレガー/ピート・ポスルスウェイト/グレタ・スカッキ

/カルメン・チャップリン/リチャード・E・グラント

時は1699年、所はイギリス、詳しい場所は分からない。田舎に住む富豪の趣味で庭園を造ることから始まる不思議なストーリー。ミステリーのようでもあり、単なる愛欲物語にも見え、この時代を映画として捉える雰囲気は大好きだが、多少眠気を誘うほどのセリフの多さに辟易。

イングリッシュ・ガーデンの走りと思われるような様式を造っているように見えた。専門知識はない。赤城山近くの西武系の何とか言う所へ2度ばかり行ったことがあり、そこにイングリッシュ・ガーデンがあった。学芸員に説明を受けながらの見学だったが、もう何も覚えていない。確かにイングリッシュ・ガーデンというものを見た記憶だけが残る。

映画というのは凄い、お金が掛かる。この映画のために新しい庭園をわざわざ造り上げてしまったのだろうから。しかもその後はまた壊したのかなと思っただけで、エコではない映画製作が見え隠れする。そう、無駄こそが映画の命。ものを壊すことを惜しんでいたのでは、観客を満足させる映画を作ることはまず出来ないだろう。

『ハリウッド的殺人事件』(Hollywood Homicide)

2003年・アメリカ 監督/ロン・シェルトン

出演/ハリソン・フォード/ジョシュ・ハートネット/レナ・オリン/マーティン・ランドー/ドワイト・ヨアカム/キース・デヴィッド

内容はいわゆるバディムービーと呼ばれる、刑事コンビが活躍して事件を解決すると言うありふれた内容。ただし通常の刑事作品と異なるのは主役のコンビが二人とも副業を抱えており、その副業に絡んだ悩みや複雑な思いに振り回されつつ捜査を進めていくと言う点。シリアスなサスペンスや警察映画ではなく、全体的にドタバタ喜劇の様相を呈している。(Wikipediaより)これだけで充分な情報。

ハリソン・フォードを見るのは久しぶり。どんなにドタバタでも、一流役者が出ているとスクリーンは引き締まっている。この時はまだ61才だけれど、犯人を追いかけるのもままならない老いぼれ刑事役に徹している。

Hollywood(ハリウッド)の綴りは「L」がダブル。意味はハリウッドの丘陵地帯 (Hollywood Hills) に多く植生している California holly、「holly の木」ということらしい。日本語訳「聖林」は、Holly- を Holy- (聖)と誤読して訳され、それが定着したとある。キリスト教でいう聖地「Holy Land」は、「L」ひとつが正解。

『麦の穂をゆらす風』(The Wind That Shakes the Barley)

2006年・イギリス/アイルランド 監督/ケン・ローチ

出演/キリアン・マーフィー/ポードリック・ディレーニー/リーアム・カニンガム/オーラ・フィッツジェラルド

アイルランド独立戦争とその後のアイルランド内戦を背景に2人の兄弟を中心に描く物語。United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国と称される国の歴史も、他の地球上の国の歴史と同じように血で血を洗う戦いの過程があった。今でも尾を引いているIRA、北アイルランド紛争がある。

世界を席巻していた大英帝国、ありとあらゆる場所に植民地を作り支配してきたこの国も、今や王室だけが話題となる国となってしまった。来年にはロンドン・オリンピックが開催され、久しぶりに世界の表舞台の主役になろうとしている。

中東問題然り、遠い国にいては紛争の実態が肌身に感じられず、一体何が問題で何が戦争なのか、その本質となるところが分かろうはずもない。それでも、映画に描かれている「戦争」の悲惨さは伝わってくる。「何のために戦ってきたのか分からない。」というセリフは、戦いが始まってしまえば、どういう終わり方が正しいのかを見つけるのが難しい現実を見せつけられる。それにしても、人間が二人集まれば戦いが起こる、というのが神の与えた人間への試練なのだろうか。

『どついたるねん』

1989年・日本 監督/阪本順治

出演/赤井英和/相楽晴子/麿赤兒/美川憲一/原田芳雄/大和武士/笑福亭松之助/正司照枝/芦屋小雁/結城哲也/大和田正春

今日は2011/7/26、ようやく見ることが出来た。その当時評判の高かった映画として記憶にあるが、一体どういう風に評判が良いのか自分の目で確かめてみたかった。今回の放映は原田芳雄追悼番組だった。彼の出演した映画もほとんど見ていない。

で、どうだったかといえば、予想通り面白くなかった。だいたいこの映画に役者として出演している人達が下手くそ。セリフを棒読みしているだけで、後はただ怒鳴ったり、どついたり、誰もが下手に見えてしまうほど、下手な役者に引きずられてしまっている。大阪のノリがあれば、なんとか凌げるかもしれないが。

本物のボクサーはボクシングは出来るが、映画の中でのボクサー役は出来ない。映画は映画、役者が上手くないと心が動かない。映画に入り込めない。ただ怒鳴っていたって、セリフになるわけではない。厳しいようだが、それが映画というもの。そうでなければ、1作品の出演料で10億円もとれるわけがない。もっとも、日本映画のギャラはおもいのほか安いので、それに見合った演技だと言われれば仕方がないか。

『0(ゼロ)からの風』

2007年・日本 監督/塩屋俊

出演/田中好子/杉浦太陽/豊原功補/菅原大吉/中島ひろ子/佐藤仁美/金ヶ江悦子/多崎オリエ/渡山順久/袴田吉彦

2001年(平成13年)「危険運転致死傷罪」が施行された。従来は悪質な運転者による死亡事故、飲酒運転・無免許運転・無車検・無保険運行でも5年以下の懲役・禁錮または50万円以下の罰金という窃盗罪よりも軽い刑罰だった。交通事故の加害者は故意がないことを前提として刑法第211条の業務上過失致死傷罪によって処理されてきたのだ。

2000年に神奈川県座間市で、検問から猛スピードで逃走していた自動車が歩道に突っ込み、大学生2名を死亡させた事件が発生。この事故で息子を失った女性が起こした法改正運動を映画化したもの。この女性のお陰で、ようやく悪質な自動車事故加害者に対する罰則が強化された。日本の政治家は言われて初めて善を行う感覚しかない。いつだって遅すぎる対応に国民は苛立っている。

先頃亡くなった田中好子が好演。冒頭に「国土交通省後援」の文字が。現役時代「文部省特選」は当たらない映画の代名詞だった。真面目で、何の衒いもなく進行する映画に賛辞を贈らねばならない。被害者の母親の加害者に対する「いくら謝られても、一生許す気はありません。」という言葉が、綺麗事では済まされない現実を見据えたセリフとして印象に残る

『コクーン』(COCOON)

1985年・アメリカ 監督/ロン・ハワード

出演/ドン・アメチー/ウィルフォード・ブリムリー/ヒューム・クローニン/ブライアン・デネヒー/ジャック・ギルフォード/ジェシカ・タンディ

『スター・ウォーズ』(Star Wars・1977年)、『未知との遭遇』(Close Encounters of the Third Kind・1977年)、『E.T.』(E.T. The Extra Terrestrial・1982年)、この時期の映画界は活気に溢れていた。宇宙もの、エイリアンもの、これまでにない斬新なアイディアと映像技術で、社会的現象となって世界中を駆けめぐった。

その後に出てきたこの映画、宣伝の雰囲気だけは覚えている。大作感を装い?いかにも正統派宇宙ものを引き継ぐ作品だとばかりに大洞を吹いた宣伝をしていたような気がする。あらためてみたら、なんだ!単なるライト・コメディじゃないのということが分かった。宇宙ものと称した偽物喜劇と言い切ってしまおう。

広がる宇宙のイメージは尊大だ。誰も解明出来ない無限の宇宙からのメッセージに耳を傾ければ、ちっぽけな地球上のちっぽけな国に生きているちっぽけな人間なんて、米っ粒より小さな存在としか思えない。あくせくと毎日を苦しんで生きてゆくのが人間社会だが、ほんのちょっと見方を変えれば、小さな自分の姿は宇宙から見えるはずもない。

『ユアン少年と小さな英雄』(GREYFRIARS BOBBY)

2005年・イギリス 監督/ジョン・ヘンダーソン

出演/ジェームズ・コスモ/オリヴァー・ゴールディング/ジーナ・マッキー/ショーン・パートウィー/グレッグ・ワイズ/アーダル・オハンロン

“グレイフライアーズ・ボビー”としてスコットランドの人々に語り継がれる、19世紀に実在したテリア犬をモチーフにしたファミリー映画。脚本を担当したリチャード・マシューズは、日本の忠犬ハチ公にヒントを得て映画化を企画、主人の死後、14年間に渡ってその墓を守り続けたボビーにまつわる実際のエピソードに、架空の少年を絡めて物語に仕上げた。

1858年、スコットランドのエディンバラ。貧困地区に母と暮らす少年ユアンは、警察官ジョン・グレイの飼い犬ボビーと大の仲良し。そんなある日、グレイが病に倒れ帰らぬ人となってしまう。やがてグレイが“グレイフライアー教会”の墓地に埋葬されると、ボビーはそこに忍び込み住み着いてしまう。墓地の管理人ブラウンは、何度追っ払ってもすぐに戻ってくるボビーの忠犬ぶりに、次第に心を動かされていく。町の人々もそんなボビーに感心し、優しく見守るが…。(allcinemaより、そのまま)

素直で善人ばかりしか出てこない映画。悪人は経営者二人だけ。エディンバラへはロンドンから飛行機で、そこから確か60kmくらいでゴルフの聖地セント・アンドリュースへ。3日間のゴルフ三昧は生涯忘れられない贅沢。18番ホールが見渡せる部屋に3泊、カンヌ映画祭からの帰り道での話、優雅だったな~!。

『BOY A』(BOY A)

2007年・イギリス 監督/ジョン・クローリー

出演/アンドリュー・ガーフィールド/ピーター・ミュラン/ケイティ・リオンズ

/ショーン・エヴァンス/ジェレミー・スウィフト/アンソニー・ルイス

このタイトル、中森明菜の歌「少女A」を思い出す。内容はまさしく少年Aの出所後の話。しかも10才の時に犯した重大犯罪の仮釈放の時期のこと。イギリスのタブロイド紙は最近盗聴問題で廃刊になった「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」のように、スキャンダルとゴシップを追いかけるので有名。そんな新聞が大衆受けする社会風潮が、ひとりの人間の更生をする力さえも奪ってゆく。

現実社会における普通の人々の心の問題を問われる。犯罪を犯した人をどう受け容れてゆくのか?映画の問いかけに自分なりの答が出せない。問われて応えられない問題は、そうざらにあるわけではない。けれども、この問題に対する答はどう考えても出てこない。

100人に1人しか更生出来ないとしても、そのひとりも他の99人と同じように死ぬまで罪を責め続けられ、過去を断ち切り新しい人生を生きることが出来なのだろうか。映画はそういうことを問いかけているのだが、この映画を見る機会は多分ないだろうから、こうやってネタ晴らしをしながら、読者にあらためて問いかけてみた次第。

『海辺の家』(Life as A House)

2001年・アメリカ 監督/アーウィン・ウィンクラー

出演/ケビン・クライン/ヘイデン・クリステンセン/ジーナ・マローン/クリスティン・スコット=トーマス/メアリー・スティーンバーゲン

地味だけどいいよねと思いながら見ていたら、なんとヘラルド配給だった。辞めてから10年も経っていたので、こんな映画を配給していたことさえ知らなかった。大昔なら、こういう映画をもっともらしく宣伝して、当ててみせるところがヘラルドだったのだが、おそらく2002年日本での配給時期には当てることは出来なかっただろう、と勝手に憶測している。

誰にでも、何処にでも、人間が生きている限り、しかも男と女、夫婦、家族と対象物が増えてゆけば行くほど、問題が生じる。言葉のすれ違いが心のすれ違いを生じ、言葉足らずが相手に心が通じない蟠りを生じる。生きてゆくのは難しい。親子だって同じこと。夫婦以上のギャップがそこにはある。

日本なら「抱きしめる」という言葉と動作しかないが、欧米には昔から「ハグする」という便利なものがある。この映画の結構重要なキーワード。抱き絞めるのではなく、相手の背中に軽く手を回していろいろな愛情表現をすることが出来る。同性同士でも普通なことだ。最近では日本でもテレビ画面ではよく見られるようになって、日本人のシャイな表現方法も少しマシになってきた気がする。

『想い出の微笑』(UNSTRUNG HEROES)

1995年・アメリカ 監督/ダイアン・キートン

出演/アンディ・マクダウェル/ジョン・タートゥーロ/ネイサン・ワット

/マイケル・リチャーズ/モーリー・チェイキン/アン・デ・サルヴォ

女優のダイアン・キートンが初監督した作品という。日本では劇場未公開、ビデオ発売時にこのお粗末な日本語題名が付いたようだ。「UNSTRUNG」の意味を調べたら、〈弦楽器・弓が〉弦をはずした[ゆるめた]ということ、要はそんな感じのヒーローのこと。主人公少年の伯父さん兄弟二人がちょっと変わり者で、その人達のことを少年がヒーローだと心に感じていたような。

いつも見るサイトには「ハートフル・コメディ」というジャンル分けがしてある。確かに変わり者の伯父さんの言動がコメディなのだろうが、そういうジャンル分けをしては可哀想。興行的に、どうしたら当てられるのだろうかと関係者なら絶対悩む作品ではある。

コメディという言葉を外し、ハートフルだけでいいじゃないかと思える。こういう映画は好きだな。女性監督ならではの、優しさに満ち溢れた母親の仕草がとっても素敵です。三つ目の世界なら二つ目が変わり者に見えるように、拙い主観で見る物事を、幼い判断で決めてしまうのはどう考えても宜しくない。そんなことを声高々に叫んでいると、やっぱりおまえも変わり者だなと指さされても仕方がない。

『永遠のこどもたち』(EL ORFANATO)

2007年・ スペイン/メキシコ 監督/フアン・アントニオ・バヨナ

出演/ベレン・ルエダ/ジェラルディン・チャップリン/フェルナンド・カヨ/マベル・リベラ/ロジェ・プリンセプ/モンセラット・カルージャ

「ミュージックビデオ界で活躍してきた新星フアン・アントニオ・バヨナが初監督を務める」こういう解説を読むと、やっぱりなるほどなと、偏見を持って観賞後の感想を抱いてしまう。何の根拠もない偏った見方だけれど、映像を繋ぐだけの商売をしていた人の、欠点が見え隠れする映画であることは確か。

ホラー映画と書いてあるサイトもあったが、サスペンス映画といっても間違いではなかろう。ただそれだけではなく、霊の世界や、現実的には養子のこと、HIVのこと、自分の生い立ちなどを複雑に絡めた奥深い映画を作ろうとしている形跡は見える。残念ながら、ただそれ以上ではないことが欠点。

心の中にしっかりと入ってこない映画は、効果音や映像で驚かそうとしても、ちっともびくっとこない。単なるテクニックで映像と音楽を繋いでいるミュージックビデオが長編になっただけと、また偏見がよぎってきてしまう。まだまだ本物ではない映画監督という感じがする。

『ダイヤルM』(A PERFECT MURDER)

1998年・アメリカ 監督/アンドリュー・デイビス

出演/マイケル・ダグラス/グウィネス・パルトロウ/ヴィゴ・モーテンセン/デイビッド・スーシェ/サリタ・チョウドリー/マイケル・P・モラン

アルフレッド・ヒッチコックの有名な『ダイヤルMを廻せ!』(Dial M for Murder・1954年)のリメイクもの。題名から、そうかもしれないと思いながらも、観ていないと信じて観始まった。やっぱり初めての鑑賞だと喜んでいた。

とあるシーンが出てきて、あっ!これ観たことある!と急に甦ってきた。まったく情けない、二度観ることを嫌っているのではなく、最初のシーンなど初めてで良かったと、心から喜んでいたのにである。話は面白いから、そのまま愉しむことが出来たことは幸い。

ヒッチコックの映画もたくさん観ているはずなのに、題名と内容が一致するものがほとんどない。忘却とは忘れ去ることなり、などと呑気なことを思っていてはいけない。特技のように覚えられない題名と内容、俳優の名前、いけばなをせっかくやっていたのに、花の名前も良く分からない。裏千家にも通っていたのに、所作も忘れている。精神だけが重要で、目に見えるものは大して大切なことではないと、自分に言い聞かせるように生きてきた証が、この体たらく。

『理由』(Just Cause)

1995年・アメリカ 監督/アーネ・グリムシャー

出演/ショーン・コネリー/エド・ハリス/ローレンス・フィッシュバーン/ケイト・キャプショー/ブレア・アンダーウッド/ルビー・ディー

ジョン・カッツェンバックの同名小説の映画化。こういう話は、活字で読んだ方が想像力を大いに刺激して、わくわくさせられそうな気がする。話は面白いが、後味の悪い映画。こんなに気分が悪く見終わる映画も珍しい。活字だけの世界で収まった方が好ましい。

役者が一流だと映画も出だしから画面に見入ることが出来る。ショーン・コネリーは元検事・弁護士、今は大学教授では魅了されない訳にはいかない。快調なストーリー展開が突然三流映画の様相を呈してきた。そういう意味では不思議な映画だ。最後の頃には不快感と共に気分も悪くなり、早回しをしてしまったほど。途中からそんなことになるなんて、初めてのこと。

役者は死ぬまで職業を失わないというが、まさしく彼などはまだまだ一流の映画スターでいるだろう。ボンド役の時に今の彼の姿が想像出来ただろうか。いい年のとり方をしたい、と良く聞く話だが、聞くほどに自分の不甲斐なさを情けなく思う。もう少し社会貢献が出来たはずなのに、どこかで歩む道が見えなくなってしまった。

『ダークナイト』(The Dark Knight)

2008年・アメリカ 監督/クリストファー・ノーラン

出演/クリスチャン・ベール/マイケル・ケイン/ヒース・レジャー/ゲイリー・オールドマン/アーロン・エッカート/モーガン・フリーマン

バットマン映画の中でもダントツの当たり方をした。全米映画史上でも『アバター』『タイタニック』に次ぎ3位の興行収入。最重要な役割、ジョーカーを演じたヒース・レジャーは完成を待たずに急逝している。日本での興行収入比率が約3%と、日本での人気がイマイチだったことが特筆される。因みにタイタニックの日本比率は16%位なので、だいぶ違う。

アメリカン・コミックだから日本受けしないというのではなさそうだ。面白ければ、日本人はどんな映画だって受け入れてしまう許容心がある。観ていて分かったことは、ちょっとしつこい。しかもジョーカーが悪人のスーパーマン的で、あまりにも次から次へと映画的仕掛けが大き過ぎて嘘っぽい。

二度目の鑑賞ともなると、繰り返しの悪事シーンに辟易してくる。漫画チックもいい加減なところで手を打たないと、万人受けはしないよという見本みたいなもの。

『シャム猫FBI ニャンタッチャブル』(That Darn Cat)

1965年・アメリカ 監督/ロバート・スティーヴンソン

出演/クリスティナ・リッチ/ダグ・E・ダグ/ジョージ・ズンザ/マイケル・マッキーン/ディーン・ジョーンズ/ピーター・ボイル

録画予約時にこの題名をしっかり見ていたら、たぶん予約はしなかっただろうと思う。観始まって、ディズニー作品であることで観る気になって、アニメだったら止めようと思ったが、これも実写であることが分かり、無事最後まで愉しんで観ることが出来た。

小学生高学年に是非見せたい。映画の面白さや楽しさを、体感してくれるのではないかと思う。日頃、日本的な極くつまらないお笑いを見せられて、低くなってしまっている感性とかが、ちょっとでも生き返るのではなかろうかと感じる。日本の動物もののように、お涙頂戴的な表現は決してしない。ひたすら明るく、楽天的なアメリカ人気質がいっぱいの映画。

ディズニーはいいよね。今でも我が3人娘達は、それぞれの家族と合流して一緒にディズニーランドに行っているようだ。本人達は気が付かなくても、そういう気質に関しては、私の子育て思惑が少しばかり反映している?のだと思いたい。

『戦争のはじめかた』(Buffalo Soldiers)

2001年・イギリス/ドイツ 監督/グレゴール・ジョーダン

出演/アキン・フェニックス/アンナ・パキン/エド・ハリス/スコット・グレン/マイケル・ペーニャ/エリザベス・マクガヴァン

2001年に完成しながらも、公開の直前に911テロが起こり、何度も公開が見送られようやく2004年に公開された問題作。軍隊内で起こる珍騒動を、痛烈な風刺とともに描き出す。兵士たちの個性的かつ危険なキャラはもちろん、実力派俳優たちの妙演も見ものだ。(ぴあ映画生活より)

時は1989年のドイツ、シュツットガルトにある米軍基地、戦争状態ではない軍隊での、規律を守ろうにもモチベーションのない兵士達の姿が主人公。1989年11月10日に破壊されたベルリンの壁の生中継が、兵舎のテレビに映し出される。

アメリカやその軍隊を皮肉っぽく語るアメリカ映画だと確信していたら、アメリカ映画ではないという。こういう映画を見てしまうと、やっぱりアメリカという国はいつだって戦争をやっていなければ、国民の意識が高揚しないのではなかろうかと勘違いしてしまう。ベトナム戦争は楽しかったと語る古参兵の姿も、嘘っぽくは見えなかった。

『テイラー・オブ・パナマ』(THE TAILOR OF PANAMA)

2001年・アメリカ/アイルランド 監督/ジョン・ブアマン

出演/ピアース・ブロスナン/ジェフリー・ラッシュ/キャサリン・マコーマック/ジェイミー・リー・カーティス/ダニエル・ラドクリフ/レオノラ・バレラ

ピアース・ブロスナンは5代目ジェームズ・ボンド、『007 ゴールデンアイ』(GoldenEye・1995年)、『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』(Tomorrow Never Dies・1997年)、『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』(The World is Not Enough・1999年)、『007 ダイ・アナザー・デイ』(Die Another Day・2002年)。

ボンド役ではないが、同じイギリスの諜報員で日頃の行いが原因でパナマに左遷されてしまう役という、なんか変な設定の映画。太平洋とカリブ海を結ぶパナマ運河、パナマ共和国には利権が絡む格好の舞台。物語だけではなく、現実面の社会情勢に興味が湧く。

「マヌエル・ノリエガ」というパナマ軍最高司令官(将軍)になりながら、その後アメリカやフランスから犯罪人として訴追された実在の人物名が映画の中にも登場する。久しぶりに聞く名前に、紛争状態の歴史が甦ってくるようだ。

『乳母車』

1956年・日本 監督/田坂具隆

出演/石原裕次郎/芦川いづみ/宇野重吉/山根寿子/新珠三千代

石坂洋次郎原作、昭和31年の映画。最初のクレジットでは、芦川いづみがトップに登場した。宇野重吉は晩年の老人の面影を残しながらも、さすがに少し若く、それでも壮年といった風情であった。日活製作、全盛期の映画界を感じる。

この当時の青春映画の代名詞のようだった石原裕次郎が、他人の愛人である姉の子供を乳母車に乗せたり、6ヶ月の子供を抱っこしてあやしているシーンが見られる。こんな映画にも出演していたんだと、驚く。年間6本の映画に出演していた年もあったというから、考えられないほどの忙しさだったろう。

おめかけさんの亭主は、一流企業の「常務取締役」。本宅にはお手伝いさんが2人、別宅にもお手伝いさんが1人。なんと優雅な生活なんだろう。本宅は鎌倉、駅の改札口とホームが一瞬スクリーンに映る。見たことのある景色が懐かしい。改札口は木で作られたボックスのような形、何となく覚えている。未婚の母が女手ひとりで子供を育ててゆく、という今では当たり前のようなことの、走りを啓示しているような物語。結構楽しめた。

『フールズ・ゴールド/カリブ海に沈んだ恋の宝石』(Fool's Gold)

2008年・アメイカ 監督/アンディ・テナント

出演/マシュー・マコノヒー/ケイト・ハドソン/ドナルド・サザーランド/ブレムナー/アレクシス・ジーナ

アメリカでは2008年2月8日に公開され、初登場1位を記録したというが、へ~この程度でランキング1位になれるんだ、とちょっと驚き。もっとも、2月初旬の公開ということは、一番稼ぎ時のクリスマス・シーズンの映画が終わり、新春第2弾という位置づけの映画なので、多少分かる気はする。年末に公開してその年のアカデミー賞候補になるという作戦があり、問題作や話題作、そして何よりも稼げる映画が目白押しの公開時期が12月なのだ。

ロマンチック・コメディーというジャンルに入るらしいが、気楽に時間を潰せるという意味では、最適な映画にも見える。二人で見た後に、この映画について語り合うほどのものではないけれど、ラブラブなふたりにならこのクラスの内容がちょうど良い刺激。小難しい映画も時にはいいが、軽いノリの映画もまた悪くはない。

トレジャー・ハンターは世界中に数多くいるだろうが、一生宝ものを探り当てることなく過ごす人生がほとんどだろう。日本にだって各地に埋蔵金伝説が多くころがっている。民主党による埋蔵金探しは、結局現実社会の轍を踏むように、何も見つからず、子供手当などのマニフェストが泡と消えてしまいそうな様子。

『団塊ボーイズ』(Wild Hogs)

2007年・ 監督/ウォルト・ベッカー

出演/ティム・アレン/ジョン・トラボルタ/マーティン・ローレンス/ウィリアム・H・メイシー/レイ・リオッタ/マリサ・トメイ

『イージー・ライダー』の主演ピーター・フォンダがカメオ出演している。オハイオ州シンシナティに住む4人の中年男、愛車のハーレーダビッドソンを乗り回していたが、西海岸を目指して計画のないツーリングを実行する羽目になった。在り来たりの日常から逃避するために。

決して真面目な映画ではない。コメディというジャンルに入れなければならない。話の筋には誰しも共感出来るところはあるが、それを映像で表現すると、こんなにもおちゃらけたものになってしまうのかと驚く。一流の俳優がきちんと演技しているので飽きさせれことはないが、ちょっとやり過ぎじゃないの、と声も掛けたくなろうというもの。わざと太ったとしか思えないトラボルタのお腹周りがすごい。

オハイオ州からカリフォルニア州まで、イージーライダーよろしくバイクにまたがり、アメリカ横断をする中年4人は、格好良くはないけれど、どこか羨ましい。そういう自由な時間を人生の中でもう一度持てたら、死んでもいい。などと大声で叫びたくなる光景が繰り広げられる。映画的な事件は、アメリカらしく極めて面白おかしく処理されていて、流石と思わせる。いつも思う、こんな映画は日本ではまず作ることは出来ない。

『戦火の勇気』(Courage Under Fire)

1996年・アメリカ 監督/エドワード・ズウィック

出演/デンゼル・ワシントン/メグ・ライアン/マット・デイモン/ルー・ダイアモンド・フィリップス/スコット・グレン

湾岸戦争終結後、史上初の女性名誉勲章受章者になるかもしれない女性大尉にまつわる物語。戦争映画ではあるが、戦闘シーンというよりはむしろ、軍人であるが故の苦悩を描いている。非常・緊急事態に遭遇した時、人間はどのように行動出来るのかを問われているような気もする。

今回の東日本大震災・原発事故の際、日本政府の怖ろしくお粗末な行動を見せつけられれば、いかに軍隊の指揮系統や統率が重要だかが窺い知れる。普通のサラリーマンだって実はそうなのだ。順調に仕事が回っている時には、言い方は悪いけど女・子供でも用が足りる。ちょっとした変則事態やそれこそ緊急事態に、どう対処出来るかがサラリーマンの生命線なのだ。何が正しくて何が間違っているのかは分からない。だが、ひとつの指針に則った過程を踏むことが必要なことと、日頃から心の鍛錬をしていれば、行動は思慮を超えることが出来る。

大尉はキャプテン(Captain)、少佐はメイジャー(Major)、大佐はカーネル(Colonel)、このあたりが戦争映画で良く出てくる階級。毎回覚えようとしても忘れてしまう。日常的に戦争をやり続けているアメリカ、緊急事態に対する行動の速さと的確さは、見事というほかない。平和ボケした日本人、日本政府、せめて徴兵制でも行われなければ、このままずるずるとひ弱な国民と国が出来てしまいそうだ。

『Gガール 破壊的な彼女』(MY SUPER EX-GIRLFRIEND)

2006年・アメリカ 監督/アイヴァン・ライトマン

出演/ユマ・サーマン/ルーク・ウィルソン/アンナ・ファリス/レイン・ウィルソン/エディ・イザード/ワンダ・サイクス

『キル・ビル』のユマ・サーマン主演、監督は『ゴーストバスターズ』のアイヴァン・ライトマンと書くと、ちゃんとした映画に見えるが、中身はまったくのおちゃらけ映画。スーパーマンの女版が活躍するといえば、それだけで中身は分かってしまいそう。

ブラック・コメディと書いてあるところもあったが、そんな格好の良いコメディではない。暇があって、多少のお粗末さはいいよと言ってくれる観客用。大人の漫画的な内容なので、ながら族よろしく、おつまみを食べながら、字幕を時々見逃しても許される。

スーパーマンは子供の頃から大好きだ。日本のヒーローものには誰ひとりに対しても反応したことがない。むしろ拒絶反応があった。「超能力」という言葉にも弱い。超能力と称して披露されているマジックは、底が浅くて見るに耐えないことが多い。自然界の現象故、超能力を否定するほど人間には長けていない。

『夜を楽しく』(PILLOW TALK)

1959年・アメリカ 監督/マイケル・ゴードン

出演/ロック・ハドソン/ドリス・デイ/トニー・ランドール/セルマ・リッター/マルセル・ダリオ/リー・パトリック

原題「ピロー・トーク」は、枕に頭を並べてお話しする様→「寝物語」と訳されるものだが、そんな色っぽい映画ではない。確かに主人公二人はピロートークをするのだが、状況がまったく違う。そこのところがライト・コメディと称されるこの映画の所以。ある解説によれば、「・・・筋運びの巧みさ、台詞の楽しさ、助演陣のうまさが、この種の作品では最高の部類・・・」、まさしくその通り。

ドリス・デイのこの手の“いかにしてハイミスの処女が、いい男を見つけてゴールインするか”というお話は、当時のハリウッドでは確固たる一つのジャンルだった、らしい。軽妙に進行して行く映画は、決して観客を飽きさせない。日本のバカお笑い芸人のように、面白いだろう!面白いだろう!と面白くもないギャグをのたうち回るのとは、根本的にコメディの質が違う。見ていて軽やかなんだよね。ドリス・デイの原題と同じ歌も、もの凄く懐かしかった。

外国語を覚えるなら外国人の恋人を作り、ピロー・トークするのが一番の早道と教えられた。幸か不幸かそのような外国人に巡り会うことなく、英語すら喋れないでいる。今度生まれ変わったら、この教訓を生かして是非とも外国語をマスターしろと、来世の自分に言い聞かせよう。

『コマンドー』(Commando)

1985年・アメリカ 監督/マーク・L・レスター

出演/アーノルド・シュワルツェネッガー/アリッサ・ミラノ/レイ・ドーン・チョン/ダン・ヘダヤ/ヴァーノン・ウェールズ

シュワちゃんは今年、浮気と隠し子騒動の末離婚、世界を賑わせた。元妻マリア・シュライヴァーは、ケネディー大統領(9人兄弟の2番目)の4才下の妹(5番目)の長女で姪にあたることは有名。シュワちゃんは共和党のカリフォルニア州知事だった。ケネディー家は根っからの民主党。それでもケネディー家と繋がりを持ったシュワちゃんは前途洋々だったのだが。

移民一世であるシュワちゃんは、アメリカの法律により大統領候補にはなれなかった。それでもシュワちゃんは、オーストリアのボディービルダーから世界にとどろく映画俳優になり、政治家としても大成功を収めたなんて、凄いのひとことだ。

人気を不動のものにした『ターミネーター』(The Terminator・1984年)の翌年の作品、俳優人生で最も脂の乗りきっていた時代だろう。彼の主演作品の中で、ヘラルドは『バトルランナー』(The Running Man・1987年)という詰まらない作品をつかまされ、期待していたボーナスも夢と消えてしまったことを思い出す。1988年には役者の幅を広げた『ツインズ』(Twins)も大成功を収め、押しも押されぬ大スターへと上り詰めた。2003年10月~2011年1月まで2期7年の任期を終え州知事を退任、離婚もし、今後醜態を晒さなければいいのだがと心配する。

『胡同〈フートン〉のひまわり 』(向日葵, Sunflower)

2005年・中国 監督/チャン・ヤン

出演/ジョアン・チェン/スン・ハイイン/チャン・ファン/ガオ・グー/ワン・ハイディ/リウ・ツーフォン

取り立てて誉めるべきところはない映画。昔日本でもたくさん作られた、頑固親父の分からず屋とそれに反抗する子供を描いた物語とおんなじ。1967年に生まれた主人公、10年後、20年後、30年後と子供の役者が替わり成長して行く姿だけが新鮮。

映画の中で現実に起こった社会現象が興味深かった。中華人民共和国の文化大革命を主導した江青ほか四人組のことが出てきた。江青以外の人の名前は、言われても覚えていない。この四人組が逮捕されたのが1976年、まだ35年前の出来事だ。中国の発展も、危うい橋を作って渡ってきた近代の歴史だと思うと、なんか不思議な歴史観に苛まれる。

この映画を観る直前に、モンゴル、イラン、レバノンを題材にした見知らぬ映画を録画・鑑賞し始まったが、いずれも早々に諦めて鑑賞を断念した。それらに比べれば、中国映画は映画としてきちんと成立している。出だしから映画らしいし、何よりも映像がスクリーンと言うに相応しい雰囲気を醸し出している。どうも中東地区の映画などは特に、ざらついた画面が観る気を失わせる。決して中国を誉めているつもりではないが。

『JFK』(JFK)

1991年・アメリカ 監督/オリバー・ストーン

出演/ケビン・コスナー/トミー・リー・ジョーンズ/ゲイリー・オールドマン/ケヴィン・ベーコン/シシー・スペイセク/ドナルド・サザーランド

ケネディ暗殺事件が法廷上で争われた唯一のクレイ・ショー裁判。ジム・ギャリソン検事は、1967年、クレイ・ショーを大統領暗殺に関わる陰謀罪で逮捕。ギャリソンは、事件はマフィア、CIA、軍部、国家の関与するクーデターであると主張した。裁判はギャリソンが敗北、後に、CIAがウォーレン委員会の批判者たちへ圧力をかけたこと、クレイ・ショーが実際にCIAのために働いていたことが公的に示された。映画「JFK」はクレイ・ショー裁判をモデルにした作品である。いくつかの陰謀説の書籍をミックスして脚本を構成している。上映時間3時間9分。

オズワルド単独犯による銃弾3発であると決定づけた、ウォーレン委員会の報告書に真っ向から反対している。映画の中ではその矛盾点が次から次へと提示されて行く。謎が謎を呼び、今だ解明されていない真相、ケネディ暗殺に関する捜査資料の閲覧は、2038年9月まで封印される。そこまで生きていないことは確かだが、封印された資料とやらを是非見たい。アメリカも面白い国で、事件から75年の時を経れば秘密を暴露していいよと、国家が確約している。このあたりが公明性なのか、公正に名を借りた大きな偽りなのか。

最初に観た時のように一気に最後まで見続けることは出来なかった。セリフが多すぎて頭に入らない。人間関係が分からなくなってくる。老人病の典型か。「BOSS」の宇宙人トミー・リー・ジョーンズはクレイ・ショーという重要な役を演じている。オリヴァー・ストーンは、『プラトーン』(Platoon・1986年)、『ウォール街』(Wall Street・1987年)、『7月4日に生まれて』(Born on the Fourth of July・1989年)、『ニクソン』(Nixon・1995年)、『ワールド・トレード・センター』(World Trade Center・2006年)、などなど社会派ドラマを製作し続けている。 

『運動靴と赤い金魚』(Children of Heaven)

1997年・イラン 監督/マジッド・マジディ

出演/アミル・ナージ/ミル=ファロク・ハシェミアン/バハレ・セッデキ

モントリオール世界映画祭でグランプリを含む4部門を受賞、第71回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート。イラン映画は日本でも結構公開されているが、イマイチその良さが分からない。この映画もそう、何処に賞の価値があるのか心に響かない。玄人達はこういう映画を好んで評する。不思議なものだ。

原題は英語ではないが、この英語題名を見る限り、運動靴・・は日本でつけられた題名のようだ。思わせぶりの題名で、映画の中に出てくる主要アイテムではあるけれど、いかにもといった案配でつけられる題名は嫌いだ。

映画というよりは、日常の風景を切り取ってみせる日記みたいなもの。貧困と裕福が渾然一体となって国家が存在していることが、映像の中から見て取れることが唯一の収穫。貧しさをウリにして物語を語るのは卑怯、そこを超えてこその映画なのに、そこまでは到達していないので、辛口の感想となってしまう。赤を赤と言ってみたところで、何の感動もないのと、ほとんど同じだと思う。

『愛 サラン』(a Love)

2007年・韓国 監督/カク・キョンテク

出演/チュ・ジンモ/パク・シヨン/チュ・ヒョン/キム・ミンジュン

初恋の女性を守るために命を懸ける孤独な男の闘いを、『友へ/チング』のクァク・キョンテク監督が濃厚に描く究極の男の純愛ドラマ。韓国では公開第1位を記録した話題作。ということらしい。テンポは日本映画のようなゆるさ、内容は何かと+ヤクザ映画てな感じ。結末は日本映画的ではない。

韓国人のDNAについては、良く分からない。テレビニュースなどで見る韓国人気性の激しさが、かなり気になるけれど、こと恋愛に関しては、この映画がヒットしたということを考えれば、日本とほとんど同じようだ。うちに秘めた強烈さ、強さが表立って見えなくても、韓国人と恋愛することは遠慮したい。あり得ないことを書いても仕方ないか。

訪れた韓国で何をしたかと言えば、偽物ビトンのバッグ3点セットを買ったり、偽物ブランド生地のオーダーシャツをホテルに届けてもらったり、ぶらぶらと街を散歩し、夜には美味しい焼き肉。映画業界の関係者は、喜んで接待してくれるので、気分良く滞在することが出来た。歴史的建造物や美術品に触れることもなく、ただ怠惰に過ごして帰ってきた記憶がある。一応仕事に名を借りた暇つぶし、優雅な映画配給会社時代の話。

『獲物の分け前』(La Cure'e, The Game Is Over)

1966年・フランス 監督/ロジェ・ヴァディム

出演/ジェーン・フォンダ/ピーター・マッケナリー/ミシェル・ピッコリ

エミール・ゾラが1871年に発表した小説、およびそれを原作とした映画。ジェーン・フォンダは反戦運動のイメージが強いけれど、こんなに可愛い時代があったんだ。この映画では夫ロジェ・ヴァディムは妻でもある彼女のヌードを多用し、エロティックな面を強調した内容になっている、と解説があるが、今から見るとどうってことはない。この映画の前年に結婚。反戦活動は、1970年~75年頃、1973年に離婚している。

まだまだ存在感のある女優で、ニューヨーク1937年生まれ、父のヘンリー・フォンダ、弟のピーター・フォンダも俳優で、姪のブリジット・フォンダも女優である。

何処が面白いのか分からない映画ばかりが続く。同じようなことの繰り返しで、物語がちっとも先に進まない。どうもフランスの風が吹いていると、ただ芸術っぽく、理解し難いだけの、訳の分からないものに見えて仕方がない。フランス語だって、どの単語も同じように聞こえ、よく聞き分け出来るな~と、今でも感じている。埃っぽいパリのイメージがまとわりついていて、死ぬまで良いイメージを持てないだろう。

『カサンドラ・クロス』(The Cassandra Crossing )

1976年・イタリア/イギリス/西ドイツ 監督/ジョルジュ・パン・コスマトス

出演/ソフィア・ローレン/リチャード・ハリス/マーチン・シーン/イングリッド・チューリン/バート・ランカスター/ エヴァ・ガードナー

給料やボーナスの源となった作品。日本ヘラルド映画配給作品の中でも、稼ぎの多いランクでは、ベスト5に入るかもしれない。当時の配給収入(配給会社の取り分)は16億円くらいだったと記憶している。現在の発表単位、興行収入に換算すれば30億円あたりか。

その当時は映画館に映画を売る時に、4週間上映でいくらという[フラット]と呼ばれる売り方と、1週間ごとに入場料を集計しその60%を配給会社に払う[歩合興行]が混在していた。地方の県庁所在地でもフラット興行をしていたような気がする。このフラット興行のお陰で、映画館は何とか生き延びてきていたのだ。それが歩合興行一辺倒になってしまった時点から、個人経営映画館は虫の息になってしまった。大作だと70%を要求されることもあり、報告を誤魔化してでも生き残ろうとする劇場側と、配給会社の騙しあいが顕著だった。

35年も前のサスペンス映画など可愛いものだ。よくもこの程度の内容、アクション、サスペンスシーンで大ヒットが取れたものだと感心する。映画はやっぱり時代を映すもの、名作と言われ半永久的に価値が落ちない映画もあることはあるが、ことアクションなどのシーンではあまりにもテクニックが進みすぎて、とてもじゃないけど比較のしようがないほどの違いに愕然とする。

『ロミオ+ジュリエット』(William Shakespeare's Romeo + Juliet)

1996年・アメリカ 監督/バズ・ラーマン

出演/レオナルド・ディカプリオ/クレア・デーンズ/ジョン・レグイザモ/ハロルド・ペリノー・Jr/ピート・ポスルスウェイト

シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』が原作で、台詞もそのままであるが、現代風に改められている。ということであるが、なんともはやこういう映画を愉しんだり、評価したりすることの出来る人間は仕合わせである。一体何処が楽しく、何が面白いとかまったく理解出来ない。

古典的な舞台をそのまま再現してくれた方が、どれだけ興味を惹かれるか分からない。現代に置き換えるという手法は、いろいろな映画やシーンで試みられているが、あまりにもかけ離れた舞台装置で、古典のセリフまでをも受け継ごうとする技法は無理だと思う。心が動かないばかりか、元々の原作をも色褪せたものにしてしまいそうだ。

タイタニック(Titanic・1997年)前年の作品で、ディカプリオも将棋の駒のような角張った顔にならない前の、すっきりした、それこそロミオ役をしてもおかしくない顔をしている。また、映画内容とは別にジュリエット役のクレア・デーンズが素晴らしく可愛く、飽き飽きしながらも最後まで見届けることが出来た要因となった。

『ウィンブルドン』(WIMBLEDON)

2004年・イギリス/アメリカ 監督/リチャード・ロンクレイン

出演/キルスティン・ダンスト/ポール・ベタニー/サム・ニール/ジョン・ファヴロ/オースティン・ニコルズ

折しも、6/20~7/3まで今年のウィンブルドン選手権2011が行われている最中。テニスというスポーツは何故か好きではない。スポーツ好きの自分にとって、何処が好きになれないところなのかは分からない。何度もやったことがあるし、始めてやった時からボールをきちんと捉えることも出来た。同じことの繰り返しのゲーム方法が気分に合わないような気がする。

主人公の地元英国選手がゲーム中に宿泊した「The Dochester」(ドチェスター・ホテル)。なつかしい。超名門ホテルとして有名。改装されているようで、入口も中も明るく綺麗。自分が泊まった時は、これが名門?と思われるほどの暗さと設備の悪さに期待はずれだった。「サンタクロース」(SANTACLAUS THE MOVIE・1985年)の完成試写にひとりで出かけた。宣伝部長の特権みたいなもの。その時駐在員が取ってくれたのがこのホテル。映画業界は何処も見栄っ張りだから、超一流ホテルに宿泊し、金はあるよと製作者に見せつけるのだ。

ウィンブルドンに行ったことはない。ただ、ロンドンから西に約200kmのイギリス南部・ソールズベリーから北西に13km程に位置する環状列石(ストーンサークル)で知られるストーンヘンジ(Stonehenge)に行った帰り、列車の通過駅にウィンブルドン駅があったような気がする。

『ムーラン・ルージュ』(Moulin Rouge!)

2001年・アメリカ/オーストラリア 監督/バズ・ラーマン

出演/ニコール・キッドマン/ユアン・マクレガー/ジョン・レグイザモ/ジム・ブロードベント/リチャード・ロクスボロウ

大嫌いなミュージカルと多少分かってはいたが、鑑賞してしまった。といっても我慢しきれずに、途中から爆睡して気が付いたら終わる直前だった。不思議なもので、終わってから目覚めるのではなく、もう少しで終わる頃に目が覚めることが多い。劇場や試写室でもそうだったので、不思議さが残っている。

「今朝、ムーランルージュを見たんだけど・・・」と、話し始めたら、相手方が「いい映画だよね!」と相づちを打ってきて返す言葉に詰まった。めげずに「いや~、面白くなかった!」と言ったけれど、見る人の目から見ると、この映画は面白いらしく、ちょっとショックを受けた。やはり自分には映画を見る目がないんだと。映画の見方は十人十色という大原則はあるけれど、信頼している人からの言葉には正直困惑するものだ。

ニコール・キッドマは多くの作品に出演しているので、見る機会も多いが、毎回この人は誰的な感覚に襲われる。化粧も髪型も、時には体形までも違えて演じるアメリカ映画界の役者、よっぽど好きでなければ顔をいちいち覚えてなくても、責められはしないだろう。

『ヘブンズ・プリズナー』(HEAVEN'S PRISONERS)

1996年・アメリカ 監督/フィル・ジョアノー

出演/アレック・ボールドウィン/ケリー・リンチ/エリック・ロバーツ/メアリー・スチュアート・マスターソン/テリー・ハッチャー

典型的な三流映画だった。だから面白い。妙に二流ぶっていないところがいい。最近では原題をそのままカタカナ書きの日本語タイトルにすることは多いが、このタイトルはないだろう!いかに映画を当てようとしていないかが分かろうというものだ。

主演アレック・ボールドウィンを観たことはあるが、あまり印象に残らない。調べてみると、結構名の通った映画にも出演しているが、自分が主役になるのはこの程度の映画しかないのかもしれない。見当違いのことを言っているようだったら、御免なさい。

映画買い付けで一番難しいところは、誰もが「まぁまぁ」という映画はまず当たらないということ。10人観て誰かひとりでも「絶対だ!」という奴がいれば、当たる可能性があるということ。それでも、その絶対だと言った奴が、普段は誰からも支持されたことがない人だったら、可能性が落ちるということ。それ以上の映画が当たる要素は、誰にも見つけられないこと。金持ちが好きな映画を買ってきて、偶然当たってしまうくらいが関の山。映画ビジネスは難しすぎて、決してお奨め出来ない。

『バットマン フォーエヴァー』(BATMAN FOREVER)

1995年・アメリカ 監督/ジョエル・シューマカー

出演/ヴァル・キルマー/トミー・リー・ジョーンズ/ジム・キャリー/クリス・オドネル/ニコール・キッドマン/ドリュー・バリモア

アメリカのコミック誌を見た時の面白くない雰囲気を思い出させてくれる。味気のない白黒線画に、「BAN!」とか「JUMP!」とか擬音みたいなセリフだけが踊って、バッカバッカしい子供だましだという印象が強い。DNAが違うから仕方がない、と感じてしまうコミックの世界。映画もコミック誌と同じようなテイストで、スーパー・ヒーローは決して死なない的ないいとこ取り過ぎて、観ていて飽きがくる。コミックの世界に入り込めないもどかしさ。

日本の漫画が好きだという訳でもない。電車の中で「少年ジャンプ」を読んでいる若者を見ると、何と低能な奴らなんだと心の中で罵ってはいたが、そんな風景も今から考えれば昭和の時代の懐かしい風物詩となってしまった。800万部も売れていたお化け雑誌、今や熱中するものがあまりにも分散化されて、商売も難しくなってきている。

画面が暗く、テレビで観る映画としては相応しくない映像。仕掛けやアクションがイマイチ面白くない。というか、面白さが伝わってこない。アメリカ映画お得意の恋愛シーンも、なんていうことない。日本ではコーヒーのCMで超有名になってしまった宇宙人トミー・リー・ジョーンズ、ジャック・ニコルソンのようなアクの強さも感じられず、愛嬌が有り過ぎ。

『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』( FOR LOVE OF THE GAME)

1999年・アメリカ 監督/サム・ライミ

出演/ケビン・コスナー/ケリー・プレストン/ブライアン・コックス/ジョン・C・レイリー/ジーナ・マローン/ジェナ・マローン

サム・ライミ監督は、ミシガン州立大学で英文学を専攻していたが、死霊のはらわた(The Evil Dead・1981年)製作のために中退したという。宣伝部長時代、日本ヘラルド映画配給で一番想い出に残っている作品。誰も当たると言わなかった作品を、当てることが出来た時の快感は忘れられない。伝説のスプラッタ・ムービー。

サム・ライミ監督はその後、スパイダーマン(Spider-Man・2002年)、スパイダーマン2(2004年)、スパイダーマン3(2007年)で一流監督の仲間入りを果たした。寡作であるが今現在、ライフワークの中間地点での作品。ホラー映画やコミック映画化とはまったく違うジャンルの映画内容。

この映画はイマイチ。監督や役者のせいではなく、物語がちょっと甘っちょろい。ケビン・コスナーはだいぶベースボールが好きらしく、フィールド・オブ・ドリームス(Field of Dreams・1989年)でも完璧なベースボール映画に出演している。彼はアメリカを代表する役者のひとりであることは、間違いない。容姿だけでなく声が凄くいい。歌手が唄が上手いだけではなく、その声の質がいいように、ケビン・コスナーという役者の声には魔力が潜んでいる。

『ブタがいた教室』

2008年・日本 監督/前田哲

出演/妻夫木聡/大杉漣/田畑智子/ピエール瀧/戸田菜穂/原田美枝子/池田成志/清水ゆみ/近藤良平/大沢逸美

面白い題材の映画化。内容的には興味を持って見られる作品。妻夫木聡は先生役くらいが丁度良い案配、これからの本格的な物語映画に備え滑舌、挙動をもう一度勉強し直した方がよい。大杉漣がベテランなのに、テレビに出すぎのせいか、映画の雰囲気にそぐわないと感じたのは意外。

原田美枝子の校長先生役は見事。良い役者はどんな役を与えられても、きちんとこなしている。役柄的に今まででは考えられない役だが、ここまでしっかり役をこなしてくると、尊敬の念が湧いてくる。

茨城の片田舎の裏庭には鶏舎を持つ家も多く、毎日のように自宅で絞めた鶏を食するのは当たり前のような風景があった。自分ちは電気屋だったので、そういう環境にはなかったけれど、目の前で鶏を絞めているのを目にすることも、珍しいことではなかった。そうやって食の連鎖を体験していた昔だけれど、今では頭から教えて行かなければならない。育てた豚を食べられるほど、頑丈な精神をもった子供なんて今はいないだろう。

『ボンボン』(BOMBON-EL PERRO)

2004年・アルゼンチン 監督/カルロス・ソリン

出演/フアン・ビジェガス/ワルテル・ドナード/ミコル・エステヴェス/キタ・カ/パスクアル・コンディート/クラウディーナ・ファッツィーニ

通称「ドゴ」と呼ばれる犬種がもう一つの主人公。勿論主人公は人間、初老の職を失ったばかりの元ガソリン・スタンドマンの話。ペーソス豊に、アルゼンチンという空気も込めて映画が作られている。めったに見られないアルゼンチン産、世界中で映画が作られ、文化を披瀝しあっている。

ドゴ・アルヘンティーノ(Dogo Argentino)という、アルゼンチン原産の狩猟用・闘用の犬種であることが分かった。一度見たら忘れられないその風貌は、なんとも怖いようで、可愛い。ネットでその姿を確認して欲しい。「大きな白い犬」と言って犬探しをするくらいの特徴ある犬だ。犬を飼ったことはないけれど、犬も猫も好きである。

「人間万事塞翁が馬」という諺に喩えられるようなはなし。人間万事塞翁が犬だね、今回は。人間、何処に不幸があって、どこに仕合わせが待っているのかは分からない。神に導かれるままに、正直に人生を生きていれば、必ず良きこともあるだろうと教えてくれる。が、現実の人生はそうは容易くないところが、また面白い。

『キューポラのある街』

1962年・日本 監督/浦山桐郎

出演/吉永小百合/吉行和子/加藤武/菅井きん/浜田光夫/小沢昭一/東野英治郎/殿山泰司/北林谷栄/市川好郎/森坂秀樹

浦山桐郎は、大島渚、山田洋次と同じ時に松竹の助監督試験を受ける。川島雄三、今村昌平らの監督のもとで助監督を務める。生涯わずか9本の監督作品、この映画が監督デビュー作であり、遺作がやはり吉永小百合主演の『夢千代日記』(1985年)となる。

サユリストと呼ばれる人達が現れた。確かにこの映画を見れば、彼女を好きになるのが良く分かる。おきゃんでピチピチして、明るく生きているこの主人公に強く惹かれるのは当たり前。今のAKB48メンバーにも、これほどまでの魅力溢れる少女は見つけられないだろう。

まだまだ演技に目覚めていない頃、素直な役作りが素晴らしい。いつの間にか大女優になって行くにつれ、目で演技をするという変な癖が身に付いてしまい、スクリーンでは魅力のない大女優になってしまったと思っている。昭和30年代後半、日本も世界という地球規模での政治・経済の大きなうねりの中に入り込んできた時代。この映画製作の翌年1963年にはケネディ大統領暗殺映像が、初めての宇宙中継で日本に報じられた。鳩を飼っていた家も結構あった。配達された牛乳瓶が家の前にあったり、懐かしいその当時の風景をただ懐かしむしか芸はない。

『映画は映画だ』

2008年・韓国 監督/チャン・フン

出演/ソ・ジソブ/カン・ジファン/ホン・スヒョン/コ・チャンソク/ソン・ヨンテ/チャン・ヒジン/

俳優を夢見る非情なヤクザにソ・ジソブ、気性の激しい映画俳優にカン・ジファン。韓国のトップスターふたりのW主演で、男同士の熱いドラマを描き出す。意地と誇りを賭けぶつかり合う、ふたりの壮絶なファイトシーンは必見! 韓国映画界の鬼才キム・ギドクが製作を務め、ギドク作品の助監督を経験してきたチャン・フンがメガホンを執る。(ぴあ映画生活より)

どうも韓国映画は心に響いてこない。上っ面の言葉やアクションだけが目立ち、涙さえも嘘に見える。これは偏見かもしれない、と反省するも、私にとってはあまり見たくないジャンルの映画。『シュリ』(1999年)が大ヒットしたというので見た時の、面白くなさと嘘っぽさが尾を引いている。

韓国スターはいい顔している役者が多い。この映画ではそうでもないけれど、韓流スターが人気のあるのも分かる。ただ韓国ではプチ整形は当たり前とのこと、日本で大活躍している韓国女子プロゴルファーを見ていると、元ネタがバレてしまったような状態の娘が目立ち、なるほどそうなのかと思わせる。

『砂の女』

1964年・日本 監督/勅使河原宏

出演/岡田英次、岸田今日子

原作は、安部公房、出演者はもう少しいるけれど、この二人を明記すれば必要かつ充分だ。第17回カンヌ国際映画祭において審査員特別賞等を受賞したほか、第37回アカデミー賞では外国語映画賞、翌年の第38回では監督賞にそれぞれノミネートされた。

この手の映画は苦手だ。背景が難しいのと、わざわざ難しそうな物語を創り出そうとする芸術活動を嫌う。人間の本質とは、普遍的な価値観とは、とかいう小難しいテーマを深く深く掘り下げて行く手法には、とてもじゃないけどついて行けない。昭和40年代前半にはこういう七面倒くさい映画作りや芸術活動が評価されていた気がする。何でも理屈っぽく熱く語られ、我が生花研究会も単なるノンポリでは居られなかった。

他人から奨められて観た。しかも「YouTube」、パソコンモニターでの映画鑑賞は希だけれど、しないわけでもない。24吋ワイドモニターなので、それなりに不満足感は抑えられる。この映画はモノクロ・スタンダードサイズ、アナログテレビ放送と同じ4:3の画面だ。YouTube では、10分間の映像が14に分かれていた。10分経過すると終了し、引き続き観たい場合は、次の映像をクリックで連続鑑賞が出来た。著作権上の問題はあるが、こういうところになければ、間違っても観ることはないだろうから、それなりに・・・。

『トランスポーター3 アンリミテッド 』(TRANSPORTER3 UNLIMITED)

2008年・フランス 監督/オリヴィエ・メガトン

出演/ジェイスン・ステイサム/ロバート・ネッパー/ナターリア・ルダコワ/フランソワ・ベルレアン/セーム・シュルト/ジェローン・クラッベ

久しぶりのアクション映画に気分も一新。もともとアクションだけがウリの映画に興味は薄いが、たまに観ることが息抜きとして抜群なのも分かる。シリーズの1・2も見たような気がするが定かではない。興行成績も倍々ゲームの数字を挙げている。

自信に満ち溢れた映画の始まり方が凄い。大ヒットしてなければ、こんなにもどうだと言わんばかりのシーンで始まるわけには行かない。映画はこうでなくちゃ。訳の分からない思わせぶりなだけの、日本映画の冒頭シーンには、いつも閉口している。これからの2時間あまりに期待を抱かせるに充分なスタート。肉体と知能と、車を縦横無尽に展開するこのシリーズは、まだまだ続くのかもしれない。

ヘラルドはアクション映画を当てるのが得意ではなかった。どちらかというと、問題作、癖のある作品、例えばホモを扱った映画とか、社会に提起する何かをもった作品が相応しかったのだ。アクションぽくて当てた中で印象深い作品は、『コンボイ』(Convoy・1978年・サム・ペキンパー監督)あたりかな。映画に登場したトレーラー・トラックをアメリカから日本に持ち込み、宣伝活動したのは、いかにもヘラルドらしいと、今でも懐かしく思える。

『グリーンマイル』(The Green Mile)

1999年・アメリカ 監督/フランク・ダラボン

出演/トム・ハンクス/サム・ロックウェル/バリー・ペッパー/パトリシア・クラークソン/デヴィッド・モース/ボニー・ハント

同じ映画を何度でも観ることが出来るのか、という疑問はいつもつきまとう。観始まっても、冒頭シーンの記憶が甦らない。暫くして、ようやく記憶が確かになってきた。それでも、細かいストーリーや進行を覚えていないのは、幸いというべきなのだろうか。

原作のスティーヴン・キングはやはり天才のひとり。映画化され、ヒットもし評価も高い作品がたくさんある。ホラーでデビューしているが、そんな分野だけに収まらないところが凄い。映画化では、『キャリー』(Carrie・1976年)、『炎の少女チャーリー』( Firestarter・1984年)、『スタンド・バイ・ミー』( Stand by Me・1986年)、『ミザリー』( Misery・1990年・ヘラルド配給)、『ショーシャンクの空に』(The Shawshank Redemption・1994年)などなど。

神がかった奇跡が最も重要なファクターであるが、その奇跡という現象の発想や映像は、さすがアメリカと思わせる。さしずめ日本映画でこのような奇跡を映画の中に取り入れても、あまりにも幼稚で陳腐で、しかも何の説得力もないものが映像化されるだろうと確信する。このツボを押さえた映像がなければ、この映画は成り立たないということを考えれば、その製作に驚嘆しても決してオーバーではなかろう。

『友よ静かに死ね』(LE GANG)

1976年・フランス 監督/ジャック・ドレー

出演/アラン・ドロン/ニコール・カルファン/ロラン・ベルタン/アダルベルト・マリア・メルリ/ラウラ・ベッティ

NHK-BSの映画放映でアラン・ドロンを集中的に放映していたので、今まで好きになれずに見ないでいた彼の作品を、あらためて観ることが出来た。この映画は東和(現在の東宝東和)配給作品。日本ヘラルド映画にとっては、当時の東和は目の上の大きなたんこぶ、追いつき追い越せと行きたいけれど、とてもじゃないけど追いつかない存在だった。

社長のことあるごとの訓辞も東和に勝つんだということばかり、そういう熱意が社員に浸透し、エネルギーとなっていたことは確かだった。エマニエル夫人後のボーナス24ヶ月も、社長が創り出したヘラルドイズムがもたらしたもの。映画が好きで好きで、英語もフランス語もイタリア語も分からず買い付けをしていた古川 勝己社長、業界人の多くの人から愛されていた。懐かしい。

この映画は詰まらない。チェイサーを見た直後だったこともあり、話の展開や広がりに大きな差を感じた。アラン・ドロンも未だ42才頃にもかかわらず、この後の作品数は激減している。副業の方が忙しく面白くなってしまったのかもしれない。

『チェイサー』(Mort d'un pourri)

1977年・フランス 監督/ジョルジュ・ロートネル

出演/アラン・ドロン/モーリス・ロネ/オルネラ・ムーティ/クラウス・キンスキー/ミッシェル・オーモン

どうも日本ヘラルド映画の配給だったようだが、う~ん。経理部にいてその当時のオフィス・コンピューターを導入し、経理業務や売掛金管理業務を、ちょうどコンピューター化しようとしていた担当者だった時代。その当時のオフ・コンは今の最低性能のパソコンよりも遙かに劣るが、価格は1千万円以上した。

映画会社の経理部に好んで就職する奴なんて、一人もいるはずがない。偶々まわされた部署で、訳も分からず仕事をしていた。コンピューターを分かる人間も私以外に誰もおず、自分でプログラムも書いたり、勿論メインはシステム会社のサポートを受けたのだけれど、35年前にコンピュータ・システムを完成させ、きちんと使っていたのは誉められてもいい。それが今でも確かな財産となって、こうやって今のパソコンを弄っていられる。

タイトルは陳腐だが、映画は結構面白く、アラン・ドロンが嫌いだったことも忘れさせてくれる。端整な顔立ちが一人だけで、わざとそういう配役をしたのではとさえ思わせる。政界の腐敗にまつわる話で、死が死を呼び、謎解きが軽快に展開する。任期中に辞任した唯一のアメリカ大統領「ニクソン」の名前もセリフに出てくる。アメリカでは何とたった一人だけなのだ。

『裸の島 』

1960年・日本 監督/新藤兼人

出演/乙羽信子/殿山泰司/田中伸二/堀本正紀

瀬戸内海に浮かぶ周囲約500メートルの小島に千太とトヨ夫婦、彼らの二人の子供が生活している。島には段々畑があって夫婦は夜明けから日没まで黙々と畑仕事に励む。島には水がなく、大きな島から桶に水を汲んでは小舟で運び、畑に水をかけねばならない。日射しが強く土は水を一瞬にしてすい込んでしまう。自然と闘いながら生きていく人間の姿を描く新藤兼人の詩編。セリフをいっさい排し、映像だけで語るというサイレント映画的な実験意欲に満ちた作品。(ぴあ映画生活より)

そうなんです、一切セリフがない。一言ぐらいあるだろうと、我慢強く見ていてもない。母親の泣き声が2回、一瞬で終わるけれど。父親は吐息が1回聞こえた。子ども達の声も1回、祭りの踊り囃子も一瞬。どういう映画だ。

ひたすらにただ働くことの毎日、何もしないで映画ばかり観ているこちらが馬鹿に見えてくる。映画としては実験の段階を超えることはないきらいがあるが、見る人が見れば賞に値する作品として、モスクワ映画祭ではグランプリを受賞している。何故か、身につまされる映画。

『キトキト!』

2006年・日本 監督/吉田康弘

出演/大竹しのぶ/石田卓也/平山あや/井川比佐志/伊藤歩/光石研/尾上寛之

井筒和幸監督の『ゲロッパ!』(2003年)や『パッチギ!』(2005年)で助監督を務めた吉田康弘初監督作品、脚本も書いている、才能が光る。ストーリーに、映画の面白さの原点のようなものを感じる。予算がないからなのか、映画館で観るにはちょっと何か足りないところを感じたりもする。

肝っ玉かあちゃんが主人公、日本的な当て方なら、テレビ・シリーズで1クール放映すれば、視聴率を稼げるだろう、そして間をおいてもう1クール放映、その後に劇場版公開となれば、おそらく結構稼げるような気がする。日本の映画は、そういう生き方にしか活路を見いだせないような気がしてならない。残念ながら。

テレビのお馬鹿キャラで人気の高かった平山あや、この頃テレビであまり見ないような気がする。考えてみるまでもなく、彼女を超えるお馬鹿キャラ達がうようよ出てきては、彼女くらいのお馬鹿演技ではテレビ界を生き抜いていけない、ということなのだろう。か?

『ビッグ・ガン』(TONY ARZENTA, NO WAY OUT [米], BIG GUNS [米])

1972年・イタリア/フランス 監督/ドゥッチオ・テッサリ

出演/アラン・ドロン/リチャード・コンテ/カルラ・グラヴィーナ/マルク・ポレル/ロジェ・アナン/アントン・ディフリング

アラン・ドロンに足を向けて眠れないほどお世話になったのは日本ヘラルド映画。『太陽はひとりぼっち』(Eclipse・1962年・イタリア/フランス)、『地下室のメロディー』(Me'lodie en sous-sol・1963年・フランス)、『さらば友よ』(Adieu l'ami・1968年・フランス)などなど、昔の人なら題名くらいは聞いたことがあるだろう。

いい男が役者になって、いい役を演じて人気を博する、こういう当たり前の構図がこの頃崩れている。何処がイケメンなのと思わせる、なんていうことない男がテレビという媒体を通して人気がある。芸もないお笑い雑魚人間が、詰まらないネタを披露している。仕合わせな国も極まれりといった風情だ。

この映画を観る機会があるなら、是非情報を入れないで観て欲しい。他の映画もだいたいそうだが、この時代の映画にはアナログ的なトリックやアクションがある分、一度観たり知ってしまった情報は、映画鑑賞の障害になることがある。カーチェイスなど、今では考えられない安心感で観ることが出来る楽しさ。

『海を飛ぶ夢』(Mar adentro)

2004年・スペイン/フランス/イタリア 監督/アレハンドロ・アメナーバル

出演/ハビエル・バルデム/ベレン・ルエダ/ロラ・ドゥエニャス/マベル・リベラ/セルソ・ブガーリョ/クララ・セグラ/タマル・ノバス

原題:Mar adentro は、「内なる海」と言う意味、セリフのひとつに登場する。「心の旅路」というセリフも登場するので、これを日本語題名にしても良いかなと思ってみたが、やっぱり在り来たりの言葉に見えてしまいそうなのが、残念。

2004年アカデミー外国語映画賞ほか、多数の映画賞を受賞している。インターネットで調べれば、内容までも詳しく分かってしまう。映画を観れば、5分くらいでテーマが分かってしまうのだが、それでもその5分間が大切。何も知らないで見始まった方が、間違いなく心の動揺の重みが違う。

どんなに内容が詳しく書かれていたって、文字で映画を読んでみたところで、この映画に関しては言い尽くせないだろう。分かったつもりでこの映画を観始まっても、良い意味で裏切られることは必至。その時々の、またシーンに込められたセリフが心に響く。ストーリーが分かっていても、何度でも観ることが出来る希有な映画になっている。実話に基づいて作られた、この映画の中の煌めく言葉に涙する。

『神様のパズル 』

2008年・日本 監督/三池崇史

出演/市原隼人/谷村美月/松本莉緒/田中幸太朗/黄川田将也/石田ゆり子/岩尾望

第3回小松左京賞を受賞した機本伸司の小説「神様のパズル」が原作。エグゼクティブプロデューサーに角川春樹がいる。風雲児も前科を持ってしまってから、時の勢いを持続することは出来ていない。ぼんくら弟、角川歴彦に角川書店を任せなければいけない歯がゆさを、どう思っているのだろうか。

いかにも小説または漫画原作があり、それに基づいて製作されているんだろうな、と思わせる進行をする。特徴的にセリフが理屈っぽいし、映像シーンに無理がある。そうすると映画としての説得力がなくなり、観客の心情が映画から離れてしまう典型。

映画は先を見据えて進んで行かなければならないものなのだけれど、独りよがりにどうだ!これは素晴らしいだろうと、力説してみたところで、一般大衆の賛同を得られなければ、名を残すことは絶対に不可能だ。俳優が可哀想。

『裸で御免なさい』(EN EFFEUILLANT LA MARGUERITE)

1956年・フランス 監督/マルク・アレグレ

出演/ブリジット・バルドー/ダニエル・ジェラン/ロベール・イルシュ/ルチアナ・パルッツィ/ダリー・コール

おフランスのコメディーなんて、こんなものかと思わせるほどたいしたことなさ過ぎる。ブリジット・バルドーのアイドル映画としてしか許すことは出来ない。

どうもパリも、フランスも好きになれないでいたが、こんな映画を見せつけられると、さらに嫌いになってくる。笑いのツボがまったく乖離している。見ていないのに文句が言える、松本人志の映画のようだ、きっと。いや間違い、こちらの映画の方が、数十倍も出来が良いだろう、きっと。

最後の日本への新婚旅行シーンを見たら、がっかりを通り越して製作者の程度の低さを批判することになる。酷い。この時代、日本がまだよく知られていなくても、酷い。

『ひとごろし』

1976年・日本 監督/大洲斉

出演/松田優作/高橋洋子/五十嵐淳子/丹波哲郎/岸田森/桑山正一

侍ものコメディー映画というものを初めて観た。というよりは、落語の話を映画にしたような感じ。ということで、最後のオチはどういう風になるのだろうか、ということばかりに気を取られることとなった。なるほど、と納得するも、オチも落語らしい。

役者としての松田優作が好きではなく、見るほどにアクの強さを感じる。この映画の頃はまだまだ若いといった容貌。13年後に帰らぬ人となることなんか・・・、人の運命はまったく見えない、運命が分かっていたような熱を感じる役者であることは確か。

松田優作の遺作は『ブラックレイン』、制作中の評判で次回作はロバート・デ・ニーロ出演、ショーン・コネリー監督作品のオファーが来ていたという。ブラックレインはアメリカ映画、ロケは大阪で行われた。メイキングよろしく、制作舞台裏が多く日本語で語られているのを見つけると、いろいろな話が伝わってきて大変面白い。

『タイムライン』(TIMELINE)

2003年・アメリカ 監督/リチャード・ドナー

出演/ポール・ウォーカー/ジェラルド・バトラー/アンナ・フリエル/ランベール・ウィルソン/マイケル・シーン/フランシス・オコナー

オーメン(The Omen/1976年)やリーサル・ウェポン(Lethal Weapon/1987年)の監督として名を馳せたが、この映画の時は73才、いささか腕が鈍ったような気がする。タイムスリップ話はかなり好きなので、辛口になってしまう。

以前観たことがあるような感じがしたが、おそらく観ている。時空を超えて移動するという発想が、夢を掻き立てる。歴史は変えられないとはいうけれど、変わってしまっても残された記憶や記録が歴史になるだけだと思えば、どうってことはないはずだが。

フランスとイギリスとの百年戦争の最中、1357年という時代にタイムスリップする話。タイムスリップ機械にこの映画の秘密が隠されている。フランス南西部のドルドーニュにある修道院の遺跡発掘現場がその場所、中世に現代兵器を持ち込まないというもどかしい設定が、映画的ではある。タイムトンネル(シリーズで放映されたテレビ映画)のように、どんどん話が変わって行ったり、どんどん話が進んで行かないと、どうも同じ設定の堂々巡りで飽きがきてしまう。

『エイリアン』(Alien)

1979年・アメリカ 監督/リドリー・スコット

出演/シガニー・ウィーバー/トム・スケリット/ハリー・ディーン・スタントン/ジョン・ハート/ヤフェット・コットー/イアン・ホルム

1977年『未知との遭遇』(Close Encounters of the Third Kind)、1982年『E.T.』(E.T. The Extra Terrestrial)、と宇宙ものの大作が超ヒットしているが、この映画はちょうどその間に作られている。そしてシリーズ化され1997年の『エイリアン4』(Alien: Resurrection)まで製作された。

シガニー・ウィーバーの皺のない顔が断然若い。ちょっとしと色っぽいシーンなども織り交ぜて、この監督のエンターテインメント性がいかんなく発揮されている。こういう大作を配給したかったが、ヘラルドにこれだけのエンターテインメントを伴った作品が来たことはなかった。

この映画が公開される前、日本の国際空港外国人用の入国審査窓口は、「Aliens」と表記されることが多かった。その看板を自分でも目にしたことを覚えている。「エイリアン」に悪いイメージが定着した今は、「Foreign (Foreigner) Registration」「Non-Japanese passport」などと表示されているようだ。映画の影響がこんなところにあるのも面白い。


『エイリアン2』(Aliens)

1986年・アメリカ 監督/ジェームズ・キャメロン

出演/シガニー・ウィーバー/マイケル・ビーン/ランス・ヘンリクセン

/キャリー・ヘン/ビル・パクストン/ポール・ライザー

第1作から監督が替わった。キャッチコピーは「This time it's war.(今度は戦争だ)」。1作目の Alien から Aliens に原題も複数形になった。アメリカ海兵隊が宇宙飛行士になって、まさしく異星人との戦争状態、エンターテインメント。戦争好きのアメリカ魂が、イラク戦争へと駆り立てていったとは思いたくないが。

ジェームズ・キャメロンはこの2年前の1984年、ターミネーター(The Terminator)を監督、超ヒットメーカの仲間入りをしている。その後、1997年には『タイタニック』(Titanic)、2009年には『アバター』(Avatar)と世界規模での超大ヒット作を生み出そうとは、まだ知る由もない。彼がいなければ、世界の映画界の歴史も間違いなく違っていただろう。

1作目から7年後、シガニー・ウィーバーの顔の皺は未だ鮮明ではない。エイリアンの棲み家惑星に生き残っていた一人も少女、そしてシガニー・ウィーバーが男どもを差し置き、女は強いということを強烈にアピールしている。確かに、いざというときの女のど根性には、恐れ多いところがある。

『ミラクル7号』(長江7號, CJ7)

2008年・香港 監督/チャウ・シンチー

出演/チャウ・シンチー/シュー・チャオ/キティ・チャン/フォン・ミンハン

録画タイトルを見て、何故こんなものを録画してしまったんだろう、と後悔。しかも香港映画では、と見る前は意気消沈していた。中国ものは基本的に録画しない、吹き替えものも録画しない、少しばかりハードルを高くして録画しないと、本数があり過ぎて、かえって見損ねてしまう。

『少林サッカー』『カンフーハッスル』を撮った監督らしい。見始まって、録画したことを後悔することはなかった。人間には一貫性があり、やっぱり才能のある人は、どんな題材でも面白く作れるらしい。9才の主役役者が素晴らしい。CGキャラクターも、なにげに可愛い。お得意の中国パクリものでもない。

一種の感動ものにもみえるけれど、そんなに大それたものではないと見た方が賢明。ユニークな設定とオーバーすぎるようで、オーバーすぎない演技が心地良い。人間の心の優しさが伝わってくる。監督の資質なのだろうと感じる。こういう御伽噺っぽい映画は、日本では作れない。なぜか日本だったら、ドタバタや、はちゃめちゃな映画になっているだろう。

『約束の旅路』(VA, VIS ET DEVIENS)

2005年・フランス 監督/ラデュ・ミヘイレアニュ

出演/ロシュディ・ゼム/シラク・M・サバハ/ヤエル・アベカシス

シバの女王の末裔「ファラシャ」と呼ばれるエチオピアの「ユダヤ人」、イスラエルは大規模なファラシャのイスラエルへの移送作戦を実行している。1984年の「モーセ作戦」が映画の舞台。父を戦争で失い、兄も姉も亡くなり、愛する母とも別れ、ユダヤ人と偽ってイスラエルへと脱出した少年の半生を追う。

このあたりの実際社会での歴史などについては調べても、何度聞かされてもよく分からない。キーワードは、「エチオピアのユダヤ人」。そして現代という時代になって、飢餓に苦しみ難民キャンプに身を寄せるしか生きるすべのない人達の姿を映し出している。

生まれたアフリカでは「ユダヤ人」と呼ばれ、イスラエルでは「黒人」と蔑まれ、しかも宗教、戒律厳しく、何がどうなっているのかさえなかなか伝わってこない。しかも主人公は、ユダヤ人ではないことを隠しながらの生活をしなければならない。9才という幼い時にイスラエルに移送されてから、約30才くらいまでの彼の周辺で起こった出来事が、本当かと思わせるほどの映像で表現されている。同じ人間に生まれて、これほどまでのむごい人生をおくらなければいけない。もっと酷い境遇の人達もいる。神はなにをもって由としているのか。

『煙突が見える場所』

1953年・日本 監督/五所平之助

出演/上原謙/田中絹代/芥川比呂志/高峰秀子/浦辺粂子/関千恵子/田中春男/花井蘭子/坂本武/星ひかる

「お化け煙突」で有名だった景色、3本に見える場所で暮らす夫婦と間借り人たち、昭和28年の東京下町を舞台にした日常生活が生々しい。もちろんちょっとした事件が起こらなければ、映画にならない。あんな感じだったよな~、と想い出す田舎での小学生・中学生、そして高校生時代を懐かしむ。

土浦から上野まで乗った常磐線からも見た記憶があるこの「お化け煙突」。調べたらこうある、千住火力発電所は巨大な4本の煙突を持っていたが、真横から見ると1本、斜めから見ると2本ないしは4本、真正面から見ると3本に見えた。常磐線や京成本線からもこの煙突は良く見え、列車の移動に伴う本数の変化が眺められた。あの記憶は正しかった。

懐かしさだけで見る映画は、突然睡魔に襲われて、いつも通り眠りについてしまった。途中抜けたけれど、最後の方を見られたので、何の不自由なく物語が繋がった。こんな不謹慎な映画の見方は大御所の監督に対して失礼だと、常々思いながらも、眠いものは眠たいと言ったら罰が当たるかな。

『レッスン!』(TAKE THE LEAD)

2006年・アメリカ 監督/リズ・フリードランダー

出演/アントニオ・バンデラス/ジェナ・ディーワン/ロブ・ブラウン/ヤヤ・ダコスタ/アルフレ・ウッダード/ダンテ・バスコ

典型的な落ちこぼれ高校生軍団復活ドラマ。分かっていても見てしまう、青春の輝き。いいな~、若いということは。今回は居残り教室に社交ダンスの先生が登場するという、今までにはなかった筋書き。

社交ダンスなどこれから一生踊ることはないであろう。大学時代の数回、あの頃流行っていた資金稼ぎのダンスパーティーに、出たことがあるくらい。Social Dance(ソシアルダンス/ソーシャルダンス)という日本語英語が流通しているが、国外ではBallroom Dance(舞踏室の踊り)と表すのが一般的らしい。

外国のホテルに行くと、必ずこのボールルーム(Ballroom)というのがあることに気付く。社交ダンスは、おそらく填ったら辞められない、のだろうと想像に難くない。見事なまでに洗練されたタンゴのダンスを見ていると、凄い!という言葉を思わず発したくなる。どんな競技やスポーツ、パフォーマンスでもプロと呼ばれる人達のワザは素晴らしい。

『美しき運命の傷痕』(L' ENFER, HELL)

2005年・フランス/イタリア/ベルギー/日本 監督/ダニス・タノヴィッチ

出演/エマニュエル・ベアール/マリー・ジラン/カリン・ヴィアール/キャロル・ブーケ/ミキ・マノイロヴィッチ/ジャック・ペラン

ポーランドが生んだ名匠クシシュトフ・キェシロフスキ監督の遺稿を『ノー・マンズ・ランド』のダニス・タノヴィッチ監督が映像化。と、知る前に見た映像は、ひたすら暗く、進行も分かり難く、プロの映画ファンが喜びそうな出来映え。そういう映画に見向きもしないのが、私を含めた素人映画ファン。

終わってみれば、なかなかの物語かとも思う。が、途中うたた寝をしてしまうほどの映画。愛しているだの愛してないだの、別れるの別れないだの、体調が悪かったせいもあり、見ていて心ばかりか身体も苛立ってくるのを感じた。見るのを止めてしまえばいいのに、と思えるほどのイライラ感だった。

映画とはいえ、濡れ衣を着せられて死んでいった夫に対して、無実の真相が分かった時に「私に後悔はない」と発した元妻の言葉が、あまりにも残酷でやりきれぬ思いにさせられた。女は怖い。

『ビヨンド・サイレンス』(JENSEITS DER STILLE, BEYOND SILENCE)

1996年・ドイツ 監督/カロリーヌ・リンク

出演/ハウイー・シーゴ/エマニュエル・ラボリ/タチアナ・トゥリーブ/シビラ・キャノニカ/シルヴィー・テステュー

1997年(第10回)東京国際映画祭グランプリを受賞したって、何の意味もないけれど、映画としての評価には変わりはない。もともと何の意味もなく行われている東京の映画祭、レッド・カーペットがどうのこうのと、ひたすら映画ではないところでの騒ぎがメインなだけ。

それに引き替え、フランスのカンヌ映画祭は別格。アメリカからはちょっとばかり遠すぎて、何とかカンヌの権威を失墜させようと試みられたけれど、今までもこれからも永遠に続くであろう映画祭。こぞって芸術性を追求する姿勢は、アメリカ映画と一線を画しているのは確かなこと。

聾唖者の父・母、8才くらいの娘との仕合わせは続くように見えた。だが映画、必ず悲劇は起こる。いや、悲劇が起こった主人公を映画化しているのだと、そういう見方をしなければならない。娘は18才になり、世の中との通訳を務めていた娘も、自分の歩む道を見つけ始めた。手話が美しい。そうだ、手話なら英語やドイツ語が喋れなくても、世界中の人達と話が出来るのか!。

『ある子供』(L' ENFAN, THE CHILD)

2005年・ベルギー/フランス 監督/ジャン=ピエール・ダルデンヌ

出演/ジェレミー・レニエ/デボラ・フランソワ

第58回カンヌ国際映画祭で最高賞にあたるパルム・ドールを受賞。20歳のブルーノと、18歳のソニアのカップルは、わずかの生活保護と、ブルーノの盗みで生計を立てていた。二人に子供が出来たとき、ソニアはブルーノに真面目に働くようにと願うが、ブルーノはわずかのお金で二人の子供を売ってしまう。(Wikipediaより)

こういう映画は性に合わない。内容ということではなく、製作、映画の作り方が嫌いだ。見ていない人に説明するのは、難しすぎる。いかにも映画らしくない映像作りと、本当は何もないのに、もっともらしく難しそうに見せるテクニックのようなものを嫌う。

嘘っぽい人間を酷く嫌うのに似ている。才能がないのに片意地を張っている人、薄っぺらな人生なのに尤もらしく振る舞う人、どうにも話し相手にはなれない。最後のクレジットに日本語字幕:寺尾次郎と、日本ヘラルド映画時代の後輩の名前が出てきた。彼は優秀な映画マンだった。今でも映画界で生きている。大したものだ。

『再会の街で』(REIGN OVER ME)

2007年・アメリカ 監督/マイク・バインダー

出演/アダム・サンドラー/ドン・チードル/ジェイダ・ピンケット=スミス/リヴ・タイラー/サフロン・バロウズ/ドナルド・サザーランド

この歯の浮いたような日本語題名は!?、とおもって見始まったが、結構好きな映画だった。確かにこの日本語タイトルは、映画を見れば分かる。が、映画を見ていない人に贈るのが題名、配給会社の人間はそこのところを勘違いしてしまう。現役時代もずーっとそう思っていた。宣伝部長をやっている時も、そう思った。

だからというわけではないが、宣伝部長ひとりがその映画を見ていないで、宣伝手法に文句をつけていた。見ていないからこそ言える、心からの文句。一度見てしまったら、天才ではない限り、見ていない人への宣伝が簡単ではないことに気付く。

心の病は人に見えない。この映画の主題。トラウマ、心的外傷という日本語を当てはめているが、よくよく考えてもこの日本語は意味が通じない。けれども、こういう映画を見ると良く分かる。9.11というとてつもない事件の後遺症が、映画の背景に広がっている。そして家族。重いテーマだが、生きているのは人間。どうにか生きて行かなければならない、命がある。


2017年9月18日に再び観たので記す。

『再会の街で』(Reign Over Me)

2007年・アメリカ 監督/マイク・バインダー

出演/アダム・サンドラー/ドン・チードル/ジェイダ・ピンケット=スミス/リヴ・タイラー

9.11の悲劇は残された家族の人生にも大きな影響を与えていることをこの映画は物語っている。邦題の甘ったるい雰囲気が疎ましくなるような内容だった。深く重いテーマなのだが、さらりとストーリーが進んで行くのは、脚本と監督の力だろう。

主人公の家族は妻と三人の娘そして飼い犬、9.11の日、あとで合流するためにニューヨークの空港で知ったのは、ボストンからロスに向かった飛行機が落ちたことだった。その日以来彼の行動は妻の両親にも理解出来なかった。世を儚んでしまうのは分かる。一気に家族がいなくなるなんて、想像すらしたくない。

もう一人の主人公は大学時代にルームメイトだった黒人の歯科医師。歯医者だった過去がようやく分かる。かなりの弔慰金が入り生活することは出来るが、以前のような人間の生活をすることが出来ない。ここで登場するカウンセラーが重要な役割だった。映画ではよく見かけるカウンセラー、日本などでは到底及ばない域にあるアメリカ社会、耐えることが必要なカウンセラーの立場をちょっとだけ知ることが出来た。なかなか重かったり軽かったり、観ていておもしろい。いい出会いが出来た。

『夢千代日記』

1985年・日本 監督/浦山桐郎

出演/吉永小百合/北大路欣也/樹木希林/名取裕子/田中好子

映画館で見るのには堪えられないだろう。ゆったりと流れる物語を、心から愉しむ姿勢がなければ、すぐに飽きがきてしまう。体調が良かった時にこそ見続けられる日本映画。特に吉永小百合では、映画の出来に期待をするという心境にはなれない。

決して貶しているわけではない。でも、なんか血湧き肉躍るとまでは行かなくても、映像を観ながらワクワクしたり、つい微笑んだり、不覚にも涙を流してしまったということがなければ、映画の映画たる所以がなくなってしまう。田中好子、すーちゃんはこの時29才、これから女優として活躍して行く姿が初々しく闊達だ。そして1989年(平成元年)に公開された『黒い雨』での評価へと繋がっている。つい最近亡くなった人をあらためて映画で見るのは、なんとなく妙な気分。

この歳になったからこそ見られる作品。若くしてこの作品を芯から見届けられる人なんているのだろうか。主人公のセリフ「ふっと寂しくなって・・・」、という溜息がこちらにも伝わってきた。寂しい。

『大殺陣』(だいさつじん)

1964年・日本 監督/工藤栄一

出演/里見浩太郎/平幹二朗/大友柳太朗/大坂志郎/大木実/河原崎長一郎/三島ゆり子/安部徹/砂塚秀夫

「オオタテ」と読むのか、「ダイタテ」と読むのかなどと訝っていたら、どうもこう読むらしい。昭和39年当時としては、殺陣という言葉も普通に使われていたので、何の違和感もなかったのかも知れないが、物語が時代劇サスペンスタッチなので、もう少し世の中におもねた題名が良かった気がする。

あるいは、徳川家4代将軍・家綱の弟である甲府宰相・綱重の謎の死にヒントを得たオリジナルストーリーであることに鑑みても、もうちょっと捻った題名が今の時代にも通じるインパクトを持ち得たかもしれないと。

題名に拘るのにはトラウマが。『男たちの挽歌』(英雄本色・1986年・日本ヘラルド映画配給)公開時、劇場側から横文字の題名にしてくれ、という強い要望があったにもかかわらず、そのまま公開してコケた想い出がある。題名のせいばかりではないが、これは面白いと思った作品で、しかも後年評判が高くなった作品を当てられなかった当事者としての、何とも言えぬ嫌な思い出が蘇ってしまうのだ。

『パリで一緒に』(PARIS - WHEN IT SIZZLES)

1963年・アメリカ 監督/リチャード・クワイン

出演/ウィリアム・ホールデン/オードリー・ヘプバーン/トニー・カーティス/ノエル・カワード/マレーネ・ディートリッヒ

衣装デザインはユベール・ド・ジバンシィとあるが、これが何ともいただけない。ヘップバーンの胸のなさを強調するような衣裳があり、気高く気品が漂うはずの彼女の姿が、貧祖な胸なし女に見えて気になってしまった。

映画は極めて面白くなく、我慢に我慢を重ねていたが、ついには爆睡となってしまった。起き出してもまだやっていたので、今度は早回しとなり、ヘップバーンの映画としては初めてのこととなった。全作品を見逃していないほどの、熱狂的FANではないが。

もともと彼女の映画は、アイドル映画のようなもの。それでも、彼女の登場さえあれば映画が成り立つというのが、おおかたの要件であった。余計なテクニックなど弄するから、映画が詰まらなくなってしまう。

『大いなる決闘』(THE LAST HARD MEN)

1976年・アメリカ 監督/アンドリュー・V・マクラグレン/チャールトン・ヘストン/ジェームズ・コバーン/バーバラ・ハーシー

/クリストファー・ミッチャム/ジョージ・リヴェロ/ラリー・ウィルコックス

悪党と元保安官が知能戦を繰り広げる西部劇。正統派とは呼べない内容に、一抹の不満足を感じる。往年の西部劇日本語題名は、同じようなものばかりで、見たことがあるような、ないようなと混乱してしまう。

西部劇で銃を使って人殺しをするのも、ただむやみやたらと銃を振り回している訳でもない。そういうシーンも偶にはあるが、基本的には相手が銃に触れようとする動作を確認してから、こちらも銃を抜いている。日本の時代劇でいう、辻斬りに相当する行為は、やはり卑怯の誹りを免れない。

ひ弱に見える男が、実は男らしく気高く振る舞うシーンがある。娘の恋人をそんな風に眺められる父親は、仕合わせだ。3人も娘がいて、複雑な感情を表に出さないよう努めてはいるが、そういう生き方も、もしかするとストレスになっているのかも知れない。

『オールウェイズ』(Always)

1989年・アメリカ 監督/スティーヴン・スピルバーグ

出演/リチャード・ドレイファス/ホリー・ハンター/ジョン・グッドマン/ブラッド・ジョンソン/オードリー・ヘプバーン

『ALWAYS 三丁目の夕日』ではない。昭和の趣だけで評価されている、薄っぺらな日本映画ではない。この映画は、オードリー・ヘプバーンが最後に出演した映画、監督はスピルバーグと話題にこと欠かない。正直言うと、見ていても、見終わってもスピルバーグの映画だと感じたりしなかったのは、何故だろうか。独特の感性がある彼の作品は、匂いが伝わってくるはずだったが。しかも二度目の鑑賞なのに。

ちょっと話が出来過ぎているけれど、仕方がないか、と思いながら見ていたのは確か。もしかすると、そこがスピルバーグたる所以だったのかも知れない。ただちょっと陳腐な感じがしたので、そこんところが彼の作品とは想像出来なかったところ。

映画のように、死んでからも一瞬でも現世の人間を見つめられたら、それは凄く嬉しいこと。そういう夢を持ちながら、死んで行くのも悪くはないが、そんなことって絶対ないのだろう。でも私なら、きっと誰かを見守ることが出来そうな気がしている。

『仇討』

1964年・日本 監督/今井正

出演/中村錦之助/田村高廣/丹波哲郎/三田佳子/佐々木愛/小沢昭一/進藤英太郎/三島雅夫

丹波哲郎が若々しく、まだ30歳代前半かと思った。調べてみると、彼はこの時42才、84才で亡くなっているので、ちょうど人生の真ん中の時であった。凛々しく滑舌はっきりと、将来の日本映画界を背負って行く風情を感じた。晩年はおちゃらけたテレビ番組でお茶を濁していたが、これも軽チャーテレビ界の罪作りなところ。

今から47年前の映画では、役者の顔が若いのも当たり前だが、三田佳子の初々しさが光っている。田村高廣は意外にも、こちらが記憶している彼の顔と何ら損傷がなかった。老け顔なのかも知れない。

江戸時代の不条理が極まれりという内容。家老や目付役の権力を笠に着た世の中の取り仕切り方は、今で言う役人や官吏の無神経さに通じている。大事なのは人の命ではなく家の権威、御上の威厳、そういう時代を経ているからこその現在であるはずなのに、未だもって公僕たる役人がのさばっている世を憂う。

『アドレナリン・ブレイク』(BAD DAY)

2008年・イギリス 監督/イアン・デヴィッド・ディアス

出演/クレア・グース/ドナ・エアー/アンソニー・オフェイブー/セイラ・ハーディング/ロビー・ギー

超三流映画。劇場未公開だと、こんな詰まらない題名までつけられてしまう。原題「BAD DAY」で充分ジャン。主人公は女、警察の潜入捜査官の最悪の1日を時刻の経過と共に展開して行く。題名は五流以下。

タケシのヤクザ映画よろしく、やたら銃がぶっ放され無慈悲に人が殺されて行く。あるいは、殴られ蹴られ傷を負い、映画だからこその残酷シーンが繰り広げられる。若者はこういう映画や漫画に、満たされぬ欲求を満足させることが、多いかも知れぬと心配する。

映画が社会に及ぼす影響は、悪いこともあるだろう。でも所詮は映画と切り替えられる頭脳を、育てるのも映画。夢と現実を混同して犯罪を犯してしまう人種がいることも、肝に銘じなければならない。誰しもが強い心を持っている、などと侮ってはいけないのだ。

『プライスレス 素敵な恋の見つけ方』(Hors de prix)

2006年年・フランス 監督/ピエール・サルヴァドーリ

出演/オドレイ・トトゥ/ガド・エルマレ/マリー=クリスティーヌ・アダム/ヴァーノン・ドブチェフ、ジャック・スピエセル

洋画でこれほど酷い出来の映画放映は、初めてかも知れない。冒頭に内容紹介があって、普段はそんなもの見ないのに、たまたま見てしまったからいけない。その時点から面白くないのは予想できたが、それにしてもダメ。

なぜこういう映画が放映されたかというと、それはテレビ局の映画買い付けに原因がある。昔なら1本の目玉作品に十数本のおまけが付いて、配給会社とテレビ局との契約があった。目玉以外の作品は、深夜放送の垂れ流し時間埋めに使われた。

ところが、たぶん今回は、先に書いたシネカノンという配給会社が復活したので、在庫一掃整理よろしくテレビ局に安く売ったに違いない。買った以上テレビ局も放映しないわけにはいかないので、こんな詰まらない映画でもシネカノン冠名を付けて放映したのだろう。こんな映画を買い付けているようじゃ、会社が潰れるのは当たり前か。

『反逆児』

1961年・日本 監督/伊藤大輔

出演/中村錦之助/桜町弘子/岩崎加根子/杉村春子/佐野周二

/月形龍之介/東千代之介/安井昌二/河原崎長一郎/進藤英太郎

主人公は松平信康、徳川家康の長男(嫡男)。安祥松平家七代当主。通称は次郎三郎。・・・泣くまでまとうホトトギスを地で行く家康の思惑により、二俣城にて切腹、享年21歳。この一連の史実を描く物語。

前半戦の女世界の諍いがちょっと飽きる。久しぶりに見る映画での切腹シーン、昔はこういう場面は結構あったような気がするが、さすがにこの頃は遠慮しがちな台本。

昔の役者は侍姿がよく似合う。これも時の流れ、イケメンや醤油顔、草食系男子などと囃されている昨今の男では、厳つい侍武将姿はちょっと荷が重すぎるかも知れない。

『ノー・マンズ・ランド』(NO MAN'S LAND)

2001年・フランス/イタリア/ベルギー/イギリス/スロヴェニア

監督/ダニス・タノヴィッチ 出演/ブランコ・ジュリッチ/レネ・ビトラヤツ

ボスニア紛争真っ直中、”ノー・マンズ・ランド”というボスニアとセルビアの中間地帯に取り残された、敵対する二人の兵士を中心にそれを取り巻く両陣営、国連軍、マスコミを登場させ、笑いの中で戦争を痛烈に皮肉り、その不条理や愚かさを見事にあぶり出した辛辣な戦争コメディ。(allcinemaより)

戦争コメディとあるが、一度として声を出して笑ったり、微笑んだりするわけではなかった。いわゆるブラック・コメディーという類。皮肉が最大限に映像化されたって、それを受け取る側に能力がなければ、何とも面白くないものに映るだろう。

映画としての良さは誰しも認めることだろう。でも、あなたはこの映画が好きですか、と問われれば、「ノー!」と答える。ブラックなコメディーは、それが本当にコメディーであるうちはいいのだけれど、たぶん映画の中のような辛辣な状況が、いとも簡単に起こりそして処理されて行くのだろうと、想像しただけでいたたまれないから。

『十一人の侍』

1967年・日本 監督/工藤栄一

出演/夏八木勲/里見浩太郎/南原宏治/西村晃/大友柳太朗

/宮園純子/大川栄子/菅貫太郎

工藤栄一が1963年に監督した『十三人の刺客』(片岡千恵蔵/里見浩太朗/嵐寛寿郎)は、昨年監督/三池崇史・出演/役所広司/山田孝之/松方弘樹でリメークされた。子供の頃のチャンバラ遊びを想い出す。

企画に名を連ねる岡田茂は言わずと知れた東映そして映画界のドン、奇しくも昨日(5/9)死去した。息子の岡田祐介が世襲のように現在社長になっているが、到底父親の業績に追いつくことはないであろう。

映画の設定、将軍の馬鹿弟のためにお家断絶となるやもしれぬ為の忠義、忠臣蔵のような話。映画の出来はさておき、侍やその妻の心の有り様について、凄く同調するところもあり、それでいてもう少し何とかならぬのかという、もどかしさを感じる。何事にも控えめに、そして余計なことを言わないが為に起こってしまう悲劇は、日本人のDNAとでも言えるだろう。良い面で現れれば、今回の大災害時の凛とした庶民の姿に他ならない。

『名もなく貧しく美しく』

1961年・日本 監督/松山善三

出演/高峰秀子/小林桂樹/原泉/草笛光子/沼田曜一/小池朝雄/加山雄三/荒木道子

「ツンボ」「カタワ」といった今では差別用語として死語になってしまった言葉が登場する。言葉に差別はないはずだが、歴史的に差別をする言葉として使われてきたのは事実だ。それ故に自虐的に世の中から抹消しようと、人の心が動いたのかもしれない。

ちょうど自分が育った年代を追って、主人公夫婦の子供が生まれ成長して行く。靴磨きという職業も確かにあったし、学生時代時々お世話になたことも思い出した。懐かしくて、胸がキュンとなる鑑賞の時間。

どう考えても暗いこの映画を観ることを一瞬躊躇った。勇気を出して観たものの、映画の出来の良さを褒めることよりも、人間の生き様についての語りかけに、明確な答を持たない自分が情けなかった。聾唖者夫婦の清らかな人間像に、日本人の原点を見る思いがする。高峰秀子と小林桂樹は共に昨年他界した。

『青いうた~のど自慢 青春編~』

2006年・日本 監督/金田敬

出演/濱田岳/冨浦智嗣/落合扶樹/寺島咲/斉藤由貴/緑魔子/岡本奈月/平田満/甲本雅裕/団時朗/室井滋/由紀さおり

BS11の録画で「ジェイ・シネカノン・シアター」と銘打っていた。あれっ!シネカノン(「フラガール」「パッチギ」「シュリ」などを扱った映画配給会社)って潰れたんじゃなかったっけと思い、調べてみた。

昨年1月に民事再生法の適用を東京地裁に申請したシネカノンを、JACKE・グループがスポンサー企業として引き受け、株式会社ジェイ・シネカノンを設立した。という発表が2月にあったということが分かった。

名前を残して映画ストックなども引き継ぐらしく、経営者の姿勢は素晴らしい。ヘラルドのように名前すらなくなり、残党が角川で苦労している姿を聞くにつれ、このあたりは経営者のモラルに依存するところなのだろうと納得。映画は話をすることも嫌になるほどどうしようもない。映画のせいなのか放送局のせいなのか、音が聞きにくく往生した。こんな映画を作るくらいなら、全額を義捐金にまわして欲しい。

『クィーン』(The Queen)

206年・イギリス 監督/スティーヴン・フリアーズ

出演/ヘレン・ミレン/マイケル・シーン/ジェームズ・クロムウェル/シルヴィア・シムズ/アレックス・ジェニングス/ヘレン・マックロリー

直前に『Queen Victoria 至上の恋』(Mrs. Brown/1997年/イギリス)を再鑑賞したばかりだったので、イギリス王室ものにどっぷりと浸ることになった。

辛辣なイギリス国民の感情表現がここぞとばかりに映像化され、本人によく似た役者を起用したこの映画は、ドキュメンタリーではないかと勘違いさせるほどの出来映えとなっている。

被災地を見舞われる日本の皇室のお姿は、何と心から優しさのほとばしり出る立ち振る舞いだろうと涙する。菅総理の付け焼き刃的見舞いが怒号を浴びても、極めて当たり前と思える違いを見る。

『素直な悪女』(... ET DIEU CREA LA FEMME)

1956年・フランス 監督/ロジェ・ヴァディム

出演/ブリジット・バルドー/クルト・ユルゲンス/クリスチャン・マルカン/ジャン=ルイ・トランティニャン

インタビューで、バルドーは『みんなモンローかバルドーかってよってたかって勝手に並べてるけどさ、あたいはマリリンのファンなのよ。でも影響を受けたとかマネしたとかは一度もない。だってあたいなんて彼女の足元にも及ばないからね。』と語っている。

この映画の監督でもあるロジェ・ヴァディムとは18歳のときに結婚したが後年離婚、この映画で男達を翻弄する小悪魔を演じ、セックス・シンボルとして有名になった。愛称BB(ベベ)。

彼女の映画をリアルタイムでもう少し観ておけば良かった、と後悔させるほど素敵な女優。奔放な娘役がぴったり填っている。この時は22才、ピチピチしていて観ているだけでも気持がいい。彼女が演じた役柄、ちょっとアッパラパーだけれど、ちょっと賢い女性が理想だったが、天国に行けば会えるかもしれない。

『若者たち』

1967年・日本

監督/森川時久 出演/田中邦衛/橋本功/佐藤オリエ/山本圭/松山省二/小川真由美/石立鉄男/栗原小巻/大滝秀治/江守徹

♪ 君の行く道は 果てしなく遠い だのになぜ ・・・ 一世を風靡した主題歌が響く。昭和42年、映像で見るほど貧しかったとは思えないが、世の中はまだまだ発展途上国だった。ちょうど大学2年、早稲田キャンパスでロケをしていて、かなり懐かしく見慣れた風景に遭遇した。

みんな熱い。大学のサークルでも、職場でも、そして家族、兄弟の間でも物事を熱く語り合っている。この後の社会は、しらけどころか無関心なコミュニケーションが全盛となって、現在の空虚な人間関係社会へと進んでいった。

もしリアルタイムで観ていたら、どういう感想を述べていたのだろうか。おそらく、この映画には当時の日常が沸々と描かれているわけで、こんなこと普通ジャンとでも言っていたかもしれない。今だからこそ、昔はこんなに熱い人間ばかりだったんだと、感慨に耽るばかり。

『男の出発(たびだち)』(THE CULPEPPER CATTLE COMPANY)

1972年・アメリカ

監督/ディック・リチャーズ 出演/ゲイリー・グライムズ/ビリー・グリーン・ブッシュ/ルーク・アスキュー/ボー・ホプキンス

「おもいでの夏」のG・グライムズを主役に、ファッション・フォト出身のD・リチャーズが、念願だったという西部劇の世界にチャレンジした初監督作。カウボーイに憧れる16歳のベンが、コックの助手として大規模なキャトル・ドライブに参加する。様々な体験を重ね、大人になっていくという教養小説的なお話しを、終幕をセピアに染めたりしてノスタルジックに描く。(allcinemaより)

少年は背伸びしながら大人の世界を夢み、そして精神的にも肉体的にも成長して行くのだ。憧れだけでカウボーイの仲間に入れてもらったが、そこは少年、ドジばかりをしでかしながら旅は続く。映画の終わりまで、この少年は成長する姿を見せることは出来なかったが、10年後にはりっぱな人間になっているだろう。

人を育てるなどという行為は、言葉にするのもおこがましいこと。人間なんて勝手に育っているようにもみえるが、なにかしら基本となる指針を教えてくれる人に出会った人間は、それはそれは素晴らしい人間になって行くのだよ。

『大いなる男たち』(THE UNDEFEATED)

1969年・アメリカ

監督/アンドリュー・V・マクラグレン 出演/ジョン・ウェイン/ロック・ハドソン/トニー・アギラ/ロマン・ガブリエル/ブルース・キャボット

アメリカ南北戦争のまさに終戦時の様子から映画は始まる。3日前に南軍が降伏したことも知らず、無意味な戦いをする模様が映し出され、ただ戦後の話ではないという硬骨なところを見せられる。内乱、内戦の類は今でもアフリカはじめで起こっているが、200年以上前に禊ぎを済ませた国々のみに、今の民主的な雰囲気国家が与えられている。

ジョン・ウェインの軍服姿も違和感はないが、戦争後のカウボーイ姿がやはり相応しい。1本筋の通った、人間の、男の生き様というものをあらためて示してくれる。

何が真に重要で、何が真に求められているのかを判断する基準が素晴らしい。馬3000頭の対価を振ってまでも、人間の尊厳のため、男の友情のために自分を処することが出来るおおいなる男たち。女がそうではないということではなく、この時代の女性は、残念ながら表社会に生きるようになってはいないだけのこと。

『コールガール』(KLUTE)

1971年・アメリカ

監督/アラン・J・パクラ 出演/ジェーン・フォンダ/ドナルド・サザーランド/ロイ・シャイダー/チャールズ・シオッフィ/ドロシー・トリスタン

サスペンス、失踪した同僚を探しにニューヨークに派遣されたクルート(KLUTE・ドナルド・サザーランド)が原題の由来。コールガールなどと言っても、若者には分からない死語になっているのではなかろうか。健全な社会になってしまった日本、PTAや母親の力が強大になり、猥雑な人間社会をも目の敵にしているように見える。

ジェーン・フォンダはこの時33才、この映画と1978年の『帰郷』(Coming Home)で二度のアカデミー賞主演女優賞を受賞している。ノーブラの乳首を晒してコールガールを演じる姿は、さすがアメリカ映画と思わせる。

サスペンスものの小道具には時代を感じる。今ならICテープレコーダーというところだろうが、この時代には磁気テープが重要な役割を担っていた。携帯電話やその他の通信機器も、かなり違う今昔。字幕翻訳で電話番号をわざわざ 213-53xx と伏せ字を使っているのは、何か意図があるのだろうか。どうも日本人の狭い心がこんなところにも現れて、見難い感じがしてならない。間違って電話をかけられると、責任問題とでも思っているのだろうか。

『櫂』

1985年・日本

監督/五社英雄 出演/緒形拳/十朱幸代/名取裕子/石原真理子/真行寺君枝/白都真理/島田正吾/ハナ肇/左とん平/草笛光子

いいですね~。堂々としていて、昔ながらの良き日本映画を観ているような気にさせてくれる。監督の力が大きいのだろう。また役者も粒ぞろいで、見ていて安心感がある。この年になって見るこの手の映画には、若い頃にはなかった別の見え方があるような気がしてならない。そういう意味では、今見ることの意味があるように思う。ようやく分かりかけてきた人生のキビや、男と女の意地というものを映画の中に見る事が出来る。嬉しい。

緒形拳もいいけれど、十朱幸代がいい。永遠に年をとらないような容姿を最近見かけないけれど、元気なのだろうか?島田紳助も端役で出ているけれど、邪魔にならなくて良かった。出演女優が全員役になりきっている。監督なのだろうな~、やっぱり。

土佐弁もなかなか気持ちよく聞こえてくる。昨年のNHK大河ドラマのお陰で、「・・・いかんぜよ。」という言葉が流行ったが、女性が遣う土佐弁が結構色っぽい。高知には42年前くらいに1度行ったっきりだ。高知、土佐中村、足摺岬、見残し、竜串、大堂海岸、宿毛、そして船で別府へと渡った。全行程30日間の四国・九州の一人旅だった。懐かしい。

『魔法にかけられて』(Enchanted)

2007年・アメリカ

監督/ケヴィン・リマ 出演/エイミー・アダムス/パトリック・デンプシー/ジェームズ・マースデン/スーザン・サランドン

いきなりアニメーションが始まり終わりそうになかったので、早回しで先に進んでみたら実写場面が出てきた。よく分からなかったが、元に戻ってアニメーション部分から再鑑賞した。ディズニーのアニメーションから現代のニューヨークへタイムスリップする夢物語。タイムスリップは的確な表現ではないが、ま~そういうこと。

ミュージカルとの紹介があったが、それほどのものではない。要はディズニーの乙女チックなキャラクターが、そのまま現実に現れるのが楽しいような・・・。合成映像も違和感はなく、さすがディズニーだと感心する。

千葉県にある東京ディズニーランドへは、オープンの年から6年連続で行ったことを覚えている。小さな子供を連れていれば、むつけき男どもでも満足するアトラクションが満載。それまでの日本の遊園地には絶対なかった、いつも綺麗な着ぐるみに感心したものだった。園内掃除をもパフォーマンスにしてしまうアメリカの、根っからのエンターテインメントには恐れ入るしかない。

『ブレイブ ワン』(The Brave One)

2007年・アメリカ/オーストラリア

監督/ニール・ジョーダン 出演/ジョディ・フォスター/ナヴィーン・アンドリュース/テレンス・ハワード/メアリー・スティーンバージェン

建国以来銃の所持は合法だとされるアメリカの一端を見せられる。アメリカ政界共和党と民主党の違いのひとつは、銃規制に対する考え方が正反対だ。舞台はニューヨークだが、こんな社会なら銃を持たなければ自分の身を護れない。映画の中でも闇で$1000で主人公が銃を購入している。正規に手に入れるにしても、3万や4万円で可能だというから驚く。それでも死刑論が根強くない国、日本で銃が合法なら殺人犯への復讐に使用されることも多々ありそうな国民性。

ニューヨークには1度しか行っていない。しかも2日間の滞在。街を歩いていて感じたことは、東京と同じだと。建物が大きく高いだけで、都会の街だという印象だけがやけに強い。田舎者にとっては東京もニューヨークも同じようなもの、それ以来行きたいと思ったことはない。むしろロンドンが好きだ。何度行っても楽しい時間がおくれる。新宿歌舞伎町を知っていれば、たいていの街並みを怖いと思うこともない。地下鉄の乗り換えなど日本語表示の東京より、英語表示のロンドンの方がはるかに分かり易い。

映画の結末を見て、いたく同調した。最近では珍しい終わり方に拍手をした。「悪法も法」だと嘯く輩に出会ったことがあるが、人間の真の心を反映しない「法」などくそ食らえ、まずは人間が生きて行くのを支えるのが真の法律であろう。ちょっと飽きさせるところもあるが、心地よい終わり方に満足。

『Q&A』

1990年・アメリカ

監督/シドニー・ルメット 出演/ニック・ノルティ/ティモシー・ハットン/アーマンド・アサンテ/パトリック・オニール/リー・リチャードソン

シドニー・ルメットは、「十二人の怒れる男」の監督。そのほかに、『セルピコ』(1973年 ・Serpico)、『狼たちの午後』(1975年 ・Dog Day Afternoon)、『評決』(1982年・The Verdict)などがある。社会派エンタティメント作家。出始めの面白い雰囲気が堪らないが、ちょっと展開不足で、堂々巡りになってしまっている。うたた寝。

警察機構と司法機関の癒着をサスペンスタッチで描いている。話はなかなか興味あるが、狭い世界にとどまりすぎて、一歩足を踏み出していない内容がちょっと残念。飽きがくる。

まっすぐに生きるべきだと、思っていた。間違っていた。ひとは曲がった木のように生きる。という言葉を思い出す。一人の若き検事の挫折を見事に描写してはいる。そんなものさ人生は!と、おもわず叫びたくなるような結末に、人々は一体何を思うのだろうか。

『極道の妻たち・死んで貰います 』

1999年・日本

監督/関本郁夫 出演/高島礼子/斉藤慶子/三田村邦彦/東ちづる/小松千春/六平直政/白竜/佐川満男/原田大二郎

ヤクザの世界を映画で観るのはなんていうことはないが、現実世界で自分の身の回りに起こったとしたら耐えられないだろう。可愛い顔をしてドスの効いたセリフを吐くのは、なんとも格好良い。今はなき夏目雅子の「なめたらいかんぜよ!」という言い回しが、あまりにも有名で頭にこびりついている。

邦画会社は特徴があり、東映はやっぱりヤクザ映画、松竹は寅さん、東宝はどちらかというと宝塚の雰囲気。石橋を叩いて渡らない東宝商法は、映画業界を衰退させる最大の原因になっているが、相変わらず一人勝ちで他の二社がだらしなさ過ぎる。

映画だけでは食べて行けないギャラでは、テレビのおちゃらけた番組に出たり、映画公開前のキャンペーンになると急にテレビに出まくったりと、役者も生きて行くのは大変そうだ。アメリカと同じとは言わないが、せめてアメリカの役者の10%くらいでもギャラを払ってくれれば、日本の役者も嫌なテレビ番組には出ないで済むだろうに。

『恋におちたシェイクスピア』(Shakespeare in Love)

1998年・アメリカ

監督/ジョン・マッデン 出演/グウィネス・パルトロー/ジョセフ・ファインズ/ジュディ・デンチ/コリン・ファース/ジェフリー・ラッシュ

かなり面白いという記憶の中で観始まった。相変わらず映画が始まっても、全く映像もセリフも記憶の中には甦ってこない。ふとした場面から、あっと唸って朧気ながら記憶を辿るようになってきた。

1度目の感動に似た気分はない。何故か空虚なセリフと役者、そしてストーリーに飽きが来た。不思議な感覚だ。今までに、こういうことはなかった。もっと面白いはずなのだが、と頭を廻らせても同じ雰囲気。

中世のイギリス、女王陛下がお忍びで芝居小屋に足を運ぶことが凄い。日本ならさしずめ天皇陛下が歌舞伎小屋に行くみたいなものか。庶民もかなり貧しく、街も人々の服装なども汚く描かれているのだが、実際もこんな感じだったのだろうかなどと考えながら観ていた。映画で観るヨーロッパ中世の世界は、なんとなく興味を惹かれるシーンがたくさんある。好きな設定だ。

『コットンクラブ』(THE COTTON CLUB)

1984年・アメリカ

監督/フランシス・フォード・コッポラ 出演/リチャード・ギア/ダイアン・レイン/グレゴリー・ハインズ/ニコラス・ケイジ/ロネット・マッキー

1920年代から1930年代にかけてニューヨークハーレム地区に実在した高級ナイトクラブ「コットン・クラブ」を舞台に、華やかなショーやマフィアの覇権争いなどを、実在の人物を交えて描いたフィクション。

マフィアもイタリア系やアイルランド系があり、リチャード・ギアが自身のアイルランド系として登場するのもアメリカ映画ならではのこと。コッポラもこの映画ではアクを出さず、極めて一般的な描写に終始していてだいぶ見易くなっている。地獄の黙示録あたりでは、気が触れんばかりの結末に、自分を忘れてしまったのではなかろうかと思わせられた。

エンド・クレジットの音楽欄には1920年代後半から30年代にかけての年号が所狭しと記されていた。やはり音楽は時代を映すもの、ひとつの音楽が映像よりもさらに時代を表すこともあると感じる。なかなか見応えのある映画。リチャード・ギアは今や田舎のおっさん風だが、さすがにこの映画の頃は若くていい男に映っている。

『トーマス・クラウン・アフェアー』(The Thomas Crown Affair)

1999年・アメリカ

監督/ジョン・マクティアナン 出演/ピアース・ブロスナン/レネ・ルッソ/フェイ・ダナウェイ/デニス・リアリー/ベン・ギャザラ

1968年のスティーブ・マックイーン主演『華麗なる賭け』(The Thomas Crown Affair)のリメイク。なんか気に入らない女優が主演クラスを演じていても、リアリティーに乏しく三流映画の域を脱しないようにみえる。

ピアース・ブロスナンはかなり格好良い男優だし、ヨーロッパでは人気があるが、どうも日本人好みではないらし。最近のアイドルのように、身近にいそうな容姿を持ちながら、ちょっと光っている雰囲気がある人物がもて囃されるのが、日本芸能界の在り方。

だらだらと惰性に任せて映画を観ているだけでも、くっだらないテレビのおちゃらけ番組が極悪なものに見えてくるのがおもしろい。テレビ番組を「一億総白痴化」と揶揄した30年前の諫言が、今も厳然と生きていることに驚く。

『フットルース』(Footloose)

1984年・アメリカ

監督/ハーバート・ロス 出演/ケヴィン・ベーコン/ロリ・シンガー/ジョン・リスゴー/ダイアン・ウィースト/サラ・ジェシカ・パーカー

アメリカ・中西部の田舎町を舞台に、高校生が活躍する青春ドラマ。当時、社会的反響を巻き起こしたこの映画、またリアルタイムで観ることはなかった。ちょうど宣伝部長になった年で、自社の映画もほとんど観ていなかったが、他社作品まで観る余裕もなかった。題名はあまりにも有名で忘れることは出来ない。

自社の作品を観る時は、通関(輸入)前のまだ字幕が入っていない状態の映画を観ることが多かった。英語は分からないが、社長が買ってきた映画を取り急ぎどんなものかと、観なければ商売が始まらないといった感覚でだ。社員全員がそういう気持で、誰もが字幕なしの状態でも早く観ることを優先していた。保税上屋という国内ではない状態の試写室での鑑賞、配給会社社員の特権意識と優越感が交錯していた。

ミュージカルだと思っていた作品がそうではなかった。一種の音楽映画とでも呼べばいいのだろうか、気持ちの良い音楽が全編に響き渡り、いかにも青春を生きているなと感じさせる独特の雰囲気を持っている。映画の為せるワザは多い、社会を扇動するのもそのうちのひとつ。今のように情報が多すぎる時代になって、多数の人間を扇動するのは至難のワザ、一見バラバラのようにみえる若者の気持ちがひとつになるのは、こういう非常事態でしか起こりえないのかもしれない。保守的なものが大嫌いな若者のはずなのに、誰もが同じ服装で就活するこの頃の日本の若者に、コンサバに対する反抗心を求めるのは無理なのだろうか。


2016/9/21 再び観たので記録する

『フットルース』(Footloose)

1984年・アメリカ 監督/ハーバート・ロス

出演/ケヴィン・ベーコン/ロリ・シンガー/ジョン・リスゴー/ダイアン・ウィースト 

マイケル・ジャクソンが初めてムーンウォークを披露したのは、1983年5月のモータウン25周年コンサート(Motown 25: Yesterday, Today, Forever)での、ビリー・ジーンの間奏においてである。この映画の中で高校生がムーンウォークのような踊りを披露していたので気になった。この映画は1984年2月アメリカ公開だから、製作時にマイケルのパフォーマンスを取り入れたのかは微妙な感じだ。

アメリカ中西部の小さな田舎町ボーモントでは、ダンスもロックも禁止されていた。30年以上前になる映画だが、広いアメリカではこんな時代にもそんなことで若者を規制する街があることに驚く。現実ではないとしても、物語として映画のストーリーになるところがアメリカらしい。

こういう音楽映画はリアルタイムで観ないといけない。時代を映す音楽を聴き熱狂するためには、その嵐の中にいてこその人生だろう。日本でだって、懐メロを主題歌にした映画を今更熱い気持ちで見つめることは出来ない。ちょうど宣伝部長になった時期に公開されていた。大ヒットしたことは覚えているが、無料だろうと劇場で観た記憶は勿論ない。惜しい。

『テロリスト・ゲーム2/危険な標的』(NIGHT WATCH)

1995年・アメリカ/イギリス

監督/ヴィッド・ジャクソン 出演/ピアース・ブロスナン/アレクサンドラ・ポール/ウィリアム・ディヴェイン/マイケル・J・シャノン

ピアース・ブロスナンは、007 ゴールデンアイ(GoldenEye・1995年)、007 トゥモロー・ネバー・ダイ(Tomorrow Never Dies・1997年)、007 ワールド・イズ・ノット・イナフ(The World is Not Enough・1999年)、007 ダイ・アナザー・デイ(Die Another Day・2002年)のジェームズ・ボンド役で主演。彼は、ジェームズ・ボンドを演じ続けることでイメージが固定してしまうことを避け、ボンド役を引き受けたときに『007』シリーズに出る合間に他の映画にも出演する許可を得、『007』シリーズ以外のいろいろな映画に参加している。

もともとこの2年前に最初の『テロリスト・ゲーム』にも出ているので、丁度良かったのかもしれない。それにしても、『007』とは比べようがないほどお粗末なストーリーと映像で、本人はこんなもので満足していたのだろうか。

ジェームズ・ボンドといえばショーン・コネリーとオールド・ファンの間では相場が決まっている。ピアース・ブロスナンの恐れも正しいと思えるほど、役者の固定化は何十年もイメージが続く。スーパーマンのクリストファー・リーブは結局空を飛ぶ役者から脱却することが出来ず、事故ではあったが若い命を落とす結末となってしまった。

『国際諜報員ハリー・パーマー/三重取引』(MIDNIGHT IN ST. PETERSBURG)

1994年・アメリカ

監督/ダグ・ジャクソン 出演/マイケル・ケイン/ジェイソン・コネリー/マイケル・サラザン/ユーリ・ペトロフ

レン・デイトンの原作を基に、60年代スパイ映画ブームの一翼を担った「国際諜報局」、「パーマーの危機脱出」、「10億ドルの頭脳」の“ハリー・パーマー”シリーズ、実に30年ぶりの続編、「国際諜報員ハリー・パーマー/Wスパイ」に続く復活版第2弾。テレビ映画のようなお手軽、お粗末なストーリー。

1990年代にこんな陳腐な映画がアメリカで制作されていたなんて、ちょっと信じられないくらいの出来の悪さだ。

マイケル・ケインの顔を見ると好きか嫌いか、どっちかしかないだろうと思わせる。この癖のある顔は嫌いでも名前は覚えてしまう。人生の中にも、そんなどうしても忘れられないような気になる人間が、一人や二人はいようというもの。思い出したくないのに出てくるのがそんな人間。嫌じゃ嫌じゃ。

『タップス』(TAPS)

1981年・アメリカ

監督/ハロルド・ベッカー 出演/ジョージ・C・スコット/ティモシー・ハットン/トム・クルーズ/ショーン・ペン/ロニー・コックス

『エンドレス・ラブ』(1981年・フランコ・ゼフィレッリ監督・ブルック・シールズ主演)の端役で出演したトム・クルーズが同じ年の公開作品であるこの映画に出ている。まだ20才前のちょっとぽっちゃりした体型が印象的だが、その後の活躍を彷彿とさせる目立ち方もしている。もう彼も今年49才になる。

陸軍幼年学校という日本では考えられない学校での話。結末はどうなるのだろうかというのが、物語途中からの最大の興味事項となった。ただひたすらにストーリーに任せて見られる映画と、この映画のように最後はどうなるのと、そればかりがやけに気になる映画がある。

人生だって終わる時が分かっていれば、こんな簡単なことはない。もしそうなら、ストレスを抱え込むことなくピュアな精神で毎日がおくれそうな気がする。人それぞれだろうから、死ぬ時が分かっていたら、かえってストレスになる人もいるのかもしれない。短い人生、おおいに自由に振る舞えるのがいちばん。

『トロイ』(TROY)

2004年・アメリカ

監督/ウォルフガング・ペーターゼン 出演/ブラッド・ピット/エリック・バナ/オーランド・ブルーム/ダイアン・クルーガー/ショーン・ビーン

監督を務めたウォルフガング・ペーターゼンは、ホメロスの『イリアス』からインスピレーションを受けた、としている。しかし、この作品は、トロイ戦争の伝承と様々な点で異なる事が指摘されることが多く、批判の対象となった。映画自体が完全なフィクションでありながら、元ネタがあまりに有名であるがゆえに、神話でも歴史でもないというこの映画のスタンスは、視聴者ならびに評論家からはあまり理解されず、受け入れられなかったので、批判が後を絶たなかった。 しかしながら、トロイ戦争もイリアスもただのモチーフに過ぎないので、神話上の設定やイリアスとの違いならびに映画の内容を論じて批判するのは的外れな批評であり、登場人物の役回りや設定の変更は、オリジナル映画としては当然であるという肯定的な意見も少なくなかった。このため、作品内容の評価が賛否両論を呼んだにもかかわらず、豪華スター共演で興行的には大成功するという結果となった。(Wikipediaより)

こういう論調は映画に向けられる大きな特徴。『地獄の黙示録』(Apocalypse Now・1979年・日本ヘラルド映画配給)の時の評が印象に残っている。映画の内容がベトナム戦争を正しく描いていないとする否定的な批評だ。その時に強く感じたこと、もし事実をただそのままに伝えるための映画なら、ドキュメンタリーという手法を使えばいいこと、映画とは所詮は映画であり事実に基づいていたとしても、そのままのことを再現するのではなく表現するのが映画だと。

ブラッド・ピットの大ヒット作品にはほとんどお目にかかれない。自分の容姿で映画作りに参加しているのではなく、映画の内容で加わっているのだと本人が思っているのかどうかは分からないが、今までの出演作品を見てみると、そんな感じにさせられる。映画スターという華やかな世界にいる人達の方が、一家言を持って人生を全うしている人が多い。ちゃらちゃらしていないアメリカ映画界のスター達は、心から輝いている。

『男はつらいよ 純情篇』

1971年・日本

監督/山田洋次 出演/渥美清/倍賞千恵子/森川信/三崎千恵子/前田吟/太宰久雄/笠智衆/森繁久彌/宮本信子/若尾文子

シリーズ6作目。

役者がみな若い、当然か。ちょうど40年前の作品。

この頃には間違ってもこのシリーズ作品を見たいとも思わなかったし、偶然に観ることもなかった。それが今では、愉しんでみられるようになった。成長したのか、退歩したのか、何も変わっていないのか、人生はまか不思議に動いている。

『ファニー・ガール』(FUNNY GIRL)

1968年・アメリカ

監督/ウィリアム・ワイラー 出演/バーブラ・ストライサンド/オマー・シャリフ/ウォルター・ピジョン/アン・フランシス/ケイ・メドフォード

リアルタイムで観ていたなら大学3年の時か~。映画好きな連中なら、公開当時間違いなく小躍りして観ていただろう。初めて観る名作と呼ばれる映画に感慨深い。自分にとっては学生時代ではなく、今初めて観たことがかえって良かった気がする。

負け惜しみではなく、学生時代だったらこの映画の良さをたぶん分からなかったろう。歌にのせたセリフの意味を、充分に理解出来なかっただろう。もしかすると反対に、こういう映画を見ていれば、自分の歩む道が違っていたかもしれない。そんな風に思える映画だ。

人生とは不思議なものだ。愛するということも不思議なものだ。この映画の主人公のように、波瀾万丈の心の葛藤や実生活の中で、何が良くて何が悪いのかという結論はない。あるのは、愛に満ち溢れた人生を送れるかどうかという、究極の心の在り方だろう。

『トウキョウソナタ』(Tokyo Sonata)

2008年・日本/オランダ/香港

監督/黒沢清 出演/香川照之/小泉今日子/役所広司/小柳友/井之脇海/井川遥/児嶋一哉/津田寛治

小泉今日子と香川照之の組み合わせが面白い。役所広司はどの映画に出てきても、同じ格好と同じ顔では詰まらない。監督の力を感じる作品。

新しくなったNHK-BS番組で、山田洋次が選ぶ日本映画「家族」をテーマにした映画の1本として放映された。話は面白い。如何せん、やはり日本的な映画の間の長さにちょっと飽きがくる。決して飽きさせる物語ではないので、この「間」という奴を、もうちょっと詰めてくれれば、確固たる優秀映画になったのに。

「生徒諸君!」(1984年・日本ヘラルド映画配給)で出会った小泉今日子も、もうお母さん役をやる年頃になってしまった。こちらが歳をとるのは致し方ないこと。あの時に一言でも声を掛けておけば良かったと、後悔するのは遅すぎるか。せっかく小さな机に向かい合って昼弁を食べた仲なのに!?

『スルース』(SLEUTH)

2007年・アメリカ

監督/ケネス・ブラナー 出演/マイケル・ケイン/ジュード・ロウ

1972年ローレンス・オリヴィエとマイケル・ケインが演じた。マイケル・ケインは2人しかいない登場人物のうち、今度は反対役を演じている。歌舞伎役者が代々継がれて成長して行くような、そんな雰囲気を感じさせる配役となっている。また35年後くらいに今度はジュード・ロウが反対役者になり、当世人気実力役者と共演するかもしれない。

2人による物語は当然舞台でも演じられている。が、こういう映画を好まない。どうも役者のセリフが舞台っぽくて、いわゆるリ・アクションではなくアクション演技になってしまうきらいがある。それでなくとも、舞台はどうも苦手なので、2人しか出ないような映画は好きくなれない。[sleuth]:[名]探偵(たんてい), 刑事:[動](他)(自)(…を)追跡する;(…を)探偵[調査]する

それでも、見るべきところは満載。今回のように初めて観るなら、非常に興味を持って見られる。ネタがばれてしまうと面白くないので、次回見る時はたぶんかなりの時間をおかなければならないだろう。テロップに地震速報が必ず入ってくるこの時期の録画は、心まで揺れてしまう錯覚に陥る。

『うた魂♪』(うたたま)

2007年・日本

監督/田中誠 出演/夏帆/ゴリ/石黒英雄/徳永えり/亜希子/薬師丸ひろ子

誰が言い出して、誰が創ろうと賛成して製作されるのかが分からない日本映画。興行したってどう考えても成立しないような映画が、後から後から制作されてくる。不思議な現象にただ驚く。

この頃見た日本映画の中では、まだずーっとましなほう。おちゃらけ方が下手なだけで、映画全体を流れる精神には、おちゃらけは見られない。ただ、やはり出演者の質が問われるかもしれない。

音楽とは不思議な世界だ。これだけ世界中で音楽が作られているのに、次に次にオリジナリティー溢れる楽曲が現れる。人間の才能は凄い。今度生まれ変わったら、是非音楽関係者になりたいなと昔から思っている。

『その男ゾルバ』(ZORBA THE GREEK)

1964年・アメリカ/イギリス/ギリシャ

監督/マイケル・カコヤニス 出演/アンソニー・クイン/アラン・ベイツ/イレーネ・パパス/リラ・ケドロヴァ

この著名な映画を初めて観る恥ずかしさ。こんな映画だったのかという印象が強く、リアルタイムで観たらもっとがっかりしていたかもしれない。どうもこの手の映画は難解すぎる。何が言いたいのかと言うのではなく、心に感じるところがないのだ。

案の定深い眠りについてしまったので、再鑑賞となったが、他の映画もそうだがギリシャ、イラン、トルコといった風土に根ざす映画の性根が響いてこない。ということは、所詮はアメリカ文化に毒されてしまった身体なのだろう。

「ボスにはひとつ足りないものがある。」「それは愚かさだ。」「愚かさがなければ自由にはなれない。」言葉は響く。失敗したって次があるじゃない。目の前の楽しみを何で享受しないんだ、と言われて気付くことがある。

『ラスト・ショー』(THE LAST PICTURE SHOW)

1971年・アメリカ

監督/ピーター・ボグダノヴィッチ 出演/ティモシー・ボトムズ/ジェフ・ブリッジス/ベン・ジョンソン/エレン・バースティン

ヘラルドが配給した名作「ジョニーは戦場へ行った」(1971年・JOHNNY GOT HIS GUN)のティモシー・ボトムズが主演している。この「ジョニー・・・」は強烈な映画だった。今でも思い出すたびに、戦争とはなんぞやといつも問いかけられている。

1951年頃のテキサス州の小さな町に起こる青春の出来事。この頃のアメリカの高校生が、まだまだ処女とか童貞ということを話題にしていて、アメリカにもこんな時代があったんだと、なんかほっとさせられる。

話は60年前、映画は40年前だ。小さな地球の人間生活なんぞ、宇宙の塵にもなりはしない。空しさだけが流れて行く、毎日の生活が恨めしい。


2017年9月11日に再び観たので記す。

『ラスト・ショー』(The Last Picture Show)

1971年・アメリカ 監督/ピーター・ボグダノヴィッチ

出演/ティモシー・ボトムズ/ジェフ・ブリッジス/シビル・シェパード/ベン・ジョンソン

やっぱり、と思った。観ていて、つまらないこの映画が、おそらくはプロの映画評論家達から絶賛されているのではなかろうか、と思えたことが当たったからだ。第44回アカデミー賞にて作品賞、監督賞、助演男優賞(ベン・ジョンソン、ジェフ・ブリッジス)、助演女優賞(エレン・バースティン、クロリス・リーチマン)、脚色賞、撮影賞にノミネートされ、ベン・ジョンソンが助演男優賞、クロリス・リーチマンが助演女優賞を受賞した。というから、ふ~む!?%$#

面白くないものは、おもしろくない。テキサス州の片田舎に住む青春群像を鋭く切りとって、などという表現も使われるんだろうな~、と自虐的になっていた。おそらく映画的には飽きさせないかと思えるが、ストーリーはつまらない。もう2000本以上をこの7年間に観ているのに、まったく映画を表する力量が蓄積されない。

おもしろいか、おもしろくないかだけが映画の基準。私の場合はそれで充分だ。この映画の題名がそもそも不思議だった。映画を観ればあるシーンからとった言葉だと分かるが、それが全体のストーリーと関係あるの?、と腑に落ちないで観ているのも苦しかった。高校生最後の年、男と女、とアメリカ映画の定番筋書きが。倫理観の時代性だけが、いつもこちらを驚かせてくれる。

『アウト・オブ・サイト』(OUT OF SIGHT)

1998年・アメリカ

監督/スティーヴン・ソダーバーグ 出演/ジョージ・クルーニー/ジェニファー・ロペス/ヴィング・レイムス/アルバート・ブルックス

この映画を評して面白いと絶賛していたサイトを見つけて、なんとま~と驚いた。何処が面白いの!信じられない。映画の見方は人様々だといつも言っているが、私には面白さが全く分からない。

面白くなくても日本映画のように早回しする気にならないのが、さすがアメリカ映画。テンポが遅すぎるわけではなく、ただ話が詰まらないだけなのだ。ジョージ・クルーニーやジェニファー・ロペスは見ているだけで、見惚れてしまう役者なので、それだけでも充分かもしれない。

銀行強盗、脱獄、その繰り返しといった題材はアメリカ映画の好むところ。何故か西部劇から銀行強盗を映画にするのはアメリカ的なのかもしれない。日本映画では日常生活を描いた映画が圧倒的に多いが、平和好きな国民性がこんな世界にも象徴されているのかな~。


2018年12月12日、再び観たので記す。

『アウト・オブ・サイト』(Out of Sight )

1998年・アメリカ 監督/スティーブン・ソダーバーグ

出演/ジョージ・クルーニー/ジェニファー・ロペス/ドン・チードル/ヴィング・レイムス

スティーブン・ソダーバーグ監督の処女作『セックスと嘘とビデオテープ』(セックスとうそとビデオテープ、Sex, Lies, and Videotape)は、1989年に日本ヘラルド映画が配給した作品だ。ちょうどヘラルドを辞めた年だったのでこの作品を観ていない。在籍したとしても、たぶんリアルタイムでは観ていないだろう。

軽いクライムアクション映画。ジョージ・クルーニーがいい男ぶって知能犯的銀行強盗を繰り返し、何度も投獄されては出てくる。FBIの切れ者女性はちょっと変な奴に惚れる癖がある。そのあたりの普通の人間では満足がいかないのだろう。それはそうだ、考えられる行動をする人間なんて、異質の才能人には所詮は塵みたいにしか見えないのだから。

今、日産自動車のゴーン会長が投獄されている。なにかと日本の司法手続きだったり、刑務所情報が外国から批判されたりする。でもそれは仕方のないこと。郷に入ったら郷に従えの典型例で、食事だって日本調達の食材で供されるのは当たり前のこと。拘束期間云々もあるけれど、きちんとデータを示して批判しなければ、単なる烏合野合の遠吠えにしか聞こえない。

『ドロップ』

2009年・日本

監督/品川ヒロシ 出演/成宮寛貴/水嶋ヒロ/本仮屋ユイカ/上地雄輔/中越典子/波岡一喜/若月徹/綾部祐二

くだらない。

なんというひどさ。

さいあく。

『築地魚河岸三代目』

2008年・日本

監督/松原信吾 出演/大沢たかお/田中麗奈/伊原剛志/柄本明/大杉漣/森口瑤子/伊東四朗

寅さん、釣り馬鹿、の次にシリーズ化されそうな雰囲気を持つ映画。大沢たかおを注目しているが、順調に成長しているようにみえる。

田中麗奈はちょっと鼻につく女優だが、この映画ではしおらしく少しばかりステップアップしたように感じる。

ヘラルドは新橋にある会社だったが、築地まで昼飯に行くことはなかった。ちょっと後悔している。今となっては、なんともはやどうにもならない名古屋食に毒されているので、もう少し江戸前のすし飯を味わっておけば良かった。

『純喫茶磯辺 』

2008年・日本

監督/吉田恵輔 出演/宮迫博之/仲里依紗/麻生久美子/ダンカン/和田聰宏/斉藤洋介/ミッキー・カーチス/近藤春菜/濱田マリ

くだらない。

おもしろくない。

さいあく。

『オール・ザ・キングスメン』(ALL THE KING'S MEN)

2006年・アメリカ

監督/ 出演/ショーン・ペン/ジュード・ロウ/ケイト・ウィンスレット/アンソニー・ホプキンス/ジェームズ・ガンドルフィーニ

ピュリッツアー賞に輝く小説を映画化、理想に燃えた政治家が変貌してゆく姿を描く実話を基にする。人間のあらゆる価値観の本性を描き、ピュリッツアー賞に輝いた実話小説を豪華俳優で映画化。上流階級出身の新聞記者と、理想に燃える政治家の友情を軸に、金、出世、名誉、愛が交錯する人間模様を描く。(ぴあ映画生活より)

骨太な映画だ。社会派に分類される映画だが、別にそんな風に分類しなくてもいいと思う。どうも頭の良い人達は、すぐに分析したり、分類したりと忙しい人間生活を送っている。社会派などと言うと、それだけでこの映画を見たくなくなる人がいようというもの。理屈や屁理屈ではなく、映画は見てなんぼの世界、機会があったら是非観て欲しい。

なんとも虚しい神の存在、ということが映画の中でも語られる。政治の世界も男と女の世界も魑魅魍魎、何でもありの世界。こうやって幾度も同じような世界を見せられても、そこから一歩も飛び出せない、臆病もの達の棲む世界が目の前にある。


2014/10/15 再び観たときの記録

『オール・ザ・キングスメン』(All The King's Men)

1949年・アメリカ 監督/ロバート・ロッセン

出演/ブロデリック・クロフォード/ジョン・アイアランド/ジョーン・ドルー/アン・シーモア:ルーシー/ジョン・デレク

ロバート・ペン・ウォーレンの小説『すべて王の臣』(原題: All The King's Men はハンプティ・ダンプティの詩の一部に由来。「王様の家来みんな」。)の映画化で、野心家の地方政治家が権力欲の虜となって自滅していく様を描く硬派のドラマ作品。好きな映画だと分かっていたが、結末を覚えていない。途中も、こんなんだっけと訝る。

この作品の監督自身の話が興味深い。Wikipediaより ~ 2作目であるこの作品は批評的・興行的に成功し、第21回アカデミー賞で本命視される。授賞式直前に、彼が共産党員であった過去が下院非米活動委員会への召喚によって明らかとなり、ロッセン自身は監督賞や脚本賞を逃す。同作は作品賞・主演男優賞・助演女優賞を得て辛勝したが、これ以後ロッセンは自由な映画作りが不可能になる。1951年(昭和26年)の非米活動委員会で証言を拒否し、一旦映画界を追放された。苦悩の末に転向し、1953年(昭和28年)の委員会では多数の党員の名を証言して以後、ニューヨークやヨーロッパ、中南米を映画作りの拠点として、二度とハリウッドには戻らなかった。彼が往時の勢いを今一度見せた作品が、1961年(昭和36年)の『ハスラー』である。ポール・ニューマンやジャッキー・グリーソン、ジョージ・C・スコットといった強面の俳優陣を配した男のドラマで本領を発揮したロッセンは、再びアカデミー賞の作品・監督・脚色賞にノミネートされた。1966年(昭和41年)2月18日、ニューヨークで死去した。満57歳没。映画における貢献に対し、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム(6841 Hollywood Blvd.)にその名を刻む。生涯の監督作は10本である。

田中角栄はこの映画を見て勇気を出したのではなかろうか。政治家の言うこと、やることを巧みに描いて、現実以上の裏世界を映像化している。おもしろいけど、なぜか哀しい。

『グッドナイト&グッドラック』(GOOD NIGHT, And GOOD LUCK)

2005年・アメリカ

監督/ジョージ・クルーニー 出演/デヴィッド・ストラザーン/ジョージ・クルーニー/パトリシア・クラークソン/ロバート・ダウニー・Jr 

“放送の良心”としてアメリカ国民に愛された、エド・マローの生き様を描いた本格社会派ドラマ。“マッカーシー”批判と呼ばれる歴史的事件を背景に、時の権力者に立ち向かった男たちの真実の物語。エド・マロー役には『L.A.コンフィデンシャル』のデヴィッド・ストラザーンがふんし、その相棒役には本作が監督2作目でもあるジョージ・クルーニーが務める。マッカーシーを含む当時の映像を実際に使うために、全編を白黒で撮影したことで、作品に重厚感と臨場感が加わっている。(allcinemaより)

めちゃめちゃ面白い映画で、二度目も厭わず、喜んでの鑑賞となった。映画の内容もそうだが、こういう映画を作るアメリカが凄い。マスゴミ(塵)といつも貶している日本の関係者を、あらためて誹謗中傷したくなる内容だ。どう考えたって日本の偽物ジャーナリズムが悲惨だ。この映画を見たら、何がジャーナリズムかの一端が見られる。内容でいけば、もう1950年代に堕落したテレビ番組を責めているのだから、本当に凄い。

現在の菅政権に対する記者会見を見ても分かる。どれだけ薄っぺらな質問をして満足しているのか。論点の中身を抉らず、表面的な質問だけで終わってしまう記者会見など、くそ食らえだ。間違いなく50年、いや100年は遅れている日本のジャーナリズムが本当になる時が来るのだろうか。

『JUNO/ジュノ』

2007年・アメリカ

監督/ジェイソン・ライトマン 出演/エレン・ペイジ/マイケル・セラ/ジェニファー・ガーナー/ジェイソン・ベイトマン/アリソン・ジャネイ

16歳の少女ジュノが高校生で妊娠をし、出産して行く家庭での物語。アメリカらしい題材。日本映画ではとても、とても、こんな風に面白おかしく、そして真剣に人生を語ることは出来ない。

アメリカの社会には、いろいろな援護システムが整っているんだと実感させられる。人間は間違いを起こすものという前提に立った社会の認識が凄い。完璧でなければとシステムを作るまではよいが、ミステイクが起こった時のことを充分に考慮しないのが日本人のシステム。

だから原発事故で想定外などと言う言葉が出てくるのだ。何が起こってもバックアップしなければならないシステムであるが故に、何重にも防御態勢を整えなければならない。それでも不充分なこともあるだろうが、せめて幾重にも張り巡らされたシステム構築が見たかった。

『主人公は僕だった』(Stranger Than Fiction)

2006年・アメリカ

監督/ウィル・フェレル 出演/ウィル・フェレル/マギー・ギレンホール/ダスティン・ホフマン/クイーン・ラティファ/エマ・トンプソン

この題材で日本映画を作ったら、おそらくどうしようもない映画になっていたであろう。このような際どい物語を成立させてしまうアメリカ映画は素晴らしい。

しばらくしてからダスティン・ホフマンが登場し、急に映画が締まってきた。さすがと言うほかない。テレビ画面から恐怖が降ってきたり、本の中から悪魔が出たりするシーンを描いた時の日本映画は、本当に幼稚すぎる。それにひきかえ・・・。

自分の人生のほんのちょっと先でも見えていれば、人生は飛躍的に変化するであろう。1分先ですら何が起こるか分からないからこそ、人生は不思議に満ちた世界なのだ。それでいいのだ。

『バッテリー』

2007年・日本

監督/滝田洋二郎 出演/林遣都/蓮佛美沙子/天海祐希/岸谷五朗/菅原文太/萩原聖人/上原美佐/太賀/山田辰夫/岸部一徳

ちばあきおの野球漫画「キャプテン」や「プレイボール」の映画化を見るような感じがした。役者はしっかりと野球が出来る人達だったので、嘘っぽくなくて見ていて安心感があった。

下手な役者がスポーツものを演じると、どうみたって違うよな~という雰囲気になり、映画そのものが壊れてしまう。その点、この映画は見ていて気持ちいい。漫画から抜け出てきたように演じる役者に拍手したい。

ちばてつやプロダクションとヘラルドの草野球試合が一度あった。「あしたのジョー」を配給した関係で野球をやろうという話になったが、結果はヘラルドの惨敗。野球は9人揃わないとチームが出来ないのが難点。それでもまだその当時は野球の出来る人が多かった。最近ではキャッチボールも、ろくすっぽ出来ない人がいるらしい。趣味の多様化とは言いながら、野球もサッカーも、どちらもそこそこ出来る子ども達であって欲しい。


2014/8/10 再び観た感想

うっすらと見た記憶があった。野球映画だとはすぐ分かるが、この題名を見ると何故か野球漫画『キャプテン』を思い出す。数少ない単行本のライブラリーのひとつだった。『あしたのジョー』ちばてつやの弟ちばあきおが作者で、会ったこともあるし草野球も一緒にやったこともあり、41歳で亡くなってしまったので印象深い。

『キャプテン』は、それまで主流だった、いわゆる熱血野球漫画と違い、より現実的で欠点も持ち合わせた等身大のキャラクターが、仲間と一緒に努力して成長していく過程をみせていくタイプのスポーツ漫画を作り上げ、成功した。そんなところが好きだったのだろうか。

さてこの映画は・・・・。主演の二人バッテリーがきちんと野球をやっていた役者だったので、安心感はあった。よくこういうスポーツ映画やドラマで、明らかに下手くそなパフォーマンスをする役者がいて、ドラマにもならないことが多い。ふたりとも役者を続けているようだが、まだブレイクしてはいないようだ。

『インヴィンシブル/栄光へのタッチダウン』(Invincible)

2006年・アメリカ

監督/エリクソン・コア 出演/マーク・ウォールバーグ/グレッグ・キニア/エリザベス・バンクス/ケヴィン・コンウェイ/マイケル・リスポリ

30歳でアメフトNFLの入団テストに挑戦し、その夢を掴んだ実在のプロ・フットボール選手ヴィンス・パパーリのサクセス・ストーリーを描いたスポーツ・ドラマ。と、書いてしまえば簡単すぎるが、スポーツ選手の成功物語は見ていて気持ちいい。

2011年1月の調査によると、1位:アメリカンフットボール(43%)、2位:野球(17%)、3位:バスケットボール(10%)、4位:モータースポーツ(7%)、5位:アイスホッケー(5%)、これがアメリカでの人気スポーツ・ランキングだ。

都市に根付いたファンが凄い。年間指定席をとって、応援し、また試合をネタにして飲む酒は格別なのだろう。この映画は、フィラデルフィア・イーグルスというNFLでの話。そういえば、フィラデルフィアへは9.11同時多発テロのお陰で行き損なったことが悔やまれる。

『クワイエットルームにようこそ』

2007年・日本

監督/松尾スズキ 出演/内田有紀/宮藤官九郎/蒼井優/大竹しのぶ/妻夫木聡/塚本晋也/庵野秀明/高橋真唯/平田満

内田有紀は好きだけれど、とうとう大成しないままにここまで来てしまった。役者は死ぬまで現役なので、これからの活躍を期待したい。

5分もしないうちに5倍速鑑賞となってしまった。大竹しのぶや妻夫木聡の登場シーンを見ることなく終了。かったるい。

4年前に入院したことを思い出した。今の病院は天国。匂いもしないし、空調も完璧、ただ寝て起きて、飯を食ってまた寝る、ということの繰り返しに飽きがくることはなかった。元来の怠惰性が分かる。


2017年2月16日に再び観たので記す。既に観たことすら忘れていた。

『クワイエットルームにようこそ』

2007年(平成19年)・日本 監督/松尾スズキ

出演/内田有紀/宮藤官九郎/蒼井優/りょう/妻夫木聡/大竹しのぶ

格好良いのは題名だけ、ここまでくっだらない映画は久しぶりという感触。どれだけ才能があると評価されているか知らないが、宮藤官九郎は虫歯のような歯並びの悪い口元が酷過ぎて、役者としての映像には見るに耐えない。現実感のある歯並びだなどと、まさか言われているわけではないだろう。

一応、つけっぱなしにして映画映像を流していたが、最初の5分間で諦めたので、見る気もそぞろ、妻夫木聡の登場すら認知出来なかった。しかも1時間58分もあったらしい。好きな女優である内田有紀は、こんな映画に出ちゃいけない。結婚、離婚をしてどんどんオーラが薄れていくのが気になるが、顔立ちはめっちゃ好きなんだよね。

こんな映画を撮るくらいなら、内田有紀の1日に密着して16時間あまりを1時間30分にまとめた方が、はるかに気分が良くなること請け合い。どういう神経を持っていたらこんな映画が出来るのだろうか。原作の小説は芥川賞候補作品になったらしいから、それなり以上の完成度を持っていたに違いない。それを映像化するのには、やはりそれなり以上の才能がなければ、観客からブーインが出るのは必至、まったく個人的な感想なれどおおむねそう思っている人が多いと思うのだが。

『逃走迷路』(SABOTEUR)

1942年・アメリカ

監督/アルフレッド・ヒッチコック 出演/ロバート・カミングス/プリシラ・レイン/ノーマン・ロイド/オットー・クルーガー/アラン・バクスター

原題の意味は、「破壊[妨害]行為をする人」のこと。冒頭から目を離せないのがヒッチコックの映画。白黒画面であることを忘れさせられるほど、ストーリーに引き込まれて行く。こういう映画が70年前に作られていたことに驚く。

50年にもわたり映画を作り続けてきた人と比べようもないが、日本の映画監督も少し考えて欲しいものだ。このところ、くっだらない日本映画ばかり見せつけられて不愉快感で一杯だったが、ようやくほっとしたところ。

映画のクレジットに自分の名前が登場するとしたら、こういう作品で是非と思う。今の日本映画なら恥ずかしさしかない。

『王手』

1991年・日本

監督/阪本順治 出演/赤井英和/加藤昌也/広田玲央名/仁藤優子/金子信雄/若山富三郎

漫画チックな映画が好きな人なら、喜んでみられるかもしれない。

役者が下手で、セリフを聞いていても落ち着かない。

映画っていろいろな種類があり得るな、という感想。

『グッドモーニング, ベトナム』(Good Morning, Vietnam)

1987年・アメリカ

監督/バリー・レヴィンソン 出演/ロビン・ウィリアムズ/フォレスト・ウィテカー/ドゥング・タン・トラン/チンタラー・スカパット

日本公開は1988年、ちょうど40才の時だった。劇場で観たのかどうかは覚えていないが、好きな映画として記憶に留めたことは間違いない。「好きな映画は?」と問われた時に、このタイトルを答えることもある。それでも、内容をしっかり覚えていないのは、いつも通り。

テンション高く始まる映画は、何の飽きも感じさせずに、ずんずんと進んで行く。ロビン・ウィリアムズでなければ、誰が演じるのだろうかと思わせる適役に、唸るしかない。アメリカ映画ならではの映画。こういう映画を日本映画でも製作出来ないだろうかと思う。もし出来るのであれば、自分も製作に関与したいものだ。

ベトナム戦争を真正面から見るのではなく、側面的に解析してみせるこの映画は素晴らしい。戦争とはいったい何なのだろうかと、永遠の問いには誰も答えるすべもない。

『ヒトラーの贋札』(Die Falscher)

2007年・ドイツ/オーストリア

監督/シュテファン・ルツォヴィツキー 出演/カール・マルコヴィックス/アウグスト・ディール/デーフィト・シュトリーゾフ

ベルンハルト作戦と呼ばれた、ドイツによるポンド紙幣贋造の秘密作戦に基づき作られた映画。通貨贋造事件としては史上最大規模であるという。関わったユダヤ人の強制収用状況もストーリーの一部。生き抜くための行為は、誇りと尊厳をどこまで捨てなければならないのか、という人間の根本原理をも提示している。

おもしろい。カツラを被った人が記者会見で安全を謳っても、どうよ、偽物をまず取り除いてからにしなさいよ、と言いたくなる。原子力安全・保安委が毎日のようにしている、記者会見の担当者の姿。そんな詰まらないことを、映画を観ながら気になってしまった。

ドイツ・オーストリアは行ったことがない。たぶんこれからも行くことはないだろう。ヘラルド時代の後悔ごとで、もっと映画祭に行っておけば良かったこと。カンヌ映画祭・アメリカン・フィルム・マーケットは何度か行った。ベルリン・ベネチア映画祭へは行かなかった。ベネチアはその後遊びで訪れて、もっと早く来ていればと後悔したものだ。ウィーンの街並みを歩いてみたいと、いろいろな映画を見ながら思っている。

『ぼくたちと駐在さんの700日戦争』

2008年・日本

監督/塚本連平 出演/市原隼人/佐々木蔵之介/麻生久美子/石田卓也/賀来賢人/小柳友/竹中直人/倉科カナ/石野真子

開始以来、驚異的なアクセス数を誇る人気ブログ小説を映画化だということが、後で分かった。ながら族よろしく画面をも見ないで、声だけを聞きながらのいい加減な鑑賞をした。だいぶ中抜きになったと思うが、最後の頃だけはしっかり見た。それで充分だった。

テレビ連続ドラマにしていれば、その方が評価が高かったのではなかろうか。映画の大きなスクリーンで見るような話ではない。竹中直人が出てくると、こんな詰まらない映画がさらに詰まらない雰囲気で溢れる。

お巡りさんは特殊な職業。中学時代の同級生がひとり、警視庁公安に勤務していた。さすがに公安だと思ったのは、偶然に電車で出会ってもらった名刺に電話しても、決して繋いでもらえなかったこと。本人は電話していいよと言っていたのだが。

『夜のピクニック』

2006年・日本

監督/長澤雅彦 出演/多部未華子/石田卓也/西原亜希/貫地谷しほり/松田まどか/柄本佑/加藤ローサ/嶋田久作/南果歩

水戸一高出身の著者、恩田陸の小説の映画化。母校の名物行事「歩く会」をモデルにする青春物語。80kmを一昼夜かけて歩く間の若者達を描く。撮影も地元を中心にしている。

我が母校土浦一高の全校行事はマラソンだった。隣駅までを往復する確か10km以上の距離だったと思う。長距離はどうも苦手で、1000人中800番くらいだった記憶があるが、たぶんそんなものだったろう。体育の授業に陸上10種競技があって、競技ごとに100点満点の記録点があった。運動神経だけは確かなものだったので、800点以上をとって自己満足していた。ただ、やはり長距離は苦手で、今の心臓病ももしかすると、起源は元々のそういう体質にあるかもしれない。

エンド・クレジットにヘラルドの後輩社員がいた。ヘラルドの後ギャガに移ったことは聞いていたが、そこも辞めて映画製作に携わっているのだろう。話は面白いが映画作りの力量不足、だらだらと2時間を費やすのは残念ながら飽きをもたらす。当事者になると、障害が多すぎて思ったような映画作りをするのは困難。そこを打ち破って、作りたいものを作ることがいい映画への道。そんな力のあるプロデューサーになるのには、もう少し時間が必要なのだろう。

『ミリオンダラー・ベイビー』(Million Dollar Baby)

2004年・アメリカ

監督/クリント・イーストウッド 出演/クリント・イーストウッド/ヒラリー・スワンク/モーガン・フリーマン/アンソニー・マッキー

まったく覚えていなかった内容、再鑑賞も悪くない。これからは、観たことがあると分かっていても、積極的に録画しようという気になった、良い作品は。役者が違う。見事なまでに裏切られて行くストーリー展開が気持ちよい。

2011.3.11東北地方太平洋沖地震のニュースの最中だったので、明るすぎる映画も嫌だったし、かといって暗すぎる映画はもっと嫌だった。スポ根的にガンバル映画は相応しかった。結末はちょっと哀しいけれど。

この頃のプロボクシング界の階級が変。昔の2倍になるような細かい階級決めは、チャンピオンの量産になって、希少価値が薄くなってしまった。ぼんくらチャンピオンも増えてしまった。

『カンフー少女』(MY KUNG FU SWEETHEART)

2006年・香港

監督/バリー・ウォン 出演/セシリア・チャン/レオ・クー/ユン・ワー/ユン・チウ/ウォン・ヤッフェイ

小さな子供がカンフーをして活躍するのかと思った。どっこい、少女時代も少し映像にあるが、成人して働く女性が主役の姿だった。設定は面白い。こんな強い女性がいたら、男なら誰だって頼ってしまうだろう。

この映画のことを語る資格がない。早回しする前に、午前中なのに熟睡してしまった。久しぶりの鑑賞睡眠である。軽く観られと観始まったのに、内容は想像以上に軽かった。題名が題名なので、文句を言う方がおかしい。

香港にはもう何年も行っていない。広東語の軽やかな響きも心地良いし、街全体が新宿歌舞伎町のような雰囲気も好きだ。健康体ならたらふく海鮮料理を堪能出来るが、制限のある身体になってしまうと、香港へ行く動機が見当たらない。寂しい。新空港になってから行っていないということは、最後の香港はずいぶん前だったのだろう。行くたびに買っていた偽物ロレックスも懐かしい。

『重力ピエロ』

2009年・日本

監督/森淳一 出演/加瀬亮/岡田将生/鈴木京香/吉高由里子/岡田義徳/渡部篤郎/小日向文世

伊坂幸太郎の同名の小説を原作とした映画作品。彼の小説、「陽気なギャングが地球を回す」「アヒルと鴨のコインロッカー」が続々と映画化されている。いずれもタイトルが興味深いが、この映画でみると、タイトルに込めた思いが作者の心根ではないかと感じた。言葉では言い表し難い世界。

ちょっとの早回しをしてしまったが、基本的には全編スピーディーに上手く作られていると感じた。題材は結構深刻な話なのだが、こういう現実を突きつけられた時、自分はどういう意見を吐くのだろうかと、ほとんど何もない自信のようなものを持ってしまった。見終わった今でも、他人とこのことに関して意見を交わす気持が起こらない。

死んでも言わないと決めていることが、いくつかある。そういう事柄を、誰にも言わないようにと言いながら喋る奴もいるが、そんな人間はまったく信用出来ない。行き先は天国か地獄か分からないけれど、生きているうちは自分の中にのみ留めるべきことはある。

『ゼロの焦点』

2009年・日本

監督/犬童一心 出演/広末涼子/中谷美紀/木村多江/杉本哲太/崎本大海/黒田福美/本田博太郎/西島秀俊/鹿賀丈史

2009年に生誕100周年を迎えた松本清張の同名小説の映画化。自分の中で評価の高い中谷美紀が出ているので、注目して観た。逆に広末涼子の主演にちょっとクエスチョン・マーク。どうも顔が好きになれないし、波長が合わないのだろうか演技もくさく見えて仕方がない。

現役時代、松本清張の長男が電通にいて、多少なりとも仕事が重なった。なるほど電通には有名人の子息が多いと聞いていたが、私の会った実物は彼だけ。超有名人の子供としての生活は、おそらく想像に絶する不快適さだろう。親をも打ち負かす才能があればなんていうこともないが、そんな人間はまずいない。本人の耳には入らなくても、不評を買っていることぐらいは、どこかで分かるだろうから、それはもうやってられないこと夥しい限りだろう。彼も例外ではなかった。

小説という原作がある映画化を観る心得はあるのだろうか。自分のようにまず小説を読まない人種にとって、映画に対しては何の先入観もないので、素直に観ることが出来て嬉しい。原作がありその通りに進んで行く映像を観て、それでも面白いと思える映画なら評価出来る。この映画がどっちなのかは不明。原作を読んだことある人に、観てから是非聞きたいものだ。


2014/9/6 再びの鑑賞

観たことあるかな?と思いながら観始まった。いつものことさ。途中からそれらしい感覚がようやくわき上がってきた。推理ものなので、後半に入りその仕掛けがどことなく思い出されて、ちょっと映画そのものから興味が離れた。忘れることが得意なので、結末を思い出せなくて、また気持ちが惹かれた。

知ったつもりになることは不幸なことだ。知らないことがたくさんあれば、もっと知りたいと思う心が継続する。そういう意味でも薄っぺらな人間はあまり興味がない。分からないことがあればあるほど、興味が惹かれるのが道理だ。

きな臭い世界情勢。この映画の主人公のように、元ぱんぱんだったことが負い目になっては、生きて行く希望がない。イスラム国と称する暴力集団が、神の声を標榜し人殺しをやっている。戦争は勝たなければならない。誰もがそう思う戦争が始まったら、止まることがむずかしい。

『危険な関係』(Dangerous Liaisons)

1988年・アメリカ

監督/スティーヴン・フリアーズ 出演/グレン・クローズ/ジョン・マルコヴィッチ/ミシェル・ファイファー/キアヌ・リーヴス

1782年コデルロス・ド・ラクロによって書かれた同名小説の映画化。貴族社会の道徳的退廃と風紀の紊乱を活写した内容は、上梓当時は多くの人の顰蹙を買いつつも広く読まれたという。この作者の他の作品はいずれも凡作で、この1作のみが傑作だったらしい。

キアヌ・リーヴスはまだ24才、ミシェル・ファイファー30才、グレン・クローズ41才の時の作品。キアヌ・リーヴスなどまだまだ青臭いと思われるほど、他の役者達の芸達者なこと。ある意味では在り来たりな話だけに、途中の中だるみは否めない。恋とか愛とかを弄ぶ貴族社会は、さぞ快楽に満ち溢れた社会だったのだろう。

「愛人が1人だけとはなんと不健康な」というセリフがあった。羨ましいような。

『ロゼッタ』(ROSETTA)

1999年・ベルギー/フランス

監督/リュック=ピエール・ダルデンヌ/ジャン=ピエール・ダルデンヌ 出演/エミリー・ドゥケンヌ/アンヌ・イェルノー

逆境の中にあってもたくましく生きていく女性の姿を、「イゴールの約束」のダルデンヌ兄弟が描いた作品。キャンプ場のトレーラーハウスで酒浸りの母と暮らす少女ロゼッタ。ある日、彼女は理由もなく職場をクビになってしまう。ロゼッタは厳しい社会の現実にぶつかりながらも必死で新しい仕事を探しつづけるのだが……。99年のカンヌ映画祭でパルムドールと主演女優賞を受賞。(allcinema より)

見ていると、かなり苛ついてくる。話が先に進まないばかりか、何がどうなっているのかまったく分からない。主人公のことが分からない。映画的技法で、見ていればだんだん分かるようになってくる、というには、あまりにも乱暴な映像とストーリー。こういう映画をプロの評論家は好む傾向にある。分かりすぎることへの、アンチテーゼともみえる考えは、世の中を悪くする。

貧しい少女はいつもワッフルを食べている。仕事に就いたのもワッフルを作って売るお店。この映画の舞台はベルギーなのだろうか。ブリュッセルは結構汚い街だった。世界3大がっかり像のひとつ「小便小僧」も、ホントになんていうことない佇まいだ。チョコレートなどは量り売りで流石だと思ったが、日本人は一途に思いこむ癖があるお陰で超有名な「ゴディバ」より、「ノイハウス」の方が地元では人気があると聞かされたことがある。今では、どちらも日本にいて手軽に食べられる。なんと素晴らしい、日本の環境。

『恋愛小説家』(As Good as It Gets)

1997年・アメリカ

監督/ジェームズ・L・ブルックス 出演/ジャック・ニコルソン/ヘレン・ハント/グレッグ・キニア/キューバ・グッディングJR.

ジャック・ニコルソンの名前が思い出せなくて、ずーっとそのことを考えながら鑑賞する羽目になってしまった。有名な役者でも、いつも思い出せない人がいる。覚えようという気がなくても、忘れないのが普通なのに、何度記憶に留めようとしても、消え去ってしまうのは一種の病気かもしれない。

この映画も前に一度見ているが、内容を想い出せなかったので見続けた。画面の色合いのようなものが脳裏に甦る感じがして、ちょっと不思議な思い出し方をしながら楽しんだ。映画の主人公-こんな変わった人物がいるわけないよというのは正しくない表現、変わった人物を取り上げてこの映画が物語にしているのだ。どんな風に変わっているかって?見て下さい。

ジャック・ニコルソンは数多くの映画に出演している。アメリカン・メジャー作品ばかりなので、ヘラルドが買い付けることは、まずなかった。何かあったかな~と記憶を辿っているのだが、想い出せない。せめて1本くらいはあったと思うのだが、う~ん!やはりなかったかな??

『暴力脱獄』(Cool Hand Luke)

1967年・アメリカ

監督/スチュアート・ローゼンバーグ 出演/ポール・ニューマン/ジョージ・ケネディ/J・D・キャノン/ルー・アントニオ

ピンポーン!見終わった後、この日本語題名は原題とは間違いなく違う、さて原題はと考えたら、ぴったんこかんかん。Lukeは主人公の名前、そこから先は見た人のみが分かるということにしておこう。

二度目の鑑賞となるが、気が進まないうち見始まり、それなりに楽しんで終了した。ポール・ニューマンは自分が苦しんだり、死んだりする映画を好んで演じていたような気がする。彼の主演作品を調べ直してみたい気持。最終的に死ぬか、それを想像させる終わり方をしている映画が多いのではないかと、勝手な予測をしてしまうほど、彼の作品は特徴がある。

捕虜収容所のような刑務所、アメリカならではと思わせる。仲間意識ということを実感させられる。一本筋が通った人が尊敬されるのは、古今東西を問わずあり得べきこと。そういう生き方が難しいからこその人物像。そうありたいと願いながらも、凡々と人生を終わってしまうのがこちらの命。

『ダーティ・ダンシング』( Dirty Dancing )

1987年・アメリカ

監督/エミール・アルドリーノ 出演/パトリック・スウェイジ/ジェニファー・グレイ/ジェリー・オーバック/シンシア・ローズ

時代は1963年、まだケネディーも暗殺されていない時とクレジットが記される。全編に響き渡る音楽は、自分の若かりし頃の気分を高揚させてくれる。明らかに二度目の鑑賞だが、意外とストーリーを良く覚えていたことに驚く。

軽くてたいしたことがないストーリーを覚えていたのは、何故なのだろうか。音楽やダンスシーンに隠されてはいるが、映画の芯を作っているフェアネスと、日本にも通じる男らしさに惹かれたような気がする。

我々の大学時代にもダンス・パーティーと称して、資金稼ぎをしていたことがある。関東学生華道連盟という柔い集まりだが、見よう見まねで一年一度のダンスなるものをした記憶が甦る。恥ずかしいけれど、事実だ。大らかな社会の中で営まれる、大らかな学生生活も悪くはなかった。世の中は全学連と機動隊の衝突が、毎日のニュースだったのに。

『ナイロビの蜂』 (The Constant Gardener)

2005年・イギリス

監督/フェルナンド・メイレレス 出演/レイフ・ファインズ/レイチェル・ワイズ/ダニー・ヒューストン/ユベール・クンデ

最近悪い癖で、夜11時前から映画を観始まることがある。多少意図的なのだが、1時間くらい観て、続きは明日観ようという不埒な考えなのだ。ところが、時々面白くてそのまま観てしまうことがある。そうすると、寝るのは1時過ぎ、この頃の自分の身体にはあまり芳しくない状態になっている。もっとも若い頃20数年以上、毎日の就寝時刻は2時から2時半くらいだったことは、夢のよう。

しかも4時半頃起きて、車を運転しゴルフに行き、そしてまた車を運転してかえってくるという、今では到底考えられない生活も当たり前だった。頑丈な身体をもらったことを親に感謝していた。この映画も、つい続けて観てしまい、翌朝はちょっと辛い起床になってしまった。

アフリカ観光映画かと思わせるシーンもあるが、全体を通してミステリアスな物語が、余計なシーンやセリフをカットして、切れ味鋭くストーリー展開して行く。日本映画を作る人は、是非参考にして欲しい。わくわくと飽きさせない映画作りが、命なのだということを分かっているのだろう。原題と日本語題名の違和感がある。舞台はアフリカ、鋭く政界や企業に一刺しを加える主人公の有り様を言い表したいのだろうか。

『シシー ある皇后の運命の歳月』(SISSI - SCHICKSALSJAHRE EINER KAISERIN)

1957年・オーストリア

監督/エルンスト・マリシュカ 出演/ロミー・シュナイダー/カール=ハインツ・ベーム/マグダ・シュナイダー/グスタフ・クヌート

オーストリア皇后・ハンガリー王妃シシーの物語。3部作の最終章。第2作目の「若き皇后シシー」は、過去鑑賞リストにも登場する。1作目をまだ見ていないということらしいので、見逃さずに録画したい。ロミー・シュナイダーの姿形が、webに掲載されている本人と似ているのには、ちょっと驚いた。

皇后としての苦悩、為政者、貴族社会に生きる人達にも、さまざまな困難や人生の厳しさがある。現在の日本の皇太子妃、雅子さまには是非こういう映画を観て、元気になって欲しいものだ。表面的ではあるが、おそらく参考になる部分がたくさんあるような気がしてならない。こういう庶民の声なき声が届くことを祈る。

文明の利器とともに変遷する国家主権。第一次世界大戦前のヨーロッパの勢力図が、映画の中で映し出される。ベニスのサンマルコ広場に赤絨毯を引き、その上を歩くシシーの姿は神々しい。街並みが変わらぬヨーロッパの姿は、現在の旅行者にも興味を抱かせるに充分な魅力がふんだんに伝わってくる。いいな~、ベニス。もう一度との夢は、最後まで夢で終わりそうだ。

『赤ちゃん泥棒』(Raising Arizona)

1987年・アメリカ

監督/ジョエル・コーエン 出演/ニコラス・ケイジ/ホリー・ハンター/トレイ・ウィルソン/ジョン・グッドマン/ランドール・“テックス”・コッブ

ニコラス・ケイジは24才、映画デビューして6年後の作品で、まだまだ若い。その後の順調な出演作品数は結構多い。現在47才、叔父に映画監督のフランシス・フォード・コッポラ。それを言われたくないために、ニコラス・コッポラというデビュー本名から芸名に変更している。アメリカ人の俳優はほとんどが本名。日本とは正反対の価値観が多いが、こんな処にも大きな違いがあった。

この映画を評することは出来ない。何故なら、始まって20分くらいで、深い眠りに陥ったから。見直すつもりもない。ほとんど眠っていたので、面白くないなどと言ったら怒られてしまう。でも、面白くないよ。コーエン兄弟のプロデュース作品は、評判が高いものが多いが、アカデミー賞:作品賞、監督賞、助演男優賞、脚色賞に輝いた『ノーカントリー』(No Country for Old Men・2007年)も、どこが良いのかちっとも分からなかった。

相性が合わないと、その価値を認めることは至難のワザに近い。食べ物で考えれば分かり易い。自分の好きな範疇の食べ物でなければ、美味しいと評価することは出来ない。かなりの範囲の広さ、応用力を持ち合わせていなければ、その良さを見つけることさえ出来ない。それが出来る人が真に優秀な人なのだが、なかなかそういう人を見つけることも出来ない。

『三国志』

2008年・中国

監督/ダニエル・リー 出演/アンディ・ラウ/マギー・Q/サモ・ハン・キンポー/ヴァネス・ウー/アンディ・オン/ダミアン・ラウ

何度も映画化されている三国志。壮大な話だけに、部分部分のエピソードが映画化される。中国嫌いが顕著になってしまった昨今、こちらとて例外ではない。映画や芸術、スポーツには何ら関係がないはずなのに、中国と聞くとどうでもいいやという感覚が襲ってくる。

どうだ!この映画はいい映画だろうという尊大な雰囲気が伝わってきて、なんか不愉快になる映画だ。脚本にしたって、いかにもという人生訓ごときばかりを喋られては、白けてしまう。ストーリーが面白いはずなのに、アクションシーンばかりを強調して、日本の漫画・劇画タッチで画面を作っている。中身のない作品と言わざるを得ない。ここのところ貶している作品ばかりで、気が滅入る。

映画業界の友人に、「三国志」のビデオ権を得て、それだけを持って独立した輩がいた。ダイレクトメールを企業の経営者達に送り、直接販売を試みたりして、結構商売になっていた時期もあったようだ。3本セットで確か3万5千円くらいと高価だった記憶がある。ビデオ・テープの時代だったこともあり、書棚に並ぶこの題名は、経営者達にとっては一種のバイブルのような効果をもたらしていたようだ。3年前、彼は急死し、また友人がひとり減ってしまったことを哀しんだ。

『ソーラー・ストライク』(SOLAR ATTACK)

2005年・アメリカ

監督/ポール・ジラー 出演/マーク・ダカスコス/ビル・レイク/ルイス・ゴセット・Jr/ジョアンヌ・ケリー/ケヴィン・ジャビンビル

原題をカタカナ書きすれば「ソ-ラー・アタック」、それをソーラー・ストライクに変える理由は何処にあるのだろうか。どっちの題名にしたって三流映画だと分かるところがおもしろい。いつも言う三流映画にはその良さが随所にあるが、この程度の映画は2.5流、中途半端、舞台装置、役者陣、セリフ、すべてが薄っぺらく陳腐。せいぜい小学生になら、受け容れられるかもしれない。

「映像の厚み」という何とも説明しにくい見え方が違うのだ。フランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』(Apocalypse Now・1979年)を観た時のあの感動が忘れられない。東京・日比谷映画街「有楽座」での試写会、70mmプリントでの上映。画面を横切るヘリコプターの音は、まさしく頭上を飛び回り、ナパーム弾を打ち込んだ後の炎からは、火薬の匂いが間違いなく伝わってきた。ワグナーのワルキューレの音楽が男心を鼓舞するように。有楽座での試写会終了後、かなり大きな荷物70mmプリントを車に積み、東名高速道路をひた走った。翌日の試写会会場である大阪まで運んだのだった。そんなこともあったな、という若かりし頃の想い出。

映画とは異次元空間のバーチャル体験。そういう舞台に引き込まれるためには、舞台装置にあふれるお金が必要なのだ。そうでなければ、ちんけな装置、小道具、役者の挙動そしてセリフにさえ、現実を見せつけられてしまい、夢が夢でなくなってしまうのだ。

『屋根の上のバイオリン弾き』(FIDDLER ON THE ROOF)

1971年・アメリカ

監督/ノーマン・ジュイソン 出演/トポル/ノーマ・クレーン/レナード・フレイ/モリー・ピコン/ポール・マン/ロザリンド・ハリス

ミュージカル嫌いにとっては、録画するのさえ決心がいった。何故嫌いなのかは、まだ分からない。人間が高尚でないことが一番かもしれない。特にこの題名は、森繁久彌のポスターの絵柄が浮かんできて、どうにも観る気になれなかった。舞台だって現役時代なら、業界特権で無料で見ることも全く問題なかった環境にいたはずなのに。

舞台や生コンサートに好んで行く人達を、尊敬している。心が豊かでなければ、そんな余裕のある時間を、生活に組み込むことは出来そうもない。初めて観たミュージカル『CATS』は、南極物語大ヒットの招待旅行・2泊4日、1984年頃だったと思う。「メモリー」の歌声が聞こえるまで、眠っていたことだけが記憶にある。もったいない。その後も何度か海外舞台をトライしたが、『オペラ座の怪人』だけが印象に残っている。音楽が格段にいいからだろう。

長渕剛のライブ、横浜アリーナに家族で行ったことがあった。三女が小学2年生だったと記憶するが、彼女が永渕と一緒に大きな声で歌っていて、隣の人が驚いていたことが懐かしく思い出される。彼女も覚えているだろうか。

『帰郷』(Coming Home)

1978年・アメリカ

監督/ハル・アシュビー 出演/ジェーン・フォンダ/ジョン・ヴォイト/ブルース・ダーン/ロバート・キャラダイン/ペネロープ・ミルフォード

NHK-BSのアカデミー受賞作品特集の1本。もうすぐ今年のアカデミー賞の発表があるので、映画ファンの気持ちは盛り上がっている。この作品は、作品賞他8部門でノミネートされ、主演男優賞、主演女優賞、脚本賞の3部門で受賞している。

ジョン・ヴォイトは、アンジェリーナ・ジョリーの父親としての方が有名かもしれない。結構ヤボな役者で、若い頃の演技は業界的には評判が悪かった。なんかダサイ。ヘラルドも『5人のテーブル』(TABLE FOR FIVE・1982年)で損させられた記憶が残っている。それにひきかえ、娘の活躍は目を瞠るものがある。静と動という比較も正しいような親子の姿が、なんか人生だな~と言わさしめる。

映画はベトナム戦争真っ直中の1968年頃の話。ちょうど自分たちが学生生活を呑気に楽しんでいた頃、アメリカの若者は映画で語られる”無意味な戦争”へと、駆り出されていったのだ。そして身体に傷を負うばかりか、勇んで出征したはずの兵士達が、心に大きな病を抱えて帰郷するという現実におののかされる。深く思うことがなかったベトナム戦争という出来事、他人事で済ましてしまっていた自分の人生を鑑み、ひどく自分が責められているように感じながら映画を見ることとなった。ジェーン・フォンダが若くて生き生きしている。こういう映画を通して、彼女の反戦の精神が鍛えられていったのだろう。車椅子生活となった元軍曹の言葉、「こんな生活になってしまったけれど後悔はしていない、何故なら少し賢くなれたから。」というセリフに、この映画の真骨頂があるのだろう。

『総理の密使~核密約42年目の真実~』

2011年2月21日(月)TBS系放送テレビ・ドラマ

若泉敬 : 三上博史/若泉ひなを : 加藤貴子/谷内正太郎 : 眞島秀和/佐藤榮作 : 津川雅彦

昭和44(1969)年沖縄返還、時の総理、佐藤榮作の密使として暗躍した若泉(わかいずみ)敬(けい)の物語。テレビ・ドラマをきちんと観るのは久しぶり。歴史上の実話であり、しかも密約を知る人物が世界で4人しかいなかった当事者のひとり、その人物をドラマとドキュメントを織り交ぜながら、興味あるストーリー展開している。

歴史は重い。単に歴史的事実だからと感心しているだけでは不足。若泉敬という人物が希有な存在だったことは、現在の政治状況と見比べてみれば、超自然的に想像に難くない。こういう人物像の出現が、今、求められていることは明白。何処にでもいそうで、まったくこんな人はまずいないだろうという人物。あまりにも小さすぎる、現実社会の政治屋集団を見せつけられている毎日。国を思い、奉公滅私の精神は確固たる心だけではなく、一本筋の通った国際人としての人にしか与えられない才腑。日本人も捨てたものではないと、思わせてくれる人物。

全てドラマでないところがいい。飽きさせないし、本物の事実関係を実写フィルムが証明してくれる。関係者の発言も生々しい。こういう手法は劇場映画でもごく希にあるが、テレビの方が即物的で合っているやり方にみえる。それにしても、こういう日本人がいたことを知っただけでも嬉しい。

『薔薇の素顔』(COLOR OF NIGHT)

1994年・アメリカ

監督/リチャード・ラッシュ 出演/ブルース・ウィリス/ジェーン・マーチ/ルーベン・ブラデス/レスリー・アン・ウォーレン/スコット・バクラ

アガサ・クリスティーの映画なら『セラピー殺人事件』とでも題名付けしたいような内容。セラピー好きのアメリカ社会ならではのストーリー。グループ・セラピーといって、数人が悩み事を語り合う治療法があるらしい。

バラに意味がないわけではないが、あまりにも原題と違う日本語題名が変。というよりも、騙さなければ映画を当てることなど到底出来ない出来の悪さ。ブルース・ウィリスがセラピニストでは馴染まない。どんな役だって有りではあるが、やっぱり合わない印象が強い。意味のないアクションシーンも色褪せてくる。

観るチャンスに恵まれる人はいないだろうから、気にすることもない、お互いに。セラピーという職業を身近に感じたことはない。映画の中で、新しいセラピニストに、その人の経歴や顕彰歴などをしつこく訊ねていた。アメリカ人だって、秘密を喋る相手のことを信頼するのは、簡単ではないということか。

『女たちは二度遊ぶ』

2010年・日本

監督/行定勲 出演/相武紗季/水川あさみ/小雪/優香/長谷川京子/ユースケ・サンタマリア/柏原崇/高良健吾/小泉友/塚本高史

携帯電話専門の動画配信サイトBeeTV(ビーティービー)が製作したとある。原作としての小説に基づいて作られた作品らしいが、偏見をもって見ることなくても何かダラダラとした作り方が気になった。

久しぶりの日本映画2倍速鑑賞、人の動きや進行だけをとれば、丁度良い速度だ。セリフの早回しが聞き取りにくいだけで、何の違和感もなく映像を見られるということは、所詮はそんな映像だとしか思えない。

話は面白い。全体を半分の時間にすれば、引き締まった映画として存在するかもしれない。オムニバス形式とはいえ、2時間10分は長すぎる。携帯の小さな画面で、切れ切れに観る映画って?

『夜の上海』

2007年・日本/中国

監督/チャン・イーハイ 出演/本木雅弘/ヴィッキー・チャオ/西田尚美/塚本高史/ディラン・クォ/和田聰宏/竹中直人/大塚シノブ

全体としては、かなりまとまった映画だと感じる。どこが凄くて、何処が気になるとかいう部分が見つけにくい。流されて最後まで見てしまうし、見ている途中に特に不満も感じられない。上海とジャズは切っても切り離せない。その気怠さがうまく漂っている。

ただ竹中直人が現れると、急におちゃらけた雰囲気になるのには閉口した。彼はどのテレビ・ドラマでも映画でも、同じように浮いた存在に見える。この役者を起用する意図が分からない。只普通に演じただけで存在感があるはずなのに、どこをどう勘違いしているのか、常にオーバーアクションで映画を壊す役に回っている。

役者の演技はリ・アクションが鉄則。自分からアクションを起こすことが、演じることだと思っている日本人役者の典型のようにみえる。例えば竹中直人が豊臣秀吉を演じる時、余計なアクションやせりふ回しはいらないと誰しもが思える。普通に演じさえすればするほど、役に適合しそうに見える。それを彼はアクションしてしまうので、白けた雰囲気を醸し出すことになるのだ。

『ハルフウェイ』

2009年・日本

監督/北川悦吏子 出演/北乃きい/岡田将生/溝端淳平/仲里依紗/成宮寛貴/白石美帆/大沢たかお

洋画なのか邦画なのかも分からずに見始まった。日本映画であることがすぐ分かり、続いて高校生が自転車に乗っているシーンが出てきた。ピンと来た。この題名はおそらく、英語の授業中に誰かが「half way」を「ハルフウェイ」と読んで、みんなから大笑いされたのにちなんで、この題名になったのだろうと。勝手な想像だが、大筋では合っていた。授業中ではないけれど、まさしくそう発音して、笑われているシーンが登場した。

月9(ゲツク)の脚本で超売れっ子となった北川悦吏子映画初監督作品。しばらくテレビ画面ではお目にかかれなくなった白石美帆が、こういう映画に出ているとは。磯山さやかの前の郷土の英雄は白石美帆だった。Wikipedia には、『もともとは台詞付きの台本も用意されていたが、北乃きいと岡田将生のコンビネーションの良さを見込んで、10代の恋愛模様をリアルに描くため、ほとんどのシーンが役者自身の言葉によるアドリブで撮影された。「ハルフウェイ」という題名は撮影中に北乃きいが「halfway(ハーフウェー)」を間違えて「ハルフウェイ」と読んだことが由来である。』と、あった。

人生で一番輝いている高校生活の中、好きな異性との出会いから日常のやりとりが描かれている。悪くはないが、映画的には出来事が起こらないと詰まらない。大きな画面を使って私小説的に映像を繋げているだけでは、観客は飽きるだろう。飽きない人がいるとすれば、同じ高校生で恋をしている当事者なら。製作にも参加していた配給会社シネカノンは、昨年1月民事再生の手続申請、事実上倒産した。業界リーダーの東宝だけが、我が世の春を謳歌している不思議な映画業界。いつも言う、映画関係会社はたくさん潰れても、映画は決してなくならない。

『悲しみは空の彼方に』(Imitation of Life)

1959年・アメリカ

監督/ダグラス・サーク 出演/ラナ・ターナー/ジョン・ギャヴィン/サンドラ・ディー/スーザン・コーナー/ファニタ・ムーア

陳腐な邦題からは想像できないほどいい映画だった。主要登場人物は4人、時代はアメリカの1947年から始まり10年後まで。主人公の1組目は褐色の肌色をした子供と母親は明らかな黒人。子供の頃から自分は白人だと言い張って、母親を絶対他人に見せたくないと思いながら生き続けてきた少女が主役かもしれない。原題はそんな偽りの人生のことを言っているのだろう。主人公の2組目は夫に先立たれてから舞台女優の夢を追いかける白人親子。アメリカではまだまだ全盛だった人種差別、そして親子の愛情と男女の愛情。正統派の題材を真正面から取り上げている。こういう映画は好きだ。涙を抑えきれないシーンが多々あった。

この時代のスターは男も女も容姿が整っている。映画内容と同様に正統派だ。あまりにもまともすぎて、コメントが出てこない。敢えて気に食わないところを探す必要もないし、ただ「素晴らしい映画だった」と書ければいいじゃないだろうか。

この映画はレンタルビデオ・ショップにもあるのだろうか。TSUTAYA、DMM、楽天、webレンタルの会員になっている。それぞれ便利だが定期的に借りるシステムだと毎月定額がかかるので、ちょっとうざったい。新作を借りる時に期間限定で会員に復活、利用している。いろいろな使い方があるだろうが、なかなか便利な時代になったと思う。現在3社とも会員休止中、テレビ録画に飽きた頃にまた復活する予定。

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また観てしまった。題名からも、たぶん観てるよなと思いながら鑑賞開始、そして冒頭から間違いなく観ていると確信しての鑑賞。しかし、どうしてこうも内容を覚えていないのだろう。前回の鑑賞からまだ10ヶ月以内なのに。大筋ではなるほどと納得しながら、詳細ではあれま~といった案配。面白いことは分かっているので、どんどん引き込まれて行く。涙腺も緩くなる。

今回の印象での一番は、主人公の女優の上昇志向と毅然たる態度。なかなかハリウッド女優になれない時にも、誘惑に負けることなく、絶対女優として成功するのだという強烈な意志を見た。ちょうど俳優志望の若者の舞台を見たばかりだったので、そんな思いを感じたのかもしれない。そして二番目は、黒人母親主人公の謙虚な人生と直向きな子供への愛情である。こうあるべしという人間の根源を見せられた。もう一度、自分のこれからの考え方を見つめ直してみようと思う。(2011年2月20日)

『新羅生門』

2011年2月19日・作/横内謙介 演出/久川徳明(劇団翔航群)

名古屋コミュニケーションアート専門学校 アクターワールド8期生 卒業進級制作展

映画ではなく、これはナマの舞台。麻雀仲間の息子が俳優志望で上記学校に通っている。3月に卒業で、その卒業舞台の案内をもらったので、足を運んだ。主役をやるということなので、興味があった。

役者になるにはどうしたらよいのか、難しい。現役時代だったとしても、紹介するのは簡単な話ではない。一度会って事情徴収をしたが、舞台が好きで好きでしょうがないということではないらしい。日本の今の芸能界事情では、とにかく若くて背が高くて、どこか格好良い人間しかテレビには出られない。つてを頼って話を聞いてみたが、一様に「運」があれば、という答が大半。勝手にしゃしゃり出てはみたものの、この後どうしようか思案、思案。

舞台は若者の熱意が伝わってきて、なかなか良かった。最近の若者は物怖じしないというか、今すぐにでも舞台俳優になれそうな完成度だった。小さい舞台はせいぜい2、3度しか見ていないし、もともと舞台は好きではなく、語る資格がないことも承知している。舞台で一番嫌いなところは、観客におもねた演技をすることがあること。他愛もないことで観客が笑うのも、いただけない。学生が演じる舞台は、先入観のない役者だけに、冷静な観客が多いので、見ていてかえって安心感があった。ただ、1時間45分あまりの長さには、ちょっと閉口した。見て良かったと思っている。彼の将来の手助けが、ちょっとでも出来れば嬉しいのだが。

『男が女を愛する時』(WHEN A MAN LOVES A WOMAN)

1994年・アメリカ

監督/ルイス・マンドーキ 出演/アンディ・ガルシア/メグ・ライアン/エレン・バースティン/ティナ・マジョリーノ/メイ・ホイットマン

題名からくる予想や予測のストーリーとは、全然違う筋書きが展開されて行く。アルコール依存症に陥った若き妻とパイロットの夫との夫婦の物語。2人の子供もかなり重要なウェイトを占めている。

飲みたくても飲めない身にとって、酒に溺れる話は現実感がない。ということは、少しでも身に覚えのある人には、この映画はどこかしらグッとくるものがあるような気がする。もしも自分が酒を飲めていたら、間違いなくアルコール依存症になっていただろう。

タバコを止めるのは結構苦労した。ショート・ピース、後にはショート・ホープをこよなく愛した過去がある。2ヶ月、2年、9年という禁煙期間を経験して、今は過去最高の12年くらいの禁煙期間になるだろうか。18歳から本格的に吸い始めたタバコ、吸わない期間がそろそろ半分になりつつあるのは、ちょっと長生きしている証なのだろう。

『はぐれ刑事・純情派』

1989年・日本

監督/吉川一義 出演/藤田まこと/吉田栄作/小川範子/松岡由美/小西博之/村井国夫/梅宮辰夫

藤田まこと一周忌記念企画と銘打った、劇場版の放映を観た。テレビの連続ドラマを見ることは最近まず無いので、評判が良くても見たことがない。同じように評判の良い「相棒」も劇場版の放映のみ見た。

まったく見ることもなく、その作品を貶すことはしたくない。とりあえず、評判の良いテレビ番組が映画版になれば、一回くらいは付き合っても良いだろう。

面白くないことはない。変な言い回し。藤田まことは、大したものだ。ストーリー作りにちょっと無理があるが、それでも最後まで楽しませてはくれる。ただ、この程度の映像なら、テレビ番組で充分かなという印象。


 今でも再放送されているテレビ・ドラマだとは知っていたが、なんとスペシャルを含め、全444話制作されたというから凄いもんだ。そのうちの1本もテレビ放映を見たことがないというのも凄いかもしれない。どうも日本のテレビドラマっていうやつは、現実感が薄く見ていていらいらするケースが多い。見てもいないのにそんなことが言えるはずがないはずなのに、そう固く信じ込んでいる。

 偶然に録画したこの作品は、前にも一度観ていることが分かった。それでもそれなりに面白かったので、最後まで行き着いたが、よくよく見ていると、ストーリーに不自然さと展開力のなさが顕著で、2時間ドラマより上の2時間半ドラマといった感じ。

 はぐれ刑事が人情派として描かれているから人気があるのだろうと想像出来る。そこへキャリア組の冷徹な上司を登場させて、いかにこの主人公刑事が涙もろくて暖かいかを、これでもかこれでもかと訴えている。嘘でもいいから人間は温かい方がいい。すぱっと縁を切ってしまうような人情味のない人間など、生まれてくる必要がない。そんなことを思うこの頃。

(2014/3/16 再観感)

『心のともしび』(Magnificent Obsession)

1954年・アメリカ

監督/ダグラス・サーク 出演/ジェーン・ワイマン/ロック・ハドソン/バーバラ・ラッシュ/アグネス・ムーアヘッド/オットー・クルーガー

大金持ちの道楽息子・ボブ(ロック・ハドソン)は湖でモーターボートの事故を起こすが、近所のフィリップス医師の自宅から借りた人工呼吸器のおかげで九死に一生を得る。しかし、人工呼吸器を貸し出したためにフィリップス医師は持病の発作で亡くなってしまう。 入院先の病院から抜け出したボブは偶然フィリップス医師の妻ヘレン(ジェーン・ワイマン)と出会い、 フィリップス医師の死が自分のせいであることを知る。 自責の念にかられたボブは何とか和解したいとヘレンに迫るが、そのためにヘレンは事故に遭い、失明してしまう。(Wikipesiaより引用)

人に施していることを内緒にして死んでしまった夫、それと同じような気高き気持ちを持つ未亡人の生き方も気高い。そこへ鼻持ちならない金持ちの息子が登場。内緒の行いを知り自分もと思いはするのだが、なかなかもどかしい。婦人の失明と共にだんだん傾いてゆく気持ちの中に、この時代のアメリカ映画の思想の素晴らしさを感じる。

すでにこの時代にもお金と裕福な生活、安定した生活を求めるコンサバ社会規範が出来上がっていたようだ。人生の信念を清らかに高らかに活かす方法は何処にあるのだろうか。その答えは次の映画にも引き継がれている。

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2011年2月14日、「最近観た映画」を書き始まってから初めて、同じ映画を観た。2度目か3度目だということは分かっていたが、いい映画だということも承知していたので、躊躇わずに観始まった。まさか記録を残していたとは知らなかったのだ。肝心なポイントは覚えていたが、後半の詳細については、記憶を越えていた。そういう意味では、新鮮な気持ちで最後まで観られたのが嬉しい。

観ていて気持ちの良い映画なのだ。悪人は出てこない。みんな善人で、ボタンの掛け違いで事件は起こっても、誰もが前を見て人生を生きている。わくわくする気持が湧いてくるのが嬉しい。頬がゆるむとは、こういう時のことを言うのだろう。

ヘラルド時代、経営者は「仕事が出来て、性格の良い奴」はいないと思っていた節がある。そのようなことを言われた記憶もある。そんなことはない、俺のように性格も良く仕事も出来る奴がいるよと証明したかったが、志半ばでヘラルドを自ら去ってしまった。何故辞めるのと全員に聞かれたが、理由は無い。ただ、辞めたかっただけなのだ。どうにもならない我が儘を、誰かが止めてくれたら、また人生も変わっていたかもしれない。人生に2つの生き方はない。選んだ道が人生になるだけ、仕合わせは何処にでもころがっている。

『沈まぬ太陽』

2009年・日本

監督/若松節朗 出演/渡辺謙/三浦友和/松雪泰子/鈴木京香/香川照之/大杉漣/西村雅彦/石坂浩二/加藤剛/宇津井健

3時間22分の長編。飽きさせることはないというのが、最大の褒め言葉になるかもしれない。これだけのものを作ったことが評価される。実在ではないと謳いながらも、実際には実像を彷彿とさせる内容には胸を締め付けるものがある。

人生の中での大きな事件に、時々心底驚かされる。大学3年時の東大安田講堂事件、卒業時のよど号ハイジャック事件、1972年・あさま山荘事件、1995年・阪神・淡路大震災、2001年・アメリカ同時多発テロ事件。いずれもテレビ画面を通して、一傍観者として画面に釘付けにさせられた。

そんな中でもこの映画の主題、1985年の日本航空123便墜落事故は最大のショックだった気がする。知り合いの人が1人含まれていたことも、記憶から外せない事故となった。ナショナル・フラッグを標榜していた日本航空が、今、民事再生会社になろうとは、この当時に一体誰が予測出来ただろうか。時代は確実に変化して行く。

『肉体の門』

1988年・日本

監督/五社英雄 出演/かたせ梨乃/山咲千里/長谷直美/芦川よしみ/西川峰子/芦田伸介/名取裕子/根津甚八/渡瀬恒彦

この作品で5回目の映画化。女優人の身体を張った演技は見応えがあるが、いかんせんストーリーが弱すぎる。薄っぺらで、ロケもテレビ映像の作り物のように、厚みがない。ちょっと飽きてしまう。

「パンパン」と言っても、今頃の若者には何のことなのか分からないだろう。我々の若い頃の映画やテレビドラマでは、この単語はよく出てきた。昭和31年売春防止法が成立、翌年施行され、昭和33年猶予期間を経過してから、刑事処分が課せられる歴史がある。そして、だんだんとこの世界が闇に隠れていった。終戦直後の社会では、誰も疑うことのない、堂々とした職業であったことが、この映画でも窺い知れる。

小学校通学は「下駄」履きだった。さすが田舎の環境で、同じ歳でも下駄履きと話すと、驚かれたものだ。勿論道路は砂利道、下駄の歯の間に石が挟まって、時々歩きにくかったことを良く思い出す。遠い遠い昔の出来事。少年時代は、まだまだ戦後の色濃い時代だったことも、思い出される。

『しあわせの隠れ場所』(The Blind Side)

2009年・アメリカ

監督/ジョン・リー・ハンコック 出演/サンドラ・ブロック/ティム・マッグロウ/クィントン・アーロン/キャシー・ベイツ/リリー・コリンズ

2009年のNFLドラフト1巡目でボルチモア・レイブンズに指名されて入団したマイケル・オアーのエピソードに基づくマイケル・ルイスのノンフィクション『ブラインド・サイド アメフトがもたらした奇蹟』を映画化だという。原題の「ブラインドサイド」は、アメリカンフットボールの中から出ている意味があるのに、いかにも心温まるような日本語題名にしてしまうのが、映画業界の良さそうで悪いところ。

直前に観た「プレシャス」と同じように、黒人社会のどうにもならない境遇から出現してきた、今度は成功・スポーツ物語。アメリカ人の好きなこのスポーツが、映画の題材になることは結構多い。高校でさえ、あるレベルの成績を取らなければ、スポーツクラブに入れないというのは凄いこと。しかも、大学のスポーツ奨学生になるためには、また新しい成績基準が必要という。日本の馬鹿スポーツマンには考えられない環境だろう。大学を卒業したって、本当に勉強したことあるの、と思えてしまう人間が闊歩している日本的あまちゃん世界は希な国だと思える。

アメリカ人の考えるフェアネスとは、どういうものかを感じさせてくれる映画。「公平」ではなく、「公正」であることが社会規範になっていると、いつもアメリカの社会のことを、そう思っている。家族ばかりにしか目の行かない日本社会と正反対のように、社会の一員として何が出来るのだろうかと考えるアメリカ人の違いのように見える。伊達直人は日本では希な行為だが、アメリカ人はきっと大好きな行為だと思っているに違いない。

『プレシャス』(PRECIOUS)

2009年・アメリカ

監督/リー・ダニエルズ 出演/ガボレイ・シディベ/モニーク/ポーラ・パットン/マライア・キャリー/レニー・クラヴィッツ

ロバート・レッドフォードが主宰するサンダンス映画祭(Sundance Film Festival)2009年1月グランプリと、観客賞など3部門で受賞。アメリカ・ユタ州のスキーリゾート地で有名なパークシティで、1978年より毎年1月中旬に開催されている。ヘラルドもこの映画祭で、「セックスと嘘とビデオテープ」(Sex, Lies, and Videotape・1989年)という映画を購入している。スキーリゾート地での映画祭は、スピルバーグが「激突」でデビューした、「アボリアッツ映画祭」(1973年~1993年・フランス)が有名。日本では先例にならって北海道で「夕張映画祭」が出来上がった。行政も金のあるうちは、大きなイベントだったが、この頃ではだいぶ縮小された規模での開催となっている。映画祭開催期間が短いので、町興しまでには至らず、「B級グルメ」に優れるはずもない。第82回アカデミー賞で脚色賞・助演女優賞も受賞している。

玄人には評判の高い映画だが、私にはちょっと重い。ハーレム、肥満の16歳黒人少女、母親とそのボーイフレンドからの性的虐待、ダウン症の子供、17才にして二人目の子供を妊娠・出産、しかも母のボーイフレンドからのレイプ、退学処分、後から知ることになるエイズ感染、生活保護を受けることを仕事とする母親、と聞いたら、一体誰がこの映画を見ようという気になるだろうか。アメリカで育ち、育まれた価値観やDNAを持ち得なければ、とてもではないが想像を絶する人間世界に見える。

ちょい役でマライア・キャリー、レニー・クラヴィッツが出演している。監督の力不足という感が否めない。見ていて面白くならないのだ。いつも言う、話が展開しない現象。話は悲惨だけれど、もっと観客を惹き付けなければいけない。見ていると、どんどん見たくない気持が先行し、気持が離れていってしまう気がした。最後まで早回しすることなく見終わりはしたが、なんとなく、もやもやとした気持が残る。


2017年9月30日に再び観たので記す。

『プレシャス』(Precious: Based on the Novel Push by Sapphire)

2009年・アメリカ 監督/リー・ダニエルズ

出演/ガボレイ・シディベ/モニーク/ポーラ・パットン/マライア・キャリー/レニー・クラヴィッツ

2009年1月のサンダンス映画祭でプレミア上映され、最高賞にあたる審査賞グランプリと、観客賞など3部門で受賞。5月には第62回カンヌ国際映画祭のある視点部門に出品された。9月のトロント国際映画祭でも最高賞にあたる観客賞を受賞。サンダンスでのプレミア上映時のタイトルは『Push』だったが、同時期の2月初頭に全米で劇場公開された『PUSH 光と闇の能力者』(Push)との混同を避けるため、『Precious: Based on the Novel Push by Sapphire』に改題された。 主人公のプレシャス役は新人女優ガボリー・シディベ、彼女の人生を導く女性教師をポーラ・パットンが演じる。プレシャスを虐待する母親役をコメディアンのモニークが演じ、サンダンス映画祭で審査員特別賞、第82回アカデミー賞で脚色賞・助演女優賞を受賞。また、ソーシャルワーカー役でマライア・キャリー、看護師役でレニー・クラヴィッツと、有名アーティストが小さな役で出演していることでも話題である。(Wikipediaより)

主人公は、肥満した16歳の黒人の少女・プレシャス、舞台は1980年代後半のニューヨーク・ハーレム。アメリカの貧困層に焦点を当て、子供への性的・肉体的な虐待、教育の問題などが取り上げられている。こういう映画、現実を見るにつけ、自分の甘さを痛感する。なんという甘っちょろい人生なのだろうか。

神が生を与える時、人間だったり、植物だったり、動物だったり、魚だったり、どこでどういう作業がなされているのだろうか。同じ人間でも、どの時代のどの場所になに人(じん)として生まれてくるのか。そして、お金持ちの子供なのか、貧民層の子供なのか、五体満足なのか、脳に障害を負っているのか、不思議なことばかりだ。だからこそ、神の存在だけがもっともらしく思えるのかもしれない。

『クレイジー・ハート』(Crazy Heart)

2009年・アメリカ

監督/スコット・クーパー 出演/ジェフ・ブリッジス/マギー・ギレンホール/ロバート・デュバル/コリン・ファレル/トム・バウアー

久しぶりのレンタルDVD 2作品目、1作目は昨日の「アウトレイジ」。カタカナ題名が氾濫していて、何を借りていいかまったく分からない。日頃の映画情報を全然チェックしていないのがいけない。というか、そもそもの映画ファンではないことが、こういうところでばれてしまう。タケシの映画以外は、本当に適当に選んできた。

アメリカでの配給は「フォックス・サーチライト」、20世紀フォックスの子会社である。ヘラルドも、日本ヘラルド映画とヘラルド・エースという会社を持っていた。一般大衆に向けての大型映画や、宣伝費をたくさん遣い大ヒットさせようとするばかりの映画では、映画会社はやっていけない。特定少数向けではあるが質が高い映画を、好んで配給・制作してゆこうとする別部隊の存在なのだ。

カントリーを歌う50代後半の主人公、「伝説の・・・・」と紹介されながら、1人でアメリカ全土を巡業している。日本に置き換えれば演歌歌手が昔の名前で出ています、といった案配になるのだろうが、そんな比喩は適当ではない。あくまでも格好良く、小さな舞台でも昔からのファンもいるし、ほどほどの年齢の女性にももてている。セックスだって大現役だ。ストーリーは常に意外な方向に向かい、観る者を飽きさせない。第82回アカデミー賞主演男優賞を受賞したのも納得の映画。

『アウトレイジ』(OUTRAGE)

2010年・日本

監督/北野武 出演/ビートたけし/椎名桔平/加瀬亮/三浦友和/國村隼/杉本哲太/塚本高史/石橋蓮司/小日向文世/北村総一朗

いつも感じる「タケシの映画は詰まらないわけではないが、面白くない。」という印象が、そのまま同じ。人を殺すシーンや殴るシーンの連続で、なんか流行らない映像手法を、無理矢理見せつけられている。映像に意味を求めることをするわけではないが、あまりにも意味のなさ過ぎる殺戮映像には説得力がない。

もっとないのは、登場する役者人が軽い。テレビ画面と同じような表情で、同じような喋り方をするものだから、テレビを見ているような錯覚に陥る。やっぱり映画に出る人は、それなりの節制を求めたい。異次元の世界を構築するのが映画、それなのに日常的に馬鹿な顔をさらけだしている芸能人が映画役者を演じたって、何も訴えてこない。

タケシは言いたい放題、テレビに出たって、思いっきり言いたいことを言っている。規制ばかりで面白くなくなってしまったテレビ番組で、タケシが出てくるとトタンに活気づくのが面白い現象。映画はまだまだ面白くならない。たぶん、最後の1本が面白くなるだろうと勝手な予測をする。

HDD/DVDレコーダー『TOSHIBA RD-S300』

胸くそ悪いこの機器の、「DVDトレイが閉まらない」トラブルに見舞われた人達のために記録を残す。映画鑑賞の大切な道具なので、触れないわけにはいかない。数多くの被害者がいることは、web検索で充分想像出来る。DVDトレイを換装(取り替える)だけで、元の機能が復活するので、電気屋さんの息子でなくともトライして欲しいものだ。

webで見つけた交換可能な機種は2種類、SONY/NECの「AD-7203A」とNECの「ND-3520A」、後者の中古品を入手して換装したら、100%互換ではないが、少なくとも録画映像を削除出来、新しい録画が可能となるまでは戻った。勿論、DVDも見られる。ダブルチューナーでハード的には一級品なのに、それを動かすソフトが4流品、この組み合わせが奇妙だ。

上蓋を外すのは結構手間取るが、半ば力ずくで外すしかない。爪が邪魔をしているのだ。そして中身、HDDを先に外すのだが、ネジは上から見える3本を外すこと、次にDVDドライブの横ネジ留め4本を外して、DVDドライブを取る。その際、IDEケーブルがささる場所に、マウントしてある部品を外すことがポイント。黒い幕のような部品が見えるので、よく見て欲しい。電源ケーブルも多少力づくで外さなければならない。新しく付けるDVDドライブの前面カバーと、トレイカバーを外すこと。このあたりの作業は、パソコン自作と同じ作業なので、web検索で作業方法を研究されたい。

『ヘアスプレー』(Hairspray)

2007年・アメリカ

監督/アダム・シャンクマン 出演/ニッキー・ブロンスキー/ジョン・トラヴォルタ/ミシェル・ファイファー/クリストファー・ウォーケン

1988年ジョン・ウォーターズ自らの脚本・監督によるコメディ映画が、2002年よりブロードウェイ・ミュージカルとして上演された。2003年トニー賞の最優秀作品賞をはじめ8部門で受賞。そしてこの舞台版ミュージカルを映像化したものが今回のこの映画。出世魚のように、どんどんと大きくなってきたような雰囲気。奨められたがなかなか観る気がせず、勇気を出してみたのだが、ミュージカル大嫌いの私が、大絶賛する映画であった。めちゃめちゃ面白い。主人公はかなりおでぶさんの女子高生。

映画は、冒頭からいきなりハイ・テンションで、そのテンションは最後まで落ちない。ミュージカルというジャンル分けの言葉が相応しくない。確かに音楽が普通の映画に比べたら、ふんだんに聞こえてくるけれど、セリフを音楽に乗せて歌うというものではない。1962年アメリカ・ボルチモアを舞台にストーリーは展開する。今でも人種差別が絶えないアメリカだが、この当時のアメリカの人種差別は今では想像出来ないほど相当に酷かったようだ。ケネディーが現れて人種差別が社会問題として取りざたされ、キング牧師により、さらにアフリカ系アメリカ人の地位が向上してきた。そんな最中の問題提起を軽いタッチで出来るのも、映画というメディアの大きな特徴であろう。ダンス・ステージですら、白人と黒人がロープで仕切られたエリアで踊っている。一緒に踊るラスト・シーンでの「これが未来さ!」という言葉に、歴史を見る。

ジョン・トラヴォルタが出ている。彼がサタデイ・ナイト・フィーバーよろしく単純に踊っているかというと、そうではない。そうでなければ、なにさ。これは映画を見た人だけの特権なので、是非鑑賞することを心からお奨めする。日本、日本映画界では絶対に作れない映画。この違いは何なのだろうかと、一人で悩んでも仕方がない。何を勘違いしているのか、三谷幸喜のようなぶざまな人物を輩出して、評価しているのが関の山の日本的コメディーと業界。

『第9地区』(District 9)

2009年・アメリカ/南アフリカ/ニュージーランド

監督/ニール・ブロムカンプ 出演/シャールト・コプリー/デヴィッド・ジェームズ/ジェイソン・コープ/ヴァネッサ・ハイウッド

南アフリカ共和国のヨハネスブルク上空に突如宇宙船が出現。しかし、船が故障してしまったため船内の者たちは地球に降りてくる。28年後、乗船していたエイリアンである「エビ」(外見がエビ[=PRAWN]に似ているため)たちは地上に移り、隔離地区である「第9地区」で難民として地球人と共存していた。そこは人間とエビの争いが絶えないため、MNU (英:MULTI-NATIONAL UNITED) と呼ばれる超国家機関によって管理・監視されていた。MNUの職員であるヴィカスは、エビたちをさらに離れた彼ら専用の居住区域である第10地区に移住させるべく、立ち退き要請の同意を得るため第9地区を訪れるが、その道中に見つけた謎の液体を浴びてしまう。

(Wikipediaより)

こういう映画は多少どういう内容かを説明しておかないと、こっちの言っていることがちんぷんかんぷんに聞こえるだろう。SF好きな私には、大変面白かった。特撮もなかなかのもので、今までにないCGと実写との融合が素晴らしい。日本映画みたいに結末をダラダラとしないのもいい。その後がどうなったかなんて、考えることの方が楽しいことなのだ。ひとつの結末を結論づけるやり方は、あまりにも日本映画的なことが多々。

昨日、生命体が宇宙にもいる可能性があるとのニュースがあった。どう考えたって、この無限の宇宙世界に地球だけにしか生命体がいないと言う方がおかしい。宇宙人との戦いになれば、地球全体がひとつになり、今起きているような世界中の騒動が減るかもしれない。

『L.A.コンフィデンシャル』(L.A.Confidential)

1997年・アメリカ

監督/カーティス・ハンソン 出演/ラッセル・クロウ/ガイ・ピアース/ケヴィン・スペイシー/ジェームズ・クロムウェル/キム・ベイシンガー

第64回ニューヨーク映画批評家協会賞と第23回ロサンゼルス映画批評家協会賞で作品賞を受賞。第70回アカデミー賞で9部門にノミネートされるも、年末に公開された『タイタニック』に史上最多タイ記録となる11部門に賞をさらわれ、助演女優賞と脚色賞の2部門だけの受賞となった。こういう映画をヘラルドが配給出来たことは希なことだが、その時にヘラルドに在籍していたら、きっと興奮していただろう。面白い映画はいつ見ても面白い。

ナインハーフ (Nine 1/2 Weeks・1985年)もヘラルド配給だったが、キム・ベイシンガーはデビュー間もない頃で若くてピチピチしていた。当てられなくて悔しい思いをした映画だったが、宣伝的には伝説的なものとなって、記憶に残る作品となった。今回は高級娼婦役、似合うと言ったら失礼なのか、的を射ているのか?やはり映画は総合芸術、チームプレーがいい映画を創り出す。

ラッセル・クロウは、気骨のあるいい男。だが弱点もあり、人間らしい。ニュージーランド出身で、アメリカで成功した俳優の1人でありながら、私生活では短気と粗暴な振る舞いから問題が絶えないことでも有名らしい。この映画の役柄とピッタンコであるのが可笑しい。また、『プルーフ・オブ・ライフ』で共演したメグ・ライアンと不倫関係になり、メグ・ライアンの元夫デニス・クエイドからは「ラッセルは俳優として尊敬できるが、人間としてはクズだ」と激しく非難されたという。いいよね、人間らしくて、こんな風に自由に見える生き方が羨ましい。

『カメレオン』

2008年・日本

監督/阪本順治 出演/藤原竜也/水川あさみ/塩谷瞬/豊原功補/萩原聖人/谷啓/犬塚弘/加藤治子/岸部一徳

『どついたるねん』(1989年)で評価を得た監督作品。この映画をまだ見ていないのが、不勉強。評判が良いと分かった時点で、とにかく見なければいけない。そうやって自分の映画鑑賞のモチベーションや底辺を自分で上げて行かなければ、人間としての進歩は遠のいてしまう。

谷啓、犬塚弘、加藤治子の老人トリオがいい味を出している。歳をとったからといって、いい演技が出来るわけでもなく、素質ある人が歳をとるから、きらりと光る演技が出来るのだろう。谷啓は残念ながら亡くなってしまったが。岸部一徳もちょくちょくいい役でいろいろな映画に出演しているが、こちらはちょっと鼻につくところがあり、老人トリオにはとてもかなわないと感じる。

日本映画で題名が「カメレオン」では興行は難しかったろう。映画は面白く、機会があれば是非観ることをお奨めする。やはり監督の力というものには、一貫性があるのだと思わざるを得ない。藤原竜也はそこらにいるイケメン芸能人とは、ちょっと違う成長の仕方をしている。蜷川幸雄流の癖のある舞台役者に成り下がることなく、映画俳優としてこれから大きく羽ばたく可能性がある。おそらく今回のように腕のある監督に恵まれれば、高倉健のような存在感のあるいい役者になるだろう。

『砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード』(The Ballad of Cable Hogue) 

1970年・アメリカ

監督/サム・ペキンパー 出演/ジェイソン・ロバーズ/ステラ・スティーブンス/デビッド・ワーナー/ストローサ・マーティン

サム・ペキンパー監督が自分のベスト映画だと宣言したといわれる。面白くなかったのには、そういう理由があったのか!監督が自分の思いのままに、そして我が儘に作った映画なんて、面白いはずがない。時々、そういう映画にお目にかかるが、いつもはお金を出す人、お金を管理する人、内容を吟味する人達がいるから、何とか興行に耐えうる映画が出来るのだ。

自分の好きなことを優先し思惑通りの価値観を、そのまま映画に反映させてしまったら、それこそ監督と価値観を共有する人しか面白いとは思わない映画が出来てしまう。いろいろな制約があってこその映画作品なのだということを、分かっているのに分からない振りをするのが監督という職業だ。

1982年に出来た「ケイブルホーグ」という映画配給会社があった。それなりに個性的な映画作品を配給していた。この会社名の由来がこの映画だったことを、今頃知るなんて、やはり映画のプロではない自分がいる。2005年末にこの会社は潰れてしまったが、ヘラルドだって無くなってしまう時代の流れ。映画好きのお金持ちの道楽でしか、映画会社は存続しないのだろうか。哀しい現状だ。

『アリス・イン・ワンダーランド』(Alice in Wonderland)

2010年・アメリカ

監督/ティム・バートン 出演/ミア・ワシコウスカ/ジョニー・デップ/ヘレナ・ボナム=カーター/アン・ハサウェイ

ルイス・キャロル作「不思議の国のアリス」(1865年)と、続編「鏡の国のアリス」のヒロイン・アリスの新たな冒険が映画化された。ティム・バートン監督と7度目のコンビとなるジョニー・デップが出演。『シザーハンズ』(Edward Scissorhands・1990年)は結構好きな映画だが、まか不思議な世界を描かせると、このコンビはなかなかの空間を創り出す。

アリスの世界には疎く、私のようなどこか欠落した人間には、夢の世界のファンタジーが現実感乏しく、なかなか中に入りきれないところがある。案の定、1回目の鑑賞はすとんと眠りにおち、どうしようかと迷っていたサッカー・アジア大会決勝の深夜放送を見るに必要な事前睡眠が出来たのだった。

ディズニーは凄い。いつまでたっても夢を贈り続けている。創業者の思想が見事に引き継がれている。人には命があるが、その魂は永遠なのが、夢の続きかもしれない。そういう風に誰かの心に残る人間になることは、もう不可能なのだと思うと、少しばかり寂しい気もする。

2011年1月26日の記録

昨年の5月中旬くらいから書き始まった「最近見た映画」記録。いつまで続くのだろうかと自分でも興味深かったが、思いがけないきっかけで毎日1本以上の鑑賞が止まってしまった。東芝製品「RD-S300」というDVD/ハードディスク・レコーダーでの録画が出来なくなったのだ。正確に言うと、ただCD/DVDトレイが閉まらなくなっただけなのに、録画画像の削除が出来なくなり、結果的に録画が出来なくなったのだ。

まだ2年半を過ぎた頃から症状が出始め、2年8ヶ月で完全故障状態。モニターは「サムソン」の液晶なれど、チューナーはアナログしか付いておらず、デジタル・テレビ番組はこのレコーダーのチューナーで見ている。それ故、録画が出来なくなったばかりではなく、普通の地デジ・BSデジタル放送を見る際も、画面右上に表示されている「トレイ開」の文字とマークがもの凄くうざったく、くそっと叫ばずにはいられない状態に陥っている。

電気屋の息子としては、しかも東芝の専売店であった環境に育っていると、まさか3年持たずに電機製品が壊れることは信じられなかった。単なる消費者なら、間違いなく長期保証に別途入るのだろうが、いや~まずかった。後の祭りで、自分を責めても始まらない。修理に出せばその間はデジタル放送を見られないどころか、料金も1万5千円~2万円はするという。たかだかトレイが閉まらなくだっただけで、この始末は納得出来ないでいる。高い買い物になってしまった。パソコンのパーツとしてのDVDドライブなら、3千円でおつりが来る。せめて換装出来る部品を明示してくれれば、自分で出来るものを。ネットの書き込みにも同じような症状が数多く見られ、車ならリコール対象商品になることは間違いない。人命に関わらないからと、許されるのも納得出来ないと憤っている。

この際なので、ブルーレイ録画機にしようかなと考えるのは自然なのだが、先立つものもなく、しばらくはこの録画機のトレイが出っぱなし、トレイ開の表示が出っぱなしで使い続けるしかないであろう。録画がままならないので、DVDレンタルを復活するしかない。症状が出始めた時に安物DVDプレーヤーを入手していたので、せめてものこと。テレビ番組は録画ではなく、リアルタイムで見るしかない。ダブル録画もかなり便利だったが、所詮は録画、同じ瞬間に2つの番組を見ることが出来るわけでもなく、落ち着いた生活が出来るようになるかもしれない。そういうわけで、ここまでにたぶん300本近くの記録を続けてきたが、これからはかなりペースが落ちての鑑賞が続くことになるだろう、ということを記録として残す。

『ドランのキャデラック』(DOLAN'S CADILLAC)

2009年・イギリス/アメリカ

監督/ジェフ・ビーズリー 出演/クリスチャン・スレイター/ウェス・ベントリー/エマニュエル・ヴォージエ/グレッグ・ブリック

『キャリー』、『ミザリー』、『シャイニング』、『ショーシャンクの空に』や『グリーンマイル』などなど、名だたるヒット作を紡ぎ出してきたスティーブン・キング原作。この映画内容はお粗末。

日本未公開だったらしく、DVDタイトルには『スティーブン・キング・・・』と著名な原作者を付けていることから窺い知ることが出来る、映画としての出来の悪さが寂しい。

スティーブン・キングとクリスチャン・スレイターとういう組み合わせで、どうしてこんなにも面白くない映画が出来てしまうのだろう。不思議なものだ。肝に銘じなければいけないこと、それは形や形式、体裁を整えたところで中身がなければ、人の心を捕まえることは出来ないということ。

『リクルート』(The Recruit)

2003年・アメリカ

監督/ロジャー・ドナルドソン 出演/アル・パチーノ/コリン・ファレル/ブリジット・モイナハン/ガブリエル・マクト/ユージン・リピンスキ

いつも思うことだが、二度目の鑑賞となると何となく心に余裕がある。筋書きを知っているからというのではなく、それどころかほとんど記憶にないことが多いのに、すでに見たからという変な気持ちにならなく居心地がいい。いい映画だった気がするものは再度の鑑賞となるが、面白くなかった映画も何となく覚えているので、その場合は録画しないし、間違って録画しても題名を見て再生を止めることがよくある。

アル・パチーノの仰々しい演技と役柄がはまった映画内容。どんでん返しの連続で、映画の主人公と同じように、何を信じたらいいのか分からなくなってくる。アメリカのCIAへのリクルートという内容なので、他にはないユニークで興味深いストーリーは卓越している。

入社試験を採用側から担当したことがあった。当時、「とまと銀行」とは?という設問を考え、試験問題の1問とした。男の大半は正解か空白の答え。女の大半は正解か全くいい加減な答え。男女の違いはこういうところにもあるんだ、と驚いた。分からない答を白紙で出すのと、全くの出鱈目を書いてでも行を埋めるのとでは、どちらの人間を信用し、強いては採用に至りますか?私は「白紙」を支持した。

『影なき男』(Deadly Pursuit)

1987年・アメリカ

監督/ロジャー・スポティスウッド 出演/シドニー・ポワチエ/トム・ベレンジャー/カースティ・アレイ/クランシー・ブラウン

シドニー・ポワチエ主演の映画ではあるが、残念ながら惨めな映画となってしまった。ここでまさか、こんな事が起きないよな、ということが起こる。

当時としてはそこそこだったかもしれない。時代が変わり、多くのミステリーやアクション映画が製作されたお陰で、なまじっかの内容では今や誰も驚かなくなってしまった。

子供に勉強を教える時に、自分が小学1年生だった頃を思い出しなさいと言っている。例えば6年生になっていれば、1年生だった時の勉強が馬鹿らしいほど分かるはずだ。そういう風にして、自分の能力や推理エネルギーを2年先にもって行けば、今の自分のおかれた状態など手玉を取るように解決出来るはずだ。時代はそうして先に進んでいる。

『ひまわり』(I GIRASOLI、SUNFLOWER)

1970年・イタリア

監督/ヴィットリオ・デ・シーカ 出演/ソフィア・ローレン/マルチェロ・マストロヤンニ/リュドミラ・サベリーエワ/アンナ・カレナ

映画館で見た初めての映画なので、特に印象深い。その前に一度も映画館に行ったことがないというわけでもないが、学校から連れて行かれた映画鑑賞なので自分の意志で見た映画という意味では。故郷、茨城県稲敷郡江戸崎町は当時人口1万人くらい、それでも映画館は2館あったから映画の隆盛は凄かった名残だった。

東京有楽町・日比谷スカラ座は1200席の巨大戦艦級劇場だった。その大スクリーンに映された「ひまわり」の花と、ヘンリー・マンシーニの音楽に感激したのだろうか。確かに見た記憶はあるが、それ以上のことは何も覚えていない。初めて女性と見たのも、こと時であったと思うのだが、確かではない。たぶんあの娘だろうから、いつか会うことがあったら確認してみたい。甘酸っぱい想い出。それ以来、パソコンのパスワード登録時の合い言葉に、毎回「一番好きな映画は?」「ひまわり」と答えてきた。大スクリーンで見る「ひまわり」に驚かなければいけない。小さな32型くらいのテレビ画面では、これだけ群生したひまわりを見ても、感動が薄い。大きな画面に大音量のオーケストラ音が映画の感動を盛り上げる。

このような映画を買い付けて、きっちりとヒットさせていたヘラルドの先輩を常に尊敬している。入社して暫くしてから、この会社の人達は凄いと思わされてきた。一流大学の三流人間の集まりと誰もが自嘲していたが、なになにそんなことはない、ひとつの事柄に秀でた人達の集まりだった。物事に対する倫理観が素敵で、個性豊かな人達であった。自分もそういう風になりたいと思いつつ、真似事のように過ごしてきたサラリーマン生活だったような記憶が残っている。

『続・黄金の七人/レインボー作戦』(IL GRANDE COLPO DEI SETTE UOMINI D'ORO、GOLDEN SEVEN: STRIKE AGAIN!)

1966年・イタリア

監督/マルコ・ヴィカリオ 出演/フィリップ・ルロワ/ロッサナ・ポデスタ/ガストーネ・モスキン/モーリス・ポリ/マヌエル・ザルゾ

前作に引き続きの鑑賞となったが、やはり飽きた。

しかもヘラルド配給だと分かって、複雑な気持ち。この程度の映画を、さも面白そうに宣伝するのは最も得意とするところだが、たぶんこの映画もそこそこの当たりをしたのではなかろうか。

007の新兵器を物真似したような子供だましの機器を使い、お手軽に2作目を撮影したという雰囲気。おもわず眠りに落ちるも後悔なし。夢のようにいい会社だったが、諸先輩達が苦労して築きあげた会社であることは、間違いない。

『黄金の七人』(SETTE UOMINI D'ORO、SEVEN GOLDEN MEN)

1965年・イタリア

監督/マルコ・ヴィカリオ 出演/フィリップ・ルロワ/ロッサナ・ポデスタ/ガストーネ・モスキン/ガブリエル・ティンティ/ホセ・スアレス

今ならアメリカが作りそうな銀行金塊強盗劇。作戦は見事だが、この時代では精一杯の電子機器が、なんともおもしろい。たぶん実社会の機器とくらべても、かなり進んでいた夢のようなハイテク機器を登場させていたはずだが、時の流れは怖ろしい、今では小学生でも絵に描かないようなロー・テクとなってしまった。

映画は常に流行の先端を行っていた。テレビが隆盛になって、その座を奪ってからは、テレビで映画の宣伝をするというおかしな具合になっている。見せなくてもいい場面もふんだんに盛り込んだ予告編や、テレビ・スポットを流さなければ、映画のヒットには繋がらないという皮肉な結果となっているのが現状。

そればかりか、テレビで視聴率が良かった番組を、映画版として公開する手法しか日本映画のヒットはあり得なくなってきている。テレビと同じ役者が、同じような演技をして、それでも映画館に来る人がいるという、説明しようのない状況だ。テレビで見たドラえもんを、映画館でも見たいという子供心とまったく同じ図式になっている。それでいいのだ、と言い切れるほど単純な話ではないと思うのは、元映画関係者だったからなのだろう。

『ああ結婚』(Matrimonio all'italiana)

1964年・アタリア

監督/ヴィットリオ・デ・シーカ 出演/ソフィア・ローレン/マルチェロ・マストロヤンニ/アルド・プリージ/マリル・トロ/ピア・リンドストロム

私が入社する前のヘラルド配給。アメリカ映画を買うことが出来なかった時代、イタリア、フランスからの買い付け作品がほとんどだった。本当ならアメリカ映画にも手を出したいが、アメリカン・メジャーもまだまだ元気な頃で、そんな隙は見つからなかった。

この時代の映画を見ていると、たわいもない話なのに飽きがくるわけでもなく、最後まで結構楽しんで見てしまうので不思議だ。個性豊かな俳優達が、それこそ水を得た魚のように自由に大らかに映画作りを自らも楽しんでいるように感じる。

マストロヤンニは亡くなってしまったが、ソフィア・ローレンはまだ健在、映画の良き時代の象徴とも言える二人の丁々発止は軽快で、しかも惹き付ける。

『インセプション』(Inception)

2010年・アメリカ

監督/クリストファー・ノーラン 出演/レオナルド・ディカプリオ/渡辺謙/ジョゼフ・ゴードン=レヴィット/マリオン・コティヤール

バットマンを原作とした『ダークナイト』(The Dark Knight・2008年)の監督だということを聞かされていた。いざ映画が始まったら、ダークナイトと同じような暗い場面と音楽のノリも同じようなので、所詮はこんなものかと思ってしまい、気が付いたら眠っていたがどのくらいの睡眠時間かは分からない。短かったような、長かったような。起き出してからのクライマックスには間に合っている。

映画の内容が夢の世界なので、こちらの眠りも現実か映画かと一瞬とまどい気味で我ながら面白かった。でも、映画は詰まらなかった。渡辺謙がクレジットの2番目に登場することぐらいが特筆すべきこと。国籍も地域性も問われない映画なら、日本人役者が日本人の役だけしか演じられないこともなく、少しは可能性が広がったようにみえる。

映画で一番詰まらないのは、今までのはみんな夢でしたといったこと。この映画は最初から夢の世界を語っているのでずるいと思った。テレビゲームのように何でもありのバーチャル・ワールドを両手で操っているだけの映像にみえる。若い奴らでこんなものを絶賛するやつがいるのだろうか。十人十色なので否定はしないが、肯定もしない。

『釣りバカ日誌20 ファイナル』

2009年・日本

監督/朝原雄三 出演/西田敏行/浅田美代子/吹石一恵/塚本高史/松坂慶子/谷啓/三國連太郎/加藤武/小野武彦/鶴田忍

88年にスタートしたシリーズの通算22作目(特別版2作を含む)にして完結編。監督は14作目からメガホンを取り続けた朝原雄三。ゲスト・キャストに松坂慶子、吹石一恵、塚本高史。鈴木建設の業績悪化に悩むスーさんを助けようと、釣りと家庭を愛する万年平社員・ハマちゃんは、釣りの人脈から思いがけない大型受注を取ってくる。そのご褒美に釣り休暇をもらったハマちゃんは、スーさんとともに北海道へ渓流釣りに向かう。(映画.comより)

若い頃は「寅さん」やこの映画を好きではなかった。何が面白いのか、何処で笑うのかが分からなかった。そういう意味では、私は大多数ではなく少数派に属するのだろう。歳をとってからようやくこの手の映画を、少しばかり楽しめるようになってきた。ようやく一人前になってきたのかもしれない。

小学生の頃、よく川釣りをした。どこの家にも裏庭に藁を積んだところがあって、ミミズを取るのに不自由はなかった。釣り竿は竹を切ってきて、釣り糸と釣り針を買うだけで釣りが出来た環境にいた。なので、フィッシングとかいってサラリーマンが余暇を楽しむ習慣が理解出来ないでいたし、今も理解出来ない。現在の麻雀メンバーは釣りが好きなメンバーだが、誘われても一緒について行く気にはなれない。一度だけ泊まりの海釣りに付き合ったが、それでも釣りに傾倒することにはならないでいる。

『パリ、恋人たちの2日間』(2days in paris)

2007年・フランス/ドイツ

監督/ジュリー・デルピー 出演/ジュリー・デルピー、アダム・ゴールドバーグ、ダニエル・ブリュール

フランス人写真家・マリオンとアメリカ人インテリアデザイナー・ジャックは、N.Y.在住のカップル。イタリアのヴェネチアへバカンスに訪れるが、帰国の途中、マリオンの故郷・パリで2日間を過ごすことに。だが、そこで待っていたのは、英語が全く話せない彼女の両親や、次々と現れる彼女の元ボーイフレンドたち…。ウィットに富んだラブコメディ。(CinemaCafe.net より)

いや~疲れる映画だ。喋りっぱなしなので、字幕スーパーを読むのに一苦労。英語とフランス語が分かれば、この映画の面白さが3倍になるかもしれない。果てない喋りと辛辣な内容は、羨ましいほどの大らかさ。日本だったら、二度と会うこともないだろうという相手となってしまう。

フランス人はこんなに皮肉っぽく人と接しているのだろうか。監督・脚本・主演のジュリー・デルピーはインタビューで「男女は真に分かり合えるの? 人は愛を通じて幸せになれるの?」と答えているが、そんな普遍的なものではなく、フランス人の嫌な特徴をフューチャーしただけの映画にみえる。面白いと言えば面白いし、うざったいと言えばうざったい。フランスもパリもあまり好きではないので、こんな性格がフランス人なら知人がいなくて良かったと思う。

『ギャンブラー』(McCABE & MRS. MILLER)

1971年・アメリカ

監督/ロバート・アルトマン 出演/ウォーレン・ベイティ/ジュリー・クリスティ/ジョン・シャック/キース・キャラダイン/シェリー・デュヴァル

俺の勝ち目は15に1つ!ガンと度胸でぶちのめす!男一代の大ギャンブル!〈俺たちに明日はない〉のウォーレン・ビーティと〈マッシュ〉の監督ロバート・アルトマンが、がっぷり四つに組んだ新機軸のブラックアクション!とallcinemaに書かれているが訳の分からない映画。原題の意味を無視して日本語題名がつけられている。画面も内容も暗くて陰気くさい作品、プロの映画評論家が喜んで語り評価を高くしそうな作品。

アメリカ開拓期、雪深い北西部の鉱山町、男マケイブ・女ミラー夫人、この二人が風呂付きの売春宿を共同経営するのが原題の由来。神代の時代から売春は女性の特権みたいなもの。男がホストクラブで一種の性を売るようになるのは、近代のこと。女経営者だからこそ出来るそこで働く女性に対するあらゆるケアを聞かされて、男経営者がたじろぐ場面が面白い。女が病気になったときの替えは?月のものが来た時はどうするの?性病の検査はどうするの?働けるうちはいいけれ(孕んでしまって)働けなくなったらどうするの?矢継ぎ早の質問に男は返す言葉もない。

こんな時代にも中国人は鉱山で働く男もいるし、商売女としても珍重されている存在。世界中に張り巡らされた中華思想は怖ろしい。どう立ち向かっても勝てそうにない中国の潰れる日まで、生きていることが出来るだろうか?

2017年6月7日に再び観たので記す。

『ギャンブラー』(McCabe & Mrs. Miller)

1971年・アメリカ 監督/ロバート・アルトマン

出演/ウォーレン・ベイティ/ジュリー・クリスティ/ルネ・オーベルジョノワ/マイケル・マーフィー

暗い西部劇で、一風変わったストーリー。一度観ているとは思うが、まだ観終っていない。

進まず。今日も進まず、珍しい状態が続いている。今日もまだ観終らない。5日目にしてようやく観終わった。そんな大した映画ではないが、観難い映画の部類かもしれない。

ウォーレン・ベイティという著名な俳優と馴染みがない。前回も同じようなことを書いた気がするが、幻かもしれない。夢か幻かという言い方があるけれど、この頃は夢か現か分からない時間があるような。これは呆けの前兆として記録に留める必要がある。今日は2017年6月7日水曜日。三菱東京UFJ銀行の預金口座からネット購入できるようになったLOTO6でこの月曜日数字6個のうち4個が当たった。もう2個とも1番違いだったのには驚いた。私の運は個々までで、最後の2個は1番違いだろうが10番違いだろうが当たらなければ意味がない。これで5700円とは残念だが、悔しいわけではない。所詮は不労所得の類い、こんなことを当てにしている人生そのものが不埒。

『マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶』(MARCELLO, UNA VITA DOLCE)

2006年・イタリア 監督/マリオ・カナーレ/アンナローザ・モッリ

出演/アルマンド・トロヴァヨーリ/バルバラ・マストロヤンニ/キアラ・マストロヤンニ/クラウディア・カルディナーレ/ソフィア・ローレン

/ルキノ・ヴィスコンティ/フェデリコ・フェリーニ/エットレ・スコーラ/フィリップ・ノワレ/アヌーク・エーメ/ジュゼッペ・トルナトーレ

イタリアのテレビ局が特集を組んで作ったのかと思ったら、きちんと劇場公開用だったらしい。マルチェロ・マストロヤンニの人となりを紹介する映像で、結構楽しくためになった。

役者などというものは所詮我が儘で、身勝手で、独りよがりで、贅沢三昧をして浮世離れしていると思っていたら、ここの主人公はどうもかなり違っていたようだ。異口同音に「控えめ」「謙虚」という言葉が発せられていた。名だたる監督や脚本家、そして共演した役者達がものの見事に彼を褒め称えている。希な存在であったことは確からしい。二人の娘も同じような証言をしている。

普通でいることが重要だったようだ。本人の告白も随所に織り込まれている。女たらしのように見えた姿はまったくの虚像で、マスコミが勝手に作り上げたものらしい。非常に興味ある内容で、役者を目指す人がいたら是非観ておくべきだろう。欠点と言うには取るに足らないことだが、「電話魔」であったこと、「インゲン豆のパスタ」のためなら命を賭けていたといったことが面白可笑しく語られていた。撮影の合間にもいつも電話をかけていたという監督の証言は本当なのだろう。時々は頭に来たこともあったとまで言っている。食道楽だけはスター並み?だったようで、このインゲン豆パスタには相当のご執心だったそうだ。幅の広い人格と芸の領域が一致していた人間だったことが窺える。1996年72歳没。葬儀はローマの教会で国葬扱いで行われた。

『ワンダとダイヤと優しい奴ら』(A Fish Called Wanda)

1988年・イギリス

監督/チャールズ・クライトン 出演/ジョン・クリーズ/ジェイミー・リー・カーティス/ケヴィン・クライン/マイケル・パリン/トム・ジョージソン

盗まれたダイヤモンドの在り処をめぐるライト・ブラックなクライムコメディ(Wikipedia)とあるが、どういう意味なのかよく分からない。イギリス人が作ったイギリス人のためのコメディーのように見える。英語がよく理解出来る人なら笑いもおきようが、どうにも笑いのツボが合わなかった。英国人気質や英語での独特の言い回しがあるように思えたが、そのことすら分からないので映画の魅力が通じない。

志村けんの馬鹿殿様番組のように、分かり切ったことを分かり切ったようにやってお笑いをとるのは、その文化やDNAが一致してないと観客にはなれないのと一緒だろう。イギリス訛りに憧れるアメリカ人もいるが、この映画の女主人公はイタリア語やロシア語で攻められると、めろめろになってしまう、可笑しくもない。

サム難波(ヘラルド元副社長)さんはアメリカ育ちの読売巨人軍・ファンという心は生粋の日本人。入社試験で「はい、少し英語が出来ます」とでも答えようものなら、独特のアメリカ・西海岸英語のマシンガン・トークで受験者を失望の縁に陥れていた。その彼が冗談めかしくロンドンの地で言ったこと、「小河くん、僕の英語が通じないんだよ!」と。半分ジョークなのだが、半分くらいは当たっていたのではないか。

『天国までの百マイル』

2000年・日本

監督/早川喜貴 出演/時任三郎/大竹しのぶ/羽田美智子/村上淳/柄本明/ベンガル/筧利夫/八千草薫/ブラザー・トム/小野寺昭

結構シビアな物語。こういう映画も心が痛む。親の面倒を子供4人のうち誰がするのか、どう係わり合うのか?という現実には多々ありそうな題材だけに、見る側も自分と置き換えて見てしまう。

母親を東京から千葉の病院まで転院させるために、自分で車を運転して行く距離が100マイル、そう160キロ・メートルというのが原題の由来。原作は、鉄道員(ぽっぽや) の浅田 次郎、お涙頂戴という単なる浅はかなものではない。

大竹しのぶを映画の中で見たことは少ない。なかなかやるジャン、というのが感想。はすっぱな夜のお勤めの役だけれど、尻の青いジャリタレとはひと味違う演技がいい。さんまがテレビでいつも貶しているけれど、いい役者なら家庭の顔と役者の顔が大きく違うのが当たり前。

『ドライビング Miss デイジー』(Driving Miss Daisy)

1989年・アメリカ

監督/ブルース・ベレスフォード 出演/ジェシカ・タンディ/モーガン・フリーマン/ダン・エイクロイド/パティ・ルポーン/エスター・ローレ

物語は1948年に始まり1973年までの25年間のお話。既に老女で始まる物語だが、映画の終わりで主人公はまだ亡くなってはいない。この年に生まれて自分もこれくらいの期間の人生だったら、惜しまれていただろうにと嘆く。アメリカの人種差別はこの映画の描く時代では、まだまだ歴然と存在。だからこそのこの映画なのだが、堂々と、あるいは面と向かって差別のことを論じあえるアメリカ社会は少し健全だ。

キャデラックがえらく格好良く、こんな車だったら今でも人気があるだろうと思えた。私もこのデザインの車なら手に入れてみたい。1953年に一人の主人公である雇い主の老婦人を乗せて、ジョージア州アトランタからアラバマ州モービルに向かう。もう一人の主人公である老運転手は、70才という歳になって初めて州境を越えたという。そんな時代だったのだろう。時は、マーティン・ルーサー・キング牧師の活躍する時代。旅の途中で呼び止めた警官のセリフ「黒人の老運転手とユダヤの老婦人とはいい組み合わせだ!」という言い方に、人種差別の現実を見る。

いつまでもいつまでも見ていたいという映画。前回の鑑賞がいつだったのかは覚えていない。確かなことは、今回の鑑賞では間違いなく感動が倍増していること。ゆったりとしたストーリー展開なのに、なんの不満もない。刺々しい会話も心地よい。ひとつひとつの動作や目線に細かい神経が行き届き、そういう所作の重なりが映画を実のあるものにしていると納得出来る。自分が歳をとったからなのか、この頃たくさんの映画を見ているからなのか、どういう理由にせよこの映画の良さを実感出来て嬉しくなった。

『幻影師アイゼンハイム』(The Illusionist)

2006年・アメリカ

監督/ニール・バーガー 出演/エドワード・ノートン/ポール・ジアマッティ/ジェシカ・ビール/ルーファス・シーウェル/エディ・マーサン

こういう映画は好きだ。アメリカでは単館上映だったが、評判を呼んで1,000館以上の上映となったとある。大作は最低でも2,000館以上で同時公開するのがアメリカ映画界。地味だけれども、大人の映画、大人のトリックを感じる。イリュージョンと呼ばれる分野の奇術は目を瞠るものがある。

映画の中ではイリュージョンを映像で作っているため、一層際立って素晴らしい舞台に見えるところがいい。現実的にはあそこまでのイリュージョンをやることは難しいだろうが、タネや仕掛けを不思議がるより、その卓越した手際に無条件に拍手を送ることがこういうものを見るコツ、心構えだと思う。

映画の結末になり大いなるイリュージョンを見せつけられ、はっとして映画を見終われることは一種の快感。編集が上手く、余計な映像を削ぎ落とした軽快な進行が心地良い。

『それでも恋するバルセロナ』(Vicky Cristina Barcelona)

2008年・アメリカ/スペイン

監督/ウディ・アレン 出演/スカーレット・ヨハンソン/ペネロペ・クルス/ハビエル・バルデム/パトリシア・クラークソン/レベッカ・ホール

原題の意味は、アメリカ人の親友同士の名前ヴィッキーとクリスティーナ、そしてスペイン・バルセロナへの旅行中に起こる恋愛騒動のこと。スカーレット・ヨハンソンがそそる。そういう役柄なので余計そういう風に見える。

ウディ・アレンが監督とは!この項を書き始めてから知った。彼の作風はどうも苦手で、あまり映画を見ていない。男と女の物語は小説でも、映画でも、どの世界においても尽きることはない。人がいればそれだけの関係があり、誰にも分からないオリジナリティーの恋愛がある。いつでも恋していることは素敵なこと。

バルセロナは一度だけ。商業都市にガウディの建物が建っているという印象。街が汚かったことを思い出す。私が訪れた数年後、知り合いの女性が身ぐるみはがされ領事館に駆け込んだという話を聞いた。ラテン系の国は今でも治安がやばい。

『シッピング・ニュース』(The Shipping News)

2001年・アメリカ

監督/ラッセ・ハルストレム 出演/ケヴィン・スペイシー/ジュリアン・ムーア/ケイト・ブランシェット/ジュディ・デンチ/スコット・グレン

「ショコラ」に続くラッセ・ハルストレム監督作品。ピューリツァー賞受賞小説の映画化で、失意のまま故郷の島に舞い戻った男が、悩み多き島の住民と触れあいながら再生する姿を見つめる。(ぴあ映画生活より)

「ショコラ」はもの凄く好きな映画で、みんなに奨めている。仕合わせになれる映画だとも言っている。一転、この映画はテーマがひどく暗い。祖先の地ニューファンドランド島という場所がえらく厳しい所で、海岸の岩の上にロープを張って家を支えているようなところ。住めと言われても絶対遠慮したいような土地でのはなし。

心の傷が癒えるのには時間がかかるという障碍を持った人達が映画の中で集っている。一筋縄では行かない人生のキビを垣間見るような物語に、自分の心も痛みを感じた。

『夏物語り』(ONCE IN A SUMMER)

2006年・韓国

監督/チョ・グンシク 出演/イ・ビョンホン/スエ/オ・ダルス/イ・セウン/チョン・ソギョン/ユ・ヘジン/イ・ジェウン

韓国映画は意識してあまり録画しないようにしている。毛嫌いしているわけではないが、あまり面白いと思ったことがないからという単純な理由。表現がオーバーで、ちょっとどことなく自分に合わない。

珍しく録画したのは、面白そうだという予感がしたから。でも、やっぱり面白くなかった。学生時代の一夏の苦い経験をちょっと年を食った主人公が回想し、今の自分と彼女を思い出す映画。かったるい。

韓国のイケメン俳優に全く興味はないが、唯一顔と名前が一致するイ・ビョンホン。庶民の顔で悪くはないが、演技はくさい。出来の悪い日本映画よりは、韓国映画の方がどのジャンルをとっても遙かに出来がいいと思うし、時間を潰すならおちゃらけた正月のテレビ番組よりはどう考えてもいい。

『コンタクト』(Contact)

1997年・アメリカ

監督/ロバート・ゼメキス 出演/ジョディ・フォスター/マシュー・マコノヒー/ジョン・ハート/ジェイムズ・ウッズ/トム・スケリット

ET.(E.T. The Extra Terrestrial・1982年)や未知との遭遇(Close Encounters of the Third Kind・1977年)のように、宇宙との交信を試みる主人公科学者を中心とした映画ストーリー。

夢物語は好きだ。冷静に考えても地球以外の星に生き物がいると思える。空想は果てしなく続くものだが、それを小説化したり、映画化することは夢が限りなく広がって楽しい。

ジョディ・フォスターが「アクターズ・スタジオ」に出演した時、癖のようにちょっと舌打ちしながらインタビューに応じていたことを思い出す。映画の中でも時々その癖が現れて、見ていて意味無くはらはらしたりして一人で悦に入っていた。無くて七癖と言われるように、自分では気付きに難い仕草を誰しもが持っている。言われて嫌な気になることが多いかもしれないが、言ってくれた人に感謝して自分を見極めよう。

『カリブの熱い夜』(AGAINST ALL ODDS)

1984年・アメリカ

監督/テイラー・ハックフォード 出演/ジェフ・ブリッジス/レイチェル・ウォード/ジェームズ・ウッズ/アレックス・カラス/ジェーン・グリア

とても「愛と青春の旅だち」を監督した人の作品とは思えないほどの出来の悪さ。三流映画にもなれず、二流映画の領域を彷徨いつつ、あまりにも中途半端さが目立つ。

題名を聞いたことがあったので古い作品だと思っていたが、26年前なら充分古い。日本語題名から想像するベッドシーンの華やかさなんか、微塵もない。よくもまー・・・*;+#"$!。

カリブ海観光映画かなと思える反面、観光映画としても不満足。友人のホームページ「手造りの聖地巡礼」にも出てくる世界遺産、チチェン・イッツァ(メキシコ・マヤ文明の遺跡)を映像で見られたことが唯一の満足か。

『結婚しようよ』

2008年・日本

監督/佐々部清 出演/三宅裕司/真野響子/藤澤恵麻/AYAKO&中ノ森BAND/金井勇太/モト冬樹/岩城滉一/松方弘樹/田山涼成

どうせまた、おちゃらけた詰まらない映画だろうと思いながら見始まった。いつもの日本映画とトーンが違うと感じつつ、最初の10分を難なく乗り切った。ひどく真面目で、おちゃらけるどころかNHKの連続テレビ小説を見ているような感覚にさせられた。そしてテレビ画面よりは、確かに映画っぽい雰囲気も兼ね備えていた。役者の雰囲気が役柄に合っていたのも好ましい。

題名通り吉田拓郎の歌がふんだんに流れる。単なるバックグラウンド・ミュージックとしてではなく、登場人物の人生の1頁を飾る音楽として登場するので心地よい。自分と同じような世代の人達がこの映画作りに携わっているのだろう。

さりげない「父親」としての威厳を象徴するかのような言葉や挙動は、この映画の本質なのだろう。決して真面目過ぎて詰まらないなどとは言えない。この頃の日本映画の中では、良質でいい映画だと思う。ただ、こういう映画を当てるのは難しいだろうというのも想像がつく。願わくば、昔学校から歩いて映画館に行って見せられたような、強制的な映画鑑賞にしたい作品かもしれない。素直だ。

『敬愛なるベートーヴェン』(Copying Beethoven)

2006年・アメリカ/ハンガリー

監督/アニエスカ・ホランド 出演/エド・ハリス/ダイアン・クルーガー/マシュー・グード/ラルフ・ライアック/ジョー・アンダーソン

監督は、ポーランド・ワルシャワ出身。交響曲第9番の誕生を背景にルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年 - 1827年)と写譜師の女性アンナ(架空の人物)の交流を描く。晩年の1824年から1927年の間の物語。

ベートーヴェンは40代に入ると、難聴が次第に悪化し、晩年の約10年はほぼ聞こえない状態だった。交響曲第9番を初演した時、音が聞こえない中でタクトを振るのにはどうしたのか、という疑問は映画を見てもらえればなるほどと頷ける。そしてこのシーンからこの映画の盛り上がりが一気に頂点に駆け上がる。

天才とは神の声が聞こえる人のことを言うのだと分かった。もしかすると自分も天才ではなかろうかと大いなる勘違いをすることもあったが、神の声が聞こえない天才などありはしないと思い知らされた。映画の中では「神」というセリフが数多く語られる。天才が自ら言うからこその真実味が、そこには存在する。とてもじゃないけど、凡人には到底理解出来ない、為しえない現実がそこにはある。

『ぼくのおばあちゃん』

2008年・日本

監督/榊英雄 出演/菅井きん/岡本健一/原日出子/阿部サダヲ/寺島進/桐谷健太/石橋蓮司/加藤貴子/清水美沙/深浦加奈子

菅井きんが世界最高齢映画初主演女優としてギネス認定されたのと、深浦加奈子の遺作となったことが特筆されるのみ。最近、木下工務店が映画製作に関わっているという話を聞いたばかりだったが、この映画がそうであった。映画の好きな企業が映画業界に参画するのは結構な話、出来得ればもっといい映画を作るよう最善の努力をして欲しい。主人公の職業が家造り企業ではオチにもならない。

平々凡々と画面作りに勤しんでいるだけの味気のない映画。良き話を良きように映画ストーリーとしてまとめるのは、見ている側からすると欠伸ものになってしまう。

おじいちゃんやおばあちゃんと同居したことが無かったので、一種の憧れ的なものをずーっと持っていた。商売人の息子として育った環境では、なんでも自分でやらなければならないことも多く、そんな境遇が今となっては役に立っていると感謝している。


2018年11月18日再び観たので記す

『ぼくのおばあちゃん』

2008年(平成20年)・日本 監督/榊英雄

出演/菅井きん/岡本健一/阿部サダヲ/寺島進/清水美沙/加藤貴子/深浦加奈子/石橋蓮司/原日出子

小さい頃、おじいちゃんやおばあちゃんと呼べる存在がいなかった。母方の祖母は、たぶんあの人だったのだろう、と今更ながらに思い出せる。歩いて20分も行けばその家に到着でき距離だったが、子供心には結構時間のかかる訪問だった。2人の兄は明確に認識していたと感じるが、私の中ではおばあちゃんと呼べるほどの接触時間もなかった気がする。「としお!きたか!」と声を掛けてくれる姿を思い出す。いつだって野良仕事の途中なので、孫といえども、懇切丁寧に面倒を見る時間もなかったに違いない。

母方の従妹も一番下が我が長兄と同級生だったことを考えると、私の存在はちっちゃな子供でしかなかったのだろう。その母方の祖父は覚えていない。葬式に参列したような。父方の祖父も葬式に参列したかもしれない。祖母はあのひとだったのかなぁ~。兄弟の多かった時代の末っ子の孫になると、家を出ていることもありなかなかあの時代に祖父・祖母の寵愛を受けるという環境ではなかった。

自分がいざ祖父の立場になっても、環境は違えども、同じような立場にいるのが可笑しい。長女の息子二人には何度も逢っているしパソコンを教えたりDVDをコピーしてあげたりで、私の存在は認識されているだろう。それでも、この映画のように毎日主人公がおばあちゃんと顔を突き合わせているシーンを見ると、かなり羨ましい気もちが優ってくる。木下工務店制作の映画は良質だ。作る映画のテーマに一貫性がある。

『天使』

2005年・日本

監督/宮坂まゆみ 出演/深田恭子/永作博美/永瀬正敏/内田朝陽/佐藤めぐみ/小出早織/鰐淵晴子/安藤希/泉谷しげる

キャストに深田恭子の名前を見つけたので、さて見てみようという気になった。好きなタイプとかそんなことを言える歳でもなく、ただ雰囲気的にはいいよねという感じ。男だろうが女だろうが、あんまり理屈っぽくなくて馬鹿っぽさを出しながらも、実は結構頭が良さそうというのが理想だろう。

漫画が原作ということも珍しくはないが、主人公の「天使」にまったくセリフがないというのは悪くはない。でも何か一言喋らせた方が、もっと印象的になったのだろうと思う。

見ず知らずの人達が「天使」を廻り映画ストーリーに登場する。監督の力がないのか、物語が散漫になって見える。なんとか深田恭子だけの魅力でもっているような映画。それでいいのだ。

『奇跡』(ORDET, THE WORD)

1954年・ベルギー/デンマーク

監督/カール・テオドール・ドライエル 出演/ヘンリク・マルベルイ/エミル・ハス・クリステンセン/プレーベン・レーアドルフ・リュ

同じ年に作られた『道』(La Strada・イタリア)などヨーロッパ映画の古びた映像が生々しい。アメリカではオードリー・ヘップバーンの『麗しのサブリナ』(Sabrina)が作られ、画面からもかなり異なる社会が想像出来る。

奇跡を起こすのが神で、奇跡を起こせなければ神ではない。それがキリスト教の原点なのだろうか。現代のローマ教皇の選挙でさえ、どれだけ奇跡を起こせたかを問うているという話を聞くが、それは本当なのだろうか。

ここまで真剣に宗教、キリスト教、宗派の違いを真っ当に論じる映画は、この時代、この製作国ならではのことだろう。それでも、信じれば奇跡が起きるというのであれば、世界中の誰だって神を信じるさ。

『バウンティフルへの旅』(THE TRIP TO BOUNTIFUL)

1985年・アメリカ

監督/ピーター・マスターソン 出演/ジェラルディン・ペイジ/ジョン・ハード/レベッカ・デモーネイ/カーリン・グリン

制作年の1985年といえばヘラルドの宣伝部長をやっていた時代。宣伝には素人なのに部長という役割だったが、決断だけが唯一の能力だったように思う。サラリーマンは何かひとつ秀でたものがあれば、それで充分と言える見本みたいなものだった。

なにも分からずに人生をただ暮らしている人間には、こういう映画の良さは絶対に分からないだろう。自分も間違いなくそういう類にカウントされる人種だ。今となって、年をとり、失うものが何もないと思える年齢になって、初めてこういう映画の心が身に沁みてくる。

故郷を思う気持ちは世界共通。世界中にある「嫁・姑問題」もひとつのテーマになっているが、現場に立ち会うことがなかったことが、仕合わせだったのか、それとも人間らしくもっとたくさんの事件現場を経験すべきだったのかは、未だもって分からない。

『スタンドアップ』(North Country)

2005年・アメリカ

監督/ニキ・カーロ 出演/シャーリーズ・セロン/エル・ピーターソン/トーマス・カーティス/フランシス・マクドーマンド/ショーン・ビーン

筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう、amyotrophic lateral sclerosis、通称ALS)、女性主人公の女友達が発症した病名が一瞬、一行だけ字幕スーパーとして表示された。友人の奥さんが2年の命を宣告され、亡くなってしまった記憶が甦る。

世界初のセクシャルハラスメント訴訟、1988年に起こった実話を基に映画化された。男からみても酷い仕打ちが鉱山で働く女性達に投げつけられる。映画とはいえ見るに耐えない、聴くに堪えない男どもの性差別は、こんな時代もあったのかと思わせるほど強烈だ。今の時代には到底考えられないことが、20年前にはまだ歴然と存在していたことの方がショックに思える。

原題の North Country は、アメリカ・ミネソタ州の北の町を指している。今年、ミネソタ州ミネアポリスにあるメトロドームスタジアムの屋根が、降り積もった雪の重みで崩壊したというニュースは記憶に新しい。そんな寒い町だからこそ、女性の職探しの中に鉱山労働者があったということ。原題の持つ意味、製作者の意図を無視して日本語題名をつけることは悪いことだ、と言い切ってしまうほど勇気はないが、かなり気になっている。サー・アルフレッド・ジョウゼフ・ヒッチコック(Sir Alfred Joseph Hitchcock, KBE, 1899年8月13日 - 1980年4月29日)の映画日本語題名を見てみると、ほとんど原題直訳日本語題名であることが分かる。内容が優れていれば、題名は直訳でもいっこうに問題ないことだと言える良い証明になっている。

『赤い鯨と白い蛇』

2005年・日本

監督/せんぼんよしこ  出演/香川京子/浅田美代子/宮地真緒/坂野真理/樹木希林

松竹時代、父親の社長と栄華を欲しいままにして悪名高かった奥山和由が製作総指揮をとっている。人生をかなり経験したからこそ、このような映画が作れるのかもしれない。ちょっと見直した。TVドラマの演出家として活躍してきた「せんぼんよしこ」が、齢70を超えて映画監督に初挑戦したという。これまた少し驚いた。映画監督の才あり。

小津映画のようなカメラワークが、心地良いように人物を映し出す。香川京子がおばあさん役とは、時代は間違いなく移り進んでいる。浅田美代子もいい味を出している。宮地真緒もそれなりに。子役も才気走ってなくほどよい感じだ。むしろ芸達者のはずの樹木希林が、浮いた感じに見えたのが可笑しい。

奇抜な題名は、映画ストーリーの中で明らかになるのだが、そんな題名にしなくても充分話の良さは伝わってくる。ひとりひとりの人間が、それぞれに持つ悩みをさらけ出しながら、人間模様を繋いでゆく。「私が生きていたことを覚えていて欲しい」と兵隊さんから今のおばあちゃんに告げられた言葉が、ずしりと共感を覚える。おもわず休憩無しで見てしまった。久しぶりの日本映画完賞(鑑賞)である。

『ハンサム★スーツ』

2008年・日本

監督/英勉 出演/谷原章介/塚地武雅/北川景子/佐田真由美/大島美幸/ブラザー・トム/温水洋一/池内博之/本上まなみ

3日間の上京の間に録画した映画が、それなりに溜まってしまった。見なければいけないというプレッシャーは、映画鑑賞においては禁物である。而して見始まったが、1本目にして無惨にも心配事が崩れた。

過去最高の短時間にて5倍速鑑賞となった。映画が始まって1分もしないうちに、この映画の底の浅さが見え見え。酷いという言葉も相応しくない。原作が詰まらないのだろうし、脚本も輪をかけて悲惨なのだろう。

日本映画を嫌っているわけではないのに、あまりの確率の悪さに閉口する。日常茶飯事的にテレビ画面に出ている芸人どもが、映画という舞台を台無しにしている。映画館大賞「映画館スタッフが選ぶ、2008年に最もスクリーンで輝いた映画」第68位とあるが、こんなランキングがどういう意味をもつのだろうか?

『私がクマにキレた理由』(THE NANNY DIARIES)

2007年・アメリカ

監督/シャリ・スプリンガー・バーマン/ロバート・プルチーニ 出演/スカーレット・ヨハンソン/ローラ・リニー/アリシア・キーズ

ママの遺したラヴソング(A Love Song for Bobby Long・2004年)やブーリン家の姉妹(The Other Boleyn Girl・2008年)などが印象に残るスカーレット・ヨハンソン。一度見るとその口元の特徴に、この娘は誰?とつい調べたくなる女優。この映画では完璧な主演だが、割合と低予算映画だと感じられる。

原題の NANNY(ナニー)は、[英]住み込みまたは通いのベビーシッター(兼家庭教師)という意味、映画の中でも「ナニー」と呼ばれている、日本でいう住み込みの家政婦さんていうところ。大学の人類学科を卒業したけれど、すぐに経済活動の会社への就職を躊躇う気持ちがわき起こり、ひょんなことからナニーになって人物研究と洒落てみたまではよかったが・・・。

お金持ちの生活が、決して見た目のように仕合わせではないことを実感する。人々がもとめることは、裕福になって仕合わせを得ること。仕合わせとは、裕福の上に成り立っていると誰しもが思っている。確かにそうであろう、せいぜいお金を目指して人生を全うすればいいのさ、きっと。

『バビロン A.D.』(BABYLON A.D.)

2008年・アメリカ/フランス/イギリス

監督/マチュー・カソヴィッツ 出演/ヴィン・ディーゼル/ミシェル・ヨー/メラニー・ティエリー/ランベール・ウィルソン/マーク・ストロング

「ワイルド・スピード」「トリプルX」のヴィン・ディーゼル主演で放つSFアクション。度重なる戦争で荒廃した近未来の地球を舞台に、人類の存亡を左右する少女を目的地まで運ぶ依頼を引き受けてしまった一匹狼の傭兵が、次々と降りかかる危機を切り抜けながら世界中を駆け巡り、邪悪な陰謀に立ち向かう。監督は「クリムゾン・リバー」のマチュー・カソヴィッツ。(allcinemaより)

近未来を描く映画は、この頃では表現が難しい。我々が青春だった頃、2035年とかいう時代がもう目の前に迫って来てしまった。どう考えても嘘に見えるような映像は作りにくい。かといって、奇想天外な映像はもっと嘘っぽい。

相当の大作でない限りは、近未来をテーマにした映画は三流作品と断じられても仕方がない。暇つぶしならいいだろうが、時間がたくさんあるのに、わざわざこんなものを見たくもないと思わせる作品。

『インスタント沼』

2009年・日本

監督/三木聡 出演/麻生久美子/風間杜夫/加瀬亮/笹野高史/ふせえり/白石美帆/松岡俊介/温水洋一/宮藤官九郎/松坂慶子

『カンゾー先生』(1998年)で、ヌードと濡れ場シーンを演じきり、無名女優から一気に日本アカデミー賞最優秀助演女優賞、新人俳優賞を受賞したという主演女優麻生久美子がよく分からない。カンゾー先生は見ているのに印象に残っていない。いきなり松坂慶子のかなり太めの姿が映し出され、あ~あと溜息をついた。若かりし頃のあの美貌と姿形は遠い昔の幻影。

あっという間に深い眠りについた。どのくらい熟睡したのだろうか、起き出してからそのまま見続けたストーリーに、なんの問題もなかった。見返す必要がない分だけ、後悔しなくて済むので助かる。よくもまーこんな映画を作るな、とまたまた感心をしてしまう。

奇想天外でなければ勝負出来ない物語や脚本を恨めしく思う。見ていて侘びしさで胸が一杯になる。どうしてこうも未成熟な映画作りが出来るのだろうか。面白いと思う人もいれば、面白くないという人もいる、と映画を語ってきているが、価値観だけで片付けてしまったら映画界の巨匠達に申し訳ない。

『冒険してもいいコロ!』(FINDING BLISS)

2009年・アメリカ

監督/ジュリー・デイヴィス 出演/リーリー・ソビエスキー/マシュー・デイヴィス/デニース・リチャーズ

題名からしておちゃらけているので、日本未公開映画にビデオ会社がつけた題名だと分かる。どんな風におちゃらけているのかを見たかった。最初は期待通りの軽さだが、なんか様子が変だ。もしかするとポルノ・ムービーではないかと?映画自体はポルノ映画ではないが、ポルノ映画を製作している会社に主人公が勤めるという設定。そこから夢の第一歩である自作脚本のメガフォンを取って、自分の映画作りをしてゆくという物語。

元映画業界人にとっては興味のある題材だった。大学の映画学科を卒業し、卒業時に「最優秀作品賞」を撮ったのだったが、業界への就職はままならず、履歴書と脚本をあっちこっちに送りつけるだけの毎日だった。唯一返事が来たのが、ポルノ・ムービー製作会社だったという訳だ。

コネと運がなければ、映画業界人になることは出来ないというセリフは妙に納得出来る。才能があればその職業に就くことが出来る訳でもない。ましてや、映画業界は狭き門。難しいわけではなく、数多くの人間を必要としていないので、職に就くのが難しいのだ。奥の深いアメリカ、アメリカ映画、ポルノ映画業界にもアカデミー賞のような祭典がある。誇らしげに肉体を顕示して、トロフィーを受け取る姿にはポルノだからという卑屈さは微塵も感じられない。映画の中では、ポルノは禁句で、今では「アダルト・エンターテインメント」と呼ぶそうな。

『フレンジー』(FRENZY)

1972年・イギリス/アメリカ

監督/アルフレッド・ヒッチコック 出演/ジョン・フィンチ/バリー・フォスター/ビリー・ホワイトロー/バーナード・クリビンス

淀川長治さんが生きていたら「怖いですね、怖いですね~・・・」とテレビ解説が始まっていただろう。冒頭からロンドンの風景とともに、テムズ川に浮かぶ女性全裸死体が映し出される。懐かしきロンドン、もう一度行ってみたい。

淀川長治さんは本当に映画を愛していた。講演の依頼があると持ち時間を尋ね、2時間では短すぎると笑い話のようなホントの逸話を残した。どの映画にも良いところがあり、そこの話をするので全部の映画が面白いと言っているように聞こえるのではなかろうかと、本人が語っていた。一度だけだが2時間ぐらいお喋りをしたことがある。しかし彼は、次に会った時には「あなたは誰?」というような顔をして、見知らぬそぶりをするのだった。これもまた有名な話で、彼に覚えられるのは並大抵ではなかった。もっとも、”その気”がない私にとっては、覚えが目出度くない方が嬉しかったが。

「frenzy」(fre'nzi)とはなんぞや?と思い調べたら、[名]1. 熱狂;逆上, 狂乱, 乱心, 激高、2.狂乱発作, (発作的な)精神錯乱;躁(そう)病の発作.━━[動](他)((主に受身))〈人を〉狂乱[逆上, 熱狂]させる, 夢中にならせる。という意味らしい。犯人の変質狂的犯罪を指しているのだろう。

『疑惑の影』(SHADOW OF A DOUBT)

1942年・アメリカ

監督/アルフレッド・ヒッチコック 出演/テレサ・ライト/ジョセフ・コットン/マクドナルド・ケリー/パトリシア・コリンジ

ヒッチコックがもし今の時代に生きていたら、どんなCGを使いどんな映像を作っていただろうかと夢の世界。日本の今までと同じように、何か出来ないことが起こると、知恵を腕に認めてなんとか克服して見せていたのと同じように、何もないから様々なトリックを考え出していたことは確か。

こうなるだろうという結論がひとつあるとすれば、ヒッチコックの場合はその次に二つ目、そしてまた三つ目の結論を映像化してみせる。これでは映画ファンならずとも、映画館に足を運ぶのも頷ける。テレビ放送を見て、面白いの面白くないのと言っていられる今の環境が贅沢すぎる気がする。

ヘラルドのような会社では、残念ながら一本もヒッチコック作品を買うことが出来る環境ではなかった。面白くない映画を、さも面白そうに見せて売るのがヘラルドの得意手だった。『グレートハンティング』 (Ultime grida dalla savana・1975年・イタリア)などは、インチキの極み。やらせのようなライオンが人間を食い千切る映像でボーナスを得ようとは、今考えると冷や汗もの。

『地下室のメロディー』(LA MELODIE EN SOUS-SOL)

1963年・フランス

監督/アンリ・ヴェルヌイユ 出演/ジャン・ギャバン/アラン・ドロン/ヴィヴィアーヌ・ロマンス/モーリス・ビロー/ジャン・カルメ

日本ヘラルド映画株式会社が配給した自慢の映画。私はまだ中学生、ヘラルドに入ってからは、語りぐさとして聞いた記憶がある。アラン・ドロンは28才、1960年の太陽がいっぱい(PLEIN SOLEIL)で既にスターの仲間入りしていた彼の、その後の活躍を象徴するかのような作品。

何もかもが大らかで、それぞれが自分の道を大胆に進んでゆく時代だった。特に徒党を組む訳でもなく、ひとりでにみんなが集まり熱狂していた時代。作られた世界ではなく、みんなが作っていた時代。そういう時代背景があるからこそ、こういう優れた作品が出てきたような気がする。

結末に至るその巧みなストーリー展開に、心がわくわくと躍り出すような快感を覚える。

『折り梅』

2001年・日本

監督/松井久子 出演/原田美枝子/吉行和子/トミーズ雅/加藤登紀子/田野あさ美/金井克子/岡本麗/中島ひろ子/乾貴美子

生命力の強い梅は、折っても土にさせば幹が成長するという。生け花でも折りながら形を整えることもあるという。少しばかり生け花をかじっていたが、梅を生けたことはなくそういう話も知らなかった。尤も生け花の場合、枝を撓めて曲線を自由に活かすのは基本中の基本。

引き取った母親がアルツハイマーの初期状態からすこしずつ進行してゆく。耐えられ難い日常生活を、極く普通の日本の家庭の中に描いている。見ていると身につまされる自分がいる。ドライではない日本人のDNA、お隣さんの眼、それでいて優しい職場の仲間。状況をすぐに理解出来ない子供達。

芸達者な女優人の中に一人だけいるトミーズ雅があまりにも可哀想。下手さ加減が目立ってしまうのは、不幸というよりミスキャスト。深刻な内容に一筋の安らぎを求めての起用かと、好意的に見るのが精一杯。全体としてまずまずのお奨め。

『キルスティン・ダンストの大統領に気をつけろ!』(DICK)

1999年・アメリカ/カナダ/フランス

監督/アンドリュー・フレミング 出演/キルステン・ダンスト/ミシェル・ウィリアムズ/ダン・ヘダヤ/デイヴ・フォーリー/ウィル・フェレル

ウォーターゲート事件(Watergate Scandal)とは、1972年から1974年に起きたアメリカの政治スキャンダル。事件は、ニクソン共和党政権の野党だった民主党本部があるウォーターゲート・ビル(ワシントンD.C.)に、不審者が盗聴器を仕掛けようと侵入したことから始まった。当初ニクソン大統領とホワイトハウスのスタッフは「侵入事件と政権とは無関係」との立場をとったが、ワシントン・ポストなどの取材から次第に政権による野党盗聴への関与と司法妨害が明らかになり、世論の反発によってアメリカ史上初めて現役大統領が任期中に辞任に追い込まれる事態となった。

審問の過程で、マッコードがCIAの元局員で大統領再選委員会の警備主任であったことが判明する。ワシントン連邦地方検事局(アール・J・シルバート主任検事補ほか)はマッコードとCIAの関係の調査を始め、彼が大統領再選委員会から何らかの賃金を受取っていることを発見する。同じ頃、ワシントン・ポストの記者ボブ・ウッドワードは同僚カール・バーンスタインと共に独自の調査を始め、事件に関する様々な事実を紙面に発表した。内容の多くはFBIおよび他の政府調査官には既知のものではあったが、ウォーターゲート事件に対する世間の注目を集めることとなり、ニクソン大統領やその側近を窮地に立たせる結果となった。ウッドワードによって「ディープ・スロート」と名づけられた内部情報提供者の素性はウォーターゲート事件におけるミステリーとされていた。(以上、Wikipediaより)

映画はウォーターゲート事件の鍵を握ってしまった二人の女子高生を描いたティーン向けコメディ映画。最初から最後まで軽々の映画。ニクソンについても事件についても詳しく頭に入っていなかったので、調べ直す良い機会となった。事件に係わる人物名が実名、しかもニクソン始め実物と似せた俳優を起用している。二人の女子高生のみが架空登場人物で、他は揶揄するに相応しい人物像として映画に登場している。アメリカ映画そしてアメリカ社会の奥深さ。さすがに日本での劇場公開には耐えられないと判断されたらしく、日本未公開映画である。ニクソンの正式名は、リチャード・ミルハウス・ニクソン(Richard Milhous Nixon)。原題「Dick」は、Richardの別称、ロバートならボブと呼ぶのと同じよう。ニクソンもディックと呼ばれていた。ただ、Dick には、(俗)ペニスという意味も明確に存在し、映画のおちゃらけた雰囲気を物語るのに充分。この映画のアメリカ国内の興行収入は $6,000,000.- タイタニックと比べることは詮無きことだが、ちょうど100分の1。

『めまい』(VERTIGO)

1958年・アメリカ

監督/アルフレッド・ヒッチコック 出演/ジェームズ・スチュワート/キム・ノヴァク/バーバラ・ベル・ゲデス/トム・ヘルモア

ヒッチコックの仕掛けるサスペンスは色褪せない。多少もどかしく感じるのは、CGを駆使した現代映像に慣れてしまった観客には、アナログ的技術が幼稚に見えることがあることぐらい。

最初から最後まで自問自答し通しだった。この映画を見ているはずなのに、ストーリーが記憶の中で繋がってこないとか。おかしいな、どう考えても見ているはずなのに結末が想い出せないとか。映画に関しては記憶力が極めて悪い。覚えようとしなくても忘れられない、数字に関することとは大違い。思考構造なのか、心の問題なのか、覚えておく必要もないけれど、せっかく面白いと感じた内容をあっさり忘れようとは、あまり出来の良い頭でないことは確かだ。

この映画を見る前に「知りすぎていた男」を見始まったが、こちらは最初の時間帯のシーンを見たことがあると感じて、鑑賞を止めてしまった。何処に基準があるのか自分には分からないが、何度でも見られる映画と一度でいいやという映画があることも確かだ。

『裏窓』(REAR WINDOW)

1954年・アメリカ

監督/アルフレッド・ヒッチコック 出演/ジェームズ・スチュワート/グレイス・ケリー/レイモンド・バー/セルマ・リッター

グレイス・ケリーはこの年になんと5本の映画に出演している。全部で11本、その後シンデレラ・ストーリーとなったモナコ公国レーニエ大公妃に華麗に転身している。映画が始まって暫くしてから、ジェームズ・スチュワート住むアパートの明かりのない一室に現れた彼女の美しさに、はっと息をのむ。

舞台は終始変わらずアパートの部屋のみ。原題の直訳日本語題名が、名画となった今では簡潔で素晴らしい題名に思える。こういう映画を見ているはずの日本映画業界人は、もっと面白い脚本を求め続けなければいけない。

夜11時ちょっと前に見始まって、今夜は前半のみにし残りは明日見ようと企んでいたが、なんのことはない一気に見終わってしまった。面白い映画はこうだからたまらない。何故こうも日本映画との差がありすぎるのだろうか。

『GOEMON』

2009年・日本

監督/紀里谷和明 出演/江口洋介/大沢たかお/広末涼子/ゴリ/要潤/玉山鉄二/チェ・ホンマン/佐藤江梨子/戸田恵梨香/りょう

1852年、豊臣政権下。信長暗殺の真相につながるパンドラの箱を石川五右衛門が盗むくだりから物語が進行する。歴史上の人物とストーリーを斬新な切り口で展開してみせる。それ自体は面白い。CGを駆使し、画面が白っぽ過ぎるので見難い。映画館の映像ならもしかすると良いのかもしれない。

おちゃらけたテレビ番組や地を出してテレビ番組に出ている「ゴリ」などが画面に出てくると、一気にテンションが下がる。映画という超アップにされた顔が映る映像では、その表情ひとつひとつが命。見慣れた顔がテレビと同じような表情でセリフを喋るのが胸くそ悪い。

ギャラが少ないから映画だけでは食って行けない日本映画業界の最大の欠点。テレビ軽タレントが映画に大きな顔をして出演したって、映画を盛り下げるばかりか侮辱にしかならない。そんな環境では何十年も同じようだった日本の映画作りに、将来はなかろうと哀しむのみ。

『評決』(THE VERDICT)

1982年・アメリカ

監督/シドニー・ルメット 出演/ポール・ニューマン/シャーロット・ランプリング/ジェームズ・メイソン/ジャック・ウォーデン/ミロ・オーシャ

北の零年を見た直後だったので、あまりの出来の違いに絶句した。2時間越え(129分)の長尺ものだが、長さを感じさせない映像作りはプロの仕業だ。ポール・ニューマンでなかっとしても、たぶん映画の出来にはあまり関係がなかったようにも思える。

アカデミー作品、監督、脚色、主演男優、助演男優の5部門にノミネートされたが、「ガンジー」という強敵の前に無冠となっている。賞取りだけは運不運がともなう。日本でも始まった裁判員制度。アメリカには有名な『12人の怒れる男』という裁判劇があるが、それに匹敵する出来かもしれない。

ここで字幕スーパーの話。1本の翻訳料は?単価としてはxxx円/1巻という単位がある。卷とは?映画フィルムをぐるぐる巻きにして約20分の巻物を作り、それをブリキのカンカンに入れて管理します。2時間ものなら6巻で1作品になります。翻訳料はセリフの量にかかわらず、1巻あたりいくらという料金を決めています。裁判劇のようにセリフの多い映画も、アクション映画のようにほとんどセリフのない映画も同じ値段になるのです。1本あたりはせいぜい30万円程度なので、あまりいい商売とは言えません。長くやっていれば平均するので、セリフの量で生じる不満感は問題にされません。今や映画館もデータをダウンロードして、ハードディスクから上映する時代となってきました。昭和の時代、自転車の後にフィルム卷を積み1巻上映したら別の映画館に運んでゆくという、2館の劇場で同じ映画を上映するアナログ的離れ業は、懐かしい想い出となってしまいました。(映画館は2台の映写機を使い自動切り替えをで1本の映画を上映する。映画全盛時の邦画は1巻10分だった。)

『北の零年』

2005年・日本

監督/行定勲 出演/吉永小百合/渡辺謙/豊川悦司/柳葉敏郎/石原さとみ/吹越満/寺島進/石橋蓮司/石田ゆり子/香川照之

大作なんだろうから眠ってはいけない、早回しもいけないと我慢をしていたが限界、いつの間にか軽い眠りに陥り早回しを実行。上映時間168分は、いくらなんでも長すぎる。最初の1時間を30分に縮め、全体で2時間弱がいいところの内容だ。

史実に基づいて再構成した映画であるとクレジットに謳っていたが、そんなことでは言い訳出来ない面白くなさ。ただ名が通った俳優が出演しているだけの映画。こんなものを大作として送り出す映画会社に「喝」。

『キューポラのある街』以来吉永小百合の映画をきちんと見たことがない。サユリストではないし、早稲田の時に1年上に在学していて賑やかだったことだけが接点だ。仲代達也と出会った時から彼女の演技がブサイクになった。すぐに眼で演技をするようになったのだ。どのシーンを見ても、彼女の眼が気になって仕方がない。嫌いな女優ではないが、もっと彼女には華々しい結婚生活をして欲しかった。スターといわれる人達の特権、煌びやかな生活を人々にひけらかすことが求められている。

『真空地帯』

1952年・日本

監督/山本薩夫 出演/木村功/神田隆/加藤嘉/下元勉/西村晃一/金子信雄/花沢徳衛/岡田英次/三島雅夫/沼田曜一

昭和19年日本本土にいる兵隊さん達の兵舎における出来事がメインの話。「真空地帯」とは、激しいリンチや制裁がまかり通る軍隊のことを表現している。第二次世界大戦も末期、南方に送られることは死を意味する状況での兵隊さん達の葛藤の日々が、日本陸軍という腐りきった規律の中での問題をも提起しているような。街の様子はほとんどなく、郭でのシーンが2、3回描かれている程度だ。

いろいろな思いが湧き上がる。父親から教えられた兵舎に響くラッパの音の意味、就寝時には「兵隊さんはかわいそうだね、また寝て泣くのかよ-」と聞こえ、起床時には「起きろよ起きろよみんな起きろー、起きないと・・・・」最後の部分は忘れたが、こんな風に聞こえるのだという。【准尉】だった父親と同じ「位」の人が、小隊をまとめた副隊長のような役割で偉そうにしていたのが気にかかった。

若い頃に木村功の映画を結構見た記憶がある。凛々しい顔立ちに、陰を持つ人物として好演が目立つ。映画館にはほとんど行っていないので、テレビ放映だったのだろうか。兵隊さんものもたくさん観たように記憶する。理不尽な日本軍内部の規律などを何度も見ているうちに、今の自分の通念に対する基準だ出来上がってきたようにも思った。映画に描かれているようなことが現実にあったら、自分などはとおの昔に人間を諦めていただろう。初年兵と3年兵というだけで、これほどの差別を甘受しなければならない人間関係は、異常世界の見本のようなもの。これでは日本が戦争に勝てるわけがない。

『素晴らしき日』(ONE FINE DAY)

1996年・アメリカ

監督/マイケル・ホフマン 出演/ミシェル・ファイファー/ジョージ・クルーニー/メイ・ホイットマン/アレックス・D・リンツ

ミシェル・ファイファーは1958年生まれというからこの映画の時は38才か。ずいぶん前から彼女の名前を見ているので、もうだいぶ年なのではないかと誤解していた。今年52才、「恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」(The Fabulous Baker Boys・1989年・アメリカ)、「バットマン リターンズ」(Batman Returns・1992年・アメリカ)あたりが代表作。

ジョージ・クルーニーは1961年生まれ、彼も多くの作品に出演しているが、軽いタッチの映画が似合っている。ミシェル・ファイファーとの共演作品としては、この程度の内容では少しもったいないように見える。当人達はどの程度こういう映画に出演することで満足しているのかを知りたい。

シングル・マザーとシングル・ファーザーのちょっとしたドタバタ劇。アメリカ映画のいいところは、どんなにドタバタでも必ず人生訓に通じるところを入れてくる。くさいと言われても間違いなく入れる。しかもそれが的外れではなく、結構小気味いい場合が多い。素直になれないバツイチ同士の恋愛には、素直な気持ちが絶対必要だと言いたげ。

『ラスト・オブ・モヒカン』(The Last of the Mohicans)

1992年・アメリカ

監督/マイケル・マン 出演/ダニエル・デイ・ルイス/マデリーン・ストウ/ジョディ・メイ/ラッセル・ミーンズ/スティーヴン・ウェディントン

英仏間で争われた北米大陸での植民地戦争、フレンチ・インディアン戦争(1755 - 1763)最中の1757年が舞台。インディアンと同盟を結んだフランス軍を相手にイギリス人が戦ったところからこの呼称。イギリス軍が旗色悪い時の物語。

結果的にはイギリス軍が勝利し、フランスとの植民地獲得競争での優位を確実にし、植民地貿易の利潤をよりいっそう蓄積するに至り1760年代以降のイギリス産業革命へと邁進する。他方、北米大陸におけるフランス人勢力が一掃されたことによって、イギリス領の植民地が本国からの安全保障を必要としなくなり、直後のアメリカ独立戦争へと歴史は転換する。イギリスは、13植民地を安全にしたがために、かえってそこを失ってしまうという皮肉な結果をもたらした。

戦争の結果が反対であれば、アメリカ人はフランス語を喋っていたのかもしれない。先住民族であるインディアンの境遇は数多くの映画で描かれてきた。この映画の主人公であるモヒカン族の父親・息子・養子の白人が大活躍する物語は、モヒカン族の血が途絶えてしまうことを象徴的に表現して見せている。大作感溢れた映像と音楽が見る者を圧倒する。劇場で見なくてはいけない作品。

『怒りの葡萄』(The Grapes of Wrath)

1940年・アメリカ

監督/ジョン・フォード 出演/ヘンリー・フォンダ/ジェーン・ダーウェル/ジョン・キャラダイン/チャーリー・グレイプウィン/ドリス・ボードン

「エデンの東」の作者でもあるアメリカ合衆国の作家ジョン・スタインベックによる小説の映画化。彼はピューリッツァー賞(1940年)、ノーベル文学賞(1962年)も受賞している。1940年のアカデミー賞ではジョン・フォードが監督賞、ジェーン・ダーウェルが助演女優賞を受賞。出版当時、大恐慌下のアメリカ社会に対する直接的な告発ともなっていたため、アメリカ全土に絶大な影響を及ぼしたという。

主人公一家がオクラホマから追われるように、なけなしの財産で購入したトラックに乗り夢のカリフォルニアへと向かう。通る路は歌でも有名なルート66(Route 66)。イリノイ州シカゴとカリフォルニア州サンタモニカを結ぶこの道路を行く。なんという貧しい姿なのだろうかと眉をひそめたくなる。大恐慌というのはこれほどまでに酷かったのかと、あらためて認識させられる。1斤15セントのパン代を払えないから、10セント分だけ切ってくれとドライブインの店員に懇願する。カリフォルニアまで我慢すれば、新しい希望に満ちた生活が待っているのだと辛抱の日々が描かれる。

映画では最後まで仕合わせな家族の姿は見られない。日本の今の就職氷河期の様子と状況は同じようにも見えるが、根本的に何かが違う。時代も違うと言われればそれまでだが、きちんとした身なりのコンサバ・スーツに身を包んで、職がありませんと嘆く姿はどうみてもこの映画の辛さには通じない。それでも、母親曰く「民衆はいつでも生き続けるんだよ・・・」と逞しく家族を引っ張ってゆく姿が印象的だ。

『シリアの花嫁』(THE SYRIAN BRIDE)

2004年・イスラエル/フランス/ドイツ

監督/エラン・リクリス 出演/ヒアム・アッバス/マクラム・J・フーリ/クララ・フーリ/アシュラフ・バルフム

一番馴染み難い中東の地での話。ゴラン高原という誰でも聞いたことのある場所が舞台。イスラエルに占領された地に住むイスラム少数派・ドゥルーズ派の人達はパスポートに無国籍と記載されている。映画の世界ではなく本当の世界の話。境界を越えてシリアに嫁に行ったら、二度と里帰りのために故郷には戻れないという花嫁、姉、兄達、父親と母親、家族と親戚、友達の話。

この中東に関しては何度調べても、何度話を聞いてもよく分からない。分かろうとしていないのかもしれない。たまたま日本人として生まれてしまったので、中東地域での紛争も戦争も歴史も頭に入ってこない。理解したら、たぶんそれ以上のさらなる理解を要求されるような気もする。

興味深い映画ではあったが、現実に起こっている人間の問題提起を受けたという事実にとどまった。それ以上はどう考えていいのか、これからどのように向かい合ったらよいのかさえ、なんにも見えてこない。そんなことでいいのかと、怒られそうな気がするが仕方がない。ただただ普通の人間は、その程度しか思いが至らない。

『ふたりのトスカーナ』(IL CIELO CADE、THE SKY WILL FALL)

2000年・イタリア

監督/双子の兄弟アンドレア&アントニオ・フラッツィ 出演/イザベラ・ロッセリーニ/ジェローン・クラッベ/ヴェロニカ・ニッコライ

映画監督でもあるイタリアの女流作家ロレンツァ・マゼッティの自伝的小説『Ilcielo cade (天が落ちてくる)』を映画化したヒューマン・ドラマ。第2次大戦下のイタリア・トスカーナ地方を舞台に、両親を亡くした幼い姉妹が美しい自然の中での健気に生きる姿と、彼女たちのひと夏の出来事を情感豊かに綴るとともに、戦争が及ぼす悲劇を描く。(allcinemaより)

映画の終わりのクレジットには1944年8月という記載が。明日のことは分からないからこそ、必死になってその時その時を生きているのが人間。翌年1945年4月イタリア社会共和国は崩壊、ムッソリーニは処刑される。単に戦争の悲劇という表現ではなく、なんとも言い表せない空しさに心が泣いている。

ひたすら陽気なイタリア人気質だが、日本人と相通じるマイナー・コードの心情も持っている。どの映画にも豊かな心の中を描いた物語が多い。日本ヘラルド映画配給『ニュー・シネマ・パラダイス』(Nuovo Cinema Paradiso、Cinema Paradiso・1989年)は、その代表的な作品。

『追想』(Anastasia)

1956年・アメリカ

監督/アナトール・リトヴァク 出演/ユル・ブリンナー/イングリッド・バーグマン/ヘレン・ヘイズ/エイキム・タミロフ/マーティタ・ハント

イングリッド・バーグマンの美しさは変わらないが、カサブランカ時の27才に比べれば41才になった姿は、少しばかり年を感じる。ユル・ブリンナーの存在感は強烈、『十戒 』(The Ten Commandments・1956年)や『王様と私』(The King and I・1956年)は代表作のひとつ。日本ヘラルド映画配給作品もあった。『エスピオナージ』(Le Serpent・1973年)、題名は良く覚えているが内容はちっとも覚えていない。もしかすると見ていないかもしれない。

映画は良くできている。これぞ映画ストーリーという全編。映画の醍醐味を心ゆくまで味わうことが出来る。いろいろな要素をふんだんに惜しみなく映画として成り立たせている。『旅愁』『哀愁』『旅情』などなど出尽くした感のある日本語題名のキーワード。『追想』-過去を思い出してしのぶこと-、映画内容を言い表して上手い題名を考えたものだ。原題 Anastasia は、ロマノフ朝第14代にして最後のロシア皇帝ニコライ2世(ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ)の第4皇女アナスタシアのこと。皇帝一家は全員銃殺されたが、後にアナスタシア皇女を名乗る女性(アンナ・アンダーソンなど)がヨーロッパ各地に現れ世間の話題をさらい、そのことが映画ストーリーの基となっている。

スウェーデン出身の女優とロシア出身の男優がアメリカ・ハリウッド製作の映画に出演して、全世界で鑑賞され絶賛されることが素晴らしい。映画世界の普遍的で最も重要な存在価値。たかが映画、されど映画という言葉が響く。

『恋するための3つのルール』(MICKEY BLUE EYES)

1999年・アメリカ

監督/ケリー・メイキン 出演/ヒュー・グラント/ジェームズ・カーン/ジーン・トリプルホーン/バート・ヤング/ジェームズ・フォックス

『モーリス』(MAURICE・1987)が本格的な映画デビューとなったヒュー・グラント。当時ヘラルドのクラッシック部門ヘラルド・エースが配給した。別会社にはなっているが、日本ヘラルド映画もヘラルド・エースもまったく同じ会社のうち。海外での作品購入にあたり、同じ作品でも日本ヘラルド映画がオファーするとヘラルド・エースよりも高額を要求された。それは、買い付け後の公開劇場の規模がまったく違うと、お互いが認識しあっていたからこそなのだ。ヘラルドとしては、この二重外交を上手く使い、作品の買い付けに妙技を発揮していた。

『モーリス』はホモを扱った映画で、こういう際どい映画を当てるのがヘラルドの得意手だった。一般の女性が喜んで見に来るように仕掛ける手際は、ほかの配給会社には到底出来ない事だった。当時の日本では、ホモは市民権もなく一部の変態野郎だと思われていた節がある。おすぎとピーコを大事にしてマスコミの寵児にしたのも、ヘラルドの功績が大きい。私といえば、ホモを理解するほど成熟した心を持っていなかったため、モーリスでさえリアルタイムで観ようという気にはなれなかった。

ラブ・ロマンティック・コメディーには欠かせないヒュー・グラント、嫌みがなく同じような恋人同士を描いた映画に多く出演している。年をとった時のはまり役はどういったものになるのだろうか、ちょっと興味がある。原題の MICKEY BLUE EYES は、恋人の父親がニューヨークに住むイタリアン・マフィアの一員だったことから騒動に巻き込まれ、とっさにヒュー・グラント役に付けたマフィアの一員ぽい名前の一部。そんなものを映画タイトルにするところが、アメリカ映画の奥の深さだと思う。

『カサブランカ』(Casablanca)

1942年・アメリカ

監督/マイケル・カーティス 出演/ハンフリー・ボガート/イングリッド・バーグマン/ポール・ヘンリード/クロード・レインズ

映画史に残る名作としてあまりにも有名。この時のイングリッド・バーグマンの美しさは、目を瞠るばかりだ。映画を見ていて女性の顔をまじまじと見つめることなどそうざらにはないが、いやはやなんと綺麗な顔立ちなのだろうと何度でも唸ってしまう。1943年、第16回アカデミー作品賞・監督賞・脚色賞を受賞。

1940年6月にナチス・ドイツのフランス侵攻でフランスは敗北。パリ陥落という歴史的な出来事が起こった。まだナチ政権下の1942年に製作が開始され、同年11月26日に公開された。映画は1941年12月頃という設定になっている。多くのヨーロッパ人がフランス領モロッコのカサブランカを経てポルトガル・リスボンに渡り、そこからアメリカ合衆国への脱出を試みた。フランスのレジスタンスとドイツ・ナチの闘いは、このアフリカの大地でも火花を散らしていたのである。

映画製作における反骨精神を見るのに充分な教材である。悪と戦い懲らしめるという大義名分は、映画を見る全世界の人々を巻き込み、大きな渦となって平和へと向かう潮流を作ったに違いない。それにひきかえ、危機管理能力のない日本の現政権を目の当たりにして、あまりにも不甲斐ない精神と行動に失望を通り越した激しい怒りを感じる。

『バンコック・デンジャラス』(Bangkok Dangerous)

2008年・アメリカ

監督/彭順、彭発 出演/ニコラス・ケイジ/チャーリー・ヤン/チャクリット・ヤムナム/ペンワード・ハーマニー

1999年の映画『レイン』(タイ)を基に、同じ監督の彭兄弟が2008年にアメリカでセルフ・リメイクした作品とある。舞台はタイのバンコック。冒頭は「プラハ」での仕事(暗殺)場面から始まるが、それ以降はタイの風景が全部。

チャーリー・ヤン香港女優を除けば、検索にもかからない俳優ばかり。ニコラス・ケイジひとりのギャラでこの映画が成り立っているように思える。セルフ・リメイクとは一体何を指すのかは分からない。アメリカ映画ではあるが、何処も制作にも配給にも興味を示さなかった映画なのだろう。

三流映画ではあるが、ラストシーンは二流映画の領域に入っていた。それなりにお金も遣っているシーンが結構見られた。当たっても当たらなくても、作りたいから作るんだと映画製作が出来れば、それは最高に仕合わせなこと。そんなうまい話は、TOTOで6億でも当てない限りは実現することはない。

『あなたが寝てる間に…』(WHILE YOU WERE SLEEPING)

1995年・アメリカ

監督/ジョン・タートルトーブ 出演/サンドラ・ブロック/ビル・プルマン/ピーター・ギャラガー/ピーター・ボイル/ジャック・ウォーデン

一度見たら間違いなく忘れられない顔、サンドラ・ブロック。アップになった時に注視していたら、顔のパーツはひとつひとつが結構際立っていた。口と目は大きく、鼻は高い。全体となるとコケティッシュで愛らしい。顔ばかりではなく、さりげない役者としての才能が垣間見られる。アメリカ映画らしい明るく、家族愛を謳い、見ていて気持ちがいい。

クリスチャンの国アメリカでは、クリスマスを廻る映画が多い。この映画もクリスマスの時期に、一緒に過ごす家族も恋人もなく働く主人公が主役だ。こんな映画を見ていると、クリスマスばかりではなく、一年中一人気ままに暮らしている自分の身と置き換えてしまう。寂しいといわれれば、その通りと答えるが、気ままでいいねといわれれば、それもその通りだと答える。

信心もなく、無意味に生きている人生はなんの意味があるのだろうか。

『きみの友だち』

2008年・日本

監督/廣木隆一 出演/石橋杏奈/北浦愛/福士誠治/吉高由里子/宮崎美子/田口トモロヲ/大森南朋/柄本明/中村麻美

もうどうしようもないほど酷い。最初の1分は普段の日本映画より軽快に映像がスタートした。これはいけるかなと思っていたところ、すぐに今まで通りの流れに陥った。かと思ったら、さらに酷くなりドキュメンタリータッチの映像へと切り替わっていった。結局、2倍速、3倍速、5倍速と映像だけを流し見て5分もたたずに鑑賞終了。

せっかく見始まったのに映像を早回しにしてしまうなんて、と後悔することがありそうだが日本映画の場合はほとんどそんな気持ちになったことがない。あまり好きではない女子に言い寄られても、心が全く動かなかった昔を少し思い出す。人に自慢出来るほどもてたわけはないが、それでも一人や二人はすり寄ってきた娘もいたような気がする。

間違いなく誰かが損をしているはずなのに、相変わらず作り続けられる日本映画。悪くはないが、ここまでつまらない映画を作っていると、映画世界を壊してしまう気がする。面白い映画を是非作って欲しい。

『ウェイトレス~おいしい人生のつくりかた』(WAITRESS)

2006年・アメリカ

監督/エイドリアン・シェリー 出演/ケリー・ラッセル/ネイサン・フィリオン/シェリル・ハインズ/エイドリアン・シェリー/ジェレミー・シスト

サンダンス映画祭など各国の映画祭で大絶賛され、アメリカで公開されるやいなや予想を上回る大ヒットを記録したハートフル・ストーリー。田舎のダイナーで働くウェイトレスが、突然の妊娠をきっかけに自分自身に目覚めていく姿を描く。監督は2006 年に他界した女性監督エイドリアン・シェリー。ヒロインのウェイトレスを「フェリシティの青春」のケリー・ラッセルが演じる。ほろ苦くもおかしい独特の語り口と、登場するおいしそうなパイの数々がポイント。(シネマトゥデイより)

ストーリーや感想を書くほどの映画ではない。映画に出てくる「パイ」には凄く興味が湧いたけれど、映画としては四流。それがアメリカでは大ヒットしたようだ。日本の興行成績は調べられないが、どう考えても当たったとは思えない。東京・日比谷のシャンテシネでの公開らしいので、小さく配給したのだろう。シャンテシネは良作を長くやる映画館、それに相応しい映画とは到底思えない。

アメリカ人も、有名スターのギャラが高い映画ばかりでは飽きてしまうので、時々このような小さな作品を愛したりするのだろう。見ていると、最初から本気モードではない映画作りの雰囲気が伝わってくるといったら、失礼なのだろうか。どうしてもそんな風にしか見えない映画もあるということさ。それでもくだらない最近の日本映画よりは遙かにマシだよ、と付け加えておきたい。

『風と共に去りぬ』(Gone with the Wind)

1939年・アメリカ

監督/ヴィクター・フレミング 出演/ヴィヴィアン・リー/クラーク・ゲーブル/レスリー・ハワード/オリヴィア・デ・ハヴィランド

71年前の映画、上映時間3時間42分、マーガレット・ミッチェル原作の世界的ベストセラー小説を映画化。あらためて観た。自分の生まれた9年前に、製作されて大ヒットしたというから驚くばかりだ。アメリカ映画の隆盛は、こんな作品からも脈々と受け継がれてきた成果であろう。

映画を取り巻く環境や結果に文句を付けるところはなにひとつない。内容が好きか嫌いかといわれれば好きくはない。意地悪で我が儘な女の話だけジャン、と嫌がってみせても誰も同調しないだろうが、目の前にこんな勝手な女がいたら蹴飛ばしてやりたい。文芸作品というものに、あまりというかほとんど興味がない。叙事詩的大作ドラマという言葉にも反応しない。平々凡々の精神しか持ち合わせていない。

主人公とは対照的に登場する生涯の親友の存在に救われる。人間を信じ、なにものにも動ぜず、常に気高く、ひたすら優しく振る舞う心根は、私の目標とする人物像である。生きているうちは無理でも、そんな気持ちを天国まで持って行けたら。

『コニー&カーラ』(CONNIE AND CARLA)

2004年・アメリカ

監督/マイケル・レンベック 出演/ニア・ヴァルダロス/トニ・コレット/デヴィッド・ドゥカヴニー/スティーヴン・スピネラ/ダッシュ・ミホク

典型的なお馬鹿ちゃん映画で呆れるほど三流映画の様相ながら、それでいて面白い。アメリカ映画の奥の深さをここでも感じさせられる。本物の女性が理由(わけ)あって”女装をする男に化ける”というストーリー展開。ドタバタな訳がないと唸らせるのが凄い。ゲイの世界を垣間見せられ、興味が湧く。

アメリカでは知らない人がいないほど有名だと思われる、デビー・レイノルズが特別出演している。ジーン・ケリーのミュージカル『雨に唄えば』(Singing in the Rain ・1952)に抜擢され、一躍スターとなっているがミュージカルが嫌いな私はこのキー映画を見ていない。彼女はヘラルドが配給した『シャーロットのおくりもの』(Charlotte's Web・1973年・米・英)というアニメーション映画の主役の声ををやっていた。今回初めて知った。それにしても、恥ずかしながら知らないことが多すぎる。

現役時代に面白がって時々行ったことのあるお店の名前が「イミテーション」。映画のように本物風に女装するのではなくその一歩手前。気楽に気軽にお触りすることの出来ない女性相手ではなく、むつけき男だと思うとなんでも出来るところが楽しかった。新宿二丁目、今や遠い昔の話。

『カットスロート・アイランド』(Cutthroat Island)

1995年・アメリカ

監督/レニー・ハーリン 出演/ジーナ・デイヴィス/マシュー・モディーン/フランク・ランジェラ/モーリー・チェイキン/パトリック・マラハイド

存在感のある女優だが、ジーナ・デイヴィス出演作を特に覚えていない。偶然の旅行者(The Accidental Tourist・1988)を見ているはずだが、シーンのひとつも想い出せない。こんなことでは、せっかく見ている映画を脳裏に焼き付けて次の世代へと引き継ぐことは不可能かもしれない。

父から受け継ぎ海賊船女船長となった主人公の、スーパーウーマン的活劇アクション。見ていて気持ちよいくらいヒロインが強くていい。漫画本を見ているのではないかと錯覚するほど、軽くて見易くできている。お金もふんだんに掛かっていて飽きさせない映像は、さすがアメリカ映画と唸ってしまう。

色気たっぷりで、女っぽい主人公が男勝りの活躍をするシーンは、なかなか見られない。人権は男女平等といいながら、実社会、特に日本の会社ではまだまだ一部の女性しか管理職を担っていない。能力だけなら女性だってとか言う前に、仕事に関しては男も女も今や差があるはずもない。観念だけが先行し、男女同じような仕組みにならないのは、後進国の特権かもしれない。女性の活躍する世界が広がっていなければ、後進国と判断出来るのが地球的基準。

『めぐりあう時間たち』(The Hours)

2002年・アメリカ

監督/スティーブン・ダルドリー 出演/ニコール・キッドマン/ジュリアン・ムーア/メリル・ストリープ/スティーヴン・ディレイン

映画は衝撃的なシーンから始まる。1941年イギリス・サセックスというタイトル、続いて1951年アメリカ・ロサンゼルス、2001年アメリカ・ニューヨーク、1923年イギリス・リッチモンドとクレジットタイトルの進行とともに、これからの登場人物を紹介してゆく。

一度ではなかなか理解出来ない。頭の中がこんがらかって、3つの人生を時代を超えて同時進行的に見せられては、ちょっと食傷気味になる。頭のいい人なら、最初の鑑賞でこれは面白いとなるのだろうが、こちらは少しばかり眠気を誘う混乱が頭脳を襲っている。

第75回アカデミー賞で9部門にノミネートされ、ニコール・キッドマンがアカデミー主演女優賞を受賞。第53回ベルリン国際映画祭ではジュリアン・ムーア、メリル・ストリープを含む3人が銀熊賞を共同受賞した。たいした映画だとは思う。この「最近観た映画」を書き出す前に見た日本映画の巨匠達、小津安二郎、成瀬巳喜男、溝口健二、川島雄三などなどの監督作品を思い出す。この頃は日本映画の放映もほとんどないが、またの機会に見たくなる本格映画に相通じるところがある。映画のテレビ放映権の売買は、期間と回数、例えば2年間で3回放映とかいう契約なので、同じ局で無限に放映しているわけではない。契約が終わればまた値段を下げて次の局へ次の期間と放映回数を売ることになる。

『ペイチェック 消された記憶』(Paycheck)

2003年・アメリカ

監督/ジョン・ウー 出演/ベン・アフレック/アーロン・エッカート/ユマ・サーマン/コルム・フィオール/ジョー・モートン

監督ジョン・ウーは香港育ちの中国人。ヘラルドが配給した男たちの挽歌(英雄本色・1986)が当時めちゃめちゃ面白いと思った。力不足で映画を当てることが出来なかった、というよりコケさせてしまった。香港ノワールという言葉だけが残ったが、後々日本人の評価も高くなった映画だった。ミッション:インポッシブル2(Mission: Impossible II・2000)やレッドクリフ(赤壁・2008)も彼の監督作品。力のある監督。

未来を見ることが出来る機械を発明するという、近未来映画の頭脳戦と"もろ"アクション映画。あまりにもアクションだけが際立っていることが、ちょっと不満足。頭脳戦が面白いのに、そちらは脇役となって少し三流映画になり気味。

未来を見通せる力というのは、いつの時代も人間の夢。そんなことが可能になるとは思えないのに、そういうシーンを見せられると、もしかしたら自分にも出来るのではなかろうかと錯覚したくなる。夢が夢で終わっているうちが一番仕合わせな時、目の前の仕合わせをつかんだ途端、新しい不幸せが泡のように沸き上ってくるのが人間生活。

『虚栄のかがり火』(The Bonfire of the Vanities )

1990年・アメリカ

監督/ブライアン・デ・パルマ 出演/トム・ハンクス/ブルース・ウィリス/メラニー・グリフィス/キム・キャトラル/ソウル・ルビネック

調べたら面白かった。ラジー賞5部門にノミネートされたが、いずれも受賞には至っていない。ラジー賞(Razzies)は、ゴールデンラズベリー賞(英: Razzie Award)のことで、アメリカの映画賞である。毎年アカデミー賞授賞式の前夜に「最低」の映画を選んで表彰する。初期は正真正銘のB級映画が各部門受賞を独占することが多かったが、近年は輝かしい実績があるにもかかわらず何の間違いかどうしようもない役柄を演じてしまった俳優や、前評判と実際の出来のギャップが著しく激しい大作などが受賞する傾向にある。この賞自体が一種のユーモアであり、俳優に与えられる場合も本当の大根役者に与えられる場合もあるが、必ずしもそうではない。実際に第一回の「ジャズ・シンガー」で受賞してしまったニール・ダイアモンドはこの映画でラジー賞とゴールデン・グローブ賞を同時受賞している。(Wikipediaより)

ニール・ダイアモンドの「ジャズ・シンガー」(The Jazz Singer・1980年・日本ヘラルド映画配給)は音楽を聴くだけでも価値のある映画、何故ラジー賞の対象になったか分からない。いずれにしろ虚栄のかがり火が酷い映画であることは間違いないかも知れない。かといってまったく面白くないわけでもない。トム・ハンクスとブルース・ウィリスが主演のような存在で出演しているのも珍しい。二人とも初期に近い出演なので、あとから失敗したと思っているかも知れない。興行的にもかなり酷かったようだ。

監督のブライアン・デ・パルマは、ヘラルド時代の配給作品『殺しのドレス』(Dressed to Kill・1981年)で鮮烈に記憶に残る。あまり監督とか俳優の名前を覚えようとしないのだが、この名前は忘れられない。朝日新聞夕刊が初めてのカラー広告を掲載した作品。あの頃は4色ではなく3色でカラー印刷を試みていた。なにしろ初めてのカラー広告印刷だったので、新聞社の輪転機の前で刷り出しに立ち会ったことを覚えている。遠くて懐かしい、映画宣伝の時代。

『パピヨン』(Papillon)

1973年・アメリカ

監督/フランクリン・J・シャフナー 出演/スティーブ・マックイーン/ダスティン・ホフマン/ドン・ゴードン/アンソニー・ザーブ

日本公開は1974年3月、前の年に名古屋の当時ヘラルド興業から移籍のような形で東京の日本ヘラルド映画に所属会社が変わった。東和というヘラルドにとっては目の上の大きなたんこぶだった会社が、この映画を配給して大ヒットさせたことをよく覚えている。この年の5月に結婚した。もう36年が過ぎた。

『夜と霧』という文学作品、原文のタイトルを邦訳すると「それでも人生に然りと言う」の「ある心理学者、強制収容所を体験する」。ヒットラーのもとで収容所から生きながらえた心理学者の体験実話を読んだ時の記憶が甦ってきた。周りの人達が毎日のように、あるいは毎時間死んでゆく「とき」を、明日をも知れないで過ごすことの苦痛は想像を絶する。比較することを是とはしないが、それにひきかえ呑気な毎日を送っているのに、何の不満があるのだろうかと自問自答する。

終身刑で流刑された主人公の凄絶な物語は、人を惹き付けないではいられない。こんな実社会を経ながら、人間社会も少しずつ発展していってるのだろうか。

『砲艦サンパブロ』(The Sand Pebbles) 

監督/ロバート・ワイズ 出演/スティーブ・マックイーン/リチャード・アッテンボロー/リチャード・クレンナ/キャンディス・バーゲン

原題:The Sand Pebblesに砲艦という意味は含まれていない。英語遣いの友人に尋ねたら、「《サンパブロ》はもとは聖人パブロ、つまり聖パウロのことです。砲艦サンパブロは、そんな立派な名前の船にしては、随分オンボロだったので、船員たちが語呂合わせでSand Pebbles (砂・小石)と自嘲気味につけたニックネームではないでしょうか?それは勿論、無価値なものを表しています。」という答が返ってきた。だいぶ後輩であるが、いつもきちんとした解答を示してくれる。あるいは、Pebbleだけなら扱いにくい人という俗語もあり、主人公が転属を積み重ねしかも上官にたてついてばかりいる人間という意味あいもあるのか?よく分からない。

イギリス・フランス・ドイツ・アメリカなどの列強が、中国にちょっかいを出していた時代1926年、長江の河口の上海から内陸に直線距離で1000キロも入った洞庭(トンチン)湖を舞台として映画は展開する。中国共産党が蒋介石国民軍と対峙する最中の時代背景。中国人のいい加減さと残虐さなどが、アメリカ人から見た普通の感覚で画面に映し出されるのが面白い。やっぱり変な国、国民ということが当時でもそうだったとよく分かる。

この映画はもっともっと古い製作だと思っていたし、マックイーンが主役だということも自分の中では意外だった。まだまだ観ていない映画がたくさんあることは分かっていたが、ホントに観ても観ても観尽くせない映画世界。死ぬまでにあと何本観ることが出来るのだろうか。

『突撃隊』(HELL IS FOR HEROES)

1961年・アメリカ

監督/ドン・シーゲル 出演/スティーヴ・マックィーン/ボビー・ダーリン/フェス・パーカー/ジェームズ・コバーン/ハリー・ガーディノ

スティーヴ・マックィーンのドキュメンタリー番組を見た後だったので、映画の中で彼の仕草や結末へと行く過程が気になっていた。映画そのものだけではない思惑が脳裏に入っていると、ちょっと心が惑わされる。

主人公やヒーローは映画では死なないのが定番だが、彼の考え方は違うらしい。また、ヒーローは常に規則正しく立派な心を持っているとは限らないと言いたいようだ。私生活の反骨心も映画の中に投影されているようで、大変興味深い。

戦争体験のない世代としては、戦争は映画の中だけのもの。ほんの少し前に生まれていたら、自分の命がとっくの昔になくなっていたかもしれない。満州から2人の兄を連れ終戦前直前に日本に帰ってきた両親はもういない。もう少し戦争の時の話を聞いてあげられればよかったのにと、今頃になって後悔している。

『永遠(とわ)の語らい』(UM FILME FALADO、UN FILM PARLE 、A TALKING PICTURE)

2003年・ポルトガル/フランス/イタリア

監督/マノエル・デ・オリヴェイラ 出演/レオノール・シルヴェイラ/ジョン・マルコヴィッチ/カトリーヌ・ドヌーヴ/イレーネ・パパス

リスボンのザビエルを見送り天正の少年使節を迎えたベレンの塔を船から眺めながら旅が始まる。マルセーユ→ナポリ→アテネ→カイロ→イスタンブール→ボンベイへ続く船の中や寄港地での物語。

母と小さな娘が主人公。夏休みなどで日本人のバカ家族が行く遊びの旅ではない。歴史的な土地を母親がきちんと教えている姿が美しい。

だらだらとまさしく TALKING PICTURE で、セリフばかりがちょっと気に障る。悪くはないけど、あまり。予想もしない結末が用意されてなければ駄作と言い切ってしまうが、衝撃的な終わり方にちょっと驚かされた。

『スティーヴ・マックィーン ラスト・イヤーズ』

2010年・NHK

出演/スティーヴ・マックィーン/バーバラ・マックィーン(旧姓 バーバラ・ミンティ)

テレビ番組。生誕80年、没後30年、NHK BS-hiが特集しているスティーヴ・マックィーン。彼の晩年の姿を追いかけている。語るのは最後の妻(3人目)、バーバラ・マックィーン。結婚は彼女が24歳、マックィーン47歳の時だった。

正直に言うと、彼のことはあまり好きではない。超スーパースターからなのか、それとも顔立ちなのか、いやいやなにか彼の醸し出す空気が嫌いなような気がする。ということで、ことさら出演映画もリアルタイムで観ていないし、例えば今回の放映でも『栄光のル・マン』などは録画をしていない。自分の気持ちがよく分からないが、女の人を好きになる時と同じような気がする。あまり理由はなく、ただ好きになるのと同じように、ただ嫌いなだけだと思う。

『地獄の黙示録』(1979年・アメリカ・監督:フランシス・フォード・コッポラ)はヘラルド時代の超大作配給映画。最初の契約では主演はスティーヴ・マックィーンだった。だからこそヘラルドも大金をはたいて買い付けをしたのだが、映画撮影が始まる直前に彼は映画に出ないということが判明した。主演は無名に近かったマーティン・シーン、それでもヘラルドは降りなかったので、コッポラから感謝された。マックィーンが主演だったら、そこそこだった興行成績もだいぶ違ったものとなっていたであろう。1974年の映画『タワーリング・インフェルノ』が世界的に大ヒットし、彼はハリウッドの頂点に立つことになる。追い越すべき目標だったポール・ニューマン、その願いは達成され燃え尽き症候群のようなものが彼を襲った。その時期に主演をオファーされた作品の中に地獄の黙示録があったということを、このドキュメンターリーで初めて知った。私にとっても30年経って知る事実、人生は何と興味深いものなのだろうか。

『エーゲ海の天使』(MEDITERRANEO)

1991年・イタリア

監督/ガブリエレ・サルヴァトレス 出演/ヴァンナ・バルバ/クラウディオ・ビガリ/ディエゴ・アバタントゥオーノ/ジュゼッペ・チェデルナ

映画紹介のページでのジャンルは、ドラマ/戦争/コメディとある。まさしくその通りなので、この3つの要素を取り入れた映画って?と、想像も出来ないだろう。

イタリア人の人生を楽しむ生活が全編にいきわたっている。私の好きな『人生は、奇跡の詩』(La Tigre E La Neve・2005年)の持つ空気と同じ匂いを感じた。いいんだよねー、なんとも楽しげにしている各個人の生活態度が。マイナー・コードのように暗くて哀しい日本人の雰囲気とは対照的だ。

面白いセリフがあった。「人生は短い。もう一度人生が欲しい。」あれだけ楽しんでおきながら、もっと欲しいとは、楽しいからこそもっと人生が欲しいということなのだろうが、すばらしく楽天的でぐうの音も出ない。実際にイタリア人はどうなのだろう。加藤ローサのようにイタリアとのハーフは、いたって日本人的。若い頃は彫りが深くてかなりの美人でも、中年を過ぎるとみんな同じようにブクブクしてくるのが大半。同じ人とは思えないほどの変わりように、ただ驚きながらイタリア人を眺めている。ローマのフォノ・ロマーノ、もう一度でも二度でも、三度でも行きたい場所。

『メグ・ライアンの 男と女の取扱説明書』(Serious Moonlight)

2009年・アメリカ

監督/シェリル・ハインズ 出演/メグ・ライアン/ティモシー・ハットン/ジャスティン・ロング/クリステン・ベル

メグ・ライアンは『恋人達の予感』(When Harry Met Sally...・1989年)をヘラルドが配給した時に強く印象深く記憶に残っている。映画の舞台になったことで知られるカッツ・デリカテッセンというお店でのセリフが忘れられない。観ていない人は是非観て欲しい。その一言だけでも観る価値が充分ある。映画のお陰で、カッツ・デリカテッセンは日本のガイドブックで掲載しない例外がない程の名所となったらしい。配給会社として冥利に尽きる。

あまりにも変な日本語タイトルだったので、気になったがやはり劇場未公開作品だった。ビデオ会社の人間が得意げに付けた日本語題名だろうが、なんともはやひどいもんだ。舞台劇にでもしたいようなセリフの多さと同じセットでのお芝居という感じ。これは劇場公開してもまず当たらないな、という印象だが、この手の映画を公開するいい劇場が東京にはある。宣伝費をかけなければロングラン公開で儲かるかもしれない。危険を冒す人がいない分、見たい人間も結構いるものなのだ。

シネマスクエア東急(当時228席・新宿歌舞伎町)でスタートした日本のミニ・シアターも、いまや当たり前となってはその劇場で掛かるだけでは人を呼ぶことは出来なくなった。当初は東京1館だけの本当のロードショー公開、しかも最低4週間は上映するという画期的な方式だった。新しいことが好きな割りには、やっていることは旧態依然とした映画業界。明日の映画界はあるのだろうかと、また同じ嘆きをしてしまう。

『バッド・ルーテナント』(Bad Lieutenant: Port of Call New Orleans)

2009年・アメリカ

監督/ヴェルナー・ヘルツォーク 出演/ニコラス・ケイジ/エヴァ・メンデス/ヴァル・キルマー/アルヴィン・“イグジビット”・ジョイナー

1992年の『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』のリメイク作品であるらしい。前の作品も当然見ていないが、リメイクされるような作品には思えなかったが、製作者から見ると興味ある題材なのかもしれない。

Lieutenant(ルーテナント)とは中尉とか警部補([米])とか副官の意だそうだが、今回は警部補の意味。イギリスではレフテナントと発音される。ちょっと面白い設定で、三流映画に見えるのだが、最後まで惹き付けられる。

ニコラス・ケイジは叔父にフランシス・フォード・コッポラ、祖父、祖母、いとこなど芸能人一家だ。特徴のある風貌が、一度見たら忘れられない。喋り方も特徴がある。アメリカの役者の奥の深さと幅の広さを見せつけられるような俳優だ。

『靴をなくした天使』(HERO)

1992年・アメリカ

監督/スティーヴン・フリアーズ 出演/ダスティン・ホフマン/ジーナ・デイヴィス/アンディ・ガルシア/ジョーン・キューザック

いつでも軽い気持ちで観られるような映画だ。難しいことなど何もなく、ひたすらストーリーを追いかけてゆけば、もしかすると人生のひとつの真実にぶち当たるかもしれない。

皮肉たっぷりに社会やマスコミをテーマに物語が作られているが、観客にとってはそんなことぐらい知っているよと気楽に応じながらも、心の中ではやっぱりそうなんだよな~と妙に納得させられる内容だ。

死ぬまで絶対言わないぞといったセリフが良く劇の中で喋られることがある。でも、本当に言わないのなら、死んでも言わないよというのが本心。誰にだって一生話したくないことのひとつやふたつはあるだろう。自分の中では、そんな事柄が多すぎてそろそろ目一杯になり、溢れ出しそうな気配だ。真実なんて神のみぞ知るでいいのさ。そうやって無数の怨念が肉体とともにこの世からいなくなれば、現世の人達には目の前の事実だけが残ることになる。それが人間社会の出来方だろう。

『華麗なる賭け』(THE THOMAS CROWN AFFAIR)

1968年・アメリカ

監督/ノーマン・ジュイソン 出演/スティーヴ・マックィーン/フェイ・ダナウェイ/ポール・バーク/ジャック・ウェストン/ビフ・マクガイア

2010年11月7日、製作されてから42年後に初めて観ることになるとは思わなかった。今まで観ていなかったことが恥ずかしい。でも、遅くなっても観ることが出来て嬉しい。NHKはスティーヴ・マックィーン没後30年記念と称して特集を組んでいる。彼は50才で亡くなっているが、この映画は38才の時、脂がのりきった年頃の作品。

日本語の題名が華麗だ。原題から離れて、内容を美しい日本語に置き換えているが、当時の宣伝マンはかなり優秀だったのだろう 《 THOMAS CROWN は主人公の名前、AFFAIR:出来事・仕事 》。しかも見終わってからでも題名が、うまくフィットしていると思わされる。リアルタイムで観ていれば、それこそワクワク・ドキドキと拍手をおくりたくなるような出来映えだ。

『氷の微笑』(1992年・アメリカ)はヘラルド配給だがこの原題は「Basic Instinct」《 Instinct:本能・性向 》、日本語題名がヒットの手助けになることもある。この頃では英語読みをカタカナに直しただけの題名がほとんどだが、配給側も観客もボキャブラリに欠けた人間が多くなっているので致し方ないことか。

『あるいは裏切りという名の犬』(36 QUAI DES ORFEVRES)

2004年・フランス

監督/オリヴィエ・マルシャル 出演/ダニエル・オートゥイユ/ジェラール・ドパルデュー/アンドレ・デュソリエ/ヴァレリア・ゴリノ

原題“36 Quai des Orfe`vres”は、「オルフェーヴル河岸36番地」の意味で、パリ警視庁の所在地。1980年代に起きた実話をベースとした刑事ドラマ。日本語題名がいい。面白い。

二度目ともなると、面白いがちょっと違うなというシーンが気になる。それにフランス映画や日本映画に見られがちな、音楽を極端に効果的に流そうとする場面が大袈裟に伝わる。日本政府のようにもっと冷静に画面作りをしても良いのではないかと思える。そんなシーンが結構あった。

中学時代の友人に警視庁にいた奴がいた。田舎者同士が偶然に東京で出会ったことがあった。名刺をくれ、連絡してくれと言われたので、電話をかけたことがあった。我が人生で警視庁に電話をかけたのはそれ一回のみだが、残念ながら本人には繋がらなかった。中学時代の友達だと名乗っても、知らんぷりだった。彼の所属が「公安」だったので、身元の分からない電話など繋がないのだと気付いたのは後の祭り。後日本人にそのことを言ったが、笑って済まされてしまった。遠い昔の想い出。

『エニグマ』(ENIGMA)

2001年・ドイツ/イギリス

監督/マイケル・アプテッド 出演/ダグレイ・スコット/ケイト・ウィンスレット/サフロン・バロウズ/ジェレミー・ノーサム

“エニグマ”とは第二次大戦ナチスドイツの暗号化装置の名前。タイミング良く日本でも機密漏洩事件や機密映像流失事件が起こっている最中での鑑賞となった。暗号を作る方も凄いが、それを解読する人達も凄い。こんな国が相手では、日本は到底かなわないと思わされる。現にミッドウェイ海戦では圧倒的に有利だったはずの日本が、アメリカの諜報戦に敗れ敗戦国へと一気に進んでいった。

たまたまNHKが特集した「WikiLeaks」を見たが、そのアメリカ政府が今やインターネットの告発サイトに手を焼いているらしい。日本でも偶に内部告発による事件が発生することがあるが、アメリカの軍事機密流失事件は規模が違いすぎる。こうやって誰にも知られず歴史を作ってきた権力者の機密が、堂々と世界中に晒され始めてきた。次なるターゲットの中国が意外と速く崩壊する姿が見られるかもしれない。

映画はちょっとキレがない。ケイト・ウィンスレットの太った姿が当時の時代には?とおもわず唸った。今の松阪慶子のような体形にそっくりなので、想像が出来るでしょう。話はもの凄く面白いが、映画的にタネを埋め込みすぎて目の前のストーリーがいまいちに見えた。惜しい。

『僕の彼女を紹介します』

2004年・韓国

監督/クァク・ジェヨン 出演/チョン・ジヒョン/チャン・ヒョク/キム・テウク/チャン・ホビン/キム・スロ/Youme/チャ・テヒョン

韓国映画を観るのはかなり久しぶり。大ヒットした「シュリ」を観てから韓国映画に対する信用をなくした。あの程度の映画を賞めることは出来ない。オーバー・アクション、緊迫感のない映像、どれをとっても面白いとは思わなかったから。製作のビル・コン、『グリーン・デスティニー』や『LOVERS』を作っているが、ちょっと知っている。香港人。

日本ではシュリよりもヒットしたらしい。ま~分かる気がする。軽くて、まずまず楽しくて、気楽に観られる映画は今の日本人の若者向き。テレビ・ドラマがそのまま映画になって観客が呼べるのが日本の映画事情。むしろ、テレビと連動しなければ、まずは当たらないだろうというのが今日の映画界事情。

こんなことばかりやっているから映画界は衰退の一途を辿るばかりなのだ。どこかで路線を改めなかったツケが、今になって現実のものとなっている。いい俳優、いい映画を作り出さなければ、本当の意味での映画復興にはならない。もう50年近くも同じことの繰り返し、結局は日本の政治と同じこと。ダラダラとその場凌ぎの繰り返しで、経営者は自分の時代だけ良ければ事足りている。残念ながらこんなDNAでは、だいぶ先まで、あるいは永遠に日本映画界は甦らない。それでも、映画そのものは絶対に無くならないから面白い。

『マン・オン・ワイヤー(MAN ON WIRE)』

2008年・イギリス

監督/ジェームズ・マーシュ 出演/フィリップ・プティ/ジャン=ルイ・ブロンデュー/アニー・アリックス/ジム・ムーア/マーク・ルイス

2001.9.11アメリカ同時多発テロ事件の標的となったニューヨーク・ワールドトレードセンターが舞台。1974年8月7日、朝。23歳のフランス人フィリップ・プティはノースタワーとサウスタワーの間に張られた細い綱の上を綱渡りした。実話を基に本人・関係者のインタビューを交えたドキュメンタリー映画。

彼はこれ以前にもフランスのノートルダム寺院やオーストラリアのSydney Harbor Bridgeでも空中高く綱渡りを演じて見せていた。大道芸人としての真骨頂かもしれない。多くの協力者がいなければ、こんな大それた計画も実行も出来なかったであろう。

子供の頃に木下サーカスを見た記憶がある。三益愛子の母シリーズにもサーカスは扱われていた。サーカスの中でも綱渡りは一番面白くないと感じていた。難しそうに見えないだけなのだろうが、どこか華やかなサーカスの中では最も地味な曲芸に見えた。今もその思いは変わらない。なので、この映画を見ながらもあまり興味を示さない自分のハートに、自分なりの一貫性がみえて嬉しかった。変な喜び方だが、年とともに変化する嗜好の中で、頑なに変わらない何かがあるということが嬉しかったのだ。2008年度のアカデミー賞で最優秀長編ドキュメンタリー賞。自分には映画を観る力がない。

『ブラック・サンデー』(Black Sunday )

1977年・アメリカ

監督/ジョン・フランケンハイマー 出演/ロバート・ショー/ブルース・ダーン/マルト・ケラー/フリッツ・ウィーヴァー/スティーヴン・キーツ

トマス・ハリスの同名小説の映画化。実在のテロリストグループ「黒い九月」、当時アメリカ国内でのテロ活動がされていない時期に、来たるべき恐怖を予見していた。まだまだ記憶に新しいアメリカ同時多発テロ事件、2001年9月11日をも予見していたような映画だ。

映画の力は恐ろしい。考えられないようなことを計画・実行しようとした内容にテロリストはさらに知恵を絞り、9.11事件が起こったような気がする。人間の歴史に、「もしも」はない。勝者が敗者の上に君臨し、力のみが実社会を牛耳っているのだ。

1972年黒い九月グループがミュンヘンオリンピックで起こした事件を映画化した『21 Hours at Munich(テロリスト・黒い九月 ミュンヘン)』(1976年)はヘラルドが買い付けたが、当時の社会情勢の中で公開することなく葬式を出した。(買い付けて公開しなかった映画をこんな風に表現していた。) 高い買い物だったが、チャールス・ブロンソン主演『Raid On Entebbe』(1976年)も同様に葬式となった。この2本で当時3億円くらいの直接損失もなんのその、エマニエル夫人で大儲けした会社には痛くも痒くもなかったという大昔の大らかな時代の想い出。

『理由なき反抗』(REBEL WITHOUT A CAUSE)

1955年・アメリカ

監督/ニコラス・レイ 出演/ジェームズ・ディーン/ナタリー・ウッド/サル・ミネオ/ジム・バッカス/アン・ドラン/コーリイ・アレン

自分が小学校に入ったばかりの時代に、アメリカでは高校生が車を運転し、タバコを吸い、チキン・レースをやっている。ジェームズ・ディーン24才、ナタリー・ウッド17才の時の映画だ。ジェームズ・ディーンは「理由なき反抗」のすぐ後の作品『ジャイアンツ』の撮影終了1週間後の1955年9月30日午後5時59分交通事故を起こし、24歳で死亡した。、ナタリー・ウッドは1981年、映画『ブレインストーム』の撮影中にボートの転覆事故で水死した。43歳。

1982年にはグレース・ケリーが事故死しているが、美人薄命という言われ方が多くされたのもこの頃だったかもしれない。スーパースターの動向は、世の中が進歩してゆく環境での格好の話題をさらっていた時代だ。

アメリカは青年ばかりでなく社会までも早々と反抗期を迎え、克服していった。アメリカの繁栄が戦後暫く続く出発点のような時代背景だ。日本はといえば、1960年代から1970年代にかけての安保反対の学生運動が、青年日本の反抗期だったような気がする。今では個人の反抗期を抑えることが出来ず、ひたすらに他人に向かう虐めのような行動を取る子供達が増えてしまったことが嘆かわしい。親がまともに反抗期を通り過ぎていれば、同じ人生の先輩として若者を正道に戻すアドバイスが出来るはずなのに。どこもかしこも自分のことで精一杯、他人の思惑を租借して発言したり、行動したり出来る人達のいかに少ないことか。まさしく理由のない反抗が人間成長にとって必要な経験。なんでもかんでも禁止したり、やってはいけないことと教える日本の教育に真実は見つけられない。

『インサイド・マン』(Inside Man)

2006年・アメリカ

監督/スパイク・リー 出演/デンゼル・ワシントン/クライヴ・オーウェン/ジョディ・フォスター/クリストファー・プラマー/ウィレム・デフォー

3度目くらいの鑑賞になるが、初めて何度も同じ映画を見る人の気持ちが分かったような気がした。今までは二度目と分かった瞬間に切って捨てていた。たとえ面白そうでも、やっぱり最後まで行くことは希だった。

今回は不思議な感覚。ストーリーの大筋は分かっていたし、役者の役割も承知していた。それなのにまた見ようと思ったのは?映画そのものの出来の良さと、映画の内容である銀行強盗が完璧なまでに仕込まれていることが素晴らしいと思えるから。

人を殺すことなく、社会悪を暴いてみせる人は、悪人でも賛同されるような気がする。この映画の主人公がそうなのだが、痛快な強盗団に拍手をおくりたい。見て損はない。


2017/10/5再び観たので記す

『インサイド・マン』(Inside Man)

2006年・アメリカ 監督/スパイク・リー

出演/デンゼル・ワシントン/クライヴ・オーウェン/ジョディ・フォスター/クリストファー・プラマー

おもしろい。10分くらいしてから観たことのある作品だと分かった。しかも割合最近。気がついたのは、銀行強盗された銀行の創業者が登場した時のことだった。

何事にもキーマンは必要不可欠。キーマンなしでは物語が成り立たない。振り返ってみればそういうことかと、後年に認識するのもキーマンの存在感。

鮮やかな計画で銀行強盗をやり遂げる。映画でしか見られない見事さだろう。現実感があるようで、まったく現実味がないところが映画のいいところ。何をとち狂ったか、映画に触発されて犯罪に及ぶ輩の出現は、まったくもって不愉快な事件だ。大人になりきれない幼児人間が増えている。

『ターナー&フーチ/すてきな相棒』(TURNER & HOOCH)

1989年・アメリカ

監督/ロジャー・スポティスウッド 出演/トム・ハンクス/メア・ウィニンガム/クレイグ・T・ネルソン/レジナルド・ヴェルジョンソン

トム・ハンクスがえらく若いので調べてみたら33才の時の作品だった。まだまだ有名な作品に巡り会う前で、馬鹿をやっておちゃらけているだけの映画出演となっている。21年前ということは今彼は54才、このあたりの年のとり方が風貌からしてヤバイ20年かもしれない。誰にとっても。

フーチというのは犬の名前で、ブルドックの雑種のようなキャラクターとして登場している。半分は動物ものといった雰囲気で、ドタバタだけが生き甲斐のような映画だが飽きさせないところがアメリカ。フォレスト・ガンプ/一期一会 (FORREST GUMP・1994年)前後あたりから、トム・ハンクスの確固たる地位が築かれた。もしかすると、次の次のアメリカ大統領候補に名前が挙がるほどらしいが、アメリカン・ドリームは本当になることがあるから興味津々というところか。

『ベンジー』といえばヘラルドお得意の宣伝で大ヒットさせた犬の映画。犬の記者会見を初めて実施した。、そういうアイディアを持った宣伝マンがうようよしていた。私はその時は経理マン。『ベンジー2』の話が出た時はラッキーにも宣伝部長で、社長と一緒にダラスに取材に行く予定が急遽中止になって悔しがったのを覚えている。こちらは遊びの仕事、行ったことのない地を訪れるのは楽しみだった。結局ヘラルドが買い付けもしなかった。映画世界には良くある話。

『帰郷』

2004年・日本

監督/萩生田宏治 出演/西島秀俊/片岡礼子/守山玲愛/吉行和子/光石研/伊藤淳史/諏訪敦彦/大崎章

高校時代のほろ苦い恋が再燃してという筋書きが・・・。確か見たことあるよな、と思いながら、なかなか結末も、途中描写も正確には思い出せないままに、ずるずると鑑賞する羽目になった。

途中から日本映画特有の、進展しないストーリーに陥り、見るのが面倒になってくるのが辛い。

それでも、誰しもが持っている青春時代の甘い香りを漂わす物語を、すぱっと切り捨てる勇気はなかった。終わってみれば、こんなものだったかとちょっと失望するけれど、全体としてはお奨め出来る作品になっていると感じる。

『キューティ・ブロンド』 (Legally Blonde)

2001年・アメリカ

監督/ロバート・ルケティック 出演/リーズ・ウィザースプーン/ルーク・ウィルソン/セルマ・ブレア/ホランド・テイラー

「ラブリーボーン」を見た直後で口直し的に明るいものが見たかった。ちょうど届いたDVD3枚のうちで一番それらしい題名を選び、すぐに見始まった。正解だった。のっけからお馬鹿ちゃんスタイルの映画で、こういうのは大歓迎。見ているうちに自分もお馬鹿ちゃんに拍手している。

ストーリー全体がコメディーで、内容は結構シニカル。お馬鹿ちゃんがハーバードの法科に入学して騒動を起こしながら・・・・。面白くないわけがない。こういうお馬鹿な雰囲気に包まれて毎日がおくれたらいうことなしなんだがな~。シリーズで3作目まで作られ、ミュージカルにもなったというからたいしたものだ。しかも2007年の第61回トニー賞にて7部門にノミネートされた。

笑うと身体によいということを、よくテレビなどで言っている。確かにいつも苦虫をかみつぶしたような顔をしながら生活しているよりは。善き友と語らい、満足の行く時間を過ごすことは、人生の最大の喜びであるかもしれない。せっかくの命だから。


『キューティ・ブロンド/ハッピーMAX』(Legally Blonde 2: Red, White & Blonde)

2003年・アメリカ 監督/チャールズ・ハーマン=ワームフェルド

出演/リース・ウィザースプーン/サリー・フィールド/レジーナ・キング/ボブ・ニューハート/ルーク・ウィルソン/ジェニファー・クーリッジ

お馬鹿さん映画だけれど結構面白かった、と記憶に残っていた題名に余計なものが付いていたので、たぶん続編なのだろうと見始まった。最初のうちは前回何処がおもしろかったのだろうと思えるくらい、映画に入り込めず、やっぱり元々はダメちゃんなのだろうかと、疑ったりもしてしまった。

ところがどうだ、お馬鹿ちゃん映画も慣れてくると、やっぱり心地良い。アメリカの政治家とその秘書たちも重要な役割だったので、アメリカ議員の一端を垣間見ることが出来、興味深かった。日本の政治屋には何人の秘書がいて、どういう役割分担をしているのか、まったく知る由もない。秘書とは名ばかりで、大したことをしていないだろうと、勝手に想像しているが、日本国民のほとんどは同じように何も知らないで、政治屋がただ金儲けのための職業として働いているだけだ、と思っていると思う。

主演のリース・ウィザースプーンは、近年のラブコメの女王と呼ばれているそうだ。賢くて機転が利き、観客を楽しませてくれる映画人であることは間違いない。2005年と2007年の最もギャラの高い女優となったそうな。まだ36才、役者もそうだが、映画製作者としてますます活躍しそうな予感がする。

『ラブリーボーン』(The Lovely Bones)

2009年・アメリカ・イギリス・ニュージーランド

監督/ピーター・ジャクソン 出演/シアーシャ・ローナン/マーク・ウォールバーグ/レイチェル・ワイズ/ローズ・マクアイヴァー

新作・準新作DVDレンタル8作品目。今回がレンタル作品最終で良かった。というのも、8作品の中で一番面白くないから。この作品が初めの頃にあったら、その後の作品鑑賞に臆病になる。

原作は映画と同名の小説。たぶんこの映画は活字世界のものだろう。映像化すると想像力が置いてけぼりにされてしまい、目の前の映像が脳裏に焼き付けられる。あまり気持ちのいい話ではないので、余計映像化して欲しくない物語。

洋画で新しい作品で2倍速でみるのは初めて。原作がそうなのか、原作があるからなのか、ネタ晴らしを自分で映画の冒頭にしているので、興味が90%減。だから面白くないのだ。こんな映画にぶつかることもある。何事も自分で行動を起こさなければ、良いこと悪いこと、何かに遭遇することはない。行動してから悔やめばいい。

『コンペティション』(COMPETITION)

1980年・アメリカ

監督/ジョエル・オリアンスキー 出演/リチャード・ドレイファス/エイミー・アーヴィング/リー・レミック/サム・ワナメイカー/ジョセフ・カリ

30年前の映画ではこんなに素直なストーリーを作っていたのかと妙な感心の仕方をした。そういえば映画の中ではロシアのピアノ教師が亡命するくだりもあった。急速な社会の変化は、あと30年もすれば教科書ものだなと思える。

音楽ってやっぱりいいなと思う。今度生まれ変わったら、絶対音楽のプロになりたい。ずーっとそう思ってきたが、その願いが叶えられるかどうかは自分では分からない。それが見えれば、こんな楽しいことはないのにと思うことが夢物語。

音楽家は天才だ。神なくしてこうやって普通の人々と天才とを、創り分けるすべを識るわけがない。いつまでも凡才でいると飽きがくる。飽きが行き着くまでに何とかしなければ。

『ザ・エッグ ~ロマノフの秘宝を狙え~』(THE CODE)

2009年・アメリカ/ドイツ

監督/ミミ・レダー 出演/モーガン・フリーマン/アントニオ・バンデラス/ラダ・ミッチェル/ロバート・フォスター/ラデ・シェルベッジア

新作・準新作DVDレンタル7作品目。直前に見た「黄金」の中で、ハンフリー・ボガートがあの綺麗な顔立ちを一度も見せることなく、心までも汚い役を演じていたのとは対照的。たいして美しくもないアントニオ・バンデラスが、いい男ぶって美女といちゃついているのは気分が悪い。

主人公の二人にとっては到底出来そうもない金庫破りが痛々しい。歳をとりすぎているし、筋書きは昔ながらのありきたりのもの。カメラワークにしても20年前を思い起こさせる。007シリーズに喜んでいた時代の映像とストーリーが、そのまま現れたような錯覚さえ覚えた。

こうやってみていると、いかに映画の原作に枯渇しているかが窺える。日本の漫画や劇画世界のストーリーもほとんど荒らされている状況で、これからも映画を作り続けなければならない業界としては凄くしんどいことだろう。

『黄金』(The Treasure of the Sierra Madre)

1948年・アメリカ

監督/ジョン・ヒューストン 出演/ハンフリー・ボガート/ウォルター・ヒューストン/ティム・ホルト/ブルース・ベネット

偉大なる監督の作品に文句はつけられない。自分が生まれた年の映画。

ハンフリー・ボガートがいい男の顔を汚して、意地悪な仲間を演じているのが印象的。

最後にはこうなるだろうという予測が、その通りになるのがいい。但し、その通りの結果にはなるが、ちょっと捻った方法で結末を迎えるのもいい。

『愛情物語』(THE EDDY DUCHIN STORY)

1955年・アメリカ

監督/ジョージ・シドニー 出演/タイロン・パワー/キム・ノバク/ビクトリア・ショウ/ジェームズ・ウィットモア/レックス・トンプスン

すっばらしい映画です。グレン・ミラー物語、ベニイ・グッドマン物語と音楽を奏でる主人公の映画は華やかな音楽の陰に隠れて、悲劇が涙を誘います。実在のピアニスト、エディ・デューチンの物語。

自分の実際の世界では、娘が一人ずつ大きくなる過程で、いつもピアノに向かっていた。最初のうちはこちらの方が断然上手いのだが、すぐに追い越されてやる気を失ってしまうのだった。3度も同じことを繰り返したけれど、ピアノはせいぜい初級の初級、ギターのお陰で楽譜は読めたが、両手をうまく使えるのは子供の練習曲くらいまでだった。今でも悔しい思いをしている。弾き語りでピアノを弾けることが夢のまた夢だ。

最初の30分くらいで映画の主人公は早くも成功を収め、何不自由ない人生を送るのだった。このあと物語はもう何もないのじゃないかと思えるくらいの成功物語に、一転悲劇が待っていようとは。人生の喜び、仕合わせ、はかなさを愛情というキーワードと共に語りかけてくれる。死ぬ前に一度は見ておいた方が良いだろうと思える映画の一本。

 * 
(2012/5/25 追記)

間違いなく観ているし、『最近観た映画』欄にも書いていると思ったが、とりあえずその事実を確認することなく、こうやってまた書くことにした。同じようなことを書くのか、それとも一字一句とも違ったことを書くのか、自分でもすごく興味がある。主役タイロン・パワーは、ビリー・ワイルダー監督の「情婦」で演技派としても再評価された矢先、「ソロモンとシバの女王」のマドリードロケ中に心臓麻痺を起こし、44歳の若さで急逝した。死の2年前の作品。

仕合わせの絶頂期にいる主人公が、2度も奈落の底に突き落とされたような不幸に遭遇する。神は、そんな仕合わせばかりを享受してはいけない、と諭しているのか。人の成功物語は観ていてワクワクする。登場する女性陣がまた美しい。「品」がある。人生は顔に表れると言うが、ヤンキー上がりでふしだらな生活を送っていた輩が女優になったって、いつもその「品」の無さを感じるテレビタレントが何人かいる。不思議なものだ、どこから醸し出されるのだろうか、その「品」という奴は。

映画全編に流れる音楽が気持ちいい。「愛情物語」のテーマ曲が、随所に主人公のピアノ演奏で、時には息子との連弾で聞こえてくる。珠玉の時間。何よりも全編をおおう仕合わせ感の雰囲気がとてつもなく満足感のある時間を創りだしてくれる。そして、涙が流れて嬉しい。涙を流すことは自然の治療薬としては絶品、敢えて拭おうともせず、流れるままに映画を見続ける心地良さが堪らない。老人男の涙なんて、誰にも見られたくないし、誰も見たくないのも事実。若い頃は映画の悲しい場面に涙することは、まずなかった。嬉しくて涙を流すことしか、自然現象がなかった、と大袈裟に言っておこう。ジョン・F・ケネディーが、西ドイツで数十万人に歓呼の声で迎えられてする演説シーンを見て、涙するという高ぶりの仕方が自分流だった。

『シャッターアイランド』(Shutter Island)

2010年・アメリカ

監督/マーティン・スコセッシ 出演/レオナルド・ディカプリオ/マーク・ラファロ/ベン・キングズレー/ミシェル・ウィリアムズ

こういう映画は嫌いだ。夢か幻か現実かという映像を切り貼りして、観客を謎の中に落とし込もうとしている意図的な作風が嫌いなのだ。小説に基づいているので、もともとそういう世界なのかもしれない。活字世界では読む人も妄想を廻らすことになるので、こういう世界が正当に成り立っている。ただそれを映像化してしまうと、見た側の判断が映像という現実に左右されてしまい、本来の虚構の構図が違った結果をもたらしてしまう。

自分が嫌いだけで、こういう映画を絶賛する人もいそうだ。それはそれでいい。それが映画を評価するという行為なのだから。

将棋の駒のような四角い顔をしていたディカプリオもこの頃は大人顔になったようで、なかなか主役を張る役者としての貫禄が出てきた感じがする。もともと子役から役者活動をしているので経験は充分、しばらくの間はハリウッド・スタートしてさらなる活躍をしそうだ。同じような年代ではマット・デイモン、その上の年代ではジョニー・デップ、その上の年代ではジョージ・クルーニー、そしてケビン・コスナー、ハリソン・フォードあたりはそろそろ老人役か。新作・準新作DVDレンタル鑑賞6作品目。

『やさしい嘘と贈り物』(LOVELY STILL)

2009年・アメリカ

監督/ニコラス・ファクラー 出演/マーティン・ランドー/エレン・バースティン/アダム・スコット/エリザベス・バンクス

新作・準新作DVDレンタル4本が見終わって、さらに4本を借りてきた。この頃、NHK録画がどうもうまくゆかない。本数も少ないし、質も悪いというか繰り返し放映が多すぎる。新しい作品は時々見なくてはいけない。映画館が一番なのだが、半年~1年遅れのDVDでも悪くはない。映画を見ないということが一番いけないこと。どんな夢物語に出会えるか分からない喜びを感じて欲しい。

この映画も内容が全く分からないままに見始めた。ネタバレしていたらこの映画は詰まらない。そういう映画もある。これからもっと増えてゆくであろう種類。老人の話だ。ほとんどその域にに到達している自分には、こういう映画は辛い。辛いというより身につまされる。機会があったら見るといい。若い人が見ても「なんてことない映画だ。」で終わってしまいそうな内容なれど、何事にも年輪は役に立つ。

最近、部屋を暗くして見ているが、あまり目には良くないだろうと思いながらも、今回もまた多くの涙をたくわえたので、かえって目のためになったのではないかと思ったりしている。涙もろくなったのは確かだが、映画を見て怒ったり、泣いたり、ハラハラドキドキしたり、笑ったり、安堵したり、喜んだり出来るのが最高。新作・準新作5作品目

『わたしのなかのあなた』(My Sister's Keeper)

2009年・アメリカ

監督/ニック・カサヴェテス 出演/キャメロン・ディアス/アレック・ボールドウィン/アビゲイル・ブレスリン/ソフィア・ヴァジリーヴァ

原題が内容を言い表している。ドナーが必要な姉のために両親は遺伝子を使い、完璧なドナーになれる妹を生んだ。こういう深刻な話は、映画の出来よりもその内容が心に重くのし掛かってくる。キャメロン・ディアスは母親役をやるに充分な年齢を経てきたようだ。

不治の病を抱えた自分の子供がいたとしたら、自分に置き換えたとき、一体何が出来るのだろうか、自分にはこんなことは絶対出来ないとか、他人事で見ている間は深刻さは簡単に自分には置き換わらない。複雑な心境を持ちながらの映画鑑賞となった。

神を信じる時というのはこういう時なのだろう。奇跡が日常的に起こるわけでもなく、不治の病に冒されれば普通の人々は普通のように死に至るだけ。人間って?という問いは、相変わらず永遠の謎に包まれてただ死線を彷徨っているだけなのか。新作・準新作4作品目。


2014年8月29日 再び観たときに書く

アナ・フェッツジェラルドは白血病の姉ケイトのドナーとして、遺伝子操作で生まれてきた。アナはケイトのために臍帯血、輸血、骨髄移植などでケイトの犠牲となってきた。アナが13歳の時、腎移植を拒み、両親を相手に訴訟を起こす。

いくら訴訟の国アメリカといったって、13才の子供が親を相手に訴訟を起こすなんて、しかもその訴訟内容が、自分が犠牲になって自分の姉のドナーになることを拒否するというもの。なにかへんだな、という印象は、そのまま映画の骨格として語られる。なにかがある、と感じていても、そのなにかが分からないからおもしろい。

何年前にこの映画を観ているのか分からないが、冒頭から初めて観る映画のように感じるのは、いいことなのか、呆けた自分を罵らなければいけないのか。66才の老人が涙をいっぱいためながら映画を観ている姿は格好悪い。おそらく。でも仕方がない、涙が流れる心のうちが、いつも好きなんだ。もう1日くらいはその余韻で生きていけるだろうと希望が持てる。

『インビクタス/負けざる者たち』(Invictus)

2009年・アメリカ

監督/クリント・イーストウッド 出演/モーガン・フリーマン/マット・デイモン/スコット・イーストウッド/ザック・フュナティ

一番好きなスポーツであるラグビーが題材のため、かえって見るのを躊躇っていた。本物の迫力シーンをどう考えてもうまく描けないだろうと思っていたから。差別の国であった南アフリカ、今年はサッカーのワールドカップも開かれたが、この映画は1995年に南アフリカで開催されたラグビー・ワールドカップの実話の映画化。ラグビーは白人、サッカーは黒人のスポーツと区分けされていた。ワールドカップ以前の5カ国対抗華やかりし時代にも、そこに参加していなかった南アフリカが最強チームとの噂もあった。アパルトヘイト政策への制裁として国際マッチも組めなかった当時、南アフリカチームは開催国として充分な力を持っていなかった、というのが肝になっている。初の黒人大統領マンデラの登場も、国としてのエポックとして映画化の最も重要なポイントだ。

バスケットボールは点数を入れ合うもの、サッカーは点数が入り難いものとスポーツの点数はいろいろあるが、ラグビーは基本的にほどほどの点数が入るスポーツ。この大会の決勝でも結局トライはひとつもなく、ペナルティー・キックかドロップ・ゴールの得点だけだったことは印象的。同じこの大会で日本は、決勝に進んだニュージーランドチームと予選リーグで戦っている。記録的な大敗 17 対 145 という考えられないようなスコアが事実として残っているのは残念というほかない。ラグビーほど実力がまともに出るスポーツも珍しい。実力のないチームが間違って格上に勝つことは希である。体力と体力の勝負という世界では、日本人の体は国際的ではなく、かといてテクニックだけで勝てるほど甘い世界でもない。他のスポーツでは日本が国際的に勝つようになると、ルールが変更されることが多々あるけれど、ことラグビーに関しては日本チームがルール変更の起点になるほど優れていたことは一度もない。ラグビーの精神、ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン、ノーサイドという言葉がたまらなく好きだ。

監督はクリント・イーストウッド。スポーツ映画の盛り上げ方はあまりうまくない。マンデラ大統領の人間性を表現するのも、少し希薄。ラグビーを通してマンデラを描こうとする意図は良く理解出来るが、如何せん虻蜂取らずになってしまったようだ。スポーツものは難しい。そのスポーツに詳しい人が必ずたくさん存在するので、どう撮っても満足の行く映像は撮れないだろう。イメージだけで済ましてしまうと、今度は欲求不満に陥る。いずれにせよ、この映画が語る南アフリカの社会状況がたった15年前の話だったということに、大きな驚きを感じる。新作・準新作DVD3作品目。

『デトロイト・コップ・シティ』(THE MAN)

2005年・ドイツ/アメリカ

監督/レス・メイフィールド 出演/サミュエル・L・ジャクソン/ユージン・レヴィ/ミゲル・ファーラー/ルーク・ゴス/アンソニー・マッキー

新作・準新作の第3弾を飛ばしての録画分鑑賞となった。典型的な三流映画にお目にかかるのは久しぶり、やっぱり面白かった。どんどんエスカレートして行くのが三流映画、それはそれは見ていて心が浮き浮きしてくる。サミュエル・L・ジャクソンの相手役ユージン・レヴィが味を出していて面白い。この人はコメディーでどれくらい評価があるのだろうか。容姿、喋り、仕草、どれをとってもひとつの笑いのパターンが出来上がってる。

ヘラルド初代古川克己社長は、映画は観客が予想する通りに進行するものが面白くて、当たると言った。その通りになって行く映画だが、如何せんスターがいない。不思議なものでこの映画をエディ・マーフィーがやれば大ヒットしたかもしれない。危険負担も高いがもしかするとということもある。そこまでの冒険は犯せないからこの程度のキャスティングでお茶を濁し、三流映画に成り下がったのだろう。

それでも面白いことには変わりない。昔ながらの3本立てや2本立て興行なら、間違いなく併映作品としては100点の評価を与えられるに違いない。気楽で、おちゃらけて、人を小馬鹿にして、映画の中で遊んで、そういう要素が一杯詰まって映画が製作されている。アメリカ映画のひとつの面。あなどれないし、たまにはこういう気楽な映画を見て発散すべきだ。警官もの。

『パブリック・エネミーズ』(Public Enemies)

2009年・アメリカ

監督/マイケル・マン 出演/ ジョニー・デップ/マリオン・コティヤール/ジェイソン・クラーク/スティーヴン・ドーフ/デビッド・ウェナム

実話の映画化。大恐慌時代のアメリカ、ネズミ小僧よろしく銀行強盗を生業とするも貧乏人からは一銭も巻き上げることなく人気があったという。映画で描かれる主人公は、決して仲間を見捨てることなく、愛する人も勿論、一途な性根が尊敬のまなざしで迎えられる人間。なかなか、いそうでいないのがこの手の人間像だ。

銀行強盗はやるが誘拐はしないという、それは誘拐が世間で嫌われているからだと言う。そんなセリフがあり、徐々に主人公を逃がしてやりたいと思わせてくれる。周りの人から信頼される人間が、どのようにして出来たのかを目の当たりにすることが出来る。何度でも言おう、なかなかいるものではない。

新作・準新作第2弾は、そこそこなれど、映画の描いてる人間像に触れられたことが嬉しかった。

『マイレージ、マイライフ』(Up in the Air)

2009年・アメリカ

監督/ジェイソン・ライトマン 出演/ジョージ・クルーニー/ヴェラ・ファーミガ/アナ・ケンドリック/ジェイソン・ベイトマン/エイミー・モートン

録画が底をついたので、ホントに久しぶりにレンタルDVDを調達。新作・準新作4枚1,000円なので、旧作100円を選択せずこちらを選んだ。題名すら知らない作品ばかりだったが、勘はいい方なのできっと面白い映画を選ぶと信じている。 この1作目はまずまずかな。日本語題名は映画の内容をそのまま表現したようなもの、あのマイレージが命で借り家も持たない年中出張しているのが主人公。パソコン・モニターにて初めて全編を鑑賞。

主人公の仕事が面白かった。企業の命を受けて、当事者に代わり従業員に「クビ」を宣告する役目だ。いかにもアメリカ的、いじいじ、ぐじぐじしている日本の方が必要なくらいのシステムだ。リストラを宣告する役目は考えただけでもしんどい。それを第三者に委託してしまうのだから、他人事となり企業側にもかなりのメリットがあるのだろう。

今の風潮を軽やかに、テンポ良く描いてみせる。家族愛あり、一夜限りの愛あり、兄弟愛あり、今見れば何の不思議もなく見られる内容だ。景気が良くなった何年後かに見ると、どこかに違和感が出てくるのだろうか。ジョージ・クルーニーは端整な顔立ちのいい男、男だって同性のいい顔を拝むのに悪い気はしない。テレビCMで汚い矢沢永吉の顔を見せつけられるのは不愉快だけれど。

『アンドロメダ』(THE ANDROMEDA STRAIN)

1971年・アメリカ

監督/ロバート・ワイズ 出演/アーサー・ヒル/デヴィッド・ウェイン/ジェームズ・オルソン/ケイト・リード

小説家、SF作家、映画監督、脚本家であるマイケル・クライトン原作。天才だろう。テレビ・ドラマ『ER』や映画『ジュラシック・パーク』でも有名。医学や科学の知識を基盤とした近未来を舞台にした物語を創造し、テクノスリラーというジャンルに分類されるという。

『ニューヨーク1997』(Escape from New York・1981年)近未来もの大作ということでヘラルドが配給した。読売新聞の中面を全30段当時真ん中の印刷が出来なかったものを、初めてぶち抜きで広告を打った。結果は無駄金であった。それ以来この映画の監督だったジョン・カーペンターの作品を信用しなくなった。朝日新聞の初カラー広告を3色でやったり、ヘラルドお得意の先陣を切ってやってみる精神の真っ直中にいたことを思い出す。だいぶ宣伝費も使った。

まだ40年前の映画であるが、その当時としては画期的な内容だったことが窺える。コンピューターも今の装置のような機能を表現している。たった40年でこれほど進歩したコンピューターの世界を、40年前の映画で確認出来る。天才作家とそれを映像化する能力は、現在の映画人より遙かに優れていると言わざるを得ない。

『人のセックスを笑うな』

2007年・日本

監督/井口奈己 出演/永作博美/松山ケンイチ/蒼井優/忍成修吾/市川実和子/藤田陽子/MariMari/あがた森魚/温水洋一

2時間17分の愚作。感想を書く気にもなれない。思わせぶりな題名だけで中身は何にもなし。時間の無駄。最悪。

普段着の演技をして下さいと言われたような全員の演技。これは映画ではなく日常生活ドキュメンタリーのようなもの。それでももっとましな撮り方があるだろう!

こういう映画ばかり作っているから信用がなくなるのだ。これでは誰も得をしない。製作者は大損をするし、映画館も損をするし、役者は評価が落ちるし、見た人は時間を無駄にしたと落胆するし。ディスカウントチケット屋とは全く正反対。ディスカウントチケットは売る人は現金が入るし、買う人は安く買えるし、販売店は薄利ながら利益を出すし、こんなうまい商売があったのかと思えるほどの良い循環をしている。見習わなければならない。

『ナイト&デイ』(KNIGHT AND DAY)

2010年・アメリカ

監督/ジェームズ・マンゴールド 出演/トム・クルーズ/キャメロン・ディアス/ピーター・サースガード/ヴィオラ・デイヴィス/ポール・ダノ

2010年10月12日、1年半ぶりの映画館での鑑賞。前回見たのは『オーストラリア』(Australia・2008年)、大作感の雰囲気だけの駄作だったことを覚えている。今回初めて名古屋駅前ミッドランドスクエアシネマに入った。ここにはヘラルドの映画館、毎日ホール大劇場と小劇場があった場所。ビルの立て替えの時には古川為三郎翁は既に亡くなっていたので、ヘラルドが新しいビルに入ることが出来なかった、と言った方が正解だろう。表面的には中日本興業が豊田の傘下になっていたので、豊田ビルには入れなかったということになっているが。入れなかった方も正解で、その2年後くらいにヘラルドは潰れてしまったのだから。

キャパは300くらいとふんでいたが調べてみると204席、昔ならこれくらいの座席には小さなスクリーンだったが、シネコンになって格段に大きなスクリーンになった。ただ残念ながら劇場形態が日本的。座席が横一列に並んでいる。これではダメだ。どういうことかというと、アメリカ的なシネコンに行けば分かる通りスタジアム方式でなければ大きなスクリーンの良さが出ない。座席が一直線ではなく円の1/4辺のように並んでいることが必要なのだ。同じシネコンでも日本人の経営とアメリカ人の経営している劇場とではコンセプトが違いすぎる。もっと根本から真似をしないと、今のような中途半端なシネコンが多く出来てしまう。

いつも通り無料で映画を見ようというお誘いだったので、何を見ようかと検討した。今上映中の映画は、「スープ・オペラ」「ガフールの伝説」「3D海猿」「3Dバイオハザード4」「大奥」「借りぐらしのアリエッティ」「踊る大捜査線3」「機動戦士ガンダム00」「BECK」。見ようと思ったのは、別の古い建物で上映している「十三人の刺客」だったが時間が合わなかった。最近は暗くて難しい映画が多かったので、気楽に見られるアクション映画を最終的に選択した。予想を覆す面白さで、ちょっとショックだった。ユーモアに溢れ、アクションも激しいがしつこくなく、どんどん前に進んで行くのがいい。脚本、監督、役者が揃っていると感じる。たぶん主役の2人だけでギャラの90%を持っていくんではなかろうか。本来なら NIGHT AND DAY の綴りだが、KNIGHT は主役の生家の苗字だし、主人公が騎士のように大切なものを守るという意味も込めた一種の洒落で題名としたのだろう。先週末の公開だったので結構満席に近い。映画は宣伝とはまったく関係のないところで、面白いか面白くないかが映画を見る前の人々に伝わっている。不思議な現象だ。大きなスクリーンと大きな音響で映画を鑑賞するのは健康的、小さな画面でちまちまとぶつ切れ状態で映像を見ているのは不健康だと思い知らされた。次回の映画館鑑賞はいつになるのかと、先のことを心配している心の余裕などない。

『女帝 [エンペラー]』(THE BANQUET)

2006年・香港/中国

監督/フォン・シャオガン 出演/チャン・ツィイー/ダニエル・ウー/グォ・ヨウ/ジョウ・シュン/ホァン・シャオミン/リー・ビンビン

この映画はPG-12指定。昔は成人映画指定しかなかったけれど、ちょっと昔から PG-12、R-15、R-18 の規制となっているらしい。PG12は、12歳未満(小学生以下)の鑑賞には成人保護者の助言や指導が適当ということは保護者同伴でなければ映画を見られないということ。R-15は、15歳未満の入場(鑑賞)を禁止。所謂15禁。単にR指定と表現する場合、これを指すことが多い。R-18は、18歳未満の入場(鑑賞)を禁止。所謂18禁、成人映画。

いわゆる映倫は、映画業界内だけの組織から第三者を入れた機関に改革されたらしいけれど、猥褻、反社会的な行動や行為、麻薬・覚醒剤、暴力などを鑑みた規制を行っている。関税定率法(旧法)21条1項4号の「風俗を害すべき書籍、図画」に基づいて罰せられていた輸入物が、2008年に出された最高裁判決によりわいせつ基準が緩和されるに伴い、映倫の基準も緩和されたらしい。ヘラルドの先輩一人が、目下ビデ倫時代の猥褻裁判で係争中。結構長時間の裁判に埋没している。

この映画にそれほどのシーンがあるわけではなく、ただ少し男と女の絡みシーンがあるだけだ。所詮は中国映画なのか、ラスト、コーション(Lust, Caution ・2007年)のような美しいエロさなど微塵もない。映画の内容はかなり面白いが、あまりにも様式美、形式美に拘りすぎているため、欠伸ものだった。中国人の挙動に辟易している時期なので、歴史的に国民性が横柄で、横暴で、謙虚ではないことをこの映画でも確認することとなった。嫌な国だ。

『題名のない子守唄』(LA SCONOSCIUTA , THE UNKNOWN WOMAN)

2006年・イタリア

監督/ジュゼッペ・トルナトー 出演/クセニア・ラパポルト/ミケーレ・プラチド/クラウディア・ジェリーニ/ピエラ・デッリ・エスポスティ

「ニュー・シネマ・パラダイス」「海の上のピアニスト」のジュゼッペ・トルナトーレ監督。やはり力のある監督の作品は、出来が違う。ミステリー&サスペンスなストーリーであるが、見る者を魅了する映画作りだ。「ニュー・シネマ・パラダイス」は日本ヘラルド映画の代表的配給作品のひとつ。こういう作品を大ヒットさせることが出来るのが、ヘラルドの真骨頂だった。

映画の中の主人公の人生は凄絶極まりない。こんな人生があるのだろうかと、おもわず涙に暮れる回想シーンが映し出される。物語ではあっても、きっとこんな実話がどこかにあったのだろうと、哀しまずにはいられない。自分の人生のなんとみみっちいことか、些細なことに悩むなどちゃんちゃんらおかしく思えてくる。

映画の中では主人公の全裸シーンが何度か出てくる。日本の無粋な検閲は、下腹部に毛が生えているのは猥褻だとばかりに映画会社にボカシを強要する。ボカシがなければ何も気が付かず映像が流れて行くはずなのに、わざわざ大きなボカシを入れてここに毛が生えてますよと指図している。なんと幼稚な社会なのだろうか。一方では、このシーンは芸術上どうしてもこのまま通して欲しいと言うと、さも分かったように役人が許可することもある。まだまだ大人になりきれない日本社会は、中国の非民主化社会を非難することは出来ない。

『さらば友よ』(ADIEU L'AMI , FAREWELL FRIEND)

1968年・フランス

監督/ジャン・エルマン 出演/アラン・ドロン/チャールズ・ブロンソン/ブリジット・フォッセー/オルガ・ジョルジュ=ピコ

日本ヘラルド映画配給作品。入社する前の伝説的な作品だ。当時はアメリカ映画はメジャー会社が製作・配給を取り仕切っていたため、ヘラルドのようなインディペンダントとよばれる会社が作品を買い付ける路はなかった。おのずと、フランス・イタリア映画が買い付け対象国となっていた。しかも、両国とも日本の観客が支持する内容の作品を製作していた。ヘラルドはローマに駐在員をおいていたほどだ。

イタリア・フランス映画が日本で公開される機会が少なくなったが、今だって多くの作品は製作されている。ただ日本の生活様式がアメリカナイズされると、見る映画もアメリカ作品を好むようになってきただけだ。人数は少ないが、まだまだアメリカ映画よりヨーロッパ映画を好きな人達も結構存在する。人口が多い大都会なら、興行的にも輸入金額に耐えられることも多い。この作品を見ていると、自信に満ち溢れた映画作りをしている様子が、ひしひしと伝わってくる。アラン・ドロン、チャールス・ブロンソンの黄金時代の象徴のような映画だ。

ヘラルド時代、現役取締役営業部長の葬儀の際の社長の弔辞の原稿を書いた。最後の言葉に「さらば友よ」を贈った。

『勝負(かた)をつけろ』(UN NOMME LA ROCCA)

1961年・フランス/西ドイツ

監督/ジャン・ベッケル 出演/ジャン=ポール・ベルモンド/クリスティーネ・カウフマン/ミシェル・コンスタンタン/ピエール・ヴァネック

フランス風の香がぷんぷんする映画。日本で言えば健さんがヤクザ映画に出ているような内容。ジャン=ポール・ベルモンドは悲しみの顔に見るべきところがある。

たわいもない話と言ってしまえばそれだけのことだが、ヤクザの正義をどう守り、どう戦って行くかの問題。一般人にも当てはまる人間の生き様は、ヤクザから学ばなければいけないところがたくさんある。自分の命よりも友情をとり、決して友を裏切らないというのは生きている証。そうでなければ死んでいるのと同じこと。

そんな基本的なことが出来ない一般人がゴロゴロしている。何のために生きているのかさえ分からない馬鹿同然の輩が、のうのうといっちょまえして偉そうに世間を闊歩している姿を見ると反吐が出る。目の前の友を信じ、信頼出来なくてなんの友情か。そんな裏切りにも似た現実を夢見たような気がする。

『いとしい人』(THEN SHE FOUND ME)

2007年・アメリカ

監督/ヘレン・ハント 出演/ヘレン・ハント/ベット・ミドラー/コリン・ファース/マシュー・ブロデリック/ベン・シェンクマン/リン・コーエン

ベット・ミドラーが突然画面に現れて驚いた。主演ではなく、歌も歌わないベット・ミドラーはちょっと印象が違う。やはり彼女には主演と唄が似合う。

監督が自ら主演しているが、少しばかり同じことの繰り返して、映画的などこかを削ぎ落としていないのが気になった。初監督作品?は、やはり気負いがありすぎる。悪くはないが、途中で眠気が襲う。そういう時にベット・ミドラーの唄でも入れれば良かったのにと思う。テレビに出ている人の役なので、そう無理な要求でもない。

それにしてもアメリカの男と女はやることがはやい。生活習慣なのか、DNAなのか、40年前の日本では考えられないようなことも、今の日本ではかなりアメリカ的になってきているのだろうか。もう若くない自分なので、若者の生活様式がこれっぽっちも分かっていない。一番下の娘も、もう28才、仕方のないことか。

『奇術師フーディーニ ~妖しき幻想~』(DEATH DEFYING ACTS)

2007年・イギリス/オーストラリア

監督/ジリアン・アームストロング 出演/キャサリン・ゼタ=ジョーンズ/ガイ・ピアース/ティモシー・スポール/シアーシャ・ローナン

主人公は実在の人物。ハリー・フーディーニ(Harry Houdini、1874年3月24日 - 1926年10月31日)、「脱出王」の異名を取った、ハンガリー・ブダペスト出身のユダヤ人、アメリカ合衆国で名を馳せた奇術師。認知度は高く、奇術師の代名詞ともなっている。

何処までが実話で、どのあたりが映画物語なのか分からない。映画は詰まらない。キャサリン・ゼタ=ジョーンズが映画では存在感がない。ただ美しいというだけで、女優が務まるほど映画は薄っぺらではない。モデルとしては一流かもしれないが、俳優としては二流。

奇術シーンが少ないのも、面白くない理由のひとつ。主人公を表現するのに一番の売り物をもっと画面に出さなければ、面白くないのは当然か。暇なら見ても良いと言える作品。

『ワイルド・レンジ 最後の銃撃』(OPEN RANGE)

2003年・アメリカ

監督/ケヴィン・コスナー 出演/ロバート・デュヴァル/ケヴィン・コスナー/アネット・ベニング/マイケル・ガンボン/マイケル・ジェッター

2時間20分の長尺ものを、一気に鑑賞。面白かった。日本ヘラルド映画配給と知って、驚いた。劇場公開時は当たったのだろうか?と、心配になったが、たぶんそんな大ヒットにはならなかったろうし、儲けも出なかったろうと想像する。こういう映画をきちんと当てていれば、会社が潰れることもなかったはずだ。

アメリカ人はアメリカの心とか、アメリカ人の魂とかいって、お前らの国にはないだろうと威張ってみせることが多い。けれども、結局は人の心、人間の魂と同じことを言っているような気がする。激しい西部劇のまっただ中の銃撃戦で、瀕死の重傷を負った人間のトドメを射すことは正義ではないという。そういうことが出来る人間が尊敬されるのだという。確かに、人殺しをしている闘いの中で、最後の一発を撃ち込まないことなど自分には到底出来ないことだと思える。

映画は自分で見て、自分で感じてなんぼの世界。ストーリーやあらすじを引用したり、自分で書こうとする気はこの映画では特にない。シネマスコープの横広画面が最大限生かされていると感じるオープニングの光景から、一気に映画の世界へと誘われること請け合い、タイトルからは予測出来ない人間の命を感じる映画だ。

『夫以外の選択肢』(We Don't Live Here Anymore)

2004年・アメリカ/カナダ

監督/ジョン・カーラン 出演/マーク・ラファロ/ローラ・ダーン/ピーター・クラウス/ナオミ・ワッツ

2組の夫婦がお互いに日本語でいうダブル不倫をする物語。二人の夫は同じ大学の教授。妻同士もすでに親友の間柄。不倫進行形の間における心の揺らぎや、子供の存在、夫婦間の今と将来、愛情などをあからさまに描いて行く。不倫している間は燃えるけど、不倫状態が現実に変わってしまうともう嫌だでは、人間の浅はかさを憂うしかない。日本未公開というのも頷けるほど、日本的な価値観では映画を語れない距離感がある。

現象はアメリカ的でもやっていることは世界中同じこと。別に難しいわけでもなく、ただ結婚した男と結婚した女はいずれも他人に興味を持ってしまうだけの、在り来たりの話として理解すれば問題ない。結末はアメリカ映画らしく、ここから先は想像しなさいと終わってしまうが、これで良いのかもしれない。どんな結末を用意したって、観客はたぶん半分半分の支持率しかないであろう。

宥め賺していたDVDトレイの「開」状態が突如現象化した。どうしても「閉」状態にならずに往生した。手で押さえながら「閉」状態を維持しようとしてもダメ。トレイが閉状態でも、表示は開状態。表示がうるさい。壊れても良いから、表示がなければ我慢出来る。さらにもっと悪いことが生じた。録画した映画を削除しようとしたら、トレイ「開」状態ではこの操作は出来ないと来た。馬鹿野郎~。程度の悪い機械にぶち当たってしまい、こちらはぶち切れた。トレイの前面を拳でゴツン・ゴツンと2、3回叩いてしまった。あらっ!何と閉状態でトレイも収まった。昔の機嫌の悪いテレビを直す奥の手が、こんな形で役立つとは、そういえば今年は冷蔵庫のトビラを何度足で蹴飛ばしたことか。こちらの冷蔵庫はすぐにでも買い換えなければならないかもしれない。面倒。


2018年2月5日再び観たので記す。

『夫以外の選択肢』(We Don't Live Here Anymore)

2004年・アメリカ/カナダ 監督/ジョン・カラン

出演/マーク・ラファロ/ローラ・ダーン/ピーター・クラウス/ナオミ・ワッツ

大学で教鞭をとる男二人、仲の良い夫婦ぐるみの付き合いから、それぞれが不倫に走る構図は、現代の日本の芸能界事情か。この4人以外の選択肢が描かれているわけではないので、ちょっとおもしろ味に欠ける。展開が平坦で、観客の満足が得られないだろう。だから、日本では劇場未公開となったに違いない。

どうして隣の芝生は美しく見えるのだろうか。同じことの繰り返しを何十年と続けていて、ようやく天国に行く時が来る。だからこそ、同じではない何かに遭遇した時、必ずと言っていいほど新しいことに気が向くのは自然のなせる業なのかもしれない。一瞬の浮気心が、一瞬でまた戻ってくれば世の中は平穏なのだが。

それが「理性」とかいうものなのかもしれない。一瞬の浮気心も許さないようなパートナーでは、人生の芳醇さを味わうことは出来ない。所詮は人間の為せる業だと、最初から諦めがついていればお互いを赦しあえるのに、なまじ唯一無二のものだと錯覚している人には、人間の許容量が狭く感じる。一瞬の浮気心を満足させてくれる人に出逢うことも、そうざらにあるわけではない。いつもそんなことばかり考えている奴は品格がない人間なのだろう。

『ゲーム』(The Game)

1997年・アメリカ

監督/デヴィッド・フィンチャー 出演/マイケル・ダグラス/ショーン・ペン/デボラ・カーラ・アンガー/ピーター・ドゥナット

久しぶりに今風のアメリカ映画を見た。ハリウッドの映画は出だしから快調に飛ばして、見る者に息をもつかせぬといった感がある。今風といったが、公開年を見るともう13年も前の話、新しい映画とは決して言えないほど映像の変化は恐ろしい。

今年はなんといっても3D。映画館の映像としては、画期的な革新、進歩の年となったことは間違いない。だいぶ前にも3D映画は存在したが、これほどこの方式が人気になろうとは予想を遙かに越える快挙といえる。やはり、アバターのジェームス・キャメロンには足を向けて寝られない映画業界だろう。タイタニック然り、一時代の稼ぎ頭だったスティーヴン・スピルバーグ同様才能のある人は確かに存在するものなのだ。

この映画は、あまりにも映画的すぎてちょっと白ける。大掛かりな映像を駆使してサスペンスを展開するも、仕掛け過ぎな映像にはハラハラ・ドキドキよりも飽きがくる。気楽にホントに何も考えずに見られるなら、それなりに面白いと思えるのかもしれない。ショーン・ペンの顔が嫌いなので、ちょっと興ざめを助長したのかもしれない。ゴメン。仕方がない。

『逢びき』(BRIEF ENCOUNTER)

1945年・イギリス

監督/デヴィッド・リーン 出演/セリア・ジョンソン/トレヴァー・ハワード/スタンリー・ホロウェイ/ジョイス・ケアリー/アルフィー・バス

自分の生まれる前から男と女のこんな切ないシーンが、映画として製作されていたなんて、不滅のテーマなのだろう。今の時代なら不倫と呼べるかどうか分からないくらいの、ラブストーリーにも見える。お互いに結婚している状況ながら、会うのが早かったからか遅すぎたのか、男と女の関係はただそれだけのような気もする。未知との遭遇の原題は、Close Encounters of the Third Kind、この逢びきもなかなか粋な題名だ、原題が BRIEF ENCOUNTER、ほんのつかの間の遭遇といったニュアンスか。

今度生まれ変わったら、また同じ結婚をするだろうかなどという野暮な質問には、誰しも何と答えてよいのか分からないだろう。答えたとしても、それは二度と生まれ変わることのない人生を、ただ肯定したり否定したりの心の遊びに過ぎない。こうやって虚しい想いを映画の主人公達もセリフの中で吐露するのであるが、どうしようもない想いはせつなく苦しく、惨めな末路だけが待っているようにも思える。

短くも長い人生において、同じ価値観を共有出来る人と巡り会うことが、どれだけ仕合わせなことか。その相手が同性でも異性でも。仕合わせに見える人達だって、本当はただ平穏な毎日を勘違いしているだけなのではないのかしらと、映画の女主人公が語る言葉に・・・。

『ラブファイト』

208年・日本

監督/成島出 出演/林遣都/北乃きい/大沢たかお/桜井幸子/波岡一喜/藤村聖子

録画再生ボタンを押しながら、題名から最初は何処の国の映画かと思ったが、考えてみりゃこんな英語題名があるわけはなく、日本映画だと分かった瞬間に映画が始まった。つかみはなかなか良く、これならしばらく見ていられそうだと思った。その後も無駄な長回しもなく軽快に話が進んでいった。やっぱり原作はあった。原作はまきの・えりの『聖母少女』。

暫くすると大沢たかおや桜井幸子が出てきて、映画が俄然引き締まってきた。やはり映画の脇役は存在感があるし、しっかりしていなければならない。ちょっと漫画チックな内容なのだが、決して無理しているわけでもなく、なかなか面白い映画であった。

大沢たかおは昨年のテレビドラマ『JIN-仁-』でも再確認できたが、いい役者だ。今回は初めてプデューサーにも名前を連ねている。沢木耕太郎の『深夜特急』、名古屋テレビが1996年から1998年にかけて一年ごとにドラマ制作と放映が行われたもので全3部作、後に6時間もののDVDになった。この映画で彼の存在感を充分に認知し、それ以来彼の出演作にへたれはない。人間にも一貫性があるように、出演する映画にも一貫性がある。良かれ悪しかれ。

『神童』

2007年・日本

監督/萩生田宏治 出演/成海璃子/松山ケンイチ/手塚理美/西島秀俊/貫地谷しほり/柄本明/吉田日出子/三浦友理枝

主演の成海璃子はテレビCMで良く見る娘だが、一度何人か一緒のトークショーでみた時に個性的な受け答えをしていたことが印象的だった。女優ならこれくらいの個性は大いに発揮してもらった方が期待が持てる。まだ20才前の若さだが、ちゃらちゃらした雰囲気のない、もしかすると化けるかもしれない才能があるかもしれない。

題名の通り、ピアノの神童を物語る映画だが、前置きが長すぎて神童を見せる部分が、ほとんど最後のクライマックスに限定されているのが惜しい気がする。前に1回映像を見ていたようだ。お得意の早回しで途中まで見、最後の頃を等倍速で見たような記憶が甦ってきた。ということは、たぶん今回の方が体調が良かったのだろう。

母親役は見たことがなく誰だろうと思っていたら手塚理美。彼女が確か14才の頃、ユニチカのコマーシャルに出た時に会っている。フランスの有名な線画家レイモン・ペイネの原画を基にアニメ化したヘラルド配給の映画があって、この映画とユニチカがタイアップしてポスターを製作したのだ。手塚理美がこの映画が製作された2007年の成海璃子と同じ年頃だった。あれから何年が過ぎたのだろう。こうやって彼女が母親役をやりながら芸能界にいることに感動を覚える。彼女を芸能界に出した、その時親交のあったユニチカの宣伝マンは、その後あの日航機御巣鷹の事故で亡くなったことを今でも鮮明に覚えている。まだ生きているこちらが恥ずかしい。

今年(2010年)の5月中旬くらいから、HNK-BSを主にして録画した映画を見た記録をつけてきた。映画のあらすじとか物語の進行状況を詳しく書くことはせず、そんなものはインターネット上の検索で必ず引っかかるので、自分が映画関係者としてその映画にどのように係わった経験があるのか、はたまた経験がなくてもこんなことを聴いたことがあるとかいう普通の人々にはない情報を書ければいいなと言う思いがあった。  勿論全部の内容に対して関係する事柄は書けるものではないが、そういう時は映画の内容に含まれた人生訓を見つけ出して、自分なりに分析・展開をして読者の共感を得たいと願っていたのだ。NHKの放送がそれなりに偏り最近の一般劇場映画の放映が少ないことがちょっと不満。但し、昔名作とされたもの、ある監督に特集した作品群を定期的に流す番組編成はそれなりに充実している。

ちょうど録画が切れたので、暫くお休みかレンタルDVDを借りてきても良い時期になったが、題名をみてもこの頃の映画の面白いもの、面白くないものの区別が出来ない。題名を見ただけでは正直どれを借りて良いか見当がつかない。最近の自分の好きな傾向としては、東京ならル・シネマやガーデンシネマ、渋谷ライズ、日比谷シャンテなどで掛かるような作品なら優先的に見たいと思っている。

どれだけの勇気を与えてもらったなどと書くつもりはない。自分が考える、感じる映画のストーリー、そこに鏤められた珠玉のセリフが心の底にへばり付いて離れない。自分の生きる道に光明が射しているのだろうかということを、確認することはある。それでも、ダメと分かっていてもがむしゃらに映画の中の主人公と同じように、走り続けることを由とすることがある。人生は一度、繰り返しの利かない一発勝負の生き様の集大成。同じ志を持てる人や、同じ心意気を感じる人と人生について大いに語らい喜びを共有するひとつの道具としての映画なら、大いに役に立つことは請け合い。そんな心の仲間をこれからも求めて行きたいものだ。

『アメリカの影』(Shadows)

1960年・アメリカ

監督/ジョン・カサヴェテス  出演/レリア・ゴルドーニ/ヒュー・ハード/ベン・カラザース/アンソニー・レイ/ルパート・クロス

映画を見始まって、すぐに苦手な映画だなということを強く感じた。それでも我慢してみる価値はあるだろうと思いながら、退屈な時間を費やした。後悔はしない、何故ならこんなもんではない詰まらない日本映画を見ているから。

すべてのシーンは即興で演出されたものを撮影したと最後のクレジットが言う。だよねぇ、脈絡のない映像の繋ぎが前衛的だと言わんばかりの映像の集大成に見えた。こういうのを評価する奴がいるんだよね。鼻持ちならない連中と言うんだ、そういう奴らを。

1960年代という見事なまでの時代の始まり。この年18歳になった若者が我々団塊の世代。日本では毎日のように全学連、バリケード、投石、ストライキと、気の休まる暇がなかった。そんな時代の真っただ中に生きてきたことを、今更ながらに懐かしくも誇らしく思えるのは、このノー天気な時代の若者に刺激を感じないからなのだろう。

『愛と追憶の日々』(TERMS OF ENDEARMENT)

1983年・アメリカ

監督/ジェームズ・L・ブルックス 出演/デブラ・ウィンガー/シャーリー・マクレーン/ジャック・ニコルソン/ジェフ・ダニエルズ

夫を早くに亡くした女と娘の30年にも及ぶ人生を早回し的に見せてくれる。あくまでも母と娘の話だ。男には到底わからない女だけの、しかも親子の会話が興味を抱かせる。

セックスに関してのあからさまな表現を親子で出来るアメリカが凄い。映画だからこそなのだろうか?いや、そうではあるまい。それこそDNA、この点に関しては100年経っても日本がアメリカに追いつくことはないだろう。

それにしても芸達者な役者たちだ。映画に引きずり込まれるように、久しぶりに一気に見てしまった。映画の最後、母親が娘の臨終の瞬間を看取り言った言葉が印象的だった。「この娘が早く逝ってくれたら辛さが消えるだろうと思ったけれど、それは大きな間違いだった。」と。

『ミスター・アーサー』(Arthur)

1981年・アメリカ

監督/スティーヴ・ゴードン 出演/ダドリー・ムーア/ライザ・ミネリ/ジョン・ギールグッド/ジェラルディン・フィッツジェラルド

やたらとイギリス訛りのダドリー・ムーア、ほかの映画をきちんと見たことがないが大した役者、コメディアン、ミュージシャンだったようだ。それでも彼の全盛時は、なんだかんだと彼の姿が映像として入ってきていた。背が高いとあんな感じのコメディアンにはなれないだろう。いつも言うことだが、背が高くないハリウッドでの大スターが結構多い。

ライザ・ミネリは一目見ると忘れられない顔、表情だ。歌やダンスを封じて完璧な役者としても、なかなかのものだ。ただこの映画は彼女の代表作には入れてもらえない。

有り余る金を相続しなくても、貧乏での愛を貫くという趣旨の映画だが、結局は大金を相続してしまう気持ちは誰にでも理解できる。そんな聖人君主は何処にもいないということか。

『クリスタル殺人事件』(The Mirror Crack'd)

1980年・アメリカ

監督/ガイ・ハミルトン  出演/アンジェラ・ランズベリー/エリザベス・テイラー/キム・ノヴァク/トニー・カーティス/ロック・ハドソン

謎を解く名探偵役がミス・マープルという老婦人なのだが、ちょっと役不足、あまりにも彼女の頭の中の思考が出来過ぎていて面白くない。キャラクター的にもいまいち。

謎を解くということは映像の中にヒントがあるということでなければ成り立たないので、目を凝らして見ることになるが、あまりにも想像できない出来事を持ち出されては、場が白けてしまう。

何かの話題で話していると、すぐに自分のことに転じて話をする人がいる。聞き上手ではない人だ。自分のことならまだしも、子供のことや親戚のこと、それでも足りないと知人でも道で会った人のことさえある。どうしても自分の周りの話題に置き換えたくて仕方がない人。自分ではきっと何も気づいていないのだろう。

『地中海殺人事件』(Evil under The Sun)

1982年・イギリス

監督/ガイ・ハミルトン 出演/ピーター・ユスティノフ/ジェーン・バーキン/コリン・ブレークリー/ニコラス・クレイ/ジェームズ・メイソン

この原題から日本語タイトルを想像することは困難。いかにも映画の雰囲気、情景の雰囲気を表し、映画のヒットに繋げようとする配給会社の隠謀・策略。そんな大袈裟なことではないが、原題をそのまま又はちょっと変化させたくらいでは、まったく面白みのない日本語題名になってしまうのは自明。

ドーバー海峡殺人事件(Ordeal By Innocence・1984年)は自分が題名に関与した作品だが、題名を決めた時から無理があると分かっていた。それでも過去の作品として、この題名がインターネット上の検索にも見事に引っかかって来ることを想定していない。なんか恥ずかしいと思っているのは私ともう少しの関係者だけだろうから、いいかっ。

海を背景にした美しいバカンス地での事件だが、不思議なことに舞台劇を見ているような錯覚に陥った。そして眠った。いつも通りみんなを集めて、ポワロの推理説明が始まる直前に目を覚ました。それで丁度良かった。端的に分かり易く、どんでん返しの結末も楽しく見ることが出来た。新しい製作の割りには、今風のノンストップ推理アクションでないところが良いのかもしれない。

『アガサ・クリスティーの奥さまは名探偵』(Mon Petit Doigt Ma Dit...)

2005年・フランス

監督/パスカル・トマ 出演/カトリーヌ・フロ/アンドレ・デュソリエ/ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド/ローラン・テルズィエフ

フランス語のアガサ・クリスティー映画は変な感じ。英国独特のキングスいやクイーンズ・イングリッシュの格調高い言い回しが雰囲気をもり立てていると感じていたが、このフランス語映画を見てそう思っていたことが正しかったと確認した。

名探偵ポワロが出てきてお得意の名推理を披露するわけではなく、フランス共和国の国防を担当する夫も辟易するくらいの探偵好きの夫人が活躍するというたわいもない物語。軽さは抜群。

どうもフランスが苦手だ。フランス語は全く分からず、せいぜい「オールボワー」とか「メルシーボクー」を流暢そうに話すことが精一杯。「アン」「ドゥー」「トゥワ」という音が聞き取れるくらいで、他の単語はあまりにも分かり難い。よくあんな音を聞き分けることが出来るなとフランス語が分かる人に感心してしまう。尤も、フランス語だけではなく英語だってろくすっぽ理解出来ない人間の言い訳にもなりはしないが。

『この道は母へとつづく』(ITALIANETZ)

2005年・ロシア

監督/アンドレイ・クラフチューク 出演/コーリャ・スピリドノフ/マリヤ・クズネツォーワ/ダーリヤ・レスニコーワ

時代設定はいつなのだろう?ロシアの私設孤児院のようなところに、イタリア人夫婦がお金で里子を買いに来る。政府はドルで子供を売買しているというセリフが映画の中でも語られる。永遠と1日にも同じようなシーンがあった。闇市の人身売買のように、バスで来た数組の夫婦が人里離れた隠れ家的建物の中で、子供を物色し里子として買ってゆくという場面である。国は違えどもこのような光景にはショック。

目覚めた子供が自分の本当の母親を捜しに、孤児院を脱走して旅をする途中でのいろいろな出来事を描いている。設定は6才。日本でいえばようやく小学校へ入学する年頃。劣悪環境で育った人間には、逞しさという強力な資質が備わるという見本みたいな物語。

こういう映画を見ていると、つくづくと日本は恵まれているのだなと感じる。その日本で子供虐待事件が頻繁に起こるとは! 人間の浅はかさを強く思い知らされる。

『永遠と一日』

1998年・ギリシャ/フランス/イタリア

監督/テオ・アンゲロプロス 出演/ブルーノ・ガンツ/イザベル・ルノー/アキレアス・スケヴィス/ファブリツィオ・ベンティヴォリオ

ギリシアの港町テッサロニキを舞台に、詩人の最期の一日と難民の子供との出会いの「人生の旅の一日」の中で現在と過去と未来、現実と旅と夢を描いた作品。カンヌ国際映画祭でパルム・ドール受賞。巨匠テオ・アンゲロプロスの「愛」と「旅」の永遠の物語であり、現代に19世紀を蘇らせ、台詞にギリシア語とイタリア語で詩をちりばめた文芸作品である。(Wikipediaより)

やはりこの映画も難解だ。こちら側が難解ではないから、難しく見えるのかもしれない。詩人が妻に「明日の長さは?」と聞くとアンナは「永遠と一日」と答える。といった案配で、禅問答のような詩を語り、映画が進行して行く。一瞬的には気持ちのいいシーンもあるが、全体的にはかったるく最後まで見終われることが唯一の目的となっていった。途中もかったるいが、結末もすっきりしないやりきれない感が残る作品。

最初の1時間は何度かに分けて見るが、後半1時間以上の映像は2倍速で見た。映像的にはそれでもかったるくもう少し早回しでもいいくらい。言葉やイフェクトが合っていれば、何の異存もないほどに映像の進み方は遅すぎる。巨匠と呼ばれる監督の欠点は、基本的なへまを責めてくれる人がなく、裁判官のように世間知らずの人間が善悪の判断を下すのに似ている。凝り固まった自分だけの価値観で創造する芸術品は、せいぜい千年後でしか評価されない。愛知トリエンナーレ2010で、豆腐を積み上げて作った仏像らしき物体の脳天から醤油を吹き出して、現代アートと称していたのが滑稽の象徴のようなもの。それは分かるがこれは違うと言い切れないものがある。

『若き皇后シシー』(Sissi - Die junge Kaiserin)

1956年・オーストリア

監督/エルンスト・マリシュカ 出演/ロミー・シュナイダー/カール=ハインツ・ベーム/マグダ・シュナイダー/グスタフ・クヌート

オーストリア・ウィーン出身の女優ロミー・シュナイダーの名前は知っているが、意識して彼女の映画を見たことがなかった。なんと愛らしい顔立ちだろう。この映画は18才の時のものらしく、若々しさが画面に溢れていた。アラン・ドロンと結婚はしなかったが婚約したとのこと、ハリウッドに移ってからも大いに活躍していたようだ。

オーストリア皇后シシーを描く三部作の2作目という。この物語は今でも人気があるというのも頷ける。王様、王家、といった響きは理由もなく神々しい。人間のタネならんぞやんごとなき、という言葉が思い出される。オーストリアとハンガリーの二重国家という歴史を学ぶことになるが、映画を芯から理解しようとすると本質的な知識を求められるところが辛い。

皇室にも庶民の家庭と同じように、嫁姑の争いがあることがコメディタッチなところ。長い映画を立て続けに見ていると、1時間30分の映画が凄く短く感じる。もう少し見ていたいと思わせる映画が一番いい。溢れた才能も、もったいないと思われているくらいが丁度良いのかもしれない。

『シテール島への船出』(Taxidi sta Kithira)

1984年・ギリシャ/イタリア

監督/テオ・アンゲロプロス 出演/Akis Kareglis/ドーラ・ヴァラナキ/Tassos Saridis/ジュリオ・ブロージ/マノス・カトラキス

フランス映画社が配給した小難しい映画。この会社は難しい映画を買い付けてはよく当てていた。尊敬に値する。私の映画に対する感覚とはまったく正反対、とてもじゃないけど配給した作品群を見ていると、社員としていられる自信がない。

この映画もどこがいいんだか、ちんぷんかんぷん。この映画のお陰で、他の映画に移れなくて時間をだいぶロスした。それなら、お得意の早回しや鑑賞回避をすればいいと思えるのだが、何故かじーっと観なければいけない感覚、しばらくは等速で見ていた。3日目くらいにしてようやく最後の1時間となったところで、2倍速鑑賞となった。最初からこの速度で見れば充分だった、反省。セリフは少ないし、テンポが遅すぎて、2倍速がちょうどいい映画とは。

エイドタイトルの字幕翻訳者に川喜多和子さんの名前を見て懐かしかった。東和(のちの東宝東和)創設者の川喜多長政・かしこ夫妻の長女で、伊丹十三の最初の結婚相手。私が会った時はフランス映画社の副社長で宣伝担当もしていた。宣伝部長会というのがあって、毎月のように会合があり、また年末の忘年会の時などに屡々隣の席になることがあった。エネルギッシュで映画に情熱を持っていた。さすがに川喜多一家は凄いと思わされていた。それがなんの因果か平成5年53才の若さで亡くなるとは、人生の不思議を感じる。

『ナイル殺人事件』(Death on the Nile)

1978年・アメリカ

監督/ジョン・ギラーミン 出演/ピーター・ユスティノフ/ジェーン・バーキン/ロイス・チャイルズ/ベティ・デイヴィ/ミア・ファロー

ナイル川をさかのぼる豪華遊覧船で起きた連続殺人事件の謎を名探偵ポアロが解決するお決まり映画。日本のテレビ局が今お得意の2時間殺人事件物の原点のような映画だ。

小説を読んでいるような気分になる映像の連続。この時代の映画の作り方が、現在とは全く違うと感じる。今なら、こんなにゆっくり進行することはなく、切ったり貼ったり、あっちへ行ったりこっちへ来たりと騒々しく事件を展開させることだろう。

往年の女優達が集まっているが、この時代としてもそれなりにお年を召した女優人が貫禄を示す演技で、安心してみられる殺人事件映画となっている。一気に観ることが出来ず、4回くらいに分けて観ることになってしまったが、それでも違和感がない。そういう映画なのだろう。ナイル川観光旅行殺人事件てな内容かな。

『アガサ 愛の失踪事件』(Agatha)

1979年・イギリス/アメリカ

監督/マイケル・アプテッド 出演/ダスティン・ホフマン/ヴァネッサ・レッドグレイヴ/ティモシー・ダルトン/ヘレン・モース

NHK-BSでアガサ・クリスティ特集が始まった。気安く見られる映画としては抜群のものがあるだろうと、こちらも気軽に心の準備が出来る。最初の放映作品は彼女の原作によるものではなく、彼女が実際に失踪事件を起こした時のことを題材にして作られた映画だ。ダスティン・ホフマンもヴァネッサ・レッドグレイヴも銀幕デビュー後12、3年経った時の映画になる。

アガサの原作ではないということもあり、ミステリーとして扱うには少々問題がある。だいいち面白くない。たいした失踪事件ではないのに(実際はどうかは分からない)予測というか推理で書かれた失踪劇が興味を惹かなかった。ダスティン・ホフマンとヴァネッサ・レッドグレイヴの身長差が妙にリアルで、ちょっと変な感じ。アメリカのカメラワークはうまく身長差を見せないようなアングルやショットを映像に落とし込んでいるはずだが、この映画では敢えてそれをしていないようだ。

ノミの夫婦とか称されるカップルの場合、両者ともにその状況が好きなケースが多い。人それぞれ、蓼(たで)食う虫も好き好きとは良くいったもので、だからこの地球上の世界の男女関係が成り立っているとも言える。

『そして、私たちは愛に帰る』(ドイツ語:Auf der anderen Seite;英語:The Edge of Heaven)

2007年・ドイツ/トルコ/イタリア

監督/ファティ・アキン 出演/バーキ・ダヴラク/トゥンジェル・クルティズ/ヌルギュル・イェシルチャイ/ハンナ・シグラ

日本語題名がちょっとユニーク。邦画なのか洋画なのかも分からずに見始まった。いきなり、イランやイスラムといった雰囲気の映像と言葉、音楽が画面に流れ、嫌な予感でスタートした。何故中東という大きな地域を感じなかったのかは分からない。嫌な予感は簡単に裏切られ、なかなか見事な画のつなぎに引き込まれていった。こういうところが監督の力というものなのだ。

なるほど、ドイツに住むトルコ人の話が発端だった。ドイツのブレーメン、 ハンブルクそしてトルコのイスタンブールが映画の舞台となる。複雑な人間模様と物語の展開を実にテイパキと表現していた。この監督は力があるなぁと思ってweb検索してみると、流石に評価が高く映画賞も結構獲得していた。ちょっと違和感のある空気だったが、監督に引きずられて最後まで一気に観てしまった。

いつの時代にも親子関係は簡単ではない。親孝行したい時には親はなし、という言葉が一番分かりやすく親子の関係を現している。運良く生きている間に親孝行らしきことが出来ている人は仕合わせだ。亡くなってまでも恨みが晴れない人があるとすれば、こんな不幸なことはない。一生に一度の人生なのに、お互いに。

『サボテンの花』(Cactus Flower )

1969年・アメリカ

監督/ジーン・サックス 出演/ウォルター・マッソー/イングリッド・バーグマン/ゴールディ・ホーン

イングリッド・バーグマン54才の時の映画。だいぶふくよかな体形で、往年の美貌は見る影もないが映画は年相応の役が待っているので、死ぬまで現役でいられる。30才前の代表作、『カサブランカ』(Casablanca・1942年)、『誰が為に鐘は鳴る』(For Whom the Bell Tolls・1943年)、『ガス燈』(Gaslight・1944年)などは、いつ見ても素晴らしい女優だと思える。

ウォルター・マッソーは49才だったが、このおっさんはいつ見ても同じような老け顔。とぼけた感じの存在そのものがコメディーだ。なので、特別に面白い仕草や、ギャグを飛ばさなくてもコメディーが成立している。役者やの~と声を掛けたくなるくらいの芸達者。安心してみていられるコメディーの王道。

ゴールディ・ホーンがまたいい。モンローとはまた違ったお馬鹿さんキャラで映画を引き締めている。当時はやっていたミニスカートがよく似合う。24才の初陣のようなこの映画でいきなりアカデミー助演女優賞をとっている。体は小さいがきらりと光った映画女優にぴったんこの容姿。コケティッシュで愛らしく、何ともいえない魅力がある。

『彩恋 SAI-REN』

2007年・日本

監督/飯塚健 出演/関めぐみ/貫地谷しほり/徳永えり/きたろう/温水洋一/奥貫薫/高杉亘/細山田隆人/松川尚瑠輝

テレビ放映はこの頃日本映画が多い。アメリカ映画がここのところ製作本数が減っているのが原因なのだろう。たぶん放映料も日本映画の方がかなり安いだろうから、こういう状態になっている。日本映画を多く見ていると、時々になってしまう外国映画のスーパーを読むのが辛くなる。困ったものだ。圧倒的に外国映画派だったのに、見ている本数からすると、邦画派と勘違いされそうだ。嫌じゃ。

日本映画としては珍しく軽いタッチの青春恋愛コメディー。一度見ているらしく、いたるところであっこれは見たなという場面に遭遇した。どうも前回はつまらなかったようで、5倍速で見渡して終わったような気がする。何故今回は見ることが出来たのか?体調にもよるのかな?ちょっとした具合でこういうこともあるから、簡単に面白くないなんて、言っちゃいけないのかも。

今の時代に自分が中学生だったり、高校生だったり、はたまた大学生だったらどんな生活をしていたのだろう?想像がつかない。青春していたのか?恋は?その時代時代の出会いを思い出したりして、感傷に耽りたいが、それほど若くもないし年をとりすぎてもいない。でも、あの時の若い気持ちをちょっとでも思い出せれば、甘酸っぱい気持ちが甦ってくるのは確かだし、嬉しいことだ。

『言えない秘密』(不能説的・祕密)

2008年・台湾

監督/ジェイ・チョウ 出演/グイ・ルンメイ/アンソニー・ウォン/アリス・ツォン/アンソニー・ウォン

中国・韓国映画をあまり見ていない。一所懸命の製作意欲は伝わってくるのだが、いかんせん面白くない。韓国映画などは日本のおばさん族に人気があるそうだが、いい男が出ているからという単純理由は結構映画ファンの原点かもしれない。日本映画だって、かつてはいい男やいい女の集まりだった。最近でこそテレビタレントばかりが映画に出てくるようになって、映画スターと呼べる人がいなくなってしまったのが寂しい。そして日本映画も凋落した。

この原題を見ると説明不可能な秘密という感じでまさしく映画内容を表現している。音楽学校で仲の良くなった二人の話、女の子に秘密があるらしいという設定。秘密が明かされることはなく物語は進んで行く、そこがこの映画への興味を持続させる源。

人が100人いれば100人の人生があり、誰も他人の人生に入り込むことは出来ない。他人を理解しているようで、実はそれは全くの幻想。何を考え何をしようとしているかなんて、現実面でしか理解出来ない。その理解が本当のその人を現しているかというと、実は全然違ったりするのだ。だから、「見損なった」とか「裏切られた」という状況が起こったりするのである。冷静に考えれば「真実」は1個しかないが、「事実」は無数にあることが分かるはずなのだが。

『ディープ・コア2010』(MEGAFAULT)

2009年・アメリカ

監督/デヴィッド・マイケル・ラット 出演/ブリタニー・マーフィ/エリック・ラ・サール/ジャスティン・ハートリー/ポール・ローガン

この娘は誰なんだろうと思いながら見ていた主演女優ブリタニー・マーフィは2009年複数の薬剤服用と肺炎や貧血など、偶発的な原因によって32歳という若さで急死していた。演技はいまいちだったが、一度見たら忘れられない顔だった。もしかすると、これからのアメリカ映画でもいい脇役から羽ばたいたかもしれない。

映画は典型的な3流映画。これぞ3流というストーリーやシーンが随所に出てきて気持ちいい。ただ、あまりに長くそんなことを繰り返しているものだから、最後には流石に飽きがきた。地震パニック映画なのだが、CGを多用し、ヘリコプターを使い、頻繁に起こるパニック状態を切り抜け、そんな中でも家族への愛情を限りなく表現し、母親でありアメリカ随一の地震学者である主人公が活躍する。

アメリカのテーマは『家族愛』。どんな映画にも子供への愛情は無条件で注がれる。この愛情なくして、アメリカ映画は語れない。最近の日本で頻発する親の子供虐待は、このような映画による無意識な情操教育が日本ではなされていないからなのではなかろうかと考えたりする。

『チャーリー』(Chaplin)

1983年・イギリス

監督/リチャード・アッテンボロー 出演/ロバート・ダウニー・Jr/ジェラルディン・チャップリン/ダン・エイクロイド/モイラ・ケリー

チャーリー・チャップリンの自伝映画であるが、エンドタイトルには「この映画の一部は自伝に基づいている」と記されている。最初の映画出演が1914年というからもう100年近く前になり、伝説的な映画人となってしまった。

好きか嫌いかと問われればあまり好きではないと答える。彼の映画がである。偉大なる観客や評論家が彼を讃えているから、私ごときが好きでなくともなんのことはない。どうもコメディーという最初から人を笑わせようとするものが嫌いらしい。だから日本の今のおちゃらけた笑いなんて、とてもじゃないけど見る気もしないわけだ。

戦争、共産主義、歴史の中で翻弄される人間の営みは映画界にも影響を及ぼしていた。1972年、20年ぶりにアメリカの地を踏みスタンディング・オベーションでアメリカの映画人達(第45回アカデミー賞)に迎えられた彼の眼には涙が・・・。功績が認められることが生きている中で最大の喜びかもしれない、しかも同業者に。

『ラウンダーズ』(Rounders)

1998年・アメリカ

監督/ジョン・ダール 出演/マット・デイモン/エドワード・ノートン/ジョン・マルコヴィッチ/グレッチェン・モル/マーティン・ランドー

ポーカー・ギャンブルから逃げ切れないで人生を台無しにしてしまう話、と言ってしまえば在り来たりだが、そんなもんだ。必ずといっていいくらい登場する嘘つきの悪友が物語りの主人公。第三者的に映画でこちら側から見れば、誰もドツボには填らないのだろうが、現実ではみんな落とし穴に堕ちるのが関の山。

映画は飽きさせないが、ダラダラと話が続くのはちょっと興味半減。見終わってしまえば、虚脱感に似た何ともいえない清々しくない気分が味わえる。昔、時間つぶしになんでもいいからとりあえず映画館に入って映画を見た時の気分に近い。

マット・デイモンは結構存在感のある役者として、これからもアメリカ映画界で活躍して行くことだろう。そんな普通すぎるコメントなんか言っても仕方がないが、他に言葉が見つからない。

『ヘヴン』(Heaven)

2001年・アメリカ/ドイツ/イギリス/フランス

監督/トム・ティクヴァ 出演/ケイト・ブランシェット/ジョヴァンニ・リビシ/レモ・ジローネ/ステファニア・ロッカ

ポーランドの映画監督クシシュトフ・キェシロフスキと脚本家クシシュトフ・ピエシェビッチは、「天国」「地獄」「煉獄」を題材にした三部作を制作する予定であった。しかし、1996年のキェシロフスキの急死によって、脚本が唯一完成していた「天国」篇である本作は、ドイツ人監督トム・ティクヴァの手によって映画として実現した。「地獄」篇はダニス・タノヴィッチ監督で『美しき運命の傷痕』として2005年に映画化されている。(Wikipediaより)

なんの情報もなく見る映画としてはベストだろう。見始まってすぐにサスペンス・タッチであることが分かる。そうすると次はどうなって展開して行くのだろう、そして結末は?と、どんどん興味が膨らんでゆくのが嬉しい。

何故「天国」を題材にした物語がこれなのかは分からない。映画が終わっても何も分からない天国というタイトルに、いろいろな妄想が廻るだけだ。きっと、映画の面白さはそういうところにもあるのだろう。日本映画みたいに饒舌に語りすぎて、かえって神秘性をなくしてしまっている物語とはだいぶ違う。本当の愛にぶつかった時に、天国への門が開かれるのかもしれない。

『エレニの旅』(ギリシャ語:Τριλογ?α - Το Λιβ?δι που Δακρ?ζει)

2004年・フランス/ギリシャ/イタリア

監督/テオ・アンゲロプロス 出演/アレクサンドラ・アイディニ・プルサディニス

第一次世界対戦後から1945年アメリカ軍に所属する夫から、これから沖縄戦があるからという手紙が届く。長く何がなんだか分からない時代背景と、ヨーロッパ諸国における戦争状態の関係と、ソビエトから流民になって辿り着いたギリシャ人の生活様式と、あまりにもあっけにとられている間、長回しの画面が進行して行く。

映画は基本的には映画館で掛ける商品、長ければいいというものでは決してない。必要なのはエンターテインメントと時間だ。2時間50分も同じシーンのような画面を繰り返し見せられたって、心には訴えるものが少ない。1シーンを1/3の長さにすれば充分2時間以内では終われる、それで充分の気がした。同じシーンを長々と写して美しい画像を切り出してもそれは映画の特徴を生かしたことにはならない。トイレを我慢する前に終了する興行用の映像を作れなければ失格だ。評価が素晴らしいほど長回しのシーンには意味はない。切り取った映像が美しいだろうというのは分かる。ただそれだけのためにひとつのシーンが長すぎる。監督が自分の映像美に酔っているようにさえ見える。

1919年ソビエトから流民となって帰って来たところから物語は始まるが、この時代のギリシャの基本的なことが分かっていないので、村人達の習慣や、迫害が何故行われるかなどのバックグラウンドが分からなさすぎる。国際映画はそこを映像で軽く消化するくらいでなければ商売にならない。日本の溝口や小津監督と比較されるらしいが、全く比較にならない。ただ長回しをしたって無駄に長いだけでもったいない。何も分からす、見るのが苦しくて苦しくてという状態をずーっと続けていた。子供が急に大きくなったり、時が急に進んだり、映像のテンポと同調していないのもいただけない。それらしい評論家が、尤もらしく素晴らしい映画だと評価しているが、偽物評論家の良く言いそうなこと。映画は総合芸術の分野、トータルで評価をしなければ正しい答にはならない。

『不夜城』(Sleepless Town)

1998年・日本

監督/リー・チー・ガイ 出演/金城 武/山本未来/椎名桔平/ラン・シャン/エリック・ツァン/キャシー・チャウ

映画が始まってスタッフの名前が出てきた時に、何人かの知っている名前があった。面白そうだという予感は、そういうスタッフだけでも匂ってくる。原作は馳星周による日本の小説。1996年に第18回吉川英治文学新人賞を受賞した作品、1996年度の「このミステリーがすごい!」及び「週刊文春ミステリーベスト10」で共に第1位となった。

女優助演にあたる山本未来が映画の良さ、面白さを半減させている。山本寛斎の娘で椎名桔平の妻らしいが、かなり重要な役割を演じる役者としては不適当。素人同然のせりふ回しや身のこなしは見るほどに苛立ってくる。これほど助演クラスの役者に幻滅したことがない。この役をうまく演じられる役者がいれば、この映画の出来もかなり評価されるに違いない。全体の話はすごく面白く、新宿歌舞伎町の中国マフィアはきっとこんな風になっているのだろうと想像させるに充分な内容だ。

映画作りが優秀なスタッフに支えられているというのが良く分かる。ロケハンから現場まで、このようなアクションシーンを撮影するのは今の日本では並大抵の努力だけでは実現出来ない。役者が良ければさらに見事な映画に仕上がっていただろう。金城武も今回の役回りには充分だが、日本語セリフが完璧ではないところをみると、いつまでも国際スターでしか使えない気もする。映画の面白さは保証する。

『氷点』

1966年・日本

監督/山本薩夫 出演/若尾文子/安田道代/山本圭/船越英二/森光子/鈴木瑞穂/成田三樹夫/津川雅彦

テレビ・ドラマ化はよくされているようだ。もう44年前に若尾文子が母親役をやっているのだから、今ではだいぶ年をとっていても仕方がない。憧れの若尾文子はこの映画では悪女役、やって欲しくないのはファンだからこそか。

船越英治が息子より格好良く、森光子が同じような顔立ちながら流石に若く、津川雅彦が想像以上にいい男だった。山本圭はいつも若々しいが、この時の方が老けて見えた。役柄のせいかもしれない。

人間の生い立ちがこれほどまでに人生を左右するとは、戦後しばらくの時代だからこそなのだろう。今では誰様の子だって成り上がることが出来る。むしろお金持ちの子供の方が、環境が良すぎてどうにもならない育ち方をさせられているようだ。つい今週のニュースにも三重県知事の35才の息子が薬物所持で捕まっていた。一体仕合わせは何処にあるのだろうか。

『北国の帝王』(Emperor of the North Pole)

1973年・アメリカ

監督/ロバート・アルドリッチ 出演/リー・マーヴィン/アーネスト・ボーグナイン/キース・キャラダイン/チャールズ・タイナー

世界恐慌の嵐が吹き荒れる大不況下のアメリカ。 職の見つからない求職者たちは当所もなく各地を放浪するしかなかった。 ホーボーと呼ばれるそんな彼らの移動手段は、貨物列車にコッソリ忍び込んでしまうこと。 その惨状に手を焼いた鉄道会社は、シャックという腕利きの鬼車掌を雇って対抗する。彼は無賃乗車犯を見つけると容赦なく殺害してのける男で、やがてホーボーたちの間でも噂になっていた。 そして、誰もがシャックの乗る列車だけは避けるようになった中、敢えてそれに挑戦するつわものが現れた。 北国の帝王と呼ばれる伝説のホーボー、エース・ナンバーワンである。 かくしてシャックとエース・ナンバーワンの意地と知恵の対決が始まった…(Wikipediaより)

名前は分からなくとも一度見たら絶対に忘れられない顔のアーネスト・ボーグナイン。凶暴車掌の役はぴったんこ。マーティ( Marty・1955年)に見せた、あの顔での優しい男の役もぴったんこだった。ケイン号の叛乱( The Caine Mutiny・1954年)で見たリー・マーヴィンは、いつも逞しく肉体だけではなく精神までもタフな役柄がよく似合う。顔は人生を表すと言うが、まさしく役者もはまり役を見るのが気持ちいい。

劇中若いホーボーが列車の屋根から降りてくる途中、洗面車両で若い女性が脇の下にカミソリをあてているのを見てしまうシーンがある。1933年当時でもアメリカ女性の身だしなみはそこまで行っていたのかと妙な感心の仕方をした。というのも、ほんの昔ソビエト連邦が崩壊する前までの共産圏の女性は、オリンピック陸上競技で腕を振ったりゴールインする時に、脇の下の毛を恥ずかしげもなく晒していたことを思い出したからだ。

『メゾン・ド・ヒミコ』

2005年・日本

監督/犬童一心 出演/オダギリジョー/柴咲コウ/田中泯/西島秀俊/歌澤寅右衛門/青山吉良/柳澤愼一(柳沢真一)

銀座のゲイバー「ヒミコ」のママだった男が、引退して今度はゲイのための老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」を作り、自らも他のゲイたちと共にそこで暮らしている。なるほど、こういう手もあったのか。ありだよね、そんな老人ホームも。通学途中の中学生3人組が、いつもここの住人を罵ったり、馬鹿にしたり、壁に落書きしたりと騒動を起こしている。そのうちの一人がいつか目覚めてメゾンに入り込むようになるのだが、ユーモアをうまく表現しているかもしれない。

シチュエーション設定だけで生きているような映画作りだが、柴咲コウを見ていたかったので最後まで5倍速を多用せずに鑑賞出来た。柴咲コウは相変わらず演技が下手だが、何となく好きな女性だ。自分の好みのタイプというのは、一貫性があってそこから逆に抜け出せないでいる。いいことかもしれない。

ヘラルド現役時代は何度も新宿2丁目に行ったことがある。酒の飲めない宣伝部長を接待するには、そんなところしかなかったのだろう。新聞社の連中と行くことが多かったが、生身の女を触る勇気はないくせに、髭の生えた気持ち悪い女装の男を触るのには勇気がいらなかった。慣れてしまえば女よりも遙かに面白い。この偽物は芸達者が多く本物よりも楽しませる術を知っている。会社の女子社員が一度行ってみたいというので連れて行ったことがあったが、予想以上の女(男)の芸が際どくて目を背けながらキャッキャッ言っていた姿を思い出した。

『続 忍びの者』

1962年・日本

監督/山本薩夫 出演/市川雷蔵/藤村志保/坪内ミキ子/若山富三郎/天知茂/山村聡/東野英治郎/永井智雄/山本圭

第1作目より出来が良く飽きさせない。忍びの者はどちらかというと脇役になり、話の本筋は織田信長そして明智光秀、徳川家康、羽柴秀吉という歴史上お馴染みの人物が主役となっている。

第2作目は見事に第1作の最後のシーンを引き継いでいた。ここまできちんと繋がっている続編も珍しい。

仕事の出来ないサラリーマンの典型は、自分の仕事を他人に絶対任せない人。任せないというよりは、自分でやっていないと不安で不安でしょうがないという人。その仕事だけなら一応は他人とも勝負出来るが、万が一に同じ仕事を他の人にやらせたら自分の出来なさぶりがばれてしまう。そんな人は引き継ぎも下手、下手というより出来ない。引き継がないことによってのみ自分の存在感が証明出来るという、結構世の中にはたくさんいる人種。そんな人がまずいなかったヘラルドという会社の倫理観は、それは素晴らしいものだった。過去の話は美しく見える典型かもしれないが。

『慕情』(Love Is a Many Splendored Thing )

1955年・アメリカ

監督/ヘンリー・キング 出演/ジェニファー・ジョーンズ/ウィリアム・ホールデン/イソベル・エルソム/ジョージャ・カートライト

映画を見ることに少し疲れが見え始めた。そういう時こそオーソドックスな映画らしい映画を見れば、また見ようという勇気が湧いてくる。あまりにも有名な主題歌は、いつの時にも口ずさんでしまうほど体に染みついている。また、映画のセリフ『愛情がなければ生きている意味がない』という言葉が心に重い。もう生きている必要もないのか。

何事にも基本は大切だ。何か迷ったり不安が生じた時には、基本に立ち戻ってひとつずつ進んで行けば、たいていのものは解決出来る。解決出来ないのは、能力がないからだけなのだ。

今、プロ野球セントラルリーグは復刻版のユニフォームでファンを楽しませている。にもかかわらず馬鹿な中日ドラゴンズは、監督以下ほとんどの選手がストッキングを見せないでユニフォームを着ている。基本的なことをしていない、ファンを楽しませようとしない中日球団、落合監督にレッド・カードだ。それでなくとも、暗くて執拗に見える落合という監督は、どうも日本プロ野球界を盛り上げるのには役立っていない。ただ勝てばいいのだろうといわんばかりの態度やインタビューの受け応えに不愉快さを感じている人が多いはずだ。

『ドクター・ドリトル2』(Dr.Dolittle2)

2001年・アメリカ

監督/スティーヴ・カー 出演/エディ・マーフィー/クリスティン・ウィルソン/ジェフリー・ジョーンズ/ケヴィン・ポラック/レイブン・シモーネ

第2作目ともなると動物と話すのは当たり前で、その上に立ったストーリーが展開されてくる。人間の自然破壊に対する動物たちの悲痛な叫びを、ドリトル先生が交渉役となり人間と動物の間を取り持つ。

他愛もない話だが単純で面白い。奇をてらわず、ここでこの犬だったら、このリスだったら、このビーバーだったら、この熊だったらという言葉や会話が面白い。現実面でも愛玩動物と会話をしている人もたくさんいることだろう。

エディ・マーフィーの動作や喋りを聞いていると、生来のコメディアンという感じがする。ただ笑わせたいだけがためにおかしな挙動をする日本のお笑い芸人とは、本質的に出来が違うと感じる。それにしても、なんとお笑い芸人が多い国なのだろう。面白くないのにほんのひとときの売れ時間に満足して芸人になっている素人集団。そういえば素人の女子を集めてお金稼ぎをしている秋元康などは、必要悪の典型みたいな人間だ。

『ローグ アサシン』(Rogue Assassin、原題:War)

2007年・アメリカ

監督/フィリップ・G・アトウェル 出演/ジェット・リー/ジェイソン・ステイサム/ジョン・ローン/デヴォン青木/ルイス・ガスマン/石橋凌

本当の原題は「WAR」で日本用に原題も変えてしまったようだ。良くある手だが、出来が悪いとそんな小細工もしたくなる。久しぶりのアクション映画に、夏の夜はこんな映画が相応しいなどと思っているが、実際観たのは朝のうち。

最初のうちは1流半くらいの出来映えとみていたが、話が進むに連れて3流、いや4、5流のアクション映画の様相を呈してきた。ノンストップアクション、3流の映画が一番気楽でいいのだが、製作意図が1流で実際には5流映画だと観ていてしらけてくる場面が多い。日本のヤクザが絡んだストーリーなので、日本人や日本人まがいの登場人物も多数出ている。おかしいのは、ブサイクな顔をした日本人らしき女性が、たぶんハーフの役なのだろうが、あまりにも下手な日本語のセリフを喋るので驚いた。いくらなんでもこの役者はないだろうと。英語も喋っていたが、きっと下手な英語なのだろうと想像した。それにしても主役級の役者以外の出演者の質が悪すぎる。アメリカ人が日本語を聞いても分からないだろうが、日本語がそのまま話される映画館でのこの日本語セリフはド素人もいいとこだ。

久しぶりに見たジョン・ローンがちょっと格好いいような、いやいや成長し損なったイモ役者に見えたのは?『チャイナ・シャドー』 (1990年・柳町光男 監督)の時の彼の姿は若々しく、それこそ格好良い大スターへの道を歩んでいる姿に見えたのだが。この映画のタイトルは原作が『蛇頭(スネークヘッド)』だったので、そのままのスネークヘッドがいいねとその当時みんなと話していたのだが、何故かチャイナシャドーとなって興行は当たらなかった。

『父と暮せば』

2004年・日本

監督/黒木和雄 出演/宮沢りえ/原田芳雄/浅野忠信

久しぶりに寝てしまった。その前に少し5倍速。最初のうちはそれなりにじーっと観ていたのだが。宮沢りえはあの時貴乃花と結婚していたら、芸能界の様子も少し変わっていたのかな~なんて、全然関係のないことを考えていた。

井上ひさしによる舞台作品。原爆投下後の広島を舞台にした二人芝居。でも、あれだけ評価されている井上ひさしという名前を聞いただけで、見る気がしない。

こちらが偽物なので、本物がダメなのかもしれない。広島と聞いただけで映画も観たくない。事実は事実として受け止めるが、もう映画の題材としては充分過ぎる。

『パーフェクト・ワールド』(A Perfect World)

1993年・アメリカ

監督/クリント・イーストウッド 出演/クリント・イーストウッド/ケヴィン・コスナー/T・J・ローサー/ローラ・ダーン/キース・サセバージャ

ケヴィン・コスナーが子供の頃から悪で、大人になってからの脱獄犯役。風貌がそんな風に見えないけどいいか。人質にとった子供は父親がおらず、母親が信じているエホバの証人はハローウィンやクリスマスをしない。いじめられていた子供と脱獄犯との奇妙な友情と書いてしまえば、それだけのこと。ちょっと不思議な感覚の映画だが、クリント・イーストウッドの鋭い感性は映画を飽きさせない。

偽りの善に対する彼の眼は随所にセリフや挙動となって現れる。同じようにケビン・コスナーの子供に対する優しさにもその本質が鏤められている。人間の生い立ちというのは、人生を大きく左右している。比較しなければ仕合わせを感じない人種には、何が仕合わせで何が不幸せかは分かるまい。

つくずくアメリカは拳銃社会だなと思う。この映画の描く時代は1963年だが、今だって政治圧力団体としてライフル協会などというのがのさばっている。一方でアメリカだからこれほどの銃事件で済んでいるような気がする。もしも日本で同じように銃が簡単に手に入ったら、おそらくかなり頻繁に拳銃による出来事が起こっていることであろう。

『シシリアン』( Le Clan des Siciliens)

1969年・フランス

監督/アンリ・ヴェルヌイユ 出演/ジャン・ギャバン/アラン・ドロン/リノ・ヴァンチュラ/イリーナ・デミック/アメディオ・ナザーリ

NHK特集がアラン・ドロンになったが、あまり好きではないので遠慮していた。題名が面白そうだったので録画したら、アラン・ドロンとジャン・ギャバンの名コンビ映画だった。この頃の映画は、宝石泥棒やマフィアものが多く、しかもなかなか面白いものがたくさんある。

実に巧妙に映画ストーリーを作っている。観客を飽きさせない技法はたいしたものだ。しかも結末までどんでん返しがどんでん返しを呼び、初めて見れば感心しきりとなる。今作ったって当たるかもしれない。なにしろ原作に事欠いて、日本の漫画ストーリーがアメリカン・メジャーを席巻しているくらいだから。

ヘラルドは当時、毎年「スター・カレンダー」を作っていた。1人のスターで1頁。多い時で20万部に迫ろうかという販売部数だった。ちょっと小振りで、壁に掛ける大きさとしても映画会社らしい気の利いたものだったので人気があった。ただ売るのではなく、空きスペースに会社名を印刷してあげるあのやり方だ。スターの肖像権や人格者権などがそれほどうるさくない時代だったので、写真そのものは通信社から借りてカレンダーを制作してもなんとかなるのだった。ところが、アラン・ドロンはその時かの有名な「ダーバン」のCMに出ていた。ヘラルド・スターカレンダーのアラン・ドロン頁には「DURBAN」マークがきちんと印刷され、肖像権を少しばかりクリアしていた。遠い昔の話。

『Mr.デスティニー』(Mr. Destiny)

1990年・アメリカ

監督/ジェームズ・オア 出演/ジェームズ・ベルーシ/リンダ・ハミルトン/マイケル・ケイン/ジョン・ロヴィッツ/レネ・ルッソ

人生の分岐点は何処だったのか?永遠のテーマを映画化している、ある意味では在り来たりの映画。コメディーになってしまうのは仕方のないことだが、意外と見せてくれるじゃないのといった感じ。今回の分岐点は、少年野球チームの9回裏最後の攻撃で、主人公のバッターが三振してゲームセットになったのか、それとも逆転さよならホームランを撃ったのか、それ以降の人生がどう変わっていったのかを面白可笑しく軽やかに描いている。

あの時にあの娘と結婚していたら、どういう人生だったのだろう?やり直せないのが人生だけれど、映画ではそれが可能だから面白くなる。戻れない人生が、もし本当に戻れたらどっちに行ってみたいのだろうか。映画の主人公のように今の仕合わせが、実は何にも代え難い仕合わせなのだということを分からせてくれたのは、やり直した自分の姿を確認したからなのだ。

そう、目の前の仕合わせが本当は実に見事な仕合わせだということを多くの人間は分かっていないのだ。分かっていないから仕合わせなのか、それとも不幸せなのか、いずれにせよ素直な気持ちで人生を生き抜くなんて誰も出来やしないこと。

『真夏のオリオン』

2009年・日本

監督/篠原哲雄 出演/玉木宏/北川景子/堂珍嘉邦/平岡祐太/黄川田将也/吉田栄作/吹越満/益岡徹

原作は池上司の『雷撃深度一九・五』。太平洋戦争末期、帝国海軍イ58潜水艦による米国海軍重巡洋艦インディアナポリスの撃沈の史実を元にした軍事フィクション。文庫本あとがきによれば内容の少なくとも半分は真実でありあとはフィクション。日本海軍側の登場人物はほぼ創作であり、米軍側は大半が実在の人物である。と、ある。

戦争、潜水艦とくれば映画お得意の舞台。日本映画でこれだけうまく潜水艦を使った映像を物語として成立させた映画も少ないだろう。玉木宏がいい。抑えた演技ばかりではなく、的確に若い艦長の姿を表現している。これほどいい役者とは。テレビで見ると大柄な役者に見える北川景子が映画では実にいい。もしかすると大女優になるかもしれない。存在感がある。彼女が敬礼をするシーンには、戦争の諸々の哀しみが心底溢れている感を持たされ、涙が自然と流れ出した。吉田栄作も余計な挙動もなく、役柄に応じた役割を担っていた。それぞれが実にうまく噛み合っていたと言える。だからこそ、いい映画だと感じられたのだ、きっと。

映画を見る時はいつも身構えて画面の前にいる。面白いのか、面白くないのかは全く分からない。内容も分からない。一度見たことのある映画なら、多少の安心感があるが、初めて見る映画とは真剣勝負だ。だから、面白くないとすぐに5倍速にしてしまうのだ。作った監督に聞けば、間違いなく「面白い」ということは分かっている。それが全く正反対の面白くないと言い切れる作品になってしまうのだから、映画は怖い。今回は面白い作品の2連チャンで心が満足している。

『西の魔女が死んだ』

2008年・日本

監督/長崎俊一 出演/サチ・パーカー/高橋真悠/りょう/大森南朋/木村祐一/高橋克実

いい時間を過ごした。梨木香歩という人の短編小説の映画化。主人公は不登校の女の子とおばあちゃん。このおばあちゃんはイギリス人で英語教師としてやってきた日本で、同じ学校の先生と結婚して日本に住み着いた。今は一人山奥の家に住んでいる。そこへ不登校の孫娘がやってきて、禅問答のような会話の毎日が描かれている。題名の西の魔女という面白いタイトルに興味を惹かれたが、なかなか面白い作品であった。

主人公のおばあちゃんサチ・パーカーがシャーリー・マクレーンの娘であることを映画を見終わってからの検索で知った。この映画にはぴったんこの配役で、上手くキャスティング出来たものだと非常に感心した。心に余裕が少しあったからだろうか、ゆっくりとした映画の流れにうまくついてゆくことが出来、最後まで飽きることなく優しい気持ちになれる時間を過ごすことが出来た。嬉しい。

日本映画の出来の悪さをいつも嘆いているが、今日は立て続けにいい日本映画を見ることが出来た。もう1本は『真夏のオリオン』。どの辺りに自分の琴線があるのか自分では良く分からないけれど、この2本を見る機会があったら是非そこら辺の指摘を受けたいと思っている。心地よい気分はいつまでも続いて欲しいもの、悩んだり怒ったり、もうそんな気持ちはひとときも持ちたくない。

The Star 『坂東玉三郎』

NHK BS-hi 2010年8月7日(第13回)

坂東玉三郎、作家・真山仁、ミュージシャン・玉置浩二

番組の謳い文句はこうだ、「今回のスターは歌舞伎役者・坂東玉三郎。 気品ある「美貌(びぼう)」と、高い身体能力を生かした「舞」、及ぶもののない存在感で、日本歌舞伎界を背負って立つ唯一無二の女形である。その「美」と「芸」に対する執念はどこから生まれてくるのか?伝統芸能である歌舞伎の世界で、常に独自の道を切り開いてきた玉三郎を徹底解剖!作家・真山仁、ミュージシャン・玉置浩二ら豪華ゲストが、美しすぎる女形・玉三郎の魅力に迫る!」

何度か玉三郎のドキュメンタリー番組を見ている。実物も数少ないが公演を見ている。こういう人を芸のために生まれてきた人と呼ぶのだろう。勿論主舞台は歌舞伎だが、数々の世界の舞台で重要な公演もしている。イチローなど足下にもおよばないストイックさで女形を極めている。今でも、今日の演技にはまだ足りないところがあるという教えを心の拠り所に、満足という奢りは歩く後ろ姿からも悟られないように謙虚な探求心を持ち続けている。番組を見ていると頭が下がる。決して押しつけず、それでいて自分のもっているものすべてを材料として後輩に提供しようと努力している。歌舞伎の家の出ではない、小さい頃に小児麻痺という足にハンディキャップを背負い、失敗を許されない状況の中で、14歳から芸養子に入り玉三郎を襲名し、24歳で戸籍上も養子となり、以来芸の師匠でもある養父母から誉められたことが一度足りもない生活を乗り越えてきた玉三郎の言葉には、淡々としている分だけ説得力が大きく覆い被さってきた。

実際に見れば分かるとおり、舞台に彼が立つや、周りの空気は一変し、仕草をすればその振る舞いに驚愕し、セリフを聞けばその心からの訴えに聞き入り、楽器を奏でればそのしなやかな手さばきに恐れ入る、いい役者である。彼が言う、上手い役者になろうとするな、いい役者になりなさい、と。すべての形や練習、人からの進言、技術がなければ所作が出来ないけれど、演じる瞬間にはそれら全部から自然に導き出される魂がなければなんの意味もない、と。自分の演じる所作が心からの魂の導きになった時、見ている人を引き連れて同じ方向に走って行くことが出来るのだ、と。これほどまでの歌舞伎役者はもう100年といわず、数百年は出てこないかもしれない。もし可能性のある青年が出てきた時に、再び坂東玉三郎の芸に生きた人生が何度もスポットライトで照らし続けられるだろう。

番組の最後に、玉三郎が好きだという歌手をゲストとして呼んでいた。打ち合わせもなく番組でいきなりデュエットした相手が玉置浩二。軽く弾き語りで登場したが、流石に玉三郎の前では玉置も恐れ多いと見えて大人しい。玉三郎初のテレビでの歌の披露にあたって、玉置が凄い。さすがに一流のプロ歌手、小さな声で相手の音をさぐりながらハーモニーを合わせていた。玉置の本来の優しさが、玉三郎の前では素になれたように感じた。おちゃらけた青田典子とのツーショットなどでは考えられない挙動で玉三郎を称えたハグをしたのには、驚きよりも感動を覚えた。玉置もミュージシャンとしては一流なのだろう。玉三郎効果はしばらく芸能界で続きそうだ。伝説となる人と同時代に生きていたことを誇りに思い、あの世でもこんな思いを話できたら最高だ。

『劔岳 点の記』

2008年・日本

監督/木村大作 出演/浅野忠信/香川照之/松田龍平/仲村トオル/宮崎あおい/井川比佐志/夏八木勲/役所広司

2時間19分の長尺。時間を感じさせない全体の流れは、最近の日本映画には珍しいくらいのできの良さに思える。明治39年・40年という想像もつかない社会構造の中で、測量と地図のために前人未踏の剣岳を目指す苦闘と人間の生き様を描いた作品だ。

ただ同じ空を眺めているシーンで、出演者の顔が次々とアップになりその表情を捉える場面がある。演技というのは喋るだけではないということは誰でも分かっていることだが、ここでの松田龍平のイモ役者ぶりに驚かされた。他のメンバーの顔アップにはなんの違和感もないが、彼の顔にはなんとも表現できない嫌みなヘタさ加減が現れていた。セリフ周りももちろんヘタだったが、こんなシーンにもヘタさ加減が見えるとは、ちょっとした発見であった。宮崎あおいや役所広司が出てくると、画面のどこかにアフラックのアヒルがいたり、部屋の隅っこにビールが用意されているのではないかという錯覚に陥る。テレビCMもほどほどにしないと、映画への信頼性がなくなってしまうことに本人達はどの程度気が付いているのだろうか。

劇中、香川照之演じる山の案内人。依頼を受けて駅まで主人公を迎えに行くのだが、自宅山の中の家から6里を歩いて前日にも駅まで確認に来ていたこと、そして事前に送られてきていた荷物は当日依頼人を迎えた時には既に家に送っていたことなど、全幅の信頼がおける人間として実に上手く描かれている。黒澤明監督がホテルで記者会見がある時、担当者がホテル前でタクシーを降りた彼を会場まで案内することがあった。その時担当者は寸分違わず、道案内をこなさなければ黒澤明の強い叱責を受けたのだった。これは当たり前のはなしで、事前にタクシー乗り場から会場までの案内をシミレーションしておかなければならないからだ。こんな些細な仕事でもプロに徹すれば出来ることを、当日簡単に出来るだろうと準備さえしないぼんくらサラリーマンとの違いは、10年後、20年後のサラリーマン生活に歴然たる差を生じさせることになる。そんなプロ意識を香川照之山の案内人に見た。

『忍びの者』

1962年・日本

監督/山本薩夫 出演/市川雷蔵/藤村志保/伊藤雄之助/城健三朗/西村晃/岸田今日子/丹羽又三郎/浦路洋子/藤原礼子

日本映画界の大スターだった市川雷蔵、自分より17歳上だがそれよりも1969年37歳で亡くなっているので、名声を聞いていただけで映画館で見たことはなかった。『眠狂四郎』シリーズの当たり役で日本全国区の大スターとなっている。

城健三朗(=若山富三郎)が織田信長役だったが、最近の織田信長像には似ても似つかない厳つい剛胆な感じがした。もしかすると本物はこっちに似ていたかもしれない。

映画は白黒。土の感触などはモノクロの方がそのザラザラ感などが画面にイキイキと映っているように見えた。アクションシーンは流石に古く、精一杯ガンバッテはいるが今の映像に比べたらちょいと甘い。忍者の親方にしてもほんのちょっとした人情味が振る舞われたりして、さすがに古い日本映画だなと思わせるシーを多々感じた。映画・映画館華やかしころの映画作品。こういう時代に映画業界に生きてみたかった。

『百万長者と結婚する方法』(How to Marry a Millionaire)

1953年・アメリカ

監督/ジーン・ネグレスコ 出演/ベティ・グレイブル/マリリン・モンロー/ローレン・バコール/ウィリアム・パウエル/デヴィッド・ウェイン

楽しいですね、こういう映画は。と言っても見てなければ分からない。3人の美しい女性が百万長者と巡り会い結婚したいと願望するわけです。そして超一流のアパートを借りて作戦を開始するところから映画は始まります。いつの世にも夢見る人種は多いのです。当たり前の普通の願望ですが、結果は?人間の幸せとは?とこれまたいつの世にも問いかけられる難問がコメディーになって気軽に笑ってられれば健康状態かもしれない。

幸せになることを夢見ていられる間が一番幸せと言える。手に入れてしまった幸せは日常となり、さらなる高みの幸せを求め始める。人間の性は果てしなく、どんなに幸せと見える人種にも貧乏人よりもさらに大きな苦悩が待っている。

同じ映画を見て同じ気持ちになれた二人がいれば、それはそれは幸せなことです。地球上にいる60億人の人類は、それぞれ個性を持ち顔だってせいぜい3人くらいしか似ている人はいないと信じている。そうやって心のもちようの幸せを物質でまかなおうとする邪悪な心が、真の仕合わせを隠してしまっている。

『華麗なる一族』

1974年・日本

監督/山本薩夫 出演/佐分利信/月丘夢路/仲代達矢/山本陽子/目黒祐樹/酒井和歌子/田宮二郎/京マチ子/二谷英明

3時間半の長尺である。一瞬うつらうつらとしてしまったが、一気に観ることとなった。確か今年に入ってからだったかテレビ・ドラマとしてもあらためて製作・放送されたのを見た。北大路欣也がテレビでは大主人公の万俵大介役をやっていたが、この映画では若いアメリか帰りの技術者役だった。時が流れてこうやって同じ原作ながら、別の役割で登場するのには感慨も深いものがあっただろう。

実際のモデルとなった一族や企業名を原作者は公表していないが、銀行合併の話が今となってはまさしく起こった事実として、この原作の見通しの確かさを証明している。仲代達也の目はこの時にはそんなに演技していなく、特におかしく感じられない。次の作品になる『金環蝕』から妙な目つきになったと思われる。

仲代達也演じる主人公の一人万俵鉄平は劇中、猟銃にて自殺するが、この映画で憎らしくも暗躍する万俵家長女の婿、大蔵省主計局次長を演ずる田宮二郎が猟銃自殺した事実はまだまだ我々世代の記憶にくっきりと残っている。何もかもが策略に満ちた社会の一端を見せつけられ、己のなんと世間知らずで生きてきた人生かとあきれ果てるばかりである。

『救命士』(Bringing Out the Dead)

1999年・イギリス

監督/マーティン・スコセッシ 出演/ニコラス・ケイジ/ジョン・グッドマン/ヴィング・レイムス/トム・サイズモ/パトリシア・アークエット

軽快にスタートする画面、救急車とそれを運転し救急救命士として次から次へと救急処置をとって行く姿が目を惹く。と、思っていたが、同じような場面やどんどん主人公が亡霊に悩まされ鬱の世界に入って行く頃から、映画も鬱に入ってしまった。

もうこんな仕事は嫌だという主人公の思いはこちらにまで伝わって、もうこんな映画を見続けるのは嫌だと思わせる。そうなることが監督の意図するところだとすれば、流石にマーティン・スコセッシは凄いと誉め言葉も出よう。ただ現実的には、やっぱりもう見たくないと思い、多少ではあるが早回しをしてしまった。

おちゃらけた日本映画の早回しと違い、すぐに普通速に戻ったりして、なんとか2時間20分もの長尺を見終えた。饒舌になると話は長くなるの例え通り、いささか長すぎた感は否めない。ちょっと奨め出来ない、情緒不安定作品。

『シンデレラマン』(Cinderella Man)

2005年・アメリカ

監督/ロン・ハワード 出演/ラッセル・クロウ/レニー・ゼルウィガー/ポール・ジャマッティ/クレイグ・ビアーコ/ブルース・マッギル

スター・ウォーズを見る前に録画してあったが、どうしてももう一度見たいとの思いから録画容量がおぼつかなくなっても消すことは出来なかった。凄く好きな映画だということは覚えているが、内容はまったく思い出せない。それでも、どうしても見たいという欲望は正解だった。

レニー・ゼルウィガーが出ていたのも嬉しかった。彼女の笑顔や人の話を「ふ~ん」と言って聞く仕草、はたまた怒った表情など、見ている方が慰められる。ほっとする女優だ。ラッセル・クロウは2000年の「グラディエーター」が強烈・印象的なナイスガイだ。自分が好きな範疇に入っている役者が出ている映画は見やすい。松本人志などという芸のないお笑い芸人が作ったと聞いただけで興ざめし、ましてや本人が出演していると知った時から一生見ない映画だと決めつけられるのとは大違いだ。

内助の功と言う言葉が日本にはあるが、この映画を見ていると世界中何処でも変わらない価値観に思える。愛する女性と3人の子供のために過去の栄光を捨て日雇いも厭わず、貧しくとも決して物を盗むなどという考えを起こしてはいけないと子供を諭す。自分も決しておまえたちを人の手に預けないよと誓う姿に、貧困から再び栄光の座・チャンピオンになって「シンデレラマン」と呼ばれた男を支えた妻の姿が誇らしく感じる。いいな~、支えてくれる人がいるというのは。

『ルビー&カンタン』(TAIS TOI !)

2003年・フランス

監督/フランシス・ヴェベール 出演/ジャン・レノ/ジェラール・ドパルデュー/リシャール・ベリ/アンドレ・デュソリエ/レオノア・バレラ

ジャン・レノとジェラール・ドパルデューという国際スターが軽いコメディーに出演しているといった感じ。フランス風のお笑いといっても、それがどういうものかを説明することは出来ないけれど、いかにもフランス風といったお笑いのツボを押さえたコメディーかな?

こういう軽い映画もたまにはいい。全身に力を入れて画面に見入るのも悪くはないが、見終わった瞬間に何で笑っていたのかさえ忘れてしまうような映画も楽しい。

人生もそういうことなのだろう。メリハリの利いただらだらとしない時間ばかりではなく、酒をかっくらって無意識状態で過ごす数時間も絶対に必要なのだろう。酒が飲めない人にはどういう解放時間が持てるのだろうか?教えて欲しい。

『翼に賭ける命』(The Tarnished Angels)

1957年・アメリカ

監督/ダグラス・サーク 出演/ロック・ハドソン/ロバート・スタック/ドロシー・マローン/ジャック・カーソン

ウィリアム・フォークナーの1935年の長編小説『標識塔(原題:Pylon)』原作。1930年代の大恐慌時代。新聞記者のバーク(ロック・ハドソン)は取材で訪れた曲芸飛行ショーで第一次世界大戦の英雄である「撃墜王」ロジャー・シューマン(ロバート・スタック)とその一家と出会う。ロジャーは空を飛ぶことに取り憑かれ、そのために家族を犠牲にしている男だが、曲芸ジャンパー(スカイダイバー)でもあるロジャーの美しい妻ラヴァーン(ドロシー・マローン)はそんな夫を深く愛しながらも複雑な感情を抱いている。ロジャーの親友であり、相棒でもある整備士ジッグス(ジャック・カーソン)は、そんなラヴァーンを一途に愛し続けている。一方、ロジャーとラヴァーンの幼い息子ジャックは旅暮らしの孤独の中で、周りから「本当の父親はロジャーなのかジッグスなのか」とからかわれている。複雑な関係にある彼らを自分のアパートの部屋に泊まらせることにしたバークは、ラヴァーンと語り合う中で彼女に惹かれて行くが…。(Wikipediaより)

不思議な映画である。日本の昔にあったサーカス団の巡業公演みたいなものが舞台。曲芸飛行でのレースに命を掛けて人生を生きている主人公が、気が付いた時には愛する人達との別れが待っているというおきまりの物語であるが、どこかもの哀しく見ているとやりきれなくなってくる。時代背景は世界大恐慌、やはり貧しさが漂う映像には心が沈む。

美しい女をめぐる男達の野望が物語の神髄。映画に登場する女は美しさ一杯だが、現実にもこれほどでない女の美しさをめぐって、男どもが争う姿が世界中のここかしこで展開されていることだろう。昔も今も。

『白い巨塔』

1966年・日本

監督/山本薩夫 出演/田宮二郎/石山健二郎/田村高廣/東野英治郎/藤村志保/小沢栄太郎/加藤嘉/長谷川待子/白井玲子

何度も映像化されているので、テレビで見た人も多かろうと思う。この山本薩夫監督作品は見応えがある。田宮二郎がなかなか素敵な役者だったことが分かる。嫌な男を演じているのに、演じている人間を嫌いになるという感覚がない。目一杯演じきると勘違いしている仲代達也とは比べものにならない。

医学界の話だけではなくどの業界にもある保守、コンサバと新鮮な真摯な勢力との戦う姿が反映されている。いつだって金と権力側が勝つのだけれど、それで良いのかと訴えている。それでも世の中はそう簡単には変わらない。善人が権力を握るほど人間世界は単純ではない。嫌な世界だが現実だろう。権力、金、女はこういう世界を描くのに不可欠な3要素だということがよーく分かった。

誰もが主役を張れるような、また誰もが名脇役を演じられるような役者のそろい踏み。ひとつひとつのセリフに重みが感じられる。テレビドラマと比較してみたい気もするが、先入観としてどう考えたってこの映画に優るとは思えない。

『不毛地帯』

1976年・日本

監督/山本薩夫 出演/仲代達矢/丹波哲郎/山形勲/神山繁/滝田裕介/山口崇/田宮二郎/八千草薫/秋吉久美子/高橋悦史

山崎豊子原作、1973年から1978年まで『サンデー毎日』に連載されている途中の前半部分を映画化したものだ。そうそうたる役者が顔を揃えている。『金環蝕』で見せた政治家の悪い奴らばかりの世界に、今度は民間の商社を絡めた実社会をモデルにした見応えある物語と映画化だ。売春と麻薬以外は何でも商材とする商社は実際にも何でもありの世界なのだろう。内情を知れば知るほど面白い物語が書けること間違いない。

仲代達也は最も早くクレジットされている主役だが、相変わらず目の演技で人を惹き付けようとしている姿が無惨だ。そんな演技が気にならないほど、映画の作り方は鋭い。面白い映画とはこういうものを指すのだろう。黒澤明と同じ年の生まれの山本薩夫監督が、約2倍の本数を撮っていることが何よりの証拠。面白くなければ、監督依頼もなかなかやってこない。丹波哲郎がいい。晩年はテレビのおちゃらけた番組のおちゃらけたキャラクターでお茶の間を賑わせたが、スクリーンに映る自衛隊幹部の彼は凛々しく言語明瞭、際立って素晴らしく見える。

社会の闇世界に生きている人は今でもたくさんいるのだろう。一筋縄では行かない大儲けのためにはただの優秀なサラリーマンでは太刀打ちできない。そんな世界とは無縁だった映画会社のサラリーマンでいられたことを、今でもラッキーだったと思っている。

『アメリカ上陸作戦』(THE RUSSIANS ARE COMING, THE RUSSIANS ARE COMING)

1966年・アメリカ

監督/ノーマン・ジュイソン 出演/カール・ライナー/エヴァ・マリー・セイント/アラン・アーキン/ジョン・フィリップロー/ブライアン・キース

アメリカ北東部の沖合いでソ連潜水艦が座礁。ソ連の水兵たちは仕方なしに小島に上陸するが、それを見た島の住民たちはロシアが攻めてきたものと勘違いし大騒ぎとなる……。冷戦の時代を背景に、米ソ関係、群衆心理とデマの拡がり方を皮肉ったスラップスティック・コメディ。原作はN・ベンチリー(「JAWS/ジョーズ」のピーター・ベンチリーの父親)で、N・ジュイソンが製作・監督した。A・アーキンがソ連の兵士に扮し、珍奇な芸風を発揮する他、ブロードウェイの作家に扮するC・ライナー(映画監督。自作以外にも役者としてよく顔を出す。息子はやはり監督のロブ・ライナー)や、警察署長のB・キースなど役者陣もドタバタ劇に相応しいユニークな演技を見せる。冷戦とは言え、60年代半ばだとこういう作品に仕上がるが、これが新冷戦時代になると「若き勇者たち」(84)風にシビアなものとなってしまうのだ。(allcinemaより)

原題に見えるコメディーの雰囲気は映画冒頭からもすぐに分かる。それにしてもまか不思議なコメディーだ。おちゃらけた挙動や言動があるわけではなく、allcinema解説にあるように映画ストーリーの設定そのものがもうコメディーなのだ。だから芸達者な役者達は、自分のパートを一所懸命演じれば自然とそれがコメディーとして成り立ってしまうのだ。飽きずに2時間5分もコメディーに付き合ったのは初めてだ。

映画は最初の5分間で勝負が決まると思っている。それでも1時間半の映画で最初の1時間面白くなく、残り30分がやたら迫力ある『死霊のはらわた』をまた思い出してしまった。人生も辛抱が肝心、どうせ死んで行くのだけれど辛抱とは信望と見つけたり。

『金環蝕』

1975年・日本

監督/山本薩夫 出演/仲代達矢/京マチ子/三國連太郎/宇野重吉/中村玉緒/高橋悦史/安田道代(現・大楠道代)/西村晃

いや~面白かった。日本映画も捨てたもんじゃない。長女が生まれた年にこの映画が作られた、今から35年前、映画が描く時代は昭和39年~40年、東京オリンピックの頃。このあたりまでは映画をほとんど見ていなかった。もう少し見ていたら自分の人生も別の方向へ歩んでいたかもしれない。

山本薩夫監督生誕100年特集放映。ほとんど見ていないので、しばらくは山本薩夫漬けになりそうだ。骨太で社会を抉る切れ味鋭い映像が感じられる。しかも面白い。最近の日本映画を貶してばかりいたけれど、やはり往年の日本映画はたいしたものだったということが実感出来る。楽しみだ。

仲代達也の演技が臭い。鳥肌が立つほどヘタな役者だ。若い頃からずーっと同じようなヘタさ加減だ。一方、大滝秀治がいい、味がある。この人はあと30年も50年も変わらず役者をしていそうな気がする。

『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』(Star Wars Episode VI: Return of the Jedi)

1983年・アメリカ

監督/リチャード・マーカンド 出演者/マーク・ハミル/ハリソン・フォード/キャリー・フィッシャー/アンソニー・ダニエルズ

遂に見終わったという感が強い。長かった。最後はおとぎ話の本を読み終わったという感覚に似ている。公開当時日本題名は『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』だったもの。結局テーマは善と悪、ダークサイド(暗黒面)と善き心との闘いなのだ。暗黒面の力は強く、悪貨は良貨を駆逐する例えの如く、世の中に警鐘を鳴らしているのかもしれない。こんなに長いシリーズものを見ることは、もうないであろう。満腹。


『スター・ウォーズ~伝説は語り継がれる~2007年・アメリカ』(STAR WARS:THE LEGACY REVEALED)

2007年・アメリカ

監督/ケヴィン・バーンズ

エピソード6に行く前にもう1本見ることになった。NHKもしっかりしていて、単に6作品一挙上映だけではなく、こうやってオマケを付けているところが憎い。

この映画はスター・ウォーズの背景を語る番組である。インタビューと本編の抜粋をふんだんに見せることにより、この映画の成り立ち、存在の大きさを語ろうというものである。語る人は、映画評論家・ジャーナリスト・映画製作者・大学の人文学教授・芸術学準教授・宗教学教授・出版の編集者・関連本著作者・アーカイブス社員・最後にはワンショットとワンコメントだけだったがなんとアメリカ下院議会議長まで登場した。スター・ウォーズは文学・神話・宗教・歴史であり、そして神話となったということを得々と語り継ないで行く。実話の映画を見る時に、その実話をよく知っていればいるほど映画内容に興味を抱くのと同じように、スター・ウォーズという伝説を見るためにはこういった背景をあらためて勉強することも悪くない。もしかすると100年後にもディスカッション対象になるかもしれない映画だからこそ。


『スター・ウォーズ クローン大戦』(Star Wars: Clone Wars )

2008年・アメリカ

監督/デイヴ・フィローニ 声/マット・ランター(アナキン・スカイウォーカー)/ジェームズ・アーノルド・テイラー(オビ=ワン・ケノービ)/アシュリー・エクスタイン(アソーカ・タノ)/トム・ケイン(ヨーダ)/キャサリン・タバー(パドメ・アミダラ)

「スター・ウォーズ」シリーズのアニメーション作品。ルーカスフィルム・アニメーション製作。監督はテレビアニメ版「ザ・クローン・ウォーズ」(原題)のデイヴ・フィローニ。本作の公開後には新たなテレビシリーズがカートゥーン・ネットワークやTNTで放映された。

エピソード6に行く前にアニメーション版を見ることになった。普段はアニメ嫌いで宮崎駿作品も見ないほど、肌に合わないと感じている。ところが見始まるとどうだ、なかなか面白いジャンということに相成り、最後まで一気に観てしまった。もともと映画版は人間が演じそこにCGを多用して映像を作っている。未来の世界を想像の基に映像化するのは実際にはどこかに無理がある。こういう時にアニメは有効だ。未来の宇宙、宇宙船、武器などが人間が介在した時よりリアルに見えるのは何故だろう。2D、3Dの映像は日本の平板なテレビアニメとはまったく違うものだった。超能力を駆使するのは想像の世界で何でも出来るアニメーションが優っている。ヨーダなどのもともとへんてこなキャラクターは、アニメになるとちょっと気味悪くなってくるのは仕方のないことか。思い掛けず、アニメ映画の良さを実感できた今回の鑑賞であった。


『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』(Star Wars Episode V: The Empire Strikes Back)

1980年・アメリカ

監督/アーヴィン・カーシュナー 出演者/マーク・ハミル/ハリソン・フォード/キャリー・フィッシャー/アンソニー・ダニエルズ

他の映画を見ないでスター・ウォーズばかり見ていると、多少飽きがきた。戦闘シーンになると、もういいやという気持ちにさせられる。映画の半分くらいは戦うシーンだらけで、不謹慎にも眠りに落ちた。面白くない映画を見て寝てしまった時のような感触ではなく、何となく気まずいけれど戦闘シーンなら仕方がないやという感じを持った。これでは最後の作品も寝ないで行けるだろうかと不安になっている。


『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(Star Wars Episode IV: A New Hope)

1977年・アメリカ

監督/ジョージ・ルーカス 出演者/マーク・ハミル/ハリソン・フォード/キャリー・フィッシャー/アレック・ギネス/ピーター・カッシング

今から33年前スター・ウォーズ(エピソード4)の登場は全世界中の若者を熱狂させた。同時代に生きていた喜びを味わえる映画であった。当時としては最高の映画技術を注ぎ込んだのだろう、手造りの良さを残した映像を感じた。あまり突飛なシーンが難しかったお陰で、すごくヒューマンタッチのスターウォーズと言えるかもしれない。懐かしさ一杯で鑑賞することとなった。


『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』(Star Wars Episode III: Revenge of the Sith)

2005年・アメリカ

監督/ジョージ・ルーカス 出演者/ユアン・マクレガー/ナタリー・ポートマン/ヘイデン・クリステンセン/イアン・マクダーミド

このシリーズを観ればエピソード4~6の諸々の関係がいたく分かり易い。人間の弱さと強さのもろさ、ジェダイから暗黒面ダース・ベーダーへ、愛する女性のためには善も悪も。ダース・べーダー、そして双子の誕生はますます鑑賞欲を駆り立てて終わった。さすがにCGの飛躍的な進歩により描こうとしていた戦闘シーンなどは圧倒的に迫力が違う。


『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』(Star Wars Episode II: Attack of the Clones)

2002年・アメリカ

監督/ジョージ・ルーカス 出演者/ユアン・マクレガー/ナタリー・ポートマン/ヘイデン・クリステンセン/イアン・マクダーミド

物語を繋いで行く篇。見方によってはつまらないシーンの繰り返しにも見えるが、のちのちのダースべーダーへと続く重要なパートになっている。壮大な物語をイメージするのは凄い才能、それを映像化するのはたぐいまれなる知能と技術。ほんの100分の1でもいいからその能力を分けてもらいたいものだ。


『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』(Star Wars Episode I: The Phantom Menace)

1999年・アメリカ

監督/ジョージ・ルーカス 出演者/リーアム・ニーソン/ユアン・マクレガー/ナタリー・ポートマン/ジェイク・ロイド/イアン・マクダーミド

スター・ウォーズの一挙放映が始まった。見ないわけには行かない。劇場公開はエピソード4・5・6の順、エピソード1は第4作目にあたる。こうやってあらためてスター・ウォーズ・ストーリーを最初から追って行くことに意味がある。それにしてもモンスター映画である。あらゆる意味において別格の映画であろう。興味のない人には単なるお子様ランチ程度にしか映らないだろうが、大ファンでならずともやっぱり観ておかなくてはと思わせる凄みを持っている。まだまだエピソード1を観ただけ、後のことはゆっくり書くことにしよう。

『第三の男』(The Third Man)

1949年・イギリス

監督/キャロル・リード 出演/ジョゼフ・コットン/オーソン・ウェルズ/アリダ・ヴァリ/トレヴァー・ハワード/ バーナード・リー

今更こんな有名な映画の感想を書いてどうなるのという思いは強い。こうやって見た後に書くことも結構苦痛だったりする。もともと文筆に自信のない思い。それでも書いているのには特に理由があるわけではない。

若い頃にはこの映画音楽の聞こえなかった日はないのではなかろうかと思えるほどのヒットをしたし、ずーっとどこかから聞こえてきていた。そういえばこの頃はだいぶ聞かなくなったなと思っていたら、さすがにあのメロディーも古びた雰囲気が漂っている。それだけ、近代音楽は世界中のいろいろな要素を取り入れたインターナショナルなものになっているのだろう。ただ不思議なことに、人気グループが歌うあの音楽は何故人気があるのだろう。何故ヒットするのだろう。5人いれば5人がユニゾーンで歌ったってなんの魅力も感じないし、そもそも一人一人の歌が下手なので、こちらに音楽が伝わってこない。それなのにこうも後から後から、しかも韓国からさえ雨後の竹の子のように生まれてきている。男前で勝負するなら歌など歌わずお得意のパフォーマンスだけで勝負すれば充分。余計な歌などなんの役にも立たないはずなのに、それでも歌うというのはアイドルの必大須アイテムだからなのか?

第三の男のテーマソングが四六時中映画の中に流れている。今の映画製作とはだいぶ違う。あれだけの量を使ったからこそ、映画を見終わった時には独りでに口ずさむことになったのであろう。ミステリー満載のストーリー展開は映画の見本みたいなもの。こういういいお手本があるのに相変わらず、死体現場などを見せて謎解きしようとする日本の2時間テレビ番組や同じように日本映画などは猛省すべき時にきていると思う。

『翼よ! あれが巴里の灯だ』(The Spirit of St. Louis)

1957年・アメリカ

監督/ビリー・ワイルダー 出演/ジェームズ・ステュアート/バーレット・ロビンソン/アーサー・スペース

1927年歴史的な大西洋横断飛行を30年後に映画化したわけだ。リンドバーグは当時の15,000ドルという資金を集め、一人で成功に至った。アメリカ側からもフランス側からもかなりのグループが挑戦をする時代背景があったようだ。それまでにも成功者はいないばかりか、全員が失敗と死をともなっていた。だからこその快挙と称えられることになる。パリに着いた時は20万人、帰国した時は400万人の歓迎があった。現在の宇宙飛行みたいなものだったんだろう。

飛行機がアメリカを離陸するまではしっかり見ていたが、飛行機が飛んでいる映像は眠りに落ちて見られなかった。目を覚ましたら、飛行機の中でもリンドバーグが眠たさと戦いながら操縦しているシーンが映し出されていた。目一杯の燃料を積んで、一人で、推測航法という地図と目視で33時間飛び続けたというのだから、それは凄いことだった。

なんにでも挑戦という精神が尊い。リンドバーグへの出資者も「SPIRIT」というキーワードが肝だった。原題は飛行機の名前だが、由来は出身地とそこにある。大いに援助しようと裏にはなにかしらの魅力がなければお金は集まらない。夢を夢見る時代が懐かしい。

『グローリー』(Glory)

1989年・アメリカ

監督/エドワード・ズウィック 出演/マシュー・ブロデリック/デンゼル・ワシントン/ケイリー・エルウィス/モーガン・フリーマン

アメリカの南北戦争(1861-1865)がもろ舞台。北軍での黒人だけの部隊とボストン出身の白人指揮官を描く完璧な戦争映画。デンゼル・ワシントンのわりあい初期出演作品。この映画で第62回アカデミー賞助演男優賞を受賞。さすがにこの頃の演技はちょっとオーバーアクション風の喋り方が気になる。それでもこの映画をきっかけに今の彼があるような気がする。

規模がでかい内戦を経てアメリカも本当の意味で自立したのだろう。世界各国で同時期に大きな変革が起こったのは偶然なのだろうか、それともやはり神のなせるわざと思わなければいけないのだろうか。日本の明治維新も徳川300年をぶち壊す大変革だったが、それからまだ140年しか経っていないことを考えれば、いかに徳川の300年が長期にわたる政権だったかが分かろうというもの。

映画では、マシュー・ブロデリック演じるショー大佐が奴隷出身の黒人との会話で、複雑な感情や立場の違いを実に巧みに表現している。黒人曰く「この戦争は誰のためのものなのか。戦争が終わったらあなたは豪邸の待つボストンに帰るだろうけど、私には返る場所はない。」と。南軍の要塞に向かい死を覚悟する彼の表情には、やりきれない生まれ違いの人生を嘆き哀しむ心情を見ることが出来る。

『セルピコ』(Serpico)

1973年・アメリカ/イタリア

監督/シドニー・ルメット 出演/アル・パチーノ/ジョン・ランドルフ/ジャック・キーホー/ビフ・マクガイア/コーネリア・シャープ

アル・パチーノの初期映画出演作品。『ゴッドファーザー』(The Godfather・1972)、『スケアクロウ』(Scarecrow・1973)が前に、『ゴッドファーザーPARTII』(The Godfather Part II・1974)、『狼たちの午後』(Dog Day Afternoon・1975)が後に控えている。30代前半のいきのいい、それでいて卓越した演技力を発揮していた時期の作品だ。

アル・パチーノが演じた(フランク)セルピコは、警察組織内の汚職と闘い、1971年には汚職を告発した警察官としてアメリカでは有名な人物。実話に基づく作品が多い中でも、これほどまでに孤立して悪と戦うヒーローもなかなかいないだろう。映画ならどうでもよいが、本当の話ならいいかげん妥協して身の安全を考えなよと忠告のひとつも言いたくなってくる。映画にはこういう社会問題を敢然と取り上げる気概がある。ただ楽しいだけでは映画ではないと言う人もいるだろう。そうなのだ。どれほどまでに影響を及ぼせるかは分からないが、社会の腐敗構造を切り取ることが映画のひとつの使命だと言っても過言ではない。

おちゃらけた内容や情緒に流されすぎた映像ばかり追いかけている日本映画には、到底このような映画を製作する能力はない。将来もないだろう。なんでもかんでもクイズにしてしまうテレビ番組を、家族揃って笑ってみているだけが似合っている日本の家族環境。

『スカイハイ』

2003年・日本

監督/北村龍平 出演/釈由美子/谷原章介/大沢たかお/戸田菜穂/山田麻衣子/岡本綾/田口浩正

1週間分を予約録画している。映画ジャンルでくくり、リストアップするとだいたい100本ちょっと。映画に関するジャンルとして捉えられるので、本編だけならその40%位だろうか。そのなかからまず見たことのないもの、見ていないような気がするもの、見たけれどもう一度見ても良いと思うもの、なんだか分からないけれどとりあえず録画するという優先順位を付けている。

この映画はいきなり映像から始まりタイトルも何もないままに進行した。興味深く感じたが、最初のショットで邦画であることが判明、大丈夫かな~と思いながら眺めていたが、10分もたずに5倍速となってしまった。その直後に「スカイハイ」というタイトルが出てきた。

タイトルはすぐに忘れる。見たかどうかが分からなくなることが多く、こうやって一応眺めた映画も記録することにした。それにしてもこの映画が、「ぴあ映画生活」で73点ついていたのにはびっくり。自分の映画力に疑問を持っている今日この頃。

『黄金の腕』(The Man with the Golden Arm)

1955年・アメリカ

監督/オットー・プレミンジャー 出演/フランク・シナトラ/エリノア・パーカー/キム・ノヴァク/アーノルド・スタング

フランク・シナトラは青春時代から見ればちょっと上の世代だったので、著名度は凄かったがしっかりと映画を観ていない。音楽はそれでもかなり聞こえていた。超スーパースター。

一度観ていていい映画だとは思ったが、一端鑑賞が途切れた瞬間からもういいやという気持ちになってしまった。それが録画鑑賞の悪いところであり、時にはいいところでもある。

音楽と映画の両方でこれほどの功績を残した人はいないだろう。ただ好きか嫌いかを問われれば、どちらかというとあまり好きではないと言ってしまえるのが一般庶民の特権。

『ボーイズ・ライフ』(This Boy's Life)

1993年・アメリカ

監督/マイケル・ケイトン=ジョーンズ 出演/レオナルド・ディカプリオ/ロバート・デニーロ/エレン・バーキン/ジョナ・ブレッチマン

実話であるとのクレジットが冒頭に記されている。あのディカプリオの初期作品。同じ年製作の『ギルバート・グレイプ』(What's Eating Gilbert Grape)では19歳にしてアカデミー助演男優賞にノミネート。そして4年後1997年には世界的大ヒットとなった『タイタニック』が待っていることになる。

ロバート・デニーロが画面に現れると、アメリカンコーヒーがカプチーノに変わったように濃密な雰囲気が漂う。良かれ悪しかれといった感じで、好きな人もいれば嫌いな人もいるだろう。出演本数から言えば彼は超スーパースターと呼んでもいいだろう。本数ばかりではなく存在感も超スーパースターと呼ぶに相応しい。

ただし、この映画はつまらない。飽きがくるといった方が正解かな。淡々と少年時代の出来事を描いて行くのだが、見ていてつまらない。また、父親の暴力シーンなど、見たくないシーンがある。自分のことに照らし合わせて、両親から酷いことをされた記憶などこれぽっちもない。親が子供をただ暴力で押さえつけようとすることには耐え難い。子供は親の背中を見て育つもの、子供が憎いならその憎い部分は自分のものだと悟らなければならない。尤も子供が好きではないのに、できてしまったからと生まれた子供が可哀想すぎる、最近のニュースになる親子関係。

『バタフライはフリー』(BUTTERFLIES ARE FREE)

1972年・アメリカ

監督/ミルトン・カトセラス 出演/ゴールディ・ホーン/エドワード・アルバート/アイリーン・ヘッカート/マイケル・グレイザー

ゴールディ・ホーンは1945年生まれだというから年上だったんだと初めて知った。この映画は昭和48年日本公開らしく、ちょうど名古屋から東京の日本ヘラルド映画に移ってすぐの頃の映画だ。完全に見逃していた。観ていると、舞台にしたらいいなと思ったが、なんと舞台からの映画化だった。

ゴールディ・ホーンのアッパラパーという感じが好きだ。コメディーの「おきゃんな役」が得意だと書いてあったが、おきゃんなんて言葉は今でも通用するのかしら。理想的な女性像に近い。可愛くて、綺麗で、コケティッシュで、アッパラパーで、と勝手なことばかり並べていたのは昔の話。目の前の現実はいつも難しい局面ばかり。

盲人で生まれてきた男が主役のひとり。会ったばかりの人は必ず全盲であることを極端に意識し、大きな声で話しかける。すると彼は「目は見えないけど、耳はちゃんと聞こえるから。」と相手をちょっと嗜める。はっとするような彼からの言葉が数多く聞かれた。知らず知らずのうちに、自分の中でも障害者に対する普通でない意識が芽生えていたのかもしれない。昨日の参院選で「みんなの党」から全盲でパラリンピック競泳の3大会連続金メダリストの河合純一氏(35)氏が静岡選挙区での当選はならなかった。残念。いろいろなシチュエーションで日本の遅れた意識を痛感させられる。

『こわれゆく世界の中で』(Breaking and Entering)

2006年・アメリカ/イギリス

監督/アンソニー・ミンゲラ 出演/ジュード・ロウ/ジュリエット・ビノシュ/ロビン・ライト・ペン/ヴェラ・ファーミガ/マーティン・フリーマン

複雑な人間関係を描いて見せるのが映画のいいところ。夫と別れて自閉症の娘と共にスウェーデンからやってきた女。結婚はしていないが一緒に住んでいる建築家の男。治安が悪い場所に新事務所を作ったその男。その事務所にボスニア人の叔父さんの手先となって泥棒に入った16歳の少年。この少年は夫をボスニアに残してイギリスにやってきた母親と一緒に住んでいる。

日本にいてはとても分からない。スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、ボスニアに隣接する国名を聞いてもピンと来ない。ここ20年で新しい歴史が始まり、これからどのくらいこのままで行くのかも分からない。そんなヨーロッパの中でも日本と同じような島国ではあるけれど、イギリスとて新たな人種問題を抱えていることは想像に難くない。ワールドカップの各国の代表選手を見て、ユニフォームを着ていなければどの国の選手か当てることなど不可能に近いだろう。そういう多種多様性が人間の生きる道にも多かれ少なかれ誰にでも降りかかる生きる問題として提起されている。

それでも人間は生きてゆくのだ。正直に、勇気を持って、逞しく、人に頼り頼られ、時には稀有の優しさを発揮して、そして慎ましやかに。

『愛する時と死する時』(A TIME TO LOVE AND A TIME TO DIE)

1958年・アメリカ

監督/ダグラス・サーク 出演/ジョン・ギャヴィン/リゼロッテ・プルファー/ジョック・マホニー/ドン・デフォー/キーナン・ウィン

アメリカ映画が第二次大戦の敗戦国ドイツの立場に立って作ったごく初期の映画で、監督は独出身のダグラス・サークだから、正に打ってつけ。そのメロドラマ作法は個人的思い入れを反映して、一段と冴え渡る。敗色濃厚な'44年早春のロシア戦線から故郷に一時帰還する独軍兵士(J・ギャヴィン)は、廃墟と化した街を見てショックを受ける。両親も行方不明で、辛うじて、幼馴染みの娘と再会する。母の主治医だった彼女の父も、ゲシュタポに連れ去られ今は消息不明だった。そしていつしか愛を育んだ二人は結婚。無事だった両親とも連絡が取れ、ささやかな幸福に浸る彼だったが、再び戦場に戻り、激戦地を転戦。いよいよ終戦も間近い初春の日、妻から子供の誕生を知らせる手紙を受け取った彼は歓んだが……。ギャヴィンとヒロイン役のリゼロッテ・プルファーが物語そのままの清純さで素晴らしい。原作は「西部戦線異状なし」のレマルク。(allcinema より引用)

最初から最後まで戦争の悲惨さ、非情さ、無意味さを訴えている。どうしてこんなことが起こったのか。同じことは二度と起こることはないのか。人間の考えることに大いに疑問符を持たなければならない現実が目の前にある。言葉で言うのは簡単だが、いざとなれば上官の命令で敵国人を射殺しなければならない。武器を持たない相手を殺してまで戦争をする意味が何処にあるのだろうか。

記録映像や戦争映画でしか戦争を知らない戦後生まれの世代が大半となった日本。同じことを繰り返すのが人間の性なら、戦争体験のない世代しか存在しない世の中になったとき、また新たな戦いが起こるような気がしてならない。長い人間の歴史を見れば、今は大きな戦争のない稀有な時代だったと思える未来があるような気がしてならない。少なくともこちらの命が尽きるまでは、なんとか日本も緊張感のないダラけた生活を謳歌出来ることだろう。

『クリムゾン・タイド』(Crimson Tide)

1995年・アメリカ

監督/トニー・スコット 出演/デンゼル・ワシントン/ジーン・ハックマン/ジョージ・ズンザ/ヴィゴ・モーテンセン

閉ざされた空間の潜水艦での物語は面白くないわけがない。いつの時代にも戦争というとてつもないイベントの陰で、深く潜航するひとつの社会に起こる様々な困難や試練が普通の人達の生きる姿とだぶってくる。核戦争の一歩手前まで行った状況での艦長と副官、そして下士官と兵卒が巻き起こす緊急避難対策の内部抗争劇だ。

なんといっても一番日本人が苦手な緊急避難。起こってしまってから二度と同じようなことを起こさないように対処します、と今までに同じようなことを一体何度聞かされてきたことだろうか。能力のないもの、学問の上でしか活躍できないもの、妙に規律正しくがんじがらめの世界の中で生きているもの、数多くの理由の基に、数多くの悲惨な状況が生まれてきた。優秀なリーダーは何処へ行ってしまったのだろうか。坂本龍馬ブームも宜なるかな、日本人のDNAには「出る杭は打たれる」的な要素が多く潜んでいるようだ。

艦長と副官の関係を描いた同じような海洋映画があったがあれは何だったのだろう。艦長は副官を解任できないが、副官は艦長を解任できる。勿論厳しい条件の下でだが。そんなことが映画の大きなテーマになっていたような気がする。確かに長が何でも出来てしまっては独裁者になってしまう。そこで副は補助というよりはむしろ、緊急時に長が正しい判断を下しているのかという監視の役が大きな任務になるわけだ。日本の今までの社会のように、ただ名ばかりの副××など無用の長物、真に必要なのは沈着冷静で能力に長けたリーダー像、それが本当のサブ・リーダー。

『王子と踊子』(THE PRINCE AND THE SHOWGIRL)

1957年・アメリカ/イギリス

監督/ローレンス・オリヴィエ 出演/ローレンス・オリヴィエ/マリリン・モンロー/ジェレミー・スペンサー/シビル・ソーンダイク

マリリン・モンローが映画化権を購入しローレンス・オリヴィエと組んで映画製作をした。モンロー自身がより強調された自分のための映画であるように見受けられる。独特の雰囲気を持った映画の世界がある。決して皮肉ではなく、心地よい虚脱感と満足感を味わうことが出来る。マリリン・モンローとは不思議な存在。

何本も立て続けに彼女の映画を観てくるうち、一種のファンになったような気分になる。愛らしくて、キュートで、お馬鹿ちゃんで、もう非の打ち所のないスター世界の一人だ。醜くなった姿をさらけださないでこの世からいなくなったことも、彼女をさらに神秘的なものにしている。

演技に目覚めたらしいこの頃ではあったが、内容は今までと特に変わるところはなく、いつまでも彼女のお馬鹿ちゃんを中心に世の中が回っているという映画に終始していいる。それでいいのだ。

『アベンジャーズ』(The Avengers)

1998年・アメリカ

監督/ジェレマイア・S・チェチック 出演/レイフ・ファインズ/ユマ・サーマン/ショーン・コネリー/パトリック・マクニー/ジム・ブロードベント

ここ2回ばかり早朝に目覚めた時そのままサッカー中継を見たりしたものだから、生活リズムが完全に狂っている。暇をもてあましているけれど、規則正しい時間での食事だけは守ってきていた。ところがこの蒸し暑さとサッカーのおかげで、だいぶひどい状態にある。録画した映画を優先したいがそうばかりは出来ない。観始まれば睡魔に襲われ、今回も悲惨な状況。

気取った映像とそれに輪を掛けるイギリス英語が妙によそよそしい。たいしたアクションがあるわけでもなく、もったいぶったストーリー展開に飽き飽きし始まったと思ったら、またまた熟睡と相成った。映画館でだって完璧に眠ることがあった。尤もその頃は入場料金を払ったこともなく、観なければ損をするといった感覚もゼロだったので、眠りやすかったのかもしれない。録画映画を観るのも同じこと、ただみたいなものだから面白くなければ寝てしまうのは仕方ない。

ショーン・コネリーは来日して成田から帰る時に、ヘラルドの社長・副社長と成田近辺でゴルフをしていた。ゴルフが好きらしい。英語が話せればその輪の中に間違いなく入れたことだろうが、今考えてみると悔しい。せめて英語ぐらいはペラペラと喋れて当たり前、生きている楽しみもおそらくもっと広がっていただろうにと思う。ヘラルドが配給した映画の中でショーン・コネリー主演の映画はババをつかまされている。007映画でありながら著作権の関係で「007」という言葉が使えなかった『ネバーセイ・ネバーアゲイン』 (Never Say Never Again・1983 年)。今回の映画と同じように内容のないただつまらなかった映画『ファミリービジネス 』(Family Business・1989年)。ヘラルド・エースが配給した『薔薇の名前』(Le Nom de la Rose・1986年)は、つまらないどころか凄く面白く映画らしい映画だったことを覚えている。宗教に殉じる人間世界の裏側の醜さを見事に映像化した傑作だと思う。

『バス停留所』(Bus Stop)

1956年・アメリカ

監督/ジョシュア・ローガン 出演/マリリン・モンロー/ドン・マレイ/アーサー・オコンネル/ベティ・フィールド

『セックスシンボルのイメージを脱したかったマリリン・モンローが、ニューヨークのアクターズ・スタジオで演技のレッスンを受け、いくつかの舞台を経験した後に、ハリウッド復帰した作品であり、ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされた。因みに同賞は、その後1959年の映画「お熱いのがお好き」で受賞している。』と、ある。

邦題を見ればその古さをひしひしと感じる。今ならさしずめ「バス・ストップ」あたりかな。久しぶりに見るマリリン・モンローはやっぱり存在感がある。イメージを脱したかったというのは嘘ではないかと思えるほど、その肉体的魅力をこの映画でも充分に発揮している。それ以上に、あのお馬鹿ちゃんキャラが際立っていて、こんなにお馬鹿を演じることに抵抗がなかったのだろうかと思えた。それでもどっちでもいい、彼女が出ていればすべて許されるといった雰囲気があるのは誰しも認めることだろう。

物語は説明するほどのものではなく、終わりはハッピーエンドとちょっと哀しい別れが待っている。おきまりの筋書き通りにものが進むことが、当たる映画の条件だって知ってます?

『天はすべてを許し給う』(All That Heaven Allows)

1955年・アメリカ

監督/ダグラス・サーク 出演/ジェーン・ワイマン/ロック・ハドソン/アグネス・ムーアヘッド/コンラッド・ネイジェル/ヴァージニア・グレイ

郊外の瀟洒な一軒家に暮らす未亡人のケリー(ジェーン・ワイマン)は、大学生の息子と娘も家を出ているため、1人で時間を持て余していた。 そんなある日、夫の存命中から庭の手入れをしてもらっている若い庭師の青年ロン(ロック・ハドソン)と言葉を交わしたことをきっかけに2人は急速に親しくなる。 最初はただの友人として、ロンが語る樹木の話やロンの仲間たちとの付き合いを楽しんでいただけのケリーだったが、2人はごく自然に愛し合い、結婚を考えるようになる。 しかし、保守的な町で2人の関係はスキャンダラスな形で噂されるようになり、それを知った息子や娘に激しく反対されたケリーは…。(Wikipesiaより引用)

『心のともしび』と同じキャストで作られた映画。世間体を気にしなければ生きてもいけないと思われるこの時代の小さな都市。いったい心の拠り所とする生き方はなんなのかということを懸命に問いかけてきてくれる。長いモノにまかれて、ただ信条もなく世間体だけの生活をしたって、どこにも自分での解決は待っていないよ、と教えてくれる。

そんなに美人でもないがなんとも愛嬌のあるジェーン・ワイマンは映画の中で綺麗な未亡人役を見事に演じている。あの時代にアメリカでも世間体を気にしながら生きていた社会がうまく映しだされていて興味深い。いつの時代も信念のある、気骨のある、世間に左右されない毅然とした精神を持ち続けることが真の人間の生きる道だと諭してくれる。

この映画を観る前に実は『真夜中のカーボーイ』(Midnight Cowboy 1969年・アメリカ)を観始まっていた。主人公がテキサスの田舎からニューヨークに出てきて一悶着があり、と思っていたらいつの間にか深い眠りに陥り、目覚めた時主人公はちょうどもうすぐフロリダに到着という場面だった。しばらくしたら映画も終わり、もう一度再生する気にはなれなかった。ダスティン・ホフマンともう一人の主役ジョン・ヴォイトがやたら背が高いのが気になった。彼の出演作5人のテーブル(Table for Five・1983年・アメリカ)には苦い想い出がある。ヘラルドが配給権を買ったのだが、試写室を出てきて面白いと言ったのはその当時の年寄りの偉い人ばかり。若い奴らは口を揃えて面白く無いと言った。案の定成績はペケでやっぱり年寄りの言うことを聞いちゃいけないなと反省しきりだったこと。ジョン・ヴォイトは総じて大根役者に見えるが、唯一残した遺産?アンジェリーナ・ジョリーが立派に父親を超える存在感のある女優として活躍している。歌舞伎役者の芸の伝承のような良い面での世襲は、歴史をみている傍観者として実に興味をそそられる。

『コックと泥棒、その妻と愛人』(The Cook The Thief His Wife & Her Lover)

1989年・イギリス/フランス

監督/ピーター・グリーナウェイ 出演/リシャール・ボーランジェ/ヘレン・ミレン/マイケル・ガンボン/アラン・ハワード/ティム・ロス

イギリス訛りの英語とフランス風雰囲気をもったおかしな映画。しかも一時代を築いた「エロ・グロ・ナンセンス」を彷彿とさせるような映像に溢れている。一番気持ち悪いのは、『グロ』。色彩豊かに映像を形造っていると評されるこの映画なのだが、ただ単にレストラン内部を赤に、トイレを白にとか、野菜のいろいろな色を随所に鏤めているだけで、決して能のある表現とは感じられない。そして汚い。言葉に出すのもはばかれる如く、吐いたり食べ物を粗末に扱う映像には共感するどころか嫌悪感しか湧いてこなかった。

外国映画で久しぶりに5倍速にしようかと思った。日本映画だったら間違いなくそうしている。その違いは何処なのだろうかと考えた。まずお金の掛かり方。この映画の内容はひどいが、お金が掛かっていることは良く分かる。お金が掛かっていると映像に厚みが出て、薄っぺらな作品でないように見えてくる。そして日本が舞台でないこと。身近に見たり感じたり、はたまた日頃目にすることが出来る小道具が画面の大半だと、現実味がありすぎて映画のつまらなさが助長される。外国映画はやはり現実味が薄い。夢物語の世界が繰り広げられることが多く、一挙手一投足が憧れの対象。SEX映画だとそれが良く分かる。外国ポルノはスポーツのようなもの、日本ポルノは四畳半ふすまの下張り的な臨場感がありすぎて、見やすいような見にくいような。

現役時代ピーター・グリーナウェイ監督の名前を良く聞いたことがあるが、こんな作風だったとは驚き。気分が悪くなって最後まで見ない人も多かろうと想像したりした。

『サラバンド』(Saraband)

2003年・スウェーデン

監督/イングマール・ベルイマン 出演/リヴ・ウルマン/エルランド・ヨセフソン/ボリエ・アールステット/ユーリア・ダラヴェニウス

イングマール・ベルイマン監督による1974年の映画『ある結婚の風景』のメインキャストたちが同じ名前の役で出演している(しかし、サラバンドは『ある結婚の風景』の続編ではないとされている)ベルイマンが映画の監督をしたのは、1982年の「ファニーとアレクサンデル」以来20年ぶりのことある。

弁護士のマリアンは30年以上前に別れて没交渉になっていた元夫のヨハンを訪ねる。ヨハンは田舎に隠棲していたが,ヨハンとそりの合わない息子のヘンリックとヘンリックの娘カーリンが数ヶ月前から近くのコテージに滞在していた。二年前に妻を癌でなくして以来カーリンを妻の代わりに愛情で縛り付けてしまい、彼女をチェロのソリストとして育てようとするヘンリックと、父の押し付けがましい愛情に反発しつつも音楽家として自立することや父を置き去りにしていくことへの不安を抱くカーリンの間の葛藤がマリアンの前で繰り広げられる。(以上、Wikipediaより引用)

85歳のヨハンの言葉の一言ひとことが胸にずさっと響いてくる。50年前に息子に言われた言葉をまだ覚えていて、その言葉を息子にぶつける。あれやこれやで皮肉たっぷりのヨハンの言葉に嘘がなさ過ぎて息詰まる。生きているうちはそこそこにして本音をぶつけない方が良いよ、と言っているような気もする。強烈すぎて聞いていられないのだが、映画は彼の苦悩も隠すことなく暴いて行く。救いがなければ生きて行けない。それでいいのだ。

『花咲ける騎士道』(Fanfan La Tulipe)

2003年・フランス

監督/ジェラール・クラウジック 出演/ヴァンサン・ペレーズ/ペネロペ・クルス/エレーヌ・ド・フジュロル/ディディエ・ブルドン

少女漫画の題名かと思いきや、1952年作品のリメイクだというから驚き。何が驚いたかって、よくもこんなものをリメイクしたなということ。フランス風エスプリに富んだコメディーという誉め言葉をあげたいところだが、単なるコメディー。おちゃらけているわけでもなく、ドタバタでもない。会話や動作が面白いだろうと押しつけているだけ。内容を云々する映画ではない。お金はかかっている。可愛い子がいるなと思ったら、ペネロペ・クルスだった。目立つ子はやっぱり目立つ。冒頭のナレーションの中に「戦争は団体競技」的な言い回しがあり、この言葉が全部を物語っているような気がした。

暇でも観ることをお奨めしない作品。

『三年身篭る』

2005年・日本

監督/唯野未歩子 出演/中島知子/西島秀俊/木内みどり/奥田恵梨華/塩見三省/丹阿弥谷津子/関敬六

どこかに「ミラクルな大人のメルヘン」とか書いてあったけど、何その言い回しは?そうとでも書かなければ説明しようのない映画だと言っているのかも知れない。なんとか20分くらいはもったが、後は5倍速鑑賞。西島秀俊は存在感のあるいい役者だ。こうやってみると、タケシの映画は面白くないけれど、早回ししようなどとは決して思わなかったので、どこか気になるところはあったんだろう。

観たければどうぞ。

『巴里のアメリカ人』(An American in Paris)

1951年・アメリカ

監督/ヴィンセント・ミネリ 出演/ジーン・ケリー/レスリー・キャロン/ジョルジュ・ゲタリ/オスカー・レヴァント/ニナ・フォック

ジーン・ケリーが主演と分かっていたら観始まらなかった。題名を聞いてもピント来ないのは本当の映画ファンではない証拠。昔の古い映画だくらいに思っていた。1951年といえばまだ3歳の頃の話。アメリカに戦争で勝てるわけがない。今だってこんな洒落た映画を作るのは至難のワザだ。でもミュージカル・アレルギーにはその瞬間から苦痛が始まる。別に歌なんてなくたっていいじゃないと思えるくらい普通の始まり方をしている。あのまま行ってくれれば急に眠りに陥ることもなかったのに。

上映時間1時間55分と長めだったこともあり、目覚めた時にはまだまだ残りの尺があった。ジーン・ケリーが短めに踊るタップは素晴らしかった。素人でも分かる素晴らしさだ。テレビなどで偶に出てくるタップダンスのインチキさが一目で分かった。最後の最後は全くのミュージカルシーン、こういう風景が嫌いなのだ。でも好きな人にはたまらないんだろうな。どうにも受け付けない価値観がある。でもそれを否定するつもりはない。そういうのを称して、寛容の世界というらしい、最近学んだ言葉。

アカデミー賞(1951年)作品賞、美術賞、撮影賞、衣装デザイン賞、作曲賞(ミュージカル)、脚本賞を受賞している。なんと華やかな受賞歴だろう。こんなに評価されても、苦手なものは苦手。画面を見ているとこの時代に凄いなと思わせる。確かに凄い。でもやっぱりダメだ。しつこい。この頃はナマの舞台も見ていないし、ナマの音楽も昨年1回だけ。文化程度がかなり低下している。見栄だけでも見ていないと、話にならない。元々はこの程度の生活が一番合っているのかもしれない。そんな程度さ。

『 HANA - BI 』

1998年・日本

監督/北野武 出演/ビートたけし/岸本加世子/大杉漣/寺島進/渡辺哲/白竜

試写室から出てきて「どうだった」と聞かれたら何と答えていただろうか。ヘラルド配給なので当然あり得た。この5年前にヘラルドを辞めていたので良かった。第54回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞。今ならはっきりと「つまらない」と答えるが、その当時ならたぶん無言を通すことになったであろう。ビートたけしの映画は当たらない。それはたぶん面白くないからだろう。つまらないわけではないが、面白いよと人に言うことは出来ない。「ま~いいんじゃない」、と言って何処が?と聞かれたら困る。観ていてわくわくしてこない。人を殺すし不道徳に感じるからわくわくしないのは当たり前ジャンとかいうわけではない。健さんのヤクザものを見て不道徳とか思うこともなくわくわくとしてくる感覚がある。そんな雰囲気がタケシの映画にはない。だから一般受けしないので当たらないという構図なのだろう。評価に値する賞を決めた人達から映画の見方について是非講義を受けたい。

ビートたけしに会っている。「オールナイト・ニッポン」生放送前の時間帯。ちょうどその頃ヘラルドの先輩が「戦場のメリークリスマス」(Merry Christmas, Mr. Lawrence・1983年)の制作宣伝担当で麻雀の帰りに何度か連れられて一緒に会ったのだった。ニッポン放送の廊下で立ち話という感じでの会話だったが、私は二人の話をただ聞いているだけだった。不思議なものだよね、ビートたけしの記憶の中には全く存在しないことが、こちらの記憶にははっきりと刻み込まれている。

業界でも有名だったヘラルドの試写室。総革張りで両袖の予定が発注違いで片袖にはなってしまったが、それはそれは椅子だけはりっぱな試写室だった。「エマニエル試写室」とか揶揄されていたが、確かに荒利16億円もあったエマニエル夫人のお陰で、日本一の試写室は作るは、24ヶ月のボーナスは出るはで生まれてきて良かったと言える時代だった。試写室の中は喫煙OK、40席位の小さな部屋であったが、仕事として観た試写室での映画にはいろいろな想い出が蘇ってくる。

『待合室』 -Notebook of Life-

2005年・日本

監督/板倉真琴 出演/富司純子/寺島しのぶ/ダンカン/遠藤由実/勝倉けい子/桜井センリ/斉藤洋介/あき竹城

岩手県のIGRいわて銀河鉄道小繋駅(こつなぎえき)が舞台。ほかには遠野市、二戸市の地名が出てくる。久しぶりに日本映画を完賞(鑑賞)した。最初の15分くらいでまた2倍速かなと思ったのだが、なんとなく匂いを感じてしばらく我慢していたら、ようやく映画の中に入り込むことが出来た。結果的には最後まで飽きずに観ることが出来た。何の情報もなく観た方が良いと思われる映画。つまらない情報を手に入れてから鑑賞すると、余計な先入観に苛まれてしまうことがある。

役者の抑えた演技が光る。ダンカンなどは普段なら間違っても見る気がしないのだが、この映画に限っては素晴らしい。尤も彼が出演したほかの映画をきちんと観たことがない。寺島しのぶも演技の上手さが嫌みになるのだが、だいぶ抑えてみえた。東北弁を喋るのは当たり前にみえるが、敢えて方言を使わなくても良いのではないかと感じた。どうも最初のうちは聞き取りにくいし、滑舌もはっきりしない。標準語で話しても違和感がないように思えて仕方がない。方言でなければやはり雰囲気がでないということなのだろうか。

それでも最後の方になってくると方言も気にならなくなってくるから不思議だ。自分が茨城弁丸出しで喋っていた時代があったことがトラウマにでもなっているのだろうか。もっとも今でも訛っているので、昔のことなどと懐かしむのもおかしなこと。もしDVDが借りられるなら、是非観ることをお奨めする。いつも言う「なにか」を感じることが出来ると思う。

『Queen Victoria 至上の恋』(Mrs. Brown)

1997年・イギリス

監督/ジョン・マッデン 出演/ジュディ・デンチ/ビリー・コノリー/ジェフリー・パーマー/アントニー・シャー/ジェラルド・バトラー

英国王室は映画になりやすい。しかも面白い。印象深かったのは『ブーリン家の姉妹』(The Other Boleyn Girl・2008/イギリス)。他の王室を扱った映画同様歴史上の事実に基づいて作られているところが興味深い。『クィーン』(The Queen・2006年/イギリス映画)はダイアナ元皇太子妃の事故死の最中のイギリス王室舞台裏を描いた作品としてまことに興味津々。英国が開かれた王室と良く言われるが、少なくとも映画の中で堂々と女王を腐したセリフを吐くのには、同じように皇室を持つ国民としてちょっと信じがたい光景だ。日本の女性週刊誌もかなりイギリスの大衆紙の影響を受けて、皇室バッシングのような行動をとっているが性根は据わっていない。

ヴィクトリア(Alexandrina Victoria、1819年~1901年)女王は、夫君アルバート死後の服喪時代、馬丁(従僕)のジョン・ブラウンを寵愛し、恋仲にあると噂されて「ブラウン夫人」と呼ばれたというのがこの映画の中身である。映画では女王の苦悩を受けて一心に忠誠心から女王を守り続けるだけの男なのだが、王室内、議会内、マスコミ内でゴシップとなってゆく。真実は分からない。時代は日本なら明治維新の頃、1867年頃の話が中心だ。イギリスの議会民主制では、王室廃止論なども出ていたようで、このあたりからして開かれた王室という所以なのだろうか。

淡々と展開して行く物語は軽快で、観ていて面白い。新参者の主人公侍従が有無を言わせず旧弊を否定し、自分の思ったとおりに女王を守って行くというストーリーは痛快だ。そんな取り仕切り方がどんな会社にも必要なのだと納得した。彼の死で映画は終わるが、彼の書いた日記が未だもって発見されていないというタイトルが映し出される。

『天国の日々』(Days of Heaven)

1978年・アメリカ

監督/テレンス・マリック 出演/リチャード・ギア/ブルック・アダムス/サム・シェパード/リンダ・マンズ

リチャード・ギアの若い顔が今とほとんど変わらない。この映画の顔にちょっと皺を付ければ今の姿そのものだ。ヘラルド時代1度だけ彼が会社に訪ねてきたことがあった。雰囲気としては新しい企画の話を持ち込んできたようだったが、詳細は分からない。その時の印象で言えば、ごく普通のアメリカの田舎のおじさん風の顔立ちに見えた。背は高くない。マイケル・J・フォックス、トム・クルーズ、ダスティン・ホフマンといったあたりがアメリカ人の平均身長にいっていない一流スターだろうか。意外と背の低い男優が多く、それにひきかえ女優は背が高いケースが多い。昔からちょっと不思議に思っている現象。

映画は1時間35分と短め。日本映画のだらだらと2時間を超える作品ばかりに比べれば、もの凄く短く感じる。大作風だが内容はいまいち。その時代には賞にもありつけたみたいだが、内容ではなく音楽とか撮影とかの部門。物語が貧弱で少し不満。

第一次世界大戦時代背景らしいが、いつも戦争の影が普通の人間生活にも大きな影響を及ぼしていたのだろう。貧しさが画面から滲み出ている。物質に恵まれた現代社会にはおよびもつかない辛い現実があったことは容易に想像できる。恵まれた今の日本の環境を幸せと感じなければいけない。


2016年(平成28年)9月11日再び観て書いた記録

『天国の日々』(Days of Heaven)

1978年・アメリカ 監督/テレンス・マリック

出演/リチャード・ギア/ブルック・アダムス/サム・シェパード/リンダ・マンズ

第一次世界大戦が始まったころ、語り手のリンダ(リンダ・マンズ)と彼女の兄ビル(リチャード・ギア)、そして兄の恋人アビー(ブルック・アダムス)は、農場の麦刈り人夫として雇われてテキサスに赴いていた。ビルは、「そのほうが世の中を渡りやすい」ので、アビーとは兄妹であると偽っていた。(Wikipediaより)

実物のリチャード・ギアを見ると分かるが、今回の映画の役で麦刈りの作業をしている彼の姿は、ピッタンコという光景だ。アメリカの男子俳優の中で、背の低い何人かのうちに名を連ねている。映画を観ているというよりは、活字を読んでいるような錯覚に陥った。特に著名な原作があるわけでもなかった。

ネストール・アルメンドロスによる徹底したリアリスティックで美しい映像が高く評価されている、という。そうか、本を読んでいる感覚は、あの映像から来ているのか。たいしたものだ。上映時間1時間35分とかなり短いが、動かない物語はかなり長さを感じさせる。

『ミス・ポター』(Miss Potter)

2006年・アメリカ/イギリス

監督/クリス・ヌーナン 出演/レニー・ゼルウィガー/ユアン・マクレガー/エミリー・ワトソン/バーバラ・フリン/ビル・パターソン

ピーターラビットの生みの親ビアトリクス・ポターの伝記映画。時は1902年、ロンドン。4作品連続で失墜してしまった取り返して余りある楽しい作品に出会えた。主演のレニー・ゼルウィガーが素晴らしい。『ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月』(Bridget Jones: The Edge of Reason・2004年)あたりでは彼女の魅力がいかんなく発揮された。笑顔が素敵で、とても美人と呼べるわけではないが、心が和みなんとも愛らしい。

児童文学作家、画家であった主人公の作品は今でもずーっと愛され続けてきた作品。素晴らしいことだ。絵を描いているとそのキャンバスで画が動き語りかけてくる映像は実に上手く映画として成立している。こけおどしではなく、自然に動いた方がいいねと思わせるシーンが目白押し。久しぶりに幸せになれた気がする。彼女の本が売れ始まった頃のクリスマス・パーティで、父親の友人が言う「今度姪のアンに紹介してあげるよ、今ナベを作っているんだ」隣の妻が「ナベではなく陶器(セラミック)よ」と。さりげなく入ったこの会話はウェッジウッドの事なのかなと考えたが、単なる思い過ごしかもしれない。ピーターラビットなどが描かれたウェッジウッド製品を重い思いをして何度お土産に買ってきたことだろうか。

真面目な時の顔は少し厳しいのだが笑うと素敵な女性がいる。急に顔がしわっとなって、愛らしさが顔一杯に広がるのだ。本人はそこまでの魅力に気付いていないようだが、周りの人には良く分かる。最近行った歯医者の受付嬢もそんな感じ。うちの3人娘も笑顔が一段と素敵だと思っている。

『ビューティフル・マインド』(A Beautiful Mind)

2001年・アメリカ

監督/ロン・ハワード 出演/ラッセル・クロウ/エド・ハリス/ジェニファー・コネリー/クリストファー・プラマ/ポール・ベタニー

4作品続けて途中退場となってしまった。全部が面白くないわけではなく、こちら側の体調不良による集中力欠如が一番の原因だと思う。特にこの映画は、ノーベル賞受賞の実在の天才数学者ジョン・ナッシュの半生を描く物語でアカデミー賞作品賞、監督賞、助演女優賞、脚色賞を受賞している。1回目の時は最後まで興味深く見終わったことを覚えている。今回は最初の30分くらいは実に面白い映画の入り方に感動すら覚えるのだが、その後はもういいやと言う気持ちになってしまった。良い映画だって体調が悪ければ響いてこないこともある。残念。


2018年2月21日再び観たので記す。

『ビューティフル・マインド』(A Beautiful Mind)

2001年・アメリカ 監督/ロン・ハワード

出演/ラッセル・クロウ/ジェニファー・コネリー/エド・ハリス/クリストファー・プラマー

かなり感動した映画のはずだが、内容を思い出せない。途中で、このシーンがラストだなと思ったら、ちょうど半分くらいだった。あっ!そうか、あのシーンが同じように最後に現れて感動を呼ぶんだと、納得しながら観続けることになった。

ノーベル経済学賞を受賞した実在の天才数学者の物語。天才なるが故の若いころからの変人ぶりがおもしろい。この7年間で2000本以上も映画を観ていると、もっと感動的なシーンの連続ではなかろうかと、ちょっと期待し過ぎた感がある。

彼を支えたのは頭から離れない数字ではなく目の前にいる生身の人間だった。見事なまでの妄想により、自分にしか見えない人間と会話もしてしまう。世の中的には精神分裂症なのだろうが、天才にしか分からない世界が存在しているのは確かなようだ。凡人には想像すらできない天才の世界、時々今の現実は本当なのだろうか、夢なのではないのだろうか、と天才の真似事のような考え方をすることがあるが、自分の場合はあくまでも凡人で単なる勘違いだよ、と神に諭されてしまいそうな気がする。

『ダーティハリー5』(The Dead Pool)

1988年・アメリカ

監督/クリント・イーストウッド 出演/クリント・イーストウッド/パトリシア・クラークソン/エヴァン・C・キム/リーアム・ニーソン

もう一度観ても良いかなとと思って観始まったが、せいぜい30分くらいしかもたなかった。この手の軽い映画は気軽に観られるはずなのだが、どっこいそんな単純ではなかった。ちょっとばかり見飽きた感がしたので今回はおしまい。

『家族ゲーム』

1983年・日本

監督/森田芳光 出演/松田優作/伊丹十三/由紀さおり/宮川一朗太/辻田順一/松金よね子/岡本かおり

評価の高い日本映画を面白く観た記憶がない。一応観始まったが特有の臭さが満杯で反吐が出そうになったので、5倍速にて映像を堪能した。ストップモーションにて見直そうとというシーンは見受けられず、淡々と鑑賞終了。精神が安定していればもう少しましな見方も出来ようが。

『メメント』(Memento)

2000年・アメリカ

監督/クリストファー・ノーラン 出演/ガイ・ピアース/ジョー・パントリアーノ/キャリー=アン・モス

心が少し病んでいるようでこういう映像にはついて行けなくて、30分ももたなかった。面白くないわけではなく、こういう映画は精神が安定していないと楽しく観られない。ストーリーを終わりから始まりへ、時系列を逆向きに映し出していくという斬新な形式をとっているこの映画は、アカデミー賞オリジナル脚本賞、編集賞にノミネートされている。

『ココ・シャネル』(COCO CHANEL)

2008年・アメリカ/イタリア/フランス

監督/クリスチャン・デュゲイ 出演/シャーリー・マクレーン/バルボラ・ボブローヴァ/マルコム・マクダウェル/サガモア・ステヴナン

「同じものを続けるより、失敗しても良いから挑戦することが好きだ」と言う彼女のセリフが、シャネルというブランドの真骨頂らしい。映画で見れば反骨精神が何よりの基本となっているシャネル、一生縁のないものではあるがその名前は気高く永遠に語り継がれるブランドの創生期を垣間見ることが出来て面白かった。そういえばもう20年以上前に香港のペニンシュラ・ホテルで貰ったシャネルの男性用コロンの小さな瓶が、少し使われただけでまだ洗面台に鎮座しているのが奇妙な風景だ。

ひとりの人間が成り上がって行く姿を映画で観るのは好きだ。もしかすると一番好きな物語かもしれない。将来が分からないからこそ人は努力し、労を惜しまず直向きにひとつのことに打ち込むのだ。そのプロセスが功を奏した時に人は成り上がれ、功を奏さなければ名もなき凡々な人生が待っている。どう考えたって神のなせる技。ほんのちょっとの神の出来心が成功と失敗を生んでいるとしか思えない。

たかだか100年も生きられない一人の人生で、何故みんなはこうも悩む苦しむのだろう。何をしてもしなくても、ほとんど社会には影響を及ぼさないひとりの行為に思い悩むことはない。ただひたすらに生きている喜びを分かち合えれば、それだけで充分な人生だ。

『シャンプー』(Shampoo)

1975年・アメリカ

監督/ハル・アシュビー 出演/ウォーレン・ビーティ/ゴールディ・ホーン/リー・グラント/ジュリー・クリスティ/ジャック・ウォーデン

ウォーレン・ビーティ出演の映画をほとんど観ていない。何故かは分からないが、せいぜい5作品以内だろう。この映画でリー・グラントが第48回アカデミー賞助演女優賞を受賞。35年前の映画に歴史を感じた。ミニスカートやヒッピー族の名残の登場など、その時代に青春時代をおくった世代には懐かしさよりも、”古さ”を強く感じた。

映画は時の鏡。未来を描く時でさえ、その時代に見える未来を空想するものだから、風俗・思考などだいぶ古びた感じを受けても仕方がない。いつの時代にも新しさを感じるのは、例えば『2001年・宇宙の旅』のような映画だろう。

人間も然り、いつまでも同じような理屈を言い粋がってみたところで、カビの生えそうな考え方や屁理屈では周りの人達が実は眉をひそめているに違いない。気をつけなくては!

『パリ、ジュテーム』(Paris, je t'aime)

2006年・フランス

世界18人の監督による「愛」をテーマにした短編オムニバス映画。パリ18区を舞台に、1区につき約5分間の短編映画。

* モンマルトル(18区)Montmartre/監督:ブリュノ・ポダリデス/出演:ブリュノ・ポタリデス、フロランス・ミュレール

* セーヌ河岸(5区)Quais de Seine/監督:グリンダ・チャーダ/出演:シリル・デクール、レイラ・ベクティ

* マレ地区(4区)Le Marais/監督:ガス・ヴァン・サント/出演:ギャスパー・ウリエル、イライアス・マッコネル、マリアンヌ・フェイスフル

* チュイルリー(1区)Tuileries/監督:ジョエル&イーサン・コーエン/出演:スティーヴ・ブシェミ

* 16区から遠く離れて(16区)Loin du 16e/監督:ウォルター・サレス、ダニエラ・トマス/出演:カタリーナ・サンディノ・モレノ

* ショワジー門(13区) Porte de Choisy/監督:クリストファー・ドイル/出演:バーベット・シュローダー

* バスティーユ(12区)Bastille/監督:イザベル・コイシェ/出演:セルジオ・カステリット、ミランダ・リチャードソン

*ヴィクトワール広場(2区)Place des Victoires/監督:諏訪敦彦/出演:ジュリエット・ビノシュ、ウィレム・デフォー、イポリット・ジラルド

* エッフェル塔(7区)Tour Eiffel/監督:シルヴァン・ショメ/出演:ポール・パトナー、ヨランド・モロー

*モンソー公園(17区)Parc Monceau/監督:アルフォンソ・キュアロン/出演:ニック・ノルティ、リュディヴィーヌ・サニエ

* デ・ザンファン・ルージュ地区(3区)Quartier des Enfants Rouges/監督:オリヴィエ・アサヤス/出演:マギー・ギレンホール

* お祭り広場(19区)Place des Fe^tes/監督:オリヴァー・シュミッツ/出演:セイドゥ・ボロ、アイサ・マイガ

* ピガール(9区)Pigalle/監督:リチャード・ラグラヴェネーズ/出演:ボブ・ホスキンス、ファニー・アルダン

* マドレーヌ界隈(8区)Quartier de la Madeleine/監督:ヴィンチェンゾ・ナタリ/出演:イライジャ・ウッド、オルガ・キュリレンコ

* ペール・ラシェーズ墓地(20区)Pe`re-Lachaise/監督:ウェス・クレイヴン/出演:ルーファス・シーウェル、エミリー・モーティマー

* フォブール・サン・ドニ(10区)Faubourg Saint-Denis/監督:トム・ティクヴァ/出演:メルキオール・ベスロン、ナタリー・ポートマン

* カルチェラタン(6区)Quartier Latin

監督:フレデリック・オービュルタン、ジェラール・ドパルデュー/出演:ベン・ギャザラ、ジーナ・ローランズ

* 14区(14区)14e arrondissement/監督:アレクサンダー・ペイン/出演:マーゴ・マーティンデイル

* 各話のつなぎ部分/監督:エマニュエル・ベンビイ、フレデリック・オービュルタン


1話5分というのは、いかにも短い。何の話?という感じで終わってしまう映像が多かった。パリに住んだことのある人には、パリ市内20区のうちの18区での撮影なので想いで深い場所もあるかもしれない。何度か行ってはいるが私はパリが好きになれない。なんか冷たい空気と埃っぽい街の風が嫌いだ。それにひきかえロンドンは大好きな街だ。縦横無尽に張り巡らされた地下鉄は案内も分かり易く、日本語の東京の地下鉄より遙かに乗り換えなどで迷わない。それと地下鉄のホームに延びるエスカレーターのあの長さは、旅行者気分を高揚させてくれるものだった。日常使っている人には結構不便かもしれない、まただいぶ前だが雰囲気のある木のエスカレーターが火災になったことで、この頃はだいぶ様子が違ってきているかもしれない。4年前に行ったのが最後のロンドン。

パリで偶然の出来事があった。もう22、23年前の事だったと思う。カンヌ映画祭かミラノ映画祭の帰り途、社長と二人で骨休めのパリ滞在をした。映画祭などではいつもの話で、今回はたまたまパリだっただけのこと。私にとってはずーっと骨休めが、英語で仕事をする社長にとっては本当の骨休めだったのだろう。ショッピングモールを歩いていると、見たことのある若い女の娘に出会った。3人もが良く知っていたので顔を見合わせて驚いた。乳母車を押していたのでさらに驚いた。彼女は当時20歳代半ば頃だったか、元ヘラルド社員で会社をしばらく前に辞めて語学留学しているという噂が耳に入っていた。詳しいことは何も知らなかったし、そんなことは露とも考えずにいた我々は、まさかパリで彼女に会おうとは思ってもいなかった。押していた乳母車はベビーシッターのアルバイトだった。彼女は色白の可愛い子で、背が小さくて胸が大きく、ヘラルド時代もみんなから親しみを込めて「モンローちゃん」と呼ばれていた。たぶんその夜は3人で夕食をしたような気もする。そんなことを想い出した。この街だからこその出来事のような気がする。この街を舞台に映画を撮るというのは世界共通の夢物語かもしれない。モンローちゃんについては後日談がある。その後数年経ってから風の便りに彼女が自殺して死んでしまったという哀しい出来事が伝わってきた。偶然のなせる技、偶然の重なり合いが人生だといわれても、結構ショックな風の便りであった。

今日は頭が冴えないので長い文章になってしまいましたと、学生時代に毎日のように書いていた手紙の最後に謝りを入れた時があった。短い表現で、切れよく人を納得させるのは最上の方法かもしれないが、相当の才能と人間経験がなければ確かなものはなかなか作れない。そんな比較対象見本市のような作品群であった。

『気分を出してもう一度』(VOULEZ-VOUS DANSER AVEC MOI?)

1959年・フランス

監督/ミシェル・ボワロン 出演/ブリジット・バルドー/アンリ・ヴィダル/ドーン・アダムス

B.B.(ベベ)といえばブリジット・バルドー(Brigitte Bardot)、CCといえばクラウディア・カルディナーレ(Claudia Cardinale)、映画ファンなら誰でもその愛称を知っていた。BBは1934年フランス生まれ、CCは1938年イタリア生まれ、その少し前1926年アメリカ生まれがマリリン・モンロー(Marilyn Monroe)だ。BBはMMと比較されることが多いが、BBの方がちょっとばかり頭が良さそうな雰囲気を持っている。首から下だけを遠くから眺めたら、ほとんど見間違えそうな気がする。

タダのきれいな女役ではなくこの映画では、歯医者さんの新婚の奥さんで事件に巻き込まれてしまった旦那の身の潔白を証明するため、ひとりで事件解決の行動に出るのだった。軽いサスペンスタッチとコメディを軽やかにこなす。やっぱりMMよりちょっと幅の広い役を演じている。

映画業界という華やかで特殊な世界で身を立てるすべを知っていた昔の役者達は、いつ、何処で何を自分が求められているのかよく知っていた。身の程知らずで傲慢で、そのくせたいした才能もない今の日本のテレビタレント達には失望すら覚えない。最近では、結婚してもその使われ方は別のところで発揮される主婦タレント達の小遣い稼ぎのトーク番組出演には、もーあきれかえって神への冒涜とさえ感じる。

『さらば、ベルリン』(THE GOOD GERMAN)

2006年・アメリカ

監督/ティーヴン・ソダーバーグ 出演/ジョージ・クルーニー/ケイト・ブランシェット/トビー・マグワイア/ボー・ブリッジス/トニー・カラン

時は1945年7月、場所はベルリン郊外ポツダム。第二次世界大戦の最後、5月にナチス・ドイツが降伏したあとの時期、米国大統領ハリー・S・トルーマン、英国首相ウィンストン・チャーチル、ソ連共産党書記長ヨシフ・スターリンの3カ国の首脳が集まり、今だ戦争を続けていた日本への対応と第二次世界大戦の戦後処理について話し合われたポツダム会談の裏舞台の話だ。映像は白黒、当時の雰囲気を出すためにスタンダードサイズで撮られている。(スクリーンの大きさは、スタンダードサイズが1:1.37<今までのテレビ画面4:3>、ビスタサイズは1:1.85<地デジ画面16:9>、シネマスコープは1:2.35と他には見られない超横広映像。)

主人公は元ベルリン支局長のアメリカ人特派員記者、女はその男のアシスタント記者をしていたユダヤ女性で自らもナチス党員、夫はドイツ人・ナチス党員で戦争末期の特殊爆弾の製造過程に関与したとされる人物。連合国同士でもその管轄が治外法権を生むこの状況下で繰り広げられる三つどもえの権力闘争、ユダヤ人ながらナチス党員のこの女性主人公の想像を絶する生きることへの執着が映画をミステリアスな方向へと、ずんずんと引っ張って行く。夫の生死と共にゆくえ探しの深みにはまって行くアメリカ人記者との男女関係の絡み合いがキモになっている。最後の頃のセリフに「これでパズルが解けたね」と男が女に話しかけるシーンがあるのだが、私はまだパズルが解けていない。老人性痴呆症、ボケ、頭の固さにだんだんなってきている。

戦時下、明日は生きていられるのかという状況は、戦後生まれの私には体で強くそのことを思うことすら出来ない。『夜と霧』、精神科医・脳外科医であるヴィクトール・フランクルはユダヤ人であるが為にナチスによって強制収容所に送られ、この体験をもとに著した本。生き残ったからこそ綴れる恐怖体験、その時点では1時間後の自分の命をも確信持てないどころか死ぬ方が確率が高い時間の連続。毎日のように周りの人達が毒ガス室で殺されてゆく状況。生きている今から見れば過去に思えるが、その時点ではいつ終わるのかも分からない戦争と強制収容所での死に値する過酷な毎時間・毎日。そんな恐怖体験を知っただけで涙が止まらない。いかに人間は愚かで卑劣な生き物なのだろうか。せめて生きている間は、心から相手を思いやり信じ合えるよう日々の生活をしよう。

『妹の恋人』(BENNY & JOON)

1993年・アメリカ

監督/ジェレマイア・チェチック 出演/ジョニー・デップ/メアリー・スチュアート・マスターソン/エイダン・クイン/ジュリアン・ムーア

原題は兄と妹の名前である。日本語題名は映画の初めでは分からないが妹の恋人となっていく人が登場するということを言ってしまっている。このあたりに日本の映画配給の問題点がある。この方が分かり易いと思っている。また、別に謎解きの話しじゃないから妹の恋人と断言した題名でも全く問題ないと思っている。そんなことはない。何も知らずに映画の流れを見ていれば、恋人になる確率が高いと感じると同時に、全く別の方向に転回するストーリーも想像しうるからだ。そういう複雑な思いを持ちながら見るのが映画の楽しみ方のひとつなのに。

ジョニー・デップがきれいな顔で登場している。日頃の日本キャンペーン時の髭をたくわえ汚らしい格好とは全然違う。だからこそ、非日常的な映像に没頭できるのだ。ジョニー・デップはちょっと変わった役も多いがまともな役もしっかりこなせる当代一流の役者になってきた。おちゃらけた格好とおちゃらけた馬鹿話しをテレビでのたうち回っているテレビタレントが、同じような顔と格好と喋りで映画の中で演じていても一瞬たりとも映画に没頭できないのとは正反対。

この映画内容は結構シビアだ。自閉症や知的障害はどの世の中でも理解と寛容がなされていない。ただちょっと何かが違うだけで、この世のものとは思えないほど見下され蔑まれている。近くに存在する家族がまた大変だ。どうしてこんな不幸を背負ってしまうのか、どうし私だけと自暴自棄になって行くのはむしろ家族の方が多いかもしれない。そんな環境を明るく描いているこの監督は力量があるのだろう。身につまされる何かを感じながら楽しく観ることが出来た。久しぶりの等速鑑賞である。

『ワンダフルライフ』

1999年・日本

監督/是枝裕和 出演/ARATA/小田エリカ/寺島進/内藤剛志/谷啓/伊勢谷友介/由利徹/横山あきお/原ひさ子/白川和子

死んでから死後の世界へと旅立つまでの1週間、死者達は「そこ」で一番大切な思い出を選ぶ。その思い出は、彼らと「そこ」のスタッフ達の手によって映画として再現される。そして、その記憶が頭の中に鮮明に蘇った瞬間、彼らはその「一番大切な記憶」だけを胸に死後の世界へと旅立っていくのだ……。選んでください。貴方の一番大切な思い出はなんですか?( フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より全文引用)

アイディアだけで映画を作ろうというつまらない作品。映像が汚い。臨場感とか、日常感とかいう誉め言葉は、夢の世界や非日常的な世界に連れて行ってくれる映画の世界を分かっていない。心がうきうきする感覚を持てなければ嘘の世界に没頭できない。あくまでもバーチャルながら身に沁みて感じるからこそ、映画を観て涙を流し足を踏みならし怒りをぶつけることが出来るのだ。

勘違いしている映画制作者がいる。自分だけの世界をほんの周りの人だけに分かってもらおうとするのなら、劇場用映画など作らずプライベートスクリーンに留めるべきだ。迷惑な社会行為と言えよう。見ていると不愉快になってくる、総合点として。5倍速鑑賞。

『誰も知らない Nobody Knows』

2004年・日本

監督/是枝裕和 出演/柳楽優弥/北浦愛/木村飛影/清水萌々子/YOU

カンヌ国際映画祭最優秀主演男優賞/フランダース国際映画祭グランプリ/シカゴ国際映画祭金のプラーク賞/第78回キネマ旬報ベスト・テン・日本映画ベストワン・読者選出日本映画ベストワン・読者選出日本映画監督賞:是枝裕和・助演女優賞:(YOU)・新人男優賞:(柳楽優弥)/第47回ブルーリボン賞・作品賞・監督賞:是枝裕和

何処がいいのかちぃとも分からない。何が賞に値するのかちっとも分からない。いかにしたらこの映画を評価できるのか教えて欲しい。切実な願い。

どうにも相容れない日本映画との蟠りは消えない。何故これほど分からないのか誰も知らない。5倍速鑑賞。

『アウトロー』(The Outlaw Josey Wales)

1976年・アメリカ

監督/クリント・イーストウッド 出演/クリント・イーストウッド/サム・ボトムズ/チーフ・ダン・ジョージ/ソンドラ・ロック/ビル・マッキーニー

時代はアメリカ合衆国の南北戦争(1861年 - 1865 年)。最後の年あたりだ。日本では慶応3 年(1867 年に)大政奉。アメリカも日本も今から140年前に劇的な社会状況変革があったわけだ。文化ははるかに進んでいた日本、社会制度がまだまだで広すぎる荒野の開拓に明け暮れる時代が急速に新しい秩序を持つ社会と進んでいったアメリカ。そういう中でのクリント・イーストウッドの哀しい眼が社会を見つめる規範を作っている。

人の優しさには素直に応える。よけないことを不誠実に実行しない。あくまでも弱いものの見方で、心底気持ちに同調する。信頼はあるし勿論信用があるという今の人達に圧倒的に欠けている人格を持つ主人公の意志は堅い。

生まれてきて何を基準に生きているのか分からない人がいる。基準が自分で探せない。基本が備わっていない。話しが合わない。価値観も分からない。何故世の中に一緒に生活しているのだろうと思える人種がいる。寂しいけれど仕方のないこと。出来るなら、そんな連中とは会いたくもない。

『恋するシャンソン』(ON CONNAIT LA CHANSON/SAME OLD SONG)

1997年・フランス/スイス/イギリス

監督/アラン・レネ 出演/アンドレ・デュソリエ/アニエス・ジャウィ/サビーヌ・アゼマ/ランベール・ウィルソン/ジャン=ピエール・バクリ

シャンソンのお国にらしく、5分に1回くらい急にミュージカルに変身する。長くて4小節くらいを歌詞入りで口パクする。気持ちを表す時の手法として採用している。入れ方といい長さも短くていい、さすがフランス、粋でウィットに富んだエスプリ満載の会話を楽しんでいる様子が映画のキモになっている。主役姉妹の姉役サビーヌ・アゼマが岸恵子に顔も声も似ていると感じた。いやもっと似ている人がいるなと考えていたら、なんとチェ・ジウの方がもっと近かった。映画の中のセリフにも世界中で似ている人は7人いるとか言っていたが、3人じゃなかったっけ、まぁいいか。。

全編を通して休みなくこの手法が続くわけだが、やはり飽きがくる。たまには気を利かせて不意打ちを掛けてくれよという気分になってくる。辛辣な会話と軽妙な受け応えについては日本人が大いに学ななければならない社会エチケットだ。

最後になっても繰り出すシャンソンセリフを聞いていたらヘトヘト。フランス人は自分たちが素晴らしいと思ったら、相手のことなど気に留めずひたすら押しまくり押しつけてくる人種なのかと思えた。残念ながらひとりもフランス人を知らないので、そんな感じがしただけなのだが。

『ローズ』(The Rose)

1979年・アメリカ

監督/マーク・ライデル 出演/ベット・ミドラー/アラン・ベイツ/フレデリック・フォレスト/ハリー・ディーン・スタントン

『歌に魂を込めたいんだよ』『休みたいんだよ』と歌手である主人公は、この後3年間もスケジュールで埋まってい自分とマネージャーを罵っている。この関係が映画の最初から最後までのテーマ。今日は中継もあるしお偉さんが来ているから汚い言葉は言うなと諭されたステージの最初に、『ファック・ユー』『ドラッグ・セックス・ロックンロール』と叫んでみせるローズ。演じるベット・ミドラーは脇毛もしっかり見せている。我が学生時代のまっただ中、1969年という年代が歴史的にいかに大きなうねりの最中であったかを思い起こさせる匂いが映像から伝わってくる。

ベット・ミドラーはいいね。なんといっても上手い。シリアスもコメディーもこなせる女優であり、本物の歌手だ。フォーエバー・フレンズ (Beaches・1988年)は好きな映画であるが、涙を流す映画がいい映画だと思う気持ちを一層強くさせてくれる。矢沢永吉がなんで人気があるのか分からない。ロックだとかロッカーだとか簡単に形容して自分を表しているようだが、どこにロックがあるのか。この映画1本を観ただけで彼のインチキぶりが分かろうというもの。最近のテレビのCMで彼の下唇の薄さと気持ち悪いビールの飲み方を見てやっぱりと納得するのだった。彼の熱狂的なファンも多いだろうが、別にそれを否定するつもりはない。日本的ガラパゴス現象は今よりも30年前の方が酷かっただけなのだ。

テレビの音をアンプとスピーカーを使って聞いている。電気屋の息子としてはテレビ内蔵の音をそのまま聞くことからはだいぶ前に卒業した。一度そうういう装置で聞いてしまうと、テレビ音は聞き難くて我慢が出来ない。特にこの映画のようにコンサート会場風景の中、フルで1曲を聴かせようとしている音楽環境にはステレオ装置が威力を発揮する。普段のニュースやドラマでさえ、小さい音の聞こえ方が格段に違う。ましてや大きな音で音楽を楽しむ際にも、ちゃんとしたスピーカーはお奨めだ。いつもより音量を大きめにしてこの映画を一気に観てしまった。

『夕陽のガンマン』(Per qualche dollaro in piu`、For a Few Dollars More)

1965年・イタリア

監督/セルジオ・レオーネ 出演/クリント・イーストウッド/リー・ヴァン・クリーフ/ジャン・マリア・ヴォロンテ

先の『荒野の用心棒』、そして翌年の『続・夕陽のガンマン』と併せて「ドル箱三部作」と呼ばれたらしい。エンニオ・モリコーネが音楽担当、彼の楽曲は数多くの映画音楽として名を馳せている。その中でも『ミッション』(The Mission・1986年・イギリス)は1986年度カンヌ国際映画祭のパルム・ドールを受賞。その年のカンヌ映画祭に参加した私はボータイ(蝶ネクタイ)を現地調達し、偉そうにメイン会場の階段を上がって行くのであった。

このミッションの音楽が凄くいい。全体を通して異文化の融合的な音を創り出していて、その後もずーっと高い評価を受けている。また、メインテーマの『フォールズ』をはじめとする楽曲はコマーシャル、式典など様々な機会に使用されている。最も印象的な曲『ガブリエルのオーボエ』は、たぶん聞けばあ~この音楽がミッションの曲だったんだと思えるくらい、テレビの印象的なシーンで今も使われている。何ともいえない心に響く旋律だ。オーボエというオケでは音合わせの基準だが一般的にはあまり馴染みのない楽器の音色がまたいい。イグアスの滝や宣教師のここまでの布教活動を知るよい機会にもなった。

荒野の用心棒を観たばかりだったので、途中ちょっと飽きがきた。うたた寝のように何度か目を閉じてしまったが、最後40分くらいはしっかり観たような気がする。2度も、3度も、4度も、5度もといえるくらいのどんでん返し風のストーリーが展開されるのは、サービス精神満タンの映画界絶頂期の象徴のようにも見える。何事にも勢いが必要なのだと痛感した。

『恋愛適齢期』(Something's Gotta Give)

2003年・アメリカ

監督/ナンシー・メイヤーズ 出演/ダイアン・キートン/ジャック・ニコルソン/フランシス・マクドーマンド/キアヌ・リーヴス

音楽業界で活躍する63歳のハリー・サンボーン(ジャック・ニコルソン)は、30歳未満の女性が恋愛対象の結婚経験ゼロの裕福な独身プレイボーイだ。現在は、一度の結婚経験のある独身の54歳の人気劇作家エリカ・バリー(ダイアン・キートン)の娘マリン(アマンダ・ピート) と付き合っている。ある時、エリカ・バリーの所有する海辺の別荘でマリンと過ごそうと訪れるのだが、そこで心臓発作に見舞われ、医師(キアヌ・リーヴス) の指示で、エリカやエリカの妹ゾーイ(フランシス・マクドーマンド)の世話になりながら、療養の為、そのまま別荘にしばらく滞在させられる破目になり…。監督ナンシー・マイヤーズが、脚本も手がけるにあたってダイアン・キートンが演じることを前提に、ハリーというキャラクターもジャック・ニコルソンを意識して書いたといわれている。原題は、1954年のジョージア州の作詞・作曲家ジョニー・マーサーの作品Something's Gotta Giveより借りている。ジョニー・マーサーにちなんで、キアヌ・リーヴス演じる医師の名はジュリアン・マーサーとなっている。(以上すべて、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

恋愛の形は千差万別、お国柄のDNAが反映される場合が多い。映画で見る限り日本の恋愛形はまだまだ幼い。男女の縺れから起こる殺人事件にその発展形を見ることが出来るが、それでも日本は男女間も平和だ。そのうちにアメリカに近づく時が来るだろうが、あと何十年もしなければその時は来ないだろう。その時になればアメリカは又別の恋愛形が横行しているだろう。羨ましいくらいの男女関係も当事者にとっては悩みのタネ、第三者の立場で酒の肴にしているくらいがいいのかもしれない。でもいざとなるとどうなるか分からないのが男と女の関係。生きてる限りは続くのだろうこの世界。

そうでもなければ生きている意味もない。草食系男子などと馬鹿にされている最近の若者、女が嫌いなのではなく人間と関わり合うことの訓練が出来ていないのが大きな原因。本人も親も教育も社会も悪いから人付き合いが出来ないのだ、きっと。

『U-900』

2008年・ドイツ

監督/スヴェン・ウンターヴァルト・Jr 出演/アツェ・シュローダー/イボンヌ・カッターフェルト/オリヴァー・ヴヌク

1982年、日本ヘラルド映画株式会社時代に配給した『U・ボート』(Das Boot、The Boat)を彷彿とさせる題名に騙された。潜水艦戦争物とはまったく違うコメディーであった。冒頭の映像は1944年4月のフランス・トゥーロン(Toulon)軍港、それだけが真面目なものであとはフランス風エスプリを効かせたお笑いものであった。ドイツとフランスのお笑いのタネが同じように見えたのは勘違いか?

新しいところでは、2002年ハリソン・フォード主演『K-19』(K-19: The Widowmaker)が原子力潜水艦の危機的状況を描いて見応えがあった。閉鎖された潜水艦の中という題材はまさしく映画向き。本物の潜水艦や戦争状態ではそれこそ死にものぐるいの状況だろうが、映画というエンターテインメントにはもってこいだ。つい先日北朝鮮の潜水艦問題が現実に起こっているが、こういう戦争、潜水艦という事柄は女性より男性の方がより強く興味を惹かれるようだ。

思いがけずのコメディーに、いつの間にか眠りに陥ってしまった。洋画では久しぶり。偶然に最後の15分くらいのところで起床。ずーっとおちゃらけた笑いだったことを確認して最後のシーンは何の感想もなく終わってしまった。それにしてもお金が掛かっている。映像もしっかりしている。ただ戦争物のコメディーは見ていて面白くない。日本映画の面白くなさとは質が違う。いやはや日本劇場未公開らしいが、こんな風に世界中では日本で公開されない映画もたくさん作られている。映画産業は構造不況が30年続いているが、映画そのものは決してなくならない。

『陰日向に咲く』

2008年・日本

監督/平川雄一朗 出演/岡田准一/宮崎あおい/伊藤淳史/平山あや/緒川たまき/西田敏行/三浦友和

劇団ひとり原作の映画化である。本も読んでいないので興味深く見始まった。10分位経過しただろうか、今回はちゃんと普通速度で見られるかなと思っていたところ急に面白くなくなった。理由が分かった。セリフがほとんどない状態から急に役者がセリフを喋りだしたからだった。いつもの日本映画と同じように2倍速から3倍速、5倍速と切り替わって早々と鑑賞が終了した。それにしても詰まらない。

『XX(エクスクロス) 魔境伝説』

2007年・日本

監督/深作健太 出演/松下奈緒/鈴木亜美/中川翔子/小沢真珠/池内博之/岩根あゆこ/岩尾望

こちらは始まって3分もしないうちに5倍速へ。テレビ局が絡まないと劇場用映画も当たらない時代になって久しい。調子をこいたテレビマンが映画世界を台無しにしてしまっている。何本かに1本当たればたいしたプロデューサーだと誉められて調子に乗る。いい加減にして欲しい。どんなつまらないものでも一瞬の映像だけは見てみようと思う。

『荒野の用心棒』 (Per un pugno di dollari、A Fistful of Dollars)

1964年・イタリア

監督/セルジオ・レオーネ 出演/クリント・イーストウッド/マリアンネ・コッホ/ジャン・マリア・ヴォロンテ

2004年1 月1日施行、著作権法改正により映画の著作物の著作権は、公表後50年から70年になった。1953年に公開された『ローマの休日』や『シェーン』は改正前の適用により2003年12月31日で著作権が消滅した。パブリックドメイン(Public Domain)という言い方で著作権は一般的には公に自由に扱うことが出来る。著作権は解釈、運用が極めて難しい法律。この荒野の用心棒も黒澤明監督作品『用心棒』の翻案権(リメイク権)違反で敗訴した有名な作品である。翻案権は著作権に含まれる権利の一部であり、原作権と同じように原著作者の許諾なしに映画をリメイクすることは出来ないという規定である。

ローハイドのクリント・イーストウッドがハリウッドの映画に出演出来ない契約だったために、遙かスペインロケで待望の映画主演を果たした。勝手に用心棒をリメイクしたり、アメリカではない場所で西部劇を撮影したりと胡散臭い作品だったが結果は大成功、そうなれば映画業界お得意の昔のことは忘れて主義で監督セルジオ・レオーネも大いにもて囃されることになった。映画は金のなる木、昭和30年代の日本の映画館だって切符を売るおばさんの足下にはみかん箱があり、その中のお金を踏んづけていたという話があるくらいだ。

痛快な映画だ。乾燥した空気が漂う映像には余計な理屈を排除する雰囲気がある。多少辻褄が合わなくたっていいんじゃないのという雰囲気がある。乱暴な内容なのだが、ま~その当時なら許される殺戮なんだろうなと思わせる迫力がある。観ていて決して嫌な気分にはならない。クリント・イーストウッドの若さもなかなかいい。皺のない顔は観ていて心地よい。やっぱり老人の顔の皺やシミはあまりいいものではないな~、でも当事者にとってはどうしようもないことだが、と自分自身に嘆きかけている。

『ホワイトライズ』 (Wicker Park)

2004年・アメリカ

監督/ポール・マクギガン 出演/ジョシュ・ハートネット/ダイアン・クルーガー/ローズ・バーン/マシュー・リラード/ジェシカ・パレ

オリジナル原題は単に公園の名前。内容に対する余計な詮索や先入観がないように意味のない題名にしてあるのだろう。もちろん、主人公のカップルにとってはこの公園が想い出になる場所なのだが。ホワイトライズは日本側が付けた日本語題名。英語題名を装い勘違いさせるやり方は全盛期の東和や東宝東和が得意だった。なぜかヘラルドにはなかった。哀しみの、黄昏、美しき、などなど日本語らしい題名を敢えて使わず、原題をカタカナ表記しただけのようにしている。東和は原題を外し、日本語題名をいかにも原題だとして使うことなど平気でやっていた。たいしたものだった。

方便。罪のない嘘。ある目的を達するため便宜的に用いられる手段。てだて。 「嘘も方便」というのがホワイトライズの意味だが、この意味を知ってしまうとこの映画の前半部分のごちゃごちゃした訳の分からない出来事、進行がちょっと謎解きから解放されてしまい、おもしろみが薄れてしまいそうだ。映画はあまり筋書きを知ってしまうと面白くない場合がある。この映画もそういう類の映画だろう。

実話の映画化だったり歴史物などはその主人公をよく調べてから観るのもひとつの楽しみ方。世界中でロケする映画のいいところは、その場所を知っていればいるほど興味が湧いてこようというものだ。映画を見終わってからでもいい、ベニスのこの喫茶店でお茶を飲んでいたんだよな~と思いながら飲む紅茶には味わい深いものがある。たくさんの映画を観れば観るほど、その数だけの想い出が心に残り来世の人格に魂を引き継ぐことが出来るかもしれない。

『アメリカンエネミーズ』 (The Butcher)

2007年・アメリカ

監督/ジェシーV.ジョンソン 出演/エリックロバーツ/ロバートダヴィ/マイケルアイアンサイド/キースデヴィッド/ジェフリールイス

主人公は元プロボクサーのチャンピオンでマフィアに雇われ辛抱強くボスの命令に忠実に従ってきた「ブッチャー」と呼ばれた男。虐殺者の如く人を殺したことがその由来となっている。でもその呼び名に彼は嫌な顔をしていた。ある事件を機会に彼の心は爆発し壮絶な闘いが始まるのだった。そこにはひとりの女の存在も当然映像に現れる。三流アクションの典型だが、三流アクションにはそれなりの面白さがある。

手を抜いているから三流なのではなく、セットに金がかかっていなかったり1本で何十万ドルも取る一流俳優が出ていないから三流になってしまっただけなのだ。一所懸命製作しているのは結構画面に滲み出ていることが多い。アメリカポルノ映画もそう、日本のようにただひたすらSEX場面だけを映しているのではなく、あくまでもストーリーをしっかり追いかけ、そしてしっかりSEX場面を表現している。

今や1本で2千万ドル(日本円で20億円)もとるようなスターがごろごろしているアメリカ映画業界。とてもじゃないけど日本映画の1本の制作費を遙かに越えるギャラでは、映画もそうそう作っていられない。そんなこともあり、日本では邦画の売り上げが洋画を上回ったなどとお門違いの統計をこれ見よがしに言い放つ経済アナリスト達。実は違うのだ、要は制作本数が少なくなってアメリカ製映画の公開本数も少なくなっただけなのだ。日本映画がアメリカ映画より総じて面白いなんてことありやしないさ。

音楽のチカラ「スーザン・ボイル~21世紀のシンデレラ・ストーリー~」

5/27 (木) 22:00 ~ 22:50 (50分)

NHK総合

これは映画ではなくテレビ放送。昨日(2010/5/27)NHKで放送された番組だ。内容は、2009年12月に英米で放送され高視聴率を記録したスーザン・ボイルのドキュメントを軸に、「第60回NHK紅白歌合戦」や、2010年4月の来日時の秘蔵映像を交えて描く“スーザン・ストーリー”。あの記憶に新しいシンデレラ物語。スーザン・ボイルがオーディション番組で歌う前、エレイン・ペイジが目標ですと言って審査員の顰蹙を買った直後、歌い始めると3人の審査員の驚きの顔がアップされた。その様子がYouTubeで流れるや一夜にして世界レベルになっていったスーザン・ボイル。久しぶりに痛快な出来事だったので、まだまだ新鮮な気持ちで見、歌を聴くことが出来た楽しい時間だった。

スーザン・ボイルが夢見たエレイン・ペイジ(Elaine Paige)はイギリス生まれのミュージカル女優、歌手。『キャッツ』(CATS)のグリザベラ役でも超有名、私の秘蔵DVDは彼女のロンドンステージ盤だ。彼女の歌う「メモリー」にどれだけ癒されたことだろう。番組中この二人のデュエットシーンがあった。上手い。聞いていて気持ちの良い音楽とはこういうものを言うのだろう。確かにスーザン・ボイルもいいが比べてしまうとエレイン・ペイジの歌のうまさが際立っていた。長年プロして一流の舞台をこなしてきただけではなく、確かな評価も受けていることがなによりの証だろう。素人がこの二人を比べて評価するのは不遜であるが、エレイン・ペイジの歌の声質、柔らかさ、奥行きの深さ、優しさをあらためて印象づけられたデュエットだった。スーザン・ボイルはまだまだひよっこに見えると言っても本人には怒られまい。

エレイン・ペイジはもう62歳、たいしたものだ。歌はやはりこころで歌うもの。心に確実に伝わるなにかがある。おもわずキャッツのメモリー・シーンを見直してしまったが、やっぱりいい。1983年(昭和58年)『南極物語』の超大ヒットのお陰でフジテレビがジャンボジェット機を貸し切り関係者を2泊5日のニューヨークキャッツ観劇会に招待。宿泊はプラザ・ホテル。その頃ミュージカルの「ミ」の字も知らなかった大勢の参加者が劇中居眠りをしていたが最後の "メモリー" にむくっと起き出し拍手をおくったのだった。恥ずかしながら、その中に私もいた。番組の最後ではレ・ミゼラブル(Les Miserables)のロンドン・ステージの役者群がスーザンの歌の前にステージ衣裳をまといひとしきりワンシーンを演じてから、彼女が出世作「I Dreamed a Dream」をうたい、最高潮で番組は終了となった。NHKの番組は一段とバラエティー豊かに確かなものが多くなった。今回の最高の収穫はエレイン・ペイジ、たしかな歌唱力でまさにプロでも格段の違う場所で活躍している。本物のエンターテイナーを見せてもらった。偽物ばかりの日本芸能界には何も言わない。ましてやお笑い番組など決してみない。せめてもの抵抗。

『阿弥陀堂だより』

2002年・日本

監督/小泉堯史 出演/寺尾聰/樋口可南子/田村高廣/香川京子/井川比佐志/小西真奈美/吉岡秀隆/北林谷栄

美しい映画だった。録画で見る日本映画のつまらなさに辟易していたので、よけい際立って見えたのかもしれない。見逃していた自分が恥ずかしい。長回しやいらぬカットが多すぎる日本映画は本当につまらない。それにもまして、役者の下手さ加減を評価する気にもなれない。そんななか、この映画に出会えてほっとした。

よく映画に点数をつけているwebを見かける。なんと馬鹿げた、無意味なことだろう。映画を見ての感想、心持ちは十人十色、それこそ100人いれば100人の違った感想文がみられるはずだ。一人の人間が自分の基準で点数をつけるなんて、ちゃんちゃら可笑しくて笑えもしない。映画を見る力は総じてその人の人間力に頼ることになる。どれだけの経験をしどれだけのことを体で実体験し、五感で感じてきたかが問われるのだ。数多く見ているからといって、映画評をする資格が出来たわけではない。

勘の悪い人間がどれだけ練習をしてもゴルフのパットが下手なのに似ている。料理を初めてしたって、塩や砂糖の加減を何となく出来てしまうことにも似ている。それまでに体感した全知全能を使って新しい経験に生かせる才能が必要なのだ。未経験でも関係ない。どれだけの知識があっても関係ない。最も求められるのは一種の勘。映画を見る力はその勘が必要なのだ。だから見た人によって受ける感覚が違ってくるのだ。

自分の感想を書くのは勝手だ。でも映画に自分の点数をつけるとは、あまりにも大胆な仕業だ。自分の人間力のなさをみんなに知って欲しいのだろうか。この映画を見た時の美しさに感嘆する感情は点数では決して表せない。美しい映画がただ美しい映像、シーンがある映画だと簡単に言えないのが映画だ。美しい映像があるからこそ、美しさが光る映画なのだが、美しさだけならNHKハイビジョンの落ち葉のシーンでも見ていればいい。総合力なのです、映画の美しさは。

だからこそ、五感で感じて映画に触れることが映画を見る力なのです。言葉に表さずとも映画の良さを感じれば良いのです。誰にも分からないひとつの科白に一生喜びを感じられればいいのです。映画を見る力は人間力です。力をつければ映画がもっと楽しく見られます。感じることが出来るようになります。

(2009/6/23ブログより)

『TOKKO -特攻-』

2007年/アメリカ・日本/ドキュメンタリー作品

監督・プロデューサー/リサ・モリモト

ほとんど無差別的に映画を録画していると、見逃すことは嫌なのでそこそこ見てしまうケースが多い。ドキュメンタリーはマクナマラを見たばかりだったので、ちょっと気が引けた。そんな文句ばかり言っていては世の中は生きて行けないよと母親の声を聞くように神妙に鑑賞が始まった。日系2世がドキュメンタリーの聞き役・調査役・問題提起役の主人公。相手は「特攻隊」「神風」と称された当時の若者。訓練が終わるか終わらないうちに本土防衛のために、アメリカの駆逐艦に体当たり自爆発、打撃を与える戦争末期の捨て身作戦に駆り出された生き残り。

彼女の叔父が特攻の生き残りだったからこそ始まったインタビュー、数人の生き残り特攻がその時の本心の気持ちを吐露する。死は怖かったがだからといって飛行機に乗りたくないとは言えないと。同じ年の若者は同期を見送りながら次は俺の番だなと覚悟に震えていたと。いっぽう攻撃されたアメリカの駆逐艦から生死に一生を得た乗組員は、万が一に日・独がアメリカ本土を責めていたらアメリカだって同じ事があったろうと述懐する。戦争が始まってしまえば負けることが確定していても抵抗をし続けるのが人間の性だと教えてくれる。当時の映像もふんだんに使われて、当時の悲惨さが切々と伝わってくる。

教育されたばかりの若者が神風として送り出され、俺たちも後から続くからと嘘を言った下士官達は生き残った。その中で一人の教官中尉は自ら若者に混じって特攻を志願し、劇的な成果をあげて帰らぬ人となった。彼の妻が凄い、まだ小さな子供を抱えながら私たちがいれば決断が鈍るでしょうからお先にあの世でお待ちをします、と言って子供を道連れに海に身を投げた。この中尉は今はなき子供達に手紙を書き出陣していったというエピソードが紹介された。心が揺さぶられた。9.11アメリカのテロやイラクの自爆テロと結びつける外国人の意見も紹介される。悪くはないドキュメンタリー映画だと思うが、最後の30分は爆睡してしまった。

『許されざる者』 (Unforgiven)

1992年・アメリカ

監督/クリント・イーストウッド 出演/クリント・イーストウッド/ジーン・ハックマン/モーガン・フリーマン/リチャード・ハリス

第65回アカデミー賞を受賞したのは作品賞/監督賞/助演男優賞/編集賞、その他の部門でノミネートされたのは脚本賞/主演男優賞/撮影賞/美術賞/音楽賞。この映画がどうしてこんなに評価されるのか分からない。分からないということは、やっぱり私は映画の本当の見方が出来ない人なのだとあらためて認識した。評価するどころかこの映画は好きになれない。

好きかどうかは別物だろうから、そんなに自分を責めなくても良いのかな~と優しくなったりもする。要は内容が嫌いなのである。描かれている人物が嫌いなので、映画が嫌いだと言うことになってしまう。困ったモンだ。無意味に人を殺しすぎる西部劇の真骨頂。もう少し違うアプローチで人を殺めて欲しい。いくら正義の味方だといっても、あまりにも無意味に殺戮が行われるのは好きとしない。クリント・イーストウッドの哀しい眼はここでも見ることが出来るが、心が心から同調することはなかった。あの眼はブルース・リーの人を踏んづけて歌舞伎のようなポーズをとった時のアップの眼に似ているなぁと、今思った。

毎日、睡眠導眠剤を夜10時頃に飲み12時過ぎに眠さに誘われて就寝というパターンをとっている。この映画は夜11頃に見始まった。頭が冴えていたり、興奮状態の時、導眠剤は効果を発揮しないケースが多い。今回はちょうど12時くらいに眠りに陥ってしまった。翌日途中からまた見直したわけだが、ぶつぶつ文句を言いながらの鑑賞となった。根本的にアメリカ人のDNAが私にはこれっぽっちも流れていないうことも確認できた映画だった。

『フォッグ・オブ・ウォー~マクナマラ元米国防長官の告白』 (THE FOG OF WAR/11 Lessons from the life of Robert S. Mcnamara)

2003年・アメリカ

監督/エロール・モリス 長編ドキュメンタリー

若い頃に良く聞いたアメリカ人の名前「マクナマラ国防長官」へのロング・インタビュー・ドキュメンタリーである。1960年11 月9日、あのフォード社でフォード家以外から初めて社長に就任。その5週間後ケネディ大統領から国防長官に抜擢され、1961年から1968 年までアメリカ合衆国国防長官。1963年11月22日にケネディが暗殺され、その後はジョンソン大統領の下、冷戦状態の世界で辣腕を発揮した人物。ベトナム戦争にも当然大きな影響を及ぼしていた。

カーチス・ルメイ指揮のもとで10万人を焼き尽くした東京大空襲にも軍の要人として関与している。戦争に負ければ間違いなく戦争犯罪人だと認識する彼らだったが、「勝ったから許されるのか?」と涙を流すことは忘れない。7年間の在任期間中、少なくとも3回は第3次世界大戦の起こる可能性を「クロース」と述懐する姿に嘘はなさそうだ。「判断力や理解力には限界があって理性だけでは不十分」「人は何度でも同じ過ちを犯す」実践的な戦時下を経験した彼の言葉には説得力がある。「いくつかの善を行うためにどれだけの悪をしてきたのだろうか」という言葉にも、人間の存在そのものの過ちを的確に表現しているような気がする。

口蹄疫で大騒ぎの日本だが、なにをやっているのかねという感想。世界中に多くの実例が存在し、その対処方法まで実践されているのに何も学んでいない役人。貴重な財産ならそれに対する対策を隙間なく綿密に準備しておくのが為政者の役目なのに。万が一に今までになかったからと言い訳するのも不適当。様々な事故や事件の際、「二度と同じようなことを起こさないように」と判で押したような関係者の答弁は、クソ喰らえと言い放ちたい。重大な事故や事件は初めて起こることがないように防御することに最大限の労力を注入しなければならないのに、物事が起こってからそんなことを言っても責任逃れだ。一度起こったことは二度目も起こることは必然で、二度目ばかりを強調する日本的な危機管理が問題なのだ。1度目をなくせと言いたい。人間のやることに完璧はないから事故はつきもの。1度目を起こさないように最善の準備を怠らないからこそ、二度目の事故への準備が密になる。まったく。1度目の事故が起こってから二度目を起こさないようにするなどと言わないで、徹底的に1度目の事故が起こらないようにすること、そして起こってしまったら厳しく検証し公表し多くの知恵を取り入れなければならないのだ。そういう謙虚な思想や態度が為政者に欠けている。

『リプリー』 ( The Talented Mr. Ripley)

1999年・アメリカ

監督/ アンソニー・ミンゲラ 出演/マット・デイモン/グウィネス・パルトロー/ジュード・ロウ/ケイト・ブランシェット

アラン・ドロン主演、ルネ・クレマン監督『太陽がいっぱい』(1960年・フランス/イタリア)は同じ原作。今回はそのリメイクではなくあくまでも原作が同じものということでより原作に忠実らしい。アラン・ドロン時代の映画音楽は印象に残るものが多い。音楽のお陰で映画がヒットしたと言っても過言ではないほど、映画音楽が一世を風靡していた。時が変わり、多種多様なリズムやメロディが世界中から湧き上がり世界中を駆け抜けている。メロディーラインがしっかりしたゆったりとした音楽は趨勢ではなく、心臓をたたきつけるようなリズムと字余りの歌詞が音楽世界を牛耳っている。

才人リプリーとは皮肉な原作題名だが、嘘を嘘で固めて行く彼の行動が映画の本流。見ていて気持ちが不愉快になっていったのは、映画にどっぷり浸かっていたことの証なのだろうが、それ以上にこんな奴が一番嫌いな人間だとあらためて感じた。潔くなく、それこそ同時代に生きていることを恥ずかしいと思えるくらいの人間にも偶に出会う。生きていること自体が害だと言ってしまうのは埒もないことだが、せめてそういう人間とは片時も係わりたくないというのも本音だ。

ボーン・アイデンティティ(The Bourne Identity・2002年)、ボーン・スプレマシー(The Bourne Supremacy・2004年)、ボーン・アルティメイタム(The Bourne Ultimatum・2007年)でのマット・デイモンはいい。インビクタス/負けざる者たち(Invictus・2009年)はマット・デイモン主演、クリント・イーストウッド監督の最新作。早く見なくてはと思わせる。一番大好きなスポーツ、ラグビーが舞台の映画だ。

『北壁に舞う』

1979年・日本(長編ドキュメンタリー)

企画/博報堂/オフイス・アカデミー スクリプター/松山善三/フランス政府観光局/シヤモニ観光局

この頃まざまざと想い出した人がいる。長谷川恒男さん。世界で初めて、アルプス三大北壁(アイガー・マッターホルン・グランド・ジョラス)冬季単独登頂を達成した日本を代表する登山家。最も困難なグランドジョラス北壁を単独登はんに成功した姿を描いた長編ドキュメンタリー『北壁に舞う』を日本ヘラルド映画が配給した時(1979年)に会ったのだと思う。

たぶんまだ宣伝部で仕事をしていた時ではなかったが、同じ年だということがあって、宣伝部員の一人が声を掛けてくれたような気がする。酒を飲まない私にとって、映画出演者と個人的に席を同じくする機会は後にも先にもほとんだなかった。だから余計印象深く彼を想い出す。それ以上に、会ってからずーっと心の片隅に彼がいるような気がする。その12年後に彼は43才にして帰らぬ人となってしまった。

実に飄々とした人だなという印象が強い。とてもあんな大それた事が出来るような外見ではなかった。彼が亡くなってからも彼の事務所から年賀状がずいぶんと続いていたことも想い出される。彼が私のことを覚えていてくれたとは思えない。でも私は、彼のことを決して忘れることはできない。有名人だからという理由などはこれっぽっちもない。その時の席での言葉が忘れられないのだ。

「・・・指の先の爪先にまで神経をめぐらせていれば、凍傷になることなんて絶対にない・・・」というようなことを聞いた気がする。凄くというか、えらく感心した次第なのだ。至極当然のようにも聞こえるが、映画で見れば分かる通りあの極寒の中で岩にへばり付いている人が持てる神経なのだろうか。この言葉の意味がずーっと心に残っているのだ。だからこれ以降、神経を行き届かせる所作を実践するよう気を配ってきた。

才能のある人はもうすでにいなくなって、こうやって何の才能のない人間が生き残っている。これが人生というものなのだろうか。彼を忘れない。もう一度この映画をなんとかして見よう。

(2010/1/30のブログより)

『マルタのやさしい刺繍』 (Late Bloomers / Die Herbstzeitlosen)

2006年・スイス

監督/ベティナ・オベルリ 出演/シュテファニー・グラーザー/ハンスペーター・ミュラー/ハイディ・マリア・グリョスナー/リリアン・ネーフ

2006年度スイス動員数第1位(38万2000人を動員)・2007年スイス映画賞(Swiss Film Prize)主演女優賞ノミネート・2007年度アカデミー賞外国語映画賞スイス代表作品という宣伝文句。スイスの小さな村、夫に先立たれてから9ヶ月が経っても元気が戻らないマルタ80歳。周りのお友達に励まされ、若い頃職場で培った刺繍の技術を生かしランジェリー店を開く夢を持ち始めた。過疎の村・家族・老人ホーム・伝統のコーラス隊などを美しいスイスの山裾を背景に人間模様をユーモアたっぷりに描いている。

特にどーということはない映画だが、偶に見るアメリカ以外の洋画はなんとなくほっとする。身構えて映像を凝視しなければならないという緊張感が無いことがいい。ほのぼのとする時間を持てるのがいい。

2006年なのにランジェリー店を嫌らしい下着を売る店と表現するヨーロッパの田舎村の男ども。これは現実なのだろうか。それとも田舎であることを強調するセリフなのだろうか、などと考えながら見ている幸せがあるような気がする。

『ペイルライダー』 (Pale Rider)

1985年・アメリカ

監督/クリント・イーストウッド 出演/クリント・イーストウッド/マイケル・モリアーティ/キャリー・スノッドグレス/シドニー・ペニー

面白いですね~。若い頃、いやこの頃まで西部劇には見向きもしなかった。小さい頃に毎週見ていた「ローハイド」が唯一見ていたそれらしい映像だった。それ以後どうも嘘っぽい西部劇という奴が嫌いになってしまったようだ。あらためて見始めて、勝手なモンで「やっぱり、面白いジャン!」ということになった。勧善懲悪、正義が勝つ、遠山の金さん、などなど沸々と西部劇の魅力を称える言葉が浮かんでくる。

こんなに簡単に人を殺していいの?と大いなる疑問が湧いてくる西部劇映像。今はこんなものは決して作れないだろう。あの時代の拳銃ではあんなに簡単に人は殺せないよという事実も含めて、映画の大袈裟な表現かもしれないが、それでも西部劇は気持ちがいい。なんだかんだと言って、言い逃れをしたり、潔さが全くない国のまつりごとを見せつけられ生活して行くのは世界中の庶民なら誰でも感じることである。

劇中クリント・イーストウッドの眼がやけに哀しくアップになるシーンがある。彼がいつも語りかけるまやかしの人間に対する憐憫、恫喝、憎しみの眼だ。前回見た「トゥルー・クライム」でも同じような彼の眼を見た気がする。願わくば、こういう映画を見て多くの人が彼の悲しみの眼を共有できれば嬉しいことだが。

『マーニー』(Marnie)

1964年・アメリカ

監督/アルフレッド・ヒッチコック 出演/ティッピ・ヘドレン/ショーン・コネリー/ダイアン・ベーカー/アラン・ネイピア/ルイーズ・ラサム

「鳥」で品のある正当派美人女優と評したティッピ・ヘドレンとこの2年前に007映画化シリーズ1作目「007は殺しの番号」(Dr. No・現在の邦題「007 ドクター・ノオ」)のジェームズ・ボンド役を初めて演じたショーン・コネリー。「007 ロシアより愛をこめて」(From Russia with Love・1963年/現在の邦題「007 / 危機一発」)、「007 ゴールドフィンガー」( Goldfinger・1964年)と立て続けに全世界中に存在感を見せつけた時期の作品。

映画は役者が揃うと引き締まっていい。どのシーンを切り取っても画になるし様になる。今なら PTSD(Post-traumatic stress disorder)と称される病気がもとでティッピ・ヘドレンが引き起こす事件を中心に展開する物語。神経質でトラウマを抱えた役を見事に演じている。今更そんな誉め方をしなくたって、とちょっと誉める方が照れたりする。

アメリカの裕福な家庭と貧困家庭という対照的な社会模様は、映画の良き題材。日本ほど平均的で平凡な階級のない社会も珍しい。欧米ではずーっと昔から上流階級、中流階級、下層階級が歴然と明確である。だからこそアメリカン・ドリームのような言葉や現象がもて囃されるのだ。冒頭、ティッピ・ヘドレンの母親役が美しい彼女に向かって「心が美しくなければ・・・・・・」と諭す場面が妙に心に残っている。

『トゥルー・クライム』 (True Crime)

1999年・アメリカ

監督/クリント・イーストウッド 出演/クリント・イーストウッド/イザイア・ワシントン/ジェームズ・ウッズ/リサ・ゲイ・ハミルトン

NHK-BSでクリント・イーストウッド特集が始まった。今回は彼がもうすぐ80歳になるということでのお祝い特集。この映画は69歳の時の監督・主演作品になる。ダーティハリー(Dirty Harry・1971年)の1作目が41歳の時なので結構遅くに人気シリーズ登場だった。監督は同じ年からしているが、この11年後からプロデュースにも係わるようになる。1992年62歳、西部劇「許されざる者」でアカデミー監督賞・作品賞を受賞。2004年74歳、「ミリオンダラー・ベイビー」で2度目のアカデミー作品賞・監督賞のダブル受賞。凄いパワーだ。

この映画はセリフがいい。クリント・イーストウッドの反骨精神がそのまま話し言葉になっているような気がする。また、平凡ではない才能ある人間が凡々とした人間どもを追いつめているようにさえ感じる。苛ついた人生を投影しているようにみえる。彼が苛ついているのではなく、あまりにもなにもしない人間を社会が苛ついていると示唆している。杓子定規で、紳士然として、既成の規範に縛られている人間どもを罵っているようにみえる。

映画から学ぶことを目指しているわけでもない。ただ、映画から感じる「なにか」を胸の中で反芻して人生の見方を大らかにしようとしているだけだ。どんなに生きていたってあと20年も生きているわけではない。同じ時代に生きた喜びや幸せをあと何人と分かち合えるだろうか。

『サイコ』 (Psycho)

1960年・アメリカ

監督/アルフレッド・ヒッチコック 出演/アンソニー・パーキンス/ジャネット・リー/ヴェラ・マイルズ/ジョン・ギャヴィン

シャワー室でのシーンはあまりにも有名なので、あのシーンをテレビなどで何度も見せられているとついつい全編を見た気になってしまうくらいだ。前回見た泥棒成金のように華やかな出演者ではなく、地味で暗い登場人物が映画の内容を端的に表している。始まりからなにかを感じさせるサスペンス・タッチがいい。最後まで緊張感を保ちながら、余計なセリフやいらないシーンもきれいさっぱり削ぎ落とされている。

主舞台はモーテル、アメリカ社会と日本社会の発展形の違いにまた驚かされる。日本のモーテルといえばラブ・ホテルが定番、アメリカでは本当の旅の宿。形を変えて自由自在に都合良く便利なものにしてしまう日本人の発想にはアメリカ人のみならず全地球人が脱帽しているだろう。日本だって良いところがある。

1本目の映画が当たると柳の下のドジョウを狙って2作目が必ず作られる。映画人が考える構図は、1本目が50億円なら2本目が半分の当たり方でも25億か、それでも充分だな、と。ところがどっこい、そんなにうまくゆく映画はまずない。だいたいそういう風に不純な考えで作られた映画にろくなものはない。面白くない。そうやって観客を裏切ってきた歴史がある。案の定このサイコには、サイコ2、サイコ3、サイコ4(テレビ映画)が作られているが、内容はどうだったのだろうか。

『泥棒成金』 (To Catch a Thief)

1955年・アメリカ

監督/アルフレッド・ヒッチコック 出演/ケイリー・グラント/グレイス・ケリー/ジョン・ウィリアムズ/シャルル・ヴァネル

いや~本当のスターらしいスターのケイリー・グラント。ハンサムだし振る舞いや喋り方にも品を感じる。それにも増して女優らしい女優のグレイス・ケリー。こういう二人が主演している映画を観るのは楽しい。美しい人を見ているとそれだけで心が和んでくる。いい男だってそう思う。羨ましいとか嫉妬心とかいうものとは無縁だ。そういう存在がスターと呼ばれる所以なのだ。

グレイス・ケリーの夢物語はまさしく映画のようなお話しだが、52歳という年で亡くなってしまうのも、神の思し召しなのだろうか。こんなに美しい人がいるなんて信じられないくらいだ。気品があり高貴であり非の打ち所がない。これほどの美人がアカデミー賞をも受賞したなんて、これまた信じられない偉業。アカデミー賞は望んで取れるものではないことは業界人が一番よく知っている。同時代の女優マリリン・モンローと良い意味で双璧。

基本的に美しくないのに、個性的だとかエキゾチックだとか勝手な形容詞を付けて表現されるしか能のない日本の多くの女優人よ、もう一度でも二度でもグレイス・ケリーの映画を観て、とても私には女優は務まりませんと諦めてくれないだろうか。


2018年6月23日再び観たので記す。

『泥棒成金』(To Catch a Thief)

1955年・アメリカ 監督/アルフレッド・ヒッチコック

出演/ケーリー・グラント/グレイス・ケリー/シャルル・ヴァネル/ジェシー・ロイス・ランディス

映画らしい映画だなぁ~。何度見てもおもしろいし、おしゃれである。この気高さは何処からきているのだろうか。グレイス・ケリーの品格に負うところが多いかもしれないが、ケーリー・グラントだってなかなかどころか大したものだ。コメディータッチではあるが、けっしてコメディーには陥っていない。

カンヌのカールトンという超一流ホテルを舞台にした映画だ。現役時代カンヌ映画祭に出席するときのヘラルドの定宿は、このカールトンだった。あの当時で1泊4万円程度だったろうか。スイート・ルームは一人寝の私には明らかに無駄だった。朝から晩まで商談に明け暮れるヘラルドの主要メンバーには憩いの場所になっていたのかもしれない。

それでは翌年のメンバーは3人ということで予約しときます、とホテルに来年の予約を入れデポジットを預けるのが正式な予約方法。年が明けてからの予約ではもう取れませんと言われても文句は言えない。うまく取れないときには、ランクを一つ落としてマジェスティーック・ホテルにしたこともあったが、設備は新しい分こちらの方がいい。懐かしいカンヌ映画祭も華やかな気分に浸れて、楽しかったなぁ~。

『シルク』 (SILK)

2007年/カナダ・フランス・イタリア・イングランド・日本

監督/フランソワ・ジラール 出演/マイケル・ピット/キーラ・ナイトレイ/アルフレッド・モリーナ/役所広司/芦名星/中谷美紀

ありていに言えば、面白くない。多くの国が製作に参加しているが、なにも生かされていない。日本の部分は物語のうえで最上級の重要度なのだが、まか不思議な描かれ方をしている。原作ではどう扱われているのか?でも映画は原作に忠実だから良いというものではなく、映画的に装飾されて華を持つケースが多いのも確か。要は、そう思わせる何かを映像で表現するのが映画なのだ。

あまりにもだらだらしているので、眠気に襲われてしまった。「だからなんなのさ」と叫んでしまった。それでも5倍速で観る日本映画のジャンルに入るわけではない。こういう国際的な映画に関与したい気持ちはやまやまなれど、こうもくだらない出来だったら恥ずかしくて大手を振って業界を歩けない気がする。

中谷美紀はこの頃特に注目している女優。どんどん良くなっている。ようやく時代を担う本当の女優が生まれた。彼女に続いてあと何人か欲しいが、彼女にはとりあえず作品を選びながら映画世界に大きく、大きく羽ばたいて欲しい。

『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』

2008年・日本

監督/北村拓司 出演/市原隼人/関めぐみ/三浦春馬/浅利陽介

見るに耐えない。

5倍速対象作品となった。

市原隼人はストイックで俳優然としていて好きだが、作品を選ばないと駄民になってしまうよ。

『クローサー』 (Closer)

2004年・アメリカ

監督/マイク・ニコルズ 出演/ジュード・ロウ/ジュリア・ロバーツ/クライヴ・オーウェン/ナタリー・ポートマン

世界中でヒットした舞台劇の映画化らしい。ゴールデン・グローブ賞、最優秀助演男優賞:クライブ・オーウェン 最優秀助演女優賞:ナタリー・ポートマンの2部門で受賞らしい。

超一流スターの出演している映画としては退屈極まりない。年をとったってラブストーリーに鈍感になるほどではないと思うが、この映画を見ていると、人を愛するという行為さえも尊厳に満ちていない愚かな人間の営みに見えてくる。

実は見始まってから、間違いなく最近見たものだということを頭の中で確認。途中から2倍速。心に残っていなかったと見えて、さまざまなシーンを思い出せない。録画中に偶然に画像を見て途中で録画を止めてしまった経緯もあり、半分ほど迄の映像で終わってしまった。どんな途中経過でどんな結末だったのかを見ずに2回目の鑑賞はキャンセルという終了の仕方だった。

『海外特派員』 (Foreign Correspondent)

1940年・アメリカ

監督/アルフレッド・ヒッチコック 出演/ジョエル・マクリー/ラレイン・デイ/ハーバート・マーシャル/ジョージ・サンダース

ヒッチコックはイギリス・ロンドン生まれ、1939年にアメリカに渡り以後ハリウッドでの映画製作となった。渡米後2作目、1作目はレベッカ(Rebecca・1940年)。時は前年1939年9月3日、イギリス・フランスのドイツに対する宣戦布告直前の話。作ったのが1940年だから、タイムリーな話を海外特派員という形で映画化したわけだ。今からちょうど70年前、気の遠くなるような昔に製作された映画である。

サスペンス・ミステリータッチの映画に不可欠なのは緻密な、計算された時と場所をめぐる話だ。残念ながらこの映画には緻密さが足りない。もしかするとこの当時の人達にはこの映画で表現されたくらいの細かさで丁度良かったのかも知れない。そう思わせる大雑把さがあった。今ではこの程度の進行では情報豊かな観客を納得させることは出来ないだろう。

映画の内容にある今のNPOのような平和団体を舞台に暗躍する政治的な事件と、それを追うアメリカから派遣された新米特派員、そして平和団体主宰の娘との恋などが描かれている。スピーディーではあるが、細かい描写が粗いのに戸惑う。最後の5分間に凝縮された言い分があるような気もする。70年前の映画としてはたいしたものだと褒めるのか、それともやはりきのぬけたコーラみたいだと思うのかは見る人次第。私は後者であるが。

『日本以外全部沈没』

2006年・日本

監督/河崎実 出演/小橋賢児/柏原収史/ブレイク・クロフォード/キラ・ライチェブスカヤ/村野武範/藤岡弘/寺田農

見始まって1分もしないうちに2倍速にした。声は早回しで聞こえる。

さらに30秒後に3倍速にした。声は聞こえない。

そしてすぐに5倍速にした。たぶん5分もしないで全編終了。これで充分。

『たみおのしあわせ』

2008年・日本

監督/岩松了 出演/オダギリジョー/麻生久美子/原田芳雄/大竹しのぶ/小林薫/忌野清志郎/石田えり/冨士眞奈美

しばらくはちゃんと見ていたが、10分後くらいから垂れ流し鑑賞。注視していないから鑑賞とは言えないが、パソコンを弄りながら声を聞き、時々画面を一瞬見ていた。

50分間そうしていたが、諦めて5倍速の早回し。

なんと2時間13分の大作だった。製作会社、スタッフを見渡しても馴染みはいない。石田えりや忌野清志郎を見ていない。オダギリジョーはどの映画を見たって同じキャラクターに見える。映画界に対する冒涜としか思えないようなあまりにも酷い映画。嫌になってしまう。なんとかしてくれ~!

『アンナと王様』 (Anna and the King)

1999年・アメリカ

監督/アンディ・テナント 出演/ジョディ・フォスター/チョウ・ユンファ

この映画は1956 年の『王様と私』の単なるリメイクではなく、マーガレット・ランドンが発表した『アンナとシャム王』(Anna and the King of Siam)の元になったアンナ・レオノーウェンズの手記『The English Governess at the Siamese Court』(英国婦人家庭教師とシャム宮廷)を原作に映画化。今回はミュージカルは一切無しである。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

イギリス人家庭教師のアンナを演じるのはジョディ・フォスター、もの凄い数の映画に出演している。「アクターズ・スタジオ」に出た時に舌打ちしながら喋る癖を見てちょっと品のなさを感じた。王様を演じるのは香港映画界のスター、チョウ・ユンファ、ヘラルド時代の苦い想い出のあるムービー・スターだ。「男達の挽歌」(英雄本色・1986)という映画を配給したのだが、映画の面白さをうまく宣伝できずに惨敗を喫したのだ。今でこそその際に謳った「香港ノワール」という文言が業界では有名になっているが、日本語題名も含めて興行者からは糞味噌に貶され成績もおぼつかず本当に苦い経験となってしまった。

この映画は偉大なる愚作に属する作品かもしれない。大らかで大作感だけはあるが、だから何?と言ってしまいそうな出来映えであることは確か。男達の挽歌を当てられなかった超責任者として、面白い映画が当たるとは限らないなどと大きな声では言えないが、当たった映画が必ず面白いと言えるはずもない。

『鳥』 (The Birds)

1963年・アメリカ

監督/アルフレッド・ヒッチコック 出演/ロッド・テイラー/ティッピ・ヘドレン/ジェシカ・タンディ/スザンヌ・プレシェット

品のある正当派美人女優のティッピ・ヘドレン、ロッド・テイラーの母親役ジェシカ・タンディの気品ある姿がこの時代の映画繁栄を象徴している。原作はダフネ・デュ・モーリアによる同タイトルの短編小説。特徴の一つとして、音楽(BGM)を全く用いていない。日本での公開当時における興行成績と評価は「サイコ」を大きく上回った。大変に評価の高い作品であるが、よくよく見ているとトロイ部分もあってCGがなかった時代の良さを表現している。今の時代なら特撮を駆使してもっと派手やかにそして逆に印象の薄い映画に仕上がってしまったかもしれない。

それにしてもいつも思うことはアメリカ人の男女のくっつき方。「ハーイ!」と言って「ハーイ!」と応えただけで話が初まりすぐに友達になってしまう気軽さ。この映画だって前日にサンフランシスコの「鳥のお店」で出逢った二人が、翌日に女性が尋ねて行く男性の別荘地で鳥から襲撃を受けるという事件に巻き込まれる話なのだ。世の中男と女しかいないのに、妙に距離がある日本人の社会。小さい頃からキスをしたり体に触れてダンスをすることなどが当たり前のように振る舞われているアメリカ社会とは根本的に違うのだろう。

社会における男女の仕事への評価も違いすぎる。馬鹿な男の上司が優秀な女性社員を従えて命令している姿はアメリカから何十年遅れていることなのだろうか。アメリカの会社を訪ねると、なんと女性が多くしかも活発に働いているかとその差を感じる。しかもだいぶ昔から。日本の方が良い点も数々あるが、こと男女間の差別意識に関してはまだまだ未熟な日本である。

『ジュマンジ』 (JUMANJI)

1995年・アメリカ

監督/ジョー・ジョンストン 出演/ロビン・ウィリアムズ/アダム・ハン=バード/ジョナサン・ハイド/ボニー・ハント/ローラ・ベル・バンディ

同名絵本を原作として製作されたアドベンチャー・ファンタジー映画となっているが要は子供だましの映画。日本映画の「リング」や「らせん」など見る気もしないので語るのはちょっと心苦しいが、どうせ見たって結局馬鹿馬鹿しくて途中で終わりにしてしまうのは目に見える。日本映画のホラー部門の幼稚さに比べれば遙かに見る気がする。お金がかかっているからだと思うが、画面の作り方に文句はない。要はそのストーリーに入り込めるかどうかだけだ。翻って日本映画の場合はいずれも画面に嘘が見える。あまりにも嘘っぽくて怖がるどころか滑稽に見えてしまうので、映画として成立していないのが実情だ。何故日本のホラー映画を見て怖がる人がいるのだろうかと不思議に思う。

子供の頃から子供だましが嫌いだった。紙の漫画なら創刊号から「少年サンデー」や「少年マガジン」を毎週読んでいたのにである。どうも映像の分野の子供だましが嫌だったらしい。ディズニーの滑らかな映像をどこかで見てしまったのだと思う。静止画の寄せ集めのようなテレビ・アニメが極めつけ。喋りと合わない口の開き方が嫌だった。その延長にある日本のアニメには今でも見向きもしないというのが現状。一種のトラウマであろう。

ロビン・ウィリアムズはいい役者だ。いつもハイテンションなので、一人だけ浮いてしまうことも多いが、今回のような賑やかな映像に違和感はない。「グッドモーニング, ベトナム」 (Good Morning, Vietnam・1987年)や「いまを生きる」 (Dead Poets Society・1989年)そして「パッチ・アダムス」(Patch Adams・1998年)はかなり好きな映画だ。「レナードの朝」(Awakenings・1990年)もリスト・アップしなければいけない作品。本当に多くの作品に顔を出している。スタンダップ・コメディアンとしても評価が高い。神は才能を一人の人間に託すのが好きらしい。

『菩提樹』 『続・菩提樹』 (Die Trapp-Familie)

1956年・1958年/西ドイツ

監督/ヴォルフガング・リーベンアイナー 出演/ルート・ロイヴェリク/ハンス・ホルト/ヨゼフ・マインラート

いやはやお恥ずかしい限り、穴があったら入りたい。この物語が「サウンド・オブ・ミュージック」の基になったものだと今の今まで知らなかった。ミュージカルには特別な嫌悪感を持っているのでサウンド・オブ・ミュージックすら見てはいない。それでも26年前、ニューヨークで「キャッツ」、その後劇団四季の学芸会的ミュージカルを数度、ロンドンでも「オペラ座の怪人」を見ている。この2作品の音楽(言わずと知れたアンドリュー・ロイド=ウェバー作曲)はもの凄く好きなのだが、それまでの所謂ミュージカル映画のセリフを歌で話すという手法に感覚が反応しない。そういえばタモリもミュージカルがどうも苦手だとことあるごとに言っている。すごく気持ちが分かる。むず痒いというか、う~ん。

尼僧からトラップ男爵夫人になりナチのオーストリア併合と共に没落した男爵に代わり家族の柱となって、なんとかアメリに亡命し、7人の子供達とコーラスを支えにたくましく生きて行くマリア・トラップ夫人が逞しく素晴らしい。限りなく前向きで何があっても何かを見つけ出してゆく姿は今の世にこそ必要な精神(こころ)かもしれない。この映画は夫人のアメリカでの回想録を基に、続・も同じキャストで作られている。

ヘラルド時代にこの作品が「お座敷」としてかなり売り上げがあったことを思いだし、なるほどそうだったのかと独り合点した。お座敷とは映画館での興行ではなく、学校の体育館での上映会や地方の公民館・講堂での興行のために専門業者が特別に配給会社からフィルムを借りたとき発生する売上、業界用語。ずーっとお座敷で引っ張りだこだったこの作品を映画館以外で見た人も多いのではなかろうか。ラッキーと言うべきだろう。多感な年代にこのような良き作品に恵まれることは、良き精神を持った人間形成に間違いなく寄与しているに違いない。

『引き裂かれたカーテン』(Torn Curtain)

1966年・アメリカ

監督/アルフレッド・ヒッチコック 出演/ポール・ニューマン/ジュリー・アンドリュース/リラ・ケドロヴァ

NHK-BSヒッチコック没後30年特集、ヒッチコック監督作品50本目。ポール・ニューマン41歳、ジュリー・アンドリュース31歳。ジュリー・アンドリュースにとっては「サウンド・オブ・ミュージック」(1964年)の後の作品。第二次世界大戦後の世界を二分した、アメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営と、ソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立構造である冷戦(Cold War)時代の科学者・核・迎撃ミサイルを題材にしたサスペンス。。

冷戦と言っても既に死語になりつつある言葉。この対決を基にした多くの小説・映画が創られた。今から見るとどことなく不思議な関係だが、その当時の生き証人としては、それこそ一触即発第3次世界大戦がいつ起こってもおかしくない状況と感じていたのは私ばかりではあるまい。ベルリンの壁がなくなり、ソ連が解体し、共産圏国家に大きな変化が起こって今のまだまだぐずぐずと続いている小競り合い状況が現実だ。

ポールニューマンはたくさんの賞を取っているが、いまいちその演技を好きになれない。いつも舞台劇のようにセリフをひたすら喋る印象がある。動作も抑え気味ながらちょっとオーバーアクションに感じるケースが多い。今回のようにポール・ニューマンもジュリー・アンドリュースも科学教授役では、その見た目からして違和感がある。全体の話はやはり面白いが、別の役者がやっていればもっとリアリティーのある秀作になっていたような気がする。

『アバター』 (Avatar)

2009年・アメリカ

監督/ジェームズ・キャメロン 出演/サム・ワーシントン/シガニー・ウィーバー/ゾーイ・サルダナ/スティーヴン・ラング

3D映画のエポック作品をDVDで見るとは情けない。どう考えたって映画館に駆けつけ、大きなスクリーンで映像を堪能しなければならないのに。状況が許してくれなかったが、偶然にDVD発売後すぐに見ることが出来たのはラッキーだった。もう少し間をおくと、もういいやという気持ちになって結局見過ごす羽目に陥るのは目に見えていた。

映画館入場料金が高い。有料で映画を見ることに慣れていないから老人料金1000円なら見に行っても良いかなと思っていたら、なんと特別料金で一般の人も普段より高い料金を払わされ、挙げ句の果てに老人料金もないとのことが劇場から足を遠のかせた最大の原因。映画業界は平気でこういう事をやる。昭和51年の「ジョーズ」の時だって急に値上げをしたし、「タイタニック」もしかり。稼げる時に稼ごうというせこい了見が結果的に映画館離れを作っている。1日の上映回数の少なさが理由だったタイタニックは終わってみれば大々ヒットのお陰で、興行収入は大きく増えるし観客の満足度も高かったので由とされただけなのだが。

「地獄の黙示録」(Apocalypse Now・1979年)のカーツ大佐の喋りのように始まるアバターの前半は興味深い。テレビ映像で見ていると、劇場の3Dならどんな風に見えるのだろうかという気持ちにさせられて時間が経過する。いかにも3Dのためにと勘ぐってしまうアングルやアップ画面、ショットの角度などはちょっと気になったが、この内容なら3Dでなくともこの程度の映像にはなるだろうからと妙に安心して鑑賞することとなった。後半はトランスフォーマー(Transformers・2007年)もどきのロボット軍団との戦闘シーンばかりでちょっと飽きがきた。それでも予想以上の出来映えだと感じた。内容がないのでアカデミー賞に手が届かなかったと言われているが、この程度の内容を非難するほどアカデミー賞の権威が無限であるとは思えない。いずれにしろ、3D映画のエポック作品になったこの映画が本当に評価されるのは10年後であろう。3D映像が映画館で当たり前になった時、初めて3D映画が普通のストーリーを持つことになるであろう。

『紳士は金髪がお好き』(Gentlemen Prefer Blondes)

1953年・アメリカ

監督/ハワード・ホークス 出演/マリリン・モンロー/ジェーン・ラッセル/チャールズ・コバーン/エリオット・リード/ジョージ・チャキリス

同じ年のこの作品の前の映画『ナイアガラ』で、腰を振って歩く仕草【モンロー・ウォーク】で世の男性の注目を集め始めた。映画のキャラクターは俳優そのものではないはずなのだが、どうしたものか映画制作者が考えたモンローのキャラクターは、見た目そのままを地で行くような雰囲気だ。胸の大きいお馬鹿キャラとお金持ち大好きという構図はまさにうってつけ、モンローの独壇場が始まった。

際立ったスター性を見事に映画という媒体が表現している。大きな画面で2時間暗い場所に縛り付けられ、彼女の大きな姿やホットな仕草、セクシー・ボイスを聞かされればおもわずファンになってしまうだろう。なかなかこういうキャラクターをエンターテインメント界でさえ見つけ出すのは困難であろう。

劇中モンローの親友役を演じるキャラクターには、正反対の価値観をもつ同僚ショー・ガールを配している。母親のようにモンローの行動を心配する彼女の考え方に救われる。モンローと同じように美人役なのだが、お金持ちを嫌いその鼻持ちならない言動を罵りながら、貧乏探偵と恋に落ちて行く結末は、時を経ても同じような人間の心の有り様を垣間見る思いがする。

『ケイン号の叛乱』 (THE CAINE MUTINY)

1954・アメリカ

監督/エドワード・ドミトリク 出演/ハンフリー・ボガート/ホセ・ファーラー/リー・マーヴィン/ヴァン・ジョンソン

第二次世界大戦時のアメリカおんぼろ船を舞台に、船長と士官をめぐるある事件と軍事法廷の話。前半の艦上ドラマはハンフリー・ボガード船長がその姿に相応しくない精神を病む人格を映し、後半の軍事法廷では真実とは何かを問うのではなく都合に合わせたそれぞれの主張のどちらに説得力があるかという一般裁判と同じような法廷の嘘を観客がどう判断するかを問われているような気がする。

マザコンの士官成り立ての若者がこの事件を通して成長する姿がバックグラウンドのドラマを形成する。母親離れしない若者が、ある事件を自分の心で捉えようとするうちに、いつしか自分の気持ちを前面に押し出しながら生きようと始める姿に若者の可能性を感じた。

長いものには巻かれろ的な生き方を強いられている日本の若者も、出来るだけ早く親離れするようお奨めする。いづれは親とは離れなければならないのだから。それにしても就活をする学生の姿をTVニュースで見るたびに思う、こんなにみんな同じ色・形の服をまとい、どうやって自分の個性をアピールするのだと。個性・個性と教育された果ての結果がこうでは、なんとも先が思いやられる日本社会だ。

『知りすぎていた男』 (The Man Who Knew Too Much)

1956年・アメリカ

監督/アルフレッド・ヒッチコック 出演/ジェームズ・ステュアート/ドリス・デイ

NHK-BS特集がヒッチコックになった。昔からの名作は何度観ても面白いし、放映側も文句を言われる確率が低いからお互いに良いのだろう。昔の映画がみんな名作だったり面白かったりするわけではない。何千、何万本と世界中で作られた映画のうち、見るに耐えられる映画だけが生き残っているのだ。だから今ある昔の映画は面白い確率が高い。

ドリス・デイは結構映画に出ていたらしい。彼女はやはり歌手というイメージが強い。その時代には彼女の映画作品は観たことがなかった。美空ひばりだってかなりの本数の映画作品を残している。当時流行ったように歌手が映画の中でも歌を歌うというシーンは現在の映画ではなかなか観られない。

映画は軽やかにミステリー満載で進行する。安心して観られるミステリー映画という表現がぴったりだ。この頃のミステリーやアクション映画にありがちなノン・ストップ・ムービー・アクションとは一線を画する。観る側に心の余裕がなければ、詰まらない映画になってしまうこともある今日この頃の映画環境。

『歌え! ロレッタ 愛のために』 (Coal Miner's Daughter)

1980年・アメリカ

監督/マイケル・アプテッド 出演/シシー・スペイセク/トミー・リー・ジョーンズ/ビヴァリー・ダンジェロ/フィリス・ボーエン

今や日本では4年も続くBOSSのCM「宇宙人ジョーンズの地球調査シリーズ」が有名になったトミー・リー・ジョーンズ。30年前の姿は一層のアクの強さが滲み出ている。物語の進行が早く、映画の後半では彼も年をとったメイクをしているのだが、今がちょうどそんな年頃になっている。お腹を突き出して、顔の皺も増やして見せているが、CMで見せる現在の自然体の方が遙かに好感が持てる。若い姿にメイクを施してもちょっと無理があるなという良き証明が30年後に暴露されたようだ。

人の出世物語は観ていて気持ちいい。苦労もあるし、それこそ人には言えない数々の出来事を乗り越えてスーパースターへと上り詰める。その頂上にはまた人には語れない苦しみ、孤独、葛藤があとからあとから舞い上がってくる。ただパフォーマンスをしたいだけなのに、取り巻く環境は想像を超え自分ではどうしようもない世界に埋没しそうになるのだ。

14歳になる前に結婚し、子供を4人+あとから双子も産み、夫の献身的なマネージャー売り込み作戦に乗ってC&Wのファーストレディーとアナウンス紹介される身分にはなったが、時の速さにとまどう彼女の姿は、多分そうだったのだろうと見守るしか手だてがない。夢が叶わなければ神を恨み、夢が叶っても芸能生活に心底疲れる。何を目標に人間は生活して行けば良いのだろうか。その答をこの映画で少し見るような。

『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』(My Big Fat Greek Wedding)

2002年・アメリカ

監督/ジョエル・ズウィック 出演/ニア・ヴァルダロス/ジョン・コーベット/マイケル・コンスタンティン/レイニー・カザン

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』よりそのまま引用。ビッグ・ファットとは「大げさな」という意味である。主演のニア・ヴァルダロス本人の結婚のエピソードを下敷きにした一人舞台が元になっている。舞台と同じく脚本と主役はニア・ヴァルダロスが担当した。この作品はトム・ハンクスの制作会社によって製作された。ハンクスが妻のリタ・ウィルソンの勧めで舞台を観たのが映画化のきっかけとなった。低予算で製作されたインディペンデント作品であったが、口コミで上映映画館が全米で拡大を続け、8ケ月に渡るロングラン上映、2億ドル以上の興行収入を記録する大ヒットとなった。

シカゴに住む30歳のトゥーラはギリシャ系アメリカ人であるが、ギリシャ人しか認めない厳格な父親に育てられた。未だに独身の彼女で、周囲の心配をよそに恋愛経験は一度もなく、両親の経営するレストランで働く毎日だ。ある日レストランに客として訪れたアメリカ人男性イアンに一目惚れする。

あらゆる言葉の語源はすべてギリシャ語であると力説する父親が面白い。アメリカ社会の多種多様な人種社会のひとつとして見ると、アメリカの広さが窺える。ジャンルは恋愛映画・コメディ映画に属するが、その通りで大ヒットしたと聞いてもピンとこない。最後まで楽しめたことは確かだ。ドタバタしていても何とかまとめてしまうアメリカのコメディーは質が高い。教訓もほんのり味付けたりして、小気味よい。

『モンキー・ビジネス』 ( MONKEY BUSINESS )

1952・アメリカ

監督/ハワード・ホークス 出演/ケイリー・グラント/ジンジャー・ロジャース/チャールズ・コバーン/マリリン・モンロー

永遠の二枚目ケーリー・グラント48歳、それに愛らしいジンジャー・ロジャース41歳、マリリン・モンロー26歳の時の作品。大先輩お二人の映画生活晩年に近い映画に颯爽と登場したマリリン・モンロー。 1950年「イヴの総て」( All About Eve )の時にはほんのちょう役だったけれど、この映画では結構出番が多いしその後の彼女を象徴するかのような兆し、存在感を見せている。

これでもかといった感じで胸を強調する衣裳もさることながら、初期のモンローウォークを見ることが出来る。NHK-BSは俳優や監督を特集して放映しているので、この時期彼女の映画を何本か見ることになった。

映画はこれこそドタバタ。けれども日本の喜劇やお笑いのように五月蠅くない。ボケと突っ込みが見事に区分けされ、別に大きい声を出したり怒鳴ったりすることなく、ドタバタ劇が進行して行く。多少飽きのくる部分もあるが、さらりと爽やかに、ひたすら可笑しさを追求して行くような感じさえする。とてもじゃないけど日本の今のお笑いなんか足下にもおよばないというのが実感。

『ブラックボード - 背負う人 - 』 ( TAKHTE SIAH )

2000年・イラン/イタリア/日本

監督/サミラ・マフマルバフ 出演/サイード・モハマディ/バフマン・ゴバディ/ベヘナーズ・ジャファリ

荒野、黒板を背負い歩き回っている集団・個人。生活の糧を得ようと必死である。教師になるためには生徒をみつけないといけない。見たことのない光景に気を惹かれるが話が進まない。そのうちに睡魔が襲ってきた。残念ながら見て行くには心がもたない。目が覚めたときにちょうどエンドタイトルが始まってしまった。

『失楽園』

1997年・日本

監督/森田芳光 出演/役所広司/黒木瞳/寺尾聰/柴俊夫/中村敦夫

1995年から翌年にかけて日本経済新聞に掲載された小説の映画化だったものを、今更見ようとはちょっと季節はずれ。というよりは、BGMの如く録画映像をつけっぱなしにして、他のことをやりながら鑑賞したのは不謹慎。外国映画だと言葉が分からないし、どうしても字幕を見なければならないので、こういう状況は想定できない。その程度のものだろうという馬鹿にした見方だと罵られれば謝るしかない。

原作を読んでいるわけではないので、活字世界がどれくらい興味深いものなのかは想像できない。貞淑な雰囲気を持つ黒木瞳が大胆な役柄に挑戦するというのが、ウリの最大ポイントかもしれない。確かに愛欲シーンは数多く登場するし、黒木瞳も目一杯の露出を提供している。二人の結末に至るそれほどまでの強烈な動機は心に響いてこなかったが、日本的な映像、特にOL・主婦を対象にした映像としてはこんなものだろう。

『易』暗殺計画の工作員として上海の国民党抗日組織から再度抜擢された『佳芝』は、特訓を受けて『易』に接触したが、たびたび激しい性愛を交わすうち、特務機関員という職務上、すさまじい孤独の苦悩を抱える『易』にいつしか魅かれてゆく。工作員として命がけの使命を持ちながら、敵対する『易』に心を寄せてしまった『佳芝』は…。2007年公開の李安(アン・リー)監督の『ラスト、コーション』(原題:色・戒/Lust, Caution)、命がけのせっぱ詰まった男と女が信頼と信用を得んがためとする愛欲シーンには妥協を許さない本物の映像があった。ここまでするかという真の映像がそこにはあった。言葉では不十分な状況を映像という武器で表現してみせる映画の特権が見事なまでに観衆を説得する。そういう映像を見せつけられた人にとっては、なんと甘ったるいいかにも日本的なシーンの連続だなと鼻で笑う気持ちなる。まともに見たのは最後の30分だけ、失礼しました。

蛇足ながら、役所広司がこの映画と全く同じような風貌で、TVCMの中でビールを美味そうに飲んでいたのには興醒めした。

『マイ・ブルーベリー・ナイツ』 ( My Blueberry Nights )

2007年・香港/アメリカ/フランス/中国

監督/ウォン・カーウァイ 出演/ノラ・ジョーンズ/ジュード・ロウ/ナタリー・ポートマン/レイチェル・ワイズ/デヴィッド・ストラザーン

ケダるいストーリーがケダるく続くイメージがあるが、見ていてけして不快感はなく、どちらかといえばカウチに寝ころんで日差しを遮る揺れるカーテンの下で、ずーっと本を読んでいるような気分だった。活字を追う目はどこか虚ろで、シーンや登場人物を脳裏で感じてしまう気分なのだが、実際は逆で映像を見ていながら、活字を連想させるような画の繋がりといった案配に見えた。

これまたケダるいミュージックがいっそう永遠と切れ間のないケダるさを助長する。この後どうなるのだろうかとか結末はどうなのさ、といった浅薄さは排除されてしまう。いつまでもこのままで、時々事件らしきものが起こったり、それで充分気分が良くなれる映画だ。一度目は気が付かなかった映像の巧みさもあるだろう。どのシーンを切り取っても、昔なら映画館の前のショーウィンドーにポスターと共に貼られていたスチール写真になり得る際立った映像美があった。写真家が監督をしたりしてやたらとポーズに拘ってしまうのとは違う、プロの映画人が創り出す映像美を感じた。センスを感じた。

不思議なくらい前に見た記憶を失っている。見たことは確信できるし、心地よかったからこそまた見ることになるのだが、実際に覚えているシーンはせいぜい時間にすれば100分の1程度だろう。だからこそまた新鮮な気持ちで見ることが出来たのだ。映画を見て気分が良くなる作品はお薦めし易い。今回の映画はどちらかというと、感性が問われる映画かもしれない。感じる容量がちいさいとちょっともの足らない人もいるだろう。気分が良くなるといえば、「ショコラ」( Chocolat )あたりは誰にでもご推薦できる超幸せを感じる映画ナンバー・ワンであろう。

『 母恋星 』

1949年・日本

監督/安田公義 出演/三益愛子/夏川大二郎/島村イツマ/高田稔/広沢虎造/寿々木米若/菅原都々子/沢村貞子

一世を風靡した三益愛子の「母物シリーズ」全31作のうちの4作品目。母ものシリーズは題名がユニーク、どの作品も内容を深く現しているのだが、それは見てみないと分からないこと。三益愛子の若い頃の作品はこのシリーズを見始めて初めて体験した。老け顔なのだろうか、実際に年をとった顔と大差ないのに驚いた。確かに皺の数は見た目にも明らかに少ないのは顕著だが。

日本って貧しかったんだよなと感じる。自分の記憶でも、小学校低学年時代はこれらの映画と同じような風景だったような気がする。それ以上に感じるのが、日本人の毅然とした態度、凛とした風貌、きちんとしたものの考え方で溢れていること。お金じゃないよ、というくだりは随所に表現されている。決して綺麗事じゃなく、心底多くの庶民が良しとした生き方なのだろう。

廣沢寅造の浪曲が物語を語りながら進行するパートが見事だ。久しぶりに聞く彼の声は逸品。何故か小さい頃にラジオで聞いていた記憶が甦る。それにも増して驚いたことは、日本全国を回る興行で会場満員の観衆が浪曲に大きな拍手をおくっていたこと。娯楽の質が大きく変化してきたとはいえ、シャンソンのような語り音楽・浪曲を好む質の高い日本人社会の存在がそこにあったこと。

『 お熱いのがお好き 』 ( Some Like It Hot)

1959年・アメリカ

製作・監督・脚本/ビリー・ワイルダー 出演/マリリン・モンロー/トニー・カーティス/ジャック・レモン

映画業界での評価は格別に高い。お馬鹿ちゃんのマリリン・モンローが可愛い。引き締まった顔つきが他の作品には見られない緊張感を生んでいるのかもしれない。軽妙、洒脱。これはコメディーですよと宣言している日本的お笑いとは本質的に違う。自分の言っていることに笑いながら自己反応している日本のお笑いとは一線を画する。最初から最後まで登場人物は真剣に役回りを演じている。ドタバタ喜劇ではなく、トタハタ喜劇とでもネーミングしようか。

マリリン・モンローのような女優はなかなか現れない。古今東西を見渡しても希有な存在だろう。美空ひばりがただ歌が上手いから女王と呼ばれたわけでもなく、余人には代え難い『なにか』しかも相当違うところが備わっているからのスターだったのだろう。モンロー初期出演作品、1950年「イヴの総て」( All About Eve )の時から自分をわきまえたお馬鹿キャラを品良く平然と演じられるのも才能かもしれない。ケネディ大統領とのスキャンダルに発展するまで上り詰めるとはたいしたものだ。

一体何人のお笑い芸人が日本のテレビを席巻しているのだろうか。どのチャンネルを回しても同じキャラクターばかり、よくも飽きもせず視聴率が取れるものだとほとほと感心する。もっともテレビ局側は使い捨て感覚で、次から次へと新しい芸人をリサイクルしているのだろうが。是非とも日本の芸人もこういう映画や「アクターズ・スタジオ」を見ることにより、本物の芸人の真骨頂を学んで欲しい。

『 パリは霧にぬれて 』 ( LA MAISON SONS LES ARBRES / THE DEADLY TRAP )

1971年・フランス/イタリア

監督/ルネ・クレマン 出演/フェイ・ダナウェイ/フランク・ランジェラ/バーバラ・パーキンス/モーリス・ロネ/カレン・ブラック

最近では日本語題名をわざわざ付け直すことをしなくなった。1984年の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」は長々と原題をそのまま日本語カタカナ題名にした勇気ある作品かもしれない。全盛期の東和配給作品だった。この作品はまだまだ日本語題名を考えていた頃、いかにもといった感じの題名だ。内容ではなく雰囲気を大切にしていたのだろう。覚えがある。フェイ・ダナウェイ、パリ・霧ときては面白い映画に見えるのは当然だ。女優らしい女優がたくさんいたこのころの映画界は華やかで煌びやかだった。ガキの集まりのような今の日本映画業界の俳優達には何も言うことはないが、それにしても役者の質の悪さには驚くばかりだ。それを許しているのは勿論観る側。人間力の平均程度の低さが悪い映画を多数算出する原因であることは間違いない。

英語題名にあるようにちょっとしたサスペンスもの。フランス人の夫とアメリカ人の妻、住んでいるのはパリ。子供は8才の女の子と4才の男の子。この設定でどんなサスペンスをというのだろうかと思えるが、それが監督の力、フランス映画界のDNAを強く印象づけられる。小粋な感じに映像を作るとはこういう事なのだろう。音楽が重要な要素になっていることも認めざるを得ない。この当時の映画、映画はこうあるべきという作り手の意志に感じ入る。

上手く騙すという言い方が映画宣伝にはある。面白く映画が感じられれば、題名がちょっと違っていても、宣伝文句がちょっと大袈裟でもあまり気にならない。上手く騙してもらいたいという一般観衆心理が幸いしている。ただし、映画がヒットする確率は一割台、とすれば嘘つきと責められる映画関係者が多いという現実に涙していた現役時代が懐かしい。

『 木村家の人びと 』 

1988年・日本

監督/滝田洋二郎 出演/鹿賀丈史/岩崎ひろみ/伊崎充則/桃井かおり/柄本明/木内みどり/小西博之/清水ミチコ

映画館ではなくほとんどを録画で観ているが、日本映画のデキの悪さには辟易状態。お金を払って映画館に入ったら、面白くなくてももったいなくてすぐに退出というわけにはいかないだろう。テレビ画面で見ているとそういう映画は必ず睡眠。面白くない映画は無理して観る必要はない。精神衛生上寝てしまった方が健康的だ。

こういう書き出しをすればもうお分かりですね。それでもこの映画は眠りに陥るまでに半分くらいまでは観ただろうか。ものによって、映画が始まった瞬間に諦めを感じるものすらある。10分もたないものもある。邦画に多い。ホントにどうなっているのだろうかと思えるくらいの映画が多い。何処が悪いのだろうか?う~ん、映画になっていないのだから評論しようもない。ホントにそんなに酷いのと言われることがあるが、ホントなんですよ。テレビのおちゃらけたバラエティ番組を観ているのと大差ないと言えばお分かり頂けるだろうか。

映画を観て何か言いたいことを知ろうとしているわけではない。映画を観るということは、自分の五感を総動員して鏤められた宝物を感じることなのです。この映画はヘラルドが絡んだ映画だったらしいので、凄く残念に思う。こんなに罵るのなら、せめてこうやって書くことを躊躇すれば良いだろうにと思わなくもないが。

『紳士協定』 (Gentleman's Agreement)

1947年・アメリカ

監督/エリア・カザン 出演/グレゴリー・ペック/ドロシー・マクガイア/ジョン・ガーフィールド

第20回(1947年)アカデミー作品賞、アカデミー監督賞(エリア・カザン)、アカデミー助演女優賞(セレステ・ホルム)受賞

自分が生まれる1年前に作られた映画を観て感動するなんてやっぱり映画って凄い。話は当時のアメリカ社会を映すユダヤ人排除思想を題材にしたものだが、今の日本人が観ても多くのことを教えられる内容になっている。小難しい話ではなく、個人がどういう生き方、考え方を持って社会に生きて行かなければならないかという投げかけである。こういう映画を作り、それを受け容れているアメリカ社会が羨ましい。しかも63年前にである。

目の前にある差別を現実の社会だからと何も行動しないことを責め、普通の人が小さな第1歩を始めなければ世の中は何も変わらないと憂いてみせる。まさしくその通り、何もしないで50年以上も経ってようやく政権交代をしたものの、第1歩を歩めていない社会にはしなければいけない事が多すぎて、先へ進むのもままならない状況となっているのが今の日本だ。

差別といえば想い出す話がある。眼を手術したらしく包帯をほどいてみるとなんと顔には3つの眼があった。カメラは手術をした医者や看護師をなめる。すると、彼らの眼はなんと同じく3つであった。二つ目の地球人の中にいれば当然のごとく思えるかもしれないが、三つ目の社会に入れば我々が異常だと言われても仕方がないのだ。差別とは単にそれだけのことに由来している。