大谷翔平50-50
2024年9月20日(金)日本時間午前5時からMLBドジャーズ対マーリーンズの生中継放送があった。いつも通り、早い時間帯の試合は録画して、起きたらニュースなどには一切触れないようにしてテレビを観始まるのが習慣だ。大谷翔平選手はこの日6打数6安打3本塁打・2二塁打・2盗塁・10打点という大爆発をして遂に50-50を超えて51-51に到達した。今年のレギュラーシーズンは残り9試合あるのでこの記録が最終ではない。このwebログが将来読まれれるようなことがあれば、何年後かにはこの偉大な記録は歴史となっていることだろう。
(2024年9月21日)
大嘘つきはどっちだ!
米共和党のトランプ前大統領に2度目の暗殺未遂事件があったらしい。いずれも自作自演の嘘っぱちだろう! こんな書き方をすると良識ある日本人はそんな不謹慎なことを言うべきではない、と大いに罵るのが常態。所謂SNSでなら炎上ものだが、何か大間違いををしているのはどっちかな。トランプの嘘は結局こういう言われ方と同じことなのだと分からないのだろうか。ありもしないことを平気で口にして世界中の人間を惑わす言動は、お前のやっていることは結局嘘に決まっていると断定されても文句の言えない状況だと理解できないのだろうか。自分の言っていることは全部正しくて、自分の気にくわない人の言っていることはすべて嘘だと言っている。そんな人間の何処にひとつでも真実があるというのか!!
(2024年9月19日)
まだそんなことを
日本のマスゴミが酷いことをその近くに接触したことのある人ほど、言い放つ。当たり前だ。身近なMLBの舞台だって、昔から日本人対決だの日本人新記録だの、ドメスティックな話題ばかり記事にしている。せっかくアメリカに渡って多くの人種の中で戦っているのにもかかわらず、日本人対決なんて言う見出しは笑止千万。そんなことに興味のある人は多少なりともいるのだろうが、それにしても酷過ぎる。最近では大谷の話題をさも自分の手柄のようにニュースにする姿は可笑しいを通り越している。大リーグの中でNo.1と称される人間をつかまえて、まだ日本人記録がどうのこうのとくっちゃべっているマスゴミはもういらない。そんなことすら分からない集団の書く記事が人々に歓迎されるはずもない。政治の世界ではもっと酷いのが常識だけど、あまりにも程度が低過ぎて。
(2024年9月3日)
酷い
台風予報図がどんどん酷くなっている。日本の予報図は暴風雨圏と進路予報円が同じように見えてしまって、だいぶ前から見難い地図になっていた。日本人は頭がいいからこれくらいの図はすぐに理解できるだろう、と思っているのか、それ以上に自分たちの予報能力を最大限に表現しているのはこういう図なんだと言いたげな表現である。今回の大型台風は進路が迷走している分予報円がいつもより大きくなっている。しかも太い点線が予報円となっているので地図上が円だらけで何が何だか判別さえしにくい。海外の台風進路予想図は、台風の目の進行予想を線で表しているから凄く分かり易い。進行予想が違ってくればそれこそ頻繁に予報を更新しているのだから、それに従って予報を変化させればいいだけじゃないか。暴風雨圏が生活予想としては必要なこと。そこから先は頭のいい日本人を信じて簡素な予報図にしてちょうだい。
(2024年8月29日)
醜い
政治資金規制法改正案とかもっともらしいことを言って骨抜きの法案を作るのが精一杯の日本の政治屋どもがあまりにも哀し過ぎて死んでも死にきれない。何様なのだろうか、国家機密でもあるまいし自分たちが勝手に使う「金」を10年後に公開するなんて言う発想が出てくること自体が滑稽を通り越して醜さと悪臭を放っている。あまりにも特権意識の強い官僚組織の頂点に座る代議士どもが、自分が日本国民のひとりだということすら忘れている。信じられない世界が庶民の生活から離れていく。今までだってほとんど同じようなものだったと思える政治屋世界だったが、現在の有様は酷過ぎる。酷過ぎるとしか言いようがない世の中になってしまっている。
(2024年6月6日)
通訳
大谷翔平の通訳者不祥事件が話題になっている。英語を喋れるから通訳という仕事のプロになれる訳ではない。言葉というのは、子供の喋る日本語、小学生の日本語、中学生の日本語、高校生の日本語、大学生の日本語、一般日本人の日本語、学者の日本語、作家の日本語、と同じ日本語でもその質の程度でかなり違いが生じる。映画の字幕スーパーだって同じように特殊なプロの世界だ。あの字幕は違う、などと平気でいっぱしの英語遣いのような発言をする人が後を絶たない。ところが、決められた字数と時間のなかで的確な日本語を選択することは素人には絶対できない技能である。一番始末に負えないのは、子供のころアメリカにいたからとか4年ほどアメリカの大学に留学していたからとかの理由で、私は英語と日本語が両方分かるんだと錯覚する一種の帰国子女が多いこと。目の前で見た光景で言えば、面接試験で英語が話せるといっていた学生に対して、MGMの日本支社長を経験していた本物の日本人・アメリカ人がペラペラとその学生に話しかけたら、その学生はきょとんとして何も返事が出来なかった。学歴詐称をするような通訳者は人間性のみならず通訳者としても本当は不適格だったのだろうと想像がつく。子供だって、教育を受けていない浮浪者だって英語を喋る、というのが現実社会。
(2024年3月26日)
いっそのこと
政治屋どもの裏金がどうのこうの政倫審がどうのこうのと、のんきなことをやっていられる日本という国が凄い。いっそのこと政倫審に出席する政治屋は、顔を黒塗りにして音声を変換してテレビに映し出されればいい。結構うけるよ、きっと。
(2024年2月27日)
異次元?の少子化対策
大法螺を吹くのもいい加減にしてくれ! 何の具体的な少子化解消施策も打ち出せずになんとスピード感のない政権なのだろう。しかも、つい最近の3人の子供がいれば大学費用が無償化されるという陳腐なお笑い草をやろうとしている。だって、一人目が大学費用無償になったら、二人目も三人目もタダだと言っておきながら、一人目が就職して扶養から外れたら、もうそこで二人目、三人目の無償化は打ち切りだという。落語のネタでも考えられないようなことを平気で考えつく役人とそれを法制化しようとする政治屋集団のあくない庶民苛めが目に余る。
(2023年12月14日)
偽物
にせものをこよなく嫌う自分ではあるが、自分もその代表格みたいなものだという自覚はある。箸をきちんと持てない65過ぎの元落語家が宣伝をしている100円寿司なんて行きたいと思わない。その年齢になるまでにどう考えたって箸の持ち方ぐらい修正できるはずなのに、それをしないということが理解できない。身体的にかなり無理だとしても、落語家が箸を持てないなんて笑い話にもならない。そういう偽物をえらく嫌う。若者が偉そうに知ったかぶりをするのは、まだ可愛い。自分を恥ずかしく思える歳になって初めて自分の愚かさを知るのかもしれない、と思えるから。
(2023年11月15日)
ようやく
イタリアが中国の「一帯一路」構想から離脱する方針を示したというニュースがあった。ようやくヨーロッパの各国も中国のインチキ性に気が付き始めたのかもしれない。ファー・イースト幻想で中国に憧れる欧米人がいることに訝っていた自分にとっては、ようやく気が付いてくれたかという思いだ。
「中国五千年の虚言史 なぜ中国人は嘘をつかずにいられないのか」という本がある。そういう国だと最近アメリカも断言せざるを得ないようだ。いやだ、いやだ、ネットも肝心な部分は徹底的に寸断して何も知らされない国民が哀しい歴史を作っている。
(2023年9月24日)
幼少期
自分の幼少期は、などと言うのが普通の言い方になっている。幼少期という言葉は、丁寧語、敬語の類だと思っていたが、どうやらそうではないようだ。
凄い違和感がある。自分の子供の頃で充分ではないのか。不思議な感覚だが、ここにも世の中から遅れてしまった老人がいるとしか思えない。うちの小河さんは今外出中です、と身内の社員を電話で言うのとまったく同じではないか。
(2023年3月16日)
ノートパソコンが壊れた
昨年11月に楽天のショップで29,700円のノートパソコンを買った。愛好している中国のメーカ[CHUWI]のchuwi gemibook pro 14インチがなんと新品でこの値段だったので、かなりの時間考えた末に購入したのだった。
このショップは普段は中古品専門店らしく、わざわざ新品だと謳う必要があったのだろう。この機種も時期によってCPUやメモリー搭載容量が違うので、悩ましいのだが、メモリーが12GB(通常は8GB)でこの値段だったことが私の心を動かした最大の要因だった。
キーボードは英語なので一部記号の入力には工夫がいるが、文章を普通に打っている分には何の問題もない。むしろ、昔から英語キーボードの方が使い易いという評判があるくらいだ。モニターもIPSだし、どう考えたって、いわゆるメーカー品の半値以下でこのノートパソコンが手に入るのは最高だと思わざるを得なかった。
様々なカスタマイズをして大阪に住む次女の子供(今年高校生になる)が使うだろうと勝手に送ることにした。彼女が使わなければどこかにこのパソコンのいきてもあるだろうからと、パソコンに関してはさほど気に留めないのが私流。
買うまでには、本当に新品ですか、とか、書いてあるスペックがちょっと違いますが、とか楽天ショップのホームページに書き込みをしたが、ナシのつぶてに一抹の不安があったことは確かだ。
この2月になって、バッテリー100%なのにアダプターをコンセントから抜いた途端に電源が落ちますという報告があり、さてさてどうしたものかと思案が始まった。
デスクトップパソコンは70台以上も自作しているので自慢と自信があるがノートパソコンは手を出していなかった。ここ3年くらいだろうか、他人からアドバイスを求められたりしたこともあり、小型パソコンと共に自作機以外のパソコンにも手を出し始めている。
そういえば保証についての記載もなかったような、と買った時のことを思い出しながら、楽天からショップに問合せをした。答えが凄かった。30日間の保証しかない、と断言されたのだ。新品と謳っているのに?
買った時のことをさらに思い出せば、確かに使用感は全くなかったが、windows10のバージンが古すぎた。このままアップデートしてもとてもWindows11には行き着かないと思い、強制的にWindows11を導入したことをよく覚えている。新古品どころか旧新古品と呼ぶにふさわしいものだったのかもしれない。
さて、この製品用バッテリーを買って取り替えてみようと考えている。意味のない経験だけれど、死ぬ前に1回くらいは経験しておこうと気持ちを決めている。
肝に銘じておくべきことは、あやしいお店から購入しないこと。質問をして答えがないようなお店は即アウトだ。保証期間はよく調べること。新品で1年も保証しない製品は日本では存在しない。改めて自分に言い聞かせる75歳の老人でした。
(2023年2月26日)
美しくない
テレビに出てくる人たちの立ち姿が美しくない。誰しも、前で手を組み下手すると机に乗せた手までも組んでいる時がある。
こんなに美しくない立ち姿にしてしまった犯人は一体誰なんだろう。赤信号だってみんなで渡れば怖くない、とタケシが叫んでからどれだけ経つだろう。みんなが同じ格好をしてしまえば、それが世の中の標準の如くなってしまうのは道理。
それでも、あの立ち姿はどう見たって美しくない。着物姿でさえ同じ立ち振る舞いが横行する日本の「常識」とやらが、危ういと危惧するのは私一人だけなのだろうか。
そもそもどういう立ち姿が美しいのかが分からない。少なくとも20年前にはこんな立ち姿ではなかったと思っている。
それでは海外ではとか、いろいろな考察が必要であることは確かなのだが、正解が分からない。
でも、美しくない。
トルコ大使館にささやかながら千円の義援金を振り込んだ。精一杯の気持ちだ。
(2023年2月15日)
お笑い草
テレビに出てくるお笑い芸人のどこが面白いのか分からない。聞いていて笑えるネタなんか何処にもないのに、テレビのやらせ偽笑いがうざったくて仕方がない。もっとも、めったにお笑いを見ないので評論するにも及ばない。
全国瞬時警報システム(Jアラート)は、弾道ミサイルが日本の領土・領海に落下する可能性又は領土・領海の上空を通過する可能性がある場合に使用されるらしいが、ミサイルが到達予定時刻を過ぎてから発せられるなんていう漫画家も描かないような現実社会が日本。いつも言う、日本人は運用が下手くそである。新しいシステムを作ったりするのがそんなに苦手なわけではない。むしろ、新しいことにすぐ対処する能力は長けているだろう。ところがいざそのシステムを実際運用となるとからっきし駄目なのである。
こんなシステムが出来ていますから大丈夫ですという構図は、いつも聞かされているがそのまま鵜呑みに出来ないのが現実だ。どうしてこうなってしまうのか分からない。ちょっと抜けているのかのんびりしているのか、はたまた結局は誰かに任せておけばいいじゃんという他人任せの心根が強いのか。
ちょっと例えが違うが、プロ野球のドラフト会議なんてその典型に近い。アメリカの真似をしてドラフト制度を作ったまではいいが、日本独特の運用にしてしまったせいで選手の均等化が出来ず、アメリカのように最下位チームが浮上する芽を摘んでしまっている。そんなことも理解しないで何十年も同じようなドラフト制度を使っている日本プロ野球に喝!
(2022年11月5日)
何がデジタルだ?
「運賃相当額支給金額決定通知書」という名古屋市の通知が来た。市内交通機関は無料になるが、市営交通以外の名鉄やJRを使ったときにはとりあえず「敬老パス」から料金が差し引かれ2か月後にその分が振り込まれるというお役所事の典型だ。
仕事量を増やし税金を使って通知をするなんて、まったく暢気なものだねお役所は。
封筒の裏側に「敬老パス利用回数確認アプリをご利用ください」とQRコードが印刷されていたので早速インストールした。使ってみると、何のことはない「電話番号が表示されて」ここに電話してください、とこう来た。全く何処がデジタルだろうか。
住所変更をすれば手書きでマイナンバーカードに新しい住所が表記される。そもそも住所なんて必要ないだろうに! 個人情報の洩れを心配する一部の輩にとっても、住所表記がなければマイナンバーカードの作成を躊躇しなくて済むだろう。
それじゃ~、身分証明書の役に立たないではないかと言う輩もいる。身分証明書の役割をマイナンバーカードに持たせるのはまだ早い。マイナンバーカードは読み取って使用するのを原則にすべきなのだ。個人番号と名前だけで充分。それ以上の情報は機械を通して把握するように根本的なカード設計図の再構築をすべきなのだ。
こういうことを考えるのは日本人もそんなに不得手ではないが、実行するのはまったくもって苦手なのだ。シュートまでの絵図は描けても、いざその場になると敵が正面にいなくても最後のパスにこだわる日本代表選手がいるのに似ている。
(2022年10月25日)
見えないところ
ホームページを弄ったりしてもう何年になるだろうか。誰が見るわけではないが、こうやって遺言書代わりに何かを書き残せば、いつか誰かが覗いてくれることもあるだろう。
レンタルサーバーとドメイン料金がその費用になるが、こちらから何も言わないのに勝手に安くなってきた歴史がある。初めての頃は、レンタルサーバーにしてもドメインにしても1か月1万円でも安かった時代があったような気がする。
いつの間にか500MBが10GBに、そして今年価格がそのままで容量が100GBになったのには驚いた。容量が増えて困るわけではないので大歓迎だが、こちらにもやらなければいけないことが出来てくる。
現在、frances.jp、oggawa.com、kamakuramagic.com、を運営している。heraldobkai.comは今年廃止した。frances.jpは私の持ち物ではないので、正確には運営しているとは言えないが、コンテンツを更新しているのは私なので、運営しているうちに入るかもしれない。更新のみなら、hiroshimaenochikai.com、sarubia.biz、もその対象となっている。kswin.jpも定期更新ページを持っている。
oggawa.comとkamakuramagic.com、frances.jp、の三つを合わせれば300GBになる。もったいない。サクラインターネットの最低料金コースは1,571円/年なので、金額的には負担を感じないが三つに分かれていることのメリットがない。
そこで、frances.jpのスペースに他の二つのドメインを同居させてもらおうと作業が始まった。それなり以上の面倒さがあるが、何とか何日がかりで、ようやく移動完了にたどり着いた。半日くらいホームページの見えない時間があったはずだが、誰も気にするわけではない。
こうやって外から見たら前とほとんど変わらないホームページが継続しているように見える。見えないところでも、こんな小さな作業に裏付けされて物事が進行しているのだと分かる。ただそれだけのことだが。
(2022年10月24日)
あごマスク
いつまで続くのかマスク生活。日本独特の価値観やDNAのおかげで欧米とは違った文化がはびこる日本では、いつになってもマスクが離せない日常生活が存在しそうだ。
実生活でもテレビ・ドラマでもせっかくマスクをしているのに何故か鼻を出して喋っている人を見かける。それじゃ何の意味もないじゃないかと大きな声を掛けたくなるがそうもいかない。
最近のNHK深夜ドラマに出てくる主人公の女性が、毎度毎度マスクが外れて鼻を出すシーンが頻繁に映る。気持ち悪い。彼女ばかりか会社の上司や同僚さえも同じような仕草で観ていて滅入ってくる。
食事になるとあごマスクがこの人たちの主流だ。品がない。そういうことを何とも思わない人がそれなりにいそうだ。不思議な感覚だが、私には品のない人間に見えて仕方がない。褒められるほど品行方正ではない自分だが、どうにもあの鼻を出すマスク仕様とあごマスクは私の価値観から大きくずれている。
(2022年9月10日)
0.2円
テレビドラマでのこと、主婦で新聞記者の女性がひょんなことから退職して新しい仕事を探していた。そんな中でネットの記事を書く仕事があったらしいがその報酬が1文字0.2円だと嘆いていた。1文字0.2円なら100文字で20円じゃないか! それば現実社会の相場なのかどうかは私には分からない。でもまぁ~、ひどくかけ離れた金額を普通のドラマの中で言うはずはないだろうから、おおむねそんなところなのだろうと勝手に理解してしまった。
実は、この頃のネットニュースの文言は無意味に長いなぁ~、と感じていたところなので、この劇中のセリフが妙に心に残っている。SmartNewsというネットニュースをよく見ている。社会一般のニュースのほか、チェーン店の新発売食事メニューもあり結構重宝している。そんなニュースの中で、ちょっと掘り下げた話題が取り上げられることがある。その取り上げ方が少しばかりウザいのだ。ウザイというよりは、少しばかりだらだらと長いのだ。途中で読まなくなってしまうことも多々で、このだらだら感は一体何なのだろうと、疑問がわいてくるほどなのがずーっと印象に残っていたのだ。すべての原因が1文字0.2円に因るのだとは思わないが、もしかするとそれが大きな原因だったのかもしれない。
大谷選手が日本人大リーガーで初めて・・・・、とかいう騒ぎ方をしている日本のスポーツ・マスゴミばかりか日本のマスゴミ。大リーグでさえも初めてのことをどんどん更新している大谷選手をつかまえて「日本人大リーガー初の・・」という見出し、表現はあまりにもドメスティックで稚拙な言い方だろう。自分たちの言っていることがどれだけ恥ずかしいことなのかを知らなければいけない日本のマスゴミ。
(2022年9月1日)
品
フジテレビが凋落して立て直しがままならない。「クイズ」と「ゲーム」番組を止めれば、V字回復するだろうと提言したい。じゃーどんな番組を作るんだ、と問われてもそんなものは分からない。というか、それを考えるのが仕事、給料のうちだろう。
今やっているドラマの中で、同じ設定の主役級の2人によるCMが挟まれている。わざわざテレビ画面の右下に「これはCMです」と断りを入れている。こんなことを平然とやっているテレビ局に先はない。それを受ける役者、所属プロもおおいに責任がある。劇中の登場人物を平気で劇中コマーシャルに使う手法がいつの間にか進化、悪化しちゃったのだろう。品が求められる時代に逆行する思想は、視聴者どころか。
東大出の歌舞伎役者なら適任だろうと大会社思考で起用されて来た人物評を書こうとしていたら、その前にセクハラ行動が取り上げられてしまった。日本一の企業のCMにいい人材を見つけたとほくそ笑んでいたのだろうが、一寸先は闇、とは今に始まったことではない。
以前にも書いた記憶があるが、せっかく歌舞伎役者として襲名までしているのに実力が伴わない。それこそ、血の汗を流して20年間以上の歌舞伎役者としての遅れを取り戻す努力に勤しまなければ、到底父どころかほかの歌舞伎役者の足元にも及ばない役者人生となってしまうであろう。テレビの役者としてもて囃されたって、それが実力に裏打ちされていなければ何の意味もない。あの下手糞なセリフ回しから徹底的に教えを乞うべきだ。ちょうどいい機会だから、しばらくはテレビになんか見向きもせずに鍛錬に励めばいいだろう。そうしなければ。
(2022年8月29日)
片手落ち
菅首相時代の唯一の功績は携帯料金を安くしたこと。と、断言すると本人から猛烈攻撃を受けそうだが、それくらいしかないよと簡単に答える国民全員。
確かに首相の鶴の一声で簡単に料金が下がってしまうなんて、独裁国家に似ている。民間事業だと言いながら、政府の許認可事業であることが各社にとっては頭の痛いところだろう。
そこまでは唯一の功績と認めたとしても、インターネット回線には全く手も触れていないのが不愉快。自分で家計から支払い手続きをしていないから、全然料金のことなんか頭にないのであろう。
インターネット料金が高いから日本のネット環境が停滞しているのはひとつの原因として間違いない。しかも料金ばかりか、解約がこれまた酷い。契約期間を2年や3年と定めて、2年後3年後の2.3か月に限り解約金が無料という途方もない契約をさせられている。
指定された月以外に解約すると1万円以上の解約金を払わなければいけないなんて暴挙だよ。そんなことを日本の一番偉い人は知らないだろう。そんなつまらない契約書を作ってのうのうとしている関係者の猛省を促したい。
それにしても遅れているネット環境を最初からもう一度見直してほしい。世界の上級国民になれない日本のありようは、これから大人になっていく日本人の最大の問題だろう。
(2022年5月16日)
こんな大人ばっかりじゃん
高校サッカー部のコーチ暴力が明らかになり、監督は知らないというし、生徒の謝罪動画を陰で監督が指示していながら事前に見ていなかったとまでテレビの生放送で言うに至っては、どうしようもない大人の存在がクローズアップされた。
組織が大きくなればなるほど当事者の事件への対応がヘタレ過ぎる。この時代、自分の目でも他人の不始末を見て学んでいるはずの人達が、自分のこととなると何も出来ないでいる。
頭の悪い人たちなのだろう、と言ってしまえばそれだけのことだが、嘘を言ってやり過ごしてきた人生が垣間見えてやりきれない。
結局は自殺という結論しか決められなかった「国」からの圧力、忘れ去られるように過去のものとなってしまえば、のうのうと生きている権力者たちの横暴、そんな奴らの地獄行きの人生の終わり方を望むだけしか希望がない。
(2022年5月7日)
何がデジタル庁だ!
引っ越しがいつになるのか分からないが、この1年のうちにそうなるかもしれない。
引っ越しの手続きについて調べてみた。1個1個を詳しく書くことは面倒なので羅列しないが、40年前の引っ越しと何にも変わってなさそうだ。
対応部署への書類が増えている感じもする。
一体何をやっているのか! マイナンバーカードなんていう便利なものを作ってから何年経つのか! この体たらくぶりには開いた口が・・・・。
マイナンバーカード1枚を持って役所に行けば、すべての引っ越し手続きが終わってしまうというようにならないのか! 出来るはずのことが出来ない日本の制度は、もうあきれ果てるほど腐ってしまっている。
現場の役人は決められたことをするだけしか能がない。悪いのはその制度を決める上級国民だ! あ~あ、また面倒くさい時間と手間暇を掛けなければいけないのか。もうマゾの領域だな。
(2022年5月6日)
流行だと言われても
ツンツルテンの洋服をまとった若者がテレビの画面に出てくる。若者だけではない、いい年をしたサラリーマンらしき人物もほとんど同じような格好だ。
袖からは大きくワイシャツの白いものが出ている。狭い胴回りのボタンを締めて、さらに何とも言いようのないシェイプを司っている。ジャケットとしての丈も短い。
それが今の流行だと言われても納得が出来ない。もうだいぶこの流行は時間が経っているが、格好悪いものは格好悪いとしか言いようがない。
20代の自分の写真を見ると、えっ!こんな長い髪の毛をしていたの、と同じような格好悪さを見てしまうのは皮肉にも見える。
NHK夜7時のニュースに出てくるアナウンサーの立ち姿がどうにも美しくない。
誰が教えたのか、無駄に前で手を組んで結婚指輪を目立させている。3人出てくるアナウンサー全員が前で手を組んでいる。それがマナーだと専門家が教えているに違いない。
美しくない。両手で名刺を持って相手に渡せなんて、誰がマナーだと言い張っているのか。まったく美しくないことを平気で教授する専門家とやらが恨めしい。
(2022年4月27日)
そんなもんだよ
吉野家の常務取締役が「生娘をシャブ漬けにする・・・」などと言って、即解雇されたという話は、最近この手の話題が乏しかったらしくどんどん話が広がっている。
所詮は吉野家だろうと言ってはいけない、というのがこの頃の風潮。遠慮し通すか、忖度を求められる現役社会の人たちは大変だ。
どこの会社にもいる「取り締まられる役の人が間違って取り締まる方になってしまった人」。それまでの事績が何らかの形で評価されたからこその取締役。ということが明白なだけに始末に負えない。
それでものし上がってきたからには、それ以上の言動が明らかにあるということなのだろう。だから所詮吉野家と言われても仕方がない。
高級店のメニューの中で2000円の食事が美味しいのか、それとも吉野家の2000円の食事が美味しいのかと問われれば、答えは明白。という問題も当てはまらない。吉野家には1品2000円のメニューは存在しないだろうから。
(2022年4月3日)
情けない
自民党の茂木幹事長は4日の記者会見で、ウクライナを支援するため、党所属の国会議員の5月の歳費から1万円を募金にあてる考えを示した。
というニュースを聞いて、最初に感じたことは、子供心にもずいぶんとチンケな少ない金額を設定するものだと。
選挙対策にしたってなんだっていい。出来ることを精一杯するのが為政者の心得だろうが!! せめて10万円を毎月天引きするくらいのことを訴えなければ、選挙対策にも満たないよ!!
何をやるにしてもお笑い草のことばかり、生きているのが恥ずかしいような日本人ばかりになってしまった。政治屋の悪行は世の中を確実に悪い方に誘っている。
(2022年4月5日)
5000円程度の給付金
馬鹿にされたもんだよね年金生活者。
どう考えたって選挙対策だとしか思えない施策を。
書いているうちから腹が立ってもうこれ以上書くことが出来ない。
年金生活者への5000円程度の給付金とは、この程度の金を屁とも思っていない人種が決めることなのだ。
(2022年3月23日)
幼稚園児のごとし
ウクライナの大統領が日本の国会でのオンライン演説をしたいと言っている、というニュースが流れた。
日本の国会にはそんな前例もないし、それどころかそんな設備がないからという現状が明らかになっている。
そして野党は、一国の主張を国会で流すには詳細な手続きが必要だとか言って反対を表明している。
そんな悠長なことを言っているうちに、国際社会から笑われ者になる前に事態はどんどん変化していくのは明らかであるが、ここまで平和ボケの極みを演じている国会、国会議員は一体何者なのだろうか。
何もしなくても報酬だけたんまりと得ている特権階級たちの阿保ズラがテレビに映るたびに、どれだけ苛々と人生を送ってきたことだろう。
もう間もない人生の終わりになっても一向に進展しない日本人のDNAを腐しても、幼稚園児以下の脳みそしかない軍団を嘆いたって、おそらくあと100年経ったってほとんど変わらない日本があるのだろう。
それよりもこんな日本が未来永劫に存続することの方が奇跡に近いことなのかもしれないと思えてくる。
(2022年3月16日)
ウクライナ
銀行名:三菱UFJ 銀行 支店名:広尾支店(支店番号:047)
口座種類:普通口座 口座番号:0972597 口座名義:エンバシーオブウクライナ
嘘つきロシアがまたやらかした。プーチンが一人で実行した訳ではない。むしろ、ロシアという国が為せる業で、プーチンでなくとも同じようなことは起こったであろう。
毎月15万円に満たない年金収入老人には出来ることがない。それでも、せめて気持ちの問題だからと1000円を振り込んだ。単なる自己満足と罵られたとしても、居ても立ってもいられない。生きている証のひとつだと思っている。
(2022年3月2日)
大本営発表
戦時中の大本営発表を直接聞いたことがないけれど、いろいろな情報を総合すれば、オリンピック放送の自国選手に対する評価や情報と凄く似ているものがある。
(2022年2月5日)
国・・・
くに・・・
(2021年12月16日)
何が
今更ながらに個人カードがどうのこうのと、国会も日本国民も何が問題なのだろうか?
個人情報がどうのこうのと、たいした情報なんか持っていない輩が、これ見よがしに言い放つ言葉には「バカ」という言葉しか返せない。
コロナのワクチンでは打たないことのリスクと打った時のリスクがどうだこうだと言う奴ばっかりのくせに、個人カードには持つことのリスクしかないような言いぐさでは「バカ」という言葉しか思い出せないのは当たり前だ。
一方の日本政府はといえば、デジタル社会の切り札になるはずのカードなのに、カードの表に住所が表記され住所変更は手書きで記載されるに至っては何がデジタルだと突っ込みを入れたくなる。氏名さえも表記する必要のないカードにしてしまえば、失くしたって読み取るのは至難の業になるようにシステムを組めば済むではないか。
東大出のガチガチ頭では、社会におけるシステムの運用という柔らかい事柄には対応できないことが最大の問題だ。何がそうさせているのか不思議で仕方ない。
(2021年11月12日)
公約
衆議院選挙があるらしい。
自由民主党ならまだしも各党が「公約」なるものを発表して、毎度のことながら聞く側を戸惑わせる。残念ながら自民党以外で政権を獲る党が出てくる状況ではない。やってみなければ分からないだろう、と言われたって、そんなことを肯定する人がいるとも思えない。
そんな実現不可能な公約を大上段に掲げて国民の支持を得ようとする手法は、もう時代遅れの選挙戦と言わざるを得ない。
国民を舐めた節のある自民党なんか、さっさと没落してしまえばいいのだけれど、これこそそんな簡単に自民党離れが加速するとは思えない。せっかくの思いで政権交代が実現したのに、期待を大きく裏切るパフォーマンスを見せつけられては、さらに何十年も政権が変わることがなかろう、と誰しもが思ってしまう日本の現状。
何を言ったって構わないが、せめて公約と称した言葉を反復しながら政治屋活動をして欲しいと願うだけだ。政権を獲れないことが最大の公約違反だと気が付いているのだろうか。政権を獲って初めて実現する公約を口にする罪を償ってくれるのだろうか。
(2021年10月13日)
2020東京オリンピック
1年前にはオリンピックやるわけないじゃん、と断言していたのだが、予想に反して2020TOKYOオリンピックが開催されている。
温暖でスポーツ選手には快適な気候の期間だと大嘘を世界中にばらまいてしまったのにもかかわらず、この期間が日本の気候の中で一番暑い日々が続くことを知ってか知らずか世界中から選ばれた人たちが日本に集まってきた。
テンポラリーダンスの発表会かと見紛うくらいのしょぼい開会式は賛否両論に値しないものだった。「あ」「い」「う」「え」「お」順に入場行進が行われたことくらいが唯一日本のわがままが導入された部分だろうか。
それでも、あいうえお順なら最初の頃に入場すべきだったアメリカ合衆国が案に相違して最後の頃となった理由が。すべては屁理屈と金の亡者たちの賭場みたいになっている裏方。
柔道の金メダルラッシュにマスゴミ(塵)は騒いでいる。まだ半分くらいしかたっていないのにと、分かっているのに大本営発表みたいなことばかりを繰り返して、良識者の顰蹙を買っているに違いない。陸上が始まれば、ノーメダルラッシュが始まって、なんとま~情けない日本人の体力だろうと、嘆く声が聞こえてくる。
今やイギリスやフランス人などは、肌が黒い人ばかりのオリンピック選手となってしまった。今に始まったことではないが。
趣味の世界の種目も登場して、小学校の運動会のような表彰者の顔ぶれには驚くばかり。100m競技で中学生が優勝できるはずがないことを肝に銘じて、世の中に阿ねない毅然としたオリンピック種目選択をしないと、なんとつまらない大会になってしまうのだろうかと危惧するばかりだ。
お家芸とは云いながら地に堕ちた柔道を立て直した監督の力は大きい。ただ世界チャンピオンになったからと、過去の栄光だけで会長をやっているような無能力者がのさばる日本システムは、もういい加減にしてほしい。
もっとも、日本一番の総理大臣ですら単なる自由民主党内での力関係だけで選ばれている無能力者では、日本の将来に光明は見えてこない。
(2021年8月1日)
さすがは日本
ワクチン接種に拍車をかけようと声だけはでかいが、現実となると早々と一旦停止だなんて漫画かよ。と、チャチを入れたくなるのはさすがだ。
ワクチン獲得に問題があれば、もともと致し方ない状況だが、ワクチン接種にも予約が必要だなっていうシステムそのものがダダ遅れだ。給付金支給のときもそうだったが、こういう時のための個人カードだったんではなかったの?
予約なんかなくたって個人カードを持参すれば、そこに記録を書き込むことによって物事は一気に解決するだろうに。年齢だってカードで確認できるし、もしかすると既往症や使用している薬だってすぐに確認できるんじゃなかったの?
もっとも、個人カードの住所変更でさえ手書きでカードに新しい住所を追記しているようじゃ、とてもじゃないけどただのカードにしか意味を持っていないさすが日本式だなというシステムで呆れかえるしかない。
(2021年7月3日)
やっぱりマスゴミ(塵)
メジャーリーグ大谷選手の活躍が凄い。昨年までの潜在能力の蓄積とリハビリの結果、今年前半戦の活躍はある意味当然かもしれない。そういう風に言い切れるファンの一人だからこその言葉で、にわかにワイドショーで取り上げて、野球をろくすっぽ見ないコメンテイターが意味のない言葉を発するのを聞くと苛立つ。
ベーブルースの再来だと大騒ぎの源を提供するのは日米のマスゴミ(塵)。時代も道具も意識も肉体の科学的ケアも違い過ぎるのに、比較するのが憚れるなんてちっとも思わないところがマスゴミ(塵)の真骨頂。
そんな形容をしながら、日本のマスゴミ(塵)は大谷選手の月間ホームラン数が松井選手と並びましたなどという最悪の比較を表現している。松井選手だって苦笑いを通り越して、もういい加減にしてくれと嘆いているに違いない。
そもそも、メジャーリーグに集まる各国の選手たちにも対しても失礼な話をずーっと言い続けているのは日本のマスゴミ(塵)くらいだろう。世界最高峰の舞台で自分の力を発揮したいからこそ集まってきた選手にとって、同じ国出身の選手との戦い、日本人対決なんて何の意味も持たないのは自明の理であろう。迷惑な話だと思う。勝手に取り上げられてせめて拒否はしないけれど、なんて程度の低いことを平気でし続けるのだろうかと、一種軽蔑の念を抱いても当たり前に見える。
(2021年7月2日)
1日100万回
菅義偉首相は「1日100万回接種」との目標を新たに掲げた。
ずいぶんとまぁ~、嘘八百を吹いてまで政権を維持しようとする能力のないリーダーの姿が哀しい。
インターネットだろうと電話だろうと、受付すら出来ないでいるプアなシステムしか構築できない日本の役所に、1日百万回なんていう夢物語が出来るはずがない。
それにしても、ここまで酷い日本国、日本人の能力だったとは。我々団塊の世代の優秀な輩が何もしてこなかった結果だろう。優秀ではない我々は、全学連のデモや投石をただニュースでしか見る他なかった。
底辺の力という意味でも、庶民の一人一人がもう少し自覚をもって世の中に関与していかなければ、結局はこんな風なダメな世の中にしかならないという歴史的教訓だろう。
反省しても遅すぎるけれど、せめて文句を言わずに指をくわえて毎日を過ごすしかない。
(2021年5月12日)
掃かれてしまえ!
自民党の一日行燈が、森発言を受けて問題ないという態度を強く言う姿が悲しい。
そもそも頭の悪い森何某がどれだけ政治的にリーダーシップを持っているのか国民にはこれっぽっちも分からない。テレビの画面に出て来る時は、いつだって問題発言かノー天気発言の時しかない。こんな奴が総理大臣かと訝っていたら、早々と退陣してしまったのには口あんぐりだったことを覚えている。
そんな御仁が何を言ったって驚かないが、このご時世、すぐさま世界中から批難囂々とは本人にも想像出来なかったことだろう。あんな人間が夫だったり父親だったりすることに耐えられる人はそういない。それでも、人間社会は回って行くから面白いとだけ言える。
一日行燈曰く「瞬間的に辞める」とボランティアが言っているだけだと。馬鹿な! こんなことを言われて黙っている人はいない。早々とボランティアを辞退した人は素晴らしい。出来れば全員が辞退してもらいたいくらいだ。
それでも一生のお宝だからと辞めない人もたくさんいるだろう。一生の宝ではなく、末代までの恥になるから辞退すべきだと思うのです。ここで立ち上がらなくて、いつ立ち上がるというのか。奮闘を祈る。
(2021年2月10日)
聖徳太子
何度も書いていることだが、同時に二つ以上のことが出来ない。
若い頃には、自分でも感心するくらいに同時に何個も考え手を動かしていた。天才という訳では決してないが、頭も手先も器用に出来ているのだと、親に感謝の念が。
ところがどうだ、今日なんかは今作っているホームページの本稼働に向けての準備に翻弄されて他のことに手が付かない。だから昨日はこの欄がお休みになったのだった。
基本的なホームページの作り方は知っているが、この世界はずーっと日進月歩、テンプレートなど使わずにゼロからもの作りする楽しみ、喜びを感じながら仕事が出来る仕合わせでもある。
https://hiroshimaenochikai.com/ がそのURLだが、金曜日の午前中には新しいページに切り替わっているはずだ。
パソコンだけならなんていうことないが、スマホ、タブレットとこちらの方が多くなってきている昨今の事情を鑑みれば、まがりなりにもこれらの機種にも対応しなければ、ホームページが作れるなんてことは吹聴できない。
完璧ではないが何とか対応していることを、関係者に了承をとらなければならない。今日一日でかなり勉強になったなぁ~。でもこのまま腐ってしまう技能が悲しい。
(2021年2月4日)
情けない
昨年5月にスマホに替えてからスマートニュースというアプリでニュースを見ることが多くなってきた。短く他方面からのまとめニュースは見易い。ところが、最近の記事はだらだらと長いものが目立ち、記事の量でギャラが発生している裏側をうかがわせる。事件や社会ネタばかりではなく、どこかの新発売のカップラーメンとかケーキなどを取り扱っているところは私向きだ。
2、3日前に、サイゼリアのピザは安くて美味しいが、シャトレーゼのピザはそれよりも美味しいとかいう記事があった。サイゼリアを比較の対象にしているあたりが今風というか、美味しいものを表現する人に必要な絶対舌を持ち合わせていない若者文化の象徴のように聞こえた。
シャトレーゼはしかも糖質オフだから美味しさが増すような書き方は、そもそも本質論から離れている。それにしても、シャトレーゼのピザを食べたことがあるけれど、あの味を美味しいと表現して記事を書いて ギャラを貰うのは違反である。ピザではなくピザパンのような代物を美味しいとは??!
昨日のテレビ番組の中にタイタニック遭難の再現ビデオというコーナーがあって、タイタニックの舵手が「面舵(オモカジ)」という号令に舵を左に回している映像が流された。馬鹿な! 面舵は右だよ、と突っ込みをいれたが、今時の若者はそんなことすら確認もしないで映像を作るのかと、愕然とした。若者というよりテレビ局、ひいては下請け製作会社の程度の低さが問題なのだが、情けなくなるほどの体たらく。
GoToトラベルの張本人である自民党の重鎮とか称される老政治屋が、もう老害の極みで反吐が出る。昼行燈どころか一日行燈のような物言いと容姿を晒して、自民党を牛耳っているようだ。ゴミみたいなマスゴミ(塵)は、そんな重鎮に何も質問できず何も問いただすことすらしない。アメリカのマスコミだって、トランプの前では借りて来た猫のようにしか振る舞えないことが分かったが、それでも日本のようなレベルではない。マスコミと大きな声でいうのが恥ずかしい。それこそ、若い頃にかえって正義を主張する真のマスコミになって欲しい。
(2021年1月22日)
相変わらず何も学ばない日本人
マッチポンプとはこういうことを言うのではなかろうか。なにしろもう8か月以上も経過しているこの騒動を、相変わらず誰も分析できていない。
口を開ければ「経済を回さなければ」とのたまう有識者や一般庶民までも。いかにも自分が世の中の経済に大きく貢献してその一翼を担っているんだと、まさしく勘違いしているような発言をしているのが可笑しい。
人が動けば感染が増えるというのは、もう誰にでも分かっていること。それなのに、あっちへ行けこっちへ行け、飲めや歌えやと人心を煽っておいて、第三波が来たみたいですとノー天気なマスゴミ(塵)はじめ専門家でさえそういう言い方を当然のように遣っている。
波は自然に来ることはあっても、今回の波は明らかに人為的なもの、しかもそれが政府筋から起こされた波であることを誰でも分かっている。それでも、相変わらず馬鹿な日本人たちは、これを止めなさいと言われなかったからとか、罰則がないからとかどうしようもない言い訳をしながら、社会を闊歩している。
「我慢の3日間」などと標語のような言い草を言っては喜んでいる日本人にあきれ果てるしかない。普段は何もしないくせに、旅に出れば安くいけるよ、ご飯を食べるのもポイントが付くよ、とほだされて品のない輩どもが街に繰り出す様は、さながら烏合の衆の如くなり。
大声は出すけれども、この頃の日本人の客に比べたら、ずーっとマナーが良かったインバウンダーだったと、懐かしそうに振り返るホテル関係者のコメントが恨めしい。げに慎ましい日本人の姿が消えてしまった、上から下まで。
(2020年11月21日)
「総合的、俯瞰的」
「総合的、俯瞰的」に判断する政府、ということは当該学者たちは偏った見識の者たちだと断言されていることになる。
前例を踏まないとも宣言する菅首相の力不足は否めない。言っていることが前首相とまったく変わらないことが何よりの証拠で、ごはん論法やきな粉餅論法などというまやかし論法、詭弁を弄して国民を愚弄している。まさしく前例を踏襲している。
総合的、俯瞰的に観るなら、菅総理大臣なんて世の中に現れる事すらなかっただろう。単に自由民主党の派閥的構想、均衡の結果の所産物以外の何物でもない。何かがあって、それを言いくるめたり胡麻化したりすることは出来ても、ゼロから物事を生み出す力がないことは明らかだ。
そういえば、この頃の不始末後の禊の言葉には、「一から出直します。」という言葉が遣われることが多い。おいおい、こういう時はイチからではなくゼロから出直しますと言うのだろうと突っ込みを入れてしまう。
ゼロからイチへの過程を無視する神経には、そもそもの反省の意識が足りなさ過ぎる。そう感じるのは、そんなことを長年考え続けてきた神経質な自分の性格に起因するものだということをよくよく理解しているつもりだが。
(2020年10月14日)
日本人の貧相な心
普段は何処へも行かないくせに35%割り引くから旅にどうぞなどと誘われると、大した目的もなくただ旅支度を始める輩が多いのには驚くばかりだ。
会社員なら経験のある、あることを想い出した。私のように一滴も酒を飲まない人間には無関係のことなのだが、酒が好きで好きでたまらない人間には心当たりがあるはずだ。それは、会社の経費で酒が飲めると分かった途端に顔色が変わるほど嬉しい顔をする人たち。その時にも、何故こうも他人の金で酒を飲むことが嬉しいのだろうと訝っていた。
本人は否定するだろうが、間違いなく貧相な心がその人間を支配しているのだろう。教育でもなく環境でもない、その人本人が自分で築き上げてしまった自分の人生だと悟りもしないで死んでいくに違いない。
大した人生を送っている訳でもないのに「ストレス」という言葉を平気で吐く。こういう緊急事態の時は、半年でも1年でも平気で自宅に籠るくらいの精神力がない奴ばかりで往生する。何がストレスだ、そんなに立派な精神構造を持っているなんて信じられない。
トランプなんてもっての外だが、日本の首相も平気で嘘をつくようになってしまった。何が、誰がそうさせているのか知りたいところだが、当の本人にはそんな罪意識は皆無なのだろうか。よくよく平気でいられる日本国民、庶民の心が貧相になれば選ばれた為政者はそれ以上に貧相な心で事を為している。
こんな世の中もう嫌だと言っても、天国に召されることもままならず、このまま座して・・・・・。
(2020年10月13日)
アベノアプリ
アベノミクスがアベノマスクになり、今度はアベノアプリだと揶揄される。
何百年に一度の歴史的疫病担当大臣を、ずーっと経済再生大臣が担っているもどかしさ、脆さに国民も開いた口が塞がらない。
専門家と称する人たちがこーじゃない、あーじゃないと正反対の意見を言っている。まだ、今回の病原体の何たるかを誰も知らないのに。
何百年後かの「社会」の教科書には2020年の世界がどんな風に描かれるのだろうか。
お祓いをしてもらっても、神頼みしても救われないのは分かっているのに、何故か他人事のように急に神の存在が大きくなる。
プーチンじゃあるまいし、いつまで日本国の首相をやっているつもりなのだろう。後継者を作らないことが自分の安泰に繋がるのは、一般会社だって同じようなもの。
国民の恐怖心をあおり、それを利用するのが為政者のモットーだと最近観た映画でも言っていた。
(2020年7月12日)
ここまで
日本人がここまで馬鹿だったとは驚きだ。
テレビニュースのインタビューを受けている人が、聞いたことの受け売りのように同じことをのたまう。
緊急事態を宣言して欲しいなどという的外れなことを平気でのたまう。自分で考えれば分かることを、他人からの指図でしか動けない現代人の典型例が世の中を闊歩している。
アベノマスクやアベノアプリと揶揄されようが、それ以上の有効な施策を打ち出せないのが政治家どもの限界だろう。
新しいキャッシュレス還元は25%だと大見えを切っているが、中身は結局5千円までしか還元はないのだ。最初から25%なんていう文言を前面に出すことはダメ。
それ以上に、紐づけされたキャッシュレス決済メディアが自分では千円しか還元しないのに、6千円還元しますと誇大広告を平然と行っている。
法律の文言の中では許されるからと、堂々と詐欺まがいの表現をしている多くの企業の担当者の良識を疑う。教育の質の低下が今の社会を形成している。さらに悪くなろうであろう頭の中のうつろい事が、百年後の日本の大沈没に繋がらないように。
(2020年7月4日)
ノー天気
「スピード感をもって」とか、まだ国会で言っている安倍首相は、まったくノー天気の代表だと断罪しなければならない。
申請書すら届いていない身にとっては、この政府のノー天気さが異常に映る。
リモート出演とか言って画面に同時に映し出される芸人どもが煩わしい。
せっかくひな壇が無くなって良かったと思っていたらこの始末。この際なんだから、もっと出演者を減らしてすっきりして欲しい。
(2020年6月12日)
この世の仮住まい
アベノマスクが届かない。もちろん、定額給付金とやらの申請書も届く気配が見えない。
数多くの政権を見てきたけれど、ここまで酷い政治状況は皆無だ。嘘でもなんでも言い通せば周りが忖度して、いつの間にか嘘がそのまま通り過ぎてきた。
典型的な日本のマスゴミ(塵)は、嘘を追及するどころかうんうんと納得してただ記事で伝えるだけ。なんとか世の中に一泡食わせてやろうと、週刊誌が今や一流のマスコミに見えてくるから不思議だ。
政治記者上がりのテレビのコメンテーターも、何かと謂えば政権側の解説者に成り下がっている。老害としても許せない人種だ。給料が減らない政治家のことを取り上げているが、評論家活動で特需に預かっているのは自分たちだろうと、彼らは非難の対象であれ賢人の賢行とはとてもいいがたい。
ずぶずぶの関係はマスゴミ(塵)と権力者だけではない。お金を掛けないで麻雀をしている人なんて見たことがない。庶民のささやかな楽しみさえも奪って得意げになっている法治国家と称する政治体制は異常だ。芸能人やヤクザはちょっとした掛けマージャンで有罪判決さえ受けるのに。国家が仕切ればカジノが赦されるという大矛盾を説明出来ない。
所詮はこの世の仮住まいと思えば、まぁどうでもいいか、ということなのだろう。
(2020年5月22日)
自業自得
トランプが経済対策を打ち出したからと言っては、株が値上がりする。現実をしっかり凝視すれば、世の中が急激に好転する材料なんてどこにもないはずなのに、それでも金の亡者たちはそんなことはおかまいなしに金を追い続ける。
実感からすればもっともっと株は下がって然るべきだろう。実体経済に根ざした健全な経済活動なら、そうなるのが当たり前であることは誰にでもわかる。
経済も大切だ、とか経済を外して世の中を語れないとか言い訳をしながら、緊急事態対策が人命最優先ではないことがよくよく判明してくる。
首を絞めるのは自分のせいだとは思わないのだろうか。自業自得というプロセスと、結果が証明されるのは歴史でしかあり得ないのかもしれない。
政治記者上がりのテレビ・コメンテーターがしたり顔で安倍首相の政策を擁護しながら解説する。特需でコメンテーターのギャラが上がっているに違いない。どいつもこいつも、金に困っていない輩が世の中を闊歩して、知らぬ存ぜぬことを知ったかぶりしてのたまっている。
こんなことでは、神が人間を助けてやろうという気になれなのは当たり前だ。当分、自業自得の苦悩を経なければ人間社会は立ち直れないということか。
再入院
2月27日から再入院していた。本日朝退院した。15日間の入院だった。
不整脈が酷くなって、電気ショック2回と最後はカテーテルアブレーションという手術を受けて、ようやく不整脈は収まった。
またいつ出てくるのか分からない不安な気持ちが先走っていて、どうにも不安だが仕方がない。
さてさてこの後の人生はどうなることやら。
(2020年3月13日)
アレクサ
『アレクサ テレビをつけて』『アレクサ テレビ・チャンネル 4』『アレクサ テレビの音量 25』『アレクサ テレビを消して』。
どこがおもしろくて、便利なんだろうかと訝っていたが、実際に使ってみると結構役に立つ。『アレクサ』という言葉に反応するようになっているので、テレビの音量や雑音があってもちゃんと聞き分けてくれる。
年末に1980円で買っておいた『echo flex』というプラグイン式スマートスピーカー+Alexxa なるもので遊んでいる。
72mm(高さ)× 68㎜(幅)× 36㎜(奥行)のボックスを直接コンセントに差して使用する。なんといっても、その価格の安さに、とりあえず試してみようという気にさせられたのが一番の動機。
テレビなどのリモコンはいつも同じところに置こうとしても、いざ使おうとするとどこだ、どこだ、と探すケースが多いのは皆同じようなものだろう。
Wi-Fi設定が予想外に面倒くさかったけれど、何とかアレクサが喋り出したときは嬉しかった。もちろん、勝手にテレビが連動してくれるはずもなく、まだ1年も経っていないシャープのゴミみたいなソフトがなんとか対応してくれたのが嬉しかった。
照明器具は残念ながら連動できていないけれど、これから電気製品を買うときは、音声対応とかいうスペックにも注意を払わなければいけないようだ。
『アレクサ 70年代の音楽をかけて』『アレクサ 静かなピアノ曲を掛けて』という要求にはアレクサは得意分野らしい。なんといっても無料音楽配信を何十万曲もしているのだから。
人名を言えばその人となりを解説する。かなり組み込まれたソフトが優秀らしい。1980円で遊べる最新機器は、かなり便利で楽しいものだった。お奨め。
(2020年2月23日)
ホームページ
初めてこのページを見た人には、各種アイコンの意図が理解できないだろうと思う。
『古川勝巳』さんは、なんといっても私の青春時代、サラリーマン時代の勤務先日本ヘラルド映画を作った人のホームページだ。『古川爲三郎』さんは古川勝巳さんの実父で名古屋では伝説的な大金持ちだった人。今では銀行員でさえこの二人の名前を知らないことに驚いてしまうが、それもまた現実ということだ。
このふたりのホームページを製作したのは私です。プロの製作物には到底及ばないものの、それなりに上手く出来たホームページだと自画自賛して満足している。ゼロから物を作る楽しさを味わった時間だったが、もうそんな能力は何処にも残っていない。
『イスラエル巡礼』は親友だった今は亡き河谷龍彦氏のホームページ。本人はカメラも持っていなかったからあのホームページに彼の撮った写真は1枚もなかった。内容は同じだが二つの違ったホームページが組み込んである。勿論私が作ったからここにアイコン化してリンクしている。本人はいなくなったが息子が引き継いでホームページを維持してくれている。感謝。
『さるびあ』は入院前の最後の作品。まだフィニッシュに至っていないがほとんど出来上がっていると言ってもいいだろう。
その他にも依頼されてページを作っているが、残念ながらドメイン更新をしなくて消えてしまったり、何故か2ページだけで満足しているページなどもある。これからさらに新しいホームページを作ることはないであろう。なにしろ、集中力と労力が半端ではなく、今の身体ではとてもじゃないけどそんなことは出来ないと妙な確信をしている。
(2020年2月17日)
国会
相変わらずNHKは垂れ流し的に国会中継をしている。
こんなに面白い寸劇はめったにお目に掛かれないから、国民はこぞってこの放送を見るべきだろう。そうして、国民全体のデモを敢行すべきだと提案したい。
毎日どんどん増えていくクルーズ船の感染者、この経過を見て一体全体この国の危機管理はどうなっているんだろうと改めて深くため息をつかなければならない。
法律がなんだかんだと、先に出るのは言い訳ばかり。出来の悪いサラリーマンが自分の仕事の出来なさを逃げ隠れしながら時を過ごしている姿によく似ている
こういう状況を緊急事態と呼ばないで、何という。みんな自分の責任じゃないとしらっと国会答弁している様子が凄く奇妙に感じて仕方がない。
ここまで見事な後手、後手の対応は日本中に蔓延していて、どんな小さな団体やチーム内にも、同じような構造は明らかに潜んでいるのが現状なんだろう。
(2020年2月12日)
総理大臣
記憶によれば、小学生の頃テレビのニュースで国会での質疑応答を観た。
野党議員は原稿を読みながら質問をし、総理大臣も同じように原稿を読みながら回答している姿を滑稽に思った。
60年が経過し、同じような国会生中継を観ていて、何か不思議な感覚に襲われた。小学生の頃に思った俺でも総理大臣になれるは、と不遜な考えは浮かばなかったが、相も変わらず何十年も進歩しない国会では、日本の先行きはたかが知れてると強く感じ入った。
総理大臣は同じことを繰り返して答えるだけばかりか、官僚どももかなり開き直って、数か月前の書類がないから何も分からないと嘘をつき通せばなんとかなると、大したものだ。
質問する野党側も酷過ぎる。自分の意見を言うだけで質問に答えない相手を最後まで攻め切る姿勢なんてこれっポッチもない。ないどころか、しりきれとんぼで、質問した内容だけが記録に残ればいいと思っている節がありあり。
楽な職業だなぁ、と国会議員を目指す子供たちが大勢出てきそうだ。それにしても、借りてきた民主主義とやらの実態を見るにつけ、人間の浅はかさを思い知らされる。
そんな楽な仕事にも就けなかった自分の能力を嘆くべきだろうか。
(2020年1月28日)
生還
40日間の入院生活からようやく生還した。
入院に関するいきさつや入院中のことを詳しく書くまでの気力と体力が、まだまだ湧いてこない。
本日2020年1月27日(月)にパソコンの前に久しぶりに座れたことだけを報告することとします。
(2020年1月27日)
ラグビー
弱いと思っていたイングランドが、強いと思っていたオーストラリアに勝った。
いずれも前試合を見てそう思ったのだが、相手が変わればすべてが変わる見本みたいなもので、直接対決しなければ勝負が分からないのは当たり前。
だからこそ、日本チームが南アフリカに勝つことだってあり得るのかもしれない。
長年ラグビーに親しんできたからこそ言える日本チームへの思い、俄かラグビーファンが優勝だと軽々しく叫ぶ姿を恨めしく観ている。
全48試合のうちNHKは14試合、日本テレビは19試合を放送する。何のためにテレビをデジタル化したのか理解できない。こういう時のためだったのではないのか。
せっかく日本に来ている世界のラグビーファンのためにも、すべての試合を流しておかなければ、文化後進国だと罵られても仕方がない。
時間枠はあるのに経済的な問題だけで試合を放送しない放送局はクソだ。芸能人を動員して大騒ぎする日本テレビ、公共放送を標榜するNHK、いずれも大いなる反省をしなければ、長年のラグビーファンは赦さない。
(2019年10月19日)
いまさらながら
日本の夏の中でも一番暑い時期(7月25日から8月15日)にぴったんこ合わせた期間での2020東京オリンピック開催が決まったことが驚きだった。
必ずや開催が近づくとその暑さが問題になるだろうと書いたことがあった。なんとさっそくマラソンが北海道開催だときた。
馬っ鹿みたい。それならいっそのこと2020北海道オリンピックにして、全部を北海道に持って行ってしまった方が適している。
この時期は温暖だと嘘を言ってまでオリンピックを招致したって何の意味もない。オリンピック自体もこの時期にしか夏のオリンピックは開催できないなんて、他のメジャー・スポーツの開催に気を遣わなければいけないなんて、不思議な話だ。
決めてしまったことを今更ながらにどうこうしようとすることを由としない。修正できるところは修正すればいい。でもこの時期にオリンピックをやろうと決めたのはオリンピック機構であり東京都・日本政府である。
ぐちぐち言わずにやることをやればいいだけのこと。出来なかったら、その後の世界が叡智をも持って引き継いでくれるさ。それでいいんじゃないの。
(2019年10月17日)
実力と油断
前回大会の南アフリカ戦勝利は、相手チームの明らかなる油断が大きな勝因だった。
それも半端ない、絶対日本に負ける訳がない、とする油断がチーム内に蔓延していたに違いない。
自分のチームが100%の力を出そうとしているのに、相手チームは何パーセントかも分からないまとまらないチーム力で戦っていた。
そういう風に見えた戦いだった。一度ボルテージが下がってしまったチーム力には窮鼠猫を噛む力が優ることだってあるという、見本みたいな試合だったことを覚えている。
さて今回のアイルランド戦、これにも相手チームの油断が大きかったろうと思う。最初から力を惜しまなければ、日本に勝つ要素はない、とさえ思えるチーム力の差だからだ。
だが不思議なものだ。実力があってもそれを発揮できない何かのために力が集中しない。一度集中しなくなると、それを立て直すのは並大抵のことではない。
日本の力が強かったことも確かだ。ラグビーの試合は弱い方が負ける。高校でも大学でも社会人でもそうだとずーっと思いながら見てきた。
相手チームが日本に本当の意味でのリスペクトをしていれば、日本に勝つ力はまだない。これから2試合の予選リーグ、勝てなければそれは相手チームの日本に対する本気度に起因するだろうと分析する。
(2019年9月29日)
ラグビー
ラグビー後進国の日本でラグビー・ワールドカップが開催されると決まった時には驚いた。お金や大会運営での不安はなさそうだと思われている日本、それよりも世界ラグビー協会のアジア戦略があるのではなかろうか。
MLB、アメリカのメジャーリーグもしかり欧米自身がスポーツの先進国だと自負しているところから画策されているアジア地区への浸透戦略の一環かもしれない。
サッカーのワールドカップでは韓国との共同開催という屈辱を味わった日本にとって、ワールドカップの単独開催は国がらみの威信をかけての大会運営となるだろう。
開会式の東京スタジアムの芝も見事だったが、北海道札幌ドームの芝もつやつやとしていた。日本の芝は1年を通して緑でいられなかったが、おそらくかなりの技術進歩があったに違いない。
全世界に放映されるラグビー試合の会場の雰囲気は、まさに日本の真骨頂を魅せられる場となっている。観客席の試合後の綺麗さも異常なくらいだ。このスタジアム掃除文化は、日本のサッカー・サポーターが今世界に拡散している良い文化のひとつだろう。
ラグビーのレフリイングが素晴らしいことは知っていたが、このワールド・カップを仕切るレフリーたちの毅然としたホイッスルには感動すら覚える。反則をさせないように選手をコントロールするところから始まって、ルールを熟知しながら的確に判定している姿は、他のスポーツのレフリイングを圧倒している。毅然とした審判の姿が眩しい。
格闘技のようにぶつかり合ったって、サッカーのように女々しく脚が痛いなんていう顔をさらけ出さない選手たちも凄い。オーバーアクションで相手の反則をアピールするサッカーの試合がいかに多いかを思い出させる。
日本チームが予選リーグを勝ち上がることは極めて困難な予想だが、日本チームでなくても楽しめる試合が随所にころがっている。
(2019年9月22日)
せき止め薬乱用、10代で急増
このホームページのレンタルサーバ容量は10GB。1週間前まで8.53GBを使用していて、この後どうしようかと悩んでいた。ハッとして、グー!じゃないけれど、アップしているスナップ写真の画素数を減らそうと思い立った。約70か月分の写真を1枚、1枚小さくしてアップしなおした。その結果、使用容量は4.64GBに激減させることが出来た。これで、しばらくはサーバ容量を気にしないで済みそうだ。ちなみにサーバ・レンタル料は1500円/年、oggawa.comドメイン料は1800円/年、計3300年/年という格安料金でこのホームページを維持している。
怪我をして大関を陥落している貴景勝はその怪我のもととなった取り組みの相手御嶽海に完勝した。好調な御嶽海が何もしないで負けた。忖度相撲の原点のような取り組みだった。これが大相撲の神髄かもしれない。勝ち負けをやり取りすれば八百長になるが、勝手に相手が負けることを断るわけにはいかない。来場所の同取り組みを見れば、今場所の忖度を検証することが出来る。
(2019年9月15日)
行司が消えた!
「あっ!行司が消えた!」とアナウンサーが叫んだ。
土俵上では豪栄道と朝乃山がまだ相撲を取っている最中だ。確かに土俵上には行司が見えないのに相撲は続いている。
控えに座っている行司がとっさに土俵上に上がろうとしたが、その間に勝負は決まり、土俵から転げ落ちた本人もなんとか土俵に戻って来た。
額から血が出ていた。6代木村玉治郎は結構人気があって、一度見れば忘れられない行司姿だろう。差し違えも意外と多く、愛嬌たっぷりである。
そんなに珍しいわけではないが、1年に1回ある事故でもない。テレビの生放送で見たのは初めて。おもしろい光景だった。
シベリア遺骨問題が酷い。もう一度検証をなんて言ってられる場合ではない。担当した役人はきっちりと名乗り出て責を負うべし。ギリシャのように役人天国になりつつある日本、そんな役人になりたがる学生が多いのも気になる。
(2019年9月13日)
負けて良かった
WBSC U-18野球ワールドカップ(WBSC U-18 Baseball World Cup )で、高校日本代表は1―4でオーストラリア代表に敗戦。決勝戦進出が完全に消滅し、3位決定戦にも進むことができずに終戦となり、4大会ぶりにメダルを逃した。
韓国に入国する時から既に負けていた日本代表チーム。国旗も「JAPAN」も付けない白いポロシャツ姿のいでたちには涙が流れる。
各試合内容も同じだった。ピッチャーで4番の選手ばかりを集めたって、そんなチームが機能するはずがない。それは時には打ち勝つことだってあるだろうが、プロでも言われる「守備は計算できる」チームになっていなかった。
U-18 | 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイトにも、昨日の韓国との試合の見出しに「守備のミスが目立ち韓国にサヨナラ逆転負け 決勝進出が遠のく」と書かれる始末だ。
そもそも論になるが、1回表からノーアウトのランナーを送りバントで進塁させることを「セオリー」だと解説する元高校野球監督やそれに同調するアナウンサーがうざい。
そんな詰まらない野球をやっていて喜ぶのは野球オンチのオールドファンだけだ。しかも1試合の中で何度も同じことを繰り返す。もっとも顕著だったシーンは、1回表1番バッターがまったく制球の定まらないうちに四球を選んでいるのに、次のバッターにいきなりバントでは、相手チームは喜んだに違いない。
高校野球の監督は頭の中が保守堅持に侵されている。そうでない監督も少しはいるのだろうが。
大会が始まる前から「試合に負けた時は自分の責任だ」と監督が言っていたが、戦う前から負けているのは監督であり高野連だろう。教育的という日本の高校野球のどこが教育的なのだろうか。
目先の勝ち負けだけしか教えられない監督采配は、教育的な指導の微塵も感じさせない。馬っ鹿みたいなこの高校野球システムが、どこかで大きく変わることはあるのだろうか。変わらなければ、日本もまた変われない。
(2019年9月7日)
出欠回答
幹事をやっていると会の出欠返事をじかに確かめることが多い。メールではさほど趣を感じることは出来ないが、往復はがきの返事では各人の個性が現れる。
まず、あて名書きに印刷されている「・・・行」を一本線や二本線で消すところから始まるのが普通。何にも手を加えずにそのまま返信する人だって結構いる。
「・・・行」を「様」や「御中」に書き直す人には子供のころからの教養が備わっているのだろう。理屈の問題ではないのだ。
返信欄の出席、欠席は、もっと個性が。取り消し線で意思を表す人、〇で囲って積極的な気持ちを出す人、出席や欠席の文字の後に「させていただきます。」と丁寧な表現を好む人などがいらっしゃる。
もっとも特徴的な人は、欠席の理由を書いてくる人。所要があるとか都合が悪いくらいは丁度よい。ゴルフの予定があるとか旅行にぶつかるとか書いてくる人の気が知れない。そんな会よりも自分の個人的な行動の方が全く大切なのだよと、必死に訴えてくるようだ。
そんな理由の一つ一つがその人なりを現わしているとは考えていないだろう。ましてや幹事から見れば、またいつもの我儘が出ているなぁと現役時代に苦労させられた悪い思い出が蘇ったりして、幹事たる役割の得難い人生経験を満足させてくれるのだ。
一端出席と表明しておいて、予定が入ったからと欠席に回る輩の人間性を推し量る心の余裕がない。
(2019年9月4日)
あらためて問いたい
高野連は酷いということを事あるごとに言ってきた。今回の韓国での第29回 WBSC U-18ベースボールワールドカップに出場する日本代表チームが、国旗と「JAPAN」のない白いポロシャツ姿で韓国入りしたというニュースを見過ごすわけにはいかない。
いつだって教育的とのたまう高野連はこの選手に対する仕打ちを教育的と言うのか。戦う前から戦意を喪失させるこの振る舞いは、いざ韓国チームとの戦いになったときにどうするのか。ビビりにビビって内角球すら投げられないチーム意識になっているに違いない。そんなことはないよ、と選手は言うだろうが、意図しなくてもデッドボールだってあるから、そんなときに「逃げろ」と選手に言うのだろうか。
だいたい「外出をしないように」と天気予報が言っているクソ厚い最中にグラウンドで何日もプレーさせて平気でいる高野連。興行ではありませんと断言しながら堂々と入場料を取る高野連。投手の球数制限なんてちゃんちゃらおかしいと取り合わない高野連。
何ひとつ取ったって自分たちの営業と名誉のために大会を運営しているとしか思えない高野連。いみじくもダルビッシュが今回何度も声を挙げている。どれだけの選手が上に上がることなく潰されてしまっているのだろうかと。もっとたくさんの日本人大リーガーが活躍出来ているはずだと。
勝手に忖度して高校生の日本代表チームから国旗と国名を外してしまった高野連の責任は大重大。再教育が必要なのは高野連そのものだ。責任者は間違いだったと謝らなければ事は終わらない。
(2019年8月31日)
賞
所詮は文藝春秋の創業者・菊池寛が制定した芥川賞と直木賞は、年2回も大それたニュースのように扱われる。
活字の世界は尊敬に値するから誰も文句を言わないのだろうけれど、バレンタイン・デーなんか日本的チョコレート業界の思惑一杯のイベントが普遍化してしまったように見えるのと同じ構図だろう。
なんでも商売に結び付けたがる傾向は日本ばかりではないが、チマチマと思想的な背景もなくイベントを実行してしまう日本人のDNAが神をも恐れぬ所業だと思えてならない。
祭りで打ち鳴らされるからいいのに、その太鼓だけを取り出してパフォーマンスにしてしまうのを由としない。
踊る阿呆に・・・、とあるように、当事者だからこそ心に沁みる事柄が、単なる経済優先で社会に鎮座ましてしまった近代史の行く末は?
(2019年7月17日)
Skaggs
7月1日遠征先のテキサスで亡くなったロサンゼルス・エンゼルス、タイラー・スカッグス(Tyler Skaggs)選手の追悼試合として、オールスター明けの本拠地1戦目のシアトル・アマリナーズ戦では、エンゼルス全員が「45 SKAGGS」と同じユニフォームを着て試合に臨んだ。
メジャーリーグの凄いところがこういうところ。ファンサービスも大したことなくケチな日本プロ野球ではとても考えられないこと。アイディアもないし、エンターテインメントの一翼を担うスポーツとして、よくもまぁ~飽きもせずファンが付いてきてくれている。
現地時間7月12日に行われたこの追悼試合は奇跡に溢れていた。
エンゼルスの2人の投手が、なんとマリナーズに対して1四球だけの史上13度目となる継投でのノーヒット・ノーラン・ゲームを達成してしまった。そしてこの試合の内容も。1回にはいきなり7点をあげ、13安打を放ち、13得点をとって13対0でエンゼルスが勝利した。
翌7月13日はタイラー・スカッグスの28歳の誕生日、7と13という不思議な縁に囲まれた選手たちにとっては生涯忘れられない試合になったに違いない。神や霊など信じるには値しないけれど、ここまで奇跡的なことが重なると。
試合前の始球式ではスカッグスの母親がちゃんとピッチャープレートからど真ん中へ奇跡的な1球を投げている。涙が流れる。このページから映像が
(2019年7月13日)
椿三十郎
古川美術館に行ってきた。
昼食をごちそうになった後、爲三郎記念館にて抹茶を頂くことが恒例になっていて、本日も。今日は土曜日だったので、いつもの平日よりはかなりお客様が多かった。来客平均年齢を推察して、週末に来なければならない理由がなさそうなのだが、一般的な世の中の流れと言うものがあるなのだろうか。
分館爲三郎記念館特別展は、『高北幸矢インスタレーション「落花 未終景」』というタイトルの展示だった。一輪の「椿」が各部屋、庭、映画「椿三十郎」ばりの流れる小川に浮かんでいる。まさしく花瓶に一輪の花をイメージするこの椿だが、大広間の片隅八畳に無造作にばら撒かれている風情の椿は圧巻であった。
廊下から見えた庭に鮮やかな赤を見て、写真を撮ってもいいですかと確認したが、ここは写真撮影禁止だと改めて念を押されてしまった。帰りの売店で展示物と同じ椿一輪(木を彫って花びらを作りそれを丹念に一輪の椿にしたもの)を金一万円也で入手。あぶく銭が入ったばかりなので、高い買い物だとは思わなかった。
ついでに館長がお勧めしてくれたこの展示会の小冊子写真集と作家のサインをしたためた袋に入ったチョコレート菓子を買う。こんなことは珍しいことだが、一生に一度や二度はあってもいいかもしれない。
それよりも、圧巻の椿は、どう考えたってインスタ映えするだろう、と強く強く感じた。撮影禁止どころか、積極的にお客様に撮影をお勧めしてインスタに#FurukawaBijutsukan#Tsubaki#Tsubakisanjurou のハッシュタグと共に投稿してください、と貼り紙をしたいくらいだった。
そうすれば、日頃大したことのない料理をさも驚いて投稿するぐらいのお嬢ちゃまたちに、いいものを見る機会を提供できるかもしれないと。そんな奴らはどうでもいいよ、なんて思ってはいないのだろうけれど、誰にだってハッとする人生の転機はあるものだ。そういうちょっとした機会を示すことができたなら、仕合わせと思える人生の一端を演じてくれるような気がしてならない。
この写真は、買い求めた小冊子写真集からの転載になるので著作権には違反している。でもそれくらいの法律違反は由としているのが私の価値観。文句を言われたら素直に聞く心しかない。
(2019年6月29日)
予想は当たる
サッカーの女子ワールドカップ(W杯)フランス大会決勝トーナメント1回戦でオランダに1―2と敗れた日本代表「なでしこジャパン」は敗退から一夜明けた26日、日本へ帰国の途に就く。
決勝トーナメントに行けただけでも満足しなければならないだろう。このチームの監督を見て「勝てない」と断言した。何がそう言わせるのか、確実に分かっている訳ではない。もともとの実力に、監督の力が付加される事だけは分かっている。
サッカーについて偉そうに語れるだけの理論も実践もない。日本チームは男子も女子も決定力の精度に欠ける。後ろにパスするのは得意だが速攻が出来ないところがよく似ている。あんなにイライラする攻撃でも時々得点が出来ていることが奇跡に見えて仕方がない。
ボールを止めろ、ここで打て、もう一歩前に打て、と素人がテレビに向かって叫べるほどの実力が日本チームの本当の姿。昔は、ヨーロッパ・サッカーと日本サッカーとは違うスポーツのようだ、と言われていたことを想い出す。その時から比べれば、ものすごい進歩だとは感じるけど、そこまででとまっている。もう2歩も3歩も先へ行かなければならない。
それにしても不自由なスポーツだ。ハンドでペナルティ・キックが与えられるほど詰まらない試合はない。
(2019年6月26日)
時計のない時刻表
駅と言えば時計と時刻表と相場が決まっていた。
ところがどうだ、今の駅には時刻表はあっても時計は存在しない。そんなもの当たり前じゃん、スマホがあれば充分でしょ! と言う声が聞こえてくる。
確かにそうだろう。異論はない。私だってスマホは持っていないけれど、ガラケーを持っているので時間はすぐに分かりそうなものだが。
毎月の携帯使用料金は約1400円、安いのには訳がある。こちらからは通話電話を掛けない。ネット利用は一切しない。それがこの料金で済む理由だ。
ネットを利用していれば時計の時刻も補正されるのだろうけれど、私のガラケーは20分も進んでいる。以前は7分くらいだったと思っていたのに。
本日の遠征で、あらためて感じたことでした。
(2019年6月23日)
NHKから国民を守る党
元日本放送協会(NHK)職員が2013年6月17日に「NHK受信料不払い党」の設立を届出、7月23日に現在の党名に変更した。
あまねく日本全国でテレビ視聴が出来るようにするために出来たはずの有料放送が、いつの間にか公共放送と名を変え民間企業を圧倒する超課金放送局となった。なにしろ、携帯電話でもカーナビで見られるテレビにからも強制徴収合法と時の政権日和見裁判所が判決を出した。
確かに今までの努力は認めよう。だが、時代の要請はNHKの視聴料無条件徴収を支持していない。テレビがなければ生きていけない時代となったということは、無条件で国民全家庭に視聴料同等の税金を課しているようなもの。しかも、NHKを見ない人からも強引に金を巻き上げるヤクザと同じではないか。スクランブルという技術を使えば容易に有料放送に切り替えられるのに、それをしないというのは一部の人が叫ぶようにNHKを見ないという基本的人権を奪っている、と言わざるを得ない。
電気屋の息子としては忸怩たる思いはあるが、まがったことの大嫌いだったオヤジよ、ここはどう思う?
(2019年6月11日)
地震報
2019年5月25日の午後3時20分ごろ、千葉県で震度5弱の揺れを観測する地震があった。気象庁の発表によると、震源地は千葉県南部で、震源の深さは約40キロ、地震の規模を示すマグニチュードは5.1と推定されている。
千葉県の長南町、長柄町というマイナーな地名がテレビに映る、地図上のその上には霞ケ浦が見える。実家近くは震度3だったようだ。もう驚かないよ、と兄に言われたのはもう何年も前の話だった。
NHKは相撲中継を中断してまで速報を30分以上流し続けた。早々と津波の心配はないと言い、実害はまったくなさそうだったが空撮まで交えて現地の状況を伝えていたのには驚いた。
本格地震への訓練なのだろうか、と思えるような放送を繰り返しているNHKがうざい。北海道で震度3の地震があったと緊急速報を大袈裟に流したりと、人心を不安にさせている張本人はあんた方だよ。
物の価値観が大きく変わった平成時代、現実には何も変わらないのに何かが変わってきたように感じさせる情報伝達社会、明日になれば世の中がひっくり返ってしまうような事件が起きる予感がひしひし。
明日トランプ大統領が大相撲五月場所の最後3番だけを観戦する。万が一、優勝決定戦になったらまずいとばかりに今日で決着をつけてしまおう、と考えたに違いない。あっさりと角竜が大関復帰条件の10勝目栃ノ心に負けた。なんでもありの相撲村には勝てない、開いた口が塞がらない。
(2019年5月25日)
また、いた。
また、いた、というほど久しぶりのことではなかったが。
今日は親子3人連れ。父親は子供を抱っこしている。母親はエレベーターのボタン類が揃うパネル前に陣取っている。待っていてくれたので、そこに私が「すみません」と入って行った。
何処にでもあるエレベーター風景。そこで起こったことも、最近では日本のあっちこっちで見受けられる光景なんだろう。
何がって?
エレベータが到着してドアが開いた。その瞬間に女性が「開く」ボタンを押しながら「どうぞ!」と言った。こちらも「どうぞ!」と返した。もう一度同じ言葉のやり取りがあったが、観念したように女性が先にエレベーターを出た。
その際、「押してなくてもドアは開いていますから!」と余計な言葉を放ってしまった。反省。そういうことを面と向かって言うことを慎んできたはずなのに。
言われた方だっていい気持ちはしないはずだ。もしかすると戻る途中で「こんなことを言われた!」と夫に話しているかもしれない。夫も「それは酷いね!」と言っているかもしれない。
あくまでも想像の域で意味がないことは分かっている。それにしてもなんと多いことか。エレベーターのドアは一定時間確実に開いている。ましてや3人が降りるくらいの時間なら間違いなくドアは閉まらない。
そういうことを知らないはずはないのに、自分の親切心に酔ってしまっている輩が。勘違い人生はいいことだが、しなくてもいい勘違いは困る。
世界リレー(World Relays)がおもしろかった。陸上好きの私には気持ちいい。男女混合4×400mは、2人づつの男女の走る順番をどこに配置してもいいというルール。予選では各国の配置が微妙でおもしろかったが、決勝戦では全チームが男女同じ順番(男女女男)では面白味に欠けた。
最終レース男子4×100mではブラジルが優勝した。誰一人9秒台の選手がいないチームが優勝した。これがリレーのおもしろいところ。
(2019年5月12日)
地獄の沙汰も
斜め向かいに『看護付有料老人ホーム サニーライフ名古屋南』という施設がある。
総3階建で部屋数はどのくらいあるのか分からないが、最多価格帯部屋数が80室とあるから結構大きな施設に属するだろう。
その最低価格帯という金額は70,000円らしく、それに管理費と食費を加算すると1か月13万円になるようだ。たぶん、この施設は安い方の部類だろう。
『入居者募集』と『入居費用無料』という旗が五月の風にたなびいている。いつ見ても「入居費用無料」は不思議な言葉だと感じていたが、入居一時金は無料という意味くらい分かるだろうと、今風の若者志向の傲慢さが見える。
13万円が安い方では私なんぞは絶対老人ホームに入るなんていうことは出来ない。出来なくていいのだけれど、入りたくても入れないという状況は悔しいねぇ~。
この施設の入居者を見ることはまずない。訪問者の車はそれなり以上に出入りしている。時々は医者と看護婦チームが中に入って行く姿を目撃したりもする。ということは、寝たきり老人が多いのかな、と想像している。
乱暴な言い方をすれば、さっさと有り金を寄付して老人はすべからく彼方に旅立つことが選択できれば、後世の人たちの仕合わせが少しは増そうかと想像できる。そういう提案をしてくれる全学連上がりの人種はいないかな?
地獄に持っていけない金なれど、地獄の沙汰も金次第は生きているうちに起こっている。
(2019年5月4日)
バカ騒ぎ
こうやって日本人のDNAが創られ続けてきたのだろうなぁ~、と思わされる新元号誕生である。
このあたりのニュアンスが心底分かるようになった外国人がいたとしたら、それは日本人に近づいたと思っても良いだろう。
なにしろ、何の理由もなしに太鼓を叩いて、輪になって踊ることは日本人の得意とするところなのだから。
豊作だからとか飢饉だからとかいう理由は遠い昔、今や太鼓だけでパフォーマンス料金を取ることさえできる。それが日本なのだ。
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、よい、よい、よいよい!」なんのこちゃい、とチャチを入れたくなるような掛け声が日本全国に響いている。
それでいいのだ、と草葉の陰から声も聞こえる。めでたや、めでたや。
(2019年4月30日)
86歳
高齢者ドライバーによる危険運転がニュースの世界を賑わしている。
車にかすり傷が増え始まったころ、我ら3兄弟は父に車をもう運転しないようにと説得した。どういう具体的な経過をたどったかは定かではない。
ただ、間違いなくそういう風に仕向けたことは確かだった。商売で毎日運転していた時から、運転を止めるころまで、車は父の人間証明にもなっていたような気がする。
晩年はそれまで以上に車で遠出していた。電車に乗ると酔うからと自分で運転する快適さを強調していた。全国電器小売商業組合連合会の仕事をしていた時などは、それこそ何処へでも車で行っていたようだ。
夫婦で満州の軍隊生活時代の友人を訪ねて鳥取まで車で行ったこともあった。そんな人から車の運転を取り上げることは忍びなかったが、大事故が起こってからでは遅い。今でも正しい判断だったと思っている。
車を運転しなくなってから約2年で父は亡くなった。原因は車を運転しなくなったことだろう、と確信している。もう少し運転をしていたら、人生も延びていたことだろう。
それでも仕方のないことだと諦めている。
毎日7錠もの薬を飲んでいる私。効能はひとつなのに副作用は無数に書かれている薬の説明書を見ていれば、車の運転なんかもってのほかだと思えた。自主的に運転免許証を返納したが、悔いは残っている。
運転は好きだったが車気狂い程ではなかったのが幸いしている。運転経歴証明書を身分証明書代わりにと積極的に考えていたが、イオン・カードを作るときに運転免許証でなければダメだと言われて愕然としたことがあった。
横の連絡が密でない政府の仕事の典型だろうか、それとも意味を正確に把握していないイオンのせいなのだろうか、こんな事では運転免許証を返納しなさいなんて言えるはずもない。
父は86歳で亡くなったが、私がそこに行き着くまでにはまだ15年もある。そんなことはあり得ないだろうと、私が自分のことを一番よく知っている事柄だと思っている。
(2019年4月24日)
自作機
最近2台の自作機パソコンのチューンナップをした。
いずれも10年以上前に作ったもので、もう用をなさないと帰ってきていたものだった。
1台は WindowsXP → Windows7 → Windows10(64bit) へとOSが移行して行った。もうすぐ作業終了となる1台が手元にあるが、最も肝心なマザーボードとCPUは元のままで、SSDというハードディスクに代わる速い起動ディスクへの換装と2GBだったものに4GBを追加し計6GBにしたメモリーさらにオン・ボードのVGAからビデオカードを追加したことが主なアップ・グレード点だ。
パソコンの専門用語を使うと何も分かってもらえないかもしれないが、別の言葉に置き換えられるほど、才能がある訳ではないのでご了承いただきたい。
そんな昔の自作機帰還グッズの中に、17年前のサムソン製17インチ液晶モニターがある。その当時の価格は71,800円。う~ん、凄い値段だ、今どきなら標準的なパソコン1台が自作できる。今、自分のセカンド・モニターとして使っている。
パソコンに不可欠なキーボードとマウスのセット品をアマゾンで 1,299円で買った。ログオンの際、キーボード入力が簡単に出来て喜んでいたのもつかの間、文字入力の確認と思いWordでの文字入力時に異変が発生、その後はこの有線キーボードが認識されることはなく早々と使用を諦める羽目になった。
安物買いの銭失いを延々と繰り返しているが、どこまで行ったら懲りないのだろうか。3年保証と謳ってあったのはいったい何だったのだろうか。文句を言って返品、返金を要求するのはかえって面倒だ。いい歳になったのだから、もうこんな買い物はやめなさいと言う神のお告げだろう。今回は安い授業料だった。
チープな形態はwebの写真では判断しにくい。もっと大きな買い物なら電気屋に行って必ず実物を確認していることは必須なのだろう。
忘れていた買い置きのキーボードと、アマゾンで買っておいた318円の無線マウスで我慢してもらおう。やっぱりいつまで経っても懲りない面々とは自分のことだった。
(2019年4月21日)
令和
日本中のブログがこの和暦で埋め尽くされているかもしれない。
記念だから、敢えてこの話題に触れて記録を残すこともありだろう。
誰しもがかすかに予想なるものをしていたに違いない。具体的な元号を想像出来なくても、私のようにアルファベットのイニシャルは "K" ではなかろうかと思ったり。
まさか R とは、意外だ、やられたという感じがする。あまりにも国民が関心を持ち過ぎるので、ちょっと裏切ってやれということがあったような気もする。これで次回の予想は、もっともっと複雑になるに違いないとほくそ笑んでいることだろう。
ただ、明治、大正、昭和、平成、と続いてきた元号がここで穏やかになった。意外だが文句の出ない、そんな落ち着き過ぎた、あるいは国民への忖度があるような背景が見える。例にならわず中国からの出典に帰さなかったことも国民への忖度のひとつに見える。
どんなに違和感があったとしても、この手の類の事柄はあっさりと慣れるに違いない。そこが日本国民の一番いいところ、いつまでも不思議な国民性だ。
「この日に相応しい天気」とマスゴミ(塵)は言う。安倍首相は「今日は天気が良く明るい時代に繋がる・・」と言った。マスゴミ(塵)が政治屋に言い様で負けている。
「令」という文字は印刷文字らしい。書き文字は下の部分が「マ」と書くのが一般的だが、NHKによればどちらを書いてもいいらしい。
microsoft EXCEL では、2019/4/1 に「ggge"年"m"月"d"日"」という書式設定をすれば「平成31年4月1日」と自動的に表示する。今はまだ、2020/4/1 が自動的に「令和2年4月1日」になることはない。エクセルがアップデートされるのはいつになるだろうか。
このページの最上部右に表示されている「平成」は5月になれば自動的に「令和」に替わる予定。
ちなみに元妻の名前は令子だった。
(2019年4月1日)
取るに足らない
「選抜高校野球・2回戦、習志野3-1星稜」(28日、甲子園球場)
ドラフト1位候補・奥川恭伸投手(3年)を擁する優勝候補の星稜(石川)は習志野(千葉)に惜敗し、準々決勝進出を逃した。
習志野は“美爆音”と呼ばれる応援席のブラスバンド演奏で知られており、この日も攻撃中は演奏が響き渡ったが、大会本部は試合後、この応援に関して「『うるさい』などという苦情が数件あった」と明らかにした。
習志野の応援は、相手チームにも脅威となるほどの大音量で、甲子園のファンにおなじみとなっている。
数件の苦情という情報を公にする大会本部なるものが酷い。
事実だからと、発表することが悪いことではないと勘違いしている。
一時の些細なことを、さも大したことだと取り上げてはいけない。
そういうことをしているから、社会が混乱するのだ。
ダメなことはダメではなく、必要ないことを言うな、と言いたい。
そういう判断が出来ない人間を要職に置くな、と言いたい。
こうしたら世の中が良くなると考慮できる人が前に出るべき。
一貫した意見を言える人を重用すべし。
枝葉末節なことしか分からない人を排除すべし。
ガタガタするな、ガタガタ言うな。
こういう記事は、この手のはなしだ。
(2019年3月31日)
名古屋城本丸御殿
名古屋城本丸御殿に行った。
だいぶ前に1回行った記憶があるが、よく覚えていない。今回歩いてみて、記憶は蘇らない。調べてみたら何となく理由が分かった。
2009年に復元工事が始まって2013年に第一期公開として「玄関」「表書院」などがまず出来上がったという。たぶん、この後に勇んで出かけて行ったのではなかろうか。
1945年、太平洋戦争での空襲によって本丸御殿は天守閣とともに全焼してしまったが、江戸時代の記録や昭和に作成された実測図、古い写真といった史料があったおかげで、天守閣は1959年(昭和34年)に「鉄筋コンクリート」・エレベーター付きで再建されていた。
本丸御殿再建は2013年の第一期公開の後、2016年に第二期公開として「対面所」などが段階的に公開され、そして第三期・完成公開として2018年に最奥部の絢爛豪華な「上洛殿」などが公開されるに至ったということらしい。
どこを歩いているのか分からないほど、同じような「間」が次から次へと現れる。工夫されたガイド・イヤフォンなどを置いてくれないかな~、と贅沢な欲求が。それ以上に、歩く通路に敷かれた工事用のビニールシートに興醒めしてしまった。
歩くところも畳の廊下になっているので擦り切れるのは必至だが、せっかく復元して見てもらおうとしているはずなのに、見学者がいつも工事用シートの上を歩かなければいけないのは変。政府要人などが見物に訪れれば、間違いなくそんなシートは取り外されるだろうから、なおさら庶民は悔しくて仕方がない。
当時の雰囲気を味わってもらうために、冷暖房装置を敢えて設置しないとの説明があったくらいだが、畳通路の一部は真ん中に仕切り棒があったり、入り口説明人には日本語が完璧ではない中国人らしき人を配置したり、辻褄の合わない処遇をしている。
費用はおよそ150億円、高いのか安いのか分からない。50億円は一般市民からの寄付だというから驚く。今、天守閣は見学中止になっている。すべて「木」による復元を計画して目下河村たかし名古屋市長が汗をかいている。耐震の問題とかが再復元の理由にはなっているが、エレベーターを付ける付けないかなどで細かい論争も起こっている。
天守閣再復元費用は500億円らしい。最終的に国の許可がなければ改築は出来ない。なんでも100%の人の満足が行くように進めなければ計画はおしゃんになってしまう。全員が満ち足りた気分になれる事なんかないのに。すべて「木」による復元がエレベーター付きでは単なる観光用建造物でしかない。いつも権利だけを主張する輩が増えてしまった昨今、どうやってその馬鹿さ加減を踏みにじることが出来るかが鍵となる。ほんに、うざい世の中になってしまった。
(2019年3月15日)
LIII
第53回スーパーボウルがジョージア州アトランタのメルセデス・ベンツ・スタジアムで開催された。
NHKのBS放送では朝のうちにアメリカのプロスポーツを生中継してくれるのがありがたい。シーズンになればほとんど毎日メジャーリーグ・ベースボールを見ることが出来る。日本人選手の出場に合わせて放送チームを選択している差別はあるが。まぁそれも仕方のないことかも。
アメリカン・フットボールの試合は毎日行われるわけではないので、放送も限られるから、気を引き締めていないと見逃すことになる。このシーズンは一度も見ることがなかったのは残念だったが、最後のスーパーボウルはきちんと最初から最後まで見た。
例年になく両チームとも点数の取れないゲームだったが、それでもおもしろかった。結果はニューイングランド・ペイトリオッツ13対3ロサンゼルセ・ラムズ。頭脳ゲームと言われるアメフトだが、その前に肉弾戦の様相が著しく、とてもじゃないけど日本人チームの出る幕はないといつも思わされるプロ・スポーツだ。
第53回をLIIIと称するのが通例。ローマ数字では、1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10 をそれぞれ Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ,Ⅳ,Ⅴ,Ⅵ,Ⅶ,Ⅷ,Ⅸ,Ⅹと書き、1, 5, 10, 50, 100, 500, 1000 を I, V, X, L, C, D, M と表すことになっている。Lを50と表現する習慣は馴染みなく、まず読めなかった。
ハーフタイムショーは「マルーン5」というまったく知らないグループだった。楽曲は世界中で売れているというが、聞いても何も感じないいつものアメリカン単純楽曲で、面白みに欠けた。マイケルジャクソンやマドンナ、はたまたレディガガなどに比べたら名前ばかりでなくそのパフォーマンスの完成度も見劣りするものだった。
会場といいアメリカのプロ・スポーツは日本の何十年先も行っている感じがして、複雑な気持ちにさせられる。
立春・・・雨水・・・啓蟄・・・春分・・・清明・・・穀雨・・・・
(2019年2月4日)
平成31年2月
アラブ首長国連邦(略称UAE:United Arab Emirates)で行われている『AFC アジアカップ UAE 2019』決勝戦が行われる。日本対カタールで、2月1日(金)現地時間18:00、日本時間23:00 キックオフだ。下手くそな日本チームが決勝まで行き着いた。2日前の準決勝の試合だけは、今までになく下手ではなかったところが印象的だったが、相手が変わればまたパフォーマンスも違ってくる。勝つの負けるのかは分からないけれど、国際試合を楽しもう。
昨日2019年1月30日に、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会は、東京2020大会オリンピック公式チケットの販売概要について発表した。東京2020大会(オリンピック・パラリンピック)を観戦するためのチケットは2019年春、東京2020大会公式チケット販売サイトで抽選申込が開始される。抽選申込に参加するには、まず「TOKYO 2020 ID」に登録。チケット販売サイトで観戦したい競技のチケットを探し、座席の種類や枚数を選んで申し込み。抽選結果発表(2019年6月中旬以降)の後、支払い・受取り方法を選択し、支払い手続き・購入完了となる。チケット代金の支払い方法は、Visaブランドのカードによる決済またはコンビニエンスストアでの現金払い(手数料432円)。また、紙チケットで受け取る場合は、発行手数料324円及び配送手数料864円が必要となる(モバイルチケットを利用したり自分で印刷したりする場合、手数料はかからない)。抽選申込後には2019年秋以降に同サイトで先着順販売、2020年春以降にチケット販売所(都内に設置予定)で窓口販売が行われる。チケットを購入したが来場できなくなった人のために公式リセールサービスも2020年春頃から開始予定。あっという間にオリンピックが始まりそうだ。
日本薬科大1年の女子学生(19)が昨年11月から行方不明になっている事件で、警視庁は31日未明、失踪直前まで一緒にいた男の供述に基づき、茨城県神栖市の空き地で女子大生とみられる遺体を発見した。昔は「神栖村」で商店街なんかどこにもなかった地域だった。その後、鉄鋼・石油を中心とした重化学コンビナートの街として発展。工場立地企業からの税収により財政は豊かで、福祉が充実しており県外からの転入者も多くなり2005年に神栖市になったらしい。鹿嶋市・潮来市・鉾田市・行方市とともにJリーグ鹿島アントラーズのホームタウンであるとも。鹿嶋市との広域市町村合併構想は、自主財源の確保の観点が反対理由の一つでボツになったらしい。
千葉県野田市の小学4年栗原心愛みあさん(10)が自宅で死亡し、父親の栗原勇一郎容疑者(41)が傷害容疑で逮捕された事件で、心愛さんが「父からのいじめ」があると回答した学校のアンケートのコピーを、市教育委員会が栗原容疑者に渡していたことが30日、分かった。教育委員会て何なの、と昔から疑問を呈しているが、存在が悪となって現れることになっては、抜本的な再構築を考えなければならない。秘密を守りますので正直に答えて下さいと言っておきながらの所業である。法律に違反するからとコメントした野田市そのものもやっぱり本質が分かっていない。法律の問題ではないところを認識しなければ、新しい規範が生まれようもない。
こんなことがメモランダム。
(2019年1月31日)
初期対応
もう二度と書くことがないだろうから、稀勢の里についてまた書こう。
昨日、この欄の最後に引退の速報がなく明日の朝になるだろうかと言い放ったことが現実となった。遅きに失した感は否めない。長年相撲社会を見ていれば、初日に稀勢の里が負けた時にそれまでの横綱ならこの日に引退を表明していただろう、と思う。
それはこれまでの相撲界の仕来りだし、誰が何と言おうとこれこそ不文律みたいなものなのだ。
今回の稀勢の里が残してくれた教訓がいくつかある。一番は、初期対応が何よりも肝心なこと。この頃の会社や役所の不祥事で初期対応が遅かったり対応そのものがまずかったりして、事件がどんどん広がってしまい収拾がつかなくなってしまっていることに他ならない。
稀勢の里の場合は、怪我を押して2場所目の優勝を勝ち取ったまでは良かったが、その後の対処を誤った。新横綱が地方巡業に出ないで休むことは出来ない。ましてや新横綱が本場所を全休することも許されない。そういう思いが本人によりも周り、相撲協会内部に根強くあることが大きな原因だ。
本来なら2場所(実質4か月)の本場所をリハビリに充てなければいけなかった。でもその時点でそんなことを言うマスゴミ(塵)はひとつもある訳がない。今更ながらに、休めばよかったなどと殊勝なことを言っているが、マスゴミ(塵)は寄ってたかってそんなことを言うはずもない。
初期対応が一番だったが、二番手はないと思えるくらいだ。誰が何と言おうと自分の身体の状態が分かるのは自分しかない。まだまだ、と思う気持ちを完璧にさせる助言者の存在も本人以上に必要な場合がある。人間は自分のことを知っているようで知らない。自分が見る自分と他人が見る自分を比べられる人間が、人間力のある人間であることは論を待たない。
怪我を知らないで昇りつめたプロ・スポーツ選手が一つの怪我に泣いてしまった。皮肉なものだ。子供のころから病気ばかりしていた子供が、成長と共に頑丈な人間になって天寿を全うする人生もある。何が仕合わせで、何が不仕合わせなのかは紙一重の世界であることも確か。
国技じゃないものを平然と「国技」と意識的にアナウンスするテレビ界も罪作り。まぁ、相撲村には生きる道がたくさん残されているから可哀そうだと思う必要もない。馬鹿な貴乃花のような輩も登場した昨年に続き、新年早々新たな話題を作り出す相撲村は安泰かもしれない。
(2019年1月16日)
いよいよ
いよいよ稀勢の里が引退を表明するときが近づいてきた。
彼が大関の時に、よくよく横綱になりたくないんだなぁ、とその不甲斐なさぶりを嘆いていたのが懐かしい。四股の姿も綺麗ではないし、このまま大関でいるのが一番だよ、と何度も書いていたことも思い出す。
敢えて勝とうとしていないように見えた御嶽海にあっさりと負けた。稀勢の里の身体つきはだいぶ良さそうだったが、皮肉なことに実践感覚が戻っていないようだ。このまま毎日取り組みが続けられれば、おそらく復活もあり得るだろう。
だが、困ったことに結果が伴わなければ決断しなければならない。明日2連敗なら、その時点での引退もあるだろう。勝てれば、1日ごとに引退表明の日は延びるだろうが、それでも針の筵の上えであることに変わりはない。
たかが相撲村での話のこと、誰が勝とうが負けようが、横綱を引退しようが大したことはない。おもしろいエンターテインメント・ショーを期待しているのは、長年の相撲ウォッチャーだけではない。
(2019年1月13日)
とりとめなく
世界一弱い格闘家だった高田延彦率いる RIZIN は大晦日の格好の視聴対象。片や SASUKE にボクシング世界タイトルマッチを適当にまぶして視聴者を固めようとする。テレビ2台を交互に見ながら過ごす1日は自分の恒例となっている。
ある年にはパソコンのテレビを加えて3番組を観ていたこともあった。NHKにチャンネルを回すことはなく、コマーシャルが重なったときにたまに雰囲気だけを観に行く程度。だいたい、今どき紅白対抗だなんて、なんて時代遅れなタイトルと内容を提供しているのだろう。
不思議なのは、これまでもNHKに対抗すべく民報各局があの手この手と奇策を繰り出しても、その牙城を打ち破ることは出来なかった。
NHKのキラーコンテンツが優っているのではなく、民放の知恵の無さ、実力の無さが集約された年末の番組だと、誰でも分かる。
なんでもかんでも反対ばかりしてきた我々世代は、NHKを観る習慣なんてクソくらえと思っていた。ところがどうだ、今の若者には魅力ある番組に見えるのだろう。就活には全員が喪服を着るし、サラリーマンになってもそのまま黒い服を愛用するコンサバぶりが、日本の未来を象徴しているように見える。
記憶に残らない年頃の子供を引き連れて海外旅行に行って喜んでいる夫婦たちもひどいもんだ。自分の意志で海外を観る力があるようになってからでも遅くない。70歳過ぎて、もう社会に貢献できない知識を求めて海外旅行する老人たちもうざい。そんな金があるのなら、一銭でも寄付やボランティアに費やすべしと警告を発したい。
おもしろくても、おもしろくなくてもテレビ文化は続く。スマホ文化もさらに躍進するだろう。どうしてもこの目で100年後の地球を観たい。映画のシーンのように。
(2018年12月31日)
格闘技
この頃は、有料チャンネルのコンテンツやらに移ってしまった中継のせいで、格闘技を見ることがまずなくなってしまった。
本格的な格闘を実践したことはないが、たぶん弱いからこその格闘技ファンかもしれない。
BS11という時々映画録画でお世話になっているチャンネルで、急に見つけた「キックボクシング『KING OF KNOCK OUT2018両国国技館』」を見た。キックボクシングなんて、なんと久しぶりなことだろう。
喜んで見ていたけれで、これまた急に番組が終わってしまった。調べてみると、19時から20時までの番組だったようだ。わくわくした心が縮んでいった。
本気になって格闘したら、それこそ生きるか死ぬかの問題で、すべてのスポーツ格闘技はやらせだと主張する輩もいる。確かにその要素は大だけれど、決着をつける戦いはおもしろい。
ボクシングの判定試合なら許せるけれど、全身格闘技試合で判定なんて、こんなつまらない戦い、試合はない。
観客はどんどん過激になって行くのだから、戦いをやっている側も大変だろう。仮想空間と現実を区別できない幼思考の馬鹿どもが現実社会で暴力行為をしているニュースを聞くと哀しい。
そんな奴らは格闘技社会にぶち込まれて打ちのめされるといい。
(2018年12月9日)
重大事故
ソフトバンクの通信障害が重大事故だとして政府まで乗り出すはめになった。
ソフトバンクばかりか海外10か国でも同じことが起こったというから恐ろしい。スエーデンのエリクソン製のソフトの不具合だというから、それを選んだ会社が悪いと言われているようなもの。とんだとばっちりのように見える。
こういうソフトの不具合を「バグ」と言うことは、ちょっとプログラムをかじったことのある人には馴染みな言葉。不具合が起こらないように、何度も何度も繰り返してテストすることでバグを取り除く作業を「デバグ」と言う。これも、経験のある人なら頷くこと。
人間のやることに完璧はない。が、だからこそ絶対起こってはいけないところから順番に完璧に近づける作業をしなければならない。そこがプロであることの証明になるだろう。
今日のソフトバンクの店にはお客さんの数が少なかった。こんなことですぐ左右される日本人の心理がうざい。
ファーウェイのCFOがカナダで逮捕されたという。トランプはファーウェイの機器を使わないようだいぶ前から警告を発していたが、日本政府も今回の逮捕でファーウェイ外しをするらしい。
国際的な事件は何処で何がどうなっているのか、ミステリー小説のような展開をしているように見える。
(2018年12月8日)
中間選挙
アメリカの中間選挙では18歳から29歳の投票者のうち2/3が民主党に投票したという。また女性の当選者が大幅に増えてその90%が民主党だという。トランプの暴言、暴挙の怪我の功名で、女性の躍進と若者の政治意識に大きな貢献があったと歴史に記されるかもしれない。
(2018年11月7日)
RIP
映画を観ていたら急に [ RIP ] という言葉、表現が気になり今一度調べておこうという気になった。今観ている映画に出てきた訳ではないのに、というところが自分らしい。
死を悼むときに遣う言葉、お墓に彫られる言葉とだけ認識していた。それで大きな間違いはないが、やっぱりもう少し深くなければ。
RIPとは:欧米の墓に刻まれる文字。ラテン語 Requiescat in Pace の頭文字で、「安らかに眠れ」という意味。英語バクロニムで Rest in Peace と書かれることもある。とある。転じて英語圏で故人を悼む際使われるインターネットスラング。
さてさて、「英語バクロニム」っていったい何? バクロニム(英: backronym または bacronym)とは:ある単語の各文字を使って、新たに頭字語としての意味を持たせたものである。バクロニムを作る行為は、日本で言うあいうえお作文に近い。
バクロニムは1983年に back(後)と acronym(頭字語)を組み合わせて新造されたかばん語である。ということらしい。
またまた、「カバン語」って? かばん語(かばんご、portmanteau word, portmanteau)または混成語(こんせいご、blend)とは、複数の語のそれぞれの一部を組み合わせて作られた語である。合成語と似ているが、合成語が語の語基を完全に保って2語を組み合わせたものであるのに対し、かばん語は語の一部分同士を組み合わせる点で異なる。例として、“smoke”(煙)+“fog”(霧)→“smog”(スモッグ)等が挙げられる。英語を借用してポートマントーとも呼ばれる。らしい。
最後に、ポートマントー(portmanteau):両開きタイプの大型旅行かばん。と、デジタル大辞泉に出ていた。
昔はこうやってひとつの事柄から無限に広がって行く関連事項をおもしろがっていた。もうそんな根気はないが、来世の私のためには間違いなくいいことをしているという自負はある。
あいうえお作文:お題となる単語の各文字(例えば人名や物の名前など)を各句の頭文字に据えて文を作る。五十音のいずれかの行をお題とする場合もあり、これがあいうえお作文の語源となっている。折句とほぼ同じルールだが字数制限が特に設けられていない点が異なる。複数人でひとつの文を作る場合もありその際は各句の担当をあらかじめ決めておく必要がある。大喜利の演目として行われることが多い。それ以外にも標語やキャッチフレーズを作る際にあいうえお作文の手法が使われることもある。
折句(おりく、 英: acrostic):ある一つの文章や詩の中に、別の意味を持つ言葉を織り込む言葉遊びの一種。句頭を利用したものがほとんどである。これだけではさらなる疑問が噴き出てくる。
インターネットスラング:文字通りインターネットで使用されるスラング(隠語、略語、俗語)であり、主としてインターネット利用者の間でのみ通用する特殊な言語表現である。スラングの常として発祥が不明確で、パソコン通信時代から使われている言葉も少なくないため、パソコン通信時代から見られたものはパソコン通信とインターネットの両方の意味を内包し、ネットスラングと表現する者も見られる。あるいは、単にスラング全般のインターネットコミュニティ上での利用や引用に過ぎない場合や何らかの娯楽作品などよりの引用もあるが、この部分は割愛する。本項では主にコンピュータネットワークのサービス上に見出されるものを例として示すが、必ずしもコンピュータなど情報処理技術や、それらを基盤とする通信媒体に固有の制約に密接に関係するわけではない。
(2018年11月1日)
ネット
宝くじがネットで買えるようになる、というニュースがあった。困ったことになった。実店舗だからこそ、1枚ください、と臆面もなく言っているが、ネットなら簡単に変えてしまう弊害が私の身に降りかかってくるのは必至。
勿論、ロト6やロト7を毎週購入しているので、何をいまさらなのだが、また買う機会が増えることが恨めしく思えるのだ。
どうせ買っても当たらないと思いながらも、買わなければ当たらないと買う人はいつも買っている人。
当たるぞ! とか、当てるぞ! と、叫びながら買う人は、宝くじ初心者だろう。
「DAZN」のお試し期間に加入した。ダズンと読んでいたが、正しくはダゾーンと言うらしい。村田諒太のタイトルマッチが見たかったのだ。
11時開始と書いてあった試合は午後1時頃に始まり、試合もつまらなかったが、まーその辺は仕方のないことだろう。
税込み1か月1,890円は高い。有料会員枠はもういっぱいだ。アマゾンからの加入方法は簡単で、「無料でタイトルマッチを観よう!」とまで謳っていたのには驚いた。
1か月以内に「定期購読・自動更新・無効」としてあげればいいらしいので、忘れないでやらなければならない。
(2018年10月23日)
うん
塵も積もれば山となる、如く、「最近観た映画」が2400本になった。
あの時書き始まっていなければ、今もただ観て過ぎてゆくものにしかなっていなかった。
映画会社に勤めていた現役時代は、年間に数えられるほどの映画しか観ていなかった。試写室で観る映画をカウントしなければ、それこそ5本も観ていなかったのではなかろうか。
そんなことで宣伝部長がよくつとまったねぇ、と疑問符を投げかけられるのは承知。だいたい宣伝部員だったことがない人間が宣伝部長をやれと言われることが不思議だった。
理由は明確だった。宣伝部育ちの映画ファンには宣伝予算を抑えることが難しかったのだ。映画の出来不出来を見て、抑えるところは容赦なく抑えられる普通の人々が求められていた。
立ち話で社長と宣伝費の額を決められるのは楽しかった。長嶋一茂の打率だと称していた映画のヒット率、当たらない映画の時にどれだけ予算を削れるかが結構重要だった。ボーナスのためにも。
勿論、大作には思いっきり宣伝費をぶち込む。あの当時に3億円は大したものだった。当たるか当たらないかは時の運、最初から結果が分かっていればそんな簡単な仕事はない。水ものの映画興行には「運」が一番重要だったのかもしれない。
(2018年10月16日)
沈黙は金なり、それが銅に変わる前までは。
一日中一人で家に居ると、ほとんど狂人のような気になってくる。
一言も喋ることのない生活にはだいぶ慣れているが、それでも時々「あー、えー、いー、おー、うー、あー、おー、かー、けー、きー、・・・・・・・」と大声で腹から叫ぶことをして、凌ぐという感覚を楽しんでいる。
楽しんでいるという言い方は明らかに負け惜しみで、ホントーなら生身の人間と永遠と話していたいというのが本音。
その方が普通だと思えているうちは大丈夫だろう。
この頃、特にテレビ番組を見る機会が減ってきている。映画を観る時間が増えるというメリットはあるけれど、猥雑な現実社会とちょっと離れるのには不安がある。
馬鹿にしながらもテレビを眺めている方が健全なのだろう。それはきっと、大多数の日本人の生活がそうだからという理由にほかならない。他の人と同じようなことをしていることが一番。そんな考えとは無縁の人生だったはずなのに、頭の中は極く極く普通になってきているようだ。
読売巨人軍がまた原監督になるなんて、誰が考えたシナリオなのだろう。それでなくてもおもしろさがかけ離れているMLBとの差はひらくばかりになっている。
(2018年10月10日)
さんまにがいかしょっぱいか
あはれ
秋風よ
情〔こころ〕あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉〔ゆふげ〕に ひとり
さんまを食〔くら〕ひて
思ひにふける と。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児〔こ〕は
小さき箸〔はし〕をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸〔はら〕をくれむと言ふにあらずや。
あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児〔おさなご〕とに伝へてよ
さんま、さんま
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
秋刀魚の歌/佐藤春夫 より
(2018年9月28日)
みうち・みにくい
NHK夜9時のニュースでのスポーツコーナーが始まるとき、画面に登場するスポーツ担当アナウンサーが「こんにちわ」とあいさつしながら入ってくる。
迎えるメインキャスターの男女のアナウンサーも挨拶をし、よろしくお願いしますとのたまう。
毎日のように見ている光景だが、ずーっと違和感いっぱいで何とも文句の言いようがない。身内同士の挨拶が必要ではないシチュエーションで堂々とこれをやられると、こちらの方が神経質すぎるのかと訝ってしまう。
会社で電話対応の際、自社の人間に敬称を付けて語るようなことをする人は今時いない。新しい演出のつもりなのだろうが、身内でのことを第三者、いや公共テレビなら公の人に向かってする作法ではない。
昼間のフジテレビの番組間でも同じ光景が見られるのは、若者の思考が似ていることの証明なのだろうか。
坂上忍と安藤優子が「それでは明日もよろしくおねがいします」なんて言葉を交わす緩さがイラつく。
世の中の価値観が少しずつずれていく。ずれていくのは世の中ではなく自分なのだと気づくのは、なかなか容易なことではない。
(2018年9月19日)
実績
なんの実績もないくせに、アメリカの大統領は北朝鮮と親密な交渉を続けていると言い張る。
馬鹿なやつほど、自分のダメさ加減を理解できないのは世界共通価値観。優秀な凡人たちが何も言えずに、右往左往しているさまが滑稽としか思えない。
自分たちの雇用や関税が有利に働くからと言って、そんな瞬間芸に踊らされるアメリカ人が、ひどく馬鹿になってしまったように見える。
自分で試合を壊しておきながら、人種差別だとあらぬ言い掛かりを付けて悦に入っているテニス界の旧女王も酷い。その風刺画にまでいちゃもんを付ける輩が多いというのも、ネット時代の産物としか言いようがない。
風刺画が人種差別だなんて批難されたら、風刺画家は生きていく道具も術も失う。なんでもかんでも批判すればいいというものではない。どちらに正義があるのかを見定めるべきだ。
あそこで元女王が何もしなければこんなことにはならない。何かを下からそれに周りの人間が反応しただけだ。猛省して猛謝罪をしなければ、収まらないくらいの大問題だ。
何処までも原則論で他人を非難するネット難癖民よ、思いを知りなさい。
(2018年9月11日)
馬鹿丁寧
「政府は官邸対策室を設置。菅義偉官房長官は臨時記者会見で、安倍晋三首相から早急な被害状況の把握や、政府一体となって災害応急対策に全力で取り組むことなどの指示があったと話した。」
てな言い方が奇妙に思えて仕方がない。ずーっと気になっていた。救助指令を首相が指示したから実行するわけではないだろうに、そういう言い方に思えて仕方がないのだ。
小学生の国会模擬みたいなものなのだろう。おかしくて、顔がこわばる。いつの間にかこんな風になってしまったのが日本。
お名前を聞いてもよろしいでしょうか、などと言われると、いや!言いたくない、と答えたくなるのはアマノジャクだからなのだろうか。
言葉は変わるという理屈は分かる。先日観たアメリカ映画のチャット場面では、ずいぶんと省略された英語が飛び交っていて、びっくらこいた。
それにしても、もう充分だ。
(2018年9月8日)
魑魅魍魎
魑魅魍魎なのは芸能界の特技かと思っていたが、この頃ではアマチュア・スポーツ界の得意芸になってきたようだ。
プロの世界ではいわゆるコンプライアンスの普及とともに、そんなに乱暴なことをすることが赦されなくなって、この法令順守とかの功罪は如何にというところだろうか。
プロになり切れないスポーツ界では日本の旧態依然とした体制が大手を振ってまかり通っているようだ。上から下へ、先輩後輩という構図の中で、がんじがらめの世界しかないように見える。
結局はオリンピックでメダルを取ることが目的のアマチュア・スポーツ界なのだろう。メダリストでなければ組織の上には立てないし、そのスポーツ界で名前が知られていなければ、組織運営者にもなれない。
今更第三者委員会を作って調査したって、と思える。2世が堂々と功成り名をなせる世界観は芸能界も同じ。そういう意味では、どこの世界だってちーっとも変わらない世界を作っているのだと、ぐうの音も出ない。
アジア大会の日本団長が通訳を介して記者会見をしているのを見ると、今のところつける薬はないなぁという思いが顕著だ。
(2018年8月30日)
皺(しわ)
おいおいアイロンくらいかけとけよ! と、突っ込みを入れたくなった。池江璃花子がアジア大会6冠目を獲った表彰式での日本の国旗の真ん中に見事な折り目皺があった。
地球の裏側での開催オリンピックと違って、リアルタイムで競技を見る気になれるから嬉しい。水泳では日本もまだまだ強い国として君臨しているが、これから始まる陸上競技では、おそらくからっきし結果の出せない国のひとつになることは間違いない。
今年のアジア大会にはカバディ、セパタクロー、武術、ローラースケートというローカル競技も含まれるところが微笑ましい。さらには、(トランプの)ブリッジやボウリングまであるのがおもしろい。世界のオリンピックにはない競技があってこその存在意義だろう。
以前にはチェス、囲碁、ビリヤード、ダンススポーツ(競技ダンス)なども行われたことがあった。
世界記録とは大きく離れた競技もあるけれど、せめてアジアの一番になることは、 誉れ高いことなんだろう。一度たりとも味わうことのできない凡人が普通の人生、非凡な才能を賦与されて生まれてきた人間が凄く羨ましいような、そうでもないような。
(2018年8月24日)
40.3度
いやぁ~! 今日は暑かったねぇ~! 昨日と今日とわざわざこの日を選んで外出した。というのはちょっと違うかもしれないが、結果的に炎天下に行動できたことが、凄く嬉しかった。
40.3度という名古屋での最高記録らしい。今日の方が暑かった。帰りの100mは、えらく遠く感じた。こんな日があることを我々世代は誰も想定していないだろう。
何処も同じ話題ではつまらない。日大からボクシング連盟へとテレビのワイドショーは連日大入り満員の盛況だ。こうやって古き、悪しき風習が公に曝されると、まだまだ日本もどうにもならない国だなぁ~、とあらためて認識する。
だいたい会長というのはトップだと勘違いしている。ほかの役職もそうだが、役職があればだれかがその役割を担当しなければいけない。あくまでも役割を担当するだけなのだ。お前じゃなくたって、誰にでもその役割を担当することは出来るよ、言ってあげたい。
そういう言い方をしても、何を言われているのか分からない人がいる。そういう人は俺は課長だ、部長だと吹聴することが出来る権利を持っている。たかが課長、たかが部長だ。そんな小さなことに一喜一憂するのが普通の人々の人生なのだろう。
(2018年8月3日)
うなぎ2
今日は大戸屋に行ってきた。昨日はわざわざやよい軒に出かけたが、今日は名古屋駅近くに用事があったので、ついでに寄った次第。外食産業の視察のようだ。
噂の大戸屋2500円うな重が確かにメニューにあった。さすがに最初からこれを注文するつもりはなかったが、ちょっと気になったことは確かだった。写真を眺めると、いっぱしのうな重の体をなしている。
この大戸屋を何年か前に知ったときは衝撃だった。こういう家庭食堂の程度の良い店を、どこかで望んでいたのが分かったような気がしたものだ。それまでの外食産業のようにレンジでチンしたような食事ではないことが明らかだった。
大戸屋のお家騒動がニュースになって、状況が落ち着いた時からのメニューの開発は目を見張るものがあった。1か月に1回程度しか大戸屋には行っていないが、いつも悪くないメニューと味に感心していた。だが、今日の献立はイマイチだった。それどころか、今日行った名古屋都心のお店は注文にタブレットを使う。3度目くらいになるが、使い勝手が悪く、思わず店員に助けを求めてしまった。
タブレットの写真が小さいし、区分けもよく分からない。いざ注文という段になって、注文ボタンが見つからない。そこから「戻る」ボタンを押して注文するのだと教わった。そんな馬鹿な! 注文するときに戻るはないだろう! と怒ってしまった。どこかの外国人が作ったような仕様に見えた。
そんなこんなで、2500円うな重も大戸屋の傲りに見えてきて仕方がなかった。そういえば、初めの頃に感動した添え物のおしんこが、いつの間にかおざなりの漬物の様相に変化していた。気が付かないだろうなぁ~、こんなことを経営者は! かくして、小さなほころびが知らないうちに致命傷の大きさになっていくことを。
(2018年8月1日)
うなぎ
『特うなぎの蒲焼定食』 1590円也を池下のやよい軒まで食べに行ってきた。
外食チェーン店のネット情報が役に立って、新しいメニューが出ると結構試しに行っている。金持ちの時代はなかったけれど、それなりに高級な食事をしてきた経験があるお陰で、もう美味しいものを喉から手が出るほど欲しがることもなくなって、歳相応の貧粗な食事環境にもめげることがなくなった。
もともとウナギが好きというわけではない。このことについては何度か触れてきた。弁当のおかずのまずいウナギが長い間トラウマとなっていた。泥臭く硬く醤油を食べているような田舎のウナギ料理は、今考えてもぞっとするくらいだ。
ヘラルドがあった新橋には「登亭」(確かではない)という大衆ウナギ専門食堂があって、あの当時でもそれなり以上に安かった定食店は、サラリーマンでごった返していた。ヘラルドは映画会社なので見栄っ張り、会議ともなれば今日はウナギにしようか、と麻布から出前を取って2500円もするウナギ丼ぶりを楽しんでいたことを思い出す。
さんまをはじめ庶民の魚が急騰しているのが不愉快だ。外食チェーン店もウナギをメニューから外すことは出来ないようで、千差万別の価格帯でこの季節の定番定食を提供している。大戸屋にはなんと2500円のウナギ定食が登場したらしい。あの大戸屋でだ!
久しぶり、本当に久しぶりに体調が良かったので、遠出が出来た。なんともはや情けない人生の終末期、何の未練もないけれど、ひとつずつ目の前にあるやるべきことをやっている。昔の5倍以上の時間を要することを自覚して愕然としているが。
(2018年7月31日)
分析
ワールドカップの日本戦予想は見事に全部外れた。今回も0-3で負けるだろうと予想していた。
個人的な予想だから外れたって別に問題ない。勝って欲しいからと、勝つスコアを予想するのとは訳が違う。好きではないサッカーも、考えてみれば日本代表チームの試合をほとんど見ている気がする。現役時代は、サッカーを見て楽しむなんて言う余裕すらなかったのだが。
数多く触れれば見えてくるものもある。不自由なスポーツと点数の入らない競技に対する大不満はしまっておくしかない。後ろに投げながら前に進むラグビーだって不自由だが、無駄に手を使わないようにするサッカーに比べたら、はるかにおもしろい。
日本のゴールキーパーは大丈夫かいね。と第1戦の時に元日本代表監督が呟いた。何か根拠と感じるところがあるのだろうとその言葉が妙に浸みていた。1試合目はまだしも2試合目の明らかなミスで、キーパーを変えろという声が大きくなった。
それでも監督は彼を使い続けた。監督の意志と一貫性は褒められるべきものだが、一流監督が超一流監督になれない理由もそこにある。すべてを収めて、非難を一身に受けなければいけない指揮者の最終ラインが見えてしまった。
結果的に勝っているし、スーパーセーブもしているという言い方をしているマスゴミ(塵)がうざい。あの程度のセーブは代表キーパーに選ばれる選手なら、1試合に1回くらいはパフォーマンスできなければならない。さらに1試合に1回以上奇跡的なセーブをしてこそのキーパーに対する期待なのだ。それよりも、明らかに4試合で3点を防げていたはずなのだ。それをどうして論じない?
よく考えてもらいたい。1試合目は勝ったが、2試合目以降は引き分け、敗戦、敗戦、が結果なのだ。決して勝ってはいないのだ。今回の試合で彼がまたキーパーとして出場すると聞いた時、これは勝てないなと思った。もっとも私の思いは当たることがないので、何の意味もないだろうが。
彼ではないキーパーだったら、勝っていただろうと夢想できる。海外メディアでは厳しい評価も下されている。ここまではラッキーだった、でも最後はやっぱり彼と心中するんではなく、新しい力を求めるんだという決断が欲しかった。たとえ、それで負けたとしても。
社会で仕事するときにも同じ感覚がある。上手く行っているからと言って、ミスの多いスタッフを使い続けることは致命傷につながることを。
(2018年7月3日)
はれるん
「気象庁マスコットキャラクターはれるん」を最近上のタイル画面に追加した。
一見「指揮者」のような雰囲気だが顔を見ると「晴」マークになっているし、顔の下は雲、スカートらしきものは雨降りの図柄だった。
よくよく考えられたデザインだが、一見指揮者に見えてしまうところが欠点かな。理屈っぽい日本人が採用したデザインなのだろう。全体で気象庁を象徴できる姿もあったのだろうが、みんなで投票して選べばこうなるのだ。
さて、ここをクリックして気象庁のホームページに行き、文字で「雨の様子(雨雲の動き/今後の雨)」をクリックすると雨雲の動きが時間と共に変化する様子が見える。
ニュースでお知らせがあったので見てみたら、結構今風の発展の仕方で気に入ったので表示した。
どんどん打ち上げられている人工衛星、今いったい何個の人工衛星が飛び回っているのだろうか。もう交通整理も大変な状況になっているような気もする。
気象に特段興味はないが、進歩という言葉には敏感に生きてきた。
(2018年6月23日)
0-3
0対3でコロンビアに負ける、との予想を昨日書くつもりで忘れた。
あらゆるスポーツで何が起こるか分からない、と表現されている。残り1秒で逆転劇が起こる。レスリングでもボクシングでもバスケットボールでも。
だからスポーツはおもしろいので、サッカーだからさらにおもしろい訳ではない。それよりもサッカーにおける審判の立ち位置が疑問視されていると思う。「誤審も含めてベースボールだ!」と、嘯いていた大リーグなんか、今やビデオ判定花盛りの状況になっている。
軽い反則もそうだしましてやペナルティー・エリア内での反則ほど興味をそぐ事象もない。サッカーの方がベースボールよりも試合をとめての検証に向いているだろう。ベースボールのようにビデオ検証を求めて、それが通らなくなるまで何度でも検証を求められるようにすればいい。
人間の目よりも映像の目の方が明らかに正しいことが実証されても、サッカーの誤審は続くことに違いない。スポーツの中で一番遅れているサッカーの判定、いい加減にしないとファンが離れるよ、と言いたいところだが、ただ騒ぐことだけに終始する世界中のサッカーファンは、そんなことにはお構いなしだろう。
24日のセネガル戦は間違いなく0-3で負けるだろう。
(2018年6月20日)
不思議
先日挙動不審に陥ったリモコン連中が、急に元に戻った。やっぱり部屋の磁場に変化が起こったとしか考えられない。
アメリカのマスコミの質問は相変わらず素晴らしい。国民が聞きたいと思うことをきちんと質問している。日本のマスゴミ(塵)のように、歩いているところで声を掛ける時ぐらいしか、的を射た質問が出来ない。面と向かった記者会見での質問なんて、屁のような内容と聞き方で、片腹痛い。本人のいないところでは、それなり以上の言い方や論理を展開するが、なぜ目の前に本人がいるとああやって縮んでしまうのだろうか。
ロバート・デ・ニーロとトランプ大統領の罵りあいがおもしろい。堂々と政治的発言をするアメリカの俳優たちが羨ましい。日本ではあと100年経っても、そんなことが出来るとは思えない。不思議なほど、こういう場面でのアメリカとの違いは、差がどんどん広がる。いくらアメリカナイズされた生活をしようと、心の中までは追いつける隙がなさそうだ。
(2018年6月13日)
本当に?
米朝会談なんて出来るわけないじゃん、と書いてきた自分だが、明日になれば歴史が変わるかもしれない。
もともと自分のためだけに行動しているトランプだから、どんな状況になろうとも自分の手柄にしてしまうのは見えている。
それにしても、ここまで酷い大統領が大きな顔をして毎日執務しているアメリカ社会が病んでいるのだろうか。もっとも日本だって、何食わぬ顔で俺の責任なんかこれっぽっちもないよと嘯いていられる麻生もいるじゃないか。
急にテレビのリモコンが挙動不審になった。ブルーレイ録画機とLED蛍光灯のリモコンも同じようにおかしくなった。テレビの音をスピーカーに出しているプリメイン・アンプのリモコンだけは何故か正常なのに。
電気屋の息子としては、これきしのことを簡単に直せるとタカをくくっていた。だが、どうにもならない。部屋中に異常な電磁波が流れているのではないかと、あらぬ想像をしている。
それにしても不思議な現象だ。誰かこの故障のヒントを教えて欲しい。
(2018年6月11日)
老害
日本テレビのニュースやバラエティー番組で大谷翔平選手の動画が流されていないことが不思議だった。
はなしは簡単で、日本テレビは大リーグと動画放映の契約をしていないだけのことだった。だから写真だけで何とか繕っている。
読売グループといえば、「東京ジャイアンツ」を「読売ジャイアンツ」と時代錯誤な改名をして、老害の極みを演じているが、こと野球中継に関しても馬鹿なことをやっていることが分かった。
イギリスのパフォーム・グループ (Perform Group) は、2016年から、モータースポーツ、サッカー、バレーボール、ラグビー、格闘技など130以上のコンテンツを配信するインターネット動画配信サービス「DAZN」(ダ・ゾーン)の運営をドイツとスイス、オーストリア、日本で開始した。
日本では、サッカーのJ1、J2、J3の試合を全試合中継している。プロ野球だって全チームの試合を中継していると言いたいところだが、読売ジャイアンツの試合だけは除外されている。大昔から自分だけの利益に固執している読売グループの面目躍如。誰がこういう指揮をしているのかは明白だが、日大のこともあるしもう潮時だと思い始めていればいいのだが。
それにしても勘違い野郎の存在があからさまになると辛い。サラリーマン世界でいえば「役割り」を「役職」と誤解している節がある。確かに「部」があれば部長がいるし、「課」があれば課長がいる。ただ小さな会社では「係」がなくても係長が存在する。部長は本来役割りであって役職ではないのだ。誰かがその職を演じなければ部そのものの存在が危ぶまれる。そういうそもそも論も知らないで、俺は部長だ、などと誇らしく叫ぶ輩が多いのも現実。
いつも言う、そういう勘違いがなければ、多くの人が失望のうちに自殺してしまいそうなのも現実。それでいいのだ。
(2018年5月31日)
無理
政治評論家の田原総一朗に「岐阜羽島駅前にある銅像は誰だか知っていますか?」と聞いて、「えっ!知っているんですか!」なんていう演出を許しているフジテレビ。
とてもじゃないけど、こんなことをしているようじゃ、昔の栄華を取り戻すことは不可能だろう。
井上尚弥や村田諒太を抱えて、ボクシング・コンテンツは他局を圧倒している、偶然に。
(2018年5月25日)
ゆるい
「羽鳥慎一モーニングショー」と自分の名前を冠した番組でも、「ちょっとこのことは詳しくないんですが」と平気で事件などにコメントする彼を評価していない。
もっとも冠名本人だけではなく、もっともらしくギャラを稼いでいるコメンテイターたちだって、同じように詳しくないことに平気でコメントしていることも事実だが。
日大のアメフト選手がやらかした出来事を「事故ですね」と片付けてしまうテレビ各局の姿勢がゆる過ぎる。
私だってアメフトに詳しいわけではないが、あの映像を見ればスポーツ大好き人間ならすぐに分かることがある。あれは事故ではなく「事件」だ。
傷害事件と言ってもいいだろう。さすがに今日のネットにはそんなことを書いているコラムもあったが、それでもゆるい。あれは明らかなる故意傷害事件で、アメフトというスポーツの中で起こった事故ではないのだ。
スポーツはまさしく決められた規則の中で行われる。相手と接触しなければいけないスポーツでいの一番に教えられることは、故意に相手を傷つけないこと。そこに反してしまったら、もうそのスポーツ名を叫べない、というのが基本中の基本なのだ。
アメリカでは映画にもなった「11人アウト」というベースボールの不正行為があって、永久追放になっている事例がある。経済的な賭博でさえ永久追放なのに、人命にかかわる故意行為が永久追放にならない訳がない。
チームも含めて永久追放だってあり得るほどの酷い事件だということを明確に言えないキャスターやコメンテイターたちよ、勉強不足では済まない著しい認識不足と肝に銘じるべし。
(2018年5月15日)
久しぶりに
朝4時過ぎまで眠れなかった。若い頃も含めて、よく耳にする一晩中眠れず、という経験をしたことがない。意図的に徹夜することは、もちろん何度もあったが、今では睡眠時間の少なさが翌日の体調に大きく影響を与えるので、眠ることに関しては神経質になっている。
手術をしてから10年以上になるが、その後導眠剤をずーっと使い続けている。睡眠薬じゃない導眠剤なんて使わなくたって眠れそうに思えるのだが、どうにもならない。昨日だっていつも通り午後11時頃に導眠剤を飲んで布団に入ったのが12時30分過ぎだった。(この服用方法は実は間違い。)
だが眠れなかった。暑いのか寒いのか分からない、いつものあの期間に入っているようだ。眠る手立ては分かっているつもりだったが、一向に眠気が来ない。間違いなく導眠剤を飲んだはずなのに。不思議だった。
午前4時前、まさか導眠剤を飲んだつもりで・・・? そう思い直して薬の残骸を調べた。なにしろ1日の薬剤は7種類もあるから、飲み忘れないように小さな薬入れ箱の上にその残骸を置くようにしている。なんと、ハルシオン(導眠剤)が未開封で鎮座していた。
飲んだという思い込みは、単なる思い込みだった。毎日のことなので、そう思ってしまったらしい。ボケの始まりは記録しているが、少し進行しているのかも。こんなことを誰がおもしろがるのだろうか?!
朝5時からの大谷翔平登板日の録画設定もしっかりやっていた。前回眠れなかったときも、大谷翔平がらみだった。ちょっとした興奮状態にでもなっているのだろうかとちょっと訝ってもみた。
ニュースでいいところばかり見たって面白くない。ライブでドキドキしながらその1球、1球を見るプロセスが楽しいのだから、録画であろうと、朝起きてから情報が入らないように気配りしながら、いつもライブのつもりで観ている。深夜でなければ、まず間違いなく本物ライブを観る。
誠に申し訳ありませんが、この試合の結果は11時からのニュースでご覧ください、などと中途半端に終わってしまう日本のテレビ中継なんてクソ喰らえだ。プロセスが見たいのに、結果をあとで見てくださいだって。
(2018年5月14日)
たとえ
「馬鹿と鋏は使いよう」の意味には、「切れない鋏でも,使い方によっては切れるように,愚かな者でも,仕事の与え方によっては役に立つ。」とある。
物書きの説明文は実に分かりやすくて、ぎょっとなる。頭の中で理解しているつもりでも、それを言葉にして他人に伝える力がなければ、偽物に過ぎないものとなってしまう。
「群盲象を撫ず」=「〔大勢の盲人が象の体をなでて,それぞれが自分の触れた部分の印象だけから象について述べたというたとえによる〕 凡人には大人物や大事業などの全体を見渡すことはできないものだ。元来は,涅槃経・六度経などで,人々が仏の真理を正しく知り得ないことをいったもの。衆盲象を摸す。」
「相撲協会、女人禁制に例外 緊急事態は認める、議論継続へ」というニュースの見出しを見て、そんなことが頭に浮かんだ。
(2018年4月28日)
覚えていられるか?
憂鬱という漢字はいつでも書けると思っていた。今日、そうだ!難しい漢字を覚えてボケ防止の一環にしようと思い立った。
いざ書いてみるとあいまいなことに気づかされた。「憂鬱」のほかに「薔薇」と「檸檬」をチェックした。今までにも何度か挑戦したような気もするが、今回は間違いなく死ぬまで覚えておこうと決心した。
勘違いの人生で全うできる人は仕合わせなのだろうか。少なくとも周りの人を不仕合わせにしていることは確かだ。本人は自分のことは全然分からないから、勘違いの人生だなんてこれっぽっちも思うはずもない。
麻生という国会議員を見ていると、つくずくそう思う。どれだけの人が迷惑しているのだろうかと、心配したりするが、こういう人に限って自分の身の回りの人には超親切な人生だから困ってしまう。
まぁ、いい死に方はしないはずだから、良しとしよう。本人にではなく子孫累々におよぶことがあることを、本人は知らない。
(2018年4月22日)
醜い
世にも醜いお笑い芸人たちが跋扈して気持ち悪い。
思わずチャンネルを変えてしまうほどの輩が大手を振って画面に映し出される。テレビ局もいい加減にしろ!と、強く言いたい。
好みの問題なら文句を言えないが、誰が見たって醜い顔がうざい。こんな顔は10年前には絶対テレビにはいなかった。必要のないひな壇芸人が無駄に多過ぎるからだろう。
お陰様で映画を観る時間を躊躇なく持つことが出来るのは嬉しい。
同じように日本の政治、役人たちの心が醜い。
こちらは昔から変わらず醜いから、どうしようもない。だいたい、昔から友達だと公言している人間の学校新設申請を友人である総理大臣の下で受け付けることがあるなんて。
瓜田に履を納れず李下に冠を正さず、という小学生でも分かるようなことを平気でやってしまう最高権力者が醜く見える。
本人だけではなく申請をする友人が酷い。類は友を呼ぶというのも頷ける。この始末をどうつけるのか、人間の真価が問われる政治屋、官僚、学長、財団法人、もろもろあり過ぎて気持ちが悪くなる。吐きそうだ。
(2018年4月11日)
言葉の基礎
行司が動転して呼びかけたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切な対応でした。というコメントそのものがおかしい。
動転してはいけない人が動転したからと言い、さらに不適切とはどういうことを言っているのか。不適切ではなく、間違いを犯しましたという趣旨を明確に言わなければならない。また、今後は柔軟に対応しますとも言っているが、何が柔軟なのか。普通に対応して行動して今回のような間違いを犯さないことが求められるのに。
中学校出身者が公益財団法人の理事長になることは適さない。規則を設けるべきだとさえ思える。資格なら後からでもいくらでも獲れるのだから。
規則がないからとか、ルールが決められていないからとか、想定していないとかいうのは言い訳にもならない。もっとも基本的な考えや行動を何食わぬ顔で出来てこその人間性、組織の在り方。そこんところがまったく分かっていない。
同じように、「原爆落ちろ」と大暴言を吐いて、しかもそれをネットにアップするなんていうファンのいる地元愛着人間は糾弾されなければいけない。
広島カープのコメントも奇妙。そういう言葉を聞いて嫌な顔をするのは広島の人ばかりではない。あそこは日本人全員が嫌な思いをする、と断言すべきなのだ。
(2018年4月6日)
だから
大谷翔平には東北魂が宿っている、そんなことはアメリカ人には分からないだろう。
と書いたことがあったからといって、だから言ったでしょう、と偉そうにするつもりはない。
勝負事は紙一重の差、成功するのか失敗するのか、勝つのか負けるのかは神の手に委ねられている。ただ概して「運」のいい人なのか悪い人なのかは、結果が証明している。
イラクでの活動の日報が出てきたことを今頃平気で発表する日本の政治。何を責められようと、何を問い詰められようと、ごめんなさい、これ以上は分かりません、XXの訴追の可能性がありますから喋れません、と居直ってしまえば、ときが解決するとたかをくくっているのは明らかだ。
尻尾を振って北朝鮮を礼賛している群団もいい加減にしろ! 暴力団が地域の皆様と仲良くしたい、と言ったからといって、日本でなら誰もそんなことを信用しない。本当に仲良くしたいなら、暴力団を解団することが先決だろうと、これまた誰でも分かるようなもの。一貫性があり過ぎて余りある北朝鮮が、そんな簡単にいい子になるわけがない。
(2018年4月1日)
悲惨
BS世界のドキュメンタリー「アフター・ヒトラー」(前編)(後編)を見た。
言葉にならない衝撃が走った。敗戦国日本の悲惨さを何度も映像で見ていたはずなのに、戦勝国と敗戦国が同居するヨーロッパの戦後はもっと悲惨だったことを映像が物語っていた。
戦勝国のはずの国々も疲弊している。ましてや敗戦国のドイツ人は一身に憎しみを受けなければならなかった。リンチをされても、そのリンチを止める人はいなかった。殺人犯が真逆になっただけという、お粗末な人間模様が現実社会に存在したことが、驚きを通り超えていた。
人間はどこまで残酷になれるのだろうか。ナチの犯した罪を平気で超えてしまう普通の人々がいた。あくまでも大国の論理で行われた戦争裁判も人間の醜さを曝け出すだけだ。左団扇で高みの見物のようなアメリカだけが栄華を極めている感じもした。
(2018年3月31日)
五条川の桜
もう4年前になる、五条川の桜を見に行ったこと。その時の写真をスライドショーにしてあるので、興味のある方はこの上の黒バックをクリックしてください。急に思い立って鶴舞(つるま)公園の桜を見に行ってきた。
鶴舞と書いて「つるま」と読んだり、「つるまい」と呼んだりしている。公園はつるまだが、降車駅はつるまいだ。食文化が中途半端だと罵っているが、こんなところにも名古屋の中途半端、だらしない文化がはびこっている。
40年前に、出張する社員に名古屋へ行ったら東京の「と」の字も言っちゃいけないよ。何が東京なんだ! という顔をされるからと、言っていたことを思い出す。東京や大阪には何故か勝てないけれど、日本のど真ん中は名古屋だという、勘違いの誇りを胸にしている名古屋人。
確かに戦国時代はこの地が日本の歴史そのものだったが。
さてさて、鶴舞公園の近くにある会社に通っていた時代もあったが、桜の季節に桜を眺める、愛でるなんていう習慣がなかった人生、ようやくここにきて桜をしげしげとみる気持ちになってきた。
そういえば、小学校や中学校の新学年が始まると、桜の木の下でのクラスごとの集合写真は定番だった。今年はちーっとばっかり早過ぎる、葉桜の下での記念写真は様にならないな~。
(2018年3月26日)
【思い込み】
パソコンで等号否定を入力すると「≠」のように右上から左下に向かって線が引かれている記号(1)が出てきますが、左上から右下に向かって線を引いた記号(2)で書かれることもあります。どちらで書いても問題ないので、書きやすい方を使いましょう。
テレビで不等記号が書いてあって、あれっ! これって縦線が逆じゃん、と(1)を見てそう思った。調べてみたらこんな説明が見つかったが、私の辞書には(2)しかなかったので、ちょっと驚いた。
どの時代に覚えたことなのかは分からない。それでも、学校で覚えたことだと思うが、どうしてその時どちらの縦線でもいいんだ、と教えてくれなかったのだろうか。それともその当時は(2)だけしかなかったのだろうか。
何かを誰かに刷り込まれて、それが正しいことだと生きている人はたくさんいるに違いない。こんな些細なことでも、そうじゃなかったということが今、判明する。人生の一つ一つを見直していかなければいけない。
(2018年3月21日)
いずこも同じ
大相撲中継をあまり見なくなった相撲ウォッチャーが、本日結びの一番だけ見た。あっ! そうだ、相撲やってたんだと、思い出したので見る始末。
横綱角竜と西前頭三枚目貴景勝の取り組みだった。角竜はモンゴル出身、貴景勝は貴乃花部屋だ。因縁の対決の亜流であることは間違いない。
取り組みは簡単に横綱の勝ちと誰もが思った。行司軍配通りと思った瞬間、物言いがついた。えっ! どこに物言いがつくところがあったのだろう、と見ているこちらが訝ったくらいだった。
スローモーション映像は凄い。貴景勝の両足が土俵際で踏ん張っていたとき、角竜の左足親指が俵の外の砂を蹴っていたところが映っていた。リアルタイムでは分からなかった人間の目だ。NHKアナウンサーも驚いていた。明らかに砂が舞い上がっている。もう一つの正面からの映像では、その瞬間が見えなかったこともおもしろい。
さすが土俵下で見ている勝負審判がだてにいるわけではない、と感心した。ところが、結果は行司軍配通りで勝負審判の協議はあくまでも確認のためだったという説明があった。
その結果を聞いてからもNHKアナウンサーは砂が舞ったことを喋りビデオの再々生までもあった。
これでは疑惑の政治社会と同じではないか。おそらくネット上ではまたぞろ相撲界を非難する書き込みが増殖するだろう。貴乃花部屋でなかったら、と思う人もいるだろう。今回は大阪場所、兵庫県芦屋市出身の貴景勝には地元みたいなもの、間違いなく「おかしい!」合唱が起こるのは必然。正義を全うしない個人も組織も行き着く先は地獄しかない。
(2018年3月17日)
食文化
『まるさ水産』という店に行った昨日は、空気も暑く一気に夏の兆しになっていた。
今日は朝から体調が悪い。1年に何回かあるこの悪さ。慣れている分、特別に嫌な気はしない。ニトロを舌下に含み、導眠剤を半分服用して、まだ幕下時間の相撲の音を聞いていた。
なかなか元には戻らないが、まだ生き延びているようだ。
まるさ水産は文字の如く海鮮料理を食わせる店、ランチタイムのサービス品は1000円で満足なメニューが用意されている。ところがいつもあった刺身の3種盛りというメニューが消えていた。まぐろ、はまち、イカ、タイ、サケ、カツオ、などから好きな3種類を選んで食えるランチは好きだった。ご飯とあらの入った味噌汁が付く。毎日でも食べたいメニューだ。
ところがそのメニューが消えていた。この3月からだろうか、それとも今年から、と訝りながら『海鮮丼』を注文することにした。以前にもあったメニューのような気もするが。
ここで店員が「ご飯は普通のご飯にしますか? 酢飯にしますか?」と聞いてきた。名古屋に来て、白飯の上に平気で刺身を乗っけて海鮮丼と称している店を何件か知っているので驚きはしない。名古屋の食文化の不思議なところの代表格。時々書いているように、中途半端なアレンジ・メニューを名古屋めしと言って、喧伝している姿がいつも可笑しい。
「お勧めはすし飯です。」と店員が断りを言うくらいだから、この店では白飯海鮮丼を食べている人が結構いるに違いない。
いやいや、名古屋の食文化には恐れ入る。味の濃いものばかりで育ってしまうと、微妙な味の良さを分からない。お裾分けしても、本気の感謝が伝わってこないのは食文化の違いなのだろう。
(2018年3月16日)
情けない
自殺者が出て、ようやく役人天国を謳歌していた国税庁長官が辞任した。辞任したというよりは、辞めさせられたと言った方が正確なのだろうが、あくまでも辞任だと日本の政治屋集団はいつものごとく淡々と処理していく。
副総理兼財務大臣はこわもてだ。石原慎太郎が東京都知事だった時もそうだが、権力者に質問を投げかける日本のマスゴミ(塵)の弱腰は目を覆うばかりで情けない。テレビに出てくるコメンテイターも同じようなもの、いっぱしのことを言っているようだが、本人を目の前にするとなんともはや酷いインタビューを幾度も見せつけられている。
国民の知る権利などと大上段な物言いを平気でする割には、肝心なことを聞くことが出来ない日本のマスゴミ(塵)って、存在感なしと断言できる。
まぁ~あのアメリカだって、トランプが「お前んとこはフェイクだ!」と言えば、そこそこ反論する奴もいないのが実情だが。
いつの時代からマスコミが弱くなって来たんだろう。ペンは剣よりも強しなんているおまじないは、もはやこの世の中に存在しないのかもしれない。
人間社会の理想郷なんてあるはずもないけれど、こうあってほしいという希望が見えなくなってしまったら、宇宙人が攻めてこない限りカオスに陥るのは明らかなような気がしてならない。
(2018年3月9日)
好み
スピード・スケートのマススタート競技はおもしろかった。
今や自転車世界選手権の正式競技になって久しい「ケイリン」を見ているのと同じような感覚だった。争うのは複数の人間同士、ケイリンよりもはるかに多い人数でリンクを16周しながら、最後に誰が先頭に立っているのかという、駆け引きと実力の競技であることがおもしろいのだ。
パシュートもおもしろかったが、これはチーム3人の実力とチームワークが試される競技。この種目で予選敗退した韓国チームのチームワークの無さが韓国内でも批難の的になっているという。準々決勝まではタイム・レースなのに準決勝から対戦形式に変わる。実力が圧倒的に高かったオランダと日本が準決勝ではそれぞれ相手チームの自ら負けというおもしろい光景があった。銅メダルを取るために、準決勝では勝てないとわかっている試合に全力を出さず、力を温存して3位決定戦に向かおうとした結果だ。そのあたりの流れがおもしろく、ただ試合結果だけを漫然と見ていては、おもしろさは伝わらない。
カーリングはおもしろいのだが、何かが足らない。いみじくもアナウンサーが、相手のミスを喜んではいけないのがカーリングです、と言っていたが、このミスがカーリングの醍醐味だから始末に負えない。失敗を想定しないでプレイしても、それはあり得ないことで、失敗するからこそ相手にチャンスを与えることになり、相手に失敗があるからこそこちらにチャンスが巡ってくる、というのがカーリング競技の神髄なのだ。このあたりが歯痒いのだろうと思う。競技に長い歴史にがあるにせよ、もっと面白くなるはずの競技にルール改正を望むのは私だけ?
(2018年2月25日)
LIVE
先日、スポーツ中継はやっぱりLIVEに限る、というようなことを書いた。本日、鼻水を垂らしながら女子フィギュアを見た。
15才のアリーナ・イルナゾヴナ・ザギトワ(2002年5月18日生まれ)が華麗な舞で優勝した。ほとんど見ないし、好きではないフィギュアだがオリンピックの生中継は興味がわく。採点競技はその詳細が発表されないのでよくよく消化できない観客にならざるを得ない。誰がどの項目に何点を入れたのかを公表する時代になっているような気がする。
ISUの定めた「五輪前年の6月30日までに15歳」という年齢制限に87日足りず、代表資格を得られなかった浅田真央がトリノオリンピックに出場出来ていたら、ザギトワと同じようなパフォーマンスをしていたかもしれない。
もっともこのトリノオリンピックでは荒川静香が金メダルをとっているから、もしもの仮定は永遠に歴史の中に埋もれてしまうだろう。
それにしても、生中継をやった後に何度も同じ番組でビデオを流していて、ちょっと辟易。そのLIVEの前にも以前のビデオを垂れ流し続けるものだから、見る側が恐縮してしまう状況に陥る。いい加減にして欲しい。ピョンチャン、ピョンチャンと騒いでいる割には、中継のない時の番組は「なんとかスペシャル」と称して、裏番組のLIVEをぶっ潰せと力んでいる滑稽なテレビ局の姿が哀れだ。
(2018年2月23日)
罪
小平奈緒の金メダルは凄い。もろもろの条件をクリアしてしまうのは、身体と心が寄り添っているからなのだろう。
それにしてもあのスターターの韓国のおっさんは酷い。テレビでは何故か喋られていないが、ネット上では疑惑のスターターと賑わっている。普段、関係もないことでも騒ぐネット上の輩、こういう肝心な時のために平時はもっと冷静であってほしい。
サッカーのホームとアウェイを彷彿とさせる韓国のスターター。アウェイチームの控室には鏡がついていなくても当たり前だ、とか知ったかぶりのサッカーファンは物申すが、それは異常なことだよ、と諭してあげたい。
応援席でのホームとアウェイとの差をダメだというのではない、食事を提供するときに片やお茶漬けなのに片やステーキではいけないだろうと言っているのだ。
陸上競技でもそうなのだが、スターターを機械化することは出来ないのだろうか。
人間が「よ~い、ドン」をやれば全組同じようにやれないのは周知のこと。それを敢えて機械化しないのには、どんな難しさがあるのだろうか、知りたい。
意図をしなくても毎回違う合法の合図、今回のように明らかに意図してやれば、これは一種の犯罪だ。あのサッカーにだって、審判を審判する制度がある。スケート連盟は今回のスターターの醜態を絶対審判すべきだろう。
韓国人のことをことさら取り上げたくないのは、キリがないからだ。中国人だって同じ。日本人全員が良い人間だ、などと言うつもりは全くない。
(2018年2月19日)
ふわふわ
3日間の東京行脚が終わって名古屋に戻ってきた。新幹線を降り乗り換えのために一瞬外の空気に触れたら、寒い!! ビルの外壁に温度表示の電光掲示板があった、「4℃」が明るく輝いている。
名古屋駅から帰るには「敬老パス」を使えばお金を払わずに戻れるが、ここは到着駅「呼続」(よびつぎ)から徒歩0分の名鉄線を使うしかないだろうと即座に決めざるを得なかった。
3日間の東京は結構暖かかった。首相官邸を左に見ながら行き着く「東横イン官邸南」への道は、今までになく警察官の警備が厳重になっていた。「昔より厳しいですね!」と警官に声を掛けたら、「いろいろとありますから。」と答えが返ってきた。
朝には「ご苦労様です!」と、声を掛けてその道路を戻った。どれかの電車の中で「朝の羽生選手は素晴らしかったね~!」というおばさん方の声が聞こえた。昨日のショート・プログラムのことかと思っていたが、新幹線のニュースで優勝したと知り、あ~このことだったのか、と納得。
時間が解決してくれるのが人生、何をしたってしなくたって今いる時間に落ち着くのが道理、何をやってその時を過ごしたかが一番の財産である。そんなことは誰もが知っているかの如く世の中の人は平然と暮らしているように見える。
全くの久しぶりに「小川軒のレーズンウイッチ」をお土産に手に入れることが出来たし、まだ人生で10回も行っていないカラオケも高校時代の仲間と堪能できたし、終わってしまえば何事も夢のようなふわふわ気分の連続にしか思えない。
50年以上ギターで弾き語りしているのにカラオケには行きたくない。中途半端に上手い素人歌謡を聞くのが苦痛。超下手くそな音痴は聞いていて楽しいことを実感しているなんて言ったって、分からないだろうけれど・・・。不思議な感覚だが。
(2018年2月17日)
スマイルジャパン
女子アイスホッケーがおもしろい。40年前くらいにアイスホッケーがおもしろいよ、という話を聞き男子実業団の試合を1度だけ見たことがあった。
格闘技のようだよ、という話に食指が動いたのだが一番の動機だったが、実際に観た時に期待以上のおもしろさを感じなかった。その時代の実業団チームの実力はさほどではなかったのかもしれない。
アメフトの場合のように、日本チームがアメリカの高校生にも勝てないような具合だったような気がするから、おもしろく感じなかったのも当然かもしれない。
さて、今回のアイスホッケー女子日本代表チームは「スマイルジャパン」と相応しい名前がついていて、なかなか頼もしい存在になってきている。予選リーグを突破できるほど世界は甘くなかったが、このまま行けば、順調に世界に互せる力を持てるようになるかもしれない。
なんといってもサッカーよりはるかにフォーメーションが素晴らしい。攻守の切り替えが機敏だ。同じような攻撃体形を持つサッカーとアイスホッケーだが、サッカーのように相手の反則を無駄にアピールしないところがいい。もくもくとゴールに向かう姿勢が素晴らしい。パスワークもサッカーの上を行っている。
ひたむきな姿がおもしろさを倍増させてくれる。ハーフパイプのように解説者が「恰好いいですね~!」などと、採点の基準が下劣であることもない。ダブルコーク1440(フォーティーン・フォーティー)なんていう言葉遊びをはびこらせている競技とはひと味もふた味も違うと感じる。
(2018年2月14日)
国産
昨日の夜は久しぶりにダブル・モニターでのオリンピック鑑賞となった。
普段見ているのは「Hisense」製の液晶39インチ・テレビ、もう1台は「SUMSANG」製のアナログ・テレビ液晶32インチ。このアナログ・テレビには日本の「I-O DATA」製地デジチューナーを付けてデジタル・チャンネルが視聴可能にしてある。モニターの上部に黒い斑点が出てきて買い替え時だと思って HISENSE にしたが、まだ壊れていない。こういう時に役立つ。
ついでに言うなら自作機デスク・トップでパソコンで使用しているのは、「LG」製24インチワイド・モニターと「PHILIPS」製27インチワイド・モニター。パソコンモニターは自作機に付属させるために何台も購入しているが、加えて「BENQ」製などを多く注文していた。
両テレビの音量を消すことなく、適当な音量で2つを同時に聞いていた。もちろん画面も両方見ていた。この頃どんどん霞んできた目なのに、昨日は不思議だった。「女子スキージャンプ」と「女子スケート1500m」が同じ時刻だった。昼のフジテレビ番組で芸能人たちが1台のテレビをザッピングするのが大変だった、と言っていたのを奇妙な気持ちで聞いていた。
史上最高のメダル数とか煽った日本のマスゴミ(塵)だったが、昨日ようやくメダルに到達した。ガラパゴス情報で、国産選手ばかりを喧伝するマスゴミ(塵)はうざい。おもしろいと思えないモーグルやハーフパイプ、せこくて見ていられないショートトラックなどなかなか入り込めない冬季オリンピックだが、根っからのスポーツ好きには堪らない時間だ。
(2018年2月13日)
熱
ピョンチャン・オリンピックが始まった。開催が危ぶまれていたネット上の書き込みも杞憂に終わって良かったというところか。
今、開会式を見ながらこれを書いているが、興奮しているのは放送アナウンサーが一番で、どの大会でもテレビ観客には too much という腹具合ではなかろうか。垂れ流し的に『ながら見』出来るのがなんといってもいい。
大きな世界的イベントがなかったので、スキーやスケートに馴染んでいない自分だって楽しめるのがオリンピックだ。各スポーツのワールドカップは、もう日常的過ぎて、オリンピックで勝つことの方がさらに価値あるものとなってきたような気がする。
それにしても日本のテレビ各局のはしゃぎようは異常にも見える。テレビに映る人の何倍の人間が現地入りしていることだろうか。なんにでも熱しやすく冷めやすい日本人の真骨頂。夏のオリンピック程ではないがテレビの買い替え商戦に大きく貢献しているのもオリンピック。
2020東京オリンピックでは4Kテレビどころか8K映像もかなりのところで見られるかもしれない。
高い視聴料を無慈悲にふんだくって、NHKが高枕でテレビ制作をしている姿を由としない。テレビを持ったらNHK視聴料を払わなければいけないというのは暴力団と同じだ。そういう法律が違憲ではないというのも不思議だが、こんなことでは独裁国家北朝鮮と同じ構造としか思えない。
(2018年2月9日)
ウィーン
ウィーン・フィルハーモニー ニューイヤーコンサート2018 リッカルド・ムーティ(イタリア)指揮。オーストリア・ウィーンで毎年1月1日に行われるお正月の風物詩。90を越える国と地域に衛星生中継され、視聴者数は5千万以上!チケットをとるのに10年以上かかるとも言われるプレミアムな演奏会。
今年はすっかり生で観るのを忘れていて、再放送を録画してようやく本日観ることが出来た。観るのを忘れるくらいだから、いかに自分の文化の心が偽物なのかがよく分かる。それでも、若い時ならもたなかった時間を辛抱強く観ていられることがうれしかった。
延々と3時間は贅沢な時間だ。オーストリア・ウィーン楽友協会に集うセレブの中に日本人の姿も多く見られる。例年より観客を映す時間やアップが少なかったのは、時代の流れというものなのだろうか。日本女性の着物姿をよく捉えていた去年までとは何かが違う。
生であることを考慮すれば、会場を映す映像のスイッチングに文句を言うのは失礼かもしれない。ちょっと落ち着きのない映像の切り替えに少し苛立ちを覚えたほどだったが。
後半は多少落ち着いてきて、音楽とウィーンの風景のマッチングが程よく見られた。世界の最高峰と称されるウィーン・フィルハーモニーの音は確かに素晴らしい。それ以上のコメントは私には出来ない。
自分の虚栄心を満足させてくれるこの録画をこの1年間保存しておくことにしよう。自分がいなくなった時に、これを残しておけば・・・、見栄を張っても本性はバレているが。
(2018年1月8日)
華
「華がある」「華がない」という言葉ほど科学的根拠のない言葉も珍しい。しかし、誰が見ても「華がある」人が存在することは確かだ。
女性ならその美しさが際立っていれば条件をクリアとなるのだろうが、美しさだけではないことも誰もが知っている。ちょうど今、フィギュアスケートの大会が行われているので、その光景を見るとよく分かる。
同じジャンプをする姿だけでも差が感じられる。それは、単にうまく回れているとか、うまく回れていないとかではなく、美しさ以上に姿勢や気品が醸し出すさらなる美しさと言えるのではなかろうか。
ジャンプの最中の頭、体、足の位置関係が大きく印象を異にする。飛び終わった後の膝の曲がり具合や体形も大きく印象的なことだ。そういう観点から見るとフィギュアスケートもおもしろい。
今流行の数値化した技術点では測れない「華」を採点の中に組み込むことが出来ないのが残念だ。昔のように印象点だけで採点していた時代が懐かしい。
もしも本田真凜嬢が演技のミスなく普通に終了することが出来れば、他の誰にも見られない「華」を採点してあげられるだろう。彼女には確かな「華」があると感じるのは私だけの見方だろうか。
(2017年12月22日)
いよいよ
天皇陛下の退位時期が決定されるという。平成31年3月31日か4月30日だという。
皇室会議が12月1日開催に開催されるというから、よもや先送りになることはないだろう。
これで目標が出来た。そう思う老人が多いに違いない。せめてその日までは生きていようという意欲があれば、少しは生への執着なるものもあらわれるだろう。
事前に分かっていれば、社会生活にも異常事態ではない変化が徐々に進行して行くことだろう。
どんな会社でも書類に記す日付が大変だ。役所関係は間違いなく和暦を使っているから、一大作業となっているのだろう。西暦しか使わないと決めている会社は、こういう時のためだとほくそ笑むことだろう。
パソコン関係もマイクロソフト社が自動的に新しい和暦をアップデートしてくれるだろうと期待する。
ふた昔前ならCDロムを郵送しますとかの時代だったが、今や何でもインターネットで解決してしまう。
若者らは何も知らず考えずに平然と新しい和暦を使うのだろうと、ちょっと馬鹿にした想定をしている。
(2017年11月21日)
歯が浮く
歯の浮いたような選挙演説を何度、何年見せつけられ続けるのだろうか。
少なくとも、自分が政治という世界に興味を抱きだした小学校高学年から60年、いつだって時の政治屋たちは、平然と出来ないことを、さも出来るように吹聴している。
マスゴミ(塵)はそれに輪をかけ、何の目的があってするのかわからない世論調査なるものを、選挙期間中にこれまた平然と流している。
どの党が優勢だなんていう情報は差別以外の何物でもない。ニュースで取り上げる映像は平等を謳っているようだが、何をもって平等なのだろう。「幸福実現党」なんて何人候補者を出そうが、ニュース映像には出てこない。『前』議員はそんなに権力があるのだろうか。
腹が立つほどに早すぎる「当確」というやつも気にくわない。何が出口調査だ! と怒ってみたところで、結果がその通りなら誰も文句は言えないのか。
誕生日で選挙権を区別するシステムは最たるもの。年度制で社会を動かしているはずなのに、急に誕生日というピンポイントで物事を決めてしまう。それは当然だとする今の制度は、誕生日が来たら小学校に入学したり、中学校に進学するということになる。それでは都合が悪いから、社会全体のコンセンサスとして年度制を採用しているはず。どうして選挙権年齢だけが誕生日なのだろう。同じ学年は、基本的に同じ教育を社会を通して受けているはずなのに。
(2017年10月18日)
偽善
先日、日本テレビの24時間テレビについて軽くコメントしたが、ネット上ではようやく日本テレビのあのチャリティーを非難している口調があった。
チャリティーと称して視聴者からはお金を募るが、出演者には高額なギャラを払っていると怒っているようだ。
日本社会にはボランティアやチャリティー、社会貢献と言った言葉が似合わない。いいところがいっぱいある日本なのに、どうしてこういう類いのことには悲惨な環境なのだろう。
プロのスポーツ選手で多くの人達が社会活動をしている姿が報じられない。もしかすると、影に隠れて多大な寄付をしているのだろう、と思ってみたくなるが、現実にはそんなこともなさそうだ。
宗教観からの違いも大きく影響している。富める者が施しをするのは当たり前で、施しをされる方にも劣等感はない。武士は食わねど高楊枝という日本人のDNAは、富める者が自分のために遣うだけの財産を容認しているようだ。
それこそノーギャラでチャリティー活動をする海外の映画スターの爪のあかを煎じて飲ませたい。一番の犯罪者は日本テレビだろう。このチャリティー番組でどれだけの利益を得ているのか。キャーキャー言って無神経にテレビ視聴している一般人には、もっと重大な責任がある。
(2017年9月10日)
太鼓持ち
ひとつのバラエティー番組を最初から最後まで見ることは、まずないが、最近のテレビのバラエティー番組は芸能人の芸能人による芸能人のための番組のように見える。
お座敷で、太鼓持ちの芸を観客の太鼓持ち達が見ているような光景に見えるのだ。そんなことに今頃気がついたのか、と怒られそうな気もする。
そんな中、昨日のNHKスペシャル『戦後ゼロ年 東京ブラックホール 1945-1946』はおもしろかった。
期待していたわけではない、NHK夜9時のニュースの後、チャンネルを回す間もなく偶然に番組が始まったのだった。
ずーっと不思議に思っている、思案に暮れるあの廃墟の中から日本はどうやって復興したのだろうか、という素朴な疑問の一端を見た。
最近公表されたという古くて新しい終戦直後の映像が胸に沁みた。売春斡旋所の記録も否応なく見ることになる。ひと頃のNHKでは考えられない表現力が素晴らしい。
結局は占領軍に取り入って金を稼いだ連中が社会のトップにのし上がっていったんだ、とはっきりともの申すNHKがあった。
映像技術の進化で、当時のフィルムの中に現代の役者を実に上手く組み込んでいるシーンもあった。先日のNHKではない歌番組でも、今の浅丘ルリ子が当時の石原裕次郎と腕を組んで登場し、一緒に歌を歌っているシーンを見せてくれた。
先人に学ばなければいけないことはたくさんある。その当時にのし上がった人種を罵ることはしない。が、これからの日本人があの廃墟から立ち上がる国民をもう一度演じられるだろうか。
手を差し出せば水だって勝手に出てくる時代、もうすぐ死に行く種族は危惧する。これからちょっと先の日本人のことを。
(2017年8月22日)
WD
1週間ほど前に自分のパソコンにハードディスクを追加した。パソコン自作にいそしんでいた頃なら日常的作業も、久しぶりのパソコン・オープンに緊張した。
今回追加したハードディスクは、ウエスタンデジタル コーポレーション(Western Digital Corporation)製の3TBだ。すでに1TBと3TBのHDDを積んでいるが、この頃の「歌う介護士」動画撮影で、想定外のスペースが奪われている。
こんな時のために映画エリアにはいつ消してもいい映画がストックされているが、いざとなると消すことがもったいない気持ちになってきて、こちらの方が想定外だった。
自作機に夢中になっていた頃の最後の頃によく使っていたのがWD社製のHDDだ。その当時は3流会社で評判もイマイチだった。でも明らかに安かったので使い続けていた。起動時に故障がなければ、その後のもちかたはほとんど変わらないということも体感で知っていた。
その会社が今やHDDの世界では一流になっていた。あの東芝の半導体部門売却にいちゃもんをつけているのがこの会社だ。
HDDは1万円でどれくらいの容量のものが変えるかが目安になっている。円安のせいでパソコン・パーツは割高になっているが、HDDは量産品のお陰で徐々に安くなっているようだ。今回の価格は7980円、まずまずだろうか。なんといっても、内蔵でこうやって3TBのHDDを簡単に追加出来ることが、パソコン自作機のいいところ。いいでしょう?!&%$#
(2017年7月4日)
新しきこと
つい最近 dマガジン という雑誌閲覧サイトの会員になった。月額432円でほどほどの雑誌が読める。
現役時代の電車通勤の友は週刊誌だった。曜日によって違う発売が嬉しかった。ポスト、現代、文春、新潮はレギュラー、朝日、サンデー毎日、なども購入していた。夜の帰途は日刊ゲンダイ、時には夕刊フジ、と情報の蓄積及び判断材料として極めて重宝していた。
そんな脳の遊びがなくなって久しい。最近の情報源はテレビがもっぱら。浅い、ゆるい情報源に不満がいっぱいだった。偶然に見つけた今回のwebサイト、1冊400円以上になってしまったらしい週刊誌を1冊分で何冊も見られるのは嬉しい。
見ることはないだろうけれど、女性誌もある、週刊誌だけではなく月刊誌も揃っている。時間はあるけれど、モニター越しに活字にかじりついているわけにはいかないから、読むものは限られることは確かだが、ちょっと生活と脳の活性化に変化が起こり、楽しい時間が増えるだろう。
昼行灯というよりは1日行灯のような自民党幹事長の演説を聴いていると、この政党の未来が見えない。堅牢なはずだった官房長官にも陰りが見えている。奢りだろうがなんだろうが、政治を取り仕切るのが政治屋ばかりでは、人間の生活もこれ以上なかなかはかゆかない。
日本陸上、市川華菜が100m、200mの2冠に輝いた。福島千里時代も終わったようだ。福島時代にも言った彼女の走る腕遣いの悪さが、とうとうそのままになってしまった。市川嬢もそんなに上手い腕振りではない。世界に通用しないのは走りではなくフォームなのだ。陸上にもベストなコーチを海外から招聘すべき時代だ。
(2017年6月25日)
俺が、俺が!
「俺が、俺が!」と評価される人物がたまに居る。
本人はそう思っていないし、むしろ他人をそう評することがあっても、まさか自分が他人からそんな風に思われているなんて、微塵だに思っていないに違いない。
特徴的には、こちらの話題として何かを話しかけているのに、いつの間にかそいつの話に変わってしまうことだ。どこかで、自分の妻や子供、従兄弟や祖父母、義理の兄弟から友人の親類にまで、その自己中心的な話題を話し出す。
こちらが話しているんだよ、と怒り心頭になる気持ちを抑え、「そうなの、へ~え」と相づちを打っているが、いつも気持ちは煮えかえるばかり。
聞く耳を持たない、というよりは、他人の話などホントのところは何にも興味がないらしい。興味を持って聞いているのは、同じ話題で自分の事に置き換えて話が出来ると踏んだ時ぐらい、に見える。
そういう相手と話する時は、こちらにも覚悟が出来ていることがほどほどなので、実は腹が立つことはまずない。またか、という諦めが先んじ、話をすることを速く切り上げようと、努力することになる。
こんなことを本人の前で喋れるほど、勇気があるわけではない。永遠に自分の気持ちを表すことがなく、世の中からいなくなってしまうことは悔しい。かもしれないが、そこまで自分が確立されていない人間には、虚しさだけが日々の憂い。
(2017年6月18日)
眠る
毎晩誘眠剤ハルシオンを服用しないと眠れないことを想定していなかった10年前。服用しないと、本当に眠れないのかという実験はすでにトライした。
昨日は午後11時前に観始まった「バックドラフト」だったが、あんなに長い映画だとは思わなかった。結局午前1時ちょっと前に観終わって、寝床に入った。
通常は午後11時頃に服用して、12時半頃にはもう寝床に入ると、すんなりと寝入れることが出来るのだったが、昨夜は違った。どうにも眠くならない、おかしいなと思いながらも、服用していないということを微塵だに思わなかった。
結局、眠りの極めて浅い時間を経過しながら朝になってしまった。起きてみて、ハルシオンが使われない状態で佇んでいるのを見つけてから、あっ! と驚くしかなかった。
もう実験をするまでもなく薬がなければ眠れないのは分かっている。今日は朝からどうしようもない不快調な1日になった。どこかで眠ってしまったら、今度は本日の眠りにかなり影響してしまう。
やることがないけれど、久しぶりにEXECLのマクロを組んだりして時間を潰している。デザインも1件、2件。ディレクターがいかに重要かということを実感する。好き嫌いのデザイン世界、技術に裏打ちされない製作にはストレスが溜まるばかりだが、それなりの満足感もあり、どっちが優っているのか測り難いところ。
(2017年5月8日)
厚顔無恥でなければ生きてはいけない?!&%$
『Mステ』という音楽番組を偶然最初から見た。2、3日前のことである。くっだらないバラエティーよりは、はるかに好ましいのが音楽番組なので、時々チャンネルを回すことがあった。
中学生のような容姿のアナウンサーが気になっていたが、テレ朝もずいぶんとエロい遣い方をするもんだ、と毎回感じていた。他の番組でこのアナウンサーを見たことがないので、Mステ専属かと思っているが、どうなのだろう。もっとも、好んでテレ朝を見ようとしていないので、他の番組で見ないというのは正確な表現ではなさそうだが。
この日の目玉は、矢野顕子と上原ひろみのピアノコラボだった。矢野顕子の唄もはいるが、この二人のピアノは凄かった。これだけでもMステを見た価値があった。二人とも海外を拠点にしている、もう日本人アーティストと呼ぶのも憚れる人物だ。とにかく素晴らしかった。
生放送なので他のアーティストもひな壇に座っている。この日はコラボ特集とかで、椎名林檎とトータス松本もなかなか大したものだった。椎名林檎の線の細い歌い方が、この日は消えて、トータス松本のお陰で普段では見られないパフォーマンスが繰り広げられた。
V6や嵐というグループの連中が、良くも恥ずかしくなく同じ舞台で歌を唄えるな~、というのが厚顔無恥という言葉につながっている。人気があればなんでもいいんだというのがテレビ界社会、それでも老人にはとても考えられない情況。こんな上手い人達と一緒に出来るわけがないじゃん、と共演を断らなければいけない。
そんなお堅いこといわないで、ただひたすらに「アーティスト」としてパフォーマンスすればいいのだ、と教えられているのだろうか。
(2017年4月30日)
おもしろくないはずのWBCがおもしろい。ホームランなどなかなか打てない日本代表打線が、とりあえず奮起している。筒香がいい。2015年シーズン終了後、ドミニカのウインター・リーグに武者修行に行ったあたりから、格段に打撃センスが成長した。
もともとの才能に加えて自分を究極の場所に置くことが出来る人間が、その先に進むことが出来るのだろう。素晴らしい。
時々訳の分からない人間が登場して社会をかき回す。森友学園の籠池とかいう人物は、なんと胡散臭いのだろう。経歴を洗えば間違いなく不穏な過去が出てくるはずだ、と思っていたが、さっそくマスゴミ(塵)はひとつふたつと洗い出してきた。
こういう類いの人間が、堂々とというよりは、普通の人々よりもっと物質的に恵まれて生きていることが不思議だ。神は公正だから、死んで悪魔に食われるだろうと思いたい。
法律は難しい。国会の各議院や地方議会の百条委員会において証人を喚問する「証人喚問」では嘘を言うと罪になる、という言い方をマスゴミ(塵)が伝える。国会の委員会で、調査などのために参考人を招き寄せて意見をきくことが「参考人招致」で、証言で嘘を述べても罪に問われない、と大声で公言されている。辞書にもそう書いてある。
不思議な人間社会だ。ウソをついてはいけない、と小さい頃から躾けられているのに、嘘をついても罪に問われない場面を公言されては、親はどうすればいいのだろうか。建前と本音を使い分けることが得意な日本社会でさえ、そんな風潮が普通だとは。昔から不思議で仕方がなかった。真面目に生きる者が馬鹿を見る、とも言う。そんな馬鹿な。もういいよ。
(2017年3月9日)
「一番好きな女優は?」と聞かれたら、迷いなく『柴咲コウ』だと答える。あの顔立ちが好きなのだ。演技は下手くそで、イモみたいな役者でどうにもならないが、ひと言ぐらい喋って役が成り立つなら、やっぱり一番好きだろう。
昨年、初めてNHKの大河ドラマを1年間通して観た。引き続き今年も見ているが、今週からようやく柴咲コウが登場した。予想通り大根役者ぶりを発揮している。好きな顔立ちがこの役では引き立たない。昔の顔ではなく、現代人の顔立ちなのかもしれない。
日本史をテレビで勉強しようとおもっているからの鑑賞なのだが、今回の「井伊家」に興味はあるが、なんとなくこれ以上の鑑賞には耐えられそうにない。来週から観るのをやめてしまいそうな感じだ。
たぶん視聴率も毎週毎週落ちているに違いない。だって、おもしろくないもん。昨年は三谷幸喜がかなり押さえた演出で、ようやく大衆に迎合できたという印象が強かった。
今年は、ちょっと酷い。
まぁ、勝手な感想だが、アメリカ大統領に見習って、勝手気ままに言いたいことを言って、やりたいことをやれる世の中になったような。
(2017年2月6日)
『ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート2017』を聴きながらこれを書いている。毎年恒例のこの番組はNHK・Eテレの目玉番組。
日本では午後7時から3時間という優雅な番組時間だが、私が耐えられるのはせいぜい1時間、9時から観始まった。ウィーンとの時差は8時間、1月1日の11時15分にコンサートが始まる。ウィーン楽友協会の大ホール(黄金のホール)で行なわれるマチネ(昼公演)の演奏会である。現在は世界の90カ国以上に生中継されていて、世界中の人々がこのコンサートを楽しんでいるという。
こういう場所へ出入りできる人は極くわずかな人達。素養がなければ希望があっても意味がない。見せかけで見に行く人はそんなにいないだろう。私が楽しめるのはホント言うと、やっと30分くらいかもしれない。耳に馴染まないクラッシックを聴いて心が癒やされるほどの人間ではない、残念ながら。
それぞれの人には住む場所がある。こういう音楽を聴いて、心から拍手できるような人間に生まれ変わることが出来るのなら、次回には是非そうしてもらいたい。
幸いに私のテレビ環境は、音をアンプを通して独立のスピーカーで聴くシステムになっている。音楽番組になるとテレビよりも音が良いDVD・レコーダーからの音を繋ぐようにしている。
なるべく大きな音をだして、せめて自分がこういう音楽を好きだと錯覚させながら時間を費やす。でも、中身がついていかない。
(2017年1月1日)
自宅の階段を下りたところから、ちょうど500歩で新瑞橋イオンの外階段に到着する。
ちょっとばかり遠回りをして山崎川沿いに歩いて行くこともある。最近、この山崎川に老人カメラマン一団がよくたむろしている。大きな望遠レンズを付けた素人カメラマンばかりだ。
身の丈に合わない、年齢にも相応しくない望遠レンズを抱える老女もいる。そんな勝手な評価は失礼だとは思いながらも、どうみたってそうとしか見えない。ごめん。
何を撮っているのかが分からない。単なる水鳥なら、常にスイスイ泳いでいるので、これが標的ではないらしい。みんな同じ方向を見ている。この汚い川で、しかもちょっと匂う被写体背景は、私には魅力ゼロだ。
8月まで住んでいた天白川はここに比べたらだいぶ美しい。もちろん、匂いもしなかった。写真というフェイクに写った物象からは匂いはしない。汚くても、少し色がついていた方が写真としては上なのかもしれない。
所詮はフェイクな偽物を後生大事にしている神経を由としない。本物の人間力をつけたいと頑張ってきた現役時代、今や色褪せて偽物以下になってしまえば、何のための努力だったのか自問自答しても答えはかえってこない。
(2016年12月15日)
ヘラルド時代、新卒採用に関わったことが二度あった。一度は試験問題を作り、一度は最終採用の可否を社長から相談されたとき。
映画が好きで映画会社に入りたい人が多かった。今でもきっと多いだろうが、映画会社の採用人員は極めて少ない。業界大手の東宝、松竹、東映ならたとえ採用されて入社したとしても、いざ配属が決まったら、そこはスクリーンの前ではなく不動産会社の机だったりすることは希ではない。
私が考えた試験問題の中の1問は「トマト銀行について記せ。」というものだった。まだあるのかトマト銀行という時代になってしまったが、その当時のホットな旬の話題だった。それでも正解者はほとんどなかったと記憶している。また、知らない答えの書き方で、男と女の根本的な違いを見つけられたことは、今でも興味深く思っている。
東京6大学出身の女子で、「宣伝部の配属でなかったら入社しません。」という者がいるけど、どうしよう。というのが社長からの相談だった。相談をするというのは、採用したいけれどそんな我が儘を言う人間は採用したくない、という思惑が見て取れた。
私の答えは、「採用」を強く推した。多少の我が儘を補う才能を求めているのがヘラルド。ちょっと変な奴の方がヘラルドらしい、と今でも思っている。こういう「いきさつ」があったことを採用されたその女子は今でも知らない。現役時代にこの女性に直接伝える必要もなく、この程度の話題はほおっておかれた。酒の席がないというのが私には幸いして、愚痴や悪口を言う機会に恵まれていないことが大きな要因。
ヘラルド時代に見つけた亭主を婿に迎え、今は生まれ故郷佐渡に帰り造り酒屋を切り盛りしているらしい。彼女の人生がこうやってまったく知らないところで、違った方向に誘ったかもしれない出来事を知らないで暮らしていることがおもしろい。
あのとき「不採用」と言っていれば、やっぱりそうしようか、となっていただろうし、彼女の人生はまた別の道へと向かっていただろう。それでも、何処からスタートしても同じような道へと進んで行ったのかは神のみぞ知るということなのだろう。
この小生意気な女性とは現役時代もその後も親しく話をしたことがなく、実は私があなたのキーマンだったんだよ、と言ってみたい衝動に駆られるこの頃である。
(2016年12月12日)
『鶴瓶の家族に乾杯』という番組をレギュラーで見なくなって久しい。ご飯を食べる箸の持ち方が出来ない落語家なんて信用できない、と思い始まったらもう我慢できなくなっている。
偶然7時のニュースの後で今日の舞台が「山口県柳井市」だと分かって、これは見なくてはと喜んでの視聴となった。
「聖地巡礼」の主宰社だった河谷が亡くなってもうすぐ2年、彼の出身地が柳井だった。学生時代に一度訪れている。2年前には現地から不動産情報紙を取り寄せてもらって、念願の「瀬戸内海の見える部屋」を検討したこともあった。
『卓球の町』『自然薯』『鯛』『柳井縞』『金魚ちょうちん』などというキーワードを一度も聞いたことがなかった。地元の当たり前の事柄を、あらためて話題にするほど貧困な知能ではなかった彼の姿が思い浮かぶ。
今回も番組中で鶴瓶が箸を持つシーンがあった。スタッフも分かっているからちらりとしか見せないが、ほんの少しましになっていたような感じはする。それにしてもだ、こんな簡単なことを今更ながらに直すことが出来ない人間なんて、どう考えても偽物だ。
こういう話をしたとき、彼は鶴瓶を擁護した。優しさの溢れる想いを、彼の家族がどれだけ理解していてくれていただろうか。
彼が亡くなってからまだ一度も墓参りをしていない。どころか、柏の彼の家にも行っていない。でも、こうやって、ことあるごとに彼を思い出すことが供養になるに違いないと確信している。
(2016年11月21日)
野菜が高い。トマト2個で300円もする。牛丼一杯をまかなえてしまうほどだ。
ときの政府は、物価を2%上げるんだと、庶民の生活を脅かすことに奔走している。どういうことだろう。馬鹿な経済学者やその類いの為政者どもが、よってたかって庶民生活を愚弄している。
野菜や果物が高いのは今に始まったことではない。30年前だって、生活様式の違いとはいえ、1個単位で八百屋に並ぶリンゴが海外の市場では1kg単位で庶民が購入していく。
曲がったキュウリもゆがんだトマトも、野菜売り場の店先にはない。ちょっとでも傷が付いて中身が見えるようなブドウなんか見かけることもない。野菜の製作者はときの政権に加担するように、まったく問題なく食べられる果物や野菜を平気で捨てている。そうやって価格を高めに維持して何とか商売をやっている。
誰も喜ばないのに、そういう図式が日本の生活環境になっている。喜ぶのは高給取りだけと、昔から決まっている。こんなに食物物価の高い社会は日本くらいだろう。暴動が起こることなんか間違ってもない、と政府はたかをくくっている。
あまりに庶民を馬鹿にしていると、そのうち「・・・の乱」とかいう過去の遺物が、ムクムクと顔をもたげてくることになるだろう、ことは歴史が物語っている。
そこまでの気概がある奴なんかいるのだろうか。それこそ教育で、骨の髄まで政府に抜かれてしまっているかもしれない。
(2016年10月20日)
女子野球W杯(韓国・釜山)決勝でカナダを10-0で下し大会5連覇を達成した。というニュースがあったが、誰が決めたのかこの日本代表の愛称が「マドンナジャパン」だという。
SAMURAI BLUE(男子サッカー)、なでしこジャパン(女子サッカー)、サムライジャパン(男子野球)、若武者ジャパン(大学野球男子)、龍神NIPPON(バレーボール男子)、火の鳥NIPPON(バレーボール女子)、トビウオジャパン(競泳)、ムササビジャパン(ハンドボール男子)、おりひめジャパン(ハンドボール女子)、日の丸飛行隊(スキージャンプ)、クリスタル・ジャパン(カーリング)、マーメイドジャパン(シンクロナイズドスイミング)、スマイルジャパン(アイスホッケー女子)、フェアリージャパンPOLA (新体操団体)、まだまだあるが書き切れない。
POLAをスポンサーにして愛称にまで会社名を入れた新体操、妖精(フェアリー)という呼び名も浸透すればさらに良く聞こえる。日本には男子新体操があるが、オリンピック競技に採用されるまでにはまだ50年かかるかもしれない。その日のためにもう愛称は決まっているのかな?
(2016年9月11日)
名古屋市では65才になると収入に応じた金額で『敬老パス』が手に入る。私ごとき収入でも無料ではなく、1年間に5千円払う必要がある。市内は全線市営なので、バスも含めて結構使いでがある。
これまでは改札に通す薄っぺらなカード方式だったが、ようやくICカード導入となった。9月1日から使えるカードが送られてきて驚いた。見本のように「敬老パス」の文字が堂々としているのだ。名古屋市交通局からダウンロードした見本写真より実際の方が、はるかに文字が大きく見える。粋じゃないよね。役人のやることはせいぜいカード全体の色を金(キン)に近い色にし豪華に見せるのが精一杯。本人じゃない人に使われないように、と心配ばかりしているのがありあり。
受け取った瞬間に失望感に溢れ、役人仕事を恨んでいる人は多いに違いない。ケースから出さずに使えるICカードなら、もっと持つことに喜びを感じるような洒落たデザインにすべきだと思う。「あなたは老人です」と、念を押されることは嫌なことだ。
「suica」や「icoca」、あるいは名古屋の「manaca」と同じような機能を持っているんで、便利さは一気に飛躍するだろう。役人にも遊びが欲しい。リオ・オリンピック閉会式で見せた日本のキャラクター文化が末端にまで行き渡ることを望む。
(2016年8月29日)
内村航平が鉄棒から落ちた。これまでにも国際大会の大歓声の中で同じようなことがあったと聞いていたが、今回のナマ映像を見て納得した。
体操の団体競技は1組の中に何カ国かが同時に違う種目を演技する。日本チームが鉄棒をしていた時に同じ組の地元ブラジルが別の種目を演じていた。内村が鉄棒演技を始める前から、大歓声が湧き上がっていた。ブラジル人の熱狂度は凄い。内村が演技をしていても、それとは関係なく歓声が間断なく起こっていた。
応援をすることを悪いといいたいのではなく、世界チャンピオンが演技する時ぐらい、そっちに注目しろよと言いたいのだ。最近よく聞く「リスペクト」という言葉が脳裏に浮かんだ。
世界チャンピオンが演技しているのに、まったく関係のないリズムで大歓声を発し続けるのは、内村に対するリスペクトがなさ過ぎる、と言いたいのだ。
そんなことに惑わされずに、自分を貫けなどと言う評論家が多いが、そんなことはない、内村よ、それが人間らしくていいじゃないか。
そんな訳の分からない励ましの言葉が出てくるとは、我ながら不思議な感覚だ。
(2016年8月7日)
東京都知事選挙予想は見事な惨敗だった。自分の社会的判断が適切でないということを再認識しなければならない。
(2016年7月31日)
東京都知事選挙がおもしろくなった。こうでなくちゃ。一応三つどもえといった様相は、選挙とは関係のない全国民の関心が行くところ。
誰が当選するのかを予想しなければならない。専門家は専門家らしく、素人・庶民はそれらしく、他人事にして結果を持ってやっぱり、なんていう感想を言っているようじゃ話にならない。
当たるか当たらないかの問題ではなく、自分が生きている現在の社会情勢や社会の価値観を知るためにも、自分の予想が必要なのだ。もちろんマスゴミ(塵)の言っていることを参考にしていいわけで、そこから先の結論的自分の意見を固めるという行為をしてみよう。
どうも人間は歳をとればとるほど、分かったようなことを言う癖がある。ホントは何も分かっていないくせに、さも世の中の出来事が全部自分の頭脳の範疇だと勘違いしている。最近の「さんま」の言い草に、「分かるよ、分かるよ」がある。何でも知っていると吹聴するつもりはないのであろうが、つい無意識に言葉に出ている。既に大御所のさんまに意見をする人間は誰もいない。聞いていて不愉快になってくる。
さて、私の予想は、鳥越200万票、増田185万票、小池160万票である。鳥越に卓越した能力を感じないが、よくぞ決心したという感じ。先日観た黒澤明作品「生きる」の主人公のように、癌を患った人間の懸命さが人々に共感されるだろう。NHKの「ファミリーヒストリー」で自分のルーツをあらためて見直すきっかけを持ったことが大きいかもしれない。石田純一もこのNHK「ファミリーヒストリー」の犠牲者かもしれない。
増田某はいかにも官僚あがりの権力志向者らしく、慇懃無礼さが如実に表れていて気持ち悪い。自民・公明の思い上がりな態度に水を差したい有権者が多いに違いない。この人物は知事をしていた岩手県の借金を増やして、知らんぷりしているのを県民は今でも怒っている。
小池某も政治屋にどっぷり浸かり過ぎた感が否めない。あまりにも堂々とし過ぎた態度や物言いは、庶民から拍手されることはないであろう。自民党分裂選挙とか言われているが、彼女を応援する自民党員は数少ないことは確か。出る杭は打たれる類いの諺ではなく、出しゃばり婆といった風情か。
私の愛するNHK-BS「ワールドスポーツMLB」の司会者深津留美嬢が西武の菊池雄星と入籍していたというニュースには驚いた。どこまでもぶりっ子の横浜、フェリス出身の彼女が岩手県盛岡育ちの野球選手と結婚するのは似合っている。いつまでもぶりっ子を捨てることなく、姉さん女房を演じて欲しいものだ。
(2016年7月14日)
ネット印刷なるものを現在体験している。テレビCMで見た「ラクスル」というサイトだ。
たまたま他人の名刺を作ってあげていて、インクジェットの見た目の悪さ、インクジェット用名刺印刷用紙のイマイチさが気になっていた。チャンスがあったら頼んでみようと思っていたところ、何の気なしにホームページを見ていたら、印刷見本請求で500円のクーポンをくれるというので、ついその気になった。
名刺100枚で受付から1営業日後1,400円、2営業日後1,200円、3営業日後800円、5営業日後600円、7営業日後463円(税抜き)という驚きの価格だ。急がなければどんどん安くなるというシステムがおもしろい。最近知り合った現役印刷会社営業マンに直接この安さの理由を聞いたら、ラクスルが下請けの会社をたくさん抱え、注文を整理して発注するからだと簡単な説明をしてくれた。
それにしても安い。パソコンで作った名刺原稿をインクジェットで印刷するより、もしかすると安いかもしれない。入稿もプロ御用達のIllustrator、Photoshopばかりかpdfファイル(wordやpowerpointからの変換も可)でも受け付けているというから凄い。
たまたまIllustratorを日頃から使っていたので、この入稿に関してはちょうど良かった。と思って作業を始めたが、これが結構面倒なものだった。原稿そのものはいつも通りなのだが、入稿するためのファイルの設定という奴がプロ仕様というか普段の作り方では不足だった。文字のアウトライン化と画像の解像度をチェックしなければいけないことは知っていたが、さらに細かい専門分野の設定があって、いちいち説明を読んで実施するのに手間暇がかかってしまった。ちょうど良い勉強機会だと実は喜んでいるが。
パソコン上の扱いは直感的に理解できるので、アップロードそのものは難しくない。その後のpdfチェックなどもスムーズだった。これで1週間後には発送になるらしいから、あとは待つだけ。実際には受付から10日後の受け取りということになろうか。
名刺だけはメール便での発送にすれば送料は190円だという。これもリーズナブル。というか、昔から印刷屋さんはコインのない何銭という単位で商売をしていて、どうやって給料を出すんだろうと訝っている。今回はなんと送料込みでクーポンを使って支払いは165円也(!!!)。そんなことで遊んでいたら、今朝また500円クーポンが追加で来た。但し今日中の有効だというので、急遽同じ人の別バージョンをまた100枚発注してしまった。1日遅れで届くらしい。楽しみだ。今回は表黒、裏カラーを頼んだ。ちなみに表裏カラーでも料金は変わらない。へえ~!&%$#
(2016年6月30日)
佐賀県教育委員会の「SEIーNet」と呼ばれる教育情報システムや、県立高校の校内ネットワークが不正アクセスを受け、生徒の個人情報など21万件のデータが漏洩した事件は、日本の安易なシステムの典型例だろう。
不正アクセスをしたのが17才の少年だという。あっぱれ、と言いたい。破られる側が脆すぎる。警察が調べている、と言ったって、その少年の力量に達していない人達の集まりで何が分かるの。
何十人ものエンジニアが集って作ったはずのシステムが、一人の少年に負けてしまうなんて、情けない才能集団だ。いっそのこと、この少年をスカウトして、これからの国際競争に負けないためのシステム作りに専念してもらったらいい。
日本人は悪人を悪と決めつけてしまう癖がある。司法取引なんていう行為は卑劣極まるものだと思っている節がある。そんなことはないのだ。法を破るから悪人にされているだけで、人殺しをしたわけではない。技術が優っていたから、偉そうにしている人達に一泡かかせてやろうと考えただけだ。
彼の持っている力を発揮してもらった方が、間違いなく社会の役に立つだろう。日本的に彼の力を封じてしまうことに違和感を感じるのは私だけではないはずだ。そういう社会にならなければ、ただただ規則だけを衛る事に長けた役人天国が、未来永劫続いてしまうことを懸念する。
(2016年6月28日)
結局、桝添騒動は一体何だったのだろう? 言葉で聞く「茶番劇」をドラマで見ているようなこの期間だった。終わってみれば、いつも通りの政治世界のお粗末極まりない身内劇といったところだろうか。
NBAがおもしろい。アメリカのプロスポーツは観客がどういう風に楽しめるかを見事に実践している。野球などの一般的なホーム&アウェイ方式ながら、その戦う数を変化させている。2試合・2試合・1試合・1試合・1試合と所を変える。2試合・3試合・2試合という戦いが一般的なのからすると、スリリングなホーム&アウェイ方式がいけてる。
イチローの日米通算安打数を、「高校時代のヒットも加えるのか」と馬鹿にしているのが大リーグ記録を持つピート・ローズ。自身は何度にも渡る大リーグ資格復帰嘆願にもかかわらず、永久追放の身が解けない。こんなことを言っているようじゃ、彼の品のなさが世界中に暴露されて、もう居場所がないくらいのはずだ。
NHK-BSの「国際報道」という番組が毎夜10時から放送されている。もともとのアナウンサーではない記者あがりのキャスターがメインをつとめているが、滑舌悪くカミカミで聞いている方が嫌になってくる。知識よりも滑舌、と言えるテレビ番組進行、原稿ばっかり見ている羽鳥慎一でも人気アナウンサーをやっていられる今の日本テレビ界。
(2016年6月15日)
マー君の投球がまったくつまらない。点数はさほど取られないが、1球1球見ていると、逃げてばかりで、迫力なく、観客を沸かせるには、はなはだ不十分な投球内容だ。点数を取られなければ、それでよしとするのはプロの鉄則ではあるが、もうひとつのプロ的要素、見せるプロから極めて遠い。
青木もおもしろくない。よくま~あんな成績で1番バッターがつとまるものだ。契約があるのだろうが、不思議なところがいっぱいの大リーグ。
巷では芸能人のW不倫がどうのこうのと、屁でもないタレントの名前がスポーツ紙を賑わしている。ホントにどうでもいいような奴らなんだから、不倫だろうが何だろうが記事にしなければ、当事者たちも胸をなで下ろすのに。
自分が指名した第三者による検証を発表したって、それは自分のためでしかないことを分かっているはずのマスゴミ(塵)が、もっともな質問が出来ない。テレビのワイドショーでは、ここをこういう風に聞くべきだとか後の祭り的取り上げ方に終始し、おまえらそれだったら会見に出てちゃんと質問しろよ、とツッコミを入れたくなる。
都議会だろうが国会だろうが、質問と答えを事前に用意しそれを読み上げるだけのパフォーマンスを何十年も継続している。本音と建て前を身を以て演じている為政者たちは、一体全体未来に何を継承しようとしているのか。馬鹿馬鹿しくて、この1点だけを取り上げても、生きている価値がないと認めざるを得ない。
(2016年6月7日)
昨年、OB会雑務を後輩に託し、ついでにホームページの問い合わせページからのメール転送から自分のメールアドレスを外した。ということをやったことも覚えていないのが実情ですが。
一昨日夕方、ヘラルドの後輩から電話が入り、「OB会への本の問い合わせは、小河さんが処理してくれいますよね」と、言われて、はっとした。
OB会のgmailを全く覗いていないので、まさか問い合わせがあったとは、とあらためて覗いてみたら、2/19、2/29、4/20 の『古川勝巳 映画人生50年』の書籍に関する3件の問い合わせがあった。これは失礼してしまったな~と思い、その日のうちに相手にメールをし、たまたま名古屋の人が2人いたので、この方には直接お届けしますと伝えた。
そして昨日、朝11時半頃出発、大須の端っこ界隈で昼食を食べたあと午後1時過ぎ、家にあった1冊を持って、とりあえず1件目、大須観音駅から西大須交差点近くのライブハウスに行くも、事務所の扉は開いていなかった。
その後は約束してあった『歌う介護士』動画撮影のために伝馬町駅近くのデイサービスに赴く。約束は2時からのパフォーマンスだったが、スタートが40分遅くなった。3時40分になってもアンコールの2曲目を物色している様子を尻目に池下に向かう。
4時15分頃、予定より遅れて古川美術館に到着し、書籍3冊を受け取る。前夜に調べ、2件目の届け先が池下からバスで行けると分かっていたので4時32分、路線バス2番目候補のバスに乗る。バス停からお届け先の道はてきとうだった。坂道だろうなと想定していた通り、結構な急坂で苦労した。道が入りくんでいて地図も写真地図も細かいところでは役に立たない。目印に書いておいたお堂の名前を見つけて決め手となった。書籍を郵便受けに何とか入れた。予想通りではなく、建物はかなり古そうだった。もっと瀟洒な今風のたたずまいを想定していた。事件は現場で起こっている。図面では現場が見えない、と実感。
帰りは池下まで徒歩、その後は1件目の西大須交差点に再度向かう。5時半過ぎには着いただろうか、定かではない。今度はライブハウスは開いていた。今年42才になるという店長に会った。今日はライブがないと言うことで1人しかいなかったことが幸いしたのか不幸だったのか。映画のことにも興味があり、ライブハウスでのトークショーに映画を取り上げたい、ということなどから始まって、様々な話題に事欠かない時間経過となった。気がついたら、3時間をゆうに過ぎていた。
家に戻り、3件目のお届け先への「郵便局レターパック」に書籍を入れ、ポストに投函し、家に戻ると午後10時過ぎになっていた。その間にも、最近知り合った「訪問理美容」の人からの電話連絡が何度も入っていた。
8年半前の入院手術後、最も長い1日となった昨日。
(2016年5月18日)
「なぜ北島を行かせないんだ」と日本水連事務所、水連幹部に抗議電話が殺到したという。5日の100メートル決勝では59秒93の2位と、出場条件の派遣標準記録に0秒3届かず、五輪切符を逃していた。
オリンピック派遣の選考過程ではマラソンが毎回やり玉にあがっているが、不透明なマラソンに比べてこと水泳に関しては厳しすぎるんじゃないかと、素人庶民には見えてしまうのだろう。
決勝の前には予選と準決勝が行われ、北島は今回準決勝で派遣標準記録を切っていたが、決勝では標準記録を切れず2位だったのが派遣に至らない理由だった。白か黒かという決定が好きな日本人は、もう少し柔軟さと厳しさを併せ持つ方式を考えられたら、いいかもしれない。
例えば、予選か準決勝で派遣標準記録を切っていれば、万が一決勝で派遣標準記録を切れなくても2位にさえ入れば派遣対象となる、という案はどうだろうか。すごく良さげに見えるが如何だろうか。
これなら北島康介も100メートル平泳ぎでリオ・オリンピックに出場できる。もういい加減現役を引退したら、と思わざるを得ない彼だが、一流のスポーツ選手の頭の中はド素人庶民には到底はかりしれない。
(2016年4月7日)
ページシステム方式:
パラマストーナメント(ステップラダー)にダブル イリミネーション方式を組み合わせており、敗者復活でも優勝できる可能性を持つ変則的な方式である。
●ラウンド ロビン トーナメントなどによる予選を行い、1位から4位の順位を決定し、以下の手順を汲んで行われる。
●準決勝1(プレイオフ1): 予選の1位Aと2位のBが対戦し、勝者は決勝戦へ進出、敗者は準決勝3へ回る。
●準決勝2(プレイオフ2): 予選の3位Cと4位のDが対戦し、勝者は準決勝3へ進出、敗者は4位が確定する。
●準決勝3(3位決定戦): 1.の敗者と2.の勝者が対戦し、勝者は決勝戦へ進出、敗者は3位が確定する。
●決勝: 1.の勝者と3.の勝者が優勝をかけて対戦する。
予選で2位以内に入れば、その時点で3位以内が確定し、たとえ本戦の初戦で負けてもまだ優勝の可能性が残る。逆に予選3位以下が優勝するためには、1度も負けずに3連勝する必要がある。予選2位以内に入ることで非常に有利な条件を得ることができるシステムである。
現在行われている世界カーリング大会2016(World Curling Championships)で、日本女子は予選リーグを9勝2敗の2位で決勝トーナメント進出決定した。世界選手権、オリンピックを通して初めてメダルを獲得することが決定した。そして上記(プレイオフ1)を予選1位通過のスイスと戦った。これには負けたが、3位ロシアと4位カナダの(プレイオフ2)を勝ち上がったロシアと(3位決定戦)を戦って日本はこれに勝った。予選リーグとプレーオフの2戦とも敗れているスイスと決勝戦を戦うことになった。ここで勝てば優勝となり、このページシステム方式という決勝トーナメント方式のおもしろさがよく分かることになる。
(2016年3月27日)
夜の10時半、名古屋一番の繁華街『栄』を通る名古屋市営地下鉄「名城線」に乗った。10分も待たされて、いつも「田舎の鉄道め!」と舌打ちしている名古屋の鉄道網に見事に引っ掛かって、不愉快、体調悪く不機嫌になって帰ってきた。栄で乗って二つ目の鶴舞線『上前津』で乗り換えでまた10分待たされたのだ。日本で初めての環状線地下鉄なんて誇らしげに謳う前に、乗客の利便性を一番にもっとタイムテーブルを増やさなければ、日本で一番の不便な都会の地下鉄と名を轟かせるだろう。
さすがに夜の便、名古屋座りの5人掛けではなく、7人がきっちりと席に収まっていたのを見るのは久しぶりだった。その7人のうちの6人がスマホを弄っていたのは、もう驚く風景ではない。なにを好んで皆が皆、スマホに溺れているのだろう。
昔、週刊誌かなんかで見た下ネタ艶笑話を思いだし、ほくそ笑んでいるのは間違いなく私だけだろう。「自慰行為を知らない猿社会の一匹の若い猿に、人間がオナニーを教えたら、その若い猿は一日中オナニーばかりして困ったことになった。」類いの話だったような気がする。スマホを弄り倒す若者の姿をダブらせるのは失礼だろうけれど、同じようなものだよ!、とどこかに投書でもしたら恥ずかしがってやめる輩も現れてくれと、願っている。
下ネタは好きではないが、もうひとつ一般映画での有名男優のベッド・シーンでの話というのが洒落ていて好きだ。このふたつの話しか下ネタを語れないが、ベッド・シーンの前にその有名男優が相手の女優に言った言葉、「もし、布団の中であれが勃ってしまったらごめん! もし、勃たなかったとしてもごめん!」、なんと洒落た言い方なのだろう。以前にも書いたことがある。ちょっと恥ずかしいが。
(2016年3月16日)
昨年12月2日に「個人番号カード交付申請書受付センター」にネットから申請した個人カードが発行されましたと先週区役所から封書が届いていた。あれこれ用意しろと書いてあったので、しっかりと読む気のある日に取りに行こうと思っていたが、今日区役所に行ってみた。
30年前に出来ていなければいけなかったこのシステム、ホントに遅ればせながらのシステム構築となった。個人情報を国家が管理することを当たり前だと思わない人たちが結構いるのには驚く。それどころか、なにも考えずに個人情報という言葉に踊らされてこのシステムを知ろうとしない馬鹿な輩が多いのにも困る。
さて、区役所に着いて案内の女性に受付場所を尋ねたら、今日はシステム・エラーがあって受け取れませんがあちらの窓口にお越しください、と言われた。システム・エラーなんていう便利な言葉が責任感を甘くしているような。
はは~ん、もうエラーですか!、とほくそ笑んで窓口に行った。もの凄い金を払って作ったシステムのはずなのに、もうトラブル発生とは? 愛想の悪い係員はトラブルのせい? この頃は役所の対応もだいぶ改善されていたはずなのに。相変わらずの休日日常服装の役人どもに違和感がぬぐえない。
「完璧ですね!」と用意した書類を見て言われたが、完璧じゃないのはあんた達だよ!と口には出せなかった。「それでは、今日は発行できませんが郵送しますので住所・氏名をこちらの紙に書いてください」、と言う。「まだ書かせるの?」と疑問をぶつけたが、慇懃無礼、役人根性の人間には意味がなかった。
個人情報カードを郵送するために、その送り先を書かせるとはどういうシステムなのだろうか? そのわりのは、個人情報カードを発行するための書類を預かりましたとか後日郵送しますとかいう役所からの預り書は何も渡さない。なんというシステムなのだ。コンピュータのシステムどころか、人間のやっているシステムがそもそもなっていない。
役所に10分いれば、こうやってこの欄に書くネタがおのずと発生する。嬉しいやら哀しいやら、好きな女の子に私も好きですと言われてすぐに振られた時のような気持にさせられる。
(2016年2月24日)
元旦の午後1時、パチンコ店の駐車場は満杯。パチンコが好きで好きで堪らないのか、暇を持て余しているのか。おそらくどちらにも該当する人なのだろう。
その後行ったセブンイレブンには車が2台しかとまっていなかった。道路は普段より車が多い。ほとんどの食事処はおやすみだが、ガストは開いていた。隣のスーパーは3日間お休み。2、3年前に大阪の会社に買収されてから休みが増えた。
午後3時、抹茶を飲みながら井上蒲鉾店の『二色玉子』『小判揚』『梅花はんぺん』を食べている。珠玉のひととき。おやつタイムにこんな贅沢な時間を過ごしている人はなかなかいないだろう。
穏やかな日が続いている。昔の冬はこういう日が多かった。寒い風が吹いたり雪の降る日はあったが、毎日のように曇り空の日々は去年の特徴的な天候だった。なんかミラノの空を見上げるような気がしていた。
もしも東日本大震災のようなでかい出来事が12月30日に起こったとしたら、テレビ局はどうするのだろうか。撮りだめしたお笑いを封印し、特別番組に切り替えるだろうな、きっと。そんなことを考える。始末の出来ない核廃棄物、原発が安全かどうかを問うているのではない。事故が起こった時に修復出来ない事態が問題なのだ。
これだけ神からの啓示を受けながら一向に改まらないまつりごとでは、神の罰を甘んじて受けなければならない時が、間違いなく来るだろう。私はそんなものを見たくないから、お先に。
(2016年 元旦)
地理的表示保護制度 7品目を登録
日本各地の農産物や食品などの特産品を国が地域ブランドとして登録する「地理的表示保護制度」について、農林水産省は初めての登録品目に「夕張メロン」や「神戸ビーフ」など全国の7品目を認めたことを発表しました。
「地理的表示保護制度」は、生産者などでつくる団体の申請に基づいて、国が農林水産物や食品のうち産地名などを含んだ特産品を地域ブランドとして登録する制度です。
農林水産省はことし6月以降、全国から申請のあった50余りの特産品について、地域との結びつきや品質管理が徹底されているかなどを審査し、このうち7品目を22日、初めての品目として登録しました。登録されたのは、▽北海道の「夕張メロン」、▽茨城県の「江戸崎かぼちゃ」、▽鹿児島県の「鹿児島の壺造り黒酢」、▽福岡県の「八女伝統本玉露」、▽兵庫県の「神戸ビーフ」と「但馬牛」、▽青森県の「あおもりカシス」の7品目です。これらは、22日から国の登録を証明する認定マークを表示できるようになり、国内にとどまらず海外への輸出拡大などが期待されます。
森山農林水産大臣は閣議のあとの記者会見で、「登録されたいずれの産品も、長い年月をかけて培われた生産方法により生み出された地域の宝だ。今後も申請のあった特産品について登録をすすめ高品質な農林水産物の国内外の需要拡大につなげたい」と述べました。(NHK News web より)
何度かこの欄にも登場したことのある我が故郷の逸品「江戸崎かぼちゃ」が、「地理的表示保護制度」の先陣を切った7品目に入った。季節ものなので来年の6月までは手に入らない。
名古屋に来てからも、数えられるほどの人にお裾分けしているが、なかなか本当に美味かったという声が届かない。普通のかぼちゃのように水をたくさん入れべちゃべちゃにしてしまう煮付けでは、残念ながら美味しさの違いが再現できない。
よく行っていた昼食処にも持って行ったことがあるが、同じように美味しさの答えはかえってこなかった。下手なんだろうね料理人が。一流料亭で使われているこのかぼちゃ、人間と同じように真の価値観を認め登用しない限り、平々凡々たるものとなんの変わりもなくなってしまう。
(2015年12月22日)
最近の日本プロスポーツ界の監督やヘッドコーチは、妙に潔くて、責任は全て自分にあるというようなことを平気で言う。もちろん試合に勝った時は選手のお陰だと誉めることも忘れていない。
あまりにもそんな言い方ばかりを聞くので、ちょっと意地悪な見方になってきたことがある。それは、監督が選手を責めないということは、おまえを使った私が悪いのだ、と言っているように聞こえてきたのだ。
要するに、悪いのは私だが、それはおまえを使ったからだと直接言わないで、自分が格好良く責任をとっているように見せかけているだけではないのか。心の中では、間違いなくそう思っているが、決して口に出さない大人の対応とでもいうかもしれない。
そこのところをはっきり言ってしまえば、野村監督のような毒舌に聞こえてしまう。でも、選手は本当は責めて欲しいのだと思う。責められないで、次回からは使い方を変えられてしまうより、その時はしっかりと責任を糾弾されても、次回からも確かに信頼をおかれる方が、なんぼ気持ちのいいことか。
このネット時代、大人びた対応をしないと、責められるのは発言者。結局は自分のみの可愛さから、言いたいことの大部分を隠して、良い格好をする人が増えてしまったのも確か。
日本のような建前社会では、真実をぶつけることを極端に嫌う社会環境になってしまった。本音を隠して何が信頼なのだろうか。何が信用なのだろうか。
そんなことを考えもしないで毎日を馬鹿笑いしている人達の姿が、頭にこびりついて離れない。羨ましいけれど、哀しいことだなぁ。
(2015年11月21日)
何度も書いている。パリのテロ事件を伝えるニュース番組で、発生した時刻を日本時間でしか言わないのはどういうことだろう。事件が発生したのが日本時間の何時にあたるのかは、副次的な情報である。
聞いている側は事件がどういう状況で起こったのかをとっさに頭の中で考えめぐらすはずだ。事件が朝なのか昼なのか夕方なのか夜なのか、はたまた深夜なのかではその事件性を見る目がちょっと違ってくる。ましてや地震だったら、その状況には大きな違いがあることは先刻来ダメを出している。
それにしてもこんな基本的なことが出来ていない日本のマスゴミ(塵)は一体どうなっているのだろうか。海外で事件・事故・災害が発生した時の「いつ」には優先的に現地時間を述べるべき、と規則がなければ出来ないのだろうか。出来ないのならそういう規則を決めておかなければならない。日本時間も必ず併記すべきだ。情報量が多すぎて表示が見にくくなるなんていうのは言い訳に過ぎない。これだけの、これからのネット社会、見ている先はドメスティック限定などがあってはならない。最も基本的な報道情報のひとつ。
最近ではようやく英語、韓国語、中国語などが整備され始まった駅や道路や建物情報、こんなものだって海外旅行したことのある人なら日本の不整備事態はとうの昔から気づいていた。観光立国を目指すなどと言葉で言ってたって、肝心の何をすべきかが昔から分かっていない。
少なくとも、表示すべき場所には英語、フランス語、中国語、韓国語、スペイン語くらいは表示して欲しい。たとえ文字が小さくてもそれくらいを整えての観光立国宣言だろう。観光旅行の視察旅行でもいい、せっかく公費を使って海外に行くのなら、せめてこれくらいの情報を共有できる能力を持つ議員が増えることを、ささやかに期待するしかない。
(2015年11月14日)
茨城県稲敷郡江戸崎町(えどさきまち)、町立江戸崎小学校と江戸崎中学校の同級生だった友達が割合近いところに住んでいる。彼は茨城大学を出てすぐにトヨタの販売会社のひとつに就職した。だからもう45年もこちらに住んでいることになる。
久しぶりに電話があってお茶を飲もうと言うことになった。そういえば先週の土曜日に江戸崎小学校の同窓会があって、彼はきっとそれに出席したんだな、と勘がまわった。
お互いに商売人の息子同士で、毎日のように遊んでいたので、生活環境も似たり寄ったりだったことなどを談笑した。その中でひとつ、食べたことのある食べもので意見の一致を見た。
「蓮の実」「菱の実」「椎の実」「栗をナマで食べる」「サツマイモをナマで食べる」、これらのことを知りあいに尋ねても、通常ひとつもやったことがない、という答えが返ってくるが、ふたり共笑顔で「食べたよね~」という話になった。
普通に食べていたものだが、都会育ちの人や、そういう習慣のない人達には縁遠い食べものだ。
「ハスの実」はほのかに甘くて、なんとも言えない香りがする。他の食べものに喩えられない。「ヒシの実」は川遊びしたことがなければ、手に入らないもの。こちらはその真っ黒いとげとげからは想像出来ない味が特徴だ。
「シイの実」は椎の木になるどんぐりのような形をした実だが、どんぐりよりは細面な形だ。ナマで食べても美味しいが、フライパンで煎ってあげると香ばしい香りがして一段と味が引き立つ。
「栗」は誰もが知っている食べものだが、ナマで食べたことはないだろう。いつも小刀を持っていた我ら少年団は、木から落ちなんばかりの栗を取って、その場で渋皮を剥いて食べるのだ。完璧に渋皮が取れないで、渋さが残るのも懐かしい。カリカリ・コリコリとした食感が堪らない。
「サツマイモ」もナマで食べた経験はないでしょう。少年団は野を駆け丘を登り、疲れると畑にあるサツマイモを拝借し、小刀で削ってカリカリとナマで食べるのだ。これが甘くて極めて美味しい。芋の汁が手にべたつく感覚をまだ覚えている。
いずれの食べものも新鮮であることがなによりだったのだろう。そんなことを何も気にすることなく、当たり前のように食べられていた時代がやけに懐かしい。今でもスイカやトウモロコシにお金を出すことを躊躇うトラウマがあったりして、二人でうん!うん!と納得し合った時間だった。
(2015年10月31日)
ヘラルド時代の昼食は地元新橋、日比谷・銀座方面、ちらりと虎ノ門方面へと毎日が楽しみな時間だった。エマニエル夫人が超大ヒットする直前はまったく鳴かず飛ばずの映画ばかりで、社員は嫌味を込めて弁当を持参した時期もあった。
ただエマニエル夫人が当たってからは、もう弁当なんてことは忘れ去られ、それ以来、勤めていない今日まで昼食は外食と決まっている。
知らなかったとはいえ2年前に出会った『大戸屋』という和食チェーン店のメニューの高さに驚き、しばしば訪れることになった。この大戸屋は1958年(昭和33年)池袋が発祥だという。
つい最近また新しい和食チェーン店に出逢った。『やよい軒』、こちらは1886年(明治19年)茅場町発祥だという。両チェーン店とも現役時代のヘラルド昼食テリトリーにはなかったので、知らないで来てしまったのが、ちょっと悔しい。
もっとも、現在のような美味さが最初からあったとは思えないし、現に大戸屋の10数年前は少なくとも普通の食堂だったよ、という体験談も聞いている。
ここへ来て『大戸屋』の味に慣れてしまったからか、本当にちょっと味が落ちてしまったのか、少しばかり不満な食卓が続いていた。
そんなとき季節のメニューを紹介するネットニュースで知った『やよい軒』に行ってみて、大戸屋の時よりの衝撃度があった。
値段は多少やよい軒の方が安いだろうか。食券機で事前に買わなければいけないのがちょっと面倒。白いご飯のおかわりは自由、自分で盛りに行く。漬け物は1品食べ放題でテーブルに置かれている。メニューは似たり寄ったりだが、何となくやよい軒の方に品という点で軍配が上がる。
サイドメニュー的な小鉢料理もやよい軒かなぁ~。てなことで、若い頃に巡り会えなかった和食チェーンにお熱のこの頃、今日はまた地下鉄で2回の乗り換えをしなければならない「池下」の「やよい軒」に行って来た。先週月曜日からもう4度目になる。今日の注文はぷりぷりの牡蠣フライ4個の定食、味噌汁をあさりの貝汁に変更してちょっと贅沢してみた。
楽しみは何もない。ようやく歩けて舌の感覚もギリギリ、生きているのは楽しいけど辛い。
(2015年10月29日)
胸騒ぎがした。午前0時45分頃から始まったラグビー試合を最後までみる体力がないと思っていたので、南アフリカが試合開始早々にトライでもあげたら、テレビを消して試合内容は翌朝の録画再生でいいや、と考えていた。
いよいよ始まったラグビー・ワールドカップ、不幸にも日本の初戦は世界ランキング3位、W杯で優勝2回、史上最高勝率86.2%(25勝4敗)を誇る南アフリカだった。一方の日本と言えば、第1回大会からの通算1勝21敗2分け、スポーツの理論で言えば、ミスマッチとされてもおかしくない対戦だった。
それがどうだ、試合は予想もしない展開に向かっていった。日本のペナルティーキックが最初の得点だった。あとはスポーツニュースでも夜7時のNHKニュースでも大きく取り上げられた。なんといっても後半残り1分で3点差のペナルティーでキックを選ばずスクラムを選んだことだろう。サッカーのようにフリーキックを蹴らせないで、時間が来たからと試合終了の笛が吹かれるなんていうことはない。
ラグビー先進国、開催国イギリスでは「ワールドカップ史上最も偉大な番狂わせ」だと報道している。英国のブックメーカー・ウィリアムヒルでは18日時点で、日本の勝利は34倍、南アフリカの勝利は1倍だったと言うから、日本勝利の可能性は世界のラグビー・サポーターからはゼロだと思われていた。
W杯ラグビーの勝ち点は4、負けた南アフリカも4トライと7点差以内の負けで勝ち点2を獲得している。サッカーなんかより奥の深い勝ち点制度だ。脚を蹴られてのたうち回るシーンばかり見せつけられるサッカー、少しはラグビーの毅然とした選手の態度を見習うべし。トライなどのビデオ再生審判を含め、新しく取り入れるところは多いに取り入れているのがラグビー界だ。
番狂わせがもっとも少ないといわれるラグビ-、でも生きていればこんなことも起こるんだと、いたく感動した。ラグビー・ファンで良かった。ジャイアントキリングという言葉がすーっと胸の内に入って来た。こんなことで1日が気分良く過ごせるなんて、人の心はやっぱり摩訶不思議。
(2015年9月20日)
『私を下僕と呼んでください』→『これからは"下僕"とお呼びしますよ。よろしいですか?』 ▲ 『眠い』→『運転中じゃないですよね?』→『眠い』→『疲れたり眠くなったりするのは自然なことですよ。』→『眠たい』→『しかたないですよ。とにかく危ないことはしないでくださいね。』 ▲ 『ご用件は何でしょう?』→『生麦生米生卵』→『もっと時間を有意義につかいませんか?』→『生麦生米生卵』→『上手ですね!』→『生麦生米生卵』→『上手ですね!』 ▲ 『ご用件は何でしょうか?』→『暇だね』→『退屈させちゃいましたか?』→『面白い話をして』→『むかしむかしあるところに・・・いや、つまらないからやめましょう。』 ▲ 『君のことが好き告白です』→『まぁすてき。さあ、仕事に戻りましょうか。』 ▲ 『おちんちん』→『もう少しきれいな言葉でお願いします。』→『おちんちん』→『そんな言葉は使わないでくださいね。』→『おちんちん』→『今のは聞かなかったことにしておきます。』
Siri(シリ・Speech Interpretation and Recognization Interface・会話解析 認識インターフェース)は、iOS向け秘書機能アプリケーションソフトウェア。自然言語処理を用いて、質問に答える、推薦、Webサービスの利用などを行う。というもの。iPhoneに喋りかけると気の利いた答えを返してくれるというので話題になっている。
勿論、会話だけが目的ではなく秘書機能が仕事だから、『小河さんに電話をかけてくれ』と話しかければ、iPhoneが自動的に私の電話番号に電話をかけるのだ。電話番号が見つからなければ、『登録されていません』と答えが返ってくる仕組み。
音声認識の精度に関してはまだまだ問題もあるが、このソフトの素晴らしいところは自分進化型のソフトウェアだということ。これまで人間や機械が入力をして語彙を増やしたり反応の仕方をプログラミングしていたのとは違い、世界中のiPhoneユーザーの使った言葉や反応をiOS自身が学習して進化していくのだという。にわかには信じられない現実だが、もうそこまでこの機能は到達しているという。
そういえば、Windows10以降はこれまでのようなバージョンアップをしないという方針が示されたということが、同じような意味合いになるのだろうか。これからは勝手に自分をバージョンアップしていき、知らない間にその機能はどんどん進化していってしまうのだろうか。
これにはビッグデータの存在なくしては実現出来なかったことだともいう。iPhone、Google、Facebook、とビッグデータを集積する巨大マーケティングが秒単位で世界中からデータを集めている。それをどう使うのかと思っていたら、もうここまで来ていたとは。勿論、このビッグデータを使えるようにするもうひとつの技術『AI』(人工知能)分野の飛躍的発展も見逃すことは出来ない。映画の夢の世界が現実となってきた。
日本のAIは目に見えるロボットという形でイメージされることが多いが、AIそのものはあくまでも知能のこと。どういう外見かを問うているわけではない。機械ではなく脳なのだ。機械的な工業機能とAI的な脳機能を融合させた本当のロボットが登場し始めて、SF的人間社会が出現するのも近いことなのだろうか。
(2015年8月31日)
2020年東京五輪のエンブレムと、ベルギーにあるリエージュ劇場のロゴが似ているとインターネット上で話題になっている。ロゴを制作したベルギーのデザイン会社がフェイスブックに両方のデザイン写真を並べて「不思議」と投稿し、波紋が広がった。
新国立競技場建設問題から始まり、2020年東京オリンピックにはこれからもケチがつくような流れだ。ダメな人間どもの集まりになってきてしまった日本国を引っ張っていく集団。役人ばかりではなく、いろいろな分野のプロたちが世界標準の下層部分をうごめいているだけのようだ。
どうにもならなかったここ何十年かの日本の教育が、国民全体の程度を押し下げていることは間違いない。これからの100年、教育の向上がやっと出来て、さらに100年後に世界に打って出られる状態にしかなれないだろう。
ベルギーのデザイン事務所も劇場側も訴訟や話し合いを希望しているというから、騒ぎはさらにエスカレートするだろう。平気の平左のコメントを出した東京オリンピック側、対応のまずさで批難を浴びないようにして欲しい。インターネット時代の発言には、自らを律する態度と深い思慮に基づく考え方を示さなければならない。明確な発信が求められる。
まぁ~、ばい菌ばかりをまき散らしているのに、未だもって元首相という名前を笠に着て関係者のトップにいる森元首相なんていう存在が、どう考えたってうざったいのは衆目の一致するところだろう。
新たに入った情報によると、日本の震災支援のためにスペインのデザイン会社が作った「デジタル壁紙」とも色使いが酷似しており、ダブルでパクリをしたのではないかと疑惑が浮上している。
元マーチャンダイズ業務を担当していた者として言えば、このデザインは明らかに組み合わせの妙である。商標が登録されていないことを知り流用したと言われても文句が言えない。
(2015年7月30日)
1989年8月24日、監督在任中に野球賭博に関わったとして、メジャーリーグから永久追放処分を受けた。ピート・ローズは大リーグの安打記録持つ(MLB公式記録は4191だが、現在では4189と言われている)。
出身球団のシンシナティ・レッズの本拠地で今年のオールスターゲームが昨日行われた。ローズの復権を最後まで認めなかったコミッショナーのセリグが任期満了に伴い退任した後、新コミッショナーに就任したロブ・マンフレッドは2015年2月5日、復権について話し合う用意があると語った。そして、長年活躍したレッズの本拠地シンシナティで開催されるオールスター戦への参加を認める考えを示した。
ということがあり、オールスター・ゲームのオープニング・セレモニーにピート・ローズが本当に登場した。さすがアメリカなところは、多くの拍手と共に同じ量のブーイングが聞こえたことだ。永久追放という処分は、そんなに小さいものではない。時間が経ったからといって簡単に許されるものでもないだろう。それよりも、ピート・ローズ本人の信用と信頼のなさが大きく原因しているようだ。
1989年に永久追放されてから約25年、相応の実績がありながらも殿堂入り出来ないローズに対し、同情的な声が徐々に増えていたタイミングでのスキャンダルが発生した。2015年6月22日、ESPNはローズが選手時代にも試合に賭けていたことを証明する文書を手に入れたと報じた。ローズは選手時代の賭博関与は繰り返し否定していた。
過去の賭博問題の捜査を担当した元連邦検事のジョン・ダウド氏は「これが最後のピースで、パズルは完成。(ローズ復権の)ドアは閉じられる」とコメント。米メディアの論調もおおむね否定的で、ロイター通信のラリー・ファイン記者は「“選手としては賭けていない”という言葉も、彼をよく知る人はもともと誰も信じていなかった。野球賭博の件に関して、何が出てきてももう驚かない。また新たなウソという疑惑が出てきてしまった時点で、復権は厳しくなったし、名誉の殿堂入りはこれから先もまず不可能だろう」と語っている。ローズは永久追放処分を受けた後、2004年に自叙伝で認めるまで約15年間にわたって、自らの賭博関与を否定し続けていた。
ピート・ローズに言わせれば、『イチロー?、あの内野安打ばかりの選手ね! 彼が私の安打記録を破ることは決してあり得ない。日本での安打数をプラスできるのなら、私だってマイナー・リーグ時代の安打数を加えられるだろう。』と、徹底的に日本のプロ野球やイチローのことを問題にしていない品のない発言を繰り返している。
芥川賞や直木賞だって、商売優先で設立、維持されてきた賞。権威に弱い日本人にはこういう賞を設ければ、歴史と共に、知らず知らずのうちに高みの箔がついてしまう。ユネスコの世界遺産に指定されなければ見向きもしないのに、指定された途端わんさわんさと旅する人が増える。不思議な光景は一段とその迫力を増していく。学生時代から自分で見つけた価値ある物件を、自分の眼で確かめようと実践してきた過去を振り返ると、このことだけは正しかった、と今思えるのが嬉しい。
LINEのパソコン向けソフトで、トーク画面は今まで2週間で自動的に消去されていた。容量の多いパソコン用のソフトで、なんでこんな設定になっているのか不思議だった。
いつの間にか2週間過ぎても保存されるようになっていた。頻繁にアップデートを繰り返しているので、さすがというべきだろうか。一度退会して、また同じIDで入り直したので、去年の記録など2週間消去がなくても、保存できなかったことも確か。1年前に何を書いたのかが残っていないのは、悪くないことかもしれないと思っていた。そんなに責任の持てる発言をするとは思えないので。
これからは少し気をつけなければ。もっとも、パソコンではない受け手なら、私の不適切な発言がまだ残っている可能性もあり、恥ずかしさで死んでしまいたいと思っている。
(2015年7月16日)
アメリカの勝ちと3点差の予想は当たったように見えるが、日本が2点を取れたのは予想外だった。そういう意味では当たったのか、外れたのか? 完璧に外していない、というだけでもちょっと価値はあるかもしれない。(予想米3-0日本、結果米5-2日本)
日本が負けた方が良いと言っているわけではない。戦いの予想をするのなら、希望を言うのではなく、自分が獲得した情報を基に厳しく想定することが必要だと言っているのだ。たとえ、それがホームページ炎上の原因になったとしても。専門家はそんな覚悟が絶対必要だ。予想が外れたら素直に謝ればいい。だってそれはあくまでも予想なんだから。
もうひとつの予想は完璧に外れた。ギリシャの国民投票のこと。この件はホームページに載せなかったが、私の予想は賛成53%-反対47%くらいだろうと思っていた。
結果はご存知の通り、賛成38.69%-反対61.31%。国民は『民主主義の勝利です。ギリシャ国民は負けません。』と言い、チプラス首相は『ギリシャは歴史的なページを開いた。』と演説している。大きな勘違い野郎ばかりのギリシャを全世界が罵っているに違いない。
これじゃイタリアも、俺たちも金を返さなくてもいいじゃん、と言いだしているとの信憑性がもっともらしく聞こえてくる。
(2015年7月8日)
満6歳に達する日とはいつなのか。年齢の計算については、年齢計算ニ関スル法律と民法第143条によりその考え方が示されており、それによれば、人は誕生日の前日が終了する時(午後12時)に年を一つとる(満年齢に達する)、とされている。これを4月1日生まれの子どもに当てはめると、誕生日の前日である3月31日の終了時(午後12時)に満6歳になることになる。(そもそも論で、こんな七面倒くさい屁理屈を採用しなければいいのだが)
学校教育法(以下「学教法」といいます。)第17条第1項には「保護者は、子の満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、…これを小学校又は特別支援学校の小学部に就学させる義務を負う。」とあり、 一方、学教法施行規則第59条において、「小学校の学年は、4月1日に始まり、翌年3月31日に終わる。」と規定されている。
よって、4月1日生まれの児童生徒の学年は、翌日の4月2日以降生まれの児童生徒の学年より一つ上、ということになり、一学年は4月2日生まれから翌年の4月1日生まれの児童生徒までで構成されることになるのです。
日本での規定は以上です。小さい頃の1年は体力に大きなハンディが伴いますが、学校で勉強するということに関しては、その1年を微塵も感じさせない制度と現実があります。選挙権が肉体的な満年齢18才からという制度は、自分たちが作った社会制度に基づく頭脳年齢と一致していない。何故、そういう風に考えないのでしょうか。何度でも言う。18才になる学年の人全員が同じように選挙権を持つことに合理性があるはずだ。こういう重要な観点を蔑ろにして、18才選挙権の法律を作る立法府はダメである。昔、成人式の参列者を1月15日で区切っていた地域があった。それも今は、同じ学年の人全員が同じ日の成人式に出席するのが当たり前になった。まったく同じことを何故選挙権で出来ないのか。若者に関心を持たせるためにも、こんなどうでもよさそうなことを真名板に上に乗せて、みんなで議論し合えば良いのに。 考え過ぎかなあ~。
(2015年6月18日)
土曜日の午後4時、生中継されたWBO世界ミニマム級王座決定戦があった。プロ5戦目で19歳の田中恒成(WBO2位)がWBO1位フリアン・イエドラス(27才・メキシコ)を破り、日本最速のチャンピオンとなった。おもしろい時間帯にLIVE中継をしたが、テレビ局の思惑が強かったのか。おもしろかったけれど、何かもの足らない。見た人は同じ感想を持ったに違いない。
それにしても世界チャンピオンが多すぎて戸惑う。世界ボクシング協会(WBA)、世界ボクシング評議会(WBC)、国際ボクシング連盟(IBF)、世界ボクシング機構(WBO)、の主要4団体がひしめく。階級はイギリスのポンドを基盤に決められているが、これがひどい。1ポンド=453.59237グラムなので、キロ換算すると分かり難い。
軽い順に、ミニマム級(ストロー級)47.62 kg 以下(105 ポンド以下)、ライトフライ級(ジュニアフライ級)48.98 kg 以下(108~105ポンド)、フライ級 50.80 kg 以下(112~108ポンド)、スーパーフライ級(ジュニアバンタム級)52.16 kg 以下(115~112ポンド)~その後は90.719 kg以上(200ポンド゙以上)のヘビー級まで全17階級が続いている。
試合前日に規定体重以内で資格をクリアすると、そこからたらふく食い始まりなんと試合時刻には計量時より4キロも5キロも体重が重くなっているのが普通。なんともはや1階級差が1.36キログラムや1.81キログラムは、どういう意味を持つのか分からなくなっている。
選手個人に責任はないが、見せるプロの試合としては、ちょっともう一回整理し直す必要がありそうな格闘技であることには違いない。もっともアメリカの司法省が贈収賄などの疑いでFIFA(国際サッカー連盟)の幹部9人を含む15人を起訴し、すでに7人が逮捕されている状況で、79才のブラッターFIFA会長が5選を果たしたというから、世界にはあきれ果てる競技団体がいくらでもありそうだ。
(2015年5月30日)
愛知県議会議員選挙の最終的な投票率は、38.5%で、戦後最も低かった、前回・4年前の、42.01%を3.51ポイント下回り、過去最低だった。私の住む天白区は36.33%。知りあいがひとり立候補していたが、なんとか今回も当選したようで良かった。
選挙制度を大きく変えないといけない時代かもしれない。有権者の3分の1しか投票しない選挙なんて、民意を反映させられない。選挙を登録制にして、選挙権を行使しない人は、政治に参加できないようにしてしまった方がすっきりする。そうでもしなければ、権利でも義務でもある選挙という制度が、根底から覆されている現実を永久に容認しなければならないだろうから。
マー君が心配。投げる球にばらつきが激しく、まだキャンプが終わっていないような未調整の姿。大丈夫かなあ。
(2015年4月13日)
手向くべき線香もなくて春時雨 ・・・・・・・・ 訃報が痛い
『いずれの理由があったとしても、テロは絶対に許されない』と、首相は言うけれど、いずれの理由があったとしても、というくだりは余計だろうと思う。理由があるとかないとかを問うているわけではないことは誰でも分かっていること、日本語の使い方にさらなる注意が必要。『なんの罪もない人が殺されて・・・』という言い方も不思議。何度も言っているが、罪があれば殺されてもいいという反語を容認してしまう言い方だ。つまらないことに気がいってしまうのは暇人の特権。
made in Japan ならぬ used in Japan 中古品がうけているという。Second Hand、昔はセコハンという言い方を何も考えずに使っていた。新品同様の新古品ばかりではなく、使っていたものがうける時代は想定していなかった。made in China でも 日本人が使っていたものが売れるというのがおもしろい。大きなビニール袋に詰め込んだ古着を1袋100円で買い取る業者がいる。それを t(トン)単位でアフリカに送り、1枚300円、500百円で売る。こんな商売を考えるシステムがいける。生活の知恵もどんどんインターナショナルになっていく。
(2015年3月19日)
ローリーズのローストビーフだとばかり思っていたことが、実はロウリーズのプライムリブというらしい。ロサンゼルス・ラシエネガ通りにあるこの『 Lawry's The Prime Rib 』、花粉が飛び始める頃に行われていた「ロス映画祭」に何回か行って、そのたびに連れられていった店。通りの名前は覚えやすく忘れられない。ヘラルドの副社長サム・難波さんが大好きで、したたるような牛肉のローストビーフだとばかり思っていた。ベイクド・ポテトを食べただけでお腹がいっぱいになるような大きいジャガイモ。もともとそんなに肉を好んで食べていないので、プライムリブが出される頃には、もうけっこうといった雰囲気だった。
サム・難波さんが教えてくれた注文の秘けつ「小河くん、残せばいいんだよ!」、と。さすがアメリカ人、そしてお金持ち。こういう映画祭に行って一緒に食事をするとき、自分でお金を払ったことは一度もない。それでも残せば、もったいないな、と感じるのは、あまりにも貧乏な日本人らしい。
懐かしいこのロウリーズが日本に出店しているという情報が今朝のテレビから聞こえた来たので、急に思いだした次第。去年の4月に恵比寿ガーデン・プレイスに、大阪にも出来ているらしい。肉好きの人なら一度は行くといい。
(2015年2月19日)
横綱白鵬の審判部批判が尾を引いている。何も話さない方が良い、と相撲協会には白鵬を批判する電話が90%以上だったという。あれくらいのことを言うな、と白鵬を責める相撲協会の方が、よっぽど酷い。無能な理事長が偉そうにしていられるのは、力士の声を押さえ付けているからこそのこと。どこかの国の、いつかの時代の圧政に見える。
ただ白鵬が肌の色の違いがどうのこうのと言ったことには違和感がある。ときを同じくして、救急外来暴言事件現場で外国人が肌の色のことに触れていた。日本人に他国民の肌の色を責めたり、差別したりする理由は何もない。でも、おそらく外国人から見れば、ことあるごとに何かしらの差別を受け、それが肌の色の違いだと思い込んでしまっているに違いない。その差別は肌の色ではなく、単なるそこで生まれていない、というだけの差別だよ。同じ日本人だって、どんな土地でもあること。名古屋で東京の「ト」の字を喋っただけで、差別されるのは昔から。
そんなことを考えると、馬鹿馬鹿しい人間社会。いつも言うように、自分のことですらよく分かっていないのに、他人の気持ちなんか分かるはずもない。というのが一般庶民感情。だからこそ喋るなではなく、自由にものを申して、お互いの意見をぶつかり合わせなければ、いつまでたっても、それこそ100年経っても、200年経っても、同じような社会にしかならないことは見えている。
(2015年1月29日)
国会議員の報酬は年間約2100万円、これが高いのか安いのかをきちんと議論しなければならない。それなのに、さらに月額100万円、年間1200万円の文書通信交通滞在費が支給される。ひらの議員が年収3300万円ではいくら何でも批難を浴びそうだから、1200万円分を分離したにちがいない。さらにこの1200万円は無税なのが最大の問題。領収書がなくても使えるとかの問題ではなく、税金を払わない報酬を得ていることが問題なのだ。年収3300万円に対して所得税を払うという普通のシステムをとらない姑息な手段だ。泥棒に追銭の諺が遣える場面かもしれない。そこんところを日本のマスゴミ(塵)は追求しない。貧富の差が社会問題だと嘆く姿勢を見せながら、自分たちは富の階層にいることを決して明らかにしないマスゴミ(塵)も、政治屋と同じようにうざい存在。いずれにしたって、国民全員が満足のいく豊かな生活を送れるなんていうのは妄想、人生とはそういうものさと諦めが肝心なのだろう。
(2014年12月5日)
先日、29歳の末期がん女性が「11月1日に安楽死する」と宣言したことが話題になっていた女性が、11月1日に自ら命を絶つことはやめたと明らかになった。私はまだ喜びを感じられることがあると、彼女は10月29日に公開された動画の中で、次のように話している。「11月2日が来て私が死んでいたら、家族には私のこと、そして私の選択を誇りに思ってほしい。そしてもし、11月2日が来て、私がまだ生きているなら、私たちは家族として前に向かうでしょう。そして決断は後にやってくるでしょう」そして、最初に死を選択すると宣言していた11月1日は「“正しい時期”ではない」と述べている。
「私はまだ十分気分が良いし、まだ喜びを感じられることがあるし、家族や友人と笑うこともできる」彼女は以前よりも前向きな気持ちになり、もっと長く生きようとしているようです。ただし、病状は毎週のように悪化しているようで、「その日は来る」とも語っている。
安楽死について問題提起をすることで世界の注目の的となった彼女は、世間の反応によって自らの安楽死を思い直すに至ったようです。このことで、今後の彼女の動向に対して、世界の関心はますます高まり、安楽死についての議論はさらに活発化することになるかもしれない。
45年前『刑法』の試験に「安楽死について記せ」という問題が出たので、不思議とこのことを覚えている。このことについては、何度か書いている。ドイツ語のEuthanasie(オイタナジー)が安楽死だとそのとき知った。たぶん45年後も同じような問題提起がなされるだろう。日本でならいつの時代も、「ある一定の要件、例えば医者から回復不可能の病気を宣告され、余命がない状態で、本人の意志が確かに確認でき、しかも死にも価する苦痛を伴った場合のみ、医者による安楽死が認められる」、こんな答えしかかえってこないだろう。これから先80才以上の老人ばかりになってしまったとき、本人が望むなら健康でも安楽死は認められなければならないと思う。命と宗教がおおきく関わるこの死に対して、個人がそれぞれ思慮をめぐらすことが必要だろう。そういう意識の高さが、もしかすると安楽死に対するひとつの答えをもたらすかもしれない。
(2014年11月1日)
モザイク処理が薄いアダルトDVDソフトを審査で不正に合格させたなどとして、わいせつ図画販売ほう助などの罪に問われた自主審査機関「日本ビデオ倫理協会」(ビデ倫)の元審査員、根本英隆被告(70)ら3被告の上告審判決で、最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は7日、弁護側の上告を棄却した。
根本被告ら元審査員2人を罰金50万円、DVDソフト制作会社社長、五郎川弘之被告(53)を懲役10月、執行猶予3年とした一、二審判決が確定する。
弁護側は「わいせつ物の販売を禁じた刑法の規定は表現の自由を保障する憲法に反する」などとして無罪を主張していたが、同小法廷は1957年の「チャタレイ事件」判決などで示された判断に沿って退けた。
一、二審判決によると、根本被告らは2006年8月、モザイク処理が薄いDVDを不正に合格させ、メーカー側は同年10月から販売した。 (2014/10/7 12:17 日本経済新聞)
ヘラルドの先輩の名前が堂々と出ている。もう一人根本さんがいたので、我々は今でも彼を「ネモヒデさん」と呼んでいる。映画業界からビデ倫に天下りしたように入った職場で、とんだことになっていた。先日のヘラルドOB会で「あの裁判はどうなったの?」ときいたところ、「有罪だよ!10月に判決が出るよ」と聞かされていたので、驚きはしないが、活字になって名前が明白になると、ちょっと複雑な心境になる。もう8年前のはなし。こんなことで、これだけ時間と労力を費やしている日本の社会は、健全なのだろうか。ネットに繋げばそれこそ無修正のセックス映像が誰でも見られる世の中で、こんなたてまえ裁判をやっている日本って、あまりにも平和過ぎはしないか。規制の仕方と運用の仕方が苦手な日本国、もっと本音が世の中を駆け巡らないと、あの中国を非難する資格も有しなくなってしまうよ。
(2014年10月7日 夜)
必死になって『古川爲三郎』関連ホームページを作成し続けている。いよいよ最後の段階だが、ここへ来て文章をまとめる作業がはかどらない。まだ3週間になっていないが、これを速いとみるか、遅いとみるか。そんなことを考えていたら、自分の中で同じようなシーンを思いだした。ほぼ40年前、27歳の時だったが、ヘラルドであの当時のオフィス・コンピューターに経理システムを乗せる仕事を毎日、半年近くやっていた。社内にコンピューターの「コ」の字も分かる人間は一人もいなかった。毎日はやくても夜10時過ぎまで、寝ても覚めてもシステムやプログラムのことばかり考えていた。社外の会社のサポートを受けていたが、自分でもコボル言語でプログラムを20本くらい書いていた。
最後の三日間は徹夜をして、経理システムを人間作業からコンピューター作業へ移行したことを思い出す。必死だったよなあ。なにかに憑かれたように、脇目も振らずという状態だった。休日になればお昼過ぎまで寝ていて、怒られもした。なにかに憑かれたという状態が、今も同じだと感じる。ひとりっきりの作業は、はかどるけれど、虚しい。誰が誉めてくれるわけではないのは、その時も今も同じ。この苦労が分かる人は身近にはいない、いなかった。今でも分かってくれていないだろうな、と思いながらも、悔しい思いをしているわけではない。そこにやらなければいけない作業があるから、ただひたすらに、一所懸命いのちをそそぎ込んでいる。
(2014年9月15日)
『8・12日航機事故』で亡くなった知りあいにはこんなうらばなしがあった。彼は繊維メーカー、ユニチカの宣伝マンだった。ユニチカでは「水着キャンペーンガール」とは別に「マスコットガール」と呼ばれるキャンペーンガールがいた。初代は風吹ジュン(1974年)、2代目 手塚理美(1975年 - 1978年)、3代目 紺野美沙子(1979年 - 1981年)を輩出していた。その2代目手塚さとみ(デビュー当時)の担当だった彼は、1975年彼女が14歳の時に遠藤周作、岡本太郎、伊丹十三、沢渡朔 、小林亜星の各氏が撮影したカレンダーを企画した。その写真に添えられていたのが、フランスのイラストレーター、漫画家のレイモン・ペイネの絵だった。
『ペイネ 愛の世界旅行』というアニメーション映画を配給しようとしていた日本ヘラルド映画は、このペイネの商品化権を獲得していた。品のいい、女性たちに人気のあった彼の「白黒線画」がカラーになって動くというのが当時のその世界での小さな話題になっていた。どうしてユニチカのマスコットガールとペイネの絵がイメージとして重なるのか、猥雑な世界に生きていた映画人にはよく分からなかった。
その後、手塚さとみは手塚理美になって活躍していることは周知のこと。真田広之と結婚して2児の母親になっていた事は、芸能界に疎い私は今回知った。当然のように離婚しているのは普通のことか。今、真田広之のマネジメント会社をやっているのは親しい知人。遠いところで、こうやってすこしは関わり合う人生の糸をつむぐことが出来る。
さて本題。ユニチカの宣伝マンだった彼は、その後象印マホービンに転職した。ヘラルドの大阪支社担当者は彼をフォローしていたので、日航機事故に遭遇したことを知ることになったのだ。ペイネのカレンダーの時は私が窓口になっていたので、彼とは何回も会っていた。感じのよい、自分が好きな人の範疇だと、きちんと記憶にあることが嬉しい。が、その後の人生で一生会うこともなかったかもしれない彼を、こうやって毎年思い出すことが、人生の中でも希有で不思議なことだといつも心にあたためている。
(2014年8月14日)